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堀井On-Line
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2013年10月14日(月)
* 生き直すために ー2 ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆 ー 前回の『生き直すために』の続きから 《 ・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。 酒をやめることで仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 AAで、最初に「私は、自分では 何もできない人間であることを認めます」と言わされる。これは一理あった。「自分で人生を立て直せる」と思い込んでいると、 依存症から逃れられない。 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある限り、人生のやり直しは できない。 就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。 自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。 捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。会社を辞めたことも、酒と一緒に それまでの生活を捨てたことで多くを失いましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。あそこで やめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、 何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》 ▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、ガンなどで余命が見えて、その克服や 人生を改めて見つめ直すために来ている人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、 極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは 「前向きに目をつぶって倒れこむ」しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。これも一期一会。 捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。 最期は、「そして、人生は終わり」! 「プツン!」になる。 ・・・・・・ 4219, 神は妄想である ー2 2012年10月14日(日) * 有神論と理神論と汎神論 ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す代わりに、この理論を、 答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 ただ、「今ここにある自分の存在」が 不思議でたまらない。「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した『神』をイメージした」と 一言でかたずけられない。 神という言葉の解釈がいくらでも可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー ≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な仕事に加えて、 自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしているような超自然的知性の存在を信じている。 多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。罪を赦し、 あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを知っている。 理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を支配する法則を設定することに限定される。 理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者は、 超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは 宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔に関心をもたず、 私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって干渉したりしないという点で有神論者と異なる。 理神論者は、彼らの神が、汎神論者の神のように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、ある種の宇宙的な 知性である点で汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論であり、理神論は薄めた有神論なのである。 「神は老獪なれど、悪意はない」や「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に選択肢があったのか」 といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく汎神論であり、まちがっても有神論ではない。 「神はサイコロを振らない」は「すべての事柄の核心に蓋然性が横たわっているわけではない」と翻訳されるべきである。 「宇宙を創造するときに神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外のやり方で始まることができただろうか?」 という意味である。アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫ ▼ 読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。日本人からみれば、何を今さらだが。 「神がいるかどうかでない、存在しなくてはならないのだ!」という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。 ・・・・・・・ 3854, 50歳代が勝負時? 2011年10月14日(金) 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、「さて、これから如何しようか?」と考えた時に、 曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という言葉に出会った。そうすると9年しかない。 そこで考えついたのが、 「残りの人生を、50歳代の9年間の中に押し込んで生きる」ことであった。 想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に 圧縮して生きることである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思いついたのが秘境・異郷ツアー。 行きたいところをピックアップし、何はともあれ行くことにした。 年に4回も行った年もあった。 更に10年前の55歳の時に、 個人HPを作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。 これを書き始めた5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。 毎年10パーセントの売上減が3年続いた。 そして4年目に入って中越地震が起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は長期借り入れの返済原資を 三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上である。 その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。 その結果、60歳辺りから心に大きな余裕が出てきていた。「何だろう、これは?」という感覚である。 人生の元を取った実感は、 心に大きな安心感を持たせてくれる。 その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上げ減の中でも、 そして今回の事態でも、何とか精神のバランスを保させてくれている。準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、 この結果としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、人生のページの余白を埋めた為である。 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めてしまうと、他人との比較も、自分が達成できなかった夢も、余裕を持って諦められる。 それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めることが残された人生の課題ということが分かる。 70歳まで、四年少ししか残されてない。不摂生だったこともあり人生の余白も残されてない。60歳前半は、リーマンショックで エネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖になってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、 捨て身で後片付けをする時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変の 真っ只中、それへの適応時期になる。 時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、周囲も同時に回っているため、 それを自覚できない。時流も激しく変化しているが、見ても見えずが、我々。 人間は現象との情死?しかないのか。 自然と、芸術とに触れ、感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 さて、信濃川のポタリングに出るか。 ・・・・・・ 3489、金は暴落する! 2011年の衝撃 2010年10月14日(木) 「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」鬼塚 英昭の最近の著書である。 要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を共有するために、金を値上がりをさせ、2011年か2012年の早い時期に 金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。 わずか3年前の2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。わずか3年で二倍近い値段である。 これを著者はロスチャイルドと金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 来年から再来年に金価格の暴落をはかり、 逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁るという。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、 大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。 バブル崩壊後に狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、 ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中に ばら蒔いてしまったから始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ罠という。 ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、 次にバブル崩壊を狙っている。それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。 そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。 大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、おかしく書いてある。 ー つづく ・・・・・・・・・ 3114, つれづれに ー閑話小題 2009年10月14日(水) * 低反発マクラ 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。 (次数制限のためカット 2012年10月14日) * 最近の万歩計 20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて年間1万5千歩を数年の間歩いていた。 (次数制限のためカット 2011年10月14日) ・・・・・・・・・ 2749, ソロスは警告する −2 2008年10月14日(火) 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著 講談社 ー読書日記ー 『アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、 欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、 エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に 大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、 このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。 歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、 ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、 ー松藤民輔(解説文)よりー (次数制限のためカット 2011年10月14日) ・・・・・・・・・ 2007年10月14日(日) 2385, 私の嫌いな10の人びと −3 「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著) ー読書日記 2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する日本人の感覚に 疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。この人の本を何冊も何度も読んだが、 一度ひいてみれば、所詮は「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」でしかない。 英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。 営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ 2006年10月14日(土) 2020, 13日の金曜日恐怖症 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 昨日は「13日の金曜日」であった。日本では、あまり騒がれないが、西欧社会では「13日の金曜日恐怖症」がある位、 この重なりの日は自重をしている人が多いようだ。 (以下、字数制限の関係上、カット13年10月14日) ・・・・・・・・・ 2005年10月14日(金) 1655, 北イタリア旅行記−6 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエロー このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。 この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」 ・ミケランジェロの「聖家族」 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」 ・ラッファエロの「ヒワの聖母」 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。 特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、 「モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。 「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で観ることができた。 地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエローの 三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。 それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。 きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。 「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときにおこなう否定もまた、 肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。− 全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。 憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。 疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。 ーつづく ・・・・・・・ 2004年10月14日(木) 1290, ダイエーが再生機構活用! 一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。売り場に商品が、あまりに少ない。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ 2003年10月14日(火) 923, アイスランド旅行記ー3 ーオーロラハントー 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」 という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。 だだ行きの飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。 夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をしていたより 遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。 これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に 壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「・・・」である。 取材できていた共同通信社のカメラマンが、「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と 私に話しかけてきた。「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。 その時、涙が出そうになっていた。以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。 「もういつ死んでもよいと思った!」「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」 それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。しかし、この言葉の意味が実際見て 初めて解った気がした。 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう! ・・・・・・・ 549,「宣戦布告」 2002年10月14日(月) 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。 北朝鮮の拉致事件の帰国も迫っていることもあり、 迫力と現実味のある面白い内容だった。「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ [186] 野村と円楽 2001/10/14 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。 メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、野村も面白いのではと期待していった。 まず野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよい と思っているんしょう。円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、ザワツイテイタ会場は シーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに聞き手をのせてしまった。 ー要点はー ・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され ・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた ・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた ・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた ・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある ・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー 等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため説得力があった。 また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。 今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、 野村だけは底から這い上げって来たためか、ずば抜けた内容があった。 その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、しらけた会場の空気が漂っていた 。 さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと憶えている。 キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。
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2013年10月13日(日)
* 生き直すために! 朝日新聞のオピニオン「耕論」の『生き直すために』小田嶋隆 ーのコラムが面白い! 先回の「そして、人生はつづく」は、「生き直し」でもある。この年齢になると、一年ごとが生き直しの日々。 筆者は、生き直しは、「やめる」ことから始まるという。 やめることは捨てること。最近、断捨離という言葉を聞くが、 その捨てることが難しい。 捨てて捨てて捨て去ることは悲しく辛い。が、それを前向きにすることで、辛さを軽減出来る。 ーまず内容の前半の要約をすると・・ 《 「人生やり直し」を二度経験している。1980年に大学を卒業して、新卒で入った会社を8ヶ月で辞めた。 何をするわけでなく、ただ不愉快なことがあったから逃げただけ。当時、上場企業の正社員というコースから一度 外れると再チャレンジが難しく、3〜4年アルバイトをしていたが、バンド仲間の知人からパソコン入門ライターを 勧められ、パソコンバブルもあって、それが当たった。しかし30歳前後から、アル中になり、酒浸り。 酒が切れるとウツ状態になる。自殺をしないためにも酒を飲み続けた。 それもあり、仕事が減った39歳の時に断酒をしたが、5日間、断酒をしたら、眠れず、幻聴まで出てきた。そこで、 心療内科に行くとアルコール依存症と診断され、「このままだと、40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール性痴呆。 もう一生飲まないしかないよ」と宣言された。それまで人と会うのも、音楽を聴くのも、野球を見るのも、酒を飲みながら。 医者に「酒をやめるということは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と言われ、慣れ親しんでいたことを次々やめた。 断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス(AA)で、「棚卸し」というが、いわば人生のリセットをする。 酒をやめてみると、膨大の時間が余る。何をしていいのか分からない。サッカー観戦だったり、自転車を乗り回したり、 イグアナを飼ったりして時間を潰した。・・・》 ーつづく ▼ 何かを捨てるということは、「空即是色」の現象面の一つ。「空にしてこそ新たな色が現れてくる」。 筆者は、上場企業を8ヶ月で辞め、犬に例えると宅上犬から野良犬になった。そこで、彷徨い歩いているうちアル中になり、 39歳で断酒。そこで得たのは膨大の時間。自分の能力、弱さを認めることから出発しないと、アル中から脱出できない。 物書きと、創業を目指した私とは大きな違いがある。目標がハッキリすれば、選択することが見えて、自然と、 「やめる」ことが見えてくる。20歳の頃、創業を決心した時から、私が捨てたのは「世間体」と世間の常識。 そうとはいえ、やはり本当に捨ててきたかというと、捨てきれる訳がない。決断、決心をする時にまず意識してきた。 これを捨てるには、まず全てを根こそぎ疑うこと。ここでは「やめる」と言っているが、まず自分の常識を破壊する。 人生にやり直しなど出来ようがない。天を信じて、捨てるべき時に、捨てるべきことを、捨てないと・・・ 捨てることを決断することで、自ずと節目が出来る。「脱皮できない蛇は死ぬ」 脱皮出来ないゾンビが街を徘徊している。 ・・・・・・ 4218, 神は妄想である ー1 2012年10月13日(土) ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。 欧米のように、生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で育ってない日本人は、神様目線が 殆どない。殆んどは、「神は妄想」と思っているし、神の話など家庭内では皆無だろう。しかし欧米では無神論者は同性愛と同様か 変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者などの狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。 まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより ≪ 人はなぜ神という、ありそうもないものを信じるのか? 物事は、宗教が絡むとフリーパスになることがままあるが、 なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会の あり方は、おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に携わっている著者は、かねてから宗教への 違和感を公言していたが、9・11の「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられなくなった。 「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについて あらゆる方向から鋭い批判を加えていく。 宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。 神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインを自称する、進化論を 学校で教えることに反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。あえて反迷信、反・非合理主義の 立場を貫き通す著者の、畳みかけるような舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫ ▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、 注目された内容。 9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉に対し、知人から 注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。 とはいえ、知識を持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。自然以外に、まず、それに アブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは 至極当然で、その対立は激しさを増している。そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる視点も、よく分かる。 「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの 猿が進化した生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、自然世界の時間をかけた 進化などをさせてきた、自然法則を神として理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく ・・・・・・ 3853, シリアスでストイック 2011年10月13日(木) 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。 シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。 コミックでは、「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。 ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という場合は自分に厳しい人という意味になる。 「今回のヒロインはシリアスでストイックなキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、 「ヒロインは極めて真剣で、自分に厳しいキャラなので・・・・」という意味になる。 プロの選手や兵士、そして原稿などの締め切りに追われている作家などは、シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。 漫画でいえば、「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。 そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイックに過ごさなければならない」ことになる。 まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。いや、「ファニー」の一日かもしれない。 その対義語ではないが、正反対のキャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風 変わった。」という意味。 お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。サンマ、タモリなどが、このキャラになる。 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスでストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を変えれば、違って見えて当然だが。 人生を振り返ると、この3つが混在している。 私の場合、「リアル」で、 かつ「コミック」も加わる。 まともに生きればシリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれていなくては、とすると?・・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ? ・・・・・・・ 3488, インコのクシャミ 2010年10月13日(水) ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。 籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣になっている。しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場で ジッとしている。呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸。 母が亡くなる直前も、そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで椅子に座り、みていた。 時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。 そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。 小さくクショッと人間のようにするのである。 そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、 クシャミまでするとは思ってもいなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲っているのをみて、何だろうと思い、 8〜9分は死ぬと思い込んだが。 寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。 インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。 クシャミをし、全身の毛が逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。 ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコをしている」が、そのまま全身から伝わってくる。 全身で苦しみ、全身で喜びを表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は「ありのまま」で生きている。 だから、ペットとして人間に好かれるのである。 衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。
・・・・・ 3113,イチロウの言葉 2009年10月13日(火) 以前もイチロウの言葉について書いたことがあった。その後も、これだけの記録を打ち立て続けている。 それに対して的確な自己分析を理路整然と話せるのスポーツ選手も珍しい。 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日) ・・・・・ 2748, ソロスは警告する −1 2008年10月13日(月) 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著 講談社 ー読書日記ー まずは、この本の背裏のジョージ・ソロスの紹介文からして面白い! 生き馬の目を抜く世界でトップのクラスの利益を出しているのだから、余程の知識と哲学がなければ勝ち抜けない。 10年前から哲学に興味を持って継続して学んできたが? つくづく今まで何をしてきたか考えさせられる。 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月13日(土) 2384, こころの旅 −1 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、 もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。 一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を 感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。 (以下、字数の関係上カット、 09年10月13日) ・・・・・・・・・ 2006年10月13日(金) 2019, 「私」のための現代思想 −11 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。 「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。 「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。 《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。 <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。 そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の 存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。 第四章「私」にとって「他者」とは何か −? =「ともに生きる」ということ= −なぜ人は顔を露出するのかー <他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。 実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。 つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。 そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に 「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、 顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。 「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。 (字数の関係上カット2008ねん10月13日) ・・・・・・・・ 2005年10月13日(木) 1654, 北イタリア旅行記−5 ーチンクエテッレー この意味は、「5つの島」という。海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように 家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように 好みの色を塗りつけてあり、それが何ともいえない風情がある。 その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、 ウォーキングができるようになっている。 その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。 (字数の関係上カット2008ねん10月13日)
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2013年10月12日(土)
* 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく』 5月の連休明けにシネマでみた、「アバウト・シュミット」が、まさに、「そして、人生はつづく」をテーマにした内容。 ーその概略をHPでみるとー 《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアとペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。 人生の終盤を迎えて大きな転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソンが見事に表現。 監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭アレクサンダー・ペイン。 アメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。 彼はこれまで妻ヘレンと今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。 そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、シュミットは会社中心の生活リズムが 染みついていたせいか手持ち無沙汰になる日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死する。そして葬儀の準備に 追われるシュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくるのだった…。》 ▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でもそれなりの人生を送っていると思っていたが、 定年をむかえた直後、妻が急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む娘を 車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで接したことのない世界の人たち。 その旅の中で、これまでと違った様々な経験をする。それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。 職場と連れ添いの喪失で、なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。 妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。 5月の連休明けに、この映画を見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しに見える部分がある。 また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて 知人に拾われ、働き出し、営業で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は老けていた。 数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越していった。 現在も、「そして、人生は続いている」のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうかだが・・ ・・・・・・ 4217, 開国という強迫観念 ー4 2012年10月12日(金) * 「開国」とは何だろう ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに不利になるため、従うしかない。 属国から離脱など出来ないように囲い込まれてしまっているのが日本である。 ーその辺りからー ≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」 だといってきました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。 「開国」とは異質なものに出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。「開国」とは、何よりまず、異質な文化、 社会、宗教などに出会うことです。そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。独自性です。自国の、 自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることこそが 「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということではない。世界には、西洋もあれば、中国も、 インドもイスラム諸国もあるのです。しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、決して イスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。 いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」といった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。 「世界標準」とはアメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことなのです。「世界に乗り遅れる」というのは 実は「アメリカに見捨てられる」ということなのでした。 ≫ ▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を 覆ってしまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人がポケットに持ち歩けるようになった。それで、 個人情報の受発信が気楽に、しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し進めることになる。 それは、情報をコントロールでき、利用できるものと、出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが アメリカの一部の人たちである。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の 日本の水準から見れば下流になる。総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流ということになる。 預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を入れれば、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、 日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。 ・・・・・・ 3852, ツレがうつになりまして ー3 2011年10月12日(水) 鬱病のタレントは、音無美紀子、小山明子、萩原流行、千葉麗子、生田悦子、岸部四郎。 音無美紀子、高島忠男、小川宏、 木の実ナナなど多くいる。作家では夏目漱石、北杜夫がいる。 タレントの何人かが手記を出しているが、本当に辛そうだ。 老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常になる。 長生きの人生の利子。 私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、 長年、その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小? で済んでいる。 対策として、直後から、 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 =合計三時間の運動で身体を動かす。 * 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 * 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。 その為に、哲学書を一歩踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。 しかし、この結果に対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。当然のことだが。 欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなること。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大な エネルギーを要する。そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、ますます辛さが積もっていく。 私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、その崩壊は最小で済んでいる。 所詮は、娑婆娑婆! もしインサイダー人間だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。 地域社会を象の皮膚の隙間とすると、 そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。 経験からして、心の傷は癒えるのに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。 時間が全てを解決すると腰を据えるしかない。 結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 見渡してみると重い経験者は一割。 軽いのを入れると三分の二あたり。 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。 それが出来ないから欝になるから、これ愚答。 そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を変える、趣味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 書店か図書館に行くと、 (神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。 これは神様の情け。 気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。 ・・・・・・・ 3487, ジョハリの窓 2010年10月12日(火) 「ジョハリの窓」という原則がある。 ーネットによると 【ジョハリの窓とは、1955年にJoseph Luft とHarry Inghamが考案した自己理解のメカニズムを指す。 対人関係における自己理解について、4つの窓の視点を提示し、自己理解がどのようになされるのかを分かりやすく説明した。 コミュニケーション心理学の分野で認知されており、研修や能力開発の場面で使用されることが多い。 <4つの窓> A.自分も他人もよく知っている自由な行動領域「開放の窓」 : B.他人は知っているが、自分は気づいていない領域「盲点の窓」 C.自分は知っているが、他人には隠している領域「秘密の窓」 : D.自分にも他人にもまだわからない領域「未知の窓」 ・いつも失敗する人は、「盲点の窓」が大きい。自分の悪いところも、いい部分も気づいていない。 ・「秘密の窓」が大きい人も、表と裏の顔が違うもう1人の自分を隠していて、いざというときに、その自分が顔を出して 「こんな人じゃないのに・・・」と言われることもある。その、もう1人の自分をできるだけオープンにすること。 その窓を広げるためには、自分の気持ちを率直に話すこと。自分を開示していくのは難しい。横にA→Bへと窓を広げるためには 友達や周りの人からの率直な感想を謙虚に聞く姿勢が必要です。そして友達も気づいたことや感じたことを率直に伝えることが大切。 このよう知らなかった自分に気づくことで、人は成長し、「未知の窓」を広げていく。】とあった。 〜〜 私のHPは、ジョハリの窓そのもの。10年近くも頭の中と私生活をオープンし「C・B」から「A」へ移行してきた。 そして自分で自分が書いた内容を読み返している時に、「D」領域が垣間見ることがある。過去を思いやった時に、鳥瞰の視線で BとCに気づくと同時に、Dの影?も見え隠れする。 その時点で気づかない未知の窓の気づきがある。そこには、戦略、夢、目標、 神の視線、純粋なギブ&ギブ、血筋、教養、等々色いろある。未知の窓こそ人間に進化?するプロセスの生命、動物の進化の プロセスが遺伝子に書き込まれている潜在意識の世界が隠されている。 開放の窓・Aと未知の窓は対角線・Dの位置にある。 自分を開放し、自由な行動をすればするほど、自他ともが窺い知れない未知の世界に飛び出す確率が高くなる。 驚き、感動が人間にとって最も重要な受容能力だが、それこそ未知の窓へ通路。驚き、感動の周辺に知識・知恵が豊富に存在する。 外は、広い、内は、深い! そして人間には限界があり、それぞれの外は狭く、内は浅いのである。それをソクラテスが・・・ ・・・・・・・・・ 3112,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー5 2009年10月12日(月) 初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、あれよあれよのうちに成立しそうである。 ( 字数の関係上、カットします−2011年10月12日) ・・・・・・・・ 2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して 2008年10月12日(日) 商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。 ( 字数の関係上、カットします−2012年10月12日) ・・・・・・・・・ 2007年10月12日(金) 2383, 私の嫌いな10の人びと −2 中島 義道 (著) ー読書日記 まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。 ( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日) ・・・・・・・・・ 2006年10月12日(木) 2018、「私」のための現代思想 −10 「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。 ( 字数の関係上、カットします−2009年10月12日) ・・・・・・ 2005年10月12日(水) 1653, 北イタリア旅行記−4 字数の関係上、カットします−2007年10月12日 ・・・・・・・ 2004年10月12日(火) 1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2 11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。 ーー ・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。 ・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。 鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカやエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。 −−− 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。 ーーー ー「閑」のある生き方ー 著者 中野孝次 発行元 新潮社 2004年10月3日長岡中央図書館 ・・・・・・ 003年10月12日(日) 921, アイスランド旅行記−1 ー2003年 10月4日〜10日 ーアイスランドという国とは ー 直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。 行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。 その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、 合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。 もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。 乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。 大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに 18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。 ・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。 ・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。 ・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテンが 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 人口の50パーが漁業関係に従事している。 また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。 家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。 ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。 ・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。 ー何処かの国に似ている。 ・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。 ・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。 ・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。 ・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。 −続くー ・・・・・・・・ 547, 人生で一番よい時 - 2002年10月12日(土) 母から聞いた話である。 母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の 祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。 祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。 「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。 人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。 そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。 「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?
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2013年10月11日(金)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきている。大地震、津波、異常気象なども、地球温暖化と関連した現象。 これまでの後進国が経済発展で、国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、 それが地球温暖化に拍車をかけることになる。しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。 第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ ・気候変動については現時点で正確に予想する方法は確立されていない。エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、 経済成長がどうなるのか、さらに気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が多すぎるためである。 ・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、温暖化に結びつくということはコンセンサスとしてあり、 だからこそ、これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。 ・一九九二年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約。 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明した。 ・第二の進展は、一九九七年の同条約の会議で合意された京都議定書。富裕諸国はこの議定書のもと、二〇三年の 二酸化炭素排出量について、それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし、各国の数値目標にはほとんど 強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られずに不参加となってしまった ・二〇〇九年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書よりもっと野心的な数値目標を、 富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせるはずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を 達成するためには、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。 ・そうした中、二〇一〇年のメキシコのカンクン会議で中国が、二〇二〇年までに経済の炭素集約度を四〇〜四五パーセント 削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。 中国では、福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい原子力発電所を増設していく。 風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増える。 ・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増えることにより、海洋地下資源開発の促進、 あるいは新たな漁獲域の出現など大きな変化があるだろう。 ・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することに よって温暖化を防ぐという案があるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため実現はしないだろう。 ▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。その結果、温暖化問題が、より深刻化していく 悪魔の循環が、日々、大きくなっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題になっていた。 「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、このままでは、現実問題になってくる。 ・・・・・・ 4216, 開国という強迫観念 ー3 2012年10月11日(木) * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的城下町の世界だった。 とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れることだった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。 新潟市でさえ外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国だった。 住居を長岡、 事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。それも首都圏から見れば似たようなもの。 それを逆照射してみると、世界というより欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。 5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、その文化の高さに驚いてしまった。 当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼすほどの近代化された軍隊であった。 世界>東京>地方の図式は、 こと日本において、決して当てはまらないのである。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。 東京へ行くことは、また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいることは内向きで閉鎖的な部族民に 甘んじることなのです。そして、この場合、「東京」が普遍的な「世界」を象徴するとすれば、「地方」や「田舎」は特異な「日本」 そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で 連想するのは、田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりするのです。だから、確かにここにはかなり 「複雑」な事情があります。このことを突きつめてゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。それはこういうことなのです。 「開国の論理」とは、まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の近代化とはまさしく「田舎」を捨てて 「都会」をとろうとしたのでした。「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのものといってもよい。 日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。 この同じ論理をもう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、「日本」=「田舎」と見なせば、 ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、 自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫ ▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と 蔑んでみている。当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方出身者に向ける。地方の人も、自然と 固定観念に染み付き、自虐の念になる。しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。大方が気がつくには死期が迫った時。 ・・・・・・・ 3851, ツレがうつになりまして −2 2011年10月11日(火) この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。 学生時代の友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になってきて、それ幸いと古町などで15年ほど隔月ごとに 飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の聞き役。 支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に向いてしまう。 それも数値責任を達成した上だから、たまったものではない。トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の 辛らつな虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。 主人公も、外資系の会社で、リストラ、効率化、顧客主義、徹底した コスト削減、顧客のクレーム処理で神経を磨り潰す。 几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、鬱病が表立つ。 そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を打ち止めになった出版会社の担当に 「ツレがうつになりまして、お願いします、仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、 欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。 その必死さにうたれた担当が、その人を紹介し、それが、この 「ツレがうつになりまして」を書くキッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、ウツに追い込まれる人が 多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。 他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しくない。 事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も 当然起きてくる。 その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を冷笑している心の奥の視線もある。 当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、あれこれの思いが巡る。 それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。 それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は言葉で言い難い。 事業を興し、上手くいっている時は、 この世の春。しかし、ある時点から転げ落ちるように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 それでも手元資金が完全枯渇する 半年前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。 ≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、 できることからやるの「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく ・・・・・・・ 3486, つれづれに ー閑話小題 2010年10月11日(月) * ガラパゴスに戻って 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモの携帯に切り替えて7日が経つ。 二年前にiPhoneに切り替えたドコモの携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になったこと、画面が大きくなったこと、 カメラが810万画素になり、タッチ式になったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。 他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、ということで今の機種を選定した。 しかし他の機種で4〜5万を出したものなら、その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。 * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、 1994年のピークの664万円に比べ2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり続けている。 世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働きに出たり労働時間を延長したこと、などがある。 増税などを含めると、世帯の収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の世代の大量の 定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行とともに日本経済はますますダウンしていく。 おそらく10年で、更に2〜3割以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円になると、 勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。反面、それほどの貧困感は出ることはないだろう。 中古市場や、フリー(不用品の無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあうシステムが ネットを通して働くからだ。貧乏だけど、最低限のモノや情報には不自由しない時代になっていく。 ・・・・・・・・・ 3111,つれづれにー閑話小題 2009年10月11日(日) *「正座が趣味」は、言い得て妙である ある随想を読んでいたら「セイザが趣味」とあった。「セイザというと星座と思われるかも知れないが、 私のは正座である」という書き出しが良い。正座をしている人を見て、格好がよかったと思ったので、 正座に挑戦してみたところ、良かったので続けているうちに趣味と思えるようになったという。 海外旅行などで長時間、飛行機のエコノミーの席に座ってきた経験から言うと、座席にあわせ深く座り、 腰骨を立てて姿勢を正していた方が結局は疲れが少ない。 まあ人生の姿勢も同じであるが。 私は学生時代に合気道を経験したことと、両親が茶道を趣味としていたため、いつも自宅で茶道の会など、 両親の隣に座らされていたこともある。 もちろん、背骨を立て正座である。 葬式とか、法事で公式の席で座る機会が多いが、最近は途中から正座を崩すようになった。今度は、 どこまで正座に耐えられるかこころみることにしようか。 で、何年後かに「正座が趣味」と言ってみたいが。 〜〜 * 自民党総裁選の結果を総括する! 今さら自民党を取上げることもないが、谷垣を談合もどきで選出した愚を書いてみる。 恐らく、当たり前のことを当たり前に述べるのだから、ほぼ同じ内容が、よりシビアに政治評論家が切り捨てているはず。 しかし新聞にしろマスコミでバッサリと斬った内容を見てない。 ところで、その選挙、当て馬の何某は谷垣の反対票を 分散するための、「あの連中(自民党壊滅の戦犯)」が仕立てた役割以外の何ものでもない。 要は、河野太郎と谷垣との選択選挙だった。 そこで主張している内容は、河野太郎の方が一方的に筋が通っていた。 「森元首相など戦犯を追放し、民主党の大きな政府の対立軸として、小さな政府を目指す党にしなければ自民党は再生できない」 全く、そのとおりである。 それに対して、谷垣は「これまでの派閥の領袖や、森元首相など首相経験者の後ろ盾を背景に、 これまでの体制を維持しながら立て直そう」という。 誰の目にも真っ当なのはどちらかは判断できる。 小泉のアメリカ追随の新自由主義は行き過ぎだったが、といって自由競争はグローバルになった世界経済社会では 必要である。 また、アメリカと協調していくこともである。従って、民主党の方針をそのまま実行していけば 必ずや行き詰り、自滅するのは目に見えている。 その時を期して、今までの悪しき体質のヘドロ体質を思い切って 保守本流の自由主義を目指すのが筋である。 いずれにしても、二大政党としての対立軸は必要なのだから。 これで、官僚と自民党の守旧派は陰湿な手段で陰謀を仕掛けるだろうが、その辺の匂いは、自然と見えてくるもの。 そうこう考えると来年の参院で、更に惨敗の可能性がある。 その方が当面は良いのだろうが。
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2013年10月10日(木)
このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVのニュースで報道されている。 そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。 土下座は江戸時代の大名行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため武士がやらせた慣習。 謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。映画で、記者会見などの頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど 効果があると・・ さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より) 空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画 『謝罪の王様』でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が気になってしまうのか。 専門家は、 2000年以降、謝罪会見などで経営者の土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、 相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。 (NHK説明より) 早速、プレビューを見てきました。 ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマとして今世紀最高を記録したこともあり、 多くの方がご覧になったと思います。その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。企業の不祥事などで、 社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目にするようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という 意味が加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 中には、土下座するまでもない場面で、 土下座を強要させられることもあるようです。私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。 土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たようなそんな居心地の悪い気分になることも事実。 番組を通して分かってくるのは、ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座することで、 それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに 向かうべきではないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんのこんな言葉です。 「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いはありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください! ▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の 被害者のように怒り、呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も変だが、見ている方も、 明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。 大場面なのに、 殆ど悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。 元もと罪の意識もないのだから救いようがない。選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い! ・・・・・・ 4215, 開国という強迫観念 ー2 2012年10月10日(水) ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か? 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では首都圏の大學か、地方大學に分けられる。 一般的に都心の大学進学は、進歩的文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識と 教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地をつくるため。自由の立場で、世界を、社会を、 人間を見つめるための猶予期間である。しかし、最も重要なことである。 ーその部分からー ≪ 「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、 まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは事実でしょう。 彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全く そんなことはありません。・・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点にやってき、その後は 「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉されていった。 知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、彼らは、彼らに都合のよい西洋の思想や学問を取り入れて、それを「科学」 といい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=「専門的」=「先進的」であり、これに対し、 「日本的思考」=「非科学的」=「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」「専門家」「先進的」 の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と同じ。 この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という 特権的立場を手に入れたのです。・・(中略) ・・ この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を開かないと、世界の 潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、 「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式 だったのではないか。この「世界」を「東京」に、そして「日本」を「田舎」に置きかえてみましょう。 ・・・ ≫ ▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が果たしては特異で後進的か?を、問うている。 それまでの欧米は、自分たちは文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させるという建前で、 世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、 という刷り込みではないかと、著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。 真の支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! ・・・・・・・ 3850, ツレがうつになりまして −1 2011年10月10日(月) 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。 TVでも放映され話題になったストーリー。 ところで、 もう亡くなってしまったが、前の会社の取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に 暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。 ところが20数年前のバブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。 その症状のまま営業や知人先に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 躁の時は、 晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、 再発の報告と相談に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や精神科学の本の言葉で、何とか 危機を乗り越えてきた体験があるので、痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは ≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいことではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人は いないのと同じ。 上司に正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりにすれば、それ以上悪くなる ことはないし回復は最短になる。とにかく拗らせないで治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度ぐらいは来ていたが、その都度、初めに飛び込んでくるのは私のところ。 欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが山ほどある。 しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時入院をするようになっていた。 会社は管理職からヒラになったが、 最後まで病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、他人に危害を加えるかどうか。 その辺はギリギリでセーブをしていた。彼の場合、多くの友人がいて、その失敗を見守って許してくれる人間性があった。 営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。 その人も7年前に癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。 欝による失態も、決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 そういう経験があるので、この映画に 感情移入をし、涙をしながら見入ってしまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 足腰の関節が痛くなり、 何らかの成人病が出てくる。 欝になるな! という方が無理な話。 その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、 割り切りきった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた方が良いことになる。 私は子供の頃から仏壇前のお経だった。 次回は、映画の感想文・・ ・・・・・・・ 3485, エッセイ脳 ー2 2010年10月10日(日) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー ・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、 「どのように」にあたる部分がBになる。単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは読み手(公共) の納得の方が優先されなければならない。そのため、「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先され なくてはならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる題材を探さなければならない。 ・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていてもよい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。 テーマに合わせて題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、抽象的だが題材は個別、具体的になる。 ・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。 「ある=起、ある=承、へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして、「へえっ〜=転」が、書きたいことの中心にある。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを 考えればよい。他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。したがって「転、起、承、結」の順に なってくる。それはテーマが与えられてない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。 ・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみの文、セリフ「 」に括られるもの、などある。 これは小説でも同じである。もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。 ・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイ こそ、エッセイのエッセイの由縁である。 セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、さらに再現性がある。 ・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」) を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。 ・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。 ・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。 ・・・・・・・・・ 3110,生きる幻想 死ぬ幻想 2009年10月10日(土) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を 世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、 といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。 「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。 現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。 ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。 本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、 そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、 人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。 自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう 世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、 現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を 形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。 この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略) ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、 多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると 言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな 形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。 ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。 一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、 差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、 信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。 (以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
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2013年10月09日(水)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ ・第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。 それは、冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたからである。 ・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって劇減できると考えたが、 9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、それは誤っていたことがわかった。 ・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争をしかけられるだけの力を持ってきている。 インターネットを基盤とする既成の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が持ち運びできる 新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を搭載できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。 ・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。 ・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期においては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は 管理され実際には起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。 ・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずのアラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に 頼らず、独自に核を持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリアなどが核を保有しようとする ・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく 専門家もいる。彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。 ・無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。 ・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算を回せなくなる。 ▼ そうこう考えると、40年の間、核戦争が起きない方が不思議で、必ず起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が 犠牲になったが、再び億単位の人たちの犠牲も有りうる。今のところ国家間の核攻撃の問題だが、他の科学兵器を含めた 個人の意思による攻撃も充分あり得る。 狂った猿の兵器が、ますます強大になった結果、人類そのものの存在さえ 危うくなる。細菌テロなどの科学兵器が、一国を滅亡させる可能性さえある。追い詰められた弱者の暴動を押さえ込む シリアの科学兵器攻撃でオバマが激怒したのではなく、それ自体が国家による反乱への弾圧の手段として使用したことに 対する歴史的行為であるからだ。その意味で、中国と、ロシアも、米国の攻撃を阻止した行為は、歴史に残る愚行として 間違いなく残る。そう、細菌などの化学兵器がテロで日常的に使用される時代が、近い将来の姿である。 ・・・・・・ 4214, 開国という強迫観念 ー1 2012年10月09日(火) ある雑誌にー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思 のレポートがあった。 TPPの反対論だろうと読んでみたが、なかなか面白い。 私自身、地域社会に埋没しないことと、両親などの刷り込みによる 思い込みなどからの脱却が人生のテーマにしてきた。自分を開き違った世界を受け入れ、同化することが人間の成長と信じ、生きてきた。 しかし、反面、知らない世界に常に怯え、同化を拒否していた。これは人間として当然でもある。 ここで著者は、 「開国は、突き詰めればアメリカに対する不利な条件をつけられた開城ではないか?」と、問題提起をしている。 その辺の論拠を何回かに分け取り上げてみる。 ーまずは、その抜粋からー ≪ 丸山真男は、戦国から安土時代へかけてが「第一の開国」、明治維新が「第二の開国」、そして終戦後が「第三の開国」といいました。 また松本健一は、明治維新が「第一の開国」、終戦後が「第二の開国」、そして1990年代のグローバリズムを「第三の開国」と呼んでいる。 両者を足し合わせれば、すでに日本は四回開国しており、今回は五回目の「開国」なのです。「開国」の大安売りで、「開国」、「続開国」、 「続々開国」…と、いったいどこまで開けばよいのでしょう。気になるのは、明らかにここにはあるバイアス、もしくは先入見があり、 それは国を閉ざすことは悪、開くことこそが善、という強力な思い込みがあるということです。閉所恐怖症ならぬ「閉国恐怖]と 「開国強迫観念」がある。「開国」すなわち「国を開く」ことは国際化を意味し、それは無条件に歓迎すべきだ、という思い込みです。 TPP賛成の「開国論」は、しばしば、「TPP反対派は外国に対していわれなき怯えと恐怖をもっている」といいます。 しかし逆にいえば、「TPP推進の開国論は、国を開かなければ世界からは取り残されるという強迫観念です。・・・(中略) ・・その一大典型が、先ほどの「開国論」を唱える丸山真男をはじめとする戦後進歩的文化人でした。彼らの主張は、何よりまず、 戦後日本を民主化し近代化する、ということでした。ではどうして彼らはそのような主張ができたのか。それは民主的な近代市民社会を 成立させた先進国の立場に自らを同一化したからです。その上で、民主主義が根付かない後進国である日本を批判したわけです。 日本人部族の大半は閉鎖的で西洋のような先進世界を知らない。知らないから、自己中心的で、世界には通用しない自分たちの流儀に 得々としている、というわけです。いわば「部族社会の原理」で生きている、というのです。このようにいってしまえば、彼らだけ主義が 根付き、個人の自由や人権が保障され、合理的精神が行窟収ったいわゆる市民社会だとことあるごとに強調しました。しかし、現実は 大きく違います。アメリカには今でも根深い差別意識があり、ヨーロッパには強烈なエリート主義や隠然たる階級意識があります。 古代ローマやギリシャへの敬意は未だに強く(だから、あの「だらしない」ギリシャをわざわざEUに入れたのです) ≫ ▼ 日本周辺の地勢から考えると、強迫観念を持つのは当然。アメリカとロシアと中国に囲まれた現実世界が存在している。 もし、開国してなかったら、アメリカか中国の一部になっている可能性もある。 戦国から安土の開国は、蒙古襲来があったため。 明治維新は、アメリカの開国要求に対して近代国家樹立が生きる道であった。終戦はアメリカに敗戦したため。 グローバリズムは 共産圏が消滅し、世界各国の壁が低くなったためである。しかし著者はここで、「開国という強迫観念」があった、と主張する。−つづく ・・・・・・ 3849, あれから半年か −2 2011年10月09日(日) * 9・11、9・15、3・15 の直撃後、日本は、どうなるのか? 歴史的テロとリーマンショックで経済的に直撃を受けた日本は、今後どうなるのだろうか。 その三連発の直撃で私も儚くも破綻に至った。 商売上、ストレートの影響を受けてしまったが、では日本全体は大丈夫か? というと、そうではない。 これから始る欧米の混乱が日本の政治経済に更に大打撃を与える。 地震・原発事故の影響は、 大きく現実として我々に覆いかぶさる。 アメリカ経済会議前委員長のサマーズは、事故後の講演で 「残念だが、日本は貧しい国になる」と断言。 私も、その先端で直撃をうけたので、その指摘は痛いほど感じている。 国家収入の三倍近い予算を立てざるを得ない日本。それに対し、増税は反対という国民の愚鈍さ。ギリシャのダラシナサより、 日本人の方が劣っているとしか私には思えない。 この惨状を自覚できない恐ろしさ。 先日見たNHKスペシャルの東北大震災の録画を再びみた。 大震災に直面しても、正常性バイアス、同調バイアス、他愛行動で、 逃げ遅れる人の状況を。 「10年前の9・11、三年前の9・15以来、私も、この三つの判断と行動しかしてなかったのでは?」 という反省もあり、再び見て、その事実を確認した。ただし、装置産業のため、手の打ちようが無かったことも事実。 そこで3.11の大震災で、直ぐに決断した! というより、最後の迷いが無くなった。 この判断を、大部分の人たちが 冷ややかな視線で見ているのを、逆照射すると、逃げ送れた死者たちの顔が浮かんで見えてくる。 この大震災の中で、「危ない、逃げろ!」と喚いても、殆どの人が「変な人が訳も分からないことを言っている」としか、 受け止められないで亡くなった人たち。 それとほぼ同じことが、近未来のリーマンショックの大津波の襲来に対する認識である。 大震災でタバコをふかし車に寄りかかって、海を見ていた鈍い人たち(もちろん、その人の立ち居地によるが)。 轟音が聞こても分からないのである。 一年もしないうちに、それが身に染みて分かるはず。立ち居地が違い影響の少ない人もいるが、 国家そのものが破綻の瀬戸際だから、そうも言っていられない! この9月から、リーマンと東北大震災の大波の姿が見え始めてきた。 見ても見えず、今さら遅い! が、現実か・・ これは自分への警告でもある。 まだ逃げ方が甘いのか ・・・・・・・ 3484, エッセイ脳 ー1 2010年10月09日(土) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー内容ー(アマゾン) 言葉の選び方、書き出しの心得、起承転結の「転」を利かし書き手の「ええーっ」を読み手の「へえーっ」に 換える極意とは?しなやかに感じて、したたかに描く、奥義を伝授。人気エッセイストが初めて明かす文章術。 第1章 テーマは連想の始動装置―「私」と「公共」の往復運動 (何を、どのように書くか―エッセイの基本要件;学習で高められるもの―他者が読みたくなる要件 ほか); 第2章 頭にはたらきかける文、感覚にはたらきかける文―無意識を意識する (文章のはたらきに着眼―三種類の役割;枠組の文でアウトラインを―「描写」を「枠組」で引き締める ほか); 第3章 リスク回避と情報開示―「自分は他者でない」宿命を超えて (読みにくさは個性か―読みやすさの必要性;自分≠他者の宿命を超えて―読み手はヤマ場が見えていない ほか); 第4章 文を制御するマインド―「筆に随う」はエッセイにあらず (言葉を選ぶ三つの側面―検討すべきこと/正確さ/主述、並列、呼応;クリエイティビティに先立つもの― (字数制限のためカット2012年10月9日) ・・・・・・・・ 3109,サエゼリア 2009年10月09日(金) * 村上龍のカンブリア宮殿 以前にサエゼリアについて書いたことがあるが、大不況の中で最近、再び注目を浴びている。 テレビ東京に「カンブリア宮殿」という村上龍がメインナビゲーターの番組がある。それぞれの会社のトップを インタビューをしながら、成功の秘密を探る番組である。先日、珍しく家内が自主的に録画をしてくれた番組を見た。 私たちは「サエゼリア」のファンである。 家から100mにあるのが最大の魅力だが、兎に角安い。 同じSC内にあるスーパー原信の惣菜よりやすい感がする。それと、高校生からファミリーや私たちの年代まで 気楽に入れる雰囲気が良い。 しかし、そのサエゼリアを褒めると、次男や会社の副支配人は顔をしかめてしまう。 「あんな女、子供の屯している煩い店。それに料理は美味くも不味くもない味。イタ飯なら個人店の少し高い店がよい」云々。 (字数制限のためカット2010年10月9日) ・・・・・・・・・ 2744, 劇的な毎日が刺激的だが、凄惨な日々が待つ? 2008年10月09日(木) *東証が1万円割れ、NY株も一万ドル割れ 株式がジワジワ下げてきたが、二日前に日米ともに一万割れになり、現在は9200円近くに下がり続けている。 次は前回の下げの7600円が目安になる。 状況からいえば4000円でも不思議でない。10月中は一万台は持つだろうと 思っていたので、驚きである。9月15日から始った金融恐慌の波は日ごと大きくなってきている。 東証株価は去年の同時期からみると45%の株価の下げになる。企業も、個人投資家にとっても大きな痛手になる。 ホテルは景気に直接影響を受ける商売。小団体が何組か入っているので現在のところは数字は出来ているが、 それを除くとマイナスである。駅前の飲食街も、このところ立て続けに長岡の飲み屋街に行っているが、 どこもホボ客は皆無。深刻をとおりこした状態である。 事業所のある新潟駅周辺の飲食街も殆ど歩いていない状態! なるほど、これが恐慌前夜の状況かと・・心の底ではアメリカの金融崩壊に拍手を送りたいが他人事でないのが米国属国の悲哀。 まずは欧州に飛び火をして大きな影響を出ているようだが本格的な危機は、これからである。 あのGMの倒産確率が95%、そして次の金融機関のターゲットはシティー・バンクだが、最近のニュースでは バンカメの株が26%暴落し$23になっており、一気に経営危機が表面化し、近々に$20を割り込み、$10をも 割り込む暴落状態の可能性があるという。もし、シティーとバンカメが消滅したら、世界は最大級のパニックになる。 ソ連の崩壊を目の当たりにして驚いたが、今度はアメリカの崩壊過程を連日目にしているのである。 色いろのブログの中の生々しいレポートによると、アメリカはパニックで金融恐慌の話題一色という。 一ヶ月も経ってないのに、連日飽きもせず金融危機のニュースが飛び込んでくる。 それが日ごと深刻な内容になる。十月から十一月にかけて、更に大荒れになるだろうが、金融危機は、我われの生活に 直接に影響してくるから深刻である。現在進行中の一連の出来事は、私が生を受けて最大の事件である。 家内がTVで誰かが『日本は破滅だ〜』と言っていたとか、NHKのニュースで急遽上場を延期した会社社長が、 「台風と、サイクロンと、大地震が一度に襲ってきたような状況の中で不安で延期するのが当然のこと」 と言っていたが・・・・ 恐ろしいことは、アメリカの大統領選挙でアメリカの頭脳が麻痺していることだ。 大統領の交代時期が来年の一月というから、一番重要な時期に手を打つべきことが最小になることだ。 現在の日本にも同じことがいえる。 それでも十数年間にわたり金融に関しては合理化をしてきたので 金融バブルは最小だったようだが? 恐慌は数年間で大小の会社の半分は消滅するというから、 せめて自分のところだけは生き延びないと! サバイバルの世界に入ったということだ。 イラクは早々にアメリカ軍は撤退だろうし、北朝鮮も金が回らなくなって政変間近になったし、中国も荒れるだろう。 恐慌は国際間の緊張を呼び込み世界戦争への道を作っていく作用がある。 恐ろしい状況である。
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2013年10月08日(火)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ ・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。 ・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。 ・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブなどを使って反政府活動をする共通の キャッチフレーズになりうる。 ・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、 政治家との癒着腐敗、政府の巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。 ・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、 複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。 ・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずるさまざまな形のバイアスのかかり方である。 ・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、規制当局に圧力をかけるということだ。 ・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。ウェーブの力はそうは言っても限定的で、 マスコミはさまざまな形で情報操作を受けている。 ・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。 ・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。 ・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える「経済第一主義」と、 この「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を揺るがしていくことになる。 ▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も 必要になる。特に、この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの権力者で支配されているというが、 実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数に 存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。自由には制限があるが、各々違うため問題が 次々と派生し、世界を混乱に陥れる。しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると信じたい。 自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。。 その辺のバランスは、人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。それが、現在の自民党、民主党の対立軸である。 ・・・・・・ 4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は? 2012年10月08日(月) * 去年は凄い年だった! で、今年は? 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、 タイの大洪水、ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死などなど。私自身も30年間たずさわった 事業を整理をせざるを得なくなった。 しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し中国国内の 日本企業が焼き討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュはないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。 去年に発生した問題は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。しかし、ひと月で、中国の トップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごすことになる。それと、スマートフォンの普及が、 世の中の変化を、より推し進める。これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまったということ。 これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、 再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? * 多人数兄姉の末っ子として 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の 一番上の長女なら親分肌になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての 立ち位置に生まれ育った。下から二番目の直ぐ上の兄は、 一番下の私の影になり、その虐めは陰湿そのもの。しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で 緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読んで、 必要のないことは見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。 大家族のためか、自分の 主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。 両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、 時代と、家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。 それ以上に面白かった。 これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。 ・・・・・・・ 3848, 料理はメディア 2011年10月08日(土) * 料理はメディア、コミュニケーションのツール ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫ 【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。 それはしかし、自分の中で考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは「よく味わう」こと。 それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。- 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物をメディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。 昔は、人を招いてご馳走することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。つまり、主人が つくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持っていないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、 その板前さんに委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。 つまり、なぜ、この店に招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味なんかそっちのけで、 つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーションのための手段、つまりメディアなんです。 プロの料理人は料理に命を賭けている人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長になっていく。 そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。 薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】 ▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。 美味しいものを食べつくしてきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す雰囲気を が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の 部下の女性に得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。 家内も私も、美味しい料理の場合は、 小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構えの店で、 売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。 食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。 ・・・・・・・ 3483, フューチャリスト宣言 2010年10月08日(金) 「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著) ー内容(アマゾンより) インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。 過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬はないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。 未来創造の意志をもって疾走しよう。フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。 〜〜 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を 明るい視点で見つめる「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸とした社会の変化や 人間の存在のあり方の変化を語り合っている。「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。 1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目がアップル社のリンゴ、そして4つ目が 「フューチャリスト宣言」。肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、それを可能としたツールが日ごと進化し、 身近に新しい可能性が次々と出来ている。「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」 と茂木は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に 捉えなければ、生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や一匹狼たちにやさしいと 語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力である。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで 新しい何かを創りあげる可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは「学ぶ」という 最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、 ここで二人は、「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性をその特質としている」と語る。 「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが 機能する可能性がネットにはあることだ。 茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験という システムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。 今更いうまでもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。 ・・・・・・・・ 3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3 2009年10月08日(木) 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著 ー読書日記 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。 国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、 利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、 為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、 1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。 しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない限りは 大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債の発行は 無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。 郵政自由化を日本に迫り、強引に 小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。 現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが 親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》 2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。 *資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、 家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円 資産合計 5515兆 *負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、 家計=375兆、民間非営利団体=17兆円 負債合計 5272兆 *純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、 家計の純資産=1058兆、民間非=35兆 純資産合計243兆 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。 それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、 これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。 しかし純資産は200万しかない。 世界の一時期の株価の総額に近いとみると、少し多いように感じる。 そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、 アメリカの属国という事態から脱却しなければならない時期に来ている。 これをもって、日本は豊かで国家の力量が あるとは言えない。 中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。 アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という世界共通言語がある。永久国債しかないのか?
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2013年10月07日(月)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか ーのまとめ ・世界的な高齢化によって、年金と健康医療費の増大は、国家財政にとって大きな負担になる。 ・社会保障費の増大は、防衛費や教育費など国家にとって欠くべからざる分野の予算を圧迫してきている。 ・先進国のみならず、新興国もインドを除いては、社会保障費の増大にともなう国家財政の悪化の懸念がある。 ・しかし、そうした国家財政の悪化は、改革によって防ぐことができるものである。 ・年金については、雇用期間の延長、あるいは、富裕層には選択的に支払わないなどの措置がすでにとられつつある。 ・健康医療費については、オランダのように、貧困層や弱者には、政府が援助をし、そうではない部分で、 民間の医療保険に市場を開放するなどして、費用削減の効果をすでにあげている。 ・ベビーブーム世代の年金の受取額は一人ひとりは大幅に減ることになる。 しかし、それによって、一回きりの費用増大のショックをやわらげることができる。 ・開発途上国では、将来の高齢化を見こして余裕のあるうちに、年金の賦課方式から積立方式への転換が比較的容易に 行なわれるだろうし、そうした措置をした国家は、将来に備えることができる。 ・政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つ、戦略的な財政備蓄の確保の必要性がある。未来の国庫は、 例えば気候変動に伴う極端な気象現象による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。 ▼ 高齢化と少子化が景気を冷やし国家財政を悪化させる。この問題が日本の将来の最大のネック。いや既になっている。 富裕層と、有能な若者は、日本を見限り移住を始めている。日本を含めた世界は一部の富裕層が富を独占する歪な 構造が、社会を不安定にする。5〜10年内に国家財政の破綻と非常事態宣言が出される可能性が非常に高い。 その時どきの政権は問題を先送りするしかない分、深刻度を増していく。20世紀は、冷戦を含めた三つの世界大戦で、 そのガス抜きをしてきたが、今では暴力装置を使う戦いは局地戦以外は不可能。 それでは、どうしてガス抜きをするか? その答えは必ずあるはず。その一つにG20がある。年に一度、世界の主要国のトップが集まり直接話合う。 国連があるが、現在の状況は緊急事態。一同に集まり、その場で決定するしかない。高齢化の問題というより、 高齢者に資産が集中して若者に金がまわらないこと。それが世界に先駆けて日本で起こっている。 ・・・・・・ 4212, 閑話小題 ー旅行仲間の便り 2012年10月07日(日) * 旅行仲間から便り 先日、7年前に北イタリアのツアーでご一緒した神戸の夫妻からアイスランドのビデオ(DVD)が送られてきた。 ご主人は元NHKのカメラマン。リタイア後に、ご夫婦で世界各国を旅行している。当時、私たちがアイスランドに 行った直後で、「そこを勧められたことを思い出して送ることにした」と、手紙に添えてあった。その直後に手紙で、 イングランド南部のツアーに誘われたが、既にギリシャに決めていたこともあり、次の機会にと、お断りをさせてもらった いきさつがあった。それもあり、その次の旅行先にイギリス一周コースを選んだが、ウェールズなど片田舎は何ともいえない 歴史の深さの趣きがあり、「あのツアーも良かったはず」と思ったもの。 ビデオは、ご主人が元プロでカメラ視線が決まっており、 奥さんがナレーターをした本格的な内容で、「撮影と編集を旅行代理店に依頼されているのでは?」と思われるほどの出来栄え。 羨ましい趣味である。ご夫婦は旅行先は欧州が中心だったようだ。ツアーのキャリア組みには、価値共有の仲間意識が出来ている。 自慢するでなく、互いの行ったところを披瀝し、情報交換の楽しみが共有できる。イスラエル、パタゴニアも、新羅ウィグル地区 からカラコルム・ハイウェーを抜けアフガン国境のツアーなど、現に行ってきた人の「生の話」を聞いたからこそ行けたもの。 財産として、金か、土地として残すか、「こと=行蔵」として残すか、その人の考え方による。私は、感動、感激を求める「こと」 の方を選択してきたが、それで良かったと思っている。 秘境ツアーなど贅沢の極みだが、本気になり探すと信じられないほど格安で、 内容のあるツアーは、幾らでもある。また、それを探すのが面白く楽しい。現在、隔日ごとに、行った先の世界の旅番組を見ているが、 それぞれの旅行の延長を、そのまましている気持ちになれる。ツアーとしても、それぞれの旅は、帰ってきてからも続いている。 先も短いこともあり、来年から年一度の旅行を再開したいが、世相が悪くなる中、いざとなると迷いが出るだろうが? ・・・・・ 3847, 創造的破壊 2011年10月07日(金) 「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、古いものの破壊が、そこにある。 新しく創造されたものも、時間と共に古くなり破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、 創造のベースとして捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれかわるための破壊になる。 但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。 竹の節は、これがあるから大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。 予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、 人生の前半に、多くの節目があったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。 創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、 【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な 新しいものによって駆逐されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスをそう呼んだ。 不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げるものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いものを打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。 「脱皮できない蛇 は死ぬ」も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、そこまでいくと、 退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなしているといってよい。・・・ 】 ▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、 創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが生き残るシステムも決して否定できない。 現在の世界の政治、経済の大混乱も、ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている創造的破壊。 この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ)が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ? ・・・・・・・ 3482, ライフログのすすめ −2 2010年10月07日(木) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。デジタル機器の進歩と、値段の劇的な 安さの実現と、その記録も無限大に可能になり、その分析も可能になってきた背景がある。 モバイル携帯など、 それらを可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集しネットに記録保存をすればよい。 それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。 これに近いのがモバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、ついている。それが記録される サイトに自動送信すればよい。 モバイル携帯の一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、 これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、 誰と会ったとか、何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、どんな写真を撮ったとか、自動的に 記録保存して、牽引をつけ整理し、パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャルネット ワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、 バラバラだ。共通のツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられていない。 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、著者は公開を否定している。 公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。自分の全てを電子記憶にして、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。 公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。 「僕たちはいつか、自分の目にしたものや耳にしたもの すべてを記録できるようになる」と。その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているからだ。 その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという理由はないという考えに夢中になったのである。 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。 この本を読んで自分のWeb上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」 になってしまった。 したがって、私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタルに記録する! 」であり、 私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。 著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、 毎日の読書や日常をデジタル化してファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、「ライフログ」のシステム化 されたものが、あるはず。これを読んでいてデジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 二度とない人生の記録か!
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| 4586, 閑話小題 ー謝るとき、人は誰でも主人公 |
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2013年10月06日(日)
* 謝るとき、人は誰でも主人公 先日、シネマで『謝罪の王様』をみてきた。この映画は、謝りのコンサルタントを仕事をする人たちの姿がテーマ。 このところTVで不祥事を起こした会社のトップが記者会見で、深々と頭を下げる姿が放映されている。 今夏、ドラマ「半沢直樹」ブームが吹き荒れ平均視聴率は28.7%、9月22日最終は42.2%を記録。それは平成ドラマでトップ。 ここで、何度か土下座をする姿があった。謝る時は、人は誰でも主人公なのである。二人の男の対立で、時間をおいてだが、 土下座を互いにする場面がハイライト。土下座される方も、その時は主役なのである。 人生を振り返ると、二度、何かで土下座をしたことがある。そして、両手を合わせて頼みごとをしたことも数回ある。 泣いて詫びたこともある。ある意味で、人生の究極の場面であった。土下座、拝み倒しなど、普通では、やらない。 恥も外聞もなくし、謝り、感謝しなければならない場面が人生には何度かある。それが振り返ると、実は人生のハイライト。 会社整理の時、一番大口の金融機関の担当に、弁護事務所で、ふとした場面で二人きりになった時、深々と頭を下げ 「申し訳ありません」と両手を膝について謝罪をした。悪かったという思いが、そうさせたが、気持ちは通じたようだった。 4億前後の金額で、謝って済む問題ではないが・・ 謝っている私も決して悪い気持ちでなかった。 「謝る」には、射るに言ベンが付いている。言葉、態度で謝罪することで迷惑をかけた相手の心を射ることになる。 人生で土下座をする場面も、される場面も、そうあるものでない。謝罪すべき時は、割り切って、土下座をしてでも 詫びることが必要である。 大学を卒業して半年の頃、配属された神戸店でのこと。「男子社員は屋上に集まって下さい」という店内放送で、 何だろうと駆けつけると、自店の数人と、テナントに入っていた電器店チェーンの数人が、何かの切っ掛けで、 乱闘直前の場面。 そこで、スっと間に入り、深々と「私が代表で謝ります」と頭を下げたところ、両者とも呆気にとられて、 スっと引き上げたことがあった。タイミングが良かっただけだが、合気道で、気をのむコツを知っていた効用である。 それから半年、非常に居心地がよい職場に変身した。営業のプロは、謝り方が決めて。土下座する場面を常に探し、 それを果敢に実行するという。「土下座など、そうされることはない。なら、してしまえ!」というのが、理由のようだ。 そういえば、したことはあっても、されたことはない。 ところで、土下座の練習を、今度しておこうか。 それもカミさん相手に!? 昔、きつい家内と母の間で、どうしようか悩んだ結果、深夜、寝ている後ろ姿に、 両手を合わせて拝んだところ、気持ちが何故か、収まった。 まあ、いろいろある。いや、あった。 ・・・・・・ 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力 2012年10月06日(土) * ライオンの魂 「異郷日記」西江雅之著 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく惹きつけられるものばかり。 アフリカでは、今でも魔術が信じられているところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つであるー ≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで生活をしていた頃のことだった。村人の話によると、 雄のライオンのなかには、死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の姿勢を保っている状態では、 ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。 ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間にライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは 弾丸並みであった。そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。まことしやかに話すというのではない。 本気で語っているのである。東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。それを家に置いておいたり、携帯して いたりすれば、戦争に行っても弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・などなど、如何なる 災害からも身を護ってくれると信じられている。ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。 直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それはどうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで 結石のようになったもののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって近所の人にそのことを話したら、 なんということか、その後の何日か、わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを手に入れた途端に、 それまでは一度もなかった害の恐しさを経験することになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める人心を 惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫ ▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、購入して所有したことがあったが、何故か不幸が 続いて気持ちが悪くなり、売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に残っている。私の高校の 知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。 それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、信じないかだけである。現在、「神は妄想である」 という遺伝学者の本を読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、信じる者は救われるか! 逆か? ・・・・・・ 3846,‘よい写真を撮る’コツは ? 2011年10月06日(木) 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。 私もスナップ写真を中心に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになったのが、デジカメで 写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。 写すというより、その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」と、指示された目線で撮るとよい。 その為には対象の景色に、まず感動し、その感動をカメラに収める気持ちが必要である。 また小さな花をアップにし、その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると、 比較的良いのが撮れる。それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の女性などの撮影現場をTVでみたが、 徹底的に相手をリラックスさせ、その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること自体を忘れさせてしまう。 動物も人間も見られると緊張する生き物。 電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。 人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。 今まで、デジカメは少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、構えて良い写真を撮ろうと、 構図の選択に構えが出てしまうからである。 対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想である。 その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。 ・・・・・・・・ 3481, ライフログのすすめ 2010年10月06日(水) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー 人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、そして普段は気にかけない自分の位置情報や 生体情報まで、人生の「すべて」をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。 仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャルな分身に人生を語らせることも可能だ。 いいことずくめの「ライフログ」の時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター科学の重鎮が、 その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。(ビル・ゲイツ) ▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている 70歳を超えたゴードン・ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として利用することの可能性や 実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」を ほぼ保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。 10年近く前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、 書きっぱなしだった読書感や、毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ休むことなく続けてきた。 ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要している。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで 生きようと考え実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば 私にとって黄金の習慣になる、と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」と思い知った。 10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも 深さも違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも事実である。 「ライフログ化」という コンセプトのブログや商品も出てくるはず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 私も10年のキャリアがあるから、 経験を生かせる筈だが。面倒か! 夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、 それもライフログの一つになる。高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を木目細かく書き続けてきたという。 ・・・・・・・ 3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4 2009年10月06日(火) 昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、以下は、それをメールで教えたくれた 林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、 自民党から民主党に変わると、政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。 * 堀井 様 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、テレビにもよく出てくる 山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足を債務者に」と題して書いていました。 ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」 と手のひらを返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられていた10月3日の読者の声欄の投稿です (これは立派な投稿でした)。 あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは 「日銀統計によると全国145銀行の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。 実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」 としていた点です。「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」でした。 (これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も確かめずに書くのか、につながってきます。) この「記者の視点」はこちらの指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。 このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁明、先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」 と言ってくること、「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところでしょう。) そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に対しての私の一番の批判点です (朝日新聞お前もか、というところ)。それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえなってきます。 最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に 入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に電話する気になったのですが…)。 ではまた ー林 * To: 林様 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。これは、 マスコミのマイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が早いですね。と同時に、やはり良識が残って いるということで、林さんの電話が大きく影響したようです。今日も、フジTV系が扱っていた以外は、何かいずこも避けていたようです。 ますます面白くなってきましたね。再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと思っています。 手前味噌になったら、ご勘弁を! 堀井 ―― 朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」 と常日頃から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、少しタイミングが遅い? 「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で!目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目か?
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2013年10月05日(土)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十一章 新興市場の時代 ーのまとめ、 ・四十年前、新興国市場は存在していなかった。鄧 小平はまだ追放の身。インドの首相インディラ・ガンジーは、 銀行を国有化し、大企業を押さえ込み、社会主義に転向。チリは社会主義政権で、アジェンデ大統領はコンピューターで 計画経済ができると信じていた。 先進国にとって開発途上国という言葉は、政府の腐敗を意味しており、 途上国にとって投資は、海外資本による纂奪を意味していた。 ・それが変わったのは、開発途上国が資本主義と和解し、その技術、資本、インフラをとりいれ、世界の資本市場で、 安い労働力をつかって製造工場の役割を果たすようになったからだ。 ・ゴールドマン・サックスが、BRICsという言葉を使って新興国市場の成長に世界の目を向けさせたのは 二〇〇三年のことだが、実際はその予測を二倍くらい上回る規模にブラジル、ロシア、中国は成長した。 ・これは、経済成長が指数関数的に、すなわち規模が増えた分を利用してさらに増えるからで、現在の先進国のうち、 二〇五〇年までに、経済の世界規模で上位七ヶ国に残るのはアメリカのみ。 あとは、中国、インド、ブラジル、 マレーシア、インドネシア、メキシコにも抜かれると予想される。 ・ある国の工業化の時期が遅れれば遅れるほど、その速度は速くなる。しかし、その速度は、他の要因にも左右される。 そのなかでもっとも大きなファクターは、教育である。生産性を向上させるさまざまな手法や技能は、教育程度の高い 労働人口を持つ国で速く広まる。 ・フィリピン、エジプト、メキシコ、インドネシア、バングラデシュ、パキスタン、ナイジェリアなどの新興国で、 教育年数が二〇五〇年までに著しく延びて、生産性の高い労働力をその国に生み出し、経済成長をあと押しする。 ・中国は二〇二五年を境に急速に高齢化が進み、人々はそれまでに海外にため込んだ海外純資産をとりくずし始める。 そして中国は労働力不足 におちいる。 ・今中国は、六五歳以上の人ひとりに対して、就労可能年齢の労働者(二○歳から六四歳までの人)が七・九人いる。 二〇五〇年には、わずか二・二人になる。日本は現在の時点で、退職者ひとりを労働者二・六人が支えている。 ▼ 現在の日本が、このまま衰退していくとは思えないが、極東の陸の孤島の日本が、その地政学的な有利さの中で、 教育に熱心だったことも含めて世界第二位の経済立国に上り詰めたが、これまで。 これからはネットが世界を覆う時代、インドの貧民窟街の少女にもネット上では大きくチャンスがある。 そういうハンデを背負った人たちと競って太刀打ちするには、余程のことがないと難しい。 やはり、ネット社会が新興市場を劇的に変化させる大きな要因になる。先進国は、それに従い豊かさが減り、 新興国家は、底上げされる流れはとどまる事はない。どう考えても、日本の将来に明るさは見えてこない! ・・・・・・ 4210, 異郷日記 ーサンジバル 2012年10月05日(金) 「異郷日記」西江雅之著 * サンジバルの逸話 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い続けないと人生の自殺者になってしまう。 硬い殻に閉じこもり、しがみつくしかない人生こそ避けなければならない。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、 多くの村が散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物のすべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは 史実虚構が入り交じる物語に埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、アジビア数字が消えかけている 大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、奴隷、征服者、 イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、 高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、 道行く人の内部にすべり込んでくる。 (・・・中略) わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。 ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻ったばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。 「アッ・サラーム・アライクム(汝の身に安らぎあれ!)」。若者は老人に言った。 「アッ・サラーム.アライクム」。老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? お前のおじいさんは、 海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」 若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、 よくまあ恐ろしがらずに平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしはザンジバルで、何人もの知人に スワヒリ語で何度も同じ話をした。「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が恐ろしいことなんだ」と、 わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫ ▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。 何処の道理も同じである。著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、すべて異郷と感じている。」 と述べている。そうでなくては、流れ者のように世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の外側を、 異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。 それ以外は職場は新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。 と同時に、しがみつき、安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている感がする。それでも、まだまだ 楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。 ・・・・・・・ 3845, 地獄への道は善意で舗装されている 2011年10月05日(水) 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。 『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだ ことを記憶している。 特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、それを知らない人が多い。 善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。しかし一つ歯車が狂うと、「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。 営業を生業とするものは善意をノウハウとする。それが相手にとってのニーズであり、対象の懐に入る手段。 善意、好意を示され喜ばない人間はいない。 この格言は昔から言われいる基本である。 ー ウィキペディアによると ー ≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた当時までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」 (地獄への道は善意で舗装されている について) ー ユリウス・カエサル *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」(地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、「地獄への道は善意で、天国への道は階級闘争と 俺の濃い髭で舗装されている」などと語ったと言う。 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。 その結果、十字軍や宗教戦争、魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。 つまり、犯罪と知らずに 窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた 全ての惨劇や、人間同士の軋轢は、全ては善意が引き金になっていると言っても過言ではない。 しかし、ウィキペディアでも コミュニティの円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとることが推奨されているように、人間同士の意思疎通や、社会の構築と その円滑な運営には「善意」が必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶してきたことは言うまでも無い。 哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、地獄への道である善意をよすがとしなければ生きていけない人間、 保てない社会を悲しみ、「救いはないね!救いはないんですか?」と絶叫したことは、あまりにも有名である。 ≫ ▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、恨まない範囲で示すと割り切ることだ。 善意も捨石として、直接の見返りを求めないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないからこそ福が来る。 ・・・・・・・ 3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー13 2010年10月05日(火) * 旅行代理店の選定は? 旅行代理店の選定は、金に糸目をつけないなら別だが、如何に良くて安いパッケージを探し出すかは他の商品選定と同じである。。 ・まずは趣味の問題になるが、地方の代理店は避けるべきである。地方名士様ならチヤホヤしてくれるので、それが目的なら問題がない。 同じような目的の人が来ているから、同レベルの人なら良いが・・とにかく、添乗員の場数が少ない人が多い。地方同士のなれあい客 しか相手にしてないので全国区の質の差が歴然としている。 ・初心者なら、JTBとか日本旅行辺りで良いだろう。「ビールばかり飲んでいたが、今度から日本酒を飲んでみたいが・・」 という人は、全国区の灘の酒辺りのブランド品で、そのイメージで味わえばよい。同じ外国に行くなら同行の人は異質の全国区がよい。 ・初心者としてアフリカや、南米など異郷に行くなら、秘境・異郷専門のワンランク上の客を狙っている「ユーラシア」とか、 「旅のデザインルーム」などが良い。JTBや日本旅行でもワンランク上のブランド名でツアー募集をしている。 アフリカ専門とか、南米専門とか、特定の地域に絞った代理店もあるが、添乗員の質のムラが非常に大きい。これも外れると、 場所が場所だけに、客にとっては大きな問題。 名前の通った代理店は必ず御客のチェックリストがあり封書に密閉して送られ厳しく 審査されるので、外れは少ない。 旅行は添乗員の質で半分近くは決まってくる。 何度か、添乗員で旅行そのものが台無しになった 経験がある。しかし怒りを会社にぶつけるのも大人気ないので、二度と行かないという消極的手段しかない。 ブランドなどで高いのは外れが少ないし、安いのは外れの危険が多い。 安いものに、シーズンの終わり間じかのものがある。 これは経験からして外れの方が多い。しかし安さの誘惑で負けて何度か失敗をした。 反対に少し高いと思ったが、他にないので 仕方ないので、という大当たりというケースが何度かあった。 行っている人達の人品が良いと心が洗われる。 南アフリカ、南米のマケドニア、北スペイン、新羅ウィグル地区・カラコルムハイウェー、などは同行客の人品の御かげで、 厳しい日程でも楽しく過ごすことが出来た。行き先を決めて、それにあった代理店のコースの選定に集中すれば自ずと見えてくる。 旅行先で、良かった旅行先の情報を聞いたら、代理店と、その時期まで聞いて、その通りに選定するのがベスト。 何ごとも同じ。
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