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堀井On-Line
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2011年02月10日(木)
以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」3つの坂がある。 この言葉は大河ドラマの毛利元就の中でも言っていた。 この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。 2001年の9・11テロから始まり、地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。 その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状のタブレットパソコンに重心を移行始めた。 政治ではアメリカで最初の黒人大統領が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。 そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログのツイッターや動画サイトのYoutubeが出現してきた。 今年に入ってネット普及の結果、一瞬にしてチュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。。 その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。 経済面では、2008年のリーマンショックで、 世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、 半導体の「ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年にインテル社のムーアが 「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、 45年経過した現在でも続いている。これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが 地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが 一センチ角に100億以上も乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを乗り越える技術が出来る。 それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結びつけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。 10年前に、現在の姿を誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、どのような姿であろう。 この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・・ ・・・・・・・・ 3243, 新・欝の時代 2010年02月10日(水) 去年暮れの週刊朝日に、作家の五木寛之と在日韓国人の政治家カン・サンジュンとの対話‘まだ続く「鬱の時代」’が考えさせられた。 「これからはすべての分野が鬱の方向に進んでいく」と、前回の2008年の二人の対談で、そう語った。そしてリーマンショックが起こり、 世界、そして日本は先の見えない不安に覆われている。 ここで二人の対談の要旨を纏めてみると、 ・グリーンスパンが100年に一度の危機といったが、そんなものではない、今起きているのは300年〜500年に一度の恐慌である。 現在の世界を支配しているのはキリスト教的文化圏。その基盤にある人間至上主義からぬけださないと・・・ ー五木寛之 ・我われの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、現実は格差社会。 この問題は、格差がある ことが問題ではなくて、格差が固定化されていることが問題である。 ー五木 ・2010年を予感してみると、一瞬、小康状態の年になる。嵐の前の静けさです。 でも、その後、暮れから11年にかけて、 二番、三番の、大恐慌、大不安がやってくる。 平安末期から鎌倉への変動のような大変な時代がくるだろう。 戦後の預金封鎖や円の切り替えなどを思い出す。 ー五木 ・こういう不安の時代、人間は「個人」を再発見することになる。 平安期から鎌倉にかけての飢饉のとき、 人々は身分に関係なく、こころの闇を見つめた。 それが一連の現在の宗派の教祖をうんだ。 ・2010年の明るい兆しといえば、いろんな関心の中心点が変わってくる。 これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心におかれて、新しい光を浴びることになる。 ・そういう時代の中、「諦める」ことからスタートしなければ。 諦めるは、「明らかに究める」という読み方をする。 今の日本の有り様や自分自身の心や地位を「諦める」ことで、新しいスタートをきる。 ・「人生とは荒涼たるものだ。人間が生きていることは凄惨なものだし、死ぬことは荒涼たるものだ」と 五木は『人間の運命』で書いている。 ただ、そこを超えると、光が見えてくると! == 以上だが、二人とも暗い性格でマイナーになるが、こういう鬱の時代だからこそ彼等の見方も必要になる。 どうみても、現象面では21世紀に入ってから変であるのは周知のこと。最後の打撃だった9・11テロと、リーマンショックで、 これまでの価値観を根底から破壊してしまった。ソ連が破壊した時は、700年来のロシアそのものが崩壊したとの見方があった。 それに続いた欧米資本主義の崩壊は、世界にとっても日本にとっても、近代資本主義=欧米主義の 終焉と五木は言うのである。 その辺のところを押さえてないと、目先の楽観論に惑わされる。 ・・・・・・・・ 2009年02月10日(火) 「強欲資本主義ウォール街の自爆」神谷英樹著 ー読書日記 投資銀行家として24年間、ウォール街の現場で「アメリカ型資本主義」の有り様を見た批判の書。 内幕暴露モノ的で面白い内容である。 アメリカの金融街、特に巨大投資銀行の貪欲な人たちの、 異常な資本主義の実態を暴いている。 そして米国民の過剰消費という「悲しさ」「欲深さ」を指摘している。 アメリカの金融が収益全体の4割を占めてしまった。 その先頭を走り続けたウォール街の暴走と自爆が、 今回の恐慌を生み出したのである。アメリカの社会と人間の劣化をどう立て直すかを問いかけられたのが金融危機。 暴走を食い止めるためにルールの根本的修正が必要である。 ーまずは印象に残った部分を抜粋するー ・「悪いのはアメリカンスタンダード、ウォール街の強欲である」 ・「今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの」 ハイリスク・ハイリターンのビジネスを行い、成功報酬はしっかり もらうが、巨額の損失がでたら無関心。失敗したら、尻拭いは国民の税金任せというモラルの無いのがウォール街の実態。 ・「モノ作り」ができなくなったアメリカが「金融立国」を目指し、成功したかに見えたが、行き着いた先は、顧客に目を向けず、 数字と戦う強欲な人間たちが金を集めるだけの世界。 その結果、1929年の大恐慌以来といわれる悪夢が金融界を襲っている。 ・「世界一極支配のアメリカ中心世界感」が崩壊し始めた。 ・ 市民の消費三昧主義、今借金して楽しんで(消費して)、負債は先延ばしの生き方に走る市民。 ・「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべき」。 「主役である実業を営む方たちの事業構築を助けるのが金融本来の仕事のあり方であり、それこそが身分相応。」 しかしファンド・マネージャーに興味があるのは、『株主の利益』と『自分の収入』だけである。 ・トップラインとボトムラインの間にある項目をいかに圧縮するか熱心に取り組むだけである。 「給料を減らす。社員を減らす。仕入先を泣かす。最大限に借り入れてレバレッジを効かし、 支払い金利を膨らませ、税金は極力圧縮する。かれらにとっては、これこそが経営の神髄となる」 ・アメリカをはじめとする先進諸国、そして世界。借金と消費ならず浪費社会、浪費に頼った成長政策。 「借りた金で今日を愉しむ」「借りた金で投機する」 「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物権の鍵を渡せば終わり」それを法律で認めてしまった。 ・資本主義の行き着いた先が金融市場の国有化とは何たる皮肉であろうか ・日本もアメリカも、経済社会がバブルにまみれ、強欲と拝金に席捲されたときに、人の心から大事なものが 失われてしまった。 何でもデジタル志向で、「0か1」しかない。その中間が配慮できない。 −− 以上が、印象に残ったところである。「『自由も、放任すると、こうなる』という歴史的汚点として、 ブッシュから遡ってレーガンまでの大統領の各々がたが、残る」と思うと何とも不思議な気持ちになる。 特にブッシュ親子は歴史上最低の 指導者として数千年も弾劾される。 哀れといえば哀れ。 ・・・・・・・・・・ 2008年02月10日(日) 2503, 閑話小題 *長岡の呑み助から見た夜の世界 毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、 今月で27年間の店を閉店するとか。スナックの中では名前は知れわたっている店で、2年に一度位、合計7〜8回はいっていた。 あまり詳しい話は聞けなかったが、営業不振であろう。長岡は全国でも、最悪の(不景気の)要素が重なった地域。 その一番影響を受けるのが夜の世界である。行くたびに、何処かが閉店したという話ばかりである。 昨夜も散歩をしていたら、何度か入ったことのある居酒屋が店を閉じていた。 *大相撲の国技の意味 「大相撲の『国技』は、何となく言っているだけで実際の法律があるわけではない」という。 ただ厚生省の何とかで税金が取られない特典があるようだが。昔ながらの体質が残っており、あくまで部屋単位で 独立しているため、それぞれの部屋内の暴力沙汰まで責任を問うこと自体が無理がある。それにしても、 今回のリンチ殺人事件は、凄惨である。 大鵬が日経新聞の「私の履歴書」に書いていたシゴキは、リンチそのもの。 (字数の関係でカット 2010年02月10日) ・・・・・・・・・ 2007年02月10日(土) 2139, 白い雲に乗って 夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。 そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。両親がいて、兄達と姉達、 そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。 一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、 四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。 三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。 店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。 コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。 いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。小さな三輪車で駅の方に 行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな 山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多く鉢がところ狭しと並んでいる。 その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。 夢をみているのだろうか?いや夢のはずがない。ぼくは間違いなく、ここにいる! ズットここにいるのだ。何で、ぼくは、 ズ~ットここにいるのだろうか? 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろう? そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない! ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。 でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親は忙しそうに働いている。 その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。 父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、 長岡祭りの山車が次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。 何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って下にある店から上がってきた。 札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。何か自分が白い雲の中で浮いているような 感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。 ここは間違いなく大手通の世界である。どうして、ぼくはここにいるのだろう!それにしても、どうして浮いているのだろうか? というところで、目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い記憶の世界に舞い戻っていたのだ。 ・・・・・・・・ 2006年02月10日(金) 1774, 年金の話ー3 (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。 *ぉはょぅ 一昨日、「60代前半のオーナーの中小企業経営者のための在職老齢年金活用法」というセミナーが、新潟商工会議所でおこなわれた。 ー会社が社長に損金で落ちる生保をかけて年ごとに損金で落として、定年時に返金をして退職金にすれば 税金の退職金特典で非常に 有利になる。が、このセミナーの要点であった。私も一昨年から始めていたが、もっと前から始めておけばよかったと、後悔している。 在職30年で、3000万退職金のケースで税金が6?、5000万で11?、1500万でゼロというから、給与を10万〜半額にして減らした 分を生命保険の掛け金にしたほうが有利である!という理屈が成り立つ。零細・中小企業の場合、自助努力で退職金を用意すべし!と、 強調していたが、その通りである。損金で落とせるのは会社に利益が出ているのが前提。しかしセミナーでは、それには触れてなかった。 (字数の関係でカット 2010年02月10日) ・・・・・・・ 2005年02月10日(木) 1409, 私の見たW杯サッカー北朝鮮戦 昨夜の北朝鮮戦を私が書くと・・ 北朝鮮軍人部隊サッカーチームと全日本選抜混成サッカーチームとの闘いであった。 (字数の関係でカット 2010年02月10日) ・・・・・・・・ 2004年02月10日(火) 1042, 随筆はプロが書くもの! −2 「文章術の千本ノック」 −読書日記ー2 この要点を目次に書き込みながらまとめてみる。品格もあるようだから、心して文章を書かなくてはならない。 (ー>が要約である) 序ー文字を惜しめ −>お金と文章はケチなほど良い.その為には最小限に書く心がけが必要だ。 書き直しと添削を繰り返すことが重要である。文章は明らかに芸術的な営為である。 簡単なデッサンではない。 1−文章の第一要件は[客観性」にありー ー>客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読む場合には耐えられない。エッセイは常に書こうとする 「外」にいて、外からこの「世界」を 描写するのをエッセイとはいわない。エッセイは一度内側から書いて、それを外側の眼で 眺めかえさなくてはならない。エッセイ(随想)と随筆は、明らかに違う。エッセイは一言で言うと「論理的文章」と定義したらいい。 論理のない文章はエッセイではない。見てきたこと、生きてきていてこう思うとか、文化論だとか、その中にある論理を読んで もらうのがエッセイである。「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」 「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、趣味で書くものです。 あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと 書き付けたというものが随筆であって、これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、 その人の観察力が鋭いとか、描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が物を言う世界なんです、随筆は。」 随筆は論理性より、プロがつれずれに書くもので論理性は逆に求められない。 2−エッセイと観察ー エッセイにはまずテーマがなくてはならない。そのテーマをどういうふうに論理を展開するかがエッセイの一番の醍醐味になる。 エッセイは「あ、おもしろい」と思う切り口が必要である。我々は多くのものを雑にしか見ていない。団子だったら団子という 概念でしか見ていない。 その団子を取り上げて面白おかしく描写をするのがエッセイである。 人が見ないところまでよく観察して、人が読んでくれるような文章にするのがエッセイ。 3−論旨の方法ー (字数の関係でカット 2011年02月10日) ....... 2003年02月10日(月) 677, イヤなやつ (字数の関係でカット 2009年02月10日) ・・・・・・・・ 2002年02月10日(日) 327,新幹線の乗り越しー4回! 通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。いまから10〜15年前で 一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。 10時半過ぎであった。大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。湯沢の情緒が漂っていた! その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。長岡駅と思い歩いていて,何かが違うので よく駅名を見ると[浦佐]であった。3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。折り返しの新幹線で帰ってきた。 5年位前の乗り過ごしが面白かった。ウソみたいな本当の話である。正月の3日か4日であった。乗り過ごした私と同年代の人と 駅の改札で話し合い、どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい 「値引を交渉!」「自分には値引きの権限が無い,駄目!」酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。 たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。事情を話し、「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、 ちょっと待てと電話をしてくれた。そして安くしてくれるホテルがあるといいう。助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、 何と初め値段交渉をしたホテルであった。そしてその若い方がその社長であった。そして飲みに行こうという。それならばこちらも 乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。その後、 湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのスナックを知っていたー 次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。だんだん恥のさらけ出し?「気違い水ー酒」を飲んだドラマが色いろある。 ・・・・・・・・ 2月10日 1969年 昨夜のショックで助手の横浜さんと会って話をする。自分の底の浅さを赤裸々に話すが、段は厳しい事をいう人が優しいのだ。 誰もが持っている底を曝け出したことに理解をしたのだろう。たまたま会った深井にも話すが彼も同じ反応だ。この時期に誰もが 持っていることでしかないのか。動揺をしているだけだ。それぞれが、この時期精一杯なのだ。得たことより、 得れなかったことに眼がいっているだけだ。今日池袋駅で見た出来事が印象的であった。階段を手探りをしながら上っていた 盲人に女の人が手助けをしようとするが、拒否をしたのだ。見ていると、誰の手も借りずに歩くことを自分に課しているようだ。 その内面がそのまま出ているようだった。いまの自分に、あの姿が必要である。
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2011年02月09日(水)
「この風景、何処から撮っても絵になりますね」など、風景、場面の美しさを表現するのに「絵になる」という。 「アート画転換ソフト」は、その言葉のとおりにデジタル化した写真を絵画やアート画などに転換してくれる。 絵を描くのはプロでも大きなエネルギーを要するが、気楽に一瞬のうちに転換してしまうから驚きである。 デジタル写真を絵に転換すると、何故、気持ちが響くのだろうか? そもそも絵とは何か? ーそこで「絵」とは何かをウキィペディアで調べてみたー ≪絵画は、板や布、紙、壁といった支持体と、絵具などの描画材料による特定の支持体に対する描画で成立したもの。 板や布に描かれた油彩画やテンペラ画、フレスコなどで描かれた壁画を指す。紙に描かれた水彩画などは含めるが、 木炭や鉛筆で描かれたものは含めない。≫ この説明では、書かれた絵の意味することの説明にはならない。 絵は描く人の直接手描きの主観と気持ちが入っている。対象に集中した魂が絵画の絵画たる由縁である。 それからして、この転換されたデジタル絵画写真は、果たして絵画と言えるのだろうか。 先ほどの 「板や布、紙、壁といった支持体をパソコン画面かネット上に替え、絵具などの描写材料がデジタル写真による支持体とした 描画で成立したもの」とすると、デジタル絵画としての立派な絵になる。手描きはデジカメで現場で撮ったことに置き換えられる。 そう、これはバーチャルペインターという絵画ロボットが描いた立派な芸術である。それは、誰もが過って見たことのない 新しいバーチャルの世界であり、これまでは一部の専門家しか出来なかったアート画を、気楽に絵画ロボットが 変幻自在に描き上げてくれるのである。 そこに現れ出るのは、今までは絵としては表現出来なかった、 異次元のデジタル芸術の世界が創造される。 実際に、過去のアナログの写真をデジカメで取り直し、 ロボットで絵画転換をする度に過去が新たによみ返ってくるようである。 その現場で写した写真がアート画になるとは、数年前までは、誰も想像すら出来なかったことである。 IT化の凄みの一例を垣間見ている。成るほど、20、200万年に一度の境目で見えてくる現象はこんなものか。 ・・・・・・・・ 3242, 葬式は、要らない 2010年02月09日(火) 「葬式は、要らない」 島田 裕巳 (著) ーアマゾンの内容紹介よりー 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。 浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。 対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。 古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、 葬式無用の効用までを考察。葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。 〜この一冊を読んでいるといないとでは、葬式費用は大きく違ってくるはず。先日の新聞広告に、この本の見出しをみて、 以前にあまりに高い葬式費用について書いたことを思い出した。図書館の本棚に、「葬式僧侶と、葬式業者のボッタクリ」の内情が 書いてある本が数冊ならんでいる。それを宗教学者の島田裕己が書いたのだから、説得力も増す。最近、不景気も重なり ジミ葬の流れが出来始めてきた。さらにGMSのイオンが葬式に参入するという。 これは葬式業者にとって大きな脅威である。 身内の死で慌てふためいている人の隙を突いて、世間様並みにというキーワードで、タカルのがナリワイ。 戒名など、自分でつくれるし、そのほうが葬式坊様につくってもらうよい、ず〜〜〜とよい。 ネットで「戒名のつくり方」とでも入力をすれば、幾らでも基本が書いてある。直葬でけっこうと、いいづらいのが日本!〜 * 直葬とは 葬式をせず火葬だけすることを「直葬(ちょくそう)」という。これまで我が国では、人が亡くなってからは 死亡→通夜→葬儀・告別式→火葬というステップを経るのが一般的でした。 これに対し、死亡→火葬と、途中の儀礼・イベントを取り払ってしまうのが直葬です。 ※ 直葬に対応してくれる葬儀会社をネットで探すには、「直葬+プラン+(地域名)」で検索するか、 葬儀会社特有の呼び名である「火葬式+(地域名)」で検索するのが、おすすめです。 * 直葬をどのくらいの人がしているか? 正確な統計はありませんが、専門家の推定では、2008年時点で東京都下の20〜30%、地方の5〜10%が直葬だと見られます。 直葬そのものは生活困窮者や天涯孤独者については昔から行われてきたが、それが一般に広まり始めているのが、最近の特徴。 * なぜ直葬が増えているのでしょう。 あくまで仮説に過ぎませんが、次のような要因が考えられます。 平均寿命の伸長(つまり死亡年齢の上昇)により、 社会的儀礼としての葬式の必要性が薄れた。 格差社会の進展で、生活困窮者そのものが増えている。 宗教、とりわけ仏教離れ。 葬式を金銭や時間、手間の点で「ムダ」と考える人が増えている メディアでの報道により、直葬が「市民権」を得つつある。 http://www.yuigon.info/keywords/chokuso.html ー遺言情報局 ・・・・・・・・・ 2867, 「ほめる」言葉 − 4 2009年02月09日(月) 人は9割がたが褒められた事がキッカケで成長するという。子どもの頃を振り返ると納得する。 母親が38歳時の子どもだったこともあり、母はことあるごとに褒めていてくれた。 また4人の姉の存在が女性心理からみた褒める以前の知職を経験的に教えられた。 ・下手に女性を褒めないこと ・嫌らしくしないこと ・媚びないこと ・心を開いているようで開かないこと ・優しくすること ・何気なく褒めること ・噂話は絶対にしないこと、などである。 褒める以前に、その人の品性の裏づけがないのは、相手の心に響かない。 話しは変わるが、十年ほど前のこと。 同級生が300人ほどの何かの講演会の締めの挨拶に立った。その会の後に。同級生が十人ほどいたので急遽、親睦会を開くことになった。 和気藹藹と飲んだ後に、その男が隣に来た。「挨拶は如何だった?」と聞かれたので、「御前さんも、やっと面(ツラ)が出来てきたな」 と言うと、すかさず「どういう面だ?」と一歩つ込んできた。そこで思ったまま「我われに笑されている自分を、笑っている面だ。 それが何とも味があった」と、その時の本人の嬉しそうな顔は、まだ忘れられない。 上手く褒めた時は、褒めた方も嬉しいのである。 このところ「褒め言葉」系の本を数冊読んだためか、無意識で相手を褒めている自分が、そこにいた。 何時の間にか、それが無くならないように習慣の核にしないと。 先生は幾らでもいるのだから! −− 第三章 相手の成長をうながす「ほめ言葉」 ー相手の小さな進歩を見逃さない-精神対話士 Mさん −以下は字数の関係でカット(2010年02月09日 ・・・・・・・・・・ 2008年02月09日(土) 2502, 「体験と偏見による養生の実技100」 「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。 その中で6項目を書き出し、考えてみた。 13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。指先、掌、足裏など。 解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。 35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。 朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。 眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。 解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。 50、仏教では「われありて、かれあり」という。笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。涙は魂を浄化する。 解)泣き笑いか、人生は! (字数の関係でカット2010年02月09日) ・・・・・・・・・ 2007年02月09日(金) 2138, 中年の心象風景 オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン! −読書日記 【人生のことは、小説が教えてくれた】 高橋敏夫著 中経出版 この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。 中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、人生を振り返ることが多くなってきた。 今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、一日一日を一期一会 として生き、日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。 私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、 ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色かダークブルーの時期である。青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、 青年期の残像としての自分がつめる屈折した時期である。(大部分がと!あえて言っておこう) ー まずは、その一文を書き写してみよう! 青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、 夢という言葉さえ忘れて生きる苛酷な時代である。夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は屈折した 「現状の肯定」になりざるを得ない。楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の「現状の肯定」 になるからだ。しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、といってよいだろう。 それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちは ようやく性急さから解放される。現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを選ぶしかないのである。 そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに見合う、ながく、しずかな「夢」をいだきうるのだろう。 夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。たしかに、この「夢」は青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに夢をこえた夢なのだ。 現状否定から現状肯定へと移行するように見えて、その逃れえぬ環境でねばりづよく生きることで、わたしたちはしずかに、 だが着実に現状を変更し、わたしたちじしんを変更していく。ここには、現実の大きな力によって押され退きつづけながら、 ここからはもう退けないという思いがあり、生きつづけることでいっそうふくれあがる破壊衝動があり、家庭の中の男と女の従来の あり方への不満があり、見方を変えることで生にあらたな実感を導きいれようとする試みがあり、生活の細部でつながる、切れそうで 切れない人と人の関係があり、そして、情痴のさらにその奥のさらにその奥の情痴へとつきすすむ紛れのない生の暗い輝きがある。 ーー 〜 以上だが、何とも中年の風景をそのまま見事に描き出している。 この内容は、決して中年期だけでなく、人生の最晩年でも味あう深い諦念でもある。いや、青年期の挫折の中で何度も何度も 味わった心象風景である。挫折の底で味わう屈折感は、現状否定した自分が最悪の状況の中で自分の棚卸をしながら、 歪んだ自己肯定をせざるを得ない何ともいえない味がある。この屈折した味わいこそ人生の一番の味わいでもある。 そう考えなければ、どうして耐えることができようか? 何故、粗大ゴミと言われなければならないのか? そして、それをそのまま受けとめてしまうのだろうか。 分別すれば宝の山なのです! ただ、その時その時に垂直に立ち上がって分別していればの話だが! 次回は、藤沢周一の「海鳴り」の一節を取り上げながら、歪んだ切ない中年男の心象風景を考えてみる。 それさえ、ふり返る歳か〜! (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪〜 ・・・・・・・・・ 2006年02月09日(木) 1773, 年金の話 −2 ('-'&)オハヨ♪ 60歳になって、前倒しにすれば年金が貰える年齢になった。誕生日の前後に個人年金振込みの通知がきた。 家内が15年前から生保の個人年金の掛け金をしていたもので、私には一言もなかったが、それが今年から70歳まで落ちるという。 自動的に簡保に毎年積み上げる仕組みになっていて、70歳からの年金になるという。それを種銭にして旅行でもと思ったが、 そうもいかないようだ。個人年金は、不安ビジネスというが、それをさらに積み立てるとは凄いシステムだ! 二人で月々?0万が入れば、普通の生活は保障される?が、ハイパーインフレが起これば、お終いである。 そして、その可能性が大ときているからやはり使ったほうがよいのか? コーヒーまあ(@゜▽゜)_且~~どうぞ w 都会のサラリーマンの65歳の年金者の平均値として2500万の貯金を持ち、夫婦で月額30万円の年金収入があり、 その30パーを預金にまわすという。 何か日本人の貧乏性の性格が数字にそのまま表れている。 (字数の関係でカット2009年02月09日) ・・・・・・・ 2005年02月09日(水) 1408, LOVE&FREE ー世界の路上に落ちていた言葉−1 ー読書日記ー 図書館で何気なく借りてきたら、読むほどに面白い本である。著者は32歳だが、思い切った生き方をしている。アウトローは アウトローでしかないが、生き方にバランスが取れているのがよい。バナナ(皮は黄色で中が白)にドンドンなっている典型である。 ーはじめにー から引きつけられた。 1998年11月から2000年7月にかけて、約1年8ヶ月間。結婚したばかりの妻と二人で、気の向くまま 世界数十ヶ月の路上を歩いた。自分は、三年間続けた会社を離れフリーになったばかりだったし、銀座のOL だった 妻のさやかは、寿退社をしたばかりで、長いたびに出るのは「今しかない」という絶好のタイミングであった。 ー以下は字数の関係でカット(2008年02月09日) ・・・・・・・ 2004年02月09日(月) 1041, 職業性格形成論 条件と原因とは同義語である。職業は人間の性格まで決定をしてしまう。先日書いた「わたしは悪い不動産屋」の中で、 「不動産業者は瑕疵を探してしまう癖が人間性までも出てしまう」と書いた。その時に以前から書いてみようと 思っていた「職業性格形成論」をまとめてみたくなり、早速書いている。 ・サラリーマンに嫁いだ姉をみていて驚いたのが、ミスに対して異常に 神経をつかっていることである。 対象のプラスではなく、マイナスのミスだけ眼がいってしまう性格に変ってしまったのだ。組織人だった旦那の影響である。 ・母がそうである。いつも話が1・5倍から2倍に膨らむ。 すぐ上の姉にいわせると、値入れを1・5から2倍にするのが原因だという。そのシビアな指摘に驚いた。 ・代議士ならサシズメ数十倍のハッタリが性格になってしまう。 それと虚言癖だ。 ・作家も虚言癖の傾向になるか、観察眼で物事をみる性癖になる。 ・警官は、全て犯罪捜査の視点でみてしまうようだ。警官という職業自体、必要悪の部分がある。 国家内の法律遵守の暴力装置だからだ。 ・先生は、常に教えたくて仕方がないとか、生徒を比較するように社会も 比較順序をつけてしまうという。 ・私の仕事は装置産業、一度投資をすると15年〜20年はどうしようもない。 あとは社会情勢次第。そうすると、マクロ的な世界や社会に興味を持ってしまう。 面白いものである。 そう考えてみると、誰もが自分で思いあたるだろう。 サンマをみると、普段生活があのままという。常に話しまくっているかパフォーマンスをしてないと不安になるといっていた。 TVタレントや俳優は、私生活のすべてが演技の勉強になっている。そして演技と実生活が混同してしまうという。 そこまでいかないとプロとはいえないのだろうが。職業は生きていく上で重要な位置を占めているものだ。 但し、何事も例外の人はいる。当たり前のことだが、泥棒や犯罪も職業にすべきで無い。人間性まで泥棒になってしまうからだ。 いや、泥棒の性格の奴がなってしまうのだ。中・高校の時、粋がって他人の小物を盗みまわっていた人がいた。 泥棒にはならなかったが、結果は似たような人生を過ごしていた?これは「三つ子の魂 百までも」か。 ・・・・・・・・・ 2003年02月09日(日) 676, ぶざまな人生ー4(読書日記) ー偽善論ー この偽善論がなかなか面白い。偽善主義者を、もともと偽善者ではないと切り捨てている。偽善者以前ということだ。 善を隠れ蓑にしながら、相手を実害を与え、自分は実利を取ろうとする奴だ。「不幸の事件を逆手に使い、自分はあたかも 最大の同情者のように振る舞い、実利を得ようという輩」だ。これは汚い欺瞞者であり、詐欺者である。身辺に幾らでもいる?! 不可避的な偽善には、少なくとも善がある。真実の善など本当にあるのか。どこでどうやって見分ける事が出来るのか。 偽善をなせ。それを、あるかないかわからない真善に次ぐ、次善となせ。一生偽善をなせば、それが真善である。 −以下は字数の関係でカット(2011年02月09日 ・・・・・・・ 2002年02月09日(土) 326,イルカのような人 イルカはどんな状況でも楽しみを見つけ遊ぶという。私の身辺にイルカのような人がいる。「今日如何して一日を楽しむか」 それしか頭に無い。オリンピックといえば一月前からそれを楽しみに待っている。始まれば夜半でも寝ずに見る。 ウインブルドンのテニスが始まれば、これも然り。毎日のTVも当然いくつか楽しみの番組がある。一日が楽しむ為にフルに使われる。 昼は誰か友達と安くて美味しいランチを探し食べている。その為か顔までがイルカのようになってしまっている。笑い顔なのである。 必ず笑いのネタを何処からか見つけてきている。働くことは大嫌い!遊びならどんなハードな事でも平気、仕事は少しやると顔がはれ 寝込んでしまう。2〜3人のグループで常に群れているところが、更にイルカに似ているところだ。そういう人は今でいう癒しを 周囲に与える。それが唯一のの社会的貢献だ。こういう人は西欧系の人では当たり前のタイプかもしれない。 我々の年代の日本ではすくないが若い人ではいくらでもいるのだろう。社会学で人間には二タイプに分けられるという。 仕事タイプの人と、遊びタイプの人とに。難しくいうと「仕事タイプをホモ・ハーベン」「遊び人タイプをホモ・ルーベン」という。 いるかのような人は「遊びタイプ」の典型である。これで一生終えるだろう。母親がこれに劣らず、一生を楽しんでいる。 家系からきているから間違いない。人生とは、このような人には幾らでも楽しみを与える。反対の人には、いくらでも苦しみを与える。 何か法則があるのだろう。この視点でみると私はシャチというところ?いや、オットセイか! ・・・・・・・ 2月09日 1969年 昨夜も一昨夜もショックが続く。留年をして、もう一度やり直そうかと言う気持ちが出る。といって今更躊躇するのはオカシイのではないか。 高木も留年という。客観的に耐えられないとしても、一応卒論を書き終えたことは間違いない。いろいろあって動揺をしているのは 解っているが。真面目に考えすぎである。気持ちがボロボロなだけだ。もっと冷静にならなくてはなるまい。
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2011年02月08日(火)
結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。 去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、 一部親方衆から八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を消去をしてしまえば大丈夫! と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、 十両の一勝の相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士との貸し借りにも融通されていたことである。 「関取の互助会組織」が暗黙のうちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。勝ち星の貸し借りの 噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。 本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めたスポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、 目くじらを立てる方がおかしい。 ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰にしたのか? 誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは? 暴力団が仕切っている賭博組織の摘発のためでは?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、ウヤムヤになるのか? その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。 3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、過去の関取の大部分は、何らかの形で 八百長をしてきていると確信している。最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。 力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団や花柳界との出入りがあって当然のこと。芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。 その異質の世界を、一般の常識で縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良いだけ。やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか? たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。 ・・・・・・・・ 2866, 大相撲が神事? 2009年02月08日(日) 大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが「大相撲って実のところ何だ」というと、 いかに曖昧である。「国技」?法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権のネタでしかない。 スポーツ、武道、格闘技それぞれの一面を持っているが、何か違うのである。歌舞伎のようにチョンマゲを頭の上に乗せて、 神主姿の行事が仕切り、その周りを審番が勝負を見守る。政の神事の時の余興で力自慢をしたのが由来という説と、朝鮮から入ってきた モンゴル系民族が騎馬で日本を制圧、その時にモンゴル相撲も入ったとも考えられる。その面では天皇と深い因縁がある。 神前の儀式での力自慢が徐々に見世物としての芸能になり、大相撲になったのである。力自慢には、それぞれ大名などの 贔屓がついたのがタニマチとして現在も残っている。相撲部屋とは、その力自慢を囲い込んでいたところ。元々、そう上等のものではない。 その歌舞伎+格闘技+興行の混ざりこんだ男芸者衆の芸事?に、近代を持ち込んで批判すること自体がおかしい。 国技、神事とか、真面目な顔をして説いているのは、大相撲パラサイトの飯の種。八百長など、当たり前のこと! これは芸事。 まともに勝負をするから最近、怪我人が多くなったのである。フェアだというが、それは欧米の考えでしかない。 プロレスの観客は、あれは芝居ということを知ったうえ、悪役をどう倒すかの物語を楽しんでいる。相撲も真剣勝負の妙味もあるが、 力士の15日間の勝敗の星勘定と昇進、陥落の物語を楽しんでいる。初場所では朝青龍という名ヒール役の復活の物語を喜んだのである。 神事、国技というなら、外人を入れるべきでない。面白くするために必要なら、国技などという名をすてるべし。 税金を払うべし。そして、横綱審議会とかいうのを即刻止めるべし。恥ずかしげもなく、よく出てくる姿は微笑ましくもあるが。 息抜きの話題には丁度良いが・・・レベル的には週刊現代のネタというところだ。 ・・・・・・・・・ 3241, 中学同期会にて 2010年02月08日(月) 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、 全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、 語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの輸入品に押され県全体が悪化している。 それに従い、高齢化も含めて元気が無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。 たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、同じ年代の置かれた状況から見えてくる。 (1)居場所がない (2)社会的役割の喪失 (3) 貧困と孤独 (4)生と死の間のさまよい (5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え (8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏 (10)成熟と衰え その一歩手前というところ? どれもこれも、これから誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから (8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。それ以外は、まだだが、いずれじわじわと 、くるのだろう。 人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、その質が左右する。 中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年のように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。 ・・・・・・・・ 2008年02月08日(金) 2501, 無くてはならぬもの −8 おはよ〜(>ω<。)!! 人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に 陥る瞬間が多くなる。これが人生の秋口の心の風景なのだろう。早くいえば基礎教養は足りなかったのである。 俄然と読み始めたのが20歳位だったのが、遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。 しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで 法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、 生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない! ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。 P−37 アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、あの狭き門という題は聖書の 有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。 そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」 (マタイによる福音書七の13−14)この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。 私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って 自分の妻にするのであるが、そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りをひらこうとするのだが、 どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門からは いろうとされるだろうか門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。「求めよ、されば、与えられるであろう。 捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた イエスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。 P−38 「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして 生きてきたことを告白している。自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。それなら、 人々に対してもそのことをしてやるべきである。人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。 この黄金律は、本当の人生の旅路において幾らでも応用のきくルールである。 だから黄金律と言われるのである。 *「求めよ、されば、与えられるであろう。捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」 *「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」 *「自分を愛するように、隣人愛しなさい」 *「右の頬をはたかれたら、左の頬を出しなさい」などの黄金律が40年近く経って、 その意味の深さが少しずつ理解できるように なったということだ。 でも、難しいが、ことあるごとに口にしていれば、少しは実行をするだろう。ボランティアか〜。 群れてでも、しないよりよいのか?群れる何処が悪いのか? 群れることは、それより悪いのか? ・・・・・・・・・ 2007年02月08日(木) 2137, 占いと、細木数子について −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪ *細木数子には、驚いた! 細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。ところが、ここに来て復活。 歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。 (字数の関係で中間カット2009年02月08日) まあ読んでいるだけで、悪臭がプンプンとしてくる女ヤクザの経歴を持つ。人間の本質を知る上で、女ヤクザとしての 熟成されたテクニックを使った、竿の先の針の餌としての占いとしてみると即興劇を楽しめる。 何で、こんな女をバラエティー番組に出すのだろうか?そこまで日本が病んでいるということだ! でも、この履歴は面白い!履歴をみるかぎり、塀の向こうには落ちてないから強かだ。 ーまだつづく¥(*^_^*)\バイバイ ・・・・・・・ 2006年02月08日(水) 1772, “サラ川"入選100作品 おはよ〜(>ω<。)!! この時期に毎年の恒例になっている「サラ川」が発表された。 私が選んだベストファイブは ・48 セキュリティ 一番手薄な 妻の口 無給警備員 ・57 散髪代 俺は千円 犬 一万 下流の夫 ・59 鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ 物は考えよう ・64 人生の 第二職場は 妻の部下 世の常人の常 ・81 マイブログ 立ち上げたけど 話題なし 磯仁 私の場合48は 「セキュリティー 一番手薄な 俺の口」になるが、どれも切ない話題ばかりだ! ーまずは読売新聞の記事をー ~~旦_(^O^ )お茶!どうぞ〜 “サラ川”入選100作品、家庭などの“悲哀”映す「刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた」――。 第一生命保険は6日、昨年11〜12月に募集したサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。 今年も、サラリーマンの家庭や職場での“悲哀”を世相とともに映し出した秀作がそろった。 中でも、「小泉劇場」の流行語を生んだ昨夏の衆院解散・総選挙をテーマにした作品が目立った。 ー「チルドレン 昔『かすがい』 今『刺客』」と、子どもの心をつかみかねる父親の心情から、 ー「総選挙 家では妻が 総占拠」と家庭での孤立を描いた作品もあった。 また、「熟年離婚」も人ごとではないようで、 ー「離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)」 ー「年金の 出る頃妻は 家を出る」との不安を抱いており、 ー「妻準備 いい日旅立ち 退職日」 とならないことを願うばかりだ。 このほか、 ー「我が社では 部長のギャグが クールビズ」 ((((;-”-))))さ 寒い・・・・・・ ー「檄とばし 部下のヤル気も 消しとばし」 と上司への愚痴は相変わらず。 また、景気は上向いてきたとはいえ、 ー「“軽くヤバイ” ぜい肉よりも 我が会社」とサラリーマンの心配は尽きないようだ。 (σ・ω・)? 第一生命は3月17日まで投票を受け付け、5月上旬に「ベスト10」を発表する。 (2006年2月6日22時11分 読売新聞) ーーーーーーーー ー“サラ川”入選100作品ー51以降は字数の関係上カットしました。 (字数制限のためカット 2011年2月8日) ・・・・・・・ 2005年02月08日(火) 1407, 大雪について この大雪が、19年ぶりという。逆にいえば、1〜2mの雪が積もるのが19年ぶりでしかないということだ。 子供の頃は、毎年のようにこの程度の雪は降っていた。それが38豪雪(昭和38年の豪雪)以来、年々積雪が少なくなってきた。 そして、19年前の豪雪を最後に暖冬が続いてきた。温暖化現象の一つだが、近くの柏崎原発が直接的な原因である。 19年前の雪は、いやに記憶に残っている。東京で、学生時代のクラブの集まりがあって、ブーツで東京に行った。 その時に銀座で飲んだが、そこのホステスが帰り際にかなり厳しい一言を言われた。「銀座に長靴で来る田舎者がいる」と。 こういうことしか憶えていないものだ。それと長岡に帰ってきて30年間で一回だけ、屋根の雪下ろしをしたことだ。 それ以来は、積もっても1m位の為か、長靴は殆どはいてない。今年もこれでおしまいである。ブーツを履いて出勤したのは 三日間だけ。ニュースで見るほど大変でもなんでない。駅から近いということもあるが、何処も住んでいればプラスもマイナスもある。 19年ぶりでも、この程度だから冬国のマイナスなど何ということはない。町なかに居るから言えるのだろうが、 といって大して変わらないだろう。表日本の人が持つイメージと現実は全く違う。 ・・・・・・・・ 2004年02月08日(日) 1040、ドタ勘 ある経営者の言葉の「ドタ勘」が印象に残った。ドタキャン(土壇場でのキャンスル)をもじったのだ。 土壇場の勘を信じて、決断していくしかない時代になった。そこまで日本経済は追い込まれている。 ぎりぎりのところで、思い切った現場からの叩上げの勘と判断を信じて実行をしろといっているのだろう。 その感覚が今の日本に欠けているという。自信を失っているのだろう。その場限りの対策しか立てられなくなっているのが、 日本が現状だ。アメリカ従属国家の末路のこの時期、日本に必要な開き直りの言葉でもある。何度か創業を経験をしてきて、 実際のところ格好いい理屈はなかった。ドタン場の勘で、発狂状態?になって突き抜けてきた。崖っぷちに立って初めて 知恵と勘がでてくる。集中せざるをえないからだ。積極一貫とは、前向きに極み(崖っぷち)を積み重ねることである。 しかし、その極み立つためには緻密な計画と長年の準備が必要である。それが見えるのは、それをしてきた人間だけである。 その他の人には、それがドタバタ「勘」にしかみない。ついているという「運」の良さにしか見えない。運が良いとは勘が 良いということである。勘が良いとは、経験からくる暗黙知が良いということだ。暗黙知とは崖っぷちで積み重ねた知識と 研ぎ澄まされた深い眼である。それこそがドタ勘である。 解ったような事をいえた柄でないか、本当! ・・・・・・・・ 2003年02月08日(土) 675, ぶざまな人生ー3 ーおれ様の人生と馬の骨の人生ー この本にはなるほどと合点する面白い内容がいくつもあった。 人間の存在とは 1、この世でたった一人しか存在しない人間ー「自分」・・「自分様・オレ様」 2、他人から見ると、その他大勢のなかの一人 ー「自己」・・「馬の骨」 この二つを同時にもつ存在である。この二つの認識を持つことが重要である。 個人主義とは、もともと集団的価値よりも個人的価値を上位に置く対集団的な考え方だが、それが個人に向けられた時には、 たった一人のオレ様である。お互いに馬の骨同士「個人」であるがゆえに、お互いの唯一性を尊重することになる。 それが個人主義であり、その領分を守るのが自分ー自らの領分である。利己主義は、自分だけがこの世でたった一人しか 存在しない人間としか認めない。他人と自分の領分も理解できない輩である。以上が「オレ様と馬の骨論」である。 人と話していて驚くことがある、ある二代目が皮肉交じりに「お前は金儲けだけは上手いからな!」と私に言ったことがある。 この言葉の論外に「オレ様の仕事は金儲けでなく、お前ー馬の骨のやっていることは金儲けでしかない」という自惚れの 気持ちがありありであった。「人間とは自分に都合のよいように自分を買い被っている存在に自分で気がついてない」と、 呆れたのを憶えている。この手前勝手さは誰もが、勿論自分も形を変えて基本にある。それがこの馬の骨論で、ずばり書いてあった。 「みんなが大将!というところか。私が怒ると知らずと「あの馬鹿が!」とか、「あの馬鹿どもが!」という言葉が 頭をよぎるが、おれ様という意識がそう言わしめるのだろう。以前「世間様」論を書いたことがあったが、 世間様とは自分の領分をわきまえない集団主義者のことである。いや集団主義というより仲間主義の連中である。 ・・・・・・・ 2002年02月08日(金) 325、いまによくなるさ!必ず! こういう時代だから、この言葉が大事だ!といって、これは手を打っての話だ。「最善をつくして天命を待て」の時の言葉だ! 考えてみたら、心の奥で何時もこう呟いていた。歌に「明日がある、明日がある、明日があるさ・・・」とかいう歌があった。 「明日がある」も似た言葉だ。「何とかなるさ」も同じ意味か。今更、一休和尚の話しをしても仕方がないが敢えてする。 「死んだ後どうにもならなくなったら開けよと、一通の封筒を残して死んだ。そしてどうにもならない時に開けたら(どうにかなるさ!) と書いてあった」実際今まで生きてきて何とかなってきた。そして良くなってきた。実際起こりうることより、それに対する不安の方が 10倍は大きい事は、誰も経験済みである。海外旅行ほどその段差を実感する。今の悪い状態に対して悲観するのでなくて、 よくなる方策を考え抜き実行すればーーーー「今によくなるさ!」「今の日本はそれをやっているのだろうか?」 ・・・・・・・・ 2月8日 1969年 小林が寮に約束どおりに訪ねてくる。彼と話しているうちに、若さとエネルギーの新鮮さに感化されてしまった。 私の卒論を見せると、構成のいい加減さをつかれる。昨日日以上にショック。一年がかりに書いた卒論も基礎と 基本のいい加減さを見透かされた。自分の為の自分の作文でしかなかったのか。根本からやり直すことは今更むりである。 先日の反撃をしたかったのだろうが。いま気がついたことは、破ったと信じていた殻から、全く出てなかったことだ。 友人の批判に耐えられないレベルということか。批判者は批判者で気にすることはないが、隙をつかれてしまった。 動揺が一日一日と激しくなる。卒業間近というのに。いや間近だから動揺しているのだ。
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2011年02月07日(月)
BShi で2月5日(土)午後8:00の「大行進〜中国“小皇帝”たちの孤独〜」が濃い内容であった。 まずは、紹介文から ≪ 急激な経済発展で増加した中国の新富裕層。たった一人の子どもが大事にされ、何不自由ない環境とモノや金が与えられる。 “小皇帝”と呼ばれるその子たちの中には、親に暴力を振るうなど、問題行動を起こす子どもたちが増加している。 そんな手に負えない「悪童」らを更生させようという、型破りな民間学校が10年前に開校した。名物授業は2週間以上も歩き続ける 400キロの「大行進」。10tトラックで寝起きして毎日およそ8時間、平均40キロを歩き、精神的な達成感と自信をつけさせること、 そして農村にホームステイさせてもらい、社会体験を積むことが目的だ。番組では大行進する子どもたちに密着。 家庭の問題や将来への不安など、彼らの本音に耳を傾け、歩き続ける中で自分を見つめ、成長し、あるいは葛藤する姿を追う。≫ ―― 深く考えさせられる内容である。日本で似ているのに「戸塚ヨットスクール」がある。これほど厳しくはない。 ここで収容されている何人かの小皇帝を通して、それぞれの親子関係と本人の抱えている問題が浮き出てくる。 何らかの問題は家族の中にある。 集団生活の中で、日記を書くことや、掃除、互いへの思いやりが出来ていくプロセスを 淡々と映し出されている。 家庭生活を通して父親、母親、そして兄弟から多くを学んで育っていくが、両親が共働きで 一人っ子にはモデルがない。その結果、親も子供も戸惑っている。10歳までの教育、躾で人生は大方決まってしまう。 それを10代後半に修正するのは並大抵ではない。 考えてみたら大人数の家族の中で色々の葛藤と、教えがあった。 身近に、色々な人生を見るのは刺激が非常に強い。ある意味では、この訓練校の中のようである。 中国の一人っ子政策の歪みは マクロ的にも必ず出てくる。「流砂の民」の傾向が強くなり、エゴ丸出し国家の要員になる。 日本人の無気力より良いか? ・・・・・・・ 3240, 一日、一回でよい 2010年02月07日(日) 「一日、一回でよい!」が、一ヶ月間の諺の‘日捲り’にあった。ツイッターを始めようかどうか迷っていた時、 「まず一日一回書き込むことから始めた」という勝間和代の言葉に触発され、まず一ヶ月間続けてみようと実施してみた。 成るほど続けていて「広い異世界を垣間見る面白さ」に気づかされた。 一日には、朝、昼、晩、夜半と一つのリズムがある。 これに沿って一つずつの習慣を積み上げ、第二の天性を作りあげることでプラスの変化をもたらすことが可能になる。 ウォーキング、随想日記、起床直後の仏前の祈り、新幹線車中の読書など、一日単位の習慣の重なりがある。 その一日単位の習慣の組み合わせが、その人そのものとなる。さらに週一度の習慣、そして、月、年に一度の習慣を付け加えていく。 特に朝晩にベストの習慣を身につけることがポイント。洗面、トイレ、風呂、三度の食事も、子供の頃から習慣付けられてきたものがある。 秀才とは、予習、復習の習慣のある人。天才とは得意を遊びにした人。 一日千回、せめて百回「ありがとう」を繰り返すとか、 般若心経を唱えるとか、考え方の意図的なカタチつくりも必要である。 『まずは一日、一回の厳守から』習慣づくりは始る。 しかし、これがなかなか難しい! 年に、月に、週に一度といえば、色いろある。それを自分の絶対言明にして、 その実行をしていくことが自分つくりということだ。この随想日記も、出始めは同じだった。 あと一年三ヶ月で十年になる。 ーたまたま去年の同日に、同じようなことを書いてきた。 ・・・・・・・・・ 2865, 一つのことに一万時間没頭 2009年02月07日(土) 昨日の日経で、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が全面を使った広告で 「今、若者たちへ」という次世代に贈るメッセージを語っていた。 その中に「一つのことに一万時間没頭しよう リベラルアーツ修め、『志』を打ち立てよ」がよい。 ーそれを要約すると ・若者は「とんがる」のが20代の仕事! 自分の能力の限界に本気に挑戦する数年を過ごすべき。 ・そのために何か一つのことに一万時間を費やすべきだという『一万時間説』を唱えている。 ・そうするとヒトカドの人物になれる。プロとして認められれば同じような集まりである『鉱脈クラブ』に入会できる。 ・大事なことは、一万時間も費やして獲得した人脈、知識、スキルをその後人生にどう生かすかである。 ・そこで求められるのが「志」、30代に志磨きをすることが必要となる。 志を磨くには、まず、自分が何のために生まれてきたか、社会のために何をなすべきかという『自己認識』が必要。 ・そこでは、国際社会で通用する高い教養が必要になる。 その第一歩が自国の日本のことを深く知ることである。 人間性を磨く、要は教養を深め、専門性を磨き、人を説得する努力が求められるということ。 −− これは決して若者だけではない。我われにも当てはまることだ。一万時間という言葉で気づいたことは、この随想日記、 8年弱続けてきたが、8年×365日×3時間=8760時間で、あと二年で一万時間になる。なるほど、と自分で納得している。 あくまでアマチュアだが、一日も欠かさず続けた効果は絶大であった。 あと2年で10年が大きな節目である。 書き続けることの深さを体感できたのが最大の収穫である。塵も積もれば山である。20人位の人が見続けていたようだが、 いや30人か? その人たちとは、ここでいう鉱脈クラブでつながっているのだろう。8年間で自分が大きく変化してしまった。 ー効果の一部を思いのまま書いてみると ・一番の収穫は、書くことが面白くなったことだ。 ・それと自分に自信が持てるようになったこと。 ・自分の限界がはっきりと見えるようになったこと。・プロのモノ書きの凄みが見えるようになったこと。 ・本の速読が飛躍的についたこと。 ・ものごとの本質の把握力がついたこと。 などなど、あげると限がない。 もっと分かりやすくいうと、以上の文章を三十分で書けるようになったことである。 で、どうした?どうもしないが! 定年後に何をすべきか? これまで出来なかった何かを見つけて一日十時間、三年間集中してみたら!群れてないで。 ・・・・・・・・・ 2008年02月07日(木) 2500, 県民所得格差 ある新聞社のHPの記事をまずコピーしてみてから、地域格差の問題を考えてみよう。 −− 地域間の所得格差を計る代表的な指標は、人口1人当たりの県民所得。この県民所得は個人所得の他、 法人所得も含まれており、個人の所得水準というより地域全体の経済力を示している。 2005年の上位1〜5位は、東京都、愛知県、静岡県、滋賀県、神奈川県の順である。上位5県の平均は、362万5千円である。 事業所が集中しており、昼間人口の割に夜間人口がない東京都は478万円とやや特別な高さとなっている。下位1〜5位は、 沖縄県、高知県、青森県、宮崎県、長崎県と南北の遠地で構成されている。下位5県の平均は215万7千円であり、 上位5県の平均はこれの1.68倍となっている。 高所得5県と低所得5県の間の所得格差は1961年の2.32倍から 高度成長の時期における工場の地方分散などにより1975年の1.58倍へと縮小した。 その後、地域間格差はほぼ横ばいの状況となったが、1980年代後半のバブル経済の時期には やや格差が拡大した。その後の景気低迷の中で、景気対策としての地方への公共事業の 重点配分などの結果、さらに地域間格差は低下し、2001年には1.55倍と過去最低となった。 ところが、その過程で、公共事業抑制、行財政改革、地方分権改革など、「改革なくして成長なし」を合い言葉とした 改革路線が本格化し、それに伴って、地域間格差も4年連続上昇し、2005年には1.68倍へと上昇している。それでも 高度成長期以前の地域間格差と比べるとなお格差のレベルは低く、諸外国と比べても地域間格差の水準は低くなっている。 ーー 以上だが、数年前に長岡は東京のの6割、新潟は7割の所得と聞いていた。 しかし、2005年度で、新潟県平均で6割というから、中越地震と、中越沖地震の影響で5〜10?は落ちたので50?を 割った水準だろう。物価とか、家賃とか他に諸々を考えると20~30?は低いので、都会との生活水準は八割位であろうとは、 感じてはいた。去年、静岡県の島田市に学生時代の友人のところに遊びに行った。彼はトヨタ系の自動車部品メーカーの 下請けの社長だが、静岡県を案内してもらっているうちに、新潟県との空気の違いを感じ取った。 車は中型車の新車が目に付き、家は新しい上に、道路や公園が整理されているのである。 ここはアメリカ?という感覚になってしまった。角栄が政治的に健在だった時の新潟県の豊かさを見ているような・・。 (字数制限のためカット 2011年2月7日) ・・・・・・・・・・ 2007年02月07日(水) 2136, 占いと、細木数子について −1 o_ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニ パッ オハヨ〜 私は占いに興味がない。 ただバカバカしいからだ。ありゃ、??向けのものでしかないのは、 ジャリむけ女性週刊誌の定番商品であることが、そのまま実証している。 そこで理屈として「占い」を考えてみよう。その扱い心理商品は、「不安」と「「悩み」そして「物語」である。 (以下、字数の関係でカット2009年02月07日) b(^o^)ノ バイ! ・・・・・・・・ 2006年02月07日(火) 1771, 老いを生きる意味 ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!! 図書館で立ち読みして思わず吸い込まれて、借りてきた本である。還暦を過ぎたためだろう! その中の「老いのキー概念」が考えさせられた。 一つずつがシビアで、煉獄を思わせる。 (1)居場所がない (2)社会的役割の喪失 (3) 貧困と孤独 (4)生と死の間のさまよい (5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え (8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答) (9)ボケと過敏 (10)成熟と衰え 以上のそれぞれの項目は深い問題であるが、デッサン的に取りあげていた。 北欧で老人が公園で何もすることが無く、寂びしそうにベンチに座っている姿が眼に焼きついていたが、 内面の複雑な心までは感じ取れなかった。それぞれの項目ごとに、過去に出会った老人の患者の逸話が具体的に生々しい。 両親、特に母親を見ていて、この全てのプロセスが悲しく可笑しかった。そして自分も10〜20年で、一つずつ 直面していくことになるのだろう。それまで生きればの話だが。父は70歳、(70歳で末期がん、71歳で亡くなった) 母は80歳までの人生であった。(82歳より痴呆、88歳で亡くなった) ある医師の対談で「‘70代後半に痛みのない癌で死ぬ’のが、私が見てきた理想的な死だ」 という話が印象に残っている。 その意味では、義父は理想的な死だった。 私ごとの話だが、理想的な50代を過ごしたが、理想的60代はどう過ごすか考るのが、今年の課題である。 60歳代前半は後継者への引継ぎの期間、後半は40〜50回の秘境ツアーに集中!が大きなデッサンである。 そして70歳代前半は人生の後始末で、70歳後半〜80歳前半で癌でさらば! ☆ミ(o*・ω・)ノ サラバジャ!! 後は野となれ山となれ、というところだ。そういうものと思って生きていれば、気が楽になる! ・・・・・・・ 2005年02月07日(月) 1406, フリーター漂流 一昨日のNHKスペシャルの「フリーター漂流」に、考えさせられた。フリーターを臨時採用する会社があって、 その会社は(派遣ではなく)下請けの立場で、「フリーター」を工場に送り込む。ラバー(単純作業労働者)を、 下請けとして契約相手先の工場内で作業をさせる。元請は契約下請け作業員を直接工場で働かせているにすぎない。 (以下、字数の関係でカット2010年02月07日) 。 ・・・・・・・・ 2004年02月07日(土) 1039, 鳥インフレエンザ ・[人から人の感染阻止に全力 最悪なら10数億人感染も ありうるとのこと。 アジア各地で猛威を振るう高病原性鳥インフルエンザについて、世界保健機関の西太平洋地域事務局の 感染症地域アドバイザー、押谷仁博士(44)は一月三十一日、マニラで共同通信のインタビューに答え 「最悪の場合、 世界人口の30%が感染する事態も想定される。封じ込めが緊急の課題だ」 と指摘、国際社会が対応を誤れば十数億人が感染する恐れもあると警告した。] ・「SARSはむしろ封じ込めやすい病気。ハクビシンなどの動物から人に 感染したとみられるが、その後は重症者からしか 広がらなかった。だがインフルエンザは無症状の人からも広がる」 如何して、これに対して問題にするかといえば、 スペイン風邪の過去の事例が あるからだ。 ー上記は鳥インフレエンザのweb上の記事の内容である。 今回の鳥インフレエンザはスペイン風邪より性質が悪いといわれている。冒頭にあるように、最悪の事態も考えられる。 もし世界に蔓延をしたら大パニックになる可能性を含んでいる。スペイン風邪は 1918年、当時の12億人の半分にあたる6億人が罹り 2500万とも5千万人が死亡したといわれている。スペイン風邪も当時の氷づけの遺体の細胞から、鳥を感染源にしていると 昨日の新聞に載っていた。当時は第一次世界大戦の為に、情報コントロールがあり人類史上の最大の事件にもかかわらず、 あまり取り上げられてこなかった。エイズ、狂牛病、SARS、そして鳥インフルエンザと人類にとって 大問題の病気が次々に起っている。背後に何かあるのではとさえ思われるほど危ない事件ばかりである。 スーパーの店頭は毒の山と聞いていたが、マンザラ嘘でもなさそうである。 何を食べたらよいか迷ってしまう。ベトナムやタイなどでは鶏がどこにでもいて生きた鶏を市民が買って調理している。 こういう環境では感染が広がりやすいという。海外旅行の代理店は、まさしく踏んだりけったりである。 アフリカ、中近東、アメリカ、そしてヨーロッパは駄目。そこで中国、東南アジアに活路を求めていた矢先、 そこも駄目なら文字通り八方塞がりである。何かのキッカケで世界恐慌になる可能性も含んきた。 ところでSARS騒ぎが全く出てこないのが不思議である。中国では情報コントロールでもしているのだろうか。 ーーーー ー以下はスペイン風邪についてホームページから調べた内容であるー ・スペイン風邪 大正 7(1918)年の春から翌年にかけ、世界中で猛威をふるったインフルエンザ。発生はフランスのマルセイユといわれます。 当時、ヨーロッパでは第一次世界大戦の最中であり、西部戦線でにらみあっていた両陣営で爆発的に拡がり、 まもなくフランス全土を覆(おお)い、やがてスペインへと拡がっていきました。 また、ほぼ同時に中国・インド・日本でも発生、 スペイン風邪は短期間で世界中に蔓延することとなりました。当時世界人口は約12億人でしたが、なんと2,500万人が スペイン風邪で死亡した(一説には4,000万人)といわれます。30人に1人も死んだことになる。現在なら2億人が 死んだことになることを考えると、想像を絶する出来事であったのだ。日本でも2,500万人が感染し、38万人が死亡しました。 ・・・・・・・・ 2003年02月07日(金) 674, ぶざまな人生−2 (読書日記) 立ち読みをもとに、前回「ぶざまな人生」というタイトルで書いた。 先日、本屋で再び立ち読みをしたら、「前書き」と「あとがき」が余りにも面白い内容につられて 思わず買ってしまった。下手な要約を書くよりずっと文章に味があるので、そのまま写し書きする。 ーー表紙ーー ーぶざまこそ人生の醍醐味と見つけたり! 人生50年も生きていれば、時に不偶感に苛まれ自信を失い世間に屈してしまうことがある。金がない、愛されない、 学歴がなく社会的地位もない、有名でもない、おまけに流行にもついていけない。だが、これらはけっして「ぶざま」を 意味しない。人生とは他人に見せるものではなく実際に生きるものだからだ。 「人間の人生」(=運命)に翻弄されながら、それでも「自分の人生」(=意志)を垂直に立て生きようとすること、 それだけが決定的なことなのだ。「ぶざま」を自覚しなければ、生きている資格がない。 (以下、字数の関係でカット2010年02月07日) ー 続くー ・・・・・・ 2002年02月07日(木) 324,中村天風 この人の本を読んで人生観が変わった。基本は人生は「積極一貫」である。 言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。 「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。 ・「積極一貫」がその中心 ・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。 ・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。常に注意を払い,充分に気をつけていなくては。 ・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。その為に、「独りだけの時間」をもち、 「心を澄み渡る」ようにしておくべし。 そうすると「感受性」が高まる。 ー最近また天風の本を一日一回目を通している。理由は簡単である、トイレに置いた。 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。 単純なものだが、何か力が底から湧いてくる。 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。 「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。それが自分の義務だもん」 -天風 ・・・・・・・・ 2月7日 1969年 9時起床。 10時に食事。 その後、登校後に人事管理の試験であった。まあまあのでき、よくて優、悪くても良だろう。 試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授のところに行くが不在であった。アメリカの、グリーンスパン教授と 親交がある人だ。その後、三人でボーリングに行く。150点、私としては上出来であった。その後、帰寮。 19時半から、私の追い出しコンパだ。今までは送る立場であったが、今日はついに自分の番である。 蒲生と高橋をのぞいて全員が出席をしてくれた。少し白けた感もあったが、最後まで永田さん、市川さん、 間中、佐藤、尾形と残ってくれた。酔っていたが、市川さんに「私から全てを吸収しきってしまった」という。 まあ、そうだろう。最後に佐藤が泣いてくれたのは嬉しかった。それにしても、市川さんとは、この二年間は 週末は必ず食事に行っていたのに。如何したことか解らない。そんなものか、この男は。ショックであった。 一人一人、いろいろなカタチで別れていかなくてはならない時なのだ。それにしても、市川さんの最後の言葉は 何なんだったのか。怒るより、むしろ呆れてしまったというのが本音である。 寮にそのまま居座る為の、デモンストレーションのつもりなのだろう。 毎日毎日が、あまりに刺激が強すぎる!
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2011年02月06日(日)
* カナダ・ロッキー山脈の感動 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 これが地球上に存在しているのか? と。 バスの中で眠り込んでフッと眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の 線がひかれたようだ!」という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。タイミングとして初めて広大な 大自然を見たのが良かった。グランドキャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。大自然の壮大なパノラマに対する感動が、 自分の心に深い何かを与えられた初めての経験であった。 * 秘境ほどトラブルが大きくなる あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。 それを逆に楽しむのが通というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じで、受け止め方の問題になる。 波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。 トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味になる。 良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。 (例外もあるが?)そして、遠く離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。 神とは宇宙の織り成している力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが神の姿に思えてくる。 * 323,ある時間の断片-1 2002年02月06日(水) モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。 4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、 もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。その話しが面白い!といって 今回の観光のピークの場面。その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか本当に迷ってしまった。 世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。 それは座る場所で決まるのだ。家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。 その内容とは ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。 誰も知らない秘密を私だけがしっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」 と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い! 家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。 同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。 ネタはツキマセン! このての話しなら! ・・・・・・・・ 3239, 閑話小題 2010年02月06日(土) * 朝青龍の引退 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情する向きは少ない。「一人横綱を4年続けたプレッシャーは 想像を遥かに超える。それを一年経験しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレードでモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、 「あれは変だ」とマスコミは口を噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて一番強い力士。 あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無かった。 来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、 もし残留しても同じような問題を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。その段差に、 数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。 * ツイッター、その後 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計りしれないが、それ以上に、この社会に与える インパクトは大きくなる。要はモバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。 多くのブロガーが、ツイッターで多くの人と繋がる機会が爆発的に増えることになる。写真や動画を気楽に 受発信できることがよい上に、140文字に制限されていることとが、ずばり本音を語るしかないのが逆にプラスに働くからよい。 無作為にチャットの相手を選んで話すサイトもある。オノヨーコなど有名人のツブヤキもリアルタイムに見ることも可能である。 ここ、暫くはツイッターを通して娑婆を覗いてみるつもり。軽薄もまた、良いものである。 ジックリと哲学書も読んだ上にすれば、更に良いのだろうが。 * 昨夜は、中学校同期会の幹事会 幹事会といっても、20人が集まるのだから凄い。以前は同級会だったが、亡くなったり、転居、そして??で、 何時の間にか同期会に代わってしまった。 その三分の二が女性。 地方の街中の中学校だったことあり、 どちらかというと派手だが、堅実なタイプが多い。 長女か長男で、「家に縛られ大学に行けなかったのが残念だった!」 というのが、大方の愚痴。 当時の大学進学率は15パーセントで大卒は少ない。あの人と付き合っていたとか、 デートをしたとか昔の何の暴露のしあいがリアルで、ほのぼのする。 ・・・・・・・・・ 2864, 「要約力」を要約する 2009年02月06日(金) 「要約力」 ー読書日記 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換えることも出来る。 毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。 ここで「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、表現する能力」としている。 −要約には1.ストックと2.フローと分け、 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、要約カプセルと名づけている。 −要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。 「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下) 前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。 更に印象に残った部分を抜粋すると ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要 感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報のエッセンスとし ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」「とどのつまりは…」 「でも、本当にそうなの?」「なるほど」 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、 各論に入るのが速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。 ・・・・・・・・・ 2008年02月06日(水) 2499, 無くてはならぬもの −7 − 一度だけの人生 ―どこに根を張るか− 〜2 P−197 私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。 「何をするか」ということを問題にすべきである。自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶこと。 自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。 一流大学でなければいいところに就職できない、 など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。 あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。 解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。学問は、その意志ー目指すべき人生を 学ぶことでもあるから、一概には言えない!それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。 P−206 *人生に意味をもて 生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように思われる。意味がないから、 生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。 人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、 それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれる ことがある。しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。 祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。祈るときキリストは私の前に立ちたまう。 私は独りではない。人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、 「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、 神を信じろという言葉に等しい。その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか? 40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。 ・・・・・・・・・・ 2007年02月06日(火) 2135, 時間についての一考察 −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪ 前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の 『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。 直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い! ーーーーー 在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?精神でさえも現在に属しているというのに、 どうして我々がそんなことを望むのだろう? 人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。 天国や約束のように天空の中に隠されているわけでなく、牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。 我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として 生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。 ・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」今日を楽しめ!ということなのだろうか? それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。 現在は変わりながらも連続しているのだから。だから、永遠を楽しめ! それは瞬間を生きるということなのか?そんなことはない。 瞬間のうちで、試験の準備をしたり、休日の計画をたてたり約束を守ったり、友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。 では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。未来において、はたらいたり、楽しんだり、やりくりしたり、 愛したりできるはずもない。現在だけが行為の唯一の場であり、思考の唯一の場であり、記憶と期待との唯一の場である。 それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、あるいはカイロスとしての世界である。存在が時間の中にあるのではない。 存在が持続するからこと時間があるのだ。現在を生きるということは、どういうこと? たんに真実に生きるということだ。 我われはすでにその王国中にいる。永遠、それがいまなのだ。 (字数制限のためカット 2011年2月6日) ・・・・・・・・・ 2006年02月06日(月) 1770, 閑話小題 才ノヽヨーφ(・ω・`) ー倒産にみる地域性 (字数制限のためカット2010年2月6日) ・・・・・・ 2005年02月06日(日) 1405, まよったときは運命を信じなさいー3 −三つの部屋の物語ー 寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングをして半月以上になる。以来、夢が次から次に出てくる。 現在抱えている問題や過去が、夢の形で迫ってくる。心の奥に閉まってある問題が、現在の問題と何らかの形で繋がって 短編の物語になっている。人生、59年も生きていれば、多くのことがある。 今まで袋に入れて、入り口を紐でしっかりと 縛って出さないようにしてきたが、過去の日記を書いたり、本を読み込むうちに溢れ出始めたのだろう。 そして傷口が傷むのだ。怒りは見えない形での傷口の悲鳴の変形ではないだろうか。怒りは、その傷口からの叫びなのか。 潜在意識とは、つくづく複雑で深いものである。心理療法の映画を見ていると、心理カウンセラーが心の傷を探して、 その傷口を治療するプロセスを面白おかしくストーリーにしてある。 「迷ったときは運命を信じなさい」の中のギリシャ神話の神の「光りのイメージト・レーニング」は、 自分の原型探しの他に、自らが光りのイメージになることが、癒しにとってリアルで驚くほど効果的である。 ところで、私のストーリーをつくってみたくなった。 私の心象風景でもある。 ーー ー三つの部屋の物語ー 地下へのトンネルのあった家から一度出て歩いていると、古びたレンガつくりの田舎風なホテルがあった。 そこで、そのホテルに泊ることにした。何か魂が休まるような感じのよいホテルである。案内されたホテルの部屋は思いのほか広い。 見渡すと隣の部屋へのドアがあった。家族連れなど大人数の為に二室を使う時のドアである。そのドアが半ば開いていた。 中を見ると小さいスペースがあり、光り輝いていた。一歩入ると、自らが光りになったような感じになった。 そして更に三室のドアがあり、それぞれの部屋の名前が書いてあった。「未来の貴方の部屋」「亡くなった縁故者の部屋」 「無限宇宙空間の部屋」そこで先ず「未来の貴方の部屋」に入ってみた。何と10年後の私と、20年後の私と、生まれる前から 亡くなった後も包み込んでいる私が立っていた。先ず10年後の私が、肩に手をかけてソファーに優しく導いてくれた。 そこで、緊張をしている私に向かって、にこやかに話し始めた。彼は、「これから先の貴方の10年間を全て経験してきた」。 そして、慈愛の目で私の心の奥を覗き見るようにみて、「私を知りたかったら、十年前の自分を見つめなおしている今の貴方が、 そのまま私である」と、語りかけてきた。 ー づづく ・・・・・・・ 2004年02月06日(金) 1038、「わたしは悪い不動産屋」−2 以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。 この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。 真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。 その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が 含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。 知り合いに面白い善意の不動産屋がいる。自分は何もそれが彼の仕事である。ところが、それを親しい人間にも、それをしている。 そのことを自分で全く解ってない。純粋で、善意で、無意識で、人間の瑕疵をさがしてしまている自分に気が付いてない。 その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。 ー商売性格形成論を今度かいてみよう。 不動産業の業よりも、誰もが持っている人間の業であるが。人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。 人間論になってしまった。まあ他人事でない。違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。 生きるということは、こういうことなのだろう。純粋性の恐ろしさと、深さがある。不動産屋は、なるべく相場より安く 値づけをして早く商売を成立させたい。その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。 不動産取引は、情報の売り買いである。長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。 蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。 そして無くてはならないビジネスである。 不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。野球のバッターに例えると ・バント専門 ・ヒットバッター ・ホームランバッター ・代打専門と、それぞれの特性がある。 ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋 ・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割〜半額を もらうことを裏契約をして共同作戦をする人 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 トンビという仕事もある。事務所を持たないで、 情報を売り買いしているハイエナ的な仕事。饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。 ・・・・・・・・ 2003年02月06日(木) 673, 笑点 毎日新聞で,毎週日曜日の夕方のTV演芸番組の「笑点」を特集していた。 ー要点を書くと (字数の関係でカット 2009年02月06日) ・・・・・・・・ 2月6日 1969年 産関論の試験は、まあまあよかった。途中で、クラブの仲間の小林(仮名)とバッタリであう。喫茶店で、彼と話す。何かチグハグで かみ合わない。ここで司法試験に挑戦をすることにしたとか。ここにきて、思いつきで受かるほど甘いものではない。 動機が浅いのが私でも解るのに。本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。8日に、再び会うことを約束をする。 私の寮に来るという。クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。親父が不動産屋で取引の何かがあって刑務所に 入っているとか。どういうことか解らない。
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2011年02月05日(土)
* ほんの5年前までは 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。 現在はどうだろう? 中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 2005年に下流社会という言葉が 流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を 対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。 貧困に「相対的貧困率」という数字がある。平均世帯所得の半分以下の世帯の数が、全世帯に占める割合をいうが、 1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には一挙に倍近い15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えているのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると ≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、 相対的貧困率の対象。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、 4人世帯では254万円に相当する。≫ リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は、貧困層。 ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 感覚的にみて、日本の半分以下だろう。 とすると、10年、20年かけフラット化していくプロセスに入ったということか。 * 百円ショップの楽しみ 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。 新潟では昼休みの運動に歩いて10分ほどの駅南の「セリア」に。 通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。 一回に千円程度を買うのが楽しみ。 殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの商品で溢れている。ノート、電子機器などを 入れる袋もの、小物を一時的に置くカゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。 電動アシスト自転車を 千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く 「百円ショップで、一度見てからにしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付のものがあった。 百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んである考え方は非常に良い。 ・・・・・・・・ 2010年02月05日(金) * 狂ってしまった猿 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に「鏡の間」という場所があり、 そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。 世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、 生存を賭けた人間世界形成している。鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、 他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」 と付記されていた。これは1963年に、自然保護の分野で著名なウィリアム・コンウィン博士によって設けられ、この警告も博士の言葉。 既に10数年前に、大型類人猿舎は撤去され、「鏡の間」も消滅してしまっている。年中サカリがついている、スケベな動物と 加えてなかった? 宇宙から地球を眺めてみると、まさに地球の生命圏を消滅させてしまう、狂ってしまった猿という 自覚できるようになってきたのが、唯一の救い。その最大の狂いを生じさせたのが、アッラーという神を発明したこと? 数千年たった現在でも縛られているのだから・・・ 「世界で最も??な動物」の??を、‘馬鹿、助平、知性的、凶暴、等々と色いろ当てはめると? ・・・・・・・・ 2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2 2009年02月05日(木) この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。 自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、これまでの自動車の概念が変る。 ・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり3万点の部品が、2万点で済むという。 ・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。 ・更にガソリンエンジンのため、車体は鉄と決まっていたが、電気モーターの場合は熱を持たないために、 プラスチックやカーボンも可能になり、軽量化が劇的に進み、エネルギー効率も良くなる。 ・電気は家庭のコンセントからでも充電可能になり、結果としてガソリンスタンドは激減。 ・これまでのような原油値上がり、即ガソリン代の高騰の構図はなくなる。 これからの10年間は、部品メーカーを含めた劇的な産業構造の転換が起こる。ガソリンエンジンなどの部品メーカーは、 存在そのものが問われるのである。いや既存メーカーの存在意義も問われるのである。 既存のシステムが逆に重荷になる。 (字数の関係でカット2009年2月05日) ・・・・・・・・ 2008年02月05日(火) 2498, 無くてはならぬもの −6 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー P−196 他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、とかけがいのない自分という存在ということを、 もういちど、しっかり見出してほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかもそれは二度と 繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当にわかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、 真剣に考えていくことができない。 p−199 たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、そういう人生の目的を見出してほしい。 そうして二度と戻ってこない一日一日を、そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。 天才とは、努力をする人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を通して 何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。あなたは社会的に成功しなくてもよい。 自分がやりたい事を一度かぎりの人生に打ち込んで努力してみたらよいではないか。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。 その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題にはしない。どんな小さなことでも、これが自分が したいことを生涯を通して行えば、世界のために何か貢献することができるのである。それで途中で倒れることがあっても、 一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのではないだろうか。 P−202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセーを思い出す。「偶然再興」の中に収められ文章であるが、 「・・・ある時、砂に食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも違っていたのである。 楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べて地下の根は。戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、 枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を無数にもって、 いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを知っていた。 しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に打たれぬわけには行かなかった。 ーーー 「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。 個性とは、自分が人生をかけて打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。 38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」の一冊であった。実は読み返して今、気づいた。 それでは他の二冊は何か? 近々に取り上げてみようか。大本教の出口王仁三郎の本と、新約聖書である。 ・・・・・・・・・ 2007年02月05日(月) 2134, 時間についての一考察 −1 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。その中で「いま、ここ」−現在ーの意味が深い。 考えてみても解ったような解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?には 非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、 人を殺してやりたい位に憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、 ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく「その時点での今・現在」に経験したことである。 (字数制限のためカット 2010年2月5日) ・・・・・・・・ 2006年02月05日(日) 1769, 閑話小題 ー エ!まさかー 先月の末の話になるが、長岡のある料理屋が閉鎖をしたと朝日新聞の新潟版に別枠で大きく取り扱われていた。 店主が店の2Fで心不全で亡くなっていたのが翌日になって発見されたとか。戦前(この言葉も古いが)から 七十数年も続いた店で、両親に何度か連れられていった記憶が鮮明に残っている。タンシチュウや、エビフライなど 独特の味付けだった。昨年の暮れ、家内とその店の向かったが途中で吹雪いたため、駅前の居酒屋に入ってしまった。 一昨夜、長岡で飲んだおり居酒屋とスナックでその話をしたところ、自?という。4~5軒まわった店では全員がそのことを しっていた。いま殿町では、その話でモチッキリという。どの店も不景気で他人事でないだけに身に沁みるという。 有名な飲食店が数年前に店主が病死をして閉店をしたのも、実は自?だったとか、あの店も、その店の誰かも、 実をいうと??で・・、そのほとんどが借金苦だったという。これだけ災害が続けばお客の足が遠のくのもわかるが。 ・・・・・・・ 2005年02月05日(土) 1404, 立花隆の旅について この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。深い人間洞察を何気なく言ってのける。 長年かけた知識構築の結果といえば、それまでだが。人間洞察を旅を通して語っているから尚のこと解りやすい。 人生は旅であるからだ。今回借りてきた、「思索紀行」−ぼくはこんな旅をしてきたの序論のなかの 「旅と人間について」の次の文章でもいえる。ーすべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。 その人が過去に読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わして印象深い会話のすべて、 心のなかで自問自答したことのすべてが、その人の最も本質的な現存在を構成する。考えた末に、あるいは深い考えなしに したすべての行動、その行動から得られた結末に対して反省や省察を加えたすべて、あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、 その人の行動パターンを作っていく。人間存在をこのようなものと捉えるとき、その人の全ての形成要因として旅の持つ意味の 大きさがわかるだろう。日常に支配された、パターン化された行動の繰り返しからは、新しいものは何も生まれては来ない。 知性も感性も眠り込むだけだろう。意欲行動も生まれては来ない。 人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化 されたものはいっさい意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。そして、そのように処理されたものは、 記憶にもされないようになっている。 意識の上にのぼり記憶されるのは、新奇さの要素があるものだけなのだ。 旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべてが新奇の要素を持ち、記憶されると同時に、 その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。 その人を作りかえていく。旅の前と後では、その人は同じ人であり得ない。旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら 無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の旅の、あるいは「大きな旅の無数な構成要素」がもたらす 小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよい。 ーー 以上であるが、人間と旅の本質をズバリ言い当てている。旅行に行って帰ってくると、それまでの自分とは別人になったような 感覚になる。行った先の自然や文明文化から受けた感動によるものだ。旅行で感動した幾つかが、自分の人生の魂の奥に沈んで、 人生の大きな骨格になっている。そして一回行った旅行は、それぞれが今も現実的に続いている。TVや書物で、 その後も多くの疑似体験ができるからだ。何処かしら週に2〜3回は情報媒体を通して、その続きの経験をしている。 この随想日記も、過去の出来事、考えたこと経験の集積ぶつを拾い上げ書き出している。汲んでも汲んでも尽きることなく出てくる。 ・・・・・・・・・ 2004年02月05日(木) 1037, 「わたしは悪い不動産屋」 読書日記−1 本屋で何回も立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。知り尽くしている私が読んでも、面白いのだから素人は 是非読むことを勧めます。こと不動産業界に関しては、一般の素人は非常に用心すべき世界である。 最近よく目にするマンションでAP?とかいうマンションがあるが、知る人ぞ知る危ない典型の??である。 建設業界やマンション業界すべてを、素人なら危ない世界と認識しておくべきだ。内装の一枚内側の設備などは、 どうなっているか解らない。会社は何処も火の車、何時潰れたもおかしくないのが内情。彼等はどこで手を抜くか、 目に見えない配管とかの隠れたところしかない。その結果は、買って10年〜20年経ってから欠陥として出てくるから始末が悪い。 間違いなく10年〜15年で五分の一以下に確実になるのに20〜30年ローンで買わされている。無知そのものが罪だというが、 露骨に自分に帰ってくる世界である。マンションを10年前に買った人のいまの相場を聞いてみればよい。殆どが5分の1以下である。 ファッションの服やバックは、一年経てば五分の一である。コストからみると、買った瞬間2分の1である。 本人もそれでよいと納得した買っているので、それはそれでよい。それと同じ感覚でマンションや住宅を買ってしまうことが 問題なのである。新興のマンションメーカーはファッションマンションとして割り切ってお客の無知を狙っているのだ。 それが消費者の意向ならそれでよいと。酷いといえば酷いが、飛びつく無知も無知である。 以下はホームページから調べた概要である。 ー つづく ーーーーーーー のっけから意表をつくタイトルだが、実際にはない土地を売るなどのいわゆる地面師みたいな本当に 悪い不動産屋なら、捕まって免許剥奪、不動産屋も解雇である。 従って、この本で扱うのは、 あくまで合法の範囲で、どのように不動産屋がインチキ臭いことをするのかといった話である。 (字数の関係でカット2009年2月05日) ・・・・・・・ 2003年02月05日(水) 672,嘆きの部屋 ・高校同級の土田氏が入院でわずか3週間で亡くなった。 食道がんで肺に転移もう末期だったという。 一瞬で地獄の底に突き落とされた恐怖は言語に絶するものだったろう。「病院には嘆きの部屋」があると モッケイクラブを事務所の部屋で開いていた時に、看護学校の末期医療専門の女の先生が話してくれたことがあった。 ・絶望のその気持ちや混乱を大声で喚くことで静める防音の部屋がどこの病院にもあるという。 もう他人事ではない年齢だ。 それまで生きてきた全ての人生を圧縮した時間が流れるという。 キュ−プラー・ロスという「死ぬ瞬間」という本を 出している死の見取りを専門にしてきた人が、その本で究極の死を受け入れの心理過程を書いている。 確かまずは拒否、怒り、取引ー自分との、受容。 ・父が死ぬまでの一年間、しっかりとその時間の中でそのプロセスをみた。 生への渇望ーその砂漠の真ん中に 一人取り残された生への渇きの極限状態だ。 その時父に「昔の哲学者がー本人にとって死はない!という話をした。 死んだ瞬間それは自分でないから、生きている限り自分の死は存在しない。存在するのは他人の死だけだーエピクロス」と。 父がその時ホッとした顔で「死について初めて解ったような気がした」と答えた対話が鮮明に残っている。 それまでの父の口癖は「死んでしまえばそれまでよ!」であった。 ・死ぬのは仕方がないことである。ただ後悔をして死にたくない! いや、後悔したっていいじゃないか、死んでしまえば 全て無なのだから。 生まれる時も独り、死ぬ時も独り。生きている時も独りだ。 ただ忘れているだけでしかない。 考えてみれば、生まれる前の状態に戻るだけ。誰もが生まれる前の状態と、死んだ後の状態が生きている時でも取り囲んでいる。 寝ている状態はその際に戻っているのだろう! 以上、死のおさらいでした! ・・・・・・ 2002年02月05日(火) 322、一人旅 ー「北海道」編 「北海道一周、九州一周、紀伊半島、能登半島」と、けっこう経験しているが世界一周の一人旅の経験はしてない。 人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ!といって振り返ってみると結構経験をしていた。 若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか?そのいくつかを書いてみよう。 今回は北海道である。大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、はやまた気取りか。 いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか? といって、それほど無理した旅行でなかった!殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ! そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。書いていていて、 多くのことを思い出してきた。世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる?いや当時はまだ無理だったのか? あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった!何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを 思い出した!一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった?いやあったが忘れてしまったのか? 函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。屈斜路湖、摩周湖、層雲峡と・・・一応振り返ってみると、やるべき時に やるべき事はやっていたようだ。30数年たって、この旅行を初めて振り返ってみた。行方不明のアルバムに写真が 残っている筈だが。青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションがマグマのように溜まっていた。 それがエネルギーになっていたのだろう。 ・・・・・・・・ 2月5日 1969年 11時に「価格理論」の試験であった。あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。帰りは、川崎と一緒だった。 帰寮後は、今日の試験のショックでやる気が起きない。いや、昨日のこともあるか。産関論の試験勉強をする。 あまり熱が入らない。しかし途中から集中ができた。の中でヤマをかけたが、どうなるか分からない。気持ちは刹那的である。
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2011年02月04日(金)
* 日本の政府は巨大か、それとも普通か? 民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。社会主義者が政権をとっているから仕方がないとも言っていられない。 あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅するだろうが、これを立て直すに時間がかかるだろう。 で、果たして日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?の議論がある。 実は世界で一番の水脹れの国家になっている。 それも国家財政破綻直前で悪いことに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。 一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れの大きさが母屋の5倍以上はゆうにある。 国民の目は母屋しか見えないように官僚と自民党が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても 何も手がつけられない事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。 日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。 ーー * パン屋の恵方巻き 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などというのを、今年のスーパーのチラシで初めて意識をした。 一週間前から、そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、昼飯のサンドイッチを買おうと思い入ったが、 サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、 カツとレタスにパンを巻いた上に海苔がかかっている。要は御飯替わりにパンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。 節分の日には、豆まきをしないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったものだ! ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた 《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。節分の夜にその年の恵方→歳徳神の 住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。》 ・・・・・・・・ 3237, 白川義員 2010年02月04日(木) *「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の宇宙の中にあって、たかが知れた粟粒ですよ。 その粟粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒ってことを知っている人間が、この世界に何人いるだろうか、 と思い始めたわけです。それならば、このスゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめてやったら どうだろうと。そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、生きる方向も 限られ連帯感も生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」 *「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で凄い写真にするウルトラCなどないということ。 小手先の技術だけで凄い写真が出来るわけがない。」 *「世界は『使われなかった人生』であふれている」 *「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。 神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから祈るしかないのだ…… 」 *「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」 〜 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。「世界の100名山」のDVDを持っているが、 素晴らしい映像が次から次へと映し出される。 20数年前、ある雑誌で彼がプロとしての写真家になる切っ掛けになった スイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。 その場面が、言葉の中から浮かび出てくるようであった。 私が世界中の秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との 出会いをするからだ。「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は出会っている。 それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山などでも経験可能だろう。大自然は、我われを通して自分の姿を見る。 その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が最小に押しとどめてくれている。 ・・・・・・・・ 2862, アメリカ発 世界自動車危機 2009年02月04日(水) 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。 ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー 《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の危機に直面している。 2008年、金融危機の炎はまたたく間に自動車業界に延焼。 旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんた。 GMを始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも 深刻な打撃を受けている。 なぜこんなことになったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデルを 延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街が 推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。 それが今回の金融危機で一気に瓦解したのである。 時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など 環境対応車の時代への模索が加速している。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。》 ー 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊のモデルを目の当たり見せられたようだ。 GMのローン会社GMAC・元ナンバー2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの三社の システムの構図は住宅のサブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、ほぼ無審査で買い手にローンを組むように 依頼されており、ホームレスにもローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と混ぜて、 格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。 更にGMACは住宅ローンも手がけ、全米5位にまで 規模拡大していたのである。その上にクルマの「リース」に乗り出した。 二年リースで乗り換える契約をして半額でクルマをリース、 二年後には、購買者は再び新車をリースが出来るシステムにした。三年目のクルマは中古市場で半額で販売、そのリースも証券化し 利益を出していた。それはそれで一見、理屈にあったようだ。しかし石油の高騰とバブルの弾けでGMの大型中古車は売れなくなって 問題が発生。その全ての債権が不良化したのである。これから見てもGMは詐欺同然のことをしていたことになる。 また、政府の救済も一時的にしか不可能であるのは自明。金融立国と称した国が国家単位で似たようなことをしてきた 金融システムの崩壊は、世界恐慌になって当然である。 その最大の被害者は、日本と中国だが、日本は数年内に壊滅的大打撃を 受けるのはアメリカ隷属国家の宿命である。特に今後三年間は、修羅場の連続と覚悟をしていた方がよい。 「 世界炎上! 日本は全焼状態 」 政治は無政府とくれば?? 戦後の、あの事態への逆戻りも仕方がないか! ・・・・・・・・・・ 2008年02月04日(月) 2497, 無くてはならぬもの −5 YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ 佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」 * 何を信じて生きるのか ー不信の中の絆ー この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて信じることができるのではなく、 信じることができてはじめて、理解しあうことできるのである」と述べている。 P−164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在としてつくられたためである。 そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。本能とか、社会における地位や身分とか、 その他いろいろな点で人は千差万別といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、 人は神様からつくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。 ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。 それは巧妙であるが、所詮は中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に気づかないから始末が悪い。 その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、 尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。宗教と倫理こそ信じるべき道標である。 他人ごとでない自分自身のことでないか。「これこそ愛である」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。 人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。 しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。 以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。 P−183 じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。 パウロはそのことを次のように告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。 ・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力の ないみじめさを、このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界にふれるということはできないかもしれない。 宗教などいらないという人は毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。 自分には他人を愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に他人を愛しようとしただろうか。 ーー こういうことを先に気づくか、後で気づくか? 人生は、口先だけでは後で後悔の日々になる! 青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。 ・・・・・・・・・・ 2007年02月04日(日) 2133, 閑話小題 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! * 顔筋マッサージ 先日、「顔筋マッサージ」について書いた。TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がってきていた。 ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。 その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、面白おかしく書いていた。 縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、 見事なぐらいにスッキリと以前とは見違えるように変わっていた。あれぐらいスッキリするのだから、 丹念に時間と回数をかけたのだろう。しかし、今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、元に戻っていた! マッサージをしていなかったのか? 私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない? * 一連のバラバラ殺人事件について セレブ?の二件のバラバラ殺人事件、考えれば考えるほど問題の根は深い。普通の家庭で育った普通の人の事件だからである。 それも人間の死体をバラバラに切り刻むなど考えられないからだ。そのような異常な事件が次々と毎日のように起こるから・・・ (字数の関係でカット 10年02月04日) ・・・・・・・・ 2006年02月04日(土) 1768, セブン・イレブン (o゚▽゚)o オハョ〜 (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝) ここで取り上げるのは、コンビニではない。バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す言葉である。 (行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしているという)あくまでも誇張した流布と思っていた。 ところが、「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、奥さんが旦那の猛烈ぶりに欲求不満? と嘆いていた。その旦那の一日の日程とは! 4時 起床、 ノ□ヾ)ネムー 4時半 家を出発6時前に会社近くにある ロイヤルホストで朝食を兼ねて仕事の準備、7時出社、〜 23時に帰路、0時過ぎに帰宅、1時就眠・・・ 土曜日は一日寝て、 日曜日に家族サービスという。聞いて耳を疑ったが、噂は本当だった?若いうちは、 ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。生々しい金融の世界で、このような生活をしていたら世の中の人間、 全て馬鹿にみえてくるだろう。これに高速配転で鍛えられるのだから、能力は蓄積されて当然である。地方などにきたら、 いるだけで腹が立って当然だろう。地銀に出向になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は 埋められないという。 どちらが良いかは、 全く違う問題になるが! ( ̄◇ ̄)ノ))バイ ・・・・・・・ 2005年02月04日(金) 1403, 人口減少経済の新しい公式 ー 読書日記 ー縮む世界の発想とシステムー この本を読むと日本の将来に対し非常に悲観的になる。解っていたことだが、ここまで理路整然と日本の悲観的な現状を 人口減少という面で指摘されると・・・ 本屋で並んでいる日本の将来の悲観論より、何げなく人口問題で指摘されると、 やはりショックである。考えてみれば、経済の本質は人口問題である。その減少ということは、それも労働人口が激減する というから、これに対する手段は考えにくく、悲観的になる。ーまえがきーの一行目からして刺激的である。 「今日は、2015年の大晦日。今年も企業の売上高は前年を下回った。そうした状況はもう何年も続いている。 新聞でも経済成長率をいう言葉は消えて「経済縮小率」という用語が一般的になった。 しかし経営が悪化する企業は殆んどなく、景気の現状を不況というひともいない。」 ーー 以上だが、地方経済、特に新潟や札幌などのデフレなど、不況を直撃している地区にとって現状そのものである。 これからの変化は一挙に迫る極大値後"(2008〜9年)の世界に突入する。速すぎる日本の人口減少高齢化により 自然と経済成長率が最も低くなる。極大値に達した後の日本経済の破裂がこれから起きようとしているのだ。 (字数の関係でカット 11年02月04日) ーーーーー ーある書評 日本経済新聞 朝刊(2004年6月20日掲載) (字数の関係でカット 09年02月04日) ・・・・・・・ 2004年02月04日(水) 1036, 一人遊び −2 以前「一人遊び」を書いたことがあるが、再び書いてみる。一人遊びができれば人生の問題の大部分を解決できるだろう。 自己完結をしたことになるからだ。一人で散歩をして、読書をし、一人食事をして、一人で考え、一人街を歩き、一人買い物をして、 一人で旅に出て、一人仕事をする。一人遊びは人生を通して、特に晩年に要求される。これは訓練と練習で身につけることが可能である。 しかし長い年月の積み重ねが必要である。その積み上げた一人の楽しみを知ってこそ、人との楽しみも数倍に膨らむものだ。 いま35年前の日記を書き写しているが、一人でよく遊んでいたことに驚く。若かったことと、遊ばなくては神経のバランスが 保たれなかったのだろう。それが結婚を機にして、一人遊びのカタチが変ってしまった。本屋まわりや、散歩や、読書や、 ホームページの書き込みや、図書館通い、などなどの一人遊びをしている。大人数の末っ子ということもあって、あまり人に 気をつかうのが嫌なのだ。といって多くの人の周りにいたいのだ。ノイローゼとか、精神症は他者に依存をしようとする姿勢から生じる。 群れの中で自分を見失っていくのだろう。連れ添いに先立たれて、友人も次々に亡くなった時に真の一人遊びになる。 以前書いた「一人遊び」の内容をコピーしておきます。 ーー 2002/01/05 一人遊び (字数の関係でカット 09年02月04日) ・・・・・・・・ 2003年02月04日(火) 671, アルカイダー 「お前は言葉のアルカイダーだ!」土田氏の葬式に出たときの「しのぶ会」で、ある同級生にいわれた言葉である。 同級生『ヘンな奴に何をいわれても「あの馬鹿!」で済むが、お前の奴はズバリ核心を言うからな〜。 ・・お前は言葉のアルカイダーだ』 私『じゃ〜お前は下半身のアルカイダー!』 同級生『・・・・・・』これは 私の瞬時の答えである。同級生同士が酒を飲んで他愛もないことを言い合っていただけだが。「何々のアルカイダー」は 何でも使えそうだ。銀行のアルカイダー化が今の日本を駄目にしているとか。私の学生時代の専攻が「社会学の人間関係学科」 だったから、どうしても人間の本質を話すので、聞く人はグサリとくるのは解る。別の男が『もっと凄い言葉がないか?』 と言ったが出て来なかった。それではアルカイダーが正当化されるか?自殺を正当化して、それを武器にするテロは 正当化されるものではない。城下町のような固定化社会では、なるべく波風を立てないで真実より目を逸らす 方がよい。でも言いすぎであるのも事実である。 ・・・・・・・・・・ 2002年02月04日(月) 321、宗教的真実について−1 ・「もし、私の聖書の読み方が正しいとすれば、神があるがままの人間を愛される、 あるべき人間の姿を期待して愛されるのではないのです」(ジョセフラブ・神父) ーこの言葉でハッとした。あるべきという視点で人を見ていなかったか?マイナスをマイナスとして愛すということ? だから、あるべきとかいう自分の価値観で人を見るべきでないという理屈は納得する。宗教は真実を気ずかしてくれる。 ・「聖書は事実でないかもしれないが、真実である」ーこれもいい言葉である。聖書の創世記では「アダムとイブの時代」は7千年前。 150億年前のビッグバンとはあまりに差がありすぎだ。 私が神に対する知識といえば 「人間を自然をここまでならしめている天地創造の存在」「人間の創り出した手前勝手な絶対的存在」 「人間が持っている共通意識の絶対存在」「言葉が造り出した理想的バーチャルの世界の絶対者」 「人間が創りだした自然現象に対する畏れの神格化」 ・・・・・・・・ 2月4日 火曜日 1969年 朝8時半、母屋から電話で起こされる。誰だろうかと、思ってでると中条さんだ。アルバイトで知り合った人だ。 石原慎太郎と美濃部の都知事選挙で、数日間宣伝カーでマイクをガナッタ連れであった。数日間、そのアルバイトからの帰路、 寮が近くにあり、飯田橋の駅から二人で話をしながら帰った。富山県のおっとりした芯の強い人だった。 その後オーストリアに留学をした寮隣の部屋の河路さんと親しくなった。その妹分の洋子が、今日これから荷物をまとめて 帰ってしまうという。洋子は躊躇をしていたようだった。本人と話をしていると、胸がつまって何も言えなくなる。 自分がおかしくなって涙が出る。彼女も泣いていたようだ。三年の時によく合コンで気があって何時も一緒だったが。 学生時代で女性では一番心が通じた一人であった。私の好きなタイプの品の良い、素素としたお嬢様タイプの美しい人だ。 一年間全くの接触が無かったのに、このタイミングの電話は厳しい!中途半端に、何もいえないで電話を切ってしまったが。 見送りに行くべきであったのだろうが、不意なので思いもつかなかった。でも、これから故郷に帰ろうという直前に電話を くれたのは嬉しい。そういえば、去年の二月初めやはり(仁科)ヨウ子という名前の人が、これから帰るという電話が来た ことを思い出した。女性の場合、そういう時誰かに電話や手紙を出したくなるのだろう。 毎日のように一人一人と別れになる。
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2011年02月03日(木)
* カラコルムハイウェーの旅が一番過酷 トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが億劫になる。しかし頭にはフラッシュのように 色いろのことがよぎってくる。「閑話小題」を書く時は手抜きか、テーマが浮かばない時の苦し紛れで、小題として幾つか書いていた。 しかし、その方が面白いと指摘され、読み返してみて成程と思った。 何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、せっかく脳が呼び出してくる面白い逸話が 残せる。この小題を幾つか書き続ければ、あとで一冊の面白いコラム集になるのでは?と、思いたった。 47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。 現在、「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに 思いのまま乗っけているが、ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。 まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。 5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。 ー まずは、その箇所をコピーしてみる。 【 《 2005/11/26 辺境へ −2 》 ー 私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境のクンジュラフ峠 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール〜イスラマバードである。 2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方 3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト・・・・ 】 カラコルムハイウェーに入ってから、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが、倒れてしまった。 カラコルム・ハイウェーの土砂崩れと、 その手配と、難問が地祇次と襲ってきたからである。同行の人たちもベテラン揃いで、そのことを責める人は誰も居なかった。 ある箇所で、大きい土砂崩れで中型バスが、その先に行けなくなり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りの マイクロバスの乗り換えた。 そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、数百メートル走って渡った。 上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百メートルの勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。 その現場ではなかったが同行の一人が、小さな石に係わらず、頭から血を流してしまった。 しかし、面白いといえば面白い15日間であった。また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人ばかりである。 ・・・・・・・・ 3236, マックファン 2010年02月03日(水) 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。どうも以前から携帯電話を使うのが苦手で iPhoneも同じ。しかしパソコンは非常に気に入っている。しかしTwitterに、iPhoneが端末として最適というから、 これを機会に慣れるようにする。とにかく、電話以外に使うに小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット式 のパソコンがMacより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化をもたらす可能性がある。 * iPadについて マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,のようにブレイクをするだろうか? 私の結論は、ブレイクするである。 オプションにキーボードがあり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、これまで パソコンに挫折した中高年に受け容れられる可能性がある。 画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、 アルバムも、書籍も、新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。で、モバイルパソコンと何処が違うか? ノートや書籍と同じように一面というところ。さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 仰向けでタッチ方式で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが横滑りに使えることが大きい。 iPhone,iPodと同列に位置づけられるはず。 考えてみたら、これはツイッターにもブログにも使える。 リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。 これにはオプションのキーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。 iPhoneが、いま一つ使いづらいのは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから開放されるのが、一番である。 まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を見ることから始る。何処でも気楽に持っていけるのが大きな要素になる。 ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れるのも魅力である。 等々、考えると1〜2年後には、 大ブレークする。 その前に、iPhoneがブレイク始めたようだが。 ・・・・・・・・ 2861, 不況景色 −9 2009年02月03日(火) 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか? 1929年より数段大きな恐慌とはいっているが・・・。 で、どうか?といえば、既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。それは想像を絶する規模であり、 10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、人類のありようも変える転換期である。 世界GDPの八割を占める20Gサミットの国が世界非常事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、 国家管理をする位の可能性もある。新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの穀物などにして、それに応じて国家が 為替を決める方法などが考えられる。 しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には非常手段もあり?。 この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的な倒産が起こる。 失業率は十数パーセント、失業者が数百万〜一千万人という数字が踊る日々になると覚悟をしていた方がよい。 他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本の GDPが昨年対比が11・4パーセント減とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。 日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい現状をレポートしていた。人間にとって自分の仕事があることが基本。 それが無くなり、収入とストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れないのが現実。 先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に 狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・ アメリカの金融崩壊と、日本の勝ち組と称してきた 連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! ザマ〜ミロが裏腹の気持。特に地方からみれば尚のことだ。段差は全く違うからである。そうとも思わないと暗くなってしまう。 ネロによって焼きうちにあって炎上しているローマと我が家を、丘の上から興奮して見ている小市民の気持ちである。 20世紀末にソ連を初めとした社会主義という幻想が崩壊、そして解体。21世紀初めには、アメリカを代表とした資本主義、 新自由主義の崩壊を見れたのは最上の幸せかもしれない。ただし日本も私たちも全て失ってしまうが、それもまた仕方が無い。 この年になれば古米とミソ汁だけで充分。もちろん、これはブラックジョークだが・・本音半分である。 それとネット社会を代表とした情報社会を見れたことも大きい。この20年間で、数百年の歴史をパノラマのように観ているようだ。 ・・・・・・・・・ 2008年02月03日(日) 2496, 無くてはならぬもの ー? YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ 「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著 孤独に対峙する自己 −自分と他者との支柱ー P−114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間でなくなるのである。 人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きることこそが、実は人間の条件。人間形成とは、 この私が自己の内に自我を追求することではなくて、真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。 P−119 現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。たとえば、読書という身近な ことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさのなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を 思索するような生活の喜びを本当に見出しているだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられない といった苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、そういう孤独からの脱出が、 大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛することができるような、人生を生きてほしい。 P−126 私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在であることを知るゆえに、 孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、人と人との力強い連帯を 創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・ ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分がいっぱいのお茶をすすめられたらいい、 というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深みにひそんでいるのである。自分は自分であって、 絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、 生き生きとした連帯をつくり出していかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。 ・・・・〜〜孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、しかもそこにも生の孤立化が厳しく 横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめきに耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、 それは徹底的な人間嫌いの底に沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失ってしまうであろう。 人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。 P−137 イスラエルに旅行したとき、いたるところで、多くの人から 「どうして日本の青少年は、そんなに自殺するのですか」と質問を受けた。もし、あなたが「それは日本が悪いからです」と答えたら、 「社会が悪いから自殺するほど、日本の若者は弱虫か」と不思議におもうだろう。自殺する多くの人々が、遺書や手記を残しているが、 ほとんどの手記には「俺は社会が悪いから死ぬ」とは書いてない。‘おれはひとりぼっち’‘私はひとりぼっち’と、 他者から孤立してしまった寂しさを表白している。このことを私は「生の弧絶化」というふうに呼びたいと思う。 要は誰もが独りぼっちでしか生きてないのである。 ーーーーーーー 以上だが、この言葉の一言一言が当時の自分にストレートに響いたことを、記憶の底から木霊のように甦ってきている。 孤独の、いや孤立の自分に徹してこそ、本の中の見知らない魂の言葉は伝わらってくるのである。 この時にこそ初めて魂と魂が出会えるのである。 そして出会ったとき、孤独は孤独でなくなるのである。 ・・・・・・・・ 2007年02月03日(土) 2132, ああ〜勝ち組か〜 才八∋ウ_〆(∀`●) 「勝ち組」「負け組」という言葉を聞かない日が無いほど語られている。 ・男なら、東大か慶応を出て、高級役人か外資に入り、コンピューターを片手に、30歳そこそこで 1千万近くの年収を得て、 白百合か、日本女子大出の金持ちのお嬢様を嫁にもらい、六本木辺りのマンション住まい。・女の方は、お嬢様大學を出身で、 勝ち組の男を紹介してもらうか、合コンでキャッチ、そして結婚。 できたら専業主婦として幸せを一生保障された人生を歩むのを 「勝ち組」とかいうのだろう。『白馬の騎士』と『お姫様』との物語の通り生きること、これが勝ち組の人生と誰も信じて疑わない。 その化かし合いの結果の破綻が、先日のセレブ?バラバラ殺人事件だった。それに似たのが何処にでもありそうなカップルだが・・ 最近の離婚率は30?を越えようとする勢いらしい。家庭内の破綻を入れると50?というから、恐ろしい。子供の半分が不幸を 背負い込むことになるから問題は深くなる。なぜ破綻するか?不幸の結婚のカタチは半分以上だから事例は山ほど周辺に転がっている。 (字数制限のためカット2011年2月3日) ーーーーーー 2006年02月03日(金) 1767, 依存症について おはよう (*´・ω・)ノはよー 依存症は英語でいうとアディクション。「嗜壁(しへき)」や「依存症」と訳されることが多い。 依存症は、ある習慣への脅迫的な執着と言い替えることができる。人間は、生きていくうえで、さまざまな習慣づけで生活している。 習慣の重なりが、その人を構成している。したがって、如何に良い習慣を多く身につけるかが人生の課題といってよいだろう。 良い習慣とは、結果として生活をよくするものであり、悪い習慣とは、存在や生命を危険にするものである。 (字数制限のためカット2011年2月3日) ・・・・・・ 2005年02月03日(木) 1402, きっと、よくなる! ー読まない読書日記ー 読売新聞の広告欄に「きっと、よくなる!」ー人生はよくなるようにできているーという広告が目に入った。 発売2週間で、20万部突破!、全国の書店でトップテン入り! 紀伊国屋、文教堂、蔦やチェーンで売り上げ一位!とあれば買いたくなるが、何か子供向けのようである。 でも見出しの文章の語りかけがよい! ・5分以内に願い事のリストをつくれますか? ・10年後の自分からアドバイスをもらう ・いちばん恐れていることからやってみる ・「友人の総入れ替え」は次のステップ ・まわりからの逆風は、飛び立つための向かい風 と、なかなか面白そうだ! そこでインターネットの検索で幾つかコピーして、切り抜いて、貼り合わせてみたが、これで十分である。 ー準備とチャンスについて 準備ができていないときにチャンスはやってきます。準備が万全に整ったときには、もうそれはチャンスではなくなってしまっています。 チャンスは気づかないから、チャンスなのかもしれませんもし、みんなが気づいてしまったら、それこそ大変なことになってしまいます。 しかし、チャンスに気づこうとすることはできるはず。チャンスは行動を起こした人のみが手に入れられるものではないか 「あれこれ準備していくうちに過ぎていくのが人生」楽しみを先に延ばすほど、つまらない人生はありません。幸せな人生を生きるには、 準備に気をとられないことです。 チャンスを幸運に変える3つの関門を 1.チャンスの存在に気づくかどうか 2.チャンスをつかめるか 3.つかんだチャンスを生かせるかどうか 「人生を信頼する」というのが、この本のテーマ。人生を信頼するということは大切である。生きている以上、不安はあるし、 勇気を必要とする時がある。その時、自分の人生は「きっと、よくなる!」のだと思えば幸せな生き方ができるという メッセージが多くに詰まっている。成功する人は災難をプラスの踏み石として、違う生き方に変える事が出来る人である。 ・・・・・・・・・ 2004年02月03日(火) 1035, 随筆はプロが書くもの!−1 図書館から借りてきた「文章術の千本ノック」(林望著)を読んでいたら、「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」 と冷酷に書いてあった。 (以下、字数制限のためカット 2010年02月3日) ・・・・・・・ 2003年02月03日(月) 670, 「三分で右脳が目覚めた」 これは新聞広告の本の題名である。最近本屋や図書館でよく目にする著者である。 若い人や女性向の文章を書くが、 内容はなかなか鋭いものが多い。 副題がー日常生活で簡単「右脳トレーニング」ー 自分の中に眠る不思議な力。この見出しだけで恐らく80?を言い尽くしている。 ーそれを抜粋してみると・・下行は私の主観だ ・読書は、右脳を目覚めさせる 一見左脳だが、イメージと連想を刺激する ・右脳を働かせれば、面倒なことに巻き込まれない−動物的感が面倒な事を察知する ・右脳人は、やりたいことに2番がない 左脳の人は、一番2番で行ったり来たりする −絞込みがしっかりできる ・右脳人は、企画書を一行で書ける −一番の要点を把握してある ・「褒める」は右脳、「けなす」は左脳 −褒めるはトータルの中の光が見える。けなす事は批判ー批評にとらわれる (字数の関係でカット09年02月03日) ・・・・・・・ 2002年02月03日(日) 320、ほぼ詐欺 この世の中には詐欺に近い商売がある。40数年まえダイヤモンドを当時の80万で母が買った。今でいうと1千万円に近い値段。 確か「必ず物価と共に上がる」といっていた。母が亡くなった時、遺産総額の把握の為に鑑定にかけた。なんと120万だという、 500万くらいだろうと思っていたため、その安い値段に耳を疑った。ほぼ詐欺に近い商売をしていたことになる。 せいぜい20万ぐらいのダイヤを、4倍にして売っていたことになる?口先だけの騙しの世界といっていい? ドラマで同じような内容をやっていた。「買うまでの楽しみを売っている」のだから詐欺でないとか。貴金属の世界は そういう世界である?長岡の唯一のデパートがほんの数年前まで、これに近い商売をやっていた。 年寄りを集め食事を出し、虚栄心をくすぐるやり方で「屑のような商品」を売りつけていた。 それも半ボケ老人を集め、詐欺そのもの!三越が20年近く前、大問題になった詐欺商法をやって表面化した。 三越のブランドを詐欺?で悪用したのだ。補聴器の世界がそうだ。あれは年寄りをだます詐欺だ。 でも誰も親身になって見てくれないから仕方がないのか?そう言う視点で言うと全てに言えるかもしれない ・・・・・・・・ 2月3日 月曜日 1969年 12時過ぎ起床。 14時に学校に向け出発。学食で食事をしていると,深井がくる。昨夜、彼のことを考えたばかりなのに、 すぐに会うとは。試験(価格理論)はまあまあの内容であったが、もっとできたはずだが。帰りは川崎と兼古と本屋によって帰ってくる。 食事をとって、22時から試験勉強だ。かなり難しい内容だ。一番の難敵である。さて今日TVで京大生の書いている手紙の内容が印象的。 その表現能力には,驚いてしまった。ところで、このことから色々考えてしまった。 今月の予定は、試験終了後、2日東京にいて、長岡に帰る。その後、2日後に旅行に出かけようと思うが、気持に余裕ができるだろうか。 一週間の予定だが。プラトンと(対話編)と福沢諭吉の(福翁自伝)を持参しようか。そして、そのまま直接東京に帰ろうか。 どうなるか、あとは心の向くままだ。あと一度長岡に帰り、背広を持ってくる予定だ。 しかし、どうしようか・・・?
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| 3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −3 |
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2011年02月02日(水)
読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。 そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本の一面が見えてくる。 日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは想像以上に「家族」を大事にしている。 その一つとして、子供と一緒に過ごす時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。 それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、日本人は16パーである。8割の人が 「天国に行くか地獄に行くかを神が判断する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒ならいざしらず、 殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ 非常に低い。競争主義、成果主義もプロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、 教会が心の拠りどころとしてある。もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での雄大な自然である。 そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、 豊かな農業があり、聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、他人の成功に一々目くじらを 立てないで済むのである。 英国人も日本人もアメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。 それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 日本青少年研究所が2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると ・「私には人並みの能力がある」 日本人 15・6パー アメリカ人 56・5パーセント ・「私は他の人々に劣らず価値がある人間である」 日本人 8・8パー アメリカ人 51・8パー 私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。 ・「自分に起こったことは、すべて自分の責任だ」 日本人 25・2パー アメリカ人59・7パー 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。 薩摩芋なら薩摩芋のままで良かったか? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ? ・・・・・・・・ 3235, 女性だけの健康ジム 2010年02月02日(火) ・入会金7500円、・月会員費3500円で、・一日30分だけ ・何度でもOK ・女性だけをうたい文句に世界中に ジムを多く出している女性専用の健康ジムがある。初め聞いたのが去年の夏の頃に、長岡のスナックのママさんが 「駅前のヨーカ堂の中にあるジムに週二回ほど買い物ついでに通っている。会費が3500円で週に2〜3回行く。 計算すると一回あたり400円位。 コースになっていて30分で終わる。喫茶店のコーヒー代と思えば安い。 買い物ついでに丁度良い気分転換になり、色いろな人と話ができるのもよい」と、言っていた。「成るほど、面白いシステム」 と世間話をしていた。 ところが先日、私の知人が新潟の郊外でイタメシ屋に店舗を貸しているが、不景気で芳しくないので 家賃の値下げに応じたと聞いていた。ところが、そこを経営している会社が、、同じ店舗で最小の改装で、フランチャイズの 主婦向けの健康ジムにするという。店舗と健康機器には経費をかけず、女性のイラストレーターをつけて、次々とプログラムを こなすシステムという。 ネットで調べたら、長岡と同じ系統のフランチャイズ。HPの写真を見ると円を囲うように健康機器が 置いてあり、真ん中のイラストレターが音楽に合わせて次々と健康機器をこなすシステム。 鏡はわざと置かないそうだ。 置くと????。 家内は、駅から車で20分ほどのイオンのSCのスポーツジムに週一回通っているが、具体的内容は一切話さない。 ここは週一回で、月に4000円位?のようだが。 自宅の居間には4種類の小さな健康機器を置いているが、朝晩10分ずつ 使用している。腰痛対策なのだが、非常に効果がある。だから女性専用の30分のプログラムが身体によいのは理解できる。 音楽にあわせ、一台あたり2〜3分運動させ、隣に移動させていけば、合理的で楽しいはず。しかし男は無理。 大元はアメリカのフランチャイズというが、なるほど合理的である。 10分100円というのも在るそうだ! ・・・・・・・・ 2860, 若者たちは今 2009年02月02日(月) *若者の○○離れ、というが ある雑誌の中に「若者の○○離れ」という現象のレポートがあった。若者は明らかに旧世代とは違った消費行動をとっている。 まずは○○とは《・クルマ離れ ・酒離れ ・活字離れ ・新聞離れ ・洋画離れ ・海外旅行離れ ・ギャンブル離れ(マージャン、パチンコ、競馬) etc》 その背景には、『パラダイス化ー仲間内だけで寄り添う』と『リスク回避志向』と『携帯電話・コンビニ』と『堅実消費』の傾向がある、 という。 これは旧世代にもあるが、若者に極端に出ているということ。(自分を考えてみたら、海外ツアーと活字と新聞を除くと 同じ傾向だが、少し違うか?)バブル崩壊とデジタル社会に若者がイチ早く反応したのである。(私の場合は、それに加えて加齢があるか) 時代が右上がりで潤沢の資金があれば、クルマを持って、酒を飲んで、ギャンブルでもして遊ぶだろう。収入が減って内向きに時代、 その一番弱い立場の若者が時代に従っているだけ。 それに加えて情報化社会が、敏感な若者たちの価値観を大きく変えてしまった。 情報化のために、周辺だけの世界に価値が見出せなくなったのである。イチロウが活躍している姿を見ていると、市とか県レベルの 野球のヒーローなどに誰も憧れはしない。それだけではない、国内のトップレベルの野球選手も憧れの対象にはならない。 昔はクラスの一番の美人で優しそうな女性が理想像に見えたが、今では、そのような憧れも少なくなっている?。 大きな幻想も、小さな幻想も、情報化で破れてしまったのである。それなら手っ取りはやい身近な友人と携帯でつながり、 コンビニか街で屯するしかないのである。それらを考えてみて、やはり日本の若者の大部分の劣化の激しさは目を覆う。 「ゆとり教育」の大失敗だったのである。何時の間にか、近くの韓国、中国、ベトナムのボトムに大きな差がついてしまった。 皮肉なことに若者の末端を「派遣社員」というシステムが社会に組み込んでしまった。 ・・・・・・・・・ 2008年02月02日(土) 2495, ー自宅にも iMacー 昨日、会社の事務所に引き続いて、自宅にiMacを導入した。これで一年以内に熱狂的とはいわないが、圧倒的なファンになるような 気がしている。とにかく画面の明るさと、WindowsVistaとMac両方が使えるのが良い。これまでノートパソコンに何故 拘っていたのか? 居間の座卓の上のスペースの問題と、Macをよく知らなかったことである。WindowsXPとノートパソコンの束縛から、 やっと解放された感覚がよい!。Macには熱狂的なファンがいて、使っているだけで優越感を持っているという。 ここ三年位は、出遅れて損をした感覚である。いや、今が時節ということか。パソコンン、インターネット世界への知識経験の浅さを、 そのまま書いているようだが。導入を手伝ってもらったHさんの話だと「Windowsより音楽などの音質が良く、映像も数段良い」という。 デジタル・ラジオをBGMとして聞けるのもよい。とにかくパソコンに向かっているだけで楽しい!という気持ちになるだけで充分である。 ワンセグを外付けで入れて、地上波のTVを見れるようにした。イヤホーンをつけたので、チャンネル争いのときに、 敗者は?これを見ればよい。一人で地上波の番組を見る場合は、パソコンを見れば電気代が節約できる。 もともとWindows Xpの機能の 数分の一しか使ってなかったのが、より使いやすくなったため、もう一歩踏み込んで使う気になったということである。 これが国内のメーカーより安く買えるのに、あまりシェアが伸びないのは、やはり既存のソフトが転用できないからである。 私のように元々持ってないものは、それが強みになる。ただ、なれるまでは戸惑うことを我慢しないと! ところで、値段は20インチiMacで、山田デンキでポイント割引で1290000円、他に色々入れると+2〜5万円は必要である。 ・・・・・・・・ 2007年02月02日(金) 2131, 葬式よもやま話 −2 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! 故・内山由蔵さんの長男の喪主の挨拶の中の一節に興味をひかれた。 ー 危篤になったが持ち直し、‘しばらくは大丈夫だろう’と、住居のある仙台に帰ろうと新潟あたりに来たとき、今まで 見たことのないような奇麗な虹が出た。「父に急変が起きたのでは」と思ったとき携帯電話が鳴り再び危険状態になったという 連絡が入った。そして急遽Uターンをして長岡に近づいた時、燃えるような夕陽が輝いていた。この時、「ああもう駄目だ」と思った。 そして着くのを待つようにして、間もなく亡くなってしまった。という内容であった。私自身も何度も親戚の葬式の後に、奇麗な 虹と遭遇している。とくに義父の亡くなった時のこと、葬式帰りの峠で7回も虹が次から次へと出て、その下を車で通り抜けた経験がある。 何か異次元の不思議な感覚であった。涙雨とか雷鳴とか、その人により色々な自然現象がおこるようだ。霊魂が死後35日から49日の間に、 次の世に通じる六本の道路の内の一本を選ぶ最も大切な宗教的儀式の日を「七七日」という。よく、葬式の読経のあと「七七日法要」 を引き続きやりますと言って、さらに有難そうな読経をあげるが・・。死者は七色に輝く一番まぶしい光の出ている道路が極楽に通じていて、 そこを通って浄土にいく。虹が人の死後によく現れる現象は、「故人がこの道路の近くにいますよ、というサインを身近の人に 見せようとしているのではないか?」と、思えば、ファンタジーな気持ちになる。ところで十年位前のことになるが、 会社に勤めていた人の両親が一日違いでたて続きに亡くなり、二人一緒の葬式に参列したことがあった。事故とか心中ではなく、 母親が夫の死を待つようにして亡くなった。正視できない!とは、こういうこと。 葬式にまつわるドラマは色いろある。 「お葬式」という映画もあった。伊丹十三が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主となった実体験をもとに、わずか一週間でシナリオを 書き上げ、日本アカデミー賞をとったもので、赤裸々な人間関係を面白おかしく表現していた。葬式という一見暗いタイトルにも かかわらず作中には笑いが溢れており、そのギャップが何とも印象に残っている。それと、どぎつい性描写も。(o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・ 2006年02月02日(木) 1766, こころの羅針盤(コンパス) −1 才ノヽヨーφ(・ω・`) −読書日記 三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。 「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」 という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。その幾つかを抜粋してみる。^ー^)/C□~コーヒーいかが? まずは「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─ 五木寛之 ・・ 「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様。 「こころ」という言い方がなあ、と苦笑する人もいるだろうし「こころ」に羅針盤なんていらねえよ、と、そっぽを向く人もいるに ちがいない。しかし、本のタイトルなど、本当はどうでもいい事なのだ。「題名いろいろ」と歌いとばしてもらっても一向にかまわない。 とりあえずここにギュウギュウづめになっている 三十篇の文章を、どこからでもいい、パッとぺージを開いたところから 読みはじめてごらんなさい。 (字数制限のためカット 2010年02月02日) ・・・・・・ 2005年02月02日(水) 1401, 危ない格言ー4 −読書日記ー ー愚者と賢者についてー ・最も贅沢で、最も洗練された社交ーできる限り一人で過ごすこと。 (my感想)ーどうでもよい人となら、一人の方がズットよい。そのために本があるのだ。 但し、よい本である。どうでもよい人でもよいから、一人でいたくない時があるのが‘にんげん’だろうが。 ・人々が社交の中に求めているのが孤独からの逃避としても、そこで手にするのは、せいぜい孤立からの休暇だ。 (my感想)−そのバカンスが楽しいのだ、と! バカンスと割り切ればよいのか、バカンスと? ・ひとは、他者のなかに褒めるに値する特質を目にしても、十中八,九は見逃すが、 馬鹿にしえる欠点や不足に気がつくと、十のものに二,三を足すような見方をするものだ。 (my感想)−だから、生きていけるじゃないか人間は! 但し下等な人間に、その傾向が大だが。 ・その場にいない他人の悪口は、話題に詰まった会話の下剤としてよく効く。 (my感想)−あちこち、下剤を飲んでいるようだ。たく、もう!、腐った女のような男は下剤が好きか! あの男!下剤瓶を幾つもカバンに入れている。腐った女は下痢症か!いや、便秘か。 ・利害で結びついた人間は、感情によって引き離され、感情によって結び付けられた人間たちは、利害で分かれる。 (my感想)−感情でなく、勘定じゃない? ・巧みな皮肉の弱点は、それが向けられた相手が、まさにその皮肉を感受し、 理解するだけの感受性や知性を持っていることが、滅多にないというところにある。 (my感想)−ジョークに、それが更にいえる。ワザワザ、説明しなくては解らない人に 説明しながら言っているが情けないというより、・・?! 巧みな皮肉か! (字数の関係でカット2011・2・02) ・・・・・・・・ 2004年02月02日(月) 1034, ダヴィンチが知的障害? ある本を読んでいて、目が釘付けになった。天才といわれている、レオナルド・ダヴィンチとアインシュタインとエジソンが 知的障害だったという。天才の90?が梅毒という話は知っていたが、この3人が知的障害だった?エジソンが3ヶ月しか学校に通わなかった ことは有名な話。典型的な注意欠陥障害のハンデキャップを負っていたという。注意欠陥障害といえば注意散漫と思われがちだが、 反対に注意が一点に釘付けをされて、他に移動できない障害も含まれるという。これは日常生活には不便であるが、その障害を反転させて 強みとして活用した事例と捉えることができる。彼の異常な集中心は、その欠点を逆転して強みに変えたと解釈できる。 彼は暗算が全くできなかったという。アインシュタインも、何と暗算が殆どできなかったという。心の中で言葉で考えることができず、 ひたすらビジュアルでしか考えることができなかった。そのためにビジュアルで思い描く能力が異常に発達した。ダヴィンチも アインシュタインと同じ障害を持っていたといわれる。だからこそ、ビジュアルの視覚に頼る能力が発達したのだ。 語学能力は全く駄目で、そのかわり、せっせととスケッチに励んだ。読字能力の障害を、視覚能力を活用することで矯正したのだ。 (字数の関係でカット2o11・2・02) ・・・・・・・・・・ 2003年02月02日(日) 669, ぶざまな人生 本屋で見かけた本のタイトルである。「ぶざまな人生」というタイトルにハッとさせられる。 軽く1分程度立ち読みした程度だったので概要は主観的になる。「人生を捉えてみると誰もが皆ぶざまな人生だ。 それを初めから割り切って自分のやりたいよう、生きたいように生きるべきだ」という内容だ。シビアなタイトルだが、皆「ぶざま」 という言葉に呪文をかけられている。誰もが本当はぶざま人生じゃないか、見っともないという他人への思惑など捨て切って 自分のやりたいことを、やりたいように生きるのが本当だ。政界のプリンスと、この前まで言われていた鳩山由紀夫だって、 最後は見っともない醜態を曝け出してしまったではないか? でもこれからが本人の真の力が湧き出てくるかどうか試されるのだろう! 凡人が「ぶざまな人生」と初めから割り切れるかというとなかなか難しい。よほど哲学的に裏づけか信念が必要だ。 それがその本の主旨だったようだ。「ぶざま」という言葉を使う人は「教養のない中年のオバサン」だろうが。心の奥に誰もが 「ぶざまな人生だけはおくりたくない!」あるいは「みっともない最後だけは人に見せたくない」というのがある。 分の人生を顧みて、ぶざまとも格好よかったともってない。それではやりたいこと出来たか?というと、こんなものかという感がする。 ただ専攻が人間関係学であった為、人生のトータルデザインを考えて生きてきた。自分の真にやりたい事を一生通して追求するのは自明。 「ぶざま」という言葉自体が「世間様」という虚構の言葉である。それでは「ぶざまな人生とは、どういう人生だろうか?」 その言葉にやはりこだわって何も出来ないで終わってしまった人生のことだ。それなら「初めから人生はぶざまなものと 割り切ってしまえば、開き直った生き方が出来る」。「悟りということは、如何なる場合では平気で死ぬ事かと思っていた事は 間違いで、如何なる時でも平気で生きていることであった」正岡子規の病床六尺の言葉である。これは「ぶざまな人生を平気で 生きることが悟りである」と言える! 完全な人生を求めるな!そんなものは元々ある訳がない。しかし知らないうちに社会的動物 として完全を人生に求めてしまう。完全でなく充分な人生しか存在しない、それが人生というものだと割り切ってしまえばよい。 充分の人生を初めから求めるべきだ。それを脇で見たらぶざまに見えることもあろうが。親戚・姉兄や知人を見ていて カッコウいい人生の人など殆どいない。遠くから見ていて例外の人がいたら、ただそう見えるだけだ。 ー書いていたら気分が楽になった!! ・・・・・・ 2002年02月02日(土) 319、我が内なる無能性ー具体的内容 我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。 周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め! ーこの特性をあげてみると 1、一回も脱皮したことがない。一生をただ何も考えず、そのまま流れている。 2、「他人の目」が全ての価値観ーしたがって[自分の本心]が何かわからない。価値という言葉も全く理解できない。 3、その前提として、本を読んだことがない。ーこういう人が本トウにいる。 ー思考能力ゼロ! それだけならいいが、毒ガスを撒き散らす。 (字数の関係でカット2009・2・02) ・・・・・・・・ 2月2日 日曜日 1969年 13時まで就寝。 それから夕方まで勉強をする。夜、市川さんが部屋に来る。有神論、無神論を議論する。 その系統は、彼の得意分野でコテンパンにやられる。 中途半端な知識が露呈してしまった。 新約をギリギリのところで読んだ経験があるが、科学的・哲学的の系統にとらえた本は皆無。 これからの人生では、避けて通ることのできない心の奥底の問題である。 その系統の本を読んで、からかって仕掛けただけだろう。勤めると、こういう小手先が効くのだ。 翌朝の3時過ぎまで勉強、ラーメンを食べて就寝。まだ集中が足りない。もっと身を入れなくては。
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| 3599, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −2 |
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2011年02月01日(火)
ーアマゾンー〈レビュー2〉 150年に亘る交流(良いも悪いも)を重ねてもなお違和感を残す日米関係の底流に何があるのかを的確に指摘。 最大の楽天主義国米国と最大の悲観主義国日本が同じ規範を持ち行動する事はできない。確かにレビューアーの経験でも80%できれば 成功とする米国流positiveさに対し20%できなければ失敗とする日本流negative思想の差は大きく、常に確執と挫折を経験してきた。 その原因に筆者は米国(の本流たる人たち)に特徴的な宗教観、価値観、家庭観等を挙げる。 同時に現在の金融資本主義者は 米国の一部の「深刻なノイローゼ患者」であり、それを米国の真の姿と誤解したまま日本に導入し、そうでなくとも 破壊されつつある 「心」を失わせた者と日本社会も糾弾している。(著者近著「非社会性の心理学」にも関連) 余談だが、日米のpositive/negativeさは ある特定遺伝子の長さ(米国人は長く日本人は短い者が特に管理者レベルで顕著)が影響しているとの説もあるようだ。 こうなると最早理解しても埋めきれない差異というべきかもしれない。 米国の姿を通じて日本を知るための必読書 〜はしがき〜に、要約が分かりやすくまとめてある。 要するにアメリカは、「家族」と「宗教」と「権威」を非常に大切にする国民である。これがアメリカ理解の基礎である。 このアメリカの本質を間違えると、アメリカ理解はとんでもない間違ったものになる。さらに私たち日本人は、我がままと無責任を 個人主義とはき違えるというおまけまでついてアメリカを理解してしまい、それを受け継いだ結果、日本人の心は崩れてしまった。 簡単に日米基軸というが、世界一楽観主義の国であるアメリカと世界一悲観王義の国である日本との相互理解がいかに難しいものかを 分かっている人は、日本の政治家の中にはいるのであろうか。アメリカはスーパー楽観主義の国であり、日本はスーパー悲観主義の国。 このことは本文中に詳しくデータを示しながら説明してある。残念ながら、日本の歴代首相は誰としてこのことを分かっていない。 さらに世界一楽観主義の国でかつ戦勝国が世界一悲観主義でかつ無条件降伏をした敗戦国に押しつけた憲法が、これまた世界一理想主義で 世界一楽観的である。アメリカを間違って理解することの中には、いろいろと理由はあるが、そのうちのひとつは次のことである。 アメリカは基本的には今もなおプロテスタンティズムの倫理が支配している国であるが、アメリカについての情報発信地は偏った 局部の地域になっている。1970年版のギャラップ世論調査で見ると、プロテスタントが六五%である。ユダヤ教徒が三%であるが、 所得の最も高い層の人たちでは倍の六%。東部の所得の高い人たちの層では、なんと一四%にもなる。東部の大都市では住民の一七%である。 ーー 一神教のシステムを多神教の日本に入れたマイナスの矛盾が、ここにきて一挙に吹き出てきた。とはいえ、それを乗り越えるしかない。 ・・・・・・・ 3234, 閑話小題 2010年02月01日(月) * 何か変である 民主党が政権をとって動き出したのはよいが、どうも変である。党是の官僚主導の打破は良いが、検察と元大蔵省査察が 官僚の権益を守るため、権力闘争の尖兵として露骨に動き出した。前より現在の検事総長が??と思っていたら、八月が交換時期。 その先手と思えば合点する。民主党は民主党で、「次官制度の廃止」の構えである。これは官僚にとって致命傷になる。 官僚の自己保身で行政が混乱させるのは当然の成り行き。 国が壊れていく時は、こんなもの?。 「現在の検察はボロボロの汚れ雑巾。これが社会を掃除をすれば逆に汚すだけ」と、誰かがのたまっていた。 今年は日本も世界も恐慌三年目の土壇場の一年になるのに、この様である。 隠されているプライムローンなどの債権が 表面化してくるのが今年辺り。 カンフル剤効果も、何時までも射ち続けることは出来ない。 ホテル宿泊からみる景気状況は、明らかに深刻な恐慌の様相を呈している。今のところまだ失業率が5パーセント そこそこに抑えられているが、ある日、欧米並みに10パーセントに向け動くはず。 結果、社会不安が増大する。 何とも重い雰囲気が増大している。 まず現象として出るのが疲弊しきった地方経済。 地元の最大規模の会社の悪化の問題が、今週に表面化するという噂がある? どうなるのだろうか。 * 新インフルエンザを、誰も騒がなくなったのは何故? 最近、如何いうわけかマスコミで新インフルエンザを取り扱わなくなった。そう、どうもパンデミック騒ぎは、WHOに入り込んだ 製薬会社の連中の、その薬を売らんがためのパフォーマンス?と囁かれ始めた時からマスコミは製薬会社の謀略説すら報じない。 不思議なことに、毎年起こるインフルエンザが、ほぼ消えたという。 新インフルエンザと、とって代わった!というの変である。 成田で、あれだけ水際作戦とかいったのも何だったのだろう。私も、9月末に東欧旅行をキャンセルをした。世界は、どうなっている? ・・・・・・・・ 2859, 「教員社会」の 金とコネの闇 2009年02月01日(日) 昨日のニュースで、大分で採用取り消しになった教員が採用取り消しの訴訟を報じていた。たまたま図書館で借りた半年前の雑誌に、 大分県教員採用や昇進の絡む汚職事件についての元小学校教諭のジャーナリストの手記があった。「大分だけじゃなく、 何処でもやっているんじゃないか?」と疑問は持ってはいたが、疑問のとおりの告発内容である。 黒に近い?コネで採用された現職の大分の教員は、この訴訟で再び針のムシロになる。 ー大筋といえば ・新聞社や文部省が全国調査をした結果、どこも歯切れが悪いという。 いずれの調査も校長や教頭の昇進試験の情報が開示されておらず、不透明の部分があまりに多かった。 大阪市にいたっては「複数の教員の悪意があれば、不正は絶対に不可能とは言い切れない」とあった。 ・不正は、受験者の親ー>議員ー>教育委員会のルート 現職校長ー>教育委員会幹部のルートなどがある。 大分の件はたまたまやりすぎただけで、その位のことは、何処でもありえることが実情のようだ。 内部を深く知っている関係者からいうと、「何をいまさら!大分県だけじゃない」が結論だった。 「教員社会」は旧態依然の「金とコネがまかり通っている」、という。 −論旨は、こんなところだが、大分の場合、逮捕されたり退職に追い込まれたのは一部だけで、 以前から長年の慣例のコネの合格者がいて、現在も??というのが実情?。 ゼネコンマフィアが長年にかけて官公庁工事の100パーセントを談合で利益を搾取してきたが、その教育版である。 金などの賄賂が横行してきた世界は同じということで、現在も巧妙に続いているのである。何人かの元校長などの取材で感じたのは、 誰も大分県の教育汚職に驚いてなかった事という。 校長や教頭の何割かは教育委員会や代議士のコネー金で動いていたというから、 言い知れない恐ろしい闇である。そういえば、校長の息子には校長になるのが多いのは、そういうこと?それとも、そういう能力が 受け継がれてきたのだろうか? 大分の事件は、日本的闇の一部が露出した事件だった。 少し高めの盆暮れの品を、関係者に 十年以上かけて贈った結果の利益は、日本では汚職にはならない。それが悪いことなのだろうか?という声が闇の底から聞こえてくる。 昔なら警察の段階で闇に葬られた事件である。情報化効果だろが、それでも大部分が意図的に消すしかない事件。 ・・・・・・・・・・ 2008年02月01日(金) 2494, 閑話小題 ( *´_⊃`)ノ゜【gOOd morning】 * 危ない!我が家に毒入り餃子だと 我が家にも、例の話題の中国産餃子があったのである。普段は買わないが、たまたま割引セールで安いので買ったという。 食べてなかったので被害を受けなかったが、食べたところで数千分の一の確率でしか被害を受けないのだから、 敢えて騒ぎ立てることはない。「食べた何分の一が死んだ!」というなら別だが。何処の家庭でも起こりえる話だからニュースは 拡大するだろう。それより日本の濃厚の農薬フリカケ米や生野菜は大丈夫なんですか?。「何割?かの農家は一般に出荷する米は 絶対に口にしない」という話を聞いたことがある。こうなるとエログロの世界だが、これが現実なのか? この件で無農薬野菜を生産している農家は、喜んでいるだろう。 * マックのパソコンに入れ替え 会社のWindowsXP未満のパソコンを5台を、決算期を機会に入れ替えることに決定。 いろいろ迷ったが、全てをiMacにすることにした。そのうち4台は各棟ロビーの顧客サービス用である。 先日、先行して入れた事務所用のiMac、やはり別次元の世界である。今日は自宅も、それに入れ替え予定である。 * いたずらの書き込み H系の写真の貼りこみが、サロンにあった。 愉快犯だが、誰だろうか、推理するのが面白い。 けっこう、足跡を残すのである。はじめはHP内の「バードウォッチ」にあったので、 これを逆手にヤフーのブログに変え、次はサロン用のブログをつくって待っていた。 それが先日、その悪戯がきたので準備をしておいたgooのブログに切り替えた。 切り替え慣れてしまえば、その方が良いに決まっている。 それにしても他人のブログにH系の写真を貼り付けて惨めにならないものか?そうならないのが、変質者か! *嘘のような話 温度が5℃以下になると、暖房を入れるか、湯タンポを入れないと夜半に目が覚める。 電気アンカを買おうと思ったが、少し我慢をしていた。ふと以前買ってあったゲルマニウムの「足の親指用リンク」 を思い出して、付けてみたところ、朝起きてみたらアンカを入れたように温かくなっていた。 足のツボにゲルマニュウムをつけることで、血液の循環を促すためである。ゲルマニュウム入りのアイマスク、 枕の下にはゲルマニュウム石を置いてあるのだから熟睡できるはずである。 ´・ω・)ノ ・・・・・・・・ 2007年02月01日(木) 2130, 葬式よもやま話 −1 <(_ _)> おはようございます! 葬式の「葬」の字は、草冠りの草の字に「死」の字が挟まれている。 以前は「野辺の送り」といって、草の上に遺体を横たえて花を飾ったのが、葬式の原点といわれていた。 今では棺の中のご遺体に花を入れて飾る儀礼が葬式のハイライトになっている。750年前までは葬式の習慣はなく、 無造作に捨てていたという。鎌倉幕府が「親の遺体を道ばたに捨てないように」と触れを出しても誰も守ろうとしなかった。 そこで法然・親鸞・道元などが、親孝行の実践として推奨したのが葬式の始まりであった。 中国の奥地で、今も捨て場に放置する習慣が残っている。たまたま、その映像を見たことがあった。 それも以前TVに出てレポーターと親しく話していた人の遺体が、凍り付いまま捨てられいる生々しいものを。 ある調査によると、お葬式にかかる費用の平均は240万円。内訳を見ると100万円以下から600万円までバラバラ。 葬式はほとんど業者主導で、客は業者の言いなりになりの契約で、一般の人たちの無知を利用した法外な費用を 巻き上げるのが常識の世界。更に「集り葬式坊主」が法外な金銭を請求するシステムが厳然と存在していて、 死のドサクサを利用した集金システムができている。750年に渡って坊主の特権を利用して悪さをしてきたシステムが 露見してきている。至近距離で目の当たりにみている「あれ等」も、情報社会のため急激にその正体が露見されている。 ところで先日、一日違いで母方の叔母(90歳)と従兄弟(96歳)が亡くなった。葬式と通夜が重なったケースは、 今回始めてである。90歳過ぎての葬式は、天寿を全うしたという諦めがあり、暗くなかったが、やはり肉親にとって 両親の死は悲しくないわけがない。最近、葬式に参列しても以前とは違う気持ちになった。 字数の関係でカット(2010年02月01日) ・・・・・・・・ 2006年02月01日(水) 1765, 移民漂流 (*´・ω・)ノはよー 1月29日(日)のNHKの総合(後9・00〜9・52)の第2回 「移民漂流 10日間の記憶」が考えさせられた。 少子化の問題は、日本だけかと思っていたが、欧州・イスラエルなど先進国で大問題になっている。 特に、知的労働者の数が圧倒的に少ない半面、未開発国の肉体労働者が圧倒的に多いのが現実。 世界で年間、何と2億人が移住しているという。 30人に1人の割合である。 このドキュメントのダイジェストをNHKのHPよりコピーしてみる。 ∵ゞ(>д<)ハックシュン!( ーー 今回は、エチオピア、イスラエル、ドイツなど、三地点の問題を炙りだしていた。 国家の戦略と留まるところを知らない移民願望潮流の現場を追い、揺らぐ国家像と人々の新しい生き方を探る。 字数の関係でカット(2010年02月01日) ・・・・・・・・ 2005年02月01日(火) 1400, 偶然の一致 一昨日の日曜日に中尊寺ゆつこ著「アフリカンネイバーズ」を借りてきた。そしてパラパラと読でみた。 「親父ギャル」という言葉を流行らせた漫画家である。彼女もアフリカが好きで、一冊の漫画入りのアフリカ文化入門書でもあった。 彼女の絵を見ていて、「アフリカン」という気持ちになってしまった。その後、インターネットで何げなく見ていると彼女の訃報が 出ていた。彼女の本を借りるのは初めてで、その直後の訃報のニュースである。 何か、彼女の霊に引っ張られたという感覚である。 先日読んだ「迷ったときには運命を信じなさい!」の本の視点からすると、これは「意味のある偶然の一致」か。 彼女のこの本の中に深い何かが暗示されているという解釈が成り立つ。面白いものである! 私なりに、この本の中にヒントを探してみるつもりである。次の旅行は、まだ行ってないアフリカの何処か暗示があるのでは? ナミビア、モーリタニア、それにザンジバル。面白しそうだが、値段が高そうである。彼女の書いたアフリカの絵=漫画がよい。 特にマサイ族などの現地人の絵が漫画的に描いてあるため、逆にリアルである。 それぞれの人物の目が生き生きとしている。多くが左上を向いているのは何故だろう。最近、本当に、本が面白い! ・・・・・・・ 2004年02月01日(日) 1033, ストレスについて−2 この題名で何回か書いたと思うが再び書いてみる。自己不一致の状態が引き起こすマイナスの蓄積からストレスは生じる。 この解消に対して一番手っ取り早いのは、新しいストレスで前のストレスを消してしまうこと。マイナスでマイナスを けしてしまうケースだ。失恋をしたときは、新しい恋愛と失恋で消すのが簡単である。しかし根本的な解消をしたことにはなってない。 心の奥に蓄積されて、へドロ化して隠されるだけである。しかし、その臭いはいつの間にか周辺に漂っていることに本人は気づかない。 「ストレス」は例えば、ボールに圧力がかかって、ひずんだような状態 のことをいう。 このとき、ストレス状態を引き起こす要因を 「ストレッサー」という。これを取り除かない限り本当の解決にはならない。残念ながらストレスをなくすことはできない。 生きている限りストレスは続く。 そこで如何に対処するかが重要になる。ストレスとは、本来、生物が外的あるいは内的な刺激に 適応していく過程そのものを概念化したものだ。気候が変わればそれに適応し、飲み水が変わればそれに適応し、心理的ショックを 受ければそれに適応していく、そうした環境に適応していく時の反応とプロセスのことをストレスという。我々の意志とは関係なく、 自然環境は常に変化していくし、我々の心も急激に変化する。こうした外的・内的環境の変化に適応していくということが、 「生きる」ということだから、「ストレス」という言葉は「生きる」という言葉の同義語ぐらいに考えてみてもいい。 人間は、悲しみでも、喜びでも同じ反応プロセスをたどってその刺激に適応していこうとする。その状態をいうのだから、 生きることそのものであるといってよい。情報化社会において、毎日多くのストレスにさらされて生きている。 適度なストレスは人間の活動のエネルギー源になるが、ストレスが大き過ぎて体の防衛機構を上回ると、心やからだに さまざまなトラブルが起きる。ストレスが原因となる病気には「心身症、神経症、軽症うつ病」などが知られている。 過度のストレスは「生活習慣病」の発症にも影響を及ぼし、免疫力を低下させる。私の場合は、毎朝の散歩と仏前のお祈りと 海外旅行とTVのお笑いを見ることと、合わない人種のいるところに行かないことを対策としている。 字数の関係でカット(2011年02月01日) ーーーーーー ストレスについてー1 字数の関係でカット(2008年02月01日) ・・・・・・・・・ 2003年02月01日(土) 668, 昨日で新潟日報を止めた! 生まれた時から?地元にいる時は必ず日報と朝日新聞と日経は毎朝の日課で目を通していた。 特に新潟日報の地元の経済欄と死亡広告は必見と思い込んでいた。ところが数年前より家内が日報がつまらない止めよう と言い出した。「全く見る内容がない、ひどい!」と言う。それでも決断を先延ばをしてきた。 ところが去年、光ファイバーをNTTの営業に強引に?入れられてしまった。今考えてもADSLで充分であった。 字数の関係でカット(2011年02月01日) ・・・・・・・ 2002年02月01日(金) 318,神話の世界ーパプア・ニューギニアの世界 5〜6年前か、パプアニューギニアの現地人のドキメントがよかった。いまでもその内容を全て憶えている。 たまたまその現地のある部族の撮影をしていた時、隣の部族とトラブルになりあわや戦争の一歩手前までの状態になった。 といって弓や槍の武装である。かなり危ない緊張感になっていて、徒党を組み軍隊のような示唆行為を繰り返していた。 その時期が数年に一回の踊りの全国大会の直前であった。かなりの緊張の中、踊りに参加するため車で出かけるが、 いつ襲われるかの危険なたびであった。そして飛行機に乗る。その前に彼らが海を見る場面がよかった。波が信じられのだ。 波を洪水の水が押し寄せてきたと勘違いして、震えているのが可笑しい。そして踊りの会場で、彼らは事前から「変わった踊り」 のため優勝候補になっていた。12〜20人がいろいろな化粧をして踊るのだ。そこにトラブルの相手の部族もきて、向こうで 練習をしていた。お互い無視しているふりをしながら、互いを意識している。そして競技が始まった。当事者の踊りがすばらしく 優勝か、それに準じる賞をもらった。その時である、隣村の部族の長が和解に来たのだ。彼らは踊りを通して同じ地域の共通の アイデンティテーを観たのだ。そして和解!下手な小説、映画よりずっと劇的で感動的であった。もちろんやらせでない。 神が宿っているようであった。いや踊りの中に宿っていたのだろう。そのビデオ知人に貸したが、 子供が間違え録画をしてしまい消滅、今はない!その前に何回も再放送でやっていた。 何回も見た。 ・・・・・・・・・ 2月1日 1969年 2月になってしまった。 学生最後の日々が、飛ぶように去っていく。もっと遊び、もっと勉強をしておけば良かったという気持と、 自分なりに精一杯の学生時代をすごせて気持ちが入り混じっている。あと一ヶ月だが、社会に出れば学生時代のようにはいかないだろう。
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