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堀井On-Line
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2012年09月29日(土)
* 阿部が次期首相とは驚き! 自民党の総裁選挙、リアルタイムのTV放送だったため、ドラマ的で非常に面白い内容。選挙の数日前から、安倍有利の 予測があったようだが、安倍自身も周囲も勝てるとは思ってなかっただろう。中国との尖閣列島紛争が追い風になったことになる。 維新の会の橋下に党首を依頼され断った際に、衆院選挙後の自民との連合の可能性を話をしていたようだ。 政権をとった際には、 維新の会のメンバーを行革と自治大臣に置けば、この時期に丁度良い超強権内閣になる。 石破が勝利し党首になっても、安倍が 副総理になっただろうから似たような。これで次の体制が見えてきた。とはいえ5年前に病気としても、総理大臣を投げ出した人。 一部の疑念が残るが、この緊急事態の中、もう一度、やらせのも良いかも。対中国政策は強行姿勢になる可能性が高く、厳しい局面が 出てくるが、この位の人が丁度良いとみるべき。基本的に私の考えも安倍に近いが、国家の均衡縮小の方針は無いのが気がかり。 (有っても言えないか?) 前の谷垣と石原幹事長は野党の立場もあり「座りの悪いコンビ」だった。それに比べて数段良くなった。 これで復古でなく新しい日本をつくり変えて欲しいが、これで年内解散の可能性が高まった。 劇場型政治も面白い。 * つれづれに ーリタイア生活について リタイアの生活に入って一年半になる。単調な平々凡々とした日々だが、これがこれで私に合っている。事業生活を40年近く 続けてきて、それまでと違った隠遁生活の平坦さに飽き飽きすると思いきや、それは全くない。何だろう、これは?と、自身で 驚いている。時代が激動になってしまった実感があるからだ。 この随想日記を一日一文書き上げ、毎日三時間の早朝の サイクリング、午後のスポーツジム通いが、一日のリズムになるからである。それと、40年近くの事業生活は両肩に大きく 覆いかぶさっていた。それからの解放感が、気持ちを自由にしてくれる。前倒しの思い切った決断が、銀行担当者も慌てるほど 事業物件の売却を早くしたこともある。何か、何時も同じことを繰り返しているが、実際に、そうだからである。主婦も亭主さえ、 コントロールが出来ていれば、これほど楽で面白いものはない。ヒモに徹すればよいだけ。男も仕事が順調なら、それで良いが。 ・・・・・・・ 3839, iPadと、アプリ、あれこれ ー1 2011年09月29日(木) iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、驚きの毎日を過ごしている。 * その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色のチョークと、黒板消しが、 下の溝に置いてあり、それを取り出しメモを書きこめる。 凄いのは、それから。上段にあるカメラのアイコンを押すと撮影され、 iPadの写真ロールに自動的に記憶される。 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出してくれる 機能の応用である。これは非常に便利。 黒板はチョークで書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。 要は手書きのメモを、 写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 * メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、そこに添付することも出来る。 またマイクのアイコンを押すと、 録音も添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だろうが・・ 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。 カラーペンが豊富に用意されていてスケッチ用になっている。 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。 * 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くのコンビニや、飲食店を表示してくれるものがある。 * Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、この上なく便利である。 *「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つかを現在、毎日のように立ち読みをしている。 前書きとか、目次、そして、冒頭の内容を載せていて、「興味ある人は購入してください」と、誘うもの。 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が見ることができる。 初めてiPadからネットで買ったのが、「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たなアプリ探しをしている。 この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすいことが確信できた。 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。 これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが 店頭書店の売り上げをこえた。これは、あくまで販売経路の売り上げだが。 本といえば・・・・ それは次回。 書店まで行って買う手間や、本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で省ける便利さは何よりである。 ・・・・・・・ 3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1 2010年09月29日(水) 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、 ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・ * 日本とギリシャは、どっちが健全か? 「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国保有している。 したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の95パーセントを保有するのは 日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と認識しておかなければ。」 △ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、日本の資産を確保するはず。 * 日本の財政再建は時すでに遅し 「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、毎年10兆円ずつ 返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円にしても捻出は難しい状況です」 △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。 「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。 (字数制限のためカット2012年9月29日) ・・・・・・・ 3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2 2009年09月29日(火) =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から ・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。 ・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。 ・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少) 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。 ・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。 〜以上だが、 「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは? オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。 *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。 * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。 *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。 何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。 しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」 ーつづく ・・・・・・・・・ 2734, 米国金融恐慌の深層 −2 2008年09月29日(月) 前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。 ー まずは、続き の部分から ー 【 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。 * 処方箋、どれも不完全* 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。】 ▼ 評)以上だが、ドルの国際通貨は流動性に対する信頼の上に成り立っているシステムを米国自らが壊してしまった。 (字数制限のためカット2010年9月29日) ・・・・・・・・ 2007年09月29日(土) 2370, 喫茶店の話 先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種 そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。 (字数制限のためカット2010年9月29日) ・・・・・・・・ 2006年09月29日(金) 2005, 世界は精神病院!人間みな既知外! おはよ〜!(*^ワ^*)i 「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイが差別用語なら「既知外」といえばよい。 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。 一番さわりの部分を抜粋してみるー (字数の関係でカット09年09月29日) ・・・・・・・ 2005年09月29日(木) 1640, 個性について 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。 ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります? ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。 ー今西 個性が浅いということですね。 ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。 (字数の関係でカット008年09月29日) ・・・・・・・・ 2004年09月29日(水) 1275, 書いてなかった旅行記ー3 ーハワイー ハワイが意外とよい。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイというので、その良さをあまり誰も言わない。 オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。 行くまでは、私もそう思っていた。 しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけで自然の宝庫に出あえる。 ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。 火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。波が荒く、サーファーが波乗りがロケーションに ピッタシなのだ。 ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が 安いのは皮肉といえば皮肉である。リゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。今から25年も前の話になるが、 初めてハワイに行った時のことを書いてみる。実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、社員の半分近くの 総員27名で行くことになった。これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。どこに行ってもバス一台貸切である。 その時の添乗員が、後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さん。彼とは今でも付き合いがある。これで面白くないわけが無い、 6日間の祭り騒ぎの旅行になった。これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。私も若かったし(当時32歳)、 若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気がまた良かった。ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。 そこにいるだけで癒された。何処にいっても、お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。今のラスベガスがそうだというが、 全てがショーアップされていた。世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。 ・・・・・・・ 2003年09月29日(月) 908, 医師?それとも技師? お医者様の話をしてみよう。 そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。 少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のようにモルモットにされて殺されてしまう。 こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解できない。あのエイズの血友病の放置と根は同じだ。 ーー ・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。 これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。 一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。 こういうのが医師としてまかり通っている。 (字数の関係でカット008年09月29日) ・・・・・・・・・・ 534,「少し早めな遺言」 2002年09月29日(日) 50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。 数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。殆んどというと、少しは書いていたのかというと、 会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、5年前に数行書き始めてそのままのものがある。 照れくさくって書けないのが実情である。図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。 作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。 実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、 ある程度フザケテしか書けないだろうが。でも半数はけっこう真剣に書いている。 ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!! 実感で書いてみる。 ・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。大した事はないから、その点は気にしないでいてよい。 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。 ・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」 「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」 (字数の関係でカット011年09月29日) ・・・・・・・・・・・ [165] 創業の思い出-20年になるが 2001/09/29 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。 ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。あいた口が閉じなかった。何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。 これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、 値段を表示するのは可笑しい」私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。 ( 字数の関係でカット011年09月29日)
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2012年09月28日(金)
* あとは呪詛の効果を搾制し、贈与を活性化するしかない! 「呪いの時代」内田樹著 呪詛を抑えるに、贈与でお返しをするのが一番良い方法になる。が、放置しておけば、さらに憎悪が増すことになる。 呪いに対し、贈与で返すのが贈与の贈与たる由縁になる。メディアは記事を売らんがために呪いの対象をつくり上げる。 手っ取り早いのが、政治家の失政と芸能人のスキャンダル。関係もないのに、いつの間に扇動され呪詛の集団にされる、 俗に言う世間様レベル、B層である。呪詛は、これからも強くなるが、知恵で自分を守らねばならない。 ーその辺りからー ≪ 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はかなりの部分まで真実を衝いているのかも。 私が問いたいのは、その指摘が正しいとすれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、あなたは何を する気なのかということである。完膚なきまでに批判し抜くことが、個人に対しても制度に対しても、もっとも効果的な「改善」 実践であるという左翼的な批評性の定型から私たちは抜け出すべきときです。「私がこのシステムの責任者です」と名乗り、 それに対するすべての批判を粛々と受け容れ、批判されればされるほどパフォーマンスが向上するような「責任者」が存在するなら、 そのような定型的批判も有効かも知れない。だが、実際には、そのような責任者はどこにもいないのである。 私たちはもう 「壊す」時代から抜け出し、「作る」時代に踏み入るべきだろう。命旦夕に迫る病人に向かって「生き方を根本的に変えろ」 と叱りつける人間はいない。それよりは残されたわずかな生きる時間の質を維持するためにどうするかを考えるだろう。・・・ (・・中略)私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、復讐することから受け容れることへ、 傷つけることから癒やすことへ、社会全体で力を合わせて、ゆっくりと、後戻りすることなくシフトしてゆくべき時期が来た。 そのときに指南力を発揮すべきなのはメディアである。けれど、メディアはまだ「呪い」の語法を手放すことができずにいる。 この本の中で私は別に目新しい知見を語っているわけではない。皆なが知っていることをもう一度繰り返し確認しているだけである。 呪誼も贈与も人類と同じだけ古い制度であり、それがどう機能するものかは誰でも知っている。けれども、多くの人びとはそれは 神話や物語の中のことであっで、私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうでない。呪誼は今人びとを苦しめ、 分断しているし、贈与は今も人びとを励まし、結びつけている。呪認の効果を搾制し、贈与を活性化すること。私が本書を通じて 提言しているのは、それだけのことである。 ≫ ▼ 西アフリカ横断のバスツアーで、単調な奴隷どおりという道をひた走っていた時、突然、道路の脇道にそれた。 そこは、小さな市場になっていて、5〜6軒の店があった。呪詛の為の小物だけを売っている市場という。 アフリカの地域の多くでは、今だに呪詛の習慣があり、その効果が信じられている。そこで突然、生々しい人間のサガを 突きつけれたようだった。昔、アフリカの奴隷は、地元の部族が近くの部族を襲い、捕虜にして奴隷商人に売ったもの。 警察力など希弱な土地柄だと、近辺の争いに弱者は黙って呪詛に訴えるしかない。日本は近代国家とはいえ、断絶の、 それも20数年も落ち目の時節にあって、その鬱憤を誰かを呪うしかない。アフリカの呪詛の小道具が、メディアによる、 誰かへの集団リンチのような槍玉=記事に取って代っただけ。私たちは、ますます、周囲の、そして政府の呪詛が強くなる。 しかし、それが故に、国家の舵取りが大きく狂っていることさえ、気づかないとしたら、命取りになりかねない事態である。 ・・・・・・ 3838, ツール(道具)について考えてみる ー4 2011年09月28日(水) 20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。 そして、以前から使用していた物理的道具と共に他の動物を狩猟し 勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの植物採取と狩猟では生きていくことが 出来なくなって、牧農が始まった。 その時に、それまで培われてきた言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。 経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を越えて言葉や絵に置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。 現在の情報化革命が20万年来の人類の革命といわれる。 デジタル化とネットで情報が瞬時に地球上の個々人に行き渡るようになり、 人間と社会の有りようを根底から変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか想像さえ不可能。 連日のようにiPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で 辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も十分の一以下で、コードから解放され、ボードからも解放された。 タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、本やアプリも簡単にネットから購入可能になっている。 丁度、購入して一月経つが、それまでの情報の質量が一桁は増えた感がする。ツールを弄るのが面白くなったら、しめたもの。 アプリについては次回に書くが、調べれば調べるほど次々と面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。 それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いものが多いのは当然である。 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで書いていた。 面白い偶然である。 「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、iPadがいいか?」 という問いかけになったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」ことになる。トイレの読書と同じ? どんどん使いかってのよいツールは、使えばよい。 ただし、振り回されるな!ということになる。 ・・・・・・・ 3473, 幻滅論 2010年09月28日(火) 「幻滅論」北山修著 ーまずは背表紙より 【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与するべく、 人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に入って30年、著者は 臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識して、日本語による日本の臨床に 生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」 や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に 夥しい数の母子像を発見して、その構図を分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人とのつながりであり、つながりがありつづけている という幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが収められている。 『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。子が母から切り離されるとき、抱える環境から自分が 切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも 現実と触れあうチャンスとなるのだ。類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】 ▼ 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。 幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると 【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。 兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。 兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立する。 逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。 中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している】とある。 ー幻想論は、ここで書いたことがある。 それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。 母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。 その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの自分を振り返ると 大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実のギャップなど経験があったが。 そ時の心理が幻滅とすると納得する。 勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、対象にはイメージ通りとしても、その背後には 自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻という データがある。 幻想が、幻滅に変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。 ・・・・・・・ 3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1 2009年09月28日(月) * ほんとうかいな? 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー 「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、 有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」 と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番 余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと 経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが 真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、 あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を 押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし、現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。 なぜ{一つもない}と断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。 一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる国など、 本当に一つもありません。 ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。 ポイントを言うと ●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない ●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 ●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。 ●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家 〜〜 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされてしまって 紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。しかし、だから如何した。 国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、不動産資産の価値の暴落があっても、 その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。 ー つづく ・・・・・・・・・・ 2733, 米国金融恐慌の深層 −1 2008年09月28日(日) 朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎が《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機の本を評論していた。 内容が長いので二回に分けて掲載するが、こと、ここに至って、冷静過ぎる内容と感じたのが私の感想である。 まずは、その内容の前半を・・・ −−− 今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。 山一証券の約125倍という巨額の負債だった。 公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。 翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手のAIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、 発行済み株式の約80%を取得して、管理下で再建を図ることとした。 AIGは住宅ローンの証券化商品の元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大鰍に販売しているため、 元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる恐れありと当局は認識したらしい。 昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、サププライムローンそのものの焦げ付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。 ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、「金融システム危機」が予感されている。 *真実味帯びる悲観論* こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、「実体経済の数字はそんなにひどくありません」 「アメリカが駄目だと言われているほどにドルは下がっていないのでは?なかなかに打たれ強いですよ」と述べている。 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募.増資できている」ことが拳げられているから、 悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。 (字数制限の関係でカット2010年9月28日) ・・・・・・・・・ 2007年09月28日(金) 2369, 大物の不在 産経新聞の、この日曜日の【論壇時評】10月号の中の「大物の不在」の論評の部分が面白い。 先日「ポスト・モダン主義」というテーマの内容で、{大きな物語=モダン主義の終焉により、大物が存在しにくくなってしまった。 存在したとしてもあまり脚光を浴びない時代になった}と、書いたばかり。そのことを宗教学者の山折哲雄は、宗教学者の視点から、 多くの闘いを勝ち抜いて大物になっていった本物が現代には存在しえなくなったと指摘していた。 そのプロセスで早々に寄って集って引き摺り下ろされてしまうのである。 ーまずは、その部分を抜粋してみるー 山折哲雄は、折しも「日本から『大物』が消えた」(月刊誌・諸君)と述べる。 大物を好まなくなった現代日本の文化状況と、大物と本物との違いなどについて語るのだ。 (字数の関係でカット2008年9月28日) ・・・・・・・・・ 2006年09月28日(木) 2004, 「私」のための現代思想 −4 (字数の関係でカット2008年9月28日) ・・・・・・・・・ 2004年09月28日(火) 1274, シュリーマンの話−2 ーシュリーマンの「語学習得法の秘密」ー シュリーマンにとって、語学力が最大の武器であった。 語学力の方法として、「当時売れていた小説を、丸暗記をする方法」 を取っていた。ストーリーは解っているので、意味は敢えて考えなくてもよい。 更に一ヶ国さえマスターすれば、他の外国語も同じ小説で、同じプロセスを踏めばよい。(詳細は後記) 理に適っている。 若いときにこれに気づいていれば全く違った人生が踏み出せたのにと、今さら悔やんでも仕方がない。いや実をいうと、 高校に入学をしたときの英語の先生が、殆んど同じ方法を教えてくれていた。右の耳から入って、左に抜けていっただけなのだ。 バカの壁にしっかりと囲まれていたのだ。「全く、もう!」である。 以下は幾つかのHPから抜粋し、まとめてモノである ーー シュリーマンは、1820年にドイツの一寒村に牧師の子として生れ、貧困の中から商人として巨万の富を築き、 その富を使ってトロイアなどエーゲ文明の遺跡を発掘した人物である。 彼がどうして巨万の富を築くのを可能にできたのか。それは、彼の類まれなる「語学力」にあった。 10数カ国語を自由自在に駆使し、他の商人よりいち早く情報を把握してビジネス・チャンスを次々に掴んで富を築いていった。 彼は「多くの外国語を極めて短期間に習得した語学の達人」と言われているが、その「語学習得法の秘密」は どんなものであったのだろう。シュリーマンの学習法は、物語を丸暗記するという特徴的な方法を取っている。 ー 以下は字数の関係でカット!(2007年09月28日) 同日のクリックをしてください) ・・・・・・・・ 533, 離婚事情 2002年09月28日(土) (字数の関係でカット 2011年9月28日) ・・・・・・・ [164] 目的と手段 2001/09/28 目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目に そういうのが多い。営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、営業が反対に手段になってしまう。 何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。手段を楽しむ事は大事だ、そうでなくては目的は果たせない。 といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)その喩えがピッタシである。 目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。 至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。 どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、 真にうけて社長業を放棄・・・・・、いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって逆転も何もないのか! そのあたりが本当のところか?ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、 自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。 馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー ーーーーーーーー * H0609歩行とダンス 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。 “ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。 それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!? ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。 (字数の関係でカット 2012年9月28日)
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2012年09月27日(木)
* 危所に遊ぶ 芭蕉の『俳諧問答』に「危所に遊ぶ」という言葉がある。 危所は字のとおり危ない所だが、 「名人は定跡から外れ、未知の分野にも冒険心を持って飛び込み、そこで楽しむ」という意味がある。 が、他にも、 「危ない所で遊ぶぐらいの心の余裕を忘れないこと」と、 「危ない所の先に宝が隠されている」という解釈もある。 事業の創業も、自分を一度、絶壁に追い詰め、そこから湧き出るエネルギーを動力にする。 危所を見極め、そこに隠された キーを見つけることがポイント。ゲームとは危所(難関)を設定し、知恵で乗り越える遊び。難度の高い危所を合理的に 乗り越える域に達した人が名人になる。これは人生にもいえる。生まれ、死ぬまでの間に難関が次々と立ち塞がってくる。 人生を充実させるには、その難関を最大のエネルギーを使い知恵にかえ乗り越えることにある。これも「危所に遊ぶ」である。 * 最近の私の言説は「悲観的すぎ?」 この数年来、世界恐慌に突入直前という論調で書き続けている。10年前に同じ位の悲観論で書いていても、今から振り返れば、 その数倍も酷い惨状になっている。まさか、地元の越後で大地震が二回も起き刈羽原発が破損。上越新幹線もトンネル内で脱線。 世界を見れば、アフガン、イラクにアメリカが攻撃し、政権を転覆。それに百年〜四百年に一度の経済震災のリーマンショック。 更に東北大震災で二万人の死者と、津波による福島原発の最高7レベルの破損。そして近将来には、リーマンショックによる 世界恐慌が覆い尽くそうとしている。この10年間の惨状の数倍規模の変動が起きるとすると、私が書いている内容など、まだ甘い。 東北大災害が起こるまでは、心の何処かに首都圏か東海地区の温和なところに終の住み家の憬れがあったが、今では考えられない。 更に、この秋口から年末にかけての恐慌への不安定材料が、あまりに多い。これに中国が権力移譲期の混乱の隠れ蓑にするため、 尖閣列島の領土問題を大々的キャンペインを始めた。日本の政治の混乱を見抜いてのこと。ドラッガーではないが、「断絶の時代」に 本格的に入ったということ。何事もなく、凡々とした時代より、断面が見れるだけ良いと思うしかないが・・・ ・・・・・ 3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』 2011年09月27日(火) 二週間以上も前の話題になるが・・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。 金曜日の少し早めの9時開始だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーでアフリカや南米、 北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。 手付かずの野生動物の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で生存の知恵が生まれてくる。 TVのシリーズで放送した総集編だったが、大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、 人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。 ところでiPadのアプリをみていたら、 「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。 しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、 引き込まれてしまった。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しいのである。 日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。 ≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・・自分自身の人間性の反映です。彼らは「私たち自身」です。≫ と。 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に知らしめる力がある。 地球の素晴らしい秘境の大自然や、 そこの住人が昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、リアルに記録してくれる。 それだけでない、 手付かずの大自然の中には野生の動物や、数多の植物が生きている。 この東北大震災と福島原発の汚染は、その正反対の近代科学が もたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじ を検索すると次のようにあった。 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』 【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。 肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによる グンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の 珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは 捉えられないので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーションでその生態を追うことが可能になった。 この他にも、数多くの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。 コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を転がり落ち逃げる様子。 木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、 こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】 ・・・・・・・ 3472, 人生、よもやま話 2010年09月27日(月) 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。 終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく 犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。 這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。 夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。 そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、 人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、 この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと 父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の 家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。 今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。 そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。 そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。 二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。 これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。 ・・・・・・・ 3097,返済猶予法案の成立から見えてくること! 2009年09月27日(日) ーまずは産経新聞の記事からー 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、 中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、 早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。 {字数制限のためカット2011年9月27日} ・・・・・・・・・ 2732, 恐慌前夜 −3 2008年09月27日(土) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」 と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。 ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。 *恐慌前夜、何に投資すればよいかー *すべての金融商品は「保険」から始ったー (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・・・・ 2007年09月27日(木) 2368, 閑話小題 *安部居抜き内閣* 福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」 というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。 もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。 *時津風部屋一家殺人事件* この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。 親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。 今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。 相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。 殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。 リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、 復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。 それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。 {字数制限のためカット2011年9月27日} ・・・・・・・・・・ 2006年09月27日(水) 2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・ 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。 その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。 (字数の関係でカット2008年09月27日) つづく (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月27日(火) 1638, 巨大スーパー販売前線の男達 一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。 デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。 業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・・ 2004年09月27日(月) 1273, 2000年前のポンペイ 先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、 ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。 ー まずはポンペイの概略を書いてみる ー ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の 繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほど。 悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。 大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、 三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、 噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は 人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。 遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、 妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、 リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。 女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、 売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうとコーヒー一杯分だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、 十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった 事実を多くあった。街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。 15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・ 2003年09月27日(土) 906, 金魚の話 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な「黒いランチュウ」がいた。 仲間とは群れず、一匹水槽の中を泳ぎまわっているのだ。 指を水槽につけると、人懐こく指を動かした先をついて回ってきた。 事務所の水槽は丁度定員一杯だったが、「凄い!二度と巡りあうことがない!」とポケットマネーで即座に買った。少し高かったが。 事務所の水槽にはランチュウだけ12匹いるが、現在その中を一匹が我が物顔で泳ぎ回っている。5倍もある一番大きいボス?と、 顔をつけて餌を奪い合い食べている。大きいヤツは普通の数倍、餌を食べなければならない。その為には水面に口をつけてバキュームの ように,浮いている餌を吸い取っていく。これと同じ食べ方を一匹だけ、この凄いヤツが早くも身につけた。 餌をやろうとすると、 水面を飛び上がる勢いで餌にくいついてくる。 殆どが群れているが、一切群れないのがよい。 まだ数週間しか経ってないが、 日ごとに大きくなっていくのが判る。 こういう奴が、鳥でもいた。 エネルギーが満ち満ち溢れているやつだ。 無毛性のインコの ヒナで手を差し出すと、必死で身体を摺り寄せてきた。後で買っておけばよかったと後悔した。金魚でも弱いやつは、入ってくると 既存のヤツに水槽の片隅に追いやられ、1〜2週間で死んでしまう。 隅のほうを向いてジッとしている。動物社会と同じである、 いや人間社会と同じだ! 所詮人間も金魚も同じだ。 結婚した頃に、ランチュウを数匹飼っていた。その一匹が水面を跳ねるのだ。 突如、水面に向かって泳ぎだすのだから、跳ねるのとは少し違う、遊んでいるようであった。 なるほど金魚にも遊びがあるんだとビックリしたことを憶えている。 ランチュウの愛好のホームページがある。 ・・・・・・・ 532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 - 2002年09月27日(金) 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。 お盆に下の息子が帰省した時に、居酒屋で彼等から聞いて思い出した話だ。 その時「一人娘とホモに気をつけろ!」と言ったという。「知っていれば、何処かで気をつけるだろう」と、 注意しておいたのだ。それにしても、変わった面白い注意をしたものだ。 せっかく育てた子供を、 他人の家の子供にしたくないという心配が、そう言わせたのだろう。あとは息子がホモもまずい。後では取り返しのきかない。 特に都会ではそういうのが多い。女姉妹だけの長女とか、一人娘は要注意だ。本能的に、よい獲?がいないかと 目を光らせて狙っている? これは注意をしておけば避けられる事だが、それでもよいなら問題ないが。 あと幾つか注意したと思うが、「本を読め、色いろなアルバイトをしろ、ゼミに入れ、クラブにも入れ、 大学でしか経験できない事を可能な限り経験しろ」等々、いったことを思い出した。 大学時の経験が一生の圧縮だ。 ・・・・・・・・・・ [163] ] チンドンヤー 2 2001/09/27 チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。チンドンヤの意味はその辺の英雄である。 鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。 そして悪役が必要になる。 そして本人-主役のチンドンが始まる。 自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。何回悪役にはまってしまったか。 次に観客も必要になり観客作りをやる。それを自身の利害をかけてやるか、にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。 私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局!この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・。 特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくりその糸の手繰りをやる。以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。 その手口をみていると自分でまずストーリーを書く。忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、しかし何度も 重ねればその筋書きは見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」と言うらしい。 ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。 ヤクザが1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりの因縁をつけてきた。迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが 解らないようだ。彼らのワンパターンの手口は「仲間から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。 そして数百万の商談が壊れた」という手口である。もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、警察に電話をかけるのが手順。 実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。 こうなると執念に近いが。これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。
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2012年09月26日(水)
「呪いの時代」内田樹著 * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2 「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥りやすい心理トリック。 その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年で辞める節目に、ハッとする。「本来の自分はこんな会社に いるべき人間でなかった!自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」という幻想のなせるワザに気づかない。 結婚相手の選定の失敗と思う夫婦の確率95パーセントと酷似している。 結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。 それ以前に人生は幻想そのものだが。で、結婚相手と、選定した職業を呪うのが必然となると、大方の人は人生を呪う宿命?になる。 だから老人の顔は肉体の衰いと病気が重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでないことで諦めが つくというもの。誤解をして結婚、理解して離婚というが、その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。 幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。 ありもしない「ほんとうの私」さがしが高じるとルーツを知りたくなる。 ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、源氏の末裔だろうが、それが何だというのだろう。 その間に嫁の血が入っているため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての「ほんとうの私」とは何か考えてみた。 そう、HP内に10年以上もかけ、いろいろアップしてきた、これ?。 で、どうした? どうでもない! ただ、それだけ。 これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、この程度のもの。 その「正味の私」も、怪しげなもの。 あとは 文章と同じように、最後はひねりをいれ自嘲するしかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の「正味の私」を 何とかフォローしようとする。それが性格の歪みになり、その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。 そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、政府に攻撃することになる。だから首相は一年も持たない。 権力闘争で批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。あるべき「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの 時代では、権力奪取に有効に働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、このザマ。そして、今度は「維新の党」である。しかし 結果は火を見るより明らか。とはいえ、あの自公民の延長は困る。そうなると連立で強権政府を時限立法で、大鉈をふるうしかない。 要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、正味の日本になるしかないと割り切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、 自主憲法を作り直し、国民全体の生活を数段落とし(消費時アップ)、地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。 現実に、そうなるだろう。アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 この10年、いや20年は大荒れになる! ・・・・・・・ 3836, ツール(道具)について考えてみる ー3 2011年09月26日(月) どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。 情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に 限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。 知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。 それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁国家の現象。 知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。 また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、 あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、 映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚のタブレットに集約されたこと。 音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。 本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出てきている。(ある時期が過ぎると自動的に消える) iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものを ダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。 対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚のICチップに80億個以上の トランジスターが入ったものが出ているという。 トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきた トランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが 80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、 世界を根底から変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭する 生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 ツールはツールである。 午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。逆に中途半端か。 こんなに面白いもの、私は使う方をとる。 ・・・・・・・ 3471, 久々のジョーク -9 2010年09月26日(日) * 呼び方 * 男女の差 * 動物愛護 * 祈り * 離婚の理由 ( 以下、字数の関係でカット2012年9月26日 ) ・・・ 2731, 恐慌前夜 −2 2008年09月26日(金) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば 750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。 人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、「GSEはすでに実質超過 (破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)} *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。 ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)} ・・・・・・・・ 2007年09月26日(水) 2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3 ー読書日記 今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、解りやすい記述があった。 具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。 最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れる ことしかできない。少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。 ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー (以下、字数の関係でカット2009年9月26日) ・・・・・・・・・・ 2006年09月26日(火) 2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ 長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。 テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。 著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日) \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月26日(月) 1637, 37年前の私への手紙−1 ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。 ー37年前の私への手紙ー あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。 倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。 数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。 あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。 あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。 現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。いや社会そのものに鍛えられたのだ。 その結果として、何か大きなものを失ってしまった。あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方 (37年前の自己)の悩みこそ大事である。そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。 膨大な未知の世界を前に好奇心と期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかったか。 貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を 言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を摘み食いを していただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。 それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。 あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。 あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。 しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。 しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。 まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ! 他人をもっともっと大事にしなさい。 これが私の最後の言葉です。 ーつづく ー後記ー 人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。 当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。 当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。 それがよい。旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。 一番思い出になるからだろう。 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。 ・・・・・・・ 2004年09月26日(日) 1272, シュリーマンの話−1 映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。 トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。 誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?。 男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行ってヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で 初めて纏めた「伊能忠敬」である。 それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が 多い人物も珍しい。 また膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスター、それを武器に莫大の資産を得た。 外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。 あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日) ・・・・・・・・・・ 2003年09月26日(金) 905, 物を置かない努力 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、 といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。カラーは白と黒だけ、 空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。 コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。 「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。 銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。 私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。 頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。 せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。 まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。 「孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。 これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。 圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。 そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。 サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。 生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。 しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。 さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう! ・・・・・・・・・ 531, 天皇制度について - 2002年09月26日(木) 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。 島国とか離れたスカンジナビア半島のように、 あまり外部との入れ替わりの無い国では、王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも 王室が有効となる。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。アメリカ大統領の宣誓式で バイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で国家への奉仕を約束をすることである。 旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には必ず二人の対立したセカンドがでてくる。 (字数制限のためカット 2010年9月26日) ・・・・・・・・ [162] 手順 2001/09/26 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。 大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイント。 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。 そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、 それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。 創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。 それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。 「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。
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2012年09月25日(火)
* スマート家電 「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを発表したが、「変?」と思ったのは私だけでないはず。 外出先からの遠隔操作でエアコンや、炊飯器のスイッチをいれたりするのが、果たして便利な生活なのだろうか? それも付加価値と称して値段が何割、いや何倍も高いのは、消費者ニーズとは大きくかけ離れる。まず発表された「スマート家電」は エアコン、ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、体組成バランス計、活動量計、手くび血圧計の八製品という。 洗濯機や炊飯器、電子レンジは、スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用アプリでメニュー選択し、 製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。 近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせた コースの設定をスマホに入力し、これを洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電の コントローラーとしても使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、致命傷になる。これではサムスンに負ける訳だ。 * 母の命日 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、はや16年経つ。やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。 先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、 戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。 当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の人生を生きてきた。私の知恵は、 こと何かあると、両親に語りかけることから生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。 読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、 かつ土台である。両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。 ・・・・・・ 3835, ツール(道具)について考えてみる ー2 2011年09月25日(日) ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー 【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に置き換え、さらにその働きを拡大したり 延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは 大脳の働きを機械に置き換えたものである。ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、 器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための 手段であり、創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために 人間の器官の働きを助けるためのものである。】とあった。 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 自分の目的に最適なツールに 出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 学生時代を振り返ると、努力のわりに成績が良くなかったのは、 どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、 その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。 どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に使えるのだから驚異的である。 銀行の支店の一つや二つの全機能が、小さなチップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時にコピーされ 普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前である。「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」された ベストのツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。 ・・・・・・・・ 3470, 昨日は母の15回忌 2010年09月25日(土) 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容で、 夢から醒めても暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。 亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。 家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので溜まっており、その捌け口で 徘徊を始める。しかし、本人にとっては、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているようなもの。 それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったことか。 したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。 亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが) 50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になって死線を漂った後に、そのエネルギーを趣味に切り替え、 茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに向かって 全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。 まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をして、設定したライバル に対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の 末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在になって分かった。 冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場でもあり、天国である。 ・・・・・・・・ 3095,久々にジョーク −3 2009年09月25日(金) ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。 ージョークあれこれー * ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」 神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」 解)好きだね、こういうの! *「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、 自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」 解)これも! * ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。 すると、また言い争いが始まる 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』 解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが! * 愛のVIP戦士 故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」 受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。 そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。 そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」 解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする ・・・・・・・・・・ 2730, 恐慌前夜 −1 2008年09月25日(木) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 再び副島隆彦の本である。 発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。 そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。 「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。 ーアマゾンの、この本の紹介文からー アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。 7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。 アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。 現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。 しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、 信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。 かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。 「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」 それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。 ーー 9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。 「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー (字数数限のため、カット12年09月25日) ・・・・・・・・ 2007年09月25日(火) 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか ー読書日記ー ―弁護士が教える論理的な話し方の技術 谷原 誠 (著) 図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、 対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。 考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、 論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。 同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。この質問に対する答えを考えてみると、 ・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。 ・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。 ・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。 その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、「収入が入らなくなったり、転職をしたら ゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。 (字数数限のため、カット09年09月25日) ーーーーーー 内容の概要) (字数数限のため、カット09年09月25日) ・・・・・・・・ 2006年09月25日(月) 2001, 二千日の随想日記! おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・ この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。 千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。 千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい! と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。 2009年6月某日になるが、どうなることか。千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。 良寛の たくほどは 風がもて来る 落葉かな と同じで、習慣の流れにまかせて、 書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな というところか! だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意し、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。朝は一時間はかける。 テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。 その三時間のプロセスは考える時間になる。 そのために 毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。 もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。 毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、 数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。 これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月25日(日) 1636, ローズパレード 昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。アメリカのロス近くにあるパサデナの 「ローズパレード」であった。花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。 一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。 100チーム以上が参加している。アメリカ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。 参加するには厳しい審査のパスが必要という。 (字数数限のため、カット09年09月25日) ・・・・・・・・・ 2004年09月25日(土) 1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2 十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。 そしてそのままホテルに泊まってもらった。 翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。 二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、 それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。 本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいた。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ「すごい内容だ。是非うちで開いている 勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。 「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまったのだ。 こういう機会でなければ、森信三という 戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、 凄い人ばかりのはずである。後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。 それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。 話は元に戻るが母の7人の兄弟・姉妹のうち、 母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。 「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。 ・・・・・・・・・・ 2003年09月25日(木) 904, 讃岐うどんの店−2 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。 (字数制限のためカット2010年9月25日) ・・・・・・・・・ [161] 自然体(自然態) 2001/09/25 07:01 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、 その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、 その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの 言葉であった。浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。 その後この言葉に生き方がかなり影響された。目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。 7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、出発前に成田で言った言葉が印象的であった。 「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。 無理せずそのままでいきましょう」「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。 その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。自然体そのものであった。 たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ている。 もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。
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2012年09月24日(月)
「呪いの時代」内田樹著 * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 < 実は私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られている >という、ドキッ!とする説が、ここで書かれている。 誰の心の奧にも理想と現実のギャップが潜んでいる。それが何時の間にか、理想の自分が「ほんとうの自分」という幻想になり、 それが「正味の自分」にとって替わっていたとしたら・・、何だろう何時も独り呟いている「本当の自分とは?」ーその辺からー ≪ ・・その「幻想的なオレ」が、ある日、何かを呪ったのである。呪いの標的となったものは、具体的なものや、誰かでなく、 妄想し、『本当の自分』が所有するべきもの、占めているべき地位を不当に簒奪している誰かである。その呪いは、何時の間にか 現実の力を持ってしまい、破壊の塊になってしまう。破壊の力は現実の身体に根拠を持つ限りそれほど害にはならない。 攻撃が破壊的になるには、それが身体を離脱して「幻想」レベルに達したときなのです。だから、私たちにとって喫緊の問題は、 妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さずに、生身の、具体的な生活に捉えられた、あまりぱっとしない 「正味の自分」をこそ主体としてあくまで維持することなのです。しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本の メディアは全力を挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに促しつつけている。 ≫ ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。周辺に見られていると思っていた「正味の自分」が、 自分の実像でないか?>である。社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に「ほんとうの私」という幻想が「正味の自分」を 見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。しかし、このようにコペルニクス的なドンデン返しの真理を突きつけられると、 根こそぎ人生を考え直さなければならない。そのため、神は老後の期間を与えたのだろう。 話は少し変わるが、土曜の午前中に 家族の外見変身をテーマにした番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。変身願望の家族、特に主婦に、番組が 美容とブランド品の服飾で変身させ、あたかも、本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と、幻想的セレブの家族を演出する。 見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。それはそれで良いが、少し豊かになり背伸びをすると、 その幻想世界と現実世界が入れ替わってしまう。森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩サバンナに踏み入れると正味の自分に 向き合わざるをえなくなる。その時、私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。(それさえ気づかない人が多い) それと同じことが、総中流社会から総下流に幻想が移行しつつある日本である。バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金ゼロに なるなど総下流化の様相。その怒りが呪いになっている。「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。呪いは、自滅につながる。 なる程、呪い呪われの時代である。これが当分続くとしたら、正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想? ・・・・・・ 3834, ツール(道具)について考えてみる ー1 2011年09月24日(土) 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。足馴しに自転車で自宅から20分ほどの 信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周してみたが、自動アシストのためペダルを踏むストレスが半減。そのためか 信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。 そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマはライン川の風景に決して劣らない。 それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感が良い。 自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、 丁度その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあって、切り替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、 信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱になっている。新たな手段が生活を変えてしまった。 10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。 それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として 残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって読み返して気づいたこともあって、 一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、 書き残すことの価値を知っているからこそ続いている。 日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。 そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。 要は、道具が逆に、行動、習慣を決めてしまうのである。 道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。 ・・・・・・・ 3469, 基本的信頼 2010年09月24日(金) 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。 それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情が タップリ入っている人がいる。その過剰は、自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。 乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱って くれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。 この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を得ることが出来る。 基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。 E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。 「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、 乳幼児は求めているのである。 片親の子供は就職に不利というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を 選択するのも、こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。 その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。 それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感があるだけで 充分に恵まれていた。過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。今日は母の命日で亡くなって14年になる。 ・・・・・・・・ 3094,久々にジョーク −2 2009年09月24日(木) * 三つの願い 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちているのに気づいた。 それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。魔法使いは老婆に向かって語りかけた。 「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。 「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。 「大金持ちになりたい。使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。 三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、 宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。 その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」 〜〜 「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。 《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。「よろしい。あなたのたった一つの願い事を 言ってごらんなさい」 男は答えた。「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」 》 (字数の関係で中間カット、2012年09月24日) ・・・・・・・・・・・ 2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4 2008年09月24日(水) 「議論に絶対負けない法」 −4 ー読書日記 ー物語の力ー 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。その筋たての準備に、可能な限り エネルギーを入れなければならない。それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。 これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。 以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、 人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、 議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月24日(月) 2365, ウィーン・コンサート、それが何! ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。 (字数の関係で中間カット、2008年09月24日) ・・・・・・・・・ 2006年09月24日(日) 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。早かったのか遅かったのかというと、 大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった 蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、 抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。 亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。両親の一生をみると、 人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら 戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、 「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で 話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなった。 (奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった) 家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。 3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ! ーつづく ーー 書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー) 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月24日(土) 1635, 「イヴの七人の娘たち」 ーまずは、この本の概略を書いてみるー DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」 にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) ・・・・・・・・・ 2004年09月24日(金) 1270, 母が亡くなって、まる八年! ー命日に, 母の魂に捧げるー 今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。 今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、 母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。 そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。 真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。 キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー 母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、 前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、 直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。 子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。 それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。 私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。 (亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。 その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。 特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ! 23日 6時半ー ・・・・・・・・・ 2003年09月24日(水) 903, 「仏像の不思議!」 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。 20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。 お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で 仏像などを売っていた。多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。精巧な彫りでかなりのモノであった。 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。 「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。お金は後で送金しますから」」といって別れた。 買う気は全く無かったのだが少し惜しい気持ちになっていた。ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。 そこまで下げるとは驚きである。 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった! 何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。 たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、仏像を見て青くなった。「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」 と忠告をしてくれた。確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。しかし、今でも自宅にあり 「家内の守り本尊」?として大事にしている。 いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても 不思議な出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。商品価値は三分の一だろう。 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら家で不幸があったという。 「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。 気味が悪くなって、すぐ売ったという。 ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。 −しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。 仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。 不思議なことがおきても何も不思議ではない。若い時は、不思議ということは殆ど無かった。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、 不思議の経験を多く積むようになった。不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。 生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。 ・・・・・・・・・ 529、人の一生 - 2002年09月24日(火) 仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、 ・上からはその動物が覗?込んでいる。 ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。 ・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。 ・しがみついている紐を鼠が齧っている。 ・怪獣は現実。 ・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。 ・下の大蛇は死。 ・鼠は歳月ー死への。 ・紐は生命。 人間の一生を例えた仏教説話である。これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。また井戸は内面ー孤独。 ≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》 ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。 好みの美人もそこで酔っている。この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。あまりに美味いので 飲みすぎて泥酔してしまった。ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。 それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。 これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???! ・・・・・・・・・ [157] 自殺 2001/09/24 09:49 NoName ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。 (字数制限のためカット 2010年9月24日)
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2012年09月23日(日)
* ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえてきた話。 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 ある女性Aから・・・ A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も預金があるというけど(自分にはない)どうなの?」 B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」 A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」 C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、あれば、そっちに向けてるわよ!」 A:「Dさんはどう?」 少し考え込んでいた彼女 D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラーと白けてしまった。 その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。 一年ほど前に、この随想日記で一世帯あたりの預金高について書いたが、平均預金残高1150万を何故か鮮明に記憶している。 ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・ ≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値(答えた世帯の中間の値)は前年500万より80万円少ない420万円。 ・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。 ー 40世帯に一世帯になる。 ・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で月額30万円の年金収入があり、30%を預金にまわす。 貯蓄残高が1年前に比べて「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近くもいる。ローン残高を差し引いたらゼロという人を加えたら、過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫ ▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を育てあげ家のローンを払い続ければ、貯金と借金で、 差し引きゼロだろう。 平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が中の上以上クラス。更に言葉の ニュアンスと服装からして、地方では上クラスだろう。預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。 日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロック・ホームズきどりの馬鹿そのもの。 ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。(直接、本人から聞いてみた)それが身体全体から滲み出ている。 それ以上に、使い方が実に巧い。だから金の方から近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方イマイチの人なら幾らでもいる。 いや逆が多い?あれとあれって使える時に使うもの! 森林から出て世界を振り返ると、違ってみえてくる。サバンナには味がある。 ・・・・ 3833, 閑話小題 2011年09月23日(金) * 病上手の、死に下手 「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか? 用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。 ネット辞書では、【 “よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で言われ続けてきた 】。 病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、 「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」という意味と同時に、 「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」ということ。 身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。 これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」というのがあった。 なるほど!言いえて妙。 逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が頷ける?。「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。 * パソコン・ゲーム iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。 その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになってフロントからみえる道路を疾走する。 左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもしてくれる。(大事故にならない設定) 終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルとブレーキでコントロールする。これも面白い。 他にも幾つかフリーのゲームを使っている。とにかく始めたら止められないで2時間3時間など直ぐに経つ。ゲームに熱中している 子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、 まだ半歩しか足を踏み入れてないが、底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。 ・・・・・・・ 3468. 閑話小題 2010年09月23日(木) * 検察の特捜主任検事を逮捕 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。 押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。 彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通る というのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた 所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界??。 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。 検察もたまったものでない。 情報化で国家権力を持った者でも、 以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが検察、末端が警察。 * 尖閣漁船衝突問題について ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、「目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。 「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は「孔子は公を無視している」という。 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、 日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に 従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、 中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。 ▼だが容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思えない。 事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】 ―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。 「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。 中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 ・・・・・・・・ 3093,久々にジョーク −1 2009年09月23日(水) 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。ところが、ある時期から、これはという 面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。 周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。 先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。 最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 それにしても久々にニヤリとした。 * 神の思し召し 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。 出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、 女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、 神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」 「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。幸い赤ちゃんは元気です」 「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんですから、間違いありません」 「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。 それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。 実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」 「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」 (字数制限のためカット 2012年9月23日) ・・・・・・・ 2728, 議論に絶対負けない法 −3 2008年09月23日(火) 議論に絶対負けない法」−3 ー読書日記 物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。以下は、この本の一番好きな部分である。 成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。 好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。 Pー195 *私が百戦百勝している最大の秘訣 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを 迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 (字数制限のためカット 2011年9月23日) ・・・・・・・・・ 2007年09月23日(日) 2364, 哲学とは何か、考えてみようか? Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。 色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。 それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・ 私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして (空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。 それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。 「狂人三歩手前」 ー中島義道著 ー夏には哲学がよく似合うー P-51 メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。 この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。 他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。 ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を 見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。 メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。 「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。 この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。いや・もう一つの条件を加えておこう。 どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、 つまり、「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、人が驚かないことに 驚くといい換えてもいい。テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが(私は地下鉄サロン事件にも アメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに驚き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く。 思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、 こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。 勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。 しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声をあげている、という女性に 遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、「いまとは何か?」と考えていることを想像するのは難しい。 それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異であるように思われる。女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。 ふっと抱くかもしれない。しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界は崩れるかもしれない、という不安感がない。 彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。それは、彼女たちが生物体として 劣っているからではなく、優れているからである。男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、 性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。 (哲学釣な)男たちよ真夏の海岸で身を焦がしたら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。 ーーー 評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。」 中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。池田晶子には不安定性が感じられないのは事実。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。 ヽ(★>з<)バイバイ ・・・・・・・ 2006年09月23日(土) 1999, 「私」のための現代思想 −3 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ 第一章 「私」を縛るものは何か ー ー《価値》についてー <価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・ 2005年09月23日(金) 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集 今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、 生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、 個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日) ・・・・・・・・ 2004年09月23日(木) 1269, 否定的想念の恐怖 人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を持てば、 肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。 周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要とするし、否定的想念は 感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を 持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・・・ 2003年09月23日(火) 902, 「守護霊との対話 」 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」といっていた。 母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた小林正観と 中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 (字数制限のためカット 2010年9月23日) ーーーーーー 貧すれば鈍する 2002年09月23日(月) 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話である。 彼らの共通項とは ・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。 ・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘絡み合っている。 ・暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。 ・言い訳だけを常に考え行動しようとする。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2012年09月22日(土)
「呪いの時代」内田樹著 * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機 ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー 東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を最大限していたので、最大規模の地震と津波にしては、 これでも最小の被害で済んだ。 しかい太平洋沿岸で近い将来、必ず大震災が起こるというから、大変な事態である。 恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も工場の移転が始まることになる。日本は、ますます疲弊することになる。 ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー ≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のこと。「デインジャー」というのは、 そういう手立てが使えない危険のことである。喩えていえば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、1点の ビハインドは「リスク」である。このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。 一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。 対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。だが、そういう場合でも、周囲の状況を見回して「ここは危ない、 あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは 生き延びる確寧が高い。でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと厭なことが 起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。9・11テロの日も、 「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかを エビデンス.ベースで示すことは誰にもできない。・・・ ・・・ 東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」と 言うような発言をしてはならない。それは死者を二重に穢すことになるからである。私たちがもし幸運にも破局的事態を 生き延びることがあったとしたら、私たちはその都度「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。 「他ならぬ私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、 人間的意味を「これから」構築するための必須条件なのである。だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が 起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは当然のことなのである。そうすべきなのである。 私が生き残ったことに意味があると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。誰かがそう思わなければ、被害者たちは 殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに 「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明しなければならない。だが、私たちの社会は 戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。 「デインジャー」に対処できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない。≫ ▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、3・11東北大震災の「デインジャー」によるが、 「リスク」レベルの要素が無かった、とはいえない。 それでも、当初からの事業設計に万一の「デインジャー」対策を組み込んで いたので、九死に一生を得ることができたが? 「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。 「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と 決めていた。御陰で事業をたたみ裏山に辿り着いたが、下を見るとノンビリとした世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。 ・・・・・・ 3832, 毒を溜めない! 日々 ー2 2011年09月22日(木) * 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。という私も、その手になるか。 怒りは感情の動物、それは仕方ない。 しかし、その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。そのうち、その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、 「怒り」が「怨念」に変わる。それは本人にとって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に中村天風の「箴言集」をトイレと、書斎の机近くの本棚に置き、 ことあるごとに読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、天風の言葉は、それを半減させる効用がある。 何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが天風の言葉。 天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に響いてくる。 老化は人の心を冷やす働きがある。人間の肉体も生(なま)もの、古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と 痛みを受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。 しかし精神が傷むからマイナーの言葉に支配される側面もある。 人間で一番大事なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。 何にでも興味をもって、その存在に驚くこと。 「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまうのが老い。 若いのに老化してしまっているのが大部分? 無知は老化に極似している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。 その壁が人間の脳には毒になる。 言葉は恐ろしい魔物の側面がある。 特に他者への侮蔑の言葉は、その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も自分を傷つける。それは弱者の武器になるが、 自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が底から沸々湧いて出る。 それを常に浄化しておかないと顔に出る。 やはり宗教しかないのか、人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか? ・・・・・・・ 3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11 2010年09月22日(水) * アフリカに魅せられて ー5 アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。 南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、そしてイスラエルの コースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。あとエチオピアか、マダカスカル島に行きたいと思っている。 アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と 何が違うのだろうか考えさせられる。 父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて、 一族を束ねている。その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。 現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、未開発地域の人たちにも同じような文化が 存在している事実に注目した。戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した 手紙などが記録で残っている。それがアフリカのマサイ族の部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。 初めてアフリカに足を入れる前までは、恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかし、サバンナで出会うマサイ族の 衣装と野生動物から身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性のセンスにひけをとらない。 サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に似合った柄の羽織?を買い求め着ている。 それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 その視線で自分に流れている日常を見直すと、 小さな自分の世界を見直すことができるのである。 ・・・・・・・ 3092,つれづれに ー閑話小題ー 2009年09月22日(火) * 自民党総裁選挙だと! 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。 三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは 河野太郎だけで、二人はボケ。派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。 その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、その方が日本にとってよい。 それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。今のところ政権交代は現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはず。 数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。 * 図書館にて 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。 それも全員が立ち上がっていて氷ついている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、 中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを 起こして追い出され悪態をついたのか? ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、 強盗でもないので無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。館員が受付の外で対応していたが、 ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。 それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作してトラブルの演技で金を強請にくる。 また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 * 5連休か〜 秋の5連休とかで、高速道路の千円効果もあってか春のゴールデンウィーク並みのようである。この不景気の中、観光地は思わぬ特需で 息をついているという。私の方もだが。高速道路の無料化は地方にとっては大きなインパクトになるだろう。さっそく「知人の奥さんが 4名で東北まで一泊で遊びに行ってガソリン代と往復2千円を加えて、割ったら一人当たり交通費が二千八百だった」とかいう 話題が入ってきた。そうこう考えると、高速無料化は日本全体にとって莫大な経済効果をもたらすだろう。 学生時代のゼミの後輩が、その火付け役である。さぞ、鼻が高いだろう。 ・・・・・・・・・・ 2727, ザ・オオズモウ 2008年09月22日(月) *大相撲が面白い! ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。一場所を中止をする位の大事件なのに、 それ以上は騒ぎ立てなかった。ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。 これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。 歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。 大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。 それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。 一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。 もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、尚のこと徹底すべきである。 *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退? 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。この力士の特技が立ちあいの張り手である。 下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、 張り手がやりづらくなった。これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには 気力が衰えている。しかし、ヒール役としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、 引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、新理事長の下では早々の引退だろう。 元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。 ・・・・・・・・・ 2007年09月22日(土) 2363, 郵便配達夫シュバルの理想宮 −2 シュヴァルの凄さは、理想宮が明らかに意味あるものなら解るが、今でいうテーマ・パークを、誰の理解もされずにただ黙々と石を集め、 自分の心の命じるまま理想宮をつくり続けたことである。ただ、そのプロセスの中で生甲斐を感じていたはず、もし感じてなければ 続くわけがない。他の人から見たら何ら意味もないことを、自分でも意味など考えてなかったのだろう。 あるのは、それに取り組んでいるときの何ともいえない喜びである。続けているうちに評判を聞いた外部の人が見に来て褒めてくれたこと、 認めてくれたことなどで、意味を見つけていったのである。それは結果として、潜在意識の具現化につながっていく事になる。 そのテーマ・パークはみる人の気持ちをうつのである。もちろん、周囲の人は、その奇異な建物をみても理解などできようがない。 むしろ外部の人は、それを冷静に客観視できるから興味も加えて評価が可能になる。創造者は、まずは気違いにならないと 新しいことは創造できない。そして周囲は、その姿をみて、気違いという。 だから面白いのである。 ーその部分を抜粋したみるー ー村の気違いー シュヴァルは、村では最初から異端者であった。農地を持たない、という一事だけでも、村において、人を異端者と するに足りたであろう。そのうえ彼には、孤独癖、厭人癖があって、周囲の生活に決してなじむことができなかった。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・・ 2006年09月22日(金) 1998, 「私」のための現代思想 −2 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 −読書日記 第一章 「私」を縛るものは何か ー ーまずは問題とはー まず「我われの世界は正しいのか」という問題をまず考えなくてはならない。 我われの世界には正しい部分と、腐った部分がある。《「世界」と「私」は、ともに腐っていく》という方が解りやすい。 この世界で自分が腐っていくのを実感することは、さらに腐敗にまみれないようにするためには、非常に重要である。 我われを拘束する要素として、<言葉><価値><社会>が考えられる。 ー言葉ー 私たちは<言葉>を使ってこの世界を認識し、他者に何かを伝えます。言葉は「思考の枠組み」であり、 便利な道具ではあるものの、逆にその「枠」の外には出られないという意味で束縛となる場合がある。 ー価値ー 私たちは何らかの、<価値>を求め、それに照らし合わせて自分の行動を決定したり選択したりします。 自分が重要だと考えている<価値>そのものが、私たちを束縛している場合がある。 ー社会ー この枠組みは、私たちがよりよく生きるために構築されてきたものですが、そこに窮屈感や閉塞感が出ることがある。 これらは「束縛」となる場合と、「自由になるための武器」になる場合がある。 この束縛から脱するには、 これらを得なくてはならない。 得るためには、まずは言葉・価値・社会とは何か知らなければならない。 まずはーー《言葉》についてーー 言葉の機能の中心には「分類」があります。これは、言葉は「私たちが知覚したものを分類する」ために用いられるという意味である。 私たちが「何かを学ぶ」ということは、ー社会において重要とされている分類基準を自分のものとするーということを意味しています。 このとき私たちは、少しだけ「自分を殺す」ことになります。それが「大人になる」ということであり、「社会化する」ということです。 (以下、字数の関係でカット2009年09月22日) ///// 2005年09月22日(木) 1633, 閑話小題 ー雲を消すー (以下、字数の関係でカット2011年09月22日) ・・・・・・・・・・ 2004年09月22日(水) 1268, 大相撲に思うーつれづれに 大相撲が始まると、相撲について書くのが恒例になってしまった。場所ごとに刻々と、相撲の様相が変わっている。 最近は、朝鮮相撲、モンゴル相撲、レスリング、そして日本相撲の「国別異種格闘技」の様相に変ってきている。 (以下、字数の関係でカット2011年09月22日) ・・・・・・・・・ 2003年09月22日(月) 901, 相撲を考える 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。他の格闘技も多くできたこともあるが最近の大相撲はつまらなくなった。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・ 2003年03月12日(水) 707, モンゴル大相撲 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。 今場所からは、両横綱とも外人である。外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。 − 以下字数の関係でカットー2007年9月22日 ・・・・・・・ 2002年09月22日(日) 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸! まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。 もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、彼はそれを持っている。 (以下、字数の関係でカット2010年09月22日) ・・・・・・・・・ [154] 性善説と性悪説 2001/09/22 以前、身近に[おれは性善説だ]と口癖の男がいた。本当に性善なら‘それを売り言葉に使うのがおかしい’ という事も解らない。人間なんぞ性善も性悪もごちゃ混ぜになっているもの。 (以下、字数の関係でカット2012年09月22日)
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2012年09月21日(金)
「呪いの時代」内田樹著 * 原発供養 この東北大震災に際し皇室一族が最大限のお見舞いをしていた。国家の元首として、歴史的大惨事に現地に真っ先に行かれ、 見舞うことが役割として最優先されることだが、その行為に呪鎮の意味が入っているとみることができる。ー以下も納得できるがー ≪ 一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを畏れ、隔離することでいっときの安心を買い、日本人は 荒ぶる神を金儲けの道具にまで堕落させ、その在所をずっぽりとベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、怖くも何ともないよ」 と言い募ることでいっときの安心を買った。 どちらの安心が長持ちするものだったかは今回の事故があらわにした。 福島原発のふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を受けたのではないかと思う。 その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全設備の手抜きに心底驚愕したのではないかと思う。どうして原子力のような 危険なものを、こんなふうに「雑に」扱ったのだろう……と海外の原子力研究者は頭を抱えたはず。そこまでして「コストカット」 したかったのか? 日本人は命より金が大事なのか? もちろんそうではない。話は逆なのだ。 あまりに怖かったので、 「原子力は所詮金儲けの道具にすぎないという嘘」を採用した。原発の設備をあれほど粗雑に作ったのは、原子力に対する 恐怖心をそうやってごまかそうとしたからなのである。「こんなものいくら粗雑に扱っても抵抗しやしねんだよ」と蹴ったり、 唾を吐きかけたりして、「強がって」みた、 (・・・中略) ・・・ 原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、呪鎮の儀を執り行うべきだったと思う。 盛り土をして、原子炉を土中に置くのである。塚に草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような広々とした場の下に原発を安置する。 そこに神社仏閣を勧請する。「原発神社」。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制して くれていることを感謝するのである。 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、「原発祭り」を挙行する。荒ぶる神が とりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれていることを感謝するのである。(・・・中略) ・・・ 福島原発の設概工事のときにも、間違いなく地鎮祭は行われたはずである(地鎮祭を執行しなければ、建築現場には 誰も入らない)。なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。地鎮祭をしないと、日本人の作業員が現場に入ってくれないのなら、 中国からでもフィリピンからでも建築労働者を連れてきて断行すればよいではないか。なぜ地鎮祭を行うのか。それは平屋の家を 建てる工事においてでさえ、行われる。「恐るべきもの」の不意の現場での警戒を怠れば、思いがけない事故が起こることを 現場の働く人は経験知として知っているからである。地鎮祭は地祇を鎮めるためのではなく、人間の緊張を亢進させるための 心的装置なのである。・・・≫ ▼ 「原発供養をすべし」とは、思いもよらぬ切り口。供養すれば済む問題でもなかろうが。ビル建設で地鎮祭を何度か 経験したが、それはそれで大事な神事。 しかし世界中のビル工事で行われるかといえば、そうでもなく、日本的心的装置。 施工業者と、施主と、土地・建物を一つの魂にする儀式ということか。最後は祈るしかないという、ブラックジョークか。 ・・・・・・ 3831, 閑話小題 2011年09月21日(水) * 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差 東京の学生時代は寮暮らしだったが、当然そこは地方出身者の巣窟。それに比べ大学はミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。 クラブに入って驚いたことは、都会人の会話のセンス。 常にジョークか駄洒落を飛ばし会話を楽しんでいる。 友人も教養課程の クラスでは席が固定されている。そこで二分されるのが、都会出身者と、地方出身者。服装からセンスが違う。しかし都会出身者は、 地方人の素朴さに惹かれるが、反面、どこか田舎者と見下げている。 地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、 日常の三食の食事など生活のハンデキャップがある。 友人を見ていてキツイそうなのがアパート生活者。 地方出身者は、孤独な都会の 一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女をつくるなど、まだ純真な身の上にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、 どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。やっと声がかかってくるのが学生生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。 とはいえ、女性の方は二段階上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと) その中で自分の4人の姉たちを比較し、 その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。 現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ?。それからして、 ギャップは、あまりに大きい。 という訳で私は学生時代に結婚相手を見つけないまま終わってしまった。 友人をみると、 学生時代の相手と結婚したのは三分の一ぐらい。 結婚相手を決めることは互いに、人生を大きく左右するほどの決断。目先の熱に うなされ、一生の大惨事になる可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うこと。 25人の地方出身者の寮に入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。 しかし、必死に本を読んでいたことも確か。 それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違っていた。 それでも、色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、 一ヶ月の欧州旅行、アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。 小学校から大学時代を通して、大学が最も恵まれていた。 卒業直後、就職で地方にいったこともあり、もう一皮ぬけなかったのが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・・ しかし、話が合うのは今でも都会の人たち、というより揉まれた人たち! ・・・・・・・・ 3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10 2010年09月21日(火) * アフリカに魅せられて ー4 ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見たような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民マサイ族の 生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。 野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、 バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。 このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどはカルデラの外にでることはない。 (象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに 生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。 上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。 それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。実際に地球上に、 アフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。 ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。 ・・・・・・・・ 3091,猫背の話 2009年09月21日(月) 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。 腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た猫背の 初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを一年ぐらい気を 抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる直前に布団の中で全身を 伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、これでかなり矯正はした。 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。 ・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。 ・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 ・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。 ・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。 ・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2010年09月21日)ー ・・・・・・・・・ 2726, 議論に絶対負けない法 −2 2008年09月21日(日) ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、 この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。 孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より) 1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。 -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。 2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。 3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。 4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。 5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー ―ただ一つ不正という苦しみを除いては― 6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。 相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。 相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。 7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」 8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。 絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。 9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい −自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。 それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。 10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。 だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。 ▼ 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか! 次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。 告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、真実は二の次になってしまう。 これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。それだけ、物語の力があるということだ。 共同幻想は、物語から沸いてくる。 そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。 ・・・・・・・・ 2007年09月21日(金) 2362, コーヒーの由来 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー ・・・・・・・・ 2006年09月21日(木) 1997, 「私」のための現代思想 読書日記 \(^▽^*)おは! (光文社新書) 著者・高田 明典 「私」とは何か、「他人」とは何か、そして他人の集まった「世界」とは何か? を解りやすく書いてある本がないかと 思っていた矢先、 図書館でこの本に行き当たった。 哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。 この本では、<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>という現代思想の主要概念を検討する構成。 この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。 まずは「はじめに」の中から、ポイントの部分を抜粋してみる。 ・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、一介の労働者として工場に入り込み、そこで辛い体験を通して、 自らの思想を研ぎ澄ました。そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく 奪われてしまいました。 そこで私たちは 「時間の流れ」にさからうことはできません。しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを思い描き、 その通りに行動することはできます。それを人は「意志」といいます。また、「精神」とも、「魂」ともいいます。 すなわち「魂」とは、人が「時間を支配すること」です。もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、 自分の意志とは全く関係なく起こるものであれば、人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。その自由は失われます。 ・教養とは「自由になるための技術」です。そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。私たちに与えられた武器は、 思考であり言語であり論理である。それ以外の武器を、私たちは持っていません。 自由になるための「技術の束縛」 から逃れるためには、「技術を所有する」ことです。「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。 所有するとは権限を持つことと同義語である。 何に束縛を感じるか、その人によって違います。 その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。 束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。 その人が採用する「物語」が遂行していく途上に 存在する「壁」のことです。「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」という 「物語」が遂行中であることを意味しています。「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、 すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。 「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。 ーおわり (。^0^。)ノホンジャ、マタ! ・・・・・・・・ 2005年09月21日(水) 1632, 記憶する身体、飛翔する意識 ー 日野敬三 対談集 −3 柄谷と保坂の違って、三木は本人自身が生死の淵の大手術をしているので対談の内容は、よりリアルになっている。 ー手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。努め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよー のクダリなど、挫折を何度か繰り返してきた経験から、痛いほど解る。 現在、リストラにあった人の心象風景そのものである。 以下は、少し暗いが真実の声である。 ー記憶する身体、飛翔する意識ー 三木卓 ー三木: 生死ぎりぎりの大手術をして、人生の荒治療を食らったという感じは大いにありますね。 突如として目の前に「シャッター」がダーンと落ちてきたときには、やはりかなり慌てた。 多少は死のことを考えていたつもりなのに、やはり本番の覚悟はできてなかったのですね。 ー日野:『2001年宇宙の旅』というSF映画の中に、モノリスという不思議な金属が出てくる。 ツルツルの黒っぽい。 三木さんは先ほど、シャッターとおっしゃいましたが、僕はあれが目の前にスーッと現れた気がしたの。 ー三木:モノリスが?怖いな! ー三木:病室の窓から、恵比寿の町の灯が見えるんです。そうすると街のどこかのバーで僕が一杯ひっかけていてもいいわけですよ。 ところがその風景が、何か、明治時代のガス灯の世界か何かに思えてくる。その間にあるガラスは厚いですね。 驚くほど厚いガラスなんです。そこに僕が行って飲むということは素晴らしいが、もう絶対できない。 ー日野:僕は、手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。勤め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよ。僕はここにいて、10~20m先の改札口の皆が帰っていく姿が、この世のものならぬ光に包まれて、 そして自分とそこの間には絶対の隔たりがあった。その光景は忘れられません。 ー三木:日野さんも僕も、シャッターが落ちたときから、そういう時間が始まったんだと思う。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2009年09月21日)ー
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2012年09月20日(木)
「呪いの時代」内田樹著 * 「片づかなさ」の人間性 ー第8章 これからを生き延びる智恵 贈り物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。これが人間社会とサル社会との差。 私はビジネスの場面で、それを徹底してカットしてきたが、私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。これが最近、 つくづく間違いだったと反省していること。結局、人との付き合いは贈り贈られで成り立っている。 それにしても 「贈り物」とそれに対する「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。 以下は ーその辺の抜粋であるー ≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題を端的にこうまとめています。 「受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、 受け取った人にその返礼をさせるのか」 モースも、マリノフスキーも、レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が人間集団を形成する 本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると「お返し」をしないとどうにも気持ちが片づかない。 この「片づかなさ」が人間社会を「人間的」なものたらしめている。この「片づかない気持ち」が人間社会とサルの社会を隔てている。 人間性とは、すべての装飾を剥ぎ取って言えば、「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな気がする」という 「負積感」のことです。いや、ほんとに。だから、この「負債感」を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと思います。 「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、価値のあるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。 でも贈り物はそれには尽くされません。というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることではないからです。そうではなくて、 「これは贈り物だ」と思った人がそう思った瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂ったかたちで贈与という儀礼はつくられる。 例えば、挨拶というのはある種の贈り物です。「おはよう」と誰かに呼びかけられる。僕たちはそれを聴くとこちらも「おはよう」と 言わなければならないという強い返礼義務を感じます。負債感と言ってもいい。同じ言葉を返さないと気持ちが片づかない。 挨拶した方もそうです。挨拶したけど返礼がないということになると、気持ちが片づかない。片づかないどころか、心に傷を負います。 どうしてでしょう。たしかに、「おはよう」というのは「今日一日があなたにとってよき日でありますように」という 『予祝』の意味をもつ言葉です。 ≫ ▼ 家のインコ、餌を与えると、取って置きの「枝の連続回転芸」をする。それも食べている合間に思いついたように挟んで芸をする。 これも餌という贈り物に対する「お返し」に思えるが、動物的直感ということか。 朝の恒例のサイクリングで、すれ違いざまに 「おはようございます」と言われ、返事を、しそこなった後に残る気まずさは、何時までも残る。与えるは、アンドという意味がある。 与え与えられることで、アンドという結びつきが積み重なっていく。「負債感」が少ない人が、あまりに多いが、自分はどうだろう。 ・・・・・ 3830, 毒を溜めない! 日々 2011年09月20日(火) 30年ほど前から腰痛対策のため早朝のウォーキングを始め、20年前からは平日一時間、日祭日二時間を目標にしていた。 しかし二年前に、電動アシスト自転車に切り替え、信濃川の長岡大橋〜大手大橋一周に切り替えた。 続けていると自分の全身から 毒素が抜けていくのが実感できる。 たまに休んだ翌日に歩いた後、二日分の毒素が抜けたの分かる。 その毒は活性酸素だろう。 近年、肉体的に毒素を体内に入れない、溜めないことを目指す女性誌で馴染みになっている「デトックス」がある。 そこで、ー「デトックス」をネット辞書でみるとー 【 デトックスは「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、余分なミネラルなどを取り除く健康法。 体調がよくなる、肌が若返る、生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。従来の健康法はサプリメントなどによって 足りない栄養素を補うという足し算方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、食品や水道水などを通じて 鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて蓄積されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、 最近の研究でわかっている。脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを体内に ためないためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが 体内に取り込まれるのを防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。】 ▼ 早朝の運動で体内に溜まった毒素を出すと、ストレスの半分は軽減する。 それとは別に肉体に溜まった重金属や、余分なミネラルを 取り除くことも大事なことも分かる。 白砂糖と缶コーヒーは毒と聞いていたので、この10数年間は殆ど口にいれてない。 それからして缶ビールも良くないはず。 半年前の転換期から一番気をつけたのが、ストレスによる精神的毒素。一つ間違えば命取り。 その為に運動量を二倍と考えて、「スポーツジム」通いで、二時間の運動をプラスすることにした。 週二日のジムの休みは、 市営の施設内のジムに通い、休みは月1〜2回にしている。 毒は精神統合失調症とか、ガン、糖尿、女性はリュウマチを誘発する。 さらに毒は老化と病を前倒しにする。 スポーツジムの八割は、未病より、既病の人の方が多い。 むしろレジャーランドと割り切って、 未病対策で来たほうがよいようだ。 人は自分では気づかない毒が精神も肉体も歪めている。 ストレッチを続けていると、つくづく 腰の(全身の重圧で)歪みが分かる。老化は足腰から弱るようだ。 歳をとるにつれ全身が黒ずんでくるが、これ老化? 既に毒の塊? ・・・・・・・・ 3465, 純粋持続 −3 2010年09月20日(月) 私が行った47回の旅行は、それぞれが今だ終わってない気がする。それぞれが続いているから、旅先をTVで放送をみる時、 その延長として見ることができる。記憶の中で現在も鮮明に残っていて、TVの旅番組で再び見る新たな記憶がプラスされていく。 それはロマンチックな感傷で語るのでない。それぞれの旅が心の奥底に「純粋持続」している実感がある。その意味で 「純粋持続」の意味がよく分かる。初めての一ヶ月間の欧州旅行の同行の友人の二人と先日、東京で会い、43年前の思い出話になった。 そして、それが昨日の出来事のように思えてしまう。 この43年間で同じ旅行先に立ち寄ったり、旅番組の放送でみたりして、 その間も私の旅は続いていたのである。 ほぼ毎日、これまで47回の旅先をBS/TVで放送している。 それを見る度に純粋持続の純粋記憶に、それが重なっていく。 それらは空間化された日常時間とは別口の〈趣味の世界〉の 引き出しに加えられる。だから、ベルクソンのいう〈純粋持続〉が実感として受け止められるのである。 純粋記憶として鮮明に残すため、写真の整理と、感想文(感傷文)にして《随想日記》や、ブログに載せる。 それは記憶、記録というだけでなく、【魂に記録される純粋記憶】になる。 それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる 瞬間像の記憶である。 そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。 趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。 好きな仕事に没頭している時間も純粋持続になる。だから仕事を好きに なるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。 ・・・・・・・・ 3090,「官僚内閣制」が終焉 2009年09月20日(日) * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」 「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著 に刺激の強い内容が書かれている。 菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から民主党への政権交代と 官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めて の大改革。この実現に全力を挙げたい。」と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。 * 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を次のように述べている。 《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。 官僚政治は省の中の省である財務省に仕切られてきた。 (字数の関係でカット2012年9月20日) ・・・・・・・・・ 2725, サブプライム・ローン販売の現場 2008年09月20日(土) 「金融偽装」ー米国発金融テクニックの崩壊 伊藤博敏著 以前にサブプライム・ローンを扱っていたNHKのドキュメントで、ローン販売していた人の証言を映していた。以前に図書館で 見つけた、この著書の以下の場面と、ほぼ同じ内容。このように世界中に、証券会社の契約社員達により販売されたのである。 P−18 販売プロセスは、綿密に仕組まれた詐欺のようなものである。しかも米国の住宅ローンビジネスは分業化しているから責任者不在で、 詐欺を働いていても、誰も罪の意識を感じなくてすむ。例えば住宅ローンを組む際に、購入者が接するのは住宅ローンブローカー。 こうしたブローカーは歩合でセールスを雇い複数の住宅ローン会社の商品を斡旋、セールスにはローン残高のー%を報酬として支払う。 それだけにセールスは必死だ。審査が緩いのをいいことに、自己申告で収入と仕事を記載させ、借り手に不利な重要事項は教えず、 最初の金利は安くして支払い可能なローンと思わせて売りまくった。サブプライムローンが好調な時には、年収100万ドルのセールスが ざらにいたという。こうして、最初の2年は金利が6%で残り十数年が十数%といった無茶なローンを組ませた住宅ローン会社は証券化で 「貸し手責任」から解放され、証券化した金融機関は格付け会社や債券保証会社の信用供与で責任を逃れる。この「負の連鎖」の特徴は、 誰にも責任が及ばないことだった。この実体経済を揺るがす金融商品は住宅ブームを演出したいという金融当局の思惑によって生まれていた。 そこには「マエストロ(名指揮者)」とまで呼ばれて尊敬を集めた米国FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン前議長もいたという。 P−24 (字数の関係でカット2009年9月20日) ・・・・・・・・・ 2007年09月20日(木) 2361, 閑話小題 ー新潟駅にビック・カメラが出店ー 来年12月にオープンする新潟駅内のビルに「ビック・カメラ」がオープンと新聞に発表されていた。 現在「ヨドバシ・カメラ」がオープンしているので駅再開発の前に、このビルに移転するのではと予測をしていたが、 何とヨドバシの競合相手の「ビック・カメラ」になった。 (字数の関係でカット09年09月21日) ー阿部首相の退陣についてー (字数の関係でカット1011年9月20日) ・・・・・・・・ 2006年09月20日(水) 1996, 悪筆ー3 才八∋ウ_〆(∀`●) =もっと「きれいな字!」が書ける本= 読書日記 (字数の関係でカット2008年9月20日) ・・・・・・・・ 2005年09月20日(火) 1631, 愛か、夢か、それが望めないなら仕事を! この連休前に借りてきたDVDの『フライト オブ フェニックス』の一場面の、ある男のセリフである。 砂漠の真ん中で墜落した飛行機から一人絶望のうえに脱出しようとした男が、助けに行ったリーダーに向かって言うセリフ。 「この状況では愛など関係ない、ならばせめて夢を与えて欲しい。それも無理なら仕事を与えて欲しい! ただ死を待つのはもう耐えられない!」 極限の言葉である。 それに対して、「あくまで援助隊を待つべし」という方針だったリーダーは、その考えを変える。 この言葉は人間のあるべき姿を全てを言いあらわしている。 ・人間の一番だいじなことは、「愛」 −暖かさ ・次に「夢」を持つこと −方向 ・そして、それを可能にするための「仕事」 −力ー愛と夢を支える力ー現前の気晴らし? である。 リーダーとしても、人間にとってもこの順位は変わらない。 どれも、決して侮れないことである。極限では、この一つも 見出されないのが人間の姿である。極限の中にこそ、これを見出せるかどうかが試されるのだろう。何気ない映画の一言にドキッ。 ー検索で調べた荒すじをコピーしておきます。 閉鎖された石油採掘所のスタッフと廃材を運ぶ運搬機が、巨大な砂嵐に遭遇し砂漠のど真ん中に不時着する。毎度お決まりの仕事を 無難にこなすだけだった貨物機操縦士のフランク(デニス・クエイド)は、自分たちの状況が最悪なのを察し、助けを待つしかないと悟る。 (字数の関係でカット2011年9月20日) ・・・・・・・・・ 2004年09月20日(月) 1266, 仲人制度が消滅? 新聞に出ていたことだが、「結婚式で仲人を立てたカップルは4・6?と、前年より3?近くも減少。 20組に1組以下になった。 首都圏では、僅か1?しかなく、制度としてほぼ消滅した。 終身雇用が揺らぎ、ついてゆくべき上司に頼む風潮がなくなったこと、「家」と「家」から「個人」と 「個人」の結びつきに変化したためである。更に仲人を頼まれるのを嫌がる人も増えているのもある。 三年前には20?がまだ仲人をたてていたが、そのサラに4分の1に激減した」という。 そういえばこの数年来の結婚式で仲人をたてた結婚式はみたことがない。 非常に良いことだ。 (字数の関係でカット2010年9月20日) ・・・・・・・・ 2003年09月20日(土) 899, 《V・E・フランクル》について 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。 人生丁度まがり角であったためであろう。その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。 彼の「意味」発見のための3つの問い ・「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」 ・「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」 ・「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」 この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』『満たすべき意味』 を発見するための手がかりになると、フランク心理学では考えている。 特に以下の分析には深く納得をした。 ー自己超越のための3つの意味(価値)ー 1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術 ー力への意志 2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛 ー愛への意志 3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで 得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化 ※自身が何らかの喜びに満たされていること ー知への意志 人生には発見されるべき価値や意味がある (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる) (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である) (3)人生の意味 (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す) ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である ー私が読んだ本は以下であるー ー以下は、字数の関係でカットー2007年09月20日 ・・・・・・・ 525,光ファイバー - 2002年09月20日(金) 昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。今までの電話線の10?安いネット料金でコストパフォーマンスはよくなったが、 諸経費等が65万である。1~2年で元はとれるが、それで1000倍近い速度だ。自宅では来月半ばに入る。長岡で導入の一号だそうだ、 その証明書も出してくれるという。何か営業に強引に加入されてしまったが、一号の証明書をもらって我慢だ。月9000円で、来春5800円に 下がる?そうだ。電話代が無料になるから、その辺が入り時という。ブロードバンド、ポルノと検索入力、はじめは定番から入るしかないか? 「ブロードバンドと何々」の何々をこれからキーワードに意識をしていくと、面白いものに行き当たるだろう。 愛犬家だったら犬と入れると犬の画像が出てくる。おしゃべり日記といれたら、何か話している人の画像が出てきたりする? 自宅ではADSLが一月前に入ったが、早速ブロードバンドとポルノと入れたら、リアルな映像が出てきた。 それから見ていないが、あれはこっそり見るもので、パソコンで見るのに適してない? 美術館とか博物館などが早速取り入れてくるだろう。 それとサービス関係のホームページも。これに携帯が連動してくると、さらに面白い時代なってくる。 今まで写真中心の海外旅行のHPが、 写真が出てくるまで時間がかかりすぎて見るのに躊躇していた。その問題は軽くクリアーするだろう。二紙とっている新聞を一紙にしようかと、 今月中に結論を出す。トレードオフだ。以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。この時はWOWOW に加入した時だった。 次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。 会社に行けば見れるのだから。今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。 インターネットでネット新聞を見ているという、もちろん無料だ。 死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない! 考えてみたら、とってないのもいいかもしれない??!新聞社の斜陽が更に進むだろう。 ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。 ・・・・・・・ [151] 世間様 2001/09/20 「世間とは現実にドップリつかった馬鹿4^5人のこと。」 浪人を重ねるうち悟ったことである。それは諦めと醒めた視点から感じた。 現実とは世間とは「教養のない馬鹿な女と女みたいな男の現象世界」でしかないことを。それが馬鹿な彼女・彼等にとって、 現象が全てだからそうなのだろう。世間の目、世間様とかは自分の(自己の範囲を自分というなら)日々の泡でしかないのに。 それが解ってないから前に書いたチンドンヤや子狐が出てくる。その言葉に呪縛されて一生終えてしまうのが95%いやもとっと多い?。 世間様に笑われないようにとか、世間様に迷惑をかけないように!これも大事だろう。 城下町街はこの世間様の世界に入る。 彼らの情報は下ネタか夜逃げか不幸,それを皆で楽しんでいる。社会と世間の言葉の違いを定義つけておかないと!こういう世界に迷い込む。 ーーーーーーー (10年近く前に書いた文章に似たような内容をコピーしておきます。) −H0407城下街小唄ー (字数の関係でカット2010年9月20日)
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