堀井On-Line



3674, 自己を見つめる −2

2011年04月17日(日)

       「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をしてみなければ分からないのである。
人生は、経験を通してその深みと広さを増してくる。 自分とは、経験してきた全てである。
人生は様々な過去の追憶を返し、暖めなおすことしか、事実上何処にも存在をしない。
良質な経験の積み重ねこそ、人生を豊かに、実りあるものにする。
   ー 第一章 経験 の中より ー
  哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験するまでは、当の事柄を知ってなかったことを
 痛感させられるわけである。つまり私たちは、徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の幻滅を伴うものである。
 かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語ったように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。
 それが経験ということであり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 
  要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、
 徹底的に思い知らされるわけである。 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生というものはない。 私たちは、経験において初めて、
 自己自身と宿命的に向き合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
  〜〜
  人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 その境界が自分の限界であった。 
 だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して行動することが、自分を広く深くする。 「自分を見つめる」とは、
 自分の経験を見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を踏む事であり幻滅を伴なう。
  とはいえ、落語の与太郎では? 
 ・・・・・・・
3309, 笑われ力  −1
2010年04月17日(土)
   「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りることにした。
「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろしていることになる。」とは癒しの真髄であり、
これまで「フン、この程度モノさ!」と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組むとは。
お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。
タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、
ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。
誰も一度や二度は経験のあること?。私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。実に自分の欠点、
失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。 自分より知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?
の人の前では、躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、基盤がないと出来るものでない。
  まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原 壮一郎 ≫
≪ 「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。しかし、ウケを狙えば狙うほど、
スベりやすくなるものです。 まして、人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。
そこで「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、人をネタにするのではなく、
自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、
「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くためのプロセスに過ぎません。
 大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」をプロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫
 〜〜
 この本の「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう!あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、
あなたの人生にとって、必ずや大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」とあり、最後の方には
「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。
 この随想日記やブログも早くいえば、「笑い」というより自嘲の披瀝である。そうでも思わないと、
毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになっている。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に
捻りを入れるようにしている。 それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。 
決して、この本を読んだぞ! でなく、やっと読みおえた!という気持ちでないと続かない。
この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。
 そういえばオカマバーの方々、実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。 
笑われてナンボの世界か、珍獣?の世界は。 10年以上は、行ってないが、歳のせいか気持ちが悪いが先にたつ。
 ・・・・・・・・
2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2
 2009年04月17日(金)
新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌の影響がストレートになる。
初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 二時間以内の出張は日帰りである。
インターネットや携帯電話などで情報をやりとりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。
最近は宿泊ネット販売が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は当たり前。 
当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから、堪ったものではない。そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、
電気製品、デジタル家電、書籍、健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買うのはネット。 
2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズから始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。
情報化によるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。最低価格が実現できないところは、
即、退場をさせられてしまう。(客室は、在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰される
ことになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。 
アメリカのように資源や軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を揺るがすほどの大事件。
4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのはが中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようと
しているというのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の共産社会体制が消滅。
そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義のアルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、
2千数百人の生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年に一度といわれる金融恐慌である。
これは簡単に解決できるような事態ではなく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。 
まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。それも全ての人が直撃する惨事を・・
・・・・・・・
2570, 些細なものほど、光を放つ!と、振り返ると解る
 2008年04月17日(木)
日常のチョッとした瞬間、60年にわたる過去の些細な記憶がフラッシュのように出る。これが還暦を前後して特に多くなってきた。
人生は些細なことほど大きな意味が含まれているようである。コマーシャルではないが、「人生は、その人の選択で
出来上がっている」と実感する。一日、数万のことがフラッシュのように脳に発生するというが。 様々の経験から、
自分の心の芯にとって、いやな後味になることはしないようにしてきた。それでも、次から次へとフラッシュが発生する。
自分の過去を冷静にみれる年月が経ったためだ。多くの人を虐殺した政治家の内面は如何なるものだったのか。
死者が纏わりついているのだろう。彼のそれは、些細なものではないからだ。
  次の文章が‘些細なものほど、光を放つ’ことを理路整然と表現している。
「哲学の教科書」中島義道著
  *些細なものほど、光を放つ      P-232
哲学者の目とは、人生の「外側」から、すなわちあたかも死者、あるいは他の天体からの飛来者のように、
人間たちの営みを見る目です。 こうした目で見続けますと、そこに面白い変化が生じてきます。
人生の大事と思われているものは取るるに足らぬように見え、逆に取るに足らぬと思われていることが輝いて見えてくる。
「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく 些細なものこそ光を放ってくる。 フランクルは強制収容所という
「向う側」にいる人間の心持ちを次のように語っております。 彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に想いを馳せて、
それに耽っているのであった。 しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事や
ささやかかな事象のまわりを彼の考えはめぐっているのであった。……市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、
電話が鳴る、受話器を持ち上げる、部屋の電灯のスイッチを入れるー囚人がその思い出の中でいわば撫で回して慈しむものは、
こんな一見笑うべきささやかなことであった。そして、その悩ましい思い出に感動して彼らは涙を流すこともあったのである。
強制収容所に入っていない私たちが、今この状況を腹の底から実感するのは難しいでしょうが、例えば奈良時代の
官吏の一日を文字通り再現してくれれば、どうでもよいことがわれわれには本当におもしろいことでしょう。
もし私が一時間だけ千二百五十年前の奈良の都に戻してくれるなら、東大寺や興福寺には行かずに、人がごった返す市場に
行くでしょう。 内裏の「閣議」は見物せず、一般の家庭の夕餉を見物するでしょう。・・(中略)女房が派手で困るとか、
給料が上がらないとか、子供がぐれて困っているとか、毎日の生活がしみじみと面白みを帯びてきます。
ーー
学生時代の日記を、ここで公開したが、私にとって、その面白みは当時の日常の風景が具体的に書いてあったことである。
実際に読み返してみると、当時のことが昨日のように思い出される。何で、その後、思ったままのことを具体的に書いて
なかったか後悔する。誰かに見られたら嫌だというのが、それなのだろうが。些細なことの中に光が宿っているのである。
それは、「今日、今、ここ」しかないから。ここに永遠が存在しているから。
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2007年04月17日(火)
2205, 反時代的毒虫 ー2  才八∋ウ_〆(∀`●)
             ー読書日記ー
「反時代的毒虫」の中の ー白洲正子との対談『人の悲しみと言葉の命』ーから
車谷が『四十八瀧心中未遂』で直木賞をとったあとの「文学界」で白洲正子との対談である。
白洲をして、恐ろしい、こわい、と言わしめるのだから、驚きである!
 ーー
白洲 「私、十何年も前に見っけたんだからね」
車谷 「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました。
   (字数制限のためカット、2010年4月17日)
・・・・・・・・
2006年04月17日(月)
1840, ジャンケン
              オハ (´・ω・`)(ω・`)!(´・ω・`)! ヨ? 
「ジャンケン」について書いてある資料は殆んどない。HPを調べても勝ち方の極意が書いてあるだけだ。
その中で、それぞれのだす確率があった。580回のうち、グウが190 、チョキが203、パアが 187 回とあった。
確率からみたらグウを出すのがよいことになるが、ほぼ同じである。もっと偏りがあると思っていたが。
図書館で何気なく立ち読みした「大切なことは60字でかける」
 ー高橋昭男著の中にジャンケンについて書いてあった。 それによると、
・ジャンケンは、江戸時代に中国から長崎に伝来 大阪を経由して江戸に伝えられた。
・江戸時代のジャンケンには色いろな方式があり、子供の遊びではなく、お座敷遊びの一種であった。
・中国では、日本と同じ方式で行っている。 世界の40ヶ国で盛んに行われている。
 ーマレーシア、パキスタン、サウジアラビア、イギリス、 フランス、ドイツ、 デンマーク、エジプト、
 アメリカ、チリなど・・ アメリカのジャンケンは日本のかけ声を英訳したもの。
この本を読むまでは、日本特有の遊びと思っていた。お座敷遊びで、野球拳とかがある。
子供の頃は何かあるとジャンケンで決めていた。そういえば、ジャンケンで勝ってハワイに行ったことがあった。
(実家の会社にいたとき、社員旅行で兄とどちらか社員旅行でハワイに責任者として行くかで)まあ、よき時代であった。      
                    ゚+.(*・ω・)ノ*. バイ!      
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2005年04月17日(日)
 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2
「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、「倒れてしまった悲しみに」
という詩を書いてみた。 昔の何度かの挫折を思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
・・・・・・・・・・
2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?3
  第二章 愛のレッスン
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただ一つの真実である。
永続をするただひとつのものである。愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、
自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。
それはあらゆる障害をとりのぞくことである。自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。神に会うことができたら、神は
「おのれに愛をあたえたか、人に愛をあたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に付いていく。神はわれわれに、愛し、
愛される無限の機会をあたえてくれる。
・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。 
子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、いい成績をとれば、オバアチャンにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、
「愛してもらえる」ことを学んできた。愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、にせものの愛であったことに
気がつかなかった。いちいち他人から是認を必要とするような愛を本当の愛とよべるだろうか?自分自身への慈しみの心を
持つことが、本当の愛の第一歩である。あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。それをすることがうれしくて、たましいが歌を
うたっているのだ。そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている
行為である。たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きをしてなにか「有益な」ことをするのではなく、
ただのんびりと寝ていることかもしれない。・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。「何人かの女性を愛そうとしました。
相手を幸福にしようと努力をしました。ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、意外な質問だったらしいのです。「もし愛が、相手の女性を幸福に
するものでなかったとしたら? そんなこととは無関係に、ただ傍にいるだけが愛だとしたら?相手を幸福にするという
思い込みすてて、ただ傍にいることが、長い目でみたら、相手を幸福にすることになると考えてみたら?」
人生には浮き沈みがある。愛する人がかかえる問題をすべて解決してあげることはできないが、
そばにいることなら、できなくはない。長い目でみればいちばんの愛のしるしではないだろうか。 
・・・・・
2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』?2
             読書日記
ー抜粋ー6
父は話をつづけた。「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、
ランプの中に押し込められた精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つけることが出来る。
天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」「ランプの精が見つかると、
精がおまえらにこう聞く。『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、二つ目は自分の才能を愛するものや
 親しい者たちだけに与えること、三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』
「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままに
していることだ。才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。
ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ効果を発揮するんだ」
  (以下、字数の関係でカット2,008年4月17日)
・・・・・・・
2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪
一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。外国人の犯罪らしい。
ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。
ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。休業の張り紙は出せないらしい。外国人がトラックで全て持ち出すという。
10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。犯罪もグローバル化になってきた。
平気で殺すから恐ろしい。同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。8000円が少し高いが 。


3673, 自己を見つめる −1

2011年04月16日(土)

   「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように受けとめるか?」になる。
それは生きてきた「自己を見つめる」ことになる。 その「自己とは、そもそも何か?」
色々な場面で、多くの判断をし、決断をしてきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。
それらの自己の総合体が自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みをしていたら、
思わない拾物をしたのが、この本。 現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。
   まずは、  −アマゾンの説明書きよりー
  放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェやハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる
気持ちを支え引き締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 
日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟というものと深く関係している。
  しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも
  接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、
  控え目ながらも持続的で強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴うあらゆる憂いと
  悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、
  自分を支配することに至ったことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
  老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。
  私が、本書『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした優しく敏感で、傷つきやすい、
  心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」  (「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  第五章  自己  
  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  第九章  愛  第十章  他者  
  第十一章 世間  十二章 運命 第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
   ――
  これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」と共に注文をした。 老年に差し掛かってきた現在、
  自分の歩んできた人生を振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。 それが「節目を打つ」ことになる。
  青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の石にすることができた? 内省も面白いものだ。
・・・・・・・
3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、
一万円前後。 無料キャンペーンはお試し用の6パックで1200円のもの。10日前に届いたので、試し飲みをしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せて
いるような感じ。そこで、小さなパックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、玄米酵素を
飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いているから身体に適応しているのだろう。
 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さなコーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。
 無料の試しパックは一パック2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じである。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば
三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。
ネットでは、3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットでチェックしているはず。
それでも、この価格で販売しているのだから、ネットでチェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、
ドラックストアさえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 
   今さら、大して用がないか!
・・・・・・・
2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、
多く読んできた。楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消えて、「100年に一度の経済危機」という言葉が
定着したきた。1930年代の世界恐慌より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40パーセントダウン。輸出産業を中心としたメーカー関連で、
40〜50パーセントダウン、それ以外が20〜40パーセントのダウン。2001年の9・11事件の時は、三年かかって30パーセントに
ダウンしていったが、今回は2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、
駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、
お達しが出ているという。大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上げ減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。
国家として3月末の大量倒産を避けることが出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて大きな事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。
この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。韓国・台湾
・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンというから、大打撃になっている。
かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか輸出立国という
モデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? 
・・・・・・・・
2569, 閑話小題 
 2008年04月16日(水)
 *ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。
そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、
127円で統一(談合)しているのでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしているから
消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
 *呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
新潟のキャッチが古町も駅前も完全に姿を消したという。呼び込みは店の前というよりドアの内外の辺りにいて、積極的に
声をかけなくなった。外でタバコをすっている振りをして、そこにいることを知らしめるだけで、自分からは声はかけないという。
先々週、長岡の殿町でキャッチに付きまとわれてトラブルになったが、その後はどうなったのか。
風俗の店はキャッチが禁止されれば、商売が成り立たない?。 ところで先週末の古町はキャッチもいない代わりに、
一般の客もいない状態で閑散としていたとか。少し猥雑の雰囲気を客は求めているのか?。
 *ロシアのバレー事情の激変
先日、NHKのハイビジョン特集「シベリア鉄道2008」の中でロシアのバレー学校の事情を部分的だが、紹介していた。
この番組、20年以上も前の番組と同じコースを映しながら、その変化を紹介する内容。なかなか見ごたえがあった。
ソ連の時代はバレーダンサーは優遇され、全国から殺到していたが、現在は素質のある生徒が集まらない。学校のほうが全国に
スカウトにまわっている始末。やっと、育て上げても海外の条件の良いところに行ってしまうケースが多い。
ダンサーの給料が激減、若者の希望は実業者とか、銀行マンに移ってしまった。17年で価値観が変化したという。
・・・・・・・・・
2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる 
あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに
衝突の車を見かける。慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では誰も前の席に座りたがらない
沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
 ーベトナム交通戦争ー 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、衝突する際どさの中を運転技術で
コントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。ベトナムのオートバイは2000年で650万台、
2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10パーセントをベトナムが占める。
自動車とオートバイの比率は、9対1で圧倒的にオートバイが多い。そのため交通事故は2004年で年間17,500件以上、
死者数も14,000人を超えている。1990年に死者は2300人だというから、14年間で6倍になってしまった。
オートバイの数と丁度正比例していることになる。日本で1970年に交通事故死者数が16,765人をピークになった当時、
ベトナム戦争での年間戦死者数より交通事故死者数が多いところから「交通戦争」と呼ばれた時代があった。 
(字数制限のためカット 2011年4月16日) 
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2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ー1
     おはよ?!(*^ワ^*)i             ー読書日記              
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから?
「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
 ー著者からの内容紹介ー 
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには?「分かりやすい技術」の著者が、
効果的な情報収集・整理術を伝授!携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには? 一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには? 本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
▼情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」
 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」
 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。
▼日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える
 テクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。
  ーー                且_(・_・ ) まあ、どうぞ!
以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーセントは把握できるはずであるが?
5年間にかけて随想日記を書き続けた結果把握したノウハウがそのまま書いてあったようだ。
最近は「検索」で、読む前に本の構造を調べるようになった。読む前から、骨組みを知っているのでエネルギーは数分の一。
骨組みを知った上に、仮説を立てて、その誤差を測ると手っ取り早い!情報洪水に溺れないためのコツである。
情報発信者の手抜きを私たち情報受信者が補い、「わかりやすく理解する」ための情報受信術をマスターすることだ。     
具体的には、人間が文章を読んで理解するまでのメカニズムと、脳の仕組みを理解して、それを利用することである。
(字数制限のためカット 2010年4月16日) 
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2005年04月16日(土)
 1474, 汚れつちまつた悲しみに     中原中也
汚れつちまつた悲しみに  今日も小雪の降りかかる    汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは  たとへば狐の皮裘       汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく   汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに  いたいたしくも怖気づき    汚れつちまつた悲しみに  なすところなく日は暮れる
 ・・・・・
 河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-
この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、
当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」
が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。
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2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー
この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、
一章づつ印象深い文章を書き出してみる。私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの
極限を味わう為である。その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。学ぶのだ、学ぶしかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」
という、こころの大転換があった。その時から視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。分厚いレンズー現実が目の前から
消えたようだった。この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。
  (字数の関係でカット2008年04月15日) 
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2003年04月16日(水)
 742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』ー1      ー 読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折を
してしまう! 何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷に
なってしまう。お金は、ある意味で生きていく交通手形である。お金に対する考え方は生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
  ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを
犯すことで進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは一ところを回っているだけだ」
  ー抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間に変わりのないことは私も知っている。
問題はそういうことではない。問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているかどうかだ。
エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、
より多くのお金を持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは何か、私に言わせればそれは『自由」であった。
  ー抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」「たいていの人は、お金を稼いだあと
それをどうするかについて、貧乏になるプラン、やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームをやるんだよ(字数制限のためカット 2011年4月16日) 
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2002年04月16日(火)
 378,不況
 (字数制限のためカット 2011年4月16日) 


3672, 節目どきに ー7

2011年04月15日(金)

  * つれづれに
△ 事務所にあった身の回りのものと書棚が二回に分けて届いた。 倉庫の中に三坪ほどのスペースをとり、それらを収めたが、
 丁度良く収まった。事務所の移転ごとに多くを捨ててきたので比較的最小限度のものしかないが、それでも捨てがたいものが多くある。 
 会社に置いてた本の半分ほどは処分してきたが、振り返ってみると、もっと早く、哲学書を読み込んでおけばと反省しきりである。
 逆に言えば、この10数年で読む本が変わってしまった。

△ 昨日、小学校5〜6年担任の恩師の西沢先生から、丁寧な破綻の?お見舞いの葉書が届いた。
 現在、80歳前半になられたが、葉書に筆で書かれた書体の美しさに驚いてしまった。私の5歳上の姉も担任をされたが、
姉は、あまり先生のことを語ってくれなかった。 先生が定年退職をされた時に、確か小学校の同期会に先生が出席され、
その時に先生にお願いをして、新潟の私のホテルに宿泊をしてもらい、一晩、酒席を共にさせて貰ったことがあった。
もう20数年も前になる。 先生は多くの小中の校長を歴任し、長岡の教育長までされた人で、定年時には、そのお祝いに
300人が集まってくれたと嬉しそうに語ってくれた。 その時に先生がつくられた御猪口を貰いたが、先日まで、
会社の事務所の飾りだなに大事に飾っておいた。 卒業まじかに、半年間、虐め?で級長にされたことがあった。
これはきつかったが、その時に不貞腐れていて運動場で掃除をしていた私の頭を引っぱたかれた心の傷は、今でも鮮明の残っている。
しかし人を導く不思議な力を持っていた。先生の両親とも先生で、息子も先生をしている教員一家。色々の人生を垣間見たのだろう。
そういえば小学校の同級生、地方としては男15人の中で、慶応、早稲田、立教三人、新大二人と、出来は悪くない。 喧嘩も、勉強も
ライバルが多くいた。 変なのもいたが、変ななりに、まっとうに?家業などを引き継いでいる。 駅前エリアもあり、玉石混合ということか。

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3307, 日本破綻 −2
2010年04月15日(木)
ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」 藤巻 健史 (著)
 著者は新自由主義論者で、円安論者。 グローバル化社会を推進すべきだとしている。
そして「大きい政府・規制社会・結果平等税制」の是正を主張している。 経済を拡大をしないと、
グローバルの世界を生き抜くことは不可能で、そのため円を実力どおりの円安に誘導すべきという。 
日本は輸出立国でしか成り立たないと論じている。格差が開いたとしても日本の貧困層は世界の中間層でしかない。
 ここで、アメリカの強さを何気なく書いている。
・アメリカの双子の赤字は大げさ= アメリカの税収2008年で約2.5兆ドル=220兆円。日本の44兆円の5倍ある。
 アメリカのGDPは日本の3倍に対して5倍である。一方、財政支出は、2008年で4500億ドルの赤字。ほぼ日本と同じ。
 2008年末の連邦債務残高は10兆ドル。これも日本と同じでしかない。日本は不景気が良くなって金利が5パー増えたら
 43兆円の支払い増で、今の税収が吹っ飛んでしまう。もうひとつのアメリカの赤字、経常赤字も大げさに騒ぎすぎ。
 ネット金額で見ると、資本を海外から取り入れているにかかわらず、配当金や金利は「支払う額」より「入ってくる額」
 の方が大きい。 借金をしていれば金利は「支払うはず」なのに、「受け取っている」のです。それは、アメリカ人に
 リスクをとる精神があるからである。海外投資で高い配当金や利息が国内に入ってくる一方、支払い金利の方が少ないからだ。
・日本のバブル時の1989年末と現在2010年1月と比べると、日経平均3万8915円から1万765円と4分の1近く。
 一方のNYダウは2753ドルから1万765ドル。4倍になっている。 その差は15倍になってしまった。
 NYダウが最高値の1万4千ドルをつけた時、日経は1万8千円として、そこから1万765円。
 アメリカが20パーセントダウンに対して、日本は40パーセントのダウンになっている。
 〜この背景には世界の主軸通貨がドル本位制がある。 ネズミ溝の親ハ、外貨準備金は必要でない。
  ただ紙切れを刷っていれば済む。紙代だけなら荒利は99パーセント以上の利益を得ることが出来るからだ。
  数年以内に、アメロなどの新ドルに切り替え、実質的なデフォルトをしてくるだろうが、日本破綻は大きな岐路にたつ。
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2009年04月15日(水)
 2932,筑紫哲也の残日録
文藝春秋の二月号の、筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。
2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。
癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。発見されるまでの潜在的なものを含めると、
全員が癌を持っており、全ての人が癌への道を歩いていることになる。
一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。
  =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる=
・《07年10月20日》 福田康夫様
  歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まっていくものです。それをあまり我慢するのもよくありません。
  秘訣は、本当に怒らないことです。口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。
  そんなものに自分がとらわれてたまるかと思えば腹は立たないでしょう。総理の仕事は、それより遥かに次元が違うでしょう。
・《07年12月8日》 執行猶予
  この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられたことになる。 
  それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということだ。私は何ほどのものか。何をしてきたか、何をしてこなかったのか。
  己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。それに加えて、もう一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて
  表現することは、通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、訓練次第、
  あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができるだろう。だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、
  自分に向かって自分を説明するのに、どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく部分、そこに自分の正体はぼんやりと、
   または黒々と潜んでいるのではないか。「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」どちらにしても、言語を用いる以上、
  他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。
・《08年1月 日付なし》 
   泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは どちらでもない一日 せめて怒ってみるか
・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉
  この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をしたことがあるんです。その時に言われたことは
 『自分が駄目だと思ったときが余命の始まりです』という言葉。はっきりとした余命を伝えることは『ダメか』と
  思わせることになるから、と家族で結論を出して、伝えることをしませんでした。
・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙とエンピツを用意させ、
 《THANKY YOU》
     ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。
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2568, ドル覇権の崩壊 ー3
2008年04月15日(火)
 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと疑問を呈する。私も以前から北朝鮮が国家として
 作っているといわれる偽ドルと、アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、
 その極めつけがプライムローンである。 まずは、その部分を書き写してみる。
 ーー
第二章 世界はこうしてドルに騙された
  非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
ーP100
「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの格言が真実として通用するだろう。
今日では、ゴールド(金貨〉は通貨としてもはや使われていない。表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備貨幣とする
経済体制も存在しなくなっている。しかし、それでも今のアメリカの強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と
強制通用のみせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような信用力を有するものと、思いこみ、
深く信用しているからだ。また、そのように信用させることが大事であるから、そのように、上手に「ドル紙幣の生産と
そのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという外見は今も不変である。
(以下字数の関係でカット2011年04月15日)
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2007年04月15日(日)
2203, 自殺について ー2
                (~Q~;)  おはよう??
経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。日本人のような生真面目な性格も世界で
1~2位の自殺率に要因なっている。それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
フィンランドやデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)が
人の心を暗くして自殺が多いという話を聞く。そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
ー自殺率の世界分布地図を見るとー
 ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
 ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなどユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
 ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
 *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、現在は断然世界一となっている。また、米国、英国、
 カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。
ー日本の自殺率の高さと推移についてー
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、
  責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて、これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や1960年所得倍増計画に代表される
  経済成長目標の国民的普及により自殺率は、15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増(前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて
  失業者が急増し、自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、
  一気に3万1千人台へと急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。 そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。
  ーー
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。激変の中、生きていくことは大変である。
「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人
(以下字数の関係でカット2008年04月15日)
・・・・・・・・
2006年04月15日(土)
1838, あちら側の世界 ー9      才八∋ウ_〆(∀`●)
グーグルについて書いてきたが、先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。
簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。先ずは、その記事のコピーである。           
 ーー
産経新聞 2006年4月13日[木]                ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも!
 =サービス基盤、OSからウェブに 
 IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 =
インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と
呼べるウィンドウズで台頭したマイクロソフト(MS)だが、同様の機能をインターネット上で利用できるようになったことから、
米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で無料ソフトを
開発するグーグルのビジネスモデルは、正反対。ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。
 (字数制限の関係でカット09年4月15日)
・・・・・・・
2005年04月15日(金)
 1473, 指桑罵槐(しそうばかい)
ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、教えてくれた言葉である。問題になっている中国のデモは明らかに
中国政府の政治的な意図が読み取れる。日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。
中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題でない。
15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく「文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千?3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。すでに17回も陳謝させているのに。
  以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
 (以下、字数制限のためカット2010年4月15日)
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2004年04月15日(木)
 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。西武の森元監督が講演会で、彼のことを
「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」
と誰もが思ったはずである。逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。歴代の首相が就任をすると、
3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。一つの時代が終わった事件である。堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく
西武グループをここまで率いた力は大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。もっとも、辞めるのは本社の会長だけで
他は留まるというから、カタチだけなのだろう。
・・・・・・・・・・
2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 ?2
 ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。
 今の日本はデフレである。しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。それが修正過程に入っている
だけである。戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で世界的な物価への平準化プロセスに入っている。
家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践を
しているためだ。世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。
 先日の日経流通新聞に箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に
期間限定で、この値段に下げたら、お客が殺到した。それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。その代わり徹底した合理化を図った。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。こういうのを「高級を高度に切り替える」
という銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店が好調だと先日このコナーでかいた。昨日いった京都は深夜にバスに乗って、
宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。凄い時代である。
  http://www.ichinoyu.co.jp/
(字数の関係でカット2008年04月15日)
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2002年04月15日(月)
 377,「知ったかぶりをするな」
「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。誰かに聞かせたい言葉でもある。
ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。
わからないことは正直にいえ」それから公園で英会話の特訓が始まった。そして数ヶ月もしないうち、英語が
だんだん話せるようになった。そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。  
 以上である。 この話の中に多くの教訓がある。        
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。  ・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。               ・真剣なぶつかり合いになった。
実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 
それもぎりぎりの。いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を
始めるのだから。しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。 真っ白から始められるからだ。


3671, 節目どきに ー6

2011年04月14日(木)

  * 都知事選の結果をみて
 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。
あの東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、当選する可能性があったからという。
お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、この国ではありうること。 都民の大部分は以前、
タレントの青島で大失敗をしたことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。 
政治は言葉で方向性を常に発し導くことである。 石原を除いた他の候補は、論外も論外である。
  
  * 本州壊滅は本当だったのだろうか?
 この原発事故が発生した数日後に、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」と聞き及んでいた。
ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列をなして帰国をしていった。
去年の三月にオープンした、東京駅に隣接しているシャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、
事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。(昨日に、営業再開のニュースがあったが・・) 
ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪レベル7に引き上げられた。 事故直後は、危険レベルが4だったが、
実際は7ということを彼ら外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、ここで裏づけられたことになる。
 風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、両方とも疑ってかからないと、とんでもないリスクを負うことになる。

  * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴
 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、
東北・北陸で八割減とみてよい。それも、リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。
地元のリゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえてくる。 「過度の自粛を控えなさい」というが、この世情の中で、
生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。だから、あまり費用のかからないスポーツジムが大流行になる。
気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。その魚に不信感を持ってしまえば、足が遠ざかる。
最近、居酒屋の刺身が、いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。  
 ・・・・・・・
3306, 日本破綻 −1
 2010年04月14日(水)
 ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」  藤巻 健史 (著)
 またまた恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安と分かりやすい。
現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙というのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。
津波がきたところで、今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 最悪の政党がやっと瓦解し、
溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れの社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。
それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は早まること必定。
  まずはー 内容(amazn)から
バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた
代償として「トリプル安」による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか?
 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに背筋が凍りつく思いである。
  〜〜
*「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、それは違います。日本でも株価が4000円を割り、
 円は200円まで暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、それは『市場』の自動調整機能を
 封印し、「計画経済」「管理経済」政策を長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。
*2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで落ち込んでしまった。
 この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。
 その結果、33兆円の赤字を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。
 ところが、2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。それは民主党がいっていた
 マニフェスト「子供手当て」とホボ同額。法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」として、
 すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行して、更に金を借りようとしているから驚きである。
*ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル安が起こった結果としてハイパーインフレに
 なった結果としては、貨幣の価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん小さくなる。
 国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策
 と呼ぶ理由はここにあります。 ・・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。
 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、給料の低い経済弱者が酷いめにあう。
  〜〜
 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 問題は、これが何時、始るかである。
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2931,わが人生最良の瞬間
 2009年04月14日(火)
ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が寄稿していた。
歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、その人をつくりあげたことを、それぞれが心を込めて書いている。
なるほど、このテーマで自分の思いを語ることは、自分自身を語ることでもある。
それぞれの人が、自分の思い入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」である。
【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。 
 何処をもって最高だったか?・・・と考えた瞬間にハッと閃きました。そうだ〈いまが最高なんだ〉と。
 ラテン語に「カルペ・デイム」という言葉があります。「いまを楽しめ」という意味。BC1世紀のローマの風刺詩人の
 ホラティウスの言葉です。   仏教では ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」です。
 もし、いまが苦しみの内にあるなら、わたしはその苦しみを味わって生きればよいのです。病気なら、その病人を
 しっかり生きればよいのです。病気でないわたし、苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。
 あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に求めても存在してないのです。
 それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」になるのです。何か遺言みたいになってしまったが。】 
  以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼のこの言葉は当然のことだろう。
 わたしの「わが人生最良の瞬間」を、考えてみたことが何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。
 しかし「わが人生最良の瞬間」という経験を数多くしてきた。多くの感動の積み重ねが自分の中に沈殿し、それが磁力になって
 感動を求めて(引き寄せて)いったのだろう。 その度に感受性が強くなってしまったのだろう。 
 秘境で大自然の神秘的な光景との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して時空を超えて多くの人と出会い、
 それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画などに出会うなどの集積が、多くの最良の瞬間を
 引き寄せてくれたのである。小さな自己満足でしかないが。「 いま、ここ、自分 」を大事にしろ!ということだ。
  そして、その場をつくる積極的な準備もである。
 「 ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ 」も、人生最良の瞬間になりえる。
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2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
 *桜咲く
*今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。
 毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。
 一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。そして今日あたりから一日一日と散っていく。
 通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
*最近の身近な景気状況
 取引先の都銀の担当の話だと、去年の秋口から小さな倒産が続いていて、 ここにきて更に景気の悪化が著しいという。
 税理士や知人の情報からも似たような話を聞く。三月期末の結果の数字は1?2ヶ月後に出るので緊迫感がないが、
 厳しい事態が予測できる。特に建設と運輸関係の倒産が中心になるだろう。飲食・サービス関係もかなり切迫している。
 ところで当方はどうかというと団体が七ヶ月にかけて入っているが、これを除くと,やはり二つの地元の地震による影響がある。 
 そう甘いものではないが、駅前再開発がここにきて急ピッチになっている。 ここだけは別のようだ。
*その後のipod
 日にちが経つほどipodの良さを実感している。本体が小さいのと、操作が簡単なのが良い。
 通勤の車内では行き帰り、ほぼ聞いている。それと就寝時は20分は聞く。それと昼休みの食事時も聞いている。
 TPOSに合わせて選曲を気楽に出来るのがよい。
*最後の叔父が亡くなる
 両親とも7人兄弟(姉妹)で連れ添いを含めると26人になるが、その最後の一人が一昨夜亡くなった。
 89歳だったが、老衰だという。従兄弟の平均年齢が70歳になるのだから、その時期なのだろう。 
 昨夜が通夜で、今日は本葬である。 何か寂しい気がするが、叔父叔母全てが明治・大正生まれ。
 その時節ということ。 後ろに感じていた死が、前に見えてきだしたきた?
 父方の従兄弟(従姉妹)達は、既に三分の一以上亡くなっている。平均年齢が70歳というから、
 叔父叔母全てが亡くなっても不思議ではない。ご冥福を! これから葬式に十日町に出発。
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2007年04月14日(土)
2202, 自殺について ー1   ?? <(_ _)> ??        おはようございます!   
自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺である。考えてみれば、自殺ほど考えさせられる
ことはない。「死」が哲学(考えること)の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。
歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、自殺に対して否定的になってきている。
状況がそう言わせていることもある。若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。
しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。
それは未来という時間があったからである。この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど
苦しかったのだろう。先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。数年前に韓国が一番になったようだが、
同じ位の数字である。検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、1990年代後半から異常に自殺率が跳ね上がり、
7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。
不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。
 ーー
 日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。
主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、に対し日本25.3人(平成16年)。
日本の自殺率を押し上げている最大の要因は「成人男性」の自殺だ。平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。
このうち、25歳〜44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。100人の死者のうち、なんど24人は自殺!
この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。家のローン、子供の教育費、親の介護の資金と、
金はいくらあっても足りない。生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。この年代を含む30代?50代男性の自殺の動機は、
1位が経済・生活問題である。女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の切れ目とは、何とも哀しい。
  主な自殺のサインは、
・うつ病にかかっている、           ・周りの人とかかわりをもてない、
・ゆうううつな状況を不安な口調で訴える、   ・アルコールや薬物に依存している、
・長期にわたる不眠を訴えている、       ・人との接触がほとんどない、    などがあげられる。
ー自殺予防としては、
 一人で悩まずに、妻、家族、親、友人に相談すること。それができないときは、「命の電話」「自殺防止センター」などに
 電話で相談するのがよい。相談することで、心が少しは軽くなる。
ー日本における自殺の手段は、
・圧倒的に首吊り  20,669件(64.4%)、  ・次がガスか排気ガス 3,538件(11%)、
・飛び降り     2,774件(8.6%)と続く。 ・拳銃とライフル銃による自殺は、それぞれ13件、19件と少ない。
                    ーつづくー
   字数の関係でカットー2008年04月14日
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2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える?2
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記
読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。彼らは自分達のありのままの姿を直視し、
それを改善しようとする気概があった。この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
 ーリーダーの本質についてー
イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、
実行力、判断力、ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。「経営者の決断力」などが課題になること自体が
問題であると看破。決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて
当然のこと。 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。古くからローマの歴史を演繹することによって、
有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
現代においてもローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にもなる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。
巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。  
  (以下は、字数制限のためカット2010年4月14日)
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2005年04月14日(木) 
 1472, カリスマについて
先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして
現代風にアレンジしたファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。
宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。といって、30人以上の少女を毒牙にかけていながら問題に
ならないのもおかしい。カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
  (字数の関係でカット09年04月14日)
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「カリスマへの階段」 コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03)
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2004年04月14日(水)
 1107, 大逆転ー2
昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、昨夜は7対1で負けていた
巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。たまたま逆転の場面からTVを見たので、一番面白いところを見ることができた。
そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。その時は寝てしまっていたが。
あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。昨夜の対戦相手が中日であるが、
今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、
出てくるだろう。過去に蓄積されたものがどの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。
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2003年04月14日(月)
 740, 深夜特急
沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎバスから
とった小説の題名である。 TVドラマにもなった。昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、
翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが先週に桜のピークは過ぎていた。しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。
・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。
 ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。
 最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、パックシステムに参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて帰りのバスに乗るいう方法もある。 
43人の参加で添乗員がついていた。新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。
深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。
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2002年04月14日(日)  
 376,新潟駅前界隈
新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。本当に商売の難しさを思い知らされる。
意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。しかし多くの潰れていく店も多い。数年たつといつの間にやめている。
その共通点は私生活の乱れが多い。それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
      (字数制限のためカット2011年4月14日)


3670, 節目どきに ー5

2011年04月13日(水)

  * 娑婆には知らないことばかり
 
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、10時のオープンに50人位の行列。
「プール関連の新しいサービスが開始されるため」というが、それにしても、今どきに、あの熱気は凄い。
館内設備の案内をしてもらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。「よう、八ちゃん、入れって!」だと!
下から目線の土着的女性。 時が時だけに「まずい!」と思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、
成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、
日中5時間も行っていると聞いていたが、成るほどと合点がいった。 家内の、別の新潟の友人は、二つのジムに入っていて、
交互に行っているとか。 家にいるより快適で、金がかからない上に、主婦にとって癒しの場になる。
漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。 
 平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、
エアロビックスのプログラム、そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の平日コース
(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、一回につき400円なら価値は充分にある。
これと市営の福祉センター内の運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。
考える時間が多くなった分、身体を動かさないと! 

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3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2
 2010年04月13日(火)
 ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。しかし前回のレポートからみて、、
投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、
国家が金を吸い上げようと思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、
金売りが殺到し、暴落する。 その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻せばよい。 一般の国民は、
一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど不可能である。 アメリカの金融占領国の日本は、
そのコントロールから抜け出すことは出来ないのが現実。 近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。
 金は世界共通通貨である。 ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、ドル体制を守るために金の価格を
コントロール下におくのは当然である。 金が真実で、ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、
金の価格を可能な限り下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに買い集めたゴールドを、
今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきたのである。 ドルの下げはアメリカの対外債務が大きく減額される。 
あと1〜2年か、遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。 と同時にデノミなどを
世界中の国々が一斉に実施するだろう。 その前に金融シンジケートは何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、
売りだされた金などの現物商品を買いに入る。 だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、金は買い。
「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」
という、眉唾的な本を度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを得なくなる。
 G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在しているはずである。今更何をいっているかだが!
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2930,新潟清酒達人検定
 2009年04月13日(月)
一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、銀と銅のランクの、銀に合格したという。
・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。
・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。
・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は1〜22度まであるとかいう軽い内容が中心?
・受験生は若い女性から、あらゆる世代の人にわたっていたという。
それから、酒のメーカーの批評から話題が次々と出て和気藹々になってしまった。新潟の酒蔵は104あったが、
現在では97に減ってしまったという。酒は米の質と、水と、米を何処まで削り落とすかで清酒の質が決まってくる。
「上善酒、水の如し」というが、水の質も大きな味の要素になる。酒は朝日山と、寒梅が良いとか、南魚沼の「緑川」
が美味しいとかの議論が伯仲した。そこからNHKの「天地人」に話題が移行、長岡近郊の与板城主が井伊直弼の4男だったとか、
まあ面白い話題をそれぞれの人が持っているものである。法事も普段に会えない、叔父叔母の連れ添いの親戚などの
色いろの人生を知るチャンスでもある。一人の人生の中には、生きてきた経験と知識が詰まっている。当然のことだが・・
清酒達人検定試験、来年でも受けてみようか?
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2566, ターニングポイント
 2008年04月13日(日)
・世界のターニングポイントは
 ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、
 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まった
 ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 
 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。
 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。
 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
  ー以上のことから
 「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95・阪神淡路大震災・オウム教事件の発生した10年間、 
 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。
これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅するなど、
考えられない事件であった。 日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。
20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。
デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。
それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。
幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県の
エネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。
これは、どの事業も同じことだが。もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。
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2007年04月13日(金)
 2201, 新幹線乗り越し、6回目         (~Q~;) おはよう?? ファ?
一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、
その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉った。
またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。そして、無事Uターンした帰ってきた。
4年弱ぶりということになる。HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。
なるほど文章化をしておくのも面白い。 乗り越した「浦佐」の駅員に、「長岡では乗り過ごさないように」
と注意されたり、横にいたホロヨイ気分の人に「頑張ってね!」と励まされたり、シッカリ酔っ払いをしてきた。
いや酔っ払いずれをしているということだ。5年前の湯沢で乗り過ごした時に、やはり乗り過ごした人がいたので、
割り勘で同部屋に泊まったことがある(全く知らない人だった)、その半年後、会社のパソコンに光ファイバーを入れた。
その時のNTTの営業担当が何とその人。 互いにビックリした事があった。
 以下は以前の書いたものだ。
 ーーー
2003/08/22  
 5回目の乗り過ごし
昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、十四年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。
気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
ーーーーー
2002/02/10
 新幹線の乗り越しー4回!
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。10?15年前で
一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いでビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
・・・・・・
2006年04月13日(木)
 1836, ローマから日本が見えるー1   b(’0’)d おっ (゚Д゚)w  ハァよー
                 ー 読書日記
この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国成立までを、
自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。
 =まずは、この本の概要をまとめてみる。
ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー
著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、ということは、
自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、
有史以後最大の帝国にまで成長を遂げ、千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。
そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。
古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。
あなたがここに入るまでのすべての日々を。」 と、書かれていたという。
「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。
だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」
「ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。
また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。              
 ーローマ人の改革についてー                  
「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」         ーε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~
ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。
一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。
そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。
どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。
結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。したがって改革をやろうとすれば、
結局は力で突破するしかないということになる。カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた
元老院を潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。それは従来ローマ市民にしか与えられなかった
元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。
カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。
                        …(´Д`驚)…!!              
改革にはタイミングがポイントとなる。ローマは紀元前390年に北方ケルト族の襲撃であっけなく占領された。
このどん底から這い上がることで真のローマになった。敗因が自分たち自身にあったことを反省し、ローマ独特の共和制を
樹立し政治改革を完成させた。ローマは、その苦境を乗り越えるために、ローマは、自らを改革して行った。
(字数制限のためカット 2011年4がウ13日)
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2005年04月13日(水)
 1471, 『冥途のお客』を読む
  佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。
月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。読んでいて背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。
文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。
最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな現象に出くわした。
そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、
私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、
内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。違う感覚器官が、身についたという感覚である。
そのことを、佐藤愛子も書いている。耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。
それと同じことである。私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。どこどこで、全く知らない霊と
出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、
[あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)
に泊まった時の話である。夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ
人の鳴き声に聞こえる。それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない
と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、
人が死んでいた」という報告が入った。あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?理屈から考えれば
有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。
佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。
理屈に全く合わないのだから。ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。けっこう上手くまとめてある。
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著者自らの霊体験を告白
(以下、字数の関係上カット2008年04月13日)
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2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味
昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバック
のように相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか
一方的の試合になってしまった。そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが
負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。映画の「ロッキー」を見ているようであった。
ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。
9回2アウトからの大逆転のようなものである。最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に
負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた
選手の、劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。
白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。
それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。
ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。
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2003年04月13日(日)
 739, 睡眠時無呼吸症候群
一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,息するのを忘れていたことに気がついた。
「エッ!」というのが、その時の印象だった。「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。ところが最近になって無呼吸症候群が問題に
なって、初めてなるほどと感じた。それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も
無呼吸症候群だった!そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。
その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー
一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
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2002年04月13日(土)
 375, 「テーマ日記」を書き始めて一年
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。
何処までやれるか自身との闘いで始めた。あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1?2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない
自分が顕わになった。本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に今更驚かされる。
それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。


3669, 節目どきに ー4

2011年04月12日(火)

 こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。私の人間関係は長年?の友人が多い。
その節目どきに、それが真かどうかが見えてくる。 具体的の話は、まあ・・・止めておこう。 
立場が変われば、これまでの関係が変わるのは当然のこと。それを取り上げること自体がおかしい。
 その中で一番身近な家内が、このところ上機嫌である。 立場が逆転するからである。今後を考えただけで恐ろしい。
早々に粗大ゴミにされてしまう恐れがある。彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、
プライド?の高い、底の浅い? 修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。
前向きな人生を生きていなかった?それぞれの人生が、境目から見えてくる。 これは私の歪みの目。 
それでは御前は何じゃい! と言われると何も返す言葉がない。年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 
65歳なら、それも仕方がないか。 大体が人間の付き合いは立場における力のバランスの上で成り立っている。
その力が変化をすればバランスが崩れて当然と割り切ればよいのは分かっているが。
 ところで昨夜、学生時代の友人が当時のクラブを代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。
(当人の会社の仕事が偶然あったこともあるが)有難いことである。 そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、
何の?先輩の実兄が先日、電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する?話しは幾らである。 
いや、この数年間は、その宝の山だろう。 特に銀行筋の手順の中には・・・ それと、世間様レベルの人々の視線を、
そのまま書くことになるだろうが、面白そうだ。「家内が、先日、前の町内会長婦人とあったので、挨拶をしたら無視された」
レベルの話しである。こういうのを重ねて、ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、
こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の絶対言明!より深く本を読む節目の時節到来か。
 ・・・・・・・
3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1
2010年04月12日(月)
 あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。
 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、
 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」
 というと、話しは違ってくる。  そのレポートの内容とは
・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が上がりそうになる度、
 大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、
 金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、
 レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 真偽は如何だろう?
・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社の中の主要9社が
 午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めているいうもの。
 米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が
 保有している総量より多いことである。 これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという 
 その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。
金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で
騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんなものかもしれない。 
相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、
「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、3千円、
2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。 世界経済は、数人の男たちによって
動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、アメリカの政府の首脳とは別の!
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2929,閑話小題
2009年04月12日(日)
 * 昨日は法事
去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。その叔父と連れ合い、
そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。
これから法事は少なくなる傾向のようだ。「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、
ごく内々で済ますようになった。坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。
 * 国債>税収 
09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で
初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。
世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、
その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、綻びが現れてきている。
 * 宮城県が2011年にも財政破綻
これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状にあるという。
一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。
マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。
 * 桜が満開に
新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、
それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。
地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・
・・・・・・・
2565, ドル覇権の崩壊 ー2
2008年04月12日(土)          (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本で面白いと思ったところといえば、
・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、
・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。
・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。
 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。
 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。
 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、
「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産をまとめてバスケットの中に入れて、
それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。 コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする
戦略的な物質の全てである。現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が
無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。
 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に
もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。
そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。
 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く
新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ
見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、
実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」
ー以上だが、
 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。
 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、
 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。
 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。
 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。その一番の被害は資源のない日本であるのは
 誰の目にも明らかである。 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる!
 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。 上層とかいうのも、激減していくだけ。 
 大変なのは団塊世代の後の人たちである。 プアーといっても、1950年?60年代の生活レベルに近づくだけ。
  社会資源は残っているから、それよりましか?     .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ
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2007年04月12日(木)
2200, 反時代的毒虫 ?1
         才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記   
 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。
*カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。
(字数制限のためカット 2010年4月12日)
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2006年04月12日(水)
 1835, 善意について      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。
善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。
環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党の族議員、ゼネコン、
官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。
日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。
「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、「連帯保証に、善意で判を押してしまった」
という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに
割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。
善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。
(ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)   
ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。
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2004/02/06
 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2
以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識。
この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。
真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。
その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が
含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。(実際は5パーが、
95パーの悪さをするのだろうが)面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、
不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。
ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。
しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。
悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。
人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。 まあ他人事でない。
違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。生きるということは、こういうことなのだろう。 
純粋性の恐ろしさがある。不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は情報の売り買いである。
長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。
少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。そして無くてはならないビジネスである。
不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。 野球のバッターに例えると
・バント専門                 ・ヒットバッター
・ホームランバッター
・代打専門と、それぞれの特性がある。     ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う
・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割?半額をもらうことを
 裏契約をして共同作戦をする人、等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界に
 サラシテ生きてきたからよく解るのだ。トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしている
 ハイエナ的な仕事である。 饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
                    ー つづく   ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・・
2005年04月12日(火)
 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2
このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、
それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。知識・教養とはそれでもよいが、
やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。
反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、自分のノートや備忘録に落とし込むのとは
おのずから違ってくる。まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。自分の気持を書き込む時には、自分の中の
第三者の目ー理性ーで、一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。1年、3年、10年経った
時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、
第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。いま一つ良かったことは
何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。いつの間にか、書くように
頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。
これも結果として大きな収穫であった。更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。
相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら
聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。            つづく
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2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2
・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象の
 お陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。
・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」
 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。
 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。
 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。
・言葉の原則がある。
 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。
  注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。
 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。
 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。
 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。
・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。
 ー「明元素言葉」は
「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、 
 積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。
 ー「暗病反言葉」は
「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」
 これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。      ーつづく
 ・・・・・・
2003年04月12日(土)
 738, NTTの現状から時代の変化をみる
先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。
  (字数制限のためカット 2011年4月12日)
・・・・・・・
2002年04月12日(金)
 374, 主観と客観(喜劇と悲劇)
以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」
後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。前者はその滑った本人の目で書いている、
これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。
「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。それだけ自立していないのと多神教のせいもある。
逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?あまり他人を笑わないほうがいい!そ
の他人に対する同化になってる状態だ。考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。


3668, 節目どきに ー3

2011年04月11日(月)

  これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を感じるかと思いきや、それが全くない。
恐らく10年以上、一日2〜3時間を集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化した基地が、
ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、現状のその様は何だ!」と、酒席で言われたが、その通り。
その時に「少なからず経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、他の人から忠告された
言葉を思い出した。 毎日の記憶をHPの中のブログに記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から
何かが確実に変わっていった。 脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている実感があるのが心を広く明るく自由にする。
心は言葉である。毎日、言葉として表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、全責任はトップにある。
何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。 ギリギリのところで、
表現を注意していても本音が表出してしまう。 しかし、その何倍も、書き出し、公開することの効果を感じ取っている。
だから 偉そうに! と言われても、その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後から振り返ったとき、
書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよいことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がしをされかけた事があった。その上に、いわれのない?
数百万を強奪?されたことがあった。 それなりに、書き、表現していると周囲に波を立てることになる。しかし、その蓄積が、
このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。
先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。 
結果からして、心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・・
   2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い

 ・・・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
 2010年04月11日(日)
* 死の不安の克服は可能か
ー まずは、その部分の抜粋
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれはそれと正面切って
対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで紛らせようとするが、
人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、
そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは
中高年期以後に精神障害に陥るように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり
対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが
はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。少なくとも、
病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、
最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、
猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、
死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのもの
ばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が
空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、E.バーンは
「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かの
いずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、それほど恐れる
べきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたか
どうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは
多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんでいると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、
そこで安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
 〜〜
 あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、
70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての気を紛らわせる
手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、
そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから
宗教が最後のよりどころということか。 最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、
一日一日を精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、
楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。気を紛らわせるために。
・・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか?
 ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・
 ー設計事務所ー
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウスー
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。
・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
 2008年04月11日(金)
 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。
猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等を考えた。
しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を
感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
まずは、その一節を書き写してみよう。
 〜〜
 ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。
その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。
ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと
台地の向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。
 〜〜
 この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきた
ときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、
アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、
谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2007年04月11日(水)
2199, 歌舞伎町シノギの人々  オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ  ー読書日記ー
新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い!
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2006年04月11日(火)
1834, 壁際の名言−2   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
              −読書日記ー
唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。
老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで
現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。
 ーあとがきーの文章がよい!
老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとしているが、
京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、
一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。
・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」
と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」
「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」
逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、
ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である)
そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、
ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、
と強要し、こちらはホトホト困窮した。一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、
此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、
プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。

以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい一部分は
理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をしているから、
その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。
 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 
顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。
  ーーー
 ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの言葉を選んだ。 
「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」  (尾崎紅葉)              
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」         (ジョジョの奇妙な冒険)
「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」(マツモトキヨシ)         
「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。それから女に貢がせろ。それも出来なかったら・・ 泥棒しろ」(立川談志)
「談志師匠は、人格最低、芸最高」           ( 弟子たちによる談志の評価)
「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。死ぬことは厄介である」( 聖バーナード)           
『楽観論者は失望しか味わえないが、悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』(唐沢俊一)
「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」   (マーク・トウェイン)
「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、なんでワシになってんねん」(清原和博)
『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一)
「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン)
「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」   (堀口大學)                                 
『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一)
         ー唐沢俊一 「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館                      
・・・・・・・
2005年04月11日(月)
 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かにそういえる部分がある。
特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を
言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。
常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、
努力と技術で可能になる。いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。
荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、
重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。
海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。
慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2004年04月11日(日)
 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1
以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」
の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、
「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。
 (字数の関係でカット2008年04・11日)
・・・・・・・
2003年04月11日(金)
 737, 若い人の価値が下がってしまった
 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。
フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを
いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。
  いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、勝ち組と
負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。
「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。
十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると
血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった!
・・・・・・・
2002年04月11日(木)
 373, 何故マイナス思考になるのか
ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。その失敗の経験がマイナス思考を生み出す。
あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺! ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!
どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。現実に溺れて(下と横だけを見て)?? 子狐がいるせいもあるが。
この子狐不景気になってきたら急に元気になった。周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?
いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは
事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、どんどん
マイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。主語が消えた後、
他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」
というが、この年になると実感する。といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。
人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。目が見えない分だけ、人の気持ちが
良くわかるという。不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。
他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。いやその前に自分が幸せと芯からえなくてはならない。
まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。以前にも書いたが、家内が
「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、
典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。


3667, 節目どきに ー2

2011年04月10日(日)

  今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より二時間圏内の日帰りの徹底が
  地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、部屋在庫を少々多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
     これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。 しかし、(これを読めというのか?)という内なる声。
  結果からすれば、創業後10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切るしかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・
 宮城の震災地の真っ只中で、「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが(いや何は何処にもいるか?)、
 経済震災になると、その辺の類推がでない人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌という
 大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下のため?か、大部分の国民は、分かってない? 
  今年は2012年の前年である。この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能汚染などのパニックが
 起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後のロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
 に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、
 日本史、いや世界史に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、客が5分の1、10分の1という。
 長岡の奥座敷といわれるホテル街は、ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、
 黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリみえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。 農業、漁業、土木、建設、第三次、第四次産業も、
 輸出産業など、どれをみても・・・。 どうなるのだろうか?   何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
  ・・・・・・・
3302, ブログ向けビデオカメラ
 2010年04月10日(土)
新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。発売当初から両方とも興味があったので早速、
近くの家電量販店に行ってみた。たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、なるほど
実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。 
ネットで調べて迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。 ヨドバシカメラの値段より、25パーセントはやすい。
16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千である。ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。
一方のソニーのものと最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。 シンプルだが、非常に使いかってがよい。 
5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。
どうも、ビデオ・カメラは、自分の相性は良くない。 この20年近くで三機種を買って海外旅行に持っていったが、
家で改めて見ることは、殆んどなかった。 しかし、SDカードの記憶媒体で、去年の暮れに買ったブルーレイにはSDカードを
直接セットが可能である。 これなら、デジカメのように使える。 ビデオに使わないとしても、デジカメとしても、充分に使える。
私のデジカメは、新たに買ったものを家内に取りあげられて、5年前のもの。小さいので、使いかってが良いので、鞄に入れて
常に持ち歩いている。更にウォーキングもポケットに入れておく。 しかし、5年でデジカメも、ビデオカメラも様変わりを
していた。 軽くて、使いかってよく、安くなっている。 デジカメの5年は、その機能と価格は様変わりするのは
当然であるが。私にとって iPod以来のヒットである。 ところで、私がメカ音痴のためか、iPhoneは、いまいち使いこなせないでいる。
外で使う必要がないからである。 それぞれのビジネス条件とかで、適応が違ってくる。もし、外回りが多ければ、iPhoneは
手放すことが出来ない重宝な道具のはずだ。 以前、東京や仙台に行った時の経験から言っている。
 それと、画面が小さいので少しみていると眼が疲れる。 それぞれの相性がある。 で、ビデオの相性は良い。
 ・・・・・・・・
2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6
 2009年04月10日(金)
 *「三位一体モデル」を使った演習  ー ①
「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。
実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に
書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである幻想としての
 「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 
国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。
人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。
我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。
現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、
ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・          つづく
 ・・・・・・・・・・
2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)
『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著    ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。
 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。新米記者ボブ・ウッドワードに
地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
 ー
著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。
ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。
(字数制限のためカット 2010年4月10日)
・・・・・・・・
2007年04月10日(火)
 2198, リーダーシップの旅  才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記ー
 「リーダーシップの旅」ー 見えないものを見る  (新書) 野田 智義 (著),
野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。
*リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、
  自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで
  初めてリーダーになる。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。
創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。
ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。 だいたい家内の大反対から始まり、
それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。この難関が一番大変である。 
周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。
 :面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと
言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、
一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。
見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が
  フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、
  リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21〜22ページ)
 ーー
社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。はじめからフォロワーがいるわけではなく、
「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、
だれかから教わるものでもない。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。
リーダーシップはだれの前にも広がっている。「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを
再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。何かを見たいという気持ちがあれば、
可能性は無限に膨らむ。自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
 ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。三十代半ばから四十代は「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、
  自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、自分のいる場所にとどまり、会社や組織、
社会に対しても貢献できて、そして何より自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。                   (161?162ページ) 
  (2008/04/09字数の関係でカット)        ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい?6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)          ー読書日記ー
この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。
言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。
最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。先人の深い言葉は、
数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。
 ー癒しの言葉ー
言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。あなたの手首を包んであげたい。
ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。
言葉でもって癒してあげたい。

丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。   ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
 1468, 通販の時代の到来
先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2〜3の会場に行って決定するという。
日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。私の場合は、電気製品を買う時は
必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。
生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。ところが、その情報がインターネットで瞬時で
世界中に飛び交う時代になったのだ。これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。リクルートなどが出している情報誌を見て、
予約をしてくるという。新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。パソコンに事務所機能が入っているので
セクションがないほうが合理的になる。日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらに
TV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで
出てくるだろう。一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、
 一強多弱しかないのだから。
ーーーーー
2004年04月10日(土)
 1103, マスコミは戦争地域には・・
今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリスト。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無い
ともいえるのだ。当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員
兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、
殆どの人は名前も顔も知らない。アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで
行くのが仕事。新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにもリスクと金がかかりすぎる。
  (字数制限のためカット 2011年4月10日)
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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から
 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。  ・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」          ・また「図解は一日にしてならず」もよい。
 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 
そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。
次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。
レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。しかし、なかなか図解するのは身に付かない
ものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。
ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
 (字数制限のためカット 2010年4月10日
「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房
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2002/04/10  
 不安解消法
学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、  
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。     2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。      4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。
 という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
(字数制限のためカット 2010年4月10日)


3666,  節目どきに

2011年04月09日(土)

 先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 以前も、そうだったが、それまでの生活と
全く変わってしまったが、抵抗感はない。 肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、
独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣つくりを始めている自分に驚いている。
30年前、40数年前の自分に戻ってしまったようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。
今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。  
 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして
・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、初心者向けのスポーツジムに入会。 平日、この二つを隔日に使い分ける。 
・これまで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 さらに月に一回のシネマの通いと、
 月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。
 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身であることは事実。 元もとアウトサイダーを
 自認してきたので、こういう切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 
 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 居間に中村天風本を手元に置いておくか。     
                                            ー つづく
・・・・・・・
3301, 日本経済は死ぬのか
 2010年04月09日(金)
 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、
それでも何か目新しいことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人にはダイジェストとして丁度良い。
 その中で、野口悠紀雄が、
「もはや日本経済は死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を「米国の金融危機」と
考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。
戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗ったものです。米国の住宅価格のバブルによって、
結果として日本の輸出が伸びたという現象が起こっていたのです。 当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、
日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けてしまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。
数字で言えばピーク時の07年度に対し輸出で20パーセント、GDPで10パーセント減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、
これは1984年度3月と、殆んど同じ。 この事態に、政府はエコポイントで家電や自動車などの購入を支援している。
これは今の製造業が、政府の支援にしがみついて生きている状態である。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返ってくる。
それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える
可能性が高くなる」等々、刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェストとし述べているといってよい。
欧米の失業率が10パーセントに対して、これだけ悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。
それが、一挙に二倍、三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。 他人事では決してない。
まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。これが、既に欧州並みの20パーセントで、
これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。
ただし、国民を納得する上にも国会議員、そして地方議員も定数を半数か、三分の二にしなくてはならない。
 スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
 ・・・・・・・
2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5
2009年04月09日(木)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
  *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会
 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。これからみても思考モデルとして充分に使える。
 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、
 そのプロセスで頭の中を整理していく。第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を
 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。
 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。
 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。
 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。
 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。
 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。
 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。
 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
  ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。
  次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。
・・・・・・・・・
2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)
 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。
 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。
 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。
 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 
 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、
 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジ
という考えに変わりつつある。日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい
自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。
  ー 目次 ー
(字数の関係でカット2009年04月09日)
・・・・・・・・・
2007年04月09日(月)
2197, ファンタジー文学の世界へ ー3     ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス!
 「ファンタジー文学の世界へ」  ー読書日記
 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?)
■目的と存在 ?「ある人生とする人生」について
 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。
 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と
‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
 ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな
 時間が持てなくなる。 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、
 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」
 ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは人生の目的を意味する。
人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。
抜粋にあるとおり、若きゲドは「する人生」に飛びついたという。
目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。
目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだからである。
目的と行為の一体性には、何ら問題がないように無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、
何もしないことや、何もできないことが自分にとって否定的に感じてしまう。
とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが鬱陶しくなってくる場合が
多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ「ある」という、
それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。
この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。
   ・・・・・・・
 ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、
本人はそれを喜ばない。そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、
そして、おそらく、いちばんつまらないものが、この大賢人というやつだ」と。
河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。
ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)
しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
 ・・・・・・・
2006年04月09日(日)
1832, グーグル完全活用本 ?1
      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★  ー読書日記
この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった)
この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。
(ウェブ進化論の影響があるが)
もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。
別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。
30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。
もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。
これがキーポイントになる。          ~~旦_(^O^ )
この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。
・「120×180= 」と計算式を検索の窓に入れるだけで答えが、
・「新潟市 郵便番号」と入れれば、新潟市の郵便番号がすぐ調べられるHPが、
・「和英 何々」と入れれば、和英辞書の検索のように英語が、
・税金を調べたい時は「税金□(空間)源泉□控除」と入れれば、効率よく調べたい内容が、
・ある企業の株価を調べたい時は「企業名と株価」を、そのまま入れればよい。「ダイエー□株価」(□ー空間)と。 
・「イチロー」以外の「鈴木一郎」を検索する方法として、イチローの前にマイナス記号をつけて
 ( 鈴木一郎 -イチロー)とすれば、イチロウ以外の鈴木一郎の情報が出てくる。
・キーワードを<" ">で囲むと、完全一致検索ができる 
 ーその言葉の範囲内で検索する。
・意味を知りたいときは「?とは?」といれればよい。
   (字数の関係でカット2011年04月09日)
・・・・・・・
2005年04月09日(土)
 1467, おしっこ
雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。
「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」と何かに書いてあったので、試みたこととがある。
やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。
何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。
シンプルな詩であるが、中味は濃い。

曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎
ーお し っ こー    谷 川 俊 太 郎

大統領がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすれば

テロリストもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる
おしっこしながら考えている
マシンガンを撃ってみたいな
きっと気持ちがすっきりするから

武器商人がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和は守れぬ
金がなければ自由も買えぬ

道で野良犬おしっこしてる
おしっこしながら考えている
敵もいなけりや味方もいない
ただの命を生きているだけ
・・・・・・
2002/06/05
おしっこをしながら、水を飲む
(字数の関係でカット2008年04月09日)
・・・・・・・・・
2004年04月09日(金)
 1102, つもりちがい十ケ条

 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう      天台宗別格本山 両子寺
  (字数の関係でカット2011年04月09日)
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2003年04月09日(水)
 735, ホームページを開いて二年
このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。
脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。
お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。・何事も三年である、あと一年は今のペースは
続けるつもりである。随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の
情報収集の動機になる。公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。
書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。毎日文章を書き続けることは大変である。
「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、テーマをみつけて筋の通った?
(字数の関係でカット2008年04月09日)
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2002年04月09日(火)
 371,花見
いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。
「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。人間の人生の短さに例えて言っているのだ。
所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。
この時期の名物の一つである。7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。
なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。納棺の桜吹雪である。
背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。


3665, 関係性が問題

2011年04月08日(金)

 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の問題は関係性にあって、
一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。
要は相性と、互いの立場のバランスなどの関係に問題が存在する。 それでは夫婦間の関係性とは、そもそも何か!
二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の組み合わせだったり、長女の嫁と末っ子の夫の関係だったり
(これは私になるが・・)色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた立場と条件を理解する
しか手立てはない。 恋人同士の関係は良かったが、夫婦の関係になったら、破局をするケースが多い。
そして別れたと同時に、関係が良好になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートンとか!
無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。
  その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】
1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」「アウトドア―の雑誌」
 ー
 何ごとも、関係性の中で成立している。 触媒の中でこそ、自己は成立する。

 ・・・・・・・
3300, 平山郁夫の教養世界
 2010年04月08日(木)
 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。
原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には
仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の
西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に
教養の深さを感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。
そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。 
それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。
この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、尚のこと納得をした。
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて
感じとれた。絵の中に彼の独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。
そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする此の頃である。
良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養のベースができるということか。
 ・・・・・・・・
2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、
 似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ
  カタ=カ+タで、型をつくることになる。
  カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。
 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。
「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。
そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。
二つの思考法の合体である。いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などを
メインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』
の実例を書き出してみる。 その一つだけを、まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。
書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。
何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。
・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
 2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が解りやすいから、
尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点が、チャップリンの凝縮された
ミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
 ーーー
ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、思いきってやってみよう。
ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
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「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
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実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
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ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
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我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。
とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
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どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か?
  気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。
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2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ ?2
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 
「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記
 ーP57〜58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。イギリスの教育界では粋なことに、
この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」
もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」という肯定的なものである。
教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、
そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
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「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

水曜日の午前5時  夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る手紙を残して 
階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる
外へ出る とうとう自由だ

 彼女は (あの子のために何でもやってきたのに)
 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
 家を  (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの

彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
何年も何年も    (さようなら)

金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
きちんと約束の時間に待ち合わせ
自動車の仕事をしている彼氏がやってく

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)
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解) これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
しかし、親の愛ほど純粋なものはない。特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。
親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の
(特に父親の)深い愛情の元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。そういうものと信じて疑わなかった。
少子化の時代。両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。 気の毒といえば、気の毒である。  ー続く
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2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」
を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、
ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」
「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」「東京テッシュ」「元プロ野球選手の
セカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。
 〜〜                              (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」 夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。夫の浮気の一度や二度や三度・・・
見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ! 夫の不倫、観察します。 
妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。
=これだけで、もう引き込まれてしまう=           ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
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2005年04月08日(金)
 1466, 閑話小題
  ーロシア人の大立ち回りのその後ー
拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。
本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、国外退去が
妥当というところであろう。損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。「何で?」という疑問が残ったが。
  ー不景気風ー
このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。
  ー音楽の世界ー
私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、
それでも最低2?3時間は聴いている。元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。
読書日記で書くつもりだが、「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような案内書になっている。
何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。
他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた
SACD(スーパーオーディオCD)が5?6年前より市販され、最近になってドンドンソフトが
出されているということも知った。あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、
録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、
サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8?12面?)も付いていたものがあった。
其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。
・・・・・・・
2004年04月08日(木)  
 1101, 春がきた
新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に
初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしている
ような気持ちになってしまう。近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。
春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春に
とっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。
・・・・・・・・・
2003年04月08日(火)
 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。
軽く読むにはなるほど面白い内容だ。 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、
といって数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。5万10万出しても、価値を感じさせる何かを
常に店に演出しているのだろう。なるほどというのが所々納得できる。 このママの店のホームページをみてキーワードは、
「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
 ーーーー
 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」
から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。
不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり! やはり彼女は男を見る眼が違います!
「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/ 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。
人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。濃密な時間が流れる街、「銀座」。巷には、不況や不景気を
言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口にしていませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?
能力だけではつかめない「お金と成功」。では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか?
「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」
               (字数の関係で中略2008年4月8日)
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  
 370,なりきる
散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会へのリハビリで
この旅行にきたといっていた。かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。
考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていた
あの時期、その時はなりきっていた。実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、
時間を超え昔の自分にいつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる
所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?

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