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堀井On-Line
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2011年06月26日(日)
◆ 長寿の秘訣 ー② NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。しかし、何か疑問が残ったのは、 「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカや中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。 問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた実験用の猿はメタボ気味で、7分目の方は、 溌剌としていたのは、その3割減だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 以前、モロッコの片田舎で 80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 聞き違いかと聞き直したところ、「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、 この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、泣き出しそうに話していた。腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。 〜〜 ◆ エアロビックス ー② 昨日は、スポーツジムで、エアロビックスの「ZUNBA」に初参加したみた。40坪位のスタジオに100人以上が集まり、 要は、「洋風の阿波踊り」。 中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、エアロビックスの場をかりて ドンチャン騒ぎをするのである。 変わった衣装を着た男のインストラクターに乗せられ、その「追いかけ」7〜8人の若い? 女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、 狂ったように踊って?、いや、エアロビックスをしている。 隣の人とブツカリそうな密度の中でストレスを晴らすように。・・・・ これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで壁フラワー・・・・ 健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、そのへんのニーズを知り尽くしている。 昔、踊る宗教というのがあった。 とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 今度、独りカラオケでも行ってくるか。 ・・・・・・・・ 3379, 改めて、現時点を考えてみると 2010年06月26日(土) 現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて整理してみる。 これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 ・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、 ・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、 ・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、 ・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、 ・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 等々の見方がある。 その5つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。 ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが入手可能になった。 アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。 それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の 本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。 日本にとっては、 ・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり出来たことが幸運か不運か? 結局、アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が「現時点の日本」である。 その去勢された姿を象徴するのが、社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。 北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と自認している輩、とみれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・ ・・・・・・・・・ 3004,そう考えない人はどうかしている 2009年06月26日(金) 「世界は感情で動く」 ー5 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー 21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」 まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、 【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。 つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、 他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した 他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、 ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、 「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執するようになる。 その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。 これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。考えてみると我われの 思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。 おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。 自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも 使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、 「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。 下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ) ・・・・・・・・・・ 2640, ブランド品 ー2 2008年06月26日(木) ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、これは面白い対象である。 もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。 それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。 ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちではないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから 何段か下の人たちである。ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、 自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで 心の空洞を埋めようという行為でしかない。またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。 知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。 それは階級コードではないのである。それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。 (字数制限のためカット 2011年6月26日) ――― 2001/12/19 261,ブランド品 ー1 2001年12月06日(木) ブランド品の定義ー 1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型 2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。 (字数制限のためカット 2010年6月26日) ・・・・・・・・・ 2007年06月26日(火) 2275, 希望格差 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。 会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」 と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は ・将来に希望を持って取り組める人たちと、 ・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。 そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか? (そうだ、そうだ!と聞こえてきそうだが。それでは希望の持てる会社って、 何処なのか?あったとしも、ミスマッチで受け入れるところは無い? 希望のある会社だって選ぶ権利がある! いや、あるのかもしれない? その辺を間違うとフリーターへの分岐点になる?) (以下は字数の関係でカット2008年06月26日) ・・・・・・・・ 2006年06月26日(月) 1910, スペイン画家・堀越千秋? 「スペインうやむや日記」?1 読書日記 先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋ー集英社 であった。 文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。 さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。 (まだ読んでないが・・・) 画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」 というような錯覚になってしまう。それと文章の書き方を教わった。結局は人は自問自答をしている。とくに随想日記は独り言で良いはず。 著者に、こう言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように書きなよ!ブツブツとさ。だいたい頭の中で 繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。ヘラヘラしてさ。いいじゃない、それで。アンタなら、 そう書いても誰も何とも思わないよ。」そこで単純だから、素直に少し文体を変ることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。 もどるだろう。ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の =第一章 スペインの黒い雨=から、スペインの 世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感になっている、と思ってもよい? ーー 私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで貧乏であろう、 と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。 が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭に お招ばれされるべきところを「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、貧乏な友達にはたかられてしまうであろう。 それでも、長いスペイン暮しで、いやおうなくワインやシェリー酒は飲みつづけているから、金曜日だけが安ワインの日、という 普通のジャパニーズよりはワインの味は分かるかもしれない。だから、たまに日本でのお招ばれでフランス料理なんぞをゴチに なったりすると、先方がせっかく張り込んでシャブリだのボルドーだのと開けてくれても、こっちは値段を知らぬものだから、 平気で正直に首を傾げて「うーむ」などと言ってしまう。 あとできくところによると、そういうものはまあレストランにもよるが 一万円以上するらしい。そんな高価なものを口に含んで「うーむ」と唸る当方が、さぞかしワイン通にみえるのは、東京の金曜日の 安ワインファンにはやむをえまい。 でもまずいんだから仕方ないよ。そもそもフランスのワインなんぞというものが、 どういうクワセモノであるかは、先頃一九九五年のシラク大統領の南太平洋における核実験再開をみても察しがつこうではないか。 いや何も私は、このごろになってそんなことを言っているのじゃない。シラクがパリ市長だったころから、右翼的で尊大で野心的で 人種差別主義者的なこの男の顔が私は大嫌いだった。この手のツラは、スペインにもちらほら、いやこのごろはぞろぞろいる。 特に一九九二年のバルセロナ・オリンピック以後。スペインは今(一九九五年)、銀行家や警視総監や政府首脳を含む 一大汚職にまみれており、そやつら、亡国的売国的利己的な連中の顔が、スペインの湿った裏庭パリにもいた。それがシラクである。 (以下は字数の関係でカット2009年06月26日) (*^ワ^*)i バイ ・・・・・・・ 2005年06月26日(日) 1545, エホバの証人ー1 誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはず。 といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る位のことである。 学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。(しかし、自力で脱会してきたが)中学校の 同級生が自宅に訪問伝道にきたり、前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。 貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。街角に立っていた元部下に偶然10年ぶりに会った時の話。 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日) ・・・・・・・・ 2004年06月26日(土) 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2 このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。 それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどの シルクロードに危険を冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっているのを知っている人である。 旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由でその地域に興味がある人か、人生の癒しを求めに来ている人。 また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。 年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。そこでは普段聞けない面白い話や 人生を垣間見ることができる。一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。遠藤周作の小説「遠い河」のような、 それぞれのおもい人生を背負った人の集団と赤裸々な日々を過ごすことにもなる。もう二度と会わないから、本音の話になる。 そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。 旅行をしていて気がついたことは大まかに ・自然派と遺跡派と欧州派 ・アフリカ派とインド派と南米派と中国派 に分類することができる。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月26日(木) 813, 日暮里界隈 一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。 谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。 それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。知人の会社の東京事務所があったため、 よく通ったという店があった。沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店であった。 店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。石垣島出身で具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。 (字数制限のためカット 2010年6月26日) ・・・・・・・・・ 2002年06月26日(水) 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2 「歴史」ー岩波文庫 に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに 「王の墓ではないか」と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで数千年それが信じられてきただけだという。 最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。墓や出勤簿が出てきたという。 それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。 二日酔い、兄の結婚式等々。発掘で事実がまったく変わってしまう。日本では中ぐらいの川が3000本あるという。 エジプトはナイル川一本だけ。しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。 ピラミッドは公共事業という説がある。それも無用の長物だから意味があるという。収穫の50?が王様、25?が地主、 25?が農民が取った。する仕事がない時に王様が25?をその公共事業のために放出したという。 一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と判ると二度とそれをやらなくなった。 その後神殿造りに変わっていった。今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。 当時のエジプトで神について以下のように考えた ・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え ・二番目に良いのは、神が本当いると信じること ・三番目は神はいないと思うこと ・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと{これが今回一番面白い内容であったー現代人と変わってない} 日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。新しい国だ。AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。 エジプト中には83のピラミッドがあるという。ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。王様にも最大5個の ピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。今は3年に一個の割合で発見されている。最終出るまでに後200年かかるといわれている。 ・・・・・・・・ 2001年06月26日(火) [64] おまいり 毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4〜5年続けている。 「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、 そして総ての霊が安らかお眠りください。仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。 そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。特に大変な人こそより良くありますように。 かさねてお父さんお母さん有難うございます。今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」 大変な人は、周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。
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2011年06月25日(土)
* エアロビックス スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、スタジオで色々なプログラムをこなしている。 15〜20分の休憩をおいて何かが30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど参加者が少ない。 男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、 12人がステップ台とマシーンを交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者が冷たい?視線で、 行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、 この梅雨の湿気で一回限りにしている。 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして参加したが、 意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など 10回以上は参加した。 最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。 それにしても、あの熱気は凄い。時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを堪えている。 今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。 面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか? ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯では、2〜3割位は減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。 ・・・・・・・ 3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2 2010年06月25日(金) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、 老歴期までの準備の蓄積の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の最終の中学校の同級生を見ると、 その時の成績順が、そのまま人生の生き方を決めている。一番が慶応大の教授、二番がレコード協会の専務理事、三番が・・・ そんなことは、この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったのが、街中の学校区ということで集まっていただけ。 地元には大学の付属の小中学校もある。学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の子供が行く学校。 子供なりに腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校に、 わざわざ越境していたと数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材がいたようだ。 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を 表すというが、次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。 そうこう考えると、両親の質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。 その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、先日の広島のマツダの無差別殺人は、 これらの不条理が本人に覆いかぶさった結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。 結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。 これが果たして、不条理を乗り越える役割とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。 ・・・・・・・・ 3003、アルコール依存症 2009年06月25日(木) これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、一人うそぶき飲み続けている。 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準) ・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、 1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。 ー適応 ・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。 ・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」 ー適応 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。 ・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。 ー半適応 ・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応 ・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。 ー不適応 ・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応 これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。 また国際基準というから。 少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。 解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。 ・・・・・・・・・ 2639, 世界の原子力発電の実情はどうか? 2008年06月25日(水) このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。 更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。 地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である 今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、 今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。 ーー 世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、 計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカ合衆国が最大で、 06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。 ーーー 情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。 それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。 それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。 ――― 2007/08/06 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている? ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning 今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。 ーインターネットで早速しらべてみた。 世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37パーセント。世界全体として原子力の依存度が 高まる傾向にある。現在の日本では、石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。 日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、スウェーデンの エネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める 石油依存度は、2001年度に50%になった。(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う) 現在の日本には、53基の原発があり、 発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。電力10社では原発31%、石炭火力26%、 LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。 その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。 (字数制限のためカット2010年6月25日) ・・・・・・・・・ 007年06月25日(月) 2274, 現在とは何か (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ 「現在」とは何だろうか? 歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。 ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。 文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、?ハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏 (一橋大学名誉教授)の「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。 難しい本を優しくまとめてある文章のため、中味の濃い内容になっていた。 ーその内容の一部を抜粋してみるー ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。 その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。 しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまったハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。 一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・ かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。 二、次に、持続する現在がある。 私たちの意識の下層は過去を残している。 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。ひとたび創りだされたものが 生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。 三、一回限りの現在がある。 それはひとたび生まれて死ぬ人間の運命である。子供はたしかに成長する過程にあるが、完結した全的人間でもある。 戦渦の中で飢えている人には一切れのパンが現在であり、孤独なものには援助の手が現在になる。 一回限りの現在は時代の脅威の中で幸福を享受することでもある。 四、最後に決断の領域がある。 私たち自身の行動によって人と人とが感謝で結ばれていくことである。要するに、歴史に対して私たちは自己を主体として 対するのであり、時間も客観的に流れていくのではなく、自分が捉えることによってはじめて生きてくるということが解った。 すべての歴史的出来事を現代という視点で捉えるということは、自分の目で歴史を見るということであり、そのためには 自分の内面に対応する歴史を発見しなければならないのである。私の若い頃の日本の歴史学にはこのような時間論は無かった。 古代、中世、近代という時代区分が確立しているとされ、それぞれの時代のなかに幾つもの現在があるなど思いもよらなかった。 現代世界にも様ざまな現在があるように、古代にも中世にも様ざまな現在があり、それらを意識していた人々の暮らしと 思想を見出さなければならないのだと、思い知ったのである。私は自分が生きている空間としての周囲の世界を見ることから 始めたのである。当時、安保騒動のさなかにあり、私の周りでもデモや議論が渦巻いていた。私もその議論の中にいた。 しかし私はその中で自分の目で見、確認したことから出発しようとしていた。私は一つの地域を選び、その地域の歴史料から、 その地域の歴史を起こしていくことを考えた。それは外国史を対象としているものにとってとてつもないことであった。 ーー ー以上が概要であるが、なかなか難しいようだが、それでも解りやすくもある。 ・その時どきの現在があり、それは大きな革命や、出来事が現在を現出しており、 ・現在は、私たちの意識の下層に過去を有しており、 ・現在は、一回限りであり(一期一会)、 ・現在は決断という領域を有していて、自己と対峙して自分が捉えることによって、はじめて生きてくる。 現在は、自分が主体的に世界を捉え、自分の内面と対応した実感として考えたときに、その中に意味を見出すことが出来る、 ということである。「現在」という問題も、結局は「いま、ここの現在」の自分との対峙ということになる。 般若心教を唱えているときの、五蘊皆空の直感に似ている。 (ノ ゜口゜)ノさらばじゃあ ・・・・・・・・ 2006年06月25日(日) 1909, スペイン画家・堀越千秋 −1 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ブエノス ディアス! 以前NHK・BS でー遠くにありて にっぽん人 ーを、シリーズで放送していた。 世界各地の国に溶け込んで活躍している日本人の芸術家や、技術者や、経営者などを紹介する番組である。 (2009年6月25日カット) ・・・・・・ 2005年06月25日(土) 1544, 私の酒中日記 ー10 金沢 ー6 ー1972年3月某日 武蔵店の店次長と最近飲むようになった。店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているからだ。 これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。何時ものように居酒屋に飲みに行こうと歩いていると、 目の前に店の女子がいる。丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。ところで、店次長の今日の話が面白い。 金沢でよく言われている裏話があるという。その地区でしか聞けない面白い話しである。「能登と福井の女は止めておけ、 嫁を貰うなら富山がよい。自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。 富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、 能登だけは止めておけ。自分が能登出身だから間違いがない!潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう」その同僚女子は 金沢周辺の出身で問題はなかったが。そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身の女性が良いと聞いたことがある。 (字数の関係でカット2011年6月25日) ・・・・・・・・・ 2004年06月25日(金) 1179, 哲学についてー10 ー現在の哲学 現在の哲学はどうなっているのだろう。現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。 この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく 根源的生命力のことをいう。構造主義とは[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」 (無意識)を探求する]と、いうことである。 解りやすく大雑把にいえば 「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それがすべてである」その構造主義を唱えたのはソシュールである。 彼は人間は言語を持つことで人間になった、「人間は言葉だ」と主張。構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。 このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。 情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。 情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする社会といってよい。 その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。 哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に重要になってきている。 自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで主張することの重要性をあらためて確認した。 「哲学について考える」を書いてきた効用か、今までとは何か違った目で「哲学」の本を読めるようになった。この程度でだ。 ところで、本棚には哲学に関する本が何冊かある。何冊か書いてみると 「哲学のカフェ」 ノーラ・K 「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル 「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太 「哲学がわかった!」鷲田小弥太 「哲学のコテン101物語」木田元 「新哲学入門」三木清 「ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ 「ユング」コリー・ウイルソンなどなど、30〜40冊以上はあるが、 それを理解しているかといえば話は別である。ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30〜40とした。 哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。難しいことをシンプルに、 シンプルのことを深く、深いことを面白くである。哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。 ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義」 とかの概念をテーマにして書くつもりである。 次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。 ・・・・・・・・・・ 2003年06月25日(水) 812, 変な人が書いた成功法則 ー 読書日記 (2008年6月25日字数の関係でカット) ・・・・・・・ 2002年06月25日(火) 448,吉村作治ー考古学について ?1 昨日、彼の講演があったので聞いてきた。エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、 一言一言が非常に興味をもてた。 講演内容を時系列にそのまま書いてみる ・考古学は人間学である。 骨董屋とは違う ・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと虜になる (字数の関係でカット2008年6月25日) ー 続くー ・・・・・・・・ 2001年06月25日(月) [63] 秘境ツアーコーナー故障中 3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。 ホームページ面白いがメンテとランニング大変! 好きだからやってるが、そうでなくては無理。 ーつづく
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2011年06月24日(金)
* 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では考え方の一つとして割り切ってみている。 その最たるものが、中村天風の「積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、置く習性になっている。 現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。その辺のタイミングは心得ている。 あまりポジティブ思考に固執すると、嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。 ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、葛藤が大きくなる。 しかし、そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。 ところで、この本、読み始めたがナカナカ面白い。 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを 発揮したから、ここまで到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待っている」という考え方は説得力がある。 そこで私の強みとは何か?を、人生を振り返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」であった。 初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。 当然といえば当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、 可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。その一つが、10年前にHPをネットで公開し、 因縁のある人に学んだことを晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 で、このザマ? それでも全くかまわない。その通りである。 この習慣そのものが、自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていくことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままにしてあるが、 治そうとしない、だらしなさがある。 弱点の克服も、重要という自覚がない。「強み」を生かせは、ドラッガーが強調していたことだが! 人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、形而上に変換し、考えることだが・・・ ・・・・・・・ 3377, 人は風呂に何を求めるのか 2010年06月24日(木) 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れていればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。 世界中で、汗をかくほどの湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かるのも日本人だけ。 だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンのシャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として 半地下の小屋で火を焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。 これが、焼き石を持ち込むことに替わり、焼き石に水をかけて 蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。 古代ローマも、各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。 ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。 日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂になっていく。 「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、 汗をかいた後に、汗や垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の気持ちになっていた。 刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。 だから、日本人は昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると 温泉に長時間の療養をしてきたのである。 国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で 「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題になったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。 ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり 美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に30分ほどつかる。 その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、 信濃川岸のサイクリングかウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、帰って新聞を読んで、 風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。 ・・・・・・・・ 3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件 2009年06月24日(水) 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の至近距離にあるホテルの美容室に勤務している 娘が昨夜帰ってきて泣きながら、殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」という。 特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュース では100万円以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかったのだろう。 それにしても、事務所内は 血の海で、血の足跡が外まで続いていたというから、凄惨な殺し方のようだ。 月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金からみて、 極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって決めておいて逃げたのだろう。 犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、 黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 そういえば現場から200メートル先で、 7〜8年前に金券ショップの店主が殺害された事件があった。殺された店主の隣人が、万代の町内会長で飲み会で月に一度は 顔を合わせていた人。町内会長には警察からその詳細の内容が入るとかで、その会で微に入り細に入り聞いた記憶がある。 この時は怨恨で犯人は捕まったが金券か何かの縺れから、事件を起こし服役。服役中は「ただ復習しか考えてなかった」という。 恐ろしいことである。ところで、新潟駅前にはサラ金が多く見かける。貸しビルの1Fは大手が入り、上階にいくにつれて 際どいサラ金になっている。会社の人の話によると、毎日、集金をして銀行に行っていると、店主と自然に顔見知りになり、 一言二言話をすることがあるが、かなり危なそうな人。 毎日の記帳が一冊になるという。ということは通帳には600段あるから 5ー600人の振込みがあることになる。せいぜい2〜3千円としても膨大な金額。 娑婆には私らの知らない世界がある。 ・・・・・・・・・ 2638, 娘に贈る12の言葉 ー5 2008年06月24日(火) 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記 ー8、汝自らを知ること。ー ・自分自身をよく知ってほしい ソクラテスは「自分の無知を自覚して自分の魂を育んでいくよう」という 倫理的要求として、自らの行動上の標語としたと 言われている。もともとはスパルタのキロンの言葉といわれ「身の程を知れ」という意味だった。 投資で成功するには 何をさておき、自分というものを解っていなくてはならない。 どんな時にも、冷静な判断をしなくてはならない。 そういう状況に自分がパニックになるかを知っていることが重要。人は自分の好きなことについてはうまくやることができる。 自分が最も好きなことを続けなさい。そうすれば成功をすることが出来る。 ・人は群集心理にかられやすい 群衆から離れて冷静に状況を判断すべきである。 ・パニックを起こしてはならない。心理学を学ぶべき。マーケットで起こりやしヒステリック状況を冷静に判断すべきである。 解)命と同じぐらい大事な金を賭けるのだから、顕わな自分と直面する。命を摩り減らすのは自明である。 投機と投資を間違わないことだ。幾ら投機で損をしたことか!中国のバブル崩壊のパニックが何時起こるかである。 ヘッジもしておかなければならないことも確かだが。 ーー ー9、変化を捉え、そして受け入れなさい。ー ・すべては変化していく。 世界は時とともに変化をしていき、それが重なったのが歴史である。 あるものにとっては開かれていくプロセスであり、 あるものにとって閉ざされていくプロセスになる。変化は触媒になりうる。大きな変化こそ大事なのである。 大きな変化は十年単位、百年単位でおこるもの。 ・需給の原理を覆したものはいない。共産主義は需給に頑強に逆らってきた。 需給の原理は経済の教科書の一ページにかいてある。これに逆らったからソ連は崩壊した。 解)現在の変化は、地球上の半数を占めるアジア人、その中でも中国に火がついたことと、情報化の大波が世界を揺るがしている! と言ってよいだろう。ナチ、ソ連など独裁国家がオリンピックを開催すると何年後に体制が崩壊する。 中国も、一度解体するのだろうか。 見ものである。 ・・・・・・・・・ 2007年06月24日(日) 2273, 霊長類オンナ科図鑑 ー1 (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 中村うさぎ著 角川書店 またまた、 中村うさぎである。図書館で手に取ると、ついつい借りて読んでしまう。この本は、「こんなオンナはイヤだ!」と、 女達への悪口の連続!の内容である。女の職場で、いやというほど色いろな女族を見てきたが、でも可愛いのが女である。 それにしても中村うさぎが、よくぞ冷淡に女の生態を書きあらわしている。だから同性に嫌われるのだろうが、若い鼻持ちのならな いバカ女!達よ、少しはこの本を読んで、自分の姿を省みなよ!と心底、言いたくなる本である。 (字数の関係で中間カット 09年6月24日) ・・・・・・・・ 2006年06月24日(土) 1908, 地方経済(新潟)の実態 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? 先日、佐渡出身の人から聞いた話。「佐渡の人口が、自分が高校を卒業した40年前に比べて14万→7万人以下に半減。 観光客も、120万→60万人に激減した」という。40年前(学生時代)に、大學の友人と遊びに行ったことがあるが、 何の印象も残っていない。 「二度と来るところではない島」という印象が残っただけだった。 「ドサ周り」の語源が、佐渡と土佐から来ていると聞いたことがある。先日の知人の話によると「あの小さな島で200〜 300の建設業者がいる」という。10〜20でも驚きなのに。仕事柄か、佐渡だけでなく新潟県の衰退を肌で感じている。 冬季オリンピックが終わった時、長野県が大きな転換期を向かえたが、新潟県も、戦後から続いた公共投資も底をつき、 農業保護政策も転換。急激に衰退し始めている。これは全国レベルでいえることだが、新潟が特にいちじるしい。 ・新潟県の総建設費が10年前の1996年に比べて40パー減。 ・公共工事にいたっては10年前の60?減という。 (字数制限のためカット 2011年6月24日) ・・・・・・・・ 2005年06月24日(金) 1543, 新宿・歌舞伎町の変容 歌舞伎町といえば、1~2年前までは風俗無法地帯であった。 しかし石原知事が『歌舞伎町浄化作戦』を展開させてから 昨年の4月から半年間で、風俗関係を162店、人数にして500人、暴力団員が200人、それから不法外国人が7百人が 検挙されて歌舞伎町の街が一変しているという。それまでは、日本暴力団とチャイナ・マフィアが仕切る無法地帯に近い状態。 そこで石原都知事が元広島県警本部長の竹花豊を副知事に任命。彼は、「NYはここ10年間で犯罪は減ったが、歌舞伎町は犯罪が 増加傾向にあり、その原因は違法風俗店が増え、その資金が暴力団に流れている」と宣言し、本格的に浄化作戦に出た。 アジア最大の歓楽街と言われる歌舞伎町を、「親子で歩ける健全な街に戻そう」という動きが本格化した。 警察などの取り締まり強化で怪しげなネオンが消え、飲食店舗ビルの看板は虫食い状態。違法風俗店が続々と摘発され、 キャバクラやクラブなどの店舗も相次いで閉店。歌舞伎町の町内会では、監視カメラを据付てビデオで録画などの警察と 共同作戦が効を奏し、売春婦、呼び込み、前科者、ヤクザ、不法滞在者などが消えてしまった。 以前なら客引きに付きまとわれたが、今では飲食店を含む客引きは一切規制され、ピンクビラは配布するだけでなく、 配布用に持っているのも禁止。「路上のたむろ」さえ規制の対象された。この三月に、北池袋の東横インに宿泊したが、 以前のような怪しげな店や、呼び込みの姿は殆ど見られなかった。このため、ピンク対象の飲食ビルなどのテナント撤退が進み、 不動産の相場が暴落したという。2007年問題(現在工事中の高層ビルが一斉に完成すると、中小ビルから高層ビルへの移転が さらに進み、地価暴落の大きな要素になる)が控えていて、どの要素をみても、地価に対してはマイナスである。 それにしても、あの桃源郷?といわれた歌舞伎町が健全の街になるとは! そして地価が暴落するとは数年前までは考えられないことであった。政治の力は絶大である。 ・・・・・・・・・・ 2004年06月24日(木) 1178, 哲学についてー9 ー現代の哲学 −2 実存主義の大きい影響を受けたサルトルは、たんに優れた著述家としてだけでなく劇作家・小説家としても名を知らしめていた。 彼はハイデッガーを研究し、最初の戯曲を発表。また1943年には哲学上の著作として重要な「存在と無」を書き上げた。 彼の言葉に「精いっぱい生きること」がある。「社会が課す規制や規則に反発するのは若者であり、誰でも 『自己についてのあらゆる選択権』をもっている」という、彼の言葉に当時の若者が飛びついた。 現代の哲学を考えると、アメリカのプラグマティズムをあげなくてはならない。「知識を実践的な活動としてとらえる」 考え方である。18世紀後半アメリカが国家として独立すると、アメリカ特有の新しい文化や思想が生まれるようになる。 その後100年かかって優秀な哲学者がハーバード大学などからでてきた。バース、ジェームス。そしてディーイである。 バースはプラグマティズムを「言葉に表れた意味を確認する手法、意味論である」と主張した。彼の一主張で 「知ることはひとつの行為」であるというのが印象的だ。20世紀には分析哲学が飛躍的にのびた時代でもある。 哲学者の多くは学者や科学者ばかりという背景もあった。論理分析や言語分析などは歴史的に見ても飛躍的といって よいものであった。人間の知識の本質に対する徹底的な再検討と分析である。 そして構造主義がうまれてくる。 ・・・・・・・ 2003年06月24日(火) 811, 「最良」の敵は「良」である ある本の冒頭に出ていた見出しである。 ー以下に書き写してみるー 「重要事項を優先すること」は、人生の核心に関する問題といえる。ほとんどの人は、「やりたいこと」や 「やらなくてはならないこと」がありすぎて疲れ果てている。 自分の時間を最大限に使い果たすために、そのときどき、 あるいは一瞬一瞬、行動を決定することは大変なことである。「良」か「悪」を見分けることは簡単だ。無駄な時間や 愚かな時間の時間の使い方なら誰にもすぐに分る。「良」か「最良」かを見分ることが難しいのだ。 「最良』の敵は「良」であることが多いからだ。あなたにとっての「最良」とは何だろうか。 「最良」のために時間を使うことを妨げているのは何だろうか。それは意外なことに、あまりに多い「良」が邪魔をしている。 数多くの「良」に邪魔をされて、最優先事項を優先できなかったことを、ほとんどの人が後悔するのである。 ・・・・・・ ー以上であるが、「無意識的に小事に取り組んでいるのは、意識的に大事に取り組まないのと同じだ」 と次の項目にあった。 小事が「良」大事が「最良」と考えてみると小事が最大の敵というのが解る。 小事も大事であるが、それにとらわれて大事を見逃すことが致命傷になる。目先の緊急を処理することが、いっけん大事そうだが、 これが敵である。「最良」を明確にして、真北(北極点)に向かって常に磁石の針を「最優先事項」に向けていなくてはならない。 何かハッとする言葉である。イトーヨーカドウで「ヘドロー売れ筋外れ商品」の仕入れ原因を調査した。 ーそれがなんと売れ筋商品の品切れをカバーする為に仕入れた類似商品だったー売れ筋を最良とみて、次善の商品を入れたつもりが、 最悪の事態を呼び寄せてしまった。少し意味がそれたか?人生そのものであると同時に、すべてに当てはまることといってよい。 今の日本の姿といってもよいだろう。自民党旧守派が常に「足して二で割る」政策をしてきたことが、この「良」といえる。 日本をここまで追い込んだのは醜悪集団が「良」の選択をしてきた結果である。単なる利権集団屋さえ気がつかない低俗国民に 問題ありだが。最良の「敵」が「良」とは、もっと早く気がついているべき!気がついているほうであったが、それは「良?」 の人に比べてか。 最良じゃない自分がいう権利はないか?しかし真北の選択という面で最良は選ぶことはできたはずだ。 その都度真北を見てきたつもりであったが、どうであろうか。私が意識的にー敵(良)としてきたことは俗に言う「世間様」。 それでも一言で「『最良』の敵は『良』である』とずばりいってのけるとは! ・・・・・・・ 2002年06月24日(月) 447,内面処理の仕方ー心の自己処理 昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」でいろいろ行き詰まりなどあった? それなりに乗り越えてきたのは「最後は一人」ということが実感で解っていることもある。 行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。 自分の気持ちと事象を、とことん書き連ねる。・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。 ・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。もう出てこなくなるまで書く。・その内容を読み返す、そして更に書く。 これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。 ・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。その時は残るが、時間が経つと 全く内面から消滅する。「割り切」を合理的にしていることになる。それを中途半端にすると後に残ってしまう。 あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。 一番辛いという、連れ添いの死も三年という。般若心教を暗記してあるのも良い。全ては宇宙の出来事の些細な出来事で しかないことが自己確認できる。般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。 ・・・・・・・・ 2001年06月24日(日) [62] あと2週間 あと2週間で北欧ロシア旅行だ。まだ実感がわかないが、かなりハードな旅行になりそうだ。 南アフリカやシルクロードからみれば、半分ぐらいだろう。このコースはやはり外せないコースだ。 ペルーにいった時、同行の人に「旅行道という言葉があるならインドは絶対外せない」 と言われて、インドに行ってみて納得したが、このコースもそれに近い何かを直感した。 それが当たっているかどうか?「12日で5カ国、バスあり飛行機あり船ありだ」毎日が面白い。
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| 3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? |
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2011年06月23日(木)
指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論である。 この疑問に至ったのは、新聞広告で「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著) を知り、アマゾンで概要を読んで、 驚き同調したため。 この国では、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?の関係になっている実態がある。 ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、 炎暑下の赤ちゃんの車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を取材してきたが、2006年暮れ、 たまたま旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に 帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。 ーアマゾンに投稿されている以下の評論も、正論であるー ≪ 韓国に、2000年代に入ってパチンコが日本から移入され、様々な社会問題を引き起こした末に、数年で全面禁止になったという話は、 寡聞にして全く知らなかった。本書の圧巻は、タイトル通り、韓国で起こったパチンコを巡る一連の騒動を現地取材を踏まえ詳細に報じ、 韓国に禁止できて日本にできない訳をズバリ指摘している点である。 また著者は、依存症を招き多くの人を不幸にするパチンコを、 「数千人の莫大な利益のために、数百万人を泣かせる行為」として、廃止すべきであると強く主張している。 筆者は、日本のパチンコを 巡る構図を、パチンコ店経営者は小作人、メーカーを地主、警察を悪代官に喩え、この3者のトライアングルが金(=広告料)で マスコミを黙らせ、ロビー活動により与野党を問わず政治家を抱き込んで、「パチンコ王国=賭博天国」ニッポンをつくり上げている 実態を明らかにする。 家族にパチンコ依存症患者を抱え塗炭の苦しみを味わった経験のある私には共感できるところ大であり、 韓国の実例は希望を与えてくれる。≫ ▼ 私は家が商売をしていたため10歳まで繁華街のど真ん中に住んでいたので、近くにパチンコ屋があったことを憶えている。 公然と街中に、現在まで賭博場があったことに誰も異をとなえなかった奇妙さに、日本の文化の低さが見えてくる。 反面、戦後日本の小さな射幸心を満足させてきた遊びに、目くじらを立てることもない、という容認も、分からないでもない。 それならば、競馬、競輪は、どうなのかという問題も出てくる。パチンコ狂いからサラ金、家庭崩壊というパターンは数知れず。 私の親戚縁者や友人に、それで身を持ち崩したという人は一人も存在しなかったが? あの負けて店を出る時の不快感と虚無感! ・・・・・・・ 3376, 生涯に直面する四つの不条理 2010年06月23日(水) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 * 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。 ー 以下はネットで調べた概要 ー 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。 一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実である。 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の 出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が 進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面する不条理である。 二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、 時に一生その人につきまとうことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。 三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が一手に引き受けて、 生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。 不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく 異なっているのは、労働市場が男女で分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ 社会的支援が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があることである。 医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。 四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、 蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は 同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには周到な老後設計が求められる。 高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本では年金だけで生活できないので 老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと 急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。 〜〜 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、恵まれた 両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 老後は、それほど為残したこともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。 ・・・・・・・・ 3001、ハロー効果 2009年06月23日(火) 「世界は感情で動く」 ー4 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー * ハロー効果の意味とは? ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、 【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる 現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向への ハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースがある。 また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。 それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、 実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】 ▼ 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に囲まれ、これから大一番に向かう 冬時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。といって、それと品格とは違う問題。 馬鹿な大男に「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。この認知バイアスを利用しようと カリスマを演じている人もいるが、ほぼお笑い。(気づいてないのは本人だけ)だから面白いのである。 皇室も似たようなもの。 目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、7割はペプシが美味いと答えるという。 宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。 そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。 世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。 そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。 ‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味! 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。 ・・・・・・・・ 2637, ロードサービス、初体験! 2008年06月23日(月) ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは! ー半ドアでバッテリーが上がるー 昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。 バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 ・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけのガソリンスタンドの電話を して来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。 ・車のコンビ二に電話をすれば、5千円?は取られるだろう。それこそ、ばかばかしい。 ・そこで、カードのサービスにロードサービスがあったことを思い出した。 OMCのロードサービスである。 しかしロードサービスが自宅の自動車のバッテリー上がりにくるわけがないと独り言を言っていると、家内が駄目もとと、 電話を入れた。 ところが「もちろんOKです」という返事。 駄目もとで何でもやってみるものである。 さっそく、業者の人が20分もしないうちに来て、充電は10分で終了をした。 カードのロードサービスは、それぞれの 地区の自動車修理の業者と契約をしていて、電話をすると、20?30分で駆けつけるシステムになっているようだ。 今回、観察をして解ったことだ。 電話をしたしたところ、「○○自動車修理というところが、20分後に伺います」と言う返事で あったことから、理解したこと。宅配便も地区によっては、地元の小さな運輸会社と似たようなシステムをとっているのだろう。 それにしても、ベンリである。地域密着型のガソリンスタンドが、大型のGSに取って代わられようという昨今、 これらを一手に受けているのがカーコンビニだが、カード会社のロードサービスもナカナカよいものである。 バッテリーが上がったのは20年ぶりのことだ。 その時は、行きつけのGSの人に来てもらった。 ゚Д゚*)ノ⌒バイ! ・・・・・・・ 2007年06月23日(土) 2272, 漢字は、一字で、詩やねん (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯ ー 榊莫山 の名言ー 漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。山、川、木、森、すでに、字そのものに、 絵と言葉の合体がある。室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。 それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、 なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ... ーー 「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である! 「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、この言葉を重ねると何とも言いえて妙である。 その物語のテーマという名前を両親が愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生をかけて演じるもの! 「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。 墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。 一人一人物語と深い経験を持っている。 そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男! 私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った? 八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか! o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪ ・・・・・・・・ 2006年06月23日(金) 1907, エピソードで読む西洋哲学史ー2 。・∀・)ノ゙オハヨウ! ー読書日記 この本の中にフランスの教育事情があった。日本との違いに驚いたが、これでは不法移民が暴動を起こすのも解らないでもない。 自由・平等・博愛を標榜している仏国をエリート教育システムからみると、徹底的な差別国家とも受け取ることができる。 (エリートは、選抜された人である。その背後には振り落とされた人が多く存在している)自由、平等、博愛はエリート社会の 仲良しクラブ内だけの合言葉でしかないのか?「有得ないからせめて努力しましょう」ということだ。北朝鮮のように、 漫画的な奴隷制度が残存している国からみればまだよいが。優秀な人を選んで徹底的に教育しなければ国は成り立たないのも事実。 ーー P・310 高等師範学校(エコール・ノルマル・シュぺリウール)、 これがフランスの知識人世界を理解するキーワードの一つである。 フランスの高校生は大学に進学しよう思えば、 ・バカロレアと呼ばれる全国統一テストを受ける。 ・これに合格すると大学入学の資格を得て、基本的にどの大學にも進学できる。 ・フランスでは大學の授業料はタダ、無料である。 現在のデータでは、ソルボンヌ大學の場合、年間二万円少しの「登録料]]を払えばよい。基本的には欧州の大學は、 フランスでもドイツでも、授業料はタダ。この点がアメリカとは基本的に違う。(アメリカは年間250万円が相場) 欧州は大學授業料がタダなので、私立大学は殆ど存在しない。しかし、フランスのエリート高校生は大学には進学しない。 ソルボンヌ大學なんか行かない。 何処に行くか?高等専門学校(グランゼコール)を目指すのである。 (字数制限のためカット 2010年6月23日) ・・・・・・・ 2005年06月23日(木) 1542, バージン島にオフショア会社設立? 一昨日、取引先の保険会社の社長が、「面白い人を連れて行くから会ってくれないか」という電話が入った。 何回か、その面白い人?の話を聞いていたので、気楽に会うことにした。菊池ファイナンシャルグループ代表の 菊池重喜氏という人である。持ってきたパンフレットによると1966年にカナダ移住。 現地で、伊藤忠商事カナダ、サンライフ生命保険を経て、1980年に保険会社の菊池ファイナンシャルを創立、 2000年には現在の菊池ファイナンシャルグループを創立をしたという。 彼の話の要点は、 ・日本そのものが危ない状態に入った、 ・AAA格付けのカナダ国債・アメリカ国債をオフショア金融センターで購入しておけば資産が安全に育ちますよ! そのお手伝いが、彼の仕事である。今までは、海外のオフショア会社の設立など、全く別世界に思えていたが 手軽につくれるという。このサービスは、日本にいながらにして、国際的オフショア金融センターである 英国領のバージン諸島において、オフショア会社の設立が可能となるという。 それにより、法人・個人の合法的節税対策に有効な手立てをこうじることが可能になるとのこと。 その設立費用は3000ドル、年間会計監査費用として、1500ドル必要とのこと。 最低ロットが2500万円という。決して胡散臭くはなさそうだが、解ったような解らないような話ではあった。 私の感想として、彼はアメリカが絶対に大丈夫といっているが、その前提の上でアメリカ国債の買いを勧めている。 果して「今後10年~20年以上、アメリカが大丈夫!」かに対して、非常に疑問を感じる。5年すら疑問である! 彼があげていたアメリカが大丈夫という理由 1、軍事力が絶対的に優位 2、ドルが主軸通貨 3、英語が世界共通語である 4、金の保有量を世界で25パーセント保有 (字数制限のためカット 2011年6月23日) ・・・・・・・・ 2004年06月23日(水) 1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記 人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに新たに新刊本が追加されてあった。 (字数制限のためカット 2010年6月23日) ・・・・・・・ 2003年06月23日(月) 810, 「ありがとう」の言葉ー5 最近は殆んど見られなくなったが石油スタンドが完全自由化になる以前は、まだ石油の価格が暗黙のうちに規制されていた。 その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と頭を下げるのが流行っていた時期があった。 (字数の関係でカット09年06月23日) ・・・・・・・・・・ 2002年06月23日(日) 446,喧嘩のコツ ・まずは先手必勝、なんでもそうだが ? 王手・飛車より、先手が怖い ・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち ・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む ・短期決戦ーこれも鉄則 ・大義をつくっておく ・時には捨て身でも ・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式 こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。その前に殆んど自滅していくが。 喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。 事業は弱い相手を探して叩けばいいが。子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。 その場合けっこう面白がってやる。生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。 長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。 ・・・・・・・・・ 2001年06月23日(土) [61] 小泉総理メルマガの紹介 らいおんはーと ? 小泉総理のメッセージ] [大臣のほんねとーく] ● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣) 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中で、 衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、上司の助教授に呼ばれた。
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2011年06月22日(水)
◆ 長寿の秘訣 先日のNHKで 腹7分目の猿と 腹いっぱい食わせた猿を20年実験した映像があった。腹一杯の猿の半分が死んでいるのに対し、 空腹の方の猿は八割が生存するという。それにしても、隣り合わせの檻に入れられた二匹の猿の姿の差に愕然としてしまった。 全ての生き物に、ある遺伝子のスイッチがあり 飢餓状態の方が健康にいいという内容であった。101歳のアメリカ人男性は 二十歳の頃から食事制限していて外見は70〜80歳ぐらいに見えた。 小食粗食は、身体に良いとは頭では知ってはいたが・・・ TVでも、実際にモニターが数人、三割カットした食事を7週間で試みた結果、遺伝子のスイッチが入った結果を出ていた。 これを健康食品で可能かを取り上げていた。レスベラトロールという物質が、遺伝子にスイッチを入れるという。最近、コマーシャルで 目にする「ブルーベリー」などに含まれているという。 これを飲み続けると、長生き出来るというなら、小食を心がけた上に、 これさえ飲んでいれば長寿になるようだ。私のように食事に、ある程度の満腹感がないと食べた気がしないのは、長生きは出来ないか。 ◆ 一メートルと、一kgの基準の割り出し方 やはりTVの番組で知ったことだが、「一メートルは北極から赤道までの1万、その延長上の南極までで、2万。 一周で4万分の一が一(キロ)メートルの基準値になっている。 また一キロは一リットルの水の重さが原点という。これも初めて知ったこと。 といことは、私の重さは、1・8Lのボトル32本分になる。そんなものなのか。 ◆ 65歳以上の人口比は? 2010年度の65歳以上の高齢者は前年より46万人多い2944万人(総人口比23.1%)と過去最高を更新した。 40年前の1970年度で、7・1パー、1980年度で9・1、90年度で12パー、2000年度で17パー、そして、去年で23・1パーセントになった。 何と、40年で3倍以上になったことになる。大よそ14人に一人から、4人に一人になってしまった。65歳になった現在、私より若い人は 4分の三になってしまった。これは、欧米の16パーセントを遥かに超えた数字である。 2020年には、30パーセントに近づくと言われており、 その年金だけで国家の財政は成り立たなくなる。恐ろしいことに、これは欧米社会も、今まで経験をしたことのない事態。 日本経済の不振も、この辺にある。とはいえ、アジアなどから、どんどん外国人を移住させるのも、問題が出てくる。 ・・・・・・・ 3375, 大相撲の野球賭博について 2010年06月22日(火) 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博、覚醒剤とか、 一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、 神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。 地方巡業の興行というと、ヤクザが絡んでくるのは今さらのことである。 どうも、親方、理事の顔を見ていると、 彼等も何かやっていたのでは?と、思うのは私だけではないだろう。 野球賭博は40年ほど前から暴力団が始めたといわれ、 彼らの大きな資金源になっている。 新聞によると琴光喜は5年前から始めて、3千万ほどの借財があり、最近に勝った 5百万の金を返済に向けようと取り立てようとして、逆に350万を脅し取られた。更に一億を要求されたというが。 その交渉の席に親方二人が同席をしていたという。 自分から名乗り出た者は厳重注意だけで済ますという呼びかけに、 29人が野球賭博をしていたと名乗り出た。そこに親方衆まで入っていたが、元横綱の親方や理事などに 名乗り出れない立場の人もいるはず。 新聞によると「戦前の名横綱と、ある著名な親分が義兄弟の契りを結んでいた」とか。 直ぐに、誰でも分かる人といえば・・? 大鵬の横綱土俵入りの化粧まわしに、○○組の?のマークがあった映像を放映していた。 今回、執拗に脅しをかけた連中は警察だけでなく、ヤクザ世界の方からも、ただでは済まされない失態。 刑務所にでも入っていたほうが身の安全だろう。 国技とかいう特権を剥奪すべき時期にきたとみるべきである。 大相撲がつづく限り、こういう問題は付いてまわる。 これから角界を去った元力士からの実態の暴露もでるだろうし・・・ ・・・・・・・・ 3000、3000回か〜 2009年06月22日(月) この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。 確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか 注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。 書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の白袴で・・・・? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。 ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。 ・・・・・・・ 2006/09/24 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメを することがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。 マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。 マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後になって「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、 驚いてしまった。両親の一生をみると人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、 あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の 世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。 この話を故人になったが教育学者の 森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、断ってしまった。 20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。 母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。 3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書き)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。 そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか? この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく さて墓参りだ! ・・・・・・・・・ 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火) 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日を加えると 約35〜40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。 しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた (書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、 実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が 間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。 会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。 作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。 いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。 ・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす このプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。 スッと書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。書きつづけていると、 自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。 書き続けることは、書き重ねることになる。深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。 その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
2004年06月22日(火) 1176, 哲学について −8
ー現代の哲学−1
ギリシャの国家都市が衰退した後、ふたたび民主的とよばれる社会が出てくるのは 18世紀のフランス革命とアメリカの建国である。 とくにフランス革命は、「愛と自由と平等」をうたいあげた民主主義思想 をヨーロッパ全体に広がるきっかけとなった。 民主主義思想を推し進める為に、個人の自由を社会的平等に結びつける 思想が大きな役割を果たすようになった。 自由を重心においたのが自由圏といわれる資本主義社会であり、、 平等に重心を置いたのが社会主義圏の共産主義社会であった。 そして愛のかわりに憎しみで対立したのが20世紀の時代といってよい。
現代哲学ではヘーゲル哲学の継承者としてのマルクスの思想を上げなくてはならない。 マルクスは19世紀半ばに「共産党宣言」を執筆した。 マルクス主義は一般的な意味では哲学に分類されないが、現代哲学へは大きな影響を与えた。 マルクスの考えでは、当時の産業資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が出現する 二つ前の段階にあった。彼は、近代科学技術は発展をし続け、ますます失業者を生み出し、 一般大衆は生産手段から疎外されると予想。 資本家と労働者の対立が激しくなり、労働者大衆が資本家階級を打倒すると説いた。 しかし彼の思想はみごとに外れてしまった。権力を持った人間の本音として エゴイズムと腐敗の温床になっていった。そのエリート集団は資本家より ブルジョア的になっていた。
また現在の哲学を考えるとき、「実存主義」を考えなくてはならない。 代表的な哲学者としてキエルケゴールとハイデッカーである。 「人間は自己のアイデンティテイに問題を見つけ、自己の経験の不可解さに目を向けて 人生の意味を明らかにしたいとと望む」という考えが基礎になっている。 キエルケゴールーはもっとも倫理的な存在は自己であり、よって最も重要なものは 「個人の主体性」であると主張した。 人間にとって最重要な活動は意志決定であるとした。 実存哲学として代表されるのはサルトルである。
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2011年06月21日(火)
「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性 ーP・150 【 私たちは通り過ぎる人々の群れの中に自分の居場所を見ることはできません。その中の何者かと出会い、 互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。 本来、知性というものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の差など、自分と違う立場というものを 理解し行くのには知性が必要です。けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、その知性によって 増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用されてしまいます。 それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。善意が当たり前だということは、感謝が足りないと 見えることもあるかもしれませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。 逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと 思うから気がつかない。なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくらいじめても面白くないから仲間に 入れてしまえ、ということになって、人間関係がうまくいきやすい。 これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。 他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくらでも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、 善意そのものさえ、「私を利用しさZしている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとしている」と勘ぐったり、 誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしているのでないか」など素直に喜べない。 】 ▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右されるということを意識して修正するしかない。 それに役立つのが知性である。だから自分で知性を磨くしかない。そのために、他人の話を聞き、本を読み続けることだ。 その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った者は、善意も悪意も読み取る習性がある。 常に人の間で緊張しているのは、そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが付きまとってきた。 私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの 喫茶店に通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。 ・・・・・・ 3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2 2010年06月21日(月) ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。 ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー ≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。 ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、 情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 戦後、TVや教育などを通じて、『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたはひとりの人間である。 男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・ 輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから脱する方法があるのだろうか。 「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。 こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても 本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルのピースのひとつひとつを クリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには 「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫ 〜〜 しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで組み立てる、 というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。 それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも大事だろう。若い女性が小さな ノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと! ・・・・・・・・・ 2999,百貨店の衰退について 2009年06月21日(日) 今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌の大前研一のレポートによると ・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており ・10年前の調査では、若い女性は通勤用、デート・レジャー用、結婚式やパーティー用と、シーンを三場面に分けて、一万、二万、 数万円の予算だった。ところが5年前ほど前から、通勤とデート・レジャー用を兼ねた提案のメーカー、ショップにお客が 移動するようになった。 更に最近は、全身で1万円でコーディネートできる H&Mや、ユニクロなどに殺到するようになった。 その上に、LA発のカジュアルファッションチェーンの「フォーエバー21」などが次々に進出してきた。百貨店は、20年以上も 衰退傾向にあったが、若い女性のファッションで凌いできたが、それも時代の変化についていけなくなってしまった。 ・大前研一は、「もし百貨店の建て直しを依頼されたら、大家との契約を解除をして値段を下げてもらい、テナントにユニクロ、 H&Mなどのテナントか、アウトレットのテナントに入れ替える作戦に出る」と提案をしている。家具はニトリや東京家具、 電器製品は山田デンキやビッグカメラ、紳士服は青山、アオキになどに侵食され、最後の砦も欧米の格安のファッション店に攻撃され、 瀕死の状態。その前の40年間は、ジャスコやヨーカ堂などの総合量販店に叩かれてきている。 そのジャスコやヨーカ堂も、専門チェーン店に侵食されて衰退傾向に入ってしまった。 日経新聞も、地方百貨店の減収を取り上げていたが、総じて10〜20パーセント減で深刻な現状。 本来の百貨店の役割はファッションなどの情報の先取りを売りにしていたが、情報化社会ではネットやTVで、 安易に収集が可能になってしまった。 自己存在の意義が無くなったしまったということ。 大丸が松坂屋を、伊勢丹が三越を、高島屋が阪急と阪神を、ヨーカ堂が西武とソゴウを救済合併。 目先を凌いでいるが、この合併効果も何時まで続くかである。全ての業種で根こそぎ、存在意義を問われている。 正体は本格的情報化社会の到来。既存の価値観、そして体制が適応出来なくなってきたのである。動乱の世である。 ・・・・・・・・・・ 2635, 娘に贈る12の言葉 ~4 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記 ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。 「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて 間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。 ・誰も考えないことを探す。 →多くの投資家が考えないことは何だろうか。 →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。 →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。 ・こんなふうに考えてごらん 歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く 解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。 特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。先日から「子どものためのカント」 (フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。 哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。 ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー ・君の世代では英語についで重要な言語となる。ソ連が 74年間の共産主義だったが、中国は厳密の共産主義は30年間だけ。 ・中国株を買おう。中国株を買わないことで有名だったウォーレン・パフェットまでが、 2003年にペトロチャイナの株を買って、その後も保有比率を増やしている。 解)20世紀初頭のアメリカが、現在の中国に似ているのではないだろうか著者は述べている。 成るほど、北京や上海の林立しているビル群をみると、肯けるが。 僅か20年もしないうちである。 ー 7、歴史を勉強しなさい。ー ・大局をつかむこと 歴史を学ぶことを通じて大きな視点で世界の変化を捉える。「歴史は繰り返し、人類は常に変わらない。」 ・一見、目新しいこと それは歴史の中で繰りかえし起こっている。 今までに世界で何が起こって、何が起こらなかったか、しっかりと学ぶべき。 解)パール・バックの「大地」を学生時代に読んだことを思い出した。中国の王一族の何代もの栄枯盛衰の壮大な物語。 中国には、数千年の歴史が背後にあるから、その底力は計り知れないのは解る。 ・・・・・・・・ 2007年06月21日(木) 2270, 東北6県の平均収入が、東京の半分だと! ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 先日、昼休みに大型書店のジュンク堂で本を見ていたところ、最近出版の『ワーキング・プア』という本に、 「東北6県の一人当たりの収入・241万に対して、東京が456万円」とあった。二倍じゃないかい!と、地域格差の大きさに 目を疑った。東京に対し新潟八割、長岡7割と最近聞いたばかり。東北6県平均とはいえ収入が半分だというから、 若者は東京志向になるわけである。感覚として首都圏は物価は2割高いとしても、地域格差は予想外だった。 地方の場合、地価が安く家持比率が高いので、そのまま生活レベルが半分とは言えないが・・東北6県の人口が1200万人というから、 東京都の人口と同数である。それが、これから28年間で23?減になるが、東京都は微増。東北地方以外の全国の他の地域も 似たような傾向。首都圏には全国の人口の三分の一近くが住むことになるが、この28年間に関東から東海地区にかけては、 大地震がおこる可能性が80?以上! 神様は微妙なリスクを置いている。その辺が何とも可笑しい! まずはーasahi.com の記事からー ーーー 2035年、45道府県で人口減少 秋田は65歳以上が4割 =2007年05月29日 (字数制限のためカット 09年06月21日) ・・・・・・・・・・ 2006年06月21日(水) 1905, グーグル Google ー10 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? ー読書日記 この本の一番重要な章は、この5章ではないだろうか。それほど、キーワード広告の意味は深いのである。 早速、グーグルのアドセンスにキーワード広告を投入してみたがアクセスがない!お客の立場からのセンスが無いのだろうか? この辺になると、21世紀の世界がハッキリ見えてくる。五章の要点を抜粋してみる。 ーーーー 第五章 最大の価値基準となる「アテンション」 以前は検索エンジンは、ヤフーやAOL、MSNなどの総合ホームページのおまけツールとしてしか認識されてなかった。 だからGoogleも当初は「今さら検索エンジンじゃ、儲かるわけがない」とみられていた。 ところがグロスという男が、検索に使われるキーワードに大変な価値に気が付いたのである。 そしてこの価値をキーワード広告という広告モデルに昇華させたのである。このキーワード広告はそれまでのダメな インターネット広告を一掃し、「良質な広告」としてクライアント、ユーザーの双方から絶賛され、受け入れられた。 (以下、字数の関係でカット2008年6月21日) ・・・・・・・ 2005年06月21日(火) 1540、「人を動かす」ー2 ー読書日記 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。人間関係という一番初歩的な基本を 身に着ければよい。会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。 (世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い! もしかしたら、自分も?)誠意を持って相手の話を聞くことは、「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。 少しまともな営業屋なら当然身につけている。接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。 まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。人間なぞ他愛のないものに思えてくる。 それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」 ことにもなりかねない。会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。新人は会話術は身につけていても、対話術は 身につけていない。この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを 露呈してしまう。しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。 ーあるHPより抜粋ー 人を説得する12原則 1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。 ・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。議論に勝つことは不可能だ。 たとえ勝ったにしてもやはり負けている。相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。 ・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。 ・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、そのうち一人はいなくてもいい人間だ。 思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。 ・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。 あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。 (以下、字数の関係でカット2008年6月21日) ・・・・・・・・・ 2004年06月21日(月) 1175, 哲学について ー7 ードイツ哲学の時代 イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。18〜19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学がドイツを 中心に発展する。その先がけがカントで、それまでの合理主義哲学と経験主義哲学を統一させた。「人が経験することができるのは、 身体的なあり方によって枠組みをされており、その枠組みのなかでしか、個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。 盲人にとって、見ることを理解することができない、嗅覚のない人も臭いについて理解するのは不可能である。人間の理解は、 その持っている機能の範囲内に限られる。カントの文章は非常に深遠で難解で、理解することが非常にむずかしい。 カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、さらに豊かなものになっていく。ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。 彼は「現実世界のすべてとその歴史を、精神的なものが発展していく姿」と考え、世界と現実は自己認識に到達するための 歴史的プロセスと考えた。その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、すべての変化の理由とした。 マルクスはヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。ニーチェはあらゆる既存の道徳を攻撃した。 彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒キリスト教の教えが土台になっていた。 しかし当時は、その信仰心が薄れていて自らの価値観を求められていた。その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。 この頃の哲学者が生み出した思想は現代哲学に大きく影響している。そして現代の哲学が現れてくる。 ・・・・・・・・・ 2003年06月21日(土) 808、 大丈夫 一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。そして残されたものが、 如何にもならなくなった時がきたら封筒を開いた。その中味には「何とかなる!」と書いてあったという話。本当かどうか解らないが、 一休らしい逸話である。先日、本屋で立ち読みをしていたら、ある本の目次に「女に持てる法」という項目があった。 さてと心トキメイテそこをみて驚いた。 常に「大丈夫!」といい続けることだと。何か肩透かしを食らったようであったが、 納得した。 言葉だけでも、誰もが「大丈夫!」といって欲しいのが心理である。それも女性なら尚のことである。 最悪の「死」を考えてみても、死んだ瞬間には本人にとって死ではなくなる。あるのは「死」に対する恐怖である。 だから何事も「大丈夫!」といえるのだ。何事も90数?が、あくまでも不安という恐怖心でしかない。 (字数制限のためカット 11年06月21日) ・・・・・・・・・・ 2002年06月21日(金) 444,面白い話ー本?? http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html 「やった。」坂本達著 図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。 子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。 辞表を書く段階で社長の耳に入る。オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。 そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。なかなか面白い内容であったー本もホームページも。 そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、さらに講演を続けている。 それなりに面白い内容である。 少なくとも自分でしたいができなかった事だ。 こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは? またこういうことがあっても、良いのではと思った。 ・・・・・・・・・ 2001年06月21日(木) [59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ 富士総業の小竹さんより3dのホームページのモニターという話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。当たれば おお化けする可能性がある。デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。7月1日を楽しみにしているが凄い世界に入ったもの
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2011年06月20日(月)
「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 【 * 勝ち負け社会のカラクリ P−100 だいたい、社会の価値システムなどというものはその時代がつくる幻想に過ぎない。今は市場社会ですから金儲けが価値観の基底にある。 金を儲けようとする企業家は市民大衆を導いて「消費者大衆」へと変身させることを考える。その際に用いられるのは「不安」です。 ヒットラーのナチズムからオウム真理教まで、大衆動員の手段は不安の醸成ですが、消費者大衆の動員も不安を動力として行われます。 まず市民たちの中に「無能力」や「醜悪」への不安を流す。たとえば「英語を巧みに操ることの能力が現代社会にとっていかに必要かを宣伝する。 それによってその能力が乏しい人の不安をかきたてれば、英語の教材屋や英語学校が繁盛する。言葉なんてその必要が出てくればいくらでも 使いこなせるようになるものですから、英語能力に関する不安などは将来という幻想の一つに過ぎない。将来なんて、あるかないかわからない ものですから、それを実在と考えることそのものが幻想なのです。株で儲けたという人の話題は株ブームに乗り遅れる不安をかきたてています。 将来の不安というものがアチコチに散蒔かれているのが「勝ち負け社会」の特徴です。幻想に乗らない人は最初から勝ち負けゲームに乗りません。 世の中を地位、名誉、金の勝ち負けゲームと見なすと、このゲームにはゲームにつきものの公平のルールというものが決定的に欠けています。 だいたい人生ゲームの参加者である子どもは自分に配分される親を選べない。この点ではトランプのカード配りに似ています。ゲームの最初から 勝つに決まっているようなよいカードが配られている参加者もいれば、勝ちようのない持ち札の人もいる。親の金力、人脈、知的資産、美貌に 恵まれない人は人生ゲームの負けが決まっている。しかし人生ゲームはトランプと違って、勝者だけが参加できる第二次、第三次、第四次の ゲームが用意されているから、ひとまずの勝者だって、いずれ敗者になるというカラクリになっている。 要するに世の中をこの種のゲームと 見なすとすれば勝者はひと握り、敗者は圧倒的多数となります。ところで、この大衆社会の中で力を持っているのは少数派ですか多数派ですか? 衣装やダンスの流行からお笑い芸人のハヤリスタリまで、カギを握っているのは一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」 じゃありませんか。 世の中は彼ら向きにできているから、地位・名誉・金に恵まれた人々へのジェラシー(嫉妬)やエンヴィー(羨望)に 身を焼かれる必要などないのです。そこを間違えるから「敗者の恨み」にのたうつテロリストになってしまうのです。 】 ▼それでも、負けるより勝つほうが良いに決まっている。 要は、いずれ巡ってくる負けの時に、どのように対処するかにある。 現在の自分の現状は、まさに、人生も勝ち負けゲームと割り切ってしまえば楽である。「全米N0・1弁護士の勝ちセオリー」を書いて、 日の経たないうちに、これだもの、支離滅裂か・・・ 勝ち負けに囚われないということか! 不安を利用し巧みに大衆を誘導するのが、 ビジネスの背景といえば、これから10年は健康ビジネスが良くなる。<一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」 が世の中をほぼ占めているなら、あえて「敗者の恨み」にのたうつテロリストに自らなることもないか!> 我が内なる沼は清潔に! ・・・・・・ 3373, 凄い時代 2010年06月20日(日) *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一著 「はじめに」の前半に、この本の要約がズバリ書いてある。まずは、その部分から。 ー 「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先はまったく新しい世の中になるだろう。二年前の2008年の 洞爺湖畔で8ケ国のサミットが開かれた。それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や 17ヶ国の会合に当てられたのは、国際金融の建て直しと世界大不況の対策である。 たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、変わってしまったのである。・・2009年の世界経済は政策支援の「集中治療室」状態。 各国とも生命維持装置のカテールが何本もつけてある。しかし、やがてそれを抜きはじめる。その時こそ、本当の衝撃が始る革命的改革期だ。 それが2011年になるだろう。本当の「凄い時代」である。なぜそうなのか。今次の不況が巨大な文明の転換に起因しているからだ。 それは欧米で進む「知価革命」(情報革命)だ。「物財の豊かさが人間の幸せ」という近代思想が失われ、「満足の大きさこそ人間の幸せ」 という知価社会的的発想が広まった。これに対し中国を中心とする東アジアには、近代工業社会の思想と体制が確立した。 この文明的ズレこそが、世界経済の凸凹構造の基盤である。この凸凹が維持できたのは、ドルを中心としたペーパーマネー体制があったから。 赤字垂れ流しでも、ドルの地位と価値を保ったのは、借り手が存在したからである。アメリカ金融界は、様々な借り手を創り出した。 その究極がサブプライム・ローンである。・・・ これからの世界は、人口問題の構造変化で動くだろう。色いろな条件の中で、 再生を図らなければならない。これは財政支出の垂れ流しの不況対策だけでは済まされなくなる。だから「凄い時代」が続く。・・・ 〜〜 現在が「凄い時代」は、誰でも分かっているが、ここで理路整然と分かりやすくダイジェストで書いてある。 私の知る限り、現在は集中治療室の中で管が繋がれている状態で、本当に大変なのは三年目の今年から5年間である。 その意味で、凄い時代=激変の時代になっていく。 ネット世界が、現実社会とは別に、いま一つできてしまった。 情報網が一般の人たちに張り巡らされて、殆どタダ同然に情報が手に入るようになった。 物理的なものより、その情報に価値を見出すことが優先されだしてきたのである。その傾向が日ごと進むことになる。 ・・・・・・・・ 2998,他人に厳しく、自分に甘く 2009年06月20日(土) 「世界は感情で動く」 ー3 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー * 他人に厳しく、自分に甘く 我われは「感情のトラップ」にはまっていることは自覚をしていたが、それを一つずつ解明している本である。 前に「ピーク・エンドの法則」を取り上げてみたが、今回は「帰属のエラー」について取り上げてみる。 17章の「他人には辛く、自分には甘い?帰属のエラー」である。 ーまずは帰属のエラーとはー まわりに起きる社会的事象や、自分や他人の行動の原因を推理・推論することを「帰属」あるいは「原因の帰属」という。 それを理論化したものが「帰属理論」。下記のような、色いろなエラー、ゆがみなどを「帰属のエラー」という。 1. 知覚的に目立った情報・刺激に左右されること。 2. 他者の行動に対しては性格・個性などの内面的要因を重視する。 3. 自分の行動に対しては極めてポピュラーで普通の反応であり、普通とは違ったとすれば状況、すなわち外的要因が異なったと思い込むこと。 4. 自分が成功すると、自分の内面に理由があり、失敗すると外部に要因を求めること。 こうしたバランスの取れない判断は、とても奇妙な結果を生むこともある。 2,3に関しては誰でも身に覚えがあるだろうし、他人の失敗は、元々あいつは、そういう奴だと非難するが、 自分が失敗をするとタマタマ失敗しただけと、自分に言い含めてしまう傾向がある。 「期限を守る」ということにかけては、自分の能力に信頼を置いているし、「期限を守る」他人の能力は高く評価する。 でも、自分が期限が守れなかった場合は、「めったにないほど大変な事情があったからだ」と言い訳をしたりする。 しかしながらその事情とやらは、距離を置いて眺めたり、他の人に当てはめたりしてみれば、少しも例外的なものでなく、 どこにでもあることだとわかる。 かくして「期限を常習的に守らない人の言うことは信用するなかれ」という帰属のエラーにひっかかる。 ▼「世界は感情で動く」というより、「世界は気分で動く」という題名の方が適切ではないかと読み込むほど思ってしまう。 気分で90パーセントは動いているのだろう、人間は。だから、それを如何に隠すか、目立たないように勤めなければ ならないのである。 人生をふり返ってみた時に、そのことが鮮明に見えてくる。それほど人間は理性的ではないのである。 特に人間は他人に厳しく、自分に甘くなる。そういう人は、評論家に向いている。特に引退した野球の選手に、 それが露出して見える。 思わず、「それほどの選手だったの?」と言いたくなる評論が度々である。 ・・・・・・・・・・ 2634, 娘に贈る12の言葉 ー3 2008年06月20日(金) ー2、大好きなことに情熱の全てを注ぎなさい。ー ・何かを始めるのに年齢なんて関係ない。好きな道を歩みなさい。 ・素晴らしい人生を歩むためには「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」。 ・細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。 →大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしていないからだ。 →徹底的に調べる。それによって初めて他人よりも多くの知識を得ることが出来る。 →大変な労力を要するが、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。 →情熱を傾けられることに打ち込みなさい。 私は中国に価値があると「思っている」のではなく、中国に価値があることを「知っている」のだ。 I thinkではなく I know なのだ。 解)「好きこそモノの上手けれ」「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う」 自分が好きなことを、早めに見つけること。 ー 3、常識はそれほど常識ではない。 ー ・ほとんどの常識は間違っている。 危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。 →だから全てのものが非常に安い。 ・新聞だって、そのまま信じてはいけない。 →時にはジャーナリズムが大衆をミスリードすることもある。人口の半数以上の知性は平均以下だということを覚えておきなさい 解)そのことをどれだけ知っているかどうかである。大衆と違った視点で投資先を探せ! ということ。 ことあるごとに「定説」を連発していた教祖様がいたが。 ー 4、世界を自分で見ておいで。 ー ・「イギリスだけしか知らないものに、イギリスが本当に理解できるはずがない。」 →他を知ることで、他から眺めてみることで観察は深まる。 世界を視野に入れなさい 世界市民になってくれ。 ・BRICsの重要性を理解するんだ。ブラジル、ロシア、印度、中国などだ。その中で、特に中国が重要。 解)知れば知るほど、自分が何も知らないことを知るからだ。 それと自分の世界の小ささを。 ・・・・・・・・・ 2007年06月20日(水) 2269, 家は大事である *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 隣家が4年ほど前に新築に建てかえたが、日毎に家庭が明るくなっているのが、手に取るようにわかる。「家は大事」とつくづく感じる。 何か家によって家族のあり方が変化するようだ。「人間の器は育った家の器に大きく左右される」と聞いたことがあるが。 家はその天井の高さと、居間の広さがポイントになる。更に大事なのが、「風通し」と「太陽」と「湿気」の三つである。 (字数制限のためカット 2011年6月20日) ・・・・・・・・・・ 2006年06月20日(火) 1904, グーグル Google -9 ー読書日記 おっ w(゜Д゜)w ハァョ? 「ロングテール」に関しては、『ウエブ進化論』の中に詳細があったが、大事なキーワードである。 情報の劇的なチープ化と、検索社会の象徴的な現象である。 私自身も図書館で気にいった本で、 既に廃刊されている本をアマゾン・コムから数分の一で買ったことがある。 以前なら有得ないことである。 この書の、めっき工場や羽田の駐車場は、ロングテールのアマゾン以外の卑近の事例として参考になる。 第四章 めっき工場が見つけた「ロングテール」 パレートの法則という理論があり、広くマーケッテングに応用されてきた。 「20対80の法則」という名でしられている。20?の商品群が、80?の売り上げをつくっているとか、20?の富裕層が、 世界の80?の富を独占しているという法則だ。最近になってオンライン書店の「アマゾン」が、この法則を覆してしまった。 アメリカのアマゾン・コムの売り上げの半分以上が、販売部数ランキングの4万から230万位までの本の売り上げを あげるようになったのだ。リアル書店では在庫をもてない「売れない本」でも、インターネット上にリスティングするコストは ほぼゼロだから、230万点の書籍を扱えるのだ。しかも売れない本は競争が無いから、利幅も大きいという良いことずくめである。 (字数制限のためカット 2011年6月20日) ・・・・・・・・ 2005年06月20日(月) 1539, 秘境探検家の「幸福論」ー2 この二人の会話には抽象的でない「実感としての幸福感」が伝わってくる。真・善・美とは何か?人間は如何あるべきか? 人間は何が可能か? など難しい話はない。大自然の中で、ただ自然の中で生き、死んでいく未開の地の人々の純粋な 生き様のなかに、人間としての原点の共通点を見つめている。 ー関野: ・・・ほとんどの日本人は、本当は景気が悪くて困っているんじゃないよ。経済という唯一の価値観にがんじがらめに縛られて 困っている。苦しんでいる。景気がよくなったからって解決する問題ではない。人間が生きていて嬉しい瞬間って、 美味しいものを食べたとか、子供が成長を実感したとか、差別されてないとか、好きなところに住めるとか、 他人の誤解が解けたとか、そんなところにある。人類が生まれた時からこれはズット同じである。ところが、そんな喜びが みんな経済に取り込まれてしまった。効率よくお金を儲けたら、こんなことみんな上手くいくと思い込んでしまった。 ー長倉: 「生きている実感がない」という人がいますね。 そういう人は間近で懸命に生きている人を見ていないんじゃないか。 (字数制限のためカット 2010年6月20日) ・・・・・・・・・ 2004年06月20日(日) 1174, 哲学についてー6 ー経験主義哲学ー 合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」 という主張に対して、「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。感覚による経験を絶対視する考え方は、 合理主義に対してあまりにも対極にあるが、アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。 ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」 経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを理解する為にはその性質をとおす以外ない」 というロックの認識論が基本になっている。「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが 経験主義の中心になった。彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。ロックは、アメリカ独立運動と フランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。 「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」それ以外のことは、 存在していることさえわからないという、いまでは当たり前のことを合理主義に対する一番いたいところをついた。 経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。 彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。 彼はロックと同じく現実世界についての知識は、自分自身についても、他人についての経験も、実際の経験を通して しか得られないと主張した。我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、感情、記憶。 「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。心理学でいう観念連合ということである。 私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、 適応する段階になってからである。 「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。 そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する哲学が開花していくのである。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2003年06月20日(金) 807, 心の構造進化 ー書き続けるということ 少し難しい話をすると、社会学者のレビィ・ストロースは、人間社会の基本形を「時計仕掛け型」と「蒸気機関型」に分けた。 ・「時計仕掛け型」の社会は実質的に歴史を持たず、構造変化をしない社会ー南アメリカのアマゾン奥の部族の人達やアフリカのマサイや・・ ・「蒸気機関型」は我々の社会のように進化をしていく社会をいう この両者の違いを、ストローは「書く」ことによるとしている。 ーといって「どちらが文化的に優れているかというとむしろ『時計仕掛け型』ではないか!」といえるが、この問題は違う時に考えてみる。 社会だけでなく私たちの心も言葉にして書かない限り「時計仕掛け型」である。内語を書きとどめることによって、人間の心も言葉との 相互作用によって構造進化を始める、二年間書き続けてつくづくそれを実感する。 (字数の関係でカット 09年06月20日) ・・・・・・・・ 2002年06月20日(木) 443, 見せ金ーブランド志向心理 ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす。詐欺の手口の応用である。俗にいう見せ金である。 中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。 普段金に困っているから、 逆に故郷に帰ってきたときぐらい金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。 可愛いものだが。 銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない! ツケはできない」という。外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。 実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。何回か会社を潰した人が再び会社を興し、少しうまくいくと ベンツに髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。すぐに逆上せ上ってしまう。 結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。 ブランド品を上から下まで飾りつけ、香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。コンプレックスの裸の王様そのもので、心理は見せ金と一緒。 それに気がつかないから世の中面白いのだろう。日本人のブランド好きは上記のやり手ブスの心理そのもの。 それが人間の全ての集約した姿だ、自分の見えない姿でもある。 ・・・・・・・・ 2001年06月20日(水) [58] 一六会について 毎月の16日に第二新館近くの大橋ー料理屋で開かれる平均7?8人集まる会である。もともと花園のマルヒロ不動産の後藤会長が 開いていた会で、会長が元気な4年前までは20人以上集まっていた会であった。亡くなった後も続いていること自体不思議なことで、 やはり後藤会長の人柄だったのではないかと思われる。ただ酒を飲んで騒ぐだけなのだが、全く利害のない集まりで好きなことを 言っても喧嘩にもならないのが良い。ただ流れているのはやはり後藤会長の好きな連中の集まりというコンセプトだと思われる。 なんの気を使わず騒げる場もそうはない。平均年齢が65?70歳と少し高いが、それが何ともいえない味を出している。
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2011年06月19日(日)
「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 この①を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは? と思われる異常教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 奇妙な偶然である。 ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。 【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。 事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感あふれるドラマを作り上げた。 ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに語り出す。 「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」 教室内は一瞬にして静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。その一人の犯人の少年は、モンスターママによる 幼児の頃の執拗な教育で、歪んだ手のつけられない少年になっていた。】 ▼ なかなか面白いストーリーである。 現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。 両親の関係が、そのまま子供形成に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ子供が育ってくる。 子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は、危機迫るものがある。 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、 心の中で大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、 他に行けば何かがあるはずと焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、自己崩壊を生むことになる。 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。 更に携帯電話などの情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、その対応が分からない。 親からして、 「自分の居場所」が見つからないのだから、子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。 現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。 ある意味で、アメリカによる日本属国化政策の完成が現在の日本である。 我々は、その恐ろしい現状を目撃していることになる。 他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の 政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、思ってしまう。 最後はリーマンショックでトドメか! ・・・・・・・ 3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり! 2010年06月19日(土) しあわせを感じるには「技術」がいる ー2 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 * 不幸になりたがる人たちからのヒント どうも年齢のせいか、何かやろうとすると「めんどうくさい」が先にたってきた。 先日 ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。多くの人が「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、 「不幸になりたがる人たちからのヒント」で「めんどうくさい、が不幸のはじまり!」に、ハッとした。そこで「人は基本的に現状を大きく 変化させることを望まない傾向にある。たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持を選ぶ人の方が多数派」 という。 その根底にあるのが「めんどうくささ」だとしたら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。 これは、人間は「低位安定」を 心の奥に求めている結果ではないかと。「低位安定」から、どうすれば抜け出すことができるか? これからの脱却は「めんどうくさい」との 戦でもある。著者は陳腐な結論とことわって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・ まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。 それができない者には、現状を変えようといこうとする力など生まれない。不幸を願うものはいないが、不幸へと続くレールから外れようと しないものは多い。現状維持の方が楽に思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない何かが逆に新しい事態に 直面するのを避けているのである。 私は不幸系の人は身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに 「自律神経失調症」という病がある。 問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。 その積み重ねの結果「めんどうくさい病」に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。 他人事ではない、年齢からくる老いが「めんどうくさい」病に知らないうちに陥っているのである。 秘境ツアーにしても、事業にしても、 ブログも、自分が幸せと思えた瞬間は、それを乗り越えた結果であった。 しかし「めんどうくさい」も、すべて否定はできない。 自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。 老齢になったら、否が応でも低位安定になってしまう。 面倒を克服するには、習慣化がよい。 それを積み重ねていけば良いが、 それ自体が面倒か〜 さて、棚の整理だ! それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか! ・・・・・・・ 2997、定年か〜 ー2 2009年06月19日(金) 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著) 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題になるのは解る。 定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、 深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・・ 私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始るのが常。 「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を取り上げている。 人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど短いとか。 だから離婚も耐えなければならないのである。 ある生保の調査によると、女性の1割以上が 「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。 一、午前中は一歩も書斎を出ないこと 二、小遣は現在の2万5千円 三、食事の内容には一切要求をつきつけない 四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる 五、これらを不服として大声を発することをしない これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に 予測していたが、女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ事態に戸惑う。 「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。時間単位で公私を区切る近代的雇用とは 比べようもない、運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。 離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 そう遠くない日が待っているが、その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと! ・・・・・・・・・・ 2633, 娘に贈る12の言葉 ー2 2008年06月19日(木) 第一の言葉から要点を抜粋してみる。一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従ったときである。 ーー 1、他者に流されてはいけない ー他者に流されず、自分の頭で考えることー ・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 他人に、 たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。自分の考えに従って行動することだ。 ・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に投資対象と気づいたのだ。 実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。その上に、貯蓄率が35?もあり、それを投資に向けていた。 そんな国が成長しないわけがない。ところがアメリカはどうだろう。、1990年頃の貯蓄率を4パーで、今ではたったの2パー。 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従っているうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを 得ることが出来た。 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。 ・オリジナルな「自分でいること」。色んな分野で成功してきた人は、誰のコピーをしていないだろう? ソニーをごらん、 ソニーは周りとは違う。彼らは常に周囲と違うことをしてきた。 誰も歩まない道を行くからこそ成功をすることが出来る。 ・私に従わなくて良い、ただモラルだけは守って欲しい。自分の頭で考えて正しいと判断したことなら、 思ったとおりするがよい。自分が絶対に間違ってないと自信がもてるほどてっていてきに調べてからでないといけない。 ・常に質の良いものを買うように。質の良いものは長持ちするし、より価値が高い。 ・・・・・・・・・・ 2007年06月19日(火) 2268, 今年のミス・ユニバースって美人? ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning TVで日本人のミス・ユニバースの女性を見て、違和感を感じていたら、夕刊フジのブログと、毎日新聞の文化欄の 「〈現在〉を読む」に論評が載っていた。誰も考えることは一緒である。 「少し可愛いいが、決して美人ではない。 生意気そうなところがマイナスで、差し引きゼロ。それ以上でも、それ以下でもない。 実際のところ、ミス・ユニバースの判断基準は理解できません?」というのが、両者の論評の概略である。 ー以下は夕刊フジのブログの概要であるー 07年ミス・ユニバース世界大会で、森理世さん(20)が優勝し話題になっている。 日本人としては48年ぶりの快挙。昨年も、知花くらら(25)さんが2位となった。 日本も世界が認める“美人”輩出国となったかの騒ぎだが、テレビなどを見て、「可愛いが、決して美人ではない」 と思った方も多いだろう。果たして美人の世界基準は変わったのか。 専門家らが徹底討論した。 【違和感】 「森さんは鼻がツンと上を向いている。日本人の(美人の)感覚とは違ってコケティッシュ系ですよね。 (字数の関係でカット2008年6月19日) ・・・・・・・・ 2006年06月19日(月) 1903, 感動と感激についてー2 オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)( )(´・)(´・ω)(´・ω・`)ヨ? ー感動と失望ー 感動・感激の反対語は何だろうか? 期待以下の大きなマイナスギャップ、 期待>実感 → 落胆・失望 ということになる。 「大きな期待を持っていったが、何も感動することがなかった。がっかりした。」である。 西アフリカの旅がそうであった。期待が大きかったからだ。失望を少なくするには、まず期待を小さくすればよい。 失望・落胆も、振り返った時に心と魂に多く残るが、人の脳は無意識のうちに、記憶から排除をしてしまう。 感動・感激とは驚きである。驚きは、そのまま考えるヒントを与えることになる。驚きはギャップに対して起こる心の動きである。 ギャップを埋めるための知識集積が自動的に生じて、それが考えることになる。従って、人間の能力は感動・感激と、 失望につながっているといえる。 今年のワールドカップ・サッカー、日本チームに対しては過剰期待である。 今回の過剰の期待と落胆は、貧困層の広がりが原因という見方がある。冷静にみるより負けるまでせめて夢みたいという気持ちの表れは、 貧困層の考え方?である。WBC(ワールド・ベースボール・カップ)で日本が優勝した時、期待を誰もしてなかった上に、イチロウなど 日本人選手と王監督の健気な姿に感動が生まれた。誰もがまさか優勝するとは思っていなかったから、驚きと感動が生まれた。 この期待をサッカーのワールドカップに当てはめようとしたが無理な話である。いかに多くの感動・感激・感謝を積み重ねるか、 反対に失望・落胆を少なくするかが、人生にとってのポイントになる。これは意識をすれば、出来ることである。 一流のものを見続けることである。一流の人と多く接し続けることである。そこには、一流の人の波動が出ている。 そのシャワーを浴びればよい。ー話は少し違うが、先日の産経新聞の産経抄の論評がよい。 ーーー ー産経抄ー 「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものだ。頼みもしないのに受信料をとりにくるテレビを筆頭に、各メディアがサッカーW杯に 出場した「青きサムライたち」をこれでもかと持ち上げ、膨らみきったジーコ・ジャパンへの期待は初戦の完敗でみるみるしぼんだ。 ▼にわかファンたちが口角泡を飛ばす居酒屋談議では、梅雨で曇り空が続くのも、株価が乱高下するのも、少子化に歯止めが かからないのも、みんな下手な采配(さいはい)をしたジーコのせいだ、と言わんばかりの勢いで批判の矛先が監督に向いている。 ▼もしあのまま1?0で逃げ切っていたら、同点にされたあと、駒野が相手ゴール付近で倒されたときに主審がPKをとっていれば、 ジーコは勝利を呼びこむ「サッカーの神様」として褒めそやされていただろう。勝負ごとはやっぱり勝たねばならない。 ▼サッカーと戦争を比べるのは不謹慎極まりないことぐらい百も承知の上だが、敗戦がどれほどみじめかはサッカーファン ならずとも身にしみる。戦後60年以上たっても、首相が靖国に参るだけで他国から悪罵を投げつけられている。 ▼中国や韓国が「軍国主義の復活」と言い続けるのは両国の国内事情もあろう。 それより理解できないのは他国に迎合して、無宗教の追悼施設をつくるため首相の靖国公式参拝を「憲法違反の疑義がある」 と明記した中間報告をまとめた「国立追悼施設を考える会」の議員たちだ。 ▼このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守るため心ならずも散華した人々への感謝の念があるのだろうか。 会長は下半身スキャンダルで週刊誌をたびたびにぎわしたセンセイである。少なくとも小欄は、こういう人物に靖国問題に ついて指図は受けたくない。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年06月19日(日) 1538, 銀座24時-女たちの戦い 昨夜のTVスペシャル ードスペ! 「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラにカメラが潜入!!ー というTV番組の見出しにつられてみた感想である。二時間という時間がアッという間に過ぎ去った。 次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。 人間観察という面で人間社会を赤裸々に見せてくれる世界である。 [高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、見ている分には面白い。この不景気で銀座のクラブの多くが淘汰されたが、 その中にあってしぶとく生き残っている店があるのだ。 まず一番印象に残ったのが ー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦ー 昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1ホステス。 一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していたオープン時は、彼女を目当てに客が押し寄せる。 しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。 それ以降に店の真の評価が分かるものだ。 正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。さらに、黒服といわれるスタッフ役の 男達とホステス達とのトラブルが発生。黒服の長であるマネジャーといわれる立場は、オーナーである会社側にある。 雇われママはホステスと黒服との間で苦闘する。それらの多くの障害を一つずつ乗り超えながら、店を切り盛りする。 そして、一人前のママに育っていく。一晩で、数百万をつかっている生の現場をカメラは正直にとらえている。 数万もするドンペリが、どんどん注文される。果ては百万のドンペリを注文した場面もあった。 また、誕生日に100万の指輪に10万の花を添えてホステスの贈る場面も。 あるホステスが給料明細も公開した。 時給4万円、それに指名料が加算される。24歳のホステスと、27歳のモデルのお客の奪い合いの実態を冷酷に追っていた。 黒服が辞めたホステスの客を、二人のホステスに競わせるのだ。銀座クラブの掟として、店では客の馴染みホステスが決まると 「永久」に固定化される。しかしホステスが辞めた場合、客に指名権が与えられる。店として、それを争わせる。 そのプロセスをお客に楽しませるのだろう。そこで、あらゆる手段で指名権を得ようと店の外で女の争いが始る。 結局は、新しく入った27歳のモデルが勝ちを収める。下手なドラマよりズット迫力があった。 TVでは取り上げることの出来ない「下ネタ」が、背後にあるのだろうが、まさか茶の間には出せない。 実際は凄いのだろう? エログロ番組になってしまう。早朝から、こんなことを書いている自分が面白い? いや、馬鹿か! ・・・・・・・・ 2004年06月19日(土) 1173, つれづれなるままに ・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。富士銀行が80億の金を出したホテルで 何と3億1500万の値段であった。金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利が入り組んでいて力に余裕 がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。それにしても、この差額は実際誰が損を こうむるのだろう。間接的に国ー国民なんだろう。二年前に、このまん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。 (字数の関係でカット2011年6月19日) ・・・・・・・ 2003年06月19日(木) 806, 『自分様と馬の骨』 読書日記 ーなぜ認められたいかー 「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」等、彼の文章のタッチの面白さに、次々に買って読んだ。 人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。先日、図書館でこの本を見つけたときは、しめたと内心叫んだ。 (字数制限のため中間カット 2010年6月19日) 『自分様と馬の骨』 勢古浩爾 著 長岡中央図書館 2003年6月15日 ・・・・・・・ 2001年06月19日(火) [57] 3D-ホームページ 今日は午前、午後パソコンずけだ。 午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと3d開発の増嶋さんだ。 そして夕方はパソコン教室だ。 パソコンはやはり凄い世界だ。このHPの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。 何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。 情報革命は時代を大きく変えるだろう。
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| 3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜10 |
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2011年06月18日(土)
『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 * 具体的な弁論は? ー ミロのビーナスの腕 【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレーの木々を伐採して醜い宅地にしてしまうことに対する 反対論を述べた。「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリのルーブル美術館に所蔵される前、ベネチア芸術の 美術商の手に入りました。この時すでに、この像は人々の注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な 気品を与え、完壁な芸術作品から発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。 そして時がたつにつれ、像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力があると考えられるようになりました。 美術商は、このビーナスの小さなかけらがほしいという大衆の要求を利用すれば、大もうけできることに気づきました。 ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をしてやって来て、小さなかけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。 持っていれぽ美しくなれると信じていたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを作って、そのあと本物の ビーナスを粉々に壊してしまおうと考えたのです。粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売るよりも、はるかに巨額の お金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を持っている職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。 「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。彼は命令しました。彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとした ちょうどその時、目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされました。それと同時に、ミロのビーナスの反対側の 手も切り落とされました。肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。それはビーナスは決して壊されてはならない という神のお告げだ、と職人たちは思いました。それから間もなく、ミロのビーナスはルーブル美術館のものになり、今日にいたるまで、 美しいものを愛するすべての人のために大切に保存されているのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる人間の彫刻家が創造したものではありません。この谷は、 神様がお創りになった芸術作品なのです。事実を把握しているであろう世界的な旅行家の多くは、そびえ立つ孤峰と汚されていない湖が いくつもあるこの谷は、世界で最も美しい谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しようとした強欲な 美術商の手にあったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかにあるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】 ▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、勝てるはずがない。ミロのビーナスのこの逸話、 聞いたことがあるような、ないような? ネットで調べても、この話は出てこない。片方の腕に林檎を持っていたという説がある。 ・・・・・・・・ 3371, 込み込み六千八百円のホテル 2010年06月18日(金) 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに 「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで歌い放題で全部で六千八百円だった。 仲間10人で土日の高速代金の千円を利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。 さっそくネットで調べたら3名以上、込み込みでバイキングコースで六千八百とあった。 酒もビールもセルフで、カラオケもけっこう良い設備で、まあまあ満足という。 大湯の湯元館は、一応老舗で知られたホテルである。思い切った頭の切り替えが出来れば、自分でも出来たはずだが。 まあ、無理だろう。伊藤園ホテルグループの格安ホテルの話は聞いてはいたが、新潟でも買収をしていたのである。 ホテルの名前も、設備も、そのまま使っているというが・・・ なるほど、面白いところに目をつけたものだ。 十数年前にペガサスクラブで、「パイプの煙」というリゾートホテル・チェーンの社長と同席をしたことがあった。 リゾートホテルのディスカウントでチェーンを展開をすると言っていたが・・・ 事務所の数軒先に居酒屋の全国チェーンがあるが、その店頭に飲み放題で込み込み三千三百円とある。 個室の宴会ルームではカラオケが無料で歌い放題。 その二倍で湯沢温泉に浸かって泊り込みで遊べるから価値はある。 ところで、札幌で中国人専用ホテルが出来るそうな。 ・・・・・・・・ 2996,定年か〜 ー1 2009年06月18日(木) 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著) 読書日記 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、 地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、 その意味も最初は分からず、解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は 定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。 私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては来ないが、 従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。群れから離れて奥さん1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。 そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。これは抉らすと危ない。現在の私も少し「うつ病」気味である?、 とにかくムカツクのである。いや、恐慌下の売上不振なだけか。 そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、 切実さが直に伝わってくる内容。具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の奥さんとの力関係を取り上げている。 ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、今度は小さな家の中での息の詰まるような関係。 「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる, ローンが終わっていた,書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。 ‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後のシミュレーションをやっておく, 妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】 こういう人生もあるのかというような内容だが、「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、 深刻な内容も赤裸々に取り上げている。 8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの 生き様がみえる立ち位置に居たことからみてきて、「人生の敵(ミカタ)は女房」というのは深く肯けるが。 その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、 最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。 ・・・・・・・ 2632, 娘に贈る12の言葉 2008年06月18日(水) 「人生と投資で成功するために 娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著) b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ? ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」を アマゾンで取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白かった。 それに劣らない力作である。「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目だが、内容は全く違う。 ー まずは、その12の言葉 ・他人に流されてはいけない ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい ・常識はそれほど常識でない ・世界は自分で見ておいで ・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい ・歴史を勉強しなさい ・汝自らを知ること ・変化をとらえ、そして受け入れなさい ・未来を見つめなさい ・大衆に逆らいなさい ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、徹底的に歴史、哲学、 経済を学ぶことを推奨している。ジム・ロジャーズが生まれてしばらくして、この本の訳者が我が子に伝えたいことは何かと 尋ねたところ、彼の答えは「自立した考え方をする」「疑問を持つ」だった。また、投資家にとって大切なことは何かを聞いたら、 「大きな流れを見ること。ビッグチェンジがあるところに、ビッグチャンスがある。それを見極めるためには、自立した考え方をし、 疑問を持つことだ」というものだった。投機家を意味するスペキュレーターを、もともと「突っ込んで考える人」という意味。 その為には哲学を学び、思考することを学ばなければならない。 次回から、12の言葉の幾つかを取り上げて考えてみる。 ゜Д゜*)ノ⌒【さいなら】 ・・・・・・・・・ 2007年06月18日(月) 2267, 「遊び」 (゜∇^*)オハヨ♪ 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から「働き」と「学び」と同じくらいに 位置づけてきた。その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、 年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。 (字数の関係でカット、09年06月18日) ・・・・・・・ 2006年06月18日(日) 1902, 感動と感激について 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) 感動・感激・感謝は、人生の豊かさという面で大きなキーワードである。 感謝は「ありがとう」というキーワードで多く書いてきたので、今回は感動と感激について焦点をあててみる。 まず「感激と感動の違い」についてである。感激は人の言葉や物事に心が感応することで、感動は大自然や音楽などに 魂が感応することである。感激は、その気持ちが対象に向かうのに対して、感動は自分の内側深くに向かう。 どちらも、対象の波動に自分の心・魂が共鳴することである。 期待 <実感 → 感動・感激 期待と実感のギャップが大きいほど感動、感激、感謝が大きい感情になる。 その為には期待を小さくして、実感を大きくして、そのギャップを大きくすれば、感動を大きくすることが出来る。 反対に期待が大きすぎた時に感動は小さくなる。秘境・異郷旅行は、正しく感動を求めるもの。厳しいところほど感動が 大きい対象に出会える。そこへ到達するまでの苦労が大きいほど感動が大きくなる。そこでは魂の根底を大きく揺さぶるものがある。 この感動と出会うまでの人生と、その後の人生と分ける位のインパクトになる。そこに慣れてくると感動は小さくなるがそれで良い。 それは自分が対象に同化したことになるからだ。冷静に対象を見つめることが出来るようになる。感動・感激・感謝の経験の質量が、 心の豊かさといえる。人生を振り返った時に、自分の心に残っているのは感動と感激と感謝、そして後悔の念である。 一般的に感動・感激は年齢を重ねると同時に少なくなっていく。 ある調査によると、毎月一度以上感激・感動する人は 10〜20歳代で50?だが、30~40歳代になると30?に減るという。私の場合、歳を重ねるに従って、感動・感激の 場面が増加している。感動はその蓄積が、その質・量に比例して心の壁を低くし、さらに感動に対する磁力を強くする。 親の責任の一つとして子供に「感動・感激のシャワーを多く浴びさせること」がある。 それは自分自身に対してもである。ある質・量を超えると、その人間の質のアップ・スケールが生じる。 一番の効果は、内面に自信が出てくることである。それと自由の意味も解ってくる世間とかいう奴にも迷わされないようになる。 感動は意識して自分に与えなくてはならない滋養である。 そのためには自分を太鼓に喩えていうと、常に手入れをして、その革を張り詰めていなくては共振はしない。 i (ω・`) bai ・・・・・・・ 2005年06月18日(土) 1537, 「これから5年・地価は半値になる」-2 ー読書日記 ー対談方式だが、概略をまとめてみた。{??}は私の意見である。40年前の山の手線内の駅の数が多くの地下鉄などの開発によって、 現在では三倍以上に増えたという。山の手線内では殆んどの場所から5分以内に、何処かの駅に歩いていけるようになった。 それが地価の高騰を招いたのであって、山の手内の地価の高騰はバブルではなかった。 それにつられて上がったところが、バブルになったと看破している? {それにしても、あの高騰はバブルである!} 最近目立ち始めた高層ビルも、2000年頃から建ち始めたもの。2003年には都内の大型オフィスビルが面積換算で、 例年の倍以上も完成。1999年には36万?大型オフィスビルが、2003年には218万?と4年で6倍に増えてしまった。 そのオーナーも森ビル、三菱地所、三井不動産と大手が目立っている。 ところが、そのビルにはチャンとテナントがはいっているから不思議。需要の多いビルには法則があり、 『新・近・群・大』である。駅に至近で、新しく、複合かつ多くのビルが群れていて、大きい。 それに最近では、地価の下落後のため、安い家賃のビルが出て来ている。安いもプラスされている。 なぜ坪10000円の中小ビルから、30000円もする大型ビルに移動するかというと、ワンフロアーに子会社や部門を集約して、 効率化を図ったのだ。超高層ビルなどを『親ビル』、中小のビルを『子ビル』と表現すると、親ビルが子ビルのテントを ドンドン吸収している。その子ビルが『孫ビル』の小さなビルのテナントを吸収する図式が出てきている。 『孫ビル』とは、新宿や池袋などにあるペンシルビルである。最近では更に『親ビル』同士の闘いが始まって、大小入り乱れての 大乱戦の状態になっている。これが地価の崩壊を更にすすめる。 (字数の関係でカット2011年6月18日) ・・・・・・・・・・ 2004年06月18日(金) 1172, ビューポイント 学習曲線というものがあって、自転車の乗り方や勉強や企業経営も同じである。新しいことを学ぶということは,S字を横に したようなパターンをたどる。初めはゆっくりだが次第にペースが上がり、ピークに達してから穏やかに下降するパターンである。 エントロピーは学習パターンがピークを過ぎたころにみられるエネルギーの喪失を意味している。山道を車で走っていると、 何処にもビューポイントがある。大体が8~9合目の辺りで、それまでの急勾配から緩やかな坂に変わるところだ。 下界と遠景が遥かかなたに見え、その前後は今までいた道がよく見える。そこでは駐車場になっていたり、土産物屋や休憩所に なっていたりする。そして、どういうわけか道の枝分かれをしているところが多い。そこで立ち止まって、自分の歩いてきた道を 観察する必要がある。そこでは一歩後退をして見ることも重要である。 大きな分岐点になるからだ。人生においても、事業に おいても全く同じことがいえる。ジョージ・ランドが「展望点ービューポイント」を喩えている論法が面白い。 頂上への8?9合目辺りで坂が緩やかになるポイントで、サーファーが波の衰えを感じて、崩れる前に新しい波に乗り換えるのと 同じポイントである。新しい学習曲線への波に乗り換えるポイントになる。自分がビューポイントに達したかどうかは 簡単に解るわけがない。しかし注意をしていれば兆候を見つけることができる。それが過ぎてから初めてわかるケースが多い。 波が最終局面になって、初めて気がつくケースが多いことも事実だ。とくに事業はそうだ、他人事でない。 その時はブラックジョークではないが、再生のプログラムになるが。それぞれの人生にとってのビューポイントで 違う波に乗り換えることも必要だろう。乗り換えた波がより合わない波の場合が多いから難しいのだ。 ・・・・・・・・ 2003年06月18日(水) 805、「ありがとう」の言葉ー4 一週間「ありがとう」を、一日おおよそ500回を言った実感を書いてみる。まずは、気持ちが落ち着いた。 特に夜半2時半に目が覚め、この経済の異常事態や事業のことをあれこれ考えてしまう。 ベッドの中では考えない訓練はしてあるのだが、今の状況は過去になかった異常な事態である。 会社も日本経済もだが。しかし、その時しめたと「ありがとう」を繰り返すと、あれこれ考えないで済むのだ。 また新幹線の中や散歩やふとした空白時間に繰り返していると、結果的に否定的な考えが激減している。 不思議といえば不思議である。単純に思えるかもしれないが、何か否定的な感情を消す作用があるみたいだ。 それと、意識をしていると結構細かい時間が多くあることに驚く。マイナスな時代に、否定的な言葉の毒消し作業がよい。 死ぬ時に、周囲に対して心の底から「ありがとう」と言っていけたら、残った人に対して 最高の癒しになる。と同時に自分の死に方としても最高の死に方になる。 その為には「ありがとう」を数万回、数十万回、脳の中に叩き込んでおくというのも理屈に合っている。 以下はインターネットで調べた、50年以上「ありがとう」を言いつづけて2億回言っている人を書いた内容をコピーした。 (字数の関係でカット2008年6月18日) ・・・・・・・・ 2002年06月18日(火) 441,時間持ち 「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」というのを本で読んだ事がある。若いときから時間だけは多くあった。 時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている? 現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。 小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 お金と同じである。人がお金を持て余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。「主体的」に使えるから、 お金は幾らあっても持て余さない。お金は自由の塊そのもの。時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。 時間を持て余すことは、その自由を使いこなせない事。もう十数年も前の事になるが、ある長岡の不動産屋の社長が 毎日が日曜日のくらい暇な日程の私の姿を見ていて笑っていた。3月のある日、年度替りで不動産屋が一番忙しい時だった。 奥さんと二人パニックに近い状態に。その後二人で喫茶店に行った。本人自慢げに「イヤー忙しいくってね?」 私「その仕事何パーセント、500円のパートのできる仕事?」不動「99パーセント」 私「ふーん、あんたの時給はいくら?」不動「一万円あたりかな!」 私「時給一万が、500円(当時)の仕事をして喜んでいるんだ」その後、本人はすぐ一切の雑務をしなくなった。 話しは外れたが、時間もち(金持ち)とは、主体を持って使いこなしているかどうかだ。 ・・・・・・・・・ 2001年06月18日(月) [56] 母のアルバム 昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。 そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、上部が細くなる写真に映し出された。 (字数の関係でカット2011年6月18日)
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2011年06月17日(金)
「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 ‘まえがき’の『 私の毎日は診察室という穴蔵にこもって、「生きていてしょうがない」「死にたいというより消えたい」 などという人々の声に耳を傾けることですが、それらの訴えが母との居場所を求める仔の叫び声に聞こえることがあります。 他人にそれを求めなくても、自分の心の中ですでに母がいることに気づけば楽だろうと思うのですが、それがうまくいってない。 彼らが意識している心の中の母はほとんどの場合、彼らを責め、叱咤激励する母だからです。 どうしたらこの「心の中の母子関係」を改善できるのかと迷う毎日なのです。が、その中から突然元気になる人々が少なからずいて、 びっくりさせられます。どこがどう変わったというのでもなく、「まあ、このままの自分でいいや」と言い出すのです。 居直るというか、「人として生きるのは苦しいが、その苦しいところが楽しい」といった心境のようです。 こうした人々についていつか書いてみたいと思っていました。』が、この本のアラマシになる。 どうも人は自分の安心できる 居場所がないのが悩みのようだ。 過って、「自分の居場所」のテーマで書いたことがあった。 9年前の <2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 > である。 この本の前に、その内容から・・ 【 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がないということは、非常に厳しい状態の時である。 自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。 20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。まず部屋に椅子と机に本棚に本と手帳を配置する。 それで、あなたの居場所ができあがる。あなたが座ると何気なく自分の物を机の上などに配置し、いつの間にあなたの場所ができている。」 犬のマーキングのようなものか。 私だけでなく人間は同じようことをしているはずだが、少し過剰? 《 居場所とは、・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ 》 そうすると趣味に没頭している時と場所が心の居場所だ。 毎朝あげるお経もそうかもしれない。 引っ越したら、別に住まいだけでなく、 まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と自分の座る席。 猫もそれを本能的にしているはずだ、テリトリーとして。 】 ▼ 私の場合、大人数の家族の末っ子ということで、あまり母は叱咤激励をしなかった。目が行き届かなかったのだろう。 著者は精神的に心の奥底で母親の影響が大きく、目の前に居なくとも自分の安心できる場所を確保できない人を患者にした先生だ。。 現在、会社を倒産で失った事態である。 会社は当然、居場所の大きな部分を占めていた。 が、あまり喪失感はない。 つきつめると、生前の両親との関係が良好だったことにあるのか?。喪失に伴う痛みが、心の奥では何とか吸収してくれるのも、 自分との折り合いが比較的うまくいっているためなのか。 会社の事務所に座っていた居場所が、ほぼ同じ感覚で、仏間の一角の 書斎コーナーに移動できたこともある。そこに座っていると、本当に落ち着く。毎日が日曜日になった現在、家内と居間で対峙していて、 互いにイライラしてくると、家内が寝室のTVの前に行くか、私が仏間に行くかで、住み分けが可能である。 その意味で、本拠地が 出来てホッとしている。それとも、このHPが自分の居場所? 毎朝、10年分を読み返している時が、居場所に居る! 感がする。 ・・・・・ 3370, デジカメを買えかえた! 2010年06月17日(木) 私はパソコン、デジカメ、iPod、iPhone、デジタル一眼レフ、デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ(デジカメ写真の蓄積端末) などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称しているが、今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。(TVとビデオ機器とステレオもあるが・・・) その中でデジカメとiPodとiPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。ブログの読書日記を書くさい本の文章の取り込みにも、 デジカメを使っている。(iPhoneのデジカメ機能は食事時や、居酒屋・スナックのスナップを撮るのに使用している。) デジカメは現在のもので5代目だが、それぞれ使い切ってきた。 先日、長男に友人の結婚式で貸したが、みごとに落として壊してしまった。5年も使ったので5千円の弁償で示談をしたが、 心の中では新しいデジカメが買えるとあって、ニンマリ。 二年前にイングランドに行く直前にデジカメが動かなくなって急遽、 秋葉原のヨドバシで買うことになったが、新しいのは家内に、私は家内の使用した御下がりになっていた。 5年前のものだが小型で気に入ってはいた。720万画素で少し物足らないが、ブログに載せるには充分である。 新たに買うにあたり、ネットで値段や機能を調べたが、値段は7千円から3万円の間に8割は収まっている。 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 ) ・・・・・・・・・ 2995、 ピーク・エンドの法則 2009年06月17日(水) ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、 「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まる」という法則である。 映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場のシーンと、最後のラストシーンになる。 「終わりよければすべてよし」 というのも当てはまる。経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには関係ない特徴がある。 人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところがある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と最後あたりの記憶が、 その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の秘境を中心にして旅行に出ているが、後半になるほどに、 この旅行は良かったと互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 間違っても良くない話はしない。帰ってきてからも、同じこと。 せっかく行ったのだから、楽しい思い出にしてしまう。どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、 そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、そして人間関係もである。エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要。 しかし、その最後が難しいのである。人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せつけられてきたが、他人事ではない。 人間は歳をとると、肉体だけでなく、精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、最後の宿泊日には、 その中では一番良いホテルに泊めるケースが多い。また、文章でも同じことである。最後の一行が肝心。で、いつも落ちに気を使う。 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、そして落ちが必要となるが・・・。 ・・・・・・・・・・ 2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1 2008年06月17日(火) 「無法バブルマネー終わりの始まり」 松藤民輔:著 この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、「日本の金融機関は労せずして、欧米の金融機関に《不戦勝》 してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。どこもかしこも、毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、 その余裕がなかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。さらに、資源のない国だから、1974年、1978年のオイルショックを 経験してきた御蔭で、日本は世界で一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。 それは、政治家ではなく、国民一人ひとりが、 そして企業が生き残りをかけて闘ってきた結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。 弱みを克服しているうちに強みをつくってしまったのである。それによると、EUの1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、 中国の8.7倍、ロシアの18倍である。ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れないうちに、 とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を実現していたのである。 また、東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、 本社が8割も集中した国を創りあげてしまったのである。 この十数年、日本がのた打ち回ってきたが、 これからは、アメリカと中国、ロシアの番である。 それが本格的に表面化するのは私の予測では、 今年の秋口から年末にかけてだろう。中国のオリンピックが終わり、アメリカの大統領選挙の終了時点あたりか。 その前に、ブッシュが共和党政権を守るためにイランあたりに戦争を仕掛ける可能性もある。 いずれにしても、今年の前半にチベットの騒乱、四川省の大地震、ミャンマーのサイクロン、アメリカのサブプライム問題等、 大きな事件が続いたが、後半も何か大事件が続きそうである。その中で日本人は堅実で一般国民は「現金・預金」の50・50で、 「株式、債券は20?弱」。欧米とは比較がならないほど堅実である。現金・預金はアメリカは13・2パー、イギリス25パー、 ドイツ・フランスで32〜3?でしかない。また自動車のエンジンの開発、太陽熱の利用、原子炉のノウハウの蓄積等、 日本独自の開発が資源小国ゆえにある。弱点も多い反面、強みもある。 次回は、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。 −つづく ・・・・・・・・ 2007年06月17日 2266, 欧米のビール圏とワイン圏 * ̄0 ̄)ノ[才八∃一] ヨーロッパの国々や、その植民地に行って気づいたことは、ビール圏とワイン圏が大まかだが分かれていることである。 ドイツやベルギー、イギリスはビール圏。^_^)/q□☆□p\(^_^ ) フランスやスペイン、イタリアはワイン圏。 ドイツでも南はワインで、北はビール圏になるが・・・ビール圏は工業国が多く、勤勉で真面目なタイプで食事の時間が早い。 ワイン圏は農業国が多く、人生は楽しむものという国民性で、自分のプライベート・タイムや家族との交流を大切にし 飲食の時間が長い。料理はワイン圏の方が圧倒的に美味しいものが多く、ビール圏はそこに比べるとかなり落ちるようである。 日本はドイツの教育制度を取り入れたことと、武家社会だったこともあり、ビール圏に近いが、最近になってワイン圏の考え方が 急速に入ってきている。アメリカもイギリス系植民地だったこともあり、ビール圏である。アル中はワイン圏の方が多く、 人生は楽しむものという考え方が、酒量を多くさせてしまうようだ。 ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーヽ(#`Д´)ノ┌┛〃 とはいえ、日本のサラリーマンのように仕事仲間内で飲む習慣は少ない。□p\(^_^ ) カンパァーイ ( ゜Д゜もう一杯酒飲め ! 美味しい世界各地の酒と肴を飲んできた。 中国には紹興酒、ロシアにはウォッカ、メキシコにはテキーラ、イギリスには スコッチなど、世界にはその風土から生まれてきた酒があり、酒の肴を合せて飲むのが楽しみだ。その中でやはり日本人のためか 日本酒が一番好きである。 その中でも新潟の吟醸酒が最上である。それも駅のメーカー直販の店で、ワンカップで 280~500円位で売っているのが美味い。酒メーカーは戦略上、駅への酒の出荷は車内販売も含めて良い酒を出すからだ。 ビールは最近になって、好みもあるが日本のものが一番といってよいほど美味しい。40年前に初めて欧州に行ったときの ビールとワインの美味しさをハッキリ憶えている。ワインなどポートワイン以外飲んだことも無かったこともあるが・・ (´・з・`)グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ ・・・・・・・・・ 2006年06月17日(土) 1901, 半年の総括 才八∋ウ_〆(∀`●) 少し早いが「今年の半年の総括」をしてみる。 ・まずは読書で印象に残ったのは、 *「ウェブ進化論」 *「グーグル Google」 *「ズットやりたかったことを、やりなさい」 *「ローマから日本が見える」 *「ジム・ロジャーズ世界を行く」どの一冊をとっても、衝撃的な内容であった。 その中でも「ウェブ進化論」は、今後のネット社会の方向が解りやすく書いてあり、衝撃的であった。 Web2.0には・・・ また「ずっとやりたかったことを、やりなさい」を読んで、 毎朝、思いのままをノート3Pに 書き出すモーニング・ページの習慣がついた。これも時間を重ねるほど、その重みを実感する。 ・プライベートでは、 *息子がフィアンセを(紹介のため)自宅に連れてきたこと。 *静岡の大学時代の友人が遊びに来たこと。 *やはり学生時代のゼミの友人と、「新潟県活性化のための会」を開いたこと。 *それと還暦をむかえたこと。 個人として、大きい転機の時期なのだろう。 ・事業面では、 *新潟駅再開発の(三つの道路拡張工事の)認可が正式に決定したことである(実質的に再開発事業が始まった) *4月初旬から、一段と新潟県の景気がホテル・タクシー・飲食店を中心として落ち込んでしまったことである。 以上は、私に直接関係ある総括である。 あまり刺激的でないのが・・・・ ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 ) ・・・・・・・・ 2005年06月17日(金) 1536, 「これから5年・地価は半値になる」 −読書日記ー 数日前から書店で立ち読みをしていたが、少し眉唾の「売らんかな」の題名の本と疑心暗鬼であった。 しかし、気になったので買って読んでみた。東京の不動産・事務所ビル・マンション事情が解りやすく、三人の対談方式なので 読みやすい。内容は業界関係なら周知している事実であろうが、地方では疎い情報を具体的に教えてくれている。 「都内の勝ち組立地の大型の物件以外は5年後に半値」というのも決してオーバーではないようだ。 現在、高層の億ションのいくつかの売れ残りが始まっているとか。大都市圏の一部での地価下げ止まりと上昇は、 海外有力ブランドの出店ラッシュと都市基盤整備による一時的カンフル剤をうったにすぎない。 ・既に高級マンションの値引き合戦がおきていること、 ・都心以外はビル賃料のダンピングで地価が下落していること、 ・5年後の半値は銀座や青山ではなく、東京の十字架ゾーンを外れた場所とか、 地方の値崩れが激しく総体では半値になるだろう ・十字架ゾーンから外れた郊外住宅やマンション、ニュータウンは既に暴落している。 ・千葉の某団地は、都心マンションの頭金ほどの価格で購入できる。 ・右肩上がり時代ではなく何時リストラされるか分からない時代はムリしてローンを組むと破産者になるだけと警告している。 ・さらに日本人の「持家信仰」からの脱却を奨めている。 段の下がりきったマンションを娘のために買った」といっていた。 −以下、要点を抜粋してみるー ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 ) ・・・・・・・ 2004年06月17日(木) 1171, 哲学についてー5 ー合理主義ー 近代科学と同時に、近代哲学の芽吹きが始まってきた。「世界は理性で理解できる」という「合理主義」の考え方である。 初めて合理主義哲学を提唱したのはデカルトである。16世紀末にフランスに生まれた聡明な学者だった彼は、志願将校として ヨーロッパを見てまわって、人間の世界が書物の世界より多様性に富んでいることに気がつく。 そして次第に、「人間が芯に確信できるもの、確実に知ることができることがあるのだろうか」と思うようになる。 人間の思考というものを、哲学、数学、科学の分野から研究を始めた。出発点に戻って思考する「私は何を知ることができるか」 である。そしてかの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り」という結論に達する。彼は「人間の究極は精神である」という結論から 現実世界は精神と物質という二つの要素から構成されるという考え方を導き出した。このように自然界を精神と物質、 主体と客体、観察する人される人の2種類に分ける考え方は、西洋人の考え方に組み込まれていく。今日まで哲学者の間で 「デカルト的二元論」といわれてきた。デカルトは、このシリーズで取り上げなくてはならない一人である。 その時は、より詳しくその思想の内容をマトメテみたい。彼から後、多くの合理主義哲学の一派があらわれる。 彼らの基本理念は「現実世界の知識は理性をとおして得られるのである、知覚することによって得られた情報は本質的に 信頼できず、知識になるどころか、間違いの原因になる」というものである。デカルトの後にはスピノザやライプニッツなどが出てくる。 デカルトやスピノザは天才的な数学者であり、この二人にとって数学は「真に確実な知識を手に入れるための理想的な手本」であった。 彼らは数学者が使っている手法を、現実世界を理解する為に利用できるなら、あらゆることが解明できると考えた。 我々が何気なく考えていることや、言葉などが先人によって考え出された上のことでしかない。 そう考えると、自分とは何ぞやと考えること自体ばかばかしくなってくる。 −つづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月17日(火) 804, 50歳の頃ー2 ー50歳といえば1996年、平成8年である。今から見れば、まだ景気の先行きに明るさがあった。 ・村山から橋本に首相が変わり。 ・狂牛病の0−157が社会的な大問題になっていた。 ・携帯電話やパソコン・インターネットがが普及を始め ・この頃から『援助交際』とか『ルーズソックス』が流行りだした。 ・アトランタオリンピックが開かれ、マラソンでは有本が銅、柔道では野村、恵本が金、田村が銅メダルをとった。 ・ロシアではエリツィン、アメリカではクリントンが大統領に再選された。 ・国内のベストセラーでは春山茂雄『脳内革命』野口悠紀雄の『超勉強法』がベストセラーになっていた。 個人的には ・母が亡くなった年である。海外旅行はエジプト、インカ・ペルーと南アフリカに行った。 会社のほうは第三の増築をして、客室が合計500室になった。こう当時を振り返ってみると、時代背景が個人も 会社にも大きく関わっていることが解る。また刻一刻と時代が変化している。 個人的にも色いろの出来事があった。 その殆んどが忘却のかなたになっているが、それだかこそ生きていけるのだろう。 これからは60,70,80歳の坂を乗り越えていかなくてはならない。 現在とは過去から見たら最長老であり、 未来から見たら最年少といえる。 こうして文章を書いているとつくづく実感する。 ・・・・・・・ 2002年06月17日(月) 440,自己不一致の人 誰でも持っている要素である。組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。自分の事といってよい。 ・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。・夫婦間の問題 ・両親の仲が良かったか 中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。 あと舅・姑の関係も絡んでくる。家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。 夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。それがそのまま子供に反映してくる。あるいは自分に反映する。 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 ) ・・・・・・・・・ 2001年06月17日(日) [55] ジョーク集について ≪字数制限のためカット2010年6月17日≫
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