堀井On-Line



3784, ツール・ド・フランス

2011年08月05日(金)

 昨夜もツール・ド・フランスの総集編の録画が再放送されていた。これで三度目になる。
   ーまずは、ウィキペディアより、ツール・ド・フランスの概要よりー
【 毎年7月に23日間の日程で行われるステージレースで距離にして3300km前後、高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。
 フランス国内でのレースが中心だがイギリス、イタリア、スペイン、ベルギー、モナコなど周辺国が舞台になるステージもある。
 ステージ数は1993年以降「プロローグ」を含め全21ステージが定着しているが、それ以前はもっと多いステージ数で争われることもあった。
 平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きく
 なることの多いジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと山岳ステージのバランスとれた構成となっている。
  一社ないし数社のスポンサーの名を冠した9人編成(最低6人)のチームが、20〜22チーム参加する。
 出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカやオーストラリア、カザフスタン、コロンビアなど多様である。
 総合成績1位の選手には黄色のジャージ「マイヨ・ジョーヌ」が与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も
 特別なジャージを着用する。 賞金総額は2009年の場合で約320万ユーロ、うち総合優勝者に45万ユーロとなっているほか、
 各ステージ優勝やスプリント賞・山岳賞などに細かく賞金が設定されている。
 ●特徴として、例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンの逃げやスプリンターによる迫力あるゴールスプリントが見られる。
 そして中盤に一度山岳を通過し優勝候補が絞り込まれ、その後はまた平坦ステージが続き、今度はポイント賞争いが絞り込まれる。
 後半にかけてはラルプ・デュエズ、ガリビエ、モン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝や山岳賞をかけた
 オールラウンダーやクライマーたちの戦いが繰り広げられる。2度の山岳コースはそれぞれ3日ほど繰り広げられ、それぞれピレネー山脈と
 アルプス山脈を使う事が多いため、ピレネーラウンド、アルプスラウンドと呼ばれる。間の平坦基調ステージは主にこの2つの山脈の間を
 移動するために設定されているが、この緩急つけたレイアウトと平坦ステージの多さ、ポイント賞のシステム(後述)などもあり、
 スプリンターが一番ポイント賞を獲得しやすいグランツールとなっている。  レースが非常に大規模、かつ露出度が高いため
 専門の本部が置かれおよそ500名のスタッフが運営に関わる。また交通規制やレース中の警備、極端な不正行為の取締りはジャンダルマリ
(フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。
 さらにボランティアで警備などを担当する人は数十万人にのぼると推察されている。】
★ この数年、7月になると、この自転車レースを見るのが楽しみになっている。色いろな賞があるが、個人総合が最も価値ある賞。
 これを目指して3300kの熾烈な争いになる。距離が距離だけに、その間に多くのアクシデントが生じる。もちろん、万一の故障に備えて、
 自転車を数台のせた車が伴走している。その沿道には熱狂的ファンが詰めかけ応援をする。もちろん、TVの実況がある。フランス的なのは、
 最後の区間は、パリ近くに場所を変え、凱旋レースになる。ここでは区間賞だけで、総合賞は別になる。そのため、選手もギャラリーも
 お祭り気分になる。ただし、完走しなければ、総合優勝を失うため、同じチームの選手がヒーローをアシストする。
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3419, 新たなる金融危機に向かう世界
2010年08月05日(木)
「新たなる金融危機に向かう世界 」副島隆彦 (著)
  ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
ギリシャの財政危機に端を発したユーロ暴落の裏側にはアメリカの仕掛けがあった。
アメリカは米国債に世界の資金を環流させなければもうもたないからだ。そして5月6日にダウが一時998ドル急落する過程で、
ゴールドマン・サックスのロボット・トレーディング・システムが壊された。このあと、金(ゴールド)が崩される。
そして、金(ゴールド)の大きな下落のあとにドル(米国債)が暴落させられるだろう。 ――サブプライム崩れを始め、
これまでことごとく経済予測を当ててきた著者が、2010年末の恐慌突入に向けてさらに下落を繰り返す世界の金融経済を読む。
 〜〜 面白そうなので、ネットで買ったが、☆4つ、というところか。
*現在、世界のゴールドは、16万トンといわれているが、それは表の話で、バチカン、イギリス、スイスに、
 それぞれ10万トン、合計30万トンある。したがって、16+30=46万トンあり、1600兆円あるとか。
 だから、いつでも金本位制度へ戻ることは可能である。ただし、 先ほどの国に覇権が戻るということか?
*ゴールドの大きな値下がりと、大きく新聞広告に書かれていたが、グラム3000円で、最大2500円でしかない。
 現在ユーロが狙われているが、それが終わると、次はゴールドが、狙われる可能性があるという。
 そして、その次にはドル(米国債)が下げられる。 ゴールドが値上がりをすると騒いでいた副島が、舌の根の乾かないうちに?
*秋以降には、アメリカの株価が6500ドルに向かって動き出す。
*アメリカは、不良債権4000兆円の実損処理をしなければならない。これは血をみるおもいで、やらなければならない。
〜〜 以上が印象に残ったところだが、今年、来年、再来年と、大きな危機が次々と襲ってくる。
 それは株価や、国債の暴落とか、実物経済でも不動産とかの暴落として現われてくる。恐ろしい限りである。
 100年か、500年に一度の変動期に入ったが、まずは徹底的破壊から始る。それが日ごと現象に現れてきているが、
 再来年には、非常に厳しい局面を世界も、日本もむかえる事になる。10年、20年スパンに渡ることになるから、
 想像を絶した場面が次々と現れる。  背後にあるのは、情報化社会のウェーブ。
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3044、罪深き新自由主義
2009年08月05日(水)
 「罪深き新自由主義」  高杉 良 (著), 佐高 信 (著)
 対談・高杉良×佐高信である。二人は「小泉・竹中路線」の深層構造を取り上げ批判、
小泉・竹中路線の罪でもある「かんぽの宿」問題と、マスメディアの劣化を鋭く問うている。
「現在の日本にリーダーはいなくなった」ことに二人は共鳴し、今の不景気は小泉・竹中不況と言い切る。
小泉・竹中虚構改革で得をしたのは米国だけで、ライブドアを太らせたのも小泉の「改革」を悪用しただけという。
 新自由主義を標榜していたアメリカがこけたのだから、日本は重症になって当然。
去年の9・15による世界的な金融恐慌が無ければ、これだけ早くアメリカの国家的犯罪も露出はしなかった。
 数年前に、アメリカの投資会社のトップがインタビューで、耳を疑うようなことを平然と言っていた。
《 日本の1985年のバブル発端のプラザ合意で、日本銀行は金融緩和を大胆に進めた。あれは我われが意図的に仕掛けた政治的な戦略。 
その結果としてのバブル崩壊と、その後の失われた10年で、我われは日本を徹底的に買い叩いた。》と・・。
(以下、字数制限のためカット 2,011年8月5日)
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2679, ソルジェニーツィンが亡くなった
 2008年08月05日(火)
ロシアの作家のソルジェニーツィン が亡くなったと報じていた。 享年89歳だった。
私が20代前半の頃に、『イワン・デニーソヴィチの一日』『煉獄のなかで』『ガン病棟』を読んで、
大きな衝撃を受けた記憶が鮮明に残っている。 当時のソ連は一番勢いがあった時期。
反体制は秘密警察に捕まり、収容所に入れられるなどの弾圧を受けた。
その経験を書いたものだが、彼の文からソ連の共産党支配の弾圧の中の重苦しさが作品から滲み出ていた。
それに対して日本は高度成長期で絶頂期、その温度差にも驚かされた本であった。
ー経歴からして骨入りである。(ウィキぺディアより)
1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。
1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。
1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。
    (字数の関係でカット 09年08月5日)
 ーこのWeb辞書の中に次ぎの一節がある
【 1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、
ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。 ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。
彼の地元のチェチェン共和国はかつてエリツィンに、今はプーチンに独立を妨げられたままである。
彼は書いた。「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、
それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、
こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』
ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。】
 40年前といえば、ブレジネフが第一書記で、コスイギンが首相だった。二十年近くがソ連の絶頂期だった。
この小説を読んだ感想は、「歴史的にみてー百年単位でみたらソルジェ二ーツェンは大作家、この二人の権力者は歴史的汚点」と、
直感したことを憶えている。現在、ブッシュとかいうアメリカ大統領は、話題を出すこと自体が小汚い気がする。
それだけ現在のアメリカは狂乱状態と言ってよい。 現在の日本のエリートとかいう政・財・官の連中! このアメリカの隷属に
尻尾の振り方で選抜されているに過ぎない。何かうら悲しい気がするが、自分のコンプレックスが根こそぎ解消できることも事実。
「この隷属の御陰で、物理的に恵まれた時代を過ごせてのは我々の世代だろう!」の、心の奥の声、これも事実。
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2007年08月05日(日)
2315, 風評で県外観光客が10分の1!ですと    ・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 先日の読売新聞によると、
「・・県によると、7月16日の地震発生以降、県内での旅館やホテルのキャンセルは、約5万件に上り、
県外からの観光客は例年の10分の1以下にとどまっている。地震の被害がほとんどなかった佐渡や妙高高原、
越後湯沢温泉でも観光客が激減し、原発の被災などによる風評被害が深刻化している。」(2007年8月2日 読売新聞)
当社にとって、あまり関係ないと思っていた風評も、日ごと影響が出始めている。今のところ10?ほどだが、県外の観光客が
10分の1とは尋常ではない。特に一年で一番の稼ぎ時のリゾートホテル・旅館は致命的である。地元民も自粛をして、
飲食や温泉などに出ないから堪ったものではない。三年前の地震からやっと立ち上がろうとした矢先である。天災だから、
何処に不満の矢先を持って行きようがない。新潟市内の居酒屋屋スナックも、その日を境に売り上げが激減して、
全く回復の兆しがないという。この長岡祭りの名物の花火も、私が見るところ昨年の人出の6割。
この十年間、信濃川の土手のある場所に行くが、20時過ぎると当然のことながら、座る場所がない。
(以下、字数制限のためカット 2,011年8月5日)
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2006年08月05日(土)
1950, 第四回新潟県活性化の会ー概要         (+>∀<+)ノおぁはは〜よう!
7月の28日に行われた「新潟県活性化の会」の概要を、私の主観でマトメてみた。
*「環日本海拠点都市宣言」をする。
 −冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 
  この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。これからは環日本海の時代である。
  首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。
  それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。
  このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井(北陸地区)が環日本海の拠点都市になる。
*日本海時代の象徴として、首都東京から新幹線の新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。
*新潟空港までの新幹線延長工事が、55億の投資で延長工事が可能かどうか? 
  それを可能にする構想案を一般募集をする。採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。
「新潟国際空港への新幹線直接乗入れゴーゴー(55)作戦」いうネーミングにする。
*まず公共事業ありきではなく、 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能
  ー流通情報基地などーの充実をはかる。
*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。(高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、朝鮮特区・・)
  高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、二倍〜三倍の値段で売りぬけ、工事代金に振り向ける。
*新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。
 ▼ 以上だが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって知恵を出し合って議論するのも、面白いものである。
  それぞれの個性が意見として出てくるのと、「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。
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2005年08月05日(金)
 1585, 自民郵政解散の攻防
いま現在、自民党が下野の恐れが出てきた。そのため衆院で反対票を投じた連中が慌てだした。
流れからいって、一般の国民から不支持をされることは間違いがないからだ。再選はホボ絶望になる。これで衆院を解散すれば、
郵政改革阻止の犯人探しになって血祭りに間違いなくされてしまう。旧守派は、その現実的な可能性に震える事態になってしまった。
参院本会議で否決されれば2時間後に、解散の為の臨時閣議が開かれて衆議院本会場で万歳が待っている。
その瞬間から代議士ではなくなるのだ。一度、解散をして抵抗勢力をマトメテ処分するに良いチャンスになる。
(以下、字数制限のためカット 2,010年8月5日)
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2004年08月05日(木)
 1220, 日記について
このホームページで随想日記と、日々の出来事を書いているバードウォッチングを公開しているが、
その他に手書きで「10行日記を」つけている。ところが、最近はマンネリぎみである。
 そこで以前買った「4行日記」と、荒川洋治の「日記をつける」と阿久悠の「日記力」を読みかえしてみた。
・その日付けと曜日と天気を書き、 時系列に書くのもよいー特に天気はその日の自然環境であるから重要だという。
「今日は快晴で、うだるような暑さであった」とか
・身辺の出来事を書いて、会った人の会話の内容、食事の内容、夢の内容等を具体的に書くー時間も書いておくとよい
・その日読んだ本、TVのドラマの感想
・今日の新聞記事の気になったスポーツとか、政治等の感想を書く。
それ位のことなら幾らでも身辺に転がっている。雑事として、あまり書かなかった内容こそ、後で読んでみると大事が多い。
日記は、「その日でしか書けないこと」を書くことが重要だという。 ホテルの客室と同じで、その日に売らなくては、
単なる空間でしかないのだ。 その日の雑事・出来事を書いてこそ、意味があるのだという。
通勤の新幹線の中での観察とか、知人のこととか、その日の新聞ネタとか、立ち寄った本屋の印象とか幾らでもあった。
手書きの日記までテーマ日記主義を通そうとしていたのだ。勝手に枠を決めて、幾らでも書くべき当日の日常を書かなかった。
Web上の日記では、書いてはいけないこともある。それが、そのまま手書きの未公開の日記と混同してしまっていたのだ。
単純なものだが。そういえば「22歳の日記」は、時系列に、正直にその日の出来事が書いてあった。何時に起き、食事をして、
何時に学校に行き、誰々と会って話をして、何時に寮に帰ってきて、誰々の部屋に遊びに行って、何時に寝たとか。
今から読み返してみて、もっと具体的内容を書いておけばよかったと思う。本を読んだでなく、その本の名前を書き記すとか、
感想を書くとか。ならば、そのパターンを真似て、具体的な内容を書き加えればよいのだが。
随想日記や、身辺のことを書いているバードウォッチングも、これから少しずつ変わっていくだろう。
より具体的に、日常的に。書き続けることは、自分を掘り下げることになる。
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2003年08月05日(火)
 853, 熊の世界
 昨夜のゴールデンタイムのNHKスペシャルで岩合光昭の「北極熊」を放映していた。
そういえば先月行ったアラスカのツアーで、ガイドの伊藤さんから熊の生態の話を多く聞いた。
熊は他の動物と違い、仲間内の共食いが日常当たり前の世界。子供が生まれて8割から9割が途中で殺され、その大部分が
他の熊に食べられてしまうという。雄熊が実の子供を食べてしまうだけでなく、メスも度々食べられてしまう。
そういえば20年位前に週刊誌に北海道の動物園の熊牧場で1頭の熊が他の全部の熊に食べられる顛末の連続写真が載っていた。
人間の常識をはるかに超えた世界がそこにあるという。 動物写真家の星野道夫も熊に最後に食べられてしまった。
襲われた瞬間の熊の顔のクローズアップの写真が最後の彼の遺作になった。動物写真家は原野に何日も一人じっと潜み、カメラを構え
シャッターチャンスを待つ。その間彼等はいろいろな言葉をくり返し暖めるという。写真も言葉も深くなるのも当然である。
  (以下、字数制限のためカット 2,010年8月5日)
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2002年08月05日(月)
 478、100円ショップ
以前も他のテーマの中で書いたことがあるが、100円ショップについて書いてみる。初めは泡沫に見えた100円ショップも社会的認知を
得たといってよい。結構便利で使え勝手のよいものが多い。今でも月に一回は必ずいく。先回は、センスを買った。私の場合、
なくす確率が8割である、いや100?である。それなら割り切って、100円ショップのセンスを買ってみた。悪くはない、
ワンシーズン持てば充分である。3本買ったが、恐らくあと二ヶ月で二本は壊すか無くすだろう。でも200円でしかない。
旅行用で便利なものも多い。飛行機やバスで使う空気枕。小物をいれる網でできている子袋。健康機器、ハンカチ、食料いろいろある。
この良いところは、トレードオフの商品が多い。一つの機能の他は全て殺ぎ落としているのがよい。初めは、無印良品がそうであった。
(以下、字数制限のためカット 2,011年8月5日)
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2001年08月05日(日)
 [99] 現地日本人ガイド −2
南アフリカの50歳の女ガイド。 日本の商社で知り合ったイギリス人と結婚。
いろいろあってその旦那とケープタウンに住んでいるという。不安はないかと聞くとその心情の一端を話してくれた。
子供の名前の件で真剣に日本名にするか、それとも英国名にするか戦いになるらしい。自分が死んだ場合残るのは子供の名前だけ。
自分の存在がそれこそ瞬間虚無になってしまうという不安らしい。最近までケープタウンに一つだけしか日本名の墓はなかったという。
移住は若いときはいいが、老年になるときいてくるという。子供が独立し亭主が亡くなった時がきついと言っていた。
一つしかない墓の名前が女の名前でそれを見たとき、芯から不安を感じたという。聞いているだけで肌が寒くなってきた。


3783, ユング ー16

2011年08月04日(木)

  * ユング心理学、3つの流れ ー ③ 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍しているユング派の人たち。
 ロンドンというユング派とフロイト派の両方が交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方を持っている。
 この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の重要性を強調」している。 その人が幼児期にどのような親子関係で
 育ってきたかが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や
 衝動のコントロールに関して、非常に重要になってしまう。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は、大人になってからも、
「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、
 この人にも良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格になってしまう。
  ー発達派の治療態度ー
  治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。
 転移とは、治療の過程で相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親とか養育者)との関係を、治療者との間で再現することをいう。
 つまり、治療過程で、患者(相談者)が、両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。
 これと逆に、治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を「対人関係におけるファンタジー・幻想」
 といった方が分かりやすいかもしれない。そこに、集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。 】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の
 殆どが決定されてしまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って治療をしていくのが発達派の治療態度。
 これを血筋と昔から日本人は言っていた。(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 両親との関係から、
 現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
  ・・・・・・・
3418, 哲学者の言葉 100
2010年08月04日(水)
    「最高の人生を送るための哲学者の言葉100」稲垣真美著
 何気なく借りてきた本だが、軽いタッチで読みやすいが、唸るような言葉が次々と出てくる。
10項目に100の言葉が書かれ、解説してある。10項目の中から幾つか書き出して考えてみる。
  * 第一章、哲学と人間
≪ 心(ハート)をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから ≫(ハイデッガー)
【 ハイデガーの学説を、一言で解釈し、具体的に説明するのは容易ではありませんが、古代ギリシャのアリストテレス以来、
種々に考えられてきた「存在」の問題について、人間存在とは「私が在る」ということであり、したがって人間とは「現存在」である、
と規定しました。「現存在」存在の仕方を「世界内存在」とも呼びました。 この場合、「現存在」の言葉の中には、すでに
「今」という時間が入ってきます。 すなわち「存在」とは、常に「時間の問題」に突き当たり、一心同体なのです。
そうだとすると、「今(現在)」とは何でしょうか。「私がこれこれのことを意図している今」「12時である今」
「光が消えている今」等で確定される「今」には「私」「私自身」、あるいはほかの誰でもがそのまま時間ということになります。 
「現存在」は時間なのです。「私」は本来的に時間であり、「私」は時間をもっているのです。このように考えて、ハイデガーは、
私たち一人一人の時間としての営みの大切さに思いに至った。南ドイッのフライブルク市の郊外にあったハイデガーの自宅の扉には、
文字を刻み込んだ一枚の板がぶら下げられていました。 その文字はハイデガーが大切な誓いの言葉とした。「旧約聖書」の箴言でした。
「君の心をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから」ハイデッガーは、この言葉を
「現存在」である自らに対しても、訪れてくる客人たちにも、誓いの言葉として掲げたのです。】
 〜〜
 「ワシがやらねで、誰がやる、今、やらねで、何時できる」という言葉こそが、ハートである。「現存在」とは、時間そのものである。
「私」は本来的に時間である。土手の此方側に居る「私」、そして、あちら側に渡った「私」に時間の経過と同時に変わる「私」がいる。 
此方の「私」と、あちら側の「私」と、時間の経過で違う「私」になる。それぞれの「私」に時間が含まれていることが、これより分かる。 
だから、一期一会があり、かけがえのない今があり、ここから生命の泉が流れ出るのである。魂を込めるとは、今・現在に集中することである。 
今は永遠に繋がっている。人生そのものが、今なのかもしれない。 過去を振り返ると、その意味が見えてくる。 後は、オボロだが。
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3043,閑話小題
2009年08月04日(火)
* 今年の長岡花火
 今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が降りそうな雲模様。
それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 夏の雨は濡れてもしれたものと家内と出かけた。
ところが信濃川の土手に着く少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず最後まで見てきた。
ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)と共に雨が降ってきて、
せっかくの花火も興ざめになってしまった。 それでも『天地人』をモチーフにした花火が印象に残った。
二日目の昨日は、前日とうって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも良かった。
 特に最後のフェニックスが感動的であった。河原の人混みの中で歓声と共に一体化して見るのも風情があるもの。
* 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
 以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%と発表されたが、
助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると単純計算で8・8%になる」という記事が載っていた。 
欧州が9・4%、アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。過去最悪時は、5・5%だから、
僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということだ。 日米欧の失業者が3300万人となり、
昨年の3月から15月で1200万人も増えてしまった。 私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、
5〜10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。 事業が景気に敏感な商売なので、その深刻さが直に伝わってくる。 
* 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、真ん中に線を一本引く。
右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の言い分を聞きながら、「その点につていは、あなたの得で、
それはコレコレ」とプラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方が損でそれはコレコレ」と
マイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、
みんな重宝した。これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。
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2678, 長岡の花火 −2
 2008年08月04日(月)
 −三大花火大会とはー
花火大会といえば秋田の大曲と、隅田川と、長岡の花火と、思っていた。そこで三大花火で調べると、色々地域によって違うようだ。
大阪の花火も、豊田市の花火も、素晴らしいようだ。花火は、それぞれの川辺の情緒を背景に見るから良いので本来比べるものではない。
川辺で各家庭が、空を見上げて団欒するのも花火見学と桜見物ぐらいである。長岡の花火は、フェニックスの花火が中越地震の翌年の
2005年から加わり、段違いによくなった。正三尺玉が、ワイドスタマインと比べてミスボラシクなって、フェニックスが無ければ
ベスト10からも除外されても仕方がなかった。最近は同色の花火を同じ場所に重ねて打ち上げるので、三尺玉の数倍の大きさになる。
二年に一度のわりで、初日だけ行っていたが、フェニックスが加わってからは、二日とも行くようになった。
この数年、大曲の花火を部屋の電気を消してTVでみている。これがハイビジョンで、現場にいるようで臨場感がある。
ところで昨夜も二日目の花火見物に行ってきた。初日が良かったので、止めておこうか迷ったが・・・・
それでも〔 天地人花火 「愛と雪」〕という花火が、来年のNHKドラマに因んで特別に打ち上げられるというので、
もしかしたらと行くことにした。やはり期待通り、豪華であった。しかし人でも花火も初日に比べ劣っていた。
仕方が無いだろうが。桜と花火とスキーと海水浴と紅葉と足元をみれば屋外で四季折々に楽しめることが幾らでもある。
 少しパソコンとTVから離れることも必要である。でもWowowやレンタルDVDで映画を観るのも面白い!
後記)二年前の同日も、同じテーマで書いていた。完全に忘れているから、改めて読むのも奇妙な気持。
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007年08月04日(土)
2314, 今日が今までの人生で一番幸せな日   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 「今日が今まで一番幸せな日」と思って生きることが出来たら、これほど素晴らしいことはないだろう。
ある人がインタビューで話していた言葉である。 この意味を考えれば考えるほど深い。「一日、一生」「今、ここ」「一期一会」
にも通じていく言葉である。これを自分の「人生の言葉」にして、常に意識をしていたら、「ありがとうございました」に匹敵する。
幸せの選択基準がハッキリと見えてくるからだ。一日を疎かにできないし、何が大事で何が大事でないか見えてくるはず。
「今日一日は、人生で一番大事な日であるし幸せな日である」ことは、紛れもない事実。気がつかないのは日常に慣れてしまった自分。
その視線で周囲を見れば素晴らしいことが多くあることに気づくはず。心の底から今日が一番素晴らしい思えるようになれば、
過去の一番幸せだった日々を常に意識し、その気持ちが蘇ることになる。その気持ちは、周囲の幸せを引き寄せる磁石になってくる。
そうは言っていても、それは暗示でしかないじゃないか?と思うようならば、「今日が人生で一番幸せな日に‘なりますように!’」
という‘願い’にすればよい。 願えば叶うからである。もし本心に、そう思えるようになってしまえば、後は簡単。
「昨日と同じか、それより少し今日が幸せ!」と思えればよい。 「もしも身内や親しい人が亡くなって『今日が人生で一番不幸の日』
の場合は? そうは思えないだろう? 如何なものか?」そういう時は、そういうことを考えないの!
ただ、最悪の日を最悪に過ごせばよいだけ。今日が人生で一番幸せ!と思える日がきっと来る!と、思えたら思えばよい。
『幸せ』の言葉の替わりに『素晴らしい』でも、『最高』でもよい。日々の中の何気ないことの中にこそ、多くの幸せのタネが
含まれているということだ。そして、それが開花しているのが「いま・ここ」であり、「今日」である。
       というところで、幸せに! ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪
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2006年08月04日(金)
 1949, 長岡の花火         
 *第一日目(8月2日)  おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
以前は、取引先の小さなビルの屋上で見ていたが・・・最近は、信濃川の土手まで行って見るのは三年に一度位。
自宅近くの土手から、遠方の花火も風情があると決め込んでいた。
去年の震災復興記念花火で超大型花火・フェニックスが打ち上げられたが、居酒屋でオヤジ相手に飲んでいた。
こういうイベントに乗るのが嫌いで、わざわざ人ごみの中にいくのが面倒でもあった。しかし兄嫁と共に行った家内の話によると
「フェニックスが凄くよかった!」という。ということで45分かけて、信濃川の土手まで歩いていった。 さすがに土手で見ると、
迫力がある。しかし一時間もしないうちに眠くなり帰ろうとすると、家内が「最後のフェニックスは見るべき」という。 
そこで、あと30分我慢することにした。 そして打ち上げ、 過去に見た花火の中で断トツのNO・1である。
10個のスタマインが同時に横1・6?にわたり超ワイドスクリーンのように打ちあげられた。フィナーレは薄オレンジ色に
統一されているため、幅1・6?わたる花火が一つの花火のように感じられる大パノラマ。
息を飲んで見入ってしまった。なるほど去年、多くの人が涙をしたというのも解るような気がする。
そういうわけで今日もまた、見に行くことにした。 ところで、昔から長岡花火で地方的な面白いことがある。
花火のパンフレットが新聞の折込に挟まってくる。花火の提供者の企業名簿が、長岡のその時のステータスになる。
あのスーパーがスタマインを例年提供していたのに、今年は出てないのは、他のスーパーに・・とか、 
あの小さな企業が出せるようになった・・とか、それが、花火会場のお喋りのネタになる。まあ、地方的な風情だが。
 ー花火の華?といえば、
・ミラクル・スタマインー幾重にも重なる華やかなXの線を描く
・ワイド・スタマインー5色の色で彩られる華やかなスタマインで、5台の打ち上げ台から同時に打ち上げられる。
・正三尺玉    ー長岡の名物花火、しかし最近では近郊の片貝が4尺玉を売りにしているので、少し影が薄れた。
・ナイアガラの滝  −ナイアガラの滝を思わせるような花火、長生橋から流れ落ちるように花火が舞い降りる
・フェニックス  −横に広く10個のスタマインが同時に打ち上げられる豪華な花火。ワイドスタマインの大きいもの・・等々。
 ーーー  
*第二日目(8月3日)                 \(~o~) n(0 ̄)        
初日のフェニックスが良かったので、また行くことにした。二日続けていくのは、10年いや20年に一度である。
                               (字数の関係でカット09年08月04日)
・・・・・・・
2005年08月04日(木)
 1584, 2005年分路線価が公表
先日、2005年分路線価が公表された。 その要約は
・東京都が13年ぶりに上昇。 山手線外側にも値上がりが波及しだした。
・反面、全国平均は−3.4?で、13年連続下げ。
  (字数制限のためカット 2010年8月4日)
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2004年08月04日(水)
 1219, 「君のためにできること」−2 
20年来、年に10回は酒を飲んていた友人が末期癌になり、終末医療の病院のビハーラに入院している。
本人が言うには、「24時間が拷問である」見舞いに行くたびに衰弱をしていくのが、わか解るから辛い。
丁度その時に、この文章を読んだこともあって身に沁みる内容であった。お盆は20年近くも、古町を飲むのが恒例になっていた。
そして、今年もその時期が目前になっているが、もう無理である。何か寂しいお盆になる。
ー以下は、作家・大崎善生の奥さんの高橋和の「第24回 言葉にできない」のエッセーであるー
 (サロンのコーナーに、HPが貼り付けてある) 
(以下、字数の関係でカット2008年8月4日)
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2003年08月04日(月)
 852, 孤独について −3
『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、それこそそれぞれの 「独」を認め、かつ自分の「独」を
大事にする言葉である。『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。孤独を特に感じるのは、一人旅である。
若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急』という小説に、「独り言をブツブツ言いながら一人、
旅をしていた」と書いてあった。サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。青年期によく国内だが一人旅をした。
 一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。
旅行の最中は寂しいということは全く無かった。誰かと対話をしていたのだろう。旅は孤独のプラスの異次元の世界に浸れる。
いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。「孤独」というキーワードで検索をしていたら、
脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。口がきけない人や、
盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。
「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」という言葉をアンドレ・マルローがいっているが、孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題。 
その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。
孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。
彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないとシミジミ言っている。我慢をしなくては」とポツリと
言った事があった。知人に数人家庭内離婚者がいる。 ほとんどが浮気がきっかけだ。それでも離婚をして一人暮らしより
ましの為だろうか。一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。群れたがる内なる羊である。
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 2002年08月04日(日)
477, 人口問題と今後の日本
先日平均寿命が発表された。女85歳、男78歳。女性の半分以上が88歳の米寿を祝う事ができるという。
童謡で「今年60の爺さんの・・・」と歌っていたが、いまや爺さんは80歳か90歳である。100年前の日本の人口は4400万人で、
現在までに約3倍になった。これから100年後は丁度半分の6000万前後になる。100年で3倍になり、今後100年で半分になる。
人口のピークは2006年で、翌年から60万人が毎年減っていくという。100年前65歳以上が5?であったのが、
後10年後には28?になり、50年後は37?を超えるという。考えたら背筋が寒くなる。 周辺は年寄りだらけになる。
(字数制限のためカット 2011年8月4日)
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2001年08月04日(土)
[98] 現地日本人ガイド
 旅行シリーズもそろそろ終わりに近づいてきた。考えると話題はいくらでもある。現地日本人ガイドのことである。
彼らによって印象が全く違ってくる。添乗員から聞いた話だが、彼らが言い出さない限りあまり聞かないほうがいいらしい。
彼らは考えてみれば、色々な事情でそこでガイドをやっていて当然である。でもそれなりに見えてくる。
 ここで数回に分けて事情を書いてみよう。
  ーイスラエルのガイドの話。
63歳の独り者の男性のガイド。イスラエルに来て10年以上とか。日本の客は本当に少ないらしい。滞在中一回しかシスターの
数人連れしか会わなかった。本人も久しぶりの日本人の為、うれしくて仕方がないらしい。マイク口からはなさず、喋りっぱなし。
一年前癌の手術をして、放射線にかかっているっらしい。神学生崩れらしくて、神学のイスラエルの大学を卒業しているという。
旧約聖書にしても、新約聖書にしても博識だ。 ただいつ死がくるかもしれない不安と、外地で虚無になってしまうかもしれない
不安がそのまま伝わってくる。それがイスラエルの地で聖書の話をすると迫力がありぴったしなのだ。


3782, ユング ー15

2011年08月03日(水)

 * ユング心理学、3つの流れ ー ② 元型派  
 ☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ   
 < 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに対して、『元型派』は変容や自己実現は
 フィクション・幻想であるとする。そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を傷つけるとして、
 変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の
 神話の解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、
 連れ帰る途中に、決して後ろを振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて消えてしまった。
 そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座になってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。}
 この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。
  しかし、イメージそのものを大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」である。
 竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や
 女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中のイメージや登場人物・アイテムについて、じっくりと
 話し合い、そのイメージと遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。
  ー元型派の治療態度とはー
  元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、
 患者のイメージにいかに寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを目的とする。
 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
 それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、その夢は単に、その人だけのものでなく、
 人類に普遍的なものだったり、時空をこえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒されることになる。
 このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容が生じてくるのであり、変容を起こそうと思っては
 いけないのが、元型派の基本的態度である。 >   (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
  ▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから
   孤独感が薄らいでいく。何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。 〔 イメージそのものを大切にする元型派は、
   この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」 〕とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように
   接していれば生き生きしてくるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
  ・・・・・・・・
3417, 64歳の現時点で、感じること!
2010年08月03日(火)
 最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、心の底から思うようになった。
青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だったのか分かりかけてきた。 当時は、「自分が、何も出来ないのに
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの! 特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。
ベルクソンが「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいものであるのに気づく。
偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、
あるいは人生の運というものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。特に情報化がリアルに表出させる。
 ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論をとなえ、
一気に名前を高めた。 ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。
普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ未来へと空間化され、直線のように考えられ、
測れるものとされている。現に私も、同じである。 アリストテレスもカントも、伝統的な時間論に従っていた。
アリストテレスは「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」としている。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、外在化する傾向も持たず、
数との間にいささかの類縁性ももたない、継起(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。
彼は、人間の生を純粋に持続するものととらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。純粋持続は意識に直接
与えられる時間、内側から生きられた時間であり、時間は、音楽のメロディを聞いているようにときのように、
空間や世界から切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。演劇を観ていて時間を超越している感覚である。
 話は少し脇道にそれたが、人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、所詮は、その時代の尺度の評価でしかない。 
それも時代時代に評価が変わっていく。「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うようになっただけ、歳をとった。
 ・・・・・・・・
3042,上杉謙信の家訓
 2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回のシリーズから転換した。
今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。 
それが何かというと、あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。 米沢の上杉神社に石碑にもなっている。
 【 上杉謙信公家訓16ヶ条 「宝在心」 】
一、心に物なき時は、心広く體泰なり   ー心を見失わせるような物がない時は心が広々として、体がゆたかである
一、心に我儘なき時は、愛敬失わず   ーわがままに振舞うことがない時は、全てを愛し、慈しむことを 忘れないものだ
一、心に慾なき時は、義理を行ふ    ー惜むようなことがない時は、他人への義理や思いやりを 忘れないものだ
一、心に私なき時は、疑ふことなし   ー自分勝手な心がない時は物事に対しても疑うことはない
一、心に驕(おご)りなき時は、人を敬ふ  ー思いあがった心がない時は他人を尊び敬う気持ちになる
一、心に誤(あやま)りなき時は、人を畏(おそ)れず  ーやましい心がない時は他人を恐れることがない
一、心に邪見なき時は、人を育つる           ー心に偏見がない時は人を立派に育てられる
一、心に貪りなき時は、人にへつらうことなし ー心に欲が深くない時は他人におべっかを使いへつらうこともない
一、心に怒りなき時は、言葉和かなり         ー心に怒りがない時は言葉は柔らかく和やかになる
一、心に堪忍ある時は、事を調ふ          ー心に耐え忍ぶ努力がある時は物事は順調にすすむ
一、心に曇りなき時は、心静かなり        ー心が曇りなく晴々とした時は、また心も穏やかである
一、心に勇ある時は、悔やむことなし     ー心に勇気がある時は後悔することはない   
一、心賤(いや)しからざる時は、願い好まず  ー心が卑(いや)しくない時は無理な願いを好まず努力して掴める
一、心に孝行ある時は、忠節厚し     ー心から尽くそう心がける時は真に仕えようとする気持ちが深い
一、心に自慢なき時は、人の善を知り ー心に自惚れ(うぬぼれ)がない時は、他人の優れた素晴らしさを知ることができる
一、心に迷なき時は、人を咎(とが)めず  ー心にしっかりとした信念がある時は他人を責めないものだ
  〜〜〜
 日本人、特に越後県人の生真面目さが、そのまま現われている。
 戦国の世だからこそ、これを実行してきた謙信の誠実さが、他国の武人に評価され、
 それが、信玄に塩を送ったことなどに現れたのだろう。
   天地人の隠れ主役は謙信の上記の精神ということが理解できる。
 ・・・・・・・・・
2677, 閑話小題
 2008年08月03日(日)
 *長岡祭か〜
8月1日〜3日は長岡祭。
一昨夜は、恒例どおり第一金曜日で長岡の殿町で飲み会。やはり人出は金曜日ということもあり例年より多いようだ。
居酒屋もスナックも、何処も満席に近い状態、それでも午前様に近い時間まで飲んでしまった。
昨日は、次男夫婦が花火見物のため日帰りで帰省。花火の観覧席を含めた新幹線指定席こみで、二人で3万2千円という。
フェニックスという大スタマインには感激しただろう。ただ天気は快晴というわけではなかったが、
それでもフェニックスは良かった。写真を多く撮ったので、ブログの「バードウォッチング」に、明日でも載せるつもり。
不景気なので、地元の人にとって手近なレジャーとして、見直されているようだ。
一番良かったがフェニックス、次が100連発スタマイン、三番目は取引先のワタナベのスタマイン。
  〜〜〜
 *内閣改造で、一挙に選挙に
 *北京オリンピックも間近くなってきた
 *赤塚不二夫が亡くなった
 (字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・・・・
2007年08月03日(金)
2313, 政治家の家族とは・・ −2
         ー焼き尽くす季節にー  ー2                  
  〜〜(前日のつつき・・)    ますいさくら
 でも、わたしは、いつか、自分が叫びだしてしまうことを知っていて、その前になんとかしなくては、と思いながらも、
周りに理解されたいとは、全然思わなくて、逆に、自分のことなんて易々と他人にわかられてたまるものかと思っていました。
一方で、わたしは、この家から逃げ出そとしていたのです。理由は、ゆるやかにやってきた体の変化でした。
思春期の体は成長していき、どす黒い癒と傷をいくつも背負う醜いさなぎも動けない羽を持ちあわせた蝶へと変身していったのです。
「兄さんの、わたしの体を見る目が怖い」何度も相談したのに、両親は耳を貸しません。わたしは、ついに、父の選挙期間中に、
通っていた中学校に火を放ちます。どこか、わからない、どこかへ行きたかったのかもしれません。いえ、実際は、わざわざ
放火しなくても、よかったのかもしれないのです。しなくてもよいことばかりしてしまう。だけど、なにかしていないと、
いてもたってもいられない、やっかいな季節を迎えていたのです。 校庭の裏庭から火は回り、火の粉は空中を這う,煙道'を作り、
天空に立ち昇る陽炎となりました。なのに大船という土地柄、松竹撮影所の映画ロケかと思ったみたいで、消火活動が大幅に遅れた。
そして、わたしは、だらしなく、酸欠で倒れているところを発見されました。まるで、自分の激しさが、わたし自身を、
焼き尽くしてしまうかのように。 事件後-両親は、わたしを引取りに警察へ来てはくれませんでした。
選挙期聞中だったからかもしれないし、私という存在自体をなくしてしまいたかったのかもしれません。
結局、わたしを守ってくれたのは、少年法という法律だけでした。暴力を受けること、口を封印されること、それが生まれた時から、
すでに決定されていた事柄なら、自分でひっくり返して、踏みつけて、蹴散らして、何がいけないの?
 兄みたいに、父親の輝かしい学歴や経歴に押しつぶされ精神に異常をきたすより、わたしの方が、よっぽど健康的なんだから。
だって、わたしたち家族は、まるで表面は無傷で綺麗なフルーツに見えたでしょ。でも世間なんてアホだから、その中身が、
どんなに虫に喰い荒らされ腐っていようが、量ろうともしない。指でつけられたへこみしか見つけられないじゃないって、
そう思っていましたから。でも、時間の経過とともに、その気持ちは曖昧になり、不安なものへと変わっていきました。
わたしは、行き場所を探していたし、自らがその答えを出さなければならないことも知りました。
兄にどんな目に遭わされても流したことのなかった、涙も顔を伝わるようになりました。
そんな時に、生きる術を教えてくれたのが谷川俊太邸の本だったのです。
   ーーー
 現役の銀座ママが、よくぞここまで書けるものである。 父親も健在のようだし、火宅の内情をそのまま書いてよいのだろうかと、
 考えるのは、まだ書き手として甘いのだろうか?こういう背景があったから、銀座で双子のママの一人として生きていけるのだろう。
 私が学生時代に入っていた寮が、早稲田大学の理事の自宅の庭にあり、24室ばかりの馬小屋みたいな平屋の建物だった。
 そこに政治家志望の学生が数人いた。 さらにOBも卒業しても、酒を持って世間の憂さ晴らしにきていた。
   (字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・・
2006年08月03日(木)
1948, ローマから日本が見えるー19                 
            ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −2
     ー皇帝への「5枚のカード」ー
 彼は気づかれないように皇帝になるため、一枚ずつカードを集めていった。
 カードゲームで、一つ一つはつまらない手札なのに、5枚揃うと「最強の手」ができるのに似ている。
 その5枚とは、
 1、アウグストゥスとカエサルの名   2、「第一人者」の称号
 3、インペラトール のちの「エンペラー」の語源になる名だが、戦の勝者をいう。
 これもこの時点では単なる称号に過ぎない。 4、全軍最高司令官  5、護民官特権
 −護民官とは貴族階級に対して平民階級の政治的権利を守るために生まれたもの。
 彼は、貴族のカエサルの養子だったので、平民だけがなれる護民官にはなれない。
 しかし、一年限り「護民官特権」を貸して欲しいと頼んで元老院から了解を得た。彼は死ぬまで、この特権を放さなかった。
 この5つを得ることで権力基盤を絶対的なものとした。すなわち、初代の「皇帝」が誕生した。といって、無冠の帝王であった。
 皇帝になった彼は具体的にローマを、いかにすれば安定路線へと導けるか考えた。その答えは「平和ーパクス」の確立しかない、
 と考えた。そこで考えたのが税体系の確立である。相続税を発明、 関税、売上税、 奴隷解放税、等々、
    シンプルで解りやすい5つの税体系にまとめ上げた。       (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・・
2005年08月03日(水)
1583, 郵政民営化法案について
   (字数制限のためカット 2010年8月3日)
ーーーーー
2004年08月03日(火)
 1218、「君のためにできること」 −1
1昨日の日経新聞の最終ページの「文化」の欄のエッセーがよかった。悲しい純真な恋?に思わず涙がこぼれてしまった。
ーweb日経で調べてコピーをと思ったが、記載されてなかった。ならば、書き手の名前「大崎善生」で検索をしたところ、
彼の奥さん(女流将棋棋士の高橋和)のエッセーが出てきた。そこに「第24回 言葉にできない」というテーマで載っていた。
−−
ー新聞の書き出しをまず、書き写してみるー
  題名は 「君のためにできること」
                   大崎善生
ー我が家に天使のような10歳の少年が舞い込んできたのは、今年のまだ寒い頃のことだった。
舞い込んできたといっても、彼とは一度もあったことはない。
私の妻が手紙のやり取りを始めたのだ。 ーで、はじまっている。
 最後のほうは、
ー「痛いです。苦しいです」と書かれている手紙に何と答えればよいのだろう。 少年は末期がんの苦しみの中で、必死の手紙を
書きしたためているのだ。「お手紙うれしかったです。いつまでもいつまでもおともだちでいてくさい」とまるで泣き叫ぶような字。
いつまでも、いつまでもお友達でいてください、その純粋なゆえ、自分のことより人の足の痛みを思いやれる少年の優しい心に。
何もしてやれない悔しさもあったが、少年が懸命に思い与えてくれるものの大きさに、胸が締め付けられる思いがした。
危篤に近い状態にあると聞いたとき、妻は自分が好きな音楽を集めてCDを作って送っていたが、それが少年に届くことはなかった。
「あまりにかわいそうに思った神様が、息子に、最後の最後の恋をさせてやってくれたのだと思います。」と
父親から妻あてに手紙が届いた。そして「病気の苦しさをどれくらい紛らわしてくれたことか」と感謝の気持が綴られてあった。
少年から手紙をもらって僅か三ヶ月。少年は前日まで、妻の足が痛くなくなるよう祈っていてくれたそうだ。
少年がくれたテディベアは、リビングの出窓に座り、今も私たちの生活を静かに見守り続けている。−
  で終わっている。                     ーつづく
・・・・・・
2003年08月03日(日)
 851、 いま政治が面白い
 私は政治嫌いであるが、今の日本の現状を見ると、そうはいっていられない。自由党と民主党が合併決定、
この秋に向けて政治が面白くなってきた。小沢は首相にさせたい一人であるが、ここで彼の身を捨てた合併はさすがである。
管代表独りでは看板として頼りないが、小沢と二人となると全く違ってくる。米英並みに選挙公約と閣僚予定者を並べて
政策による選択を直接国民に訴えてくるだろうから、今までの手法や感覚では選挙に勝てない時代である。
(字数制限のためカット 2011年8月3日)
 ・・・・・・
 2002年08月03日(土)
476、ある老女の遺書ー2
25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、もう一度私を愛する子供達と
私は理解しあう。夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を愛し合った日を思う。
私は年老いた女。自然は残酷だ。老年が私をおろかにみせる。私の体から優雅さは打ち砕かれた。活気はなくなり、かって熱く燃えた心も
今は石のよう!しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった
日々を思い出し、私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、気難しい老女でない、‘私を知って!’
ーーーーー
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。
これだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。これは詩である、人生を言い尽くした。 必ず誰も思う道だ。
・・・・・・・
2001年08月03日(金)
 97] NoSubject
数日前小学校の同級会の幹事会を今やってるが出てこいとの連絡あり。15分前まで殿町で飲んでいたが再びユーターン。
東京の友人の会とどっちにしようか迷って、返事の期限を10日以上も出してなかった。出る出ないはどうでもいい。 
返事を出すのが筋!こってり絞られた。幼稚園、小学校、中学、高校と13年同窓の高木と山崎に頭が上がらず。
結局出席になった。 8月11日鴨川本館。その日はかなり盛り上がり、同級会を終えてしまった感あり。


3781, ユング ー14

2011年08月02日(火)

  * ユング心理学、3つの流れ ー ① 古典派 (『ユング心理学』福島哲夫著ーP196より)
【 ユングが亡くなって現在に至るまで、ユング心理学の考え方や心理療法派、主に3つ流れ、古典派、原型派、発達派として続いている。
☆ 古典派= ユングの考え方を、そのまま受け継いでいる。彼らは「心の深層の象徴的イメージの変容に重点が置かれる。
 たとえば、個人の中で男性イメージと女性イメージがどのように発展し、一つのまとまりあるものとして機能していくか、ということに
 注目する態度に代表される。そして、このような様々なイメージを一つのまとまりあるものとしていく自己の元型の働きが夢や空想の中に
 どのように表現されるているかを読み取り、その働きが活発になるように関わっていく。男性、女性イメージのほかにも、英雄が龍と
 戦って勝利するイメージが、母親的なものからの精神的な自立の象徴と考えられて肯定的に扱われる。 また、それまでの古い自分が死んで、
 新しい自分が生まれ変わる「死と再生」、あるいは、それが儀式化されて成人式や結婚式、葬式の儀礼となった「通過儀礼」などの、
 イメージを個人が内面で、どのように体験するかということも大事にされる。これは、内面のイメージの変容をどのように体験して、 
 それまでの自分と、どう違った自分になるかに大きな関心が向いている。
  ー古典派の治療態度とはー
  ここで、グリム童話の「かえるの王様」を例にして自己表現を、取り上げている。
 <姫が気に入りの金の鞠を泉に落として、悲しんでいるところ、蛙が現れ、条件をつきで鞠をとってもらう。しかし、蛙を気持ち悪く
  思う姫は約束を破り、叩きつけてしまう。すると蛙は王子に変身し、二人は結婚をする> 古典派では、金の鞠を「自己」、
  蛙を、未知なる男性、他者。結婚を自己実現と解釈する。彼女は他者と初めは嫌々ながら密接に関わりながら、正面から対決することで
  大人になり、自己実現(結婚)をしていく。古典派は、このような変容過程が、実際の個人に起こることを期待するのが、立場になる。】
   ーー
▼ ひとつ夢でも、ユングの各派で解釈が色いろ違ってくる。古典派は統合と発達を大事にする。結婚=自己実現するために、
 他者を叩きつけてしまう、という部分が象徴的。叩きつけられた他者は、そこで王子=理想的相手に変身するというのも意味深長。
 これでは、結婚してからの蛙はたまったものでない。しかし、そういうものと心の奥で、割り切るしかないのか? いずれにしても、
 親からの自立は、人類の永遠のテーマとなる。成人式も、結婚式も、ひとつの通過儀礼である。そこで、二世代、三世代家族は
 多くの課題を持ってしまうのは当然の結果である。一生、小さな岩場の中に閉じ込められた山椒魚になる。気がつかないのは自分だけ。
  ・・・・・・
3416, 「憎国心のすすめ」 ー2
2010年08月02日(月)
■ 知性の定義
 知性を電子辞書で調べると、
「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた素材を、整理・統一し、認識に至る精神機能』とある。
 ここで日本人には知性が足りないと繰り返しているが、その「知性とは何か」と言われるといま一つ曖昧である。
 そこで著者は知性について一章をさいて書いている。
 ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー
* 私は、「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」というジャン・ピアジェの明快な表現が好きだ。
 つまり「正しい答え」がないときや、通常の対処で十分とは思えないときに必要となる。 柔軟に対処したり
 手探りしたりする能力で、いわば知的な即興の能力である。 モーッァルトやバッハのコンチェルトのように高度に
 磨き上げられた作品ではなく、ジャズの即興演奏を思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、
 思考と行動によって磨かれる「過程」のことである。』 (『知性はいつ生まれたか』ウィリアム・カルヴイン著・草思社)
*『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法(例えば運動暴発)によらずに適応する仕方
 または課題を解決する方法をいう。過去の経験を利用することが多いので、この能力(記憶)をも〈知性〉のうちに入れるのが
 普通であって、これを〈再生的知性〉という。また、人の知性のうちには抽象的思考力があるが、これだけを〈知性〉と
 呼ぽうとするものもある。 なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な思考作用をいう。
〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』
*『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか持ち合わせていない動物は、その反応が成功するか、
 環境の偶然の変化によって条件が好転するまで、その力と衝動の持続する限り、その持ち合わせの反応を無駄に繰返すに止まる。
 たとえば飢えた鶏が偶然に柵の端に到達し道を発見するまでいつまでも柵の前でうろうろするのである。
 これに反し賢い動物は持ちあわせの反応を二三試みたあとで、その周囲の状況を考慮に入れて自発的にその行動を変化させる。
 いいかえれば、彼は新しい状況に応じて新しい行動を発明することができる。これこそ知的行動の一般的特徴にほかならない。』
 ▼ 以上だが、状況の変化に対し己を変化させ対処する知恵が知性ということ。もう一つ、「知覚を認識に作り上げる精神機能。」
 そういえば、知性の低さの集合体が世間様である。要は、知覚の世界に浸かり、認識まで持ち上げられない人々ということか。
「経験・知識を長年にかけて蓄積・熟成し、感性で知覚したことを、悟性から、理性へと移行していく精神機能」 これが私の集約。
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3041,自宅近くの再開発地区のSCの概要
 2009年08月02日(日)
 自宅から歩いて7〜8分のところの再開発地区に、25店舗のオープンモールのショッピングセンターが出来る。
来年3月から徐々にオープンする予定で、その説明会が来週あると折込チラシにあった。長岡駅裏側から直線で歩いて15分で、
(字数の関係でカット、2008年8月2日) 
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2676, ルソーの思想
 2008年08月02日(土)
学生時代に戻った気分でルソーについて、考えてみる
 まずは
ーフリー百科事典『ウィキペディア』からー
フランスにおいては早くからボダンなどにより君主に主権(政治についての決定権)が存するとの思想が表明されていた。
この君主主権の観念はフランスなどを中心に当時の絶対王制を支える強力な根拠となっていたが、ルソーはこの観念を転用し、
人民にこそ主権が存すると言う人民主権の観念を打ち立てた。一定以上の財産を有するなどの特別の資格を持つ国民ではなく、
その国の国籍を有するもの全てを意味する人民にこそ主権があると宣言したことは、その後の普通選挙制の確立や民主主義の進展に
大きく貢献した。一方、ルソーらのフランス啓蒙思想に触発されて始まったフランス革命において、自由や法の支配は全く無視され、
反革命派と名指しされた者への言われなき迫害、虐殺、裁判なしでの処刑などといった恐怖政治が行われた。
 〜〜
こんなところだが、ルソーは、「社会の人々に(殺せる権利)と(殺されない権利)の両方を認めるとする。そうすると、お前の(殺せる権利)
と隣人の(殺されない権利)は両立しない。お前は(殺せる権利)と(殺されない権利)のどちらが欲しい?と言われたら(殺されない権利)
だろう。だから、社会の皆はお互いを(殺せる権利)を返上し、(殺されない権利)を優先して『社会契約』を自然に結んでるんだ。
だから「殺人はダメ」という理由になる。ルソーは「エミール」で、子供の教育の考え方を述べている。エミールとは、子供の名前で、
この子が育っていく物語である。エミールは、ルソーの思想にしたがって、その中で育てられていくのである。そこでは、
子供の自主性の重要性を述べている。彼は子供を不完全な大人とは考えない。子供は既に自分の素晴らしい世界、人間性を持っている。
人間的に最良のもの、人同士が信じられ、愛し合える元のもん、「良心」を、子供一人ひとりがそれを持って産まれてくる。
それを壊すのは社会、大人の方だとルソーはいう。それを守ってやるのが、教育だと。子供が持っている「良心」を育むのが
「自然に帰れ」という言葉の意味である。子供を守るということ(教育するということ)は、大人の価値観を押し付けるのではなく、
子供が本来持っている豊かなものを守ることである。次ぎのルソー「エミール」の中の一節が、その全てを言い尽くしていると言ってよい。
 〜〜
人聞よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、あらゆる年齢の人にたいして、
人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。
  (字数の関係でカット、2008年8月2日) 
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2007年08月02日(木)
2312, 政治家の家族とは・・ −1
       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 あの双子の銀座ママの妹の‘ますいさくら’が、ある雑誌に寄稿していた文章である。
図書館で借りた「銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」を読んでいた。
それによると、彼女はシングルマザーで、そのことで子供が虐めにあわないようにアメリカに留学させていることと、
銀座で合理的システムで値段を思い切って格安にしたことも。「ああ、例のママが書いているのか」と気楽に読み始めたら、
内容は「政治家の家族の火宅の実情」である。政治家の火宅の例としては山村新二郎がいる。よど号ハイジャック事件で
人質交換の時によど号に乗りこんだ政治家だが、最後は自分の娘に殺されてしまった。その家庭を彷彿させる内容である。
 政治家は「井戸塀」(政治家は最後は井戸と塀しか残らない)といわれるほど、家(庭)を犠牲にしないと
成り立たない世界である。火宅といえば、私自身が物心がついた頃から少年期にかけて家は火宅そのものであった。
事業も政治業も同じ世界である。毎日が闘いの世界で、次々と問題が押し寄せてきて、子供にも直接・間接に
エネルギーがかかってくる。終戦から五ヶ月後に産まれで、両親が焼け跡から事業を再度立ち上げる最中であった。
8人兄・姉だったが、そのプロセスで長兄・次兄が亡くなってしまった。そのショックで母はノイローゼになり、心不全で死の
一歩手前までいった。子供ながらにエネルギーを直接感じていた。隣の部屋で「死のうか〜、死にたい!」という両親の話を聞いていた。
字数の関係でカット、2011年8月2日)  
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2006年08月02日(水)
 1947, ローマから日本が見えるー18      (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!   ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −1
  ーローマ史最大の名優オクタヴィアヌス登場
 (字数の関係でカット、2008年8月2日)   
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2005年08月02日(火)
 1582, 変化について
「変化、挑戦、戦い」が生物の成長のサイクルである。環境の変化に対して、自らを変えることが成長ともいえる。
また自のサイクルに変化を見つけだすことも必要になってくる。現代はインターネットなどの情報化の技術や、グローバル化で
変化のスピードが益々加速している。ところが変化することは、非常に難しい。とにかく人間は変化を嫌う。
現状を根こそぎ否定しなくてはならないからだ。それが出来なくなった時、脱皮できない蛇のように死ぬしかない。
自分の過去を振り返ってみると、その節々に大きな変化をしている。その変化が止まった時に停滞が始まっていた。
起きた現象に対して、逃げずに直面して戦うことから挑戦の第一歩が始まる。その中から変化が生じてくる。
特に激変の時代には、ただ変わればよいわけではない。激変にあわせてより大きく変身しなくては何の意味も無い。激変の時は、
真似をしていては変化に追いつかない。自らの脳で考えなくてはならない。組織内では、とにかく配転しか能力をのばすことが
出来ない。出世コースは配転を繰り返し、キャリアを重ねさせる。本人にとって重圧かもしれないが、行蔵として蓄積される。
変化は結果として竹の節のように自らを支える役割も果たす。 そのため、節は打たなくてはならない。
世界が、日本が大きな節目にきている。情報化が根こそぎ世界を変えようとしている。
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2004年08月02日(月)
 1217, 広松渉ー哲学について ー25
広松渉の「新哲学入門」を読んで非常に難しいが、今までの常識が、根底から崩されてしまった。
その後、「哲学入門一歩前」を取り寄せて読んだが、むしろ「新哲学入門」のあとで読んでよかった。
広松渉は「もの」から「こと」の世界へのパラダイムチェンジを主張した。「物的世界像」から「事的世界像」への転換。
・旧来の世界像は「世界、存在界をモノから成り立っているとみなす。
 まず独立に存在する実体があって、それら実体が諸々の性格持って互いに関係する」
・これにたいして、「『事的世界像』は、関係規定態こそ第一次存在とみる。
 実体は、関係規定性の存在論的には独立自存体ではない。要するに関係があってこそ、存在がある」と考えた。
 広松は、日常意識で当たり前と思ってきたことを疑い、それは根底から違うという。彼は近代哲学者が思索を重ねてきた疑い得ない
「基盤」を、根底から崩そうとする。「私たちが見ている現象が果たして真実なのだろうか。 善悪の判断基準は何なのだろうか。 
 美しいと思い込んでいるだけではないだろうか。 等、今まで信じられてきた『真・善・美』とは、果たして何だ?」
今の時代は、幸福とか消費を基本的に、「もの」の充実とか消費だけでなくフィーリングとかサービスとかいう価値観でもとらえている。
別荘を持つことより、リゾートホテルの会員権を持つ時代。家を建てるより、旅行をしてまわるほうに価値をおく時代である。
そのサービスとかフィーリングに生活に必要なものと認知してしまっている。この情報化の社会では、ますます広松哲学を
知っておくべきである。実際のところ、次代から次次代のTVは、実際の生の目でみた対象より鮮明に映し出すという。
カメラでは、その域に到達しているというが。こういう時代には、近代哲学者がたてた哲学を根本から
考え直さなくてはならない時代になっている。 それが「事的世界像」への転換というのだ。    ーつづく
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2003年08月02日(土)
850, ミッション・ステートメントー自分の憲法
  ー原案ー
・死ぬ時に「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」
  と心から感謝できる人生を生きる。
・自分が自分の人生の創り手であることを認識し、自分だけの役割を果す。
・いついかなるときも、「積極的な姿勢とユーモアと誠実さ」を保つこと。
・私の隠された能力は人を癒すことだ、その能力をより磨きをかけることで社会と周囲の人に貢献していく。
・何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って気楽に変化を受け止めていく人間になる。 
 また何事も「一期一会」と真摯に向き合う。
・心の声に従って自分の価値観や信念によって行動する。それに対する批判・悪口は全く無視する。
・子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」と自信を持っていってもらえる人間になるー人生を送る。 
 子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところにやって来てくれるような人間になる。
 家内には私の伴侶として生きてきたことに満足をもてるように勤める。
・会社に対しては、常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を保つように努力をする。 
 存続は社長としての第一の義務であり、その為には常に新しい知識を導入するよう努力をする。
・健康には十分気をつけて80歳を大きい目標にする。 
  ー 具体的には −
1、ホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、情報の蓄積倉庫でもある。 その維持発展に努める。 
 見ていて自他共に面白く魅力に満ちた内容にする。 特に、随想日記は重要な発信媒体かつ蓄積倉庫としていく。
1、毎朝の散歩は一日のスケジュールで欠かせてはならない健康習慣として必ず実行する。1万4千~5千は維持する。
1、年2〜3回の海外旅行は可能な限り続ける。 60歳までに50回の目標はこだわらないが、近づけるよう最大限努力する。 
 70歳までに70回を次の目標とする。
1、事業は65歳を大きい目安とする。そのための後進の育成を考えていく。デフレの中、借入金の圧縮に勤める。
1、常に新しい変化に注意を向ける。デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置く。
1、人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることにする。但し卑しい人間は絶対に近づけない。
 我が内なる卑しさを判断材料にする。これはもっとシビアに徹底する。
1、純粋に助けを求めてきた時は、自分の力の範囲で答えることにする。
1、教養娯楽面では、読書や映画をレンタルやBS・TVを通して可能な限り吸収する。
1、80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリをしている。
 陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな絶頂にいる。
 丁度海外旅行も100回目で、行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで、昔を懐かしみながら好きな歌を歌っている。
 ーーーーーーー
 以上であるが、やはり大きな手直しが必要に思われる。 現在の延長線上でしかないからだ。
・・・・・・・・・・
2002年08月02日(金)
 475, ある老女の遺書−1
この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま写し書きしてみる。
ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から見つかった詩、書き置きです。
「何がわかっているのです!看護婦さん、あなたは何わかっているの?
さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。
(努力して、やってみて欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、
何も逆らわず、何をしようというわけでなく、長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんなふうに
あなたは私のことを考えているの?もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。
あなたのいうままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、十六の若い少女のときはウキウキして、もうすぐ愛する人に
巡り会えることを夢み、やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると約束した誓いの言葉。     ー続く
・・・・・・・・
2001年08月02日(木)
 [96] 旅行で出会ったー普段会えない人ー
・大手情報機器メーカーをリストラされ傷心の60前後の人
・三條の67歳位の夫婦ー自在で何もおくさない人ーそのまんま!−イグアス滝でゴミ袋の底に穴をあけ首を通して雨具にしていた。
・一度も結婚したことがないという70歳半ばの品の良いおばあさん
・ヌー河渡りを見たいばっかりに日本興業銀行を辞め、外資の銀行に勤め始めたのをまた辞めてきた30代半ばの女性
・30数年前、ある当時?の代議士の娘、自由時間にパリ野郎に誘惑され朝帰り。
 青い顔をして皆が心配しているのをしり目に、ピンク色の頬、うつろな目
 


3780, 閑話小題

2011年08月01日(月)

   * 3Dシネマの凄み
 「アバター」でシネマの3D映像の体験をして、その迫力に想像を絶する思いだったが、ここで、「ハリー・ポッター」と、
「トランスフォーマー」をみて、更に進化した映像の異世界に入りこんでしまった。 ストーリーより、その異世界の世界を
楽しもうと期待していたが、次から次への息をつかせない立体空間のド迫力の世界に、我ながら驚いてしまった。
子供騙しのようなロボットのような姿の宇宙からの飛来者が繰り広げる勧善懲悪的闘いが圧巻。
巨大なロボット風の無機質の風体が、人間の想像を遥かにこえた映像に抵抗感を少なくするように計算してある。
 要は、デジタルを使い、私たちが経験したことがない世界を3Dで引き込んでくれるのである。薬や音楽で脳を麻痺をさせ、
普段味わえないサイケの世界にトリップさせるのと似ている。 それはそれで、その世界を垣間見るのも悪くはない。
 天才という人種は、トリップしたあちら側の視線で、芸術作品を通して表現した人をいうのである。
それと、3Dのシネマと結びつけるのに、少し無理は無くはないが、実際のところ、当たらずとも遠からじである。
せっかく、平均滞在80年の娑婆への宇宙旅行を与えられた人としては、やはり、既成概念内の現象だけを見て、
宇宙の彼方に帰還するには勿体ない。 これもデジタル化のなせる技である。実際にTVもデジタル化と大型化で変わってきた。
 数年前までは、面白そうなTV番組は週に数本しかなかったが、現在では一日に数本はある。その上に録画が数百本は
ブルーレイデスクに入っている。 なるほど、TVは人をバカにする。
  * ここの円高は厳しい
 あれよあれよと円高が進んでいる。リーマンショックの津波の一波だろうが、東北大震災に、この円高は日本経済にとって大打撃。
アメリカが国債の発行限度の引き上げで議会が対立が起因だが、万一、アメリカが国債のデフォルトを宣言でもしたら、
世界経済は大混乱に陥ること必定。その中で、特に日本はアメリカの国債を大量に持たされているため国家破綻になる可能性がある。
来年にかけ世界は大混乱になるのは分かっていたことだが、欧州とアメリカと日本が、同時に本格的恐慌が発生する序曲になる?
現実に、私の事業で起こったことが前ぶれとすると、当然の現象とみるべきか。新潟県は、この時期の大雨と洪水は、農業と観光に
とって非常に厳しい事態。 輸出駄目、農業駄目、観光駄目、公共事業駄目ときたら、お先真っ暗になる。 ユングの布置ではないが、
悪いことは重なってくる。こういう時期は、大人しくジッとしているしかない。 75円で頭を打つだろうが。それでも厳しい!
・・・・・・・
3415, 売国者たちの末路
 2010年08月01日(日)
 「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
   ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
 リーマン・ショックを的中させた副島隆彦と植草一秀の対面が実現。国民を不幸にする国家権力に対し「共闘宣言」を叩きつける。
植草は1990年代、日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、
その経済政策(すなわち竹中平蔵氏主導の『構造改革』路線)に異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」の犯人となり、
公的な職を失った。 2004年の事件は罰金刑が確定したが、2006年の事件は最高裁で係争中である。 
現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信している。 副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の
謀略に嵌められた」と指摘。 同時に植草氏の言論活動を高く評価してきた。 両氏が相見える本書では、小泉=竹中政策の糾弾は
もとより、民主党・小沢一郎代表への国策捜査、「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、
新聞やテレビでは触れることのできない「真実の言論」を展開する。
 ▼ このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。官僚、政治家、マスコミがアメリカの隠れた
コントロールに入っており、それに歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを今さらではないが、
それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、やっと気づいたのだから遅い。しかし大手銀行の
財務内容が改善されたことも事実。 冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から国を守らなければならなかったが、
それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。
植草は【一般国民の大多数は、観念的に「警察、検察、裁判所は中立公正であって、正義の味方」という考え方しか持ってなかった。
しかし一部の人たちから「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。 高橋洋一の万引き事件は、明らかに
検察官僚の捏造事件と疑ってきたが、植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。一度、解体的混乱を
通ってしか日本は改革できないのか。 頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!
・・・・・・・・・
3040,卒業40年周年か〜 −4
 2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして
書かれた手紙を貰うのは初めて。私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと
勝手に判断させて貰った。  ‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’の手紙上の対話
だから魂が入ったのだろう。それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。 
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 
 私にとって一期一会の対話になった。 それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  ーー
* 奥野君からの手紙
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての
佐渡旅行等々、四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
 堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思っていました。
どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったとお答えします。
その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、
名古屋、広島、東京、仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるようになりその方々の
浬繋のお顔を拝む都度、 一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、が人生の残り時間が
あとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、
日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。
 日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川の下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、
海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが 6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。 現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。平均睡眠時間は4・5時間との事。
親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているのでそのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなと
おもってしまう親馬鹿です。ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず
拙文とあいなりました。状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
              7月28日       奥野和男
 ・・・・・・・・・・・
* 奥野君への手紙        
                                2009年07月22日 
                   (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
  《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
・・・・・・・
2675, 東西が逆転を始めた! だと
 2008年08月01日(金)
  十年前、いや数年前まで、「東西逆転」という言葉など思いもよらなかった。この随想日記で書いたことがあるが、
  重心は地球を周る。「モンゴル、トルコ、欧州、そして現在はアメリカのエネルギーが、次は中国、インドになる」と。
  紆余曲折があろうとも、その流れになりそうである。アメリカの大統領の、あの男と、その背後のユダヤの諸々の事情、
  そう「9・11事件」で、事態は根こそぎ動き始めたのである。 情報化もあるが。アジアには地球の半分の人口が存在。
  その中国と、インド、そしてロシア(シベリア)に重心が移動始めたのである。これで俄然、娑婆が面白くなってはきたが、
  そのハザマにある日本は人口減という均衡縮小で対応するしかないのか? それもいいだう。
 〜〜〜〜
「東西逆転―アジア・30億人の資本主義者たち」ークライド・プレストウィッツ著
 《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
 ・・・・・・・・・・
2007年08月01日(水)
2311, カント ー世界の限界は経験可能か?−1  (*´・ω・)ノはよー  
  『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著
                                   ー読書日記ー
 カントは難しい。ここでも何回か書いてきたが・・・
トルストイをして「何度読んでみても、サッパリ解らない」と言わせしめるほどである。
「それまでの哲学をカントで哲学を収れんし、その後の哲学は、カントから始まる」と言われている。
亀のようでも良いから少しずつでも理解してやろうと5年ほど前に決意。ことあるごとに、噛み砕いてあるカントの本や、
各種の哲学書の中のカントの章を読んでいるが、それでもサッパリ解らない。私が、カントの属性
(クル病とか、生活の規則正しさとか・・)でなく、哲学のエッセンスで解りえたのは、
・合理主義を経験主義を統合したこと
・「し・な・の」と憶え、『人は何処まで‘知り’えるのか』『人は‘何を成すべき’か』
  『何処まで‘望みえる’のか』  という人間の根本を追及していた。
・カントを説明する上で、ある哲学書が一枚の絵を紹介していた。
 −雨上がりの草原に小さな二人の姉妹がいて、マンドリンのような楽器を盲目の一人が弾いている。
 その逆側の娘が盲目の娘の肩越しに、雨上がりの草原の虹の景色をみているー
 この絵は、雨上がりの草原で若草の匂いの中、好きな楽器を弾いているが、眼がみえないため虹と草原の美しさを
 知ることができない。 人間は、その機能の範囲でしか対象を認識できない!ということである。
 世界の限界を経験しても、その限界を超えることは出来ないということだ。
・現象は、それぞれカラーのサングラスをかけてしか見えないし、その色に限定されるということである。
 −−−等々である
 以上の簡単なことを知るのに、悪い脳で必死に取り組んだ結果である。
     (字数制限のためカット2011年8月1日) 
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 2006年08月01日(火)
  1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る−2      Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」というスナックで飲んだ。
そこで、「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。ところが、マスターとスタッフが、
そこをよく知っていて、「大きな川の河口は恐ろしいところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。
知らないだけで、とんでもないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。翌日、会社で近くに住む人に話たところ更に厳しい指摘。
「あそこは海の波と川の波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。 毎年何人か死んでいる。
そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題ではない。」
流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに乗ってないはずである。
松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに大きな川や、その河口も初めてと言っていた。
知らぬが仏だったのか。 たまたま、そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、
のめり込んでしまうという。一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、また解体して車に積み込み、一人で
帰ってくるのが良いという。 こういう趣味を持っているのは羨ましい限りである。おまけに、河口湖に別荘を持っていて、
そこでカヌー遊びなど・・・ 人は人、我は我だが・・・  こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、
自分の趣味を持っていると余裕を持てるからよい・・・
「趣味は、その人をそのまま現す」というが、そのとおりである。
永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。 私の母とマスターの母が同級生。
  その上、私の兄とマスターも同級生ときている。こういう老舗が地方都市には多いが、最近どんどん廃業している。
  このテーマと関係ないが)                 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
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2005年08月01日(月)
 1581, 「これから5年・地価は半値になる」−4
この本に、「都心の大型マンションの暴落が引き金になって土地の下落は更に進む」と、あった。
そのままの記事が、五月号の「ヨミウリウィークリー」にあった。(昨日、図書館でみつけたものだが)いま人気の「品川」に、
価格破壊タワーマンションが1〜2年先に売り出されるとか。70年の定期借地権つき高層マンションで、80平米が3600万という。
《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2004年08月01日(日)
 1216, 直立して歩くサル
先日のニュースで、ある動物園で直立をして歩くサルを報じていた。人間のように背筋を伸ばして歩いていた。
インフルエンザで高熱を出した後、直立で歩きだしたという。何かサルの惑星の世界のような不思議な感覚に陥ってしまった。
・風邪で脳の何処かをやられてしまったのか。・サルの歴史の中で直立で歩いていた時期があったのか。
・人間が歩き出したのは、脳をやられたサルが歩き出したのかもしれない。 等、考えてみたが。
一般にはサルが木にブラ下っているうちに背筋が伸びて、直立の骨型ができた。その後に、草原に獲物を獲るために出て行くうちに、
直立歩行になっていったと、信じていたが、サル学者はこの現象を如何みるのだろう?進化論で「脳内突然変異作用」の説が
あっただろうか。人間でも老人性痴呆症になった人が抑制がとれて突然、絵画の特殊才能が出たという例もあるという。
脳はまだまだ未知の領域である。それが注目をされた時は、悪化をしている時である。そう考えると、脳が最近になって
注目をされているというのは人類は少し脳がおかしくなってきているせいだ。それとも電脳といわれるコンピューターのせいだろうか。
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2003年08月01日(金)
 849, ありがとうの話ー7
《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2002年08月01日(木)
 474, ある小学6年生の作文
[僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。 そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は三歳のときから練習を始めています。
三歳から七歳までは半年くらいはやっていましたが、三年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやってます。 
だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が
大会のナンバーワン。 選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を打ちました。
そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得いく成績でした。そして自分たちは一年間負けを知らずに
野球ができました。だから、この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」
この文章はイチロウの子供時代の作文である。−「致知」という雑誌より「夢」と「意思」と
「実績からくる自信」が現れている。それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。
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2001年08月01日(水)
[94] 倒影について−1
投影といえば対象の中に自身の姿を見るとか,自身を相手に映し出すときにつかわれる。これに対し私が創ったか実際あった言葉か
忘れてたが、‘倒影’という心理がある。これが人間にとって曲者!ずるい批評家とかコンサルタントや新興宗教の教祖が多用する。
  (字数制限のためカット2011年8月1日)


3779, ユング ー13

2011年07月31日(日)

     * 箱庭療法 ー2
  ☆ ゲニウス・ロキ <その場所や土地に宿る「精霊」>
 どの村、国にも聖地があるが、殆どの家に仏間と祭壇がある。家だけでなく、守護霊が、それぞれの人間の魂にいるという説がある。
それを箱庭の中に表出させるのだから、興味がわいてくる。人間の脳は、20億年以上の生物の進化が創り出した得体の知れない機能の塊。
 箱庭の作品の写真をネットで見ると、底知れぬ人間の潜在意識の奥行きの深さの一端を見ることができる。
≪ ーつづきー 「箱庭療法」では、「ゲニウス・ロキ」を重要視する。 古代ローマの思想では「ゲニウス」は「精霊」、
「ロキ」は「土地」を表していた。「ゲニウス・ロキ」で、<その場所や土地に宿る「精霊」>という意味になる。
その時その場に宿った力(精霊)が、無意識の深層心理の神話的な力と結びつき、それが創造力となって「箱庭」に表現される。
この「ゲニウス・ロキ」を実現することが、治療者の「見守る」行為。実際になにもしないが、大きな精神力が必要になる。
「見守る」とは言っても、治療者ではない一般の人が「見守る」のとは、異なる。「箱庭」になにも表現されないセッションでも、
治療者が作り出した「ゲニウス・ロキ」のなかで、患者の内面では変化が起きてくる。それが、二回以降のセッションで現われてきます。
初めの数回のセッションでは落ち着きがない被験者も、その数を重ねることで、徐々にまとまりのある箱庭を作るようになる。
箱庭という守られた空間に自分の気持ちを繰り返し表現することで、その課題が浮かび上がる。
それは、あくまで遊びの中で行われる。遊びの中には、成長をするための要素が多く含まれている。≫
 ▼ その箱庭が、玩具の配列で、精霊が浮かび上がってくる。 箱庭の解釈は、大ざっぱにいうと、左半分が内面を、右半分は外面を、
  手前から上に向かって現在から未来へと向かう。ところで、聖地は典型的なゲニウス・ロキが在るところに存在している。
  その周辺には必ずといってよいほど、岩場が存在している。ピラミッド、中南米の古代の聖地、ギリシャの神殿、エルサレムなどは、
  その典型である。 もう一つは立地上、民族の存続上に大きな戦略的拠点でもあるが。箱庭療法、一度は、やってみたいものだが。
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2010年07月31日(土)
3414, 「憎国心のすすめ」
 18年の海外生活から帰国した著者が大分の山中に居を構えて5年、変わり果てた祖国・日本を憂えている。 
ここで、ひとりの地元青年とのやり取りを通して、日本再生には愛国心ではなく、憎むという感情、いわば「憎国心」が必須と説く。
最近は著者の見方にかなり感化されてしまったが、老化からくるマイナーの見方でもある。しかし「憎国心のすすめ」は極論になるが、
それで日本人にアメリカの間接統治を知らせたいのである。それを前提にしないと国家改革など不可能である。 日本は、いまだ
長年にわたった洗脳で思考停止状態にある。その実態に憎悪心を滾らせないと、真の己の姿が見えないというのは至極当然のこと。
  ―印象的な部分をランダムに書き出してみた―
《 愛ではない。この日本を救うのはむしろ、憎むという感情、いわば憎国心だ!・・・ 愛するために憎む。
 想うために考える。この日本を。「俺の仕事の動機はいつも怒りと愛だ」と私は無理に続ける。
「悶死したくなるような怒りの先に愛が見える。そのとき、仕事をする情熱が生まれ、行動の意味が完結する」「ははぁ・・・」
「日本に帰ってきてから、怒りはほとんど極限に達している。でも、その先の愛は見えない。
 だから、もっと、徹底的に憎国心を高ぶらせる」「ゾー・コ・ク・シ・ン・・・ですか」「無論そんな日本語はない。
 いま、とっさに考えついた。愛国心の相対だ」「ははぁ・・・」「憎国心さえもっと鍛えれば、もしかすると、死ぬ前に、
 もう一度この国を愛することができるかもしれない」》
《 日本人を一言で要約すれば<考えない>ということであり、―ジャップ(日本人の蔑称)は考えないという特殊能力を持っている、
 ということになる。人間が考えないでいられるというのは、ムズカシイ以上に実にありえない不思議な才能であり、
 特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、貴重な力となりうるからである。<考える>という根本は、
 まず疑問が無くてはならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、最後は統合。この4段階、どれもない。
 疑問がないのは、比較感覚がないからということになる。比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
 (日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。日本人自身は世界の文化を
 総合したつもりでいるが、じつは単なる便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から続くわれわれの本性だったのだ。
 他律とは、(自分の意志によるのではなく、他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語(ヘテロノミー)
 によれば、意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望(傾向性)によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、
 どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長させ、推進させ、摂取し、操っている。
 そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないのか?」》
  ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての価値観を疑いもせず、あくせく生きてきただけ?になる。
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2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな出会いがあるもの。本人にとって何にも替えがたい
自信になったろうし、前向きにさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、この人の漫画は何度も目にしたことがあったが、
軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」は、数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。
その絵に感動し十五年後に買い求めた人と、その絵を見てみたいものである《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。
私は数寄屋橋で風景画を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころです。 私の描いた油絵を、
大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間もそばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき
住所をたずねたものです。あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく家を新築したので、
ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容でした。その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンと
ぼくの手もとにあったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して見つけてくれたに違いない。
 ぼくは感激しましたね。さっそくその人といっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。
   むかしテレビ番組「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の1971年頃の文章になる。絵を描いていたのが、
 その20年前というから1951年ということになる。 岸恵子の『君の名は』が1953〜54年だから、その二年前に数寄屋橋で絵を
 描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。
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2008年07月31日(木)
 iPoneについて
いずれにしても、これは凄い。少しオーバーに言えば1〜2ヶ月で、私の中の何かが変化するだろう。
 情報機器を幾つか持っている。 そのお陰で
・パソコンでインターネットを楽しみ、「お勉強」もしている。・デジタルカメラを常時、鞄に入れて歩いているし、散歩にも持っていく。
・2千曲入力してあるiPodも持ち歩いている。        ・携帯電話を身につけている。
・会社の机の前と、自宅の居間の机にもiMac(机上型のパソコン)が置いてある。
 それが全て、携帯電話を少し大きくした、このマシーンに入っているである。「それなら、携帯電話があるじゃないか」というが、
これはパソコンを基点としている。 超小型パソコンに、多くのデジタル機器の機能が入っているのが凄いのである。
更に、GPSナビゲーションまで入っている。 新聞や、マックのHPで、このデモンストレーションの映像を見たり、モーニングショーで
キャスターが操作をしているのを見たが、自分の手にとって腹を据えてみると、その凄さと深さが見えてくる。 
半年前にiPodを実際に使ってみて驚いた。 手持ちの200枚のCD(2000曲)が、マッチ箱位の薄いマシーンに、全て入ってしまった。
パソコンに一度入力をしてしまえば、何時でもマッチ箱に出し入れ自由である。ところが、それさえも、このマシーンは機能の一部として
入っている。 いま一つ、タッチパネル+ワイヤレス+超小型の総合効果が、パソコンのストレスを大幅に減らしている。
このストレス・フリーが最大のネックである。携帯電話が、固定電話から我々を解き放ってくれた。それと同じことが、
今度はパソコンでも起きている。大型コンピューターがパソコンになり、ノートパソコンになり、モバイルパソコンになり今度はこれである。
 これには母機のパソコンに対する子機という位置づけは殆どない。(iPodなどの機能を使う時はあるが)これも三年もしないうちに、
古くさい原始的なマシーンになっているのだろうか。まずは、これを使いこなすことから始めないと。何かSFの世界を垣間見ているよう。 
 若者が、モバイルパソコンに、如何反応するか楽しみである。
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2007年07月31日(火)
2310, また地震!どうなっている?まったく!ー 9      才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
田中真紀子様が、この参院選挙に中越の長岡駅で堂々と車の上から選挙応援ができるか、見ものであった。
TVでは映像を出なかったので、さすがに度胸が無かったのか、警察からでも忠告を受けたのか、どちらだろう。
昨日の朝のTVのニュースでコッソリと個人演説会に来ていた映像があった。「下手に話すとマスコミに何を言われる
かもしれないから、街頭演説はしない」だと。この角栄の嬢様は、柏崎・刈羽原発を強引に誰が持ってきたか、ご存知なのだろう。
いくら越後人が人が良いとしても、そろそろ誰が危ない原発を誘致したか、気が付かないはずはない。 
しかし誰も口にしないから呆れてしまう。原発で??されかけたのに、何で怒らないのか? 不思議でならない!娘だから関係ない?
   (字数の関係でカット10年07月31日)
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2006年07月31日(月)
 1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る       (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ
豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。大学時代のゼミの後輩Mさんが、最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。
来県の前日の27日に電話があり、「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。
天気予報では豪雨注意報が出ていたので「カヌーなど絶対に無理」と言ったが、それでも車の上にカヌーを乗せてやってきた。
「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」という。 好きな人はそういうものだ。
天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、服装などの準備は全くしていなかった。
一昨日の29日の朝、どういうわけか打って変わった穏やかな天候になった。(前夜半はかなり降ったようだが)
前回にMさんが来て一緒に飛行場周辺を見て回った時に、阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と目を付けていた。
当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。    
この玩具みたいなカヌーでこの数百m、いや1キロ以上?もある河口を乗りまわるなど、とんでもないと思ったが、
本人は「平気、平気、何でもないですよ」という。 そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。 岸沿いを漕ぐのかと思いきや、
どんどん河の真ん中の主流に出て、そして対岸まで行ったしまった。\(゜ロ\) 当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前の中、誰も乗るはずがない。 (///>_<;////)ノ
始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、恐ろしさが全くなくなってきた。地元の人からみたらとんでもことであろうが、
それにしても、面白い!豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、それを避けながらボートを操るのだ。
ふと気づくと2時間近くたっていた。そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。河とは全く違う面白さがある。Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、
私が乗りこなせるものではない。丁重にお断りをした。Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながらヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。
Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。殿町を深夜まで飲み歩いた。そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、
午前・午後にわたりカヌーをして、16時に東京にある自宅に帰っていった。 やってくる前日、知人の通夜があり、
数時間しか寝ないで新潟にきたというから、凄いエネルギーである。こういうのも、能力というのだろう。 
28日の活性化の会を含めて、この三日間は、刺激的であった。 ー阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!
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2005年07月31日(日)
 1580, パンセについて
昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。
 ▼ 二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、中庸こそ偉大さがあるということか。
 偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
 ▼ 偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
 恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
   (字数の関係でカット09年07月31日)
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2004年07月31日(土)
 1215, 「世界の名著をあらすじで読む」         
        ー読書日記
最近、本屋の平積みのコーナーで、古典などのダイジェスト版が目立つ。文庫本も出始めているからブームになっているのだろう。 
先日、図書館で「世界の名著をあらすじで読む」と、「子供に読ませたい世界の名著」を借りてきてさっそく読んでみた。
振り返ってみて、世界の名著はあまり読んでない。古典的なものとして、「罪と罰」「大地」「赤と黒」「魔の山」「旧約聖書」
「新約聖書」・・・それと、ロマンローランの数冊と、最近ではソルジェニーツェンの数冊と、あと数人の作家の本ぐらいである。
ノンフェクションが好きなためだ。「子供に読ませたい世界の名著ーベスト26冊」の中に挙げてある本は殆んど読んでいたので
安心はしたが。読んでみて、名著といわれるものはダイジェストでも非常に面白いことが解った。
それと過去に読んだ本でも99?は忘れているのには驚いた。それを思い出すだけでも充分に価値があった。
トルストイの「戦争と平和」やモーパッサンの「女の一生」や、ショーロフの「静かなるドン」などダイジェストでも面白い。
   (字数の関係でカット09年07月31日) 
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2003年07月31日(木)
 848、10の小法
ホームページのネットサーフィンをしていたら「10の小法」が出てきた。
  なかなか含蓄のある内容である。
    小食多噛 小肉多菜 小塩多酢 小糖多果 小煩多眠
    小衣多浴 小車多歩 小言多行 小念多笑 小欲多施
それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。『成人病への近道?10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。これさえなおせばよいが、
終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80?、40歳なら60?、60歳なら40?と歳に応じて胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。 
半分以上バツなら成人病間違いなしである。  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり 
  『10の大法』  
    多食小噛  ×  多肉小菜  ○  多塩小酢  △  
    多言小行  △  多念小笑  ○  多欲小施  △ ・・・・
・・・・・・・・・・
2002年07月31日(水)
 473,一言タレント
小泉首相が大衆に人気がある大きい要素に毎日だす一言コメントがある。すべてをこめていると言ってよいほど簡素で鋭いし、
いいえて妙だ。?ワンバイト(一言)化というらしい。それで気が付いたが、随想日記も「一言コメント」に似ている。
テーマが一言コメントで、文がその解説と言えよう。そういう面では時代に適しているのかもしれない。
テーマの決定にエネルギーをつかうが、それなりに出てくる。小泉首相の場合、そのプロのコピーライターが側近にいるだろう。
時代が一言タレントを求めているのだろう。これも情報化社会の一現象である。TVの色々の分野の専門的な番組を初心者向けに
放送すると、よい番組が出来上がるという。簡単に、特化して、編成すると内容が芯をつくという。田中真紀子女史もその事をしって、
批判をしているから人気の大きい要素になっている。つまらない時代になったのか、面白い時代になったのかどちらであろうか?
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2001年07月31日(火)
 [93] 旅行で出会ったー普段会えない人         
・日本生産性本部の元トップとおぼしき人          ・NHK幹部
・いつもお付きと来るが今回は一人できている山の手の奥様、 ・天下ったばかりの元官僚、
・日本興業銀行本部のキャリアウーマン           ・遠い親戚が亡くなりおもわず数億の現金を相続した人
・ツアーを2重がさねで続けて、現地でおち合った80台半ばの見た事がないくらい品の良い老夫婦、
・TVの経済解説でよく見る人               ・えげつない関西のおばちゃん  
まあ彼等から見たら、反対にどうみられているのだろうか?


3778, ユング ー12

2011年07月30日(土)

   * 箱庭療法 ー1
  ユングといえば(日本では)河合隼雄で、砂遊び療法を箱庭療法に発展させた人。彼の著書で、その概要は知ることになった。
 一種の創造療法だろう。幼児の頃、砂場で山を作ったり、幼稚園で初めて手にしたクレヨンで我を忘れて家や動物の絵を描いた、
 あの頃に立ち返り、用意されたオモチャの植物や動物で、思いのまま自分の内的世界を表現することで、自分の中の何かにつながる
 方法である。 その辺のことを、あるHPに分かりやすくマトメテあった。まずは、その部分をコピーしてみた。
≪ 「箱庭療法」は、1929年、イギリスの小児科医ローエンフェルトが、子供のための心理療法として考え出したもの。
 ユング派の心理療法家ドラ・カルフが「砂遊び療法」として発展させた。 後に、日本の心理療法の第一人者であり、
 ユング派の心理療法家でもある河合隼雄氏が日本に持ち込み、「箱庭療法」と名づけた。 その方法はいたって簡単。
 52cm×72cm、高さ7cmの長方形の箱に砂を入れます。さらに、動物や植物、建物などの様々なおもちゃ、人形などを用意し、
 適当な場所においておきます。患者は、箱庭のなかに、先ほど説明したおもちゃや人形を自由に使って、遊びながら自分の内的世界を
 表現していきます。ここでは、治療者は、特になにもしません。患者(クライエント)を見守る役に徹します。この「見守る」ことには、
 深い意味が込められています。治療者は「見守る」という行為を通して、患者の状態を深く理解していきます。また、患者は治療者に
 見守られていることで、安心して自分自身の内面を表現することができます。1回の治療単位をセッションといいますが、患者が箱庭を
 見つめるだけで、なにも表現しないセッションもあります。また、ただ砂にさわって砂遊びをしているだけのセッションもあります。 
 こんなセッションのときでも、治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。   ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、自分の庭に配置する。それを、小さな箱内でやるのだから、
 面白いといえば面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが表現できないが、玩具を箱庭に気ままに配置すると、自分の中の精霊が
 知らないうちに心の底から湧き出てきても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な面白さがあるはず。
 他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、課題を乗り越える。
 この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の
 組み合わせは、それを取り除き具体的なモノを組み合わせることで自分の心が表現される。 この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
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3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
 まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期の会が開催された。 (前期高齢者入会の会)
出席者が67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している
「あの世の会」と思うと一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名が名前が呼び上げられ、
黙祷をした。 5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、三分の一の110名の出席者であった。4割減ったことになる。 
60歳を過ぎると年々、老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、何らかの問題が肉体に出てくる時期にはいった。 
今回の同級生に卒業以来初めての出席の女性が2人いたが、どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には
懐かしさのあまり泣いていた人がいた。私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、頻繁にクラス会を開かれていた。
20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、転居をしたために、
還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから可能なのだろう。
男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。
それにしても、65歳は長く生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、そのことが
目的である。それで充分。 しかし、恵まれている人は何処までも恵まれており、そうでない人は、そこから抜け出せないのが
人生のようだ。九州など県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほどと合点がいく。通ってきた道で出会うことは、
奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を重ねるごと実感する。 
 それにしても、幹事は大変である。 とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
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3038,明日になれば何とかなる!
 2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。 誰もそうであるように、若いときは心配性の傾向が強い。そして長い人生で色いろ経験して
分かったことは「先の心配事は、その時になってから当たるしかない。で、今は問題の中心から目を外さないこと。 
明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している範囲のことしか考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」
である。「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、何か心に迫ってくる。創業時の不安感は、
底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 そういえば一休の逸話があった。
 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺した。 そして・・・
「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と遺言し、
遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になりました。弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、
妙案を思いつかず、どうしようもなくなってしまった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、
恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・・大丈夫  二巻目・・・心配するな  三巻目・・・なんとかなる
 それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに素晴らしい解決策を思い浮かべた。
 「なんとかなる」と信じていたら、本当に「なんとかなる」もの。
 「なんとかなる」だけではなく、人生は思いようで、本当は「なんとでもなる」ということである。
 19才でライ病発生以来深刻な体験をもとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉がある。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。 あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに
 到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実にこのあきらめと戦うことである。
 あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。 というよりも、あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。
 死んで勝ということは絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるということはあるのである。》 (北条民雄(頃日雑記より)
 絶望の果てに行き着いた言葉だから、鬼気迫ってくるのである。 
 明日になれば何とかなると、何もしないで生涯を過ごした人を多く見てきたが・・ 大部分の人は似たようなもの?
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2673, iPhoneは、超小型パソコンだった!
 2008年07月30日(水)                    (っ´Ι`)っ { おはよう
一昨日、iPhoeを購入した。新潟市郊外の赤道の山田デンキで買ったが、説明やら、手続きに二時間もかかってしまった。 
購入の手助けをしてくれた知人と、購入直後に居酒屋で操作をしながら、「これは何だ?」と丁度よい酒の肴になった。
携帯電話や、情報だけの端末ではないし、パソコンの括りにも入らないし、何だろうかと? 私が玩具ではないか?というと、
そんな軽いものじゃないと反論された。そりゃそうだ。私の現時点の判断は、「ポケットサイズのタッチ式超小型パソコン」である。
超小型のため、身体に密着できて、タッチで情報を瞬時に呼び寄せることが出来るところがミソ。それに音楽が数千曲も入力でき、
電話が出来て、インターネットもできる。カメラや、携帯電話機能は、多くの機能の一つでしかない。現行の日本の携帯電話は、
各メーカーが競って色々の機能を付加していったもの。そのため、その多くは使われない。平均5?の機能しか使ってないという。
ボタン・キーは他に無いので慣らされ使っているだけのこと。この中の機能で驚いたのが、みたい部分を二回、指で叩くと拡大する。
これで小さい画面のデメリットをカバーしてくれる。よく考えたものだ。ただ、文字入力が慣れないせいか、躊躇している。 
キーワードは、 ワイヤレス通信 ・マルチタッチインターフェイス ・超小型(ポケットサイズ)。
常にポケットに入れておけるところが良い。脳のサイボーグ化?ともいえる。次ぎのポイントは低価格化が可能かどうかだろう。
私自身、7年前にこのHPを開設してから感覚が変わってしまった。開設してから数年後に、ブログという個人のHPが爆発的普及した。
更に携帯電話が爆発的に普及をし、機能も良くなった。そして、これからは「ワイヤレス超小型携帯パソコン」である。 
これは世界を、更に根こそぎ変えるだろう。携帯電話はタッチ式に大きく舵を切るだろうし、あと十年後から振り返ったら、
これは大きな折り返しの歴史的マシーンの位置づけになるだろう。パソコン?に、携帯電話と、カメラとiPodを付けてポケットに
入れたという意味で!そんなものが果たして必要か?皆が持ち始めれば必要になるのでは?お宅という言葉も、これで死語になるのでは?
部屋に居る必要もないからだ。  いや、閉じこもりは別か! ヾ(^ω^*) あと、数日経ったら、その後の感想を書きます。 
まだ、焦って買うこともないようだ。
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2007年07月30日(月)
2309, 自民党が惨敗!
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
参院が予測どおり自民党の惨敗に終わった。 当然だろう。
自民党のパフォーマンスには、国民はうんざりである。これで本来あるべき二大政党の枠が出来上がった。
小泉が党内の保守派=悪との対立軸を作り、旧来の自民党をそのまま存続させたのが、安部政権である。
岸信介の孫、安部晋三の息子というだけで、憲法改正の騎士として期待されてなった首相である。
だから、あれだけ甘い組閣をしたのである。最後は赤城農林大臣だが、その前の防衛大臣がタレント上がりの女性はいただけいない。
(字数の関係でカット 10年07月30日)
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2006年07月30日(日)
1943, ローマから日本が見えるー17          八∋ウ_〆(∀`●)
第七章「創造的天才カエサル」ー4
 ーカエサルがヨーロッパを作ったー
ところで、カエサルによるローマ帝国の安全保障構想は、後世のヨーロッパ史にも大きな影響を与えることになる。
「カエサルがヨーロッパを作った」とする人も多い。 現在の西ヨーロッパの都市の多くは、
カエサル以降のローマ帝国時代に作られた軍団基地や、植民都市を起源としています。
・フランスのリヨン、ストラスブール、フレジュス  ・ドイツのケルン、ボン、マインツ  ・イギリスのヨーク、チェスター、バース
・オーストリアのウィーン             ・ハンガリーのブタペスト、セルビィア ・ユーゴスラビアのベオグラード 
 などなど・・・  ヨーロッパは古代ローマ人によって作られた。
 ーなぜカエサルは寛容を掲げたのかー
カエサルは「新しいローマ」のグランド・デザインを描き、それを次々と具体化していったが、その構想をよく理解できた人は
同時代に一人もいなかったといってよい。当時の一番の知識人であった歴史家のキケロさえ、カエサルは協和制の再建に力を
貸せてくれるものと信じていた位である。
   (字数の関係でカット 10年07月30日
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2005年07月30日(土)
 1579, 閑話小題
 一昨夜の夢の話ー
面白い夢を見るものだ。医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。薬によるハイ状態とはどんなものか、
病院のベッドに横になって冷静に薬によるハイを待っている。ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。
危ないと思って元のベッドに戻った。しばらくすると、フア?とした酔った感覚になった。潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢の
カタチでさせようとしたのだろう。安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。インドに行った時ツアーの同行の女性から
?を飲んだ体験談を聞いたことがあった。とにかく可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるとか。経験者がいうことは解りやすい。
 ー広い世界に馬鹿ひとりー
    (字数の関係でカット 10年07月30日
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2004年07月30日(金)
 1214,パスカル(3)ー哲学についてー24
  ー「賭けの断章」ー
「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から
 説得しようとするものである。「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」すでにこの世に生きている以上、この勝負を
 降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
 賭ける対象は「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
・神が存在するという方に賭けて、勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、儲けは現世の幸福だけである。
 死後は虚無とみなすことになるから、得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
 来世の幸福をすべて失うことになるからである。如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。
 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。といって、今さらキリスト教関係のクラブに
 入るには遅かった?  せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
 理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。そのためには人との出会いと時間が必要であった。
 しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。 
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。というのは、全ての人間が支配者に
 なりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、各種の階級が存在せねばならないのだから。
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。知識の木は生命の木ではない。 
・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを知るほうが、ずっとよい。
・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、それはただ未来を処理するために、
 そこから光をえようとするに過ぎない。現在は決して我々の目的ではない。過去と現在は我々の手段であって、
 未来のみが目的である。
・習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない
・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、足のほうが我々と同じくらい低いところにある
・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。絵とはなんとむなしいものだろう。
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2003年07月30日(水)
 847, 海は見ていたー映画日記
 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』
に匹敵する。山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから
監督稼業として最高だろう。主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。日本には日本の素晴らしい人情がある。
   (字数の関係でカット 09年07月30日)
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2002年07月30日(火)
 472,近くの川の鴨
15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。
そしてある時期が来ると旅立っていった。そしてある時期が来ると再びやってきた。その都度その数がどんどん増えて、
一時200?300羽まで増えていった。ところがその一番多い時期から河川工事で川の泥が整備され、鴨が住む場所が少なくなり、
今では50〜100羽近くまで減ってきている。今では鳩やカラスと並んで、鴨の姿は一般的の光景になっている。
人家の近くは猟がない事を経験的に知っているのだろう。鴨にも大型と小型の鴨がいる。それと渡っていく鴨とのこり鴨がいる事が、
散歩で解るようになった。少し話が反れるが、結構多くの種類の鳥がいる事も知った。見たこともない鳥もけっこういる。
こんな近くで鶯、カッコウ、鷺、雲雀、もず、などだ。
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2001年07月30日(月)
 [92] 変わった人ーとの出会い
 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
・100回目の人とか(はじめ50回で目を回してしていたが)、
・12日間の旅行に布のショルダーバッグ一つ。グレーのスーツにポロ、その上によれよれレーンコート。
  行き先はヨルダン・シリア・レバノン。着いてみると現地人は正にそのスタイル。彼のほうがピッタシ。
・57歳のグランドオールドミスが一人いらいら。キャリアウーマンは会社から見たらヘドロの典型! 会社の中は天国、こちらは地獄!
・大手の社長か会長あがりの人物。この前まで偉かろうが旅行の最中はただの旅行仲間!の意味が全く解ってない!人。
 奥さんこっそり社会復帰のリハビリのこれが初めての旅行と教えてくれた。
・生死の手術の後、奥さんと来てヒマラヤを見て泣いている人、
・10年ボケの父親を見送り世界中を旅行しまくっている人、


3777, ポタリング

2011年07月29日(金)

  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。 −ネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光名所などに自転車を用いる「散歩」的なサイクリングをいう。
  散走とも言う。サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
 中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、チト違うようだ。毎朝、ウォーキング代わりに、
 信濃川まで一時間、自転車で散走をしているが、サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリングという言葉があった。
 「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。自転車は野球帽を少し深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。
 また電動アシストなら、エネルギーは普通の自転車の三分の一か、五分の一で済む。 近くのSCや図書館に気楽にいけるのも良い。
 この御陰で生活が一変したと言ってよい位である。 イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、目的は自転車に
 乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、長距離で、自転車で旅行をする場合につかう。
  東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの場所に行くことが出来る。 現在、早朝の信濃川のポタリングが主だが、
 今度は午後などに折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングするのも面白そうだ。
 そうこう考えると、周囲に面白いことは、山ほどある。ただ気づいていないだけである。 ベストの敵はベターというが、その通り。
 それにしても「ポタリング」という語感がよい。 これから少し与太るで,「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。
  陰鬱の時、少し与太らないとやってられない。 でも、自重の時期である。 で、自転車でヨタルしかないか。
 少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、安い折りたたみでも買うか? でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?
  ・・・・・・・
3412, マイナス思考法講座  ー3
2010年07月29日(木)
 著者はここで、「人間とは自分にとって都合のよいことを信じたがる」と指摘している。
 その結果、「信じる」というより「期待しすぎる」ことになってしまう弊害が出てくる。
 そして「期待に沿わなかった」結果に対し(自業自得でしかないのに)、「裏切られた」と思ってしまうことになる。
以下の絶望的、否定的な見方の多くは自分自身に対する本音。それを隠すために無理をして逆の自分をイメージしている。
他者から見れば、大したことがないのに、必死に「あるべき自分」を演じているのである。この構成は14の絶望ワークからなっている。
この本を読む前に自分の意見を入れてみた。書いた本人は哲学書を、ほぼ読んでないのではと思いざるを得なかったことも事実。
「しかし、くだらない、嫌われ、恨まれ、何をやっても失敗する、誰も理解してくれない存在」と自覚することこそ第一歩である。
 汝自身を知れ! のソクラテスの言葉を己に当てはめれば、下記のとおりである。
 ー14の絶望ワークー  ≪ ≫内は、私の意見。
第1講 あなたはくだらない存在です     ≪だから、指摘されたら怒るのである。あくまで相対でしかない、それは!≫   
第2講 あなたは嫌われています       ≪もちろんである。だいたい誰からも好かれている人など信頼できない≫
第3講 誰もあなたの話を聞いていません   ≪聞いて欲しい、ということ自体が、もう対他的になっている≫
第4講 あなたの話は面白くありません    ≪面白い話など、そうそうあるわけがない。だから、本を読むしかない?≫
第5講 あなたは恨まれ、攻撃されます    ≪今さら、いわれる筋合いじゃない。そういう人こそクズである。ったく!≫
第6講 あなたは空気が読めません      ≪空気の読めない人など、元もと傍に寄せないこと≫
第7講 人はわかりあうことができません   ≪当たり前じゃないか、そんなこと! 名を出版社名にした理由が、この辺で分かる≫
第8講 あなたは成長できません       ≪要らぬお世話じゃ! これも上記の同じである≫
第9講 弱音を吐くことは許されていません  ≪泣き言も、やせ我慢も、それはそれでいいじゃないか≫
第10講 人はみな悪人です          ≪当たり前のこと、で、どうした。そう思っていれば裏切られることも無い≫
第11講 恋愛はすべて「脈なし」です    ≪逆に、脈がありすぎたら、どうする? うるさいだけか≫
第12講 あなたは何をやっても失敗します  ≪当たり前だろう、だから死に物狂いで練習を繰り返すのでは!≫
第13講 本当のあなたを知る人はいません  ≪本当のあなた、って何じゃ?自分で自分を知っているのかい≫
第14講 あなたの夢は叶いません      ≪夢は夢だけのこと。それを計画に落とすのが智慧だろうが・・・≫
 ーマイナス思考は人を不幸にするとされているが、逆に、その考え方が慎重にものごとを進め、確実に幸せになれる。
  要は、「慎重にいこう」こそ、人生の要諦。一つの失敗が、99の成功を破壊してしまうということ。
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3037,読書について
 2009年07月29日(水)
 読書については何度も書いてきたが、それでも何度も取りあげる価値は充分にある。手軽に時空を超えて多くの人や
現象に接することができる情報伝達の手段である。大学卒業間近に、色いろ重なって頭がグチャグチャになってしまった。 
そのグチャグチャになることが学生時代には最も重要な経験と、後で知ったが、そこで「もっともっと本を読んでおくべきだった」
という後悔の念が起きてしまった。そこで決心したことは「何があっても、毎日二時間の読書」であった。それを今でも守っている。 
私レベルとしては朝の散歩と、この随想日記と共に最高の習慣になっている。まずは読みこんでない人が直ぐに分かる。 
これは学歴とは違い、意志が大きく左右する学力の問題。 この詩は、読書の素晴らしさと効用を素直に表現している。 
また書物を旅に置き換えて読んでみると、ほぼ同じように感じることができる。 人生で時間だけはリッチであった。
  ー 「書」 ー         西條 八十 《少年詩集》より
1 雨が降るとき、−風引いて            
  すきな遊びが出来ぬとき、                                       
     こどもよ、書物をあそびなさい。      : (旅行紀を読んで遊びなさい)
     書物はあなたをつれていく、        : (空想はあなたをつれていく)
     海山こえていく千里
     知らない国や、とおい国。
  見たこともない人たちや、
  また、めづらしい動物が
  あなたと遊び、話する。
     書物を読めば、友だちは          :(旅行の空想に出れば)
     いつも出てくる、目のまえに。
2 どんなにだいじにしまっても、
  万年筆や、カメラなど
  なくしてしまうこともがある。
     かわいい鳩なき時計でも、
     電気じかけの機関車も、
     こわれてしまうことがある。
  書物は、いっぺん読んだらば           :(旅行は、一度旅先に行けば)
  あなたのこころの奥ふかく            
  じっとそのまま残ってる。
     書物がくれる財産は、           :(旅行が与えてくれる経験は)
     一生消えない、なくならない。
・・・・・・・・
2672, 雁行的進歩とは
 2008年07月29日(火)
「雁行的発展法則」というのがある。大空を渡る雁の群れは、先頭の鳥からしんがりの鳥まで、くさび型の隊形をなして飛んでいく。
これは長距離の飛行に一羽一羽の空気圧が最小になる。鶴翼と同じ形である。ー字型の群れと同じパターンで、アメリカ合衆国を
少し遅れながら日本や欧州が追いかける。アジアでは、先頭をきって工業化に成功したのが日本であり、次に台湾や韓国の経済発展が
これに続き、さらに中国の沿海部などが急速な経済成長を開始して、それを追うといった形である。このような「選手交代」の形で
経済発展が受け継がれていくのが、「雁行的発展法則」の考え方である。現在もそれにしたがい、動いているかといえば、
現実は違ってきたのである。グローバル化の進展に伴い、今までとは違った「世界システム」が出来、拡大している。
欧米中心の雁行発展法則は崩れはじめ、今後は中国、インドにその重心は移動していくプロセスに入った。
中国に隠れているが、インドも大きな変化のポイントになる。中国は製造、インドはサービス、の部分を担うであろう。
その背後には、ITなどの「情報化」がある。もう、時代は引き返せない。モダン主義社会から、ポスト・モダン主義社会へ
変化したということ。欧米が優れていて、未開発国が遅れているという考え方が、そもそもオカシイ?という
構造主義が出てきたこともあるが・・・ 先日、インドの発展について、NHKスペシャルで3回シリーズで放送していた。
20年後には、アメリカを追い越し、世界のトップを目指すとアメリカ在住の印僑が話していた。見ていて、それもありうると思われた。
先日、図書館で『東西逆転』という本を借りてきた。数日後に、その感想を書いてみよう。IT革命は確実に世界を変えている。
・・・・・・・・・
2007年07月29日(日)
2308, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙  ー2
                           |。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
 私の4つの質問の答えはどうだろか、(成功もしてないのに、
何を答える資格がないじゃないか!という内面の声を無視して書いてみる。)
*どうすれば人生で成功できますか? ー好きなことを早くみつけて、楽しみまで引き上げ、続けること。
*世界で一番大切なことはなんですか?   ーいま、ここ! そして今日一日
*愛とはなんですか?      ー温み、おもいやり
*幸せとはなんですか?     ー好きなことができること、好きな人と一緒に居ること。
                そして自分を好きになれること。感謝できること。
ーさらに、この本の面白そうなところを抜粋してみたー
*自分ができることに集中しろ
 すばらしいアドバイスというのは、すでに亡くなった人から受けついだものだ。
1948年、ぼくがルーキーだったとき、ドジャースのベテラン投手、ビュー・ケーシーにこう言われた。
「なあ、野球にはおまえが変えられないことがいくつかある 
一天気、自分が登板する日、登板する球場、本塁の後ろにいる審判だ。
自分の力で変えられないことについてくよくよするのはよせ。
自分がコントロールできることーストライクを投げること、カープを低めにすることに全力をそそげ。
自分ができることをコントロールしつづければ、かならず勝てる」
さて、ニック、きみはまだ大リーグのピッチャーになれるほど大きくないが、人生でなにをやるにしても、
きっとケーシーのアドバイスが役立つはずだ。カール・アースキン(元大リーグ選手.1950年にナショナルリーグ優勝 通算122勝。)
  ーー
 *あえて人と違うことをしよう
(以下字数の関係でカット09年07月28日)                  (*≧∇)ノ~サラハ゛シ゛ャ!
・・・・・・・
2006年07月29日
 10年後の日本は? −1
「10年後の日本」という本を買った。
 下記のの箇条書きの幾つかは、この本の目次を参考にした。まだ飛ばし読みだが、近々読書日記を書く。
『日本の論点』編集部編というから、鋭く切り込んでいる。
島国の閉鎖社会の日本が、この世界の潮流の激変の中での大問題が明快に書かれている本である
十年後の日本で間違いなく起こっている問題点である。
日本が、これらをどの様に乗り越え体質を変えていくかを考えると、悲観的になって当然である。
  ・消費税の20パー以上の負担 
  ・少子高齢化社会の到来
  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化。 
  ・フリーターの増加と、下層階級の増大 
  ・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
      (字数制限のためカット 2010年7月29日) 
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2005年07月29日(金)
1578,大阪から何が見えるかー2
 ー生活保護ー
この内容は月刊誌「新潮45」の2005年2月号の ー生活保護天国、大阪市はここまでヒドイー を参照に書いている。
 とにかく読んでいて、生々しくて迫力がある。
 ー書いてある内容の一部を抜粋してみるー
人は、金が無くなったらどうするか。
・一つは、借金をする。         ・できなければ人のものを盗む。
・それもできなければホームレスになる。 ・イヤなら自殺をする。
・その他に「生活保護」を受ける という、5つの選択肢がある。
『公園にテントを建てて定住すると比較的安全なうえに家賃も水道代もいらなくなります。
病気になれば福祉事務所ですぐに医療扶助が受けられます。生活保護の誘いも舞い込んできます。
仮設一時避難所に入所をすれば安全が保障され、ガスもシャワーも洗濯機も無料で自由に使えます。
閉鎖が近づくと職員が生活保護を受けるように懇願します。自立支援センターに入所すれば三食無料になります。
いずれにしても野宿者は65歳になれば生活保護を受けられます。 年金など積まなくても野宿さえすれば
老後は年金生活者より安楽です。』 多重債務者でヤクザに追われない限り、日本では最低保障はされている。
ホームレスの半数以上が、多重債務者である。それと前科者も就職できないからホームレスに多い。
資産のある人、持ち家のある人は原則として生活保護は受けられない。借家かアパートに住んでないと保護の対象にならない。
 生活保護者を分類すると、
・高齢者 (男65歳、女60歳)、 ・母子家庭、(18歳未満の子供と母親)
・傷病・障害          ・その他、に分けられる。
・高齢者の場合、67歳の例で男性単身者の生活扶助は80820円、住宅手当42000円、合計122820円受け取れる。
  以下字数の関係でカット11年07月28日)  
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2004年07月29日(木)
1213,パスカル(2)
 ー哲学についてー23
キリスト教の秘義とは、キリストが十字架にかけられ、苦痛の悲鳴の中で悶え死んでいった不条理を解くことである。
パスカルの信仰は、その苦痛で、底深く沈んでいったのだ。「私を救ってください、助けてください、お願いします、お願いします、
お願いします」 この祈りが、キリストの苦痛と一緒になった時、秘義となるのだ。先ほど書いたパンセの第一節
「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。だが、それは考える葦である」があるが、その先の文章がよい。
「これを押しつぶすには、全宇宙は何も武装する必要はない。ひと吹きの蒸気、一滴の水でも、これを殺すに十分である。
  (字数制限のためカット 2010年7月29日)
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2003年07月29日(火)
846, 人生の目覚まし時計
「7つの習慣 ー最優先事項」ー2
 ベストセラーになった後の二冊めは大体が同じ内容をベースに書いてあってつまらないものが多い。
しかしこれはこの本のほうが「より最重要事項に絞り込んであって面白い」めずらしい本だ。
私の事業が装置産業であった為に、目先の時間だけはたっぷりあった。自然にABC 分析をして、
Aをやるようにしてきたつもりであった。この本を読んで果たしてそうであっただろうかと考えてしまった?
Aで満足してしまい、さらにAのAの追求を忘れてしまったのではなかろうか。
この本は何をどうするかの方向性を問題にしている。人生で本当にしたいことが何かを明示することを第一としている。
目先の緊急事態病が最重要事項をつぶしてしまうのだ。最重要事項かつ緊急事態が重なっている事項が一番の難敵である。
「むしろ緊急ではない最重要事項の中にキーが隠されている」と看破している。冷静に考えれば、全くその通りである。 
緊急事態は短期的視点でのこと、緊急でないことは、長期的なことであり、かつ方向性を見定める事項だからだ。
 ー人生の目覚まし時計の一部を書き写してみるー
 ある日突然、「本当に重要なこと」と「時間の使い方」のギャップを思い知らされることがある。
 それは人生の目覚まし時計というべきアクシデントによって知らされる。 例えば
・「恋人の死」。突然、恋人がいなくなり、「できたはずだが、しなかったこと」がはっきり見えてくる。
 成功のはしごに登ることに忙しく、恋人との「豊かな人間関係」をしてこなかった。
・「子供の麻薬禍」。自分の息子が麻薬に手を染めていたことにある日突然 気づかされるかもしれない。
 息子との豊かな人間関係をつくれたチャンスが、次々に頭に浮かんでくる。
 しかしそのときまでは、金儲けやコネクション作りなどに忙しくて実行してこなかったのだ。
・あるいは「癌の宣告」。医者から残り数ヶ月の命だと宣告されるかもしれない。
・あるいは「妻(夫)からの離婚請求」。離婚の危機に立たされるかもしれない。 このような突然の危機に立たされて、
 初めて自分の「時間の使い方」と 自分にとって「本当に重要なこと」との間のギャップがあることに気がつかされるのである。
このような危機的状況を知らせる「人生の目覚まし時計」におこされない限り、多くの人は人生の根源的な問題を考えるという
機会に接する事はまずないだろう。慢性的な深い原因を探らずに、深い痛みどめ応急処置としてバンドエイドや鎮静剤を探すのだ。
ー以上だが、テリー伊藤の『あと一週間で死ぬとしたら何をしますか』という本にいろいろな人が多くのことを書いていた。
しかし誰もがいつでも直ぐにできることばかりであった。ある人が私のその質問に、「身辺のものを全て捨てる」と答えたのが
一番気に入ったが、これなど人生の一番深い意味が含まれている。 当人は気がついていないようだったが。
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2002年07月29日(月)
 471,下着泥棒
昨日ー15時位か刑事が来た。下着泥棒が一軒先の家の下着を盗んで、たった今この辺に逃げ込んだという。
(字数制限のためカット 2010年7月29日)
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2001年07月29日(日)
 [91] 人生のこつ ー2
「生きることを考える事はまず死を考えること」というが、昨日書いた人の内容は正しく具体例として解りやすい。
何故勉強しなければならないか?という問いに、日下公人は何かの本のこう答えている。
「死んで葬式の額縁の写真に入った時、ああ自分は働くだけ働いた!遊ぶだけ遊んだ!
知るだけの事は知った!この世に生まれてきて可能な限りの事はしたつもりだ。これでよい!
このようにいえるようになる為、人は勉強をしなくてはならない。」これが解ってない人が多い。
定年退職した後でと総て後回しにしてしまう。後回しの大部分はやらないことの自己欺瞞という事を自身わかっていない。
働いて時間がないときに無理に時間を作ってやるから其れが活きてくることを解ってない。楽しい過去の倉庫、楽しみな
未来の計画の束作り、そして楽しかった倉庫の整理と計画を楽しんで実施している今。


3776, 閑話小題

2011年07月28日(木)

   * 世界が誇る中国高速鉄道の話
 中国で当初から問題になっていた高速鉄道で事故が起こってしまった。 高速列車にしては死傷者が少なかったのは不幸中の幸い。
・まずネットで、「これで中国が日本のシステムを盗んでないことが証明された」と、痛烈な批判が出た。
 日本はマグネチウド9で一人の死者も出なかったのに、中国は大雨と落雷だけで、これだけの死者が出たとの批判も。
・“国産”と自負していた新幹線の実態は、日本や欧州、カナダから導入した車両や地上設備、運行管理システムの寄せ集めで、
 系統だった運用の可否が懸念されていた。その問題の列車の衝突車両を、世界のマスコミが見ている目前で埋めたのはお笑い以下。
 ソ連が崩壊したのはチェルノブイリ原発事故当時の、あまりにズサンな国家体制が露呈してしまったからである。 
 一党独裁の良否が、そろそろ中国国内でクローズアップされる時期にきている一現象である。
 ▼ 以上が、今回の事故から露呈した高速鉄道の危険性の問題。 「当事者の一人は、自分は絶対に乗らない述べていた」と、
  マスコミが報じている問題点が本当なら、これから数年間で大事故が頻繁に起こることになる。ということは、
  恐ろしい大問題を中国は自らの手で作り上げてしまった。
 
   * アメリカが国債のデフォルト?
 何か物騒な話になってきた。共和党がアメリカの借金総額の上限の金額の上のせ条例に反対し揉めていて、もし通らないと
 アメリカ国債の債務不履行になる危機にあるという。そのため、ドル安がジワジワ進行してきた。 共和党との対立でドルと
 国債の価値を下がると誰が一番得をするか、それはアメリカ自身である。 一番損をするのは日本。それは、初めからの
 アメリカの意図としていたこと。現在の日本の震災と荒廃した政治混乱の、この時期に借金棒引きは願っても叶ったりである。
 9・11、9・15、3・11の経済・自然災害の三連発後で弱体した日本の最後の拠りどころの預貯金の多くが、アメリカ国債に
 とって替わっている。それが不払いとなれば・・・ 考えただけでも恐ろしいである。まずは隷属国家から借金棒引きは当然か!
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3411, マイナス思考法講座  ー2
2010年07月28日(水)
「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 著 
   ーまずは、「はじめに」よりー
 この本の主旨は、「マイナス思考はプラス思考より優れている」、これに尽きます。物事を前向きにとらえるプラス思考、
 一見いいように思えますよね。「物事を後ろ向きにとらえるよりも前向きにとらえた方がいいに決まってる」
 と思うかもしれませんが、こと思考においては、必ずしもプラスがよいとはいえないのです。なぜかというと、
「プラス思考こそが、現実逃避の温床に他ならない」からです。プラス思考こそが究極のマイナス思考といってもいいでしょう。
 プラス思考そのものより、プラス思考で行動することで、人間のマイナス面が助長されてしまうといった方が正しいかもしれません。
 プラス思考の根本的な考え方「何事もプラスに考えよう」は、「耳が痛くなる情報を耳にしたくない」という人間誰もが
 持つ気持ちと合わさると、「物事のマイナス要因を忘れよう」に、ついつい翻訳されてしまうからです。
  【 プラス思考の問題点を4項目にまとめてみます。】
 1.プラス思考を身につけても、不幸に耐えられる忍耐力、不幸を幸福と読みかえる超解釈力が身につくだけ。
「不平不満を言うのではなく、現状の自分が幸せである、と思いましょう」という考え方がありますが、自分が幸せだと思ったら、
現状に対して何も手を打たなくなってしまいます。本当に幸せならそれを噛みしめていればいいのですが、そうでもないのに無理に
自分は幸せであると思いこみ、現状に対して何もしないのであれば、いずれ、幸せと思いこむこともままならないほど、不幸になって
しまうことでしょう。プラス思考は耳触りがよいので、つい現実を見誤ってしまう。現実を直視しないことには現実をよくしようがない。
 2.プラス思考は、他人にとってはマイナス思考です
「プラスにとらえる」とは、「自分にとってプラスにとらえる」ことで、つまりは、他人を無意識にマイナスにとらえることになる。
プラス思考とは、自分を軸にしている限りはなかなか見えてきませんが、どこかでプラスをすると、どこかがマイナスになり、
その結果、自分1人の中でプラスでも、周囲と合わせて見ると、誰かから幸せを引いて誰かの幸せがマイナスになっているのです。
 3.プラス思考だと、ありのままの自分を肯定するばかりで成長の機会がありません。
ありのままの自分をひたすら肯定するプラス思考のままでは、ありのままのあなたは、いつまでたってもありのままで、
成長することがないでしょう。ありのままの自分を乗り越えていくことが、成長には不可欠なのです。
 4.プラス思考は、必ず裏切られる運命にあります
「人を信じよう」と言いますが、信頼して仕事を発注した相手がスケジュールを守ってくれなかったり、彼氏が友だちと旅行と
言っていたのに実は女の人と2人で旅行だったり……  一言、事前に釘をさしておけば、裏切られることはなかったのに、
「信じよう」などと思って策を打たないから、ひどい裏切りにあってしまうのです。
▼ プラス思考は、マイナスを乗り越えた上での考え方であり、その背後にはマイナスを考えた上でのプラスを
元もというのであって、ここで書かれている上っ面の思考法ではない。 それより、言葉を額面どおり捉え、現実逃避に
知らないうちになっているケースが多いはず、それを諌めているのである。肯定は意志であり、否定は感情である。
人間は意志の動物であると同時に感情の動物。両者の混合が必要だろう。
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3036,閑話小題
2009年07月28日(火)
 * 新潟駅前の貸金女子事務員殺害事件の犯人が逮捕
 新潟駅前の貸金女子事務員殺害事件の犯人が逮捕された。 警備会社の役員というから驚きである。  
警備会社関連の犯罪が多いのは如何いうことか? 数年前には、新潟セコムで役員がらみで不正事件が起き、
新聞紙上をにぎわしたばかりである。 警備会社も、この不景気で合理化の対象になる。あれだけ残忍な犯行、
追い詰められると人間は何をやりだすか分からない。前に出入りしていた警備会社の役員と同姓だが、まさか・・・
 * 加山雄三の『私の履歴書」が面白い
 今月の日経新聞の加山雄三の「私の履歴書」が、派手な芸能人の生活の一端が具体的に見えて面白い。 
大学三年の時に欧州に一ヶ月の旅行に行って来た。もう42年になる。それが大学の旅行研究会の主催で、
金持ちの師弟達に急遽仲間入り。当時、年間20万人しか海外旅行には行ってなかったから、かなり裕福な人たちである。
(字数制限のためカット 2010年7月28日) 
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2671, 幸福の4階建て -3
 2008年07月28日(月)
*不幸の4階建て」を考えてみる
「幸福の4階は、克服できない苦難や悲しみの中にある」というが、逆の「不幸の4階建て」とすると、
 どうなるか考えてみた。 前回の「おばさん、の話」を書いていて、おばさんの特徴に弛緩というキーワードが出た。
 その反対の言葉が幸福の4階の「克服できない苦難や悲しみ」になるのではと・・・。
 不幸の建物の4Fは弛緩とすると、これから1〜3Fが導き出される。
 3Fは、やる気も目標も無く、同じことの繰り返し。
 2は、不満で悶々とする日々
 1は、当面の問題から逃げて、上手くいかないと他者に責任転嫁
不幸の4階建というテーマが、不幸なおばさんの姿から成立するとして、弛緩しているおばさんは果たして不幸なのか?との疑問も出る。
しかし、幸福の4Fの逆の意味で、不幸とは弛緩そのものが大きな要素と考えてよい。誰もが、幸福と不幸の4Fの建物の要素がある。
自分の趣味を持たないで日々に流されると「こてこてのおばさん」になる。それも不幸な・・というとこだ。ただ自分で気づかないだけ。
それは「おじさん」にも、言えることだが。 現在の日本が、この不幸の4Fに近いのでは、いや自分自身が、そうではないか?
と感じたのではないか。 いや、自分は違うと自己説得しているのではないか。「日々、戦場」を己に課すことが、果たして幸福?
「日々、私は何て幸せ!」と何となく思っているのが不幸?なんだろうか。 あまり考えてこなかった中年女性が、不幸なんだろか?  
そう勝手に、他者を思い込んでいるだけじゃあないか? 幸福など考えるから、訳が解らなくなるのである。まあ、弛緩もいいものだが! 
 幸・不幸の裏表ががあるからいいのでは、人生は。 てなところか!
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2007年07月28日(土)
2307, 最近ホテルでは・・・          [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
ホテルのオープン以来20年近く、自殺は数件あったが、病死者は無かった。ところがこの6~7年前から病死者が4人も出ている。
どういうことだろうか。心不全、ガンの末期の人?、脳梗塞などなど。この月曜日、出社すると「前日の午前中に病死者が出た」
という報告。土曜日の夜半、いや日曜日になった未明の0時を過ぎの「2980円パック」の客が病死をしたという。 
時間になってもチェックアウトをしないので、電話連絡を入れてもノックをしても反応なし。もしかしたら自殺か?と
ドアを開けたところ、中年男子が裸で倒れていたという。身体を触ったところ、既に冷たくなっていたので慌てて救急車を呼んだ。
何かの手違いで、救急車に三台の消防車もきて、20人近くの消防士で現場は一時は騒然したという。消防士が死を確認した後に、
警察を呼んで遺体は病院に・・消防士が、「脳梗塞ではないか」と言っていた。チェックイン時に、手が震えていてカードに身元が
書けないので、フロントが代わりに書いたという。急性アルコール中毒か、それに伴う脳梗塞だったと推測される。
(字数制限のためカット2011年7月28日)
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2006年07月28日(金)
1942, 今日は「新潟活性化の会」           \(^▽^*)おはよう         
これで4回目になる。 あと一回で私の役割は終了。 地域活性のデザインつくりに加わってみて、なるほどプロセスに
筋が通っているのが理解できる。本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。
転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っている。
ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない!
日本が危ない!ということと同じだが。金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、これに関東が直結する。
金沢が環日本海の玄関として拠点都市になって至極当然である。 森元首相も、まだ当分隠然たる政治力もあるし、
それに引き換え真紀ちゃん、あまりにも・・・? ここでは、まあいいや。手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・
でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか? よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。 
高速道路、新幹線、飛行場、港・・・ 無いのは戦略構想が無いというから・・・頭の足りない巨人と同じである。
・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、知事と市長が馬鹿みたいに
 言い続けなくてはならないの! そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの!
・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの!
・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて! これをゼロからやれ!といっているじゃないの!
 ホボあるんじゃないか。 無いのはグランドデザインでしょう!
・それと、あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの!
・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ!
・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ!
・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ!
・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも新潟になっていたでしょ!
・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう!
・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!
新潟は東京の天領だったの! それを生かさなくては! 北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ!
これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば? お客、お客、お客の立場で見てみたら・・ 
いくらでもネタはあるじゃない? 小手先のイベントを持ってくるとか、野球場とか、サッカー場だってどうだか?
要は新幹線なの!もう一度言う!「かなめ」は、新幹線なの! もう一回言おうか、「要ーかなめ」は、新幹線なの!
「国際飛行場」と「港」への直結の新幹線が何処の国にあると思うの!新潟だけなの、新潟だけなの!
これと物流特区などの一大特区地区造りを加味すればよい。 おまけに新潟駅再開発があるじゃないですか。これを利用しない手は無い!
数千億かかる話ではない・・・コンセプトを先ず作らなくては! ーこれは日々のことを書いている「バード・ウォッチ」の内容だったが、
              熱が入っているので随想日記に格上げ?をしたー
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2005年07月28日(木)
1577, 大阪から何がみえるか-1
 ー大阪の衰退は日本の近未来の姿か?
大阪と札幌から、いち早く時代の流れが見えると言われる。特に商人の町の大阪は、いち早く時代の流れをつかんで動いた。
しかし、最近の大阪は全く変わってしまったようだ。まずは終戦後に総合商社が、メーカーが、そして金融機関と東京に本社を移し始めた。
現在残っているのは、電力・ガス・私鉄という地域産業のみになってしまった。更に大阪の企業は生産拠点までもが海外に移転してしまった。
東京などの大都会には、高所得者の住む高級住宅地がある。しかし、大阪市にはそれが殆どないという。
富裕層は、神戸の芦屋や西宮の高級住宅地に邸宅を構えている。ある意味で、金持ちの極端に少ない社会主義国の様相を示している。
その結果、何と生活保護が26人に1人になってしまった。もちろん日本一である。西成区においては、区民7人に1人の割合が生活保護。
(ちなみに、日本では100人に1人の割合。新潟県もその割合である。)
大阪市は全国平均の4倍の生活保護者がいることになる。先ほど書いた大阪と札幌はいち早く時代を先取りをすると書いたが、
生活保護は、その日本の先行きの悪さを暗示しているようだ。下手に国民年金を払うより不払いで、生活保護を受けた方が得という。
これでは「何で国民年金の金を払う必然性があるか?」という疑問が湧いて当然である。
若いヤクザの夫婦で、偽装離婚をして母子の生活保護を受けているケースが多々あるという。
               ー つづく
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2004年07月28日(水)
1212,パスカル(1) 
 ー哲学についてー22
学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていたことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」パンセの第一節である。彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。
あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で人間とは何か、生きるとは何かを問い詰めた。 
彼の20年の慢性病が哲学を深めていった。「考える」という一事において、「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。
  ーパスカルが31歳の時、神秘的な体験した。
1654年11月23日22時30分?24時30分の間に、パスカルの生涯を一変させる出来事であった。
「火」の夜の出来事である。(恐らく)ヨハネの福音書17,18章を読んでいた時に、白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。 その一節が次の文章である。
   (以下、字数の関係で中間カット09年07月28日)
▼ 以上が、その時の文章である。心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
 この一夜で一挙に溶け去った。そして歓喜にいたった。キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。 ーつづく
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2003年07月28日(月)
845, 親父の小言  わが愛息へ
 ー親の小言と 冷や酒は後で効く
火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
(字数制限のためカット 2010年7月28日)
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2002年07月28日(日)
 470, いい人とは
この意味を考えたことがあるだろうか。子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。
突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。あの人は本当にいい人だーそう自分にとって
とっても都合のいい人だ。ただそれだけだ。それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。都合などその都度変わるからである。
ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。教養のない女ー特に小汚い中年の女に多い。
男も子狐というレベルの男もそうである。こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。少なくともいい人の振りをしないことだ。
ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか?
どうであろうか?!真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。それも気違い部落の?
・・・・・・・
2001年07月28日(土)
 [90] 人生のコツ
ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。本当に色々な人がいるものだ。
推測だがどこかの高校の校長だったのではないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り 埋め尽くす生き方」をその人の感化で、その旅行で決心した。 
その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!
家族で日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中をほとんど回ってしまった。」この時、これだな!と思った。
そして先ほどのの決心をしたのである。 「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングを
かけて食べている」との答え。 後は好きな事だけをやる事だそうだ。 なるほどと考えさせられた。


3775, ユング ー11

2011年07月27日(水)

* ユングの能動的想像とは? ー2   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー③ 〉
  コリン・ウィルソンは、ここで能動的想像の実例を幾つか取り上げている。この内容からみると共同意識の世界まで入り込んでいる
 ようで、夢の世界の奥行きの深さを感じさせられる。 私も夢で数知れないほど、奥の深い内容のものをみてきた。
 【ーP/242ー もう一人のユソグ派の分析家J・マーヴィン。スピーゲルマソは、母親と娘と老賢人に出会った洞窟での「空想」で、
 24歳のときに能動的想像の技法を獲得し始めた。ある日騎士があらわれ、母親と娘をさらって行った。その騎士は、自分は話すべき
 いくつかの話があり、また話を口述させたい「数人の他の人が自分の国」にいると説明した。 それからスピーゲルマソは数年を費やして、
 騎士、尼僧、色情狂の女性、老いた中国人、その他の人々が口述したいろいろな話を書き留めた。これらは、四巻の本になって出版された。
 あきらかにスピーゲルマソはブラッド・アブセッツと同じ技法 ーつまり「別の自己」が内気を克服して自分を表現するがままに任せる
 方法を用いた。そしてその結果は、多くの点で似ていた。 このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」スピーゲルマンは
 きわめて重要なことを観察している。すなわち、能動的想像を実行するのに成功すると、「共時的な事件が規則的に起こり、きわめて
 神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。 起こることは、内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
 スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話 ーもともとはリヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話
 を述べている。< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が遠い村から招かれた。 彼は村のはずれにある
 一軒の小屋を所望し、三日間そこから外に出なかった。 その後土砂ぶりの雨になり、ついで雪が降った。これは一年のその時季には
 前例のないことだった。・・ヴィルヘルムは老人に、「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。
 老人は、自分がそれをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちんとしている国からやって来ました。雨が降るぺきときには
 雨が降り、晴れが必要になれば晴れます。人々自身がきちんとしています。ところが、この村の人々はみな、道からはずれていますし、
 自分自身からもはずれています。 私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。それで、私は一人になれるように、
 村のはずれの一軒の小屋を所望したのです。私がもう一度道にかなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」
 と老人が言っていることは、ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの半分の間に適切な交通があった。> 雨が降らない村の人々は、
 左脳の自我で支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に過剰に反応する傾向にある。・・アメリカのハワード・ミラーは、
 人間には既に、ある形の能動的想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は オーケストラ、左脳が指揮者だということだ。】
  ▼ 連続シリーズの夢は、一種の能動的想像になるのだろうか。人は夢日記をつけると、つけないとでは、大きな違いが出てくる。
   夢は、潜在意識を覗く手立て。それを記録にして書き残す習慣は、考えてみれば自分を知る一番の方法である。
    父親の初七日に、父のベッドでみた夢(以前にも書いたことがあったが)。父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。
   父がガン末期で、死の恐怖と闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。そして、初七日に、その恐怖心が、
   そのまま夢で、体感したのである。問題は、それから。ハッとして目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している
   奇妙な実感である。 それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。今から思うと、その感覚を使って、
   もっと見るべき世界を見てきた方が良かったが、それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
  * 日本の余命はあと僅かである  (P・107)
  どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。 彼らの悪辣さの度合いは、
 日本人の常識ではとてもついていけない。そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じることをやめる。
  福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと商売をせよ、さもなくば殺す、と言っているのだ」と看破。
 その性温厚にして軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかにはずれた奇想天外の暴言であり、
 だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中でコメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな
 言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても過言ではない。
  そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ごしてきたのは、ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、
 いま少し足りなかっただけのことである。 あるいはIT革命、情報革命といった、新しい最終的な手段が出そろっていなかった
 ためでもある。 彼らはそれらが出そろうまで、辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと舌なめずりをしながら、
 それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしをしてきたのである。 そしていますべてを手中にし、
 すべての条件が整ったというわけだ。 福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっとフォローできる表現を使って
 解説したが、本当はそんな生易しいものではない。 彼らが歴史で実証していることは、「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」
 ということなのだ。 商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。 金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。
 さらに、究極の奴隷化とは、頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのことである。 いまこそ彼らは堂々と宣言する。
 「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、さもなくば殺す」 それが最後の「お触れ」なのだ。≫
 ▼ それが30数年前から始めたアメリカの金融戦争である。 ドル一極支配下に入れ、さもなくば叩き壊す。
  その際たるものが、この金融恐慌。 これで欧州連合のユーロは風前の灯である。たしかにドルも傷ついたが、
  胴元の被害は、早々に元に戻る。 更には中国もドルを1兆ドルも持たされた。そして、数年後には、それらを
  アメロとかいう新ドル?でチャラにする。 それで日本は、その最大の被害者になるのである。家畜の運命は、そんなものか。
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3035,「顔」を哲学すると
 2009年07月27日(月)
 「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 特に女性の場合、その造作で人生を変えてしまうほど大きな
要素になるのにである。そこでネットで調べてみたが、これはというのが、やはりない。それでは自分で考えてみることにした。
 古代よりクレオパトラや小野の小町など、美人は特別に扱われてきた。 考えてみれば顔の部分のバランスと、全身のバランスが
整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。 そこで考えられるのが、顔が露出した全身の凝縮した表出であるからだ。
また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている唯一の部分である。「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。
さらに顔は何代もかかって作られる。更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、感激の蓄積した内面が、そのまま現われ出てくるから、
人間は顔に興味を抱く。どんな人間も顔にはドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。 男の顔は履歴書で、
女の顔は請求書とは、よくいったものだ。徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで多くの作品を残している。
漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。 晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。その意味で写楽の絵が、
その典型である。 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。 ところで若い女性にとっては、美人かどうかが一大問題。
そのために整形もするし、高い化粧品をつかい、毎日、数時間も鏡の前に座り、化粧品をぬったくり、色いろな表情をして魅力を
高めようと明け暮れる。「美人」の「美」とは、バランスが取れていること。 美男美女の顔は「左右のバランスにある」という。
他のバランスを含め、その調整ために化粧をするのであって、決して肌を覆い隠すためではない。
 先日、「清水次郎長顔が日本から消えた」というテーマで書いたが、内面から滲み出てくるほどの危機がなくなってきたこともある。 
田中角栄や吉田茂、そして佐藤栄作のようなドスのきいた顔は現在の政界には見当たらない。 人の顔は、経験の重なって出来るもの。 
「40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」とは、そのためである。 数年前になるが、高校野球をTVで見ていたら、慶応高校と
四国の高校生の野球試合の応援団の生徒達の顔つきの違いに思わず笑ったことがあった。 都会面と、田舎面の違いが明確だったからだ。
一見、都会面のほうが良さそうに見えたが、良く見ると、都会面は個性のない画一顔。 それに対して田舎面の方は一人ひとりが
個性が滲み出ていた。船頭の息子とか、百姓の倅の農村の味である。 顔は手相と同じで、万人が違う、だから興味を持つのである。 
 韓国の女性は、日本人と比べると、大きな割合で整形手術をしているという。 考えて見れば変である。
     でも、見とれるほどの美人は、好きである! めったに居ないが・・・
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2670, おばさん、の話
 2008年07月27日(日)
「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」「老化のバランスの崩れに対して
抵抗しなくなった女性」「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。
女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。 女性が一番美しいのは、40歳前後という。 
  (字数制限のためカット 2010年7月27日)
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2007年07月27日(金)
2306, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 ー1 
  祥伝社 チャールズ・J・アクイスト      ー読書日記
 このようなプレゼントを、かって聞いたこともなかった。そのユニークな依頼に誠実に答えてくれるアメリカ人が素晴らしい。
成功者は、何かの共通した言葉を持っている。過って一歳だった自分の子供へのプレゼント!という、思いもあるのだろう。
彼らのシンプルだが真髄をついた言葉には感動するものが多い。米国の弁護士の著者が、息子の1歳の誕生日のプレゼントとして
「世の中で成功している偉人から、人生で成功するための助言をもらう」というアイデアを思いつき、1年近くかけて実行。
依頼をした「成功者」のジャンルは、政治、経済、芸能界、スポーツなど。大統領、大リーガーなどの著名人からの素晴らしい
アドバイスが届けられた。本書はそもそも、極めてプライベートなものとして依頼されたもので、「本にする」というアイデアは、
依頼者の一人のリチャード・ブランソンが、出版のための依頼だと勘違いして手紙に書いてきたところから思いついたもの。
その為に出版にあたっては、返信してきた全員に再度依頼して承諾書をもらった。その結果、95%の人は快諾し出版に至ったという。
この本の利益は全て寄付をするという言葉も書き添えたところが良い。
  著者が送った質問は次の通りである。
*どうすれば人生で成功できますか?  *世界で一番大切なことはなんですか?
*愛とはなんですか?         *幸せとはなんですか?
(次回、私のこの答えを書いてみようか?)
これに対する答えが、回答者の価値観を浮かび上がらせている。上記質問に対して、空欄に答えを書いて返信してきた人、
書ききれず別途に長文を書く人もいた。 著名人だけあって、自分専用のレターパッドを使っている人もいた。
レターパッドにタイプ打ちして、自筆のサインを見ると、この人はこんなレターパッドなのか!とか、サインはこんななのか!とか、
普段あまり目にすることのできない、側面を見ることができる。
  読んでみると、なかなか心のこもった座右の銘が多い。 次のことは、その中で多く見られた言葉である。
一番のベースとして、大事なことばかりだ。「ベストをつくせ」「家族と友人を大事にしなさい」「愛とは、見返りをもとめないこと」
「決してあきらめない」「誠実であれ」「好きなことを極める」「親のいうことをきけ」等々ある。
   以下、印象的な人の言葉を抜粋してみる。
●良い判断を下すには情報が必要だ。
●すべての善人に過去があり、すべての罪人に未来がある。
●自分の性格判断の簡単な方法は、何もしてくれない人にどう接しているかを知ることだ。
●言いわけはするな。 友人には必要ないし、敵は信じないから。
●信仰心に栄養を与えて育てれば、疑念は飢えて死ぬだろう。
●勝とうという意欲より、勝つために努力しようとする意欲の方が大切である。 モーガン・ウーテン(高校バスケットの名コーチ)
●ぼくのアドバイスは、‘毎日を最後の日と思って生きよう、そして自分を信じよう’ リチャード・ブランソン(実業者ー冒険家)
●自分の身に起こることを常にコントロールすることはできないが、起こったことに対する反応をコントロールすることはできる。 
 失ったものはあきらめ、負けないすべを学ぼう。           フィル・ニークロ(元大リーガー)
 まだまだ、面白いもの多くある・・・     ?つづく
                 (○´ω`○)ノ**SeeYou**again!
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 2006年07月27日(木)
1941, ローマから日本が見えるー16       \(^▽^*)おはよう
 第七章「創造的天才カエサル」?2
    ー植民都市の建設ー
  徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にもローマ市民権を積極的に増やしていく方策であった。
 ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を積極的に増やしていく方策である。
 彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。
・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、それを属州民にも適用していった。
 ガリアや北イタリヤにとどまらず、スペインの原住民の有力者にも、ローマ市民権を与えたのです。
 後世の歴史家が、ヨーロッパはカエサルが創造したとする、ゆえんである。
・第二は、カエサルはローマ市民を属州に送り込んで、そこに「植民都市ーコローニア」を造らせるという方法であった。 
 すでにローマはイタリア半島に防衛拠点に植民都市を建設していたが、それを属州までも広げるというやり方である。
      (字数制限のためカット 2011年7月27日)
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2005年07月27日(水)
 1576, 次にくる波 
ー2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる
 著者:浅井 隆           ー 読書日記
HPに「次にくる波」の概略が解りやすく書いてあった。これを数回読めば、買って読むことも無いだろう。
少しオーバーと割り引いて読んでみても、現在の日本は異常事態である。 何らかのクラッシュをきっかけに、
このような最悪な事態になる可能性は大きい。ゼネコンと政治家と官僚のタカリシステムをみても、絶望的になる。
   (字数制限のためカット 2010年7月27日)
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2004年07月27日(火)
 1211, 哲学についてー21
 ー哲学 つれずれに
「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしか
ないことに気づいたり、それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。私たちが経験して考えたり、
脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、数千年前に既に考えていたのだ。書き連ねるほど、自分の知識と
未知のラインが見えてくる。哲学のバカバカしさと反面、深さと効用も解ってくる。
哲学をきちっと勉強をしておけば、新興宗教に引っかかったり、社会の表層に流されたりはしない。教養の背骨になっていることも
事実である。学生時代の寮に、「哲学さん」というアダナの先輩がいた。何時も一人でニヤニヤしてブツブツ言っていた。
    (字数制限のためカット 2011年7月27日)
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2003年07月27日(日)
 844, パイロゲン
 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。 酒がそのままストレートで・・・一晩で
10回以上トイレに行くことになった。しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で
体重が数?減ってしまった。二つを同時に飲むのは合わないらしい。どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択。
(字数制限のためカット 2010年7月27日)
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2002年07月27日(土)
 469,チンパンジーの話
チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらいTVでドキュメントを放映する。大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。
面白いので必ず見ている。彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。 常に二番ボス、三番手がいて、その序列は
実力により明確に決まっている。 ボスは常に二番手の脅威にされさてている。時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして自分の存在の示威行為をする。時にボス争いで死闘が行われたりする。 
その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。ボスのいない時に浮気や
小競り合いなどある。 若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や序列争いも人間に酷似している。
今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが全く相手にされず遠くからメスを見ている目付きが人間のそれとそっくり。
       (字数制限のためカット 2011年7月27日)
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2001年07月27日(金)
 [89] 城と教会そして宮殿
ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?

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