堀井On-Line



4278, 閑話小題 ー昨夜は、大学の同窓会

2012年12月02日(日)

  * 昨夜は、大学の同窓会
 大学の同級会に(三年続けて)日本橋まで出かけてきた。 同級生が有名な甘粕の魚料理店の社長で、料理は絶品。
以前から首都圏在住の人だけで毎年、師走の第一土曜日に開かれている。 地方の人たちが集まるようになったのは、
この数年前からである。服部料理学校の理事長をしている染谷(源氏名、服部)さんを中心にした親睦会の要素がある。
大よそ20名弱が出席。 今回は武澤ゼミで一緒だった田島さんが出席をしていた。幹事役の男も武澤ゼミなので、三人が
揃うことになった。10数年前の大学主催の卒業30周年記念の時は、青森周りで新潟に遊びに来たことがあった。
中小企業や、料理屋、商家の師弟が多いため、この不景気、明るい話は少ない。ところで、目の前の男が自己紹介で曰く、
「実をいうと仕事が、ここにきて急速に拡大し上手くいっている。インドネシアの生産拠点を移したのが、その原因で、
今では国内の工場の生産高を超えている。そこは、日本人に対する感情が良好的で、自動車とオートバイのシェアが異常に高い。
その部品を生産し、そのまま、地元に流しているため効率が上がっている。最近はベトナム、タイにも流すようになった。」と。
半月ほど前にNHKで、上手くいっている会社の現地レポートを放映していた。 本人がインタビューを受けていたが、
その話を聞くまでは当人とは全く気づかなかった。 いずれの世界も5パーセントは、大当たりをしているのがいる。
  * 最近の袋ものラーメンが美味い
 何気なく週刊誌を読んでいると、「最近の袋物ラーメンが美味い!」という特集記事が出ていた。家内に、その話をすると、
「聞いていたが、今度、買ってくる!」ということで、早速、日清の「ら王」を買ってきて食べてみたが、思いのほか美味しい。 
週刊誌の記事では、「ラーメン屋が、こんな美味しいラーメンを売られたら困る」と言っていたというが、成るほど納得。
ラーメン屋が、これにチャーシュウと葱を乗せて出されたら、気づかないだろう。 日経トレンディの2012年ヒット商品第4位
に入っていたのが「マルちゃん正麺」。 家内が言うに、「スーパーでは、全国的に売切れで手に入りにくい」といか。 
何か技術改良がなされたのだろうが。 で、このところは昼食は、これにチャン飯! 
  * 昨日の早朝の夢
 昨日の朝方に面白い夢をみた。幼稚園時代の写真があって、そこに父親が幼稚園児の中にいる。そこで父親と同クラスの
写真の顔を一人ひとり見ていると、急に胸が苦しくなり目覚めた。 夢の中の写真に集中し過ぎたため、生身の方の呼吸を
していなったようだ。5分位の深い呼吸で息を整えたが、15分位は何ともいえない気分の悪さ。 写真はカラーで、
それぞれの園児が可愛らしく浮かび上がっていた。父は40歳後半で、夢でも丁度その頃の年齢。 脳は、面白い創作をする。
・・・・・・
3903, 精神力ーその偉大な力  ー4
2011年12月02日(金)
 この年齢で昔読んだ本を読み返し、書評を書いていること自体が奇妙である。精神論というと現代では怪しげに思ってしまうが、
それを信念と置き換えて考えると、違ってくる。人は、それぞれの信念に従って生きている。問題は、それを前向きの思考にするか、
どうかである。世の大部分が、後ろ向き人である中で、よほど強固なベースがないと大勢に流されてしまう。そこで、一歩二歩
離れるか、孤独の時間を確保して自分の信念を守らなければならない。 信念という言葉には語り尽くせないほど奥行がある。
  * 信じることの魔術
 信念を変えることで体験の世界が変わります。信念は本人の精神の一つのあり方です。
大生命の力を信じなさい。大生命を見ることが出来ないし、信念も見えないが、それを通して行うことは見えます。
確証を見ることは出来るのです。信じることを前向きなことに使うことこそ鍵がある。
  * 人生の四つの基本
・ 第一は、大生命力すなわち【神】の善さ、完全さ、信頼性、敏感さなどに積極的信念を置くことです。
 知性的で善良な愛の生命力が、あなたをこの世に送ったのです。大生命力は悪いのではなく善いということに気づくべきです。
・ 最二に、自分が偉大な【人間】であることに気づくべきである。神性を持つ持つ大生命力が人間として個性化して、人格化して
 人間というものが出来たと認めるべきである。自分を下等と思えば下等に行動し、他人もあなたを下等と思うでしょう。
 しかし、自分が大生命の化身と気づけば、その能力が、あなたの自由になるのです。
・ 第三に、運不運という、あらゆる信仰を捨てて、大生命力の【法則】に従って行動すべきです。大生命力の流れの中に、
 みずから新たな原因を注入し、自分のために新しい思想を受け入れ、新しい体験を持つことを信じるべきです。
・ 第四に、人格の【不死】を信じなければならない。他界しても自分は生きていると信じなさい。これは実用的です。
 そう信じて行動すると、目の前の難問が何時か解決すべきことでなく、今すぐに解決すべきことになる。
 この四つの基本的なこと―神、人、法則、不死―に、積極的な信念を置けば、何に対しても否定的な信念を持つことがなくなります。
▼ 基本の一つの【法則】と中村天風の説と、ほぼ同じ。 積極一貫こそ、人間を宇宙の進化に従って生き、発展する術。
 積極的な前向きな信念に一つまとまり塊になって一つの方向に歩くことこそ、人間の健全な姿。精神力=信念を自分の帆にして
 人生に吹く風を利用し堅実に前に進めばよい。 当時これらの精神論が極限の中での道標となり心を支えていた。 現在は哲学?
 ・・・・・・・
3538, メビウスと、自・他
2010年12月02日(木)
  * 他人とは何か
 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。
 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。
【「自分が存在しない」ということは「ない」ということも、先に気がついたことだったね。だから、やっぱりすべては存在するんだ。
 存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。 すべてが自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが
 存在するということはないからだ。「他人」なんてものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、
 世界には自分しか 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話なんだ。
 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、本当に少数だから、君は、そういう大人を目指せばよい。 
 ・・・・  大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。 大きい自分のう〜んと深いとろまで到達しているような人、
 たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬で
 わかってしまうに違いない。「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。
 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則によって動いているのなら、
 その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃないだろうか。「自分の内」「自分の外」なんて、
 よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。なぜなら、すべてである自分には、内も外もないからだ。
 じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】
▼ 「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、メビウスの輪から
 考えると分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、外にもなる。行けばこそ。そして、それぞれの延長が、
それぞれ続いている。記憶がメビウスの輪になり、それが大きくなリ続けている。帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを
見たりしながら、その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、「行かなければ、他の番組を見ている」のである。
自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、地球が消滅したと同じことになる。その己の存在にとって、
他者も自分もないのである。
・・・・・・・
3163, 金本位制度が復活?
2009年12月02日(水)
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す
外貨準備の運用について「金の保有量を3〜5年以内に6000トン、8〜10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。
現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が
勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、
金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が
再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
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 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。  
   (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)
 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
  〜〜〜
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」     ービリー・ジ。エル
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス
「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、
 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」     ーニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」      ーマックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ージョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったときである」      
                                       ージョージ・ソロス
「悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ーゴルダ・メイヤー
「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」   ージークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」     ーヘンリッヒ・ハイネ
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2007年12月02日(日)
 2433, お茶ひき        (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。
先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
  (字数制限のためカット 09年12月2日)
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2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 −1               才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、
常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、
骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。
さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼が
ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・
TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては
ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。
死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。
名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。
絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。
そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。
中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
 ーーー
以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、
  その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。
  自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、
  己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2005年12月02日(金)
 1704, 家訓づくりのすすめ −1  
「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...((((
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康・伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 −徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす  ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと   (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?        (^_^)/~~
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2004年12月02日(木)
 1339, 「酒乱になる人、ならない人」  ー 読書日記 −1
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
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 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
    ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日)
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598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)
少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。


4277, この非常事態に、万一の備えがあるの? −5 

2012年12月01日(土)

 
  * 創業準備、創業、盛業、衰退、倒産で、合計45年
 人生で一番辛い一つの倒産を経験をした。 創業を決意し、その事業準備と立ち上げの苦労からみれば、リスクヘッジも
あったが、最後の苦しみなどのエネルギーは数パーセントにも満たない。 現在、比較的平然としていられるのは、
面の皮が厚いのではなく、総合スパンの45年か、新潟駅前シリーズの31年スパンの物語の終わりの一場面と見てるから。
二代目経営者は、その隠された汗水の経験がない?ため、激動に対して開き直りが出来ないのである。だから言動が軽くなる。
極限の苦渋を味わってないため、限界が分からないのである。そのため他人の苦境に冷たく、表面的な上面しか見るれない。
それ故の強さもあるが・・ 今回も、彼らの視線の低さが露骨に見え隠れしていた。その辺りが一番、面白いところだが。 
 文章作法の「起承転結」を事業に当てはめてみると、その辺が分かりやすい。 「起」が事業創業の決意と、その準備期。 
「承」は、具体的な創業と右上がりの拡大時期。 「転」は、ピークから右下がりの転換期。 「結」は、終焉になる。 
45年スパンで実際に幾つか事業経験し、9・11、9・15、3・11の歴史的大震災の三連発で「結」を‘最悪の事態’で終えた。 
が、少しの無念さは残ったとしても、「あれでは仕方がないが、面白かった」という諦念がある。 それもこれも自業自得。 
「起の経験も、終わりの結の経験してない人が、非難などもってのほか」という思いがある。 これは創業経験者には分るが、
未経験なら分かろうはずがない。人は、経験と知識範囲しか物事は知りえない! これが一連の事業経験から得た最大の教訓! 
 創業準備の事業設計段階から、万一の場合の「シェルター」を組み込んでいた。 それが、大方の人には理解できない。 
喩え話でいえば、「外海の大波が内海に迫っている中、ゴルフ場で、仲間内の噂話に夢中!の人達」に外海の津波が分からない。 
いや、目ざといのは、とっくに逃げている? 本来は、何事も「起承転結」より「起承転々」の方が良いが、乱気流の中では、
「転々」は、大きくリバウンドする危険が大きい。先月、三週続いた不景気がらみの身辺の一連の出来事、来月はないだろうが?
・・・・・・
3902, 精神力ーその偉大な力  ー3
2011年12月01日(木)
 この本を読み返すと、20歳代の気持ちに帰ったような心持ちになる。カスターがいう精神とは信念である。
信念は順調時より障害が立ちはだかった時に現れ出てくる。その時に知恵と叡智が心底の信念の蓋から湧き出てくる。
信念から湧き出た知恵と叡智を力にして、それを乗り越えた時に、自然(神)は真の喜びと生きがいを与えてくれる。
  ー 印象に残った箇所を抜粋してみる ー                 ー精神論は、夢がある。
  * あなたは何か?
 魂の定義は「それ自身にめざめたあの力」というしかありません。自分自身について、より深い、より根本的真理を知りうる人は、
おのれにめざめたポイントであって、大生命力に属し、己の意のままに採択を行うポイントだと知っています。・・・
ごく少数の人のみが意識的に心の操作ができるのです。人間はおのれみずからに真に目覚めた知覚するポイントであって、
自由意思の完全体としり、おのれの精神に指令し、感情を統御し、身体を使いこなせるまでは、結局、眠れるに等しいのです。・・・
 自分の体験や、自分の世界のうえに支配を及ぼすのは、彼みずからについての真理に目覚めることが前提です。・・・
私たちは、大生命力が人と化したものです。いずれも大生命力の人格化です。誰しも、自らの中に大生命力の知恵、才知、偉大、
表現の要具など全てを包み持っています。・・・ 各自の採択する力が各人を分けるので、その人は、まさしく一人の神であり、
その採択が、私たちに何が起こるか、未来が幸か不幸か、成功か失敗かを定めるのです。
  * あなたの内の魔力的力
 必要なのは正しい考え方だけ。 それを信頼することで正しい答えが来ることになる。・・・多くの人は、真理に直面したがらない。
そして否定的な考え方が、不幸の体験を引き寄せるのである。だから思考=信念に気をつけなければならない。何をなすべきかについては、
内心の直感にたより、最深の潜在意識に従って行動すれば、物事は良い方向に動いていくのです。 そこに魔力的力が生じてくる。
  * 内心に案内者を持つ
 自分の中を見ると、内心の案内者と呼ばれる能力があるのが分かる。虫の知らせや、霊感などによって、理性を超えた予知を感じ、
その方向に行くと、そのとおりであったことが、なんべんもあったでしょう。あなたの内部には何かがあります。それは心の水準に従い、
あなたを導いて、正しいときに正しいところに、正しい言葉を使わせ、正しい方法で、正しいことをさせます。あなたたち自身の中には、
理知と知恵があります。この特性が、思わしいほど多いと感じる人は、誰もいませんが、その知恵と叡智を使って体験することに限界を
感じる人はいないはずです。その叡智と知恵は、無限に、その人の内にあるのです。私たちの中には、喜びや楽しさの特質があります。
それが少ないとしたら、それは、その人に少ないからでなく、その道筋を知らないだけ。その能力こそ、内心の案内者といえるのです。
その人を探し出すのは、その人だけです。大生命力が、その仮身となって、呼びかけられるのを待っているのです。
「良きこと、悪きことはないのです。ただ思いが、それをつくるのです。」
 ・・・・・・・
3537, 上質な人生
2010年12月01日(水)
 図書館で【上質な人生へようこそ】ー『セオリー』2007年vol.12 ーという特集の雑誌をみつけた。
まず人生に上質などあるのか?という平凡な反発があったが、テーマからして面白そうで読んでみた。
期待に反して? なかなか奥行きの深い言葉が次々と出てきた。 
下質な人生なら、周辺にいくらでも転がっている。誰もが、自分を少しは上質と思っているから生きられるのである。
私に、「貴方にとって上質な人生とは、どのような人生か?」と問われれば、「自分のやりたいことを早く見つけ、
生涯を通して楽しむことが出来て、最後に面白くて、良かったいえる人生」と、迷わずにいう。
それぞれの人生があるから、他人が比較するものでない。そのためには努力と忍耐と勇気が必要である。
  □ この特集の中で印象に残った言葉を抜粋してみる
*「お金の使い方で分かります」イタリア人は貯蓄をゼロにして、この世をさる。 
 「家と車について考え方を変えるー家と車に日本人は金をかけすぎ。小さな家でもいいじゃないか!
  家と車のローンで一生を終えてしまう人生に疑問。 お金の準備、遊びの準備が必要」大前研一
*「他人の基準にふりまわされ、ゆたかな人生を追い求めるほど、『上質』とはかけ離れていく。
  物が溢れる今の時代だからこそ、自分の基準で(ほどほど)を知ることが必要」
 「仕事も人生も、型を極めながらも肩の力が抜けた、ある種の軽やかさを持つところに、真の上質が宿るのです」
                                      「女性の品格」著者・坂東真理子
*「『将来なんてものは、どこにも存在してない。現在幸福である以外に、幸福であることはあり得ない。」池田晶子
*「『また会いたい』そう思わせる人が、上質なんだと思う」 
▼ 中学校にしろ、高校にしろ、やはり上質というか、品の良いのはいた。残念?なことに、それがそのまま成績にも、
 その後の人生にも大きく影響をしていた。品性が良いだけでなく、バランス感覚が違っていた。この年齢になってから、
 若いときに出会ってきた人などを改めて照射してみると、全く違った基準でみることになる。品性だけは、隠しようがないもの。
 やはり、家柄や、生まれ持った本人の性質があるようだ。 なるほどカントがいう、『良心』が親から受け継がれてきた人と、
 その逆の人とでは、長い人生で大きな差が出るもの。 それが端的に出るのが、酒癖、女癖である。 私など、・・・・・
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3162,人生に関する小題
2009年12月01日(火)
  * 人生は玩具箱
「人生とは畢竟、運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎)
言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。
「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。そこで「人生は宝箱」という言葉が思い立つ。 
(恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが宝とすると、幾らでも宝はある。 それでは「人生はゴミ箱」というと、
それほど無いのは、無意識で自分の心をコントロールしているためか? そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、
全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時?
 無駄も必要だから、それは違うか。
  * わたしは地上でたった一人になってしまった
 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。
 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで
人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」
と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。
 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の
卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。
  *「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽
 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。
《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、
また或るものは戦うために出て行かなければならない。 
(字数制限のためカット、11年12月01日
・・・・・・・・・
2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6
2008年12月01日(月)
 ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
 ダーウィンの次の言葉が好きだ。「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、
 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」ことしか
 生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・
 ーーー
「第5の法則】
 「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が本当に
やりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味から、ただただ、
それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー
「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、
 突如として まったく違った見方をすることです」          ドレス・レシング
「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。
 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」 アルバート・アインシュタイン
「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。
 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」     アルバートアインシュタイン
「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。
 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」       アイザック・アシモフ
「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」  ユダヤの諺
・・・・・・・
2007年12月01日(土)
2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日        オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が最終日であった。
アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が「株は長期に低落する。
「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジがこんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、
再び、ここで同じことを予言している。「また、海の色が変わる!」という。
 ーーー
ー日経新聞「私の履歴書」2007年11月30日ー
 =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理=
  *再度・海の色*
バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言したことを書いた。
今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポンと言う人が多いが、僕はアメッポンを使う)
と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。
 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と高まり、中東情勢は
混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの信認が低下し、米国は金や原油、穀物などの実物資産を
裏付けとする新しい通貨制度を考え出すのではないかと思う。そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。
世界中が混乱、アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。僕は安倍晋三前首相のお父さん
(安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。 
小沢一郎さんが天下を取るのか小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。
高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎えることになるように思う。 
僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。「職人国家」としてそれなりのステレータスを
保っていけると思うから心配していない。最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに
「金融立国」の幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り返っても、
僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、「人間は太古の昔から同じことを繰り返している動物」
ということだ。 人生は思った通りにならない。それは残念なことだが、だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。
「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。人間、何が幸せで何が不幸か、
本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。人間は変わらないが、世の中は変わる。
これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・
 −−−−
解)今年から5〜10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。それと日本を「職人国家」という見方も面白い。
今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへの
プロセスに入るのは当然である。                  (σ’д゜)バイ!
  ・・・・・・
  2006年12月01日(金)
 2068, あたりまえなことばかり −19
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
  哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、外傷と言えないという。
 しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、
 外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。
 以前は、癒しなどの言葉は無かった。精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流の
 セラピーの役割をしていたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、
 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 
 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。  
 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、
 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできはしない。
 そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。
 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。
 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ 
ーーーーーーーーーーー
どうすれば癒されるのか  
ーーーーーーーーーーー
癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のためカラオケに行く。
コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと浮わついた「雰囲気」、
それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、癒されるべき傷などどこにも無かったか、
その程度のものである。具体的なものが見えないから、漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが
商品として流通するという構図である。しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、
主語を支点にこれを能動態に変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、
自分で自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。
癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 
そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの予測を
はるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の逆転によって垣間見られる。
「私とは何か」   −>「何が私であるのか」 「心とは何であるか」−>「何が心であるか」
「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内にそれがある存在している
ことを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な
存在ではない。本来、物理的な存在でないものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような
命名が、多くの誤解を生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、
傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。
(字数制限のためカット、10年12月01日)
・・・・・・・
2005年12月01日(木)
1703, 政府系金融機関の統合                (~O~)ふぁ
 政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。
悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。    
(字数制限のためカット、09年12月01日)


4276, 100の思考実験 ー2

2012年11月30日(金)

             「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著),
    * ギュゲースの指輪
  次に印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。 ウィキペィデアには次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき地震にあった。
 地震の後に畜群を放している山の手に洞窟が現れたのを見つけた。入ってみると中には玉座に遺体が置かれていた。
その遺体は金の指輪をしており、ギュゲースはその指輪を盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけてあれこれと
探るうちに指輪を内側に回すと透明になって体が見えなくなり、外側に回すとまた見えるようになることに気づき、悪だくみを
思いついた。家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に近づいて姦通、密謀してカンダウレース王を殺し、
位を簒奪した。豪富で知られるクロイソス王はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。 プラトンは
「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して「人は知られなければ悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンの
これに反対する形で「悪事は知られなければ構わないという考えは良心を腐らせ悪しき結果となる」と述べている。≫
 ▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。人にさえ知られなければ、誰も誘惑に駆られ
  多くの悪事をするが、他人になると声高に非難をする。もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、恐らく
  何をしでかすか分からない。見せかけの自分と、本性の自分は全く違うことは、自分の心を考えれば分かること。
  「指輪物語」は、これをヒントにつくられたという。ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も昔に、
  この人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 若い時には純粋で理想に燃えて
  社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、何時の間にか良心を腐らた世俗人になってしまう。 それを他人には
  見えるが、自身には見えないから、その矛盾が直接、自分に跳ね返ってくる。その結果、精神分裂になり、自分の壁を
  つくって篭ることになる。それからして、カントの道徳律は重要である。「仮言命法」としてではなく、「定言命法」である。
   仮言命法とは,「もし…なら…べきだ」というもの。道徳律においても、「もし人から信用されたいのならば、
  嘘をついてはいけない」とか、「早起きは三文の得」などがそれ。それに対して、条件なしに「…すべきだ」とだけ
  命ずることを定言命法(無上命法)。人間、良心に反する行為は、すべきでないということ。しかし、・・
  この「しかし」が、人間を迷わせる内語になる。 悪事は結局、回りまわって自分に帰ってくる。 で、・・! ・・?
・・・・・・・
2011年11月30日(水)
3901, 精神力ーその偉大な力  ー2
   ▼ 世界でもっとも重要なもの
 著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず実現する。成すべきことを成し遂げれば、。
何事にも光がさし込む」ということ。 精神力とは信念のことをいい、確たる目標に対する継続した努力をすれば、
その努力が信念になっていく。 そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには必ず対策がある。そう信じることが信念。
ここで、エマソンの次の言葉を引用している。「すべての個人には共通の一つの心がある。各人は、同じものの一つ一つの、
また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に触れた人は、実存するもの、あるいは、行われうることすべてへの
仲間入りをした人である。これこそ唯一の、そして最高の力だからである」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と同じ。
 精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。
   ▼ 人が知識を得る三つの方法
 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。
 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 
 この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出した。
   ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果
 「大生命力は実在します!それを生きなさい。 人は大生命力のなかの、自覚を持つポイントです。精神は大生命力の法則、
 生命が作用する方法、創造のための大生命力の要具です。それを使いなさい!」そのためのドアは、本人が開けなければならない。
 不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことをしていない結果に過ぎない。その苦痛は心の使い方を不健全に使っている
 ことを忠告しているに過ぎない。その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和は、正しく考え、正しく行なっていることに報いる
 自然界一流の方法です。 ホランドの詩に次のようなものがある。
  「 天国は、ひと跳びに行けるところではない   登るはしごを建造するのだ
    低い地上から、まる天井の空まで――     はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ 」
  いかに思うべきかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。 
 しかし信念の在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それができるかを教える人は、非常に少ない。
  ・・・・・・・
2010年11月30日(火)
3536、沈黙せよ!
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《 「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」という詩に、
 思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを根底から否定されたようである。 
否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。
  ーまずは、以下の文と詩からー
【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の色濃い哲学的・
思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。
「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の代表作の一つで、ロシア人なら
誰もが知っているほど有名なものです。文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう!
これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、
これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・・・
翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に銘じたうえで、
しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。
  ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ           自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは                 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい     それに見惚れ、沈黙せよ!

心はどうしたら自分を言い表すことができるのか   他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか       心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう      ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!

自分自身の中で生きることだけができればよい    お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある       その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう               それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! ……
 〜〜
「 ・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・ 「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。
 思念公開も面白いもの。 土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく
 ・・・・・・・
2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
 * 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。
年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか
中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる
不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。 
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、
この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と
時代背景を書いている。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 ・・・・・・・・・
2008年11月30日(日)
 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
 「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、自尊心が確立されているから、
仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、
わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、
空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。)      
                               ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない
 ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に 苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、
 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」  ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」  東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」 ショーレム・アレイヘム
・・・・・・・・・
2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
「ネット君臨」−毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)        −読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にしたものだが、
この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。
私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。
マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。
特に「2ちゃんねる」上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。
毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の規制を考える面で、良いこと。
*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
 ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率をもたらす一方、
さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。
ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。本書では、国内最大のネット掲示板
「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。
「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、
企業や個人のマネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。
 ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。
難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円)
を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。
(字数制限のためカット、09年11月30日)
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2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり −18            (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。
私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、
その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1〜2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、延々と夜半まで
三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。
そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。
経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、むしろ面白く、味わいが深くなる。
人生など大したことがないものである。深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から
生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! ということである。
        ( ^3)〜♪よ〜よ〜それが一番、難しいんじゃないかい!        
 ーーーーーーーーーー
 老いは個人の生を超え  −? 
 ーーーーーーーーーー
老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきたのかと
訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、したがって老いることを拒む。
動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。
「老醜」とは正確には自虐的に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。
外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。
内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、
面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。自分の人生を振り返ってその視野に、
自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。
内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映っているからだ。
過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。
それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
 ーー  
 母親が80歳の時に、「私の生きた5〜6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」
 いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の
 生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。
 それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。
 その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも
 以下でもない男。 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、自分が生きてきた
 時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。 (-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。
 あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を
 自虐していたとしたら、全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。 
   (ノ≧ロ)ノ< いまさら何をいってんだ、ばかやろぉ〜〜〜!!!       (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 −2      nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、
40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」ということだ。(いや、あるか?)
上手くいったという人はそれでよし、上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。
 要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。
どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。(≧▽≦) 本当か?
誰にでも悔いがあるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか?
そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、その結果として自然の笑いが出てくればよい」
ということになる。♪〜(=^ε^= ) 出席している人は、比較的に恵まれている人?のためか、全体として、明るい人が多かった。
めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、
「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる気持ちだったろう。
年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay
 ・・・・・・
 2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」   ー読書日記 −1
  齋藤スタイル―自分を活かす極意   齋藤 孝 (著)        
( 字数の関係でカット 2010年11月30日 )
・・・・・・・・
2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。
以下は、字数の関係でカット 2007年11月30日
・・・・・・・・・・
2002年11月30日(土) (2)
 596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。
 (以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )


4275, この非常事態に、万一の備えがあるの? −4

2012年11月29日(木)

   * 長岡冬景色 ーある同級生の死
 昨日の朝、高校の同級生から電話が入った。20年以上、毎年開かれていた同級会のメンバーの1人が、一昨日の夜、
自殺をしたという。近郊の町で家業を継いでいる人で、明るくサッパリとした性格で皆から好かれるタイプ。 
本人が居るかどうかで、同級会の明るさが違うほどの人。その男が自殺とは、一瞬耳を疑い、息を呑んでしまった。
 「この非常事態に、万一の備えがあるの?」を、今月の15日に、ここで書いた。 その前日の地元紙に、
* 同級生の老舗会社の倒産記事が出ていた。20年前に工場が火災で全焼、しかし保険で建替え無借金経営と聞いていた。
* そして翌週には、計算サンターの社長をしている会社が、TVと新聞に大々的に、「不正に雇用調整給付金を受給。
  それも内部告発により調査の結果。不正分を全額返済のため、刑事告訴はしないが、悪質なため発表した。」と報じられた。
  全国ニュースにならなかったのが不幸中の幸いだが、銀行系もあり処分は厳しいと推察される。
* そして今週は、彼の自殺である。 親戚や近所の自殺は身近であるが、同級生は初めて。
 まさか、このテーマで書いた警告が、そのまま、ごく身近で直ぐにたて続けて現われ出るとは想定外である。
3人とも傍からみれば、これ以上の堅実経営はないかと思われた会社。そのため、ことさら驚きは大きい。
それにしても自殺とは、よほどのことがあったのだろう。 同級会のメンバー内の話としては、
去年春に私が先ぶれに破綻。そして、この11月にたて続きに3人が、続いたことになる。
 以前から、「2012年問題(時代の断層の年)」が言われてきたが、今のところ何も起きていない。
しかし極身近から、このように生々しく起こるとは思いもしなかった。 恐慌の大波は根こそぎ、全てを破壊していく。
これが地方の特殊要因でなく、世界、日本レベルの大波の地方の一現象でしかないところが恐ろしい。
まだ、経済の大津波(恐慌)の本体は外海で、到達は来年辺り。来年以降は、こういう状況は極当り前の日常になる。
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3900, 精神力ーその偉大な力  ー1
2011年11月29日(火)
  * 「精神力ーその偉大な力」 ダン・カスター著
 学生時代の卒業間近から27歳までの修行時代から事業創業期の精神は緊張と不安の極限にあった。
あまりに突き当たった壁が厚く、自己確立が曖昧だった内面は粉々になりかけていた。
しかし、それを表立てることは許されない節目時。 傷つき荒れ狂った気持ちを自分で何とか立て直さなければ、
絶壁の谷底に転がり落ちる綱渡りの日々。 その中で、狂わないようにバランスをとらなければならない上に、自分を奮いたって
いなければならない。 その日々の中で、学生時代の終わりの頃に読んだ、このブリストルの「精神力を活かす」と、
ダン・カスター著「精神力、その偉大な力」が、心の支えになっていた。そこには色の違った傍線が幾つも引かれていた。
経験を重ねるうちに、この手の本は安物の精神主義の本でしかないと疑問を持つようになっていた。 40年経った現在再び、
読み返しているが、決して安物の精神論の本でないことが分かり安心をした。マーフィーの成功法則の下地になっているのではと、
思われる。 特に「精神力ーその偉大な力」は、先がさっぱり見えない不安感と挫折感の中で、何度も何度も読み返したことが懐かしい。
節目時に読んだ本は、節目時の自分の心でもある。 40年の年月は長い!そこで失ったものと得たものが私自身である。
 一月程前に、信濃川の大手大橋を歩いていたとき、地球の芯からの声が聞こえてきたことを書いた。自分の独り言であるのは
敢えて言うまでもないが、魂の芯から出ていることは違いない。 時どき、その声と対話をしたり、中心点に気持ちを収集して、
そこの蓋を開けるイメージを持つ。そして、そこからエネルギーが心に溢れ出てくる感覚を持つ。また、その蓋の向う側に
無限の宇宙の時空をイメージする。 気持ちが弱った時など非常に有効に働く。その下地が早朝の散歩の途中にしていた呼吸法。
気持ちを地球の中心点まで到達するイメージを持ち、中心点を擬人化して挨拶したり会話をしていた下地があった。
散歩をポタリングに変え、しばらく、その呼吸法をしてなかった。ところが、サイクリングの途中にウォーキングを取り入れて
大手大橋を‘引きチャリ’をしていた時、脳の底から以前独り言で話していた擬人化したイメージの声が聞こえてきたのである。
一月前の随想日記に同じことが書いてある。その芯と声が、この「精神力」と同じである。 心の底のエネルギの源泉を探し出し
元気を創造しろということ。次回から、少し書き出してみるが、過去を振り返りながら心の源泉の湯に浸かっている気分か。
 精神を哲学するのも、面白い。精神=信念=「絶対言明」+エネルギー。 意志に似ているが、少し違う。
意志の哲学といえばショーペンハウアー。 その影響を受けたのがニーチェ。
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3535, つれづれに ー 閑話小題
2010年11月29日(月)
  * 自分の初めの感じたことを信じなさい!
 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が土産物に迷っているところ、
60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを言ったら
『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性になら良いか?」と独り言を頭の中で呟いていた。 
その言葉は、正しくもあり、間違ってもいる。これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、
まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、ということになる。 
それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは若い女性にしか言えないこと。
その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。
  * 尖閣ビデオでYoutubeが注目される
 もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。
Youtubeは10分間の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。僅か5年前に若い二人の米国人によって
つくらたサイトで、一年後にGoogleに2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。
一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。 数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに
貼り付けている。過って見たことがない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週紹介する番組が
既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオの写真が貼り付けられ、アクセス数が
書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。 そこで、思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。
コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が、
「売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」と発言。言い得てるが、
それが東京都知事ときている。訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。
 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。
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3160, ドバイが債務不履行!
 2009年11月29日(日)
 アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、
石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという
信じがたいことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。
 ( 字数制限の関係でカット 2011年11月29日 )
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2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
 2008年11月29日(土)
【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」 ーユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。 噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になっている人だ」
「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」  ーユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、一度発した言葉を 取り返すことはできない」ーユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、最後は人に教えてみることだ」                                                   ソロモン・カビロール 
  (字数制限のためカット09年11月29日)
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2007年11月29日(木)
 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより
「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。
死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが
見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。
この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは   もう二十年近くもねてゐる。
 すべり台のやうな傾斜のベッドに  首にギプスをして上むいたまま。
 はじめはふしぎそうだったが  いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。
 なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
 むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
 そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。
 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。
 できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。
 おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
 ーー
 ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。偶然に去年、老いを取上げていた!
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2006年11月29日(水)
 2066, あたりまえなことばかり −17        おふぁ  ファ〜
 そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、
そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・
両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、
決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。
だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、
彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。
母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。
ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・
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老いは個人の生を超え
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人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、
若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという現実を
肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。生きられてしまった事柄とは、
端的にかこである。それは動かせない事実である。過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、
それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの
感情や感傷によって覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。
なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。
生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失っていく過程である。
しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、得ているものはたしかにある。
何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。
魂は成熟する。「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。
経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、いった意味合いらしい。
縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を織り上げていく行程は、刻々老いてゆく肉体の
老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の他ならないのだから。それすらも、
織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。人生とは、生死の間に存在する時間である。なるほど論理的には、
人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には、
人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。有と無の間で生成する質である。質は論理でない。
論理が指示する、論理自身の影である。論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、
このこと自体が人生の不思議である。その存在しない死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはず。
   字数の関係でカット(2011年11月29日) 
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 2005年11月29日(火)  
1701, ほめ芸王 ー2
以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める
ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
  というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。    funn~(。_。)q
 以前借りてきた時に印象的だったのは、
 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、
  人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。    
だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。
-字数の関係でカット(2007年11月29日)
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2004年11月29日(月)
 1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、
落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ
逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、
そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。
当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に
与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
字数の関係でカット(2011年11月29日)
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2003年11月29日(土)
969, 幽霊店舗
 昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、
次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。
 (字数制限のためカット10年11月29日)
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[242] ゼネコンー2
- 2001年11月29日(木)
同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。
日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。
新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人)
と言う責任者が、殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。
(字数制限のため、カット 09年11月29日)


4274, 「金融円滑法の打ち切りの是非」を 世に問う

2012年11月28日(水)

  「中小企業金融政策の理念」林憲昭著
   * 初めてのアマゾンのレビューへの書き込み
 以前、金融に関してコンサルティングをしてもらっていた林さんが、新著を出された。何冊目になるだろうか。
 そこで一度、アマゾンのレビューを書いてみたいと思っていたので、投稿してみた。赤裸々な事態を曝してよいものか、
 どうか考えたが、実名を出すわけでなく、今さらと思い投稿した。 ーまずは、その内容からー
≪ 昨年の3・11直後、事業を断念して1年8ヶ月経ち、少し気持ちが落ち着いた矢先、以前、読んだことのある著者の、
この本を見つけました。9・11以来、売り上げが三分の二になり、血の滲む思いでリストラを断行し、何とか目安が
ついた矢先にリーマンショックで、さらに半分、合計で三分の一まで激減。それでも金融円滑法と、雇用調整給付金で、
何とか持ちこたえていました。しかし、あと半年〜1年で資金が底をつくのが目に見えてきた矢先に東北震災が発生。
その直後に前倒しで会社を整理した。
それでも複雑な思いがあります。 大きな肩の荷が下りて本当に良かった、という思いと、重大な経営ミスをしたわけでなく
震災ともいえる経済津波で長年培ってきたの事業が消滅した無念さがあります。大不況の中、大多数の中小企業は血の滲む
思いで踏ん張っていますが、来年の三月で金融円滑法の打ち切りになります。 著者が現場の窮状を目の当りにし、
可能な限り弱い立場に置かれた中小企業を、この非常事態に擁護すべき、という熱い思いが、伝わってきます。 
 来春このまま金融円滑法の打ち切られた場合、数千、数万の中小が大きな岐路に立たされることは、私の経験からしても
間違いありません。しかしグローバル化の時代、3年も猶予を与えられたので打ち切りも致しかたがない、のも道理です。 
悪いことに再来年には消費税の増税が控えています。 ここで1〜2年、更に引伸ばしても同じでは? というのも、
既に事業から退いたから言えること。私の事業フィールドが地方だったこともありますが、地域経済の冷え込みは、
想像を絶しています。著者の指摘で中小企業の金融政策関係者に大きく取り上げられ中小企業の助けになることを望みます。 
私が、3・11以降、あのまま事業を続けていたらと思うと背筋が寒くなります。 経済的大津波は、外海から内海に向けて
押し寄せて来ているのが、私の目には見えています。 私は償却前赤字を事業断念の目安にしました。 情報化と、
グローバル化による生産の国内から海外へのシフトによる空洞化と、物価と資産のデフレの中小企業への直撃が、
この異常事態を引き起こしています。それを割り切り諦めるか、最後の最後まで踏み止まるか、難しい問題です。
 小泉の改革は、あまりに大手銀行よりで、私の経験からしても酷いものでした。その方向に、自民党が政権を
とった時に戻るとしたら、恐ろしい結果が待っているはずです。その中で、丁度良いタイミングで世に問うている
素晴らしい中小企業擁護論です。多くに金融関係者に是非とも読まれることを勧めることが出来ます。≫
 ▼ 昨夜、TVで「来春の『金融円滑法の打ち切り』後は、弾力的に対応する」というコメントが流されていた。
  この著書が大きく影響したのか、タイミング的に同じだったのか? 世情の厳しさは、止まることはない。
 ・・・・・・
3899, 国債クラッシュ
2011年11月28日(月)
       「国債クラッシュ―震災ショックで迫り来る財政破綻 」 須田 慎一郎 (著)
  ◎ 国債金利2%で発生 ?
図書館で何気なく手にした本だが、来年暮れの具体的な国債暴落のシュミレーションが生々しい。この本の出版日が今年の6月末。
それからして4〜5月に書かれたもの。半年間の流れは、この本のシュミレーションより危機の度合いは激しい。ギリシャ危機で
世界恐慌一歩手前まで行ってしまい、イタリアがIMFの実質管理入りし、そしてスペインとハンガリーが危険水域まできた。
さらに一番安全とみられていたドイツ国債が三分の一も売れ残ってしまった。 日米より遥かに健全?と思われているドイツ国債の
売れ残りには世界中が唖然とした。それならば日本は?の連想になる。この本のシュミレーションは一年後の11月から12月の想定。
この本を読み始めた直後に、ある人からメールが入り、石角完爾『ファイナル・クラッシュ』(朝日新聞出版)が、シビアに現在の
日本の危機が書いてあると教えてくれた。また昨日の関西系TVの政治経済を話題にしたバラエティーでも、この本を取り上げていた。
 アマゾンの書評を読んでみて、こちらの方がよりシビアなので早速、購入することにした。
 ー「国債クラッシュ」のアマゾンの内容紹介からー
 2012年12月、ついに「その日」がやって来る。大震災が「財政破綻」の引き金をひく戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで検証。
3.11大震災以降、日本の抱える「財政破綻」という"時限爆弾"のタイマーは、確実に時を刻むスピードを上げている。国債の大暴落が
円・株・債券の全面安という、空前の「日本売り」を引き起こす戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで徹底検証。
 〜印象的な部分を、書き出してみると・・・
*「具体的には長期金利2%が、実質的な[国債クラッシュ]の目安。その数値に達成した場合、為替では、現在の様相がウソのように
 円安にぶれていき、それによる価値の目減り分を嫌った資産の海外逃避が、いっせいに進み、円安の底なし沼にはまる」」
*「マーケットには現実を正確に把握する力もなければ、結果を見通す眼力もない。マーケットには不安に駆られやすく臆病で、
 かつ利己的な心理があり、それに従った場当たり的な判断があるだけ」
*「国は国民から税金を取れないがために、国債を発行して『借りる』という形でお茶を濁してきた。国民は税金さえ取られなければ、
 国の借金体質には寛容だった。・・・そして危機が訪れるや、企業や個人は自己防衛のため、いっせいに日本売りに乗る・・・」
*「日本国債とアメリカ国債は、よく見ると連動している。アメリカの金利が上がり出すと、それにつれて国債の金利も上がる。
 と同時に、連動して日本の国債と銀行金利も上がるとすると、2%など直ぐにでも上がっても不思議でない。」
▼ 何か不気味な風が日本を覆い始めている。それも来年の今頃のシュミレーションが具体的な物語風に書かれているのをみると、
 不気味というより、恐怖を感じる。それも半年前に書かれた時は、ドイツの国債が三分の一も売れ残るなど著者も思いもよらぬこと。
 ・・・・・・
3534, エコポイントの駆込み購入の愚!
2010年11月28日(日)
 * エコポイントは目先延命の劇薬、それが切れる来年は? 
 少し考えれば分ることだが、「エコポイントの駆け込み購入」で、このところ家電チェーンが賑わっている。
しかし、この騒ぎが終われば値崩れが起きて、このポイント以上に値下がりをするのは火を見るより明らか。
元もとエコポイント制度そのものが、恐慌に対する延命のためのカンフル剤で、目先の苦痛を避けるためのもの。
しかし来年の前半には、この前倒しの反動が大きくなる。薄型TVは典型的な相場商品、大きく値崩れをするのは火を見るより明らか。
そういう批判がないのは、マスコミがメーカーから広告を貰っているため。地デジ化は来年の7月、その間に大きく値下がりは
当然のこと。その上に世界的恐慌の火の手が更に大きくなる。 他人事ではない、当方は460台のTVの買い替えがある。
来年7月の瀬戸際ほど安くなる、と仮説を立てたところ、このことに気づいたのである。エコポイントは、間接的には住宅、
家電、自動車メーカーに対する間接的援助ではないか。そのピエロが、それで買いに走っている大衆。決して穿った見方ではない。
誰も気づかないだけで、これはこれで良い。それを声高にいうこともない。国家にとって目先の失業と倒産を避けなければならない。
しかし来年は、この反動で、日本経済は大きく落ち込むことになる。 「来年、怖い!」が、キーワードか。
デフレ・スパイラルが更に大きくなる。総中流が、総下流社会に墜ちていく。しかし、総下流が大部分なら、それが普通になり、
総中流ではないか。 ブラックジョークになるが、それが社会主義の理想とするところ。格差のない清貧の社会。
  (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
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3159,金を通して世界を読む  −2
2009年11月28日(土)
 「金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
住宅価格下落を予測して、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を中心としたファンドを始めるという。
彼が3〜5年スパンで金に「兆」単位を投資するというから、2〜3倍以上の高騰を予測しているはず。 
銀も一年前から高騰を始め、年に90パーセント以上も値上がりをしているから、金はまだ40パーセントだから、
50パーセントの値上がりと考えることができる。 そうはいかないのが相場の世界である。まあ、どうなることやら。
 ーこの本の中で、含蓄の深い部分を抜粋してみるー 
 日本で最も金が売れる地域といえば、京都である。 店舗の面積坪当たり最大の金小売店も京都にある。
京都には宗教法人が多く、資産も蓄積されている。 長年歴史の波にさらされてきたからこそ、スイス流の
「最後に頼りになるのは金」という考えも強いようだ。 ある金ディーラーが縁あって某名刹の住職と面談したときのこと。
住職曰く「金は先の大戦でもそのまま残り、資産として破損することはありませんでしたな」。 ディーラー氏答えて
「はあ、第二次大戦でも京都は空襲を免れましたしね」。 住職「なにをおっしゃる。私の申しているのは応仁の乱のことです」。
各県別に見ても、金が売れる地域というのは必ずしも県庁所在地とは限らない。 現代の経済行政の中心地より、城下町であった
都市のほうが資産のストックは多いようだ。 郡山より会津、山形市より米沢、青森市より津軽、というようなあんばいである。
 (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
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2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3
2008年11月28日(金)
【第二の法則】
  なんでも鵜呑みにするな!人間は鵜ではない。
「世間において 常織とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。
  健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である 」    ロバート・ルービン
「誰もが同じように考えているときは、一人として真剣には考えていないものである」 ウォルター・リップマン 
「貴殿の理論が狂っている、つまり突飛であるかという点では、我々の意見は一致している。
  だが、正解になる可能性があるほど狂っているかについては、意見がわかれている。
  私の直感では、まだ十分に狂っているようには思えないのだが」       ニールス・ボーア
「二つの文化のうち、それぞれの半分だけ足しても、一つの文化は 生まれてこない」 アーサー・ケストラー
「半分の真実といえば聞こえはいいが、本当は真っ赤なウソである」     ユダヤの掟
「権力とは 究極の媚華である」                 ヘンリー・キ・ソシンジャー
「違うよ。そうじゃないんだ。君は、思考していない。ただ、論理に支配されているだけなんだ」 ニールス・ボーア
「嘘には三つの種類がある。 ウソ、 真っ赤なウソ、 そして統計である」 ベンジャミン・ディズレイリ
  ーーーーー
何事も、自分の頭で一度は精査することが必要である。それが、考えることになるのだ。考えない方が良い人が多いが。
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2007年11月28日(水)
2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 大よそ半世紀少しを20世紀に生き、世界の色いろな変化を見てきたが、明治・大正生まれの人は、その感慨は更に深いだろう。
この20数年間、憑かれたように秘境ツアーで地球の果て?を見てきて、自分の庭とは言わないが、デズィニーランドのように
世界の文明と自然を見ることができたのが最大の収穫である。21世紀になって、携帯電話やパソコンによる情報革命の大きな
変動を見るにつけ、何と恵まれためぐり合わせが良かったと信じられない思いである。情報化が良いか悪いかは二の次に置いて、
これだけの知識・情報が世界を駆け巡る事態はSFの世界に迷い出た思い。 20世紀と対比できるから言えるのだろうが。
恐らく数百年、いや数千年の経験を60年余りの時間の中で味わったのである。その不思議である。21世紀は、やはり違う世界である。
それも想像を遥かに超えた。その結果だろうか?、この数年から哲学が面白くなってきたのである。この地球の大自然の由来は、
宇宙の果ては、130数億年前のビッグバンは何故おきたのか、それ以前は何があったのか、人間の6千年の文明史はどのように
なっているのか、等々、疑問が噴出してからである。地球を見てまわり、少なからず人生経験を積み人類の遺産の文化や文明を見てきた。
そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。それらを考えること(哲学をすること)で、
少しずつ理解できると哲学者は言う。「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。少し地球に存在し、少し認識したということ? 
それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。我われは地球に、遊びに、働きに、
そして学びに来ているのである。「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。         (((。・-・)从ホンジャ
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2006年11月28日(火)
2065, あたりまえなことばかり −16
  b(^o^)d おっ W(^O^)W  はよー! ー♪
この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」という内容に関しては、
深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、
色いろな体験をしているからだ。父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。
{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、
まさに上記のとおりである。「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、寒気がしたのを憶えている。
ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。
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他者の死はなぜ悲しいのかー?
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、記憶として存在する他者は、その限り「存在する」。
この存在の意味を考えてみよう。死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、死んだ人はあの世にいると納得したのでは
なかったか。心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。彼は「今」どこにいるというのか。
  ー2009年11月28日ー字数制限のため削除ー
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2005年11月28日(月)
 1700, 人生の価値についてー2  (*´o)*ゞふぁぁ
このHPの維持も、「退屈と不安の解消が目的か?」と、問われれば、「目的ではないが、手段である」が答えになる。
退屈に対して、これだけ赤裸々に抉っているのも珍しい。「小人閑居して不善をなす」というが、閑居に対する姿勢が
小人かどうかを決めるのだろう。閑居は何か悪いように錯覚するが、逆に最も大事なことである。
アラブの遊牧民は、閑居を第三の時間ー瞑想、仕事と遊びと、そして休みの時間)として、一番大事にしている。   
第104節の「人生の退屈そして不安 」でさらに、生きるとは何かをさらに掘り下げている。
 何ヶ所か抜粋してみる。                 φ(・_・)
 ードストエフスキーはシベリアの徒刑地で、
   懲役の労働が囚人達に苛酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。
    つらさという点では農民の方がよほど苛酷なはずだ。しかし、農民には自分のために働いているという目的がある。
      だが懲役の労働には目的も意味もない。 それが刑罰の刑罰たるゆえんである。
 ー彼は囚人達が「意味の無い労働」でない、例えば家を建てる仕事を与えられると、
    にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。
     強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、刑期が短くなるわけでもない。
       それでも囚人達は少しでも具合よく、良い家を仕上げようと一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、
        人間の生きる目的ということの秘密が宿っているのではないだろうか。」 
    この節で、人間の日々の行動に何らかの目的があることの重要性が説かれている。
 ードストエフスキーは次のようにいう。
 「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、
   土の山を一つの場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻すというようなことをさせたら・・・・
     囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思って
       どんな罪でも犯すだろうと思う」     ヽ(゜Д゜;)ノ!!
  (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日)
・・・・・・・
2004年11月28日(日)
1335, 「おカネの発想法」 ー読書日記−2
 ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー
 ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。
   (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日)
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2003年11月28日(金)
968, 「企業の人間的側面」
以下は字数の関係でカット


4273, 100の思考実験

2012年11月27日(火)

             「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著),
   ー 内容紹介(アマゾン)
● これは「読む」本ではありません。「考える」本です。
● 「列車の暴走で40人が死にそうなとき、5人だけ死ぬほうにレバーを切り替えられるとしたらどうするか」
NHK「ハーバード白熱教室」で取り上げられた「トロッコ問題」のように、古代ギリシャの時代から哲学者たちは
「思考実験」を“考えるためのシミュレーション・ツール”として用いてきました。 身体と脳・自意識・生命倫理
・言語・宗教・芸術・環境・格差など、多岐にわたるテーマから選りすぐった簡単に“答え”の出ない、哲学・倫理学
・論理学の100の難問があなたをぐらぐらと揺さぶります。  世界19ヶ国で刊行! イギリス発ロングセラー!
★【書評から】 「読んでいて思わず引きこまれる。知的で愉快で、型破り。巧みでセンスのよい構成。
 誰かと議論したいのに、相手が見あたらないとき、繰り返し手にとりたくなる本だ」 「楽しんでできる頭の体操」
 「何度も考えることこそ、明敏で切れ味のよい本書の意図するところだ」 「この本はさながら、道徳哲学の“数独”。
 身動きできない地下鉄の中でも、“思考実験”のどれかに取り組めば、たちまち通勤地獄から抜け出せる」 
 ▼【私の書評】 考えさせられる本である。まず一番私が考えさせられたのは、「楽しみの法則」である。
 ≪ キャリア上の躍進を続けてきて、ようやく、二つのチャンスが同時に舞い込んだ。ふたつの国の大使である。
  どちらも南太平洋の小さな島国で、ひとつは、厳しい法律があり、婚外セックスも飲酒も麻薬も大衆的娯楽も、
 贅沢な食事まで禁じられている。許されているのは美術や音楽といった高尚な楽しみだけ。実際に国が、それらを
 推奨していたため、世界屈指ののオーケストラやオペラや美術館や劇場がそろっていた。もうひとつは、
 知的にも文化的にも砂漠のようだった。しかし、快楽主義者にとって天国で知られ、何もかも許されていた。≫
  このふたつの判断、自分だったら、どうするだろうか。 学生時代の四年間の過ごし方に似ている。
 学生時代の遊学で、有り余る時間の中で何をするかは、本人の自由。この問いのように、学びに中心を置くか、
 遊びに中心を置くか、大きく迷うところ。 都会での遊びも、学びも、学生時代しか出来ないことがある。
 問題は、どう考えるか。人生でも同じことがいえる。往々にして、二つの両立は、なかなか難しい。私の場合は、
 「硬派のレールの上を軟派に生きる」を意識していたが。低俗の遊びには、高い税金がかけられ、崇高な遊びには、
 推奨金が出るケースが多い。とはいえ、どちらも実際に経験してないので、本人にとって、選択した以外の方は、
 うかがい知ることはできない。この歳になり過去を振り返って、この問題がフラッシュのように思い浮かぶ。
 あの誘惑に乗っていたら??等々・・ で、私なら? 答えは明白である。高尚の方である? 何故なら、
 快楽の楽しみは、帰国した時にチャンスは無限にあるが、高尚の方は、帰国した時に雑多な日常の中では、
 じっくり浸る時間が取れないからだ。その人が、それまで苦労して手に入れた高尚な?大使職である。
 その職に相応しい時間を味わうのは当然の理である。とはいえ、大きな後悔もあるだろうが。
・・・・・・
2011年11月27日(日)
3898, つれづれに  ー景気の話ー
   * 金融株は、どうなっている?
 久々に金融株を見て驚いた。何と野村證券が230円、三井住友銀行が2000円(額面を換算すると200円)、みずほ銀行が
100円割れ。東京三菱が330円とあった。 野村證券は5年前の10分の一、みずほ、三井住友が6〜7分の一以下。
銀行株が100円を割ると危険水域を超えるというから、みずほ銀行は非常に厳しい事態。いかに、リーマンショックの影響が
大きかったかである。EU危機も何処かの国がデフォルトでもすれば、欧州だけでなく、世界中の銀行の連鎖倒産が起る。
日本国債務のGDP比が220%もあり、ユーロ圏の90%程を大幅に上回り、アメリカの100%、イギリスの80%に対しても、
あまりに多いことが分かる。その日本が、このままでいられる訳がなく世界の投機筋が日本を狙うのも時間の問題。
日本人が1400兆円の金融資産を保有しているというが、その多くがアメリカ国債に変わっている。 日本が本当に健全なら、
日本の三大メガバンクの株価が、ここまで落ち込むことはない。その中で消費税の10%へのアップを与野党がこぞって反対を
している現状は情けない。とはいえ経済の疲弊度からみて、内税のコストを中小企業が吸収するに限界を超えることになる。
  * 70インチTV
 新聞報道で70インチのTVが売り出されたとあったので家電で見てきたが、想像以上に大きい。50インチの二倍近い画面で
あれば当然だが、一般の家庭の居間に果たして収まるか疑問もある。大型TVは大きいほど良いが・・・
あれでデナーショーを見たら現場感覚に近い迫力を感じ取ることが出来るだろう。50インチのTVを見た時の驚き冷めないうちに、
二倍の大きさになっている。こういう不景気の時代、家でTVを見ているのが一番安上がり。
 ・・・・・・・
3533, 竹森俊平の「漂流を始める世界経済」
2010年11月27日(土)
 経済専門雑誌「Voice」12月号に、竹森俊平「漂流を始める世界経済」があった。
彼はリーマンショックの直前に、それを予測するような著書「資本主義は嫌いですか」を出版している。
直ぐに読んだが、そこで「紙切れ通貨制度」の功罪を呈示し、そこから生じる厄介な問題がいくら抱えても、
われわれは管理通貨制度と、うまくつきあっていくしかない!と論じている。 
 「漂流を始める世界経済」の中で彼は、2011年の記憶をあらかじめ消去してしまいたいほどの経済惨状を予測する。
 【 来年には世界経済が二番底に陥る可能性が高く、その様相が悲惨になるからだ。 主要国指導者は己の判断ミスを認めず、
責任を外国に転嫁し保護貿易主義に走る。しかし保護主義によって事態が好転しないため、指導者への信頼は一層地に墜ち、
その後の操縦席に人がいない状態になり、世界経済の漂流が始まるという。
 そこで二番底は、ギリシャ危機以降、PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の
破綻と考えたが、それを撤回した。 ヨーロッパのエコノミストや政治家と、逆に財政刺激策の継続を説くアメリカの
カウンターパートとを比べると、景気浮揚に失敗するのはヨーロッパと思われるが、ヨーロッパの政治エリートは、
大衆の意向に反して豹変が許されている。「状況が変わった」と、今までと百八十度異なる政策をとることも可能である。
しかし選挙民の思惑にがんじがらめなのがアメリカ。失業率9%台の高止まりも、本来、緊急景気対策費65兆円のおかげで、
その程度でいられると読むべきだが、「巨額な対策費にもかかわらずそんな効果しか上げられないのか!」と受け止めるのが
アメリカ国民の実態である。 さらに今年末には前政権による所得減税が終了し11年からは増税が始まる。
「ティーパーティ運動」が声高に叫ぶ「これ以上無駄な税金を使うな」を、政治家が無視できなくなる。
ということは、二番底がどこかで発生するとみてよい。 今や二番底と保護貿易主義という暗雲がたち現われている。
ここで世界は問われているのは政治のありようである。】
ー以上だが、来年、再来年にかけてリーマン・ショックを震源とした大津波が、3年後にウネリをあげて襲ってくるのは
 避けることの出来ないこと。それ以来、何度も何度も書いてきたが、10年は続く。100年、250年に一度の大変動である。
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3158, 金を通して世界を読む  −1
 2009年11月27日(金)
  「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
  このところ、金の価格が動き始めてきた。年初からみると、4割の上げで3500円。
 銀が9割上げていることからみて、まだ上がるという強きの見方が大勢である。
 この本、半年前に買って目を通したが、あまり積極的には読んでなかった。
 しかし、ここで新聞などで金の値上がりが報じられたこともあり、再び読み始めたが面白い。 
   まずは、その一分内容を書いてみる。
・ 投機を目的とするか、投資なのかをハッキリすべし。
・ 金は一般的に「有事の買い」といわれるが、実は「平時の買い、有事の売り」である。
・ ドルは200年、金は2000年の通貨の歴史がある。
・ ドル発券国のアメリカの外貨準備に占める金の割合は70パーセント以上。  中国・日本は1パーセントに過ぎず、
  巨額のドルを保有。欧州のドイツ、フランスは50パーセント以上。中国の金の生産量が南アを抜いて世界一位。
  その日本は、金が高騰すると、貴金属のリサイクルが進んで、一転輸出国になる。これは国力衰退の象徴である。
・ 金は30年前の5千数百円をピークに停滞が続いたが、10年前の1999年から長期上昇トレンドに入っている。
  10年前の底値は250ドルである。現在は1200ドルに近いので10年で5倍近い値上がりになる。
・ 実物資産の不動産と比較すると、金には 
  *固定資産税がかからない。 *売買市場が完備されており、日々の価格も外為同様に公表される。
  *小分けが出来る。 *資産の隠匿手段として最適  *利息などキャッシュフローを生まない。
   しかし、これがアラブなど中東の金持ちにとって、アッラーの教えに反しないので金保有は都合が良い。
   〜〜
 以前にも少し「金」について取上げたが、金といえば商品取引業者の餌食になる「金の投機」が思い浮かぶ。
 目先の動きの先物で利ヤザを稼ぐ際どいもの。 著者は、その道のプロだが、長年の結果が8勝7敗だが、
 そのプロ筋では8勝の結果は評価は高い。金投機のプロは8勝7敗で生き残り、7勝8敗で消えていく世界。
 その8勝と7勝の一勝の差は、「損切り」。 問題は負けが込んでいたときに、いかに手早く見切るか、
 それが出来ないという。 今に戻ると希望的観測を持ちたがるが、よほど強い意志がないと出来ないという。
 だから、相場のプロも自分個人の資産運用に関しては純金積み立てと決めている。
 相場に魔法の杖がないことを骨身にしみているので無益なゼロサムゲームには、参加しない。
 仲間のデーラーも同様だという。 そういう世界が投機筋ということだ。 恐ろしい世界である。 ーつづく
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2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
 2008年11月27日(木)
「自分を大切にするものは、他人も大切にできる」とするなら、「自分を大切にしないものは、他人も大切にしない」ことにある。
こういう人間、本当に多いよな〜、と思っていたが、じゃあ、御前さんはどう?と言われると、酒飲みすぎて、
命を縮めているじゃないか。そして酒の勢いで他人を傷つけているじゃないかい?と言われれば、成るほど、納得する。
「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」(ユダヤの諺)は、至言である。
 ーーー
「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」−2    読書日記
【第一の法則】
▼ 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。
「自分が ありのままの自分でいられるような人生を 謳歌するためには、音楽家なら作曲し、画家ならば絵を描き、詩人であれ
詩を書くのだ。自分の命にそった生き方を選ぶことが、人間にとって、もっとも自然な姿なのである」エイブラハム・マズロー
▼「無理して人と違う自分を演じようとする必要はない。
良い結果を出そうと頑張れば それだけでじゅうぶん人とは違う自分を演出できるのだ」 アーサー・フリード
「盲人の国では片目の男は王様だ」    ユダヤ人の友人のことば
▼「自分を信じるのだ。 自分の力は、自分が思っている以上に あるものだ」     ベンジャミン・スポック
▼「自分に対して とことん正直になること、それが心身に良い影響を与えるのである」 ジークムント・フロイト
▼「いつも自分一の外側に、カや自信の源があると信じて捜してきました。でも、本当は自分の内側から 
 にじみ出てぐるものなのです。 いつだって 自分の中にこそ、強さや自信の源はあるのです」 アンナ・フロイト
▼「世の中を敵にまわして戦う時は、世の中につけ!」        フランツ・カフカ
▼「よく、あの人はまだ自分を探し終えてない、などという人がいるが、
   そもそも自分とは 探すものではない。 みずからが創り出すものである」 ユダヤの諺
▼「みんなにイイ奴とは、誰の友達でもない」  ユダヤの諺
▼「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」   ユダヤの諺
▼「わたしのモットーは、心に生じる罪悪感を 決して疑わないこと」  フランツ・カフカ
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2007年11月27日(火)
2428, 自分を理解するため他者・コンピューター −2     才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
 人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されたが、
今度は特有の特徴を凝縮したコンピュータから人間に向けて照射したら何が浮かび出るのだろうか。 
この数日、コンピューターから人間を照射した、動物と人間の差異は何か?を自分の頭で色いろ考えてみた。 
・喜怒哀楽の激しい感情、
・欲望の過大性、
・自らの知恵で環境を変える能力、
・考えることを考えるー哲学をする能力、
・新たな他者としてのコンピューターを使い、支配する能力、
・言葉を持ち、それを書き写す能力、 
・自らの意思を持つ能力、
・自らの神を創造する能力、
 を持ち、それ故に自ら自然界を道連れに消滅する宿命を持った動物である。 まだまだ幾らでもあるが、
 私が今考えた「動物と人間の境い目」である。そうこう考えると、やはり動物とは違う存在である。
 更に人間は、この新たな他者を爆発的に発展させ、自らの周辺の環境に融合しだした。
これが良いにつけ悪いにつけ、次の大きな問題になってきた。 世界が一変しだしたのである。
  ー 前回のレポートの続きである。
 *現実感を変えるバーチャル・リアリ一アイ  ーコンピューター
                           黒崎政男(哲学者)
そして、今日では、コンピューターと哲学をめぐる聞題群はさらに広がっている。1980年代から始まったコンピューターの
パーソナル化は、予想を超えた速度で進行し、コンピューターはあっという間に個人的生活の内部にまで浸透した。
コンピューターは、もはや、われわれに脅威を与える他者という遠い距離に留まるのではなく、完全に環境として
われわれを取り巻くようになった。 そしてさらに、コンピューターとわれわれの関係はさらに密接になっていき、
〈われわれの外部としてのコンピューター〉という性格さえ危ういものとなっていく可能性が出てきた。
つまり、現在さまざまな形で間題となっている〈バーチャル・リアリティ〉である。
われわれわれは、今やそれをわれわれの身体の一部として、あるいは頭脳に一部として
組み込もうとしているわけである。その意味で、人問とコンピューターとの結びつきは、もしかしたら、
着実に進行しているのだろう。それは、脳に直接機械を埋め込むという、ミンスキー教授が言うような
原始的な方法によってではないかもしれない。われわれの環境が、電子的に媒介された映像などで満たされていくとき、
そして、人々のコミュニケーションがほとんど電子的な媒介によって営まれるようになったとき、われわれの現実感の変容
という形で、それは進行していく。コンピューターは、人間とはなにか、を逆照射してくれるあらたな他者として、
今日、きわめて意味深い存在者なのであるが、今後、人間は自己規定をどのように遂行していくのだろうか。 
あくまで、人間性にこだわっていくのか、それとも、そんな課題は放棄してしまうのか。興昧は尽きないのである。
 −−
10年先、いや5年先さえ、想像すらつかない変容が待ち受けている。
 それを見るだけでも現代に生まれた良かったと思っている。      ヽ(。・c_,・。)ノ バイ
・・・・・・・・・
2006年11月27日(月)
2064, あたりまえなことばかり −15      o( `▽´ )Ψオハヨウ!           
7歳の頃、一番上の兄が死んだ時に姉に「死んで兄ちゃん、どこに行ったの?」と聞いた。
そのときの姉の答えは、「白い馬になって、空の上の昇っていたいったのよ」であった。数日後、兄が白い馬になって
空に昇って行った夢をみた。子供ながらに、その時の両親と兄・姉の悲しみは敏感に感じ取っていたのだろう。
こういう経験を重ねて、死は怖いもの悲しいものという先入観が植え付けられたのだ。
亡くなってから何度か「どこかに行っていた兄が帰ってきた夢」をみた。
空の彼方からというより、そのつど事情が変わっていた。兵隊から帰ってきたり、旅行より帰ってきたり・・・
人は元気で長生きをしなくてはならない。世界も、自分も変わっていく。それは遥かに予測や想像をこえている。
いま、ここは全てである、しかしその全ての背後に得体の知れない世界がある。
それを知りえるには、変化していく自分の世界と経験の蓄積の範囲でしかない。    
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
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言語と論理に即して考える限り、「死は存在していない」。自分の死は言うに及ばず、他人の死すら「見つからない」。
しかし、だからこそ、「他者が死ぬ」とはいったいどういうことか悩ましいなぞとなる。死は存在しないが、死体は存在する。
他者の死体の存在によって、現実の出来事になる。死の境によって動いていた体が動かなくなる。この変化の意味、
これが理解できない。理解できないまま、死体は然るべき手順で処理され、無くなる。
(カット 09年11月27日)
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2005年11月27日(日)
 1699, 人生の価値について −1    −読書日記 
    『人生の価値について』西尾幹二著 新潮選書  (-_ゞnemu  (~O~)ふぁ
  この本では、どうしたら人生に成功するかという、いわゆる人生での成功の秘訣や、いかに生きがいを見つけるか
 といったことは書かれておらず、生きがいとは何か、成功は価値に等しいのか、が述べられている。
 成功失敗、幸福も不幸も、希望も絶望も、生も死も、結局は同じものの二面性にすぎないという。
 「人生は偶然に支配され、何が起こるか分らないからこそ、生きるに値する」という、宿命を認めているところは
  本人の人生体験を重ねて深いところを見据えている。
  104節からなる各々の文章が、どれを読んでも解りやすい文章で読者を深いところで納得。
 ー90節の「希望について 」が、心に残った。
 重病患者ばかりが入っている病棟に入院したときの著者の記述が鋭い。
 著者がそこで不思議に思えたのは、明日にも死ぬかも知れない人々にも「社会生活」があることである。
 余命幾ばくもない患者たちが、日常のささいなことに心をとらわれていることである。
 明日の命も知れぬ人が、ナイター中継に夢中になっていたり、同じ病室の人に悪く思われないように
 気をもんでいたりすることなど、「死」という大きくて困難な問題を直視しないようにしていることを知る。
    Σ(゜Д`;)ア…ア…アッハァァァァァァァァ?!!    死にたくない!    
    (カット 12年11月27日)                


4272, 閑話小題 −つれづれに

2012年11月26日(月)

* 過去の随想日記を改めて読み返すと、結構、面白く可笑しい時間をすごしている。
 恵まれていた時代に生きていたということか。 自分が経験したことや、本を読んで納得した以外のことは、
 全て想像と思い込みでしかない。それは他人にも言える。一歩退いて、きし方を振り返ると、その時には
 気づかなかったことが今になって気づくことが多いが、それも思い込みでしかない。
 「事実などない、あるのは認識だけである」という道理がある。事実が真実とは限らない。そのことを知識だけでなく、
 人生経験から理解出来る人と、理解出来ない人がいる。とはいえ、真実と思い認識していることも、怪しいもの。
* 情報化=ネット社会が世の中を根こそぎ変えている。ひと昔なら想像すら出来ない情報機器から限りなく情報が入ってくる。
 さらに一人ひとりの情報発信基地を持てるようになってきた。しかし情報が豊富になって、人間が豊かになったか?というと、
 そうではない。むしろバカになっているところが多いのは自分自身を見ればわかること。それでも年々、面白くなっている。 
 こういう時代は、落語の御隠居とか、はっつぁん、熊さんみたいな、暇人ほど良い。それに教養のベースがあれば、
 ネット社会では色いろな世界と繋がることが出来る。繋がった先の世界から逆照射して、自分の世界を見ることが出来る。
* もう、以前のような事業生活には戻りたくない。右下がりの世相もあるが、今ぐらい状態が丁度良い立ち位置である。
 専業主婦は、暇の効用を知り尽くしている。バーチャルのTVの世界と、人工頭脳空間の都会を彷徨う楽しみを知っている。 
 人生は夢幻と割り切ってしまえば、これだけ面白い時代はない。自分が幻想する前に、誰かの幻想空間が我々を魅了する。
 それは、逆に私たちの空想、幻想の力を削いでしまう。
* あと一月あまりで、今年も終わる。間違いなく、株の暴落か、イスラエルによるイラン攻撃があると見ているが、
 今のところ、静粛を保っている。この時期の衆院解散が吉となるか、凶となるか? どちらにしても、政権交代は必要。
 ここでシャープ、ナショナルに引き続いてソニーの格付けが危険水域まで下がった。2〜3年前では考えられないこと。
 戦後の日本の家電を引っ張ってきた世界に名だたるブランドの会社がである。恐慌前夜の風景といえば、その通りだが。
 まあ新幹線最終駅の、あの業態で、これほど堅い商売と思っていた私の事業が、いともあっさりと終わるのだから、
 何も不思議でないといえば、それまでだが。
 ・・・・・・・
3897, 腰痛は、脳内システムの不全が原因 ー2
2011年11月26日(土)
 先日、鎌倉の散策で起伏の激しい坂道を歩いていたら腰痛がきた。その前日、スポーツジムでツイストのマシーンをしすぎと
相まったこともある。鎌倉の坂道で頭に浮かんだのは、腰痛はストレスなどで脳内の痛みをコントロール機能が弱まるためか? の疑問。
その時、三人の間で海外旅行の話に気持ちが集中したためか、腰痛のことを忘れていた。 成る程と実感したが7ヶ月もスポーツジムで
鍛えた割に、いとも簡単に腰痛が出るとは・・ しかし帰りの駅のタクシーの乗車の間に腰痛は嘘のように消えていた。 
そして翌日起きると、ほぼ全治。やはり腰を鍛えていた効果があったようだ。 鎌倉は坂の多いところ。 
 ところで二年以上、重症の腰痛が起きてない。今回のように少しは出ても直ぐに元に戻る。しかし人生の節目の後遺症のストレスは
消えていないので、注意しなければならない。 私の場合、多くの腰痛対策の複数効果が明らかに出ている。 腰痛は完治は無理。
重症にならないように付き合うしかない。 身体全体を冷やさないこと、常にエビ反りマシーンで背筋を伸ばすこと、寝室と、
居間と書斎の椅子に低反発マットを敷くこと、冬期間は腰にホッカイロを当てること、など注意を怠らないなどである。
 脳内システムといえば、スポーツジムでインストラクターが、「ストレッチの時に、腰のストレッチだったら腰に、大腿部だったら、
大腿部に気持ちを集中してください。そうすると、効果が数倍上がります!」という。 実際に、そこに気持ちを集中すると成る程、
効果的なのが分かる。 人間の気持ち=脳は不思議である。 でも、寒くなると軽い鈍痛が、常に付きまとう。
 ・・・・・・
3532、何か哀しい北朝鮮
2010年11月26日(金)
 どちらが先に砲撃をしたか分からないが、28日の米韓の合同演習の直前というところがポイント。
その二日前に、金親子が砲撃をしてきた基地を視察した?ということからみて北朝鮮の先制と報じている。
12月4日に日米による尖角列島付近の合同演習も控えているので、中国と北朝鮮が打ち合わせを充分にした上の
攻撃と見ることも出来る。これはアメリカにとって黄海での原子力空母派遣の大儀名分を手に入れたことになる。
韓国軍の中に前回の哨戒艦の撃沈に対し沈黙をせざるを得なかった反発から、アメリカ空母からの攻撃の誘発を
狙った砲撃を北朝鮮に仕掛ける兵隊が出て、一挙に全面戦争もありえる。アメリカにとって、北の原子炉を破壊するに
丁度良い機会になる。そうあって欲しくないが、アメリカも何を考えているか分からない得体に知れない国。
あのドン様も、病気であとさき短いと考えて、自分の命と道づれに戦争の中で死を選択しても不思議でない。
と同時に、日本にテロを仕掛ける可能性もある。昨日の新潟駅には、いやに警官の姿が目立っていた。
この数日は、黄海から目を離すことは出来ない。あの「緊張感のない息子の顔」からして、瀬戸際を越えてしまう可能性は充分。
中国も、一つ判断を違えれば、動乱になるほど多くの問題を抱えている。またオバマも中間選挙の敗戦で追い詰められている。
北京万博、アジア大会、そしてアメリカ中間選挙も終わり、この辺で、朝鮮で一騒動を起こすに丁度良いタイミングである。
年末まで、あと少し。今年の後半期のイベントは、これになるのか? 欧州はアイルランド危機で、極東の小紛争でしかない。
アメリカも体力が消耗し尽くしているのを見込んだ上の、北の仕掛けで、我慢するしかないのか、ここも。
 もし、全面戦争になったとしたら、アメリカにとって一番有利な展開になる。中国と日本に対する威嚇という面でも。
ところで「何か哀しい北朝鮮」からすると、この国の現状は「何か惨めな日本」「何か哀れな日本」ということになる。
・・・・・・・・
3157,つれづれにー 閑話小題
 2009年11月26日(木)
  * 金か〜
 金の動向が気になってはいたが 一月前あたりからジワジワ動き出してきた。金が上がるのではなく、他の貨幣が下がるのだ
という理屈は言いえて妙である。住宅価格下落をよんで、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》
を中心としたファンドを始めるという。彼のことだから、3〜5年の最低のスパンで金に兆単位を投資するというのだから、
ズッシとくるのは当然である。 恐らく、2〜3倍の高騰を予測しているのだろう。銀も、一年前から高騰を始め、
年に90パーセント以上も値上がりをしているというから、銀に正比例すると、金はまだ40パーセントというから、
50パーセントの値上がりが見込めることになる。そうはいかないのが、相場の世界の恐ろしさである。どうなることやら。
 * その時、犬が吼えた ワン!
 まだ忘れることが出来ないが、ウソのような本当の話がある。
学生時代のドイツ語の授業のことである。 ドイツ語を日本語に誰かが訳していた時のこと。
「そこで犬が吼えた」と訳した時に、ハカッタように何処かから犬が「ワン!」と吼えたのである。
部屋中、教授も含めて大爆笑だった。 あれほどの面白タイミングの面白い偶然は、後にも先にもない。
あれから44年もたったか。年齢を重ねると、一年前も、50年前も同じようなものか。
 *「ランチョンテクニック」
 食事をともにした相手に心を許しやすい心理傾向を「ランチョンテクニツク」という。
我われは自律神経が午前中と午後とでは働きが違うが、これは人類がまだ狩猟生活に明け暮れていた頃の名残で、
「交感神経」が「闘争と逃走」を、「副交感神経」に、午後は「休憩と食事」のモードを司っているからである。
つまり朝から昼にかけては論理が支配する「論理モード」に、夕方以降は「感情モード」になっている。
 これをさらに応用すれば、ランチ時は「論理モード」なので、契約や提携などビジネスモードのシビアな話をしても
「ランチョンテクニック」で緩和される。 そして「感情モード」の夜に食事をする相手は、ビジネスの話はそこそこに
親密度がアップする接待モードが効果的になる。 だからロジカルにビジネスの話を進めようとする外国企業はランチを
共にすることを好み、取引先との人間関係を大事にしたい日本は夕食を共にしたがる。
 そういえば、自分をみるに、朝一番には、この随想日記の最後の仕上げをし、出社した後には前日の数字を見て、
新聞と手帳や手書きの日記帳に何やら書きつけ、それが終わると遊びモードに入ってしまう。
自由に気ままにインターネットをしたり、本を読んだり、とにかくリラックスをして考える。
・・・・・・・・・
2792.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・1
 2008年11月26日(水)
 ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ  −1
    「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」 スティー ブ・モリヤマ (著)
 この本はユダヤ民族に流れる哲学や思想が151の名言・フレーズとして紹介されている。図書館で借りてきて何気なく読んでみたが、
中味の濃い内容が次から次へと出てくる。ユダヤ流「成功のヒミツ」は、ビジネスの成功者やノーベル賞受賞者は人口比でみても
多いのですが、ユダヤ人の成功哲学には「金儲方法」の類はまったく見当たらない。実践の結果として、財力や知性が身につく教えが多い。
彼らに一貫しているのは、「知識」ではなく、「知恵」に対すこだわり。彼ら成功者たちは、先人や親からのそうした教えを自分で消化し、
実践している。  ー以下は、この本の説明文と、9つの成功法則である。
  〜〜〜
この本ではユダヤ流・成功法則を以下の9項目に分け、各項目に関連するユダヤ人成功者たちの名言を付記している。
各法則を一つ一つ文字でこと細かに説明するよりも・この方がより効果的に行間に流れているユダヤ哲学を伝えられるのでは
ユダヤ人は他人と差別化することを重視しているため、多種多様の解釈がでてくるが・読者の置かれている状況も
多種多様である以上、そのほうが具体的事例に当てはめやすいかもしれない。
●ユダヤ流・成功法則 1        自分を大切にするものは、他人も大切にできる。.
●ユダヤ流・成功法則 2        なんでも鵜呑みにするな人間は鵜ではない。
●ユダヤ流・成功法則 3        口はひとつ、耳はふたつ。
■ユダヤ流・成功法則 4        カネを追うな! お金には追われるようになれ。
●ユダヤ流・成功法則 5        「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
●ユダヤ流・成功法則 6        失敗を恐れるな。やろうともせずに逃してしまうチャンスこそ、恐れるに値するのだ。
●ユダヤ流・成功法則 7        何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
●ユダヤ流・成功法則 8        無から有を生み出す喜びを知れ!それには「質問力」が大切だ。
●ユダヤ流・成功法則 9        笑ってツキと若さを引き寄せろ!
 〜〜〜
 これらの内容は、著者が過去十余年にわたってヨーロッパで働きながら集めた世界中のユダヤ人による
 名言の一部である。収集した約1万の名言の中から厳選したというだけのことはある。                         ・・・・・・・・・
2007年11月26日(月)
2427, 自分自身に「なる」こと     (。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 人生を振り返ると、全てが自分自身に「なる」ためのプロセスのような気がする。先日、小学校の同期会があったが、
それぞれの生き方をしてきたとしても、突きつめてみれば「自分らしく生きてきたかどうか」である。人生の質でも濃さでもない。
そんなことは生きてきた、生きていることからみれば、些細なことである。死線を何回か乗り越えてきた人、北アフリカとフランスに
十年住んでいた人など、色いろな人生を背負った、それぞれの人生を垣間みて、「人生で何をしたかより、その人らしい生き方を
したかどうか」こそ、振り返った時に問題になる。残るのは「本人らしさ」だけである。
以下は、『哲学の教科書』・中島義道ー の中の文章である。
 −−−
 ここに、最高の自己表現、誰にでも適性があり、かつ人生の最高目標に据えるにふさわしいことが一つ残されています。
それこそ、はじめに触れました(自分自身になる」というとです。 全ての人は個人なのだから、そのまま何もしなくとも
人生の最高目標をもう達成していると考えるなら、そんな甘いものではない。マザー・テレサは、視線を絶えず苦しんでいる
人達に向けながら、このうえなく「自分自身になる」ことを実現している。あるいは自分のよい個性を伸ばす事も
「自分自身になる」である。特別世間的には偉くなくとも、その人のそばにいるとホッとするような人や安心するような人は
どこにでもいるものです。しかし「自分自身になる」ことは、必ずしも世のため人の為になることを含意してはいません。
この言葉には「よいこと・悪いこと」といった枠を越えたもっと根本的な意味があります。
それは、「生きること」そのことを目標にする「生きること」そのことを問題にすると必ず「死ぬこと」が影のようについてまわる。 
前に紹介した禅の坊さんたちの修行の目標は、例えば白隠の「いつかは生死を離るべき」のように、あるいは道元の、
「生をあきらめ死をあきらめるは仏家一大事の因縁なりのように、「生死の区別」そのものを幻と自覚するようなところにある。
最終的にはこうしたことに収斂することは認めながらも、しかし多くの若い人々は必ずしもつねに,「生」、や「死」そのものに
悩んでいるのではなくーすでに見たように一就職とか結婚、あるいは自分の肉体とか性格など目前の具体的なことに
悩んでいるのではないでしょうか。そこで、次にこうした悩みについて考えてみます。 
私はいかなる(いわゆる)些細な悩みであれ、本人がそれを悩むかぎりは、彼〔女)にとって悩む理由はあると思っております。 
(字数制限のためカット 2011年11月26日)
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2006年11月26日(日)
 2063, 親戚の交通事故
一昨日の夜20時過ぎに家内が柏崎の実家の近くに住む妹に電話をしたところ、彼女の連れ添いが交通事故にあったという。
「入院中の義母が、数日前から具合が悪い」という連絡が数日前に義妹から入り、私と見舞いに行く打ち合わせの電話をした時に、
その知らせを聞いた。 「数時間前に亭主が交通事故にあい、病院で手術中」という。昨日の朝さっそく病院に行き、集中治療室に
入っていた本人と話したが、身近の人の重傷の交通事故の人は初めてである。顔は倍近く腫れあがり脚は二箇所骨折、
来週ふたたび手術という。 首の骨も折れているという。たまたま、義妹と家族が買い物に出ていたが、頭はしっかりしていて、
見舞いのお礼をいっていたが、正視できない姿であった。オートバイで直進していたところ、交差点で右折の軽自動車と激突。
意識不明のまま、救急車で運ばれたという。タバコも吸わず、酒ものまず、「家業の自転車屋と、社会保険労務士と、貸家、
貸し駐車場を経営、真面目を絵に書いたような人。今まで事故も一切起こしたこともなく性格どおり平穏な人生であった。
(字数制限のためカット 2011年11月26日)
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2005年11月26日(土)
 1698, 辺境へ −3
 この本の内容とは、少し違うが私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。
(辺境というよりむしろ、異境ー‘Σq|゜Д゜|p ワオォ ’という意味である。)
 1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のインド側のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境の
  クンジュラフ峠 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール~イスラマバード。
 2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方    3、南米のベネゼイラのギアナ高地
 4、タンザニア      5、イスラエル   6、北インド   7、アイスランド
 8、ケ二アのヌーの河渡り  9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン  11、エジプト       
12、モロッコ    13、桂林   14、ペルー 15、ブラジルのカーニバルと、イグアスの滝
 (以下、字数制限のためカット09年11月26日)          (◎-◎;)!!
 一番辛かったのは、生理現象である。( ̄ω ̄;)!!
 時差と食べ物の関係で2〜3日 体調を崩す。それを恐れていては、何処にもいけるものではない。
 ただどういうわけか、強盗・窃盗にはあったことはない。ツアーの良いところだろう。
 大自然や異文化から受ける大きな感動や驚きからみれば、その前に立ちふさがる壁は踏み石でしかない。
 それだけ、素晴らしい景色と感動が待ち受けていた。できる時に、できる事を、できるだけしておいて良かったのが 実感。       
・・・・・・・・
2004年11月26日(金)
 1333, 2000年前のポンペイ −4
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に提示してくれている。
この世界のグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、驚きざるをえない。
( 字数の関係で、カット。あとは、分類の検索に載っています。)
  (2007年11月26日)


4271, 法則は思考のショートカット −3

2012年11月25日(日)

                             「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著)
   * 明日できることを今日やるな ーマニャーナの法則      
 マニャーナの法則とは、「仕事を洗い出し、明日以降でよいものはとりあえず先送りにし、今日やると決めたことだけをやる」こと。
仕事で、やるべきことをリスト化し、いつまでやるかをコミットメントするとよい。 英国のビジコンのマーク・フォスターが
提唱した法則。 明日やる仕事をリスト化すると、今日の仕事は、昨日リスト化した仕事だけをすればよい。リストを明確にして、
優先すれば、今日すべき仕事だけに集中できる。明日の仕事をリスト化できれば、一週間、一ヶ月と計画のリスト化が可能になる。
逆に、下手に明日以降の仕事をすると、今日の仕事がおろそかになる。やるとしたら、明日以降の計画を考えていた方がよい。
 的を得た法則である。今日やるべきことを確実にこなす事こそ一番重要である。我われは、今日の仕事を中途半端にして、
明日以降の仕事をしていまいがちになる。明日の仕事のリスト化は改めて考える行為である。 成るほど理に適っている。
   * ハロー効果
 学生時代に知った法則で、いやに鮮明に記憶として残っている。一つのことで顕著な特徴があると、他の評価まで歪んでしまう
心理状態をいう。人は美人というだけで性格まで良くなってみえたり、言葉遣いが丁寧というだけで誠実な人と思い込んでしまう。
その心理傾向は、背中から、まるで光がさして見えるため、背光効果=ハロー効果といわれる。一流企業の業績や人事制度に
ついての評価がいかに、このハロー効果で歪められているかが問題。 一流大学を出ているだけで優秀とは限らないのと同じ。
   * ピーターの法則
 これも学生時代に知った法則。Aさんは平社員に能力を発揮、係長になり、そこでも活躍し、課長、そして部長になる。
しかし、その能力は、それが限度。そして、そこに留まり続けると、ハツカネズミが回転の輪を何時までも回り続けるのと同じで、
ロボットのような限りない無能化に陥ってしまう。それが、すべての階級で同様なことが起こり、やがて、無能なA部長、無能な
B課長・・と、能力の限界に応じた最終段階に達したバカばかりになってしまう。いずれの会社も、よく見れば無能者の群れ。
これを「ピーターの必然」と言い、「やがてあらゆるポストは職責を果たせない無能な人間によって占められる」ことになる。
いずれの破綻の原因は、その果てか。それもあり10年転職、10年転業説が出てくる。その度、悪くなるのが殆ど?だが・・・
 ・・・・・
3896, デフレの最近事情
2011年11月25日(金)
 先日、鎌倉に日帰りで行ってきた。JRの期間限定の特別料金で、新幹線往復も含め昼飯付きで一万円。大よそ半額である。
その数日前に家内がディズニーランドに遊びに行った時、義妹と御台場のホテル日航に泊まったが、交通費と宿泊代を含めて
一万八千五百円。 割引パックの場合、景色が良くない格下の部屋になるが、「今日は特別、良い部屋にしておきました」と、
東京湾が一望できる部屋に泊まったという。デジカメで撮った東京湾の景観と部屋からして二人で三万はする部屋。
ホテルには客が少なく、家内が言うに「 サービスをしてくれたのでは?・・」とか。 これも大よそ半額割引。
それとシネマが60歳以上が千円、これも充分価値がある。また毎月の一日が、年齢に関係なく全て千円で、その日に客が殺到する。
 何度か書いているが、最近ランチを週二回は食べに行っている。(そのうち、一回は家内と一緒)家内が情報を仕入れ、ついていく。
それもあってランチとはいえ十分満足できる内容である。 牛肉も、高級魚も、不況のため、居酒屋や、回転寿司のネタになるほど、
値下がりをしているためである。 鎌倉コースは行きも帰りも新幹線の自由席は満席に近い状態。行きは旅行客と通勤客が半々。
寺から鎌倉駅までのタクシーの運転手に、「景気は、どうですか?」と聞くと、「大震災直後の売上は半分まで落ち込んだが、
現在は、それでも回復してきたが、元に戻ってない」という。 このデフレの中、事業主はギリギリの状態。その上、資産デフレも重なり、
経営資源の枯渇が激しく経営を圧迫している。 これにTPPの参加問題もある。 これは農業だけでなく輸出関係も影響してくる。
デフレに大きく関係しているのが情報化である。ここで携帯電話がスマートフォンに変わりつつある。それが、少しでも安くて、
良いものを提示してくれる。 お客にとってベストだが、売り手にとっては常にベストを維持しなくてはならない。
消費者は収入が減っている上に、情報だけは過剰に?流れ込んでくる。事業側はコストがかかる反面、お客の目は厳しくなっている。
 デフレ以上に恐ろしいのが、次にやってくるハイパーインフレ。 二年前の同日(下にある)に、偶然、デフレについて書いていた。
・・・・・・
3531, 専門家を疑ってかかれ!
2010年11月25日(木)
  * 「ローゼンハン実験」 ー専門家の先入観を疑え―
 先日の朝日新聞の勝間和代「人生を変える法則」のシリーズに、以下の実験に関する法則の紹介があった。
  医学など、こんなものだろうが、アメリカ的で何とも面白い。 まずは、その内容から・・
【  精神分析学に、「ローゼンハン実験」という有名な実験があります。
これは、1973年に米国の心理学者のデービッド・ローゼンハン博士が友人7人を募り、8人で12の病院に「幻聴が聞こえる」
と訴える偽(にせ)患者を装って診察を受けに行ったところ、診察にあたった医者がそれを詐病と見抜けず、全員入院させられて、
薬物治療を受けることになったというもの。この実験は、医学界から大変な反論と反響がありました。
ある病院は、偽患者はかならず見分けられると主張し、ローゼンハンに、好きなだけ偽患者をよこせと勝負を挑みました。
じつはこのときも、ローゼンハンの完勝でした。なぜなら、この病院は、3カ月間で診察した193人の患者のうち、
41人が偽患者だと見抜いたと発表しましたが、なんとローゼンハンはこの病院に一人も偽患者を送りこんでいなかったのです。
もちろん、当時と現在では、精神疾患に対する診断基準が違うため、いま、偽患者を装って受診しても即入院とはならないでしょう。
しかし、経験則に重きをおく医学では、医者が、短時間で患者の訴えの虚実を見分けることは大変、難しく、なんらかの病気の診断を
下そうとしてしまいがちだというのです。 現代で、同じような偽患者による追試を行うと、入院こそさせられませんが、念のため、
ということで薬が処方されることがあるでしょう。これも、医者が、患者の期待に、なんとか応えようとするためです。
この実験の教訓は、専門家たる医者の立場からみると、先入観にとらわれてはいけない、ということです。さらに、患者が嘘をつく
可能性を念頭に置き、物事を熟知していると自負するあまり、あるパターンに押しこめて理解しようとしていないか、
常にチェックすることです。また、患者の立場からみると、こちらからの情報が正確に伝わらないと、誤診を犯す可能性があると
いうことを理解しておくべきでしょう。しかし、この実験から、「専門家はあてにならない」と即断すべきではないと思います。
専門家も間違える可能性を念頭に置きながら、互いに信頼関係を築き、ベストな情報を交換し合うことが必要でしょう。
                              (勝間和代ー経済評論家・公認会計士)ー2010年11月22日 】
 ー 医者も間違えることをことを患者サイドは、常に意識しておかなければならない。要は、医者も能力の差があり、正確な
 診断を下せるとは限らない。それが精神疾患となれば、尚更である。これは、医者だけでない。社会一般にも言えること。
 専門家と称する人が言うことが、常に正しいとは言えないということだ。引退近い力士が、負けが込むと医師から、色いろな病気の
 診断書のお墨付きをもらい休場する。見ているほうからすれば、力の衰えからくる実力で負けが込んだのは一目瞭然。
 医者も阿吽の呼吸で診断書を書く。 ところで、考えてみれば、人間の認識ってのは、全てが先入観でしかないのでは? 
・・・・・・・
3156,デフレ・スパイラル
 2009年11月25日(水)
 政府が先日、三年数ヶ月ぶりにデフレ・スパイラルに入ったと宣言をした。この宣言は消費者の財布をますます閉めることになるが、
賃金・GDPも17年前の水準まで落ち込んでおり、購買が減るのは当然である。そういう当ホテルの客単価もピーク時の3分の2である。 
ネット予約の顧客が全体の四分の一になっているが、破格値である。 そういう私も本の半分以上はアマゾンで中古本を買う。 
カメラや、ブルーレイ録画機も、健康機器も、電気自転車も、何でもかんでもネットで一番買い得のものを選ぶ。 
また週初めは通勤途上の新潟駅で、週末の売れ残りのバナナか、村上の牛肉の値下がり品を買う。 
家内は初めの頃は買ってくると怒っていたが、今では逆に頼まれる始末である。 新潟駅駅ビルにビッグカメラがあるので度々、
カメラや薄型TVを見にいくが、この数年で廉くなっているのが分かる。先日、長岡のアピタの隣のシネマ館にいったが、
60歳以上は千円である。 またユニの衣料コーナーで驚いたのが紳士服。二着で一万五千円だったが、柄も生地も悪くない。 
思わず買いそうになってしまったが、踏みとどまった。 デフレ宣言を報じていた新聞をみていたら、紳士服の単価が一年で
4割以上もダウンしているとあった。家内がジーンズが好きで、微妙なカタチで購買を決めるというが、廉くても、その微妙な部分は
チャンとデザインに取り込まれていて悪くないという。  既に大手スーパーや百貨店などは、究極の消耗戦に入っているが、
こうなると弱いところに打撃は大きくなる。その山が年末年始にくるはず。ユニクロも、デフレを察知し、60週記念売り出しで
思いきった値下で先手を打った。 大盛況だったというから、他店の出鼻を挫いたことになる。それだけ、ユニクロは大きな影響を
与える存在のなってしまった。 企業にとってはデフレは厳しいが、消費者の節約にとっては良いことになる。
しかしハイパーインフレが始った訳でないのが、まだ救い。金(ゴールド)がジワジワ値上がりを始めてきた。
大荒れの一現象だが、見逃せないことである。
 ・・・・・・・・・
2791, 新型インフルエンザ
 2008年11月25日(火)
このところ、連日のようにTVで鳥インフレエンザの脅威について報道している。 60年か70年に一度は、
必ずといってよいほど大流行が起こるが それが近々という。世界で最大、一億5千万人が死亡、日本では60万人と言われているが、
鳥インフルエンザH5N1型の場合、感染の六割が死亡するといわれる。半数が感染した場合、三割とすると????万人である。
(字数制限のためカット 2011年11月25日)
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2007年11月25日(日)
2426, 「おばあさん」初体験                   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
 朝日新聞の「生活」のページのーひとときーという欄に切実な投稿があった。家内が読んで「もう直ぐこういう経験をするかもね!」
と教えてくれたのである。一年ほど前に山の手線で偶然にシルバーシートの前に立ったことがあった。若い人が座っていたが、
その時に「もしかしたら、席を譲られるのでは」という不安感に陥ってしまった。結果として譲られなかったが、
次の駅が来るまで頼むから譲らないでと願った経験がある。 
(字数制限のためカット 2010年11月25日)
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2006年11月25日(土)
 2062, モーニング・ページその後!
                   (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
今年の3月半ばから始めた「モーニング・ページ」を相変わらず続けている。今年に入って新たに加わった習慣である。
何も難しいことはない、ただ起きざまに大学ノートに思いのまま書く。ポイントは、毎日必ず書くことである。
(以前にもかいたが)書き始めて8ヶ月、改善を重ねた結果、曼荼羅図のように中央にハートの絵を書いて、
周辺に9つの円を描いた中に書き込んでいく。健康コーナーや、 随想日記のヒントコーナー、 読書コーナー、
つれづれにのコーナー等々、 だいたい位置が決まってきた。大学ノートを横にして上下のページを朝一番に書き、
昼や夜に思いついたことを、その上に書き込む。内容が一人歩きするのかと期待したが、脳の排水レベルで留まっている。
書き連ねているうちに、思ったままのことをスラスラかけるようになったのが一番の収穫だ。
それと毎日ほぼ同じことを書いている自分に驚いてしまう。MP(モーニング・ページ)の習慣を40年前に、
いや10年前に身につけていたら、もっともっと豊かな人生をおくれただろう。
随想日記のように蓄積されていくうちに、知らずに何かが生まれてくる可能性を秘めている。 
起きて、真っ白の状態そのままで書くのが良いのだろう。一種の座禅、瞑想である。頭に浮かんだことを文に書き出すと、
浮かんでは消えている雑事を掬い取るのと同じ。脳の排水を小まめにしていることになる。 その排水の中に時には
砂金が入っていることもあるが・・夜半みた夢と、前日読んだ本の印象に残った書き込みがよい。
  この一日一文と、モーニング・ページは私にとっての生き甲斐?になっている。
 それと( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪も                 (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月25日(金)
1697, 哲学マップ              
 「哲学マップ」(貫成人 ちくま新書)が面白い。哲学とはどんなもので,他の哲学とどういう関係を持っているかの
 地図を示そうというもので、切り口を変えた哲学史ともいえよう。最近、哲学がますます面白くなっている。
 極限の自己対話の本音の部分と、過去の哲学者の自己対話との重なりに、自分の練りを今という瞬間に突きつめる。
 それが日常の足下を掘り起こし、日常の外に出ようとすることになる。だから哲学は常に日常の中でおこなわれなくてはならない。
 自分が鵜呑みをしてきたことが、どんな哲学の範疇であるか、そして、他の哲学からみたら、
 どういう関係にあるかしれば、その思い込みから自由になることができる。
ーこの本の大筋はー     φ(・ω・〃) ♪
 哲学の発想法といえば,
  1.全体を問題にする,  2.日常性から出る,
  3.形式的である,    4.方法についても慎重であるべきである、 の4つである。  
また哲学的な「問い」を次のように立てている・・
(1) 「〜とは何か」という問い (イデア:現実の二項対立でとらえる ープラトン)
(2)「わたしとは誰か、なにを知りうるのか」という問い (自我/対象、主観/客観の二項対立でとらえる  デカルト)
(3)第一と第二の問い組み合わせカテゴリーが人の認識メカニズムにアプリオリ-先天的-に組み込まれている、と考える
 (「経験に先立つ本質」 カント)
(4)「なぜそれを問うのか」という問い 価値を差異に還元して考えるニーチェである。(虚構、流動性 ニーチェ)簡単に言えば、
(一)は「真理」への希求に関する問いであり、      (二)は、人の「認識」についての問いといったところか。
(三)については、「経験に先立つ本質」についての問い
(四)は「超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いによって生まれる流動性を肯定する」
   と書かれていることから、「流動性」(不確実性?)がキーワードになる。                  
20世紀の哲学は、 現象学, 言語分析, 言説分析, 精神分析, 実存分析, 構造分析
などの道具を使って行われている。大雑把すぎるが、この本の大きな柱になっている。   (^┰^)ゞ
・・・・・・・ 
2004年11月25日(木)
1332, 23歳の日記−4
 1969年 3月29日 ー四日市にて
勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。後方部隊の管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性。
今年配属された男子4名の他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。それにしても肉体的の限界の激務である。 
寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外の食品スーパーに配属されているが、話からすると、仕事の厳しさは本店の管理部は
彼よりも数倍厳しいようだ。部屋に帰ってきて、布団にバタッと倒れる状態である。それでも、既に数回同期の4人と三回も
居酒屋に行った。同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人だ。酒好きというのが共通点である。
いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。学生時代の寮の連中からみれば地方大学出身の為かすれてないのがよい。
上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。高卒で8年目だが仕事が出来る。我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。
今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての
対応の仕方である。傷つきやすい敏感な年頃である。全く難しい。自分としても、どう気持を開いてよいのか解らない。
やはり、自分を取り払わないとわかっているが。それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。
本店には、300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が7〜8人はいる。働く女性の姿が輝いている姿を
身近にみるのは初めて。小説を見ているようだ。それにしても良く働く、いや働かされている。
 ー4月2日
どうも、若い女性を扱うのは難しい。他の三人は結構上手く、楽しそうなのに自分は駄目なのだ。
まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。何か焦りを自分に感じている。
取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。 次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。
そしてコード名を憶えよう。何か一日一日に追われているだけだ。統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。 
4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、受領書として相手方に送り返される。
この伝票システムが仕様書発注として内容が細かくないようが伝票にギッシリ書かれるのだ。凄いと思わざるを得ない。


4270, 法則は思考のショートカット −2

2012年11月24日(土)

                 「知っているようで知らない 法則のトリセツ」水野 俊哉 (著)
   * ほめるこつ、「条件付け」「ウィンザー効果」と、「コミットメントと一貫性」
 部下が功績をあげた時、ほめる際に食事に連れていくと、それが当り前になる。これを「連続強化」というが、
何度かに一度は、何も褒美を与えない。これを「間欠強化」という。何時も与えられている褒美を与えられないと、
部下は褒めて欲しいために尽くしたくなる心理になる。これを「条件付け」の法則という。これは、『新婚さん、いらっしゃい』
というバラエティ番組で、新夫が相手を口説く時に、毎日のように電話をしたが全く相手にしてもらえなかった。そこで当分、
連絡しない間を入れたところ、女性の方が不安になってデートに応じるようになった」という話題を思い出した。
 また「ウィンザー効果」というのもある。直接褒めるのではなく、間接的に褒めて相手に伝える方法。
褒め育てる方法もあるが、初めから徹底的にしごいて、育てる方法もある。「コミットメントと一貫性」である。
新入社員を入社前に徹底的に鍛えあげると、忠誠心が大いに高まるという。 いずれにしても、組織には必ず20%の怠け者が
存在するので、手抜きは避けることはできない。
   * エメットの法則
 「仕事を先延ばしは、その後片付け仕事の2倍の時間とエネルギーを要する」というリタ・エメットの提示した法則がある。
この法則があるとは知らなかったが、私は経験則で知っていた。私のごく身近に何事も先送りする人がいる。とにかく、後回し。
見ていると、数倍もかけて、その後始末に追われている。若いときに仕事で鍛えられなかったためだ。 事前の準備は、
時間厳守と同じく、仕事の第一原則である。 この不況で、新卒で正社員になれなかった人は、ビジネスの第一原則を
徹底的に叩き込まれてない。そのことを企業の人事担当は着目するため、まともな会社には、なかなか入社が難しい。
 同じことだが、去年春の決断時に弁護士に、「少し早い決断は、打撃が二分の一で済む。少し遅れると二倍になる。
今回の決断は少し早目だが、一瞬の差で、差し引き4分の1になる。それなら、今決断します!」と、最終結論を出した。
そして一年後、弁護士に、「今回は見切り千両いや万両でした。半年でも遅れていたら5物件は売れなかったでしょうね」と、
言われた。実際に私も、そう実感している。あの東北大震災の影響は、マスコミは大きく騒がないが、日本人の消費行動を
根こそぎ変えている。近未来に必ず起こる恐慌と、大地震をふまえ、消費マインドが更に冷え込んでしまった。
老後は太平洋側に住居を移したいという気持ちが少しあったが、今や全く消えうせてしまっている。札幌か、函館なら
考えてもよいが、それなら現在と大して変わらない。何事も「先手、必勝」、「今日すべきことは今日中に」である。
・・・・・・
3895, 「現代型うつ」とは
2011年11月24日(木)
 こしいタイプの鬱病が多く見られるようになっていると、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げていた。
これまでの鬱病は、自分を責め、劣等感に陥って不眠になったり、閉じこもりなったりした。しかし最近では「現代型うつ」という
新その現象が以前ここで「エイズより怖い性病」として「何事も他人のせいにする若者」の性癖を取り上げた。
その結果が「現代型うつ」として社会問題になっている。20〜30代の若者を中心に増え続け、抗うつ剤など従来の治療法が
効きにくいため医療現場は混乱しているという。このタイプは幼い頃から大事に育てられ怒られた経験がなく傷つきやすい。
本人に被害者意識が強く、他人のせいにする傾向がある。他人依存の典型である。 ここでは取り上げたケースとは・・
 ≪ 東京のIT企業・信興テクノミストでは、電車にカバンを置き忘れた入社2年目の社員に上司が注意したところ、
 体の不調を理由にうつ病の診断書を提出、休職した。 ところが、社員寮を尋ねると本人は不在で、同僚と頻繁に飲みに
 外出していることが判明。その後4人の社員が会社を休む事態が続き、総務部部長は頭を抱えているという内容 ≫
 ある病院院(福岡県)では、患者同士のグループミーティングを取り入れ、自分の心の弱さに気づいてもらい、7割の患者が
復職を果たしたという。 自分で事業を幾つか起こし、全てが直接跳ね返ってきたため、他人のせいにする余裕など、あるわけがない。
その反面、色いろの場面で人のせいにしたがる大の大人を多く見てきた。一番の身近の夫婦間が、その典型。 その果てが三割の離婚率。
また会社内の仕事の場では、上下、横の関係の中で、色々の摩擦が起きてくる。ところが、内面は鍛えられてないので、落ち込んでしまう。
 欝は、その落ち込んだ気分から立ち上がれないで社会生活に支障をきたす病。 生きていくことはトラブルと壁を解決をするプロセス。
それを自分以外に原因を見つけようとする積み重ねが、欝への道程になる。自己を見つめる事がないから、自分の歪みが見えない。
「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなアナタが悪いのよ」になってしまう。 その結果、心の底に鬱憤というヘドロが
蓄積されていることに気づいてない。 情報化が、内面の芯の部分を鍛えるチャンスを潰している結果もある。 韓国は徴兵制度があり、
鍛えるべき時に徹底的に鍛え上げるシステムがある。 その上に最近では大学受験戦争が激しい。 その結果、日本は韓国に明らかに
遅れをとってしまった? 現代型うつが、現代の若者の一現象とすると、日本の将来に悲観的になりざるを得ない。
 ・・・・・・・
3530, ハーバード白熱教室 ー2
2010年11月24日(水)
 海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。
海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは可能である。
 次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。 イチロウの年俸は15億円。
それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍になる。
イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。
これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、
逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。
 二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、*集合的なものと、
分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって生じる」という立場、
要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達することが出来る、という。
アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」という立場である。
 次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を進めていく。
家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から問題を捉えていく。
彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、対話をしながら考え方そのものを
教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち「自分自身で考えること、それを進めることが、
本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、独りで考えを進められる能力が教養である。
 我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。
哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか?
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3155, 「 2012 」
2009年11月24日(火)
  * シネマ 「2012」
 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 
現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。
映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、
思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が押し寄せ、
ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、
次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。
「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 
  ーまずはHPの紹介文からー
 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。
天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。
マヤ人のカレンダーであるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で
突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、
多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、その終末世界と人類が
生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』『デイ・アフター・トゥモロー』など、
過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督がついに地球の滅亡を描き出す!
 〜
 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。
この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
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2790, 閑話小題
2008年11月24日(月)
 *金融危機 あれこれ
 AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りをつけなければなるまい。
見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなくドル投入しなければならない事態。
当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。
 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。
現在は、ビッグスリーのGM、フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。
 その中で、十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。
日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。
 *定額給付金の愚挙
定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず咳き込んでしまったが、
それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になったということ。怒りより日本の行末の方が心配。
日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、
その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は何だろ?。
これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、よく言ってくれたが・・・
  *散歩の光景
一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、
通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、帰っていく。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
・・・・・・・・・
2007年11月24日(土)
2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] 
   ーまずは、私の感想文からー                   
  人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。
  それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。  ある雑誌に載っていたレポートを
  読んで考えさせられてしまった。19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から
  大混乱させてしまった。そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ー例えば、
  計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。
  しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。
  それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。
  動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう?
  さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。
  その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。
   さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。
  ーー
「人間とは何かを逆照射する新たな他者  ーコンピューター」 黒崎政男(哲学者)   
 *自分を理解するために他者が必要*
いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、
古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。
哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、
何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。
さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。
それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。われわれは自分を理解するために、
他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことに
なったのは当然である。自分とは動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を浮かび
上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。
 そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、抽象化能力などが、われわれ人間の
アイデンティティの根拠となりはじめたのである。そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための
新たな<他者>となったのである。人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、
知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されていた。しかしコンピユーターは、この「論理的能力」を特化した
存在であるので、今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップ
されにくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。
だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、確定しようとすると、この両者に挟まれて
人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、
コンピューターと我われとの差異が見えないし、コンピューターという<他者>によって動物とわれわれとの差異が
見えにくくなるからである。     ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ
・・・・・・・
2006年11月24日(金)
2061, 虐めについて         (+>∀<+)ノ  おぁはは〜ようさん!
‘虐め問題’の解決などあるはずがない、家庭内の不和が原因にあるからである。
自分にかかった血を学校の弱者に塗りつけるのが虐める方の理由である。情報化により弱肉強食社会の傾向が強くなればなるほど、
家庭内へストレスが持ち込まれざるを得ない。総下流社会化の傾向の中で、そのストレスの捌け口が弱者に向かうのも当然である。
振り返ってみれば小学校、中学校で酷い虐めがあった。虐めっ子は家庭内が壊れていたためか、その後の人生をみると不遇の人が多い。
逆に虐められていた方が、まともになっている方が多いのは面白い現象だ。ただ潰されないことが前提だが。こういう時代になったら、
「ギブアップ・システム」をつくり、虐められっ子の転校をしやすい環境をつくってやることも必要だ。数年前のことだが、
中学校時代に殺してやりたいほど憎んだ男が、40数年ぶりの同窓会で隣の席に座った。隣に座るまで「殺してやりたいほどの憎しみ」
を忘れていたから、大したことはなかったのだろうが・・ 酔った勢いで、「お前は中学校時代に理不尽なことで頭を殴っただろう。
小中学校時代で殺してやりたいほどの男の7人のうちの一人だ」と言ったところ「あの当時、両親の不和で自分でも大荒れで、
誰見境なく喧嘩をうっていた。野球部でも、俺がいたため何人も辞めていってしまった。 ところで7人のうちの何番目?」
とのこと。「三番目!」他のクラスだったが、そのネジレの酷さは私の耳にも入ってきた。 
今さら指摘されることもないという風。集団社会に住んでいれば、何処でも相性の合わない人が一人や二人はいるもの。
四苦八苦の中にも「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」があり、娑婆にいる限り避けて通ることはできない。
だから、小中学校時の虐めも、娑婆ー社会に出たときの火の出るような虐めに対する予行演習でもあるといえるが・・・ 
袋叩きにしたいのあまりにも多い。 誰も加害者であり、被害者でもあるのが娑婆である。
  でも人生は、嫌なことの数百倍、よいことがある。探し求めればだが!
   −−
朝日新聞の一面に〈いじめられている君へ〉「すばらしい瞬間必ず来る」が連載されている、なかなかよい。
 短い人生論のようでもある。 その一つをコピーしておこう。
 ーあさのあつこ さん 2006年11月14日ー        (字数の関係でカット2008年11月24日)


4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上

2012年11月23日(金)

   * 人生、虚無より傷心が上?
 W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、
第二の創業を幼児から少年期にわたり目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、
去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間だった。その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、9・15、3・11)の歴史的震災?で、
呆気なく消滅してしまった。 口ではカラ元気なことをいっても、やはり深く傷ついている。とはいえ、「何も人生をかける
機会がない、虚無の人生」や、「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。
いや、自分にそう言い聞かせている。 節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が心を覆う。 
何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように)傷口が取り囲んで虚無を浮きだたせる。 
何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことがあった。半年位だっただろうか。何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、、
ただ独り、極小に縮んで滅していくような妙な感覚。 現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解るので、
ブログを書き、スポーツジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 ただ愚痴を言い、他人を標榜する
しかない老人を多く見てきたので、その愚だけはしたくない。しかし、知らぬ間に愚痴めいた独りごとを呟いている自分がいる。
先日も、近くの道路で大声で愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物をしているのを見たというから、
痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。
「人生、傷心、時どき虚無」か。いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。
台風もたまに来るが。 服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・  
 ・・・・・・
3894, ギリシャの次は・・ ー2
2011年11月23日(水)
  前回、取り上げたPIIGSの国債の数値化を、改めて考えてみる。
 ・ ギリシャ    32.29%      
 ・ ポルトガル   11.52%
 ・ アイルランド   8.22%
 ・ イタリア     7.28%         
 ・ スペイン     6.43%     
ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、
「ギリシャが現在の国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。
あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。これらの国のトップは殆ど、
ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、
日本国債が今後どうなるかである。現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 
現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、既に国家予算の半分が、
国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。 
首相を一年ごとに変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 その破滅的システムが、
この数年、続いている。 アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早くIMFの
管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケはハイパーインフレ? それでも消費税が5%で、
欧米の平均値の20%まで15%のノリシロがある。 また、国民の預金が1千兆円以上ある。 
それも、アメリカ国債を買わされている・・ ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならないほどの 
大混乱になるというが、その具体的な状況は誰も想像がつかない。 一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。
  ・・・・・・・
3529, ハーバード白熱教室 ー1
2010年11月23日(火)
 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールのサンデル教授の授業をを見た。
ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の学生が出席しており、1636年に創立された同大の歴史上、
最大の履修学生数を誇り、あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、初めてメディアに講義を公開した。
その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との
質疑応答を中心としたもの。 元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで
放送した放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。
東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、サンデル教授が提示した
究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 
 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。
* 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福)
* 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張)
* 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 
 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、最も衰弱した1人を残りの3人が殺し、
その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、「道徳的に許されるか」との問いを投げかける。 まず初めの学生は、
「3人が生き延びるためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」という立場、しかし他の学生からは
「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が出てくる。色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、
カント、アリストテレスの立場の哲学を導き出し、会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を
踏まえた上で、「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀の政治哲学者ベンサムの功利主義が、
常に正しいとは限らないことを示唆したり、カントの立場も示唆したりする。
 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。 そう、私が度々、ここで書いてきた、学生時代の人事管理の武澤ゼミでの
放課後の週二回のゼミである。 人事上のトラブルを、ある一管理職が書きつらねた難問の文章を渡され、次回に、
それについて15〜6人が議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、最善の解決策を考え出していく。
次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔をして目たないように座っている。
したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。
2時間の議論を終えて部屋から出たときには、太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは絶対的知識不足である。 
一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、さらに粉々になっていた。時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。
 ・・・・・・・・
3154,低反発マットと腰痛
2009年11月23日(月)
 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラにバスタオルを巻いて使っているが、
その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。 使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。
腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。
人は平均、左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。だいたい寝返りの時に
目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、
マクラと首も同じである。実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと
分からない。 特に腰痛の人にはお勧めである。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み込むことにある。 
シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の
重圧で寝返りが多くなる。  ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。 
私のはニトリで2千円だが、そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
 他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。 (私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている)
 低反発マットもニトリで6980円の値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。
ベッドには、低反発枕と、その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムのアイマスク、
耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は充分出ている。
 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。
この低反発マットを使って気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。
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2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。この4つを、どうバランスよく拡大、
深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。
人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、
美術館で良い絵や陶器をみたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、
成るほど上手い歌である。 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそ
ゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。

そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。ウィキペディアによると、
【 原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案された「The Checkered Game of Life」。
  日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。 タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は
 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の
 人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。
 現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。】  面白そうなので、一度してみたいものだ。
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2007年11月23日(金)
2424, 四四太郎の日記 −9            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´-ω-)o)
一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。
すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。 先日、バードウォッチのコーナーに
久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、新しいブログに切り替えようと思いたった。
そこで多くのブログを実際に立ち上げてみた結果、去年開設したブログが(私にとって)ベストと判断、
ブログ名を「四四太郎の日記」から「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。
全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。読後感として、それほど幼稚でもなく
400年前からみた現代の現象が書いてあり、本当に?祖先様が語りかけている感覚になってしまった。
{「私」の中の<私>の中核の《私》}とコンタクトしているからだろう。「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、
週に一度、曜日でも決めて、御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。このブログの内容は記憶から全く消えていたが、
四四太郎に最近?亡くなった縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合うのも面白い。何か神がかりになりそうだが、
恐らく面白い出会いと、意外な対話になるだろう。書くということは、 不思議なことである。
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ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。
 *宗親(ペンネーム)
【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら!
 字数の関係でカット(2011年11月23日)
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2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜           
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で         
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他者の死はなぜ悲しいのかー?
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死は観念である。 人が、自分の死をいう観念を、現実のものと思い込むに至る経過について考えてみたい。
死ぬことを知らない人は死なない。レトリックではない。「意識そのもの」とは、「存在すること」に
他ならないからである。「存在しないこと」としての死は、意識そのものには存在しない。
「存在しないこと」という観念が存在するのでなくては、人には、死ぬということはないのである。
言葉の抽象度が高すぎるので、いくらか具体的に考えてみたい。生まれて初めて人の死に出合うのは、誰か他者の死である。
自分の死に出合うことはありえないから、人は他者の死に出合う以外ない。
おそらく、幼少の頃、誰か身近の人の死を見る。 「死を、見る」     ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
しかし、ここでは細心の注意をはらって考えたい。人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。
しかし、多くの人は、この両者を混同する。死体を見たことによって、死を見たと思うのである。  (~Q^(^┰^;)ゞ
当然である。「存在しないもの」としての死が、存在するものとして見つかるわけがない。
こう考えると、自分の死だけでなく、他者の「死」もまた「存在しない」。そもそも存在しない死に対し 
「死」と名づけたことにより、死は存在していることになったというのが真相なのである。
  字数の関係でカット(2007年11月23日)
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2005年11月23日(水)
1695, 辺境へ −1   ー 読書日記
 素人の身として辺境へは、ツアーでしかいけないが、「辺境・秘境」をキーワードにして、この十数年近く アフリカ、南米、
シルクロードなどを家内と共に行ってきた。図書館にあった、「辺境へ」−大谷映芳著ーはもう5~6回以上借りてきて読んだ。
 そして、ついにインターネットで新・中古本だが、買ってしまった。 写真も、文章も体験をそのまま書いてあるので、
心に直に迫ってくる。この本で、著者が一番思いの深いの7ヶ所を紹介している。チベット・ヒマラヤを除いた5ヶ所
 訪れているので、私にとって非常に魅力のある内容で、何回読んでも飽きることはない。        
   まず著者の大谷映芳の「内容紹介文」をコピーしてみる。  
 ー「ニュースステーション」で、高視聴率を獲得した“秘境ドキュメント”。
  ブータン、ギアナ高地、ドルポ、アフリカ大陸グレート・リフト・バレーなど、その取材は、全世界の秘境と
 言われた地域に及ぶ。今は亡き冒険家の植村直己や夭折した写真家・星野道夫、グレートジャーニーの関野吉晴氏ら
 その旅の思い出とともに、こうした世界の秘境エリアをレポートしてきた著者が綴る紀行と貴重な写真を多数掲載した写文集。
  ーこの本の7ヶ所とは、   w((´ω`))wワオッ!!
 ヒマラヤの王国ブータン/ 南米大陸のギアナ高地/ 南米パタゴニア/ 西ネパールのドルポ/ アフリカ大陸の
 グレート・リフト・バレー/ 北極圏のグリーンランド/東チベットのヤルツァンポで、写真とともに紹介している。
 その写真が素晴らしい。また人々との出会いなどが中心に書かれているのも特徴。
 現地で出会った人々の話や、亡くなった冒険家の植村直己さん、写真家・星野道夫君、探検家の関野吉晴さん等の話も面白い。           
  ー彼のこの本に対するコメントも良いー
「地球上にこういう素晴らしい所がある事を知ってもらいたいし、そういう場所が冒されつつあるということは人類にとっては
非常に危機的状況であると思うんです。 そしてこういう本を書くと改めて日本の事を思うんですね。 
比較というんですかね。∩゙ヽ(。・ω・。)へ   (以下、字数の関係でカット09年11月23日)       

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