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堀井On-Line
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2011年04月13日(水)
* 娑婆には知らないことばかり 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、10時のオープンに50人位の行列。 「プール関連の新しいサービスが開始されるため」というが、それにしても、今どきに、あの熱気は凄い。 館内設備の案内をしてもらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 下から目線の土着的女性。 時が時だけに「まずい!」と思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、 成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、 日中5時間も行っていると聞いていたが、成るほどと合点がいった。 家内の、別の新潟の友人は、二つのジムに入っていて、 交互に行っているとか。 家にいるより快適で、金がかからない上に、主婦にとって癒しの場になる。 漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。 平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、 エアロビックスのプログラム、そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の平日コース (金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。 考える時間が多くなった分、身体を動かさないと!
・・・・・・・ 3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2 2010年04月13日(火) ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。しかし前回のレポートからみて、、 投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、 国家が金を吸い上げようと思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、 金売りが殺到し、暴落する。 その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻せばよい。 一般の国民は、 一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど不可能である。 アメリカの金融占領国の日本は、 そのコントロールから抜け出すことは出来ないのが現実。 近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。 金は世界共通通貨である。 ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、ドル体制を守るために金の価格を コントロール下におくのは当然である。 金が真実で、ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、 金の価格を可能な限り下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに買い集めたゴールドを、 今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきたのである。 ドルの下げはアメリカの対外債務が大きく減額される。 あと1〜2年か、遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。 と同時にデノミなどを 世界中の国々が一斉に実施するだろう。 その前に金融シンジケートは何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、 売りだされた金などの現物商品を買いに入る。 だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、金は買い。 「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」 という、眉唾的な本を度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを得なくなる。 G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在しているはずである。今更何をいっているかだが! ・・・・・・・・ 2930,新潟清酒達人検定 2009年04月13日(月) 一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、銀と銅のランクの、銀に合格したという。 ・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。 ・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。 ・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は1〜22度まであるとかいう軽い内容が中心? ・受験生は若い女性から、あらゆる世代の人にわたっていたという。 それから、酒のメーカーの批評から話題が次々と出て和気藹々になってしまった。新潟の酒蔵は104あったが、 現在では97に減ってしまったという。酒は米の質と、水と、米を何処まで削り落とすかで清酒の質が決まってくる。 「上善酒、水の如し」というが、水の質も大きな味の要素になる。酒は朝日山と、寒梅が良いとか、南魚沼の「緑川」 が美味しいとかの議論が伯仲した。そこからNHKの「天地人」に話題が移行、長岡近郊の与板城主が井伊直弼の4男だったとか、 まあ面白い話題をそれぞれの人が持っているものである。法事も普段に会えない、叔父叔母の連れ添いの親戚などの 色いろの人生を知るチャンスでもある。一人の人生の中には、生きてきた経験と知識が詰まっている。当然のことだが・・ 清酒達人検定試験、来年でも受けてみようか? ・・・・・・・・ 2566, ターニングポイント 2008年04月13日(日) ・世界のターニングポイントは ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。 ・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まった ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。 ー以上のことから 「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95・阪神淡路大震災・オウム教事件の発生した10年間、 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。 これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅するなど、 考えられない事件であった。 日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。 20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。 デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。 ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。 それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。 幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県の エネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。 これは、どの事業も同じことだが。もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。 恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。 ・・・・・・・・・ 2007年04月13日(金) 2201, 新幹線乗り越し、6回目 (~Q~;) おはよう?? ファ? 一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、 その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉った。 またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。そして、無事Uターンした帰ってきた。 4年弱ぶりということになる。HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。 なるほど文章化をしておくのも面白い。 乗り越した「浦佐」の駅員に、「長岡では乗り過ごさないように」 と注意されたり、横にいたホロヨイ気分の人に「頑張ってね!」と励まされたり、シッカリ酔っ払いをしてきた。 いや酔っ払いずれをしているということだ。5年前の湯沢で乗り過ごした時に、やはり乗り過ごした人がいたので、 割り勘で同部屋に泊まったことがある(全く知らない人だった)、その半年後、会社のパソコンに光ファイバーを入れた。 その時のNTTの営業担当が何とその人。 互いにビックリした事があった。 以下は以前の書いたものだ。 ーーー 2003/08/22 5回目の乗り過ごし 昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、十四年?ぶりである。 コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。 気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。 (以下、字数の関係上カット2010年04月13日) ーーーーー 2002/02/10 新幹線の乗り越しー4回! 通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。10?15年前で 一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いでビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。 (以下、字数の関係上カット2010年04月13日) ・・・・・・ 2006年04月13日(木) 1836, ローマから日本が見えるー1 b(’0’)d おっ (゚Д゚)w ハァよー ー 読書日記 この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国成立までを、 自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。 =まずは、この本の概要をまとめてみる。 ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー 著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、ということは、 自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、 有史以後最大の帝国にまで成長を遂げ、千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。 そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。 古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。 あなたがここに入るまでのすべての日々を。」 と、書かれていたという。 「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。 だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」 「ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。 また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。 ーローマ人の改革についてー 「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」 ーε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~ ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。 一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。 そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。 どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。 結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。したがって改革をやろうとすれば、 結局は力で突破するしかないということになる。カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた 元老院を潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。それは従来ローマ市民にしか与えられなかった 元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。 カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。 …(´Д`驚)…!! 改革にはタイミングがポイントとなる。ローマは紀元前390年に北方ケルト族の襲撃であっけなく占領された。 このどん底から這い上がることで真のローマになった。敗因が自分たち自身にあったことを反省し、ローマ独特の共和制を 樹立し政治改革を完成させた。ローマは、その苦境を乗り越えるために、ローマは、自らを改革して行った。 (字数制限のためカット 2011年4がウ13日) ・・・・・・・・ 2005年04月13日(水) 1471, 『冥途のお客』を読む 佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。 月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。読んでいて背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。 文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。 最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな現象に出くわした。 そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、 私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、 内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。違う感覚器官が、身についたという感覚である。 そのことを、佐藤愛子も書いている。耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。 それと同じことである。私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。どこどこで、全く知らない霊と 出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、 [あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋) に泊まった時の話である。夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。 「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ 人の鳴き声に聞こえる。それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、 人が死んでいた」という報告が入った。あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?理屈から考えれば 有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。 佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。 理屈に全く合わないのだから。ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。けっこう上手くまとめてある。 ーーー 著者自らの霊体験を告白 (以下、字数の関係上カット2008年04月13日) ・・・・・・・・ 2004年04月13日(火) 1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味 昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバック のように相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか 一方的の試合になってしまった。そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが 負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。映画の「ロッキー」を見ているようであった。 ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。 9回2アウトからの大逆転のようなものである。最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に 負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた 選手の、劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。 白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。 それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。 ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。 ・・・・・・・・・・ 2003年04月13日(日) 739, 睡眠時無呼吸症候群 一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,息するのを忘れていたことに気がついた。 「エッ!」というのが、その時の印象だった。「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。 「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。ところが最近になって無呼吸症候群が問題に なって、初めてなるほどと感じた。それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も 無呼吸症候群だった!そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。 その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー 一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。 (以下、字数の関係上カット2010年04月13日) ・・・・・・・・・・ 2002年04月13日(土) 375, 「テーマ日記」を書き始めて一年 あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。 何処までやれるか自身との闘いで始めた。あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。 気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。 あと1?2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。その後で底から真水が出てくるのではないか。 今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない 自分が顕わになった。本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に今更驚かされる。 それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。 内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。 しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。 後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。 自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。
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2011年04月12日(火)
こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。私の人間関係は長年?の友人が多い。 その節目どきに、それが真かどうかが見えてくる。 具体的の話は、まあ・・・止めておこう。 立場が変われば、これまでの関係が変わるのは当然のこと。それを取り上げること自体がおかしい。 その中で一番身近な家内が、このところ上機嫌である。 立場が逆転するからである。今後を考えただけで恐ろしい。 早々に粗大ゴミにされてしまう恐れがある。彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、 プライド?の高い、底の浅い? 修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。 前向きな人生を生きていなかった?それぞれの人生が、境目から見えてくる。 これは私の歪みの目。 それでは御前は何じゃい! と言われると何も返す言葉がない。年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 65歳なら、それも仕方がないか。 大体が人間の付き合いは立場における力のバランスの上で成り立っている。 その力が変化をすればバランスが崩れて当然と割り切ればよいのは分かっているが。 ところで昨夜、学生時代の友人が当時のクラブを代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。 (当人の会社の仕事が偶然あったこともあるが)有難いことである。 そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、 何の?先輩の実兄が先日、電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する?話しは幾らである。 いや、この数年間は、その宝の山だろう。 特に銀行筋の手順の中には・・・ それと、世間様レベルの人々の視線を、 そのまま書くことになるだろうが、面白そうだ。「家内が、先日、前の町内会長婦人とあったので、挨拶をしたら無視された」 レベルの話しである。こういうのを重ねて、ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、 こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の絶対言明!より深く本を読む節目の時節到来か。 ・・・・・・・ 3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1 2010年04月12日(月) あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」 というと、話しは違ってくる。 そのレポートの内容とは ・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が上がりそうになる度、 大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、 金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、 レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 真偽は如何だろう? ・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社の中の主要9社が 午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めているいうもの。 米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が 保有している総量より多いことである。 これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。 金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で 騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんなものかもしれない。 相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、 「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、3千円、 2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。 世界経済は、数人の男たちによって 動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、アメリカの政府の首脳とは別の! ・・・・・・・・ 2929,閑話小題 2009年04月12日(日) * 昨日は法事 去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。その叔父と連れ合い、 そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。 これから法事は少なくなる傾向のようだ。「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、 ごく内々で済ますようになった。坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。 * 国債>税収 09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で 初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。 世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、 その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、綻びが現れてきている。 * 宮城県が2011年にも財政破綻 これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状にあるという。 一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。 マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。 * 桜が満開に 新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、 それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。 地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・ ・・・・・・・ 2565, ドル覇権の崩壊 ー2 2008年04月12日(土) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ この本で面白いと思ったところといえば、 ・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、 ・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。 ・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、 「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産をまとめてバスケットの中に入れて、 それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。 コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする 戦略的な物質の全てである。現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が 無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。 そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く 新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ 見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、 実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」 ー以上だが、 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。その一番の被害は資源のない日本であるのは 誰の目にも明らかである。 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる! 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。 上層とかいうのも、激減していくだけ。 大変なのは団塊世代の後の人たちである。 プアーといっても、1950年?60年代の生活レベルに近づくだけ。 社会資源は残っているから、それよりましか? .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ ・・・・・・・・・ 2007年04月12日(木) 2200, 反時代的毒虫 ?1 才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。 *カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。 (字数制限のためカット 2010年4月12日) ーーーーーーー 2006年04月12日(水) 1835, 善意について \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。 善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、 一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。 環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党の族議員、ゼネコン、 官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。 日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。 「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、「連帯保証に、善意で判を押してしまった」 という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに 割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。 善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。 (ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。) ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。 ーー 2004/02/06 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2 以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識。 この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。 真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。 その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が 含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。(実際は5パーが、 95パーの悪さをするのだろうが)面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、 不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。 ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。 しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。 悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。 人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。 まあ他人事でない。 違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。生きるということは、こういうことなのだろう。 純粋性の恐ろしさがある。不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。 その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は情報の売り買いである。 長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。 少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。そして無くてはならないビジネスである。 不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。 野球のバッターに例えると ・バント専門 ・ヒットバッター ・ホームランバッター ・代打専門と、それぞれの特性がある。 ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋 ・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割?半額をもらうことを 裏契約をして共同作戦をする人、等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界に サラシテ生きてきたからよく解るのだ。トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしている ハイエナ的な仕事である。 饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。 ー つづく ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・・ 2005年04月12日(火) 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2 このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、 それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。知識・教養とはそれでもよいが、 やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。 反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、自分のノートや備忘録に落とし込むのとは おのずから違ってくる。まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。自分の気持を書き込む時には、自分の中の 第三者の目ー理性ーで、一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。1年、3年、10年経った 時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、 第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。いま一つ良かったことは 何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。いつの間にか、書くように 頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。 これも結果として大きな収穫であった。更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。 相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら 聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。 つづく ・・・・・・・・ 2004年04月12日(月) 1105, 「ありがとう」戦略ー2 ・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象の お陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。 ・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。 ・言葉の原則がある。 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。 注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。 ・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。 ー「明元素言葉」は 「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、 積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。 ー「暗病反言葉」は 「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」 これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。 ーつづく ・・・・・・ 2003年04月12日(土) 738, NTTの現状から時代の変化をみる 先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。 (字数制限のためカット 2011年4月12日) ・・・・・・・ 2002年04月12日(金) 374, 主観と客観(喜劇と悲劇) 以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。 たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」 後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。前者はその滑った本人の目で書いている、 これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。 何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。 「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。 特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。それだけ自立していないのと多神教のせいもある。 逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?あまり他人を笑わないほうがいい!そ の他人に対する同化になってる状態だ。考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。
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2011年04月11日(月)
これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を感じるかと思いきや、それが全くない。 恐らく10年以上、一日2〜3時間を集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化した基地が、 ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、現状のその様は何だ!」と、酒席で言われたが、その通り。 その時に「少なからず経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、他の人から忠告された 言葉を思い出した。 毎日の記憶をHPの中のブログに記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から 何かが確実に変わっていった。 脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている実感があるのが心を広く明るく自由にする。 心は言葉である。毎日、言葉として表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。 毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、全責任はトップにある。 何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。 ギリギリのところで、 表現を注意していても本音が表出してしまう。 しかし、その何倍も、書き出し、公開することの効果を感じ取っている。 だから 偉そうに! と言われても、その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後から振り返ったとき、 書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよいことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、 「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がしをされかけた事があった。その上に、いわれのない? 数百万を強奪?されたことがあった。 それなりに、書き、表現していると周囲に波を立てることになる。しかし、その蓄積が、 このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。 先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。 結果からして、心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・・ 2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
・・・・・・・ 3303, 人みな骨になるならば ー10 2010年04月11日(日) * 死の不安の克服は可能か ー まずは、その部分の抜粋 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれはそれと正面切って 対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで紛らせようとするが、 人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、 そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは 中高年期以後に精神障害に陥るように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり 対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。少なくとも、 病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、 最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、 猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、 死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのもの ばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が 空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、E.バーンは 「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かの いずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、それほど恐れる べきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたか どうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは 多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんでいると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、 そこで安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。 〜〜 あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、 70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての気を紛らわせる 手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、 そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから 宗教が最後のよりどころということか。 最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、 一日一日を精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、 楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。気を紛らわせるために。 ・・・・・・・・ 2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7 2009年04月11日(土) それでは、実際の演習をしてみる。 ー「会社役員」ー 子=会社役員 父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。 会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか? ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・ ー設計事務所ー 子=設計事務所 親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。 社会の変化と、新しい技術、そして 精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。 ーソフトハウスー 子=ソフトハウス 親=ニーズとされる人材の確保と、 〜〜 ー保険事務所ー 子=保険事務所 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。 ・・・・・・・・・・ 2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1 2008年04月11日(金) 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。 猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等を考えた。 しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を 感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。 まずは、その一節を書き写してみよう。 〜〜 ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。 その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。 ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと 台地の向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。 〜〜 この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきた ときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、 アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、 谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。 (字数制限のためカット 2010年4月11日) 〜〜〜〜〜〜〜 2007年04月11日(水) 2199, 歌舞伎町シノギの人々 オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ ー読書日記ー 新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い! (字数制限のためカット 2010年4月11日) ・・・・・・・・ 2006年04月11日(火) 1834, 壁際の名言−2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) −読書日記ー 唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。 老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで 現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。 ーあとがきーの文章がよい! 老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとしているが、 京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、 一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。 ・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」 と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。 「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」 「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」 逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、 ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である) そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、 ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、 と強要し、こちらはホトホト困窮した。一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、 此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、 プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。 ー 以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい一部分は 理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をしているから、 その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。 ーーー ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの言葉を選んだ。 「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」 (尾崎紅葉) 「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」 (ジョジョの奇妙な冒険) 「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」(マツモトキヨシ) 「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。それから女に貢がせろ。それも出来なかったら・・ 泥棒しろ」(立川談志) 「談志師匠は、人格最低、芸最高」 ( 弟子たちによる談志の評価) 「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。死ぬことは厄介である」( 聖バーナード) 『楽観論者は失望しか味わえないが、悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』(唐沢俊一) 「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」 (マーク・トウェイン) 「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、なんでワシになってんねん」(清原和博) 『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一) 「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン) 「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」 (堀口大學) 『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一) ー唐沢俊一 「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館 ・・・・・・・ 2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い 徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かにそういえる部分がある。 特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を 言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。 常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、 努力と技術で可能になる。いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。 荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、 重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。 海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。 慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。 (字数制限のためカット 2010年4月11日) ・・・・・・・・ 2004年04月11日(日) 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1 以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」 の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、 「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。 (字数の関係でカット2008年04・11日) ・・・・・・・ 2003年04月11日(金) 737, 若い人の価値が下がってしまった 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。 周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。 フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。 会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。 いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。 会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、勝ち組と 負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。 「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。 十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると 血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった! ・・・・・・・ 2002年04月11日(木) 373, 何故マイナス思考になるのか ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。その失敗の経験がマイナス思考を生み出す。 あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺! ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの! どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。現実に溺れて(下と横だけを見て)?? 子狐がいるせいもあるが。 この子狐不景気になってきたら急に元気になった。周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか? いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。 犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは 事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。 それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、どんどん マイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。主語が消えた後、 他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」 というが、この年になると実感する。といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。 人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。目が見えない分だけ、人の気持ちが 良くわかるという。不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。 他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。いやその前に自分が幸せと芯からえなくてはならない。 まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。以前にも書いたが、家内が 「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、 典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。
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2011年04月10日(日)
今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、 ・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。 ・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より二時間圏内の日帰りの徹底が 地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。 ・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、部屋在庫を少々多く持ちすぎたことである。 ・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。 しかし、(これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切るしかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真っ只中で、「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが(いや何は何処にもいるか?)、 経済震災になると、その辺の類推がでない人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌という 大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年である。この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能汚染などのパニックが 起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後のロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??) に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、 日本史、いや世界史に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、客が5分の1、10分の1という。 長岡の奥座敷といわれるホテル街は、ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、 黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリみえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。 農業、漁業、土木、建設、第三次、第四次産業も、 輸出産業など、どれをみても・・・。 どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。 ・・・・・・・ 3302, ブログ向けビデオカメラ 2010年04月10日(土) 新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。発売当初から両方とも興味があったので早速、 近くの家電量販店に行ってみた。たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、なるほど 実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。 ネットで調べて迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。 ヨドバシカメラの値段より、25パーセントはやすい。 16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千である。ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。 一方のソニーのものと最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。 シンプルだが、非常に使いかってがよい。 5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。 どうも、ビデオ・カメラは、自分の相性は良くない。 この20年近くで三機種を買って海外旅行に持っていったが、 家で改めて見ることは、殆んどなかった。 しかし、SDカードの記憶媒体で、去年の暮れに買ったブルーレイにはSDカードを 直接セットが可能である。 これなら、デジカメのように使える。 ビデオに使わないとしても、デジカメとしても、充分に使える。 私のデジカメは、新たに買ったものを家内に取りあげられて、5年前のもの。小さいので、使いかってが良いので、鞄に入れて 常に持ち歩いている。更にウォーキングもポケットに入れておく。 しかし、5年でデジカメも、ビデオカメラも様変わりを していた。 軽くて、使いかってよく、安くなっている。 デジカメの5年は、その機能と価格は様変わりするのは 当然であるが。私にとって iPod以来のヒットである。 ところで、私がメカ音痴のためか、iPhoneは、いまいち使いこなせないでいる。 外で使う必要がないからである。 それぞれのビジネス条件とかで、適応が違ってくる。もし、外回りが多ければ、iPhoneは 手放すことが出来ない重宝な道具のはずだ。 以前、東京や仙台に行った時の経験から言っている。 それと、画面が小さいので少しみていると眼が疲れる。 それぞれの相性がある。 で、ビデオの相性は良い。 ・・・・・・・・ 2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6 2009年04月10日(金) *「三位一体モデル」を使った演習 ー ① 「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。 実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に 書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである幻想としての 「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。 * まずはー「国家」ーから 子= 国家 親= 国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。 * 次に、ー「国民」ー 子= 国民 親= 国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・ * 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは 子= 家族 親= 血統、家柄。家訓、家そのもの。 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。 人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。 我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。 現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。 この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、 ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・ つづく ・・・・・・・・・・ 2563, ディープ・スロート 2008年04月10日(木) 『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男 ボブ・ウッドワード著 ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜ これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。 ー内容 ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。新米記者ボブ・ウッドワードに 地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。 フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、 フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。 ー 著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。 ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。 (字数制限のためカット 2010年4月10日) ・・・・・・・・ 2007年04月10日(火) 2198, リーダーシップの旅 才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記ー 「リーダーシップの旅」ー 見えないものを見る (新書) 野田 智義 (著), 野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。 二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。 *リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、 自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで 初めてリーダーになる。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。 創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。 ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。 だいたい家内の大反対から始まり、 それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。この難関が一番大変である。 周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。 :面白そうな部分を抜粋してみると・・: ーー リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、 多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。 世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと 言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、 一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。 見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、 自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、 ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。 決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。 そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、 リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、 「結果として」リーダーに「なる」のだ。 (21〜22ページ) ーー 社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。 リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。はじめからフォロワーがいるわけではなく、 「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、 だれかから教わるものでもない。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。 リーダーシップはだれの前にも広がっている。「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを 再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。何かを見たいという気持ちがあれば、 可能性は無限に膨らむ。自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ) ーー 中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。三十代半ばから四十代は「人生の正午」に当たる。 学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。 十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、 自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略) 今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、自分のいる場所にとどまり、会社や組織、 社会に対しても貢献できて、そして何より自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。 とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。 (161?162ページ) (2008/04/09字数の関係でカット) ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ ・・・・・・・ 2006年04月10日(月) 1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい?6 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ー読書日記ー この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。 言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。 最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。先人の深い言葉は、 数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。 ー癒しの言葉ー 言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。あなたの手首を包んであげたい。 ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。 私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。 熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。 言葉でもって癒してあげたい。 ー 丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。 ε(´',_c')зβyё ・・・・・・・・ 2005年04月10日(日) 1468, 通販の時代の到来 先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。 ・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと ・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、 結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2〜3の会場に行って決定するという。 日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。 数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。 それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。私の場合は、電気製品を買う時は 必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。 万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。 生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。ところが、その情報がインターネットで瞬時で 世界中に飛び交う時代になったのだ。これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。 新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。リクルートなどが出している情報誌を見て、 予約をしてくるという。新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。 また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。パソコンに事務所機能が入っているので セクションがないほうが合理的になる。日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらに TV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで 出てくるだろう。一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、 一強多弱しかないのだから。 ーーーーー 2004年04月10日(土) 1103, マスコミは戦争地域には・・ 今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリスト。 現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無い ともいえるのだ。当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員 兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、 殆どの人は名前も顔も知らない。アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで 行くのが仕事。新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにもリスクと金がかかりすぎる。 (字数制限のためカット 2011年4月10日) ・・・・・・・・・ 2003年04月10日(木) 736, まずは「一日一図」から このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。 なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。 ・なかでも「一日一図」がよい。 ・それと「借図から創図へ」。 ・「文図両道」 ・また「図解は一日にしてならず」もよい。 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。 次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。 レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。 レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。しかし、なかなか図解するのは身に付かない ものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。 ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。 以下はインターネットのホームページからのコピーである。 (字数制限のためカット 2010年4月10日 「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房 ・・・・・・・・ 2002/04/10 不安解消法 学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。 記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。 ある不安があったとすると、 1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。 2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。 3、その解決方法を幾つか書き出してみる。 4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。 5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。 という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。 「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。 不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。 (字数制限のためカット 2010年4月10日)
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2011年04月09日(土)
先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 以前も、そうだったが、それまでの生活と 全く変わってしまったが、抵抗感はない。 肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、 独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣つくりを始めている自分に驚いている。 30年前、40数年前の自分に戻ってしまったようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。 今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして ・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、初心者向けのスポーツジムに入会。 平日、この二つを隔日に使い分ける。 ・これまで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 さらに月に一回のシネマの通いと、 月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身であることは事実。 元もとアウトサイダーを 自認してきたので、こういう切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 居間に中村天風本を手元に置いておくか。 ー つづく ・・・・・・・ 3301, 日本経済は死ぬのか 2010年04月09日(金) 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、 それでも何か目新しいことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人にはダイジェストとして丁度良い。 その中で、野口悠紀雄が、 「もはや日本経済は死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を「米国の金融危機」と 考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。 戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗ったものです。米国の住宅価格のバブルによって、 結果として日本の輸出が伸びたという現象が起こっていたのです。 当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、 日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けてしまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。 数字で言えばピーク時の07年度に対し輸出で20パーセント、GDPで10パーセント減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、 これは1984年度3月と、殆んど同じ。 この事態に、政府はエコポイントで家電や自動車などの購入を支援している。 これは今の製造業が、政府の支援にしがみついて生きている状態である。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返ってくる。 それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える 可能性が高くなる」等々、刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェストとし述べているといってよい。 欧米の失業率が10パーセントに対して、これだけ悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。 それが、一挙に二倍、三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。 他人事では決してない。 まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。これが、既に欧州並みの20パーセントで、 これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。 ただし、国民を納得する上にも国会議員、そして地方議員も定数を半数か、三分の二にしなくてはならない。 スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。 ・・・・・・・ 2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5 2009年04月09日(木) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。これからみても思考モデルとして充分に使える。 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、 そのプロセスで頭の中を整理していく。第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。 =その事例から= ー広告代理店の勤務ー 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 ー中学校の教師ー 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。 ー音楽業界にいるものー 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。 ースポーツ業界にいるものー ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。 ー料理人ー レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。 ―― スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。 次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。 ・・・・・・・・・ 2562, ドル覇権の崩壊 -1 2008年04月09日(水) 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか? まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。 ーー 「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界 副島隆彦著 ー背表紙裏の説明文 ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった 2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジ という考えに変わりつつある。日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい 自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。 ー 目次 ー (字数の関係でカット2009年04月09日) ・・・・・・・・・ 2007年04月09日(月) 2197, ファンタジー文学の世界へ ー3 ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス! 「ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?) ■目的と存在 ?「ある人生とする人生」について 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と ‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。 ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな 時間が持てなくなる。 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」 ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは人生の目的を意味する。 人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。 抜粋にあるとおり、若きゲドは「する人生」に飛びついたという。 目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。 目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだからである。 目的と行為の一体性には、何ら問題がないように無いように感じるかも知れない。 しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、 何もしないことや、何もできないことが自分にとって否定的に感じてしまう。 とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが鬱陶しくなってくる場合が 多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ「ある」という、 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。 この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。 ・・・・・・・ ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、 本人はそれを喜ばない。そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、 そして、おそらく、いちばんつまらないものが、この大賢人というやつだ」と。 河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。 ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される) しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。 ・・・・・・・ 2006年04月09日(日) 1832, グーグル完全活用本 ?1 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ ー読書日記 この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった) この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。 (ウェブ進化論の影響があるが) もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。 別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。 30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。 もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。 これがキーポイントになる。 ~~旦_(^O^ ) この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。 ・「120×180= 」と計算式を検索の窓に入れるだけで答えが、 ・「新潟市 郵便番号」と入れれば、新潟市の郵便番号がすぐ調べられるHPが、 ・「和英 何々」と入れれば、和英辞書の検索のように英語が、 ・税金を調べたい時は「税金□(空間)源泉□控除」と入れれば、効率よく調べたい内容が、 ・ある企業の株価を調べたい時は「企業名と株価」を、そのまま入れればよい。「ダイエー□株価」(□ー空間)と。 ・「イチロー」以外の「鈴木一郎」を検索する方法として、イチローの前にマイナス記号をつけて ( 鈴木一郎 -イチロー)とすれば、イチロウ以外の鈴木一郎の情報が出てくる。 ・キーワードを<" ">で囲むと、完全一致検索ができる ーその言葉の範囲内で検索する。 ・意味を知りたいときは「?とは?」といれればよい。 (字数の関係でカット2011年04月09日) ・・・・・・・ 2005年04月09日(土) 1467, おしっこ 雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。 「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」と何かに書いてあったので、試みたこととがある。 やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。 何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。 シンプルな詩であるが、中味は濃い。
曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎 ーお し っ こー 谷 川 俊 太 郎
大統領がおしっこしてる おしっこしながら考えている 戦争なんかしたくないんだ 石油がたっぷりありさえすれば
テロリストもおしっこしてる おしっこしながら考えている 自爆なんかしたくないんだ 恋人残して死にたくないもの
兵隊さんもおしっこしてる おしっこしながら考えている 殺すのっていやなもんだぜ 殺されるのはもっといやだが
男の子もおしっこしてる おしっこしながら考えている マシンガンを撃ってみたいな きっと気持ちがすっきりするから
武器商人がおしっこしてる おしっこしながら考えている 銃がなければ平和は守れぬ 金がなければ自由も買えぬ
道で野良犬おしっこしてる おしっこしながら考えている 敵もいなけりや味方もいない ただの命を生きているだけ ・・・・・・ 2002/06/05 おしっこをしながら、水を飲む (字数の関係でカット2008年04月09日) ・・・・・・・・・ 2004年04月09日(金) 1102, つもりちがい十ケ条
高いつもりで 低いのが教養 低いつもりで 高いのが気位 深いつもりで 浅いのが知識 浅いつもりで 深いのが欲望 厚いつもりで 薄いのが人情 薄いつもりで 厚いのが面皮 強いつもりで 弱いのが根情 弱いつもりで 強いのが自我 多いつもりで 少ないのが分別 少ないつもりで多いのが無駄 そのつもりでがんばりましょう 天台宗別格本山 両子寺 (字数の関係でカット2011年04月09日) ・・・・・・・・・ 2003年04月09日(水) 735, ホームページを開いて二年 このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。 脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。 お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。・何事も三年である、あと一年は今のペースは 続けるつもりである。随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の 情報収集の動機になる。公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。 書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。毎日文章を書き続けることは大変である。 「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、テーマをみつけて筋の通った? (字数の関係でカット2008年04月09日) ・・・・・・・・ 2002年04月09日(火) 371,花見 いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。 「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。人間の人生の短さに例えて言っているのだ。 所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。 この時期の名物の一つである。7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。 なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。納棺の桜吹雪である。 背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。
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2011年04月08日(金)
カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の問題は関係性にあって、 一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。 要は相性と、互いの立場のバランスなどの関係に問題が存在する。 それでは夫婦間の関係性とは、そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の組み合わせだったり、長女の嫁と末っ子の夫の関係だったり (これは私になるが・・)色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた立場と条件を理解する しか手立てはない。 恋人同士の関係は良かったが、夫婦の関係になったら、破局をするケースが多い。 そして別れたと同時に、関係が良好になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートンとか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。 その結び目が関係性である。 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー 【関係】 1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」 2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」 3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」 5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」「アウトドア―の雑誌」 ー 何ごとも、関係性の中で成立している。 触媒の中でこそ、自己は成立する。
・・・・・・・ 3300, 平山郁夫の教養世界 2010年04月08日(木) 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。 原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には 仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の 西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に 教養の深さを感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。 そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。 それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。 この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、尚のこと納得をした。 先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて 感じとれた。絵の中に彼の独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。 そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする此の頃である。 良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養のベースができるということか。 ・・・・・・・・ 2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4 2009年04月08日(水) *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、 似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。 ・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ カタ=カ+タで、型をつくることになる。 カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。 「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。 しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。 そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか? 思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などを メインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』 の実例を書き出してみる。 その一つだけを、まずは紹介してみる。 ー書籍の出版社ー 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。 作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。 書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。 何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。 ・・・・・・・ 2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉 ー2 2008年04月08日(火) 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が解りやすいから、 尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点が、チャップリンの凝縮された ミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。 明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。 ーーー ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、思いきってやってみよう。 ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。 ーー 「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。」 解)押し付けにならない程度のことだが。 ーー 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養? ーー ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも? ーー 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。 とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。 ーー どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か? 気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。 ・・・・・・・・ 2007年04月08日(日) 2196, ファンタジー文学の世界へ ?2 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記 ーP57〜58 「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム 『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。イギリスの教育界では粋なことに、 この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」 もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」という肯定的なものである。 教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。 ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、 そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。 以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。 ーー 「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ
水曜日の午前5時 夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る手紙を残して 階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる 外へ出る とうとう自由だ
彼女は (あの子のために何でもやってきたのに) 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに) 家を (欲しがるものは何でも買ってあげたのに) 彼女は家を出て行く 一人ぼっちで寂しかった 何年も何年も (さようなら)
父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし 泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの
彼女は (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに) 出て行く (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに) 家を (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに) 彼女は家を出て行く 一人ぼっちで寂しかった 何年も何年も (さようなら)
金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた きちんと約束の時間に待ち合わせ 自動車の仕事をしている彼氏がやってく
彼女は (私たちは間違っていたのだろうか) 楽しい時を (間違いだとは思いもよらなかった) 過ごしている (楽しみをお金で買うことは出来ない) 彼女の心の中の何かが否定され続けてきた 何年も何年も (さようなら)
彼女は家を出て行く (さようなら) ーーー 解) これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。 もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。 しかし、親の愛ほど純粋なものはない。特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。 親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の (特に父親の)深い愛情の元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。 しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。そういうものと信じて疑わなかった。 少子化の時代。両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。 気の毒といえば、気の毒である。 ー続く ・・・・・・・・ 2006年04月08日(土) 1831, ブログの話 は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ 世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。 この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」 を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。 それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。 大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、 ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」 「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」「東京テッシュ」「元プロ野球選手の セカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。 〜〜 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? 「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」 夫がまた不倫をしている。 ・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。夫の浮気の一度や二度や三度・・・ 見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ! 夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。 =これだけで、もう引き込まれてしまう= ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・ 2005年04月08日(金) 1466, 閑話小題 ーロシア人の大立ち回りのその後ー 拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。 本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、国外退去が 妥当というところであろう。損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。「何で?」という疑問が残ったが。 ー不景気風ー このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。 ー音楽の世界ー 私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を飛躍的に知ることになった。 これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、 それでも最低2?3時間は聴いている。元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。 読書日記で書くつもりだが、「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、 ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような案内書になっている。 何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。 他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた SACD(スーパーオーディオCD)が5?6年前より市販され、最近になってドンドンソフトが 出されているということも知った。あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、 録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、 サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8?12面?)も付いていたものがあった。 其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。 ・・・・・・・ 2004年04月08日(木) 1101, 春がきた 新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に 初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。 「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしている ような気持ちになってしまう。近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。 春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春に とっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。 ・・・・・・・・・ 2003年04月08日(火) 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・ 「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。 日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。 軽く読むにはなるほど面白い内容だ。 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、 といって数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。5万10万出しても、価値を感じさせる何かを 常に店に演出しているのだろう。なるほどというのが所々納得できる。 このママの店のホームページをみてキーワードは、 「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。 ーーーー 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」 から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。 不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり! やはり彼女は男を見る眼が違います! 「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/ 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。 人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。濃密な時間が流れる街、「銀座」。巷には、不況や不景気を 言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口にしていませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか? 能力だけではつかめない「お金と成功」。では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか? 「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」 (字数の関係で中略2008年4月8日) ・・・・・・・・・ 2002年04月08日(月) 370,なりきる 散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。 そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。 海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会へのリハビリで この旅行にきたといっていた。かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。 考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていた あの時期、その時はなりきっていた。実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、 時間を超え昔の自分にいつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。 その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる 所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?
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2011年04月07日(木)
* 駅やSC内のATMが閉鎖は 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。 これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。支店、営業所内のATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。 経済的側面からみたら、大震災と原発事故全体を大地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。 電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。 * スポーツクラブだけは盛況 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。 驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。100人位に人たちがマシーンと共に 無言でひたすら運動していたことである。雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。 「平日の10時から17時までの時間帯コース」の会費が大よそ6千円、10〜22時のフルコースだと8千円。 週に4日×4=16日が平均とすると、一日400円〜500円。 施設からみてそう高い感じはしない。 それより、歩いて15分のところに、公営施設の中に、大きなジムがある。これは、一回300円、3月で1800円。 以前、入会しそうになったが、止めたことがあった。 早朝のウォーキングか、サイクリングをしていたが・・・これからは!
・・・・・・・ 3299, 金融世界大戦 という捉え方 2010年04月07日(水) * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ) 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質を説明している。 さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器 という危ないやつである。 何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。 「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を 狙ったが、それが敢え無く破綻し、世界を恐慌に導いてしまった。 一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」をつくり上げ、 世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし 大元のアメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っているドルを注入し、立ち直りを図っている。 詐欺師は元もとの金(キン)や資源を温存しているから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。 しかし被害者は 輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを 見境なく買ってしまったのである。 現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように必死に持ちこたえているが、 これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、 世界中にばら撒かれ、連鎖して世界中を破壊する。 それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの転換期に始る。 日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。 「気がつきゃホームでゴロ寝」で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。 アメリカは第二次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、そしてソ連の崩壊後は、アフガン、イラク戦争と戦い続けている。 ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意 から始る日本のバブルと、破綻である。 そして、破綻した日本の金融株や土地を買い叩き、大きな利益を得たのである。 そして、次はイスラムのテロである。軍事産業にとって、これほどの都合の良いことはない。2001年の9・11テロをキッカケとした アフガン、イラク戦争への突入である。 そこで軍事費を捻出するに何かないかと考えて、米国内の下層への融資を思いつく。 そして、その債権を束ねたバンドル債権をつくり、もっともらしい「格付け機関」をつくり、格付けを高くして金融商品として 世界中に売りつけたのである。 一握りの連中は、それが金融破壊兵器になることを充分に知ってである。 そして、ある時期が来ると丁度良いターゲット(リーマン)を見つけ破綻させたのである。 世界中の資産家と金融機関は サブプライムローンだけんでなく、不動産担保債権や、その損失を保険にした債権などを優良債権と信じて買ってしまった。 実は、これは最も危険な金融武器である。 アメリカ国内にも売りつけているが、その数倍は世界中に販売済みである。 その被害者は、国家管理にして、自分の輪転機で刷った金を投入すればよい。しかし、世界の国々は、それができないのである。 ・・・・・・・・ 2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3 2009年04月07日(火) 『三位一体モデル』中沢新一著 読書日記 * 煉獄の発明 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。 それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に地獄から這い上がれば、 上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、 資本主義が動き出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、 その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、 死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。こうした経緯を経て、 西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を経て、 19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。発達を可能にしたのは、それに加え、 増殖の原理を飲み込んでいたからである。キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では 資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。1990年代まで続いた東西対立の、 いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、 また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。 ーー 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。 地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・ ・・・・・・・・ 2560, ホモ・ルーデンス ー2 2008年04月07日(月) (*´∀`)」" おはよう☆彡 子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。 人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。 ー文化は遊びのなかにはじまるー 遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な要素のすべてが、 すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。 子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという 規則も守っている。まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。 もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。 このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から 遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。 *遊びを定義すると 遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、自発的に受け容れられた、 絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、 また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。 このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、 このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。 ーー 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのものということが 出来る。ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。パソコンのインターネットも、 携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、 仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。 もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。 。・∀・)ノ ホナ! ・・・・・・・・・ 2007年04月07日(土) 2195, ファンタジー文学の世界へ ー1 *^○^*)ハ?ヨウサン! 「ファンタジー文学の世界へ 」ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) ー読書日記 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。 ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が 詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。 *それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。 情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を鳥瞰することも必要となる。 この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を 特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。 この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。 (字数制限のためカット 2010年4月7日) ・・・・・・・・ 2006年04月07日(金) 1830, あちら側の世界 ー8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ? 「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。 もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っているような感覚になる。 殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。使ってみると、リアルな感覚になる。 「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス (飛行機)まで紹介されていた。数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、 これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。 北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。大都市圏以外は地形認識までしか できないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、クリックをすると見ることができる。 検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、誰でも無料で見ることができる。 マウスでズームアップもダウンもできる。手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。 この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、マップで日本中の都市圏の場所に 矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、 近い将来は写真になるのだろう。アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが実際は顔の認識まで 可能という。スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。 「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。 ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー (字数の関係でカット2008年04月07日) (v^ー°)バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年04月07日(木) 1465, なんじゃい、こりゃ! またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。 ーー たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」 といって置いていった酒である。その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。 そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、 これが特別なのである。早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は 飲んできたのに。自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。 しかし美味しいのである。日本酒に関しては、 この随想日記にも書いたことがあるが、美味しい酒が飲める環境にあった。地元の人がみている前提で書いているが、 美味しいものは美味しい。そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。 「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。 「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。 このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。 そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し 薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。 そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。 数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。 ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー ・・・・・・・・ 2004年04月07日(水) 1100, 撃墜王の秘密 ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」 二人のパイロットは、ハルトマン少佐とその師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、 ロスマンも80機以上も撃墜している。その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、 完治不能の傷を負った。普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい 生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。 彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。 敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を 費やしたのである。彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。 理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。 ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。 ー ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。 普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、確実に勝利の取れるポジションとりの研究を していたのだ。 チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。 過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。 人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは 一瞬で消え去る。難しいところだ。一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。 ・・・・・・・・・ 2003年04月07日(月) 733, 30年間着ている礼服 現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に 母にいわれて、「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、 全く古い感じがしない。私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。 (字数の関係でカット2011年04月07日) ・・・・・・・・・・ 2002年04月07日(日) 369,植民地経営 西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。 1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治 大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。その前にキリスト教の宣教者を派遣して、 内側から攻めていくのが常套手段だ。秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。 戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。今の日本は王族を飾り物に、 戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。 この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは 周知の事実だ。今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。
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| 3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2 |
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2011年04月06日(水)
この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説の上で、この今後の行末を考えてみる。 それだけ大きな事象なら、これから生じる問題は想像するだけで恐ろしい。 * 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクのフセインへの攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。 このテロは、白(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、文明の衝突である。 * 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めたばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を 根底から変える歴史的大転換の大事件である。。 * これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波を発生し、沿岸の原発に直撃。 その結果、放射能汚染が日本の国そのものを崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを 根底から変えようとしている。
事実の中には、真実と虚偽が混ざっている。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、政府筋がコマーシャルを流している。 しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知している。 ネットで、政府より国民の方が 情報を素早く得ているのである。 政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が最大の被害者。 あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、この様である。 それを今さら「風評に気をつけてくだい!」 といわれても、誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」と、ある筋から聞いたときは、 それでも心の何処かで「まさかだろう」と思っていた。 しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、 「もしかしたら?」でなく、その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を考えなければならない。 「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めている」とかが、決して風評で軽々しい、とは思えない事態。 「外国人が、早々、列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、風評として見逃している 情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である! ・・・・・・・ 3298, 一年の重み 2010年04月06日(火) 図書館で久々に小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。例の「ありがとう」教の本を書いた人。 それで一番ありがたかったのは、彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような面白い内容があった。 一理ある。私の場合というより世界中がインターネットのお陰で情報が手軽に入手できるようになった。 10年前にパソコンとネットに集中したお陰で、良いにしろ悪いにしろ情報の質と量が飛躍的にアップ、 恩恵を充分に享受している。 20年以上の秘境旅行の積み重ねが相乗効果になりベースが大きく変わってしまった。 一年という時間を以下のような1年の重みの捉え方はしたことがない。 まずは、その部分を抜粋してみる。 ≪ 48歳と32歳の間の16年は、単純な年数ではありません。もし今、40歳とすると、40歳までの情報量、 経験量と、41歳までの1年とは、同じ重さを持っています。 その一年は膨大な内容と密度と充実感を持っています。 その41歳までの経験量や知識量、情報量と同じだけの密度と情報量が、今度は42歳までの1年に入ってきます。 つまり今までの人生の総量に相当する情報量や楽しさ、面白さが、これから1年に待っているということです。 今、十代、二十代の方たちにはわからないかもしれませんが、30歳代を過ぎると、加速度的に情報が入ってきて、 人生がますます面白く展開されるでしょう。 そういうわけで、16年の差というのは16年分だから大したことはない、 とうことではなくて、32歳の人と48歳の人は、情報量が二の一六乗違うのです。≫ 〜〜 それは闘い続けていたり、学び続けている人に言えること、何も変わらない人には当てはまらない?と思うが・・。 私自身の実感は正観に近い。 表面的には誰も分からないだろうが10年前の自分と現在の自分は別人と思うほど変っている。 振動針の幅がプラスマイナスが大きく振れるようになっただけで、成長の変化ではない。逆に、経験量、知識量、情報量が 逆に自分をマイナーな気持ちをもたらしたり、これまでの人生の失敗の傷口を広げることにもなる。 そこで、それは他者も同じような経験をしていることを知らなければならない。 それを知る基盤が教養である。 ・・・・・・・・ 2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2 2009年04月06日(月) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 *「霊」は何か? ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。 語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と 構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。 その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、現実の姿として 「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。 この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教していくことになる。 それが西欧資本主義の出発点になるのである。ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。 ーー * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である 「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する 存在など、あってはならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、 絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。 イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を 組み込んでしまった。イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。 キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。 ーー 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、 ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 霊を増殖するものという見方は初めてである。 ・・・・・・・・・・ 2559, 印度放浪 ー3 2008年04月06日(日) ー語録ー2 人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。水葬にしていったん沈むんだけど、 沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで底についたのは必ず浮かんでくるんだ。 そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。 半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、 まるで不動明王や五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。 水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。 日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、 三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。 それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。 こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。 ーー 犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。クンバーダカ鬼は架空の 生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、 そこにいた一匹が逃げたんだ。それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。僕がエサを取って しまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、 かなり危機感を持ったね。眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。 川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、 それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。 そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。で、犬の目から目を離さないように しながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めてこれをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま 少しずつあとずきりをして川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。 奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。 こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから 何となく大丈夫だと思ったわけ。これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。 ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。 ーー インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、 一本フィトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、 全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。 ?解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月06日(金) 2194, 大人のファンタジー読本 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー読書日記 ー未知なる扉をひらく180選ー 出版:マックガーデン この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。 その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、 ネット上の語らいからつくり上げた本。180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。 1P~2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」と言われれば、 間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。初めは図書館で借りて読んだが、 アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。 (字数制限のためカット 2011年4月6日) ・・・・・・・ 2006年04月06日(木) 1829, あちら側の世界 ?7 「ウェブ進化論」読書日記 (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆ ー「アマゾン」とはー =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテールに ついてーに重なるが敢えて取り上げる。ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を 予感させる)IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、インターネットが登場するまでは、 出版社と流通業者と書店であった。今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本 ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、 事業モデルであった。2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えて しまったことである。日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が 在庫を持たない本から上げていると発表した。インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。 (字数の関係でカット2008年4月6日) 以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。 世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである! 間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。 ー (*"・∀・)ノバイバイ! ・・・・・・・ 2005年04月06日(水) 1464, 発想名人 ?読書日記 最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。 内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。 ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』これが私の最近のスローガンである。 すべての現実の困難は、具体的なアイディアによって乗りこえるものだと私は考えています? ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。 私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。 (字数制限のためカット 09年04月06日) ・・・・・・・ 2004年04月06日(火) 1099, 「80対20」革命 ー4 「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い! ー以下に書き写してみる。 △あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか? 一番熱心になれることは、どんなことか? △自分が有名になったと想像してみる。 どんなことなら有名になれるか? △自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。 人と一番変わっているところは何か? △何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか? △一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか? △どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか? △別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。 △もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、 如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記に殆ど 書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまっているからだ。もう見せているから今更だが。 全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。 ・・・・・・・・ 2003年04月06日(日) 732, 「こうすれば良くなる」 いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。 これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。 その内容を私なりにアレンジをして書いてみたー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。 それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。 それで西欧並みでしかない。日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。 そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。恐慌というやつにだ。いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、 政府の予算規模も縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。「良くするなどと考えている非常識」 がまかり通っている。思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきと宣言すればよい。それにしても、箱物や道路や橋や 新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか? ー以上になる。 人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。 なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。 ・・・・・・・・・ 2002年04月06日(土) 368,リオのカーニバル いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。 2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。 今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。 カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。 南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って歌い踊ったという。 普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。1888年に奴隷制度が廃止された時、 彼らはリオに仕事を求めていった。彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に 会場で競う。それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。 上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。 去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。一年は全て、カーニバルを中心に回っている。 ーーーーーーー H0703ブラジル旅行記 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。カーニバルはリオディジャネロだけでなく全国津々浦々の 都市で行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。 リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、Bランクが15?16チーム、 Cランクは数十チームとなっている。 AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で 踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。 (字数の関係でカット2010年4月6日)
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2011年04月05日(火)
* 大相撲の八百長処分 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。 幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 「今さら何が八百長?、何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。まだまだもめるはず。 日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して 談合システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについていけなかったことになる。 今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。
* 都知事選挙TV討論をみて 日曜日の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他の候補のレベルの差に驚いた。 一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 石原慎太郎が良いということでなく、 他が東京都知事としての素質がないのが、議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、 あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持ったフィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。 この大震災の中で、他の誰に都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・
・・・・・・・・ 3297, 不思議現象の正体を見破る ー2 2010年04月05日(月) * 手品師 ユリゲラーの超能力 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。それは後として、私より一歳齢下のイスラエルの ユリの経歴に興味をそそられた。1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに入れられ、 色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり、2年間の訓練を受ける。そして21歳の1967年にイスラエル兵として 第三次中東戦争に従軍し、戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、シュトラング (通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、 後には、クラブのショーなどに出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれるもので、 目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。 すると、ユリ・ゲラーがおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。 つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。 そこで、お客に念じ方が足りないとか、色いろけしかける。 やがて、おもむろに「5でしょう」などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらといった暗号に 基づいて信号を送っていただけの話。 あまりに単純のため劇場の支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、 裁判沙汰までなっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカからプハーリクなる超心理学者がきて、 ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んでしまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。 彼はユリをアメリカに連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰だったようである。 相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカのTV局も考え始めた。 プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定し、ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、 彼の売り物の超能力は全く起きなかった。 これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、サスガ超能力者、 失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、とされるようになった。 アバタもエクボである。 ユリが1974年に日本に上陸、TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで仰天させた。 当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、 その超能力があると、一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。 何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから投げていたのである。 ー つづく ・・・・・・・・ 2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1 2009年04月05日(日) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。特に、キリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を 解りやすく書いている。三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。 それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。 『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。 『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。(販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた) この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。 『父』の不在が、会社を迷走させることになる。社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。 『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。偶像廃止も、 この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては 『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2558, 爪もみ療法 2008年04月05日(土) ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。そこで早速ネットで調べてみたら、 以下のようにあった。 ーーーーー 【爪もみのやり方】 ・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。 ・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。 ・以上を一日に二から三度行います。 ・少し痛いくらいの強さで刺激する。 ・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう) (字数制限のためカット 2010年04月5日) ・・・・・・・・・ 2007年04月05日(木) 2193, やまあらしのジレンマ オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。 ーまずは、その内容からー あるところに二匹のやまあらしがいた。冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。 しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。 そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、 また互いに相手を傷つけてしまう。このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、「最適の距離」を見いだした。 ーー この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。 やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、 トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につける ことになる。青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。 癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。 孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。 夫婦関係にも言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、 痛みを殆ど感じなくなってしまった。適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。 青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。 あれが、自我だったのだ。 今もそうだが! トゲは必要である! 自己を守るためにも。 しかしトゲの先は丸くしておかなければならない! ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪ ---------------- 2006年04月05日(水) 1828, ずっとやりたかったことを、やりなさいー5゜ +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ ー読書日記 ーアーティスト・デートー 「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を 秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」という。 ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家 といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。 その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター) には参考になる方法である。机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という 具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、 一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と 「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。 ーその一部を本文より抜粋してみると… アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、あなたの創造性の象徴である 「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、 あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を 同行させてはいけない。行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。 恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ… ーー 以上だが、要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」 ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。 ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。 《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。 怒りは私たちの限界がどこにあり、 私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・ 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。 素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、 きわめて誠実な友達だ。 それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。 そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。 怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》 《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》 《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み癒しをもたらす。》 ーー ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい ということか。 ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・ 2005年04月05日(火) 1463, 「虚構の王国」ー NHKスペシャル 一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。 「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、そのニュースソースを知りたいとの問い合わせ、 「翌日の、報道番組に取り上げたい」。キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、 少しパニック状態になってしまった。しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、 知人に何人か聞いてみたところ、「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。 ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー というテーマのドキュメントを放送していた。 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。 「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。 インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。 担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、実質債務超過になってしまった。それをキッカケに、 隠れていた事業のボロが露出してしまった。その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。 多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。不景気の直撃がレジャー産業に直撃。 更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。レジャーもグローバル化が生じたのである。 そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状。 ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。 ーー 以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。あぶないところは、かなり書き換えてあるが。 ーーーー 2004/04/15 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任 (以下、字数の関係上カット2008年04月05日) ・・・・・・・ 2004年04月05日(月) 1098, 拾い物 拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で 行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。 現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回もそういう経験をしたこともないし、 良心に対してマイナスになる。早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。 警備の受付のところに直接持っていけという。電話をして呼べばよいのに、本人はタダ面倒でイヤという態度。 (西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)言われたところに行っても、その事務所がない。 乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。 30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。 数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。これも新潟の駅前の交番に届け出たが、 彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろといわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。 そう考えると拾い物は殆どないということだ。そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。 そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。 もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。 考えること自体が卑しいことだ。 ・・・・・・・・・ 2003年04月05日(土) 731, 前提を疑ってかかるという事 「縦社会の人間関係」 「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。 ー要旨はー 「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの 縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。日本社会の人間関係は、 個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する 日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。 日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのがその縦社会という視点そのものが、 はたして正しいのだろうかという提示であった。「何々それってどういうことなんだ??」私が考えていたのは、 それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。 日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、 縦社会と同じように説得力があるのだ。「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく 横社会ともいえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。 そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。 横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を 初めて知った。 常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。 ・・・・・・・・・ 2002年04月05日(金) 367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。 5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。 いや社会を変えてしまった。空間の溝を取り払ってしまった。それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。 これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。 現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。 インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚き。 昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に 変わっていると言っていた。これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。
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| 3661, 9・11、9・15、それをしのぐ3・11 |
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2011年04月04日(月)
この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。 地球温暖化の中で原子力発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流での惨事である。 思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、そして原発事故と放射能汚染」である。 リーマンショックで既に日本経済は崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、 3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機になってしまった。
10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、それ以降、世界が変わっていった。 そして2008年9月15日のリーマンショックは、米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。 今年から来年にかけて、世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。 それも66年前に日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。 20年前に経済バブルがはじけ、 右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も起こっている。 9・11、9・15、そして3・11の惨事である。 これは9・11、9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。当然ながら国内は情報コントロールを されているが、日本人は無防備に、そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼るしかない。 そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。 原発事故と放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。 被災民は、全国民になる! ・・・・・・・ 3296, 不思議現象の正体を見破る ー1 2010年04月04日(日) 「不思議現象の正体を見破る」 安斎 育郎 (著) ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー ー内容ー (アマゾンより・・・) 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、予言など)のトリックと、 それを鵜呑みにしてしまう心理状態を解説した書。同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、 不思議現象が存在するという根拠にたいし、そのトリックを説明することで、それらすべてがいかに信憑性がないか (あるという証明になっていないか)を示している。 世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純な トリックであることに改めて驚く。 圧巻は、漠然とした詩が、大事件と簡単に符合し、いかにも予言であるかのように 曲解して読み取ることが可能かを示した点である。例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火に ぴったりと符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が後世の歴史的事実と多少符合しても、 それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 現に、世紀末には何も起こっていない。 〜〜 ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、その嘘を一つずつ解明している。 そういえば、ユリゲラーも、ミステリーサークルも、念写などをTVで取上げなくなった。 これはブログなどの情報化のためである。もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。 それだけでない、TV局そのものが問題視され、ディレクターは外される。 この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになっていた。 < 二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だったと白状していた。 二人はL字型の棒を持って、実際にデモンストレーションもやってみせた。 いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。この現象をプラズマ物理学の立場から研究した ミーデンは真面目に、この現象は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた。> 彼らは、二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の正体を暴いているから、読んでいて飽きない。 次回は、あのマジシャンのユリゲラーを、今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを超常現象としてショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、その稚拙な手法がコミック的。
・・・・・・・・ 2921,不況景色 ー10 2009年04月04日(土) * 上野動物園が入園300万人を切る 一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。 前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。 パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。 9月半ばから4〜5割減ということになる。 家計面で節約対象になったようだ。 また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。 恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。 * 金融サミットで 金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げてしまった。 公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・ ー金融サミットで合意した主な項目ーは、以下の通りで。 ▽2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動により経済成長率を4%押し上げる ▽各国中央銀行は、非伝統的手段を含むあらゆる金融政策手段を活用 ▽為替の切り下げ競争は行わない。2010年末まで新しい保護主義的な措置は取らない ▽ヘッジファンドを金融規制・監督の対象とする。タックスヘイブン(租税回避地)の規制強化 ▽IMFの資金基盤を7500億ドルまで増強する ー 世界のGDPは5000兆円というから、その一割を緊急に財政投資をしたところで、 何処まで効果があるか、非常に疑問を感じる。 世界恐慌は3〜4割のGDPが失われるから、 年間1500〜2000兆円が失われる。そこに3分の1位を投入しても焼け石に水。 しかし20Gで世界のGDPの8割を占めるというから、半年に一度、一堂に会して即断することは 世界的経済の大惨事を避けることが可能という面では、非常に有効がある。 * 4月に入って、更に悪化 去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。 そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。 ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を保っている。 しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。。 ・・・・・・・・・ 2557, 印度放浪 ー2 2008年04月04日(金) この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。 40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養なのか。 読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。そして、小さな世界の中で、小さな習慣に甘んじている 自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしいが。 その一部を抜粋してみる。 ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー 二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。 家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、 案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。 情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。 十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。 今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。 実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。 解)初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。 当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなっている。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・・・ 2007年04月04日(水) 2192, 人生とナメクジの線 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、人生もナメクジの這った跡の線と思えば、 何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示して いるようでもある。我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。 ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。 そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など 持つことはない。これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」 と考えると尤もらしい言葉になる。 ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。 *そこを抜粋すると* 「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。 そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。 そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、 貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、 重い鞄を持って塾通いと、裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。 ーー 土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、その跡がついているのだが彼らとて大変である。 雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。 お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。 ・・・・・・・・・ 2006年04月04日(火) 1827, 日本一短い手紙「私へ」 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ー 読書日記 「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。だから万人に共通する言葉であり、 一言一言が響いてくる!あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。 これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。 こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。 この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。 「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある! それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。 ーー まあ、いいじゃないか! それで、いいじゃないか! これしか、なかったじゃないか! それも、これも、 どうでも、いいじゃないか! ほんとうに、これでよかったのか? ほんとうに、あれでよかったというのか? まあ、いいじゃないか! これで! 他に、しかたなかったじゃないか! ー 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。 それが老いるということである。 気持ちは青年のままでいたいものだ! せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。 そのためには常に感動、感激を求めることだ。 お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙ ーー 日本一短い手紙「私へ」 一筆啓上賞 おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳 お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。 荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳 コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル 道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳 ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの? 金島道子 広島県庄原市 17歳 私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳 あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。 竹田飛鳥 東京都江東区 15歳 お願い、黙って、私が努力している綺麗な夢の孵化を、手伝って… 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦 一人で来たブラジルだけど、今は五人。俺が我家のル?ツとはくすぐったくなるな。 堤剛太 ブラジル 52歳 会社員 アホでいるこっちゃ。オサキにやるこっちゃ。エライこといわんこっちゃ。 根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳 無職 過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、別れる時が、辛いから。 野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生 ------- 他にも、多くの印象的な言葉があった! その一つが以下の言葉である。自分に壁を作るのはやめよう。 見えるものも見えなくなるから。自分の可能性は限りないから。ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?タダ、 その気持ちはだいじだが。次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。 ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛ ・・・・・・・・・ 2005年04月04日(月) 1462, 永遠に生きるように学べ 学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。 最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。 母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。 その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。 年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。せっかく地球に生まれてきて、 80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を 可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、 虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」 「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。 それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが趣味になってしまうから、 自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。 その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。 それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と 同義語であるが、響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。 明日死ぬかもしれないのが人生である。だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。 一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。 この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、この今の一瞬の集中の閃きは、 そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。 最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」 「自分のこと!?」 「そう!」 ・・・・・・・ 2004年04月04日(日) 1097, 落し物 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに 入れたところ、いつの間にか無くなっていた。傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだので その時落としたのだろうと、その道を取って返した。ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと 下を向いて道を探したが見当たらない。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・ 2003年04月04日(金) 730, 「ほめ芸王」ー読書日記 ー褒め上手は芸のうち 営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。 十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。 キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」と考える。それが営業の第一歩であり、 まずは切り口となる。今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。 「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を 克明に書けばいかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ! ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する ・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。 ・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。ほめるということは、見上げる事である」 これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。 ・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。 ・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。 ・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。自分のほめ方は自分にしかできない。 ・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。神様の心にならなくては、ほめることができない。 ほめることで神様の心になれるのだ。怒った顔で、ほめる人はいない。 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。 ほめるとは、感動である。 ほめるとは、感謝である。 ほめるとは、感激である。 ほめることで、二人の人が幸せになる。 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。 感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。 私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。まずは顔色からほめるのもよいが。 家内を実験台に少し始めてみるか! 少なくとも貶すのはやめよう! ・・・・・・・ 2002年04月04日(木) 366, 速読法 先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、 フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。初め読んだ時、本当かと 疑ったが、実際やってみて驚いた。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日)
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