堀井On-Line



3944, 岐路に立つ世界経済

2012年01月12日(木)

  * 今年は、一日一日何が起こるか分からない
 11日のNHKのクローズアップ現代、連休明けには刺激的な内容である。昨年から欧州の金融危機が続いているが、
そのダイジェスト版と、世界経済恐慌前夜の深刻さを伝えようとする内容。恐慌が起きる起きないでなく、何時起きるかの瀬戸際。
   ー まずは、NHKのHPの番組解説から ー クローズアップ現代 「2012年 岐路に立つ世界経済」
≪ ヨーロッパの国々を脅かす国債危機「ソブリン・クライシス」。そして野火のように広がるアメリカのデモ「ウォール街を占拠せよ」。
 そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。
時として制御を失い、リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、国家を揺るがす事態を引き起こすパワーを持つに至った。
世界はいま、国家の財政危機と銀行などの金融危機が同時に進行するただ中にある。経済危機が起きる度に“マネー”が引き起こす
新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。しかし、先進国をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、失業が解消されず、
不況が長引き、社会保障制度まで大きく揺らいでいる。日本も、もはや“対岸の火事”ではない。GDP国内総生産の2倍を超える
財政赤字を抱える日本では、消費税増税の議論が本格化する。世界は、実体経済を凌駕し、国家をも左右する“マネー”がもたらす
困難を乗り越えることができるのか。2012年最初のクローズアップ現代は、危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、
いかに解決しなければならないのかを探る。(総合テレビ:2012年1月11日 19:30〜20:43/73分拡大版)≫
 ▼ 欧州、米国の起きている金融恐慌の深刻さと、世界恐慌前夜の状況を映像と、識者の対談で構成した内容。翌日の朝も
  録画で再びみてみた。 ○ 日本国債への波及は、あと3〜5年。 ○ イタリア、フランスに国債危機が来ているが、
  次はドイツになる。 ○ ECBの準備金は20兆円だが、必要な金額は100兆円。それはECの基本理念を根本から損なう金額。
  それを考えると?? ○ 日本の国債金利が1%、いずれにしても上がっていく。消費税の値上げノリシロがあるのでまだ良いが、
  これが出来ないと、暴落の可能性も・・・ ○ 2012年は経済的にみて、世界経済の歴史的分岐点になる。・・等々である。
  先日のNHKスペシャルで「東北被災者の12万人の失業問題」を取り上げていた。NHKのメッセージは、アメリカと欧州の切迫した
  危機は、私たちの生活に深刻な影響を及ぼす現実が迫っている。 最近知ったことだが、震災直後の3月15日に関東地区の住民に
  避難命令を出すかどうか決断を官邸が迫られていたという。それだけ危ない日々だった。それが決して好転したとは思われない。
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3579, 閑話小題 −2
2011年01月12日(水)
  * ある居酒屋で
 もう10数年、長岡で飲む魚料理の店がある。その店の三軒隣に夫婦でやっている焼き鳥と小料理の店がある。
夏は戸を開けているので店頭から中がよく見え、一度は入ってみたいと思っていた。 ところが先日、前を通ったら
貸店舗の看板が出ていたので、女店主に聞くと、「去年暮れに夫婦揃って覚醒剤常用で逮捕され、店は閉鎖。
自分の店にも刑事が聞き込みに来た」という。 飲食店の店主が薬中でつぶれた話しは聞いたことが無い。
長岡駅の専門店街でトラブルを起こし、駆けつけた警官が様子が変なので調べたら、覚醒剤の服用が発覚したとの話。
  * どうでもよいことだが
 何処かの?誰か。 三日間乗り放題1万2千円で、東京に毎日、通うという。 行き先をネットで下調べをして、
10時に東京に着くように乗車、帰りは18時の新幹線に乗る。 それでも数ヶ月に一度なら、安い遊びか。
去年の暮れは二日通ったが、今回は三日に挑戦というから凄い。その人の友達は、その乗り放題の切符で、東京の子供の家に
行った帰り、急に思い立ち草津に行って温泉に浸かり帰ってきたとか。独り遊びは自由の天使の羽がつく。
  * 花の平成元年組
 今年大学を卒業する男(22歳)は、久々の当たり年のようだ。 高卒の4年目もプロ野球などで大活躍をしている。
そういえば早稲田大学の三人の投手が揃ってプロ野球で一巡で指名された。また全日本学生野球選手権で優勝をした。
全日本ラグビー選手権は決勝で破れて準優勝に終わったが、全日本駅伝では総合優勝をした。「花の平成元年組」とでも
命名されるのだろう。 大相撲でも花の三八トリオといわれた当たり年があって、同期が何人か横綱になった。
高校も10年に一度位、当たり年があって、東大など一流校に多く合格する。 考えてみたら人生でも当たり年があるか。
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3204, 善は悪より生まれた!
 2010年01月12日(火)
「善は、悪より生まれた」の言葉が、妙に頭に残った。「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。 
キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、
一つの規範が必要になる。 例えば、国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内への警察という暴力装置、
そして、外に対しては軍隊である。それを統治する象徴として日本なら天皇、欧米なら大統領である。 孔子の教えは、
一つの指標を作り上げて、民を内側からコントロールする教え。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。
それらの規範を守ることを善というなら、それに反するのを悪という。 ということは、それができる前は、その規範をもって
振り返ると悪がまかり通っていたことになるから、「善は悪より生まれた」ということになる。しかし、それも変である。
キリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という疑問が生じる。
 女性の哲学者 シモーヌ・ヴェイユは 『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。
悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』 彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を
裂くものとみた。 神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。
悪党ほど、善の価値を知っているのだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもある。
親鸞の、悪人が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。キリストは、ユダヤ教の弱者(女子供、奴隷)
の立場からみた善を説いた。 善悪も立場で変わるから、ややこしい。 省みて、己の悪に気づいて改心する善ということか。 
どうも、これは答えのない永遠の問いのようである。
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2839, 不況の景色 −7
2009年01月12日(月)
  *タクシー業界の不況
一昨日の毎日新聞・社会面のトップで新潟市のタクシー業界の不況を取り上げていた。市内の老舗二社が倒産、運転手の再就職が
ままならないと・・適正の台数が1000台のところに、1700台の過剰台数。二社で280人が失業、最後は月に12万円の
手取りだったという。全国的でも新潟、長岡のタクシー業界は厳しい状況。昨年の最終金曜日の0時過ぎの2980円の割引に、
百十数人が宿泊をした。夜半の0時過ぎにホテルの前まで行列をなしていたというから、知らない人が見たら驚くだろう。
それだけ、お客はシビアになっている。 それでは、前年に比べてプラスになっているか?といえば、前年割れである。
いかに宿泊客が少なく、シビアに商品選定をしているか、この事実からも見てとれる。ホテルは装置産業の典型である。
一度設備投資をすれば、30年は潰すことが出来ない。一口に30年というが、その間は世界は激変を重ねている。だから面白い。
  *景気の山は07年10月
内閣府が、この景気の山が07年10月と発表した。同11月から景気後退の局面に入ったと認定する方針だという。
(以下、字数の関係でカット2011年01月12日) 
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2008年01月12日(土)
2474, 年頭の新聞の記事の総評 −1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 今年の年始の新聞を一通り目を通したが、楽観的の記事はホボ皆無。その中で、産経新聞に面白い記事が多かったようだ。
正論というコーナーの佐伯啓思京大教授の「ニヒリズムに突き進む日本」という記事が面白い。(サロンのコーナーにコピー)
ここでのニヒリズムという意味は、今まで自明と思われてきた諸価値の崩壊であり、これまでの本質を判断する基準が失われてしまう
ということである。一部勝ち組を除いて、他が負け組なら、大勢がニヒリズムになるのは当然だろう。産経の30人の論説委員が、
一言ずつ書き留めた「平成20年に思う」もなかなか鋭いコメントに満ちていた。
総じて、日本も含めて悲観論が大勢だった。これは仕方がないこと。
・中国のオリンピック  ・アメリカの大統領選挙
・アメリカのサブプライム問題の行方と、それによる原油高が及ぼす世界経済の行方とアメリカの経済の減速のもたらす影響が、
今年のグローバル化社会の大問題になる。日本もサミットの議長国として、どのように対処するかが問われ、またこの流れから
すると民主党が政権をとる可能性もある。また、特に日米の大問題になっている、格差の問題もある。それでも、アメリカが主導して
世界は比較的落着いていたが、今年からは、そのタガが外れ中国やロシアが世界の表舞台に出てくる年である。それに対して、
評論家もどうなるのか評論できないのが、今年の記事の特徴である。その背後には、やはり情報化の進展がある。
特に情報のオープンソース化が世の中を根こそぎ変え始めている。そこに「情報の格差社会」が怒涛のように起きているのだ。
権力者も下手に、その力を乱用できなくなってきている+−がでている。今年は本格的な大乱の初年度である。 ∀`)ノ゜バイバイ!
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2007年01月12日(金)
2110, クローズアップ現代「東大・論文ねつ造疑惑」  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
一昨夜の19時半のNHKの「クローズアップ現代」には驚いてしまった。
 その内容とは「揺らぐ科学の信頼」〜東大・論文ねつ造疑惑〜
 ー概要はNHKのHPによるー
東京大学大学院の研究グループが発表した遺伝子をめぐる論文のねつ造疑惑で、大学は、去年の暮れ、論文の責任者の教授と実験を
担当した助手を懲戒解雇にした。1年9か月に及ぶ調査の結果、論文は信ぴょう性を欠いており社会の信頼を著しく損なったと断定。
東京大学を揺るがした疑惑は一応の決着を見た。しかし科学論文の危うさを印象づけた今回の疑惑。論文は、どこに問題があったのか。
疑惑を生む背景は何なのか、依然、明らかになっていない。そこには、最先端科学の研究が抱えている共通の課題が見え隠れする。
(以下、字数の関係でカット2011年01月12日) 
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2006年01月12日(木)
1745、 心のままに生きてごらん      (o゜▽゜)o オハョ〜     ー読書日記
 イギリスで大ベストセラーとなった、人生の「天国から地獄」を体験した著者が綴った、
152のメッセージである。どのページにも、人生を豊かに生きることを教えてくれるメッセージがある。
トイレにでも置いて、毎日数行でも読むとよい本だ!一頁に一つの文章がメルヘンな絵とともに書いてある。
しかし、ひとことひとことに深い響きが伝わってくる。 悩んだとき、苦しいとき、さびしいとき、わからなくなったときなど
人生の大切なことを思い出させてくれるだろう。常に迷い彷徨う存在の人間にとって丁度良い励ましの言葉になる。 
若い人向けより人生を多く経験した人ほど感じるところが多いのではないだろうか、その中の幾つかを書き出してみた。
 ーーー                            !お茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w 
・言葉は地図……  どちらも道をおしえてくれる。                      ー1
・10の人生を1だけ生きるか、10の人生を10まで生きるか、そのちがいはどちらをえらぶかです。   ー2
・しあわせは自分のなかでかなえるもの!                           −3
・信じよう、まよっていたのは信じる勇気がなかったからだと 信じよう。            −4
・なにより最大の迷信は、なんでも あればあるほどいいと思うこと。              ー5
・悲劇はかわるチャンスだから・・・・・。      −6
・なにもおわりはしない。ただかわるだけ。      −7
・苦痛が愛するのはおそれ。苦痛がおそれるのは愛。  −8
・信じることができなければ、あちこちとびらを閉めきって生きていくことになるでしょう。
 それでわたしの言葉はどこから入ればいいの?                   ー9
・自分のよさをみとめないとそれがあることすらゆるされなくなる。          ー10  
・たくさんの涙が流された。 ただ思っているだけで口にはだせずにいたことのために。 −11
・怒りはたんに、愛がおるすになった状態。     −16             
・ひとつ、しあわせに条件をつければ、 ひとつ、なやみのたねをまいたことになる。  −18
・夢はいいーーーでも、 目標となったら現実だ。                  −20
・心はきもちを植える庭のようなもの 花を植えれば、 花がさき、
 イモを植えれば、イモができ、なにも植えなきゃ 草がはびこる           −23
・時間は世界共通の通貨            −24
・どうしてこうも多くのひとがいいことで自分をほめるより悪るいことで自分をせめたがるの? −25
・怒りに怒りでおうじれば、結果はさらなる怒りでしかない              −26
・不安はいまに居場所がない。 未来にしか存在できないものだけれど、未来になったら、
 そこがいまになるだけ。 不安はいまに居場所がないのだから             
・笑いは世界共通の言語                              −29
・人生はいつでもこれから。 これまでじゃない。        −30
   ▼ 「心のままに生きてごらん」ダイヤモンド社      −つづく            |≡ヾ(´∀`)ノバイ  
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2005年01月12日(水)
1380, 現在、世界で何が起こっているのか? −1
「現在、世界で何がおこっているのか?」という素朴な疑問がある。 身近では、台風による洪水と中越地震。
 世界ではインドネシア沖地震など天災。 それだけでない、ITなどの技術革新からくる社会的な大変革。
 全てが、今まで見たことも聞いたこともない現象である。 どうなっているのだろうか。
 新年ということで、その人間的側面と、自然的側面から考えみる。まずは人間的側面から・・ 
 <人類のビッグバン >
 ー「人類にとって20万年に一回のビッグバンがこの情報革命だ」と、数年前に聞いたことがあった。
 その時は、かなりオーバーに聞こえたが、現在の状況からは決してオーバーには思えない。
 一人一人が情報基地を持ち、自分を表現をし始めたのだ。私自身も、このHPを持ち、自分の主張の公開を始めた。
(いや主張しつつ、自分の知識を整理して貯蓄し始めた。) そして4年近く経つが、自分から離れて独自のものとして
 歩みだした感もする。脳を外部化して、そこに情報をインプットし、またアウトプットしている。
 それを公開しているのだからおかしなものである。普通なら部屋の机の中の日記帳かメモにある内容を、キーワードの検索で
 誰でも見ることができるから不思議な世界である。携帯電話とパソコンにより我われの社会という様々な家族や会社や
 所属する共同体が、個人というユニットに分解され、ネットで再構築されるプロセスに入ったのだ。 このことは人類にとって
大革命であり、今までの共同体を根こそぎ破壊することである。それが地球規模で、それぞれの共同社会の破壊が起こり始めたのだ。
「人類が20万年かかって構築してきた共同体が、個々人がインターネットで再構築されようとする前の大混乱が地球規模で起きている」 
これがビッグバンの正体であり、世界を根こそぎ変えている。
数年前までは、考えられない現象がドンドンおこっているのも、その背景があるからだ。 
  ・・・・・・
2004年01月12日(月)
 1013, 大相撲がはじまる
ここ数年、大相撲がつまらなくなったと書いてきた。しかし今場所あたりから、何かが変って面白くなってきた。
 (字数制限のためカット 2010年1月12日)
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2003年01月12日(日)
 644, 呼称の妙味
雑誌の「宝島」が一月三日の読売新聞の全面広告が面白かった。呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)。
「呼称改革」と名をうって今までの呼び名を変えたら、中身もそれにつれて古い何かが変わり始めるかもしれない
という馬鹿馬鹿しい内容だが、といって唸る内容でもあった。これを全面広告で載せるセンスがいい。
(以下、字数の関係でカット2009年01月12日)     (^┰^;)ゞ  
・・・・・・・・・ 
2002年01月12日(土)
 298、酒乱ー2
私の一番のマイナスの特性は酒乱のケがあることだ。勤めてそれも本格的になったのが、金沢時代からだ。
酔わなくてはやってられない、いや酒に逃げていたのかもしれない。といってそれで人生を狂わせた、
というほどでもない・・? 酒の失敗がない人生を考えてみると、10倍位の人間関係が広く深くなっていた?
反面、人間関係でABC 分析のBCの人間の排除に一番いいのも確かだった。
 (字数制限のためカット 2011年1月12日)
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 1月12日  1969年
・「想像は知識より重要だ」 アインシュタイン
・アイデアを多く出す為の価格表ー 一つ出すたびに二倍の価格になる。
 人をバカにする方法のアイデアを10個を10分で書き上げよ! という設問を考えてみる。
1、TVをなるべく多く見る。 自分で考える時間をなくしてしまう。  2、他人との交友の中に安定を求める。
3、行動に移さない ースタートをしない。              4、自分はダメだ、バカと信じ込む。
5、不安定な気持のままいる。自己コントロールをしない。       6、一瞬一瞬をいい加減に生きる。
7、自分の壁の中にのみ生きる。人の言うことは一切聞かない。本も読まない。 8、自信喪失にする。
9、経験のみに頼る                         10、バカな連中だけと付き合う。
 こんなものだが。何か二年前の自分そのものだ。 今もそうか?
ー 2004年1月12日AM6:00 記ー
こうして35年前の日記帳を写していて、今も昔も変らない自分に驚いている。そしてあまり成長をしていない自分にも驚く。
人間観察が好きなのだ。逆にそれにとらわれすぎて全体と自分自身が見えなくなっている視点だ。
また大人数の末っ子の立場で兄姉を一人一人観察してきた上に、社会学という早くいえば人間学を専攻してしまった為である。
反面、「人生のデザイン」を自分で書いて生きることができた?が。それが、書かないで生きてきたことと
どれほどの差があるのだと言われれば、何も反論できない?! まあいずれにしても「頭でっかち」だということだ。


3943, 閑話小題

2012年01月11日(水)

    * つれづれに ー不況景色
 このところ急に身の回りが寒々としてきた。自分の状態が状態だけに、そう見えてくることもあるが。
私の甥っ子が「メガネ・スーパー」に努めているが、先日、検索すると、株価が100円を割っており倒産の瀬戸際とあった。
また銀行の株式相場を見ていたら案の定、震災地の銀行の幾つかの株価が50円前後。あの「みずほ銀行」も100円前後。
マスコミも情報コントロールをされ、そのことを取り上げない。 20年以上、屋敷内の貸家も空家になって三ヶ月目になる。 
3月、4月の転勤時期に入居を期待しているが、どうなることか? 現在、消費税アップが問題になっているが、前の事業を
考えてみても、消費税が10%になったら借金ゼロでも存続は無理。 これは他の多くの事業でも当てはまるはず。
増税を反対をするのは分かるが、国の税収が激減し、収入が支出の半分以下なら上げざるをえない構図になっている。
現在の日本国内では金を使わない算段はいくらでもある。これでは貧乏症の日本人の消費マインドは、さらに大きく冷え込み、
長期の景気低迷になる。 世界的な経済の氷河期に入った。昨夜もNHKのクローズアップ現代を一時間延長して、欧州危機、
世界恐慌危機についての放送していた。また先日も東北被災地の失業問題の特番を組んでいた。これが数十年も続くというから・・

  * バンジージャンプの命綱が切れた
 ニュースで、南アフリカのボツナワ国境にあるザンベジ川のバンジージャンプで、飛び降りた若い女性の命綱が切れ落下、
落ちていく映像が報じられていた。それでも奇跡的に助かり、自力で川辺に泳ぎ着いたという。よく助かったものである。
人間が川に飛び込んで助かる限度が40Mというから、一度バンドした後に紐が切れた高さが、40M以下だった為に、
奇跡的に助かったことになる。打ちどころが少しでも悪かったら、もちろん即死である。 これまで、飛び降りた人が5万人、
その一人に私も入っている。これまで、紐が切れたりした事故は無かったという。それにしても私も50歳で、よくやったものだ。
・・・・・・・
3578, 10年一昔というが ー2
2011年01月11日(火)
この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などでネット社会が出現。
地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。 この間にブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの
発信基地を気楽に開けるようになった。更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、
ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能になった。これらがグローバル化を
押しすすめる結果となった。この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。
 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー
1、2008年のリーマン・ショックと世界恐慌  2、2001年の9・15テロ、そしてアフガン、イラク戦争
3、ネット社会の出現            4、デジタル機器の飛躍的進化
5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む
6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ
7、アメリカで初の黒人大統領が選出     8、中国・インド・ブラジルなどの新興国の飛躍的経済発展 
9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される
10、環境問題が待ったなしに! その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる
 この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、たて続きに起きている。
今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは想像を絶することになる! 分かっていることは、
「この現象は百年単位の変化の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。
それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、それほど長く続かないと見るべき?
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3203, 電気自動車の話
 2010年01月11日(月)
「電気自動車は、パソコン、携帯電話以上の影響を社会に与える」と、思わず疑いたくなるコメントが、NHK・TVの
レポートのインタビューから聞こえてきた。30年間電気自動車を研究してきた慶応大学教授が話していたのだから、
再びびっくり。私の知る限り、パソコンと携帯電話以上のインパクトのあるマシーンは、これまで無かったし、
今後とも当分無いだろうと思っていた。 家内に言ったら「そんな馬鹿なことはない」と、私と同じ意見。
 しかし、本当と仮説を立てると如何いうことか? 移動空間から情報空間としての見直しなら納得する。
(希望的予測として)三年後に普及車が量産され、10年後には重心が、エンジン車に取って変わっているという。
部品が10分の一から、更に少なくなるはず(三万ー>三千)。 日本にとって、リチウムとか、電気技術が進んでいるので、
プラスに働くとか。 わかず三年前までは、「電気自動車」が、ここまで注目されるとは思っていなかった。
ガソリンエンジンは熱を持ち、スペースをとり、車形などに大きな制約があった。しかし、それから解放されると思いもよらない車が、
あらゆる業界から出現する可能性が大というのも頷ける。さらに電気自転車とスクーターの融合したようなものや、オートバイと
車の融合したものが出来るだろう。車椅子のような乗り物が一般の移動に考え出される可能性もある。自動車の概念が根底から
崩されることになる。 家の一部としての移動式生活空間と見直されるかもしれない。 生活の中で電気自転車で驚いていた。
それが電気自動車としたら、更に大きなインパクトを与えることになる。さらには電気モーターの、カヌー、舟、小型ヨット、
電気ヘリとか、電気パラグライダーも。 厳しい経済環境になっていく反面、面白い時代でもある。 
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2838, アメリカが隠し続ける金融危機の真実 −2
2009年01月11日(日)
  軍産共同体が戦争をつくりあげるため、政府の中枢に深く入り込んでいる一端を明らかにしている。
 イラクの戦争も、仕掛けられた一つ。 イラクのフセインが石油のドル決済をユーロにしようとした為、
 大量破壊兵器が存在しているような工作をして戦争に導いたことが露見した。そのことをブッシュが知らない訳がない。 
 今度はイスラエルとイランか、北朝鮮だろう。 それとも金融危機で少し疲弊したから休む?
   ー次の部分こそ資本帝国主義の核心の部分だろうー
  <第三章 金融危機を起こした闇の権力者の正体 P−110〜>
この軍産複合体をひと言でいえば、戦争でひと儲けしよという思惑を持った軍需産業の大手企業や一部の金融資本家、
アメリカによる世界支配を信奉する政治家、軍人などが一体となった勢力だ。
表に見えるのはロッキード.マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマン、レイセオン、そしてユナイテッド.ディフェンス
といった軍需産業の李企業だが、その裏には日本の天下りがかわいらしくみえるような黒い薯の影が見えてくる。
たとえば、2期8年に渡ったブッシュ政権の高官30人以上が、以前は軍需産業の役員や株主だったという経歴の持ち主だった。 
これがどういった影響を及ぼすかというと、父ブッシュが名誉顧問を務め、ブッシュ政権の高官数名が役員を務める
投資ファンド、カーライル・グループがある。 このカーライルが、ブラッドレー戦闘車を製造する
ナイテッド・ディフェンス社を97年に買収した。 当時、多額の赤字に苦しんでいた同社だったが、
ブッシュ政権発足直後の01年に米陸軍から新型自走砲の発注を受け、株を上場。
カーライルは上場初日だけで多額の売却益を得ている。 こうした例は他にいくつもある。
その癒着の構図を裏づけるかのように、米ソ冷戦後は、一時3000億ドルを割り込む水準まで低下したアメリカの軍事予算だが、
ブッシュ政権時には6000億ドル超にまで増加している。この額にはアフガニスタン戦争やイラク戦争の戦費は含まれていない。
その裏で、いったいどれだけの金が軍産複合体へと流れ込んでいったのか。一説によると、
軍事費の一部は毎年ブラックマネーとしてプールされ、その総額は1兆ドルになっているという。
80年代までの東西冷戦中は、ソ連など共産勢力への恐怖から巨額の軍事予算が計上されることについて
多くの国民が納得し、軍需産業は潤っていた。だが、冷戦の終結とともに軍事予算は削減されていく。
このままでは自分たちの影響力が弱まってしまう。そういう思いを募らせた軍産共同体は、アメリカに対する
新たな脅威を作り出すプランを練り、その資金力と政府へとつながる人脈を駆使して、数々の工作を行っていった。
  −−−−
 ケネディの暗殺も、彼らの疑いがあると聞いたことがある。
次は、あの人?の可能性がると、この本に暗に書かれている? 第二次世界大戦で、世界恐慌が実質清算されたのだから、
世界規模の戦争を仕掛ける動きが出ても不思議でない。 日本の1000兆を超える預金を狙うのは至極当たり前のことだ。
前回の日本のバブルはアメリカの仕掛けだったのは今更のことである。 これが世界の現実である。
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2008年01月11日(金)
 2473,  生姜湯
昨年末、寒い最中に冷酒を飲んで胃腸をこわし年末年始の三日間、寝込んでしまった。そこでドラッグストアで、
身体を温める何かがないかと立ち寄ったら、タイミングよく生姜湯が広告品として割引いて売られていた。
渡りに舟と買って飲んだところ、身体がポカポカして体調は回復した。この冬は、これだと再び大量に買い込み毎朝、
起きて直に飲んでいる。「生姜湯はアルコールを多く飲む人に良い」と以前聞いたことがある。 二日酔いの時など、
翌朝に食事を抜く時に腹持ちをするので丁度良い。「身体を温め発汗を促し、血液・体液の流れを良くし、尿の出を良くして
身体の水たまりを排泄する。エネルギーの流れを良くして気力を高め、抑うつ気分をとる。血小板の凝集力を弱めて血液を
サラサラにし、血栓を予防改善する」「保温、抗炎症効果、殺菌殺虫効果」があり、 昔から薬代わりに飲まれていた。 
生姜といえば、寿司屋の消毒として添えられているから、生ものの毒消しとて余程良いのだろう。
飲むと一時的に空腹感が無くなるから、うまく使えばダイエットにもなる。
生姜湯を買った時に、ついでに「抹茶クズ湯」を買って飲んだが、これも身体が温まったまる。 
冬の友というところである。まあ、そういう歳になったということか? しょうが ないか!
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2007年01月11日(木)
2109, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −1  (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!   
 日経新聞(1月4日)に「作家の塩野七生が日本の政治家を語る」が掲載されていた。安部首相、小泉、小沢などを語っていたが、
なかなか面白い。15年間にわたり15巻の「ローマ人の物語」を完結させた作家。カエサルを理想としている視点から、
なおのこと、三政治家には手厳しい。 その中で小泉元首相には比較的高い評価をしていた。
  ー面白いところを抜粋してみるー
 * まずは、阿部首相をどう評価しますか?
塩野:阿部は人間的にはいい人なんだろう。旦那様にするには良いタイプだが、指導者としていいかどうかは別。
  阿部首相は誠意がありますが、答えればよい10倍の量、誠心誠意答えているが、普通なら飽きてしまう。
  芥川龍之介の言葉で「ときには嘘でしか表現できない真実もある」のです。実を越えるために、虚のやり方が良い時がある。
  彼は変化球を投げない。小泉元首相は、旦那には大変じゃないか。知力はどうかなぁ。説得力に関しては、起承転結の
  「起」しか言わない。我々が彼に改革を期待して「承転結」まで考えてあげていた。マキャヴェッリは
  「民衆は抽象を問いかけられると間違える場合があるけれど、具体的に示されれば相当程度に正確に判断を下す」と言っている。
  小泉さんはそれをした。阿部首相は言っていることがだんだん分らなくなってしまう。
塩野:文章の世界では、メリハリや切り返しを芸というのですが、阿部さんは芸がおありでない。
  あの年齢では性格を変えろといっても無理だろうけど。私が振付師だったら、彼に合う戦略を考えますね。
  具体的に言うと、官房長官に彼と全く違った人間を持ってくるべきでした。国際会議では熟練の通訳が必要ですね。
  安部さんの言う半分に縮めることの可能性のある人が必要です。そうしないと国益に反する。
塩野:私たちは阿部首相が改革を続けてくれるだろうと期待したので、あの支持率が生まれたのです。
  その後の低支持の原因は演出がないこと。小泉は劇場政治とか、政治は喧嘩だと言われたが、それを否定する方がおかしい。
  政治はドラマであり、喧嘩でもある。それが嫌なら官僚にでもなっていればいい。私は以前「国会の予算委員会か、
  顔見世歌舞伎かと言うようなれば日本の民主主義は安泰だ」と書きました。この頃はチットも面白くない。
  阿部さんは理性に訴えているのでしょう。小泉さんは感性に訴えたのです。
 * 民主党の小沢代表はどうですか?政治家にとって手段であるはずの政権交代が目的になっていますが。
塩野:ある時期面白いと思っていたのですが、しかし、彼は勝負しない人です。勝負する時に逃げてしまう。高級なバラには
  花屋さんはいろいろな細工をするが、しばしば満開になる前に枯れてしまう。どうせ枯れてしまうのなら満開にならなくては。
     −−
*政治家の世襲についてどう思いますか?
 (字数制限のためカット 2012年1月11日)
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2006年01月11日(水)
 1744、 正しく生きるとはどういうことか       φ(* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]
池田清彦著の「正しく生きるとはどういうことか」を読んだが、今ひとつピンとこない。
「正しく生きるとは身の程を知り地道に働いて、それとは別の趣味の世界に生きるのが一番安定した生き方」が、この本の一番の要点。 
果たして、そうだろうか? 著者自身の人生観でしかないのでは? これ以外は、訳のわからないこと?を綿々と書き連ねているだけ。 
  (字数制限のためカット 2012年1月11日)
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 2005年01月11日(火)
1379, 全日本高校サッカー選手権
一昨日の全日本ラグビー選手権に続いて、昨日は全日本高校サッカーがあった。
息詰まるような接戦で、0対0のままPK戦になった。ここまできてのPK戦の決着は個々人に責任がかかる。
息を飲むような緊迫の中、選手のプレッシャーは極限になる。市立船橋はPK戦は弱いと言われていたが、準決勝戦で
金沢の星稜に勝った。しかし、この決勝のPK戦では九州の鹿児島実業が4対2で勝って優勝をした。
試合は、鹿児島実業が優勢に進めていたので、この結果も当然といえば当然である。負けた市船の監督が呆然としていた姿が
印象的であった。これも勝負の世界である。大学生ラグビーでも、高校サッカーでも、一期一会の優勝戦だから面白い。
数年前までは、あまりサッカーは見なかったが、新潟アルビレックスの試合を見てから急に見るようになったから、
単純なものだ。最近はBSで放送している欧州のプロのサッカーも見るようになった。 見はじめると面白い。
一流選手の試合は何かが違う。鍛えあがられた上の個性があるから、一流になれるのだ。
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2004年01月11日(日)
 1012, 牛丼チェーンー狂牛病の影響
 他山の石という面で考えてみる。アメリカの狂牛病による牛肉の輸入禁止は、牛丼チェーンを含めた飲食業界や
食肉業界などに、大きな影響を与え始めてきた。アメリカの圧力で、早々に輸入禁止措置を解除されるだろうが、
一般の牛肉に対する不信感は、そう簡単には拭い去ることはできない。
(字数制限のためカット 2011年1月11日)
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 2003年01月11日(土)
  643, ハングリー?
日本は「国は大変だが自分は大丈夫という!」という雰囲気で満ちている。私もそれに近い感覚を持っている。
私の青年期の頃のあのハングリーさは、時代背景もあってか全く感じられない。
昔の日記をおりにつけて書きうつしているが、本当にハングリーであった。
「何かをやれば何かが叶う」という気持ちだ。今の日本に一番欠けているのがそのハングリー精神だ。
 ある逸話で
ーオーストラリアに移住した欧州人が、年中花咲くこの地でミツバチを持ってきたら蜂蜜が欧州の数倍は取れるだろうと目論んだ。
しかし失敗に終わったという。はじめの年は多く取れたが、年々収穫が下がり最後は全くとれなくなった。
蜂は寒い冬に備えて蜂蜜をとりこむ為に集めるのであって、年中花が咲いている地ではその必要がなくなる為だという。 
なるほどと考えさせられた。 現在アメリカの一流大学の合格者はベトナムやカンボジアの難民か、その子弟が多いという。
ハーバードなどは20?以上を占めて問題になっている。そこに入って知識を得るしか将来は無いから、死に物狂いで学ぶという。
 またソニーの元会長の大賀氏がこの正月の紙面で中国に10数年ぶりに行って、日本の丁度戦後10年に頃の熱気とハングリーを
感じたという。先年中国に行った時、現地の添乗員が話していた内容が印象的だった。「日本に留学をした。そこで同じ人間として
如何してこんなにまでまで生活の格差があるのか義憤を感じた。勉強をして必ずあの生活を勝ち取るつもりだ」
聞いていて、日本は中国に追い越されるのではと不安になった。
 今の日本はオーストラリアに持ってきたミツバチ。もうじき大寒波が来るのに、いや既にその一波がきている。
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2002年01月11日(金)
297、最近飲む回数が減ったわけ
・何といっても不景気だ、気分的に沈みがちの中飲んでいても旨くない。 誘いも少なくなる。
・新潟駅と長岡駅に鮮魚店や料理屋の販売店などのテナントが出来た。 通勤の途中に両方がある。
これが一杯飲み屋よりもずっと美味しい。地元の一流の料理屋が出店で割烹料理を売っている。
 子供の時の正月料理とほぼ同じ味である。これを帰りの時間(PM6:00)
 の値引きセールになる。家で食べる方が美味しいという逆転現象がおきる。
・歳をとってきたー以前ほど赤ちょうちんの雰囲気に親しみを感じなくなった。
・TVのパフォーマンスの方が楽しい。  以上が理由に上げられる。
 サラリーマンのスーパーでの買い物が増えているのと自分の姿が二重写しになる。
週に1回はどちらかの駅の売店で肴のツマミを買う。家内も外で飲んで帰ってくるより、健全?で、
美味しいから文句をいわない。彼ら店主は、この時代の変化が全く解ってない!これは他人事でない。
何処も全く同じ味の商品!こちらは毎日が生活面では変化の連続だ。また変化し続けてる店しか行かなくなるのも、
当たり前である。スーパーの食品も冷凍・冷蔵技術や器の高度化や低コスト化で日日向上している。
闘いの相手がどんどん変化している。家でデジタルTV をつけ、パソコンをいじり買ってきた肴をつまみで酒を飲んでいたほうが
ずっとよい。 年齢もあろうが。デフレとライフスタイルが変わってしまったことに気ずいてない。
他人事でないが。店主よりこちらが舌が肥えてしまったという逆転にも。 毎日が激変である。
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 1月11日  1969年
12時に起床。ジャスコオカダヤに論文を提出をする。一安心をするが今ひとつ満足のいくものではない。
午後は安心感からか漫然とTVを見て過ごす。間中のブーちゃんが帰省から戻ってくる。彼と少し話をする。
何かイヤにソフトになりビックリする。夜、駒村の部屋に行くと、気分が悪いと部屋に引き篭もっている。
かなり陰鬱になっているようだ。何かあったのだろうが、自己疎外という奴だ。こちらまで滅入ってしまう。


3942, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー2

2012年01月10日(火)

      「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著
  * 事実は真実の敵である
‘はじめ’の次の言葉が、この本の全てを要約している。
≪ 我々がシュミットのいう「世界史」の終わりに近づいているに一刻一刻と近づいているにもかかわらず、その認識がなく、
グロバリゼーションを「ヒト、モノ、カネが国境を越えるプロセス」と考えて資本の反革命の片棒を担いでいる。・・・ 
「事実は真実の敵だ」といったのは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたD・ワサーマンである。 
グロバリゼーションの「事実」とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」であり、その「真実」とは、
帝国システムをなす中心と周辺を結びつけるイディオロギーである。≫
 ▼ ここで、二つの経済震災と、一つの自然震災を著者は「近代の自己敗北」と「歴史における危機」とみる。
 近代は、過去の遺産を食い潰し、未来の利益を横取りをしたと看破している。現在の日本のy財政や年金を例にみても、
そのことが納得できる。 ヒト、モノ、カネの移動をグロバリゼーションの事実とだけみて、その真実を知らないと、
近代科学のもつ恐ろしい力に飲み込まれてしまう。 その上に、ひとりひとりの手には、高性能の情報端末を持つ時代になっきた。
情報化社会でグローバリゼーションを止めることは不可能。 グローバル化は金融や情報だけでない、細菌なども含まれる。
今回は大地震と津波、そして原子力発電の破壊が重なった大震災だったが、鳥インフルエンザや、狂牛病などの細菌汚染もあるから、
ことは重大になる。それぞれの地区、国内の問題が、一瞬のうちに世界に広がってしまう危険が増したのである。
帝国システムをなす中心だけでなく、最悪の問題にとって変わって世界の周辺各国に結びつける作用になる。
これこそ、グロバリゼーションの事実であり、真実といえるのである。 従って、この本のテーマの「終わりなき危機」が
グローバリゼーションの真実ということになる。インドや、中国のような膨大な人口を広い国内に抱えている国が、最後に
生き残ることになるのか? グローバリゼーションは、それぞれの文化を破壊する。それが一番、恐ろしいことである。
 きしくも、下にある二年前の「一〇〇年前の世界一周 ー2」の文章が、それを語っている。
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3577、10年一昔というが ー1
2011年01月10日(月)
10年一昔というが、それにしても激しい変化である。 
 10年前の2001年といえば、
・前大統領のブッシュがゴアに僅差をつけて大統領になり
・9・11テロが発生、アルカイダと断定し、アメリカはアフガン攻撃をし、タリバン政権は崩壊した。
・国内では、小泉が「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」などのフレーズで、首相に就任。
 田中真紀子が外相になったが、直ぐに能力に問題ありと失脚。
・イチローが大リーグのマリナーズに移籍、豪語したとおりにMVPを獲得した。
・この年に、アップルがiPodを発売し、携帯デジタル音楽プレーヤーが爆発的に売れ始めた。
・皇太子妃に第一子の愛子様が誕生。
 これが21世紀の幕開けであった。
 それから、ブッシュはアフガンに攻撃の後、イラクに侵攻、泥沼に入ってしまった。
 そして、リーマンショックという大事変が起きてしまった。
その結果、失われた10年をそのまま引きづり、失われた20年と日本経済と社会は疲弊してしまった。
首相は、小泉の後、一年ごとに交代し、現在に至っている。その間の失政による混乱は、あまりに悲惨である。
戦後、間接的アメリカによる統治で日本そのものが骨抜きにされたことは言うまでもない。
小泉元首相の改革で垣根が低くなったが、格差は拡大。これも仕方がないこと。
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3202, 一〇〇年前の世界一周 ー2
2010年01月10日(日)
 先日の新幹線の行き帰りの車中で、旅行記の文章を読み上げた。
8割が117枚の写真で埋められていたので、70ページぐらいの文章でしかなかった。
その半分は、この本をまとめあげたドイツの文筆家のフォローの文章であり、読みやすい。
アベクが50年後に、この写真と昔のメモを見ながら書いた文章で、旅行中はカメラに思いを込めていた。
そのため、その写真の向こうからアベクの思いが、そのまま出ているようでもある。 
この中で日本の写真は20枚あり、当時の庶民の姿が何ともリアルである。 彼は旅行を通して、
自分の住む世界に疑問を持つようになり、旅も終わりになるにつれて、考えが大きく変化したことに気づく。
「 旅を始めたとき、彼は欧州文明が正しいという確信を持ち、その一員であることに誇りを持っていた。
そして海を渡り、彼方で暮らす人々と知り合うようになった。すると、欧州の本当の姿は、安っぽい民族主義に包まれ、
まるで動物ででもあるかのように万国博覧会の見せ物になっていた世界の人とは、大きく異なることを見いだしたのだ。
彼等は貧しくとも、言葉が理解できなくとも、奇妙な風習があっても、ワルデマールは彼等と心を交わすようになった。
インディアンの青年、快活なアメリカ女性、別府で過ごした二人の芸者、日本の職人、友となったナカノ、北京で雇った
少年、バラナシにいた敬虔な信徒たち、そして、ジャワで見かけた花のような人たち・・・・ 」
「 シナ海やマラッカ海峡と比べたら、地中海には何の夢も描けない。 黄浦江から見た上海と比べたら、世界で最も
美しいといわれたナポリでさえ色あせて見える。ベスビオ山はせいぜい小さな丘で、インドネシアのセメル山を
見たときのような興奮を覚えない」等々。 このリーマンショックは、欧米中心で周っていた世界の崩壊過程の
大きなキッカケである。 彼は旅行を通して、それまでの欧州中心の世界観が、いかに歪んでいたかに気づいた。
私の趣味が「世界異境、秘境ツアー」である。そこでみるのは、自分の世界がいかに小さいか、そして歪んでいるかを
再確認することである。それより、大自然のパノラマの魅力もあるが。100年前の、この経験は、それまでの価値観を
根底から破壊するのは当然である。近代哲学の一群が、いち早く、それに気づいている。 構造主義、脱構造主義などである。
アマゾンの原住民の風習と、欧米とどちらが優れているのか? もしかしたら、彼らの方が?という疑問が出てきた。
100年前に、アベクは、それに気づいたのである。 タダ、彼は哲学者ではなかったのである。
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2837, 「犬の時間」と「猫の時間」
 2009年01月10日(土)
図書館で何気なく手に取った本の中に「犬の時間」と「猫の時間」という言葉があった。犬は、人間に飼いならされ
忠犬ハチ公ではないが、決まった時間に決まった行動をする習性がある。これに対して猫は気の向くまま気ままに、
時の流れにまかせて一日が何となく過ぎていく。人間の生活の中にも「犬の時間」と「猫の時間」があるのではということ。
会社では「犬の時間」、自宅は「猫の時間」。会社勤めは「犬の時間」で、定年後は「猫の時間」ということも出来る。
前に、男女、夫婦のことを「化け猫と、ボケ犬」と例えたが、それに似ている。どっちの時間帯が良いということではなく、
二つの時間帯を割り切って使えば良い。それなら、「人間の時間」とは、いかなる時間を言うのだろうか。
「人間らしい時間」というと、知的であること(本を読み、文章を書き)、楽しい時間を持って笑っていること、
過去・未来を語り合っていること。そして、感謝・感激・感動している時間。酒を飲んで歌っている時間。
そうすると、「犬の時間」「猫の時間」は、それはそれで良しとして、人間らしい時間を多く持つべきことになる。
せっかく面白い視点の喩え話も、人間様を持ってきて詰らなくなってしまったか。それにしても、うちのカミサン、全く猫のようだ。
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2008年01月10日(木)
 2472, ホテル納入業者の専務の話         ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 20年近くに亘り、仕事初めに地元でホテル用品と、スナックや居酒屋に酒を収めている大手?業者の専務が来社、
 一年分の情報交換をするのが恒例になっている。県内の全般のホテル・旅館、スナック・居酒屋などの趨勢の情報と、
 駅前周辺のホテルや居酒屋などの情報交換をする。私と専務との二人の話は、地元のサービス業の生の潮流のダイジェスト。
ーその今年の県内の客商売の概要というと・・・
・柏崎沖地震以来、リゾート旅館やホテルは最悪の事態。1〜2割の落ち込みが回復しないまま続いている。
 またスナック・クラブは、ますます酷い事態になっている。 何処の業界でも当てはまるが、値段に対して
 顧客は敏感になっていて、値上げができないが、コスト圧力は強くなっており悲鳴も上がらないのが現状。
・スナックでは客が来ないので大事な固定客にボッテしまい、自分の首を自分で絞めてしまう事態が常態化してきている。 
(字数制限のためカット 2012年1月10日)
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2007年01月10日(水)
108, ゾンビの群れ     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 ー団塊世代の大量退職とゾンビ化について
一昨日、NHKスペシャルで「団塊の世代」の大量定年を向かえるにあたり、意識調査をしていた。 
途中からパソコンを打ち込みながら見ていたが、何かイマイチの番組であった。一年早く還暦をむかえたのでいえる。
   (字数制限のためカット 2011年1月10日)
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2006年01月10日(火)
1743, 全国高校サッカー選手権
 ー全国高校サッカー選手権決勝戦・TV観戦記ー
昨日の高校サッカーの決勝戦が面白かった!サッカーの試合でこれだけ興奮してみたのは初めてといってよい。
  〔もともとサッカーは地元のチームか、大試合の決勝戦位しかみないが〕
延長戦でのギリギリの攻防は見ていても手に汗を握る魂と魂のぶつかりあいの試合であった。
はじめは初優勝を目指している滋賀県の野州を応援していたが、途中から鹿実を含めて両者を応援してみるようになった。
最後には九州の鹿児島実業が勝つのだろうと思っていたが、野州が1―1の延長後半7分、中川からの右折り返しに
途中出場の滝川が決勝ゴールを決めた。 鹿児島実は史上9校目の2連覇を惜しくも逃した。
土俵際でウッチャリと小手投げでクルクル入れ替わる劇画のような試合内容であった。 /キック!◎ヽ(●`・v・) /○◎●
高校生というより、プロの試合のようであった。これだけの技術をフルにつかっての攻防が高校生でも可能なのだ。
これはお互いの優勝への執念の結果であろう。        ( ´・ω・`)_且~~コーヒー イカガ?
七日の準決勝の野洲と、閉校瀬戸際?の多々良学園(山口)も見たが、これも大接戦であった。
シュート計33本を打ち合う攻め合いとなり、野洲が後半5分に楠神の右クロスを滝川が頭で決めて先制。
この1点を守り切った内容であった。この決勝でも技術を前面に押し出した野州のサッカーが、連覇を狙う鹿児島実の
チームプレーとの対決に勝って滋賀県勢初優勝を成し遂げた。「タイムアップの笛は、次の試合への新しい夢への笛である」
というが、高校のサッカーを見ているかぎり、この伝統が次々とつづくだろう。 
甲子園の高校野球も含めて、純粋な少年達の心が迫ってくるからよい!    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~  ジャ〜 マタネ~♪
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2005年01月10日(月)
 1378, 全日本大学ラグビー選手権
ハイ!(/o^)ノ○ノ(^o\)   ○⌒ ヽ(ω・´ ) ホレッ!
 毎年、この連休は全日本高校サッカー選手権の決勝と、全日本大学ラグビー選手権の決勝が行なわれる。
 毎年楽しみの一つになっている。(年末は全日本相撲選手権と剣道選手権だが)
 この連休は大相撲の初場所と柔道の嘉納杯も重なりTV漬けになる。
 ラグビーは、団体戦では一番面白いと言われている。昨日は、早稲田と昨年の覇者の関東学院大学の決勝。
 早稲田が逆転で勝ったが、関東学院が優勝してもおかしくない内容であった。
 早稲田の監督が「今日は泣きますよ!」というほどの熱戦であった。
 ここまで勝ち抜いてくれば決勝に勝ってこそ、その価値が出てくるだろう。
 見ていても、彼らの勝ちたい気持ちが伝わってくる。あとは社会人との決勝リーグがあリ日本一が決まるが毎年、
 学生が大差で負けている。エイ!(。・_・)_/ゞ ~゜○〜○ ポカ! ^☆)X_x)イテェ
 学生ラグビーといえば早稲田の頭脳に対して明治大学の、真正面からの力による攻めのラグビーが印象深い。
 10年前に、96歳で亡くなった北島忠治監督の姿が今でも焼きついている。
 一途に真正面からの攻撃が彼の哲学で、明治ラグビー部の伝統になっている。その後、OBの内紛で多くの問題が噴出した。
 最近は関東学院を中心に優勝が争われていたが、今年は早稲田が優勝だ。ラグビーは学生も社会人も、
 全日本選手権の決勝か準決勝ぐらいしか見ない。しかし、決勝戦は緊迫感があって面白い。
 今日は、全日本高校サッカーの決勝戦だ。準決勝は、非常に面白かったが。
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2004年01月10日(土)
 1011, 2時35分
 深夜の底は2時35分と聞いたことがる。それを聞いた時にハッとした。
過去に大きな決断を迫られた時に目が覚める時間が、決まって深夜の2時35分であったことだ。 (σД≦)ネムゥ〜
 丁度深夜と翌朝の切り替え時間の底なのだ。そこで決断した内容が果たして正解であったかというと別問題だが。
ギリギリ突き詰めると、そのあたりに一番に頭が冴える。
 現在はなるべくベッドの中では考えないようにしている。しかし決断を迫られたときは別である。
むしろベッドの中の方が陰陽バラエテエーに考えることができる。
 最近は夜半の2時半や3時半に目が覚めることが多くなってきた。この時代の変わり目、判断に迷いが出るからだ。
結果として「真に自分と向き合う時間」になる。最後は「自分独り!」という実感を、裂け目の時間で経験することになる。 
考える上で一番大事なことだ。 話は少しそれるが、木が大地の水を吸い上げ始める時間が深夜の3時半という。
木に耳を当てると聞こえてくるそうだ。学生時代ことであるが、酔いを強くする為にわざわざ深夜の一時過ぎから
飲み始めたことがあった。4時過ぎあたりになると茫洋とした気分になってくる。∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコイヤ〜
真夜中から朝を跨いだ感じがよい。 若いからできたのだろう。
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2003年01月10日(金)
 642,DVDのレンタルショップ
DVDのレンタルショップが昨年末にオープンした。新潟駅近くにある石丸電気が倉庫を改装して出店したが、
お客は入っている。売り出し期間ということで入会費は無料。レンタル料がベラボウに安い。
7泊8日で100円と200円の二種類ある。新作は3泊4日で200円である。結構見ていて雑音が入ったりして
見にくい部分があるが、値段の安さは魅力である。蔦やに行ったが、270円か450円の間である。
会社の至近距離にあるため非常に便利である。先日も4枚借りて500円だった。
奥をみるとカーテンがあってピンクのDVDのコーナーがあった。 ある会で石丸電気に勤めていた人がいた。
販売でもピンク物がよく売れるといっていた。そのコーナーには結構お客が入っている。間違っても入ってみることはできない。
感じたのは商品の絶対量が足りない。今の5倍の量になったらもっと入るだろう。
先日借りたのは「スターゲイト・SG−1]「AI]「ウォーゲーム」「ザ インターネット」である。
昨夜は「AI]を見たがなかなか見ごたえがあった。これで100円は安い。採算は合うのだろうか。
韓国産であればDVDのハードは1万円で買える。時代は変わっている。
・・・・・・・・・・ 
2002年01月10日(木)
 296,壁
5〜6年前か、息子の大学入試の作文の課題が「仏教について」であった。
そこで自分ではどう書くか考えてみた。チャンスがあったらに書いてみようと思うが。
その前年が「壁」であったと聞いて、すぐ自分のそれを考えた。それを思い出して書いてみる。
「壁」というと、まず考えられるのが仕切りの壁で、区分の役割である。そして心の壁である。
それも自分の思考習慣の壁である。仕切りの壁も人工のものと、自然の壁がある。
人工のものとして一番大きいものとして万里の長城がある。
日本だったら海というところか。これは外国から国を守る為のものだ。
屋敷の壁、これは家屋敷を外から遮断するものである。部屋の壁はそれぞれの機能の区分である。
こんな内容であった。何故はっきり憶えているかというと、日記に書いていた為である。
これに対し、今新たな考えを加えると「言葉の壁」と「習慣の壁」である。
言葉の壁の「取りあえず」「でも」「まいっか」・・そして外国語の壁がある。
習慣の壁、そうそう行動の壁、感情の壁、いくらでも出てくる。
  言葉の壁を次回書ててみよう。
・・・・・・
1月10日  1969年
 10時起床。 朝食後、12時過ぎに学校に向かう。13時にゼミに行くが、4年で出てきているのが私だけだ。
武澤先生が急用で欠席であった。半分遊びで、助手の横浜さんと30分ほど議論をした。その後、3年全員と喫茶店へ行く。 
皆で子供のように騒いだ。タバコを1分で吸えるかどうかの賭けをする。結局誰も吸えなかった。
 全員でゲームセンターへ行き一時間ほどして、横浜さんと三年生の3人と寿司屋にいく。
「理念」とは何かが話題になる。横浜さんがいう「理想像を追い求めるプロセスでの、その人の
方法が理念ではないか」というのが何か変った言葉として印象に残った。
私の考えていたのは「理想像を追い求め一体化を図ること」とは少し違ったようだ。
 また疎外感についても議論をした。「疎外から立ち直った時、一つの成長過程の変革を向かえるのでは」
という意見に対して、横浜さんは「その反省過程で、他の手段方法を考え、そのことから自己を第三者として
捉えることが前進になる」と言われたことも印象的であった。しかし反対にそれに捉われることは、
自分の壁をつくってしまう為に何もできない状況になる独創性が失われてしまうとも考えられる。
 「私も考え方が凝固まりだした」という言葉に対して、「それも現時点では必要ではないか」
「一つの枠を創っていないと吸収する力を持ち得ないのでは」という言葉も説得力があった。
合気道の師範の黒岩先生も同じことを言っておられた。「その枠を弾力的かつ吸収力のあるものにすることこそ大事」だと。
その枠を大きくしたり縮めてみたりすることが大事だと。そこから外に散歩に出たり、旅行をすることが重要ということだ。
 夜、市川さんがお茶を飲みに来る。彼とも2時間以上議論をする。
 


3941, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー1

2012年01月09日(月)

     「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著 (評価 ★★★★★)
   * 9・11、9・15、3.11の意味するもの =「近代の敗北」の記念碑
 私にとって10年前の9・11、3年前の9・15、去年の3・11の三連打で呆気なく事業人生を終焉をした。
それぞれの震災が起こるたびに売り上げが翌日から右下がりになってしまう。その都度、政府が打ち出す政策などで何とか
持ちこたえてきた。 しかし最後の東北大震災で止(とどめ)めをさされてしまった。売り上げの推移は正直である。 
 最近、二つの経済震災と、原発事故をともなった東北大震災の三つは関連しているのでは?と考えた。 ところが先日、
図書館で借りてきた水野和男著の『君はグローバリゼーションの真実を見たか』の中に、私が知りたいことが、そのままあった。  
  ーここで書かれていることを大雑把にまとめるとー
≪ 500年前に、ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。これは、要するに、
「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」の出発と捉えることができる。それは「陸の時代」から「海の時代」の
転換を示唆していた。海の時代には、アメリカ、アジア、インド大陸などに侵略をしていた。それを欧米では近代化といっていた。
そして2008年のリーマン・ショックと、去年の3・11の原発事故で、その近代化の終焉を迎えた。 9・11は、
そのアメリカに対する、弱者からの反撃でもあった。本来1970年半ばで終わっていたアメリカの時代も、金との兌換の中止を
宣言したニクソンショックで終了したはずだった。その1974年に自動車や家電製品に使われる粗鋼消費量がピークを向えていた。
これが「地理的・物理的空間」の膨張の止まりであった。近代社会とは、膨張し成長し続けることを前提とした。≫   
  ー まず、そのへんの部分を抜粋してみる ー
【 9・11(米国同時多発テロ)、9・15(リーマン・ショック)、3.11(福島原発事故)を「真の危機」と認識し、
 その原因を考えないと、これらを上回る大きな危機が襲ってくる。 
  * 9・11ではテロリストによってジット旅客機がミサイルに、
  * 9・15ではサブプライムローンが略奪的貸付として、CDSが「金融版大量破壊兵器」として、
  * 3・11では原発が「放射能兵器」へ姿を変えて、弱者に牙をむいた。米国の多くの専門家は、今回の事故で「原発テロ」
への警戒心が強まったと口をそろえる。「9・11」と「3・11」の、悪魔のような合体だ。今回の福島第一原発箏故を受け
 巨大津波に備えて万全の対策をとっても、「原発テロ」は想定外だったということは許されない。 
  また、「100年に一度」の金融危機だったリーマン・ショックを量的金融緩和で封じ込めた後、米国の財政赤字を放置していたら、
 ドル危機につながらない保証はない。・・・ シユミットのいう世界史とは「陸と海のたたかい」であり、「大地のノモス」を
 めぐるたたかいであると捉えると、資本がアメリカのグローバリゼションに期待していることに象徴されているように、
 数十年後には取得すべき空白は地球上になくなる。だから、「世界史」が終わるのである。しかし、人類史が終わるわけではない。
 終わるのは「成長の時代」(近代)であり、シュミットのいう「世界史」である。ヨーロッパ史とは「膨張」の歴史であり、
 その延長線上にあって「爆発」した近代は、「成長がすべてを解決する時代」だったのである。 近代とは、技術進歩によって
 経済成長をするということを皆が信じて疑うことがなかった時代だが、9・15や3・15以後、成長しようとすればするほど、
 一方で貧しくなる世界がある。 近代の原理に忠実であろうとすればするほど、反近代を招来させることになった。
 「歴史における危機」が生じると、最も弱い地域や最も貧しい人々にしわ寄せが集中する。ある特定の人が利潤を極大化しようと
 「努力」すると、他の人はより貧しくなることが 頻繁に起るようになった。 】
▼ この3つの震災は、大きな時代の変わり目であり、アメリカの衰退の象徴になる。この3つが「近代の敗北」の道標として
 歴史に残る。我われは、その場面に現在進行で直面しているのである。この節目(カオス)が今後数十年、続くことになる。
  ・・・・・・・
3576, 閑話小題
2011年01月09日(日)
  * ある朝のこと
 最近、夜半に目をさますと、過去の小学校や中学校時代のある場所にタイムスリップするイメージを持つ。 
宇宙の漆黒に渦をまいて巻き込まれるイメージの中、そこに移動する。そこはまさに、その頃の場所に立ったよう。
そこから記憶の探索をする。あまり集中すると気分が悪くなるので、用心をする。そこから色いろな光景と記憶が戻ってくる。
半分覚醒し、半分は当時の世界に入ってしまう。これは、はまると面白い。通勤途中の新幹線の中でも可能だが、早朝の、
半覚醒でするとリアルになる。これは一種の瞑想だろう。いや、夢想か? 小説か映画の一本は書けそうだ。
小説家は、そこで脚色をしてストーリーを作るのだろう。振り返ると一年(時間)は短いが、実際は気が遠くなるほど長い。
  * 何だろう、最近の地球の自然美の映像は
「地球絶景の旅」とか、「絶景の空撮」とか、「ローマ街道空撮」とか、最近これまで見かけなかったような
ドキュメントの映像をしばしば見かける。撮影機器が格段と良くなっていることもあるが、息を飲むほど美しい。
書店や図書館で、大型書籍を通して見ていたが、これがテレビで多く見かけられるようになってきた。
ここで世界中に大型のハイビジョンTVが普及してきたことを見越し、番組をつくり始めたため。
この20数年にわたり地球の絶景・秘境に行ったのは、あの大自然の自然美と霊気に触れる為である。
しかしTVの画面を通しても、あの大自然の美しさが茶の間に現出し、向かい合えるのだから文明の力には驚かされる。
家内は、「実際に何度も、その出会いを経験しているから、感じるのであって、その感受性は他の人より敏感なだけ。
その経験が無ければ番組さえ見ようとしないし、見ても感受性が鈍いはず」という。しかし、あの霊気は感じて当然だろう。 
現に、地元の書店で、ギアナ高地のテーブルマウンテンの空撮の写真を見て、息を飲んでしまい、その二年後には、
その懐に入り、その霊気を充分吸ってきた。 スイスの山から大きな広い山あいの風景を見た時も、思わず息を飲んで、
やはり同じ光景に出会ってきた。 ケニアも、そうだ。高校の同級生がケニアで撮った野生動物と草原の写真を見て心をうたれ、
その後、アフリカの魅力に取り付かれた。 しかし、その感受性は、その積み重ねで研ぎ澄まされてきたこともある。
 この経験と、ネット社会の現出に出会えたことは、大きな財産になっている。
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3201, デフレ時代の商売
2010年01月09日(土)
 * 自動車の100円レンタルだと!
毎日、驚くことばかりである。 「自動車の100円レンタルが出現」と、TVで紹介していた。
10分100円である。それでも二時間借りても1200円、普通のレンタル店の数分の一である。
要は短時間でも借りることも出来、手軽で、かつ安い、ということ。 何故、そんなに安くできるかというと、
「中古車販売店が、副業で、中古車を貸し出すので、事務所も机一つあれば開業できる」からである。
弁当屋が配達に使ったり、遠くのスーパーに主婦が使ったりする。
面白いのはベンツを5分100円で貸し出すのもあった。2時間ドライブをして2400円なら、高くはない。
 * 中古婦人服再生品
中古ファッション服の部分を切り取り、それらを組み合わせて加工し、個性的なデザインに変え、2〜3千円代で、
売る店がある。 個性的で値段が安いので若い女性に支持されている。 デザインセンスの良い人なら、
誰でも出来そうな商売である。 中古ショップや、格安ショップから買ったものを何種類か組み合わせ、縫い込めばよい。
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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2836, アメリカが隠し続ける金融危機の真実 −1
 2009年01月09日(金)
「アメリカが隠し続ける金融危機の真実」: ベンジャミン・フルフォード著   ー読書日記
ーその概要をまとめてみたー
世界を揺るがし続けている金融危機の裏には、明かされていない支配者たちの思惑があった!
欧米には世界経済を動かしている一部のエリートの存在があり、彼らは石油産業、軍需産業、金融資本を掌握しており、
現在も米国、英国政府に大きな影響を及ぼしている。彼らは「新世界秩序」と呼ばれる新しい世界の形を目指している。
今回の金融危機は、軍産複合体と金融資本家の間の方針の違いが、原因である。
軍産複合体はイラク戦争の先にさらに大きな戦争を起こし、戦争景気によってウヤムヤにする戦略をとろうとした。
著者の独自に入手した情報は、軍産複合体の目指した戦争のタイムスケジュールは2012年に設定されていた。
・まずはイスラエルによるイランへの空爆をして中東に火種をつくり出した上に
・EU、ロシア、中国、を巻き込んだ第三次世界大戦にまでなだれ込もうというものだ。
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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2008年01月09日(水)
2471, 中国一人っ子政策の現状は     ッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
  NHKスペシャルで、この日曜日に放送した ー激流中国ー小皇帝の涙ー
 「超競争社会でリストラされた親が一人っ子にかける夢と重圧」には驚ろいた。ある小学5年のクラスの生徒の数人の姿を
映し出した内容だが、爆発寸前の親と子供の姿が痛々しい。「子供の成績がよく、より良い学校に進学できれば、自分達の人生は成功。
出来が悪ければ家のお荷物!」と子供の目の前で言いのける。子供は少しでも手抜きをすると、親は手を上げるなどプレッシャーを与える。
親は競争社会で落ちこぼれ、子供に夢をかけしかないから、自然厳しくなる。見ていると中国の一人っ子政策のプラスの面も見え隠れす
両親のエネルギーが子供の教育に集中することである。自分達の将来を一人の子供に託すのだから、自然に教育に真剣になる。
少なくとも、現在の日本の教育現場とは真剣度が違ってくる。これを見ていると、日本はアジアでも二等国家に突き進んでいるのが解る。
 ー以下はNHKのHPよりコピーした内容であるー 
「一人っ子」政策を実施してきた中国。以来、一人っ子家庭で、親が子を過保護に育てる、
いわゆる「小皇帝」問題が指摘されて久しい。こうした親の過剰な期待、教育ブームの過熱ぶりがおさまることはない。
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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2007年01月09日(火)
2107, ウェブ人間論 −5   (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
 *「ハビトゥス」という概念*
「ウェブ人間論」の中に印象的なところがあった。
 まずはその内容から
ーフランスの社会学者のピエール・ブリュデューが、「ハビトゥス」という概念を出している。
ある社会環境の中で、上流階級の人は、子供の時からオペラを何回みているか、もっと低いクラスの人たちはオペラを何回見たか、
動物園に何回行ったことがあるか、具体的な数字を調査すると、[階級]が再生産されていく、そういう環境にまつわるハビトゥス
(習慣)が大きいー  という箇所である。 そこで辞書で「ハビトゥス」を調べてみると
*人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。
*態度,外観,装い,様子,性質,習慣などを意味するラテン語。アリストテレスのヘクシスに相当する。
 人間は善への志向をもつが,その構成契機のうち情念passioとともに道徳的選択に影響を与えるものがhabitusで,
 行為によって獲得された習慣である。
*トマス・アクィナスの倫理学の重要な概念として、intellectus(知性),scientia(学知),sapientia(英知),
 prudentia(分別),justitia(正義),fortitudo(剛毅),temperantia(節制)などをhabitusとしてあげている
ーあるHPに、次のような説明があったが、上記をフォローするのに良いー
  (以下、字数の関係でカット09年01月09日)
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 2006年01月09日(月)
1742, 教養とは ー2       (」o^∀^)」コンチワァァァァァァァァァァァァ
 教養を考えるために、
「教養のないオバちゃん」を例に考えてみる。 私が大好き?の典型だから解りやすい。
・小さな世界しか知らない上に、それが全てと信じている。
 ・品性がなく身勝手。
 ・とにかく本を読まない。      クルクル  σ@( ゜∀゜)y パー!?
  その結果、人の話を聞こうとしない。読む本は週刊文春か、週刊現代、週刊ポスト。
 ・身分の上の者や金持ちに対してひくつな態度をとる。逆に、身分低い人や貧しい人に対して傲慢になる。
 ・自己耕作(修養)に対して全く興味を持たない。ー 自分の内面には全く興味を示さない
 ・自分のことをやたらに話し、自己宣伝をする。
 ・群れをつくる、それも同じレベルと。
 ・関心は常に他人の粗捜しにある。ーTVの粗捜し番組に異常な関心を示す。 フム(*゜Д゜)φ))ナルホド!! 
 幾らでも要素が出てくる。
  ある人?を思い浮かべながら書いているから、言葉が次々と出てくる。考えてみたら自分の中にも多くの要素があるから、
  嫌いなのだろうが。 ナニガナンダカ??┐( ̄▽+ ̄*)┌??サッパリ 男でも身辺に、この女版が幾らでもいる。
  知識はあるが教養のないタイプもある。 知識は教養の必要条件ではあるが、十分条件ではない。
  しかし私が知っている範囲でみると、知識の多さが必要条件を充分条件に変える。 (・∀・。)(-∀-。
  (以下、字数の関係でカット−2011年01月09日)  
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2005年01月09日(日)
1377, 人生における成功者の定義と条件−3           ー 読書日記
 年代があがるほど、面白いものが多くなる。アメリカナイズされた個人主義が戦後教育で根付いてきたのが、
 この定義と条件でわかる。40代の抜粋である。この辺になるとやっと、響いてくるものが出てくる。
・「今タイムマシンがあったとしたら何時に戻りたい?」と聞かれたとき「今でいいよ」と答えることが出来る人。−46歳 歯科医師    
 ーmy感想ー「今でいいよ」にも、色いろな意味があるだろう!よほどうまくいった人生か、よほど酷い人生か?
  (以下、字数の関係でカット−2008年01月09日)        
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2004年01月09日(金)
 1010, 10年日記帳
昨日「10年日記帳」を買ってきた。いつも行く書店に3年日記帳と5年日記帳があり、その横に更に10年日記帳があった。
数日前から迷っていたが思い切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 
10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。 日記お宅になってしまうかもしれない。
 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識してみることが出来る」のではないかと気づいた。
現在はホームページの随想日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。
この為どうしても、後ろ向きになってしまうが、10年日記の先の白紙を毎日見ることにより、
10年スパンで物事をみる目が知らないうちに身に付くのではないだろうか。更にもっと深い意味が出てくる可能性もある。
ーポストイットで未来の日記を仮定で書き、貼っておくとかー  ーありたい理想の姿を現在進行形で書いてみるとかー
年をとっていく自分を見るのが憂鬱になる可能性もある。反面10年経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。
その時は亦新たに10年日記帳を買えばよい。今日から門出の日記の開始である。
随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、結果として毎日過去の日記を見ることになっている。
(いや初めから、それを自分で読み直すために貼り付けたが)そうすると、ほぼ同じことをしていることになるが、
白紙を毎日見ることが決定的に違う。まあどうなることか。こうして公表してしまえば、書きざるを得ないだろう。
習慣化は第二の天性というから。 これも加えたいが・・・・・
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 2003年01月09日(木)
 641, 動物と人間
旅行をしていると、色いろな世界を垣間見れる。特に動物の話が深い。
・シナイ半島で聞いた話だが、ラクダが面白い性格を持っているという。理不尽にいじめたりすると根に持って、隙を狙って
 人を殺すという。理屈に合った調教なら恨まないという。人間の気持ちと同じという、何か解るような気がした。
・ケニアの湖の小さな舟の船頭に聞いた話だが。目の前にいるカバのグループ一匹が先日ある男を襲ったという。
 その男はいつも遠くからカバを馬鹿にしてからかっていたという。静かに船に忍び寄ってきて襲って、
 その後死体はあがらなかったという。 何気なく現地の人が話すが内容は新鮮で迫力がある。
・中国ウイグルのホータンで聞いた話しが面白い。ロバと人間の関係がよい。労働力として運命共同体として
 運搬としてつかうが、死んだら墓をつくり埋葬するという。何かその地域の特性があらわれている世界だ。
・アフリカでは野生動物は自動車に乗った人間は絶対に襲わない。
 時間をかけた、といっても100年だろうが、お互いの契約ができているという。
・ペルーのチチカカ湖の沖にの葦で作った島に住む住民の世界だ。
 驚いたのが、鵜に似た鳥が天敵がいなかったせいか人間を恐れない。その島民も欲しいときにその鳥をとって食べるのだ。
 現場を見て自分の常識から考えられない光景に口を開けたまま呆然とし た。
・もっと刺激的なのはインドである。牛は神聖な動物とされて最下層の人より上に扱われているのだ。
 街で自由に闊歩している。当然誰より自分が上という 事をしっている。餞民が交通事故の場合は 
 ほとんど問題にされないが、牛の場合は大きい問題になる。日本では考えられない。
・パキスタンでは、街の真ん中で羊を殺し解体している。日本では勿論、許可をえた場所以外屠殺は禁止されている。
 動物との関係は風土や宗教により成り立っている場合が多い。世界は好奇に満ちている。
・・・・・・・・・
2002年01月09日(水)
295,夢に日付けをいれる
 この正月、TVに出てきた創業社長の言葉である。「時間を切ってない仕事は仕事でない」のは、言うまでもないが、
夢に時間を入れるとは、その段階から計画に移行したことになる。夢ー>希望ー>目標ー>計画ー>手順と具体的行為に
思考ダウンしていくものだ。時間を入れるということは具体的目標、計画化に入ることになる。
夢とは長期的な漠然としたものである、時間を入れることにより、短期レベルに、具体的レベルに引っ張り込むことが
可能となる。人生にビッグな設計図を描いておくことは当然のことだが、時間(日付)のところが意外と曖昧になってしまう。
私が自分の葬式の写真からの視点を忘れないようにしているのも、人生の終わりー最後日を意識しているからだ。
 言葉の遊びか本心か、「2020、0202、0202」」 
2020年2月2日ー午前2時2分。この辺りを目安に、生きてみよう! 今年死ぬかもしれなが、後は神の思し召しのまま!
・・・・・・・・・
1月9日 1969年
 9時起床。
1時45分のの汽車で帰る予定が雪の為に15時に延ばす。
正子さんのところに行くと、2千円の小遣いをもらう。正子さんは話が面白い。型にはまってないのがよい。
独創的で、自分の哲学を持っている。15時の列車にのり、19時に帰寮。市川さんと早速飲みに出る。  


3940、新年にあたり ー4

2012年01月08日(日)

  * 御先祖・四四太郎様の警告  ー
 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、
この津波は世界にとっても日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。 これは80年前の1930年代の大恐慌と同じか、
それより遥かに大きいから始末が悪い。以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。
しかし情報化社会では、その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きていた16世紀あたりから
白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、
300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国させたのがアメリカである。その後、日本は日清、
日露戦争で勝って調子づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされてきた。そのアメリカが、
経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のことである。 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、
覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の
復讐を恐れたアメリカに骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。まあ、お前さんも66歳、
今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器をフルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。
 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい
仕掛けが隠されているのを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が優位に立ってしまうことだ。
これは、最優位のものが、情報により総取りが可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。
これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしている
グループが実際に存在していて、情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界をどうとでも動かせる。
まあ、この辺で話は止めておくが・・
 娑婆は御前さんの想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは自分の地頭で考えるしかない。
要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。
度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。
 言葉狩りとかいうらしいが、目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。
あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ!
・・・・・・・
3575, 閑話小題
2011年01月08日(土)
   * 帰省中の次男の話
 外資系に勤めて10年になる帰省中の次男に聞いてみた。「中国人は多いのか?」これに対し「普通の存在のように居るよ」である。
 中国人が日本の外資系に勤めるのだから信じられない位に優秀だろうが、 そこまでは聞かなかった。 彼らは一人っ子政策の中で、
 家族を背負っているから覚悟が違う。 その彼らと働くのだから大変だろう。 土曜、祭日は出勤で、週一しか休暇が取れないとか。
 平日の帰宅は22時過ぎで、常に睡眠不足とか。顔はゲッソリ、三十歳前半は誰もそうだろうが。
   * バーチャル・ビュー
  BS・TVで、最近みたのがズバリ「バーチャル・ビュー」という番組。
 その場に、あたかもいるような目線で海岸や、街中を軽快な音楽をバックグランドにして映し出している。
 何処かのリゾート地のビーチで自分が横たわったり、また泳いでいるように画面が構成されている。
 特に自分が行った先は更にリアル感が強くなる。 そういえば、以前から「世界街歩き」という番組がある。
 自分があたかも旅先で歩いているような目線で、店に入ったり、人に声をかけたり、家に入れてもらったりする。
  地デジの切り替えで、各家庭のテレビを大型液晶にかえた為か、テレビ番組も、それに従い変わってきた。
 受信機だけでなく、撮影機材も格段と良くなり、映し出される映像と内容が飛躍的にスケールアップをしている。
 これまでBS/TVで放送していた内容のものが、地デジの方に移行を始めている。それにともない、BS放送の内容も、
 バーチャルビューのように、居間の空気を和ませるような内容が出てきた。その一つがバーチャルビューということになる。
 これは録画をして、早朝に聞くにベストである。 そして現在、映像入りBGMで、これを書いている。
   * つれづれに
  4日の15時半発の帰省列車の東京方面に乗ったが、殆どが若い親子連れ。中高年の姿はほぼ見当たらない。
 (字数制限のためカット、2,011年01月8日)
  ・・・・・・・・
3200, 年末・年始の「どうなる日本」の新聞論評は?
2010年01月08日(金)
 正月の5大新聞の年末年始の社会、経済など「どうなる日本」の解説や、対談を目を通してみた。
石原慎太郎の「日本よ」の辛口の論ぐらいが、納得したぐらいで、あとは殆んど見当たらなかった。
あまりに悪いから、マイナス論調のことを書けないのだろう。 当たり前のことだが、
・現状は恐慌そのものであり、既に二番底にむかっている
・デフレ危機の瀬戸際。 デフレ・スパイラルは5,6月辺りが危ない
・アメリカから中国、インドなどに選手交代
・電気自動車などの新しい分野への転換期    等等が、問題と指摘していた。 
株価、為替は大きく揺れるのは必至である。私の商売の動きからすると、デフレ・スパイラルに去年11月から始ったと思われる。
社会的問題の、ホームレスや、失業の問題には、どの新聞も避けていた。新聞では取上げないが、リーマンショック以来16ヶ月も、
輸出入がマイナス40パーセントを続けてている。輸出主導の経済のこの国では、この有り様では景気回復など考えられない。
藤井財務相が辞めたが、この国家予算と800兆の国債総額では、予算委員会の答弁は無理。 なるほど百年に一度の恐慌とは、
こういうものか!と実感する。恐慌が二年目に入り、そのウネリがより大きく覆ってきている。情報化、グローバル化は、
世界を平準化する。その中でアメリカの従属国家として平和を謳歌し、豊かさを享受してきた日本も、世界の普通の国家並みになる
プロセスの入ったということ。 今年は政界再編成を含め、大波が次から次へと襲ってくる。 憂鬱な10年に入ったが、
割り切って身を委ねるしかないのか? 高度成長期を味わったので、その段差の溝があまりに大きく感じる。 
21世紀になって10年、その一端を経験しているが、成るほど断絶の世界である。更に、ここにきて電気自動車と、ツイッターである。
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2835,夢の中に集中しすぎて、無呼吸に 
2009年01月08日(木)
 去年の暮れになるが、危ない夢をみた。何かの夢をみている中で、空の上から下をみると砂粒位の人が数人が見える。
それを神経を集中して見ようとしたあまり、夢の中の世界に集中しすぎて、生きている生身の本体が呼吸が出来なくなったのである。 
ハッとして夢から覚めたが、何分か息をしてなかったようだ。必死に呼吸をして体に空気を入れるが、何ともいえない気分の悪さに
見舞われる。その時、「死ぬ時の感じがこんなものか? 友人はこんな気分で死んだのか!?」という死の恐怖感に襲われる。
そして数分の間、深呼吸をした後に目をつむると、その画面が再び自動的に現れ、そこに集中してしまう。 その繰り返しである。
そして呼吸が出来なくなる。よほど、集中したのであろう。 恐ろしくて目をつぶれないのである。30分ほど寝室の暗闇の中で
目を見開いていたが、恐ろしい不気味な時間であった。 無呼吸症候群ではないのだろうが、高齢現象なのだろうか。書いていて
思い出したが、子供の頃、父がイビキをかいていて急に呼吸が数分止まることがあった。再び呼吸をしないのではと、
耳を済ませたことがあった。 
(字数制限のためカット、2,011年01月8日)
・・・・・・・・・
2008年01月08日(火)
2470, アメリカをWeb世界に類推する                   
  「ウェブ時代をゆく」−4  読書日記
 現在のWeb世界の現状を、人工国家アメリカの建国と同じ位置づけをして考えているところが面白い。 
また、否定的にみる傾向の強いアメリカをプラスの面から照射しているのも新鮮である。弱肉強食とはいえ、
強者であればチャンスが開かれているのもWeb世界と同じである。
これから考えると、Web社会は弱肉強食を強める可能性もある。逆に弱者でも、最低の保障も与えられる?が
 ーその一部を抜粋してみるー 
「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」
  (字数の関係でカット09年08日)
・・・・・・・・・
2007年01月08日(月)
2106, それがどうした!それでどうした!
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
「それがどうした!」 究極の開き直りの言葉である。そして「それでどうする」が、ギリギリのところで思考から
手順への転換点への切り替えの最後の言葉となる。「エ・アロール それがどうしたの」は渡辺淳一による小説作品に
なっている。フランスのミッテラン元大統領が、女性問題について質問した記者に対し、応えた言葉「それがどうした」
もコミック的である。人は他人の誹謗とか中傷に弱く、常に不安感に悩まされる動物である。
この中傷・誹謗や不安感のために人生の一番大事なチャンスを逃してしまう。その時の悩みに対して、「それがどうした!」
「それでどうした!」と開き直ってみると、ほとんどは何ということもない。 そうでもないか?まあ、話を逸らさないために、
そういうことにしておく。「それがどうした!」と開き直ったとき、その対象を考え始める基点とするか、思考停止にするか
大きな分かれ目になる。その対象の問題の本質の「正一点中心無」に向かって開き直って掘り下げていくか、中断するかの分岐になる。
掘り下げると、殆んど「そんなもの、何とことない!」に行き着く。関西で「何ぼのもんじゃい」という言葉もあるが・・・
事業を一つ立ち上げる時、常にこの言葉と向き合うことになる。
「それでどうした!」そして、「それが何だ?」「それでどうする?」とつづき、「それしかできないのだから、しかたない!」
となり、そしてあとは「なるようにしかならない」となる。 その繰り返しの中から手順をみつけていく。
(字数制限のためカット、2,010年01月8日)
・・・・・・・
2006年01月08日(日)
 1741, 教養とは −1
「教養の意味」を検索で調べてみた。   (/´Д`)/Hei !!!!! ¬_¬)  sonnnamon 今日用がない monn!
・高く評価される人間性の背景となると想定される知識・経験。   勉強勉強!!((φ(◎ロ◎;)φ)))ウラウラウラー!!
・(一般には)一人前の人間が当然持っているべきと考えられる一定レベルの知識や 常識を持っていることは当然として、
  古典文学や芸術などに対する幅広い知識を備えており、かつ、それらの知識が品位や人格およびものごとに対する
  理解力・創造力に結びついている状態を指す。       
 ーギリシア語ではパイディアであり、意味は「子どもが教育係に指導されて身についたもの」のこと。
 ー英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
 ードイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。それぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。
  学問や芸術および精神修養などの文化的活動のことを指す。
  伝統的に西欧の大学で扱われていたリベラル・アーツに相当するものとしても捉えられる。         
  大学の専門課程以前に身に着けておくべき幅広い知識。
  社交界や人付き合いの場面において、洗練された会話や身のこなしができる能力。乂(^^ )ノ (ノ^^)八(^^ )ノ
   ー以上が検索で調べた内容である。
 私が理解していたのは「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた後でも残っている素養」という言葉である。
「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。私など無教養を自認しているのは
「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。 ( ゚д゚)ンマッ! 何故必死に本を読むかというと、
「せっかく人間として生まれたなら、可能な限り人類が蓄積してきた文化を知りたい」からである。
「教養は愛の別名」というのがある。 愛[*´ω`人´ω`*]愛
「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」というとなお納得できる。 
  豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが一般的な意味である。  ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ…  つづく
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2005年01月08日(土)
 1376, 日常最上
書店で「日常最上」という言葉に目が吸い寄せられた。日常の何げない生活の中にこそ、実は最上の時間である
という意味である。それに気がつくのに、何年かかったことか。この随想日記に「22・23歳の日記」を書き写してきたが、
三十数年ぶりに読み返してみると、当時の「日常の何げない些細な友人との会話や議論、そして感情の起伏や感動全て」
が光り輝いていたことに初めて気づく。現在でも日常の些細なことが全てが実は最上ということに気がつけば、
毎日が充実した生活を過ごせるのである。あの35年前に、そのことに気がついてはいなかった。
それを今にあてはめて考えてみればよい。逆に言えば、日常にドップリつかってる俗世間を否定するのではなく、
その俗世間そのものを味あうことがも必要である。以前読んだ本で、印象的な内容があった。
「神様に過去の、ある一日に戻してあげる」と言われた人が、昔のある日に戻ったという。
両親・兄弟がいて幼馴染の友達がいて、何げない全てが光り輝いていた。何故その時、それに気がつかなかったというと、
「どうでもよい事」ばかりに気がいっていた為だった。日常最上は「生きていること、そのこと」が素晴らしいということである。
悩みも、恐怖も、不安も、怒りも、全てが最上ということに、気がつくことである。
「生まれてこなければよかった!」なぞ言語道断である。そう思える人が多いが。他人から見たら、そう思われているのだろうが。
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2004年01月08日(木)
 1009, 心を軽くする言葉
何気なく図書館で借りてきた本を読んでいたら,ある項目にこの言葉があった。そうそう手軽に「心が軽くなる言葉があるのだろうか」
と思いつつ読んでみて、ナルホドと思ってしまった。この随想日記も考えてみたら心を軽くする効用がある!を軽くする映画シリーズは
「男はつらいよ」であるが、少しテーマから外れる。私自身にとって「心を軽くする言葉は何だろうか」と考えてみた。
「何とかなるだろう、何とかならなくなったら、何ともならないでよい。ただ問題の中心点からは眼はそらさないこと、
最善を尽くすこと。何があっても卑しくはならない事、そして人を騙さないこと」ということか。この本の中で、ある女性には
魔法のような呪文があるという。引用の引用になってしまうが。「どうにもならないことは、どうでもいいことだ」
この一説を目にしたとき、スッと肩の力が抜けたという。努力のかぎりを尽くしたのに成果が出なかった。
といって、誰かを傷つけた訳でなし、死んだわけでもない。どうしても必要なものなら何とかなったはずだから、
どうにもならなかったことは、それだけのものでしかなかったのだろう。これがその人の解釈だという。
本人にとって正しく魔法の呪文だったのだろう。この文章を書いていて、気がついたが今実行している「ありがとう」という言葉の
呪文こそ「心を軽くする」言葉である。ウォーキングをして、1千あたりからスッと気持が軽くなるのが解る。 
 この本では、シンプルな例として 
・「時間はすべてを解決する」
・「小さなことは気にしないことだ。そしてすべてのことは小さなことだ」があった。
 ところで、この不景気ほんとうに心が重くなる。心のレッスンと受け止めて、日々過ごしているが。 
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2003年01月08日(水)
 640 ,ラスベガス
去年の年末にBSTVでラスベガスのショーを連日放映した。その華やかさにただただ驚いた。
NHKの紅白より豪華で格段の差があった。センスといい規模といい比べること自体が可笑しいといってよい。
アルゼンチンでタンゴのショーを見て圧倒されたとき、ラスベガスのショーはこんなものでないのだろうと思った。
先日図書館で借りてきた本に偶然そのラスベガスを書いてあった。 浅田次郎の「絶対幸福主義」である。
彼は仕事の頭の切り替えにラスベガスに年5^6回行っている。そこでこの街をわかりやすく描写している。
ーラスベガスというのは、カジノだけでなくホテルもレストランも、全体が堅気ではない。
すべてが遊び場、夢の世界なのです。だから24時間、私を別の自分にしてくれる。こんな街は世界に二つとないでしょう。
何を求めて年に5回も行くかというとリフレッシュのため。いやリライフー生き返る・蘇生するという造語を言わせてもらう。
まずホテルからして面白い。私が滞在しているのは「トレイジャーホテル」ですが。
  (字数制限のためカット、2,011年01月8日)
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2002年01月08日(火)  
 294、正面突破しかないのでは?
今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。
今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、雪達磨式に借金が年収の10倍以上に
増えていった家庭の状態と仮定できる。今もその範疇より一歩も出れない状態にある。「こうすれば、よくなるという」
視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。やはりクラッシュに向かって正面突破しかない。もっとも自然にそうなっていく。
しかし今の評論家のほとんどが、この視点から一歩も出ていない状況である。 ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が
全く変わってしまった。アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。解っていてもどうにもならないのだ。
この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。一度清算しなくては、小泉首相が建前で言った。
しかし見ていると、まだ腰が引けている。恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。
仕方がない、いや長期的にみたらよいことだ。大津波がきている、しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。
恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。
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1月8日  1969年
9時過ぎに起床。 10時半に両親と料理屋の「青木楼」へ行く。11時から実家の店の新年会だ。
70人ほどの会であった。 大広間にこれだけ集まるとさすがに凄い。終了後店の二人の女性とボーリング場に行く。
その後4人が来る。6人の女性とのボーリングは楽しい。その後、ゴーゴー喫茶に行く。一時間で切り上げて一人で帰ってくる。
家に変えると、株屋の田中さんがきて父と話をしている。 22時に就寝。


3939, iPad その後

2012年01月07日(土)

 現在でもiPadに驚きの毎日である。というより、ネット、ブログ、アプリ、パソコンを組み合わせたタブレットPCの
威力に驚き!というのが正しい。 PC世代が当り前に使っていたパソコン機能を更に進化させ、我われ世代が気楽に使えるよう
タブレット式PCで可能にさせてくれたのである。こんなアプリもある、こんなゲームも出来ると、水を得た魚のような気持ちに
させてくれている。 起動から数秒で使えることと、何処でも使えることが特に良い。 先日、ネット上のアップル・ショップで、
「Fotopedia国立公園」という北アメリカの国立公園の写真集を85円で購入した。 さっそく開いてみると、2000枚の、
素晴らしい写真が次々と出てくる。何で、これが85円と不思議だった。 が、直ぐに電子本を手元のパソコンに
ダウンロードしたのではなく、ネット上の書籍にアクセスをして見るシステムだった。 ネット辞書のウィキペディアをネットを
有料でみるようなもの。 ネット環境さえあれば、パソコンに全てをダウンロードなどする必要はない。
 もう一つビューンというのもある。月に450円を払うと、数十種類の週刊誌、月刊誌を読むことが可能になる。
更に数種類の週刊誌の数ヶ月分がダウンロードが出来、それはネット環境下でなくとも読むことが出来る。
他にも版権の切れた文庫本などの小説集を80円で購入したが、これはダウンロードをし、ネット環境外で見ることが可能。
したがって少しの時間でも退屈する事はない。 私のような暇人にとって、理想的IT端末といえる。
購入前に、iPadにするか、ドコモの携帯電話機能のついた7インチのタブレットか迷ったが、ドコモはネット環境下でなくとも
見れる利点がある。何を選択するかである。 去年はスマートフォンが爆発的ブームになったが、今年はタブレット式パソコンだろう。 
 TVにしろ、パソコンにしろ、スマートフォンにしろ、これだけ膨大の情報が隅々まで流れ出ると、既存ののシステムは対応
できなくなって当然。 これが、この大混迷の原因になっている。 誰もが数年前の自分が他人(馬鹿)に思える時代が面白い!
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3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1
2011年01月07日(金)
時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。
 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から
 ー10分ルールー
 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えるとその環境や行動に脳が順応することをいう。
弱点だと思い込んでいた性質が、この10分ルールで変えることも可能になる。 最近、テレビのバラエティーでよくあるのは、
最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、オープニングが始る場面に多く行き当たる。 
これは10分間、視聴者に予告を含め馴染ませてしまえば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。
 このルールを知っているといないのとでは大きな違いが出る。既に亡くなったが、ある知人に「とにかく一晩寝てから、
怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。
これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐えることをルールと捉えた法則。
 これまで決断するまでに、計画が固まった後に時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、
目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、
逆の立場で、その辺の人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。だから、ある時間耐えれば良い。
 次は、ー90分ルールー
 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、
90分を過ぎると実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。テレビの特集なども90分もの。
人間の身体は一日24時間のサイクルに合わせて出来ている。その中に、90分のサイクルがある。分かりやすいのが睡眠で、
90分周期で浅い眠りがくる。それが一晩に4〜5回繰り返している。大学の授業時間も、会議も90分が通り相場。 
 休日など終日、読書をする時は、90分で休憩を入れ、違った分野の本に切り替えると良い。
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3199, 閑話小題
2010年01月07日(木)
  * 善は悪より生まれた!
 誰が言ったか忘れたが、「善は、悪より生まれた」が、妙に気になった。「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。 
キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、
一つの規範が必要になる。国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内の警察という暴力装置、そして外に対しては軍隊。 
それを、統治する象徴としての日本なら天皇、欧米なら大統領の存在である。 孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、
民を内側からコントロールする教えである。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。
 それらの法律や規範を守ることを善というなら、それに反することを悪という。 ということは、それができる前は、
(その規範の視点で振り返るから)悪がまかり通っていたことになる。 で、「善は悪より生まれた」ということになる。
しかしキリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という疑問が生じる。
 女性の哲学者『シモーヌ・ヴェイユ』は
『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。 悪は神とわれわれの間にある。
愛は、そのうえを通過せねばならない。』 彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を裂くものとみた。
神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。
悪党ほど善の価値を知っているのだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもできる。
親鸞の悪人の方が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。
 * 呉服の衰退
TVのレポートで、呉服チェーン店の「さが美」が、ポリエステルだが一万円の和服セットを紹介していた。
普通、呉服のセットは30万というから、30分の1である。 若い人が呉服を着なくなり、不景気も重なり、
5年間で呉服の売り上げが業界全体で半分に減ったという。 何処も同じである。
「さが美」は高度成長期より呉服のチェーン店として飛ぶ鳥落とす勢いで急成長し、現在300店舗あるが、
必需品以外は、こんなものだろう。 先日、静岡のトヨタ関連の部品メーカー関連の仕事をしている友人に
景気状況を電話で聞いたところ、「エコカー補助金のお陰で何とか息をついているが、二輪車を扱っている
「ヤマハ」の関連企業は、回復の兆しはない」と言っていた。オートバイは、呉服と同じで嗜好品?だからである。
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2834, 不況の景色 −6
 2009年01月07日(水)
  *ウェッジウッドが倒産
ウェッジウッドが倒産した。ウェッジウッドといえば、英国王室御用達の「女王の陶器」として人気を集めていた。
ところが中国製などの安価な製品に押されて低迷、さらに金融危機を契機とする世界的な景気後退で売り上げが低迷。
そして一昨日に倒産のニュースが世界に駆け巡った。 グローバル化のウネリに押し流されたのだろう。
12月初旬のイングランド・ツアーで、本社に立ち寄って何点かのコーヒーカップを買ってきたばかりだった。
本社は近代的な建物で、多くの製品が展示されていた。まさか一ヶ月もしないうちに倒産など考えられなかった。
従業員が世界各国に8000人、負債総額が500億という。
  *トヨタ系の孫会社の友人に電話をしてみた
 学生時代の静岡の友人が実家のトヨタ系の部品メーカーを経営しており、そのサービス部門の子会社を任されている。
 家内と供に、一昨年の夏に静岡まで遊びに行って親交を暖めてきたことがある。その前年、私のところに遊びに来た。
 そこで自動車業界の不況がどうなっているか電話をしてみた。 緊張が解けたのだろう、一挙に実情を教えてくれた。
・9,10,11月は緩やかなダウンだったが、12月に入って一挙に三割ダウン。
 2年〜3年かけてダウンしたのではない、一月でダウンは呆然自失だったという。
・本体の550人の従業員のうち150人近くの季節工、アルバイトの契約解除をし、現在は正社員のみ。 
・夜間作業を全てカット、残業は一切中止、今月は二日間の工場閉鎖するが、それは国からの休業補償が出るという。
・レクサスやクラウンなどの高級車が売れなくなったようだ。
・トヨタは世界一位を目標に、この数年間は1000万台突破という拡大路線をとってきたが、リーマンブラザーの
 倒産以来の円安と、大型車の急激な売り上げ減、そしてアメリカ市場の冷え込みは、彼等の想像を遥かに超えた事態。
 (字数の関係で中間カット  11年01月07日)
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2008年01月07日(月)
2469, 四四太郎の霊日記 −17         (σ・з・)σオハYO!!
さてと、今日は七日正月だが、ワシにとって今年初めて元旦以来のお出ましである。
毎回同じことの繰り返しだが、それでも良いじゃないかい。 一度この宇宙の外に出てしまうと、宇宙そのものが、
鬱陶しい反面、この生々しい地球の大気圏の味が何とも懐かしく、居るだけで嬉しくなる。このように娑婆で話せるなど
我われからみたら有りあえないこと。有難いことじゃ! 言葉の中にしか生きれない我われは、言魂として永遠に生きている。
だから生き延びてきた古典などの本を生きているうちに読み、あらゆる経験をしてみて、その中で言葉を発し、
そして書き残すことじゃ。それ以外にないだろう! そこに御主の言葉が発生し、言霊として永遠に残るのじゃ。
その点、ブログとオープンソース化は霊界に近い働きを出し始めているじゃないか。あれは使い方次第で大きな人類の武器になる。 
世界中の魂同士が直結するということじゃ。だから以前つくったワシ専用のブログは意味があったのじゃ。 
まあ、気が向いたら、独立させれば良い。 ブログとして続けていると、信じられない展開になっていくじゃろう。
ところで御主自身の生き方も、ここで根本的に変えなくてはならない時期に来ている。そのことに気がついていないのではないか? 
御主は。 考えてみろよ!現在の世界の事態の激変を。 これは、もともと起きていたことで、今年から現象として色いろのカタチで
大雪崩として轟音を立てて変わっていく。特に日米欧の世界が激しく動くだろう。そして、中国とロシアとインドへ覇権は移動を
始める基点の年になる。まあ、世界は動乱に近くなること必定じゃ。それまでの段差が一挙に崩れて現実化することでしかないが・・
ところで、ダ・ジーダとの対話と、知恵の租借をあまりしてないようだな。割り切ることじゃ! 割り切って話をすることがコツだ。
割り切って話をする?とはな、適切な問いかけすることだ。その問いかけに対して、御主の知恵を遥かに超えた答えを持っている。
問いかけ自体を何度も突き返すはずだ、そこから御主の問いの甘さを指摘して、その問題を見つめ直させるのじゃ。
問題は、実は御主の問いの好い加減さから出ている。何かの哲学書にあったろう、対自、対他、即自という言葉。
ダ・ジーダは、その対自分に対する、対他人に対する、そしてそれをしている即・自分をコントロールする役割をする。
その意味で、この霊を御主の中で大事にすることは、自分を見つめ、コントロールするのに丁度良い存在になるはずだ。  
  またな!                    (*´∀`)」バイ!
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2007年01月07日(日)
2105, ウェブ人間論 −4    (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
ネットがますます重要な位置を占めてくるとき、その中での実名か匿名か、どちらを選ぶか大きな問題になる。
匿名の場合は無責任な事も書けるが、実名は書いたことは実際に話していることと同じことになり、
当然リアル世界に直接跳ね返ってくる。 このHPを書いていて時々面白い現象にであうことがある。 
自分が忘れていた事を相手が憶えていて、読んでいる人のほうが自分のある一面だがよく知っていることがある。
これだけの量を書いていると何を書いたか、自分でも忘れてしまう。自分の体臭に気づかないのと同じで、
悪臭は敏感に感じ取られてしまう。このHPは、自分のネット上の分身であると同時に、本心そのままである。
 (字数の関係で中間カット  10年01月07日)
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 2006年01月07日(土)
1740, アウグスツヌスとローマ帝国       (σ・з・)σオハYO!!
  先日のNHKハイビジョン特集 「ローマ皇帝の歩いた道」が面白い。
   ー内容の概略といえば、
  海を制したローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが築いた地中海の交易ルート「海の道」を紹介。イタリアやギリシア、
  チュニジア、スペインなど地中海沿岸のローマ遺跡を日本の考古学者がガイドしながら旅する内容であった。
  ・エジプトを破り地中海の覇者となった海戦の舞台、ギリシアのアクティウム。 
  ・皇帝ゆかりの街、スペインのメリダ。(*^ー^)/C□~~コーヒーいかが?      
  ・はるか北アフリカのチュニジアにそびえ立つ巨大な円形闘技場と水道橋。       
  ・帝国内の圧倒的な遺跡群と新発見に沸く発掘現場、そして今なおローマ帝国の遺産と共に暮らす
   人々とのふれあいを通じ、多民族を束ね上げ、地中海に君臨したローマ帝国繁栄の秘密に迫っていた。
   去年北イタリアに行ってきたことも含め、ローマ帝国に対して関心がわいてきた時期なので、丁度良いタイミング。
 ーその中で印象の強い順に印象に残った内容を書いてみる。
  1、アウグスツヌス皇帝が、スペインのメリダの円形闘技場で思いたった
  「円形闘技場の座席を差別化して、階級制度をビジュアルに見せる仕掛けを考えた。
   大まかに身分ごとに三段階に席を分けて、娯楽の中で差別意識を埋め込んむシステム」
   が面白い!どこの都市にも円形劇場という娯楽を与えて、その中で、無意識の中に階級制度を埋め込んだ。 
  2、自由民といわれる最下層でも、25年の兵役を果たせば一般市民に格上げされるシステムもよい。
   自由民は自ら望んで兵役に従うシステムである。?(‘0‘@)スゲ〜!     
  3、地中海を内海としての戦略ポイントにおき、それを中心に帝国を創りあげた。
  4、占領した相手の破壊は最小限度にして、兵役システムで多民族を束ね上げる
    手法も卓越している。また兵役を終了した際「世界で初めて退職金制度」も作った。
  5、ここでは紹介されてはいなかったが、ローマ軍の日常の大部分は、
    帝国内の道路の整備に費やされていた。こと反乱があった時に軍を数日以内に到達できる準備を常にしていた。
 「ローマは一日にしてならず」という言葉の重みが、窺い知れる。       ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪ 
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2005年01月07日(金)
 1375, 人生におけ成功者の定義と条件−2
合間にある「一般の人」の「成功者の定義と条件」が面白いので、幾つか抜粋してみるが、要するにそれぞれの価値観を
述べているに過ぎないが。成功も失敗も、あくまでも価値観が決めること、価値論を持ち出すと根こそぎ、このテーマが
崩れてしまうから深く追求はしないで論を進めたい。年代によって、その答えが深くなっているのが面白い。
  ー20歳代以下のアンケートの内容を抜粋ー
・生きていくのが永遠でないという事実に死にそうになるほど恐ろしくなる、でも「そんな死を受け入れられるような、
 楽しい時間を生きる」それが人生における成功と思います。ー16歳男性
 ーmy感想ーこの同じ言葉を16歳の人がいうのと80歳の人がいうのとは全く意味合いが変わってくるだろう。
・「自分で自分のレールを敷けること。」
 でもやっぱり、何年経っても、今の自分と変わらない笑顔をつくれることが一番。 ―21歳女性。
・自分自身で考え決定した、好きなことをやっている人。「それが趣味でなく職業であること」
 その職業において自分の理想とする生活がなされていること。
 また満足していること。これを満たし、日々楽しんでいること。    ー24歳女性
  (字数制限のためカット 2010年1月7日)
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2004年01月07日(水)
1008, 勘違い
 ーマニフェストとフェミニストー
 昨年の暮れの「今年の総括」の文章の中でマニフェストとフェミニストを間違えてしまった。
帰省中の息子に指摘されて気が付いて半日で書き換えた。読んでいるほうからみると、
このような漫画的な間違いが限りなく見えるから、面白いだろう。 誤字当て字も読み返していると多い。
 実際のところ、この間違いは解っていた。それでも間違えるのだからどうしようもない。
 (字数の関係で中間カット  11年01月07日)
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2003年01月07日(火)
 639, 自己疎外
35年前の事だが経営学の野田一夫教授の授業をうけて数ヶ月。同級生が手をあげて「自己疎外とは何ですか?」
という質問をした。それに対しては一瞬詰まって「君にはちょっと早い問題だよ!」と答えた。
その時から「疎外」というキーワードが記憶に鮮明に残った。これは大不況の今の時代にピッタシだから敢えて書いてみる。
組織や地域社会に所属していると孤立している感覚に陥ってしまう。全ての人が自分をあざ笑っている感覚であり、
取り残されている感覚が疎外感である。誰もが持っている挫折感と絶望感の一番の空虚感である。
死や失業になった時に初めて気づくのだ。自己疎外感は孤独のブラックホールといってよい。 
全ての充実感や存在感を吸い取っていくのだ。宗教業界の商品作成のデザインの一番の落としどころだ。 
それを見抜いて神と共同体を与え愛をささやくのだ。今の日本に自己疎外を持った人が満ちている。 
それは絶対神ーラージXを持たない日本の弱点になっている。大都会の酒場で一人飲んでいるほうが禅寺で座禅をしているより、
孤独感を感じるのは自己疎外に陥っている状態であるからである。ところでこのホームページを開いてから自己疎外感が激減した。
疎外感退治にホームページを開くことを勧めます。疎外感を感じている方が真実に気づいている事も事実である。
・・・・・・・・・
1月7日 1969年
11時起床。 12時に食事。 午後は本を読み、甥の慶昭と話をしたりする。
夕方、店でコートを買う。 0時から3時まで勉強をする。会社の佐藤さんの分析解剖をしてみる。
文章に書いてみると、やはり気がつかなかった部分が見えてくる。「内容」は・・・・・・・・・?・
ー自己実現について考える。
人生はつまるところ自己実現のプロセスを踏むことだ。自己実現とは、自分の設計図を書いて、
その設計図にのっとって生きていくことである。それも自分に適したものであるべきだ。
ゼミの同期の一人一人を具体的に考えてみると理解しやすい。
それぞれの特性を生かして自己実現を図るのがベストだ。私は何だろか。
自主独立の行動力だろうか、それとも生真面目だろうか。


3938, 閑話小題

2012年01月06日(金)

 * 車修理
 去年の暮れ車庫のブロック塀に車の後部をぶつけてしまった。 経験からみて最悪の場合10万円以上、
少なくとも7〜8万はするはず?だが、あくまで業者が判断すること。そこで三ヶ所の見積もりをとったが、5万4千、
8万5千、20万円と出た。よくぞ、これだけの差が出たものと驚いた。20万円のところは、「修理不能で、その部分の
パネル全体を取り替えないと無理」というが、他はそんなことを言ってない。 当然、5万4千円のところに決めたが、
20万とは、いい加減なもの。そこで思い出したのが以前も見積もってもらったこと。 高いので他にしたことを思い出した。
高くなる算段で修理を考えるのと、安くなるように算段して何とか注文を取ろうというでは4倍近くも違うということ。
そこはバイパス近くにある車社会では一等地。高くなるように見積もっても、客は絶えないのだろう。 今回決めたところは
川崎のカーコンビニ、高いところは? ネット上では書けない。 家電でも何でも最低、三軒の見積もりは必要である。
ところで、年末年始で修理工場が忙しいということもあり、三週間も、そのままの状態で車を走らせていたことあり、
他の車の傷が気になり見ていたが、本当に少ない。そういえば、街で車が凹んんだまま走っているのを殆どみかけない。
これまでも、たまに見かけると振り返る程だった。 無傷が当たり前と思っていたが、外国では平均的に見ても多く見かけられる。
考えてみると、その国の豊かさに比例している。 服装と同じ感覚である。 まだ修理待ちでヘコンダ車に乗っているが、
あまり気にならないのは? いや、やはり気になる?
  * 男はつらいよ
 以前も、ここで何度か「男はつらいよ」について書いたことがあった。 年末年始は必ずといってよいほど、48シリーズの
幾つかを再放送するが、今年は全シリーズの放送をしていた。その何本かを見たが、家内が大嫌いで、私が見るのも嫌がる。
しかし何度見ても、その都度、考えさせられる。 少し頭の軽い気の良い流しのテキ屋。 全国各地の祭りを追い旅をしている。
美人に惚れっぽくて、その見返りで、やたら女性にモテる。 見境なく惚れるから、女も悪い気がしない。そこで、ヤクザ者の
ペースに嵌っていくが、実は他に目星の男がいて振られるか、上手くいきかけても本人が自分の立場に気づき身を引く、という物語。
テキ屋の世界は、甘い世界ではない。 社会からは一歩食み出でた悲劇と喜劇の屏の上の際どさに味わいがある。
人間社会の悲哀を、主役の寅さんを通して表現している。その素朴な女性への憬れが、仏の温かさと二重写しをしている。
それと時々帰る親戚の家族の温もりが、今は無くなりつつある家族生活を疑似体験させてくれる。
 私が社会人になった年に映画化が始まった。 四日市、神戸、東京、金沢、そして千葉と転々としていた頃、擬似家族の温もりを、
あの映画の中に求めていたようだ。家族の絶対のベースがあればこそ、人間は正常でいられるのである。ネットの擬似家族もあるか?
・・・・・・・
3573, デジタル進化論
2011年01月06日(木)
 日経新聞がデジタル進化論の連載を始めた。ークラウドが迫る転換ーがサブタイトルである。
iPodの登場から10年、これがiPhone、そしてiPadと、直感操作型情報機器へ広がりを始めてきた。
パソコン登場から30年が経ち、次の展開として、スマートフォンとか、タブレット式パソコンなどに軸足を移し始めてきた。
iPhoneの登場から僅か4年で、パソコンの売上げ台数の3億8千万台を、今年中に直感式情報機器が上回るというから、尋常ではない。
特にタブレット式無線パソコンが、この数年で爆発的な普及が予測される。 シャープもキーボード付パソコンから撤退を表明、
タブレット端末に集約、電子書籍サービスで稼ぐ事業モデルに転換する。「アプリ」もパソコンソフトと同じぐらい揃っており、
数十万本もあるというから、これも成功すると見てよい。 ソニーも、ドコモも、auも、それぞれの特性を生かした戦略で進出を
始めているので、数年で、市場は激変する。 昨年だけでアップルは。iPhoneを3300万台、iPadを1800万台を売ったという。
今後、世界中の大手が直感式情報機器の販売に入るため情報化は更に進むことになる。そのため情報の量と質が格段にアップする。
それと比例して世界に情報が行き渡り変化を加速させることになる。 それが、更なるグローバル化、平準化、一極化が進む。
そうこう考えると、時代は激変を止めることは不可能といえよう。デジタルといえば、数ヶ月前に入れたテレビである。
値段は、一般の二倍以上したが、テレビの画質、音質、機能等は、明らかに数倍のもの。で、何が変わったか?というと、
映像対象の内容が違って見えるようになったこと。これらデジタル化は、人間のあり方まで変えていく、良いにつけ、悪いにつけ。
 経済も含めて今後10年で世界は、日本は、どのように変化していくのだろう?10年前からみて現在は想像を遥かに超えている。
 問題先送りになってしまう大きなマイナスもある。 「心配ごとは、明日に!明日はこないのだから」で、手遅れに?か。
 ・・・・・・・
3198, 句読点とは妖精のようなもの! ー2
2010年01月06日(水)
 * 検索で「句読点の打ち方」と入れたら、次のようなものが出てきた。
・文の息の切れ目に読点を打つ  ・対等に語句を並べる場合に打つ  ・難読、誤読を避けるため使う
・文の構造を分かりやすくするために打つ  ・節と節の間に打つ(彼も喜び、私も喜んだ)
・前置きの節や語句を区切る(その夜、あなたはいなかった)
・挿入された節や語句を区切る(私はそんなことは、前にも言ったように、していない)
・主語を明確にするために打つ(私は、彼はそんなことはしていないと思う)
・修飾する語とされる語の関係を明確にするために打つ  ・読点と他の符号との連続はなるべく避ける
・会話の場合は「 」の外側に句点を打たない ・会話以外の場合で、「 」や( )などで文が終わるときは句点を打つ
・「 」や( )などのなかに入る最後の文については句点を打たない
・「――」や「……」で終わる文には句点を打つ  ・箇条書きには句点を打たない
 ー以上だが、本を読み込み、自分の文章を書き続れば自然と身につくものだが、上記は、ほぼ実行している。
 (会話の場合は、どうだったか?) 上記の句読点の打ち方を見る限り「妖精のようなもの」には、疑問だが。
 チャンとしたルールがあり、別に神秘的ではないし、神のシモベには思えない。文の息使いは、それぞれあるから、
 上記のことを守っていれば、あまり意識をすることはない。 文章の(、)と(。)は、書くほうも読むほうも、
 相互の呼吸あわせになる。だから校正で一番、気を使うことになる。と同時に、書きなれてない人は、この方が最も難しくなる。
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2833, 年始のTV 討論で印象的だった世界経済の論評
 2009年01月06日(火)
 年末年始のワイドショーで経済学者等の金融危機に対する論評を可能な限り聞いた。
 一年以上かけて十数冊の関連の本や新聞の解説や論評を読んでいたこともあり、
 目新しい内容は少なかったが、それでも、「おや!」と思う部分を紹介してみる。
・岡崎元大使がアメリカで驚いたという次の内容が面白い。
 「アメリカで感じたのが、日本で感じるほどアメリカ全体として暗くない。一部の勝ち組と称す連中が
 サブプライム入り債権を買って大損をしていてのを、大多数が傍目でみて喜んでいる雰囲気がある」という。
 日本のバブルがハジケて北海道拓銀が倒産したときに、札幌に講演に行った将棋の米長邦雄がタクシーの
 運転手から意外な話を聞いたという。「北海道の道民は、本当は心の底で喜んでいるんですよ。あいつ等、
 特権意識を持って威張り散らしていたのが、あの様でしょう。確かに辛いけど、あいつ等の姿を見るのが嬉しい
 のが道民の実際の感情です」。 この直後に彼の講演で聞いたので、社会とは、こういうものかと驚いた。
 それと同じことがアメリカの多数の感情とみれば理解できる。 ビッグスリーの首脳がジェット機で議会に乗りつけ
 政府に資金援助を要請するなどは、国民感情を逆撫でることを彼等は気づいていなかったのである。
 アメリカではサブプライムローンを払えなくとも物件を手放せば、それ以上の追求を逃れることが出来る。
 借りている被害者は、日本の立場とは全く違う。 元々ほとんど資産がない連中である。本当の被害者は、その毒入り債権を
 買ってしまった中産階級以上の国民と銀行である。それが恵まれた連中と金融機関とくれば、マイナーの大多数?の心中は
 拍手喝采が人間の心情である。 これはマスコミには載らないニュースである。少しは日本にも、その感情があるのだろう。 
 数ヶ月前までは、日本はバングラデシュ並みのマイナーの国として金融立国とかで謳歌していた
 連中に蔑視されていた。しかし、これで全てが日本以下になる。但し5年後は、その下に陥るのは間違いないが。
・アメリカ国家の借金は国民一人当たり1600万、総額4600兆円という。ちなみに日本は莫大と言われても一人640万円で、
 800兆円。これでは国家経済は破綻状態である。アメリカ国民3億人のうち、飢餓?状態の200万円以下の人たちが12%
 にあたる3700万人もいる。1929年の世界恐慌が収まった原因はニューデール政策といわれいるが、実は第二次世界大戦で、
 一度世界のマイナスが清算されたためという。1929年の時のアメリカの失業者は労働人口の25%であった。
 それより、今回の恐慌は遥かに大きいというから、最低でも十数年は大混乱が続くとみてよい。
・日本はバブル崩壊後に「輸出立国」のモデルをつくりあげ、何とか経済を維持してきた。
 それが根こそぎ破壊されたのだから、日本はアメリカと同じように破綻の道を歩む運命?
  ーーー
 毎日毎日、恐慌のニュースである。 マスコミは自制しても、ネットで事実が一瞬に流れる。
 そうすると、その差を国民の方が見てしまう。そこまでネット社会がいっているのを、役人も政治家、
 もっと言えば、マスコミボケをしているマスコミの連中がネットの凄みに 気づいていないと思いざるを得ない。
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2008年01月06日(日)
2468, サブプライムとは何か −2   (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
『サブプライム問題とは何か』春山昇華著    宝島社
サプライム問題はアメリカの覇権主義の正体そのもの!である。その実態は、日本がこの十数年の間に犠牲になったムーディーなどの
「格付け機関」という怪しげな格付けというマジックを使った債権詐欺?だった。まだ、あの格付け機関を日本の一部マスコミでも
信じているようだが。このマジックで、日本の企業はアメリカに買いたたかれたのである。日本企業を買い叩くために
「格付け機関」を作ったともいわれている。去年の末からサブプライム問題が問題になり、週刊誌や月刊誌に大きく取上げられた際に
随想日記にも取上げた。先日、知人からこの本を借りて読んだところ、より深く問題を掘り下げていた。TVで解説しているほど、
実態は甘くないようだ。ここで、そもそもサブプライムとはどんなローンなのか、その融資を受ける「信用力の低い個人」とはどんな人たちか、
彼らにローンを組ませるためにどんな金融業者が暗躍したかが生々しく書かれている。その露払いが、さきほどの「格付け機関」である。
屑のような債権を、格付けAやトリプルAを付けて世界中にばら撒いた。プエルトリコや、黒人などの所得が低かったり、
過去に住宅ローンの返済が滞ったことがあるという理由で、一般の住宅ローン(プライムローン)を借りることができない人向けの融資を
金融機関は積極的に債権化をしたのである。一般のローンより金利が高いが、初2年間だけは返済額が小さく抑えるなどの特徴があり、
低所得者に広がっていった。この背景は住宅価格つまり担保価値が上昇し続けることが前提になっている。しかし信用不安などで値下がりが
始ると雪崩をうって崩壊を始ったのである。この中では、住宅価格上昇の絶頂期だった2005年ごろに登場した忍者をもじった
「ニンジャローン」を取上げている。ここまで来ると芸術的犯罪に近くなる。NINJAとはノー・インカム、
ノー・ジョブ・アンド・アセットの略で、所得がなく仕事も資産もなくても借りられるというものだ。
このローンの背景には住宅価格が上昇すれば、担保余力が生まれるため、自動車ローンや消費ローンなども組みやすくなる。
ローンを借りたい人たちにとって、これほど良いチャンスはない!まず家を持ち、自動車や家電製品を買いまくっていた。
債権の買い手さえが、自分がどこまで被害にあっているか解からないところが、問題の深刻さを現している。 
この実態を知れば知るほど深刻である。もともと、アメリカが国家単位でしていることを、民間レベルに切り替わっただけと
言えるところが皮肉である。これをキッカケにアメリカ国債やドルに対しても不信感が重なる。
その意味で、今年はこの問題は大きな波乱要素になることは必定である。           ヾ(●゜゜)ノ バイ!               
・・・・・・
2007年01月06日(土)
2104, 勘違い!
  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
先日のモーニングショーで、TVで勝ち組?の六本木ヒルのマンションに入居の社長と、月十万円を稼ぐのに必死の三万円の
アパートに入っている漫画本講談師との、二人の年末の日常を、同じ時間軸を対比しながら映し出していた。共通点は、
20歳代後半と、フリーター出身である。私の目からみれば月十万円の漫画講談師のほうが遥かに良い一日を過ごしている。
それが画面にはっきりと映し出されている。地に足をしっかりつけて一日を過ごしているのはどちらか歴然としている。
しかしディレクターの素材の問題だろうか、それとも実際は、私の指摘した隠れ真実を?ディレクターは言いたかったのだろうか。
モダン主義と、ポストモダン主義の問題そのものである。誰もが認めるような大きな成功物語を良しとするか、
それとも、自分がしたいことを傍の目をものともせず生きる物語を良しとするか。
コミックなのは、成金の方が一時代前の価値観で生きていることだ。だから漫画講談師と対比させたのだろうか?いや違うだろう。
何が六本木ヒルか笑ってしまう。あれが何だっていうのだろう。気の毒な連中の収容所でしかないと思うのも私だけだろうか。
満足感の問題だから敢えていうこともないが、ただ単純に、こちらは良い、あちらは悪い、と決め付けることに問題がある。
たまに泊まる分にはよいが何じゃありゃ!でしかない。これは私の立場。 村上某とか、ライブドアの某とかいうパンダが、
証明したではないか。自宅から歩いて数分の所の土手の彼方此方に鴨がいて、セキレイが飛び交っている。
どっちが素晴らしいというのだろうか。そんなこと決まっているじゃないか、というのは年齢のためか。
下の息子も一昨日鉄骨ジャングルに帰っていった。嬉しそうなところが、痛々しいが・・
彼の方は、小さな世界に安住している地方の両親!と位にしか、見えないから、それは年齢と適正の違いもあるが
話が逸れたが、漫画本講談師の男、毎日がスリルとサスペンスだろうが、決して楽しそうでないのが気になったが・・・
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2006年01月06日(金)
1739, 人生の自己採点
   ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ
 私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。
 その中でも特に顔色を変える質問がある「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」 ))))))(゚o゚;)/ギク!
 思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。 おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。
 それも次の言葉を加えるから厳しい。「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから感覚的な数字をあげてみて」と、
 一瞬の間を置く。大体、70点以上の人は直ぐに答えるが、それ以下の数字を頭に描いた人は黙る。    (字数制限のためカット 2011年1月6日)
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2005年01月06日(木)
 1374, キュープラ・ロスー2
ロスに関して、もう少し詳しく書いてみる。
ターミナルケア(終末期医療)のテーマにおいて最も愛され、尊敬される第一人者の存在である。若き日の勤務していた
ニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに彼女は愕然とした。〈彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉
彼女は他の同僚達とは違い、いつも末期の患者と供にいて、彼らの心の声を聴いていた。そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の
患者についての講義」を始めた。1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
   (字数制限のためカット 2012年1月6日)
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2004年01月06日(火)
 1007, 激突!エコノミスト-今年の景気予測
(以下、字数制限のためカット 2010年1月6日)
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2003年01月06日(月)
633、「不幸論」ー中島義道
 図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い。
幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて不幸論を書いている。
しかしあくまでも幸福論の批判であって、不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。
 不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること  2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること   4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと 
 特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。
 幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう集約するとこんなものだろう。
私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。しかし死を宣告された時に
その達成感など何の支えになるかと考えると、その前に粟粒でしかない。この不幸論の一番気にいったところを抜粋した。
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
 彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
(字数制限のためカット 2012年1月6日)
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2002年01月06日(日)
 292,システム・エンジェニアーSE
  (字数制限のためカット 2011年1月6日)
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ある時間の断片
 1月6日 1969年
10時起床。 食後、11時から16時までジャスコに出す論文の下書きを完成。それにしても集中力が足りない。
構想力や文章力のなさに自分でも情けない。絶対量の本を読んでなかったツケがこういうカタチになって出ている。
独りになる時間が少なかったのだろう。その為に、独りになると逆に縮んでしまうのだ。焦りと、動揺がここにきて出てきた。
リラックスをして自分をもっとしっかり見つめないとダメだ。このように家に休暇で長く居れるのも、これが最後。
こうしてみると、やはり学生時代は人生で一番良い時だったのだ。


3937, 閑話小題

2012年01月05日(木)

  * 年末年始
 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月になるが気持ちは何も変りない。
ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。
まだ事業を続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 事業から一歩退いてみると、
この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。
正月で特別なことと言えば、蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。
  * 元旦の殿町で
 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。
次男夫婦は地元の同級生と二次会とかで別行動。 今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が元旦でも営業を
しているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、
危なそうな客。 一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。 
隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩をして飛び出してきたという。暫くして、「マスター、一軒回ってまた来るね!」と
出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」と言ってしまった。ところが、
「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、慣れたもので
「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。
長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。 ようは、呼吸なのである。 押しても引いてもダメで、
「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか言っていれば良い。 危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。
で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。
初めての店で、「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、飲み逃げの手助けをしたことになる。
 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。 それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。
・・・・・・・
3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか?
2011年01月05日(水)
 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。
また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も弱者肯定の見本のようなもの。
ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、
ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が
人間にはあるようだ。 それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、野獣に襲われ
食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さないように、その記憶を長く残した。
逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。
その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪いことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。
 だいたい、良いこと悪いことが同量が起こっていると考えればよい。 しかし良いことを思い出す訓練をしていると、
どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、
自然、その方に自分から擦り寄っていく。 例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアーの経験は、
週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、
再び訪ねている感覚で見ることができる。 また、自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくるもの。
 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似したTVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。
その繰り返しの中から怒り、憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。だから、嫌なことは、
意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。
言葉を持ってしまった人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。これが、マイナス思考を
更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身をつくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。
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3197,つれづれに ー 閑話小題
2010年01月05日(火)
 * 人生味わえば、8割は良いことになる
 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性が語った言葉が良い。
「人生、生きてきて、良いこと、2割。辛いこと、8割だった。しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」
が、印象に残った。 「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。その話し相手に行っていたが、
彼らが終戦の一月前に出撃していった。 彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。
そのお陰で、疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、味わえば、良いことが8割に変わる!」と、
しみじみと語っていた。 そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが!
 * 面白いものである!
 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。 書いていると自己嫌悪に陥るのである。
自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマがなくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、
どうもこうも、ならなくなる。お手上げである。 しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。
その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚である。だから続けることができる。
 これは人生と同じじゃないか? そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じである。
その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 
 * 婚活ブームの後は、離活ブームだと!
 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞の社会面トップで取上げていた。
20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、
呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。
以前なら親が説得する程度のことを、親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、
分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、連れ添ったものなら分かっているはず。
 後記)去年に、偶然に同じようなテーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
 ――
2832, 1秒でも早く・結婚したい女たち -2
2009年01月05日(月)
  ー前回に続いての、まとめである。
・雇用機会均等法の中で育った40歳前後のアラフォー世代の女性たちは、キャリア志向が強く「仕事をする女はカッコイイーッ!」
 という価値観。 彼女たちが20代のときは「結婚して家庭に入るよりも仕事に生きたい」と願い考える女性が多かった。
 その結果で晩婚化していった。その盛りが過ぎたキャリアウーマンが、40歳に近づいて焦り始めているケースを取り上げていた。
・しかし、その下の若い世代(20代)になると、女の幸せを考えたとき「仕事で輝いたとしてそれが何ぼのもの?」
 「それが本当にカッコイイーッのか?幸せなのか?」と考えるようになり、結婚も仕事もこなす女性の方がカッコイイーッと
 いう価値観が生まれてくる。 妻となり母となり、キャリアウーマンをこなす「キャリア・マザー」がカッコイイーッと捉える
 女性が多くなっている。 全体として結婚して人生のパートナーをつかみ、仕事もバリバリこなすライフスタイルの賛同者が多かった。
・その女性の反面、男子たちは女性化している。かつてクリスマスの夜の予約に執念を燃やしていた男達は少なくなっている。
 肉食系動物より草食系動物系に男が変化しているという。 別に結婚に執着しない男が増えている。
 「現在の20歳の女性の4人に1人が一生結婚が出来なくなる」というデーターもある。
 女性週刊誌は、いかに男を見つけ口説き落とすかの特集が多いという。一時代前の男の週刊誌と同じになってきたようだ。 
 何か気持ちが悪くなってきた。 36年間、結婚生活を過ごしてきて結婚生活は、そう甘いものではないと実感する。
 慣れるに10年、諦めるに10年はかかる。そのあと10年かけて同じ方向を見るようになる。そして最後は「同居の貴女」になっていく。 
 それでも結婚しないよりは良い。人生の半分(いや、三分の二)は、結婚相手によって良くも悪くも決まってくる。
 私生活の大部分を一緒に過ごすのだから当然のこと。選り好みをしていたらチャンスを逸するし、焦れば「化け猫」
 を掴んでしまう可能性がある。どう見ても「化け猫と、ボケ犬」の組み合わせとしか思えないカップルが多い。
 もしかしたら結婚とは、こんなものかもしれない。 「一秒でも早く・離婚したい夫婦たち」というテーマを思いついた。
 この数年に同年代の親戚の男が二組、熟年離婚をして旅先に家庭を置いて実家に帰ってきた。  
 知人に倒産・浮気等で夫婦関係が破壊して、それでも同居している男が何人かいる。 相手が気の毒だが、他人の家庭のこと。 
 地獄は、末期の夫婦の不仲にあるようだ? ・・貴方の家庭のことではありません?! 念のため。そして私の家庭のことでも
 ありません。 過半数が、家庭内離婚というから、熟年離婚を書くのは拙いか?  
 私のように、浅くて長い河があるのは、如何か? まだ歩いてわたれるから、まあいいか?
・・・・・・・・・
2008年01月05日(土)
 2467, 歌は世相につれ      ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
20年ほど前に経済評論家が「ナンバーワン戦略では、直ぐに二番手に狙いうちにあう。
ナンバーワンを深化してナンバーツーが辿りつけないまで磨き上げてオンリーワンになることこそ生き残りの戦略である」と論じていた。 
このオンリーワンの言葉をパクッタのだろうか、スマップの「世界に一つだけの歌」に、このオンリーワンという言葉がある。
オンリーワンの意味をしらない作詞家が「ゆとり教育」で育った若者に向た媚びた歌詞を作り上げたという見方ができる。
彼らも普通の人なのだから、そういう歌詩を批判する方が野暮といえば野暮だが。オンリーワンの本来の意味が個性ということだから、
その間違いを書いている。これだけ流行するのは、時代の現状を現している。ゆとり教育肯定派は
・一部勝ち組が賞賛される時代、それ以外でも精一杯生きる何処が悪いのか?
・オンリーワンと勝手に思い込む何処が悪いのか?
・生きているだけで全てではないか、それを気づかしてくれる歌詞の何処が悪いのか? それはそれでよい。
 しかし、それだけでは人生ではない!人生は世界に一つだけの花ではない、人間は。傷つき、汚れ、ボロボロになるのが人生。 
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
・・・・・
2007年01月05日(金)
2103, ウェブ人間論             (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
 このHPを開設して、あと4ヶ月で六年になる。開設した日の前と後というほど、大きなインパクトを持つことになった。
「誰かに見られている」という意識が文章の手抜きを最小にしてくれる。「手抜きができない」が一番の自己コントロールになっている。 
 平均2時間の準備と、寝る前に30分、 起きて30〜45分の添削をしている。それでも会社にいって読み返すと誤字や筋が通って
ないことが多い。誰に頼まれたわけでもないのに、毎日書き続けて2100項目になったが、確かにこの六年近く書き続けたことで、
何かが変わった。文章化の能力と、その蓄積と分類、そしてそのオープンソース化は、
人間の脳を根こそぎ変えてしまう不思議な何かがある。
  ー 第一章 ウェブ世界で生きる  −?
 *ブログで人は成長できる*
平野:梅田さんは新書や文庫という旧来型の紙という媒体で本を出される一方で、
  ウェブ上ではブログを書かれていますが、両方を経験して、どういう印象ですか。
梅田:まずブログというのは、まとまったものを読むのには不向きです。
  書くほうも読むほうも、一日でせいぜい原稿用紙で5〜10枚ですから。だから読むほうも、ジックリ読むのではなく、
  情報をパッパと見て、リング先に飛んで戻ってという情報ハンティングですよね。断片を消費するに近い。
平野:朝、新聞をざっと読むような感じで、ということですか。
梅田:ブログは文章の推敲が足りなくても、少々誤字があっても、リアルタイムが必要だということです。それに対し、本にしたのは、
  思考を構造化したかったということです。  考えをひとつの構造にまとめるのに適したメディアはやはり本しかない。
梅田:むしろブログの本当の意味は、何を語る、何かを伝える、ということ以上に、もう一つあるのではないか。
  ブログを書くことで、知の創出がなされて以上に、自分が人間として成長できたという実感があるのです。
  (以下、中間略ー字数制限の関係で2,010年1月5日)                           
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2006年01月06日(金)
  1739, 人生の自己採点   ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ   オットッ! 且_(゚◇゚;)ノ゙ アチッ!      
 私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。その中でも特に顔色を変える質問がある
「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。 
 おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。 それも次の言葉を加えるから厳しい。
「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから感覚的な数字をあげてみて」と、一瞬の間を置く。
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
 ・・・・・・・・
2005年01月05日(水)
1373, キュープラー・ロス
 去年の8月24日に『死ぬ瞬間』などの著者キュープラー・ロスがなくなった。その彼女の最期をリアルに映し出した
 ドキュメントを年末の教育TVで放送をしていた。その録画を一昨日じっくり見た。
 彼女の最後の日々のインタビューを見ながら柳田邦夫と山崎章郎とNHKの女性アナの対談形式で進められていた。
 彼女の本を数冊読んで何度か息を呑んだ経験を持っていた。そのためか、彼女の一言一言が心につき刺さってきた。
「私は聖女ではありません!ふつうの人間です。聖女など大嫌いです。そんな言われ方などとんでもありません」
 自分が死を迎えるに当たって、一番大事なことに気がついたといえば、愛を与えることと、愛を受け取ることです」
「来世が死ぬ人にとってのニーズなら、それを認め与えてやらなくは」(*´-ω-`)(*´・ω・`)(*´-ω-`)ウンウン♪
「死を覚悟して、自分がとるべき態度は悟り済ました姿ではない。死を看取ってきた患者の気持ちになって、恐れ慄く姿こそ
 私のとるべき態度です。その彼等の立場に自分がなって、その経験をすることこそ残された最期のレッスンです。」等々、
 言っている内容が深い。医者や看護婦や医学生を集めて、死にいく人とのインタビューの録画があった。
 もう数十年前の白黒画像で、末期肺がんの老人であった。死に直面した老人の心奥の恐れや悩みを引き出していた。
 また白血病の10歳位の子供のインタビューもあった。その子供の内面を、ロスが引き出していく様子が涙を誘う。
「死ぬことは違う世界に移り変わるだけ、そこには多くの人が僕を待っていてくれる」
「この病気になって気がついたことは、生きるということは辛いことだ。」 私がロスの著書で一番好きなくだりがある。
 ロスの最高の師が「黒人清掃作業員」だったということだ。ー重体の患者を元気づける不思議な能力のある黒人作業員の
 秘密が知りたくて、博士は彼女をスパイのように追いかけ回す。彼女に接した患者が誰もが癒される。
 作業員は博士に、彼女は息子を肺炎で亡くした経験から死を怖れず、「心配しないで。死は怖いものではない」と
 死に行く患者に語っていただけと言う。博士は清掃員を「人生の師」と呼び、自分の第一助手として採用する。
 ーこれが彼女のあらゆる本の中で一番彼女をそのまま表しているところだ。
・・・・・・
2004年01月05日(月)
 1006, 「この俗物が!」−2
一回で終わるつもりであった、あまりにも内容が面白いので続編を書くことにした。
 (字数の関係でカットー2008年0105)
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2003年01月05日(日)
 632, 自由化\(~o~)/
日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。 特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、金融ー銀行・保険、農家など殆ど全てといってよい。
自民党と結託した利権団体を隠れ蓑にした社会主義の共産党員社会である。その意味で今のこの混乱はソビエトが崩壊した
十数年前のロシア共産社会の混乱に酷似をしている。今の自民党はロシアの共産党以下のレベルを演じている。
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,012年1月5日)
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2002年01月05日(土)
291、一人遊び
 孤独に強い人は、これができるかどうかである。一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、それって
「お宅」でないか。似ているがやはり違う。 それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
 結局中途半端のそれをいうのではないか?字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
 山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。別にそれをお宅といわない。 
 読書好きの人もお宅といわない。自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、
 求めてもそこに何もないことを、経験上知っているためだ。結局人間最後は一人だ。
 そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。
 これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくてはならない。
 その積み重ねが個性を作る。ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
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1月5日  1969年
 8時半に起床。 店に11時前にいく。長岡の街には人があまり出ていない。14時に兄三郎さんの婚約者の「木村恵美子」さんと
初対面。可愛い人というのが感想だ。17時に店を手伝い、家に帰る。正子さんに頼まれたものを間違えてしまった。
いい加減な自分に嫌になる。 ー今日の本にダイエーの中内功の言葉が印象に残った。
「われ進むところ常に道なし,荒野の中独り道をつくる」


3936, 新年にあたり ー3

2012年01月04日(水)

   * 御先祖・四四太郎様の警告
 最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。
御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。
それを分かっていたと思っていたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと決めたとき、何を思った?
事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、自分の世界を
大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も
微温湯に浸かっていた当然の報いじゃ。 とはいえ、これも事業人生の一場面。 調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・・
 ワシも御前によって、400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きているのを知り吃驚じゃ。
それにしても、面白い時代じゃないか。現時点をみると、ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。
戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。
現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。
その中にあって日本は刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘いことを忠告する。地勢的にみて、
そのメリットを受けたのが戦後の経済成長であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し現在に至っている。
そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全てアメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を
とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。 それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。
いいか、お主自身、現状に危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。 ならどうするかを、
ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。 大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。
そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、
ワシの今の言葉が身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。どう身を処するか、より考えろ!
お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。悲観とか楽観とかいう
問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。
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3571, ダイヤモンドは 何故美しい?
2011年01月04日(火)
   ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の超新星爆発で出来たものとされている。
 この太陽系は、宇宙がビッグバンで出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、
 ダイヤモンドができるという。 だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
 《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近知り、世界観が少し変わるほど驚いた。
 テッキリ地球上の物質は地球上で出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた物質が
 衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、当時の物質が地球上にあって不思議ではない。
 超新星爆発という「恒星の死」の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質がダイヤモンド、
 といえば見方も変わってくる。 地球生成以前から、ダイヤモンドは宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、
 他の物質を加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、物質に対する見方も変えなくては。
  この歳になって、本当に知らないことだらけ。いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。
 人間が持つ、それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年でしかない。 それに対し、ダイヤモンドは50億以上の宇宙の旅をしてきた。
 その「私」など、それに比べると宇宙のチリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を知ることである。
 人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。  
   石か〜  森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、これが人間の理想的な生活というが・・・。
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3196, 一〇〇年前の世界一周
2010年01月04日(月)
  「一〇〇年前の世界一周  ある青年の撮った日本と世界」     アベグ,ワルデマール著
   =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、
  中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
  とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。
  まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 
   *ベグ,ワルデマール= 【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。大学で法律を学び、卒業後公務員となる。
                ナチズムに反感を抱いており、第二次世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。 1961年没】。
〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。
2009年11月30日発刊とあるから、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。 
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。写真も、その記録も本書で初めて出版になった本という。
アベクの趣味が写真撮影のためかシャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山などを撮っている。
 公務員として33歳になった時に、研修旅行の名目で休暇を取る。 17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから
流行した青春の締めくくりの旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。
 1905年4月、青春時代から親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちとともに大西洋を渡り、
ニューヨークに上陸。 当時の米国は経済・産業が発展を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、
地下鉄の高架路線が走る。 半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから、日本に到着。 ニューヨークで知り合った
ガイドのナカノの案内で旅を始めた。  撮影した銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮からインド、エジプトを経て故郷に帰った。 
カラー写真が半分を占め、当時の写真としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 
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2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
  一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。
 ーまずはHPの番組説明からー
◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、女性たちの結婚観を探る。
 自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法などライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、
 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、
 結婚相談所主催の見合いパーティー、20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。
 さらに20代女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかにして形成されてきたかを
 解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
  *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K)高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
   (字数制限のためカット 11年1月4日)
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2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
   「今日を楽しむための100の言葉2」+「−−100の言葉3」伊藤守著 ディスカバー21   オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために捨てる時期も必要である。
 その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。要するに人のことばかり気にしないで生きること、
 そして楽しくないことを如何に面白く転換するかである。歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えたからである。
 ということは中年以降の開き直りを言っているに過ぎないと言えば、それまでだが、しかし、それを若いうちから知っておく
 必要もあるのか? 世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割である。だから敢えてこういう本が
 ニーズになるのである。『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、味方をつくることから遠ざかっている。』
『自分を愛することと他人を愛することが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなんてあるわけない。
 ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』『人が何を思ったっていい。
 自由に思わせればいい。介入する必要はない。思っていることは思っていることでしかないんだから。』
『喜ぶには、理由が必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
 (字数制限のためカット 11年1月4日)
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2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ −2
   ohayou_〆(∀`●)
(以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、以前の文章と比べてみるのも面白いだろう)
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、
カメラをつけたカメラマンがバンジージャンプをする場面があった。ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている
100Mの鉄橋の上から、飛び降りるのだ。世界で一番高いジャンプ台である。私も11年前に飛び降りたことがあるが、
今はもう無理だろう。「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。その数年前に、
ニュージーランドで43?の橋の上から飛び降りた時の恐怖心が、その時に立ち上がったからだ。そうなったら身体全体を
フイゴのように呼吸するしかない。そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、
あんな感じなのだろう。飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。躊躇したら恐怖心が数倍になるのを
知っている。身体を前に向かって投げ出すしかないのである。そして投身! その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」
という声が聞こえてきた。そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げたのである。
引き上げられる時に更なる恐怖心が襲ってきた。自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、紐のついた鉤をかけて引き上げ始めた。
もうできないが、何ごとも経験である。南アフリカ旅行といえば、これが強烈過ぎて他が霞んでしまった。
   (以下字数の関係でカット2009年1月04日)
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2006年01月04日(水)
1737, 日本一短い「母」への手紙   ー 読書日記
   (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
人は誰もマザコンである。だから、嫁姑の問題は深くなる。 母親の子供に対する愛ほど深いものはない。
その愛の深さは人間の心の奥深く沈殿して一生の温もりになる。その温もりが人間形成の基礎構造になる。
両親の温かさが感じ取れない人は信用しない方がよい! 温みのない人は、その温みを他人にもとめる。
しかし、他人との間の温みは独りになるとスグさめる。母親の温みは、そのまま直に子供に与えることができる。 
良い母親に当たるかどうかは神の判断の領域である。 良い母親になるには、良い伴侶が必要だ。
それも、母親の責任になる! 両親への感謝が、その人間の温みの原点である。     ♪♪アリd(*´□`*)bガトー♪♪    
 ・・一筆啓上賞・・
お母さん
  雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。  もうすぐ雪ですね。       天根利徳(大阪府51歳)
後10分で着きます。 手紙よりさきに着くと思います。 後で読んで笑ってください。 瀬谷英佑(愛知県16歳)
「私、母親似でブス。」娘が笑って言うの。 私、同じ事泣いて言ったのに。ごめんねお母さん。田口信子(群馬県38歳)
桔梗が、ポンとおとをたてて咲きました。 日傘をさした母さんを、思い出しました。   谷本栄治(京都府65歳)
 (字数制限のためカット 10年1月4日)
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2005年01月04日(火)
1372, 日本人と笑い   あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪  ┌(。Д。)┐ あはは♪ (o_ _)ノ彡☆ばんばん
  昨日の朝日新聞に、「日本人と笑い」をテーマにした全国世論調査の結果が出ていた。
    その中で、印象の強い順に抜粋してみる。
   ・最近よく笑うー62%
   ・人を笑わすことが好きー61%
   ・若い人ほど良く笑い、歳を重ねるほど笑いが少なくなる。女性の方が、男性より笑いが多い。
   ・どういう状況で笑うことが多いか?に対する答えとしては20代では9割が「人と話している時」であり、
    高齢者ほど、「TVや漫画を見ているとき」が増えていき孤独な笑いがふえる
   ・ユーモアのセンスは、「かなりある」「すこしある」を合わせて、全体の6割。
   ・親父ギャグに代表される「親父ギャグ」については、76%が別にかまわないと肯定的であった。ワーイ♪\(^ω^\)
  (字数制限のためカット 10年1月4日)
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2003年01月04日(土)
 631, 文化と文明
文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと
2、人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、みずからも自然状態から脱して作り出してきた
 物質的・精神的ないっさいの成果。フンボルト以来物質的文化を文明、精神的文化を文化と呼び分けることが多い。
これまでは 文化の積み重なりとしての遺産を文明。その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。 ロングスパンのものを文明として捉えていた。
しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
 ー 各ホームページから抜粋したものを纏めたものである ー
・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。
ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して向けられる言葉であるが、
ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに対して向けられる言葉である。
 最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる
「文化」と「文明」という言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。
・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」などのように、特定の時代の、
 しかも特定の人々の社会もしくは経済的所産を指しており、その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものとなっている。
・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか「仏教文化」というように、
 たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、その時代や地域に制約されることなく、
 その多くは今日まで何らかの形で生きている。確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、
 文明なしの文化、文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。
 高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
  ――例えば古代インド人―― 一方、大いなる文明を持ってきたが、
 比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、そして現代ではアメリカ人―がいるのである。
 歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、文化と文明との闘争であるとさえ
 言いうるであろう。アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、文化と文化の争いでしかない?
 ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
 幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした学者並みの小論文が出来上がる。
・・・・・・・ 
2002年01月04日(金)
290、歓喜ー2
TVであるが、元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートがよかった。 
あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」やワルツ「美しく青きドナウ」などであった。それに合わせ他の?お城でダンスを
踊っているのが夢のような世界である。指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる歓喜の世界であった。
当然最後はアンコールの拍手の渦であった。 この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが
芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。 歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に
与えるものである。音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、作品に仕上げたものであろう。
それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。 歓喜は当然のことだ。
・・・・・・・・・
1月4日 1969年
 10時に起床。
食事をして、顔を洗い、新聞を読んだりして時間を過ごす。 午後は裏に住む姉の正子さん宅の屋根の雪下ろしだ。
2時間した後に、従妹の旦那の関口さんが来る。 高専の先生をしている。彼と学生運動から教育論について話す。
気がついたら3時間も経っていた。気持が若く開放的だ。 先生とはこういうものかと思った。
20時からジャスコオカダヤの論文の構成を考えるが、上手くまとまらない。
この程度の問題がナカナカ上手くいかない。 如何したのだろう。


3935, 驚きの脳力に呆然

2012年01月03日(火)

   * 天才学生、二人の対決
 年末に見た「日本鷂1の頭脳王!大決定戦!」日本一の頭脳は誰だ? にショックを受けた。 東大医学部の天才、京大医学部の神童、
高校生クイズ最強王、8ヶ国語の達人、数学五輪金メダル、東大法学部トップ弁護士、全国模試1位、などが参戦して超難問に挑戦!
最後は東大医学部の天才と、京大医学部の神童の対決となり、最後の一問で東大医学部の亀谷航平が勝利を収めた。
亀谷は、一度見たイメージは、そのまま脳にコピーされるとか。 やはり天性というのがあるようだ。 私のような凡人が見ていて、
彼らの脳力は想像を絶する。と同時に、凡人にiPadを自由自在に使えるようにして対抗させたら、ある程度までは対抗出来るのでは?
と思いながら見ていた。それから考えるとパソコンとネットを自在に使えるか、否かでは雲泥の差が生じるということ。
    ーネット上にあった問題を幾つかコピーしてみるー
 ◎ 共和党出身の歴代アメリカ大統領を5人書く 
 ◎ 1822年9月7日に当時、ポルトガル皇太子であったその他一般人が「独立か、死か」と叫び、ブラジルの独立を宣言した事を
   起こった地名から「何の叫び」という?というクイズが出題。 正解は「イピランガの叫び」。 
 ◎ 穴の直径は通る砂の6倍以上ある砂時計の中央にあるくびれた部分を何という   正解は「オリフィス」。
 ◎ イギリスの植民地戦争やその他を批判した為、1号で発禁処分となったその他一般人が発行したアメリカ最古の新聞は?
                                         正解「パブリック・オカレンセズ」。 
 ◎ 枕草子に出てくる「はづかしき人」を現代語に訳するクイズが出題。 正解は「立派な人」。
 ◎ 複利で金利2%の銀行預金に100万円を預けて200万円以上になって帰ってくるに最低何年かかる。正解は「36年」
 ◎ 逆立ちすると1.5倍に増える物は何でしょう? 正解 6
 ◎ 東京ドームと同じ大きさのダイヤモンドは何円の価値でしょう?
   ●条件 ・東京ドームの体積=124万㎥ ・1カラットのダイヤモンドの値段=50万円 ・ダイヤモンドの密度=3.5g/㎤
     ※値段は重さに比例するものと仮定 ※答えは 有効数字4桁   正解 1.085×10の19乗円(1085京円)
 ◎ 次の漢字の読みを答えなさい 「萵苣」  正解 ちしゃ  亀谷○ ※廣海は「らっきょう」と誤答
  ーネットで二人の概略を調べてみた。
 ▼ 東大医学部・亀谷航平 = 子供の頃から、教師もあきれる程の天才ぶりを発揮。学力のみならず、その知識量はスポーツから
  漢字まで、まさに桁外れ。日本最高偏差値を誇る、東大医学部の中でも群を抜く!ドクターブレイン亀谷が初代頭脳王の座を狙う!
 ▼「京大医学部・廣海渉」= 幼い頃から神童と呼ばれ、余裕で京大医学部に合格した異色の天才。その知識量は文学から歴史まで、
  まさに無限大。 全知全能の考察力は、他の追随を許さない。奇跡のIQ戦士、廣海が強豪たちを驚異の頭脳でねじ伏せる!
 ー この問題をスタジオのTVカメラの前で、一瞬で答えるのだから驚き。私たちの知らない世界があるのだろう。
・・・・・・・
3570, チョットした小話 ー2
2011年01月03日(月)
    ー 初笑いー
 * 臨月に入った、ある奥さんが電車に乗った時の出来事。上品な紳士に席を譲られ、お礼を言って座りました。
   その紳士が下車する一瞬、紳士の着るスーツの襟に付いた、見覚えのある社章に気付きました。「主人と同じ会社だ」。
   帰宅したご主人に事の顛末を話しました。奥さんから聞いた背格好から推定し調べた結果、顔見知りの、
   別の課の課長さんである事が判りました。課長さんは「ああ、君の奥さんだったのか。こんな事もあるんだねぇ」と言い、
   この偶然について驚いていたそうです。3ヶ月後。課長さんの自宅に、奥さんの名前で一通のハガキが届きました。
   赤ちゃんの写真が印刷され、その横にはこう書き添えられていました。「その節は、ありがとうございました。
   この子は、あの時の子供です」 その日、課長さんの家は、大変な修羅場と化した。
 * 小さな島国の小さな人間がだ。 10年で国を根こそぎひっくり返し、20年で中国と戦争し、40年でロシアと戦争し、
   80年で太平洋全域で戦争し、コテンパンにのされたのに世界二位の経済国になり、アメリカの横面を札束で
   ひっぱたきそうになった。 そんな国が平和を唱えたとして、信じるバカがどこにいる。 
 * るるちゃんはいつも、ママとおふろに入っています。
   ある日の夜、るるちゃんがテレビを見ていると、おふろあがりのパパが素っ裸で出てきました。
   全裸のパパを真正面から見たるるちゃんは、驚いて声をあげました。
  「ねえママ!!パパのあれ、なあに?まんなかについてる、ほら、あれ!」「るるちゃんたら。指差したりしないの。
   あれは大事なものなのよ。もしあれがなかったら、るるちゃんは今、ここにいないのよ」 「へえ。そうなんだぁ」  
  「・・・まあその前に、ママもここにはいないでしょうけどね」    
 ・・・・・・・・
3195, 三が日、つれづれに
2010年01月03日(日)
 今年も明けた。久々に雪は積もり、風が吹き荒れる冬らしい正月である。腰痛も今のところ治まっているし、
少し鼻風邪気味以外は体調は良い。そろそろTVや新聞で、今年の予測が始るが、金融恐慌からくる世界不況は
収まる気配はない。恐慌とはいえ、戦後からの60余年のインフラ整備があるので、一見穏やかに見えるが、
普段の生活に不況感と、周辺環境から聞こえてくる話しは厳しいものが多い。
これまでは、2対6対2の割で、裕福、普通、余裕なし層というイメージが、1対4対5の割りになってきた。
更にいうと平均年収の半分以下(日本では200万円以下)の層が6人に1人の割りであり、母子家庭の過半数が、
その層になっている。 最近の貧しさの背景は、グローバル化と、情報化、ハイテク化がある。
経験でしか得られなかった個々人の能力の大部分が、ハイテク器械とか、システム化で単純労働に置き換えられた。
更に海外から安いものや人が入ってきており、グローバル化による労働賃金や物価の平準化は抑えようもない。
問題の先送りも、いつか数倍になって返ってくる。21世紀は決してばら色ではない。しかし、情報は誰にでも劇的に安く
手に入る時代でもあり、チャンスも無限に広がる。 我われは、生涯を全うするために生きる。その大きな位置を占めるのが
「知ること」である。その意味で、人類にとって非常に良いインフラが劇的に整備される時代である。携帯でミニブログ「ツイッター」
を瞬時書き込み、その場で発信できるようになってきた。先日、地震があった時に、ツイッターに「地震」と入れたら、
「今、地震の揺れで目がサメタ。まだゆれている」という生々しい書き込みが、次から次へと出ていた。 
ツイッターにビデオを貼り付けるソフトもあるから、キーワードを入れると、いつでも現場の臨場感のある情報が行きかうことになる。 
鳩山首相も、今年からツイッターを公開するとか。 去年のオバマも選挙でツイッターを、最大限使って勝利した。
 時代は厳しさを増しているが、無制限に近い状態で情報が入手可能である。 想像を遥かに超えた時代を、
我われは経験を始めた。 誰も、数年先のことは想像すらつかない。 
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2830, 新年に、つれづれなるまま! −2
 2009年01月03日(土)
  * 自らの文化を大切し、誇りを持て!
 年末30日の産経新聞の一面の岡本行夫の「人界観望楼」の中の一文である。 
  そのテーマは ー歴史は「現在進行形」ー
《 今年の初め、私はある中学校を訪問して、二年生のクラスで質問をした。「君達、松尾芭蕉のことを知っていますか?」
 生徒達は当たり前だという顔で答えた。 「小学校で習ったから、みんな知っている」「えっ、みんな?」
 クラス全員の手が挙がった。「知ってます」に驚いた。これはウクライナの首都キエフの中学校のことだ。
 日本の中学校で同じ質問をしたら如何だろう興味があることだ。 ウクライナの学習指導要領には
「自然を描写して気持ちを表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ日本と
 日本人に対する尊敬の念を養う」とあると、前駐ウクライナ大使の馬淵睦夫氏から聞いた。
 ・・・馬淵氏は「ウクライナは自らの文化を大切し、誇りを持っているからこそ、他国の文化に対して関心を持ち、
 尊敬の念を持つことが出来るのである」と書いている。日本人が胸を張って世界に輸出できるのは、「日本人」である。
 これほど善意で真面目で勤勉な国民はいない。例えば途上国での援助活動において日本人ほど愛情をもち、かつ大きな
 成果をあげている人はいない・・・・ 》 
  以上だが、成るほど、今どきウクライナみたいな国もある。「日本人の特質こそ誇るべき」である。誇るべきことがなければ、
 他者のそれも理解できない。私の通勤途中で、ゴミが落ちているのを見ることは殆ど無い。誰も捨てないし、あっても住民が
 掃除をしている。当たり前の普段の現象が外国に行くと、そうでないのが理解できる。 欧米文化に追いつけ、追い越せが
 果たして進歩なのだろうか。 哲学の世界では、欧米文化主導の価値観に疑問を呈している。
  外を見る目で内を見つめないと! 個人として、企業として、国家として。 
  * 今年になってしまったが・・・
 今年になってしまった。目先はオバマ次期大統領の言動に注目が行くだろう。 問題は、その熱が冷めた後である。
昨年の10月の最初の二週間で、アメリカの銀行は毎日4300億?以上をFRBから借りている。
総額は二週間で5兆ドル以上。それだけお金をつぎ込んでも問題が解決されていない。
ビッグスリーだけを見ても、今後も膨大な損失が予測される。恐らく、ブッシュ政権が隠していた実態がオバマ政権に
移転したと同時に次々に公表されるだろう。その時に世界は真実を知ることになる。 いや、知らしめないか??
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2008年01月03日(木)
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる −2    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。もし、そのアイディンティーが、寄る当ての無いものなら、
寄る当てのあるように変えていかなくてはならない。まずはボタンのかけ違いを一番初めから、かけ直さなくては。
居場所こそ、人間が持っていなくてはならない場所である。私の場合は、机と本棚である。
そこに好きな愛読書とコーヒーカップが有ればよい。 そしてステレオかラジオかTVを置く。 
誰でもが、まず始めることだが!現在なら自分のパソコンと、その中のブログと携帯電話になる。
ブログは、そういう意味で居場所の概念を変えてしまった。携帯かパソコンが身近にあれば、それが自分の居場所になる。
それもあるが、前回にも書いたが、やはり暖かい家庭こそベースになる。
*前回の続きです*
ー 芹沢
この話が告げているのは、悪いことをやる奴には「悪いことは悪い」ときっちりと教えなくてはいけない、
それを強い規律と指導と訓練で教え込もうというような方策が、実は失敗への道でしかないということです。
いまアメリカがイラクに対してやろうとしていることは、それに近いですね。でも、その女性がやったことはそうではない。
盗みでもしなければやっていられないような彼自身の、安心も安全も安定もないようなこれまでの人生を、
ーそれは過去からの歴史が作っているわけですけれども、しっかり受け止めたのです。受け止められた中で、彼が変わっていくのです。
例えば、青年はものすごくケチで、自分のことにはお金を使うけれども、人にプレゼントなんて一切しない人だった。
そんな彼が、彼女にプレゼントを初めてしたというのです。そんなふうに初めて安心、安全、安定できる場所ができ、
ここが自分の居場所なのだと初めて感じたとき、その居場所を作る支えになった人が大切な存在として見えてくるということが
起きているのです。 すごいな、と思います。彼女は母の役割をしたのです。 
母というのは「存在の大地」につながるのだ、とそのケース・カンファレンスを聞きながら実感しました。
(字数制限のためカット2012年1月3日)
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2007年01月03日(水)
2101, ウェブ人間論 −2
  b(^o^)dおっW(^O^)Wはようー♪  
この1〜2年でネットによって社会が劇的に変わりつつある。光ファイバが各家庭へ劇的に普及したことと、
ブログと、携帯電話の進化のためで、この激変はとどまることはない。私の今年のテーマは現在のHPから
「ブログ」への転進である。第一章から内容は深く核心をついた内容になっている。梅田のネット世界が窺い知れて面白い。
 第一章 ウェブ世界で生きる  −? 
  *ネットの世界に住んでいる*
梅田:今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8~10時間位ネットにつながっていて、「ネットの世界に住んでいる」
   という感覚である。僕の仕事は、アメリカで考え事をして、ニケ月に一度日本に戻り日本企業の顧客と議論するという
   スタイルなので、東京にいる間は、打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットにすめない。
   だから僕は「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、ネットの世界が僕にとって「リアル」なのです。
梅田:ネット上の僕の分身が僕のブログだから、まずそこに行きます。 家族が元気かどうか、
   家は家事になってないか心配する感覚で、分身が異変を起こしていないかを、確かめに行きたいんですよね。
               (以下字数の関係でカット)−2008年01月03日  ーつづく
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2006年01月03日(火)
1736, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −2           ヽ(*´∀`*)ノ.+゚おはよ〜♪.+゚
このシリーシーズの「喜怒哀楽」は、読めば読むほど良い。心は、喜怒哀楽と感激・感動・感謝が大きな比重を占める。
日常は、それが原動力で動いているといってよい。感想文かわりに、絵文字で語ってみました。 \(@^0^@)/♪
怖いのは、怒っているのに笑っている人。  偉いのは、哀しいのに笑っている人。  阿部 智幸(山形県 43歳)
  (字数の関係上、ここでカット、あとは過去歴から! ) 
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2005年01月03日(月)
1371, 人生における成功者の定義と条件−1  −読書日記
  (字数制限のためカット2011年1月3日)
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2004年01月03日(土)
1004, 正月の過ごし方
  基本的には寝正月だ。元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる兄一家と酒を飲む。
  2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが習慣になっている。近くの料理屋のものだが、絶品である。
  ?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
  内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。 魚屋と料理屋の差は歴然としている、仕方がないが。2日は家内が子供と
  実家に泊まる為、一人で帰ってきて何処かのスナックで酒を飲む。今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしくしていた。
  年末年始の挨拶は一切なし。図書館で読んだ月刊誌の中で、正月に対して今の若い人は以前ほどの思いいれはないという。
  むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。 正月に対する若者の意識の変化は家庭崩壊の一つの現象と、筆者が分析を
していたが、少しオーバーに思えた。日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があったのも年越しの思い入れにあったのだろう。 
  田舎や実家に年二回帰る習慣はやはり根強い。これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の少ないのに気が付いた。 
初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、7〜8年前にタンザニアの年越し位である。あとは全て両親か母親と供にいた。
実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は
強烈な思い出がある。   ー 以下をコピーしておきます。  
 -  H10・01  タンザニア・サファリ -
                    (字数の関係でカット09年1月03日)
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2003年01月03日(金)
630, クロスエンカウンター
仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ー の英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との出会いを兼ねてクロスエンカウンターと訳した」
 という言葉が印象的であった。先日読んだ野口悠起雄の本に大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの
 緊急の話題をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸のキーワードを探して話をまとめるとよい」という内容があった。
 一つの例として学校でのケースで考えてみると先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。 即興で作ってみると
「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場が明確になる。 生徒の一生を縦軸とすると、
 先生やクラスは大きいメルクマールであり、知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。逆に先生の立場を縦軸とすると、
 教師生活での担任は先生にとってもメルクマールになる。その時々のクロスこそ教師にとっても生徒にとっても
 真剣勝負でなくてはならない・・・」このことは時間が縦軸、空間が横軸といえる。
  商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横にして話の構成をすればよい。取引先と店も縦横にできる。
 これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。対象を縦か横にすえて自分との対比とか、対立する対象を縦横にして
 考える軸にすればよい。 一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。そしてその中心は自分だったり神様だったりする。
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2002年01月03日(木) 289,歓喜
「歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」
 私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の一文である。「生きてきて人生これだと思う」
 という内容だった。その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。 実を言うと私は「たとえ話」を
 自分の思考法に昔から使っている。喩えの名人になってしまった?いや迷人か。この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。
 彼らの多くが監督、コーチになっている。もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み重ねの中で、
 上記の内容を全身全霊に体験したからである。勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。
 どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験にかなわないのは、それは理智に留まっているからである。
 秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。
 薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然のカタチになってしまうからだ。
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ある時間の断片
1月3日  1969年
 10時に実家の店に手伝いに行く。17時まで働く。あまり街には人出はない。家に帰って食事をする。
 22時から本を読む。そういえば店にいたら中学校の同級生の山本に会う。
 中学校以来だが、殆ど変わっていない。実直な大人しい男だ。長崎屋に勤めているとか。
 同級の阿部さんと遠藤が結婚したという。思いもよらない組み合わせで驚いてしまった。
  そういえば数年前に同級会の2次会で二人が中座をした事を思い出した。
 それと姉の正子さんに長靴を買ってもらう。お返しに、持ってきたカーネギーの「人を動かす」を贈る。

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