堀井On-Line



4134, 「夏目漱石の自己本位」 ー3

2012年07月20日(金)

            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   * 他人志向型人間
 「自己本位」の対照に「他人志向型」人間がある。学生時代のゼミで読むよう指定された本にリースマン著 『孤独な群集』があった。
以前にも少し取り上げたことがある。  ー 大まかにいうと
《 都会の群衆は、それぞれが孤独であり、他人に対して無視を装っているが、実は非常に敏感で、その視線を気にしている
「他人志向型人間」が多い。これは都市という空間が、人工で創られているためで、各々は個々に分断されているため内情を
知りたいのである。要は内幕情報屋的傾向の強いのがが都会人。》が、私の記憶として残っている。
 そこでアマゾンで調べてみると、【 この本が書かれた1950年代アメリカというのは非常に興味深い10年間であります。
戦後の繁栄を謳歌し、今や万人の上にアメリカの夢が輝いている、そういう光がある反面、冷戦が社会にもたらす緊張、そして
勃興する消費主義、台頭する大企業、人々は次々と「長いものに巻かれ」て自己の表現よりも大樹への忠誠とへつらいという
軍門に降っておりました。そんな時代の空気を吸い込んで書かれたこの書の主人公は、やはり、他者の視線を例えば会社で
四六時中気にするような、「他人志向型」人間であり、仕事によって自己表現をするというかってのアーティストたちとは異なり、
仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求める、そんな連中であります。】とある。
 都会の中にあって、誰もが、それは素振りも見せず、それぞれが自己本位で生きていかざるをえない。しかし、心は空虚の
孤独な群集と化してしまう。特に勤め人は、都会暮らしで日々の仕事に忙殺され、自己本位というより、組織という集団の中に
自己を見失いがちになる。そうであればこそ、その中に自己本位のライフワークを確立しておかなければ漱石のような鬱病に
陥ってしまう。そのような世界から、自己本位人間に定年後こそ移行すべしと著者は勧める。その変化が出来ないで、定年後も
仕事仲間と付き合うのが一般だが、「昔の首輪を付けたまま群れをつくり、街中をさ迷う犬」に喩えられる。一度、孤立をして、
孤独の世界をつくり、そこで新たな自分と対峙しないと、そう簡単に自分は変えることは出来ない。他人志向も達観すれば、
それはそれで良いのだろうが・・・いい歳をした老人が群れて、我を忘れて他人の噂をしている姿もいただけない。 特に男は!
 ・・・・・・
3768, 福島原発事故は実際、何処まで深刻なのか?
2011年07月20日(水)
  大震災と、それに伴なう福島原発事故が起こって4ヶ月以上になるのに、一番深刻と思われる原発事故の深刻度がハッキリしない。
先日、図書館から借りてきた「新潮45 〜6月号」にー特集・震災後をどう生きるかーがあった。実に、現在知りたいと思っていた、
哲学者や、学者、その道の評論家が、それぞれの視点で論評を書いていた。 現在、一般的に知られている事実を科学作家の竹内薫が
 次のように、書いていた。
【 マスコミも含めて、日本人の多くが原子力発電の基礎知識をほとんど持っていなかったことで、いまだに多くの誤解がまかり通っている。
  スリーマイル島とチェルノブイリの事故の違いも知られていないようだ。 
・スリーマイル島ではメルトダウンが起きたが、格納容器が破壊されず、環境への影響はほとんどなかった。
・チェルノブイリは、まともな格納容器すらない、旧東側の原発であり、原子炉が爆発して(核爆発ではない)、放射性物質が成層圏にまで
 吹き飛ばされた、未曾有の大事故だった。 旧ソ連は事故を当初から隠蔽し、海外で放射性物質が検出されて初めて大騒ぎになった。
・今回の福島事故は、深刻であることは間違いないが、スリーマイル島の事故を超え、チェルノブイリより被害が小さい事故、
 というのが世界中の科学者・原発エンジニアの共通する見解だ。
・最悪の事態を迎えたとしても、格納容器が内部の蒸気圧に耐えられずに爆発し、高度500メートル付近まで放射能物質が飛散し、
 周囲に拡散するにとどまるという。4月12日に事故の深刻さが「レペル7」と認定され、「ほれみろ、チェルノブイリと同じではないか」
 という論調のマスコミもあらわれたが、政府が「チェルノブイリではない」と主張しているのは、ある意味、正しい。・・・・ 】
▼ 世界の科学雑誌は、一般的に事態を冷静に見ており、原発事故を「1.未曾有の自然災害」×「2.40年前の技術水準の原子炉」
  とし、数十年かけて再生可能エネルギー技術をスケールアップするまでは、原子力発電を使い続けるべきとしている。
  日本のTVを見ていると、まるで世界中が原発反対で一致団結をしているように思われるが、それは正確でないという。
   また、「想定できたはずの人災」にすり替えようとした動きは、後だしジャンケンであり、原子炉の破壊が人災というなら、
  2万人以上の死者を出した大津波に対しての、10メートルの防波堤に対して、更に大きな人災論をマスコミは騒いで良いはず。
   これまでの過剰反応は収まってきたが、それでも大気にばら撒かれた放射性物質の影響は、次第に身近に来ている。
  問題は、若い人である。その中で、幼児が、10〜20年後に、ガンなどになる可能性が出てくること。
  私たちの年代には、どっちにしても、先は限られているので、騒ぐこともないので、国全体としては落ち着いているのである。
  とはいえ、この事態は健康面だけでなく、政治経済などの先行きに予断を許さないことは間違いない事実。
   それに気づいた人たちが、観光地、温泉などに徐々に戻りつつあるようだ。まずは、この夏の電気エネルギーの供給。
  ・・・・・・・
3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
 ▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、何も知らない何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。 プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。ただ、それだけで良いはずはないのは、
誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、
それを受け入れるべし」と捉えがちになる。 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それら
から導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践を
することがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの
中心点をみるためには、マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。
今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つのが自然であり、
「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。明日にでも、この本が送付されてくる。
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3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
 2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが常かもしれないが、
最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと          △       たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと         ○       治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと     ◎       夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと             ○       感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)
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2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。 
 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
 要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって
大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
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2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
  これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
 更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
 しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題。
 角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。代議士として存在していること自体が、
 この地区の後進性を現している。 世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
 ところが、今回の地震は6・8である。0・2で二倍の衝撃度が増すというから、今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
 ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか? 情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
・放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか? 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
   (字数制限のためカット 2010年7月20日)
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2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ?2            
  (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは? よう!        
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。
  (字数制限のためカット 2010年7月20日)
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2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記 ー15
 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日
仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテル。
欧州のホテルに来ているようだ。2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。女性の好みそうな風情のあるホテルである。
近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。観光客用につくってあり、江戸時代を
モチーフにした店である。100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。それと土産物店が何ともいえない風情がある。
福山と倉敷に来たのは二回目である。ここはジーンズと作業服の生産地である。メーカーから直接発注するのだ。
昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。 行く先々に父の話を聞かされた。仕入れは亡くなった父に
出会うたびでもある。 明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、学生服メーカーのベンクーガーによる予定である。
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2004年07月20日(火)
 1204, つれづれなるままに
ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。 東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の
 現場にいたためだ。 行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。 そこの柴犬が落ち着いた犬で、
 早朝の散歩時にいつも声をかけていた。たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。
 近所だけでも、最近色いろなことがある。
ー橋本元首相がまた疑惑だ。
 (字数の関係でカット2008年07月20日)
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2003年07月20日(日)
 837, 民間校長 ー腑におちる教育を!
 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、自殺をしたニュースが生々しいが、
その成功例もちゃんとあった。
ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて 実際の生の教育をしていた。 
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、 その内容に引きつけられた。
   (字数の関係でカット2009年07月20日)
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2002年07月20日(土)
 462,臭いのするような話し
子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。そういえば家族の会話で、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。言葉は大事だ。
(字数の関係でカット2012年07月20日)
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2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記
 ー印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行のハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2 ・次はフィヨルド 2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3 ・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、下車して見た見た滝がすばらしい。
  突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
 ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。
5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。モチーフが人生! 赤ちゃんから成人?老人そして死が像で
  立ち並ぶ公園である。何かヒンヤリした、超越した視点が空間に漂っていた。今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容。
   飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
   何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。


4133, 「夏目漱石の自己本位」 ー2

2012年07月19日(木)

            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
「自己本位」が無作法に行われたら人間社会は成り立たない。そこには当然、心得がある。それを厳格に守るのが個人主義である。
我々は社会の中に生きている。社会にはルールや心得がある。それを知った上で自己本位で生きていかなければならない。
   * 当然、「自己本位」に心得がある!
≪「他人本位」から「自己本位」に生き方を転換するには、三ヵ条を心得ておかねばならないと漱石は言う。
第一に、自分の個性の発展を遂げようとするならば、他人の個性を尊重しなければならない。
第二に、自身が有する権力を行使しようとするならば、それに付随する義務を忘れないこと。
第三に、自己の金力を示したいのであれば、それに伴う責任を重んじなければならないことである。
 講演の最後に、漱石はこう言いきっている。《 ただもう一「つ御注意までに申し上げて置きたいのは、国家的道徳というものは
個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心は
そんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、
国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、
それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。》≫
▼ 漱石は「自己本位」という金鉱を見つけたことで、その後の進むべき道を見い出した。聴衆に対して
「もしどこかにコダワリがあるなら、何かを掘り当てるまで突き進むと、各人各様にもって生まれた個性がそこにぶつかり、
初めて腰がすわる。そこに腰を落ち着けて前進していくと、個性に磨きがかかり、発展し、幸福感と安心がもたらされる」と、説く。
このことは定年退職者にも、同じく当てはめることが出来る。若さを失う要素の一つは周囲に流されやすくなり、他人本位に
なることがある。まだ江戸時代の滅私奉公の気持ちが抜けきらない時代に、「自己本位」を言ってのけたのだから、驚いてしまう。
単一民族で、島国では、互いを大事にするあまり他人を意識過ぎて、自分を確立する機会が減ってしまう。特に勤め人は孤立に弱い。
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3767,閑話小題 
2011年07月19日(火)
   * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた解説者はいたが、殆どの人は、
「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。ところが昨日、一般の予測に反し日本女子が優勝をしてしまった。
ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦して22敗、二引き分けの相手である。
もし勝つなら「何とか引き分けに持ち込んで、PK戦で勝ちを拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になってしまった。
結果的には大震災と原発事故で瀕死の状態の日本に米国が勝ちをプレゼントしたことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、
耐え抜いてPK戦に持ち込んで勝利したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を引きよせた結果を生んだ。
 最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、この時期に有得ない幸運?を
引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・コースのベンチで、ストレッチをしていると、
前に書いたことがあったメタボの雀が、何時もの通り、50センチ位のところまでやってきた。このところ見かけなかったので、
餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、
何気なく自転車に乗りながら観察しているが、餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。
  * そろそろ、軽い鬱になりそうな
 三月末を区切りに、自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。
早朝、この随想日記の仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング、そしてスポーツセンターと、午前中は過し、
午後は流しに入る。 映画館、SC、図書館に行ったり、読書をしたりで、時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、
周囲の人の視線が見えてくる。 事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、1〜2年は蟄居閉門である。
本人には、そんな意識は少ないが、あの視線は、やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。今さらか・・ それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
 ・・・・・・・
3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学  ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、
だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の
問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、
毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに
気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が
見逃されていたかもしえない。 少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。
あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても
足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
▼ 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。
 忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡にするのも良い。
 自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
 ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
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3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になってオタクの街になった。
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫
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2662, 閑話小題
 2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、
腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 
座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。その方が気持ちを集中出来るからである。 
研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 何事かと、思うのは当然だろう。
 *地球儀
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。 それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 
とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。 楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
  ≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫             
・・・・・・・・
2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ  ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記ー3
宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。 そんなものだ。それじゃ~、本当に解っているというと解ってないだろう。
こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。
それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に
戻される、と思ってりゃ良いんだよ。実際は??・・ ただ、誰もが死際に後悔をするんだ。あれもこれも何故しなかったのだろう?と。
「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、生き方を指導してやるよ。
それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。
そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。      \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。
御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ求めること、
そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
ーーーーー
四四太郎の霊日記ー4
霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。
  ≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2005年07月19日(火)
 1568, 退屈について
退屈な時間を誰もが当然経験をしている。しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から考えようとしなかった。
退屈といえばトマス・マンの「魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。
過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。
ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。それが、良いのだ。 般若心境の[[空即是色]である。
その退屈な時間に多くのことを考えることができる。忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。暇な時間、いや
退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に何をするかである。退屈とは意味の欠如からくることが多い。
何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。いや実際、それが人生だろう。
所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?もし、そうだとしても、それで良いのではないか?
子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。そして欝になる。欝はだいたい10?の人がかかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。まあ退屈紛れに、退屈について書いたが意味は深い。「退屈の小さな哲学」という本を、
図書館で借りてきた。まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18
ーマルクスー1
 実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、生命力を無制限発動している無意識である」ということを明らかにした。
マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という
三つの知的伝統を融合させたものであったからだ。したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。 ある本に、ヘーゲル哲学と
マルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。
1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの運動を繰り返している。
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫
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2003年07月19日(土)
 836, 私のクレートジャーニー
ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、南米大陸最南端の
パタゴニアへ到った。 この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした旅をTVで、
数年間ドキュメントで放送した。私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)
点線で、グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。
・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペインを経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。
・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、 レバノンを経て、インド、ネパール、
 パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得てシベリアへ。
・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピン、そしてフィジーからニュージーランドへ。
 ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコースも完成することになる。
・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
 テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
 ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
 アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地パタゴニアに到着。
 一応コースは出来上がることになる。そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、
 オーストラリア、イースター島ということになる。しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。
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2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関
 今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行では
あわやということが数回あった。やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。大事なのはワンフライト
(10~12時間)の機内食である。飲み物はアルコールを含め飲み放題。時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりにくる。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、
朝食後の出発前に更に行く。9割がたの人はそのようだ。そして到着後2~3日は、昼食後もいく。
これは時差の為身体が慣れてない対策だ。それとワンフライト目の食事、いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。
更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。
私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。
日本の薬では全く効かない。それと今回のスイスのように高度のところも危ない。高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。
・・・・・・・
2001年07月19日(木)
 先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。


4132, 脳の中の小さな存在

2012年07月18日(水)

 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、あれだけの回転が出来るのですか?」の問い
に対する答えが凄い。「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出している。終わってからでも
内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に
出来上がった「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。その小さな存在には科学的訓練のベースの
裏づけがある。擬人化した「セルフ」には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、直感的連続動作を
冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス相手の攻撃に
対した防御は、考えて対処するのでは無理で、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練していないと、防げないという。
世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」に、自分を委ねているのと同じである。
 親とか、小さな地域的価値観から一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、その辺の
下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、
冷静に現象の中の本質を直感して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、左脳の論理が
組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔があるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。
 少し話は変わるが、毎朝、過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返している自分が
別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も
変わっていくため、それぞれを含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、脳の奥の小さな存在は、
言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。
  真なる自己、真実の時は、感謝、感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
 ・・・・・・・
3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー③ 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろうが・・夢にしては、あまりにリアルである。
 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた時に、
 幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、
 あるキッカケで、その外に出てしまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に
 死にそうになり、彼女自身が自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じになったと述べている。
 彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。
 彼女は自分の後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。それは「別の世界」への入口である
 ことを彼女は知っていた。彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれないことを知っていた。
 それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ましたとき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。
 看護婦は、この患者が医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な意向は明白である。
 一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。
 これは、死後の生活が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた「魂と死」という論文で、
 彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうになり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、
 世界の宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを慎重に選んで話しているので、だれも、
 死後の生命を信じていると、彼を非難することはできない)。このような「体外遊離経験」はー「意味のある偶然の一致」と
 一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合でないことを確実に示している。 ーP183 】
 ▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。人間の脳は、あまりに奥行きが深い。
  夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
・・・・・・・
3401, おテレビ様と日本人 ー5
 2010年07月18日(日)
 何か、この本を読んでいて他人事のようでありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り返ってみた。
 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して成績が落ちる一方であった。そして、
ある時にハッと気づき急遽、高校受験に熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。
高校時代はテレビなど見ている余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。 ある意味で健全?だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、これを読んで気づいていた次第。
私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食になっていた。
それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化を逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。
 私と比較ならないほど更に家内がTV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本のナンバー・ワンのものを見ている。
スポーツといえば、ゴルフ、テニス、サッカーなどの騒がれ中継されているもの。
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
 ・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」
というから、一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
 以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
 ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう・・・読者は多少経験をつめば、
読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと
進むようになる。 そして、読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、熟考と疑問をもつ習慣だ。 
読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。たしかに多くの本は、読者がそれ以上の
ものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、べつにそのことが悪いわけではない。 
しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、能動的な行動にならねばならない。 
(字数制限のためカット 2012年7月18日)
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2007年07月18日(水)
 2297, また地震!どうなってる?まったく! ー2            ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…ヨウ!
今月中は、何処に行っても地震の話で持ちきりだろう。前回の災害時から推測すれば大たいこうだ。
「その時、私は〇〇(TVを見ていた)という状態で、ビックリして〇〇をした。まさかね~、もう絶対無いと思っていたのに、
何で、この地域だけ起こるんだろうか。それでTVを見たところ柏崎沖が震源で、原発の火災に驚いてしまった。
  (字数制限のためカット 2011年7月18日)
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2005年07月18日(月)
 1567, つれづれに
 ー 二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。今がそうだ。面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。独り言に起承転結をつけていることになる。思考には非常に有効なことが
解っているし、止めたら張り合いが無くなるのも解っている。このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。
しかし、そうそうネタが思いつかない。ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。
   (字数制限のためカット 2011年7月18日)
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2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17
実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに
大きな影響を与えた。哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。実存という言葉は、中世スコラ哲学が本質存在と対比させた事実存在という
概念に由来する。「?である」に対応する概念が「本質存在」であり、「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ概念であり、サルトルはそれを
「実存は本質にせんこうする」と表現した。キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。 主体の哲学である。人間が人間であることの特性や意味を
哲学の対象としたことで、それまでの哲学とは違った実存哲学が注目されるようになった。 それまでの古典哲学の代表者である
ヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
  ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
  キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的 となる。
このキエルケゴールに対して、サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定し「実存が本質に先立つ」と主張を始めた。
 サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに事実存在としてある、実存している。
この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく自己を投企して、状況に主体的に関わっていく
ことこそ、真の実存のあり方である。と主張した。自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を想定し、
それを実現するために自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。
・・・・・・
2003年07月18日(金)
 835, 丁度よい
  お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない  死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい  ・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい     ・今日の夕飯丁度よい  ・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。
 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。
・・・・・・・・・
2002年07月18日(木)
 460,スリにあう
海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。今回の旅行で初めてスリにあった。といっても家内の話である。 
ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。その時らしいが、
帰りの列車に乗ったとき気づいた。その時はまだ落としたと思っていた。雨と霧の為ハキングは中止で、降りた駅で2時間ほど
時間ができてしまった。そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、
日本人のバッグを見ているのが目に付いた。その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。
そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。店内でバッグの蓋が開けられていたという。何かバッグのあたりが
モゾモゾするので手で触ると空いていたので慌てて出てきたという。違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。
家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいた。そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、
バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。その時はまだすられた事に気づかなかった。万引きに気をつけてと
添乗員に言われていたが、まさか自分たちとは思ってもいなかった。雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしている
その場は万引きの絶好の稼ぎ場である。そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。
カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。


4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方

2012年07月17日(火)

            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」
 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人を超えているという。
「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。
「定年後の人生こそ、自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己本位の生き方に大きなヒントがある、
という言葉が痛いほど分かる。定年後は自己本位への第一歩から始まる。ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪ *「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。 私はちょうど霧の中に
   閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。・・」
  そのころ、明治33年、33歳の時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。そして1年が過ぎ、苦悩が
 極まった時に、あることに気づきます。自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や
 不安の根本原因だったのではないかということです。 (私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということに
ようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、
 それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりと
 いいたいくらいごろごろしていました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうてい
 わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
 またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
 ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで
「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っていると考える。
 つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して
「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略)
 その時、私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」(同前)
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな
 犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、
 もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここに俺の尻を落ちつける
 場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから申し上げるのです。』(同前)≫
 ▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
  キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったのであって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・
3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
 フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑だったようだ。
ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。以下のフロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 一九〇九年三月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」
という有名な事件が起ぎた。「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。 一九〇九年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、通例は精神的な悩みのある思春期の人と
関連があることがあきらかになった。そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされるという説が生まれた。ユングはこの説を信じ、
ボルターガイスト活動を「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていたとき、突然本棚から
大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明するために、しばらくすると、もう一度
音がすることを今予言します」。ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後ユングに出した
一通の手紙から判断すると、フロイトは半分以上納得したらしい。しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。
そこで彼は、なんらかの自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が熱くなるのを
感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の
木材から起こっただけのことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、今日では不可能である。】
 ▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身についていた時期があった。
 (偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が
  薄れてしまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議というのが哲学。実際に、そのとおりである。
 ・・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)
   * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 これまで何を考えてきたのか、
何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。
一人の日本人として考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って維持している健気さ!
 ーP196ー【 私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつかの例を挙げれば次のようなもの。
 虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、
追い詰められた野犬の群れ(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿(北朝鮮)、
昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)などである。
 それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。これ以上ぴったりのイメージは今のところない。
・・・食うている泥とは、無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかというと雑食系の日本人は
個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
 ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。 「ブー」である。・・・・】
 ーP211【 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に
頼ったからだ。 フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証するために911で立証し、完全に
他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、
とめどなくバカをし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。 知性の善用は、即、悪であり不幸の原因となる。
なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡が取れているだろう。現在の人間の知性は、
弓矢並みであり、それがフィットしているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜程度であれば、
これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、
解消できないにもかかわらず、核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。 それを知性化し、知性利用することは
不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。 唯一の「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。
残るのは、ほんの僅かな、知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。】
 ▼あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。
単純にアメリカ公共事業の戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロではないことは間違いない。
それらが入り乱れた複合的な結果だったとみるべきか。いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?
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3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出して
 おきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する
 和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
 色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 金銭・物品が絡めば犯罪である。
  そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2660, 幸福の4階建て ー2
 2008年07月17日(木)
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で「神よ私を見捨て給うのか?」という
ギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか? 問題提起としては重く、深いが何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!
ということなのであろうか? 「どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?
人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。その水が自分を支えてくれていたのも解る。 
苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。
(その理屈は知っていた)それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。
もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。いや、現在の世界観も根本的に変わる。 
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2007年07月17日(火)
 2296, また地震!どうなってる?まったく!      才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
 昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、地響きと同時に揺れが始まった。
アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが大きくなって、横揺れから縦て揺りになり茶箪笥の食器が飛び出してきた。
あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。慌てるとは、このことだろう。
破片で怪我をしなかったものだ。前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、
他の5つは大丈夫だった。前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、以前ほどではないという。
TVでは、六強というから前回より激しいことになる。午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように
整然と並んでいた。かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しのためか商品量は少なかったが、
他はチャンと元通りに並んでいた。地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう! まあ、合格というより、流石である!
  (字数制限のためカット 2012年7月17日)
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2006年07月17日(月)
1931, 10年後の日本を考えてみると        才八∋ウ_〆(∀`●)
 十年後の日本で間違いなく起こっている問題点を考えられる限りあげてみた。
・消費税の20?以上の負担                   ・少子高齢化社会の到来
・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化  ・フリーターの増加と、下層階級の増大
・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題 ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる) ・2005年からの人口減と経済縮小
・介護保険増大による財政の悪化               ・地球温暖化による大問題の噴出
・関東大震災の可能性の増大             ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2005年07月17日(日)
 1566, つれづれに
ーユニクロ社長交代ー
 ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。 全く流通に関係ない人が社長になったことに疑問を持っていたが、
 やはり当然の結果となった。 参謀とトップは別ものということが、理解できなかったのだろう。
 それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。数年後に、その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。
ー橋梁談合事件ー
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2004年07月17日(土)
 1201, 仮説について
ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで
確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。 ーとある。
事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して判断決断をしてきた。
わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセスで考える方法「テーマ思考法」(演繹法)などがある。
  (字数制限のためカット 2012年7月17日)
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2003年07月17日(木)
 834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件
3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を
殴っているのが見えた。瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。ところが、その場に踏み込んだ瞬間
とんでもない修羅場であった。グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が
逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。 しまったと思ったが、もう遅い!私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、
しかし実践には全く役に立たない位はしっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。
  (字数制限のためカット 2011年7月17日)
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2002年07月17日(水)
 459,危機一髪
今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。当時130円、その時期は三月決算に向けて
140円は誰の目にも明らかであった。そこを銀行の担当もついてきたのだ。「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。円が135円まで上がってしまっていた。
そうすると大して旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと
数字をみていた。そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時、大矢氏が反対した。
「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で4円の手数料を取られ、銀行のテラセンの餌食でしかない。
それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた? 途中で売っていたとしても500万は損をしていた?
(字数制限のためカット 2011年7月17日)
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2001年07月17日
 旅行中


4130, マネー大動乱  −3

2012年07月16日(月)

    * ユーロの崩壊の可能性?     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
  リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。世界は人種間、民族間、国家間、すべからく
 フラットになっていくプロセスに入った。それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せてきている。
 本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、
 数千年続いてきた白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用されたことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、
借りたカネは返さなければならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。人間の働き方や生き方は、
制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。 ギリシャ、ポルトガル、アイルランドあたりでの危機対応策が公式に
債務不履行と認められるかどうかは別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考えるのは白昼夢に近い。
ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打ち上げ
花火のように派手なものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからのヨーロッパ経済が回復のない没落過程に
入っていくことだけはまちがいない。これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、夏は一〜二ヵ月の
バカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、
この手前勝手な思いこみが通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪していたからだ。イギリスが
その典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に
合った生活水準に引きずり下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たちにとっては、
なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、
中南米の人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
 ▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州が
 ユーロという共同通貨を作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから数十年かけて、新しい
 通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
 ・・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験にとどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」と
アクセスする場合がある。この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や文化という
大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼ 時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識」
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している無意識層があり、ここに、時代、国家、
 地域、 民族、文化、さらにはすべての人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似たような人物を見出したりする。
 また時代や地域の異なる宗教に真理を見出すことが出来ある。
 時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で
「普遍的なイメージパターン」を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 厳格に教え導く
 父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分
 である「アニムス」、 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成する過程で
 発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー(影)」などがある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。 これは「完全なるもの」「最高なるもの」を意味し、この元型から
 生み出されるイメージパターンは、悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後にある光の輪、
 あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。
 「自己(セルフ)」の元型は、自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに感じられる時に、
 生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していくための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。その共通するものがあるからこそ、
我々は自分とも他人とも対話したり、つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識があるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
その典型が、その世代の10代後半から30歳半ばの青年たちは、中国、韓国の若者達に大きく差がつけられてしまった。
その上に携帯電話という思考停止マシーンで育っているから目が当てられない。哀れというしかない! 他人事でない?
 ーまずは、その辺の部分を記してある部分からー  (P/177)
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央ー
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、
その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? 
(字数の関係でカット 11年07月16日)
 ・・・・・・・・・
2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを
 よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」
 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、
 必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり
 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。
 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への
 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって
 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、心理学と
 コールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
 ▼ 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1           ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
 池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、
末期ということはわかったが、こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
 池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが
「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは
誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように
記憶している。池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、
ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、
当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名ではなかった。  (字数の関係でカット 10年07月16日)
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
  (字数の関係でカット 09年07月16日)
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2005年07月16日(土)
 1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す
ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。
当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。丁度、ホテル建設から10~24年経っており
建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
  (字数の関係でカット 10年07月16日)
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2004年07月16日(金)
 1200, ロマン・ロラン
 ー哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)
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2003年07月16日(水)
833, 孤独について ?2
 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。経営者は孤独でなくてはならないとか、
孤独であるという。特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想  2 独学  3 独行  4 独遊  5 独創  6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。しかし実際はつらい孤独業である。
つらさと楽しみは裏表であること知る。二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。孤独に耐えるためには、
宗教が必要である。日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。欧米では自分が
気違いだと言っているに近いことになる。スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。              ーつづく
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2002年07月16日(火)
 458,一期一会
 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、全てを曝け出し、そして別れていく。
「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。平気で自分を曝け出せる場でもあり、
 人生の学問の場でもありうる。お互いの人生の通知表を見せ合える場であり人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作の「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を描いた小説が
あったが、正しくそれである。直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間に形成されるからだろう。 
特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。
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2001年07月16日
 旅行中


4129, マネー大動乱  ー2

2012年07月15日(日)

        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割り高い。日本もアメリカほどでないとして同じ傾向にある。
最近では公務員が民官に比べて2〜3割以上も高いことが問題になっている。強い立場を利用して御手盛りをしているのである。
情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。日本の自動車業界も日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。
家電にいたっては総崩れの様相になってきている。グローバル化は世界各国の垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
ー 第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せない ー
   * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20〜30パーセント増しくらいである。これがアメリカだと、その他全産業の倍。
20〜30パーセント増しではなく二倍なのだから驚いてしまう。製造業と商業の給料ベースを比べると、日本では製造業が商業の
15〜16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は商業よりも30パーセントは高くなっている。あらゆる職種について
給与水準の差が大きいのがアメリカの特徴なのだ。当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、どうしてもその産業は慢性的に
人員過剰になる。いくらでもスペアは利くからリストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足になりがちだ。
人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れしてしまうので、他ではどこにでも採用されそうもない低賃金労働者で
久場を凌ぐしかない。移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。結局、会社ごと、産業ごと衰退してしまう。
 アメリカに比べると、日本はどの産業を見渡しても収入に大きな格差がない。人手不足も人員過剰も極端ではない。それでいながら、
採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と愚痴をこぽし、雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。
どちらの陣営も自分たちがいかに恵まれた環境にあるかご存じないが、一般庶民が夢を追い、高い要求水準を主張しつづけられるのは
文句なくよいことだ。参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。だが、1997〜1998年の大不況でIMFが乗りこんできて、
大企業は一産業一社のみというアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、それまでの7〜8つくらいの財閥が競争して
採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人活動はすっかり衰退している。 電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に採用して
もらえるかどうかで、その後の人生が天と地ほどもちがってしまう。 同業で生き延びているのはクズ同然のその他大勢企業だけだから、
敗者復活戦もありえない。 同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝もあるという構造はいま、世界中でも
日本だけになりつつある。ドイツもかつては大きな産業ごとに代表的な企業が3〜4社ずつあってしのぎを削っていた。
これがドイツという国家の活力になっていた。いまはそんな状況ではないぜいぜいフォルクスマゲンとダイムラーペンツ、BMWを
抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨して高い技術水準を維持できる産業は残っていない。 こうして改めて見渡すと、
いまや基幹産業ならどれを取っても少なくとも三〜四社の大企業同士の激しい競争が続いている国というのは、日本だけなのだ。
あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。
そして、この事実上の独占体制を世界で最初に確立したアメリカでは、事実上の独占企業が牛耳る業界団体子飼いのロビイスト集団が、
大統領も議会もしっかり手なずけ、自由自在に自分たちの要求どおりに経済も社会も動かしている。これはもう、右からの
「茶会党」革命か、左からの「ウォール街占拠」革命で一度完全にぶち壊さなければ、まっとうな世の中にはならないだろう。≫
 ▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げたといってよい。但し、その周辺で、それにとって
  変わる群れがいることが前提になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。日本の産業も大きな亀裂が出来たようだ。
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3763, ユング ー6
2011年07月15日(金)
 * この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を受け瀕死の事態に、今度の3・11の東北大震災と
福島原発事故が重なり襲った。 これを「二つの歴史的経済震災」に対する、この東北大震災は「めぐり合せ」(布置)と考えると、
この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災が二つ日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、
これ以上ないほど疲弊をしていた上に、このめぐり合わせである。 ただ偶然が重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた矢先のこれ。「西洋的合理主義に対しする根底からの
見直しのサイン」と、この「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。
 日本もグローバル化の時代の中、西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。 また同時に開放も図る
サイン?ではなかろうか。 外国人を入れるだけでなく、外国に日本人も出ていくべき時期にある。現在の政治体制では日本は
成り立たなくなっているが、現在の日本は自己修正能力が失われている。 この「布置」は、この震災が最後のダメ出しとして、
否応なく壊滅的状態まで個人から国家までの既存のシステムの破壊が進むことになる。 世界は日本を先駆けとして、その崩壊と
先行きを冷静に学習することになる。 これは取ってつけた民主主義と、隷属国家の末路として捉える。波乱の中で現状を変えるのは、
信長か、秀吉のような下克上で、成り上がってきた者である。 日本も世界も、思い切ったダウンサイズの時期に来ている。
 この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、地球規模の大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15の
経済大震災である。やはり、来年後半にかけて、世界は政治的、経済的に大津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、
より合理的な、身丈にあった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
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398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。
山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見たことがあった。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・・
遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。 では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」というと、人間は劇を作ること。
類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。その中に入っていけない。
劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、劇中の人物に
共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。
しかし我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。 本を読み込んでない人は現実の世界から離れることができない。
現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、
というと言い過ぎになるか? その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。 人生設計を前もって作っておいて、
それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、
言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が圧倒的に違うということになる。
情報手段としての言葉がキーワードということ。 街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく
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3023,衝撃的な「ひらめきの話」
2009年07月15日(水)
  「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 
 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
  ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番大きかった。
 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ〜インテリジェントキューブ』というゲームです。この世界観が突然出て、
 動けなくなってしまった。 暗い画面に、あるステージが浮いている。向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、
 その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、僕はその人たちに『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。しばらくして、
 これが僕がやったことがないコンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントに
 のこのこ出かけていった。僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、話を聞いてくれたのは
 ポロシャツ姿のおじさんでした。拍子抜けをしたのですが、気を取り直して「この人に望みを託そう」と決めて、
 頭の中の世界観を話したら、僕のことをジッと見て「その話は面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。当時27歳の時です。それからです、
 わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、とにかく勢いよく動くのが始った。 それまでは‘AならばB、
 BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやっていたのが、そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも
 飲まないとやっていけなかったのが、あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。
 これ以来、わけがわからないけれど面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それでCMプランナーになったのです。
 そうしたらスポンサーから話がくると、♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる》
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
▼ モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえてくるようだった」というが。 
 現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある)  
 また、数学の天才にも数式を見ただけにで、自分でも知らないうちに答えが出るとかいうのもある。もちろん十二分の基礎が
 あっての上だが。 飛行機事故で一人助かった少女が、「何か神がかりの顔をしていて、何かが憑いていたのでは」という、
 まことしやかな話もある。 これは、ひらめきとは関係ないか。
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2658, 幸福の4階建て
 2008年07月15日(火)      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、《人間はあまり[[無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
 何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、その感じである。
 ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
 苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。
 それにしても、頭を大きな棍棒で思い切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。
 死ということを前提にして、この4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える
 人生の終わりに、最上の感動を見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答になるほど、
 大きな問いである。「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
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2007年07月15日(日)
 2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
  (字数の関係でカット2009年7月15日)
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2006年07月15日(土)
 1929, ローマから日本が見えるー13                     
 第6章 勝者ゆえの混迷ー2     
  ーグラックス兄弟の改革ー        ー 読書日記 ?
 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。都市に流入している者達に土地を与えて
再び自作農民に戻し、ローマ軍を再建しようと考えた。土地は貴族のラティフンディアである。125ヘクタール以上の
土地を占有している貴族からそれ以上の土地を国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。この政策に平民たちは喜ぶが
貴族たちはマイナスである。農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。
彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。
兄グラックスは護民官。護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、
その死体は川に投げ込まれた。この事件が起きたのは前133年であった。 弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、
同じく護民官になって兄の政策を実現しようとした。このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。
(前123)               \(∀\)ココハドコ?  (/∀)/アタシハダアレ?
ーマリウスの軍制改革 ー
 (字数の関係でカット2012年7月15日)
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2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」ー3
 ーマンション編
都心の高層マンションの計画が進んで売れ行きがよい。しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで不動産不況を
引き起こす可能性が大きい。マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、値下がりに転じかねない。
2005年までに、品川、港区、中央区、江東区などの湾岸エリアを中心に40棟以上の大規模マンションが建設される。
    (字数の関係でカット2011年7月15日)
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2004年07月15日(木)
 1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、潜在意識を覗くという面でみると
面白いのではないか?ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。 そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議。
ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。翌日、家内に
寝言で泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。起きていってみるが、そこには誰もいない。それも夢であった。
( 字数の関係でカット2011年7月15日 )
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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」?映画日記
 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして
貼り付けておくが、日本の味わいと、スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を感慨深く表現していた。
主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながらストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉がこのストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。
(字数の関係でカット2008年7月15日)
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2002年07月15日(月)
 457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー
(字数の関係でカット2012年7月15日)
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2001年07月15日
 ー旅行中


4128, ヨガとは何?という素朴な疑問

2012年07月14日(土)

   スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから初心者向けだが、腰痛持ちもあって少し厳しい。
定員50人に、平均40人位が参加している。男性参加者が5〜6名で、最高齢は私で、片隅で目立たないようにしている。その中、
時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、
そこに気持ちを集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは気にすることはない」という。
なる程!いいことを言われる。週二回、4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」腰には良いが、
少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めてきた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、
徐々に解けているのがポーズの積み重ねで実感する。  ー そこでヨガの意味をネットで調べてみた ー
 ≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパやモヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の
印形が出土していることから、その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語として確認されているのは
紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ
行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。
賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に
「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教がスタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、
王宮から出家して山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、断食をしたり、
野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガそのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる
「ダンマパダ(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。
その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日が
ついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われています。それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。
このように「ヨーガ」とは、「結びつける」「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として
発達してきたのです。  それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか?
 それは、①身体と心をバランスよく結びつける。②内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
③人と人をバランスよく結びつけることなのです。仏教では、それを三宝と云って、①身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい②宇宙や自然の法則と自己とを調和させる生き方を「法(ダルマ)」といい、③人と人とが調和し
助け合う平和な社会を「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そしてヨーガでは、その方法を、具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、
運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)
そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えてきているのです。 ≫
 ▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、
  感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味は「結ぶ」
 「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行ということ。
 10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して現在も話をしているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。
・・・・・・・
3762, ユング ー5
2011年07月14日(木)
ー「共時性」の幾つかの事例を、<「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」ジーン・シノダ・ボーレン著>から抜粋ー
例1 ある女性が、妹の家が燃えているハッキリした夢をみて、妹が安全かどうか電話でたたき起したところ。
  まさに、その通り火事になっていて、電話で目をさましたために命拾い。
例2 ある研究者が高度に技術的で分かりにくい問題にぶつかっていて、情報がえられず困っているとき、
  ある基金募集のパーティーに出席したところ、たまたま隣の席に座った人が必要な情報を提供してくれた。
例3 ある女性がある町にやってきて、昔の同級生に連絡をとろうとしたけれども住所がわからず、
  混雑したエレベーターに乗り込んだところ、たまたまそこに彼女がたっていた。
例4 ある人のことを考えているとき、電話が鳴る。 出てみると、私がちょうど考えていた相手だった。
例5 私はキッチンで夕食の支度をしながら、夫のジムに向かって、「テーブルに花が欲しいわ」と言いました。
  子供達はそのとき外で遊んでいて、私の声の届かない遠くにいました。しばらくすると、娘のメロディが家の中にまっすぐに
  入ってくると、手にピンク色の花束をかかえていて、「ママ、ここにあるわよ」、と言ったのです。
例6 人の死を知る能力のある人がいます。 ある人の場合、夢や白昼夢として、死ぬ人がスーツケースを持ってその人の前に
  現れるのを見ます。そしてしばらくすると、そのスーツケースを持って現れた人が、亡くなったという知らせが届く。
▼ 単なる偶然とは思えない、これらを、ユングは、共時性(シンクロ二シティ)と呼んだが、その人によって、
  その要素の強弱があるようだ。私は、Aーabc、bーabc、Cーabcの9段階の二番目のAのb辺りか。
  その人の持っている一つの感覚であり、それが物理的にあったり科学的に証明されるものではない。
  前回も書いたが、事業の立ち上げや、ホテル計画を実行段階に入ると、必ずといってよいほど、身辺に普段は
  起こらない事故とか、ごく身近な倒産、不幸が起こる。今回、それが共時性の前段階の「布置」ということを知ったが、
  今度の当方の倒産でも周辺でも、事故、大病があった。私の場合、負債債権処理など、あと二年は要するから、
  二年間は大病、大事故には心しなければならない。 ところで、今回の東北大震災。 国家を人間と喩えると、
  明らかに「布置」の思えてしまう。 次回に取り上げるが、そう考えると、今回の震災のユング的見方が見て取れる。
   ・・・・・・・
3397, おテレビ様と日本人 ー2
2010年07月14日(水)
   *「第五の壁」とは何か.
 テレビを第五の壁とみなすのは面白い。そうすると、今度は第六の壁というと、パソコンになる。
パソコンには第五の壁も取り込まれ、一方的な情報だけでなく自分サイドも発信できるところが、今までとは違う。
だから、著者の心配がより大きくなるのか、それとも多くが解消されるのかは判断は出来ない。
第四の壁は、それでも生身の観客がいて、役者が直接触れ合える。しかし第五は、まさに流し手の思いのままになる。
 ー以下の部分がTVの本質を言い当てている。決して、機械がプラスに働いてはいないことを自覚しないとー
≪ われわれの知る「第四の壁」とは、演劇舞台の部屋の装置が三方の壁に囲まれ、残る一方の壁が観客席に向けて
取り払われているそれをいうのである。「第五の壁」とは、もとより著者が火星人の口に託して名づけたテレピの異称である。
地球を襲撃して戻っていった火星人は、次のように帰国報告したという。
【人間と称する地球上の生物は、光線と空気と出入りのための大小若干の穴のある四つの壁に外界から遮断されて
暮らしているが、ほかにもう一つ、〈第五の壁〉とも称すべきものを所有している。それは四つの壁よりは小さく、
移動は自由で、どつしりしている不透明なガラスの壁だが、四つの壁の穴からはとうてい期待できないさまざまな風物や
生物がそこに現われ、かの人間なるものと同じように語り、むせび泣き、歌う。 それは四つの壁を征服する。
四つの壁を取り払ってしまうのではないが、四つの壁を止揚する不気味なカの持ち主である】
 ……われわれは、テレビにたいして〈検察官〉になろうと、〈弁護人〉になろうと、忘れてはならないことは、
その間にもわれわれは〈第五の壁〉の照射にさらされているという事実である。〈テレビ時代〉に産声をあげる赤子は、
〈第五の壁〉の人工の光の中で歩きはじめるのである。 ― この本が書かれてから四十年以上が経過した。
半世紀ぶりに地球を訪れた火醒人が今度はどんな報告をするだろうか。 それは壁ではなく、実は底なしの地獄に落ちる
ブラックホールの穴だったと綴告するだろう。テレビの発する光線は、結局突き詰めれば金銭の発する光だった。
それも巨大な額の金が絡む光である。人はそこでただ語り、むせび泣き、歌うだけではない。隣間的な音声でも映像でも、
そこには人間の醜い欲得が潜在する。ただ単に事実を伝達するだけに思えるニュースのコメントですら、一言、
「オバマ氏の当選は確実」と声を発したとたん、あらゆる場面での金が乱れ飛ぶ。テレビの扱う範囲にフィクション、
ノン・フィクションの区別はない。両者は調合され、統合され、まったく別種類の認識対象となる。
認識された潜在意図、である。 この別称こそ「陰謀」と呼ぷものだ。意図はあくまでも隠されている。
誰も意識していない。だが、番組制作には「洗脳」という潜在的な意図が常に基調を作っているのである。
こうした曖昧な感覚混合体が、結局は陰謀と呼ばれるものの正体、テレビの実態になるのだ。≫
 〜 今度は、TVにネットが組み込まれてくる。違った洗脳が始ろうとしていることになる。〜
 〜〜
3022,閑話小題
2009年07月14日(火)
 * 池袋の早朝でみた荒んだ世界 
 * 自民党の末期
 * 腰痛はつらい
 (字数の関係上カット12年07月14日)
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2657, いちゃつき ー2
 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、他人を迎え入れて他人で
 いっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。  
   (字数の関係上カット12年07月14日)
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2007年07月14日(土)
 2293, 女ってバカなんじゃないか?          才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。
 (字数の関係上カット11年07月14日)
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2006年07月14日(金)
1928, ブログについて               おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
  二月ほど前に、ブログについて書いてみた。
 「 2006/05/14?/15 1868, ブログは社会革命ー(1)1869,ブログは社会革命ー(2)」
(2011年07月14日)
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2005年07月14日(木)
1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。
中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。
 ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。
それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの
逮捕を命ずる。しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。
最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。
ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。1849年12月21日、
処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、三人ずつ銃殺されることになる。ドフトエフスキーは処刑の二番目である。
その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。「生きていられるのはあと5分ばかり。
この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。この5分間に最後の充実した生活が送れそうな
気がしたので、色んな処置を講じたというのです。つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間に
いま一度自分自身のことを考える時間にあて、残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。・・・
しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、もし命を取りとめたら、
それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものになったら、俺は一分一分をまるで百年のように大事にし、
もう何一つ失わないようにする。いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』
減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー
以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの
恐怖経験がある。その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。
飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか?どうしても飛び降りなければならないのか! 
ただ前に体を投げ出すしかない! 何か時間が止まるという言葉があるが・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めて。
(字数の関係上カット09年07月14日)
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2004年07月14日(水)
 1198, 口ぐせー2
 ーどうしようもない!?
(字数の関係上カット09年07月14日)
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2003年07月14日(月)
 831,アラスカ旅行記ー6
  旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。
・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、今や修復不可能。 
 別れるより良いと、毎月出ているという。もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。 旅先で部屋に戻っても、
旦那のことを思い出して腹を立てているとか。 聞いていても悲しくなる。「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!
 といいたくなった。夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
・若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。
 黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の
 違いのためか。その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。
  その聞き役の方の女性が面白い。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと
 「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。
・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。2年前に初めての海外旅行でアラスカに来て
 キングサーモンのオプションに参加。今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。魚は釣った後で逃がすとか、
 また2年後に来たいといっていた。これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。
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2002年07月14日(日)
 456,スイス旅行記 
感想をそのままかいてみると
・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たり。・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上。
・自然の雄大さに圧倒された               ・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的
・珠玉のような湖や村が何ともいえない          ・毎日が感動感動の連続であった
・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰 ・美しき小さな村々と牧場
 38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。
 私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。
 こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると
・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい!
 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング?季節も含めて何ともいえない明るさがよい。
・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」
 が素晴らしい絶景であった あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった?
 いろいろな氷河はは見ているがこれだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るもの。
・四日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここでハイキングしている自分が夢の中にいるようであった
・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、そこから見た景観が絶景
・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも忘れられない景色であった。
・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、 
 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。 しかしやはりその景観は何回見てもよい。
・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登ったピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい
   今回の旅行はただただ良かった!!! ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。


4127, 閑話小題 ーシネマ

2012年07月13日(金)

   * 相変わらずのシネマ通い
 今年になってから平均して月3回はシネマ通いをしている。少し通い過ぎ?だが値段の割に価値を感じるからだ。
エネルギーを持て余している現在、手軽なストレス解消になっている割りに毒は少ない。物語に意識してドップリ浸かるのがコツ。
最近のシネマはデジタル特撮効果で画面も映像も圧倒的迫力がある。家でもWOWOWなどで映画やシリーズのドラマを見ている。
頭には決して良くはないのだろうが、面白いこと、この上ない。今年に入って特に面白かったのは、韓国映画の「マイウェイ・
12000キロの真実」、邦画で「外事警察」、ハリウッド映画では「バトルシップ」というところ。千円のため、居酒屋一軒分で
月三回は価値がある。 最近では外れは殆んどないが、もし千五百円なら半分も行かないだろう。映画の開始前に予告が流されるが、
それに洗脳されてしまう。時代背景の家具や服飾を見るのが楽しみ、というのも年齢のため。 一つ酒を飲み交わす場面で、徳利は
江戸末期になって出まわるようになったもので、それまでは鉄瓶のようなもので温め、杯についでいた。19Cのロンドンを
背景にした映画は、時代考証を見るだけで面白い。  話は変わるが、先日、家電店で80インチのTVを見てきた。80万位だが、
ここまで大きいと迫力がある。月3回のシネマ通いは、たまたま面白いのが来ていたためで、1〜2回で充分である。
   * オスプレーの反対運動
 飛行機とヘリ兼用のオスプレーの反対運動、何故、あそこまで反対するのか不思議。沖縄に配備されると一番困るのは中国で、
都合が良いのは日本。飛行コースを決めておけば、別段、危険ということはない。ヘリコプターの役割もあるので、飛行機と違って、
滑走路を必要としないため何処からでも離発着が可能である。 反対理由は中国からの裏指示と疑うのは当然である。
沖縄の飛行場周辺の街は、基地のために後から出来たものが殆んどで、わざわざ基地を街の近くにつくった訳でない。何故か誰も、
このことを言わない。嫌な臭いがする反対運動である。 
 話は変わるが、原発に対するアンケートで、「全エネルギーの25パーセントを原発が担っているが、15パーセント位が良い」、
が一番多い調査結果が出た。現在の日本は、「原発は危険だが、存続が必要」なことぐらいは、分かっている。このままいけば、
周辺各国から、寄って集って領土など資産を毟りとられてしまう。原爆被爆国だからこそ、原爆を持つ権利が十分ある理屈もある。
もう敗戦国の負い目から脱皮すべきである。67年も経って何が保証である。表立った再軍備をすべきで、原爆を持つべきである。
 ・・・・・・・
3761, ユング ー 4
2011年07月13日(水)
  共時性とはシンクロ二シティの訳語で、ユングは、「意味ある偶然の一致」と言っている。
 ユングのいう共時性(シンクロ二シティ)の定義を 「臨床ユング心理学入門」 山中 康裕著で、
  第一の定義  非因果的連関の原理
  第二の定義 「別々の出来事が、互いに因果関連はないが、時間的に一致してそのつながりに意味が感じられる事態を示すこと」
  第三の定義 「別々の出来事が、時空間的に互いに一致して、しかもそこに意味深い心理的関連が感じられる事態を示すこと」
  第四の定義 「心の世界と物質の世界をつなぐものとして考える場合」 等、定義している。
 ここで山中 康裕は、「そのような心の現象は実際に多く存在し、従来の確率論で予測される期待値よりはるかに高い確率で生じている」
*また、河合隼雄は、「希望する人にとっては、共時的現象がよく見えるようになる。共時的現象は、実のところよく生じるが、
  われわれがそれを把握していない、と考えられる。 「希望する」人は、心が広く開放されているので、共時的現象によく気づく」
*ジーン・シノダ・ボーレンは、「自然発生的な共時的出来事は、心の中の状況が活発に働き、強い情動を帯びるのに共鳴し、
  それにともなって起こるものです」「心が霊的に中心化されてくると、タオに触れることによって、積極的に共時的出来事が
  おこるようになってくる」「まず、霊的な価値を求めよ。何事であれ、必要な形あるものはやがてやってくる」
 「イエスは、人々をみちびくにあたって、神の国について教え、この最高の価値は人々の手元にあって到達できるものである
  ということを語りながら、それを求めるように説きました。私には、もしも人がまず神の国を求めさえすれば、
  現実の必要をみたすために共時性が与えられるであろう、と語っているように思われる」と述べている。
▼ 私も、この6番目の感覚を得るまでは、半信半疑より、ほぼ否定的であった。しかし、この感覚が内側から出てからは!一変。
 作家の佐藤愛子も、この感覚を身についてから、その経験の本を出している。しかしネットを始めた頃か、哲学書を読み始めた頃から
 その感覚は急激に薄れていった。共時性は、人間の持っている、ある情報器官がはたらいた結果だが、現在の情報端末は、それを
 はるかに超えている。特にモバイル携帯は、人間の6感を超えて我々の存在のあり方を根底から変えようとしている。 で、過去分の
同月同月をコピーして驚いたが、7年前の7月13日に偶然、ユングの共時性について書いていた。これも意味深い偶然の一致していた。
   ・・・・・・
3396,  蛸が、サッカーの結果を予測
2010年07月13日(火)
 蛸がサッカーの結果を8試合全部を当て話題になっている。面白そうなので少し考えたみた。
蛸からすればサッカーの勝負など関係がない。ただ、どっちに入るかでしかなく人間が騒いでるに過ぎない。
とはいえ偶然の一致?が、8回も続くことは有りえないから、何かがあるのか。 考えられることを挙げてみると
・蛸の予測に自信を持ったチームが勝ち進んだか、     ・誰かが予測をして蛸を人知れずに誘導しているのか、
・蛸が水槽の外の誰かの顔を見て左右を判断しているのか、 ・上記など全てを直感で判断する超能力がある、
・人間には知りえない何かの能力がある、等が考えられる。
 マスコミが注目をしてたには、それなりの実績があったはず。 諸説が出てくるのだろうが、夢があり面白い。 
何かトリック?を見つけるより、そのままにしておいた方がよい。理屈からみれば、何で蛸が人間どものゲームの勝敗を
当てなければならないのか? その理由など一つもない。当った当たらないは、人間が勝手につくり上げた虚構でしかない。
でも事実、試合前に勝っている方に入っているではないか?といえるが、その勝ち負けを設定しているのは人間様。
8回も当たったという人間様の論理そのものを疑う必要がある。ドイツの勝ち負けの視点からみている、そこに何かあるとみるべき。
とすると、水槽の中で、誰かのサインにしたがっている説が、有力に思える。 でも、そんなことは、どうでも良い。
スペインの優勝より大きな話題になったから、それで充分である。蛸は三年しか生きないというから次回は無理とか。
 ・・・・・・・・
3021,卒業40年周年か〜
 2009年07月13日(月)
 「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。
20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、非常に良いメルクマールになっている。(10周年は、20数年前から企画されたので、
『集い』そのものが無かった)ところが数日前から腰痛が出て上京など無理の事態だったが、「這ってでも行く」と決めた瞬間から、
痛みが少なくなったには驚いた。 「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」という誘いを断り、当日の土曜日だけを
出席すれば何とかなるのではと考えた。 しかし出席するとしたら、むしろ前日に東京に行って、クラブ仲間の会の出席は
一度ホテルで休んだ後で、腰と相談すればよい。 また当日に上京するよりも、前日に行って翌日のギリギリまでホテルで
待機して集いに参加すれば何とかなるはず。 ということで何とか二日間を乗り切ることができた。 最後は覚悟である。 
しかし本当に重症だったら無理だったが。 10年ぶりの会は、前回と同じ位の盛況の賑わいで、400人位が集まった。
2500人のうち1700人に連絡がついて400人が出席。 総長の挨拶で、「この厳しい大学経営の中で非常に人気があり、経営も非常に良好、
長期的に改革を地道に続けてきた成果」と語っていた。この10年ぶりの再会で、各人とも人相も体系も老化がハッキリ見てとれた。
仕方がないのだろう。あと10年後は、もっと激しくなるのだろう。 気持ちとしては、これが最後の参加の集いと割り切っていた。
そのため一人ひとりの語らいが熱くなった。 我われは良い時代に青春時代を過ごしていたのである。この集いに参加する人たちは
現状がある程度、余裕のあるのだろう。何か気持ちがリッチに気持ちになれる。そこで受付でチェックをして胸札と名簿を貰い。
参加費は8千円、そこで何人かの知人と再会。 10人位が集まると、若い女性が、構内ツアーで新しい施設などの案内。
そして、学部ごとの写真撮影。その後、チャペルで集合ミサ。 総長の挨拶など・・・。 その後、学食で大立食パーティー。 
その後、学校サイドが用意した二次会がある。しかし前回同様の1~2年の同級会が東武百貨店の14Fに用意してあり、参加する。
参加28名(途中で帰った人3名)その後はクラスで親しかった男と、居酒屋に移動し語らい、22時過ぎにホテルに戻った。
姿、形は変わっても気持ちだけは変わらないのが同期の会での良いところ。 総括として、今回も満点。
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2656, コミュニケーション力とは?
 2008年07月13日(日)
   中島義道の「コミュニケーション力」についての一考察が、面白い。これによると、あくまで家内と私の関係だが、
  私がコミュニケーション強者で、家内はコミュニケーション弱者になる。しかし、如何みても家内の方が強者で、私の方が
  弱者に思えてしかたがない。外国に行って、観光地や飛行場で隣の人に平気で話しかけ英語の勉強をしたり、宮城県の
  医師会会長婦人と仲良くなり、ブランド店で見えの張り合いをしたり、ディナーで周囲の人と瞬間芸のようにハイソサエティー
  婦人に変身をしてしまう。私など何時も微笑をたたえて無言である。 たまに酔って、その場を目茶目茶にすることもある。
  中島のいう「コミュニケーション力」とは、私がいう「対話力」のことのようだ。対話をするには自分の主張を相手に理解させ、
  相手の言っていることを理解し、できれば互いに一人では思いもよらない一段上の内容まで内容を止揚することである。
  それは対「本」の著者ともである。   ーそれよりまずは、中島の、面白い部分を抜粋してみよう。
    (字数の関係でカット09年07月13日)
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2007年07月13日(金)
2292, 男ってバカなんじゃないか?                (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
 ある本の中に、「男ってバカなんじゃないか?」というのがあった。
【女は、小学校、中学校、高校、大学と、男の色いろな側面、人間の才能の様々な魅力を見出していく成長過程は、
動物から人間への進化の過程に違いない。子供の頃は、強い子。そして、スポーツの強い子。成績の良い子。そして高校から
大學になると、成績だけでなく、アートのセンスのある人。そして、それらを加味した個性的な人を求めるようになる。
男性の好みの変転という契機から、人間における精神的側面に目覚めていく。 しかし男にとって女が体育ができるからとか、
成績が飛びぬけているとか、突出したアートの才能があるのは、決定的の要因にはならない。それに対し、男は生まれてから
死ぬまでどうであれ、まず第一は可愛くて奇麗の人。ほぼ、これだけは死ぬまで一貫している。バカというか、芸がないというか。】
 ーそう言われてみれば、その通りである。逆にいえば女性に対して、それほど求めてない。
反対に女性は、その時々の男の価値観を見極めているということになる。男は節目の度に価値観を変え、自ら変身していかないと
社会に適応できない。だから男は同性に対して相手を一瞬に見抜く。しかし女性に対しては「美しさと教養と優しさ」を
第一の要素にする。それ以外、もともと求めてはいないのである。男なら明石屋さんまなどのお笑いタレントは持てるが?、
女となると、泉ピン子などお笑い系はもてはしない。この歳になってやっと、可愛いや奇麗など第二・第三の要素になってきたが、
数年前では、そのとおりである。いや、姉が多かったので、知性と人柄を同列においていた!性格が良く、知性的で、
その上に可愛い人で、相性の合う人。ほぼどれか欠けているが、もし満たしていたとしても、そう思っただけ? 
ところで考えてみたら私は、全て欠けている!(拍手!・・)女じゃないから、いいか!笑っている、あなたも、そうだろう! 
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2006年07月13日(木)
1927, 閑話小題        Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
ー北朝鮮・ミサイル問題と、日本の軍事力ー
ー社会主義についてー
 (字数の関係でカット2011年7月13日)
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 2005年07月13日(水)
1562, わたしの酒中日記ー14 
  ー岐阜の夜ー2  1976年 7月某日
夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。
日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、夜行列車の「佐渡」に飛び乗った。夜行列車にやっと慣れてきた。
枕木の音を眠るためのリズムとして聴くように努めてから寝れるようになった。2歳年下の大森さんと一緒である。彼も私にしごかれて
8ヶ月、やっと戦力になってきた。朝の7時に岐阜駅に着く。駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。
そして9時過ぎから問屋街を駆け回る。仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。 
それと大手の問屋とメーカーも大きな情報源である。小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって夕方に
ホテルのロビーでいきあった。チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。 彼女達も意欲的に仕事をする。
千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の鞄持ちで来て、食事をした店である。12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちを
している超繁盛店だ。とにかくネタが大きくて新鮮で安い。普通の店の三倍のネタの大きさである。こういう出張は、夜の食事と
チョイ一杯をしながら仕入れの戦果の話が楽しみである。店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは
激務といえば激務。しかし、仕入れは買い手の立場であるため面白いといえば面白い。仕入商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。
当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。
しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。その小さな店の商品一軒分
全て買い上げた。これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。こういう日の酒は特に美味い。
明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。
・・・・・・・・
2004年07月13日(火)
 1197, ユングの臨死体験
臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。死にかけたときに生じる脳内の異常状態から
見る夢か幻想と思うのだが。ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が変わってしまった。
ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。しかし、ユングが臨死体験で見てしまった
宇宙からの景色と、宇宙船から飛行士が見た景色が全く一緒だったという。何とも不思議な気持になってしまった。
 ーその部分を抜粋してみる
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄状態になり、
私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 
(字数の関係でカット2012年7月13日)
   ーブログに転載されています。
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2003年07月13日(日)
 830, アラスカ旅行記ー5
  ーアラスカつれづれにー
アラスカで感じたのは、豊かさである。そして、その対比としての日本の豊かさの底の浅さだ。・高校の前を通ったら、
大きな駐車場があった。16歳で免許が取れるという。 多くの高校生が車で通学をしているという。16歳以下でも親と
一緒であれば運転できる免許もあるという。・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っているという。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。 
安いので500〜600万で買えるという。夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても豊かさが直に伝わってくる。ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れた
 キングサーン の刺身がお勧め」、 とのことで注文したが、もちろん絶品。  鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして 食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、
 何と今回の現地日本人ガイドの上司。三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドにトラバーユした
 といっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。そして我々の間に座った。 知り合いらしく急にジョンは
 大人しくなった。そして英語で二人話し始めた。 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測 私もその時に
 一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると、それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて 
 機長の可能性が強い?一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」
 といった。 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」


4126, 第一感は叡智である

2012年07月12日(木)

 倫理研究所の「日捲り」にあった言葉。 「第一感を働かせよ、これは叡智。 気がついたら間髪いれず実行。」と。
出来る人は、これを純粋に実行している。ひと呼吸を入れると必ず迷いが出る。その前に実行すればよいことを出来る人は知っている。
もし迷いが出ても、そこで「迷った時は、可能な限り実行する」という駄目押しの信念を持てばよい。即実行をしないと人生、後悔をする。
そこで、「倫理研究所」のHPを覗いたら次の内容があった。 これを心底理解できるのに人生の大部分の時間が必要になる。
 面白いので、逆も真なりで、全く逆の言葉に言い換えてみた(カッコ内)  ー 表裏一体ということー!
  ー 万人幸福の栞17ヶ条ー         ー逆も真なりー
1 今日は最良の一日、今は無二の好機      (今日は最悪の一日、今は無二の危機、と考え一日に挑戦する)
2 苦難は幸福の門                (順境は不幸の門)
3 運命は自らまねき、境遇は自ら造る     (運命を考えるときは、境遇が悪いときだけ)
4 人は鏡、万象はわが師            (鏡を見すぎると、何が何だか分からなくなる)
5 夫婦は一対の反射鏡             ( 乱反射があるだけ )
6 子は親の心を実演する名優である      (子供は、親の歪み?)
7 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号   (精神は肉体の象徴? 違うだろう。健康は生活の青信号?これも違う!未病もある)
8 明朗は健康の父、愛和は幸福の母      (陰鬱は不健康の父?、トラブルは不幸の母か? 裏表じゃないか、健康も不幸も?)
9 約束を違えば、己の幸を捨て他人の福を奪う (約束を守るだけでは不足? もう一歩踏み込んだ実行! 無理?)
10 働きは最上の喜び             (方向が正しいなら良いが、間違っていれば、働くほど最悪の悲しみの道)
11 ものはこれを生かす人に集まる      (使い切った後、いかに捨てるか?)
12 得るは捨つるにあり            (得るは拾う人にあり)
13 本を忘れず、末を乱さず         (本も、末も叩き壊せ、創造は、そこより始まる)
14 希望は心の太陽である          (絶望から、全てが始まる。空即是色である。希望を目標まで具体化すべき)
15 信ずれば成り、憂えれば崩れる       (疑いは、考える第一歩。憂いを乗り越えてこそ厚みのある実現がある
16 己を尊び人に及ぼす           (人の美点を尊び、その結果、美点を吸収する。それが己を尊ぶことになる)
17 人生は神の演劇、その主役は己自身である (人生は悪魔‘=欲望’のなすがまま、欲望と後悔の織り成す絨毯である)
 ▲ これが裏表を成しているのが人生。だからこそ味わいが出てくる。だからこそ、明るい視点で人生を日捲りで確認する必要がある。
  ー逆も真なりーは、居間で晩酌をしながら下書きしたもの。酔いで歪みが出てきたためか、すらすらと書けたが・・ 正・反・合の 反。
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3760, ユング ー 3
2011年07月12日(火)
 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 
〈次数の関係でカット2012年7月12日ー ブログに貼り付けてあります!)
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3395, 何故、名古屋の資産家の息子が麻布で?
2010年07月12日(月)
 学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の社長になったのか?非常に興味があった。
その話を一昨日に会って聞いたが、チョットしたドラマ仕立て。 撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、
そしてスタジオが舞台になる。撮影の世界は世間一般とは異質である。 人間関係が広く、うるさい上に腕の差が作品で明らかになる。
その世界で麻布周辺で三箇所のスタジオに80数人の会社を経営をしているのだから、そのプロセスの話しが面白くないわけがない。
その会社を独立させるまでの経歴がドラマ仕立てで面白い。三時間が瞬く間に過ぎてしまった。 プライバシーもあるので具体的に
書けないが、静岡の友人と、その話しを三時間に渡って聞き入ってしまった。 大学を卒業後、普通の会社に4年間勤務した後、
実家の貸しビル業に戻ったが、親父と衝突など色いろあった後、東京の撮影会社に勤務(弟子入り)。そこは百貨店の商品のチラシや
パンフレットの写真を扱っていた。 そのうち一つの百貨店をイトーヨーカ堂が買収した時に、社長がスーパーの写真など
撮りたくないと拒否反応。そのため、わざわざ分社。その会社の責任者になったが、撮影写真一点あたりの価格が百貨店の半額以下に
プライスを抑えられた。そこで知恵を発揮して採算にあうようにした。 その結果、ある時点から分社の方が組織的に大きくなり、
稼ぎかしらなった。それを良しとしない社長との対立。会社を辞めた、ところ過半数が辞めたので、やむなく会社を設立、
現在に至ったという。そこから一人の男の人生が見えてくる。寡黙な純粋な男だったがユニークな人生を生きることになるとは驚き。
そこの人間関係は非常な華やかな世界で、有名タレント、歌手、プロ野球の選手など、撮影で接するのが日常という。
それにしても、学生時代の色いろな友人から見えてくる人生は面白い。面白か、恵まれているから、会う機会ができるということもある。
 このリーマンショック以降、経費削減の影響を直撃しているという。 最後は、人間性、品格で人生がつくられる、ということ。
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3020.旅する力ー深夜特急ノートー4
2009年07月12日(日)
旅する力 ー深夜特急ノート ー4
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
    第三章 旅を生きる
 * そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということだった。のちになって理解することになるのだが、
 香港から東南アジアを経てインドに入って行くのには、そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的なルート
 だったかもしれない。気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・。
 だから、インドに入って下痢をすることもなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。
    解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に慣れていくのは同じことか。
 *私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。
 しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、次第に、
 必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
 いくら 何 どこ いつ  こんにちは ありがとう さようなら
   この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に入って放置されても、なんと切り抜けることが
  わかってきたからである。もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは 最低の清潔が保たれてしたし、
  食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理をしては火が通った安全な食べ物を提供してくれる。
  私は、やがて、どんなところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。
   解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。(一番外れが大きいのが和食の店)
    何処に行っても、中国人がいるから、いい加減な料理も出せないのだろう。
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2655, いちゃつき
2008年07月12日(土)
阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。
多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、それは「いちゃつく」という言葉に
行き着くという。最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、
また良いと。鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。
だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って
いちゃついている姿に似ている。そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、
不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 それが女の職場の中の男の特権である。 
誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。
この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、
 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。
 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、
 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。
鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、とことんゲップを
しそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと正直に告白している。 セックスになると、
相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、いちゃつきの方がイメージとしてよいとか。 
(以下、中間、略 11年07月12日)
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2007年07月12日(木)
2291, 10歳の放浪記 ー3
 この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を紹介したが、これは深い意味が含まれている。
この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。
辞書でトラウマを調べると、「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」
とある。特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、
イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」
のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」をドラマ仕立て観て、感動し、随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。先日の日曜日に近くの図書館の
ファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
 ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー。
 (以下、中間、略 09年07月12日)
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2006年07月12日(水)
1926, 教養について            おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、
その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、
その子に説教を始めた。 その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。
「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。
さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。
その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくって
おかなければ!」その子は、何かハッとするところがあったようだ。両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが
嘘のように素直に聞いていた。人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。
歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。そこで教養について、考えてみる。こういう場合インターネットはよい。
幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。
・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。
 なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるのだろう。
 見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。 だから娑婆は面白いのだが・・・  面白すぎる、
 人間というのは!もっとも、一番おもろいのは自分だが!! 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、
 感謝すること、その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」 「知ること、愛すること、創造すること、
 そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。「お前を見ていると、教養があるように思えないが・・」
 という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・ まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。   
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2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 ?13
 ー岐阜 -1  1975年 9月末日
 初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。
あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。まずは東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで
岐阜に入った。今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。しかし、全く経験のない
「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。学生時代の合気道の経験が役に立つ。
ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。
そのためには歩き回るしかない。それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては上手くいったようだ。
そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。
知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。
鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で
飲んでいた二人づれの一人が話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。
昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。
私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。とにかく疲れたので、
早々帰ってきた。緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。何か仕入れとは
こういうものかと、少しは解りかけてきた。 明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。未知な世界は、全てが冒険である。
我ながら、よくやるよ! ーつづく
・・・・・・
2004年07月12日(月)
 1196, 口ぐせ
先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切かつくづく実感する。
中村天風も繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、その毒が我々に大きく影響を与えている。 
(以下、中間、略 10年07月12日)
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2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4
ー26氷河クルーズー
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に
流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアの
モレノ氷河などと比べたくなる。この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、・一つ一つをとってみれば、
氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に
浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズや
カリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。
丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそく
ウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、
アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。
 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。スイス、パキスタン、ニュージーランド、
パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。
 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。
20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。
50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?アラスカの広大な自然の中で、色いろ考えさせられる事が多かった。


4125, マネー大動乱

2012年07月11日(水)

         「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容である。著者の視点で日本国内のついての悲観論と、
 欧米や新興国についての楽観論に対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる部分を
 書き出して、それについて論じてみる。 世界のマネーは動乱に入ってしまった。
   ー 第一章 アメリカは財務省・ウォール街複合体に潰される?! 〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が
 50.5パーセントを所有している。要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める貧困ライン
(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。
 信じられないことだが、生活保護やフードスタンプ(低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助がなければ
 生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年初頭で5パーセントだったのが、リーマンショックで
 10パーセントを一時期超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策が上手くいったかというと、
 そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から外れてしまっただけ。
 ・・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、2倍になった。
 全人口の上位5分の1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、2007年には53%だった。言い換えれば、
 上位5分の1の富裕層の総額は、他の5分の4所得を超えている。」とあった。 現在の日本も、同じ傾向にあるようだ。
 特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。
 だいたい1・8パーセントの世帯が入るとか。50数世帯に一世帯というと、なる程、そうか?である。身辺を見渡してみて、
 豊かそうな人は、その位は持っていそうである。そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
 ・・・・・・
3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー② >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から始まっている。 ーまずは、その部分からー
【 ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。
彼は病院で酸素とカンフル注射で生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が一種の白熱光で
取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。
この状態でユングは、生と死の間をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影のようなものを経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの
砂漠や雪でおおわれたヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような巨大な石の塊を見た。
 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が
結珈趺坐め姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。近づくにつれて、「私は、あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。
私が目指したか、欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、消え去るか、私からはぎとられて行った。
それは、この上ない苦痛の過程だった」。そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内されたとき、
「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た
理由が突然わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが
自分の治療をしていた医者だということがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの寺院のあるところーの
支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分は
しぼらくの間死んでいて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。
その医者が古代の王の形をしてユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている ー実際その医者の死が、彼自身の
死の代わりになるのだろうーと信じた。一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、その医者は熱のために
病床につき、その直後敗血症で死んだ。ユングが、彼の最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。
「毎晩私は、もっとも純粋な至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再びやって来ると、今灰色の世界が
その贈り物の箱をもってやって来る」と感じたものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。ユングは幻影を、
ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察とみなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく
現実的なものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
 ▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。
 しかし、その直後に結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強されていった。この感覚は他人に
 言っても信じてくれないことは(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。その中で、この文章である!
 ・・・・・・
3394, おテレビ様と日本人 ー1
2010年07月11日(日)
 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」「鳩子の家」テレビ・映画の脚本家として
活躍した人だから説得力がある。 テレビ局からの一方的な押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。その中から、他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと勤め、
自分の考えを進化してきたのである。そして人間は、「考える動物」として、他の動物と違って、飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。 
それが、テレビ様の御かげで、根本から破壊された。人間が創りあげたテレビという機械に、人間は勝ち目のない戦いをし、
それに隷属されている。 人生は短いのに、日本人の総白痴化が、ここで顕著になっている。 経済、政治について語る日本人の
内容の浅いのも「おテレビ」のお蔭という。 「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、テレビと本を比較すれば言いたいことがわかるだろう。
知的な刺激を求め、人間が本と親しんだその時間の大部分は、今テレビに奪われている。 本には良書と悪書の区別があった。
だが今、テレビに「良番組」「悪番組」などの識別をすることはない。あまりにも一過性で、人に判断の余裕を与えないからだ。
この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 焼け野原の都市に、本屋の数は少なかった。 古本屋はアリババの
洞窟のような魅力があった。実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。 約四万年も前に、柔らかい岩や粘土に刻み込まれた
絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を持つようだ。また同時に人間は、他者の持つ複雑な考えの意味を
理解しようと努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。同意・同感するたびに、あるいは異論を抱くたびに、
人間は人間らしくなっていった。その結果、何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを与えられ、考えるカを失ったために。 
もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史以前、石器時代と同じように、他の動物、野獣たちに戻る日が来るだろう。 
考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、人間だった。それはお互いに自分の損得を優先して
考えるようになったからだ。それは単に金銭、物質の損得への考えだけではなかった。 何よりも人間は、人間らしい人生を
送ることへの損得を考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより実りの多い時間で満たすことができるかの損得を考えた。
   ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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3019.旅する力ー深夜特急ノートー3
2009年07月11日(土)
旅する力 ー深夜特急ノート ー3
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
 ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を押してくれたのは、
  1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖が書いた「アレキサンダーの道」という
  紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」の1974年の一月号である。その冒頭で井上靖は、こう書いていた。
 《昭和48年の5月〜6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、自動車で巡った。
  約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが初めての経験だったので、面白かった。
  一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、長島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に
 「アフガン、イラン、トルコ」というのは、まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》
    解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。
     だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で考えるしかない。
  旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・・・
  私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。
  これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は以下の通りであった。
  ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ
  持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の『李賀』である。
    解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、その読書は
     特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。
     金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを
     得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
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2654, 結論で読む人生論
2008年07月11日(金)
 「結論で読む人生論 ートルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)     ー読書日記
 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
 著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、自虐的な文章が私の性に合って面白かった。
 この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ?」という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがき、
 の一部を紹介して、次からは、それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
  人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。そこで培われたものが自分の人生の司令塔になるからである。
 ーまずは、この本の概要からー
  ー内容紹介ー
 (字数の関係でカット09年07月11日)
 後記) 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。
何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。
特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。
( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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2007年07月11日(水)
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか       (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。
 (字数制限のためカット 2012年7月11日) ー面白いので、バードウォッチに貼り付けてあります
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2006年07月11日(火)
1925, シャイン     \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/  ー映画観想日記
 何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。今も活躍している天才ピアニスト、
 デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。そんなことも全く知らないで観ているうちに『シャイン』の世界に
 引き込まれてしまった。
  (字数制限のためカット 2010年7月11日)
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2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学              ー読書日記
                  若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、
「人間の智慧に限界はない」である。トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
(以下、字数の関係でカットしました。 2008年7月11日)
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2004年07月11日(日)
 1195, 授かった不思議な力
ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」
話しは、かって聞いたことがない。神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降
身についたのだ。人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がしてならない。あるキッカケで
それが飛び出してくるのだ。 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
≪臨死体験後、不思議なことがありました。 結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。自分は高野山の系統の住職で、生まれたときから
ひとを見ぬく特別の能力がある。そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、・・・≫
           (字数の関係でカット 2008年7月11日)
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2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記ー3
 デナリ国立公園ーb  ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。
230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、
朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、
迷わずに参加した。そして大正解であった。 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのような
セスナに乗った。20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194?ある山頂を、
下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がる
アラスカの大地が、この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」
という思いがフト頭をよぎった。ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。 マッキンリーの山頂に
200??近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。
いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」。本当に人生と同じである。ヨルダンのぺトラ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)

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