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堀井On-Line
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2012年02月07日(火)
イタリアの大型クルーズ船長の言動に対して日本のマスコミは、あまり騒がない。世界の航空会社で最低といえばイタリアとインド。 海外ツアーで旅行代理店はイタリア航空を組みこんだものは少ない。 良くいえばラテン系の大らかさ、悪く言えば大雑把で好い加減。 その結果トラブルが非常に多い。 近隣にサービスとは無縁のイスラム系の国があるので目立たないが、先進国といわれる国の中では ルーズさに関しては最悪の国。 5千数百人の乗客の船長が我先に救命ボートに乗って逃げ出す失態は、国家そのものの恥でもある。 呆れる以前の問題で、誰も馬鹿馬鹿しく批評すらしないのが笑いを誘う。 その言い訳が二転三転し、イタリア人らしい。 ー ネットのニュースーより 【 イタリア中部ジリオ島沖で起きた大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故で、英BBC放送は18日、伊主要メディアの 報道として、過失致死などの疑い同じルートを通ったことがあるとし、「今回は転進を指示するのが遅れた」と語った。スケッティーノ船長の 捜査当局に対する供述調書の内容を伝えた。 それによると、船長は、乗客を船上に置き去りにして先に船を離れたことを認めたうえで、 自らの意思に反して岸へ運ばれてしまったと供述。 座礁した船の上で転び、偶然、救命ボートの中に落ちたと主張しているという。 船長はまた、船を島に接近させすぎたことが事故の原因と認めたうえで、以前にも3、4回、 接近させたと話している。 】 ▼ ここで、今回の沈みゆく倒産劇の私が、この船長に重なるところがあったのでは? という思いが出ている。 私の場合、何とか二人の年金で生活をしていけるが、従業員たちは、この時代に生活していくのが至難。 事業を始める時、 「始めたからにはリスクが伴う。全てを失っても後悔はしない」と最悪の想定をしていたので割り切りは早い。 しかし社員の立場は覚悟が違う上に、生活がかかっている。生活が確保されている私をみて、あの船長と同じようにみえて当然。 そのブザマな姿が自分に重なる! これも事業の起承転結の結。 リーマンショックからの売上激減の日々が大変だったので、 この厳しさには平然としていられるが、夜半に独り、あれこれ考えると凍りつく思いがする。これも覚悟の上で始めたこと。 45年の総括は2ヶ月後に行うが、創業準備の15年間の方が、この事業の30年の数倍の厳しさとエネルギーを要した。 準備を十分にして、時流の風に乗せてしまえば、あとは自動的に流れていく。 準備期15年の満足度80点、30年スパンは60点、 45年間で均して70点。最悪の結果としてもである。 惨劇を身近で多く見てきて、電光石火で終えたのは、不幸中の幸。 全ての人の人生は本来、無様・・・ 私も、その一人と思えば気持ちが楽。 あの船長、天国から地獄。マフィアからも狙われる! ・・・・・・ 3605, 大行進〜中国“小皇帝 2011年02月07日(月) BShi で2月5日(土)午後8:00の「大行進〜中国“小皇帝”たちの孤独〜」が濃い内容であった。 まずは、紹介文から ≪ 急激な経済発展で増加した中国の新富裕層。たった一人の子どもが大事にされ、何不自由ない環境とモノや金が与えられる。 “小皇帝”と呼ばれるその子たちの中には、親に暴力を振るうなど、問題行動を起こす子どもたちが増加している。 そんな手に負えない「悪童」らを更生させようという、型破りな民間学校が10年前に開校した。名物授業は2週間以上も歩き続ける 400キロの「大行進」。10tトラックで寝起きして毎日およそ8時間、平均40キロを歩き、精神的な達成感と自信をつけさせること、 そして農村にホームステイさせてもらい、社会体験を積むことが目的だ。番組では大行進する子どもたちに密着。 家庭の問題や将来への不安など、彼らの本音に耳を傾け、歩き続ける中で自分を見つめ、成長し、あるいは葛藤する姿を追う。≫ ▼ 深く考えさせられる内容である。日本で似ているのに「戸塚ヨットスクール」がある。これほど厳しくはない。 ここで収容されている何人かの小皇帝を通して、それぞれの親子関係と本人の抱えている問題が浮き出てくる。 何らかの問題は家族の中にある。 集団生活の中で、日記を書くことや、掃除、互いへの思いやりが出来ていくプロセスを 淡々と映し出されている。 家庭生活を通して父親、母親、そして兄弟から多くを学んで育っていくが、両親が共働きで 一人っ子にはモデルがない。その結果、親も子供も戸惑っている。10歳までの教育、躾で人生は大方決まってしまう。 それを10代後半に修正するのは並大抵ではない。 考えてみたら大人数の家族の中で色々の葛藤と、教えがあった。 身近に、色々な人生を見るのは刺激が非常に強い。ある意味では、この訓練校の中のようである。 中国の一人っ子政策の歪みは マクロ的にも必ず出てくる。「流砂の民」の傾向が強くなり、エゴ丸出し国家の要員になる。 日本人の無気力より良いか? ・・・・・・・ 3240, 一日、一回でよい 2010年02月07日(日) 「一日、一回でよい!」が、一ヶ月間の諺の‘日捲り’にあった。ツイッターを始めようかどうか迷っていた時、 「まず一日一回書き込むことから始めた」という勝間和代の言葉に触発され、まず一ヶ月間続けてみようと実施してみた。 成るほど続けていて「広い異世界を垣間見る面白さ」に気づかされた。 一日には、朝、昼、晩、夜半と一つのリズムがある。 これに沿って一つずつの習慣を積み上げ、第二の天性を作りあげることでプラスの変化をもたらすことが可能になる。 ウォーキング、随想日記、起床直後の仏前の祈り、新幹線車中の読書など、一日単位の習慣の重なりがある。 その一日単位の習慣の組み合わせが、その人そのものとなる。さらに週一度の習慣、そして、月、年に一度の習慣を付け加えていく。 特に朝晩にベストの習慣を身につけることがポイント。洗面、トイレ、風呂、三度の食事も、子供の頃から習慣付けられてきたものがある。 秀才とは、予習、復習の習慣のある人。天才とは得意を遊びにした人。 一日千回、せめて百回「ありがとう」を繰り返すとか、 般若心経を唱えるとか、考え方の意図的なカタチつくりも必要である。 『まずは一日、一回の厳守から』習慣づくりは始る。 しかし、これがなかなか難しい! 年に、月に、週に一度といえば、色いろある。それを自分の絶対言明にして、 その実行をしていくことが自分つくりということだ。この随想日記も、出始めは同じだった。 あと一年三ヶ月で十年になる。 ーたまたま去年の同日に、同じようなことを書いてきた。 ・・・・・・・・・ 2865, 一つのことに一万時間没頭 2009年02月07日(土) 昨日の日経で、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が全面を使った広告で 「今、若者たちへ」という次世代に贈るメッセージを語っていた。 その中に「一つのことに一万時間没頭しよう リベラルアーツ修め、『志』を打ち立てよ」がよい。 ーそれを要約すると ・若者は「とんがる」のが20代の仕事! 自分の能力の限界に本気に挑戦する数年を過ごすべき。 ・そのために何か一つのことに一万時間を費やすべきだという『一万時間説』を唱えている。 ・そうするとヒトカドの人物になれる。プロとして認められれば同じような集まりである『鉱脈クラブ』に入会できる。 ・大事なことは、一万時間も費やして獲得した人脈、知識、スキルをその後人生にどう生かすかである。 ・そこで求められるのが「志」、30代に志磨きをすることが必要となる。 志を磨くには、まず、自分が何のために生まれてきたか、社会のために何をなすべきかという『自己認識』が必要。 ・そこでは、国際社会で通用する高い教養が必要になる。 その第一歩が自国の日本のことを深く知ることである。 人間性を磨く、要は教養を深め、専門性を磨き、人を説得する努力が求められるということ。 −− これは決して若者だけではない。我われにも当てはまることだ。一万時間という言葉で気づいたことは、この随想日記、 8年弱続けてきたが、8年×365日×3時間=8760時間で、あと二年で一万時間になる。なるほど、と自分で納得している。 あくまでアマチュアだが、一日も欠かさず続けた効果は絶大であった。 あと2年で10年が大きな節目である。 書き続けることの深さを体感できたのが最大の収穫である。塵も積もれば山である。20人位の人が見続けていたようだが、 いや30人か? その人たちとは、ここでいう鉱脈クラブでつながっているのだろう。8年間で自分が大きく変化してしまった。 ー効果の一部を思いのまま書いてみると ・一番の収穫は、書くことが面白くなったことだ。 ・それと自分に自信が持てるようになったこと。 ・自分の限界がはっきりと見えるようになったこと。・プロのモノ書きの凄みが見えるようになったこと。 ・本の速読が飛躍的についたこと。 ・ものごとの本質の把握力がついたこと。 などなど、あげると限がない。 もっと分かりやすくいうと、以上の文章を三十分で書けるようになったことである。 で、どうした?どうもしないが! 定年後に何をすべきか? これまで出来なかった何かを見つけて一日十時間、三年間集中してみたら!群れてないで。 ・・・・・・・・・ 2008年02月07日(木) 2500, 県民所得格差 ある新聞社のHPの記事をまずコピーしてみてから、地域格差の問題を考えてみよう。 −− 地域間の所得格差を計る代表的な指標は、人口1人当たりの県民所得。この県民所得は個人所得の他、 法人所得も含まれており、個人の所得水準というより地域全体の経済力を示している。 2005年の上位1〜5位は、東京都、愛知県、静岡県、滋賀県、神奈川県の順である。上位5県の平均は、362万5千円である。 事業所が集中しており、昼間人口の割に夜間人口がない東京都は478万円とやや特別な高さとなっている。下位1〜5位は、 沖縄県、高知県、青森県、宮崎県、長崎県と南北の遠地で構成されている。下位5県の平均は215万7千円であり、 上位5県の平均はこれの1.68倍となっている。 高所得5県と低所得5県の間の所得格差は1961年の2.32倍から 高度成長の時期における工場の地方分散などにより1975年の1.58倍へと縮小した。 その後、地域間格差はほぼ横ばいの状況となったが、1980年代後半のバブル経済の時期には やや格差が拡大した。その後の景気低迷の中で、景気対策としての地方への公共事業の 重点配分などの結果、さらに地域間格差は低下し、2001年には1.55倍と過去最低となった。 ところが、その過程で、公共事業抑制、行財政改革、地方分権改革など、「改革なくして成長なし」を合い言葉とした 改革路線が本格化し、それに伴って、地域間格差も4年連続上昇し、2005年には1.68倍へと上昇している。それでも 高度成長期以前の地域間格差と比べるとなお格差のレベルは低く、諸外国と比べても地域間格差の水準は低くなっている。 ーー 以上だが、数年前に長岡は東京のの6割、新潟は7割の所得と聞いていた。 しかし、2005年度で、新潟県平均で6割というから、中越地震と、中越沖地震の影響で5〜10?は落ちたので50?を 割った水準だろう。物価とか、家賃とか他に諸々を考えると20~30?は低いので、都会との生活水準は八割位であろうとは、 感じてはいた。去年、静岡県の島田市に学生時代の友人のところに遊びに行った。彼はトヨタ系の自動車部品メーカーの 下請けの社長だが、静岡県を案内してもらっているうちに、新潟県との空気の違いを感じ取った。 車は中型車の新車が目に付き、家は新しい上に、道路や公園が整理されているのである。 ここはアメリカ?という感覚になってしまった。角栄が政治的に健在だった時の新潟県の豊かさを見ているような・・。 (字数制限のためカット 2011年2月7日) ・・・・・・・・・・ 2007年02月07日(水) 2136, 占いと、細木数子について −1 o_ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニ パッ オハヨ〜 私は占いに興味がない。 ただバカバカしいからだ。ありゃ、??向けのものでしかないのは、 ジャリむけ女性週刊誌の定番商品であることが、そのまま実証している。 そこで理屈として「占い」を考えてみよう。その扱い心理商品は、「不安」と「「悩み」そして「物語」である。 (以下、字数の関係でカット2009年02月07日) b(^o^)ノ バイ! ・・・・・・・・ 2006年02月07日(火) 1771, 老いを生きる意味 ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!! 図書館で立ち読みして思わず吸い込まれて、借りてきた本である。還暦を過ぎたためだろう! その中の「老いのキー概念」が考えさせられた。 一つずつがシビアで、煉獄を思わせる。 (1)居場所がない (2)社会的役割の喪失 (3) 貧困と孤独 (4)生と死の間のさまよい (5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え (8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答) (9)ボケと過敏 (10)成熟と衰え 以上のそれぞれの項目は深い問題であるが、デッサン的に取りあげていた。 北欧で老人が公園で何もすることが無く、寂びしそうにベンチに座っている姿が眼に焼きついていたが、 内面の複雑な心までは感じ取れなかった。それぞれの項目ごとに、過去に出会った老人の患者の逸話が具体的に生々しい。 両親、特に母親を見ていて、この全てのプロセスが悲しく可笑しかった。そして自分も10〜20年で、一つずつ 直面していくことになるのだろう。それまで生きればの話だが。父は70歳、(70歳で末期がん、71歳で亡くなった) 母は80歳までの人生であった。(82歳より痴呆、88歳で亡くなった) ある医師の対談で「‘70代後半に痛みのない癌で死ぬ’のが、私が見てきた理想的な死だ」 という話が印象に残っている。 その意味では、義父は理想的な死だった。 私ごとの話だが、理想的な50代を過ごしたが、理想的60代はどう過ごすか考るのが、今年の課題である。 60歳代前半は後継者への引継ぎの期間、後半は40〜50回の秘境ツアーに集中!が大きなデッサンである。 そして70歳代前半は人生の後始末で、70歳後半〜80歳前半で癌でさらば! ☆ミ(o*・ω・)ノ サラバジャ!! 後は野となれ山となれ、というところだ。そういうものと思って生きていれば、気が楽になる! ・・・・・・・ 2005年02月07日(月) 1406, フリーター漂流 一昨日のNHKスペシャルの「フリーター漂流」に、考えさせられた。フリーターを臨時採用する会社があって、 その会社は(派遣ではなく)下請けの立場で、「フリーター」を工場に送り込む。ラバー(単純作業労働者)を、 下請けとして契約相手先の工場内で作業をさせる。元請は契約下請け作業員を直接工場で働かせているにすぎない。 (以下、字数の関係でカット2010年02月07日) 。 ・・・・・・・・ 2004年02月07日(土) 1039, 鳥インフレエンザ ・[人から人の感染阻止に全力 最悪なら10数億人感染も ありうるとのこと。 アジア各地で猛威を振るう高病原性鳥インフルエンザについて、世界保健機関の西太平洋地域事務局の 感染症地域アドバイザー、押谷仁博士(44)は一月三十一日、マニラで共同通信のインタビューに答え 「最悪の場合、 世界人口の30%が感染する事態も想定される。封じ込めが緊急の課題だ」 と指摘、国際社会が対応を誤れば十数億人が感染する恐れもあると警告した。] ・「SARSはむしろ封じ込めやすい病気。ハクビシンなどの動物から人に 感染したとみられるが、その後は重症者からしか 広がらなかった。だがインフルエンザは無症状の人からも広がる」 如何して、これに対して問題にするかといえば、 スペイン風邪の過去の事例が あるからだ。 ー上記は鳥インフレエンザのweb上の記事の内容である。 (以下、字数の関係でカット2012年02月07日) ・・・・・・・・ 2003年02月07日(金) 674, ぶざまな人生−2 (読書日記) 立ち読みをもとに、前回「ぶざまな人生」というタイトルで書いた。 先日、本屋で再び立ち読みをしたら、「前書き」と「あとがき」が余りにも面白い内容につられて 思わず買ってしまった。下手な要約を書くよりずっと文章に味があるので、そのまま写し書きする。 ーー表紙ーー ーぶざまこそ人生の醍醐味と見つけたり! 人生50年も生きていれば、時に不偶感に苛まれ自信を失い世間に屈してしまうことがある。金がない、愛されない、 学歴がなく社会的地位もない、有名でもない、おまけに流行にもついていけない。だが、これらはけっして「ぶざま」を 意味しない。人生とは他人に見せるものではなく実際に生きるものだからだ。 「人間の人生」(=運命)に翻弄されながら、それでも「自分の人生」(=意志)を垂直に立て生きようとすること、 それだけが決定的なことなのだ。「ぶざま」を自覚しなければ、生きている資格がない。 (以下、字数の関係でカット2010年02月07日) ー 続くー ・・・・・・ 2002年02月07日(木) 324,中村天風 この人の本を読んで人生観が変わった。基本は人生は「積極一貫」である。 言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。 「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。 ・「積極一貫」がその中心 ・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。 ・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。常に注意を払い,充分に気をつけていなくては。 ・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。その為に、「独りだけの時間」をもち、 「心を澄み渡る」ようにしておくべし。 そうすると「感受性」が高まる。 ー最近また天風の本を一日一回目を通している。理由は簡単である、トイレに置いた。 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。 単純なものだが、何か力が底から湧いてくる。 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。 「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。それが自分の義務だもん」 -天風 ・・・・・・・・ 2月7日 1969年 9時起床。 10時に食事。 その後、登校後に人事管理の試験であった。まあまあのでき、よくて優、悪くても良だろう。 試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授のところに行くが不在であった。アメリカの、グリーンスパン教授と 親交がある人だ。その後、三人でボーリングに行く。150点、私としては上出来であった。その後、帰寮。 19時半から、私の追い出しコンパだ。今までは送る立場であったが、今日はついに自分の番である。 蒲生と高橋をのぞいて全員が出席をしてくれた。少し白けた感もあったが、最後まで永田さん、市川さん、 間中、佐藤、尾形と残ってくれた。酔っていたが、市川さんに「私から全てを吸収しきってしまった」という。 まあ、そうだろう。最後に佐藤が泣いてくれたのは嬉しかった。それにしても、市川さんとは、この二年間は 週末は必ず食事に行っていたのに。如何したことか解らない。そんなものか、この男は。ショックであった。 一人一人、いろいろなカタチで別れていかなくてはならない時なのだ。それにしても、市川さんの最後の言葉は 何なんだったのか。怒るより、むしろ呆れてしまったというのが本音である。 寮にそのまま居座る為の、デモンストレーションのつもりなのだろう。 毎日毎日が、あまりに刺激が強すぎる。
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2012年02月06日(月)
* 情報(言葉)の恐ろしさ 「7割の確率で首都圏直下型地震が4年以内に起こる」とうニュースが衝撃的だったが、先日の土曜日の朝、 BS朝日で例の東大地震研究所の教授が、その首都直下型地震について話をしていた。 「首都直下に7割起こるとはいっていない。 南関東全域で7割の確率で、震源が首都直下の場合、死者1万1千人、 建物消失が85万棟になると算出したのであって、マスコミがそれを編集する上で、南関東と都心直下の言葉が入れ替わった 情報が一人歩きをした」。 それも研究員個人の見解であって、東大地震研究所が発表したのではない、という。 記事の内容をよく読めば決して嘘ではない。見出しが誤解を生む内容で、記事の内容も「都心が震源の場合」と書いてある。 情報とは、こんなもの。 言葉の組み合わせで、受け止め方で、意味合いが全く違ってくる典型的事例である。 見出しをそのまま、信じてしまう甘さに自分でも呆れている。 マグネチュード7の地震は、3・11直後、何度も起こっている。 それが南関東で起こって当然で、実際その地域で小さな地震が多く続いていることから、4年で7割の可能性が出てきたようだ。 東北の沖合で500年に一度の大地震が起こったため、周辺で大地震が起こる可能性が10倍になっていることからして、数年間は 特に厳重な注意が必要。 ニュースで早速、スーパーなどで、避難・災害用グッズ売り場を二倍にしたと報じていた。 多くの家庭で準備が始まったようだ。世界的金融不安の上に、足元の地震の心配。ますます殺伐とした空気になってきた。 とはいえ、首都圏崩壊の可能性?の備えは、充分にしておくべきである。 ・・・・・・ 3604, 旅ばなし 小題 2011年02月06日(日) * カナダ・ロッキー山脈の感動 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 これが地球上に存在しているのか? と。 バスの中で眠り込んでフッと眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の 線がひかれたようだ!」という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。タイミングとして初めて広大な 大自然を見たのが良かった。グランドキャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。大自然の壮大なパノラマに対する感動が、 自分の心に深い何かを与えられた初めての経験であった。 * 秘境ほどトラブルが大きくなる あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。 それを逆に楽しむのが通というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じで、受け止め方の問題になる。 波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。 トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味になる。 良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。 (例外もあるが?)そして、遠く離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。 神とは宇宙の織り成している力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが神の姿に思えてくる。 * 323,ある時間の断片-1 2002年02月06日(水) モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。 4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、 もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。その話しが面白い!といって 今回の観光のピークの場面。その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか本当に迷ってしまった。 世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。 それは座る場所で決まるのだ。家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。 その内容とは ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。 誰も知らない秘密を私だけがしっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」 と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い! 家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。 同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。 ネタはツキマセン! このての話しなら! ・・・・・・・・ 3239, 閑話小題 2010年02月06日(土) * 朝青龍の引退 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情する向きは少ない。「一人横綱を4年続けたプレッシャーは 想像を遥かに超える。それを一年経験しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレードでモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、 「あれは変だ」とマスコミは口を噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて一番強い力士。 あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無かった。 来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、 もし残留しても同じような問題を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。その段差に、 数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。 * ツイッター、その後 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計りしれないが、それ以上に、この社会に与える インパクトは大きくなる。要はモバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。 (字数の関係でカット 2012年02月06日) ・・・・・・・・・ 2864, 「要約力」を要約する 2009年02月06日(金) 「要約力」 ー読書日記 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換えることも出来る。 毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。 ここで「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、表現する能力」としている。 −要約には1.ストックと2.フローと分け、 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、要約カプセルと名づけている。 −要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。 「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下) 前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。 更に印象に残った部分を抜粋すると ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要 感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報のエッセンスとし ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」「とどのつまりは…」 「でも、本当にそうなの?」「なるほど」 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、 各論に入るのが速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。 ・・・・・・・・・ 2008年02月06日(水) 2499, 無くてはならぬもの −7 − 一度だけの人生 ―どこに根を張るか− 〜2 P−197 私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。 「何をするか」ということを問題にすべきである。自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶこと。 自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。 一流大学でなければいいところに就職できない、 など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。 あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。 解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。学問は、その意志ー目指すべき人生を 学ぶことでもあるから、一概には言えない!それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。 P−206 *人生に意味をもて 生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように思われる。意味がないから、 生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。 人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、 それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれる ことがある。しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。 祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。祈るときキリストは私の前に立ちたまう。 私は独りではない。人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、 「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、 神を信じろという言葉に等しい。その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか? 40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。 ・・・・・・・・・・ 2007年02月06日(火) 2135, 時間についての一考察 −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪ 前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の 『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。 直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い! ーーーーー 在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?精神でさえも現在に属しているというのに、 どうして我々がそんなことを望むのだろう? 人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。 天国や約束のように天空の中に隠されているわけでなく、牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。 我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として 生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。 ・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」今日を楽しめ!ということなのだろうか? それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。 (字数制限のためカット 2011年2月6日) ・・・・・・・・・ 2006年02月06日(月) 1770, 閑話小題 才ノヽヨーφ(・ω・`) ー倒産にみる地域性 (字数制限のためカット2010年2月6日) ・・・・・・ 2005年02月06日(日) 1405, まよったときは運命を信じなさいー3 −三つの部屋の物語ー 寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングをして半月以上になる。以来、夢が次から次に出てくる。 現在抱えている問題や過去が、夢の形で迫ってくる。心の奥に閉まってある問題が、現在の問題と何らかの形で繋がって 短編の物語になっている。人生、59年も生きていれば、多くのことがある。 今まで袋に入れて、入り口を紐でしっかりと 縛って出さないようにしてきたが、過去の日記を書いたり、本を読み込むうちに溢れ出始めたのだろう。 そして傷口が傷むのだ。怒りは見えない形での傷口の悲鳴の変形ではないだろうか。怒りは、その傷口からの叫びなのか。 潜在意識とは、つくづく複雑で深いものである。心理療法の映画を見ていると、心理カウンセラーが心の傷を探して、 その傷口を治療するプロセスを面白おかしくストーリーにしてある。 「迷ったときは運命を信じなさい」の中のギリシャ神話の神の「光りのイメージト・レーニング」は、 自分の原型探しの他に、自らが光りのイメージになることが、癒しにとってリアルで驚くほど効果的である。 ところで、私のストーリーをつくってみたくなった。 私の心象風景でもある。 ーー ー三つの部屋の物語ー 地下へのトンネルのあった家から一度出て歩いていると、古びたレンガつくりの田舎風なホテルがあった。 そこで、そのホテルに泊ることにした。何か魂が休まるような感じのよいホテルである。案内されたホテルの部屋は思いのほか広い。 見渡すと隣の部屋へのドアがあった。家族連れなど大人数の為に二室を使う時のドアである。そのドアが半ば開いていた。 中を見ると小さいスペースがあり、光り輝いていた。一歩入ると、自らが光りになったような感じになった。 そして更に三室のドアがあり、それぞれの部屋の名前が書いてあった。「未来の貴方の部屋」「亡くなった縁故者の部屋」 「無限宇宙空間の部屋」そこで先ず「未来の貴方の部屋」に入ってみた。何と10年後の私と、20年後の私と、生まれる前から 亡くなった後も包み込んでいる私が立っていた。先ず10年後の私が、肩に手をかけてソファーに優しく導いてくれた。 そこで、緊張をしている私に向かって、にこやかに話し始めた。彼は、「これから先の貴方の10年間を全て経験してきた」。 そして、慈愛の目で私の心の奥を覗き見るようにみて、「私を知りたかったら、十年前の自分を見つめなおしている今の貴方が、 そのまま私である」と、語りかけてきた。 ー づづく ・・・・・・・ 2004年02月06日(金) 1038、「わたしは悪い不動産屋」−2 以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。 この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。 真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。 その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が 含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。 知り合いに面白い善意の不動産屋がいる。自分は何もそれが彼の仕事である。ところが、それを親しい人間にも、それをしている。 そのことを自分で全く解ってない。純粋で、善意で、無意識で、人間の瑕疵をさがしてしまている自分に気が付いてない。 その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。 ー商売性格形成論を今度かいてみよう。 不動産業の業よりも、誰もが持っている人間の業であるが。人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。 人間論になってしまった。まあ他人事でない。違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。 生きるということは、こういうことなのだろう。純粋性の恐ろしさと、深さがある。不動産屋は、なるべく相場より安く 値づけをして早く商売を成立させたい。その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。 不動産取引は、情報の売り買いである。長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。 蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。 そして無くてはならないビジネスである。 不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。野球のバッターに例えると ・バント専門 ・ヒットバッター ・ホームランバッター ・代打専門と、それぞれの特性がある。 ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋 ・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割〜半額を もらうことを裏契約をして共同作戦をする人 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 トンビという仕事もある。事務所を持たないで、 情報を売り買いしているハイエナ的な仕事。饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。 ・・・・・・・・ 2003年02月06日(木) 673, 笑点 毎日新聞で,毎週日曜日の夕方のTV演芸番組の「笑点」を特集していた。 ー要点を書くと (字数の関係でカット 2009年02月06日) ・・・・・・・・ 2月6日 1969年 産関論の試験は、まあまあよかった。途中で、クラブの仲間の小林(仮名)とバッタリであう。喫茶店で、彼と話す。何かチグハグで かみ合わない。ここで司法試験に挑戦をすることにしたとか。ここにきて、思いつきで受かるほど甘いものではない。 動機が浅いのが私でも解るのに。本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。8日に、再び会うことを約束をする。 私の寮に来るという。クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。親父が不動産屋で取引の何かがあって刑務所に 入っているとか。どういうことか解らない。
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2012年02月05日(日)
長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」 * 明治元年の五箇条の御誓文 【 たとえば自国が経済危機に陥っているからといって、若者たちがデモをし、店や車を壊して為ばれるという海外ニュースを、 われわれはよく目にする。愚かしいかぎりの行動であるが、民主主義イデオロギーに即していえば、彼らは正しいふるまいを しているのである。指導者に対する不信と敵意を破壊的な行動によって示すのは、近代民主主義の出発点をかざるフランス革命以来の 偉大なる伝統だからである。民主主義が本質的にかかえ込んでいるこうした愚しさを克服して、かくも厄介な民主主義をなんとか うまく使いこなす方法はないものだろうか? 考えてみれば、「国民の、国民による」政治という形それ自体は、活気にみちた 健康的な国家をっくり上げてゆくうえで不可欠なものともいえる。国民自身が意欲を失い、やる気をなくした国家に、「国民のための政治」 が実現するはずはない。 ・・・明治元年の五箇条の御誓文には、そのエッセンスともいうべきものが簡明に表現さきじている。 一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛二経編ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民二至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ随習ヲ破リ天地ノ公道二基クヘシ 一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ ここでまず注目すべきところは第二条である。 この「経論」という言葉は、もともとは政治を指して使われる言葉であったが、 ここではむしろ経済活動に重点を置いて使われている。つまり指導者も国民も、すべて心を合わせて、政治・経済の活動に 積極的にかかわろう、ということである。あたり前の呼びかけとも思える。政治であれ経済であれその他何であれ、上も下も心を 一つに合わせておこなわなければ、よい仕事はできないのである。しかし今みてきたとおり、この「上下心ヲ一ニシテ」ということは、 まさに民主主義が捨ててしまった心構えである。その意味で、実はこれは極めて根本的な民主主義批判ともなっている。】 ▼ 日本の近代の始まりの明治元年に立ち返り日本の誇りを取り戻すことが必要である。一条の「公論」の心構えこそ、この非常時に 求められること。相手の論を叩き潰すのでなく、危機を乗り越えるための論でなくては。目標が明確であれば、公論が可能になる。 声をだして、何度も読んでみたが、なる程、そのとおり。現在の日本は壊滅状態、これを第二の敗戦とみるなら、近代日本の精神を、 この御誓文として新たな第一歩とすべき、という著者の論も納得する。 ・・・・・・・・ 3603, 閑話小題 2011年02月05日(土) * ほんの5年前までは 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。 現在はどうだろう? 中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 2005年に下流社会という言葉が 流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を 対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。 貧困に「相対的貧困率」という数字がある。 平均世帯所得の半分以下の世帯の数が、全世帯に占める割合をいうが、1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には一挙に倍近い 15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えているのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると ≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象。 これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、4人世帯では254万円に相当する。≫ リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は、貧困層。ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 感覚的にみて、日本の半分以下だろう。とすると、10年、20年かけフラット化していくプロセスに入ったということか。 * 百円ショップの楽しみ 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。 新潟では昼休みの運動に歩いて10分ほどの駅南の「セリア」に。 通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。 一回に千円程度を買うのが楽しみ。 殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの商品で溢れている。ノート、電子機器などを 入れる袋もの、小物を一時的に置くカゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。 電動アシスト自転車を 千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く 「百円ショップで、一度見てからにしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付のものがあった。 百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んである考え方は非常に良い。 ・・・・・・・・ 2010年02月05日(金) * 狂ってしまった猿 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に「鏡の間」という場所があり、 そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。 世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、 生存を賭けた人間世界形成している。鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、 他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」 と付記されていた。これは1963年に、自然保護の分野で著名なウィリアム・コ (字数の関係でカット2012年2月05日) ・・・・・・ 2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2 2009年02月05日(木) この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。 自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、これまでの自動車の概念が変る。 ・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり3万点の部品が、2万点で済むという。 ・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。 (字数の関係でカット2009年2月05日) ・・・・・・・・ 2008年02月05日(火) 2498, 無くてはならぬもの −6 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー P−196 他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、とかけがいのない自分という存在ということを、 もういちど、しっかり見出してほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかもそれは二度と 繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当にわかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、 真剣に考えていくことができない。 p−199 たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、そういう人生の目的を見出してほしい。 そうして二度と戻ってこない一日一日を、そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。 天才とは、努力をする人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を通して 何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。あなたは社会的に成功しなくてもよい。 自分がやりたい事を一度かぎりの人生に打ち込んで努力してみたらよいではないか。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。 その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題にはしない。どんな小さなことでも、これが自分が したいことを生涯を通して行えば、世界のために何か貢献することができるのである。それで途中で倒れることがあっても、 一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのではないだろうか。 P−202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセーを思い出す。「偶然再興」の中に収められ文章であるが、 「・・・ある時、砂に食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも違っていたのである。 楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べて地下の根は。戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、 枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を無数にもって、 いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを知っていた。 しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に打たれぬわけには行かなかった。 ーーー 「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。 個性とは、自分が人生をかけて打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。 38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」の一冊であった。実は読み返して今、気づいた。 それでは他の二冊は何か? 近々に取り上げてみようか。大本教の出口王仁三郎の本と、新約聖書である。 ・・・・・・・・・ 2007年02月05日(月) 2134, 時間についての一考察 −1 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。その中で「いま、ここ」−現在ーの意味が深い。 考えてみても解ったような解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?には 非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、 人を殺してやりたい位に憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、 ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく「その時点での今・現在」に経験したことである。 (字数制限のためカット 2010年2月5日) ・・・・・・・・ 2006年02月05日(日) 1769, 閑話小題 ー エ!まさかー 先月の末の話になるが、長岡のある料理屋が閉鎖をしたと朝日新聞の新潟版に別枠で大きく取り扱われていた。 (字数の関係でカット2012年2月05日) ・・・・・・・ 2005年02月05日(土) 1404, 立花隆の旅について この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。深い人間洞察を何気なく言ってのける。 長年かけた知識構築の結果といえば、それまでだが。人間洞察を旅を通して語っているから尚のこと解りやすい。 人生は旅であるからだ。今回借りてきた、「思索紀行」−ぼくはこんな旅をしてきたの序論のなかの 「旅と人間について」の次の文章でもいえる。ーすべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。 その人が過去に読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わして印象深い会話のすべて、 心のなかで自問自答したことのすべてが、その人の最も本質的な現存在を構成する。考えた末に、あるいは深い考えなしに したすべての行動、その行動から得られた結末に対して反省や省察を加えたすべて、あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、 その人の行動パターンを作っていく。人間存在をこのようなものと捉えるとき、その人の全ての形成要因として旅の持つ意味の 大きさがわかるだろう。日常に支配された、パターン化された行動の繰り返しからは、新しいものは何も生まれては来ない。 知性も感性も眠り込むだけだろう。意欲行動も生まれては来ない。 人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化 されたものはいっさい意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。そして、そのように処理されたものは、 記憶にもされないようになっている。 意識の上にのぼり記憶されるのは、新奇さの要素があるものだけなのだ。 旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべてが新奇の要素を持ち、記憶されると同時に、 その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。 その人を作りかえていく。旅の前と後では、その人は同じ人であり得ない。旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら 無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の旅の、あるいは「大きな旅の無数な構成要素」がもたらす 小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよい。 ーー 以上であるが、人間と旅の本質をズバリ言い当てている。旅行に行って帰ってくると、それまでの自分とは別人になったような 感覚になる。行った先の自然や文明文化から受けた感動によるものだ。旅行で感動した幾つかが、自分の人生の魂の奥に沈んで、 人生の大きな骨格になっている。そして一回行った旅行は、それぞれが今も現実的に続いている。TVや書物で、 その後も多くの疑似体験ができるからだ。何処かしら週に2〜3回は情報媒体を通して、その続きの経験をしている。 この随想日記も、過去の出来事、考えたこと経験の集積ぶつを拾い上げ書き出している。汲んでも汲んでも尽きることなく出てくる。 ・・・・・・・・・ 2004年02月05日(木) 1037, 「わたしは悪い不動産屋」 読書日記−1 本屋で何回も立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。知り尽くしている私が読んでも、面白いのだから素人は 是非読むことを勧めます。こと不動産業界に関しては、一般の素人は非常に用心すべき世界である。 最近よく目にするマンションでAP?とかいうマンションがあるが、知る人ぞ知る危ない典型の??である。 建設業界やマンション業界すべてを、素人なら危ない世界と認識しておくべきだ。内装の一枚内側の設備などは、 どうなっているか解らない。会社は何処も火の車、何時潰れたもおかしくないのが内情。彼等はどこで手を抜くか、 目に見えない配管とかの隠れたところしかない。その結果は、買って10年〜20年経ってから欠陥として出てくるから始末が悪い。 間違いなく10年〜15年で五分の一以下に確実になるのに20〜30年ローンで買わされている。無知そのものが罪だというが、 露骨に自分に帰ってくる世界である。マンションを10年前に買った人のいまの相場を聞いてみればよい。殆どが5分の1以下である。 ファッションの服やバックは、一年経てば五分の一である。コストからみると、買った瞬間2分の1である。 本人もそれでよいと納得した買っているので、それはそれでよい。それと同じ感覚でマンションや住宅を買ってしまうことが 問題なのである。新興のマンションメーカーはファッションマンションとして割り切ってお客の無知を狙っているのだ。 それが消費者の意向ならそれでよいと。酷いといえば酷いが、飛びつく無知も無知である。 以下はホームページから調べた概要である。 ー つづく ーーーーーーー のっけから意表をつくタイトルだが、実際にはない土地を売るなどのいわゆる地面師みたいな本当に 悪い不動産屋なら、捕まって免許剥奪、不動産屋も解雇である。 従って、この本で扱うのは、 あくまで合法の範囲で、どのように不動産屋がインチキ臭いことをするのかといった話である。 (字数の関係でカット2009年2月05日) ・・・・・・・ 2003年02月05日(水) 672,嘆きの部屋 ・高校同級の土田氏が入院でわずか3週間で亡くなった。 食道がんで肺に転移もう末期だったという。 一瞬で地獄の底に突き落とされた恐怖は言語に絶するものだったろう。「病院には嘆きの部屋」があると モッケイクラブを事務所の部屋で開いていた時に、看護学校の末期医療専門の女の先生が話してくれたことがあった。 ・絶望のその気持ちや混乱を大声で喚くことで静める防音の部屋がどこの病院にもあるという。 もう他人事ではない年齢だ。 それまで生きてきた全ての人生を圧縮した時間が流れるという。 キュ−プラー・ロスという「死ぬ瞬間」という本を 出している死の見取りを専門にしてきた人が、その本で究極の死を受け入れの心理過程を書いている。 確かまずは拒否、怒り、取引ー自分との、受容。 ・父が死ぬまでの一年間、しっかりとその時間の中でそのプロセスをみた。 生への渇望ーその砂漠の真ん中に 一人取り残された生への渇きの極限状態だ。 その時父に「昔の哲学者がー本人にとって死はない!という話をした。 死んだ瞬間それは自分でないから、生きている限り自分の死は存在しない。存在するのは他人の死だけだーエピクロス」と。 父がその時ホッとした顔で「死について初めて解ったような気がした」と答えた対話が鮮明に残っている。 それまでの父の口癖は「死んでしまえばそれまでよ!」であった。 ・死ぬのは仕方がないことである。ただ後悔をして死にたくない! いや、後悔したっていいじゃないか、死んでしまえば 全て無なのだから。 生まれる時も独り、死ぬ時も独り。生きている時も独りだ。 ただ忘れているだけでしかない。 考えてみれば、生まれる前の状態に戻るだけ。誰もが生まれる前の状態と、死んだ後の状態が生きている時でも取り囲んでいる。 寝ている状態はその際に戻っているのだろう! 以上、死のおさらいでした! ・・・・・・ 2002年02月05日(火) 322、一人旅 ー「北海道」編 「北海道一周、九州一周、紀伊半島、能登半島」と、けっこう経験しているが世界一周の一人旅の経験はしてない。 人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ!といって振り返ってみると結構経験をしていた。 若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか?そのいくつかを書いてみよう。 今回は北海道である。大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、はやまた気取りか。 いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか? といって、それほど無理した旅行でなかった!殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ! そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。書いていていて、 多くのことを思い出してきた。世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる?いや当時はまだ無理だったのか? あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった!何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを 思い出した!一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった?いやあったが忘れてしまったのか? 函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。屈斜路湖、摩周湖、層雲峡と・・・一応振り返ってみると、やるべき時に やるべき事はやっていたようだ。30数年たって、この旅行を初めて振り返ってみた。行方不明のアルバムに写真が 残っている筈だが。青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションがマグマのように溜まっていた。 それがエネルギーになっていたのだろう。 ・・・・・・・・ 2月5日 1969年 11時に「価格理論」の試験であった。あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。帰りは、川崎と一緒だった。 帰寮後は、今日の試験のショックでやる気が起きない。いや、昨日のこともあるか。産関論の試験勉強をする。 あまり熱が入らない。しかし途中から集中ができた。の中でヤマをかけたが、どうなるか分からない。気持ちは刹那的である。
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2012年02月04日(土)
長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」 * 近代日本の出発点に立ち返れ! 最近の世界各国の紛争や、国内の政治を見ていて、信じて疑ってもみなかった民主主義そのものに疑問を持つようになった。 中国も、ロシアも体裁は独裁国家ではないが、実情は独裁国家。 欧米は、隠れた独裁者はいたとしても、 国家のトップは選挙で選ばれた首長が政治を司っている。民主主義は時代が安定の時には有効だが、大きな時代の変わり目には 厄介な代物になり、その使いこなす技は非常に難しくなる。 その民主主義について、分かりやすく書いてある書籍がある。 長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」である。 印象的な部分を要約して書き出すと、 ・ 民主主義とは「国民による国民のための政治」が、その基本形である。だが、政治という道が、本当に最良だろうか、という疑問。 この原理に従えば従うほど、実は「国民のための政治」は遠ざかって行くという、逆説がひそんでいる。 ・ それは、人間という動物がイワシのようにリーダーなしに群れとしての行動をとりえない生物で、町内の自治会ですらリーダーを要する。 指導者なしには政治は成り立たないが、「国民の、国民による」政治という原理は、首相であり大統領であれ、全ての指導者は不順な 夾雑物であり必要悪である。そのため常に、そこには指導者に対する不満がくすぶっている。国家が平穏の時は、それでも、ちょうど 水平飛行を自動操縦で飛行して何とか乗り越えるが、ひとたび荒天が国家を襲うと、指導者がその能力を最大に発揮しなければならない時、 深刻な危機にさらされる。飛行機が揺れているとうだけで、操縦室になだれ込んで、操縦を妨げれば、どんな飛行機も墜落する。 ・ 民主主義はバイキンに似ている。それは強い伝染力を持ち、またたく間に国境をこえて広まり、あちこちで出血性の発熱をともなう。 しかし、このバイキンを駆除すると、完全無欠状態で育てられて子供がひ弱になってしまい、国の健康を害してしまう。独裁国家がそれ。 ▼ 日本の政治の混迷が、正に上記の弱点を曝け出している。一年で首相交代が生じるのは、トップは民主主義では夾雑物になるため。 その期限が、日本の政治システムでは一年。それに情報化で、トップの威厳もあったものでない。しかし、世界的動乱に入ってしまった 現在、何とか切り抜けなければ国家破綻が待っている。著者は、ここで明治元年の五箇条の御誓文に、民主主義のバイキンの毒素を 取り除き、それを最上の活性化酵素として活かすヒントがあるとしている。 ーつづく ・・・・・・・ 3602, 閑話小題 2011年02月04日(金) * 日本の政府は巨大か、それとも普通か? 民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。社会主義者が政権をとっているから仕方がないとも言っていられない。 あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅するだろうが、これを立て直すに時間がかかるだろう。 で、果たして日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?の議論がある。 実は世界で一番の水脹れの国家になっている。 それも国家財政破綻直前で悪いことに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。 一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れの大きさが母屋の5倍以上はゆうにある。 国民の目は母屋しか見えないように官僚と自民党が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても 何も手がつけられない事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。 日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。 * パン屋の恵方巻き 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などというのを、今年のスーパーのチラシで初めて意識をした。 一週間前から、そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、昼飯のサンドイッチを買おうと思い入ったが、 サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、 カツとレタスにパンを巻いた上に海苔がかかっている。要は御飯替わりにパンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。 節分の日には、豆まきをしないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったものだ! ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた 《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。節分の夜にその年の恵方→歳徳神の 住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。》 ・・・・・・・・ 3237, 白川義員 2010年02月04日(木) *「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の宇宙の中にあって、たかが知れた粟粒ですよ。 その粟粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒ってことを知っている人間が、この世界に何人いるだろうか、 と思い始めたわけです。それならば、このスゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめてやったら どうだろうと。そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、生きる方向も 限られ連帯感も生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」 *「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で凄い写真にするウルトラCなどないということ。 小手先の技術だけで凄い写真が出来るわけがない。」 *「世界は『使われなかった人生』であふれている」 *「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。 神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから祈るしかないのだ…… 」 *「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」 〜 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。「世界の100名山」のDVDを持っているが、 素晴らしい映像が次から次へと映し出される。 20数年前、ある雑誌で彼がプロとしての写真家になる切っ掛けになった スイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。 その場面が、言葉の中から浮かび出てくるようであった。 私が世界中の秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との 出会いをするからだ。「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は出会っている。 それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山などでも経験可能だろう。大自然は、我われを通して自分の姿を見る。 その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が最小に押しとどめてくれている。 ・・・・・・・・ 2862, アメリカ発 世界自動車危機 2009年02月04日(水) 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。 ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー 《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の危機に直面している。 2008年、金融危機の炎はまたたく間に自動車業界に延焼。 旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんた。 GMを始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも 深刻な打撃を受けている。 なぜこんなことになったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデルを 延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街が 推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。 それが今回の金融危機で一気に瓦解したのである。 時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など 環境対応車の時代への模索が加速している。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。》 ▼ 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊のモデルを目の当たり見せられたようだ。 GMのローン会社GMAC・元ナンバー2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの三社の システムの構図は住宅のサブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、ほぼ無審査で買い手にローンを組むように 依頼されており、ホームレスにもローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と混ぜて、 格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。 (字数の関係でカット 12年02月04日) ・・・・・・・・・・ 2008年02月04日(月) 2497, 無くてはならぬもの −5 YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ 佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」 * 何を信じて生きるのか ー不信の中の絆ー この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて信じることができるのではなく、 信じることができてはじめて、理解しあうことできるのである」と述べている。 P−164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在としてつくられたためである。 そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。本能とか、社会における地位や身分とか、 その他いろいろな点で人は千差万別といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、 人は神様からつくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。 ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。 それは巧妙であるが、所詮は中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に気づかないから始末が悪い。 その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、 尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。宗教と倫理こそ信じるべき道標である。 他人ごとでない自分自身のことでないか。「これこそ愛である」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。 人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。 しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。 以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。 P−183 じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。 パウロはそのことを次のように告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。 ・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力の ないみじめさを、このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界にふれるということはできないかもしれない。 宗教などいらないという人は毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。 自分には他人を愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に他人を愛しようとしただろうか。 ーー こういうことを先に気づくか、後で気づくか? 人生は、口先だけでは後で後悔の日々になる! 青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。 ・・・・・・・・・・ 2007年02月04日(日) 2133, 閑話小題 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! * 顔筋マッサージ 先日、「顔筋マッサージ」について書いた。TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がってきていた。 ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。 その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、面白おかしく書いていた。 縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、 見事なぐらいにスッキリと以前とは見違えるように変わっていた。あれぐらいスッキリするのだから、 丹念に時間と回数をかけたのだろう。しかし、今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、元に戻っていた! マッサージをしていなかったのか? 私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない? * 一連のバラバラ殺人事件について (字数の関係でカット 10年02月04日) ・・・・・・・・ 2006年02月04日(土) 1768, セブン・イレブン (o゚▽゚)o オハョ〜 (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝) ここで取り上げるのは、コンビニではない。バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す言葉である。 (行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしているという)あくまでも誇張した流布と思っていた。 ところが、「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、奥さんが旦那の猛烈ぶりに欲求不満? と嘆いていた。その旦那の一日の日程とは! 4時 起床、 ノ□ヾ)ネムー 4時半 家を出発6時前に会社近くにある ロイヤルホストで朝食を兼ねて仕事の準備、7時出社、〜 23時に帰路、0時過ぎに帰宅、1時就眠・・・ 土曜日は一日寝て、 日曜日に家族サービスという。聞いて耳を疑ったが、噂は本当だった?若いうちは、 ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。生々しい金融の世界で、このような生活をしていたら世の中の人間、 全て馬鹿にみえてくるだろう。これに高速配転で鍛えられるのだから、能力は蓄積されて当然である。地方などにきたら、 いるだけで腹が立って当然だろう。地銀に出向になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は 埋められないという。 どちらが良いかは、 全く違う問題になるが! ( ̄◇ ̄)ノ))バイ ・・・・・・・ 2005年02月04日(金) 1403, 人口減少経済の新しい公式 ー 読書日記 ー縮む世界の発想とシステムー この本を読むと日本の将来に対し非常に悲観的になる。解っていたことだが、ここまで理路整然と日本の悲観的な現状を 人口減少という面で指摘されると・・・ 本屋で並んでいる日本の将来の悲観論より、何げなく人口問題で指摘されると、 やはりショックである。考えてみれば、経済の本質は人口問題である。その減少ということは、それも労働人口が激減する というから、これに対する手段は考えにくく、悲観的になる。ーまえがきーの一行目からして刺激的である。 「今日は、2015年の大晦日。今年も企業の売上高は前年を下回った。そうした状況はもう何年も続いている。 (字数の関係でカット 11年02月04日) ーーーーー ーある書評 日本経済新聞 朝刊(2004年6月20日掲載) (字数の関係でカット 09年02月04日) ・・・・・・・ 2004年02月04日(水) 1036, 一人遊び −2 以前「一人遊び」を書いたことがあるが、再び書いてみる。一人遊びができれば人生の問題の大部分を解決できるだろう。 自己完結をしたことになるからだ。一人で散歩をして、読書をし、一人食事をして、一人で考え、一人街を歩き、一人買い物をして、 一人で旅に出て、一人仕事をする。一人遊びは人生を通して、特に晩年に要求される。これは訓練と練習で身につけることが可能である。 しかし長い年月の積み重ねが必要である。その積み上げた一人の楽しみを知ってこそ、人との楽しみも数倍に膨らむものだ。 いま35年前の日記を書き写しているが、一人でよく遊んでいたことに驚く。若かったことと、遊ばなくては神経のバランスが 保たれなかったのだろう。それが結婚を機にして、一人遊びのカタチが変ってしまった。本屋まわりや、散歩や、読書や、 ホームページの書き込みや、図書館通い、などなどの一人遊びをしている。大人数の末っ子ということもあって、あまり人に 気をつかうのが嫌なのだ。といって多くの人の周りにいたいのだ。ノイローゼとか、精神症は他者に依存をしようとする姿勢から生じる。 群れの中で自分を見失っていくのだろう。連れ添いに先立たれて、友人も次々に亡くなった時に真の一人遊びになる。 以前書いた「一人遊び」の内容をコピーしておきます。 ーー 2002/01/05 一人遊び (字数の関係でカット 09年02月04日) ・・・・・・・・ 2003年02月04日(火) 671, アルカイダー 「お前は言葉のアルカイダーだ!」土田氏の葬式に出たときの「しのぶ会」で、ある同級生にいわれた言葉である。 同級生『ヘンな奴に何をいわれても「あの馬鹿!」で済むが、お前の奴はズバリ核心を言うからな〜。 ・・お前は言葉のアルカイダーだ』 私『じゃ〜お前は下半身のアルカイダー!』 同級生『・・・・・・』これは 私の瞬時の答えである。 (字数の関係でカット 12年02月04日) ・・・・・・・・・・ 2002年02月04日(月) 321、宗教的真実について−1 ・「もし、私の聖書の読み方が正しいとすれば、神があるがままの人間を愛される、 あるべき人間の姿を期待して愛されるのではないのです」(ジョセフラブ・神父) ーこの言葉でハッとした。あるべきという視点で人を見ていなかったか?マイナスをマイナスとして愛すということ? だから、あるべきとかいう自分の価値観で人を見るべきでないという理屈は納得する。宗教は真実を気ずかしてくれる。 ・「聖書は事実でないかもしれないが、真実である」ーこれもいい言葉である。聖書の創世記では「アダムとイブの時代」は7千年前。 150億年前のビッグバンとはあまりに差がありすぎだ。 私が神に対する知識といえば 「人間を自然をここまでならしめている天地創造の存在」「人間の創り出した手前勝手な絶対的存在」 「人間が持っている共通意識の絶対存在」「言葉が造り出した理想的バーチャルの世界の絶対者」 「人間が創りだした自然現象に対する畏れの神格化」 ・・・・・・・・ 2月4日 火曜日 1969年 朝8時半、母屋から電話で起こされる。誰だろうかと、思ってでると中条さんだ。アルバイトで知り合った人だ。 石原慎太郎と美濃部の都知事選挙で、数日間宣伝カーでマイクをガナッタ連れであった。数日間、そのアルバイトからの帰路、 寮が近くにあり、飯田橋の駅から二人で話をしながら帰った。富山県のおっとりした芯の強い人だった。 その後オーストリアに留学をした寮隣の部屋の河路さんと親しくなった。その妹分の洋子が、今日これから荷物をまとめて 帰ってしまうという。洋子は躊躇をしていたようだった。本人と話をしていると、胸がつまって何も言えなくなる。 自分がおかしくなって涙が出る。彼女も泣いていたようだ。三年の時によく合コンで気があって何時も一緒だったが。 学生時代で女性では一番心が通じた一人であった。私の好きなタイプの品の良い、素素としたお嬢様タイプの美しい人だ。 一年間全くの接触が無かったのに、このタイミングの電話は厳しい!中途半端に、何もいえないで電話を切ってしまったが。 見送りに行くべきであったのだろうが、不意なので思いもつかなかった。でも、これから故郷に帰ろうという直前に電話を くれたのは嬉しい。そういえば、去年の二月初めやはり(仁科)ヨウ子という名前の人が、これから帰るという電話が来た ことを思い出した。女性の場合、そういう時誰かに電話や手紙を出したくなるのだろう。 毎日のように一人一人と別れになる。
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2012年02月03日(金)
京都大の地震研究機関の発表では「5年以内に3割の確率」と東大より緩めの発表をしている。 二つを合わせると、「4〜5年以内に5割前後の確率で直下型地震が起こる」ことになる。 災害の場合は、厳しい東大の確率に 標準を合わせるべきである。それに東海・東南海・南海地震の可能性は含まれてない。 それに3・11直後の3月15日に起きた 富士山の地震による噴火の可能性もある。それらを考え合わせると関東・東海地区は何時、何が起きても不思議でない事態。 前回、「一年以内に9割の確率」に時間を短縮し、確率を高めた仮説を立てた。 まず何をすべきかの対策が見えてくるからだ。 大企業は、その情報は数ヶ月前から入っていたはず。 スマトラ沖地震に、中国・四川の地震、ペルー地震、ニュージーランド地震、 そして東北大地震は、太平洋を挟んだ地球規模の地殻変動であり、東北大震災は、東北から千葉にかけての沿岸ぞいに幅200キロ、 長さ500キロにわたる震度7、M9の400〜500年に一度の歴史的大地震である。 この規模の地震は、近くの地震帯や火山に 大きな影響を与え、数年以内に新たな大地震や噴火を誘発する。 3・11以降に関東の地震帯に異常な動きが見られ、直下型地震の 可能性が7割という予測。ことの重大さは分かっても、職を辞して、一家で地方に移住できる人は限られる。 座して地震を 待つしかないのが殆どである。しかし、東北大震災の惨状を連日ニュースなどで見ているため、出来る範囲の準備に取り掛かるから、 それぞれの静かな疎開が始まる? 新潟などは移住に、もってこい?である。米と、水と、魚があれば何とかなる。それに酒? 首都圏崩壊の事態にでもなったら、バブル崩壊、そして経済震災二つ、東北大震災に引き続いての大打撃。国家破綻となり非常事態。 第二次世界大戦の敗戦直後の日本に逆戻り。 銀行閉鎖や通貨切替で、国民は丸裸にされる。 それが7割の確率としたら・・・ 外国への疎開も資産家にとって現実問題になる。 他人事ではない、現に私が3つの震災を受け、一歩先んじた状態。 布置という言葉がある。 大きな変わり目に、思いもよらない大きな出来事が次々に引き寄せられ重なる、という意味。 表向きは違う体裁をとった非常事態政府が出来るはず。 首都圏の問題であり石原都知事が首班になるのが自然。 まともならだが! ・・・・・・・ 3601, 旅ばなし 小題 2011年02月03日(木) * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷 トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが億劫になる。しかし頭にはフラッシュのように 色いろのことがよぎってくる。「閑話小題」を書く時は手抜きか、テーマが浮かばない時の苦し紛れで、小題として幾つか書いていた。 しかし、その方が面白いと指摘され、読み返してみて成程と思った。 何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、せっかく脳が呼び出してくる面白い逸話が 残せる。この小題を幾つか書き続ければ、あとで一冊の面白いコラム集になるのでは?と、思いたった。 47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。 現在、「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに 思いのまま乗っけているが、ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。 まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。 5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。 ー まずは、その箇所をコピーしてみる。 【 《 2005/11/26 辺境へ −2 》 ー 私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境のクンジュラフ峠 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール〜イスラマバードである。 2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方 3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト・・・・ 】 カラコルムハイウェーに入ってから、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが、倒れてしまった。 カラコルム・ハイウェーの土砂崩れと、 その手配と、難問が地祇次と襲ってきたからである。同行の人たちもベテラン揃いで、そのことを責める人は誰も居なかった。 ある箇所で、大きい土砂崩れで中型バスが、その先に行けなくなり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りの マイクロバスの乗り換えた。 そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、数百メートル走って渡った。 上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百メートルの勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。 その現場ではなかったが同行の一人が、小さな石に係わらず、頭から血を流してしまった。 しかし、面白いといえば面白い15日間であった。また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人ばかりである。 ・・・・・・・・ 3236, マックファン 2010年02月03日(水) 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。どうも以前から携帯電話を使うのが苦手で iPhoneも同じ。しかしパソコンは非常に気に入っている。しかしTwitterに、iPhoneが端末として最適というから、 これを機会に慣れるようにする。とにかく、電話以外に使うに小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット式 のパソコンがMacより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化をもたらす可能性がある。 * iPadについて マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,のようにブレイクをするだろうか? 私の結論は、ブレイクするである。 オプションにキーボードがあり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、これまでパソコンに 挫折した中高年に受け容れられる可能性がある。画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、アルバムも、書籍も、 新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。で、モバイルパソコンと何処が違うか? ノートや書籍と同じように一面というところ。さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 仰向けでタッチ方式で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが横滑りに使えることが大きい。 iPhone,iPodと同列に位置づけられるはず。 考えてみたら、これはツイッターにもブログにも使える。 リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。 これにはオプションのキーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。 iPhoneが、いま一つ使いづらいのは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから開放されるのが、一番である。 まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を見ることから始る。何処でも気楽に持っていけるのが大きな要素になる。 ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れるのも魅力である。 等々、考えると1〜2年後には、 大ブレークする。 その前に、iPhoneがブレイク始めたようだが。 ・・・・・・・・ 2861, 不況景色 −9 2009年02月03日(火) 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか? 1929年より数段大きな恐慌とはいっているが・・・。 で、どうか?といえば、既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。それは想像を絶する規模であり、 10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、人類のありようも変える転換期である。 世界GDPの八割を占める20Gサミットの国が世界非常事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、 国家管理をする位の可能性もある。新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの穀物などにして、それに応じて国家が 為替を決める方法などが考えられる。 しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には非常手段もあり?。 この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的な倒産が起こる。 失業率は十数パーセント、失業者が数百万〜一千万人という数字が踊る日々になると覚悟をしていた方がよい。 他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本の GDPが昨年対比が11・4パーセント減とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。 日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい現状をレポートしていた。人間にとって自分の仕事があることが基本。 それが無くなり、収入とストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れないのが現実。 先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に 狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・ アメリカの金融崩壊と、日本の勝ち組と称してきた 連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! (字数制限のためカット2012年2月3日) ・・・・・・・・・ 2008年02月03日(日) 2496, 無くてはならぬもの ー? YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ 「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著 孤独に対峙する自己 −自分と他者との支柱ー P−114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間でなくなるのである。 人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きることこそが、実は人間の条件。人間形成とは、 この私が自己の内に自我を追求することではなくて、真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。 P−119 現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。たとえば、読書という身近な ことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさのなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を 思索するような生活の喜びを本当に見出しているだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられない といった苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、そういう孤独からの脱出が、 大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛することができるような、人生を生きてほしい。 P−126 私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在であることを知るゆえに、 孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、人と人との力強い連帯を 創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・ ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分がいっぱいのお茶をすすめられたらいい、 というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深みにひそんでいるのである。自分は自分であって、 絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、 生き生きとした連帯をつくり出していかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。 ・・・・〜〜孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、しかもそこにも生の孤立化が厳しく 横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめきに耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、 それは徹底的な人間嫌いの底に沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失ってしまうであろう。 人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。 P−137 イスラエルに旅行したとき、いたるところで、多くの人から 「どうして日本の青少年は、そんなに自殺するのですか」と質問を受けた。もし、あなたが「それは日本が悪いからです」と答えたら、 「社会が悪いから自殺するほど、日本の若者は弱虫か」と不思議におもうだろう。自殺する多くの人々が、遺書や手記を残しているが、 ほとんどの手記には「俺は社会が悪いから死ぬ」とは書いてない。‘おれはひとりぼっち’‘私はひとりぼっち’と、 他者から孤立してしまった寂しさを表白している。このことを私は「生の弧絶化」というふうに呼びたいと思う。 要は誰もが独りぼっちでしか生きてないのである。 ーーーーーーー 以上だが、この言葉の一言一言が当時の自分にストレートに響いたことを、記憶の底から木霊のように甦ってきている。 孤独の、いや孤立の自分に徹してこそ、本の中の見知らない魂の言葉は伝わらってくるのである。 この時にこそ初めて魂と魂が出会えるのである。 そして出会ったとき、孤独は孤独でなくなるのである。 ・・・・・・・・ 2007年02月03日(土) 2132, ああ〜勝ち組か〜 才八∋ウ_〆(∀`●) 「勝ち組」「負け組」という言葉を聞かない日が無いほど語られている。 ・男なら、東大か慶応を出て、高級役人か外資に入り、コンピューターを片手に、30歳そこそこで 1千万近くの年収を得て、 白百合か、日本女子大出の金持ちのお嬢様を嫁にもらい、六本木辺りのマンション住まい。・女の方は、お嬢様大學を出身で、 勝ち組の男を紹介してもらうか、合コンでキャッチ、そして結婚。 できたら専業主婦として幸せを一生保障された人生を歩むのを 「勝ち組」とかいうのだろう。『白馬の騎士』と『お姫様』との物語の通り生きること、これが勝ち組の人生と誰も信じて疑わない。 (字数制限のためカット2011年2月3日) ーーーーーー 2006年02月03日(金) 1767, 依存症について おはよう (*´・ω・)ノはよー 依存症は英語でいうとアディクション。「嗜壁(しへき)」や「依存症」と訳されることが多い。 依存症は、ある習慣への脅迫的な執着と言い替えることができる。人間は、生きていくうえで、さまざまな習慣づけで生活している。 習慣の重なりが、その人を構成している。したがって、如何に良い習慣を多く身につけるかが人生の課題といってよいだろう。 良い習慣とは、結果として生活をよくするものであり、悪い習慣とは、存在や生命を危険にするものである。 (字数制限のためカット2011年2月3日) ・・・・・・ 2005年02月03日(木) 1402, きっと、よくなる! ー読まない読書日記ー 読売新聞の広告欄に「きっと、よくなる!」ー人生はよくなるようにできているーという広告が目に入った。 発売2週間で、20万部突破!、全国の書店でトップテン入り! 紀伊国屋、文教堂、蔦やチェーンで売り上げ一位!とあれば買いたくなるが、何か子供向けのようである。 でも見出しの文章の語りかけがよい! ・5分以内に願い事のリストをつくれますか? ・10年後の自分からアドバイスをもらう ・いちばん恐れていることからやってみる ・「友人の総入れ替え」は次のステップ ・まわりからの逆風は、飛び立つための向かい風 と、なかなか面白そうだ! そこでインターネットの検索で幾つかコピーして、切り抜いて、貼り合わせてみたが、これで十分である。 ー準備とチャンスについて 準備ができていないときにチャンスはやってきます。準備が万全に整ったときには、もうそれはチャンスではなくなってしまっています。 (字数の関係でカット12年02月03日) ・・・・・・・・・ 2004年02月03日(火) 1035, 随筆はプロが書くもの!−1 図書館から借りてきた「文章術の千本ノック」(林望著)を読んでいたら、「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」 と冷酷に書いてあった。 (以下、字数制限のためカット 2010年02月3日) ・・・・・・・ 2003年02月03日(月) 670, 「三分で右脳が目覚めた」 これは新聞広告の本の題名である。最近本屋や図書館でよく目にする著者である。 若い人や女性向の文章を書くが、 内容はなかなか鋭いものが多い。 副題がー日常生活で簡単「右脳トレーニング」ー 自分の中に眠る不思議な力。この見出しだけで恐らく80?を言い尽くしている。 ーそれを抜粋してみると・・下行は私の主観だ ・読書は、右脳を目覚めさせる 一見左脳だが、イメージと連想を刺激する ・右脳を働かせれば、面倒なことに巻き込まれない−動物的感が面倒な事を察知する ・右脳人は、やりたいことに2番がない 左脳の人は、一番2番で行ったり来たりする −絞込みがしっかりできる ・右脳人は、企画書を一行で書ける −一番の要点を把握してある ・「褒める」は右脳、「けなす」は左脳 −褒めるはトータルの中の光が見える。けなす事は批判ー批評にとらわれる (字数の関係でカット09年02月03日) ・・・・・・・ 2002年02月03日(日) 320、ほぼ詐欺 この世の中には詐欺に近い商売がある。40数年まえダイヤモンドを当時の80万で母が買った。今でいうと1千万円に近い値段。 確か「必ず物価と共に上がる」といっていた。母が亡くなった時、遺産総額の把握の為に鑑定にかけた。なんと120万だという、 500万くらいだろうと思っていたため、その安い値段に耳を疑った。ほぼ詐欺に近い商売をしていたことになる。 せいぜい20万ぐらいのダイヤを、4倍にして売っていたことになる?口先だけの騙しの世界といっていい? ドラマで同じような内容をやっていた。「買うまでの楽しみを売っている」のだから詐欺でないとか。貴金属の世界は そういう世界である?長岡の唯一のデパートがほんの数年前まで、これに近い商売をやっていた。 年寄りを集め食事を出し、虚栄心をくすぐるやり方で「屑のような商品」を売りつけていた。 それも半ボケ老人を集め、詐欺そのもの!三越が20年近く前、大問題になった詐欺商法をやって表面化した。 三越のブランドを詐欺?で悪用したのだ。補聴器の世界がそうだ。あれは年寄りをだます詐欺だ。 でも誰も親身になって見てくれないから仕方がないのか?そう言う視点で言うと全てに言えるかもしれない ・・・・・・・・ 2月3日 月曜日 1969年 12時過ぎ起床。 14時に学校に向け出発。学食で食事をしていると,深井がくる。昨夜、彼のことを考えたばかりなのに、 すぐに会うとは。試験(価格理論)はまあまあの内容であったが、もっとできたはずだが。帰りは川崎と兼古と本屋によって帰ってくる。 食事をとって、22時から試験勉強だ。かなり難しい内容だ。一番の難敵である。さて今日TVで京大生の書いている手紙の内容が印象的。 その表現能力には,驚いてしまった。ところで、このことから色々考えてしまった。 今月の予定は、試験終了後、2日東京にいて、長岡に帰る。その後、2日後に旅行に出かけようと思うが、気持に余裕ができるだろうか。 一週間の予定だが。プラトンと(対話編)と福沢諭吉の(福翁自伝)を持参しようか。そして、そのまま直接東京に帰ろうか。 どうなるか、あとは心の向くままだ。あと一度長岡に帰り、背広を持ってくる予定だ。 しかし、どうしようか・・・?
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2012年02月02日(木)
数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する」 という研究結果を発表した。(政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、負傷者が数十万、倒壊・延焼が85万世帯」。 東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、 それも仕方がない」と安穏としてはいられない。 私が都内在住で幼い子持ちなら移住を考えざるをえない事態である。。 外国人なら大挙の帰国も不思議でない。 直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。 ビルは津波には避難場所になるが、 問題は古い建物の倒壊。 それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、あっさりと出てくるもの。あとは各自の勘になるが、 それぞれ生活事情がある。 これまでは福島原発の放射能汚染に対して上から目線?で見ていた都民が、そこより遥かに危険地区に 住んでいる現実を突きつけられたことになる。 神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、 神戸市の人口が150万人の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして6〜7万以上が亡くなる可能性がある。 その上、首都の一極集中の機能が壊滅をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、9・11、9・15、 3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本にとって、首都圏壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。 * ここで、仮説を立ててみる。 ≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が年以内に90%の確率で発生する」という仮説。 東京はパニック、現実問題として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次大戦時の、あの疎開が始まることになる。 今まで小さな地震に対して気にしてなかった都民は、かって無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。 富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたりに家族を疎開させ、外国人は我先に家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫ 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故以降に起きている。それが更に徹底して始まる。 現に私の会社が3つの災害で、あっさりと壊滅してしまった。そして、今度は、首都圏? まだ信じられないのが本当である。 まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート鵯とする「東北関東大地震のパート鵺」が動き出した、という見方をすべき? あの地震と津波は、東北関東大地震パート鵯でしかないとすると? パート鶚が東海・南海・東南海地震の可能性もある。 しかも、景気に対する悪影響は大きい。 誰が、この事態で家を建て替えるか、自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか? ・・・・・・・ 3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −3 2011年02月02日(水) 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。 そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本の一面が見えてくる。 日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは想像以上に「家族」を大事にしている。 その一つとして、子供と一緒に過ごす時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。 それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、日本人は16パーである。8割の人が 「天国に行くか地獄に行くかを神が判断する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒ならいざしらず、 殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ 非常に低い。競争主義、成果主義もプロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、 教会が心の拠りどころとしてある。もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での雄大な自然である。 そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、 豊かな農業があり、聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、他人の成功に一々目くじらを 立てないで済むのである。 英国人も日本人もアメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。 それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 日本青少年研究所が2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると ・「私には人並みの能力がある」 日本人 15・6パー アメリカ人 56・5パーセント ・「私は他の人々に劣らず価値がある人間である」 日本人 8・8パー アメリカ人 51・8パー 私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。 ・「自分に起こったことは、すべて自分の責任だ」 日本人 25・2パー アメリカ人59・7パー 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。 薩摩芋なら薩摩芋のままで良かったか? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ? ・・・・・・・・ 3235, 女性だけの健康ジム 2010年02月02日(火) ・入会金7500円、・月会員費3500円で、・一日30分だけ ・何度でもOK ・女性だけをうたい文句に世界中に ジムを多く出している女性専用の健康ジムがある。初め聞いたのが去年の夏の頃に、長岡のスナックのママさんが 「駅前のヨーカ堂の中にあるジムに週二回ほど買い物ついでに通っている。会費が3500円で週に2〜3回行く。 計算すると一回あたり400円位。 コースになっていて30分で終わる。喫茶店のコーヒー代と思えば安い。 買い物ついでに丁度良い気分転換になり、色いろな人と話ができるのもよい」と、言っていた。「成るほど、面白いシステム」 と世間話をしていた。 ところが先日、私の知人が新潟の郊外でイタメシ屋に店舗を貸しているが、不景気で芳しくないので 家賃の値下げに応じたと聞いていた。ところが、そこを経営している会社が、、同じ店舗で最小の改装で、フランチャイズの 主婦向けの健康ジムにするという。店舗と健康機器には経費をかけず、女性のイラストレーターをつけて、次々とプログラムを こなすシステムという。 ネットで調べたら、長岡と同じ系統のフランチャイズ。HPの写真を見ると円を囲うように健康機器が 置いてあり、真ん中のイラストレターが音楽に合わせて次々と健康機器をこなすシステム。 鏡はわざと置かないそうだ。 置くと????。 家内は、駅から車で20分ほどのイオンのSCのスポーツジムに週一回通っているが、具体的内容は一切話さない。 ここは週一回で、月に4000円位?のようだが。 自宅の居間には4種類の小さな健康機器を置いているが、朝晩10分ずつ 使用している。腰痛対策なのだが、非常に効果がある。だから女性専用の30分のプログラムが身体によいのは理解できる。 音楽にあわせ、一台あたり2〜3分運動させ、隣に移動させていけば、合理的で楽しいはず。しかし男は無理。 大元はアメリカのフランチャイズというが、なるほど合理的である。 10分100円というのも在るそうだ! ・・・・・・・・ 2860, 若者たちは今 2009年02月02日(月) *若者の○○離れ、というが ある雑誌の中に「若者の○○離れ」という現象のレポートがあった。若者は明らかに旧世代とは違った消費行動をとっている。 まずは○○とは《 ・クルマ離れ ・酒離れ ・活字離れ ・新聞離れ ・洋画離れ ・海外旅行離れ ・ギャンブル離れ(マージャン、パチンコ、競馬) etc》 (字数の関係でカット2012・2・02) ・・・・・・・・・ 2008年02月02日(土) 2495, ー自宅にも iMacー 昨日、会社の事務所に引き続いて、自宅にiMacを導入した。これで一年以内に熱狂的とはいわないが、圧倒的なファンになるような 気がしている。とにかく画面の明るさと、WindowsVistaとMac両方が使えるのが良い。これまでノートパソコンに何故 拘っていたのか? 居間の座卓の上のスペースの問題と、Macをよく知らなかったことである。WindowsXPとノートパソコンの束縛から、 やっと解放された感覚がよい!。Macには熱狂的なファンがいて、使っているだけで優越感を持っているという。 ここ三年位は、出遅れて損をした感覚である。いや、今が時節ということか。パソコンン、インターネット世界への知識経験の浅さを、 そのまま書いているようだが。導入を手伝ってもらったHさんの話だと「Windowsより音楽などの音質が良く、映像も数段良い」という。 デジタル・ラジオをBGMとして聞けるのもよい。とにかくパソコンに向かっているだけで楽しい!という気持ちになるだけで充分である。 ワンセグを外付けで入れて、地上波のTVを見れるようにした。イヤホーンをつけたので、チャンネル争いのときに、 敗者は?これを見ればよい。一人で地上波の番組を見る場合は、パソコンを見れば電気代が節約できる。 もともとWindows Xpの機能の 数分の一しか使ってなかったのが、より使いやすくなったため、もう一歩踏み込んで使う気になったということである。 これが国内のメーカーより安く買えるのに、あまりシェアが伸びないのは、やはり既存のソフトが転用できないからである。 私のように元々持ってないものは、それが強みになる。ただ、なれるまでは戸惑うことを我慢しないと! ところで、値段は20インチiMacで、山田デンキでポイント割引で129000円、他に色々入れると+2〜5万円は必要である。 ・・・・・・・・ 2007年02月02日(金) 2131, 葬式よもやま話 −2 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! 故・内山由蔵さんの長男の喪主の挨拶の中の一節に興味をひかれた。 ー 危篤になったが持ち直し、‘しばらくは大丈夫だろう’と、住居のある仙台に帰ろうと新潟あたりに来たとき、今まで 見たことのないような奇麗な虹が出た。「父に急変が起きたのでは」と思ったとき携帯電話が鳴り再び危険状態になったという 連絡が入った。そして急遽Uターンをして長岡に近づいた時、燃えるような夕陽が輝いていた。この時、「ああもう駄目だ」と思った。 そして着くのを待つようにして、間もなく亡くなってしまった。という内容であった。私自身も何度も親戚の葬式の後に、奇麗な 虹と遭遇している。とくに義父の亡くなった時のこと、葬式帰りの峠で7回も虹が次から次へと出て、その下を車で通り抜けた経験がある。 何か異次元の不思議な感覚であった。涙雨とか雷鳴とか、その人により色々な自然現象がおこるようだ。霊魂が死後35日から49日の間に、 次の世に通じる六本の道路の内の一本を選ぶ最も大切な宗教的儀式の日を「七七日」という。よく、葬式の読経のあと「七七日法要」 を引き続きやりますと言って、さらに有難そうな読経をあげるが・・。死者は七色に輝く一番まぶしい光の出ている道路が極楽に通じていて、 そこを通って浄土にいく。虹が人の死後によく現れる現象は、「故人がこの道路の近くにいますよ、というサインを身近の人に 見せようとしているのではないか?」と、思えば、ファンタジーな気持ちになる。ところで十年位前のことになるが、 会社に勤めていた人の両親が一日違いでたて続きに亡くなり、二人一緒の葬式に参列したことがあった。事故とか心中ではなく、 母親が夫の死を待つようにして亡くなった。正視できない!とは、こういうこと。 葬式にまつわるドラマは色いろある。 「お葬式」という映画もあった。伊丹十三が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主となった実体験をもとに、わずか一週間でシナリオを 書き上げ、日本アカデミー賞をとったもので、赤裸々な人間関係を面白おかしく表現していた。葬式という一見暗いタイトルにも かかわらず作中には笑いが溢れており、そのギャップが何とも印象に残っている。それと、どぎつい性描写も。(o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・ 2006年02月02日(木) 1766, こころの羅針盤(コンパス) −1 才ノヽヨーφ(・ω・`) −読書日記 三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。 「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」 という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。その幾つかを抜粋してみる。^ー^)/C□~コーヒーいかが? まずは「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─ 五木寛之 ▼ 「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様。 (字数制限のためカット 2010年02月02日) ・・・・・・ 2005年02月02日(水) 1401, 危ない格言ー4 −読書日記ー ー愚者と賢者についてー ・最も贅沢で、最も洗練された社交ーできる限り一人で過ごすこと。 (my感想)ーどうでもよい人となら、一人の方がズットよい。そのために本があるのだ。 但し、よい本である。どうでもよい人でもよいから、一人でいたくない時があるのが‘にんげん’だろうが。 ・人々が社交の中に求めているのが孤独からの逃避としても、そこで手にするのは、せいぜい孤立からの休暇だ。 (my感想)−そのバカンスが楽しいのだ、と! バカンスと割り切ればよいのか、バカンスと? ・ひとは、他者のなかに褒めるに値する特質を目にしても、十中八,九は見逃すが、 馬鹿にしえる欠点や不足に気がつくと、十のものに二,三を足すような見方をするものだ。 (my感想)−だから、生きていけるじゃないか人間は! 但し下等な人間に、その傾向が大だが。 ・その場にいない他人の悪口は、話題に詰まった会話の下剤としてよく効く。 (my感想)−あちこち、下剤を飲んでいるようだ。たく、もう!、腐った女のような男は下剤が好きか! あの男!下剤瓶を幾つもカバンに入れている。腐った女は下痢症か!いや、便秘か。 ・利害で結びついた人間は、感情によって引き離され、感情によって結び付けられた人間たちは、利害で分かれる。 (my感想)−感情でなく、勘定じゃない? ・巧みな皮肉の弱点は、それが向けられた相手が、まさにその皮肉を感受し、 理解するだけの感受性や知性を持っていることが、滅多にないというところにある。 (my感想)−ジョークに、それが更にいえる。ワザワザ、説明しなくては解らない人に 説明しながら言っているが情けないというより、・・?! 巧みな皮肉か! (字数の関係でカット2011・2・02) ・・・・・・・・ 2004年02月02日(月) 1034, ダヴィンチが知的障害? ある本を読んでいて、目が釘付けになった。天才といわれている、レオナルド・ダヴィンチとアインシュタインとエジソンが 知的障害だったという。天才の90?が梅毒という話は知っていたが、この3人が知的障害だった?エジソンが3ヶ月しか学校に通わなかった ことは有名な話。典型的な注意欠陥障害のハンデキャップを負っていたという。注意欠陥障害といえば注意散漫と思われがちだが、 反対に注意が一点に釘付けをされて、他に移動できない障害も含まれるという。これは日常生活には不便であるが、その障害を反転させて 強みとして活用した事例と捉えることができる。彼の異常な集中心は、その欠点を逆転して強みに変えたと解釈できる。 (字数の関係でカット2o11・2・02) ・・・・・・・・・・ 2003年02月02日(日) 669, ぶざまな人生 本屋で見かけた本のタイトルである。「ぶざまな人生」というタイトルにハッとさせられる。軽く1分程度立ち読みした程度だったので 概要は主観的になる。「人生を捉えてみると誰もが皆ぶざまな人生だ。それを初めから割り切って自分のやりたいよう、生きたいように 生きるべきだ」という内容。シビアなタイトルだが、皆「ぶざま」という言葉に呪文をかけられている。誰もが本当はぶざま人生じゃないか、 見っともないという他人への思惑など捨て切って自分のやりたいことを、やりたいように生きるのが本当だ。政界のプリンスと、 この前まで言われていた鳩山由紀夫だって、最後は見っともない醜態を曝け出してしまったではないか? でもこれからが本人の真の力が 湧き出てくるかどうか試されるのだろう! 凡人が「ぶざまな人生」と初めから割り切れるかというとなかなか難しい。 よほど哲学的に裏づけか信念が必要だ。それがその本の主旨。「ぶざま」という言葉を使う人は「教養のない中年のオバサン」だろうが。 心の奥に誰もが「ぶざまな人生だけはおくりたくない!」あるいは「みっともない最後だけは人に見せたくない」というのがある。 分の人生を顧みて、ぶざまとも格好よかったともってない。それではやりたいこと出来たか?というと、こんなものかという感がする。 ただ専攻が人間関係学であった為、人生のトータルデザインを考えて生きてきた。自分の真にやりたい事を一生通して追求するのは自明。 「ぶざま」という言葉自体が「世間様」という虚構の言葉である。それでは「ぶざまな人生とは、どういう人生だろうか?」 その言葉にやはりこだわって何も出来ないで終わってしまった人生のことだ。それなら「初めから人生はぶざまなものと 割り切ってしまえば、開き直った生き方が出来る」。「悟りということは、如何なる場合では平気で死ぬ事かと思っていた事は 間違いで、如何なる時でも平気で生きていることであった」正岡子規の病床六尺の言葉である。これは「ぶざまな人生を平気で 生きることが悟りである」と言える! 完全な人生を求めるな!そんなものは元々ある訳がない。しかし知らないうちに社会的動物 として完全を人生に求めてしまう。完全でなく充分な人生しか存在しない、それが人生というものだと割り切ってしまえばよい。 充分の人生を初めから求めるべきだ。それを脇で見たらぶざまに見えることもあろうが。親戚・姉兄や知人を見ていて カッコウいい人生の人など殆どいない。遠くから見ていて例外の人がいたら、ただそう見えるだけだ。 ー 書いていたら気分が楽になった!! ・・・・・・ 2002年02月02日(土) 319、我が内なる無能性ー具体的内容 我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。 周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め! ーこの特性をあげてみると 1、一回も脱皮したことがない。一生をただ何も考えず、そのまま流れている。 2、「他人の目」が全ての価値観ーしたがって[自分の本心]が何かわからない。価値という言葉も全く理解できない。 3、その前提として、本を読んだことがない。ーこういう人が本トウにいる。 ー思考能力ゼロ! それだけならいいが、毒ガスを撒き散らす。 (字数の関係でカット2009・2・02) ・・・・・・・・ 2月2日 日曜日 1969年 13時まで就寝。 それから夕方まで勉強をする。夜、市川さんが部屋に来る。有神論、無神論を議論する。 その系統は、彼の得意分野でコテンパンにやられる。 中途半端な知識が露呈してしまった。 新約をギリギリのところで読んだ経験があるが、科学的・哲学的の系統にとらえた本は皆無。 これからの人生では、避けて通ることのできない心の奥底の問題である。 その系統の本を読んで、からかって仕掛けただけだろう。勤めると、こういう小手先が効くのだ。 翌朝の3時過ぎまで勉強、ラーメンを食べて就寝。まだ集中が足りない。もっと身を入れなくては。
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2012年02月01日(水)
【 ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 25日NHK・クローズアップ現代 】 * 結構、面白いゲーム化 私の趣味の一つが「秘境・異郷ツアー」だが、いや、だったが? 回数を重ねるにつれ、いつの間にかゲーム化になった。 旅行中の楽しみの一つにツアー仲間の情報交換があるが、ベテランほど旅先をゲーム感覚で構成している。パリ、ロンドン、ローマとか 都会文化を楽しむ都会派。 アフリカ大陸専門のサファリ派、南米派、インド派、シルクロード派、秘境・異郷派など、それぞれの 趣味に合わせて行き先を組み立てていく。 そして、まず予算と行き先の選定、旅行代理店のツアーの選定、そして、旅行準備。 それが面白く楽しい。 それで一ヶ月は楽しめる。そして旅行中の10日間、帰ってから、写真や資料の整理の一ヶ月で、大よそ 三ヶ月近く楽しめる。その上、行った先は、毎日何処かのTV局で放送している。見るたびに、その旅行の延長にいるような気持ちになる。 何ごともゲーム化をして楽しめば、それが記憶をパッケーをする効用になる。 「面白くなき世を面白く」は、自分の経験を、上から目線でゲーム化することと同じである。その意味で、ゲーム化は日常生活を 面白可笑しく活きるノウハウでもある。 ゲーム機メーカーや、ゲームソフトメーカーには、大きな事業チャンスが限りなく広がっている。 ゲーム機メーカーが、ブルーレイ録画を売り出したが、これなど、その典型。ゲームは、簡単に知恵が発揮できる場面を提示してくれる。 面白いとは知恵を発揮し生じる感情である。 ゲームといえば、最近は聞かなくなったが、「マネジメント・ゲーム」があった。 社員教育のソフトで、各自が会社を設立して、戦略をたて、市場の想定をした基盤の中で競争するゲーム。企業とは何かを知るに、 もってこいだが、麻雀や将棋を多くこなしたものが有利なる。 私は経験ないが、「人生ゲーム」というのもある。 これも若いうちにやっておけば、人生を鳥瞰でき、目先にとらわれない生き方が出来よう。男女の遊びをゲーム化しているのもいるが。 「準備のゲーム化を手順に入れる習慣」に、人生の秘儀があるようだ。 平凡な一日をゲームと生きるとしたら・・・・ ・・・・・・・ 3599, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −2 2011年02月01日(火) ーアマゾンー〈レビュー2〉 150年に亘る交流(良いも悪いも)を重ねてもなお違和感を残す日米関係の底流に何があるのかを的確に指摘。 最大の楽天主義国米国と最大の悲観主義国日本が同じ規範を持ち行動する事はできない。確かにレビューアーの経験でも80%できれば 成功とする米国流positiveさに対し20%できなければ失敗とする日本流negative思想の差は大きく、常に確執と挫折を経験してきた。 その原因に筆者は米国(の本流たる人たち)に特徴的な宗教観、価値観、家庭観等を挙げる。 同時に現在の金融資本主義者は 米国の一部の「深刻なノイローゼ患者」であり、それを米国の真の姿と誤解したまま日本に導入し、そうでなくとも 破壊されつつある 「心」を失わせた者と日本社会も糾弾している。(著者近著「非社会性の心理学」にも関連) 余談だが、日米のpositive/negativeさは ある特定遺伝子の長さ(米国人は長く日本人は短い者が特に管理者レベルで顕著)が影響しているとの説もあるようだ。 こうなると最早理解しても埋めきれない差異というべきかもしれない。 米国の姿を通じて日本を知るための必読書 〜はしがき〜に、要約が分かりやすくまとめてある。 要するにアメリカは、「家族」と「宗教」と「権威」を非常に大切にする国民である。 これがアメリカ理解の基礎である。 このアメリカの本質を間違えると、アメリカ理解はとんでもない間違ったものになる。さらに私たち日本人は、我がままと無責任を 個人主義とはき違えるというおまけまでついてアメリカを理解してしまい、それを受け継いだ結果、日本人の心は崩れてしまった。 簡単に日米基軸というが、世界一楽観主義の国であるアメリカと世界一悲観王義の国である日本との相互理解がいかに難しいものかを 分かっている人は、日本の政治家の中にいる。アメリカはスーパー楽観主義の国であり、日本はスーパー悲観主義の国。 このことは本文中に詳しくデータを示しながら説明してある。残念ながら、日本の歴代首相は誰としてこのことを分かっていない。 さらに世界一楽観主義の国でかつ戦勝国が世界一悲観主義でかつ無条件降伏をした敗戦国に押しつけた憲法が、これまた世界一理想主義で 世界一楽観的である。アメリカを間違って理解することの中には、いろいろと理由はあるが、そのうちのひとつは次のことである。 アメリカは基本的には今もなおプロテスタンティズムの倫理が支配している国であるが、アメリカについての情報発信地は偏った 局部の地域になっている。1970年版のギャラップ世論調査で見ると、プロテスタントが六五%である。ユダヤ教徒が三%であるが、 所得の最も高い層の人たちでは倍の六%。東部の所得の高い人たちの層では、なんと一四%にもなる。東部の大都市では住民の一七%である。 ▼ 一神教のシステムを多神教の日本に入れたマイナスの矛盾が、ここにきて一挙に吹き出てきた。とはいえ、それを乗り越えるしかない。 ・・・・・・・ 3234, 閑話小題 2010年02月01日(月) * 何か変である 民主党が政権をとって動き出したのはよいが、どうも変である。党是の官僚主導の打破は良いが、検察と元大蔵省査察が 官僚の権益を守るため、権力闘争の尖兵として露骨に動き出した。前より現在の検事総長が??と思っていたら、八月が交換時期。 その先手と思えば合点する。民主党は民主党で、「次官制度の廃止」の構えである。これは官僚にとって致命傷になる。 官僚の自己保身で行政が混乱させるのは当然の成り行き。 国が壊れていく時は、こんなもの?。 「現在の検察はボロボロの汚れ雑巾。これが社会を掃除をすれば逆に汚すだけ」と、誰かがのたまっていた。 今年は日本も世界も恐慌三年目の土壇場の一年になるのに、この様である。 隠されているプライムローンなどの債権が 表面化してくるのが今年辺り。 カンフル剤効果も、何時までも射ち続けることは出来ない。 ホテル宿泊からみる景気状況は、明らかに深刻な恐慌の様相を呈している。今のところまだ失業率が5パーセント そこそこに抑えられているが、ある日、欧米並みに10パーセントに向け動くはず。 結果、社会不安が増大する。 何とも重い雰囲気が増大している。 まず現象として出るのが疲弊しきった地方経済。 地元の最大規模の会社の悪化の問題が、今週に表面化するという噂がある? どうなるのだろうか。 * 新インフルエンザを、誰も騒がなくなったのは何故? 最近、如何いうわけかマスコミで新インフルエンザを取り扱わなくなった。そう、どうもパンデミック騒ぎは、WHOに入り込んだ 製薬会社の連中の、その薬を売らんがためのパフォーマンス?と囁かれ始めた時からマスコミは製薬会社の謀略説すら報じない。 不思議なことに、毎年起こるインフルエンザが、ほぼ消えたという。 新インフルエンザと、とって代わった!というの変である。 成田で、あれだけ水際作戦とかいったのも何だったのだろう。私も、9月末に東欧旅行をキャンセルをした。世界は、どうなっている? ・・・・・・・・ 2859, 「教員社会」の 金とコネの闇 2009年02月01日(日) 昨日のニュースで、大分で採用取り消しになった教員が採用取り消しの訴訟を報じていた。たまたま図書館で借りた半年前の雑誌に、 大分県教員採用や昇進の絡む汚職事件についての元小学校教諭のジャーナリストの手記があった。「大分だけじゃなく、 何処でもやっているんじゃないか?」と疑問は持ってはいたが、疑問のとおりの告発内容である。 黒に近い?コネで採用された現職の大分の教員は、この訴訟で再び針のムシロになる。 ー大筋といえば ・新聞社や文部省が全国調査をした結果、どこも歯切れが悪いという。 いずれの調査も校長や教頭の昇進試験の情報が開示されておらず、不透明の部分があまりに多かった。 大阪市にいたっては「複数の教員の悪意があれば、不正は絶対に不可能とは言い切れない」とあった。 ・不正は、受験者の親ー>議員ー>教育委員会のルート 現職校長ー>教育委員会幹部のルートなどがある。 大分の件はたまたまやりすぎただけで、その位のことは、何処でもありえることが実情のようだ。 内部を深く知っている関係者からいうと、「何をいまさら!大分県だけじゃない」が結論だった。 「教員社会」は旧態依然の「金とコネがまかり通っている」、という。 −論旨は、こんなところだが、大分の場合、逮捕されたり退職に追い込まれたのは一部だけで、 以前から長年の慣例のコネの合格者がいて、現在も??というのが実情?。 字数の関係でカット(2012年02月01日) ・・・・・・・・・・ 2008年02月01日(金) 2494, 閑話小題 ( *´_⊃`)ノ゜【gOOd morning】 * 危ない!我が家に毒入り餃子だと 我が家にも、例の話題の中国産餃子があったのである。普段は買わないが、たまたま割引セールで安いので買ったという。 食べてなかったので被害を受けなかったが、食べたところで数千分の一の確率でしか被害を受けないのだから、 敢えて騒ぎ立てることはない。「食べた何分の一が死んだ!」というなら別だが。何処の家庭でも起こりえる話だからニュースは 拡大するだろう。それより日本の濃厚の農薬フリカケ米や生野菜は大丈夫なんですか?。「何割?かの農家は一般に出荷する米は 絶対に口にしない」という話を聞いたことがある。こうなるとエログロの世界だが、これが現実なのか? この件で無農薬野菜を生産している農家は、喜んでいるだろう。 * マックのパソコンに入れ替え 会社のWindowsXP未満のパソコンを5台を、決算期を機会に入れ替えることに決定。 いろいろ迷ったが、全てをiMacにすることにした。そのうち4台は各棟ロビーの顧客サービス用である。 先日、先行して入れた事務所用のiMac、やはり別次元の世界である。今日は自宅も、それに入れ替え予定である。 * いたずらの書き込み *嘘のような話 字数の関係でカット(2012年02月01日) ・・・・・・・・ 2007年02月01日(木) 2130, 葬式よもやま話 −1 <(_ _)> おはようございます! 葬式の「葬」の字は、草冠りの草の字に「死」の字が挟まれている。 以前は「野辺の送り」といって、草の上に遺体を横たえて花を飾ったのが、葬式の原点といわれていた。 今では棺の中のご遺体に花を入れて飾る儀礼が葬式のハイライトになっている。750年前までは葬式の習慣はなく、 無造作に捨てていたという。鎌倉幕府が「親の遺体を道ばたに捨てないように」と触れを出しても誰も守ろうとしなかった。 そこで法然・親鸞・道元などが、親孝行の実践として推奨したのが葬式の始まりであった。 中国の奥地で、今も捨て場に放置する習慣が残っている。たまたま、その映像を見たことがあった。 それも以前TVに出てレポーターと親しく話していた人の遺体が、凍り付いまま捨てられいる生々しいものを。 ある調査によると、お葬式にかかる費用の平均は240万円。内訳を見ると100万円以下から600万円までバラバラ。 字数の関係でカット(2010年02月01日) ・・・・・・・・ 2006年02月01日(水) 1765, 移民漂流 (*´・ω・)ノはよー 1月29日(日)のNHKの総合(後9・00〜9・52)の第2回 「移民漂流 10日間の記憶」が考えさせられた。 少子化の問題は、日本だけかと思っていたが、欧州・イスラエルなど先進国で大問題になっている。 特に、知的労働者の数が圧倒的に少ない半面、未開発国の肉体労働者が圧倒的に多いのが現実。 世界で年間、何と2億人が移住しているという。 30人に1人の割合である。 このドキュメントのダイジェストをNHKのHPよりコピーしてみる。 ∵ゞ(>д<)ハックシュン!( ーー 今回は、エチオピア、イスラエル、ドイツなど、三地点の問題を炙りだしていた。 国家の戦略と留まるところを知らない移民願望潮流の現場を追い、揺らぐ国家像と人々の新しい生き方を探る。 字数の関係でカット(2010年02月01日) ・・・・・・・・ 2005年02月01日(火) 1400, 偶然の一致 一昨日の日曜日に中尊寺ゆつこ著「アフリカンネイバーズ」を借りてきた。そしてパラパラと読でみた。 「親父ギャル」という言葉を流行らせた漫画家である。彼女もアフリカが好きで、一冊の漫画入りのアフリカ文化入門書でもあった。 彼女の絵を見ていて、「アフリカン」という気持ちになってしまった。その後、インターネットで何げなく見ていると彼女の訃報が 出ていた。彼女の本を借りるのは初めてで、その直後の訃報のニュースである。 何か、彼女の霊に引っ張られたという感覚である。 先日読んだ「迷ったときには運命を信じなさい!」の本の視点からすると、これは「意味のある偶然の一致」か。 彼女のこの本の中に深い何かが暗示されているという解釈が成り立つ。面白いものである! 私なりに、この本の中にヒントを探してみるつもりである。次の旅行は、まだ行ってないアフリカの何処か暗示があるのでは? ナミビア、モーリタニア、それにザンジバル。面白しそうだが、値段が高そうである。彼女の書いたアフリカの絵=漫画がよい。 特にマサイ族などの現地人の絵が漫画的に描いてあるため、逆にリアルである。 それぞれの人物の目が生き生きとしている。多くが左上を向いているのは何故だろう。最近、本当に、本が面白い! ・・・・・・・ 2004年02月01日(日) 1033, ストレスについて−2 この題名で何回か書いたと思うが再び書いてみる。自己不一致の状態が引き起こすマイナスの蓄積からストレスは生じる。 この解消に対して一番手っ取り早いのは、新しいストレスで前のストレスを消してしまうこと。マイナスでマイナスを けしてしまうケースだ。失恋をしたときは、新しい恋愛と失恋で消すのが簡単である。しかし根本的な解消をしたことにはなってない。 心の奥に蓄積されて、へドロ化して隠されるだけである。しかし、その臭いはいつの間にか周辺に漂っていることに本人は気づかない。 「ストレス」は例えば、ボールに圧力がかかって、ひずんだような状態 のことをいう。 このとき、ストレス状態を引き起こす要因を 「ストレッサー」という。これを取り除かない限り本当の解決にはならない。残念ながらストレスをなくすことはできない。 生きている限りストレスは続く。 そこで如何に対処するかが重要になる。ストレスとは、本来、生物が外的あるいは内的な刺激に 適応していく過程そのものを概念化したものだ。気候が変わればそれに適応し、飲み水が変わればそれに適応し、心理的ショックを 受ければそれに適応していく、そうした環境に適応していく時の反応とプロセスのことをストレスという。我々の意志とは関係なく、 自然環境は常に変化していくし、我々の心も急激に変化する。こうした外的・内的環境の変化に適応していくということが、 「生きる」ということだから、「ストレス」という言葉は「生きる」という言葉の同義語ぐらいに考えてみてもいい。 人間は、悲しみでも、喜びでも同じ反応プロセスをたどってその刺激に適応していこうとする。その状態をいうのだから、 生きることそのものであるといってよい。情報化社会において、毎日多くのストレスにさらされて生きている。 適度なストレスは人間の活動のエネルギー源になるが、ストレスが大き過ぎて体の防衛機構を上回ると、心やからだに さまざまなトラブルが起きる。ストレスが原因となる病気には「心身症、神経症、軽症うつ病」などが知られている。 過度のストレスは「生活習慣病」の発症にも影響を及ぼし、免疫力を低下させる。私の場合は、毎朝の散歩と仏前のお祈りと 海外旅行とTVのお笑いを見ることと、合わない人種のいるところに行かないことを対策としている。 字数の関係でカット(2011年02月01日) ーーーーーー ストレスについてー1 字数の関係でカット(2008年02月01日) ・・・・・・・・・ 2003年02月01日(土) 668, 昨日で新潟日報を止めた! 生まれた時から?地元にいる時は必ず日報と朝日新聞と日経は毎朝の日課で目を通していた。 特に新潟日報の地元の経済欄と死亡広告は必見と思い込んでいた。ところが数年前より家内が日報がつまらない止めよう と言い出した。「全く見る内容がない、ひどい!」と言う。それでも決断を先延ばをしてきた。 ところが去年、光ファイバーをNTTの営業に強引に?入れられてしまった。今考えてもADSLで充分であった。 字数の関係でカット(2011年02月01日) ・・・・・・・ 2002年02月01日(金) 318,神話の世界ーパプア・ニューギニアの世界 5〜6年前か、パプアニューギニアの現地人のドキメントがよかった。いまでもその内容を全て憶えている。 たまたまその現地のある部族の撮影をしていた時、隣の部族とトラブルになりあわや戦争の一歩手前までの状態になった。 といって弓や槍の武装である。かなり危ない緊張感になっていて、徒党を組み軍隊のような示唆行為を繰り返していた。 その時期が数年に一回の踊りの全国大会の直前であった。かなりの緊張の中、踊りに参加するため車で出かけるが、 いつ襲われるかの危険なたびであった。そして飛行機に乗る。その前に彼らが海を見る場面がよかった。波が信じられのだ。 波を洪水の水が押し寄せてきたと勘違いして、震えているのが可笑しい。そして踊りの会場で、彼らは事前から「変わった踊り」 のため優勝候補になっていた。12〜20人がいろいろな化粧をして踊るのだ。そこにトラブルの相手の部族もきて、向こうで 練習をしていた。お互い無視しているふりをしながら、互いを意識している。そして競技が始まった。当事者の踊りがすばらしく 優勝か、それに準じる賞をもらった。その時である、隣村の部族の長が和解に来たのだ。彼らは踊りを通して同じ地域の共通の アイデンティテーを観たのだ。そして和解!下手な小説、映画よりずっと劇的で感動的であった。もちろんやらせでない。 神が宿っているようであった。いや踊りの中に宿っていたのだろう。そのビデオ知人に貸したが、 子供が間違え録画をしてしまい消滅、今はない!その前に何回も再放送でやっていた。 何回も見た。 ・・・・・・・・・ 2月1日 1969年 2月になってしまった。 学生最後の日々が、飛ぶように去っていく。もっと遊び、もっと勉強をしておけば良かったという気持と、 自分なりに精一杯の学生時代をすごせて気持ちが入り混じっている。あと一ヶ月だが、社会に出れば学生時代のようにはいかないだろう。
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2012年01月31日(火)
「 女一生の働き方 」―貧乏ばあさん(BB)から働くハッピーばあさん(HB)へ 樋口 恵子 (著) * 核家族の果ての貧乏ばあさん 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピーではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと 楽しくはないようだ。 が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在しているようだ。 そこそこ蓄えと、 知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。 ー内容紹介ー ≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知っていますか? そう、日本の高齢女性は、 実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかりです。 日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、 夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。 さらに、多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど 雇用が不安定なため、年金をはじめとする社会保障につなが りにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあさん)に甘んじていないで、自らの手で 幸せをつかみとる「HB」(働くハッピーばあ さん)になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。 老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 これこそがこれからの日本女性が目指す道です。 本書では、人生100年時代を迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を 多数紹介。 また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も本書を読めばよくわかります。≫ ▼ 世界一の長寿国になった日本。 平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳という。その中でリッチの年寄りは僅かであり、 男より7歳も長生きする女性は、収入は僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉が 生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。 しかし、その中にあって人生の過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られるという。 本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。 ・・・・・・・ 2011年01月31日(月) 3598、 閑話小題 * 日本の自殺率は、世界で何番目 ? 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は自殺率はどの位かと調べてみた。 以前にも書いたことがあるが、一位から四位が旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。 ちなみに韓国が日本の八割で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、イギリスが三割で52位である。 イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に抜かれたとしても世界第三位。 旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに 直面してないことが重なっているため。 日本の自殺率の多さは北欧病に似ているためか? 日本の都道府県では 秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。 * 中国にエジプト全土デモが飛び火? チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、飛び火が中国全土に全土デモが広がり、 (紅衛兵運動で当時の体制の権力者など2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは? という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)が山のように積み上がっている。 それがネットで瞬く間に突然、火を噴く可能性がある。「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。 それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が理解できる。この見方も決してオーバーでない。」 という脳の奥からの言葉が不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ消滅を始めてきた。 20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が 存在しているかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 激変は辛いが、しかし ? ? ! ・・・・・・・ 2010年01月31日(日) 3233, 死は‘別れ’のとき ー2 * あなたと出会って良かった ! 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと 22〜3名。 それぞれが背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。 高校の同級生の葬式といえば、 次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。 実は、この場面の立会いが好きである。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。 御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。 そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、 その場面に立ち会ってきたが、 これほどの感動的な悲しい場面は初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。 奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が止まらなかった。 自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 無いだろう! ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を! ・・・・・・ 2009年01月31日(土) 2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると −2 63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、 その度に色いろな人との出会いがあった。その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。 前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。 「父が現在の私の年齢の時には私が22歳。そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。 十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。9,18、27、36、45、54、63歳である。 この時期に大きな節目になっている。これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への御門が待っているか? それとも今年? ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい! 屋上ー なるほど上は空 8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。 7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。 6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。 5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。 4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。 3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。 2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。 1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。 それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージすればよい。地下は母親の胎内?、それとも姉・兄? 基礎構造は家庭、そして祖先。 だから家庭は大事になる。 しかし相方との長期の相性は、実際のところ5分5分だから難しい。 相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。 ・・・・・・・・・ 2008年01月31日(木) 2493, 読書の腕前 −1 [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ 「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記 面白そうなところを何箇所、書き写してみた。なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いた。 ーー 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って流されている。中には錨を下ろしている舟がある。 川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、 川の流れを感じるようなものだ。川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。そんな悠久の流れを、 ひととき止めたりを舟の中で感じる。本を読むということは、そういうものだと思っている。 ▼ 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / ある日/ ゴヤ のファーストネームが知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」 「生きるとは / ゴヤ のファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」 ▼ 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに置き換えられなかったのか。 そんなふうに悔やんだことは一度もない。一度もない、といま気づいたことに驚いている。 ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。だから、明日からも同じように生きていく。 ▼「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」色川武大 「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかもしれない」遠藤周作 「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎 本は膨大な人間のモデルを提供してくれ、しかも、相手の忖度を気にせず、思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる。 ▼ 田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、 同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。いい女房を持つ、硬骨に生きる、 世間を捨てて山頭火になる・・。しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。 「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」 □ 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、 それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。この本も、直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだ面白い箇所が多数ある。 ・・・・・・・・ 2007年01月31日(水) 2129, 熟年離婚とセックス Σ(≧д≦)LOVE オハヨウ! 図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、「熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。 55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?当初は自己存在の喪失の感覚になりかけて 焦燥感になったが、今はバイアグラの力を借りて・・何とか? (●?∀?))ヾ☆*。 こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという 男の暗黙のルールがある。「実際のところ同年代は?」と思ってところ、千人調査のアンケートというから 丁度良いタイミングであった。少し際どい?が、男にとって切実の問題である。このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。 ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー (字数制限のためカット2011年1月31日) ・・・・・・・・ 2006年01月31日(火) 1764, 袖に涙のかかるとき・・ 「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから 深く魂に響いてくる。 深い心の底から、人間を、健常者では知りえない世界を、見つめている。そして「生きている、 それだけで素晴らしい!」ことを知っている。 実際に絶望の淵に立たなければ、その言葉の奥行きは解らない。 * あるHPの ー心に残る名句名言集ーより リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた ”心に残ることば”を「名言・名句集」としてご紹介いたします。 −字数の関係でカット(2012年01月31日カット) ・・・・・・・ 2005年01月31日(月) 1399, NHKと朝日新聞 昨日の朝日新聞の天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。(後でコピー) 「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、 その時の権力者が口を出すのは当たり前。と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。問題は政治的圧力をかけたことが悪い。 しかし今は時代が変わってしまった。自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。 −字数の関係でカット(2008年01月31日カット) ・・・・・・・・ 2004年01月31日(土) 1032、「リクルートのナレッジマネジメント 」 ー読書日記ー1 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。それだけインパクトの強い内容であった。 現場からの視点でつくりあげたイントラネットの一つのカタチとしての 凄みを感じとることができた。 「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 (2008年01月31日カット) ・・・・・・・ 2003年01月31日(金) 667,「成功する読書日記」-読書日記 ー読書日記帳の基本パターンはー 「成功する読書日記」 著者 鹿島茂 ーこの本の引用とレジェメー これに、書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。 引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。 とりあえずこれを続けることに意味がある。 ・量がたまってきたら,しめたものである。 ・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ ・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。 ・その評価の☆とりも大事の一つ ・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す ・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。 ・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく ・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ「収集」しているのではないか という感覚になる。ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。そうすると体系化への志向が生まれ、 それ自身が意思を持ち始める。コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。読書日記や映画日記を続けていると、 何時しか、コレクションが「開かれる」という現象が起こってくる。一つに集中していたジャンルに、 ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルができると、 ジャンルそのものの比較検討が可能になる。SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。そのジャンル相互の類似と 差異が目に付くようになる。そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。量がある域を超えると「質」 という問題を意識にのぼらせる様になる。この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」を行ったことを意味する。 「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。 「量」をこなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。 理想をいえばー 自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。図書館から借りてきた本から必要部分を すべて引用しておき、読書ノートを書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。 ーコメントー 以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。アフリカ大陸、ユーラシア、南米、 インド・シルクロード、オセアニア、イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。そして今度はどこのジャンルの どこにしようかという見方で選択を始める。そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、アフリカだったら、 ケニアとタンザニアの差異と類似が見えてくる。その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。 この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。 こういう本の存在を見つけられなかったからだ。実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、 書く事に気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。でも、読んだ本と、著者、出版社、 買った動機、借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはず。この習慣は必ず身につけることを誓う!! ・・・・・・・ 2002年01月31日(木) 317,あだ名 中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。 ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」 そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシ。 −字数の関係でカット(2012年01月31日カット)・ ・・・・・・・・・・・ 1月31日 金曜日 1969年 8時に起床。起きるのがやっとであった。最後の授業の人事管理である。武沢先生の授業はこれでおしまいである。 ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。彼はこのところ角が取れてきた。面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、 一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で彼女の家に泊まってきた。その後、どうなったか聞いてないが、行動力は凄い。 午後はゼミ。私の人生の最後の授業である。途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。 武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。面白い内容でよく理解することができた。 これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。 これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。それを前面に出して発揮しなくてはならない。 面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。 栄光の未来と前途に行こう!さて、今日は事務管理しかできなかった。明日は価格理論と事務管理である。 予定として、10時起床、2時まで人事管理。15時から18時まで人事管理。
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2012年01月30日(月)
【 ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 25日NHK・クローズアップ現代 】 * ビジネス、日常生活にゲームを持ち込む 最近クローズアップ現代が面白い。先回はビジネスや科学の分野などにゲームの手法を取り入れ活用している事例を紹介している。 私も以前より事業や人生に「ゲーム化」を取り入れてきたこともあり、非常に興味を持って番組をみた。 ここでも、 ゲーム化について何度か取上げてきた。 ネットが世界的に普及してきた中で、ゲーム感覚で多くの人が協力する時代でもある。 驚いたのは、この番組の中で、コンビニの監視カメラを公開し、万引き監視をゲーム感覚で察知し、店に知らせるシステム。 ポイント制にして最高で月3万円が貰える。先に見つけ連絡したものが勝ち、ポイントがつく。 −まずは、クローズアップ現代のHPより ≪人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外”の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。 その名も“ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を 搭載した新型車が登場。ゲーム的な手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界のグローバル企業の 70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかった エイズ治療のカギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決するアイデアを競わせるゲームを通じて、 人類が直面する課題の克服に役立てていこうという試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。≫ ■ 人生のゲーム化といえば、目を剥いて怒る人もいようが、人生は、その人にとっての物語を生きることである。 最期には死が待っているが、生老病死の人生のサイクルとして、それぞれの障害を乗り越えるゲームが人生。そう思えば、 難関も、乗り越えるための壁として対処を想定ができるもの。 何ごとも準備が重要だが、その準備をゲーム化するのがミソ。 何事も楽しまなくては続かない。 楽しむには過程の難関をゲーム化し乗り越えることである。ゲーム化すれば苦難は数分の一になる。 航空会社が販促として「乗った距離をポイント制にして恩典をつける「マイ・レージ」というサービスがあるが、 顧客の「私は、これだけポイントを集めている!」という自尊心と、特典で旅行できる恩典がヒットし、今では、当たり前の ように使われている。 これもゲーム感覚で、ポイント集めを楽しんでいる。 私も早朝から就寝まで、日程を組んで習慣化し、 そのチェックとして手帳に書き込んでいるが、実は一種のゲーム感覚で実行している。 倒産劇も、途中から手順に落として 実行しているうちに、ゲーム感覚になってしまい、自分で驚いた。他人から見たら、変じゃないかと思われて当然。 とにもかくも長期にわたり一つずつ壁を乗り越えなければならないのだから、ゲーム感覚で冷静でなければ神経衰弱になる。 毎日書いているこれも、まずテーマ探し、材料集め、それを起承転結に仕上げ、何ども修正、完成するゲームである。 ・・・・・・ 3597, 誤訳口臭論 2011年01月30日(日) 仏文学者の鹿島茂のコラムに「誤訳と口臭」論があった。なかなか面白い切り口である。 ≪ その昔、手がけた翻訳書における誤訳の指摘がされると、気が気ではなかった。 最初の翻訳書が出された時、誤訳の指摘に関する記事が専門の学会誌に掲載された。 読んでみるといちいちもっともな指摘で批判を甘んじて受けるしかないわけだが、実際に指摘した人物の試訳を見ると、 むしろそちらの方が誤訳だらけだ。この程度のレベルかと、少し安心する一方で、無性に怒りが込み上げてきて、 その人間の過去の翻訳文章における誤訳の指摘を、今度は対抗して学会誌に掲載すべく、原稿を書き始めたが途中で 馬鹿らしくなって、結局やめてしまった。このように、人の誤訳というのは見つけやすいものの、自分の誤訳は他人から 指摘されるまで分からないことが多い。 誤訳というのは「口臭」に似ていると思われ、自分口臭に気がつかないまま 「おまえの口は臭いぞ」と言うことに似ているという。「だから、非常に攻撃的に他人の誤訳を指摘している人を見ると、 この人は、たぶん自分の口臭には気がつかないタイプの人なんだろうなと思う」。 「口臭のない人がいないのと同様に誤訳のない翻訳はない。これだけは真実である」と、思いやられる。≫ 〜 だいたい、こんなことだが、政治家の足の引っ張りあいの国会答弁、これって口臭でなく・・・ これから思いつくのが「陰口口臭論」「悪口口臭論」がある。これは、世間とかいう現象社会にドップリ漬かっている 基礎教養の欠落している人たちの放つ毒。放っている連中は面白いが、その毒をまかれた方は・・・ 毒には毒をもって 制するというが、それ以前に、毒婦、毒男には近づかない方がよい! 彼らには、それが全世界でしかない。これも口臭か! このブログをネットを通した口とすると、口臭を放ち放題ということか。 凄い口臭なのだろう!自分では気づかないが! だから誰も、ブログなど書かないのだろう! 素裸で、大通りに大の字で寝る覚悟が無ければ、もの書きになれないと、 瀬戸内寂聴が書いていたが。 私など無理無理! 絶対に無理! ・・・・・・・・ 3232、「黒字亡国」から抜け出そう ー1 2010年01月30日(土) * アメリカの持つ魔法の財布 文藝春秋の2月号の三国陽夫(三国事務所代表)の ー「黒字亡国」から抜け出そうーが、考えさせられた。 【 円安で、輸出黒字でドル資産226兆は帰ってこない。今こそ「ドル支配」を脱せよ! 】という論旨である。 アメリカは輪転機でドルを刷り、日本は汗水を流して製品をつくり、アメリカに輸出する。その支払金のドルは、 支払われるが、再び本国に還流される。何時か、そのシステムが崩壊しても、損害を被るのはドルを持たされた国。 効率からいえばアメリカの方が効率的。これからみると、日本はアメリカの奴隷国家でしかないのである。 ≪ 日本メーカーが、自動車をアメリカに輸出すると、アメリカの消費者はドルで代金を払います。 日本のメーカーは国内で従業員の賃金を払ったり、仕入れ代金を決済しなければならないので、円が必要となる。 そこで日本の銀行にドルを売って、円を手に入れます。この段階でメーカーの帳簿上では輸出代金の決済が 出来たことになりますが、じつは国全体で考えると、決済の実態は完了していないのです。 本来であれば、ドルを買った日本の金融機関は、為替市場でドルを売って円に替えます。 ところが、日本は一九七0年代から恒常的に輸出が輸入を上回るようになったため、市場では輸入のために払った円より、 輸出して受け取ったドルの方が多く出回っています。 (字数の関係でカット2012年01月30日) ・・・・・・・・ 2857, 人生を振り返り、俯瞰してみると −1 2009年01月30日(金) 人生を振り返り、俯瞰してみると (似たようなことは何回か書いてきたが再び・・) 0〜9歳は、家庭では躾、学校では集団生活の決まり事を刷り込まれる時期。遊びと学びの基本を学ぶ。 10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。 20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。 30歳代は、それまで蓄積した全てをそれぞれの創造に向けて吐き出す時期。家庭づくりも、創造になる。 40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。 50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。ゴールを意識する。 60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。余白を埋め始める時期。 70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。 80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。 大まかに10年ごとに意味づけをすれば、こんなものだろう。(私の場合は9年だが、それは次回に書く。) 大きな分岐点は、それぞれの人によって違うから、あくまで目安である。この中で一番大事な10年間は、50歳代ではないか。 時期的には42歳の厄年だが、社会的、精神的な要素を含めると「50歳の時点が、人生の折り返し」だろう。 平均寿命の80歳を大きな目安とすると、そこまでの30年の最初の10年が最も大事になる。 50歳頃に読んだ曽野綾子の書に 「人生の美味しいところは60歳まで」というのを読んで焦った。「エッ、あと十年しかないのか、人生の美味しいところは!」と。 「それでは十年で何をすべきか?」 ここを充実させておかないと、人生を後悔することになる。 要は何を捨て何を取るかである。 もともと捨てていた世間様の付き合いを更に一歩踏み込んで捨て、好きなことを徹すること。そして新しい世界を開拓すること。 捨てるのはマイナーな人間関係。新しい世界はパソコン、インターネット、色いろ違った分野の読書。徹するのは、異郷、秘境ツアー。 結果からすると50代前半が異・秘境ツアーに集中。 後半が読書とインターネットと載せる文章書きである。 結果として正解だった。 50歳までに人生の元を取り、60歳までの上乗せが充実感で残った。 せいぜいプチ・ブルレベルとしてもだが。 人生を全体からすると20歳までが大事だが、全てが人生である。 「一日一生」「一期一会」「べきことを、べきときに、べくすべき」とは、良くいったものだ。 ーーーーー 2008年01月30日(水) 2492, 無くてはならぬもの −3 * 惜しみなく愛の悦び! ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] P−72 他者を愛するといいながら,けっきょく私たちはいつでも自分を愛しているのではないだろうか。 もっときびしく言うならば、人間はけっきょく自分を愛することしかできないのではないだろうか。 人間にとって愛は多かれ少なかれ悲劇的性格をおびているが、それは私たちが自分しか愛することができないからだろうか。 そこで私は、あの、イエスの決定的言葉に立たされる。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」 イエスは決して、「自分愛さないで」隣の人を愛せよとはいわなかった。 「自分を愛するように」隣人を愛せよといったのである。そんなことが私たちにできるだろうか。 (字数の関係でカット2010年01月30日) ・・・・・・・・ 2007年01月30日(火) 2128, マンションについて考えてみる (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 建売にしても、マンションにしても、買う場合の最低の知識が必要である。 といって、それが解れば苦労はない!自分の頭で考えるしかないが、それでも少しは知っていれば、 誰かのように「アパ」から三室も買わないで済んだろう。そこで私の経験から更に「アパ・マンション」と 「マンションの買い方」について更に考えてみる! 何事でも商品である限り荒利を得るのが企業活動である。 当たり前のことだが、まずそこが問題である。それは悪いことではない、商品価値を買うのが顧客だからだ。 (字数の関係でカット2007年01月30日) さようならm(__)m ごきげんよう ・・・・・・・・ 2006年01月30日(月) 1763, 人の心は金で買えるか? o(*'▽'*)/☆゜おはよう〜♪ ライブドアの堀江もんが、著書で「人の心は金で買える」と言っていたというが、これについて考えてみる。 「買収されるかされないかは、その額による」という強烈な格言があるが、実際のところそうだろう? これを捩れば「人の心が買えるかどうかは、その金額による」になる。お金の力は絶大である。 金に貧した人の露わな姿を多く見てきた。他人事ではないが。お金は扱い方によって魔力にもなる。 一般的にみると誰もが貧すれば鈍する。金が無くなると人間性まで卑しくなるのが人間の性である。 (#`ε´#ゞ 試しに破産すれば解ることだろうが。「落ちぶれて袖に涙のかかるころ 人の心の奧ぞ知らるる」 心の奥の奥を、冷たさ・優しさ、醜さ、浅さ、深さなどを置き換えてみると解りやすい。 例として「落ちぶれて袖に涙がかかるころ 人の冷たさ初めて知らるる」」というのが現実であろうが。 「人の気持ちを金で買える!」を、単純に否定も肯定も出来ない。TPOSー時と場所と場合とケースーによるが、 それぞれの価値観もある。人によるだろうが、・女性が身体を売るのからみれば、気持ちなど売るのは如何ということは ないともいえるし、身体は売っても心は売らないというケースもあるだろう。 茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w ところで「袖に涙のかかるころ・・」という言葉の検索をしたところ現実の生死の境界線上の人を慰め奮い立たせるHPがあった。 これを明日取り上げてみる。 ゚+.(・∀・).+゚.。oO(おまけ!) 【堀江社長語録】をコピーしておきます。 【2006/01/24 東京朝刊から】 (字数の関係でカット2007年01月30日)  ̄Д ̄)y─┛~~~ホンジャ! ・・・・・・・ 2005年01月30日(日) 1398, 人の話を聞くな! 前回、「相手の話の聞けない人」について書いた。ところが昨日、散歩ついでに「蔦や」の 本のコーナーによってみたところ、何と「人の話を聞くな!:著:堀場雅夫」という題目の本があった。 ナンじゃい、と思いながらパラパラとみたが、大した内容ではなかった。ーそこで、主観的にとらえたのは、 「自信がないから人の話を聞こうとする、しかし人の言うことに殆ど真実をとらえていることはない。 それより自分の主観を大事にしたほうがズット良いことが殆どだ」という内容であった。なるほど一理があるが、といって 「聞いてまわらないで失敗した」ことがあまりにも多い我身にとって一理があるが、疑問を感じざるを得なかった。 そこでインターネットの検索で調べてみたら、「自己の目標が困難なほど、人に方法を聞く前に自分で考えて行動する事が 真に目的を達成出来る人間へと 昇華できる」という内容であった。それだけで足りないから、人の話を聞くのだが。 日経新聞の「私の履歴書」の中で故五島昇が、財界の先輩にいわれた言葉が焼きついている。 「五島君、一番大事なことは他人に相談するなよ!」である。恐らく著者の堀場雅夫も、その言葉が下地にあって、 それに加えて自分経験の実感でいったのだろう。知らない人が、この言葉を表面的にとらえたら大変なことになる。 (字数の関係でカット2011年01月30日) ・・・・・・・・ 2004年01月30日(金) 1031, スランプの乗り切り方 人間であるかぎり、誰もがスランプはやってくる。要は、それを如何やり過ごすかである。 一般には、いや私の場合は 「亀のようにジッとして時間が過ぎるのを待つ」のが最善であることを経験上、身につけていた。スランプは軽い鬱の状態。 スランプの時は何をしても上手くいかない。時間さえ経てばプラスマイナスのサイクルでしかないのが解る。 ところで、スランプになったという経験がほとんどない。リズムのつかみ方で反転させることもできる。私は万年スランプだから、 あえてスランプという必要がないのだが。三流選手がスランプといっているのと同じこと。 (字数の関係でカット2012年01月30日) ・・・・・・ 2003年01月30日(木) 666,「読書・映画日記」 月に2〜3回はまったく何を書いてよいか呆然とする。逆に言えば9割がたは何か書くことを抱えていることになるが、 実はそうではない。従って常に何を書いてよいかアンテナを張っている。これが一番のプラスの要素になる。 本当のところ止めてしまおうかと数ヶ月に一回の割合で考えてしまう。特に冬の散歩ができないときは、 発想が枯渇してしまう。好きで書いているから続けられるが、仕事や強制されたものだったら苦痛は数倍になる。 毎日書き続けていると考えていることが平易に表現できるようになる。20〜30人に向かって話しかけているイメージで 楽しんで書いているのも事実。書いているとプロの凄さが見えてくる。それはキャリアの絶対量の差からくる。 仕事にして売れなくては食べていけない、ぎりぎりの状態から来るものだろう。時間とともに深く広くなっていくのは当然の事だ。 しかしあるところを突き抜けてしまえば面白いだろう。今度からこの随想日記に「読書・映画日記」を取り入れることにした。 直近に読んだ本と映画のタイトルとレジェメやコメントを書けば、下手なテーマより内容が充実するしテーマが枯渇した時などよい。 実際もう既に「4行日記」と「日本経済の破断界」を書いている。次は「成功する読書日記」である。この本がヒントになったが。 ・・・・・・・ 2002年01月30日(水) 316,一生のうちしなくていいこと 谷沢永一の「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」を図書館で借りてきて、目を通した。 当たり前のことが大部分だが、シナクテいいことから挙げると ・「隣人と親しくする」--「近くの人ほど距離を置け」と父のも同じ事を言っていた。 ・世間体をつくろう ・他人との比較 ・出世競争 ・パーテーの参加 ・嫉妬 ・盛大な葬式ーこれに私は結婚式を挙げたい! ・功績を誇ることーそう嫉妬して見える、見る人の視点は別 ・お金の執着ー稼ぎと使いのバランスが大事 ・自分の過去をクヨクヨ思う 10年前、30年前の事をまだクヨクヨしている。 「恨んだ相手は高いびき」という言葉があるが、高笑いであろう。 ・頼みごとをする。人脈を頼みごとのできる人間関係と信じて疑ってない。 不幸な人の特性が、これである事を最近知った!ー依存性 離婚や事業で失敗した人は依存タイプが多い。 ・子供の私物化ーこのあたりがその人品の決め手といってよい。 ・運のない人とのつきあいー運のない男ほど、巧妙に電話をかけてくる。「飲み逃げの??」など、ストリーを作ってくる。 ・卑屈な生き方ー人間皆持っている要素、要はそのコントロール。いまひとつ卑屈な人間ーに近づかない、近づけない。 共通要素は、仕事に恵まれてない人で、オベッカの上手い人間。 そう、どこにもいる、あの男! こういうと、自慢かもしれないが、ほぼ全部クリアーしている。 何処かの「同?会」の連中、 「ほぼ上記の連中が過半数」をしめている!私が嫌うより、要するに俗人、プチブルの生き方の否定ということ。 ・・・・・・・・・ 1月30日 木曜日 1969年 午後、本を読んで過ごす。夕方、予告なしで実家の会社の支店の女店員が二人訪ねてくる。 面食らってしまう。私の常識では考えられない。仕方がない、すぐにホテルを予約をしてやる。 寮にいた佐々木さんと高橋を誘い新宿で食事。その後、ゴーゴーに案内をする。23時に、先に1人で帰寮する。 あの二人、こちらも計画があるのに、何を考えているのだろう。子供なのだろう。あまり考えないことにする。 長岡で、この正月に「調子のよいことを言った」のだろう。無責任の言葉には気をつけなくてはならない。 ぜんぜん試験勉強の計画が狂ってしまう。
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2012年01月29日(日)
あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というテーマがあった。私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、 身につまされるテーマである。その子供たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として現在の社会の中核を占めている。 そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。 その中で団塊世代の母親は核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内離婚を含めて過半数以上が 家族崩壊をしているのが現状である。 ー 次の部分は考えさせられる内容である。 ≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に 提案はあるか、と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに失敗した世代なので、その贖罪のために 孫育てに励んで、働く次世代の女性を支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。 不登校や引きこもり、児童虐待、少年犯罪、DVなど、 家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。 これまでは、自然に生まれていた地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の荒波から 個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士である男性たちを企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。 それは日本社会独特の家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。 今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声をそろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。 だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、 子育てである。 なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」に集約されると言ってもいいかもしれない。 そして、その子育ての目標は、すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波へと押し出す役割である。 けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなすことと、 子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうとしたのは、結局、無謀な話だったのだ。 そして、親の介護。 長寿社会では、介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、担いきれなかった。・・・ 目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・ 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を 家族の進化と考え、知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、本気で求められいると考えるべきだ。≫ ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない 男女関係を含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。あまりに価値観が多様化したこともあるが。 ・・・・・・・・ 3596, お絵かきロボット 2011年01月29日(土) * 画像転換ソフト 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で加工するのに凝っている。 カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、 百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すればするほど、その出来栄えに驚いている。 これは人間のカタチはしてなくても、「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵にすると、 別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい加工をするのだから、有料のものを使えば・・ 特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、 イラストに転換してくれる。旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思っていたのが、 そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。 何故に、この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか? というと、秘境の一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った写真が、数年を経った現在でも水彩画や、 クレヨン画に変換出来るのが不思議で、奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、 当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の美しさを改めて意識させてくれる。 気楽に使っている転換ソフトには限りないノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の中に 流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。 ・・・・・・・・ 3231, フリー −6 2010年01月29日(金) * フリーミアム この本は大きな波紋を示している。 新聞や月刊誌などで「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」という 指摘が多くの議論を起こしている。 前に取上げた家の不用品をネット上で欲しい人に着払いでタダであげれば、 両者とも良いことになる。 これはビットだけでなく、アトムの無料化の事例である。 贈与社会化である。 ・同書のキーワードの概念は「フリー(無料)」と、プレミアム(割増料金)」を組み合わせた「フリーミアム」という造語。 無料で基本版を配布して広く顧客を集め、その中の一部が有料・高性能なプリミアム版に移行することで 利益をあがるという、デジタル時代のビジネスモデルをさす。 ・試供品配布などに代表される従来型の無料サービスが、5パーセントを無料で提供し、95パーセントを 買ってもらうとう形に対して、「フリーミアム」の新しさは、95パーセントを無料で配布して、 5パーセントから利益を上げるという点にある。 大量に複製配布するコストがほぼゼロになるデジタル化が、 それを可能にしたとする。 その上で同書は「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」と、 「フリーミアム」化の流れが不可逆であると述べている。 同書は昨年7月に、二週間の予定で全文を無料公開。 30万ダウンロードされたにかかわらず、ニューヨークタイムスのベストセラーにランクインするなど好調だった。 日本も一万限定で無料配布を始めたところ、ツィッターなどを中心に反響が大きく、二日で定員をオーバー。 販売も好調だった。 自分で、それを自己証明したカタチになった。 若い世代は当然という反応に対して、メディア関係者からは反発が多かったという。 ▼ ブログなどは、取っておきの自分の情報を無料開放することで、それに反応してきた数パーセントの、専門の人との出会いがある。 (字数の関係でカット2012年01月29日) ・・・・・・・・・ 2856, つれづれなるままに 2009年01月29日(木) ー 当てごとは向こうから外れるー 「当てごとは向こうから外れる」とは「期待事は、自分の都合だけを考えてしまうので外れることが多い」ということ。 投機をしている人は、この意味の深さを十分に知っている。それから逃れるためには、「当てごと」をしないことだ。 事業も全く同じである。ついつい、自分の都合だけを考えて市場をみてしまい外してしまう。 実際の諺は「当て事と(越中)ふんどしは向こうから外れる」である。成るほどよく言ったもの。 今回のサブプライム問題で世界中の金融機関が破壊的な大打撃を被った。それもアメリカの金融機関が格付け機関で 太鼓判を押した債権が紙切れになるのだから、詐欺そのものである。彼らは決して「当てごと」を外したつもりはなかった。 間違いないと信じていたのである。日経金融新聞の08年1月4日号が手元にある。その去年の予測は、日経新聞のプロの予測が 「米景気後半から回復」「事業法人の買い期待」である。「今年の株式相場」の専門家69人の予測は、年末に一万八千円超えが大多数。 一番低いのが一万二千円である。いかに予測が難しいかを示している。 ( 字数の関係でカット2010年01月29日 ) ・・・・・・・・ 2008年01月29日(火) 2491, 無くてはならぬもの −2 YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ 「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著 まずは?の 生きる意味の創造 −から考えてみよう。「人生に目的があるかどうかではなく、 自分はどのような目的をめあてに生きているか、というふうに問うべきである。」これを考えてみよう。 ▼ 生きる意味の創造 ー本当の生きかたー 人生に意味があるかではなく、いま我われひとりひとりが、生きることの中に、どういう問題を見出しているか、 感じているか、ということが大事なことである。ここでは二つの生きかたを示して、その一つの生きかたを勧めている。 ・人生にもともと意味などないという自覚に徹して生きるということである。この宇宙に、そして地球上に、 一定条件の一つの結果として、たまたま生物なるものが生まれた・・ 人間もその生物の一つでしかない以上、創造のの頂点として 生まれたものでもない。その人間に人生の意味など、あろうわけがない。われわれが生まれようが生まれてきまいが、死のうが、 一切なんの影響もない、生も無意味、死もまた無意味!という生きかた。 ・いま一つは 人生の意味は先験的に私たちの中にあるのではない。虚無の中からの創造である。 私たちがつくり出していくからこそ 人生に意味が生じるのである。どのような条件の中で、意味を見出しうるのか、を考え生きるべきであるということである。 人生の意味とは、他者との力強い連帯がいきいきと成り立っているときのみ、生まれてくるのでないか、という。 ー この二つの生きかたを通して、プロテスタントの佐古は、後者の生きかたを肯定している。 私に問われれば、両者をコインの裏表として冷静に己の中に整理しておくべきと、現在では言うことができる。 しかし当時の私には、「生きることの中に、意味を 創造していくべき」を当然のことと受けとめていた。 また、その生きかたを良しとしてきた。当時の何人かの友人は、この二つを冷静に見ていたようだった。 前者の生きかたも、この歳になると理解できる。上を見れば、きりがない。横を見れば情けない。下を見れば底がない。 宇宙を見れば果てしない。こういう心境になっていくのである。後者は若者、前者は老年の心境といえるのではなかろうか。 意味とは価値という意味もあるからだ。 そういえば心理学者のフランクルは、3つの価値を上げている。 1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味=仕事・子育て・芸術を創造する 2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味=自然にふれあう・芸術にふれる・愛する 3・態度価値: 状況・運命に対し【自分としての態度】を取ることで得られる価値・意味 当時は日本ではフランクルは殆ど知られていなかったが、こういうこと!生きる意味とは。 ・・・・・・・・・ 2007年01月29日(月) 2127, アパ・マンション/ホテルについて (o_ _)o.。o○グー オハヨ〜 (字数の関係でカット2009年01月29日) (*^_^*)ノほんじゃ! ・・・・・・・・・ 2006年01月29日(日) 1762, 愛のアフォリズム−2 ♪オハ(b´∀`d)ヨォ♪ ランダムに幾つか面白い順に抜粋していく。特に「結婚」に関する章が面白い! 「第八章 ああ結婚!」から面白そうなのを抜粋してみた。 人間形成の基本ベースは家庭にある。 その始まりが結婚というキッカケから始まる。 そして、その半分が家庭内離婚を含めて破綻する。 破綻した両親の下で半数の子供たちは悲惨な生活を強いられる。 人生の最大の決断は結婚といってよい。「その人物を判断するには連れあいをみよ」 というが、ほぼ間違いなく言い当てている。クサンチッペをみて、ソクラテスを判断はできまいが。 =第八章 ああ結婚!= 結婚して最初の一年間、夫は支配権を手に入れようと努力する。 二年目にはいると、同権を求めて闘う。三年目にはいると、せめて身ひとつの生存を求めて悪戦苦闘する。 (読人しらず) カンカンカン〜・・ ¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀家内の ワラ人形 結婚生活が神聖だといわれるのは、きっと殉教者がたくさん出ているからだろう。(ルートビィヒ・トーマ) 恋愛とは短期的愚行。 結婚生活とは、短期的愚行にピリウドを打つ長期的愚行。(ニーチェ) 結婚すると妻は夫の姓を名乗る。これは、戦勝者が会戦名を名乗るのに似ている。(モーリッツ・ゴットリー・ザーフィル) おまえは生涯、妻を背負いつづけるかもしれない。でも、下ろすたびに妻は言うだろう。 「わたしゃ、くたびれた」と。 (モンテネグロの格言) 結婚生活は愛の置き土産です。 (ヘレン・ローランド) (字数の関係でカット2012年01月29日) ・・・・・・・・ 2005年01月29日(土) 1397, 相手の話の聞けない人 『相手の話の聞けない人』といえば、誰もがピンとくるだろう。私の知っている限りでは、10人に1人あたりであろうか。 隠れ何とかを入れれば、その数倍であろう。それでも少なくなったが、今でも唖然とすることがしばしばである。 相手のことが見えてないのだ。この人はこういう人、あの人はこういう人という主観の思い込みが強いのだ。 世間体に言えば「頭ー固定観念ーが固い」ということだ。 地方の二代目に、こういうのが多いが。 身辺の長岡の二代目に、 そのタイプにも多いが今では殆ど淘汰された?いやこういう奴ほど、生き残っているか? 私もその一人なのだろうか? (字数の関係でカット2012年01月29日) ーーーーー 2002/12/24 パタゴニア旅行記ー7 −話しまくる人ー 今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。 アメリカ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいると いっていた。タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のこと。相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、 一方的にしていてもう不快さを与えない人だ。誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。 聞いているほうはたまらない。一種の自閉症に似ている。自分以外の世界を閉じてしまっている。三人のグループであったが、 その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。誰もが持っているが、自分でコントロール しているものである。私など人のことをいえた義理でない、他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった 女性のそれはすざましい。人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。 出羽の守という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族ではという自分の世界の世界に置き換えてしまう人だ。 そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話しまくっているようなもので、 自己対話という面で一種の自閉症のようなものか。人間その要素を誰も持っている。 ・・・・・・・ 2004年01月29日(木) 1030, ワークとジョブ ・ジョブは一般でいう繰り返しの仕事をいい、 ・ワークとは創造的な仕事をいう。 従ってジョブは日常の8時間だけ働いていればよいが、ワークは24時間働かなければならない。 要するに仕事に知恵を叩き込まなくてはならない。仕事以外の時間に、知識の蓄積と知恵を出していかなくてはワークとはいえない。 一般的には、この差も認識してないケースが多い。 実際のところ、この数年ワークの仕事をしてきただろうか自分に問いかけてみると 「イエス!」と言いきれない。現在は問題山積みで、毎日がワークという実感があるが。学生時代は基礎知識と知恵の出し方を 学ぶところといってよい。社会に出ても、その蓄積を何らかのカタチでしていかなくてはならない。特に情報社会において、 変化に対して自らも変化し続けなくてはならない。一般に知的労働を含め、ラバー、ワーカー、スペシャリスト、トップに分けられる。 ・ラバーは主に腕から先の作業を受け持つ人 ・ワーカーは頭は使うが、作業を中心に頭と身体を使う人 ・スペシャリストは、その道のプロとして24時間仕事に従事する人 ・トップは、会社の方向ー方針と内部統括をする人に分けられる。 ラーメン屋や料理屋の亭主はその全てを受け持たなくてはならないから、傍で見ているよりズット大変である。会社が停滞をしたとき、 ワークがジョブに変わってしまうケースが多い。これは会社と人間の両方にいえることである。人間はジョブに流される傾向がある。 それを回避する為には、変化をおこすことが必要である。それをするのがワークであるといってもよい。 ・・・・・・・・・ 2003年01月29日(水) 665, 連れ合いーつり合い 以前ある大手の人事部長に「人の見分ける一番の虎の巻はあるのですか?」と聞いたことがあった。 「奥さんを見れば、ほぼその人が解る!」「なるほどな〜、下手な相手とは結婚できないんだ!」 25歳の金沢時代だった。考えてみれば、その人レベルの相手と結婚するものだ。酒に酔って思わず「出来ちゃった婚」もあるが、 その程度のレベルだ。知人の長男がそれで結婚し子供ができたが、嫁はもとの男と逃げてしまったと聞いた。 養子にして育てているが張り合いができて毎日が楽しいと。ある知人の奥さんが子供ができた後、子供が病気になって 血液検査のをしたら何と父親が違っていたとか。奥さんは子供を連れて蒸発したという話を他の人から聞いた。 (字数の関係でカット2011年01月29日) ・・・・・・・・ 2002年01月29日(火) 315、心と意識と魂 心と意識と魂-その意味ー以前も書いたが!更に。「彼が彼女を意識したが」を「彼ー>彼女」のー>を意識という。 矢印そのものが意識というと、いまひとつ意識に対し明確な意味が解らなかったのが、矢印ひとつで、解って?しまうのが、 不思議である。絵文字の感覚を考える時、この矢印で考えると、見えてくるように思える。好きもハートの印で表現したほうが、 相手にストレートに通じる場合がある。ー心は円ー、ー魂は球ーが良い。心の中心点は何であろうか?正中心一点無で「無」か? その内側は欲求というところ。「内側を意識で埋めると、円の上側80?のあたりにラインを引き、上が顕在意識、 下が潜在意識。上の空欄に小さな四角の書き、そこが自我、円の中心点がエネルギーの発生点」と何かの本に書いてあった。 心も「こころ」は仏心というらしい。 ・・・・・・・ 1月29日 1969年 水曜日 朝10時に学校へ行く。寝過ごしてしまった。川崎と事業部で会う。そこで少し話をする。 彼から今日の分のコピーをもらう。午後帰寮する。その後ゼミのレポートを書き上げる。 その後価格理論をやるが、あまりはかばかしくない。夜半の三時に就寝。
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