堀井On-Line



3612, 無縁社会

2011年02月14日(月)

  「無縁社会 〜新たな“つながり”を求めて」 NHKスペシャル 2月11日
  =内容=
‘社会に居場所がない’―― ‘無縁’となる人たちは高齢者だけでなく、すさまじい勢いで低年齢化し、
日本列島に無縁社会が広がっている・・・。「未婚で高齢の親と同居しています。私も無縁死するかもしれません」
「介護で仕事をやめざるをえなくなりました。日々、自分は無縁だと感じます」。無縁社会の放送を見てNHKに寄せられた
一万件を超える声。 多くは20代から50代の働き盛りの世代からだ。未婚、離婚、失業、職場での人間関係の希薄化。
若い世代を無縁社会に引きずり込むきっかけはあらゆるところに転がっている。 この世代に広がる自殺や心中。
無縁化した若者たちが社会での居場所も、自分の存在意義も見失い「無縁死せざるをえない、無縁死してもかまわない」
と考えるようになっている深刻な現状が浮き彫りになる。 ‘心の居場所’を作りたい――無縁化した人たちが再び、
社会とつながるための様々な試みを通じて、無縁社会を乗り越えるための処方箋は何か、解決の道筋を模索していく。
 〜〜
 この金・土曜日の二日間にわたり、ゴールデンタイムにNHKで放送されたが、考えさせらる内容だった。
知人に孤独死で亡くなった人がいたが、これは誰もが今後起こりえる問題。 ここでは、正社員をやめさせられ、
非正規社員をしながら食い繋いでいる中年に差し掛かった人たちの姿を追っていた。 また自分が社会から
必要とされてないのでは?という挫折感が心底の重しになっている。 「縁」という言葉は日本特有の言葉。
一神教の世界では、絶対神 X を発明し、常に祈ることで神様と共に生きている。 聖書が常に傍らにあり、
休日には教会に行けば、そこには信者仲間がいる。しかし日本には身近な周辺の因縁社会が、その役割を果たしてきた。
しかし最近ではプライベート的には、会社も、近所の人たちとの関わりあいが希薄なってきている。 一度、正社員から
非正規社員になると、社会との関わりが更に希薄になる。その中で縁を作るのも並大抵でない。
一神教徒からすれば、その辺がリアルに見えてくる。 しかし、彼らの切実な叫びから聞こえてくるのは凍り付く孤独感。
ふと孤独死をした知人の魂が、「御前さん分かるか、この気持ち?」と語りかけてきた気がした。が、最期は誰もが独り死ぬしかない。
仏様の像の小指と死にいく者の小指に赤い糸を結んで見送る風習があるが、やはり最後は神様しかないのか。
 そういえば無縁墓を両親に頼まれて、毎年、ひとつお参りしているが・・・ 
 ・・・・・・・・
3247, 時事放談
 2010年02月14日(日)
  アメリカの露骨な日本タタキが始った。小沢、鳩山の次はトヨタのバッシング。国内でも時を待ったように
 プリウスが槍玉に上げられた。アメリカにとって丁度良いネタ。次はドル安、円高圧力の再開である。 日本を揺さぶるなど朝飯前、
 次は年度末にかけて株式あたりの揺さぶり。アメリカの海外に向けての揺さぶりは北朝鮮かイラン。中国も上海万博までは景気を
 維持するだろうが、その後の反動期に狙われる。中国人は「流砂の民」。まとめようとしても 指の間からサラサラと落ちてしまう。 
 大きな権力で枠組をつくっておかないと体制は崩れてしまう。しかし20数年続けてきた「一人っ子政策」のプラス面もある。
 下々は底から這い上がりたい一心に両親が二人がかりで全エネルギーを注ぎ込む。 本人は堪ったものではないが、エネルギーが
 集中されるから教育効果は大になる。日本は、その間にアメリカの骨抜き政策の効果で「ユトリ教育??」が完成。 
 それが社会の中枢になりはじめてきた。秋葉の無差別殺戮は、その象徴的なもの。自分たちが、その犠牲者ということすら自覚できない。
 現在は就職難で企業は新卒を極力採用しなくなっている。 彼等大部分の素材が適応外ということを知っている。
 数年もしないうちに大部分が適応できないで辞めていくからである。  日本はダウンサイズの過程に入った。
 これから10年は日本も世界も混沌とした時代になる。 二年後の予算編成が不可能という日本は、デノミという貨幣制度の変更が
 現実的になってきた。失業は10パーセントを超え、炊き出しが日常の視界に入っているだろうし、危険で街も歩けない事態か生じる。
 それが恐慌の現象である。一度、落ちるところまで落ちないと、この国は自己コントロールが出来ないようだ。 
 現在の国家の変調は、アメリカの日本人の愚民化の占領政策の完成と、百数十年づづいた官僚制の疲弊からきている。
 米英と官僚シンジケートが日本を支配していたのである。 そうこう考えると恐慌3〜5年目の、今年から三年間は
 特に厳しい時代になると覚悟をした方がよい。 開き直って「なるようになる!」で、立ち向かっていくしかない。
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2872, 貧困率 
2009年02月14日(土)
 最近になって、「貧困率」という言葉が話題になることが多い。
 −そこでウィキペディアで調べてみた
  貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別される。
・絶対的貧困率
 当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合の事。
 相対的貧困率よりも実状を反映しやすいという特徴があるが、逆に言えば、「生活していける水準」を
 どのように設定するかによってさまざまな基準があり、設定者の主観が入りやすいという危険を持つ。
・相対的貧困率
 国民の経済格差を表す指標で、「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」の事。
 絶対的貧困率と違い数学的な指標なので主観が入りにくい。しかし絶対的貧困率と異なり国によって
「貧困」のレベルが大きく異ってしまうという特徴を持つ。この為裕福な国Aにすむ人が
 相対的貧困率の意味で「貧困」であっても、貧しい国Bにすむ人々よりもずっと豊かな暮らしをしている、
 という事もありうる。よって相対的貧困率は「貧困率」という名前であるが、貧困を表す指標と
 とらえるよりも国民の経済格差を表す指標ととらえたほうが正しい。
 −−以上だが、貧困率がアメリカは17パーセントに次いで、日本は15パーセントの二位。
 アメリカでは黒人・ヒスパニック系が25〜30パーセントに対して白人は10パーセント。
2000年には日米ともに13・5パーセントだったことから、その数字はジワジワと上がっている。
社会保障の行き届いている北欧はわずか5〜6パーセントからみれば、異常な数字と見てよい。
現在の日本の平均収入が307万円だから、大よそ150万がラインだが、実際には月15万×12ケ月=180万辺り。
総中流時代という言葉が懐かしい時代になってしまった。「ゆとり教育」の世代が社会の中核になってきたが、
ますます貧富の差が大きくなる要素が増えてしまった。 とはいえ社会主義政策の結果の総貧困社会も困る。
社会主義者は現在でも、やり方が間違っていただけと言ってはいるが・・貧困の恐怖が人間のエネルギーの元になってきたが、
それさえ感じられない世代を「ゆとり教育」が作りあげてしまった。結果として、能力カースト制度を子供時代から
作り上げてしまった罪は大きい。国が衰える背景には、マイナスの重なりがある。情報社会は、格差の実態をアカラサマに
露出するから鬱積が溜まり爆発するのである。自由主義の拡大は、結果として豊かになる自由もあるが、貧困になる自由もある。 
「自由、平等、博愛」は人類の永遠のテーマである。 これも動物である限り共同幻想ということ?
・・・・・・・・・
2008年02月14日(木)
2507, 地頭が良い人       b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
 私の知人に何人か、地頭の良い人がいる。本人も自身の地頭の良いことを自認している。これは学歴の高低ではなく、
彼は常に何かを目標を立てて、ポイントを把握して、最重要順に実行する手順に入る習性が身についている。
人生の節目を知っており、その時節には自然と変身を始めている。こういう人は、人の話を良く聞く。そして、その話(情報)を、
己の言葉に置き換え行動の手順に置き換える。小林秀雄の「無私の精神」という文章に行動家の精神パターンを書いていた。
行動家は無私の精神構造になっていて、全てを知った上で、己を抑え目標を達成する。ある意味で、それをゲーム化をして楽しむことの
できる人である。ところで、昨日の日経新聞の新聞広告に「地頭を鍛えるー問題解決に活かす『フェルミ推定』」−という本があった。
気になったので、アマゾンで内容を調べてみた。買うほどの内容ではないが、一応、概略を私なりにまとめてみた。
 ==
地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは限らない
現在において重要な 能力と定義される。まずは、IT化によって手軽な情報を安易に利用してコピーする『コピペ族』が
増加しているが、真に頭を使いこなす者は減少していると前書きで述べている。地頭力の本質は、「結論から」「全体から」
「単純に」考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、
「単純に」考える抽象化思考力だ。地頭が良い人とは この3つの思考力は鍛えることができるものであり、地頭力を鍛える
強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」。
こうした荒唐無稽とも思える問いへの解答を導き出す考え方のプロセスを問うのが、「フェルミ推定」だ。
「フェルミ推定」と呼ばれるのは、「原子力の父」として知られ、ノーベル物理学賞受賞者でもある、
エンリコ・フェルミ(1901~1954)に由来する。本書では、「日本全国に電柱は何本あるか?」といった例題や
その解答例から「フェルミ推定」のプロセスを紹介しつつ、「好奇心」「論理的思考力」「直感力」
という地頭力のベースとそれらのベースの上に重なる仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力の3つの構成要素と
その鍛え方を解説している。」未知のテーマに向かうとき圧倒的に効率よく対処する方法、思考力を 鍛えるための方法、
仕事のアウトプットを増やす方法として大変参考 になる。特に「完璧主義」的傾向のある人はこういう現実的なやり方 もあるのだ
ということをインプットしておくことはきっと自分の能力 をさらに高めるきっかけとなるのではないかと。
地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは
限らない現在において重要な 能力と定義される。「フェルミ推定」とは 把握する事が難しく、ある意味荒唐無稽とも
いえる 数量について何らかの推定ロジックによって短時間で概数を求める方法です。
フェルミ推定はこれら3つの思考力(仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力)に知的好奇心を
含めた要素から 、アプローチ設定、モデル分解、計算実行、現実性検証といった基本プロセスを通じて実行されます。
 ==
この本の要点としてはこんなものだが、地頭は色々な要素が重なって出来上がる。それは、その人自身が長年かけて
作り上げていくしかない。逆に地頭のまったくない人は、羅針盤機能が荒い人が多い。
考えることを知らない人? 自分のことを考えると、まあ、自己嫌悪に陥るから止めとこう。 。´_`)ノ バイ
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2007年02月14日(水)
2143, さおだけ屋はなぜ潰れないのか?
        オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
いつも本屋の平台にあったが、初心者用の会計本と何度か手にとってみたが、それ以上には興味の無い本だった。
ところが図書館でこの本を見つけたので早速借りてきて目をとおした。月に一度は土日に『毎度お騒がせのチリ紙交換です』という
替わりに『さおやー、さおだけー、たけやーさおだけ、二本で1000円のサオです。』とあいも変わらず聞こえてくる声がある。
何をしているのだろうか?と誰もが思うのが当然である。この種明かしは簡単である。金物屋が、副業で暇な時間を
見つけてテリトリーの中を、在庫原価をゼロに落としたサオをアタカも専門店のようにしてマイクで走るのである。
そのサオ屋は情報収集をしているのである。
  (字数の関係でカット2009年02月14日) ホンジャ  ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з  バイバイ!
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2006年02月14日(火)
1778, ライブドア問題の深層         b(’0’)d おっ  w(゚Д゚)w ハァよー
ライブドアの株価が、昨日91円から60円に暴落、絶望的な株価になってしまった。
毎日新聞の数日前の「記者の目 」ー「プロの金融犯罪」の印象ー の、ライブドアに対する記事が鋭い。
・何故いきなり東京地検特捜が、金融庁や証券取引委員会の告発の手順を 踏まずにストレートに踏み込んだのか、
 という経済関係者の疑問と
・資金洗浄をしなければならない理由は?
・そして役員が何故、自殺をしなければならなかったのか? 等々。
 今朝、毎日新聞に載っていた自殺した野口取締役の自宅から発見された構造的犯罪システムとしての
 チャート図からみてもITという名の隠れ蓑の下に「もともと悪質のプロの金融犯罪集団(ライブドア)が金融機関と組んで
 おこなった可能性」である。たまたま、やり過ぎたのではなく、もとともプロの犯罪集団だった?のではという疑問である。 
  (字数の関係でカット2008年02月14日)
  ー毎日新聞 2006年02月10日付  βyё βyё...φ(´д`
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2005年02月14日(月)
1413, スペインについてー2
ー闘牛の話
闘牛について何回か断片的に感想を書いてきたが、もう少し詳しく闘牛について書いてみる。
三回行ったスペイン旅行のうち、二回見ている。マドリッドで初めて見た闘牛には、大きな衝撃を受けた。
帰りは下を向いて黙って帰ってきた。とにかく残酷なのだ。その日、一人の闘牛士が牛に突き殺されてしまった。
牛の角に刺されて空中に放り出され、会場が異常にどよめいた。こういう場合殆ど、闘牛士は亡くなるという。
死ぬと、闘牛の世界では大ニュースになる。現地のガイドが興奮をして、「こういう場面に出くわしたことは、不謹慎だが、
非常に幸運です」と言っていた。二回目に見た、パンプローナの牛追い祭りの最終日の闘牛が面白かった。
牛追いは、その夜の闘牛の牛を早朝街を追い上げる時に、男達がその前を走って勇気を競うことから始った。
またヘミングウエーの小説の舞台にもなって、世界的に知られるようになった。延々と続いたパンプローナの最終日、
興奮は最高潮に達してスペイン中がこの闘牛に注目する。二回目となると、初めと違って冷静に見ることができる。
闘牛は、闘牛士と人間の殺し合いである。生と死のギリギリのドラマが演じられる。興奮した牛の登場から、熱狂的な
闘いの後、死体になって数頭の牛に引きずられながら葬送のラッパと供に消えていくまでの全てを見るからこそ良い。
アンフェアなのは、牛に何回か槍を刺して弱らせてから、闘牛士と闘うことだ。そのままで闘うと闘牛士が殺される
ケースが多いからだ。初めてみた時には、アンフェアと腹が立った。が、二回目から「こんなものだろう」と楽しむことにした。
一晩、2時間以上かけて、前座から横綱クラスまで、三人の闘牛士と六頭の闘牛の闘いがある。闘牛士にもランクがあって、
その実力は見ていても解る。牛にも実力があり、闘牛用の牧場で人間に触れないようにして、野性味を残してある。
 (字数の関係でカット2011年02月14日) 
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2004年02月14日(土)
 1046, ノンアルコールに切り替えて
ノンアルコールビールに切り替えて10日ほど経つ。アルコール度は0.5?ほどで普通のビールの10分の一程度だ。
500mmのビールを、350mmのノンアルコールしたのだから体調はよい。紹興酒一合位を今でも飲んでいるので、
一晩のアルコール量は半分になったことになる。今のノンアルコールは一度ビールを造った後に、アルコールを抜く
製法をとっているためか以前のような不味さはない。面白いもので慣れてくると、こんなものかと気にならないし
普通のビールを飲みたいとも思わなくなった。
(字数の関係でカット2010年02月14日)
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2003年02月14日(金)
681,「まれに見るバカ」ー 読書日記 ー1
「ぶざまな人生」が面白かったので、同じ著者のこの本をインターネットで取り寄せた。とにかくスッキリする!
「わが内なる馬鹿」というところか。わたしも辛辣だが、ここまでひどくはない!読んでいて私など可愛いものだと
思ってしまう本である。こんな本を書いてみたいものだが無理だ。下手な書評などより「まえがき」と「あとがき」を抜粋。
ー表紙裏ー
  (字数の関係でカット2011年02月14日) 
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2002年02月14日(木)
 331,、お見舞いの手紙−堀井正子さんへ
お見舞い申し上げます。どう見舞ったらよいか? 最善と考えてこの本(フランクルの<生きる意味について>)を贈ります。
非常に深い内容のある本です。今度の貴女の病、あなた自身にコペルニクス的大転換(人生に何を要求するかより、
人生そのものが貴方になにを求めるか?)の問いの大転換のチャンスです。この本を読んでいるうちに、何かが見えてくるのでは
ないでしょううか。<過去の総てを肯定し、容認すべし> 父が死を目前にした時「もう一度、同じ人生を・・」と言っていました。
これは非常に深い言葉だったと思います。それも知識より触発された言葉でなく「苦しみの底より掴んだ言葉」だからこそ
父のこの言葉を素晴らしいと思います。貴女の場合「池津屋とともに生き、そしてそこを去り倒産、そして音楽の先生という人生」
はそのまま安穏とした人生より、はるかによかったという見方です。自分の人生の総てを肯定する見方です。
この数年父の心境が判りかけています。「社会的自分を一度すてて、真なる自分」を今一度じっくり見つめ直す時期です。
「過去の総てを肯定する視点をもつべし」これは私が言った言葉でなくフランクルがいっている言葉です。
神が一日だけ、この世の中にある人を呼び戻したそうです。総てが光輝いて見えたそうです。
娑婆の人間に「何故それが見えないのか?」「どうでもよいこと、娑婆の表象」に流されているからだと思います。
そのゴミの中で生きているからです。それを餌の種にしているからです。これを機会に真実に生きてください!
    ご自愛のほど!             ー魂の言葉ー    2000年11月30日 ー 八郎
・・・・・・・・・
2月14日 金曜日  1969年
10時起床。 17時に、池袋の松山寿司で行われるゼミの「我々の追い出しコンパ」に出席をする。
和やかな時間を過ごすが、石川と雲行きが怪しくなった。同期の田島も出席をしていた。
卒論を出せなかったのでやめたといっていたが寂しそうな顔をしていた。武澤先生と話をしながら泣いていたようだ。
私も気が緩んだのか、好き放題のことを先生に言ってしまった。そんなことを言えた柄でもないのに。
先生の最後の贈る歌が感動的であった。三年生からの贈り物で電気スタンドをもらう。
武澤ゼミに入って本当によかった。 自己疎外に陥り、反発も感じ、苦しんだ。
しかし、それもゼミに対する私自身の能力不足が原因である。これだけの思い出を、このゼミに入ったおかげで
得ることができたのは青春の財産になる。本当によかった!その後、2次会で私が幹事をする。
そこで先生の前に座り込んでクダをまく。先生に見得を切ったのだ。 バカもいいところだ。
最後の最後、石川と殴り合いをしてしまった。どういうことか、過去に一度も乱れたことのない自分が今日は本当におかしい!


3611, 大相撲八百長事件 ー3

2011年02月13日(日)

 二人が勝ち負けを決する個人競技である限り、そして個人の意思が携帯電話やパソコンで簡単に行き来できる現在、
「八百長をするな!」という方に無理ある。 お互いに四つに組んだ時に互いの耳と口が至近距離になる。
そこで、20、30万と仲間同士の符丁を決めておけば、阻止など出来るわけがない。「自動車事故死が数千人もあるので、
自動車を廃止してしまえ」と主張するようなもの。まずは交通違反を止めろと言っても、これも無理の話。
八百長に関して、今回のように発覚したら厳罰を科せばよい。「八百長が絶えないから大相撲を公益団体を外してしまえ」
という論理に無理がある。この怪しげな興行世界が日本伝統のマイナーの側面である。これを解説者では一部の人しか主張してない。
だから、今回も、4人は追放、疑問のある10数名を三場所の出場停止をして幕引きをするだけでよい。
 日曜日の夕刻のお笑い番組の「大切り」は、作家がいて、そのストーリーにそって、落語家が珍妙なやりとりをする。
一時、週刊誌が、このことを槍玉に上げたが、メンバー全員それを否定したコメントをしていた。それは当然である。
160キロ平均もある鍛えぬかれた大男が、全力で15日間も続けてぶつかりあったら、どうなるか分かりきったこと。
幕内・数十人の閉鎖社会の中で勝ち星の貸し借りがあるのは当然で、それを含めて楽しむのが大相撲の面白味である。
だから、私は初日と千秋楽は幕下から見る。初日は貸し借りのない真剣勝負が見られ、千秋楽は出てくる互いの力士の
勝ち星を見て、暗黙のうちにドチラが勝つかを予測しながら見るのである。見る方も分っていて見ている。
私が知る限り、ほぼ100パーセント、貸し借りをしている。日本文化は談合世界の中で育ってきたのである。
 麻薬などで追放になった元外国人力士などから、多くの実話が出てくるのだろうが、交通事故に気をつけた方がよい。
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3246, 新・欝の時代  −2
 2010年02月13日(土)
  * 「うつ」9つの症状
 うつ病について何度か書いてきた。私は、うつ病は、普通の風邪や胃腸病などと同じで、精神も発熱したり、
傷口が化膿するのは自然であり、手当てをすれば治ると思ってきた。 知人に、重い躁鬱の人がいたが、
医者より私の見立てに信頼を置かれ、20年近く相談にのってきた。 数年前に癌で亡くなったが、
それは見ていても気の毒であった。「精神の束の大元が制御不能になってしまう」というのが、私の捉え方。
その時は病院に入るか静養をとって回復を待つしかない。 うつ病はれっきとした病気。
 うつ病は「気分がひどく落ち込んだり何事にも興味を持てなくなったり、おっくうだったり、なんとなくだるかったりして
強い苦痛を感じ、日常の生活に支障が現れるまでになった状態」。
この状態は、日常的な軽度の落ち込みから、重いものまであり、原因については諸々ある。
「 悲しくて苦しくて涙がこぼれ落ちそうになり、胸が強く締めつけられるような状態が何日も、時には何ヶ月も続くという。 
うつ病は、内因性うつ病と、心因性うつ病とに分けて考えられていた。しかし、内因性うつ病でも発症の
きっかけとなる心因があることが多いことから、症状の形で分類されるようになった。
 *うつ病の基本的な症状は以下のようなもの(○は大丈夫、 ×はその傾向あり、 △は少し)
1.強いうつ気分    ○          2.興味や喜びの喪失    ○
3.食欲の障害     ○          4.睡眠の障害       ○
5。精神運動の障害(制止または焦燥)○    6.疲れやすさ、気力の減退 ○
7.強い罪責感     ○          8.思考力や集中力の低下  ○ 
9、死への思い     ○ 
  このうち、5つ以上が、二週間以上続いた場合に「うつ」と診断される。
 私は最近、少し欝っぽいと思っていたが、全部○、全くの思い込みだった。
(1、の強いうつ気分)が、(少しうつ気分ぎみ)だけのこと。 何かガックリ?ときた。
4つが△なら、軽いウツとってもよいが。 高島忠雄や、小川宏の「うつ」の症状を聞くと凄惨である。
 恐慌の時代、ある日突然に株と国債の暴落、それからくる経済麻痺が何時起きても不思議でない。
 大部分の人にとって、生活環境が激変する可能性がある。
 数年前の調査では、国内のうつ患者は250万〜300万人とされ、今では500万人の可能性も。
  高齢者の大部分は、老人性鬱症という。 生老病死の問題が身近になれば仕方がないが・・人生の秋か!
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 2871、 構造改革路線の罪
 2009年02月13日(金)
最近買った「文藝春秋・三月号」や、昨日の読売新聞に、構造改革推進派だった
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が、新自由主義からの「転向」宣言を寄稿している。
*まずは三菱UFJリサーチ&コンサルティングのブログに、彼のコラムが載っていたので、
   要所をコピーしてみる。
「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく「改革」は無責任だし、
危ないのではないかということを強調したいのである。実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に
多大の損害を与えたし、平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。
そのほかにも医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、人の心も荒んできたように見える。
これを放っておいてよいのかという問題意識である。 新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、
あとは小さな政府の下「市場にお任せ」すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を
生んでしまった。したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく
「改革」ではなく日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きをかけることができるような、
日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。そのための方向性はもっと勉強しなければならないが、
とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。 
このことが重要なのは、「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。
日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。
 もう一つは、明治以来の中央集権体制を解体し「廃藩置県」に匹敵する位の大きな制度改革を断行することである。
中央官庁に集結した優秀な官僚が今度は疲弊した地方を再生させるために地元に戻り、彼らに自分の故郷が文化の
香り豊かな元気いっぱいの地域にする術を死にもの狂いで考えてもらう。 これくらいの大改革が必要だと思う。
 ー以上だが、
彼は懺悔の書として「資本主義はなぜ自壊したのか」を出版したが、その巨大な「牙」が負わすであろう「傷」に
対する認識を持たないで、グローバル資本主義を更に押しすすめることが愚かであり、危険と指摘。
(字数の関係でカット2011年02月13日)
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2008年02月13日(水)
2506, 新・知的生産術 −1     ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆
 効率が10倍アップする
新・知的生産術 ―自分をグーグル化する方法 ー
                  勝間 和代 (著) ダイヤモンド社
本屋で何度か立ち読みをしたが、「自分をグーグル化する方法」という言葉が気になって思い切って買った。
買うほどの内容かどうかは人によるが、参考になる部分は多くあった。経済評論家・公認会計士として
活躍している著者自身が実践する効率的情報収集術だから、人脈形成術、読書術など説得力はある。
・IT機器を自身の脳の補助に使い効率を上げ、
・フレームワーク化・簡略化・階層化を駆使して絞込み、
・原理原則を組み立てて、
・GIVEの5乗で情報を共有し人脈作りに役立てるのは、情報化社会の流れを、そのまま実践した中で得た習慣であろう。
私自身、このHPを開いて、確実に10倍は知識のインプットと、アウトプットは増えた。だからどうなったということはない! 
ただ面白く、やりがいがあり、充実感があるから、現在もつづけている。その結果、この卑小な人間性を曝け出してしまった反面、
公開することで(私のレベルの)質を落とさないように維持をすることができた。その結果、「考えざるを得ない日々」
を作り上げたつもりが??・・で、この程度。私が著者から学んだことは、ともかく月に15万円の本を買い続けて、
1ヶ月に100冊の本を読み?、そして、それから得たことをギブの5乗の気持ちで与える姿勢である。
良質な情報源(実体験、他者体験、良書)から効率よくインプットし、各種手法(ピラミッド・ストラクチャー、MECE、
ブログ)にてアウトプットする。それを繰り返すことにより、自分の読み書き能力、情報処理能力が高める手法である。
「1%の本質の見極め」そこから「具体的な目標設定と目標達成のための 無駄の徹底的排除」の見逃せない習慣である。
勝間流1%の本質を見極める6つの技術
  ・フレームワーク力をつける ・ディープスマート力で経験値を重ねる
  ・失敗力をつける      ・ベストプラクティスの共有で学びを分けてもらう
  ・自分の価値を出せないところはバッサリ捨てる ・本代をケチらず良書を読む
 『ノートパソコンがある・なしでは、カーレースを車で走るのか、徒歩で参戦するかの違いがある』は、
  全くそのとおりである。奈良時代に、ジェットヘリの喩えと、同じである。     ーつづく
・・・・・・・・・
2007年02月13日(火)
 2142, 世界で一番短い物語ーそれは名前      オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!
「世界で一番短い物語ーそれは名前」、ある本を読んでいたら飛び込んできた言葉である。ん〜んそうっか〜と、唸ってしまった。
その人にもよるが苗字は何十代も渡って受け継がれ、名前は両親が愛する子供のために名づけた愛の結晶。その二つが相まって、
その人のブランドになっている。ただし、そのことに気づかないのは当の本人!そのブランドを一生をかけてつくり上げていくのが
人生である。その二つの重りで充分に物語である。何度も苗字が変わる人もいるが! 多くの物語があるのだから、それはそれで、
その人の人生である。 ジョン・F・ケネディー。この言葉だけで物語である。ジョンという名前が、そこでもう物語を含んでいる。
ケネディー家の父親がつけたジョン・F君という名付けに思いがあり、本人のジョンが一生かけて、自分の人生をつくりあげたのが
「ジョン・F・ケネディー」である。それは人の名前だけでなく、ファッションのブランドも、レストランの名前も、その名前の中に
ある意味が物語をつくり上げていることになる。 子供の頃、自分の名前が嫌であった。しかし、歳を重ねるごとに自分の名前が
好きになってきた。自分の人生を気に入ってきたのと比例して好きになってきている。父親の名前が、堀井誠作である。
その名前が父の名前だけでなく私の物語の原点になる名前である。誠を人生をかけて作り上げた自分の原点である。私は人の名前を
直ぐに忘れる癖がある。フルネームを憶えるのは人間関係の基本である!はず。名前負けしている人もいるが、本人にとって重要な言霊。
人生で何十万回、いやもっと多く呼ばれる言葉である。それは自分の魂そのものと言ってもよい。子供の頃「ハッちゃん」と、
多くの人に笑顔で頭を撫でられたのが、人生の原点にあるようだ。それと同じぐらい殴られもしたが、武器は泣くことだった。
母が亡くなって、財産分与の話をしているときに姉に言われた「あの可愛いハッチャン、何処に行ってしまったの」と!
弟の分際なので心の中で、「あの優しい姉さんは何処に行ったの」人は変わるのです、しかし魂は変わらない心の芯の部分。
変わってはいないのだ。変わったのは魂の外側の部分。今日を機会に名前をしっかり憶えようか!(゚∇^*)ホンジャ、バイ! ♪〜
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2006年02月13日(月)
1777, わたしの「夢ノート」 −2
  著者:中山庸子 出版社:三笠書房   (。・・)ノぉはょぅ♪
 (字数の関係でカット2009年02月13日)
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2005年02月13日(日)
 1412, 失敗学の法則ー読書日記
失敗学とは、事故や不祥事の原因を探る学問で、狙いは「再発防止」にある。
それだけでなく、それが逆に新しい発見を生むこともある。畑村氏が、この「決定版 失敗学の法則」の中で
「『うまくいく方法』だけを学んだ学生たちは、既存の技術のまねや、過去に起きた問題への対応は上手にできても、
設計の分野でもっとも大切な『新たなものを創造する』という能力がなかなか身につかなかた。
(字数の関係でカット2009年02月13日)
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2004年02月13日(金)
 1045、マ〜コー堀井正子に捧げる−2
ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。亡くなってまだ二年だが、もうズット昔のような気がする。
20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、勤めている時は京都、金沢と訪ねてきた。
観光がてらに遊びに来たのだ。12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。
本人も、最後かもしれないという気持があったのだろうか。13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。
その時の写真を、当時このホームページのサロンに載せた。大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、
手術のことや、現在の病気の状態を話していった。「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが印象的。
特に芸大に行けなかったことが無念であったと。「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、あと4年は生きるつもり」
と言っていた。 まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。
「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、知り合いの医者が悪性の癌と診断書に書いてくれた」
と言っていた。その時ピンときたのは「実際にスキルス性ではないだろうか」という素朴な疑問であった。
数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、理由をつけて、会えるうちに多く会って
おいた方がよい」と電話をした。そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。享年68歳であった。
長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。半分は息子のような気持ちがあったのだろう。
昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」タイプの女性が好きだったが、今から考えるとシスター・コンプだったのだろう。
家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。4人も姉がいれば仕方がない。
大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接見ることができる。
先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、それぞれ見ていて良く解る。 
姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。
組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。悪い例もあるが、具体的に書くと差支えがあるからを止めておく。
派手なカリスマを持った大姉御というのが正子さんの一生を貫いていた。自分のステージを持った、本当に面白い人であった!
・・・・・・・
2003年02月13日(木)
 680、自殺志願
昨日の朝のニュースで自殺志願を報じていた。インターネットで知り合った若い男女3人が自殺をしているのが発見されたという。
インターネットの検索で自殺志願のキーワードを入れてみたら、あるホームページに、すばらしい文章が載っていた。 
以下をコピーしておこう。
 ・・・
 私は死に場所を探していた。脱サラして始めたラーメン屋も、思うように上手くいかずに借金だけが残り、
40を過ぎてやっと手に入れたマイホームも、結局、手放す羽目になってしまった。働き口も、そう簡単には見つからない。
妻も私に愛想尽かして家を出て行き、弁護士まで立てて離婚を迫ってくる。子供達も皆、妻の味方だ。今の私にあるのは借金だけで、
他にはもう何もなかった。夢も希望も、明日を生きる気力さえ残っていなかった。「ここにしよう。」私は、自殺の名所で知られる、
断崖に立っていた。ここから飛び降りれば、簡単に死ぬことが出来る。一歩、足を踏み出せば、もう苦しむ必要はない。
日が沈むのを待って実行する事にしよう。沈む夕日は、私の心を穏やかにした。そして、この夕日が消えた時、私も人生を終えるのだ。
最高の演出じゃないか。「おい!」 私はビクッとして振り返ると、一人の老人が立っていた。顔を見て、更に驚いた。
「親父!」夕日のせいで、ハッキリとは見えないが、間違いなく親父だった。10年も前に死んだはずの親父が、何故こんなところに
いるのだ?「そう見えるか。」親父はそう言いながら、私に鞄を差し出した。「5000万円入っている。使え。」
私は訳が分からなかった。 夢でも見ているのだろうか?「これは貸すんだぞ。20年後に、ここに返しに来いよ。
まったく金のせいで命を捨てるなんて、バカらしいと思わんか。」 夕日が沈み、辺りが暗くなると、親父の姿はもう消えていた。
だが、札束のギッシリと詰まった鞄だけは確かに残っていた。それから私は、その金で借金を返済し、一生懸命に働いた。
親父との約束を果たす為に。妻とも一度は離婚したものの、数年後に復縁した。子供達も結婚して幸せな生活を送っている。
そして、瞬く間に20年の月日は流れた。私も70を過ぎ、物忘れが多くなったものの、親父との約束の日が今日だという事は、
ハッキリと覚えていた。私は必死で働いて貯めた金を鞄に詰め込むと、あの時の断崖へと向かった。約束を果たす時が来たのだ。
丁度、あの時と同じような夕日。本当ならもう死んでいたはずの自分が、こうやって、またここにやって来た。
何やら不思議な気分だ。そして、親父はまた現れるのだろうか。夕日が海に沈み始め、辺り一面がオレンジ色に染まる。
その中で座り込んで沈む夕日を見つめている男の姿が見えた。すぐに分かった。親父ではなく20年前の私がそこに座っていた。
 ー感想を書いてみるとー
父親が現れて与えた5千万円は希望・意志ではなかろうか。「20年後に約束どおりそこに行くと、若いときの自分がいた。
(字数の関係でカット2011年02月13日)
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2002年02月13日(水)
 330,真実の時
闘牛に「真実の時」という瞬間がある。闘牛士が最後の止めを刺す瞬間、牛もそれを悟り最後の力を振り絞って突進しようとする
その「一瞬の間」ーこれを「真実の時」という。葬式の火葬場で最後に釜に最愛の人を入れる瞬間もそうだ。
最も親しい人との別れの瞬間もそれだ。何回見ただろうか。いや両親の経験をしている、叔母も。昨日もその場面を経験した。 
感動の絶頂の時もそうだ。バンジージャンプの落下している瞬間もそれだ。純粋に泣いているとき、笑っているとき、
怒っているとき、そして悲しんでいるとき、そして楽しんでいるとき、感動しているとき、をいう。
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2月13日 1969年
11時に学校にいく。兼古と昨日の件で先生と話した内容を話す。彼とは1〜2年の時親しかったが、
このところは何か気持が通じなかったが、何か以前の感覚になっていた。兼古とも、これが最後の話になるだろう。
一度だけの人生で、本当によい学生時代をおくれたことだ。


3610, 大相撲八百長事件 ー2

2011年02月12日(土)

   八百長事件は昔から深い闇に包まれてきた。 ウキィペディアに、その一端が書かれている。
 あの名解説の北の富士に以下の恐ろしい?過去があった。初場所では八百長に関しては歯切れの悪いコメントをしていた。
≪橋本 成一郎(1940年 - 1996年4月14日)は、元大相撲力士で、元横綱・北の富士の現役時代の名古屋後援会副会長、
元関脇・高鐵山の大鳴戸親方が経営した大鳴戸部屋の後援会会長。 元力士で力士時代は幕下まで昇進したことがある。
廃業後はバーやキャバレーを経営し、昭和40年代には北の富士の名古屋後援会の副会長を務めた。元大鳴戸親方の著書によれば、
第52代横綱・北の富士の横綱昇進・優勝では八百長資金面などをバックアップ。 黒幕として暗躍したとされ、
多大な尽力があったとされている。北の富士と決裂してからは、独立した元高鐵山の大鳴戸部屋の後援会会長として大鳴戸部屋の
最大のタニマチとして存在した。 週刊ポスト誌上では、元大鳴戸親方とともに角界の八百長体質などの裏事情を暴露。
しかし、1996年に元大鳴戸親方と同じ日・同じ病院・同じ病気(肺炎)で死亡(同時刻とされることも多いがこれは誤りであり、
元大鳴戸は午前4時45分、橋本は午後7時48分に死亡している。≫
 この事件は報道規制のためか? あまりマスコミは騒ぐことはなかった。しかし誰もが、この事件は不可解であり、
何?がらみと思っても、声を高くいえない不気味さが付きまとっていた。先日、地元紙の新潟日報で取上げていた。そこで、
優勝のかかった勝負は230万円で、橋本は、これまでいくら使ったか数知れずという。何で橋本が告発に踏み切った理由は
感情のもつれである。北の富士は潔く早々、弟子の千代の富士に親方の座を譲った背景に、こういう事件があったのである。
 興行世界の一端が垣間見れる。
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3245, アメリカ一極は終了したのか?
 2010年02月12日(金)
 欧州のユーロが、ここにきてジワリと下げてきて、1ユーロ120円割れ直前で数年前の三分の二である。
PIIGS(ポルトガル、イングランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。
その上に、中東欧のルーマニア、ハンガリーなどの危機もある。ドバイのバブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。
日本も異常な財政赤字で、国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態である。
 今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。 ところが発火点のアメリカは大きな変動がみられないのもおかしな話。 
彼等は不良債権を発行し世界中から過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を発行しただけ。 
発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。
 リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、
≪経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。
 特に海軍の戦力の影響が大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は世界で圧倒的に強い。
 中国はもちろん、ロシアも、欧州も、どこも、その力は無い。 その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心で
 ありつつける」≫ というのだ。 大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様である。
世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、
おこがましいというのが、アメリカの本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が成り立ってきた。
ところが、この世界恐慌でアメリカ一極体制が本当に終わってしまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、
その主導権を持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。 
アメリカ一極支配は、まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んでいくか?その辺が面白いところ。
 この数年が見ものなど、いっていられないか。  
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2870, 北半球のミツバチの四分の一が失踪
 2009年02月12日(木)
この日曜日の毎日新聞「今週の本棚」の書評
「ハチはなぜ大量死したのか」ローワン・ジェイコブセン著-に驚いてしまった。
(内容はYahooにコピー)これによると、
2007年の春までに北半球のミツバチの実に四分の一が失踪したという。
 結論からいうと
 ーこの「蜂群(ほうぐん)崩壊症候群」の原因は単一でないが最大の背景は工業化された農業。
不自然な管理がハチたちに強いストレスを与え、免疫抵抗性を弱め、ダニやウィルスに対する防御を弱めたのである。
そこに農薬の複合汚染が重なり、精密な社会生活を営む巣全体の活動をいわばアルツハイマー状態に陥れた。
病み疲れた働き蜂たちは、採餌の出先で倒れ、巣には戻れず、ただ死んでいった?・・・ ー
それは「もう一つの人間社会を見る思い」と著者は人間の姿に重ね合わせている。管理され、同一の花畑だけを移動されて、
蜜を取らされて、毒(農薬)まで摂取していれば、当然の結果。自宅で十年ほど前から、ハエと蚊を見ることが少なくなった。
夏になると町内単位で各家の庭に毎年薬の散布をしているのが影響しているのだろう。それと近くの河の中に堆積した土砂を
徹底的の運び出したこともある。散歩していて虫の数が激減してしまったのである。ハチの姿は都会で働いている人を
冷静に見れば、酷似している。管理され、会社と自宅という箱の間をラッシュの電車で移動する毎日。
それが都会人のカッコよさと共同幻想をもって生きて、定年で初めて働きバチだった己に気づく。
一年間、気温良好なオーストラリアで蜂蜜業を初めたが、大失敗をした内容を書いたことがあった。
四季の変化のストレスが無いことと、冬のために蜜を蓄える必要がないため蜜を採らなくなったのである。
都会でノイローゼ、自殺が問題になっているが、自然に触れる機会が少ないのも原因だろう。
この大恐慌も、あまりに不自然な現状を考えるチャンスを「大自然」が与えたのである。
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2008年02月12日(火)
 2505,  将来の不安−5        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
現代をマイナスの視点で照射すると、「不安の時代」といえるだろう。修羅場を幾つも乗り越えてきたものにとって、
「何が不安?」と笑ってしまうだろう。イスラエル人が日本にやってきて、「この国が不安の時代」と聞いたらフキ出すだろう。
十年ほど前、イスラエルに旅行中に「アメリカの高校で乱射事件」があった。その時の現地に住む年配の日本人ガイドが、
「イスラエルでは間違っても、ああいう事件は起きません!常に敵に囲まれていて内輪もめなどの余裕などない。
兵役中の家族の一員が家に小銃を持ってきたり、町やバスの中には機関銃を持った兵士が乗っている。
アラブ人との殺戮が日常化しているイスラエルにとっては、あのような事件は呆れる以前である」と語っていた。
社会の不安感が、蔓延しているのは逆に言えば平和ボケの結果。アメリカの心理学者のシーベリーは「不安は、否定的な
結果にすべての注意を向けること。 不安を持つと、思考や感情の流れを建設的にコントロールすることができなくなる」
「不安は、あらゆる不幸を背負った自分が本当の自分であると、間違って否定的に考えることである」という。
あらゆる不幸を背負うなど思ってしまう。不安に取り付かれるのは、無知そのものを起因している。そのためには知ることである。
だいたい、不安とは世間様に対しての意識が起こしている不安定な気持ちでしかない。その世間とは何か?と考えると、
身辺の7〜8人だろう。それも程度の低い。その辺から見据えないと、自分の生きかたが歪んでしまう。夢を常に持ち、
一人で遊ぶ術を身につけていれば、不安感は最小になる。それもこれも、やはり読書の積み重ねのベースを必要とする。
自分を心の底から信じられなければ、そして自分の夢を持ち続けなければ「最後は死ぬ?」という人生の一大事を知ってしまった
人間の不安を麻痺させることは出来ない。逆に、根源的な問題から目を逸らすためには、群れて笑っているしかないのか?
それで解消できるなら、それはそれで良い生き方である。笑えるうちに笑っておけばいい!感動できるうちに感動しておけばいい!
直ぐに泣くときが来るのだから。その時はそれを受け入れるしかない。あとは野となれ花となれ!しかないだろう。
不安など恐れることもない!宇宙の微細の微細が何をしても、考えても同じ。ヾ(´∀`o)+。 ホナ!それじゃ、
一人不安にさい悩まされている。         ‘一人プアー チャン’  バイバイ
  (1〜4は、2005年6月3日、7月1,3,6、7日記)
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 2007年02月12日 
 2141, 中年の心象風景 −2    (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 サム
藤沢周一の『海鳴り』を4~5年前に読んだとき、中年から晩年にかけてのある初老の男の心情が切々と語られている世界に
ドップリと引き込まれてしまった。そこには、この時期に忍び寄る老いと死の影が最後の輝きの背後に描き出されていた。
そこで感じ取ったのはピカピカではなく、人生の落雷のズッシとした閃光の光である。  
 ーまずは、その中の一節を幾つか書き出してみる。
{40の坂を越えたころから、新兵衛の胸にある不思議な感覚が生まれた。ある時期を境にして、自分が老いの方に身を
置いてしまったような感覚である。これまでも考えもしなった、老いとその先にある死が、いやに明瞭にみえた。
その見えて来た老いと死に、いくらかうろたえていた。まだ、し残してことがある、と思った。その漠然とした焦りと、
ひとの一生を見てしまった空しさに取り付かれ、酒と女をもとめてしきりに夜の町に駕籠を走らせた。新兵衛は47歳である。} 
さらに次の一節 {汚いことけがらわしいことは避けては、生きていけない世界に、大人は住んでいる。
商い、女、世間との付き合い・・。そういうものの間を大人は時に人を出し抜いたり、だましたり、本心を偽ったりして
辛うじて泳ぎぬくんだ。そこには大人の喜びがないとは言わないが、その喜びは時には罪の意識にいろどられ、
大方は正視に耐えない姿で現れてくるのである。そういう不純の部分を抱え込むことで、大人の世界は成り立っているのである。}
 {一家を背負うというものは、家の中に多少の不満があってもじっとこらえ、
こわれればとりあえず繕って、何度でもそうして辛抱強く家を保ちつづけるものなのだろう。}
 ーー    
中年期から晩年期かけては、色いろな決別、絶望、諦め、挫折、喪失が怒涛の如く襲ってくる、その中で肉体としての衰えが
一日一日と実感し、気持ちも大きく揺れ動く時期である。ハッピーリタイヤなど、奇麗事であり、どちらかというと石もて
追われる運命は誰もが遭遇しなければならない運命である。その時、自分の人生の大きな問題に直面せざるを得なくなる。
そして60歳の頃、大きな初老性の鬱病を向かえるのである。結局は人はそれまで自分が生きてきたようにしか生きていけないもの。
それが家系として子孫に受け継がれるから、好い加減な行動はできない。そのジレンマの中で多くの問題を引きずりながら生きて
いるのが中年期といえる。しかし人生で一番よい時期が中年期である。仕事は面白いし頭も冴えており、心も充実している時期。
世界は大きくドンドン開けていき、それまで蓄積してきたエネルギーが外に向かい開放される時期で、何もかもが面白いのである。
季節としては秋、人生の収穫期で、秋祭りの時期である。老い?、そんなもの!という気持ちで楽しむ時期でもある。
藤沢周一の中年の心象風景も、私の主観が入るとめちゃめちゃになるが、やはり奥さんとの絶妙な関係が
背景にあるのだろう。しかし、少し暗いが主人公の豊かな立場の設定が中年男の欝気分を上手く描き出している。   
 ー出版社のこの本の解説がよい!ー
はじめて白髪を見つけたのは、いくつのときだったろう。骨身をけずり、果てにむかえた四十の坂。
残された日々は、ただ老い朽ちてゆくばかりなのか。…家は闇のように冷えている。心通じぬ妻と、放蕩息子の跡取りと。
紙商・小野屋新兵衛は、やがて、薄幸の人妻丸子屋のおかみおこうに、果せぬ想いをよせてゆく。世話物の名品。
 いずれにしても、人生は甘塩っぱいものである。一度だけの人生じゃけん、
味わなくっちゃ骨まで!ただし家庭が基本である。 特に連れ添いとの関係は!    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
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2006年02月12日(日)
 1776, わたしの「夢ノート」 −1    (o゚▽゚)o オハョ〜   読書日記
週に一度はいく書店の文庫本のコーナーで、前より気になっていた本であったが「今さら夢でもないだろう!」
と思い、買わなかった。しかし最近年齢のためか、過去回顧に重点が行き過ぎているので「あと10〜20年間の夢づくり
ー予定づくりのためにも」と思い買ってみた。(値段が350円ということもあったが)買ったと同時に利用価値が
多様にあることと、この本の奥行きの深い価値に気づいた。夢を書くことは前向きの言語の構成をすることである。
(字数制限のためカット 2010年2月12日)
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2005年02月12日(土)
 1411, LOVE&FREEー世界の路上に落ちていた言葉−2
「求めよ、さらば与えられん!」が、人生である。この著者の生き方の中に、それがはっきりと見て取れる。
「何故、人は求めないのか?」、それは一般常識とやらに囚われているからだ。この題名のFREEは、一般常識からの自由と、
自らに由るという意味である。この本の中に以下の文章がある。オマエハ ナニガ ホシインダ? それに答えられない人は、
旅は続けられないぜ。これはズバリ、それを言っている。何が欲しいのか、何を求めてよいのか解らない人は旅を続けられない。
そのナニガ ホシインダという根本的問いかけを曖昧にしているのだ。
 次の言葉もよい、
〜あるハワイアンの言葉より〜
「自分の魂が本当に満たされるというっていうのは、どういうことなのでしょうか?」
「それはね、自分が本当に何をしたいのか、何をするためにこの世に生を受けたのかを知ることです。
いくらお金を持っていても、いい仕事を持っていても、自分の魂を満足させられないと、病気になったり、
悪いことを引き起こしたりしてしまいます。いろいろな辛い体験を踏み、苦しい体験を経てこそ、その中から自分にとっての
本当の幸せを学びとることなのです。」「だから、本当に必要なものを見つけるまで、魂は旅を続けます。
ただじっと待っていても幸せになれません。また不必要なものを捨て去ることができなくては、新しく得ることができません。
  (字数制限のためカット 2011年2月12日)
 −−
ーこの著者の本から受けた感想は、はっきりと自分の欲しいものを見つめ、覚悟を持って始めれば、何ごとの中にも
一番重要なことが見えてきて、それを選んでいけば、シンプルになっていく。それが、自分の生き方のできる人だ。
・・・・・・・
2004年02月12日(木)
 1044, 職業性格形成論−2
「職業性格論は一理あるかもしれないが矛盾も多い」と考えられる。確かに大雑把な論である。警官を例にとっても、
彼等にも色いろな性格もある。それはどの職業の人にもいえることだ。といって職業の性格形成に対する影響は大きい。
「職業の特性」と「本人の特性」とが、掛け合わさレて「職業性格」ができあがると考えると納得ができる。
その意味で、会社を選ぶのではなくまずは職業を選ぶべきである。その掛あわせがポイントになる。それが悪いと、
自分の特性が引き出されない。人間の性格は、両親や地域や兄弟の順位などが複雑に絡み合って形成されている。
したがって一概に一括りにはできないが、両親・兄弟姉妹・連れ添いと、選んだ職業は大きな要素になる。
(字数制限のためカット 2011年2月12日)
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2003年02月12日(水)
 679, イヤなやつー2
ー良い人と偽善ー
先日書いた河盛好蔵の文章をから「イヤなやつ」の要素は以下である
・他人の幸福より不幸を喜ぶ感情の悪さがある。
・自分ではできるだけ怠けて、人をはたらかせ、その功を自分だけで独り占めをしたいというズルさと、欲の深さがある。
・権力者にはなるべく逆らわないで、 進んでその権力に媚びようとする卑しさがある。
・自分に寛大で、他人には厳しくって、エゴイストの部分が非常に多い。
・ケチで、感情高くって、他人の不幸にそ知らぬ顔をする。反対に「良い人とは如何いう人か」を考えると
・他人の不幸を悲しみ、幸福を共に喜び
・自分に厳しく、他の人より多く働き、その功を他の人に与え
・感情は常に冷静である
十数年前に経営セミナーで聞いた、香港の財閥と結婚後死別してオーナーになった日本人の女経営者の心訓を思い出した。
「人には優しく自分に厳しく、いつもニコニコと、人に良かれと思って生活する事」であったが、
相通じるところが自省する言葉である。それを意識して生活をすれば、初めは偽善?だとしても、真善の人間に
近づけるのではないだろうか。その意味で「偽善を次善としてなせ」も一理ある。目先に都合のよい人が「良い人」も
確かに間違いがない。所詮「よい人、悪い人」というのは、このレベルのでしかない。でも「良い人」の方が、お互いに良い。
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2002年02月12日(火)
329、夢日記ー13 
 自己喪失感
こういう経験ー夢をみたことがありますか。「全く無能で白痴の何の取っ掛りのない自分」に呆然としている夢。
夢から覚めても、しばし呆然としている。 自己喪失感というか、虚空の自分を実感した感覚である。
それこそ「自己中心絶対無」でなく、・自己中心絶対無能、 ・自己中心絶対虚空  ・自己中心絶対自信喪失
何か聞こえてきそうだ! 「実をいうと、自分はその塊だ!」あの恐ろしさ! 独り社会から引き離され、
虚空をさ迷っている魂。 ある人に話したら「 自己喪失感というやつでないか」といった。
永年連れ添った人を失った人が経験するのが、あの夢の感覚かもしれない。
・・・・・・・・
 2月12日 1969年
武澤先生に会ってもらって話を聞いてもらう。もしかしてと思い、自主留年の可能性も言ってみた。
しかし、あくまでも学生時代の郷愁に浸っているだけではないかとのこと。自己納得だけで、客観的ではないと言われた。
むしろ社会に出て、自分をぶつけたほうがズット良いというのも理解した。食事をご馳走になりながら何か説得されている
ようであった。このところ、周囲にあまりに影響されすぎたようだ。 迷惑をかけたにしても、先生と一対一で直接話す
ことは初めてだった。何か一人芝居をしているだけなのか。しかし真剣な一瞬であった。「いい歳をして」という思いが残った!


3609,  閑話小題  

2011年02月11日(金)

  * 多数人数の末っ子は・・
 新幹線の帰路の車内で、少し離れた席からビールを飲んで話しているグループの一人の言葉にハッとした。
「自分は大人数の兄弟の末っ子のため何時も許されてきた。だから、この歳になっても、失敗しても、
争いごとが起きても、許されるのが前提と何処かで思っている。自分には末っ子の甘さが付きまとっている」という。
これは何か自分が常日頃思い続けてきたことを、誰かが代弁しているようだった。三つ子の魂は現在でも付きまとっている。
だから女性は親分肌の長女で、包み込んでくれるような人に惹かれる。ちなみに家内は長女で生意気だが、最後は赦してくれる?
常日頃、赦していただいて有難うございます。エッ、赦してない!我慢しているだけですか。よく見ると、長女と多人数の下の方の
次男、三男の組み合わせが多いのは自然のなせる業。逆に長男は次女、三女がよい?その辺を間違うと離婚が待っている。
  ーー
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 以前より日本の政府は巨大か、それとも普通か?の議論がある。ここで民主党が政権をとったはいいが、
何の間違いで極左が政権の真ん中にきてしまった。学生のころの都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。
3月か6月に自滅するしかないが、これを立て直すに時間がかかるだろう。そこで、果たして日本は世界の中で、
政府として普通サイズか、巨大なのだろうか? 二重構造で、実は世界で一番の水脹れの国家になっている。
そのため国家財政破綻直前のところに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れが、母屋の5倍以上はゆうにある。
官僚と保守政権が数十年かけて国民の目に母屋しか見えないようにして、離れで使い放題。 早くいうと構造詐欺。
この財政破綻状態に陥っても何も変られない事態。 ここを捻って浮かした分を福祉にまわすと極左政権が公約をしたが、
離れの住人と官僚は、それを軽く明け渡すほど柔ではない。 その結果、財政赤字が更に悪化、最後のダメ押しをしてくれた。
その結果、それが大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。IMFの元で再生を図らないと駄目になるのだろうか?
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3244, 真の価値に添う生き方
 2010年02月11日(木)
 私たちは、中年以降のある時期を過ぎると「真の価値に添った生き方に転換する時期」がくる。
死に直面したり、身近の人の死で深い悲しみを経験したりして、永遠の中の自分の一生の短さを目の当たりにし、世間的な成功、
名声、欲望、快楽、豊かさなどの有限性など取るに足らないと思い、内向的になり、芸術、大自然の無限性、人間の心温まる邂逅、
真理への傾倒、思いやりなど、全く違う価値観に転換する機会を得る。 それまで、宗教や、倫理系の団体などが述べてきたことに
気づくといってもよい。仏教の経典にしろ、バイブルも、世間から離れた永遠の道理を説いている。 世間の認める属性に
ガンジガラメの人にとって、その転換は仙人の様に見えるのだろうが、属性は永遠の中では虚飾であり、何の価値も無いことなど、
義理で参列した葬式でさえも気づくことである。人間の命そのものより大事なものがあるとすると、相手に無条件で与える愛であり、
犠牲になる勇気であり、誠実性そのもの。 それに気づくかどうかが、中年期に、大きな危機を経験し、永遠の存在、
宇宙から一歩踏み出し、その外から自分の意識を冷徹にみるイメージを瞬間でも経験できたかどうかである。
私も人生の危機を何度か経験してきたが、その時に、以上のような、何が大事で何が重要でないかを、見極めて、
敢えて世間的な価値を求める視点を持ったこともあると、いえば嘘になるが、そこまで考えつくして魂を入れないと事業など
立ち上げることなど出来ないことも事実。 だから、ある時期から秘境・異郷ツアーに嵌ってしまったのは、そこでの見聞は、
普通の時間の中から一歩外に出て、世界の大自然と、遺跡、芸術、風俗に接することで、日常の価値観が砂粒でしかないことに
気づくことである。 些細な世間は必滅であり、大自然や、芸術、愛、誠実性は、不滅であるということが、短時間としても、
錯覚?としても見て取れるからである。 だから、中年以降は、読書といえば、自然と哲学書に惹かれていくのである。 
また、好きな音楽に没頭する時間とか、映画鑑賞も、永遠を直感する契機になるのである。
日常という世間の中で我われは生活をするために、必死に同じ行為をアクセク繰り返す。 それは、何故だろうか。
その繰り返すことが、目的になってしまっているからである。 そして、その日常に質が小さな世界の中で少し良いことに満足し、
少し下の人を卑下し、上の人に嫉妬をしているに過ぎないのである。 その中でも、永遠に接することの出来る時間は幾らでもある。
一歩外に出て、近くの森に早朝行ってみるとか、自転車で川のほとりで日の出を見るとか、週末に畑いじりをしたり、
数えればきりがない。 してないのは、日常にドップリと浸かりすぎということに気づいてないからである。
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2869, 閑話小題
2009年02月11日(水)
 * 内閣不支持が14パーセント
朝日新聞の全国世論調査で、内閣の不支持が14パーセントという。居座れば居座るほど支持が下がる理由を本人は分からないのだろう。
比例投票先は自民が42パーセント、自民が22パーセントの結果は当然のこと。解散をすれば惨敗だが解散を引き伸ばすと不支持が
拡大していくから、小泉でも担ぎ出して、半分近くが党を割って出て、その後連携する位しか手が無いが、それさえ出来ないのが現状。
地に落ちた自民党が利権を守るためには、その位のことをするだろうか? そんな玉など、居るわけな?
 * インフレエンザ予防で「家族の帰国指示」
見捨てて置けない記事があった。
昨日の朝刊に「パナソニックが鳥インフレエンザの世界的流行の危険が増したため、欧米とオーストラリアなどを除く駐在員家族の
9月末までの帰国命令を出した」と報じていた。私らの知らない情報があるのだろうが、何か危なくなってきたことは間違いない。
爆発的流行の一歩手前ということは、間違いなさそうだ。どうなるのだろうか?
 * 野村證券の株価が5百円割れ
野村證券の株価が5百円割れと新聞にあったので、ネットでチャートをみてみた。10年前の7分の1、2年前の6分の1、
リーマンショックから3分の1になっていた。日本がバブル時代には、アメリカの投資銀行と類似したことをしていた報いである。
アメリカの債権も売りさばいていない訳がない。 最近は日本国債を売っているというから・・・ 彼等の手は、担当が替わったという
誠実そうな手書きの文を送ってきて営業にやってくる。ネット証券と、過去の悪行?のため、信用はゼロに等しい。
存在そのものが、必要悪。 なら、近寄らないことである。 アメリカの消滅した投資銀行と何処が違うというのだろう!
・・・・・・・・・
2008年02月11日(月)
 2504, まっ、いいか!      (。・∀・)ノ゛おっは〜
 最近、独りで「まっ、いいか!」と呟くことが多くなっている。年齢の為だろうと思っていた。
 そこで検索で「まっ、いいか」と入れたら、 「まっ、いいか」と言える子を育てよう
   協調性のある、柔軟な心の育て方    諏訪耕一/著 という本が出てきた。
[要旨]
本書では、子どもに柔軟な心を育てるための心の成長段階に応じた接し方のポイントを、幼稚園・保育園や家庭での27の事例を
通して具体的に紹介します。子どもの理解に必要な、子どもの心の成長の段階や環境との関わりについてもくわしく説明します。
[目次]
第1章 子どもの「心」の成長と環境(心は育てられる?
;子育ての移り変わり―子どもの育ちをうながす環境;心の成長表
;心の成長に応じた「柔軟な心」を育てる接し方)
;第2章 子どもに「柔軟な心」を育てる具体的な接し方
(乳児期―誕生から十二〜十八カ月ごろまで
;幼児期(前)―十二〜十八カ月ごろから三〜四歳(第一反抗期)ごろまで
;幼児期(後)―三〜四歳ごろから六歳ごろまで
;児童期(前・後)―六歳ごろから十四〜十五歳ごろまで)
これを読むと決して、マイナスの言葉ではなく、むしろプラスの言葉のようだ。決して良い状況ではないが、何とかなるさ!
という陽気さ、目の前の事態を、そして運命を受け入るよう諦めと明るさを感じる。上記をみると柔軟な心と
いうことになるが、好い加減な言葉にも思える。好い加減な心」が良いのかどうかわからないが・・・・
 ^^^^^^^
この文章には、大きなドンデンカエシがある。実は、同じテーマで八ヶ月前に書いていたのである。
全く忘れていたが、何か書いたことがあるような?気がしてHP内の検索を入れたら、次の文章が出てきた。
その文の類似に我ながら驚いている。(あたり前だろう!)
それにしても、なんじゃい!これで同じテーマを忘れて書いてしまったのは、3回目? 
 2500も書けばな〜  まあ、いいか!
ーーー
2007/06/06
 2255, まあ、いいか!       ヽ(★>з<)。o○ オ〜ハヨ 
この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。そこで、検索に「まあ、いいか」と入れたら、
その題名の本が数冊も出版されていた。自分を慰める言葉で、私の常用語「あ〜あ!」の言葉の裏に含まれている。
「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。それを延ばしたのが「あ〜あ」か、これは屁理屈である。
「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。      ゜≫q(´I`●) マアマア!
「まあ、いいか!」の前後の言葉として、「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」が出てくる。
イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて「まあ、いいか! それがどうした」
と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。「あ〜あ」「で、どうした」「まあ、いいか」は、瞬間の癒しの三言。  
しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分にはよいが、最初から、この言葉が先に立つのも問題である。
「中途半端な、あの人」になってしまう。金沢に「まあ、いいや男」というアダナの先輩がいた・・・・
バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。何でも使う人間次第だが、この言葉は特にそうである。
 ーあるHPに、このような詩があったー
 *まあ いいか
まったくもー、しょーがないヤツだなぁ まあ いいか。 俺も どーしよーもないヤツだしまったくもー、しょーがないヤツだなぁ  
とりあえず 俺のほうから謝るよ 傷ついたのは おたがいさまだし もし君が 俺をまだ許してなくて 謝ったとき 
素っ気ない態度をとっても 俺は一人つぶやくんだろう 「まったくもー、しょーがないヤツだなぁ」 ク〜(”>_<)っ★(
 ーー
 他に「まあ、いいか」に対して次ぎの言葉があった。 成長は悩まなくなることではない。成長すればするほど悩みはむしろ
深刻化していく。しかしうまく共存できるようになっていく。光を知れば知るほど闇も深くなっていく。
しかしどんなに深い闇でも、一筋の光さえあればやっていけることを知るだろう。  ( ̄ω ̄;)!!
  ーー
暗い闇にこそ「まあ、いいか」という一筋の光の言葉が輝くのだろう。「ところで、私の人生とは何だったのだろうか?」
「まあ、いいか! 今さらしょうがないもんな〜!あ〜a!」         バイ☆(^∀^)ノ~~
・・・・・・・・・
2007年02月11日(日)
2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間
 「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編         −読書日記ー
    ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー
 山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本と、その他の映画の最近のものは殆ど観ている。彼が「男はつらいよ」についての
TV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。 しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど読んだことはなかった。
ところが藤沢周平についての評論を24人集めた「藤沢周平に学ぶ」の冒頭の「藤沢作品を映画化して想うー人間の成熟にかかわる
『人生の充足感』」の評論があった。彼は幾つか藤沢の映画を撮っているだけあって、心打つ内容である。人生で誰もがキラキラ
輝いていたのである。そのとき!は。まずは、彼の文章の一節から・・
  **幸福とはキラキラと輝く瞬間を持つこと!**
 いまの30歳代くらいまでの若い人の特徴は、子ども時代の体験があまりに貧しいということではないでしょうか。
団塊の世代までは、野原や川原で大勢の友達と遊ぶ楽しさを知っています。汗だらけになって遊び呆けて、日暮れどき、
仲間とアバヨと別れ、家路につきながら「ああ、楽しかった」という、身体の中が熱くなるほどの満足感。
そこには兄貴分がいて、喧嘩もあって、仲直りもあって、子どもとはいえ、小さな世界の秩序があった。
字数の関係でカット(2009年02月11日)  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2006年02月11日(土)
 1775, おひとりさまー2  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。_
米国はペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ「誰にも相手にされない女性」と受け取けとられる。 
「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで群れているのも異様。
一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。また思考(自己対話)の範囲が広まる。
「おひとりさま」という言葉は岩下久美子著「おひとりさま」で流行した言葉である。著者は、東南アジアの旅行中に不慮の事故で
なくなってしまったが、この言葉は、そのまま女性のあいだに生きている。女性は横の関係が強すぎて「個」の確立ができていないので、
一人で新規の店に入る訓練が必要になる。イケメン男に女性を独占され、さらに『おひとりさま』が定着したらその他の男達は、
ますます女性が遠い存在になってしまう。一人でいようが、ペアであろうが、グループで群れていようが、それは個人の自由である。
それぞれの性格もあるし事情もある。要は「和して同ぜず」で、自分を確立していることと自己を見失わないことである。
どういうわけか青年期の一人旅や、一人で飲み歩いたことはリアルに記憶に残っている。群衆の中の孤独を楽しみは、
都会の絶妙な味がする。   ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ!
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2005年02月11日(金)
 1410, 新潟駅前飲食店事情
事務所近くに面白そうな全国チェーンの居酒屋が17日に開店をする。
「かっぽうぎ」という名前の店だ。中高年狙いの2000円の価格ラインの店である。
字数の関係でカット(2009年02月11日) 
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2004年02月11日(水)
 1043, 随筆はプロが書くもの! −3
6−文章のヘソ
 一番大事なのは、書き出しである。そこで「つかみ」が重要になる。テーマで興味を持たせて書き出し部分でひきこむようにする。
 テーマがピッチャーなら、ヘソの部分がキャッチャーになる。そして最後に捻りを入れる。書き出しと締めくくりの間に3っの
 キーワードを置くとよい。書き手は同時に自分の文章に対する「冷酷な読者」である。一年・二年前の同月同日の文章を毎日
 貼り付けながら読み返し、文脈のいい加減さを自分で見て再び添削をすることがある。文脈の甘さを見るのは気持ちのよいものではない。
7−文章の訓
 私の場合は、この毎日の日記が文章の訓練になっている。また一年二年前の文章も、最近になって添削を始めた。
 一度書いた文章を何度も添削するのが私にとっての訓練である。重ねれば重ねるほど、短く良くなるから不思議である。
 本当は良い文章をどんどん盗作するのが一番良い訓練になるというが。
 そこまでは自分に要求していない。
8−文章の品格
 文章は品格がなくてはならない。 そういわれると、どう書いたらよいか迷いが出る。
 ただ具体的な下ネタとか、不快になるような話題は避ける。「それは・・・、彼の趣味」「これは私のおもてなし」とか、
 こういうような体言止めはあまりしないほうが良い。まして一つの文章に二つ以上使うのは禁じ手である。 
 流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた表現はやめておくこと。どうしても文章には、人格がでてしまう。
 人格の悪い人は、ついつい悪口が出る。評論家で片っ端から政治家や経営者の悪口をいう人がいる。
 当たっていればいるほど、その人の人格を疑ってしまう。批評は悪口になりがちである。
 ストレス解消になるが、あとで読んでやはり反省をする。
9−文章とユーモア
 品格に関係するが、ユーモアも大事な要素だ。ユーモアは、文章を楽しく読ませるための調味料のようなものである。
 しかし、これを下手に使うと品格を失う。ユーモアは自分が楽しんではならない。
 相手を楽しませるセンスが要求される。私の場合は、ブラックジョークになってしまう。
10−悪口は書くな
 過去の文章を読み返していて悪口を書いた内容は、いい気持ちがしない。それが国家や社会であったとしてもである。
 読み手の心の中は、誰も、決して嫌なことは読みたくない。良いこと楽しいことを読みたいのだ。書いていると、
 ついついそのことを忘れてしまう。 目先書いていると楽しいが、やはり他人に曝すことになる。
ー以上目次に要点を書き足した。 普段の何げないことを、面白おかしく、品格をもって、そして味付けをして毎日書くことは
 そう簡単のことではない。 しかし、それでも書いていると止められなくなるのも事実である。
・・・・・・・・・
2003年02月11日(火)
678, 聞く耳持たぬ人
字数の関係でカット(2008年02月11日)
・・・・・・・・・ 
2002年02月11日(月)
 328,マ〜コ  −堀井正子に捧げるー
マ〜コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)姉・正子の幼少年期に呼んでいたニックネームである。
 彼女の話である。 ー供養も含めて書くー
「声楽家になりたかった」が口癖であった。「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。
プロのソプラノ歌手の「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目になった。兄がたてつづきに亡くなり家業の為
(婿養子の)芳朗さんと結婚。家族の間に立ち、気苦労をした一生だった。長岡社会から一歩も出たことがなく、その卑小性、
特異性を全く自覚できないのが特性。性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている可愛い人」でもあった。
常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、全神経を使っていた。その面では母に似ていた。
「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、人生で演じきった。
人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。もって生まれた才能であろう。後半ー40歳過ぎは事業で失敗。
それからは音楽の先生として、200人を越える弟子がいたとか。好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。
おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を演じているのだろう。 安らかにお休みください!
                       さようなら。
・・・・・・・・・
2月11日  1969年
 14日の最終コンパの件で河村、石川、田口君のところへ電話をいれる。あと武澤先生に電話をする。現在の自分は混乱をしている。
今を支えるのに精一杯である。特に今年に入って色いろあったが、この数日その反動がきている。あまりに激しい一日一日の刺激的な
日が続いた。振り返ってみると、この二年間は自分の人生とって大きな分岐点の年になった。それまでの20年分を圧縮した二年間だった。


3608, 人生には3つの坂があるというが

2011年02月10日(木)

  以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」3つの坂がある。
この言葉は大河ドラマの毛利元就の中でも言っていた。 この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。
2001年の9・11テロから始まり、地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。
その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状のタブレットパソコンに重心を移行始めた。
政治ではアメリカで最初の黒人大統領が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。
そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログのツイッターや動画サイトのYoutubeが出現してきた。
 今年に入ってネット普及の結果、一瞬にしてチュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。。
その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。 経済面では、2008年のリーマンショックで、
世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、
半導体の「ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年にインテル社のムーアが
「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、
45年経過した現在でも続いている。これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが
地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが
一センチ角に100億以上も乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを乗り越える技術が出来る。
それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結びつけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。
10年前に、現在の姿を誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、どのような姿であろう。
 この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・・
 ・・・・・・・・
3243, 新・欝の時代
 2010年02月10日(水)
去年暮れの週刊朝日に、作家の五木寛之と在日韓国人の政治家カン・サンジュンとの対話‘まだ続く「鬱の時代」’が考えさせられた。
「これからはすべての分野が鬱の方向に進んでいく」と、前回の2008年の二人の対談で、そう語った。そしてリーマンショックが起こり、
世界、そして日本は先の見えない不安に覆われている。 ここで二人の対談の要旨を纏めてみると、
・グリーンスパンが100年に一度の危機といったが、そんなものではない、今起きているのは300年〜500年に一度の恐慌である。
 現在の世界を支配しているのはキリスト教的文化圏。その基盤にある人間至上主義からぬけださないと・・・ ー五木寛之
・我われの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、現実は格差社会。 この問題は、格差がある
 ことが問題ではなくて、格差が固定化されていることが問題である。  ー五木
・2010年を予感してみると、一瞬、小康状態の年になる。嵐の前の静けさです。 でも、その後、暮れから11年にかけて、
 二番、三番の、大恐慌、大不安がやってくる。 平安末期から鎌倉への変動のような大変な時代がくるだろう。
 戦後の預金封鎖や円の切り替えなどを思い出す。  ー五木
・こういう不安の時代、人間は「個人」を再発見することになる。 平安期から鎌倉にかけての飢饉のとき、
 人々は身分に関係なく、こころの闇を見つめた。 それが一連の現在の宗派の教祖をうんだ。
・2010年の明るい兆しといえば、いろんな関心の中心点が変わってくる。
 これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心におかれて、新しい光を浴びることになる。
・そういう時代の中、「諦める」ことからスタートしなければ。 諦めるは、「明らかに究める」という読み方をする。
 今の日本の有り様や自分自身の心や地位を「諦める」ことで、新しいスタートをきる。
・「人生とは荒涼たるものだ。人間が生きていることは凄惨なものだし、死ぬことは荒涼たるものだ」と
 五木は『人間の運命』で書いている。 ただ、そこを超えると、光が見えてくると!
 ==  以上だが、二人とも暗い性格でマイナーになるが、こういう鬱の時代だからこそ彼等の見方も必要になる。 
 どうみても、現象面では21世紀に入ってから変であるのは周知のこと。最後の打撃だった9・11テロと、リーマンショックで、
 これまでの価値観を根底から破壊してしまった。ソ連が破壊した時は、700年来のロシアそのものが崩壊したとの見方があった。
 それに続いた欧米資本主義の崩壊は、世界にとっても日本にとっても、近代資本主義=欧米主義の 終焉と五木は言うのである。
 その辺のところを押さえてないと、目先の楽観論に惑わされる。
 ・・・・・・・・
2009年02月10日(火)
「強欲資本主義ウォール街の自爆」神谷英樹著            ー読書日記
投資銀行家として24年間、ウォール街の現場で「アメリカ型資本主義」の有り様を見た批判の書。
内幕暴露モノ的で面白い内容である。 アメリカの金融街、特に巨大投資銀行の貪欲な人たちの、
異常な資本主義の実態を暴いている。 そして米国民の過剰消費という「悲しさ」「欲深さ」を指摘している。
アメリカの金融が収益全体の4割を占めてしまった。 その先頭を走り続けたウォール街の暴走と自爆が、
今回の恐慌を生み出したのである。アメリカの社会と人間の劣化をどう立て直すかを問いかけられたのが金融危機。 
暴走を食い止めるためにルールの根本的修正が必要である。
 ーまずは印象に残った部分を抜粋するー
・「悪いのはアメリカンスタンダード、ウォール街の強欲である」
・「今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの」 ハイリスク・ハイリターンのビジネスを行い、成功報酬はしっかり
 もらうが、巨額の損失がでたら無関心。失敗したら、尻拭いは国民の税金任せというモラルの無いのがウォール街の実態。
・「モノ作り」ができなくなったアメリカが「金融立国」を目指し、成功したかに見えたが、行き着いた先は、顧客に目を向けず、
 数字と戦う強欲な人間たちが金を集めるだけの世界。 その結果、1929年の大恐慌以来といわれる悪夢が金融界を襲っている。
・「世界一極支配のアメリカ中心世界感」が崩壊し始めた。
・ 市民の消費三昧主義、今借金して楽しんで(消費して)、負債は先延ばしの生き方に走る市民。
・「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべき」。
 「主役である実業を営む方たちの事業構築を助けるのが金融本来の仕事のあり方であり、それこそが身分相応。」
 しかしファンド・マネージャーに興味があるのは、『株主の利益』と『自分の収入』だけである。
・トップラインとボトムラインの間にある項目をいかに圧縮するか熱心に取り組むだけである。
 「給料を減らす。社員を減らす。仕入先を泣かす。最大限に借り入れてレバレッジを効かし、
 支払い金利を膨らませ、税金は極力圧縮する。かれらにとっては、これこそが経営の神髄となる」
・アメリカをはじめとする先進諸国、そして世界。借金と消費ならず浪費社会、浪費に頼った成長政策。
 「借りた金で今日を愉しむ」「借りた金で投機する」
 「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物権の鍵を渡せば終わり」それを法律で認めてしまった。
・資本主義の行き着いた先が金融市場の国有化とは何たる皮肉であろうか
・日本もアメリカも、経済社会がバブルにまみれ、強欲と拝金に席捲されたときに、人の心から大事なものが
 失われてしまった。 何でもデジタル志向で、「0か1」しかない。その中間が配慮できない。
 −−
 以上が、印象に残ったところである。「『自由も、放任すると、こうなる』という歴史的汚点として、
 ブッシュから遡ってレーガンまでの大統領の各々がたが、残る」と思うと何とも不思議な気持ちになる。
 特にブッシュ親子は歴史上最低の 指導者として数千年も弾劾される。 哀れといえば哀れ。
 ・・・・・・・・・・
2008年02月10日(日)
2503, 閑話小題 
 *長岡の呑み助から見た夜の世界
毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、
今月で27年間の店を閉店するとか。スナックの中では名前は知れわたっている店で、2年に一度位、合計7〜8回はいっていた。
あまり詳しい話は聞けなかったが、営業不振であろう。長岡は全国でも、最悪の(不景気の)要素が重なった地域。
その一番影響を受けるのが夜の世界である。行くたびに、何処かが閉店したという話ばかりである。
昨夜も散歩をしていたら、何度か入ったことのある居酒屋が店を閉じていた。
 *大相撲の国技の意味
「大相撲の『国技』は、何となく言っているだけで実際の法律があるわけではない」という。
ただ厚生省の何とかで税金が取られない特典があるようだが。昔ながらの体質が残っており、あくまで部屋単位で
独立しているため、それぞれの部屋内の暴力沙汰まで責任を問うこと自体が無理がある。それにしても、
今回のリンチ殺人事件は、凄惨である。 大鵬が日経新聞の「私の履歴書」に書いていたシゴキは、リンチそのもの。
(字数の関係でカット 2010年02月10日)
・・・・・・・・・
2007年02月10日(土)
 2139, 白い雲に乗って  
夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。両親がいて、兄達と姉達、
そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。  
  一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
  四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。
その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。
いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。小さな三輪車で駅の方に
行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな
山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多く鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。 
夢をみているのだろうか?いや夢のはずがない。ぼくは間違いなく、ここにいる! ズットここにいるのだ。何で、ぼくは、
ズ~ットここにいるのだろうか? 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろう?
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親は忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、
長岡祭りの山車が次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って下にある店から上がってきた。
札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。何か自分が白い雲の中で浮いているような
感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。
ここは間違いなく大手通の世界である。どうして、ぼくはここにいるのだろう!それにしても、どうして浮いているのだろうか?   
 というところで、目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い記憶の世界に舞い戻っていたのだ。
・・・・・・・・
2006年02月10日(金)
1774, 年金の話ー3 (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。 *ぉはょぅ
一昨日、「60代前半のオーナーの中小企業経営者のための在職老齢年金活用法」というセミナーが、新潟商工会議所でおこなわれた。
ー会社が社長に損金で落ちる生保をかけて年ごとに損金で落として、定年時に返金をして退職金にすれば 税金の退職金特典で非常に
有利になる。が、このセミナーの要点であった。私も一昨年から始めていたが、もっと前から始めておけばよかったと、後悔している。
在職30年で、3000万退職金のケースで税金が6?、5000万で11?、1500万でゼロというから、給与を10万〜半額にして減らした
分を生命保険の掛け金にしたほうが有利である!という理屈が成り立つ。零細・中小企業の場合、自助努力で退職金を用意すべし!と、
強調していたが、その通りである。損金で落とせるのは会社に利益が出ているのが前提。しかしセミナーでは、それには触れてなかった。
(字数の関係でカット 2010年02月10日)        
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2005年02月10日(木)
1409, 私の見たW杯サッカー北朝鮮戦
昨夜の北朝鮮戦を私が書くと・・ 北朝鮮軍人部隊サッカーチームと全日本選抜混成サッカーチームとの闘いであった。
(字数の関係でカット 2010年02月10日)
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2004年02月10日(火)
1042, 随筆はプロが書くもの! −2
 「文章術の千本ノック」 −読書日記ー2
この要点を目次に書き込みながらまとめてみる。品格もあるようだから、心して文章を書かなくてはならない。
                (ー>が要約である)
序ー文字を惜しめ
−>お金と文章はケチなほど良い.その為には最小限に書く心がけが必要だ。
 書き直しと添削を繰り返すことが重要である。文章は明らかに芸術的な営為である。 簡単なデッサンではない。
1−文章の第一要件は[客観性」にありー
 ー>客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読む場合には耐えられない。エッセイは常に書こうとする
「外」にいて、外からこの「世界」を 描写するのをエッセイとはいわない。エッセイは一度内側から書いて、それを外側の眼で
眺めかえさなくてはならない。エッセイ(随想)と随筆は、明らかに違う。エッセイは一言で言うと「論理的文章」と定義したらいい。
 論理のない文章はエッセイではない。見てきたこと、生きてきていてこう思うとか、文化論だとか、その中にある論理を読んで
もらうのがエッセイである。「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」
 「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、趣味で書くものです。
 あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと
 書き付けたというものが随筆であって、これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、
 その人の観察力が鋭いとか、描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が物を言う世界なんです、随筆は。」
 随筆は論理性より、プロがつれずれに書くもので論理性は逆に求められない。
2−エッセイと観察ー
 エッセイにはまずテーマがなくてはならない。そのテーマをどういうふうに論理を展開するかがエッセイの一番の醍醐味になる。 
 エッセイは「あ、おもしろい」と思う切り口が必要である。我々は多くのものを雑にしか見ていない。団子だったら団子という
 概念でしか見ていない。 その団子を取り上げて面白おかしく描写をするのがエッセイである。
 人が見ないところまでよく観察して、人が読んでくれるような文章にするのがエッセイ。
3−論旨の方法ー 
(字数の関係でカット 2011年02月10日)
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2003年02月10日(月)
677, イヤなやつ
(字数の関係でカット 2009年02月10日)
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2002年02月10日(日)
 327,新幹線の乗り越しー4回!
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。いまから10〜15年前で
一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
10時半過ぎであった。大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。湯沢の情緒が漂っていた!
その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。長岡駅と思い歩いていて,何かが違うので
よく駅名を見ると[浦佐]であった。3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。折り返しの新幹線で帰ってきた。
5年位前の乗り過ごしが面白かった。ウソみたいな本当の話である。正月の3日か4日であった。乗り過ごした私と同年代の人と
駅の改札で話し合い、どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい
「値引を交渉!」「自分には値引きの権限が無い,駄目!」酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。
たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。事情を話し、「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、
ちょっと待てと電話をしてくれた。そして安くしてくれるホテルがあるといいう。助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、
何と初め値段交渉をしたホテルであった。そしてその若い方がその社長であった。そして飲みに行こうという。それならばこちらも
乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。その後、
湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのスナックを知っていたー
次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。だんだん恥のさらけ出し?「気違い水ー酒」を飲んだドラマが色いろある。
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 2月10日 1969年
昨夜のショックで助手の横浜さんと会って話をする。自分の底の浅さを赤裸々に話すが、段は厳しい事をいう人が優しいのだ。
誰もが持っている底を曝け出したことに理解をしたのだろう。たまたま会った深井にも話すが彼も同じ反応だ。この時期に誰もが
持っていることでしかないのか。動揺をしているだけだ。それぞれが、この時期精一杯なのだ。得たことより、
得れなかったことに眼がいっているだけだ。今日池袋駅で見た出来事が印象的であった。階段を手探りをしながら上っていた
盲人に女の人が手助けをしようとするが、拒否をしたのだ。見ていると、誰の手も借りずに歩くことを自分に課しているようだ。
その内面がそのまま出ているようだった。いまの自分に、あの姿が必要である。


3607,  絵になりますね

2011年02月09日(水)

「この風景、何処から撮っても絵になりますね」など、風景、場面の美しさを表現するのに「絵になる」という。
「アート画転換ソフト」は、その言葉のとおりにデジタル化した写真を絵画やアート画などに転換してくれる。
絵を描くのはプロでも大きなエネルギーを要するが、気楽に一瞬のうちに転換してしまうから驚きである。
デジタル写真を絵に転換すると、何故、気持ちが響くのだろうか? そもそも絵とは何か?
  ーそこで「絵」とは何かをウキィペディアで調べてみたー
≪絵画は、板や布、紙、壁といった支持体と、絵具などの描画材料による特定の支持体に対する描画で成立したもの。
板や布に描かれた油彩画やテンペラ画、フレスコなどで描かれた壁画を指す。紙に描かれた水彩画などは含めるが、
木炭や鉛筆で描かれたものは含めない。≫ 
この説明では、書かれた絵の意味することの説明にはならない。
絵は描く人の直接手描きの主観と気持ちが入っている。対象に集中した魂が絵画の絵画たる由縁である。
それからして、この転換されたデジタル絵画写真は、果たして絵画と言えるのだろうか。 先ほどの
「板や布、紙、壁といった支持体をパソコン画面かネット上に替え、絵具などの描写材料がデジタル写真による支持体とした
描画で成立したもの」とすると、デジタル絵画としての立派な絵になる。手描きはデジカメで現場で撮ったことに置き換えられる。
そう、これはバーチャルペインターという絵画ロボットが描いた立派な芸術である。それは、誰もが過って見たことのない
新しいバーチャルの世界であり、これまでは一部の専門家しか出来なかったアート画を、気楽に絵画ロボットが
変幻自在に描き上げてくれるのである。 そこに現れ出るのは、今までは絵としては表現出来なかった、
異次元のデジタル芸術の世界が創造される。 実際に、過去のアナログの写真をデジカメで取り直し、
ロボットで絵画転換をする度に過去が新たによみ返ってくるようである。
その現場で写した写真がアート画になるとは、数年前までは、誰も想像すら出来なかったことである。
IT化の凄みの一例を垣間見ている。成るほど、20、200万年に一度の境目で見えてくる現象はこんなものか。
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3242, 葬式は、要らない
2010年02月09日(火)
「葬式は、要らない」 島田 裕巳 (著)
 ーアマゾンの内容紹介よりー
 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。
浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。
対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。
古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、
葬式無用の効用までを考察。葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。
 〜この一冊を読んでいるといないとでは、葬式費用は大きく違ってくるはず。先日の新聞広告に、この本の見出しをみて、
以前にあまりに高い葬式費用について書いたことを思い出した。図書館の本棚に、「葬式僧侶と、葬式業者のボッタクリ」の内情が
書いてある本が数冊ならんでいる。それを宗教学者の島田裕己が書いたのだから、説得力も増す。最近、不景気も重なり
ジミ葬の流れが出来始めてきた。さらにGMSのイオンが葬式に参入するという。 これは葬式業者にとって大きな脅威である。
身内の死で慌てふためいている人の隙を突いて、世間様並みにというキーワードで、タカルのがナリワイ。 
戒名など、自分でつくれるし、そのほうが葬式坊様につくってもらうよい、ず〜〜〜とよい。
ネットで「戒名のつくり方」とでも入力をすれば、幾らでも基本が書いてある。直葬でけっこうと、いいづらいのが日本!〜
 * 直葬とは
 葬式をせず火葬だけすることを「直葬(ちょくそう)」という。これまで我が国では、人が亡くなってからは
死亡→通夜→葬儀・告別式→火葬というステップを経るのが一般的でした。
これに対し、死亡→火葬と、途中の儀礼・イベントを取り払ってしまうのが直葬です。
※ 直葬に対応してくれる葬儀会社をネットで探すには、「直葬+プラン+(地域名)」で検索するか、
 葬儀会社特有の呼び名である「火葬式+(地域名)」で検索するのが、おすすめです。
 * 直葬をどのくらいの人がしているか?
正確な統計はありませんが、専門家の推定では、2008年時点で東京都下の20〜30%、地方の5〜10%が直葬だと見られます。
直葬そのものは生活困窮者や天涯孤独者については昔から行われてきたが、それが一般に広まり始めているのが、最近の特徴。
 * なぜ直葬が増えているのでしょう。
 あくまで仮説に過ぎませんが、次のような要因が考えられます。 平均寿命の伸長(つまり死亡年齢の上昇)により、
社会的儀礼としての葬式の必要性が薄れた。 格差社会の進展で、生活困窮者そのものが増えている。
宗教、とりわけ仏教離れ。 葬式を金銭や時間、手間の点で「ムダ」と考える人が増えている
メディアでの報道により、直葬が「市民権」を得つつある。 http://www.yuigon.info/keywords/chokuso.html ー遺言情報局
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2867, 「ほめる」言葉  − 4
2009年02月09日(月)
人は9割がたが褒められた事がキッカケで成長するという。子どもの頃を振り返ると納得する。
母親が38歳時の子どもだったこともあり、母はことあるごとに褒めていてくれた。
また4人の姉の存在が女性心理からみた褒める以前の知職を経験的に教えられた。
・下手に女性を褒めないこと ・嫌らしくしないこと ・媚びないこと 
・心を開いているようで開かないこと ・優しくすること ・何気なく褒めること 
・噂話は絶対にしないこと、などである。 
褒める以前に、その人の品性の裏づけがないのは、相手の心に響かない。 話しは変わるが、十年ほど前のこと。
同級生が300人ほどの何かの講演会の締めの挨拶に立った。その会の後に。同級生が十人ほどいたので急遽、親睦会を開くことになった。
和気藹藹と飲んだ後に、その男が隣に来た。「挨拶は如何だった?」と聞かれたので、「御前さんも、やっと面(ツラ)が出来てきたな」
と言うと、すかさず「どういう面だ?」と一歩つ込んできた。そこで思ったまま「我われに笑されている自分を、笑っている面だ。
それが何とも味があった」と、その時の本人の嬉しそうな顔は、まだ忘れられない。 上手く褒めた時は、褒めた方も嬉しいのである。
 このところ「褒め言葉」系の本を数冊読んだためか、無意識で相手を褒めている自分が、そこにいた。
何時の間にか、それが無くならないように習慣の核にしないと。 先生は幾らでもいるのだから!
 −−
第三章 相手の成長をうながす「ほめ言葉」 ー相手の小さな進歩を見逃さない-精神対話士 Mさん
   −以下は字数の関係でカット(2010年02月09日
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2008年02月09日(土)
 2502, 「体験と偏見による養生の実技100」
「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。
  その中で6項目を書き出し、考えてみた。
13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。指先、掌、足裏など。
  解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。
35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。
  朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。
  眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。
  解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。
50、仏教では「われありて、かれあり」という。笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。涙は魂を浄化する。
  解)泣き笑いか、人生は!
 (字数の関係でカット2010年02月09日)
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2007年02月09日(金)
 2138, 中年の心象風景   オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!       −読書日記
【人生のことは、小説が教えてくれた】 高橋敏夫著 中経出版
この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、一日一日を一期一会
として生き、日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。
私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、
ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色かダークブルーの時期である。青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、
青年期の残像としての自分がつめる屈折した時期である。(大部分がと!あえて言っておこう)
 ー まずは、その一文を書き写してみよう!
青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、
夢という言葉さえ忘れて生きる苛酷な時代である。夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は屈折した
「現状の肯定」になりざるを得ない。楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の「現状の肯定」
になるからだ。しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちは
ようやく性急さから解放される。現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを選ぶしかないのである。
そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに見合う、ながく、しずかな「夢」をいだきうるのだろう。
夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。たしかに、この「夢」は青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに夢をこえた夢なのだ。
 現状否定から現状肯定へと移行するように見えて、その逃れえぬ環境でねばりづよく生きることで、わたしたちはしずかに、
だが着実に現状を変更し、わたしたちじしんを変更していく。ここには、現実の大きな力によって押され退きつづけながら、
ここからはもう退けないという思いがあり、生きつづけることでいっそうふくれあがる破壊衝動があり、家庭の中の男と女の従来の
あり方への不満があり、見方を変えることで生にあらたな実感を導きいれようとする試みがあり、生活の細部でつながる、切れそうで
切れない人と人の関係があり、そして、情痴のさらにその奥のさらにその奥の情痴へとつきすすむ紛れのない生の暗い輝きがある。              
 ーー
 〜 以上だが、何とも中年の風景をそのまま見事に描き出している。
この内容は、決して中年期だけでなく、人生の最晩年でも味あう深い諦念でもある。いや、青年期の挫折の中で何度も何度も
味わった心象風景である。挫折の底で味わう屈折感は、現状否定した自分が最悪の状況の中で自分の棚卸をしながら、
歪んだ自己肯定をせざるを得ない何ともいえない味がある。この屈折した味わいこそ人生の一番の味わいでもある。
そう考えなければ、どうして耐えることができようか? 何故、粗大ゴミと言われなければならないのか?
そして、それをそのまま受けとめてしまうのだろうか。 分別すれば宝の山なのです!
ただ、その時その時に垂直に立ち上がって分別していればの話だが!   
次回は、藤沢周一の「海鳴り」の一節を取り上げながら、歪んだ切ない中年男の心象風景を考えてみる。
それさえ、ふり返る歳か〜!            (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪〜
・・・・・・・・・
2006年02月09日(木)
1773, 年金の話 −2     ('-'&)オハヨ♪
60歳になって、前倒しにすれば年金が貰える年齢になった。誕生日の前後に個人年金振込みの通知がきた。
家内が15年前から生保の個人年金の掛け金をしていたもので、私には一言もなかったが、それが今年から70歳まで落ちるという。
自動的に簡保に毎年積み上げる仕組みになっていて、70歳からの年金になるという。それを種銭にして旅行でもと思ったが、
そうもいかないようだ。個人年金は、不安ビジネスというが、それをさらに積み立てるとは凄いシステムだ!
二人で月々?0万が入れば、普通の生活は保障される?が、ハイパーインフレが起これば、お終いである。
そして、その可能性が大ときているからやはり使ったほうがよいのか? コーヒーまあ(@゜▽゜)_且~~どうぞ w
都会のサラリーマンの65歳の年金者の平均値として2500万の貯金を持ち、夫婦で月額30万円の年金収入があり、
その30パーを預金にまわすという。 何か日本人の貧乏性の性格が数字にそのまま表れている。
 (字数の関係でカット2009年02月09日)
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2005年02月09日(水)
1408, LOVE&FREE
ー世界の路上に落ちていた言葉−1  ー読書日記ー
図書館で何気なく借りてきたら、読むほどに面白い本である。著者は32歳だが、思い切った生き方をしている。アウトローは
アウトローでしかないが、生き方にバランスが取れているのがよい。バナナ(皮は黄色で中が白)にドンドンなっている典型である。
 ーはじめにー から引きつけられた。
1998年11月から2000年7月にかけて、約1年8ヶ月間。結婚したばかりの妻と二人で、気の向くまま
世界数十ヶ月の路上を歩いた。自分は、三年間続けた会社を離れフリーになったばかりだったし、銀座のOL だった
妻のさやかは、寿退社をしたばかりで、長いたびに出るのは「今しかない」という絶好のタイミングであった。
  ー以下は字数の関係でカット(2008年02月09日)
・・・・・・・
2004年02月09日(月)
 1041, 職業性格形成論
条件と原因とは同義語である。職業は人間の性格まで決定をしてしまう。先日書いた「わたしは悪い不動産屋」の中で、
「不動産業者は瑕疵を探してしまう癖が人間性までも出てしまう」と書いた。その時に以前から書いてみようと
 思っていた「職業性格形成論」をまとめてみたくなり、早速書いている。
・サラリーマンに嫁いだ姉をみていて驚いたのが、ミスに対して異常に 神経をつかっていることである。
 対象のプラスではなく、マイナスのミスだけ眼がいってしまう性格に変ってしまったのだ。組織人だった旦那の影響である。
・母がそうである。いつも話が1・5倍から2倍に膨らむ。
 すぐ上の姉にいわせると、値入れを1・5から2倍にするのが原因だという。そのシビアな指摘に驚いた。
・代議士ならサシズメ数十倍のハッタリが性格になってしまう。 それと虚言癖だ。
・作家も虚言癖の傾向になるか、観察眼で物事をみる性癖になる。
・警官は、全て犯罪捜査の視点でみてしまうようだ。警官という職業自体、必要悪の部分がある。
 国家内の法律遵守の暴力装置だからだ。
・先生は、常に教えたくて仕方がないとか、生徒を比較するように社会も 比較順序をつけてしまうという。
・私の仕事は装置産業、一度投資をすると15年〜20年はどうしようもない。
 あとは社会情勢次第。そうすると、マクロ的な世界や社会に興味を持ってしまう。 
 面白いものである。  そう考えてみると、誰もが自分で思いあたるだろう。
サンマをみると、普段生活があのままという。常に話しまくっているかパフォーマンスをしてないと不安になるといっていた。
TVタレントや俳優は、私生活のすべてが演技の勉強になっている。そして演技と実生活が混同してしまうという。
そこまでいかないとプロとはいえないのだろうが。職業は生きていく上で重要な位置を占めているものだ。
但し、何事も例外の人はいる。当たり前のことだが、泥棒や犯罪も職業にすべきで無い。人間性まで泥棒になってしまうからだ。
いや、泥棒の性格の奴がなってしまうのだ。中・高校の時、粋がって他人の小物を盗みまわっていた人がいた。
泥棒にはならなかったが、結果は似たような人生を過ごしていた?これは「三つ子の魂 百までも」か。
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2003年02月09日(日)
 676, ぶざまな人生ー4(読書日記)
 ー偽善論ー
この偽善論がなかなか面白い。偽善主義者を、もともと偽善者ではないと切り捨てている。偽善者以前ということだ。
善を隠れ蓑にしながら、相手を実害を与え、自分は実利を取ろうとする奴だ。「不幸の事件を逆手に使い、自分はあたかも
最大の同情者のように振る舞い、実利を得ようという輩」だ。これは汚い欺瞞者であり、詐欺者である。身辺に幾らでもいる?!
不可避的な偽善には、少なくとも善がある。真実の善など本当にあるのか。どこでどうやって見分ける事が出来るのか。
偽善をなせ。それを、あるかないかわからない真善に次ぐ、次善となせ。一生偽善をなせば、それが真善である。
−以下は字数の関係でカット(2011年02月09日
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2002年02月09日(土)
 326,イルカのような人
イルカはどんな状況でも楽しみを見つけ遊ぶという。私の身辺にイルカのような人がいる。「今日如何して一日を楽しむか」
それしか頭に無い。オリンピックといえば一月前からそれを楽しみに待っている。始まれば夜半でも寝ずに見る。
ウインブルドンのテニスが始まれば、これも然り。毎日のTVも当然いくつか楽しみの番組がある。一日が楽しむ為にフルに使われる。
昼は誰か友達と安くて美味しいランチを探し食べている。その為か顔までがイルカのようになってしまっている。笑い顔なのである。
必ず笑いのネタを何処からか見つけてきている。働くことは大嫌い!遊びならどんなハードな事でも平気、仕事は少しやると顔がはれ
寝込んでしまう。2〜3人のグループで常に群れているところが、更にイルカに似ているところだ。そういう人は今でいう癒しを
周囲に与える。それが唯一のの社会的貢献だ。こういう人は西欧系の人では当たり前のタイプかもしれない。
我々の年代の日本ではすくないが若い人ではいくらでもいるのだろう。社会学で人間には二タイプに分けられるという。
仕事タイプの人と、遊びタイプの人とに。難しくいうと「仕事タイプをホモ・ハーベン」「遊び人タイプをホモ・ルーベン」という。
いるかのような人は「遊びタイプ」の典型である。これで一生終えるだろう。母親がこれに劣らず、一生を楽しんでいる。
家系からきているから間違いない。人生とは、このような人には幾らでも楽しみを与える。反対の人には、いくらでも苦しみを与える。
何か法則があるのだろう。この視点でみると私はシャチというところ?いや、オットセイか!
・・・・・・・
2月09日  1969年
 昨夜も一昨夜もショックが続く。留年をして、もう一度やり直そうかと言う気持ちが出る。といって今更躊躇するのはオカシイのではないか。
高木も留年という。客観的に耐えられないとしても、一応卒論を書き終えたことは間違いない。いろいろあって動揺をしているのは
解っているが。真面目に考えすぎである。気持ちがボロボロなだけだ。もっと冷静にならなくてはなるまい。


3606, 大相撲八百長事件

2011年02月08日(火)

 結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。 去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、
一部親方衆から八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を消去をしてしまえば大丈夫!
と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、
十両の一勝の相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士との貸し借りにも融通されていたことである。
「関取の互助会組織」が暗黙のうちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。勝ち星の貸し借りの
噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。
本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めたスポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、
目くじらを立てる方がおかしい。 ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰にしたのか?
誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは?
暴力団が仕切っている賭博組織の摘発のためでは?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、ウヤムヤになるのか?
その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。
3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、過去の関取の大部分は、何らかの形で
八百長をしてきていると確信している。最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。
力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団や花柳界との出入りがあって当然のこと。芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。
その異質の世界を、一般の常識で縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 
チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良いだけ。やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか?
 たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。
 ・・・・・・・・
2866, 大相撲が神事? 
 2009年02月08日(日)
大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが「大相撲って実のところ何だ」というと、
いかに曖昧である。「国技」?法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権のネタでしかない。
スポーツ、武道、格闘技それぞれの一面を持っているが、何か違うのである。歌舞伎のようにチョンマゲを頭の上に乗せて、
神主姿の行事が仕切り、その周りを審番が勝負を見守る。政の神事の時の余興で力自慢をしたのが由来という説と、朝鮮から入ってきた
モンゴル系民族が騎馬で日本を制圧、その時にモンゴル相撲も入ったとも考えられる。その面では天皇と深い因縁がある。
神前の儀式での力自慢が徐々に見世物としての芸能になり、大相撲になったのである。力自慢には、それぞれ大名などの
贔屓がついたのがタニマチとして現在も残っている。相撲部屋とは、その力自慢を囲い込んでいたところ。元々、そう上等のものではない。
その歌舞伎+格闘技+興行の混ざりこんだ男芸者衆の芸事?に、近代を持ち込んで批判すること自体がおかしい。
国技、神事とか、真面目な顔をして説いているのは、大相撲パラサイトの飯の種。八百長など、当たり前のこと! これは芸事。
 まともに勝負をするから最近、怪我人が多くなったのである。フェアだというが、それは欧米の考えでしかない。
プロレスの観客は、あれは芝居ということを知ったうえ、悪役をどう倒すかの物語を楽しんでいる。相撲も真剣勝負の妙味もあるが、
力士の15日間の勝敗の星勘定と昇進、陥落の物語を楽しんでいる。初場所では朝青龍という名ヒール役の復活の物語を喜んだのである。
神事、国技というなら、外人を入れるべきでない。面白くするために必要なら、国技などという名をすてるべし。
税金を払うべし。そして、横綱審議会とかいうのを即刻止めるべし。恥ずかしげもなく、よく出てくる姿は微笑ましくもあるが。
息抜きの話題には丁度良いが・・・レベル的には週刊現代のネタというところだ。
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 3241, 中学同期会にて
 2010年02月08日(月)
 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 
サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、
全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、
語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの輸入品に押され県全体が悪化している。
それに従い、高齢化も含めて元気が無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない  (2)社会的役割の喪失  (3) 貧困と孤独  (4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え                  
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏  (10)成熟と衰え   
 その一歩手前というところ? どれもこれも、これから誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから 
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。それ以外は、まだだが、いずれじわじわと
、くるのだろう。  人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、その質が左右する。
 中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年のように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。
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2008年02月08日(金)
 2501, 無くてはならぬもの −8
 おはよ〜(>ω<。)!!
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に
陥る瞬間が多くなる。これが人生の秋口の心の風景なのだろう。早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが、遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。
しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、
生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
 P−37 アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、あの狭き門という題は聖書の
有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」
(マタイによる福音書七の13−14)この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って
自分の妻にするのであるが、そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りをひらこうとするのだが、
どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門からは
いろうとされるだろうか門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。「求めよ、されば、与えられるであろう。
捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた
イエスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。
 P−38 「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして
生きてきたことを告白している。自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。それなら、
人々に対してもそのことをしてやるべきである。人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
この黄金律は、本当の人生の旅路において幾らでも応用のきくルールである。 だから黄金律と言われるのである。
*「求めよ、されば、与えられるであろう。捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」
*「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
*「自分を愛するように、隣人愛しなさい」
*「右の頬をはたかれたら、左の頬を出しなさい」などの黄金律が40年近く経って、 その意味の深さが少しずつ理解できるように
 なったということだ。 でも、難しいが、ことあるごとに口にしていれば、少しは実行をするだろう。ボランティアか〜。 
 群れてでも、しないよりよいのか?群れる何処が悪いのか? 群れることは、それより悪いのか?
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2007年02月08日(木)
2137, 占いと、細木数子について −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 *細木数子には、驚いた!        
細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。ところが、ここに来て復活。
歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。
 (字数の関係で中間カット2009年02月08日)  
まあ読んでいるだけで、悪臭がプンプンとしてくる女ヤクザの経歴を持つ。人間の本質を知る上で、女ヤクザとしての
熟成されたテクニックを使った、竿の先の針の餌としての占いとしてみると即興劇を楽しめる。
何で、こんな女をバラエティー番組に出すのだろうか?そこまで日本が病んでいるということだ!  
でも、この履歴は面白い!履歴をみるかぎり、塀の向こうには落ちてないから強かだ。 ーまだつづく¥(*^_^*)\バイバイ
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2006年02月08日(水)
 1772, “サラ川"入選100作品  おはよ〜(>ω<。)!!
この時期に毎年の恒例になっている「サラ川」が発表された。 私が選んだベストファイブは
・48  セキュリティ 一番手薄な 妻の口    無給警備員    ・57  散髪代 俺は千円 犬 一万   下流の夫
・59   鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ   物は考えよう  ・64  人生の 第二職場は 妻の部下  世の常人の常
・81   マイブログ 立ち上げたけど 話題なし   磯仁
 私の場合48は 「セキュリティー 一番手薄な 俺の口」になるが、どれも切ない話題ばかりだ!
  ーまずは読売新聞の記事をー     ~~旦_(^O^ )お茶!どうぞ〜
“サラ川”入選100作品、家庭などの“悲哀”映す「刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた」――。
第一生命保険は6日、昨年11〜12月に募集したサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。
今年も、サラリーマンの家庭や職場での“悲哀”を世相とともに映し出した秀作がそろった。
中でも、「小泉劇場」の流行語を生んだ昨夏の衆院解散・総選挙をテーマにした作品が目立った。
ー「チルドレン 昔『かすがい』 今『刺客』」と、子どもの心をつかみかねる父親の心情から、
ー「総選挙 家では妻が 総占拠」と家庭での孤立を描いた作品もあった。
 また、「熟年離婚」も人ごとではないようで、
ー「離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)」
ー「年金の 出る頃妻は 家を出る」との不安を抱いており、
ー「妻準備 いい日旅立ち 退職日」 とならないことを願うばかりだ。 このほか、
ー「我が社では 部長のギャグが クールビズ」  ((((;-”-))))さ 寒い・・・・・・
ー「檄とばし 部下のヤル気も 消しとばし」 と上司への愚痴は相変わらず。     
 また、景気は上向いてきたとはいえ、
ー「“軽くヤバイ” ぜい肉よりも 我が会社」とサラリーマンの心配は尽きないようだ。  (σ・ω・)?
 第一生命は3月17日まで投票を受け付け、5月上旬に「ベスト10」を発表する。
             (2006年2月6日22時11分 読売新聞)
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ー“サラ川”入選100作品ー51以降は字数の関係上カットしました。
  (字数制限のためカット 2011年2月8日)
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2005年02月08日(火)
 1407, 大雪について
この大雪が、19年ぶりという。逆にいえば、1〜2mの雪が積もるのが19年ぶりでしかないということだ。
子供の頃は、毎年のようにこの程度の雪は降っていた。それが38豪雪(昭和38年の豪雪)以来、年々積雪が少なくなってきた。
そして、19年前の豪雪を最後に暖冬が続いてきた。温暖化現象の一つだが、近くの柏崎原発が直接的な原因である。
19年前の雪は、いやに記憶に残っている。東京で、学生時代のクラブの集まりがあって、ブーツで東京に行った。
その時に銀座で飲んだが、そこのホステスが帰り際にかなり厳しい一言を言われた。「銀座に長靴で来る田舎者がいる」と。
こういうことしか憶えていないものだ。それと長岡に帰ってきて30年間で一回だけ、屋根の雪下ろしをしたことだ。
それ以来は、積もっても1m位の為か、長靴は殆どはいてない。今年もこれでおしまいである。ブーツを履いて出勤したのは
三日間だけ。ニュースで見るほど大変でもなんでない。駅から近いということもあるが、何処も住んでいればプラスもマイナスもある。
19年ぶりでも、この程度だから冬国のマイナスなど何ということはない。町なかに居るから言えるのだろうが、
といって大して変わらないだろう。表日本の人が持つイメージと現実は全く違う。
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2004年02月08日(日)
 1040、ドタ勘
ある経営者の言葉の「ドタ勘」が印象に残った。ドタキャン(土壇場でのキャンスル)をもじったのだ。
土壇場の勘を信じて、決断していくしかない時代になった。そこまで日本経済は追い込まれている。
ぎりぎりのところで、思い切った現場からの叩上げの勘と判断を信じて実行をしろといっているのだろう。
その感覚が今の日本に欠けているという。自信を失っているのだろう。その場限りの対策しか立てられなくなっているのが、
日本が現状だ。アメリカ従属国家の末路のこの時期、日本に必要な開き直りの言葉でもある。何度か創業を経験をしてきて、
実際のところ格好いい理屈はなかった。ドタン場の勘で、発狂状態?になって突き抜けてきた。崖っぷちに立って初めて
知恵と勘がでてくる。集中せざるをえないからだ。積極一貫とは、前向きに極み(崖っぷち)を積み重ねることである。
しかし、その極み立つためには緻密な計画と長年の準備が必要である。それが見えるのは、それをしてきた人間だけである。
その他の人には、それがドタバタ「勘」にしかみない。ついているという「運」の良さにしか見えない。運が良いとは勘が
良いということである。勘が良いとは、経験からくる暗黙知が良いということだ。暗黙知とは崖っぷちで積み重ねた知識と
研ぎ澄まされた深い眼である。それこそがドタ勘である。 解ったような事をいえた柄でないか、本当!
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2003年02月08日(土)
 675, ぶざまな人生ー3
  ーおれ様の人生と馬の骨の人生ー
この本にはなるほどと合点する面白い内容がいくつもあった。
 人間の存在とは
1、この世でたった一人しか存在しない人間ー「自分」・・「自分様・オレ様」
2、他人から見ると、その他大勢のなかの一人 ー「自己」・・「馬の骨」
 この二つを同時にもつ存在である。この二つの認識を持つことが重要である。
個人主義とは、もともと集団的価値よりも個人的価値を上位に置く対集団的な考え方だが、それが個人に向けられた時には、
たった一人のオレ様である。お互いに馬の骨同士「個人」であるがゆえに、お互いの唯一性を尊重することになる。
それが個人主義であり、その領分を守るのが自分ー自らの領分である。利己主義は、自分だけがこの世でたった一人しか
存在しない人間としか認めない。他人と自分の領分も理解できない輩である。以上が「オレ様と馬の骨論」である。
人と話していて驚くことがある、ある二代目が皮肉交じりに「お前は金儲けだけは上手いからな!」と私に言ったことがある。
この言葉の論外に「オレ様の仕事は金儲けでなく、お前ー馬の骨のやっていることは金儲けでしかない」という自惚れの
気持ちがありありであった。「人間とは自分に都合のよいように自分を買い被っている存在に自分で気がついてない」と、
呆れたのを憶えている。この手前勝手さは誰もが、勿論自分も形を変えて基本にある。それがこの馬の骨論で、ずばり書いてあった。
「みんなが大将!というところか。私が怒ると知らずと「あの馬鹿が!」とか、「あの馬鹿どもが!」という言葉が
頭をよぎるが、おれ様という意識がそう言わしめるのだろう。以前「世間様」論を書いたことがあったが、
世間様とは自分の領分をわきまえない集団主義者のことである。いや集団主義というより仲間主義の連中である。
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2002年02月08日(金)
 325、いまによくなるさ!必ず!
こういう時代だから、この言葉が大事だ!といって、これは手を打っての話だ。「最善をつくして天命を待て」の時の言葉だ!
考えてみたら、心の奥で何時もこう呟いていた。歌に「明日がある、明日がある、明日があるさ・・・」とかいう歌があった。
「明日がある」も似た言葉だ。「何とかなるさ」も同じ意味か。今更、一休和尚の話しをしても仕方がないが敢えてする。
「死んだ後どうにもならなくなったら開けよと、一通の封筒を残して死んだ。そしてどうにもならない時に開けたら(どうにかなるさ!)
と書いてあった」実際今まで生きてきて何とかなってきた。そして良くなってきた。実際起こりうることより、それに対する不安の方が
10倍は大きい事は、誰も経験済みである。海外旅行ほどその段差を実感する。今の悪い状態に対して悲観するのでなくて、
よくなる方策を考え抜き実行すればーーーー「今によくなるさ!」「今の日本はそれをやっているのだろうか?」
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 2月8日 1969年
小林が寮に約束どおりに訪ねてくる。彼と話しているうちに、若さとエネルギーの新鮮さに感化されてしまった。
私の卒論を見せると、構成のいい加減さをつかれる。昨日日以上にショック。一年がかりに書いた卒論も基礎と
基本のいい加減さを見透かされた。自分の為の自分の作文でしかなかったのか。根本からやり直すことは今更むりである。 
先日の反撃をしたかったのだろうが。いま気がついたことは、破ったと信じていた殻から、全く出てなかったことだ。
友人の批判に耐えられないレベルということか。批判者は批判者で気にすることはないが、隙をつかれてしまった。
動揺が一日一日と激しくなる。卒業間近というのに。いや間近だから動揺しているのだ。


3605, 大行進〜中国“小皇帝

2011年02月07日(月)

 BShi で2月5日(土)午後8:00の「大行進〜中国“小皇帝”たちの孤独〜」が濃い内容であった。 まずは、紹介文から
≪ 急激な経済発展で増加した中国の新富裕層。たった一人の子どもが大事にされ、何不自由ない環境とモノや金が与えられる。
“小皇帝”と呼ばれるその子たちの中には、親に暴力を振るうなど、問題行動を起こす子どもたちが増加している。
そんな手に負えない「悪童」らを更生させようという、型破りな民間学校が10年前に開校した。名物授業は2週間以上も歩き続ける
400キロの「大行進」。10tトラックで寝起きして毎日およそ8時間、平均40キロを歩き、精神的な達成感と自信をつけさせること、
そして農村にホームステイさせてもらい、社会体験を積むことが目的だ。番組では大行進する子どもたちに密着。
家庭の問題や将来への不安など、彼らの本音に耳を傾け、歩き続ける中で自分を見つめ、成長し、あるいは葛藤する姿を追う。≫
 ――
 深く考えさせられる内容である。日本で似ているのに「戸塚ヨットスクール」がある。これほど厳しくはない。
ここで収容されている何人かの小皇帝を通して、それぞれの親子関係と本人の抱えている問題が浮き出てくる。
何らかの問題は家族の中にある。 集団生活の中で、日記を書くことや、掃除、互いへの思いやりが出来ていくプロセスを
淡々と映し出されている。 家庭生活を通して父親、母親、そして兄弟から多くを学んで育っていくが、両親が共働きで
一人っ子にはモデルがない。その結果、親も子供も戸惑っている。10歳までの教育、躾で人生は大方決まってしまう。
それを10代後半に修正するのは並大抵ではない。 考えてみたら大人数の家族の中で色々の葛藤と、教えがあった。
身近に、色々な人生を見るのは刺激が非常に強い。ある意味では、この訓練校の中のようである。 中国の一人っ子政策の歪みは
マクロ的にも必ず出てくる。「流砂の民」の傾向が強くなり、エゴ丸出し国家の要員になる。 日本人の無気力より良いか?
・・・・・・・
3240, 一日、一回でよい
2010年02月07日(日)
「一日、一回でよい!」が、一ヶ月間の諺の‘日捲り’にあった。ツイッターを始めようかどうか迷っていた時、
「まず一日一回書き込むことから始めた」という勝間和代の言葉に触発され、まず一ヶ月間続けてみようと実施してみた。 
成るほど続けていて「広い異世界を垣間見る面白さ」に気づかされた。 一日には、朝、昼、晩、夜半と一つのリズムがある。 
これに沿って一つずつの習慣を積み上げ、第二の天性を作りあげることでプラスの変化をもたらすことが可能になる。 
ウォーキング、随想日記、起床直後の仏前の祈り、新幹線車中の読書など、一日単位の習慣の重なりがある。 
その一日単位の習慣の組み合わせが、その人そのものとなる。さらに週一度の習慣、そして、月、年に一度の習慣を付け加えていく。 
特に朝晩にベストの習慣を身につけることがポイント。洗面、トイレ、風呂、三度の食事も、子供の頃から習慣付けられてきたものがある。
 秀才とは、予習、復習の習慣のある人。天才とは得意を遊びにした人。 一日千回、せめて百回「ありがとう」を繰り返すとか、
般若心経を唱えるとか、考え方の意図的なカタチつくりも必要である。 『まずは一日、一回の厳守から』習慣づくりは始る。
しかし、これがなかなか難しい! 年に、月に、週に一度といえば、色いろある。それを自分の絶対言明にして、
その実行をしていくことが自分つくりということだ。この随想日記も、出始めは同じだった。 あと一年三ヶ月で十年になる。
 ーたまたま去年の同日に、同じようなことを書いてきた。
・・・・・・・・・
2865, 一つのことに一万時間没頭
 2009年02月07日(土)
昨日の日経で、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が全面を使った広告で
「今、若者たちへ」という次世代に贈るメッセージを語っていた。
その中に「一つのことに一万時間没頭しよう リベラルアーツ修め、『志』を打ち立てよ」がよい。
 ーそれを要約すると
・若者は「とんがる」のが20代の仕事! 自分の能力の限界に本気に挑戦する数年を過ごすべき。
・そのために何か一つのことに一万時間を費やすべきだという『一万時間説』を唱えている。
・そうするとヒトカドの人物になれる。プロとして認められれば同じような集まりである『鉱脈クラブ』に入会できる。
・大事なことは、一万時間も費やして獲得した人脈、知識、スキルをその後人生にどう生かすかである。 
・そこで求められるのが「志」、30代に志磨きをすることが必要となる。
 志を磨くには、まず、自分が何のために生まれてきたか、社会のために何をなすべきかという『自己認識』が必要。
・そこでは、国際社会で通用する高い教養が必要になる。 その第一歩が自国の日本のことを深く知ることである。
   人間性を磨く、要は教養を深め、専門性を磨き、人を説得する努力が求められるということ。
 −−
 これは決して若者だけではない。我われにも当てはまることだ。一万時間という言葉で気づいたことは、この随想日記、
8年弱続けてきたが、8年×365日×3時間=8760時間で、あと二年で一万時間になる。なるほど、と自分で納得している。 
あくまでアマチュアだが、一日も欠かさず続けた効果は絶大であった。 あと2年で10年が大きな節目である。 
書き続けることの深さを体感できたのが最大の収穫である。塵も積もれば山である。20人位の人が見続けていたようだが、
いや30人か? その人たちとは、ここでいう鉱脈クラブでつながっているのだろう。8年間で自分が大きく変化してしまった。 
 ー効果の一部を思いのまま書いてみると 
・一番の収穫は、書くことが面白くなったことだ。 ・それと自分に自信が持てるようになったこと。 
・自分の限界がはっきりと見えるようになったこと。・プロのモノ書きの凄みが見えるようになったこと。 
・本の速読が飛躍的についたこと。 ・ものごとの本質の把握力がついたこと。  などなど、あげると限がない。
 もっと分かりやすくいうと、以上の文章を三十分で書けるようになったことである。 で、どうした?どうもしないが!
 定年後に何をすべきか? これまで出来なかった何かを見つけて一日十時間、三年間集中してみたら!群れてないで。
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2008年02月07日(木)
2500, 県民所得格差
 ある新聞社のHPの記事をまずコピーしてみてから、地域格差の問題を考えてみよう。
 −−
 地域間の所得格差を計る代表的な指標は、人口1人当たりの県民所得。この県民所得は個人所得の他、
法人所得も含まれており、個人の所得水準というより地域全体の経済力を示している。
 2005年の上位1〜5位は、東京都、愛知県、静岡県、滋賀県、神奈川県の順である。上位5県の平均は、362万5千円である。
事業所が集中しており、昼間人口の割に夜間人口がない東京都は478万円とやや特別な高さとなっている。下位1〜5位は、
沖縄県、高知県、青森県、宮崎県、長崎県と南北の遠地で構成されている。下位5県の平均は215万7千円であり、
上位5県の平均はこれの1.68倍となっている。 高所得5県と低所得5県の間の所得格差は1961年の2.32倍から
高度成長の時期における工場の地方分散などにより1975年の1.58倍へと縮小した。
 その後、地域間格差はほぼ横ばいの状況となったが、1980年代後半のバブル経済の時期には
やや格差が拡大した。その後の景気低迷の中で、景気対策としての地方への公共事業の
重点配分などの結果、さらに地域間格差は低下し、2001年には1.55倍と過去最低となった。
 ところが、その過程で、公共事業抑制、行財政改革、地方分権改革など、「改革なくして成長なし」を合い言葉とした
改革路線が本格化し、それに伴って、地域間格差も4年連続上昇し、2005年には1.68倍へと上昇している。それでも
高度成長期以前の地域間格差と比べるとなお格差のレベルは低く、諸外国と比べても地域間格差の水準は低くなっている。
ーー
以上だが、数年前に長岡は東京のの6割、新潟は7割の所得と聞いていた。
しかし、2005年度で、新潟県平均で6割というから、中越地震と、中越沖地震の影響で5〜10?は落ちたので50?を
割った水準だろう。物価とか、家賃とか他に諸々を考えると20~30?は低いので、都会との生活水準は八割位であろうとは、
感じてはいた。去年、静岡県の島田市に学生時代の友人のところに遊びに行った。彼はトヨタ系の自動車部品メーカーの
下請けの社長だが、静岡県を案内してもらっているうちに、新潟県との空気の違いを感じ取った。
車は中型車の新車が目に付き、家は新しい上に、道路や公園が整理されているのである。
ここはアメリカ?という感覚になってしまった。角栄が政治的に健在だった時の新潟県の豊かさを見ているような・・。
   (字数制限のためカット 2011年2月7日)
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2007年02月07日(水)
2136, 占いと、細木数子について −1   o_ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニ パッ  オハヨ〜
私は占いに興味がない。 ただバカバカしいからだ。ありゃ、??向けのものでしかないのは、
ジャリむけ女性週刊誌の定番商品であることが、そのまま実証している。
そこで理屈として「占い」を考えてみよう。その扱い心理商品は、「不安」と「「悩み」そして「物語」である。
(以下、字数の関係でカット2009年02月07日)          b(^o^)ノ バイ! 
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 2006年02月07日(火)
1771, 老いを生きる意味                    ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!  
 図書館で立ち読みして思わず吸い込まれて、借りてきた本である。還暦を過ぎたためだろう!
 その中の「老いのキー概念」が考えさせられた。 一つずつがシビアで、煉獄を思わせる。
(1)居場所がない (2)社会的役割の喪失 (3) 貧困と孤独 (4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答) (9)ボケと過敏 (10)成熟と衰え
 以上のそれぞれの項目は深い問題であるが、デッサン的に取りあげていた。
 北欧で老人が公園で何もすることが無く、寂びしそうにベンチに座っている姿が眼に焼きついていたが、
内面の複雑な心までは感じ取れなかった。それぞれの項目ごとに、過去に出会った老人の患者の逸話が具体的に生々しい。     
両親、特に母親を見ていて、この全てのプロセスが悲しく可笑しかった。そして自分も10〜20年で、一つずつ
直面していくことになるのだろう。それまで生きればの話だが。父は70歳、(70歳で末期がん、71歳で亡くなった) 
母は80歳までの人生であった。(82歳より痴呆、88歳で亡くなった)
ある医師の対談で「‘70代後半に痛みのない癌で死ぬ’のが、私が見てきた理想的な死だ」
という話が印象に残っている。 その意味では、義父は理想的な死だった。
私ごとの話だが、理想的な50代を過ごしたが、理想的60代はどう過ごすか考るのが、今年の課題である。
 60歳代前半は後継者への引継ぎの期間、後半は40〜50回の秘境ツアーに集中!が大きなデッサンである。
そして70歳代前半は人生の後始末で、70歳後半〜80歳前半で癌でさらば!  ☆ミ(o*・ω・)ノ サラバジャ!!
 後は野となれ山となれ、というところだ。そういうものと思って生きていれば、気が楽になる!
・・・・・・・
2005年02月07日(月)
 1406, フリーター漂流
 一昨日のNHKスペシャルの「フリーター漂流」に、考えさせられた。フリーターを臨時採用する会社があって、
その会社は(派遣ではなく)下請けの立場で、「フリーター」を工場に送り込む。ラバー(単純作業労働者)を、
下請けとして契約相手先の工場内で作業をさせる。元請は契約下請け作業員を直接工場で働かせているにすぎない。
 (以下、字数の関係でカット2010年02月07日) 。
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2004年02月07日(土)
1039, 鳥インフレエンザ
・[人から人の感染阻止に全力 最悪なら10数億人感染も ありうるとのこと。
 アジア各地で猛威を振るう高病原性鳥インフルエンザについて、世界保健機関の西太平洋地域事務局の
 感染症地域アドバイザー、押谷仁博士(44)は一月三十一日、マニラで共同通信のインタビューに答え
「最悪の場合、 世界人口の30%が感染する事態も想定される。封じ込めが緊急の課題だ」
 と指摘、国際社会が対応を誤れば十数億人が感染する恐れもあると警告した。]
・「SARSはむしろ封じ込めやすい病気。ハクビシンなどの動物から人に 感染したとみられるが、その後は重症者からしか
 広がらなかった。だがインフルエンザは無症状の人からも広がる」 如何して、これに対して問題にするかといえば、
 スペイン風邪の過去の事例が あるからだ。
ー上記は鳥インフレエンザのweb上の記事の内容である。
今回の鳥インフレエンザはスペイン風邪より性質が悪いといわれている。冒頭にあるように、最悪の事態も考えられる。
もし世界に蔓延をしたら大パニックになる可能性を含んでいる。スペイン風邪は 1918年、当時の12億人の半分にあたる6億人が罹り
2500万とも5千万人が死亡したといわれている。スペイン風邪も当時の氷づけの遺体の細胞から、鳥を感染源にしていると
昨日の新聞に載っていた。当時は第一次世界大戦の為に、情報コントロールがあり人類史上の最大の事件にもかかわらず、
あまり取り上げられてこなかった。エイズ、狂牛病、SARS、そして鳥インフルエンザと人類にとって
大問題の病気が次々に起っている。背後に何かあるのではとさえ思われるほど危ない事件ばかりである。
スーパーの店頭は毒の山と聞いていたが、マンザラ嘘でもなさそうである。
何を食べたらよいか迷ってしまう。ベトナムやタイなどでは鶏がどこにでもいて生きた鶏を市民が買って調理している。
こういう環境では感染が広がりやすいという。海外旅行の代理店は、まさしく踏んだりけったりである。
アフリカ、中近東、アメリカ、そしてヨーロッパは駄目。そこで中国、東南アジアに活路を求めていた矢先、
そこも駄目なら文字通り八方塞がりである。何かのキッカケで世界恐慌になる可能性も含んきた。
ところでSARS騒ぎが全く出てこないのが不思議である。中国では情報コントロールでもしているのだろうか。
 ーーーー
ー以下はスペイン風邪についてホームページから調べた内容であるー
・スペイン風邪
大正 7(1918)年の春から翌年にかけ、世界中で猛威をふるったインフルエンザ。発生はフランスのマルセイユといわれます。
当時、ヨーロッパでは第一次世界大戦の最中であり、西部戦線でにらみあっていた両陣営で爆発的に拡がり、
まもなくフランス全土を覆(おお)い、やがてスペインへと拡がっていきました。 また、ほぼ同時に中国・インド・日本でも発生、
スペイン風邪は短期間で世界中に蔓延することとなりました。当時世界人口は約12億人でしたが、なんと2,500万人が
スペイン風邪で死亡した(一説には4,000万人)といわれます。30人に1人も死んだことになる。現在なら2億人が
死んだことになることを考えると、想像を絶する出来事であったのだ。日本でも2,500万人が感染し、38万人が死亡しました。
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2003年02月07日(金)
 674, ぶざまな人生−2 (読書日記)
立ち読みをもとに、前回「ぶざまな人生」というタイトルで書いた。
先日、本屋で再び立ち読みをしたら、「前書き」と「あとがき」が余りにも面白い内容につられて
思わず買ってしまった。下手な要約を書くよりずっと文章に味があるので、そのまま写し書きする。
  ーー表紙ーー
 ーぶざまこそ人生の醍醐味と見つけたり!
人生50年も生きていれば、時に不偶感に苛まれ自信を失い世間に屈してしまうことがある。金がない、愛されない、
学歴がなく社会的地位もない、有名でもない、おまけに流行にもついていけない。だが、これらはけっして「ぶざま」を
意味しない。人生とは他人に見せるものではなく実際に生きるものだからだ。
「人間の人生」(=運命)に翻弄されながら、それでも「自分の人生」(=意志)を垂直に立て生きようとすること、
それだけが決定的なことなのだ。「ぶざま」を自覚しなければ、生きている資格がない。
 (以下、字数の関係でカット2010年02月07日)     ー 続くー               
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2002年02月07日(木)
 324,中村天風
この人の本を読んで人生観が変わった。基本は人生は「積極一貫」である。
言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。
「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。
 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。
・「積極一貫」がその中心   ・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。
・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。常に注意を払い,充分に気をつけていなくては。
・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。その為に、「独りだけの時間」をもち、
 「心を澄み渡る」ようにしておくべし。 そうすると「感受性」が高まる。
ー最近また天風の本を一日一回目を通している。理由は簡単である、トイレに置いた。
 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。 単純なものだが、何か力が底から湧いてくる。
 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。
「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。それが自分の義務だもん」 -天風
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2月7日 1969年
9時起床。 10時に食事。 その後、登校後に人事管理の試験であった。まあまあのでき、よくて優、悪くても良だろう。
試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授のところに行くが不在であった。アメリカの、グリーンスパン教授と
親交がある人だ。その後、三人でボーリングに行く。150点、私としては上出来であった。その後、帰寮。
19時半から、私の追い出しコンパだ。今までは送る立場であったが、今日はついに自分の番である。
蒲生と高橋をのぞいて全員が出席をしてくれた。少し白けた感もあったが、最後まで永田さん、市川さん、
間中、佐藤、尾形と残ってくれた。酔っていたが、市川さんに「私から全てを吸収しきってしまった」という。
まあ、そうだろう。最後に佐藤が泣いてくれたのは嬉しかった。それにしても、市川さんとは、この二年間は
週末は必ず食事に行っていたのに。如何したことか解らない。そんなものか、この男は。ショックであった。
一人一人、いろいろなカタチで別れていかなくてはならない時なのだ。それにしても、市川さんの最後の言葉は
何なんだったのか。怒るより、むしろ呆れてしまったというのが本音である。
寮にそのまま居座る為の、デモンストレーションのつもりなのだろう。 毎日毎日が、あまりに刺激が強すぎる!


3604, 旅ばなし 小題 

2011年02月06日(日)

    * カナダ・ロッキー山脈の感動
 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 これが地球上に存在しているのか? と。
バスの中で眠り込んでフッと眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 
しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の
線がひかれたようだ!」という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。タイミングとして初めて広大な
大自然を見たのが良かった。グランドキャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 
私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。大自然の壮大なパノラマに対する感動が、
自分の心に深い何かを与えられた初めての経験であった。  
  * 秘境ほどトラブルが大きくなる
 あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。
それを逆に楽しむのが通というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じで、受け止め方の問題になる。
波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。
トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味になる。 良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。
(例外もあるが?)そして、遠く離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。
神とは宇宙の織り成している力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが神の姿に思えてくる。
  * 323,ある時間の断片-1  2002年02月06日(水)
 モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。
4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、
もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。その話しが面白い!といって
今回の観光のピークの場面。その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか本当に迷ってしまった。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。
それは座る場所で決まるのだ。家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
 その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。
誰も知らない秘密を私だけがしっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」
と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!
家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。
同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
  ネタはツキマセン! このての話しなら!
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3239, 閑話小題
 2010年02月06日(土)
 * 朝青龍の引退
 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情する向きは少ない。「一人横綱を4年続けたプレッシャーは
想像を遥かに超える。それを一年経験しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 
解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレードでモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、
「あれは変だ」とマスコミは口を噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて一番強い力士。
あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無かった。 来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、
もし残留しても同じような問題を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。その段差に、
数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。
  * ツイッター、その後
 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計りしれないが、それ以上に、この社会に与える
インパクトは大きくなる。要はモバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。
多くのブロガーが、ツイッターで多くの人と繋がる機会が爆発的に増えることになる。写真や動画を気楽に
受発信できることがよい上に、140文字に制限されていることとが、ずばり本音を語るしかないのが逆にプラスに働くからよい。
無作為にチャットの相手を選んで話すサイトもある。オノヨーコなど有名人のツブヤキもリアルタイムに見ることも可能である。 
ここ、暫くはツイッターを通して娑婆を覗いてみるつもり。軽薄もまた、良いものである。
ジックリと哲学書も読んだ上にすれば、更に良いのだろうが。
  * 昨夜は、中学校同期会の幹事会
 幹事会といっても、20人が集まるのだから凄い。以前は同級会だったが、亡くなったり、転居、そして??で、
何時の間にか同期会に代わってしまった。 その三分の二が女性。 地方の街中の中学校だったことあり、
どちらかというと派手だが、堅実なタイプが多い。 長女か長男で、「家に縛られ大学に行けなかったのが残念だった!」
というのが、大方の愚痴。 当時の大学進学率は15パーセントで大卒は少ない。あの人と付き合っていたとか、
デートをしたとか昔の何の暴露のしあいがリアルで、ほのぼのする。 
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2864, 「要約力」を要約する
2009年02月06日(金)
  「要約力」         ー読書日記
 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換えることも出来る。
 毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。
 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。
 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。
 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。
  ここで「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」
 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、
 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、表現する能力」としている。
 −要約には1.ストックと2.フローと分け、
 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、要約カプセルと名づけている。
  −要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。
  「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下)
  前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。
  更に印象に残った部分を抜粋すると
 ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること
 ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要
  感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。
 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる
 ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報のエッセンスとし
 ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」「とどのつまりは…」
  「でも、本当にそうなの?」「なるほど」
 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる
 ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる
 ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、
  各論に入るのが速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。
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2008年02月06日(水)
 2499, 無くてはならぬもの −7
  − 一度だけの人生  ―どこに根を張るか−  〜2
 P−197  私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。
 「何をするか」ということを問題にすべきである。自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶこと。
 自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。 一流大学でなければいいところに就職できない、
 など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
 あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。
  解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。学問は、その意志ー目指すべき人生を
 学ぶことでもあるから、一概には言えない!それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 P−206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように思われる。意味がないから、
生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、
それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれる
ことがある。しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。祈るときキリストは私の前に立ちたまう。
私は独りではない。人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、
神を信じろという言葉に等しい。その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。
・・・・・・・・・・
2007年02月06日(火)
 2135, 時間についての一考察 −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の
『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い!
  ーーーーー
 在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?精神でさえも現在に属しているというのに、
どうして我々がそんなことを望むのだろう? 人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。
天国や約束のように天空の中に隠されているわけでなく、牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。
我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として
生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」今日を楽しめ!ということなのだろうか?
それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。 
現在は変わりながらも連続しているのだから。だから、永遠を楽しめ! それは瞬間を生きるということなのか?そんなことはない。
瞬間のうちで、試験の準備をしたり、休日の計画をたてたり約束を守ったり、友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。
では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。未来において、はたらいたり、楽しんだり、やりくりしたり、
愛したりできるはずもない。現在だけが行為の唯一の場であり、思考の唯一の場であり、記憶と期待との唯一の場である。
それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、あるいはカイロスとしての世界である。存在が時間の中にあるのではない。
存在が持続するからこと時間があるのだ。現在を生きるということは、どういうこと?
たんに真実に生きるということだ。 我われはすでにその王国中にいる。永遠、それがいまなのだ。
  (字数制限のためカット 2011年2月6日)
・・・・・・・・・
2006年02月06日(月)
1770, 閑話小題  才ノヽヨーφ(・ω・`)
ー倒産にみる地域性
 (字数制限のためカット2010年2月6日)
・・・・・・
2005年02月06日(日)
1405, まよったときは運命を信じなさいー3
 −三つの部屋の物語ー
寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングをして半月以上になる。以来、夢が次から次に出てくる。
現在抱えている問題や過去が、夢の形で迫ってくる。心の奥に閉まってある問題が、現在の問題と何らかの形で繋がって
短編の物語になっている。人生、59年も生きていれば、多くのことがある。 今まで袋に入れて、入り口を紐でしっかりと
縛って出さないようにしてきたが、過去の日記を書いたり、本を読み込むうちに溢れ出始めたのだろう。
そして傷口が傷むのだ。怒りは見えない形での傷口の悲鳴の変形ではないだろうか。怒りは、その傷口からの叫びなのか。
潜在意識とは、つくづく複雑で深いものである。心理療法の映画を見ていると、心理カウンセラーが心の傷を探して、
その傷口を治療するプロセスを面白おかしくストーリーにしてある。
「迷ったときは運命を信じなさい」の中のギリシャ神話の神の「光りのイメージト・レーニング」は、
自分の原型探しの他に、自らが光りのイメージになることが、癒しにとってリアルで驚くほど効果的である。
ところで、私のストーリーをつくってみたくなった。 私の心象風景でもある。
 ーー
ー三つの部屋の物語ー
地下へのトンネルのあった家から一度出て歩いていると、古びたレンガつくりの田舎風なホテルがあった。
そこで、そのホテルに泊ることにした。何か魂が休まるような感じのよいホテルである。案内されたホテルの部屋は思いのほか広い。
見渡すと隣の部屋へのドアがあった。家族連れなど大人数の為に二室を使う時のドアである。そのドアが半ば開いていた。
中を見ると小さいスペースがあり、光り輝いていた。一歩入ると、自らが光りになったような感じになった。
そして更に三室のドアがあり、それぞれの部屋の名前が書いてあった。「未来の貴方の部屋」「亡くなった縁故者の部屋」
「無限宇宙空間の部屋」そこで先ず「未来の貴方の部屋」に入ってみた。何と10年後の私と、20年後の私と、生まれる前から
亡くなった後も包み込んでいる私が立っていた。先ず10年後の私が、肩に手をかけてソファーに優しく導いてくれた。
そこで、緊張をしている私に向かって、にこやかに話し始めた。彼は、「これから先の貴方の10年間を全て経験してきた」。
そして、慈愛の目で私の心の奥を覗き見るようにみて、「私を知りたかったら、十年前の自分を見つめなおしている今の貴方が、
そのまま私である」と、語りかけてきた。                 ー づづく
 ・・・・・・・
 2004年02月06日(金)
 1038、「わたしは悪い不動産屋」−2
 以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。
この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。
真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。
その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が
含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。
知り合いに面白い善意の不動産屋がいる。自分は何もそれが彼の仕事である。ところが、それを親しい人間にも、それをしている。
そのことを自分で全く解ってない。純粋で、善意で、無意識で、人間の瑕疵をさがしてしまている自分に気が付いてない。
その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。
 ー商売性格形成論を今度かいてみよう。
不動産業の業よりも、誰もが持っている人間の業であるが。人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。
人間論になってしまった。まあ他人事でない。違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。
生きるということは、こういうことなのだろう。純粋性の恐ろしさと、深さがある。不動産屋は、なるべく相場より安く
値づけをして早く商売を成立させたい。その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。
不動産取引は、情報の売り買いである。長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。
蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。
そして無くてはならないビジネスである。 不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。野球のバッターに例えると
・バント専門                 ・ヒットバッター
・ホームランバッター             ・代打専門と、それぞれの特性がある。
・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う  ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする
・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割〜半額を
もらうことを裏契約をして共同作戦をする人 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。
 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 トンビという仕事もある。事務所を持たないで、
情報を売り買いしているハイエナ的な仕事。饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
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2003年02月06日(木)
 673, 笑点
毎日新聞で,毎週日曜日の夕方のTV演芸番組の「笑点」を特集していた。
ー要点を書くと
(字数の関係でカット 2009年02月06日)
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 2月6日  1969年
産関論の試験は、まあまあよかった。途中で、クラブの仲間の小林(仮名)とバッタリであう。喫茶店で、彼と話す。何かチグハグで
かみ合わない。ここで司法試験に挑戦をすることにしたとか。ここにきて、思いつきで受かるほど甘いものではない。
動機が浅いのが私でも解るのに。本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。8日に、再び会うことを約束をする。
私の寮に来るという。クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。親父が不動産屋で取引の何かがあって刑務所に
入っているとか。どういうことか解らない。


3603, 閑話小題

2011年02月05日(土)

  * ほんの5年前までは
 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。
現在はどうだろう? 中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 2005年に下流社会という言葉が
流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を
対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。
 貧困に「相対的貧困率」という数字がある。平均世帯所得の半分以下の世帯の数が、全世帯に占める割合をいうが、
1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には一挙に倍近い15パーに増えてしまった。 
最近では、20パーを遥かに超えているのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると
≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、
相対的貧困率の対象。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、
4人世帯では254万円に相当する。≫ リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は、貧困層。
ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 感覚的にみて、日本の半分以下だろう。
とすると、10年、20年かけフラット化していくプロセスに入ったということか。
  * 百円ショップの楽しみ
 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。 新潟では昼休みの運動に歩いて10分ほどの駅南の「セリア」に。
通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。 一回に千円程度を買うのが楽しみ。
殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの商品で溢れている。ノート、電子機器などを
入れる袋もの、小物を一時的に置くカゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。 電動アシスト自転車を
千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く
「百円ショップで、一度見てからにしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付のものがあった。
百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んである考え方は非常に良い。
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2010年02月05日(金)
 * 狂ってしまった猿
 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に「鏡の間」という場所があり、
そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。
世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、
生存を賭けた人間世界形成している。鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、
他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」
と付記されていた。これは1963年に、自然保護の分野で著名なウィリアム・コンウィン博士によって設けられ、この警告も博士の言葉。
既に10数年前に、大型類人猿舎は撤去され、「鏡の間」も消滅してしまっている。年中サカリがついている、スケベな動物と
加えてなかった? 宇宙から地球を眺めてみると、まさに地球の生命圏を消滅させてしまう、狂ってしまった猿という
自覚できるようになってきたのが、唯一の救い。その最大の狂いを生じさせたのが、アッラーという神を発明したこと? 
数千年たった現在でも縛られているのだから・・・
「世界で最も??な動物」の??を、‘馬鹿、助平、知性的、凶暴、等々と色いろ当てはめると?
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2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2
 2009年02月05日(木)
この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。
自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、これまでの自動車の概念が変る。
・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり3万点の部品が、2万点で済むという。
・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。
・更にガソリンエンジンのため、車体は鉄と決まっていたが、電気モーターの場合は熱を持たないために、
 プラスチックやカーボンも可能になり、軽量化が劇的に進み、エネルギー効率も良くなる。
・電気は家庭のコンセントからでも充電可能になり、結果としてガソリンスタンドは激減。
・これまでのような原油値上がり、即ガソリン代の高騰の構図はなくなる。
 これからの10年間は、部品メーカーを含めた劇的な産業構造の転換が起こる。ガソリンエンジンなどの部品メーカーは、
存在そのものが問われるのである。いや既存メーカーの存在意義も問われるのである。 既存のシステムが逆に重荷になる。
(字数の関係でカット2009年2月05日)
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2008年02月05日(火)
2498, 無くてはならぬもの −6
 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー
 P−196  他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、とかけがいのない自分という存在ということを、
もういちど、しっかり見出してほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかもそれは二度と
繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当にわかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、
真剣に考えていくことができない。
 p−199  たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、そういう人生の目的を見出してほしい。
そうして二度と戻ってこない一日一日を、そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。
天才とは、努力をする人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を通して
何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。あなたは社会的に成功しなくてもよい。
自分がやりたい事を一度かぎりの人生に打ち込んで努力してみたらよいではないか。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。
その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題にはしない。どんな小さなことでも、これが自分が
したいことを生涯を通して行えば、世界のために何か貢献することができるのである。それで途中で倒れることがあっても、
一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのではないだろうか。
 P−202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセーを思い出す。「偶然再興」の中に収められ文章であるが、
「・・・ある時、砂に食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも違っていたのである。
楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べて地下の根は。戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、
枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を無数にもって、
いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを知っていた。
しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に打たれぬわけには行かなかった。
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「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。
個性とは、自分が人生をかけて打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。
38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」の一冊であった。実は読み返して今、気づいた。
それでは他の二冊は何か? 近々に取り上げてみようか。大本教の出口王仁三郎の本と、新約聖書である。
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2007年02月05日(月)
2134, 時間についての一考察 −1
    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。その中で「いま、ここ」−現在ーの意味が深い。
考えてみても解ったような解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?には
非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、
人を殺してやりたい位に憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、
ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく「その時点での今・現在」に経験したことである。
(字数制限のためカット 2010年2月5日)
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2006年02月05日(日)
1769, 閑話小題
ー エ!まさかー
先月の末の話になるが、長岡のある料理屋が閉鎖をしたと朝日新聞の新潟版に別枠で大きく取り扱われていた。
店主が店の2Fで心不全で亡くなっていたのが翌日になって発見されたとか。戦前(この言葉も古いが)から
七十数年も続いた店で、両親に何度か連れられていった記憶が鮮明に残っている。タンシチュウや、エビフライなど
独特の味付けだった。昨年の暮れ、家内とその店の向かったが途中で吹雪いたため、駅前の居酒屋に入ってしまった。
一昨夜、長岡で飲んだおり居酒屋とスナックでその話をしたところ、自?という。4~5軒まわった店では全員がそのことを
しっていた。いま殿町では、その話でモチッキリという。どの店も不景気で他人事でないだけに身に沁みるという。
有名な飲食店が数年前に店主が病死をして閉店をしたのも、実は自?だったとか、あの店も、その店の誰かも、
実をいうと??で・・、そのほとんどが借金苦だったという。これだけ災害が続けばお客の足が遠のくのもわかるが。          
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2005年02月05日(土)
 1404, 立花隆の旅について
この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。深い人間洞察を何気なく言ってのける。
長年かけた知識構築の結果といえば、それまでだが。人間洞察を旅を通して語っているから尚のこと解りやすい。
人生は旅であるからだ。今回借りてきた、「思索紀行」−ぼくはこんな旅をしてきたの序論のなかの
「旅と人間について」の次の文章でもいえる。ーすべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。
その人が過去に読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わして印象深い会話のすべて、
心のなかで自問自答したことのすべてが、その人の最も本質的な現存在を構成する。考えた末に、あるいは深い考えなしに
したすべての行動、その行動から得られた結末に対して反省や省察を加えたすべて、あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、
その人の行動パターンを作っていく。人間存在をこのようなものと捉えるとき、その人の全ての形成要因として旅の持つ意味の
大きさがわかるだろう。日常に支配された、パターン化された行動の繰り返しからは、新しいものは何も生まれては来ない。
知性も感性も眠り込むだけだろう。意欲行動も生まれては来ない。 人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化
されたものはいっさい意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。そして、そのように処理されたものは、
記憶にもされないようになっている。 意識の上にのぼり記憶されるのは、新奇さの要素があるものだけなのだ。
旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべてが新奇の要素を持ち、記憶されると同時に、
その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。
その人を作りかえていく。旅の前と後では、その人は同じ人であり得ない。旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら
無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の旅の、あるいは「大きな旅の無数な構成要素」がもたらす
小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよい。
 ーー
以上であるが、人間と旅の本質をズバリ言い当てている。旅行に行って帰ってくると、それまでの自分とは別人になったような
感覚になる。行った先の自然や文明文化から受けた感動によるものだ。旅行で感動した幾つかが、自分の人生の魂の奥に沈んで、
人生の大きな骨格になっている。そして一回行った旅行は、それぞれが今も現実的に続いている。TVや書物で、
その後も多くの疑似体験ができるからだ。何処かしら週に2〜3回は情報媒体を通して、その続きの経験をしている。
この随想日記も、過去の出来事、考えたこと経験の集積ぶつを拾い上げ書き出している。汲んでも汲んでも尽きることなく出てくる。
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2004年02月05日(木)
1037, 「わたしは悪い不動産屋」  
 読書日記−1
本屋で何回も立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。知り尽くしている私が読んでも、面白いのだから素人は
是非読むことを勧めます。こと不動産業界に関しては、一般の素人は非常に用心すべき世界である。
最近よく目にするマンションでAP?とかいうマンションがあるが、知る人ぞ知る危ない典型の??である。
建設業界やマンション業界すべてを、素人なら危ない世界と認識しておくべきだ。内装の一枚内側の設備などは、
どうなっているか解らない。会社は何処も火の車、何時潰れたもおかしくないのが内情。彼等はどこで手を抜くか、
目に見えない配管とかの隠れたところしかない。その結果は、買って10年〜20年経ってから欠陥として出てくるから始末が悪い。
間違いなく10年〜15年で五分の一以下に確実になるのに20〜30年ローンで買わされている。無知そのものが罪だというが、
露骨に自分に帰ってくる世界である。マンションを10年前に買った人のいまの相場を聞いてみればよい。殆どが5分の1以下である。
ファッションの服やバックは、一年経てば五分の一である。コストからみると、買った瞬間2分の1である。
本人もそれでよいと納得した買っているので、それはそれでよい。それと同じ感覚でマンションや住宅を買ってしまうことが
問題なのである。新興のマンションメーカーはファッションマンションとして割り切ってお客の無知を狙っているのだ。
それが消費者の意向ならそれでよいと。酷いといえば酷いが、飛びつく無知も無知である。
  以下はホームページから調べた概要である。   ー つづく
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 のっけから意表をつくタイトルだが、実際にはない土地を売るなどのいわゆる地面師みたいな本当に
悪い不動産屋なら、捕まって免許剥奪、不動産屋も解雇である。 従って、この本で扱うのは、
あくまで合法の範囲で、どのように不動産屋がインチキ臭いことをするのかといった話である。
(字数の関係でカット2009年2月05日)
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2003年02月05日(水)
 672,嘆きの部屋
・高校同級の土田氏が入院でわずか3週間で亡くなった。 食道がんで肺に転移もう末期だったという。
 一瞬で地獄の底に突き落とされた恐怖は言語に絶するものだったろう。「病院には嘆きの部屋」があると
 モッケイクラブを事務所の部屋で開いていた時に、看護学校の末期医療専門の女の先生が話してくれたことがあった。
・絶望のその気持ちや混乱を大声で喚くことで静める防音の部屋がどこの病院にもあるという。 もう他人事ではない年齢だ。 
 それまで生きてきた全ての人生を圧縮した時間が流れるという。 キュ−プラー・ロスという「死ぬ瞬間」という本を
 出している死の見取りを専門にしてきた人が、その本で究極の死を受け入れの心理過程を書いている。
 確かまずは拒否、怒り、取引ー自分との、受容。
・父が死ぬまでの一年間、しっかりとその時間の中でそのプロセスをみた。 生への渇望ーその砂漠の真ん中に
 一人取り残された生への渇きの極限状態だ。 その時父に「昔の哲学者がー本人にとって死はない!という話をした。 
 死んだ瞬間それは自分でないから、生きている限り自分の死は存在しない。存在するのは他人の死だけだーエピクロス」と。
 父がその時ホッとした顔で「死について初めて解ったような気がした」と答えた対話が鮮明に残っている。 
 それまでの父の口癖は「死んでしまえばそれまでよ!」であった。
・死ぬのは仕方がないことである。ただ後悔をして死にたくない! いや、後悔したっていいじゃないか、死んでしまえば
 全て無なのだから。 生まれる時も独り、死ぬ時も独り。生きている時も独りだ。 ただ忘れているだけでしかない。
 考えてみれば、生まれる前の状態に戻るだけ。誰もが生まれる前の状態と、死んだ後の状態が生きている時でも取り囲んでいる。
 寝ている状態はその際に戻っているのだろう!   以上、死のおさらいでした!
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 2002年02月05日(火)
 322、一人旅 ー「北海道」編
「北海道一周、九州一周、紀伊半島、能登半島」と、けっこう経験しているが世界一周の一人旅の経験はしてない。
人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ!といって振り返ってみると結構経験をしていた。
若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか?そのいくつかを書いてみよう。
今回は北海道である。大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、はやまた気取りか。
いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか?
といって、それほど無理した旅行でなかった!殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ!
そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。書いていていて、
多くのことを思い出してきた。世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる?いや当時はまだ無理だったのか?
あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった!何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを
思い出した!一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった?いやあったが忘れてしまったのか?
函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。屈斜路湖、摩周湖、層雲峡と・・・一応振り返ってみると、やるべき時に
やるべき事はやっていたようだ。30数年たって、この旅行を初めて振り返ってみた。行方不明のアルバムに写真が
残っている筈だが。青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションがマグマのように溜まっていた。
それがエネルギーになっていたのだろう。
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2月5日 1969年
 11時に「価格理論」の試験であった。あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。帰りは、川崎と一緒だった。
帰寮後は、今日の試験のショックでやる気が起きない。いや、昨日のこともあるか。産関論の試験勉強をする。
あまり熱が入らない。しかし途中から集中ができた。の中でヤマをかけたが、どうなるか分からない。気持ちは刹那的である。

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