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堀井On-Line
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2011年09月30日(金)
iPadと、アプリ、あれこれ ー2
雑誌や本などの電子化で、出版物の概念そのものが根底から変わることになる。 要はフリー化(無料)である。 デジタル化は著作権の有名無実化を意味する。 青空文庫というアプリは、数百冊のフリーの本がある。 学生時代に読んだ、芥川龍之介、有島武郎、夏目漱石、森鴎外などの懐かしい本が無料で何時でも読める。 雑誌以外で初めて買ったのが『松岡正剛の書棚』というデジタル本。全体の書棚のレイアウトと、それぞれの棚が写真に載っており、 それに沿って松岡の文章が書いている。 面白いのは、完成したばかりの東京駅直ぐ隣にある丸善ビル(書店)に、同じ書棚のスペース (60坪)が公開されている。 そこの写真が、この本のベースになっている。 松岡正剛といえば、「千夜千冊ブログ」という 読書感想専門のブログがある。5〜6年前から、この書評を読んでいるが、非常にわかりやすい。 その辺をネットで調べると 【「千夜千冊」は、2000年2月から執筆を開始、2004年の『良寛全集』で1000に達したが、それ以降から現在までも続いている。・・・ 2009年10月に、丸善丸の内本店に、松岡正剛プロデュースによる松丸本舗をオープン。ショップ・イン・ショップという形態で、 松岡をはじめとする著名人の書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んでいる。 2010年7月には、 『松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)が発売された。】とある。 上京のおりに是非とも行ってみたいが、 書店のあり方も大きく変わろうとしている。ネット書店は、こういう考え方をベースにレイアウトが構築されるのが理想だろう。 iPodが根こそぎ、音楽配信のあり方を変化させたが、その波が今度は出版界にも、やってきている。去年からiPadなど タブレットPC端末の爆発的普及から始った。 パソコンは、その場で書評や解らない単語を調べることが可能である。 それと指先を開いたり縮めたりで字の大小を変えることが出来る。これが読む方からしたら非常に良い。 雑誌などは、パラパラと全体を俯瞰出来るところが良いが、下の欄にページを次々とスクロールできるので遜色ない。 近い将来、検索で、あらゆる本の中の情報に辿りつける時代が来ることは間違いない。そうなると著作権の問題が出てくるが、 それがニーズなら、その問題はクリアされるしかない。 ・・・・・・・ 2010年09月30日(木 3475, 迫るハイパーインフレの危機 ー2 この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態と見るべきである。 彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字を積み増している。それ以前に、この借金体質を作り上げてきた これまでの日本は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレうを警告してきたのではない。 多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、警告を発しつつけている。それでもハイパーについては大っぴらには 書けないようで、大新聞では殆ど論評されてない。 以下は、藤巻健史の前回の続きである! * 市場主義に背を向けてきた日本 円の価値は「健全なる金融システムにより保証されている」が、国の保有資産の価値も負債項目である紙幣の価値を 決めているといってよいが、国債の果てしない増額は、円の価値の下落を推し進めることになる。 一般的に百年に一度のガラガラポンが戦争でないことが、不幸中の幸い。日本破綻が「財政の破綻」を意味するだけである。 それがハイパーインフレであり、貨幣システムの不信任となり、我われに突きつけられる。預金の価値が果てしなくゼロになる。 * 自分の財産は自分で守る ここで藤巻は自分の財産は自分で守らないと、裸同然になってしまうと警告する。著者自らについて、 「今は、自己資金だけの運用ですが、昨年末に日本株投資からは手を引きました。日本破綻となれば、日本株は壊滅的だからです。 今は米国、特に金融関連株にシフトさせています。私は買ってはいませんが、どうしても日本株というなら輸出関連株でしょうね。 円が急落する結果、輸出は急増しますからね」 「日本円の現金・預金は一番のリスク資産。インフレの一番のポートフォーリオは、株・不動産・商品等である。 ハイパーの後には、円安になる。そのため円を他の通貨に変えておく必要がある」 ▽ これは、ある日突然起こるから、その対策を今からとる必要がある。それにしても、あまりに無知で無用心なのが 日本人である。他人のことを言っていられないが。目先、目先で政治が動く政治システムに問題があるが、 それを自ら変更出来ないときている。やはり、一度、ハイパーインフレで、燃え尽くさないとならないのか! ・・・・・・・・ 2009年09月30日(水) 3100,強請りの類 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。小さなのを入れれば毎年である。 何割かが、その手に乗ってしまうから流しが小遣い稼ぎに日本中の旅館、ホテルに回っているのだろう。 それでも暴対法が出来てから激減をしたが、今も後を絶たない。 ( 字数の関係でカット11年09月30日 ) ・・・・・・・・ 2008年09月30日(火) 2735, 学校 山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。 それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。 その中で特に、?が良い。 横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は『冒険の旅に出る』 との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定である。 彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客にハラハラ させられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。 そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。 −− ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。 彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。 一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことになった大介は、 別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。『大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/ あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くことなん か目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露 /流れる雲/小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/ 日向国浪人 大庭登』。 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」 と、号泣する。 別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。 屋久島に行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。 その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。 険しい山道を真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。 その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は 真知子に勧められて家に電話を入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に母が毎日泣いていることを伝えてくれた。 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、 真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。 −−− 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。 少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。 自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。 何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。 ・・・・・・・・・ 2007年09月30日(日) 2371, え? なに! 何で? 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪ 新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい! 切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。 ところが先週になってソニーファイナンスの審査部から電話が入り、「年金を貰ってますか?」という問い合わせが 入ったので、貰ってませんと返事をした。ところが一昨日「審査で融資付のものは今回は申し込みを受理できません」 いう手紙が来た。今まで一度もなかったので、非常に不愉快な気分になってしまった。 年齢からみて年金を貰ってないのが問題なのか? 私がブラックというのか?満額貰えるのが一年数ヶ月後であるので、 今受給しないのは当然である。しかし何で私が不適応? カード会社に対して返済遅延もないし、キャッシングそのものを したことがない。カードは一回払いにすると現金払いより有利という理由だけで使っているだけである。 「何で?」という電話をソニーファイナンスにしたところ、「そういう質問には答えられません」という素っ気無い返事。 (字数の関係でカット08年09月30日) ・・・・・・・・ 006年09月30日(土) 2006, 私の酒の自主規制とは おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ たしか以前にも書いたことがあるが、 酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。 驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。 そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。 キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。 ・自宅で日本酒は飲まない ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・) ・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない) ・女性と二人で酒を飲まない ・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・ ・午前様でも、歩いて帰る ・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない ・午前様は避ける(最近になって加えた) ・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ ・地方名士様が集まる店には行かない ・客単価5000円以上の店には行かない ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない ・ボトルは絶対に置かない ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。 ・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、 イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・ ーー 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。 そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ!この程度の者かお前は! しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている! さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・ ・・・ 2002年06月12日(水) 435, 酒の話ー2 −酒飲みの作法ー (字数制限のためカット 2010年9月30日) ・・・・・・・ 2005年09月30日(金) 1641, 37年前の自分へ返信ー2 卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。 貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。 インナーチルドレンに対する心の癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。 ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。 ー1968年の私から、2005年の私への返信ー 手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと思います。夢と解っていても敢えて、 返信を書いてみます。 むしろその方が気楽です。何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いているような気持ち。 貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられたようでした。 現在の私は、とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄 というのが、日々の不安を大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか解りません。 卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が大きかったことに自信を失っているのです。 おそらく武澤ゼミの影響と、卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。 本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が吐露できないのです。 精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスをとることに精一杯なにです。それにしても、今という時はすごい瞬間ということも 理解しています。少しの判断が人生を大きく左右するからです。あなたの手紙から、60歳近くの貴方を窺い知ることはできませんが、 興味があります。しかし、知らない方が良いのかも知れません。多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトを してきているのですから、色いろあったのだと思います。ただ貴方のこと、こじんまりとした人生を送るとは思いません。 夢の中でも、37年後の世界は想像すらつきません。ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。 誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして成功させて、その事業に価値をつけた状態で売り抜ける プロセスでキャリアをつけていく事業家としての人生をおくりたいのです。 夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。 ー つづく ・・・・・・・・・ 2004年09月30日(木) 1276, 「元気の出る言葉」−1 検索をしていて、いつの間にかネットサーフィンをして、思わず面白いHPに出くわすことが多くなった。 ここにきて、時間が経ってそれぞれのHPが充実してきたこともあろう。 何か「元気の出る言葉」がないかと「プラスの言葉」で検索・サーフィンをしていたら、面白いHPに行き当たった。 切り口が単純で解りやすくてよい。 一言一言が、心に染みるものばかりである。 感想文も所々に入れた。 「たった一言の言葉」で元気も出てくるし、絶望もする。私など言葉の刃で、どれだけ人を傷付けてきたことだろう。 最近は、散歩の時「ありがとう」を500〜1000回、その他に「プラスの言葉」を10〜20を、それぞれ数十回も唱えているが、 それでも頭の中は何時の間にマイナスの言葉を繰り返している。まあ、普通は90?はマイナス用語の繰り返しというから、 その半分は、いや90?は消えているという実感がする。 ーー 「キッカケをくれた言葉」集より 一歩踏み出そうと思う言葉−1 ■どんなに青臭いと言われても、夢を捨てたら、手段に殺される。(by 藤原和博) 感想ー「夢を捨てたら、手段に殺される!」考えてみたら凄い言葉だ。 夢に挫折をした時、それまで準備してきたことが全て無意味と思った時の 辛さや、仲間割れや、云々が頭によぎる。 死ぬまで夢追い人でなくてはいけないのだろうか? ■時代はオセロのようなもの。 隅っこの一人が、全部をひっくり返す。(by 中谷彰宏) ■遅過ぎない。 早すぎない。 ちょうどいい。(by 中谷彰宏) ■アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。(by 相田みつを) ■たやすくなる前は、何もかも難しいものだ。 感想ー全くそのとおりだ! (by ゲーテ) ■夢は逃げない。 逃げるのはいつも自分。 感想ー逃げる場合もあるが、見えなくなる場合もある。(by 高橋歩) (字数の関係でカット09年09月30日) ・・・・・・・・ 2003年09月30日(火) 909, 巨人軍の原監督の更迭について 「巨人・大鵬・玉子焼き」の世代に生きてきたものにとって、 巨人は大きな存在であった。しかし、この数年は年々興味が薄れる一方だ。 (字数の関係でカット08年09月30日) ・・・・・・・・・ 535,同級会 - 2002年09月30日(月) この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。但し同窓会はでないようにしていた。 同窓会は高校と大学だけだが、知らない人間が年上というだけで気を使わなくてはならないのが嫌だからだ。 ・小学校が5年に一度、中学と高校は毎年開いていた。 ・中学は3年前仕切っていたマドンナが事故で大怪我をして休会状態だ。今年から復活する? ・大学はゼミの同窓会が毎年おこなわれていたが、5年前に教授が亡くなられて今は出席していない。 大学は10年単位で学年ごとに学校が主催で会を開いている。これが素晴らしい。 我を忘れて数十年前のことを思い出すのもよいもの。 中学高校を毎年開いている話を知人が聞いて、「毎年同級会を開くなんて変態だ!」と驚いていた。 知人は最近同級会を始めたが、 それまでは殆んど開いてなかったという。先日の法事で7歳年上の長岡に住む従妹が、年4回欠かさず開いていると聞いて吃驚仰天した。 世の中上には上があるもので、それも13人だという。 面白いもので、小、中、高、大学と物理的にも知識情報にも、上に行くほど 明確に世界が広くなっている。「学校をでたら、10〜20年は学校の友人とは付き合わない方がよい」と本で読んだ事がある。 人間として脱皮できなくなるという。大学を出て10年ぶりに友人の結婚式に出たとき、学生時代の知人のグループに 出くわして驚いてしまった。当時と何も変わってないのだ。 すぐに家業を継ぎ友人関係もそのまま、同じ地域にいて・・・。 それが良いかどうか解らないが、いやに奇妙な感じだった。地方には長男長女が多い。それ以下は外に出るケースが多い。 不景気になってくると、全体に暗い会になりがちである。高校の同級会は年毎に少なく暗くなる。地元じゃ 大手の会社に勤めているか社長だ。それまで胸を張っていたような人ほど元気がない。また出席は10年前の半数以下だ。 倒産、倒産直前、リストラ、早期退職など暗い話だけだ。日本で現在長岡が一番不景気だともいわれている。 毎月のように廃業、倒産がおきている。 次は何処が噂のネタになっている。同級会は40前後が一番良いといわれている。 社会的にも絶頂で、先生も定年近くで、女性も子供の手が離れる時期だ。50歳過ぎると、お互いに我侭が出てくるし 遠ざかる時期でもある。それと死亡が目立ってくる時期だ、5年ぶりの小学校で100人の同期で5~6人も亡くなっていた。 その年になったということだ! ・・・・・・ [166] 映画 2001/09/30 昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。何故いい年をしてアニメ映画? (字数の関係でカット11年09月30日)
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2011年09月29日(木)
iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、驚きの毎日を過ごしている。 * その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色のチョークと、黒板消しが、 下の溝に置いてあり、それを取り出しメモを書きこめる。 凄いのは、それから。上段にあるカメラのアイコンを押すと撮影され、 iPadの写真ロールに自動的に記憶される。 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出してくれる 機能の応用である。これは非常に便利。 黒板はチョークで書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。 要は手書きのメモを、 写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 * メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、そこに添付することも出来る。 またマイクのアイコンを押すと、 録音も添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だろうが・・ 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。 カラーペンが豊富に用意されていてスケッチ用になっている。 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。 * 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くのコンビニや、飲食店を表示してくれるものがある。 * Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、この上なく便利である。 *「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つかを現在、毎日のように立ち読みをしている。 前書きとか、目次、そして、冒頭の内容を載せていて、「興味ある人は購入してください」と、誘うもの。 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が見ることができる。 初めてiPadからネットで買ったのが、「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たなアプリ探しをしている。 この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすいことが確信できた。 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。 これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが 店頭書店の売り上げをこえた。これは、あくまで販売経路の売り上げだが。 本といえば・・・・ それは次回。 書店まで行って買う手間や、本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で省ける便利さは何よりである。
・・・・・・・ 3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1 2010年09月29日(水) 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、 ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・ * 日本とギリシャは、どっちが健全か? 「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国保有している。 したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の95パーセントを保有するのは 日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と認識しておかなければ。」 △ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、日本の資産を確保するはず。 * 日本の財政再建は時すでに遅し 「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、毎年10兆円ずつ 返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円にしても捻出は難しい状況です」 △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。 「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。これに借金を重ね、さらに膿が体に回って、 敗血症になって死んでしまうか、おできを針で突いて膿を出すかしかありません」 「日本の財政不振から国債の売り出しがうまくいかず、日本国債の暴落が始まり、円も急落し、日本株もストップ安の、 いわゆる『トリプル安』が起きます」 −バブル崩壊以上?・・・ それは90年代後半のアジア危機、韓国経済崩壊、 ロシア危機以上のショックとなるでしょう。企業が相次いで倒産し、失業者があふれ、年金は実質ゼロになる。 同時に、非常事態ということで、日銀が国債を引き受け、その結果、紙幣が市中に満ちあふれ、“ハイパーインフレ”になります。 タクシーの初乗り料金が100万円という状況になれば、日本人の貯蓄はあっという間に紙切れになります。 一方、巨額の借金に苦しむ政府にとっては借金を微々たるものにでき、まさにハイパーインフレは“合法的な徳政令”になります」 〜 まだ、デフレで、インフレだが、来年後半からインフレの兆しが見えてきて、2012年辺りから円安、株・国債の暴落の後に ハイパーインフレが本格化する。怖いのは、これである。国家や体力のあるグローバル化している企業は何とか生き延びられる だろうが、多くの企業は存亡の瀬戸際に立たされる。これが日本だけでなく世界的に起こる可能性が強い。動乱の20年の三年目。 ・・・・・・・ 3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2 2009年09月29日(火) =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から ・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。 ・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。 ・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少) 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。 ・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。 〜以上だが、 「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは? オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。 *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。 * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。 *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。 何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。 しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」 ーつづく ・・・・・・・・・ 2734, 米国金融恐慌の深層 −2 2008年09月29日(月) 前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。 ー まずは、続き の部分から ー 【 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。 * 処方箋、どれも不完全* 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。】 ーーー 評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている世界システムが米国が自ら叩き壊してしまった。 そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。 誰が一番困るか、日本と中国である。 10年、20年スパンで考えると、当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。 (字数制限のためカット2010年9月29日) ・・・・・・・・ 2007年09月29日(土) 2370, 喫茶店の話 先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種 そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。あったとしても、実体は定食屋だったり、年中休みなしで働くか、 趣味として採算度外視と割り切ったものだったりするのが実情である。チェーン店のそれは、中食ージャンクション食として、 コーヒーにスナックを軽く食べるのを目的としたものである。値段の高い、家では飲むことの出来ないコーヒーを 飲ませる外資系のチェーン店もある。ただし、個人店としては成り立ちにくく、年々店は減っている状態である。 (字数制限のためカット2010年9月29日) ・・・・・・・・ 2006年09月29日(金) 2005, 世界は精神病院!人間みな既知外! おはよ〜!(*^ワ^*)i 「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイが差別用語なら「既知外」といえばよい。 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。 一番さわりの部分を抜粋してみるー (字数の関係でカット09年09月29日) ・・・・・・・ 2005年09月29日(木) 1640, 個性について 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。 −−− ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります? ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。 ー今西 個性が浅いということですね。 ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。 (字数の関係でカット008年09月29日) ・・・・・・・・ 2004年09月29日(水) 1275, 書いてなかった旅行記ー3 ーハワイー ハワイが意外とよい。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイというので、その良さをあまり誰も言わない。 オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。 行くまでは、私もそう思っていた。 しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけで自然の宝庫に出あえる。 ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。 火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。波が荒く、サーファーが波乗りがロケーションに ピッタシなのだ。 ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が 安いのは皮肉といえば皮肉である。日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。 今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。 実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、社員の半分近くの総員27名で行くことになった。 これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。どこに行ってもバス一台貸切である。その時の添乗員が、 後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さんであった。彼とは今でも付き合いがある。これで面白くないわけが無い、 6日間の祭り騒ぎの旅行になった。これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。 私も若かったし(当時32歳)、若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気がまた良かった。 ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。そこにいるだけで癒された。何処にいっても、 お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。今のラスベガスがそうだというが、全てがショーアップされていた。 世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。 ・・・・・・・ 2003年09月29日(月) 908, 医師?それとも技師? お医者様の話をしてみよう。 そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。 少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のようにモルモットにされて殺されてしまう。 こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解できない。あのエイズの血友病の放置と根は同じだ。 ーー ・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。 これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。 一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。 こういうのが医師としてまかり通っている。 (字数の関係でカット008年09月29日) ・・・・・・・・・・ 534,「少し早めな遺言」 2002年09月29日(日) 50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。 数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。殆んどというと、少しは書いていたのかというと、 会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、5年前に数行書き始めてそのままのものがある。 照れくさくって書けないのが実情である。図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。 作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。 実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、 ある程度フザケテしか書けないだろうが。でも半数はけっこう真剣に書いている。 ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!! 実感で書いてみる。 ・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。大した事はないから、その点は気にしないでいてよい。 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。 ・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」 「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」 (字数の関係でカット011年09月29日) ・・・・・・・・・・・ [165] 創業の思い出-20年になるが 2001/09/29 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。 ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。あいた口が閉じなかった。何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。 これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、 値段を表示するのは可笑しい」私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。 ( 字数の関係でカット011年09月29日)
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| 3838, ツール(道具)について考えてみる ー4 |
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2011年09月28日(水)
20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。 そして、以前から使用していた物理的道具と共に他の動物を狩猟し 勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの植物採取と狩猟では生きていくことが 出来なくなって、牧農が始まった。 その時に、それまで培われてきた言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。 経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を越えて言葉や絵に置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。 現在の情報化革命が20万年来の人類の革命といわれる。 デジタル化とネットで情報が瞬時に地球上の個々人に行き渡るようになり、 人間と社会の有りようを根底から変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか想像さえ不可能。 連日のようにiPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で 辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も十分の一以下で、コードから解放され、ボードからも解放された。 タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、本やアプリも簡単にネットから購入可能になっている。 丁度、購入して一月経つが、それまでの情報の質量が一桁は増えた感がする。 ツールを弄るのが面白くなったら、しめたもの。 アプリについては次回に書くが、調べれば調べるほど次々と面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。 それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いものが多いのは当然である。 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで書いていた。 面白い偶然である。 「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、iPadがいいか?」 という問いかけになったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」ことになる。トイレの読書と同じ? どんどん使いかってのよいツールは、使えばよい。 ただし、振り回されるな!ということになる。 ・・・・・・・ 3473, 幻滅論 2010年09月28日(火) 「幻滅論」北山修著 ーまずは背表紙より 【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与するべく、 人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に入って30年、著者は 臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識して、日本語による日本の臨床に 生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」 や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に 夥しい数の母子像を発見して、その構図を分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人とのつながりであり、つながりがありつづけている という幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが収められている。 『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。子が母から切り離されるとき、抱える環境から自分が 切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも 現実と触れあうチャンスとなるのだ。類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】 〜〜 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。 幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると 【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。 兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。 兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立する。 逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。 中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している】とある。 ー幻想論は、ここで書いたことがある。 それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。 母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。 その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの自分を振り返ると 大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実のギャップなど経験があったが。 そ時の心理が幻滅とすると納得する。 勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、対象にはイメージ通りとしても、その背後には 自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻という データがある。 幻想が、幻滅に変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。 ・・・・・・・ 3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1 2009年09月28日(月) * ほんとうかいな? 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー 「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、 有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」 と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番 余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと 経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが 真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、 あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を 押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし、現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。 なぜ{一つもない}と断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。 一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる国など、 本当に一つもありません。 ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。 ポイントを言うと ●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない ●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 ●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。 ●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家 〜〜 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされてしまって 紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。しかし、だから如何した。 国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、不動産資産の価値の暴落があっても、 その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。 次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。 ー つづく ・・・・・・・・・・ 2733, 米国金融恐慌の深層 −1 2008年09月28日(日) 朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎が《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機の本を評論していた。 内容が長いので二回に分けて掲載するが、こと、ここに至って、冷静過ぎる内容と感じたのが私の感想である。 まずは、その内容の前半を・・・ −−− 今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。 山一証券の約125倍という巨額の負債だった。 公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。 翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手のAIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、 発行済み株式の約80%を取得して、管理下で再建を図ることとした。 AIGは住宅ローンの証券化商品の元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大鰍に販売しているため、 元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる恐れありと当局は認識したらしい。 昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、サププライムローンそのものの焦げ付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。 ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、「金融システム危機」が予感されている。 *真実味帯びる悲観論* こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、「実体経済の数字はそんなにひどくありません」 「アメリカが駄目だと言われているほどにドルは下がっていないのでは?なかなかに打たれ強いですよ」と述べている。 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募.増資できている」ことが拳げられているから、 悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。 ・「週刊ダイヤモンド」は悲観論の郵緬を分かりやすく図式化している。損失計上ー>貸し渋りー>景気悪化ー>焦げ付き増 ー>損失計上の「負のスパイラル」が始動、大手金融だけでなく地銀・住宅公社からノンバンク、モノライン (証券化商品や地方債の保証会杜)までがバランスシートを悪化させ、もはや公的資金注入は不可避とする。 ・水野和夫の推計によれぱ、米国の実質的な住宅価格はさらに34%は下落する。住宅ローン残高よりも安くなると金融資産を持たない 多くの家計で差額が不良債権となってしまう。その紛額を大手金融機関の自己資本に匹敵する1・27兆弗と見積もれは、 現在4千億Fルの処理進捗率はいまだ31%にすぎない。これからが危機の本番ということになる。 公的資金の注入は避けられず、しかしその原資を調達しようにも増税は無理だから、国債を外国人、なかでも中東諸国や 最大の貿易黒字国である中国に買ってもらうしかない。しかし国債に償還のあてがないとみなされれは、 国際通貨としてのドル離れさえ起きる可能性がある、と言う。 ・さらに野ロ悠紀雄は、こうしたドル危機の「原因」はサブプライムショックであるかに見えるが、 それはむしろ「結果」で真因はGDP(国内総生産)の5〜6%に膨れあがった米国の経常収支の赤字にあるとする。 物価および利子率の差が日米間で3%あり、両国間で同一財価格が同一に、どちらの通貨で運用しても利回りが同じになるには、 ドルが円に対し毎年3%減価(円高)しなけれはならない。ではなぜ経常収支赤字が減らなかったのか。 それは円安を持続させ対米輸出を維持するために日本が資本提供をしたからで、しかしドルがードル70円程度まで低下する圧力は かかっていたから、いずれ何かのきっかけに解消されたはずだと推測する。 −−− 評) アメリカ金融危機に対する多くの本が並んでいるが、今年に入り、その最右翼の悲観論者のいう通りになってきた。 ここでは最右翼の本は扱ってなかったため、迫力に欠けた内容になってしまった。 学者タイプの人のためか生々しさにかける。 初め取り上げている北野一は甘いのか、もし恐慌になっても、それさえ乗り越える国力がアメリカには有ると言うのか? (字数制限の関係でカット2010年9月28日) ・・・・・・・・・ 2007年09月28日(金) 2369, 大物の不在 産経新聞の、この日曜日の【論壇時評】10月号の中の「大物の不在」の論評の部分が面白い。 先日「ポスト・モダン主義」というテーマの内容で、{大きな物語=モダン主義の終焉により、大物が存在しにくくなってしまった。 存在したとしてもあまり脚光を浴びない時代になった}と、書いたばかり。そのことを宗教学者の山折哲雄は、宗教学者の視点から、 多くの闘いを勝ち抜いて大物になっていった本物が現代には存在しえなくなったと指摘していた。 そのプロセスで早々に寄って集って引き摺り下ろされてしまうのである。 ーまずは、その部分を抜粋してみるー 山折哲雄は、折しも「日本から『大物』が消えた」(月刊誌・諸君)と述べる。 大物を好まなくなった現代日本の文化状況と、大物と本物との違いなどについて語るのだ。 (字数の関係でカット2008年9月28日) ・・・・・・・・・ 2006年09月28日(木) 2004, 「私」のための現代思想 −4 (字数の関係でカット2008年9月28日) ・・・・・・・・・ 2004年09月28日(火) 1274, シュリーマンの話−2 ーシュリーマンの「語学習得法の秘密」ー シュリーマンにとって、語学力が最大の武器であった。 語学力の方法として、「当時売れていた小説を、丸暗記をする方法」 を取っていた。ストーリーは解っているので、意味は敢えて考えなくてもよい。 更に一ヶ国さえマスターすれば、他の外国語も同じ小説で、同じプロセスを踏めばよい。(詳細は後記) 理に適っている。 若いときにこれに気づいていれば全く違った人生が踏み出せたのにと、今さら悔やんでも仕方がない。いや実をいうと、 高校に入学をしたときの英語の先生が、殆んど同じ方法を教えてくれていた。右の耳から入って、左に抜けていっただけなのだ。 バカの壁にしっかりと囲まれていたのだ。「全く、もう!」である。 以下は幾つかのHPから抜粋し、まとめてモノである ーー シュリーマンは、1820年にドイツの一寒村に牧師の子として生れ、貧困の中から商人として巨万の富を築き、 その富を使ってトロイアなどエーゲ文明の遺跡を発掘した人物である。 彼がどうして巨万の富を築くのを可能にできたのか。それは、彼の類まれなる「語学力」にあった。 10数カ国語を自由自在に駆使し、他の商人よりいち早く情報を把握してビジネス・チャンスを次々に掴んで富を築いていった。 彼は「多くの外国語を極めて短期間に習得した語学の達人」と言われているが、その「語学習得法の秘密」は どんなものであったのだろう。シュリーマンの学習法は、物語を丸暗記するという特徴的な方法を取っている。 英語では、当時よく読まれていたゴールドスミスの「ウェイクフィールドの牧師」とウォルター・スコットの 「アイバンホー」を丸々暗記している。物語を丸暗記する方法は、ストーリーがあるので記憶に残りやすく、 文章を丸々憶えるので熟語やコロケーションなどの言いまわしがそのまま身につく。 この方法で、彼は英語を僅か半年でマスターした。 更に以下の勉強方を工夫していた。 ・非常に多く音読すること。 ・決して翻訳しないこと。 ・毎日1時間あてること。 ・つねに興味ある対象について作文を書くこと。 ・これを教師の指導によって訂正すること。 ・前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦すること。 ・彼はさらに、会話をものにするために、その外国語が話されている 教会にかよって説教を聴き、一語一語を口真似する方法もとっていた。 以下は字数の関係でカット!(2007年09月28日) 同日のクリックをしてください) ・・・・・・・・ 533, 離婚事情 2002年09月28日(土) (字数の関係でカット 2011年9月28日) ・・・・・・・ [164] 目的と手段 2001/09/28 目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目に そういうのが多い。営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、営業が反対に手段になってしまう。 何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。手段を楽しむ事は大事だ、そうでなくては目的は果たせない。 といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)その喩えがピッタシである。 目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。 至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。 どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、 真にうけて社長業を放棄・・・・・、いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって逆転も何もないのか! そのあたりが本当のところか?ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、 自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。 馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー ーーーーーーーー * H0609歩行とダンス 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。 “ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。 それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!? ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。 今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ” と一人笑った。 大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく “私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。 それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。 ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、 かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。 ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。そしてその反対に逆の人も。
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| 3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』 |
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2011年09月27日(火)
二週間以上も前の話題になるが・・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。 金曜日の少し早めの9時開始だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーでアフリカや南米、 北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。 手付かずの野生動物の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で生存の知恵が生まれてくる。 TVのシリーズで放送した総集編だったが、大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、 人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。 ところでiPadのアプリをみていたら、 「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。 しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、 引き込まれてしまった。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しいのである。 日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。 ≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・・自分自身の人間性の反映です。彼らは「私たち自身」です。≫ と。 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に知らしめる力がある。 地球の素晴らしい秘境の大自然や、 そこの住人が昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、リアルに記録してくれる。 それだけでない、 手付かずの大自然の中には野生の動物や、数多の植物が生きている。 この東北大震災と福島原発の汚染は、その正反対の近代科学が もたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじ を検索すると次のようにあった。 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』 【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。 肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによる グンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の 珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは 捉えられないので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーションでその生態を追うことが可能になった。 この他にも、数多くの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。 コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を転がり落ち逃げる様子。 木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、 こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】 ・・・・・・・ 3472, 人生、よもやま話 2010年09月27日(月) 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。 終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく 犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。 這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。 夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。 そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、 人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、 この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと 父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の 家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。 今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。 そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。 そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。 二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。 これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。 ・・・・・・・ 3097,返済猶予法案の成立から見えてくること! 2009年09月27日(日) ーまずは産経新聞の記事からー 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、 中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、 早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。 {字数制限のためカット2011年9月27日} ・・・・・・・・・ 2732, 恐慌前夜 −3 2008年09月27日(土) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」 と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。 「それでは我われ庶民は如何すればよいのか?」といわれても、どうにも答えられない。 せめて、銀行預金を金の現物に替えておくことしか考えられない。私の知人はケイマン諸島に5000万円の預金をしている。 この事態を見越して数年かけて準備をしていたのである。外国に金融関係の友人がいて、日本の危なさを知っていたのである。 ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。 −−− *恐慌前夜、何に投資すればよいかー アメリカ発の《世界恐慌》は、もう誰にも止められない。 銀行の預金は、下ろして現物資産に置き換えるべきである。 地金か、カナダドルか、オーストリアドルにすべきである。アメリカドルは止めておいた方がよい。 金は現在、グラム3000円だが、3〜5年以内に6000円になるだろう。 不動産は、換金性の高い優良物件以外はやめておくべし。 原油高騰は、現在100ドルまで下がっているが、これは再び高騰するだろう。 こんど高騰を始めたら、250ドルあたりまでいくだろう。 そのまま放置すると、ハイパーインフレになるだろう。 解)来年は間違いなく食品が暴騰しそうだ。暴騰をした時に、儲かる会社の株でもよいが、 それが何か分からない。アメリカの金融の瓦解も、ここまで激しいと恐ろしくもある。 −−− *中国も「一月危機」で崩れたー 今年の1月21,22日以来の世界株総崩れの時に、中国の株が崩れて以来、元に戻してない。 上海総合指数は最高値の6000元以来、2000元まで暴落している。2010年の上海万博までは何とか持つだろう?が、 それから5年間は最悪の状態になり、2015年あたりから再び上昇するだろう。 中国の20年来の驚異的な急成長は、実は保有する米ドルとアメリカ国債を、もとにした信用が土台にあった。 現在の中国が保有する外貨は200兆円。その殆どが米ドルである。しかし、現在中国は密かに分散を始めている。 その対象として日本国債と円である。 解)中国株も、底を確認した時が買いだろう。それより1年前の2014年辺りが買い時期だろう。 −−− *すべての金融商品は「保険」から始ったー (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・・・・ 2007年09月27日(木) 2368, 閑話小題 *安部居抜き内閣* 福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」 というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。 もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。 *時津風部屋一家殺人事件* この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。 親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。 今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。 相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。 殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。 リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、 復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。 それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。 {字数制限のためカット2011年9月27日} ・・・・・・・・・・ 2006年09月27日(水) 2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・ 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。 その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。 ーBuymaー 誰もがバイヤー」になることで誕生した史上初の「お買い物代行コミニュティ」である。 会員は世界50ヶ国に広がっている。 (字数の関係でカット2008年09月27日) つづく (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月27日(火) 1638, 巨大スーパー販売前線の男達 一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。 デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。 業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。 流通グループの勝ち組のジャスコと、ヨーカ堂であるが、一方の雄のヨーカ堂の惨状をリアルにレポートした内容。 よくぞ、ヨーカ堂も、堂々と公開したものだ。まだグループとしての余力を見せたかったのだろか。 アメリカのスーパーを手本にスタートした日本のスーパーは、バブル期に進めた経営多角化の失敗や 崩壊後の収益悪化に苦しんでいる。さらに安売り戦略を武器にしたアメリカのウエルマートの市場参入もある。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・・ 2004年09月27日(月) 1273, 2000年前のポンペイ 先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、 ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。 ー まずはポンペイの概略を書いてみる ー ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の 繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほど。 悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。 大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、 三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、 噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は 人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。 遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、 妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、 リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。 女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、 売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうとコーヒー一杯分だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、 十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった 事実を多くあった。街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。 15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・ 2003年09月27日(土) 906, 金魚の話 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な「黒いランチュウ」がいた。 仲間とは群れず、一匹水槽の中を泳ぎまわっているのだ。 指を水槽につけると、人懐こく指を動かした先をついて回ってきた。 事務所の水槽は丁度定員一杯だったが、「凄い!二度と巡りあうことがない!」とポケットマネーで即座に買った。少し高かったが。 事務所の水槽にはランチュウだけ12匹いるが、現在その中を一匹が我が物顔で泳ぎ回っている。5倍もある一番大きいボス?と、 顔をつけて餌を奪い合い食べている。大きいヤツは普通の数倍、餌を食べなければならない。その為には水面に口をつけてバキュームの ように,浮いている餌を吸い取っていく。これと同じ食べ方を一匹だけ、この凄いヤツが早くも身につけた。 餌をやろうとすると、 水面を飛び上がる勢いで餌にくいついてくる。 殆どが群れているが、一切群れないのがよい。 まだ数週間しか経ってないが、 日ごとに大きくなっていくのが判る。 こういう奴が、鳥でもいた。 エネルギーが満ち満ち溢れているやつだ。 無毛性のインコの ヒナで手を差し出すと、必死で身体を摺り寄せてきた。後で買っておけばよかったと後悔した。金魚でも弱いやつは、入ってくると 既存のヤツに水槽の片隅に追いやられ、1〜2週間で死んでしまう。 隅のほうを向いてジッとしている。動物社会と同じである、 いや人間社会と同じだ! 所詮人間も金魚も同じだ。 結婚した頃に、ランチュウを数匹飼っていた。その一匹が水面を跳ねるのだ。 突如、水面に向かって泳ぎだすのだから、跳ねるのとは少し違う、遊んでいるようであった。 なるほど金魚にも遊びがあるんだとビックリしたことを憶えている。 ランチュウの愛好のホームページがある。 ・・・・・・・ 532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 - 2002年09月27日(金) 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。 お盆に下の息子が帰省した時に、居酒屋で彼等から聞いて思い出した話だ。 その時「一人娘とホモに気をつけろ!」と言ったという。「知っていれば、何処かで気をつけるだろう」と、 注意しておいたのだ。それにしても、変わった面白い注意をしたものだ。 せっかく育てた子供を、 他人の家の子供にしたくないという心配が、そう言わせたのだろう。あとは息子がホモもまずい。後では取り返しのきかない。 特に都会ではそういうのが多い。女姉妹だけの長女とか、一人娘は要注意だ。本能的に、よい獲?がいないかと 目を光らせて狙っている? これは注意をしておけば避けられる事だが、それでもよいなら問題ないが。 あと幾つか注意したと思うが、「本を読め、色いろなアルバイトをしろ、ゼミに入れ、クラブにも入れ、 大学でしか経験できない事を可能な限り経験しろ」等々、いったことを思い出した。 大学時の経験が一生の圧縮だ。 ・・・・・・・・・・ [163] ] チンドンヤー 2 2001/09/27 チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。チンドンヤの意味はその辺の英雄である。 鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。 そして悪役が必要になる。 そして本人-主役のチンドンが始まる。 自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。何回悪役にはまってしまったか。 次に観客も必要になり観客作りをやる。それを自身の利害をかけてやるか、にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。 私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局!この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・。 特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくりその糸の手繰りをやる。以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。 その手口をみていると自分でまずストーリーを書く。忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、しかし何度も 重ねればその筋書きは見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」と言うらしい。 ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。 ヤクザが1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりの因縁をつけてきた。迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが 解らないようだ。彼らのワンパターンの手口は「仲間から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。 そして数百万の商談が壊れた」という手口である。もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、警察に電話をかけるのが手順。 実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。 こうなると執念に近いが。これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。
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| 3836, ツール(道具)について考えてみる ー3 |
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2011年09月26日(月)
どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。 情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に 限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。 知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。 それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁国家の現象。 知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。 また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、 あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、 映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚のタブレットに集約されたこと。 音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。 本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出てきている。(ある時期が過ぎると自動的に消える) iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものを ダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。 対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚のICチップに80億個以上の トランジスターが入ったものが出ているという。 トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきた トランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが 80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、 世界を根底から変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭する 生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 ツールはツールである。 午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。逆に中途半端か。 こんなに面白いもの、私は使う方をとる。 ・・・・・・・ 3471, 久々のジョーク -9 2010年09月26日(日) * 呼び方 意地悪な伯爵夫人をブタと呼んで訴えられたミラノの家政婦。法廷でさんざん油を絞られたあげく、罰金刑に処せられたうえ、 原告のいるその場で謝罪を命じられた。家政婦は謝罪の言葉とともに、伯爵夫人に深々と頭を下げた。 儀式が終わったあと、 裁判長に向かって家政婦が尋ねた。「以後つつしみますが、ブタを伯爵夫人と呼んでも罪にならないでしょうか、裁判長? 」 裁判長は、それは法律上いっこうに構わないと明言した。そこで家政婦は伯爵夫人に向き直って言った。 「伯爵夫人、今日のこ機嫌はいかがですか?」 * 男女の差 「洞察力は男のほうが上だよ。それはおまえも認めるべきだ」 「ええ、認めます。だからこそ、あなたは結婚相手にわたしを選び、わたしの方はあなたを選んでしまったですからね」 * 動物愛護 母親が買ったばかりの毛皮を試着しているのを見てエコロジー派の娘 「お母さん、お母さんがそうして喜んでいる陰でかわいそうな動物が泣いているのよ」 母親、娘をキッとにらんで、「お父さんのことをそんなふうに言うもんじゃありません」 * 祈り チベットの盆地を一人行くラマ僧。遠くにオオカミの姿が見えたが、逃げるとかえって追われると思いそのまま歩き続けた。 オオカミは足が速く、あっという闇にラマ僧の自の前に来ていた。図体が大きくやせ細ったオオカミは、ラマ僧の横に倒れこんだ。 襲ってくる様子も見せないオオカミを見ていると、なんとオオカミは手を台わせて祈りのポーズをとっているではないか。ラマ僧は 仏に感謝した。「御仏のお情けで、こんな山奥のけだものにまで信仰心が目覚めております…釈迦さまの徳の高さをお称えいたします」 オオカミはラマ僧の方を振り向いてうなった。「ブツブツ、ブツブツうっせえな。おいらの食前の祈りの邪魔をするな 」 * 離婚の理由 「ぼくが結婚した理由を申し上げましょう。何を隠そう、自分でコインランドリーに行ったり、テイクアウトで夕食をすませたり、 1人で食事をすることにあきあきしたからです。離婚するに至った理由ですか? それもいま述べた理由とまったく同じです。はい」 ( 多くの旦那は、ただ離婚に至らないだけじゃない? 3割の離婚をのぞけば! ) ・・・・・・ 3096,久々にジョーク −4 2009年09月26日(土) * ジョークあれこれ ー2 ー復讐ー ある男が旅先で泥棒に遭い、旅行カバンと財布入りのバッグを盗まれてしまった。帰りの航空チケットは運良く背広の内ポケットに 入っていたが、空港までタクシーに乗る金がなかった。男はホテルの 前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み運転手に事情を話した。 「…というわけなんだ。自宅に戻ったら速達で倍の料金を送るから、空港まで乗せていってくれないか?」 「ふざけんな、こちとら商売なんだぜ。金がねぇんなら俺の車から 出ていきやがれ!」 男は何度も頼んだが、 運転手は頼みを聞いてくれなかった。 男は やむなくヒッチハイクをして、どうにか空港にたどり着いた。 一年後、男は同じ土地を訪れ、今度は無事に旅行を楽しんでから帰路に着いた。 ホテルの前で客待ちをしているタクシーの列を見つけ、先頭のタクシーに乗り込もうとした男は一年前の非情な運転手が 列の最後尾にいるのに気付いた。 男は、あの慈善の心を持たない運転手に仕返しをしてやろうと考えた。 男はまず、先頭のタクシーに乗って運転手に尋ねた。 「空港まではいくらかかる?」「15ドルくらいだね」 「じゃあ、50ドル払うから、途中で俺にケツを貸してくれないか?」 「なに!? ふざけるな! 俺はオカマじゃねぇ! とっとと車から降りろ!」 男は先頭のタクシーから降り、2台目のタクシーに乗って同じ質問をした。 2台目のタクシーの運転手も激昂し、男は車から降ろされた。男は同じ質問を 3台目、4台目…と、 次々に繰り返しては、車から降ろされた。 そして最後の、あの運転手のタクシーに乗り込み、男は言った。 「空港まではいくらかかる?」 「15ドルくらいだな」 「じゃあ、空港まで頼む」 運転手は何の疑問も持たずにタクシーを出した。前に並んでいるタクシーの 横を通り過ぎるとき、 男はそれぞれの運転手に笑顔を向けながら親指を立てた。 解) 実際にあった話のように聞こえてくる 〜〜 ー良いのか悪いのかー 医師「良いニュースがありますよ、ミセス・ボンド」 女性「失礼ですが、私はミス・ボンドです」 医師「でしたら、悪いニュースがあります」 解)「立場変われば、品変わる」か〜 ・・・・・・・・・ 2731, 恐慌前夜 −2 2008年09月26日(金) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば 750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。 人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、「GSEはすでに実質超過 (破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)} *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。 ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)} ・・・・・・・・ 2007年09月26日(水) 2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3 ー読書日記 今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、解りやすい記述があった。 具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。 最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れる ことしかできない。少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。 ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー (以下、字数の関係でカット2009年9月26日) ・・・・・・・・・・ 2006年09月26日(火) 2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ 長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。 テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。 著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日) \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月26日(月) 1637, 37年前の私への手紙−1 ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。 ー37年前の私への手紙ー あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。 倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。 数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。 あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。 あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。 現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。いや社会そのものに鍛えられたのだ。 その結果として、何か大きなものを失ってしまった。あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方 (37年前の自己)の悩みこそ大事である。そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。 膨大な未知の世界を前に好奇心と期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかったか。 貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を 言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を摘み食いを していただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。 それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。 あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。 あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。 しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。 しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。 まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ! 他人をもっともっと大事にしなさい。 これが私の最後の言葉です。 ーつづく ー後記ー 人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。 当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。 当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。 それがよい。旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。 一番思い出になるからだろう。 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。 ・・・・・・・ 2004年09月26日(日) 1272, シュリーマンの話−1 映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。 トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。 誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?。 男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行ってヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で 初めて纏めた「伊能忠敬」である。 それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が 多い人物も珍しい。 また膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスター、それを武器に莫大の資産を得た。 外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。 あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日) ・・・・・・・・・・ 2003年09月26日(金) 905, 物を置かない努力 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、 といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。カラーは白と黒だけ、 空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。 コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。 「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。 銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。 私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。 頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。 せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。 まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。 「孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。 これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。 圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。 そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。 サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。 生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。 しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。 さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう! ・・・・・・・・・ 531, 天皇制度について - 2002年09月26日(木) 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。 島国とか離れたスカンジナビア半島のように、 あまり外部との入れ替わりの無い国では、王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも 王室が有効となる。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。アメリカ大統領の宣誓式で バイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で国家への奉仕を約束をすることである。 旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には必ず二人の対立したセカンドがでてくる。 (字数制限のためカット 2010年9月26日) ・・・・・・・・ [162] 手順 2001/09/26 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。 大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイント。 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。 そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、 それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。 創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。 それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。 「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。
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| 3835, ツール(道具)について考えてみる ー2 |
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2011年09月25日(日)
ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー 【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に置き換え、さらにその働きを拡大したり 延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは 大脳の働きを機械に置き換えたものである。ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、 器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための 手段であり、創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために 人間の器官の働きを助けるためのものである。】とあった。 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 自分の目的に最適なツールに 出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 学生時代を振り返ると、努力のわりに成績が良くなかったのは、 どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、 その後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。 どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に使えるのだから驚異的である。 銀行の支店の一つや二つの全機能が、小さなチップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時にコピーされ 普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前である。「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」された ベストのツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。 ・・・・・・・・ 3470, 昨日は母の15回忌 2010年09月25日(土) 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容で、 夢から醒めても暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。 亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。 家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので溜まっており、その捌け口で 徘徊を始める。しかし、本人にとっては、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているようなもの。 それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったことか。 したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。 亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが) 50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になって死線を漂った後に、そのエネルギーを趣味に切り替え、 茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに向かって 全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。 まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をして、設定したライバル に対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の 末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在になって分かった。 冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場でもあり、天国である。 ・・・・・・・・ 3095,久々にジョーク −3 2009年09月25日(金) ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。 ージョークあれこれー * ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」 神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」 解)好きだね、こういうの! *「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、 自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」 解)これも! * ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。 すると、また言い争いが始まる 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』 解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが! * 愛のVIP戦士 故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」 受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。 そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。 そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」 解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする ・・・・・・・・・・ 2730, 恐慌前夜 −1 2008年09月25日(木) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 再び副島隆彦の本である。 発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。 そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。 「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。 ーアマゾンの、この本の紹介文からー アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。 7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。 アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。 現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。 しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、 信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。 かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。 「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」 それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。 ーー 9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。 「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー 〜〜 この7月から新たな金融危機が始まった。7月13日にペンリー・ポールソン米財務長官の驚くべき記者会見があった。 私が前々作「ドル覇権の崩壊」と、そのあとの『連鎖する大暴落」(いずれも徳間書店刊)で主張してきたとおりである。 アメリカはいよいよ本格的な金融恐慌に突入しそうである。次の「連鎖する大暴落」が年末までに起きるだろう。 この7月危機を引き継いで、事態はさらに深刻になってゆく。大きな銀行と証券会社が世界はたんの中で次々に倒産してゆく。 この7月危機では日本の三つの大きな金融法人が相当の打撃を受けた。致命的と言ってもよい。 それは農林中金(5兆5千)と三菱UFJ銀行(3兆3千)とニッセイ(2兆6千)である。農林中金は実質的にすでに破綻しており、 やがて、みずほ銀行に救済合併されていくのではないか。しかし、みずほも同じく1・2兆円「やられている」。 この農林中金、三菱、ニッセイ三つの日本の大金融会社が今回受けた大損害(戻ってこないお金)は、7ぺージの表のとおり。 ー次は、「あとがき」の出だしの部分になるー この本「恐慌前夜」で私が最後に言いたい(書きたい)ことは、アメリカはどうせ壊れるということだ。 アメリヵの株価が少しぐらい上がったり、ドル高(円安)になって、アメリカが景気(経済)回復したように見せかけても、 どうせ次の大暴落が襲ってくる。日本の金融機関は政府系を含めてアメリカの国債や住宅公社債、 地方債(ニューヨーク市債やカリフォルニァ州債など)を山ほど買い込まされている。 合計で600兆円(6兆ドル)ぐらいある。それらの投資資金(債券買いや資金の貸し付け)は、もう戻ってこない。 アメリヵ(人)はまったく返す気はない。アメリカ政府はこれらの返済の保証などしない。 このことが日本人には分からないようだ。日本はこれから大損をするのだ。多くの国民が年金をもらえなくなるだろう。 私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。 読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよサイキック(霊能者)になることを目指そうと思う。 ▽ 次回は、印象に残った部分を、取り上げてみる。 ・・・・・・・・ 2007年09月25日(火) 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか ー読書日記ー ―弁護士が教える論理的な話し方の技術 谷原 誠 (著) 図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、 対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。 考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、 論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。 同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。この質問に対する答えを考えてみると、 ・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。 ・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。 ・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。 その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、「収入が入らなくなったり、転職をしたら ゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。 (字数数限のため、カット09年09月25日) ーーーーーー 内容の概要) (字数数限のため、カット09年09月25日) ・・・・・・・・ 2006年09月25日(月) 2001, 二千日の随想日記! おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・ この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。 千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。 千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい! と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。 2009年6月某日になるが、どうなることか。千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。 良寛の たくほどは 風がもて来る 落葉かな と同じで、習慣の流れにまかせて、 書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな というところか! だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意し、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。朝は一時間はかける。 テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。 その三時間のプロセスは考える時間になる。 そのために 毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。 もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。 毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、 数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。 これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月25日(日) 1636, ローズパレード 昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。アメリカのロス近くにあるパサデナの 「ローズパレード」であった。花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。 一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。 100チーム以上が参加している。アメリカ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。 参加するには厳しい審査のパスが必要という。 (字数数限のため、カット09年09月25日) ・・・・・・・・・ 2004年09月25日(土) 1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2 十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。 そしてそのままホテルに泊まってもらった。 翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。 二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、 それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。 本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいた。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ「すごい内容だ。是非うちで開いている 勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。 「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまったのだ。 こういう機会でなければ、森信三という 戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、 凄い人ばかりのはずである。後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。 それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。 話は元に戻るが母の7人の兄弟・姉妹のうち、 母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。 「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。 ・・・・・・・・・・ 2003年09月25日(木) 904, 讃岐うどんの店−2 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。 (字数制限のためカット2010年9月25日) ・・・・・・・・・ [161] 自然体(自然態) 2001/09/25 07:01 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、 その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、 その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの 言葉であった。浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。 その後この言葉に生き方がかなり影響された。目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。 7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、出発前に成田で言った言葉が印象的であった。 「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。 無理せずそのままでいきましょう」「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。 その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。自然体そのものであった。 たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ている。 もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。
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| 3834, ツール(道具)について考えてみる ー1 |
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2011年09月24日(土)
電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。足馴しに自転車で自宅から20分ほどの 信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周してみたが、自動アシストのためペダルを踏むストレスが半減。そのためか 信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。 そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマはライン川の風景に決して劣らない。 それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感が良い。 自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、 丁度その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあって、切り替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、 信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱になっている。新たな手段が生活を変えてしまった。 10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。 それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として 残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって読み返して気づいたこともあって、 一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、 書き残すことの価値を知っているからこそ続いている。 日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。 そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。 要は、道具が逆に、行動、習慣を決めてしまうのである。 道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。
・・・・・・・ 3469, 基本的信頼 2010年09月24日(金) 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。 それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情が タップリ入っている人がいる。その過剰は、自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。 乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱って くれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。 この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を得ることが出来る。 基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。 E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。 「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、 乳幼児は求めているのである。 片親の子供は就職に不利というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を 選択するのも、こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。 その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。 それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感が あるだけで充分に恵まれていたことになる。 過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。 今日は母の命日で亡くなって14年になる。 ・・・・・・・・ 3094,久々にジョーク −2 2009年09月24日(木) * 三つの願い 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちているのに気づいた。 それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。魔法使いは老婆に向かって語りかけた。 「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。 「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。 「大金持ちになりたい。使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。 三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、 宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。 その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」 〜〜 「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。 《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。 「よろしい。あなたのたった一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。 「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」》 《 ハイキングに来ていた家族が山の中で道に迷った。歩き回っているうちにどんどん森の奥に入ってしまい、 とうとう夜になってしまった。 子供が泣きながら「神様、助けて」と言うと、森の神様が現れて言った。 「お前たちの望みを一つだけ叶えてやろう」すると父親がすぐに答えた。「私たち家族を、とても我慢強くしてください」 「わかった。その望み叶えよう」神様は杖をひとふりすると、闇の中へ消えていった。 神様が消えると、父親の意外な言葉にぽかんとしていた母親と子供たちが一斉に文句を言い出した。 「お父さん!どうして道を教えてって言わなかったの!?」「お父さん!ヘリコプターを出してって言えばよかった!」 「あなた!こんな森なんてどうせすぐに抜け出せるんだから、世界一のお金持ちにしてもらえばよかったのに!」 しかし3人はすぐ口を揃えて言った。「・・・って言いたいけど、我慢する」》 〜ジョークの世界は、捻りのあるミニ物語である。それも最後の一言の捻りの落ちで決まる。 その影響のためか? 私の文章も会話も、何時の間にか落ちをいれないと気がすまなくなっている。 で今日は・・・、ありません。 捻りのきいたジョークの後では無理! ・・・・・・・・・・・ 2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4 2008年09月24日(水) 「議論に絶対負けない法」 −4 ー読書日記 −物語の力- 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。 その筋たての準備に、可能な限りエネルギーを入れなければならない。 それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。 これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。 以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、 人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、 議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月24日(月) 2365, ウィーン・コンサート、それが何! ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。 ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに 日本からの即席の「お嬢様」がアホづらをして参加しているとか、辛らつである。 (こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的な ハイソサエティーな雰囲気をもたらすからである。しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。 確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、何か音楽音痴は自分だけのように思うが、 現実は一部マニアの道楽でしかないと中島がいうから確かなのだろう。以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は 「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、 話を聞けば趣味の一つでしかないし、度々行くほどの事でもないことが解った。 (字数の関係で中間カット、2008年09月24日) ・・・・・・・・・ 2006年09月24日(日) 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで オシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、 その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。 心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後になって、 「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。 戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、 「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で 話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなった。 (奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった) 家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。 3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ! ーつづく ーー 書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー) 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月24日(土) 1635, 「イヴの七人の娘たち」 ーまずは、この本の概略を書いてみるー DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」 にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。 アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。 我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。 人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。 6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、この女性たちに名前をつけると、アースラ、 ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン。それぞれが「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たち。 ミトコンドリアDNAには、 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) 「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン ・・・・・・・・・ 2004年09月24日(金) 1270, 母が亡くなって、まる八年! ー命日に, 母の魂に捧げる 今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。 今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、 母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。 そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。 真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。 キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー 母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、 前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、 直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。 子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。 それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。 私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。 (亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。 その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。 特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ! 23日 6時半ー ・・・・・・・・・ 2003年09月24日(水) 903, 「仏像の不思議!」 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。 20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。 お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で 仏像などを売っていた。多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。精巧な彫りでかなりのモノであった。 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。 「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。お金は後で送金しますから」」といって別れた。 買う気は全く無かったのだが少し惜しい気持ちになっていた。ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。 そこまで下げるとは驚きである。 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった! 何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。 たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、仏像を見て青くなった。「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」 と忠告をしてくれた。確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。しかし、今でも自宅にあり 「家内の守り本尊」?として大事にしている。 いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても 不思議な出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。商品価値は三分の一だろう。 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら家で不幸があったという。 「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。 気味が悪くなって、すぐ売ったという。 ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。 −しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。 仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。 不思議なことがおきても何も不思議ではない。若い時は、不思議ということは殆ど無かった。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、 不思議の経験を多く積むようになった。不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。 生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。 ・・・・・・・・・ 529、人の一生 - 2002年09月24日(火) 仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、 ・上からはその動物が覗?込んでいる。 ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。 ・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。 ・しがみついている紐を鼠が齧っている。 ・怪獣は現実。 ・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。 ・下の大蛇は死。 ・鼠は歳月ー死への。 ・紐は生命。 人間の一生を例えた仏教説話である。これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。また井戸は内面ー孤独。 ≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》 ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。 好みの美人もそこで酔っている。この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。あまりに美味いので 飲みすぎて泥酔してしまった。ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。 それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。 これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???! ・・・・・・・・・ [157] 自殺 2001/09/24 09:49 NoName ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。 (字数制限のためカット 2010年9月24日)
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2011年09月23日(金)
* 病上手の、死に下手 「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか? 用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。 ネット辞書では、【 “よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で言われ続けてきた 】。 病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、 「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」という意味と同時に、 「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」ということ。 身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。 これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」というのがあった。 なるほど!言いえて妙。 逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が頷ける?。「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。 ーー * パソコン・ゲーム iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。 その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになってフロントからみえる道路を疾走する。 左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもしてくれる。(大事故にならない設定) 終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルとブレーキでコントロールする。これも面白い。 他にも幾つかフリーのゲームを使っている。とにかく始めたら止められないで2時間3時間など直ぐに経つ。ゲームに熱中している 子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、 まだ半歩しか足を踏み入れてないが、底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。 ・・・・・・・ 3468. 閑話小題 2010年09月23日(木) * 検察の特捜主任検事を逮捕 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。 押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。 彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通る というのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた 所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界??。 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。 検察もたまったものでない。 情報化で国家権力を持った者でも、 以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが検察、末端が警察。 〜〜 * 尖閣漁船衝突問題について ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、「目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。 「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は「孔子は公を無視している」という。 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、 日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に 従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、 中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。 ▼だが容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思えない。 事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】 ―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。 「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。 中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 ・・・・・・・・ 3093,久々にジョーク −1 2009年09月23日(水) 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。ところが、ある時期から、これはという 面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。 周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。 先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。 最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 それにしても久々にニヤリとした。 * 神の思し召し 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。 出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、 女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、 神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」 「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。幸い赤ちゃんは元気です」 「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんですから、間違いありません」 「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。 それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。 実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」 「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」 ▼ 解)ジョークの批評も野暮だが・・。 医師の不倫と、神父への冒涜、更に神父同士の男色の捻りまで入っている。 最後の一言で、一瞬でブラックの笑いに誘い込む。 私のストックの中の「聖職もの」としては、次のものが面白い。 《 *旅たち* 修道院から、少女たちが旅立とうとしています。女性院長がはなむけの言葉を贈ります。 「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。 あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、あなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」 「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」「そうですとも」 「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」 ーつづく ・・・・・・・ 2728, 議論に絶対負けない法 −3 2008年09月23日(火) 議論に絶対負けない法」−3 ー読書日記 物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。以下は、この本の一番好きな部分である。 成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。 好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。 Pー195 *私が百戦百勝している最大の秘訣 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを 迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 (字数制限のためカット 2011年9月23日) ・・・・・・・・・ 2007年09月23日(日) 2364, 哲学とは何か、考えてみようか? Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。 色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。 それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・ 私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして (空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。 それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。 「狂人三歩手前」 ー中島義道著 ー夏には哲学がよく似合うー P-51 メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。 この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。 他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。 ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を 見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。 メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。 「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。 この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。いや・もう一つの条件を加えておこう。 どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、 つまり、「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、人が驚かないことに 驚くといい換えてもいい。テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが(私は地下鉄サロン事件にも アメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに驚き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く。 思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、 こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。 勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。 しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声をあげている、という女性に 遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、「いまとは何か?」と考えていることを想像するのは難しい。 それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異であるように思われる。女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。 ふっと抱くかもしれない。しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界は崩れるかもしれない、という不安感がない。 彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。それは、彼女たちが生物体として 劣っているからではなく、優れているからである。男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、 性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。 (哲学釣な)男たちよ真夏の海岸で身を焦がしたら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。 ーーー 評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。」 中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。 池田晶子には不安定性が感じられないのは事実である。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、 池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。 ヽ(★>з<)バイバイ ・・・・・・・ 2006年09月23日(土) 1999, 「私」のための現代思想 −3 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ 第一章 「私」を縛るものは何か ー ー《価値》についてー <価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。 道徳は私たちに本来セットされている「感じ方」や「考え方」ではありません。 私たちが社会から学ぶものです。 多くの場合、道徳は「規範の内在化」という過程を経過して私たちの中に形成される。 道徳そのものに本来は論理性は内在していない、と考える方が妥当です。ニーチェは『道徳の系譜』において、 キリスト教の価値観の問題点を指摘した。 その論理展開を箇条書きにすると ー、先ずは「力あるものは悪である」と考えた。 ー、その逆として、「弱いもの=善」と考えた。 ー、?により「力を自分のために使うこと=利己的な行為」は「悪」とされた。 ー、?により「利他的・非利己的な行為」が善とされるようになった。 ニーチェは、キリスト教においてこのような論理展開が行われたのは「ルサンチマン(怨恨・反感)」に求めている。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・ 2005年09月23日(金) 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集 今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、 生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、 個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。 対談者ー今西錦司ー創造とは何か? ー父性原理と母性原理ー ー今西 西洋では神を一番上において、次に人間を据える。そしてその間が切れている。そこからもう一つ切りよって、 その他の生き物は全部が人間の下に置かれている。デカルトですけど、「我思う、故に我あり」に当たらん。 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日) 分類のコーナーの検索に「父性原理と母性原理」と入れて下さい。 (2009年9月23日) ・・・・・・・・ 2004年09月23日(木) 1269, 否定的想念の恐怖 人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を持てば、 肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。 周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要とするし、否定的想念は 感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を 持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。 「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として「ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。 ーその内容とは、 ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に 協力してもらえないかと持ちかけられた。人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、 われわれは10パーセントを上回ると考えているので、ぜひそれを証明したいという。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・・・ 2003年09月23日(火) 902, 「守護霊との対話 」 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」といっていた。 母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた小林正観と 中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 (字数制限のためカット 2010年9月23日) ーーーーーー 貧すれば鈍する 2002年09月23日(月) 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話である。 彼らの共通項とは ・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。 ・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘絡み合っている。 ・暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。 ・言い訳だけを常に考え行動しようとする。 ・ある土地を買った時、隣地に挨拶に行った。 その奥さんが初対面にかかわらず、 買った土地の前のオーナーの悪口雑言である。その数年後旦那が脳梗塞になった。 ・一番身近な連れ添いとの信頼関係がまず壊れている!浮気とか、嘘ごまかし、裏切りをまず一番の身近から始めている。 最悪の場合、自殺とか、ストレスで早死にしている。その場合父親も本人も親子揃っての場合が多い。 2~3の事例ではない。そういうのを家系というのだ。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2011年09月22日(木)
* 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。という私も、その手になるか。 怒りは感情の動物、それは仕方ない。 しかし、その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。そのうち、その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、 「怒り」が「怨念」に変わる。それは本人にとって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に中村天風の「箴言集」をトイレと、書斎の机近くの本棚に置き、 ことあるごとに読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、天風の言葉は、それを半減させる効用がある。 何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが天風の言葉。 天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に響いてくる。 老化は人の心を冷やす働きがある。人間の肉体も生(なま)もの、古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と 痛みを受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。 しかし精神が傷むからマイナーの言葉に支配される側面もある。 人間で一番大事なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。 何にでも興味をもって、その存在に驚くこと。 「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまうのが老い。 若いのに老化してしまっているのが大部分? 無知は老化に極似している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。 その壁が人間の脳には毒になる。 言葉は恐ろしい魔物の側面がある。 特に他者への侮蔑の言葉は、その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も自分を傷つける。それは弱者の武器になるが、 自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が底から沸々湧いて出る。 それを常に浄化しておかないと顔に出る。 やはり宗教しかないのか、人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?
・・・・・・・ 3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11 2010年09月22日(水) * アフリカに魅せられて ー5 アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。 南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、そしてイスラエルの コースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。あとエチオピアか、マダカスカル島に行きたいと思っている。 アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と 何が違うのだろうか考えさせられる。 父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて、 一族を束ねている。その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。 現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、未開発地域の人たちにも同じような文化が 存在している事実に注目した。戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した 手紙などが記録で残っている。それがアフリカのマサイ族の部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。 初めてアフリカに足を入れる前までは、恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかし、サバンナで出会うマサイ族の 衣装と野生動物から身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性のセンスにひけをとらない。 サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に似合った柄の羽織?を買い求め着ている。 それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 その視線で自分に流れている日常を見直すと、 小さな自分の世界を見直すことができるのである。 ・・・・・・・ 3092,つれづれに ー閑話小題ー 2009年09月22日(火) * 自民党総裁選挙だと! 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。 三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは 河野太郎だけで、二人はボケ。派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。 その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、その方が日本にとってよい。 それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。今のところ政権交代は現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはず。 数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。 * 図書館にて 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。 それも全員が立ち上がっていて氷ついている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、 中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを 起こして追い出され悪態をついたのか? ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、 強盗でもないので無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。館員が受付の外で対応していたが、 ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。 それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作してトラブルの演技で金を強請にくる。 また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 * 5連休か〜 秋の5連休とかで、高速道路の千円効果もあってか春のゴールデンウィーク並みのようである。この不景気の中、観光地は思わぬ特需で 息をついているという。私の方もだが。高速道路の無料化は地方にとっては大きなインパクトになるだろう。さっそく「知人の奥さんが 4名で東北まで一泊で遊びに行ってガソリン代と往復2千円を加えて、割ったら一人当たり交通費が二千八百だった」とかいう 話題が入ってきた。そうこう考えると、高速無料化は日本全体にとって莫大な経済効果をもたらすだろう。 学生時代のゼミの後輩が、その火付け役である。さぞ、鼻が高いだろう。 ・・・・・・・・・・ 2727, ザ・オオズモウ 2008年09月22日(月) *大相撲が面白い! ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。一場所を中止をする位の大事件なのに、 それ以上は騒ぎ立てなかった。ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。 これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。 歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。 大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。 それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。 一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。 もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、尚のこと徹底すべきである。 *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退? 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。この力士の特技が立ちあいの張り手である。 下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、 張り手がやりづらくなった。これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには 気力が衰えている。しかし、ヒール役としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、 引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、新理事長の下では早々の引退だろう。 元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。 ・・・・・・・・・ 2007年09月22日(土) 2363, 郵便配達夫シュバルの理想宮 −2 シュヴァルの凄さは、理想宮が明らかに意味あるものなら解るが、今でいうテーマ・パークを、誰の理解もされずにただ黙々と石を集め、 自分の心の命じるまま理想宮をつくり続けたことである。ただ、そのプロセスの中で生甲斐を感じていたはず、もし感じてなければ 続くわけがない。他の人から見たら何ら意味もないことを、自分でも意味など考えてなかったのだろう。 あるのは、それに取り組んでいるときの何ともいえない喜びである。続けているうちに評判を聞いた外部の人が見に来て褒めてくれたこと、 認めてくれたことなどで、意味を見つけていったのである。それは結果として、潜在意識の具現化につながっていく事になる。 そのテーマ・パークはみる人の気持ちをうつのである。もちろん、周囲の人は、その奇異な建物をみても理解などできようがない。 むしろ外部の人は、それを冷静に客観視できるから興味も加えて評価が可能になる。創造者は、まずは気違いにならないと 新しいことは創造できない。そして周囲は、その姿をみて、気違いという。 だから面白いのである。 ーその部分を抜粋したみるー ー村の気違いー シュヴァルは、村では最初から異端者であった。農地を持たない、という一事だけでも、村において、人を異端者と するに足りたであろう。そのうえ彼には、孤独癖、厭人癖があって、周囲の生活に決してなじむことができなかった。 パン屋をしながらの数年間の放浪は、そのことを示している。郵便配達という職業は、この異端を一時期 蔽い隠していたけれども、彼が宮殿を建設しはじめるに至って、この異端は露わになり、決定的なものとなる。 {近所の人たちは、私の毎日の石運びに気づきはじめました。彼らは最初、道路管理官に売るための資材を私が集めている のだと考えました。やがて私は、そうではないことを覚らせました。《じゃあ、どうするんだ》と彼らは訊ねました。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・・ 2006年09月22日(金) 1998, 「私」のための現代思想 −2 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 −読書日記 第一章 「私」を縛るものは何か ー ーまずは問題とはー まず「我われの世界は正しいのか」という問題をまず考えなくてはならない。 我われの世界には正しい部分と、腐った部分がある。《「世界」と「私」は、ともに腐っていく》という方が解りやすい。 この世界で自分が腐っていくのを実感することは、さらに腐敗にまみれないようにするためには、非常に重要である。 我われを拘束する要素として、<言葉><価値><社会>が考えられる。 ー言葉ー 私たちは<言葉>を使ってこの世界を認識し、他者に何かを伝えます。言葉は「思考の枠組み」であり、 便利な道具ではあるものの、逆にその「枠」の外には出られないという意味で束縛となる場合がある。 ー価値ー 私たちは何らかの、<価値>を求め、それに照らし合わせて自分の行動を決定したり選択したりします。 自分が重要だと考えている<価値>そのものが、私たちを束縛している場合がある。 ー社会ー この枠組みは、私たちがよりよく生きるために構築されてきたものですが、そこに窮屈感や閉塞感が出ることがある。 これらは「束縛」となる場合と、「自由になるための武器」になる場合がある。 この束縛から脱するには、 これらを得なくてはならない。 得るためには、まずは言葉・価値・社会とは何か知らなければならない。 まずはーー《言葉》についてーー 言葉の機能の中心には「分類」があります。これは、言葉は「私たちが知覚したものを分類する」ために用いられるという意味である。 私たちが「何かを学ぶ」ということは、ー社会において重要とされている分類基準を自分のものとするーということを意味しています。 このとき私たちは、少しだけ「自分を殺す」ことになります。それが「大人になる」ということであり、「社会化する」ということです。 フランスの精神分析家のピエール・ルジャンドルは =換言すれば、「 自己と世界に対する関係は言葉のスクリーンを経由する 」ということ。 人間のアイデンティティには複数の水準がありますが、自己への同一化(それが主観的なアイデンティティ形成です)と、世界の同定および 世界への同一化ということです。その全てにとって前提となるのが言葉のスクリーンなのです。 自由に「思考」するためには =「他人の考えるように考える」ということは、重要である反面、「他の人が考えるようにしか考えられない」 という状況を発生させてしまう。そのときに人は「言葉による束縛」もしくは「言葉の専制」を実感します。 そうならないために ‘社会の側の分類規準は便宜的なものでしかないことを、しっかりと把握しておかなくてはならない。自分を殺さずに、社会の側の分類規準と 上手くやっていかなければならないが、そのとき重要なことは、「言葉の主人は自分である」という意識を持ち続けることである。 すなわち言葉は、自分を拘束するものではなく、認識の道具であり、意思伝達の道具であり、思考の道具である。 (以下、字数の関係でカット2009年09月22日) ー感想ー この随想日記を書き続けることの束縛が、反対に言葉の束縛を一つずつ開放してくれる。 一つの束縛が、一つの開放の獲得になる。要は、それぞれの束縛が物語としての基盤になっていれば、 それが人生の物語の完遂になっていく。まずは、言葉による自分の物語の構想を若いうちからしておくべきである。 それが、その人の価値観になるのである。 ヽ(●´ω`●)ノ。バイ! ・・・・・・・ 2005年09月22日(木) 1633, 閑話小題 ー雲を消すー 私が、雲を消すことができるというと、頭がおかしくなったと思うだろう。しかし消せるのである。まずは雲の消し方を紹介しよう。 晴れた日にたくさん浮かんでいる雲のうち、3センチくらいに見える雲を指さして「、消えろ……」と念じると、三分ほどで雲が消えてしまう。 ぜひやってみると面白いはずだ。小さな雲は、常に発生したり消えたりを繰り返している。指をさして念じなくとも、小さな雲は三 分くらいで消えるもの。そうした現象の種明かしをしらないと、実際に雲が消えたように見えて、念動の存在を信じてしまう。 実際、それを信じている人もいるから面白い。 ーあのビルの臭いー 爆破当時にニューヨークの9・11の貿易センタービルの下を通っていた地下鉄で電車が通過する時に、ものすごい臭いがしたという。 何千?人分の腐った人間の出汁の臭いとか。思い出したくない地元の人は生ゴミの臭いと言っていたという。 また、その翌年アフガンでは10万人以上が餓死したというが、そのことは殆んど新聞には報じられなかった。 ー晩婚化と高齢化ー 現在の晩婚化は高年齢化に深く関係しているという。もうかなり以前だが、『人生ゴムバンド』という説があった。 高齢化になったぶん、人生の節目と節目の期間が延びたという。なるほどと肯いた。私の知人数人が30代半ば結婚したが、 現在も子供が学生である。65歳までは収入は落とせないと言っているが、そう話しながらでも本人は嬉しそうである。 下の子供が大學を卒業した時にホッとしたと同時に、何か物足くなった。年金が満額出るのはあと三年だが、その時は・・・ ・・・・・・・・・・ 2004年09月22日(水) 1268, 大相撲に思うーつれづれに 大相撲が始まると、相撲について書くのが恒例になってしまった。場所ごとに刻々と、相撲の様相が変わっている。 最近は、朝鮮相撲、モンゴル相撲、レスリング、そして日本相撲の「国別異種格闘技」の様相に変ってきている。 (以下、字数の関係でカット2011年09月22日) ・・・・・・・・・ 2003年09月22日(月) 901, 相撲を考える 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。他の格闘技も多くできたこともあるが最近の大相撲はつまらなくなった。 つまらなくなったという点で、今のプロ野球に似ている。NHKのBSでメジャーリーグを見るようになってから、全く見なくなった。 以前、「過去の相撲の大一番」を特集していた。子供の時から相撲が好きであった事もあって、ラジオやTVで大一番は殆ど見ていた。 ・私が見た中での大一番は「栃若の千秋楽の全勝の一番」である。 ・大鵬と柏戸の千秋楽の全勝同士の一番も素晴らしい一番であった。 ・生まれる前なので見てないが、歴史に残るのが双葉山が69連勝の後、安芸の海に負けた相撲も大一番といえる。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・ 2003年03月12日(水) 707, モンゴル大相撲 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。 今場所からは、両横綱とも外人である。外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。 − 以下字数の関係でカットー2007年9月22日 ・・・・・・・ 2002年09月22日(日) 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸! まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。 もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、彼はそれを持っている。 (以下、字数の関係でカット2010年09月22日) ・・・・・・・・・ [154] 性善説と性悪説 2001/09/22 以前、身近に[おれは性善説だ]と口癖の男がいた。本当に性善なら‘それを売り言葉に使うのがおかしい’ という事も解らない。人間なんぞ性善も性悪もごちゃ混ぜになっているもの。 光のあて方でどうにもとれる。「性悪の路線の上を性善で走れ」あたりが少しもっともらしいのかもしれない。 善良は、ある状態ー苦労やぎりぎりのところに立ってない状態ーでいっている戯言でしかないというと、 言い過ぎか。善悪とは、多様にあり解釈の結果でしかない。詐欺師やその手合いはその事を熟知している。 従って善良という言葉の衣服を綺麗に着こなす。 本当に世の中、悪がいる!芯からの悪党がいる。 その人間が ‘俺こそは実は性善’だと信じていたら、手のつけられない悪党になれる。それか、政治家いや政治屋向きであろう。 自分中に隠れ住んでいる‘邪悪なるものと神聖なるもの’と、とことん付きあってみれば、性善説や性悪説は 見方の一片でしかない事にきずくはずだ。どうでもいいことだが、言葉の遊びレベルでいっているだけだが。
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2011年09月21日(水)
* 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差 東京の学生時代は寮暮らしだったが、当然そこは地方出身者の巣窟。それに比べ大学はミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。 クラブに入って驚いたことは、都会人の会話のセンス。 常にジョークか駄洒落を飛ばし会話を楽しんでいる。 友人も教養課程の クラスでは席が固定されている。そこで二分されるのが、都会出身者と、地方出身者。服装からセンスが違う。しかし都会出身者は、 地方人の素朴さに惹かれるが、反面、どこか田舎者と見下げている。 地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、 日常の三食の食事など生活のハンデキャップがある。 友人を見ていてキツイそうなのがアパート生活者。 地方出身者は、孤独な都会の 一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女をつくるなど、まだ純真な身の上にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、 どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。やっと声がかかってくるのが学生生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。 とはいえ、女性の方は二段階上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと) その中で自分の4人の姉たちを比較し、 その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。 現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ?。それからして、 ギャップは、あまりに大きい。 という訳で私は学生時代に結婚する相手を見つけないまま終わってしまった。 友人をみると、 学生時代の相手と結婚したのは三分の一ぐらい。 結婚相手を決めることは互いに、人生を大きく左右するほどの決断になる。 目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うことであった。 25人の地方出身者の寮に入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。 しかし、必死に本を読んでいたことも確か。 それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違っていた。 それでも色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、 一ヶ月の欧州旅行、アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。 小学校から大学時代を通して、大学が最も恵まれていた。 卒業直後、就職で地方にいったこともあり、もう一皮ぬけなかったのが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・・ しかし、話が合うのは今でも都会の人たち、というより揉まれた人たちということになる! とすると・・・ ・・・・・・・・ 3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10 2010年09月21日(火) * アフリカに魅せられて ー4 ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見たような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民マサイ族の 生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。 野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、 バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。 このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどはカルデラの外にでることはない。 (象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに 生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。 上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。 それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。実際に地球上に、 アフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。 ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。 ・・・・・・・・ 3091,猫背の話 2009年09月21日(月) 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。 腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た猫背の 初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを一年ぐらい気を 抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる直前に布団の中で全身を 伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、これでかなり矯正はした。 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。 ・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。 ・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 ・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。 ・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。 ・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2010年09月21日)ー ・・・・・・・・・ 2726, 議論に絶対負けない法 −2 2008年09月21日(日) ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、 この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。 孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より) 1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。 -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。 2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。 3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。 4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。 5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー ―ただ一つ不正という苦しみを除いては― 6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。 相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。 相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。 7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」 8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。 絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。 9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい −自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。 それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。 10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。 だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。 ▼ 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか! 次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。 告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、真実は二の次になってしまう。 これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。それだけ、物語の力があるということだ。 共同幻想は、物語から沸いてくる。 そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。 ・・・・・・・・ 2007年09月21日(金) 2362, コーヒーの由来 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー ・・・・・・・・ 2006年09月21日(木) 1997, 「私」のための現代思想 読書日記 \(^▽^*)おは! (光文社新書) 著者・高田 明典 「私」とは何か、「他人」とは何か、そして他人の集まった「世界」とは何か? を解りやすく書いてある本がないかと 思っていた矢先、 図書館でこの本に行き当たった。 哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。 この本では、<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>という現代思想の主要概念を検討する構成。 この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。 まずは「はじめに」の中から、ポイントの部分を抜粋してみる。 ・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、一介の労働者として工場に入り込み、そこで辛い体験を通して、 自らの思想を研ぎ澄ました。そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく 奪われてしまいました。 そこで私たちは 「時間の流れ」にさからうことはできません。しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを思い描き、 その通りに行動することはできます。それを人は「意志」といいます。また、「精神」とも、「魂」ともいいます。 すなわち「魂」とは、人が「時間を支配すること」です。もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、 自分の意志とは全く関係なく起こるものであれば、人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。その自由は失われます。 ・教養とは「自由になるための技術」です。そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。私たちに与えられた武器は、 思考であり言語であり論理である。それ以外の武器を、私たちは持っていません。 自由になるための「技術の束縛」 から逃れるためには、「技術を所有する」ことです。「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。 所有するとは権限を持つことと同義語である。 何に束縛を感じるか、その人によって違います。 その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。 束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。 その人が採用する「物語」が遂行していく途上に 存在する「壁」のことです。「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」という 「物語」が遂行中であることを意味しています。「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、 すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。 「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。 ーおわり (。^0^。)ノホンジャ、マタ! ・・・・・・・・ 2005年09月21日(水) 1632, 記憶する身体、飛翔する意識 ー 日野敬三 対談集 −3 柄谷と保坂の違って、三木は本人自身が生死の淵の大手術をしているので対談の内容は、よりリアルになっている。 ー手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。努め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよー のクダリなど、挫折を何度か繰り返してきた経験から、痛いほど解る。 現在、リストラにあった人の心象風景そのものである。 以下は、少し暗いが真実の声である。 ー記憶する身体、飛翔する意識ー 三木卓 ー三木: 生死ぎりぎりの大手術をして、人生の荒治療を食らったという感じは大いにありますね。 突如として目の前に「シャッター」がダーンと落ちてきたときには、やはりかなり慌てた。 多少は死のことを考えていたつもりなのに、やはり本番の覚悟はできてなかったのですね。 ー日野:『2001年宇宙の旅』というSF映画の中に、モノリスという不思議な金属が出てくる。 ツルツルの黒っぽい。 三木さんは先ほど、シャッターとおっしゃいましたが、僕はあれが目の前にスーッと現れた気がしたの。 ー三木:モノリスが?怖いな! ー三木:病室の窓から、恵比寿の町の灯が見えるんです。そうすると街のどこかのバーで僕が一杯ひっかけていてもいいわけですよ。 ところがその風景が、何か、明治時代のガス灯の世界か何かに思えてくる。その間にあるガラスは厚いですね。 驚くほど厚いガラスなんです。そこに僕が行って飲むということは素晴らしいが、もう絶対できない。 ー日野:僕は、手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。勤め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよ。僕はここにいて、10~20m先の改札口の皆が帰っていく姿が、この世のものならぬ光に包まれて、 そして自分とそこの間には絶対の隔たりがあった。その光景は忘れられません。 ー三木:日野さんも僕も、シャッターが落ちたときから、そういう時間が始まったんだと思う。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2009年09月21日)ー ・・・・・・・・ 2004年09月21日(火) 1267, 書いてなかった旅行記ー2 カナダ旅行紀ー2 バンフスプリングス・ホテルが一つの芸術作品のようである。重厚な石造りの建物に、豪華なロビーとレストラン。 もちろんホテルとして、世界的に有名なホテルである。その庭先にはレイク・ルイーズがある。 いや、レイク・ルイーズのほとりにホテルを建てたのだ。朝、昼、夜(白夜)とその湖の色が大きく変わって見える。 ロビーの窓が、あたかも絵の額縁のように作ってある。早朝、その窓から見た湖の美しさに息を呑んでしまった。 白夜の11時過ぎに、一人でレイク・ルイーズの畔のウォーキングコースを散歩をした。 よそ者は入ってくるなと脅しているように稲妻と雷の音が鳴り響く、自リスや、ラッコが威嚇の声を上げる。 それが、その背景とピッタリなのである。恐ろしくなり引き返そうとした。ふと人の気配するので、目をやると若い白人女性が 一人でハイキングから帰ってきたところだった。男でも恐ろしいところをよく一人で歩くものだと感心をした。 高台から見えたペイト・レイクの美しさも心に焼き付いている。コバルトブルーの色は、過って一度も見たことのない色。 右を見ても左を見ても、全てが絶景というのがカナデアン・ロッキーの特徴である。 旅行の都度、添乗員に必ず次の質問をしていた。「貴方の主観でよいから、一番良かったところは何処ですか?」 殆どの添乗員答えは「カナダのロッキー」であった。次がスペイン。そして、インドであった。 そういわせるだけのものは確かにあった。ところで現在の私に同じ質問をしたら、迷わず、「ケニア!」と答える。 ・・・・・・・ 2003年09月21日(日) 900,『 V・E ・フランクル』についてー2 彼の言わんとすることは ー「よく働き、よく遊び、よく学べ」ということだ。 「よく」あるためには、この3つのバランスがとれてなくてはならない。 よく働くためには、よく遊び、よく学ばなくてはならない。 よく遊ぶためには、よく学び、よく働かなくてはならない。 よく学ぶためには、よく働き、よく遊ばなくてはならない。 私の場合は、 ・よく働くは、現在の事業の発展・維持である。 バブルがはじけて大変だが、5年~10年先を読んで、事業構造の変換が当面の課題である。 ・よく遊ぶは、ウォーキングや、秘境旅行、映画・TV鑑賞。 ・よく学ぶは、読書や人間・社会観察である。 この3つはそれぞれ重なり合い、同じであったりする。この「随想日記」は私にとって3つが含まれている。 「何を」という目的・目標をハッキリさせ、そのプロセスを楽しみや遊びになるまで、徹底することだ。 フランクルは死と常に隣りあった異常な状態の中で、人間の可能性を見た。その「人間の可能性」を大学に 復帰して講義をするイメージが、彼を収容所から生還させたのだ。収容所で作業のため整列して歩いている時に、 数?上から見ている自分がいたと書いていた。これなど究極の体験から生じる脳の昇華であろう。 彼のコぺルニクス的大転換は「人生に何かを求めるのでなく、人生が何を求めているか」を常に問い続ける 重要性に気づいたことだ。 それも死の収容所の究極の状況の中でだ。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日) ・・・・・・ 526,社会の変化 - 2002年09月21日(土) 日本も社会の価値観が根本的に変わろうとしている。この失われた10年間で政治も企業も宗教も権威が失墜してしまった。 一昔前の一流企業といわれるところが、倒産や赤字や不祥事で全く権威を消滅してしまった。代議士や大臣を偉いと 思う人が全くいなくなってしまった。宗教もしかり、「集り」という姿がオウム教で露出してしまった。 「家」という制度も根こそぎ変わろうとしている。 江戸時代から続いてきた「日本的家制度」が、新しい年代の出現や 我々の意識の変化で根こそぎ変わってきている。家のオモヒの仏壇も仏教がまだ権威を保っていた時の文化だ。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2011年09月21日)ー ・・・・・・ 2001/09/21 9・11事件は、第三次世界大戦の開戦? 第三次世界大戦開戦!ーほんと!まだピンとこない。しかし一日一日とその重みを感じる。 長期になる宗教戦争だ。 怖いのは北朝鮮が関ってきたかどうかである。30~40%の確率で関っていると見る。 あの男ー金正日なら可能性大だ。 その場合もちろんアメリカは原爆を使う可能性がある。そうすると日本海側の原発がまず狙われるだろう。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。(2007年09月21日)ー また日本は世界恐慌を狙ったイスラム過激派に狙われて当然である。パレスチナのNO2が殺されたので大事件がおきると 思っていたが、まさかここまでのテロをやるとは! 企業はまず生存対策に全てのエネルギーを向けなければならなくなった。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2011年09月21日)ー
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