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堀井On-Line
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2012年06月06日(水)
* 老いを受け入れる 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した 感情として被害者意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。 それは「尊厳を保った肯定的老人」とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた団塊世代を浦島とみるとよい。 ≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。竜宮城における快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら 様子がおかしい。家々の停まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、 驚くほどの年月が故郷では経過していた。太郎はすっかり世の流れに取り残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。 さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまうわけである。 故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」の アナロジーとしてみるとどうであろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はあるいっぽう、今や「老い方」を 知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、 それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。 ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、 結構アナーキーなノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか心の中に居座っているのである。だから 独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに、我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々にはリアルではないか。 玉手箱なんか開けなければいいだけといった話ではあるまい。生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって 我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫ ▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、 周囲を見渡すと若いときの友人は亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。あの玉手箱と、ケムリは 何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 ・・・・・・・ 3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜① 2011年06月06日(月) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。 軽そうな題名だが、内容は重厚で味がある。 全米1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより人生の勝ち方のセオリー」の本。アメリカ的プラグマチズムとして読めばよい。 しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた人生のセオリーの凄みも見逃せない。とにかく、面白い本である。 4〜5年に一度の割りに 三十数年来の友人が、人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。私の場合、自分のこととなると何?だが、 ひと様の事となると、冷静な答えを出すことが出来る?と自負をしている。学生時代の武澤ゼミの特訓と百数十回以上のセミナーの蓄積もある。 数年前も、「実は現在、属している会社が吸収合併した会社のことで裁判沙汰になる。 自分は現在、その専任になっているが、 どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。「2〜3千万レベルか、数億レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、 「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、その買収後に派生した問題」とのこと。これ以上は書けないが、 直ぐに、この本を思い出し紹介をした。 内容は、ほぼ忘れていたが、残っていた記憶で「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。 それも戦いの構えを時間をかけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一にして、問題の中心点に全エネルギーをそそぐこと。 それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が書いてある等、自然にスラスラと言葉が出てきた。その意味で、この本を消化していた。 考えてみると、この本、孫子の兵法そのもの。「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理である。 分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な考えの枝葉の一例とみると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた 弁護士の自信に満ちた論理が見えてくる。 ・・・・・・・ 3359, ギリシャ問題の深層 2010年06月06日(日) 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれるラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。 アメリカ発の金融恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に入りたかった理由は防衛面 (イスラム教諸国に隣接)と、(万年金融破の)金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、 「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 そこにゴールドマン・サックスが 「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった (当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウは当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える “魔法”(虚偽)と引き換えに、GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の収益と 将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの 借入金利が13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。 加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 加盟のための粉飾決算をしていたのである。 そのことを国民はなんの説明も受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。ゴールドマン・サックスは このような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。 (字数制限のためカット 2011年6月6日) ・・・・・・・・・ 2984、閑話小題 2009年06月06日(土) * 資産家夫婦の惨殺事件 少し前の話になるが、資産家夫婦の惨殺事件があった。 月の小遣いが300万という。ポケットに百万単位の金を入れていて、 飲み屋で他のお客に驕っていたという。世の中には、まだ、こういう人もいるのである。その辺のヤクザ者に狙われるのは当然。 (字数制限のためカット 2011年6月6日) * インフルエンザの第二波、第三波は? * 昨夜は長岡で飲み会 (字数制限のためカット 2012年6月6日) ・・・・・・・・ 2008年06月06日(金) 2620, あわや大事故! まったく、この男、よく変な事件を起こすよ!というのが、起きざまの実感! 昨夜、長岡で飲み会。 普通は第一金曜日だが、上さんの都合で一日早めた。長岡の飲食街、道路には人っ子一人も居ない。 それだけでない、 タクシーも一台も並んでいない。平日のためだろう。 丁度0時頃、タクシーを拾うとして旧八号線にいっても車自体走ってない。 そこで信号を超えて川沿いの道を歩いていたら、左折をしてきた乗用車と出会いがしら撥ねられる。ガソリンスタンドの角で 見通しがよい筈。 かなりの衝撃であった。 ところが、左に担いでいた革鞄が振り向きざまで身体を防御してくれた。 右腕と左足の脛の右を痛打しただけで済んだ。運転手は若い男で、青い顔をして平謝り。大きい衝撃の為、かなりの人身事故と 勘違いをしたようだ。車に乗って病院に向かったが、触ってみたがそれほどではない。しかし、後遺症が出る可能性がある。 事故届けに長岡駅前交番に進路を変える。 しかし、交番は電気が消えて誰も居ない。そこで、電話をして本署からか来てもらう。 そして現場で事故の詳しい聴取。それも運転手のみ。駅でパトカーが来るまで、「私は、問題を大きくするつもりはない、ただ、 事実を正直に言ってください。下手に自分の都合のよいことを言うと、貴方は不利になりますよ。私は後遺症の時に、 保険の問題などで公にしておきたいだけです。」と言い含めていた。 そのためか、処理は20分ほどで済んだ。 やはり、これを書いている現在、足の脛が痛み出した。 しかし病院にいくほどではないようだ。全く何が起きるか分からないものだ! 九死に一生とは。 それが突然に自分にとは!やはり人生、したいことをして、悔いのないように生きなければ、それにしても 警察沙汰が二度も続けて起きるとは! (二ヶ月前に呼び込みに強引に店に連れ込まれそうになり、大騒動になった。) これまで、個人として警察沙汰は一度もなかったが・・(普通なら当たり前だが) その運転手に、「こんな時間に、何してるの?」と聞いたら、 「スナックをしています!」という。 生きているうち、健康のうち、元気なうち、そして若いうち! 人生は! ・・・・・・・・・・ 2007年06月06日(水) 2255, まあ、いいか! ヽ(★>з<)。o○ オ?ハヨ この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。そこで、検索に「まあ、いいか」と入れたら、 その題名の本が数冊も出版されていた。自分を慰める言葉で、私の常用語「あ?あ!」の言葉の裏に含まれている。 「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。それを延ばしたのが「あ?あ」か、これは屁理屈。 「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。 ゜≫q(´I`●) マアマア! 「まあ、いいか!」の前後の言葉として、「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」が出てくる。 イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて「まあ、いいか! それがどうした」 と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。「あ?あ」「で、どうした」「まあ、いいか」は、瞬間の癒しのの三言である。 ♪? ヽ(´π`)ノ まあ、どうでもいいや! しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分にはよいが、最初から、 この言葉が先に立つのも問題である。「中途半端な、あの人」になってしまう。金沢に「まあ、いいや男」というアダナがいた。 バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。 何でも使う人間次第だが、この言葉は特にそうである。 (字数制限のためカット 2010年6月6日) ・・・・・・・・ 2006年06月06日(火) 1890, 村上ファンド崩壊の衝撃 おはよ?!(*^ワ^*)i ライブドアの堀江の逮捕時に「最終ターゲットは村上」とスポーツ紙が報じていた。 当時はまさか村上ファンドが、そんなドジを踏むわけがないと思った。 (字数制限のためカット 2010年6月6日) ・・・・・・・ 2005年06月06日(月) 1525, わたしの酒中日記ー4 金沢編ー2 1972年2月某日 武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。 その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、老舗風の飲み屋を探す。 今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店。 隣の客が話しかけてくる。「言葉が違うようだが、観光客か?」「いや、勤めの関係で、一年います」地元の人からすると微妙な立場のよう。 とにかく、金沢の人は人なつこいのが特徴だ。それと金沢べんの言葉が心を優しくする。言葉の最後に(?じ)をつける。 「?だよね~」という意味である。 それと「?しまっし」という言葉もよい。 「~しなさい」という意味である。 そのアクセントが何ともよいのだ。特に女性がいうと「あ~金沢」になる。それとおいしい店が多い。ここの土手焼きが美味い。 それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。おでん屋のおいしい店を彼方此方で食べたが、この店はまた格別である。 立て込んできたので、その店を出る。このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。安そうなスナックに入って、 カウンターに座る。まだ8時なので、お客は誰もいない。素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。 まだ金沢に来て2ヶ月で、1〜2年いたら、何処かに流れていくとか。若いうちに、彼方此方にいって転々としたいという。 こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、 「期待を持たせること」とか。 まさか「何の期待?」とも聞けないし。「それじゃ?、何か期待してよいか?」と聞くと、 「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、「今度ね!」と、空約束をして?店を出る。 バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。浅野川の橋を渡って、20分ぐらいはかかったが酔いを冷ますのに丁度よい。 まあ、一人で飲むのも悪くはないが、それにしても金沢には美人が多い。それと金沢の文化と風情がよい。 金沢には、3年間が目安だ。能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。 もっと一人旅をしなくては。 加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。 ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。 反面、部外者には優しいのだ。 この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。明日は同期入社の連中との飲み会だ! ーー また偶然の一致か、去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。 ・・・・・・・・ 2004年06月06日(日) 1160, 「武士の家計簿」ー2 いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から 明治維新の時期より大きい大転換期にある。 (字数制限のためカット 2011年6月6日) ・・・・・・・・ 2003年06月06日(金) 793, 起業についてー2 起業について実感のキーワードは「発狂」である。精神の爆発といってもよい。よし!やろうと決めた瞬間から、もう全ては プロジェクトの完遂をイメージして突き進むだけである。よほどの粘りと信念がないと突き抜けることはできない。当然の事だが、 簡単には事業を興して軌道に乗せることは不可能。可能にするのは「的」が間違ってない事と、周到な準備と、信念だけである。 いまの事業を興した時は500?の成功確率という確信があった。失敗は許されないし、初めの一歩の重要さを知っていたため、 考えられるだけのことは考え抜いていた。それと、それまでの成功体験の裏付けがあった。何事にもいえるが一番大事なことは、 成功体験である。それが実績ということだ。 それと育ってきた家庭環境が大事ではなかろうか。 10歳位までに,両親の立ち上げをみた経験がなければ、計画も準備も甘くなっていた。また20歳で起業をするという決心をして 準備していた事もある。その瞬間から女性に対しては、気を許さなくなった?どちらを取るかといえば、迷いない事業の立ち上げであった。 若い時の最大の難関はまずは女性、創業以外の事を割り切ることであった。つまらない男になっていた!それが陰になっていた?ようだ。 事業を始めるとき、まずは自分の心の問うたことがある。「経営資源として金を含めた資産を全て『博打の札ー事業』 に変えるが、全てを失っても後悔しないと自分に誓えるか? そして事業を本当にしたいのか???したい!!」 一人の誓いである!今更だが、それだけ勇気と覚悟が必要だった。おそらく大小にかかわらず誰もが、その位の自問自答は しているのだろう。いろいろな危機があったが、最後はいつもこの言葉を繰り返していた。 結局は事業経営は博打でしかない!当たり続ける事はない。最後は裸になる覚悟は出来ている?のが強みである。 しかし、まだ憶えているが、事業の準備をしていたときのことである。何か一人でTVを見ているとき、急に不安になり 「屋上の手すりの上に立っているような末恐ろしい感覚」になったのを憶えている。確か借金を初めてしたときである。 この意識下に隠れた不安が意外と経営の原動力になっているのだろう。 立ち上げで判断を迫られるとき、夜半の2時35分が一番冷静な思考になっている。 しかしこの大津波ー大不況に対して、まだそこまで意識がいってないのは、どういうことだろう?!これからか? ・・・・・・・・ 2002年06月06日(木) 429,両親の死 両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。 そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。 死ぬとは如何に大変な事を知った。今ひとつ、死の視点から生を見るということを。 世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。 結局,残るのは「子供と愛情」だけ。それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。 意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか? 死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、身震いした。 その瞬間?死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。 心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」と考えれば逆に解かる? 何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、両親が死と直面した時に「主体」と「イメージ」が 湧き出てくる事実を見たからだ。それは死の恐怖感からくるものである?特に「主体」が凄い。 人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。それに満足できるか、できないかだ。死ぬ事はそう簡単のことではない。 昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。 今夜通夜、明日葬式に出る予定! ・・・・・・・・・・ 2001年06月06日(水) [44] 何の為のホームページ 何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか? まずはこの疑問 1・わざわざ写真を撮って入れたり、 2.貧しい内面の公開をしたり 3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり 4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。 インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。基本はホームページである。その拠点を個人や会社で 持つことは、情報空間に自分の基地を持つ事になる。この時代あたりまえと言えばあたりまえである。 ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。その事をホームページ持ったことで実感できた。 もしホームページを持つまでもないと考えるなら、‘お気に入り’の集積と、その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。 そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。それは自分のパソコン内でいいのだが。 公開してもかまわない場合ホームページがよい。 巨大情報空間にさ迷い出た子羊というところか。
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2012年06月05日(火)
* 役割としての「年寄り」 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」という。村の長老は、争い事の仲介者としての 役割が最も似合っている。若づくりをした粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いものである。 ≪ 【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。 老人ホームとか、老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験や年輪を重んじている気配が感じられる。 相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。 長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」 と言えば、それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を 読み取り、また最後の最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの万人の敬意とかが、その場を収めるのである。 ・・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、 若さから遠ざかったことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者に与えられていないことがあるだろう。 暴走老人などというものが出現したのも、老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化といった文脈でしか 認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。 年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、 年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを 意識的に「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。 世の中が認めてくれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識してみてはどうなのか。そのキャラクターが 現今においては「カッコ悪い」といった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズやTシャツが 少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿が そのまま手本にはなるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫ ▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみることを楽しんでみればベスト、人生など所詮は 座興に過ぎないのだから」という著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・・どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。 彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。 ・・・・・・・ 3723, ジャズについて −15 2011年06月05日(日) * 日本のジャズはどうなっている ? ー 「音楽の本」三枝成彰著 より 【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。 当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。 一九三〇年代にもなると、東京を中心に ダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的な ジャズメンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代である。しかし、ジャズが本当に日本に もたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年前後には、 ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、 ジャズの空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカの ポピュラー音楽を放送したことを直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを演奏する日本人も出現。 同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入ってルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなど本場の 巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈したのである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、 アメリカと同じようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。 そんな日本のジャズで活躍した多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックスの松本英彦や渡辺貞夫、トランペットの日野皓正、 ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、山下洋輔らになるだろう。なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、ジャズの本場 アメリカを拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、八○年代以降やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された 音楽であるジャズの世界でも、世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。 】 ▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、カントリーにウエスタン、ブルースにロックと、 当時はアメリカに如何に同化するかが、大きなバロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残ってはいるが。 地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされていった。それから考えれば今さら何がジャズか、になる。 とはいえ、当時の刷り込みのあるジャズに、興味を持つのは当然といえば当然で、むしろ抵抗なく、その世界を楽しめばよい。 ・・・・・・・ 3358.すでに世界は恐慌に突入した ー1 2010年06月05日(土) 「 すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルはあと数年で崩壊する 」 ー船井幸雄 朝倉慶 著 ーまず、アマゾンの 内容紹介 よりー いよいよ、資本主義が音を立てて、崩れていきそうな気配。今の我々のシステムはデフレという状態では崩れません。 貨幣への信頼があるからです。ところが、世界的に始まってきた、石油や食糧をはじめとした、今の商品高が止まらなくなり、 酷いインフレ状態に陥ると、やがて貨幣に関する信用が失墜して、経済活動、その他も収集がつかなくなってしまいます。 そうなれば、資本主義の崩壊です。そのきっかけを作るのがドルの暴落です。ドル暴落という引き金が引かれれば、国債大量発行 という借金漬けの日本の状態もそうですが、中国の体制の問題、イラン、イスラエルに見る中東問題、インド、パキスタンの紛争、 さらにはロシアや東欧、書きだしたらきりがないほどの世界を取り巻く矛盾が一気に噴き出てしまう。 ・・・・ (中略) 恐らく今回の混乱は、経済的な破壊に留まらず、天変地異や、鳥インフルエンザなどの破壊的な疫病も伴うこととなる。 まさに人類史上最大の困難が幕明けようとしています。しかし、この事態を決して悲劇的なことと捉えないでほしいのです。 豊かになった我々は、実は、多くのものを失ってきているのです。親殺し、子殺し、無差別殺人、振り込め詐欺、こんなことは なかったことです。豊かさとともに何かが変わったのです。家族や隣人への愛情、屈託のない笑顔、世の中には、お金では 買えないものが山のようにあって、そのものすべてを取り戻す旅が始まるのです。お金や人の地位などは目で見ることができます、 しかし愛情や信頼などは、目では見えませんし、計ることもできません。一番大事なのは、この目に見えないもので、これから、 我々はこの目に見えない、今まで失った一番大事なものを取り返しにいくのです。 ▼ しかし朝倉慶の「大恐慌入門」は、たとえ話を多く取り入れながら分かりやすい内容で、非常に多く売れたよう。 その続編といった内容で、6京という信用取引の残高のマイナーは、まだ世界中の企業、金融機関、政府系機関の金庫の中で ジッと眠っているだけ、必ず、その損失処理をしなければならない時期がくる。それが今や刻々と近づいているのは 誰の目にも明らかである。対処処理で札を刷りまくった結果は、札の価値の下落、ハイパーインフレである。 今年の暮れから2012年には、発生するのは間違いないこと。 ・・・・・・・ 2983,超円高社会ー 6 2009年06月05日(金) 現在の年金問題の大きな問題は誰が起こしたのか、そして、その問題点とは何かを簡潔に書いてあった。これによると、田中角栄である。 考える方も考える方だが。 彼の功と罪は、あまりに大きい。最後は消費税とは別に、「年金税」という直接税で賄うしかないのだろう。 ーまずは、その部分を要約して書いてみたー * 孫代にツケを回す年金制度の犯人は角栄 【 自分が積み立て、増やしたお金を老後に受け取るという制度は、当初のように続いていたら、これは公平な制度である。 「制度を越えた支え合い」などという政府のマヤカシで洗脳される余地はなかった。では何時、世代間で極端に不公平な賦課方式に 替わったのだろうか。実は、あの詐欺師のような男、角栄である。田中角栄時代に、日本はハイパーインフレに襲われた。 当然年金は目減りをする。年金を引き上げれば喜ばれる。しかし、下げれば嫌われる。そこで角栄は考えたのである。 日本の制度は大福帳会計である。個人個人の会計の口座の中味を把握できる仕組みになっていない。そこで、年金制度を賦課方式に 切り替えれば、年金を掛け金を値上げすることなく、当面の年金額だけを大幅に増やせるぞ、と。この決定こそ、身勝手に国民の財産を 奪い取る、悪魔の決定であった。 それを解りやすく説明をすると、若いXさんの積み立てた財産を勝手に奪い取り、老後期にある Yさんに勝手にばら撒くという案なのだ。自分の積み立てた金は現在の老人に支払われてしまい、老後は、その時の若い人から支払えばよい、 という考えである。負担を後世代に回すことで票を買うという背信的な政策だったのである。当時、角栄の熱狂的に支持した層が、現在、 老後の世代になっており、この歪んだ制度の最大の受益者になっている。彼等こそ角栄超円高社会ー 5の共犯者なのである。 積み立て方式を賦課方式に替え、そして自ら払った金額より大幅に超える年金を受給し、今の若者に尻拭いを押し付けたのである。 角栄は「今太閤」と呼ばれ人気者になって、票を取り、私腹を肥やして、あの世に逃げていったが、残された国民はいい面の皮である。 こうして角栄の手で年金はネズミ講のシステムに切り替えられたのである。このネズミ講の破綻を避けるには、より多くの金を集め、 被害者の数を多く集めて、誰かが尻拭いをしなければならないのである。そのためには人口が増え続けなければならない。】 ▼ 以上だが、私たちの年代は、その恩恵を受けるが、その後を考えると大変な負担になる。 これと同じようなことを、自民党が大量国債発行を続けてきた。 更に、この金融恐慌をキッカケに大量に積み増している。 もう手が付けられない手負い獅子。 この総選挙で抹殺されるか、生き延びるか? 自民党を選択してきた国民の民度が一番の問題。 ・・・・・・・・・ 2008年06月05日(木) 2619, 消費社会から格差社会へ ー3 ー読書日記ー ー若い人の一人旅は流行らないー この本によると、10年ぐらい前までは、「深夜特急」とかいう本に啓発されて若者がパックを背負って世界を旅するのが 流行っていた。 が、今では全くといってよいほど見られないという。 いつの間にか時代は変化していたのである。 ◎ まずは、その部分を抜粋してみる。 以前、ある研究会で旅行関係の仕事をしたんです。聞くところによると最近の若い子が海外旅行に行かなくなったと。 まあお金もないし、頻繁に海外旅行しなくなったと。でもお金の問題だけじゃなくて、どうもコミュニケーションカが非常に 低くなっているんじゃないか、と。 七〇年代初期に 「団体旅行なんてカッコ悪いぜ、デイパック背負って行く旅がいいじゃん」っていう、 「地球の歩き直的なムーブメントがあったけれど、今は「若者だから一人で旅をしろ」って言っても、もう行かないんです。 (字数制限のためカット 2012年6月5日) ・・・・・・・・・ 2007年06月05日(火) 2254, ビョーキな人々探訪記 ー3 o(゜∀゜)o オッハヨウ *鬱病について 依存症とは違うが、これも大変な病である。作家の原田宗典と中村うさぎの対談も絶妙である。 原田宗典は数冊読んだことがあったが、彼が鬱病とは驚きだ! (字数の関係でカット09年06月05日) ・・・・・・・・ 2006年06月05日(月) 1889, 閑話小題 おはよ?!(*^ワ^*)i ーインフレの足音ー 家内の話では、 「スーパーの特価のトイレットペーパーが売り出し直後に売り切れる。主婦レベルの買いだめが始まっているようだ」とのこと。 値上がりを見越して、主婦レベルでのささやかな生活防衛が始まったようだ。 原油の値上がりからみて当然の現象である。 インフレはまだ先のことと思っていたが、悪性インフレが徐々に姿を現してきた。2008年から2010年辺りに世界的な大変動がある。 ーサッカーのドサクサにー サッカーのワールドカップのドサクサを狙って政治的な大事件が起こる可能性がある。 冷静に、それが何だか見てみ極める必要がある。その一つが村上の逮捕か? それとも、あの大銀行の手入れか。アメリカの株価の大暴落か。 アメリカの大手??会社の倒産か。大きなテロも可能性がある。無ければ無いでよいが。 ー自殺が8年連続で3万人超ー 3万人超の自殺が8年連続とは異常の数字である。 ホテルで自殺者が出ると当事者として、その詳細が警察から知らされる。 「おん宿 かわせみ」という時代小説があったが自殺者だけに限らず、(長期宿泊者などの事情を聞くと)色いろな人生を垣間見れる。 例えば ・12平米のツウィン・ルームに男女二人が5〜6年近く宿泊して(暮らして)いた。 ・子供連れの女性が二年近くシングル・ルームに住んでいたとか。 ・怪しげな若い男が、明らかに純情そうな素人娘のヒモとして、ピンサロで働かせていたとか。 ・最近は見られなくなったが、流れのピンサロ嬢も時期になると宿泊するという。 (字数制限のためカット 2011年6月5日) ・・・・・・・・ 2005年06月05日(日) 1524, わたしの酒中日記ー3 金沢編ー1 ー1971年10月某日 会社の寮から50Mのところに「トラちゃん」というホルモン焼屋がある。まわりカウンターの中で、小太りのトラちゃんというに 相応しい小母ちゃんがやっている店である。この店には月に1~2度位、ブラリ入る。寮に近いわりには、会社関係の人はこない。 香林坊には、いくらでも面白そうな店があるので、こんなところでは飲まないし、彼女が大体いるため、一人で飲む奴などいない。 香林坊からバスで10分のところにあるが、モツの炒め物を注文して一人飲んでいると、寮の2年先輩が嬉しそうな顔で入ってきた。 「おお一人か!実をいうと、今日は競馬で大穴を当てたんだ。一杯奢るから俺について来な!」 断る理由など一切無し、タクシーで 香林坊の少し路地に入った店に乗りつけた。 看板には「平家 落人焼き」とある。店に入ってビックリした。油で店の中が黒光りして ギトギトである。威勢のよい40歳がらみの親父と、女将が愛想良くむかえてくれた。カウンターの中に大きな1m四方の鉄板に、 魚や肉を野菜と一緒に焼いて出してくれる。メニューは鉄板焼きだけのシンプルなメニューだけである。ツマミは、手で千切った キャベツが大きなバケツから手掴みで、皿に入れられて出される。それを食塩を振りかけて前菜にする。平家の落人が、山に隠れて 兜を逆さました中で、山菜や猪の肉などを焼いて食べていたという由来から名づけたのだろう。ここの名物は何といっても「夫婦喧嘩」と タクシーの中で聞いていた。 ストレスの溜まったオカアチャンが、いい加減なオトウチャンに切れる。見ていても迫力があるという。 そして何時もの通りに夫婦喧嘩が始まった。両親の赤裸々な夫婦喧嘩もなかったので、その夫婦の迫力に驚いてしまった。 しかし、一戦が終わった後は何事も無かったように穏やかになった。オカアチャンが休みの日など、一人しょんぼりとしているという。 その親爺が、今度は会社の先輩の絡み始めた。「お客さんには悪いけど、今日は最高の日のように見えるが、実際は最悪の日なんだよ! 博打で当たった味が結局は深みにはまり込むんだ。その意味で今日は最悪の日だよ!気の毒になー!」聞いていてイヤに納得のいく言葉。 ・・・・・・・・・ 2004年06月05日(土) 1159, 「武士の家計簿」 いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。激動の時代が、武士の家計簿でリアルに浮き彫りにされている。 (字数制限のためカット 2010年6月5日) ・・・・・・・ 2003年06月05日(木) 792,起業とは-1 現在、起業家という言葉がキーワードになっている。国家が支援金まで援助して新しい事業を興すことを勧めている。 ベンチャーだけでなく、企業に属している人やすべての社会人にこのマインドが求められるようになった。 しかしアイデアや着想を練り上げて、プロジェクトを立ち上げ、業績をあげて、拡大し、次世代にひき継ぐのは至難の業である。 うまくいっても大体が25?30年で、その生命を終了する。 営業ー不動産などで「千三つ」といわれることがある。 (字数制限のためカット 2011年6月5日) ・・・・・・・・ 2002年06月05日(水) 428, おしっこをしながら、水を飲む 「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が垂直に排出された感じになる。 宇宙が身体に流れ込む感じ」という本を読んで、昨日3回も実行してみた。 ・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は、 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな?」という気持ち。 ・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事をしてみた自分の可笑しさ。 ・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。 ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた! という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。 何事も経験です!! 貴方も経験してみたら??! ・・・・・・・・・・・ 2001年06月05日(火) [43] オークションサイトについて (字数制限のためカット 2012年6月5日)
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2012年06月04日(月)
* 老いと鬱屈 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が 固定化されているほど、そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ないで死を間近に したときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。 老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら群れてはならない。 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。 ≪ 老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」人間になっていくこととは違うのだろうか。 難儀なこと、つまり鬱陶しかったり面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなことへの 免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは 人によって違うだろうが、とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないかと わたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに 麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、 砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 だから老人は欝屈していく。 歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、 鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには 事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫ ▼ 「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも 馴れが生じない、という法則である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は 体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、ますます濃くなっていく。 この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。 そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。 それならば老いは鬱屈するものと初めから割り切って孤立していた方が良い? ・・・・・・ 3722, ジャズについて −14 2011年06月04日(土) ー 「音楽の本」三枝成彰著 より * ージャズ・ボーカリストー 《 ビリー・ホリデイからカサンドラ・ウィルソンまで 》 【 ジャズの歴史とジャズマンについて、その流れを追ってきたが、ジャズ・ボーカリストを簡単に触れておこう。 ・ジャズ・ボーカリストといえば、誰もがまず思い浮かべるのは、ルイ・アームストロングと、「暗い日曜日」「奇妙な果実」が よく知られているビリー・ホりデイ(一九一五〜一九五九)であろう。三〇年代の小コンボをバックにした珠玉のような名唱、 スターダムにのぼりつめた四〇年代、酒と麻薬で声をつぶしながら深い感動を誘う五〇年代の円熟。 「ビリー・ホリデイは、それが自分の人生のように歌った」といわれ、その技巧以上に、ひとつひとつの歌詞に込められた 万感の思いを、じんわりと聴き手の魂の奥底まで響かせたポーカリストである。 ・歌も人生も劇的だったビリー・ホリデイと対照的に、エラ・フィッツジェラルド(一九一ハ〜一九九六)は、抜群のリズム感とまるで 楽器を思わせるボーカルが特徴で、ジャズ・ポーカリストのトップとして長くその地位を維持した。 大作「ソングブック」(五九)など、どれをとってもほれぼれする美しさである。 ・サラ・ヴォーン(一九二四〜一九九〇)も、エラ・フィッツジェラルドと双壁をなすモダン・ジャズ時代の女性ジャズ・ボーカリスト。 四五年にソロシンガーとして独立。五十年代には、トランペットのクリフォード・ブラウンと組んで名作を発表し、 七十〜八十年代にかけては、ピアノのオスカー・ピーターソンらをバックに名唱を残している。 ・カーメン.マクレイ(「九二二年〜九四)、アニタ・オデイ(一九一九〜)といったシンガーたちの名前も忘れられない。 サラ・ヴォーンも含めて、彼女たちのスタイルには、多かれ少なかれ・ビリー・ホレデイの影響がうかがえるのはもとより、 ルイ・アームストロングが完成させた‘スキャット’というジャズならではの歌唱法も受け継いでいる。 ・ほかにも取り上げなければならないジャズ・ボーカリストは多いが、最後に、カサンドラ・ウィルソンである。ちょっとドスの 利いた声は好みが分かれが、『ニュー・ムーン・ドーター』(九五)は、サウンドもボーカルもじっくりと聴き惚れるしかない傑作。 まさしくブラック・ミュージックの新しい帰結として、カサンドラ・ウィルソンに耳を傾けることを勧める。】 ▼ ジャズについては、他の音楽と同列に聴いていたが、この本で取り上げているジャズマンの名前は、けっこう知っていた。 私のような、音楽に疎い者でも知っているのだから、ジャズは、TVなどを通して私たちの生活に入り込んでいる。 学生時代に、暇を持ちあませて、ジャズ喫茶などで屯しているうち、知らないうちに接していたのである。 ・・・・・・・ 3357, つれづれに ー閑話小題 2010年06月04日(金) * 日銀短観 新潟県の景況感が四半期、ニケ月連続全国最低 新潟県の日銀短観で、新潟県といえばだいたい中位の上であった。しかしリーマンショック以来、右下がりに転じ、 ついに二期連続で全国最低になったと地元紙が報じていた。 私が地元経済が異常に悪いといい続けてきたが、 過剰反応でないことが実証された。 まずは公共事業天国だったのが、「鉄から人へ」とへ国家政策が変わった。 農業も、輸出産業関連も最悪、日本で一番早く、恐慌の影響をモロに受けているのが実情である。 元もと新潟県人は質素倹約をモットーである。不景気となれば、その本領が直ぐに出てくる。 * 県立近代美術館には、驚いた! 一昨日、「奈良の古寺と仏像」展が長岡の県立近代美術館で開催されているので、行ってみた。 期待には反しなかったが、それより初めて入った県立近代美術館の豪華というより、豪奢な建物には驚いた。 半年以上前から、冬と春先を除いて、早朝、電動アシスト自転車で二つの大橋を一周するのが日課になっている。 そのコースの土手にそれがあるが、空気が違うのである。 肯定的にみれば、これ位は市の格からいって当然?、 しかし程度を遥かに超えている。ゼネコンの税金収奪の姿といって過言ではない。戦後バブルの饗宴の建物である * 鳩山から管に 鳩山と小沢が辞任、次は管副総理が首相に決定する。 当初の予定通り。 これで、小沢も選挙に専念できるし、 新しい体制で選挙に向うのはベストの判断である。 管も、果たして一国の首相に相応しいかというと、これまた不安が残る。 (字数制限のためカット 2012年6月4日) ・・・・・・・・・ 2982,超円高社会ー 5 2009年06月04日(木) * 食料自給率40%は本当か? 第7章 市場を毛嫌いする官僚システムの罪と罰 ー『食料自給率40%の世論誘導』には驚きである。 ーその概要をまとめると・・・ 著者は、食料自給率40%は農水省が都合よく作りあげたマヤカシの数字という。 農水省の言い分だと自動車の自給率は1%ということになる。 自動車は原料の重量比によって計算をしない。 自動車は出荷額や付加価値で考える。それと全く同じように食料も出荷金額ベースで自給率を計算することこそが、 世界で広く通用している食料自給率なのである。その世界通用自給率で計算すると何と66%なのである。 日本国内では、カロリーが低く、しかし付加価値の高い商品作物を多く造っている。だが、カロリーベースで計算すると、 故意に無視していることになる。カロリーベースで自給率を算出しているのは世界で韓国と日本だけである。 例えばキノコはカロリーゼロである。『自給率が低いー>これは大変ー>自給率を上げよう』のパターンである。 しかし、この三段論法の二段目が抜け落ちている。自給率が何故高くなければならないか、が抜けているのである。 去年7月の漁船のストは、魚価を上げることが目的ではなく、補助金だったのである。ある業界だけが何故、 特定の補助金が出たのか、不思議な現象である。GDPとは『付加価値』の合計額のことなのである。豚の子どもを親に育てて、 豚の付加価値を与えたものが農業の仕事の筈が、そのところは一切考慮に入れない計算方式である。 国内で生まれ、大きくなるまで育てた豚の肉でも「エサの90%以上が輸入品だ」という理由で国産にカウントされない。 そのために9・7%になってしまう。それに輸入豚47%を加えると僅かに5%にカウントされる。そうこうあらゆる手段で、 役人が66%の自給率を40%にするために、あらゆるところで数字の改竄を行っている。米の自給率は、実際は108%なのに、 この8年連続でジャスト100%ということになっている。8パーセントは、元々なかったとして切り捨てている。 ▼ こんなことを知らされると、読む前まで信じていた「グローバルの時代の自国の食料戦略」とやらも、 何か役人に世論誘導されている実態に、侘しくなってくる。この方式だと、自動車の原材料自給率は1%という。 ーーー 2618, 消費社会から格差社会へ ー2 2008年06月04日(水) ー読書日記ー ークルマが社会に与えた影響ー 車が社会に与えた影響について書いてあるが、若い女性が新幹線や電車の中で鏡を出し化粧をしている理由が、車の中と 混同していることが解った。 新幹線といえば毎年の4月の恒例の姿がある。新社会人の女性が平気で待ち行列で 「うんち座り」をしている姿である。学校の校内の習慣を続けているに過ぎないが、若い女性はひときわ目立つ。 半年で流石に止めるが、それでも半年は続けるのである。これとは関係ないが。乗用車に電子レンジと冷蔵庫が付く時代になった ということである。内と外の境目が曖昧になっている。そのこと自体がホームレス化ということではないか。 ーー 上野 もう30年も前のことですが、滋賀県の大津の西武百貨店の駐車場で、車から降りてくる人の調査をしてことがある。 履物の大部分が{つっかけサンダル}ということがわかった。夏ということではなかった。 私領域の顔で降りてくる。車は長距離を移動しても私空間を出前する乗り物だということがわかった。 三浦 クルマが人々の潜在心理に与えた影響はすごく大きいですよ。あまりそれを指摘する人はいませんが、 クルマで育ってしまうと、電車に乗っても化粧をする。「クルマに乗ってると、なんで電車でやっちゃいけないの?」 っていうことだと思うんですね。 僕もクルマの調査したら、若い男の子がカップラーメンを食いながら 運転していたし(笑)。 あと信号待ちでマンガ読んでいるんですけど、信号が青になると、読みながらそのままブーンって出すんで驚いてしまいました。 上野 怖え?(笑)。 三浦 もう、なんでもやってますよ。実際、ロサンゼルスの通勤サラリーマンは、朝ご飯を食べ暇がなくて、 クルマに電子レンジ積んで、テレビディナーを食べながら通勤するらしいですよ(笑)。 トヨタの「エスティマハイブリッド」っていう車種も、コンセントがついていて電子レンジを搭載できるらしいですから。 三浦 電子レンジと冷蔵庫をクルマに完備してあげれば、今の若い子はもう大喜び。コンビニが走っているようなものですから(笑)。 上野 "ゴーイング・マイホーム"、つまり「走るわが家」ね。 三浦 そのうち仕事がなくなって、トレーラーハウスに住むようになってね。 最近、犯罪を起こして人を新聞で見ていると、住所不定・無職でクルマにズットすんでいる人がけっこいる。 ▼ アメリカが、既にトレーラー・カーに住み込むプアーが多く見られるという。日本の地方は車がないと生活が非常に不便で、 一家に一台から、一人の一台の時代に入っている。 これは車がモバイル・ルーム化したともいえる。 携帯電話にワンセグの機能と、ステレオ機能が付いていれば、充分満足のいく空間になる。 さらに、コンセントまでついていれば・・・ 家庭など消滅するのは当然のことである。 ?つづく ・・・・・・・・・・ 2007年06月04日(月) 2253, 倒産にも色いろあるようだ! ヾ(´∀`o)+。才ノヽ 一昨日、兄夫妻が倒産以来初めて報告を兼ねて遊びにきた。内面は複雑だろうが、金に追われた困窮の日々から開放され、 さっぱりしたようだ。倒産のマイナス・エネルギーだけは経験した本人しか解らないこと。 傍で見ていて解ったことだが、倒産にも良質か悪質かどうかがある。 ーまずは悲惨な例からー 幼馴染の兄弟の倒産と、その後の成り行きを数年に渡り身近で見聞きした。倒産直後に弟が建設関係の営業で私のところに 訪ねてきた時、20歳以上も老けた70代半ばの風貌になっていた。想像を絶した経験をしたのだろうが、それそのままが顔に出ていた。 自覚していたかどうかは別だが営業手法として「倒産ネタ」を使っていた。 そのネタなら、どのトップも自ら聞いてくれる、 トップにとって明日は我が身だからだ。しかし本人はつらかっただろう! 彼の話によると、兄の会社の借金の保証人になり、 連鎖倒産をしたという。そして離婚。その後、半年間の引きこもりなど死線を彷徨った後、知り合いの会社の社長に声をかけられ、 営業をしていた。その後、年金年齢になり、働いていた会社を辞めると同時に酒びたり、そしてアル中に近い状態。 一人暮らで際どい日々を送っている。 厚生年金が入るので、生活は成り立っているというが・・ 二十年近く前、婿取りの姉夫婦が 経営していた会社が倒産。それも私と同敷地内の家に住んでいたのでプロセスがまる見え! 生々しい迫力があった。 一度??保証人を頼んできたが・・ 「貧すれば鈍する」のが、倒産である。 そのときは母と金を出し合って、整理専門の コンサルタントの先生に頼んで、後始末をしてもらった。 その時に姉夫婦の友人・知人の借金の明細のコピーをみたが、 億以上であった。致命傷ではなかったが・・・ 人徳というか、長岡的というか、よく貸すよ?である。私など誰も貸してはくれないし、 借りる気などさらさらない。それより、驚いたのは?? 亡き姉への悪口になるか! 人生色いろある! ー良質か悪質かは、以下がラインとなるー ・親戚への請け判、借金があるかどうか。 ・高利貸から借金があるかどうか。 ・痴呆名士様の世界から脱皮しているか。 ・手形を出しているか。 ・夫婦関係が崩壊をしているかどうか。 ・アルコール依存症か女性依存症になっているかどうか。 ・事業をしている場合、厚生年金に夫婦とも入っているか。 ・倒産資金の150万が用意できるかどうかー弁護士費用。 今回の兄夫婦の場合は、全てをクリアー?していたから、良質倒産?。 二人とも厚生年金に入っていて、義姉は二年後に到達、 それまで凌げばよい。厚生年金は法律で守られているから、普通より恵まれた年金生活が保障されている。 (字数制限のためカット 2011年6月4日) ・・・・・・・・・ 2006年06月04日(日) 1888, 井村雅代 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) シンクロナイズド・スイミングのコーチ「井村雅代」という存在を、ある本で知った。 あまりの型破りの指導のため組織から追放され、練習場も失い、選手に次々とさられた。 (字数制限のためカット 2010年6月4日) ・・・・・・・・ 2005年06月04日(土) 1523, わたしの酒中日記ー2 ー長岡殿町 2005年5月31日 今日は父の33回忌の法事である。 法要の席を長岡駅前の『田村』で開く。坊様がまた例の調子で・・・・? (字数制限のためカット 2011年6月4日) ・・・・・・・ 2004年06月04日(金) 1158, 年金の話 これだけ不景気になってくると気になるのが老後である。そのためか、年金がここにきてクローズアップされてきている。 (字数制限のためカット 2012年6月4日) ・・・・・・・・ 2003年06月04日(水) 791, 鎌倉がよかった 林さんに大学の授業が終わった後、鎌倉を案内をしてもらった。家内と私にとって素晴らしい思い出になった。 鎌倉は父方の親戚が駅前で古美術(堀井古美術)の店を開いて、法事などで数回行っていた。 しかし鎌倉の大仏以外は全く未知の世界であった。 今回初めて解ったことだが、鎌倉にも五山があった。 鎌倉時代に中国の五山制度にならって、鎌倉の禅寺に設けられた五大寺をいう。室町初期には鎌倉・京都 それぞれに五山が定められた。その後たびたびの改定を経て、足利義満のとき、五山の上に南禅寺がおかれ、 ・京五山として天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、 ・鎌倉五山として第一位 建長寺 第二位 円覚寺 第三位 寿福寺 第四位 浄智寺 第五位 浄妙寺 がおかれた。 それぞれに深い歴史があることがはじめて解った。 私達が案内されたのが、第一の建長寺と第二位の円覚寺、それと長谷寺と‘あじさい寺’の名で親しまれている名月院である。 全て印象的であった。 その中で名月院を書いてみるとー北条時宗が建てた禅興寺の塔頭の一つだったが、のちに足利氏満の 命令で上杉憲方が時宗の父、時頼の墓所として中興した。1394年上杉憲方の没後、上杉憲方の法名 をとって明月院となった。 アジサイだけでなく スイセン、ボケ、モクレンなど草花の種類も 多い寺である。 それぞれが、味わいのある素晴らしいお寺であった。鎌倉がこれほど良いとは実際のところ知らなかった! 昼飯を御馳走になった老舗の中華料理店がよかった。横浜の中華街にある中華料理店の支店として60年前から 営業をしているという。由緒ある別荘がそのまま店になっている高級料亭風であった。中華料理も絶品の味であった。 林さんとでなければ、間違っても入れない店である。 話は変わるが鎌倉でタクシーに乗った運転手が「景気が悪い!」 といっていた。特に今年に入ってから、かなり悪いとか。鎌倉の一人当たりの地元に落とす金は平均700円? と冗談で林さんが教えてくれた。ウォーキングスタイルにリュックを背負いコンビニで弁当を買ってベンチで 食べるのが鎌倉の一日観光のスタイルとか。 母校の講義と鎌倉の散策、一期一会の素晴らしい二日間であった。 ・・・・・・・・・ 2002年06月04日(火) 427,世間とはー3 世間に住む人々を喩え話で挙げてみると面白い! 娑婆の集約の姿であろう。 ・まずはー どぶに浮くボウフラ!! (字数制限のためカット 2010年6月4日) ・・・・・・・ 2001年06月04日(月) [41] 20年の通勤 新潟と長岡を20年通勤している。1年に250日*20年=5000 5000*2800円平均=1400万円になる。 (字数制限のためカット 2011年6月4日)
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2012年06月03日(日)
* 中年と老年の境目 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」 春日 武彦 (著) 「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、サバンナが老年と捉えることができる。 私の場合、60歳を大きな目安にして50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を整理倒産、 年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 ことがことだっただけ、ハッキリしている。 ≪ 【人生の総決算】 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての 人生の総決算といった性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ象徴的なものであろうと、あまりにも 下らなかったり安っぽく情けなくなってしまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎたくなってしまう。 歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。 少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、 経験に根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者となっていくものと思いたい。 にもかかわらず、 老いの訪れを待っていたかのようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。もともとの性格だとか生き方が、 老いを迎えるに当たって問い直されるのだといった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。暴走老人という言葉が流行り、 それは老いがあるまじき暴力的で非常識で自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚なチンピラのような 暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人であることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に 居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が 「人生には、奇妙に歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じようとしているのではないか、 と思われるような一時期がある。このような時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、 むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きいのではないか。 老年を迎えるということは、 あらためて運命のサイコロを振ることを強いられるということではないのか。 ≫ ▼ 心当たりのある考えさせられる一節。 太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、 バブル崩壊からの「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。私の人生は日本国家の縮図である。 リスク管理をしていたので、生活は何とかなっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。肉体的衰えが、 精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって 半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい! ・・・・・・ 3721, ジャズについて −13 2011年06月03日(金) * 現代ジャズの新しい動きは? ー 「音楽の本」三枝成彰著 より ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた 【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたったジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム 「ピッチェズ・ブリュー」が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。 その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類もできた。 フュージョンとは、一言でいえば、 ジャズのロック化を進めたもので、ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽だ。 だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す 勢いを失ったといっていいだろう。 なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自すべき点もある。 ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。 レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうがラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を 気持ちよく踊らせることができるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」だったことを思い起こせぱ、 これは面白い現象といえるのではないだろうか。 もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、 ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰しているジャズマンもいる。 その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける音楽といえるだろう。 】 ▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと 呼ばれるようになった。黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合して出来たもの。 そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。 それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。それが、そのままフュージョンとなったといえる。 ・・・・・・・ 3356, 風の画家・中島潔 2010年06月03日(木) 「風の画家・中島潔“いのち”を描く」 ー NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜) ーNHKのHPよりー 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、 源氏物語や詩人・金子みすゞの世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。 その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。 日本画の伝統とは無縁の画家が、1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。 中島は、ここで、終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、過去何度も描いてきた 金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年をかけてひたすら描き続けた イワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。 ▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔の清水寺の成就院の46枚の襖絵をみて、息を飲んだ。 日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔の 言葉の一言一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。その絵の暖かい風を感じていた。 本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは, 母に対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。 それにしても生命感の溢れた絵である。 清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに恐れ入る。中島潔が、「金子みすず」の詩を幾つか絵にしていることを初めて知った。 金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 この人の画集は、多くは出版されてないようだ。 ・・・・・・・ 2981,超円高社会 ー4 2009年06月03日(水) 日本国家の財政が破綻しているのは「短式簿記方式のため」、という論は知ってはいたが、この書に明快に表現してある。 ーまずは、その辺の部分をコピーしてみたー * 日本国家が借金漬けの元凶は単式簿記のため 今の政権=自民党+公明党に多額の借金を貸し込んでいるのが、我われ国民である。この政府が抱える本質的な欠陥は、 会計に単式簿記を採用していることである。大福町会計あるいは家計簿方式といってよい。この元では、税収と借り入れを 区別することなく【歳入】と一括りに計上する。国債の利子支払いを、元金の償還と区別も出来ず、国民に対する 社会保障の支払いや公共事業などと一括して【歳出】の一言でまとめてしまう。そういう把握しか出来ない法人なのである。 何故今でも行われているか。理由は簡単。明治政府が発足した時には、日本では複式簿記を知らなかっただけ。 何故に、それを改定しようとしないのか。その方が政権を持っているほうが都合がよいからである。 社会保険庁の帳簿の改竄も、原理的に見抜くことが出来なかったのは、それゆえである。中部国際空港を作ったのは、 トヨタである。 これまでは巨大公共事業は、予算も目標期日もオーバーするのは当然と思われていた。 今の大福帳会計の政権法人が行う限り、ほぼ全ての公共事業が、必ず予算も期日もオーバーする。ところが、 トヨタが引き受けた中部国際空港は、驚くべきことに、目標よりも実際の開港が一ヶ月も早く前倒しされた。 しかも予算は7680億円に対して、実に1000億円も下回り、国民の負担を節約されたのである。 関西国際空港の惨状を見れば、トヨタの凄腕はいっそう明らかである。関西空港は当初予算1兆676億円に対して、 1兆4582億円と、実に37パーセントもオーバーしていた。理由は他にも多くあるだろが、最大の理由は、 民間企業が複式簿記を採用しており、赤字と黒字の理由を把握する能力が備わったいた点に求められるのではないか。 (字数の関係でカット2012年06月03日) ......... 2617, 消費社会から格差社会へ −1 2008年06月03日(火) 「消費社会から格差社会へ―中流団塊と下流ジュニアの未来」 三浦 展 (著), 上野 千鶴子 (著) とにかく面白い本である。社会学部出身ということもあり、その系統の本を40数年読み続けてきたこともあるが 最近の格差社会については、非常に興味があった。「下流社会」の著者が対談の一人で、かつ上野千鶴子は私が20代の頃から、 本を目にしていた。この二人の対談なら面白くないわけがない。 面白そうなところを抜粋して、感想を書いてみる。 ・上野が(今の「下流」と言われるコミュニケーション能力の低い、ノイズに弱い若者が出てきたことに対して) 「『日本の保守本流が望んだとおりの国民形成を、あなたたちは3世代に渡って達成したじゃありませんか。 これこそあなたたちが望んだ結果ですよ』って、『教育基本法改正』なんて言っている自民党のオジサンたちに 言ってやりたい気分ですよ」 〜感想ー強烈な皮肉が政治家と現代の若者、それも下流社会の若者に対して言いあてている。 反面、ノイズの向こう側には彼らの好む音楽などの世界もある。 これで対人恐怖症とか、トラウマとかいって、社会の面倒な世界を拒否する。 ・団塊が中流で、団塊ジュニアは下流。 〜感想ー これもまた、大方三分の二が団塊世代が中流、そのジュニアが下流である。 何故、そうなったか、時代がそうさせただけである。 ・三浦 「堤清二が破滅型経営者で、西武破綻は起こるべくして起こった。 〜感想 堤義明は、どうだったか? 似たようなものか。 ・{ 中村うさぎ何故ショッピング中毒になるかというと、何ものでもない自分が、女王様になれるから。 うさぎが、自分のことを『女王様』といったのは象徴的でしたね。ショッピングも、そのものを買った瞬間、 ガラクタになってしまう。アルコール依存症や薬物依存症と同じ一種の病気として『消費』は「もっと刺激を」 とエスカレートしていくわけ。渋谷の「109」が「表参道」、「ユニクロ」が「プラダ」になり、 「エルメス」になっていくのです。消費によって人は王様になれるのです。でも、誰からも感謝されない。 存在としては必要とされない。それが消費の限界です。 それに気づいた人が、消費以外の何かを探し求めた。 それが自分探しである。}−上野 〜~感想ー 突き詰めると、記号の消費でしかないのでは?という見方が面白い。 「ブランド」というマーク=記号を消費し、王様気分になっている幼稚さ、精神症は、言いえて妙である。 ・国家の安楽死説ーグローバリズムで外国人が来てもらわなくてよいようにするには、 景気を悪くすれば良い。不況になれば潮を引くように自然に居なくなりますよ。逆に言えば、 外国人が来ている間は、その社会が経済的に魅力があるということです。 そういう豊かな社会で育った子供達が 競争力を無くすのを別に抵抗することは無い。{平和に滅びていってくれれば」というのが私の説です。ー上野 〜感想ー ここまで書くだけ社会が変になっているのだろう。情報化に適応できないからである。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2007年06月03日(日) 2252, ビョーキな人々探訪記 −2 o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー 恋愛依存症の人といえば、過去に多く見てきた。 私の知る限り10〜20人に、若いときは5〜10人に1人というところか? いや実際は、もっと多いのかもしれない。恋愛依存症とは聞こえが良いだけ、色気違いじゃないかい? でも、ある時期誰もなってしまうから、他人を責めることは出来ない。これに絞るのも人生、楽しいのだろう。 美人に人間性が良いのが多いのは、女性の職場で確認済み。 例外は何処にもいるが、バランスー平衡感覚は顔に現れるということ?。 とにもかくにも「色気違い」を「恋愛依存症」とは面白い。ヤリマン、アゲマンの凄いのは、何処にでもいるが、いざ自分が 出会ったら腰?が引ける。腰から下はコントロールが効かないから困ったものだ。 しかし出来ないヤツほど、解ったことを言う! (字数の関係でカット09年06月03日) ・・・・・・・・ 2006年06月03日(土) 1887, 100曲CD ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★ 最近、100曲CDをたて続けに買っている。3千円前後というのが気楽で良い。還暦の時に祝いで2セット貰ったものを 含めて7セットになる。事務所の数軒先にある石丸電気のソフト館に100曲CDの特設売り場があり、そこが買うか、 Web上のアマゾンで買う。 一年前に(私にとって)高価のコンポを買ってから、就寝時は必ず聞きながら寝入る習慣になった。 (以下、字数の関係でカットー2008年6月03日) ・・・・・・・ 2005年06月03日(金) 1522, 将来の不安 将来に対して誰もが漠然とした不安感を持っている。特に激動期において、大きな不安が曇り空のように横たわって見える。 ある哲学書に面白いことが書いてあった。「将来の大きな不安は、現在が不安定である投影でしかない。このことに気がついてない ことが大きな判断ミスを犯してしまう。将来のことは、現在考えている予測や不安とは全く違うものだ。いや、明日のことでさえ。 問題は現在の不安定が前向きかどうかである。将来の不安は、今の問題の不適合(目をそらしている)でしかない」という主旨である。 (字数の関係でカット12年06月03日) ・・・・・・・・・ 2004年06月03日(木) 1157, 60対10の法則 1昨日、NHKのTVを見ていたらニューヨークの市警が取り入れた「60対10」の法則の取り締まり方法を紹介していた。 「10?の地区を集中して取り締まれば,60?の犯罪を未然に防ぐことができる」という法則を使って、ニューヨークの犯罪を 激減させた事例を紹介していた。 これは「80対20の法則」の応用であろう。20?の要点に80?の要素が集中しているというのを、 もう一ひねりをして10?の要点に60?の要素が集中しているという原理だろう。20?の半分の10%で60?なのだから、 さらに効率的になる。本でいうと、「目次」と「前書き」と「終わり」と、太字と図と箇条書きのところが20?の要点とするなら、 「前書き」と「終わりに」と箇条書き部分が半分の10?としてみるなら、そこに60?が含まれているという見方だろう。 その本によって使い分ければよいことになるが。犯罪のように80?より、60?の防犯の方が現実的なケースの方が良い場合がある。 100?使わなくてはならないケースもあり、ケースバイケースである。80対20という法則だけでなく、60対10の法則もあると いうことを頭にあればよいが。200?で100?の効率の場合が必要な場合もあるから念のために! 仕事や受験などのように効率を求められている場合、平気でこれをする場合がある。人生はこの場合の方が多いから 困ったものだ。経営もマイナス10にエネルギーを集中して気がつかないから、本当に困ったものだ。誰だそのバカは?自分のこと? ・・・・・・・・・ 2003年06月03日(火) 790, 産能大学講義 何事も経験と、会社のコンサルトをしてもらっている林さんの産業能率大学の授業の臨時講師を受ける事にした。 授業70分のうちの60分が持ち時間であった。場所は新宿より箱根に向かう小田急電鉄で一時間のところにある伊勢原である。 気楽な気持ちであったが、二日前に講義をいている夢をみた。あまりにも力みすぎ空回りをして一人芝居をしている夢であった。 何処かで緊張していたのだろう。ゆっくり話すのがコツというが、力みを抜く事を忘れてしまって空回りをしてしまった夢だ。 ところが当日は緊張感はゼロであった。「相手は学生で、実体験をそのまま実感で話せば問題はないだろう」 という気持ちと十分の準備があった為だ。いざ壇上に上がって驚いた、学生のほうが緊張をしているようであった!? 抽象的な話しばかりの授業が多い中、具体的な異様な話に逆に興味を持ってくれたようだ。まあ実務家の話は聞いたことがないから、 珍獣でも見ている気分ではなかろうか。 出席者は50人位で、女学生が半分近くいた。私語をする学生はゼロ、少し居眠りを している学生が2名いた。講義は先日のレジメどおりに進めたが、カタチ、心観学術態、好きな事を今のうちに見つけて職業に しなさい、ダンスと歩行、般若心教を暗記しなさい等を話している時は全員の目が光っていた。 「私の人生で得たエキスを誰か一人でも理解してくれればよい」という気持ちが少しは伝わったようだ。 しかし禁止用語も使っていたようだ。また大学で講義など変わった貴重な経験を一つしてみた。そして面白い経験であった。 ・・・・・・・・・ 2002年06月03日(月) 426,富豪の館 昨日ラーメン屋で見た週刊誌に、マリナーズのイチローの新しい屋敷が載っていた。2億5千万にしてはプールはなかったが、 豪華な建物だった。南ベトナムに行った時、サイゴンの元南ベトナム大統領府が公開されていた。やはり広大で豪華なものだった。 その時の説明で、豪邸の条件の話しが面白かった。 1、映画館を備えている事ーいつでも見たい映画をすぐ見れる状態 2、プールがあること 3、バーがある事ーホームパーテーが開ける事 さらにヘリコプターの離発着の機能がついていれば、さらによしという。大統領府にその条件が揃っていた。ホームバーと映画館は 一般の家庭に形を変えて入りこみつつある。TVのホームシアターでいつでも見たい映画を取り込める時代の到来だ。 プールだけは無理のようだ。以前の日本では大きい庭と池と茶室、法事や正月に親戚が集まった大きい部屋だ。 こんなものより自由に世界を飛び廻っているほうが好きというのも、「物より事の時代」のせいか! ・・・・・・・・・・ 2001年06月03日(日) 昨日ホームセンターのムサシの外食部門のやき肉の店の‘赤大門’に行った。 ‐大ジョッキーの生ビールとカルビ定食とカルビとロース四品で2100円。二人だから一人1000円あまり!
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2012年06月02日(土)
ギりシャのユーロ離脱だけではなく、スペイン、イタリア、フランスなども世界恐慌を引き起こす火種となってきた。 しかも、これら各国で「反緊縮」に国民が熱狂、財政再建が機能していない。それは国債暴階の危機が高まっていることをいう。 要は、マイナスに向かって本格的に動き出したということだ。ただ、アメリカをはじめ、各国のトップが密に連絡をとっているので、 何とか目先を乗り切っている。彼らは、その結果が如何に悲惨な事態になることを知っているので、必死なのである。 学者やエコノミストのコメントを中心に、この記事の内容を幾つか紹介してみる。ある日、突然、国債、株価の暴落が遅くて年内、 早ければ今月中に起こる可能性が強い。 せめて年末までは、持って欲しいが・・・ ー以下の内容は、シビアである。 ●「これから世界経済、日本経済がどうなっていくか。それはひとえに、ギリシャの債務不履行がどのような形で起こるかにかかっている。 もしギリシャでコントロールされないデフォルトが起これば、世界経済は不況に入り、日本経済にも巨大なインパクトとなる。 (リーマン・ショックのあった)2008年後と同じくらい経済が悪くなるかもしれない。そんな最悪のシナリオがありえる状況になってきた」 (ニューヨーク州立大客員教授などを歴任した知日派ジャーナリストのリチャード・カッツ氏) ●「いま我々はグレイト・デプレッション(大恐慌)に入ってしまった。世界が繁栄していると思っていたのは実はバブルに過ぎず、過剰に なった負債がクラッシュしたことで恐慌へ突入してしまった。最悪のシナリオは1930年代の大恐慌の完全な繰り返しである。 ファシズムが台頭、政治対立が生まれる状態だ。不況が10年も20年も続くことになるだろう」(ウェスタンシドニー大のキーン教授) ● ノーペル経済学賞受賞歴のあるプリンストン大学教授ポール・クルーグマン。氏が5月中旬に書いたニューヨーク・タイムズのプログに、 6月からヨーロヅパで起こるであろうシナリオが書かれている。 実際に見てみると、その内容は衝撃的だ。「何人かで謡し合っていて、 次のような結論に落ち着いた」として、クルーグマン氏はこう綴る。 「ギリシャはユーロから離説、おそらく来月だろう」 「スペインの銀行とイタリアの銀行から巨額の資金が引嚢}出される。銀行はドイツに資金を移動させようとするだろう」 「銀行は国外への資金の移動を禁じられ、現金引出しが制限される可能性もある。あるいは同時になるかもしれないが、 銀行を磁綻から救うためにECB(欧州中央銀行)が巨額融資をする」 「ドイツがイタリアとスベインに対する巨大な債権を受け入れるのに加え、戦略を大幅に変更するか、あるいはユー口の終わりがやってくる」 ●「ザ・エコノミスト誌東京支局長のヘンリー・トリックス氏は、「ギリシャがユーロを離脱することになれば、‘第二のリーマン・ショック’ のような事態が起きてもおかしくない。しかもリーマンのときは成長著しい中国が世界経済の救世主となったが、いまの中国は韓国サムスン 幹部が「中国での売り上げが予想以上のスピードで下落している」と言うほど景気が失速しているから、同じような役割は期待できない。 世界の中央銀行もすでに大量のお札を刷り過ぎているから、前のように大きくは動けないだろう一と今回の危機の深さを指摘する。 ● ニューヨーク大学ビジネススクール教授のジョゼフ・ファウディー氏は、「アメリカでは、ギリシャがユーロから離脱したら リーマン・ショックのような出来事が起きると懸念されてる。スペイン、ポルトガルが次の標的になり、さらにイタリアがユーロを離脱する ことになれば、世界経済に巨大な衝撃を与えることになる。 もちろん日本経済は影響を避けられない。まずトヨタやSONYの収益が減少する。 ▼ 裏山の高台(事業から撤収)から、見える大津波は、どえらい規模。 まだ海辺で内海を眺めている集団が目に入る。 グローバル化した社会の恐ろしさが、まだまだ理解できない。こうは言っているが、実際は想像を遥かに絶するだろう。 ・・・・・・・ 3720,ジャズについて −12 2011年06月02日(木) * 革命か目茶苦茶か −評価が二分された「フリー・ジャズ」 ー 「音楽の本」三枝成彰著 より ■ オーネット・コールマンからジョン・コルトレーンまで ー P/203 【 一九五九年から翌年にかけ、アルトサックス奏者オーネット・コールマン(一九三〇〜?)は、『ジャズ来るべきもの』 『フリージャズ』というタイトルのアルバムを発表していくことになる。これらはジャズ・ファンのみならず、アーティストの間でさえ、 「ジャズの革命だ」「滅茶苦茶をやってるだけだ」と評価を二分した。大方のリスナーには調子はずれのちんぷんかんぷんな音楽にしか 聴こえない彼の演奏は、当然ながら大衆的な支持は得られなかった。しかし、六〇年代の"反体制気運"とあいまって、いっさいの 音楽的規則や形式にとらわれず、なんでも自由に演奏するフリー・ジャズ・スタイルを生み出す。 このフリー・ジャズ・スタイルは、コード(和音)による進行がないばかりか、小節の制約すら取り払われたものだ。 結果、メロディーやスウィング感も失われていく。 古典派からロマン派と続く中で美しいメロディーとハーモニーを奏でた クラシックが、近代.現代に入って失われていったが、あえていえば、ジャズでも同じことが起こったといっていいだろう。 オーネット・コールマン以外では、テナーサックスのアルバート・アイラー(一九三六〜一九七〇)やアーチー・シェップ(一九三七年〜)、 ピアニストのセシル・テイラー(一九三〇〜)などが、こうしたプリー・ジャズの流れの中で語られるアーティストである。 「ジャイアント・ステップス一(五九年)、「マイ・フェバリット・シングス」(六〇)、「至上の愛」(六四)というアルバムにより、 ジャズ史上もっとも偉大なサックス奏者として、多大な影響を及ぼしたジョン・コルトレーン(一九二六〜一九六七》も忘れてはならない。 「字数制限のためカット2012年6月2日」 ・・・・・・・ 3355, 人みな骨になるならば ー13 2010年06月02日(水) * なぜドラマみたいでないのか これがシビアで面白い。 自分はいうに及ばず兄姉などの人生を覗くと、決してドラマのような人生などない。 そこにあるのは夢も希望もないリアルの人生である。時にドラマみたいなのもあるが、それは喜劇か滑稽な悲劇である。 ー まずは Pー27から抜粋してみる ー ≪ 前から不思議に思っていることだが、われわれの実人生はどうしてこうもドラマみたいでないのだろう。 なぜ次々に恋愛や心ときめく出会いがないのだろう。これは容姿がいまひとつといった大多数の平均的な人にとって、 そうしたラヴ.アフェアエアは青年期にそれらしいものが二、三あれば御の字で平凡でみすぼらしいものである。 かりに大恋愛の末に大団円を迎えたにしても、そのあとに退屈な毎日がだらだら続くであろう。そのうちヒーローは歯周炎を病み、 ヒロインは亭王の前で平気で放屁をするようになる。もし現実の男女が数奇で劇的な大恋愛に陥っても、かれらの日常をずっと カメラで追っていけば映画として最悪の作品になること必定である。洗顔歯磨きに十分もかけるし、風呂には二十分も入る。 くちゃくちゃ咀噌し、いきんで排泄する。最悪なのが睡眠で、数時間も横になったままである。絶世の美男美女が演じたとしても、 観客としてとても半時間以上はつきあいきれるものではない。そこで編集が必要になる。 だらだら続く日常性の部分をカットし、 しかも肝心のストーリーがつながるように見せ場だけは拾い上げていく。これを工夫すれば、われわれ凡人の一生であっても 一作や二作ぐらいはドラマ化できないものではない。 映画なら二時間前後にまとめないと観客の集中力を保てない。 ということは七十年の時間から二時間だけをピックアップするのである。しかし、実人生とかリアリティというのは 七十年のほうにあって二時間のほうにはないのである。 だから二時間にまとめられたドラマは作りものであり、退屈な散文的な 七十年のほうがリアリズムなのだ。 活劇や冒険となると、そもそも凡人が経験できないもの、いや経験したくもないものである。 現実の警部補だと担当できる殺人事件は数件か、せいぜい二、三十件どまりで、そのほとんどが単純な激情犯ゆえすぐつかまる。 しかるに小説やドラマの名探偵名刑事たちは数十から数百の殺人事件にでくわし、そのいずれもが奇々怪々な難事件なのである。 しかも、どういうわけか解決する。SFの宇宙船で事故や怪物にでくわさないものはない。フィクションだからしかたがないと言えば そうなのだが、ノンフィクションやドキュメンタリーであっても編集してあるからには、実人生から遠いこと恋愛物と大同小異。≫ ▼ 逆に「なぜドラマみたいでなければならないか」という問いが立つ。自分の人生を脚色して自分を納得したいのが人間の弱さ。 すべて仮想でしかないと冷めた目で周囲を振り返れば、ドラマも何もあったものではない。ドラマはつくりものだが、そっちの方が 現実と思いたいのである。 実際にカントは、対象を認識するのではなく、自分の認識が対象を決めると看破した。 ドラマはつくりもので、ストーリーを主にした抽象画のようなもの。 敢えて言えば主体的に生きていることがドラマみたいに してくれるのである。だから主体的に生きなけれならない。人生を振り返ると、緩慢だがドラマのようにも思えるのは記憶が ドラマ仕立てに都合よく変えてくれるから。それでもヘロヘロ・・。精一杯生きていれば、それだけでドラマになると信じたいが。 ・・・・・・・・ 2980,超円高社会 ー3 2009年06月02日(火) * 危篤状態の日本の実態 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記 《第5章 政府が破綻しても日本は生き残る》の ー危篤状態に陥った日本政府ーが現在の実態を捉えるに解りやすい例え話。 国民もマスコミも、その深刻な事態の実感が薄いようである。NHKが毎週のように土曜日などのゴールデンタイムに、 特番を組んで報道しているが・・・。頭の軽い、その辺の人が?「マスコミは騒ぎすぎだから消費が冷え込む」とかいうが、 そんな事態とは違う。 明治維新で幕藩体制が終わり、日本という国家ができた、あの節目より大きな変わり目である。 現在の日本は危篤状態の重病人。 そこに急に大嵐が来た中で重病人に、火事場の馬鹿力を出せという。そうしないと死にますよという。 しかし、この20年近く、もう力を使い尽くして、重体になっている身。その辺を、上手い例え話で説明しているのである。(P-112) 【 ブライマリーバランスという意味不明の言葉を、おそらく多くの人が耳にしたことがあると思う。日本政府が「2011年度に回復する」 ことを公約として掲げてきていたこの言葉だが、いったいそれが回復すれば、どんな良いことがあるのだろうか。 「字数制限のためカット2011年6月2日」 ・・・・・・・・ 2616, サルトルを考えてみる ー3 2008年06月02日(月) ーまずは、あるサルトル入門書に書いてあった、 サルトル批判と人気衰退の理由の箇所を抜粋してみよう。 *サルトルへの批判と、忘却の原因とは サルトルの影響力は、サルトルの死後急速に低下したが、それは「構造主葉」という新しい思想が現れたことが大きい。 構造主義は、スイスの言語学者ソシュールの言語学と文化人類学などが結びつき、1960年代に作られた新しい思想である。 レヴィ・ストロース、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、アルチュセールらがその代表者とされた。 構造主義は、モノではなく関係を重視するところに特徴がある。またこの思想は、主体(私)としての人間に、たとえば言語のような、 関係の網の目としての構造が先立っている、と考える。構造主義は、西欧近代哲学全体を、主体としての人間を中心とする人間主義 (ヒュー・マニズム)として批判した。またそれは、人間を作るのは歴史ではなく構造だとして、マルクス主義に代表される 進歩的歴史主義を批判した。サルトルの思想は、実存における選択を強調する点で「主体主義」「ヒューマニズム」の哲学とみなされ、 またマルクス主義を評価していた点で「歴史主義」の哲学ともみなされた。 要するに、サルトルは、それまでの古い西欧哲学の代表としてやり玉にあげられたわけである。 構造主義の後には、ジャツク・デリダやジル・ドゥルーズらの「ポスト構造主義」が話題となったが、サルトルはしだいに批判される というよりも忘れ去られるようになっていった。デカルトやヘーゲルの哲学は西欧近代哲学を代表するものであり、批判されながらも 古典として今も読まれ続けている。ところが、サルトル哲学は、古典にもなりえない二流のものとされてしまい、ほとんと読む人が いなくなってしまった。サルトルは、もう時代遅れの思想家なのだろうか、そして本当にサルトルを乗り越えたのだろうか、 この二つが、サルトルを見直した後の疑問である。 サルトルは「偽の知識人」を徹底的に批判した。 「偽の知識人」は普遍性の番人を自称し、高みから大衆を導く気になっているが、個別的などの戦争を停止させようとせずに ただ一般的な平和の望む、などという。 彼らは植民地の人たちを人間以下のものとして排除することで成り立っている。 こういう知識人の問題は、我々の問題である。 閉じた場所の外へ、世界へ関係するとき私たちは真の知識人になるのである。 ▼ 以上だが、この批判を読むと、サルトルは時代遅れの鼻持ちならないフランス人と切り捨てられるのも解る。 人間を作るのは歴史ではなく構造だと主張し、西欧近代主義=白人中心主義自体ということを看破したした構造主義の土台に なったことも見逃すことはできない。 現フランス大統領サルコジが、サルトルのマイナスの現象とみることも出来る。 30数年ぶりに、サルトル入門書を数冊読んでみたが、現代にも十分通じるところがある。果たして、サルトルを現代社会は 乗り越えたのであろうか? NO!であることだけは事実のようだ。構造主義と、ポスト構造主義について、今度取り上げてみたい。 ・・・・・・・ 2007年06月02日(土) 2251, ビョーキな人々探訪記 ー1 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪ ー読書日記ー 「変? ビョーキな人々探訪記」 著者・中村うさぎ・扶桑社 またまた「中村うさぎ」である。買い物依存症の中村が、他の依存症の人と語る、際どい話である。 (字数の関係でカット09年06月02日) ・・・・・・・・ 2006年06月02日(金) 1886, 友、遠方より来るー2 (。・ω・)ノ☆゜+.オハヨゥゥゥ 訪ねてきた友人と話していて、37年ぶりの忘れていた昔のエピソードの中に、若い時の自分の姿が垣間見ることができた。 若いときは神経質で、プライドだけは高くピリピリしていた。振り返ってみると、家庭環境が大きく自分を支配していたのが解る。 自由になるということは、家庭環境などに植えつけられた価値観や思い込みから解き放たれることである。 一生かかって、その壁を乗り越えるのが人生である。前にも書いたが、中学の担任の先生が停年退職の祝いの同級会の二次会で、 私に悩みを打ち明けたことがあった。 「俺には、俺の人生がなかった!」と。昔の学生時代の友人とのエピソードの中に、 当時はまだ支配されていた両親の価値観や躾などから発する喜怒哀楽などに、その壁を見ることができる。 私の記憶には全く残ってないが、その友人が言うには、「欧州旅行時に、船の甲板でセーターを私から借りた。 そして返そうと手渡したら、烈火のごとく怒った。‘たたんであったセーターを返す時は、たたんで返すのがスジだろう。 それを、そのまま返すのは失礼じゃないか!」 と。今なら、まあいいや!位にしか思わないが、10才位までの家庭環境が 10人の大家族のうえに、従業員が7~8名が住み込みでいた。そのため人に対する気配りを幼児の時から仕込まれていて、 金の貸し借りは厳禁、ものの貸し借りも非常に厳しく制限されていた影響が残っていたのだろう。当時も25人の寮生活をしていて、 他人に対する気遣いが要求されていた。合気道というクラブにも入っていた。当の本人(友人)は集団生活などしたこともなく、 友人から怒鳴られたこと無かった。「その時、初めて相手に対する気づかいを教えられた」という。それ依頼、 現在でも他人に対する気遣いの教訓にしてきたという。「ふーん、昔から怒りっぽいかったのだ。それと、躾がチャンと 身についていて、知らないうちに友人に押し付けていた」と、改めて思い知った。しかし当時、島田の彼の家に泊めて もらった時のこと。朝食を食べている時に、箸を持った手で味噌汁の御椀を持ったら「何で、そんなミットモナイことをするのだ」 と怒鳴られたことがあった。私の家では、箸での引き膳などに対して注意されることはなかった。それぞれの家庭文化があるのだ。 それは結婚した時に、互いに実感することであるが。寮生活でも、全国から集まっている多種の人と共同生活をしていると、 それぞれの人の背後にある家庭まで見えてくる。そして異種の人との軋轢が、現在になって勉強になっていたと恩い知らされる。 その点で軍隊生活の経験も必要ではないだろうか。 変な洗脳がなければ、の話だが。 (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ! ・・・・・・・ 2005年06月02日(木) 1521, お人よしニッポン 昨日の産経新聞4面の「北京春秋」というコラムーお人よしニッポンーというコラムが、言いえて妙で面白い内容であった。 日中関係の悪化のおり、この紹介してあった小話が「日本人のお人よし」を旨くあらわしている。 先日書いた、『知らないことを知らない恐ろしさ』に内容は通じるが! (字数の関係でカット2010年06月02日)
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2012年06月01日(金)
* つれづれに ー地方都市の街中の空気 今日から6月に入った。 何とか世界恐慌になってないが、再び火種がチラホラしてきた。何時もの話題になるがギリシャ再選挙が、 どうなるか? それとスペインとイタリアの危機も再燃してきた。4年前には北京オリンピック終了後に、リーマンショックが起こった。 今度はロンドンオリンピックと、米・韓の大統領選挙待ちになる?のか、早くなるのか。 リーマンショックの次が欧州ということ。 今度の大津波は、かなり激しくなるはず。 それが中国とアメリカに連鎖し、日本にも当然、大きなクラッシュがやってくる。 絵空事でなく、現実問題だから恐ろしい。 何処かから「危ない危ないというが、何にも起きないじゃないか!」と聞こえてきそうだが。 実際には彼方此方で現象で出ているが表に出ないだけ。それだけ、深刻。 今年度で「中小企業金融円滑化法」の延期は終わり、 来年度はないのは決定済み。そのため、銀行が急激に融資先の選別を始めた影響が出始めてきたとか。 自宅敷地内の貸家が去年の10月から空き家になったが、殆んど引き合いがない。昨日、不動産屋に行ったところ、去年の暮れから、 まともな?借り手が消滅。 たまに来るのはアジア系外国人と、生活保護の受給者の転居希望者だけ、とか。 週間現代の今週号で、「ギリシャ発世界恐慌特集の発火一歩手前の各国の相関図」を分かりやすく書き出していた。 こういう暗い世相を話題を、斜に構えて敢えてするのは私自身が既に前ぶれの波を直撃を受けたためである。。 この世相の中で明る話題も見つけにくいことも事実である。しかし、これだけ心が安定し、穏やかな日々も、あまり記憶がない。 新潟でホテルを立ち上げ、5年ほどして一息ついた時以来である。 こういう時は、何か不意をつかれた危ない出来事が忍び込むから、 気をつけないと・・・ この状況下、弱り目に、祟り目で一番打撃を受けるのが日本である。しかし一般的に、のんびりしたものだ。 ・・・・・・ 3719, ジャズについて −11 2011年06月01日(水) ー 「音楽の本」三枝成彰著 より * アート・ブレーキー −何故あの時にドラム奏者に注目が? 【 ハード・バップ時代は、パワフルな演奏を支えたパートとして、ドラム奏者に注目が集まった時代でもある。 ジャズ・メッセンジャーズを率いたアート・ブレイキー(一九一九〜一九九〇)はその代表である。まさに雪崩を打つような連打。 徐々に音が大きくなって、最後は怒濤のようにはじける彼のドラムは、いやが上にもバンドの演奏をホットにうねらせた。 『モーニン』(五八年)のヒットで一世を風靡したほか、バンドからは多くの有望な新人を輩出したことでも知られる。 そしてもう一人、マックス・ローチ(一九二四〜)も忘れられない。四〇年代にはパーカーやマイルスと共演。 その後は、トランペット奏者クリフォード・ブラウンらとクインテットを結成し、数々の名演奏を残している。 もちろん、このハード・パップ時代には、他の楽器演奏者にも多くの逸材を出した。名前だけをあげておこう。 ・トランペットではリー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス。 ・サックスではキャノンボール・アダレイ、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ショーター、ブランフォード・マルサリス。 ・ピアニストでは、ホレス・シルヴァー、レッド・ガーランド、レイ・ブライアント、フィニアス・ニューボーン、 ソニー・クラーク、ボビー・ティモンズ、ウィントン・ケリー。 ジャズファンならずとも、名前を耳にする面々が含まれているだろう。それだけ、ハードパップ時代はジャズが もっともジャズらしく光り輝いた時代でもあったのだ。】 ▼ 知った上で聴いているのと、何となく聴いているのとでは、やはり大きな差がある。 ジャズはアメリカが世界の中心になる、まさに右上がりの世相の中で、底辺の黒人や、黒人と白人のハーフの人たちの 間から、酒場の演奏の即興として生まれてきた。それも、時代の動きに合わせて変化をしてきた歴史がある。 それらを考えると、私のような俄かファンがシタリ顔で分かったようなことは言えない。 年内はパソコンとiPodに 入っている曲を可能な限り聴いて、それぞれのアルバムや曲が、どの時代の流れを含んでいるのか知りたい。 ・・・・・・・ 3354, 高校生でもわかる日本経済のすごさ ー2 2010年06月01日(火) 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著) ー P−22 に、国民の家計を例にして、その辺を分かりやすく書いてある! ー 話に現実感を持たせるために、現在の日本の状況を、ある一家に讐えてみましょう。世界一のお金持ちの家庭(日本国家)では、 旦那さん(日本政府)が974兆円もの大金を借りています。しかし、別に外部の金融機関などから借りているわけではなく奥様(家計) から借りているのです。しかも、旦那さんはちゃっかり467兆円ものお金を、へそくりとして蓄えています。 この家の奥様は、 個人としては世界最大の金持ちで、純資産額が1058兆円にも達しています。 結果、この家庭は「家族としての純資産額が 243兆円もの規模に及び、この金額は家庭の純資産としては世界最大となっているのです。家の中で、最大の稼ぎ手である長男 (非金融法人企業)が最近、今一お金を稼いでこないため(法人税が減少している)、仕方なく旦那は自ら一家の支出を工面している。 とは言え、実際には奥様からお金を借りて、やりくりしているだけなのですが。しかも、その支出は基本的には旦那さんの家族のために 使っている(定額給付金や公共事業など)のです。 家族みんなが旦那さんからお金を受け取り、それを税金といった形式で再び旦那さんに 渡したり、またまた国債という形で貸し付けたり・・ と、家庭内で、お金のキャッチボールを延々と繰り返している仕組みなのです。 家庭内で様々な形でお金の受け渡しを繰り返してはいるものの、家としては世界一のお金持ち。これが現実の日本の姿なのです。 ▼ 何度か、この例え話は聞いたことがあるが、「スナックに金持ちが入ってきたとして、それでスナックが豊かになることはない」 とか、「大借金を持った人がいたところで、スナックの借財が増える訳でない」というのもわかる。 要は国民が金とか現物の投資、 そして外国の国債や株に逃げないことが前提である。飽きれた子供や奥さんが何時の間にか預金を下ろして、他に移動する 可能性がある。この家は、他に二百数十兆の預金が外国にあるという。但し、この家の親父は暴力団に脅されて500兆ほど 大事そうな借用書と交換に貸し付けているという。 普通の家庭の」平均総資産が3500万あるが、借金は半分ほどある。それを、 どう見るかである。ただし、預金も、ある日(二年後)価値が半減する可能性がある。「氾濫する川辺の家の家族」かい。 ・・・・・・・・ 2979、不況景色 ー11 2009年06月01日(月) * 今日、GMが倒産というが ・日ごと不景気が深まっている。今日、世界最大の売り上げを70年以上続けてきたGMが倒産する。GMといえばスローンである。 GMの社長として、20世紀において最も大きな影響力を発揮した経営者の一人。経営者としての在任期間で、最大の競争相手である フォードを打ち負かし、GMを世界最大の自動車会社に育て上げた。 この辺のことはスローンの「GMとともに」に書いてある。 学生時代に読んだが、ドラッガーの著書の中でも彼は何度も取り上げられている。そのGMが瞬く間に倒産というから感慨無量。 (字数制限のためカット2011年6月1日)) ・・・・・・・・・・ 2615, 東京湾 漂流死体は語る ー2 2008年06月01日(日) 「東京湾 漂流死体は語る」ー読書日記 海上保安庁 岸善朗著 漂流死体の身元や、死因を調べていくうちに、あまりに悲しい気の毒な理由を知る。 世の中は、一度道を踏み外すと過酷な人生が待っている。その中で最も悲惨なケースを抜粋してみた。 アルコールとギャンブルで狂った男の犠牲者の母娘のケースである。正視できないとは、こういうことか。 ▼ 巡視艇が死体で揚収した女性は生前、荒川の上流にある土木工事現場の飯場で働いていた。 粗末なプレハブの寮で、十九歳になる娘と共に住み込みの賄い婦をしていた。亭主がどうしようもなギャンブル狂で、 競輪にうつつを抜かし、当時山谷と呼ばれたというところに寝泊まりをして、ほとんど妻や娘のもとに寄りつかない。 しかも、競輪で金をすっては、すってんてんになりにっちもさっちもいかなくなると決まって妻のところに舞い戻って来た。 そして、駄々っ子のように金を無心。酒に酔っては妻と娘は、そんな男から逃げ回るように関東近辺の飯場を転々と渡り歩いていた。 そして、幾多の流浪の果てに、辿り着いたのがこの飯場だった。二人にとってここは束の間の安住の地であった。 しかし、二人はすぐに男に居場所を突き止められ、探し当てられてしまう。そのたびに男は妻と娘に金を無心し、それが叶えられないと 容赦なく暴力をふるった。 娘は十九歳で精神障害者。母親が飯場の賄いの仕事だけで稼ぐ金はたかが知れている。 (字数制限のためカット2011年6月1日)) ・・・・・・・・・・ 2007年06月01日(金) 2250, 耐震偽装 ?6 (@⌒ー⌒@)ノおはよ? 検察の権力への傾斜は仕方がないが、「見せ金」で逮捕は異常である。 それも権力者擁護の露骨な尻尾振りの姿は、自らの存在意義を忘れた憐れな哀愁さえも感じとれる。 税務署員が自らの成績を上げるための、あの醜悪な行為に酷似している。 この一連の常軌を逸した行為は、歴史に残るスキャンダルである。 安部は間違いなく短期で消滅する! (字数制限のためカット2010年6月1日)) ・・・・・・・・ 2006年06月01日(木) 1885, 友、遠方より来る おっ w(゚Д゚)w ハァョ? 一昨日、静岡の島田市から学生時代の友人が遊びに来て一泊していった。 37年ぶりにジックリとそれまでの人生を話あったが学生時代の友人はよいものだ。 午後は新津のフラワーガーデンと、北方博物館、福島潟を案内、夜は新潟駅前と古町で一時過ぎまで飲む。 昨日は車で弥彦まわりで長岡までドライブをしたが、親会社の重役が亡くなったと電話が入り、早々帰っていった。 来年のゴールデンウィークに、今度は私が島田に遊びに行く約束をした。あの辺りは、東海道53次の幾つかがあり見所が あるようだ。39年前に欧州に同じグループで行って知り合った友人。一ヶ月の共同生活は、数年間の下宿生活と同じ位の 親しみをおぼえる。トヨタ系の部品の関連会社の子会社の社長をしている。やはり欧州友達の深井氏が10年前に 亡くなったことを知らなかった。彼が言うには、東京から名古屋までの東海ベルトラインは好景気という。 その地域を除いた地方は酷い状態ということが一つピンとこないようだった。実際に飲み歩いた店に殆んど客が入ってないのをみて 少しは理解したようだ。現在考えてみても、多彩な友人に恵まれていた学生時代だった。丁度、昭和40年代前半で高度経済成長期の 真っ只中であった。「学生時代の自由な時間の中で何をどれだけ学んだか、そして多くの人と議論できたかどうかで、人生は決まる」。 人生を振り返って高度成長期に青春真っ只中に重なったことは幸運であった。島田の友人と会ってみて、つくづくそのことを実感する。 この再会も一期一会である。50歳を過ぎてから何ごとも、そのの気持ちできたが・・ 彼を見ていて、「人生にはつきがあり、 ついている人はどこまでもついてまわるもの」と思った。何代も続いた環境から身についた人間性と、情報と、生活環境が、運をつくる。 できうることなら、つきのある人間とだけ付きあうべきだ。ツキのある人間になれるか?般若心教を暗記するとよい!というが ・・それか「自分はついている!」を口癖にするとよいというが・・ 親は子供の鋳型というが、鋳型の悪いのはどうしようもない? ・・・・・・・・ 2005年06月01日(水) 1520, わたしの酒中日記ー1 「酒中日記」という、色いろな文筆家の飲酒に関わる切口の随想を読んで、わたしの酒中日記を書いてみたくなった。 過去のある日を飲酒を切り口として振り返って、その時々の背景を見るのも面白そうだ。 そのカジュアルな酒場の思い出の中に、その時々の心情が思い出される。前後の脈絡なしで、ただ思いつたまま書くので、 過去の時空を気楽に飛び回ることができそうで、書いていても面白くなりそうだ。振り返ってみて、酒席で多くの失敗を重ねてきた。 私の人生はその繰り返しといってもよい。それでも、致命傷を負わなかったのは?不幸中の幸いである。 といってアル中だったわけではない? ところで、何処から書くか迷ってしまう。あまりに美味い酒とホロ苦い酒を多く飲んできた。 いや面白い、楽しい酒を飲んできた。一期一会と思って飲んできたから、美味い酒だったのだろう。 年代を入れ、月日は某月某日で書くつもりである 。 まずは、直近から。 ー長岡殿町 2005年4月某日 今日は月の恒例になっている酒友との飲み会である。長岡の飲み屋街では、ほぼ行く店は決まっている。 (字数の関係で中間カット09年06月01日) ・・・・・・・ 2004年06月01日(火) 1155, 「しつけ」の話 一昨日は父の命日であった。 今から思うと、父は厳しい人であった。 特に、共同生活と金銭の卑しさに対しては異常なほど神経質であった。昔は何処の家でも、多くの厳しいしつけがあった。 毎日の生活は「しつけ」という言葉の刷り込みで、ほとんど決められていた。 それが良いのか悪いのかは別として、多神教の宗教の日本にとって、宗教的戒律が曖昧であるから、 生活規範があったのだろう。欧米では躾をこどもの時に徹底的に叩き込むという。日本でも以前はそうであった。 中学・高校野球部の優秀な監督が、新任して先ずやることは「躾の徹底」である。 新入社員教育をしていて、タダタダ驚くばかりである。しつけが殆ど入っていない。 それでも、それを隠して入り込んでくるから敵もさるものである。両親が躾ができないのだ。 学校も、親の家庭教育が全くなってないことを知り尽くしているため、初めから躾を入れようとしない。 社会常識や躾をする役割が今では会社の場になっている。しつけの言葉が色いろあった。 まっとうの家庭なら、当たり前に親が子に教え込んでいるはずなのだが。それが全くされてないから困ったものだ。 ・弱いもの虐めをするな! ・ご飯粒を残しては農家の人に失礼だ。 ・嘘はつくな ・自分の事は自分でしなさい ・大人の話しには口を出すな ・玄関の履物は揃えなさい ・早起きは三文の得 ・敷居を踏んではならない ・他人の陰口はいうな ・贅沢はするな ・見栄を張るな 等々書けばいくらでもある。 ・・・・・・・・・ 2003年06月01日(日) 788, 産能大学ー講義レジメ ー来週の産業能率大学ー講義のレジメと一部内容である。 1、ペガサスの軽い説明と、チェーンストアの現状 2、現事業の立ち上げの戦略とプロセス 3、創業とは、創造とは 4、もし私が、今あなた方であったら、最優先で何をするだろうか 5、現在の景気について ー「ペガサスクラブ」について チェーンストアを束ねているコンサルタント会社である。40年前に、日本にも新しい流通経路をつくる為にアメリカの チェーンストアに学ぼうとしていた。ジャスコやヨーカ堂やダイエーの創業者達が、読売新聞の記者をしていた渥美俊一の もとに勉強会を作った。それが発展して、コンサルタント会社の「ペガサスクラブ」が出来上がった。 私自身、設立の年にジャスコに入ったが、一年で辞めて産能大学の二部に籍を置いていたことがある。 その後金沢の衣料チェーンの「いとはん」という会社に一年半在社した。その会社もジャスコの偶然だが傘下に入った。 そういう経験を含めて、チェーンの内部からそのシステムを見てきた。また会社設立から「ペガサスクラブ」に入会した。 ー現事業の立ち上げについてー戦略とプロセス ・スペシャリティーホテルを当時、日本で初めて創った。 オールシングル 統一料金 ロープライス ー創業ー創造について カタチつくり (カ・カタ・カタチ) カー神・発想 ター田・型 チー血・エネルギー・道 ーもし私が、今あなた方であったら、何をするだろうか 人生のトータルデザインを創る ホームページを作成する 資格を取る 哲学を学ぶ 世界を旅をする ー現在の景気について もうよくなることはない 軟着陸をどういうカタチでするかのレベル ・・・・・・・・・・・ 2002年06月01日(土) 424, 父・堀井誠作のこと -1 一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。 父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。 ・典型的な明治人で長岡商人であった。 ・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。 ・数代続いた骨董品屋の2代目で、父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。 当時の長岡では3?5万が一応資産家の目安だったというから、 もともと裕福な家だった? 私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。 その為必至に資産をつくり上げたようだ。 ・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。 しかし戦災で大部分失ってしまった。 ・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、かなりの骨董品の商売をしていたという。 ・戦時中は仏壇で食いつないだという。 ・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。 以前父のことを書いた文をコピーしておきます。 ーH0505小説のような本当の話!ー (字数の関係で中間カット09年06月01日) ・・・・・・・・・・・ 2001年06月01日(金) 言葉の トリック 宗教家とか占い師そして政治家がつかう言葉のトリックに次のような方法がある。 宜保愛子がこの方法を多用していた。 1.あなたは悩んでいますね。 2.あなたは転換期にありますね。 3.???ははしゃいだ後落ち込んでいますね。 4.小さな動物を殺した事がありますね。 5.近くに水がありますね。ーーーー花が近くにありますね。 6.恋愛に悩んでますね。?若い女性にすべて当てはまるからだ。 これを三十?四十位使いこなせば占い師か宗教家になれる。こういう笑い話がある。 占い師がある男に子供が2人いますね?と聞くと、‘いや3人だ’と答えると‘そうあなたが思っているだけです!’ 人間は自分自身の言葉のトリックに身動きできなくなっていることが多い。 宜保愛子があるTV番組で。 ・玄関に花か花の絵がありますね? ・右に回ると居間で左が仏間か物置になっていて、居間の左が台所でーーと延々と続く。間違えると首をひねりごまかす。 ほぼ私の自宅と一緒であったのに笑ってしまった。 これに私立の探偵かスタッフに外観か玄関を覗き見れば当たって当然。さすがに最近は出なくなった。
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2012年05月31日(木)
* 孤島としての老い 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) ≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、どれほど辛いものであったのだろうか。 気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、そのようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。 どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、 不幸は不幸を呼び寄せるーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。すくなくとも医師として 様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような 出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが 遥かに高い。 だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な敗北や過ちであろうと、それが運命に 「付け入る隙」を与えることになりそうで怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、 悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈してしまうのである。しょぼくれた老人であれば それに相応しい不遇が訪れるであろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような不幸が駆け寄ってきそうな 気がしてならないのである。 ・・・老いを孤島になぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在だと 主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、 潮の干満によっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、 まさに絶海の孤島となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていくようである。「ええなあ」とのんびりした 口調で羨んでみたり、妄想に生きてみたり超然としたり、とにかく生き抜いていく。老女の独り暮らしというものには、 わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫ ▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。 だから何ごとも一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなってきている。問題は、その毒を貯めないよう、 日ごと処理しなければならない。現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでもフラッシュのように、 色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独りという 実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、 あと数年もしないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 それにしても暗い顔をした老人が多い。 ・・・・・・ 2011年05月31日(火) 3718, 閑話小題 △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は? 現時点でみて、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、 確かな数値は、推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。 今回はまだ原発の事故が収束に至ってない。 今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に見舞われ、その上にリーマンショックである。 日本経済は深刻な事態の上の、これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、現時点の判断は、 10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。 △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい! 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを 聴いていたが、最近、ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、朝の土手のジャズが意外とよい。 2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつけてくれる。 鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る 単調なリズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・・ ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後にあるため、夜明けにあっているためである。 その上にスポーツ・ジムでもiPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。 「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズムとテンポというが、運動に本来あっている。 にわかジャズファンの誕生だが、これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。 演歌に、クラシックに、ロックに、 カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? というのも、何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 特に、こういう落ち込みやすい時期には。 ・・・・・・・ 2010年05月31日(月) 3353, 何で25坪の店に6人の従業員? 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に男5人、女1人、合計6名の従業員。 首都圏など人口密度の高い好立地なら別に不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 ガラスばりの向うに見える厨房が異常に大きい。 焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯に、酒一本で、 二人で4000円なら安い。 土曜の17時半にしては客が少ない。 また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。 そこでHPをみたところ30店舗ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと惣菜販売コーナーに、 焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。 ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。 思ったとおりであった。 100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねているのである。 焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。 厨房が店のわりに大きい理由は、そこにあったのである。 (字数制限のためカット2012年5月31日) ・・・・・・・・ 2009年05月31日(日) ゆれる雇用・日本の20年間 NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが 検証する番組である。1993年、2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度を 増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。ここで再放送されていた4回分全てを 過って見ていたが、改めて時系列に連続して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。 ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化してきた。 終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター・派遣など、 必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が幅を利かせる時代になっている。 一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、 非正規社員など、弱い立場の人から次々と職を失っていくのが現実である。 何が、これほどまでに雇用環境を悪化させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた 人々の姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用のあり方を見つめ直す。 ーゲスト:金子勝さん(慶応大学教授)/司会:桜井洋子アナウンサー&林家三平ー ■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」 1993年放送 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた中高年世代を早期退職という名の 合理化が襲った。 定年まで勤め上げることを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。 その戸惑いを通して、私たちの働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。 (字数制限のためカット2012年5月31日) ・・・・・・・ 2008年05月31日(土) 2614, 東京湾 漂流死体は語る ?1 図書館で見つけた本だが、それぞれの死体が語りかけてくる刺激的な内容が初めからつづく。 深い悲しみが、その死者の追跡から浮かび上がってくる。ホテルの自殺の場合、当事者として刑事が自殺の原因とか、 家庭の事情を知ることとなる。横浜港の漂流死体の場合、原因を追究していると不幸な生き様が垣間見えてくるという。 読んでいても、行間から人間の業の深さと、その結果としての悲しみが胸に突き刺さってくる。 ここに出てくるのは世間を騒がすような猟奇的な事件ではない。しかし、一人悲しみが死体として漂流している人間の結末から 叫びとして突き刺さってくる。死ぬには死ぬなりの事情が、それぞれあるのである。娑婆には亡霊が彷徨っていても不思議ではない。 これを読んでいてつくづく思ってしまった。一つ間違えば誰にも、ありえるのである。 この本が出版されて14年にもなろうとしているが、現在も同じような仕事に従事している人がいるのである。 アメリカのTVドラマのシリーズで、「CSI・科学捜査班]という刑事ものがある。 死体から、犯人を追い詰めていく内容だが、この本は、人生を追いもとめるもの。 だから、読むものの心を引き付けるのである。 あとがきーに、この本の要約が明快に書いてあった。 ーー 豪華客船、貨物船、タンカーなど、世界各国の船が出入りし、あらゆる人種が行き交う世界最大級の海の玄関口、 横浜港……。 (字数制限のためカット2010年5月31日) ・・・・・・・ 2007年05月31日(木) 2249, 耐震偽装 ー5 (o゚▽゚)o オハョ? 以下の文を読む限り「アパ・グループ」は非常に??な集団である! 片耳の内容を一方的に信じるのは何だが、 社長が安部首相の後援会副会長で、それ故にまだ存在しているのだから、開いた口が塞がらない。 しかしネットで、この事実は全国津々浦々まで浸透し続けている。これは抑えることのできない事実である。 検察まで加担した事実を昨年暮れに藤田が外人記者クラブで披露しているビデオもネット上に公開されている。 ウヤムヤの幕引きは絶対にない! そんなバカなことがあって良いわけがない。 私が知る限り日本は、そんな非常識が通る国ではない。今年の後半は大きな嵐が国内を吹き荒れることは間違いない。 もしそうでないとしたら日本は救いようがない。{ こう書きながらでも、もう救いようがなくなっているのでは? という疑問がわく!しかし・・・・・??} ??の孫という血筋だけで首相の座が転げ込んだ甘さが、この耐震偽装疑惑事件に 象徴的に出ている。政治は一寸先は闇である。 この男が、憲法改正をやらないで、誰がやるというのか?全く! P-408 そうした中、2月14日頃であった。会社の真志尾から「報告したいことがある」と、僕に内線があった。 手に資料を抱えながら、「新たな偽装物件が発見されました」と声を上げた。 僕はまた姉歯関係かと、と思った。しかし、その予測に反し、「姉歯ではありません。 田村水落という、アパグループの構造設計を一手に行っているところです」と。 「今のところ、三棟です」と、付け加えた。もう、大抵のことには驚かなくなっていたが、 アパグループの名前が出たときには、「ヒューザー以上の大問題になる」と思わざるを得なかった。 (以下字数の関係で中間カット09年05月31日) ーーー 信じられない内容である。非常にたちの悪い会社であり、行為そのものが犯罪的である。 この本は、もう全国にばら撒かれマスコミが底辺で動き出している。それよりネットで飛び交っているから 何時どこで発火するかだ。 恐ろしい!と時代の変化の凄さを知るのは、彼らだろう。 建設関係の人から聞いた話だと、マンションそのものに疑いを持ち始め、買い控えが始まっているというが・・ 私は元々アンチ・マンション派だが。 つづく ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё ・・・・・・・・・ 2006年05月31日(水) 1884, 家電の買い替え期間 (。・∀・)ノ゙オハヨウ! 家電の買い替え期間は、大体どのくらいのものだろうか?と思っていたら、先日の日経新聞の中にあった。 ・冷蔵庫 10年 ・洗濯機 9年 ・掃除機 7年 ・エヤコン 10年 ・カラーtv 9年 ・ビデオカメラ 6年半 ・DVDプレーヤ 4年半 ・デジタルカメラ 3年 ・パソコン 4年半 ・携帯電話 2年半 以上であるが、我家の実体は大よそだが、 ・冷蔵庫は 20年近く ・洗濯機は 15年 ・掃除機 10年 ・エヤコン 10年と25年 ・カラーtvは 7~8年 ・DVDは 5年 ・パソコンは 3年 ・携帯電話 3年 ・電気釜 10年 家電には当たり外れがある。使い方にもよるだろうが、同じラインの中でタマタマ工程の中で 偶然仕上がりが良いものと、悪いものが出る。 これは致し方ないものだが。 私の経験からみると、TVに関することだがソニーはよい。シロモノは松下電器は外れが少ない。 ヾ(^ω^*) バイ ・・・・・・・ 2005年05月31日(火) 1519, 知らないことを知らない恐ろしさ! 一昨日の日曜日のNHKスペシャル 「日本の群像・再起への20年 銀行マン苦闘」が刺激的であり、怒りを感じざるを得なかった。 ユダヤ資本に翻弄されている現在の日本経済を焙り出した内容であった。その象徴として勝者のゴールドマン・サックス会長と、 敗者の元長銀会長の姿を対比させ、映し出していた。「1985年の日本のプラザ合意は、ユダヤ資本のアメリカの銀行が仕組んだもの」と、 平然と嘯いていたのには怒り心頭になった。アメリカが日本に国内消費の拡大を求め、バブルのキッカケをつくったのだ。 そして、「アメリカ国内不動産の高値掴みを誘導した」と、平然と話していた。 そして、現在は逆に「日本の落ちきった不動産を 買いまくっている」と。ゴールドマン・サックスのトップの言葉が凄い。「知らないという事を知らないで、バブルでアメリカの不動産を 買いまくっていた日本人ビジネスマンの姿が・・」その戦略的経済戦争に負けたのが、現在の日本経済の姿である。現在の日本では、 順調に業績を伸ばしている外資金融機関に日本の学生が殺到している。その反面、不良債権の処理に苦しみながら、再起をめざしている 日本の銀行の姿がある。が、両国の銀行にどんな違いがあったのか?が、辛らつなカタチで映し出されていた。 特に敗者の象徴の日本長期信用銀行の元会長が現在も、その時の貸し出しに対する裁判の係争中であるのが印象的であった。 「知らないことを知らないことの恐ろしさ」の結果が、現在の日本であろう。 他人事でないのが、恐ろしいが。 ソクラテスの「私は多くの知っているのではない。何も知らないというということを知っているだけだ」が、身に沁みる。 ・・・・・・・・・ 2004年05月31日(月) 1154, つれづれなるままに ・まったく書くテーマが出ない日が、時々ある。今日はその日であるが、そういう日は自分でも嫌になる。 今までは千回まではと踏ん張ってきた。毎日書き続けることからくる習慣が重要であって、止めればエキスが失われる。 それが解っているから、休むわけにいかないから厳しい。といって、所詮は趣味の世界の話でしかないが。 ・先日、自宅の台所の改装のため夕食がつくれず、近く(150m先)のファミリーレストランに急遽いった。 隣り合わせているイタメシアの「サエゼリア」とチャンコ料理屋の「江戸沢」のどちらかと思いながら、店の前までいった。 サエゼリアはほぼ満席で、江戸沢は一席しか入ってない。両方とも100席以上の店だから、その差がはっきり見えてくる。 サエゼリアと江戸沢の客単価が二倍近くの差がある。何故お客が来ないのか、経営者はわかってないのだろう。 メニューの内容が、開店当初から全く変わってない。まあ、他人事でないか。仕方なく江戸沢に入ったが、 出てきて何か損をしたような気分であった。・今年の自宅の藤の花がほとんど咲かなかった。過去30年で二?三回目である。 そういえば毎日散歩をしていて、花と草の勢いが例年に比べて弱いのがよくわかる。 梅雨が例年より早いとTVでいっていたが、今年は米の豊作は望めない?・昨日は異常なほど暑い一日であった。 今朝もどんよりしている。晴れる日もあれば、曇る日も雨の日もある。 天候も人生みたいなものだ。 ・・・・・・・・ 2003年05月31日(土) 787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて 今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。電話が二本入ってきた。 NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、お笑いの部分もあった。 今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。アッパークラスの5?の人種は例外である。 (以下字数の関係で中間カット09年05月31日) ・・・・・・・・ 2002年05月31日(金) 423, 酒の話 −1 学生時代も、勤めていた時代も、どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。 地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は亡くなったり転勤で居なくなった。 転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。特に勤めてからのそれぞれの地方の酒が忘れられない。 やはり金沢の酒が忘れられない。なんともいえない味がそれぞれの店にあった。歴史の深みであろうか。転勤商売も苦しいだけ、 そういう楽しみもある。苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。新潟では20年前から5年位前までの酒が、 特に美味しい思い出が多くある。大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。 それと数年前に亡くなったが「新潟駅前の花園の町内会長をしていた不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。 有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。数十回も。自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びである。 亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。 飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験してみた。
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2012年05月30日(水)
5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。 父が亡くなって5ヶ月後に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、ショックで茫然自失だったが、 数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面に ぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスからついてくることを知った。 人間にはイザとなると、 信じられない力が潜んでいる。極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって生まれてこのかた、 父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなってから気づいたが、常に父を意識して、物事を判断してきていたようだ。だから、 その時に父が亡くなったタイミングは私にとってベストの贈り物だった。 父の死と、事業の立ち上げと、結婚と、私にとって初めて 独り立ちであった。 全ての計画、判断、実践を自分がして、結果がストレートに帰ってくるのである。 それが慣れるまでは、 「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか 頼りにならない。とはいえ決断しようにも自信がない。 そこで、自然と、「自分が父だったらどうしただろうか?」の自問自答になる。 そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くのことを教えてくれていた。 経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。 頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。 しかし終わってしまえば、それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、殆んど後悔はない。 創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わっただけ、と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。 順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い流されてしまえば諦めがつくというもの。 この結果は、ワーストでもなく、ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、ベスト? 父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。 それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。 ・・・・・・・ さて、墓参り! 父いわく「日々是 口実(好日)か!バカ」 3717、閑話小題 2011年05月30日(月) * 今日は父親の38周忌 父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかったので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。 その時が精神的自立の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人兄姉の末っ子で、父親は特別に私を 大事にしてくれていた。その意味で、私の人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、肯定的に なれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、刺激的な日々であった。 結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。 『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』 大筋は、こんなものだが、人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと思っている。この事態でも、 両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分の一でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、 消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っているから、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。 それにしても、自分の息子に毎年、このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。 これが私の供養である。 * 地震保険について TVのモーニング・ショーを見ていると、「地震保険」について取り上げていた。東北大震災以来、保険の契約が三倍に増えたという。 意外と知らないことが、多いのが地震保険。 ーまずは、その内容から 【 ・火災保険に入ってないと、地震保険は入れない。地震の時に発生した火災では、火災保険はおりない。 ・支払い最大範囲は、火災保険の3〜4割まで。家を建て直すというより、生活保障の役割でしかない。 ・全壊が全額、半壊が半額、一部損傷が5パーが、目安という。 ・地震の場合、保険屋がパンクした場合支払いが不能になる心配は(国家が5兆円まで補償するので)ない。 ・建物の構造や、地域によって、保険金は大きく変わってくる。 ・地震保険に入っている割合は、火災保険に入っている人の4分の1 ・全壊で100パー、半壊で50パー、一部損壊で5パーが、保険でおりる目安。 】 ー以上のことは、このTVを見るまで、知らなかったこと。これに入るか否かは、それぞれの住居環境による。 ・・・・・・・ 3352, 父の命日(37周年) 2010年05月30日(日) 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の彼方から思い出される。 思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。 「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。 これまで書いてきたが、父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、 第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり仏壇と仏具の販売で乗り切った。 終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。 古美術商の時代には、地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、 時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」というのが持論にあった。 それは教養によってベースが築かれることを彼らから学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、 それがバネになっていた。 日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、 潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝は5時に起き、仏壇で祈り、新聞を隅々まで読むのが日常だった。 その辺は私も同じで、これは家の文化(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、 株屋ぐらいしか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と最小限度しかとらなかった。 (当時は、それが一般だったが) 年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、 その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬときのイメージは両親の手に引かれ、 光の中に消えていく光景になるだろう。 毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。 書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になるのである。 人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、それを重ねることで、魂に熟成していくのである。 音楽家は音楽で、仏像師は仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。 それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り! ・・・・・・・・ 2977、父親の37回忌に 2009年05月30日(土) 今日は父親の37回忌。亡くなって、もう36年になる。命日に何度か父のことを書いたが(後でコピー)、 テーマにすることが供養になると思い書いてきた。父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。 私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、父が43歳の時に産まれたこともあった。 そのために幼児から少年期の記憶に、父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、父が何時も 私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて 精神的に独立をすることが出来た。(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳だったが、 その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、 その段差には大きい。まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで家を中心に常に考えていた。 父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なっており、そのことを事あるごとに話をしていた。 特に長岡の戦災体験は生生しく残っていたようだ。 また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。 ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、まさか20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。 また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・父を思い出すというより、父の視線で世の中の 変化を見ている自分がいる。命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響していることがわかる。 その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで私らしさで、そのまま結構なのか? いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。 それに引き換え私ときたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と合体したような 不思議な夢について書いたことを思い出した。 その辺のことを書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。 これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。 ーー 2003/04/25 不思議-シンクロニシテー 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。 不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を 散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。ああまた出たという感覚である。 その中で一番凄かったのは、 7~8年前に義父が亡くなった時である。葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、 その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象である。 納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、 納棺の時間が偶然に一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」 といっている。涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。なら大都会では毎日降っていることになる。 地方におきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない! ー以前書いたものをコピーしておきます。 ▼ H0407霊的体験 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。 死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。 そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が “父の魂”と一緒になったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二?三日後の夢も強烈な夢 (?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。 と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。 あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。 ・・・・・・・・ 2613, 閑話小題 2008年05月30日(金) ー今日は父親の命日ー 父親が亡くなって35年、36回忌である。 毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある故人の顔を思い出し手を合わせている。 一番初めは父であるが、父の愛情の上で、現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。 家庭的には恵まれていた。特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。 次には家内との相性だが、それなりに? この文章を推敲し、ネットに上げ、墓参りに行く。 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー 交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。 車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が 飲酒運転の強化を図ったことと、シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。去年の交通事故死の半分近くが、 65歳以上の高齢者で占めているというから、年寄りは交通事故には特に気をつけないということになる。 10年近く前で、一万人を割ったと聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。 ー中学校の同期会の話ー 先日、中学校の同期会に出席した。元々、中学校の同級会が、ほぼ毎年行われてきたが、他のクラスの同期の人たちが参加を することで、いつの間にか同期会になってしまった。今回の出席者24人のうち、私が属していたクラスの出席者は7名であったが。 小学校と重なる人が半分以上入るので、年に二回は会う人が半分以上はいる。ところで、あまりシビアには書けないが、 それぞれの人生の大枠が見えてくる。離婚、倒産、死別、大病、事故など、一人の人生は重いものだとつくづく感じる。 人生は決して平坦ではなく、山あり谷ありである。一人の人生には小説一冊分の人生が濃厚に詰まっている。だから面白い。 大よそ、15?は亡くなった。 ・・・・・・・・ 2005年05月30日(月) 1518,今日は父の33回忌 去年の今日も、父の命日のことを書いたが。 私にとって父の存在はあまりにも大きかった。 そして、今でも父の影響から抜け出てないといってよい。明日は、身内だけの33回忌の法要である。 父の口癖は、『死んでしまえば、それまでよ!』であった。そして、この歳になっての実感として『その通りである!』 だから、「早いうちに生きることとは何かを知り、生きることを第一の仕事としなくてはならない」ことを学んだ。 末期癌で亡くなる一年間、赤裸々な父の死の葛藤を身近で見ながら、人生とは何かを教えてもらった。 そして、その後の生きる大きな教えと指標になった。・何をするにしても捨て身で取り組まなくてはならないこと。 ・地元のー痴呆名士ー とは一線を引くこと。 近所の人とは親しくするな!。 ・お金に対する対処を間違うな。金はライフワークの一つとして取り組むこと。人間はお金の前では赤裸々で悲しいほど弱いこと。 ・「女はを持つということは、荷車に大きな重い荷物を持って坂道を登るようなもの、遊ぶなら覚悟を持って遊べ!」 この年齢になって改めて父を振り返ってみると益々学ぶことが多くなっている。 学歴は無かったが、接してきた人に 超一流の人が多かった。古物商をしていたためであろう。 深い違った教養を持っていた。時代を読み取る能力と、 人物を選別する能力、そして人間の狡さを知っていた。 さて、これから近くのスーパーで花を買って墓参りだ! ・・・・・・・ 2004年05月30日(日) 1153, 今日は父の32回忌 今日は、父親の31年目の命日である。この世で一人の人を選びなさい、といったら間違いなく父である。 それだけ私にとって父の影響が大きい「ありがとう」と一番いわなくてはならない人である。 年齢とともに、父親と心の中で話すことが多くなってきている。 一方的に話しかけているのだが、ときどき父も 話しかけてくることもある。もっと以前から事業のことなど話しかければよかったと、今になって思い始めている。 《供養の為に、14年前に書いた文章をコピーしておきます。》 ーそういえば、この文章を書いた頃のことを思い出した。ある休日の夕方、TVでお寺の仏像を映し出していた。 そのとき、TVの中の仏像に少し開いていた障子から夕陽があたり、何ともいえない不思議な感じになった。 何だ何だ、今日は何かあるんじゃないか?!と、考えてみたら、父の命日だった。うっかりしていて、 父の命日を忘れていたのだ。本当に不思議なことがあるものだ!と思った。 さあ父親の墓参りだ! ーー H0505 小説のような本当の話! 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。ところがすでに墓がきれいに磨かれており、 花が飾られていた。 生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、お参りをしていると、 見知らぬ老人が話しかけてきました。 たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには “自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に正直に事情を話したところ、 父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。 それが本当にうれしくてうれしくて! それで父が亡くなった時以来、 必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。 その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく 考えさせられる出来事でした。父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、 丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。
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2012年05月29日(火)
* 老いと勘違い 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。 その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。 ≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持っている会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。 ある日、涼子という20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。その時、70年前の記憶がよび戻る。 14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か意地悪をする。 その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。 妻とともに、その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生する。息子の社長の話だと、どうも、涼子が 火を放ったらしい。 彼女の話では、その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて「勤務以外の時間に 私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ されているのに呆然とする。 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡くなっていたが、 死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の内容では、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い 感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。 そこで思う、「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、 他人から慕われ、そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 ・・・主人公は、これ以上ないおぞましい 感情を突き付けられ、縋るように本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子という現在の娘、それぞれ 互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は世間に一定の 割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪を ぶつけ、今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。それは往々にして相手に深い精神的ダメージを 与える。それによって、もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫ ▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。 しかし、いざ、そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている視線がある。人生など、全て勘違いと 思い込みで出来ているに過ぎない、その自明なことが漫画的に現れ出るからである。 そういえるのは、リスク管理をしていて、 目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げることは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、 当然、勘違いも多く付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての出来事は、クロの要素になる。 といって、それも物語である。要は、後悔しないよう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが! ・・・・・・・ 3716, ジャズについて −10 2011年05月29日(日) ー 「音楽の本」三枝成彰著 より □ 黒人アーティストからの反撃 ー「ハード・バッブ」って何 ? * ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガスのユニークな活躍 【 五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティストの間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを 圧倒するかのような、たいへんに勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。 これを白人ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。 4ビートがより鮮明になり、アフター・ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるであろうし、 「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて 見ていこう。 一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。 ソニー・ロリンズの『サキソフォン.コロッサス』、 セロニアス・モンクの『ブリリアント.コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。 ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。 『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に 時折ユーモアのセンスも感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。 セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで 大喧嘩をしたという逸話が残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。ソロ・アルバムが多いのはそのため。 彼は私生活でも時折、意味不明のことを口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と世間にその姿を 見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェイサー」 などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。 (字数制限のためカット 2012年5月29日) ・・・・・・・ 3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅 −4 2010年05月29日(土) * さあ、次はテレビの番だ! ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、・高機能のHDR(ハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。 テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 新聞社もテレビ局も風前の灯である。 まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDSを半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が残っている。 もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」のものばかり。 面白そうな番組が無いときは、 それを見ることになる。 それはタイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にないから見るか〜 というのが皆無になったのである。 次に最近、急に興味を持ちだした YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にある パソコンを向かっているが、それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを入れると面白い映像が 次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを 共同で開発するというから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコンの普及がある。 これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化することになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。 そこにはネット経由の映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。だらだら流し見していた テレビの見方が変わることを意味している。その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。 NHKもさえも大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える! ・・・・・・・・ 2976,縁は異なもの ー2 2009年05月29日(金) 「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集 * 能とは 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした 記憶が鮮明に残っている。その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの違いもあるのだろう。 ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー 《 能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、室町時代になって、当時流行していた、 ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつの芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、 大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 (字数制限のためカット 2010年5月29日) ・・・・・・・・ 2612、 佐藤優の速読術について 2008年05月29日(木) 「国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優の「速読術」の方法、考え方が面白い。 ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。 ・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが完全にインプットされていない分野では、 無意味である。ヒンズー語を知らないのに、その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、そうでないのは無理がある。 ・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで難しいフリをしているもの。 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、読んでいけば知識が得られるもの。 何故、速読術が必要かといえば、読むに値しない本を見分けるためです。 速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、 いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために他を速読するという逆転の発想です。 ・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか得ることが出来ません。 速読は自分が持つ知識以外のものが出ているかどうかのチェックする手段に過ぎません。 速読術は熟読術にあるということです。読まなくても良いものを精査するためのものです。 ・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400〜500ページの本に2〜3時間かかります。 超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、大づかみで内容を把握する方法で、 10〜20分ですみます。最初と最後、そして目次を見ること。 ・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。 =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える= 竹村 健一 佐藤 優より ▼ 熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 もう一つは「繰り返し」である。 ところで私も似たようなことをしている。 長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。 そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。そして、本に取りあえず織り込みを入れる。 自宅の居間と会社の机の上に三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。そして、その中で、これはというのを、 この随想日記のネター読書日記に書く。熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。 私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも常に本を横に置いている。 せっかく地球に旅に来ているのだから、地球上のことを知らないと。それが、動機である。 ・・・・・・・・・・ 2007年05月29日(火) 2247, 女性の品格 (*´・ω・)ノおはよー NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏のインタビューがあった。昭和女子大の副学長で「女性の品格」 という講義もおこなっていた。私自身はさておき、品性のない人間は大嫌いときている。学歴や肩書きや収入とかでなく、 その人の持っている生まれながらの品位は、どうしようもないものである。その人のもって生まれた何かである。 この本の中で、強く、優しく、美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、 ーその中で幾つか選んでみたー 上品な女性は、 ・礼状が書ける ・約束をきちんと守る ・型どおりの挨拶ができる ・長い人間関係を大切にする ・流行に飛びつかない ・姿勢を正しく保つ ・贅肉をつけない ・プライバシーを詮索しない ・よいことは隠れてする ・愛されるより愛する ・得意料理をもつ ・恋をすぐに打ち明けない ・人に擦り寄らない ・礼を尽くす などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的に示してある。 何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。 自分を卑下しすぎず、もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。 「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として「凛とすること」である。 (字数制限のためカット 2010年5月29日) 女性の品格?装いから生き方まで PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】 (*・ω)ノβψε★βψε ・・・・・・・・ 2006年05月29日(月) 1882, 新潟県活性化案ー2 おっ w(゜Д゜)w ハァョ? この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回をはさんで5時間にわたり議論をした。 利害と直接関係ない新潟県に対する危機感を持った参加者が多かったため、内容は濃いものとなった。 色いろな職業の人がバラエティーに散らばっていて、それぞれの立場からの視点が丁度よいバランスになっていた。 内容としてベストといってよかった。 (字数制限のためカット 2012年5月29日) ・・・・・・・・ 2005年05月29日(日) 1517, 酒中日記ー2 この本の面白そうなところを抜粋してみる。 作家の文章を書き写すということは、文章のレッスンをしていることになる。 絵でいう写しをしていると同じことである。「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。 写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。 ーその後の文章を抜粋してみます。 それにしても作家の文章は上手い! ーー 黒岩重吾 ー飛田にひとり 某月某月 大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに飲みに行った。 (字数の関係でカット09年05月29日) ・・・・・・・・ 2004年05月29日(土) 1152, 「老い」を考えてみる ー2 昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する思いが偶然そのまま書いてあったが、 彼の思いがそのまま伝わってきた。 (実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする) 何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情はこんなものであろう。 特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み嫌われた亭主はこんなものかもしれない。 あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。 北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と孤独感が底知れずあるからなのだろう。 この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、 その世界になじめない。一人ウロウロしているじぶんがいる。まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。 ー「海鳴り」の中の一節 妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。妻子からも、家からも離れて、 一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の生きものが、ふと足をとめてかたわらの 泉から水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかったのだという気もする。長い道をわき目もふらず歩いてきたので、 生きものは身も心もくたびれ果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。 色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。道がか細く消えている地平あたりから、風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。 それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。それが生きもののさだめだった。 振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは出来ない場所である。 (字数の関係でカット11年05月29日) ・・・・・・・・ 2003年05月29日(木) 785, 一期一会(すすき野の夜) 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。 二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」 に行くことにした。せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るようなエキサィテングな店がないかと 数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいをみせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。 空いているカウンターに我々4人が座った。 暫くすると、他の団体も帰っていった。隣には、その店の馴染みと思える 中年の品のよさそうな男性が座っていた。何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。 「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、自分は佐渡の出身だという。その場が急に同郷の会 みたいになってしまった。この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。二人が深刻そうな話を始めていた。「もう店をやめたら!」と ビルの専務が言っているのだ。ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが捨て身で店を開いていたのだ。 連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。 その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。 どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。歌は憶えていたが、 そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、 一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。 その話を翌日、行かなかった人に話をしたら「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。 ・・・・・・・・・ 2002年05月29日(水) 421,世間とはー2 前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。 ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。 神話の世界でいう蛇である。その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。どういうわけか世界中の神話に 龍が出てくる。 (字数の関係でカット11年05月29日) ・・・・・・ 2001年05月29日(火) [35] 一人暮らしのあの頃 今日は終日長男(堀井大)のアパート探し! よくあれだけ部屋があるものだとビックリ! 部屋の中にある人生を感じた。 一人部屋にある何ともいえない哀愁を! 私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。いつも鏡を机の上に置き、独り言を 言っていた侘しさ。でも自由のよさ。何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。
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2012年05月28日(月)
* 書斎はシェルター 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分の二を占めている。リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、 一日4〜5時間は読書をするか、パソコンで随想日記の下書きを書いているか、iPadに向かっている。腰痛持ちのためジッとしているのは 一時間が限度、一時間に5分はお茶やトイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽をステレオから流している。 またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。朝の4時半から6時、9時から11時半、夕方の1時間の合計5時間は書斎にいる。 途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、仮眠をしたりする。居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。 外出は早朝のポタリング、スポーツジム、図書館、SCが中心になる。 書斎といえば、iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。 静かに落ち着けるシェルターの役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。 小さな生活圏内では何処にいても自分の居場所ができるのは非常に助かる。 * ギリシャを合わせ鏡にすると ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろうとしている。極東の地からギリシャをみると、 とんでもない事態に追い込まれているのが分かる。しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。一年しか持たない 首相が改革を錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が綺麗ごとを旗に権力奪取。 その繰り返しが代々続いている。 覚めた目でみれば、その一連を分かってやっているから始末が悪い。国民が、グローバル化した 世界の変化を実感できないのが実態。 10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマに落ちている。 その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も分からない。ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活は したくない国民感情は、日本も同じ。右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。最後はハイパーインフレが吹き荒れるだろうが。 ・・・・・・・ 3715, 閑話小題 2011年05月28日(土) * フレンドリーの雀はメタボ 毎朝、信濃川に冬期間を除いてサイクリングに行くようになって一年半になる。 10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メールほどのところに雀がきてジッとみている。 外国では公園などで何度も人懐こい雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断したのか飛んでいった。 ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。 ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。 よく見ると、普通の雀の二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、見直したが、やはり雀である。 恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人からも餌を貰っているうち太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、 何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果が、メタボである。恐らく、私も近々に、餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、 いたるところで見かけられる。それが、その国々によって、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が 少なくなったような気がするが・・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 ホテルの近くの公園を散歩をしていたら、 野生の大ガンの群れの一羽にクラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、家内と私のところに押し寄せてきた。 無我夢中で逃げたが、その時の恐怖といったら! 早朝で無人だったから、幻想的な思い出として残っている。 ・・・・・・・・ 3350, 新型インフルエンザの総括 2010年05月28日(金) 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、現在では、話題にさえのらない。 WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動にマスコミが異常に騒ぎすぎた。 一年経ってみれば日本だけが過剰反応。 街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、それが世界のマスコミに報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する 季節性インフルエンザの死者数より少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で東京文化短期大学学長の中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザの総括をしていた。 ・新型インフルエンザの想定が鳥インフルエンザに対してしていた為に、強毒性の行動計画に大きく影響された。 それが、感染者が一人でも出た時点でも都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、集会の中止がした。 これが過剰反応という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、カナダの10分の一の死亡率に収まった。 ・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、直ぐに受診する必要性を国民に訴えたこともきいている。 ・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。 他人に感染させないためのマスク着用も大きく影響した。 「うがいと手洗い」を多くの人が積極的に行ったことも影響をした。 ▼ 以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザの予行練習とみれば、決して過剰ともいえなかった。 その時の教訓が、この騒ぎの中に多く含まれている。これは国家の非常事態であり、自衛隊の役割が大きく求められる。 この騒ぎのお陰で30年近く毎年行っていた海外旅行を急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。これで大儲けをしたのは製薬会社。 現在でも、何か?大きな疑問が残っている。当時のマスコミの対応も異常であった。マスコミも、このことを総括したのだろうか? ・・・・・・・・・ 2975, 縁は異なもの 2009年05月28日(木) 「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集 河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、しかも最後がどうなるかわからない。 白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる・・・・現われないかもしれませんから。 連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」 『徒然草』の一節についてで、それまで私は「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」というふうに 思っていたわけ。でも違ったの。 その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に 薄くなり、もはや用に 立たなくなった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。 ここでいう「鈍き刀」というのは最初から 鈍き刀というんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を磨いでもだめ。 いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに 柔らかくなるんですよ。兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は 「鈍き刀」じゃダメなんですよ。それが良くわかったの。 ーー 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。 鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ よき細工に使うことが出来るという。 言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、凄いことをいう。 芸道や能力のことを言っているのだろうが。 ・・・・・・・・・ 2611, サルトルについて、考えてみる −2 2008年05月28日(水) 改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。 当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、やはり「自分」の財産なのである。 ー以下の論が、非常に面白い。 *「意識」のあり方は、どのようなものか? サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。人間が世界へと「「関わって」いる、 ということは、人間は世界では「ない」ということなのだ。たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。 サルトルは、人間が「世界に関わる」というあり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。言い換えれば、 人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。人間が「世界と関わる」ということは、人間が 「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。 ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。意識としての人間は、 いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。それは、意識が、関係する片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、 外部の世界への「矢印」そのものである。・・・ 「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく、「自分自身に対して」も 裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。 人間は、常に過去の自分から脱出して新しい自分になっていく存在である。 過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。 ▼ 解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、 裂け目、世界の無である、という。過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、 色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、 「関係」そのものであった。それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を幾つか立ち上げてきて、 その通りである。世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目をもたらす、「意識としての人間」をサルトルは 「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を忘れて見入っているとき、自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、 見入っている自分を対自として見ている内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われているとき、 そこは一方の割れた「私」ではなく、裂け目そのものが私である。別に難しいことではないのである。 *サルトルの人間観 (字数の関係でカット 09年05月28日) ・・・・・・・・ 2007年05月28日(月) 2246, 愚痴 ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!! 愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては「 三毒の一の癡にあたり、物事を正しく 認識したり判断したりできないこと」をいう。 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}σ(^◇^;) 人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。 初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。 「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と、注意されたが、 なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと 驚いたことがあ(字数の関係でカット 11年05月28日)った。愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」というしかない。 (字数の関係でカット 12年05月28日) ・・・・・・・・・ 2006年05月28日(日) 1881, 閑話小題 ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★ ーつれづれにー 一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。 店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年以上前のカセットビデオ、 そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よくみるとチリなど溜まっていない。 もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という 愛想のない声が聞こえてきた。5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。 (字数の関係でカット 09年05月28日) (。・∀・)バイ! ・・・・・・・ 2005年05月28日(土) 1516, 気の発見−2 気の話なら、40年のキャリアがある。 この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、どういうわけか、これをテーマにしたものは全く無かった。 「気功」などというと誤解されるか、全く知らない人には説明が難しいから、取りあげなかったのだろう。 本棚を見ただけで10冊以上はある。 (以下、字数の関係でカット二千八年五月二十八日) ・・・・・・・・・ 2004年05月28日(金) 1151, 「老い」を考えてみる 誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、そうプラスに考えれば、老いもそう悪いものではないのではないか」 と考えてきた。老いは誰もが通らなくてはならない道である。人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。 登るほど息切れする。 しかし視野は広くなることも事実である。身体の老いより、心の老いが怖ろしいのが老齢期の大問題である。 「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗りこえた精神の自由を維持することが大事。 若いときには、われわれは愛するために生きるが、年を重ねるとともに、生きるために愛することが必要になってくる。 過去を振り返って、その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。 身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は老いている」というのが解る。 何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。人は老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに気楽なものである。 人生は飛び立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。とくに商売や事業をしているものにとって最後は切実な問題になる。 いかにソフトランデングするかが問題になる。「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、 今になって本当に良かった思い始めている。気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、どうしても計画どおり行かなくなる。 色々な問題が弱いところに出てくる。それなら無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。義兄がしっかり60過ぎの準備をしていて、 ルンルン気分でいたが、60歳直後に亡くなってしまった。 思った通りにいかないのが人生である。初めから、人生の余白を埋めるのも 大事ということを教えてもらった。いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。 以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して『母は50,60,70,80歳の峠を越えていった凄さが 解るようになってきた』と言っていたのが印象的である。老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つだ。 彼は主人公を通して老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。もう目の前に、一つの峠が見えてきた。 ・・・・・・・・ 2003年05月28日(水) 784, 芸術家と芸人 5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、面白そうなので参加した。 大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の集まりであった。一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と 札幌・函館の視察であった。県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。 日本が背伸びをした、足の下をそのまま 見ているようでもあった。反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。といって、取ってつけた感も否めなかった。 一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、湯布院、大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りた お遊びでもある。しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を 目指しているのが感じ取れた。再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。 湯布院が期待していた以上であった。時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。個性的な店が多く出ていた。 料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。 映画セットの中にいるような感じがした。30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、 ほのぼのとした感じで好きだ。 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい面白い旅行であった。 札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、 広大な敷地とモチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。函館の観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。 石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、寿司屋がところ狭しと 並んでいる街とか、楽しいのだ。この旅行で芸術家数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」 と酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。 ・・・・・・・ 2002年05月28日(火) 420,世間とは 「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」という疑問が以前からあった。 その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。阿部謹也の「世間とは何か」という本を 立ち読みをして、思わず納得した。現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない国際「社会」 の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて 漫画的な社会?構造に驚いた。世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。 それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、 その滑稽を「気違い部落」という本で著した。それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、 話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、と先ほどの「世間とは何か」 に書いてあった。 その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。そしてその地域の噂社会の中で、 よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。 結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。 そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ! 世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。 (字数の関係でカット 12年05月28日)
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