堀井On-Line



4388, 「うつ」かもしれない ー3

2013年03月22日(金)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
   * ウツの治療 
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、「死にたくなる度合い」がが目安という。
逆にいえば、それだけ苦しいのである。 身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情は
表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、自分一人に固まっている。 こういう人が
暴発すると秋葉原の無差別殺人のようになる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れするかである。 
人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところがないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、
「薬事療法」と「認知療法」がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療すること。
それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を
身近において常に手に取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。これは本当によい。
 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し
気持ちが落ち込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や自分の考えを書き留めていく方法で、
頭であれこれ考えるよりも、冷静に客観的に検討することができる。
5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の
習慣づけは大変なので、第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。書いるうちに自分の思考の
癖が見えてくるだけでも効果がある。心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
 ・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
    * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
  高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろの教授に触発された。その最大の恩師が、
 人事管理の武澤教授である。その後も、ゼミOB会に2〜3年に一度は参加していた。10年ほど前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記−2    ー武澤ゼミについて
  何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
 ほとんどを占めていた。その中で武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。ゼミでは、
 一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
 その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの出した結論と、その差異について更に議論をする。 
 また二班に分かれて、それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている限界の知識と体験をもとにした、
 それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
 考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。 
 そこに各自の知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、ソクラテスの「対話法」の真理追究を、
 そこで体験させていたようだ。 素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。対話の訓練が友人に
 受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。 
 武澤ゼミで学んだことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の把握と、仮説の積み上げと崩しの、
 繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
  ▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタントの渥美俊一に大きな影響を受けていた。
   渥美コンサルタントは、カリスマ的流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
   野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に、「分析(冷静)」を学んだことになる。
   独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、基本的な問いが、立ち上がっては消える。 
   人生など何の意味(価値)もないこと位は分かっていても・・・  哲学を学生時代に、より深く追求しておくべきだった。
   それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
3648, 地震 ―つれづれに  ー9
2011年03月22日(火)
   * 日本経済はガタガタ
 TVで、新宿・歌舞伎町、新橋駅界隈、秋葉原、渋谷などの先週末の繁華街や箱根などのリゾート地の客の激減の様子を放映していた。 
魚河岸では7割も普段よりお客が激減しているという。 街は節電で、真っ暗で、放射能が漂っているかもしれない中、外食も買い物も
する気にもなれない。先週の長岡駅と新潟駅中専門店の店内には、お客の姿は皆無なほど見られない。
朝から晩までTVで、100年、1000年来の大震災の惨状や、原発の放射能漏れが報じられていれば、買い物や外食をすること自体、
後ろめたい気持ちになる。これが短期的現象ですめばよいが、そうはいかないだろう。 3月11日をもって日本は全く違う時代に入った。
比較的東北から離れている関西以南は、関東に比べて落ち着いているが、これも時間の問題。損害は12兆円というが、原発事故への
不安心理が景気にもたらす影響はあまりに大きい。 昨夜、自宅近くのイタ飯屋のサエゼリアには避難民のグループで満席であった。 
着の身着のままの服装が痛々しい。
   * 想定外の歴史的惨事に、あまり責任を追及しないがよい!
 この地震は想定外の歴史的大震災。原発がたまたま巻き込まれ本州全体が壊滅する可能性もある。政府対応が悪いとか流布されているが、
それより被害を最小に収めることが最優先にされるべき。その中で民主党が野党に協力を求めたにも関わらず拒否をした。 彼らは今だ、
この惨事に対する認識が薄い証拠である。現在の日本の稚拙な実態が、そのまま現れ出てしまったと言えよう。 
ここは災害大連合内閣で望むべきで、これで自民党は最期の命綱を自ら切り落としてしまった。 
数日内に自民党バッシングの嵐になる可能性がある。民主も酷いのは分かるが・・・ 
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3283, 人みな骨になるならば −3
 2010年03月22日(月)
  人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に一度の大恐慌である。
「最後のレッスンを神が与え給ってくれたのか」と気を取り直し取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出てくる。
 一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。  丁度、良いタイミングに
   ー「人生の課題」という幻想ー という言葉が飛んできた。  
  著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の同級生が、この10年間で何人も亡くなっている。
 その彼等の天国からの代弁とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想 ーの項目の一部を抜粋
 「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を
 相対化してみるのは、どうであろうか。 『人生の課題』というのは一つの幻想である。
 事業といっても世間に流通している貨幣や評判を集めているだけである。
 国事に奔走するといっても、特定のサル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる
 人参ほどの効果はあるだろう。馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった走り方より、
 何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、虎から逃げている馬より、幸せだろう。
 何よりも重宝するのは、このような鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた時に
 それを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。
 われわれが失恋したり、事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベルでしかない」(p116)
ー幻想としても、目先の課題をキーワードに解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ云えるのではないか。これも、幻想か?
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2908, 「ドレス」という名のクラブ?
 2009年03月22日(日)
 二年ほど前に、クラブの新規開店の案内と一緒に1千円の割引券入りの同封された封筒が手元にきた。
「ドレス」という名が印象的で、「同じドレスなら『赤いドレス』の名のほうがインパクトが強いのに」と
思いつつ、記憶から着えてしまった。 その一年後に、開店一周年記念の案内が再びきたのでチャンスがあったら
一度行ってみようかと思いつつ、これもまた記憶から消えてしまった。ところが、先日連れの人と居酒屋で飲んだ後、
何時ものスナックに向かって歩いていたら、「ドレス」が入っているビルの前で、そのことを思い出し、入ってみることにした。 
(字数制限のためカット 2012年3月22日)
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2544, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?2
2008年03月22日(土)
ともかく内容が異世界である。だから面白いのだが。こういう人間のベース?の世界を、真っ只中の人物が書いているのだから、
一言一言が生々しく小説のようである。 特に性欲からくる人間的な本性がリアルである。人間研究という面で、顕わで可愛いが、
人間の一番、弱い側面でもある。 娼婦の後ろにヒモの存在が、あまりに悲しい。髪結いの亭主とか似たような男は周辺に幾らでも居る。
「娼婦に殆どヒモが居る」というのは始めて知ったが。こういう連中が都会には蠢いていて、鵜匠のように見えない糸を操っている。
 次の内容を少し脚色を変えた物語が、今でも現在進行中なのである。。
  *娼婦はヒモがつくる
彼女たちの大部分は、田舎からパリにお手伝いの口を探しにやってくるのです。
当時 ジュロと呼ばれていたヒモは、金持ちのようにしゃれた身なりで、彼女たちの到着を駅で待ち伏せしていました。
娘たちは小さなスーツケースを持って、ちょっと途方に暮れた様子で、プラットホームに降り立ちます。
手に雇い主の女主人の住所の書かれたメモを握りしめ、とまどっています。男は何らかの口実を見つけて、
娘たちに近づくのでした。こうして、娼婦獲得のため、お定まりの小粋なラブストーリーが始まるのです。
「地下鉄はあそこですよ。でも、その前にコーヒーでも飲みませんか」田舎の雌牛たちになれ親しんできた娘にとって、
都会のざわめきはいらつきを覚えます。カフェの中で初めて出会った男に自分の行く先を説明するのでした。
彼は驚いて 「へえ。君の行く先って、あの夫人のとこ,.」「あなたはその方のこと、ご存じなの?」
と、娘はさほど驚きもせずに尋ねます。「もちろん、彼女を知らない人なんかいないよ。
   (字数制限のためカット 2011年3月22日)
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2007年03月22日(木)
2179, 親の仕送り       才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 先日の新聞に「首都圏の私大に昨春入学した子供を持つ家庭の家計負担」の実態の記事があった。
私の息子二人が一年間だけだが、自宅外通学で関東の大学に在学した時期がある。
みるみるうちに貯金が目減りをしたのを記憶している。あれから10年になるが、当時は「一年間は仕方ないか!」
ぐらいしか考えてなかったが・・ 学費とアパート代と生活費など、年間400?500万はかかっていた。
少子化問題というが、現在の日本では多産なぞ出来るわけがない。 
 ーその内容を、まとめてみるとー
:平均借り入れ金額が170万円台に達し、自宅外通学者は207万円、過去最高になった。
:毎月の仕送りは初めて月額10万円を割り込んだ。6年続けて下がり続けており、
 家賃をひいた生活費は平均は3万9千円。
:自宅外通学者の初年度の負担が307万円。
:入学費用の銀行からの借入者が30・7?。207万円。自宅通学者で25?の世帯が借り入れをしていて、
 138万円という。自宅外と自宅の通学者平均174万円。
  ーーーーーー  
これからみても、厳しい実態が窺える。両親にしてみれば、胸突き八丁というところだろう。
苦労して育てても、結婚すれば嫁か娘婿に疎んじらる。これも順番であるから仕方ないが。40年前になるが、
昭和40年前半の頃、私の寮費は水道・ガス・電気代込みで4千円。学費は家から学校に直接振り込み。
家賃も大家に直接振り込まれ、生活費が郵便為替で1万5千円の送金。生活費と交通費と小遣いで、
手元には何も残らない程度であった。使いすぎて生活費に困ったことは一度もない。
家からは、父親が3ヶ月に一度位に、米と柿の種と、インスタントラーメンを送ってくれていた。
手元には常に子供の頃から貯めていた10万円の現金が部屋に隠し置いてあった。
 (字数制限のためカット 2012年3月22日)
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2006年03月22日(水)
 1814, WBC?まさかの、日本が優勝!      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
WBCで、日本が優勝するとは誰も思っていなかっただろう。韓国戦で二連敗をした時には、こんなものだろうと
白々とした諦めの気分になった。この冬期オリンピックで、日本の最低の負け様を見せつけられたからだ。
今回の勝利は日本のスポーツ界にとって、今だかってない偉業といってよいだろう。
まさか大リーグの選手が多くいるアメリカと中米のチームの中で、日本が勝てないのは誰の目にもあきらかであった。
4勝33敗のキューバに寄せ集めの日本が勝てないと思うのは、当然である。 中盤まで勝っていたとしても土俵際で
軽くウッチャリと過去の経験が示していた。それが・・・・   何と勝ってしまった!(^ ^)/ バンザーイ (v^ー°) ヤッタ!
日本の野球にとって、歴史的な勝利で、球界の神風になるだろう。この勝利はアメリカにとってプライドが地に落ちてしまった。
審判に怪しげな人物を配置したり、ルールをアメリカに有利にしても、敗北したのだから!
メジャー・リーガーがゼロのキューバと、二人しか出てなかった日本が決勝戦に勝ち進んだのも皮肉である。
松井も事情があったとしても、イチロウと選手としての商品価値が大きく開いてしまった。
韓国戦の準決勝と、この決勝の緊張感はそうそう観ることはできない。
 ー今回のWBCで印象的な場面とキーポイントは
・デービットソン審判の意図的?誤審
・韓国に連敗後の、準決勝の勝利と、韓国の日本への敵対心と、その民度のレベル?の露出
・メキシコのアメリカ戦での、マサカの勝利
・イチロウのプロの執念
・短期決戦でのスモール・ベースボールの勝利
「僕の野球人生で最大の屈辱を味わった」と、韓国に二連敗をしたときの言葉が、日本の選手に火をつけた。
優勝後のイチロウのコメント「最大の屈辱を味わい、最高の気分を味あった」と、
「選手としてつぶれても、このWBCで勝つことに全てを注いだ!」が印象的であった。
 イチロウ日本の勝利といっても過言ではない。イチロウの力と、王監督が重なってチームとしてマトマリ、
 まさかの優勝になった。飛び石連休に丁度良く、準決勝と決勝が重なってくれた。   βyёε('c_,'`)з゛
・・・・・・・
2005年03月22日(火)
1449, BOSEのステレオ-4
「利益は全て研究開発に投資する、投資家の配当はなし」が会社の方針というから、アメリカ的でない。
 (字数制限のためカット 2010年3月22日)
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2004年03月22日(月)
1083, 「80対20」革命 ?2(読書日記)
この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して
新しく有益なものを作りだす『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、
どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・
 (字数制限のためカット 2010年3月22日)
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2003年03月22日(土)
717, 温帯魚
 事務所で温帯魚を飼っていた時、よく熱帯・温帯魚の専門店に餌を買いに行った。その時に店の片隅に小さな鯉が、
タライにいっぱい入っていた。場違いの存在に「何でこんなものを売っているの?」と聞いた。
店主が「餌だ」とばつの悪そうに答えた。思わずゾッとした。 
(字数制限のためカット 2013年3月22日)
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2002年03月22日(金)
353、流通再編ーウォルマートの進出
旅行の留守の間の新聞をみていたら、3月15日付けの日経にウオルマートの西友の買収の記事に驚いた。 
   (字数制限のためカット 2012年3月22日)


4387, 暴走老人!

2013年03月21日(木)

                  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。
特に大阪のオバチャンよりオジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めがきかなくなったのだろう。 
数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、顔を
見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているようだった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは
事件にならないという。激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。新潟駅前周辺の地元老人に、
こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。 ーアマゾンの内容よりー
【 待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。
 その「暴走」の底に隠されているものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の
激変する「時間」感覚、「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を探るが、あくまでも
「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」
した人間の反動的行動と指摘する。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題なのではなく、暴走はあらゆる世代に共通する
連続的な現象となりうるのである。感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や規範さえも、日々更新され続けており、
今後も加速度的に拡大していくに違いない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
 ▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。決して孔子の教えのようにはならない。
  「・・、40にして迷わず。50で天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
  ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。60で自分の人生を悔い。70歳にして
  呆然自失で暴走化する」 これが、最近みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
  時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに切れてしまい暴走を始めたのである。
  あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
   * 野田一夫教授のこと (20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化していった。専門課程の三年になると
卒業後が見えてくる。そこでドラッガーを日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪   2002/02/28 20歳の頃  ーある教授との出会い−2  (随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者である。 忘れられない授業があった。
確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。
学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
 ーその内容とはー 【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的である。それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、
不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。
この本を買って繰り返し読みたまえ! これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。】
 大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。 野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として
高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に
駆り立てるカリスマがあった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。
更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
 ▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャーショックは、あまりに大きな衝撃であった。
  21年間の小さな固定観念が根こそぎ壊された。 連日、欧州文化と文明に直に触れ、また、夜は連日、飲み歩き。
  毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の日本人である自分を逆照射はベストだった。
  自分は、世界の広さも、深さも、実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、経験も、
  富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
  「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」の中で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
  * 汝自身を知れ      ー P28 ー
 人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、
すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのためにこそ、自己は配慮されなければならない。 無知な状態を脱して、
真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。 そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』
のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らかである。 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、
恥ずかしくはないのか。 評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、
気もつかわず、心配もしていないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する
方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調する。
 彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいものであると考えた。それゆえに、そうした方向を制御して、
ひたすら自己自身をよくするように努めなければならないと考えた。
  * 「よく生きる」という実践 
 しかし、自分自身をよくするとは、いったいどうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、
よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」
とか「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、
魂に配慮することであろう。 それは、ソクラテスの言葉で言えば、魂を肉体にかかわる快楽や飾りで飾るのではなく、節制、正義、
真実といった魂自身の輝きで飾ることにほかならない。 そうした輝きを魂に与えるためには、ただ漠然と生きることをやめて、
自分に対して批判的にかかわり、自分の思考や行動を注意深く観察し、よく、美しく、正しく生きるように努力しなければならない。
その意味で、「汝自身を知れ」というよく知られた言い回しの背後には、自分の無知を知るだけでなく、無知の状態から
抜けだすための実践も不可欠だというメッセージがこめられている。・・・・  
 ――
 ソクラテスは、正義、勇気とは何かといった根本問題に対し知っている人はおらず、知っていないことさえ気づいていないとして、
無知の知を問題とした。終盤に人生を振り返り、何と自分はバカなのかと実感してもおそい。はやいうちに、それに気づき、真っ白な
状態で書物や人の話を聞かないと、何も知っていない自分にさえ気づかないで人生を終えてしまう。で、10年間、この随想日記を
公開して第三者の目を意識して何も知らないことを曝け出してきた。そして気づいたことは、「バカは死んでも直らない」ということ。 
・・・・・・・・
3282, 哲学者は神について、どのように語ったか −7
 2010年03月21日(日)
先日書いたー「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の、『神の必要性』がシビアで解りやすい。
 ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー (著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか自分の人生というものに耐えられない。
自分で自分の人生を意味あるものにすればよい、と言ったところで、それでは自分で自分の靴紐を引っ張って
飛ぼうとしているようなものである。自画自賛というのは、そのことを意識するかぎりにおいて、まことにつまらないのだ。
どうしても自分以外の大規模なものから自分の人生の意味や意義を保証してもらいたくなる。
しかし、世界や宇宙は何も保証してくれないし、そもそも語りかけてくれない。 いわゆる「神の沈黙」である。
そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族からだけでも、自分が生きている、あるいは生きていたことの
意味や価値を認めてもらいたい。 仮に「歴史上の人物」になれたとしても、それを認定してくれる人類や国家そのものが
頼りない存在である。 三葉虫、アンモナイト、恐竜でさえも絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を
破壊してきた種族が永遠に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。
いずれ、そんなものは、類人猿の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれたカエルが、誇大妄想を抱けたか、
実現した程度のことと変わりはない。 彼等にとって、池が全宇宙である。 古池も銀河系も空間としてはスケールの違いが
あるだけで、質的に変わるものではない。 まして、大半のヒトは、村落、地球、業界、せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、
その中で「なにものか」になれるだけで満足をして一生を終えるのである。 この限界に不満の者は、個人はもとより全世界を
超えるような存在を想定して、そんなものに認めてほしいと願う。 我われの視野が身辺の野山に限られている頃は神々が、
そして見渡すかぎり砂漠と天しか目に入らないものにとって、唯一にして永遠の絶対のゴットが、その役に振り当てられた。
その存在の有無など、問題ではない。 なぜなら、我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。
在ってくれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは出来ない。 我われは確認したいのではなく、
確信をしたいのである。「神がなかったら、神を発明しなければならない」(ヴォルテール)・・・・
 〜〜
 神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想でしかないことが分かる。 国家もしかりである。
小さな池のカエルと何処が違うかというと、共同幻想としての神を持っているかどうかである。 それでは、その幻想は
人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。 といって、人間は言葉を持ったが故に、無限の欲望を持ってしまった。
そこで自分の世界を支配しているだろう絶対者としての神を発明し、その価値観を共同幻想として守る知恵を持ったのである。
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2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で六分の一というから尋常ではないからだ。
ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。 顧客の目からみたら非常に好感のもてる
ような内容だが実感だろう。  反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいうとおりである。
私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで買っている。
数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコとヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような話題を聞いたことがあった。 
最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂、西友とのサシの勝負の様相。 
この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。5年後に存続できるかどうか、
それも今年が最も厳しい戦いの年になる。一年一年を如何に生存するかにエネルギーを集中するしかない。
久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、高そうなホテルの「一泊2食付6800円」に
つられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事ではないから困ったものだ。
「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、欲しいものを並べれば客が来るが・・・
2001年で三分の二、今回で更に三分の二に縮小してしまったのが、地方経済の現状。
地方に大型SCを出店してきたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 
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2543, 今年のプロ野球の予測
 2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による「今年のプロ野球の順位予測」がある。
あまり当たらないところが面白いが、秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り上げている。
今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の順位をみると、
 セリーグは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島 
 パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス、楽天  の順位になる。 
この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ! 
貧民の広島、大貧民のヤクルト」と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、
延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないというから、難問であろう。
ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。
毎年のように巨人の過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。あまり娯楽の無かった時代の、
「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・・・  
以前書いた内容をコピーしてみる
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2006/11/04 
2041, プロ野球の「記者の順位予測」         才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
  (字数制限のためカット2011年3月21日)
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007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子(私の履歴書)ー2    才八∋ウ  _〆(∀`●) 
二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」が、ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、
作家の吉行淳之介と、母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
いや何も自分の辛さを語れない脳性マヒの子供もいるが・・・彼女の言葉から人生の辛さと、優しさと、叫びと、悲鳴が・・
聞こえてくる。心の純真さが「自分が演じ損ねた演劇の役の脳性麻痺の子」に人生の全てを尽くす!
という生き方を選択させたのだろう。その生き方そのものが、そのまま胸に突き刺さってくる。
合歓の木学園を開くキッカケが、脳性マヒの少女を演じたミュージカルの「何もしないで出世する法」という。
その役で七転八倒する苦しみが文章から直に伝わってくる。脳性マヒのため思い通りに手足が動かない場面で、人の悲しい形で
笑いをとることに抵抗を感じ、からだが全く動かなくなる。それも精神的に動かなくなり、そのことで悩む姿が痛々しい。
 (字数制限のためカット2012年3月21日)
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2006年03月21日(火)
 1813, スモール・ベースボール    おは(* ̄(エ) ̄)ノよぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
最近、WBCでスモール・ベースボールという言葉を耳にするようになった。
去年の王監督のソフトバンクと、優勝チームのロッテのチーム方針が、このスモール・ベースボールだった。 
(字数制限のためカット2011年3月21日)
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2005年03月21日(月)
 1448, BOSEのステレオ ー3
数日前、BOSEのオーディオ・コンポが送られてきた。早速聴いてみると、なるほど素晴らしい。
現在のステレオ・オーディオの環境は、PDP/TVの音響機能にソニーのホームシアターとセットしたものである。
   (字数制限のためカット2011年3月21日)
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2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 ?1(読書日記)
 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」
(TBSブリタニカ)の続編である。前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、
非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。
(字数制限のためカット 2,010年3月21日)
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2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日
地元紙の「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
(字数制限のためカット2012年3月21日)
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2002年03月21日(木)
 352,西アフリカ旅行記
・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。
・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が 引いている地引網。
(字数制限のためカット 2,013年3月21日)


4386, 「うつ」かもしれない ー2

2013年03月20日(水)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
  ウツは躁鬱の躁の反動による「哀」の肥大による。その他にも連れ合いの喪失、病気、失敗、トラブルなどあるが・・
 バランスをとるには気分を切り替えて、その肥大に喜と楽を加えることだ。これは意識すれば可能である。
   * ウツは、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加による
≪ 「うつ」というのはある意味、人間の正常な反応の一つです。喜怒哀楽の「哀」であり、私たちの日常に溢れています。
 ではなぜ「哀」だけが突出するのか。実は、こういう疑問の立て方に最大の欠陥があるのではないか。つまり「哀」の
突出ではなくて、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加こそが、「うつ」をもたらしていると思うのです。
人間の基本的な感情である「喜び」「怒り」「楽しさ」は、ある意味、積極的な他人との関わりのなかでしか産出され得ない。
それに対して「哀しさ」は、積極的な他人との関わりだけでなく、関わりから撤退することでも産出されます。
つまり、対人的な関わりの希薄さの先鋭化こそが、「うつ」の増加を促進させる最大の因子ではないかと思うのです。
戦争のときに「うつ」が減るとされるのは、戦時中は人々の結びつきが強くなるからかもしれません。
 現代は価値観の多様化した社会だと言われています。そして思考力に若干の柔軟性を欠くとされる「うつ」の人たちは、
そのような価値観の急速な変遷に対応することが困難であるために、「うつ」になると考えられてきました(10年程前までは、
診断根拠として、「うつ」になりやすい性格「病前性格」が重視されていました。価値観の急速な変化に耐えられないために
「うつ」になるというのは、「病前性格」があると想定した上での仮説です)。そういう一面も確かに存在するでしょう。≫
 ▼ ウツを「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加によるという見方は初めて。そのため独り遊びが出来れば、ウツに
  なりようがない。独り遊びは喜怒楽を満たしてバランスをとる効果がある。 女性が男の二倍もウツ病になるのは、
  独り遊びのチャンスが少ない社会構造にもある。 今回も、二年間が大きな節目と精神面には気をつけていた。まずは、
  冬期間二時間、夏場は三時間の運動をする。この随想日記に集中する。週に一回はシネマに行く。読書の時間を必ず持つ。
  就眠直後の4〜5時間は熟睡する工夫をした。スーパーやドラッグストアで、一人で酒と肴や身の回りの買物をする。
  月に1〜2度は飲みに出る。年に数度は地元から出ること、などを意識的にすることで何とか乗り越えてきた。
  これは喜と楽を自分でつくり出すことになる。一日一生と、淡々とスケジュールをこなしていれば、哀しみは肥大しない。
  それが出来ないのが、病。これも無知による要素が大きい。群れてきた人は、特に注意!「独りになれよ!群れてないで」
・・・・・・
4012, 事業生活39年の、独り語り ー1
2012年03月20日(火)
   * 意志の確定
 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードランディングであることは間違いない。
一年間は頭を冷やすということで事業総括をしなかった。9・11テロ以来の10年間の年計グラフの数字が、時代の大きな断絶、
「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、
グローバル化を促進、NO・�しか事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、割り切るしかない。そして、
リーマンショックと、東北大震災である。 私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。
しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、
創業の真っ只中が幼児期だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、自分も創業をしたい!
という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで書いていた。 まずは、そのコピーから
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」のテーマを夏休みに与えられ、
「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。
初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに
しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」
に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
 ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、
  虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。
  まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。
  そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。
・・・・・・
3646, これまでの人生は何だったの?
2011年03月20日(日)
  地震 ―つれづれに 二題 ー9
   * これまでの人生は何だったの?
 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的である。
ある中年女性が、「全ての生活を失ってみて、これまでの生活と人生は何だろうか考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。 
死など考えてもみなかった人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の言葉と同じである。
これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、
「人生50年夢幻」の実感がみてとれる。 これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても同じこと。
この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を見極めないと、判断を間違ってしまう。
 また、「現在起こっていることが、いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受けとめられないのである。
空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。
一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。
家族と家など全て失い、避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。 まさにホームレスの状態である。
「私一人が生き残ってしまったが、それが良かったのかどうか、今でも分からない」 は、厳しい!
   * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく!
 ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。
福島の、この時期のホウレン草はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。
かなりの放射能が既に放出されているという事実を表している。最悪に向かってことが進むと、本州は壊滅するというのが。
決してデマでないことになる。 死の雨が農産物に行渡れば、我々に待っているのは言わずと知れたこと。
だから在日の外国人は、そそくさと帰国していったのである。函館か、九州にでも長期旅行と考えてもみたが、
何を今さら・・・ 充分に生きてきたから、数年早いか遅いなら、ジタバタすることもない? 
この数年、地球破滅を取り扱った映画を何本かみてきてが、直面するとは、今でも信じられない日々である。 
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3281, 5千台、トヨタ車販売をした人の死
 2010年03月20日(土)
 会社の車の保険の更新が毎年、この時期にある。いつもトヨタの営業の人から電話がある時期にかかわらず、
電話が来ないので事務の人が電話をしたところ、「二日前に急に具合が悪くなり病院に行ったが、肺炎で昨日亡くなった」という。
そういえば去年のいま時分、数年ぶりに事務所に訪ねてきたが、ビックリするほど痩せこけていた。本人が言うには、
「インドに行って帰ってきたら歩けないほど目眩がしたので病院に行ったら、何か訳の解らない奇病。
半年間、入院をしていたが命にかかわる病だった」という。 「たまたま紹介をしてもらった先生が良かったので助かった」とか。
初めに見てもらった病院の先生が好い加減な先生で、処方箋の薬を貰いに行った薬局の窓口に人が、「あの先生は当てにならない、
他の病院に行った方が良いですよ」というので、知人の紹介で新しい医者に行ったところ、奇病が分かって半年間、
入院して命が助かったという。 この中に現在の医師問題など多くの医療問題が隠されている。 で、昨日の地元紙の朝刊に、
本人の死亡広告が出ていたが、アッサリと人は亡くなるものと驚いた。 加齢とともに、こういうことが多くなるのだろう。 
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
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2906, ユングの世界のような夢
2009年03月20日(金)
最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。
 ーその一つを披瀝してみよう
あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、
危険なイメージが漂っている。ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。
ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。
階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。
その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に
自分がいる。 時は40年前の20代前半である。そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、
全てが許されて洗い流されている。しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと
同じように、自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。
▼ 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。
 上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識。
 下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。
面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。
その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。
この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 
その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。
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2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2
2008年03月20日(木)
・交通事情
*東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
*新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、
 切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」
「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、
「神様、私はなんて愚かなのでしょう!彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」
   ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。
 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、
 小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。
 バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。
 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
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2007年03月20日(火)
 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの?     オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした「ゆとり・個性化教育」の
誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、
「個性的な人間」を育てることであった。 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と
、刷り込みがされてきた。 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。
 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。
「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。先生も、その珍奇な子供のなすがままに、
自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。
お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて笑いの対象にしている。
あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」という原則がある。
まずは、基本を身につけて、乗り越え、新しい技・個性を身につける。個性的性格は、30年、50年かけて作りあげるもの。
職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が
味として滲み出るのが個性である。「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を
強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・
「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。
それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、
そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、
一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。別に個性的でなくても、いいじゃないか。
そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか?    
社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる
ゆとり教育とは、ゆとりのある親が公立でなく、私立の小・中学校に子供を入れることに結果としてなってしまった。
ブラック・ユーモアなんてものじゃないのが、現状である。  ホンジャ、バアア    ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
・・・・・・・・
2006年03月20日(月)
1812, WBCー日韓戦 が面白い!           才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった! 勝ったから尚のことだったのだろうが。WBC戦で6勝全勝の韓国と、
三勝三敗の日本の戦い。おまけに日本は韓国に二戦二敗である。15日に韓国に敗れ99?諦めていた日本が、
米国がマサカの敗戦で生き返った。日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。
(字数制限のためカット 2013年3月20日)
・・・・・・・
2005年03月20日(日)
 1447, ロシア人立てこもり
3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。
 ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー
深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人をなだめながら連れてきた。
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
・・・・・・・
2004年03月20日(土)
1081, ST訓練 ?2
去年の今頃に「ST訓練」について書いた。ー(後でコピーしておきます)
先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。30回近くしたことになる。
(字数制限のためカット 2011年3月20日)


4385, 「うつ」かもしれない ー1

2013年03月19日(火)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
 うつ病に関しての書評を幾つか書いてきた。
【2012/05/09 本当は怖い抗うつ剤】【2012/01/23 他人を責める「新型うつ」について】【2011/11/24 「現代型うつ」とは】
【2010年02月13日(土)「うつ」9つの症状】【3246,新・欝の時代】【2007/06/05 2254 ビョーキな人々探訪記 *鬱病について】
【2006/10/27 2033, 躁鬱病について】【2005/12/18 1720, 生きるのがつらい】【2003/07/15 「阿弥陀堂だより」−映画日記】  
 よく書いたものだ。平均、それぞれ4回として、9×4=36回は書いたことになる。それぞれの視点で切り口を変えた本は、
 病気というより人間の本質を教えてくれる。。著者は年に何人も死なせている。だから、うつ病の恐さを知り尽くし警告する。。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
【 私が精神科医として働き始めて、二〇年近く経ちます。その間、私自身が把握しているだけで数十人のうつ病の
 受け持ち患者さんが自殺しています。必ず毎年、数人の患者さんが自殺してしまうのです。 そしてその度に
「もっと適切な方法があったのではないか」「私が主治医でなければ自殺しないで済んだのではないか」という慚愧の念に
強くとらわれます。(略) 今回、うつ病の本を書くにあたり、これまで私の記憶から排除しようとしていた、死に至った
患者さんたちのことを思い起こしました。(本文より)】
 ここで、一般に「「うつ」は、心のカゼであり、早期治療でクスリを飲めば治る」というような解説が多いが、著者は
このような考え方を明確に否定し、「うつ」に罹った人のうち一定数は必ず自殺する」という認識をしている。
 本来「うつ」としてきっちりと治療すべき人を「自律神経失調症」として安易に診断していたり、「うつ」で休職した人を
無理に早く職場復帰させることはとても危険であるという。
 以下の九項目のうち五つ以上該当し(1と2のどちらか含まれる)、それが二週間以上続いていたら「うつ」と判断される。
1、一日中気持ちがしずむ      2、これまで好きだったことが楽しいと感じられない  3、急に体重や食欲が落ちる    
4、眠れない、あるいは眠りすぎる  5、ソワソワと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる
6、毎日体がだるく、なにもする気がしない     7、自分をダメ人間だと考える
8、なにも決められなくなり集中して考えられない  9、死にたいと思う
 ▼ 多くの「うつ」に関する本を読み、身近の人の相談にのったり、青年期のウツ症状の時、独りで本などを読み乗り越えてきた。
  しかし人間の心身は生もの。いつなん時、襲いくるか分からない。これは慢性病になる可能性があり、下手をすると死に至る病。
  九項目の中で、一つか二つはあるが、それも一瞬の間だけ。 そういえば、節目時に、「虚無感」に陥ったことがあった。
  あの不思議な捉えどころない自信喪失というか、虚無感、脱力感。 振り返ってみても底知れぬ心の状態である。
  現在の私の状況、最もウツになりやすい事態だが、戦争時にウツは出ないのと同じ。それと遊んでいる? とすると痴呆かい
・・・・・・
4011, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー4
2012年03月19日(月)
           ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ー キングスレイ・ウォード著
  * 実業界には三種類の成功者群がある ー 翻訳者の、後書きより ー
 【 実業界には、三種類の成功者、つまり二億ドル人間と、二千万ドル人間と、二百万ドル人間がいるといわれます。
 二億ドル人間は、自分の起こした事業を世界的な規模に育てあげて市場を征服することに夢を託す本来的な企業家、実業家です。
 その結果蓄積される個入の財産は二億ドル(約二百四十億円)を下らないでしょう。一方、二千万ドル人間は、むしろ経済的な
 成功の成果である富で普通の人にはできない豪華な生活、つまり豪邸に最高級車、使用人がいて、海外の別荘でゴルフといった
 生活を楽しみたい人たちです。二千万ドル(約二十四億円)以上の財産がなければ、そのような生活は望めません。
 そして二百万ドル人間は、ウォード氏のような人たちです。製造業の例をあげるなら、二億ドル人間はホンダの創業者本田宗一郎、
 二千万ドル人間はホンダと創業をともにした本社の幹部や部長たちと、関連会社の部品などの経営者たち、二百万ドルは自営業の域
 を出ない下請けの町工場の事業主ということになるでしょう。 二百万ドルは家族を養い、善良な市民の務めを果たしながら
 二百万ドルの資産を築けば、よくやったと自分をほめてやれる、ごく普通の金銭感覚を失わない市井の入です。本書で述べられている
 ウォード氏の意見が私たちの共感を呼び、私たちにとって適切な助言になるのは、ウォード氏がビジネスマンとして成功しながらも、
 市井人の心を失わない二百万ドルであるからです。 お金は生活を保証するもの、人生にはお金で買えないもっと大切なものがある
 というのがウォード氏の持論です。大企業の創業者の人並みはずれた才能、努力、そして時代を彩るまばゆいばかりのドラマを
 ウォード氏に期待することはできませんが、人生の成功者としてのウォード氏の功績は、決して彼らに劣りません。
 ウォード氏は普通の人たちの普通の悩みや喜びを語ることによって、人生の成功者になるための秘訣を明らかにしています。】
  ▼ 三種の成功者の分類が面白い。 娑婆は、それで色分けをして人の価値を決めていく。日本でも、この数値が百〜二百万、
   千〜二千万、一〜二億ドルと少し下がるが、こんなもの。これが人間の価値と信じて疑わないのが、俗に言う世間様。 
  一歩ひいてみると滑稽に見えるが、世の中の9割が金で買えるという幻覚の中にいると、それはそれで目安になる。3つの震災で
  実業界から退場してみて、「娑婆など死んで三日も経てば、‘それがどうした!’でしかない儚い世でしかないのが分かる。
  逆に、これも肯定してみるのも一つの理で面白い。事業人生を決心してから去年までの45年間は面白かったが、赤裸々の人生。
  しかし45年間を通じて人間社会の実態を多くを学ぶことが出きた充実感が残った。それも3つの大震災で崩壊。 敗者の弁かい!
 ・・・・・・
3645, 地震 ―つれづれに  ー8
2011年03月19日(土)
  * 震災 まる一週間
 地震も、昨日でまる一週間になる。 当初は、ここまでの大震災とは思ってもいなかったが、
時間が経過するにつれて、歴史的な大震災の姿が現われ出てきている。その上に原発事故の誘発である。
大津波だけでも歴史的大災害の上に、もし大爆発をして日本中が被爆をしたら本州全体が破綻してしまう可能性がある。
3月11日から日本は、全く違う国になってしまったのである。 村山とかいう人が首相がなった時に神戸震災、
そして今度の首相では、この大震災である。 現在、我われは誰もが身近にデジタルカメラとビデオを持ち歩いている。
そのために生生しい写真とビデオが、あらゆる角度から映し出されている。それが規制無しでネットで多く飛び交っている。
その結果リアルの現実が直接、我われの目前に突きつけられる。 一つ例に挙げると、私の学生時代の友人が、
仙台を気に入って終の棲家として仙台飛行場近くの漁村に住んでいる便りを貰った。 恐らく、巻き込まれたのではと、
その村の名前を検索したところ、その地の震災の惨状の写真が、その村のブログに載っていた。 
跡形もない村の惨状に、驚いてしまった。。
   * 原発事故のリアルな現実
 福島原発事故で、20〜30キロ内の屋内退避が県外退避に転換され大型バスでの移動が始った。
この圏内には14万人が居住していて、今後、一斉に退避が始まるが、問題はガソリンや食料がないこと。
米国などでは、80キロ圏内の避難を指示しているが、福島原発の80キロ圏内には、更に数十万人がいる。
最悪の大爆発が生じて、放射能が日本中を覆うことになれば日本壊滅になってしまう。 それが、この数日中に
発生する可能性が大というから、何をいわんかである。 リーマンショックで疲弊している上に、
この大震災と原発事故の二重の打撃は、日本経済は致命傷になってしまう。 まず早急に消費税などの直接税が
20パーセントも現実問題になる。これは15パーの収入減と同じことになる。もちろん、この事態では当然、
受けいれるしかないが、体力を消耗してしまった中小企業は致命傷になる。日本全体が被災者という現実がある。
 ・・・・・・・
3280, 人みな骨になるならば ー2
2010年03月19日(金)
  * わたしは特別か?          
ー まずは、次の部分の抜粋から  P−41
自分だけは大丈夫と感じる原初的な感覚をE.エリクソンは「基本的信頼」と名づけた。
幼児期における適切な保護か養育者との愛着関係によって成立しているかに信じられている。個人差はあるだろうが、
相当の怖がりやでも心の底に、「自分だけは大丈夫だろう」という最低限の楽天性が備わっている。たしかに、
数百の卵子と、数億個の精子のうちの、一つずつが合体することでも大変な奇遇である。・・・・
われわれは生きているというだけですでに、宝くじを三回買って三回とも当たったぐらいラッキ-な人物なのである。
そのことを特別な存在だと感じても不思議ではない。もちろん、自分が特別だと感じる根拠はそうした
生物学的事実によるのではなくて、われわれが直接的体験として自分しか与えられていないといった心理学的(認識論的)
事実に基づいている。 われわれは各自の心しか直接に知ることがない。それ以外はすべて憶測である。
目の前にある花やコップでさえ、自分の感覚を信じないことには「在る」と断定できない。
ましてや自分以外の全人類は「在る」のかもしれないが、他方すべてが幻影や書き割りのようなものなのかもしれない。
コギト(われ思う)は不確かだが、スム(われ在り)だけは確かなのだ。そもそも現在の自分の在り方を「存在」と規定しないかぎり、
それ以外に存在を規定する原理はない。しかし、そんな特別な存在が地球上に何十億とひしめいているらしいのである。
そのことを認めたとたんに自分が特別でもなんでもないことを思い知らされる。なにしろ、自分は特別だと実感している人間が
自分以外にも六十億近くいるもようなのだ。これならあきらめるしかない。わたしは特別な存在ではなく、せいぜい
六十億分の一の特別さにすぎない。 宇宙において、わたしが生まれたり死んだりすることの重要性は、
地球の裏側でアンデスのインディオの一人が生き死にすることの重要性と何らかのかわりのないものである。・・・・
「人間は特別」という価値観は人間だけにしか共有されてないからである。
 ー
人間は誰も、自分は特別の存在と思っている。で、還暦を過ぎて、そろそろゴールが目前と感じ、自分の存在が
必要とされないと気づいた時、特別の存在のはずの自分が、逆に邪魔なものと思い悩むことになる。
初老の身体の変わり目と、それに気づく時期が重なり鬱症・鬱病という人生の節目が訪れる。 
宇宙の視点からみて「わたしは特別ではない」のは当たり前。その当たり前のことを知らないまま、一生を終える。
・・・・・・・・・
2905, 寝入る瞬間を意識したことがあるか
 2009年03月19日(木)
 * 寝入る瞬間を経験したことがあるか?
ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、
その経験をしたことがある。その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の瞬間の実感してみた」
と記憶として刻印した。 具体的に、どうだったか?というと、「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に
意識が縮小し消えていく感覚。もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」である。
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。 先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」
というAERAMOOKという雑誌の特集号の中で、マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、
「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」というテーマで論じているとあった。(詳細は書いてなかった)とすると、
その瞬間は意識できないことになる。しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。私が特殊経験をしたのか、
それともマギーが正しいのか? ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と検索したが解答はなかった。 
ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。
<寝入ったとは意識が無くなるということだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、その瞬間の無の際を
経験しようがないのは自明のことだ。見たという一瞬の知覚は、まだ寝入っていない意識であり実は寝入ってなかったのである。
意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足できようがないのである。向こう側(寝入ったサイド)
から見ると、その瞬間=扉は、すでに無の世界である故に、その瞬間など捉えられないのである・・・>
ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。しかし、私は間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、
夢ではなかった。マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。 今度、この本を読んでみるつもりである。
・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)
まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。
 ーー    
第4定理は「グーグリネス」である。グーグリネスとは、ウェブ時代をリードするグーグルという会社の気質や
グーグルらしさを表す言葉だ。 グーグルの経営・組織・文化における独自の論理は、ここまで取り上げた
「アントレプレナーシップ」「チーム力」「技術者の眼(め)」が、高いレベルで統合された最新で最良の実例と言える。
 私はシリコンバレーで数多くの会社を見てきたが、その中でグーグルは、これまでの会社とは「種」が違うのではないかと
思うほどの、突然変異とも言うべき「変な会社」である。こんな奇妙で不思議な会社は、かつて存在したことがない。
そう断言できる。しかし、こういう会社がビジネス社会の中心に躍り出てきたことが情報化社会たる現代の特質なのであろう。
≪いま、世界は(以前と)本当に違う。それは、君たち一人一人が世界中のどんなことについても
「情報を得る力」を持ったからだ。私が学校に通っていたころと、本当にまったく違う世界だ≫
 これは数年前にグーグル創業者の一人、サーゲイ・ブリン(1973年生まれ)が高校生向けに行った講演での言葉である。
80年代と比べて今が「本当にまったく違う」のは、行き着く先は「時間」。 「時間」だけが私たち一人一人に平等に
与えられた貴重な資源だ。グーグルは「頭脳の拡張」の世紀のリーダーであるとともに、私たちが自発的に過ごす
「時間」からしか創造的イノベーションは生まれない、という思想の信奉者なのである。
 グーグルはこのやり方を貫き、創業からわずか9年でトヨタ自動車の時価総額と肩を並べた。
しかも、社員数はトヨタの約20分の1にすぎない。
ーー
解)インターネットの、その中の検索こそが世界の要になると確信した信念が世界を変えたのである。下手の考えより、
己をグーグル化した方が手っ取りはやいのかもしれない。時間という資源を最大限活用できるという面から見たら正しいのだろう。
インターネット下のオープンソースの潮流の中で頭脳のネットに己をリンクすることこそ、一番合理的かもしれない。
ただし己というベースが確立してある前提が必要だが。それと、五つの定理をマスターした上での自発的に過ごす時間の重要性である。
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2007年03月19日(月)
2176, 流通業界・大編成の時代へ
                 オッ(*^○^*) ハ?ヨウ
 大丸と松坂屋の経営統合で、百貨店業界も大編成の時代に入った。先日の「日経流通新聞」によると、
百貨店業界も4強時代に収れんという。 その内訳として、
 *大丸・松坂屋連合 1兆2000億円             
 *高島屋      1兆500億円
 *ミレニアムーイトーヨーカ堂系(西武・ソウゴ) 9500億円
 *伊勢丹      7700億円 の4つがアナリストや業界関係者の総合的な見方という。
アメリカの事例や国内の市場規模からみて日本はこの辺りだろう。
三越、阪急・阪神、松屋、丸井、東武などは、そ4グループに最終的には収れんというから、都市銀行の大編成と
同じ道をたどり始めた。外資などの禿タカファンドが株の買占めなどで強請ってくるのは避けられない。
(字数制限のためカット 2013年3月19日)
ーーーーーーー
2006年03月19日(日)
1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい ー3   Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
空想上の子供をイメージで作り、その子供のために特別な時間をとって、二人だけのデートをする。その子供のために
特別指導をする。私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。
    (字数制限のためカット 2012年3月19日)
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 2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 ?2
花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、極限を乗りこえようとする魂の叫びを感じ取ることができる。
言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。
  (字数制限のためカット 2012年3月19日)
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2004年03月19日(金)
 1080, フランチャイズ・ショー ?5
・一番印象的であったのが「MBE]という会社である。
「メールボックス・エトセトラ」の頭文字の略である。
  (字数制限のためカット 2011年3月19日)
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2003年03月19日(水)
 714, 難関ー困難性
 学生時代読んだ本に「困難に出会ったら、チャンスと思いなさい。それを躓きの石にするか、土台の石にするかは
貴方の意思できまります」という言葉があった。その時これから生きていく人生のキーワードでないかと思った。
  (字数制限のためカット 2011年3月19日)


4384, 背筋が寒くなる「一生時計」

2013年03月18日(月)

   * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。
アナログの時計で一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における平均余命が50歳であることを
考慮して、80歳としている) とすると40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては10時半を
過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、
残り時間を鳥瞰するにはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。 不摂生もあり、あと二時間あるかどうか。それも不意に止まる可能性が
充分ある。この年齢になると残存時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。 父は71歳で亡くなった。一生時計では9時。
あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。
この一生時計を机の前に置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高をくくっている。 
50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、良い死に方には思えない。これが人生である。
下記の2010年03月18日に、「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
     * 愛蔵書120冊を電子化
  蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。それをダウンロードし、iPadに入れた。
 去年の暮れに50冊を電子化していたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。 これでiPadに120冊の本と、
 2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、そこが「自分の居場所」になる。 
 かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと次回に、そのページが出てくる。 
 分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽にできるうえ、本棚の移動も気楽にできる。 これでは、数年で紙から電子ブック化の
 流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
   * 朝日新聞デジタル版
  電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。
 朝日新聞の場合、新聞をとっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、その価値は認める。
 紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。
 それと、当日の記事内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。これは電子書籍にもいえる。 
 デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させている。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、四号機、次に、6号機の順番である。
ジクザグに一つおきに重ならないように火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、
隣り合わせの爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。メルトダウンを始めた原子炉は
最後まで行き着く(暴発)しかないと実しやかに言われている。 日本のJリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを知っているため。
 それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入っている。 その最悪とは何?だろうか考えると。
ますは本州が全滅の上に、地球上に大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 雨水も飲めなくなるとすると?
それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? それを誰も口には出せないのが現状。
評論家は、その最悪の想定値の場合、広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックになるからだ。
フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かったという・・・
 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 
至上最大の原発事故が目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発事故が
重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロにところに位置して、安全といえない場所である。
 しかし、今回の政府は首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を流している。
何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備を呼びかけないのか! この程度の人物が何ゆえ首相なのか!
今日から明日が、一番危ないと思われる。 とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも500キロも同じと放射線の
専門家医師が言っている中で、ジタバタしても同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・・
 たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
  なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。初めから終わりまで、
 「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が
 悪くならないのは、本人の持っている温もりのためか。 この本を書き終わった数年でガンが発見され亡くなった。
 そのプロセスを書きのこした本「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
 「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・・どうあがいてみたっって、逃れられない人生という檻の
 なかに?我々は産み落とされてしまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと、人は生きていけない。
 だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神のようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
 【 「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に不愉快な現実である。
  たぶん、宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が生きたり死んだりするのと大して変わりない。
 この現実から逃れるために人間は実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪えられないようだ。
 それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
 に心をくだいた。・・・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、「なにものか」であるような幻想へと
 昇格させようという営みの全てをエゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがきに至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している
 動機のひとつである。 宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたいという目論見が透けて見える。 】
  ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、このエゴ・トリップと考えると、人生そのものが
 エゴ・トリップゲームになってくる。 しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を多く持つ身にとって、
 それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろうか。特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
 良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップでしかないのか? そう思うと気が楽になるが!
 ・・・・・・・・
2904,清水洋の経済危機
2009年03月18日(水)
 この人のセミナーを東京まで行って何年前から聞いてきた。今年の彼のセミナーの案内がきたが、去年に二度出席したので、
今年は行かないと判断した。ところが案内のパンフレットに、そのDVDを販売するとあった。
セミナーは3万8千円、二万円なら安いが関連の本が十冊買うことが出来る。といって、時が時だけに現場の生々しい
視点からの現状の情報も興味深い。去年、三回の彼のセミナーを知人とシェアをした(二度私が参加し、
一度は取引先の社長が参加)。今回も再びシェアをと声をかけた。それが昨日の午前中に届いたので、
午後から4時間部屋でパソコンを通して聞いてみた。今回は一切メモを取らないで一度、脳にいれた後に、印象として残った
言葉を待つ実験をしてみることにした。「脳に残らないのは、必要としないこと」という言葉を思い出したからである。
 −印象を、そのまま書いてみると・・・
・ハイパーインフレが数年後に起こる。そのタネを現在、世界中で公然と蒔き始めた。
 その芽が出てくるのが、数年後である。間違いなく、ある日に爆発的に発生する。
・不動産の暴落は、さらに大きく起きてくる。 買いにきた初めの客に迷わずに売るべし。
 不動産の供給過剰は、これからの時代の趨勢である。東京のマンションや売りアパートは半値以下。
 それでも買い手がいなくなった。 銀行が金を出さないからである。 不動産の市場は想像を絶した惨状。
・三百年続いた近代工業主義社会が、この恐慌で間違いなく終焉した。 日本のバブル崩壊後に何とか主導してきた
 輸出立国モデルが、崩壊してしまった。これに替わるモデルが全く見当たらない現在、日本の将来に非常に悲観的である。
・さらに少子化問題は、今後の日本にとって非常に大きなマイナス条件。
・金(きん)は、今後数年後には6〜7000円まで上がる。金が上がるというより、貨幣の価値が下がる。
 今度の金融恐慌に対して、世界中のトップが取れる政策は、ペーパーマネーを増発してハイパーインフレを
 起こすしか手立てはない。世界の資産家は、金の買い集めを始めている。
・実感として、そうじて40パーセント減である。政府は中小企業を潰さないことを金融庁に指導している。 
 その手立ての一つは、リ・スケジュール(返済計画の見直し)であり、それを利用すべきである。
・政府も銀行も信用すべきでない。自分の身は自分で守るべし。
▼ 以上だが、聞くたびに話しは辛らつになっている。 私の事業は不動産の要素が7〜8割を占めるから、深刻である。
 再開発地区の物件だから、救いがあるから、何とかやれているが・・・
 ・・・・・・・・
2540, ロシアの小話、8つ
 2008年03月18日(火)
小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、
ソ連の体制時の小話だろう。ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。そのギリギリの中で、
ひねりを入れた小話を「アネクドート」といいうが、ロシア人は食事時などに普段人には言えない鬱憤を
ぶちまけるために作られたブラックジョークだからこそ、毒があり捻りが味がある?
その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を趣味としている私でも、
なるほどと含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・・・息子が服をボロボロにして帰宅しました。
「どうしたんだ、お前」 ?父親が厳しく問い詰めました。「隣りの子と喧嘩した」
「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を買わなければならないじゃないか。」「だからどうなの。」 
 ー息子が自慢気に答える。
「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは新しい子供を買うことになるだろうさ。」
・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、 子「お母さん、僕、外国人になりたい」

・・・・・・・・・・
2007年03月18日(日)
2175, 14歳の君へ ー読書日記       (~Q~;)  おはよう??ファ?
  =「宇宙」について=
「14歳からの哲学」に引き続き、今度は「14歳の君へ」という本を買った。
池田晶子の本は、これで8冊目である。こういうジュニア向きの本は、解りやすく噛み砕いてあるので、
読めば読むほど多くの示唆を受ける。去年の暮れの発刊なので、亡くなる直近の本である。
この二冊で取りあげてあるテーマは、多くが重なっている。同じようなテーマのところを開きながら、
見比べると切り口が微妙に違っている。何じことでも新鮮に思えてくるから不思議である。
宇宙」について、哲学的に幾ら問いを立てても、その答えは出つくすわけがない。
しかし、宇宙の存在の不思議は、切り口を変えて考えた分だけ面白い。
ーその面白そうなところをー
「14歳の君へ」ー?・君は誰だろう?ー の中の『宇宙』についての項目から抜粋してみる。
ーP/128 ー「宇宙はいったいどうなっているのか」の問いは、これだけでも充分にとんでもない。
だけど、「どうなっているかわからない宇宙は、どうして存在しているのか」という問いは、それ以上にとんでもない。
こういう問いはとんでもない、人間にはどうしようもないと気がついた人間は、苦し紛れに「神」という答えを思いついた。
宇宙は神が創ったものだから、それが存在しているのも神の意志だとする考えだ。一般的に、これが宗教というものの始まりだ。
そう答える方が、人間は安心する。 しかし、科学が発達し、科学的知識を身につけた現代人は、こんな答えを到底
信じることはできない。宇宙の何処かにいて、宇宙を創った神様なんて、想像をしたって無理がある。
それなら、ビッグ・バンによって、ある時に突然始まったとする時の方がまだ納得する。
だけどやっぱり納得できないが、この「ある時突然」というやつだ。たとえば、こんなふうに考えてみよう。
天体望遠鏡で、百億光年向こうの星の姿を君はみる。光の到達時間差から計算して、百億年前の星の姿を、
今見ていると、科学は説明する。しかし、考えてみたら百億年前には、君は存在してなかったはずだ。
それなら、自分が存在してない世界を、なぜ現在みることができるのだろう。これはおかしいことだろう
両親が存在していない前の世界を、生まれていないはずの君が今みているということなんだから。
こういうおかしなことについて、科学は説明をすることができない。これは当然だ。科学は、宇宙と自分というものを、
あくまでも別物とすることで成立しているのだからだ。そうでなくては、それを対象として観察、実験できないからだ。
しかし、なお良く考えてみれば、自分と宇宙を別物にすることなんか、できるわけがない。宇宙を客観的に観察している
つもりの自分が、まさにその宇宙の中にいるのだから。宇宙を知りたい、宇宙とは何かを考えたいと願う君は、本当は、
それを考えている自分とは何かをこそ、考えなければならないんだ。「自分とは何か」、これはその意味で、
宇宙の不思議に匹敵する問いなんだ。百億年前の宇宙を今見ている自分は、百億年前にも存在していなければおかしいよ。
(字数制限のためカット 2012年3月18日)
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2006年03月18日(土)
1810, 女子社員の結婚式祝辞            \(^▽^*)おめでとう! (*^▽^)/
昨日は会社の女子チーフの結婚式があった。新潟市の護国神社であったが、格式と趣きがあり神聖でよい結婚式であった。
神前の結婚式での巫女の舞いが、何とも日本的でよい。        ゛♪(o´・ω・)人(・ω・`o)♪゛
最近は、祝辞を言うのが楽しみになってきたのも、歳のせい?!それと結婚式の若い二人の門出に立ち会うのも、
幸せを(o^v^o)を共有できて心から祝えるからよい。昨日の祝辞の原稿をコピーしてみた。 
実際、話した内容は少し違ったが。         ♪♪(*´∀`*人*´∀`*)♪
  ー祝辞(原稿)ー
ご両家の結婚式、誠におめでとうございます。謹んでお祝い申し上げます。何かスピーチということで・・ 数回前まで
結婚式の前日あたりに何人かが部屋にコッソリきて「お願いがあります、明日の結婚式、あまり刺激的なことを言わないでください。
私は貞淑な妻になるのですから、それに相応しい内容にしてください・・・」といいに来るのです。そう言われると尚のこと、
際どいことを言いたがる私の癖を知らないのです。今回の新婦はそういうことはありませんでしたが。
(以下、字数の関係でカット2013年03月18日)
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2005年03月18日(金)
1445, 小学校中退、大学卒業
ある雑誌の中に花柳幻舟の文章が載っていた。「家元制度に疑問を感じて傷害事件などを何回かおこした問題の多い舞踏家」
という印象がある。が、そのテーマが面白そうなので読んでみた。その特異の生立ちと、その世界に引き込まれていった。
   (字数制限のためカット 2010年3月18日)
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2004年03月18日(木)
1079, 晴れ間の出来事
 ーつれづれなるままに ー
車に乗っていて、信号待ちをしていると、家の軒先のガレージで犬が自分の毛布を引っ張っていた。
日陰から陽があたっている場所に移動していたのだ。犬のその微笑ましい姿に笑ってしまった。
(以下、字数の関係でカット2013年03月18日)
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2003年03月18日(火) 713,
「メシのタネはどこに」 ー読書日記
 邱 永漢 著の「メシのタネはどこに行った」が面白い。現在の日本の現状をわかりやすく書いてある。
 (以下、字数の関係でカット2008年03月18日)


4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない

2013年03月17日(日)

                「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣 正樹 (著)
   * 不測に備えよ !  
 
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障することもなく、乗り心地もベスト。
スポーツタイプもあってエンジンも劣化した感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1〜2万円。
当り外れでいえば当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。 ところで、「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで
信頼してよいものか?」「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人にこの本を紹介された。
しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で見つけ出し読んでみた。 破産は債権者からすれば何も回収できない
最悪の事態。今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆け込んだのも債権者からみたら善し悪し。破産は以前と違い個人への
保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。事業再開の
意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より強い立場にある」というが、実感である。
 まずは弁護士費用を用意しておく。それ以前に長年かけ備えをしておくこと。 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。 
 本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を救う借金返済術を大収録。
「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した社長」など、合法的に借金をゼロにして、
人生を再スタートさせた事例をもとに、目からウロコの対応策を伝授します。
 父親の借金が原因で苦しい幼少時代を余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まっています。 
借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった場合、借金のために死ぬ必要はない。 自己破産だって
しなくてよい(自己破産は最後のカード)。 債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。そのためには
筆者のようなプロに相談すべしという内容。本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。 ≫
 ▼ 弁護士の当たり外れはある。今回は30年来の会計事務所のグループで、同じ建物内の弁護士だったので安心していた。
  しかし、弁護士は債務者の利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。 債権者である銀行は、
  元もと損しない仕組みができている。 長期事業のためリスクヘッジを数十年積み上げてきた。 が、「自分は大丈夫!」
  という気持ちがあったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。何とか雪崩に巻き込まれる
  直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ準備期間を入れ45年かけた事業崩壊である。そう簡単に割り切れない。
 「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験から得た対処法。多重債務者か〜 中小は個人保証が前提。
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4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 私も数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、何をして過ごしている?」と聞いたことがある。
それと同じ質問を現在、自分がされている。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余すことはない」と、
現在の私と同じような答えであった。 それでも、暇そう、としか思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、
同級会以外は一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均二度の飲み会以外に知人友人との接触が少なくても平気である。
ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いているので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:50 起床ー> 随想日記の下書きの修正と、ネットへのアップと、翌日分の荒書き。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の
 書き上げと、そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川の二つの大橋を自転車で一周する。
 飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間時間に、
 iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。
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3643, 大地震 ―小題二題  ー6
2011年03月17日(木)
  * やはり国家非常事態宣言が必要では!
 非常事態宣言が可能な法律があるかどうか、知るところではないが、超法規で期限を決めて、
警察、軍隊、消防、金融政策をトップレベルで決定する権限を与えた臨時的組織体制をつくるべきである。 
一番相応しくない人が、最悪の時にトップにいる不幸も、日本の宿命である。 といって、今さら、この急場に
首の挿げ替えをしている時間はない。宣言と、メンバーの顔ぶれを並べ、迅速に動いている姿をみ見せるだけで
国民は安心するはずだ。空ろな顔をして、メモを読んでいる姿をみるにつけ、パニックに火をつけるだけ。
武道館を本部にして、政府機関のトップと、そのスタッフを集め、情報の共有化を迅速にして、即決即断しないと、
被災者も、これからの被災者もすくわれない。
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民の方は、この電話番号・・に電話を下さい」
と放送していた。避難所の紹介である。東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている画面を映し出していた。
その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、
「宮城から食料と、生活雑貨の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が私たちにも迫ってきている。
 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、大使館の機能を関西に移動している国もある。
我々は、ただ座して放射能の被爆を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 まだ、発生より6日目でしかない。
・・・・・・・
3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
 2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン」
 「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために尽しなさい。貧しき者は幸いである。」
 と説くキリスト教。 その道徳も、弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を積むことを「奴隷の道徳」と否定、
天国のことを考え、この世の生を否定することを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェは
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と堂々と当時、言い放ったのである。
キリスト教を教会も、権力者も、弱者を「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップして生きたいもの。しかし、大部分の人は
挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教のいう
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、今の、この世を生きることを肯定せよと
主張したのである。 神が死んだことで、神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、しかし、神が死んだことで、人間こそが真の創造者になった。
人間は何を創造するのかというと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、勇気、頭脳明晰、
自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。
生の苦痛に耐えて、それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。悲惨でも、その「運命を愛すること」のみが
必要にとされるのである。人間は、「生まれ、生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できるのである。
各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。一応、彼で近代が終わったといってよい。
 権力者や、それにつながる聖職者にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及をしたのは、そのためである。
アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教をつくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。
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2903, 日本は輸出立国か?
2009年03月17日(火)
 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、「アメリカの金融立国に対応して円安にして資金を供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字であった。
・中国 37パーセント    ・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント   ・欧州平均 50パーセントの数字であった。
・原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入が13〜4パーセントになるので、輸出をしなければ
国が成り立たない。特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の
輸入をしているから、少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、
日本にとって不利である。とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転してるので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代である。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊は、国の存亡の危機。
特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、それに対応しているのだろうか?と考えると
暗澹とした気持ちになってしまう。 非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
・・・・・・・・・
2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、
駅には卒業式の羽織袴の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球、
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
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2007年03月17日(土)
 2174, 14歳からの哲学ー 2  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、
死について述べている。(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのは
どういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。いや歳をとったということか。
「あたりまえのことばかり」の中の、?章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと
色いろなことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは「死とは何か」の一般的な答えは、
「無になる」ことです。無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている無というものは無い。
すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。
 無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。やがて死ぬ、
どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は、「死」という言い方で「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、
あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。
死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、
「ない」からだ。じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。ないものを怖がって生きるなんて何か変じゃないかと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
  死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする? 生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると
思っているこの「生きている」 ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
 ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
 死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に浮かぶ一点という、
  小さな球状のイメージである。それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。
  −−−−−
2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2   才八∋ウ_〆(∀`●)  ー 読書日記
 ーモーニング・ページー
この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。思ったままそのまま、大学ノート3ページに
何の起承転結など制約せずに書く。 だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
この随想日記に似ているが。
 ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。作文とさえいえない代物でよい。
   (字数の関係で中略ー2008年3月17日)             
・・・・・・・
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について−5
 孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
 孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。
 「孤独であるためのレッスン」ー諸富 祥彦 (著)の本の内容で考えさせられる部分を書き出し、更に考えてみる。
・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、様々な反論を受けました。
 孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、と言われ続けてきたのです。
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
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2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記
図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。 東京新聞編集局 (編集)
  ーレビュー
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
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2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感
 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。強引に営業に入れられてしまったが、
それでもよかったと思えるようになった。月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
(字数制限ためカット09年03月17日)


4382, ブラック・スワン −2

2013年03月16日(土)

 ブラック・スワン ー2

               「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
   ー まずは、「あるブログの要約」から ー 
≪ 歴史に接すると、人間の頭には3つの症状が出る。
1. 分かったという幻想。世界は実感するより遥かに複雑だが、皆何が起こっているか自分には分かっていると思い込んでいる。
2. 振り返ったときの歪み。 我々は後付けで物事を解釈しがちになる。
  (歴史は人が経験する現実よりも、本で読んだほうが分かりやすい)
3. 現実に起こった情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。特に物事を分類し始めると、それに縛られる。
 科学が導き出した結論のいくつかは、めったに起こらないことが与える効果を過小評価したり、完全に無視している。
 だから、現実の世界では使い物にならないケースが多い。
 めったに起こらない出来事(黒い白鳥)を見るのに不自由だと、他にも色々な事が起こる。
1. 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化する。
2. はっきりとしたパターンを欲しがる自分を満足させる講釈で自分をごまかす。
3. 黒い白鳥なんていないかのように行動する。
4. 目に見えるものが全てとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、それが起こるオッズを見誤らせる。
5. 私たちは素性のはっきりとした不確実性の源ばかりに注目する。しかし、それらは黒い白鳥のリストとしては
 具体的すぎるので、その結果、なかなか思いつかないその他の黒い白鳥は無視してしまう。
人間は現実に起こった物事に対して、やたら法則を作りたがる。いったん法則の仮説を構築すると、その後はその仮説を
立証しようとする行為のみに熱中してしまう。歴史とは「後から起こったことの効果を合わせて見た一連の事象」のことである。
911テロ後の約3ヶ月間に、アメリカ国内で交通事故で死亡する人が約1000人増加。これはテロの影響で飛行機に乗る人が減り、
その代わりに車で移動使用とする人が増加した結果である。実際、飛行機事故よりも自動車事故の方が遥かに確率が高い。
 人々を2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓の写真を見せる。それが何だかわからないほどのピンぼけである。
一方のグループには、解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループにはもっとすばやく5段階で上げる。
そして、同じ解像度のところで、各グループに何の画像かを尋ねる。すると、画像が消火栓と見分けられるのが早いのは、
段階の少ない方のグループであった。 
 つまり、与えられる情報が多いほど、それだけ人は仮説を多く作って、どんどん間違った方向に結論を持っていってしまう。≫
 ▼ 現在も、黒鳥が何羽か近くに来ているが、ほとんどの人は日常に気をとられ。自分に直接関係ないだろうと思っている。
  リーマンショックの直撃で、まさか私が、この事態になるとは思ってもみなかった。9・11テロで直接、事業の根幹を
  揺らぐとは、思いもよらなかった。まさか、1000年に一度の東北大震災が、直撃しようとは。地元の中越の大地震二つも、
  まさかの黒鳥である。人生にとってのブラック・スワンといえば、突然、目の前に突きつけられる「死」である。
  必ず誰にもスワンは舞い降りてくる。私の人生時計は夜10時。闇は深くなってきたが、生きている限り黒鳥は気配だけ。
・・・・・・・
4008, 閑話小題 ースローヨガなど
2012年03月16日(金)
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、ある対談の中で印象に残った言葉があった。
「良い大学を出て、大企業かに入るか、公務員になり、マンションを買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的価値から
抜け出せないで、苦しんでいる人が多い」という内容。 特に、団塊世代の親子、とりわけ子供の心に、その断層があり、両者が、
その葛藤に苦しんでいる、ということ。 ここで現役から退いて一年、昭和的価値観に影響された、それまでの人生が見えてくる。
学生時代の専攻が社会学だったこともあり、卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を突き放し鳥瞰していたつもりだった。 
しかし振り返ると終戦後から高度成長期の昭和的価値観に縛られていた自分に、あらためて気づいた次第。
 特に地方は昭和的というより、戦前戦中の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。 それを良しとするには、情報化が
それを許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎ孤立化傾向が強い。 それを絆というらしいが・・・ 
大量生産、大量消費を目指した昭和が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。その昭和の価値から
抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため経済は停滞、少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に3回、参加したことがあるが、腰にきつかったため、
それ以降、参加するのを止めていた。 イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私にとってベストになっていた。
ランニングマシーンのウォーキング30分に、イージーライン(25分)を連続二回に、週二回のスローヨガ(50分)を
加えたことになる。 チャレンジ10と勝手にキーワードを決めて昨日で4回目。 この言葉を繰り返しながら通っている。
 腰痛改善のためのコースと思えるほど腰が軽くなる。 40坪位のエアロビのスペースに30〜40人の参加者。 男の参加は4人。 
殆どが常連で、最後列からみると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
 ・・・・・・・
3642, 現在、我々は歴史的災害の真っ只中にいる!
2011年03月16日(水)
   地震 ーつれづれに −5
 時間が経つにつれて、この歴史的大震災の凄みが現われてきている。
「震度7、M9、死者2万、津波の高さ20メートル、三陸沖の太平洋側幅500キロにわたる広域の大震災である。
その上、チェルノブイリ原発事故以上?の福島原子力発電所の事故が生じていて、それを加えると世界的、歴史的な
大震災が現在進行形で進んでいる。」 まず、このことを認識しておかないと!
 その心臓部の格納容器が爆発をしたら、日本だけでなく世界中に放射性物質を撒き散らすことになる。
一度、メルトダウンが始ると止めるのは不可能。最悪の場合、本州の全滅もあるかもしれない。
それより、まず被災民に放射能が直接ふりかかる深刻な問題がある。 株は二日間にわたり暴落をしている。
これをきっかけに日本が本格的経済恐慌に突入する可能性が出てきている。そこで非常事態宣言が発令され、
銀行閉鎖が行われ、預金移動や、貴金属などの取引に規制がかけられる可能性もある。 こういう隙を狙って中国、
ロシアが日本の領土や技術を、アメリカは金融を混乱させる?。 リーマンショック来の恐慌の最中の最悪期に、
さらに最悪のことが起きたのである。まず株式、そして国債の暴落。その結果、アメリカへの属国化は、さらにすすむ。 
「まさか、まさか、まさか」の出来事が、この20年以上にわたり、眼前に次々と現れてきていた。 
その最大のリーマンショックの本格的大津波が、まず日本に押し寄せてきている最中に、この歴史的大震災である。
その結果、世界も日本発世界恐慌の瀬戸際にたっている。 特に、この数日の原発事故の推移を直視しておかないと! 
 東北新幹線、東北自動車道は完全麻痺、復興の目処がたっていない。そのため新潟県の高速と、新幹線がバイパスと
して使われている。ことと次第によっては、地震、原発難民の受け入れ基地になる可能性すらある。
事態を知れば知るほど、背筋の凍る思い。  これが起こってしまった現実である。
 ・・・・・・・
3277, 大恐慌 失われる10年
2010年03月16日(火)
 「2009-2019年  大恐慌 失われる10年 」 浜矩子/高橋乗宣 (著)
  ーまずはアマゾンの内容紹介からー
■これから「10年恐慌」が始まる!
 アメリカドルは基軸通貨としての価値を失い、今後さらなる保護主義、統制経済へと突入していく。
 ユーロもドルに替わる基盤ができておらず、現在の大恐慌の痛手を直接こうむっている。
 リーマンショックに端を発した金融危機は、カネがカネを回す「金融IT化」「金融工学化」「金融証券化」の結末である。
 それゆえに、1929年恐慌とは異質なものである。これからの10年は「失われる10年」となるのか。その時、日本は
 どのような経済システムの中に組み込まれていくのか。大恐慌後の世界を、浜矩子、高橋乗宣2人の論客が読み解いていく。
■負の連鎖は世界各国に波及している 
 大恐慌の津波は、アメリカ本国よりもむしろ欧州各国に直撃していると言っていい。
 ユーロがアメリカドルに替わる基軸通貨となり得ないことが、各国の状況、IMFのこれまでの不始末から言及することができる。
●老衰死のイギリス
 サッチャー改革で巻き起こったイギリスバブルは、ロンドン一極集中で、地域格差を生んだに過ぎなかった。
 日本のバブルの轍を踏んだイギリスは「失われた10年」を経験する
●自閉症のドイツ 
 旧東ドイツのワーカー待遇改善で賃金格差縮小の狙いが、大恐慌で不透明に。
 立ち直りのきっかけを失ったドイツは、今後ネオナチの台頭の可能性も。
●目立ちたがりのフランス
「フランス・ナショナリズム」はどこまで突き進むのか?国外から入ってくる企業の締出しでサルコジ政権の実像が浮かび上がる。
●相変わらず身勝手なアメリカ
 オバマは自由主義、市場主義に別れを告げるのか? 貯蓄傾向が高まっているアメリカの消費は確実にブレーキがかかる。
 明らかになったドルの崩壊から1ドル=50円時代がやってくる。強烈な保護主義、統制経済となった時、日本は生き残れるのか?
暴走する国家は、今後、迷走する国家へと変貌を遂げる。さらにリセッションする国、ギブアップする国、
再びランディングを遂げる国……。「失われる10年」は、我々にどんな教訓を示してくれるのだろうか。
 ーー
 この本、何を言いたいのか何度も目を通したが、よくわからない。二人が対談をしているわけでもなく、
対策を述べているわけでもない。イギリスを中心とした欧州はダメ、アメリカは終わった。
中国もアメリカ目当ての輸出がダメで内需を目指そうとしているが、日本でさえ輸出頼みを克服するため内需拡大を目指したが
ダメだったのに、中国が成功するわけがないと切り捨てている。 「この10年間は大恐慌で大混乱、失われた10年になる」
と結論づけている。 甘い期待は無理ということである。
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2902, 脳と仮想  ー2
2009年03月16日(月)
     「脳と仮想」茂木健一郎著    ー読書日記
 ー印象に残った部分を抜粋してみるー
・広大なグランドキャニオンの前に立とうが、北極のオーロラを見上げようが、体験する広大の光景は全て脳内現象である。
 世界に脳だけあるといっているのではない。そんなことは当然のことだが、外部から入った刺激に基づいて脳のニューロンが
 活動しなければ、我われは広大の宇宙を表象することはできない。逆に、もし広大な宇宙が無くても、脳の中で
 ニューロンがある時空的な様式で活動すれば、私たちは広大な宇宙を表象することになる。もしそうなら、逆理が浮かび上がる。
 もし私たちが体験することが全て脳内現象なら、私たちは何故、広大な宇宙を思い浮かべることが出来るのか?
 いかに、私たちの思い描く世界は、脳内現象として一リットルの空間に閉じ込められていながら、無限定の空間を志向する
 ことができるのか? ・・・「熊本より東京の方が広い。東京より日本のほうが広い。日本より・・・」で切ったが、
 三四郎に男はいった「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と。
・「真理がどこにあるかといえば、それは仮想の世界にあるというしか言いようがない。どこかの博物館に、
 これが真理でございますと飾ってあるわけがないのである。
 私たちの精神の中枢に仮想がある。そのように考えると、「見る」ということの本質も違って見えてくる。
・現実のどこにもない仮想は、現代人の心の中でも中枢の位置を占めている。 私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の
 局所的因果性の世界と、「今、ここ」に限定されない仮想の世界にまたがって存在する。私たちの精神は、本来的に二重国籍者。
・脳内に閉じ込められているだけでなく、心の本質的な属性をとらえた概念が「志向性」である。
 志向性とは、心が何かに向けられた状態をいう。
・私が恥じたのは、人間がそもそも生きものであり、それであるがゆえに、厳しい生存条件に置かれてきたことを
 理屈で判っていても、感覚的に忘れていたことである。つまり文明に飼いならされていたのである。
 真実は恐ろしい姿をしている。 人間は、なぜ、「平和」という仮想を生みださなければならなかったのか。
「愛」という仮想を生み出さなければならなかったのか。
 平安仏教を特徴付ける「極楽浄土」というヴィジョンは、どのような生の必然性から生み出されたのか。・・・
 私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、このうえなく厳しい人間の生存の中で、私たちの心が傷つき、
 その傷が治癒される際に放射される光のようなものはなかったか。
▼ 考えてみたら、自分に対しても、頭に浮かんで考えている相手にしても、社会も、全て「仮想」でしかない。
「精神の中枢に仮想がある」と自覚すると、良きにつけ悪くにつけ仮想している自分を見ている自分も
 仮想ということに気づく。自分の頭蓋骨の中の一リットルの脳は自分でさえ得体の知れない世界である。
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2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)
  最近、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に対して疑問を持ち始めた矢先に
 図書館で、この本を見つけた。 この3つの宗教の元はユダヤ教で、共通の唯一の神を信仰している。
 それがお互いに憎しみあい殺しあっているから、複雑なのである。 早く言えば民族戦争なのである。
  ー概要を解りやすく箇条書きにすると、
・元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々の宗教のために
 恨みと復讐心がこもっている。被害者は、その被害をより弱い 者に移譲しようとすることで被害者の劣等感、
 屈辱感を補 償しようする。 他人を同じように不幸にして自分を 慰める。  
・差別された奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された「民族」としてユダヤ人となり、
 ユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、純粋な一神教へと形成されていった。
・ユダヤ人の中でさらに差別されていた人たちを救う宗教としてイエスがキリスト教をつくった。
 そのキリスト教が、ローマ帝国の奴隷、下層民に受け入れられ、ローマ帝国の国教となり、
・多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し 付けられて心の奥底で「不幸」を感じた。
 そのため一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と 同じ不幸に世界の諸民族を
 巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動だったのではないか。
・欧州で差別された人々が新大陸に逃げ込んで、その先住民へ攻撃と迫害などをしていった。
 そこで造られたのがアメリカという国。つまりアメリカは被差別の最終駅になる。
 だから潜在意識の中で人類を恨み、攻撃的になり、非常に強くなった、という。
・ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、
 強烈な被害者意識があったからだという。 それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、そのために黒人から
 アフリカから差別されて追われたことと、ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。
・多神教の日本も欧米の圧迫に耐え切られなくなり、唯一絶対神という天皇制を発明した。
 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教として、外に戦争を仕掛けるようになった。
 人類の不幸を被抑圧民族の連鎖という神経症として論じている。これがル・サンチマンである。
▼ 知識を持ってしまった人間は、己の生の限界も知ってしまった。そして未来の不安と恐怖という
 マイナスの気持ちを解消するため、そして民族を統一するためにアブラハムはヤフーという唯一絶対神を創ったのである。
 これがマイナスにもプラスにも人類に影響してきた。そして現在もである。
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2007年03月16日(金)
 2173, 「いい場所」とは何か     才八∋ウ_〆(∀`●)          
「ファンタジーの魔法空間」 著者・井辻朱美 岩波書店   ー 読書日記
著者が恐竜や古代文明を求めて博物館めぐりをしていた時に気づいたのは、
博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所ということである。
最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから上の階に昇るにつれて現代に近づいていく。
そして出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」
という。 博物館は時空のトラベルの装置であり、空間化された時間である。
またテーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって短い死と再生を体験するように仕組んである。
そういう空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのは
そういった空間なのではないか、という切り口である。それに気づいた時、著者はファンタジーを「場所」や
「空間」という隠れたコードから読み直すと、より面白いという。 この書ではファンタジーを、
・「家」という空間のファンタジーと、
・「旅」という、別世界への道程のファンタジーと、
・「魔法」のファンタジーの 3つの織りなす物語と説明している。
ところで、「いい場所」とは何か?意識したことがあるだろうか。それは突きつめれば家族の団欒という場所である。
(字数制限のためカット 2011年3月16日)
・・・・・・・
2006年03月16日(木)
1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい ー1   (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○   書日記
 図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、すばらしい本である。早速、中古だがアマゾンで発注をした。
(字数の関係でカット2009年3月16日)       
ーーーーー
2005年03月16日(水)  
1443, 孤独についてー4
「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。
(字数制限のためカット 2010年3月16日)
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2003年03月16日(日)
711, キャッシュポイント
 このシビアの言葉が気に入った!ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる!」という瞬間がキャッシュポイント。 
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2004年03月16日(火)
1077, 三分間
スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージのやり取り三分、
スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、相撲も土俵に上がって立合いまで三分である。
(字数制限のためカット 2013年3月16日)


4381, ブラック・スワン −1

2013年03月15日(金)

         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに数羽、来ているが、何の化身か分からない。
 とてつも恐ろしそうなのは分かるが・・人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者など一人もいなかった。
 ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、
 この新しい発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 ほとんどありえない事象、
 誰も予想しなかった事象の意味である。タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。
 一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、
 いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。
 私たちはどうでもよくて取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚をつかれ、
 そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
 「ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、
 ということ。 我々は常にブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。サブプライム問題に
代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を
少し聞きかじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、そうした業界で議論されているリスクとは
カジノゲームと同じで計測できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性の方が圧倒的に多い。
そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には
過剰反応する一方で、講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果をもたらすにも関わらずだ。
毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。
たしかに、今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
 ▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。
  これは、このような歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
                「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。
一時間あまりで読んだが、初めから終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。 
 この小説は、近年の都会的軟弱傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描きだしている。
主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅したようだ。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で
川辺の町に暮らしていた。別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母にさばいてもらう距離にいる。日常的に父の乱暴な
性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と
覚えたばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとしてケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、
町が水にのまれる中、父との子を身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と仲直りをしようと
森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく....。川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
 ▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。 数ページも読まないうちに、その世界に引きこまれていった。
  自閉症?の田中ワールドである。 その中で主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
 この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 地方の性の温もりを、どう捉えるかである。 
 地方は逃げ場のない土着がゆえに、ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、それぞれの小さな地縁と
 交友の中で発酵している。  
 ・・・・・・・
3641, 大地震 ーつれづれに −4
2011年03月15日(火)
  * ところであの男、大丈夫だろうか?
 学生時代の友人が、仙台飛行場の近くの阿武隈川の河口の漁村に、終の住家に選んだ。
このM9の地震と津波が直撃したのでは?とブログに書いたら、それをみた友人から電話が入った。
仙台区若林区荒浜は多くの犠牲者が出ている。生きていて欲しいが・・・ いや生きているはずである!
▼ 3040,卒業40年周年か〜 −4   2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして書かれた手紙を貰うのは初めて。
私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと勝手に判断させて貰った。‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’
の手紙上の対話だから魂が入ったのだろう。 それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。 
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 私にとって一期一会の対話になった。 
それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  * 奥野君からの手紙
 お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての佐渡旅行等々
四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して
行くのだろうなと私なりに思っていました。どうして? と問われれば、同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったと
お答えします。その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、名古屋、広島、東京、
仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。最終の役職は支店の責任者でした。
50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるようになりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、 
一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。 
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、
が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、
日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。 日常生活は太平洋の日の出を
ワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
 趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川の下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、
カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。 家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八(しんばち)といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。
平均睡眠時間は4・5時間との事です。親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授を
やっているのでそのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。
ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず拙文とあいなりました。
状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。  7月28日 奥野和男
  ―――
 * 奥野君への手紙        2009年07月22日        (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。
ブログに同月同日に毎日載せたものです。 従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。
その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに訪ねてきて、これから社会に出るにあたって
多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後
・ジャスコに一年在社後に、
・産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(その後ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、
 やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを二年間従事(その当時に結婚)
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。
  どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。 
 30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところです。
ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
    当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
    分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
    ー−
 ー11月19日ー 1968年
・11時起床。
13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然くる。1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかったが。
専門課程になってから疎遠になっていたのに。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観について、
その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。特にケネデーの自伝に感銘を受けたというのが印象的であった。
見違えるように自信を持ったらしい。男っぽくなったという言葉がピッタシだ。4時間ばかりして帰っていった。
もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。アパートから一時間以上かけてきたのだから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。聞き役に徹していることもある。それと大学最後の時が来ているためだろう。
 ・・・・・・・・
276, 大暴落 サブプライムに潜む罠
 2010年03月15日(月)
一昨日、Wowowで、「リーマンショック」の映画化をした「大暴落 サブプライムに潜む罠」を放映した。
ロンドンの一人のトレーダーを通して、サブプライム問題を具体的な物語にしたもの。 
ニュースやドキュメントで返済不能になって売りに出されている住宅が度々、映像に出てきた。
その家族の姿がリアルに浮かび出されていた。アメリカは まだ物件を引き渡せば免責され個人破産においこまれないが。
(日本は破産まで追い込まれてしまう) この金融恐慌の一番の被害者は日本である。悲観的になるというより最悪の事態。 
現状は「茹で蛙」で身動きが出来ないで、ただ呆然としている状態。年金などにも関わってくるから他人事ではない。
この金融恐慌、「たまたまリーマンを潰したことが想定外の金融恐慌になってしまった。」というのではなく、
アメリカが戦略的に金融恐慌を仕掛けてきたとしか思えないのである。まだ、誰も言わないが。
  ーその番組の概要をNHKのHPにあったー
2008年9月に始まる株価大暴落。ロンドンの金融街で活躍するエリート、住宅ローンを専門に扱うブローカー、
住宅ローンを組んだ警備員、3人の男たちの人生は……。
「大暴落 サブプライムに潜む罠」は09年7月に英国BBCで放送。 米国でサブプライムローン問題が発覚する前の07年、
ロンドンの金融街シティの金融マンたちもまた、空前の好景気に沸いていた。 多くの家庭が 不動産を担保に融資を受ける中、
住宅ローンの営業マン、デイヴ(ドミニク・クーパー)は住宅ローンを組み込んだ証券を売りさばき、法外な利益を上げていた。
ある日、昔の同級生で警備員をしていたジム(ジョゼフ・モウル)に出会ったデイヴは住宅ローンの契約を持ちかける。
だが1年後、株価のフリーフォール(大暴落)はジムばかりでなく、英国中の人々の生活を一変させる…。
▼ アメリカでは、トレーラーなどに住む破産者がニュースなどの映像に映し出される。 
 まだ恐慌の入り口でしかないから深刻である。特に日本は数年間は暴風雨を覚悟をしなければならない事態。
 それにしてもシビアな具体的なドラマとしてみると、世界の金融を支配している連中に激しい怒りをおぼえる。
・・・・・・・・
2009年03月15日(日)
 2901,のど自慢全国大会
昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた15組というだけあって、誰がチャンピオンになっても
不思議ではないほど素晴らしい内容。初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。彼らの歌が一期一会のステージだから。
ジェロ、北島三郎、和田アキ子が、15人の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲にかけた魂の雄叫びに自然になっていた。 
盲目の少女がチャンピオンになったが、優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。 あの重さは一生忘れることができないだろう。
恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて何とも
いえない雰囲気をかもし出していた。 現在は、カラオケやスナックで素人がプロ並みになっているが、それにしても上手い。 
哲学的にいうと垂直に魂が入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも見逃せない。 
それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、
その世界に我を忘れて没入しているのである。現実だけでは人生は、あまりにも厳しく過酷である。
別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、
それぞれある。「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を無視することもない。そういえば、
月に1〜2度はスナックで、カラオケを歌うのが習慣になっている。何で人は歌いたくなるのだろうか? 
それは物語を求めているからだろう。物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、そして、ささやかな宴ということだ。
また一年に一度の楽しみが増えた。 歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか?


4380, 閑話小題  ーある相撲取り

2013年03月14日(木)

    * 長岡駅裏の道路拡張工事
 長岡駅裏から東バイパスまでの大通りの拡張工事も完成に近づいてきた。40年以上もかかっている。
当初は市役所などの施設を東バイパス近くに移転する計画だったが、地主の反対などでSCなどに変更し、三年前に完成。
毎日、その一角にあるスポーツジムに通っている。自宅から150M位の大通りの一角には、大東建託がマンションと、
セブンイレブンが完成間近か。これで近くにローソンとセブンイレブンがあれば、ますます便利。
    * ある相撲取り
 日本人を父に持つフィリッピン・ハーフの力士が二人が新顔として幕内上位に上がってきた。
その一人が枡ノ山という力士。 肺の持病のため、20秒以上相撲をとると呼吸困難になる。母親の離婚のため、
一度フィリッピンに帰国したが生活が困窮し、一度断念した力士の夢と生活のため母と日本に戻ってきた経歴を持つ。
母は日本で看護士として働いている。 取組直後は呼吸困難のため激しく息を切らす。「スタミナは一般人の半分以下」と、
本人も認めている。そのため激しいぶつかり稽古は無理で、特別メニューをこなしている。相撲はブチカマしで押出しだけ。
その必死な姿と、本番終了後の激しい息遣いが共感をよぶ。20歳そこそこの青年が、生活のため必死に闘っている姿が、
身体全体に現れ出ていて、ドラマそのもの。 力士生命は、長くないのは自明。これも人生である。
 もう一人、大卒で幕下からデビューしたての千代大龍という力士がいる。三役に直ぐになるだろうと思っていたら、
糖尿病になってしまった。これは、力士にとって致命傷。食事制限で太れないうえに体力維持も大変になる。 その後、
身体が一回り小さくなったが、それでも勢いで幕内上位に上がってきた。 昨日は横綱に初金星である。
短命の力士生命を本人も知っていて、必死に闘う姿が心をうつ。最近は、力士の人生を土俵上で見るようになってきた。
・・・・・・・
4006, 宇宙は本当にひとつなのか ー8
2012年03月14日(水)           
  * 超ひも理論とは      「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 これまで電子などの素粒子は大きさをもたない点として考えられてきました。ですが、素粒子をただの点として考えると、
 つじつまの合わない、ことが出てくるようになってきたのです。そこで、考えられたのが素粒子は実はひもだったと考える理論です。
これが超ひも理論につながる最初の考え方でした。素粒子が実はひもだったというのは、とても突飛な発想のように感じると思います。
どうすれば、今まで点だったものをひもとして考えられるのでしょうか。超ひも理論でいっているひもは、とても小さなもので、
その長さは一〇の三三乗分の一マイナスセンチです。小数点の後にゼロを三二個並べた後に一が来るくらい小さいものなので、
私たちは見ることができません。 超ひも理論では、私たちが素粒子だと思っていたものは、実は振動して広がっているひもなのですが、
あまりに小さいので点だと思い込んでいたというのです。 今まで点だと思っていた粒子の正体がとても小さなひもだったという超ひも理論が
正しいものだったら、宇宙の姿も大きく変わってきます。 まず、宇宙は一〇次元でなければいけないことになります。一次元の時間に加えて
空間は九次元ということですので、私たちが目にすることのできる三次元空間の他に小さな異次元が六次元あることになります。 加えて、
プレーンと呼ばれる三次元空間の膜も確かに存在して、物質はその膜に貼りついているということも、理論が正しいことになります。】
 ▼ 物質をカタチつくっていた素粒子が、実は振動して広がっているヒモだったとすると、モノとは何かという原点から
 考え直さなければならなくなる。その超ひも理論が正しいと、宇宙が10次元なければならなくなり、空間が9次元なければ
 ならないという。それから、多元宇宙論が導き出されるという。 「物質は、コトの一時的現象」という話を聞いたことがあった。
 コトのエネルギーから生じるのが振動なら、素粒子と思っていたのがヒモ状の振動と同じことになる。人間の感動も魂の振動。
 下にコピーしてある,二年前の3月14日のーカントの神について、どう語ったかーが、宇宙論を読むと符合する部分が多い。その前年分もか。
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3640, 大地震 ーつれづれに ー3
2011年03月14日(月)
* これからは原発の放射能漏れと大爆発の可能性がクローズアップをしている。 
 まず現在、何が起こっているか頭を整理してみよう。
 明治三陸地震以来の岩手、宮城、福島県沖の活断層が400キロにわたり起こった地震と大津波。
 世界的にみても、今回の地震は最大規模の一つになる。
  1番 チリ地震(M9.5 1960年) 2番 アラスカ湾地震(M9.2 1964年) 3番 スマトラ島沖地震(M9.1 2004年)
  4番 東北地方太平洋沖地震(M9,0 2011年) カムチャッカ半島地震(M9.0 1952年) 
 今回の規模は、日本の歴史的にみても、一番大きな地震と津波。 人的被害では、関東大震災がある。
 1923年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9による災害。
 死者・行方不明者 14万2800人。地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生しめ死者が甚大になった。
 今回のように、地震、津波、石油の備蓄基地の火災、市街地の火災、原子力発電の爆発と放射能漏れなど起こりえる全てが
 重なってしまった震災は過ってなかったこと。 地震災害研究者からみたら、これほど研究材料の多い災害はない。
* この土・日曜日のTVは、東北・関東大震災の報道で一色。リアルタイムの生々しい内容に時間を忘れて終日、見入っていた。
 三陸海岸には津波に対する警戒もあり監視カメラが多く設置されており、個人のビデオカメラなども含め多くの映像が
 映し出されていた。 日がたつにつれてYoutubeなどから多くの映像が出てくることになる。 急な避難のため体一つで
 逃げてきた人が大部分。 帰る家も金も無くした被災民は今後、大変だろう。 年寄りなら生活保護があるが、
 中年の人は、この大不況の中、生活していくのは大変。 それでも、助かっただけでも良かった。 
 ところで、福島原発から200キロもはなれた女川原発の放射能の値が、福島原発から流れてきた放射能で、
 普段の観測地値の400〜700倍になったという。 すると300キロ位しか離れてない新潟も何らかの影響を受けることになる。
 一回ごとの発表が、どんどん悪くなっているのが気がかりである。深刻な事態になっているのだろう。 
 大爆発の可能性も考えていないと! 家に閉じこもっているしかないのか? 
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3275, 哲学者は神について、どのように語ったか ー5
 2010年03月14日(日)
 * カントは神の問題を、どう片付けたか
 哲学の問題は古代以来、「世界は何で出来ているか」「神は存在するか」「真理とは何か」「自由と自然因果律の関係」等、
大きく4つに分けて考えてきた。人間の「理性」に絶対的な信仰を置き、これらのテーマについて壮大な哲学を構築してきた。
それについて、カントは、その問題自体が無意味と切って捨てたのである。 カントは、「世界」「真理」「神」は、元もと、
理性の外にあるとした。 神も含めて、理性では認識しようがないとした。 カントは、もし神がいるとしたら、客観(本質)は
神のみが認識できる。人間の理性には限界があるから、人間が相手に出来るのは、もっぱら世界の現象でしかない。
カントは、世界を神のみで知る「本質」の世界と、人間が「理性」によって認識できる「現象」の世界に分断してしまった。
本質の世界は、理性では捉えることができないと、一蹴してしまった。 多くの哲学者が悶々として苦しんできた問題を、
そこで切り捨ててしまった。 そうこう考えると、神の存在そのものを問うこと自体が無意味ということになる。
神は、この宇宙の外の存在者と仮説をたてて、その内なる人間の理性で、その存在を問うことと自体が初めから無理。
 ウィトゲンシュタインの「語りえるものは明晰に語り、語りえないものは沈黙を」と同じことになる。
「哲学は真偽の分からないことばかり語っている、判断の出来ないことを語ることなかれ!」と。だから、誰かに「神は存在するのか」
と問われたら、上記のような説明がベストになる。 とはいえ、神について、のっけから考えることを遮断するのも問題である。 
理性で現象だけを追い本質を分断することになる。人間は言葉を持ってしまい、イメージとしての死の恐怖を植えつけられてしまった。 
その恐怖から逃れるために客観としての宗教が必要である。人生そのものは振り返ると夢・幻でしかない、と感じる。
それなら、その人生の光を包む暗黒のイメージに光の根源を入れておくこと、それも人生をかけて、つくりあげることも大事なこと。
アッラーの神、ヤホバ、何でも良い。 イスラム教徒の祈りなど、非常に理にかなっている。あれは光の根源の祈りである。
 偶然、気づいたが、去年の同日、書いた以下の内容に続く。
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2900, 脳と仮想
2009年03月14日(土)
  「脳と仮想」茂木健一郎著     −読書日記
松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」で、以前、読書日記で取り上げたことがある。
 ーウィキペディアによると
共同幻想とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉である。吉本は、
自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 ー以上だが、これを読んで、いささかショックであった。日本社会を構成している「世間」=地域社会をみていると、
地域の共同幻想を抱いている集団社会が露出して見える。また宗教団体も教祖様の教えの刷り込みをした共同幻想集団のことも明白。
自己幻想も、対幻想も、多くの幻滅を経験した結果として、所詮は自分も、自分を取り巻く社会も幻想で成り立ち、
そのバブルと破裂の繰り返しているだけということが分かった。 死に直面したり、リタイヤをする時に初めて、
勤めた会社を含めた全てが共同幻想の中で、自己幻想と、対幻想を持って生きてきた自分に直面することになる。
 図書館で茂木健一郎著「脳と仮想」を借りてきた。 幻想と仮想と、何処が違うのか? 似たものなら、
脳との関係はどうなっているのか?と、考えながら読んでみた。この本のテーマの「仮想」は、飛行場で5歳の姉が妹に問いかける
「ねえ、サンタさんていると思う?」という何気ない一言から始まる。サンタクロースという仮想の現われ方、その我われの
現実の生活への作用の仕方の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならない何ものかがある。 
それを徹底的に追求した本である。ヒントは吉本隆明の「共同幻想」から得たのだろうが、それは書いてない。
しかし、切り口は鋭く説得力がある。次回には、印象に残った部分を書き出してみるが、「共同幻想論」に劣らない。
般若心教の「色即是空 空即是色」にも通じる道理でもある。
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2536, 意志するということ!
   2008年03月14日(金)
ーある作家の大病経験からー     っ´Ι`)っ { おはよう
 作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに当たって、示唆を与えられた内容であった。
彼は以下の文章を書く4年前にリュウマチに罹り、印度の病院に入院した経験から病気経験だけでなく人生の在り方まで学んだようだ。
 ーまずは、その部分を書き出してみた。 とくとご覧あれ! 
病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するのであるが)、体力のある人間はおのれの体力を過信する
ものである。もし仮にわたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、日常生活においても仕事においても、病気いうことを
わきまえ、自重していたはずなのだが、体力に自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。
無病息災という言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいのだと思ったのである。
入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、医者と患者との関係がいかにあるべきかを
巡回してくる毎に話しかける、その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。例えば、わたしが入院した日、医者達は
次のように述ぺた「私たちはあなたの病気を治し、元の体に戻す自信がある。しかし何より重要なのは、あなた自身が我々と
同じ医者のメンバーになる自覚を持つことです。それは、具体的な治療は我々がするのですが、あなたには病人であるあなたを、
精神的に励ます医者の役割をやってほしいのです。あなたに自分の病気を直す意志や気持ち、あるいは闘争心がなければ
我々がどんなに努力をしてもあなたを完治させることは難しい」病人になってみれば、頼るのは医者だけだと思っていたが
(勿論それは間違いのない事実であるが)、その先生は、病人になったが故、なおさら人間は自ら生きる意欲を持たなければならない、
と暗に言っていたのである。 自分達医者は病人の自己回復力を手伝う人間にすぎないからだ。そういう考え方をその医者は
説明しようとしていたのだ。こういう医者達との会話の中で、わたしは思い知ったのであるが、人の生き死にとどう立ち会うかを
職業とする医者が、結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならばその弱い意志を
どのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ、ということを、これまた暗に伝えているように聞こえるのであった。
前に述べたようにそれまでの人生で入院したこともなく、また十人家族の中で育っても、母親が長いこと腰を痛め入院した。
ことを除けば全員がすこぶる元気だったので、病気とか、それが進行しての死というものを深く考えることはなかったのだが、
 −−
以上だが、「宇宙の意志が、地球を奇跡の星として創り出した。そしてそこに自然と、生命をつくり出し、人間を創り、
この宇宙の意志が(己の目で)自分自身を見るようにした。」(幕末の僧)のである。意志こそ、大自然の力である。
かつ知識を積むことのできるようになったのは、目に見えない意志があればこそである。インドの医者の言いたかった、
「結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならば、その弱い意志をどのようにして強くするのか)
を鍛えるために生きているのだ」、その意志こそ、我々人間の一番大事な何かが隠されているのである。
「死ぬまでは生きている」のである。そして生きている間は、意志を大事にすべき。」ということだ。
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2007年03月14日(水)
2171, 考える日々                    −読書日記
           池田晶子著 毎日新聞社出版
この本は、9年前の『サンデー毎日』の連載コラムをまとめたものである。一昔前のためか、少し感覚がずれてはいるが、
それでも彼女独特の現世、そして現象への白けた眼が面白い。私も、知人にはアウトサイダーとか、大変な人と、
思われている?が、それをむしろ目指しているのだから始末が悪い?。しかし、彼女の視線は私のような中途半端ではない。
そういえば、哲学者の中嶋義道も「哲学者というならず者がいる 」という単行本を出しているほど、奇人を自称している。
彼女の本を読んでいると、何か親しい友人と語らっているような気持にならから不思議である。 
世間の現象を醒めた眼で見据えているところが同調できる。この本の中の面白いところを書き出して、考えてみよう。
−酔うほどに冴える、はずだったがーより 
 ー P164ー
ーかっては、すごかった。普通の成人男子は、ほぼ間違いなく、先に潰れた。それも私の場合、相手が潰れるまで見極めて、
しかし、それをしっかり覚えているから、相手はたまったものではない。言ったこと、口走ったこと、その状況の仔細まで、
全部覚えているのである。それだけ圧倒されて、彼らは早々酔っ払ったのではないか。仕方ない。私は、酔うほどに
冴えわたる体質なのである。酔うほどに、理性と知性が燦然と冴えわたり,全宇宙の全現象が見える。わかる、わかった、
という感じになる。妄想ではない。事実そうやって手に入れた認識はたくさんある。飲みながら考えるのが面白くて、かっては、
そうしながら、認識メモをつけていた。またの名を『酔っ払いの覚書』というそれは、さながらウィゲンシュタインばりの、
とまでは言わないが、その一瞬に閃く洞察を?まえてとじこめた断片群、これが、けっこう今の仕事の核の部分になっている。
 酒のことを「スピリット]]と名づけた感性は人類に共通しているようだ。あの液体は、私にとって、明らかに「精神」であり、
思考の円滑油もしくは起爆剤として作用する。いや、作用したのだった、かっては。ところが最近は、
飲むと考えるのが面倒になってくる。
 ー P−166ー
政治家や偉いさんなど、高級料亭で高級な酒を飲みながら、仕事の話をするという、その感覚が信じられない。
(字数制限のためカット 2013年3月14日)
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2006年03月14日(火)
1806, 秋葉原再開発     |。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
先日、東京・秋葉原にたち寄って、その変容に驚いてしまった三十年以上前から秋葉原のワシントンホテルが定宿で、
年数回は電気街を歩いていた。しかし5年ほど前から日暮里のホテルに変えてしまった。久しぶりに秋葉原の電気街など駅周辺を散策
(字数制限のためカット 2012年3月14日)
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2004年03月14日(日)
1075, スペインのテロ
・スペインのテロがあったが、次は日本と連想をしてしまう。
「大国?で、60年近く戦争が無いこと自体が異常」と考えたほうがよい。
 (字数制限のためカット 2012年3月14日)
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2003年03月14日(金)
709, シンプルー2  
 −ワンプライス・ショップ
(字数制限のためカット 2012年3月14日)


4379, 「世間」の捨て方  ー2

2013年03月13日(水)

                ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや (著)
   * 世間の奴隷が発する、二つの質問
≪ 聖徳太子は、「この世の中は何なんだ?」の疑問に、「世間虚仮、唯仏是真」と答えている。
この虚仮は、「自分をコケにしやがって」の虚仮である。早い話、私たちの生きている世間は「嘘偽り」ということ。・・・
その嘘偽りの中で、人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるか」と、自問自答する。そういうことを考えて
生きること自体、世間の奴隷になっている証拠。それらを考えることは、自分で手枷、足枷をはめて奴隷になっている。
そういった物差しなど捨てて、もっと自分らしさを求めようではないか。世間の中で生きているには、それらから逃れることは
出来ませんが、幸か不幸か、今の日本も滅亡までのカウントダウンが始まった。出世間には最適のタイミング。少しずつでも、
世間のしがらみから、抜け出すときである。お釈迦様は、「自灯明、法灯明」と説いている。これは自分自身を灯明にしなさい、
ということ。それより、「世間のどれいになってはいけない」ということ。 ≫
 ▼ 世間の奴隷の優等生になるなら「孔子」を、奴隷から逃れるには「老子」を、その中庸なら「孟子」に従えばよい。
  それから超越するに仏の教えを灯明にすればよい。世間という言葉には、「現象にドップリ浸かった考えない人たち」という
  意味がある。その感覚世界だけの幸せと生きがいを求めるの人たちを、著者は世間の奴隷という。趣味など自分の世界を持って、
  そこに生きていれば、そこに身近な7〜8人の人を立ち入れないことだ。その趣味の世界にも、世間がある。
  したがって、孤独の世界をつくっておかなければならない。孤独の世界は、求道の中にある。「学び、遊び、働き」の
  それぞれの場面で、個として守らなければならない。それが出来ない人たちが世間の奴隷になる。生きがい、幸福を自問自答
  するのは、それはそれでよい。問題はとらわれないこと。「進歩したい、向上したい」という気持ちも、考えてみれば、
  世間向けの気持ち。とにもかくにも面白く、楽しくなければならない。最期に、「ああ、面白かった!」と言えればよい。
  新潟駅前の事業を総括して一つ言える、「ああ、面白かった!」。本心である。それだけでない、事業の創業を決心してから、
  現在に至るまで、本当に面白かった。 咽喉ぼと過ぎればだが・・ そうこう考えると、感謝、感激、感動こそ人生である。
・・・・・・
4005, 宇宙は本当にひとつなのか ー7
2012年03月13日(火)
  * 人間原理とは        「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 この宇宙の物理法則を見なおして見ると、人間が出現するための条件がそろうようにできているのです。
 例えば、暗黒物質があるおかげで、星や銀河が生まれましたし、量子力学の法則の存在するおかげで、原子が潰れずに存在でき、
私たちの体も壊れずにすんでいます。また、私たちの世界は三次元空間が大きく広がっていて、それ以上の次元はとても
小さなっていると考えられている。空間が三次元に広がっているお陰で太陽系が存在できています。太陽系は、八つの惑星をはじめ、
たくさんの天体が太陽の周りをグルグルと回っています。もし、大きく広がっている空間が四次元以上だったとしたら、太陽の周りを
回るたびに少しずつずれてしまい、同じところをグルグルと回ることができなくなります。一方大きい空間が二次元しかないと、
DNAのこ重らせん構造をつくることができません。生物が存在できるかどうか怪しいものです。・・・
 そのようなことを一つ一つ考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった
宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから考えられたのが、人間原理です。
 人間原理によると、人間が存在できるように宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。
宇宙のことを観測するのは人間です。人間が存在できる条件を満たしていないと、人間が生まれません。人間が生まれないということは、
観測されないわけなので存在しない、もしくは存在しないのと同じです。たくさん生まれた宇宙の中で、ごく稀に条件がそろった宇宙に
人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。・・・ 
 自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出すのに丁度適した構造になっている。 
これはファイン・チューニングと呼ばれる。人間原理は、このファインチューニングという現象に対する説明を与える。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する
宗教的な立場として創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。 それに対して、人間原理は超越的な存在を仮定しない
自然主義的なアプローチである。 】
 ▼ 人間原理の「人間が現に存在をして認識するから宇宙が存在をする」は、カントの対象に対する認知の貼り付けの認識論に似ている。
  宇宙の広ろがりを知るほど、人間の存在と知能の不思議さを改めて思うことになる。「丁度良い」が、我々人間にも、
  住んでいる環境にも言えること。それを再確認するに、「ありがとう」を口癖にするのがベストになる。宇宙論も、最後は精神論か。
 ・・・・・・
3,639、大地震 ーつれづれに ー2
2011年03月13日(日)
 今回の地震の被害地・三陸地区はリアス式の入り組んだ海岸のため津波を増幅させ、被害を大きくした。
1896年の「明治三陸地震」は津波高さ 38メートル、死者不明者が2万2千人が出た。その37年後の1933年の「昭和三陸地震」
では、高さ28メートル−死者不明3千人、M8・1であった。 今度の津波は7メートルだが、津波の広がりは格段に大きいもの。
名称は本来は「平成三陸地震」が妥当だろうが、広範囲から最も頻繁に使われているのが「東日本大震災」。
しかし「東北地方太平洋沖地震」と名称されたようだ。 インド洋の大津波をビデオで何度かみたが、それに似た大津波を
日本でみようとは思ってもいなかった。色々な映像をYoutubeなどで見るにつけ、巨大津波に驚きざるを得ない。 
今回の地震は、北海道から九州までにわたっており、広範囲が特徴的である。 その中で首都東京に津波が発生しなかったことが、
不幸中の幸い。もし海水が流入したら国家機能が大きく麻痺をするになる。東京都内は地下鉄が網羅しており移動が非常に便利である。
それが浸水したら都民の足は大きく損なわれる。 関東・東海大地震も遠くない将来、必ず起こるといわれている。
それにしても、大津波の映像の迫力には驚かされた。釜石に押しよせた大津波の海水の流入や、広範囲の津波が海岸線を
飲み込んでいく場面には息をのんでしまうほど。 地震から発生した大津波、市街地や住宅地の火災、石油基地のタンク火災、
原発の放射能漏れなど、全ての問題が噴出してしまった。 特に、原発の爆発と放射能漏れという大問題が生じたが、
この数日は目を離せないことになった。世界のマスコミにとって、これほど映像として引き付けらるネタはない。
それがリアルタイムに世界に流されるのだから、日本の株、国債、円にとって大打撃になる。明日開かれる市場によっては、
本格的恐慌に入る可能性がある。弱り目に祟り目の循環が始るのだろうか? 土木・建設業界にとっては神風になるが、
日本経済には大打撃になる。
 ・・・・・・・
3274, ビックカメラの店頭は今!
 2010年03月13日(土)
 大型家電チェーンの店頭は時代の世相をそのまま現す。新潟駅新幹線出口の近くに位置して今まで10年以上あった
「ヨドバシ・カメラ」がある。 同じ駅中に競合の「ビック・カメラ」がオープンして一年になる。
「ヨドバシカメラ」は、これまで数年ごとに思い切ったレイアウトの変更をしてきた。 それを見ていると、
その時どきの時代の流れが見て取れた。携帯電話、デジカメ、パソコン、薄型TVの位置関係と種類と量だが。
 ビックカメラの店頭は、ある意味で駅周辺では現時点では一番ホットなところ。 で、店頭をみると、向かって
一番左側に携帯があり、中央に入って直ぐにモバイルパソコンが10種類以上展示してある。店のメインになる位置である。
そして、その後ろに最新の薄型TVが並んでいる。両方とも、売り場の至近距離にあり、「これが現在のパソコンや
薄型TVのホット商品ですよ」という紹介である。モバイルパソコンは、小さくて何処へでも移動しやすい。 
これだったら、常に持ち歩きが可能である。 各メーカーはiPadを意識しているようだ。 で、ドチラ?といえば、
やはりiPadを選択する。モバイルパソコンに、ツイッターが組み合わさって、この数年で世の中を一変するはず。
他のメーカーも似たような商品を出すだろうが、iPhone、iPodになれた客はiPadを選択する。
私も会社も、自宅もMacのパソコン。さらに、携帯もiPone、音楽もiPod。 立派なMacFanである。
 情報化の更なるウネリはマスマス大きくなるばかり。その元は、すべてアメリカ発である。ところでMacが
デジカメに興味を示したら、どんなカメラを創ってくるのだろう。今のところカメラやビデオを一つの機能としてしか
見てないが、思わない切り口があるはず。で、新聞をみていたら、デジカメの裏面が全てiPhoneのような
画面でタッチパネルの新商品の紹介記事があった。見るからに面白そうである。 家電の店内は夢があってよい。
・・・・・・・・・
2899, イオンの誤算
2009年03月13日(金)
イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。まだジャスコ・オカダヤという名前で、
三社合併の一期生。僅か一年でも全エネルギーをようした記憶がある。その後のジャスコの躍進は目を見張るものがあったが、
地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が最大の戦略ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んで
ダイヤモンド・シティを設立したのを憶えている。その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、
「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ本体の出店はイニシャルコストも、ランニングコストも零になる」という。
  (字数制限のためカット 2011年3月13日)
・・・・・・・・・
2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)            ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、この数年は隔年にしている。
おおよそ大会場を二回周る。 一度目は大雑把に見て周り、二周り目は気になったところに行く。もともと店舗ショーと、
一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。ただ不景気のためか、年々勢いがなくなっている。  
 ー今回、面白いと思ったのを挙げてみると、
*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退したあとに狙いを付け提案型にしたのがポイント。 
 当方にぴったりだが、少し値段が高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても 抵抗感が無いのがよい。 
 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。 しかし木工団地の家具屋に行って特別仕様でつくれるレベルである。
 だから提案型にしなければ、誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。
*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 (字数制限のためカット 2012年3月13日)
・・・・・・・・・
2007年03月13日(火)
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
       (~Q~;) おはよう?? ファ?
最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー
ーヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」
と言い添える。服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。欠点しか目につかない、というわけだ。
そういう理屈で押し切ることで、ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる手法で成り立っている。ー 
▼ この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」という解釈で、従僕の卑小な眼の
限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。 そんなレベルには、まったくないことは
自分がいちばん知っている。またいかにもイギリス的なところが書いてある一節を紹介してみよう。断片からみる文化も興味をひかれる。
≪ ー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が雇主の人間的価値の大きさに比例して決まってくると言って
過言ではありません。 ・・・ 父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。 いちばん上には、王室や
公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある
位置を越えると、あとは単純に財産の多寡で上下関係が決まります。 多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで
上ろうとしましたし、一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。 もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の
背後には、こうした価値観が隠されていたのです。・・・私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。中心で下された決定が順次外側に放射され、いずれ、周辺で回転している
すべてにー 貧にも富にもーいきわたります。職業的野心を少しでも持つ執事なら、誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ
近づきたいと願ったでしょう。 ・・・・(中略) ー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、その時どきの地位から永続的な満足を得られなかったからに他なりません。
召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、ミスター・グレーアム、
私も、この問題にこのような側面があろうとは思いもつきませんでした。ーー
ーーーー
この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。もう二度と来たくない、というイメージがあった。
しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。 面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人から
イングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、
二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!
この本を読んで感じ取ったことは、国の品格ということだろう。 この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から
成り立っていることも事実である。突き詰めれば、どう考えるか?である。        ヾ(●´∀`●)  バイ!        
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2006年03月13日(月)
1805, おひとりさまー3       (○´∪`●)φ...【ォハョゥゴザィマス】
「おひとりさま」について、二回書いてきたが、この言葉を流行らせた原本の、岩下久美子の「おひとりさま」は読んでなかった。
ところが先日図書館で、この本を見つけて読んでみた。自立した女性というより、自立した人間について書いてある。
私のような「ひとりさま」のプロ?は今さらの内容だが。組織に組み込まれている人に自立した行動に苦手な人が多い。
共通の目的を持って分業をしているので、お互いの連携が前提になる。群れる傾向の強い女性に、この本は良い教訓になる。
一人で行動するのは若い女性にとってまだまだ制限がある。一人では出来ないことが二人だったら出来ることを女性は知っている。
「おひとりさま」という言葉が広く受けられるようになったのは、時代の要請があるからだ。この本で面白いのは、
「パラサイト・ラブ」という言葉である。携帯電話がパラサイトを助長させたのだろうが、愛情寄生虫とは良くいったものだ。
ひとりー孤独ーを愛せない人間が、お互いを愛せるわけがない。ひとりの時間をキチっと持てない人間が、二人の時間を
維持できるわけがない。自立してない人は、相手の自立が理解出来ないので適度の距離を保てない。
情報化の時代である。「自分は、こうである!」という『個』を確立しておけば、そしてブログなどに主張しておけば、
会うべき人との出会いのチャンスは幾らでもある。    ((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
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2005年03月13日(日)
1440, 閑話小題ーつれづれに
 ーライブドア問題ー
ライブドアとフジTVの日本放送株の新株予約権発行を巡っての地裁の発行差し止めの仮処分申請は、ライブドアの言い分が
認められた。フジと日本放送の経営者の保身のための「奥の手」でしかないのは、自明のこと。フジのトップがあの程度と
いうことがハッキリしたのが第一の収穫。いろいろな問題があるのだろうが、それだけでも堀江の今回の問題提示はよかった。
それにしても、なんじゃいあのフジの連中!判決が不利になると急に低姿勢に変身しだした。時代の変化と金融が解ってない。
多くの解説者が「あのフジの??」と論をはるだろう。あくまでも結果を待って言っているに過ぎない。
 ードロドロした話ー
数年前のことだが、「慶応の在学中に、会計士の試験に合格をした男がいる」という知人の話を聞いて、
「是非面白そうなので会わせて欲しい」と頼んで、会った人がいた。大学と(会計士になるための)専門学校に同時に通ったという。
話していて、目から鼻に抜けるような頭の切れる人で、地方では珍しい人というのが印象的だった。
しかし人生の一番大事な時期に全く社会から隔離されたいた左脳人間にも思えた。でも、こういう人のほうが、痴呆名士様より
ズットまともであるが。痴呆迷死的な要素は一年もあれば、いや一週間もあれば飾り立てることができる。
  (字数制限のためカット 2012年3月13日)
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2004年03月13日(土)
1074, ホテル・レストラン・ショー (2)
ユビキタス(隠れたコンピュータ)を利用した調理器具や健康器具などが目立っていた。その一つが電子調理機器である。
 (字数制限のためカット 2013年3月13日)
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2003年03月13日(木)
708, シンプルー単純の勧め
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に」というが、「難しいことをシンプルに」とも言い換える・・
(字数制限のためカット 2013年3月13日)

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