堀井On-Line
2012年04月21日(土)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
* 他人との出会い ≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。 その精神的成長とはどういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、考える力が増すことーいろいろな面から 考えることが可能だろうが、そのどれもが結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と 同等な〈個〉、すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と同時にその制限をも意味している。 言葉をかえると、他人と出会うことによって、子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。 もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。 もちろん人間にとって最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんどの子どもにおいては、 母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。 似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむねあてはまるだろう。 ≫ ▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。その時の面々が、その時の自らの分である。 それは、自分の広がりでもある。それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと暖かさの 差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。 自分を意識する前に見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠ができ、それが自分になる。 それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。 ・・・・・・ 3678, 自己を見つめる −5 2011年04月21日(木) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ー 境遇 ー 【人生においては、私たちは、それぞれの境遇のなかで、様々な経験をしながら、自己自身の人生の有意義性を目指して、 日々努力を重ね、永い人生行路の過程を歩み進んでいる。そこに、自己自身の生きた時間的な軌跡が形成され、その人なりの 自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール(旅する人)」だと語られる。 しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何であろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・・・・・ 遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。格言に言われるように、可愛い子供には 旅をさせねばならず、異境に出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、私たちの人格は、 大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて 見守らねばならない。こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、裏切ることのない、 誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みのすべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、 貴重な人間的経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる人間にとっての、最も崇高な、 道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】 ▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型である。それは、自分の魂にとっても同じこと。 異質なものとの出会い、そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に出て、他流試合に揉まれ、 異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、 人格は大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。 ・・・・・・・・ 3313, 対話について 2010年04月21日(水) 「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著 * 対話について プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。 以下は、そのエッセンスの部分である。 プラトンと、ソクラテスの立場を簡潔に分かりやすく述べている。 ーまずは、その部分から (p28) ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、 また、言葉を語ることと書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、 言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、 一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、 ぶつかりあう言葉と言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と状況は、その対話を通じて変化していく。 対話を交わした人のあり方は、もはや以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を形作るものである。 そして、対話は、二度とくりかえさることはない。 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか 起こりえない対話を書き物に結晶させた時、それは時を越えて反復可能なものとなった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、 それを読むことが対話を反復させる。私たちの心のなかには、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、 対話は対話者たち、さらに、著者プラトンの手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、 それを再び時間においてくり返す対話者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。 しかし、ソクラテズが 従事する生きた対話と、それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的なへだたりがある。このギャップは、「パイドロス」で、 エジプトの神々の対話という形をかりて語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のためのすぐれた発明であると 自慢するテウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。 〜〜 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を 読んでいたが、何を理解していたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と一度限りの対話があった。 その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。 そして自分の壁を破壊してくれていた。 現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、あれは会話?でしかないのか。 それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが! 議論すること、それを書き留めること! その青さを持ち続けること! チロリチロリだけでは、だめか? ・・・・・・・・ 2938, イエスマン 2009年04月21日(火) 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。 そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、 《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを自分に課した ことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、 “イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、 週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。 ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。 パスしていたら始まらない」と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。 .......... 2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚? 2008年04月21日(月) 山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることが できなかったのである。 ー『山椒魚』本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い込んだ 蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。 学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境) ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。 人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。 家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、 悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか? (12年04月21日 字数制限のためにカット) ・・・・・・・・・ 2007年04月21日(土) 2209, 反時代的毒虫 ー4 U(^(ェ)^)U おはようございます! ー読書日記ー 「反時代的毒虫」ー河野多恵子、奥本大三郎との対談ー『人の悲しみと言葉の命』から P-153 奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。 河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。 武家社会はお米が給料でしょう。 奥野:武家の負け惜しみ。 河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。お金というものに縁遠かった。 奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、 それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。 P-156 車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、 ふた通りありましたね。 前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。そういう人たちの 顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、絶望感というか、そういうものをはっきり意識していた。」 (09年04月21日 字数制限のためにカット) ーーー 解)お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での「金に関する扱い」もシビアで面白い。 金と女(男)は、人間の煩悩の元である。車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。」 (12年04月21日 字数制限のためにカット) ・・・・・・・・ 2006年04月21日(金) 1844, ローマから日本が見えるー4 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ 第二章 かくしてローマは誕生した。 以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。 ーー ー建国伝承ー 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。 トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、イタリア半島に住みついた。 この都市をアルバ・ロンガという。時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。 ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。 ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。シルウィアは双子を産み落とすが、 怒った叔父の王は双子を川に流した。双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。 成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。 兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。 しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。 ー王政ローマの制度ー 初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、 王の「助言機関」とした。人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて 移民してきた者や、戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで 味方に取り込み勢力基盤とした。これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に囲まれた小さな 「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」であり、人口が増えないことには、 自衛のための兵力すら維持できないからであった。さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として 王の選出を含む国家最高議決機関である民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は共和政期に 共和政の歴史を古くに求めるために作られた伝説とする説もある。ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、 この民会の選挙で選出(この場合信任)され、改めて選挙で選ばれた王となった。 王の任期は終身。しかし原則として 世襲制はとらない。王の最大の責務はローマの防衛であり、そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤める ローマ軍全軍の指揮を担当した。(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)(。・・)_且~お茶どうぞ ーー 以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。 彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。 (2010年04月21日 字数制限のためにカット) ・・・・・・・・ 2005年04月21日(木) 1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』ー1 クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、 音楽の基礎などが書いてある本である。ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。 入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。 (2010年04月21日 字数制限のためにカット) ・・・・・・・・ 2004年04月21日(水) 1114, 「ライフ・レッスン」 ー5 ー力のレッスンー ・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから生まれるのではない。 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、 わたしたちは気づいていない。一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。 ・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに 根ざしている。真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。いま与えられているものに 対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、自己が自己であることへの感謝、生まれてきたときに自分が この世界に持ち込んできたものへの感謝。 自己の唯一無二性への感謝。たとえいまから100万年経ったとしても 自分とまったく同じ人間は現れない。自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。 感謝の種は尽きない。「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。 「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。 ・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。 ー感想 (2012年04月21日 字数制限のためにカット) ・・・・・・・・ 2003年04月21日(月) 747, 散る桜残る桜も散る桜ー2 ー雨中の花見 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。 他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。 今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に 大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。 それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。 その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。「自分はこの近くに住んでいるが、 これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。 もう50年も前のことだ 花見こそ一期一会である。吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。 ・・・・・・・・・ 2002年04月21日(日) 383,チンパンジー TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。人間そのものである。まずはその社会、ボス争い。 彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。特にボス争いが熾烈である。 また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、 くしゃみを誘発したりもする。蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、 子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。嫁いびりや集団リンチなどもある。京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、 数十年にわたりその研究を続けている。その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ 放映している。今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。 数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」 と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。 今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。 人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。
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2012年04月20日(金)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 出会い ーフェルメール 1967年 ≪ 私がほんとうにフェルメールを見たのは、その本物を見たときである。本物を見たから、フェルメールが見たくなったのだし、 旅に出ずに複製しか見る機会がなかったら、もしかすると一生私はフェルメールに気づかなかったかもしれない。 現代の進歩した 印刷技術は、複製と本物との差をだんだんに小さなものにしてゆきつつある。複製で見ても本物で見てもそんなに変わりはないという 絵画もあるだろう。複製を見ることが、本物を見ることにつながる絵画もあるだろう。だがフェルメールはちがう。複製と本物との間に、 越えがたい断絶がある。 あたかもヴィニールの花と、野の自然の花とのように。 あるいはこう言いかえてもいいかもしれない。 本物を見ても、複製を見たのと同じ感動しかなければ、私はその絵にほんとうに感動してはいないのだと。そういう形で感動した絵は 実は私にはまことに少ないのだが。 はじめて見たフェルメールに感じた気持ちを、そのときの状態のままにことばにすりとしたら、 それは「ああきれいだなあ、ほんとになんてきれいなんだろう」ということにしかならない。 美は人を沈黙させるという。その通りである。 その沈黙の中に、無数のことばにならぬことばがひしめいているのではないかと言う人もあるが、少なくとも私の場合、そう言えば嘘になる。 沈黙はもっと深く、ことばにならぬことばなどといった不純なものはない。しんとした純正の沈黙なのである。 ことばはずっとあとになってから、やっと重い腰をあげる。その時でもことばは謙虚だ、ただいちばんふさわしいオマージュを捧げ、 絵の美しさにほんの少しでもあやかりたいと思うだけなのだ。≫ ▼ 本物の絵画や美術品を数多く見てきた。TPOもあるが、その前で立ちすくし、身動きが出来なくなるがある。 ダビンチのモナリザ、サンピエトロのミケランジェロ作ピエタの像、ゴッホのヒマワリなどを目の当たりにした時の感動。 対象が浮き出てくるようなエネルギーが満ち溢れていた。 特にゴッホのヒマワリは、周囲に誰もいなかったこともあり、 10分間ほど、釘つけになってしまった。出会いである。 そういえば、近じかフェルメール展が日本で開催される。 ・・・・・・・ 3677, 自己を見つめる −4 2011年04月20日(水) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが 指摘している。 その限界状況に「人生の不条理」に突き当たる。その時に、それまで隠されていた真実が現れ出てくる。 節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。正中心一点無になり、変化を受け入れること。 ー 第三章 境遇 ーから、抜粋 【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ出され、置き入れられて、人生の途上にある。 その私たちの無に貫通された現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが刻印されている。 ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。 限界状況とは、それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越ることの不可能な壁に直面した状況を言う。 そうした限界状況に面座して、私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の根源的事実に突き当たる。 しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとうの「実存」が目覚めてくる。 実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、その拒否できない現実のあり方のことである。 自己の実存を自覚し、それにもとついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】 【 ハイデッガーが述べた通り、私たちは、それぞれ何らかの世の中に投げ出されと「被投的」存在である。 その「現事実性」を引き受けて生きていかなければならない存在である。その存在としての自己を生きていかなければならない 辛い気分を取り払い、重みや憂いを取り払い、それらを忘却させようという気晴らしや、慰めを求めて、無邪気な明るい朗かさ愉悦を、 好んで受け入れようとする傾向にある。しかし、そうした気晴らしが、瞬時の儚いものということを骨身で知っている。 その人生の底を見つめ、底知れぬ深遠を予感し戦慄をする。その深遠が、「限界状況」の時に直面する実在である。】 ▼ 自己を見つめるとは、節目の境遇の人生の底を見つめ直すことと、言われると、挫折体験を振り返ることになる。 その意味で、 挫折体験の中には多くの教えがある。 が、時間がたつにつれ、それを忘れてしまうのが人間の性である。そう人間、皆、馬鹿! ・・・・・・・ 3312, ゴールドマンを訴追 2010年04月20日(火) 1929年から始った世界恐慌では、その直接の仕掛け人達が多くが逮捕された。 しかし、これまで逮捕までされたという話は聞いてない。 何か不思議な感がしていたが、 やっとSEC(証券取引委員会)が訴追に動き出した。 アメリカは金融マフィアが仕切る国でも、歴史に残る 犯罪を、このまま見逃すことは歴史が許さない。以下は、毎日新聞の数日前の社説だが、毒入り債権を欠陥車に例えるとは、 トヨタの喚問もあったこともあり比較するに分かりやすい。例え話は本質をより分かりやすく整理してくれる。 〜まずは、その部分から〜 = 毎日新聞社説: 「ゴールドマン訴追 金融危機解明の弾みに」 = (字数制限のためカット 2011年4月20日) ・・・・・・ 2937,レーシック専門眼科医院 2009年04月20日(月) 姉三人が私と同じく強度の近視。 その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」という。知人の何人かが経験者、聞いてみると 「白内障の手術時にレンズを入れたが、出来たらやらない方がよい」と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、去年の半ばに、 春先になったら決断しようかと決めていた。そして春は過ぎようとしているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、 何と自宅から数分のところの所在地に「長岡眼科医院」が、あった。三年前ぐらいに出来た(眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな 医院があったが、まさか、そこが気にしていたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。本気にならないと見えてこないものである。 (字数制限のためカット 2012年4月20日) ・・・・・・・・・ 2573, 「好き」という言葉の重み 2008年04月20日(日) 「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。 私も好みの激しい人間だが、この感情は、何に由来するのだろうか。「あの男は好かん」とか、「あの女性は私のタイプだ」とか、 思うにつけて、その意味を考えたことがない? 育ってきた環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、趣味が一緒だとか。 反対に「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに心の底では?私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は 禁句である。 いわれた方が、それで一生恨まれるからである。犬でも猫でも、相性があるから、これだけは如何にもならないことと 割り切るしかないのか。私の好き、嫌いの基準は娑婆経験の中からハッキリ自覚している。女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、 顔はノッペリ。 優しい雰囲気があり、明るい人である。大体、好きなタイプは概ね、これを満たしていた人。興味のないタイプは、 冷たいタイプで、神経質な近寄りがたい正統派美人と個性的な自意識の強いタイプ。 殆どいないが!コンプレックスの強い人。 犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、コリーのような人は苦手。同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書きだけで 人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。商工会議所、ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。 それと女性関係に派手な人。軽薄な二代目。 もう一度いうと、品性のない人!。 それをいったら、地方では誰も相手に出来ない? とはいうが、それはそれでよい。そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い? ところで好き嫌いということは、如何いうことか?相性ということ? それとも持って産まれた先天的な本質。 これだけは、どうにもならないこと?好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の分かれ目になる。 好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいことになる。 神=自然が与えた本質的素養だからである。 シカゴ大学の心理学者ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態" と呼んでいる精神状態がある。 (字数制限のためカット 2011年4月20日) ・・・・・・・・・ 2007年04月20日(金) 2208, 下流志向 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 一週間前の毎日新聞・文化欄「本の現場」のコーナーに、「下流思考」著者の内田樹氏へのインタビューをまとめた、 { 若者はなぜ学ばず、働かないのか<「下流志向」内田樹著 講談社> }という記事があった。 本屋では平積みであったが、数回立ち読みをしていた。面白そうだが、買うほどでもない本と判断していた。 この記事と書評で八割は把握できたようだ。言わんとしているエキスを著者から引き出している。 ー毎日新聞のHPに記事があったので、コピーして置きますー ーーー ◇固まった頭をぐちゃぐちゃに フランス現代思想の研究者にして武道家が「学力低下」「ニート」という若者をめぐる二大問題を論じた。 約2カ月で10万部と、この手の本としてはかなりの売れ行きだ。丘の上に南欧の修道院を模した校舎が建ち並ぶ、 神戸女学院大(兵庫県西宮市)で話を聞いた。「ここより美しいキャンパスは見たことがありません」という。 (字数制限のため中略 2010年4月20日) ■人物略歴 ◇うちだ・たつる 神戸女学院大教授(フランス現代思想)。 「『おじさん』的思考」「先生はえらい」ほか。 毎日新聞 2007年4月13日 ▼ なるほど、と納得する。学生時代は寮生活、ゼミ、クラブ、世界一周旅行と当時としては恵まれた経験を多くした。 その中で一度、「固まった頭がぐちゃぐちゃ」になった経験があるから、その重要性が深く理解できる。馬鹿の壁を一つずつ 叩き壊す経験をしたが、振り返ってみてどこまで壊してきたのか?疑問である。何も壊していなかったのか、いや壊した!の、 自問自答である。その時に生の言葉を発していたかどうか分らないが、傷口から出る血のような言葉であったことは間違いない。 ー 著者の次の指摘も、ずばり急所をついている ー (字数制限のためカット 2012年4月20日) ・・・・・・・・ 2006年04月20日(木) 1843, 桜の話 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) 近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。「花」と言えば桜を意味するくらい桜は日本人にとって特別な花である。 今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、桜の花が多い。 長岡にも幾つかの桜の名所がある。自宅から数分のところにある、福島江の桜と悠久山の桜だ。毎年、開花を楽しみにしている。 5年に一度は大当たりの年になるが、今年はその年か如何か?桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。 文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとっても、桜は大事な役割を果たしている。日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。 春になると「桜前線」が天気予報のように(今どこが満開かと)放送される位だ。十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた 従兄弟が、桜の散り際を待っていたように「自死」をした。その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。 ゾクッとするような不思議な体験であった。5月3日に、その法事に行くことになっている。(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? ー幾つかの花に関する和歌・俳句をHPからコピーしてみた。 世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし 在原業平 ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なり 細川ガラシャ 人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける 紀 貫之 こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな 紀 貫之 みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける 紀 友則 色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける 古今和歌集 願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ 西行 (以下、字数の関係でカット2009年4月20日) ▼ 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。 こういう日の強風は、何か腹立たしくなるものだ。 ε(´',_c')зβyё☆βyё ・・・・・・・ 2005年04月20日(水) 1478, 居酒屋放浪記 土曜日は家内と至近にあるサエゼリアか、歩いて十数分の駅周辺の全国チェーンの居酒屋に行っているが、もうソロソロ飽きた。 そこで、昔からの居酒屋をあらためて見直すことにして三週続けて行った。今更の感もあるが、年齢もあるのだろう。 家内はもう行きたくないというが。最近、BS・6で「吉田類の居酒屋放浪記」を放映している。平日の19時半に放送しているが、 毎日これを見るのを楽しみになっている。全国のレトロな居酒屋を訪ね歩く内容だが、吉田類と現場で酒を飲んでいるような カメラ目線がよい。先々には、何十年も積み上がられた味と雰囲気が漂っている。 店と料理と親父・女将とお客の醸しだす暖かさがよい。それと、その地域の日本酒の紹介も時々ある。 以前に「居酒屋の親父」のミニ小説?を書いたことがあったが。男の楽しみは酒と女と博打であるというが、 軸は一つという。間違いなく私は酒である。そういえば32年前に初めての創業で貸しビルつくった時に、その中に 「養老の滝」を立ち上げて経営したことがある。二年間だったが、忘れられない経験だった。酔っ払いの恐ろしさ、 嫌らしさ、そして面白さをジックリ味わった。居酒屋は客としてはよいが、自分がやるものではない。 カウンターの外と内側は全く違う世界である。人間、酒が入ると別人になる。歪みと誠実さなどの人間性がそのまま露呈する。 割り切ってみれば、これほど面白いものはない。人生の縮図が、そこにある。 書き出したら止まらない。 ▼ これからは私の文に戻るが、東京の中野の居酒屋もよかった。創業以来47年の女将と、それ以来のお客との会話が 何とも味があった。苦しい時の居酒屋の酒の味の何とも心の気休めはなかった。神戸のガード下の中華料理店の油に まみれたモツの炒め物とか、おでん屋(関西では、たしか関東煮といった)のスジ肉の美味しさ。誰もが、甘じょっぱい 酒のつまみの思いでは数知れずあるだろう。今度、養老の滝の立ち上げの時の話をジックリ書いてみよう。 あまり思い出したくないが、書きたくなったということは、その時のことを受けいれる余裕が出てきたのだろう。 その時の相棒もこのHPを見ているとメールが入った。 ・・・・・・ 2004年04月20日(火) 1113, ヘビー級の醍醐味 ー2 ー家内性手工業ー 昨夜、世界ヘビー級ボクシングを見ていたら、アナウンサーが面白い言葉をいった。IBFの世界チャンピオンのセコンドが 何とトレーナーが父親で、カットマンが母親であった。解説者も長くボクシングを見ているが初めてと言っていた。 その時のアナウンサが「家内性手工業」と言ったから笑ってしまった。上手いジョークである。大型の選手が小型の選手を、 追い回している試合であった。その内容を称して「コンニャクを押さえつけて包丁で叩き切ろうとしているようだ」 という表現もおもしろい。際どい壮絶な試合だからこそジョーク?が出るのだろう。大型選手の名前がまた良い「ゴロタ」 というポーランドのゴロツキあがりの柄の悪い選手なのだ。いつも負けそうになると相手の下腹部を叩きつけて、反則負けになる。 数年前もタイソンに負けたばかりだ。この試合ではないが、観客席で見ていた母親が、負けそうな息子を助けようと興奮して 「ハイヒール」で、相手の選手に殴りかかったこともあった。この試合は最後の最後までわからない大接戦でドローであった。 ヘビー級は面白い。そういえば具志堅というチャンピオンが「あなたの職業はどういう関係?」と聞かれて 「肉体関係」と答えた話しを聞いたことがあるが。 まあ、どうでも良いことだが。 ・・・・・・・・・ 2003年04月20日(日) 746, 笑われている自分を笑っている面 数年前の話である。 高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、聴講して欲しいと頼まれた。 たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので二つ返事で参加をした。300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。 恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。 何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」と言うと、本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。 正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」と言葉がでてきた。どうしようも隠せない心の顕れが 純粋にでた面であった。それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。本人も何か嬉しそうな顔をしていた。 自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまうのがコツである。その意味で、この随想日記も 赤裸々に心の奥を曝け出して笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」ことにになる。 ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。酔っ払った時の顔を鏡で見て ビックリした事がある。漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。実際そういう顔をしているのだろう。 そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。 顔はごまかせない。 バカな女が必至で化粧をするのも解る。 ・・・・・・・・ 2002年04月20日(土) 382,能力とは 人間の能力は無限だ。問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。それを伸ばす為に、 人生設計ーグランドデザインが必要である。それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスと その結果が能力。したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。 まとめると ・高い志を持ち ・ウオームハート&クールヘッドで ・事の本質を見つけ ・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし ・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい ・全エネルギーを持って ・チャレンジとコンペテションとチェンジをする 知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ継続してやり続ける。 その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、それを好きになるかだ。 まあこんなところか。
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2012年04月19日(木)
* 旅行記は、旅人により再構築された言説 ≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説として再構成されている。 おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、 一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点からみれば、「文体」といいかえてもよい。 見聞され体験された隔遠の地における非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と読者とが 共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる「言説」といったのはそうした意味においてである。 旅行記は、旅の事件記録性を検証するよりもまえに、言説そのものの解読作業がほどこされねばならない。旅程のすべてを 記載できるわけではない。見聞された事象すべてが、偏りなく叙述説うるわけでもない。 しかも、だれにとってもひとしく 共有される述法のルールにしたがって。 そうではなくて、旅行記は、旅人が旅先について投射した特定の視線が、 対象のうちに読みとった文脈にかんする言説である。 使用される語彙もシンタックスも、そしていますこしふみこんで いうならば価値感覚も、言説として独自の完結を実現している。 別のいいかたをすれば、中世ヨーロッパ人と 近代アメリカ人、古代中国人と現代日本人は、それぞれに採用する言説の方式はことなっている。いや、著作者の身分、 出自、性別、教養のちがいによって、同一物にいての言説は別個のものになりうる。 ≫ ▼ 旅先の情報を言説として再構築したのを旅行記とすると、書き手の特定の視点こそ注目すべきである。それが旅行記の特性であり、 面白さになる。だから、この101の旅行記は、101人の特異体験を記した事件簿として垣間見ると分かりやすい。 それぞれのクロス・エンカウンター(因縁)が現れ出るから面白い。人生の記録も、それぞれの特異点の旅行記に酷似している。 ・・・・・・・ 3676, 自己を見つめる −3 2011年04月19日(火) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 「時間」は簡単のようで、難しい。心の中は、時空をこえた多くの思いで満ちている。特に多くを経験した熟年期に差し掛かると、 思いは過去に向かってしまう。 そこには現在の知覚と直感で彩られた抽象画としてたち現れてくる。 豊かな経験なら豊かに、逆なら逆として! 生きてきたとおり、人生は自分に、その姿を突きつけてくる。 ー 第二章 時間 ーより 【(p45) 私たちの心は、アウグスティヌスが言ったように、たえずなんらかの出来事を記憶し、知覚し、期待するという働きを、 本質的に具有している。記憶は、過去の出来事に関わり、知覚は、現在の出来事に関係し、期待は、将来の出来事に向けられ、しかも、 それら三つのものが別々にあるのではなく、むしろ、私たちの心のなかに、それら三つのものがすべて取り集められている。 したがって、「過去のものの現在が、記憶であり、現在のものの現在が、直観であり、将来のものの現在が、期待である」と、 アウグスティヌスは言った。 いわば心という大きな現在のなかに、過去の追憶と、現在の印象と、将来の予期とが、 すべて取り集められているわけである。 たえず現存し続けるその大きな心が、うしろを振り返って追憶に浸るときに、 過去が浮かび上がり、いま周囲を注意深く見回すときに、現在が印象深く迫ってき、行く末を思って期待や予期に心を震わせるとき、 将来が思い描かれるのである。 時間とは、このように、振り返ったり、見回したり、行く末を思ったりする心の働き、 すなわち記憶や追憶、知覚や直観、期待や予期といった心の作用に由来するわけである。逆に言えば、大きく静かで揺らぐことない 「立ち止まる今」という現在の心の場、いわばそうした明鏡止水の心眼という現在の鏡のなかに、さまざまな過去と現在と 将来の出来事が映し出されてきて、それらが追憶され、知覚され、予期されるとき、そこに、それらの出来事が、過ぎ去り、現れ、 到来する時間の諸相において意識されてくると言えるであろう。】 ▼ 現在置かれている、この節目どきに、これまでの記憶と追憶と、現在立たたれている分岐点、そして、これから予期されること、 その三つが、心の中で濁流のように渦巻いている。 この自分の中に、多くの節目があって、それが現在という幅のある 時間の中で自分という確かな存在が見えてくる。 これは晩年期に差し掛かった人間に共通しているが、心が、これほど激しいものと。 人は生きてきた、そのままに老いるとは、その意味である。 現在は、その「立ち止まる今」である。 それでも時間は止まらない。 ・・・・・・・ 3311, 笑われ力 −3 2010年04月19日(月) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) ー次に、なるほどと合点した箇所を抜粋し考えてみる!ー *「笑われ上手」に「背伸び」禁物 ・まずは「私は凡人」とみとめる。 ・「みんなをリスペクト(敬う)する。そう思えば、自分の中の良い部分も見えてくる。 ・笑ってもらえたら「笑ってくれてありがとう」という気持ちを持つこと。 この一歩下がった気持ちが必要となる。 *「笑われ上手」の下ごしらえ、をつくっておく ・「ダメな自分物語」を多くつくっておく。出来るだけ短くまとめておく。失敗したその場でつくる。 ・もったいぶらないで、いきなりクライマックスの話を話題に出す。 ・キーワードを決めておく ・一度、物語を用意したら、あとは白紙の状態にしておく ▼ 20年前から10年前にかけて、かなり遊び人の不動産屋の社長と古町を、飲み歩いたことがあった。 小料理屋や、スナックなどで、話術の巧さに驚き、花柳の世界を垣間見た。芸者を相手の粋な遊びは今では夢のようである。 あれから10年も経ってしまった。彼には、ここに書いてあることは、ほぼ身につけていた。決して他人の悪口や話題をしないのは、 当たり前。自分の昔話も成功談が一割、失敗談が九割。 芸者に三味線を弾かせて都都逸など一ひねりなど、粋な遊び方等など。 話術も自分を嫌味なく下座におき笑わせておいて、実は笑わせている妙は場数のなせる技(業) こういう時代になればこそ、「やれる時にやれる事をやっておいて、良かった」と実感する!(逆に遊び過ぎ?もあったか) 「ダメな自分は、嫌な自分ではない」、これが笑われ上手のポイントと著者がいう。 笑われ力は、自分の中の ダメな部分や矛盾を笑ってもらう力であり、相手のタイミングで「笑われネタを」提供する。それが受けたからと言って、 もっと笑わせてやろうとか背伸びするのは厳禁。 あくまで相手と場のタイミングに合わせるのだ。 その「笑われ力」のきほんステップとは 1、「ダメな自分」を見つける 2、「笑える部分」を特定する 3、自分で笑い飛ばしてみる 4、笑顔で他人に話す 5、その結果「心地良い笑い」が生まれる 落語の「まくら」では、名人の域に達した人ほど、上手い。「駄目な私」のネタなら膨大な蓄積がある! ったく。 カミサンに耳にたこが出来るほど指摘されている。 大きな経営者大会で講演者が「女房は亭主をバカにする動物である」 と言った時、会場が異常な爆笑があった。大きな会社の立場の人ほど家ではバカにされているのだろう!良いように出来ている。 ・・・・・・ 2936,「NHKの世界同時不況の双方向解説」を見て 2009年04月19日(日) 昨日の土曜日の午前10時に、NHKの「そこが知りたいー世界同時不況・危機への対応は十分か?」は、9人の解説委員による、 伯仲した議論と、その合間に視聴者の意見や、世界の識者の論説を挟んだ、見ごたえのある内容だった。 ーまずは、NHKのHPの紹介文から (以下、字数制限のためカット、2012年4月19日) ▼ 解説委員ということで、同質の意見が多かったという感は免れなかったが・・・。 ・100年に一度の経済危機なら、100年に一度の対策をたてるべきだが、それが感じ取れない。 ・非常に深刻な事態である。大量に輸血しないと患者が死んでしまうという共通認識はある。 ・アメリカと中国のG2が、今後大きな役割を持つ。ロシアと中国をプラスしたG9も必要。 ・視聴者からの質問で、「100年に一度の経済危機というが、世界恐慌といわない何故か?」に対して、 「GDPの落ち込みは、1929年の世界恐慌と同じだが、失業率は25パーセントに対し、10パーセントで収まりそう。 今回は世界の経済政策の協調があるところが前回とは違う。従がって、まだ世界恐慌に入ったと認識されてない」 の答えであった。 実際は、10年〜20年後に振り返れば、今回の方が遥かに大きいはず。 ・アメリカを中心に世界経済を引っ張ってきたが、今後は、新興国に中心が移動する ターニングポイントではないか。 今後はアジア中心の経済モデルを作るべきである。 ・ドルに替わる基軸通貨は10年20年単位では出てこない。 ー以上、印象に残った部分のメモをまとめてみたが、それほど大したことを言ってはいない。 今回の恐慌の概要を知らしめ続けるには、良い内容だが、NHKの立場もあって、過激な現実を報道ができないこともあろう。 ・・・・・・ 2572, ドル覇権の崩壊 ー5 2008年04月19日(土) 「金や銀、プラチナを買って、手元に保有すれば良い」と、そこまで言わしめるだけ、この危機は異常なのだろうか? 実際のところ国家単位で自国民を騙すのだから、それも道理。 税務署を暴力団とは言いえて妙である。 税務調査を経験してから、そう信じていた。 調査の対象は、のっけから被疑者扱いである。 そこまで疑うなら、脱税をしない方がおかしいのではと実感した。 何でしてないの?するのが当然で、その当然のことを我々は取り締まりに来たんじゃないの?という態度である。 サブプライム問題もバブルの典型で、これをキッカケで世界恐慌の可能性をはらんでいる。 実態は火の車で、いつ何が起きても不思議ではない状況。 ドル安、アメリカ国債安、アメリカ株平均値安になると儲かるファンドもあるという。買ってみたいが。 *アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く (以下、字数制限のためカット、2010年4月19日) ・・・・・・・・・・ 2007年04月19日(木) 2207, 犯罪集団の存在を公認している日本 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 一昨夜の長崎の山口組による、現職市長へのテロ?には驚いた。たまたまNHKを見ていたので、現場の生々しい事態が、 そのまま茶の間に入ってきた。これは明らかに国家に対する彼らの挑戦である。(結果としても)それにしては、 安部首相のコメントには驚いたというより、怒りを感じた。地方統一選挙の最中に現職の市長が、みよがしに射殺されたのに、 当たりさわりの無い一辺倒の言葉である。これでは、なめるわけである。 (以下、字数制限のためカット、2011年4月19日) ・・・・・・・・ 2006年04月19日(水) 1842, ローマから日本が見えるー3 おっ \(*^▽^*)/ はぁー ー第一章 なぜ今、「古代ローマ」なのかー *この章の印象的なところから抜粋してみる・・ 「歴史とは人間である」 私にとって歴史とは、人間がこれまで経験してきた全てが入っている。キリスト教は千年の間、ヨーロッパ人の精神を 支配してきた。だが、それにもかかわらず、ヨーロッパ人の人間性が向上したとも思われない。 これは結局、人間の存在自体がもともと、宗教によって変えようがないほど「悪」に対して抵抗力がないのではないか。 そうした人間世界を変えていこうとするなら、こういう人間性の現実を冷徹に直視する必要がある。 なぜなら古代ギリシャやローマの人々はキリスト教のない時代に生きた人々であった。・・・・ キリスト教は本来は人間をさらに向上させたはずだ。それが、そうならなかったのは神と信者の間に、 聖教者というフィルターが介在したと考えられる。彼らの存在はかえってキリスト教の教えを損ねているだけでなく、 神と信者のつながりを邪魔をしているとルネサンスのルターは考えた。{私見ー現在の日本の葬式屋僧侶にもいえる} 「水平思考と垂直思考」 現在の日本を考える時、改革の遅れに破滅への危機を感じる。 どうすれば良いのか?それには、一つには、日本以外の国はどの様にしているのか? (水平思考) 他には、垂直方向のリサーチー歴史を振り返ることです。西欧的な考えが崩壊している現在、 ローマ人の生き方は宗教やイデオロギーとは無関係だっただけに参考になる!と・・・ 「試行錯誤がローマを作った」 当初は小さな都市国家でしかなかったローマがイタリア半島に勢力を伸ばし、 ついにはポエニ戦役に勝って大国のカルタゴを下し、地中海を「我らが海」と呼ぶまでの勢力になる。 あたかも幸運の女神に導かれて、すくすく発展したようだが、実際は正反対であった。 ローマ人の強さは失敗しても、必ず次の成功につなげようとするメンタリティがある。 彼らは敗因が自分たち自身にあったことを直視する。反省するだけでなく、それを、国論分裂という 活力のロスを避けることを目的とした政治改革という形に結びつけるのです。 こうして完成したのが、帝政に移行するまでのローマの政体として有名なローマ独特の「共和制」であった。 「一級品の男たち」 「役に立つ」ことだけが歴史のとりえではありません。ましてや、ローマの全史ときたら、素晴らしい男たちが 次々と現れてくる波乱万丈の物語です。ドイツの歴史家モムンゼンをして「ローマが産んだ唯一の創造的天才」 と言わしめたユリウス・カエサルはもちろん筆頭ですが、カエサルだけがローマ史ではありません。 ・ポエニ戦役の天才のハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌス。 ・ポエニ戦役以後の「混迷の時代」の登場したスッラ。 ・カエサル暗殺後、初代ローマ皇帝になるアウグストゥス。・・・ この他にもユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないが、 愛すべき人間達が無数に登場する。 歴史とは、やはり人間が作るもの。だから面白い。? つづく (-ェ-)@ノ~~~バイ? ・・・・・・・ 2005年04月19日(火) 1 477, 男はつらいよ ある保険会社のアンケートによると、 ・また生まれてきて再び 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20%に対して、同じ女房と再婚したいと 思っている男は75%(40%と60%の調査結果もあるが)女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5パーもいる ・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15%、 妻が夫を看取るのが85%。 看取ったあとの男の余生は5年、逆に夫を看取った妻の余生は22年。 私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。女は逞しいものであるし、夫に愛想をつかしているのがわかる。 定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする逆転現象がおこってしまうという。 しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。 コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。 その中に未亡人の会があったが、「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、実際は片羽を失った鳥」という。 しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。60歳過ぎると、甘いものでないことは事実。 夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。 女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、 すぐに群れることができる。しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。 人生は甘いものではないのは老後も同じ。ライフワークをチャンと創っておかなくては!おかあちゃんの奴隷になってしまう。 最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。 ・・・・・・・・ 2004年04月19日(月) 1112, 「ライフ・レッスン」ー4 ー人間関係のレッスン ー感想文ー 人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど 自分の姿の合わせ鏡になる。その軋轢の中に真の自己が表れてくる。また私たちが無意識の中に求めている ロマンチックな関係の相手こそ、ありもしない自己逃避の空想の相手である。そして勝手にイメージとして作りあげ、 対象に求めていくから幻滅が生じる。解りやすい例としては、成田離婚がある。そのイメージこそ自分を不幸にする 「バカの壁」になる。しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。「ブランド」は、その一番リアルな イメージ商品といってよい。お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。 真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。 ー抜粋ー (以下、字数制限のためカット、2011年4月19日) ・・・・・・ 2003年04月19日(土) 745, 散る桜、残る桜も散る桜 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。 この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。桜は生臭い死の臭いがする。人生の縮図を桜の花に感じるのは 歳のせいか? 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。 「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。悠久山の桜も絶品だ!5?6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が 微妙に関係してくる。桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画を みた事を思い出した。ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。 多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。 ・・・・・・・ 2002年04月19日(金) 381,システム販売 「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。 診断料は無料」という提案の講習会に出てきたと、あるメーカの専務が言っていた。 システム販売そのものである。物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。 IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは難しい問題でない。私もフランチャイズを2回経験して システム力には納得している。息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。 「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから 合理的だ。もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。これもそのシステムを売っているのだ。 イトーヨーカ堂もシステム70?商品30?という考え方を柱にしていた。 システムを主体に売っているということだ。もの主体から、こと主体の時代の変化である。
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2012年04月18日(水)
* 旅行記は事件簿でもある はじめにー旅行記を読むということー の冒頭の文が、旅行記の本質をついている ≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして無数の旅行記、紀行文が書かれた。 どうも旅という非日常の行動は、文章の起草をはげしくうながすものらしい。 いろいろの旅行記がある。 任務をもって旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴の跡をしるす随筆を。 どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしいだろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。 「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と遊遁にみちている。 ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、 意外性にあふれているかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に参画することは困難だが、そのアピールを うけいれ、旅行記とともに旅という事件を追体験する。 おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、旅は現実に存在した 事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、 旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、じつに広く深い。≫ ▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。 それぞれのダイジェストは50数人が書いたのを編集したもので、 紀元前から近代まで至っている。2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。 2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワークを編集しているから、面白いはず。 とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間見るのも面白い。 私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということにも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。 ・・・・・・・ 3675, 節目どきに ー8 2011年04月18日(月) * 体重が減り始めてきた! 毎朝のウォーキング(サイクリング)を20数年間続けてきたためか体重は標準である。ところが、ここでスポーツジムに通いだしたため? 半月で学生時代の体重まで落ちてきた。心労もあるかもしれないが、これは明らかに運動効果である。入会時にジムの人に計ってもらった 肉体年齢が私の肉体年齢より11歳も若かったのに驚いた(54歳)。長年の早朝のウォーキングの蓄積が肉体年齢を若くしていたようだ。 肉体的には健康的な日々だが、精神的には、どうだろう。 * CTスキャンは大量の放射能を? CTスキャンの被爆量が胸部レントゲン写真300倍に匹敵し、数十年後にがん発症リスクは被爆で高くなるという。 私など毎年の検診で20年近くCT検査をしているので、大量の被爆をしていることになる。 そろそろ被爆の結果が出てくる頃。知らないことは恐ろしいことである。 チャンとした説明を受けていれば、 三年に一度位に減らしていた。 しかし適当な被爆なら、細胞が活性化して、むしろ健康によいとも言うが。 * 今でも、私にとって3月11日が止まっている TVの画面で、被災地の中年女性の言葉が印象的だった。 「私にとって3月11日がそのまま止まっている。 毎日が、そのまま3月11日の繰り返しで続いている」と。 そうだろう、被災者にとっては、あまりにも、その日の出来事は大変事で、 その日をもって生活環境が一変してしまった。 被災者の一人が、「ここにいる殆どの人たちには、生死の境目にいて、九死に一生を得た ドラマがある」と朴訥とした言葉で話していた。現在進行中の原発事故が、今だに、この災害が終わってないことを告げている。 我々が自覚しているより、遥かに危険な状態の置かれているが、まだ、序曲。 そういう私も、震災ショックによる何の被害者である。 ・・・・・・・ 3310, 笑われ力 −2 2010年04月18日(日) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) 笑われることができたら、会話も人生もラクになる! 笑われ力: 飾らず、威張らず、強がらず、素の自分をさらけ出せる力。 「笑われ力」では、まずは「恥ずかしいこと」を全面的に認める。そうしてしまえば、まわりもそれ以上バカにできない。 恥ずかしいという感情そのものを曝け出すのである。 私は、平気でサエゼリアに行くし、その話をする。サエゼリアが値段からみて 価値がある思うからである。 世界中の郷土料理を食べてきて味に対する自信があるから、言えること。気楽に入る安いイタメシ屋を 小ばかにする方が野暮というもの。 SC内の隣にあるスーパーより安いのだから。あれはファーストフードとみた方が分かりやすい。 その辺の出来損ない?のイタメシ屋と比べる方が無知といういうもの。 美味くなくていい、不味くなければ。日本料理も、居酒屋料理も、 フランス料理も、中華料理も食べつくきたので言えるが。 週末などの外食は2千から5千円の店で充分。もちろん二人で! 「笑われ力」も、実は、それと似ているのではないか。 笑いで周囲に安らぎを与えることが出来れば、それが73パーセントの 「おとな力」の要素として、当人にプラスになる。「笑わせ力」を身につけるより「笑われ力」を伸ばす方が簡単。 笑われる欠点を自分がよく知っているからだ。人間の本能が「笑い」を求めている。もし「笑い」がなければ場は息苦しい空気に包まれる。 「笑い」が醸し出す「心地良さ」が、その場を良くする。 注意しなければならないのが「笑わせ力」である。 ひとつ間違うと笑いの強要になり、シラケを生む。無理をすると、タチの悪い「笑い」になることが多い。特に第三者の失敗の話題で 笑いを誘う「邪悪な笑い」は特に注意。 著者は、 笑われ力をつけるには、準備が必要という。 まず、 ・ダメな自分を集めてみる *過去:失敗談 *現在:無知、悩み、コンプレックス、苦手 *未来:妄想 ・そのネタを次の公式(ネタ*表現)に当てはめて話をする 失敗話、 コンプレックス、 悩み、 勘違い、 なら幾らでもある。ただ、ヒタスラ隠してきただけ。 (字数制限のためカット、2012年4月18日) ・・・・・・ 2935,わが人生最良の瞬間 ー2 2009年04月18日(土) 一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は小野田寛郎の「29年後の終戦記念日」である。 彼にとっての終戦日は、 昭和20年8月15日でなく、その29年後であった。その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で命令に従い戦い続けたのである。 終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれていたが、彼等は信用しなかった。そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の鈴木と遭遇した時も、 フィリッピンの掃討兵と思い殺害しようと接近したが、思いとどまり話をしているうちに、「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」と、 ボールを投げた。それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除と投降命令を受けた。その瞬間「なぁんだ」と思ったという。 ・・・投降ということは、それは死を覚悟したもの。・・ところが、フィリッピン軍のレーダー基地に着くと、捧げ銃の敬礼で迎えられた。 捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを拒否しました。 そして翌日、マラカニアン宮殿で会見したマルコス大統領がこう話したのです。「我われは、それぞれの目的で戦った。 しかし戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為すべてを赦します」 もう疑う余地はありません。 昭和49年3月11日のその瞬間に私の身柄と生命は保証され、「私の戦争」は終わりました。帰国のためにマニラ空港を出発する私に、 フィリッピン空軍の軍楽隊が日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から 解放されたのだと、心から生きる喜びを噛みしめました。 ▼ 以上が概略だが、この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。これほどの最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の 三十数年があればこそである。こういう体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ないと思い知る。 彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が 心に残るのは如何いうことなのだろうか?「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、「嫌なことも多くあったが、 (字数の関係でカット2,011年04月18日) ・・・・・・・・・ 2571, ドル覇権の崩壊 ー4 2008年04月18日(金) ー読書日記 2001年の9月11日のテロは、ことアメリカのドル政策、石油にとって理想的な事件であった。 そのため、当初はアメリカの国家としての陰謀か、意識的に見逃した事件ではないかと疑われた。 アラブ民族、イスラム諸国にとって有利の事件だったのだろうか?と考えると、疑問は増す。 価値のない紙切れは、ドルだけではない、円もしかりである。 私は、少し落ちついた40歳を過ぎた頃から、 意識的にお金を使うことにしていた。といって、子供二人を大学に入れて毎年、1000万は使うこと!である。 (字数制限のためカット、2010年4月18日) ・・・・・・・・・ 2007年04月18日(水) 2206, 反時代的毒虫 ?3 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 「反時代的毒虫」ー中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの浪費」ーより 浪費癖で借金してでもブランド品を買いまくりを売りにしている「ショッピングの女王」こと、あの中村うさぎ、との対談である。 (字数の関係でカット2,008年4月18日) バイ! UvU/? ・・・・・・・・ 2006年04月18日(火) 1841, 理解する技術ー情報の本質がわかる?2 +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ ー 読書日記 □第3章ー文章から情報を読み取る基本テクニック (字数の関係でカット2,008年04月18日) ・・・・・・・ 2005年04月18日 (月) 1476, 24歳の日記 ここで22歳・23歳の日記に続いて「24歳に日記」が始まる。 数回だが。あまり書きたくないのが本音であるが、 自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない足跡である。途中から、日記をカード式に切り替えたが、 そのカード式の日記帳は全て捨てた。今から考えてみたら残しておけばよかった。残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、 大まかにしか書いてない。まず、生活信条が書いてあった。 真面目に書いたものである。それが若さであろう。 35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。 直視したくないので、数回で終えるが。中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。 当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れてしまった感じといわれたが、当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。 それと中原中也の心も。それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。人は愛情の中で生かされて いることを実感する。全ての人に感謝をしなくては。特に両親に対して。昨夜、独身時代の自分の夢をみた。 ーーー 1970年3月 ー私の生活信条 誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること、愛情を基本とすること ー常に相手の意思・立場を理解をして、それを持って自己の満足とする毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、 自分の善に従うこと、善悪を明確にしておくこと ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める善悪の基準は他人に対して、いかに自分と同様に 満足せしめるかにおく打算においても、同じ扱いをする動機において不純はさけることとする (最後に拠るべきは純粋な動機のみである) 人間関係ー常に相手側と同じ立場におく ただし、能力レベルが同等に対してであるが 不言実行(無言実行)ー 有言不実行の矛盾に陥らないこと 経験を振り返ると無言実行が一番実効があった 言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること 自己投資をすること 人生とは、投資である。 自分に対して、そして創造行為もである 与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること 克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す そのために己に打ち勝つこと ーー 1970年3月21日 現在、自分を見直すために会社を辞めた。そして、現在は長岡の自宅にいる。 会社には丁度1年在社したことになるが、 いざ辞めてみて解ったいたことだが、動揺があまりにも大きい。今も夢の中にいるようだ。辞表を出して、2〜3週間大きな 揺れがあった。色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。これからは決心をしてしまったからには1年ジックリ 勉強のやりなおしである。コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。マーケッテングのほうも面白そうだ。 義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか考えてみなくてはならない。 それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。そのために如何するかを考えるべきである。 日記を考えると、即自と対自の会話である。また自分自身である時間。 反省と焦りが交差するところである。 ・・・・・・・・・・ 2004年04月18日(日) 1111, 「今時の若いものは!」 エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して 「今時の若いものは!」と、批判的にいっている言葉が気になった。年寄り臭い嫌な響きがあった。若い人にも個々それぞれある。 この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から出ている。「それにしても、今の若いものは!」 という言葉が出てきそうだが。一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の旅行先としてのターゲットに なっているという。今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。ボラティアの女性だけが救いであったはずが、 ??を吸いにいく丁度よい名目?で、NPOを利用してだけ? という疑惑も浮かびでてきた。 18歳の坊やも、共産党一家のパフォーマンスでしかなかったのか。といって、彼らには彼らの正義があったはずである。 インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから困ったものだ? しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。 −−− 演題:「近頃の若者」 養老猛 この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、 養老 孟司先生に御了解を得て、このホームページに掲載しています。「近頃の若者」という題をいただきましたが、 私ももう相当な年になったのでこの題がちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。 「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。ですから紀元前の頃から年寄りは 若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。 (字数の関係でカット2,012年04月18日) ・・・・・・・・・ 2003年04月18日(金) 744, まずは一日一図から ー2 これを実行して10日が経つ。 三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。 始めたら面白いのだ。一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。 この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。 ポイントは ・初めに漫画を中央に小さく書き込み、 ・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。 ・そして漫画の上にテーマを書きこむ。 ・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。 漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。 「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を 中央に描いて、左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、気楽に考えられるのだ。 読書法で10?100倍の速度が可能という本が多く出版されている。 私の場合、その方法を身につけて10倍以上の 読書力になった。それもこの1^2年である。しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。 その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。以前から天才のノート法とかいう本を読んで、色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、 漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増加。そうすると、 「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことになるが、集中力がそれだけ増えた事は間違いない。 これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいたに過ぎない。 この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているのだろう! ・・・・・・・ 2002年04月18日(木) 380, 姉正子さん 姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。去年の6月に来て,3時間半なにを話したか? 大体がこんな内容であった。 ・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった ・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと ・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった ・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為、保険が全額降りた。 ・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ ・両親の思い出、今までの思い出 ・なにがあっても自分は生きぬくーEM菌を飲んでいるので順調 ・病気の状態ー入院の後先の話 彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」という気持ちがあったのだろう。 彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ。 この内容から私なりの彼女の心理分析をすると ・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。 ・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。 ・両親に対する恨みと、反面後悔。 ・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁 一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。 これからお風呂に入って身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」 ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」 ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。 面白い人でもあった。
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2012年04月17日(火)
7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いてあった。傍からみた現在の私は、このようだろう。 ところが、今回の挫折体験の心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないため。それとも若さを失ったためか。 青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。 長年の読書と、経験、そして人間関係の構築のベースがあったためである。特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。 それとも、悲しみを遥かに超えた体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。 書くということ、書き残した自分の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2 2005年04月17日(日) 】 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。 昔の何度かの挫折を思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分 ー倒れてしまった悲しみにー 倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる 倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる 倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる 倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう 倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ 倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき 倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ 倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす 倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯 倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき 倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは ▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、数年先になるのだろう。 まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。 ・・・・・・・ 3674, 自己を見つめる −2 2011年04月17日(日) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をしてみなければ分からないのである。 人生は、経験を通してその深みと広さを増してくる。 自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、 暖めなおすことしか、事実上何処にも存在をしない。 良質な経験の積み重ねこそ、人生を豊かに、実りあるものにする。 ー 第一章 経験 の中より ー 哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。 ・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、まったく予測することができない。 ・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験するまでは、当の事柄を知ってなかったことを 痛感させられるわけである。つまり私たちは、徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、とガダマーは断じる。 ・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の幻滅を伴うものである。 かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語ったように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。 それが経験ということであり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、 徹底的に思い知らされるわけである。 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生というものはない。 私たちは、経験において初めて、 自己自身と宿命的に向き合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。 ▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 その境界が自分の限界であった。 だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して行動することが、自分を広く深くする。 「自分を見つめる」とは、 自分の経験を見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? ・・・・・・・ 3309, 笑われ力 −1 2010年04月17日(土) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りることにした。 「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろしていることになる。」とは癒しの真髄であり、 これまで「フン、この程度モノさ!」と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組むとは。 お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。 タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、 ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。 誰も一度や二度は経験のあること?。私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。実に自分の欠点、 失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。 自分より知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル? の人の前では、躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、基盤がないと出来るものでない。 まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原 壮一郎 ≫ ≪ 「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。しかし、ウケを狙えば狙うほど、 スベりやすくなるものです。 まして、人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。 そこで「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、人をネタにするのではなく、 自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、 「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くためのプロセスに過ぎません。 大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」をプロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫ ▼ この本の「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう!あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、 あなたの人生にとって、必ずや大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」とあり、最後の方には 「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。 この随想日記やブログも早くいえば、「笑い」というより自嘲の披瀝である。そうでも思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。 ある意味、癒しになっている。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるようにしている。それも共感を得るような 自嘲気味の捻りで締めるように。決して、この本を読んだぞ! でなく、やっと読みおえた!という気持ちでないと続かない。 この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。 そういえばオカマバーの方々、実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。 笑われてナンボの世界か、珍獣?の世界は。 10年以上は、行ってないが、歳のせいか気持ちが悪いが先にたつ。 ・・・・・・・・ 2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2 2009年04月17日(金) 新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌の影響がストレートになる。 初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 二時間以内の出張は日帰りである。 インターネットや携帯電話などで情報をやりとりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。 最近は宿泊ネット販売が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は当たり前。 当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから、堪ったものではない。そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、 電気製品、デジタル家電、書籍、健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買うのはネット。 2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズから始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。 情報化によるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。最低価格が実現できないところは、 即、退場をさせられてしまう。(客室は、在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰される ことになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。 アメリカのように資源や軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を揺るがすほどの大事件。 4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのはが中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようと しているというのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の共産社会体制が消滅。 そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義のアルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、 2千数百人の生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年に一度といわれる金融恐慌である。 これは簡単に解決できるような事態ではなく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。 まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。それも全ての人が直撃する惨事を・・ ・・・・・・・ 2570, 些細なものほど、光を放つ!と、振り返ると解る 2008年04月17日(木) 日常のチョッとした瞬間、60年にわたる過去の些細な記憶がフラッシュのように出る。これが還暦を前後して特に多くなってきた。 人生は些細なことほど大きな意味が含まれているようである。コマーシャルではないが、「人生は、その人の選択で出来上がっている」と 実感する。一日、数万のことがフラッシュのように脳に発生するというが。 様々の経験から、自分の心の芯にとって、いやな後味に なることはしないようにしてきた。それでも、次から次へとフラッシュが発生する。 自分の過去を冷静にみれる年月が経ったためだ。 多くの人を虐殺した政治家の内面は如何なるものだったのか。死者が纏わりついているのだろう。彼のそれは、些細なものではないからだ。 次の文章が‘些細なものほど、光を放つ’ことを理路整然と表現している。 「哲学の教科書」中島義道著 *些細なものほど、光を放つ P-232 哲学者の目とは、人生の「外側」から、すなわちあたかも死者、あるいは他の天体からの飛来者のように、人間たちの営みを見る目です。 こうした目で見続けますと、そこに面白い変化が生じてきます。 人生の大事と思われているものは取るるに足らぬように見え、 逆に取るに足らぬと思われていることが輝いて見えてくる。「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく些細なものこそ光を放つ。 フランクルは強制収容所という「向う側」にいる人間の心持ちを次のように語っております。 彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に 想いを馳せて、それに耽っているのであった。 しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事や ささやかかな事象のまわりを彼の考えはめぐっているのであった。……市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、 電話が鳴る、受話器を持ち上げる、部屋の電灯のスイッチを入れるー囚人がその思い出の中でいわば撫で回して慈しむものは、 こんな一見笑うべきささやかなことであった。そして、その悩ましい思い出に感動して彼らは涙を流すこともあったのである。 強制収容所に入っていない私たちが、今この状況を腹の底から実感するのは難しいでしょうが、例えば奈良時代の 官吏の一日を文字通り再現してくれれば、どうでもよいことがわれわれには本当におもしろいことでしょう。 もし私が一時間だけ千二百五十年前の奈良の都に戻してくれるなら、東大寺や興福寺には行かずに、人がごった返す市場に 行くでしょう。 内裏の「閣議」は見物せず、一般の家庭の夕餉を見物するでしょう。・・(中略)女房が派手で困るとか、 給料が上がらないとか、子供がぐれて困っているとか、毎日の生活がしみじみと面白みを帯びてきます。 ▼ 学生時代の日記を、ここで公開したが、私にとって、その面白みは当時の日常の風景が具体的に書いてあったことである。 実際に読み返してみると、当時のことが昨日のように思い出される。何で、その後、思ったままのことを具体的に書いて なかったか後悔する。誰かに見られたら嫌だというのが、それなのだろうが。些細なことの中に光が宿っているのである。 それは、「今日、今、ここ」しかないから。ここに永遠が存在しているから。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月17日(火) 2205, 反時代的毒虫 ー2 才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記ー 「反時代的毒虫」の中の ー白洲正子との対談『人の悲しみと言葉の命』ーから 車谷が『四十八瀧心中未遂』で直木賞をとったあとの「文学界」で白洲正子との対談である。 白洲をして、恐ろしい、こわい、と言わしめるのだから、驚きである! ーー 白洲 「私、十何年も前に見っけたんだからね」 車谷 「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました。 (字数制限のためカット、2010年4月17日) ・・・・・・・・ 2006年04月17日(月) 1840, ジャンケン オハ (´・ω・`)(ω・`)!(´・ω・`)! ヨ? 「ジャンケン」について書いてある資料は殆んどない。HPを調べても勝ち方の極意が書いてあるだけだ。 その中で、それぞれのだす確率があった。580回のうち、グウが190 、チョキが203、パアが 187 回とあった。 確率からみたらグウを出すのがよいことになるが、ほぼ同じである。もっと偏りがあると思っていたが。 図書館で何気なく立ち読みした「大切なことは60字でかける」 ー高橋昭男著の中にジャンケンについて書いてあった。 それによると、 ・ジャンケンは、江戸時代に中国から長崎に伝来 大阪を経由して江戸に伝えられた。 ・江戸時代のジャンケンには色いろな方式があり、子供の遊びではなく、お座敷遊びの一種であった。 ・中国では、日本と同じ方式で行っている。 世界の40ヶ国で盛んに行われている。 ーマレーシア、パキスタン、サウジアラビア、イギリス、 フランス、ドイツ、 デンマーク、エジプト、 アメリカ、チリなど・・ アメリカのジャンケンは日本のかけ声を英訳したもの。 この本を読むまでは、日本特有の遊びと思っていた。お座敷遊びで、野球拳とかがある。 子供の頃は何かあるとジャンケンで決めていた。そういえば、ジャンケンで勝ってハワイに行ったことがあった。 (実家の会社にいたとき、社員旅行で兄とどちらか社員旅行でハワイに責任者として行くかで)まあ、よき時代であった。*・ω・)ノ*. バイ! ーーーーーーーー 2005年04月17日(日) 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2 (以下、字数の関係でカット2,012年4月17日) ・・・・・・・・・・ 2004年04月17日(土) 1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?3 第二章 愛のレッスン ・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただ一つの真実である。 永続をするただひとつのものである。愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、 自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。 それはあらゆる障害をとりのぞくことである。自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、 実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。神に会うことができたら、神は 「おのれに愛をあたえたか、人に愛をあたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。 自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に付いていく。神はわれわれに、愛し、 愛される無限の機会をあたえてくれる。 ・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。 (以下、字数の関係でカット2,012年4月17日) ・・・・・ 2003年04月17日(木) 743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』 ー2 ー抜粋ー6 ー読書日記 父は話をつづけた。「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、 ランプの中に押し込められた精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つけることが出来る。 天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」「ランプの精が見つかると、 精がおまえらにこう聞く。『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに 与えること、三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』「この世界に天才はあふれるほどいる。 私たちはみな天才さ。問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままにしていることだ。才能を自分のためだけや 愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。 つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ効果を発揮するんだ」 (以下、字数の関係でカット2,008年4月17日) ・・・・・・・ 2002年04月17日(水) 379,外国人犯罪 一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。 NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。外国人の犯罪らしい。 ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。 ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。休業の張り紙は出せないらしい。外国人がトラックで全て持ち出すという。 10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。犯罪もグローバル化になってきた。 平気で殺すから恐ろしい。同席していた1人はセコムに近じか入るという。 自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。8000円が少し高いが 。
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2012年04月16日(月)
「世界の旅行記101」 樺山 紘一著 ー 内容(アマゾンより)ー アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。 ときには、身にうずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、じつに広く深い。 ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータの旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した、古今内外の代表的な旅行記101冊の歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。 自宅でトックリと焼酎片手にくつろぎながら、旅行記の魅力に浸れます。この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。 ◎ アマゾン読者感想 ≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。 その中からその時の関心の在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると助かる。 旅に出る時、 ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。 また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。 私は、数年来、この本をそんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたっては、モームやゴーギャンの作品などとともに、 ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦してくれた。 そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。 この本には、紀元前から現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、 原則2頁で、時に地図や写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。関連年表、索引もやや詳しい。 目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手は拡がる。 旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、併せて、古今東西の旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、 精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫ ▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。 編者の「旅行記は事件簿でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。 そこには、それぞれの人生の 全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ちている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。 ・・・・・・ 3673, 自己を見つめる −1 2011年04月16日(土) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断をしてきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。 それらの自己の総合体が自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みをしていたら、 思わない拾物をしたのが、この本。 現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。 まずは、 −アマゾンの説明書きよりー 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェやハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる 気持ちを支え引き締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。 ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ― * 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟というものと深く関係している。 しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも 接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している」 (「生き甲斐」) * 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、 控え目ながらも持続的で強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴うあらゆる憂いと 悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」) * 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である」 (「不幸」) * 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、 自分を支配することに至ったことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、 老年になってからである」 (「老い」) * 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。 私が、本書『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした優しく敏感で、傷つきやすい、 心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」 (「まえがき」より) [目次] まえがき 第一章 経験 第二章 時間 第三章 境遇 第四章 遍歴 第五章 自己 第六章 生き甲斐 第七章 仕事 第八章 孤独 第九章 愛 第十章 他者 第十一章 世間 十二章 運命 第十三 不幸 第十四章 老い 第十五章 死 ▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、 自分の歩んできた人生を振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。 それが「節目を打つ」ことになる。 青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の石にすることができた? 内省も面白いものだ。 ・・・・・・・ 3308, 万田酵素 2010年04月16日(金) 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、 一万円前後。 無料キャンペーンはお試し用の6パックで1200円のもの。10日前に届いたので、試し飲みをしてみた。 で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せて いるような感じ。そこで、小さなパックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、玄米酵素を 飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いているから身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さなコーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。 ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。 無料の試しパックは一パック2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じである。 通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば 三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。 ネットでは、3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットでチェックしているはず。 それでも、この価格で販売しているのだから、ネットでチェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、 ドラックストアさえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 今さら、大して用がないか! ・・・・・・・ 2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1 2009年04月16日(木) 去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、 多く読んできた。楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。 当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消えて、「100年に一度の経済危機」という言葉が 定着したきた。1930年代の世界恐慌より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。 新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40パーセントダウン。輸出産業を中心としたメーカー関連で、 40〜50パーセントダウン、それ以外が20〜40パーセントのダウン。2001年の9・11事件の時は、三年かかって30パーセントに ダウンしていったが、今回は2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、 駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、 お達しが出ているという。大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上げ減が始ってきた。 これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。 国家として3月末の大量倒産を避けることが出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて大きな事変が続くと言われている。 実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。 この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。韓国・台湾 ・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンというから、大打撃になっている。 かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか輸出立国という モデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? ・・・・・・・・ 2569, 閑話小題 2008年04月16日(水) * ガソリン価格 先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。 そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、 127円で統一(談合)しているのでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしているから 消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後) (字数制限のためカット 2012年4月16日) * ロシアのバレー事情の激変 (字数制限のためカット 2012年4月16日) ・・・・・・・・・ 2007年04月16日(月) 2204, ベトナムとインドの「交通戦争」 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ーインドの追い越しー 外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。 インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに 衝突の車を見かける。慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では誰も前の席に座りたがらない 沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。 実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。 それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。 明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。その手の話題はいくらでも話題は出てくる。 ーベトナム交通戦争ー ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。 警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。 よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、衝突する際どさの中を運転技術で コントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。ベトナムのオートバイは2000年で650万台、 2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10パーセントをベトナムが占める。 (字数制限のためカット 2011年4月16日) ・・・・・・・・ 2006年04月16日(日) 1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ー1 おはよ?!(*^ワ^*)i ー読書日記 ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから? 「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書 ー著者からの内容紹介ー 携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには?「分かりやすい技術」の著者が、 効果的な情報収集・整理術を伝授!携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか? 大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには? 一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには? インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには? 本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか? ◎ 情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。 ◎ 日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える テクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。 ▼ 以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーセントは把握できるはずであるが? (字数制限のためカット 2010年4月16日) ・・・・・・・ 2005年04月16日(土) 1474, 汚れつちまつた悲しみに 中原中也 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の皮裘 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れつちまつた悲しみに なすところなく日は暮れる 河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-より この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。 年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。 その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、 当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。 一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」 が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。 「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」 ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。 ・・・・・・・ 2004年04月16日(金) 1109, 「ライフ・レッスン」 ー読書日記 ー2 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。 すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、 一章づつ印象深い文章を書き出してみる。私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。 25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。 今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。 自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの 極限を味わう為である。その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。 (字数の関係でカット2008年04月15日) ・・・・・・・・ 2003年04月16日(水) 742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』ー1 ー 読書日記 『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。 この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折を してしまう! 何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷に なってしまう。お金は、ある意味で生きていく交通手形である。お金に対する考え方は生観の大きい基礎といってよい。 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。 ー抜粋ー1 昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。 正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを 犯すことで進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。 そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは一ところを回っているだけだ」 ー抜粋ー2 (字数制限のためカット 2012年4月16日) ・・・・・ 2002年04月16日(火) 378,不況 (字数制限のためカット 2011年4月16日)
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2012年04月15日(日)
* つれづれに ◎ 昨日、一昨日と二日続けてシネマを見てきた。全米の観客動員数が一位と、二位というから間違いないと判断。 私の評価は、全米一位の、「バトルシップ」、85点。 二位の、「ジョン・カーター」、90点。一応、合格。 昨日は土曜日のためかロビーは客で溢れていた。 シルバー割引千円で現実からトリップできるから価値は充分ある。 ストレスを解消してくれそうなものを、話題になった中から選んでいる。 大不況の鬱憤を映画で晴らそうというのか、 破壊と再生の物語が多い。 バーチャルの世界で鬱屈した?気持ちをスカッとさせ、ストレス発散をするようにできている。 ◎ 現在、世界的にも、国内的にも大きな節目。 現実に私のケースのように過去10年間の売り上げの激減と、 その結果の事態は、数年先の現実の前倒現象になる。 それで、悲観過ぎるのか? 決して悲観過ぎるということはない。 毎日毎日、同じようなことを飽きもせず書いているが、書くことで、気が付くことが多い。ところで、このところ、 この随想日記のスランプ期間に入った。テーマが出てこないのである。数ヶ月に一度くるが、これも慣れている。 ◎ 「年齢に気持ちがついていけない!」 これが、人生を生きてきて常に感じてきたこと。歳をとればとるほど、 その傾向が強くなる。未来より、過去を見つめる時間が長くなるためだろう。そこで、過去を否定しないこと。 ◎ 米国の天然ガス価格が2ドル代の大台を割っており、日本の輸入価格は18ドル。 日米格差は9倍である。 米国は世界最大の資源国であり、世界一安い天然ガスを使える。これに対して日本企業は電力不足と、世界一高い法人税、 そして社会保障費と人件費も高い。米国産原油価格優遇策となれば米国優位はゆるぎない。これが宗主国と属国の力の差。 ジワジワと、その影響が日本経済と社会に出てくる。日本は海洋国家と、水資源が豊富にある。それと島国の特性の中に、 これからのヒントがあるはず。それにしても、東北大震災と、原発事故と、54の原発が使えないのが大きい。 ・・・・・・・ 3672, 節目どきに ー7 2011年04月15日(金) * つれづれに △ 事務所にあった身の回りのものと書棚が二回に分けて届いた。 倉庫の中に三坪ほどのスペースをとり、それらを収めたが、 丁度良く収まった。事務所の移転ごとに多くを捨ててきたので比較的最小限度のものしかないが、それでも捨てがたいものが多くある。 会社に置いてた本の半分ほどは処分してきたが、振り返ってみると、もっと早く、哲学書を読み込んでおけばと反省しきりである。 逆に言えば、この10数年で読む本が変わってしまった。 △ 昨日、小学校5〜6年担任の恩師の西沢先生から、丁寧な破綻の?お見舞いの葉書が届いた。 現在、80歳前半になられたが、葉書に筆で書かれた書体の美しさに驚いてしまった。私の5歳上の姉も担任をされたが、 姉は、あまり先生のことを語ってくれなかった。 先生が定年退職をされた時に、確か小学校の同期会に先生が出席され、 その時に先生にお願いをして、新潟の私のホテルに宿泊をしてもらい、一晩、酒席を共にさせて貰ったことがあった。 もう20数年も前になる。 先生は多くの小中の校長を歴任し、長岡の教育長までされた人で、定年時には、そのお祝いに 300人が集まってくれたと嬉しそうに語ってくれた。 その時に先生がつくられた御猪口を貰いたが、先日まで、 会社の事務所の飾りだなに大事に飾っておいた。 卒業まじかに、半年間、虐め?で級長にされたことがあった。 これはきつかったが、その時に不貞腐れていて運動場で掃除をしていた私の頭を引っぱたかれた心の傷は、今でも鮮明の残っている。 しかし人を導く不思議な力を持っていた。先生の両親とも先生で、息子も先生をしている教員一家。色々の人生を垣間見たのだろう。 そういえば小学校の同級生、地方としては男15人の中で、慶応、早稲田、立教三人、新大二人と、出来は悪くない。 喧嘩も、勉強も ライバルが多くいた。 変なのもいたが、変ななりに、まっとうに?家業などを引き継いでいる。 駅前エリアもあり、玉石混合ということか。 ・・・・・・・ 3307, 日本破綻 −2 2010年04月15日(木) ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」 藤巻 健史 (著) 著者は新自由主義論者で、円安論者。 グローバル化社会を推進すべきだとしている。 そして「大きい政府・規制社会・結果平等税制」の是正を主張している。 経済を拡大をしないと、 グローバルの世界を生き抜くことは不可能で、そのため円を実力どおりの円安に誘導すべきという。 日本は輸出立国でしか成り立たないと論じている。格差が開いたとしても日本の貧困層は世界の中間層でしかない。 ここで、アメリカの強さを何気なく書いている。 ・アメリカの双子の赤字は大げさ= アメリカの税収2008年で約2.5兆ドル=220兆円。日本の44兆円の5倍ある。 アメリカのGDPは日本の3倍に対して5倍である。一方、財政支出は、2008年で4500億ドルの赤字。ほぼ日本と同じ。 2008年末の連邦債務残高は10兆ドル。これも日本と同じでしかない。日本は不景気が良くなって金利が5パー増えたら 43兆円の支払い増で、今の税収が吹っ飛んでしまう。もうひとつのアメリカの赤字、経常赤字も大げさに騒ぎすぎ。 ネット金額で見ると、資本を海外から取り入れているにかかわらず、配当金や金利は「支払う額」より「入ってくる額」 の方が大きい。 借金をしていれば金利は「支払うはず」なのに、「受け取っている」のです。それは、アメリカ人に リスクをとる精神があるからである。海外投資で高い配当金や利息が国内に入ってくる一方、支払い金利の方が少ないからだ。 ・日本のバブル時の1989年末と現在2010年1月と比べると、日経平均3万8915円から1万765円と4分の1近く。 一方のNYダウは2753ドルから1万765ドル。4倍になっている。 その差は15倍になってしまった。 NYダウが最高値の1万4千ドルをつけた時、日経は1万8千円として、そこから1万765円。 アメリカが20パーセントダウンに対して、日本は40パーセントのダウンになっている。 〜この背景には世界の主軸通貨がドル本位制がある。 ネズミ溝の親ハ、外貨準備金は必要でない。 ただ紙切れを刷っていれば済む。紙代だけなら荒利は99パーセント以上の利益を得ることが出来るからだ。 数年以内に、アメロなどの新ドルに切り替え、実質的なデフォルトをしてくるだろうが、日本破綻は大きな岐路にたつ。 ・・・・・・・・ 2009年04月15日(水) 2932,筑紫哲也の残日録 文藝春秋の二月号の、筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。 2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。 癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。発見されるまでの潜在的なものを含めると、 全員が癌を持っており、全ての人が癌への道を歩いていることになる。 一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。 =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる= ・《07年10月20日》 福田康夫様 歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まっていくものです。それをあまり我慢するのもよくありません。 秘訣は、本当に怒らないことです。口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。 そんなものに自分がとらわれてたまるかと思えば腹は立たないでしょう。総理の仕事は、それより遥かに次元が違うでしょう。 ・《07年12月8日》 執行猶予 この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられたことになる。 それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということだ。私は何ほどのものか。何をしてきたか、何をしてこなかったのか。 己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。それに加えて、もう一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて 表現することは、通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、訓練次第、 あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができるだろう。だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、 自分に向かって自分を説明するのに、どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく部分、そこに自分の正体はぼんやりと、 または黒々と潜んでいるのではないか。「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」どちらにしても、言語を用いる以上、 他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。 ・《08年1月 日付なし》 泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは どちらでもない一日 せめて怒ってみるか ・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉 この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をしたことがあるんです。その時に言われたことは 『自分が駄目だと思ったときが余命の始まりです』という言葉。はっきりとした余命を伝えることは『ダメか』と 思わせることになるから、と家族で結論を出して、伝えることをしませんでした。 ・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙とエンピツを用意させ、 《THANKY YOU》 ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。 ・・・・・・・・ 2568, ドル覇権の崩壊 ー3 2008年04月15日(火) 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと疑問を呈する。私も以前から北朝鮮が国家として 作っているといわれる偽ドルと、アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、 その極めつけがプライムローンである。 まずは、その部分を書き写してみる。 ーー 第二章 世界はこうしてドルに騙された 非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造 ーP100 「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの格言が真実として通用するだろう。 今日では、ゴールド(金貨〉は通貨としてもはや使われていない。表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備貨幣とする 経済体制も存在しなくなっている。しかし、それでも今のアメリカの強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と 強制通用のみせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような信用力を有するものと、思いこみ、 深く信用しているからだ。また、そのように信用させることが大事であるから、そのように、上手に「ドル紙幣の生産と そのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという外見は今も不変である。 (以下字数の関係でカット2011年04月15日) ・・・・・・・・・・ 2007年04月15日(日) 2203, 自殺について ー2 (~Q~;) おはよう?? 経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。日本人のような生真面目な性格も世界で 1~2位の自殺率に要因なっている。それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。 フィンランドやデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)が 人の心を暗くして自殺が多いという話を聞く。そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。 ー自殺率の世界分布地図を見るとー ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、 ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなどユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、 ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。 *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、現在は断然世界一となっている。また、米国、英国、 カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。 ー日本の自殺率の高さと推移についてー 日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、 責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて、これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である。 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、 戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や1960年所得倍増計画に代表される 経済成長目標の国民的普及により自殺率は、15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。 あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増(前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて 失業者が急増し、自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、 一気に3万1千人台へと急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。 そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。 ▼ 時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。激変の中、生きていくことは大変である。 「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。 ーーーーー 2004/07/24 1208, 自殺 3万4427人 (以下字数の関係でカット2008年04月15日) ・・・・・・・・ 2006年04月15日(土) 1838, あちら側の世界 ー9 才八∋ウ_〆(∀`●) グーグルについて書いてきたが、先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。 簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。先ずは、その記事のコピーである。 ーー 産経新聞 2006年4月13日[木] ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも! =サービス基盤、OSからウェブに IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 = インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と 呼べるウィンドウズで台頭したマイクロソフト(MS)だが、同様の機能をインターネット上で利用できるようになったことから、 米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で無料ソフトを 開発するグーグルのビジネスモデルは、正反対。ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。 (字数制限の関係でカット09年4月15日) ・・・・・・・ 2005年04月15日(金) 1473, 指桑罵槐(しそうばかい) ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、教えてくれた言葉である。問題になっている中国のデモは明らかに 中国政府の政治的な意図が読み取れる。日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。 中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。 チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題でない。 15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく「文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。 2千?3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。 中国とは、そういう国である。いや共産主義か。現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。 都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。すでに17回も陳謝させているのに。 以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。 (以下、字数制限のためカット2010年4月15日) ・・・・・・・・・ 2004年04月15日(木) 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任 「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、 所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。 (以下字数の関係でカット2012年04月15日) ・・・・・・・・・・ 2003年04月15日(火) 741, デフレと対策 ?2 ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。 今の日本はデフレである。しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。それが修正過程に入っている だけである。戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で世界的な物価への平準化プロセスに入っている。 家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践を しているためだ。世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!それで恐慌になっても仕方がないことだ。 ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。 (字数の関係でカット2008年04月15日) ・・・・・・・・・ 2002年04月15日(月) 377,「知ったかぶりをするな」 「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。誰かに聞かせたい言葉でもある。 ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。 まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。どうにもならず、 公園で途方に暮れ泣き出してしまった。その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。その人は事情を聞いて「よし解った。 明日からここで英語の特訓をしよう。ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。 わからないことは正直にいえ」 それから公園で英会話の特訓が始まった。そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。 そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。 以上である。 この話の中に多くの教訓がある。 ・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。 ・その老人がかなりのレベルの人であった。 ・本当にそれが必要であった。 ・真剣なぶつかり合いになった。 実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 それもぎりぎりの。いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を 始めるのだから。しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。 真っ白から始められるからだ。
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2012年04月14日(土)
* スマトラ沖でM8・7クラスの大地震 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、 M8・7の大地震にしては大津波は発生しなかった。 地震学者は、「これは東日本大震災も震源地の隣接地域で10年、20年単位で 誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、注意が必要。」と、忠告している。 東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型地震の 可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに 原発が54もあれば、危険極まりない事態。 * ポタリングを再開 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。 6時過ぎから7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、午後の二時間のスポーツジムを加えると、 三時間も運動している。 平坦な習慣の組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。 電動アシスト自転車の使用目安を 5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう (ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマートフォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを 根こそぎ変え始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。 * チョッと騒ぎすぎでないのか? 打ち上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打ち上げ少し騒ぎすぎ。また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。 北朝鮮の存在で一番、都合が良いのは中国。 極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の属国、日本と韓国の国境の 緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。 更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、 呪縛にとらわれている。 その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切ることになる。 ・・・・・・・ 3671, 節目どきに ー6 2011年04月14日(木) * 都知事選の結果をみて 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、 当選する可能性があったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、この国ではありうること。 都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗をしたことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。 政治は言葉で方向性を常に発し導くことである。 石原を除いた他の候補は、論外も論外。 * 本州壊滅は本当だったのだろうか? この原発事故が発生した数日後に、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」と聞き及んでいた。 ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列をなして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。 (昨日に、営業再開のニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪レベル7に引き上げられた。 事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7ということを彼ら外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、 ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。 * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。 それも、リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元のリゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえてくる。 「過度の自粛を控えなさい」というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。だから、あまり費用のかからない スポーツジムが大流行になる。気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。その魚に不信感を持ってしまえば、 足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。 ・・・・・・・ 3306, 日本破綻 −1 2010年04月14日(水) ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」 藤巻 健史 (著) またまた恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安と分かりやすい。 現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙というのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。 津波がきたところで、今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 最悪の政党がやっと瓦解し、 溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れの社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。 それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は早まること必定。 まずはー 内容(amazn)から バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた 代償として「トリプル安」による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか? 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに背筋が凍りつく思いである。 *「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、それは違います。日本でも株価が4000円を割り、 円は200円まで暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、それは『市場』の自動調整機能を 封印し、「計画経済」「管理経済」政策を長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。 *2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで落ち込んでしまった。 この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。 その結果、33兆円の赤字を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。 ところが、2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。それは民主党がいっていた マニフェスト「子供手当て」とホボ同額。法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」として、 すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行して、更に金を借りようとしているから驚きである。 *ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル安が起こった結果としてハイパーインフレに なった結果としては、貨幣の価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん小さくなる。 国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策 と呼ぶ理由はここにあります。 ・・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、給料の低い経済弱者が酷いめにあう。 〜〜 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 問題は、これが何時、始るかである。 ・・・・・・・・ 2931,わが人生最良の瞬間 2009年04月14日(火) ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が寄稿していた。歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、 その人をつくりあげたことを、それぞれが心を込めて書いている。なるほど、このテーマで自分の思いを語ることは、 自分自身を語ることでもある。それぞれの人が、自分の思い入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。 その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」である。 【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。 何処をもって最高だったか?・・・と考えた瞬間にハッと閃きました。そうだ〈いまが最高なんだ〉と。ラテン語に「カルペ・デイム」 という言葉があります。「いまを楽しめ」という意味。BC1世紀のローマの風刺詩人のホラティウスの言葉です。 仏教では ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」です。 もし、いまが苦しみの内にあるなら、 わたしはその苦しみを味わって生きればよいのです。病気なら、その病人をしっかり生きればよいのです。病気でないわたし、 苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に 求めても存在してないのです。それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」になるのです。何か遺言みたいになったが。】 ▼ 以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼のこの言葉は当然のこと。私の「わが人生最良の瞬間」を、 考えてみたことが何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。しかし「わが人生最良の瞬間」という経験を 数多くしてきた。多くの感動の積み重ねが自分の中に沈殿し、それが磁力になって感動を求めて(引き寄せて)いったのだろう。 その度に感受性が強くなってしまったのだろう。秘境で大自然の神秘的な光景との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して 時空を超えて多くの人と出会い、それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画などに出会うなどの集積が、 多くの最良の瞬間を引き寄せてくれたのである。小さな自己満足でしかないが。 「 いま、ここ、自分 」を大事にしろ!ということ。 そして、その場をつくる積極的な準備もである。 「 ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ 」も、人生最良の瞬間になりえる。 ・・・・・・・ 2567, 閑話小題 2008年04月14日(月) *桜咲く *今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。 毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。 そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 *最近の身近な景気状況 (字数の関係でカット ー2012年04月14日) *その後のipod (字数の関係でカット ー2012年04月14日) *最後の叔父が亡くなる (字数の関係でカット ー2012年04月14日) ・・・・・・・・・ 2007年04月14日(土) 2202, 自殺について ー1 ?? <(_ _)> ?? おはようございます! 自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺である。考えてみれば、自殺ほど考えさせられる ことはない。「死」が哲学(考えること)の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。 歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、自殺に対して否定的になってきている。 状況がそう言わせていることもある。若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。 しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。 それは未来という時間があったからである。この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど 苦しかったのだろう。先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。数年前に韓国が一番になったようだが、 同じ位の数字である。検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、1990年代後半から異常に自殺率が跳ね上がり、 7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。 不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。 ーー 日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。 主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、に対し日本25.3人(平成16年)。 日本の自殺率を押し上げている最大の要因は「成人男性」の自殺だ。平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。 このうち、25歳〜44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。100人の死者のうち、なんど24人は自殺! この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。家のローン、教育費、親の介護の資金と、金はいくらあっても足りない。 生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。この年代を含む30代?50代男性の自殺の動機は、1位が経済・生活問題である。 女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の切れ目とは、何とも哀しい。 主な自殺のサインは、 (字数の関係でカット ー2008年04月14日) ・・・・・・・・ 2006年04月14日(金) 1837, ローマから日本が見える ー2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ー読書日記 読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。彼らは自分達のありのままの姿を直視し、 それを改善しようとする気概があった。この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。 それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。 そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 ーリーダーの本質についてー イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。 知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。 著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、 実行力、判断力、ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。「経営者の決断力」などが課題になること自体が 問題であると看破。決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて 当然のこと。 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの 生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。古くからローマの歴史を演繹することによって、 有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。 現代においてもローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にもなる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。 巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。 (以下は、字数制限のためカット2010年4月14日) ・・・・・・・ 2005年04月14日(木) 1472, カリスマについて 先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして 現代風にアレンジしたファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。 (字数の関係でカット09年04月14日) ーーー 「カリスマへの階段」 コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03) ・・・・・・・・・ 2004年04月14日(水) 1107, 大逆転ー2 昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、昨夜は7対1で負けていた 巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。たまたま逆転の場面からTVを見たので、一番面白いところを見ることができた。 そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。 最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。その時は寝てしまっていたが。 あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。昨夜の対戦相手が中日であるが、 今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。 長島元監督とは全く違うタイプである。阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、 出てくるだろう。過去に蓄積されたものがどの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。 ・・・・・・・・・・ 2003年04月14日(月) 740, 深夜特急 沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎバスから とった小説の題名である。 TVドラマにもなった。昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、 翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが先週に桜のピークは過ぎていた。しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。 ・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。 ・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野めぐりをして11時に集合して、オプションの食事 ・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。 ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。 印象順に書いてみると ・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。 ・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。 ・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。 最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、パックシステムに参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。 こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて帰りのバスに乗るいう方法もある。 43人の参加で添乗員がついていた。新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。 深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。 ・・・・・・・・・ 2002年04月14日(日) 376,新潟駅前界隈 新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。本当に商売の難しさを思い知らされる。 (字数制限のためカット2011年4月14日)
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2012年04月13日(金)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 昼と夜 ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より ≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 詩人は目を地に落としたまま答えた。 「私は両方を選ばねばなりません。私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは詩人ではないのだから。 あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」 詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 その私の気持を 見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。 どんな不幸であろうと、それが 言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」 その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。 詩人「こんな日は、ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的なところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。 だからぼくは人間の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ないんだから、それだけでもどこかわれわれに 親しいような感じがしますね。」 私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 私の問は半ば冗談だったのだが、 彼の顔は生真面目であった。 詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいるように見えている時でも、決して夜を あきらめてしまっているわけではありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を諦めているわけではないのです。」≫ ▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に 怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んでいる。谷川のいう言葉は、言霊である。 「不幸も言霊になった時、それも夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 夜半に目がさめ、 色いろ考えが吹き出てくる。 それはマイナスのことが多い。 詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。 ・・・・・・ 3670, 節目どきに ー5 2011年04月13日(水) * 娑婆には知らないことばかり 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、10時のオープンに50人位の行列。 「プール関連の新しいサービスが開始されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をしてもらっていたら早速、 小中学校時代の同級生に声をかけられた。「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。 家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、 別の新潟の友人は、二つのジムに入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない上に、主婦にとって癒しの場。 漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。平均年齢が女性の方が 5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、 そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の運動ジムと、 図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多くなった分、身体を動かさないと! ・・・・・・・ 3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2 2010年04月13日(火) ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。しかし前回のレポートからみて、投機、投資の世界は、 私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、国家が金を吸い上げようと思えば、朝飯前。 利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、金売りが殺到し暴落する。その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻す。 一般の国民は、一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど不可能である。アメリカの金融占領国の日本は、 そのコントロールから抜け出すことは出来ないのが現実。 近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。金は世界共通通貨である。 ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、ドル体制を守るために金の価格をコントロール下におくのは当然。 金が真実で、 ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、金の価格を可能な限り下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、 数十年かけて静かに買い集めたゴールドを、今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきたのである。ドルの下げは アメリカの対外債務が大きく減額される。あと1〜2年か遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。 と同時にデノミなどを世界中が一斉に実施するだろう。その前に金融シンジケートは何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、 売りだされた金などの現物商品を買いに入る。 だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、金は買い。 「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」 という、眉唾的な本を度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを得なくなる。 G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在しているはずである。今更何をいっているかだが! ・・・・・・・・ 2930,新潟清酒達人検定 2009年04月13日(月) 一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、銀と銅のランクの、銀に合格したという。 ・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。 ・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。 ・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は1〜22度まであるとかいう軽い内容が中心? (以下、字数の関係上カット2012年04月13日) ・・・・・・・・ 2566, ターニングポイント 2008年04月13日(日) ・世界のターニングポイントは ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。 ・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まった ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。 ー以上のことからー 「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95 ・阪神淡路大震災 ・オウム教事件の発生した10年間、 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。 これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅するなど、 考えられない事件であった。 日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。 20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。 デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。 ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。 それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。 幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県の エネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。 これは、どの事業も同じことだが。もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。 恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。 ・・・・・・・・・ 2007年04月13日(金) 2201, 新幹線乗り越し、6回目 (~Q~;) おはよう?? ファ? 一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、 その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉った。 またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。そして、無事Uターンした帰ってきた。 4年弱ぶりということになる。HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。 ーーー 2003/08/22 5回目の乗り過ごし (以下、字数の関係上カット2010年04月13日) ーーーーー 2002/02/10 新幹線の乗り越しー4回! (以下、字数の関係上カット2010年04月13日) ・・・・・・ 2006年04月13日(木) 1836, ローマから日本が見えるー1 b(’0’)d おっ (゚Д゚)w ハァよー ー 読書日記 この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国成立までを、 自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。 まずは、この本の概要をまとめてみる。 ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー 著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、ということは、自分自身に対する 幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、有史以後最大の帝国にまで 成長を遂げ、千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を 歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に 「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。あなたがここに入るまでのすべての日々を。」と、書かれていたという。 「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。 だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」 「ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。 また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。 ーローマ人の改革についてー 「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」 ーε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~ ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。 一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。 そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。 どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。 結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。したがって改革をやろうとすれば、 結局は力で突破するしかないということになる。カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた 元老院を潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。それは従来ローマ市民にしか与えられなかった 元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。 カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。 …(´Д`驚)…!! (字数制限のためカット 2011年4がウ13日) ・・・・・・・・ 2005年04月13日(水) 1471, 『冥途のお客』を読む 佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。 月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。読んでいて背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。 文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。 最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな現象に出くわした。 そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、 私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、 内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。違う感覚器官が、身についたという感覚である。 そのことを、佐藤愛子も書いている。耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。 それと同じことである。私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。どこどこで、全く知らない霊と 出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、 [あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋) に泊まった時の話である。夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。 「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ 人の鳴き声に聞こえる。それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、 人が死んでいた」という報告が入った。あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?理屈から考えれば 有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。 佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。 理屈に全く合わないのだから。ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。けっこう上手くまとめてある。 ーーー 著者自らの霊体験を告白 (以下、字数の関係上カット2008年04月13日) ・・・・・・・・ 2004年04月13日(火) 1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味 昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバック のように相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか 一方的の試合になってしまった。そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが 負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。映画の「ロッキー」を見ているよう。 ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。 9回2アウトからの大逆転のようなものである。最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に 負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた 選手の、劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。 白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。 それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。 ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。 ・・・・・・・・・・ 2003年04月13日(日) 739, 睡眠時無呼吸症候群 一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,息するのを忘れていたことに気がついた。 「エッ!」というのが、その時の印象だった。「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。 「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。ところが最近になって無呼吸症候群が問題に なって、初めてなるほどと感じた。それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も 無呼吸症候群だった!そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。 その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー 一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。 (以下、字数の関係上カット2010年04月13日) ・・・・・・・・・・ 2002年04月13日(土) 375, 「テーマ日記」を書き始めて一年 あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。 何処までやれるか自身との闘いで始めた。あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。 気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。あと1?2年つづけたら殆ど内面を、 いや底を尽くのではないか。その後で底から真水が出てくるのではないか。今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。 テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない自分が顕わになった。本気になって第三者を意識して書き出して、 プロの文筆家の能力に今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事と あまり違いはない。内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。 しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。 後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。 自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。
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4035, パチンコに日本人は20年で540兆円使った |
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2012年04月12日(木)
「パチンコに日本人は20年で540兆円使った」 (幻冬舎新書) 若宮 健 (著) 以前にも、同じ著者の本を取り上げ、パチンコが日本に大きなマイナスを与えている実態の驚いた。 先日、図書館で、その続刊の最新書を見つけ読んで、改めて、その被害?の大きさに驚いてしまった。 ー内容紹介ー ≪ あっという間に1万円が消えるパチンコに日本人は多くのカネと時間を奪われてきた。この既得権益を貪る人間、依存症に苦しむ人々。 20年で540兆円―日本人が「失われた20年」でパチンコに費やしたカネは、2011年の国家予算(92兆円)の約6倍、GDP(479兆円)を凌駕。 多くの人々の労働・消費意欲を奪い、また精神疾患であるパチンコ依存症者の数は450万を超える。ものの30分で1万円以上を失うパチンコが、 カネと人間性を奪ってきた。なぜ韓国にはできた「パチンコ全廃」が日本ではできないのか。依存症の実態とそれを誘発するメーカー、 蜜に群がる利権政治家、警察、マスコミの現状を徹底糾弾。 ◎ パチンコ業界の売り上げは、『レジャー白書2011』によると、2010年は19兆3800億円。これは日本独自の市場。 ギャンブル依存症は 世界保健機関も認める精神疾患近年は通常の病気と同様、健康保険の適用を受けられるようになった。否認の病気と言われ、嘘・借金 ・お金を盗む・うつ・失踪などが症状で、進行性の病気である。厚生労働省が2009年に行った研究調査の結果によると、 日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.4%がギャンブル依存症であるという。 2009年の成人人口から単純計算すると、男性は483万人、 女性は76万人で、合わせて559万人という驚くべき数。そのうち8割程度がパチンコ、パチスロによるものと言われる。 ◎ テレビ、映画で禁じられるサブリミナル効果がパチンコの特許に特許3029562の発明。大当たりの図柄を暗示銘柄にし、 遊戯者が認識できない短い時間、挿入している。潜在意識に働きかけ、遊戯を続行させる手段として用いているようだ。≫ ▼ 私の感覚では20年で540兆円、年平均27兆円も使ったとは信じられない額である。コンビニの総売り上げが8兆円。スーパーの 売上総額が20兆円。書籍の2011年総売り上げが1兆1千億というから、その20倍の売上高になる。それに対してパチンコの売上総額が 20〜30兆円。しかも愛好者が1600万人、中毒者が500万人。 数多あるコンビニの二倍以上の売上高? 信じられないので何度見直しても、 そうある。 事実としてみると、これは亡国の事態。韓国は、その社会的大きさに、国家として廃止してしまった。 しかし日本には、それを実行するだけの自己修正力は無くなっている。 ◆ パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2 2012/02/28 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの 売上げが占めている。子供を含めて一人あたり15万円にもなる。これは明らかに賭博であるが、どういう訳か廃止論が出て来ない。 この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。 チョットした 市の郊外には必ずパチンコ屋がある。 ギャンブルと見なされてない遊びの文化のようで何の規制もない。 受験が終わって、友人と 初めて行ったのがスロットマシーンとパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。 人がギャンブルに嵌りこむのは、大損しても、 稀に勝った快感の記憶が残り、その味を求めて繰り返す仕掛けがある。 業者の方は、勝った際の高揚感や恍惚感を高める工夫をする。 パチンコ店の音楽やパチンコの光と音などである。 そして勝つための技術が必要と錯覚させる仕掛けをつくる。 負けたのは、 勝つための技術料金と錯覚させる。 もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。スロットの場合、AAAが当たりの場合、ABAや、 AABが出ると、「当たり損ねた」と考える。 しかし、外れは外れでしかない。その辺の気持ちを逆用するようゲームは出来ている。 ギャンブル依存症の人は、脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に多くなっている。 それは麻薬中毒の似ている。 iPadを購入して以来、パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の星が三つでる。失敗すると、 グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出てくる。 それも、あと一歩のところで達成できないようになっている。 金を賭けている訳でもないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行けないほど熱中する。 難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。 私の周辺の人でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円が ピンとこないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。 韓国は、悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。 この不景気で、業界は壊滅的打撃を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。 ・・・・・・・ 3669, 節目どきに ー4 2011年04月12日(火) こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。私の人間関係は長年?の友人が多い。その節目どきに、 真かどうかが見えてくる。 具体的の話は、まあ・・止めておこう。立場が変われば、これまでの関係が変わるのは当然。 それを取り上げること自体がおかしい。その中で一番身近な家内が、このところ上機嫌である。立場が逆転するからである。 今後を考えただけで恐ろしい。早々に粗大ゴミにされてしまう恐れがある。彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、 プライド?の高い、底の浅い?修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。前向きな人生を生きていなかった? それぞれの人生が、境目から見えてくる。これは私の歪みの目。それでは御前は何じゃい! と言われると何も返す言葉がない。 年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 65歳なら、それも仕方がないか。 大体が人間の付き合いは立場における 力のバランスの上で成り立っている。その力が変化をすればバランスが崩れて当然と割り切ればよいのは分かっているが。 ところで昨夜、学生時代の友人が当時のクラブを代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。 (当人の会社の仕事が偶然あったこともあるが)有難いことである。 そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、 何の?先輩の実兄が先日、電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する?話しは幾らである。 いや、この数年間は、その宝の山だろう。 特に銀行筋の手順の中には・・・ それと、世間様レベルの人々の視線を、 そのまま書くことになるだろうが、面白そうだ。「家内が、先日、前の町内会長婦人とあったので、挨拶をしたら無視された」 レベルの話しである。こういうのを重ねて、ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、 こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の絶対言明!より深く本を読む節目の時節到来か。 ・・・・・・・ 3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1 2010年04月12日(月) あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」 というと、話しは違ってくる。 そのレポートの内容とは ・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が上がりそうになる度、 大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、 金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、 レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 真偽は如何だろう? ・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社の中の主要9社が 午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めているいうもの。 米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が 保有している総量より多いことである。 これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。 金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で 騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんなものかもしれない。 相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、 「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、3千円、 2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。 世界経済は、数人の男たちによって 動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、アメリカの政府の首脳とは別の! ・・・・・・・・ 2929,閑話小題 2009年04月12日(日) * 昨日は法事 去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。その叔父と連れ合い、 そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。 これから法事は少なくなる傾向のようだ。「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、 ごく内々で済ますようになった。坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。 * 国債>税収 09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で 初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。 世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、 その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、綻びが現れてきている。 * 宮城県が2011年にも財政破綻 これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状にあるという。 一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。 マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。 * 桜が満開に 新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、 それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。 地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・ ・・・・・・・ 2565, ドル覇権の崩壊 ー2 2008年04月12日(土) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ この本で面白いと思ったところといえば、 ・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、 ・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。 ・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、 (字数制限のためカット 2012年4月12日) ・・・・・・・・・ 2007年04月12日(木) 2200, 反時代的毒虫 ー1 才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。 *カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。 (字数制限のためカット 2010年4月12日) ーーーーーーー 2006年04月12日(水) 1835, 善意について \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。 善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、 一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。 環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党の族議員、ゼネコン、 官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。 日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。 「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、「連帯保証に、善意で判を押してしまった」 という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに 割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。 善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。 (ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。) ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。 ーー 2004/02/06 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2 以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識。 (字数制限のためカット 2012年4月12日) ・・・・・・・・・ 2005年04月12日(火) 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2 このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、 それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。知識・教養とはそれでもよいが、 やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。 反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、自分のノートや備忘録に落とし込むのとは おのずから違ってくる。まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。自分の気持を書き込む時には、自分の中の 第三者の目ー理性ーで、一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。1年、3年、10年経った 時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、 第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。いま一つ良かったことは 何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。いつの間にか、書くように 頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。 これも結果として大きな収穫であった。更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。 相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら 聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。 つづく ・・・・・・・・ 2004年04月12日(月) 1105, 「ありがとう」戦略ー2 ・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象の お陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。 ・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。 ・言葉の原則がある。 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。 注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。 ・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。 ー「明元素言葉」は 「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、 積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。 ー「暗病反言葉」は 「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」 これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。 ーつづく ・・・・・・ 2003年04月12日(土) 738, NTTの現状から時代の変化をみる 先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。 (字数制限のためカット 2011年4月12日) ・・・・・・・ 2002年04月12日(金) 374, 主観と客観(喜劇と悲劇) 以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。 たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」 後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。前者はその滑った本人の目で書いている、 これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。 何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。 「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。 特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。それだけ自立していないのと多神教のせいもある。 逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?あまり他人を笑わないほうがいい!そ の他人に対する同化になってる状態だ。考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。
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