堀井On-Line
3834, ツール(道具)について考えてみる ー1 |
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2011年09月24日(土)
電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。足馴しに自転車で自宅から20分ほどの 信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周してみたが、自動アシストのためペダルを踏むストレスが半減。そのためか 信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。 そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマはライン川の風景に決して劣らない。 それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感が良い。 自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、 丁度その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあって、切り替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、 信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱になっている。新たな手段が生活を変えてしまった。 10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。 それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として 残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって読み返して気づいたこともあって、 一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、 書き残すことの価値を知っているからこそ続いている。 日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。 そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。 要は、道具が逆に、行動、習慣を決めてしまうのである。 道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。
・・・・・・・ 3469, 基本的信頼 2010年09月24日(金) 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。 それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情が タップリ入っている人がいる。その過剰は、自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。 乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱って くれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。 この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を得ることが出来る。 基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。 E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。 「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、 乳幼児は求めているのである。 片親の子供は就職に不利というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を 選択するのも、こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。 その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。 それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感が あるだけで充分に恵まれていたことになる。 過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。 今日は母の命日で亡くなって14年になる。 ・・・・・・・・ 3094,久々にジョーク −2 2009年09月24日(木) * 三つの願い 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちているのに気づいた。 それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。魔法使いは老婆に向かって語りかけた。 「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。 「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。 「大金持ちになりたい。使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。 三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、 宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。 その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」 〜〜 「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。 《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。 「よろしい。あなたのたった一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。 「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」》 《 ハイキングに来ていた家族が山の中で道に迷った。歩き回っているうちにどんどん森の奥に入ってしまい、 とうとう夜になってしまった。 子供が泣きながら「神様、助けて」と言うと、森の神様が現れて言った。 「お前たちの望みを一つだけ叶えてやろう」すると父親がすぐに答えた。「私たち家族を、とても我慢強くしてください」 「わかった。その望み叶えよう」神様は杖をひとふりすると、闇の中へ消えていった。 神様が消えると、父親の意外な言葉にぽかんとしていた母親と子供たちが一斉に文句を言い出した。 「お父さん!どうして道を教えてって言わなかったの!?」「お父さん!ヘリコプターを出してって言えばよかった!」 「あなた!こんな森なんてどうせすぐに抜け出せるんだから、世界一のお金持ちにしてもらえばよかったのに!」 しかし3人はすぐ口を揃えて言った。「・・・って言いたいけど、我慢する」》 〜ジョークの世界は、捻りのあるミニ物語である。それも最後の一言の捻りの落ちで決まる。 その影響のためか? 私の文章も会話も、何時の間にか落ちをいれないと気がすまなくなっている。 で今日は・・・、ありません。 捻りのきいたジョークの後では無理! ・・・・・・・・・・・ 2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4 2008年09月24日(水) 「議論に絶対負けない法」 −4 ー読書日記 −物語の力- 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。 その筋たての準備に、可能な限りエネルギーを入れなければならない。 それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。 これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。 以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、 人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、 議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月24日(月) 2365, ウィーン・コンサート、それが何! ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。 ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに 日本からの即席の「お嬢様」がアホづらをして参加しているとか、辛らつである。 (こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的な ハイソサエティーな雰囲気をもたらすからである。しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。 確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、何か音楽音痴は自分だけのように思うが、 現実は一部マニアの道楽でしかないと中島がいうから確かなのだろう。以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は 「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、 話を聞けば趣味の一つでしかないし、度々行くほどの事でもないことが解った。 (字数の関係で中間カット、2008年09月24日) ・・・・・・・・・ 2006年09月24日(日) 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで オシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、 その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。 心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後になって、 「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。 戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、 「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で 話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなった。 (奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった) 家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。 3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ! ーつづく ーー 書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー) 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月24日(土) 1635, 「イヴの七人の娘たち」 ーまずは、この本の概略を書いてみるー DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」 にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。 アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。 我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。 人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。 6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、この女性たちに名前をつけると、アースラ、 ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン。それぞれが「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たち。 ミトコンドリアDNAには、 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) 「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン ・・・・・・・・・ 2004年09月24日(金) 1270, 母が亡くなって、まる八年! ー命日に, 母の魂に捧げる 今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。 今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、 母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。 そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。 真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。 キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー 母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、 前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、 直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。 子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。 それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。 私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。 (亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。 その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。 特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ! 23日 6時半ー ・・・・・・・・・ 2003年09月24日(水) 903, 「仏像の不思議!」 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。 20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。 お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で 仏像などを売っていた。多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。精巧な彫りでかなりのモノであった。 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。 「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。お金は後で送金しますから」」といって別れた。 買う気は全く無かったのだが少し惜しい気持ちになっていた。ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。 そこまで下げるとは驚きである。 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった! 何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。 たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、仏像を見て青くなった。「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」 と忠告をしてくれた。確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。しかし、今でも自宅にあり 「家内の守り本尊」?として大事にしている。 いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても 不思議な出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。商品価値は三分の一だろう。 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら家で不幸があったという。 「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。 気味が悪くなって、すぐ売ったという。 ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。 −しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。 仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。 不思議なことがおきても何も不思議ではない。若い時は、不思議ということは殆ど無かった。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、 不思議の経験を多く積むようになった。不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。 生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。 ・・・・・・・・・ 529、人の一生 - 2002年09月24日(火) 仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、 ・上からはその動物が覗?込んでいる。 ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。 ・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。 ・しがみついている紐を鼠が齧っている。 ・怪獣は現実。 ・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。 ・下の大蛇は死。 ・鼠は歳月ー死への。 ・紐は生命。 人間の一生を例えた仏教説話である。これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。また井戸は内面ー孤独。 ≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》 ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。 好みの美人もそこで酔っている。この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。あまりに美味いので 飲みすぎて泥酔してしまった。ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。 それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。 これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???! ・・・・・・・・・ [157] 自殺 2001/09/24 09:49 NoName ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。 (字数制限のためカット 2010年9月24日)
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2011年09月23日(金)
* 病上手の、死に下手 「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか? 用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。 ネット辞書では、【 “よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で言われ続けてきた 】。 病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、 「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」という意味と同時に、 「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」ということ。 身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。 これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」というのがあった。 なるほど!言いえて妙。 逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が頷ける?。「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。 ーー * パソコン・ゲーム iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。 その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになってフロントからみえる道路を疾走する。 左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもしてくれる。(大事故にならない設定) 終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルとブレーキでコントロールする。これも面白い。 他にも幾つかフリーのゲームを使っている。とにかく始めたら止められないで2時間3時間など直ぐに経つ。ゲームに熱中している 子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、 まだ半歩しか足を踏み入れてないが、底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。 ・・・・・・・ 3468. 閑話小題 2010年09月23日(木) * 検察の特捜主任検事を逮捕 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。 押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。 彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通る というのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた 所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界??。 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。 検察もたまったものでない。 情報化で国家権力を持った者でも、 以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが検察、末端が警察。 〜〜 * 尖閣漁船衝突問題について ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、「目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。 「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は「孔子は公を無視している」という。 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、 日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に 従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、 中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。 ▼だが容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思えない。 事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】 ―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。 「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。 中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 ・・・・・・・・ 3093,久々にジョーク −1 2009年09月23日(水) 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。ところが、ある時期から、これはという 面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。 周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。 先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。 最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 それにしても久々にニヤリとした。 * 神の思し召し 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。 出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、 女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、 神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」 「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。幸い赤ちゃんは元気です」 「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんですから、間違いありません」 「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。 それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。 実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」 「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」 ▼ 解)ジョークの批評も野暮だが・・。 医師の不倫と、神父への冒涜、更に神父同士の男色の捻りまで入っている。 最後の一言で、一瞬でブラックの笑いに誘い込む。 私のストックの中の「聖職もの」としては、次のものが面白い。 《 *旅たち* 修道院から、少女たちが旅立とうとしています。女性院長がはなむけの言葉を贈ります。 「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。 あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、あなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」 「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」「そうですとも」 「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」 ーつづく ・・・・・・・ 2728, 議論に絶対負けない法 −3 2008年09月23日(火) 議論に絶対負けない法」−3 ー読書日記 物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。以下は、この本の一番好きな部分である。 成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。 好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。 Pー195 *私が百戦百勝している最大の秘訣 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを 迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 (字数制限のためカット 2011年9月23日) ・・・・・・・・・ 2007年09月23日(日) 2364, 哲学とは何か、考えてみようか? Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。 色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。 それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・ 私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして (空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。 それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。 「狂人三歩手前」 ー中島義道著 ー夏には哲学がよく似合うー P-51 メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。 この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。 他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。 ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を 見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。 メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。 「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。 この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。いや・もう一つの条件を加えておこう。 どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、 つまり、「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、人が驚かないことに 驚くといい換えてもいい。テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが(私は地下鉄サロン事件にも アメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに驚き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く。 思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、 こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。 勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。 しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声をあげている、という女性に 遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、「いまとは何か?」と考えていることを想像するのは難しい。 それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異であるように思われる。女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。 ふっと抱くかもしれない。しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界は崩れるかもしれない、という不安感がない。 彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。それは、彼女たちが生物体として 劣っているからではなく、優れているからである。男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、 性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。 (哲学釣な)男たちよ真夏の海岸で身を焦がしたら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。 ーーー 評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。」 中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。 池田晶子には不安定性が感じられないのは事実である。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、 池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。 ヽ(★>з<)バイバイ ・・・・・・・ 2006年09月23日(土) 1999, 「私」のための現代思想 −3 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ 第一章 「私」を縛るものは何か ー ー《価値》についてー <価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。 道徳は私たちに本来セットされている「感じ方」や「考え方」ではありません。 私たちが社会から学ぶものです。 多くの場合、道徳は「規範の内在化」という過程を経過して私たちの中に形成される。 道徳そのものに本来は論理性は内在していない、と考える方が妥当です。ニーチェは『道徳の系譜』において、 キリスト教の価値観の問題点を指摘した。 その論理展開を箇条書きにすると ー、先ずは「力あるものは悪である」と考えた。 ー、その逆として、「弱いもの=善」と考えた。 ー、?により「力を自分のために使うこと=利己的な行為」は「悪」とされた。 ー、?により「利他的・非利己的な行為」が善とされるようになった。 ニーチェは、キリスト教においてこのような論理展開が行われたのは「ルサンチマン(怨恨・反感)」に求めている。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・ 2005年09月23日(金) 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集 今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、 生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、 個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。 対談者ー今西錦司ー創造とは何か? ー父性原理と母性原理ー ー今西 西洋では神を一番上において、次に人間を据える。そしてその間が切れている。そこからもう一つ切りよって、 その他の生き物は全部が人間の下に置かれている。デカルトですけど、「我思う、故に我あり」に当たらん。 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日) 分類のコーナーの検索に「父性原理と母性原理」と入れて下さい。 (2009年9月23日) ・・・・・・・・ 2004年09月23日(木) 1269, 否定的想念の恐怖 人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を持てば、 肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。 周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要とするし、否定的想念は 感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を 持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。 「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として「ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。 ーその内容とは、 ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に 協力してもらえないかと持ちかけられた。人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、 われわれは10パーセントを上回ると考えているので、ぜひそれを証明したいという。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・・・ 2003年09月23日(火) 902, 「守護霊との対話 」 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」といっていた。 母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた小林正観と 中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 (字数制限のためカット 2010年9月23日) ーーーーーー 貧すれば鈍する 2002年09月23日(月) 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話である。 彼らの共通項とは ・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。 ・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘絡み合っている。 ・暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。 ・言い訳だけを常に考え行動しようとする。 ・ある土地を買った時、隣地に挨拶に行った。 その奥さんが初対面にかかわらず、 買った土地の前のオーナーの悪口雑言である。その数年後旦那が脳梗塞になった。 ・一番身近な連れ添いとの信頼関係がまず壊れている!浮気とか、嘘ごまかし、裏切りをまず一番の身近から始めている。 最悪の場合、自殺とか、ストレスで早死にしている。その場合父親も本人も親子揃っての場合が多い。 2~3の事例ではない。そういうのを家系というのだ。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2011年09月22日(木)
* 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。という私も、その手になるか。 怒りは感情の動物、それは仕方ない。 しかし、その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。そのうち、その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、 「怒り」が「怨念」に変わる。それは本人にとって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に中村天風の「箴言集」をトイレと、書斎の机近くの本棚に置き、 ことあるごとに読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、天風の言葉は、それを半減させる効用がある。 何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが天風の言葉。 天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に響いてくる。 老化は人の心を冷やす働きがある。人間の肉体も生(なま)もの、古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と 痛みを受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。 しかし精神が傷むからマイナーの言葉に支配される側面もある。 人間で一番大事なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。 何にでも興味をもって、その存在に驚くこと。 「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまうのが老い。 若いのに老化してしまっているのが大部分? 無知は老化に極似している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。 その壁が人間の脳には毒になる。 言葉は恐ろしい魔物の側面がある。 特に他者への侮蔑の言葉は、その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も自分を傷つける。それは弱者の武器になるが、 自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が底から沸々湧いて出る。 それを常に浄化しておかないと顔に出る。 やはり宗教しかないのか、人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?
・・・・・・・ 3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11 2010年09月22日(水) * アフリカに魅せられて ー5 アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。 南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、そしてイスラエルの コースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。あとエチオピアか、マダカスカル島に行きたいと思っている。 アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と 何が違うのだろうか考えさせられる。 父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて、 一族を束ねている。その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。 現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、未開発地域の人たちにも同じような文化が 存在している事実に注目した。戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した 手紙などが記録で残っている。それがアフリカのマサイ族の部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。 初めてアフリカに足を入れる前までは、恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかし、サバンナで出会うマサイ族の 衣装と野生動物から身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性のセンスにひけをとらない。 サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に似合った柄の羽織?を買い求め着ている。 それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 その視線で自分に流れている日常を見直すと、 小さな自分の世界を見直すことができるのである。 ・・・・・・・ 3092,つれづれに ー閑話小題ー 2009年09月22日(火) * 自民党総裁選挙だと! 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。 三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは 河野太郎だけで、二人はボケ。派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。 その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、その方が日本にとってよい。 それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。今のところ政権交代は現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはず。 数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。 * 図書館にて 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。 それも全員が立ち上がっていて氷ついている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、 中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを 起こして追い出され悪態をついたのか? ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、 強盗でもないので無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。館員が受付の外で対応していたが、 ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。 それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作してトラブルの演技で金を強請にくる。 また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 * 5連休か〜 秋の5連休とかで、高速道路の千円効果もあってか春のゴールデンウィーク並みのようである。この不景気の中、観光地は思わぬ特需で 息をついているという。私の方もだが。高速道路の無料化は地方にとっては大きなインパクトになるだろう。さっそく「知人の奥さんが 4名で東北まで一泊で遊びに行ってガソリン代と往復2千円を加えて、割ったら一人当たり交通費が二千八百だった」とかいう 話題が入ってきた。そうこう考えると、高速無料化は日本全体にとって莫大な経済効果をもたらすだろう。 学生時代のゼミの後輩が、その火付け役である。さぞ、鼻が高いだろう。 ・・・・・・・・・・ 2727, ザ・オオズモウ 2008年09月22日(月) *大相撲が面白い! ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。一場所を中止をする位の大事件なのに、 それ以上は騒ぎ立てなかった。ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。 これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。 歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。 大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。 それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。 一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。 もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、尚のこと徹底すべきである。 *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退? 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。この力士の特技が立ちあいの張り手である。 下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、 張り手がやりづらくなった。これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには 気力が衰えている。しかし、ヒール役としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、 引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、新理事長の下では早々の引退だろう。 元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。 ・・・・・・・・・ 2007年09月22日(土) 2363, 郵便配達夫シュバルの理想宮 −2 シュヴァルの凄さは、理想宮が明らかに意味あるものなら解るが、今でいうテーマ・パークを、誰の理解もされずにただ黙々と石を集め、 自分の心の命じるまま理想宮をつくり続けたことである。ただ、そのプロセスの中で生甲斐を感じていたはず、もし感じてなければ 続くわけがない。他の人から見たら何ら意味もないことを、自分でも意味など考えてなかったのだろう。 あるのは、それに取り組んでいるときの何ともいえない喜びである。続けているうちに評判を聞いた外部の人が見に来て褒めてくれたこと、 認めてくれたことなどで、意味を見つけていったのである。それは結果として、潜在意識の具現化につながっていく事になる。 そのテーマ・パークはみる人の気持ちをうつのである。もちろん、周囲の人は、その奇異な建物をみても理解などできようがない。 むしろ外部の人は、それを冷静に客観視できるから興味も加えて評価が可能になる。創造者は、まずは気違いにならないと 新しいことは創造できない。そして周囲は、その姿をみて、気違いという。 だから面白いのである。 ーその部分を抜粋したみるー ー村の気違いー シュヴァルは、村では最初から異端者であった。農地を持たない、という一事だけでも、村において、人を異端者と するに足りたであろう。そのうえ彼には、孤独癖、厭人癖があって、周囲の生活に決してなじむことができなかった。 パン屋をしながらの数年間の放浪は、そのことを示している。郵便配達という職業は、この異端を一時期 蔽い隠していたけれども、彼が宮殿を建設しはじめるに至って、この異端は露わになり、決定的なものとなる。 {近所の人たちは、私の毎日の石運びに気づきはじめました。彼らは最初、道路管理官に売るための資材を私が集めている のだと考えました。やがて私は、そうではないことを覚らせました。《じゃあ、どうするんだ》と彼らは訊ねました。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・・ 2006年09月22日(金) 1998, 「私」のための現代思想 −2 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 −読書日記 第一章 「私」を縛るものは何か ー ーまずは問題とはー まず「我われの世界は正しいのか」という問題をまず考えなくてはならない。 我われの世界には正しい部分と、腐った部分がある。《「世界」と「私」は、ともに腐っていく》という方が解りやすい。 この世界で自分が腐っていくのを実感することは、さらに腐敗にまみれないようにするためには、非常に重要である。 我われを拘束する要素として、<言葉><価値><社会>が考えられる。 ー言葉ー 私たちは<言葉>を使ってこの世界を認識し、他者に何かを伝えます。言葉は「思考の枠組み」であり、 便利な道具ではあるものの、逆にその「枠」の外には出られないという意味で束縛となる場合がある。 ー価値ー 私たちは何らかの、<価値>を求め、それに照らし合わせて自分の行動を決定したり選択したりします。 自分が重要だと考えている<価値>そのものが、私たちを束縛している場合がある。 ー社会ー この枠組みは、私たちがよりよく生きるために構築されてきたものですが、そこに窮屈感や閉塞感が出ることがある。 これらは「束縛」となる場合と、「自由になるための武器」になる場合がある。 この束縛から脱するには、 これらを得なくてはならない。 得るためには、まずは言葉・価値・社会とは何か知らなければならない。 まずはーー《言葉》についてーー 言葉の機能の中心には「分類」があります。これは、言葉は「私たちが知覚したものを分類する」ために用いられるという意味である。 私たちが「何かを学ぶ」ということは、ー社会において重要とされている分類基準を自分のものとするーということを意味しています。 このとき私たちは、少しだけ「自分を殺す」ことになります。それが「大人になる」ということであり、「社会化する」ということです。 フランスの精神分析家のピエール・ルジャンドルは =換言すれば、「 自己と世界に対する関係は言葉のスクリーンを経由する 」ということ。 人間のアイデンティティには複数の水準がありますが、自己への同一化(それが主観的なアイデンティティ形成です)と、世界の同定および 世界への同一化ということです。その全てにとって前提となるのが言葉のスクリーンなのです。 自由に「思考」するためには =「他人の考えるように考える」ということは、重要である反面、「他の人が考えるようにしか考えられない」 という状況を発生させてしまう。そのときに人は「言葉による束縛」もしくは「言葉の専制」を実感します。 そうならないために ‘社会の側の分類規準は便宜的なものでしかないことを、しっかりと把握しておかなくてはならない。自分を殺さずに、社会の側の分類規準と 上手くやっていかなければならないが、そのとき重要なことは、「言葉の主人は自分である」という意識を持ち続けることである。 すなわち言葉は、自分を拘束するものではなく、認識の道具であり、意思伝達の道具であり、思考の道具である。 (以下、字数の関係でカット2009年09月22日) ー感想ー この随想日記を書き続けることの束縛が、反対に言葉の束縛を一つずつ開放してくれる。 一つの束縛が、一つの開放の獲得になる。要は、それぞれの束縛が物語としての基盤になっていれば、 それが人生の物語の完遂になっていく。まずは、言葉による自分の物語の構想を若いうちからしておくべきである。 それが、その人の価値観になるのである。 ヽ(●´ω`●)ノ。バイ! ・・・・・・・ 2005年09月22日(木) 1633, 閑話小題 ー雲を消すー 私が、雲を消すことができるというと、頭がおかしくなったと思うだろう。しかし消せるのである。まずは雲の消し方を紹介しよう。 晴れた日にたくさん浮かんでいる雲のうち、3センチくらいに見える雲を指さして「、消えろ……」と念じると、三分ほどで雲が消えてしまう。 ぜひやってみると面白いはずだ。小さな雲は、常に発生したり消えたりを繰り返している。指をさして念じなくとも、小さな雲は三 分くらいで消えるもの。そうした現象の種明かしをしらないと、実際に雲が消えたように見えて、念動の存在を信じてしまう。 実際、それを信じている人もいるから面白い。 ーあのビルの臭いー 爆破当時にニューヨークの9・11の貿易センタービルの下を通っていた地下鉄で電車が通過する時に、ものすごい臭いがしたという。 何千?人分の腐った人間の出汁の臭いとか。思い出したくない地元の人は生ゴミの臭いと言っていたという。 また、その翌年アフガンでは10万人以上が餓死したというが、そのことは殆んど新聞には報じられなかった。 ー晩婚化と高齢化ー 現在の晩婚化は高年齢化に深く関係しているという。もうかなり以前だが、『人生ゴムバンド』という説があった。 高齢化になったぶん、人生の節目と節目の期間が延びたという。なるほどと肯いた。私の知人数人が30代半ば結婚したが、 現在も子供が学生である。65歳までは収入は落とせないと言っているが、そう話しながらでも本人は嬉しそうである。 下の子供が大學を卒業した時にホッとしたと同時に、何か物足くなった。年金が満額出るのはあと三年だが、その時は・・・ ・・・・・・・・・・ 2004年09月22日(水) 1268, 大相撲に思うーつれづれに 大相撲が始まると、相撲について書くのが恒例になってしまった。場所ごとに刻々と、相撲の様相が変わっている。 最近は、朝鮮相撲、モンゴル相撲、レスリング、そして日本相撲の「国別異種格闘技」の様相に変ってきている。 (以下、字数の関係でカット2011年09月22日) ・・・・・・・・・ 2003年09月22日(月) 901, 相撲を考える 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。他の格闘技も多くできたこともあるが最近の大相撲はつまらなくなった。 つまらなくなったという点で、今のプロ野球に似ている。NHKのBSでメジャーリーグを見るようになってから、全く見なくなった。 以前、「過去の相撲の大一番」を特集していた。子供の時から相撲が好きであった事もあって、ラジオやTVで大一番は殆ど見ていた。 ・私が見た中での大一番は「栃若の千秋楽の全勝の一番」である。 ・大鵬と柏戸の千秋楽の全勝同士の一番も素晴らしい一番であった。 ・生まれる前なので見てないが、歴史に残るのが双葉山が69連勝の後、安芸の海に負けた相撲も大一番といえる。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・ 2003年03月12日(水) 707, モンゴル大相撲 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。 今場所からは、両横綱とも外人である。外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。 − 以下字数の関係でカットー2007年9月22日 ・・・・・・・ 2002年09月22日(日) 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸! まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。 もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、彼はそれを持っている。 (以下、字数の関係でカット2010年09月22日) ・・・・・・・・・ [154] 性善説と性悪説 2001/09/22 以前、身近に[おれは性善説だ]と口癖の男がいた。本当に性善なら‘それを売り言葉に使うのがおかしい’ という事も解らない。人間なんぞ性善も性悪もごちゃ混ぜになっているもの。 光のあて方でどうにもとれる。「性悪の路線の上を性善で走れ」あたりが少しもっともらしいのかもしれない。 善良は、ある状態ー苦労やぎりぎりのところに立ってない状態ーでいっている戯言でしかないというと、 言い過ぎか。善悪とは、多様にあり解釈の結果でしかない。詐欺師やその手合いはその事を熟知している。 従って善良という言葉の衣服を綺麗に着こなす。 本当に世の中、悪がいる!芯からの悪党がいる。 その人間が ‘俺こそは実は性善’だと信じていたら、手のつけられない悪党になれる。それか、政治家いや政治屋向きであろう。 自分中に隠れ住んでいる‘邪悪なるものと神聖なるもの’と、とことん付きあってみれば、性善説や性悪説は 見方の一片でしかない事にきずくはずだ。どうでもいいことだが、言葉の遊びレベルでいっているだけだが。
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2011年09月21日(水)
* 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差 東京の学生時代は寮暮らしだったが、当然そこは地方出身者の巣窟。それに比べ大学はミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。 クラブに入って驚いたことは、都会人の会話のセンス。 常にジョークか駄洒落を飛ばし会話を楽しんでいる。 友人も教養課程の クラスでは席が固定されている。そこで二分されるのが、都会出身者と、地方出身者。服装からセンスが違う。しかし都会出身者は、 地方人の素朴さに惹かれるが、反面、どこか田舎者と見下げている。 地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、 日常の三食の食事など生活のハンデキャップがある。 友人を見ていてキツイそうなのがアパート生活者。 地方出身者は、孤独な都会の 一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女をつくるなど、まだ純真な身の上にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、 どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。やっと声がかかってくるのが学生生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。 とはいえ、女性の方は二段階上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと) その中で自分の4人の姉たちを比較し、 その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。 現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ?。それからして、 ギャップは、あまりに大きい。 という訳で私は学生時代に結婚する相手を見つけないまま終わってしまった。 友人をみると、 学生時代の相手と結婚したのは三分の一ぐらい。 結婚相手を決めることは互いに、人生を大きく左右するほどの決断になる。 目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うことであった。 25人の地方出身者の寮に入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。 しかし、必死に本を読んでいたことも確か。 それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違っていた。 それでも色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、 一ヶ月の欧州旅行、アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。 小学校から大学時代を通して、大学が最も恵まれていた。 卒業直後、就職で地方にいったこともあり、もう一皮ぬけなかったのが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・・ しかし、話が合うのは今でも都会の人たち、というより揉まれた人たちということになる! とすると・・・ ・・・・・・・・ 3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10 2010年09月21日(火) * アフリカに魅せられて ー4 ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見たような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民マサイ族の 生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。 野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、 バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。 このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどはカルデラの外にでることはない。 (象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに 生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。 上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。 それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。実際に地球上に、 アフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。 ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。 ・・・・・・・・ 3091,猫背の話 2009年09月21日(月) 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。 腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た猫背の 初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを一年ぐらい気を 抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる直前に布団の中で全身を 伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、これでかなり矯正はした。 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。 ・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。 ・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 ・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。 ・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。 ・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2010年09月21日)ー ・・・・・・・・・ 2726, 議論に絶対負けない法 −2 2008年09月21日(日) ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、 この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。 孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より) 1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。 -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。 2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。 3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。 4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。 5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー ―ただ一つ不正という苦しみを除いては― 6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。 相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。 相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。 7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」 8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。 絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。 9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい −自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。 それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。 10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。 だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。 ▼ 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか! 次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。 告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、真実は二の次になってしまう。 これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。それだけ、物語の力があるということだ。 共同幻想は、物語から沸いてくる。 そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。 ・・・・・・・・ 2007年09月21日(金) 2362, コーヒーの由来 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー ・・・・・・・・ 2006年09月21日(木) 1997, 「私」のための現代思想 読書日記 \(^▽^*)おは! (光文社新書) 著者・高田 明典 「私」とは何か、「他人」とは何か、そして他人の集まった「世界」とは何か? を解りやすく書いてある本がないかと 思っていた矢先、 図書館でこの本に行き当たった。 哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。 この本では、<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>という現代思想の主要概念を検討する構成。 この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。 まずは「はじめに」の中から、ポイントの部分を抜粋してみる。 ・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、一介の労働者として工場に入り込み、そこで辛い体験を通して、 自らの思想を研ぎ澄ました。そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく 奪われてしまいました。 そこで私たちは 「時間の流れ」にさからうことはできません。しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを思い描き、 その通りに行動することはできます。それを人は「意志」といいます。また、「精神」とも、「魂」ともいいます。 すなわち「魂」とは、人が「時間を支配すること」です。もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、 自分の意志とは全く関係なく起こるものであれば、人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。その自由は失われます。 ・教養とは「自由になるための技術」です。そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。私たちに与えられた武器は、 思考であり言語であり論理である。それ以外の武器を、私たちは持っていません。 自由になるための「技術の束縛」 から逃れるためには、「技術を所有する」ことです。「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。 所有するとは権限を持つことと同義語である。 何に束縛を感じるか、その人によって違います。 その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。 束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。 その人が採用する「物語」が遂行していく途上に 存在する「壁」のことです。「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」という 「物語」が遂行中であることを意味しています。「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、 すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。 「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。 ーおわり (。^0^。)ノホンジャ、マタ! ・・・・・・・・ 2005年09月21日(水) 1632, 記憶する身体、飛翔する意識 ー 日野敬三 対談集 −3 柄谷と保坂の違って、三木は本人自身が生死の淵の大手術をしているので対談の内容は、よりリアルになっている。 ー手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。努め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよー のクダリなど、挫折を何度か繰り返してきた経験から、痛いほど解る。 現在、リストラにあった人の心象風景そのものである。 以下は、少し暗いが真実の声である。 ー記憶する身体、飛翔する意識ー 三木卓 ー三木: 生死ぎりぎりの大手術をして、人生の荒治療を食らったという感じは大いにありますね。 突如として目の前に「シャッター」がダーンと落ちてきたときには、やはりかなり慌てた。 多少は死のことを考えていたつもりなのに、やはり本番の覚悟はできてなかったのですね。 ー日野:『2001年宇宙の旅』というSF映画の中に、モノリスという不思議な金属が出てくる。 ツルツルの黒っぽい。 三木さんは先ほど、シャッターとおっしゃいましたが、僕はあれが目の前にスーッと現れた気がしたの。 ー三木:モノリスが?怖いな! ー三木:病室の窓から、恵比寿の町の灯が見えるんです。そうすると街のどこかのバーで僕が一杯ひっかけていてもいいわけですよ。 ところがその風景が、何か、明治時代のガス灯の世界か何かに思えてくる。その間にあるガラスは厚いですね。 驚くほど厚いガラスなんです。そこに僕が行って飲むということは素晴らしいが、もう絶対できない。 ー日野:僕は、手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。勤め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよ。僕はここにいて、10~20m先の改札口の皆が帰っていく姿が、この世のものならぬ光に包まれて、 そして自分とそこの間には絶対の隔たりがあった。その光景は忘れられません。 ー三木:日野さんも僕も、シャッターが落ちたときから、そういう時間が始まったんだと思う。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2009年09月21日)ー ・・・・・・・・ 2004年09月21日(火) 1267, 書いてなかった旅行記ー2 カナダ旅行紀ー2 バンフスプリングス・ホテルが一つの芸術作品のようである。重厚な石造りの建物に、豪華なロビーとレストラン。 もちろんホテルとして、世界的に有名なホテルである。その庭先にはレイク・ルイーズがある。 いや、レイク・ルイーズのほとりにホテルを建てたのだ。朝、昼、夜(白夜)とその湖の色が大きく変わって見える。 ロビーの窓が、あたかも絵の額縁のように作ってある。早朝、その窓から見た湖の美しさに息を呑んでしまった。 白夜の11時過ぎに、一人でレイク・ルイーズの畔のウォーキングコースを散歩をした。 よそ者は入ってくるなと脅しているように稲妻と雷の音が鳴り響く、自リスや、ラッコが威嚇の声を上げる。 それが、その背景とピッタリなのである。恐ろしくなり引き返そうとした。ふと人の気配するので、目をやると若い白人女性が 一人でハイキングから帰ってきたところだった。男でも恐ろしいところをよく一人で歩くものだと感心をした。 高台から見えたペイト・レイクの美しさも心に焼き付いている。コバルトブルーの色は、過って一度も見たことのない色。 右を見ても左を見ても、全てが絶景というのがカナデアン・ロッキーの特徴である。 旅行の都度、添乗員に必ず次の質問をしていた。「貴方の主観でよいから、一番良かったところは何処ですか?」 殆どの添乗員答えは「カナダのロッキー」であった。次がスペイン。そして、インドであった。 そういわせるだけのものは確かにあった。ところで現在の私に同じ質問をしたら、迷わず、「ケニア!」と答える。 ・・・・・・・ 2003年09月21日(日) 900,『 V・E ・フランクル』についてー2 彼の言わんとすることは ー「よく働き、よく遊び、よく学べ」ということだ。 「よく」あるためには、この3つのバランスがとれてなくてはならない。 よく働くためには、よく遊び、よく学ばなくてはならない。 よく遊ぶためには、よく学び、よく働かなくてはならない。 よく学ぶためには、よく働き、よく遊ばなくてはならない。 私の場合は、 ・よく働くは、現在の事業の発展・維持である。 バブルがはじけて大変だが、5年~10年先を読んで、事業構造の変換が当面の課題である。 ・よく遊ぶは、ウォーキングや、秘境旅行、映画・TV鑑賞。 ・よく学ぶは、読書や人間・社会観察である。 この3つはそれぞれ重なり合い、同じであったりする。この「随想日記」は私にとって3つが含まれている。 「何を」という目的・目標をハッキリさせ、そのプロセスを楽しみや遊びになるまで、徹底することだ。 フランクルは死と常に隣りあった異常な状態の中で、人間の可能性を見た。その「人間の可能性」を大学に 復帰して講義をするイメージが、彼を収容所から生還させたのだ。収容所で作業のため整列して歩いている時に、 数?上から見ている自分がいたと書いていた。これなど究極の体験から生じる脳の昇華であろう。 彼のコぺルニクス的大転換は「人生に何かを求めるのでなく、人生が何を求めているか」を常に問い続ける 重要性に気づいたことだ。 それも死の収容所の究極の状況の中でだ。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日) ・・・・・・ 526,社会の変化 - 2002年09月21日(土) 日本も社会の価値観が根本的に変わろうとしている。この失われた10年間で政治も企業も宗教も権威が失墜してしまった。 一昔前の一流企業といわれるところが、倒産や赤字や不祥事で全く権威を消滅してしまった。代議士や大臣を偉いと 思う人が全くいなくなってしまった。宗教もしかり、「集り」という姿がオウム教で露出してしまった。 「家」という制度も根こそぎ変わろうとしている。 江戸時代から続いてきた「日本的家制度」が、新しい年代の出現や 我々の意識の変化で根こそぎ変わってきている。家のオモヒの仏壇も仏教がまだ権威を保っていた時の文化だ。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2011年09月21日)ー ・・・・・・ 2001/09/21 9・11事件は、第三次世界大戦の開戦? 第三次世界大戦開戦!ーほんと!まだピンとこない。しかし一日一日とその重みを感じる。 長期になる宗教戦争だ。 怖いのは北朝鮮が関ってきたかどうかである。30~40%の確率で関っていると見る。 あの男ー金正日なら可能性大だ。 その場合もちろんアメリカは原爆を使う可能性がある。そうすると日本海側の原発がまず狙われるだろう。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。(2007年09月21日)ー また日本は世界恐慌を狙ったイスラム過激派に狙われて当然である。パレスチナのNO2が殺されたので大事件がおきると 思っていたが、まさかここまでのテロをやるとは! 企業はまず生存対策に全てのエネルギーを向けなければならなくなった。 ー以下字数の関係で中間をカットー (2011年09月21日)ー
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2011年09月20日(火)
30年ほど前から腰痛対策のため早朝のウォーキングを始め、20年前からは平日一時間、日祭日二時間を目標にしていた。 しかし二年前に、電動アシスト自転車に切り替え、信濃川の長岡大橋〜大手大橋一周に切り替えた。 続けていると自分の全身から 毒素が抜けていくのが実感できる。 たまに休んだ翌日に歩いた後、二日分の毒素が抜けたの分かる。 その毒は活性酸素だろう。 近年、肉体的に毒素を体内に入れない、溜めないことを目指す女性誌で馴染みになっている「デトックス」がある。 そこで、ー「デトックス」をネット辞書でみるとー 【 デトックスは「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、余分なミネラルなどを取り除く健康法。 体調がよくなる、肌が若返る、生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。従来の健康法はサプリメントなどによって 足りない栄養素を補うという足し算方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、食品や水道水などを通じて 鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて蓄積されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、 最近の研究でわかっている。脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを体内に ためないためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが 体内に取り込まれるのを防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。】 ▼ 早朝の運動で体内に溜まった毒素を出すと、ストレスの半分は軽減する。 それとは別に肉体に溜まった重金属や、余分なミネラルを 取り除くことも大事なことも分かる。 白砂糖と缶コーヒーは毒と聞いていたので、この10数年間は殆ど口にいれてない。 それからして缶ビールも良くないはず。 半年前の転換期から一番気をつけたのが、ストレスによる精神的毒素。一つ間違えば命取り。 その為に運動量を二倍と考えて、「スポーツジム」通いで、二時間の運動をプラスすることにした。 週二日のジムの休みは、 市営の施設内のジムに通い、休みは月1〜2回にしている。 毒は精神統合失調症とか、ガン、糖尿、女性はリュウマチを誘発する。 さらに毒は老化と病を前倒しにする。 スポーツジムの八割は、未病より、既病の人の方が多い。 むしろレジャーランドと割り切って、 未病対策で来たほうがよいようだ。 人は自分では気づかない毒が精神も肉体も歪めている。 ストレッチを続けていると、つくづく 腰の(全身の重圧で)歪みが分かる。老化は足腰から弱るようだ。 歳をとるにつれ全身が黒ずんでくるが、これ老化? 既に毒の塊? ・・・・・・・・ 3465, 純粋持続 −3 2010年09月20日(月) 私が行った47回の旅行は、それぞれが今だ終わってない気がする。それぞれが続いているから、旅先をTVで放送をみる時、 その延長として見ることができる。記憶の中で現在も鮮明に残っていて、TVの旅番組で再び見る新たな記憶がプラスされていく。 それはロマンチックな感傷で語るのでない。それぞれの旅が心の奥底に「純粋持続」している実感がある。その意味で 「純粋持続」の意味がよく分かる。初めての一ヶ月間の欧州旅行の同行の友人の二人と先日、東京で会い、43年前の思い出話になった。 そして、それが昨日の出来事のように思えてしまう。 この43年間で同じ旅行先に立ち寄ったり、旅番組の放送でみたりして、 その間も私の旅は続いていたのである。 ほぼ毎日、これまで47回の旅先をBS/TVで放送している。 それを見る度に純粋持続の純粋記憶に、それが重なっていく。 それらは空間化された日常時間とは別口の〈趣味の世界〉の 引き出しに加えられる。だから、ベルクソンのいう〈純粋持続〉が実感として受け止められるのである。 純粋記憶として鮮明に残すため、写真の整理と、感想文(感傷文)にして《随想日記》や、ブログに載せる。 それは記憶、記録というだけでなく、【魂に記録される純粋記憶】になる。 それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる 瞬間像の記憶である。 そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。 趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。 好きな仕事に没頭している時間も純粋持続になる。だから仕事を好きに なるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。 ・・・・・・・・ 3090,「官僚内閣制」が終焉 2009年09月20日(日) * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」 「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著 に刺激の強い内容が書かれている。 菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から民主党への政権交代と 官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めて の大改革。この実現に全力を挙げたい。」と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。 * 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を次のように述べている。 《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。 官僚政治は省の中の省である財務省に仕切られてきた。 財務省は各省予算の査定と国税の査察の権限を持つ、これに真っ向から歯向かえる政治家は一人もいなかったろう。 そこで民主党は予算の大枠を決める財務省のコアの部分を握ることになった。 主計局は戦略局の大方針に従うことになる。 国家戦略会議に加えて「行政刷新会議」が設けられ、仙谷由人氏が担当相になった。自民党政権では「行政改革推進審議会」 「地方分権推進委員会」などを作って識者を集めた。私も土光臨調での「国鉄分割民営化」のあと12年にわたって行革審に 参加させられた。この種の官僚が事務局を務める審議会は官僚にうまくごまかされ、全く無意味だった。 新設される「行政刷新会議」が役人抜きで、政治家の判断で、運営されれば、地方分権から地域主権に至る改革にも到達できる。 内閣に100人の政治家を入れるという。今までも60、70人入れていて効果がなかったから、意味がないという批判がある。 しかし、効果を発揮できなかったのは大臣と副大臣、政務官が各派閥への均衡人事で配置され、全く“一体感”がなかったからだ。 今回は大臣が自分の同志や盟友を集めてチームとして君臨する。秘書官がついて各個撃破されていた現状とは様変わりになる。 重要案件は「閣僚委員会」で火曜、金曜の閣議の前日に行われた事務次官会議は、翌日閣議に諮る案件をすべて決める。 閣議でそれ以外のことが議題になると即、閣僚懇談会に切り替えられ、正式の議題から外される。次官会議の決定は全会一致であり、 一省でも反対すれば決定されない。貿易交渉などで日本の回答が何カ月、何年も遅れるのは全会一致主義のせいなのだ。 この仕組みでは「農業で譲って他の分野で獲る」といった政治判断は不可能だ。この事務次官会議は明治19(1886)年 から始まっているが、法令上の規定はない。明治の元勲政治以来の伝統で、自民党はこの官僚絶対の「慣習」さえ破棄することは できなかった。民主党はまず、この官僚支配の元凶である事務次官会議を廃止する。 重要案件は関係閣僚を集めた「閣僚委員会」 で決するという。 民主党の「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている。 安倍晋三内閣でも同様の発想で国家公務員法改正が行われ、渡辺喜美行革担当相時代に公務員制度改革基本法が成立した。 これに基づいて麻生内閣で仕上げの法案が作られたが、最後の段階で谷公士(まさひと)人事院総裁が首相が招集した会議を ボイコットして法案は結局流れた。行政府の一機関にすぎない人事院総裁が首相の会議をボイコットするほど官僚は増長していた。 日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ。(ややま たろう)》 麻生太郎は「官僚は使うもの」と官僚を弁護して最後まで官僚に使われていることに気付かぬほど暗愚と、矢山は指摘し、 民主党が政治主導の要として設計した「国家戦略局」が、それに取って替わるという。 先ほど取上げた菅直人氏が副総理、 国家戦略担当相に就任し、ここで予算の基本方針や外交、防衛などの国家基本戦略を仕切る。これは、日本にとって 革命的なことになる。 それを阻止しようと、自民党の悪霊と、検察官僚と大蔵官僚が組んで、国策捜査を仕掛けた?が、 もう流れは止めることは出来なかった。 戦略会議に、その宦官を取り締まるCIAみたいな部局も必要になるだろう。 ことと次第によっては、アメリカのCIAも乗り込んで、大仕掛けの謀略も参院選挙まで行われ可能性が大である。面白い。 ・・・・・・・・・ 2725, サブプライム・ローン販売の現場 2008年09月20日(土) 「金融偽装」ー米国発金融テクニックの崩壊 伊藤博敏著 以前にサブプライム・ローンを扱っていたNHKのドキュメントで、ローン販売していた人の証言を映していた。以前に図書館で 見つけた、この著書の以下の場面と、ほぼ同じ内容。このように世界中に、証券会社の契約社員達により販売されたのである。 P−18 販売プロセスは、綿密に仕組まれた詐欺のようなものである。しかも米国の住宅ローンビジネスは分業化しているから責任者不在で、 詐欺を働いていても、誰も罪の意識を感じなくてすむ。例えば住宅ローンを組む際に、購入者が接するのは住宅ローンブローカー。 こうしたブローカーは歩合でセールスを雇い複数の住宅ローン会社の商品を斡旋、セールスにはローン残高のー%を報酬として支払う。 それだけにセールスは必死だ。審査が緩いのをいいことに、自己申告で収入と仕事を記載させ、借り手に不利な重要事項は教えず、 最初の金利は安くして支払い可能なローンと思わせて売りまくった。サブプライムローンが好調な時には、年収100万ドルのセールスが ざらにいたという。こうして、最初の2年は金利が6%で残り十数年が十数%といった無茶なローンを組ませた住宅ローン会社は証券化で 「貸し手責任」から解放され、証券化した金融機関は格付け会社や債券保証会社の信用供与で責任を逃れる。この「負の連鎖」の特徴は、 誰にも責任が及ばないことだった。この実体経済を揺るがす金融商品は住宅ブームを演出したいという金融当局の思惑によって生まれていた。 そこには「マエストロ(名指揮者)」とまで呼ばれて尊敬を集めた米国FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン前議長もいたという。 P−24 (字数の関係でカット2009年9月20日) ・・・・・・・・・ 2007年09月20日(木) 2361, 閑話小題 ー新潟駅にビック・カメラが出店ー 来年12月にオープンする新潟駅内のビルに「ビック・カメラ」がオープンと新聞に発表されていた。 現在「ヨドバシ・カメラ」がオープンしているので駅再開発の前に、このビルに移転するのではと予測をしていたが、 何とヨドバシの競合相手の「ビック・カメラ」になった。 現在のヨドバシ・カメラは1500〜2000坪あるかなしかで、 同じ商品構成では今度のビッグ・カメラの3500坪とでは闘いにならない。こういう場合、カメラとパソコンなど品種を絞り、 闘いを挑むしかない。秋葉原ではヨドバシ・カメラが超大型店を出店したら、多くの中小規模の量販店が撤退か廃業を 余儀なくされたばかりである。ヨドバシも闘いは無理と判断するかどうか? これで、新潟駅が俄然面白くなってきた。 (字数の関係でカット09年09月21日) ー阿部首相の退陣についてー (字数の関係でカット1011年9月20日) ・・・・・・・・ 2006年09月20日(水) 1996, 悪筆ー3 才八∋ウ_〆(∀`●) =もっと「きれいな字!」が書ける本= 読書日記 (字数の関係でカット2008年9月20日) ・・・・・・・・ 2005年09月20日(火) 1631, 愛か、夢か、それが望めないなら仕事を! この連休前に借りてきたDVDの『フライト オブ フェニックス』の一場面の、ある男のセリフである。 砂漠の真ん中で墜落した飛行機から一人絶望のうえに脱出しようとした男が、助けに行ったリーダーに向かって言うセリフ。 「この状況では愛など関係ない、ならばせめて夢を与えて欲しい。それも無理なら仕事を与えて欲しい! ただ死を待つのはもう耐えられない!」 極限の言葉である。 それに対して、「あくまで援助隊を待つべし」という方針だったリーダーは、その考えを変える。 この言葉は人間のあるべき姿を全てを言いあらわしている。 ・人間の一番だいじなことは、「愛」 −暖かさ ・次に「夢」を持つこと −方向 ・そして、それを可能にするための「仕事」 −力ー愛と夢を支える力ー現前の気晴らし? である。 リーダーとしても、人間にとってもこの順位は変わらない。 どれも、決して侮れないことである。極限では、この一つも 見出されないのが人間の姿である。極限の中にこそ、これを見出せるかどうかが試されるのだろう。何気ない映画の一言にドキッ。 ー検索で調べた荒すじをコピーしておきます。 閉鎖された石油採掘所のスタッフと廃材を運ぶ運搬機が、巨大な砂嵐に遭遇し砂漠のど真ん中に不時着する。毎度お決まりの仕事を 無難にこなすだけだった貨物機操縦士のフランク(デニス・クエイド)は、自分たちの状況が最悪なのを察し、助けを待つしかないと悟る。 (字数の関係でカット2011年9月20日) ・・・・・・・・・ 2004年09月20日(月) 1266, 仲人制度が消滅? 新聞に出ていたことだが、「結婚式で仲人を立てたカップルは4・6?と、前年より3?近くも減少。 20組に1組以下になった。 首都圏では、僅か1?しかなく、制度としてほぼ消滅した。 終身雇用が揺らぎ、ついてゆくべき上司に頼む風潮がなくなったこと、「家」と「家」から「個人」と 「個人」の結びつきに変化したためである。更に仲人を頼まれるのを嫌がる人も増えているのもある。 三年前には20?がまだ仲人をたてていたが、そのサラに4分の1に激減した」という。 そういえばこの数年来の結婚式で仲人をたてた結婚式はみたことがない。 非常に良いことだ。 (字数の関係でカット2010年9月20日) ・・・・・・・・ 2003年09月20日(土) 899, 《V・E・フランクル》について 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。 人生丁度まがり角であったためであろう。その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。 彼の「意味」発見のための3つの問い ・「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」 ・「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」 ・「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」 この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』『満たすべき意味』 を発見するための手がかりになると、フランク心理学では考えている。 特に以下の分析には深く納得をした。 ー自己超越のための3つの意味(価値)ー 1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術 ー力への意志 2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛 ー愛への意志 3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで 得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化 ※自身が何らかの喜びに満たされていること ー知への意志 人生には発見されるべき価値や意味がある (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる) (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である) (3)人生の意味 (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す) ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である ー私が読んだ本は以下であるー ー以下は、字数の関係でカットー2007年09月20日 ・・・・・・・ 525,光ファイバー - 2002年09月20日(金) 昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。今までの電話線の10?安いネット料金でコストパフォーマンスはよくなったが、 諸経費等が65万である。1~2年で元はとれるが、それで1000倍近い速度だ。自宅では来月半ばに入る。長岡で導入の一号だそうだ、 その証明書も出してくれるという。何か営業に強引に加入されてしまったが、一号の証明書をもらって我慢だ。月9000円で、来春5800円に 下がる?そうだ。電話代が無料になるから、その辺が入り時という。ブロードバンド、ポルノと検索入力、はじめは定番から入るしかないか? 「ブロードバンドと何々」の何々をこれからキーワードに意識をしていくと、面白いものに行き当たるだろう。 愛犬家だったら犬と入れると犬の画像が出てくる。おしゃべり日記といれたら、何か話している人の画像が出てきたりする? 自宅ではADSLが一月前に入ったが、早速ブロードバンドとポルノと入れたら、リアルな映像が出てきた。 それから見ていないが、あれはこっそり見るもので、パソコンで見るのに適してない? 美術館とか博物館などが早速取り入れてくるだろう。 それとサービス関係のホームページも。これに携帯が連動してくると、さらに面白い時代なってくる。 今まで写真中心の海外旅行のHPが、 写真が出てくるまで時間がかかりすぎて見るのに躊躇していた。その問題は軽くクリアーするだろう。二紙とっている新聞を一紙にしようかと、 今月中に結論を出す。トレードオフだ。以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。この時はWOWOW に加入した時だった。 次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。 会社に行けば見れるのだから。今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。 インターネットでネット新聞を見ているという、もちろん無料だ。 死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない! 考えてみたら、とってないのもいいかもしれない??!新聞社の斜陽が更に進むだろう。 ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。 ・・・・・・・ [151] 世間様 2001/09/20 「世間とは現実にドップリつかった馬鹿4^5人のこと。」 浪人を重ねるうち悟ったことである。それは諦めと醒めた視点から感じた。 現実とは世間とは「教養のない馬鹿な女と女みたいな男の現象世界」でしかないことを。それが馬鹿な彼女・彼等にとって、 現象が全てだからそうなのだろう。世間の目、世間様とかは自分の(自己の範囲を自分というなら)日々の泡でしかないのに。 それが解ってないから前に書いたチンドンヤや子狐が出てくる。その言葉に呪縛されて一生終えてしまうのが95%いやもとっと多い?。 世間様に笑われないようにとか、世間様に迷惑をかけないように!これも大事だろう。 城下町街はこの世間様の世界に入る。 彼らの情報は下ネタか夜逃げか不幸,それを皆で楽しんでいる。社会と世間の言葉の違いを定義つけておかないと!こういう世界に迷い込む。 ーーーーーーー (10年近く前に書いた文章に似たような内容をコピーしておきます。) −H0407城下街小唄ー (字数の関係でカット2010年9月20日)
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2011年09月19日(月)
* 絶え間ない変化と変身 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では小さい事象が次々と起こっている。 人生を、あらためて振り返ってみると色々あったことに驚いている。 それらは絶え間ない変化の連続線にある。 生まれた0〜9歳までを考えても、新生児、幼児、児童、少年期と変わっていく。 10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に節目がある。 20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、早ければ父親である。その中で絶え間なく変化と変身が要求される。 30歳を過ぎると、青年期から成年期、中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。 何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身のダイナミックがなくなり、 人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調をきたす。 こうみると、世界も、社会も、自分も常に時の流れの中で、 変身し、最期は「プッツン」で終わってしまう。生き、老い、病になり、最後は死ぬしかない。 「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。とはいえ、あまり神経質になっても結果は同じである。 なら、自然体で変化を受け入れ、従うしかない。 * iPad 初心者の呟き iPadを購入をして三週間をすぎたが、御蔭で数ヶ月も過ぎたような気がする。これは、私にとって非常にインパクトが大きい。 この10年間、ネット、ネットといっている割に、ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、便利で使い勝手のよい アプリと、ネット環境が劇的に進歩していたのである。 ゲームに面白そうなのを動画サイトで見ていたが、「自分には縁のないもの」 と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使えるのである。ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。 まず7つの画面に切り替えられ分類出来ることで、使いかってが格段に良くなった。ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。 一日一日が面白くて仕方がない。これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を余儀なくされる。タブレットPCは、 あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、そして、タブレットPCが情報を、 さらに膨大に世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾がきかないカオスの時代になる。 これは中高年PC難民を救う。 ・・・・・・・ 3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9 2010年09月19日(日) * アフリカに魅せられて ー3 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が遅れていて、その分アフリカ的である。 まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと地続きであり、ケニア側をマサイマラ、タンザニア側をセレンゲッティという。 その広大な草原をヌーとシマウマが楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。 その群れにライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス領、タンザニアはフランス領だった。 ケニアもタンザニアも、サファリが大きな観光資源になっていて、国立公園内には現住民を除いて観光客以外に入ることができない。 サバンナで時おり現地の鮮やかな布をまとったマサイ族などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。 草原に彼方此方にいるのではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。ヌーとシマウマの群れから少し間をおいて ライオンや、ハイエナの群れがいる。 群れがいないところで、ウサギやジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。 大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。そのサバンナに6メートル位の土の道路が何処までも続く。 走行中に他のサファリカーは、ほぼ見かけることがない。そこを同行のジープ数台で激走するのである。車の上は開け閉めが出来、 走行中でも座席に立って胸から上を外部に出せる。そこで外を眺めていると、たった一人でサバンナで走っているような錯覚になる。 車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。自分より強いという認識があるという。 だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。しかし、時おり像のボスが襲うことがある。 ボツナワのサファリで、その現場を直接見たことがあるが、乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。 特に危ないのが、離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。ケニアで、早朝に10人位のマサイ族が 逃げてきたところに出くわしたことがある。我われのジープを間に入れて、クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人がライオンの群れを撮影をしていて、つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、 群れに生きたまま食べられている映像を見てしまった。何でもありである。 ・・・・・・・・ 3089,つれづれに-閑話小題 2009年09月19日(土) ・民主党政権が発足したが、問題は、公約が守られるかどうかだ。 100年以上の官僚内閣制度を打破できるかだ。 検察と国税と土建の国土省の狡猾な宦官をコントロール出きるかどうかだ。戦略局が次官会議に取って代えるところがミソ。 自民党も政権を下りてしまえば、官僚内閣の小間使いでしかなかったのが露出したことになった。 今度は、民主党が、彼等にどう取り込まれるのか、それとも首輪をはめられるのか? そのバトルが生々しく劇場化してくる。 国民による自民、官僚パージが、この選挙だったのである。 ・中小企業と個人の返済3年猶予というが、実際に行われるのかどうかだ見ものである。 徳政令ということだろうが、そうでもしないと、来年早々、日本経済は大きな転換期になる。 中小・零細企業の倒産ラッシュである。 せざるを得ないということだ。 銀行も、反対するが、 逆に政府も間接救済になる。 自民党政権も、大手銀行の使い走りだったので、このような発想そのものが 出ないのだろう。自民党よりの読売新聞が「自民党よ、堂々たる与党に」だと、更に破壊しないと無理。 ・一週間後の国体に向けて、新潟市も慌しくなってきた。 当方のホテルもである。 宿泊は、選手よりマスコミとか、運営関係の役員とかが中心のようだが、色いろ細かいようで現場は大変のようだ。 身障者の大会も含めると半月の間は新潟市は満杯になる。問題は、終了後のことだが、それは、その時に考えるしかない。 しかし、来年になると新潟にある火力発電の増設工事が始るようだ。柏崎刈羽の原発が当分フル稼働が出来ないので、 新潟の火力発電を増やすしかないとか。 景気の落ち込みで、柏崎刈羽のマイナスを吸収したと思っていたが、そうでもなさそうだ。 いずれにしても大変である。 どの程度か分からないしし、当てには出来ない話だが。 ・・・・・・・・・ 2724、世界恐慌の結果、どうなる? 2008年09月19日(金) 恐慌になると過去の事例から、30?売り上げが減り、それに耐えられないところから消滅を始めるという。 毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に一度の恐慌が始った。 アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて思え懐かしい。アメリカで震度6強の大地震が起こったのである。 そして、大きなウネリが起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず世界中に押し寄せ始めた。 津波と違うのは何年にも わたることことである。ところが日本は政治的空白の事態で、頭がないのが現状である。 これは2001年の9・11事件に匹敵するか、 それ以上の出来事。大津波を、現象としてイメージしてみると、数年以内に既存の会社の半分は倒産、いや、そんなものではないか? 銀行、特に地銀以下の過半数が消滅、ハイパーインフレが発生、失業率が二倍、国家非常事態宣言が出て、銀行口座の閉鎖? 現在考えられるのは、その辺だが実際は、この程度ではないだろう?100年に一度の世界恐慌なのだから。それも直撃を受けるのは日本。 どうすることも出来ないのがアメリカの隷属国家の運命である。次は、アメリカの証券会社二位のモルガン・スタンレー。 緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。そして、シティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた アメリカの金融機関の惨状、ザマ〜ミロと言えないのである。そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、 果たして会社はどうなるのだろうか?逃げも隠れも出来ないが、生存に全てをかけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルになってきた ということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。 そして、次に来るのは中間層が総下層になる。 社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時と同じような現象になる。 年末から100円以下の株価の会社は銀行のしめつけで、次々と倒産が始るだろう。 日本型社会主義の完全崩壊である。 第二の敗戦が表面化してきたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは思ってもいなかった。 私自身、2008年9月16日14時をもって、「世界恐慌」と判断した。そう判断すると震えるほど恐ろしい。みる目が全く違ってくる。 みる目が違うと判断も違ってくる。私の人生で、過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、まだ実感が少ない。 茹で蛙になってしまったのだろうか。現実に信じられような大混乱が直ぐに始るだろうから・・、 いや始ったのである。ゴールドや、資源を持っている国は、それを担保としてあるから、立ち直りが早い。 しかし、体力のない日本の行く末は・・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 ・・・・・・・・・・ 2007年09月19日(水) 2360, ギリシャとエーゲ海の旅 −6 ーギリシャ旅行の総括ー (1) この旅行で言いたかったことはホボ書きつくした。去年のケニアを除けば、北イタリア、オーストリア、 スイスと欧州が続いている。やはり何処にいっても、欧州は数千年の間に積み重ねられた豊かさと文化の深を実感する。 観光地の一部だけを見たにしても、アジア・アフリカとは根本的な格差が解る。レジャーにしても、長年の間に洗練されたセンスが違う。 人生を楽しむことに長けている。またクルーズをするならカリブ海クルーズだろう。底抜けの明るさと太陽は、またギリシャとは違った 味わいがあるだろう。メキシコに行ったとき、一日だけメキシコのリゾート地のカンクンに泊まったが、カリブ海を臨む高級リゾート地の 雰囲気は何ともいえなかった。クルーズ船に乗ってカリブのバハマなどの諸島を巡ったら、思いもよらない景色に出会うだろう。 「求めよ!さらば与えられん」である。今回は殆ど無駄のない日程が組んであった。旅行は、続けてこそ当たりも外れもある。 当たってばかりでないのが、よい。外れがあるから当たりもあるのである。人生と同じである。 出発前にギリシャの各地で山火事のニュースが流れた。行く前に、誰かに「大丈夫ですか?」と聞かれたが、 「大丈夫! 九州の鹿児島辺りの一部で火事が起きているようなもの。イメージでしかないし、絶対に日程が狂ったりしない。」 と答えた。案の定、旅行の最後の方で地元のガイドが少し話しただけで、遠い遠い何処かの話でしかなかった。 そんなものだ。逆にいえば風評は恐ろしい。エジプトはギザのピラミッドと、エジプト考古博物館に行った。 二回目である。エジプトの遺跡はルクソールだけでも世界の遺跡の5〜6割以上ある? (現地ガイドの説明で真偽は解らないが)というが、その中でもこの二つは一番の見所であった。 良いものは見れば見るほど、その素晴らしさが見えてくる。前回は、この二箇所をじっくり見ることができなかった。 いま一度どうしても行ってみたかったので、丁度よいタイミングであった。特にカイロの考古博物館は、素晴らしい。 その中で圧巻は、ラムネス?などのミイラと、ツタンカーメンの「黄金のマスク」と、副葬品である。 それらは現在でも通用するものばかりである。今回旅行で解ったことだが、ナイル川クルーズがあるという。 今度チャンスがあったら、是非乗ってみたいクルーズである。もしエジプトを計画しているなら、これはお勧め。 ・・・・・・・・ 2006年09月19日(火) 1995, 世界の絵画50 −2 おはよ〜!(*^ワ^*)i 不安の正体 ームンクの「叫び」 不安感を絵で表現するとムンクの「叫び」になる。あれは恐怖の叫びとは違う!不安の叫びである。 人間がいきている限り、不安は常に付きまとうものである。生きていること自体が不安の原因となる。 これが 先日、ハイデッガーについて書いた中にある、「不安」の本質である。 「不安とは現存在として最も根本的な気分である」という。 彼によると現存在は世界内存在として理由もなく この世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。 とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての根源的開示がはじめて生起すると・・ 誰でも漠然とした不安が夢の中で熊の姿で現れたり、金縛りになったりする。 その根源が現実社会と思っていたが、「死」の可能性を前にしての不安というのも納得できる。 恐怖は具体的な恐れであるが、不安は漠然とした恐れである。 その正体が「死」である。 もう一つは変化そのものであるが・・・ 難しくなるので、「変化」のテーマで書くことにする。 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪ ところで、新聞にノルウェーのオスロのムンク美術館所蔵の強奪された「叫び」が発見された、と報じていた。 この「叫び」の男は、絵の中で表現された人物として、絵画の世界で有数な有名なキャラクターになっている。 ムンクは、この男の絵を通して不安を表現したかったようだ。彼は、この絵に対して、次のような言葉を残している。 ー友人ふたりと歩いていたムンクは、ひとり立ち止まって、太陽の沈んだあとの、血のように赤くなった雲を見た。 友人はそのまま行ってしまったが、ムンクはそのとき、恐怖と不安にふるえながら、自然の大きな叫び声を聞いた。 そして、この「叫び」を描いたーという。 彼は自分のその時の体験をそのまま描いた絵であり、 その男は、ムンク自身の姿である。この絵には中央の雲の部分に小さな字で、「こんな絵を描けるのは狂人だけである」 と書き込みがある。ムンクは1863年、ノルウェーのロイテンで軍医の子供として生まれている。 5歳にして母親を亡くし、その9年後、母親と同じ結核で姉を亡くし、32歳で、父親と弟が亡くなっている。 そして、妹も精神を患い、病院に入れられてしまう。彼は「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守ってくれた 黒い天使だった」という言葉を残している。 ー「世界の絵画50」より抜粋ー 正に「病と死と狂気への不安感」が大きく口を開いている。この絵は人間の不安感という黒い闇を鋭く描いた絵である。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月19日(月) 1630, タクシー業界の実態は! ホテル業をしていると、生々しいタクシー業界の話が入ってくる。 (字数の関係でカット09年09月19日) ・・・・・・・・・ 2004年09月19日(日) 1265, 少し際どい、「とある話」 かなり危ない話は、実際のところ随想日記では書いてない? といって、「エッ!」という話は、よくあることである。??日位前のこと?、あるところで飲んでいた。 カウンターの隣で、人品の良さそうな二人連れが気持ちよく歌い、帰っていった。 その一時間後、帰ろうとしたところママさんが「あの人が、例の人なの!」 ただ「 」 その店で、何回か「??!!」の話をしていたと思うが?! 具体的には、もちろん書けないし、40年以上も前の封印された事件である。 少し際どい話になったが、今となっては殆どの人が知らないし、この文章だけでは、誰だか解らない「とある話」だ。 以下の詩の、その人である。 ・・・・・・・ こころにのこった詩ー2 2002/11/26 ビートたけし ー兄弟ー 兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた 初めて見た外国の映画は何か悲しかった ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ 兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に 殴られて、お金をとられた 帰りのバス代が一人分しかなく 兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした 僕はバスから飛び降りた 兄ちゃんと歩いて帰った 先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた 僕も泣きながら歩いた −−−− ーこれを読んで子供のころの出来事を思い出した 詩的に書いてみるー 小学校の低学年の頃、兄と歩いていた 兄が急に頭に手を当てた 帽子を取ると頭が血だらけだった 兄はそれを見て泣き出した 帽子に穴があいていた すぐに誰かが空気銃を撃ったのだと思った 近くに不良の中校生がいた 彼だろうと思った 兄の手をひいて帰った その問題は大きくはならなかった それから10年経ってその少年は??事件をおこした 「ざまみろ!」と思った ・・・・・・・・ 2003年09月19日(金) 898, 携帯TV電話を買った! ある飲み会で、ついに「携帯TV電話」を持っている人がいた。数回飲んでいたが、携帯TV電話を持っているとは知らなかった。 (字数制限のためカット 2011年9月19日) ・・・・・・・・・ 524,北朝鮮を考える 2002年09月19日(木) 解りやすく北朝鮮を要約するとー 得体の知れないマフィアの親子が国家を乗っ取ってしまった。 そして?鹿息子が自分を「偉大なるドン様」と国民にいわせている。 ・やりたい放題、偽札は国家単位で生産する。 ・武器を狂信的国家に製造して売りつける。 (字数制限のためカット 2010年9月19日) ・・・・・・・・ 「再びホームページ‐5ヶ月 の実感」 2001/09/19 ・個人のサテライト・スタジオだ。 ・個人の応接間だ。-WEB上に開いた個人応接間。 ・個人のお店だ。 ・個人の自己実現の場だ。 ・個人の楽しい過去の行蔵、楽しい今の楽しみの場、 楽しみな未来の計画の場。 ・唯我独尊の独り言の場。 ・この5ヶ月間の全エネルギーを注ぎ込んだ。 ・自分がどんどん変化していくのが面白い。 ・過去の内面に溜まっていた何かが一挙に出てくる感じだ。 ・文章力が飛躍的についた。 ・なんといっても1日30分も触ってなかったパソコンを、5〜6時間以上触るようになった。 ・パソコン教室に通うようになった。 ・同時に多くのソフトを知った。 ・写真をメインにしたアルバムホームペイジから始めるのが一番の早道である。 以上であるが、これから1000項目のテーマを随想日記に書き込むのを目標にしようか。
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2011年09月18日(日)
3月30日から、あと二週間足らずで半年になる。そろそろ30年、いや仕事人生の40年余りの毒気も抜けてきた。 そこで、「何だったのだろうか、これまでの日々は?」と、定石通りの思いが浮かんでくる。 「男なら、条件が揃えば事業を興すのは当然」と信じてきた。 ふと気づくと9・11、9・15に直撃、その大波が地方経済を直撃。 更に情報化の進展も加わり売り上げが激減。 ここまで、経済状況が悪化するとは、実のところ思いもよらなかった。 ここまでリアルに売上減になると、諦めるしかないと納得する。 で、一歩、娑婆から身をひいた半年後の実感は、 「世の中で揉まれているうち、大きな歪みの塊になっていたのでは?」という疑問である。それが気づくのは、娑婆気から抜けた時。 特に家庭の柱としての働き手の男の場合、その歪みが大きい。その断面を大きな節目になって気づくことになる。 誰もが、社会や会社の柵に捉われたくないが、競争社会では肩肘も張らないと・・・ とはいえ、それだけに目がいき過ぎて、他の大事なことに目がいかなくなり、最終章に近づいて、慌ててしまうのが大半。 半年で、この40年の歪みを改めて振り返っている日々でもある。 もしかしたら、一生、気づかないで終わる人もいる。 それに気づいて悶々とする人もいる。 先日、近じか定年になる友人に、この話しをしたら、全く同感という。 小さな、しかし、かたい勤め先を、こともなく48年間勤めあげた実直な男が、自分の人生の歪みを認識していたのである。 私なら自分で納得するが・・ でも、その歪みも後悔は全くない。 ここで、「良い人生、悪い人生でなく、充実していたか、 してなかったか?」という言葉で、自己納得するしかない。 状況が状況だったので、苦悶はあるのは仕方がないが、 充実感が、何とか支えになっているというのが、正直のところ。 準備、15年も含めた事業人生の45年の終わりは、 三連発の経済・自然大災害の直撃で終わってしまった。 そして半年たった現在、静かな心境でいられるのが、救いである。 少なくとも、自分の人生の歪みに後悔はしていない。この歪みが自分でもあるから。 その歪みに七転八倒しているのがいるが・・・ それも人生。 穏やか過ぎる人生より、遥かにましである。 それも歪みか。 ー 偶然、この内容に滞欧する文章が以下の去年の同月同日に書いてあったー 面白いもの。 いや、数年分が関連している。 ・・・・・・・・ 3463, 9・15より二年 2010年09月18日(土) リーマンショックから、二年経過し三年目に入った。100年とも、250年に一度の激震と言われる。 アメリカでは、証券大手の殆どが瞬時に消滅、シティーバンクなど幾つかが大手銀行も政府管理会社になり、 ビッグスリーのGM、クライスラーも政府管理の事態になっている。日本のバブル崩壊で、大手銀行が20社から 三社に集約されるまで10年も要したことからみれば、迅速である。日本では今のところ目だった大手では日本航空ぐらい なのは不思議と言えば不思議である。まだ表面化はしてないが、まずは関東・東海ベルトラインを除いた地域経済は惨憺たるもの。 悪いことに政権が民主党に移行し、人間に例えれば脳がマヒ状態で、この難局に国の方向が定まらない無政府状態。 このまま、この激震のクライマックスに入る2012年を迎えることになる。デフレから悪性のハイパーインフレへの転換である。 現在は円高だが、さらに恐ろしい円安が日本経済を襲うことになる。まだ表面化してないが、ある日、株と国債の暴落から 始る激しい恐慌の本番は、激しく我われの生活を襲ってくる。悲観的だが、それが事実なら認めざるをえない。 これに情報化社会の進展によるグローバル化が、世界をフラットにしていけば、これまで東西冷戦の狭間で、大きな 恩恵を受けてきた日本が、普通の国並みに豊かさが損なわれるのは当然である。それが、現在の日本の衰退である。 情報化、グローバル化、フラット化の流れは、もう止めることは不可能である。これまでの常識は根底から破壊され、 全く違った価値観が通用する時代に既に入ってしまった。情報、軍事、金融を支配しているアメリカは、当面は勢力を 保つだろうが、中期的にみれば衰退は免れない。それに対し、中国・インド・ブラジルなどに覇権の重心が移動するのは 避けれないこと。その中で、日本はアメリカの更なる植民地化が進むことになる。毒素が脳までやられてしまったのである。 その一つの現象が、現政権のトップ達に、そのまま現出しているとみると、ニヒルな笑いが出てきざるをえない。 ・・・・・・・・ 3088,挫折を考えてみようか −3 2009年09月18日(金) ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。 そこで改めて考えてみた。 大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない? 金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという実感はあった。創業を目指して彷徨いながら 準備をしていたという明確な絵図があった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」という指摘も正しいことになる。 先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。そうこう考えると、挫折と軽々しく言わない方がよい!ということ。 ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」とあった。 挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンスになり、竹の節目に譬えることが出来る。 そこに大きな鍵が隠されている。 超越者の声に敏感になることもある。 それまでが横の時間なら挫折の時節は縦の時間。 「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 物語なら、そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の 「転」の時になる。挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。 「予定挫折」という言葉がある。 挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場にするのである。 そこは枝葉を切って根を養う時節であり、 超越の時節になる。「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。 実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は勘違い? しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と、 何人かの知人から聞いて驚いたが一番傷つきやすい時期の、それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でない。 また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。 最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。 予定挫折ともいかないし。 幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化すこともないが・・・ 「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。 「日々是挫折」 =「日々是口実(好日)」 ・・・・・・・・・・ 2723, アメリカ発、金融危機の始まり! 2008年09月18日(木) AIGが一昨日、1ドル台まで下落したが、アメリカのFRBが昨日になって9兆円の融資を決めたことで、当面の倒産を回避した。 FRBがリーマンと同じスタンスをとれば、倒産になるところだった。世界中が一瞬、息を呑んで見守っていた決定であった。 NHK海外衛星TVで、ジョージ・ソロスにインタビューをしていた。「これで問題が解決をしたのではなく、小さな目先の問題が 先送りをされただけ、次から次へと同じような問題が出てくる!」と、大恐慌の到来を匂わせていた。アメリカ政府が80?の株式を持ち、 切り売りなどしてソフト・ランディングをさせる方針だ。アメリカの上位数社の壊滅と、AIGの政府の倒産の危機は9・11事件に 匹敵する金融の大事件。一つ間違えれば世界の金融は崩壊の危機に立っている。これが序曲でしかないのは、誰の目にも明らか。 ボロボロ世界中から、大問題が次々と発生してくるのだろう。 恐慌が始ったようだ。ある日、手に負えないようなハイパーインフレが発生、 スタグフレーションになる。考えただけで恐ろしい日々になるのである。メルリリンチが、もしBOAのリーマンを買収が決定すれば、 次にターゲットが自社に来ることを察知。恐らく財務関係者から救済がないことを知らされて、急遽BOAに売却を申し込んだのだろう。 メルリチンチの倒産の方が更に衝撃が大きかっただろう。 映画のような非常に緊迫したヤリトリがあったのだろう。 リーマンでも負債総額が64兆円というから。日本でも各金融機関は大きな損失を被るだろう。この混乱は、今後大きな尾を引く。 これまでとは全く違った金融環境になることは自明。 日本でもあったように、資金の貸し渋り、貸し剥がしが、アメリカのみならず、 世界中で起こる。 やはり世界恐慌が始ったのである。欧米各紙は、「ブラック・サンデー」と命名したという。 それか翌日の15日の荒れた月曜日ということで、「ワイルド・マンデー」ともあったが、ドチラが定着をするだろうか? 昨日の為替・株式、世界中の国家が、その維持に必死だったのがうかがえる。日米欧、二日で36兆円というが、そんなものではない。 すざましい攻防があったはずである。2001年9月11日をもって時代が様変わりしたように、この9月15日をもって経済が様変わりを したのである。その意味で、歴史的な日になってしまった。アメリカで大地震が起きれば、日本に大津波が押し寄せる。 それも数年にわたって何波もである。銀行と企業の倒産の嵐、円安、株の暴落、政情の不安定、失業率の増大、資産の海外への逃避。 考えただけでも恐ろしくなる。 その中で経営していくのもソラ恐ろしい! 大津波の場合、全てを捨てて高台に向けて逃避するのが助かる唯一の方法。 具体的に、如何いうことか走りながら考えようか? 日本人には「マレーシア沖地震の大津波を、アメリカの大地震の津波と類推する」ことさえできない。そういう私も、そうかも知れない。 戦後最大の日本の危機であることを実感してないのでは?僅かな、貯金を直ぐに金に換え、AIGの預け金を何をして・・、 今更何をしても変わらないか!ソ連の崩壊時に、政府高官とか、マフィアは自分の資産を海外の口座にドル建ての預金を しておくとか、秘密金庫に貴金属に替えて預けておいたという。その人たちが、崩壊後に資本家として現在、君臨している。 ・・・・・・・・・ 2007年09月18日(火) 2359, ギリシャとエーゲ海の旅 −5 才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪ ーエーゲ海クルーズー クルーズといえば、過去に香港クルーズの経験がある。香港からフィリッピン周辺の海域をクルーズするのだが・・ 何社かの旅行代理店の共同企画だったが、{参加者が少ないため体裁を整えるため御得意に三分の一の値段でどうか} というので参加したことがあった。クルーズが、こんなに楽しいとは実際、参加して初めて知った。 朝から晩まで何かしら船内で企画があり、それ以外は甲板で日光浴かウォーキング。決して飽きさせないノウハウを 企画者は持っているのである。そこに日本の老女の未亡人が、ほぼエンドレスで参加していた。 日本で生活しているのと生活費は同額?なら、よほど国内より楽しいという。スタッフは親切にしてくれるし 解らないでもないが、それは人生の甘い辛いの全てを経験した後のこと。ところで、この実質三泊三日のクルーズ朝から 晩まで飽きることのない日程。むしろ、時間、いや体が足りないぐらい。三日間、午前・午後と分け4時間、 地中海の小島の遺跡や観光地に上陸する。それぞれが深い歴史と味わいを持っていて世界中からの観光客に親しまれている。 (以下は、字数の関係でカット・・・2008年09月18日) ・・・・・・・・・・ 2006年09月18日(月) 1994, 悪筆ー2 (。^0^。)ノ オッ ーもっと「きれいな字!」が書ける本−2 (字数の関係でカット09年09月18日) ・・・・・・・ 2005年09月18日(日) 1629, 戦略的思考についてー3 戦略的思考としての「質問」を幾つかの本からランダムにとりあげてみた。(戦略的でないものも含まれるが) ・その意味は何だろうか? 何故?何故?何故?何故?何故?何故? 何?何?・・・・・ ・私が長期にわたって成し遂げたいことは何か?私にとっての価値あることとは何だろうか?自分を使って何をしたいのか? ・それが可能なことは解っている・・・しかし、やる必要があるだろうか? ・ここで新しく学んでいることは何ですか? その目的は? ・それを仕切るのがあなたなら、どんな手段をとりますか。 ・なぜ、ずっとこの方法でやってきたのですか? その方法で本当によいのですか? ・もっと前向きな方向に進めるために一つ決断を下せるとしたら、それは何ですか? ・お客にもっとも必要とされ、やりがいのあることは何でしょうか? お客に私たちが提供できるものは何でしょうか? ・顧客にどんなことを尋ねるべきでしょうか? ・自分のスキルを向上させるために、今日は何をしましたか? ・誰もが、果たすべき役割を持っている。その役割は何だか考えていますか? ・いま起きている変化は何ですか?そして、それに対する対応は如何しているのですか? ・あなたはどういう人生を送りたいのですか? 今日、その一日を過ごしたといえますか? ・・・・・・・・・ 2004年09月18日(土) 1264, 自己喪失感 10年から20年前のことだが、喪失感?に捉われたことが何度かあった。自信喪失というか、虚無感というのか。 このような心理状態を、誰からも直接は聞いたことがない。誰も黙って、こころの奥に閉まっているのだろうか。 「自分は全くの無能者で、何にも中味も蓄積もない。 今まで生きてきたが、全て上辺のことしか経験してこなかったし、 学んだ蓄積も何も無い。いや何も学んでこなかったのだ。ただ此処にいる自分は無能の抜け殻があるのみ」という凍りつくような 恐怖感である。 いや、真実の自己に気がついたということか!これが虚無感というのか、それとも一種のノイローゼの心理か? その無能感のためか、他の存在がいやに大きく感じる。多くの挫折感を味わってきたが、その虚脱感とは違う底を抜けたような 無能感だ。心のある状態なのだが、底知れない心の深遠を覗きみた。「心に穴が空いて、その下を恐怖感で見たときに、 虚無に取り付かれた心理状態」である。失業をしたり、離婚をして、山手線の駅の雑踏の中で自己喪失感にとらわれた時に、 思わず電車に飛び込でしまう自殺が多いという。死を覚悟をした時に同じような感覚になるのかもしれない。 ・・・・・・・ 2003年09月18日(木) 897, イルカの話ー2 先日、NHKで「野性の発見ーイルカとロビン・ウイリアム」という内容のドキュメントを放送していた。 ロビン・ウイリアムは私の数少ない好きな性格俳優の一人だ。そういえば去年の今頃、イルカの話を書いた。 イルカの能力は底知れぬものがある。鏡を見て自分と認識できる動物は、一部の類人猿とイルカしかいない。 先日のTvで、イルカに鏡を見せている場面が何とも面白い。自分の顔を人間のように、いろいろの角度から見たり、 表情をつくっていた。そして笑っているようにさえ見えた。イルカは牛がそのご先祖様で、 進化して6000万年が過ぎている。イルカのひれと牛の蹄は同じものであるという。 ーイルカの特殊能力をあげてみると ・ハワイの研究所のイルカは60の手話と2000の文章を理解できる。 ・人間の動きをすばやく捉えて、そっくりの物まねをする。 ・一致協力して、ボラを陸に追い上げて捕る漁法を持っている。 ・セックスそのものを楽しむ数少ない動物の一つである。 ・イルカは心に傷を持っている人をすぐに見分ける。 その能力を取り入れたイルカ療法がある 去年、NHKスペシャルで「漁民とイルカが共同で漁をする」内容を特集していた−後記コピー 彼等は自分のサインのような個々の音を持っている。人間が違う知性と交流できるとしたら、イルカだろう。 人間の想像をはるかに超ている進化した動物の可能性がある。 二つのドキュメントとインターネットの検索で、ちょっとしたイルカ専門家きどりだ。これが情報化というものか。 ーーーーーー 523, 本屋と書籍出版社と問屋 - 2002年09月18日(水) 本屋の世界が特殊ということがあまり知られてない。書店の問屋に2大勢力がある、日販と東販だ。 ( 以下は、字数の関係でカット・・・2011年09月18日 ) ーーーーーーー 148、アフガン国境 2001/09/18 カイバル峠ーアレキサンダー大王が通った峠ー ー昨日間違ってけしたため今日改めて載せる ー自宅のパソコンにコピーしてあったので助かった 中近東シリーズ、インド・パキスタン・シリーズとこの2年旅行して見てきたそのままが、1〜2年後大きいニュースになるのが必然か。 その前がペルーやケニアであった。異郷をキーワードに行っていたのが、こういう結果になってしまったのだろう。しかしツアーレベル (観光客レベル)でしかないのもわかっているつもりだ。 もっとシビアに言えば旅行で帰ってきて、どうだった?ときかれても ベラベラ喋れない! というのが本当のところだ。かなりのお金を払ってなんで?とは一回思ったことはない。 しかしそこで見たものは、感じたものは、得たものはその数十倍もあるからだ。 したがってこう言う機会にしかいえないからあえて言う。 シルクロード!の昨年の旅行、考えられない社会の連続であった。 パキスタンが注目の世界に入る事を前提にシルクロードのバスの世界で垣間見た世界を書いてみよう。 表面的の話を! ーバスの中で現地添乗員ー 「ここの部落は自治区です!治外法権の世界です!排他的な民族です、外を見たら目を絶対にあわせないでください!」 「ここの部落は近親相姦の平気な部落です!従がってかなり民度と部族としてレベルの低い世界です!」 「ここは麻薬と銃器の世界に対する密輸基地です、あの大邸宅の内側はホワイトハウスの 中より物理的にはるかに豪華な世界があります!警備もその数倍の仕掛けがあります!」 「この街は麻薬と銃の暗黒街ーマフィアにむけた秘密基地です、あの店の名前が麻薬やと堂々と書いてあります」 「ここからアフガンまで2時間の街道の200メートルまではパキスタンの管理下、 その向こうの道路は密輸通り! みて見ぬふりです!」芥子の花はその辺に咲き放題!その辺で石に混ざっているヒスイをさがしていたら、 ある女性が上から落ちてきた小さな石に当たった、しかしその速度のため頭は血だらけ ーもちろん帽子の上でこうなるのだから! あちこちで落石事故!自分たちだけは絶対大丈夫という信念の中で、 まずパキスタン添乗員が疲労で倒れ、次に我われの添乗員が倒れ!気を張っていた自分が、最終のフライトの飛行機の中で、 死ぬほどの下痢!脱水!トイレの前の席で30分ごとの脱水状態!もちろん生まれて初めての経験 ーーーー 参考に為にシルクロードの旅をコピーしておきます。 ーH12・07 シルクロード15日間の旅ー =旅は人生の縮図!= (以下は、字数の関係でカット・・・2008年09月18日)
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2011年09月17日(土)
人生では思わないハプニングで爆笑の渦に巻き込まれることがある。以下は、ある随想にあったもの、思わず噴出してしまった。 【 高見は一風変わった授業を進める教師だった。とにかく生徒を当てまくる。次回までに解いてこい、と指定した範囲の問題を 徹底し当てまくる。彼は中学生の本質を、的確に見極めていた。甘い顔をして、放っておいたらどこまでも勉強せず、授業中 昼寝するだけ、という性悪説を信奉していた。そして、その考えはおおむね正しかった。・・・・答えが間違っていると床に正座。 次に後ろの席の生徒が立つ。答えられない。 正座。はい、次、また、正座。こんな調子なので、クラスの九割が床に正座させられ、 正規のイスに座る者がほとんどいなかったこともある。おかげで、高見の授業は常に異様な緊張感が漂っていた。 事件は、 この高見の授業で起こった。主役は三井。 三井は強度のビビリ。人前で怒られることに、極端な差恥を覚える性質の正直者だった。 あの日、高見に当てられ、問題文の朗読および解答を求められた三井は、傍目にも哀れなほどビビっていた。斜め後ろの私の席からも、 問題集を持つ手が、緊張に震えているのが、はっきり見えたほどだ。 三井は途中しきりに噛みながら問題文を読み上げる。 「アラビア半島の一角を占める、人口二百二十万人のオマーンの首都マスカットはアラア海とオマーン…」 問題文は「首都マスカットは アラビア海とオマーン湾に面し、漁業と交易の中心地となっている」という何でもないものだった。だが、三井はこのとき緊張からくる 混乱の極みに達していた。普段から冗談も言わない、根っから真面目な奴。ただ、男なら誰もが通る、ちょっとした思春期の懊悩に、 運悪く足元をすくわれてしまったのだ。「アラビア海とオマーン……」で途切れ、数秒のブランクののち、三井はぽつりと、「湖……」 と続けてしまつたのである。その瞬間、大阪の片田舎の男子校に笑いの爆弾が落ちた。 教室に破裂した笑い声で本当に床が揺れていた。 いったん笑いが収まっても、誰かがふたたび笑いだすと、波となって全員をまきこんだ。 十分経っても、男どもはひたすら笑い続け、 もはや授業どころではない。教壇の高見も笑っていた。「誰にでも間違いはある」とフォローさえしていた。 あれほど些細な間違いを 見逃さず、なべて正座を命じていた男の言葉とは思えなかった。もちろん、三井に正座命令はなし。三井の導いた笑いは、「鬼」と 陰口された教師の心すら溶かしたのである。その日より三井の名前は学校じゅうに轟いた。あんなに笑った経験は、後にも先にも二度とない。 とことん生真面目な男が、私の人生最高のスマッシュ・ヒットを飛ばす。「人間には無限の可能性がある」この言葉を聞くたび、 思い出すのは、あの木曜五限の地理公民と三井のことである。 私が笑いの偉大さについて身をもって知った、十四歳の夏の午後。】 ( 『ザ・万歩計』万城目学著 ) ▼ 以前に、ここでも書いたことがあるが、学生時代のドイツ語の授業で、誰かがドイツ語の訳をしていた。 「・・・ その時、遠くから犬の鳴声が聞こえてきた!」と、同時に遠くから、それを待っていたかのように、 「ウ〜 ワンワンワン」と犬の鳴声。その瞬間、かたい授業の最中、部屋中が爆笑の嵐。あれだけ集団で腹の底から笑った経験はなかった。 だから、この「集団の爆笑の味」がよく分かる。 ところで、太平洋に「マンコ」という名の島があった。 余計なことか! ・・・・・・・ 3462, 純粋持続 −2 2010年09月17日(金) * 純粋持続と自由 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、選択の自由を意味する。 たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか 自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。 しかし、ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を 思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。 生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的に 創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての純粋自我による行為である。 他方、物質界は一瞬前の過去を惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを 破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 宇宙の万象は、この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開なのである。そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。 ▼ 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」である。 その時は空間時間は消え、没頭している時、 そこに「したいことを、しているという自由」がある。 純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も空間も超越している。 しかし我われは日常の煩わしい空間に縛られ、日常の反復を繰り返すだけになっている。 それらをカサブタと仮定すると、 その奥に隠れている真の時間が「純粋持続」である。 哲学は、固定、静止、実在するもの、定着したものを探究するのが常であった。 しかし、ベルクソンは「流動性」つまり「流れ」に注目する。一人の人間存在について考えても、その細胞は日々刻々と変化しており、 昨日と今日は、同じでない。生命の場合、同一状態が永遠に続くことはありえず、流れの只中に「ある」ということが保証されているに 過ぎない。ベルクソンは、この「流れがある」こと、ならびに「流れの中で生きている」こと、この両者に「自由」を見出す。 あえて言えば、生命体が生きているだけで、どのような状態であっても、死んでいなければ「自由」である。 我われは、強力な束縛はないが、小さな細かい束縛の中で生きている。もう一つは、現在はある程度自由だが、もっと多量な、 もっと高貴な、深遠な自由に到達してないと考える場合である。どっちにしても、ある程度自由だが、自由でもない、 のが多くの人たちの現実だろう。 気の持ちようである。だが、この「気」こそ、ベルクソンの呈示したものである。 ・・・・・・ 3087,挫折を考えてみようか −2 2009年09月17日(木) 哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を 拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じスイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」 という考えが、色濃く反映している。『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、 悩み、歴史による規定などをいう。それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。 反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者) の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを 知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。 それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、 大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。 挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史などの暗号を解いて、 包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。 挫折は、自分の壁が破壊することでもある。 その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、 人間にとって(特に若いときの)挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・ 〜つづき ・・・・・・・・・ 2722, どうも世界恐慌に入ったようだ! 2008年09月17日(水) * アリコが危ない? 昨日の午後に初めて世界最大の保険会社のアリコが、倒産の危機に瀕しているのを知った。 一月の株価が59ドルが、今週に入って5ドルを割ったというから、倒産一歩手前と見てよいだろう。 ところが、他人事ではないのである。会社の節税の為に私に毎年保険をかけて経費で一度落とした後、 ある程度のボリュウムができた後に、それが返ってくるという保険に入っている。それがアリコジャパンなのである。 (字数の関係でカット、2011年09月17日) ・・・・・・・・・ 2007年09月17日(月) 2358, ギリシャとエーゲ海の旅 −4 ギリシャに着いて、初めて行ったところが‘デルフィの遺跡’である。なるほど2500年前に欧州とペルシャ周辺から、 王侯貴族が宣託を聞きに行く雰囲気が、そこにはあった。遺跡の背景には大きな岩盤の山があり、その前に広大な平原があった。 そこに神々しい巫女が御宣託を恭しく述べれば、当時の情報過小の王様など信じて当然。今でいうと、新興宗教の洗脳演技の 舞台として充分な場がデルフィの地にあった。当時としては国家単位として、洗脳手法ー戦術を冷静に実行していたのだろうか? しかし、その手法?は、キリスト教的な思想が入ってきてから、衰退していった。現在でも越後の地元にも、狐を神様?とした 「??宗教」が岩塚という村落にある。あれが存在しえているだけ、地域民度の低さを物語っている。 イングランドの狐狩を、あそこでやればよい! 福沢諭吉の「学問のすすめ」ではないが? いや、それとも土着レベルの神様も必要である?というのか。 ーデルフィの遺跡ー アポロンの神託(神のお告げ)が行われた聖域として、また世界の中心「大地のへそ」として有名なデルフィの遺跡は、 パルナッソス連峰の南の傾斜面のプレイストス河の谷を前に、天然野外劇場のように広がっていた。 パルナス山の麓に築かれた「神託の地」であり、このアポロンの聖域は古代世界の命運を左右した古代史上で特異な聖地。 南欧やオリエントの王様が戦争や跡継ぎ、統治などの重要な問題について神託を受けるため、はるばる海を渡り、 山を越えて訪れてきた。 ・まず上っていくとローマ時代のアゴラ跡があり、 ・次にはBC6世紀の宝物殿、アテネ人のストア、アルゴス王たちの奉納像、アポロンの聖域、劇場、競技場がある。 ここでは多くのポリス(都市国家)をつなぐ宗教的な核として絶大な影響力を持ち、アポロンの神託が行われた聖域である。 その遺跡の背面には大きな岩盤のような山が背景にあった。そこの巫女は50歳位の農婦が神の代理として神託を下していたという。 しかし現代からみると、かなり好い加減な内容で、悪用の部分が多くみられるという。遠くから苦労をして、この地にたどり着き、 この雰囲気の中で、巫女の宣託を受ければ、頭から信じてしまうのも肯けるが・・その一番奥(上)にあった 観覧席付きの野外運動場には驚いた。幅40メートル、長さ200メートルの競技場は、現在でも何処にでもある学校の運動場のよう。 ここぞ、ギリシャの神殿の遺跡!という風である。その翌日いったのがメテオラ修道院である。 その岩山の麓に一泊したが、ホテルから修道院がよく見えたが、何とも言えない神々しさが漂っていた。 ーメテオラの修道院ー (字数の関係でカット、2008年09月17日) ・・・・・・・・ 2006年09月17日(日) 1993, 悪筆 おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ { もっと「きれいな字!」が書ける本−1 } ー読書日記 (字数の関係でカット、2008年09月17日) ・・・・・・・ 2005年09月17日(土) 1628, ソウルの富士山ー日野敬三 対談集 −2 また、作家の保坂和志の対談 ーソウルの富士山ーも含蓄がある。死に直面した日野の心理が二人の対談から、みごとに浮かび上がっている。 ー保坂和志 今日は日野さんが、脳の手術から回復される過程で体験されたことを、闘病記というより旅行記のような感じでうかがいたいと思います。 ー日野ー 自分が脳を手術されて、術後に安静状態にあるんだとわりあい客観的に自覚したのは一ヶ月ほどあとでした。 なんとなく現実がわかるようになっても、まだうつらうつら夢を見ている状態がさらに一ヶ月続きました。 そこには、どうも完全な夢とは違う。 自分がソウルにいて窓の外がソウルの街がみえる。 (実際は東京だが) そして、富士山でなくてカイラス山がみえる。 もしかすると、この人生ではなくて、その前のいつか巡礼に行ったことがあるのかも、 と思い直しました。 だとすると、僕の中で辻褄が合うのです。カイラス山はそれだけの格と威厳がある山ですからね。 超意識の神話的空間内だったら、カイラス山も見える。それだけのリアリティのエネルギーを持ってなかったら、何が聖山ですか。 ー日野ー 僕は実は世の中を楽しんでいる、あるいは生きていること、人間であることが好きなんじゃないかと思い当たったんです。それを好きでない ように思い込んでいきていたのが、いよいよ最後のところに来て、その思い込みが剥がれ落ちて本当の地が出たんだと気がついた。 もう一つ考えたのは、人生はなにも正しく生きねばならいことはないと。楽しく明るければよい。 正しくありたいと思ってきたが、それは最も大切ではないとベッドの中で声に出して自分に言った覚えがあります。 (字数の関係でカット、2009年09月17日) ーーーー 冷徹な記者あがりの作家が幽体離脱をして、チベットの霊山のカイラス山にいってきた。それも夢ではないと言い切っている。 また、ー僕らは日ごろいとも簡単に現実と夢と言います、全く別のように。でも本当は、そう分かれる以前のところに 生きているんじゃないか。「夢現のあいだ」ということを東洋の人たちは古くから知っていたように思います。 「夢現のあいだ」は「無現のあいだ」でもありましょう。 という、クダリは、生死の狭間での極限から生じた 魂の深い世界を垣間見た体験があるからこそ、言えることだ。人間の脳には、信じられない能力が隠されている。 死の瀬戸際を漂うと、その一部を垣間見ることができるのだろう。死ぬ時の楽しみでもある。 ー面白いことに、去年の今日老子と荘子のことが書いてあった。意味ある偶然の一致である。 ・・・・・・・ 2004年09月17日(金) 1263, 老子と孔子 本を読んでいて、時々ハッとする文章に出会うことがある。 以下を書き写してみるが、儒教と道教を対比させることによって、 それぞれの本質を、より解りやすく知ることができる。 (生き方の研究ー森本哲郎 P・302より) ー「孔子の教え」はあくまで「厳父の思想」であり、対する「老子の思想」は「慈母の思想」とみることができよう。 老子と目される人物が生きたのはー孔子もそうだがー春秋、それにつづく戦国時代の乱世であった。誰もが真剣に生き方、というより 生き抜くための知恵を求めていた。それに、応えて、孔子と老子に代表される儒教と道教が生まれたのである。対立というより、 対照というべきかもしれない。いずれが是で、いずれが非か、などという問いは愚かである。我われは、ここに二通りの生き方を見、 学べばよいのだ。考えてみれば、この世には「人間なるものは存在しない。生きつづけてきたのは、男と女である」。 人間とは、女と男の総合した抽象概念である。だとすれば、その「人間」には、当然二通りの生き方が考えられよう。 すなわち、男性原理による哲学と、女性原理につらぬかれた思想である。中国は孔子、老子という祖によって、二元的に、つまり、 全人的に生きてきたといってもよい。私たちが学ぶべきことは、そのような二つの知恵なのだろうか。 中国の作家、林語同は、 こう書いている。 ー功なれば儒教ー孔子ーの徒になり、失意の時は道教ー老子の徒に奉じるようになる。 道教の自然主義は、中国人の傷ついた魂を和らげる鎮痛剤なのである。 得意と失意で織りなされた人生、それを歩む人間の生き方ー それは何といっても「父」と「母」に従うことなのではないだろうか。 ーーーー 以上であるが、道教と儒教を対比させ中国そのものを、いや人間の生き方の知恵を提示している。学生時代、「諸子百家」を読んだ時に、 孔子の教えは堅苦しく思い、むしろ老荘の思想に共鳴をした。老子の言わんとする要諦は ー小さな私心を捨て去れということだ。 人間存在なんぞは宇宙から見れば砂、いやチリのような存在。それを真に理解すれば、無為自然、母なる自然の道に従うのが 一番の近道ということが解ってくる。人間が生きていくからには、常に挫折と失意が波のように押し寄せては返していくものだ。 その時、宇宙的視点でその波を見つめる視線が道教の真髄である。 ー老子の思想の幾つかを書いてみるとー ・道を体得した人は、何事にもとらわれず、言葉を使わず教えを行なう。 ・もっとも理想的な生き方は、水のようなものである。 水は、万物に恵みを与え、相手と争そわず、衆人の嫌がる所へと流れていく。だから道に近いのである。 ・実在が意味をなすのは、無が作用しているからである。 ・道を体得した者は、行動した跡をのこさない。 ・・・・・・・・ 2003年09月17日(水) 896, 言いわけ読本 ー読書日記 塩田丸男 中央図書館ー2003・09・14日 (以下、字数の関係でカットー2007年09月17日) ・・・・・・・・ 522,勉強法ーノートのとりかた--3 - 2002年09月17日(火) (字数制限のためカット 2010年9月17日) ・・・・・・・・・・・・・・・・ 147 機動捜査隊 2001/09/17 7〜8年まえになろうか。当ホテルで年平均二〜三人の犯罪者を逮捕している。その協力の功績で、機動捜査隊が表彰状をやるから 私に来いとのこと。「何いってるのか!来るのはお前らの方だろう」と思ったが、「面白そう!」という誘惑に負け行くことにした。 まずは車で若い私服の機捜隊が迎えに来た。そして、機捜の新潟本部についた。10人ぐらいの機捜が玄関で整列をして出迎え。 「面白い!そして気分がいい!かっこいい!」だった。そして捜査隊長の部屋に! 暫くすると隊長が部下を連れてお出まし! 世間話をする間もなく写真班が2名きて、撮影バチバチとられた。そしてそれから表彰状と金一封の授与式と続く。まあいいや、いい経験だ! と有難く戴いた。そしてまた会社まで送ってもらった! 彼等はまっさらな目で見ていて、新選組みたいな一体感を感じとった。ウエットな 親分子分という感じであった。それが異様であった。こんな人間関係まだあるのか!という感じであった。‐さてこの内容が面白いのは、 これからであるー その一年近く後に、機動隊の若い男と第三シングルインのマネージャーをしていたAさんが、結婚するという。 そうすると、あれは何だったのか?機捜に紹介された機動隊の人とか? ーこんなものか世間は! まあ人生面白い!であった。
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2011年09月16日(金)
* 血圧か〜 スポーツジムで血圧を測りだしてから一月ほどたつ。130前後から150後半が、このとこの数値。 以前から、この位だった。 気にすれば気になるし、気にしかければ別に問題はない。 体重は、二十年、標準を保っているし、食事も気をつけている。 ただ酒量が多いことが問題。 親戚で脳卒中で寝たきりだった人は少ない。 ほぼガンか老衰で亡くなっている。でも、そろそろ血圧も、 血糖値も気にしなければ! ところで、一昨日の運動を終えた直後で158、昨日はリクライニング室のマッサージの直後のためか128。 高いのか?こんなものか? 先日、公営の小さなジムにある測定器では120であった。状況により大きく左右するようだ。 脳卒中で半身不随は辛いだろう。 頭は全く変わらないというし。 大学時代の少しメタボ気味が二人、半身不随になってしまった。 * パソコンゲーム これまでゲーム歴は、ソニーのPSPを少し遊んだことと、学生時代のパチンコ(数ヶ月に一度位)以外、ほぼない。 ここでiPadを購入したおかげで、さっそくフリー(無料)のゲームを幾つかダウンロードして使いだしたら、これが面白い。 午前中はスケジュールに追われているが、午後は時間がタップリある。 それでも仮眠をしたり読書やネットで時間をとられるため、 夕食後からTVを見ながらゲームに嵌っている。 2〜3時間は時間がたつのを忘れてしまうほど。止めようと思っても、もう一回、 もう一回と延々と続けてしまう。 これを幼児の頃から楽しんでいたら、現実で自分をゲームの主人公にした夢の追及とか、 目標のため目先の苦労をすることなど避け、ゲームで達成感などを味わった方が遥かに楽に思えるのだろ。 なるほどバカになるわけだ。 * ど忘れ 数日前に、以前に一度『哲学人』を、この随想日記に書いていたことに後になって気づいたばかり。ところ再び昨日の朝、三年前の 同月同日に、全米NO1の弁護士の著書『議論に絶対負けない法』の感想文があるのに気づいたしだい。これまでも、せっかく書き上げた後、 何か書いていたような気がしブログ内検索で書いていたことが判明し、没にしたことは何回もあった。しかし二回もたて続きに気づくとは、 やはり少し変か? やはり年齢のなせること? 書いたと同時に、ハッキリいって内容は一年後に、ここで再読する以外は皆無。 その分、後で読むと面白いが・・・ ・・・・・・・・ 3461, 純粋持続 −1 2010年09月16日(木) ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。 * 粋持続と真の時間 【 たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、こま切れにしたりすることはできない。 このように概念や言葉から離れて内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。 その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、止めようなき自発、能動によるものである。 これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。 というのも、空間化とは数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、それはもはや 流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】 〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ時計や、手帳やカレンダーなど 空間に時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。 それを真の時間と勘違いしている。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も直感で知っている。 日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を忘れている。 人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を 剥がしてみると、そこには本当の時間が姿を現すかのようである。 その「本当の時間」を「眠った時間」の状態から 分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を 如何に確保できるかにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く確保できるからである。 空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。 人間は定期的季節の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、さらに三等分をして一月、そして一日、 という単位を作っていった。農耕にとって、それが大きく役立った。しかし、それは人間が作った約束事でしかない。 人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。その時間こそ真の時間と看破したのである。 ー つづく ・・・・・・・・・ 3086, つれづれにー 閑話小題 2009年09月16日(水) * 9・11から8年が経った このHPを開いて4ヶ月後に9・11テロが起こった。 先日で丸8年になる。昔といえば昔だが、8年で時代は大きく変わった。 アフガン戦争、イラク戦争、そしてインドネシア沖の地震、ミャンマーのサイクロンに、中国・深釧の大地震、地元では中越地震、 柏崎・刈羽地震、去年の9・15金融恐慌と、世界は大きく変わってしまった。 直近では、衆院選挙での自民党の壊滅的敗北である。 これが21世紀のようだ。更に情報化の進展が我われの生活を根本から変えている。5〜6年前からブログが飛躍的に普及、 個人がそれぞれの情報を発信し始めた。 これに携帯電話にデジタルカメラやビデオが取り込まれ、現場から瞬時に情報発信が 可能になったのである。 地球上にネットという別世界が新たにできて、それが現実世界に大きく影響を始めてきたのである。 この想像を絶した情報化はSF作家の小松左京をして、「SF作家の我われさえ追いつけない事態」と言わせるほど。 日本は冷戦終了後、それまでの冷戦の恩寵と、その結果としての世界第二位の経済大国の立場はもろくも瓦解してしまった。 人口の本格的縮小も重なり年々、経済などのダウンサイズが始ったのが、この不況である。 * 民主党が政権を取るとどうなる? 民主党が鳩山政権として発足するが、どうなることか? 面白いといえば、面白い。 闘う相手は自民党ではなく官僚というから尚のこと。 検察を使おうにも、彼等こそ一番の悪巣。 ここで日本も大きく変化するのは間違いはないが危うさも出てくる。民社党も批判しているうちはよいが、今度は責任政党に 立場が変わってしまう。二大政党は、交互に政権交代すること自体がよいのだから、目先を心配することはない。 * 9・15リーマンショックから一年 昨日で、リーマンショックから一年が経った。見るところ三割の経済規模がダウン。 緊急輸血で何とか恐慌一歩手前で踏みとどまっているが、現場段階では上っ面な回復としか感じられない。 メーカー段階では、3分に1にダウンしたのが、2分の1になった位でしかない。これも、何時まで続くか分からない。 元に戻ることはないという上で、経営戦略を根本から練り直さなければなるまい。超大型地震は起きてしまったのである。 津波の本体がくるのは、これからである。それが分かってないのでは?というほど、日本は長期停滞で神経が麻痺している。 ・・・・・・・・ 2721, BOAが、メルリ・リンチを買収! 2008年09月16日(火) バンク・オブ・アメリカが、メリル・リンチを買収!というニュースが入ってきた。シティバンクが倒産レべルのニュースより大きい。 (シティは倒産してないが)それも、リーマン・ブラザーズと天秤にかけて、メルリ・リンチを買い取ったというから驚きである。 しかも選択されなかったリーマンの方が倒産というから、なお衝撃が大きい。しかし、そのツケの支払いは日本国民にも覆いかぶさって くることは明白。アメリカの、というより世界の金融の再編成に入ったということになる。1929年の大恐慌より、深刻な事態というが、 その大きなウネリが姿を現した。ニュースで100年に一度の金融のニュースといっていたが、その通り。日本では、三菱・UFJ銀行が、 野村證券を買収したような出来事である。リーマン・ブラザーズは野村證券の2・6倍というから、世界に及ぼす影響は計り知れない。 サブ・プライム問題の深刻度からして、おこるべくして起こったことである。 5年から10数年前まで、日本を買い叩いていた アメリカ金融機関が、脳梗塞・脳血栓で半身不随になったと例えられる。 もちろん日本の十数年前よりも根は深い。 崩壊という表現も過激ではない。アメリカの三大自動車メーカーが、ほぼ死に体状態から考えて、世界的な混迷期に入ってしまった。 先週受けた経営セミナーの先生が言うとおりである。証券会社の一位・ゴールドマンサックス、二位・モルガン・スタンレー、 三位・メルリチンチ、四位・リーマンブラザーズ、五位のベアーズ・スターンズ(この春にモルガンに救済合併)。 この三位から五位が異変をきたしたのである。どうなっているのだろう。今年に入って、三位から五位が消滅したということになる。 ここにきてアメリカの航空会社、自動車、そして金融と、異常事態に入ったということになる。アメリカ経済の崩壊というと、 ドル安圧力が当面は強まるだろう。その行き着く値段が60円。それが近日か3年先かは分からないが。そして一度下げておいてから、 再び回復するだろう。何故なら、ドルはアメリカが輪転機で刷っただけの偽札もどき紙切れでしかないからだ。 一番影響を受けるのは、資源のない、紙切れを掴まされた日本、中国、インドである。いずれにしても、大恐慌へのテンポが速すぎるようだ。 世界中が震撼としていることは事実である。今日からの為替と株価がどうなるのだろうか。それにしても、あの首相候補の5人の漫画的な パフォーマンス、何をしているのだろうか、この国は! そういえば私の学生時代の友人がBOAにいたが、どうしてだろうか。 クールなハッタリの大きな男だったが。 ・・・・・・・・ 2007年09月16日(日) 2357, ギリシャとエーゲ海の旅 −3 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ー旅行の雑感ー *今回の旅行で、地中海と中近東一帯でイラン・イラクを除いて、エジプト、ギリシャ、ローマ、オスマントルコ、メソポタミア、 イスラエルの遺跡を巡ったことになる。 そうすると、数年以内にイラン・イラク(イラクは無理だが)に行くのが目標になる。 更に、遺跡といえばビルマのアンコール・ワットになるが、まだ行ってない。 それでは、この外にあとは何処?といえば、 中南米のマヤ文明と、インカ文明、中国の黄河文明、そしてタクマカラン・etc など挙げれば切りがない。旅行を続けていると、 行き先の選定の意味が出てくる。 世界四大山脈、四大滝、有名氷河めぐり、飛び石世界一周とか・・・ *話は変わるが、前回(家内だけだが)に続き、ビジネス・クラスがあたった。 成田の飛行機の受付コーナーで、私達の航空券に トラブルが起きたようで、 受付にいた飛行機のパンサーらしき人と何か相談をしていた。 何ごとが起きたのか心配したら、 「お二人がダブル・ブッキングで、エコノミーが満席のためビジネス・クラスに席変更をさせていただきます!」とのこと。 ラッキーである。 前年も家内一人だけだが、やはりダブル・ブッキングでビジネス・クラスに座席変更した。 これまでの旅行で席がガラガラの時に、特別に無料でビジネス・クラスの変更してもらったことがあったが (添乗員が偶然スチュアーデスと知り合いだった)。 やはり快適である。席がエコノミーの1・5倍の広さがよい。 私の場合、エコノミーでも何の不自由を感じないが、タダであれば快適な方が良い。ビジネス・クラスといっても、食事内容が少し良く、 1・5倍?のスペースがある位。 私は、慣れたこともあるがエコノミー席で何のストレスも感じないのである。 帰りはエコノミーだったが、席が2・3・2のサイド側の2人席のためストレスは最小であった。 それにしても、 ついている時は、そういうことが重なるものである。その逆が前回であったが、 やはり代理店の選定段階のミスが大きい。 *秘境系の参加者は、癒しを求めている人が多い。その分、癖のある人が多い。 それに対して、クルーズや欧米ツアーの参加者はレジャーの楽しみを求めている。 実際は秘境系の素晴らしさを知らないだけだが。大自然が与える大迫力は魅力である。 *今回、エジプト航空を利用。 帰りは搭乗日が9・11の9月11日。 エジプト空港についてから実際の飛行機に 乗るまで5回のチェックを受けた。 まずは飛行場に入る時に、パスポートと荷物チェック。次に入国審査に入る直前の パスポートと荷物チェック。そして、搭乗の控え室に入る時の両方のチェック。控え室から搭乗券チェックの時の パスポート・チェック。そして飛行機の搭乗階段の前のチェックで、つごう五回である。それだけチェックは必要なのだろう。 そういえば、初日にギリシャへの乗り継ぎのためエジプトに深夜に入国、空港至近のホテルに一泊した時も、 旅行バックと手荷物のチェックを受けた。ホテルの入館のチェックを受けたのは、これが初めてである。 最終日にエジプトのギザのピラミッドに行ったときも、十年前に行った時と、様相が一変していた。 とにかく警官がアチコチ警戒しているのである。数前にルクソールのハトプシュトの遺跡で、観光客を狙った 原理主義者よる殺戮があってから、観光地の警戒が一変してしまったのである。エジプト考古博物館も同様であった。 (○´ω`○)ノ**SeeYou** ・・・・・・・ 2006年09月16日(土) 1992, デジタル一眼レフカメラ −3 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 一番肝心の「写真の具合は?」ということに言及していなかった。写真は見ての通り全く別物である。 例え話でいうと、ハイビジョン液晶TVと、今までのブラウン管の地上放送Tvの差と同じといってよい。 【字数制限のためカット2010年9月16日】 ・・・・・・・・ 2005年09月16日(金) 1627, 自分の死ー日野敬三 対談集 −1 先年、亡くなった日野敬三の対談集「創造する心」が深い内容である。 癌から脳出血まで、次々と死に至りかねない病の中で書いた文章は、一言一言が胸に刺さるようである。 秘境ツアーの代理店「ユーラシア旅行社」が毎月送ってくるパンフレットの冒頭の旅行のエッセーを彼が書いていた。 これを編集した一冊の本が出ている。それぞれの旅行先のエッセイが深く対象と一体になっている。。 「創造する心」を読んで、生と死の狭間の中で今生の地球を見つめていたのが解った。著者心の奥行きの深さには敬意を払う。 言葉は、意識化をするはたらきがある。そして、言語にすることによって第三者に引き継ぐことが可能になる。 (字数の関係でカット 09年09月16日) ーつづく ・・・・・・・・ 2004年09月16日(木) 1262, 書いてなかった旅行記 −1 ーカナダ旅行記− 過去の旅行記は殆んど書いてきた。しかし先日、地域別ごとに旅行記を纏め直していて、カナダと、ハワイと、中国(桂林・香港) の旅行記が書いてなかった事に気づいた。 そこで早速、書くことにする。まずはカナダである。 カナダは二回行っている。 一回目を書いてみる。 この旅行は、トロントと、その近くにあるナイアガラと、ロッキー山脈と、バンクーバーと、 その近郊のブッチャーガーデンを巡るコース。ナイアガラはNHKの特集を見ていたが、実際見てみて「こんなものか!」と 少し失望したのが実感であった。しかし、ボートで近くの滝のカーテンの迫力は実物ならではの迫力があった。 しかし、この旅行のハイライトはロッキー山脈のジャスパー国立公園である。飛行機の乗り継ぎなど、かなりの強行軍で、 バスでジャスパーについた時には疲れのため熟睡をしていた。ふと目が覚めると今まで見たことのない裸の大きい山が展開していた。 変な夢を見ていると思いつつ、再び目を開けると、どうも夢でない。そこは私の知らない別世界であった。 それからは、 次から次へと見える光景に目が釘付けになってしまった。これまでの自然のパノラマを見るのは生まれて初めてであった。 日本でも黒部渓谷や立山など、多くのパノラマを見てきたが、そこで見たものは全く違うものであった。 「なんだ?!こりゃ!」と息を呑む景色が次々展開しているのだ。「こんなところが、地球にあったんだ?知らなかった!」 「これを見るまでの人生と、この後の人生は全く違う。 家を叩き売ってでも見るべき価値はある!」等々の感激が、 ロッキーにいる最中次々と出てくるのだ。この時から、旅行は大自然派になってしまった。 自然の美しさを、 これだけ数日に渡って味わって見たのは初めて。自然が自然と、こういう神々しい姿を創りあげたのだ。 山々の神々しさ、 そして空の青さ、湖のエメラルドグリーンの美しさ。そこに住む地リスの愛らしさ。あちこちで見ることができた熊とヘラ鹿。 はじめて見るものにとって、そこは違う惑星の景色である。 ーーーーーーー 2003年09月16日(火) 895, 超一流選手の共通項 ー世界柔道選手権とプロボクシング世界タイトル戦- この五日間の世界柔道選手権が面白かった。昨日まで5日続けて男女の八階級と団体戦の試合があった。 2年に一度おこなわれるもので、オリンピックと同じ位の権威のあるものだ。何といっても井上康生の強さが目立った。 背の低い棟田と大柄の外人との勝負も面白い内容であった。 二日目と三日目は、殆ど目に付く内容は無かった。 (次数制限のためカット2011年9月16日) ・・・・・・ 521,「世の中を良くする為には」 - 2002年09月16日(月) 昨日の昼、何げなくみた映画のなかで、薬中のホームレスが橋から飛び降りようとする見しらずの女性を助ける時の言葉がよい。 「なぜ助けようとするのか?」という瞬間の問いに、「自分を助けてほしい、貴女を助ける事でしか今の自分を救われない! たった今まで薬のことしか頭になかったが、いま気づいた!貴女を救う事が自分を救う事だということを! 頼む私を助けてくれ! 死ななでくれ!」この男の哀願に女性が自殺をとどまる。 中学の初めての授業で先生が出した自分への課題。ーこの一年間で、世界を変える方法を考え実行してみよう!− ある少年の考えた課題ー「3人の人に役立つ事をする誓い。 それをして貰った人は他の3人に役立ちをわたす、 それが鼠算に伸びれば世の中が良くなる」という自分の創った課題を実践しようとした。しかしことごとく失敗した。 その一つが薬中のホームレスを自宅のガレージで立ち直らせる事であった。しかしその期待に答えられなかった男が、 元の生活に戻って失敗した。しかし人を救う何かをしなくてはというのが残っていたのだ。それがその女性を救った。 その少年がいうー日々の生活に慣れきってしまい、良くないことが変えられないんだ! 怖いんだ、変化する事が。良いことをしたら、次に渡せ!ー耳が痛いが、なかなか味のある内容であった。 広がっていくのだが??シックスセンスの子供役がその男の子を演じていたが、素晴らしい心理描写を演じていた。 「可能の王国」という題であった。 最近TVの内容が面白い! ・・・・・・・ [146] チンドンヤ 2001/09/16 (次数制限のためカット2011年9月16日)
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2011年09月15日(木)
一昨日のNHKの連続ドラマで「生命保険」をテーマにした連続ドラマが始った。後で録画を見るつもりだがシビアな内容だろう。 生命保険は名前のとおり命をかけた博打。 当たった時には、当人は娑婆にいないが、残された人に保険金が支払われる。 そのため胡散臭さが漂う。 母親が生前、「自分には八百万の保険がかけてあり、死ねば支払われる」と遺言書にあった。 しかし、契約書では80歳で切れていた。母の勘違いというより、保険屋が、そのことを言ってなかったようだ。 私は「保険は体の良い組織的詐欺の要素を持ったシステム」という持論があり、保険などかけたことはない。 ある本に、その辺のことが分かりやすい説明があった。 【 生命保険の保険料は、男性の場合、十万人が一斉に生まれ、順次死亡して、百七歳で全員が死亡するという前提で、 毎年の死亡確率を出し、これを元に算出される。 四十歳の男性の場合、生き残っている九万七千三百九十人中、年間に死亡するのは 百四十四人。つまり、九万七千三百九十一人が払った死亡保障の保険料は、不幸にも亡くなった百四十四人がもらい、その年は終わり ということになります。十万人生まれた男性が、半分の五万人を切るのは八十二歳。死なない限り払った保険料の元は取れない。】 「自分が死んだ後の身内のことを考え、保険に入っておく」という理屈は分からないでもないが、それをネタに利益を得ようとする 保険の仕組まれたシステムは、契約書に業者に有利に作られているのは、当然のこと。 火災保険は、万一を考えると必要だが、 それで「も利益団体の言いなり」ということを考えておくべきである。 古来から金融の本質は、保険のあるという。だから、そのには、専門家でさえ知りえないほどの騙しが隠されている。 私が保険嫌いのため、家内は心配で、家内名義の給料を38年間預金をしていたことを、一年前に知った。 それが、この事態(倒産)の命綱になっている。 保険は、生々しい世界だが、この情報化のため、保険のオバサンの 多くが淘汰されつつあるという。 それと零細の業者も、ほぼ大手によって淘汰。 再編成もすざましいという。 何処も同じということだ。
・・・・・・・ 3460, つれづれにー政治談議 −2 2010年09月15日(水) * 管首相の大勝利 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。これは日本経済にとって深刻な問題。 ある意味で致命的である。目先は分裂することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。 この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、彼が経済、外交音痴であることが判明。 当分の間、政権を担うとなると考えただけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底に向けて 容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。我われに商売は直接、景気が直接反映するから敏感になる。 結果からみれば小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか分からないし、次の選挙の資金確保という 大問題に直面する。 この歴史的危機でも国家天下より、御身大事を優先するしかないのか。地方議員や、サポーターなどの 票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに 自分の出番が来ることを彼が一番知っている。二人の演説を聞いていて、管首相の内容が国家のトップとして内容が乏しいのが 渦中にいると分からないようだ。過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れないのだから、 民主党の議員レベルの質を問われて然るべきである。 無政府状態が当分続く。そして景気はますます悪化する。 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる? ・・・・・・・・ 3085,時間リッチと時間貧乏 2009年09月15日(火) 新聞広告の雑誌の見出しに「時間リッチと時間貧乏」があった。 図書館で立ち読みをしたら、「TodoリストよりNotTodoリストつくり」。 「何をするかより、何をしないかをリストアップして実行せよ 云々」である。 私事になるが、時間リッチを自認している。 月に数回の飲み会以外は一切の付き合いが無いに等しい。自分を育ててくれた学校の同級会、同期会以外は、商工会、町内会、 ライオンズなど、誘いもないし、行く気も無い。都合の良いことに、職場と住宅が新潟と長岡に分かれているので新幹線の乗れば、 そこで遮断できる。おまけに事業が装置産業ときているので、目先の判断は人任せでも大きな支障がない。そのために20年あまりで、 40回近い秘境ツアーに参加することも出来た。おまけに早朝5時に起床、散歩や、読書、そして、この随想日記を書いたりもできた。 「戦略とは、何々をすることを決めるのではない! 何々をしないかを決めること」という言葉を著名なコンサルタントの先生の講義で、 30歳そこそこで聴いたこともあり、時間に関してはリッチであった。 「で、時間リッチというわりに全然、人間的に リッチじゃないじゃないかい」と言われれば、返す言葉が無い。しかし可能な限り世界の果てを見てきたという満足感はある。 そこで検索に「時間リッチ」と入れたら面白いリストがあった。 その幾つかを抜粋してみた。 〜 時間リッチになる 〜 ・一週間は金曜日から。 金曜日に翌週の準備、月火水でmustを済ませ、木に検証反省。 ・やる気が出ないときはとりあえず動く! 動くからやる気が出る! ・楽する方法を考える ・自分の時間価値を意識する。「2735円」 ・スタートから完璧を目指さない。走りながら完璧を目指す。挑戦すると案外簡単、成果が出るもの。 ・失敗しても経験が残る。「武器を手に入れてから走るのでは遅い。走りながら武器を拾え」 ・今動かないとそのチャンスを他の人に持って行かれると考える。 ・時間はお金で買える。(セミナーは有料を) ・お金を殖やすため、モチベーションを維持するための先行投資を恐れるな ・時間をケチらない。「ながら作業」は「ケチ」。 一つの行為に2つ以上の意味を見いだす、 一つの行為をいくつかの目的のために利用するのが時間密度を濃くするということ。 ・忙しいときこそ勉強する。自分のために時間を使うという行為が安心感を生む。 ・仕事のできる人は仕事に遊びを取り入れ余裕がある。 ・そうねではなく魅力的ねと言われるように。 ・かきくけこ(簡単・興味・グレー時間・決断・行動) ・嫌なことは朝一で片付ける ・隙間時間にやることリスト ・捜し物は時間の無駄 ・携帯時計よりアナログ腕時計。時間の量的感覚を身につける。 ー 以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日) ・・・・・・・ 2720,議論に絶対負けない法 −1 2008年09月15日(月) 「議論に絶対負けない法」 ―全米ナンバーワン弁護士が書いた人生勝ち抜きのセオリー ゲーリー スペンス 著 ある知人が訪ねてきて話しをしていたら、現在、トラブルに巻き込まれて裁判中という。「500万〜1000万規模か、億単位なのか?」 と聞くと、「億単位」という。 その人は30年来の付き合いがあって、地元では大手クラスのトップ。大きな分岐点の経営判断のときは 必ず相談に来て、何気ない応答にヒントを得るようだ。その場ではヒントを得たふりを見せないが、後年になってヒントになったという。 今回は、裁判の係争の真っ只中、具体的な生々しい相談。「議論に絶対負けない法」という本を紹介した。 アメリカのナンバーワンの弁護士が書いた本で、拗れたトラブルであるほど、彼の一言一言が全て、問題をヒント与えてくれるはずと、 助言をした。私が、この本を読んだのは十年以上前。 問題を抱えていた時で、本そのものがコンサルタントの先生のような役割を 与えてくれ、非常に参考になった。 詳細は憶えてなかったが、スラスラ出てきた言葉は ・準備、準備、準備、それが全てである。 準備以外の秘訣など何もない。 ・それと構えである。 構えの構築を一つずつしていくこと。それが準備。 ・問題の中心点に向かって、自分の心を無にして集中すること。 そのためには、心の底から正しい!と信念が持てるかどうか自分の心に問うこと、そこが一番重要。 ・戦いを始めたからには、絶対に強気、攻撃的で攻めること。等々、それを言えるのは、10年前に貪り読んだため。 「その知人の相談は、再び目を通せ」というメッセージだろうと本を探したが無い、誰かに貸したのだ。 そこで早速アマゾンで中古本を買った。 10円+送料340円=350円。新書なら750円である。 そして再び目を通すと、なかなか内容があり、味がある。著者が魂を込めて書いてあるのが解る。 ー 次回から、面白そうな所を書いてみる。ー 十年前は、どうなった?かですか。構えを知ってか、相手が手を引いてきました! −つづく ・・・・・・ 2007年09月15日(土) 2356, ギリシャとエーゲ海の旅 −2 o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ この旅行では、天候、?実際の対象の内容の良し悪し、スケジュール内容の質、添乗員の当たり外れ、同行のツアー仲間の質、体調 (食あたり など)?行き帰りの飛行機の席の順など、すべてが90点以上であった。この一つでも外れると、だいなしになることがある。 前回のケニアでは、過半数が外れたが・・代理店の選定ミスがあったが。 それも御愛嬌と割り切らないと旅行など続けることは出来ない。 「アフリカ・南米などの零細専門業者、地元の中小の旅行代理店」は‘外れる可能性が非常に高い’ことは経験からいえることだが・・・ 外れた場合は金をドブに捨てたと割り切らないと! 中小の場合などでは、「劣悪の添乗員ー素人の遊び気分の夏休み代わりの添乗員」 を平気で組んでくる。 二度、いや三度当たったことがある。 でも、そんなものと割り切らないと・・・ ある規模以上の代理店は、質の高いマニュアルのしっかり入っている添乗員が揃っている。同じ代理店の、ほぼ同じ少し商品の違う パックのグループとクルーズで一緒だった。ところが、そのグループの添乗員への不平不満が、食事時に耳に入ってきた。 そのグループは外れの添乗員だったのである。間違えれば、当方の担当になる可能性もあった。 今回の旅行を印象に深い順にランダムに書き出してみた。 ・まずはクルーズ船の最上階にある甲板の先頭で、長いすに横たわりエーゲ海の風に当たりながらの日光浴。 三日間、毎日90分間、一人で小島を左右に見ながらの甲板の瞑想?は至高であった。夢の中にいるような気分であった。 ・次は、サントリーニ島の断崖の上からみたエーゲ海ブルーの広大な景色。 そして、傾斜面の街の建物が全て白に統一された光景・・広角に広がる湾とエーゲ海の光。これも眼に印象的であった。 ・小さな珠玉のようなミコス島のリトル・ベニスといわれる海岸線からみたエーゲ海に沈む夕景と、その街。 ・デルフィの遺跡の神々しい雰囲気。 2500年以上昔に、そのままタイムトリップしたようであった。 ・奇岩の上にそびえ立つメテオラ修道院の神聖な雰囲気と それを取り囲む広大な原野と、山々。 ・アテネのパルテノン神殿と、そこを取り囲んでいるアテネ市内の風景。 ・二度目だが、ギザにある三つのピラミッドとスフィンクス。そして前回は時間の関係で見なかったピラミット群の遠景。 ・カイロ市内にある「エジプト古代博物館」特に、見れば見るほど驚かされるツタンカーメン王のマスクなどの財宝群。 そして、多くのピラミッドなどから発見された像や財宝などなど・・ 以上、指が動くまま、頭に浮かんだまま、キーボードを打って書いてみた。 この旅行はギリシャ本土とエーゲ海と、そして、そこにある遺跡を見て歩く少し趣向の変わった旅行であった。 そして三日間はクルーズとはいえ、午前、午後と二つの島を数時間かけて見てまわる強行なスケジュールであった。 しかし、その間は移動が船のため、ストレスの少ない旅であった。 Д`、)マタネ ーつづく ・・・・・・・・ 2006年09月15日(金) 1991, 仲人・高橋与三八氏を偲ぶ ( −」)φ~~ 兄と私の仲人をしてもらった高橋与三八さんが亡くなられた。 私の10指に入る恩人である。 柏崎の出身で、元銀行マン。 大手銀行の再編成の中で、苦労した人である。 日本相互銀行に入行、合併で太陽銀行になり、 太陽神戸銀行になり、さくら銀行になるプロセスで定年を迎えた。 多くの仲人をしたようで、多くの人に慕われていた。 私の名前が八郎で、兄が三郎。 その仲人をしたので、名前どおり「嫁を与・三・八」をした。 面白い因縁である。 − 以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日) ・・・・・・・・・ 2005年09月15日(木) 1626, 頭脳の果て−2 以前にも書いたが、この本をヒントに「三つの部屋」のイメージ空間を創ってみた。 一見バカバカしいが、イメージ空間から真実が語りかけてくる。 ・縁者/故人の部屋 ・10年 20年後の自分の部屋 ・もう一人の自分がいる惑星(前回書いた)である。 通勤の列車の中とか、寝つきが悪い細きれ時間とか、ウオーキングの時などに、このイメージ空間に入り自己対話をする。 ー以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日) ・・・・・・・・ 2004年09月15日(水) 1261, 幼児虐待殺人事件 −字数の関係でカット2008年09月15日ー ・・・・・・・・・・・ 2003年09月15日(月) 894, 「バカの壁」読書日記ー2 「バカの壁」を常に感じ取っている。過去を振り返ってみれば、よくわかるはずである。 子供に遡るほど小さな視界の世界ー壁が立ち塞がっている。その壁を一つずつ乗り越えるのが人生でもあり成長である。 学生時代、ある友人に「大爺」といわれたことがある。「地方の固定観念の塊」と「両親からの価値観の殻」 を感じ取って批判したのだ。学生時代の一番の収穫は、この壁‐殻を可能な限り叩きこわしたことである。 そのためか、地方にいると全く価値観が合いあわない。壁は乗り越えれば乗り越えるほど、多くの壁が立ち塞がってくる。 「バカの壁に気がついてくる」といってもよい。 メジャーにはメジャーの壁、マイナーにはマイナーの壁がそれぞれある。 この随想日記も、バカの壁の提示でもある。自分の壁を認識するのに、過去の喜怒哀楽の極みを内省してみるのがよい。 一番、喜んだこと、怒ったこと、悲しかったこと、楽しかったことを書き出してみることだ。それと好きなことや人、 嫌いなことや人を考えてみることだ。感動・感激・感謝の極みもそうだ。それが、その人の限界でありプラスの意味の壁である。 その壁の上に立って、その向こう側を眺めると、自分が何をすべきかが見えてくる。 バカの壁を一番乗り越えるヒントが見えてくる。私のバカの壁を乗り越える方法を幾つか書いてみる ー新しい習慣をプラスしていくことである。 ・ウオーキング ・お経ー般若心経 ・読書 ・本屋と図書館通い ・パソコンー随想日記 ・頭の固い人との接触を避ける ・常に新しいこと現象に興味をもつ ・意識して感激・感動の場面に近づく ・秘境旅行に行き続ける 等々を時間をかけて習慣化していくことだ。 チャレンジ・コンペテション・チェンジの繰り返しのサイクルを維持すること、中村天風の「積極一貫」である。 バカほど、こういう本は読まないものだが!バカとは頭の固い人ーバカの壁がびっしり囲んでいる人のことだ。 そう貴方、いや自分のことだ。 ーこの本の感想を書いてみるとー 「内容を理解もせずに、うわべだけを見ただけで知っただけで、わかっているという思いこんでしまう恐ろしさ」を提示している。 「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は違うとして「二元、論」 の考え方で主張している。現代世界の三分の二が「一元論」者の中で限界がきているとしている。 (字数の関係でカット09年09月15日) −−−『バカの壁』 著者 養老孟司 出版社: 新潮社 ・・・・・・・・・・・・ 2002年09月15日(日) 520, 宇宙について - 宇宙についての知識がこの10~20年で、飛躍的に観測等で伸びた。以前事業百訓で書いた内容をコピーしておこう。 これを書いてから数年後の7~8年前に、NHKスペシャルで数回にわたり放送した内容がよかった。あまりの壮大な内容に驚いた。 地球の特異点はビックバン、ビッククランチ、ブラックホールの3つある。宇宙は137億年前に大爆発があり時空をつくっていて、 今も膨張している。最後には限界点まで行くと、収縮をはじめて消滅する。宇宙にブラックホールが存在して周辺の星などの物質を 飲み込んでいる。それがある一点にむかっていくポイントがビッグクランチという。あるところまでいくと、反転してビッグバンになる。 この宇宙は、その大きなブラックホールでもあり、数億のブラックホールを抱えている。それぞれのブラックホールもその中に 宇宙を抱えており、それぞれがビッグバンとビッグクランチをくり返している。ある説によるとブラックホール内のビッグクランチが 限界に達すると、違う宇宙に管のようなトンネルを通ってつながっているといわれている。当時3~4回この再放送を見た為、 しっかりと頭に入っている。当時感じたことは「何だこれは人間の生死と同じではないか」という妙な気持ちであった。 15年前の文章に比べると、飛躍的な宇宙知識の飛躍でもあった。あれから7年もっと科学知識は飛躍したはずだ。 TVだからこそ、その高度の内容を理解することが出来たのであって、本でこれだけの内容の理解は、今の自分では無理だ −字数の関係でカット2008年09月15日ー ・・・・・・・ 2001年9月15日 [145] 宗教戦争ー4 大事件を当然の上で私の主観を書く! 恐らくアフガン、イラクや??は国の壊滅に近い状態、そしてイスラエルの過激派の幹部のかなり数が年内に抹殺されるだろう! いやそれが必然の世界にはいった。虐殺がその連中になされる。これが宗教戦争だ。その反面今のようなテロが行われるだろう。 しかし、アメリカの全体の力を考えた時、今回の事件は微弱の損害でしかない。別にアメリカの力の過大評価でない、大儀名分を 与えたからには力と力の戦いだ。気の毒なのはイスラム教徒だ。宗教は民族の魂であると同時に自我でしかないのに。 自我と自我の戦いが始まる。神という名のもとで虐殺が始まる。う簡単に済む問題でない。 4000(旧約)年対1300年(コーラン)の戦いでもあるからだ。宗教全面戦争になるのか。 アメリカにとってアラブのメッカが破壊されたようなもの。驚天動地だろう。何をやりだすかわからない。 旧約はかなり生々しい、生きた補虜を尻から杭を打ち込むのだ。最近その遺体がかなりの数発見されたという。 それだけ残酷になれるのだ。 宗教戦争は恐ろしい。今回はイスラム圏にとってあまりにも不利だ。
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