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堀井On-Line
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2013年04月07日(日)
* 第三時限 いい加減にしなさい ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に感じているのは私だけでないだろう。 御隠居は日々この感慨を持ちながら人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。 隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れではない。起承転結の「転結」を 「転々」に変え、転がりながら最期を迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー ≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な要素じゃないですか。 前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということがいかに重要かという話をしてくれたんです。 第二の人生で定年まで、一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというときには 何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れてしまったほうがいい、というふうに。 赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。 天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことの ように思っているけれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、その苦しみや悲しみを忘れる ことができなくていつまでもメソメソ悩む。でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまうことができる。 赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。 天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。 あの本は、ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったのでしょうね。老人はまだ社会に役に立つと でも思ったのでしょうね。 実際は違うのに。・・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとかポジティブに 書かれて悪い気がしないですよね。≫ ▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを与えて下さった」という解釈がある。老いて 今さら気ばんでも致しかたがないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げアップロードをした瞬間、 内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。 この最大の収穫は、過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会う ことである。時空を超えた自分に毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。それを第三者に曝す のも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。 ・・・・・・ 4030, 一時停止 ー谷川俊太郎ー自選散文 2012年04月07日(土) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や特集の雑誌を何冊か、読んできた。 その散文集なら面白くないわけがない。谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を読んでいたら、 人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。 * 「青年という獣」1957年 ーより ≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっともてっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかいないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活するとは、人間の社会の中に生きることだ。 現代ではこの違いを理解する人は少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると危険な言葉にされかねない。 青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに抗議する。青年は生きようとするものであつて、生活しようとするものではない。 一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものに なることを、いやいやながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。人間は生活という唯一の現実によって人間になる。 青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる位の非人間的な強さを もつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を果さねばならぬ。 ビリイ・ザ・キッドは若かつた。彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスとその中の生命とに気づいていた。 彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。 死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのはそのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かつた。 彼は人間を代表して、コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、コスモスと戦つたのだ。≫ ▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為になる。 生活のためであっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨ててかからなければならない。 ここで、 「青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きるくらいの 非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は 彼の役割を果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的になる。獣にならなくては創業など不可能。 何時の間に獣から普通の生活者になっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 本当の生活者になるのは、これから。 ・・・・・・ 3664, 閑話小題 2011年04月07日(木) * 駅やSC内のATMが閉鎖は 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。 支店、営業所内のATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。経済的側面からみたら、大震災と原発事故全体を 大地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。 * スポーツクラブだけは盛況 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。 驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。100人位に人たちがマシーンと共に 無言でひたすら運動していたことである。雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。 「平日の10時から17時までの時間帯コース」の会費が大よそ6千円、10〜22時のフルコースだと8千円。 週に4日×4=16日が平均とすると、一日400円〜500円。 施設からみてそう高い感じはしない。 それより、歩いて15分のところに、公営施設の中に、大きなジムがある。これは、一回300円、3月で1800円。 以前、入会しそうになったが、止めたことがあった。 早朝のウォーキングか、サイクリングをしていたが・・・ ・・・・・・・ 3299,金融世界大戦 という捉え方 2010年04月07日(水) * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ) 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質を説明している。 さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器 という危ないやつである。 何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。 「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を 狙ったが、それが敢え無く破綻し、世界を恐慌に導いてしまった。 一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」をつくり上げ、 世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし 大元のアメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っているドルを注入し、立ち直りを図っている。 詐欺師は元もとの金や資源を温存しているから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。しかし被害者は 輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを 見境なく買ってしまったのである。 現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように必死に持ちこたえているが、 これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、 世界中にばら撒かれ、連鎖して世界中を破壊する。 それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの転換期に始る。 日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。 「気がつきゃホームでゴロ寝」で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。アメリカは第二次大戦後、朝鮮戦争、 ベトナム戦争、冷戦、そしてソ連の崩壊後は、アフガン、イラク戦争と戦い続けている。 ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意 から始る日本のバブルと、破綻である。 (字数制限のためカット 2012年4月7日) ・・・・・・・・ 2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3 2009年04月07日(火) 『三位一体モデル』中沢新一著 読書日記 * 煉獄の発明 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。 それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に地獄から這い上がれば、 上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、 資本主義が動き出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、 その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、 死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。こうした経緯を経て、 西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を経て、 19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。発達を可能にしたのは、それに加え、 増殖の原理を飲み込んでいたからである。キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では 資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。1990年代まで続いた東西対立の、 いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、 また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。 ▼ 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。 地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・ ・・・・・・・・ 2560, ホモ・ルーデンス ー2 2008年04月07日(月) (*´∀`)」" おはよう☆彡 子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。 人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。 ー文化は遊びのなかにはじまるー 遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な要素のすべてが、 すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。 子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという 規則も守っている。まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。 もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。 このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から 遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。 *遊びを定義すると 遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、自発的に受け容れられた、 絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、 また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。 このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、 このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。 ▼ 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのもの ということが出来る。ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。パソコンのインターネットも、 携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、 仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。 もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。 。・∀・)ノ ホナ! ・・・・・・・・・ 2007年04月07日(土) 2195, ファンタジー文学の世界へ ー1 *^○^*)ハ?ヨウサン! 「ファンタジー文学の世界へ 」ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) ー読書日記 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。 ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が 詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。 *それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。 情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を鳥瞰することも必要となる。 この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を 特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。 この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。 (字数制限のためカット 2010年4月7日) ・・・・・・・・ 2006年04月07日(金) 1830, あちら側の世界 ー8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ? 「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。 (字数の関係でカット2008年04月07日) (v^ー°)バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年04月07日(木) 1465, なんじゃい、こりゃ! またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。 (字数制限のためカット 2012年4月7日) ・・・・・・・・ 2004年04月07日(水) 1100, 撃墜王の秘密 ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」 二人のパイロットは、ハルトマン少佐とその師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、 ロスマンも80機以上も撃墜している。その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、 完治不能の傷を負った。 (字数制限のためカット 2012年4月7日) ・・・・・・・・・ 2003年04月07日(月) 733, 30年間着ている礼服 現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に 母にいわれて、「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。 (字数の関係でカット2011年04月07日) ・・・・・・・・・・ 2002年04月07日(日) 369,植民地経営 西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。 1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治 大体がこの3つである。 (字数の関係でカット2013年04月07日)
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2013年04月06日(土)
『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 * 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師 ー人生二毛作の進めー 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう作物を二度栽培すること。 二期作は同じ作物を二度栽培をすること。人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変えることは無理。ならば移住するか、その土壌に 合った新しい作物を長年かけて用意しておかなければならない。 ーその辺りを抜粋するー ≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきたサラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、 いっぺんひっくり返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生は自分が自分の大将になり、 自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。 天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと 思っているんですよ。ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませてもらいました。 二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲を つくったら、二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目のようなものであって、 前半の人生と同じものをつくったんじゃあ面白みがないと。 外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね逆になります。そもそも、前半で立てた 志というのは、学校出て就職したらある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。 わたし自身もそうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても成長しているような気になって、 それでは本当に生きてきたといえるかどうか。 天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作というのかな。前半の人生と同じものをつくる。 たとえば、定年を迎えたけれど、嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・・。 世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目をやるのは面倒くさいし、自信がないから、 とにかく一毛作の延長で行こうとしがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。ゆといってもわたしもね、 少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の勤め先を定年退職したあと、もう一度別の学校に 勤めに出た。これがよくなかった。 ≫ ▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。転進すべき節目時に決断している。情報を持って いたのである。 逆に一毛作でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、それも ご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ! ・・・・・・ 4029, 「人生の知恵」ノート ー2 2012年04月06日(金) ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー * 情報や知識が少ない場面では 「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。手堅いことは独創であることよりも大切である。」 これも人生を振り返ると、骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。 * あえて敵をほめること 敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容にすべき。その品格が求心力を生む。 ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。しかし、決して愚弄してはならない。 憎い相手ほど、冷静に褒める。それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。 * 放っておく術を知る 人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時は、港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。 殆んど時間が解決する。複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。 「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。 * 見かけも重視すべし 信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい 敬意を受けられない。きちっと見抜ける人は、見かけで騙される人よりずっと少ない。清潔な服装を着るだけでなく、時計も靴にも 高級感のあるものを選んで、いつも磨きをかけることが必要。話す言葉も、少し保守的に、謙虚さを装うべきである。 第一印象は僅かな投資で良くすることができる。それが信用の土台になる。 * 感情の波を乗り越える 感情は、常に理性を踏み越える。常に冷静な態度を保てる賢明な仲介者を間に入れれば良い。激情にかられたらその場を離れる。 * 失うもののない人と争わない 人物を選ぶこと。 危ない人は、いつの間にか悪い情報のタネにする。 * 言葉はやわらかく、態度はやさしく 「言葉を使えばたいていのものは買うことができ、不可能を可能にできる」言葉の力と恐ろしさを知って、用心深く、 やさしく使うことが、品格を作り上げる。 ▼ このブログの公開が恐くなってきた。「本当のことは休み休みに言え」が、社会。この箴言は現在の私への諌めの内容ばかり・・ ・・・・・・・ 3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2 2011年04月06日(水) この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説の上で、この今後の行末を考えてみる。 それだけ大きな事象なら、これから生じる問題は想像するだけで恐ろしい。 * 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクのフセインへの攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。 このテロは、白(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、文明の衝突である。 * 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めたばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を 根底から変える歴史的大転換の大事件である。。 * これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波を発生し、沿岸の原発に直撃。 その結果、放射能汚染が日本の国そのものを崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを根底から変えようとしている。 事実の中には、真実と虚偽が混ざっている。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、政府筋がコマーシャルを流している。 しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知している。 ネットで、政府より国民の方が 情報を素早く得ているのである。 政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が最大の被害者。 あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、この様である。 それを今さら「風評に気をつけてくだい!」 といわれても、誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」と、ある筋から聞いたときは、 それでも心の何処かで「まさかだろう」と思っていた。しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、「もしかしたら?」でなく、 その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を考えなければならない。「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めている」とかが、 決して風評で軽々しい、とは思えない事態。「外国人が、早々、列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、 風評として見逃している情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である! ・・・・・・・ 3298, 一年の重み 2010年04月06日(火) 図書館で久々に小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。例の「ありがとう」教の本を書いた人。 それで一番ありがたかったのは、彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような面白い内容があった。 (字数制限のためカット 2012年4月6日) ・・・・・・・・ 2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2 2009年04月06日(月) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 *「霊」は何か? ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。 語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と 構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。 その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、現実の姿として 「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。 この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教していくことになる。 それが西欧資本主義の出発点になるのである。ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。 * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である 「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する 存在など、あってはならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、 絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。 イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を 組み込んでしまった。イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。 キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。 ▼ 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、 ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 霊を増殖するものという見方は初めてである。 ・・・・・・・・・・ 2559, 印度放浪 ー3 2008年04月06日(日) ー語録ー2 人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。水葬にしていったん沈むんだけど、 沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで底についたのは必ず浮かんでくるんだ。 そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。 半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、 まるで不動明王や五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。 水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。 日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、 三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。 それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。 こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。 ーー 犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。クンバーダカ鬼は架空の 生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、 そこにいた一匹が逃げたんだ。それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。僕がエサを取って しまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、 かなり危機感を持ったね。眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。 川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、 それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。 そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。で、犬の目から目を離さないように しながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めてこれをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま 少しずつあとずきりをして川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。 奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。 こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから 何となく大丈夫だと思ったわけ。これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。 ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。 ーー インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、 一本フィトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、 全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。 解)これって写真だけでなく、全てにいえることじゃないですか。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月06日(金) 2194, 大人のファンタジー読本 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー読書日記 ー未知なる扉をひらく180選ー 出版:マックガーデン この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。 その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、 ネット上の語らいからつくり上げた本。180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。 1P~2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」と言われれば、 間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。初めは図書館で借りて読んだが、 アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。 (字数制限のためカット 2011年4月6日) ・・・・・・・ 2006年04月06日(木) 1829, あちら側の世界 ?7 「ウェブ進化論」読書日記 (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆ ー「アマゾン」とはー =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテールに ついてーに重なるが敢えて取り上げる。ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を 予感させる)IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、インターネットが登場するまでは、 出版社と流通業者と書店であった。今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本 ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、 事業モデルであった。2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えて しまったことである。日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が 在庫を持たない本から上げていると発表した。インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。 (字数の関係でカット2008年4月6日) 以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。 世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである! 間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。 ー (*"・∀・)ノバイバイ! ・・・・・・・ 2005年04月06日(水) 1464, 発想名人 ?読書日記 最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。 (字数制限のためカット 09年04月06日) ・・・・・・・ 2004年04月06日(火) 1099, 「80対20」革命 ー4 「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い! ー以下に書き写してみる。 △あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか? 一番熱心になれることは、どんなことか? (字数制限のためカット 2013年04月06日) ・・・・・・・・ 2003年04月06日(日) 732, 「こうすれば良くなる」 いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。 これに対して 「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。その内容を私なりにアレンジをして書いてみた ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。 (字数制限のためカット 2012年4月6日) ・・・・・・・・・ 2002年04月06日(土) 368,リオのカーニバル いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。 (字数の関係でカット2010年4月6日)
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2013年04月05日(金)
* 象の皮膚の皺につく寄生虫 「知的余生の方法」渡部昇一 10年位前に、何か哲学書の中で、象の皺を全世界、そこにつく寄生虫を人に喩えた「世界内存在」の説を知った。 寄生虫は、全体の象の姿を知ることが出来ない。だから旅行や小説などで時空を超えて象の皺から出てみないと・・ この随想日記でも度々、世間とかいう枠組の批判に、この喩えを使ってきた。 ーその出所が、ここに詳しくあった。 ≪ 象の皮膚の皺につく寄生虫は、自分がくっついているその皺だけが自分の全世界で、象がどのような形をしている 動物かも知らないーというようなことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイユイ。このように虫の立場から 見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外の動物の目から見る世界という「視点の転換」を教えたのは J・J・ユクスキュルというドイツの動物学者である。哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、 人間の思考法を大転換させる業績だと思う。・・・(略) ここから類推すると「人間は世界内存在である」という場合の「世界」は、人間の五官が認知できる世界ということになる。 縦、横、深さの他に時間を入れてもせいぜい四次元の世界である。五次元や六次元の世界がどのようなものであるかは想像も つかない。音も光も人間が五官で羅できる周波数の範囲は限られている。それは象の皮膚の皺の中の寄生虫には星が存在せず、 梅の香りが存在しないようなものでないか。人間は五官の世界内に閉じ込められている。これから逃れる方法がない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。・・・(略) 人間は、象の皮膚の皺の中に住む寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、 そこから脱出しようという努力をしたり、脱出することを祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると 主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。 どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。 神様とはいかないまでも、超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平と ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、 それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越している 普通の人間は、解剖学的制限の下にある。これが哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。だから解剖学者はオカルトの 世界を認めない人が多い。人間はいくら解剖をし、すぐれた顕微鏡や検査法を用いても、その存在は認めらないからだ。≫ ▼ カントが同じようなことをいっていた。人は5感の範囲でしか、経験の範囲内でしか認識できない。認識できた範囲を、 対象に貼り付けているだけ。「知っている範囲しか、知り得ない!」当たり前のことだが。これが自覚できないのが問題。 カナダのロッキー、テーブルマウンテン、ケニアの大草原、カラコルムハイウェーなどなど、どれもこれも、 想像を遥かに超えた世界であった。問題は、帰国し日常に帰った時、象の皺の世界が逆照射し見え、元に戻れないこと。 ・・・・・・ 4028, シングルイン、31年間の総括 ー8 2012年04月05日(木) * 3・4の法則 あるコンサルタントの先生から教わった「へ」の字の「3・4の法則」がある。 「上手くいった新店でも、そのままだと3年上りで、下り4年になる。4年目から右上がりを続けるためには、二年から 新たなへの字=革新をつくり続けないと4年目から下りに入り7年で死に体になる。 この法則からすると、ホテルの場合は 長期物件もあり12年上りで、下り18年とみると、確かに、その通り。 事業とは時流の先取りを事業化をしてバブリ、 最盛期から空気の抜けたように萎んでいくのが自然の姿。 新潟駅前シリーズの事業も創業10年目にソ連・東欧の崩壊と、 日本経済のバブルが崩壊した。それからしてバブル崩壊の数年以内にホテル事業を売却すべきだったことになる。 終戦直後に生まれ、右上がりの時代に少年・青年期を過ごした体質からして無理か。 バブル崩壊が日本にとって、 衰退期へ大断層だったのを読みとくことが出来なかったのである。 偉そうに書いているが、これが私の限界。 バブル崩壊時に郊外型ビジネスホテルを考えたが、実際は、駅前の280室を500室に増加の戦略ミスの選択をした。 それが18年の下り坂の節目。 1985年のプラザ合意で米国にバブル政策を強いられ、その結果のバブル崩壊で 日本は致命的打撃を受けた上に、10年後の2001年の9・11テロと、2008年のリーマンショックである。 私の事業も日本経済と全く同じ運命を推移してきた。 人生も7年か8年で一節。 前半上りで、後半下りである。 その辺りを人生計画に嵌め込めば良いが・・ 女が7年、男8年というが、振り返ると、大方あてはまる。 同じ体質を保つに不断の改革が必要というのが、「3・4の法則」だが、失敗するには、それなりの理由がある。 ・・・・・・ 3662, 閑話小題 2011年04月05日(火) * 大相撲の八百長処分 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。 幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 「今さら何が八百長?、何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。まだまだもめるはず。 日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して 談合システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについていけなかったことになる。 今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。 * 都知事選挙TV討論をみて 日曜日の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他の候補のレベルの差に驚いた。 一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 石原慎太郎が良いということでなく、 他が東京都知事としての素質がないのが、議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、 あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持ったフィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。 この大震災の中で、他の誰に都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・ ・・・・・・ 3297, 不思議現象の正体を見破る ー2 2010年04月05日(月) * 手品師 ユリゲラーの超能力 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。それは後として、私より一歳齢下のイスラエルの ユリの経歴に興味をそそられた。1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに入れられ、 色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり、2年間の訓練を受ける。そして21歳の1967年にイスラエル兵として 第三次中東戦争に従軍し、戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、シュトラング (通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、 後には、クラブのショーなどに出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれるもので、 目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。 すると、ユリ・ゲラーがおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。 つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。 そこで、お客に念じ方が足りないとか、色いろけしかける。 やがて、おもむろに「5でしょう」などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらといった暗号に 基づいて信号を送っていただけの話。 あまりに単純のため劇場の支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、 裁判沙汰までなっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカからプハーリクなる超心理学者がきて、 ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んでしまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。 彼はユリをアメリカに連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰だったようである。 相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカのTV局も考え始めた。 プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定し、ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、 彼の売り物の超能力は全く起きなかった。 これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、サスガ超能力者、 失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、とされるようになった。 アバタもエクボである。 ユリが1974年に日本に上陸、TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで仰天させた。 当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、 その超能力があると、一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。 何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから投げていたのである。 ー つづく ・・・・・・・・ 2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1 2009年04月05日(日) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。特に、キリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を 解りやすく書いている。三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。 それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。 ・『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。 ・『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 ・『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。(販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた) この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。 『父』の不在が、会社を迷走させることになる。社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。 『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。偶像廃止も、 この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては 『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2558, 爪もみ療法 2008年04月05日(土) ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。そこで早速ネットで調べてみたら、 以下のようにあった。 【爪もみのやり方】 ・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。 ・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。 ・以上を一日に二から三度行います。 ・少し痛いくらいの強さで刺激する。 ・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう) (字数制限のためカット 2010年04月5日) ・・・・・・・・・ 2007年04月05日(木) 2193, やまあらしのジレンマ オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。 ーまずは、その内容からー あるところに二匹のやまあらしがいた。冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。 しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。 そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、 また互いに相手を傷つけてしまう。このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、「最適の距離」を見いだした。 ▼ この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。 やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、 トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につける ことになる。青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。 癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。 孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。夫婦関係にも 言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、痛みを殆ど感じなくなってしまった。 適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。 青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じた。 あれが、自我だったのだ。今もそうだが! トゲは必要である!自己を守るためにも。しかしトゲの先は丸くしておかなければならない! ----------- 2006年04月05日(水) 1828, ずっとやりたかったことを、やりなさいー5゜ +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ ー読書日記 ーアーティスト・デートー 「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を 秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」という。 ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家 といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。 その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター) には参考になる方法である。机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という 具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、 一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と 「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。 ーその一部を本文より抜粋してみると… アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、あなたの創造性の象徴である 「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、 あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を 同行させてはいけない。行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。 恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ… ▼ 以上だが、要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」 ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。 ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。 《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。 (字数制限のためカット 2012年04月5日) ・・・・・・・・ 2005年04月05日(火) 1463, 「虚構の王国」ー NHKスペシャル 一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。 「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、そのニュースソースを知りたいとの問い合わせ、 「翌日の、報道番組に取り上げたい」。キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、 少しパニック状態になってしまった。しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、 知人に何人か聞いてみたところ、「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。 ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー というテーマのドキュメントを放送していた。 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。 「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。 インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。 (字数制限のためカット 2012年04月5日) ーーーー 2004/04/15 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任 (以下、字数の関係上カット2008年04月05日) ・・・・・・・ 2004年04月05日(月) 1098, 拾い物 拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で 行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。 現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回もそういう経験をしたこともないし、 良心に対してマイナスになる。早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。 (以下、字数の関係上カット2013年04月05日) ・・・・・・・・・ 2003年04月05日(土) 731, 前提を疑ってかかるという事 「縦社会の人間関係」 「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。 ー要旨はー 「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの 縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。 (以下、字数の関係上カット2013年04月05日) ・・・・・・・・・ 2002年04月05日(金) 367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。 5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。 (以下、字数の関係上カット2013年04月05日)
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2013年04月04日(木)
* フランクル 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を 放送していた。 フランクルの著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 ー内容をNHKのブログでみると、 【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だと説いた。最終回では、フランクルの 言葉に支えられながら生きてきたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた運命を引き受け、 それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望を どのように見いだすべきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、 《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。 私たちは下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)を過ごした過去は、充分に価値があり、 その人そのものになる。 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が、印象に残った。 フランクルといえば、ー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、まず挙げられる。 1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術 2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛 3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味 =極限状況の中での尊厳ある態度 また、ー人生には発見されるべき価値や意味があるーとして 1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる) 2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である) 3・人生の意味 (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) の3つを上げている。 フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の連続である」という信念が一貫してある。 よく遊び、よく学び、よく働く、ことだ。 それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。 ・・・・・・ 4027, シングルイン、31年間の総括 ー7 2012年04月04日(水) * デフレの直撃 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま引き継ぎたいというので快諾した。 せめて名前が残れば有難いこと。 結果としてはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」と 聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」 と思っても、「やれる!」と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期が問題。無借金なら、面白い? 私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は 思惑どうりになった。しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利になっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。 土地の相場が、30年前の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。 インフレであれば、半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より遥かに実質借入が増加の結果となった。 この物件を半値八掛で買った新しい事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を下げて、市場に挑んで くれば、一段のデフレが進む。 資産も半値八掛で資産デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。 デフレスパイラルである。 しかし、光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーションになりざるを得ない。 恐ろしい限りである。 何度も書いているが、本当に恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。その境目が、今年になる。 ・・・・・・・ 3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11 2011年04月04日(月) この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。 地球温暖化の中で原子力発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流での惨事である。 思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に 日本経済は崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、3・11の衝撃で、日本の存続の根底を 揺るがすだけでなく、地球規模の危機になってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、それ以降、 世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。 今年から来年にかけて、世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。 それも66年前に日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済バブルがはじけ、右下がりが続いて、 去年になて経済力を中国に抜かれ世界第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も起こっている。 9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。 当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、 あとは自分の勘を頼るしかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。 その結果は? この国は大震災の日をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。被災民は、全国民! ・・・・・・・ 3296, 不思議現象の正体を見破る ー1 2010年04月04日(日) 「不思議現象の正体を見破る」 安斎 育郎 (著) ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー ー内容ー (アマゾンより・・・) 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、予言など)のトリックと、それを鵜呑みにしてしまう 心理状態を解説した書。同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、不思議現象が存在するという根拠にたいし、 そのトリックを説明することで、それらすべてがいかに信憑性がないか(あるという証明になっていないか)を示している。 世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純なトリックであることに改めて驚く。 圧巻は、漠然とした詩が、 大事件と簡単に符合し、いかにも予言であるかのように曲解して読み取ることが可能かを示した点である。 例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火にぴったりと符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が 後世の歴史的事実と多少符合しても、それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 現に、世紀末には何も起こっていない。 ▼ ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、その嘘を一つずつ解明している。 ユリゲラーも、 ミステリーサークルも、念写などをTVで取上げなくなった。これはブログなどの情報化のためである。 もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。それだけでない、TV局そのものが問題視され、 ディレクターは外される。この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになっていた。 <二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だったと白状していた。二人はL字型の棒を持って、実際に デモンストレーションもやってみせた。いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。この現象をプラズマ物理学の 立場から研究したミーデンは真面目に、この現象は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた。> 彼らは二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の正体を暴いているから、読んでいて飽きない。 次回は、あのマジシャンのユリゲラーを、今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを超常現象として ショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、その稚拙な手法がコミック的。 ・・・・・・・・ 2921,不況景色 ー10 2009年04月04日(土) * 上野動物園が入園300万人を切る 一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。前年より妬く60万人減というから 20パーセント減になる。パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。9月半ばから4〜5割減ということになる。 家計面で節約対象になったようだ。また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。 恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。 * 金融サミットで 金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げた。公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・ (字数制限の関係でカット2012年04月4日) * 4月に入って、更に悪化 去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。 そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。 ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を保っている。 しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。 ・・・・・・・・・ 2557, 印度放浪 ー2 2008年04月04日(金) この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養なのか。読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。 そして、小さな世界の中で小さな習慣に甘んじている自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしい。その一部を抜粋してみる。 ーインドへの準備はとういうものだったんですかーー 二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、 売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのも のってことがわかる。 さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・・・ 2007年04月04日(水) 2192, 人生とナメクジの線 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、人生もナメクジの這った跡の線と思えば、 何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示して いるようでもある。我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。 ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。 そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など 持つことはない。これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」 と考えると尤もらしい言葉になる。 ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。 * そこを抜粋すると * 「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。 そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。 そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、 貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、 重い鞄を持って塾通いと、裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。 ▼ 土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、その跡がついているのだが彼らとて大変である。 雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。 お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。 ・・・・・・・・・ 2006年04月04日(火) 1827, 日本一短い手紙「私へ」 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ー 読書日記 「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。だから万人に共通する言葉であり、 一言一言が響いてくる!あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。 これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。 こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。 この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。 「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある! それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。 ーー まあ、いいじゃないか! それで、いいじゃないか! これしか、なかったじゃないか! それも、これも、 どうでも、いいじゃないか! ほんとうに、これでよかったのか? ほんとうに、あれでよかったというのか? まあ、いいじゃないか! これで! 他に、しかたなかったじゃないか! ▼ 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。 それが老いるということである。 気持ちは青年のままでいたいものだ! せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。 そのためには常に感動、感激を求めることだ。 お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙ ーー 日本一短い手紙「私へ」 一筆啓上賞 おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳 お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。 荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳 コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル 道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳 ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの? 金島道子 広島県庄原市 17歳 私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳 あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。 竹田飛鳥 東京都江東区 15歳 (字数制限の関係でカット2012年04月4日) ・・・・・・・・・ 2005年04月04日(月) 1462, 永遠に生きるように学べ 学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。 最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。 母親が向学心が強い人で、 その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。その都度、自分も社会も変化していくのだから、 基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。 せっかく地球に生まれてきて、80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた 知識・文化を可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。自分で意識をしてこの言葉を自問しないと、 虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」「まあ世間様と同じように何事なく 生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが 趣味になってしまうから、自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。 それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と同義語であるが、 響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。明日死ぬかもしれないのが人生である。 だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、 このことを実感する。この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、この今の一瞬の集中の閃きは、 そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。 最低千回は口ばんでみるべし。 「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」「自分のこと!?」「そう!」 ・・・・・・・ 2004年04月04日(日) 1097, 落し物 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに 入れたところ、いつの間にか無くなっていた。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・ 2003年04月04日(金) 730, 「ほめ芸王」ー読書日記 ー褒め上手は芸のうち 営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。 十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。 キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」と考える。 (字数制限の関係でカット2013年04月4日) ・・・・・・・ 2002年04月04日(木) 366, 速読法 先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、 (字数制限の関係でカット2009年04月4日)
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2013年04月03日(水)
『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 横尾忠則 * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねすることもなく、自由気ままに時間を過ごす。 これを御隠居と二重合わせにしている。専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。家内をみると、 つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰って くれれば、我関せず。 亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 元何某の 肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応するために、長年かけた準備が必要になる。 以下の対話は、なかなか面白い。 ≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養っているじゃないかと。子供の頃は、 だいたい猫型の方が偉そうにしているが、大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。 横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、犬みたいに尾っぽを振らない。 自分に忠実で、他人に忠実でない。アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。 天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいてみたら犬ばかり肥大していて、 猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を 与えるようにして。そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。 こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたんですね。そして、これって、 多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、 でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。 それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫ ▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼いをしていたが、何時も喧嘩ばかりで、 札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、 そして老年期に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう改良されたもの。 「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、 横社会には向いていない。家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。誰?それ! ・・・・・・ 4026, 「人生の知恵」ノート 2012年04月03日(火) 4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。 少し読んで、いま一つピンとこなかったので途中で止めたようだ。ところが先日、図書館で ー本当に役立つ「人生の智恵」ノートー というグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、 追放されたタラソナという村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさすぎることが分かるが、内容は、 現在も納得するものが多い。“善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、伝道師にしてはシビア。 人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、 「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、 今日使える術こそ真の知識である。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが改めて見えてくる。 ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー 1 愚か者とはつきあわない ー愚か者ほど優秀と思っている。 指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれるか? 2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。 3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。 4 口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。自分の好みは相手の好みとは限らない。 5 突飛なふるまいをしない ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。 6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。 7 不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と関わる余分な時間はない。 8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。 9 多数派とともにある賢者たれ ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。 10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。 11 賢者を見つけ助言を求める ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。 12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。 13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。相手に合わせよ。 14 親切をおまけにつける ー親切は費用対効果が高い。相手より先にするのが技。 15 相手の急所を見つける ー殆どの人が求めているのは快楽。その急所を見つけよ。 ▼ 品位のない人間は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 見上げても見下げても、全て自分の範疇。 ・・・・・・・ 3660,音信不通だった友人から連絡が! 2011年04月03日(日) * 5分の差で助かった 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。安否を知るために、 宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。 彼の話の概要とは! ≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを見ていたら、激しい地震が襲ってきた。 それが長い時間にわたり続いたが、急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。 直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の方面に向かった。しかし、道路は 渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。 それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて 寝れる状態ではない。そこで車の中で一晩過ごしたが、着の身着のままで逃げてきたため、寒がきつい。 暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。 水洗トイレは、ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。命は助かったが・・・ 妻が病のため、避難所では 悪化の可能性がある。 ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、避難させてもらった。 そのうちに群馬の実家の兄に連絡がついて、車でガソリンを新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。 最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。 命一つでも助かっただけで充分! 火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫ ー以上が、彼の15分間の電話内容だが、一つ判断を間違えれば助からなかったようだ。 住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。 終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。 それが、まさか・・・ それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。他人ことではない、まさか、まさかの日々である。 ・・・・・・・・ 3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか? 2010年04月03日(土) 昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への 「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、時が時だけに注目して読んでみた。 ー その内容を私の主観でマトメテみた ー 日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で最悪の借金体質」といわれる中で、 国債発行余力を探った。 (字数の関係でカット2012年4月03日) ・・・・・ 2920,私は嘘しか言いません 2009年04月03日(金) ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。 《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」と言っていたそうです。 これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」というのが本当だと既に嘘をついている。 河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》 なるほど、面白い。 哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。 ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で, クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。 もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。 つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。 『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー 言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」の口癖の人がいた。 これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、 ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。それも哲学的ときているから面白い。 しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。言葉は共同幻想、 そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、 「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか? 「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に 跳ね返ってくるし、自分の中に残る」これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。 ところで本当(真実)って何だろう? ・・・・・・・・・ 2556, 印度放浪 ー1 2008年04月03日(木) 『印度放浪』 藤原新也著 朝日文庫 写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。 言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。 文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。 ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー そして、その二ページ後に、 ーぼくは歩んだ。 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。 出会う人々は、悲惨であった。 出会う人々は、滑稽であった。 出会う人々は、軽快であった。 出会う人々は、はなやかであった。 出会う人々は、高貴であった。 出会う人々は、荒々しかった。 世界は良かった。 《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。 良くも悪くも、すべては良かった。 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。 ▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、 その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について) 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・ ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。 (字数の関係でカット2012年4月03日) ・・・・・・・・・・ 2007年04月03日(火) 「定年以降の生き方」を考える 才八∋ウ_〆(∀`●) 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。 その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。「組織」から離れて「個」として、 どのように自立(自律)するかが問われる。「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、 これからの人生である。それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。 宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。勤めていた会社の価値観は、 他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、 首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」に ソソクサと出かけても、「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは 自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。 そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということ。今さら言っても 仕方がないが・・ 面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。 その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない? じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。 もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。 二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、 海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、その死への恐怖と 危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、そんなものは霞でしかない。 限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては何の意味もない。死ー無という絶対的な宇宙からみたら自分の存在なぞ無いに等しい。 だから一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついついアウトサイダー的人生観は、これから必要になるから? (別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。 ただ、朝起き、 飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。何で好きなことを探さなければならないのですか? こういう生活が好きなのだから、ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。 人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの! ・・・・・・・・・ 2006年04月03日(月) 1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4 ー 3月22日 12:00記 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始) 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。 それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。 書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、 許す、よかった」などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も 面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。 ー 3月30日 pm12:30記 「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。 (字数の関係でカット2010年4月03日) ・・・・・・・ 2005年04月03日(日) 1461, 「どう思いますか格差社会」 昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。 (字数の関係でカット2011年4月03日) ・・・・・・・・ 2004年04月03日(土) 1096, 人生と時間 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。 人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。 そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。 <人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。 ・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間 (字数の関係でカット2012年4月03日) ・・・・・・・ 2003年04月03日(木) 729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」 ー読書日記 (字数の関係でカット2008年4月03日) ・・・・・・・・ 2002年04月03日(水) 365,ミカン集中法 「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。 (字数の関係でカット2008年4月03日)
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2013年04月02日(火)
『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 御隠居 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に 一歩踏み込んでいたようだ。 同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然としていたが、 「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の 人生を圧縮して生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、 個人HPを立上げて、全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に至っている、これである。 これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。 この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。傍からみたらつまらないこと?でも、 遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。 だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。 たっぷりある時間を遊べるかどうかである。 まずはー内容紹介ー 【 こんな時代こそ「隠居」を見直そう! 原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。 目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の 豪年を取るって、いいもんだなァ。 華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。オモシロキビシク、 いい加減精神の真髄を語り明かす。】 老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。 考えてみれば「良く遊ぶ」のは非常に難しい! 次回は、一時限目の 「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より ・・・・・・ 4025, シングルイン、31年間の総括 ー6 2012年04月02日(月) * リストラは、どうだったか ? 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、三年間で3分の2まで減少していった。 それに対し、ボーナスの半額カット(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、 キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 それまでの正社員と役員20数名のうち、 三分の一まで減らし、パート・アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用のテナント スペースに切り替え貸店舗にした。 さらに第三シングルインを長期滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、 一つにして自動車学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、目処がたった矢先のリーマンショック。 これも2割以上の売上減が三年目に入っても続いた結果、事業断念に至った。 新潟駅再開発も大幅に遅れ、 二つのホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。 そのリーマンショック以来、政府の緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく、持ちこたえていたが、 売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因は、 リーマンショック。 事業構造の転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。 もちろん返済額の減額交渉に、 リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、その効果が出始め何とか目処がたった矢先のこれ。 十年間、やれることは やった思いがあるので、後悔は全くない。 シングルインというホテル名と建物は、他の事業主が引き継いだので、ここで経営の リストラが断行されたことになる。 6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立っている一事例。 ・・・・・・・ 3659, つれづれに 2011年04月02日(土) * 原発事故の深刻さ 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。 業界格差は明らかに出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から深刻度が深くなっている。 東北、関東地区の農水産も壊滅状態で、米の生産者も、今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。 伝え聞くところによると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの状態が続いているとか。 この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという時に、地震と原発事故である。 特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾をのんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、 ハイパーインフレになるのが、一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。 日本の危機といえば、元寇、明治維新、日清戦争、日米戦争である。それ以上の危機になっていくのだろうか? 東京では、一部の子供たちの疎開が、静かに行われているようだが・・・ ・・・・・・・ 3294, エッ何! 2010年04月02日(金) * 次年度からの予算財源はこれ? ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに 決定したカタチをとったのは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを見越し郵貯の限度額を上げて、 郵貯残高を増やそうという目論見。穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、その受け皿を つくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、 それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」 と述べていた。 (以上、字数制限のためカット 2012年4月2日) ・・・・・・・・ 2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3 2009年04月02日(木) マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、 ウィトゲンシュタインは死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようとしても無理であると 彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識がなくなるため、それを意識できないからなのだと。ー これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」 と私が考えた内容と酷似はしている。 しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の一秒の感覚を、 寝入る瞬間に直感したのである。 実際にスット意識を失う刹那(瞬間)を感じたのである。 「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、寝入る瞬間ではない」 と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。 その直前の刹那が果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を感じたのだから、 何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」と言われれば 証明のしようがない。 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をしたことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、 ここでも多く書いてきたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。 このテーマとは関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと? って。 ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、 私にとって大事なことです! 毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。それを経験したのだから。 ・・・・・・・・ 2555, ホモ・ルーデンス ー1 2008年04月02日(水) 『ホモ・ルーデンス』 ー読書日記 ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。 「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うならば、遊びの中で始まったのだ」 ーすべては遊なりー 〜文化は遊びの中にはじまる〜 ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。 まずは ーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。 ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。 「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯しながら、 今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」 著者は、この真面目と遊びの対立において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを 自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。 そして、遊びの定義として、 「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、 自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、 緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」 「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって 充たされている。リズムとハーモニーがそれである」遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、 「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、 自らの能力の輝かしさをためしてみると、必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。 どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。 この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。古くからの『すべては空なり』に代わって、 おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』がのし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、 ただ精神の無力を思わせるかのようだ。しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」 ーー 一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。 次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。 「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」 子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、 そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月02日(月) 2190, 飲料水について オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、 と言い訳をして失笑をかった。 (以上、字数制限のためカット 2010年4月2日) ・・・・・・・・・ 2006年04月02日(日) 1825, あちら側の世界 ー6 b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー ーGoogleという会社とは?ー グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」と定義している。 「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを全部グーグルで作ろう」ということだ。 そのために「世界中の情報を整理しつくす」というが、そう簡単にはできることでない。 グーグルに関して ー第2章 グーグル?知の世界を再編成するー の概要から考えてみよう。 (これは、あるHPからコピーしたものだが、簡潔にまとめてある) ・グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」 ・ネットの「こちら側」であるフィジカルな世界から、インターネット空間に 浮かぶ巨大な情報発電所とも 言うべきバーチャルな世界である「あちら側」へのパワーシフトが確実に起きる ・情報をインターネットの「こちら側」と「あちら側」のどちらに置くべきか、情報を処理する機能を「こちら側」と 「あちら側」のどちらに持つべきなのか、というトレードオフが、これからのIT産業の構造を決定する本質となる ・グーグルの情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムは、チープ革命を徹底追求した全く新しい 作り方で自製し、 圧倒的な低コストを実現したという意味において、三大潮流のすべてを体現した存在である ・グーグルのビジネスモデルは新しいバーチャル経済圏を形作ろうとしており、 「知の世界の秩序の再編成」に新しい富の分配メカニズムをもたらしている ・「情報自身の淘汰」に委ねるという思想のもとに、すべての情報を共有することこそが、組織と情報」 におけるコペルニクス的転回であり、グーグルの組織マネジメントにおけるスピードとパワーの源泉になる ・サービスにおける「人間の介在」の思想の違いから、ヤフーはメディア、グーグルはテクノロジーという本質的な違いがある ー以上だが、 「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」「世界政府があるとしたら、 そこで開発しなければならないはずのシステムを 全部グーグルで作ろう」というミッションの恐ろしさの一端を、 多くの人が 実感できたのが、2005年6月に「グーグル・アース」というサービスを始めた時だ。 無料でダウンロードできるグーグル提供のソフトウェアとサービスを使うと世界中の衛星写真、起伏に富んだ地形の立体画像、 さらに大都会の場合、建物の意味を含めた詳細の三次元画像を、私たちはパソコン上ですべてみることができるようになった。 (以下、字数の関係でカット2008年4月02日) ーー 先日さっそく「グーグル完全活用本」?創芸者を買ってきたが・・・ 次回は「アマゾン」について書く。 ゝ(-_- ) バイ! ・・・・・・・ 2005年04月02日(土) 1460, 頭脳の果て ?読書日記 この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。何げなく手に取ってみたところ、面白い。 前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。ネット書店の「アマゾン」で、 この本の基本情報を取ろうとしたら、この中古本が何と10倍近くの値段で出ていた。 絶版のため、値段が競りあがっているという。書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、 そうでなかったら、売りに出したのだが。(売り手の戦略の可能性もあるが)それにしても、面白い本である。 特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。 天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。 イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。 大まかにいえば、1.リラックスする 2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する 3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐというような感じになる。 実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に自分の文章を読み返すと、 いつの間に全く違った添削をしている。他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。 その一つを紹介すると、 1・エレベータのようなものに乗る。 2・ボタンを押すと、他の星に移動する。 3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。 4・その自分と一体になって、ものごとを考える。そして何かヒントがでてくるはず。 5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。 まあ、大雑把にいえばこうだ。 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、これがヒントかも知れないが。 更に、いま一つを紹介しておこう。夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、彼らと一緒にいると想像する。 彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに向けて 努力する気持ちと正直な考えを表現する勇気を持つことができる。自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。 「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい 潜在意識のメッセージに耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。 (以上、字数制限のためカット 2012年4月2日) ・・・・・・・・ 2004年04月02日(金) 1095, わからないという「方法」 この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の枠の世界からでない方法のことを 言っているのかーと思ってしまった。それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも同じ。 (以上、字数制限のためカット 2013年4月2日) ・・・・・・・・ 2003年04月02日(水) 728, 天国と地獄 人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。 その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割といってよい。 事業は経営が順調だと天国、 上手くいかないと地獄である。これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。 (以上、字数制限のためカット 2013年4月2日) ・・・・・・・ 2002年04月02日(火) 364,新入社員歓迎会 毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、歓迎会がさらに盛り上がる。 2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。 (以上、字数制限のためカット 2013年4月2日)
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| 4398, 閑話小題 ー 円滑法が4月から期限切れになるが |
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2013年04月01日(月)
* 要は、アベノミクスとは! アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。 その二人が偶発的に首相と副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗したところで、 政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの付けは、国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、 銀行を通して国債を買わせることで周りまわって戻ってくる。 一度、ハイパーインフレにし、銀行閉鎖するなどの 荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。 世界は通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、 一より出直しすべし 」ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。そして、責任を取って辞任。 そのパターンが繰り返される。 * 同級会の幹事 毎年行われている高校の次回の幹事になった。この10年近くの会の半分近くは、私とコンビのM君二人がしている。 二人とも飲み会の幹事は手馴れたためである。名簿を振り分けメンバーに連絡をすると、それぞれの様子が直に伝わってくる。 ここで多くがリタイア、年金生活に入ったか、事業整理か倒産とか、その一歩手前など色いろあるようだ。それと、名簿に 横棒で消された亡くなった名前が目に入る。あと10年もすれば、横棒が半分になる。 * 円滑法が4月から期限切れになるが 円滑法案が延長されていたが、4月から期限切れになる。一昨年、整理をした事業の実情からして、この打ち切りは厳しい。 今から4年前に施行され、その御蔭で運転資金のマイナス分を、これと、雇用調整助成金・中小企業緊急雇用安定助成金を プラスした分で二年間を持ちこたえた。そして限度にきた時に、3・11の東北震災が起き、迷わず事業整理に入った。 その円滑法が切れるというから弱体化した中小・零細は破綻が増えと見るべき。それもありマスコミが騒ぎ出した。 特に首都圏から離れた地方ほど、不景気の影響が大きい。それでも参院選挙までは何とか持たせるが、問題は、その後。 ・・・・・・ 4024, 事業生活39年の、独り語り ー7 2012年04月01日(日) 11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。 ―まず、そのコピーからー ≪ [103] センチュリーベーカリー ー昭和50年3月〜8月31日ー (2001/08/09) 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、 空きビルを埋めるべく何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。 冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。 商社の東レの子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという 新聞記事をみて、ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起きて通う。 そして二カ月後にオープン! 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出る。 その時期に長岡の実家で問題が発生。 このタイミングを狙われたのである。 そこで第三者に経営委託をして急遽長岡へUターン。 恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われるほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると、‘開発型委託経営ビル’を 造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、 実家の衣料デスカウント・ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。 ≫ ▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、 養老の滝のオープン以来一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、空きテナント部分で 新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、 数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、 など次々に任される。品種変われど、商品管理の本筋は同じ。だから居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握して全力で取り組めば、 何でも可能ということを知っていた。 そのため実家の仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 何事も、表面が違っても、本質は同じである。 ・・・・・・・ 3658, 価値とは思い込み 2011年04月01日(金) 価値観の価値は「思い込み」とすると、その意味がストレートに伝わってくる。 価値は意味に非常に近いと解釈をしていたが、「思い込み」とすると、より分かりやすい。 人間は、それぞれの思い込みの中で生きている。その思い込みは子供の頃からの周囲の刷り込みがベースになる。 その刷り込みから脱皮していく経験と知識の蓄積が教養になっていく。 大きな挫折をすると、思い込みが破壊される。 創造と破壊は裏腹であるが、思い込み(価値観)の破壊も重要である。それが節目の切欠になる。 「互いの価値観が違う」というが、「互いの思い込み違う」ことでしかないのが分かる。 まずは自分が何を思い込んでいるかを知ることが、第一歩。 それも、思い込みになるかもしれない。 価値、意味、思い込みを、絡めて一文をつくると 「価値、価値観と難しいそうにいうけど、そんなことは思い込みという意味でしかない」 ・・・・・・・ 2010年04月01日(木) 3293, 人みな骨になるならば ー9 * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか 「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー 試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの現われである。あの広告塔も、 こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、 目の前にある山川草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚をわずかに持つことができる。 一番難しいのは、むしろ他の人間と通底しているという実感である。これは予想外のことだ。 人間は他の人間との差異に対して 最も敏感である。 もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や「同国民」と連帯しているような感覚を持つことができる。 われわれはスローガンとしての連帯や仲間意識は大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした観念上のものではなく、 目の前の太ったオバちゃん、向こうからやってくるダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において自己と他の具体的な成員と 区別をするために発生したのではないかと疑わせる。人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を 通じて進化してきたと主張する学者が多い。 人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベルタイガーや マンモス相手に開発されたものではない。 異性や仲間との付き合い上、是非とも必要だったのだろう。 自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の 社会生活を生き抜くために必要だったからだ。 ▼ 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、これを読んで浮かんできた。 人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団における自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、 鋭い指摘である。 40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の分派達との 争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が家庭・親族という事実と同じである。 人間の遺伝子の性格は利己主義という。 それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、 社会の有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と割り切るのではなく、 エゴを野獣、いや野性と看做し、コントロールすることが教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺? ・・・・・・・・ 2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1 2009年04月01日(水) 新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、 金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような 出会いも発見もない。 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大な コストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。それらは私たちの「仕事」の中にしかない。 ー 思い切った問題提起である。 「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで 居酒屋通いをしてきたものとして、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も 興奮が満ちていた。 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、 その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。 少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか? 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。 その一つが ー効率化とゆとりー 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか? 身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ? ・・・・・・・・・ 2554, 閑話小題 2008年04月01日(火) *予習と復習 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが 多くなってくる。特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。 そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。 (字数制限のためカット 2012年4月01日) * 客引き・スカウト行為が今日より禁止 (字数制限のためカット 2012年4月01日) *ガソリン値下げ (字数制限のためカット 2012年4月01日) ....... 2007年04月01日(日) 2189, 「考える」とはどういうことか? おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー 読書日記 「近代哲学再考」 竹田青嗣著 ー「ほんとう」とは何か 自由論ー 池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。 「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。 我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。 把握のプロセスから、すでに考えることになる。「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために, いろいろな経験や知識を組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。 すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである」と定義している。 ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、 私の考える切り口でもある。池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。 ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい! ーー 「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。 *「物語」を使わずに抽象概念を使用する。 *「原理」を提示する。 *つねに「一から」(根底)から再始発する。 ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、 どのようにして存在したか、人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、 といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。 ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。 「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、 誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。 ??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、というルールで行われる世界説明 (人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、根本的で究極的な 「真理」という考え方とは違ったものである。自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、 という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。 しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、 さらにすでに成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、できるだけ深い前提に 立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、という根本原理によって成立していることがわかる。 哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、またそれをどう構成すれば、 より普遍的な(=広い共通了解を生むような)説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な 方法であり、自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。 ??について、哲学の重要な点がある。 (字数制限のためカット 2010年4月01日) ・・・・・・・・・ 2006年04月01日(土) 1824, あちら側の世界 ー5 ウェブ進化論ー5 ーオープンソース現象ー(2) ー「ウィキペディア」について この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。まずは、この百科事典から調べてみた。 (字数の関係でカット2008年4月1日) ・・・・・・・・ 2005年04月01日(金) 1459, 遠くにありて日本人 ー2 この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。スペイン在住の日本人画家であったが、その中で 印象的な場面があった。大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、あとは数日間、 その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。 (字数制限のためカット 2012年4月01日) ーーー 2004/12/13 1350, 遠くにありて日本人 ー1 この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。 (字数制限のためカット 2010年4月01日) ーーーーーーー 2004年04月01日(木) 1094, 『携帯電話不安症』症候群 先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。メールが来ないと、不安になってしまい 精神のバランスを失ってしまい、不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。 手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、 孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを崩してしまうという。 常に誰かと繋がって (字数制限のためカット 2010年4月01日) ・・・・・・・・・・ 2003年04月01日(火) 727, 「結婚スピーチ 」-読書日記 ー死ぬまで忘れられない話 ー この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、 色いろの逸話を集めたのだろう。考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。 夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。 (字数制限のためカット 2013年4月01日) ・・・・・・・・・・ 2002年04月01日(月) 363,人に好かれる方法 * 聞き役 学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。 その中にあったデールの6原則があった。 1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる 4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。学生時代まだ田舎を出たばかりで、 人間関係の都会的感覚が身についてなかった。 (字数制限のためカット 2013年4月01日)
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2013年03月31日(日)
ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや (著) * 「武士道」という諸悪の根源 《「世間」の捨て方 ー3》 「武士道」が諸悪の根源という説は面白い見方。しかし少し考えれば当たり前のこと。徒党を組んだ侍の親分が武力で 農民の米を徴収し、仲間内に配っていた。その暴力装置を持つ集団が綺麗ごとで尤もらしい規範をつくりあげだけ。 それを子育てを含め根こそぎ否定しているところが新鮮。 ーその辺りを抜粋してみるー ≪ 子育ての見本として、絶対に見習ってならないのが江戸時代の武士道。「武士という者が日本を悪くした存在です。(略) 武士の頭の中にあるものは主君に使えるということだけ。 端的に言えば、奴隷ですよ。(略)この奴隷というものを、武士道 だなんて、日本人はやけに持ち上げるんですよね。(略)その点、ヨーロッパは違いますね。武士はすべて傭兵だった。 戦争は国王が傭兵を使ってするわけです。武士は『七人の侍』みたいなもので、雇われの用心棒だった。 「日本は典型的な武士の社会。鎌倉幕府が成立して以後、ずっと軍事国家だと私は思っています」≫ ▼ 現在も武士社会が会社に入れ替わっただけ。そのため現在でも勤め先の藩と役職と禄高で、社会的評価がされている。 そうこうみると、我われは現在でも奴隷、それも人生の大半を何も考えずに、その生活に満足して過ごす。その中で、 人は趣味を見出し、奴隷生活の中で自由な時間を持つ。士農工商が江戸時代の身分制度。そこで他の奴隷管理をしていた 武士のつくった武士道など信じるなどもっての外。 ーウィキペデアで葉隠れをみると ≪「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の中で特に有名な一節。 葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して 武士道精神と単純に解釈されていて実際、太平洋戦争の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われたが、山本常朝自身は 「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、死を美化した書物と一括りに出来ない。 現代でいう ビジネスマナーのマニュアルに近い記述がほとんど。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像する ところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では 地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように処世術のマニュアル本としての一面もあり、 『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。≫とある。奴隷社会の処世術というところ。どうも日本人は、やたら道を 付けたがる。商人道、柔道、剣道とか。何かを極めるのに、どの位置にいるかを知る道標が必要だから、道を思い浮かべた のだろうが。日本が、戦後、ここまで経済成長を遂げたのも、江戸時代の「お家制度」の文化が背景にあったのも事実。 絶対否定は出来ない。元長岡藩の城下町、今でも色濃い武家社会の影響が大きく、世間とかいう噂の奴隷の群れがいる。 ・・・・・・ 2012年03月31日(土) 4023, シングルイン、31年間の総括 ー5 * どこで間違えてしまったのか? 「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額のランキング分析を基に唱えたもの、とあった。 私の事業も、この説のとおり30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと次長は20歳半ばから後半。 30年後の現在、三人の平均年齢が60歳近くになっていた。 ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。 ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。 ◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に落ち込む予測が出来なかったのが大きな原因。 ◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わってしまった。20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で 東西の垣根が無くなり、グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。 その意味を捉えることが出来ず、 思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。 ◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。 それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、 経済も社会も、スピードと変化が激しくなった。 それが資産デフレと物価デフレをもたらしていった。 ◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが変わっていった。 そのため、日本の地方の力を 大きく削いでしまった。 それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になってしまった。 ー 以上を、簡約すると、 * 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる重大性が理解できなかったこと。 * 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。 * 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。 要するに、バブル崩壊と情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。 30年前は新潟駅に新幹線がオープン。 新潟駅周辺は活気に溢れていた。しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も 3行になっていった。 時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加させた。これが最大の間違い。 間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが 間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。 ・・・・・・・ 2011年03月31日(木) 3657, つれづれに 私にも大きな試練と転機がきた。 65歳ということか。 毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。 本格的な恐慌へ一歩踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、 ・・・ 違う意味でのメルクマールになる! 偶然だが、去年同日の下の文章が身に沁みる。 ・・・・・・・・・ 2010年03月31日(水) 3292, 人みな骨になるならば ー8 * くぐり抜けた境地 (p−237) ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!) これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、期待するほどには親切ではないが、 危惧するほど冷酷ではないということだ。 もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に 慈悲深かったり、また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などないのだ。・・・・ 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの人生を積みあげることである。 それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯でしかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。 そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派に砂の城を積み上げたのに。 この事実だけは、何も否定できない。神であろうと宇宙であろうと。われわれの人生というものは、 ひとつのモニュメント≪記念碑≫である。 それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。 ・・・ 誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。われわれの人生は将来だれにも 顧みられることのない記念碑なのだ。歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑こそが、われわれ一人一人の生涯である。 無駄ならせめて輝く無駄でありたい。この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」という野次には 抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いていた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。 この「無駄である」という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜けきることが出来ない。 「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。 臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、これら総称したものである。・・・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、 実は何もないのである。 それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に戻るしかない。・・・ 「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」 「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきることができない」 「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、その先が実は何もないことを知り、 それが解放と感じる境地が全てである」と。 般若心経の色即是空、そのものではないか。 それを虚無主義とかいうベールで包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、 そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決してマイナスではないのである。 チロリか ・・・・・・・・ 2009年03月31日(火) 2917,日本人の8人に1人が鬱病! 現在日本人の8人に1人が鬱病という。女性と男性の割合は、女性2に対し男性1、の割合で女性の方が倍になる。 イタリヤ人は4人に1人の割合というから、陽気なイタリア人のイメージとは、かけ離れている。私自身は20歳代半ばまで 少しは欝的だったが、本質的には陽気。 欝は青年期は誰でも通る道。精神的な落ち込みは独りで乗り越えてきたが、 落ち込む余裕さえ無かったのが実情。20年ほど前になるが、取引先の営業の人が重い躁鬱になってしまった。 病院の塀の上から内側に落ちるかどうかの際どい場面が何度かあったが、何時の間にか、その病気の聞き役になっているうち、 コントロール役になってしまっていた。その人も数年前に亡くなったが、「原因」は、プライバシーに関わるから書けないが・・。 本人の口から欝の状態をこと細かく聞いたが、壮絶の一言である。 家中の家財をバットで叩き壊すなど・・・。 自分では、コントロール不能とか云々。亡くなる数年前から、自分で危なくなると、医者に行って入院を10日ほど願い出て、 落ちつくと退院をしてきた。そうなると精神病ではなく、精神症というらしい。病と症の境は、周囲に迷惑をかけるかどうか。 精神も肉体も同じで、病である。医者と相談をして、発症したときは薬を飲んだり入院をして俗世界から一歩引けばよい。 そのことを本人が相談にくるといい続けていた。欝になる前には必ず異常な躁状態になる。そうすると周辺から電話がかかってきて、 「欝の発生の予告」が来る。 そして、何時ものパターンが始るのである。今回の調査の結果の「8人に1人が鬱病」には驚いたが、 周りをみると、そういえば・・。2〜3家族に一人になるから深刻。生真面目で、常に誰かに頼っていて、周りに気づかいをしすぎ、 自然の笑いの無い人。私は自分の弱さを知っているので、予防の知識を充分に積んだが、それでも最近の不況は心を暗くする。 毎朝ウォーキングをし、仏壇前で5〜6分瞑想的な祈りをし、美味い酒でも飲んで憂さを晴らせば欝になりようがないと思いきや、 そうでもない。歳をとると何らかのカタチで欝的状態がついてまわる。そりゃそうだ。一つずつ病が加算され、身体は老いていき、 友達・親兄弟は亡くなっていけば、欝状態になるのが自然である。 この世界恐慌は「グローバル欝」を誘発する。 それを利用して戦争を起こし、チャラにしたのが、これまでの方法。 これからは、無いとは言えないのが世界である。 突き詰めると、やはり戦争?? ・・・・・・・・・ 2008年03月31日(月) 2553, ヒルティの幸福論 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] アランの幸福論といえば、次にヒルティの幸福論を取り上げなければなるまい。 幸福論といえば、この数年来、哲学に熱くなっているので、浅いというイメージがわいてしまう。 格言や、哲学書の中で、軽く考えるレベルと信じていた。しかし、突き詰めれば幸福感を求めているのかもしれない。 幸せな人より、不幸せな生き方の人の姿?から、その不幸論がシビアに見えるからである。 まあ、それはそれで・・・・ いや、無知が全ての原因ということが、あまりに哀れで! 自分の姿を合せ鏡で見えたのだろう。 所詮、人間は結末は不幸なのだから。カール・ヒルティは1833年生まれの法律家。 アランの「幸福論」はストア哲学的であるのに対してヒルティの「幸福論」はキリスト教的で、お堅い。 アランの幸福論ともに、幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、自分を離れた、外的な環境や社会に対しての関心や、 献身的行動にこそ幸福があるとしている。ヒルティの幸福術のポイントといえば、仕事こそ最高の幸福と思い、 良い習慣を身につけることだ第一 自分の意志で幸せになれる 人間を知ることになる。 ーそれぞれの印象的な部分を抜粋してみた。 「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である。」「本当に大切なのは、なによりも習慣の問題である。 第一の主要な規則は、すなわち、われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、むしろ常に良い習慣を養うように 心掛けねばならぬということである。」 日) ・・・・・・・ 2007年03月31日(土) 2188, 宮城まり子 ー3 (~Q~;) おはよう?? 今日で日経新聞の「私の履歴書・宮城まり子」が終わった。深い世界を垣間見た思いである。純粋な動機こそ一番強いのだろうか? 彼女にとって、この生き方しかできなかったのだろう。障害者の一生を受けとめることは、生易しいものでない。 人生の全てをかけて受けとめているのだから、これこそ人生の格闘である。数日前の、この場面が彼女の性格と強さが出ている。 「私がやらなければならない!」という自負が、捨て身でコトに当たれるのだろう。 ▼ ねむの木学園が始まったばかりで高校に進学する子はまだいませんでした。 「なぜ」「制度がないんだよ」私は躊躇いもなく東京に帰って、首相官邸に行きました。 1972年の9月16日。どんどん入っていって、「首相にお会いしたいんです」と言うと、2~3分もしないうちに、大きなしわがれ声が して田中角栄さんが出てきました。「今日は、総理大臣にお知らせしたいことがあって参りました。両親のない子、貧しい子、 よくできるのにお金がない子が日本中の擁護施設にいます。大學にいくらなら自分で働いたらよいでしょう。 けれども働いても定時高校にいけない子もいます。その子が優秀なら高校にいけるようにしてください。面倒を見る職員のことも 少し考えてください。」「高校へ?」「はい」。総理はしばらく黙って私を見ておられましたが「やあ、ありがとう。 勉強になりました。すぐ返事ができなくて残念だが、待っていて下さい」と言われました。翌年1月17日に二階堂進官房長官から 連絡施設が入り、養護入所児童等で高校に進学できる能力を認めたものには国からの費用を交付する。直接処遇職員については 基本給に12~16?を加算するという制度に変わったことを教えていただきました。吉行淳之介さん、亡くなって13年たちますが、 ねむの木学園で格闘しているうちに、愛する淳之介さんの病気が、慢性の肝硬炎から肝硬変に進み、その原因がC型肝炎であることを こっそり知らされました。 (字数制限の関係でカット 2012年3月31 ・・・・・・・ 2006年03月31日(金) 1823, 日暮里界隈 ー3 才八∋ウ_〆(∀`●) 飲み屋の話になると話は、止まらない! 日暮里の・谷中銀座の商店街が、何ともレトロの味がある。数十軒の商店が両側に並ぶが、空き店舗が一軒も見当たらない。 昼間は観光客で溢れかえっているのだろう。魚屋、衣料品店、肉屋などパパ・ママストアには商品が満ちていた。夕方の閉店まぎわの 店の雰囲気が何ともいえない情緒がある。こういう風景に惹かれるのは地方の商店街では、もう失われてしまったからだ。 その通りから一歩はいった処に、情緒ある居酒屋が目に入った。前までいくと料金が書いてあったが、普通の居酒屋の倍近い。 次男も一緒なので、たまには良いだろうと入った。25坪ほどの店だが居酒屋にしては高級つくりである。変わっているのは、 店の中央に奥の料理場から人ひとりが商品を出せる空間のある10席位のカウンターがある。(吉野家のカウンターのような・・) サラリーマン風の中年男性が4人飲んでいた。その入れ替わりに60歳代後半の品の良い旦那様風の人が入ってきた。 何かのキッカケで話を始めたが、上野周辺で『三河屋』という老舗の葬儀関係の商品を扱う旦那という。 ( ・・)つ?{}@{}@{}- やきとりどーぞー♪ 「新潟から来て、東京在住の息子と飲んでいる」というと、 自分の生活圏の文化ー趣味(常磐津・・)とか、町内の話などを面白おかしく話してくれた。 下町文化の話は聞いていても飽きない。二軒目に入った店なので、あまり注文しなかったためか高くは なかった上に谷中ならではの雰囲気を充分味わえた。 旦_(。-_-。)いい仕事してますな? ところでJRの日暮里駅駅周辺の居酒屋は、店構えは良いが殆んど外れである。 下町の為か、朝鮮系の店が多い。宿泊しているホテルに紹介された駅近くの居酒屋に行ったら、かん酒(前の客が残して アルコールの抜けた酒)を出されたり、どう計算しても何割か高く後味の悪い思いをしたこともあった。 日暮里界隈というイメージとおりの危ないところもある。その危なそうなところが面白いのだが!バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・・・・・・・ 2005年03月31日(木) 1458, はだしの学者ー西江雅之 以前、図書館から借りた西江雅之の旅行記「花のある遠景」を読んで、常識をはるかに超えた生き方に驚いてしまった。 世界を乞食のように放浪して、その土地・土地の言語と文化の研究に従事、50ヵ国の言語を話す。 ハダシの学者といわれるように、目線が現地人になっている。そのためか、どこの地に行っても誰とでも友人になってしまう。 (字数制限の関係でカット 2012年3月31 ・・・・・・・・ 2003年03月31日(月) 726, 結婚式で思う 私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。 その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。 一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。 (字数制限の関係でカット 2013年3月31)
・・・・・・・・・・ 2002年03月31日(日) 362,ある思い出-慈善 中学の頃の話である。 隣にMという一家がいた。そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。 その家の裏に倉庫があった。そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。母親が肺病で、私のある姉に あの家の近くに近寄らないように言われていた。カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。 (字数制限の関係でカット 2013年3月31)
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2013年03月30日(土)
「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著) * 私たちの住む宇宙は、10の27乗.10のマイナス35乗の世界 ー2 【 宇宙は10の27乗メートル、素粒子は10のマイナス35乗メートル。これが、私たちが存在する自然界の「幅」。 その両端にある宇宙研究と素粒子研究のあいだに62桁もの「距離」がある。ところが最近、まったく関係なさそうに見える 2つが、実は密接につながっていることがわかってきました・・】 これが、この本のポイント。 今回は素粒子になるが、どうも10の−35乗という世界の実感が沸いてこない。137億光年の彼方より私を逆照射して、 更に8桁小さい素粒子の世界を科学の言葉として突きつけられたのである。それを実感じろという方が無理。 「人間の大きさを一として、外界は137億光年の広がり、内は、その広がりを逆算した、更に8桁も小さな素粒子。 そして、宇宙と素粒子は同じようなもの? 何なんだろう、これは? ーまず、この辺りのポイントの箇所を抜粋してみるー ≪ ちなみにリンゴー個と原子-個の大きさの比は、天の川銀河と地球の大きさの比と同じぐらい。 天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさしかない。さて、原子1個の直径は、 10の−10乗メートル。かつては、これが「この世でいちばん小さいもh素粒子」だと考えられていました。しかし、 やがて原子にも「内部構造」があるーつまり「もっとバラバラにできる」ことが判明します。原子の中心には「原子核」と 呼ばれるものがあり、そのまわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10の−10メートル)」とは、 電子が回る軌道の直径だったわけです。そして、電子の軌道から原子核までの距離は、決して近くありません。 地球と人工衛星ぐらいの距離感をイメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに小さく、 10のマイナス15乗メートル。電子の軌道の10万分のーです。もちろんミクロの世界の話ですから、私たちの目から見れば どちらも同じようなものですが、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。 原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。この原子核の発見によって、「素粒子」のサイズは一気に 小さくなりました。ところが、話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や 中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。 その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、 クォークこそが真の「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても10のマイナス19乗M。 かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真ん中にある原子核とも4桁違うのです。さらに重力と電磁気力、そして あとで説明する強い力と弱いカも統一すると期待されている「ひも理論」は、素粒子の大きさは10のマイナス35乗Mだと 考えられています。≫ ▼ 世界は「ウロボロスの蛇」(蛇が自分の尾っぽを齧っている絵)で、宇宙研究と素粒子研究の二つが密接に繋がっていて 原理的に同じという。 「天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさ。 これが10の−10乗。 素粒子は−35乗」と言われても、実感など出来ようがない。ただ「物は事の変化の過程の有り様」という意味が少し 分かるような気がする。振り返れば過去は夢幻でしかない。いや現在もである。「実は宇宙のエネルギーの96パーセントが、 他の宇宙からループ状の管の先から無限に注ぎ込まれている」と言われても、「何それ?」の話になる。 まあ、面白い! ・・・・・・ 4022, シングルイン、31年間の総括 ー4 2012年03月30日(金) * あの日から今日で会社の一周忌 あの日から、今日で一年になる。17時を持って弁護士二人と女事務員二人と、私と役員二人が同席の中、 「今日の17時を持って会社は消滅をしました。ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、 31年間の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。 そして、3つの会社実印と通帳の全てを弁護士に引渡し、 総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、 全てがドラマのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。 その後に退職手続きに入った。 修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の当たりに見て、 「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが、 進んでいった。 丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいるような日々。新潟駅周辺には、 自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。 「交通事故だけは気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が事故にあいます。」と、 弁護士に何度も注意された。 実際にマスコミが騒ぎ出すのは、その一週間後になった。 弁護士が「直接原因は、東北大震災」と 流したため、ニュースは全国レベル。 家に隠るのは精神上悪いので県外のホテルでも行っていようか、弁護士に相談すると、 「ここで後ろ向きの行為は、なお良くない。家にいるべき」という。 これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント「バン記者」 のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた 会計事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、理解していないのでは」と、呆れたようにいう。 腹を据えてしまえば、後は冷静にコトに従うしかない。全力で、事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 それが活き活き 楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。 それが第三者には見えない。 長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵として強く残るもの。 死や人生と同じである。 考えれば考えるほど、この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」 ・・・・・・・ 30年前の3月31日を前にして 2011年03月30日(水) * 創業30周年の日を前にして ・・ そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 当時の名前はベンクーガーホテル。 その一月前の2月28日にホテルの一角でデザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。 一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが話題をよんだ。平日はホテルに集中。 土日は学生服を販売する変わったホテルである。チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、 創業前に人材を集めるのが大変な時代。 当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。ホテルなど誰も経験者がいない中で、 右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。 私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。 平均給与は数倍に上がっているに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15のリーマンショック。 そして、この大震災。その中で特に日本は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって 能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。 ・・・・・・・・ 3291, 人みな骨になるならば ー7 2010年03月30日(火) * 健康法は一種の信仰である ー まずは、その一部を抜粋してみる ー 長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。 昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、 悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。 これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。 ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・ ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法がいかなる意味があるか。 ・・・ むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、 健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。つまり健康法とは念仏とかわらないのである。 たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは 精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、 念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、単なる好みの問題である。 ・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」以上のものではない。 むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・ モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして 孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。 さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。 ▼ 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。 しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。 私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、 今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。 「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。 実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、 癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。 ・・・・・・・・ 2916,とんでもないことなんだよ! 2009年03月30日(月) 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。 食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。 ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず 「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを 出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、 湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。 (字数制限のためカット2012年3月30日) ・・・・・・・・・ 2552, アランの幸福論 2008年03月30日(日) 「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。 この3つは世界の三大幸福論と言われている。 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、このコラムは 「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する1914年までにこうしたプロポを3078編、 さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運や つまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。 「幸福であることは他人に対する義務である」「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、 自分が幸福になることである」「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければ ならないのだ」「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、筋肉をのばししなやかにし、 食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、 上機嫌を第一位におくだろう」「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝物である。 あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、 新しい世界が生まれているのだ」「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」 「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」 「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」 「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」 「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」 「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫) 「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」 ーーーー この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと 受け止め方が違ってくる。幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。 (字数制限のためカット2011年3月30日) ・・・・・・・・ 2006年03月30日(木) 1822, あちら側の世界 ー4 (@°▽°@)ノオッハヨー ウェブ進化論ー4 ーオープンソース現象ー 「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、これが大きな変革をもたらす要素になる。 ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある) (字数の関係でカット2008年3月30日) ホンジャ o(▽^*)ノ~~ ・・・・・・・・ 2005年03月30日(水) 1457, 乱気流の恐怖 先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、 あの恐怖感は言語で言いあらわせない。(どうなるかは神のみぞ知る異常事態)スーッと50?位?飛行機が垂直に落ちる感じで、 体が上につきあがりそうになる。それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。 もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。 飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、飛行機に不調があるのではないかと疑いが 出たときは恐怖のどん底に落とされる。もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。 二十数年前のことだが、ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」をニュースで見て、 そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。 また映画でも墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。 飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。そのことに何もない時は気がつかないが、意識をした時にそのことに気がつく。 9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに突入したのだから乗客は恐怖のどん底であったはずだ。 以前にも書いたことがあったが飛行機で夢を見たことがあった。自分が空に浮き上がっていく。電信柱が下に見えてきて、 まずいと思っているうちに夢から醒めた。そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。 その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。 その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。 ・・・・・・・・ 2004年03月30日(火) 1092, 大相撲・千秋楽 一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。 一時のつまらない時期を過ぎたようだ。外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。 幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。大関・横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。 (字数の関係でカット2008年3月30日) ・・・・・・・ 2003年03月30日(日) 725, 今日の結婚スピーチ 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式。 何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、 いやなことがないのを知っているから流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。結婚観をそのまま 話をするしかないと思ったが、そうはいかない。初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。 (字数の関係でカット2013年3月30日) ・・・・・・・・・ 2002年03月30日(土) 361,イスラエル 主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、 ケニアと次々と、ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。 (以下、字数の関係で中間カット09年3月29日)
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2013年03月29日(金)
ー超「超整理法」より ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。 野口悠紀雄著『超「超」整理法』にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。本など一番のキーポイントを見つけ、 そこだけ集中して学ぶ方法である。10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何ですか?」と聞かれたことがあった。 直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。その時に自然に出てきた答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を 分けている。後者の場合、読みに足りる部分を主観的に読む」であった。その答えがベストでないが、初めから対象に従うのでなく、 主観的に読むことでポイントを把握するやりかた。 随想日記を毎日書いていると主観的でなければ続けることは不可能。 そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター読書法になる。 この本の何処が一番の要点か、まず探す。小説と哲学書以外は、 まともに読まない。80対20の法則で、20だけ拾い読みをするだけ。 図書館で借りて読むことが多く、10冊は机の前に 積んで置いて、時どきパラパラと流し読みをし、その後アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピンポイントが表示され、 関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば八割は把握できる。それを纏め書き残せば、後々まで、残る。 だから面白く 病みつきになって続いている。 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。ポイントだけに舞い降りると点で、「 ヘリコプター旅行法」ということになる。 旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私など、元もと旅行などと思っていない。 専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。 旅とツアーは違うのである。情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。検索にキーワードを入れれば、 情報と他人の知識は幾らでも手に入る。その意味で、幾ら時間があっても足らないぐらいで、面白くて面白くて仕方がない。 幸せなことだが、何時、死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。楽しめ、笑え、悲しめ! 今のうちである。 ・・・・・・ 4021, シングルイン、31年間の総括 ー3 2012年03月29日(木) * 計画倒産というが 何人かの知人に、「計画倒産?」と揶揄された。目先の資金ショートで倒産したのではないので、言われて当然である。 売上が10年で三分の一に減少、東北大震災で四分の一が予測されれば、99%行きずまりは見えている。 それを前提に続けるべきかを考えれば、見切り千両の決断は当然のこと。 そこで計画倒産について考えてみる。 何度か、ここで書いたが、私の理解している意味は、「手形決済をしている会社が倒産をする場合、仕入れ商品を増やし、 現金にして私用にまわし倒産すること」と、思っていた。 そこで弁護士に、「計画倒産って何ですか?」と聞くと、 ≪ 計画倒産と、計画的倒産は別物。 普通、倒産は資金繰りがつかなくなり資金ショートをして倒産する場合をいう。 しかし同じ倒産でも、事前に継続不能と察知したら、最小の混乱で済むように手はずを踏むのを「計画的倒産」という。 計画倒産と、計画的倒産は全く違う。詳しくない人は、それを混合し、噂のネタにする・・ 計画倒産か計画的倒産かより、「良い倒産」と、「悪い倒産」の分類を私はしています。≫ との答え。 高利貸しなど、街の金融が入り、家族・親戚に連帯保証の受け判を押させて、最後が自殺か夜逃げが、倒産に付きもの。 幼児の頃から、何時も夜逃げ話を聞いていた。それだけ商売の恐ろしさは知っていた。そして、身近の倒産をつぶさにみていた。 それもあり、「万一の場合、危機管理用の準備資金を用意し、運転資金に食い込んだ時点で、会社整理を考える」と決めていた。 それが去年の1月末に一時的に使いざるを得なくなった。 二年続けて3割減少していた売上が、三年目に入っても、 とどまることなく続いた結果である。そこで、色いろのシュミレーションをしたところ、半年から一年内の資金ショートが明白。 会計事務所の担当に相談すると、「事務所の三割の会社が今日明日の資金繰りに駆け回っているのが実態。下から、4割レベル」 という。しかし、取引先の月末の支払いをし、退職金を、あるレベルまで払えるのは、今しかない、とシュミレーションの数値は 示している。 7月には地デジ化のための客室テレビの入れ替えが予定されており、その上、ボイラーの入れ替え予定がある。 両方ともリース会社の受諾を受けていたが、事業継続が果たして正しい判断かどうかの正念場。 その矢先に、東北大震災。 30年の現事業経験からして、更に2〜3割の売上減が予測。 春恒例の催事が、ほとんど中止、宿泊のキャンセルが続いた。 その時に浮かんだのは、「一瞬早い決断は、打撃は半分で済むが、一瞬の遅れは2倍になる。ここの躊躇は、差し引き4倍の打撃。」 そして、閉鎖の二週間前に決断をした。これを計画倒産の範疇といえば、答えようがない。明日で丸一年になる。これも事業の一環。 ・・・・・・・ 地震 ーつれづれに ー14 2011年03月29日(月) * 自主的退避の言葉の持つ意味とは? 「自主的退避」と、福島原発事故で30キロ圏の住民に対して退避を勧めている。この言葉の持つ意味を考えると、 「本来は退避勧告をしたいが、その前に自主的に退避できる人は、早めに退避してください」「それぞれの事情に応じて 自分で退避してください」 ということだろう。 当初より政府の発表は常にパニックを起こさないように情報を流しているが、 それも重要のことである。 ところで、この原発事故で何で電力不足になるのだろか? それは関西と東京の周波数が違う為、 関西電力から東京電力へ電気送ることは出来ない、この国の解決できない大問題がある。違っていた方が一部業者の利益に なるためである。それが、この電力不足の最大原因とマスコミは問題にしない。マスコミは、広告費を電器メーカーなどから 得ているため、これを問題にできない側面がある。UC圏の周波数でさえ、統一してあるのに、単一国家の日本が、この有様である。 * 全国チェーンと地元チェーンの力の差 家内が、3・11災害以降、「ヨーカ堂が凄い凄い」が口癖になっている。近くに、スーパー原信があるが、 そこの多くの欠品が、ヨーカ堂には揃っているという。先日も東京に住んでいる息子にトイレットペーパーを 送ったが、原信との商品力が違う上に、送料が格段に安いという。こういう時に、会社の総合力が商品力に 出てくるのである。特に全国チェーンは、災害時こそ自分たちの全国区の強さを発揮して、信用を高めるチャンスと、 平時より災害時対策をしている。 原信は郊外型SC内に店舗があるため駐車をしやすいこともあるが。 ・・・・・・・・ 3290, ツイッター が詰まらない? 2010年03月29日(月) ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。 《 おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、今加筆しております。書きかけのメール完成させて、送信します。 ツイッターのことですが、私、どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。と言うのは、 ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無いように感じております。つまらないのです。 貴方みたいな、「ツイ友?」でも出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている者はいません。 良い方法があれば教えて下さい。》 以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 ―何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。 ・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに見ていると面白くなっている。 ・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローからネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。。 ・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。 面白くなるまで、粘るしかない。(絶対に面白いから) ー以下は知人へのメールの返事。 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。 実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽に フォロー先の人に話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に「美味しそうですね」とか、 発信すると返事が返ってきます。 もっとも、この二人と貴方だけですが。 以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの文を随想日記に去年8月に書きましたが、 その人もツイッターを開始しました。 私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに 仙台の同年代といえば、彼ではないかと思っています。 しかし、ツイッター上で話していません。 (字数の関係でカット2012年03月29日) ・・・・・・・・・ 2915,昔、地方と東京に6種類の金持ちが居たそうな 2009年03月29日(日) 日本には戦後、地方に6種類の金持ちがいたという。そして、現在彼等の多くが消え去ろうとしている。 ・山林家 ー>輸入材、人件費の高騰で資産価値の激減 ・酒造業者 ー>清酒離れで、戦後4000から1700に ・商店街の老舗旦那 ー>郊外化で、ほぼ消滅 ・地場の建設業者 ー>公共事業が激減、談合の締め付け ・医師 ー> ?? ・地場産業のオーナー経営者 ー>中国、東南アジアからの格安な輸入品の流入 高校の同級生の親の何割かが、この中に入る。 そして現在も似たようことを続けている。この数年で、その多くが死ぬか没落を始めた。 私は商店街の老舗?商店主の??息子。(自覚しているので御勘弁を!) 誰も彼も、彼らの息子なら、同じ?? いや、御立派なのもいる?(自分だけはマトモと思っているようだ)これに大農家で再開発などで買収された家も入るが、これだけは安泰?。 この30年、地方は没落の流れであったが、首都圏と東海産業ベルトラインは世界に向けての輸出を基盤として、日本を引っ張ってきた。 ところがである、そこが壊始めたというから絶望的と言わざるを得ない。「昔、東京には6種類の金持ちが居たそうな」と言われる日が 来つつある。 ・政治ゴロ、・官僚ゴロ、・土地成金ゴロ、・情報屋ゴロ・?・? ・・・・・・・・ 2008年03月29日(土) ー読書日記ー ディズニーの言葉 一言一言が胸に響く言葉ばかりである。原点を大事にしている創業者の理念が、ディズニーランドに、そのままあふれている。 一匹のネズミ(ミッキーマウス)がチャップリンが原型と始めて知った。あの大きな靴、そして上着はチャップリンの姿である。 なるほど、それならわかる! 自分の好きなことを人生を通して追求してきたディズニーの言葉だから、言葉の中に魂が入っている。 ・なかでも一番大切なのが“自信”、自分を信じるということだ。 ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくことだ。 ・幸福とは心の状態を言う。 物事をどう見るかだ。 幸福とは満足することだと思っているが、これは金持ちであることを意味してはいない。 ・男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない。 ・本を適切なタイミングで読む、ということはとても大切である。 ・好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。 ・ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は 遊び心と 好奇心だ。 遊び心とは、笑うことを愛する、 というアピールをする気持ち。好奇心とは、常に人間の心にあって想像力によって刺激されて生まれたものだ。 ・夢を実現させる秘訣を知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにもしんじられない。 私が思うに、その秘中の秘は 4つの“C”で要約される。 好奇心(Curiosity)、自信(Confidence)、勇気(Courage)、不変性(Constancy)だ。 ・すべての芸術家は何よりも先にまず喜びを与える人である。 他人を楽しませることが好きな人は、やはり同じように自分自身の喜びと満足を得ているのである。 ・・・・・・・・・ 2007年03月29日(木) 2186, 「勝負脳」の鍛え方 才八∋ウ_〆(∀`●)サン 図書館から月刊現代の新年号を借りてきたら、第四の知能「勝負脳」の鍛え方ーというレポートがあった。 数日前にフィギア・スケートで安藤美姫が逆転で優勝をしたばかりであった。 トリノのオリンピックで惨敗、他の試合でも、ここ一番の大勝負に勝てなかった。 勝負を決めるのは鍛錬だけでなく、色いろな運や脳力が必要ではないかと、実感していた。 ーまず、このレポートの概要をまとめてみるー 「頭が良い」とは、どんな脳を指して言うのかというと、 ・記憶する能力 ・イメージをつくる能力 ・覚えたことをパフォーマンスする能力(多重能力)という。 要約すると、「ものを覚え、それでも脳が忘れてしまうために、覚えた情報を一度脳内で再編集し、 その内容を表現するという流れを鍛えることで、頭をよくすることが大事である」ということになる。 この3つの能力を活用できる人が、勝負事で勝てるかというと、必ずしもそうはいかない。 スポーツの試合や受験、ビジネスといった実戦で勝つには「頭が良い」だけではダメ。 レポーターの提唱する脳の第四番目の知能は独創性や創造力を生み出す能力が勝負の鍵を握っている。 この能力を勝負脳となずけている。端的に言えば、勝負に勝つための独創性のある戦略を練る知能である。 アメリカのマックスウェル・マルツがサイバネティックスという成功の理論を提唱した。 それは、目的を明確にし、それを目的が達成するまで忘れない、というものです。 そんなことは、当たり前と思うかもしれないが、それがナカナカできない。 勝負脳を鍛える第一のポイントは、「目的と目標を区別すること」が挙げられる。 ・目的は勝つことであり、目標はどのように勝利するかです。 ・そして勝負脳を使って勝つには、目的よりも目標に集中することが大切なのです。 目標も目的も同じようなものだと思うが、それが違うのである。 両者の違いを説明するのに、フィギアスケートの荒川静香選手の例で考えてみると・・ 06年のトリノでオリンピックの金を取ったあと、こんなコメントを挙げていた。 「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点方法に対応するために、演技ごとに自分の欠点を明らかにして、 一つ一つをいかに完璧にこなすかに集中していました。一位になれたことにビックリしました。」 彼女はトリノから採点方法が変わったことを理解していた。その意義を理解し、一つ一つの技をいかに素晴らしく 見せるかに集中したのです。スポーツだけでなく、ビジネスでも簡単に成功する人と努力をしても成功しない人がいます。 (字数の関係でカット2012年03月29日) ・・・・・・・・・・・・・・・ 2006年03月29日(水) 1821, あちら側の世界 ?3 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ ウェブ進化論ー3 ーロングテールとはー この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。 ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。 一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を使って販売しているのではとしか思えない。 ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、直接送ってきているのでは?また、一度買った本ー中古本は ロングテールの部類ともいえる。しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか?世の中、音をたてて変化している! ーネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何かロングテール(Long Tail:長い尾)とは? この言葉は最近少しずつ 米国で使われるようになった。ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。 一年間にどんな本がどれだけ 売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。縦軸に売れた部数を取り、横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、 第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、第三位『バカの壁』……と売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。 横軸には「一冊あたり五ミリ」、縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、本の売れ方の全体像はどんな形状になるか? (字数の関係でカット2008年03月29日) ・・・・・・・ 2005年03月29日(火) 1456, 生命保険に入る馬鹿、入らない馬鹿 私は生命保険には入らない主義である。「馬鹿馬鹿しい!何で自分が死んで保険金が?それ位なら、その保険金を相手に 直接やるか貯金すれば良い。保険屋は確率の問題で、奇麗事をいってピンハネしているはずだ。」というのが私の理屈である。 もう一つは、「先のことはわからない、だから心配したって仕方がない。最悪の事態になったとして、それがどうした?!」 という考え方が基本にある。保険に入る人は「先のことはわからない、だから心配だ」という考え方なのだろう。 「だから心配だ」と「だからどうした」の分岐点で考え方が変わってくる。それぞれの人は色いろな立場と事情があるので、 私の場合の話と断っておくが。平均寿命80歳が、生死の五分五分のラインである。それ以上生きた場合、生命保険金は支払われない ものが多い。この辺に保険屋のマジックがある。その事実を知らない人が意外と多い。(母もそうだったが、この事実を知らないで 80歳まで保険に加入していた)80歳以前に死んだ場合に、残された家族の生活には有効であるから保険に入るのだ。 しかし保険屋というものは、不安事業でしかない。その不安をくすぐって加入させる保険のオバちゃんがいるのだろう。 したがって、詐欺的要素が出てくるのだ。壮年で亡くなった場合に、家のローンや子供の教育費が負担に対するヘッジとして 必要だろうが。といって博打であることも確かである。保険屋の立場からみれば、あくまで博打の胴元でしかない。 無知な大衆から利益を得るのが目的である。相互補助団体といえば、何処かの宗教団体と同じだが、不安解消ビジネスで あることも同じである。箪笥預金も同じだろう、将来が不安と、生活を切り詰めて貯金をして死んでいく。 お笑いであるが、本人にとって不安なのだろうが。不安感に対して、「それがどうした!」「で、どうした!」 「何とかなるわい!」「大丈夫大丈夫!」と自省してみれば、その金を楽しみに向けたほうが良いのがわかるはずなのだが。 無知の一番気の毒なカタチである。最後は生活保護を受けられるから何とかなるし、死んでしまえば一円もかからない。 自分は死なないと思っているから貯め込みたくなるのだろうが。「大金を残して死んだ孤独な老人」というのが一番滑稽である。 金の本質を考えれば哀れな生き方ということは自明である。使い切れないほど使って、大金が残っている人もいるから一概に言えない。 ・・・・・・・ 2004年03月29日(月) 1091, 公示価格は時代反映の象徴 少し日が経ったが先日、全国の公示地価が発表された。都心の一部が下げ止まり感とあったが地方は下落率が拡大していた。 (字数の関係でカット2012年03月29日) ・・・・・・・・・・・ 2003年03月29日(土) 724, プロ野球開幕 昨夜からプロ野球が開幕した。他に面白いプロスポーツやアメリカの大リーグ中継をNHKが衛星TVで開始した
(字数の関係でカット2010年03月29日) ・・・・・・・・・ 2002年03月29日(金) 360,末っ子相続 世界の何処の社会でも長男相続である。それが当然と思っていたら、末っ子相続の社会があった。 (字数の関係でカット2010年03月29日)
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