堀井On-Line



4105, 予言の書「日本の自殺」 ー8

2012年06月21日(木)

  * 現代文明がもたらす幼稚化
 これが書かれた37年前からスーパーなどのチェーン店などが多く現れてきて手軽に何でも手に入る、一億総中産階級社会になった。
 それは幼稚な愚民の群れであり、大量生産・大量消費の結果である。 ー以下はその辺りを指摘しているー
≪ 現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、一体なにによってもたらされたのであろうか。
 ◎ 第一に実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの増大、都市化、情報化の進展と教育の普及など高度現代文明が 
 もたらした恩恵それ自体が、このような精神的状態を副作用として惹き起こしていたのである。 思考力、判断力の衰弱と幼稚化傾向は、
 高度現代文明それ自体の産物である。・・・インプットとアウトプットとを結びつける複雑な仕組みについて思考や判断を働かせるのは
 馬鹿げてたことだ。そんなものはブラックボックス化してしまえ、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」「税金は減らせ、しかし
 社会福祉は大幅に増やせ」こういう種類の要求を駄々っ子のように叫びながら、この要求を実現するような便利なおもちゃを作れと言う。
 そういうインプットとアウトプットとを結びつけるような調子のよいブラック・ボックスは到底作製不能だと言っても、
「そんなことを考えるのはわれわれの仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押してこのおもちゃで遊び続けることなのだ」と
 足をばたばたさえ、挙げ句の果てに癇癪を起こして手当たり次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末なのである。
 やがてかれらは群をなして群衆心理の陶酔を楽しみ始める。思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化は、第二に情報化の代償、つまり
 マスコミの発達と教育の普及の代償として生じている。エンゲル係数で現代の消費生活の構造を知ることができないのと同様、文盲率の
 減少や進学率の増大などで現代文化の内容を判断はできない。「学歴ある文盲とでも呼ぶべき現代人」のあいだに見受けられる恐るべき
 知力の低下、倫理能力の喪失、判断力の全般的衰弱の秘密が、いまこそ本格的に解明されなかればならないであろう。 
  かっての時代の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じてテストした知識の枠内で図式を作り、それでもって
 人生や世界を測っていた。かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、しかし少なくともかれらの
 生きている生活空間に関しては現代人の到底及び得ない賢明さと生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の直接体験を
 しっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま中途半端で、皮相な知識の受け売りで世界中のできごとに
 偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。こうした思考力、判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に
 満ちあふれ、恐るべき情報汚染を惹き起している。 情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間はやがて幼稚な狂信者となり、暗殺をしたり、
 ハイジャックをしたりする犯罪者と化していく。われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化のメカニズムを直視し、
 これを克服するための新しい努力を全力を挙げて開始せねばならない。マスコミの発達と教育の普及の代償として捉えている点が、
 すばらしくもある。少なくとも教育の普及があれば、思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化を回避できるのではと思ったが、そうでなかった。≫
▼ 当時書かれた、この警告は、さらに深刻な社会現象になって現れ出ている。国家収入の二倍の国家予算を組んでも国民の要求を
 答えざるを得ないのが現状の日本。国家そのものが判断も決断も出来ない幼児化をしている。情報化の影の部分である。 
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3739, 自分の居場所のみつけかた ー④
2011年06月21日(火)
   * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性  ーP・150     「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 
【 私たちは通り過ぎる人々の群れの中に自分の居場所を見ることはできません。その中の何者かと出会い、
 互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。
  本来、知性というものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の差など、自分と違う立場というものを
 理解し行くのには知性が必要です。けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、その知性によって
 増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用されてしまいます。
  それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、
 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。善意が当たり前だということは、感謝が足りないと
 見えることもあるかもしれませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。
  逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと
 思うから気がつかない。なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくらいじめても面白くないから仲間に
 入れてしまえ、ということになって、人間関係がうまくいきやすい。
  これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。
 他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくらでも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、
 善意そのものさえ、「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとしている」と勘ぐったり、
 誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしているのでないか」など素直に喜べない。 】
  ▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右されるということを意識して修正するしかない。
   それに役立つのが知性である。だから自分で知性を磨くしかない。そのために、他人の話を聞き、本を読み続けること。
   その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った者は、善意も悪意も読み取る習性がある。
   常に人の間で緊張しているのは、そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが付きまとってきた。
   私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの
   喫茶店に通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。
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3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
  ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、
情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 
戦後、TVや教育などを通じて、『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・
輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 
その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから脱する方法があるのだろうか。
「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。
こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても
本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルのピースのひとつひとつを
クリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには
「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
 ▼ しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで組み立てる、
 というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。
 それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも大事だろう。若い女性が小さな
 ノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。
 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
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2999,百貨店の衰退について
 2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌の大前研一のレポートによると
・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており
(字数制限のためカット 12年06月21日)
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2635, 娘に贈る12の言葉  ~4
 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記
ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー
  ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。
   「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて
   間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。
  ・誰も考えないことを探す。
   →多くの投資家が考えないことは何だろうか。
   →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。
   →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。
  ・こんなふうに考えてごらん
   歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く
  解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。
    特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。先日から「子どものためのカント」
   (フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。
    哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー
(字数制限のためカット 12年06月21日)
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2007年06月21日(木)
2270, 東北6県の平均収入が、東京の半分だと!    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 
 先日、昼休みに大型書店のジュンク堂で本を見ていたところ、最近出版の『ワーキング・プア』という本に、
「東北6県の一人当たりの収入・241万に対して、東京が456万円」とあった。二倍じゃないかい!と、地域格差の大きさに
目を疑った。東京に対し新潟八割、長岡7割と最近聞いたばかり。東北6県平均とはいえ収入が半分だというから、
若者は東京志向になるわけである。感覚として首都圏は物価は2割高いとしても、地域格差は予想外だった。
(字数制限のためカット 09年06月21日)
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2006年06月21日(水)
 1905, グーグル Google ー10  おっ w(゚Д゚)w ハァョ?     ー読書日記
 この本の一番重要な章は、この5章ではないだろうか。それほど、キーワード広告の意味は深いのである。
早速、グーグルのアドセンスにキーワード広告を投入してみたがアクセスがない!お客の立場からのセンスが無いのだろうか?
この辺になると、21世紀の世界がハッキリ見えてくる。五章の要点を抜粋してみる。
   ーーーー
第五章 最大の価値基準となる「アテンション」
 以前は検索エンジンは、ヤフーやAOL、MSNなどの総合ホームページのおまけツールとしてしか認識されてなかった。
  (以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
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2005年06月21日(火)
1540、「人を動かす」ー2       ー読書日記
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。人間関係という一番初歩的な基本を
身に着ければよい。会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!
もしかしたら、自分も?)誠意を持って相手の話を聞くことは、「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。
少しまともな営業屋なら当然身につけている。接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。
 まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」
ことにもなりかねない。会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。新人は会話術は身につけていても、対話術は
身につけていない。この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを
露呈してしまう。しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。
ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。
  ーあるHPより抜粋ー
 人を説得する12原則
1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。
・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。議論に勝つことは不可能だ。
 たとえ勝ったにしてもやはり負けている。相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。
 ・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。
・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
 思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。
・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。
 あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。
(以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
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2004年06月21日(月)
 1175, 哲学について ー7
ードイツ哲学の時代
イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。18〜19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学がドイツを
中心に発展する。その先がけがカントで、それまでの合理主義哲学と経験主義哲学を統一させた。「人が経験することができるのは、
身体的なあり方によって枠組みをされており、その枠組みのなかでしか、個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。
盲人にとって、見ることを理解することができない、嗅覚のない人も臭いについて理解するのは不可能である。人間の理解は、
その持っている機能の範囲内に限られる。カントの文章は非常に深遠で難解で、理解することが非常にむずかしい。
カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、さらに豊かなものになっていく。ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。
彼は「現実世界のすべてとその歴史を、精神的なものが発展していく姿」と考え、世界と現実は自己認識に到達するための
歴史的プロセスと考えた。その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、すべての変化の理由とした。
マルクスはヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。ニーチェはあらゆる既存の道徳を攻撃した。
彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒キリスト教の教えが土台になっていた。
しかし当時は、その信仰心が薄れていて自らの価値観を求められていた。その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。
この頃の哲学者が生み出した思想は現代哲学に大きく影響している。そして現代の哲学が現れてくる。
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2003年06月21日(土)
 808、 大丈夫
一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。そして残されたものが、
如何にもならなくなった時がきたら封筒を開いた。その中味には「何とかなる!」と書いてあったという話。本当かどうか解らないが、
一休らしい逸話である。先日、本屋で立ち読みをしていたら、ある本の目次に「女に持てる法」という項目があった。
さてと心トキメイテそこをみて驚いた。 常に「大丈夫!」といい続けることだと。何か肩透かしを食らったようであったが、
納得した。 
(字数制限のためカット 11年06月21日)
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2002年06月21日(金)
 444,面白い話ー本??
 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html  「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。
子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。
辞表を書く段階で社長の耳に入る。オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。
そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。なかなか面白い内容であったー本もホームページも。
そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、さらに講演を続けている。
それなりに面白い内容である。 少なくとも自分でしたいができなかった事だ。
こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは? またこういうことがあっても、良いのではと思った。
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2001年06月21日(木)
 [59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ
富士総業の小竹さんより3dのホームページのモニターという話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。当たれば
おお化けする可能性がある。デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。7月1日を楽しみにしているが凄い世界に入ったもの

ことにもなりかねない。会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。新人は会話術は身につけていても、対話術は
身につけていない。この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを
露呈してしまう。しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。
ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。
  ーあるHPより抜粋ー
 人を説得する12原則
(以下、字数の関係でカット2008年6月21日)


4104, 予言の書「日本の自殺」 ー7

2012年06月20日(水)

  * 豊かさの代償
 37年前はアメリカのアジア戦略上の重要な位置にある日本は、特別待遇を待遇を受けていた。その結果、豊かさを享受出来た反面、
その甘えの体質が日本人についてしまった。それが、豊かさの代償という現象でもある。以下の部分は、その辺りをついている。
【 日本を第二のローマ帝国としてしまいかねない日本社会内部の自壊作用のメカニズムを、まず豊かさの代償という角度から
  順次解剖していくことにしたい。 豊かさの代償として、次の三点を理解する必要がある。
◎ 第一は、資源の枯渇と環境破壊という代償である。
 豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の高騰を招き、他方で生産、消費の過程での廃棄物が増大して
 環境の質の悪化をもたらす。 豊かさの代償としての資源不足と環境悪化による欲求不満、イライラの増大が日本社会の内部に自壊作用の
 メカニズムを発生させるひとつの原因となっていったのである。
◎ 第二は、使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に与えるマイナスの諸影響という代償である。
 使い捨ての生活様式は、単に資源の浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらすのみならず、その生活の質の点で大きな
 マイナスの副作用を内包する。 使い捨て的な生活は一時性、新奇性に高い価値を与えるが、人間とものとの関係がかりそめの
 一時的な関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に極めて安定を欠いたものとなる。
 欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつになっても充足感が得られない状態になってしまう。
◎第三は、便利さという代償である。
 便利さの代償として、日本の青少年の体力や知力の低下が進行していった。自制心、克己心、忍耐力、持続力のない青少年が大量生産され、
 さらには、強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かなる感受性、責任感などを欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生した。
戦後日本の繁栄は、他方でひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに
変質させてしまった。それはまた伝統文化を破壊することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を麻痺させ、日本人の
精神生活を解体してしまった。この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用のメカニズムの基盤をなしていった。】
▼ 66年の人生の中で物質的貧困から豊かさになっていき、それが失われていくプロセスの登りと下りを国家と個人で、実体験してみた。
 まだ下りは道半ばだが、あと10年で日本は貧困国家に間違いなる。30〜40年前の、あの豊かさは何だったのか。あの経験はしないより、
 してみて良かった。笑うべき時に笑えばよい、いずれ泣くとき後悔が無くなる。腹の底から笑っておいて本当に良かった。 あとは自嘲か。
 ・・・・・・・
3738, 自分の居場所のみつけかた ー③
2011年06月20日(月)
【  * 勝ち負け社会のカラクリ P−100       「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著  
 だいたい、社会の価値システムなどというものはその時代がつくる幻想に過ぎない。今は市場社会ですから金儲けが価値観の基底にある。
金を儲けようとする企業家は市民大衆を導いて「消費者大衆」へと変身させることを考える。その際に用いられるのは「不安」です。
ヒットラーのナチズムからオウム真理教まで、大衆動員の手段は不安の醸成ですが、消費者大衆の動員も不安を動力として行われます。
まず市民たちの中に「無能力」や「醜悪」への不安を流す。たとえば「英語を巧みに操ることの能力が現代社会にとっていかに必要かを宣伝する。
それによってその能力が乏しい人の不安をかきたてれば、英語の教材屋や英語学校が繁盛する。言葉なんてその必要が出てくればいくらでも
使いこなせるようになるものですから、英語能力に関する不安などは将来という幻想の一つに過ぎない。将来なんて、あるかないかわからない
ものですから、それを実在と考えることそのものが幻想なのです。株で儲けたという人の話題は株ブームに乗り遅れる不安をかきたてています。
将来の不安というものがアチコチに散蒔かれているのが「勝ち負け社会」の特徴です。幻想に乗らない人は最初から勝ち負けゲームに乗りません。
世の中を地位、名誉、金の勝ち負けゲームと見なすと、このゲームにはゲームにつきものの公平のルールというものが決定的に欠けています。 
だいたい人生ゲームの参加者である子どもは自分に配分される親を選べない。この点ではトランプのカード配りに似ています。ゲームの最初から
勝つに決まっているようなよいカードが配られている参加者もいれば、勝ちようのない持ち札の人もいる。親の金力、人脈、知的資産、美貌に
恵まれない人は人生ゲームの負けが決まっている。しかし人生ゲームはトランプと違って、勝者だけが参加できる第二次、第三次、第四次の
ゲームが用意されているから、ひとまずの勝者だって、いずれ敗者になるというカラクリになっている。 要するに世の中をこの種のゲームと
見なすとすれば勝者はひと握り、敗者は圧倒的多数となります。ところで、この大衆社会の中で力を持っているのは少数派ですか多数派ですか? 
衣装やダンスの流行からお笑い芸人のハヤリスタリまで、カギを握っているのは一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」
じゃありませんか。 世の中は彼ら向きにできているから、地位・名誉・金に恵まれた人々へのジェラシー(嫉妬)やエンヴィー(羨望)に
身を焼かれる必要などないのです。そこを間違えるから「敗者の恨み」にのたうつテロリストになってしまうのです。 】
 ▼それでも、負けるより勝つほうが良いに決まっている。 要は、いずれ巡ってくる負けの時に、どのように対処するかにある。
  現在の自分の現状は、まさに、人生も勝ち負けゲームと割り切ってしまえば楽である。「全米N0・1弁護士の勝ちセオリー」を書いて、
  日の経たないうちに、これだもの、支離滅裂か・・・ 勝ち負けに囚われないということか! 不安を利用し巧みに大衆を誘導するのが、
  ビジネスの背景といえば、これから10年は健康ビジネスが良くなる。<一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」
  が世の中をほぼ占めているなら、あえて「敗者の恨み」にのたうつテロリストに自らなることもないか!>  我が内なる沼は清潔に!
・・・・・・
3373, 凄い時代
2010年06月20日(日)
 *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一著
  「はじめに」の前半に、この本の要約がズバリ書いてある。まずは、その部分から。
ー 「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先はまったく新しい世の中になるだろう。二年前の2008年の洞爺湖畔で
8ケ国のサミットが開かれた。それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や17ヶ国の会合に当てられたのは、
国際金融の建て直しと世界大不況の対策である。たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、変わってしまったのである。・・
2009年の世界経済は政策支援の「集中治療室」状態。各国とも生命維持装置のカテールが何本もつけてある。しかし、やがて抜きはじめる。
その時こそ、本当の衝撃が始る革命的改革期だ。それが2011年になるだろう。本当の「凄い時代」である。なぜそうなのか。
   (字数制限のためカット 2012年6月20日)
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2998,他人に厳しく、自分に甘く
 2009年06月20日(土)
 「世界は感情で動く」 ー3           読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
* 他人に厳しく、自分に甘く
 我われは「感情のトラップ」にはまっていることは自覚をしていたが、それを一つずつ解明している本である。
 前に「ピーク・エンドの法則」を取り上げてみたが、今回は「帰属のエラー」について取り上げてみる。
 17章の「他人には辛く、自分には甘い?帰属のエラー」である。
   ーまずは帰属のエラーとはー
 まわりに起きる社会的事象や、自分や他人の行動の原因を推理・推論することを「帰属」あるいは「原因の帰属」という。
 それを理論化したものが「帰属理論」。下記のような、色いろなエラー、ゆがみなどを「帰属のエラー」という。
1. 知覚的に目立った情報・刺激に左右されること。
2. 他者の行動に対しては性格・個性などの内面的要因を重視する。
3. 自分の行動に対しては極めてポピュラーで普通の反応であり、普通とは違ったとすれば状況、すなわち外的要因が異なったと思い込むこと。
4. 自分が成功すると、自分の内面に理由があり、失敗すると外部に要因を求めること。
 こうしたバランスの取れない判断は、とても奇妙な結果を生むこともある。
 2,3に関しては誰でも身に覚えがあるだろうし、他人の失敗は、元々あいつは、そういう奴だと非難するが、
  自分が失敗をするとタマタマ失敗しただけと、自分に言い含めてしまう傾向がある。
 「期限を守る」ということにかけては、自分の能力に信頼を置いているし、「期限を守る」他人の能力は高く評価する。
 でも、自分が期限が守れなかった場合は、「めったにないほど大変な事情があったからだ」と言い訳をしたりする。
 しかしながらその事情とやらは、距離を置いて眺めたり、他の人に当てはめたりしてみれば、少しも例外的なものでなく、
 どこにでもあることだとわかる。 かくして「期限を常習的に守らない人の言うことは信用するなかれ」という帰属のエラーにひっかかる。
▼「世界は感情で動く」というより、「世界は気分で動く」という題名の方が適切ではないかと読み込むほど思ってしまう。
  気分で90パーセントは動いているのだろう、人間は。 だから、それを如何に隠すか、目立たないように勤めなければならないのである。
  人生をふり返ってみた時に、そのことが鮮明に見えてくる。それほど人間は理性的ではない。特に人間は他人に厳しく、自分に甘くなる。
  そういう人は、評論家に向いている。特に引退した野球の選手に、それが露出して見える。 思わず、「それほどの選手だったの?」と
  言いたくなる評論が度々である。
・・・・・・・・・・
2634, 娘に贈る12の言葉  ー3
 2008年06月20日(金)
 ー2、大好きなことに情熱の全てを注ぎなさい。ー
・何かを始めるのに年齢なんて関係ない。好きな道を歩みなさい。
・素晴らしい人生を歩むためには「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」。
・細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。
 →大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしていないからだ。
 →徹底的に調べる。それによって初めて他人よりも多くの知識を得ることが出来る。
 →大変な労力を要するが、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。
 →情熱を傾けられることに打ち込みなさい。
 私は中国に価値があると「思っている」のではなく、中国に価値があることを「知っている」のだ。
  I thinkではなく I know なのだ。
解)「好きこそモノの上手けれ」「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う」 自分が好きなことを早めに見つけること。
ー 3、常識はそれほど常識ではない。 ー
・ほとんどの常識は間違っている。 危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。
 →だから全てのものが非常に安い。
・新聞だって、そのまま信じてはいけない。
 →時にはジャーナリズムが大衆をミスリードすることもある。人口の半数以上の知性は平均以下だということを覚えておきなさい
 解)そのことをどれだけ知っているかどうかである。大衆と違った視点で投資先を探せ! ということ。
   ことあるごとに「定説」を連発していた教祖様がいたが。
ー 4、世界を自分で見ておいで。 ー
・「イギリスだけしか知らないものに、イギリスが本当に理解できるはずがない。」
 →他を知ることで、他から眺めてみることで観察は深まる。 世界を視野に入れなさい 世界市民になってくれ。
・BRICsの重要性を理解するんだ。ブラジル、ロシア、印度、中国などだ。その中で、特に中国が重要。
 解)知れば知るほど、自分が何も知らないことを知るからだ。  それと自分の世界の小ささを。
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2007年06月20日(水)
 2269, 家は大事である        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
隣家が4年ほど前に新築に建てかえたが、日毎に家庭が明るくなっているのが、手に取るようにわかる。「家は大事」とつくづく感じる。
何か家によって家族のあり方が変化するようだ。「人間の器は育った家の器に大きく左右される」と聞いたことがあるが。
家はその天井の高さと、居間の広さがポイントになる。更に大事なのが、「風通し」と「太陽」と「湿気」の三つである。
     (字数制限のためカット 2011年6月20日)
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2006年06月20日(火)
1904, グーグル Google -9         ー読書日記    おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
「ロングテール」に関しては、『ウエブ進化論』の中に詳細があったが、大事なキーワードである。
情報の劇的なチープ化と、検索社会の象徴的な現象である。 私自身も図書館で気にいった本で、
既に廃刊されている本をアマゾン・コムから数分の一で買ったことがある。 以前なら有得ないことである。
この書の、めっき工場や羽田の駐車場は、ロングテールのアマゾン以外の卑近の事例として参考になる。 
 第四章 めっき工場が見つけた「ロングテール」
パレートの法則という理論があり、広くマーケッテングに応用されてきた。
   (字数制限のためカット 2011年6月20日)
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2005年06月20日(月)
1539, 秘境探検家の「幸福論」ー2
 この二人の会話には抽象的でない「実感としての幸福感」が伝わってくる。真・善・美とは何か?人間は如何あるべきか? 
人間は何が可能か? など難しい話はない。大自然の中で、ただ自然の中で生き、死んでいく未開の地の人々の純粋な
生き様のなかに、人間としての原点の共通点を見つめている。
ー関野: ・・・ほとんどの日本人は、本当は景気が悪くて困っているんじゃないよ。経済という唯一の価値観にがんじがらめに縛られて
困っている。苦しんでいる。景気がよくなったからって解決する問題ではない。人間が生きていて嬉しい瞬間って、
美味しいものを食べたとか、子供が成長を実感したとか、差別されてないとか、好きなところに住めるとか、
他人の誤解が解けたとか、そんなところにある。人類が生まれた時からこれはズット同じである。ところが、そんな喜びが
みんな経済に取り込まれてしまった。効率よくお金を儲けたら、こんなことみんな上手くいくと思い込んでしまった。
ー長倉: 「生きている実感がない」という人がいますね。 そういう人は間近で懸命に生きている人を見ていないんじゃないか。
(字数制限のためカット 2010年6月20日)
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2004年06月20日(日)
 1174, 哲学についてー6
ー経験主義哲学ー
合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」
という主張に対して、「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。感覚による経験を絶対視する考え方は、
合理主義に対してあまりにも対極にあるが、アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。
ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」
経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを理解する為にはその性質をとおす以外ない」
というロックの認識論が基本になっている。 「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが
経験主義の中心になった。彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。ロックは、アメリカ独立運動と
フランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。
「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」それ以外のことは、存在していることさえわからないという、
いまでは当たり前のことを合理主義に対する一番いたいところをついた。経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。
彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。彼はロックと同じく現実世界についての知識は、自分自身についても、他人についての経験も、
実際の経験を通してしか得られないと主張した。我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、
感情、記憶。「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。心理学でいう観念連合ということである。
私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、
  適応する段階になってからである。 「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。
そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する哲学が開花していくのである。     ーつづく
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2003年06月20日(金)
 807, 心の構造進化 ー書き続けるということ
少し難しい話をすると、社会学者のレビィ・ストロースは、人間社会の基本形を「時計仕掛け型」と「蒸気機関型」に分けた。
・「時計仕掛け型」の社会は実質的に歴史を持たず、構造変化をしない社会ー南アメリカのアマゾン奥の部族の人達やアフリカのマサイや・・
・「蒸気機関型」は我々の社会のように進化をしていく社会をいう
 この両者の違いを、ストローは「書く」ことによるとしている。
   (字数の関係でカット 09年06月20日)
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2002年06月20日(木)
 443, 見せ金ーブランド志向心理
ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす。詐欺の手口の応用である。俗にいう見せ金である。
中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。 普段金に困っているから、逆に故郷に帰ってきたときぐらい
金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。
「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない!ツケはできない」という。外見が金持ちに見える人は、成金とか
バブルの成り上がりの人が多い。実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。何回か会社を潰した人が再び会社を興し、
少しうまくいくとベンツに髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。
 (字数制限のためカット 2012年6月20日)
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2001年06月20日(水)
 [58] 一六会について
毎月の16日に第二新館近くの大橋ー料理屋で開かれる平均7?8人集まる会である。もともと花園のマルヒロ不動産の後藤会長が
開いていた会で、会長が元気な4年前までは20人以上集まっていた会であった。亡くなった後も続いていること自体不思議なことで、
やはり後藤会長の人柄だったのではないかと思われる。ただ酒を飲んで騒ぐだけなのだが、全く利害のない集まりで好きなことを
言っても喧嘩にもならないのが良い。ただ流れているのはやはり後藤会長の好きな連中の集まりというコンセプトだと思われる。
なんの気を使わず騒げる場もそうはない。平均年齢が65?70歳と少し高いが、それが何ともいえない味を出している。


4103, 閑話小題 ースローヨガ

2012年06月19日(火)

   * スローヨガ
 スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加している。
ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。
それ以来、ヨガ教室のイメージが悪くなり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきているという。
私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、
ヨガのポーズをとっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に馴染んでくる上に、終了前の10分位の間、
仰向けで大の字になって意識を身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、全身から力を抜いて宙游した
気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻りたく
なくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周するのを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。 
大手大橋で弥彦山から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸をして「地球の中心点を擬人化したX」
と対話を10分近くしている。それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的にもベストの経験を、
毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。
「ヨガは肉体も精神も宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のことだろう。魂が現れ出るということか。
   * 日本の初めての流行歌は?
 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。 明治元年・一八六八年三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、
東海・東山両道から江戸に向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 現代の流行歌第一号は、
大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、
翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。流行歌のスタンダード・ナンパーとして、
現在も広く演奏され、うたわれている「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた松竹が、
当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。他にの説が多くあるが。
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3737, 自分の居場所のみつけかた ー②
2011年06月19日(日)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
  この①を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?
 と思われる異常教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 奇妙な偶然である。
   ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。
【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。
  事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感あふれるドラマを作り上げた。
 ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに語り出す。
 「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」
  教室内は一瞬にして静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。その一人の犯人の少年は、モンスターママによる
  幼児の頃の執拗な教育で、歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
 ▼ なかなか面白いストーリーである。 現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。
  両親の関係が、そのまま子供形成に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ子供が育ってくる。
  子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は、危機迫るものがある。 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、
  心の中で大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、
  他に行けば何かがあるはずと焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、自己崩壊を生むことになる。
   特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
  更に携帯電話などの情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、その対応が分からない。 親からして、
  「自分の居場所」が見つからないのだから、子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
  現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。
  ある意味で、アメリカによる日本属国化政策の完成が現在の日本である。 我々は、その恐ろしい現状を目撃していることになる。
   他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
  政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、思ってしまう。 最後はリーマンショックでトドメか!
 ・・・・・・・
3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり!
2010年06月19日(土)
 しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
  ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 
   * 不幸になりたがる人たちからのヒント
どうも年齢のせいか何かやろうとすると「めんどうくさい」が先に立ってきた。先日ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。
多くの人が「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、「不幸になりたがる人たちからのヒント」で「めんどうくさい、
が不幸のはじまり!」に、ハッとした。そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない傾向にある。 
たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持を選ぶ人の方が多数派」という。 その根底にあるのが
「めんどうくささ」だとしたら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。これは、人間は「低位安定」を心奥で求めている結果ではないかと。
「低位安定」から、どうすれば抜け出すことができるか? これからの脱却は「めんどうくさい」との戦でもある。
著者は陳腐な結論と断わって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・ まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。
それができない者には、現状を変えようといこうとする力など生まれない。不幸を願うものはいないが、不幸へと続くレールから外れようと
しないものは多い。現状維持の方が楽に思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない何かが逆に新しい事態に
直面するのを避けているのである。 私は不幸系の人は身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに
「自律神経失調症」という病がある。 問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。 
その積み重ねの結果「めんどうくさい病」に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。
他人事ではない、年齢からくる老いが「めんどうくさい」病に知らないうちに陥っているのである。 秘境ツアーにしても、事業にしても、
ブログも、自分が幸せと思えた瞬間は、それを乗り越えた結果であった。 しかし「めんどうくさい」も、すべて否定はできない。
自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。
老齢になったら、否が応でも低位安定になってしまう。  面倒を克服するには、習慣化がよい。 それを積み重ねていけば良いが、
 それ自体が面倒か〜   さて、棚の整理だ!  それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか!
 ・・・・・・・
2997、定年か〜  ー2
2009年06月19日(金)
  「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー   北 連一 (著)  
 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題になるのは解る。
定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、
深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・・ 
私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始るのが常。 
「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を取り上げている。
人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど短いとか。
だから離婚も耐えなければならないのである。 ある生保の調査によると、女性の1割以上が
「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 
その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。
一、午前中は一歩も書斎を出ないこと          二、小遣は現在の2万5千円
三、食事の内容には一切要求をつきつけない       四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる
五、これらを不服として大声を発することをしない
 これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に
予測していたが、女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ事態に戸惑う。
「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。時間単位で公私を区切る近代的雇用とは比べようもない、
運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が
実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。
 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 
そう遠くない日が待っているが、その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
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2633, 娘に贈る12の言葉  ー2
2008年06月19日(木)
 第一の言葉から要点を抜粋してみる。一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。
 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従ったときである。
  ーー
1、他者に流されてはいけない ー他者に流されず、自分の頭で考えることー
・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 他人に、
 たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。自分の考えに従って行動することだ。
・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。
 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に投資対象と気づいたのだ。
 実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。その上に、貯蓄率が35?もあり、それを投資に向けていた。
 そんな国が成長しないわけがない。ところがアメリカはどうだろう。、1990年頃の貯蓄率を4パーで、今ではたったの2パー。
 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従っているうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを
 得ることが出来た。 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。
・オリジナルな「自分でいること」。色んな分野で成功してきた人は、誰のコピーをしていないだろう? ソニーをごらん、
 ソニーは周りとは違う。彼らは常に周囲と違うことをしてきた。 誰も歩まない道を行くからこそ成功をすることが出来る。
・私に従わなくて良い、ただモラルだけは守って欲しい。自分の頭で考えて正しいと判断したことなら、
 思ったとおりするがよい。自分が絶対に間違ってないと自信がもてるほどてっていてきに調べてからでないといけない。
・常に質の良いものを買うように。質の良いものは長持ちするし、より価値が高い。
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2007年06月19日(火)
 2268, 今年のミス・ユニバースって美人?        ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
TVで日本人のミス・ユニバースの女性を見て、違和感を感じていたら、夕刊フジのブログと、毎日新聞の文化欄の
「〈現在〉を読む」に論評が載っていた。誰も考えることは一緒である。 「少し可愛いいが、決して美人ではない。
生意気そうなところがマイナスで、差し引きゼロ。それ以上でも、それ以下でもない。
実際のところ、ミス・ユニバースの判断基準は理解できません?」というのが、両者の論評の概略である。
 ー以下は夕刊フジのブログの概要であるー
07年ミス・ユニバース世界大会で、森理世さん(20)が優勝し話題になっている。
日本人としては48年ぶりの快挙。昨年も、知花くらら(25)さんが2位となった。
日本も世界が認める“美人”輩出国となったかの騒ぎだが、テレビなどを見て、「可愛いが、決して美人ではない」
と思った方も多いだろう。果たして美人の世界基準は変わったのか。 専門家らが徹底討論した。
 【違和感】
「森さんは鼻がツンと上を向いている。日本人の(美人の)感覚とは違ってコケティッシュ系ですよね。  
(字数の関係でカット2008年6月19日)
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2006年06月19日(月)
1903, 感動と感激についてー2    オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)( )(´・)(´・ω)(´・ω・`)ヨ? 
ー感動と失望ー   
 感動・感激の反対語は何だろうか?
 期待以下の大きなマイナスギャップ、  期待>実感 → 落胆・失望  ということになる。
「大きな期待を持っていったが、何も感動することがなかった。がっかりした。」である。 
 西アフリカの旅がそうであった。期待が大きかったからだ。失望を少なくするには、まず期待を小さくすればよい。
失望・落胆も、振り返った時に心と魂に多く残るが、人の脳は無意識のうちに、記憶から排除をしてしまう。
感動・感激とは驚きである。驚きは、そのまま考えるヒントを与えることになる。驚きはギャップに対して起こる心の動きである。
ギャップを埋めるための知識集積が自動的に生じて、それが考えることになる。従って、人間の能力は感動・感激と、
失望につながっているといえる。 今年のワールドカップ・サッカー、日本チームに対しては過剰期待である。
今回の過剰の期待と落胆は、貧困層の広がりが原因という見方がある。冷静にみるより負けるまでせめて夢みたいという気持ちの表れは、
貧困層の考え方?である。WBC(ワールド・ベースボール・カップ)で日本が優勝した時、期待を誰もしてなかった上に、イチロウなど
日本人選手と王監督の健気な姿に感動が生まれた。誰もがまさか優勝するとは思っていなかったから、驚きと感動が生まれた。
この期待をサッカーのワールドカップに当てはめようとしたが無理な話である。いかに多くの感動・感激・感謝を積み重ねるか、
反対に失望・落胆を少なくするかが、人生にとってのポイントになる。これは意識をすれば、出来ることである。
一流のものを見続けることである。一流の人と多く接し続けることである。そこには、一流の人の波動が出ている。
そのシャワーを浴びればよい。ー話は少し違うが、先日の産経新聞の産経抄の論評がよい。
(字数の関係でカット2012年6月19日)
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2005年06月19日(日)
1538, 銀座24時-女たちの戦い
 昨夜のTVスペシャル  
ードスペ! 「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラにカメラが潜入!!ー
 というTV番組の見出しにつられてみた感想である。二時間という時間がアッという間に過ぎ去った。
次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。 人間観察という面で人間社会を赤裸々に見せてくれる世界である。
[高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、見ている分には面白い。この不景気で銀座のクラブの多くが淘汰されたが、
その中にあってしぶとく生き残っている店があるのだ。 まず一番印象に残ったのが ー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦ー
昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1ホステス。
一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していたオープン時は、彼女を目当てに客が押し寄せる。
しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。 それ以降に店の真の評価が分かるものだ。
正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。さらに、黒服といわれるスタッフ役の
男達とホステス達とのトラブルが発生。黒服の長であるマネジャーといわれる立場は、オーナーである会社側にある。
(字数の関係でカット2012年6月19日)
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2004年06月19日(土)
 1173, つれづれなるままに
・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。富士銀行が80億の金を出したホテルで
何と3億1500万の値段であった。金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利が入り組んでいて力に余裕
がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。それにしても、この差額は実際誰が損を
こうむるのだろう。間接的に国ー国民なんだろう。二年前に、このまん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。
(字数の関係でカット2011年6月19日)
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2003年06月19日(木)
806, 『自分様と馬の骨』 読書日記
 ーなぜ認められたいかー
「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」等、彼の文章のタッチの面白さに、次々に買って読んだ。 
人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。先日、図書館でこの本を見つけたときは、しめたと内心叫んだ。
(字数制限のため中間カット 2010年6月19日)
   『自分様と馬の骨』
 勢古浩爾 著 長岡中央図書館 2003年6月15日
・・・・・・・
2001年06月19日(火)
 [57] 3D-ホームページ
今日は午前、午後パソコンずけだ。 午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと3d開発の増嶋さんだ。 
そして夕方はパソコン教室だ。 パソコンはやはり凄い世界だ。このHPの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。
何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。 情報革命は時代を大きく変えるだろう。


4102, 予言の書「日本の自殺」 ー6

2012年06月18日(月)

   * 危機は日本人の内部にある
  日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によってつくられた精神が生み出したもの。
 戦後民主主義は自由、民主、平等主義の上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出ているのである。
 バブル崩壊、9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災の影響をモロに受けてしまった日本は、
 ここで大きな試練に立たされている。そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、更なる崩壊が進んでいる。
【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、
 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓ ◎共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現 ↓
 ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失 ↓
 ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体   というプロセスで進行したのである。
この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似している。日本の没落の危険は資源問題や
輸出市場などの客観的、外部的、物質的制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的
条件のなかにこそひそんでいるのである。
 没落の真の危険は、日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦しようという
創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、 日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、
長期の未来を考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自壊していく危険のなかに、存するというべきなのである。
 豊かさも便利さも、そして情報化、都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く掲げてきたプラスの諸価値を
含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを伴わない絶対的プラスは存在しえない。自然科学と同様である。
節度を越え、調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。それは、資源問題、公害問題を通じて少しずつ理解されている。
 豊かさ、福祉、自由、平和、平等などに実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉国家は人間と
社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的要因ではなく、
むしろ内的要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと捉えることができるので、意思さえあれば
対処可能なのかも知れないが、内的要因については、まずもって自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることができない、
そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】
▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿である。ここで、「この問題は決して克服できない問題でない」
  とあるが、結果として果たして克服してきたか疑問である。問題は、ここに書いてあるとおり「日本人がこの危機や試練を正確に
  認識する能力を失いつつある」ことである。その上にグローバル化による価値観の多様化もある。日本の自滅は文明の自滅でもある。
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3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜10
2011年06月18日(土)
   * 具体的な弁論は? ー ミロのビーナスの腕       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレーの木々を伐採して醜い宅地にしてしまうことに対する
反対論を述べた。「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリのルーブル美術館に所蔵される前、ベネチア芸術の
美術商の手に入りました。この時すでに、この像は人々の注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な
気品を与え、完壁な芸術作品から発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。
そして時がたつにつれ、像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力があると考えられるようになりました。
 美術商は、このビーナスの小さなかけらがほしいという大衆の要求を利用すれば、大もうけできることに気づきました。
ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をしてやって来て、小さなかけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。
持っていれぽ美しくなれると信じていたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを作って、そのあと本物の
ビーナスを粉々に壊してしまおうと考えたのです。粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売るよりも、はるかに巨額の
お金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を持っている職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。
「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。彼は命令しました。彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとした
ちょうどその時、目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされました。それと同時に、ミロのビーナスの反対側の
手も切り落とされました。肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。それはビーナスは決して壊されてはならない
という神のお告げだ、と職人たちは思いました。それから間もなく、ミロのビーナスはルーブル美術館のものになり、今日にいたるまで、
美しいものを愛するすべての人のために大切に保存されているのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 
 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる人間の彫刻家が創造したものではありません。この谷は、
神様がお創りになった芸術作品なのです。事実を把握しているであろう世界的な旅行家の多くは、そびえ立つ孤峰と汚されていない湖が
いくつもあるこの谷は、世界で最も美しい谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しようとした強欲な
美術商の手にあったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかにあるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】
 ▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、勝てるはずがない。ミロのビーナスのこの逸話、
  聞いたことがあるような、ないような? ネットで調べても、この話は出てこない。片方の腕に林檎を持っていたという説がある。
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3371, 込み込み六千八百円のホテル
2010年06月18日(金)
 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに
「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで歌い放題で全部で六千八百円だった。
仲間10人で土日の高速代金の千円を利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。
さっそくネットで調べたら3名以上、込み込みでバイキングコースで六千八百とあった。
酒もビールもセルフで、カラオケもけっこう良い設備で、まあまあ満足という。
大湯の湯元館は、一応老舗で知られたホテルである。思い切った頭の切り替えが出来れば、自分でも出来たはずだが。
まあ、無理だろう。伊藤園ホテルグループの格安ホテルの話は聞いてはいたが、新潟でも買収をしていたのである。
ホテルの名前も、設備も、そのまま使っているというが・・・ なるほど、面白いところに目をつけたものだ。
 十数年前にペガサスクラブで、「パイプの煙」というリゾートホテル・チェーンの社長と同席をしたことがあった。
リゾートホテルのディスカウントでチェーンを展開をすると言っていたが・・・
 事務所の数軒先に居酒屋の全国チェーンがあるが、その店頭に飲み放題で込み込み三千三百円とある。
個室の宴会ルームではカラオケが無料で歌い放題。 その二倍で湯沢温泉に浸かって泊り込みで遊べるから価値はある。
  ところで、札幌で中国人専用ホテルが出来るそうな。
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2996,定年か〜  ー1
2009年06月18日(木)
           「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著)    読書日記
 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、
地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、その意味も最初は分からず、
解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。 
私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。
群れから離れて奥さん1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。
これは抉らすと危ない。現在の私も少し「うつ病」気味である?、とにかくムカツクのである。いや、恐慌下の売上不振なだけか。 
そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる内容。具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の
奥さんとの力関係を取り上げている。ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、新たに小さな家での息の詰まるような関係。
「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 
この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 
【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる,ローンが終わっていた,
書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後の
シミュレーションをやっておく,妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】
こういう人生もあるのかというような内容だが、「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、深刻な内容も赤裸々に取り上げている。  
8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの生き様がみえる立ち位置に居たことからみてきて、「人生の敵(ミカタ)は女房」
というのは深く肯けるが。その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、
最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。
 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
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2632, 娘に贈る12の言葉
2008年06月18日(水)
「人生と投資で成功するために  娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著)   b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
 ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」を
アマゾンで取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白かった。 
それに劣らない力作である。「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目だが、内容は全く違う。
ー まずは、その12の言葉
・他人に流されてはいけない             ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい
・常識はそれほど常識でない             ・世界は自分で見ておいで
・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい  ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい
・歴史を勉強しなさい                ・汝自らを知ること
・変化をとらえ、そして受け入れなさい        ・未来を見つめなさい
・大衆に逆らいなさい                ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む
 ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、徹底的に歴史、哲学、
経済を学ぶことを推奨している。
(字数の関係でカット2012年6月18日)
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2007年06月18日(月)
 2267, 「遊び」               (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から「働き」と「学び」と同じくらいに
 位置づけてきた。その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
 年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。    
 (字数の関係でカット、09年06月18日)
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2006年06月18日(日)
1902, 感動と感激について             
                                    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 感動・感激・感謝は、人生の豊かさという面で大きなキーワードである。
感謝は「ありがとう」というキーワードで多く書いてきたので、今回は感動と感激について焦点をあててみる。
まず「感激と感動の違い」についてである。感激は人の言葉や物事に心が感応することで、感動は大自然や音楽などに
魂が感応することである。感激は、その気持ちが対象に向かうのに対して、感動は自分の内側深くに向かう。
どちらも、対象の波動に自分の心・魂が共鳴することである。  期待 <実感 → 感動・感激
期待と実感のギャップが大きいほど感動、感激、感謝が大きい感情になる。
その為には期待を小さくして、実感を大きくして、そのギャップを大きくすれば、感動を大きくすることが出来る。
反対に期待が大きすぎた時に感動は小さくなる。秘境・異郷旅行は、正しく感動を求めるもの。厳しいところほど感動が
大きい対象に出会える。そこへ到達するまでの苦労が大きいほど感動が大きくなる。そこでは魂の根底を大きく揺さぶるものがある。
この感動と出会うまでの人生と、その後の人生と分ける位のインパクトになる。そこに慣れてくると感動は小さくなるがそれで良い。
それは自分が対象に同化したことになるからだ。冷静に対象を見つめることが出来るようになる。感動・感激・感謝の経験の質量が、
心の豊かさといえる。人生を振り返った時に、自分の心に残っているのは感動と感激と感謝、そして後悔の念である。
一般的に感動・感激は年齢を重ねると同時に少なくなっていく。 ある調査によると、毎月一度以上感激・感動する人は
10〜20歳代で50?だが、30~40歳代になると30?に減るという。私の場合、歳を重ねるに従って、感動・感激の
場面が増加している。感動はその蓄積が、その質・量に比例して心の壁を低くし、さらに感動に対する磁力を強くする。
親の責任の一つとして子供に「感動・感激のシャワーを多く浴びさせること」がある。それは自分自身に対してもである。
ある質・量を超えると、その人間の質のアップ・スケールが生じる。一番の効果は、内面に自信が出てくることである。
それと自由の意味も解ってくる世間とかいう奴にも迷わされないようになる。感動は意識して自分に与えなくてはならない滋養である。
そのためには自分を太鼓に喩えていうと、常に手入れをして、その革を張り詰めていなくては共振はしない。   i (ω・`) bai
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2005年06月18日(土)
 1537, 「これから5年・地価は半値になる」-2        ー読書日記
ー対談方式だが、概略をまとめてみた。{??}は私の意見である。40年前の山の手線内の駅の数が多くの地下鉄などの開発によって、
現在では三倍以上に増えたという。山の手線内では殆んどの場所から5分以内に、何処かの駅に歩いていけるようになった。
  (字数の関係でカット2011年6月18日)
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2004年06月18日(金)
 1172, ビューポイント
学習曲線というものがあって、自転車の乗り方や勉強や企業経営も同じである。新しいことを学ぶということは,S字を横に
したようなパターンをたどる。初めはゆっくりだが次第にペースが上がり、ピークに達してから穏やかに下降するパターンである。
エントロピーは学習パターンがピークを過ぎたころにみられるエネルギーの喪失を意味している。山道を車で走っていると、
何処にもビューポイントがある。大体が8~9合目の辺りで、それまでの急勾配から緩やかな坂に変わるところだ。
下界と遠景が遥かかなたに見え、その前後は今までいた道がよく見える。そこでは駐車場になっていたり、土産物屋や休憩所に
なっていたりする。そして、どういうわけか道の枝分かれをしているところが多い。そこで立ち止まって、自分の歩いてきた道を
観察する必要がある。そこでは一歩後退をして見ることも重要である。 大きな分岐点になるからだ。人生においても、事業に
おいても全く同じことがいえる。ジョージ・ランドが「展望点ービューポイント」を喩えている論法が面白い。
頂上への8~9合目辺りで坂が緩やかになるポイントで、サーファーが波の衰えを感じて、崩れる前に新しい波に乗り換えるのと
同じポイントである。新しい学習曲線への波に乗り換えるポイントになる。自分がビューポイントに達したかどうかは
簡単に解るわけがない。しかし注意をしていれば兆候を見つけることができる。それが過ぎてから初めてわかるケースが多い。
波が最終局面になって、初めて気がつくケースが多いことも事実だ。とくに事業はそうだ、他人事でない。
その時はブラックジョークではないが、再生のプログラムになるが。それぞれの人生にとってのビューポイントで
違う波に乗り換えることも必要だろう。乗り換えた波がより合わない波の場合が多いから難しいのだ。
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2003年06月18日(水)
 805、「ありがとう」の言葉ー4
一週間「ありがとう」を、一日おおよそ500回を言った実感を書いてみる。まずは、気持ちが落ち着いた。特に夜半2時半に目が覚め、
この経済の異常事態や事業のことをあれこれ考えてしまう。ベッドの中では考えない訓練はしてあるのだが、今の状況は過去になかった
異常な事態である。会社も日本経済もだが。しかし、その時しめたと「ありがとう」を繰り返すと、あれこれ考えないで済むのだ。
   (字数の関係でカット2008年6月18日)
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2002年06月18日(火)
 441,時間持ち
「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」というのを本で読んだ事がある。若いときから時間だけは多くあった。
時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている?
現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。
小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 
お金と同じである。人がお金を持て余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。「主体的」に使えるから、
お金は幾らあっても持て余さない。お金は自由の塊そのもの。時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。
(字数の関係でカット2012年6月18日)
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2001年06月18日(月)
 [56] 母のアルバム
昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。
そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、上部が細くなる写真に映し出された。
(字数の関係でカット2011年6月18日)


4101, 予言の書「日本の自殺」 ー5

2012年06月17日(日)

      * 日本が直面する困難
 ここで書かれていた直面する困難の延長上に、現在がある。 現在の危機は文明がもたらしたもの。 
人間は歴史から何も学んでいないのである。その知恵の浅さに驚きざるをえない。自分を振り返れば分かることだが。
   ーまずは、要点の抜粋からー
【 まさに巨大化した世界国家(ローマ帝国)がその心臓部(ローマ)の繁栄をもたらし、そして実に皮肉なことに、
 この繁栄こそがめぐりめぐってやがては、世界国家(ローマ帝国)の心臓部(ローマ)を衰弱させることになっているのである。
 この意味では、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償であったのだ。 現在(1975年)、日本経済はその処理を
 ひとつ誤ると日本を没落に追いやりかねないいくつかの重大な困難に直面しているといわれている。
◇ その第一は、資源・エネルギーのきびしい制約である。
 海外依存度の高いわが国にとって資源問題は明治維新以降の近代日本のアキレス腱であり、第二次世界大戦そのものが
 資源をめぐる国家間の衝突であったはずだが、 七〇年代の日本はこの歴史的経験から中途半端な教訓しか学ばなかった。 
 資源・エネルギーの長期安定供給の確保はすでに困難となってきており、抜本的な総合対策が講じられない限り、
 この面から日本経済はフィジカルな破局を迎える瀬戸際に立っている。
◇ その第二は、環境コストの急上昇である。
 環境コストの増加は他の諸条件との均衡を失することなく、長期的、総合的視野に立って進められるべきであった。なぜなら、
 環境コストの上昇は、企業収益の低下と価格上昇をもたらす可能性があり、まず輸出競争力の低下を通じて貿易にも影響をもたらす。 
 公害防止の大義名分のもとに長期的、総合的配慮を欠いたきびしい規制のごり押しを続けることにより、日本の企業がつぶれ、
 経済が破滅に陥るようでは、それこそ環境改善コストの源泉そのものが失われてしまうことになることは明らか。
◇ 第三は、労働力需要のひっ迫と賃金コストの急上昇である。・・・生産性を上回る大幅な賃金上昇は、物価に転嫁されるしかなく、
 かくして賃金・物価の悪循環によるインフレ要因は、前述の資源コストなかんずく石油価格の高騰によるインフレ要因と結びついて
 事態を深刻なものにしている。】
 ▼ 上記の3つの問題 ①資源問題、②環境問題、③賃金と物価の悪環境問題は、日本にとっても、世界にとっても待った無し。
  これは文明規模の問題になっている。20年前のソ連・東欧・中国の計画経済の放棄により自由主義圏が拡大、更に問題が
  大きくなっている。その意味では21世紀は、世界的混迷が拡大していくが、その先端にあるのが日本。 情報化による
  知識の平準化が進む半面、その最先端の情報を握ったグループの独裁も懸念される。直面する問題の肥大化は避けられない。
 ・・・・・・・
3735, 自分の居場所のみつけかた
2011年06月17日(金)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
 ‘まえがき’の『 私の毎日は診察室という穴蔵にこもって、「生きていてしょうがない」「死にたいというより消えたい」
 などという人々の声に耳を傾けることですが、それらの訴えが母との居場所を求める仔の叫び声に聞こえることがあります。
 他人にそれを求めなくても、自分の心の中ですでに母がいることに気づけば楽だろうと思うのですが、それがうまくいってない。
 彼らが意識している心の中の母はほとんどの場合、彼らを責め、叱咤激励する母だからです。
  どうしたらこの「心の中の母子関係」を改善できるのかと迷う毎日なのです。が、その中から突然元気になる人々が少なからずいて、
 びっくりさせられます。どこがどう変わったというのでもなく、「まあ、このままの自分でいいや」と言い出すのです。
 居直るというか、「人として生きるのは苦しいが、その苦しいところが楽しい」といった心境のようです。 
 こうした人々についていつか書いてみたいと思っていました。』が、この本のアラスジになる。 どうも人は自分の安心できる
 居場所がないのが悩みのようだ。 過って、「自分の居場所」のテーマで書いたことがあった。
  9年前に<2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 >を書いていた。  まず、その内容から・・
【 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がないということは、非常に厳しい状態の時である。
 自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。
 20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。まず部屋に椅子と机に本棚に本と手帳を配置する。
 それで、あなたの居場所ができあがる。あなたが座ると何気なく自分の物を机の上などに配置し、いつの間にあなたの場所ができている。」
 犬のマーキングのようなものか。 私だけでなく人間は同じようことをしているはずだが、少し過剰?
 《居場所とは、・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ》
 そうすると趣味に没頭している時と場所が心の居場所だ。 毎朝あげるお経もそうかもしれない。 引っ越したら、別に住まいだけでなく、
 まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と自分の座る席。 猫もそれを本能的にしているはずだ、テリトリーとして。 】
 ▼ 私の場合、大人数の家族の末っ子ということで、あまり母は叱咤激励をしなかった。目が行き届かなかったのだろう。
  著者は精神的に心の奥底で母親の影響が大きく、目の前に居なくとも自分の安心できる場所を確保できない人を患者にした先生だ。。
  現在、会社を倒産で失った事態である。 会社は当然、居場所の大きな部分を占めていた。 が、あまり喪失感はない。
  つきつめると、生前の両親との関係が良好だったことにあるのか?。喪失に伴う痛みが、心の奥では何とか吸収してくれるのも、
  自分との折り合いが比較的うまくいっているためなのか。 会社の事務所に座っていた居場所が、ほぼ同じ感覚で、仏間の一角の
  書斎コーナーに移動できたこともある。そこに座っていると、本当に落ち着く。毎日が日曜日になった現在、家内と居間で対峙していて、
  互いにイライラしてくると、家内が寝室のTVの前に行くか、私が仏間に行くかで、住み分けが可能である。 その意味で、本拠地が
  出来てホッとしている。それとも、このHPが自分の居場所? 毎朝、10年分を読み返している時が、居場所に居る! 感がする。
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3370, デジカメを買えかえた!
 2010年06月17日(木)
 私はパソコン、デジカメ、iPod、iPhone、デジタル一眼レフ、デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ(デジカメ写真の蓄積端末)
などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称しているが、今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 
毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。(TVとビデオ機器とステレオもあるが・・・) 
その中でデジカメとiPodとiPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。ブログの読書日記を書くさい本の文章の取り込みにも、
デジカメを使っている。
  ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2995、ピーク・エンドの法則
2009年06月17日(水)
 ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と
終了時の快苦の度合いで決まる」という法則である。映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場のシーンと最後のラストシーンになる。 
「終わりよければすべてよし」 というのも当てはまる。経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには関係ない特徴がある。
人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところがある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と最後あたりの記憶が、
その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の秘境を中心にして旅行に出ているが、後半になるほどに、
この旅行は良かったと互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 間違っても良くない話はしない。帰ってきてからも、同じこと。
せっかく行ったのだから、楽しい思い出にしてしまう。どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、
そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、そして人間関係もである。エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要。
しかし、その最後が難しいのである。人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せつけられてきたが、他人事ではない。
人間は歳をとると、肉体だけでなく、精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、最後の宿泊日には、
その中では一番良いホテルに泊めるケースが多い。また、文章でも同じことである。最後の一行が肝心。で、いつも落ちに気を使う。
 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、そして落ちが必要となるが・・・。
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2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1
2008年06月17日(火)
                 「無法バブルマネー終わりの始まり」 松藤民輔:著
この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、「日本の金融機関は労せずして、欧米の金融機関に《不戦勝》
してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。どこもかしこも、毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、
その余裕がなかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。さらに、資源のない国だから、1974年、1978年のオイルショックを
経験してきた御蔭で、日本は世界で一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。 それは、政治家ではなく、国民一人ひとりが、
そして企業が生き残りをかけて闘ってきた結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。弱みを克服しているうちに
強みをつくってしまったのである。それによると、EUの1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、中国の8.7倍、ロシアの18倍である。
ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れないうちに、とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を
実現していたのである。 また東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、本社が8割も集中した国を創りあげてしまったのである。
( 字数制限のためカット 2012年6月17日 )
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2007年06月17日 
2266, 欧米のビール圏とワイン圏      * ̄0 ̄)ノ[才八∃一]     
 ヨーロッパの国々や、その植民地に行って気づいたことは、ビール圏とワイン圏が大まかだが分かれていることである。 
ドイツやベルギー、イギリスはビール圏。^_^)/q□☆□p\(^_^ ) フランスやスペイン、イタリアはワイン圏。 
ドイツでも南はワインで、北はビール圏になるが・・・ビール圏は工業国が多く、勤勉で真面目なタイプで食事の時間が早い。
ワイン圏は農業国が多く、人生は楽しむものという国民性で、自分のプライベート・タイムや家族との交流を大切にし
飲食の時間が長い。料理はワイン圏の方が圧倒的に美味しいものが多く、ビール圏はそこに比べるとかなり落ちるようである。
日本はドイツの教育制度を取り入れたことと、武家社会だったこともあり、ビール圏に近いが、最近になってワイン圏の考え方が
急速に入ってきている。アメリカもイギリス系植民地だったこともあり、ビール圏である。アル中はワイン圏の方が多く、
人生は楽しむものという考え方が、酒量を多くさせてしまうようだ。 ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーヽ(#`Д´)ノ┌┛〃
とはいえ、日本のサラリーマンのように仕事仲間内で飲む習慣は少ない。□p\(^_^ ) カンパァーイ (  ゜Д゜もう一杯酒飲め !
美味しい世界各地の酒と肴を飲んできた。 中国には紹興酒、ロシアにはウォッカ、メキシコにはテキーラ、イギリスには
スコッチなど、世界にはその風土から生まれてきた酒があり、酒の肴を合せて飲むのが楽しみだ。その中でやはり日本人のためか
日本酒が一番好きである。 その中でも新潟の吟醸酒が最上である。それも駅のメーカー直販の店で、ワンカップで
280~500円位で売っているのが美味い。酒メーカーは戦略上、駅への酒の出荷は車内販売も含めて良い酒を出すからだ。
ビールは最近になって、好みもあるが日本のものが一番といってよいほど美味しい。40年前に初めて欧州に行ったときの
ビールとワインの美味しさをハッキリ憶えている。ワインなどポートワイン以外飲んだことも無かったこともあるが・・               
           (´・з・`)グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ    
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2006年06月17日(土)
1901, 半年の総括              才八∋ウ_〆(∀`●)
 少し早いが「今年の半年の総括」をしてみる。
・まずは読書で印象に残ったのは、
 *「ウェブ進化論」               *「グーグル Google」
 *「ズットやりたかったことを、やりなさい」   *「ローマから日本が見える」
 *「ジム・ロジャーズ世界を行く」どの一冊をとっても、衝撃的な内容であった。
 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2005年06月17日(金)
 1536, 「これから5年・地価は半値になる」  −読書日記ー
数日前から書店で立ち読みをしていたが、少し眉唾の「売らんかな」の題名の本と疑心暗鬼であった。
しかし、気になったので買って読んでみた。東京の不動産・事務所ビル・マンション事情が解りやすく、三人の対談方式なので
読みやすい。内容は業界関係なら周知している事実であろうが、地方では疎い情報を具体的に教えてくれている。
「都内の勝ち組立地の大型の物件以外は5年後に半値」というのも決してオーバーではないようだ。
現在、高層の億ションのいくつかの売れ残りが始まっているとか。大都市圏の一部での地価下げ止まりと上昇は、
海外有力ブランドの出店ラッシュと都市基盤整備による一時的カンフル剤をうったにすぎない。
・既に高級マンションの値引き合戦がおきていること、
・都心以外はビル賃料のダンピングで地価が下落していること、
・5年後の半値は銀座や青山ではなく、東京の十字架ゾーンを外れた場所とか、地方の値崩れが激しく総体では半値になるだろう
・十字架ゾーンから外れた郊外住宅やマンション、ニュータウンは既に暴落している。
・千葉の某団地は、都心マンションの頭金ほどの価格で購入できる。
・右肩上がり時代ではなく何時リストラされるか分からない時代はムリしてローンを組むと破産者になるだけと警告している。
・さらに日本人の「持家信仰」からの脱却を奨めている。
段の下がりきったマンションを娘のために買った」といっていた。
−以下、要点を抜粋してみるー
 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2004年06月17日(木)
1171, 哲学についてー5
  ー合理主義ー 
 近代科学と同時に、近代哲学の芽吹きが始まってきた。「世界は理性で理解できる」という「合理主義」の考え方である。
初めて合理主義哲学を提唱したのはデカルトである。16世紀末にフランスに生まれた聡明な学者だった彼は、志願将校として
ヨーロッパを見てまわって、人間の世界が書物の世界より多様性に富んでいることに気がつく。
そして次第に、「人間が芯に確信できるもの、確実に知ることができることがあるのだろうか」と思うようになる。
人間の思考というものを、哲学、数学、科学の分野から研究を始めた。出発点に戻って思考する「私は何を知ることができるか」
である。そしてかの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り」という結論に達する。彼は「人間の究極は精神である」という結論から
現実世界は精神と物質という二つの要素から構成されるという考え方を導き出した。このように自然界を精神と物質、
主体と客体、観察する人される人の2種類に分ける考え方は、西洋人の考え方に組み込まれていく。今日まで哲学者の間で
「デカルト的二元論」といわれてきた。デカルトは、このシリーズで取り上げなくてはならない一人である。
その時は、より詳しくその思想の内容をマトメテみたい。彼から後、多くの合理主義哲学の一派があらわれる。
彼らの基本理念は「現実世界の知識は理性をとおして得られるのである、知覚することによって得られた情報は本質的に
信頼できず、知識になるどころか、間違いの原因になる」というものである。デカルトの後にはスピノザやライプニッツなどが出てくる。
デカルトやスピノザは天才的な数学者であり、この二人にとって数学は「真に確実な知識を手に入れるための理想的な手本」であった。 
彼らは数学者が使っている手法を、現実世界を理解する為に利用できるなら、あらゆることが解明できると考えた。
我々が何気なく考えていることや、言葉などが先人によって考え出された上のことでしかない。
そう考えると、自分とは何ぞやと考えること自体ばかばかしくなってくる。   −つづく
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2003年06月17日(火)
804, 50歳の頃ー2
 ー50歳といえば1996年、平成8年である。今から見れば、まだ景気の先行きに明るさがあった。
・村山から橋本に首相が変わり。
・狂牛病の0−157が社会的な大問題になっていた。
・携帯電話やパソコン・インターネットがが普及を始め
・この頃から『援助交際』とか『ルーズソックス』が流行りだした。
・アトランタオリンピックが開かれ、マラソンでは有本が銅、柔道では野村、恵本が金、田村が銅メダルをとった。
・ロシアではエリツィン、アメリカではクリントンが大統領に再選された。
・国内のベストセラーでは春山茂雄『脳内革命』野口悠紀雄の『超勉強法』がベストセラーになっていた。
個人的には
・母が亡くなった年である。海外旅行はエジプト、インカ・ペルーと南アフリカに行った。
 会社のほうは第三の増築をして、客室が合計500室になった。こう当時を振り返ってみると、時代背景が個人も
会社にも大きく関わっていることが解る。また刻一刻と時代が変化している。 個人的にも色いろの出来事があった。
その殆んどが忘却のかなたになっているが、それだかこそ生きていけるのだろう。
これからは60,70,80歳の坂を乗り越えていかなくてはならない。 現在とは過去から見たら最長老であり、
未来から見たら最年少といえる。 こうして文章を書いているとつくづく実感する。
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2002年06月17日(月)
 440,自己不一致の人
誰でも持っている要素である。組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。自分の事といってよい。
・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。・夫婦間の問題 ・両親の仲が良かったか
中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。あと舅・姑の関係も絡んでくる。
家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。それがそのまま
子供に反映してくる。あるいは自分に反映する。   ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2001年06月17日(日)
[55] ジョーク集について
 ≪字数制限のためカット2010年6月17日≫


4100, ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1

2012年06月16日(土)

 アマゾン内のネットサーフィンをしていたら、「ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1」という言葉が目に入ってきた。
一般的には2:1だそうだが、ポジティブであろうと意識することで3:1に引き上げることが出来るという。不自然に4:1、
5:1に引き上げようとする無理が出る。マイナス部分から目をそむけることになる。「ポジティブ」という概念は、精神論で
語られることが多かったが、21世紀の心理学と言われ欧米では教育界、ビジネス界などでもその成果が応用されている。 
 100%のポジティブを求めるのではなく、ネガティブを3:1の比率で最初から割り切ってしまうのも良い。
秘境ツアーなどに参加すると、旅行中に一通りのトラブルを経験する。それも慣れてくると起きて当然と割切りが出来てくる。
僻地という圧縮された時空の中で日常には無いトラブルに遭遇する機会が多くなる。しかし、それさえ楽しむ心構えが経験の積みから、
自然と出来てくる。そして、その数倍の感動の場面に出会うことになる。 旅行もネガティブの比率を経験を重ねることで
四分の一にすることが可能になるということ。 最初の数回はネガティブな方に気持ちが動くが、慣れてくると、ポジティブに
気持ちを集中できるようになる。
 人生も似たようなもの。 私の見立てでは八割の人はネガティブ感情に支配されていて人生全体を暗く平凡にしている。
少しの訓練と習慣で変えることが出来ることを知らない。 人間に宗教が必要なのは、神を信じることでネガティブな感情を
ポジティブな感情に押し上げる効果があるからである。 日本では中村天風の教えがある。「積極一貫」を常に心がけ、肯定的
言語を意識的に使うことで己を御す教えである。それと呼吸法と瞑想を取り入れてあり、なかなか奥行が深い。
最近、心掛けていることは、マイナスの言葉が出たときに、意識してプラス用語を使うようにしている。
オウゴン比率3:1は、頭に浮かぶ内語にも、映画、本、行動選択にも当てはまる。暗いより明るい気持ちでいた方が良い。
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3734, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜⑨
2011年06月16日(木)
                       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 * 人生は「自己中心」の法則が握っている
 私が部屋に入っていくと、そこにいる人は私が来たのが感じでわかると言うのを聞くと、私は今でも驚く。それは彼らの認識だ。
だが私にとっても、その部屋、その領域は自分のものであって、自分はその中心にいる。私にとって、宇宙のすべてのものは自分から
はじまる。これを「自己中心」の法則と呼ぼう。この法則はあなたにも当てはまる。 これは子供じみた見方ではないだろうか。
幼稚な性格を暴露しているのではないだろうか。 こういう自己中心的な見方で世界を見るのは、子供だけだからだ。だが、
私は自分の幼稚な世界観を大切にしている。私はセラピストが要求する大人らしさと戦う。成熟と死は、似た者同士だ。
私は精神科学者の冷淡で断定的な見方に抵抗する。彼らは私たちにレッテルを張るが理解はせず、私たちを分析するが愛さず、
私たちに関して黒か白かと割り切った冷淡なレポートを書くことはできるが、私たちの喜びや愛情、悲しみなどの感情について、
そして自分自身の感情についてはたった数行すらも書くことはできないのだ。
 私は絶対に大人にならないことを誓う。子供らしい見方を絶対に失わないこと、喜びを感じる子供の部分を絶対に捨てないと、
子供のすばらしい自発性、魔法のような創造性、純真な心を絶対に投げ捨てないことを誓う。 私は自分のなかの子供らしさの
最後のかけらにしがみつきながら(死ぬことがあるなら)死んでいくだろう。子供の持つ畏怖の念と純真さがあってはじめて、
死を体験することができると思うからだ。 空の星を見てごらんなさい。三百六十度、ぐるりと回って眺めてごらんなさい。
 あなたは宇宙の中心にいるのではないだろうか。部屋のなかにあるものを見てごらんなさい。あなたが回転すれば、あなたから見て、
部屋のなかのものもあなたを軸としてぐるりと回転しているではないか。それを認めなさい。あなたはあなたという宇宙の中心に
いるのではないか。もしわれこそ自分の宇宙の中心を占める王様だと思わなければ、他の誰かか他の力がその場所を占めることになる。
他人が自分の中心を占めているということは、自分が他人にそうすることを許可しているからに他ならない。だが、すでに学んだとおり、
他の人や力をそこに置いているのは「自分の力」だ。王位に就かせたり、宇宙の中心に置いたりする力を自分が持っているならば、
私たちは自分自身にもっと敬意を払うべきではないだろうか。 
 これについて、さらによく考えてみよう。私の許可なくしては、どんな人もどんなカも私の宇宙の中心部を奪い取ることはできない。
だとすると、許可という言葉は、力を意味する言葉だということになる。私はどんな人でも私の中心を占める許可を与える。
私は自分の宇宙の中心を占める許可を自分自身に与える。あなたに、私の師に、神に与える。だが、許可を与えるのは私自身だ。】
 ▼ 仏教的教えが建前上、根づいている日本で、ー人生は「自己中心」の法則が握っているー などという本音はなかなか書けない。
 最近になって、遺伝子学者ドーソンが、「すべての動植物の遺伝子には、遺伝子自身の繁栄を優先するような メッセージが
 組み込まれている」という‘「個の利己主義」「種の利己主義」=「遺伝子自身の利己主義」’の研究発表をした。
 だから自己御都合主義が良いと言っているわけでない。それが、生物、人間の原点であり、社会は、それで成り立っている前提を
 認めるべし、ということ。そのエゴのぶつかり合いが裁判で議論になる。 その渦中の弁護士が言うから、言葉が重い。
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3369, Youtubeでみる津波の映像
2010年06月16日(水)
 何度もYoutubeでスマトラ沖地震の津波映像を見ているが、百年か五百年に一度の経済恐慌のイメージとして見ると、
現在の置かれている立ち位置が見えてくる。マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が
流されていく映像を全国放送では流せないが、Youtubeでは次から次へと生々しいのが出てくる。
津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。そして、気づいた時には大波に流されていく。 
映像は、あどけない子供が大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・・
 この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震を震源とした大津波が日本に押し寄せている。
「輸出産業の拠点として名古屋が、金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。
その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れることになったが、もっと酷いのが地方経済。 
現在、政府が中小企業への緊急金融救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。
 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波でしかない。それでも、この惨状。
そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。
 二年後にはハイパーインフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では消費税の値上げも・・・。
もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業はコスト増で立ち行かなくなる。どうなるのだろ? とはいえ国家も大幅な税収減で、
それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。
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2994、筆談ホステス
 2009年06月16日(火)
「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、ママには「美人系」と、
「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン?
と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目に
とまったのだろう。聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 
私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。
    ≪字数制限のためカット 2010年6月16日≫
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2630, 閑話小題 
 2008年06月16日(月)
  * 台風と地震が何で土.日曜日に多い?
統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。特に台風は決まったように週末である。  
最近では地震まで御付き合いのようだ。中越地震が土曜日、去年の能登地震と中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日。
(中国の四川地震とミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である)偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。
  * ワーキング・プアのテロ?
  * 「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断
≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫
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2007年06月16日(土)
2265, 動物が家畜化されると、どうなる?          *´・ω・)ノはよー!
  動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、文化(檻ーおり)を発展させてきた
 不思議な生き物という。  ー家畜化した動物の特徴は
・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。
 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。
・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。  >(^┰^;)ゞ
 例えば、野生の羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。
 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、
 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。
・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。
 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。
・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。
・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・
 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。
 ▼ 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。動物は自然環境の変化に対して、
  自分を変えて生き延びてきた。それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。
 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。
 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、五感が退化して
 頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、最後はそれで滅びていく憐れな
 生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。
 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と!
「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・
  ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい?
・・・・・・・・・
2006年06月16日(金)
 1900, グーグルアースが凄い!        おはよ?!(*^ワ^*)i
数日前にグーグルアースがバージョンアップした。
・画面鮮度が3~4倍のアップ、
・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。
 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。
 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。
 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」
 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。
 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。
使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。
最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。
「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。
別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に中古のパソコンを与え教えようという運動がある。
知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」      (。・ω・)ノバイ         
  以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。   (字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日)
 ーー
2006/04/07
 1830, あちら側の世界 ー8       (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
    ≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫
ーーー
2005年06月16日(木)
1535, 秘境探検家の「幸福論」ー1
(字数の関係でカット2009年6月16日)
・・・・・・・・・
2004年06月16日(水)
 1170, 哲学についてー4
ー近代科学の芽吹き近代科学が16~17世紀にかけて登場してきた。新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。
まずはポルトガルのコペルニクスである。宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に解明
できなかった問題が多く解決できると指摘をした。地動説である。それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いて
あったことを根本的に否定することになった。そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。
キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。
しかし彼は有名な言葉をつぶやく「それでも地球は回っている」と。次に史上最高の科学者アイザック・ニュートンがあらわれる。
1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。彼はそこでリンゴを落下させるために働いて
いる力は、月を地球に引きつけている力、地球を回らせている力と同じであると気がつく。
近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が薄まってくると、哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。 ーつづく
・・・・・・・・・・
2003年06月16日(月)
 803、50歳の頃ー1
 ー60歳までの人生
曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。丁度私が50歳の時であった。
50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという自分への
問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、
夕陽を見ながら息子と日本酒を飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。 その時に考えたのは、
「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう!
『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。
・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう  等、生き方を変えようであった。
 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。
本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。
しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心」は良いのではと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。
「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。
その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今もこうして
生きている。短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」 かなり深い人生の示唆であった。
「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、尚のこと心に響いた。 
あと2年半で、その60歳に近づきつつある。「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることができるのではないだろうか。
そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に飛び出せる
のではないかと考えている。 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどでアフリカや
中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
・・・・・・・・・
2002年06月16日(日)
439,随想日記の不思議
毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 
それが何か非常に気持ちが安定する。 心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。悪趣味?といえば、
そうかも知れないが、見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。
書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」のような不思議な
感覚を受ける事がある。ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。もっと面白いのは過去の自分の文章。
読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の
心のメルクマールになる。過去に日記を書いておけばよかった。反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。
学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。書くという事は排泄と感じることもあるし、
昇華ということもある?メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。
思考の再深耕が容易になる。 ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。
・・・・・・・・・・
2001年06月16日(土)
 [54] つれづれに
朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。HP を開いてから、毎日が楽しい。
パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあいコミニケをしているという。女性だからできるのだろうが、
ある意味で理想に近いコミニヶだろう。もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。
自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。


4099, 閑話小題 

2012年06月15日(金)

  * 自転車のパンク
 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、年に二回はパンクをする。
たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと割り切っている。
一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。 昨日もパンクをしたので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、
市内の自転車屋の数を聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため次世代が店を継ぎたがらない」という。
店売りの自転車はHCや、スーパーが大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。 パンクの修理時間は平均、20分。
それで千二百円は悪くないが、私の見立てでは一日4〜5人。 奥さんがパートをする兼業商家なら何とかなるのだろう。
  * 書見台
 iPadタテがあるなら本立て(=書見台)があってよい筈と、調べたら、あるある。江戸時代の学者が正座をし書見台に向かい
読書をしている絵を見かけるが、その卓上版があった。 元もと在ったのだろうが、この歳で初めて書見台の存在に気づくとは。 
隠れたブームになっているというから、一般的ではなかったようだ。 それにしても楽で良い。 机上では両手で支えるか、
下に置いて斜め上から読んでいた。 現代書見台は、小さな衝立に立て、下の両側をバネで抑える仕組みで、両手を使わないで済む。
メモをとる時とか、デジカメに記録に残す時などに便利である。これにiPadを立てて使えるため、既に必需品になっている。
  * ギリシャがどうなるのか?
 17日から数日間はギリシャから目が離せない。ギリシャ国民がユーロ圏から離脱するかどうかの再度の国民投票になる。
もし離脱になれば、世界恐慌のキッカケになる可能性が出る。予測は5分5分だが、悪いことにスペインの三段階の格下げ発表だ。
いまやPIIGSのモグラ叩きの様相であう。 何時まで持つかだが、一度火がついてしまえば、世界恐慌が吹き荒れる。その惨状は、
想像すらできないほど深刻という。後は野となれ山となれ、だが、衰弱化しきった日本は外国から狙われること必定。
どうも世界の動乱期での日本の小選挙制度の仕組みが適正でなかったようだ。その意味で、ここで日本も一度、現在の枠組みを
変えるしかなく、政治動乱の過程を踏む必要がある。 まずは、この一週間は国内外の政治経済から目が離せない。
・・・・・・・
3733, 閑話小題   
2011年06月15日(水)
  * 衣替えのアイロンがけ
 この時期になると、半袖のポロやTシャツなどを箪笥から出して、アイロンかけをする。(家内は一切無視? ったく!)
風呂敷から出して、新鮮な空気に触れさせ、霧吹きで水分を含ませアイロンを軽くかけると、見る見るうちにシャツが姿を変える。
無機物のシャツが、あたかも生き物のように変わるから面白い。人の手を入れると元気になるのは植物やペットなら、尚のこと。
新鮮な空気、水分、熱など自分自身に我々は入れているだろうか?。 それだけではない、知識も入れ替えをしないと。
「新婚さんいらっしゃい」というバラエティーで、夫はアイロンがけが趣味というのがいた・・ それって、奥さんがするんじゃ?
  * ハイボールの語源
 日本では、ウイスキーのソーダ割りだけをこう呼ぶのが一般的。 もともと、あらゆる酒がベースで、ソーダやトニックウォーター
などの炭酸飲料や、水、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったものをハイボールと言う。語源について諸説ある。
<1> 開拓時代のアメリカで、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で水の補給のための停車の際、
  棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことが、語源という。
<2> 同じく開拓時代のアメリカにて。当時鉄道ではアドバルーンのボール信号が一般的に使用され、ボールがあがっていれば go、
  あがっていなければ don't go 。 当時は、インディアンの襲撃が頻繁にあり、そこまで行ってよいかどうかの判断もあった。
  その無事に感謝をして水で割ったウィスキーを飲んだのが語源とか、他に炭酸の泡が揚がっていく様から「ボール信号」という説もある。
<3> イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、急に自分の打つ順が来たことを知らされ、そばにあった
 ソーダにウイスキーをあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが飛んできた、それが語源だという説。
  早くいえば、ハイボールは 「飲みやすいカクテルの代名詞」。サントリーが数年前から角瓶との組み合わせの「角ハイボール」を
 大々的に宣伝を始めた。 人気の背景には飲みやすさに加え、老舗企業の戦略もある。それにしても、イメージ広告に人は弱い。
 ・・・・・・・
3368, ユーストリームの世界
 2010年06月15日(火)
 ツイッターに驚き、Youtubeに驚き、とどめはユーストリームである。実はツイッターを始めた頃に、「生中継サイト」があってよいし、
できるのも時間の問題と考えたが、既にあったのである。ツブヤキだけでなく、映像の生流しもと・・・ フクロウや鷹の巣に設置された
カメラの生中継にまず驚いた。他にも漫画家の制作中の漫画や、ある街角の道路や、ボクシングだったり、色いろある。
 若い女性が自分のパソコンのカメラで語りかけているのに対して、チャットで数秒単位で複数の男?が書き込んでくる。
その両方を生中継をしているのである。何か異様な世界に紛れ込んでしまったようである。 恐らくアダルト系も?。
iPadなどのタブレット式パソコンが普及したら、街角に溢れて、「こんな面白い画面が・・・」となる。 
ツイッターが140文字のツブヤキの垂れ流しに対して、これは映像の垂れ流しである。国会中継も、野球中継も、個人から発信可能になる。 
飲食店やスポーツジムなどが販売促進として、店内を生中継をするには良い。またメガネやサングラスに極小のカメラをつけた生中継も可能。 
そういえば、以前に隼の頭にカメラを据えつけて飛ばした映像を見たことがある。時速200キロ前後で林の間を飛んでいる映像は
自分が飛んでいるような錯覚になる。独り住まいの老人の家庭の監視にも応用できる。 中高年のネット難民と若者の差は大きくなるが、
iPadで何とかなるか? この十年の時代の変化は激しい。その根は情報革命。これでは小松左京でないが、SF作家もついてはいけない。
しかしツイッター、Youtube、ユーストリームは面白い! 恐らく近い将来スーパーが店内のコーナーがことに、カメラを据えて
中継するネットスーパーが本格化するだろう。 面白い時代である。   ≪偶然の一致だが、以下は、この文章に関連している≫
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2993,アトムの七つの力
 2009年06月15日(月)
 鉄腕アトムは1951年に登場したというから私が5歳の時。美空ひばりの歌が聞こえてきたのと同じ頃である。
最近、アトムが再び見直されてきている。 その手塚治も現在のIT化をみたら、驚くはずである。
 ー ウィキペディアによると・・・ ー
 電子頭脳(CPU)の記憶容量は15兆8千億ビット(約1844ギガバイト)。
身長135センチ、体重30キログラム。ちなみに電子頭脳は頭部ではなく胴体内上部に設置されていて、
頭部は単なる飾りとされた(透視図では頭部にセンサー類が集中しているようだが、作中では頭部が外れてしまったり、
無しでも活動可能な描写があり、胴体にもセンサー類は搭載されているようだ。 彼が登場した時代は、2003年。
まさに現在である。 最近、色いろのロボットが出始めてきているが、自分で考えたり、心も持つまでには至っていない。 
しかし、彼には、七つの特別な能力があり、1963年、1980年、2003年と、その能力は変わっている。
  * 1963年アニメ第1作(モノクロ版)
1、どんな計算も1秒でできる電子頭脳。 2、60か国語を話せる人工声帯。
3、普通の1000倍も聞こえる耳。2000万ヘルツの超音波を聞き取りが可能。
4、サーチライトの目。      5、10万馬力の原子力モーター。
6、足のジェットエンジン。    7、お尻からマシンガン。1秒間に500発撃てる。
  * 次の1980年アニメ第2作になると
1、胸の中に電子頭脳セット。60か国語を同時通訳ができる。  2、耳は音を1000倍に聞ける。
3、サーチライトの目。   4、10万馬力の力。重水素燃料による核融合エネルギー。
5、腕と足はジェットで空を飛べる。 6、腰の中にマシンガン。1分間に600発撃てる。7、レーザーブラストの手。
  * 2003年ASTROBOY版
1、高度な人工頭脳。  2、人間の1万倍の聴力。  3、透視能力を持つ目。  4、10万馬力の力。
5、足のジェットで空を飛べる。  6、指にフィンガービーム。  7、腕にアームキャノン砲。
 ▼ 以上だが、個々を分解をすれば60ヶ国を話せる人工声帯以外、現在では実現をされている。ロボットとして飛べないが、
グーグル・アースで世界の空を何処へでも飛ぶことも可能になった。 
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
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2629, 世界バブル経済終わりの始まり ー3
 2008年06月15日(日)
第二章は、投資の最近の基本的な常識が項目ごとに書いてある。まずは第一章のように、項目の言葉をつなげてみた。
「大金持ちの投資家以外は、何かに集中しなければならない。それもまだ脚光を浴びてない将来性のあるものを探し出すこと。
ただし焦っての駆け込み投資はさけること。独り自分の確信を持てたものを長期的に保持し、儲けることである。 
ヘッジファンドは、投資先をブロイラーとしてしかみない。 太らせて目先利潤を得ればよい。
アナリストの予測は、ホボ当たらないもの、自分の目で調べ探し出すこと。」
 目次に感想を入れてみた。    ≪字数制限のためカット2011年6月15日≫
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2007年06月15日(金)
2264, 閑話小題          (*´・ω・)ノはよー
 * ー都銀の地方攻勢が始まったー
 都銀が数年前から地方に本格的攻勢をかけてきて、その玉突き現象が地銀以下の銀行に起きている。
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
 ーまた、中学校の同級会ー
 * 一昨日、長岡のホテルのビア・ガーデンで中学校の同期の面々の同期会に出席した。
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
 * ーサプリメント依存症ー
 ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫
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2006年06月15日(木)
1899, 結婚の三条件ー2         ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
反対に結婚してはいけない三高条件と三低条件を体験から考えてみる。
こういう場合は、ごく身近な人のマイナス面を観察すればよい。 ドキッ! 私の主観が入りすぎているが?
 ーまずは三高とは?
・高コスト   ー金のかかる女 (稼いでくれれば、まだよいが)
・高プライド  ープライドのみ高い女(中味の薄さを、身近の人の批判でカバーしようとする)
・高依存症の人 ー常に判断を相手に求め結果のマイナスを攻撃する人(高コストと重なるが、高ブランド依存症である)
 早くいうと教養のない人?
 ー三低とは?
・低い品性       ?親の躾と生活情報が入っているかどうか・・
・低い夢しか持てない人 ?現実に溺れすぎている人
・低い趣味       ?本当に好きなことを求めてきたか・・    
  さらに低い知能もあるが・・・
誰も?大部分が当てはまるから、これ以上書くと問題になるか?いや、それよりも自分の姿が重なる?
人生は、選択した職業と、連れ添いと、ライフワークとしての趣味の質量、で決まってくる。
職業は生活の為とか、工夫によって何とか適応できるが、結婚だけは10年20年経ってみないと、分からない。
だから、せめて前提条件を見定める必要がある。両親をみれば半分は分かるが、あとは神のみぞ知るである。
神は一番相性の悪い相手を与えて、人生のレッスンをさせるらしい!毎日、よいレッスンをさせて頂いてます。
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2005年06月15日(水)
 1534, わたしの酒中日記ー8
ーミニ能登旅行 1972年4月某日
今朝、急に思いたって観光バスで「能登一周コース」を、まわってきた。50人乗りのバスに、乗客が12~3人位。
車内がゆったりしていたこともあり楽しい一日であった。金沢駅から出発、金沢港近くを通ってしばらく経った後、海岸線に出る。
何と波の打ち寄せる際の砂浜をバスが走るのだ。今まで、海岸線が道になっているのは初めてである。
こんなのが、日本にあるとは全く知らなかった。「千里浜なぎさドライブウエー」というが、能登の情緒がそのまま出ている。
しばらく走ると海の家の前に止まり、そこで「サザエのつぼ焼き」が出された。その景色の中で食べる味が何とも良い。
ビールを一本買って飲んだが、その美味しい。まだ4月のためか風は寒く波が荒いが、天気が良いこともあって風情があった。
数ヶ所名所を観た後に、輪島に到着。そこでは有名な「朝市」を覘いてみる。昼近くに着いたが、殆どの店はまだ開いていた。
風情のあるオバサン・オバアチャンが、それぞれの個性を売りにしている。帰りは、逆に富山寄りのコースになっている。
七尾と数箇所を観て、最後は金沢駅で解散。観光バスは気楽に最短のコースをまわってくれるからよい。その後、駅の地下の
おでん屋に寄る。いつも帰省する時に寄る店で、何げないオデン屋だが有名店である。ここの土手焼きとオデンとハンペンが絶品で、
また焼き蛤が美味しい!何ともこたえられない店である。そのあと香林坊まで移動、そこで一人飲むことにした。初めて入る店で、
少し高級そうなスナックで、靴を脱いで入る店だ。中は幌馬車内をモチーフにしてある。初めてみる異様な雰囲気を漂わせている。
ママとホステスは、ウエスタン・スタイルで、何か西部の田舎町に来ているような錯覚をしてしまう。薄暗いカウンター内に、
赤い顔文字のネオンが印象的だった。アメリカのウエスタンの片田舎にいる!という感覚になる。今度、誰かを連れてこよう!
とにかく金沢は何処もあか抜けている。今日は一日としては、充実をした時間を過ごせた。こういう急に思いたって一人でする旅は、
自分を開放してくれる。小さな籠から飛び出し小さな自由を満喫して、再び籠に舞い戻った鳥のようだ。来月は市内の観光バスに乗ってみよう。
面白そうだ。まだまだ、市内で知らない場所が観光ガイドに多くあった。金沢は、富山に福井に能登に加賀温泉、そして金沢市内に
多くの観光資源が豊富にある。そういえば、一昨年も四日市にいた時に紀伊半島を一泊旅行をした。尾鷲に一泊した列車旅だった。
まだまだ、学生時代を背負っていた。また四日市を去るとき、同期の連中と尾鷲と伊勢に「お別れドライブ」をした。急に変なことを思い出した。
渡辺、西尾、桜井、私に、女性が二人いた。その一人と西尾が結婚したと、桜井から聞いた。彼らは一番初めに配属された職場の連中だった。
いろいろあった。昔を思い出すには、まだまだ早い!明日は、結婚で辞める藤井さんの送別会だ。
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2004年06月15日(火)
 1169, 秘境・異郷ツアーレッスン ー1
過去にいろいろ秘境・異境ツアーを書いてきた。この随想日記の引き出しのコーナに「秘境・異境コーナ」をつくる予定だ。
そのための前段として、このテーマで書いてみる。このツアーから学んだものは、あまりにも多い。今まで書いてきた文章を読み返してみると、
想像をはるかに超えた自然や遺跡や文明に出会い、感動をしてきた痕跡が記録してあった。実際に見て肌で感じ取ったことは心の奥底に残る。
「うあ?、何じゃこりゃ!、この地球上にこんな世界が実際にあるんだ、知らなかった!」と何度も何度も思ったことか。
そこで何よりも感じたのは、世界の広さと、自分の小さな世界である。自分の満足や不満のことなど、
この広い世界からみれば些細なことでしかないと実感できる。世界では人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかを
つくづく悟らされる。旅行は人間を謙虚にさせてくれる。10日から半月の旅行でも、秘境に行くには莫大のエネルギーをつかう。
一回の旅行の経験ごとに、間違いなく自分が成長していくのがわかる。自分の世界が広がり、それだけ内面が深耕していくのが
よく解るのだ。そこの大自然に感動するのは、自分がそこに同化したことであり、自然の中にある霊性と自分の霊性がつながる
ことになるのだ。それが精神の若返りの秘薬になる。多くの旅に出かけたところで人生観が変わっても人格は変るわけではないが。
「世界は一冊の本と喩えると、旅をしないものはその本を一頁しか読めない」という。まだまだ、これから先のページが
多く残っている。旅をするのは到着するためではなく、そのプロセスこそ意味がある。そのすべて楽しみに引き上げることだ。
人生と同じである。秘境旅行という本を1ページごと読み続けている限り、連続線の旅行をしていることになる。
それだけ、私にとって強烈な体験でもある。 成田で、飛行機に乗ると逆に「ああ旅行に帰ってきた!」と思ってしまう。 
それだけ私にとってインパクトの強い経験である。ー10年前の文章をコピーしておきます。この時16回と書いてあるから、現在41回とすると、
10年で25回も旅行したことになる。   ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫
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2003年06月15日(日)
802, サッカー観戦記
先日、知人からサッカーの招待券を貰った。アルビレックス新潟とサガン鳥栖の対戦である。こういうチャンスはめったにない、
行くことにした。昨日ー6月14日、場所は新潟市の駅裏から数キロ先である。去年のワールドカップの為につくった
新潟スタジアム、一度見てみたかったから丁度よかった。雨が気になったが終了後、車に乗ったと同時に降ってきた。
≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
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002年06月15日(土)
 438, 因縁についてー与三八さん
私の仲人の名前である。私が八郎ー兄が三郎。兄は男で3番目、私が兄姉の8番目で八郎になった。
多くて最後の方は面倒だったのか、戦時戦後のドサクサでじっくり考えている余裕がなかったのだろうか? 
シンプルだ。兄も私も嫁さんを与三八が紹介してくれた「仲人」である。三八に与えるで与三八である。
そのことに気づいたのは、結婚して数年経ってからである。本人に「自分の名を宿命と考えてか、ブラックジョークと考え
意識して紹介したのか」と聞いた。本人はエヘヘと笑って答えをはぐらかした。まあ面白いものだ。
  ≪字数制限のためカット2011年6月15日≫
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2001年06月15日(金)
 [53] 北欧ロシアに決定!
朝スイスに決まっていた旅行、急遽‘北欧・ロシア’に変更。理由は「迷った場合は先に行っていたほうがよいほう選定基準にする」
である。スイスも捨てがたかったが‘モスクワとサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館’と
‘北欧の大自然’が捨てがたかった為だ!ぎりぎり迷い判断するから、後で後悔が少なくて済む。ぎりぎり迷うのも旅行前の
楽しみの一つだそれだけ多くの情報を真剣に探し、その世界に入るからだ。あと三週間今からが呼吸を整える時期になる。
たまたま朝、決断後書いた文章で、一度ホームページに載せた後に削除した内容である。


4098, 予言の書「日本の自殺」 ー4

2012年06月14日(木)

     * ローマ帝国衰亡との類似
  予言の書で、日本とローマ帝国衰退と類似点として、エゴの氾濫と悪平等主義の流行を上げている。極端に現れ出ているのが
 日本で、これは世界中の各国の共通問題でもある。その中で、情報化による情報の氾濫。情報は平準を求めるもの。
 ローマ帝国のサーカスは現代ではTVになる。それと都市、とくに首都圏への集中化も同じである。
≪ 諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの
 社会的崩壊によって破滅するという基本的命題。 過去のほとんどすべての没落した文明は、外敵の侵入、征服、支配などの前に
 自分自身の行為によって挫折してしまっていた。ほとんどすべての事例において、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての
 ”自殺” だったのである。 いかにローマは滅亡したのかについては以下の5つの理由を挙げている。
・第一に、巨大な富を集中し繁栄を謳歌したローマ市民は、次第にその欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽レジャーに明け暮れる
 ようになり、節度を失って放縦と堕落への衰弱の道を歩み始めた。それはまさに繁栄の代償、豊かさの代償とでも呼ぶべきものであった。
・第二に、ローマ帝国各地から繁栄を求めて流入する人口によってローマ市の人口は適正規模を越えて膨張に膨張を続け、
 遂にあの強固な結束をもつ小さくまとまった市民団のコミュニティを崩壊させてしまった。
・第三に、これらローマ市民の一部は一世紀以上にわたるポエニ戦争その他の理由で土地を失い経済的に没落し、事実上無産者と化して、
 市民権の名において救済と保障を、つまり「シビル・ミニマム」を要求するようになった。よく知られる「パンとサーカス」の要求である。
 無料の「パン」が保障されると、退屈しのぎのためにマス・レジャー対策が必要となる。ここに「サーカス」が登場することになる。
・第四に、市民大衆が際限なく無償の「パンとサーカス」を要求し続けるとき、経済はインフレーションからスタグフレーションへと進んで
 いくほかはない。過去の諸文明が、その挫折と解体の過程でいずれもインフレに悩まされているのは誠に興味深い歴史的事実である。
・第五に、文明の没落過程では必ずといってよいほどエゴの氾濫と悪平等主義の流行が起こる。こうして民主主義はその活力を失って、
 一方で放縦に走り、無秩序と解体をもたらし、他方で悪平等主義に走って画一化と全体主義の泥沼のなかに腐敗していく。” ≫
 ▼ 現代の戦争は経済戦争になる。ソ連・東欧は経済戦争でアメリカと西欧に負け、勝者の欧米も、その奢りで自壊しつつある。
  「日本の自殺」が書かれた時は、既に崩壊に入っていたのである。それを冷静に歴史の中で予知し、予言として警告していたのだ。
  その結果が現時点である。市民権の名において救済と保証を第一優先にしている日本とギリシャ、救いようがないというしかない。
 ・・・・・・・・
3732, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜⑧
2011年06月14日(火)
  * ジャンプのために 《恐怖の「目」をにらみつけよ、そうすれば自分から「解放」される》『議論に負けない法』スペンス著
 さて私たちは今、聴衆の前に立っている。どうすれば話せるだろうか。どうすれば手を離すことができるだろうか。
その経験は、近所のプールの高さ四メートルの飛び込み台から、初めて飛び込むのに似ている。飛び込み台の上に立って下を見下ろすと、
胃は硬直し、膝はがくがくしはじめる。さりげなくくるりと向きを変えて、引き返したい気持ちになる。だが心のなかのかすかな声は、
飛べ、と急き立てる。 「魔術的な議論」のため手を離すこと、メモに縛られずに自分自身を解放すること、裸でたつこと。
頭からではなく心から話すこと。読むのではなく、話すこと、それはこういうものだ。「魔術的議論とは、自分自身の中に飛び込むことだ」
 私は若い弁護士たちに、まず近所のプールに行って飛び込み台から飛び込むことによって「魔術的な議論」に飛び込むことを、実際に
体験してみることを勧めている。実際に泳げなかった私の生徒の一人は、飛び込み方を学んだばかりか、泳ぎ方も、そうこうするあいだに
身につけた。 議論もそういうものだ。彼は陪審員の前に歩み出た時に自分が飛び込み台に立って飛び込もうとしているところを想像した。 
激しい恐怖が襲ってきた。 私が忠告したとおりに、彼は陪審員に自分の恐怖について話した。
 なぜこの裁判が自分にとって重要なのか、なぜ勝ちたいのか、なぜ負けるのが怖いのかを説明した。彼が恐怖を感じたのは、自分の依頼人の
ためだった。が、自分自身のためでもあった。依頼人のことを心配していたからこそ、怖かった。負けたらつらい思いをすることも怖かった。
だが、彼は飛び込んだ。そのあと「魔術的な議論」は一気に湧き出てきた、と彼は私に話してくれた。 もう一人の生徒は、大学時代に
飛び込みの選手だったため、飛び込みはお手のものだった。「それなら、肉体的に何か怖いと思うことをやってみなさい」と私は提案した。
次に彼に会った時、彼はこの経験で輝いていた。 彼はなんと飛行機から飛び降りたのだ。 パラシュートを開くのをこらえながら、
地上数百メートルまで落下していく時の気分は最高だったと彼は言った。 】
 ▼ ニュージーランドで、南アフリカのザンベジ川の鉄橋で、43M、100Mのバンジージャンプで、飛び込みの恐怖の経験をしてみた。
  あの恐怖は、筆舌であらわすことは無理だが、この二回の経験で、今でも躊躇する場面(=倒産時の銀行への侘び挨拶など・・)で、
  冷静でいられる。 もっとも、これまで、幾つかの事業を経験してきたが、その度、胸試しに似ていた。
 <事業を立ち上げるとは自由を得ることであった。その事業は失われても、その自由を充分味わった後味は、身体と心に染み付いている。>
  ・・・・・・・
3367, 大不況で世界はこう変わる!  −2
 2010年06月14日(月)
 * ネットワーク型資本主義
 ここで、榊原は、キーワードとして、「ネットワーク型資本主義」と表現をしている。
アマゾン、ヤフー、楽天、マックなどの出現から知ることができる。私の最近の買い物の半分はネット購入である。 
アマゾンン、価格ドットコム、楽天、ヤフーなどを通し購入、週に二日は宅配便が来ている。
ネット販売は既に百貨店業界や、コンビニの売り上げを越えている。 これにiPadなどのタブレット型情報端末が普及すれば、
ネットワーク型資本主義の時代の姿は鮮明になる。それは、もうアメリカ型資本主義の象徴である大量生産・大量販売の時代から、
ネットワークによるモノの交換の時代になっていくのである。 ネットで市場で農家の奥さんが直接、お客に売る時代に
逆戻りをすることが可能になる。この著で一つの事例を上げている。 オイシックスという企業は農家1000軒あまりと契約をし、
ネット販売している。ここは注文があってから収穫し、新鮮な野菜を三日以内に届ける他、カタチの不ぞろいな野菜を扱う等、
オイシイということを基準に価格を三割程度低くして販売している。こうした新しい試みは、野菜の色と形を基準に仕入れをする
スーパーマーケットの方式に対する挑戦でもあり、いわゆるスーパーマーケット文明を壊していくポテンシャルを持っている。 
スーパーマーケットは、その効率と低価格で八百屋や魚屋、肉屋などに取って代わっていったが、オイシックス等は
新しいインターネットという技術を使って、二十一世紀型の八百屋をつくるという試みだということができるのでしょう。 
家内が最近、米を近くのスーパーや米穀店からネットの米屋に注文をかえた。 この方が価値があると判断したからである。 
そういえば最近、ヨーカ堂のネット注文の配達の車を見かけるようになったが、この傾向が更に強くなるだろう。 
 情報化が世界を根底から変えようとしている。その一つが、この恐慌である。 21世紀世界の創造の前の破壊である。
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2992,転機を迎えた受験ビジネス
2009年06月14日(日)
 * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。
早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。
中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない63人。
私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を示すことになった。 
(字数制限のためカット2012年6月14日)
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2628, 日本経済、どん底への転落
 2008年06月14日(土)
 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが読んでみたいとおもっていた。
それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、
黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、
かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。
そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。
本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書。
 (目次)   (字数制限のためカット2010年6月14日)
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2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは     ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、多く部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。過去は打ち消すことが出来ない。
過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。未来への意思は「いま、ここ」の中で頑丈なものにする。
真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、それまでの生き方が問われる。
その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。 準備。
この成果が重要というより、前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。  50歳代か?!  面白かった!   ヾ(´Д`、)マタネ
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2006年06月14日(水)
 1898, 結婚の三条件     \(^▽^*)おはようございます!         (*^▽^)/
息子も結婚の適齢年齢になってきたが、最近の結婚条件が以前の三高から3Cに変化してきたという。
 ーその3Cとは、
Comfortable(快適な)   - 今の生活水準を落とさない十分な収入。
Communicative(理解しあえる、通じ合える)  - 価値観やライフスタイルが一緒。
Cooperative(協力的)           - 家事や育児に協力的。
バブル期の「三高」(高学歴、高収入、高身長)と比較すると、「高収入」は変わってないが他の条件が
「個人的な快適さや満足感」に変わっている。
女性が「自慢できる夫」という見栄より、「ラクさせてくれる結婚相手」を欲しがるようになった。
自分の満足を追求する時代の風潮であろう。 それに加え、最近では「三低」が求められるという。
「三低」とは、
・低姿勢   ーレディーファースト
・低リスク  ーリスクの低い安定した職業(公務員、資格保持者など)
・低依存   ー束縛しない、お互いの生活を尊重の男性         
これは男性に対して言えることではなく、女性に対しても要求されることである。
こういうことが情報化社会で知られると、男女の結婚難の原因になる。
そんな男女何処にいるの?と考えてみたら、共働きなら、そうせざるをえないか、前提条件になる?
それでは、自分は如何であろうか?三高なら適応しないが、3Cと三低なら、大筋は合致している?いやしていないか!
低姿勢は、三十数年の間に躾けられた?結果でしかない・・・
 (字数制限のためカット2011年6月14日)
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2005年06月14日(火)
1533, タイソンの終焉
 一昨日の昼、タイソンとマクブライトとの(ノンタイトルだが)、ボクシング・ヘビー級の一戦がwowowで放映された。
6回終了後、試合放棄でタイソンが敗れたが、試合後のインタビューでは涙を流して、「もう気力が出てこない!」
と言ったのが印象的であった。一時代を築いた男も、これで終わり。相手のマクブライトは、明らかに2流選手。
肉体は贅肉でブヨブヨ、2メートルの巨体で出来る戦術は小柄のタイソンに覆いかぶさって肉体的な疲れを待つだけ。
それに引っかかった平凡な試合であった。あの肉体に突き刺すようなフックやパンチは影を潜めていた。終わりはこんなもの。
あと数日で39歳というから丁度引退時期。20年前の野獣のような試合も、今は昔の話。解説者のコメント
「野獣が人間に戻ってしまった!」が、言いえて妙である。日本での、まさかのKO負けや、イベンダー・ホリフィルドの
激戦を思い出す。あるHPに歴代のヘビー級の強さのランキングがあった。もちろん時代が違うので、主観なのだろうが。
タイソンと、ロッキー・マルシャーノが入れ替えれば、こんなものである。 やはりモハメッド・アリは一番である!
そういえば、この試合の前座でアリの娘が女子ヘビー級の試合をしていた。娘が勝ったが、アリ本人も会場にいた。
このHPのランキングの殆どの選手を子供の頃から知っていた。当時、ボクシングと野球と相撲ぐらいしかスポーツはなかった。
丁度、白黒TVが出はじめた頃に、ジョー・ルイスや、ロッキー・マルシアノなどの過去の映像が流されていた。
 現在は、歴代に残るようなスター選手はヘビー級にはいない。
ー歴代ヘビー級ランキングー
 1位 モハメド・アリ  2位 ジョー・ルイス  3位 マイク・タイソン  4位 ジャック・デンプシー    
 5位 ジョージ・フォアマン  6位 ジョー・フレイジャー  7位 ジャック・ジョンソン
 8位 ロッキー・マルシアノ  9位 ラリー・ホームズ  10位 イベンダー・ホリフィールド
 (字数制限のためカット2011年6月14日)
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2004年06月14日(月)
 1168, 笑いについてー2
笑いについて、度々この随想日記で書いている。動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、笑いの習慣化も可能である。
とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。自分を深刻に考えている時ほど、可笑しいことはない。
  (字数制限のためカット2012年6月14日)
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2003年06月14日(土)
 801, 一期一会 「一語一会」ー2
「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして「すべての客を一生に一度の出会いとして悔いのないようにもてなしなさい」
という意味である。 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。そうすると、飲み方が変わるのだ。
ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。一回ごと徹底的に割り切って飲む。
店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、
明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。
そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が
今更のように思い知らされる。「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。これは酒席だけではない。
言語学者の西江雅之ー「ことば」の課外授業ーに「ことば」はその場、その時、一回限り、という趣旨のことがあった。
   ー 以下に少し書きうつしてみる ー
 現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどいと思われます。怒鳴っていったり、
これも当然違ってきます。 
 (字数制限のためカット2012年6月14日)
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2002年06月14日(金)
 437,地球に気が満ちている
朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。
一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。ワールドカップはサッカーを通した国家間戦争か。
オリンピックは多くの競技で行われるが、サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。
それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。
数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも俄かファンになってしまう。その為か見ている自分にまでも、
そのエネルギーが流れてくる。地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。これから勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。
フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よい。
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2001年06月14日(木)
 [52] つれづれに
情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会?
も壊してしてしまった。情報端末の究極は携帯TV電話だという。これが普及はじめる3?4年先は想像不能だ!
この秋玩具メーカーから7?8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。
これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機になりかねない。
ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。あらゆる場所に固定して置いて、
自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。


4097, 予言の書「日本の自殺」 ー3

2012年06月13日(水)

  * 日本没落の予感 
【 ”小松左京氏の小説「日本沈没」では地殻変動で陸地の殆どが海面下に沈降するとう設定で、地質学的レベルでの日本沈没について
 扱っているが、日本沈没の可能性については、単に地質学的レベルだけではなく、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでも
 存在しているのではないか、という思いに駆られ、現代日本社会のなかに観察される没落の諸徴候群と思われるものを、諸文明の没落、
 とりわけギリシア・ローマの没落の研究と比較しつつ検討を加えるという手間のかかる作業を進めたであった。” ・・・
 ”例えば、プラトンによれば、ギリシアの没落の原因は、欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた
 野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させていったというのである。”
 現在のギリシア危機をみると、まさにプラトンが生きていた時代と同じ状況にある。これって歴史は繰りかえすということなのか。
 こうした歴史的資料の断片を通じて、ギリシア・ローマの没落過程に足を踏み入れていけばいくほど、われわれは日本の政治的、
 経済的、 社会的、文化的没落の危機の大きさをいまさらのように痛感させられるのであった。】
▼ 現在の日本は、37年前の予言のとおり沈没一歩手前にある。プラトンが当時のギリシャを批判した≪没落の原因は、欲望の肥大化と
 悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて
 社会秩序を崩壊させていった≫が、現在の日本そのもの。2千数百年前のギリシャと何ら変わらない姿が、日本だけでなく、
 欧米の現在の惨状である。この世界の激動期に日本没落の予感がするのは当然で、転げ落ちる速度は時間とともに加速する。
・・・・・・
3731, 温泉旅館の苦悩
2011年06月13日(月)
 先週末の金曜日にTVで「ある旅館経営者の苦闘〜」を放送していた。 妙高・赤倉温泉の旅館の苦闘が、その内容。
  ーまずNHKのHPの番組説明からー
≪ 東日本大震災から3ヶ月。自粛ムードが広がる中、観光産業が大きな打撃を受けている。
 県内有数の観光地・赤倉温泉も4月の宿泊客が例年に比べ大幅に減少した。旅館を経営する荻野光貴さんは、かつてない経営難に直面。
 悩んだ末、給料をカットしたところ会社を辞める従業員が続出する事態に陥った。 観光客を呼び戻そうと、首都圏での売り込みや
 仲間の経営者と新たな旅行プラン作りに動き出した荻野さん。 その苦闘の日々を見つめる。≫
■ 地方の駅前ホテルは、この10年間で大きく宿泊が減った上に、東北大震災である。 私のケースもシュミレーションの結果、
 成り立たないと判断、そうそう事業をたたんだ。 そのプロセスで、リゾート・ホテル、旅館の惨状が聞こえてきた。
 温泉地の宿泊は、ほぼゼロで人影も疎ら。この冬の大雪で東北・北陸地区は最悪。やっと春になり、取り戻そうとしていた矢先のこれ。
  赤倉の38歳の店主の苦悩の姿が痛いたしい。 長期衰退の上に、売り上げが前年の5分の1以下で、温泉街に人影は殆ど見かけられない。
 それは本州の何処のリゾート地でも同じ事態。このホテルでも何人か辞めていった。更に残った人たちの給与は半額にし何とか凌いでいる。
 色いろの対策のイベントを考え出していたが、「山火事に一杯のバケツの水の対策レベル」としか思えない。 現在も放射能が大気に
 拡散を続けており、それが雨などの循環で大地に水が沁みこんでいる。 この事態で、温泉など恐ろしくて・・・。
 一年か二年の急場として乗り切れば何とかという事態ではないため、深刻である。これは、全国の居酒屋でも同じである。
 何とか、凌いできた駅前の居酒屋も壊滅的な事態である。自分の身に先駆けて起こったことが、これから全国で起き始めている。
 当方は、日本経済の3〜6ヶ月早く敏感に数字として出る。それからして、今月から来月にかけ経済恐慌として、事象として表れる。
  温泉など、浸かってはいられないのは当然である。  私に起きていた10年近くの事象と苦悩をダイジェストで見ているようであった。
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3366, 大不況で世界はこう変わる!  −1
 2010年06月13日(日)
 「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著)
 ーアマゾンの内容紹介からー
「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした20世紀型資本主義の終焉である。全く“新しい経済”が始まる」
と著者はいう。 製造業破たんの危機は?  新興国は失速するのか?  そしてドル暴落の危険は?
「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、世界経済のパラダイムシフトを読み解き、
日本に不可欠な経済政策等を提言する。 軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。
≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を
起こしてしまった。 その被害の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルはそれほど暴落しない。 
米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。 
それは大量生産・大量消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。戦後からアメリカを追い続けたのが
日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から「ネットワーク型資本主義」へ変える
役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。モノは先進国ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。
そこで消費として新興市場国の台頭が求められる。環境問題と農林水産業が、オバマのグリーン・ニューディールもあり注目される。
世界は温暖化・フラット化・人口過密化が、ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全認識などへ
パラダイムシフトしていくことになる。 ここで先進国と新興市場国の環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。
その1つに一神教から多神教的価値観へ、がある。 アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだろうか? 
必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、
道州制より「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ 
 ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。
この10年は、その意味で混沌とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の時代になる。
その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコンなどの情報端末。そしてツイッターやユーチューブや
ユーストリームである。 情報化が人間のあり方を根本から変えていく世紀が21C。 「情報化で世界はこう変わる」である。
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2991,スナック・ママ の写真集
2009年06月13日(土)
  写真集『スナック』 山田なおこ
 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、
男にとってはグチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、いつものママが迎えてくれる。10年の歳月をかけ、北は札幌から南は
石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。
近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の
上半身のカラー写真が味がある。スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、
この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を撮っておけば
良かったと、この写真集をみて後悔している。ほぼ全てが忘却の彼方。この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、
気取りがないところが良い。何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと
品定めをして、愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 
 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。
それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。
優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。
居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 
ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。
 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!             

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2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2
2008年06月13日(金)
第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、
その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。
≪ 真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。
これは今度波状的に世界経済を破壊する。その原因として1996年〜2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在がある。
しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。アメリカの低所得者までサブプライムローンで
住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。
サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。
FRBが金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。
骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。その中で日本の生きる道は
技術大国として、その特徴を活かすしかない。NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを
発足させ維持に懸命。しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。
日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。≫
    (以下字数の関係でカット09年06月13日)
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2007年06月13日(水)
2262, 「正しいスーツの定義」            (゚∇^*)オハヨ♪
図書館で借りてきた本の中に、もう亡くなったファッション・プロデューサーの石津謙介がビジネスの場の「正しいスーツ」
の定義をしていた。今さらスーツの定義ではなかろうが、ビジネスのベースとして知っていていいだろ。
クールビズも、それを猛暑の1?2月間は崩そうではないか!という面ではよいが、あくまでもフォーマルではない。
あの政治家の場違い!を見れば解る。といって、この定義はビジネスのベースで、TPOSで変えてもよい。
 *石津の定義の部分を抜粋すると、
 ービジネスの場の「正しいスーツ」の定義は、たったひとつ。目立ってはいけない。これです。ビジネスの服装に、個性は不要。
不要というより、あってはいけない。個性は服にではなく、その人の仕事にこそ表されるべきです。
スーツの色は濃厚か、中間色以上の濃いグレー。ようするにドブネズミ。オフィスでは緑や茶系は通用しません。
デザインは伝統的なイギリス調か、落着いた都会的なアメリカ風。前ボタンは2~3つ。長すぎない袖で、シャツがのぞくように。
ネクタイは4本しかいりません。2?3色の細めに斜めに入ったもの、いわゆるレジタル・ストライブ。 無地のニットタイ。
(字数の関係でカット2012年06月13日)
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2006年06月13日(火)
1897, 治安悪化           おはよ?!(*^ワ^*)i
先日、スナックで飲んでいたら一見客の入店を断っていた。最近、周辺のスナックで泥棒が頻繁に入るという。
その前に必ず新規の客として下見に来るので、一見客に、どの店も神経を尖らせているという。
(字数の関係でカット2008年06月13日)
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2005年06月13日(月)
 1532, 「おばさん」の定義
図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、チェックポイントがあった。
私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。
「オバサン」の私のイメージでいうと、以下の通りである。
 1.傲慢で緊張感が全くない        2.自己中心的かつ利己的で 3.他人の噂話が日々の潤いになっている   
 4.他人の行動が気になり節介をやきたがり 5.服装が世帯じみていて、アンバランス 6.知性が全く感じられない
「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」と言われると返す言葉もないが。しかし「何がオジサン・オバサンか」は、
自覚をしておかなくてはならない。その本を目を通しただけでも「なるほど!」という内容が幾つかあった。
服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。
時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、アンバランスになってしまう。
その過去の蓄積度の露出が、オバサン度を高くするという。その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、放漫のため
気がまわらなくなるのだ。まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。
「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、年齢だからと諦めては駄目!」ということを聞いたことがある。
(以下字数の関係でカット11年06月13日)
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2004年06月13日(日)
 1167, 哲学についてー3
 哲学の歴史については、いまさら哲学の授業ではないので大まかに述べると
 ・紀元前6〜4世紀にギリシャに始まる、それもソクラテス以前と、以後の分けることができる
 ・ソクラテス以前は最初に登場した特徴は宗教や権威や伝統とは関係ない論理で現実や世界を理解しようとした。
  これは、それまでとは全く違った画期的なもの。他の人にも自分の力で考えるように説いたことも、それまでに無かったことだ。
 ・そして、「宇宙とは何からできているのか」「何が大地をまっすぐにささえているのか」「万物は何からできているのか」という
  根本的な問いかけを突詰めて考えていったのが、最初の思想家のタレスであった。またヘラクレイトスが「万物は流転する」という
  有名な言葉をのこしている。この頃ピュタゴラスが、天才的な能力で「ピュタゴラスの定理」で、数学の幾何学的概念を考え出した。
  「平方」や「立法」である。  
 ・ソクラテス以後は、まずソクラテスが哲学的対話を求めて問答法を生み出していった。 彼は「友情とは何か」「勇気とは何か」
 「敬虔とは何か」特に「正義と何か」を問いかけたとき、いろいろな人間や判断や法律などの取り決めに対して、その何らかの真実を
  探り出そうとした。彼はすべてを疑えと人びとに教え、力や権威あるという人びとの無知を徹底的に暴いていった。彼がここまで
  哲学の代名詞のようにいわれるのは、基本的概念を徹底して疑うことを初めて説いたからである。ソクラテスは誠実であることこそ
  何よりも大切として、神や法に対する義務より自分自身への義務こそ最も優先にすべしと説いた。
  そしてプラトン、アリストテレスへと現在への西洋哲学の基礎がカタチつくられていった。
 ・その後、哲学でいう暗黒の時代が1000年も続くことになる。 これは、キリスト教会の影響が大である。キリスト教と矛盾するものは、
  排除すべきものとして、徹底的に吟味された。あくまでも哲学としては、キリスト教との結合の範疇でしかなかった。
  トマス・アクィナスがその思想体系を世界観をつくりあげただけであった。そして中世になってやっと近代科学がはじまったのである。 
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2003年06月13日(金)
800,「ありがとう」の言葉〜3
「幸せの宇宙構造」ー七つの言葉「祝福神」ーより
自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。
そのために私たちが発すべき言葉は・うれしい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ついてる、の七つ
(これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。そうすれば健康になるし、つまりは自分の人生にとって大変得になる
ということになります。人間は自分の発した言葉で自分の人生をつくります。 私の周囲の環境や、自分が立たされた状況は
すべて自分の発した言葉によって形成されていきます。ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、
ありがとう、ついてる、と言い続けると、この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまう。
 (以下字数の関係でカット2010年06月13日)
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2002年06月13日(木)
 436,凄い時代ー光ファイバーの時代
ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。光ファイバーが各家庭や
オフィスに入るという。会社の方の切り替えも考えて早速NTTにきてもらって話を聞いた。契約後、導入に3ヶ月位かかるが
9月より新潟でも可能という。 そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを通さずに直接メールやチャットが映像で
やり取り出来るようになる。あるペットの好きな人が、映像でチケットで話している。そこの席が空いていればそこに入り、
お互いの顔を見ながら話ができる。驚きである。またホームページ内で映像も編集しておけば、いつでもそれをみる事ができる。
(字数の関係でカット2012年06月13日)
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2001年06月13日(水)
 [51] 無駄な事なし
人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。もっともある程度燃焼してきたから、
言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイントだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。 
ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと、姉より死後聞いて
立ち上がれないほどショックを受けたという内容が書いてあったが。無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。


4096, 予言の書「日本の自殺」 ー2

2012年06月12日(火)

  * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」
 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。
情報化社会の到来が、この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層の真只中にある。
中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、
文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。  ー この本の冒頭から惹きつけられる。
【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼることはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、
 ミノス、シュメル、マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、ユカタン、エジプト、ヒンズー、
イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものはやがて没落し、
消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残っている文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、
ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、
の七つの「種」と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であるとトインビーは分類している。
過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体の原因や
その一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えてくれるものなのであろうか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の
進路選択、日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の
共同研究に着手したのであった。】
 ▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。
  シナが極東社会の本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の卑小さを確認することで、
  砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、
  学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い!
・・・・・・
3730, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー   〜⑦
2011年06月12日(日)
  * 人生を自由に生きるためには?       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 【 「なぜカエルがジャンプするのか」ではなく、「どうすればこの小さな生きものをジャンプさせられるか」である。
 もちろん、カエルには栄養分が与えられなければならない。次に、カエルは自由にさせられなければならない。群集の前に立った時、
あるいは上司の部屋に座った時、私たちはカエルになり、すでに見てきたように、あまりの恐怖心からジャンプすることなど到底できず、
ただ小さく気弱な声で泣言を発することしかできない。 カエルを自由にさせるというのは、私たちが人生を生きることのたとえである。
ほとんどの人にとって、自由になることは怖い。 私は人生のある時期、過去という不健全な場所にしがみついていた。 
自分を解き放すことができなかったのだ。 計り知れない深淵に落ちてしまうのではないかという恐怖をどうすることもできず、
そうしていたら身の破滅につながることが分かってはいても、過去にしがみつくしかなかった。
 この恐ろしい時期のある晩、たった一本の枝につかまって崖っぷちからぶら下がっている夢を見た。私は何百メートルも下の谷底を
見下ろした。そこで、自分が絶対に助からないことを悟った。手は疲れ果てて、ついに滑り出した。結局は手を離さざるを得なかったが。
だが、落ちながら、突然自由になったのを感じた。リラックスをしながら落ちていくのを楽しむこともできれば、落ちていながら
叫ぶこともできた。 落ちながら、何とも言えない高揚した気分、完全な自由な気分を味わった。 私たちカエルは崖から飛び降りよう、
経験を信頼をして旅を楽しもう、と私は提案をしているのだ。  やってみなさい。 手を離しなさい。 ジャンプをしなさい。 】
 ▼ 海鳥の雛が、最初に断崖から海に向かって飛び出す時の映像を何度か見たことがある。本能に従い健気に恐怖に打ち勝ち飛びたつ。
  人間は、恐怖のイメージがあるから、なかなかジャンプが出来ない。 実際に、今回の3つの震災で、会社が倒産してしまった。  
  どちらにせよ年齢からして、このままの状態は維持出来ないなら早めに清算した方がよいことは、数字が雄弁に物語っていた。
  決断をしてみると、自らの手から離れ、一人歩きをしていく。これも、ジャンプか。 「べき時に、べく事を、べきすべき」だった。
  私の場合、これに似た絶対言明がある。「正中心一点無」である。問題の中心を直感で見つけ、気持ちを集中すること。
  「恐怖の目をにらめつける」も良い。イスラム圏に行くと、目玉の飾りの魔除がある。玄関で目の力で、厄を守る飾りである。
  動物は視線に非常に敏感である。考えてみれば視線恐怖症は誰にも少しはある。日本は、それが世間の目になる。
  恐怖は、ジャンプのエネルギーそのものになる。  にらみ返すことが出来ればだが!
・・・・・・・・
3365, 「世逃げ」のすすめ
 2010年06月12日(土)
 『「世逃げ」のすすめ 』ひろさちや著
 ー概要といえばー
 世間はおかしな物差しで人の価値を計ります。その「狂った」世間の物差しを捨てられないならば、世間から逃げるしかない。
世逃げとは、どこか別のところに逃げるのではなく、精神的に逃げることです。 禅の洞山の無寒暑を思い浮かべればいい。
目盛りがないのだから測れません。だから、測れない物差しが仏の物差しです。 測れないのではなくて、測らないのです。
仏の物差しは、物を測らない物差しなんです。 仏様は苦しみの世と言われました。その苦とは、思い通りにならないことです。 
世逃げとは、思い通りにならないことを、思い通りにしようとしないことです。つまり、あきらめの思想でもあります。
このあきらめとは、努力をするなということではなく、無駄な努力をするなということです。
無駄な努力とは、思い通りにならないものを思い通りにしようとすることです。仏教は「出世間の教え」。煩悩にまみれた
俗世間を厭い離れることが、仏教の姿勢である。ならー「世逃げ」しなさいーと!「世逃げ」とは、世間の物指しの他に、
神の、仏の物指し(目盛りのない物指し)を持ちなさい、ということである。
 ▼ 以上が概要だが・・ 二年前に、この本の中の「ある一文」を紹介したことがあったが・・ ひろさちや、といえば仏教的視線で、
 世間から一歩も二歩も超越しなさいという論だろうと、思っていたが、「『狂い』のすすめ」の続編の内容である。 
学生時代に社会学を専攻、人事管理のゼミ入って、人間の管理という生々しい問題を冷静に捉えて、客観的?に見つめる「訓練の場」の
ゼミの真っ只中に入った。そこでは哲学的にいえば、現象世界(感性、悟性)を、思考、訓練で理性に昇華する訓練の場。
教授は分かっていたのだろうが、その先は、それぞれ選択した社会分野で目指す世界を自分で創造しなさい、それが「自由世界」だった。 
教養とは一枚一枚、束縛された固定観念を脱ぎ捨てることと思い知らされた。 とはいえ自由は甘くはない。 サルトルがいう
「自由という牢獄」での独りの闘いを必要とする。 ここでは、仏教だけでなく哲学的思考も隠されている。
 狂い、失敗の繰り返しを40年以上やってきて? その結果、アウトサイダー、珍獣として冷笑されている。
しかし、その経験と哲学や宗教を学び続けてなかったら、とっくの昔に胡散臭い常識人になっていた。
 ここで「世間は人間を商品価値で測っている」というが、世間とは、そういうもの。少し考えてみれば商品価値だけが人間の価値でない。
女性の容貌が衰えようとも、エリートコースを歩んだ人が失墜しようが、エリートコースの肩書きや職業がすべてではない。
それとは別の変わらない価値がある。その変わらない価値を、初めから人生に求めなさい!ということ。結局それは、社会的なものとは
無関係な自分の好きな世界を構築しておくことだ。フワフワした名声など、所詮は瞬時の現象。 しかし、それでは自分は商品価値で人を
判断していたのでは?というと、ない!といったら嘘になる。品性、教養、無心の人の傾向の強い人を認めてきたつもりだったが。
振り返ると、そうでもなさそうだ。商品価値の高い人ほど、それにともない、無価値の価値を身に付けている人が多いのも事実。 
いや、その数倍も逆のがいるか? あれ等をみると!その、あれ等の一面しか見てないのだろうが。
商品価値ね〜 モーツアルトも、ダビンチも、あの才能より、隣の善良な人が? 良いとでも言うのか?
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2990、1ドルを競りにかけると
2009年06月12日(金)
 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   ー読書日記
* 一ドル競りゲームから見えてくること
 ゲームで、「1ドルの競りゲーム」がある。 小人数のパーティの余興に面白いというが、そのゲームの中に、深い示唆が含まれている。 
もちろん、三人以上が参加するようにしておいて、1人に50セントまで値段がつくまで買いにまわってもらえばなお良い。このゲームでは、
最後に競り負けた人が、その金額を払わなければならないルールを前もって言っておく。5、10セントから始って、15、20、そして
30セントと。そして50セントで、頼んでいた人は降りてもらってよい。競り人は、そこで二人から50セントずつ貰えるから元は取れる。 
しかし1ドルを越えたところで、二人とも1ドルを失いたくないため、1ドルを越えても、どんどん競りあがっていく。
3倍の3ドルとか4ドルに。 そしてどちらも競ってせり上げた分の損をする。最後に勝ったほうも、大損をしてしまう。 
少し酒が入っていたほうが、冷静さを失うので効果がある。実のところ、これと同じことを我われはしているのである。 
事業や商売でも、株でも同じである。コンコルドという超高速旅客機が、そうだった。 完成させたがよいが、
どこからみても採算が合わない上に、大きな危険が伴うことが分かったが、それまで開発してきたエネルギーと資金からみて、
中断できなくなった。しかし、その結果として、事故があり、大赤字を重ねた上に止めざるを得なくなったのである。
株で見切りが出来ないのと同じである。 このゲームは、剥き出しの一ドルを、競っても理性を失うのである。
株屋の本質は、これである。 巧妙に仕掛けて競り上げる。 
 ところで、百戦錬磨の女が自分を売りつける時も似たようなものか? 相手を多く集めて競って売りつける。
買わされた方は、一生棒をふる。 何か何処かで見たような? 誰かが似たような経験をしている?ような!
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2626, 世界バブル経済終わりの始まり ー1
2008年06月12日(木)             (。・∀・)ノ゛おっは?   
  「世界バブル経済終わりの始まり」 松藤民輔著     ー読書日記ー   
一年前に発刊された本だが、現在の状況を、見事当てている。 バブル時期には著者は日興証券、メルリリンチ、ソロモン・ブラザーズ
などで年収2億円の凄腕セールスで知られていた。ソロモン・ブラザーズの時代に日本のバブル崩壊を読みきって、投資商品の主役が
「ペーパーマネー」から「金実物」の時代に以降すると予見し、独立。1995年に株式会社ジパングを設立。
2005年にアメリカ・ネバダ州の金鉱山を買収、日本第三位の金鉱オーナーになる。
この本の出版の少し前に、『アメリカ経済の終わりの始まり』を書いた。
  ー今回は印象に残ったポイントをマトメテみた。 次回は、この目次をコピーして、考えてみる。
*この本では、アメリカの現在は日本のバブル崩壊の前後に酷似していると指摘している。ブルの塔」を、
ここまで高めたのは日本にある。長期にわたるゼロ金利政策こそ、全ての元凶だった。 
 (字数の関係でカット11年06月12日)
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2007年06月12日(火)
2261, 「アンラーン」について    (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】
「アンラーン」という面白い言葉に出会った。味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。
≪ 鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。 私が大学生であると知ると、
「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。
まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 
型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。≫
△ 成る程、一度編み上げたセーターを、解きほどき、もう一度変化した自分の身体に合わせ編みなおすという喩えが、解りやすい。 
≪ ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、「知識は消え去りやすいものである。したがって始終、再確認(リコンファーム)し、
学び直し(リラーン)、習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の扱い方を述べている。 さらに同書で、
「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、
「知識をラーン(学習)し、リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、知識管理の大前提である」と述べている。≫
 (字数の関係でカット12年06月12日)
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2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード      ー映画日記       才八∋ウ_〆(∀`●)
 何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、
映画館に行く回数が減ってしまった。昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。全世界で5千万部、日本で五百万部
売れた本の映画化である。ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、あくまで漫画的な奇抜な
内容の域を出ていない内容。難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。
「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だったマグダラのマリアという設定。 
マグダリのマリアといえば重度の生理?の売春婦で、よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を「最後の晩餐」の中に
入れたのだろうか?という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、ヒロインがその血筋という設定に
なっている。キリスト教徒にとって大問題になっても不思議ではないが、娯楽小説と無視しているようだ。
 (字数の関係でカット09年06月12日)
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2005年06月12日(日)
1531、わたしの酒中日記ー7
 2005年6月10日
ーバイアグラ飲めず!
今日は、高校の同級会があった。三年ぶりの同級会、久々のせいか21人も集まった。担任の先生が41年ぶりに、この会に出席してくれた。
16歳年上だが、もっとふけた男が?何人かいた。全く若い! 20年来、毎年続いていたが、仕切りをしていた?
スーパーツチダ社長の土田君が亡くなってしまい、この三年間は休会状態であった。
 (字数制限のためカット 2010年6月12日)
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2004年06月12日(土)
 1166, 豊かな時間
「貧しい時間」とはなんだろうかを考えてから、「豊かな時間」を考えてみる。
貧しい時間
・虚飾と虚栄に満ちた時間のなかで空虚に過ごすとき
・好きでないことを、状況から嫌々しているとき
等、思い浮かぶが、虚飾と虚栄の時間のなかで空虚?に過ごすことが豊かな時間の人もいるし、
群れていることが真に充実している人もいるし、刑務所にいるのが一番の充実している人もいるというから、複雑だ。
   (字数制限のためカット2010年6月12日)
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2003年06月12日(木)
799, 「ありがとう」の言葉?2
「幸せの宇宙構造」 小林正観著 弘園社刊
(昨日の続き)
 ・・・ある講演会に『ありがとうの実践会』の人が200人ほどいらっしゃったとのことでした。
『私は60万回』『俺は70万回』『今はまだ97万回』というような人が次々に現れ、私は驚きました。
5万、10万回という人は結構多かったのですが。『ありがとう』の回数が5万回あたりで、奇蹟が起こるモードが
第一段階がくるらしい。
 (字数の関係でカット12年06月12日)
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2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2      
 ー酒飲みの作法ー
女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ?私の場合それが酒だ。かなり危ないことが多くあった。
警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。それでも最近は2年に一度は?? 酒で失敗したことで、かなり自分の人生で
失ったことが多い。しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。更に失った以上に、失ったことで逆に
得ていることのほうが多い?子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。
ボトルを入れる人の気持ちが解らない。従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。ただ飲みすぎて身体を壊さないように
自己ルール化をしてある。 
 ー30数年の痛飲からの知恵であるタブーとしてー 自己規制
・一人酒  a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒  b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌 ーこれが一番危ない、蓄積される。 
 自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいるーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 ?不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くー
・23時を目途とする
このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。好きとは、こういうことだ。
実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。 軽症と思っているが。一応許容範囲か???
記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。実際経験してみて、嘘でないことが解った。
「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」というが、どうであろうか?
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2001年06月12日(火)
[50] 日本のプロ野球がつまらない!
 どうして? もちろん理由は解っている。野球もいっきょにグローバルになってしまった為で、またイチロウ効果だ!
 (字数制限のためカット2010年6月12日)

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