堀井On-Line



3844, 正常性バイアスと同調バイアス

2011年10月04日(火)

  この日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。
 その内容は、≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。
 ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまったケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると
【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。
 当然、日常性を保護するために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて収まるだろう」とか
「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、
 緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で
 被害が甚大化している。】とある。また同調バイアスは、【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】
▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにしている。 そこで気づいたことは、この千年に一度の
大地震と津波を察知して直ぐに逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。 この大津波から連想されるのが、リーマンショック。
これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的大津波=大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。
その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。
 日本の大多数の中小企業と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波(ハイパーインフレ)が目先の
来ているのに現実として受けとめることが出来ない。 何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。
その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動に唖然とすることしばしば。
「御前のところは低地だが、自分のところは上にある(業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 
私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった大津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」
という単純な視線が冴えてくる。 色いろなシェルターや近くに裏山があるから、大丈夫のようだが・・人は人の智慧がある? 
轟音をたてて、そこに来ている事実を、「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、動物的直感を狂わしている。
 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 株式の暴落も始まっている。
本格的が始まるのは、今月中か、遅くとも来年三月。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 この費用は増税で賄うしかない。 
その各家庭の預金は、回りまわって、アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 ギリシャ国民の、
あの鈍感さは察知しても、自国になると!  偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。
 韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、隣はカルト国家がある。
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3479, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! −2
2010年10月04日(月)
  昨日の「韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートの続きである。
 日本も「失われた20年」と言われているが、その間に韓国では「国家財政破綻」の中で 国家リストラが断行されていた。
 日本も小泉・竹中コンビが金融再編成で大鉈を振るい、また自民党を破壊。しかし政権与党の民主党には政策理念が見えてこない。
  ―まずは、昨日の続きの要点であるー
・IMFの改革を通してそれまでの古い柵が消え、経済が自由化されアメリカナイズされたことで、韓国は大きく変わった。
 それまであった終身雇用が崩壊し、年齢よりも能力が重視されるようになリ、社長でも経営がうまくいかないと株主にクビにされる。
 現在、韓国では四十五歳定年が定着しているが、これも経済破綻が起点となっている。ベンチャービジネスも盛んになり、
 三十代、四十代の社長が数多く出てきている。 国全体が破壊から再生に立ち上がろうとしている。
・国が経済破綻すると、庶民の資産はどうなるのだろうか。 破綻と同時に起きたのが、金利の急上昇。破綻前は13%だった
 住宅ローン金利が、いきなり二倍以上の27パーセントまで上がった。このため、マイホーム購入の契約が次々と破棄され、
 新築社宅の売れ行きが急激に落ち、同時に価格も下がった。すでにローンを組んでマイホームを購入していた人は、支払い額が
 急激に増えた。当時、韓国ではほとんどの人が住宅ローンを変動金利で借りていたので、金利が二倍になった途端に払えなくなり、
 延滞者も急増。この延滞利息が、なんと六〇%。とても払えず家を手放し、親元などに身を寄せる人が激増した。
・株価は四分の一。預金金利が暴騰し31パーセントになった。ちなみに物価は経済破綻をしても、それほど上がらなかった。
▼ 以上だが、日本の失われた20年も異常だったが、国家破綻の韓国の惨状には驚きである。現在はアメリカナイズされた国に
 変身しているが、その間、日本は長期不況でただ、立ちすくんでいるだけ。 今後10年、韓国に近い惨状は覚悟すべきである。
 日本の地方は既に恐慌の様相を示している。残る関東と東海地区も、リーマンショックで、それぞれ原爆が落とされた状態。
 今のところエコ・ポイント制度などのカンフル剤で持たせているが、これも今年の暮あたりで終了。既に暗雲が漂い始めてきた。
 金利が暴騰したら日本経済は即死になる。とはいえ、ハイパーインフレとは、そういうものである。
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3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3
2009年10月04日(日)
 昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。
亀井節で、この評論家を根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。
都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、あまりに酷い。亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、
されて当然。 何を言っても議論にならないレベル。最後は、「この程度のしかコメンテーターはいないのか、この局は」と
適切な御言葉で切り捨てていた。まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 生の現実に接してないからである。
参考のために、そのコメンテーターは、岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター)
高橋進(日本総合研究所 副理事長) 森本敏(拓殖大学 海外事情研究所所長)である。
 (字数制限のためカット10年10月4日)
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2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか?
2008年10月04日(土)
「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1     竹森 俊平 (著)
この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って読んだが、成るほど面白い!
世界恐慌の様相を示してきている米国発の金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 
そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。
  ーまずは、その部分からー
なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。
その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、経済システムの「自動制御装置」が
働いた結果であった。高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や政府が、さまざまな手段を動員して
高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。あまりにも単純なルールに従って動く「自動制御装置」
は、システムの安定をもたらさないこともある。特定の要因だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、
かえってシステムの安定が乱される可能性があるからだ。今回のサブプライム危機も、「自動制御装置」が「高い経済成長率」という
一つの要因にあまりに重点を置いてきた結果といえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、今後は「自動制御装置」も
根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。
その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが結論。
 −−−−
解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。
 (字数制限のためカット09年10月4日)
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2007年10月04日(木)
2375, コシヒカリが売れない!
             (* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]
先日のニュースで{最近になって「コシヒカリ」が売れない}と、ミニ特集をしていた。
去年だけでも、県内で3万トンの余剰米が出たという。事態はかなり深刻のようである。
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2006年10月04日(水)
2010, 「私」のための現代思想 −7
     おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ・・さむ
ここのー「私」とは何かーという文は非常に難解であるが、一番の触りでもある。
「独我論」-唯我独尊の独りよがりの論法ーで生きている人は何処の世界にもいる。
究極的には全ての人にいえるだろうが(<特に私は強い!>・・と、思ったほうがよい)
しかし、それ(独我論)では、長い時間の中で自然と淘汰されていく。
言葉は「言語という制度」に従わなければならないが、その「言語という制度」に従って使用することが思考である。 
そして思考する主体が「私」である。 言葉の意味とは、その使用であり、「言語制度に従って言葉を使用すること」が
「言葉に命を与えている原因」であるならば、思考の「主体」は「言語制度」ということになる。
つまり私たちは「自我」「私個人」で思考しているのではなく、言語制度に従って言葉を使用している状態を「私の思考」
と呼んでいるだけ、ということになってしまいます。 しかし、それだけでないと誰でも考えます。 
それでは・・・それが以下に述べられている。 話すにしても、文章を書くにしても、まず「私」がある。
その私とは何かが明確になっていない。ここで、その私の正体が解剖されている。
随想日記を2,000書いてきたが、それは独我論の「私」に気づくプロセスだった。
《私》という「私」の芯は、歪んだ過去の残物でしかなかったということ??・・
 過去の感動・感激・感謝の倉庫? 夢で溢れた夢倉庫? その総体ということ??
−−−−−
第三章 「私」とは何か −?
 ーウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」−
私たちの脳裏に発生している思考は、言語によって表現されます。言語以外の方法で表現された自分の思考を、
認識することはできません。原稿を書いている私は、キーボードの打ちすぎで右手が少ししびれてきたが、
それもしびれてきた」と言葉にしてみるまでは気づかなかったことです。
「眠いかも知れない」と感じたことも、言葉にするまで気づかなかったことです。
脳裏で言葉になった瞬間に「感じた」であり、それまでは「思っても見なかった」ことだと言えます。
そういう私は、本当に主体者なのだろうか?「私」の営みは、純粋な意味で全て「私」に帰属しているといえるだろうか。
(字数の関係でカット2008年10月04日)           \(^▽^*)バイ!
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2005年10月04日(火)
1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4
 4、超一流の人   宗親
 どうしてもこういう商売をしているとね、人間の悪い面だけが見えてしまってね。
でもいいことも多いよ。絶対にこういう仕事でないと会えない人と直接話ができる事だね。
芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。やはり普通じゃないよ。一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。
「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。一生を一つの事にかけている奴は違うよ。
ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。教わる事は、「真剣に」ということさ。その人の周囲はピーンと
張り詰め空気が漂ってるんだよな。 あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。
自分の仕事と何も違うところはないよ。ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。人間こういう人は、
1000人に一人いるんだよ。まず50人に1人、別格のがいるんだ。その50人のなかから20分の一選ばれるんだよな〜。
そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。
50人に1人は物真似レベル。そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。
これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。
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2004年10月04日(月)
1280, 「乾杯!」を考えてみる
 乾杯といえば、忘年会などの酒席や、祝いの席には欠かせない。
家内や知人と飲む時も、グラスをぶつけあって乾杯をしている。「乾杯」は、そもそもは日本古来のものではなく、
その起源は古代ギリシャ、ローマ時代に遡る。 『世界大百科事典』(平凡社)には、「古代に神または死者のために
神酒を飲んだ宗教的儀式が起源とみられ、ギリシャ、ローマでは食事中に神酒を神にささげ、公の宴会では列席者
ならびに死者のために乾杯した。…それがいつのまにか生きた人間の健康を祝福する乾杯となった」とある。
古代ギリシャ人の間では、「酒を飲むと、一緒に魔物が入ってくる」と考えられ、飲む前にグラスをぶつけ合うことで
悪魔を払ったといわれている。 悪魔は大きな音や騒がしい音が嫌い!特にグラスの鳴る音を嫌がったらしい。  
その一方ではもう少し生々しい説もある。「紀元前6世紀、ギリシャ人の間には主人が友人の健康を祝って乾杯をする習慣があった。
当時、敵を殺害するため、ワインに毒を入れることがよくあったため、まず、主人がワインを飲み、客はそれを見て安全を
確認してから自分のグラスのワインを飲んだ」というのだ。互いにグラスを勢いよくぶつけたり(酒が混じる)、
一斉に飲みほす…… というのも、毒殺対策がいわれというわけである。飲みほすことについては、杯に底が平らでない貝殻や
獣角が使われており、飲みほさないと傾いてしまう(こぼれてしまう)ためともいわれる。記録によると、毒殺の盛んだった
中世ヨーロッパでも、グラスをぶつけ合い、互いの酒を入れ合うことで、毒が入っているかどうかを確かめていたという。
時の王様は自身の権力をライバル達に知らしめるために、大勢のお客を呼んで夜ごと、豪華な晩餐パーティを開いていたが、
しかしライバル達を暗殺する絶好の場だった。 そこで乾杯をして、毒など入っていない事を証明し合う行為だった。
乾杯は世界中、どこにでもある習慣だ。スペイン南部の結婚式で行われる風習とは、乾杯で新郎新婦が乾杯酒を飲み干し、
そのグラスを地面にたたきつけて割るというもの。「これには独身時代には色々な事があったけど、
全てきれいさっぱり捨てて、今ここから新たなるスタートとしよう!」という意味が込められている。
大学の卒業式の後、学食で学部の全員が集まり、パーテーがあった後、乾杯してグラスを割った記憶が生々しい。
これで学生時代とお別れという節目としての粋な計らいであった。
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2003年10月04日(土)
ある時間の断片ー33
11月6日 ー1968年
・10時起床。
風邪で頭が痛かったが、少し良くなってきた。12時、佐藤君のところでお茶を飲む。その後本を読む。
夕方、飯を炊き、刺身を二人前買ってきて食事をする。 風邪を回復するための滋養だ。
食べ過ぎのせいか逆に気分が悪くなる。21時にレポート用紙を買いに出ると、市川氏と高橋君に会う。
近くの行きつけの「サンキスト」へ飲みにいく。となりの30過ぎの女性と話す。一人で楽しんでいるみたい。
 (字数制限のためカット10年10月4日)
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539,至高体験−2
- 2002年10月04日(金)
「この経験をしただけでも、この世に生まれてきた価値が充分にある。
この瞬間を経験する為に生まれてきたとといって良い」という感覚である。
精神病は精神のマイナスの偏りの病だが、プラスの人(何をしてもうまくいく人)は、至高体験を異常に多く重ねているとか。
私の至高体験具体的に書いてみる(恋愛・下ネタはないのが少し残念だが?)
 ー旅行先でのそれが多い
・初めて海外旅行ーヨーロッパに行った時、生まれて初めて腹の底から笑った、何回も! 確かイギリスのパブで、
 それとオーストリアのワイン居酒屋で、それとミュンヘンのビアホールで。感動と歓喜の毎日であった。
 その旅行で私の固い頭を(固定観念を)叩き壊されたのが最大の収穫であった。
 中学高校時代は腹の底から笑う事は本当に少なかった。またそれだけ刺激の強い事は、それまで全く無った。
・あとは20数年前、実家の会社にいた時30人近くを引き連れてハワイに行った。その時も、至高といっていい位ぐらい
 ハワイの総てに感激した。 世界に名だたる観光地、ショーにしても、洗練された内容が次々出てきた。
・カナダのロッキーも感動感動の連続であった。「一回しかチャンスが無いが、何処に行ったらよいか?」といわれたら、
 カナダのロッキーだ。多くの旅行経験者はそう言う!地球でなくどこかの星に行ったような錯覚に陥る。
「ロッキーでの旅行の感激は、「自分の家を売ってでも経験する価値がある」であった。
 この日を境にして、この経験をする前と後という感じだった。
・9年前に震えながらいったケニアもそうだ。 アフリカの大地の広大のサバンナを見たときの驚きと感動!
 遙か彼方にシマウマとヌーが数十頭走っている姿を始めてみた時の 感動も強烈な思い出だ。
・事業でもそうだ。初めて千葉で千城ビルを立ち上げ仕事も軌道にのり、ふとそのビルを見上げた時の
 何ともいえない絶頂感も良かった。誰もがその瞬間を持っているはずだ。
・会社の忘年会や竣工式の後の宴会でも、それに近い気持ちになる。成功経験を重ねる人は、至高体験を重ね
 続けることの出来る人だ。 巨人の長島は至高体験を普通の人の数百倍、いや数千倍経験している。
 それがますます至高体験を呼び寄せる。自分を良くしようとしたら、至高体験を重ねる事だ。
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2001年10月04日(木)
「随想日記について」
新たに考えた事より、殆どが過去に日記帳などに書いた内容が多い。それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。
具体的文章と、抽象的文章と、その中間の文章を意識して分けて書いた。 かなり刺激的な文章もあるが、
これも迷ったが思い切って載せた。この随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。
潜在意識の顕在化のプロセスを、毎日実施していることになる。
よくテーマが出てくると感心する。一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いて、いいか解らなくなることがあるが、
しかしいつの間にかテーマが出てくる。‘しかかり文章’を先に2〜3作っておくことがポイントである。
そうしておかないと、常に不安感が付きまとう。仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。
土日曜日に、3〜4つ仕掛かりの文を書き溜めておく。 どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。


3843, 閑話小題

2011年10月03日(月)

   *  つれづれに ー老後とは
 母親が38歳、父親が42歳の時に生まれたため、子供の時から二人の壮年から老年への移行期の姿を見てきた。
家は商売をしていたので、まず生存をしていくベースを確保する必死さが幼児の頃から生で伝わっていた。
生まれた時から毎日が戦争の真っ只中のような日々。 サラリーマン家庭からみたら異状の生活環境である。
ある意味、60年たった現在、やっと緊迫した日々から開放された日々になった。 逆に生涯殆ど勤め経験がなく、
独立独歩で生きてきたため、緊迫感が少し薄れただけで、勤め人が定年後に感じる「自由の不自由さ」は全くないのも事実。
 家に一日中居ても、家内の視線以外には、何の抵抗感も、何をして良いのかの戸惑うことも、皆無である。
元もと、商売上の付き合いも最小にしてきた上、肩書きを持ったら誘いがくるような慈善団体に入ったこともないし、
その中で威張ったり、競う相手の存在も殆ど居ない。 自分が自分であるために妨害するものは初めから振り捨ててきた。
それが多くの人たちに誤解を与えてきたが、自分が自分であることの方が良いのは、長年の読書で分かっていた。
そのためか、この生活の変化に大した違和感は少ない日々になっている。 元もと老後というだけか!
 
  * ゴッドファザー
 ゴッドファーザー鵯・鵺を一昨日、WoWoWで日本見た。 30数年前の封切りを映画館で見てから、TVで何度か見ているが、
その年齢ごとに受けとめ方違ってくる。 内容はギャング映画だが、権力の集中と決断をテーマにしたマネジメントそのもの。 
封切当初は、そのギャング世界の迫力と殺しあいの生々しさに世界中が驚きに沸きかえった。 人生経験を積んだ後にみる、
二代に続くマフィアのボスの物語は、また違って見えてくる。 事業の立ち上げと、その盛衰を経験してみると、あの緊迫感は
事業とて同じこと。 現在では家具とか、装飾にも目がいくが、ファミリーの人間模様が面白い。 
映画そのものは、やはり名作中の名作。7〜8年に一度は再放送されるが、名作は何度見ても、その都度、新鮮に感じる。

  ・・・・・・・
3478, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! ー1
2010年10月03日(日)
 ある月刊誌の「15年前の韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートを読んで愕然とした。
 「今すぐ取り組め生活防衛のための五箇条ー韓国に学ぶ国家破綻の恐ろしさー」
 15年前にIMFの管理下の置かれた韓国の姿は、日本の近将来図とみるべきだろうか。まずは、その一部から・・・
  ーー
・韓国経済は、急成長していて1995年にはGDPの実質成長率が9%。だが、アジア通貨危機の波をモロにかぷり、
 98年には一ドル700ウォンだった通貨が、97年夏には900ウォンまで下落、11月には1000ウォンを突破し、
 98年には2000ウォンにまで下落した。三分の一である。
・この時、韓国には30ほどの財閥があったが、韓宝、起亜、三美など名だたる財閥が次々と破綻。
 さらに、銀行も次々と破綻して約半分になり、残った銀行でも、従業員の半分をリストラする過酷な再建策を断行。
・企業も、約半数が破綻し、何とか残った企業でも大幅なリストラが行われたので、たちまち失業者は150万人を超えた。
・混迷した状況にさらに拍車をかけたのが、IMF(国際通貨基金)の財政再建策。 破碇した韓国経済はIMFの管理下に置かれ、
 IMFから金を貸じてもらい、その代わりに緊縮財政を迫られた。IMFが財政赤字を減らして為替を安定させるため金利を上昇させたので、
 韓薗経済は大不況に突入した。健康保険などの社会保障は機能していたが、健康保険対象外の病気が多くあったため、収入が激減し
 家庭では病院に行くのをあきらめる人が急増。病院は患者が激減し、背に腹は代えられないと24時間診療する病院も出てきた。
・通貨が下落したことで、輸入に頼るガソリン・軽油などが暴騰したため、車に乗らない人が増えて道路は閑散とした。
 寒い中、灯油価格も高騰したので、人々は寒さに震えた。
・大学を卒業しても就職先がないので、そのまま大学院に進んでキャリアアッアする学生が急増したために、
 それまでガラガラだった大学院の入学競争率が二倍に跳ね上がった。
・いっぼうで、会社をクビになり、再就職もできず犯罪に手を染めるサラリーマンも急増。治安は極端に悪化し、詐欺も横行。
 混乱と不安が増す中で、テレビからは娯楽番組が消えた。こんな大変な時に不謹慎だという投書がテレビ局に殺到したからだ。
 破綻から一年間は、先が見えない中で、庶民の顔からも笑みが消えた。
 ▼ この続きは次回として現在の円安で300円になるというと、まさかと誰もが思うが、韓国では既に起こってしまった現実である。
 失業者も日本の人口の半分として、日本で300万人というと、これまた信じられない数になる。
 日本の政治も経済も自己コントロール不能となれば、韓国と似た道を歩くしかない。金利も今のところ1〜2パーセントだが、
 これも何時どうなるか分からない。隣国と臨戦状態の韓国と海に囲まれノンビリ構えている日本と、あまりに違う。  ーつづく
・・・・・・・
3103, 終わりなき旅
2009年10月03日(土)
 「心に残るとっておきの話ー第九集」 
    ー終わりなき旅ーより
 これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。
≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に乗ることになった。
 殆どの同行の人の顔も知らないまま飛行機の席に座ったところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が赤ちゃんの
 世話をしていた。孫にしては両親がいないのでオカシイとは気になりだした。スチュワーデスが声を掛けたが、
 赤ちゃんを見たところ、変な顔をして行ってしまう。 周りの人も何か変な雰囲気。そして飛行機を降りたところで、
 その赤ちゃんをみたら、何と人形だった。そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、誰も近くに寄らない。
 ところが食事のおりに同席したところ、その初老の男の人が「変だと思うんでしょうね」と、その事情を話し始めた。
 「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで授かった。ところが直ぐに亡くなってしまい、
 そのショックで妻は自殺を図ったりした上に、精神を病んでしまった。 その精神治療のために医師と相談した上に、
 せめての慰みにと人形を身代わりにして、10年、衣服を替えたり、食事をしているふりをしたり、生きているように
 扱ってきました。 何で、こういう話をするかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。
 それを聞いて、返す言葉がなかった。 ≫ 大筋は、こういう内容である。
  何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で旅行しているのだろうか。
 ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、あの世に行く前に
 チョッコラ世界の果てでも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな人生を背負ってくる人が多い。
  この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、何とも悲しみが直に伝わってくる話である。
・・・・・・・
2738, フォードが4ドル、GMが9ドル!
 2008年10月03日(金)
 アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。この影響で世界中の株価が暴落を始めている。
それにしても、火の手のまわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は1〜2年で収束するほど生易しくない。
火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか分からなくなる。アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転すしかない。
その結果、金融破綻というハイパーインフレが待っている。欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、
取り付けが静かに進んでいる。金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。
身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらいのことしか思いつかない。
情報化社会は以前のような情報コントロールが不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、資産防衛セミナーで
知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、劇的な世界の銀行の破綻と、再編成が生じている。 
これは既に金融恐慌である。世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、現在の動きをみると、一連の動
   (字数制限のためカット2010年10月3日)
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2007年10月03日(水)
2374, 人は60歳で何をしたか −3                 
  「人は60歳で何をしたか」藤原治・著    ー読書日記
著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、
本人が一番勉強になったはずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。
彼らに一致しているのは、この時期は「起承転結」の「結」の時期ではなく、起承転々の「転」である。 
最後まで転げまわるのも良いものである。この本では、古今東西の大家の「60歳の時点」の創作を具体的に提示して、
そのプロセスで、その人となりの精神を現わそうとしている。 著者は私と同じ年齢になるが、比べようもない
知識の広さと深さに大きく溜息をつきながら読んでいる。 それよりも紹介されている人たちに驚かされる。
比較しようということ自体が、おこがましいのは解っているが、それでもである。殆どの本がそうだが、「まえがき」に
多くの著者が言わんとすることが凝縮してある。その中に「定年退職する人には、職探しの前に自分探しをする人が多いという。
企業を離れたとたん、個人としてのアイデンティティの確認に苦しむという話をよく耳にする」とあったが、解るような気がする。
会社という制服を着てきた人間が、それを脱いだ時に初めて自分に直面する。自分=「私」は哲学的にいうと、過去のトータルの
「・・」である。それが制服を脱いだと同時に自己喪失感にとらわれ、個人としてのアイデンティティの確認を求めざるを
得ないのは当然のことである。 その辺のことを、この本の中では解りやすく説明している。
 ー P・7
それまでの自分は、会社の規範の中で生きてきた。異動や転勤があり、人生の生き甲斐も家庭の悲喜も、
会社の意思で決定された。そのような企業組織に対する依存度が高い人ほど、人生が変わってしまうのが定年。
会社の出世コースを外れた人ほど、第二の人生を生き生きしているという。 そこで生き甲斐を見出せないためか、
会社以外に自分探しをしているためである。還暦とは、稀有な長生きの先に、僥倖として新しい人生が開けたという考え方だ。
60歳まで無事生きれたのだか、これを契機に新しい人生を生き直してやれというから、哲学的な概念である。
定年はそれまでの縛りがなくなることだが、還暦は新しい人生を生き直すことである。
なら積極的に新しい人生を探してみて、第二の人生を深くしていって方が良いに決まっている。
 ー P・8
精神科医の中沢正夫は、その著書『人生が二度ある』の中で、
第二の人生計画を練るにあたっての原則を次のようにまとめでいる。
1、第一の人生のなかでの自分とは、自分にとって何であったのか、見きわめること
2、何をしたいのかは徹底的に個人主義的に考えること、配偶者にもそうしてもらうこと
3、計画は終了・完成を目標としないこと  4、道草・浮気の旅を心がけよう
5、働くこと、社会参加することを中心に  6、世にはばかるパワフル・シルバーに
7、挑戦を一つ入れること         8、記録をのこそう
9、早めに計画をたてる         10、もう遅いという人へ
これに加えて自分探しの要諦について、評論家の佐高信は「会社への『離塁感覚』を持て」といっている。 
作家の堺屋太一も「職縁から離れる時だ」といっている。この離塁感覚というのは以前の組織にいた時の自分を引きずるなということ。
あくまで自分の頭で自由に決めることを前提に、自分探しをすべしということであろう。
考えてみれば会社を去るわけだから、束縛されるものはもう何もない。 時間の過ごし方も、考え方も、
自己を規制するルールもまったくないのである。ある意味で、こんな幸せなことはない。
とはいえ、具体的にどうすれば自分探しができるのか。初めての経験だから、途方に暮れる人も多かろう。
僕は気に入っている作家の60歳の著作を書斎で探してみた。文豪といわれた人たちが、60歳という人生の切れ目で
なにをしたかを調べたくなったのである。通常、著作の是非は内容で諭じるもので、60歳という視点で各分野の作品を
斬ることは、おそらく誰も試みたことがないように思う。その還暦調査を手掛ける前に、実はふたつの予感があった。
一つは、巨匠たちが節目ということを意識して、 自分の代表作をものにしているのではないかという予感。
二つ目は、この調査が新しく第二の人生を模索する人たちの、参考資料になるのでは
 という予感。そして、調べていくうちに、二つの予感が正しかったことを確信した。
 ーーーー
 以上だが、過去に何回も書いてきたが、座卓犬が突然、首輪をとられ家の外に放り出されるようなもの。 
 家の外は、誰も見向きもしないし、何処の犬だったなど通用しない。そうすると放り出された野犬の群れに入るか、
 他の家の屋外犬として軒先に入るしかない。それともさっさと一匹狼として、街の外に出て自然の中の餌を探すか。
 逆に考えれば、そのまま老いた座卓犬でいるより、余程よいかも?
・・・・・・・
2006年10月03日(火)
2009, ドイツ病に学べ
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、ー本と出会う=批評と評論ー の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。
「日本に次いでGDP世界第三位を誇ったドイツが、EUのお荷物となっている」
 というニュースは何度か目にしてきた。その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。
*その惨状といえば、19パーの消費税、実質16パーという高失業率、リストラ、旧東独の苦闘、 高い給料と強すぎる労働組合、
旧東欧諸国に逃げ出す企業、年金制度、等々 問題が山積みである。「まだまだ日本は、ドイツに比べたら恵まれている?」とさえ思える。
しかし、現在の日本に酷似しているから驚きである。それにしても、東西冷戦時代の優等生だったドイツと日本の凋落は激しい!
(以下は字数の関係でカット08年10月3日)
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2004年10月03日(日)
1279、イチロウの大記録
それにしても、イチロウの記録には驚いた。絶対無理といわれていた257本のヒットの記録をついに破った。
これで、歴史に残るスーパー・スターになった。相手チームの選手も祝福してくれるのだから、それだけ凄い記録ということだ。
これほどの歴史の残る大記録を、日本からの輸出品(完成品)で通用したことは、驚くべきことである。生のドラマを、劇場的雰囲気で
見れるのだから素晴らしい。昨日は、この試合を初めから終わりまで見た。野球の試合をフルに見たのは、数年来初めてである。
イチロウが初めて打率を日本でトップをとった20歳の頃、森・元監督が、あるセミナーで「王や長島より数段上の天才バッター」
といっていたことが頭によぎる。しかし、ここまでの大選手とは思ってもいなかった。以前にも書いたが、彼のある言葉に注目をした。
ートップクラスの投手の一番得意の決め玉を待つ、他の選手は得意球を避けて甘い玉の来るのを待っているが、自分は違うー
超一流の投手なら、驚くだろう。「奴は俺の得意玉を待っている、挑戦をしようというのか?」「それなら、受けて立とう!」と
いかないのが、人間である。今だかって、その経験がないからだ。相手が、得意の玉以外を待っているから、得意球が効果を上がるのだ。
    (字数制限のためカット2010年10月3日)
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2003年10月03日(金)
912, 開発部門ーベンチャー
 人間も組織も、自然に任せておけば、「最良」を避けて「良」だけをする。いや良だけでなく、悪をする。
そこで「組織にとって最良とは何かを考え実行する部隊」となる職種とはなんだろうと考えたら、開発部隊であろう。
それも3年〜10年後の新しい事業の開発行為を専門に動く職種である。 これを組織的に創るとしたら、「経営・戦略開発室」
いや「経営企画室」である。ラインやサービスとは独立をして「情報と経営・戦略の立案」に専従する職種だ。
組織的ベンチャー部門ということ。この激変の時代、常にその変化に対して自己革新を続けなければ、すぐに陳腐化をしてしまう。
そのこと自体も判らなくなるのが組織いや人間というものである。
 ところで、8月21日から開発専門を一人独立をさせた。毎日、情報とりを開始をした。勿論、ラインの仕事を一切なし。
新プロジェクトの開始である。 二年前と三年前に一ヶ月間だけ期限を切って、二人に開発休暇を与えた。期限を切れば、
ラインの視点を超えることができないことに当時は全く気がつかなかった。悪く言えば、本気にはなれなかったのも当然である。
開発の必要性に気づきだしたのに、あと一歩であった。問題の大部分は組織図にあるというが、その通りだ。
人間そのものの素質という面もあるが、システムー仕組みの問題点として問題点を捉えてみるべきだということだ。
 開発行為は『外』に対する働きかけて新しい事業チャンスを模索することだ。自分の庭の中には地表深く掘り下げれば
多くの金塊があるかもしれない。それに気づくためにも、一度外に働きかけなければ。少なくとも事業に関しては、
庭の中にいては何も見えてこない。 小さい会社は社長そのものが一番の仕事になるのだが。
 金物屋はホームセンターには変身不可能である。それまでの常識がバカの壁になってしまうからである。
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[170] 忘れられないお店ー2    2001/10/03
その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだ。その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、
高校を卒業するまでの8年住むことになるが。衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。
‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’‘4Fが直しと女子寮’になっており、全宇宙が圧縮されているよう。
ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。 そのビルと大手通りが私の遊び場であった。 かなりマセタ餓鬼だったと思うが、
誰にも可愛がってもらった。特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。競合店が出ると子供心に心配で一人偵察に行った。
毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。
倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。今でも年に2〜3回はその頃の夢をみる。でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、
正月は家族と従業員全員集まりご馳走を食べたりして年越しをしていた。


3842,iPadと、アプリ、あれこれ ー3

2011年10月02日(日)

 どうも不思議なことがある。マスコミが、タブレットPCを殆ど報道しないことである。
恐らくマスコミがタブレットPCに脅威を感じているため、ニュースの素材として避けているのでは?と思うのは私だけでないはず。
先日も中学校の同期会に持って行こうか迷った位である。 同年代の彼らなら、このアプリを見たら腰を抜かさんばかり驚くはずだが、
嫌味とも受けとめられる可能性もあるので止めたが・・ それだけ、これは私にとっては大きなインパクトになっている。
モバイル携帯が出回っているので、それほどでもないかも知れない?。 しかし、モバイル携帯と、タブレットとは違う。
・アマゾンが読書専用のタブレットとは別に、多機能タブレットPCの分野に進出すると報道された。現在、他のメーカーで
 iPadに対抗できるところはないが、対抗できるとしたらアマゾンしかないと言われてきた。対抗馬としての本命のお出ましである。
・シャープも社運をかけてタブレットPCに打ち込んでいるが、売れているふうではない。
・先日、大型家電のタブレットPCコーナーに行ったところ、各メーカーの、それぞれ特性のあるタブレットが並んでいた。
 その一つにソニーが、近くに売り出し予定のメガネケースにソックリな二つ折りで、見開きのものがあった。
 モバイル携帯二個分が折りたたみになったようなもの。 これなら落としても壊れにくいし、持ち物として小物の範疇になる。
・富士通は、小型ノートパソコンの画面が取り外せるタブレット式。 これも便利で抵抗なくタブレットに移行できる。
 ー話しをiPadに戻す。 
これを使いこなすポイントはアプリとの出会いになる。 それとブログとツイッターも、いま一度、探してみる必要がある。
パソコンとの接点が飛躍的に増えるからだ。 忙しい人ほど、タブレットは有効になる。特にビジネスには間違いなく効果的になる。
暇な私など、机上PCと並べて交互に使っている。 そして疲れて寝室で仮眠するときも枕元に置いているほど。 IPAdバカか!

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3477, ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する
2010年10月02日(土)
「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」 鬼塚 英昭 著
ー内容紹介ー
読者よ、知るべし。この八百長恐慌は、第一にアメリカの解体を目標として遂行されたものであることを。そして金融マフィアの
世界支配の第一歩がほぼ達成されたことを。私たちは微力である。しかし、このまま、この八百長恐慌をただ黙殺していても
よいものなのか。ヨーロッパもアメリカ同様に解体される。恐慌の津波は太平洋を越えて日本に襲いかかろうとしているのだ。
▼ この本によると「ロスチャイルド」が世界を牛耳っており、ロックフェラーさえ配下にしているという。
 東南アジアを、日本を、そしてアメリカを破壊し、今度は「中国」に目を向け、新しい世界マネーの覇権を共有しようと図っており、
その鎧が出るのが2012年という。 そのため中国は金(ゴールド)を買い増し、世界中の資源を買い漁っている。
ロスチャイルドを軸に、2012年に中国と仕掛ける新世界秩序を明確にしている。(中国に仕掛けた上で、結果として主導権を握る)
 この世界恐慌も、仕組まれた八百長恐慌であり、アメリカ解体を目指し遂行されたものと知るべしという。
   (字数制限のためカット 2011年10月2日)
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3102, かなしみの詩
2009年10月02日(金)
  かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー  上條さなえ著
 たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。
今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。 図書館の天使が導いたのだ。「10歳の放浪記」では、
その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の「非情な虐めがあった」と書かれていた。
 学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。
11歳といえば自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。 不幸な子供たちほど仲間への虐めも辛らつになる。
その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。 そこで、自然と本を手に取るようになる。
そして、そこで先生に手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
いのちなき砂のかなしさよ という言葉が、さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。
  かなしみといはばいふべき  物の味  我の嘗めしはあまりに早し
この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。
 そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。
山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」
「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った
 かなしみといはばいふべき 物の味  我の嘗めしはあまりに早し
山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。食べ物にはね、
うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると思っているんだ」
「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。とっても大切な味なんだ。
早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」私は俯いたまま涙をこぼした。
わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。
 〜以下は、この本の紹介文〜
 昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。
愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、
そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。
 養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公・早苗は、意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。
それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから
読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに児童文学作家として立つ原点となる。
 《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたしは山下先生との出会い
 により、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたしの励みになったことでしょう。
 友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。また、わたしはホームレスの日々を経て、
 強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》
後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに!
 ーーーーー
2283, 10歳の放浪記
         才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
 ーその大筋を書いてみるー
(字数制限のためカット 2010年10月2日)
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2737, 1929年の世界恐慌とは?
 2008年10月02日(木)
 昨日の毎日新聞の「なるほどドリ」質問、というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機を対比して説明している。
これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、三年で失業者が4人に1人の割合になり、
これが世界第二次大戦につながっていった。この「世界恐慌」に酷似している、というから恐ろしい。ともにバブル崩壊が引き金!
という。29年の世界恐慌に詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が大きく性質が悪い」とコメント。
 〜〜〜〜
なるほどドリ  株価が大変なことになっているね。
記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、
  史上最大の下げ幅でした。 グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は
 「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に状況が似てきたとの懸念も出ています。
Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。
A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした世界の金融危機と、
  その後の長期的な不況を指しています。
Q 今と似てるの?
A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後の特需や工業化による空前の好景気で
 ダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。今回もダウ平均は過去3年で2割以上、住宅価格は5年で倍に上昇しています。
 「株と住宅は上がり続ける」と過剰な投資を膨らませた金融機関が、急落によって巨額の損失を抱えたのです。
Q 恐慌でどうなったの?
A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展して銀行が相次いで破綻し、米国内の銀行の数は約半分に減りました。
  融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の全労働者の4分のーが失業しました。
  影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安はドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。
Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの?
A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、29日に35兆円の追加資金供給をしました。
 金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の枠組みも不十分だった29年当時とは違い危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。
 「暗黒の月曜日(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は大量の資金供給で危機を抑え込みました。
Q 安心していいのかな。
A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。
 「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。
  〜〜〜
  現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。朝起きると、欧米発のニュースで「マサカ」
 の事件が待っている。出来ることなら、楽観的なレベルで終わって欲しいが、そうはいかないだろう。
 まずは、弱いところから大きな影響が出る。
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2007年10月02日(火)
2373, 人は60歳で何をしたか −2
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著   ー読書日記
ある月刊誌が贈呈として昨日、会社に送ってきた。 そこに作家の新井満が寄稿していた文章が「60歳以降に何をすべきか」
というテーマ。 よくある偶然の一致であるが、それにしても不思議である。
  ーまずは、その内容をコピーしてみようー (百楽ーケイアイ出版)
*以前、禅宗の高僧と対談をしたとき「座右の銘は何ですか」ときかれ、お互いに色紙に書くことになった。
お坊さんは、たしか「誠」だった。で、私は「余命7日と想え 何をなして何をなさざるべきか」と書きました。
余命10年と思うと、まだ余裕があるから、死と生について真剣に考えるのはもう少し先にしよう、となってしまうが、
余命7日と想うと、本当にすべきことと、する必要でないことを区別せざるを得なくなるでしょう。そうすると生き方も
変わってくる。「死を考えることは、生を考えること」だというのは、このことなんです。(中略・・・)
私は若い頃から死と隣り合わせで生きてきましたから、死から生を考えるというのは当然のことなんです。
今年の春に自由訳の『老子」という本を出しました。 60歳になったら、どう生きるべきかという内容です。
老子という人物は2500年前の伝説的な哲学者ですが、その思想は難解中の難解といわれています。
私はその思想を、無謀と知りつつ4つに分類しました。1つ無欲、二つ目は謙虚、三つ目は不浄の徳、つまり争わないこと。
4つ目は貢献の徳、社会貢献です。 老子で有名なのは「上善如水」。
水のように生きるのが最高のライフスタイルだといっています。水ほど自己主張しないものはない。
丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。こんな町に従順で弱々しいのに最終的には岩をも砕いてしまう。
万物を潤し、万物に恵みを与えながら、決して威張ることなく、常に謙虚だ。
人間はこの水のように生きるべきだ、というのが老子の基本的な考え方です。この水の生き方はとても参考になります。
それに基いづ明いて、私は人生3期説を考えました。人生、90歳まで生きるとしましょうか。それを30年ずつで区切ってみる。
・最初の30年は、自分探しの時代。
・30歳から60歳までは探した自分を実現する自己実現の時代。
・60歳以降は、自分や家族以外の人間、あるいは人間以外の命のために何が出来るか考える時代。つまり老子の分類でいえば、
 人生の晩年は社会貢献の徳を実現しようという提案です。 これは、あくまで理想論ですがね。
 ーーーーーー
以上であるが、三期説にしても、5期説にても、その説を立てる論で幾らでも理屈はつく。
5期説とするなら〜20歳、40歳、60歳、80歳、80歳以上の五期に分けることができるが、三期説の方が解りやすい。
三期説で考えると、一番大切な時期は三期目ということになる。人生の収穫期ということになり、一番に充実した日々になる。
 一番良くないのは、何も考えないことである。 何も考えないと、どうなるのか? 
あの8〜9割の方の群れている老人達。 表面は楽しそうだが、心の空虚は群れていては埋めることはできない。 
 ところで、「人は60歳で何をしたか」藤原治・著で取上げている人たちは、その後も、二期を続けた人たちである、
そうすると荒井満とは少し違ってくる。 片方は世に、それなりのことを達成した人と、凡人は分けて考えるべきか?
 ただ生き方を考える上では、藤原治の方が参考になるが。
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2006年10月02日(月)
2008, 「私」のための現代思想  −6
          (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
 ー 先に概要を説明しておくと、
 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。
ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」
という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。
現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、
それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。
各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。
 ーーー      
第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2
  (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日)
・・・・・・・・・・
2005年10月02日(日)
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
(字数制限のためカット2009年10月02日)
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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2
(以下、字数の関係上カット08年10月2日)
・・・・・・・
2003年10月02日(木)
911, 恥ずかしい話
・・・・・・・
537, 緩慢なる自殺
- 2002年10月02日(水)
 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今でもその忠告を守っている。
  ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
・缶ジュースも毒そのものー冷やすと甘味が薄れる為、甘味料を異常に入れてある。特にコーラは要注意、
 どうしても仕方なく飲みたいときは スポーツ飲料にすること
・インスタント物も可能か限り口にしないこと、やむをえない時は冷凍食品にする事。
・内臓ものも口にしないことー焼き鳥とか、レバ焼き。
 ラーメンもたまに食べるのはいいが、常食にしないこと−中華そばの汁は骨とかでダシをとってある。
・マヨネーズも危ない。今は動物性から植物性に変わっているが、ドレッシングがよい。
今考えてみて、それを実行してつくづくよかったと思う。今の人を土葬にしても骨が腐らないためにそのまま残るという。
防腐剤のためだ。 長岡のあるホテルの人から聞いた話だが「裁判調停の為長期で泊っていた母と子が数ヶ月間、
3食カップヌードルを食べていた」と聞いたことがある。 聞いただけでゾッとした。
農家は農薬を使っている現状を知っている為、自分達の口に入れる作物は無農薬しか口にしない
という話を聞いたことがある。こうなるとエログロの話だが実際のところそれに近いのだろう。
今になって狂牛病が大問題になっているが、知る人ぞしる話である。
「それでも世界で一番長寿なのだから心配することはない」というのは見当違いで、それは今のお年寄りの話。
そういう食品を若いときに口にしてない。今の30~40歳以下の人はその保障はない。
「インスタント物」「缶物」「砂糖などの糖分」は口に入れないことだ。そうしないと緩慢なる自殺になる。
・・・・・・・
[168] 忘れられないあのお店−1
 2001/10/02
 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。初めてのデ-トで入った店とか、
初めて一人で入った店とかのことだ。これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくる。
考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。
それは幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。 私が3歳の時に両親が当時ビルを建設をはじめた。
その時に仮店輔で木造の家を、厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。家の下に、丸たんぼうを入れて移動したのだ。
個人の申請として全国で初めてのビル建設だったという。 昭和24〜25年の頃で、その時のことをハッキリと覚えている。
ビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の記憶! 今の緊張感の数倍あった!当時の方が圧縮された生々しさが有った。
あの白壁の匂い!そして三階への引越し。四階に従業員のねぐらと倉庫。子供ながら色いろあった。
それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。考えてみても、異常体験だった。でも刺激的で悲しくもあり楽しい毎日であった。
10人の家族と20人以上の従業員の戦場のような毎日!そのまま描写したら、面白い小説になるような日々の連続であった。                                 −つづくー
もし高いというなら、古本屋かブックオフで買えばよい。それでも高いというなら、図書館がある。
主知主義ではないが人間として生まれてきたからには、知る事が最も優先されべき権利であり義務でもある。
知れば知るほど知らない事が増えてくる。 知っただけその周囲の未知の部分が増えるからだ。


3841, 閑話小題

2011年10月01日(土)

  * まず、50冊の本を業者に送付
 iPadなどのタブレットPCの普及と同時に、手持ちの本をデジタル化をする動きが出てきている。
本の裁断機と自動スキャン機を買って、手持ちの本を一万冊をiPadに入力した人の「iPadバカ」と
いう本をネットで購入し、読んだが、その手間など自分には無理と諦めていた。ところが、最近、マスコミで、
「スキャンの代行業者が出現、出版元や作家からクレーム」という報道を知り調べたら、業者は溢れるほどあった。
裁断機とスキャンを準備し、ネットで誘導すれば誰でも、何時でも参入できるからだ。半月前に思い切って、まず50冊を選定し、
いざ業者に送ろうかとしたが、何かが引っかかって、箱につめたままにしていた。 ともかく50冊をと思い切って業者に送付した。
一週間後には完成するが、送ってしまった本は、二度と戻らない。 それが正しい判断かどうかは、一年後にならないと分からないこと。
とはいえ本棚に並んでいても、それが図書館にある本と、何処が違うのかというと、あまり違わないことも事実。 
金を出して読んだ本は本気で読むから買うのである。 本棚に置いておくのは、それと時を共にした愛着と、再読するため。
それがパソコンに入っただけと、割り切ってしまえば良いだけだが・・・ 考えあぐねて、とにもかくにも送付することにした。
  * つれづれに 一昨日は、中学校の同期会
 中学校の同級会が開かれ出席してきたが、今年に入って二回目である。出席は11名。この数年は、年に二回は開かれている。 
春から私の生活圏が小さくなった分、それはそれで有難い。 あいも変わらず女性は元気が良い。 帰ってみれば午前様。
店は何処もガラガラで、よくやっていると老婆心が出るほど。 男5人の出席のうち、中小企業の社長は3人。背中の重しが取れた分、
天使のように気持ちが軽くなった。 そのため現役の人と接すると、何かエネルギー負けを感じるのは仕方がない。プラマイ、ゼロ。
一線で働くということは、それ自体が歪みの増大になっていることに、最近になって気づいた次第。 それが個性でもある。
 ところで高校の同級会、去年も、今年も開かれてない。一昨年、私とM君が幹事で、恒例でその年の幹事が次の幹事を指名して
持ちまわるシステムになっているが、任命責任がないでない。この時期は、むしろ行われないほうが良い。娑婆はシャバシャバか!

 ・・・・・・・
3476, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー12
2010年10月01日(金)
  * 次のツアーの選定の仕方
 ツアーの選定を、どのようにして決めるのか? その都度に選定のプロセスがある。
多いのが直近に行ったツアー仲間の情報と、自分が、その時点で行きたいところを数ヶ所あげて、
その資料を集め情報を得るところから始る。 まず直近に行って良かった周辺を探すことが多い。
エジプト・トルコが良かった直後にイスラエルが面白い!と聞いて資料を集めて決断。
そして、次はシリア・ヨルダン・レバノンのコースを決めるとか。
インドに行って、ネパールに行き、その後、中国のウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを通ってパキスタンに抜け、
アフガンの国境の麻薬通りに行くコースの順に行ったりとか。一ヶ所から周辺の二ヶ所を選ぶケースが多い。
それを結んで行くと、それが世界一周コースになったりする。スペインも中央、南、北スペインの三ヶ所だったり、
オーストリア、スイス、北イタリアも、そうだ。 南米も、同じ理由で行き先を決めていった。
 情報は、その都度行ったツアー仲間と添乗員が、その最大の情報源になる。他の人も同じこと。従って聞くほうも
聞かれる方もオープンになる。 国内では単に自慢話になるが、旅行先では情報交換クラブ仲間になる。
インド派、アフリカ派、欧州派、南米派、遺跡派、シルクロード派など、その人により違ってくる。
万遍なく行っている人は、「旅行道派」ということになる。 私の経験からすると、一度行って良かった処に
通い詰めるのも良いが、やはり万遍なく色いろな世界を見ておいたほうが良い。TPOSが良いこともある。
ある人が、これから世界中を10回行くとしたら、どのような場所を選ぶとしたら、
《 南米三ヶ所、アフリカ三ヶ所、カナダ、ウィグル・カラコルム、北スペイン、スイス》と答える。
それか、船旅で100日間世界一周のコースがあるが、あれでも良い。そこに行ってから付け足しをするのも
合理的である。 一人150万が高いか、安いかを如何に判断するかだが。集中の妙である。
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3101,返済猶予法案の成立から見えてくること! −2
2009年10月01日(木)
 返済猶予法案の成立が現実味を帯びてきた。無理だろうという一般的な見方だったが、面白くなってきた。 
実際のところ、こうでもしないと中小企業はもたない、と前回書いたとおりである。
新聞やマスコミの論説などからして実態の厳しさが分かってない。「昭和初期の恐慌ほどではない」とか、
藤井財務大臣が言っているが、その数倍の津波が来ているのが理解できない?のである。 
「三年の返済猶予」など出来きないと信じているから驚いてしまう。非常時に非常手段は必要なのである。
成立し実行されれば、5年、10年を経過した後に振り返ると、「これが実行されてなかった本格的な恐慌になっていた」、
ということになっている。 大手銀行に資金注入をしておいて、中小企業の返済猶予に何がモラルハザードだと、
よく言うよ!ったく、である。 これまでの官僚と自民党の床柱意識に我われは毒されていたのである。
 ーネット新聞からー
(字数制限のためカット2011年10月1日)
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2736, 正直こそ、最大の正当防衛
2008年10月01日(水)
 議論に絶対負けない法 −4          読書日記
学生時代に、「青雲寮」(25人)という名の寮に4年間いた。 三日前にも40年ぶりに訪ねた夢をみた。
夢の中の寮は部屋も40年前のままだったが、古くて瓦解する寸前の汚い風景。そこで初めて知ったのが、自分の見たことのない世界。
今回は夢がテーマではないので詳細は書かないが、北は秋田から南は福岡までの人種を知った。こでまず驚いたのがウソを平気で言う
何人かの人である。8人兄姉の末っ子のため、ウソなど必ず見抜かれることを体験上知っていた。しかし、それは私だけの話し大体、
15%の割りでいた。(もちろん、ウソを付く程度のレベルで言っている。人を陥れるために付くウソを平然と言うと人種のことである)
正直であること、それが一番の自然体ということは、特に母から常日頃いい聞かされてきた。 だから、それが当たり前ということは、
圧縮された異種の人間の集合体ではベースではないことを、そこで知った。しかし長い人生を歩いて、正直こそ一番の力になることを知った。
反面、正直とウソさえ知らない人種がいる。 それは無知の人間である。 ただ親の価値観を引き継いで、その価値観の中で生きていて、
その価値を疑ったこともない人たちが大部分だろう。 自分もそうなのだろう。
その価値観に従うことが正直なのだろうから何がなんだか分からなくなる。
 −次の箇所が、そのあたりの人間の歪みを、言い表している。
 p−93
私たちは子供のころから本当のことを言いなさいと諭され、人生のさまざまな場面において「正直は最良の策」だと
確信するようになった。 だが、一生のあいだに、真実を語る事に、ほとんど上達しない。
おかしなことに、私たちの社会は正直であることを奨励しない。 大学に「真実を語る法」と題する講座はない。
「うそつき自主治療協会」など、というものもない。 真実を語る人だと自称する人には一度もお目にかかったことはないし、
もし自分の言うことは全部本当のことだという人がいたら、私はくるりと向きを変えて逃げ出すだろう。
私たちは幼いころの経験から本当のことを言うとたいていは罰を受けると学んだ。
本当のこと書うと、負けるか、拒否されるか、追い出されるかだ。 悪いことをして、それを正直に告白すると、
たとえ悪気がなく些細なことでも、たいがいは罰を受ける。自分が怖いと思ってることを正直に言うと、馬鹿にされる。
(字数制限のためカット2010年10月1日)
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2007年10月01日(月)
2372, 人は60歳で何をしたか
                 ー読書日記
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 文芸春秋
何度もここで書いたことだが、50歳になった時、はたと今後如何に生きようか? 
一年考えた末に、「この十年で、60歳以降も含めた全ての人生を生きよう」という結論に達した。そして、そのつもりで生きてきた。
現在に至って、このコンセプトは正解だったと自己満足をしている。これは他人が評価する問題ではない、自分自身のことである。
昨年の一月に還暦を迎えた時に「この10年間の生き方は満足できたが、次の10年をどのように生きようか? 
そのコンセプトを一年間考えよう」と決めた。 正直にいうと、その満足できる結論は出ていない。 しかし大よそ考えたのは
「この十年生きてきた中で、やり残したことが幾らでもあったはず、それを追求だけで幾らでもあるはず、それを探せばよいだけ」である。
「やり残しを探し、一つずつ潰していく」しかし50代のコンセプトからみると、何か攻撃的ではない。50代のそれは好きな
世界秘境ツアーを可能な限り行けばよいし、嫌なこと、嫌な人間のいるところに、一切顔を出さなければよかった。 
秘境・異郷旅行を徹した?上に、このHPの文章を遺言と思いを書き足せば良かった。他に身体に害にならない程度に美味い酒を
楽しめばよかった。これまで読みたかった本は幾らでもあったが、それを読めばよかった。その結果、60歳になった現在、
何か張りが無くなってしまった。この10年の間、少し無理してきたこともあり、唯我独尊の生き方でもあった。
50歳で人生の元は取った実感があったし、60歳で人生の余白も埋めた実感を持てた。そこで、他の同じような年代の人は如何なのか、
気になりだした??(いや、それより60歳代のコンセプトを満足してなかった!からだ)ところが面白いもので、丁度良い本を
図書館で見つけたのが、これである。それを読むと、60歳の地点で色いろな人生の立ち向かい方があるのに驚かされた。
意外に老成している内容が多いのには驚いたが、えり抜かれた人は当然ながら、それぞれの人生に最大限の努力をしている。
この本を読んでみて、小さな世界に満足していた自分の卑小さが合わせ鏡のように見えてくる。
生きてきたようにしか、その後も生きられない。それでも真摯に生きてきた人は、その後の人生でも枯れるのではなく、
むしろ成長しているのが解る。次回からは、その印象的なところを抜粋しながら考えてみる。、
同じ歳とはいえ、比べようもない相手ではあるが、自分が情けないような、悲しいような気がする。これは生まれた天分だから、
仕方ないとしてもである。二度とない人生、一日一生の思いを更に深くすれば良いのだが!

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2006年10月01日(日)
2007、「私」のための現代思想 −5          おはよ〜!(*^ワ^*)i
  第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか
私たちは<世界>に投げ出され、その<世界>の中で何らかの<物語>を遂行しながら生きていく存在である。
私たちは<言葉>と<価値>によって<世界>を認識し、<物語>をつくります。ここでの物語とは、
私たち一人一人が持っている、自分が生きていく上での「脚本」のことです。
そして<世界>とは、そのそれぞれの<物語>が上演される「舞台」のことです。
 ーハイデッガーの「世界劇場」− 私たちは「役割」を演じている
ハイデッガーは「世界劇場」という概念を通して「人間の生」を把握しようと試みた。
彼はまず私たちの「存在そのものー現存在」と「役柄」は異なっている、ということから考える。「役柄」は、
人間は「この世界で何らかの役柄を演じている存在である」ということを表す概念である。
学校においては学生を、家では息子を演じ、また友人や恋人を演じたりしている。
これらを心理学では「ペルソナ」と呼ぶこともある。これら仮面は、あらかじめこの世界に用意してあったもの。
少なくとも、その役割の性格から大きく離れたりすることはない。つまり私たちはこの世界に突然投げ出され、自らの意志によって、
その世界に予め用意されていた仮面のうちから幾つかを選び出して、それを演じています。このように「この世界に投げ出されると」
をハイデッガーは「企投」と呼んだ。またその「役割」に没入している状態を「耽落」と呼んだ。私たちは、この「仮面を被った自分」を
「本来の自分」と勘違いしている。仮面を被った状態の自己を「対象化された自己」という。被ってない状態の自己を「現存在」と呼んだ。
学生である男と、先生である自分がであったとする。そのお互いの立場ー役割を一瞬で把握して「相互関係的な役割演技」をすることを、
「原初的な出会い」という。その前段階としての「存在の認識」がある。それは果して存在しえるのだろうか?という問題がある。
しかし、「役割のみが存在している」のであれば、私たちは、いきなり役割を認識できるわけです。しかしそうではありません。
少なくとも短時間で「役割を持たない誰か」が認識され、その上でその人の役割が想起されるという段階を通っているはずだ。
ハイデッガーは、我われが人生という劇場で役割をこなすためには、「役割を演じている役者である自己を自覚すること」
であるという解決を薦める。それをもっと自覚的にするためには「役者を辞めることを決意しつつ、役者を続ける」ということです。
そうすると大根役者と言われても、それは「役割上のことでしかないのだ」と考えることができます。「芝居が下手だ」とか、
「華がない」と言われようが、そんなことは気にならなくなる。 うまく演じることにどんな意味があるのだろうかと考えれば、
うまく演じられないことにマイナスの意味を見出すことには、それこそ意味のない。なぜなら「どうせ芝居でしかない」からです。
−−−−
評)もっと辛辣にいえば、人生などお笑い劇場でしかない。真面目に演じれば演じるほど喜劇の道化になっていく。
 それに早く気がつけばよいのだが・・・ 人を笑わせることは難しいが、こと人生にかけて簡単だ。
演じていることを自覚しなければよい。それがお笑いになる。没頭することは最も大事である。
 反面、どこかで没頭している自分をみている自身の時間が必要である。アウトサイダーと、インサイダーの両者の眼が。
   ・自分の人生という物語のシナリオと、
   ・そのシナリオに従って演じている自分と、
   ・その背景となる世界(劇場)を観ている観客と、
   ・観客を意識しながら見守っている監督、を意識して生きる!ということだ。
   そのためには、自分の人生の役を愛すること。そして、その背景となる世界と、観客と監督を愛することだ。
   そう考えると、やはり宗教と倫理は必要ということ??
この第二章 のー「私」はどこで、どのように生きているのかーの答えー総括ーは、
「私」は「世界劇場」で、私の「役割り」を果たして生きている。
ハイデッガーは、我われが人生という劇場で役割をこなすためには、「役割を演じている役者である自己を自覚すること」
であるという解決を薦める。それをもっと自覚的にするためには「役者を辞めることを決意しつつ、役者を続ける」
ということです。そうすると大根役者と言われても、それは、「役割上のことでしかないのだ」と考えることができます。 
−である。
それぞれの人生劇場は二度とない!だから一瞬たりとも無駄にはできないのが人生である。
自分の役を愛し演じとおすしかない!「私」と、私の「世界」は日々刻々腐っていく。生ものだから。
汚れていくなんて甘いものではない!腐っていくのだ。腐っていくのは仕方がないことだ。腐っていくことを
自覚するしかないのである。 そして、それを自分で笑えればよい! いや笑うしかないのだ。
他人のことは解るのだが、自分のことは解らない。だから生きていけるのである。
せめて心が腐らないようにしたいが・・・
そのためには、学び続けなければならないというが、今さら何じゃい!という、腐った声が聞こえてくる。
                        ー 以上である。   ーつづく  \(^▽^*)バイ!           
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2005年10月01日(土)
1642.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・1
 1, 人生を見せてもらいました!      宗親
居酒屋を二十数年も経営をしていると、社会の裏表が見える。
人生を人の数十倍、いや数百倍も見たように思える。
・数年前まで羽振りの良かった人が、今は乞食をしているとか。
・あのお客が会社の金を使い込んでいたとか。
・がんで亡くなったとか。
・かけ落ちをしたとか。
・実の娘に手を出し、子供ができたとか。
・遠くの親戚から、思わず数億の遺産が転がり込んだとか。
ここで書けないような犯罪の話の内容を聞いた。それらを中心にボチボチ書いていくつもりだ。
まあ人間は酒が入ると、人間性が丸出しになるし、幼稚になるからね!
・・・・・・・
2004年10月01日(金)
1277, [人生の目的]ー五木寛之著ー読書録
 数年前に話題になった本だが、当時あまり興味を示さなかった。先日、たまたま図書館にあったので借りてきて読んでみた。
幼児期のころから、かなり厳しい生活体験をしている為、書いてあることは暗いが、しかし重い。
彼のーあとがきにかえてーの一文が、全てこの本を伝えている。
ーー「人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。寂しいだけでなくて、むなしい。
むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。
自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言いかたになるが、
「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってよい。そのためには、生きなくてはならない。
生きつづけてこそ、目的も明らかになるのである。「我あり、ゆえにわれ求む」というのがわたしの立場だ。
  (字数の関係でカット08年10月01日)
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2003年10月01日(水)
910, 人生の縮図
 先日、ある世界を垣間見た。といって書くには、あまりにシビアな世界であった。しかし、それを書くのが随想日記の真骨頂である。
ある売り物の物件を見にいった時の人生模様である。生々しい状態であった。「あるリゾートホテルをどう転用したらよいか見てほしい」
と頼まれた。半年前に経営委託を受けた人が、支払いができないで逃げた直後。オーナーが嫌気をさして混乱しているという。
 現場に行くと数日前まで営業をしていたのが、ありあり。給料2か月分をまだ貰えない行き場のないマネジャーや
従業員が3人いた。彼等はそこで働き出して半年、派遣会社の身分で、保障は全くないという。
現在の日本の姿が、そのまま現れている状況であった。 これ以上の景観がない位の場所にあり、オーナーが
半分趣味で建てた素晴らしいリゾートホテルである。
(字数の関係でカット08年10月01日)
・・・・・・・
デフレと対策  2002/10/01
現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。
衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。自転車も、半値か四分の一だ。 電気商品もしかりだ。


3840, iPadと、アプリ、あれこれ ー2

2011年09月30日(金)

iPadと、アプリ、あれこれ ー2

 雑誌や本などの電子化で、出版物の概念そのものが根底から変わることになる。 要はフリー化(無料)である。
デジタル化は著作権の有名無実化を意味する。 青空文庫というアプリは、数百冊のフリーの本がある。 
学生時代に読んだ、芥川龍之介、有島武郎、夏目漱石、森鴎外などの懐かしい本が無料で何時でも読める。 
 雑誌以外で初めて買ったのが『松岡正剛の書棚』というデジタル本。全体の書棚のレイアウトと、それぞれの棚が写真に載っており、
それに沿って松岡の文章が書いている。 面白いのは、完成したばかりの東京駅直ぐ隣にある丸善ビル(書店)に、同じ書棚のスペース
(60坪)が公開されている。 そこの写真が、この本のベースになっている。 松岡正剛といえば、「千夜千冊ブログ」という
読書感想専門のブログがある。5〜6年前から、この書評を読んでいるが、非常にわかりやすい。 その辺をネットで調べると
【「千夜千冊」は、2000年2月から執筆を開始、2004年の『良寛全集』で1000に達したが、それ以降から現在までも続いている。・・・
 2009年10月に、丸善丸の内本店に、松岡正剛プロデュースによる松丸本舗をオープン。ショップ・イン・ショップという形態で、
 松岡をはじめとする著名人の書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んでいる。 2010年7月には、
『松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)が発売された。】とある。 上京のおりに是非とも行ってみたいが、
 書店のあり方も大きく変わろうとしている。ネット書店は、こういう考え方をベースにレイアウトが構築されるのが理想だろう。
 iPodが根こそぎ、音楽配信のあり方を変化させたが、その波が今度は出版界にも、やってきている。去年からiPadなど
 タブレットPC端末の爆発的普及から始った。 パソコンは、その場で書評や解らない単語を調べることが可能である。
 それと指先を開いたり縮めたりで字の大小を変えることが出来る。これが読む方からしたら非常に良い。
 雑誌などは、パラパラと全体を俯瞰出来るところが良いが、下の欄にページを次々とスクロールできるので遜色ない。
 近い将来、検索で、あらゆる本の中の情報に辿りつける時代が来ることは間違いない。そうなると著作権の問題が出てくるが、
 それがニーズなら、その問題はクリアされるしかない。 
  ・・・・・・・
2010年09月30日(木
3475, 迫るハイパーインフレの危機 ー2
 この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態と見るべきである。
彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字を積み増している。それ以前に、この借金体質を作り上げてきた
これまでの日本は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレうを警告してきたのではない。
多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、警告を発しつつけている。それでもハイパーについては大っぴらには
書けないようで、大新聞では殆ど論評されてない。 以下は、藤巻健史の前回の続きである!
  * 市場主義に背を向けてきた日本
 円の価値は「健全なる金融システムにより保証されている」が、国の保有資産の価値も負債項目である紙幣の価値を
決めているといってよいが、国債の果てしない増額は、円の価値の下落を推し進めることになる。
一般的に百年に一度のガラガラポンが戦争でないことが、不幸中の幸い。日本破綻が「財政の破綻」を意味するだけである。
それがハイパーインフレであり、貨幣システムの不信任となり、我われに突きつけられる。預金の価値が果てしなくゼロになる。
 * 自分の財産は自分で守る
 ここで藤巻は自分の財産は自分で守らないと、裸同然になってしまうと警告する。著者自らについて、
「今は、自己資金だけの運用ですが、昨年末に日本株投資からは手を引きました。日本破綻となれば、日本株は壊滅的だからです。
 今は米国、特に金融関連株にシフトさせています。私は買ってはいませんが、どうしても日本株というなら輸出関連株でしょうね。
 円が急落する結果、輸出は急増しますからね」
「日本円の現金・預金は一番のリスク資産。インフレの一番のポートフォーリオは、株・不動産・商品等である。
 ハイパーの後には、円安になる。そのため円を他の通貨に変えておく必要がある」
  ▽ これは、ある日突然起こるから、その対策を今からとる必要がある。それにしても、あまりに無知で無用心なのが
   日本人である。他人のことを言っていられないが。目先、目先で政治が動く政治システムに問題があるが、
   それを自ら変更出来ないときている。やはり、一度、ハイパーインフレで、燃え尽くさないとならないのか!
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2009年09月30日(水)
3100,強請りの類
 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。小さなのを入れれば毎年である。
 何割かが、その手に乗ってしまうから流しが小遣い稼ぎに日本中の旅館、ホテルに回っているのだろう。
 それでも暴対法が出来てから激減をしたが、今も後を絶たない。
  ( 字数の関係でカット11年09月30日 ) 
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2008年09月30日(火)
2735, 学校 
山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。
それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は『冒険の旅に出る』
との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定である。
彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客にハラハラ
させられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。
そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。
  −−
 ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。
 彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。
 一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことになった大介は、
 別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。『大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/
 あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くことなん
 か目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露
 /流れる雲/小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/
                                    日向国浪人 大庭登』。
 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」
 と、号泣する。  別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。
 屋久島に行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。
 その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。
 険しい山道を真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。 その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は
 真知子に勧められて家に電話を入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に母が毎日泣いていることを伝えてくれた。
 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、
 真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。
 −−−
 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。
少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。
自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。
何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。
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2007年09月30日(日)
2371, え? なに! 何で?      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪
新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい!
切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。
ところが先週になってソニーファイナンスの審査部から電話が入り、「年金を貰ってますか?」という問い合わせが
入ったので、貰ってませんと返事をした。ところが一昨日「審査で融資付のものは今回は申し込みを受理できません」
いう手紙が来た。今まで一度もなかったので、非常に不愉快な気分になってしまった。
年齢からみて年金を貰ってないのが問題なのか? 私がブラックというのか?満額貰えるのが一年数ヶ月後であるので、
今受給しないのは当然である。しかし何で私が不適応? カード会社に対して返済遅延もないし、キャッシングそのものを
したことがない。カードは一回払いにすると現金払いより有利という理由だけで使っているだけである。
「何で?」という電話をソニーファイナンスにしたところ、「そういう質問には答えられません」という素っ気無い返事。 
  (字数の関係でカット08年09月30日)
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006年09月30日(土)
2006, 私の酒の自主規制とは
   おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
たしか以前にも書いたことがあるが、
酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。
驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。
そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。
キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。
・自宅で日本酒は飲まない              ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・)
・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない)        ・女性と二人で酒を飲まない
・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・  ・午前様でも、歩いて帰る
・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない      ・午前様は避ける(最近になって加えた)
・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ         ・地方名士様が集まる店には行かない
・客単価5000円以上の店には行かない       ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない
・ボトルは絶対に置かない              ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。
・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける
 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、
 イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 
 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・
 ーー
 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。
 そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ!この程度の者かお前は!
 しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている!
 さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・
 ・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2   −酒飲みの作法ー
(字数制限のためカット 2010年9月30日)
・・・・・・・
2005年09月30日(金)
1641, 37年前の自分へ返信ー2
卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。
貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。
インナーチルドレンに対する心の癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。
ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。
 ー1968年の私から、2005年の私への返信ー
手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと思います。夢と解っていても敢えて、
返信を書いてみます。 むしろその方が気楽です。何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いているような気持ち。
貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられたようでした。
現在の私は、とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄
というのが、日々の不安を大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか解りません。
卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が大きかったことに自信を失っているのです。
おそらく武澤ゼミの影響と、卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。
本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が吐露できないのです。
精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスをとることに精一杯なにです。それにしても、今という時はすごい瞬間ということも
理解しています。少しの判断が人生を大きく左右するからです。あなたの手紙から、60歳近くの貴方を窺い知ることはできませんが、
興味があります。しかし、知らない方が良いのかも知れません。多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトを
してきているのですから、色いろあったのだと思います。ただ貴方のこと、こじんまりとした人生を送るとは思いません。
夢の中でも、37年後の世界は想像すらつきません。ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。
誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして成功させて、その事業に価値をつけた状態で売り抜ける
プロセスでキャリアをつけていく事業家としての人生をおくりたいのです。 夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。
                                             ー つづく
・・・・・・・・・
2004年09月30日(木)
1276, 「元気の出る言葉」−1
検索をしていて、いつの間にかネットサーフィンをして、思わず面白いHPに出くわすことが多くなった。
ここにきて、時間が経ってそれぞれのHPが充実してきたこともあろう。
何か「元気の出る言葉」がないかと「プラスの言葉」で検索・サーフィンをしていたら、面白いHPに行き当たった。
切り口が単純で解りやすくてよい。 一言一言が、心に染みるものばかりである。 感想文も所々に入れた。
「たった一言の言葉」で元気も出てくるし、絶望もする。私など言葉の刃で、どれだけ人を傷付けてきたことだろう。
最近は、散歩の時「ありがとう」を500〜1000回、その他に「プラスの言葉」を10〜20を、それぞれ数十回も唱えているが、
それでも頭の中は何時の間にマイナスの言葉を繰り返している。まあ、普通は90?はマイナス用語の繰り返しというから、
その半分は、いや90?は消えているという実感がする。
 ーー
「キッカケをくれた言葉」集より
一歩踏み出そうと思う言葉−1
■どんなに青臭いと言われても、夢を捨てたら、手段に殺される。(by 藤原和博)
 感想ー「夢を捨てたら、手段に殺される!」考えてみたら凄い言葉だ。
 夢に挫折をした時、それまで準備してきたことが全て無意味と思った時の
 辛さや、仲間割れや、云々が頭によぎる。
 死ぬまで夢追い人でなくてはいけないのだろうか?
■時代はオセロのようなもの。
 隅っこの一人が、全部をひっくり返す。(by 中谷彰宏)
■遅過ぎない。
 早すぎない。
 ちょうどいい。(by 中谷彰宏)
■アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。(by 相田みつを)
■たやすくなる前は、何もかも難しいものだ。
 感想ー全くそのとおりだ! (by ゲーテ)
■夢は逃げない。
 逃げるのはいつも自分。
 感想ー逃げる場合もあるが、見えなくなる場合もある。(by 高橋歩)
(字数の関係でカット09年09月30日)
・・・・・・・・
2003年09月30日(火)
909, 巨人軍の原監督の更迭について
「巨人・大鵬・玉子焼き」の世代に生きてきたものにとって、
 巨人は大きな存在であった。しかし、この数年は年々興味が薄れる一方だ。
(字数の関係でカット08年09月30日)
・・・・・・・・・
535,同級会
- 2002年09月30日(月)
 この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。但し同窓会はでないようにしていた。
同窓会は高校と大学だけだが、知らない人間が年上というだけで気を使わなくてはならないのが嫌だからだ。
・小学校が5年に一度、中学と高校は毎年開いていた。
・中学は3年前仕切っていたマドンナが事故で大怪我をして休会状態だ。今年から復活する?
・大学はゼミの同窓会が毎年おこなわれていたが、5年前に教授が亡くなられて今は出席していない。
大学は10年単位で学年ごとに学校が主催で会を開いている。これが素晴らしい。 我を忘れて数十年前のことを思い出すのもよいもの。
 中学高校を毎年開いている話を知人が聞いて、「毎年同級会を開くなんて変態だ!」と驚いていた。 知人は最近同級会を始めたが、
それまでは殆んど開いてなかったという。先日の法事で7歳年上の長岡に住む従妹が、年4回欠かさず開いていると聞いて吃驚仰天した。
世の中上には上があるもので、それも13人だという。 面白いもので、小、中、高、大学と物理的にも知識情報にも、上に行くほど
明確に世界が広くなっている。「学校をでたら、10〜20年は学校の友人とは付き合わない方がよい」と本で読んだ事がある。
人間として脱皮できなくなるという。大学を出て10年ぶりに友人の結婚式に出たとき、学生時代の知人のグループに
出くわして驚いてしまった。当時と何も変わってないのだ。 すぐに家業を継ぎ友人関係もそのまま、同じ地域にいて・・・。
それが良いかどうか解らないが、いやに奇妙な感じだった。地方には長男長女が多い。それ以下は外に出るケースが多い。
不景気になってくると、全体に暗い会になりがちである。高校の同級会は年毎に少なく暗くなる。地元じゃ
大手の会社に勤めているか社長だ。それまで胸を張っていたような人ほど元気がない。また出席は10年前の半数以下だ。
 倒産、倒産直前、リストラ、早期退職など暗い話だけだ。日本で現在長岡が一番不景気だともいわれている。
毎月のように廃業、倒産がおきている。 次は何処が噂のネタになっている。同級会は40前後が一番良いといわれている。 
社会的にも絶頂で、先生も定年近くで、女性も子供の手が離れる時期だ。50歳過ぎると、お互いに我侭が出てくるし
遠ざかる時期でもある。それと死亡が目立ってくる時期だ、5年ぶりの小学校で100人の同期で5~6人も亡くなっていた。
その年になったということだ!
・・・・・・
[166] 映画  2001/09/30
昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。何故いい年をしてアニメ映画?
   (字数の関係でカット11年09月30日)


3839, iPadと、アプリ、あれこれ ー1

2011年09月29日(木)

 iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、驚きの毎日を過ごしている。
* その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色のチョークと、黒板消しが、
 下の溝に置いてあり、それを取り出しメモを書きこめる。 凄いのは、それから。上段にあるカメラのアイコンを押すと撮影され、
 iPadの写真ロールに自動的に記憶される。 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出してくれる
 機能の応用である。これは非常に便利。 黒板はチョークで書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。 要は手書きのメモを、
 写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 
* メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、そこに添付することも出来る。 またマイクのアイコンを押すと、
 録音も添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だろうが・・ 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。
 カラーペンが豊富に用意されていてスケッチ用になっている。 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。
* 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くのコンビニや、飲食店を表示してくれるものがある。
* Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、この上なく便利である。
*「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つかを現在、毎日のように立ち読みをしている。
 前書きとか、目次、そして、冒頭の内容を載せていて、「興味ある人は購入してください」と、誘うもの。
 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が見ることができる。
  初めてiPadからネットで買ったのが、「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たなアプリ探しをしている。
 この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすいことが確信できた。 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。
 これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが
 店頭書店の売り上げをこえた。これは、あくまで販売経路の売り上げだが。 本といえば・・・・ それは次回。
 書店まで行って買う手間や、本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で省ける便利さは何よりである。 

・・・・・・・
3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1
2010年09月29日(水)
 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、
  ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・
 * 日本とギリシャは、どっちが健全か?
「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国保有している。
したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の95パーセントを保有するのは
日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と認識しておかなければ。」
  △ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、日本の資産を確保するはず。
 * 日本の財政再建は時すでに遅し
「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、毎年10兆円ずつ
 返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円にしても捻出は難しい状況です」
  △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! 
 * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。
「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。これに借金を重ね、さらに膿が体に回って、
 敗血症になって死んでしまうか、おできを針で突いて膿を出すかしかありません」
「日本の財政不振から国債の売り出しがうまくいかず、日本国債の暴落が始まり、円も急落し、日本株もストップ安の、
 いわゆる『トリプル安』が起きます」 −バブル崩壊以上?・・・ それは90年代後半のアジア危機、韓国経済崩壊、
 ロシア危機以上のショックとなるでしょう。企業が相次いで倒産し、失業者があふれ、年金は実質ゼロになる。
 同時に、非常事態ということで、日銀が国債を引き受け、その結果、紙幣が市中に満ちあふれ、“ハイパーインフレ”になります。
 タクシーの初乗り料金が100万円という状況になれば、日本人の貯蓄はあっという間に紙切れになります。
 一方、巨額の借金に苦しむ政府にとっては借金を微々たるものにでき、まさにハイパーインフレは“合法的な徳政令”になります」
  〜
 まだ、デフレで、インフレだが、来年後半からインフレの兆しが見えてきて、2012年辺りから円安、株・国債の暴落の後に
 ハイパーインフレが本格化する。怖いのは、これである。国家や体力のあるグローバル化している企業は何とか生き延びられる
 だろうが、多くの企業は存亡の瀬戸際に立たされる。これが日本だけでなく世界的に起こる可能性が強い。動乱の20年の三年目。
 ・・・・・・・
3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2
2009年09月29日(火)
  =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から
・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。
 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。
・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が
 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。
・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少)
 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、
 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。
・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、
 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。
  〜以上だが、
「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」
 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、
 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。
 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が
 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。
 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。
 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、
 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、
 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を
 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは?
 オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。
  *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない
  *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
  *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
  * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち
  *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。
  *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない
  *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。
何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。
しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」    ーつづく
 ・・・・・・・・・
2734, 米国金融恐慌の深層 −2
2008年09月29日(月)
前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。
  ー まずは、続き の部分から ー
【 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは
 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。
 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。
 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。
 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。
 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。
 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、
 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。
 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。
 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
  * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。
 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。
 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。
 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」
 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。】
 ーーー
 評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている世界システムが米国が自ら叩き壊してしまった。
 そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。 誰が一番困るか、日本と中国である。 
 10年、20年スパンで考えると、当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。
               (字数制限のためカット2010年9月29日)
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2007年09月29日(土)
2370, 喫茶店の話
先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種
そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。あったとしても、実体は定食屋だったり、年中休みなしで働くか、
趣味として採算度外視と割り切ったものだったりするのが実情である。チェーン店のそれは、中食ージャンクション食として、
コーヒーにスナックを軽く食べるのを目的としたものである。値段の高い、家では飲むことの出来ないコーヒーを
飲ませる外資系のチェーン店もある。ただし、個人店としては成り立ちにくく、年々店は減っている状態である。
   (字数制限のためカット2010年9月29日)
・・・・・・・・
2006年09月29日(金)
2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i
「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。
 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイが差別用語なら「既知外」といえばよい。
 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。
 一番さわりの部分を抜粋してみるー
(字数の関係でカット09年09月29日)
・・・・・・・  
2005年09月29日(木)
1640, 個性について
 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
 −−−
ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?
ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと
 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか
 によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い
 ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。
ー今西 個性が浅いということですね。
ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を
 より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、
 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
(字数の関係でカット008年09月29日)
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2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー
ハワイが意外とよい。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイというので、その良さをあまり誰も言わない。
オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。
行くまでは、私もそう思っていた。 しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけで自然の宝庫に出あえる。
ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。 火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。波が荒く、サーファーが波乗りがロケーションに
ピッタシなのだ。 ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が
安いのは皮肉といえば皮肉である。日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。
今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。
実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、社員の半分近くの総員27名で行くことになった。
これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。どこに行ってもバス一台貸切である。その時の添乗員が、
後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さんであった。彼とは今でも付き合いがある。これで面白くないわけが無い、
6日間の祭り騒ぎの旅行になった。これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。
私も若かったし(当時32歳)、若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気がまた良かった。
ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。そこにいるだけで癒された。何処にいっても、
お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。今のラスベガスがそうだというが、全てがショーアップされていた。
世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。
・・・・・・・
2003年09月29日(月)
908, 医師?それとも技師?
 お医者様の話をしてみよう。
そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。
少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のようにモルモットにされて殺されてしまう。
こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解できない。あのエイズの血友病の放置と根は同じだ。
 ーー
・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。
これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。
一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。
こういうのが医師としてまかり通っている。 
      (字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・・・
534,「少し早めな遺言」
2002年09月29日(日)
50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。
数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。殆んどというと、少しは書いていたのかというと、
会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、5年前に数行書き始めてそのままのものがある。
照れくさくって書けないのが実情である。図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。
作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。 実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、
ある程度フザケテしか書けないだろうが。でも半数はけっこう真剣に書いている。
ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!!
 実感で書いてみる。
・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。
 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。大した事はないから、その点は気にしないでいてよい。
 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。
・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」
    「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」
(字数の関係でカット011年09月29日)
・・・・・・・・・・・
[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29
 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。
ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。あいた口が閉じなかった。何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。
これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、
値段を表示するのは可笑しい」私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。
( 字数の関係でカット011年09月29日)


3838, ツール(道具)について考えてみる ー4

2011年09月28日(水)

 20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。 そして、以前から使用していた物理的道具と共に他の動物を狩猟し
勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの植物採取と狩猟では生きていくことが
出来なくなって、牧農が始まった。 その時に、それまで培われてきた言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。 
経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を越えて言葉や絵に置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。
 現在の情報化革命が20万年来の人類の革命といわれる。 デジタル化とネットで情報が瞬時に地球上の個々人に行き渡るようになり、
人間と社会の有りようを根底から変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 
新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか想像さえ不可能。
連日のようにiPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で
辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も十分の一以下で、コードから解放され、ボードからも解放された。
タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、本やアプリも簡単にネットから購入可能になっている。 
 丁度、購入して一月経つが、それまでの情報の質量が一桁は増えた感がする。 ツールを弄るのが面白くなったら、しめたもの。
アプリについては次回に書くが、調べれば調べるほど次々と面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。
それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いものが多いのは当然である。
 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで書いていた。 面白い偶然である。
「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、iPadがいいか?」
という問いかけになったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」ことになる。トイレの読書と同じ?
 どんどん使いかってのよいツールは、使えばよい。 ただし、振り回されるな!ということになる。
 ・・・・・・・
3473, 幻滅論
2010年09月28日(火)
             「幻滅論」北山修著
  ーまずは背表紙より
【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与するべく、
人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に入って30年、著者は
臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識して、日本語による日本の臨床に
生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」
や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に
夥しい数の母子像を発見して、その構図を分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人とのつながりであり、つながりがありつづけている
という幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが収められている。 
『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。子が母から切り離されるとき、抱える環境から自分が
切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも
現実と触れあうチャンスとなるのだ。類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】
 〜〜
 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。
幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると
【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。
兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。
兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立する。
逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。
中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している】とある。
 ー幻想論は、ここで書いたことがある。 それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。
母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。
その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 
それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの自分を振り返ると
大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実のギャップなど経験があったが。
そ時の心理が幻滅とすると納得する。 勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、対象にはイメージ通りとしても、その背後には
自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻という
データがある。 幻想が、幻滅に変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。
・・・・・・・
3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1
2009年09月28日(月)
  * ほんとうかいな?
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 
  ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー
「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、
有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」
と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番
余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと
経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが
真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、
あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を
押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし、現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。
なぜ{一つもない}と断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。
一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる国など、
本当に一つもありません。 ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。
 ポイントを言うと
●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない
●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家
 〜〜
 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされてしまって
紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。しかし、だから如何した。
国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、不動産資産の価値の暴落があっても、
その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。
 次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。                                                              ー つづく
・・・・・・・・・・
2733, 米国金融恐慌の深層 −1
 2008年09月28日(日)
朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎が《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機の本を評論していた。 
内容が長いので二回に分けて掲載するが、こと、ここに至って、冷静過ぎる内容と感じたのが私の感想である。
 まずは、その内容の前半を・・・
 −−−
今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。
山一証券の約125倍という巨額の負債だった。 公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。
翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手のAIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、
発行済み株式の約80%を取得して、管理下で再建を図ることとした。
AIGは住宅ローンの証券化商品の元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大鰍に販売しているため、
元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる恐れありと当局は認識したらしい。 
昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、サププライムローンそのものの焦げ付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。
ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、「金融システム危機」が予感されている。
 *真実味帯びる悲観論*
こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、「実体経済の数字はそんなにひどくありません」
 「アメリカが駄目だと言われているほどにドルは下がっていないのでは?なかなかに打たれ強いですよ」と述べている。
 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募.増資できている」ことが拳げられているから、
 悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。
・「週刊ダイヤモンド」は悲観論の郵緬を分かりやすく図式化している。損失計上ー>貸し渋りー>景気悪化ー>焦げ付き増
  ー>損失計上の「負のスパイラル」が始動、大手金融だけでなく地銀・住宅公社からノンバンク、モノライン
 (証券化商品や地方債の保証会杜)までがバランスシートを悪化させ、もはや公的資金注入は不可避とする。
・水野和夫の推計によれぱ、米国の実質的な住宅価格はさらに34%は下落する。住宅ローン残高よりも安くなると金融資産を持たない
 多くの家計で差額が不良債権となってしまう。その紛額を大手金融機関の自己資本に匹敵する1・27兆弗と見積もれは、
 現在4千億Fルの処理進捗率はいまだ31%にすぎない。これからが危機の本番ということになる。
 公的資金の注入は避けられず、しかしその原資を調達しようにも増税は無理だから、国債を外国人、なかでも中東諸国や
 最大の貿易黒字国である中国に買ってもらうしかない。しかし国債に償還のあてがないとみなされれは、
 国際通貨としてのドル離れさえ起きる可能性がある、と言う。 
・さらに野ロ悠紀雄は、こうしたドル危機の「原因」はサブプライムショックであるかに見えるが、
 それはむしろ「結果」で真因はGDP(国内総生産)の5〜6%に膨れあがった米国の経常収支の赤字にあるとする。
 物価および利子率の差が日米間で3%あり、両国間で同一財価格が同一に、どちらの通貨で運用しても利回りが同じになるには、
 ドルが円に対し毎年3%減価(円高)しなけれはならない。ではなぜ経常収支赤字が減らなかったのか。
 それは円安を持続させ対米輸出を維持するために日本が資本提供をしたからで、しかしドルがードル70円程度まで低下する圧力は
 かかっていたから、いずれ何かのきっかけに解消されたはずだと推測する。
  −−−
 評) アメリカ金融危機に対する多くの本が並んでいるが、今年に入り、その最右翼の悲観論者のいう通りになってきた。
ここでは最右翼の本は扱ってなかったため、迫力に欠けた内容になってしまった。 学者タイプの人のためか生々しさにかける。
初め取り上げている北野一は甘いのか、もし恐慌になっても、それさえ乗り越える国力がアメリカには有ると言うのか?
  (字数制限の関係でカット2010年9月28日)
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2007年09月28日(金)
 2369, 大物の不在
産経新聞の、この日曜日の【論壇時評】10月号の中の「大物の不在」の論評の部分が面白い。
先日「ポスト・モダン主義」というテーマの内容で、{大きな物語=モダン主義の終焉により、大物が存在しにくくなってしまった。
存在したとしてもあまり脚光を浴びない時代になった}と、書いたばかり。そのことを宗教学者の山折哲雄は、宗教学者の視点から、
多くの闘いを勝ち抜いて大物になっていった本物が現代には存在しえなくなったと指摘していた。
そのプロセスで早々に寄って集って引き摺り下ろされてしまうのである。
ーまずは、その部分を抜粋してみるー
  山折哲雄は、折しも「日本から『大物』が消えた」(月刊誌・諸君)と述べる。
大物を好まなくなった現代日本の文化状況と、大物と本物との違いなどについて語るのだ。
 (字数の関係でカット2008年9月28日)
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2006年09月28日(木)
2004, 「私」のための現代思想  −4
  (字数の関係でカット2008年9月28日)
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2004年09月28日(火)
1274, シュリーマンの話−2
ーシュリーマンの「語学習得法の秘密」ー
シュリーマンにとって、語学力が最大の武器であった。 語学力の方法として、「当時売れていた小説を、丸暗記をする方法」
を取っていた。ストーリーは解っているので、意味は敢えて考えなくてもよい。
更に一ヶ国さえマスターすれば、他の外国語も同じ小説で、同じプロセスを踏めばよい。(詳細は後記) 理に適っている。
若いときにこれに気づいていれば全く違った人生が踏み出せたのにと、今さら悔やんでも仕方がない。いや実をいうと、
高校に入学をしたときの英語の先生が、殆んど同じ方法を教えてくれていた。右の耳から入って、左に抜けていっただけなのだ。
バカの壁にしっかりと囲まれていたのだ。「全く、もう!」である。 以下は幾つかのHPから抜粋し、まとめてモノである 
 ーー
シュリーマンは、1820年にドイツの一寒村に牧師の子として生れ、貧困の中から商人として巨万の富を築き、
その富を使ってトロイアなどエーゲ文明の遺跡を発掘した人物である。
彼がどうして巨万の富を築くのを可能にできたのか。それは、彼の類まれなる「語学力」にあった。
10数カ国語を自由自在に駆使し、他の商人よりいち早く情報を把握してビジネス・チャンスを次々に掴んで富を築いていった。
彼は「多くの外国語を極めて短期間に習得した語学の達人」と言われているが、その「語学習得法の秘密」は
どんなものであったのだろう。シュリーマンの学習法は、物語を丸暗記するという特徴的な方法を取っている。
英語では、当時よく読まれていたゴールドスミスの「ウェイクフィールドの牧師」とウォルター・スコットの
「アイバンホー」を丸々暗記している。物語を丸暗記する方法は、ストーリーがあるので記憶に残りやすく、
文章を丸々憶えるので熟語やコロケーションなどの言いまわしがそのまま身につく。
この方法で、彼は英語を僅か半年でマスターした。 更に以下の勉強方を工夫していた。
・非常に多く音読すること。        ・決して翻訳しないこと。
・毎日1時間あてること。         ・つねに興味ある対象について作文を書くこと。
・これを教師の指導によって訂正すること。 ・前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦すること。
・彼はさらに、会話をものにするために、その外国語が話されている
 教会にかよって説教を聴き、一語一語を口真似する方法もとっていた。
 以下は字数の関係でカット!(2007年09月28日) 同日のクリックをしてください)
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533, 離婚事情
2002年09月28日(土)
(字数の関係でカット 2011年9月28日)
・・・・・・・
[164] 目的と手段
 2001/09/28
 目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目に
そういうのが多い。営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、営業が反対に手段になってしまう。
何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。手段を楽しむ事は大事だ、そうでなくては目的は果たせない。
といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。
 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)その喩えがピッタシである。
目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。
至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。
どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、
真にうけて社長業を放棄・・・・・、いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。
 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって逆転も何もないのか!
そのあたりが本当のところか?ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、
自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。
馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー
ーーーーーーーー
* H0609歩行とダンス
 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?
ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。
今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”
と一人笑った。 大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく
“私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。
 ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。そしてその反対に逆の人も。


3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』

2011年09月27日(火)

 二週間以上も前の話題になるが・・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。
金曜日の少し早めの9時開始だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーでアフリカや南米、
北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。
手付かずの野生動物の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で生存の知恵が生まれてくる。
TVのシリーズで放送した総集編だったが、大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、
人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。  ところでiPadのアプリをみていたら、
「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 
てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。
しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、
引き込まれてしまった。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しいのである。
日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。
≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・・自分自身の人間性の反映です。彼らは「私たち自身」です。≫ と。
 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に知らしめる力がある。 地球の素晴らしい秘境の大自然や、
そこの住人が昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、リアルに記録してくれる。 それだけでない、
手付かずの大自然の中には野生の動物や、数多の植物が生きている。 この東北大震災と福島原発の汚染は、その正反対の近代科学が
もたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじ を検索すると次のようにあった。
  『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。
 肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによる
 グンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の
 珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。
 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは
 捉えられないので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーションでその生態を追うことが可能になった。
 この他にも、数多くの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。
 コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を転がり落ち逃げる様子。
 木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、
 こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】
  ・・・・・・・
3472, 人生、よもやま話
2010年09月27日(月)
 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 
現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。
終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく
犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 
一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。
這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。
夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。
そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、
人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、
この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと
父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の
家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。
今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。
そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。
そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。
 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。
二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして
ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。
これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。
 ・・・・・・・
3097,返済猶予法案の成立から見えてくること!
2009年09月27日(日)
ーまずは産経新聞の記事からー
 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、
中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、
早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や
モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
 ・・・・・・・・・
2732, 恐慌前夜 −3
2008年09月27日(土)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」
  と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。
 「それでは我われ庶民は如何すればよいのか?」といわれても、どうにも答えられない。 
  せめて、銀行預金を金の現物に替えておくことしか考えられない。私の知人はケイマン諸島に5000万円の預金をしている。  
  この事態を見越して数年かけて準備をしていたのである。外国に金融関係の友人がいて、日本の危なさを知っていたのである。
ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。
  −−−
*恐慌前夜、何に投資すればよいかー
 アメリカ発の《世界恐慌》は、もう誰にも止められない。
銀行の預金は、下ろして現物資産に置き換えるべきである。
地金か、カナダドルか、オーストリアドルにすべきである。アメリカドルは止めておいた方がよい。
金は現在、グラム3000円だが、3〜5年以内に6000円になるだろう。
不動産は、換金性の高い優良物件以外はやめておくべし。
原油高騰は、現在100ドルまで下がっているが、これは再び高騰するだろう。
こんど高騰を始めたら、250ドルあたりまでいくだろう。
そのまま放置すると、ハイパーインフレになるだろう。
 解)来年は間違いなく食品が暴騰しそうだ。暴騰をした時に、儲かる会社の株でもよいが、
   それが何か分からない。アメリカの金融の瓦解も、ここまで激しいと恐ろしくもある。
  −−−
 *中国も「一月危機」で崩れたー
 今年の1月21,22日以来の世界株総崩れの時に、中国の株が崩れて以来、元に戻してない。
上海総合指数は最高値の6000元以来、2000元まで暴落している。2010年の上海万博までは何とか持つだろう?が、
それから5年間は最悪の状態になり、2015年あたりから再び上昇するだろう。
中国の20年来の驚異的な急成長は、実は保有する米ドルとアメリカ国債を、もとにした信用が土台にあった。
現在の中国が保有する外貨は200兆円。その殆どが米ドルである。しかし、現在中国は密かに分散を始めている。
その対象として日本国債と円である。
 解)中国株も、底を確認した時が買いだろう。それより1年前の2014年辺りが買い時期だろう。
  −−−
 *すべての金融商品は「保険」から始ったー
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2007年09月27日(木)
2368, 閑話小題
 *安部居抜き内閣*
福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」
というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。
もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。
 *時津風部屋一家殺人事件*
この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。
親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。
今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。
相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。
殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。
リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、
復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。
それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2006年09月27日(水)
2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・
 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。
  その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。
ーBuymaー
 誰もがバイヤー」になることで誕生した史上初の「お買い物代行コミニュティ」である。
 会員は世界50ヶ国に広がっている。 
(字数の関係でカット2008年09月27日)           つづく    (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年09月27日(火)
1638, 巨大スーパー販売前線の男達
一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。
デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。
業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。
流通グループの勝ち組のジャスコと、ヨーカ堂であるが、一方の雄のヨーカ堂の惨状をリアルにレポートした内容。
よくぞ、ヨーカ堂も、堂々と公開したものだ。まだグループとしての余力を見せたかったのだろか。
アメリカのスーパーを手本にスタートした日本のスーパーは、バブル期に進めた経営多角化の失敗や
崩壊後の収益悪化に苦しんでいる。さらに安売り戦略を武器にしたアメリカのウエルマートの市場参入もある。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2004年09月27日(月)
1273, 2000年前のポンペイ
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
 ー まずはポンペイの概略を書いてみる ー
ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の
繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほど。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、
三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、
噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は
人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、
妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、
売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうとコーヒー一杯分だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、
十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった
事実を多くあった。街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
  (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2003年09月27日(土)
906, 金魚の話
 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な「黒いランチュウ」がいた。
仲間とは群れず、一匹水槽の中を泳ぎまわっているのだ。 指を水槽につけると、人懐こく指を動かした先をついて回ってきた。 
事務所の水槽は丁度定員一杯だったが、「凄い!二度と巡りあうことがない!」とポケットマネーで即座に買った。少し高かったが。
 事務所の水槽にはランチュウだけ12匹いるが、現在その中を一匹が我が物顔で泳ぎ回っている。5倍もある一番大きいボス?と、
顔をつけて餌を奪い合い食べている。大きいヤツは普通の数倍、餌を食べなければならない。その為には水面に口をつけてバキュームの
ように,浮いている餌を吸い取っていく。これと同じ食べ方を一匹だけ、この凄いヤツが早くも身につけた。 餌をやろうとすると、
水面を飛び上がる勢いで餌にくいついてくる。 殆どが群れているが、一切群れないのがよい。 まだ数週間しか経ってないが、
日ごとに大きくなっていくのが判る。 こういう奴が、鳥でもいた。 エネルギーが満ち満ち溢れているやつだ。 無毛性のインコの
ヒナで手を差し出すと、必死で身体を摺り寄せてきた。後で買っておけばよかったと後悔した。金魚でも弱いやつは、入ってくると
既存のヤツに水槽の片隅に追いやられ、1〜2週間で死んでしまう。 隅のほうを向いてジッとしている。動物社会と同じである、
いや人間社会と同じだ! 所詮人間も金魚も同じだ。 結婚した頃に、ランチュウを数匹飼っていた。その一匹が水面を跳ねるのだ。
突如、水面に向かって泳ぎだすのだから、跳ねるのとは少し違う、遊んでいるようであった。
なるほど金魚にも遊びがあるんだとビックリしたことを憶えている。 ランチュウの愛好のホームページがある。
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532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 
- 2002年09月27日(金)
 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。
お盆に下の息子が帰省した時に、居酒屋で彼等から聞いて思い出した話だ。
その時「一人娘とホモに気をつけろ!」と言ったという。「知っていれば、何処かで気をつけるだろう」と、
注意しておいたのだ。それにしても、変わった面白い注意をしたものだ。 せっかく育てた子供を、
他人の家の子供にしたくないという心配が、そう言わせたのだろう。あとは息子がホモもまずい。後では取り返しのきかない。
特に都会ではそういうのが多い。女姉妹だけの長女とか、一人娘は要注意だ。本能的に、よい獲?がいないかと
目を光らせて狙っている? これは注意をしておけば避けられる事だが、それでもよいなら問題ないが。
あと幾つか注意したと思うが、「本を読め、色いろなアルバイトをしろ、ゼミに入れ、クラブにも入れ、
大学でしか経験できない事を可能な限り経験しろ」等々、いったことを思い出した。
  大学時の経験が一生の圧縮だ。
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[163] ] チンドンヤー 2   2001/09/27
 チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。チンドンヤの意味はその辺の英雄である。
鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。 そして悪役が必要になる。
そして本人-主役のチンドンが始まる。 自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。何回悪役にはまってしまったか。 
次に観客も必要になり観客作りをやる。それを自身の利害をかけてやるか、にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。
私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局!この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・。
特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくりその糸の手繰りをやる。以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。
その手口をみていると自分でまずストーリーを書く。忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、しかし何度も
重ねればその筋書きは見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」と言うらしい。 ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。
ヤクザが1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりの因縁をつけてきた。迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが
解らないようだ。彼らのワンパターンの手口は「仲間から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。
そして数百万の商談が壊れた」という手口である。もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、警察に電話をかけるのが手順。
実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。
こうなると執念に近いが。これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。


3836, ツール(道具)について考えてみる ー3

2011年09月26日(月)

  どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。
情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に
限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。
知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。
それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁国家の現象。
 知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。
また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、
あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、
映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚のタブレットに集約されたこと。
音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。
本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出てきている。(ある時期が過ぎると自動的に消える)
iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものを
ダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。
対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 
 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚のICチップに80億個以上の
トランジスターが入ったものが出ているという。 トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきた
トランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが
80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、
世界を根底から変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭する
生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 ツールはツールである。
 午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。逆に中途半端か。 こんなに面白いもの、私は使う方をとる。
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3471, 久々のジョーク -9
2010年09月26日(日)
  * 呼び方
 意地悪な伯爵夫人をブタと呼んで訴えられたミラノの家政婦。法廷でさんざん油を絞られたあげく、罰金刑に処せられたうえ、
原告のいるその場で謝罪を命じられた。家政婦は謝罪の言葉とともに、伯爵夫人に深々と頭を下げた。 儀式が終わったあと、
裁判長に向かって家政婦が尋ねた。「以後つつしみますが、ブタを伯爵夫人と呼んでも罪にならないでしょうか、裁判長? 」
裁判長は、それは法律上いっこうに構わないと明言した。そこで家政婦は伯爵夫人に向き直って言った。
 「伯爵夫人、今日のこ機嫌はいかがですか?」
  * 男女の差
「洞察力は男のほうが上だよ。それはおまえも認めるべきだ」 
「ええ、認めます。だからこそ、あなたは結婚相手にわたしを選び、わたしの方はあなたを選んでしまったですからね」
  * 動物愛護
 母親が買ったばかりの毛皮を試着しているのを見てエコロジー派の娘
「お母さん、お母さんがそうして喜んでいる陰でかわいそうな動物が泣いているのよ」
 母親、娘をキッとにらんで、「お父さんのことをそんなふうに言うもんじゃありません」
  * 祈り
 チベットの盆地を一人行くラマ僧。遠くにオオカミの姿が見えたが、逃げるとかえって追われると思いそのまま歩き続けた。
オオカミは足が速く、あっという闇にラマ僧の自の前に来ていた。図体が大きくやせ細ったオオカミは、ラマ僧の横に倒れこんだ。
襲ってくる様子も見せないオオカミを見ていると、なんとオオカミは手を台わせて祈りのポーズをとっているではないか。ラマ僧は
仏に感謝した。「御仏のお情けで、こんな山奥のけだものにまで信仰心が目覚めております…釈迦さまの徳の高さをお称えいたします」
オオカミはラマ僧の方を振り向いてうなった。「ブツブツ、ブツブツうっせえな。おいらの食前の祈りの邪魔をするな 」
  * 離婚の理由
「ぼくが結婚した理由を申し上げましょう。何を隠そう、自分でコインランドリーに行ったり、テイクアウトで夕食をすませたり、
1人で食事をすることにあきあきしたからです。離婚するに至った理由ですか? それもいま述べた理由とまったく同じです。はい」
 ( 多くの旦那は、ただ離婚に至らないだけじゃない? 3割の離婚をのぞけば! )
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3096,久々にジョーク −4
2009年09月26日(土)
 * ジョークあれこれ ー2
  ー復讐ー
 ある男が旅先で泥棒に遭い、旅行カバンと財布入りのバッグを盗まれてしまった。帰りの航空チケットは運良く背広の内ポケットに
入っていたが、空港までタクシーに乗る金がなかった。男はホテルの 前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み運転手に事情を話した。
「…というわけなんだ。自宅に戻ったら速達で倍の料金を送るから、空港まで乗せていってくれないか?」
「ふざけんな、こちとら商売なんだぜ。金がねぇんなら俺の車から 出ていきやがれ!」 男は何度も頼んだが、
運転手は頼みを聞いてくれなかった。 男は やむなくヒッチハイクをして、どうにか空港にたどり着いた。
  一年後、男は同じ土地を訪れ、今度は無事に旅行を楽しんでから帰路に着いた。
ホテルの前で客待ちをしているタクシーの列を見つけ、先頭のタクシーに乗り込もうとした男は一年前の非情な運転手が
列の最後尾にいるのに気付いた。 男は、あの慈善の心を持たない運転手に仕返しをしてやろうと考えた。
男はまず、先頭のタクシーに乗って運転手に尋ねた。 「空港まではいくらかかる?」「15ドルくらいだね」
「じゃあ、50ドル払うから、途中で俺にケツを貸してくれないか?」 「なに!? ふざけるな! 俺はオカマじゃねぇ!
とっとと車から降りろ!」 男は先頭のタクシーから降り、2台目のタクシーに乗って同じ質問をした。
2台目のタクシーの運転手も激昂し、男は車から降ろされた。男は同じ質問を 3台目、4台目…と、
次々に繰り返しては、車から降ろされた。 そして最後の、あの運転手のタクシーに乗り込み、男は言った。
「空港まではいくらかかる?」 「15ドルくらいだな」 「じゃあ、空港まで頼む」
運転手は何の疑問も持たずにタクシーを出した。前に並んでいるタクシーの 横を通り過ぎるとき、
男はそれぞれの運転手に笑顔を向けながら親指を立てた。    解) 実際にあった話のように聞こえてくる
  〜〜
 ー良いのか悪いのかー
医師「良いニュースがありますよ、ミセス・ボンド」
 女性「失礼ですが、私はミス・ボンドです」
医師「でしたら、悪いニュースがあります」          解)「立場変われば、品変わる」か〜
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2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
  *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば
750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、「GSEはすでに実質超過
(破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
 *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178
アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。
 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
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2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、解りやすい記述があった。
具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。
最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れる
ことしかできない。少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
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2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1    おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。
著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。   
 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)               \(^▽^*)バイ!
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 2005年09月26日(月)
1637, 37年前の私への手紙−1
ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、
 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。
ー37年前の私への手紙ー
あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。
倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 
見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。
数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。
あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 
社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。
あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。
現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。いや社会そのものに鍛えられたのだ。 
その結果として、何か大きなものを失ってしまった。あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方
(37年前の自己)の悩みこそ大事である。そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。
膨大な未知の世界を前に好奇心と期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかったか。 
貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を
言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を摘み食いを
していただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。
それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。
あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した
だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。
あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。
しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。
しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。
まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ!
 他人をもっともっと大事にしなさい。 これが私の最後の言葉です。              ーつづく
 ー後記ー
人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。
当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。
当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。
それがよい。旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。 一番思い出になるからだろう。
 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。
・・・・・・・
2004年09月26日(日)
1272, シュリーマンの話−1
映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。
トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。 誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?。
男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行ってヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で
初めて纏めた「伊能忠敬」である。 それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が
多い人物も珍しい。 また膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスター、それを武器に莫大の資産を得た。
外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。
あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。
 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日)
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2003年09月26日(金)
905, 物を置かない努力
 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、
といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。カラーは白と黒だけ、
空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。
コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。
 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。
「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。
銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。
私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。
頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。
せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。
 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。
まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。
「孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。
これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。
圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。
そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。
 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。
サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。
生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。
しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。
さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう!
・・・・・・・・・
531, 天皇制度について
- 2002年09月26日(木)
 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。 島国とか離れたスカンジナビア半島のように、
あまり外部との入れ替わりの無い国では、王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも
王室が有効となる。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。アメリカ大統領の宣誓式で
バイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で国家への奉仕を約束をすることである。
旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には必ず二人の対立したセカンドがでてくる。
 (字数制限のためカット 2010年9月26日)
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 [162] 手順  2001/09/26
 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。
大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイント。
 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。
そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき
その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 
チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる
プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、
それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。
創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。
それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。
「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。


3835, ツール(道具)について考えてみる ー2

2011年09月25日(日)

 ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に置き換え、さらにその働きを拡大したり
延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは
大脳の働きを機械に置き換えたものである。ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、
器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための
手段であり、創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために
人間の器官の働きを助けるためのものである。】とあった。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 自分の目的に最適なツールに
出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 学生時代を振り返ると、努力のわりに成績が良くなかったのは、
どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、
その後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。
どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に使えるのだから驚異的である。
銀行の支店の一つや二つの全機能が、小さなチップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時にコピーされ
普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前である。「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」された
ベストのツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。
 
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3470, 昨日は母の15回忌
 2010年09月25日(土)
 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容で、
夢から醒めても暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。
家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので溜まっており、その捌け口で
徘徊を始める。しかし、本人にとっては、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているようなもの。
それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったことか。
したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。
亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)
50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になって死線を漂った後に、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに向かって
全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。 まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をして、設定したライバル
に対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の
末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在になって分かった。
 冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場でもあり、天国である。
 ・・・・・・・・
3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」                   解)好きだね、こういうの!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」     解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』
 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』
 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』     解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。
 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
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2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。
そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
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9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
  〜〜
この7月から新たな金融危機が始まった。7月13日にペンリー・ポールソン米財務長官の驚くべき記者会見があった。
私が前々作「ドル覇権の崩壊」と、そのあとの『連鎖する大暴落」(いずれも徳間書店刊)で主張してきたとおりである。
アメリカはいよいよ本格的な金融恐慌に突入しそうである。次の「連鎖する大暴落」が年末までに起きるだろう。
この7月危機を引き継いで、事態はさらに深刻になってゆく。大きな銀行と証券会社が世界はたんの中で次々に倒産してゆく。
この7月危機では日本の三つの大きな金融法人が相当の打撃を受けた。致命的と言ってもよい。
それは農林中金(5兆5千)と三菱UFJ銀行(3兆3千)とニッセイ(2兆6千)である。農林中金は実質的にすでに破綻しており、
やがて、みずほ銀行に救済合併されていくのではないか。しかし、みずほも同じく1・2兆円「やられている」。 
この農林中金、三菱、ニッセイ三つの日本の大金融会社が今回受けた大損害(戻ってこないお金)は、7ぺージの表のとおり。
 ー次は、「あとがき」の出だしの部分になるー
この本「恐慌前夜」で私が最後に言いたい(書きたい)ことは、アメリカはどうせ壊れるということだ。
アメリヵの株価が少しぐらい上がったり、ドル高(円安)になって、アメリカが景気(経済)回復したように見せかけても、
どうせ次の大暴落が襲ってくる。日本の金融機関は政府系を含めてアメリカの国債や住宅公社債、
地方債(ニューヨーク市債やカリフォルニァ州債など)を山ほど買い込まされている。
合計で600兆円(6兆ドル)ぐらいある。それらの投資資金(債券買いや資金の貸し付け)は、もう戻ってこない。
アメリヵ(人)はまったく返す気はない。アメリカ政府はこれらの返済の保証などしない。
このことが日本人には分からないようだ。日本はこれから大損をするのだ。多くの国民が年金をもらえなくなるだろう。
私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。
読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよサイキック(霊能者)になることを目指そうと思う。
 ▽ 次回は、印象に残った部分を、取り上げてみる。
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2007年09月25日(火)
 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか
「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、
対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、
論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。
同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。この質問に対する答えを考えてみると、
・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。
  その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、「収入が入らなくなったり、転職をしたら
 ゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。
  (字数数限のため、カット09年09月25日)
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内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)
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2006年09月25日(月)
2001, 二千日の随想日記!       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・       
この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!
と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。
2009年6月某日になるが、どうなることか。千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。
良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな  と同じで、習慣の流れにまかせて、
 書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな  というところか!
だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意し、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。朝は一時間はかける。
テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。 その三時間のプロセスは考える時間になる。 そのために
毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。
もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、
数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ!
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2005年09月25日(日)
 1636, ローズパレード
昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。アメリカのロス近くにあるパサデナの
「ローズパレード」であった。花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。
100チーム以上が参加している。アメリカ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが
テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。
参加するには厳しい審査のパスが必要という。
   (字数数限のため、カット09年09月25日)
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2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。 翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、
それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。 本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいた。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ「すごい内容だ。是非うちで開いている
勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。
「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまったのだ。 こういう機会でなければ、森信三という
戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、
凄い人ばかりのはずである。後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。 話は元に戻るが母の7人の兄弟・姉妹のうち、
母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。
「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。
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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店−2
 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
  (字数制限のためカット2010年9月25日)
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[161] 自然体(自然態)
 2001/09/25 07:01
 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、
その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、
その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの
言葉であった。浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。
 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。
7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、出発前に成田で言った言葉が印象的であった。
「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。
無理せずそのままでいきましょう」「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。
その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。自然体そのものであった。
たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ている。
もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。

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