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堀井On-Line
| 4284, 閑話小題 ー毎年、100万人が定年退職 |
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2012年12月08日(土)
* 毎年、100万人が定年退職 団塊の世代が今年から100万人単位で定年で退職をむかえている。 大よそ5〜6年として500万人以上になる。退職後に 家では古女房が待ち構えていて、日が経つにつれブツブツ小言が続く。 定年退職後、会社組織から開放され自由になったら、 今度は家で古女房が束縛してくる。大きい家ならまだましだが、小さなマンションなら身の置き場がなくなる。趣味の一つや 二つもあればよいが、趣味を持っているのは女房の方。 成るほど粗大ゴミ、産業廃棄物とは、よくいったもの。今までは、 仕事も家庭の憂さも外ではらせたが、年金暮らしで小遣いは激減。逃げ場は、公営のスポーツジムか図書館。家で愛想良く 相手にしてくれるのはペット位のもの。 週に一度、馴染みの居酒屋で似たもの同士が噂話で他人の誹謗と古女房の悪口。 それなら、まだ良い。前の会社のOB会とかの飲み会で、昔の自慢話か愚痴。 万人に当てはまるから、この辺りで止め! * 昨日で、結婚39周年 昨日で結婚39周年になる。当日に大雪が2mもあり、結婚式が遅れたことを思い出した。 結婚相手と仕事の選択で人生の 大方が決まってしったと思い知らされる。 互いに首輪をつけ、相手のゴム紐を持ち合い拘束しあう、それを夫婦愛というらしい。 が、そのゴム紐と首輪が年齢とともにジワジワと互いを絞めあう。 とはいえ独り暮らしというと、これもまた厳しい。 老いれば老いるほど、それは増す。現在、色いろあって自宅名義が家内になって立場が逆転。ことあるごとに居候扱い。 で、毎年、昼か夜、外食をしていたが、今夜の飲み会もあって、今年は無し。 * 不気味な雰囲気だが この16日と19日の日韓の総選挙で今年の世界各国のトップ交代が終了するが、これから二週間が危ないのでは? マヤ暦では2012年12月21日が人類滅亡?の日といわれる。 信じてはないが、タイミング的にみて何か不気味。 * 自民党大勝という選挙予測が出てきたが 自民党の圧倒的大勝の選挙予測が出てきた。これでは前回の民主党の大勝をさせた同じ失敗を繰り返すことになる。 小選挙区制の欠陥で致し方がないとしても、大勝は良くない。連立政権の方が土建屋政治の後戻りを阻止をする力が働く。 この予測も自民圧勝阻止を狙った何処かの国の情報操作の可能性もある。 思いの外、石原・維新が伸び悩んでいる。 当初の勢いからして、もっと勝ちそうだったが、これも終わってみないと分らない。 北のミサイル、尖閣列島にでも 打ち込めば選挙に大きな影響を示すだろうに。もしミサイルが再び失敗したら、どうなるのだろう? 体制崩壊もある。 ・・・・・・ 3909, 閑話小題 2011年12月08日(木) * いやに最近、自宅周辺が寂れてきた 家内が言うには、「最近、町内が急に寂れてきたみたい。町内のウチの班が13世帯のうち、現役の主人がいるところは三世帯のみ。 一ヶ月前に敷地内の貸家の一家も新たに住宅を買って出ていった。隣の美容院専門卸の社長も居なくなった。その数軒隣の中年夫婦も 数ヶ月前に急に居なくなった。 自宅前の20世帯のアパート二軒には、アジア系の住人が数世帯入っているだけ。 残っている家も、 お年寄りと空家ばかり」ここにきて不景気が身の回りの現象に現れ出てきたようだ。 その典型が我家でもあるが・・ 自宅の敷地内にある貸家は、この20年間、空くと直ぐ次の借り手が現れ、ほとんど空いていたことはなかった。来年の転勤時期の 三月までは、諦めているが、不動産屋が言うには、「最近、家を借りたいという人が少なくなった。企業の海外移転が加速していて 働き手が激減している。尋常ではない」とか。 自宅周辺は、実際に住みやすい環境である。歩いて2〜10分以内に、三つのSCがあるし、 駅まで10分の好立地。 周囲は閑静。 ところで親戚が長岡駅の周辺で三つの貸ビル経営をしているが、テナント10数店舗のうち 入居しているのが二つのみ。 無借金経営で、堅実なので、この数年先の暴風雨には問題がないが、現在の長岡の現状の縮小版でもある。 他人事ではないが・・ 角栄の遺産(公共事業)で生き抜いてきた地元経済も、ここにきて大きな変化をしてきたようだ。 消費税率のアップと、TPP問題、農業への放射能汚染、数年後に控えた北陸新幹線の影響。 問題が山積している。 * 甘口の濁り酒と、辛口の酒のミックスが美味い! 一年ほど前から、晩酌に「濁り酒」を飲んでいる。 それだけでは酒の効きが強いので、二級酒?の辛口の日本酒を半分混ぜると、 甘口と辛口が丁度良いバランスになり、自前の丁度良いミックス酒をつくりあげたと自画自賛。それとノンアルコール・ビールを飲む。 濁り酒は年中売られているわけでなく、夏の期間は店頭から消える。ちょうどビールの時節になるので、それはそれで良い。 紹興酒も、濁り酒が飽きた頃に切り替える。二週間の間隔である。両方とも量の割に酔いが深くなるが、1合少々なら悪酔いはしない。 本当は、ノンアルコールビールのみがベストだが、緩慢な自殺行為と分かっていても・・・ ・・・・・・ 3544, まさかハクビシンが? 2010年12月08日(水) 敷地内にある貸家(通称=裏の家)の住人から、天井裏から水が漏っている苦情があった。まずメンテの業者にみてもらったところ、 「獣の足跡があり水漏れは小便で、自分達の範疇でない」と引きあげていった。で、駆逐業者を呼んだところ、「ハクビシンだろうが、 夜になると外からくるので穴を塞ぐしかない」というので、再びメンテの業者に頼み穴を塞いで貰い一件落着? 身近でハクビシンなど 聞いたことがないので鳩が豆鉄砲を喰らったよう! ネットで調べてみたら隣町の川崎町で、去年だけで40数回のハクビシン騒ぎが あったことが分かった。ハクビシンというと佐渡の朱鷺を襲った奴で、猫ぐらいの大きさがある。あれが天井裏で騒いでいたら、 住人は夜半、気味が悪かっただろうに。「ネズミが騒いでいるにしては音が大きい。しかしハクビシンとは思いもよらなかった」とか。 それにしても山中なら分かるが、こんな住宅街に現れるのだろう? もしかして、まだ、天井裏に隠れている可能性もある。 *「ハクビシン」をウィキペディアで調べてみると ーハクビシンは台湾名であり、本来は暖地系の獣であるが、日本では四国と本州の東半分に生息し、日本に生息する唯一の ジャコウネコ科の動物となっている。北海道の奥尻島に生息しているとの報告もある。日本の在来種なのか外来種なのかは はっきりしない。明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したとの説が有力であり、 それ以前の古文書における生息の記載や、化石記録が存在しないことから、外来種とされてきた。 各地で研究飼育された獣の一種で、個体が逃げ出したり放棄されたりして繁殖したともいわれている。 同様な目的で持ち込まれた獣としてはヌートリアがある。人家近くに生息して屋根裏でも繁殖する。 子どものうちはよく人に馴れて愛くるしい。リスやネズミに比べて、かなり大型の獣である。ー 二年ほど前に近くに熊が出たので、ハクビシンもありか! * 後記ー朱鷺が襲ったのは、「テン」で、「ハクビシン」ではありませんでした。 知人に教えてもらって、気づいたしだい。 −2010年12月16日 ・・・・・・・ 3169, 夫と妻 か〜 2009年12月08日(火) 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、 どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。そういう自分のことは分かりません! だから生きていけるのでは? 悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。 しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、 野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。< 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’の メリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。 野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーは そこに目をつけた。メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、 家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。 これは大久保の助力で表ざにならなかった。 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると ・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。 「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。 嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。 付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。 だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。 それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。 特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。 昨日、結婚記念日で36年たった。 ・・・・・・ 2804, イングランド・ツアー ? 2008年12月08日(月) 『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。 まずはギリシャのコーナー ーパルテノン神殿の破風彫刻ー 古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた 彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった 中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ) これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。 次は古代エジプトのコーナー ージンジャー(ミイラ)ー 人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの 成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、 完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。 今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。 ーアメンボテプ3世の頭像ー 古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。 欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、 顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に 誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ ーラムセス2世の胸像ー 新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。 19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。 右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。 ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため 「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。 BC1250年ごろ ーー これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」 という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 ・・・・・・・・・ 2007年12月08日(土) 2439, サブプライム問題 −3 *サブプライムローンの実態は消費者金融! 「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。 ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。 「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。 銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。 ーこの要旨をまとめるとー サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、 ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。 それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、 借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。 記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。 「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。 ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。 中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に 預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。 証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。 例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが 多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。 その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを 別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。 (字数制限のため、カット11年12月08日 ・・・・・・・・ 2006年12月08日(金) 2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。 ーこれを解りやすくまとめるとー ・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。 ・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。 ・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。 ・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。 ・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から 負債を引いたものを「富」と定義したという。 ーー 以上が大方の数字だが、「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というがそれを裏づける数字になっている。 中国や旧ソ連や、イスラム圏などから学ぶことは、アッラーや、イデオロギーは富という面からみたら問題ありになる。 無知が貧しさの原因になる。それと幸せ感とは違うというが、やはり・・日本の長期低落傾向は、その豊かさと、 ジニ係数がふつうの国レベルまで修正されるプロセスにあるということだ。 やはり金に換えておくか、外国に資産を移動しておくべきだろう。 あればの話だが。 *^ワ^*)i バイバイ ・・・・・・・・・・ 2005年12月08日(木) 1710, 結婚32年の風景 昨日で結婚32年になった。 ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ ほとんど危機らしいことは無かった?が、そうそう甘いものではなかった。 ~~旦⊂(・∀・ ) マァ チャデモ! 且~ 相性が良いかどうかは、直には判断できない。相性という面では当たったのだろう。 以前にも書いたが、昔から好きなタイプは ・長女 ・丸顔のノッペラ A(´∀`人) ・A型 ・控えめ ・慎重 ・身長160? ・気が強い ( ;:゜皿゜:)_◇~~ アァァァ!! (字数制限のため、カット11年12月08日) ・・・・・・・・ 2004年12月08日(水) 1345, ビデオ・DVDで観たい 名画200選 ー読書日記 この本、最近本屋の平台に積まれていて気にはなっていた。しかし定点観測で見ていると、いつの間にか売れている。 (字数制限のため、カット10年12月08日) ・・・・・・・・・ 2003年12月08日(月) 978, 全日本相撲選手権 (字数制限のため、カット09年12月08日) ・・・・・・・・・ 2002年12月08日(日) 604,ある時間の断片-18 ー10月9日ー 雲屯庵にて 7時半起床。どうしても6時半には起きれない。 まず初日からこれではどうしようもない。 もっと気合を入れなくてはならない。一人で自分を律するのは厳しい。土曜日まで頑張らなくては。 ー10月10日ー 今日も計画通りに起きることができない。午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。15時から卒論の下書き始める。 波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。19時に実家から電話がある。母と長姉の正子さんと話をする。 一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。 深井に電話をするが彼がいない。明日もう一度電話をする事にする。 ー10月11日ー 8時に起床。卒論の方は予定通り進んだ。 明日夕方帰ることになった。 姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。 今日は時間のたつのが早い。 ・・・・・・・ 2001年12月08日(土) 263,玉突き事故 半年位前に、市役所分室に印鑑証明をもらいに行った帰りのこと。長岡の大手通り四つ角で、車に追突してしまった。 ・・・・ 12時8日(日曜日)1968年 12時に起床する。 昼飯後、何か落ち着かない。夕方独りで池袋に出てみる。 独り目的もなく池袋の街をブラブラするのもよい
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2012年12月07日(金)
「日本人の思い」ー ほぼ日刊イトイ新聞 著 このアンケートの面白さは、アンケート結果の「エッ」という意外性と、「やはり同じだ」という同調性である。 * 「あなたは、センスが良いですか?」に対して、センスが良いと答えたのは54%、悪いと答えたのは46%で、 微妙な数値である。自分はセンスが悪いと思い、チャンスがあればファッション店のウィンドウ・ショッピングを している方が結果としてセンスが良くなるケースが多い。日本人は、大衆が洋服を着るようになって日が浅い。 最近の若者は体形が良く、TVやファッション誌などから情報が入手可能。ファッション・チェックという番組まである。 * 「あなたは、宗教心がありますか?」では、宗教心があるが4割に対し、ないが6割になっている。 年齢的にみて高齢者ほど宗教心が高くなっているが、死が近づくにつれ、神にすがりたくなるようだ。 * 「あなたは、軽いですか?」に、7割が軽くないと答えている。年齢別の統計値を見ると、50歳代の男性の 3分の2が軽くないという答えが、60歳代になると逆転し、3分の1と軽くなっている。30歳前半の4分の3が、 軽くないと思っているから、社会的責任が、その思いに影響をしているのが分かる。 * 「あなたは、しつこいですか?」に、6割が、「しつこい」と答えている。これは以外である。 年齢的にみると、14歳以下の8割が、一番しつこく、歳を得るに従って、しつこさが薄れていく結果になっている。 * 「あなたは、生意気ですか?」に対し、7割が生意気と答えている。見渡すと、大体は「小生意気」だが。 * 「あなたは、直感的ですか?」に対して、4分の3が直感的と答えている。これも五分五分と思ったが、意外である。 * 「ダイエットを意識していますか?」に対し、女性は8割、男性は5割5分が意識していると回答。こんなものか。 * 「ケチか、どうか?」に対し、3分の2が、ケチと答えている。ケチをしないと、この世知辛い中で生きていけない。 * 「美男(美女)ですか?」に対し女性の3分の2、男性の4分の3が、そうでないとの答え。客観的にみて、そんなもの。 ▼ 8割以上は、前回、書いた「音楽が好きで、旅が好き!。よく本を読むが、エッチ。恥ずかしがりやで、よく笑う!」 それでは大方の3分の2の人といえば上記である。 これを要約すると「センスが悪く、宗教心はなく、軽く、しつこく、 生意気で直感的。女性はダイエットが常に頭にあり、ケチで、容姿に自身がない。」 これが大方の日本人が思っていると分かれば、劣等感も心が軽やかになる。 ・・・・・・ 3908、ファイナル・クラッシュ ー1 2011年12月07日(水) 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」 石角完爾著 知人に紹介され読んだが、解りやすい内容。 大まかに要約をすると、 ≪ アメリカが国内消費を促すために下層階級の住宅資金を野放図に貸出し、ローンを債権として組み合わせて全世界に売り出した。 プライム・ローンをベースにしたCDSである。それらが7京という途方もない不良債権として世界の国家や金融機関に眠っている。 アメリカは世界の主軸通貨の立場を利用して、ドルを刷りまくっていて、そのドルをアメリカ国債と交換し、帳尻を合わせてきた。 加えて新興国の発展も含めて人口の急増がとめどなく進み、食料不足をおこしている。ドルとユーロとアメリカ国債のバブルで、 その破裂は目の前に迫っている。 ここに及んでソフトランディングは無理、ハードランディングを避けられない。 日本はGDPの二倍以上の1千兆円の国債を発行、この暴落も何時起こるかもしれない事態。家族も資産も海外に早いうちに避難すべき。 その先はオーストラリアかシンガポールが最適。 最終章は目前である・・・ ≫ ▼ 新聞報道で連日、欧州危機の報道が続いている。 目先、問題を先送りをして凌いでいるが何時、火の手が上がるかの瀬戸際。 ある朝、起きてみると・・ それは想像を絶した本格的世界恐慌のノロシである。印象に残った部分を何回かに分け書き出してみる。 ◎ 第一部 パーティー・タイム− 負債の泉 「もしアメリカの人々が銀行に通貨の発行量の調節を許すなら、第一にインフレにより、次にはデフレにより、銀行と企業は成長し、 そこら中にはびこって人々の財産を奪うだろう。そして子供たちは、彼らの父親が征服した大陸で自分たちがホームレスになっている ことに気づくことになるだろう」 −トマス・ジェファーソン(第三代アメリカ合衆浄大統領) ○アメリカの住宅バブル アメリカ人の多くは、ジュニア・ブッシュが大統領であった時代、ただで酒をふるまわれて酔いしれていた。酒の正体は、低金利で いくらでも使えるクレジットである。 二〇〇一年の911による消費の減退を避けるため、緩和的な金融政策と減税が実施され、 それによって金利が下がり、借金をして消費することが容易になったのだ。金利が下がったことでローンを組んで不動産を購入する人が増え、 その結果、住宅価格は急上昇した。それ以前からアメリカにおける住宅価格は二五年にわたり上昇していたのだが、二〇〇〇年以後 ほんの数年で価格が二倍にもなった地域もある。 2004年から2005年にかけアメリカの平均的な住宅価格は一三%も上昇している。 しかしこの時期、この程度の上昇はスペインやポルトガルでも珍しくなかった。つまり不動産価格の上昇は世界の多くの地域で同時に 起きた現象だったのである。 これは、アメリカの金融緩和が生み出したものだった。 アメリカが世界の他の国に比べて重要なのは、 アメリカが世界最大の消費国家であり、過剰生産される品々を全て引き受けているからである。 アメリカ人は自分たち自身の お金だけでなく、とくに中国、日本そして途上国がためているお金まで自分のもののように使っているのだ。 そのためにアメリカの金融緩和は世界の景気を上向かせ、資産価格を上昇させてしまう。この金融緩和はしかし、無理のある政策だった。 ・・・・・・・ 3543, つれづれに ―物忘れ 2010年12月07日(火) * 物忘れ 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。 先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。 その上に、同級会が終わって東京駅に着いて店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで 失くすので、1千円以下の傘しか買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。会社も自宅でも、 パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。また自分の掌の親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。 * 大学の同級会 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。20,30,40周年の会には出席した。 (10周年の会は、会そのものが行われていなかった) その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな人生を垣間見る。 4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は 首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。 迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と 割り切れば、色いろな世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加は良いだろう。 あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先にし出席してきた。学校は進学する都度出会う人の地域が広くなる。 小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は 駅前から、その範囲が10倍のテリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマンの子供、 そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区になる。その都度、自分の過去の世界が小さくなっていく。 そして、就職・・・ だから、同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。それにしても数奇の人生がある。 ・・・・・・・ 3168,人生に関する閑話小題 ー2 2009年12月07日(月) * 孤独な老人 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、より人生を垣間見ることができる。 80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。 観察するうちに気づいたが、その人が固まるから、犬も固まるのである。2〜3度挨拶をしたが、その都度犬が吼えかけてきた。 それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 * ある人生 (字数制限のためカット 2011年12月7日) * 鬱病、欝症について 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。 境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、傷ついたり、疲労もする。 この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。自殺者の多くが鬱病という。その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。また聞くほうもマイナーの 話題を好むから、まともに受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。時代は、100年に一度のマイナーである。 ・・・・・・・・・ 2803, イングランド・ツアー ? 2008年12月07日(日) * 集団スリに狙われて −2 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。 ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには少年の集団万引きに 注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。 面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。 腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。 これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。 その男、ニヤリと笑ったので、 わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。ただ、それだけのことだが・・・・・ 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが 出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。 そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。 三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、 その瞬間を待った。 しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。 * 旅行の全てを楽しまなければ 「せっかくの旅行、高いコストを出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。 特に移動時間をいかに過ごすかである。 三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。 特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもある。それを楽しむには、音楽かTV。 最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。 帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。 その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、 無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。 世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。 それなら情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。ipodで旅行先に選択した2千曲を持っていけるのだから。 ・・・・・・・・・ 2007年12月07日(金) 2438, 犬は鏡で自己を認識できるか? (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】 随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」 ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。 少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。 でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。 {考える日々? 池田晶子著 ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋 ーー ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、 やがてそれが「自分である」ということを認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、 ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、オランウータンとゴリラだけだと番組で言っていたが、 しかし、これは違う。たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。 同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を 覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、 時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。 鏡像認識は、霊長類に限らないようである。で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると 認識するというのは、どういうことなのか。右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということに なりそうだが、じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、 どうもうまく実感できない。とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」 「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。 なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが 「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と 思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、 「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと 思うためには、その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。 (字数制限のためカット 2011年12月7日) ・・・・・・・・・ 2006年12月07日(木) 2074, 寝ずの番 才八∋ウ_〆(∀`●) 先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。 落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに 義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。 何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。 (字数制限のためカット 2010年12月7日) ・・・・・・・・・ 2005年12月07日(水) 1709, 耐震偽造問題について マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。これまで「建設業界そのものが、 政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。~匸Pヽ(・ω・`)今回の偽造が発端になった物件は、総研という ビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日) ・・・・・・・ 2004年12月07日(火) 1344, 面白くない日は一日たりともつくらない (2008年12月07日 字数の関係でカット) ・・・・・・・・ 2003年12月07日(日) 977, 「開運!なんでも鑑定団」 この番組み、いつも楽しみにしてみている。代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。 ・・・・・・・ 2002年12月07日(土) 603,ある時間の断片-17 10月8日 1968年 10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。 6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、 30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。 卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。 ー追記ー 2002年12月06日記 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。 ー卒論 「流通革命について」 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた 百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。 (字数制限のためカット 2011年12月7日) ・・・・・・・・ 2001年12月07日(金) 262,強請りーその手口 ーヤクザ対処法ー この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも 支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。 (字数制限のためカット 09年12月7日) ・・・・・・・ ある時間の断片 12月7日(土曜日)1968年 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。 先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。
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2012年12月06日(木)
* 人生は面白くなければ生きる価値がない レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる、フィリップ・マーロウの 「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」の言葉をもじった、 「人生は明るくなければ生きていけない、でも面白くなければ生きる価値がない」の言葉を、ある本でみつけた。 高杉晋作の都都逸、 「おもしろき こともなき世を おもしろく」に、相通じていている。 この年齢になり、世相も心も暗くなりがちになると、一日一日を如何に面白く時間を過ごすかが課題になる。 その辺は、長年かけて鍛え上げてあるが。ただ明るく面白ければいい、のではない。 その人の人生を貫く信念がなければならない。 * 書斎の楽しみ ! 去年の春以来、書斎に一日4〜5時間はいる。この随想日記の下書きや、読書、そしてネット・サーフィンが主。 他には、日記や、音楽を聴いたり・・・ 早朝2時間、午前中2時間、夕方1時間。 この三本柱の時間帯と、 寝室に7時間、スポーツジムに2時間。居間に6〜7時間。早朝のミニ・サイクリング1時間(冬季を除く)。 他には風呂とか、図書館など数時間になる。 この判で押したようなアカデミック?な生活をしていると、孤独な、 孤高のゾーンに奥深く入ることが時おりある。ポタリングで信濃川の土手や橋を引きチャリをしている時にも、 そのゾーンがやってくる。だから続くのである。特に書斎では思いもよらない過去の思い出、思わぬ気付きが奥深く から湧き出ることがある。 読書も然り、書き手の世界に入り込み、その琴線に触れる時、このゾーンに入り込む。 雑念を超えた時空の世界である。 作家とか芸術家は、その世界を広く深く持っていて、そのゾーンから何かが 伝わってくるのだろう。魂という言葉があるが、このゾーンと繋がった心の状態をいうのではなかろうか。 ・・・・・・ 2011年12月06日(火) 3907, ルソーの孤独 二年前の2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、現在の私を予感させる文章があった。 ≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に 終わった文章、ルソーの絶筆である。「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後「八、九、十」がメモのような文章が続く。 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで 人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」 と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。】 私の周辺の倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。 多くの取引先、部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、 嫌らしさに自己嫌悪を独りする。 自分は何者なのか? ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ(私)!である。≫ ▼ この文章を書いた二年前から、倒産を決断するまで売上下降が続くとは夢にも思わなかった。 そしてトドメが東北大震災。 税理事務所の30年来の担当Jさんが、「初めは気が張っているが半年も過ぎれば、ジワジワとボディーブローとして効いてきますよ」 と忠告してくれた。 地方の大方の会社に、この大不況が直撃していることも事実。 大津波の前兆の波が、特に敏感な立ち位置の 当方に先に直撃したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。(但しG20が時間稼ぎをして来年に先送り) どのようにシュミレーションをしても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い三次産業、輸出関連産業は、致命的大打撃を被る。 ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波に気づかず高台に逃げていく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に 誰もが経験することになる。ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての思いを入れ続けてきたので、ルソーの孤独感は無かった。 しかし、この10年間に多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、ルソーのような絶望的な孤独感にさい悩されたはず。 このルソーの孤独は、虚無という真っただ中に漂う私が、壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・・ ・・・・・・・ 3542, 価値観の中心の書き換え −4 2010年12月06日(月) * そもそも「成功」とは何ぞや? ーここで、成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。まずは、その辺を・・・ 【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、なにがなんでも 絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて生きていきたいわけではないのである。 成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いているようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、 あとは「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。 人間を金持ちとそれ以外に二分し、金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって 恥じるそぶりすらない。もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの要素に過ぎない。 ところがかれらはそれが人生のすべてで、それがなければ人生ではない、みたいに考えているらしい。 「成功」が人生の最上位に立っているのだ。かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。 頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、「不自由」なのかもしれない。、 有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していればいいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。 けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・・・・ 人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を[[実現していく過程」であろうとなかろうと、目標が「実現」しようと しまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が馴染みにくいと思っていたら、 全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスやグレートやドリームの受け入れだったからではないか。】 ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線でもある。 高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。ならば、それぞれが自分の価値を見出し、 追求していくプロセスを大事にするしかない。情報化で価値の多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれスキルが必要である。 人生に今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。 旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。 成功とは良かったと思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。 ・・・・・・・・ 3167, シュリーマンの話 ー4 2009年12月06日(日) ー抜粋のつづき 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、当時の ロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。彼のたどり着いた疑問は二つ。 《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。 シュリーマンの旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上 【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】 〜〜 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。 日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や 工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、 教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。 NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。 ・・・・・・・・ 2802, イングランド・ツアー 2008年12月06日(土) *集団スリに狙われて 観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。 南イングランド・コッツウォルズのブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、 添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、 誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。 (字数制限のためカット 2010年12月6日) ・・・・・・・・・ 2007年12月06日(木) 2437, ファッションを哲学する ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪ 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」 という彼の言葉は痛烈である。 更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか? 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。 −−− ー彼の論を簡潔にまとめるとー ・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。 ・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、 まさに現在だけを考えるということ。 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。 ・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。 ー印象に残った部分を抜粋してみるー そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》) と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。 −−−− 衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。 とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、 一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには 関係なかった。しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。 劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。 今だったら「馬子にもブランド」? ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、 6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・ ・・・・・・・・ 2006年12月06日(水) 2073, 金は人を幸せにするか? 才八∋ウ_〆(∀`●) お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。 毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。 (字数の関係でカット2009年12月06日)・・ ・・・・・・・ 2005年12月06日(火) 1708, 戦略ノート −1 −読書日記 また斉藤孝である。~~匸Pヽ(・ω・`) ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。 この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、 ー 成功を以下のように定義する。 φ(・ェ・o)~カキカキ 1、自分の人生の目的を知り 2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し 3、人のためになるような種をまくこと (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・ ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握 ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる 更に 次の5つのステップで夢を見つける ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー ・・・・・・・・ 2004年12月06日(月) 1343, 雪下ろしの雷 今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。 落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは 初めてである。さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。 今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。 雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は 閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。 そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、 地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。 贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。 (字数の関係でカット2011年12月06日) ・・・・・・・・・ 2003年12月06日(土) 976, 新婚さんいらっしゃい ! −2 この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。 特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。 まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。 その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷の ように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。 (字数の関係でカット2011年12月06日) ・・・・ 783, 新婚さんいらっしゃい ! −1 2003年05月27日(火) (字数の関係でカット2008年12月06日) ・・・・・・・・・ 2002年12月06日(金) 602,ある時間の断片-16 1968年 10月6日 日曜日 (字数の関係でカット2009年12月06日) ・・・・・・・・・・ 2001年12月06日(木) 261,ブランド品 ブランド品の定義ー 1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型 (字数の関係でカット2012年12月06日) ・・・・・・ 12月6日 1968年 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。 タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。 新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。 (字数の関係でカット2012年12月06日)
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2012年12月05日(水)
「日本人の思い」 ー ほぼ日刊イトイ新聞 著 * これが日本人? これは、ネットの人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で、毎週のアンケート50回の「日本人の思い」のテーマの回答! ー 八割以上、イエスと答えた内容をみると、 「音楽が好き!」は 96.2%! 「旅が好き!」は 84.7%! 「よく本を読む!」は、 81.2%! 「エッチです」は 84.6%? 「恥ずかしがりや」は 82.4%! 「よく笑う!」は 81.8%! この結果からみると、ー音楽が好きで旅が好きで、エッチで恥ずかしがりやで、よく笑いよく本を読むー これが、日本人!である。 しかし、意外な結果も多い。 * 日本人の67%が「私は働き者でない」と思っている。 多くは、逆の3分1と予測していた。 しかし自分を振り返ると、この結果は理解できる。心の奥では、働くより遊んでいた方が良いと思うのは当然。 * 「あなたは、運がいいですか?」に対し、76%が、運が良いと思っている。 「自分が生まれてきて、ここにいるだけで充分に運が良い」と思っているから健全である。 *「あなたは、持てますか?」に、62%が「持てない」と、答えている。 年齢別でみると、持てるピークは 50歳代で60%が「持てる」と答えている。 社会的立場の充実感が人を惹きつけるのだろう。 若いときは、どっちに転ぶか分からない不安定さが緊張感を醸し出し、それが異性や友人を惹きつけが、 50代は経験からくる充実感が吸引力になるようだ。 私の場合、50代の10年間で30年分を生きた感がある。 *「あなたは、親切ですか?」の問いには、53%が親切と答え、47%が、親切でないと拮抗しているが、そんなものか。 *「あなたは、健康ですか?」には、7割が健康と答えている。逆にいうと3割が病を持っていることになる。 ー続く ・・・・・・ 3906, 閑話小題 2011年12月05日(月) * 一昨日は大学の同級会。 大学1・2年時の同級会が服部栄養料理学校の服部幸應さんを中心で開かれている。首都圏に住むグループの会で、 遠距離の地方出身には声がかからない。 その会の幹事が武澤ゼミ仲間だった縁で去年初めて参加してみた。 しかし春先に色いろあったので今年は不参加と決め込んでいた。ところが、そのクラスで親しかった男が42年ぶりに参加すると聞いて、 急遽、出席することにした。彼は全国を転勤した後に、終の住まいを仙台空港近くにし、釣りとゴルフ三昧を決め込んでいた。 ところが東北大震災の津波で九死に一生を得て、現在は実家のある前橋に戻り、新たに住居を購入したという。 私の大学で初めての友人で、私が入っていたクラブに引き入れた経過がある。卒業後は全国の転勤もあり、大学関係の会には一切、 顔を出したことはなかった。 会った瞬間、私は「おい変わったな!」で、相手は、「全然、変わってないな!」である。 今回の会の出席者は17人で、去年とほぼ同数。 私も一応東北大震災の経済被災者だが、彼と私の生生しい話に他の出席者は、 目をパチクリ。 その友人は明るく振舞っていたが、やはり痛手は隠せない。そういう私も、そう見えていたのだろうか。 ところで、ゼミで一緒だった人と、久しぶりの再会の友人が異口同音に、「堀井のこと、絶対にリスク管理をしていたはず。 学生時代から用心深かったので、会社と個人は分けていたと思っていた」と言う。 地元の友人が、全く同じことを言っていたので、 逆に驚いてしまった。性格は昔も今も変わっていないということ。 それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、 リスク管理をしておくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。 * 有楽町・東京駅の再開発 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。 ニュースで知っていたが、実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然としていた飲食街が一掃されて、 近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを 楽しみにしているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、成るほど、そのとおりである。 また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。 丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行き来できる。 たまに行くには良いが、都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きにはなれない。 ・・・・・・・ 3541, 価値観の中心の書き換え ー3 2010年12月05日(日) 誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。 それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を患った時だったり。 若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の価値観が変貌していく。 節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。社会に出て10年スパンか、20年スパンで、 節目を自分で作っている人を時々見かける。人生設計をし、それに従って生きるのも道理。 起承転結という文章作法(あるいは四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、 結=60歳〜 を、区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、 40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期になる。しかし振り返ると、 それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、39歳までの20年全力投球、59歳までは苦しみ、 楽しみを味わい、60歳以降は、それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で人生の仕上げに入る時期になる。 「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、自分の物語をつくっていくことになる。 そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。 それぞれの人生があるからである。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、下を見れば底がない」のが比較の世界。 所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として忘却の彼方に消えていく。 「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 それが出来るのは「いま、ここ」だけ。 「人生の意味など何も無い!で、いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。 ・・・・・・・・ 3166,シュリーマンの話 ー3 2009年12月05日(土) 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、 「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。 ーその面白そうなところを抜粋したー ・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。 「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。 ・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に 「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。 ・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。 =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。 つづく ・・・・・・・・・ 2801, イングランド・ツアー 2008年12月05日(金) 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。 ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、 そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、 走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。 翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 *まずはナショナル・ギャラリー。 ダビンチ、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が展示されていた。 特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは 至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。 世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。 *次に大英博物館。 エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。 それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの 資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、 『ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、 【ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、 岩には文字が刻まれており、エジプト語とギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。 その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字 (デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・ (字数制限のためカット 11年12月05日) ・・・・・・・・・・ 2007年12月05日(水) 2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う! オハヨウ (∀`* ゴザイマス! 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う! が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。 それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入! というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、 今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。 (前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた) 私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。 長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、 それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。 (今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。 ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、 「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に?? ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー 疲弊する経済に新たな火種! “日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う! ■倒産の連鎖が始まった! ■ノンリコースローンの問題点 ■「新築マンションの完売はウソ」 ■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、 地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。 あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。 倒産の連鎖が始まった!「都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなくなってきました。 自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」 −−−− 以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、 多くの不安要素が重なっている。 (字数制限のためカット 11年12月05日) ・・・・・・・・ 2006年12月05日(火) 2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー! 先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。 その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、覚悟しておくように!」と、 家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になってしまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。 2年以上の長期入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。ご冥福を! ー追悼で義母のことを書くー 私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。 (字数制限のためカット 09年12月05日) ・・・・・・・・ 2005年12月05日(月) 1707, 家訓づくりのすすめ −2 第三章では 「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。 それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。 ー子育てに関する家訓の例として ・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業 ・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう ・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め ー他には ・お金や名声よりも大切なものを持て ・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶 ・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう などがある。 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。 離婚直前の夫婦が、家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。 )`ε´()`ε´( ーその家訓とはー 1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切 2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる 3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない 4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな 5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、恨まず、悪口を言わず (o・_・)=○)*_*) 6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )"" (字数の関係でカット2008年12月5日) ・・・・・・・・ 2004年12月05日(日) 1342, カルフールが撤退 字数の関係でカット(2007年12月5日) ・・・・・・ 2003年12月05日(金) 975, 「それぞれの輝ける日々」 ・・・・・ 2002年12月05日(木) 601,ある時間の断片-15 1968年 10月5日 土曜日 昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。 小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。 かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。 親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。 (字数制限のためカット 09年12月05日) ・・・・・・・・・・ 2001年12月05日(水) 260倒産ー2 新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。その重みを解かってなかったのが本当のところだ。
(字数制限のためカット 11年12月05日) ・・・・・・・ ある時間の断片 1968年 12月5日 (字数の関係でカット2008年12月5日) ーつづく
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| 4280, 閑話小題 ー随想日記のテーマの見つけ方 |
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2012年12月04日(火)
* 随想日記のテーマの見つけ方 11年7ヶ月、休むことなく、この随想日記を書き続けてきた。一つの張り合いになっているが問題はテーマのネタ。 これが難しい、というより思い浮かばない。TVや新聞から思いついたり、雑談で思いついたり様々である。 二週間に1〜2度、図書館で10冊を借り換える。それを机の左に積み重ねておき見つけるのが半分くらいだろうか。 自分が面白い、成るほど、と納得する内容でないと後で読み返した時、心に振動しない。その為、本探しから違ってくるが、 これが良い。 それと、たびたび自分のワダカマリをテーマにする。これは考えることになり、解消の切欠になる。 去春以来、何のワダカマリをテーマにしてきたのは、そのため。 赤裸々過ぎたが。 その時々のテーマを探すのは、 人生にとって最重要事項。 それを続けることは最上の習慣化だが、12年近く実施しているわりに教養が増した感がない。 書いたと同時に完全に忘却するためだろう。 しかし、この習慣、一度身に着けると良いことが多々ある。何か事があると、 その場でキーワードを探し文章化してしまう。3つも見つければ、完成に近い。それは、考えることそのもの。 それを後でパソコンに書き込むが、メインのキーワードをテーマに入れる。 そこで違うテーマに変更する場合がある。 毎日書いていると、その辺が何とも面白い。 プロの書き手はテーマを依頼されると、数十冊、数百冊の本を集め、 目を通すという。その過程で内容の荒筋をつくり、その後、内容の肉付けをしていく。 現在ではパソコンとネットがある。 アマゾンなどから多くの資料の入手が可能になった。4千も超えると、同じような内容を知らぬうちの繰り返し書いている。 現在のような、有り余るような時間の中では、テーマ探しは、けっこう面白いもの。それにしても、下記のテーマと文章を 読み返すと、赤裸々で、心根が、そのまま現れ出ている。 今さら、ここまでくれば、虚飾も何もないと開き直るしかない! ・・・・・・ 3905、さらし首の独り言 2011年12月04日(日) あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首のようなもの。 しかし、それが面白い。 その首が目をパチクリして見物人の評価している目線と心境が、である。 それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、 かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。 カント哲学の具体例とすると分かりやすい。 見物人は、それぞれ知っている 範囲の情報と知識で烙印を押し付けてくる。 それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く自覚していない?愛らしさ。 人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として鬱憤をぶつけている。それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。 自己卑下を他の対象に投影するに一番手っ取り早い世間話のため、その視線が、そのまま、その人となり。 他者を批難することは、 自分を更に卑下しているだけの理屈が分からない。 それが身近ほど辛辣になるから、人間観察にはもってこいになる。 元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は違っていた??。 しかし、それが人間の赤裸々の姿。 これは「自己確立の出来ているかどうか」の基準で見ると、直ぐに分かる。 この10数年、独学で哲学を学んできた?が、 自分の頭で考えること、現象の中にある事実と、その中の真実。その真実も、本当に真実なのか、それともカントの言う、 自分の経験と知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。 その意味では「その辺の何=自己卑下の人」も、 実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。世の中、何も考えてないと思える人が多い。 特に老いてくると、それが露出する。 それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。 自己卑下は、実はお互い様ということ。 人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。 ・・・・・・・ 3540, 価値観の中心の書き換え ー2 2010年12月04日(土) * 石井一男という画家 「ビジネス書 大バカ事典」勢古浩爾・著の中で、数多のいい加減なビジネス書をなで斬りをしている反面、 こういう画家には優しい眼差しを向ける。さっそく、ネットで絵をみたが息を飲むほど素晴らしい。 一種の自閉症?なのだろうが、画家の魂が対象の画中の女性や花から迸り出ている。何か自分の世界の中で作り上げた 女性像が彼の魂から溢れ出て迫ってくる。何が成功か、そんなものと、勢古がいうのも理解できる。 ーまず、勢古の文章からー 【 石井一男という画家である。TBSの「情熱大陸」という番組で知った。人付き合いが苦手で、四九歳までアルバイトだけで 生計を立ててきた。それも、人とあまり関わらなくてもいい仕事ばかりを選んだ。神戸在住で長屋の二階にひとりで住んでいる。 母親が購入したものだから部屋代は必要ないが、生活費は月七、八万円。酒も煙草もパチンコも一切やらない。喫茶店にも 滅多にいかない。 夕食は近所の惣菜屋で100円に値下がりした惣菜二種類と100円のパック入りごはんを買って済ます。 しかしそれらをきちんと器に移して盛る。可愛いことにみかん一個のデギトもつける。それをひとりで正座して食べる。 絵を描いてきた。だれにも師事せず、どの団体にも属さず、途中休止した年月もあるが、たったひとりで描いてきた。 ときおり行く画廊の主人が書いた文章を読んだことがきっかけだっ。この人なら自分の絵を見てもらえるかもしれないと思い、 手紙を書いた。この気持ちはじつによくわかる。ちょっとだけ大きい世界に開くこと。そして、ひとりの承認者がいてくれたら、 と願うこと。主人は石井の絵を見て「こんな人がいたのか」と驚き、個展を開いた。石井一男の絵は49歳ではじめて陽の目を見た。 人々の目を惹きつけたのは、ルオーの画風に似た純粋な「女神」シリーズである。目を瞑った慈母か天使のような顔が描かれている。 その絵を見た人のなかには、涙を流す人がいた。わたしが好きなのは、後藤正治『奇蹟の画家』の冒頭に載せられた黒一色の「女神」 (二〇〇八年)である。表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。無愛想ではない。 温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。父親はフィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で 暮らしてきた。その祖母も亡くなり、現在、母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の収入があった。 しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。 画廊の主人はそれを思いとどまらせた。 絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応は、おそらく過分なものだったのだろう。 その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。 小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに 移るつもりはまったくないという。長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず月7.8万。・・・】 ー 勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKのドラマ、今年になってから、 「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送したこともある。現在は、「てっぱん」である。 下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容だが、そこに自閉症の初老の画家がいる。石井一男がモデルなのだろうかと 思ったが・・・・ ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・・ ・・・・・・・・ 3165,金本位制が復活? −2 2009年12月04日(金) * ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、 金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で 競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。 ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす 唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、 赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を 仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。 つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。 しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。 たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。 共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを 抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。 (字数制限のためカット 2010年12月4日) ・・・・・・・・・ 2800,イングランド・ツアー 2008年12月04日(木) 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る 習慣は守るということで、決断した。29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、 ロンドンをバスで回るツアー。英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、 価値があると判断をした。私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。 しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。湖水地区の自然を散策するイメージに引き付けられたが、 奥深く行く探索する内容ではなかった。二日じゃ無理だが。 それよりコッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。 一箇所が二泊ずつ三箇所に泊まるため、非常に楽な日程だった。格式の高いところや公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。 いや日本が、イギリスに感化されたということだ。 ー印象を思いまま書いてみると ・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、違和感が少ないのが印象的である。 ・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、 ・人口が6000万人、 ・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため、日本人は非常に大きく感じるという。 ・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。 (字数制限のためカット 2011年12月4日) ・・・・・・・・・ 2007年12月04日(火) 2435, 絞首刑 −2 ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪ 死刑は荘厳にさえみえる。 処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。 それは我われの二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的である。 もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。 もしかしたら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容である。何か、この死刑囚の場面に似ていた。 ーまずは昨日の続きである。 (字数制限のためカット 09年12月4日) ・・・・・・・・ 2006年12月04日(月) 2071, ゆっくり急げ! −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が直るだろう。 還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代にやり遂げようと、 10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くのミスも多かったが、ほっとしたような 心の余裕ができている。 あとは、おまけ!という気楽さというか・・・団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、 「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」と言われても、産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。 そして、‘60歳後の生き方’のような本にある「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。 してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」と・・・ しかし焦っても、焦っても、 どうすることはできない。 焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするにはどうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、 寿命の尽きるまで輝いて生きるには「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。 「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言としては、 ー字数の関係でカット(2010年12月04日) ・・・・・ 2003/05/15 ゆっくり急げ! 字数の関係でカット(2008年12月4日) ・・・・・・・・ 2005年12月04日(日) 1706, [我が家の家訓] をつくってみた ところで、この本『家訓の作り方』を参考にして、「わが家の家訓」をつくってみた。(作成時間3〜4時間) 【【 堀井家の家訓 】】 =人生について ヽ('A`)ノェェェ マンドクセ ・群れるな! 一人どっしりした生き方をすること そのために、教養の蓄積と余裕ある蓄財をしておく ・一度だけの人生、思い残すことなく生きよ ・何ごとも楽しめ!嫌なこと苦しいことほど楽しみのネタはある! ・自分の強みを見つけ、それを生かした人生を歩め ・自然体で生きよ 無理しない、あわてない、気にしない ・何ごとに対しても誠意を持ってあたれ ・笑いと、喜びを持って日々励め (´m`) ムフッ♪ ・はやい時期に自分の楽しみを見つけ、一生をかけて追求すること ・継続すべきプラスの習慣を一つずつ身に付けていくこと ・何ごとも一期一会、「いま現在」を大事にして生きよ 明日は常にないものと心がけよ! ・頭が固いとは、『脳硬化』と心得よ つねに変化に備えて、変身の用意を怠らないこと ・言葉に気をつけること 特に(心の中の自己対話)内語に気をつけること (;^_^A " kuso! baka! teinou! kogitune! ore dameda! ・行動、行動、また行動。常に積極的に行動すること、その周辺に情報と、さらなる行動がついてくる ・勉強、勉強、また勉強 知れば知るほど、知った周辺の知らないことが増えてくる *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:* =お金に対して= ・保証人になるな ー請け判は人生を滅ぼす ・借金は能力範囲ですること ・商品取引、先物取引は厳禁のこと 大きな博打はしないこと ・個人的な金の貸し借りは親兄弟でも絶対にしないこと −友人の出資とかいう手合いの話に絶対乗らないこと ・お金は楽しんで使え ・支出は収入の8割までにすること =家庭について= ・生活は質素倹約に徹すること (=_=;) ・親しき仲にも礼儀あり、特に挨拶は必ずすること *おはようございます ∩(´∀`)∩ オハヨ〜♪ *おやすみなさい |寝室Юヾ(●´∀)ノ" おやすみ〜♪ *いただきます (^人^) *ごちそうさま ( ̄ω ̄;)!! *いってきます (^-^)ゞ *ただいま (* ̄0 ̄*) *ありがとうございます Σd(ゝ∀・)アリガトォ♪ ♪〜♪〜 ♯♭ ・自分のテリトリーは整理整頓に心がけること *自分の部屋の掃除 *靴の並び *割り当てられた掃除 ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ ・親子、夫婦といえども自分のトラブルは家庭内に持ち込まないこと mou sima senn! (^┰^;)ゞ ・笑いと感謝を持ってお互い敬うこと uyamaimasum(_ _)m ヾ(o;▽;)ノ"ギャハハ kannsya kannsya(^人^;)ヾ(。ゝ∀・)ノ┌┛☆ドンドン!! ・゚・(ノ∀`)σ・゚・ ・常に話し合う習慣を日常よりつけておくこと ヽ(ヽ゚ロ゚) ギャギア!! ヽ(゚Д゚○)ノ アアデモナイ、コウデモナイ =社会に対して= ・常に笑顔を持って他人に接すること ー近所の人とは、表面的な親しさに止めること ・ライオンズクラブ、ロータリークラブなどの社会的ステータスを求めている場所には近寄らないこと −但し、商売上止むを得ない場合は例外とするが、それを必然とする仕事は可能な限りさけること ・マイナス語を日常に使う人種とは一線をおくこと butubutu(; ゚ ロ゚*)! ー字数の関係でカット(2011年12月04日) ・・・・・・・ 2004年12月04日(土) 1341, 岩にスジをみつけよ 20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば簡単に割れる。 ー字数の関係でカット(2012年12月04日) -------- 2003年12月04日(木) 974, 「黒い十人の女 」ー映画日記 ー字数の関係でカット(2007年12月04日) ーーーーーーーー 2002年12月04日(水) 600, カットスロープ ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。立地で解りやすいのが、 先日新潟駅前にオープンした東横インだ。 ー字数の関係でカット(2010年12月04日) ・・・・・・ 12月4日ー1968年 ・11時に起床。 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」という感情がくる。 ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
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| 4279, 閑話小題 ー中小企業420万社、円滑法適応は一割弱 |
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2012年12月03日(月)
* 中小企業420万社、円滑法適応は一割弱 先日の朝日新聞の記事に「中小企業支援 息切れ」という記事があった。 ーその概略はー ≪ 中小は来春の借金返済を先延ばしする「金融円滑法」の期限切れを向かえるが、景気が更に悪化するなか、倒産が増え、 不良債権がふくらむ恐れが出てきた。全国の中小企業420万社のうち、円滑法の適応を受けているのは30〜40万社と 一割弱が適用をされたという。そのためか、08,09年に1万5千件を超えていた中小の倒産が、10、11年には一割減の 1万3千前後に、今年も似たような件数で終わりそうである。円滑法の狙いはリーマンショックによる急激な経済悪化を和らげ、 会社を立て直す機会を与えることだった。だが、改善は進まず、繰り延ばしをする会社が多く、依存症になっている状態。 一年の時限立法も、二度も延期されたが、来年も、この事態では更なる繰り延べもありうる。 ≫ ▼ 私も、この金融円滑法で何とか生きつないだが、それでも売上減は激しく、ダウンした。 リーマンショックによる 地方経済への打撃は、想像を絶するほど。 地方では三割の中小は、今日明日の資金繰りにおわれているのが実情。 マスコミが、このまま打ち切りをした場合、その半分の20万社の倒産もありうるというのも、あながち暴論とは思えない。 一割としても3万社で、二倍になる。 さらに東北大震災が大きく消費マインドを冷やしてしまった。 この記事で、思いのほか金融法の適用が企業の一割に満たないのと、倒産が一年に一%もないのに驚いた。 装置産業ほど借金が無いのだろう。私の事業では装置産業のため一番、不景気に敏感な業種だったため、いち早く、 影響を受けたことになった。 来春に延期しても、その翌年は消費税の増税があり、延期せざるを得なくなる。 その前に大クラッシュが起き自壊する?から、延期も、断行も大して変わらない? この冬の寒さは特にこたえる! ・・・・・・ 3904, 精神力ーその偉大な力 ー5 2011年12月03日(土) * 決意の力は魔力のよう 何かをなすに、まず決意が最重要になる。決意が出来ないため、乱れた心や、乱れた事態が身の回りに起こるのです。 そのためには、熟慮を早々して合理的前提から決意をすること。エマソンの言うとおり「人間は生命を受けた宇宙の一片」である。 人間は己にめざめ、己を自覚する宇宙の一片である。その一片が、大生命力を表現したいのである。・・・<人は、どんな事態にも 正しい抜け道がある><どんな事態にも解決がある> そう信念として持ち、行動すればよい。そのためには、何が正しく、 何が正しくないかを見極め、一度見極めたら、決意をすることである。ソクラテスは「善き人に起きることは、常に善きことです」 「善き人には悪は来ない」と言い、ダビデ王は「正しき人は見捨てられない」と言った。・・ もし私たちの知るよりも、いっそう 高い水準の正直さと高潔さを持って行動し、自分の側だけでなく、相手の側も考えるなら――そして正しい決意や、積極的信念や、 同情や、愛を経て、大生命力が善のみを渡してくれると知るならば――その時は必ず正しい結果のみが続いて起こってくるものです。 * 成功も失敗も、精神がつくる 精神ー信念の、あの無限の素質を使うことができる唯一の場所は、私たちが思考するところである。その思考の力は、 マイナスに働く傾向が強い。そこで、自分を深くみて、その奥の無限の素質や能力の泉を見い出せば、マイナスを乗り越えることが 可能になる。そのためには、正しさを見極め決意すること。マイナスの雑草を抜き取り、新しいタネを蒔かなければなりません。 ▼ 迷いに迷っていたことが、最後の最後に決意した時に、それまでの迷いがス〜ッと消え去っていく経験は誰も持っている。 決意をしてしまえば、後は、それまで障害と思っていた事態の解決のための手段を探す手順になっていく。 それでも、その見極めが甘く間違った方向に踏み出すことがある。その時、結果が悪魔のように襲ってくる。 それでも考え尽くした後で、自分の勘の命じる決意の通り歩むしかない。決意の成否の重要さを知るほど、事前の調査など 準備の必要性が分かってくる。決意のためには考え尽くさねばならない。そのことが重要になる。それでも失敗がある。 ・・・・・・・ 3539, 価値観の中心の書き換え 2010年12月03日(金) * 人生の転機 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに人生の早い段階で気づいて、 転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もあるのだろう。多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・ 【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。人が羨むような多額の報酬を得ていた。 広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。そんな男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。 偶然、ある村の小学校を訪ね、図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。 子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って身につまされ、先生と子どもたちに 今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まりだった。 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。「墓に入ったら好ぎなだけ眠れるから」と、 自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、ある疑問を感じてもいた。これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど 稼げるということだけが。 僕は企業戦士の特殊部隊として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。 本物の戦士は週末も働き、航空会社のマイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロソフト大国で自分のミニ王国を築く。 忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス ウッドは友人たちに本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。やりがいを覚えるようにもなった。 一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに帰ってきた。学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と 笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らして お経を唱えはじめた。 暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。 二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの生活に戻らなけれぽならない。 でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月 ウィンドウズが何本売れるかということが、本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、 香港の電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドはマイクロソフトを辞めて、 この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。 人によって価値観の中心に置かれたものはさまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が 「成功」から「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされたのである。 (字数制限のためカット 2011年12月3日) ・・・・・・・ 3164,「物語」と「小説」 2009年12月03日(木) 「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、 ・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの “おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。 ・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。 一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に 相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。 ーー 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを ≪「誰かから聞いたかは忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。 「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。 その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。 一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。 我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の言うことは微妙に 違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。 10年前のことだが、 80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを死なせたこと。 医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》 彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。 小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。 ・・・・・・・・・ 2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8 2008年12月03日(水) 【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。 「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。 みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない… 一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる 弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。 ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。 ニール・サイモン (字数制限のためカット 2010年12月3日) ・・・・・・・・ 2007年12月03日(月) 2434, 絞首刑 −1 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より (*´з`*)<ォハョウサω♪ 死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。 行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。 こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。 どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」 の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。 ーまずは、その部分を抜粋ー われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。 やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」 甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音 のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。 まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。 だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、 ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。 「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。 所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、 待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような 灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。 (字数制限のためカット 2010年12月3日) ・・・・・・・・・ 2006年12月03日(日) 2070, 書画骨董の話 −2 才八∋ウ_〆(∀`●) 「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。 気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。 爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。 仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。 眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。 活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。 「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。 他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。 高遠(カユゥエン) ‐ 空高く見上げろ (上空空間) 深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。 書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、 一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。 一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、 ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。 ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。 対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう? 美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。 そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。 あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。 来春なったら、五合庵にでも行ってこようか! ・良寛の歌・ ◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」 ◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」 ◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」 \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・・ 2005年12月03日(土) 1705, 国際結婚が東京で 10パーセント! 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ーの見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。 (字数制限のためカット 2010年12月3日) ................ 2004年12月03日(金) 1340, 「酒乱になる人、ならない人」 −読書日記−2 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。 まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。 ー抜粋ー 「狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。 それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。その番頭さんは何故かこのキツネに 自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。 その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の 灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。 (字数制限の関係でカット09年12月3日) ・・・・・・・・・ 2003年12月03日(水) 973, 「永平寺」 ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
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2012年12月02日(日)
* 昨夜は、大学の同窓会 大学の同級会に(三年続けて)日本橋まで出かけてきた。 同級生が有名な甘粕の魚料理店の社長で、料理は絶品。 以前から首都圏在住の人だけで毎年、師走の第一土曜日に開かれている。 地方の人たちが集まるようになったのは、 この数年前からである。服部料理学校の理事長をしている染谷(源氏名、服部)さんを中心にした親睦会の要素がある。 大よそ20名弱が出席。 今回は武澤ゼミで一緒だった田島さんが出席をしていた。幹事役の男も武澤ゼミなので、三人が 揃うことになった。10数年前の大学主催の卒業30周年記念の時は、青森周りで新潟に遊びに来たことがあった。 中小企業や、料理屋、商家の師弟が多いため、この不景気、明るい話は少ない。ところで、目の前の男が自己紹介で曰く、 「実をいうと仕事が、ここにきて急速に拡大し上手くいっている。インドネシアの生産拠点を移したのが、その原因で、 今では国内の工場の生産高を超えている。そこは、日本人に対する感情が良好的で、自動車とオートバイのシェアが異常に高い。 その部品を生産し、そのまま、地元に流しているため効率が上がっている。最近はベトナム、タイにも流すようになった。」と。 半月ほど前にNHKで、上手くいっている会社の現地レポートを放映していた。 本人がインタビューを受けていたが、 その話を聞くまでは当人とは全く気づかなかった。 いずれの世界も5パーセントは、大当たりをしているのがいる。 * 最近の袋ものラーメンが美味い 何気なく週刊誌を読んでいると、「最近の袋物ラーメンが美味い!」という特集記事が出ていた。家内に、その話をすると、 「聞いていたが、今度、買ってくる!」ということで、早速、日清の「ら王」を買ってきて食べてみたが、思いのほか美味しい。 週刊誌の記事では、「ラーメン屋が、こんな美味しいラーメンを売られたら困る」と言っていたというが、成るほど納得。 ラーメン屋が、これにチャーシュウと葱を乗せて出されたら、気づかないだろう。 日経トレンディの2012年ヒット商品第4位 に入っていたのが「マルちゃん正麺」。 家内が言うに、「スーパーでは、全国的に売切れで手に入りにくい」といか。 何か技術改良がなされたのだろうが。 で、このところは昼食は、これにチャン飯! * 昨日の早朝の夢 昨日の朝方に面白い夢をみた。幼稚園時代の写真があって、そこに父親が幼稚園児の中にいる。そこで父親と同クラスの 写真の顔を一人ひとり見ていると、急に胸が苦しくなり目覚めた。 夢の中の写真に集中し過ぎたため、生身の方の呼吸を していなったようだ。5分位の深い呼吸で息を整えたが、15分位は何ともいえない気分の悪さ。 写真はカラーで、 それぞれの園児が可愛らしく浮かび上がっていた。父は40歳後半で、夢でも丁度その頃の年齢。 脳は、面白い創作をする。 ・・・・・・ 3903, 精神力ーその偉大な力 ー4 2011年12月02日(金) この年齢で昔読んだ本を読み返し、書評を書いていること自体が奇妙である。精神論というと現代では怪しげに思ってしまうが、 それを信念と置き換えて考えると、違ってくる。人は、それぞれの信念に従って生きている。問題は、それを前向きの思考にするか、 どうかである。世の大部分が、後ろ向き人である中で、よほど強固なベースがないと大勢に流されてしまう。そこで、一歩二歩 離れるか、孤独の時間を確保して自分の信念を守らなければならない。 信念という言葉には語り尽くせないほど奥行がある。 * 信じることの魔術 信念を変えることで体験の世界が変わります。信念は本人の精神の一つのあり方です。 大生命の力を信じなさい。大生命を見ることが出来ないし、信念も見えないが、それを通して行うことは見えます。 確証を見ることは出来るのです。信じることを前向きなことに使うことこそ鍵がある。 * 人生の四つの基本 ・ 第一は、大生命力すなわち【神】の善さ、完全さ、信頼性、敏感さなどに積極的信念を置くことです。 知性的で善良な愛の生命力が、あなたをこの世に送ったのです。大生命力は悪いのではなく善いということに気づくべきです。 ・ 最二に、自分が偉大な【人間】であることに気づくべきである。神性を持つ持つ大生命力が人間として個性化して、人格化して 人間というものが出来たと認めるべきである。自分を下等と思えば下等に行動し、他人もあなたを下等と思うでしょう。 しかし、自分が大生命の化身と気づけば、その能力が、あなたの自由になるのです。 ・ 第三に、運不運という、あらゆる信仰を捨てて、大生命力の【法則】に従って行動すべきです。大生命力の流れの中に、 みずから新たな原因を注入し、自分のために新しい思想を受け入れ、新しい体験を持つことを信じるべきです。 ・ 第四に、人格の【不死】を信じなければならない。他界しても自分は生きていると信じなさい。これは実用的です。 そう信じて行動すると、目の前の難問が何時か解決すべきことでなく、今すぐに解決すべきことになる。 この四つの基本的なこと―神、人、法則、不死―に、積極的な信念を置けば、何に対しても否定的な信念を持つことがなくなります。 ▼ 基本の一つの【法則】と中村天風の説と、ほぼ同じ。 積極一貫こそ、人間を宇宙の進化に従って生き、発展する術。 積極的な前向きな信念に一つまとまり塊になって一つの方向に歩くことこそ、人間の健全な姿。精神力=信念を自分の帆にして 人生に吹く風を利用し堅実に前に進めばよい。 当時これらの精神論が極限の中での道標となり心を支えていた。 現在は哲学? ・・・・・・・ 3538, メビウスと、自・他 2010年12月02日(木) * 他人とは何か 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。 【「自分が存在しない」ということは「ない」ということも、先に気がついたことだったね。だから、やっぱりすべては存在するんだ。 存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。 すべてが自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが 存在するということはないからだ。「他人」なんてものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、 世界には自分しか 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話なんだ。 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、本当に少数だから、君は、そういう大人を目指せばよい。 ・・・・ 大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。 大きい自分のう〜んと深いとろまで到達しているような人、 たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬で わかってしまうに違いない。「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則によって動いているのなら、 その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃないだろうか。「自分の内」「自分の外」なんて、 よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。なぜなら、すべてである自分には、内も外もないからだ。 じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】 ▼ 「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、メビウスの輪から 考えると分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、外にもなる。行けばこそ。そして、それぞれの延長が、 それぞれ続いている。記憶がメビウスの輪になり、それが大きくなリ続けている。帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを 見たりしながら、その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、「行かなければ、他の番組を見ている」のである。 自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、地球が消滅したと同じことになる。その己の存在にとって、 他者も自分もないのである。 ・・・・・・・ 3163, 金本位制度が復活? 2009年12月02日(水) 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。 * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す 外貨準備の運用について「金の保有量を3〜5年以内に6000トン、8〜10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。 現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が 勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、 金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が 再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。 ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、 今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45) ―― 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。 (字数制限のためカット 2011年12月日) ・・・・・・・・ 2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7 2008年12月02日(火) ー失敗を恐れるな! 「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。 【第6の法則】 失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。 〜〜〜 「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」 ービリー・ジ。エル 「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス 「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー 「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 ユダヤ人の友人のコトバ 「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉 「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」 ーニーチェ 「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」 ーマックス・ビアボーム 「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」 東欧ユダヤ社会の諺 「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」 ージョナス・ソーク 「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったときである」 ージョージ・ソロス 「悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」 ーゴルダ・メイヤー 「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」 ージークムント・フロイト 「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」 ーヘンリッヒ・ハイネ ・・・・・・・・ 2007年12月02日(日) 2433, お茶ひき (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪ 最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。 先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも 前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。 (字数制限のためカット 09年12月2日) ・・・・・・・・・・ 2006年12月02日(土) 2069, 書画骨董の話 −1 才八∋ウ_〆(∀`●) 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、 常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、 骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。 さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼が ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・ TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?) 書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。 死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。 名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。 絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。 そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。 中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・ ーーー 以下はインターネットで調べた「画の六法」である。 1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、 その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。 自身の気韻と、描画対象の気韻。 2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、 己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。 3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。 物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、 かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。 4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。 5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、 自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。 6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。 自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、 その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。 (字数制限のためカット 2011年12月日) ・・・・・・・・ 2005年12月02日(金) 1704, 家訓づくりのすすめ −1 「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。 個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、 ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、 今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ? (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】 著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。 350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...(((( 第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。 有名なものとして、徳川家康・伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、 記録として今後目を通したいので写してみた。 φ(。。*) −徳川家康の家訓ー 一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。 一、不自由を常と思えば不足なし 一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし 一、堪忍は無事長久の基 一、怒りは敵と思え 一、物好きは末に歎くことありと知れ 一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る 一、唯だ己を責めて人を責むるな 一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり 〆(´m`) ムフッ ーーー 何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。 ・保証人になるな ・金の貸し借りは絶対にするな ・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす ¬_¬)ちらっ ・借金は極力しないこと (`´ゞ ・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし ・私生活は、奇麗にしておくべし 特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと ・生活は質素倹約を基本とすべし ・政治には最小限の接点にすること まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。 これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて! φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。) 夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに? (^_^)/~~ ・・・・・・・・・ 2004年12月02日(木) 1339, 「酒乱になる人、ならない人」 ー 読書日記 −1 (字数制限のためカット 09年12月2日) ・・・・・・・・ 2003年12月02日(火) 972, ナレッジマネジメントー3 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」 ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日) ・・・・・・・・・ 598,八ちゃんの時代ー2 2002年12月02日(月) 少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。
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| 4277, この非常事態に、万一の備えがあるの? −5 |
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2012年12月01日(土)
* 創業準備、創業、盛業、衰退、倒産で、合計45年 人生で一番辛い一つの倒産を経験をした。 創業を決意し、その事業準備と立ち上げの苦労からみれば、リスクヘッジも あったが、最後の苦しみなどのエネルギーは数パーセントにも満たない。 現在、比較的平然としていられるのは、 面の皮が厚いのではなく、総合スパンの45年か、新潟駅前シリーズの31年スパンの物語の終わりの一場面と見てるから。 二代目経営者は、その隠された汗水の経験がない?ため、激動に対して開き直りが出来ないのである。だから言動が軽くなる。 極限の苦渋を味わってないため、限界が分からないのである。そのため他人の苦境に冷たく、表面的な上面しか見るれない。 それ故の強さもあるが・・ 今回も、彼らの視線の低さが露骨に見え隠れしていた。その辺りが一番、面白いところだが。 文章作法の「起承転結」を事業に当てはめてみると、その辺が分かりやすい。 「起」が事業創業の決意と、その準備期。 「承」は、具体的な創業と右上がりの拡大時期。 「転」は、ピークから右下がりの転換期。 「結」は、終焉になる。 45年スパンで実際に幾つか事業経験し、9・11、9・15、3・11の歴史的大震災の三連発で「結」を‘最悪の事態’で終えた。 が、少しの無念さは残ったとしても、「あれでは仕方がないが、面白かった」という諦念がある。 それもこれも自業自得。 「起の経験も、終わりの結の経験してない人が、非難などもってのほか」という思いがある。 これは創業経験者には分るが、 未経験なら分かろうはずがない。人は、経験と知識範囲しか物事は知りえない! これが一連の事業経験から得た最大の教訓! 創業準備の事業設計段階から、万一の場合の「シェルター」を組み込んでいた。 それが、大方の人には理解できない。 喩え話でいえば、「外海の大波が内海に迫っている中、ゴルフ場で、仲間内の噂話に夢中!の人達」に外海の津波が分からない。 いや、目ざといのは、とっくに逃げている? 本来は、何事も「起承転結」より「起承転々」の方が良いが、乱気流の中では、 「転々」は、大きくリバウンドする危険が大きい。先月、三週続いた不景気がらみの身辺の一連の出来事、来月はないだろうが? ・・・・・・ 3902, 精神力ーその偉大な力 ー3 2011年12月01日(木) この本を読み返すと、20歳代の気持ちに帰ったような心持ちになる。カスターがいう精神とは信念である。 信念は順調時より障害が立ちはだかった時に現れ出てくる。その時に知恵と叡智が心底の信念の蓋から湧き出てくる。 信念から湧き出た知恵と叡智を力にして、それを乗り越えた時に、自然(神)は真の喜びと生きがいを与えてくれる。 ー 印象に残った箇所を抜粋してみる ー ー精神論は、夢がある。 * あなたは何か? 魂の定義は「それ自身にめざめたあの力」というしかありません。自分自身について、より深い、より根本的真理を知りうる人は、 おのれにめざめたポイントであって、大生命力に属し、己の意のままに採択を行うポイントだと知っています。・・・ ごく少数の人のみが意識的に心の操作ができるのです。人間はおのれみずからに真に目覚めた知覚するポイントであって、 自由意思の完全体としり、おのれの精神に指令し、感情を統御し、身体を使いこなせるまでは、結局、眠れるに等しいのです。・・・ 自分の体験や、自分の世界のうえに支配を及ぼすのは、彼みずからについての真理に目覚めることが前提です。・・・ 私たちは、大生命力が人と化したものです。いずれも大生命力の人格化です。誰しも、自らの中に大生命力の知恵、才知、偉大、 表現の要具など全てを包み持っています。・・・ 各自の採択する力が各人を分けるので、その人は、まさしく一人の神であり、 その採択が、私たちに何が起こるか、未来が幸か不幸か、成功か失敗かを定めるのです。 * あなたの内の魔力的力 必要なのは正しい考え方だけ。 それを信頼することで正しい答えが来ることになる。・・・多くの人は、真理に直面したがらない。 そして否定的な考え方が、不幸の体験を引き寄せるのである。だから思考=信念に気をつけなければならない。何をなすべきかについては、 内心の直感にたより、最深の潜在意識に従って行動すれば、物事は良い方向に動いていくのです。 そこに魔力的力が生じてくる。 * 内心に案内者を持つ 自分の中を見ると、内心の案内者と呼ばれる能力があるのが分かる。虫の知らせや、霊感などによって、理性を超えた予知を感じ、 その方向に行くと、そのとおりであったことが、なんべんもあったでしょう。あなたの内部には何かがあります。それは心の水準に従い、 あなたを導いて、正しいときに正しいところに、正しい言葉を使わせ、正しい方法で、正しいことをさせます。あなたたち自身の中には、 理知と知恵があります。この特性が、思わしいほど多いと感じる人は、誰もいませんが、その知恵と叡智を使って体験することに限界を 感じる人はいないはずです。その叡智と知恵は、無限に、その人の内にあるのです。私たちの中には、喜びや楽しさの特質があります。 それが少ないとしたら、それは、その人に少ないからでなく、その道筋を知らないだけ。その能力こそ、内心の案内者といえるのです。 その人を探し出すのは、その人だけです。大生命力が、その仮身となって、呼びかけられるのを待っているのです。 「良きこと、悪きことはないのです。ただ思いが、それをつくるのです。」 ・・・・・・・ 3537, 上質な人生 2010年12月01日(水) 図書館で【上質な人生へようこそ】ー『セオリー』2007年vol.12 ーという特集の雑誌をみつけた。 まず人生に上質などあるのか?という平凡な反発があったが、テーマからして面白そうで読んでみた。 期待に反して? なかなか奥行きの深い言葉が次々と出てきた。 下質な人生なら、周辺にいくらでも転がっている。誰もが、自分を少しは上質と思っているから生きられるのである。 私に、「貴方にとって上質な人生とは、どのような人生か?」と問われれば、「自分のやりたいことを早く見つけ、 生涯を通して楽しむことが出来て、最後に面白くて、良かったいえる人生」と、迷わずにいう。 それぞれの人生があるから、他人が比較するものでない。そのためには努力と忍耐と勇気が必要である。 □ この特集の中で印象に残った言葉を抜粋してみる *「お金の使い方で分かります」イタリア人は貯蓄をゼロにして、この世をさる。 「家と車について考え方を変えるー家と車に日本人は金をかけすぎ。小さな家でもいいじゃないか! 家と車のローンで一生を終えてしまう人生に疑問。 お金の準備、遊びの準備が必要」大前研一 *「他人の基準にふりまわされ、ゆたかな人生を追い求めるほど、『上質』とはかけ離れていく。 物が溢れる今の時代だからこそ、自分の基準で(ほどほど)を知ることが必要」 「仕事も人生も、型を極めながらも肩の力が抜けた、ある種の軽やかさを持つところに、真の上質が宿るのです」 「女性の品格」著者・坂東真理子 *「『将来なんてものは、どこにも存在してない。現在幸福である以外に、幸福であることはあり得ない。」池田晶子 *「『また会いたい』そう思わせる人が、上質なんだと思う」 ▼ 中学校にしろ、高校にしろ、やはり上質というか、品の良いのはいた。残念?なことに、それがそのまま成績にも、 その後の人生にも大きく影響をしていた。品性が良いだけでなく、バランス感覚が違っていた。この年齢になってから、 若いときに出会ってきた人などを改めて照射してみると、全く違った基準でみることになる。品性だけは、隠しようがないもの。 やはり、家柄や、生まれ持った本人の性質があるようだ。 なるほどカントがいう、『良心』が親から受け継がれてきた人と、 その逆の人とでは、長い人生で大きな差が出るもの。 それが端的に出るのが、酒癖、女癖である。 私など、・・・・・ ・・・・・・・・ 3162,人生に関する小題 2009年12月01日(火) * 人生は玩具箱 「人生とは畢竟、運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎) 言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。 「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。そこで「人生は宝箱」という言葉が思い立つ。 (恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが宝とすると、幾らでも宝はある。 それでは「人生はゴミ箱」というと、 それほど無いのは、無意識で自分の心をコントロールしているためか? そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、 全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時? 無駄も必要だから、それは違うか。 * わたしは地上でたった一人になってしまった 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。 「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで 人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」 と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の 卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。 *「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。 《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、 また或るものは戦うために出て行かなければならない。 (字数制限のためカット、11年12月01日 ・・・・・・・・・ 2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6 2008年12月01日(月) ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。 ダーウィンの次の言葉が好きだ。「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」ことしか 生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・ ーーー 「第5の法則】 「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が本当に やりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味から、ただただ、 それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー 「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、 突如として まったく違った見方をすることです」 ドレス・レシング 「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」 アルバート・アインシュタイン 「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」 アルバートアインシュタイン 「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」 アイザック・アシモフ 「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」 ユダヤの諺 ・・・・・・・ 2007年12月01日(土) 2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日 オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー 11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が最終日であった。 アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が「株は長期に低落する。 「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジがこんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、 再び、ここで同じことを予言している。「また、海の色が変わる!」という。 ーーー ー日経新聞「私の履歴書」2007年11月30日ー =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理= *再度・海の色* バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言したことを書いた。 今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポンと言う人が多いが、僕はアメッポンを使う) と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と高まり、中東情勢は 混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの信認が低下し、米国は金や原油、穀物などの実物資産を 裏付けとする新しい通貨制度を考え出すのではないかと思う。そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。 世界中が混乱、アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。僕は安倍晋三前首相のお父さん (安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。 小沢一郎さんが天下を取るのか小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。 高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎えることになるように思う。 僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。「職人国家」としてそれなりのステレータスを 保っていけると思うから心配していない。最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに 「金融立国」の幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り返っても、 僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、「人間は太古の昔から同じことを繰り返している動物」 ということだ。 人生は思った通りにならない。それは残念なことだが、だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。 「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。人間、何が幸せで何が不幸か、 本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。人間は変わらないが、世の中は変わる。 これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・ −−−− 解)今年から5〜10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。それと日本を「職人国家」という見方も面白い。 今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへの プロセスに入るのは当然である。 (σ’д゜)バイ! ・・・・・・ 2006年12月01日(金) 2068, あたりまえなことばかり −19 (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! 哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、外傷と言えないという。 しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、 外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。 以前は、癒しなどの言葉は無かった。精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流の セラピーの役割をしていたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできはしない。 そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ ーーーーーーーーーーー どうすれば癒されるのか ーーーーーーーーーーー 癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のためカラオケに行く。 コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと浮わついた「雰囲気」、 それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、癒されるべき傷などどこにも無かったか、 その程度のものである。具体的なものが見えないから、漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが 商品として流通するという構図である。しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、 主語を支点にこれを能動態に変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、 自分で自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。 癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの予測を はるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の逆転によって垣間見られる。 「私とは何か」 −>「何が私であるのか」 「心とは何であるか」−>「何が心であるか」 「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内にそれがある存在している ことを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な 存在ではない。本来、物理的な存在でないものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような 命名が、多くの誤解を生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、 傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。 (字数制限のためカット、10年12月01日) ・・・・・・・ 2005年12月01日(木) 1703, 政府系金融機関の統合 (~O~)ふぁ 政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。 悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。 (字数制限のためカット、09年12月01日)
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2012年11月30日(金)
「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著), * ギュゲースの指輪 次に印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。 ウィキペィデアには次のようにあった。 ≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき地震にあった。 地震の後に畜群を放している山の手に洞窟が現れたのを見つけた。入ってみると中には玉座に遺体が置かれていた。 その遺体は金の指輪をしており、ギュゲースはその指輪を盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけてあれこれと 探るうちに指輪を内側に回すと透明になって体が見えなくなり、外側に回すとまた見えるようになることに気づき、悪だくみを 思いついた。家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に近づいて姦通、密謀してカンダウレース王を殺し、 位を簒奪した。豪富で知られるクロイソス王はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。 プラトンは 「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して「人は知られなければ悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンの これに反対する形で「悪事は知られなければ構わないという考えは良心を腐らせ悪しき結果となる」と述べている。≫ ▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。人にさえ知られなければ、誰も誘惑に駆られ 多くの悪事をするが、他人になると声高に非難をする。もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、恐らく 何をしでかすか分からない。見せかけの自分と、本性の自分は全く違うことは、自分の心を考えれば分かること。 「指輪物語」は、これをヒントにつくられたという。ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も昔に、 この人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 若い時には純粋で理想に燃えて 社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、何時の間にか良心を腐らた世俗人になってしまう。 それを他人には 見えるが、自身には見えないから、その矛盾が直接、自分に跳ね返ってくる。その結果、精神分裂になり、自分の壁を つくって篭ることになる。それからして、カントの道徳律は重要である。「仮言命法」としてではなく、「定言命法」である。 仮言命法とは,「もし…なら…べきだ」というもの。道徳律においても、「もし人から信用されたいのならば、 嘘をついてはいけない」とか、「早起きは三文の得」などがそれ。それに対して、条件なしに「…すべきだ」とだけ 命ずることを定言命法(無上命法)。人間、良心に反する行為は、すべきでないということ。しかし、・・ この「しかし」が、人間を迷わせる内語になる。 悪事は結局、回りまわって自分に帰ってくる。 で、・・! ・・? ・・・・・・・ 2011年11月30日(水) 3901, 精神力ーその偉大な力 ー2 ▼ 世界でもっとも重要なもの 著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず実現する。成すべきことを成し遂げれば、。 何事にも光がさし込む」ということ。 精神力とは信念のことをいい、確たる目標に対する継続した努力をすれば、 その努力が信念になっていく。 そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには必ず対策がある。そう信じることが信念。 ここで、エマソンの次の言葉を引用している。「すべての個人には共通の一つの心がある。各人は、同じものの一つ一つの、 また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に触れた人は、実存するもの、あるいは、行われうることすべてへの 仲間入りをした人である。これこそ唯一の、そして最高の力だからである」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と同じ。 精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。 ▼ 人が知識を得る三つの方法 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出した。 ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果 「大生命力は実在します!それを生きなさい。 人は大生命力のなかの、自覚を持つポイントです。精神は大生命力の法則、 生命が作用する方法、創造のための大生命力の要具です。それを使いなさい!」そのためのドアは、本人が開けなければならない。 不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことをしていない結果に過ぎない。その苦痛は心の使い方を不健全に使っている ことを忠告しているに過ぎない。その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和は、正しく考え、正しく行なっていることに報いる 自然界一流の方法です。 ホランドの詩に次のようなものがある。 「 天国は、ひと跳びに行けるところではない 登るはしごを建造するのだ 低い地上から、まる天井の空まで―― はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ 」 いかに思うべきかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。 しかし信念の在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それができるかを教える人は、非常に少ない。 ・・・・・・・ 2010年11月30日(火) 3536、沈黙せよ! 「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー 《 「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」という詩に、 思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを根底から否定されたようである。 否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。 ーまずは、以下の文と詩からー 【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の色濃い哲学的・ 思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。 「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の代表作の一つで、ロシア人なら 誰もが知っているほど有名なものです。文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう! これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、 これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・・・ 翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に銘じたうえで、 しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。 ー 沈黙! ー 沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ 自分の気持ちも夢も― 魂の深みでそれらは 夜の星のように黙々と 昇っては沈むことを繰り返しているがよい それに見惚れ、沈黙せよ!
心はどうしたら自分を言い表すことができるのか 他人にお前のことがどうして理解できようか お前の生きがいが他人にわかるだろうか 心に思うことも口に出せば嘘になる 泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!
自分自身の中で生きることだけができればよい お前の魂の中にはまるまる一つの 神秘的で魔法のような思念の世界がある その思念を外の騒音がかき消し 昼の光が追い散らしてしまう それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! …… 〜〜 「 ・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・ 「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。 思念公開も面白いもの。 土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく ・・・・・・・ 2009年11月30日(月) 3161,つれづれに ー閑話小題 * 円高 85円 為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。 年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか 中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる 不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。 社会はますます内向きに成りざるを得ない。 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが 「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、 この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と 時代背景を書いている。 (字数制限のためカット、11年11月30日) * 同じ映画を二度みたのは始めて! 土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 (字数制限のためカット、11年11月30日) ・・・・・・・・・ 2008年11月30日(日) 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5 ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー 【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ 「空気人間になれ」 (ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、自尊心が確立されているから、 仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、 わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、 空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。) ユダヤの知人の言葉 *「この仕事で 豊かな気分になることはない ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に 苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ *「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」 ドロシー・パーカー *お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、 *11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」 東欧ユダヤ社会の諺 *「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」 ショーレム・アレイヘム ・・・・・・・・・ 2007年11月30日(金) 2431, ネット君臨 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 「ネット君臨」−毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社) −読書日記 この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にしたものだが、 この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。 私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。 マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。 特に「2ちゃんねる」上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。 毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の規制を考える面で、良いこと。 *まずはアマゾンの、この本の紹介文から ー内容紹介ー 匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率をもたらす一方、 さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。 ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。本書では、国内最大のネット掲示板 「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。 「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、 企業や個人のマネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。 ー概要ー マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。 難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円) を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。 (字数制限のためカット、09年11月30日) ・・・・・・・・・ 2006年11月30日(木) 2067, あたりまえなことばかり −18 (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! 人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。 私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、 その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1〜2年ごとにクラス会を開いていた。 担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、延々と夜半まで 三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。 そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。 経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、むしろ面白く、味わいが深くなる。 人生など大したことがないものである。深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から 生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! ということである。 ( ^3)〜♪よ〜よ〜それが一番、難しいんじゃないかい! ーーーーーーーーーー 老いは個人の生を超え −? ーーーーーーーーーー 老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきたのかと 訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。 刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、したがって老いることを拒む。 動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。 「老醜」とは正確には自虐的に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。 外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。 内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、 面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。自分の人生を振り返ってその視野に、 自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。 内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映っているからだ。 過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。 それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。 ーー 母親が80歳の時に、「私の生きた5〜6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」 いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の 生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。 それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。 その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも 以下でもない男。 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、自分が生きてきた 時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。 (-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。 あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を 自虐していたとしたら、全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。 (ノ≧ロ)ノ< いまさら何をいってんだ、ばかやろぉ〜〜〜!!! (*^ワ^*)i バイバイ ・・・・・・・・ 2005年11月30日(水) 1702, 中学校還暦同期会 −2 nemu(ρ_-) 先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。 今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、 40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」ということだ。(いや、あるか?) 上手くいったという人はそれでよし、上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。 要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。 どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。(≧▽≦) 本当か? 誰にでも悔いがあるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか? そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、その結果として自然の笑いが出てくればよい」 ということになる。♪〜(=^ε^= ) 出席している人は、比較的に恵まれている人?のためか、全体として、明るい人が多かった。 めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、 「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる気持ちだったろう。 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay ・・・・・・ 2004年11月30日(火) 1337, 「自分を活かす極意] 」 ー読書日記 −1 齋藤スタイル―自分を活かす極意 齋藤 孝 (著) ( 字数の関係でカット 2010年11月30日 ) ・・・・・・・・ 2003年11月30日(日) 970, 「遺言川柳」 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。 以下は、字数の関係でカット 2007年11月30日 ・・・・・・・・・・ 2002年11月30日(土) (2) 596, スーパー床屋は席貸業 - 最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。 (以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
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| 4275, この非常事態に、万一の備えがあるの? −4 |
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2012年11月29日(木)
* 長岡冬景色 ーある同級生の死 昨日の朝、高校の同級生から電話が入った。20年以上、毎年開かれていた同級会のメンバーの1人が、一昨日の夜、 自殺をしたという。近郊の町で家業を継いでいる人で、明るくサッパリとした性格で皆から好かれるタイプ。 本人が居るかどうかで、同級会の明るさが違うほどの人。その男が自殺とは、一瞬耳を疑い、息を呑んでしまった。 「この非常事態に、万一の備えがあるの?」を、今月の15日に、ここで書いた。 その前日の地元紙に、 * 同級生の老舗会社の倒産記事が出ていた。20年前に工場が火災で全焼、しかし保険で建替え無借金経営と聞いていた。 * そして翌週には、計算サンターの社長をしている会社が、TVと新聞に大々的に、「不正に雇用調整給付金を受給。 それも内部告発により調査の結果。不正分を全額返済のため、刑事告訴はしないが、悪質なため発表した。」と報じられた。 全国ニュースにならなかったのが不幸中の幸いだが、銀行系もあり処分は厳しいと推察される。 * そして今週は、彼の自殺である。 親戚や近所の自殺は身近であるが、同級生は初めて。 まさか、このテーマで書いた警告が、そのまま、ごく身近で直ぐにたて続けて現われ出るとは想定外である。 3人とも傍からみれば、これ以上の堅実経営はないかと思われた会社。そのため、ことさら驚きは大きい。 それにしても自殺とは、よほどのことがあったのだろう。 同級会のメンバー内の話としては、 去年春に私が先ぶれに破綻。そして、この11月にたて続きに3人が、続いたことになる。 以前から、「2012年問題(時代の断層の年)」が言われてきたが、今のところ何も起きていない。 しかし極身近から、このように生々しく起こるとは思いもしなかった。 恐慌の大波は根こそぎ、全てを破壊していく。 これが地方の特殊要因でなく、世界、日本レベルの大波の地方の一現象でしかないところが恐ろしい。 まだ、経済の大津波(恐慌)の本体は外海で、到達は来年辺り。来年以降は、こういう状況は極当り前の日常になる。 ・・・・・・・ 3900, 精神力ーその偉大な力 ー1 2011年11月29日(火) * 「精神力ーその偉大な力」 ダン・カスター著 学生時代の卒業間近から27歳までの修行時代から事業創業期の精神は緊張と不安の極限にあった。 あまりに突き当たった壁が厚く、自己確立が曖昧だった内面は粉々になりかけていた。 しかし、それを表立てることは許されない節目時。 傷つき荒れ狂った気持ちを自分で何とか立て直さなければ、 絶壁の谷底に転がり落ちる綱渡りの日々。 その中で、狂わないようにバランスをとらなければならない上に、自分を奮いたって いなければならない。 その日々の中で、学生時代の終わりの頃に読んだ、このブリストルの「精神力を活かす」と、 ダン・カスター著「精神力、その偉大な力」が、心の支えになっていた。そこには色の違った傍線が幾つも引かれていた。 経験を重ねるうちに、この手の本は安物の精神主義の本でしかないと疑問を持つようになっていた。 40年経った現在再び、 読み返しているが、決して安物の精神論の本でないことが分かり安心をした。マーフィーの成功法則の下地になっているのではと、 思われる。 特に「精神力ーその偉大な力」は、先がさっぱり見えない不安感と挫折感の中で、何度も何度も読み返したことが懐かしい。 節目時に読んだ本は、節目時の自分の心でもある。 40年の年月は長い!そこで失ったものと得たものが私自身である。 一月程前に、信濃川の大手大橋を歩いていたとき、地球の芯からの声が聞こえてきたことを書いた。自分の独り言であるのは 敢えて言うまでもないが、魂の芯から出ていることは違いない。 時どき、その声と対話をしたり、中心点に気持ちを収集して、 そこの蓋を開けるイメージを持つ。そして、そこからエネルギーが心に溢れ出てくる感覚を持つ。また、その蓋の向う側に 無限の宇宙の時空をイメージする。 気持ちが弱った時など非常に有効に働く。その下地が早朝の散歩の途中にしていた呼吸法。 気持ちを地球の中心点まで到達するイメージを持ち、中心点を擬人化して挨拶したり会話をしていた下地があった。 散歩をポタリングに変え、しばらく、その呼吸法をしてなかった。ところが、サイクリングの途中にウォーキングを取り入れて 大手大橋を‘引きチャリ’をしていた時、脳の底から以前独り言で話していた擬人化したイメージの声が聞こえてきたのである。 一月前の随想日記に同じことが書いてある。その芯と声が、この「精神力」と同じである。 心の底のエネルギの源泉を探し出し 元気を創造しろということ。次回から、少し書き出してみるが、過去を振り返りながら心の源泉の湯に浸かっている気分か。 精神を哲学するのも、面白い。精神=信念=「絶対言明」+エネルギー。 意志に似ているが、少し違う。 意志の哲学といえばショーペンハウアー。 その影響を受けたのがニーチェ。 ・・・・・・・ 3535, つれづれに ー 閑話小題 2010年11月29日(月) * 自分の初めの感じたことを信じなさい! 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が土産物に迷っているところ、 60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを言ったら 『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性になら良いか?」と独り言を頭の中で呟いていた。 その言葉は、正しくもあり、間違ってもいる。これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、 まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、ということになる。 それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは若い女性にしか言えないこと。 その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。 * 尖閣ビデオでYoutubeが注目される もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。 Youtubeは10分間の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。僅か5年前に若い二人の米国人によって つくらたサイトで、一年後にGoogleに2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。 一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。 数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに 貼り付けている。過って見たことがない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週紹介する番組が 既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオの写真が貼り付けられ、アクセス数が 書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。 そこで、思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。 コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が、 「売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」と発言。言い得てるが、 それが東京都知事ときている。訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。 ・・・・・・・・ 3160, ドバイが債務不履行! 2009年11月29日(日) アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、 石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという 信じがたいことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。 ( 字数制限の関係でカット 2011年11月29日 ) ・・・・・・ 2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4 2008年11月29日(土) 【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ 「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」 ーユダヤの諺 「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」 「噂はかならず三人の人を殺す。 噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になっている人だ」 「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」 ーユダヤの諺 「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、一度発した言葉を 取り返すことはできない」ーユダヤの言葉 「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、最後は人に教えてみることだ」 ソロモン・カビロール (字数制限のためカット09年11月29日) ・・・・・・・・ 2007年11月29日(木) 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより 「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。 死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが 見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。 この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。 <おばあちゃん> 金子光晴 『若葉』のおばあちゃんは もう二十年近くもねてゐる。 すべり台のやうな傾斜のベッドに 首にギプスをして上むいたまま。 はじめはふしぎそうだったが いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。 なんにもできないおばあちゃんを どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。 むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。 できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。 おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。 ーー ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。偶然に去年、老いを取上げていた! ・・・・・・・・・ 2006年11月29日(水) 2066, あたりまえなことばかり −17 おふぁ ファ〜 そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、 そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・ 両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、 決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。 だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、 彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。 母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。 ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・ ーーーーーーーーーー 老いは個人の生を超え ーーーーーーーーーー 人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、 若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという現実を 肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。生きられてしまった事柄とは、 端的にかこである。それは動かせない事実である。過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、 それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの 感情や感傷によって覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。 なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。 生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失っていく過程である。 しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、得ているものはたしかにある。 何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。 魂は成熟する。「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。 経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、いった意味合いらしい。 縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を織り上げていく行程は、刻々老いてゆく肉体の 老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の他ならないのだから。それすらも、 織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。人生とは、生死の間に存在する時間である。なるほど論理的には、 人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には、 人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。有と無の間で生成する質である。質は論理でない。 論理が指示する、論理自身の影である。論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、 このこと自体が人生の不思議である。その存在しない死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはず。 字数の関係でカット(2011年11月29日) ・・・・・・・・・ 2005年11月29日(火) 1701, ほめ芸王 ー2 以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。 というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。 funn~(。_。)q 以前借りてきた時に印象的だったのは、 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、 人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。 だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。 -字数の関係でカット(2007年11月29日) ・・・・・・・・ 2004年11月29日(月) 1336, 2000年前のポンペイー5 一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。 たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、 落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。 同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ 逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、 そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。 ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには ・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。 ・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。 ・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。 ・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。 ・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。 ・果物屋には桃が売られていたメモがあった。 等々である。 メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。 当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に 与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。 そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。 その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。 ・下品の言葉を慎むように 字数の関係でカット(2011年11月29日) ・・・・・・・ 2003年11月29日(土) 969, 幽霊店舗 昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、 次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、 既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。 (字数制限のためカット10年11月29日) ・・・・・・・・ [242] ゼネコンー2 - 2001年11月29日(木) 同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。 普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。 日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。 社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。 新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人) と言う責任者が、殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。 (字数制限のため、カット 09年11月29日)
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