堀井On-Line



4024, 事業生活39年の、独り語り ー7

2012年04月01日(日)

   11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。  ―まず、そのコピーからー
≪  [103] センチュリーベーカリー    ー昭和50年3月〜8月31日ー (2001/08/09)
 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、
 空きビルを埋めるべく何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。 
冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。 商社の東レの子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという
新聞記事をみて、ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起きて通う。
そして二カ月後にオープン! 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出る。
その時期に長岡の実家で問題が発生。 このタイミングを狙われたのである。 そこで第三者に経営委託をして急遽長岡へUターン。
恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われるほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると、‘開発型委託経営ビル’を
造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。 ≫
 ▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、
 養老の滝のオープン以来一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、空きテナント部分で
 新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、
 数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、
 など次々に任される。品種変われど、商品管理の本筋は同じ。だから居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握して全力で取り組めば、
 何でも可能ということを知っていた。 そのため実家の仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 
 何事も、表面が違っても、本質は同じである。
  ・・・・・・・
3658, 価値とは思い込み
2011年04月01日(金)

 価値観の価値は「思い込み」とすると、その意味がストレートに伝わってくる。
価値は意味に非常に近いと解釈をしていたが、「思い込み」とすると、より分かりやすい。

人間は、それぞれの思い込みの中で生きている。その思い込みは子供の頃からの周囲の刷り込みがベースになる。
その刷り込みから脱皮していく経験と知識の蓄積が教養になっていく。 大きな挫折をすると、思い込みが破壊される。 

創造と破壊は裏腹であるが、思い込み(価値観)の破壊も重要である。それが節目の切欠になる。
「互いの価値観が違う」というが、「互いの思い込み違う」ことでしかないのが分かる。

まずは自分が何を思い込んでいるかを知ることが、第一歩。 それも、思い込みになるかもしれない。

 価値、意味、思い込みを、絡めて一文をつくると
「価値、価値観と難しいそうにいうけど、そんなことは思い込みという意味でしかない」
・・・・・・・
2010年04月01日(木)
3293, 人みな骨になるならば ー9
  * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか
「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。
 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー
試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの現われである。あの広告塔も、
こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、
目の前にある山川草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚をわずかに持つことができる。
一番難しいのは、むしろ他の人間と通底しているという実感である。これは予想外のことだ。 人間は他の人間との差異に対して
最も敏感である。 もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や「同国民」と連帯しているような感覚を持つことができる。 
われわれはスローガンとしての連帯や仲間意識は大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした観念上のものではなく、
目の前の太ったオバちゃん、向こうからやってくるダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。
 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において自己と他の具体的な成員と
区別をするために発生したのではないかと疑わせる。人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を
通じて進化してきたと主張する学者が多い。 人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベルタイガーや
マンモス相手に開発されたものではない。 異性や仲間との付き合い上、是非とも必要だったのだろう。
自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の
社会生活を生き抜くために必要だったからだ。
 ▼ 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、これを読んで浮かんできた。
 人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団における自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、
 鋭い指摘である。 40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の分派達との
 争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が家庭・親族という事実と同じである。
 人間の遺伝子の性格は利己主義という。 それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、
 社会の有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と割り切るのではなく、
 エゴを野獣、いや野性と看做し、コントロールすることが教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺?
 ・・・・・・・・
2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1
2009年04月01日(水)
  新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、
 金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような
 出会いも発見もない。 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大な
コストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。それらは私たちの「仕事」の中にしかない。
  ー 思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。
 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。
 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 
 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。
 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで
 居酒屋通いをしてきたものとして、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も
 興奮が満ちていた。 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、
 その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。
 少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか?  新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。
 その一つが  ー効率化とゆとりー 
 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」
 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか?
  身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?
 ・・・・・・・・・
2554, 閑話小題
2008年04月01日(火)
 *予習と復習
 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが
多くなってくる。特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。
そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)
 * 客引き・スカウト行為が今日より禁止
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)
 *ガソリン値下げ
(字数制限のためカット 2012年4月01日)
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2007年04月01日(日)
2189, 「考える」とはどういうことか? 
   おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ    ー 読書日記    
「近代哲学再考」 竹田青嗣著
ー「ほんとう」とは何か 自由論ー
池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。
「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。
我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。
把握のプロセスから、すでに考えることになる。「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために,
いろいろな経験や知識を組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。
すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである」と定義している。
ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、
私の考える切り口でもある。池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。
ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい!
ーー
「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。
*「物語」を使わずに抽象概念を使用する。
*「原理」を提示する。
*つねに「一から」(根底)から再始発する。
ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、
どのようにして存在したか、人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、
といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。
 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。
ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。
「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、
 誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。
   ??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、というルールで行われる世界説明
  (人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、根本的で究極的な
  「真理」という考え方とは違ったものである。自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、
   という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。
   しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、
   さらにすでに成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、できるだけ深い前提に
   立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、という根本原理によって成立していることがわかる。
   哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、またそれをどう構成すれば、
   より普遍的な(=広い共通了解を生むような)説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な
   方法であり、自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。
  ??について、哲学の重要な点がある。
  (字数制限のためカット 2010年4月01日)
・・・・・・・・・
2006年04月01日(土)
1824, あちら側の世界 ー5   
ウェブ進化論ー5  ーオープンソース現象ー(2)
 ー「ウィキペディア」について
この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。まずは、この百科事典から調べてみた。

ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、公開されているオープンコンテント方式の多言語百科事典。
ウィキペディアはウィキメディア財団の展開する最初の多言語プロジェクトである。 執筆、編集は主に参加者の
共同作業によっておこなわれており、自由参加型である点にも特徴がある。
 (字数の関係でカット2008年4月1日)
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2005年04月01日(金)
 1459, 遠くにありて日本人 ー2
この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。スペイン在住の日本人画家であったが、その中で
印象的な場面があった。大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、あとは数日間、
その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)
ーーー
2004/12/13
 1350, 遠くにありて日本人 ー1
この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。
 (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2004年04月01日(木)
 1094, 『携帯電話不安症』症候群
先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。メールが来ないと、不安になってしまい
精神のバランスを失ってしまい、不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。
手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、
孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを崩してしまうという。
常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。
いま一つの特徴としては、'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。
それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。
さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、社会をファシズムに走らせる危険性もはらんでいる。
会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、
・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。 ・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。
・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇)   ・冷や汗が出る。
・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群)            ・動悸・息切れがする。
・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群)
  (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2003年04月01日(火) 727,  
「結婚スピーチ 」-読書日記
     ー死ぬまで忘れられない話 ー  
 この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、
色いろの逸話を集めたのだろう。考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。
夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。
 ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。
・ある人がアインシュタイン夫人に、「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」と訊いた。
 それに答えて「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」といった。
(感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、難しい質問をした。
 フォードいわく「それは解りませんが、それが解る人間はすぐ呼べますよ」の逸話を思い出した。
・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。
 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。ーグレタ・ガルボ
(感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている中年女タレント数人に小沢昭一が、
「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。
・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。
 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」(感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき
 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!といわれてしまった。
結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うように 互い努力することと聞いたことがある。
・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。
                           ーマーガレット・ミード
(感想)アメリカの地質学者の言葉だ。  やはり港があるから楽々遊べるのだ。
・結婚は鳥篭のようなものだ。外にいる鳥は、入りたがり、なかの鳥はいたずらに出ようともがく。 ーモンテーニュ
 (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。 そうもいかないか?! 
 夫婦生活は最後は 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。
         「結婚スピーチ 」ー死ぬまで忘れられない話  斉藤茂太著  
                文化創作出版 1996年出版
・・・・・・・・・・
2002年04月01日(月)  
363,人に好かれる方法         
 * 聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的感覚が身についてなかった。どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。
即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した? もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。特に聞き役は大変だ。そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を
考える事である。と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。誰か聞いて欲しいのである。また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」「今度は逆をやってみよう!」
ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。その時読んだ本が「教祖の話術」?赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。
行動科学のシュミレーションをしていたことになる。


4023, シングルイン、31年間の総括 ー5

2012年03月31日(土)

  * どこで間違えてしまったのか?
「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額のランキング分析を基に唱えたもの、とあった。
私の事業も、この説のとおり30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと次長は20歳半ばから後半。
30年後の現在、三人の平均年齢が60歳近くになっていた。 ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。 
 ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。 
◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に落ち込む予測が出来なかったのが大きな原因。
◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わってしまった。20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で
  東西の垣根が無くなり、グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。 その意味を捉えることが出来ず、
  思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。 
◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。
  それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、
  経済も社会も、スピードと変化が激しくなった。 それが資産デフレと物価デフレをもたらしていった。 
◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが変わっていった。 そのため、日本の地方の力を
  大きく削いでしまった。 それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になってしまった。
 ー 以上を、簡約すると、
* 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる重大性が理解できなかったこと。
* 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。
* 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。
   要するに、バブル崩壊と情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。
 30年前は新潟駅に新幹線がオープン。 新潟駅周辺は活気に溢れていた。しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も
 3行になっていった。 時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加させた。これが最大の間違い。
  間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが
 間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。
 ・・・・・・・
2011年03月31日(木)
3657, つれづれに
  私にも大きな試練と転機がきた。 65歳ということか。 毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。  
 本格的な恐慌へ一歩踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、 ・・・
  違う意味でのメルクマールになる! 偶然だが、去年同日の下の文章が身に沁みる。
 ・・・・・・・・・
2010年03月31日(水)
 3292, 人みな骨になるならば ー8
 * くぐり抜けた境地   (p−237)
 ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー  (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!)
 これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、期待するほどには親切ではないが、
危惧するほど冷酷ではないということだ。 もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に
慈悲深かったり、また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などないのだ。・・・・
 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの人生を積みあげることである。
それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯でしかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。
そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派に砂の城を積み上げたのに。
この事実だけは、何も否定できない。神であろうと宇宙であろうと。われわれの人生というものは、
ひとつのモニュメント≪記念碑≫である。 それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。 ・・・ 
 誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。われわれの人生は将来だれにも
顧みられることのない記念碑なのだ。歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント
でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑こそが、われわれ一人一人の生涯である。
無駄ならせめて輝く無駄でありたい。この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」という野次には
抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いていた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。
この「無駄である」という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜けきることが出来ない。
「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。
臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、これら総称したものである。・・・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、
実は何もないのである。 それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に戻るしかない。・・・
「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」
「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきることができない」 
「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、その先が実は何もないことを知り、
それが解放と感じる境地が全てである」と。 般若心経の色即是空、そのものではないか。
それを虚無主義とかいうベールで包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、
そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決してマイナスではないのである。 チロリか
 ・・・・・・・・
2009年03月31日(火)
 2917,日本人の8人に1人が鬱病!
現在日本人の8人に1人が鬱病という。女性と男性の割合は、女性2に対し男性1、の割合で女性の方が倍になる。
イタリヤ人は4人に1人の割合というから、陽気なイタリア人のイメージとは、かけ離れている。私自身は20歳代半ばまで
少しは欝的だったが、本質的には陽気。 欝は青年期は誰でも通る道。精神的な落ち込みは独りで乗り越えてきたが、
落ち込む余裕さえ無かったのが実情。20年ほど前になるが、取引先の営業の人が重い躁鬱になってしまった。
病院の塀の上から内側に落ちるかどうかの際どい場面が何度かあったが、何時の間にか、その病気の聞き役になっているうち、
コントロール役になってしまっていた。その人も数年前に亡くなったが、「原因」は、プライバシーに関わるから書けないが・・。
本人の口から欝の状態をこと細かく聞いたが、壮絶の一言である。 家中の家財をバットで叩き壊すなど・・・。 
自分では、コントロール不能とか云々。亡くなる数年前から、自分で危なくなると、医者に行って入院を10日ほど願い出て、
落ちつくと退院をしてきた。そうなると精神病ではなく、精神症というらしい。病と症の境は、周囲に迷惑をかけるかどうか。
精神も肉体も同じで、病である。医者と相談をして、発症したときは薬を飲んだり入院をして俗世界から一歩引けばよい。
そのことを本人が相談にくるといい続けていた。欝になる前には必ず異常な躁状態になる。そうすると周辺から電話がかかってきて、
「欝の発生の予告」が来る。 そして、何時ものパターンが始るのである。今回の調査の結果の「8人に1人が鬱病」には驚いたが、
周りをみると、そういえば・・。2〜3家族に一人になるから深刻。生真面目で、常に誰かに頼っていて、周りに気づかいをしすぎ、
自然の笑いの無い人。私は自分の弱さを知っているので、予防の知識を充分に積んだが、それでも最近の不況は心を暗くする。 
毎朝ウォーキングをし、仏壇前で5〜6分瞑想的な祈りをし、美味い酒でも飲んで憂さを晴らせば欝になりようがないと思いきや、
そうでもない。歳をとると何らかのカタチで欝的状態がついてまわる。そりゃそうだ。一つずつ病が加算され、身体は老いていき、
友達・親兄弟は亡くなっていけば、欝状態になるのが自然である。 この世界恐慌は「グローバル欝」を誘発する。
それを利用して戦争を起こし、チャラにしたのが、これまでの方法。 
これからは、無いとは言えないのが世界である。 突き詰めると、やはり戦争??
・・・・・・・・・
 2008年03月31日(月)
2553, ヒルティの幸福論       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
アランの幸福論といえば、次にヒルティの幸福論を取り上げなければなるまい。
幸福論といえば、この数年来、哲学に熱くなっているので、浅いというイメージがわいてしまう。
格言や、哲学書の中で、軽く考えるレベルと信じていた。しかし、突き詰めれば幸福感を求めているのかもしれない。
幸せな人より、不幸せな生き方の人の姿?から、その不幸論がシビアに見えるからである。
まあ、それはそれで・・・・ いや、無知が全ての原因ということが、あまりに哀れで!
自分の姿を合せ鏡で見えたのだろう。 所詮、人間は結末は不幸なのだから。カール・ヒルティは1833年生まれの法律家。
アランの「幸福論」はストア哲学的であるのに対してヒルティの「幸福論」はキリスト教的で、お堅い。
アランの幸福論ともに、幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、自分を離れた、外的な環境や社会に対しての関心や、
献身的行動にこそ幸福があるとしている。ヒルティの幸福術のポイントといえば、仕事こそ最高の幸福と思い、
良い習慣を身につけることだ第一 自分の意志で幸せになれる 人間を知ることになる。 
  ーそれぞれの印象的な部分を抜粋してみた。   
「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である。」「本当に大切なのは、なによりも習慣の問題である。 
 第一の主要な規則は、すなわち、われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、むしろ常に良い習慣を養うように
心掛けねばならぬということである。」   日)
・・・・・・・
2007年03月31日(土)
 2188, 宮城まり子 ー3         (~Q~;)  おはよう??
今日で日経新聞の「私の履歴書・宮城まり子」が終わった。深い世界を垣間見た思いである。純粋な動機こそ一番強いのだろうか?
彼女にとって、この生き方しかできなかったのだろう。障害者の一生を受けとめることは、生易しいものでない。
人生の全てをかけて受けとめているのだから、これこそ人生の格闘である。数日前の、この場面が彼女の性格と強さが出ている。
「私がやらなければならない!」という自負が、捨て身でコトに当たれるのだろう。
 ▼ ねむの木学園が始まったばかりで高校に進学する子はまだいませんでした。
「なぜ」「制度がないんだよ」私は躊躇いもなく東京に帰って、首相官邸に行きました。
1972年の9月16日。どんどん入っていって、「首相にお会いしたいんです」と言うと、2~3分もしないうちに、大きなしわがれ声が
して田中角栄さんが出てきました。「今日は、総理大臣にお知らせしたいことがあって参りました。両親のない子、貧しい子、
よくできるのにお金がない子が日本中の擁護施設にいます。大學にいくらなら自分で働いたらよいでしょう。
けれども働いても定時高校にいけない子もいます。その子が優秀なら高校にいけるようにしてください。面倒を見る職員のことも
少し考えてください。」「高校へ?」「はい」。総理はしばらく黙って私を見ておられましたが「やあ、ありがとう。
勉強になりました。すぐ返事ができなくて残念だが、待っていて下さい」と言われました。翌年1月17日に二階堂進官房長官から
連絡施設が入り、養護入所児童等で高校に進学できる能力を認めたものには国からの費用を交付する。直接処遇職員については
基本給に12~16?を加算するという制度に変わったことを教えていただきました。吉行淳之介さん、亡くなって13年たちますが、
ねむの木学園で格闘しているうちに、愛する淳之介さんの病気が、慢性の肝硬炎から肝硬変に進み、その原因がC型肝炎であることを
こっそり知らされました。  (字数制限の関係でカット 2012年3月31
・・・・・・・
2006年03月31日(金)
1823, 日暮里界隈 ー3         才八∋ウ_〆(∀`●) 
 飲み屋の話になると話は、止まらない!
日暮里の・谷中銀座の商店街が、何ともレトロの味がある。数十軒の商店が両側に並ぶが、空き店舗が一軒も見当たらない。 
昼間は観光客で溢れかえっているのだろう。魚屋、衣料品店、肉屋などパパ・ママストアには商品が満ちていた。夕方の閉店まぎわの
店の雰囲気が何ともいえない情緒がある。こういう風景に惹かれるのは地方の商店街では、もう失われてしまったからだ。
その通りから一歩はいった処に、情緒ある居酒屋が目に入った。前までいくと料金が書いてあったが、普通の居酒屋の倍近い。
次男も一緒なので、たまには良いだろうと入った。25坪ほどの店だが居酒屋にしては高級つくりである。変わっているのは、
店の中央に奥の料理場から人ひとりが商品を出せる空間のある10席位のカウンターがある。(吉野家のカウンターのような・・)
サラリーマン風の中年男性が4人飲んでいた。その入れ替わりに60歳代後半の品の良い旦那様風の人が入ってきた。
何かのキッカケで話を始めたが、上野周辺で『三河屋』という老舗の葬儀関係の商品を扱う旦那という。
 ( ・・)つ?{}@{}@{}-  やきとりどーぞー♪ 「新潟から来て、東京在住の息子と飲んでいる」というと、
自分の生活圏の文化ー趣味(常磐津・・)とか、町内の話などを面白おかしく話してくれた。
下町文化の話は聞いていても飽きない。二軒目に入った店なので、あまり注文しなかったためか高くは
なかった上に谷中ならではの雰囲気を充分味わえた。  旦_(。-_-。)いい仕事してますな?
ところでJRの日暮里駅駅周辺の居酒屋は、店構えは良いが殆んど外れである。
下町の為か、朝鮮系の店が多い。宿泊しているホテルに紹介された駅近くの居酒屋に行ったら、かん酒(前の客が残して
アルコールの抜けた酒)を出されたり、どう計算しても何割か高く後味の悪い思いをしたこともあった。
日暮里界隈というイメージとおりの危ないところもある。その危なそうなところが面白いのだが!バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
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2005年03月31日(木)
 1458, はだしの学者ー西江雅之
以前、図書館から借りた西江雅之の旅行記「花のある遠景」を読んで、常識をはるかに超えた生き方に驚いてしまった。
世界を乞食のように放浪して、その土地・土地の言語と文化の研究に従事、50ヵ国の言語を話す。
ハダシの学者といわれるように、目線が現地人になっている。そのためか、どこの地に行っても誰とでも友人になってしまう。
深い教養があってこそである。「砂漠で出会った人と、二人で手を取って歩きながら、どちらかが失敗したら死ぬであろうという
ギリギリの状況で二月、三月と一緒に過ごしたというような経験がたくさんある。別れたらもうその人と生涯会えない。
住所を聞こうにも、手紙を書こうにもその人は字が読めないし、書けない。 居所もわからない。そういう経験を何十回も重ねて・・・ 
そのときの思いは言葉では表現できない。いやしたくない」と、時には言葉を重ねないことの大切さを述べている。無理に言葉に
置き換えるという作業が、驚きを別のものにしてしまいがちになる。「外国の何とか村を紹介した本があって、
読むと面白かったりするでしょう。だけど本当は、その村が面白いんじゃなくて、書いた人が面白いんです。
  (字数制限の関係でカット 2012年3月31
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2003年03月31日(月)
726, 結婚式で思う
私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。 その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。
一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。
そのうち結婚式だけが、祝福されるているのが自覚できる。「人生は結婚式で道半ば」ともいう。
それで人生の大半が決定してしまうからだ。当たりか外れは神のみぞ知るである。
今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより「本人同士のお祝い、かつメルクマール」
という面が強くなってきている。以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。
若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。次は葬式である。本来葬式はお祝いであるべきだ。
その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。人生の卒業式である。悲しみであると同時に、
その人にとって大きい意味を持つ。参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。
その厳粛な雰囲気がなんともよい。その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。
人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。それぞれの社会的なものもあろうが、
今は生き残った人の体面の場になっている。葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではない。
最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。
その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。「死んでしまえばお終いよ!」と。
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2002年03月31日(日)
 362,ある思い出-慈善
中学の頃の話である。 隣にMという一家がいた。そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。
その家の裏に倉庫があった。そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。母親が肺病で、私のある姉に
あの家の近くに近寄らないように言われていた。カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。
カッチャンの父親は数年前亡くなり、母親とカッチャンとその姉と3人の家族。今考えるとカッチャン一家は、
その生活を維持するのに精一杯の筈だ。その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。
ところが彼女(母親)が癌で、なくなってしまった。神も仏もあるものかである。残されたカッチャンと姉さんは、
おじさんと同居する事になった。その肺病の母親もまた二年後亡くなった。そして娘は施設に引き取られていった。
その事を今から20年前に何かの拍子に思い出した。そのMという人の心に気がついた。どういう気持ちでその苦しい生活の中、
その人を面倒を見ていたのか。そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか?
人間の一番大事なことは何であるのか? それとは関係なく、現実は非情に動く。「愛は世界の中心である」という言葉がわかるが、
反面本当かとも疑問が湧く。人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。 少なくともカッチャンと姉さんには、
深く残っているのではなかろうか? それとその娘の心に!


4022, シングルイン、31年間の総括 ー4

2012年03月30日(金)

    * あの日から今日で会社の一周忌
  あの日から、今日で一年になる。17時を持って弁護士二人と女事務員二人と、私と役員二人が同席の中、
 「今日の17時を持って会社は消滅をしました。ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、
 31年間の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。 そして、3つの会社実印と通帳の全てを弁護士に引渡し、
 総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、
 全てがドラマのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。
 その後に退職手続きに入った。 修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の当たりに見て、
 「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが、
 進んでいった。 丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいるような日々。新潟駅周辺には、
 自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。
 「交通事故だけは気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が事故にあいます。」と、
 弁護士に何度も注意された。 実際にマスコミが騒ぎ出すのは、その一週間後になった。 弁護士が「直接原因は、東北大震災」と
 流したため、ニュースは全国レベル。 家に隠るのは精神上悪いので県外のホテルでも行っていようか、弁護士に相談すると、
 「ここで後ろ向きの行為は、なお良くない。家にいるべき」という。 これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント「バン記者」
 のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた
 会計事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、理解していないのでは」と、呆れたようにいう。 
 腹を据えてしまえば、後は冷静にコトに従うしかない。全力で、事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 それが活き活き
 楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。
 それが第三者には見えない。 長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵として強く残るもの。 死や人生と同じである。
  考えれば考えるほど、この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」
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30年前の3月31日を前にして
2011年03月30日(水)
  * 創業30周年の日を前にして ・・
 そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 当時の名前はベンクーガーホテル。
その一月前の2月28日にホテルの一角でデザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが話題をよんだ。平日はホテルに集中。
土日は学生服を販売する変わったホテルである。チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、
創業前に人材を集めるのが大変な時代。 当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。ホテルなど誰も経験者がいない中で、
右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。
私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。 
平均給与は数倍に上がっているに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15のリーマンショック。
そして、この大震災。その中で特に日本は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって
能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。
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3291, 人みな骨になるならば ー7
 2010年03月30日(火)
 * 健康法は一種の信仰である
 ー まずは、その一部を抜粋してみる ー
長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。
昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、
悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。
これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。
ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・
 ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には
やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法がいかなる意味があるか。 
・・・  むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、
健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。つまり健康法とは念仏とかわらないのである。 
たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは
精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、
念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、単なる好みの問題である。
・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」以上のものではない。
むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・ モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして
孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。
さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。
▼ 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。
しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。
私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、
今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。
「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。
実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、
癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。 
 ・・・・・・・・
2916,とんでもないことなんだよ!
 2009年03月30日(月)
 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。
食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。
ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず
「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを
出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、
湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。
(字数制限のためカット2012年3月30日)
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2552, アランの幸福論
 2008年03月30日(日)
「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
 この3つは世界の三大幸福論と言われている。 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。
 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、このコラムは
「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する1914年までにこうしたプロポを3078編、
 さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運や
 つまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。
「幸福であることは他人に対する義務である」「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、
 自分が幸福になることである」「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければ
 ならないのだ」「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、筋肉をのばししなやかにし、
 食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、
 上機嫌を第一位におくだろう」「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、
 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝物である。
 あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、
 新しい世界が生まれているのだ」「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」
「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」
「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」
「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」
「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」
「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫)
「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、
 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」
 ーーーー
 この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと
 受け止め方が違ってくる。幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。
   (字数制限のためカット2011年3月30日)
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2006年03月30日(木)
1822, あちら側の世界 ー4         (@°▽°@)ノオッハヨー
ウェブ進化論ー4  ーオープンソース現象ー
「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、これが大きな変革をもたらす要素になる。
  ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある)
     (字数の関係でカット2008年3月30日)        ホンジャ o(▽^*)ノ~~
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2005年03月30日(水)
 1457, 乱気流の恐怖
先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、
あの恐怖感は言語で言いあらわせない。(どうなるかは神のみぞ知る異常事態)スーッと50?位?飛行機が垂直に落ちる感じで、
体が上につきあがりそうになる。それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。
飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、飛行機に不調があるのではないかと疑いが
出たときは恐怖のどん底に落とされる。もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」をニュースで見て、
そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。
また映画でも墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。
飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。そのことに何もない時は気がつかないが、意識をした時にそのことに気がつく。
9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに突入したのだから乗客は恐怖のどん底であったはずだ。
以前にも書いたことがあったが飛行機で夢を見たことがあった。自分が空に浮き上がっていく。電信柱が下に見えてきて、
まずいと思っているうちに夢から醒めた。そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。
その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。
その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。
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2004年03月30日(火) 
1092, 大相撲・千秋楽
一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。大関・横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
(字数の関係でカット2008年3月30日) 
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2003年03月30日(日)
 725, 今日の結婚スピーチ
 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、
いやなことがないのを知っているから流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。結婚観をそのまま
話をするしかないと思ったが、そうはいかない。初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
 ーー
・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、彼女が陽気であることを紹介します。
 陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。「二つ良いことさてないものよ」という言葉が
 ありますが、この言葉を一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
 家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。 家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
 あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。 
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。これも仕方がありません。
 それでは如何したらよいか?「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。
 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。 まあこの程度にしておきます。
 ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば
 ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。
良い家庭を築いてください。それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。 斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。
・・・・・・・・・
2002年03月30日(土)
 361,イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、
ケニアと次々と、ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。 
私用の時も身から離さないようだ。あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。4000年の対立は致し方ないのだろう。
 ー 3年前の文章をコピーしておきます。
 ーH11/05  ーイスラエル聖なる旅ー
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に、
数えきれないほどのドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階でじっくり読むべきであった!旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。また新約は出会い=イエスの心との
出会いの書と言ってよかった。
 ー印象の強い順に列記してみるとー
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。イエスが十字架を背負って歩いた
悲しみの道=ヴィア・ドロロ?サ。磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、
神の声をきいたという“燃える柴”。そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
 (以下、字数の関係で中間カット09年3月29日)


4021, シングルイン、31年間の総括 ー3

2012年03月29日(木)

  * 計画倒産というが
 何人かの知人に、「計画倒産?」と揶揄された。目先の資金ショートで倒産したのではないので、言われて当然である。
売上が10年で三分の一に減少、東北大震災で四分の一が予測されれば、99%行きずまりは見えている。
それを前提に続けるべきかを考えれば、見切り千両の決断は当然のこと。  そこで計画倒産について考えてみる。 
何度か、ここで書いたが、私の理解している意味は、「手形決済をしている会社が倒産をする場合、仕入れ商品を増やし、
現金にして私用にまわし倒産すること」と、思っていた。 そこで弁護士に、「計画倒産って何ですか?」と聞くと、
≪ 計画倒産と、計画的倒産は別物。 普通、倒産は資金繰りがつかなくなり資金ショートをして倒産する場合をいう。 
 しかし同じ倒産でも、事前に継続不能と察知したら、最小の混乱で済むように手はずを踏むのを「計画的倒産」という。
 計画倒産と、計画的倒産は全く違う。詳しくない人は、それを混合し、噂のネタにする・・
 計画倒産か計画的倒産かより、「良い倒産」と、「悪い倒産」の分類を私はしています。≫ との答え。
高利貸しなど、街の金融が入り、家族・親戚に連帯保証の受け判を押させて、最後が自殺か夜逃げが、倒産に付きもの。
幼児の頃から、何時も夜逃げ話を聞いていた。それだけ商売の恐ろしさは知っていた。そして、身近の倒産をつぶさにみていた。
それもあり、「万一の場合、危機管理用の準備資金を用意し、運転資金に食い込んだ時点で、会社整理を考える」と決めていた。
それが去年の1月末に一時的に使いざるを得なくなった。 二年続けて3割減少していた売上が、三年目に入っても、
とどまることなく続いた結果である。そこで、色いろのシュミレーションをしたところ、半年から一年内の資金ショートが明白。
 会計事務所の担当に相談すると、「事務所の三割の会社が今日明日の資金繰りに駆け回っているのが実態。下から、4割レベル」
という。しかし、取引先の月末の支払いをし、退職金を、あるレベルまで払えるのは、今しかない、とシュミレーションの数値は
示している。 7月には地デジ化のための客室テレビの入れ替えが予定されており、その上、ボイラーの入れ替え予定がある。
両方ともリース会社の受諾を受けていたが、事業継続が果たして正しい判断かどうかの正念場。 その矢先に、東北大震災。
30年の現事業経験からして、更に2〜3割の売上減が予測。 春恒例の催事が、ほとんど中止、宿泊のキャンセルが続いた。 
その時に浮かんだのは、「一瞬早い決断は、打撃は半分で済むが、一瞬の遅れは2倍になる。ここの躊躇は、差し引き4倍の打撃。」
そして、閉鎖の二週間前に決断をした。これを計画倒産の範疇といえば、答えようがない。明日で丸一年になる。これも事業の一環。
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地震 ーつれづれに ー14 
2011年03月29日(月)
 * 自主的退避の言葉の持つ意味とは?
 「自主的退避」と、福島原発事故で30キロ圏の住民に対して退避を勧めている。この言葉の持つ意味を考えると、
「本来は退避勧告をしたいが、その前に自主的に退避できる人は、早めに退避してください」「それぞれの事情に応じて
自分で退避してください」 ということだろう。 当初より政府の発表は常にパニックを起こさないように情報を流しているが、
それも重要のことである。 ところで、この原発事故で何で電力不足になるのだろか? それは関西と東京の周波数が違う為、
関西電力から東京電力へ電気送ることは出来ない、この国の解決できない大問題がある。違っていた方が一部業者の利益に
なるためである。それが、この電力不足の最大原因とマスコミは問題にしない。マスコミは、広告費を電器メーカーなどから
得ているため、これを問題にできない側面がある。UC圏の周波数でさえ、統一してあるのに、単一国家の日本が、この有様である。
 * 全国チェーンと地元チェーンの力の差
 家内が、3・11災害以降、「ヨーカ堂が凄い凄い」が口癖になっている。近くに、スーパー原信があるが、
そこの多くの欠品が、ヨーカ堂には揃っているという。先日も東京に住んでいる息子にトイレットペーパーを
送ったが、原信との商品力が違う上に、送料が格段に安いという。こういう時に、会社の総合力が商品力に
出てくるのである。特に全国チェーンは、災害時こそ自分たちの全国区の強さを発揮して、信用を高めるチャンスと、
平時より災害時対策をしている。 原信は郊外型SC内に店舗があるため駐車をしやすいこともあるが。
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3290, ツイッター が詰まらない?
2010年03月29日(月)
 ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。
《 おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、今加筆しております。書きかけのメール完成させて、送信します。
 ツイッターのことですが、私、どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。と言うのは、
 ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無いように感じております。つまらないのです。
 貴方みたいな、「ツイ友?」でも出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている者はいません。
 良い方法があれば教えて下さい。》  以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 
 ―何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。
・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに見ていると面白くなっている。
・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローからネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。。
・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。 面白くなるまで、粘るしかない。(絶対に面白いから)
  ー以下は知人へのメールの返事。
 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。 実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽に
フォロー先の人に話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に「美味しそうですね」とか、
発信すると返事が返ってきます。 もっとも、この二人と貴方だけですが。
以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの文を随想日記に去年8月に書きましたが、
その人もツイッターを開始しました。 私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに
仙台の同年代といえば、彼ではないかと思っています。 しかし、ツイッター上で話していません。
   (字数の関係でカット2012年03月29日)
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2915,昔、地方と東京に6種類の金持ちが居たそうな
2009年03月29日(日)
日本には戦後、地方に6種類の金持ちがいたという。そして、現在彼等の多くが消え去ろうとしている。
・山林家     ー>輸入材、人件費の高騰で資産価値の激減
・酒造業者     ー>清酒離れで、戦後4000から1700に
・商店街の老舗旦那  ー>郊外化で、ほぼ消滅
・地場の建設業者   ー>公共事業が激減、談合の締め付け
・医師         ー> ??
・地場産業のオーナー経営者 ー>中国、東南アジアからの格安な輸入品の流入
高校の同級生の親の何割かが、この中に入る。 そして現在も似たようことを続けている。この数年で、その多くが死ぬか没落を始めた。 
私は商店街の老舗?商店主の??息子。(自覚しているので御勘弁を!) 誰も彼も、彼らの息子なら、同じ?? 
いや、御立派なのもいる?(自分だけはマトモと思っているようだ)これに大農家で再開発などで買収された家も入るが、これだけは安泰?。
この30年、地方は没落の流れであったが、首都圏と東海産業ベルトラインは世界に向けての輸出を基盤として、日本を引っ張ってきた。 
ところがである、そこが壊始めたというから絶望的と言わざるを得ない。「昔、東京には6種類の金持ちが居たそうな」と言われる日が
来つつある。 ・政治ゴロ、・官僚ゴロ、・土地成金ゴロ、・情報屋ゴロ・?・?
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2008年03月29日(土)
ー読書日記ー ディズニーの言葉
一言一言が胸に響く言葉ばかりである。原点を大事にしている創業者の理念が、ディズニーランドに、そのままあふれている。
一匹のネズミ(ミッキーマウス)がチャップリンが原型と始めて知った。あの大きな靴、そして上着はチャップリンの姿である。
なるほど、それならわかる! 自分の好きなことを人生を通して追求してきたディズニーの言葉だから、言葉の中に魂が入っている。 
・なかでも一番大切なのが“自信”、自分を信じるということだ。
 ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくことだ。
・幸福とは心の状態を言う。 物事をどう見るかだ。
 幸福とは満足することだと思っているが、これは金持ちであることを意味してはいない。
・男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない。
・本を適切なタイミングで読む、ということはとても大切である。
・好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。
・ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は 遊び心と 好奇心だ。 遊び心とは、笑うことを愛する、
 というアピールをする気持ち。好奇心とは、常に人間の心にあって想像力によって刺激されて生まれたものだ。
・夢を実現させる秘訣を知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにもしんじられない。
 私が思うに、その秘中の秘は 4つの“C”で要約される。
 好奇心(Curiosity)、自信(Confidence)、勇気(Courage)、不変性(Constancy)だ。
・すべての芸術家は何よりも先にまず喜びを与える人である。
 他人を楽しませることが好きな人は、やはり同じように自分自身の喜びと満足を得ているのである。
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2007年03月29日(木) 2186,
「勝負脳」の鍛え方               才八∋ウ_〆(∀`●)サン
図書館から月刊現代の新年号を借りてきたら、第四の知能「勝負脳」の鍛え方ーというレポートがあった。
数日前にフィギア・スケートで安藤美姫が逆転で優勝をしたばかりであった。
トリノのオリンピックで惨敗、他の試合でも、ここ一番の大勝負に勝てなかった。
勝負を決めるのは鍛錬だけでなく、色いろな運や脳力が必要ではないかと、実感していた。
ーまず、このレポートの概要をまとめてみるー
「頭が良い」とは、どんな脳を指して言うのかというと、
・記憶する能力  ・イメージをつくる能力
・覚えたことをパフォーマンスする能力(多重能力)という。
 要約すると、「ものを覚え、それでも脳が忘れてしまうために、覚えた情報を一度脳内で再編集し、
 その内容を表現するという流れを鍛えることで、頭をよくすることが大事である」ということになる。
この3つの能力を活用できる人が、勝負事で勝てるかというと、必ずしもそうはいかない。
スポーツの試合や受験、ビジネスといった実戦で勝つには「頭が良い」だけではダメ。
レポーターの提唱する脳の第四番目の知能は独創性や創造力を生み出す能力が勝負の鍵を握っている。
この能力を勝負脳となずけている。端的に言えば、勝負に勝つための独創性のある戦略を練る知能である。
アメリカのマックスウェル・マルツがサイバネティックスという成功の理論を提唱した。
それは、目的を明確にし、それを目的が達成するまで忘れない、というものです。
そんなことは、当たり前と思うかもしれないが、それがナカナカできない。
勝負脳を鍛える第一のポイントは、「目的と目標を区別すること」が挙げられる。
・目的は勝つことであり、目標はどのように勝利するかです。
・そして勝負脳を使って勝つには、目的よりも目標に集中することが大切なのです。
目標も目的も同じようなものだと思うが、それが違うのである。
両者の違いを説明するのに、フィギアスケートの荒川静香選手の例で考えてみると・・
06年のトリノでオリンピックの金を取ったあと、こんなコメントを挙げていた。
「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点方法に対応するために、演技ごとに自分の欠点を明らかにして、
一つ一つをいかに完璧にこなすかに集中していました。一位になれたことにビックリしました。」
彼女はトリノから採点方法が変わったことを理解していた。その意義を理解し、一つ一つの技をいかに素晴らしく
見せるかに集中したのです。スポーツだけでなく、ビジネスでも簡単に成功する人と努力をしても成功しない人がいます。
 (字数の関係でカット2012年03月29日)
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2006年03月29日(水)
1821, あちら側の世界 ?3  ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ              
 ウェブ進化論ー3   ーロングテールとはー
この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。
ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。
一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を使って販売しているのではとしか思えない。
ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、直接送ってきているのでは?また、一度買った本ー中古本は
ロングテールの部類ともいえる。しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか?世の中、音をたてて変化している!
 ーネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何かロングテール(Long Tail:長い尾)とは? この言葉は最近少しずつ
米国で使われるようになった。ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。 一年間にどんな本がどれだけ
売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。縦軸に売れた部数を取り、横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、
第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、第三位『バカの壁』……と売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。
横軸には「一冊あたり五ミリ」、縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、本の売れ方の全体像はどんな形状になるか?
(字数の関係でカット2008年03月29日)
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 2005年03月29日(火) 
1456, 生命保険に入る馬鹿、入らない馬鹿
私は生命保険には入らない主義である。「馬鹿馬鹿しい!何で自分が死んで保険金が?それ位なら、その保険金を相手に
直接やるか貯金すれば良い。保険屋は確率の問題で、奇麗事をいってピンハネしているはずだ。」というのが私の理屈である。
もう一つは、「先のことはわからない、だから心配したって仕方がない。最悪の事態になったとして、それがどうした?!」
という考え方が基本にある。保険に入る人は「先のことはわからない、だから心配だ」という考え方なのだろう。
「だから心配だ」と「だからどうした」の分岐点で考え方が変わってくる。それぞれの人は色いろな立場と事情があるので、
私の場合の話と断っておくが。平均寿命80歳が、生死の五分五分のラインである。それ以上生きた場合、生命保険金は支払われない
ものが多い。この辺に保険屋のマジックがある。その事実を知らない人が意外と多い。(母もそうだったが、この事実を知らないで
80歳まで保険に加入していた)80歳以前に死んだ場合に、残された家族の生活には有効であるから保険に入るのだ。
しかし保険屋というものは、不安事業でしかない。その不安をくすぐって加入させる保険のオバちゃんがいるのだろう。
したがって、詐欺的要素が出てくるのだ。壮年で亡くなった場合に、家のローンや子供の教育費が負担に対するヘッジとして
必要だろうが。といって博打であることも確かである。保険屋の立場からみれば、あくまで博打の胴元でしかない。
無知な大衆から利益を得るのが目的である。相互補助団体といえば、何処かの宗教団体と同じだが、不安解消ビジネスで
あることも同じである。箪笥預金も同じだろう、将来が不安と、生活を切り詰めて貯金をして死んでいく。
お笑いであるが、本人にとって不安なのだろうが。不安感に対して、「それがどうした!」「で、どうした!」
「何とかなるわい!」「大丈夫大丈夫!」と自省してみれば、その金を楽しみに向けたほうが良いのがわかるはずなのだが。 
無知の一番気の毒なカタチである。最後は生活保護を受けられるから何とかなるし、死んでしまえば一円もかからない。
自分は死なないと思っているから貯め込みたくなるのだろうが。「大金を残して死んだ孤独な老人」というのが一番滑稽である。
金の本質を考えれば哀れな生き方ということは自明である。使い切れないほど使って、大金が残っている人もいるから一概に言えない。
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2004年03月29日(月)
 1091, 公示価格は時代反映の象徴
少し日が経ったが先日、全国の公示地価が発表された。都心の一部が下げ止まり感とあったが地方は下落率が拡大していた。
1991年に比べて平均して、商業地で67.6?、住宅地で43.2?下がった。土地と株価は連動するというから、あと10?20?は
下がってよいことになる。この一年で地方の6大都市などの中核都市以外は、商業地は10パーセント以上の落ち込みである。
  (字数の関係でカット2012年03月29日)
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2003年03月29日(土)
724, プロ野球開幕
 昨夜からプロ野球が開幕した。他に面白いプロスポーツやアメリカの大リーグ中継をNHKが衛星TVで開始した
ために,以前ほどの興味がなくなったが、それでも始まれば別である。ON時代に育った為に、どうしても巨人中心になるが、
それでもよい。NHKも衛星TVで民放の巨人戦にぶつけて、録画をゴールデンタイムにぶつけてきている。
見るほうも同時に2画面で見るから、その差がシビアに見えてくる。 今の巨人のトレードはやりすぎという感がする。
その豊富な戦力の巨人を長嶋の支離滅裂の采配で壊していくのが何とも面白かった。
しかし去年それが無くなった原監督巨人は、当然優勝をした。今年も原監督に気の緩みがない限り優勝するだろう。
(字数の関係でカット2010年03月29日)
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2002年03月29日(金)
 360,末っ子相続
世界の何処の社会でも長男相続である。それが当然と思っていたら、末っ子相続の社会があった。
世界は広いそしていろいろあるものだ。北欧のバイキング社会がそうだった。成人をすると、
男は船に乗り外の社会に出て行く。最後に残った男か娘が両親の面倒を見るという。その代わり、家督を相続する
シキタリという。彼等にとっての海は夢を実現する世界。長男から成人になると、さっさと出て行くのが慣わしという。
それが永年の試行錯誤の中で、ベストのシステムになったのだろう。広い自然資源があるから、そういうシステムに
なったのだろう。力が付いたら広い世界へ旅立つ、大きい自然環境があった為。バイキングといえば、海賊だ。
40?50人乗りの海賊船を数十隻を連ねて、村や街を襲ったという。日本などの農業社会では、すぐにでも男手が必要であり、
外にはそれほどの資源が無かった。昔から長男以外は都会などに丁稚奉公や女中に出された。継ぐべき田畑があったが、
一家が生活出来るぎりぎりだった。北欧の場合、せいぜい家と舟ぐらいだったから、長男などは魅力も引き継ぐ仕事も
無かったのだろう。しかし海や海の向こうに、無限の自然のめぐみと夢があった。
バイキング社会は10世紀から200年ほどしか続かなかった。


4020, 事業生活39年の、独り語り ー6

2012年03月28日(水)

   初めての千城台ビルの建設中に石油ショックが起きてしまった。そのビル前の数百世帯の建設予定だったマンション建設が急遽、
 中止になってしまった。 その世帯群を当てにしていたため、テナントの問い合わせはゼロ。 完成した時には、最悪低迷の状態。 
 この時、つくづく時代の激変の恐ろしさを痛感した。その最悪の出発の中で、テナントとして商売を当て、ビルそのものを
 活性化しなければならない。 父親の死の問題もあって、この時は必勝が絶対条件の土壇場であった。衣料スーパーは立地的にみて
 商圏が狭すぎ現実的でない。考え抜いたのが当時、破竹の勢いで店舗展開していた養老の滝のFC。その暖簾なら確実に客を確実に
 呼び寄せると直感。 そして、ビルの完成と同時に養老の滝のオープン。 その1ヶ月後の結婚と、慌しい日々が続いていった。
 連日、朝の7時から23時までの激務である。
≪  ー 養老の瀧1122号店、店長の日々 ー H・0907
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりだったが、自分がその立場に立ってみて、その認識の甘さを思い知った。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”“養老の瀧オ−プン”“結婚”という人生の初体験を同時に始めた。 
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!しかし、全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの
3人の激しい日々であった。“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、
“24時間(休んでいても仕事のうち)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこし大部分が失敗するのは前者より
脱皮できない為である。 大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが..その厳しさが全く違う。はじめの
数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!
という前提があった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、いつの間にか辛さが
辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。 ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。そこで自分で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の
本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない事件が月に一度はおきた。恐怖の中で
1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ
腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うち合せをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。フランチャイズのシステムは今でも
素晴らしいものであった。標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点、
このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。 創業は辛い!  1973.11.07〜   ≫
 ▼ 計画も、それが完成をした時に、時代が全く変わってしまう経験を創業の出だしに経験することになった。現在からみると、
  良い経験だが、実際に窮地に立つと、思わぬ力と知恵が湧いてくるもの。必死に問題の中心にエネルギーを集中していると、
  思わぬところからチャンスが転がり込んでくるもの。
・・・・・・
3290, 地震 ーつれづれに  ー13
2010年03月28日(日)
  * メルトダウンが始った?
 2号機の付属建物で高濃度の放射能が検出された。濃度が《1000万倍》。メルトダウンが急速に進んでいるのか? 爆発が起こる
可能性があるのか?。急に政府が副首都を大阪といい始めたのは何故?等々、疑問が出てきたが、どうなるのだろう? 大使館が大阪や
京都に移動したり、外国人が大挙して帰国していったのは、正しい情報を持っていたため?知らぬが仏の仏様は日本人の茹で蛙だけか! 
  * 関東大震災
 今だ現在進行中の世界的にみても最大規模の大震災の真っ只中に日本はいる。この津波により破壊された原発事故も、
現在も予断を許さない事態。最悪のシナリオとして日本壊滅の事態もありえるのか。現在は「東北、北関東の壊滅」レベルだが、
これが「東北・関東壊滅」だけでなく、「日本壊滅」もありえる。実際のところ水の汚染が進んだら本州壊滅が現実的になる。 
千年に一度の国家的危機の大震災に発展するのか。  ところで百年来の大震災といえば、まず思い浮かぶのが関東大震災である。
  ー そこで、ネットで関東大震災を調べてみたー
【 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として
発生したマグニチュード7.9、海溝型の大地震(関東地震)による災害である。死者・行方不明者 14万2800人 
 地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。それが大惨事につながった。】
 死体が山のようにつみ上げられいる画像をみたことがある。この時「朝鮮人が日本人を襲撃している」という風評が飛び交い、
 数千人のの朝鮮人が殺害された。東北関東大震災からみるとマグニチュードは遥かに小さいが、火災が人的被害を大きくした。  
 この東北関東大地震は人口密度の低い東北ということもあり死者は関東大震災に比べれば少ない。 
 しかし大津波と原発事故で本州壊滅の危機に立たされてしまった。 まったく恐ろしい限りである。   
 ・・・・・・・
3289, 「離婚確率」が30% !
2010年03月28日(日)
「離婚確率」が30%になったと新聞で報じていた。40年前の4・5倍という。
  まずは、ー先日の新聞記事によるとー
≪ 結婚した人が離婚する確率が約3割に上ることが25日、厚生労働省の統計で分かった。
最低だった40年前と比べ約4・5倍に増えている。離婚件数は平成14年をピークに6年連続で減少傾向にあるが、
離婚する確率は上昇し続けている。・・・・平成17年に結婚した人と離婚した人の割合は1対0・3だった。
この割合が今後も変わらないと仮定すると、結婚した人の約30%が離婚することになる。
同様の計算を過去にさかのぼると、昭和40年に離婚した人の割合は約7%で、以降、上昇が続いている。≫とある。
 7〜8年前に、25パーから30パーセントになったと聞いたような気がするが・・・
離婚経験者が何気なくいう本音に、心の傷を感じるとることがある。「自分には、勿体ないほどの人だった」と、
同時期に二人から聞いたことがある。 新たに若い連れ添いができ、幸せそうな人の何気ない言葉に心の闇が覗く。
家庭内離婚も含めると、半数以上は破綻しているというが・・・ 我慢・我慢、そして我慢か、それとも三割?
女性の方も、その傷は浅くはない。 女性の場合は世間知らずで、亭主がバカに見えて、愛想を尽かすのだろうが、
それでは己はというと、自分がまるで見えてない。 母子家庭の半数以上が、年収200万以下の貧困層
という現実が待っている。亭主をバカにするのが世間一般のようだが、生理的に相性が悪いのは致し方ない。
「結婚生活は煩わしいが、さりとて、独りでは殺伐すぎる」というところだが、相性の悪いのは如何にもならない。
5年ほど前にTVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映、ここでも取り上げた。
一方的に出て行った嫁さんが理想的な転進をした内容だが、あれは罪作りである。殆どが、究極の苦しみを味あう。
 昼間笑って、布団で泣いて? いや、反対もあるか? 他の相手を見つけておいたり、準備金をつくったり、
憎しみは何をしでかすか分からない。 それが夫婦というものか? オカメと般若は紙一重?
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2914,新潟駅再開発事業が4年目に入る
2009年03月28日(土)
 来週になると新年度だが、「新潟駅再開発事業」が4年目に入る。H18年度~H27年度の10年計画が駅と線路の高架と、
駅裏広場と、前期の道路整備、H28年度~H37年度の10年間は駅前広場と、の後期の道路整備になる。
(字数の関係でカット2012年03月28日)
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2550, 閑話小題  
2008年03月28日(金)
  * 盃の中に蛇がいる!
 何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、
その蛇に噛み付かれたものである。酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。
大蛇だけではなく、内臓まで食い散らしている。「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人のバレリーの言葉にあるが、
黙っている敵こそ、恐ろしい。汝の名は酒!ということか?
  * 偏見のかたまり
「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」(ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)これは地域の問題だけでなく、
自分の職業、固定観念、学問から一歩も出てない人に対していえる問題である。 地方にいると、それをつくづく感じることがある。
人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよい。だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。
それと、あらゆる分野の本を読み続けていないと、偏見の穴の中に入り込んでしまう。
  * 世逃げのすすめ(ひろさちや著)
(字数の関係でカット2012年03月28日)
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2007年03月28日(水)
2185, 政令指定都市とは?       おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
新潟市が4月1日より浜松市と政令指定都市に指定される。
といって、それについて殆ど知られてないのが実情。そこで、政令指定都市について調べてみた。
≪ 政令指定都市とは、“○○区” などの行政区が置かれたり、県に代わって道路の管理をしたり、
県を通さずに国に対して予算の陳情が出来るなど「都道府県と同格」の扱いを受ける都市である。
名前は市でも実態は県に近いものである。地方自治体には大きく「都道府県」と「市町村」
と二種類があり、市町村は水道やゴミ、住民票の手続きなど主に日々の生活に密着した行政を担い、
都道府県は、都市計画づくりや警察など、より広い行政を担当している。
法律上は人口は「50万」が指定の要件だが、運用上は「100万(または現在80万以上で、将来100万になる見込み)」
を基準として指定が行われてきた。現在は政府の市町村合併支援の一環として、合併を経ることを条件に
この人口基準が「70万」に引き下げられている。静岡市や堺市はこの優遇措置による指定である。
政令指定都市は1956年に5市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)で始まり、歴史があるだけに、
一種のブランドになっている。そもそもこの制度は、通常の市に大都市の特例を重ねたものにすぎず、
大都市制度としてキチンと設計されたものではない。市町村の合併促進の材料に使われたことも否めない。
県の仕事の都市計画つくりを、市としての視点で計画が作れる利点が出てくるので、市としての独自性や
一体感のある都市づくりもできる。仕事と共に財政も移行するので、お互いの駆け引きなどいらない
責任の押し付け合いはなくなる。その象徴として、新潟駅高架再開発事業は 県から市へ移行された。≫
 ▼ 政令指定都市というブランドにしては、新潟のブランド・イメージはあまりに低い。角栄と真紀子、それと拉致事件の現場が
浮かぶ位である。この一年あまり、新潟を活性化するには如何したらよいのか?脳を絞って考えてみた。 そして出た結論は、
「日本海拠点都市を目指すべき!」が結論であった。それも20年前から地道に、それをすべきであった。東京駅周辺が日本の芯である。
そこから日本海に突き抜けることが、ポイント。新潟駅から飛行場までの間にエネルギーを集中投資すべきであった。
新幹線の何たるかが解っていないのである。角栄におんぶに抱っこだったからだ。もう遅い!拠点都市は金沢に間違いなくなっていく。
これから新潟駅立体交差の駅をつくる?何をやっているのか、今さら!何処かの誰かが「飛行場まで新幹線をひくと、新潟駅が通過駅に
なってしまう」と、のたまっていたというが、こんな程度である。政治家と役人は、票と金にならないのでやらないだろうし! 
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 2006年03月28日(火)
1820, 今場所の大相撲  おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
 (字数の関係でカット2008年03月28日)
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2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ
 私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。
時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくてはならない。以前にも書いたが、
私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。少し先走ったが、24年前に
光ファイバー用の配管が各客室に入っている。新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。驚きであった。なら在庫オーバーのビジネス客室を
それに転用すればよい。二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があったのだ。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、手狭になった市営アパートを
一つにしてしまう場合の用語だという。「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。現在、多くの建設業者は、不況の煽りで
苦境に立っている。その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として
面白い分野になるだろう。大変だろうが。それにしても転用を前提にして創っていて助かった!のが実感である。
この数年は、この改築?が仕事になりそうだ! 事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。
・・・・・・
2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式
 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。
幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。壇上に卒業生が全員上がり、
    呼ばれたら大声で答えたのを憶えている。拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。まとまりあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。このクラス会も20年近く毎年開かれていた。
大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために最後の別れという気持ちが強かった。
   その一月前の2月末から四日市のジャスコに既に就業していた。卒業後10年単位で、学校が主催で同期生が
   あつまる会がある。4分の1の5?600人が集まる。これも本音でお互い話し合えるよい会である。
   卒業式をキーワードに、過去の節ふしを振り返ると、実に恵まれていた時代だった。
   時代も全てが光り輝いていた!ように思える。教授に先輩に友人に両親に、心から感謝ができることが最大の収穫だ。
    卒業式からみても一番よい時期というとやはり大学時代だ。とくに私の場合恵まれていたようだった。
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2002年03月28日(木)
359, ST訓練
毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2?3回の入社ゼロの年を除いて、前にいた会社も含めて
26年間行っている年中行事である。初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり今は一日だけだ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。センセビリテー・トレーニングを、
途中から独自に変えた内容である。当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に
問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。
脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、
繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、
本音の会話へ、更に対話に深めていく。その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識をつくる。
組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。
それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。ほとんどないが、それでもそれだけで
見えない部分がある。ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。こういう訓練を通して、
自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を
多く身に付けること、変化する事、初心を持ち、それを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分だ。


4019, シングルイン、31年間の総括 ー2

2012年03月27日(火)

   ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めてしまうと、30年は維持しなければならない。
その間に経営環境は激しく変化するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。 立ち上げは華々しく面白いが、
その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、
「ビルは長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。具体的には、骨組みを太くして、可能な限り
柱を入れないこと。構造上、難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の「ビルは、神からの
さずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。
千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。
だから、売りに出すと即売になって当然である。 買い手の全部が、ホテルか、建設関係者。 それが分かるのだろう。
 この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚関係者は一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。
また初期投資二億全てを失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、平然としていられるのは、
その覚悟の上で始めたため。 妻子を会社に入れ、連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。 それと職住を分けること。
また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さないため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、
その家族にも多大な迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。
この人たちは明日から失業者。 その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。 取引先に支払う分、最後まで残って残務整理を
してくれた社員に回すべきだったのか? これで良かったのか? 自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・  倒産の虐めの一つに、
計画倒産疑惑の流布がある。 銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。  
 ・・・・・・
3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)
 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。 
で、何だったのだろうか? 常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。ここで何年に一度、
書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない存在になっている。常に変わったことや、面白いことに
出合うと、その場で自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、
現象に隠された本質を、あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッとしたところもある。 
この随想日記を休むことも考えている。 一度休むと、再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり、自由を獲得している部分がある。 それにしても、10年も続いたものと
自分自身が驚いている。「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 それを分かっていても、
偉そうなことを書くことで、自分を開放をする面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある
膨大の世界を僅かながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 節目の時であることは間違いない。 
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3288, 人みな骨になるならば ー6
 2010年03月27日(土)
  * 意味の意味
 ーまずは、意味深長?の部分を抜粋してみるー
 いろいろと思索した挙げ句、いにしえの賢人たちは「人生に意味があるかどうかという問題に対しては客観的な解答が
あるのではなく、各人が自らの人生に意味を付与するかどうかにかかっている」といった暫定的結論に達したもようである。
これは、ずいぶん心もとない結論である。 こちらの理解の仕方によっては、「みなそれぞれ勝手に意味を見出しなさい」
といっているだけなのである。 だれも、われわれ一人一人の人生に意味・意義・価値などを保証してくれてはいない。
われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みに
すぎない、と言わんばかりである。 そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとする
あつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいかを判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。 なぜこのような次第になるのだろうか。おそらく「意味」とか
「意義」とかの言葉の起源に問題があるように思われる。 それらは「目的」などと同様に、古代人の日常生活の中から
生まれてきた概念である (全ての言葉がそうなのだが)。大昔、まだ人類が人生やら宇宙やらをそれほど真剣に考えておらず、
毎日の生存や空腹のことで頭がいっぱいであった頃、なんらかの対象や行為が役に立つものかどうかが最大の関心事であった。 
そして、自分や身内にとって大切なことが、すなわち「意味」をもち「意義」のあるものであった。 
「目的」もまた本来は、欲求の向かうゴールであり、その達成のために努力という投資と、さまざまな「手段」を講じなければ
到達点にすぎなかった。・・・・・
 たぶん人生や宇宙には「意味」も「目的」もないはずである。 それらもまた木登りや航海と同様、ひとつのプロセスには
違いないから、「結果」はあるであろう。 あらゆるプロセスは、特定の時点をとれば「結果」を伴うからである。
その結果を意味や目的と読み替えることはできるだろうが、それなら宇宙や人生の意味と目的は消滅すること、ないし永遠に
溶け込んでいくこと、あるいは繰り返されることに他ならない。 単なる繰り返し(永劫回帰)には意味がないであろう。
存在するものはいずれ消滅するのだから、存在の最終的な結果は消滅ということになる。 しかし、こんな結末は意味や目的と
言えるだろうか。もしそうなら、われわれの誕生の目的はわれわれの死亡ということになる。それゆえ結果があるからといって
「意味」や「目的」があるとは言えない。「意味」や「目的」というのは単なる結果ではなく、目指すべきものであり、
さらに、あくまでも「自分(われわれ)にとって」という但し書きがついていなければならないのである。
宇宙や人生に、自分(われわれ)にとっての意味や目的があるとしても、それは人間だけの話である。
▼ 人生の意味など、後づけの自己正当化でしかないのは自明のこと。 独りブツブツ呟くように支離滅裂のことを書いている?、
 この随想日記のようなもの? 「意味とは、価値に非常に近い言葉」と信じていた。 だから、意味・意味と生半可に語る人に、
「それを価値・価値と置き換えれば、自分エゴの意味づけに気づくのに!」と、何時も内語で呟いていた。
 意味など自分の都合のよい筋書きの為のエゴというと、少し歪んでくる??エゴは決して悪くはない、但し他人の犠牲を・・
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2913,ホテル&旅館 大淘汰
2009年03月27日(金)
新聞広告に、週刊ダイヤモンドの特集記事が載っていた。 「ホテル&旅館 大淘汰」である。
さっそく書店で買って読んだが、大体予測したとおり直撃の惨状。 内容は東京圏内の外資系高級ホテルと、
日本の御三家、リゾートホテル・旅館の不振を取り上げたもの。ホテルマン45年歴の日本ホテル協会会長が
「初体験」というほどの急激な売り上げダウンに見舞われて激しい値引き競争で収益が激減しているというもの。
ー概要を大きくマトメルと
・外資系ホテルが壊滅状態で、安売りのジレンマに陥っていて、開発ラッシュが一転して 全国で開発の中止、延期が続出
・日本の「御三家」ーオオクラ、帝国、ニューオータニーが沈没  特にオオクラは内部崩壊に瀕している
・能登のホテル百万石も破綻、身売りが多発していて、変化に対応できない事態
 沖縄も観光ブームに沸いていたが一転、閑古鳥が鳴いている
  以上が、この特集の骨子になる。
▼ 全てにわたり、11月以降は二桁のマイナスが続いている。ホテルは在庫の蓄積は効かないので日ごと売って何ぼの商売、
この世界恐慌?は、新規に出店した外資系のホテルにとって、根底から揺らぐのも肯ける。ハッキリいえば、何処も「稼働率激減、
市場は壊滅状態」というのが、ビジネス、都市型ホテル、リゾートホテル、大型旅館など全ての業態でいえる緊急事態。
最近開業したホテルの多くは、実需ベースというより、「再開発の最大化」のための誘致の傾向が強かった。それに行き場のない
外資の資金が後押しをしたことも重なってバブル現象。大阪、名古屋のホテルも総崩れで20パーセントのダウン、大阪や中国、
韓国などのアジア圏の売り上げ激減。名古屋は自動車業界の惨状が直撃、悲惨な事態である。地元の新潟でも、
外資系のビジネスホテルが数軒オープンしたが、バブルの様相の感がしていた。その上に11月下旬より、極端な稼働率の下落が
顕著になっており、深刻という面では同じ。特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。
「1〜2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。
3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っている目安があるのが救い。
 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。 <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか?
・・・・・・・・・
2549, 一神教vs多神教 ー3
2008年03月27日(木)           ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
 *近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
【 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、京都にすっこんでいた
天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、
日本人も追いつめられると同じようなことをしたわけです。ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言った
ということはさっきも話題になりましたが、近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争を
しなかったのに、明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものにしたことと
関係があると思います。】  (字数制限のためカット2010年3月27日)
・・・・・・・
2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!                  
  「ファンタジーの魔法空間」 ー2  著者・井辻朱美  岩波書店   ー 読書日記  
 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
 ー まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41 ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」場所がそれである。
神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に神像を置くことが正しい。
神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一%たりとも移動しない。。       02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。   04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。 06:聖地は世界軸で貫通しており、一種の記憶装置である。
07:聖地は母胎回帰願望と結びつく。        08:聖地とは夢見の場所である。
09:聖地では感覚の再編成が行われる。
 例えば、エルサレムは01・02の条件によって、3つの聖地になっている。トルコのイスタンブールにある
 アヤソフィア回教徒寺院はかってのキリスト教会を転用したものである。
 逆にスペインのゴルドバは回教徒寺院をキリスト教会に転用したものである。
 それをパワースポットと呼ぶにせよ何にせよ、古代人はそこが聖地であることがわかっていた。
 この聖地の条件は、台所という空間の中での、マルタでいう「いい場所」にあてはまる。
台所は大地の炎の力に結びつき(4)、ウクライナでは、そこでは大家族が一同に会し「座ったり、料理をしたり、
食べたり、洗濯をしたり、寝たり、何でもする」(6,7)ウクライナの台所とはそれ自体が聖地であるという以上に、
家そのものであり、家族にとっての全世界であった。ウクライナにとって、そこはさらに「いい場所」という中心点が必要になる。
マルタの「いい場所」もまた、それはこの世ならぬ世界の道しるべであり、みあかしに照らされた光の記憶は夢見の衝動を誘い(8)、
聖母子像は母胎回帰の夢想と他の信者とのネットワークを示し(5)、
そこに家族の思い出を結びつけるメモリーバンク(06)でもある。それがなければ台所は「からっぽ」なのである。
   (字数制限のためカット2012年3月27日)


4018, シングルイン、31年間の総括 ー1

2012年03月26日(月)

    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が、10億だったので返済額が20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな右下がり、2001年の9・11テロから
   4年かけて売り上げが三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック以来、二年半で半減。
   11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。
   破綻の直接原因は9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)
   役員は、役員就任時に一度、退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 それも、半年後に売却。
  ( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れると思ってなく、慌てていた」。
   自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけたビルは、売り出すと同時に即売。 設計の中に売却前提で計画してあるため。
 ▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。 三つの経済・自然災害が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、
  借金をしてする事業ではない。そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネスのあり方が
  変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになってしまった。 結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
・・・・・・
3652, 地震 ーつれづれに ー12
2011年03月26日(土)
  * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 
 日ごと、原発の放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、現れ出てきている。
御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立っている民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、
現在流されている事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。 東北は壊滅状態とは間違っても記事に出来ない。
毎日、枝野官房長官の発するコメントは建前の上っ面の情報でしかない。 外国人が我先に逃げ出していることを考えると、
地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて否定することしか、パニックを抑えるしかない。
現状の進展を一般には小出しにするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間にか数千倍になっている。
しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、そのギャップがみえてくる。
 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、
「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを聞きながら案内したという。その内容とは、
「自宅が30キロ以内にあり、家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に近い比較的
良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。
その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で
暮らしているとか。 30キロ以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視できなかったという。 
駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多くみられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。
 この事態で、経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の取り消しと首切り、そして倒産が
大幅に増加することになる。身が凍る思いである。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。
・・・・・・・
3287, 人みな骨になるならば ー5
2010年03月26日(金)
 * ザインとゾルレン   
ー まずは(P−68)の「ザインとゾルレン」の一部分を抜粋する。 
・ザインはドイツ語で、「在る」とか「である」のことだから、抽象名詞として使うと「そこに客観的に在るだけのもの」
という意味になる。それが良いことか悪いことかを問わず、現実にあるんだもの、しょうがない、といったニュアンスの言葉。
「存在」と訳されるが、「現実」や「実態」と訳したほうがよいことも多い。
・ゾルレンというのは、英語では助動詞に相当する。「べきである」「そうあらねばならない」といった意味で、
抽象名詞としては「当為」と訳される。当為は訓読みすれば「まさになすべし」と読み下す。
「そうあらねばならない性」、ひいては「本来はそうであるべき様態」のことである。
  たとえば、当時の旧制高等学校生なら「親父が死んだので、ゾルレンとしてはすぐ郷里に帰へって家業を継ぐべきだが、
 ザインとしてはここでこうして破帽のまま君たちと安酒を酌み交わしているわけさ」といった使い方をした。
このように、ザインはゾルレンとともに用いられるのがほとんどだから、ザインというのは単に現状というだけでなく
ゾルレンと対比される「ていたらく性」を帯びる。 本当はゾルレンであるべきなのに、現状はザインなのよ、といったところ。
前節で挙げた唯骨論によると骸骨こそがザインの象徴である。 そんなものが、われわれの体内に鎮座しているというのは
必ずしも歓迎すべきことではない。若い美男美女であれば、なおさらのことである。 だれしも一皮剥けば骸骨が現れることは
簡単に証明できる。 ただ最近は手術場を除いて、生きている人間にそんな残酷なことをあまりしなくなっただけのことである。
ゾルレンとしては、万物の霊長にして神の似姿である。そんな人間の中心が骸骨にすぎないというのは直視するにしのびがたい。
いくらなんでも骸骨はあんまりだ。人間の中心には霊魂やクンダリニーが宿っているべきである。 しかし、それはあくまでも
ゾルレンなのであって、あいにくとザインとしてはやはり愛想のないことにおぞましくも骸骨しか存在していない。
ここで悟るべきである。ゾルレンというのは願望や想像、あるいは強制にしかすぎず、実証も提示もできないものであることを。
ゾルレンは信じることが出来ない対象であることを。 これに対してザインは見ることも、触ることもできるものである。
▼ ザインが唯骨論の骨の存在で、ゾルレンは神の似相である、というのは言いえて妙である。
 ゾルレンは願望や想像、あるいは強制に過ぎないと言うのも刺激的である。こうあるべき、というのも幻像の最たるもの。 
等々、著者の虚無の論も肯けるというより、優しく聞こえてくる。 それも経験と年齢を重ねたためである。 
閑吟抄の、チロリ チロリ チンチロリの「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の虚無とは類似をしている。 
成すべき、などの建前より、今生の世は夢 と割り切り、狂ったように生きることこそ、虚無を突きぬけた言葉である。。 
何をしても、成るようにしかならないのだから、目の前を精一杯、何かに打ち込むしかないということ。それも、捨て身で。 
それが狂うということ。 この二つを冷徹な目で、己に対してみつめることだ。それが骨になったものの視線である。
 ・・・・・・・・・
2912,金を使うなら頭を使え!
2009年03月26日(木)
 榊原英資vs岩井克人の対談 「金を使うなら頭を使え!」ー新潮45ー09年2月号
 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。
既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということになる。
一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックスなども
倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。
ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルトしかないことになる。
 ーまずは要点を抜粋してみるー
榊原は、
・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、
 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。
・アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した現在、
 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。
・金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>金融危機の拡大
 というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。
  (字数の関係でカット2011年03月25日)  
・・・・・・・・・
2548, 一神教vs多神教 ー2
2008年03月26日(水)         (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って見えるような気がするから不思議。
この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。そもそも、一神教は奴隷の宗教、
迫害された人々の宗教である。だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。
「なぜ多神教は一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。
 ーまずは、その部分からー
多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、それが一神教を打破することはない。
戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の神々を広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、
両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。共産主義も一神教です。 ユダヤ教かキリスト教の改訂版です。
一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、発生しませんでした。
ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、中近東の風土病ですね。
一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、絶対にこうでなくてはならないと
信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、いいと思っている奴と喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。 
その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。
 ーー
一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということ。世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。
 ーー
一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄を
もたらしているということです。自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、その場合の最大の難関は、
その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況に
おかれているということなんです。人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという
時点で、もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。それ以前に、地球に
人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。
 ーー
好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。
一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。
また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。
・・・・・・・・
2007年03月26日(月)
2183, --つれづれなるままに--       (~Q~;)  おはよう??ファ?
 ー大相撲についてー
  (字数の関係でカット2012年03月25日) 
 ー夢ー
 ー携帯電話ー
  (字数の関係でカット2012年03月25日) 
・・・・・・・
2006年03月26日(日)
1818, あちら側の世界-1      (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?                    
 ウェブ進化論 ?1 ー読書日記
  ー概略編ー 
新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、買って読んでみてショックであった。(ウェブの世界の深遠をみてしまった!
ということで)私のような門外漢でも理解できる内容がよい。読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。
というよりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索を使っているから、なおのこと
理解できたのだろう。そして、5年間このHPを維持してから。そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。
キーワードが現代のお金で、検索の向こうが現金引き出し機か、何でもでてくる自販機、という譬えの世界である。
ウェブのとてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。ー資料をGooglの検索で集め、まとめてみた。ほぼ、
この本の概要の7?8割は把握できるだろう。(このプロセスで、この本を2?3回読んだ効果はあったが。
本そのものの読み方もキーワードを検索をしながら読むと、理解が早く深くなる。それより、やはり買って読んだほうがよいが。)
ー私の感想文というカタチにしたー
   ーー                  (。・・)_且~~ お茶                        
ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないがその利用者として、驚きの毎日を過ごしている
此方側の自分が、著者としての当事者のアチラを含めたウェブの世界を鳥瞰している内容である。
ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな視点で、Webの進化がもたらす影響を論じている。
(字数の関係でカット2008年03月25日)      ー つづく
  ーーーー
「ウェブ進化論 」?本当の大変化はこれから始まる
   ちくま新書 ?梅田 望夫 (著)   サラバジャ?  ゝ(-_- )
・・・・・・
2005年03月26日(土)
 1453, おどろき、そして感動
「考えるにはどうしたらよいですか?」という純朴な問いかけがある。この問いかけに対して、いずれの哲学書にも
「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。何でもないことの中にも新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。
驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。歳を重ねると、多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。
しかし、歳をとって解ったことは「驚きが桁違いに多くなった」ことである。知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。
驚くということは、未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに衝撃を覚えるということだ。それと未知なるが故の不意打ちが
驚きになる。 そして、それが考えにつながっていく。無能の人は、何を見ても聞いても驚かない。驚く素養がないのだ。
いや思い込みというバカの壁が取り囲んでいる。破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。
隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。驚きには、その皮の張りが必要である。
世界を旅をすると、驚きに満ちている。そして、その深い世界に感動をする。こんな世界があったのかと、
内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。そして対象にのめりこんでいく。人間は感情の動物といわれる。
たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。
 感情は
・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから成り立っている。
他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。希望はー>喜び+欲求  ねたみー>愛+悲しみ
この感情の中で「おどろき」は一番の根本にある。未知なものに不意に直面した時に、こころは変容する。
その変容の状態そのものが「おどろき」である。おどろいて呆然と立ちすくむ状態である。おどろきは、
最も原始的な感動である。おどろきは未知なものが現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。
正も反(喜びに対して悲しみ)の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、説明できる必要性が出てくる。
おどろきは未知に対する無知に気づき、知的探求を刺激する。あるイベントの会場で、BOSEのコンポを聴いた時に
思わず立ちすくんでしまった。聴いたことのないような音響におどろき、何回か足を運んで聴きなおした。
こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえてくるのか不思議でたまらなかった。そこで係り員から説明を聞いた。
パンフレットを見て、その原理を知って、知人から情報を得て、インターネットで検索をして、購入に至った。
会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。そして、なぜ、どうして?と、その理由を探していった。
昨日も早速、音楽に対する本を二冊買ってきた。三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシクの名盤」である。
一流なものに接して感動と驚きをシャワーのように浴びなくてはならないのだ。以前にも書いたが、親は子供に感動と
おどろきをシャワーのように与えなくてはならない。躾と、最高のものを知らしめることが家庭教育の基本である。
おどろきを得るためには、3C-チェンジ、チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。挑戦しろ、変化しろ、そして戦え。
・・・・・・・・
2004年03月26日(金)
1088, 商売人
「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。
・東京商人は大阪商人に比べたら子供  ・大阪商人は中国商人に比べたら赤子
・中国商人はインパキ(インド・パキスタン)に掛かったら、それ以下
・そのインパキもレバシリ(レバノン・シリア)に掛かったら、問題外という。
もしそうなら、世界一金持ちのはずだが、ここで言う商売人は小商人を言うのだろう。
そのレバシリもユダヤ人に掛かったら、馬鹿なアラブ人でしかないのだ。ツアーで一番多く現地人と接しる場面といえば、
市場などの商売人である。そして、そこで安物の高値つかみをさせられる。まあ、それが面白いのだが。
商売人といえば、日本でも士農工商というほど一番下に位置づけられていた。安く買ってきて高く売るのだから、
胡散臭さや怪しさがつきまとう。「男はつらいよ」の寅さんもテキヤという路上商売人である。瞬間芸でお客を騙して
お金を稼ぐ仕事である。第三次産業といえば流通・サービス業である。人の集まるところに、その機能が必要とされる。
初めは、自然発生のハエみたいなものである。しかし、その時代にそったニーズを一番敏感に感じ取るのが彼ら。
現在、日本が変になっているのは、商売人の強かさを失っているいるためだ。これも他人事ではない自戒のことである。  


4017, 事業生活39年の、独り語り ー5

2012年03月25日(日)

  最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞め、一年間の遊学時に見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。
 父は自分の死期を悟り、ビル建設の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後に父は亡くなった。 
 千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだことになる。
 この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。)
  そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、
 捨て身で、よくぞやった!もの。ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。 急遽、店舗二店とも知人の伝手で
 経営委託をして長岡にUターン。 危ない綱渡りである。 人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が
 湧き出てくることを、この経験から知った。 ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟のホテル開設資金の資本金になった。 
  千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の商業地区の
 売却を目にしたのが始まり。 ところで父は、実家の事業にたずさわっている婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。
 そのため亡くなる数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、私と、母と、兄と、姉に、4等分の
 相続を宣言し、名義を変えてしまった。これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦を見限っていた。
 ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
 自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が
 社長になっていた。 私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。 それもあり、私が千城台ビルで、
 二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発である。 
  起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り心頭だが、私には、想定とおりのこと。
 大学を出てからの熾烈な日々が、「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。千葉の知人に相談したら
 丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託をして実家に戻ることになった。 これも丁度良い、節目。 しかし朝飯前と
 思っていたが、ここも過酷な日々が待っていた。 地方名士を自認していた姉夫婦の後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして
 帰ってきたという街の冷たい視線と流布の中で、私にとっては第二の創業。 姉夫婦にとって、手際よくUターンするとは思っても
 いなかったようだ。 それより我慢を重ねてきた母の激怒が、全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。
・・・・・・・
3651, 地震 ―つれづれに  ー11
2011年03月25日(金)
 * 凍りついてしまった経済
  この地震で、日本経済は凍りついてしまった。 
・ リゾートホテルは、歓送迎会がほぼキャンセル。駅前ホテルもビジネス客は皆無。 
・ 生鮮野菜も恐ろしくて、他の産地物でも敬遠。水はペットボトルしか安心できなく。
・ 知人の子供が住宅の契約直前になって、業者の方から契約を断ってきたという。
  資材が入手出来るかどうか混沌としていて、期限までに住宅の完成が確約できない。
  その場合、遅延金を払わなくてはならないので、当面契約は出来ないのが事由。 
・ 飲食店も期末期首の稼ぎ時に、歓送迎会の予約がほぼストップ。
・ 甥っ子が宇都宮でチェーンのファッション店に勤めているが、全く商品が売れなくなり頭を抱えているとか。
   これでは、経済恐慌になってしまう。
 空中の放射能が雨と一緒に浄水場に注ぎ込み、水道水が汚染されたということは、ただならぬこと。
この福島第一原発の河口付近の海から安全基準の127倍の放射性物質が発見されたと、読売が一面トップで報じていた。
それから連想されるのが魚の汚染。近海ものの魚も危ないとしたら、何を口にしたらよいのか?恐ろしい限りである。
そろそろ農家は田植の準備に入る時期に入ったが、収穫の秋口に、米が売れるかどうか心配だろう。 
売れるのは、外米と古古米だけという奇妙な現象になることすらある。
一日一日が放射能漏れの深刻さを露呈するニュースであれば、景気は悪くなる一方のは当然だろう。
  * 奇妙な数字の一致
 9.11は9時46分、神戸は早朝の5時46分、そして、この3.11は14時46分。
 偶然だろうが、46分が一緒!
 いま一つが  2001年 09.11
       + 2011年 03.11
       =  012年 12.22 は マヤの歴の終わりの日。   偶然の一致だが面白い!
 ・・・・・・・・
3286, デフレの実感
 2010年03月25日(木)
  2月末より本格的デフレ・インスパイラルに入ったようだ。 内容を面白くするため少しオーバーな表現かどうかは??。
・先日、3月でエコポイントのタイム・リミットということで、買って7年半経つ50インチのTVの買い替えを考えて
 大型家電を三店舗まわってみた。 今度は65インチの薄型TVで、4〜5年前は100万前後していた。
 数年もすれば50万を割るだろうと思っていたが、何とエコポイントを差し引いて30万円である。隣にあった一番ホットの
 LEDのシャープの60インチが37万円である。 信じられない!である。もし本気になれば、あと数万円は下げられる?
 現在のTVはパイオニアのPDPで充分に満足している。 今でも画質は、現在の店頭のものと遜色ない。
 しかし地上波への変更が(特殊なので)数万のマシーンを入れないと映らないという。そこで、少し心が動いたが、
 このデフレの中で一年後には更に下がると判断し、この機会の購入は止めにした。
 次はデジカメとビデオカメラ、これも値崩れが激しい。新商品になる度に新しい機能が加えられ、値段が安くなる。
・アパートの値崩れも激しい。現在は三万円代の中での価格競争になっており、5万代に入ると、よほど間取りの良いものしか
 入り手がないという。 自宅のまん前の20世帯以上ある二軒のアパートは、この数年で数軒しか入居者が居なくなった。
 築20年は経っている割りに値段が高いためだろうが??。 大東建託とかいう20年入居一括借上げの会社があるが、
 以前から会社が倒産するリスクをオーナーは考えていないと懸念していた。 こういう時節になれば、特に危険である。
・建築関係も、ますます価格競争が激しくなり、ギリギリの状態が続いている。 中小は、特に厳しく、何とか助成金で
 食いつないでいるが、必ずクラッシュがあるはず。
店をまわっても、元気の良いところは、業態としてディスカウントを長年かけて作り上げてきたところ。
100円ショップ、ユニクロ、ニトリ、サエゼリア、回転寿司、蔦屋などである。それも店舗がスーパーストア(超大型店)。 
デフレ・スパイラルは、ハイパーインフレの露払いである。 後ろに控えているハイパーインフレが恐ろしいのである。
これが国家破綻という奴だ。一度、ガラガラポンと破綻させないと、あの世界に撒き散らされた猛毒は排除は出来ない。
 それがリアルに動き出してきたということ! 事実は事実である。
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2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
 「 人間にとって、その人生は作品である 」 これは司馬遼太郎の言葉である。 
 「 人間には志がある。その志の味が、人間の味である 」 という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品ということが理解できる。
そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 死んだ時に完成するが、その時は自分にとって
関係ないことになるから絶妙。哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 本人の意志に従う物語。
従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると、顔から火が出ることが度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの内容が物語を決めることになる。
だから、問題に対して嘆いてはならない。(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 「死の看取り」から、人生をみた時に
彼女は人生の奥義に気がついたのである。 産まれて、死ぬまでの、それぞれの時節に、それぞれの難問があり、
その難問を解いていく過程で学ぶことが人生であり、最後のレッスンが死であると職業を通して学んだのである。
これは学びというより、修養ともいえる。 解決不可能に近い難しい問題が押し寄せてくるのが人生。それを解決するためには、
問題に対して真正面から真摯に向き合うしかない。目をそむけると数倍エネルギーが被さってくる。それも作品だろうが。
昨夜、女房と「人生など二度とない、思い切って全てを処分して三年ぐらい二人で彷徨ってこないか?」と話している夢をみた。 
現状逃避がありあり!だが。 そういえば、TVの旅行番組で、ある工場を定年退職した人が、全てを処分して買ったヨットで
夫婦して欧州の運河で旅行しながら生きていく姿を映し出していた。 何ともいえない人生の姿(作品)である。 
 ・・・・・・・・・
2547, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー5
 2008年03月25日(火)       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚
ギリシャ神話の「ピグマリオンの神話」に登場するピグマリオンという王様。
自分の彫った女性像に恋をする。恋こがれた彼の想いがビーナス神に届き女性像は本物の人間になり、
ピグマリオンの恋が成就するというストーリー。
この娼婦の館の女主人は、ひとりあたり二年かけて、そのような理想に近い女性を作り上げる。
 その幾つかが、なかなか面白い。女性の魅力の作り方であり、真をついている。
(手練手管の熟練が自然と身につけるイロハである。) ・われ関せずの態度をとること。
・彼らが期待するイメージのみを与えること。     ・自分の問題は自分で解決すること。
・巧みなセックス技術を身に着けること。       ・ユーモアと優しさと悦楽を与えること。
 (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日)
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2007年03月25日(日)
2182, 「ライオン 空前の王交代劇」ー2      ( ^3)ー♪ オハヨウゴザイマス!
「ライオンの空前の交代劇」を観ていた時に、一年ぐらい前の「三頭の兄弟(放浪)ライオンの物語」を思い出した。
「検索」で調べてみたら「地球・ふしぎ大自然」で、昨年4月に放送されたものだった。インターネットは本当に便利である。
 ーその内容をまずは紹介してみるー
 ライオンは猫科の中で唯一群をなして生活する動物である。しかし一つの群の中のオスは最大でも三頭ぐらい。
それ以外のオスは群に属しない放浪生活をする。だが放浪ライオンの生態についてはあまり知られていない。
今回この番組はその放浪ライオンの生活の記録を伝えている。群の中のオスは、遅くとも三歳までに群を出される。
これは近親交配を防ぐためであるとのことであるが、元来狩が苦手な雄ライオンにとっては、これは試練の始まりでもある。
この番組では、ある三頭の兄弟を追いかけて、その生態について紹介している。ライオンは同時に群を出た兄弟が一緒に生活する
例が多いとのことである。群を出た放浪ライオンは、自らだけの力で生きていくか、どこかの群を乗っ取るか、しか手はない。
まだ力不足の三兄弟は、まずは自分たちの力で生き残る試練にさらされることになる。食料の少なくなる乾期などの試練を
乗り越えて、三頭はなんとか生き延びる。 翌年、やや逞しくなった彼らは、群の乗っ取りを試みる。
しかしながら他の群のメスに全く相手にされない。結局彼らは二回の失敗後、幸運にも雄ライオンを病気でなくした
メス三頭の群と出会い、自分達の群を手に入れる。もっともこれからの彼らは、その群を守る任務に追われることになるのだが・・
ちなみにライオンが群を維持できるのは長くても三年が限度だとのことである。ライオンが群で暮らすことは以前から知っていたが、
あぶれた雄がどうして生活しているのかは当番組で初めて知った。やはり雄が自分の城を築くのは大変なようである。
ところでこれまた私が初めて知ったのは、雄ライオンが兄弟で行動することが多く、群も兄弟で維持している場合が多いという。
ライオンの兄弟の結びつきがこれほど強いというのは、なかなか興味深いものであった。
 解) 前回は、メスのライオン・クループの視点の「王交代劇」 のドキュメントだったが、これは雄の放浪ライオンの立場の
 苦労物語である。(TV局も、制作会社も違うものだが・・・)百獣の王ライオンに、このような弱肉強食の世界があるのである。
 メスのグループにも、オスにとっても試練はどこにもある。人間社会と、似ているところが可笑しさと、悲しみを感じとれる。
 デ・カン・ショ、デ・カン・ショというが、人間の本質は動物とドコガ違うのか。
  まあ、ライオンの世界と人間の世界の違いを論じてもしかたないか?
 追い出されたオスが社会の中で、自分の居場所を確保するのは至難のワザではないのである! まったくである!
ーーーーー
2006年03月25日(土)
1817, 日暮里界隈 ー2        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
最近の定宿は日暮里のホテルである。 日本旅行社の元支店長の知人に、「都心(東京?秋葉原)に近くて、
安くて・便利で・気楽で、インターネットもあり、かつ面白そうな居酒屋が近くにあるホテルはないか?」と聞いたら
「自分が定宿にしているホテルが全ての条件を揃っている」という。値段は7千円である。そこが日暮里駅至近のホテルである。
早速泊まったら正しく、ピッタリである。おまけに7?8分歩いたところに谷中銀座という昔ながらの商店街がある。
   (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日)   
・・・・・・
2003/06/26
日暮里界隈 ー1
(字数の関係でカット09年3月25日)
・・・・・・・
2005年03月25日(金)
1452, 「仏教の根底からの否定」の文章ー2
    ー山根二郎かく語りきー2
 ー前回に続いて印象的な部分を書き出してみるー
あのオウムが、教団の対立者を「ポア」という名で殺したが、これは特殊な教義を信奉していたからと信じられている。
が、しかし「救済」の名の下でなされる殺人の容認は仏教にも多く認められる。私が書いた「仏教解体」は、仏教を根底から
解体しつくした日本では稀有の書である。そこに述べられている仏教否定思想は、これまでの日本にはなかったものだ。
内容の一部を紹介すると「仏教思想、禅思想」が、どれほど恐るべき非人間思想であるかということが分ってくる。
日本人は、この思想に取りつかれたままになっている。要するに日本および日本人は、戦前・戦中・戦後を通して、
今日まで巨大なオウムをやってきたことになる。「日本人は恐い」「日本人は特殊である」と世界の人々が思ってきた根底は、
これである。「世界の人々よ、気をつけろ。そして日本人よ、仏教から目を覚ませ」般若心経で色即是空ってのがある。
存在とは空だって意味だ。無限耳鼻舌身意 耳も鼻も舌も体も心もすべて無だと言い切る。浅原じゃあないが、まさに涅槃の境地に
達しないと言えないことだ。しかし、この凄いことを、我々日本人は日常で坊さんに言われ続けている。
葬式で般若心経を坊さんが唱える。月命日でも坊さんは仏壇の前で唱えてる。「もともと、無いものが無くなったんだから、
死んだからといって、そんなに嘆くな悲しむな。殺されたからといって、そんなに怒るな」って言われていることになる。
葬式でこんなこと言われていたのだ。いま、犯罪被害者の人権などと騒いでいるが、まっさきに糾弾されるのは坊主である。
 (字数の関係でカット2008年03月25日)
・・・・・・・・・
2004年03月25日(木)
 1087, ある日突然
 ある日突然、今まで順調であった仕事や商売が成り立たなくなる時代になった。
 以前は、時計屋が典型的な事例であった。
・25年前に、デジタル時計の出現でアナログ時計の売り上げが激減をしてしまった。
・10年前には駅前旅館も消滅をしてしまった。
・その後、業種店はスーパーなどの業態店の出現で殆ど壊滅した。
・そして、酒屋や米屋やガソリンスタンドなどの規制で守られてきた業界も一瞬で壊滅をしてしまった。
・最近では、駅前のあちこちにあったDPEの店もデジタルカメラとプリンターの普及で、いつの間にか無くなってしまった。
次は、何であろうか? 全ての経営者が自分のところではないだろかという恐怖の時代になった。
(字数の関係でカット2008年03月25日)
・・・・・・・・
2003年03月25日(火)
 720,「お金の哲学」ー3
デフレになって、お金の価値が物の価値より上がってきて、日本ではタブーのお金に対して関心が増してきている。
過去何千年も祖国を追われていたユダヤ人は特にお金にシビアであるのも、最後頼るべきはお金や金ダイヤなどの
貴金属ということが骨の髄まで解っているからである。日本人がお金に対して「お金は汚いもの」とか、
「お金のために生きているのではない」とか言っていられるのは、島国の環境の為である。
(字数の関係でカット2011年03月25日)
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2002年03月25日(月)
356,西アフリカー3
 ー能力探しー
今回の旅行で面白い人とであった。 予備校の講師でミュージシャン、今度小説を出すという。
年令が31歳、数学の本を何冊か出し、予備校の講師。 今回の旅行で3つの歌を作ったという。
音楽のゴーストライターもやっているという。ゴーストライターで本は聞いたことがあるが、
音楽では珍しい。 ミュージシャンと数学の先生の二刀流ということだ。CDを数枚出し、有線でトップテンに入った
ことがあるという。「防波堤」は長岡のスナックで聞いた事あった。夜バーで聞いた弾き語りがなかなかよかった。
昼からビールを二本飲んでいた。夜もしかり。話しているだけで、自分の中の創造性が喚起される。
私の目では一応本物に見えた。エルミナの夕景を見にホテルの海岸に出たら、一人海辺に隣接している
誰もいないスナックでビールを飲んでいた。声をかけると、夕日で変わる海の色の変化を見ているという。 
これはいえない言葉である。何か変わった人だと気に留めていたが、家内からあの人はミュージシャンで
予備校の講師と聞いて納得した。その後何回か話す機会があったが、講師とミュージシャンの仕事の特性の
為か、相手を自分の世界に引き込む話術には驚いた。いや話術ではなく、その人の中味なのであろう。
http://yoshiki-o.hoops.ne.jp/  大上芳樹


4016, 事業生活39年の、独り語り ー4

2012年03月24日(土)

  
  昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、新たにスーパーが現れてきた。
 既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、
 並ぶようになっていた。 実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの
 「チェーンストアへの道」下地にした「流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。 それもあり、就職先が「ジャスコ」。
 その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、合併先の矛盾の先頭に立つことになった。そして一年で辞職、
 産能大に入り直し、その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」(後にジャスコに吸収合併された)
 に一年半、勤務した。フィールドでの、ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の二階に
 居候させてもらった。 絵に描いたような話になるが、その姉が貸家として千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、
 貸家を持った直後だった。 姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の四つ角が格安で
 売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、
 「大規模団地を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 外れて元々と、申し込みをして、
 公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。
 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと
 いうのでなく、会社名義で買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。もちろん会社名義である。
 その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。
 あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」に二年の条件で入ることになった。その後、そこで
 私が何か事業を立ち上げる前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下に入った直後で、
 社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 
 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の
 惨めな空気がドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から「父が末期ガンで、あと一年!」という
 知らせが入った。 20歳の時に創業人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 振り返ってみると、
 激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。 特に、産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
 * 精神科医師の恋愛論とは?
 ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカーと派手になってしまうのは、今の「自分」への不満が
それだけ強く、相手を脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・・・ 恋愛とは、本来、相手の幸福を願うことであるから、
〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること〉と定義すると、ここでも、②−1お互いの人生が満足のゆくようなもので
あるように望み、手助けすることと、②ー2 お互いが人生に満足できる人間になることを望み、手助けすることのふたつの領域が
あることになる。しかし、恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが新鮮になるという脱自が
起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。つまり②こそが、恋愛の本質的な領域だということになる。
それはどういうことかというと、①の、プレゼントを贈り合い、おいしい食事を共にし、一緒に旅行・映画に行き、楽しい会話をする…
といったモノ・コト(経験)の数々は、それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種のサービスを
提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで下さい」と断ったものだった。
次に②の領域はというと、これまたふたつあって、②ー1 は、一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて回ったりすることに象徴されるように、
かなりはっきりとした幸福感のようなものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く挙げられることからも分かる。
それに対して、②−2の領域の、二人が互いに高めあうというのは、今は、全く人気がない。 というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、①、②−1、②−2の間で揺れ動くところが恋愛心理なのだろう。
  年齢によっても変化をする。この視点で、色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。
  その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。
・・・・・・・
3285, 人みな骨になるならば ー4
2010年03月24日(水)
  *文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル
 ー まずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋してみる ー
 文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害からは防いでくれるが、それでも疫病や
事故といった不運を増やすことも減らすことも在る。 ・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むことに
よる不運がとって変わっただけである。 幸いなことに文明には文化といった非物質的な相棒が付き物だった。
つまり、我われは文明という即物的なカプセルとともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。・・・  
「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という疑似環境が作られるのだ。文明も文化も、
第三惑星に棲息する弱々しい「裸のサル」を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセルであった。
しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した文明と文化というカプセルにより自らを防御する。
なによりもまず寒暑、飢餓、外敵などからわれわれを守る。いわば人類の生命線を守っている。また人間の心理が物理的宇宙から
浸蝕されていくのも防ぐ。 いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。
それほどの守護神が宇宙の冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。われわれ人間集団の内部に、
それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。掟、タブー、戒律、法その他である。これらによって、
われわれの集団内部に限って理不尽は最小限に磁められることが期待される。だれもがゆえなく害せられてはならず、
また一定の手続きによってのみ加害者は処罰されるようになる。かくして法治国家のもとで暮らすかぎり、
社会生活の上で勧善懲悪や信賞必罰といった道理がおおむね通用するようになった。
 ▼ 「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。
 ・・・ いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙である。
そんなものに一々汲々とするな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、人間世界の中の通貨のようなもの。
神も、文化・文明も、人間が共同幻想でつくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人の脳をイメージとして
透してみれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、人間のそれはドコが違うというのか。
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2910, 閑話小題 
2009年03月24日(火)
 * ジュンク堂が大日本印刷に買収だと
 数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。御蔭で、隔週は必ず行くようになったが、
それでは買うかというと買わない。面白そうな本をメモを取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約2千円を
払えば後は幾ら注文しても送料はかからない。それと一度冷静になれるので、衝動買いを避けることもできる。
  (字数制限の関係でカット2,012年3月)
  * パーク24が「マツダレンタカー」を買収
    (字数制限のため、カット2010年3月24日)
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2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 −4
 2008年03月24日(月)
やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。
弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。
  *やくざと娼婦の階級
 やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、大きな子どものようにふるまっていました。
 彼らはグループに属し、その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`というルールと階級を重んじていました。
 ・階級の一番上には詐欺師、
 ・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・)
 ・そして一番下に売春婦のヒモがいました。 ヒモたちは、さらに自分たちの女が勤める場所別で、
  それぞれの階級に分かれていました。ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、ブロデル通り界隈といった具合に。
 ・犯罪者の最下級は強姦犯でした。
(字数制限のため、カット2011年3月24日)
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2007年03月24日(土)
2181, 「ライオン 空前の王交代劇」       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 NHKハイビジョン特集「ライオン 空前の王交代劇」(2007年 3月21日 午後8:00〜午後9:32)
これが非常に面白い内容で、アッという間に90分が経ってしまった。ケニア・タンザニア・南アフリカのサファリに5回行き、
ライオンの群を多く見ていたた。(翌日は同じ時間帯で、像の群れの物語を放映していた。 場所はタンザニアの
セレンゲッティー国立公園の「マコマ・ヒル」という名の、小高い丘の一帯である。 総勢40頭を誇ったライオンの群れの
「王」ショーンとパトリックが、突然に行方不明になった。 在位7年というから長期政権だった。群れは新しい王が必要となる。
そこでオスを呼び寄せ誘惑、新たな王として相応しい雄の値踏みをする。この番組は、その王交代劇を克明に伝える内容である。
メスは子供をつくり最後まで育て上げるため強いボスを必要とする。ライオンの群れは血縁関係を持つメスと子供から成りたっていて、
普通は2頭の兄弟雄が「王」として君臨している。群を組んだ放浪ライオンの対抗上、二匹のボスでなくてはならない。 
これが他の動物と違うところである。 グループの大きさによっては一匹もあるが。2006年、二匹の「王」の行方不明で
群れは大混乱に陥り、群は3つのグループに分かれていた。
・まず幼い子供たちを持つ母親たちは、侵入して来るオスを避けて群れを離れた。新しいボス候補が前の王の子供を殺すからだ。 
 最終的に、このグループの子供は殺されたり餓死で一匹もいなくなっていた。
・次は子供を持たない若いメスのグループで、においと声で積極的に新しいオスを呼ぶ。
 そして思わせぶりな態度で誘惑し、オス同士を闘わせて値踏みを始める。
・最後は、年増の子供がいないグループで、最後まで様子をみている。
グループの周辺にも、幾つかの群の放浪雄がボスの座を狙い徘徊している。
メスは新しい王を選ぶ時は、非常に冷静な判断をする。強くなければ産んだ子供が新しいボスの子殺しにあうからだ。
この番組の圧巻は、最後に決めるギリギリのところで、隣のグループの王を誘って、決めかねている雄と決闘させる場面である。
二頭は数時間もかけて闘うが、最後はその雄が勝利する。メスは、新しい候補の雄の年齢や、健康、たて髪の大きさなどを
冷静に見極める。候補が何匹も現れるが、適任でないとグループに拒否されスゴスゴと引き上げる。
このあたりは人間と同じである。女性の場合は相手に大きく左右されるからだ。男より数段も冷静に相手を見定めるのは
女性の本能として仕方がない。 これは男とて同じだが、家庭は男の稼ぎが大きな要素をしめるから、やはり女の方が相手次第による
要素は大きい。 但し何ごとも例外があるが・・・ そういえば10年以上前になるが、やはりNHKの特番でライオンとリカオンの
群れと、群れとの争いを克明に放映していた。 あの内容も、迫力のある殺気立った内容だった。  (○´・д・)ノ  バイバイ!
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2006年03月24日(金)
1816, 靴修理の面白さ
         (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
最近自宅にある、捨てるに捨てられない靴を5足を修理してしまった。殆どの靴の踵部分が消耗して擦り切れてしまう。
靴ヘラを使っているが、先ずそこがボロボロになってしまう。特に廉い靴は直に傷む。ウォーキングと通勤で、
普通の人の倍は歩くため消耗度が大きい。最近まで履いていた靴の右足の小指の部分が割けてしまった。
靴屋に持っていけば最低5千円以上はとられる。そのウォーキング・シューズは私にすれば高めの1万2千円である。
直すに直せないし、他は頑丈に作ってあり、3年以上も通勤、ウォーキングに海外旅行にと履き続けてきたので馴染んでいる。
ジッと見つめて知恵が出てくるのをまった。 内側から踵の修理用の部品を貼り付け、外側から傍にあった金物修理用ボンドを
埋め込めば何とかなる!と。こうなると、遊びの領域になる。そして無事完成してウォーキングで履いてみたが完璧に直っている。
      (字数制限の関係でカット2,012年3月)    
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2005年03月24日(木)
1451、「仏教の根底からの否定」の文章−1
  ー山根二郎かく語りきー
ある雑誌で山根二郎という人の文章を読んで、ただただ驚いた。仏教を根こそぎ否定・批判しているのである。
ここまで仏教を根底から批判している文章も初めてお目にかかる。宗教業界の坊主の質が悪いと思っていたが、
仏教を根底から否定している日本人に初めて出会った。それが正しいとか、間違っているかが問題ではない。
日本のような仏教国?で、あからさまに否定できる知識に驚いている。また、その豪胆さにも。反面、マイナスから
照らした仏教の教えの真髄も見えてくる。江戸時代に、幕府がキリスト教を封じ込めるため寺請制度に問題があった。
市役所の戸籍の役をお寺に丸投げをしたのだ。 もし人別帳から外されたら大変な事態になるからだ。
そこを利用した坊主の利益享受システムが、長年にわたってつくられた。その流れをそのまま受けついでいるのが
現在の仏教業界である。不幸につけこんだ搾取を、立場と信心を利用して行なっているのだ。それに対して、誰も声高く
批難できないのが島国の環境のためでもあった。それと似たことが、中世キリスト教会も行なわれていたが。
まあ創価学会にしても、その類でしかない。自分達だけは無税と手前勝手な屁理屈で大手を振っている。
一年ほど前、寺から京都の本堂の改築のため、一万の寄付の要求をしてきた。
「この不景気に何をいっている」と言いたいが黙っていた。全く坊主丸儲けである。
山根は、その根底から否定しているから痛快である。ー以下は彼の文章のポイントを抜粋したものである。
 ▼ 仏教が入ってきて日本を悪くした。日本人は、なぜこんな空・無の思想に取りつかれたままなのか。
 それは、もともと「私」という観念が希薄な列島の部族的存在としての日本人の意識の上に「自分というものはどこにもない」
 という仏教思想が張り付いてしまったからなのだ。  (字数制限の関係でカット2,009年3月)
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2004年03月24日(水)
1086, 疑惑
台湾で陳総統が0・2?の差で再選されたニュースを報じていたが、胡散臭い銃撃事件と思いざるをえない事件。
この事件が無ければ対立候補が絶対有利であったからだ。自作自演事件?と考えるのが、穿ったみかただろうか。
政治家なら、平気でその位のことをするものだ。腹を丁度よく横にかすめたものである。
 (字数制限の関係でカット2,012年3月)
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2003年03月24日(月)
 719, 「私の無名人名語録」
永六輔の「無名人名語録」があるなら、「私の無名人名語録」もあってよいだろうと考えてみた。
・「会社を良くしようと思ったら、よい人間をどんどん入れることだな!ゴミがすぐ浮いてきて、出て行くんだ」
    ーあるセミナーの隣席の社長が言っていた。
・「事業で大失敗をするほど、どういうわけかその都度大きくなるんだよな〜」これも事業を立ちあげた社長から聞いた。
・「地方って3流の人物が親の財産をバックにしてさ、一流と思い込んでいる奴が多いだろう。おれは田舎のプレスリーって奴」。
・本当にあった話だそうだが、もう亡くなった往年の二枚目俳優の田宮二郎がある地方の温泉街を歩いていると、
   「田宮二郎一座」という劇場があった。面白がって入ったが途中で腹が立ってきて座長の所に終わってから行った。
 文句を言うと、戸籍を出して、田宮二郎が実名ということが解った。 ところがその座長曰く
「いいですよ、私の名前をそのままつかっても!」と逆に言われたそうだ。これこそ無名人?語録である。 
 変な逸話をおもいだした。   (字数制限の関係でカット2,009年3月)
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2002年03月24日(日)
 355、西アフリカ旅行記−2
今回の旅行は西アフリカのコートジボアールとガーナとトーゴとベナンの4カ国を突き抜けるバスツアーであった。
人間の頭に例えると、インド洋が顔、大西洋を後頭部とする。その後頭部にあたります。1000?と思っていたが
実際2000?であった。バスツアーそのものを楽しむものだった。ほとんど景色は変わらず、淡々とした旅行でもあった。
やはり異質性はあった。東洋人を全く見たことがないようで、彼らの好奇の目に驚かされた。何処でもそうだが、
こういうところは市場が面白い。各地の市場にいったが現地の特性があり生活の匂いがしていい。彼らは写真を撮られることに、
異常に拒否反応を示した。4カ国を短時間で見て、それぞれの政治情勢が手に取るように解った。
当然のことだが、政治の重要性を感じとることが出来た。奴隷についても、日本でもありえたのでないか。
隣国が海で囲まれていない場合、戦争捕虜を皆殺しをしないで、隣国に売り払った可能性があった。戦国時代は負けたほうは、
条件をつけない場合は皆殺しであった。何処がどうという事でなく、トータルで異国情緒を愉しむという旅行であった。
同行者もアフリカのみならず、世界中を行きつくしたツワモノぞろいであった。私にとって行きたい処の情報の宝庫であった。
もう一つの楽しみの同行者がよかった。何かを背負い、また降ろしてきた人生のツワモノ達でもあった。
こういうところに来る人は、変わった人というより旅行をしているうちにここに行き着いたという人が多い。
その中で感性が磨かれたものと思われる。それと初めから何かのきっかけで来ているか、どちらかである。
これから数人具体的に見てきた人を紹介してみる。


4015, 閑話小題

2012年03月23日(金)

   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に住む人たちは、直下型地震で不安だろう。
震度7は、観測以来、神戸震災と中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の場合、なすスベがない。
引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。 勤務が東京で仕事上、難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。 
夜間か土日の直下型地震の場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、帰る家が残る。
 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、
非常事態の刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 決断を少し早めると打撃は半分で済むが、
少し遅れると二倍になる経験則を持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、あの三月末しかなかった。 
 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで
買ってくる「ウドンの素」を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える料理の紹介特集をしていた。 
鍋の下味、味噌汁、生ラーメン、チャーハン、生卵、卵焼き、炊き込み飯、などが格段に美味しくなるという。ウドンのダシといえば、
昆布とカツオとの混合。それが素なら、ウドンダシ以外に使えて当然。 何ごとも、その枠を取り払うと、色いろ応用できる事例。
家での隠し味は昆布の出汁を使っているが、それにカツオ節を混ぜれば同じ? 以前、「ホテル・レストランショー」で、カツオ節を
粒状にしたダシ専門会社が出店していた。 ウドンの素をを納豆にかけてみたら、なるほど美味い。色いろなフリカケがスーパーに
並んでいるが、隠し味の素のネタが、あるはず。春の高校野球を含めて、サバンナもサバンナ(日常生活)なりに、面白いことだらけ。
 ・・・・・・
3649, 地震 ーつれづれに ー10
2011年03月23日(水)
   * 日本経済がどうなるのだろうか?
 リーマンショックで死に掛かっていた日本経済は今後どうなるのだろうか? 
  ● まずは聞き及んでいる危なそうな話。
△ 地元のNSGなどの専門学校と、新潟大学などが卒業式と入学式を自粛。そのため稼ぎ時の美容室とホテルが大打撃。
△ 優先的に被災地が優先されるため、地元業者への建材の入手が困難になり、経営の根幹に関わる問題になっている。
   物から人へと民主党の政策のため、今回のような震災になると重機の絶対量が国内で激減。
   このような事態になると民主党の政策そのものが否定されたことになる。
△ 公務員の期末、期首の移動の歓送迎会が殆ど中止勧告。この時期に、当てにしてきた飲食店も大打撃。
   駅前などの繁華街は閑散としており、入店客は皆無の状態。
△ 注文していた商品が入荷したと家電チェーンのジョーシンから電話があったが、
   「節電のため、午後一時からの営業時間」という。学生が上京などで家電を揃える時期にである。
△ IT化で出張などが激減している上に、日帰り圏の地方の駅前ホテルなどが大打撃を受けている上に、これ。厳しさが身に沁みる。
△ 高校野球の特別枠の佐渡高校では応援団を出さないことに決定。
△ この震災は12〜16兆円の直接損失というが、間接損失を含めると、その何倍になる。
   国民総生産はマイナ10数パーセントの可能性がある。
△ 東北・関東の農業、牧畜は雨などの水で汚染され、壊滅状態に。
△ 計画停電は夏まで続く上に、ガソリン不足が経済の足を引っ張る。ピークの夏では25パーの電力不足になる。恐ろしい限り。
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3284, リーマンブラザーズ、最後の4日間
 2010年03月23日(火)
この三連休は、家で大相撲やプロ野球、そして録りだめていた映画を見てすごした。
その中で「大暴落 サブプライムに潜む罠」の続編「リーマンブラザーズ 最後の四日間」を二度みてしまった。
実録的なドラマ仕立ての内容だから緊迫感が満ちていた。多くの本やNHKのドキュメントを見ていたため、
引き込まれてしまったのだろう。ギリギリまで何とか救済されると思っていたリーマンの重役達の姿がリアルである。
 ー まず「リーマン・ブラザーズ 最後の4日間」の解説をW0W0WのHPからー
世界金融危機を象徴する、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズの崩壊。それまでの舞台裏を、実話に基づいて描いた
英国発ドラマ。歴史に残る4日間を再現した衝撃作。2008年秋に始まった世界金融危機を象徴するリーマン・ブラザーズの崩壊。
それに至るまでの内幕に迫った英国のTVムービーを《WOWOWプレミア》で日本初放送。 世界金融危機からほぼ1年後の
09年9月に英国BBCで放送されたばかりの最新作だ。 2008年9月12日の金曜日。NYのタイムズスクエアにある
リーマン・ブラザーズの本社に激震が走る。 米国第4位の規模を持つ証券会社・投資銀行であった同社だが、
前年に発覚したサブプライムローン問題の影響で、同年6〜8月期の純損失が39億ドルにも達したと判明したからだ。
それから同社が倒産するまでの4日間、同社の経営陣は合衆国政府などに救済を求めながら何とか社の延命をめざしたが、
同社の株価の急落を止めることはできなかった。 しかしその背後には金融界や米政府を含む様々な思惑がうごめいていた…。
実話に基づき、歴史に残る数日間をリアルに再現した衝撃の実録ドラマだ。
 ▼ メルリリンチ社社長とバンク・オブ・アメリカの社長の買収交渉の株式買取の値段交渉の場面がシビアである。
 当時の財務長官のポールソンがアメリカの金融機関の長たちと難局を協議する場面も圧巻。
 ポールソンが、リーマンを見放したときの言葉、「何処から倒れるかだ、まずリーマンが倒れただけだ」が印象的。
・「人は99パーセントが動物で、1パーセントが人間。その一パーセントで変になってしまう。
 しかし貴方たちは、その逆と思っていないか?」
(字数の関係でカット2012年03月23日)
 ・・・・・・・・・
2909, 寝入る瞬間を経験したことがあるか? −2
2009年03月23日(月)
 学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉に聞いたところ、
「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張っていたが、
出来なかったという。 それをキッカケに7〜8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか試したら、
一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。 そして10歳では・・・と、身近な疑問が次々と起こってきたという。 
400ページの分厚い本で上下巻あったが、30分ほど図書館で「寝入る瞬間の経験を何故できないか」の部分を調べたが、
調べた限りではなかった。 これは簡単に論証するには至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは当然のこと。 マギーが、その後の人生で
寝入る瞬間の経験をしたことはなかったようだ。もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 
それを経験したことのない人や、哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能と論証された」を信じる人がいるとしたら、
私の経験はウソと判断するはず。しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、
数百分の一の刹那であったし、それは夢ではなかった。「あ、見た!」という感覚を今でもはハッキリ記憶している。
 マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、
あまりの好い加減と恥じて、それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をしているのであるが、
そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。それなら、もし彼が好い加減な論の推測を気楽にできることになる。 
  ーその後の推論は次のようになるー
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥にある無意識が引き込む世界で、意識の世界で
コントロールは出来ない。その瞬間は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間であり、それは意識は捉えるには、
その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、膨大の瞬時の集まりが大きい。 更にいうなら、無意識
(寝入った世界)が引き込む精神作用は意識世界の作用でコントロール出来るほど浅くはないのは経験済みである。
その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しいといってよい。無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が刻印されている。・・・ ー
 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。「神の姿を垣間見た」と類推するのは、言い得て妙だが。
・・・・・・・
2545, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー3
2008年03月23日(日)          ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 女主人の一番の栄誉が、J・F・ケネディが館に来訪したことだろうか?
当時、こういうことを言ったら消されただろうが、時間の経過で身に危険がないと判断したためだろう。 
真偽のほどは解らないが嘘までデッチあげないだろう。所詮ズボンから下のことは、こんなものだろう。 
政治家は言葉である。国民に方向をしっかり告げて、底からエネルギーを沸かせればよい。
ともかく、この本、どの部分を読んでも、具体的でおもしろい!
 ーー
ある朝、私はアメリカ大使館から電話をもらいました。「VIP(大変重要な人物)が今、パリにおしのびで
いらしていますが、最高に品格のある女性をと望まれています」その話し相手はつけ加えて言いました。
「彼に、その女性があなたの館から来たということを、知られてはいけません。
 私たちは彼女のことを、大使の友だちのマヌカン(モデル)として紹介します」
「まったく問題ございません。私のところにそういった場にふさわしいパーフェクトなイギリス女性がおりますので、
彼女を送ります」  翌日、娘はとてもエキサイトしてオフィスにやってきました。「クロード、大統領だったのよ」
「えっ、どこの?」と、地球の支配者達に、何の感動を覚えなくなっていた私は、ぼんやりと尋ねました。
(字数の関係でカット2011年03月23日)
・・・・・・・・・・
2007年03月23日(金)
2180, 14歳の君へ ー2    オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
 ー 読書日記
ー勉学ー についてが、考えさせられる内容である。私自身、この歳になって学ぶことが、飛躍的に?伸びている。
何ゆえかというと、知った分だけ自分が広がっていく実感と、充実感がよいから意欲がわくためである。
それと、このHPを持ったことも含め、情報環境が飛躍的に良くなったことである。 この20年近く秘境・異境に行きつづけて、
大自然や異境の文化・文明との出会い、感動を重ねている感覚に似ている。ツアーと旅とは似て非なるものである。
それぐらい解っている。旅は目的地そのものへの到達と、そのプロセスを味わうもの。その困難性やハプニングの中こそ、味わいがある。
ツアーはプロセスを楽しむが、それは企画された範囲である。企画側のストーリーの中での、危険を最小限度に抑えて楽しむ遊びである。
しかし一つの事例として、北スペイン「パンプローナ牛追い祭り」の二週間のバスツアー。旅なれない個人の企画の旅より、
20人位の人が大型バスを一台借り切った方が、効率が良い上に、最大限の観光が可能となる。またケニア、タンザニアなど個人では
危険があまりにも多すぎる。そこで仲間を集って経費を合理的に使う、これが現在のツアーの価値となっている。
勉学と少し話が違うようだが、自分の中の知識・見識の蓄積ということでは同じである。 勉学の目的「賢くなるため学ぶ」ことである。  
目的(地)は賢くなることで、良い学校を出て、良い会社に入ることではない。良い学校・会社に行けば、賢いやつが多くいるから、
賢さの意味や手法・手順が身に付くが、しかし目的(地)ではない。そのプロセスこそ重要という面で旅の道程を楽しむことに似ている。
 ー考えさせられた箇所を抜粋してみるー
  ー「14歳の君へ」から
 P-60 「勉強ができる」ということと、「賢い」ということは、違うことだとわかるだろうか。
君たちが普通、「あの人は勉強ができる」と言うとき、たいていそれは「成績がいい」ということだね。だけど、「賢い」というのは、
そういうこじゃない。たとえば、なぜ言葉というのは、そんなふうに活用するものなのか、なぜ活用することで言葉の意味は変わるのか、
そういう問いをもっていることだ。問いをもって、自分で考えていることだ。あるいはローマ帝国の本を読んだとして、
なぜ帝国は滅んでしまったのだろうか、滅ぶということは人々にとってどういうことだったのか、そういう問いをもって、
それを自分で考えることだ。教わったことについて自分で考えることことだ。君は授業で教わったことを自分で考えたことがありますか。
  P-65(字数の関係でカット2009年03月23日)
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2006年03月23日(木)
1815, 近聞遠見         ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ
先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫の「岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。
  ーまずは、その内容を紹介してみるー
 (字数の関係でカット2008年03月23日)
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 2005年03月23日(水)
  1450, 書く(一人、語る)ということ ー2
このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位の
インパクトがあった。書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。20代前半の日記を読んでみると、
書き残すという意味と必要性が解る。問題はその後書き続けてなかったことである。書き続けていれば、
人生は全く違ったものになっていた。日記など、自分の考えを書き続けている人は1?しかいないという。
それだけ自分の気持を書き連ねることは大変なことである。記憶として思い出したくないことが人生には多いからだ。
随想日記は、考える生活、語る人生への転換であった。
(それまでも少しはあったが、毎日書き出すことはしてなかった。)
・考えることが少ない生活から、 考える生活へ
・必要なことを求める生活から、  知を求める生活へ
・役立つものを価値としいた生活から、目先は役立たない価値を求める生活へ
・常識に従う生活から、        常識を疑う生活へ
・実生活の利害から物事をみる見方から、 真実を見ようとする生活へ
・日常の会話重視から、          哲学的論理を重視する生活へ と変わっていった。  
これは一般社会の見方を根底から否定することになる。それ以上に自分の知識欲求が、日にちを重ねれば重ねるほど
大きくなっていくほうが素晴らしい。しかし、興味本位でみている人は少しは納得はするが?何か可笑しな戯言に思えるだろう。
過去の天才を調べると、共通点は日記や、詩、手紙などに自分の気持や考えを雄弁に書いていたという。天才などなりたくもないし、
なれるわけがないが、脳の基礎構造を拡大している実感がする。4年間書き続けて、内面のコペルニクス的な大転換を経験している。
おそらく、このペースであと6年間ー合計10年続けたら、何かが爆発する予測はできるが、それが具体的に何かはわからない。
一昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、‘最近の若者が気楽に小説を書くようになった’という特集をしていた。
全く、他の本を読んだことがない若者が芥川賞をとってしまうのだ。携帯やパソコンでメールをしているので、いつの間にか文章力、
表現力がついてしまっている。おまけにインターネットやゲームで感覚が研ぎ澄まされている。彼らの文化もチャンとできているのだ。
言葉とイメージは人間に対し、神が与えた最大の能力(脳力)である。
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2004年03月23日(火)
 1085, 「80対20」革命 ?3 (読書日記)
現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。
ところで、その途方もない「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。
               (字数の関係でカット2008年03月23日)
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2003年3月23日 718, 「無名人名語録」
     ー永六輔ー  読書日記
 無名人、普通人、一般人……の片言隻句の集成である。誰かが言いそうで、オレが言ってもおかしくない、
と思わせる言葉だ。こう言っている人はどんな人かと想像を刺激する言葉に満ちている。普段バカ話を話している時、
こんな事をいつもいっていし、高尚な哲学の話よりずっと親近感を感じる内容だ。こうなると言葉の収集家といってよい。
ーまえがきー の一部
考えてみると老人たちが何げなくつぶやく「道家」も、江戸時代の「無名人命語録」だ。
 少し並べてみる
・ 堪忍袋の袋を常に首にかけ 破れたら縫え破れたら縫え
・ 今日ほめて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
・ ぶらぶらと暮らすようでも瓢箪は 胸のあたりにしめくくりあり
・ 手や足の汚れは常に洗えども 心の垢を洗う人はなし
・「 若い奴には教養がないっていいますが、その教養を身につける素養というものがありませんねェ 」
・「 美人の浮気を不倫というの、ブスの浮気は不貞というの。・・・これも美輪明宏語録 」
・「 美輪明宏が言っていたけど、美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる 」
・「 夫婦喧嘩しててね、ダンナの言葉に、お国訛りが出てきたらそろそろ注意するの。
   訛ったら、その次は暴力なの。だから、相手の言葉遣いをよく聞くようになちゃった 」
   (字数制限のためカット 2010年3月23日)
 『無名人名語録』  永六輔   2003年03月10日  長岡中央図書館
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2002年3月23日(土)
354,偶然の一致 -時差ぼけ
心理学でいうシンクロニシティーである。今起きてきて、台所の時計が9時16分で止まっていた。
居間の時計も9時16分で止まっていたのだ。寝室の時計で6時過ぎである事は確かである。現在は6時21分のはずである。
腕時計を見たら、9時21分になっていた。ウソじゃないか!ウソじゃない!そうすると3っの時間が9時16分に
一緒になっている事になる。台所の時計は止まり、居間の時計は現在9時35分でどういう訳か今動いている。
腕時計を今見ると9時35分である。(16分から19分たって35分になっていた為、時間が違う)
シンクロニシテーが起こったのだ! TVをつけたら9時35分であった。4っつ目の偶然の一致?
いや寝室の目覚ましが壊れていたのだ。お粗末!これが時差ぼけだ。家内は今も寝ている。それにしても朝4時に目覚ましを見たとき、
いやに明るかった!それに何の疑問を持たないのが時差ぼけである。たった今起きた小さい迷事件である。

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