堀井On-Line



4298, 「国の借金」新常識

2012年12月22日(土)

             
                 「国の借金」新常識  "年金絶望世代"も元気が出る ー廣宮 孝信
 安部がインフレターゲット2%を目指すと宣言したが、こういう理論的?背景があってのことだろう。
タイミング的に今、読んでおくべき本。日本も早々、破綻をして焼土の中から立ち上がった方がよいのかもしれない。
経済の主役はモノ、脇役はカネ。その基本をつかまえておかないと! それにしても狐に騙されたような妙な論理である。
アメリカのヘリコプターベン?の、「空から金を撒けば景気浮揚になる」という理屈に似ている。
   まずは ーアマゾンのレビューよりー
 ● ≪「政府の借金」=「銀行預金」という説が面白い。銀行預金は銀行にとっては預金者からの借金。
 これはいずれ、預金者に預金を返さなければならないし、利息を支払わなければならない。これは国債と同じ。
三菱東京UFJの銀行預金残高は2000年〜2010年の10年間で約100兆円増えている。つまり三菱東京UFJの借金はこの10年で
約100兆円増え、今現在も増え続けているこの状況でも「三菱東京UFJの借金が増え続けると銀行が破綻する〜!」とか
誰も騒がないのは何故だろうか。それはみんなが三菱東京UFJの銀行預金はあくまで「貯金」だと思ってるからだ。
(銀行側からみれば借金であるにもかかわらず)「貯金がふえてるんでしょ、何か問題あるの?」というわけである。
誰かの借金は誰かにとっての資産である。これは方程式のように成り立つ法則なのだ。
つまり日本政府債務残高約1000兆円は日本国民が日本政府という銀行に預けている預金にすぎないのだ。
「国(政府)の借金が増えるというのは国民の政府に預けているお金が増えている」というだけのことなのだ。
日本の場合、結論的には国(政府)の借金がいくら増えても問題ないのだが、ただ一つ国(政府)の借金が増え続けると
ヤバイ場合がある。 それは「外貨建てで外国から借金すること」である。 これの典型的例がギリシャだ≫
 ● ≪「財政赤字額のGDP比は2倍と世界一、財政再建待ったなし」「IMFも日本の財政赤字を問題視している」
「国債発行は子孫にツケを残す」「家計貯蓄が減少傾向なので国債の買い手がいなくなる」
「景気対策のための財政出動の必要性はわかるが財源がない」「よって消費税増税は避けて通れない」
「事業仕分けなどにより財政支出を削減せよ」といった発言が総理大臣をはじめとする政界や言論界学界に溢れているが、
これらはすべて誤りであり、悪玉視されている。 財政赤字こそ日本経済をデフレから救う善玉だという。
また現下の日本の財政余裕度なら、余計な心配をせずに国債を発行して公共投資や技術開発を促進することが可能という。
 * 財政赤字善玉論のポイントは
1.政府赤字が増減すれば民間(家計&企業)黒字が逆方向に増減し、両者を併せた円立て金融資産の総和は常にゼロ、
 故に円立て政府赤字のみを取り立てて心配しても無意味。 外貨を含む金融資産の総和(対外純資産)は重要だが、
 日本は世界一の純資産と経常黒字を続けている。因みにIMFは外貨立て純債務と経常収支のみを注視している。
2.そもそもカネはいくらでも創出できるので本質的な存在ではない。モノこそが重要であり、モノが不足すれば国民は
 確実に困窮する。デフレの時期には政府赤字(財政出動)を増やしてGDPを増大させ、現在の所得を増大させる共に将来の
 モノ作りの準備に投資すべき。従ってデフレ時の財政赤字は極めて重要であり、子孫にツケではなく資産を残すことになる。≫
▼ これでは、国内向け国債を無制限に発行し、節度ある投資を果敢にすべきであるというが、何か、変。
  しかし、著者は、その辺りの疑問を問いにたて、答えている。 お勧めの本である。
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3923, 閑話小題
2011年12月22日(木)
   * 北朝鮮のドン様が亡くなった
 北朝鮮の金主席が、お隠れになった。三男が後継者になって、当分は内部把握に集中せざるを得ないか、早々のクーデターが起こるか。 
体制が体制だけに、誰も今後の予測は不可能。 国家としての理想といえば、若手軍部の蜂起が起きて、中国に類似した開放政策をとる
集団指導体制をつくりあげることだが、無理だろう。 このまま三代目への権力の移動が順調にいって、今までの延長も考えにくい。 
中国にとって都合の良いのは何か?と考えると、リスクを負ったとしても若手軍部のクーデター。 とすると数年後、閉鎖的な老いた軍部が
実権を持った後に、若手が金一家の追放というのが筋書きとして見えてくる。その意味で、安物の時代がかった物語が進行していく。
ドン様の御陰で、国民はたまったものではないが、軍部など、これまでの体制の役人の利権は大きく、これを根底から潰すことは至難の技。
   * 歪んだ年寄りに近づくな! 歪むな!
 まさか自分が65歳になるとは!と、妙な感慨にふけることがある。 そして、ふと自分を振り返ってみて、
「自分が歪んだ年寄りになりかけている?」と、疑念を持つことがある。 同年代の歪みが見えるからである。
老化は心まで歪んでくるというが成る程と思うことしきり。他者を見れば一目瞭然だが自分には見えてない。
法事などで年寄の愚痴を聞くと無上に悲しく思っていたが、自分が、その年齢になってしまった。それは合わせ鏡で、自分で気づくしかない。 
教養とは、そのために必要な知識だが、年齢には叶わない。肉体と精神が相まって人間性が作られるが、肉体が老い、病気がちになると、
精神も歪んでくるのが自然の摂理。 その結果が老醜というやつ。 過去の仕事柄、色いろな人間の内側が見える立ち位置に長年いた。 
そして40年近くの事業で因縁のあった知人も私と同じように老いていく。 「世界も、私も、同時に腐っていく」という言葉があるが、
まさに、それが人生でもある。老い、嫌われ、孤立し、最後は独居老人になっていく。スポーツジムで、歪んだ人は直ぐに分かる。
健康を正す場だから始末が悪い。老化=歪みの進行となると気が滅入る。人生には色いろな時節に絶え間なく難問が押し寄せる。 
その対処がマトモなうちはよいが、それに押しつぶされていく。 自分の好きなことに熱中するのが対処になる。
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3558,  「プレイボーイの人生相談 1966-2006」 −1
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
   まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
  古くは柴田錬三郎、今東光、開高健、最近では松本人志、リリー・フランキーなど錚々たるメンバーによる、
  時代は変わっても決して色あせない珠玉の人生訓や哲学を集めた記念碑的1冊!
   ーー
  いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、ニヤリとさせられる。
 やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じたことがないんだ。 よく「自殺は敗北だ」なんていうけど、
 つまらない映画だったらさっさと途中で出ていっても敗北でもなんでもないと同じで、人生だってつまらなかったらさっさと自殺して
 いいんだと思うけど、これでもやっぱり「人生に負けた」ことになるんですかね。≫ー死ぬのは平気なんだけど負けるのは大嫌いな男より。≫
● 解答≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、「おまえの人生、つまってるか?」って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行ってもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。織田信長がある日、手をたたいて人を呼んだ。
 おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎして「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、森蘭丸が入ってきた。
 信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、小さな糸くずが落ちているのに気づいた。
 それを指でつまんでから「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
 これで信長は、「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで登用した。他のやつはみんな落第よ。
 信長ばかりじゃない。会社だって、学校だって上役、先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。
 それ考えりゃあ、つまらない人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界はつまらん、つまらん」とも言ってるけど、
 つまるようにいつでもやってるから、忙しくて面白くてな、愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、
 さっさと死んでしまえばいい。オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。 ≫
  解)独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。 最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。
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3183, つれづれに ー閑話小題 
 2009年12月22日(火)
 * 古町の老舗書店「北光社」の閉店
古町の大和の斜向かいにある「北光社」が来月で閉鎖をするという。大和百貨店も春先に閉鎖するというから古町にとって大打撃。
残るは三越だけになってしまった。 ダウンタウン化が、さらに進むことになる。大和が撤退したあとは、その客を取り込めるか、
それとも、更なる地盤沈下でダウンするかで、三越の存在も決まってくる。 新潟駅の街中商店街の存在も大きい。
それにしても、小さな書店の閉鎖に新潟日報の反応が、あまりに大きい。日曜日の朝刊の一面と社会面のトップ扱いである。
それだけ象徴的な存在だったのである。情報化社会で本を読む人が少なくなったことに加え、
アマゾンなどのネットからの注文が増加していることもある。
 * 質素で退屈で憂鬱な時代
リーマンショック直後に、慶応の池尾和人教授が、2010年代は「質素で退屈で憂鬱な時代」になる、といっていたという。
なるほど、最近の時代風潮であり、自分の気持ちでもある。 「空虚で回顧的で溜息の時代」ともいえる。
それが、一昨日のNHKのゴールデンタイムの「坂之上の雲」の明治時代の回顧と、続いて放送された
「マネー資本主義ウォール街の怪物復活である。 再びアメリカのウォール街で、マネーゲームが復活はじめたレポート。
結局、その最大の被害者は、弱者で、強者は、直ぐに復活をしてくるのである。
で、質素は別に悪くないこと。退屈と憂鬱は気持ちの問題である。なら、それは、それで、割り切ることも必要ではないか。
「空虚で、回顧的で、溜息」よりは、よい。 人口減少も、世界の先進国に先駆け、見本を示すことになる。
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2818, いやいや、驚いた
2008年12月22日(月)
 *娑婆は 色いろあるものだ。
 10日前に面白い?手紙が来た。 自宅前のアパートのオーナー?と名乗る突然の手紙。
十八年分のアパートの駐車場の電気代の割り当ての請求という。
18年×5300円=113万円分の向う三軒両隣の「融雪用電気料金」五軒分の分割、24万円の徴収の願いという内容。
(字数制限の関係でカット 09年12月22日)
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2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996〜2006)      ー読書日記
 「歌舞伎町事変」文ー李小牧  写真ー権 徹  {{"(;-┏Д┓-)o"オハヨウ
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧。不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮るため徘徊し
続ける韓国人写真家、権徹。歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。殆どが白黒と、カラーの写真で彩られている。
いつの間にか新宿歌舞伎町の魔界のヤクザと警官と不法滞在外人などの緊迫した世界に引き込まれてしまう。
恐いもの見たさでついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。歌舞伎町裏社会の話が当事者から生の写真で
レポートされているから迫真に迫っている。新潟とはいえ飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で満ちている。
韓国人、中国人の目で見ているのも切口を鋭くしていた。これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。
ーーーーー
 P−44
2001年年9月11日が歴史の転換期であったように、03年4月年は、2003年4月22日は、歌舞伎町にとって大きなターニングポイント。
(字数制限の関係でカット 10年12月22日)
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2006年12月22日
 2089, 道教と儒教  <(_ _)><(_ _)> おはようございます!
  少し硬い一席を!        
  昔から中国では二つの役割を儒教と道教が果してきた。中国人は長い歴史の中で、
  功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。
・儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的でありを説き、それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。無為自然を基本におき、人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
 また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
 道教の自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。
 孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
 それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
 どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
 「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
 常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
 その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」の意味が強い。
 これに対して、老子は孔子の世俗的なものを根本から否定する。
 山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
 どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
    これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、無心の気持ちになれると説く。 
    常に大宇宙のような森のように大自然であれ。人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。
    名利にとらわれないで、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 等々である。
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、『老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。
その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
あくまで教養の一端として把握しておけばよい、というレベルしか理解していないということ?
この思想を手っ取り早く言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ!
得意の時は心の中で父親と酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m
・・・・・・・・
2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか     ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次著
「何を遺せますか」という本がある。実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、結局最もたしかな後世に
遺せるものは人間性である、というくだりがある。財産を残すことができるが、通常こだわっている目に見えるもの
 ー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。著者は後世に残せるものは唯一人間性であるという。
                       【゜Д゜】y─┛~~~
遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげてそれぞれを説明しているが、その幾つかをみると成る程と考えさせられる。
 以下は目次からひろってみた項目である。

(字数制限の関係でカット 11年12月22日)
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2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年
新潟の六日町の雲屯庵にきている。学生時代に司法試験のため一人勉強している三条の高橋さんがいた
新井石龍禅師と、早速話しをさせてもらう。私「世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離に、ただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」その夜、日本にきていた慶応卒で、ハーバード大ビジネス・スクールの在学中の同じ歳の人と、
高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、ここにいる。
何だろう、何だろう、何だろう! 実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が存在し、
現実として濁流の中で、もう溺れかけてアップアップしているだけの自分が、神戸の垂水の地で一人呆然としているだけ。
どうしたのだ、どうしたのだ。適当に真面目に考えることもないが、早くいま一度、ゼロから知識の再構築をしないと。
逃げ込んだところで、逆に叩きのめされてしまった。
・・・・・・・・
2003年12月22日(月)
 992, クリスマス
 クリスマスといえば色いろ思い出がある。子供の頃ツリーを買ってきて,電飾を姉たちと作った時のトキメキを
クリスマスソングを聞くと思い出す。パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。
またフィンランドのヘルシンキのクリスマスイブの氷を張りつめたような神聖な思い出がある。
(字数制限の関係でカット 12年12月22日)
 ーーーーー
2002年12月22日(日)
618, パタゴニア旅行記ー5
 ー広尾のお犬様 ー
旅行をしていると、普段では会えない人といろいろ出会える。
今回は一人参加の東京の高級住宅地の広尾の奥様がいた。 犬の話から、愛犬の散歩の話題になった。
広尾の公園で朝のお散歩の話で大爆笑であった。愛犬に衣装を着せて連れてくるが、そのファッションが面白いとか。
(字数制限の関係でカット 11年12月22日)
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2001年12月22日(土)
 277、笑いについてー
私の最大の素質に気づいた! 腹から笑える事だ! 昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技だ!
それだけ激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。笑っていなくては、やってられない!
(字数制限の関係でカット 12年12月22日)
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12月22日 土曜日
 1968年
9時起床に後、食事。土砂降りである。 千葉に住む、すぐ上の姉・礼子さん宅へ向かう。しかし早速、二人でいがみあう。
あいも変わらず仲が良いのか悪いのか解らない。彼女の悲観的な面から抜け切れてないのが気に入らない。
如何してマイナスマイナスに考えるのだろう。 


4297, 知らなかったミスと、知ってて犯すミス

2012年12月21日(金)


 「知らないで悪いことをしてしまうのは、知っていて悪いことをするよりも、良くないことだ!」
ふと目につき頭に残っていた言葉で、考えるほど面白く深い問題である。学生時代になるが、ある人物が近づいてきた。
純粋でフレンドリーの都会人で、地方出のアウトサイダー?の存在の珍しさに、新鮮な驚きを感じたようだ。
しかし直ぐにハッとし、その人を遠ざけた。 気を許し何か変わったことを言うと、純粋?のため新鮮なのだろう、
彼ら都会仲間のネタにされているのに気づいた。 他の友人の家庭内や、個人のプライバシーを、本人が居ない時に、
聞いたまま、悪気なく話をしているのを聞いた時に、これは付合う人物でないと確信した。問題は悪気がないことである。 
今回取り上げた、「知らないで悪いことをしてしまうのは、知っていて悪いことをするよりも、良くないことだ!」と同じ。 
それを、そのまま書いていること自体、書かれた方からみたら同じ誤りを私が、ここでしていることになる。 
 人生を一歩ひいて振り返ると、この言葉の重みを実感する。 知らないため、あるいは逆上せ上り、甘い見通しで、
多くの失敗をしてきた。それらの失敗原因を、数十年も経った現在でも気づくことが度々。 以前、卸業をしている知人が、
「小売をやりたいが助言をして欲しい」と言ってきた。 「倒産した店の店長をしていた人物を採用しようか判断に迷っているが、
どういうものですか?」という。 そこで、「その人の経験がプラスとマイナスの場合がある。思い切り違う分野の人も面白が、
素人は、やってはいけないことを平気でどんどんする危険が大きい。その点で、その人物が持ち込んでくる経験を上手く
誘導できると思えば、採用すればよい」と答えたことがある。 それにしても知らないことが、あまりに多い。それより、
知らないことを自覚できないで、失敗したミスが多かった。先日、取り上げた「しまった!」に、その心理が書いてあった。
 若気の至りの失敗は、知らなかったミスだが、若気の至りの失敗を多くしなかったことこそ、最大の失敗になる。
ミスは、実践する上で必ず付随するが、要は、ミスの要素を潰しておく事前準備と、その対処になる。
それにしても、震災型の経済変動が、これほど激しいとは、知らなかった。 いや、知りようがない、これは。 言い訳か!
 ・・・・・・
3922, 精神力ーその偉大な力 ー12
2011年12月21日(水)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * 取り越し苦労をやめるには
 20歳代半ばまでは取り越し苦労をする方だったが、人生経験を重ねるに従い、「その時になれば、その時!」という
言葉が自然と出るようになった。事前に考え尽くし、最悪も想定して、その対処を列挙して対策を練った後は、その場に
実際に立って知恵をだすしかない。あんずるより産むがやすし、が現実である。 この本にも、そのことが書いてある。
人生は最善を尽くした後は、なるようにしかならないのである。未来を恐れない、後悔しないこと、最後は自分独りであること
を充分自覚することである。  取り越し苦労で、多くは自滅をしてしまう。 ー まずは、その部分ー
【 仏教徒は、「感情の王国の二つの悪魔は、怒りと恐れである。怒りは燃える激情、恐れは凍る激情である。」と言う。
 怒り、いきどおり、抵抗は、過去に起こったことへの非健康的な反応です。取り越し苦労は、将来起こうるだろうと思うものへの
 恐れは陰惨な非健康的な反応です。起こってないが、起こるだろうと恐れることです。それは苦難を求めて手を差し出すことです。
 その習性は繰り返すことで現実になることが多いのです。取り越し苦労が頭によぎったら「悪魔よ、我が後ろに下がれ」と言うがよい。
 ・・・人間は推理しうる唯一の動物です。推理することは連想することです。取り越し苦労は、その推理をマイナスに使うことです。 】
 ▼ 取り越し苦労も、必要な場合もある。しかし、やる前に、自滅して人生そのものを無為に過ごすほどの失敗はない。
  どんな問題でも、その中心点を想定し、エネルギーを集中し続けていれば、いつの間にか、その問題は解決することが多い。
   ーここで著者は次のように自己暗示の言葉を述べているー
《 私は健康で幸福で自由だ。私の知る最善の方法で、なすように計画されたことをしている。家族、友人、隣人、仕事仲間を愛している。
 けんぜんで、そして完全な創造的な方法で大生命力を表現している。最善が私から出ていくので、最善が私に帰ってくる。
 愛と善意が不断に私を通して流れ、接触するもの誰しもが私が身を置くあらゆるものを祝福する 》
  何か、教会で牧師の説教を聞いているようだ。それでよい。取り越し苦労に身を焼いているよりは。 20歳代半ばに、不安の中、
 誰知れず必死に読んだ本を40年過ぎた現在に読み返し、納得し、事前、事後を見つめるのも面白い。 信念、志は心の基礎である。
・・・・・・・
3557, 今までいきてきた中で一番幸せ
2010年12月21日(火)
 1992年に岩崎恭子がバルセロナの平泳ぎ200Mで、よもやの金メダルをとった時の言葉「今までいきてきた中で一番幸せ」
を今も鮮明に憶えている。当時、14歳の中二の女の子が、その直後発した言葉で注目されたが、時間が経つにつれて、
その言葉に対する反発が声無き声?として世に広がっていった。そのためか本人はマスコミに出なくなってなってしまった。 
世の大部分の人は、多くの苦労を背負い、日向に当たらず消え去っていく。ところが多くの幸運が重なって、あの若さで金メダル。
その一言で一生、その重さを背負うことになった。 この言葉は、苦労に苦労を重ねた末に発する言葉。 
しかし人生を振り返ってみると、心の中で何度も呟いてきたことか。他人がどう思おうが、この言葉が芯から発することが出来れば、
それで良いのではないだろうか。14歳の女の子が、その時に、そう思ったのだから、世間様がとやかくいうことではない。
 ところで、スポーツ選手が色いろの言葉を残している。長島茂雄は「失敗は成功のマザー」とか、
清原の「どん底に入る時は、底をもっと掘れ、そうすれば、そこはどん底でなくなる」とか。ことをなしたから、人も注目をするだけ。 
ところで「今まで生きてきた中で一番幸せのことは、何?」とは、至高体験から発する言葉。感動、感激の極みである。
その経験なら数限りある。その一つを限定など出来はしない。これも受けとめ方の問題があるが。
 逆に何気なく誰かが言っていた言葉、「これまでの人生で、あまり良いことが殆ど無かったな〜」を聞いたとき、エッと思った。
同じ体験をしても、感受性がないのである。言葉として、それをパック出来ないのではないか。「幸せを感じる力」が無いのである。
「感動、感激を求めて多く経験すれば、その積み重ねが、更に感動、感激を引き寄せる。それが、「今までで一番幸せ」を感じる経験を
多くもたらせてくれる。 手っ取り早く 「私は幸せ」を口癖にして、心の芯から言える訓練をすればよい。近くの山にでも早朝に登り、
日の出をみて、幸せ!と思えれば、数限りなく幸せと思えるのである。 傍から見たら御目出度いと見えても、
それで良いのではないか。要は、幸せ感は自分が作りあげていく心情でしかない。それにしても、最近、溜息が多い!
 良いこと三つに、悪いこと一つは仕方ない!   半々? それは受けとめ方、次第。
 ・・・・・・・
3182, Twitter の意味すること! ー2
2009年12月21日(月)
 私の、この随想日記の一行が大よそ50文字である。ということは、140文字といえば三行になる。
そうすると、「要するに」「つまり」の要点か、本音のツブヤキしかない。だから、面白いのである。
新聞は、500〜1000文字が、雑誌は、1000〜2000文字が記事としての目安。
相手に大よその情報を伝える場合は、200文字という。それを三分の一の140文字にするのは大変である。
だから「思考の断片」か「自然にでた本音」を書くしかない。「つぶやきしろう」とかいうのもいた。
小泉元首相が一言コメントで、国民の心を捉えたこともあったが、今からすれば、国民にたいするツブヤキでしかなかった。
 ところで、著者はTwitterのマーケティング活用の可能性について言及。その目的を「情報発信・PR」「ユーザーサポート」
「ブランディング」の3点と整理。その上で、ユーザーから得られるものとして、「ダイレクトでリアルタイムな反応」
「ユーザーがどこでつまづいてるのか」といったサポート的な情報、「Twitter上でブームが起きる過程」が調べられるという
3点を挙げている。 またTwitterを「マーケティングには間違いなく使える」と断言。
取り組むべき最大のポイントとして、
・コストが安いことを挙げた。無料でアカウントを開設でき、担当者が1人いれば情報発信できる。
・さらにTwitterには「ゆるい雰囲気」があるので、企業もできる範囲で取り組む“ベストエフォート”
が許される環境にあるという。 Twitterには面白い発言がフォローを集め、クチコミで広がるためサービス。
「社内で面白く、トラブルに対応できる人間にTwitterをやらせる」ことで色いろなノウハウが得られる、という。
グーグル社が「ユーチューブ」を1500億円で買収されたが、現在の米ツイッター社は900憶円の価値というから、
如何に数秒で発信できる、この手軽なミニブログの凄みの大きさに驚かされる。
「今の六本木の映像が見たい」と入れれば、六本木のあらゆる場所から、携帯電話の生映像が見ることが
出来るのも一年以内に可能ということになる。 まあ、面白い時代である。
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2817, ケインズの「相場は『美人投票』論」」
 2008年12月21日(日)
 ケインズは以下のように、相場と『美人投票』の類似性と、相違から、相場の本質を述べている。
 「玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を
 選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという
 趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。 このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分が
 いちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければならない。 
 全員が問題を同じ観点から見ているのである。」と 述べている。 結果としてどうなるかというと、他の者は誰を選ぶか、
 という観点から予想される者が選ばれることになる。 この点に関し、岩井克人東大教授は、「その結果選ばれる
『美人』とは、皆が美人として扱うから皆が美人として扱うという『自己循環論法』の産物にすぎない」という。
 解りやすい例えである。ソローの論は、この辺もヒントになったのか?。新自由経済資本主義のフリードマン的な考え方には、
 再び戻ることはないとしても、時間と共に再び規制が緩和され、同じような大規模な金融危機が発生する可能性もある。
 それはさておいて、投資と、投機は違うもの、投機は美人投票論に近いだろう。
『儲かると信じて買い、結果として損をして売る』パターンが一般人の結果としてなる。上がり切ったところで、
 逆張りをして反対の流れをつくって暴落させる、これもあるから、素人が儲かるわけがない。
 「賭場の八百長ツボふり」と、同じである。 それもNTTの株売却時のように、国家単位で仕掛けてくる。
 このケインズの美人投票理論を応用したものが、GoogleのPageRankだと言う。よく考えるものだ。
 検索エンジンが、勝手に独自の評価項目を作り上げて選んだページではなく、Webページ同士のリンクという投票行動を、
 ページのランキングスコアとして採用したのである。 これによって、検索が原始時代から抜け出すことができるように
 なった上に、広告効果が飛躍的に伸びたのである。持っているお金さえ、国家間では相場で決まることから考えても、
 金を持つこと自体が投機行為である。その貨幣が現在、一番不安定ときているから・・・・
  ・・・・・・・・・
 2007年12月21日(金)
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる −1       (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても元に戻るものだ。人間には何があっても、あなたを
受け入れてくれる家庭を必要とする。そこが本人にとっての居場所なのであろう。以下の短い文章の中に、家庭、夫婦、
人間に必要なことは何かを考えさせられた。 強い父、優しい母、そして喧嘩する兄弟が必要である。親、教育者、上司として、
考えさせられる示唆が多く含まれている。そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。
ーーーーーーー  「存在の大地」高史明・芹沢俊介・上田紀行著
 芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。それは、一人の青年の話なのですが、
物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの青年がいて、月に何回となく物を盗むのです。それで、何回となく捕まる。
ところが警察はちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。裁判にまで持っていくことはないのです。 
彼も「もう二度とやりません」と言っては、また盗みをやる。それでまた捕まるということを繰り返していた青年がいました。
この青年に対して、ある施設で、二つの対応策が出てきたのです。・一つは、警察や裁判所をうまく使って、彼を一度
きつい場面へ追い込もうと。強い規律と訓練と指導とがあるような場所を通過させて、その後に自分たちが引き受けようという
方策を提案した人がいました。ところがもう一人、その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。
そして結局、その施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。
・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう接し方をしていったかと言うと、
とにかく特別扱いをするということをしたのです。その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人なので、
キレたときには、すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くということがひとつ。
もうひとつ、その青年は人に殴りかかったりすることはないけれども、大声を出したり、
物を投げたり蹴飛ばしたりして人を威嚇することがあるのです。その場合は、とことんやりあう。
つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声でどなり返す。
相手が物を蹴飛ばせば、自分も蹴っ飛ばす。要するに、喧嘩の相手をきちっとやる。その二つを徹底するのです。
( 字数制限のためカット 2,010年12月21日)
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2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学−1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
              「14歳からの哲学」 池田晶子著   − 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、「41歳からの哲学」と、
この「14歳からの哲学」の中から、その都度目についたテーマを考えてみる。
人間として、社会人として、家庭人として、色いろな問題を地頭で考えているから、
そして子供向きに書いてあるから、解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、  ー「家族」ーである。 
「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、その本質をつかまえておかなければおかなければなるまい。
 家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人一人が夫婦とは、親子とは何かをしっかりと把握しておかないと
両親の犠牲になったり、子供の犠牲になってしまうことになる。カナダでは親の責任は高校卒業するまでという。
卒業したら学費を夏休みと冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。
首相の子供でも、大金持ちの子供でも、もし親が出しているということが知れると、一人立ちできない人間として軽蔑されるという。
≪以下、字数制限のためカット、09年12月21日≫
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2005年12月21日(水)
1723, ベルグマンの法則
             オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
 生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
 哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
 寒い地域に生活するもののほうが、体が大きくなる。」というもの。
 例えばクマでは (。'(ェ)'。)ノ♪北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
 ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400〜500kg
 ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
 ツキノワグマ 1.5m 体重60〜150kgと、極端に北にいくほど大きくなる。☆━━━…‥‥ソウカ〜('(ェ)'ヽ)
 その理由は、体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の割合が小さく、それだけ保温効果が大きいから。 
 もっっとわかりやすく言うと、大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、考えてみるとよくわかる。
 他にも「アレンの法則 」というのもある。 キツネやアメリカのウサギ類の耳のように  m9(`ω゚)  
「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」というもの。
 突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さいと放散量が少ないためだ。     
 さらに「グログラーの法則」というものもある。哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
「近縁のものが南北に渡って分布するときは、北に生活するものがほど体色が薄く白っぽくなる傾向にある」というもの。   
 人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。確かに北国の人は色が白い。中間のアジアは黄色で、南にいくほど黒くなる。
 旅行してきて気がついたことは、カナダや北欧で黒人やインド人をほとんど見かけない。 体質的に合わないのだろう。
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 2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください
「あなた、ここにお座りください」夫に出て行けといわれた妻が、
「私の大切な物を一つ持って行きます」と風呂敷を広げた後にこう言ったそうです。 
 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモをしたくなる
「身近な人の名言・格言」と「手帳・日記・家計簿の商品企画」の大賞受賞作である。他にも幾つかあった。
ー字数の関係でカット(2008・12月21日)         
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2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2
 2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりにいった時、
 隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
 「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか? エッ74歳!その歳で離婚ですか。
 何をいっているのですか、いいを歳をして」その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
ー字数の関係でカット(2011・12月21日) 
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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
アルゼンチンタンゴがすばらしい!昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
 字数の関係でカット(2012・12月21日)
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2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。「時節到来」ということか。その時その時の何かの時節がある。
ー字数の関係でカット(2012・12月21日)


4296, 閑話小題 ー円滑法、終了の、もう一つの難題

2012年12月20日(木)

   * 円滑法終了の、もう一つの難題
 先日ニュースで、円滑法打ち切りで中小・零細企業の他に、23万人の個人の対象者の存在を報じていた。
この不況下で失業や賃金カットで住宅ローンなどの返済猶予で支えられてきた個人が、円滑法の終了で窮地に立たされるという。
中小・零細の30〜40万社の他に、個人の住宅ローンも円滑法に適応されていたことを全く知らなかった。ということは、来春の
更なる法律の順延の可能性が強くなったということか。一年間の時限立法が二年も順延したのだから打ち止め!の理屈もあるが、
現実問題として政権交代したばかりの安部政権が、参院選挙前の打ち止めは、どうだろう。これから先は常に、こういう問題が
次々と起こってくること必定。それにしても、現実に現れてきた津波の現象は凄惨である。それも洪水が始まったばかり・・
   * 自民一強、ほか八弱!
 朝日新聞の記事に、「選挙結果は、一強八弱に」とあった。参院までは公明と組み大人しくして、二ヶ月前辺りから、
改憲を前提に政界再編製か維新の会との連立の組み替えになるだろう。この憲法下では、領土問題などで近隣の国と対峙は
不利の状況であるのは周知の事実。これからは紆余曲折があっても相対的に中国の力が強くなり、アメリカは衰退する。
その中で日本は極端なアメリカ依存からの脱却が必要になる。その為、保守本流に立ち返り、独自の軍事力を持つべき時節。
また、この政権交代で地震対策と称した公共事業の利権争いが露骨に表面化することになる。民主の自壊とはいえ、自民に
議席の与えすぎ。三年もしないうちに、公共事業過剰自壊内閣として、自壊するだろうが、誰も責任を取らない。
これを繰り返しながら国家は自滅していくのだろうか。 韓国の大統領選では、政権与党の朴候補が勝ったが。朴
   * つれづれに
 恐慌か、戦争の可能性が高いと診ていた2012年も、あと二週間足らず。このまま、何事も起こらず終わるのだろうか? 
何度も必ず起こると断言してきたので、このまま何も起こらないと私の仮説が外れたことになるが、それでも起こらないに
こしたことはない。ただ不穏な感じはしてきたが。 クリントンが急性の病気で辞任するが、政治的に何かがあるのだろう。
二期目のオバマ構想で切られる前に辞めるのか、中東で何かが起きようとしているのを知り、急遽、辞めるのか。
時間がたてば分かることだが。
 ・・・・・・・
3921, 精神力ーその偉大な力 ー11
2011年12月20日(火)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * まず、自分を愛すること
【 うまく他人に処するということは、他人を使うのではなく、まず私ども自身を使うのです。
その後、相互の健全な協力を望むことです。他人と協調するには、まず自分自身を愛し、自分を尊く思わなくてはならない。
自分自身を尊ばない人、自分を非難し、自分を蔑む人は、その蔑みや非難を他人に投入するものです。そのために、他人から
抵抗や非難をうけます。誰も、自分自身としっくりいかない限り、自分を尊び、自分を健全に愛さない限り、他人を愛することは
できません。まず、自分を愛し、その上で隣人を我々と同じように愛しなさいと、キリストは言ったのです。 利己的な人は、
自分だけを愛します。彼が他の人を自分と同じく愛することを学べば、彼はもはや利己的ではありません。 健全の自己愛は
他の人と協調します。強い、健康な、活力ある、自尊心に富む人格が、他人と最もよくやっていけます。 強い人格の人が、
最もよく人を助けるのです。・・・  詩人R・ブラウニングは言いました。
「真理はわれわれの内にある。あなたがなにを信じようとも、外のものから、それが高揚されることはない。われわれすべてには
深奥の中心点があり、そこで真理が完全に住み場を得ている。そしてまわりは壁また壁で粗雑な筋肉がそれを押し込んでいる」と。
・・・あなたの真の内部自己は、知恵と威力を持っている。一度あなた自身を神性の実在として認めると、自分の生活に方向を
つけられると知られるでしょう。 思考や態度や信念を通して自動的に、体験のなかに善いものを持ってくるでしょう。
・・・私たちは習癖なしには生きていけないが、その奴隷になることもありません。習癖こそ召使いであるべきです。
私たちの中に建設的習慣を作りあげたとき、宇宙のエネルギーを得ることが出来るのです。良い召使を多く持ちなさい 】
 ▼ まず自分を愛することが、人生の基本である。そのためには両親から愛情を充分に受けること。良い両親、家庭環境が
  必要条件になるが、充分条件ではない。その人に両親のことを語らせれば、大方が分かるはずである。
  聞くに耐えられないことを言う人を度々見うけるが、自虐でしかないのが分からない。 この「まず自分を愛しなさい。
  そして同じように他人を愛しなさい」の箇所が、いやに印象に残って、私の生き方を変えた。 聖人を除けば、自愛なくして
  他愛は不自然になる。 ところが多くの人は、自愛なくして、他愛に気持ちが向かうため、相手に拒否をされる。
  真の自愛がないのは自立してないということである。 殆どの愛は突詰めれば、自愛の変容。強すぎるのも問題だが。 
 ・・・・・・・                                                      自愛のほど!   
3556, 閑話小題  ―つれづれに                                     
2010年12月20日(月)
 * 朝の瞑想
 同月同日の10年間の随想日記の一部を、数日前から私のブログ「バードウォッチ」に貼り付けている。
字数制限があるので、毎日、カットをしないと字数オーバーになる。これは、現在書いている文章が、つまらないと
将来の自分がカットするぞ!という警告になる。しかし、カットは身を削られる気分になる。
早朝5時過ぎに、前日に書きあげたテーマ日記の添削と仕上げ、そして以前書いた9年分の文章を読み返し、カットする作業は、
ある意味の瞑想になる。独りで10年間の同月同日の自分の文章(エネルギー)に向きあうのは、自分との出会いでもある。
 * 「自分の人生が嫌になった、終わりにしたかった!」 ー 昨日のニュースより ー
 高校卒業して依頼、10年フリーターで職を変えていた男が、無差別傷害をした動機が自暴自虐の、この言葉である。
10年前位まで、ウォーキングをしていると、明らかに精神を病んでいる20歳代半ばの男が自転車に乗ってブツブツ言っていた。
ところが数度に一度、自転車で向かってきて直前で避けたリ、寸止めをする。その間合いが、絶妙で怒るに怒れないで、一切無視。
10年以上、それが続いたが、ある日から突然、姿が消えた。全国的に子供が襲われる事件が相次いだ時期からである。
その男が、誰かに聞いて欲しいのだろう「俺はジイサン、バアサンに潰された!」と、呻きながら自転車で通り過ぎていった。
いやに、その言葉が心の底に残っている。数年前の秋葉原の無差別殺人事件が、両親の弄りすぎだった。 知人の多くは、
長男の話をしたがらない。 嫁姑と同じく、人生の永遠の課題である。 旧約聖書にもある。 
 * 勘違い
 自宅の敷地内にある貸家の屋根裏にハクビシンが騒いでいたという話題を、ここで取り上げた。
そこで朱鷺を襲ったのがハクビシンと勘違いをしてしまった。ある人に、あれは「テン」と注意をされ気づいたしだい。
それにしても、何でハクビシンが敷地内に? 雉や山鳩が時々見かけられるのだから、ハクビシンもいても不思議でないが。
そういえば数年前に熊も出た。鷺もいれば、鴨もいる。 そうそう、変な布を羽織った類人猿もいる。
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3181、インコの話
 2009年12月20日(日)
 私はペット好きだが、家内は大嫌い人間。 子供の頃から家には犬か猫、はたまた猿が家に同居していた。
猿は二代にわたり4年位はいた。 結婚してから10年後に、互いに妥協?をして小桜インコを5代にわたり飼っていた。
しかし子供二人が大学に行ってしまい、誰も居なくなってからは飼わなくなってしまった。 それと最後のインコを
寒さで死なせた罪悪感から飼うのを止めたのこともある。 ところが三ヶ月ほど前に、スーパーセンターの「ムサシ」の
ペット売り場で中型インコの「メキシコ・コガネインコ」を衝動買いをして飼っている。 生後半年で、人に懐いている。
近くに引っ越していった長男が、このインコを飼ってから必ず家に立ち寄り、世話をするようになった。 
本人に特に懐いていて、家内が言うには長男の車の音を聞き分けるという。 ここまで人に懐くと情がうつるもの。 
 買った時、そのインコを送り出す女店員二人が、車まで籠にいれたインコをキャリアカーで持ってきてくれたが、
何か寂しそうな顔をしていたのが印象的であった。「凄く人に懐いていて、寂しがりや。外にでたがるので、籠の蓋を開けても
外にでない臆病なところもある。三ヶ月も皆で可愛がっていたので、愛情がタップリあるので、可愛がって下さい」という。
   (字数の関係でカット 10年12月20日)
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2816, 不況景色 −5
 2008年12月20日(土)
*貸し剥がしが、全国で吹き荒れ、そして大量倒産が
一昨夜のNHKの「クローズアップ現代」は30分の枠を1時間15分に延期した厳しいものだった。
その中での中小企業への銀行の貸し剥がしを具体的にレポートしていた。
一般的には、銀行借り入れは短期と長期の組み合わせになっている。短期は、半年とか1年で借り換えをするが、
まずは、急激に悪化した企業には、借り換え時期の貸し出しを断る。銀行の立場からすれば当たり前だが、
物件持込など銀行が持ち込んだ投資案件など、銀行に梯子を外されるケースも多い。長期も計画通り返済できない時に、
返せなかった部分を銀行が追い貸しをしながら企業の回復を待つケースが多い。ところが今回の金融恐慌で、銀行も企業も
体力が消耗して上に、日本中は貸し剥がしが露骨に行われているという。レポートは、黒字を長年続けている企業に突然、
借り換え時に返済を要求してきたケースであった。 その経営者は、何で突然返済を迫られたか呆然としていた。
当社のコンサルティングをしてもらっているH氏が先日の酒席で、「銀行の貸し剥がしについて、どう定義づけますか?」と問われた。
深く意味を考えたことがないので、その時に思いのまま答えたことは「資金の切迫している弱みに付け込んで強引に資金回収すること」
あるいは「自社の都合で、借り換え時に資金を回収すること」と答えた。H氏曰く、「償却後に利益を出している会社から一方的に
資金回収すること」 成るほど思ったが、「それがホテルや製造業などの設備装置産業にいえることでは」と問い返した。
 (字数の関係でカット 11年12月20日)
・・・・・・・・・・
2007年12月20日(木)
 2451, 今日を楽しむための100の言葉
 『今日を楽しむための100の言葉』伊藤守著 ディスカバー21
「自分自身の素晴らしさに気づく」ことをテーマとするiBDセミナーを
15年間主催してきた著者が、今まで語ってきた中から100の短い言葉を選び出してある。
若い人はそのまま受け止めればよいが、この歳のためか、その正反対の言葉が出てしまう。
それでは、せっかくの言葉が台無しになるので、書くことは控える。 特に若い人に良い言葉だろう! 
・『 辛いだなんて、格好つけるな。』
・『 嘘がいけないのではない。 問題は、自分がどんな嘘をついているか、知らないこと。』
  *嬉しくもないのに嬉しいと言ってしまったり、だいじょうぶじゃないのにだいじょうぶな振りをしたり。
 わたしたちは、たくさん嘘をついている。そして、そのことに気がついていない。まるで、失神したまま生きているようだ。
・『 やりたいことはやっている。やらなかったことは、やりたくなかったこと。」
  *やっていないことを反省するより、いろんなことをたくさんやった方がいい。
 周りの人がどう思うか、そんなことはどうでもいいから。
・『 可能性は、いつもあなたの外にある。したことないこと、やってごらん。』
・『 気球が上がっていくときは、最初に砂袋を捨てるんです。
 いくらヘリウムガスを入れようと、それより重い砂袋をもっていては上がらない。
 いまもっているものを何ひとつ捨てることなく、気持ちだけ軽くなろうだなんて、ちょっとむずかしい。
・『 あぶなくなったら、トカゲは尻尾を切る。タヌキは死んだ振りをする。 ヒトは、感じない振りをする。』
・『 誰かがあなたを好きなのはあなたが優しいからじゃない。あなたがあなただから。』
・『 うまくいってる人は うまくいくパターンを使ってる。
 上手いってない人は 上手いかないパターンを使ってる。それだけのこと。』
・『 楽しくない人生は、基本的に意味が無い。」
  *毎日ご機嫌で暮らしている人の前では、業績とか財産とか、
 これまで自分がすがってきたものが、本当に色あせて感じられるものです。
・『 私たちは誰かのために生まれてきたんじゃない』
  *それなのにどうして他人の評価で自分の価値を計ろうとする習慣から 抜け出さないのだろう
・『 目標をひとつに決める勇気を持ちなさい 』
  *私たちが目標を持てないのは、目標を決めてしまったら、
 それ以外のものが手に入らなくなってしまうのではないかと恐れているから。
 何かひとつでも、本当に達成できたらすべてが手に入るというのに。
 完全になったから人に認められるわけではない完全になったから人に愛されるわけではない
・『 いちばん問題なのは、問題なんかないという状態に逃げ込んだ人。』
・『 人間はそう簡単に変われるものじゃないって?そう思っている人は,確かに変わらないと思うよ。』
・『 天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ、ないに等しい
 あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい 』
・『 ほかの誰かになろうとしない ほかの誰かにならないようにしない 』
ーー
以上だが、やはり素直に受け止めた方が良い言葉である。考えること、考え続けること、それが最も大事なことである。
そのためには独りになる時間を持つこと、問題から逃げないことである。今日を楽しむといったら、任せておけ!
と言いたいところだが・・・殆ど、私にとって当たり前のこと?でしかない?? いや、違うか??微妙なところだ!
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2006年12月20日(水)
 2087, 経験についての一考察 −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。    
歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、良い人生経験を重ねることが
熟年として豊かな心で最後の光となる、云々と前回書いた。経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。
福田和也の「成熟への名作案内」(PHP)に以下のような一節があったが、自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。
ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。
自分の真実を失う、つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、そのように認識され規定を試みた人間として、
この世の中を見ているんだという、自信というよりも、自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して
持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消してしまうこと、それが経験なのだ。
それは自分というのは、良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、しくじっても、この範囲の人間であり、
どんな窮地におかれても、最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の中で失われる、
あるいは変わるということ。 それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。
だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、自分から任じていたような、
立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、勇気も持っていないということを知り、
その崩壊のあとになお、自分の姿を見つめて生きていこうと努力することが、成熟をするということに他ならない。
  ーーー
 以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。これが「熟年という心象風景」かと、
毎日のように内省する日々である。経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。
ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。
そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」の悲しみが深く心に響いてくる。
挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく真実の光景。
そのとき、自分の価値観が根底から変化する。  この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。    
熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。その中で独り飲むコーヒーの味も良いが! 
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2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」    才八∋_φ(・ω・`)゜+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
 (字数の関係でカット 09年12月20日)
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 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7
 1969年 7月17日 神戸・垂水にて
この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。一人に振り向けば、その人以外は全てに無視されるのが女性の職場。
地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。
 (字数の関係で中間カット 10年12月20日)
 8月9日
意のむくまま、文章を書いてみよう。9月になったら、1〜5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。そこで自分を見直してみるのもよいだろう。
自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。
自分の目的が何だか解らなくなってしまう。こう文章を書いていても、この境遇から何も見えなくなりつつある。
同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。
あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。
・・・・・・・
2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の思いがでてくる。
(字数の関係でカット 12年12月20日)
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2003年12月20日(土)
 990, 軽井沢の思い出ー2
軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。麓から頂上まで一時間もしないうちに登れる山で、
独りで何回か登った。その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。 また別荘地の散策も面白い。
(字数の関係でカット 12年12月20日)
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2002年12月20日(金)
 616,パタゴニア旅行記−3
パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見た左右の視界が270?もあるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。
(字数の関係でカット 12年12月20日)
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2001年12月20日(木)
 275、後回しー我が内なる無能性
後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。後回しは半分以上やらないことだ。
 (字数の関係でカット 09年12月20日)


4295, 過去10年間を振り返り、今後の10年先を予測してみる −2

2012年12月19日(水)

   ー 2022年の年末に、この10年間を振り返った物語ふうに書いてみる。
≪ 以下の文章は、10年前に書いた2022年を想定した文章である。当時は、創業から30年事業経営していた
 会社を倒産させ二年足らずで、少し悲観的と思っていたが・・。 まずは、当時の想定をした文章をコピーしてみる。
【 * 近い将来に欧州発の世界恐慌か、イスラエルによるイランへの核施設の攻撃と、イランのホルムズ海峡の閉鎖がある。
  それに伴いNATO軍との戦争が勃発。 原油価格が暴騰、日本経済が最初に大打撃を受ける。
  そして株価の世界的暴落で一挙に世界は不安定になる。
* 欧州経済は、ますます悪化、その煽りで中国経済と社会は不安定化し、暴動が頻繁に発生、その矛先を尖閣列島、
 フィリッピンやベトナムの国境紛争を画策し、国内の不満を向ける。これに伴いアメリカも経済悪化。アメリカ国債と
 株価も暴落、一時1万3千ドルもしていたダウ平均が、8千ドルまで暴落する。
* 世界が不安定になる中、日本では首都圏直下型地震と富士山が噴火。政府は、国家非常宣言を出して、銀行閉鎖。
 経済はハイパーインフレに転じて、米やパンなど食料の一部は配給制に逆戻り。IMFが、この事態に乗り込んでくる。
 10数年前、韓国がIMFの管理下に入ったのと同じ道を歩く。 失業率は15%に、生活保護世帯は300万世帯になる。 
 現在のギリシャ、スペインの事態以下に、まさかなろうとは、誰も思っていなかったようだ。日本の国債も、それに伴い暴落、
 国を信じた善良な?年寄は路頭に迷うことになる。
* スマートフォン、タブレットなどの情報端末の性能が年々、飛躍的に良くなり、それが逆に一強他弱の傾向を強めていく。
 中古品が出回り、収入は半減しても最低生活は可能である。しかし、一部勝ち組の生活が垣間見れるため、不満が溜まる一方。】
 △ 以上が予測だったが、実際に起こった現実は、こんなものではなかった! 関東直下型地震が想定を超えた規模で、
 富士山の噴火に連動して首都圏はパニック状態に陥り、数万規模の死者・行方不明が出た。 首都圏に住む甥っ子一人が死亡。
日本経済は世界恐慌の煽りで国家経済が破綻。 そして現在、アメリカのIMFの管理下にある。 失業率は20%を超えて、
近くの小学校では夕方からの炊き出しに行列の状態。 リッチ層の多くはオーストラリアと、カナダに移住していった。
10年数年前からの傾向だが、リッチ層の子弟は海外に留学をさせるのが顕著になっている。日本でのビジネスは絶望的な事態。 
私も実のところ、76歳まで生きてはいないと思っていた。この有様では、生きていて良かったかどうか。今では首都圏からの
経済難民が日本海側に移住する流れになっている。 中国は動乱になって内乱状態。市民が武器を持ったテロ活動が始まっている。
一部の共産党幹部の汚職が目にあまりに辛辣。その反発が武器を持った蜂起になっている。共産主義という名の資本主義の汚辱が、
深く浸透した結果である。 日本は10年前まで続いていた失われた20年の後には、崩壊の10年が待っていた。≫ 
 ▼ こんな物語になるが、10年前に「2002〜2012年の過去語り」を書いていたとしたら、現実との乖離は、あまりに大きいはず。
  ということは、こんなものではないということ。 それより、まず私自身、生きているかどうか。
・・・・・・・
3920,精神力ーその偉大な力 ー10
2011年12月19日(月)
              「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
 * 人間の4つのベース
【 大生命力(宇宙にある無限のエネルギー)は、人間を通して4つの方法で自らを表現したいと望んでいます。
 ・一つは創造を通して、 ・第二はリクレーション―娯楽で、 ・第三は、あなたを通しての愛の表現で、
 ・第四には精神的に、知的に成長することを望んでいます。
 この4つの枝が等しい長さを持つギリシャの十字架を思いなさい。この十字架にあなたの人格を代表させましょう。
創造、遊び、愛、知恵の4つが基本の十字架こそ、大事なカタチになります。
仕事=創造と、遊びの重要性の重要性と、愛を持って何事にも取り組むこと。
そこて知的成長こそ、あなたの魂に再充電をしてくれる。それは、あなたの深い本質を表現を与えることになる。
だから学び続けなければならないのです。あなたは大生命力=宇宙のエネルギーへの畏敬と、その親しい交わりこそ
求めるべきことです。知性と推理が成長することこそ、大生命力があなたを通して現れ出てくることになります。
仕事も、遊びも、愛も、学びも、健全でなくてはなりません。心の絵図に従って宇宙のエネルギーは流れ込むので、
自我理想はバランスがとれ、かつ健全であることが求められます。そして、古い自我イメージを、この新しい
自我理想に置き換えなさい。これが人格造成の技巧です。理想の見地からあなた自身を考えなさい。 】
 ▼ ここでは、「力、遊、知」に「愛」が加わったバランスを人格形成の自我理想にしている。
  その年代で、重心が変わってくる。還暦もすぎると何になるのだろう? これも、それぞれの人生を
  如何に過ごし方で変わってくる。バランスも、一つは極端に突出したり、へこんだり、している。
  私の場合、「愛」が欠けていた? 八人姉兄の末っ子で、愛情を充分に受けたが、与えるのは不充分だった?
・・・・・・・
3555, 哲学的ジョーク
2010年12月19日(日)
 「プラトンとかものはし、バーに寄り道」ー ジョークで理解する哲学 ー トーマス カスカート, ダニエル クライン (著)
 少し難しいジョークと解説集。しかし考えさせられる内容で満ちていて、味わい深い。
   哲学をジョークに絡めるというより、ジョークそのものが本来、哲学を含んでいる。
 * 合理的に疑う=哲学的ジョーク 
ある被告が殺人の容疑で裁判を受けていた。有罪を示す強い証拠があったが、死体がなかったのだ。
被告人の弁護士は最終陳述で奇策に出た。「陪審員のみなさん、これからあなた方をびっくりさせようと思います。
殺されたはずの人間が、一分以内に、この法廷にはいってくるでしょう」 かれは法廷のドアのほうを見た。
動転した陪審員たちは、いっせいにドアを注視した。一分間がすぎたが、なにごともおこらなかった。弁護人はいった。
「死んだ人が廷内に歩いてはいってくるというのはわたしのでっちあげでした。ところが、あなた方の全員が期待感をもって
ドアのほうを見ました。つまり、だれかが殺されたかどうかについて、わたしはこの事件では合理的な疑問があることを、
あなた方に示したわけです。あなた方に『無罪』の評決を下されるよう、求めなければなりません」
  (字数制限のためカット 2011年12がつ19日)
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3180,今年の総括
2009年12月19日(土)
 今年も総括の時期になってしまった。 
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。
オバマが一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し民主党の鳩山政権が発足。
それと新インフルエンザが本格的な流行を始めたことと、WBCで日本が優勝、マイケル・ジャクソンが
亡くなったことぐらい。 身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、亡くなった人は従妹一人。 
 来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそうである。 今年は、中休止の年というところか。 
しかし日本経済は厳しさを増している。 当方も新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは見当たらない。 
来年は来年だが、気持ちは暗くなる。 今年を歴史的に振り返ると、「ハイパー・デフレが始まり」
「新インフルエンザが本格的に蔓延」、「自民党が崩壊、民主党が政権を取り」「国債発行が予算を超えた」が、キーワード。
決して安泰の年というのではなく急な坂を転げ落ちていく境目の年である。私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。 
9月に行こうとしたが、新インフルエンザの世界的な拡大に迷いが出て、キャンセル。 今からすると、行っておくべきだったと
後悔をしている。この恐慌の中、行かない判断も正解だったのかもしれない。2001年9月11日のテロと、去年の9月15日の
リーマンショックの激震で、世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波のウネリが大きく覆い被さってきているのが、
昨今の大不景気の原因。 今年も無事?終わりそうだが、来年はどうなっているか? 神のみぞ知るである。
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2815, 不況景色 −4
 2008年12月19日(金)
 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、深刻な事態になっている。その一つが為替差損である。
 一円のドル安でトヨタで400億というから、120円から87円となれば、33円×400億=一兆三千億円以上になる。
 数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろう?
  野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
 ー「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻りつつあるだけ」と指摘。
 金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、改革による効果というよりも、
 異常な円安バブルがもたらしたものだという。( この本は2008年5月29日に発行だが・・・)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較すると為替レートは1ドル=60〜70円程度。
 世界でほぼ同一品質のものが販売されているマクドナルドのビッグマックが課税前価格で日米で同じ価格の為替レートを算出すると
 1ドル=79円に相当するという。 これから考えても、きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の70円代
 というのも肯ける。この自動車業界の惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で成り立っていたと思うと、
 腹が立つことも事実である。
  ーこの本のP−8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
 ・・・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。東京で276円で買ったビックマックをニューヨークに
 持っていって売るとする。販売収入3、49ドルを100円のレートで日本円にすれば349円になる。
 276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益をもたらすのである。移動で品質が低下するので現実的ではないが、
 製造業では品質は低下しないから、取引は現実的になる。たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」
 とすると、日本円で276万円の車が、3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、
 右のメカニズムで利益が発生する。」 この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・・
 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べているのである。
 それも一挙だから、パニック状態になるのである。 円高は原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた
 国民からみたら、マイナスである。 その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。それが東海ベルト地帯だけが、
 その他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていたのである。
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2007年12月19日(水)
 2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!       (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が兼用になっているものも目立つ。
書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に思い出されて、
気持ちを書き残す重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記からすると、
自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になったのである。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提である。
学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いていたからだ。
公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が
日記と手帳について解りやすく書いていた。 ズバリである。下手に心情など書こうとするから書けなくなる。 
身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容からー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。 田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
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2006年12月19日(火)
 2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!−2   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!   
 「知ることよりも考えること 」−?  読書日記            
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み休み言いなさい。
 それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答えるのだろうか?
「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と言うか?
 ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。  ー生きていること自体が神秘体験だろう!−
▼ 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、本当でも嘘でもない。
 知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。 あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を
「本当のことだ」と思っている。 それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
 しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。 本当か嘘かだけではない。 
 そんなもので本当に救われるのだろうか。人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。
 オーラやカルマや臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。
 ほとんどの人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと思っている。
  (以下、字数制限のためカット 09年12月19日)
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2005年12月19日(月)
1721, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −1
『 日本一短い手紙』のシリーズを読むのが二冊目になるが この「喜怒哀楽」がよい!
  人間の赤裸々な姿だからだ。 読んだ瞬間、涙が出そうになった。 何も書けません! w(;o◎)w
 ー 第10回一筆啓上賞の中の10篇である。
口元のわずかな動きで分かります。かあさん、きょうは、うれしいんだね。  金子数栄 長崎県 59歳 農業
喜怒哀楽って季節みたいだ。1度に全部来ないし、何かを残してすぎてゆく。 寺沢紗裕里 岩手県大船渡市 15歳 中学3年
潮が引いた浜辺に貝が二つ。お父さん、私達みたいだね。次の波も 被り抜いていこう。田中久美子 熊本県水俣 46歳 地方公務員
家族全員がいたときの玄関いっぱいの あの喜怒哀楽の靴たちはどこですか  中江三青 鳥取県鳥取市 54歳 会社員
畜生!あげたてのてんぷらが食いてえ! ― ガ島で戦死した兄からの最後のハガキ ― 井邑勝 福岡県北九州市 69歳 無職
きみは小さな足でかわいい地団駄を踏む。 いったい誰から教わったんだい?  塩見直紀 京都府綾部市 37歳 自営業
雨音で目を覚ましたので窓を見たら アジサイがのぞいて笑っていました。   岸波由佳 福島県福島市 18歳 高校3年生
目を閉じるとき瞬間私は貴方との人生に「喜怒哀楽」のどの顔をするかしら   高橋直美 青森県青森市 31歳 主婦
母が怒り出したから、「だっ」と逃げたら、「だだっ」と母が追って来た。   石榑美樹 新潟県長岡市 18歳 高校3年生
いつの間にか付けていた心の仮面が、 今では勝手に感情を作る。本当の感情はどれ? 加藤裕美子 福井県福井市 15歳 高校1年生
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。もう一度頑張ってみようよ。先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、
何故か心に、空席が出来たよ。あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。     
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2
部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、
豆乳リゾッテ風、シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった。
挨拶に来た、マネジャー風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
いま流行の、スローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
    (字数制限のためカット 2010年12がつ19日)
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 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出
 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。 記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。
大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをしている軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた時期で、丁度よいタイミングであった。
(字数制限のためカット 2011年12がつ19日)
・・・・・・・
2002年12月19日(木)
615, パタゴニアの旅行記ー2
 この旅行は12月4日〜17日までの14日間の旅行であった。
・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点のアルゼンチンのカラファテに三連泊。
 (字数制限のためカット 2012年12月19日)
・・・・・・・
2001年12月19日(水)
 274,一卵性双生児
今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。
 (字数制限のためカット 2012年12月19日)
・・・・・・・・
ある時間の断片
 12月19日 1968年 
 目が覚めたのが12時少し過ぎである。少し寝すぎたようだ。食後13時から17時まで集中して卒論を書き上げる。
休んで、21時から0時まで再び集中する。そこから頭を休めるつもりで、「愛について」を読む。
(字数制限のためカット 2012年12がつ19日)


4294, 学ぶということ −5

2012年12月18日(火)

                   「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著
   * 小説に、作家と読者と中間的なものが必要!
 毎日12年近く根を込め書き続けてきて、それぞれの内容で、具体的読者を想定し文章をコントロールするようになっている。
そこで文章の内容を冷静に見つめている第三者というか、中間の別者を感じることが度々ある。 前に書いた文章を、
早朝に読み返し添削している時に、違う何かの視線が立ち上がってくる。数年先に読み返す自分の視線だろうか。 
下書きをした文章を数日間、寝かし冷静に見つめ直す時に、けったいな何かを差し置くのも一つの方法だろう。
 その辺を村上春樹の対談を抜粋して説明している。
【 村上  僕はいつも、小説というのは三者協議じゃなくちゃいけないと言うんですよ。
 柴田:  三者?
 村上:  三者協議。僕は「うなぎ説」というのを持っているんです。僕という書き手がいて、読者がいますね。
   でもその二人でだけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。僕にはうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの。
 柴田: はあ。
  村上: いや、べつにうなぎじゃなくてもいいんだけどね。たまたま僕の場合は、うなぎなんです。何でもいいんだけど。
  うなぎが好きだから。だから僕は、自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、
  膝を突き合わせて、いろいろと話し合うわけです。そうすると、小説というものが上手く立ち上がってくるのです。】
▼ 村上は中間者の存在の必要性をいっているが、中間的協議を何かケッタイな存在としてイメージするのは面白い。
 そこで、私は何にするか? 「ジャックと豆の木」「ジャック」が今、思い立ったので、これに決めた。
  「ようジャック、どう思う?」が内語として、定着するかだが。
 私:    「ところで、ジャック、このテーマと内容、どう思う?」
 ジャック: 「急にふられても、答えようがないが、私を創作してくれただけで良いんじゃないか」ってな感じか。
・・・・・・
3919, 精神力ーその偉大な力 ー9
2011年12月18日(日)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   * 黙想の重要さ
【 黙想は心をある状態に置くことです。黙想は、感情を完全に清浄にし、じゃまものを取り除き無垢にするので、善い世界と、
 その中にいる人びとが根本的に善いと知るのです。 ・・・静かな黙想に入って、動機や、あなた自身を分析することで、
 自分が真の何であるか――人間の形をした宇宙の生命力の存在であると知るのです。許すことの理解や、また私どもの過去の経験は、
 ほんとうは悪でも凶事でもないことを理解するのです。心を掃除をし、正常な精神にした後にのみ、精神治療に効果がでるのです。
 心配や恐怖が自動的に、そういう欲しない心の絵をつくりだすのです。黙想は、くつろぐこと、理解すること、許すことの
 三つをもって成り立っています。黙想そのものは創造的ではありません。それは、創造が行われる前の雰囲気、前提を作り出す。
 黙想を持って、憎しみ、心配、煩悶、怒りを取り除き、それを愛で置き換えるのです。恐怖は積極的信念で取り除けます。
 この選び決定するという力は、神が与えた、おそらく最大の威力でしょう。 】
▼ 毎朝、5時に起床し、仏前の祈りと、この文章の最後の添削と、ネットへのアップと、過去10年分の随想日記の読み直しが、
 私にとって黙想に近い状態である。 その前の起床一時間前の半覚醒状態も黙想に近い。実際は黙想でないが・・ 
 「くつろぎ、理解、許し」の三つとは逆の妄念と、格闘しているといってよい。しかし、この格闘のため、第三者の思惑などに
 惑わされない心の状態を作っていることになる。 30年間の新幹線通勤の車中も黙想に良い。 飛行機も同じだが、高速の
 乗りもの内で、目を瞑って考え事を集中するに良い。 黙想も、何も考えないで半覚醒の状態も範疇に入る。
私が最近になって始めたことは、地球の中心点=芯に気持ちを集中し、その向こう側の宇宙に出ているイメージを持つこと。
 そこは自分の魂が宇宙空間に解放されたイメージに浸れる場所である。 その刹那が黙想でもある。感動、感激、心のこもった
 感謝も、その域への解放をしてくれる魂の世界である。 まだまだ感動の絶対量が少ない! と、思う。黙想して探さなくては。
・・・・・・・
3554, ドラマの基本形は三角形           
2010年12月18日(土)                                * 脚本家ジャームス三木の目からみた「人生」とは
 十数年前に、ジェームス三木の「ドラマの作り方」をテーマにした講演を聞いたことがある。
朝の連続ドラマを書こうとしたら朝食の場面を思い浮かべる。そして味噌汁と醤油から、そのライバルメーカー同士の
男女の恋愛を想定。二人が親同士の反対を乗り越えていく物語を作れば、大衆に受けいれられる。
成る程と感心して聞いた憶えがある。 ある雑誌に「ドラマの基本形」のテーマで書いていた。 
  ーまずは、その部分からー
【「あなたは死にますよ」この予言だけは絶対にはずれない。死ななかった人間はひとりもいないからだ。
 ただし生きているという前提がなければ、死ぬことはできない。死は生存のあかしでもある。ならば生きるとはどういうことか。
 脚本塚として四十数年、人間のありようをこつこつ書いてきたが、ドラマの基本形は突きつめると二種類しかない。
  ・ひとつは敵と闘って勝つか負けるか。 ・もうひとつは困難を乗り越えて愛が実るかどつかだ。 
  闘争系ドラマは戦争もの、犯罪もの、出世物語、スポーツ根性ものといったたぐいで、勝ち負けは生存本能につながる。
 愛情系ドラマは恋愛・子育てを中心に、メロドラで、ホームドラマ、文化教育ものなど、種族保存不能と深ぐ関わる。
 つまりドラマは、動物の二大本能である食欲と性欲を、あの手この手で表現してきた。私たちが生きる意味のヒントはここにある。
 人類が他の動物より少し偉いのは、集団社会を維持する手段として、食欲と性欲の暴走を制御するシステムを編み出したからだ。
 それが神である。神が人類をつくったのではない。人類が神をつくったのである。史上最大の発明である神は、集団のコントロールに
 絶天な威力を発揮した。人々は神の下に行いを正し、倫理道徳を守り、欲望にブレーキをかけた。
 ドラマ作者から見れば、人類の行動論理は神と食欲と性欲の三極に支配されている。 人間の実体は三角形といってもいい。
 人によっては平べったい三角や、とんがった三角もある。ぐにゃぐにやした三角も、硬直した三角もあるだろう。
 いずれにしても三角形の内角の和は、すべて百八十度である。ところが厄介なことに、人類は複数の神様を創った。
 集団ごとに神が違えば、信仰は対立し排他的になり衝突する。人類を救うはずの宗教が戦争を起こす。文明が発達し、
 生活様式が変わると、集団杜会のシステムも修正せざる得なくなり、三極のうち食欲ど性欲は変えようがないので、
 神のかたちを合理化するしかなかった。それが憲法や法律、イデオロギー、正義、秩序、ルールといった〔神〕になった。
 新しい神は仕分けに不慣れで、いまだに掌握しかねている。
「死は生の終末である」人はこんなシンプルなことさえ、きちんと認織していない。】
 〜〜
 神と性欲と食欲の三角形が人間の実体か〜 歳を重ねると、食欲と性欲が減退し、神様がノサバッテきて、
変に尖がった三角形になってなってくる? それがイスラムの禁欲主義? 性欲と食欲をコントロールするため神を創った?か〜
 ・・・・・・・
3179, Twitter の意味すること!
2009年12月18日(金)
 4ヶ月前に、一度ツイッターに興味を持ち登録をして試したが、その後は全く見もしなかった。
ところが10日前になるが、衛星TVのニュース専門番組で、「ツイッター」の特別番組を放送していた。 
そこで驚いたのが、そこに自分のブログを貼り付けたり、写真を貼り付けるサービスのPicture.Twitterなどがあることだった。 
・ツイッターとは、それらを含め分りやすくいうとミニブログである。
 基本は、「140文字で、つぶやく」原始的、現場の生生しさが、見る方にとっても面白いことである。 
・モバイルや携帯電話で、気楽に、自由に、思いのままの言葉を発信できるのが取り柄である。
・そのつぶやきに、見ている人が、語りかけることが出来るのが良い。 
 それでは、自分がというと、少し抵抗がある。 しかし加藤登紀子などのつぶやきに割って入ってつぶやくことが、
 現実に可能なのである。私の場合、ヤフーのブログ《バードウォッチ》で、「つぶやき」専門として毎日書きこんでいるが、
 イタズラの書き込みがあってから、発信専門にかえた。ところで先日さっそく書店で「Twitter社会論」津田大介著
 を買ってきて読んでいる。ネットにTwitterの6つの特徴が書いてあった。 「リアルタイム性」「伝播力が強い」
 「オープン性」「独特のゆるい空気感」「使い方の自由度が高い」「属人性が強い」。
・リアルタイム性については、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「mixi」と対比して、
 その違いの一例として、「 mixiとTwitterは数分か数秒の違い 」という。 書き込みへの反応は、mixiでは早ければ
 5分程度である一方、Twitterでは早ければ数秒後。 
(以下は字数制限のためカット 11年12月18日)
・・・・・・・
2814, 不況景色 −3 
 2008年12月18日(木)
 *景況感下げ幅 過去二番目
先日の日銀の短観によると、企業の景況感が石油危機以来下げ幅が21ポイントと過去二番目になった。
今回は、その角度が大きく、速度が速いのが特徴で、一日一日と奈落に落ちるように悪化している。
ニュースや、ワイドショーなど、失業、倒産、節約などの話題一色、僅か三ヶ月で、世界が凍りついてしまった。
当然のことながら来年から大量倒産時代が到来し、それにともない大量失業者が溢れることになる。
世界恐慌は、20%の失業率というから、前年比7割になるというから、想像を遥かに超えた暗い社会になる。
長岡駅裏に、数ヶ月前から、ホームレスが三人、毎日のように座って酒を飲んだり、通行人に金をせびっている。
全国的に今後大量解雇が行なわれるというから、こういう姿が日常的になる。
年金年齢に達したから、仲間に入らなくて済む・・・ こういうのが冗談では、無くなるのである。
 *アメリカの金利が実質ゼロ!
(以下は字数制限のためカット 11年12月18日)
 −−−
 *百貨店の商売モデルは終わったのか
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
・・・・・・・・・・
2007年12月18日(火)
 2449, 今年の創作熟語     p≪゚+。ぉレ£∋ぅ。+゚≫q(´I`●)
先週、今年の創作熟語が発表された。 まず創作四字熟語とは「住友生命保険が日本全国から
世相を反映した四字熟語を創作してもらい、毎年12月中旬に発表するイベントである。」 
1989年から発表されており、10000語を超える作品が寄せられている。 第一生命のサラ川(柳)の
向こうを張ったものである。創作と名が付いているが、基本的に既存の四字熟語の文字や読みを世相を
映す単語に変更したものが多く、優秀作品はシャレの効いたものが目立つ。
そこで、読売新聞や住友生命のHPの記事を少し変えた語呂合わせをしてみた。
 ーー
{7月の参議院選挙で自民党が歴史的惨敗を喫し、「二党両壇(にとうりょうだん)」になり、その結果、突然変異で安倍前首相が辞任。
 秋より食の偽装が「連詐反応(連鎖反応)」を起こした。また医師不足問題を象徴した「医師薄寂(意志薄弱)」や様々な
ダイエット法の中でハードな「軍似痩練(ぐんじそうれん)」が大ヒット。「人離相撲(ひとりずもう)」の角界も、「廃反治拳
(はいはんちけん)」のボクシング界も、来年に向かって「出発進幸(しゅっぱつしんこう)」しましょう。} てなところである。
 −−
これまで、この存在は全く知らなかったが「創作四文字熟語」は第一生命のサラ川から見ると少しインパクトは弱いようだ。                                              ヾ(^ω^*)  
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2006年12月18日(月)
2085, 哲学者が霊能者を一刀両断すると! −1        才八∋ウ_〆(∀`●)
知ることよりも考えること −? 池田晶子著  ー読書日記
ー前世を知りたいー             
哲学者が霊能者を批判すると、これだけ説得力があるものか? 霊能者の立場の視点で読んでみると、
反論しようがみあたらない。哲学者は霊能者のいい加減さを一刀両断で以下の通り切り捨てる。
 ー人間は自分が存在しているという以上の神秘がありえない。(自分が)存在していることということは、
科学的には説明できず、理性によっても理解できない。なんで存在するのかわからないものが存在し、
毎日生きている驚くべき神秘の毎日こそ神秘体験のはずが。その当たり前のことこそを知ることが先ではないか。
ー以下は、その中の抜粋であるー    
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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2005年12月18日(日)
1720, 生きるのがつらい     ー読書日記
 「一億総うつ時代」の心理学 平凡社新書   諸富祥彦/著
 ー本の内容
この国の年間自殺者はもう何年も三万人を超えている。誰もが自分は「軽うつ」ではないかと疑いはじめている。
この時代には確かに、私たちの生きる意欲を奪う何かがある。生きるのがつらい。もう、前向きになんか生きられない。
そんな閉塞感が漂う世の中で自分の苦しみにうまく対処し、身近な人と支えあいながら生きていくには、どうすればいいのか。
反ポジティブシンキングの思想で語る、「一億総うつ時代」の心の処方箋。  (*`θ´*) i
ー目次
 第1章 みんなつらさを抱えて生きている   第2章 つらさをつらさとして受けとめる
 第3章 弱音を吐くのも生きる技術      第4章 ありのままの“今の自分”を受け入れる 
 第5章 身近な人がつらいとき        第6章 「助けあい、弱音を吐きあう関係づくり」の大切さ
  ーーーーーー                    オレ クルクル σ@( ゚∀ ゚) パー!?
こういう本のほうが私にとっては、面白い!
 ポジティブの本より、ネガティブシンキングの方が、気休めになる類の人にはプラスになるのだろう。
     (~_~;) (~Q~;) (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;) ( ̄ω ̄;)!! o    
 一部勝ち組以外は、負け組みの時代、一億総うつになるのも、必然かも知れない。
  (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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2004年12月18日(土)
 1355, 梅の花
新潟の郊外に最近「梅の花」という‘ユバと豆腐'の京懐石料理のチェーン店が開店した。本部は九州で店は61店舗。
面白そうなので、昨日の昼飯を食べに行ってみた。実をいうと、一昨日の12時にいったが、駐車場が満杯なのだ。
まさかと思い玄関口に行くと、前の若い二人連れが予約を確認して入っていった。フリー席は、もう満席で一時間待ちという。
(以下は字数制限のためカット 10年12月18日)
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2003年12月18日(木)
988, 建物をつくることは神の代行
 40年前に、父親が現在住んでいる自宅をつくった時、「将来必ず事業で上手くいかなくなる時がくる」
と想定して設計をした。売却やアパートに建替えるとか、潰しがきくようにしてある。
鉄骨の建物で、一切柱が入っていない構造になっており、中を掻き出せば、どうとでもつくりかえる事ができる。
 その教訓もあって、私が手がけてきたビルも殆ど柱を入れてない。千葉で初めて建てたビルから現在のホテルまで
増築も含めて八棟全て、やむをえない部分を除いて柱の極力ない構造にしてある。27年前に私がたずさわった実家のビルが、
最近に私の予想値よりもはるかに高く売れたのも、建物の構造が他の業種に転用可能であった為だ。30数年前に千葉の建物の
設計計画にはいった時に、設計事務所の担当に言われた言葉が「建物をつくることは神の代行」である。 
これは設計事務所の当時の社長の信念であった。特にビルは当事者の思惑とは違って、数十年も独りで生きていくものである。
それを建築主の好みで創ったとしたら、時代の変化の中で他人にわたった時に潰しが効かなくなる。
自分だけの思惑で建物は創るべきでないというのも理に適っている。たまたま実家の家が、その10年前に
「その思想のとおりのもの」を見ていたのでその意味を直ぐに理解した。26歳の時であった。それから事業で多くのことを学んだ。
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2002年12月18日(水)
 614,パタゴニア旅行記ー1
今回の旅行のハイライトはやはり氷河であった。氷河の融け水でできた湖から、氷壁と崩落を船で見るものであった。
ソニーのコマーシャルで見たものは、てっきり南極の氷が崩落するものと思っていた。しかしアルゼンチン国内の山脈の麓の湖に
崩落するものと初めて知った。ソニーのそれはペレノモレノ氷河の景観であった。まず驚いたのは氷河の美しさである。
太陽に映える白とコバルトブルーの織り成す美しさだ。どんな美しさもこの単純な輝きには敵わない。白をバックにした
コバルトブルーの輝きの美しさ。太陽の光のブルー以外を吸収して妖しく反射する美の極致だ。8000?のアンデス山脈は
パタゴニアの地でその積雪を氷床に姿を変えて最後は海に流れ込むか、山脈の麓に湖をつくりそこに自らを崩落させていく。
それを湖から眺めるのが今回の目的であった。アンデスに降り積もった万年雪が、溶解と氷結を繰り返しながら数百キロの
氷河をつくりだし、最後はその最先端で長い旅路を迎えるドラマである。それが夏の時期に目の前で見れるのである。
数日に一回の崩落と思っていたが、モレノ氷河で1時間のうちに4回の崩落が見ることができた。
静けさを打ち破る腹の底までとどろくような轟音ともに氷壁が崩れ落ちる。その瞬間誰もが息を呑み見とれるのだ。
時間が止まるとはこの事だろう。そして同時に湖面に高波が立つ。氷河が氷山に変わったのだ。その数十メートルか
数百メートル先から、氷が裂ける轟音が時々、落雷のように聞こえるのが何ともいえないバックグランドの音になる。
小さい氷山が湖面に多く漂っているのが美しい形を創っている。 自然の芸術の展示会のようである。
白鳥のようであったり、船のようであったり、ラクダであったりする。
自然は本当に大芸術家であるというのは、別に文学的言葉ではないことを思い知った!!
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2001年12月18日(火)
 218,喜怒哀楽  ー情念の世界
学生時代に読んだ、赤塚行雄の‘ナチの研究’の「教祖の話術」が印象的な内容で今もはっきり憶えている。
(以下は字数制限のためカット 12年12月18日)
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ある時間の断片
 12月18日 1968年
9時に甥のムーちゃんに起こされる。食後。浅草近くで電気商をしている従兄弟の治田さんが遊びに来る。
12歳も年上だが、子供の頃から殆ど変わってない万年青年だ。
(以下は字数制限のためカット 12年12月18日)


4293, 衆院選挙の結果について

2012年12月17日(月)

    * この結果は、ベストに近い! とみるべきか?
 選挙結果が粗方の予想通りになった。小選挙区制度では、こんなもの。これで超保守体制で難局に立ち向かうことになる。
この選挙は民主党の自滅と、第三局の乱立による共倒れと、尖閣列島などの領土問題や北朝鮮のミサイル発射も日本の右傾化を
進める結果となり、まったく空気が変わる。 民主党の弱者救済のスタンスから、弱肉強食へ大きく舵をきることになる。
グローバル化社会では割り切るしかない。 経済は、今週の株価がどうなるのか? 特に週末にかけての動きが心配である。
まずは来年三月の金融円滑法の打ち切り問題、自民党が果たして打ち切りが出来るだろうか?地元の高校の同級生が3人続けて、
倒産、不祥事、自殺が発生した。 これ、「地方は既に恐慌が始まっている」という私の説の身近な現象である。
ここで政策の大転換が必要な時節、この結果も悪くはないという見方も出来る。問題は、自公で三分の二の議席を確保したこと。
参院で法案が否決されても、再び可決出来る。おまけに改憲に反対している公明党と、この夏まで組んで、その後に、
改憲賛成の維新の会に乗り換えれば、それも可能になる。週刊誌などの事前予測の結果に近かったが、まさか60議席を
割ることになるとは思っていなかった。 タカ派の安部が、領土問題で中国と真っ向から対峙することになれば、経済に直接、
大きく響いてくる。それと、建設国債の乱発による公共事業の拡大も懸念される。地元の小選挙区では自民党の全勝。
建設業界の笑い声が聞こえてきそうである。 土建王国の宗主だった角栄の娘も、この逆風の中で落選。当然といえば当然。 
政治課題のスタンスは、「消費税増税、原発継続、改憲、原爆保持、地方への分権化、賛成。公共事業の依存化、反対!」。
そうこう考えると、最後の公共事業反対以外は、この圧勝は良かった、ということ。分かってはいたが、民主党への拒否反応が、
ここまで大きいとは驚き。 政治談議が多くなったのは、歳のため? 年末まで、株式か国債の暴落がないことを祈るばかり。
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3918, 精神力ーその偉大な力 ー8
2011年12月17日(土)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
【 難題にぶつかり、それを理解し、それを乗り越え、超越するとき、そこから多くの力と知恵を与えられます。
 それにより将来においての他の更に大きな問題に取り組めるのです。世の中には善いもの悪いものもありません。
 ただ私たちが善い悪いと思うだけです。もし問題、難題を一つの機会か励ましの挑戦と見るならば、人生に処する私たちを
弱くしたり無能にしたりすることは、ありえません。‘あらゆる事態はつまずく石か、ぬかるみの中の踏み石’です。
 すべての進歩は、なにかの問題を征服し、なにかの挑戦に戦い抜いた結果です。大生命力は、絶えず励ましの挑戦をしてきます。
 前進を促す体内の威力を見出すと、私たちは成長するのです。もし挑まれなければ成長が出来ません。
  教育さえあればとか、子供の頃の愛情の欠如で、やる気が起きないとかいう人を知っています。しかし、その逆に、
 それをバネとして、その中に善を見つけ強くなった人がいます。「あらゆる逆境は、好機のタネをもつ」といいます。
 あなたの過去の傷は打撃や損失を癒す最も良い方法の一つは、その体験の結果として生涯に起こった善いものの表を作ることです。
ものごとが良くしていくには、体験をいかに反応するかにあります。鹿が足がはやいのは、敵から逃げるために自分の体内の力に
 頼ったからです。 人間は自然界の挑戦を克服するため推理と知性を発揮してきました。 問題を受け入れ、善さを見、ゆるし、
 解放して自由にし、そして前進するか――あるいは怒り、おのれを哀れみ、自分のことだけを思い、みじめに暮らすかです。・・・ 】
  ▼ 先日の新聞記事に「壁を乗り越えようとするな、壁のまわりを動き回れ、そうすれば壁の隙間が見つかる。登ろうとするから、
 登れないと諦めてしまう」というような内容があった。上記の内容に似ている。 20歳で創業を決意し、準備を始め、結果は、
2つの経済震災と東北大震災で、この結果に終わった。が、創業も倒産も廃業も事業のうちである。その創業も、まずは精神である。
計画し、手順に入ると、まず思いもよらない難題が山のように次々と行手を阻んでくる。 初めは、それを嫌々取り組んでいたが、、
慣れてくると、 これこそが踏み台で、難題の中にこそ鍵があることが分かってきて、逆にゲームとして楽しむようになる。
 この難題がゲームの醍醐味と自分に言い聞かせ暗示をかける。 下り坂より上り始めは夢はあるが、厳しい! それも数十倍も。
何だかんだあっても、事業人生は面白い。自分の限界が常に目先に立ち塞がって、自分自身に直面する緊迫感が、である。今もか?
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3553, 「閑話小題」 が一番面白い?
2010年12月17日(金)
 「閑話小題」は書くネタが出尽くして、仕方なくメモがわりに書いた中途半端な文章を小題として、幾つか重ねたもの。 
読者からみたらバレバレと思っていた。 だから、しゃ〜ない「B級品」と割り切っていた。 その半分手抜きの文章が先日、
久々に参加した木鶏クラブの人から何気なく「閑話小題」が一番面白いと言われ、何かの間違いと、再び聞き直したほど。
それでも「その人が、たまたま、そうか?」と半信半疑だった。ところが昨日、ある知人が訪ねて来て「閑話小題」が面白いと、
全く同じことを言った。この10年間、一度も言われたことがない「‘しょうがない’閑話小題」が面白いが偶然にも一週間内に、
たて続きである。 実際、長い文章ほど時間もエネルギーも要する。書くほうからしたら、その分、自己満足する。 
昨日の友人曰く、「それは、あなたの言葉で、身近かなことを実感で書いているのが伝わってくるからよい」という。 
 日々の身近な内容はブログ「バード・ウォッチング」に書きとめていた。要は実感として書いた文章こそ、相手に伝わるのである。
記事とか書物の感想文は、自分の記憶として留めておくためのマトメとして書いている。 さらにいえば一年先、数年先の
自分が読み返し、消化するためのマトメ。 読む方からしたら、それは、それでしかない。しかし小題は書き散らした短文を
マトメタもので要点だけ書いてある。 それなら閑話小題を多くすればよい。書いている方は無我夢中であるが、読んでいる方は、
その無意識の本音を楽しんでいるのである。だから、今さら冷笑も、侮蔑も、「何じゃい、笑うなら笑え、笑われて何ぼじゃ」と、
割り切らないと。 ブログは結局は自慢話?の披瀝になる。読んでいる方は冷静に、その辺が見えている。
息抜きの文章が面白いとうと、もう少し内容に強弱をつけた方が良いということか! 書くテーマが見当たらず、
苦し紛れの「閑話小題」が、逆に、井戸の底から湧き出てくる水の味なのか。 書き、曝すことの恐ろしさと、面白さか。 
ネット・セルフも色いろ考えさせられる。 そこで、閑話小題を遡って調べたら、月に1〜2度しか書いてない。
内容も短くまとめてあり、解りやすく、言われるとおり。 これからは週一ぐらいは「閑話小題」を書くことにする。
 ところで、「ツイッター」も時々書いているんだけど! 少し軽すぎる?
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3178, アメリカは現在、どうなっているのか ー2
2009年12月17日(木)
 * アメリカの産業の現状は?
 ー 以下は、中央公論の中岡望のレポート[アメリカ、失われたバラ色の未来」の抜粋である ー
アメリカでは金融業界を「ウォール・ストリー」というのに対して、製造業などの産業のことを「メイン・ストリート」という。
現在、ウォール・ストリートは急速に回復しているが、メイン・ストリーや地方経済の低迷の色はさらに濃くなっている。
アメリカ経済の衰退はもはや避けがたい状況となっている。 デトロイトでは、自動車産業の衰退で都市そのものも機能
しなくなっている。工場労働者だけでなく、高学歴のホワイトカラーの雇用調整もかつてないスピードで行われている。
自動車会社のビッグ・スりーは工場労働者だけでなく、2006年末から今年の六月までに3万人のホワイトカラーを解雇。
かっては最強の労組と言われたUAW(全米自動車労組)も、雇用維待するための戦闘力を失ってしまっている。
その結果、ミシガン州の6月の失業率は15・6%と.全国平均の失業率を大きく上回っている。デトロイトの失業率は17・7%と
さらに高い水準になっている。同州の労働者の20%がフルタイムの仕事を探しながらも、パートタイムでしか働けない半失業の
状況に置かれている。 デトロイトの住宅市場に回役の兆しはなく、七月時点で住宅価格はピークを付けた2006年初と比べて
45%下落し地域杜会の荒廃が続いている。 同州では、高賃金が期待できる防衛関係や代替エネルギー関係や医療関係の
企業の誘致を進めているが、目立った成果は見られない。 職を失った人は悲惨である。
あるクライスラーのエンジニアは年収11万ドルを稼いでいたが、早期退職をした現在はパートタイムで働いており、
週給はわずか500ドルである。クライスラーの製造開発の責任者であった男性は、年収10万ドル以上あったが、
早期退職をして得た現在の仕事の年収は3万1千ドルである。職を失う影響は収人の滅少に留まらない。
アメリカの健康保険制度は企業が提供しており、仕事を失うことは健康保険も失うことになる。
 ▼ アメリカ社会の深刻な問題は貧困と格差である。最も豊かな国でありながら、貧富の格差は深刻。その貧者に金融危機が直撃をし、
その格差をますます大きくしたのである。貧困率は一年で12・5パーから13・2パーセントへ拡大した。「1人暮らしで100万円、
4人暮らしで200万円」以下で生活する人は4000万人と一年で、250万人も増えたという。医療も、教育現場もガタガタで日本とは
事情が全く違う。あと1〜2年後の地方が、これに近い状態だろう。 これらをみると、アメリカ一極の時代の終焉を示している。 
それだけ、この金融恐慌の影響は大きい。
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2813, ビッグスリーの救済は正しいことか?
 2008年12月17日(水)
 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を始めたというが、中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
・アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。そこまで賃金を下げるべきという議会の案に組合が反対という。
   (字数制限のためカット09年12月17日)
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2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!     ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。見たのは最後の10分位だったが、
「コムトラックス」というシステムを紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。
ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、遠隔での効率的な車両管理や
きめ細かなサポートサービスを提供する。建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集して自動的に
送信するシステム。365日24時間、本社へコムトラックスから絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、
顧客の誰にとっても「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開してお互いに有益に使うのがミソである。
一種のWeb2.0型企業ともいえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラーを追い越し、
今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の
稼動しているブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの情報 ーガソリンの在庫や、稼動状況、
機械の自己診断の記録、運転状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。それらの記録を販売会社、
顧客が交互に使用できるという。運転手のサボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座に把握できるという。
「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得をさせられてしまった。
顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、
自動的に発信するマシーンといえる。これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果できることである。ただただ、驚いてしまった。
せめて人間もブログは持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、身近に感じ取れるのは
個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。         バイバイヽ(*´∀`)ノ
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2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活            (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
 『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫     
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、その元祖といえるソローが
再び注目され始められている。1817年生まれのソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外の
ウォールデン湖のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活を記したのが、
『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。ソローは、この森の生活の中で、人間が生きるために必要なものは、
「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は
東洋的である。自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活になった反面、混沌として複雑化する
世の中にあって、単純化した生活のあり方を提示している。森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。 しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、
そういう連中ではない!まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。
都会生活につかれ田舎の生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
 ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか
確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するようになりたくなかった。
人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 生きるということはそんなにもたいせつなのだから。
深く生きて生の精髄を吸出し、もしそれがつまらなかったら、それをつきとめて、そのつまらなさを世の人々に伝えよう。
それがつまらないものであったら、それを身をもって味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・ 永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。
 ・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」(上巻172-176頁)
「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり、『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」(上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。「もし人が、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いた
とおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
そのひとは、あるものは捨ててかえりみなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりとうち立てられるだろう。・・・
生活を単純にするにしたがって、宇宙の法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまともにぶつかり、それを行きよ。
それを避けたり、けなしたりするな。それは君自身ほど悪くは無い。それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。
あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも君の生活を愛したまえ。賢人らしく菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。
我われが変わるのである。君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」  (下巻276頁)
ーーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、
遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。
ーーーー
2005年12月17日(土)
 1719, 熟年離婚           おはよう!v(=∩_∩=)v
 TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。そのうちの二〜三回しか観ていないが、
 考えさせられる問題であった。 作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
   (字数制限のためカット 2010年12月17日)
 ・・・・・・・
2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物
「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、
その先々で買ってきた小さな置物人形と、その都度社内報と随想日記に書いてきた旅行記である。 底は浅いが。
 (字数制限でカット2,012年12月17日)
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2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画
先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。といって、半年から一年だろう。
 
(字数制限のためカット11年12月17日)
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2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。
・・・・・・・ 
2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
 ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営セミナーで聴いた。「藍より青く」を創ったエピソードである。
 (字数制限でカット2,012年12月17日)
・・・・・・・
ある時間の断片
12月17日 1968年
 朝11時起床。
(字数制限でカット2,012年12月17日)


4292, 閑話小題 ーつれづれに、今日、選挙!

2012年12月16日(日)

     * 今日、衆院選挙
 今回の選挙ほど見ている分に興味深い選挙はない。この国難といえる問題山積の中、結果が大きく将来を左右するからだ。
終戦から67年、今だにアメリカに実質に占拠されている状態。この間、国民が借物の民主主義で骨抜きにされてしまった。
この世界的大変動の中で待ったなしで新憲法をつくりかえる時節になった。 明らかに民主党は、この三年間で方向を誤った。
しかし自民党は、それ以前に日本を大きく弱体化させた張本人。 県内の自民党の女性候補が何と、「人からコンクリートへ!」
と絶叫していたのを聞き耳を疑った。 彼らに票を与えすぎると地震対策という御題目で、ゼネコンマフィアと組んで、
建設国債を発行させ無制限に公共投資をしてくる。彼らの景気対策は、それしか考えられない。どっちらに転んでも、
救いようがないなら、最後の饗宴をするのも分からないでもない。 ところで、私のスタンスは、
「改憲、消費税増税、国会議大幅員削減、原発の現状維持、原爆保持、以上が賛成。インフレ政策反対」である。
今度の投票は人物第二で、家内?ともどもに無党派だが日本維新の党へ投票予定。 石原の傲慢さは好かないが、一番まとも。
     * 今年、買った最大の物は何?
 何気なく、Yahooを見ていると、今日のお題「今年、買った最大の物は何?」という言葉があった。
ハッとして考えてみた。電波歯ブラシと、ジャケット二枚に、ウォーキングシューズ、他に何だろう? 本が数冊。
後はスーパーで酒のツマミと百円ショップで小物以外、心当たりがない。そうそう、電気洗濯機を買え換えた。
これは家庭必需品。私が買った部類に入るのか入らないか。 それよりも去年の春以降、iPad以外、思い当たらない。
何か欲しい!と大体思わなくなったことがある・・ いや、年金生活者は、大体こんなものか。 現在、欲しいのはパソコン。 
だが5年使っているiMac二台が、まだ使える。TV、パソコン、月に数回のシネマ、スポーツジム、月に1〜2度の
飲み会の世界では、こんなもの。ところで家では「ママリッチ、パパプアー」。大きな夫婦間格差が現実。(´;ω;TOHO!
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3917, 精神力ーその偉大な力 ー7
2011年12月16日(金)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
* まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと
◎ ヤコブは聖書に書いている、「汝が乞うても受けないのは、誤り乞うからだ」それを別の訳にすれば、
  「あなたが求めるが受け入れられないのは、間違った求め方をするからだ」ということ。
  「その人を許しなさい。そうすれば天にいます貴方の父、すなわち大生命力は、あなたを許して下さる」
◎ 傷ついた否定的な過去の記憶では、大生命力のエネルギーの自由な流れを妨げる。それを愛と信念をもって
  書き換えねばなりません。「なんびとかに、また、なにものかに反抗して抱く全てのものをゆるせ」といった
  キリストの言葉は、非常に実用的である。
◎ もし彼を許さなかったら、私自身を不愉快な体験に、そしてまた、その人に結びつけておくのです。彼を思うたびに、
  不愉快な体験を繰り返すことになる。もし、私が誰かを傷つけたとして、彼が私を許せば、彼は解放されたことになる。
  その許すということは、彼の側の精神活動です。怒りは憎しみは、恨まれた人より、恨んだ人を傷つけるものです。
  賢い、常識的な考え方は、愛し、理解し、そして許すことです。「神よ、彼に祝福を」とだけ、心の底から言いなさい。
◎ 私たち各自は、毎日、静かに座って自分向かって次のことを言い、それをまじめに務めるがいい。
 「 ・・・ 私たち各自は大きな無限の大生命力の一部であって、大生命力は実在の一部である。その大生命力の中で、
  すべてを生き、動き、そして実在している。これは真理だから、私が行なったあらゆる過ちはについて私自身を許す。
  そして多少とも私を害したあらゆる人を私は許す。許すなら、あらゆる体験から善いことのみが私に来ると知るから。
  私が行なった一つ一つのあやまちは、より大きな理解と、より大きな機会への踏み石だから、過去のあらゆる体験を
  私は祝福する。どんな過去の体験も、今日あるいは未来において私を害さない。私が許されたいよう、私はことごとく許す。」
▼ 自己啓発の、このようなセミナーに出席して感化を受け、日常の考え方と、祈りに取り入れたら、心の傷は和らぐだろう。
20歳代半ば、何度も何度も、この本を読んで救われていた。こういう経験があったから、何人かの鬱病の相談にのれたのだろう。
現状でも平然?としていられるのは、自分で見つけ、何度も読んで一人で手当をした経験があるためと、再確認をしている。
数ヶ月前に、地球の芯からの声が聞こえてきたのは、こういう経験があったからである。芯の声は大生命の声、魂の声である。
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3552, 何に出会うかを、成長と呼ぶ
2010年12月16日(木)
  「何に出会うかを、成長と呼ぶ」 ある雑誌の新聞広告にあった言葉である。
 実際に出会った人、著書を通して出会った人、宗教的啓示で触れた何もの。大自然の荘厳な景色から受けた感動、
絵画や音楽を通して感じた作者・作曲家の魂など、出会いそのものが成長になる。マイナーの何ものかの出会いは、マイナー
成長ということか。 その中で、書物を通して崇高な教えや啓示などの出会いは、一番身近で誰もが出会う機会になる。
最近は、ネットやテレビや映画などからも多くの出会いが可能になってきた。長年の風雪の中で、これまで読み継がれてきた
古典には、何かがある。その辺から多くのことを学ぶことも出会いになる。65年間に多くの出会いと別れがあった。
自分が経験してきた蓄積が新たな出会いを呼び込むのである。 最後は自分の「死」の直感という厄介な何に出会うのだろうが。
それも刷り込まれたイメージでしかない。出会いといえば、感動が伴なった経験である。人はどれだけ、感動、感激に
出会えるかで人生の豊かさが決まってくる。 ところで、この出会いに関しては、本当に豊富であった。
その蓄積が、さらなる上質な感動の場面を作り上げてくれる。感動した対象に対し我われは何だろうか?と知りたくなる。
それが、考えるキッカケになる。 もう一つ、出会いの中で、宗教がある。知識を持ってしまった人間は、いずれは
死ぬ運命にあることを身近の人の死を通して知ってしまう。それは二人称の死で自分の死とは違うと分かっていても、
長年かけて、知人の遺体と焼却を目の当たりにすると、二人称の死を一人称の死に重ね合わせてしまう。
 出会いこそ人生であり、生き方が変ってくる。未知との遭遇、無知との遭遇、人生には色いろある。
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3177,デフレス・パイラルの脅威
 2009年12月16日(水)
* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって
転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。
土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。 近所の相場が、それによって暴落する。
会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、
薄型テレビも3割ダウンした。冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、
3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。 安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。 一番強い者だけしか生き残れないのである。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。
 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。 
日本も、数年以内に、それを超えるだろう。リーマンショックの津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 
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2812, 今年を振り返る
 2008年12月16日(火)
今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
 ■ 世界をみると
・アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦、世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続くレベルの大事件である。
・アメリカ大統領選挙で、民主党のオバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震、ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対して発した警告である。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
・北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
 ■ 国内では
・金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべきである。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、
価値のないものから否応無く淘汰される。特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?
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2007年12月16日(日)
 2447, 四四太郎の霊日記 ー12       (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。何時も同じようなことをブツブツ言っているが、違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。
ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−? ー読書日記          
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王のヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの審査会議などの低?次元の話題や、
最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。第四章ー54項目の構成だが、
ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
新ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着するなと、
繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、
何で奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
          −読書日記  岡本 吏郎著   ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。ところが先日図書館で見つけて読んだところ、
  なかなか面白い。ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
  お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺ー振り込め詐欺」
4〜5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが
売る気があるのか」とか。
字数の関係でカット(2010年12月16日)
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2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
10月27日1968年  土曜日
 夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。
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2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー


4291, 過去10年間を振り返り、今後の10年先を予測してみる

2012年12月15日(土)

  10年前の2002年から現在までのことを考えると、想定を遥かに超えた出来事の連続。もし当時に立ち返り、
 この10年の有様を予測をしても誰も信じないし、狂っていると思われるのが関の山。
  ーそこで思いのまま、この10年をダイジェスト的に書いてみると
【 地元では中越地震と柏崎沖地震の二つの大地震が発生。自宅近くの学校に被災民が避難。近くの高校のグランドには
 自衛隊ヘリが被災民を搬送をしていた。そして去年春の千年一度規模の東北大震災と津波で2万人が死亡。そして福島原発の爆発。
 現在も20〜30万人が避難民暮らし。 海外ではスマトラ沖地震で23万、中国の四川では8万人近くが亡くなった。
 他に多くの大地震が数多く発生。
  紛争では、アメリカがテロの報復でアフガンに侵攻。その後、イラクにも侵攻してアメリカ傀儡政権を樹立。
 極めつけは4年前のリーマンショック。 アメリカが世界の株式総額の10数倍の不良債権6京円を世界中にばら蒔いた。
 それが金融機関や政府機関に今も塩漬け。 さらに欧州ではリーマンショックを遥かに超えるというユーロ危機が発生。
 これまた、先行きは真っ暗。この間に当方の事業も売上げが三分の一以下に激減、昨春に倒産、現在を向かえている。・・ 】 
 ▼ これからみても、10年以上に渡り大変動が起こると予測される。 国内的に直面している問題は、東北大震災の後に、
 首都圏直下型大地震が10年以内に起こると言われている。中国・韓国。ロシアとの領土争いも想定できるし、リーマンショックの
不良債権問題と、ユーロ危機と、それを契機にした世界恐慌は起こるだろう。 さらに中国国内の動乱の可能性と、日本の
財政破綻も非常に危険。そうこう考えると、この激動の10年より遥かに大きい変動が起こるのは必定。 その意味で、
この衆院選挙は日本の先行きを決める重大な判断になる。 世界恐慌が起き、中国が動乱になり、国民の目先をかわすため
尖閣列島などの国境紛争を起こすだろう。 首都圏で数万規模の死者の直下型地震が発生、ハイパーインフレで円が暴落、等々を、
一つひとつの判断をし、乗り越えるしかない。で、「万一の備えが‘本当に’あるの?」は、まず自分への問いかけになる。
そうこう考えると、自民党の保守本流の圧勝も必要なのかもしれない。一度、ハイパーインフレで焼き尽して出直しか・・・
・・・・・・
3916, 50冊の本をデジタル化してみて ー2
2011年12月15日(木)
 iPadで書籍や雑誌などを読んでみて、間違いなく紙の書籍より馴染めたのに自分で驚いている。
ネットでブログなどの文章を読んではいたが、書籍などはiPadを買うまでは読んだことがなかった。
しかし一度読んだ本50冊をデジタル化してパソコンに入れて実際に読んだところ非常に読みやすい。
アプリが読書に便利なように作られていることもある。その上に音声読み上げ機能がついたソフトもある。
文庫本の小さな文字や写真をパソコンの大画面で大きくして読むと、今までの読書スタイルか不思議にさえ思ええる。
現在使っているAdobeの読書用のソフトが非常に良い。 実際、二日前までは、そのことに気がつかなかったということ。
デジタル化の良さは一度変更してしまうと、コピーが出来る。それをiBookや、iMacに入力して、読書が可能になる。
紙の本の方がシックリしていて良いのでは?と思うのは、デジタル化してパソコン上で読んだことがないためである。
そうでなくては電子書籍化が、ここまで急激に進むわけがない。 家電チェーン店のホット商品コーナーには、ワンタッチで
本を裁断する商品と、自動スキャナーが置いてある。 10年前と今回の事務所の閉鎖を機会に半分近くの本を処分したので、
現在は5〜600冊しか本はないが、半分は数ヶ月がかりでデジタル化することになる? コストは10万円が目安になる。
自分でやれば5万円で済むが、その気力はない。 自分で書籍のデジタル化をするのを自炊というが、自炊をやり終えた中古品が
間もなく市場に出回りだすだろう・・・ 定年後のチョッとした小遣い稼ぎとして成立するのでは? しかしネット上には、
業者が多く存在している。また、法律で制限される可能性があるというが、それは無理がある。中古品数万の投資でチョットした
ビジネスが成立するのだら、数人の顧客を確保して始めればリスクは最小で済むはず。私のデジタル本のコピーの希望者には
迷わず無料配布をするが、自分が気に入ったからといって、相手がフィットするか?である。 でも無料なら価値が充分ある。
 音楽の無料化と同じ道をたどることになる。
 ・・・・・・・
3551,閑話小題 ーつれづれに
2010年12月15日(水)
 * 7回目?の乗り過ごし
 先の土曜日の木鶏クラブの忘年会に参加して、21時半の新幹線に乗ったのはよいが、長岡駅を乗り過ごしてしまった。
浦佐駅手前のトンネルのゴーッという音で「しまった!」と気づいたが、後の祭り。浦佐に降りないで、湯沢まで行って
新潟方面の新幹線に乗れば最終前の一列車早い列車で到着するが、酔いで、そんな判断が出来ようもない。
浦佐駅ホームの小さな待合室で一時間以上も待たされた。乗り過ごしも数年ぶりになるのか。
あの寒さの中、風邪をひかなかったことを喜ばないと。最近、落し物とか、物忘れが多い。どうも変、歳のせいは分かっているが。
  * 東芝の高性能TVーセル・レガシのその後
(何度も書くが)この夏に買った東芝の未来型のテレビ、これが日ごと経つにつれて、その良さに驚きが増している。 
地デジ放送の見過ごしている番組を何時でも見ることのできる効用は、慣れるほど深くなる。地デジ全番組をビデオに録画して、
その百数十本から一つ選択してみれるのがよい。 一週間分のゴールデンタイム4時間×6チャンネルが自動録画してあり、
そこから選択して見るのは、その時点の選択出来る番組が百数十倍になったことになる。 底挽き網で全て捕ってしまうのと同じ。
これに内臓ビデオと外付けブルーレイに百位の録画があるから、選択肢が増えたぶんテレビが面白くなった。 
テレビ否定派の人がいるが、ハーバードの哲学科教授の授業や、過去に行った旅先の放送もある。歌謡ショーなど、
現場で生で見ているような錯覚になる。これも情報化の恩恵の一つか。 お宅か〜
  * 人間、それぞれの宇宙世界
 最近になって、「それぞれが、それぞれの世界を持っているというより、それぞれの『宇宙』を持っている」という
方が正しいのではと考えるようになった。「個々人の、それぞれの宇宙」とは、前から言われていたのだろう。
なぜ、「個々の世界を持っている」では、言い足りないかというと、魂を人間が持っているからである。
魂は、生きている現世の背景に広がっているだけでなく、生前、死後の内的宇宙につながっているからである。 
自分も他人も魂を持っており、それは心の背景に大きく広がり網目のように繋がっている。この感覚、以前は神秘的に思えたが、
ごく普通のこととして受けとめている。 インターネットで、キーワードで世界中の人たちと結ばれていることを考えると、
個々の魂が小宇宙として互いに継っている実感は、当然といえば当然である。   「外は広く、内は深い!」
 ・・・・・・・
3176, アメリカは現在、どうなっているのか ー1
 2009年12月15日(火)
日本とアメリカ社会は少し早いか遅いかはあるが似たような動きを示す。
日本の現状も酷いがアメリカは実際のところどうなっているのか?と思っていた。
マスコミはアメリカまでの実情を辛らつには暴かない。それ以前に、日本の現状が悪いということか。
 2001年の9・15テロと、去年のリーマンブラザーズの破綻から金融恐慌は社会的・経済的にアメリカ国民に
大きな打撃を与えた。ダブルパンチであり、この二つの事件は、連動している。 まず9.11テロの後、傷ついた経済を
立て直すためサブプライム・ローンを下層階級の人たちに勧め、それを証券化して世界中にばら撒いた。
そして、それが破裂をしてしまい100年に一度という金融恐慌を招いてしまった。失業者は瞬く間に10パーセントを超え、
2008年の末から2009年の初めにかけて三ヶ月で家計部門の純資産が100兆円以上も失われてしまった。
  アメリカのメトロポリタン生命保険会社が、毎年[アメリカンドリームの研究」という調査を行っている。
    以下は、そのレポートである。『 中央公論11月号 参照 』
《 ・回答者の59パーセントが個人破綻に追い込まれることを心配し
  ・64パーセントが住宅を手放さなければならなくなるのでは、と答えている。
  ・失業すれば二週間で蓄えが無くなると回答した人は28パーに達している。
  ・さらに56パーが、来年、失業するかもしれないと答えている。そこには楽観的なアメリカ入のイメージはない。
  ・経済的な苦境を乗り切るために多くの人はライフスタイルも変えつつある。
   44パーの人が、不況によって生活の優先順位を変えざるをえなくなったと答えている。
   大多数の入は外食を減らして自宅での食事の回数を増やし、旅行は贅沢だと考えるようになっている。
  ・40パーの人が、買い物は大型安売り店でするようになったと答えている。66パーの人は株価や住宅価格の動向に
   以前ほど注意を払わず、現在は家族や友人、子供、結婚といった‘個人的な事柄’を重視するようになっていると答えている。
  さらに同報告は「雇用不安が高まる中で職場がアメリカン.ドリームの礎石となっており、従業員福利が重要な意味を持ち始めている」
  「アメリカン・ドリームがこの一年で大きく変わったのは明らかだ。人々は人生の成功とは何か考え直し始めている」
  という興味深い指摘をしている。 どこの国でも不況期には、人々は生活防衛的になるものである。しかし同調査では、
  こうしたライフスタイルや人生観の変化は一時的なものではないと結論付けている。 ≫ 
  〜〜
 この調査から分かることは、この金融危機がアメリカ人に与えた影響は我われ日本人が見ているより遥かに大きな
 インパクトを示している。しかし、どうだろうか、日本の地方の現状も、こんなものかもしれない。
 ・・・・・・・・・
2811, 閑話小題
 2008年12月15日(月)
 *韓国経済が変なわけ
日本より一歩先に金融恐慌の影響が韓国経済を直撃、深刻な窮地に立っているようだ。韓国の経済の貿易による割合が
何と76%もあるという。ちなみに日本は、27%というから、この金融危機の影響は国家存亡の事態。
先日、日本が韓国に3兆円の緊急融資をしたことからみても、極めて重大な事態ということになる。円に対してウォンが
一年前の半値になっている。 輸入は倍、輸出は半値は厳しいだろう。自己通貨の暴落は、恐ろしいことである。
 * 医者は社会的常識に欠けるのか?
麻生の『医者は社会的常識が欠けている』は、誰も知っていること?
(字数の関係でカット 2011年12月15日)
・・・・・・・
2007年12月15日(土)
2446、狂気について
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
   「狂気について」渡辺一夫著(フランス文学者)       −読書日記
「狂気について」は、1948年のエッセイ集「寛容について」の中の一章である。
 ーまずは概要を、まとめてみたー
人間は「天使になろうとして豚になる」存在であり、おそらく狂気とはこの自覚を持たない人、あるいはこの自覚を忘れた
人間の精神状態ではないのか?と、我々には皆キチガイじみたところがあり、うっかりしてると本物になってしまう。
しかし人間というものは狂気なしには居られないものらしい。我々は、「天使になろうとして豚になりかねない」
存在である事を悟り「狂気」なくしては生活できぬ存在であることを悟るべきである。酒飲みの醜態を考えてみればよく解ること。
酔って醜態をさらし、しばらく飲まないで生活する、そして再び醜態を曝す。この循環こそ、人の状態でないのか? と。
狂気も正気も人の心に棲んでいて、これを忘れてはならない。
「戦争が狂気、平和は正気であるとするなら、戦争より平和の持続の方が実は苦しい」
平和は苦しく、戦乱は楽であることを心得て、苦しい平和を選ぶべきで、冷静と反省が、
行動の準則にならなければならない。常に「病患」を己の自然な姿と考えて、進むべき。
 ーーーー
これを読むと、何かホッとする。特に酒飲みの醜態の循環の箇所など!何かを目指したら、他からみれば
(目指している先は見えないから)狂気に見えるのは当然のこと。まずはそれを乗り越えることが求められる。
元々、人間は理想を求めれば求めるほど、「天使になろうとして、豚になりかねない」存在になってしまう。 
  (字数制限のためカット 2010年12月15日)
・・・・・・・・・
2006年12月15日(金)
 2082, ワーキングプア?   (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
12月10日(日)にNHKで総合テレビで放映された「ワーキングプア?」ー努力すれば抜け出せますか ー
がシビアで、深く考えさせられる内容であった。今年の7月に放送したのを見て、肌で感じていた厳しさを
全国の事例として目の当たりにみせられ衝撃的であったが、その続編である。
  まずは、ーNHKのHPより抜粋したものであるー
『働いても働いても豊かになれない…』。
今年7月に放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、生活保護水準以下の暮らししかできない
  『字数制限のためカット 09年12月15日』
 ・・・・・・・・・
2005年12月15日(木)
1717, 戦略ノート ー2       オッハー☆_φ(´∀`    
 以下が具体的な「戦略ノート」である。夢実現のための具体的な技術編である。
何ごとも、実際に文章化をして一つずつ実行すればよいが、誰も実行しようとしない。
−−        ma nomete  ~~旦⊂(・∀・ ) ~~旦_(-ω-`。) ドモドモ
1、自分の夢を書く  しかも締め切り入りで
2、今の自分の資源を洗い出す
   a)夢を実現するためにどれだけのことをしなければならないのか、
    そしてそのために全身全霊で打ち込む決意があることを確認する
    声明文を具体的に書きなさい
   b)夢の実現に役立つ自分の強みを三つ書きなさい
   c)夢の実現を拒むもので自分の力でなんとかできるものを三つ書きなさい
   d)夢の実現のために払うべき代償はなにか?
    ◇金銭 ◇時間 ◇人間関係◇現在の仕事・キャリア ◇安楽な生活 ◇その他
3、夢、実現への理念を書く
   自分の夢が明確になったら、実現へ向けての理念を書く
   自分の価値観と信念に根ざしたもの
4、成功への旅の進行度をたずさえてチェックする
   成功の目安となる具体的な目標を設定する
  −−−−       φ(・ω・〃) ♪
  ー他に、この本のポイントを書き出すと
    *人生の質を高めるなら自分自身を高めるしかない
    *いつか、そのうちなんて日はない
     ・今日この日に手をつける習慣をつける
     ・今日の成長は明日のための投資
     ・自己成長は自分の責任で行う   
     ・今日の成功は明日の敵   ねむ!(ρ_-)
     ・時間不足などいくらでも埋め合わせができる
     ・人生の核となる軸に時間とエネルギーを集中させよう
     ・一日一時間、週5日法でその道のエキスパートに。
     ・捨てるものを厳選しろ
     ・せっかくの知識を持ち腐れするな
(字数の関係でカット 2011年12月15日)
・・・・・・・・ 
2004年12月15日(水)
1352, 23歳の日記ー6
 6月17日 (1969年)
今日は休日である。何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。何か日ごとに会社に染まりつつある。
それ自体悪いことでないが。流されている自分が不安である。自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている姿と
どこが違うというのだろう。その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。 それが行動にチグハグが出ているのだ。
流されているという感じも、そのためだ。自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。歩むことしか、今は許されない。 
休むことも必要だ。といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。登っていることはそれでよいが、
しかし断念はしてはならない。頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくてはならないのだ。
しかし、登山には登山の準備が必要である。一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。
現在目指す山は『商道で力をつけることだ』流通業で、自分の創造力をつけることだ。しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、
不安と疑問を持ち始めているのだ。このこと自体ナンセンスなのではないか?という疑問である。5月病でしかないのか。
自らが燃えないで、どうして光をつくることができようか。そのエネルギーがこの程度ということか? どうしたのだろうか?
 7月16日 1969年 22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。四日市の検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、
やっと慣れたら、2日後に急遽転勤の辞令。実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが合併の先頭の交流の為に
神戸や大阪や姫路などに転勤である。まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。昨夜は当直、その為か
今日の午前中は肉体的極限状態。聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。店の女性を仕切っている大ボスである。
まず彼女を自分の監督下におかないと。乗りこえなくてはならない女の壁だ。四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。
ボロが出る直前だったからだ。そのため、良い思い出だけが残った。特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、エッチャン、
伊藤さん、それに梅村さんだ。四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は忘れることができない。ところで今日、
アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。それにしても、凄いところにきたものだ。
寮が、四日市で同室であった堀田君が一緒というのが救いである。丁度良い相手が同室になって良かったが、
寮生と店の人たちは、まだまだ、心を開いてはくれないが、彼らも様子見というところだろう。


4290, 学ぶということ −4

2012年12月14日(金)

                   「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著
   * 自殺は平和の時代に上昇するというが・・
 まず人生で学ばなければならないのは死である。自殺を欧米では昔から禁じている。これは、奴隷の自殺を阻止するために
つくられた価値観。奴隷の最後の自由は「苦しい生」からの逃避である。自殺は基本的に容認するか、しないかは哲学的にみても
非常に難しい問題である。平和の時代に自殺率が上昇するから脆弱病と切ってすてることはできない。
  ー まずは、その辺から・・
≪ 自殺は過去100年間の統計で見ると、一番高い年がなんと1958年なんですよ。その年は{ゴールデンイヤー・オブ・ジャパン」
 なんですけれど、その年が一番高いのです。 自殺率に関しては、世界中のすべての国に該当する法則があります。
それは、戦争しているときには下がるということです。 人間というのは、人を殺すことに忙しいときには自分は殺さない。
だから、戦争中はどの国も自殺率が激減するんです。戦争が始まると、自殺者と精神疾患者数が激減する。戦争中は精神科の
待合室にも閑古鳥が鳴いている。相当に悪い人でも戦争が始まると治るみたいです。日本の場合、自殺率は1958年に突出して高い。
それから下がって、次に1967年に上がる。その後、小さい上下の波が何度かあり、バブル崩壊直後にまた自殺率がドンと下がるんです。 
そしてまた上がって現在に至る。なんか不思議な話ですが、自殺率が戦時には下がるということは、平和な時代になると人々は
自殺するようになる、ということなんですね。その理屈でいうと、1958年、撲たち1950年代生まれの子どもたちにとっての黄金時代で
古き良き時代に自殺がビークを打ったというのは、それが1931年から始まる長い戦争と、戦後の混乱も朝鮮戦争も一段落して、
「ほっとした」年だったからなんですね、ようやく生活も楽になり、だんだんゆかになっていく実感があり、そろそろ冷蔵庫も
テレビも買えそうだし、中にはクーラーや自家車を持っている時代でした。 ≫
 ▼ 戦時中には、自殺と精神疾患は激減するのは当然といえば当然のこと。養殖の魚の囲いに食肉魚を入れると、全体の魚の
 活きが良くなるのと同じこと。生き死にの世界で自分から死ぬ人は少なくなる。 10数年前から自殺が急増したのは、抗ウツ剤
 という名目のドラッグを投与するようになったため。それを境に1・5倍とは、異常である。抗ウツ剤を投与し、死にたい奴は
 サッサと死ねと同じである。 時代が恵まれた時代に人は死にたくなるのは、北欧の自殺率も高いのと似ている現象。
 人間は多かれ少なかれ、緩慢な自殺をしているといえる。 最近、高校の同級生が不況の煽り?で自殺をした。そこで感じたのは、
「彼は耐えられなかったのだ!誰も好き勝手に自殺をしない、死にたくなるほど苦しいから死んだ。自殺は人生の敗北でない。」と。
 現状から逃避したい気持が、生からの逃避の自殺に繋がる。 それに耐えるには、逆に死を直視し、「正、中心、一点、無」の
 正を「生」に置き換え、「生、中心、一点、無」に置き換え、呟くしか、ない。この言葉から、「生を凝視すると、私という存在は、
 宇宙に浮かぶ一点」ということになる 彼の死をみて、「自殺を容認するしかない!」に気持ちが移りつつある。55歳が目安!
・・・・・
3915, 閑話小題
2011年12月14日(水)
    * 夢の中で夢に気づく
  数日前、夢の中で、「これが現実のはずはない、これは夢だ」と確信したと同時に、その場面がス〜ッと消えて白くなった。
 これまで、これに近いことがあったが、夢の中で、リアルに夢と確信したことは殆どなかった! その翌日に、似たような夢を見た。
 夢から醒めた直後に再び、その夢に戻って、その場面を見つめている夢である。夢から醒めた後に同じ場面に戻れるか試したのである。
 そういえば最近、幾重にも重なった夢をみる。ほんらい人の心は複雑怪奇なもの。潜在意識は生物の進化過程の、それぞれの記憶が
 織り込まれている。夢は、その潜在意識が現れ出て、それを見せてくれる。それも物語の形式で。
   * 脳卒中
  冬は老人にとって、脳卒中になりやすい時節。昨日のモーニングショーが脳卒中の話題を取り上げていた。
 脳卒中と脳梗塞と脳溢血とクモ膜下出血の違いについて述べていた。
◎ 脳卒中は、脳梗塞と脳溢血とくもマッカ出血などの総称 
◎ 脳梗塞 = 脳の血管が何らかの原因(塞栓、血栓、出血など)で血管が閉塞したり、狭窄することによって、
       その血管から栄養される領域の脳室・脳幹が虚血を起こし、壊死または壊死しかけている状態のこと。
◎ 脳出血 = 脳内出血と、くも膜下出血に大きく分けられます。
 ・脳内出血ー 脳の内部で細かく枝分かれしている動脈が破れて出血し、脳の中に血のかたまり(血腫)ができること。
 ・くも膜下出血ー 脳の表面を覆っている軟膜とその外側のくも膜の間に出血した状態。
 対策として、風呂とか、トイレに入った時などの温度差に気をつけること、前兆の身体の不調を見逃さないこと、
 そして万一、それらしき事態になったときは三時間が目安、速やかに救急車を呼ぶこと、などである。
 数ヶ月前に幼な馴染みも急死したが、私の年齢になったら充分、気をつけなければならない病である。
 ・・・・・・・
3550, 木鶏クラブ ー レジメ
2010年12月14日(火)
 先週の土曜日に頼まれたミニ講演(レクチャー)のレジメである。
地元では教養人?で通っている人たちの前で話すからには、通り一遍等の内容では何も残らない。
意外と渦中で殆どの人が気づかない、ネット社会到来の意味=価値を中心にすれば酒の肴にとレジメを作った。
 ■ 結論からー現在の世界恐慌?は
  ・20万前に人類が道具を使用を始めて以来の革命的道具=ネット、デジタルと、
  ・200万年に人類が言葉を使い出して以来の情報手段の革命的ツールがもたらした、現象の一つでしかない。
   このネット社会の当来は、人類にとって大変革をもたらす。ところが、識者の多くは、そのことを、あまり語らない。
   裸の王様ではないが、誰が声高に言うかどうかである。
1、時代は、どのようになっているか
  ・現在はネットデジタルがもたらしている、200万年、20万年、1万年に一度の人類にとっての革命期
  ・この恐慌は経済的に見て、500年、250年、100年に一度の大変動の序曲
   これも情報化社会の到来の一現象。  ネット化、デジタル機器の飛躍的進歩などによる電脳化は、
   人類が言語を持って脳の進化を始めて以来の革命的出来事。
  ・宇宙からの視点で、地球外から逆照射した理論が注目されてきた。 環境破壊の問題も含め
2、HPとブログに没頭した10年
   毎日、一テーマの文章作成の義務づけ
   そこで得たことは 起承転結脳、物語化の習慣づけ 論理脳
3、哲学が面白い
  この10年間、初心者向けの哲学書に徹して読んできた。特にカントに焦点を合わせて・・
  哲学はギリシャ哲学から始まりカントに納まり、そのカントから流れ出て現在に至っている。
4、秘境・異郷旅行について
  47回の旅行からえたもの アフリカ、南米、etc
   〜〜
 何か気楽に引き受けたが、軽すぎるのも、重いのも何である。地元では一応、識者?で通っている人前で何を?と。
 そこで、「このネット社会の到来は、実は20万、200万年に一度の大発明で、人類にとって大断層を起こすほどになる」
 という内容にすることにした。聞いている方は、何かキョトンとしていたようだ。梅田望夫ではないが、この10年間で、
 現実社会の他にネット社会が、いま一つ出来てしまった。そして、それが現実社会の上に覆うようになった。
 これが尖閣列島のビデオ漏洩問題とか、アメリカ政府の秘密漏洩事件につながる。抑えようがないのが現実である。 
・・・・・・・
3175,学習性無力感
 2009年12月14日(月)
[私はいつも仕事でミスばかりしている」[自分が就職する企業は、何処も良くない」「どうせ自分は何をしてもダメだ」
「旅行に出ると、嫌のことばかりつづく」「女性には持てたことがない」「あ〜あ、面白くない」とマイナーなことばかり
目に捉われる人がいる。そういう心理傾向を[抑うつ的自己意識スタイル」という。悲観主義者である。誰も失敗したり、
何をしても駄目な時期がある。そして自己嫌悪に陥り、欝症になり、それが重くなると、鬱病になる。
そして、マイナーな言葉により、何もヤル気がなくなる。それを[学習性無力感」の法則という。
その底から、這い上がる過程で自分を作り、そこで力がつく。
 アメリカの心理学者の実験がある。
≪ 第一のグループには騒音を止めることが可能で、第二のグループにはコントロール不可能な状況に置き、その後、
全員を騒音を止めることが可能な状況に置いたところ、第一のグループは簡単に騒音を止めることができたが、第二のグループは、
「学習性無力感」が働いたのか、誰も騒音を止めようとせず、その状況に耐え続けることしか出来なかったというのである。≫
 一番の問題は≪どうせ自分なんか≫という考えが習慣になると、ろくなことがないということ。
これに対して、成功体験が人間をプラスを重複して導き出すのである。これが世の中に出回っている「成功本」の共通点。
この「学習性無力感」をもじれば、「学習性達成感」ということになる。大相撲やプロ野球で、優勝回数の多い力士や選手は、
ますますヤル気が出て練習に熱が入る。 優勝というゴールセッテングが体験でハッキリイメージできるからである。
逆に、失敗時のイメージを持つと、負け犬になってしまう。 「学習性無力感」が付いているのである。
 恐ろしいのは、この20年近く日本は、バブルの崩壊以来、どうも学習性無力感が国に、ついてしまったことだ。
現在の若者の間で、「一度で良いから景気の良い社会を経験してみたい」という願望があるという。
景気がよく、努力をすれば報われる実例が周りにあれば、自分も!と啓発されるのだろうが・・・
 ・・・・・・・・
2810, 禁断の市場
2008年12月14日(日)
「禁断の市場 ーフラクタルでみるリスクとリターン」   ベノワ・B・マンデルブロ (著)
この本の「内容紹介」と『禁断の金融10ヵ条」が、簡潔に纏めてある概要である。
それぞれのページは、あまりに難しいので、この部分をジックリと理解することで良しとした。
 これもフラクタル理論の応用?
ー内容紹介ー
「フラクタル」という言葉、あるいは本書の著者である「マンデルブロ」については、どこかで聞き覚えがあると思います。
フラクタルとは、全体を一定の割合で縮小すると部分が再現できることを指します(部分と全体の自己相似)。
1970年代にマンデルブロにより命名され体系化された概念です(本書167頁)。自然現象との幅広い関わりが研究され、
統計物理学、宇宙論、気象学、水文学、地形学、解剖学、分類学、神経学、言語学、情報技術、コンピュータグラフィックス
などの分野にさまざまな影響を及ぼしています。 インターネットで「フラクタル」あるいは「マンデルブロ集合」を
検索していただければ、どこかで見たような図を多数見ることができます。雲や山脈などの風景を描いた、「写真」のような
図もありますが、コンピュータが計算して描いたグラフィックスです(本書196、324頁)。
マンデルブロ以前には、自然の世界において「雲は丸くないし、山は円錐ではないし、海岸線は滑らかではない」ことを
数学的に説明することは不可能でした。それを明らかにしたのが、1982年に刊行された『フラクタル幾何学』(翻訳は1985年)です。
その功績は「私たちが自然を見る目を変えてくれた」と称えられ、1993年には物理学の世界で権威あるウォルフ賞を受賞している。
また2003年には日本国際賞を受賞しています。 本書は、その考え方を金融市場に応用したものです。
マンデルブロにとっては、1960年代から続けてきた研究ですが、一般書の形で発表されるのは本書が初めてです。
マンデルブロの研究は、所得の分布と綿花価格の変位の分布、乱流状態にある流体エネルギー散逸量の変動と金融市場における
ボラティリティの変動の類似性など、グラフを見比べて「似ている」と感じた直感に基づいて研究が発展したそうです。
本書では、「自然現象のフラクタルと経済現象のフラクタル」は同一のものであり、このフラクタル幾何学を金融市場に
適用することによって「ランダムウォーク理論からは予想できないバブルの発生と崩壊」が理解できるようになるという
マンデルブロの考え方が示されています。金融工学の基礎となっているのは、コインを投げて、表が出たら相場が上がり、
裏が出たら下がるという最も単純な「マイルド型」のランダムさの変動をモデル化した概念です。実際の市場は理不尽な動きをする
「ワイルド型」のランダムさに基づいて動いている。市場の動きを説明しモデル化できるのは「洪水」や「大気の乱流」などを
説明できる「マルチフラクタル・モデル」であるとマンデルブロは主張します。 2008年1月のダボス会議でライス国務長官は、
サブプライムに揺れる世界経済について「われわれは今、タービュランス(乱気流)のなかにいる」と発言し、話題になりました。
 ーーー
 それにしては、内容が難しい。そこで、一番の要点の12章の「禁断の金融10ヶ条」から、「サブプラム・ローン入りの債権」
で大損をした無数の人を対象に、これを当てはめると、この意味が解るから面白い。 私も証券会社の人を近づけていたら、
毒入り債権を買っていた可能性があるからだ。「だろう」と、結果としての「〜になった」は、違うのである。
 *禁断の金融10ヶ条     
*市場価格とは乱高下するものである。 
*市場とは、きわめてリスクの高いものである
 ー既存の金融理論ではけっして起こるはずのないリスクが現実に起こる
*市場のタイミングはきわめて重要である。 巨額の利益と損失は短期間に集中して起こる
*価格はしばし不連続にジャンプする。そして、それがリスクを高くする。
*市場での時間は、人によって進み方が違う
*いつでもどこでも市場は同じように振る舞う
*市場は本来不確実であり、バブルは避けることがでぎない
*市場は人をだます
*脳の予想は無理と思え。しかし、ボラティリティなら予測可能だ (*価格変動率)
*市場における価値は限定された価値である
 −−−
何か大損をしたと想定して、これを読むと、一言一言が実感として解る。
間違っても、証券会社の言いなりになってはならないということである。
・・・・・・・・・
2007年12月14日(金)
2445, ルサンチマン           (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
 初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、その鋭い指摘に驚かされてしまった。
弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。
 *まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態を
いう言葉だが、ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の起源を説明するために用いた。 
彼によればキリスト教道徳や,そこから生まれた近代市民社会のヒューマニズムや人権の思想は,
弱者の強者に対する恨みや復讐心を道徳として表した奴隷の道徳なのである。 
この延長上にある社会主義の思想も,このような奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。
ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや勇気を讃える戦士の道徳,
君主の道徳を対置した(ニーチェ『道徳の系譜』)。これは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
あるブログの中では、
{ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。勝者は敗者の財宝や婦女を奪い去っていく。
残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を悪の権化として呪うだろう。 
それに比べ、罪なき自分たちは善である。「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には
優位に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
(字数制限のためカット 2011年12月14日)
・・・・・・・・・
2006年12月14日(木)
 2081, あたりまえのことばかり −20         才八∋ウ_〆(∀`●)       
  ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、なかなか切れ味は鋭い。
  「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、なるほど!である。 向こう側とは何処なのか?
  学生時代に[情念の話術]という本を読んで、実際に自分で試したことがあった。
  喜怒哀楽を前面に出して、自分を押し出して、話しをする。車でいうと、感情というエンジンを前輪駆動にする。
  これをやりだすと、それまでと全く違った自分を見出せる。
  抑えている感情を逆に、エンジン代わりに言葉にのせて自分を奮い立たせる。
  これは性格改造にもなるが半面、非常に危険である。一つ間違うと、周囲を深く傷つけてしまう。
  これはヒットラーが大衆を煽動する手段として演説などに使った。よほど計算を緻密にしておかないと、
  自分が見えなくなる。しかし自分の感情を常に支配下に置くに、よい訓練になった。
  感情を道具にするのだから。傷つくということは、感情に支配さえていることだから! 
   ー傷を癒すには傷とは何か、傷つく感情とは何かを、考えてみなければなるまい。
   虚構の自我に捕らわれている自分に気づいていない無知が、勝手に傷ついているだけ。
  要点を抜粋してみる。
 ーーーーーーーーーーー
 どうすれば癒されるのか −?
 ーーーーーーーーーーー
 私が私であり、私の心が私の身体の中に存在するという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、各種のグッズや
 セラピーによって「癒される」。癒されたと思い込むことができる。「本当」の傷を負った人々は、
 そのような単純な主客二元の処方箋では治療できず、「本当か」の問いに直面するのではなかろうか。
 すなわち、傷ついている人は誰なのか。「私の」意志を越えて立ち上がるこの感情の激しさとは何か。
  (字数制限のためカット 2010年12月14日)
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2005年12月14日(水)
1716, 絵文字が面白い!ー2
  ー喜怒哀楽の絵文字
 (以下、字数制限のためカット 09年12月14日)
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2004年12月14日(火)
1351, 全日本相撲選手権
  (字数制限のためカット 2010年12月14日)
・・・・・・・
2003年12月14日(日)
984, 電波時計 
 (字数制限のためカット 2010年12月14日)
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2002年12月14日(土)
610,ある時間の断片-24
  10月24日 木曜日
6時半起床。 7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。ホステラーが帰った後、一人で過ごす。
・・・・・・・・
2001年12月14日(金)
269,再開発の愚
過去に書いた再開発の愚の文をコピーしておくが、懲りずまたもや新潟駅前で始まった。

 (字数の関係でカット08年12月14日)
・・・・・・・・・
12月14日 土曜日  1968年
 12時に、同級生の雨宮のフォークソングのライブを聞きに行く。以前、長岡の自宅の遊びがてら泊まりにきたことがある友人だ。
ーその見返りに茅ヶ崎の旅館に泊まりに行った。
 (字数の関係でカット12年12月14日)


4289, 学ぶということ −3

2012年12月13日(木)

                   「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著
   * 教えたい人間が引き受けるべきリスク ー教育の原点
 教育だけでなく、事業も、忘年会の幹事も全てに通じる内容である。何かを引き受けたり、事業を立ち上げたようと
決心した瞬間から全うしようとする自己責任が起きる。これは誰の問題でなく自分の問題。決心と実践の本質の問題になる。 
著者は教育者のため「教えたい人間」が主語だが、実は「実践者としての人間」が、引き受けるリスクのテーマである。
  ー まずは、その辺を書き出して考えてみる。
≪ 教えるということは本質的には「おせっかい」だということが骨身にしみたのは、ある出来事のせいです。
 ・・80年代の中ごろ道場を始めた。台風がきて、一時間くらい薄暗い体育館の中でまっていたけど誰も来ない。
そこの道場の中に座りこんで、来るか来ないかわからならない門人が来るのを待っている。これは理不尽でないかな、と。 
「だいたい、ただ同然のすごい安い月謝で教えているのにさ、ちゃんと来いよな」と思ったり、だんだん気分が沈んできた。
そのときに体育館の鉄の扉がガラガラと開いて、近くの中学生が顔を出した。「あ、先生いたんだ。今日台風だから
稽古ないのかと思った」「台風でもやるよ」。それから二人で一時間くらい稽古をしました。そのとき、外で嵐が
荒れ狂う暗い体育館で腕組みしながら、誰も来ない畳の上に座って待っていたときに、僕は覚悟したんです。
人に教えるって、多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、こちらが「教えたい」と
言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければ! そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、
待ってなければいけない。畳を敷いて、準備体操をして、呼吸法もして、いつでも稽古できるように備えていなければならない。
それが「教えたい」と言った人間の責任の取り方じゃないか、と。そのとき、教育というのは多分そういうものと思ったのです。 
27・8歳の頃でしたが、気持ちは今でも変わっていません。それが僕のなかの起点的経験としてあるのです。≫ 
 ▼ 新潟で30年近く前に立ち上げた会が、今でも続いている。私は10年ほど前に抜けたが、先日、参加してきた。
  私の経験からして幹事は大変のはず。これを立ち上げに際して、3年は続ける! が、後は成り行き次第と決心をした。
 最初は我慢我慢の連続。「荒れ狂う、体育館で腕組み」なんてものでない。その会を利用してやろうという気が全くないため、
 逆に欲が見えてくる。それも土足で平気で上がりこんで来る。「私は来てやっている」というのが丸見え。その我慢そのものが
 修養になったが、「自分が引き受けたからには、やるしかない」と続けたが・・。 慣れると、その我慢も面白くなる。
 何も知らず参加している方々は、私は鼻持ちならない傲慢な場所貸しの男でしかない。 そして30年、時代は大きく変わった。
 事業も同じ。これは己の魂の問題。生きんがため、そして自己実現のため、リスクを背負い、心の奥底は半狂乱。それを隠し、
 ひたすら思いの実現のため手順を踏む。起承転、の後に待っていた「結」は、経済大震災。40年前に事業を始めるにあたって、
 全てを失っても後悔はしないと何度も心に誓ったので、後悔の念は無い。リスクに、普通のリスクと震災型リスクがあったのだ。
・・・・・
3914, 50冊の本をデジタル化してみて
2011年12月13日(火)
 iPad2を購入して4ヶ月になるが、これは良い。パソコンゲームは面白し、ネットサーフィンが直ぐに出来、電子書籍を気楽に読め、
アプリが豊富で面白いのが手軽に入手出来るなど、充分に満足している。そうこうあって二ヶ月前に50冊の本をスキャン代行業者に送り
デジタル化した。 本を送った一週間後に封筒に一本のUSBが送ってきた。そこに全てが入力されていた。 
ところが、これをiPadに如何したら移行したらよいか分からず二ヶ月以上経った。 サポートセンターへ電話をすれば済む問題だが、
まだ本気になっていないだけのこと。 特に気に入っていた本を送ったため、デジタル化の判断を間違えてしまったか、後悔しかけたが、
数日前から気を取り直して居間と書斎にあるiMacパソコン取り込み読んでみたが、これが案外に良い。 特に字を大きく出来るのがよい。
実際のところ目の前に本があっても、いざ開いて読むかというと、必要にせまられないとなかなか開かない。ところが、パソコン画面の
ファイルに50冊を入れておき、気が向くとクリック一つで気楽に本を開けるのが良い。 それも大文字にワンタッチで変換できる。
先日、東京に行ったときに駅の売店で何気なく週刊誌を買ったが、家内に「何で、電子の週刊誌にしないの?」と言われ、ハッとした。 
朝にネットでiPadに入れていけば良かったのだ。しかし売店で選び車内でバラバラと見ること自体が良いのだが。
実際に、紙の週刊誌と、iPadの中の週刊誌のどちらを取るかというと、もちろん電子本。 紙の週刊誌は、一度読むと二度と開く
ことはないが、電子書棚に放り込んでおけば開く機会が格段に多くなる。 ところで、送料を入れると電子書籍化には200円かかるが、
200冊で4万円が高いかどうかである。実際にiPadとデスクトップでダウンロードした書籍などを読んでみて実感したことは、数年で、
間違いなく日本の出版業界と書店は滅的打撃を受けるということ。 50冊のデジタル化は早まったか?の、迷いはきれいに無くなった。
私にとって、これは読書のスタイルという面で大きな出来事になる。 年内に、あと50冊を電子化するかどうか思案中である。
それにしても、パソコンとiPadとiBookで書籍を読もうとは思ってもいなかった。
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3549, 生きてるだけでなぜ悪い ? ー1
2010年12月13日(月)
  「生きてるだけでなぜ悪い?」―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋ー 中島 義道 , 香山 リカ (著)
 中島義道が、女心理学者に最後まで、遠慮をしているようで、歯切れは悪いが、それでも面白い。
二人とも大学を出て社会的にも金銭的にも恵まれている余裕からこそ、好きなように出来るが、それがないと?
島国の世間的体質にドップリ漬かり、そこから一歩も出ることができない日本人に冷笑をしているのである。
 地方に住んでいると全く開き直りの出来ない人達に呆れるやら、腹がたつやら。
  ーまずは内容紹介よりー
 若い読者を対象に「生き難い」男女に語りかけてみました。しかし両著者とも、他に類を見ないような「突き放した態度」や、
「見もふたもない態度」で一貫しています。 甘えを蹴飛ばし自己幻想を突き破り、しっかり自分を見よ!と、「喝」を入れる。
 といって、「まじめに生きればいつか報われる」なんぞクソ食らえ。 人生何事もやってみなければ分からない。
「成功したければ動け! 失敗しても学ぶ事はある」といったメッセージ
 〜まずは< 第1章 結婚なんかしなくていい! >から〜
 家族至上主義を告発し、家族がないっていいね、といっても排斥されない健全な世の中がくればよい。
 ー中島義道の結論ー 現代日本は多様化していると言われながら、「勝ち組」と「負け組」という言葉が横行しているように、
ずいぶんはっきりした価値基準があります。結婚や家庭もその一つ。結婚したくてもできない人は「負け組」に分類され、
結婚できるのにしたくない人は「変人」に分類される。 そして「家庭」とか「家族」という言葉こそ、錦の御旗になっている。
「あなたにとって一番大切なものは何?」と聞かれて「家族」と答える人は、まともな人。「金」や「会社」、まして「自分」
と答える人は、「かわいそうな人」なのです。しかも、結婚して家庭をつくることは、現代日本では「つつましい幸福」
とみなされているからこそ、「善良な市民」という名の、何の才能もないけれど身の丈に合った幸福を求めている国民大衆に
大受けする。こういう風潮を「家族至上主義」と呼んで私はずっと告発してきましたが、今や「家族ファシズム」と呼んだほうが
いいかもしれない。「家族っていいね」とごく自然に語る人と並んで、「家族がないっていいね」とごく自然に語る人が
排斥されない「健全な」世の中が早く来ないかなあ、と思います。
 ー香山リカの結論ー 結婚で得られる自信や安心は、本当の意味では自分を支えてくれない。
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 時代の流れだろうが、結婚すること自体が難しい時代になってきた。「結婚をして家庭を一度は作らないと、
それを肯定も否定も出来ない。」というのは、「家族至上主義」の侵されているためか。しかし、ベースであることは確か。
逆に「家族で群れてなぜ悪い?」という問いを立てると、そのプラス・マイナスが見えてくる。「群れている分には良いが、
独りになれないだろう」とか、逆に「‘人’と‘人間’の初めの境い目が家族だろう」とか。
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3174,言葉はこころの杖
2009年12月13日(日)
 「片耳の話」ー秋山駿著 で、
「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよい。
 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」
「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。
 もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介する。
《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま飲ませる
 連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、言葉は本来楽しく、
 かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用し、また無造作に使う者がいて、そうなると言葉は人情に反し、
 かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、言葉の人生に対する影響を述べている。 
それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖と
しなければならない。「ありがとうございます」や「般若心教」は、こころの杖として、最上級のものだろう。
仏教では「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華教」という御経を杖として与えている。晩年は如何に良い言葉を多く知っているかで
決まってくる。そういえば学生時代、紙に書いて部屋の壁に貼っていた言葉がある。
  ロマンローランの「ベートーベンの生涯」の中の言葉
「良くかつ高貴に行動する人間は、それだけでも不幸に耐えることが出来る」
「苦難の通りぬけて歓喜へ」である。 現在は何だろう? 「如何にでもなる!」あたりか?
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2809, 閑話小題
2008年12月13日(土)
 閑話小題
 *米自動車救済法案、協議決裂 政府支援白紙だと!
間違いなく通過するだろうと見ていた米自動車救済法案が決裂、政府支援が白紙になった。
これから、どうなるかが問題だが、これを書いている12日の16時現在では、アメリカの株が大暴落の可能性がある。
株の世界は、これを逆に好感するかもしれないが、この時期では弱気が大勢を占めているので暴落になるのだろうか。
その方が、下手に延命して無駄な資金を垂れ流すより良いことは誰の目にも明らかである。
ドルはアッサリと90円を割ってしまった。長い目で見れば、日本車のメーカーはプラスに働くだろう。
しかし当面は七転八倒の苦しみを味わうことになる。 何とか輸出企業の頑張りで持っていた日本経済の信号は黄色点滅から、
一挙に赤信号?になってしまった。もし、GMが倒産でもすれば、アメリカ経済は氷河期に入り、その影響は世界も
大恐慌への足が速くなる。考えただけでも恐ろしい。恐らく、これに合わせて日本の政局も大きく動き出すことになる。
しかし、取りあえず救済策を出すしかない。
 * オバマ政権の顔ぶれをみると
(字数の関係で中略(2011年12月12日))
 * アメリカが新ドルの発行で、対外債務を半分に?
オバマが、大統領に就任した後の、近い将来にアメリカが『新ドル』に変更。旧ドル二ドルに対して、新ドル一ドルにするのでは?
という説がある。早く言えば、「どっちにしてもドルは半分の価値になるのだから、新ドルに切り替え、交換比率を半分にして
借金の半分を踏む倒す」というもの。「国内的には給料は維持するから預金を持っている人は、半分になる反面、
借り入れをしている人も半分になる。給料は、そのままにする」というのだから、大問題になるだろう。それしかないだろうと、
日本の学者が、その可能性を述べているに過ぎないが。しかし、日本もして欲しいものだが、無理だろう。
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*トヨタが100万台以上の生産削減
トヨタが、グループを含めて100万台以上の車の生産を決めたと、昨日の朝に報じていた。
(字数の関係で中略(2011年12月12日))
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2007年12月13日(木)
2444, 挫折は財産           (^ω ^)おはようw            
  故・音羽信子の夫であり、映画監督・新藤兼人の次の言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしよ。生き延びてきたということは、挫折を乗り越えてきたからなんです。 
 そうすると、私の財産は挫折なんです。乗り越えるためには、試行錯誤があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。
 これからするわけなんだから。だから、若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、
 私が挫折という財産を持っているからなんです。」
ー図書館で何気なく手に取った本の中の新藤兼人の言葉である。挫折を財産と言えるには、結果として乗り越えたからである。
 人生はいずれにしても、最後は何らかのカタチの挫折が待っている。挫折は誰のせいではない。自分自身の問題だから自分で
 解決するしかない。 挫折から人は多くのことを学ぶ。乗り越えられなくても、諦めるしかない、そのことの方が何倍も大事である。 
 諦念の底から知恵が出てくる。知恵など出なくても、挫折した人の気持ちを知ることが出来る。 
 多くのことを考えさせてくれる言葉である。
渡辺貞夫の次の言葉もよい。
「練習は出来るかぎり毎日欠かさない。楽器はシビアなんですよ。適当にやっていては、言うことを聞いてくれない。
 また楽器も手応えのあるものでないと、 サックスは一言でいうと、ぼくの批判者。
 サキソフォンを通して、僕の状態が何時もみえる。 僕がよければ、いい音を出してくれるし。
 だから楽器を通して、僕は今の自分が全部見えるんです。」
ーこれは、一つのことに徹してる人だったら言える言葉だろうが、自分の選んだ楽器と心が一体化しているという響きが良い。
 二人とも一流のプロである。多くの難問を乗り越えてきた経験から出た言葉である。         *・д・*)ノ″
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2006年12月13日(水)
2080, 談合列島!−3
       _ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
昨日・一昨日、この随想日記に「談合列島」というテーマで書いたところ、昨日の19時半のNHK
「クローズアップ現代」で、ー談合列島ーが二日間にわたり放送していた。
一昨日は忘年会でみることが出来なかったが、昨日の「崩れ始めた“談合列島”」は、
脱談合が進みつつある業界の実態に迫るもの。 公共事業の大幅な削減や談合を規制する制度改正が進む中、地方では、
従来型の談合では共倒れになると業者が対立。"談合破り"とそれに対する報復が繰り広げられるなどの異変が起きている
現状をレポートしていた。一連の県知事逮捕が続いている中で、タイミング的に丁度よい内容である。
大手ゼネコンや機械メーカーは、独占禁止法改正による罰則強化をきっかけに"脱談合"を宣言。その結果、入札の現場では
自由競争が促進されたが、予定価格の50〜60%の「叩き合い」が起きているという。
談合で守られていた価格破壊が、一挙にこの業界襲っている。建設関係の従事者が国民の一割に当たるというから、
この数年は、すざましい淘汰が吹き荒れることは必定である。公共工事が平成七年の35兆円から、現在は半分に減少している。 
(字数の関係で中略(2011年12月12日))
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2005年12月13日(火)
1715, 下流社会    茶 どうぞ ( ^-^)_且~~~
最近、下流階級とか、下流社会という言葉が目につく。 その丁度良いタイミングに『下流社会』という本が出た。
先取りの典型的な本である。初めて東京暮らしをして実感をしたのが「世の中は歴然とした階級社会」ということであった。    
(*o☆)\ 初対面で、自己紹介で何気なく自分の身分のキーワードを入れる。それでそれぞれの立場(階級)を確認するのだ。 
情報化、グローバル化は結果として競争激化をもたらす。それが激しければ激しいほど、階級格差がハッキリする。
特に近年の競争の激化が中流社会を希薄にし、一部勝ち組の上流?社会と、他の負け組みの下流社会の二分化を鮮明にしだした。
そういえば「○金」「○ビ」という二分法が、80年代末の日本では一世を風靡したことがあった。
                      オレ〇ビ? σ(*`θ´*)
ーーー
ーこの本のインターネットで調べた概要を編集してコピーしてみたー 〔読まなくても充分である。〕           
 「下流社会  新たな階層集団の出現」光文社新書(著:三浦展)
「下流」とは、単に所得が低いということではない。
 コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。
 その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。 そして彼らの中には、だらだら歩き、
 だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。(「はじめに」より)
 団塊ジュニア(1970年〜1975年頃誕生)世代の女性で「上流」意識を持っている人が気に入っている
 時計のブランドがオメガ等を押さえてセイコーやシチズンであるという。
 オメガからシチズンに変えた理由はオメガの鎖が切れたので修理しようとしたところ、大変な時間と費用が
 かかることが分かったからだ。また自動巻きのオメガは少し外していると止まってしまうし、月末には日付の調整を
 しなければならない。それに較べて電波時計は、全くのメンテナンスフリーだからだ。   
 時計とは「正確」で「手間がかからず」「そこそこの堅牢性」があることが最大のポイントだ。
 それをデザインだの、手巻きに味がある等と講釈を付けるのは時計メーカーのセールストークに過ぎないだろう。
 時刻合わせに気を使うより、世の中には沢山しなければならないことがある。 (/_ _ )/♪へ(-。-へ)♪(/_ _ )/
 先程の時計の調査で下流階級ほどロレックスやオメガを好む傾向が出ている。外見以外に自分を際立たせるもののない
 下流階級の悲しい性(さが)という。 著者は「『下』は自民党とフジテレビが好き」であることを指摘している。
(字数の関係で中略(2007年12月12日))

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