堀井On-Line



3592,  閑話小題 

2011年01月25日(火)

  * ワールドカップとオリンピックの差
「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」と、塩野七生。
オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対してワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、
自分の商品価値を上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺のところが日本人には
分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。
しかし日本のマスコミも国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。
勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。
それが出来ないところが、ワールドカップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。
   ――
  * ところ変われば、意味が違う
 海外旅行で、よくガイドに注意されることがある。子供の頭を撫ぜると怒られる地域もある。
エジプトでは、お世辞にも奥さんとか若い娘を褒めては駄目。褒めるということは邪視になり、
欲しいと受け止められる。邪視には同時に「羨ましがって見られると、その目には禍をもたらす力があって、
良くないことが起こる」と信じられている。逆に、この子は可愛くないと、わざわざ言う。
褒めると怪我や病気などになる危険があるが、けなせば逆に健康になると気遣って言うのだそうだ。
自分の子供に「雑巾」とか「乞食」という意味の名前をつける親もいるという。 家も外観は
質素にするのが慣わしになっている。そういえばアラブの家も服装も外観が目立たない白か茶系である。
 
 ・・・・・・・
3227, フリー −4
2010年01月25日(月)
「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」クリス・アンダーソン著  
 * 数百万点の中古品をタダで提供
  ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー (p249)
≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに住むデロン・ビールは、
 地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、衛生面で問題があるということで拒否をされた。
 そこで、彼はゴミを減らすために、フリーサイクルを立ち上げた。 
・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、
・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは非営利で、グーグルによる
 スポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル)
 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって運営されている。
 会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を記さないと会員になれない。
 一たび会員になると、沢山の無料のモノがまっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。
 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的なプラットフォームはない。
 2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、合計800万点になっている。 ≫
ー以上だが、アメリカ的な素晴らしいシステムで面白い。こういうことがネット上だから成り立つ。
中古品のセリなら何も珍しくないが、贈与というところがミソ。 遅かれ早かれ日本にも出来てくるはず。
アマゾンで中古本を一円で何冊か買っている。宅配の送料340円のマージンで利益を確保するのだろう。
送料を入れても半値か三分の一になる。フリーリサイクルを宅配便会社がやれば、
宅配を自らの手で作りあげることになる。 フリーはネットによるデフレ原因の典型的事例になる。
 ・・・・・・・・
2852, チベット旅行記 −3
 2009年01月25日(日)
  この旅行記の中では、仏教の真髄を説いている部分がある。
  究極のところで仏の教えを試される場面が何回も出てくる。宗教は生きていく上で必要条件である。
 * 白巌窟尊者との大問答
尊者「いろいろな困難をしてまで何でラサにいかれるのですか」
 慧海「仏道の修行をして一切衆生を済度しようというため来たのです」と
  実際的な問いをはずして形而上の仏教的な答えをした。すると
尊者「あなたは何の原因で済度するのですか」
 慧海「何も私には原因はない。衆生がいろいろ苦しみを受けているからです」
尊者「それではおまえは世の中の衆生というものを見ているのか」と言って、非常に理想的な問いを
  発したので、私も理想的なオウム返しをしてやった。
 慧海「我に我なくして、どうしてこの衆生を見ましょうか」と答えた。
  次に尊者はあの賊に会った時の私の気持ちを尋ねて、
尊者「盗人を憎いと思ったか・・・・、盗人が去った後で彼等を憎み、呪法でも唱えて仇を帰すようなをやったか」
 慧海「私に取られるべき原因があってあの盗人に取られたのですから、彼等を憎む必要はありません。
  私がこのような不幸な目に会う原因を持っていることこそ、むしろ憎むべきです。私は借金返しを出来たことを喜んでいます。
  だから呪術をかける必要はありません。どうかあの男も私のものを取ったのを因縁として、この世で出来ないとしても、
  あの世で真の道に入って、立派な人間とも菩薩ともなるように祈ったのです」と言うと、
尊者「それはもっともだが、これから賊に会うかもしれないから、ラサに行くのは止めておいた方がよい』と、言ったので、
 慧海「私はそんな曖昧なことはできません。目的のためにはどんな方法を執るべしという事には、同意しかねます。
   大日経には方便すなち究境なりといいます。誠実なる方法を実行することで、目的そのものとして
   一切万事誠実なる事のみを行う。その結果として目的が達せられるということになるのです。」
尊者「どうも妙じゃ、必死の恐れがある道を選ぶより、安全なネパールへ帰るがよい。お前が必ず死ぬことが見えている」
 慧海「しかし私は死ぬことを知りません。生まれてくることも知りません。ただ誠実な方法を行うことを知っているだけです。」
   と答えると、尊者は俯いて考えていたが、たちまち話を変えた。・・・・・・・
  ーー
  出立の時に、十分すぎるほどのお金と食料を尊者は慧海に与える。この問答で尊者と慧海の底知れない
  大きさを感じ取ることが出来る。 事上練磨で仏の教えが深まっていく一例である。 
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2008年01月25日(金)
2487, 不動産は値下がりする!
                オハ*ヨΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。  ー読書日記
 『不動産は値下がりする!』 江副浩正著(中公新書)
知人に借りて目を通して、直ぐにアマゾンで(中古本だが)発注した本である。地方にいると都会の不動産の生の情報は
殆ど入ってこないので、山の手線沿線の超高層ビル群の実情を興味深く読むことが出来た。それもリクルートの創始者の
江副浩正なら、一言一言が響いてくるのは当然のこと。東京の不動産事情を江副というブランドの目を通した講義録とみれば、
これほど面白いものはない。私自身は、新築不動産を購入するならマンションより一戸建てを選ぶ。それぞれ価値観があるから、
一概にどっちらがよいか括れないが、買った瞬間に、その価値は6〜7掛になる。3〜4割が業者の荒利になるからだ。
(ちなみに、ファッションや貴金属は三分の一、10分の一もある?)一戸建ての場合は、ベースの土地は相場の値段として
計算?されるので、売価対原価の比率として、購入と同時の減額は少ないはずである。それだけではない。今後、総人口が減少に転じ、
総世帯数が減少する国で、不動産が高騰する訳がない。家は既に余り始めているのである。この失われた10年で低迷がつづき、
その対策として金利が長期間、史上最低にあり、土地、戸建、分譲マンションの値上がりが続いてきた。
首都圏の分譲マンションの年間適正供給量は4万5千戸と言われてきたのが、10年以上も8万戸前後の供給が続き、
それが順調に売れてきたというから、その反動が来るのは至極当然のことである。アメリカのサブプライム問題が発生、
世界の金融機関をパニックにしているが、日本版サブプライム問題になるのは時間の問題。
この本の「まえがき」と内容が、少し違っている。「まえがき」では、不動産は値下がり間違いないと言いながら、
「これからは都心、中でも港区、千代田区、渋谷区に人口が集中し、都心のマンションは益々値上がりする」と述べている。
利上げが供給過剰なバブルを破綻させるというが、他の理由は殆ど書いてない。需給のバランスの供給を大きな理由にあげているが。
土地も関東・東海の一部地区を除けば、更に値下がりするのは、自然の流れである。     ´・ω・)ノ ホナ!
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2007年01月25日(木)
 2123, 階級社会ー不平等社会を考える   オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚ オオォォーーー!!
世界は不平等社会で成立している。今さらのことだが、これは何度も振り返って考える必要がある。
戦後日本は実質的には社会主義的な平等社会であったというが、本当だろうか?「自由、平等、博愛」
はEUの基本理念であるが、世界はその正反対から成り立っている。だからこそ、理想として基本理念に掲げている。
インドでは3000年前に白人系アーリア人がインド全土を支配。ヒンズー教をつくり上げて500以上の階級を詳細につくりあげて、
白、赤、黄色、土色の肌色をベースとして、その混血を防止するため、この宗教をつくり上げた。それが宗教的効果も加わり
現在まで全く変わることなく続いてきた。インドでは交通事故で最下層の人を轢いても犬を轢いたのと同じように扱われる。
地方では最下層の村の襲撃事件が彼方此方にあり、虐殺は日常的であるが、警察は全く取りあわない。
去年の暮れにニューデリー近郊で起きた二十人以上の幼児や若い女性の猟奇殺人の容疑で二人が逮捕されたが、
これも下層階級の牛以下とみられた階級に対するアーリア系?による差別行為の一端とマスコミは報じていた。
我々が「娑婆を知る」「世間を知る」というと、「奇麗事の民主主義の中にある階級社会の不平等の現実を受け入れ、
それぞれの立場で、自分を見つめること」をいう。「何で皇族を養わなければならないのか?」と誰もが思うのは当然であり、
何で朝鮮系の彼らを象徴としなければならないのか?という根本的な疑問は誰も持っている。
この疑問の拡大は、押し戻すことはできない。考えてみたら、実家にはお手伝いがいて、店には50~60人の従業員がいた。
それが当然のことであり、何も考えたことはなかった。ところが上京して、根こそぎ不平等社会に曝された。
大都会の中で、初めて自分の存在の小ささに直面した。皇居に出入りする車の列をみて、「何でアイツラが税金で
特別待遇を受けなければならないの?」という原始的な疑問を持った。東大の安田講堂立て籠もり事件の頃のこともある。
・社会とは何だろうか?その中の小さな自分とは何だろうか?
・何故、社会は大金持ちと乞食が同じ街の中で暮らしているのだろうか?
・皇居に何で皇族がいて、税金でのうのうと暮らしているのか?
・山手線に下町地区があり、そして山の手地区があり、何も不思議と思わず、それを受け入れているのだろうか?、と。
父親が日常の生活で質素を基本としていた。 明治生まれの価値観で、贅沢は身を滅ぼすと・・
送金は、殆ど最低の生活費と、馬小屋のような寮。三年になって一ヶ月の欧州旅行で知り合った友人達の私生活の派手さは驚いた。 
世の中には自分の知り得なった社会があり、そこには社会格差が存在しているという現実を身近に初めてみた。そして就職。
そこで一番下の一平卒からみた地方名士様を目の当りに見て、自分もそこに育った環境を、つくづく客観視した。
そして更に根本的な疑問を深く感じざるを得なかった。その中で、頼れるのは自分の勘と実力だけで、一つ間違えば
「舟板の下は地獄」の漁師と同じ世界を生きなければならないことを。バブルの崩壊後に一億総中流社会の所得分配が、
年功序列の賃金制度の人事体系の崩壊や、流通や金融業界の規制緩和による競争激化により、相対的な平等性が崩壊してしまった。
これまでの日本は欧米に比べて、所得格差が少なことが戦後体制の安定を作りだしてきた。しかし時代は変わってしまったのである。
「平等」は所得の多い少ないで判断できない。しかし競争を通して下克上をしてきたことが日本社会を活性化してきた。
不条理であるが、それが現実の社会なのである。働かざるもの、食うべからず!である。働きは決して汗する働きだけではない、
それぞれの立場で「価値をつくりだす出すことが働き」である。「価値を生み出すものが利益を多く得る」のは当然であり、
それができない社会は衰退・滅ぶしかない。 平等と公平とは、の問題になってくる。情報化社会は、機会均等という素晴らしい
要素があるが、反面、一強多弱の世界を呼びこむ。それも、地球上の時空の垣根をこえてになるから、
厳しい競争に曝されることになる。面白くなったが生き辛い世の中でもある。     *^ワ^*)i バイバイ 
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 2006年01月25日(水)
1758, 人生の贈り物  ohayou*・゜゚・*:.。..。.:*・(≧∀≦)      −読書                      
 (字数制限のためカット 2010年1月25日)
  ・・・・・・・  
2005年01月25日(火)
 1393, 600坪のネットカフェ
ネットカフェが面白い。前を通ってパンフレットは何回かもらったが、会員にまでなって入る気がしなかった。
現在の新しい業種、業態として見過ごすことはできない。ホテルの機能に、何か重なるものがあるような気がしていた。
当社のホテルの1Fにテナント(FC)に、いかがなものかとも。去年の暮れの一ヶ月間、ネットカフェに毎日のように通ってみた。
特に最近できた「アイ・カフェ」に入って驚いた。600坪のネットカフェである。ネットカフェのスーパー・センターである。
  (字数制限のためカット 2011年1月25日)
・・・・・・・
2004年01月25日(日)
 1026, 100円つめ放題
ーかたい話が続いたので、世間話をする。「プラント5」という最近出店してきたスーパーセンターでの「100円つめ放題」が面白い。
チョコレートであったり、揚げ物であったり、芋であったり、シシャモであったりする。先日は枝豆であったが毎週変えているのがよい。 
自分も詰め込むので必死だが、他の客のテクニックが凄い。店サイドは絶対に文句は言わないことを図々しいオバサンは知っている。
それを解ってかどうか、お互いの顔を見合わせながら詰め込むのが面白い。 大体がB級商品を裸に置いておくのだら、
店も客寄せとしてはよいし、客も良い。最近はSMのウオロクや原信も始めた。前から400円や500円で揚げ物を数種類の
つめ放題もあったが、100円というと気楽がよいのだろう。100円ショップでやればよいだろうが、まだ気がついてないのだろう。
商品の取り扱いが広い上に、アイテム数が圧倒的に多いので見ているだけで楽しい。冬のせいもあるが、一週おきの我家の
レジャーになっている。米国から発したスーパーセンターも、日本の地方から発しているのがよい。
その業態をつくって日本に乗り込んできたウォルマートーが、買収した西友のリストラを発表した。25?の人員整理。
スーパーセンターを順次出していくのだろうが、思ったより時間がかかりそうだ。
・・・・・・・
2003年01月25日(土)
661,イチロウ−3
彼の話は過去に2回書いている。一つは、数字を書いたテニスボールをマシーンで2百数十?で投げ込ませ見きわめる練習。
いま一つは、小学生の時の日記だ。最近ある新聞のスポーツ欄にイチローが連載していた中で、印象的だった内容があった。
ーアメリカの?1のピッチャーと対戦した時の話だ。「NO1の投手のときは、決め球を避けて失投を待つ。自分は違う、
彼の一番の決め球を待つ。投手は決め球を投げるために投球を組み立ててくる。勿論バッターはそれを知っていて
他の球を打とうとする。自分はそんな球に興味はない。ただひたすら決め球を待った。そしてやっと来た、そして打った。」 
超一流の選手でなくてはいえない言葉である。具体的に1球目、二球目と全てのボールを憶えていて書いていた。
その球を打つために何回も投手のビデオを見て、タイミングや組立てを熟知したうえに練習を重ねた言葉である。
彼の言葉から感じるのは練習の裏づけと情報とロジックである。その場面をきっちり理路整然と説明できて至極当たり前。
右脳ーイメージと左脳ー言語構造が両方交互に全開している状態。やはり天才であろう。自分でも天才かもしれないと書いていた。あ
らゆる場面のことを明確に記憶をしていて、イメージとしても脳に残っている。やはり集中力が異常に高いのだろう。
柔道の山下の講演で同じような事をいっていた。「相手の一瞬の動きに身体が瞬時に対応するまで練習をする。
考えてできるものではない。全ての行為は練習で完璧に出来上がっている。」天才いや超一流の所以は、
そこまで練習での基礎のレベルが高いという事だ。凡人はそこが見えない。
・・・・・・・・・
2002年01月25日(金)
311、パソコンの機能と実感-2
 実感としてのパソコンを書いてみると
・発想機械として、もっともその機能が活用できる。 言葉の並び替えが簡単にできる。
 そのプロセスで発想が出てくる。言葉のKJ 法?が安易にできる。コピーも消去も一瞬にできる。
・インターネットを利用した情報収集に最もその特性を使える。
・計算は卓上電卓のほうが使いやすい。
・ホームページとは、自己公開の発信基地と、他のホームページの分類箱。ウエブ上の応接間兼事務所。
・パソコンを使える人間と,使えない人間の二種類に分けてもいい時代だ。ー奈良時代に最新のヘリコプターが
 降りてきて、若い人と子供がすぐ群がっていく人種と、林に逃げ遠回りに見ている人種に分けられる。
・グローバルの情報をもっとも活用できる。
・パソコン等のデジタルの特性はコピーが無限に可能になることである。
・パソコンとは、超高性能の小型コンピューターであるー当たり前のことだが。それを何処まで自分に取り込めるかが、
 ポイントになる。特に私らの年代にパソコンアレルギーの人が殆どだ。地方のせいもあるだろうが。
・まだまだソフトの最適なものにあたってないが、必ずあるはずである。 毎日がその発見である。
 ・・・・・・・・・・ 
 1月25日 1969年
朝、千葉の甥っ子の「ムーちゃん」がTVに出るという。ロンパールームという番組で30秒位話をする。
物怖じしないところがよい。一年間、姉のところに居候をしていたので、弟のような存在の子だ。
午後、価格理論の補講に出席。解ったような解らないような内容であった。帰寮後、22時から翌3時まで勉強。


3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2

2011年01月24日(月)

  * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、
  ー3分ルールー
 ボクシングの一ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円などある。
これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本を読むときに、いま一度、前書き、
後書き、そして、これから読もうとするページに目を通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。
これもポイントに集中して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。
  ー90秒ルールー
 これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。
驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束するまでに90秒かかる。
その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような行動をせず、じっと脳の興奮が収まるのを待てば、
理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。
私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。
 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い習慣として身につけたい時に、
学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。
  ー30秒ルールー
 コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正の時間である。これ以上になると、
間延びをしてしまうし、それ以下では情報量が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。
 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、知らないうちに慣らされている面もあるが。
 そういえば、人と人間と、時と時間の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
 ・・・・・・・・
3226, フリー −3
2010年01月24日(日)
  ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー
* 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している潮流を説いている。
 「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判(トラフィック)経済と注目(リンク)経済がある」と、核心をついている。 
* googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示している。知りたいのは、評判経済・注目経済が
  あることを、googleは見抜いて、その検索を無料で提供することでアクセスを独占し、そこに広告を出すことで収益を上げた。
*「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている商品をタダにすること。
  すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 無料で使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、
  その中の顧客が有料の商品を買ってくれる可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。
  したがって全ての情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に変わろうとしている。
 「人々が欲するものをタダであげて、 彼らがどうしても必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルをつくる」
*<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、オペレーションコストが 劇的に下がり、
  これによって収益モデルがかわったことを例をあげて紹介している。 中国をはじめとした不正コピーの問題に対し
  防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 >
   〜以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に下がり続ける。
  それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済だけでなく思想的領域まで影響している。
 そこまで掘り下げて考えないと、このフリーの潮流を理解できない。それだけこの情報革命は世界の有りかたを変えようとしている。
  ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー
(1) 直接的内部相互補助 ・・・ 消費者の気を「無料」で引き、その他のものを販売する。
       ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム(ゲームは「無料」だが、アイテムは「有料」)
(2)三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、その後広告を乗せるなど第三者から収益を生む。
       ex)google、Mixi、TV等
(3)フリーミアム ・・・ 「無料」版サービスと機能追加した「有料」プレミアム版サービスを販売する。
       ex) MixiとMixiプレミアム
(4)非貨幣市場 ・・・ 対価を期待しない市場 ここでは対価として評判と人気
       ex ) Wikipedia 等
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2851, チベット旅行記 −2
2009年01月24日(土)
 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・・。江戸時代に外国人が日本に潜入したようなもの、それもヒマラヤを越えて。
 仏を心の底から信じなければ乗り越えることが不可能なことが次々と続く。信じるとは何かを、
 この旅行記を通して少しは理解できたようだ。 
* 断事観三昧
 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。他を見ると間道がありそうなところが、ちょいと見える。
とにかくどうにか極まりをつけなければならんと思って、そこに座り込んだ。私は理論上で決められぬことがあると断事観三昧に
入って事を決めるのである。そもそも断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上決められない
将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、そこで発見された観念に傾くのをもって、その取るべき方法を決定する事。
深い意識の中に入っていき自分も何もないところで問うてみるとは、次元の違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、
どうするべきか判断するということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。
 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観に入り、自分を超越した深い意識の中で判断をする、
  すなわち仏の心境で判断すれば、仮に上手くいかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。人間は最後の最後は自分の心奥の無
 (正中心一点無)で、判断しなければならない。 そのためには、孤独の世界を、孤独の時間と場所を確保しなければ。
*積雪中の座禅
 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。相当の荷物を背負っている上に今日昼までは
草を喰っておりましたけれども、その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことができないといって
進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれども、押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、
羊は動かない。ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また立ち往生する。
芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を十分に乾かすこともできない中、なんと今度は大雪が降ってきた。
岩も隠れ場所も見つからず、とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も動かなくなった。
「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。何とか方法がないものか。この前聞いたところでは14〜5日も人に会うまい。
どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、さらに頭の上にカッパをかぶって、羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」
ときめこんだ。羊もその方が良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものですから、まるで私の子の
ような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。「だんだんと寒さを感じて非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。
しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい」と覚悟を決めたのであった。
雪中の中を夢うつつにいると、突然に自分のそばで動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。 
それから身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの粉をバターを入れて1杯ばかり食べた。・・・
 解)ヒマラヤでの窮地の雪中座禅は、100年の時空を超えて読む者の心に伝わる迫力がある。
  「現代の生き仏」と呼ばれる天台宗大阿闍梨、酒井雄 師は仕事にことごとく失敗し、妻を自殺で ...
  しかし、出家後、厳しい修行に耐えて、千日回峯行に二回も挑み、二回とも達成した。それに通じるところがある。
  深い決意が無ければ決して達成できないことである。それが深いほど仏の心に深く通じるのである。  
  信仰の力とは何か、必死とは何かが教えられる究極の場面である。ただただ、感動してしまった。
・・・・・・・・・
2008年01月24日(木)
 2486, 閑話小題
 * 片岡球子
 この人の「面魂・シリーズ」の絵を初めて見たときには驚いた。たまたまインターネットで見つけたが、写楽の現代版というか、
奇をてらった何ともいえない味わいがあった。画壇からは、ゲテモノといわれ不遇だったが、小林古径に「ゲテモノと秀作は紙一重、
それを大事にしなさい」という言葉に励まされたという逸話が良い。それにしても味わい深い絵である。
先日、103歳で亡くなったとマスコミで報じていた・・  http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/tamakoyuki.htm  
 * 昨夜の夢
 昨夜は、奇妙な夢をみた。 夢の世界の中で、2〜3歳の自分が、60年近く前の実家の商店の入り口を凝視して、
その詳細をこと細かく見ている。ところが気持ちを集中したためか呼吸を何分か?忘れ、息が出来なくなり目が覚めてしまった。 
夢の世界に没頭しすぎて呼吸するのを忘れ、独りパニック状態に陥ってしまい三十分ほど激しい動悸と動揺が続いた。
久々に深夜の漆黒の恐ろしさを味わってみた。「睡眠時無呼吸症」だが、よほど夢の中で神経を集中していたことになる。
一〜二度、睡眠時無呼吸の経験はあったが、これほどの経験は初めてである。霊日記の先祖霊・四四太郎様は、次に何を言ってくるやら?
寝る前に、霊様と会話したのも影響したのだろうが。あの時の夢の中の「凝視の集中力」は、目が覚めた後でも持続していた。
 * YKって何?!
最近、空気が読めないことをYKというらしい。「ためして合点」というNHKの番組でも、「解明‘会話ブーム’の秘密」
というテーマで「空気が読めないーYK」を扱っていた。相手と対処する時は「にこやかに、そして同調することが基本」とか。 
携帯電話やインターネット社会では、生の人間関係の基本を知らない人が闊歩して軋轢が頻繁に発生しているため、
こういう言葉が出てきたと思われる。一般的に「TPOS」という言葉がある。時と場合を察知、特性を演出せよである。
こんなことは当たり前のことで逆に、それを意識的に壊し、それを楽しんできた。
「YKなど、気にすることはない!」は、それなりの信念がなければいえないが、「空気が読めない」ことなど、
全く気にすることはない!ただ基本のカーネーギー著「人を動かす」位は、読んでおけ!ということ。
・・・・・・
2007年01月24日(水)
 2122, 下流喰い −6   (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜
「日掛け金融」の存在は、この本を読むまで全く知らなかった。「超高利貸し」が法律で認められ、現に存在していた。
スナックの開店直後などに時たま見かけた得体の知らない人が、『日掛け金融』の人達だったようだ・・。 
飲食ビル経営の人が、サイドビジネスで店子などに金貸をしている話は聞いたことがあったが、
夜の深い世界の一端なのだろう。 まずは、その部分を抜粋してみよう。
 ー日掛け金融の世界ー
九州などの西日本一円に今も数多く存在する日掛け金融(日腑貸金業者)も、その歴史は古いという。
もともと市中の鮮魚商や八百屋といった現金商売、水商売などを対象に、日掛けで金を貸す業者をさし、毎日、店先に顔を出しては
仕入れ金などを用立てたり、日賦などを集金する業態で成り立っている。地方の飲み屋街に行くと、いまだに顔馴染みの
日賭け金融業者が店の合鍵を持って、毎夜、店のカウンターの置かれた返済金を回収していくという。
価率が幾らだとか、回転率が幾らだとか考えないで、今日は5000円の売り上げがあったから、3000円を返しておこう、
という世界が現在も厳然としてあるという。いうなれば出入りしている雑多な業者の日常に密着し、
小回りを極度に利かせた小口の貸し出し、土着的な金融業。出資法附則第9項に定義付けがなされている。
  (字数制限のためカット 2010年01月24日)
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2006年01月24日(火)
1757, ライブドア・ショック−2           (。´_`)ノおはぁよ〜
それにしても、もう逮捕とは早いものだ。系列下の証券会社の副社長が自殺をしたのだから相当違法行為すれすれか、
隠された違法行為が多くあったのだろう。結局は、マネーゲーム屋でしかなかったのか?
堀江は、あまりにも華やかな寵児だったが週刊誌に書かれていたとおり「乗取り屋」でしかなかった。
この男を利用しようとした自民党の体質もあるが、亀井には丁度よい対抗馬だった。
民主党のトーンが低いのも、堀江に袖にされた経緯があるからだ。   ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
自民の武部幹事長が、選挙時に堀江に「私の弟、息子」と連呼している映像を放映していたが、お笑いでは済まされまい。
これからフジ・TVの反撃が始まるだろうが、脅し取られた事実は否めない。昨夜はフジだけが特番を組んでいなかったのも
不自然?である。私の苗字が堀井で、堀江逮捕と連呼されると自分が逮捕されたように錯覚して切迫感が出てくる。         
特捜が踏み込んだ時に、一番初めに押収したのが携帯電話。なるほど、過去の通話の記録をチェックすれば多くの情報が取れる。
このライブドアのキッカケは内部告発だろう。あれだけ強引に買収をしてきたのだから、多くの恨みを買って当然である。
   (字数制限のためカット 2011年01月24日)
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2005年01月24日(月)
 1392, 危ない格言ー2
「性格については」のコーナーは、捻りが面白いので、私にとっては真骨頂でもある。
 ー性格についてー
・性格は演じられる、見せるためにも,隠すためにも。
 (my感想)−そう思っているだけじゃないか? 実際は、その演技そのものが観られているんじゃないか?
 以前から、チンドン屋と皮肉っていた「演技する人」。それに殉じて亡くなってしまったが、閉鎖社会の哀れさである。
・君が行い得る最善の行動を言ってみたまえ。そうしたら、君がなし得る最悪の行動を予測することにしよう。
「my感想)−これ22・23歳の日記の自分の行為だ。 最悪の行動であった。しかし、冷笑をして何もしないより
 ずっといいだろう!いや、しない方が良かったか?冷笑をしていると、後でキツイしっぺ返しがくるが。
・ねたみと嫉妬ー復讐を実行しえる力と構想にまで届かない弱さのせめてものウサ晴らし。
(my感想)−だから巧妙に近づいてくる小キツネを選別しなくては!志とかいうが、最後は誰も挫折するのだろう。
・先入観は、弱者が精神に準備する鎧だ。
(my感想)ー強者の先入観をどう説明するのかね?もっと性質が悪いのでは?、いや弱いのでは!
・反省とは、行ってしまったことに附す終止記号のようなものだ。要するに、やらかしてしまったことへの
 関心を打ち止めにすることに役立つのであって、次の行動を導くことにはようがない。
  (字数制限のためカット 2011年01月24日)
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2004年01月24日(土)
 1025, 「眠りについてのお話」−3
一番悪いのは「眠れないことに対するストレス」である。
 寝れないときの私の知識とノウハウを書いてみると
・単純イメージの繰り返し、羊の数を数えてみたり、砂漠の砦で自分が
 インデアンになり騎兵隊の兵士を1人ずつ 撃ち殺していったり、
・色々の可笑しな小話を思い出したり、      ・海外旅行の思い出を一つずつイメージしてみたり、
・体の器官を頭の頂上から力を抜いていくとか、  ・般若心経をユクッリ、ハッキリ心の中で唱える  
等々、寝れないときのネタを仕入れて準備をしておく。 寝れないで海外旅行を全て思い出したことがあった。 
3時間かかったが、むしろ楽しい時間であった。実家の商売を5年間従事した時、隔月に夜行列車で仕入れに出ていた。
23時前後の寝台車に乗るのだが、これほど睡眠に悪い環境はない。線路の継ぎ目の音とか他のお客の鼾や駅に着く度の
乗車客の音とか、最悪の状態。翌日は問屋を数十軒駆けずり歩くから、充分の睡眠が必要になる。初めは苦労したが何事も慣れ。
寝る時に「ここで睡眠をとるのだ!」という意思を持って寝ると意外と寝れるのだ。線路の継ぎ目の音は単純音の繰り返し、
その音のリズムに乗ってしまえばよいと考えた。そして、それが即効であった。その時思ったのは「寝るのは意思」
ということであった。何事も、まずは意思と、それに対する準備が必要。それと楽観である。
 ・・・・・・  
2003年01月24日(金)
 660, 夢のない話
ツアー旅行をしてると、添乗員から色々な面白い話を聞ける。ネパール旅行の時の30歳位の女性の添乗員の話が印象的。
新婚ツアーの添乗が凄いという。お互いの旦那のランクが時間とともに、お互いに解るという。 それと女の自分達の
評価も見えてくる。そうするとナンバーワンの旦那に皆が憧れを持つ。そういう心理が見ていて何とも面白いという。
成田離婚など当然の事。お互いにこんな筈でなかったと冷めて激しい喧嘩が始まる。数組が本当に成田離婚になるという。
二組のカップルがお互いの相手を好きになって、編成替えをしてしまった。ケースもあったとか。これにはさすがに驚いたという。
添乗でいろいろなカップルを見ていると、結婚だけはしたくなくなると言っていたのが印象に残っている。
底の浅い男女が表面的なものでお互い結ぶついているのが、露出して見えるからだ。そのまま小説になるような題材だ。
サ??のついた♂♀の集団を束ねていくのだから、これほど人間の生態として面白いものはないだろう。
3組に一組は離婚する時代。30年近く前の勤めていた時の話だが、結婚しているはずの人が駅でオニギリを食べていた。
何気なく冗談で「かみさんに逃げられたの?」と聞いた。本人「・・・」数ヶ月後、その人が離婚した事を聞いたが後の祭り。
いろいろある。「毎日こうもくだらん事をよくかけるな!」という声が聞こえてきそう!
 ・・・・・・
2002年01月24日(木)
 310、地球を一周する
以前読んだ本でまだ忘れられないのが、「地球のエネルギーのポイントが西周りで一周する]という説である。
その本が何か忘れたが社会主義のピークの時代、怪しげなそれと見えた。中国、インド、アラブ、そしてヨーロッパ、アメリカー現在。
アメリカの時代ももう終わったように感じる。これからは再び中国、インドにポイントが移っていく、あながち間違ってはいない。
日本はもう横丁というところ、面白い説である。ヨーロッパもアメリカも、使い古しの雑巾にみえる。アジアはまだ使用前のように
感じられる。真実をついているようだ。思想的にもこれからは、儒教・仏教的考え方が求められていくと考えると自然だ。
 ・・・・・・
1月24日 金曜日1969年
「勇気を出そう、肉体はどんなに弱くとも精神で勝ってみせよう。いよいよ25歳だ。
一個の男の力の全てが示される年齢に達したのだ」 ベートーベンの言葉だ。 人事管理の授業に出席できず。
終了後にやっと着いた。 昼飯をとった後、ゼミの外山と喫茶店へ行く。そこに兼古が来る。午後からはゼミに出席、
あまり面白くない。三人ぐらいが勝手に喋っている感じであった。18時に帰寮。夜半に寿司を食べに行く。


3590, 戦略ネット会議システム −2

2011年01月23日(日)

 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、大手銀行に応募をして入社した人物の面接での
応答に驚いた。「貴方は我社に対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、掘り起こして
達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。
その本人も凄いが、探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚が初めて見る人種とか。
東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの
ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いているだけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、
互いに知恵を出しあえば、多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題もあるだろうが、互いに戦略を
マナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。
その現場の空気を一度吸ってみたいもの。 「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、新たに顕在化すること」こそ、企業にしても、
個人としても革新ポイントのコアになる。 この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。
 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいることは何? それを練り上げあげているのか? 
この恐慌の一番底が来年に到達しようとする中で、どうする?」 そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。

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3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
  孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。
 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」であった。そして、還暦をむかえて一人「もと、とった!」と、
 ほくそ笑んだ。今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、次の絶対言明が見つからないのである。 
 しかし「死もまた愉し」の中の、次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。
 とりあえずは1年だけ考える。あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。1年が無事に過ぎたら、よし、
 もう1年生きよう、と……。新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、つぎの1年を考える。
 こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、 
 人生最後の志として大事なことではないかと思うんです。 ≫
  若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。
 ーそのような境遇で、会得したことは、
【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。
 私には、どうも無理のようだが・・、彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。 内容は毎年同じで、原稿用紙。
 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
  結核療養所で石田波郷、福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ         ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり         ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず        ・來し方の 見わたすかぎり おぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく          ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり         ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて       ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
    ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
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2850、チベット旅行記 −1
 2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。 6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。 
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。
勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
 ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っているチベット国に行くことを思い立つ。 
鎖 国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は
 個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。 当然に死を覚悟を
 しなければならない。抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
 若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で進退きわまる時や、
 右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。食事は麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。 
 想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で
 病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
 貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを
 目的にしてはいない。 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は私にはない。
 ……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに
 関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
  ーーー
 河口慧海「チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、
 1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
 1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、
 日本人として初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に
 謁見するまでになるが、日本人であることが露見したために急遽ダージリンに脱出。  その後も中国、
 インド、ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖として知られる。
  1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。         ーつづく
  ・・・・・・・・・・
 2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −2     オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
  今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。当面は1万2千円辺りが底値か、それとも更に下がり続けるのか?
 世界的に広がってきたのが気がかりである。余りにも悪材料が揃い過ぎている。下手をすると、恐慌の可能性がある! 
  ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されていることがサブプライムの特徴で、
どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。しかも、住宅価格が上がることで借金が可能となり消費を膨らませるという
アメリカ人の消費行動も狂わせた。減速どころではなく、アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。
原油高騰などからインフレ懸念を引きずっての景気後退となれば、なおやっかいである。1月7日、経済3団体などの賀詞交換会。
「アメリカはスクラップ・アンド・ビルドの国。うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。
 90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきたアメリカの黄昏。
一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、資源外交を強めるロシア、
成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源大陸アフリカ等々、08年経済の担い手は多士済々だ。
基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流していた資金は今、原油に向かい、金を買い、非鉄金属などをめざしている。
資源バブルである。バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長という
需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、アメリカからこうした国々に移っていることも確か。
「多元的世界経済」の出現である。 アメリカ中心経済の終幕−−サブプライム問題がとどめを刺した。波乱の深みはどのくらいか。
すでにいたるところに“ウイルス”をまき散らしてしまったようで、うみ出しどころではなく、
恐慌が本当に口を開け待ち構えているかもしれない。(エコノミスト編集部)毎日新聞 2008年1月15日 0時13分
 −−−
 私の周辺も急に誰も彼も財布の紐を締め出してきた。TVのワイドショーでは、如何に金を使わないかのノウハウを、
具体的に細かく紹介している。そういえば去年、背広を買い換えようかと思っがた、結局買わなかった。
目先は有合わせで済むからだ。ロシアが、もしユーロ圏にでも入ったら、ドルなど誰も見向きをしなくなる。
米国が風邪をひくと日本は肺炎になるというが、資源のない日本は米国以上の打撃を受ける。全くどうなることだろう。
                    (*´・ω・)ノホンジャ!
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に!     (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。都銀や大手信託銀行が、
中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを始めた。
 (字数制限のためカット 2010年1月23日)
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2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!
NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」の放映が衝撃的であった。身体の一部を機械に置き換え、脳が機械と
直接つながったサイボーグ。SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、現実のものになろうとしている現状のレポートである。 
脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす研究を実用化しようとしている。 ・∀・)つ 
   (字数制限のためカット2011年1月23日) 
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2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言           ー 読書(毒書)日記 ー
ー新書yosennsya 榎並 重行 (著)
書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので衝動買いをしてしまった。私向きの本である。
買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー帯びに『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、
買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。
第6章まであるので、数日の随想日記のネタになる。先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、そして、
前書きを見て、終わりを見て、パラパラと開いて、飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの珍しい本である。
 ーmy感想は、毒には毒をと毒づいてみた。書かないほうがよいが、それでも書かないわけにはいかないのだ!
第一章 この変な動物、人間
 ー類型についてー
・どんな人間にも、顔を赤らめ、恥ずかしさにうつむくしかないことがある。 
 そんな経験をしたことがないといい放つ者は、これから、手ひどい形でその経験に襲われるまでだ。
(my感想)ー 海外旅行先でトイレにあわやという事態に何度も遭遇した。
 その経験がなければ、回数を重ねているうちに思わない最悪の事態になることは間違いない。
・己のなかに俳優を感じて困惑し、たじろぐ者は、まだ自らの誠実さを保っている。
 むしろ笑む者は、すでに自他のために誠実さをも演じているだろう。
(my感想)ー誠実は言葉でなく、人が感じるものだ。以前ごく身近に「自分は性善説である」
 を言葉の癖にしていた人がいた。あまり本の量を読み込んでない人だったが、
「性善説とは性悪をカバーする為に使うことが多い」という仮説を自分に立てて考えれば、声高に言えないはずだ。     
(字数の関係でカット2009年1月23日)               −つづく
・・・・・・
2004年01月23日(金)
 1024, 22歳の日記−2
何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い知れる。ゼミでは、まず一週間前に事例
(ケース・スタディー)の用紙を渡される。 その間に対処を考えてきて、それを元に全員で徹底的に議論をする。 
その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。我々の出した結論と、誤差について更に議論をさせる。
また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って互いに議論もする。結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をする
ことになる。教授の意見は、要所要所以外はほとんど話さない。考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。
「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。自分の中の知識不足を、冷静に自ら気がつくように仕組んである。
いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による真理の追究を、その中で体験させていた。
素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的であった。その結果、卒業まじかに多くの友人が
私に集中してきた。誰もが転換期にたって、迷っていたからだろう。また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。
冷静な事実の組み合わせと、仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。
ようするに地頭で考えることに役立った。35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕になっている。
過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。その意味でも、この22歳の日記の写しと公開は良かったと思っている。
ー後記ー
このホームページ内検索で「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。 こんなものかと呆れてしまった。以下である!
ーーーーーー
2002/11/01  ケーススタデー  ー1
 字数の関係でカット(2008年01.23)
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2003年01月23日(木)
659, 人間-女心
ー宗親流に書いてみるー
人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。単純で複雑で自分でもコントロールが不可能なものだね。
だからノイローゼになるんだろうな。それにさ男女の下が絡んでくるからね。「女の身体の真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」
という都都逸があるがね。これを即興でつくりかえるとこうなるよ。「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」少し品が無いね!
暇だからさ女という生き物について書いてみるね。あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物はないよ。
姉が4人もいて、女の職場にいた為に鍛えられたね。この単純でかわいい存在に。要するにエゴの塊、これも生理からきているからね。
いつもある姉に言われていたね。「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから気をつけな!」ってね。
女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを鈍らしてしまうんだよ。女は知っているんだ人間をね、
男と比べたら数倍もね。初めは大人しくしていて、段々図々しくなっていく仕方。あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。 
単独に彼女と接するときは真摯に徹すること。複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。泣いているときは、
一緒に泣いてやるのさ。笑っているときは、一緒に笑ってやるの。合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。彼女たちは、長い時間の中で
知恵を持っているの。男の甘さの嗅覚を。だから真っ当に相手にしては駄目だよ。昔からいうだろ「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、
殺せば化けて出る」これ本当だよ。でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。
理屈じゃないんだから。でも好きだね女!  まあこんなところが大体の男の視点!   − 宗親
 ・・・・・・・・ 
 2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)
決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する言葉」が
「取りあえず」である。思考停止病といっていい。「とりあえず、こおしておこう」「とりあえず、大学にいっておこう」
「とりあえず、就職しておこう」「とりあえず、定年になってから考えよう」 人生の一番大事な事を、その時々に判断を
いい加減にさせ、あるいは先延ばしにさせる言葉である。この言葉で思考停止の状態になり、決断放棄の一生を過ごして
こなかっただろうか? そして最後の最後、追い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」とする。
「取りあえず、取りあえず、取りあえず、・・・・」取りあえずとは、人生を放棄すると同じ事でなかろうか。
この文も「取りあえず」この辺で止めておこうーブラックジョーク似た言葉で「でも」がある。
ある判断をしようとすると、「でも、やめとこかーな」「それはそうだが、でも」。
「でも」と「取りあえず」は何かにている。この川を今渡らなくてはならない、そこで「でも」
という渡ったときのリスクが頭によぎる、「でも、でも、でも」が出てくる。無意識で使っている言葉の壁である。
・・・・・・・
1月23日 木曜日 1969年
 8時起床。登校後、産関論の授業に出席。この授業は、これが最後だった。その後、川崎と喫茶店に行く。 
午後は価格理論に出席。帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、結局欠席にした。
18時から一時間、産関論のレポートを纏める。 21時から勉強を開始。 夜半の2時に就寝。


3589, ユダヤ人 魔法のコトバ

2011年01月22日(土)

  「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著
 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。
 世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも及ばない説得力を持つ。
  ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー
* 成程!
 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上のことだから」ー米国投資家・ベルナルド・バル−ナ
   解) 逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。 40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。
* 笑うしか術がない時
  人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 
   解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。ところで、笑えるのは本当に深刻だろうか? 愚問か!
* 物忘れ
 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを上げるのを忘れるようになる。
  そして最後には、ジッパーを下ろすのを忘れるようになる」  コメディアン ージョージ・ハーンズ
   解)これ、笑っていられない年齢になってきた!
* 口の軽い奴
 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」    ータルムード
 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を聞く人、そして対象になっている人」
   解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。酒が入ると、他人事ではないか・・
* 夢も悪夢もあったけど
 「夢も悪夢もあったけど、夢があったこそ悪夢を乗り切れた」 ージョナス・ソーク
   解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと挫折が待っている。
    「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ(夢)がかなったのだ」も、道理。
・・・・・・・
3224, 地球を通り過ぎる
 2010年01月22日(金)
 2000年前後、6年間、朝日新聞に連載されていた「一語一会」の随想集の中にあったもの。なかなか、含蓄のある随想である。 
 地球環境破壊に対する問題提議にもなっている。 この人の写真集を持っているが、なかなかよい。
  * ー地球を通り過ぎるー  長倉洋海 写真家
「鳥のように静かに地上に降り立ち、やがて静かに飛び去っていく。 それが私たちインディオの生き方。
 人は地球を傷つけることなく、通り過ぎることができる」。 ブラジルを共に旅したアユトンの言葉だ。
 アマゾン先住民を取材しようと訪れたブラジルで、出会ったのがクレナック族のアユトン。
彼は「開発」で故郷を追われ、都市の建設労働者などを経て、インディオの権利回復運動で活躍した。が、大切なのは
子孫に残すべき文化だと気づき、今は各地のインディオの村々を訪れ、経済的自立と伝統文化の復興に力を注いでいる。  
 アユトンとの旅は楽しかった。彼は森に入る時に、森の女王サマ・ウーマの巨木に語りかけて許しを乞う。 
動物の鳴き声をまねてはみんなを笑わせ、万物の存在をユーモラスに詩にして吟じる。 
舟をこぎ、森を抜ける行程はきつかったが、彼は森の精に力をもらうのか人一倍、元気だった。 
 ヤノマミ族の村を訪れた時には、半裸になり、二人で踊りの輪に入った。
両隣の人と手をつなぐと、ぬくもりばかりか心臓の鼓動までドクドクと伝わってくる。
カシナワ族の村に滞在した時は、別れ際、族長に「こんな寂しい思いをするなら、最初から来てくれない方が良かった」と言われた。
モノではなく、人との出会いを何より大事にする姿に胸が熱くなった。「人は何もしないために存在していてもいいじゃないか。
生きていること自体が素晴らしい贈り物だから」とアユトン。インディオの家も舟も、衣類や薬も、すべて自然から生まれ、
そこに還っていく。 人の生死も同じだ。世紀末やら千年紀やらと浮足立っている我々と対照的に、
祖先から続く大きな流れにゆったりと身を任せ、烏のような生き方で地球を子孫たちに手渡す……。
アユトンとの旅は、私の中で挨をかぶり、眠っていた人間の素地を呼び覚ましてくれた。
 ――
 還暦も過ぎ、60代半ば近くなり人生を振り返ると、あくせく生きてきた自分に疑問を持つようになる。
地元の中学校の同級生に、高校を出て地元の会社に勤め、そして倒産。更に勤めたところも倒産。
それでも、淡々と転職先で準社員として勤め、晴れて年金暮らしに入り、嬉しそうにしている無口の男が居る。
人を羨むようでもなく、ただ淡々と生きている。 時どき、土・日のアルバイト先の家電チェーンで見かける。
 最近、彼のような自然体の静かな生き方も良いのではないかと、思えるようになってきた。
  人は人、我は我、だが。
・・・・・・・・
2849, 「ほめる」言葉  − 3
 2009年01月22日(木)
  ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。 
 一段目が、外見や仕事などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から連想される内面をほめること。
 ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。
 女性??が、ファッション服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。
 何気なく着ていて『素敵!』と言われる場面である。 外国のブランドショップで買うときなど、そこで日本より安く、
 いち早く買ったことを自慢したいのである。ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめをしないと。
 「いいわね〜私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。人間は優位に立ちたいのである。嬉しそうに家内が言うには、
 「ある店に行ったら偶然なのだろうが、女店員が持ってくる服が全て似合っているの。 女店員も調子に乗り次から次へと、
 試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」 幸せな人には幸せなことが起こるのである。
 買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。
 ーーー
第二章 相手の言動に関心を持つ「ほめ言葉」
 ー相手をよく観察すれば、とっかかりの言葉は見つかるー
「さすがー」その場でほめる 56     「やるじゃないか」相手に関心を持って接する 58
「笑顔がいいね」観察していればほめる言葉は見つかる 60
「誰よりも早く出社するね」事実を伝えるだけでも「ほめ効果」は期待できる 62
「創業1OO年だそうですね。さすがに老舗の風格がありますね」 事実にプラスの評価を付け加える 63
「慎重なタイプだから安心だよ」 個性をほめる          「よく知つているね.感心させられるよ」 知識をほめる
「キミの報告書は、いつもデータがしっかりしているね」 具体的にほめる
「いつも一生懸命だね」 プロセスをほめる 70
「わかつていてもなかなかできないことだよ」 当たり前のことでもほめる
   (字数制限のため中間カット、2011年1月22日)
  ーーー
 子供の褒め方に理想的なほめ方があるという。
 「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」
 こう言えば、ほめられた人間に自己の行為を振り返らせることになる。
 ほめる目的と効果は、本人の行為を認識させ、次の活動への意欲を増大させることにあるからだ。
  そういえば、ほめた相手が嬉しそうな顔をした思い出が幾つかある。 それは次回 − つづく
・・・・・・・・・
2008年01月22日(火)
2484, 「世間体」の構造 −2           ('-'*)オハヨ♪
 ーあるブログに、この本の要約があった。
以下は、それを更に簡略をした内容であるー これで、ほぼ概要を網羅している。
 −
 ”世間”とは個人からみれば、”準拠集団”=自分の行為・行動・態度・意見、価値観にもっとも強く影響を与える集団と
捉える著者は、 語源から”世間”の”世”は「時間」を意味し”間”は「空間」を意味するとして、人々の”世間”
に準拠して人々が行動するようになった世間観の原型を江戸期時代として、井原西鶴『世間胸算用』がその象徴とみた。
 村の「オキテ」、武士の「イエ」をその背景として、明治期に家族生活を統括する基準となる家制度(共同体社会における
和合価値と、武家社会における献身価値の融合)を明治民法で国策化し、『「せまい世間」は「イエ」と対峙しながら、
それに優先し、「ひろい世間」は「せまい世間」と対峙しながら、それに優先した。「ひろい世間」はより「ひろい世間」と
対峙しながら、それに優先する。このように、同心円的に幾重にも重層化「世間」が国家を頂点に整序づけられた』と述べる。
(字数制限のためカット、2010年1月22日)
ーーー
2007年01月22日(月)
2120, 一度はやってみたかった!    オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!
 ー下品な人は誰のこと?ー
「品格のない男とはどういう品種」かと先日書いたが、酒を飲むと、その人間の品性が出るという悪い事例を「自分にみた!」 
男なら一度女性の和服を脱がしてみたいものである!が、その願いが何と叶えたのである。先日の中学校同期会の二次会で、
午前の一時過ぎの帰る間じかに女性二人が、着物から洋服に着替えるので席で帯を解くという。「私に解かせて!」と頼むと、
「OK!」の返事。スナックのボックスだが二人の着物を脱がせてもらった。    (^^*)
初めてで最後の経験だろうが、何か淫靡な面白い疑似体験?になった。二人が「着物の似合う上品な艶かし女性」だから、
リアルで切迫感があった。着物用の下着を着ていたが・・少し気があった人?だから、それを加味すれば差引ゼロか。     
「芸者ワルツ」と、「温泉芸者」のカラオケを聴きながら無言で、帯を外し、着物を一枚一枚脱がしていくのだから!
妙な気持になる。『何もしてないのに、何か?しているような・・』 長いボックスの一番奥だったので、
他の人はあまり気づかなかったようだが。いい歳をして何をしているのだろうか? こういうのを下品というのだろう。
着替えたあと、『貴方とは帯をとかれ、着物を脱がされた仲ね』と言われた。
罪のない余興だが! こういうのを「遊び」というのだろう             ヘ(ё)ヘ
もう直ぐ花婿の父をやらなけらばならないから・・ 品をよくしないと!本当に。
この文書を嫁になる人がみたらどう思うだろうか? まあ、可愛い酔っ払いの余興でしかないが・・!   
人生二度となし、一期一会で「いま、ここ」を大事にしただけだ!
それにしても、こんなこと書いてよいのだろうか!  今さらか!    ウンマ! (m ̄ ̄m)    ^^^^
『で、どうした!』 「ただ帯解きを手伝ったのを、‘かなり脚色をして’面白可笑しく書いただけ」
『で、・・』 「貴重な体験でした」 『ほれで?』 「少し興奮しました」  ( ̄(●●) ̄):
『アフォ! 本気になって読んだじゃないか、 全くもう!』「話に引き込むために、オーバーに書いただけです」  
『何か、いやにリアルな内容じゃないか?それも品が無い!』「まだ、アルコールが残っているとき書いたからじゃないですか」
                     (^_^)v バイ
ー『で、どうした!』以下は、 将来 嫁とか孫に見られたときのフォローのため書き足した文章です。はい!ー
ーーーー
2006年01月22日(日)
1755, 道洲制度について       |(*′口`)ノ||O | ☆.:゚+。おはょ゚+。:.☆
そろそろ道州制度が問題として浮かび上がってきた。全国を8〜11道洲に分割して合衆国制度にすればよい。
これだけ情報化が進んでしまえば、県という存在は必要でなくなる。 イギリスのサッチャーが、
首相になったと同時に市のみにしたという。(;-”-))))さ 寒い・・・∵ゞ(>д<)ハックシュン!
   (字数制限のためカット 2011年1月22日)
・・・・・・・
2005年01月22日(土)
1390, 迷ったときは運命を信じなさいー2      ー読書日記
 第6章の「あなたの自身の『原型』を知る』の中の ー光の領域のレッスンーが面白い。 
寝る前に「光のイメージ」の実験をした。「アメリカの田舎の並木道から、一軒家に入り、廊下を通って、
部屋の衣装棚の奥へかき分けて入って、地下のトンネルを通って、大きな川辺に出て、船に乗り、
トンネルに入って、出て、船から降りて、光になって、そして、女神ヘラになり、老王リシになり、
救い人になり、救い人の母のデメテルになり、酒の女神のバアッカスになり、学問の女神アテナになり、
美の女神ビーナスになり、神の子になって,最後は宇宙の錬金術師のクリシュナになる」
以上を、ポストイットに書いて手帳に貼り付けて、酒を飲みながら見ていたら、2時間ほどで覚えてしまった。
そして2日間、ベッドで自分が「風になったイメージ」をして先ほどの「霊魂ー風」になったつもりで、実験をしてみた。
そうして寝てみると「多くの夢をみる」のに驚いた。ユングの世界の被験者になっているようで面白い。
自分の内面の深層に、ドンドン降りていくような感じになった。ーいや実際降りていったのだろうー
そして、それぞれの女神や、救い主になった感覚が面白い。 一種の白昼夢か?この文章を読んでいる人は、
信じられないのではないだろうか?イメージで、かつ半覚醒で女神や神の錯覚状態をまともに書いてあるからだ。
神様と対話している感覚のようでもある。 ユングは、このような地下への階段をドンドン降りていったのだろう。
『その状態をもっと詳しく書いてみろ!』という声が聞こえてきそうだ。今度、ミニミニ小説を書いてみようか?
それとも、宗親日記に取り入れて書いてみようか。あまり入り込むのは、この程度でやめておくが・・・。
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驚いた!、去年の今日が『眠りについてのお話』のテーマであった。ここまでくると、気持ちが悪い!
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2004年01月22日(木)
1023, 「眠りについてのお話」−2
 「経験を盗め」読書日記−2
 睡眠は8時間が理想と思い込まされてきた。しかし、これは統計上の話であって、生物学的な根拠は何もないという。
一般的に、人間に必要な深い眠りは寝入りばなのノンレム睡眠時に集中して訪れるから、長く眠ればよいというわけではない。
睡眠は非常に多様性に富み、個性的なものである。10時間続けて寝ればよい人もいれば、2〜3時間づつ寝ればよい人もいる。
「いい眠り」というのは、それは「自分にとっての」ということでしかない。自分が納得した眠りを見出せれば、それが本人に
とってよい眠りである。ようするに、眠りの唯我独尊を手にすればよいだけである。草食動物にとって寝ることは命がけである。
夜間に肉食動物に襲われる危険がつきまとっているからだ。また回遊性のイルカは左右の脳にかわるがわる眠らせている。
「入眠障害」「中途障害」「早朝障害」「熟眠障害」全てを経験をしたが、これで困ったことはない。
ー困ったことがないということは障害とはいわないか?何度かの挫折で眠れない夜が数限り続いたが。
「寝れないことを苦痛にしないのが大事」と子供の頃から体験上知っていた。「寝れない時は寝れなくって結構」と
思っていればよいと。私の寝れない時のコツは、顔、腕、足と力を意識して抜くことを繰り返していると、いつの間にか
寝入ってしまう。寝れない時は知らないうちにどこか力が入っていることが多い。
ある人から聞いたが「寝れない時は直ぐ起きればよい」という至極単純な方法もある。寝ようとしないで、三日間ぐらいの
スパンで睡眠をとりかえせばよいという余裕を持てばよい。睡眠障害も一種の神経症だから、陥った人にとってどうにもならない
ことも解るが。セックスにしろ、食事にしても、本能的なものに神は快楽を与えた。快眠後の爽快感も、その一つだという。 
そのためには、あまりの熟睡は寝たという充実感が少ないから逆に良くない。 私の場合は、現在は6時間半が平均である。
特に寝入りっぱなは熟睡をする。誰もそうであろうが。その時々によって、「中途障害」と「早朝障害」が三日に一度はくるが、
別に苦痛ではないので障害にはならない。また万年寝不足という経験も全くない。そういえば睡眠は一日単位の死であるという。
よく生きれば、良く死ぬことができる。良く一日を過ごせば、良く寝ることができる。
楽しい一日であれば寝れない夜はなお楽しい。そうそう良い一日が続かないのが人生だが。
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2003年01月22日(水)
 658, 躁鬱について
人間は躁鬱質か分裂質かどちらかか、その中間を浮いている存在だ。そのコントロールが利かなくなって第三者に迷惑をかけたり、
抜け出れないのが精神病になる。束ねている元が壊れてしまうと精神病か。北杜夫は躁鬱で有名だ。彼の随筆を読むと面白い。
彼の場合鬱が長く、躁は短いタイプという。自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。躁はある説によると、
子供に帰ってしまう事。そうー躁すると未来志向になってしまう。欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。大体沈んでいる時は、
過去の嫌なことや嫌な人間に囚われている時だ。うきうきしている時は、何か明日や将来の楽しみを考えている状態だ。
過去の楽しい状態を考えていることは少ない。その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に向かっている時というのは肯ける。
身近に万年鬱が数人いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。電話を受けた人は、ただ驚愕をする。
万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっているだけかも知れないが。ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。悪臭が周辺に漂っている。
自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿をばら撒いている。昔の日記を面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。
楽しい鬱などないのだから違うか? 躁病7年説というのもあると書いてあったが、私の周波が7年であるのは躁質の体質なのかと
考えてしまった。三年躁で四年鬱あたりか。人間は創造をする時は「躁造」−造語ーといってよい。
準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。誰でも精神質はある。
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2002年01月22日(火)
 308,人生の損益分岐点
人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。 何だろうか、そんなもの考えている暇があったら
チャレンジするものを探せ!そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしいのかもしれない。
しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。 私の場合、51歳であった。
下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。 今から5年前である。入学をしてしまえば、
後はアルバイトでもすれば卒業できる。事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。 
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現が人生の損益分岐点に達成したである。
人間としての一応のなすべき事の達成である。 これからは、純益のそれー自己達成とかいう真に
やりたい事の自己満足の追求だ。まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か!そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。
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1月22日ー水曜日  1969年
10時に学校に到着。崎と会う。次に河村に帳面を返す。そして産関研究所に行きレポートの為の資料を借りる。
東武百貨店でコピーをとる。 昼過ぎに寮に帰る。市川さんが部屋に来る。 会社が平日だが休みのようだ。
彼と話をする。何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。
その後風呂に行き、読書をする。 22時から0時半まで勉強。 一時に寝る。


3588, 戦略ネット会議システム

2011年01月21日(金)

 先日、30数年来の友人が事務所に訪ねてきた。来社は年に三度位で、酒を飲むのは年に1〜2度。
節目ごとに変身していくから、会っていて面白い。地頭が良いというに相応しい人。先日の彼の話が久々の重厚の内容。
 ー 二時間の談話?を要約する ー (その人をk氏とする)
≪ K氏、最近、二週間に一度、上京、 あるコンサルタント会社の会合に出ている。
 メンバーは全国の異業種の人たち(5〜6名)で、現在直面している経営の戦略課題を全員で知恵を絞り出す。
 学生時代のゼミで一年間みっちり仕込まれたケース・スタディーに酷似している。K氏のそれは二日に渡って話しあうが、
 その後、家に帰った後に、時間を調整して互いにチャットをする。そして月二回の割で一同に会し、その内容を深めていく。
 そのメンバーの具体的な職種と、テーマの内容を聞いたが、戦略のコアそのもの。 全国レベル、いや世界レベル?で、
 それらが、異種業の視点の照射で、互いに刺激をしあうのだから、そこで戦略のスパークが起きてくるのは当然。≫
  ー 以上だが、会合が月に二回と、それ以外にも互いにチャットをするところが面白い。
 それぞれの自己が確立されてないと、マイナスにも働くことになるが、その辺は選ばれ者達、十分認識しているはず?
 現在、我々は時代の断層の狭間にある。今までの勝者は時代の波の中、どんどん敗者に振り落とされていく。
 その中で、戦略の練りこみ深さが生死を決める。 地方では地銀が、顧客に対するサービスとして、顧客の囲いみを含め、
 例会を開いてきた。それは地元企業の井戸内の知恵の範囲になる。グローバル化の時代は、逆にマイナスになることもある。
 このシステムは「戦略の深化」を本気で(ネットで)練る効果がある。電脳化で経営戦略の練りこみに活用する事例である。
  Aクラスの脳を集め、知恵を搾り出す中で、超Aの脳に互いに持ち上げていく効果は測りしれない! 
   カルチャーショックだが、面白い時代である。  このような時代に入ったのである。

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3223, メタ認知とは
 2010年01月21日(木)
 フリー百科事典『ウィキペディア』によると、
【 メタ認知とは、認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として
客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。 現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して
認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。
Knowledge Monitoring AbilityKnowing about knowing.(知っているということを知っている)、
Cognition about congnition.(認知していることを認知している)、
Understanding what I understand.(私は理解しているということを理解している)
現代において、メタ認知能力の育成は、教育、とくに学校教育において特定の教科教育を越えた重要な課題の一となっている。
 * メタ認知能力を測る9項目  ≪以下の質問に「はい」と答える数が多いほど、メタ認知能力が高いことになる。≫
・自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている
・このようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
・問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
・自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
・問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたかわかっている
・問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
・勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える
・勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
・考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる 】
 ー以上だが、メタ認知が出来るのは人間だけである。いつも目にはしたが、その意味を見逃してきた。 
自己を冷静に見つめる視点を得ることこそ、人間の人間たる所以。 他のネットの検索によると 
≪メタ認知のメタとは、「高次な−」「超−」「−間の」「−を含んだ」「−の後ろの」等の意味で、ギリシャ語。
自分の行動や考え方、知識量・特性・欠点などを別次元から眺め認識する能力のことである。
たとえば、・「自分の得意科目は国語で、不得意科目は数学だ」  ・「私は足は遅いけど、力は強い」
     ・「企画力はあるが、営業力はない」と自分で自分のことを認識するのがメタ認知になる。
そして、メタ認知には「認知」と、もうひとつ「活動」のステップがある。「認識」とは、上記で書いたように
自分をモニターにして把握することで、「活動」とは「認知」をもとに修正を加えていくことをいう。≫
 言葉こそ、その作用の元になるのか? この随想日記を書くこと、そして、読み返すことも、それか。
 ・・・・・・・・・
2848, 「ほめる」言葉  −2
2009年01月21日(水)
 どの本でも、前書き、目次、そして後書きに8割の情報の要約が入っている。この本は、章ごとに違う人が書いているので、
それぞれ個性があって面白い。「ほめ言葉」は、奥が深いので、章の目次ごとに、取り上げてみる。
褒めることは心をケアすることになる。 「相手の立場に立って理解しようと努めること」である。
誰もが「一日一日を納得して生きている」。 そのことを認めない限り、相手も心を開かない。
まず相手の話をジックリと聞くことである、それから始るが・・・ 
 第一章の 相手の存在を認める「ほめ言葉」 
   ー相手の存在を認めることからすべてがはじまる −精神対話士 Sさんーから
「あなたの気持ちは〜ですね」    まず感情を共有する
「○○さん、こんにちは」      挨拶は相手の存在を認めているというサイン
「最近、どう?」           頻繁に声をかけることで親密度が増す
「今日はいい天気だね」       視線やしぐさでアビールする「ほめしぐさ」 P28
「お元気でしたか?」         相手との距離を縮める魯葉  P30
「お会いするたびに、若くなりますね」 できるだけポジティブな表現を使う P32
「OOさん、ありがとう」       人間関係を親しみあるものにする言葉 34
「いつもありがとう」        感謝の言葉はできるだけ頻繁にかける 36
「大変だったろうな」        仕事の苦労を理解していることを示す 38
「本当によくやつてくれた」     仕事の成果を寛と表情でねぎらう   40
「そうか、そんなことがあったのか」 相手の話にじつくりと耳を傾ける 42
「ああ、そうだね」         相手に同調することで波長を合わせる 
「つまり、こういうことだね」    相手を尊重しているという姿勢を見せる 
「私もそうしたでしょう」     「1OO%あなたの昧方である」という態度で接する
 ーー
解)女性には「私は美人が好き、ただそれだけのことだけど!」と思わせぶりをし、 
 「美人は美人というだけで、特別視されてしまい可哀想だよ!」と捻って、取っておきは 
 「美人は美人というだけで、周りを明るくするもんね、特に貴女は!」と、最後は
 「あなたは私のタイプ。でも手が届かないもんね」 で際どく! ほぼ口説きになるか。
 ・褒められるとエネルギーが出てくるもの。それをホメルギー(造語)という。
 ・しかしスーダラ節じゃないけれど「分かっちゃいるけど、褒められない!」のが、褒めること。
 それにしても、営業系の腕の良いのは、本当に褒めが上手い。割り切れば割り切るほど
 言えるのだろう。 枕言葉にするぐらいじゃないと、営業はできないのだろうが・・・  ーつづく
    ・・・・・・・・・・・
2008年01月21日(月)
2483, 四四太郎の霊日記 −18        ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
 さてと、一週間抜けたようだな。
何度も言うが、ワシは宇宙外の存在?なのだから、呼ぶのは御主の心次第。ワシも御主の心底の霊感を入り口として、
吸い寄せられて来るだけ。御主も先日で62歳になったが、もうそろそろ、年齢を意識して生き方を見つめなおす時期じゃな。
御主も、ワシと同じように宇宙外に出なくてはならない時期が迫っている。一度出たら二度と戻れないのが、また良いのである。
ワシの話す「永遠の言葉」は、それ自体が独りごとを言っていると言い換えることが出来るのじゃ。後で読み返してみるがよい。
そこには御主とは違う、永遠の何かを感じ取るはずじゃ。ところでワシが連れてきたダ・ジーダとの対話が進んでないみたいだな。
前にも言ったが、誰か身近で亡くなった人を呼び出して三者で話すことじゃ。もしな、迷ったことなどを相談しようとしたら、
最適な故人の身近な人と、ダ・ジーダかワシか、三人の対話方式をとればよい。思わない言葉が、知恵が鋭く出てくるはず。
部屋は真っ白な壁に囲まれたイメージを持ってじゃ、後は自然に任せるのじゃ。宇宙の外に一度出て、再び娑婆に帰ってくると、
娑婆の全てが輝いているのが見えるものだ。ワシの存在など御主の言葉の中しか存在し得ないが。といってワシの言葉は、
新しい世界の創造を促進させていくんじゃ。娑婆はな、ワシの目から見ても、今年から本格的な動乱に入る。それは日米にとって、
惨状に近い事態になる。明治時代からの今までのバブルが弾けたということ。ロシアも中国も然りで、ロシアも
700年のバブルが弾け混乱が拡大しているだけのこと。その辺は冷静にみれば分ることだ。鳥瞰していると、娑婆は面白い。 
ワシなど偉そうに喋っているが、所詮は500〜1000年のスパンの話。現在の変化はな!これを遥かに越えた段階に踏み込んでしまった。
御主は、全く娑婆にまだまだ囚われている。無理は無いのは分かっているが、娑婆はな!娑婆でしかない。
その中に住んでいると見えないのだろう。 何時も言っているが、そこで娑婆を冷静に見ようとしたら、
独りになりきるしかないのじゃ。だから、4つの視点、力、愛、知と、超越の時間(孤独の時間)のバランスが
重要になるのだ。ワシという存在対話をしている、これは超越の時間である。
ワシはな、御主の中の超越の時空を与えていることにもなるんじゃ。ワシの価値=意味はな、御主の中の純正意識を語ること。
それをな、先祖霊としてな偽霊化して語らしめることにある。    またな!     βyё βyё...φ(・ω・ )
・・・・・・・
2007年01月21日(日)
 2119, 家族について          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
最近、家庭崩壊による悲惨な事件が続いている。この歳になってつくづく思うことは、「家庭」の重要性である。
その人を判断するときに一番簡単の判断基準が育った家庭環境である。といって、それぞれ当たり外れがあるが・・・
神という存在があるなら、神は何と酷いことをするのであろうか!「連れ添いの当たり外れを五分五分にするのだから!」
そして外れた場合、その子供は明らかに大きなハンデを背負わされる。子供にとって親の仲で運命が大きく左右される。
その上に両親との相性の問題もあるから、十歳までに能力・運命が決定されているというのも、肯ける。
人の幸福の第一は家庭内の平和である。家内の平和とは、夫婦が互いに深く理解しあうことの他はない。
それがまず人生の基本になくてはならない。色いろあったとしても、恵まれた家庭に生まれ、また恵まれた家庭をつくることが
出来ただけでも、良い人生であった。(自画自賛か)結婚するまで、私には帰るべき家があった。
年越しで家で越せなかったことは就職をした年の唯一度だけであった。それまでは両親と必ず年越しをしていた。
家内も家庭に恵まれた人で、愛情がタップリ注がれた人である。愛情をタップリ注がれた人は、芯が強く明るい人生をおくる人が多い。
家族を辞書で引くと、「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により結ばれた近親者を含む生活共同体。」という。
家族は最後には何らかのカタチで分裂、消滅していくものである。二人の男女が出会い、結ばれ、子供ができ、育って、
巣立ちをしていき、そして二人が次々と亡くなり、消滅していく。私が好きな「男はつらいよ」の主人公のトラには帰る家があった。
 (字数制限のためカット 2011年1月21日)
 ・・・・・・
2006年01月21日(土)
1754, ライブドア・ショック
          (っ´Ι`)っ { おはよう〜
強制捜査の日に東証が全売買停止をしてしまった。これは暴落の歯止めという点では良かったのだろう。          
 (以下、字数の関係でカット09年01月21日)
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2005年01月21日(金)
1389, 迷ったときは運命を信じなさいー1        ー読書日記
―すべての願望は自然に叶うー
書店で、何気なく手に取ってみた。店内を一回りをした後、再び本を開いてみたが、やはり一言一言が突き刺さってきた。
すぐに買って読んでみて、なるほど面白い。世界に2千万人の読者がいるというのも肯けた。癒し系の本であるが、
書いてある内容が解りやすくビジュアル的である。 まず第5章の「偶然の一致の役割」が面白い。
偶然の一致を起こす方法として「偶然日記」を書き連ねる手法が紹介されていた。
日常の出来事の中で、偶然の出来事を記録するという手法である。記録するうちに自分が望む方向、
導かれる方向がわかるというのだ。丹念に記録すれば、自分のプラスの方角がみえてくるのは道理である。
私も過去に自分のシンクロニシィテー(信じられないような偶然ー意味ある偶然の一致)について何回か書いてきたが、
書き連ねるうちに自分の原型に気づいてきた。 書くことで、今ある自分の奇跡に気がつくのだ。
後で振り返った時に解ることが、「書くことで偶然を意識する」ことによって「今この時に覚醒している不思議」に気がつくのだ。
「自分が今ここにある」ことの奇跡を誰も気がついてない。それに気がつけばつくほど、偶然に対して真摯になる。
全てが奇跡、偶然の一致であるのだ。その積み重なりが『今、ここ』である。この本は、ただ面白い、それも解りやすい。
今ここで『おい、面白い本はないか!?』と言われれば、この本を薦める。但し、「素養と、求めるものがないと無理」である。
周辺の雑事に追われていては、尚更無理。仏教で、この意味ある偶然を『因縁』という言葉で説明している。
因は直接原因、縁が間接原因としてこの二つが重なって出来事が成立すると、教えている。        −つづく
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2004年01月21日(水)
1022, 「眠りについてのお話」−1
「経験を盗め」ー読書日記  ー「眠りについてのお話」                            
糸井重里と二人の専門家との対談集で、18のテーマになっている。新幹線の中で、丁度30分で1テーマを読めるのがよい。
「眠りについてのお話」が面白い。糸井重里×井上昌次郎/矢崎葉子の対談だが、身近なことなので非常に興味をもって読んだ。
『眠ると意識のレベルが下がり、外界の変化を見たり聞いたり嗅いだりということがほとんどできなくなる。
   (字数制限のためカット 2011年1月21日)
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2003年01月21日(火)
 657, 四行日記−2
わずか四行を毎日書き続ければ間違いなく自分が変わっていく。このポイントは最後の「宣言」を肯定語で締めくくる事だ。
これは肯定思考の訓練になる。毎日書き続けることで、自分の気持や注意に客観的なれる。「何とか性格構造を変えたい!」
と思っている人には良い習慣になる。また起承転結の訓練にもよい。 起ー事実、承ー気づき、転ー教訓、結ー宣言 
これを書き続けることは、文章作法をそのまま身につけることにもなる。課題ーテーマ発見、論理性、問題解決、肯定思考を
少しずつ身につける訓練そのものになるのだ。 それも身近な事を一つづつ取り上げて。何気ない事だが、この記号もよい。 
 事実ー■ 気づきー◆ 教訓ー● 宣言ー★
これを決めておけば、目安になって( ..)φメモを楽にかける。話が変わるが、私の考えた「知情意とその他」
の4項目日記も手前勝手だがよい。自分で試みで明日から手帳に書いてみよう。面白そうだが初心者には向いてないか?
 昨日だったら
・知ー送ってきた本に目を通すが面白い。
・情ーー昨日見たDVDの映画が面白かった。タイムマシーンの設定が良いのだろうが、その画面のリアルが素晴らしい。
・意ー何か時代の変わり目を感じるが、節の面白さを劇画的に見る自分が可笑しい−(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~) 
でもやはり四行日記の方がわかりやすい!  昨日の四行日記を書くと
■ー四行日記がおもしろい
◆ー身近なことを具体的に考えるのに便利だ
●ー随想日記は少し抽象的過ぎたか?
★ー四行日記を非公開で少し書いてみよう
習慣は第二の天性である。如何によい習慣を多く身につけるかがその人の能力といってよい。
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2002年01月21日(月)
 307,方針ー政策
方針とは、こうしようという積極的枠組みより、これはしないというマイナスの枠組みであるという。どこかのセミナーの
今でいう、カリスマ的コンサルタントのピーク時点の言葉であったから、聞いていて「本当か?」と耳を疑った。しかし納得。             解りやすくケースをあげて説明すると
・ユニクロは衣料のカジュアルー普段着以外やらない。
・ヨーカ堂は、流通以外手を出さない。(ダイエー、西武流通グループは??)
・ある会社は絶対借金しないことを社是にしている。
・住友は浮利を追わずが「社是」で、このバブルを比較的軽傷ですんだ。
・静岡銀行もバブルに対し頑なに一切それにのらなかった。 ジャスコ、ヨーカ堂も。
当社も社是で、いくつか規定している。失敗したケースはそれを外れていた場合である。
生き方も、家訓も考えたらそのケースが多い。
ー家訓はー父の教えは、
・請け判は押さず  ・人に金を貸さず ・共同事業はやらず ・一つの仕事に縛られない、転業はどんどんやれ
・死に金は使うな  ・名誉職はつくな ・近所の人と親しくなるなーつかず離れず
硬い商人のごく当たり前のことだが、特に保障人の請け判だけは繰り返し気をつけるように言っていた。
やはり人生の中で数回きた、同級生の? や親戚がきた。なるほどと思った。
あるビル管理の担当が、「自分は?大を出て大手の会社に勤めていたが、カミサンが社宅のある奥さんに頼まれ、
連帯保証の請け判を押してしまい破産、会社に居れなくなり、こうして掃除をしている」と言っていた。
ハン一つで人生全て失う。父がこれを言っていたと思った。
父は自身の生き方は無借金だったが、借金の諌めを言った事はなかった。無借金の自分の限界を見たためであろう。
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1月21日 1969年
14時に学校に着く。しかし図書館はいっぱいで座る席がない。仕方なく帰ろうとすると、深井とバッタリ会う。
30分位話をしていると石川と宮崎もくる。彼等とその後に話をする。その後1人で、新宿の紀伊国屋に行くが思った本がない。
17時過ぎに帰寮。前から思っていたが、入社前に1人で卒業旅行をしようと思いつく。それも当てのない阿呆旅行がよいだろう。
最後の学生時代の思い出つくりに良いだろう。そこでじっくり考えるのもよい。行こう、いややめとこうか! 


3587, 東京ウォーク

2011年01月20日(木)

 * 無料カフェ
 JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。 家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。
二日間は妹と、三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月にできた御煎餅屋の無料カフェ。
家内曰く「去年に行った時は煎餅もタダだったが、今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。
去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、煎餅の有料化のためか、少なくなっていた。」
 最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ無料のカフェを出したとニュースにあった・・  
煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 現に家内は、まず、そこでコーヒーと
煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。
こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に
会いにいくとか、歌舞伎、美術館廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、
「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、一歩外に出る方が疲れがとれるはず。
帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが!
飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館などを廻り、夕方は浅草あたりの
居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰ってくるのも面白そうである。
 新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける
結果になっている。これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!

 ・・・・・・・
3222, フリー −2
2010年01月20日(水)
「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」 クリス・アンダーソン著  
 著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、大変なことになる。
一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。
三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 デジタルのため圧縮をすれば幾らでも
付け加えることが可能になり、カメラ機能は限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラの
値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が
出現したと見ると分かりやすい。 その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 
先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速しだしたというのである。 
それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 
現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。 
アマゾンのネットを通して売り主から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の手数料が利益になる。
 アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに
移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。
ネット新聞を見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで80枚1万円で通販で販売されている。 
ほぼ無料である。それらは図書館に行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンでみれるコーナーもある。
 面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 アメリカで始ったものだが・・・・    ーつづく
 ・・・・・・・・
2847, 不況景色 −8
 2009年01月20日(火)
*どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。 
 先週末にはシティが解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本注入、そして1000億ドルの与信枠を
 政府から与えられた、という。投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前というから、ことは重大である。
 更にビッグスリーを救済するというから、アメリカは何をやらかすのだろう。
*この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが、・日本 19位から9位 ・英国 10位から18位 ・アイスランド 
 3位から19位 に下がったという。 といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。
 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。 ちなみに、一位はルクセンブルグ、
 二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 
*17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・インターナショナル会長)は、
バブル崩壊について、「いくつものバブルが相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。
クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。外国為替デリバティブと破綻リスクを保証する
クレジット・デフォルト・スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上になる。
10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。 更に欧州のユーロはどうかというと、
「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。
とりわけ中東欧諸国の債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が積みあがっている」
「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念がある。中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。
1950年代の大躍進後に、60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
今また輸出主導の経済発展が行き詰っている。中国積みの船は空っぽで、在庫の山が積み上がっている。政府は景気刺激に躍起だが、
90年代の日本を見ても功を奏するとは思えない。年率8〜8・5パーセントの成長を前提にしているが09年には5パーセント程度に
鈍化しかけない。中国経済は弾みに支えられており、いざという時の社会的な安全装置がない。世界全体にとってアメリカはここ何十年か
『最大の買い手』だった。そのアメリカが困難に陥り、輸出主導の新興国も揺らいでいる」と語っていた。 
−まあ、その通りであるが、中国も、欧州も、日本もザマ〜ミロという感情だったが、気がついてみれば、そのアメリカより、
直接の被害が結果として大きくなるのである。
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2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。目の前の相手に、そして信頼している人に、
判断を委ねるしかない人は人形でしかない!これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 
人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくないからである。責任を負うということは判断をするため
考えなくてはならないのである。それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセンの「人形の家」で、
主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 (この言葉が婦人解放運動の原点になる)
ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。
私は実家で父の人形っ子だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちのお相手をして遊んで
やりますと、みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。
これがあたしたちの結婚生活だったんですよ、あなた。」
 この言葉の前に、夫に「お前は、この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、「ちっとも幸福ではありませんでした」
と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」と言う。ー誰も自分の頭で考えることは責任を伴うことを知っている。
だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先だけを生きる知恵として、自分の首を絞めていることと
分かっていても、判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを繰返すことに、二十日ネズミのように、
輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。これが人間の真の姿といってよい。そして、人生の終わりになって初めて己の
その無駄な姿に気がつくのである。 ところで、広田三枝子の「人形の家」という流行歌があった。なかにし礼の作詞だが、
考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉?。 
だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、責任から逃げ回っている人間の。 ・ω・】ノ  ホナ!
・・・・・・・・・
2007年01月20日(土)
2118, 品格について −2     才八∋ウ_〆(∀`●)              
 福田和夫著「成熟への名作案内」の 一節で取りあげている次の文がよい。
 −−
 英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は「日の名残り」の中で、語り手たる執事スティーブンスに
 ー偉大さの条件は、品格にあるーと言わせている。ではその「品格とは何か」という問いに、偉大な執事であった父を想起しながら、
 以下のように考える場面がある。【品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える能力だと
 言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。
 そのような人にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。
 すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの
 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。
 外部の出来事にはーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしくともー動じません。
 偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえ
 ごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、自ら脱ごうと思ったとき以外にはなく、
 それは自分が完全に一人のときに限られます。 まさに『品格』の問題なのです。】
 ーー
これは品格と同時に、プロフェッショナルの問題でもある。一流のプロは品格を伴うのは、行きつくところが同じということ。
一流は、役割を知りつくしているから、役割から一歩も出るはずがない。どんなプロ選手でもプレーヤーとして洗練されて
初めて品格が出来てくる。成績が一流になればこそ、品格と実績からくる自信が相まって風格ができる。
仮面もそれが一流にものであれば、仮面を被りつつけた本人も一流になる。いや仮面が仮面でなくなり、本当の顔になってしまう。
能の世界に入りこむと、演じ手の自分と役と解らなくなることがあるという。 そこに人間としての円熟味が加わった時、上品になる。
その時に個人のブランドが出来るのである。名優は、何を演じても個人の個性が現れる。その個性が、その役を演じているのではなく、
風格が役を演じているという感覚になる。その役より本人そのものの味ー品格が勝り、そこに不自然さが残らないのである。
これを上品(じょうほん)という。               b(^o^)ノ バイ!
  ・・・・・・・・・
  2006年01月20日(金)
 1753, 愛のアフォリズム −1  ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ                    
アフォリズムとは、気の利いた名言・格言をまとめたもの−箴言集−という意味。格言や、哲学者や作家の著作などから、
恋愛に関する言葉を集めてある。どれをみても捻った言葉で満ちている。一言一言が深く身に沁みるというと誤解されるから、
心に響くといったほうがよい。 普通、箴言集は読んでいて飽きてしまうが、読むほど深い世界に引き込まれてしまう。
笑いの視点でみると、これほどコミックなことがないが。 今回は幾つかランダムに選んでみたが、次回は面白い章を選んで
吹きだしてしまうようなお笑いアフォリズムを抜粋してみる。「お笑い一升瓶?」を次回は選び出してみる。
                   Ψ(☆w☆)Ψ ケケケッ 
   −−−−−−−−
嫉妬が死に絶えるのは、愛情が死に絶えてからずっとあとのことである。  −H・G・ウエルズ               
キスとは、思う存分くちびるを使うことで二人とも黙ろうとする試みです。 ーゼンタ・ベルガー    (・´з)(ε`・)
(字数制限のためカット 2010年01月20日)
・・・・・・
2005年01月20日(木)
1388, 23歳の日記−10
 11月2日 1969年
今日ひらめいたが、一年早く会社を辞めて大学に入リ直すのはどうだろう。初めの予定は、二年後に実行の予定であったが。 
来年の二月で辞めて、どこかの大学に再編入するのはどうかということだ。今度また、三連休をして家に帰って親父に頼んでみよう。
このまま、あと一年は自分の気持がどうなっているか。
ー後記(2004年1月15日)
ここで、23歳の日記は終了をしている。この4ヵ月後に会社を辞めて、産能大に編入したが、ボロボロであった。
そのボロボロが良かったようだ。その一年が、現在の基本になっている。日記を読んでいると好きなことを考えていた。
父親が絶対的に応援をしていてくれている前提があったからだ。全て父親の手のひらの上で好きなことを考えていたに過ぎない。
父は、若いうちは好きなことを、思ったことを、やりたいことを、全てやらせたい、という見守る愛情があったようだ。 
父親なりの経験からくる教育だったようだ。それを知った上で、これだけ自分本位な考え方をしていたのだ。
それでも自分で考えて、即座に実行する行動は、この時についたものだ。手のひらの上でしか出来ないこともある。
この後、辞表を出したと同時に三重の四日市に戻され、間接的なリンチにあってボロボロになって帰ってきた。
これだけのリンチも初めてで終わりである。当然の報いといえば報いである。「他人の血で、自分の傷口を洗うな」
という言葉がある。 誰もが気をつけなくてはならない。それぞれの多くの道を歩いてきた。
読み返すと、全く違う他人の日記を読んでいるようでもある。細胞も、脳も殆どが入れ替わっている。
しかし、原型がそこにある。
 ーーー
ーところで、また信じられないことがあった。
 24歳の日記帳が、本棚にあった。本と思ってしまう厚いカバーがあった為、30年近くも気がつかなかった。
恐らく、学生時代の日記と23歳の時の日記の三冊セットで、自宅の倉庫の本の間に隠してたのだろう。
やはり20日分が飛び飛び書いてあった後、途絶えていた。その後は、日記帳をカード日記に切り替えた為である。
(字数制限のためカット 2011年1月20日)
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2004年01月20日(火)
 1021, 22歳の日記
半年近くつづいた22歳の日記もあと一ヶ月足らずで終わろうとしている。丁度、昨日と一昨日の辺りの日記が内容としてピーク。 
この日記を読むと頭が痛くなるので、当日分を書くとき以外読まないことにしている。写しながら赤面も良いところだ。
  (字数制限のためカット 2010年01月20日)
・・・・・・・・ 
2003年01月20日(月)
 56, 四行日記
新聞広告を見て買おうか迷ったが、先日同じ広告が出ていたのでやはり買うことに決めwebの紀伊国屋で注文した。
一昨日とどいて要点読みをして要点を把握した。届くまで自分が4項目にするならどうするか考えてみた。
 以下のとおりである。
・新知識ーこんな事知らなかった   −知         ・感情ー喜怒哀楽、感謝感激     −情
・こんな事してみたい        −意         ・ 他・・・・  以上を考えた。
 実際の本の内容は
・事実   −その日の出来事で、心のアンテナに反応した事を一つ選ぶ  ・気づき  −「あっ、そうか!」と気でいたことを書く
・教訓   −その気づきから学んだ事                 ・宣言   ー「ありたい姿」を力強く断言
毎日これを続けて書いていけば、膨大の知識と経験が蓄積されるし、感覚が鋭くなっていくだろう。
小説家は何らかの形でこれを毎日続けている、データーベースの為だ。
日記は
・その日に起きた事実を書き ・その感想ー意見をまとめる ・時系列であるのが特徴だ。
私が続けている随想日記を上級?ならば初心者向きだが、明快で毎日続けるにはよい。プロセスは全く同じだ。
「明日は何か書くことが無いか??」が常に頭から離れない。好きでやっているのだから苦痛はそうでもない。
いざ始めようと思ったら、この四行日記がいい。一日何らかの出来事はあるはずだ。
それを提起して、感想を書き、その中の学んだ事を書いて、最後はより広い高い視点を書き込めばよい。
 カミさんと喧嘩をした時
・まずその内容ー事実を書き
・そういえば、最近あまり会話が足りなかった事に気づき
・話すのが面倒でも、聞き役にはなれるはずだ
・明日から朝晩に5分はその時間をつくることにする定期入れにその誓いの文を暗号でもよいから書いておく。 
 これで日記に十分なる。                   −続く
・・・・・・・・・ 
 2002年01月20日(日)
306、時代の変遷
時代の変遷に驚いている。今日、新聞をみて目を疑った。 あのアメリカのKーマートが倒産直前という。
10年位前まで、Kマートといえば全米でウォルマートと小売りの1〜2を競っていた。加入している流通のコンサルタント会社の
視察旅行でアメリカに二回行き、その合理的システムに驚いたものだ。米デスカウントストアの草分け的存在で、丁度ピークの時だった。
景気後退とウォルマートとの安売りの競争が、収益悪化に拍車をかけたという。あの天下のシアーズも数年前経営悪化を報じられたが、
ここまで競争社会の激しさを目の当たりにしようとは。 アメリカの流通は大別して「シアーズから、Kマート、そしてウォルマート」
と変遷してきたといってよい。日本でも西武流通グループも解体され、堤清二が追放。ダイエーも実質倒産?解体で、中内功が追放。 
スーパー四位のニチイーマイカル、長崎屋、ヤオハン、九州の最大手の寿屋も倒産。チェーン店でまっとうなのがジャスコと
イトーヨーカ堂と専門大店と地方のスーパー位になってきた。これからIT の時代、ナンバー1しか生き残れない時代が顕著になってきた。
本の半分以上は、ネット書店で買うようになってきた。ネットも紀伊国屋から、アマゾンで買うように変わってきた。


3586,  閑話小題 

2011年01月19日(水)

* 何故、ここでタブレット式パソコンか
 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他のメーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。 
何故ここで薄い板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか?を考えてみた。 
まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと重ねて何処にでも気楽に持っていける。
そして書籍もネットを通して購入でき、かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの
「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、ソーシャルネットがセットでブレイクする。 
それにツイッターである。それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。
無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まったということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。
  ――
* 迷ったら、やる!
 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測?で私のところに来ているようだ。
30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んでいるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。
そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が起こると、神妙な顔をして相談に来る。
ノートを開いて二時間ほど私と対話をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。
ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスをしようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」
の一言で、助けられたことがあった。 年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは今度書く。その時に
「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、
「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。 
「なるほど!」と、合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても行動面で一歩下がってしまう。
そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、
「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。 炬燵の中でTVも良いが。
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3221, フリー
2010年01月19日(火)
  「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」 クリス・アンダーソン著 
 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら読んでおくべきである。 
読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが
世界を方向づけるカタチとしての流れを止められないという。 フリーとは無料のこと。 無料=利他を理解できた者が
ネット社会では利する世界になる。 フリーでやれるのはネットという膨大な世界があるから。
 無料といえば、民放のラジオやTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 
図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。 気がつかないうちに多くのフリーに恩恵を受けている。
この随想日記も、考えてみたらフリーである。私にとって全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に
情報を公開している。 ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」という表層的なことだけでなく、
「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセットを
仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略のみならず、
そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。
・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された文明で、自己実現を満たす行為としてあった。
 この「贈与経済」は貨幣ではなく、「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。
 ネット以前の時代では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。
 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量可能であるため、貨幣との交換が可能である。
 したがってこの計量可能な非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の新ビジネルモデルである。
・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。 取るに足らない値段を請求することで
 圧倒的多数の消費者の手を止める。チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。
  《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》            ー つづく
 ・・・・・・・・
2846, 金融大崩壊 −2
2009年01月19日(月)           −読書日記
 この著書の結論は、「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動がいま起きている。 キッカケはサプライムローン問題、
20,30年と激動の時代が続く」である。16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。
これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、キッカケはリーマンブラザーの倒産である。 
更にいえば、松井孝典がいう「地球システムが、拡大し続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」とみると、解りやすい!  
第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を
破壊しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、ーアメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。
それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」
帝国は、「すべてのお金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、100兆ドルの金融資産を増やした。 
元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、「投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にしたのである。
その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義帝国化に一番に対応したのが、日本である。
いや、させられたのである。金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせようとした、
米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成したのである。 この二つは、コインの裏表一体。 
したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの
モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を大量に抱え込んでしまったから、
アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債を
大量に持たされている。世界中が、すべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、やはり16世紀以来の地殻変動である。
CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、
4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。
世界の大手企業が社債や不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。
その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDSの不良債権化が表立ってくる。 銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、
とマイナス循環が果てなく続くことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のことである。
クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ顔をしていた。
中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている重大局面を深く知ったため??。
・・・・・・・・・
2008年01月19日(土)
2481, 9・11事件について       ー ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
2001年の9・11事件が、大きく時代の流れを変えてしまったが、その意味について、日本人の視点で解りやすく、
納得した言説に初めて出くわした。なるほど、知らないうちにアメリカよりの立場で、テロを糾弾する内容の記事や
解説ばかり聞いていたことに、これを読んで気づかされた。アメリカの日本に対する露骨な植民地的な対応に、
そろそろ一歩も二歩も離れなければならない時節に来たのである。敗戦から60年以上経ったのである。
サブプライム問題で世界にアメリカの正体が露呈してしまった、この機会こそ距離を置くチャンスにもなる。
−以下は、説得力のある論で    ー「存在の大地」ー高史明+芹沢俊介+上田紀行著 
P−12 
 *上田紀行
ハワイもアメリカの領土とはい、本土からは遠く離れている。 それでも、アメリカ人はハワイを日本が攻めた
ということを今でも忘れない位にショックを受けたわけですが、とにかくアメリカの本土が攻められ中核が射抜かれる
ことはこれまでなかったわけです。私はそのアメリカが、それもニューヨークのど真ん中に攻撃を受けたことに関して、
これは文明的な意味があるな、と思ったわけです。というのは、アメリカ自体は自分が攻められた痛みを知らないということが、
ありますし、何よりもアメリカの現在の資本主義体制に関わる問題を突きつけていると思ったからです。
アメリカの資本義体制というのは、世界をどこでも等価にしていくという性格があります。つまり資本主義の成り立ちを見てみれば、
かつての産業資本主義の時代、実際にモノが動いていた時代の資本主義というのは例えば中近東で石油が採れ、その石油を運ぶのに
何カ月かかかるといった、大地とのつながりがまだしもあるわけ。 もちろん農産物も大地から生まれてくる。
しかし、いまのアメリカの好景気を支えているITに関していえば、情報がお金を生み出すわけですね。株などを見ても
コンピユーターの画面上でワンクリックすればロンドンに置いておいたお金が瞬時にニューヨークに移り、ニューヨークが
駄目となれば東京に移り、第三世界が有利だということになれば、どこかの第三世界の市場に投資できるというような性格がある。 
つまり、アメリカを中心とする資本主義が、まさに大地というか私たちの故郷性といったものから切り離されている。 
私たちはどこから来てどこへ行くのか、どこに出自があり、死んだ後はどこに行くかというようなことから全く切り離されている。
世界中はどこでも等価であり、儲かる所であればどこにでも行くように、大地とは切り離された形でお金が回っている。
そこでいくら儲ければ勝ちだ、儲かった者が勝利者だというような価値観が主導してきた資本主義がニューヨークを中心に築き上げられ、
繁栄を謳歌してきたわけです。私はテロリストを擁護するわけではありませんが、そうしたニューヨークに突っ込んだ飛行機というのは、
我々には我々の土地があり、民族があり宗教があり、アイデンティティがあるのだという主張でしょう。世界は等価ではなく、
国なり民族なり宗教なり共同体なりといった土地の論理に対して、等価の論理が侵犯してくることは許せないのだという主張が、
テロという形で打ち込まれたと私は考えたわけです。それからのアメリカの対応は、そうした土地の論理を一切無視するという形で、
自分たちより百倍も百倍も貧しい国に対して、ひたすら空爆を続けてきました。しかも自分たちを正当化しテロは「絶対悪なのだ」
と決めつけ、なぜ悪が生起したのか「悪は滅ぼされなければいけない」という論理のもとで攻撃が行われたのです。
そうしたアメリカを我々が非難することは簡単ですが、考えてみればアメリカ的な生き方やその背後にある
現代の資本主義のあり方は、アメリカのみならず、私たち日本人にとっても他人ごとではありません。
あるいは世界を覆っているすべての人についても、そちらの方向を目指している意味においては他人ごとではない。
 ーーー
世界を等価しようという考え方は、アメリカの支配そのものになる。
事実、その一歩手前?まで、一時期すすんだが、それも終焉しつつある。
それが今年から本格化してくるのである。   バイバイ *´・ω・)ノ
・・・・・・・・
2007年01月19日(金)
2117, 新潟駅周辺が動き出す!
             オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
昨日の地元紙に「新潟駅構内に1万5千?の商業ビルの建設計画」が発表された。
現在の駅構内のセゾン専門店街に隣接して造られるため完成すると、一大ショッピングセンターになる。
駐車場も800台の収容というから、新潟駅再開発に向けて大きく動き出したことになる。 概要は
・現在の新幹線駅の出口にある専門店街の「セゾン」に隣接した場所に
・8F建て 商業施設延べ建設(1F〜3F)1万5千?。 駐車場(4〜8F)800台収容 敷地面積7千坪。
・今年2007年9月着工、来年の12月完成。  ・工事費は65億円。
 (以下、字数の関係でカット2009年01月19日)
・・・・・・・
2006年01月19日(木)
1752, 『桃井かおり』という女優        
      ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~ オチャドーゾォー♪
彼女が若いときから 山田洋二監督『男はつらいよ』などのマドンナ役をみて、不思議な魅力を持った女優と思っていた。
地の顔なのか演技なのか、味のある演技をする。どんな役を演じていても彼女以外には考えられないのだ。
 (以下、字数の関係でカット2009年01月19日)
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2005年01月19日(水)
1387, 23歳の日記−9
 ー10月1日 1969年
店の大改装で、関西地区で初めての靴売り場の責任者になる。 開店で死ぬほどの忙しさ。
新しい部門ということで全員が注目を浴びている。岡田卓也社長も、この売り場まで見に来てくれ一言声をかけてくれた。 
予算の800?というのが、自分でも驚きである。何品かの売れ筋を見つけて、それをお客に積極的に勧めるコツをつかんだ。
面白いように売れる。予算の立て方を店長が低くしてくれたこともある。新しい店長が、私に目をかけていてくれているのが嬉しい。
この改装時にテナントに入っている星電社の男子社員と、店の男子社員が集団乱闘寸前にになった。そこに私が身を挺して
中に入ってなだめてから、全員が私を受け入れてくれるようになった。学生時代に合気道の経験が役に立ったようだ。
店舗の改装で、本が読めないのが悩みである。本を読んでこそ自分があるのに、流されないようにしなくてはならない。
 ー10月13日
今日と昨日は、集合教育の為地区本部に行ってきた。また壁に当たっている。
本を読めないのだ。一人になり、かつ考えなくてはならないのに。あれもこれもと、やりすぎである。
ドライに割り切って、優先順位をつけてこなして行かなくてはならない。
ところで、上司の別所さんの「送別会」を私がやらなくてはならない。
明日まで、会場を決めなくてはならない。 いつも行く寿司屋か、会社の社員食堂か。
準備は、日下部さんか、岩崎さんに頼もう。売り場は、先ず単品管理を徹底的にしよう。
そして、靴の商品知識は、本部バイヤーの送ってきた本を読もう。年内に大方、この売り場を把握しなくては。
・・・・・・・
2004年01月19日(月)
 1020, 人生とは
 いまさら人生論ではないが、あまり思い浮かぶことがないので思い浮かぶまま,生きてきて思うことを書いてみる。
まず思う事は、「人生には無駄なことがない」ことだ。マイナスに思える中にプラスがあり、プラスの中にマイナスがある。
むしろマイナスと思える中にこそ真のプラスが隠されているようだ。それはマイナスの方が対象をしっかり吸収する為である。
失恋旅行の方が、対象と一体化をすることをみてもそうだ。小説も音楽も、絶望の中で聴いたほうが心に沁みとおる。
無駄が無駄にならないのが、人生の意味深く、味わい深いところである。特に若い時の無駄が深い意味を与えるものだ。
浪人とか長期療養や大学中退などは、その人にとってプラスになることが多い。じっくり本を読んだり、将来のことや見失っていた
周囲のことが見えてくる。また我慢強さが出来てくる。 マイナスをプラスにする力が年齢を重ねると段々ついてくる。
この力こそ一番重要な要素である。この力には前向き、積極性、陽気さ、そして集中力が付いてくる。「知識を多く知っていることが
大事でない。美しいということを美しいと思えることが大事な事」という意味がよく解る年齢になってきた。
また「生きているということは凄いことだ」と思う。目的をもって、崖っぷちにたっている時こそ「生きている」経験をする。
「人生を商家の一代目、二代目、三代目と考えると面白い」とか。30歳辺りまでが一代目ー商売の基礎作り、50歳辺りが
二代目ー必死に維持拡大。その後が、全てを遊びに昇華して、過去の蓄積を楽しみ尽くす・・・
 なるほど上手いことを考えるものだ。馬鹿三代目にも、それなりの役割があるんだ。人生50〜60歳以降は馬鹿三代目として楽しむこと。
「人生晩期は三代目論」か!いいね!ーホームページの検索を調べたら、あった。底が浅いのか、本心の深いことなのか?解らない。
ーーーーーーーー
2001/12/21  [51] 無駄な事なし
 人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、
一番重要なポイントだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと姉より死後聞いてが、立ち上がれないほど
ショックを受けたという内容が書いてあったが。無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった? という気持ちになってしまうのだろう。   2001/06/13
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2002年01月19日(土)
 305、ホームページ文章作法
毎日テーマ日記を書いていて心がけている事として
・まずはテーマを奇抜に興味をもってもらえるように、・数人の知人友人に直接語りかけるつもりで、気楽に
・従って本音で、面白く、自分の言葉で、平易に   ・添削をなるべく重ねる
・書きだめを幾つか溜めておく   ・いちばんリラックスしている時に書くー晩酌をしながら下書きを書く
ある人が糸井重里に「貴方の年賀葉書が毎日もらえたら嬉しいのにね」と言われた。本人は「なに金と手間があれば、
毎日だせるさ」と思った。それがメールにはまり込むキッカケだったという。多人数に軽く文章を送れるからだ。
そしてホームページを思い立った時、その転用として頭にうかんだという。私の随想日記も似ている。
10日に一回位書いていた随想日記を「これを機会に毎日書くことを自身に強制する事で、
頭の中を汲み出してしまおう」と試している。1〜2年は尽きることはない自信があった。
カミサンとは毎日飽きずに何か話している。2〜3日家をあけようものなら、かなりのネタが幾らでも出てくる。
30年近く経っても尽きないのだから、随想日記のネタが尽きる訳がない。
ということで、内面を気楽に、しかし本音で、面白おかしく、ブツブツ書いている。
 ・・・・
 1月19日  1969年
11時起床。12時半に、聖心女子大に向けて出発する。明美とトツに会う。明美から招待券二枚が送ってきて寮の佐藤と出かけた。
    (字数制限のためカット 2011年1月19日)


3585, 「とりあえず、5年」の生き方

2011年01月18日(火)

「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          □「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、
ほんの少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。 そのヒントを「仕事」「お金」「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」
といった分野ごとにまとめてある。
 ーーー
 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。
そして「とりあえず、還暦までに残りの人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、達成できなかったが、43回までは達成した。
更に50歳半ばで個人のHPをつくり思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえたとき、心の中で独り万歳をした。
その直後は、何をしてよいか分からなくなった。そこで出てきた言葉が、「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で中途半端の状態になってしまった。 で、後半。
「来年は無い。今年中にやるべきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の峠の到達地点とした。
ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが書いてあったので驚いてしまった。
 ここまできたら、人生の喜劇化もよいだろう。いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
 ・・・・・・・・
3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き屋
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。 
投資金額が格安で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 加盟料金40万、指導料20万、その他・・
(店舗内装、取得は別)《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、開業資金が500万」というから、
内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率10パーセント以下だから、
当たると、これほど面白い商売はない。パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それである。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザそのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に
売るものもある。 たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの生地、中味は餡の、これまでは無かった
鯛焼きチェーンもある。これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で資金回収が可能。これは世界にも
通用する可能性がある。誰もが手軽に出来るということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。 
誰も知らない地で、ゼロから再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 仙台の郊外とか、富士山の裾野や、軽井沢、埼玉の入間、千葉の幕張、などで三井や三菱系の開発業者などが、
アウトレット専門のSCを開発が話題になっている。 広域の客を狙うため駐車場を広くとるため立地が人里から
立地になる。 オープンしたところは、ほぼ好成績のようだ。アウトレットとは、ブランド品や輸入品の処分品を扱う店。
ディスカウントとは違う業態になる。ディスカウント商品は値段を安くするために企画段階からトレードオフした商品。
デフレ・スパイラルの中ではディスカウントや、アウトレットに人気が集まる。
・・・・・・・・・
2845, 金融大崩壊 −1
2009年01月18日(日)
  「金融大崩壊」 − 水野和夫著
 昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい内容である。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面にあることを認識。
それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、
そして去年の9月の大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、 *1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」の終焉が、この金融恐慌、と看破。 
 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の、近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、資本が破壊した。
 近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が中産階級になることが出来た。
 それが2008年9月15日に終わってしまった可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
・サブプライムローンと新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と国民に対して優位に立った。
 そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円(=10000兆円)。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府」が成り立っていた。
 新興国が大型の積極的財政に転じても、今後、果たして財政赤字を解消できるのか、
 先進国が同じく積極財政をとっても、期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、これは無極化への流れになる。
 そして日本の輸出型経済モデルは新興国の中産階級を相手に据えるべきだとする。
 中小企業はこれまでの下請けだけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・    次回に続く!
 ・・・・・・・・・
2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 −1          (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』   ー読書日記
   専門が社会学のため、そして長年、その系統の本を読み続けてきたため、
  「世間」とか、「世間体」という言葉の虚偽と、日本社会(特に地方の後進性)
   の中に潜む泥沼の悪臭を感じ取り、その泥沼には近づかないようにしてきた。
   私の場合、職住が新潟と長岡と分かれていたため、最小の接点で済んだのが幸運だった。
   こういう人種は巧妙に近づいてくる。しかし直に臭い嗅ぎ取り、距離を取るように?してきた。
    そこで、「世間体」を辞書でひいてみたがところ・・・
  1. 社会的な視点からの自己のみなされ方。
  2. 社会的地位や名誉、学歴、家柄による判断基準。分かり易い肩書きが最優先され人間性は含まれてない。
  3. ワイドショーに準ずるモラルやマナー。 とある。 社会的地位も内面的な教養の区別すらも知識にない人達。
    これが殆どだから、仕方がないが・・・ 少なくとも、それを鳥瞰する目と時間は持たないと。 
 ー「世間体」に関する、ことわざに関して、要約している部分を抜粋してみるとー
 P−50
故事ことわざの類いには、「好きこそ物の上手なれ」という反面、「下手の横好き」ともいうように、
もともと両義的な意味あいがこめられているものである。 矛盾したいいまわしが対になっているのは、
ことわざの常であろう。「世間」をめぐることわざのたぐいとて、けっして例外ではない。
本質からいえば、矛盾し、相反する意味内容を、状況によってたくみにつかいわけるところにこそ、
ことわざの生命があり、おもしろさがあるのだ。にもかかわらず「世間」にかぎっていえば「世間」
をめぐる慣用句がことごとく「世間なみ」に収斂していることに、私はことのほか注目したいのである。
そのことがとりもなおさず、「世間」の特徴である、と断ぜざるをえないからである。 
思えば、わが国の人びとの多くは、「世間なみ」に生きることを、人生のモットーとしてきたのではなかったか。 
それが積極的にはたらいた場合には、「世間なみレベルの生活水準がたもて「世間なみ」の知識をもたないと恥ずかしい、
ということで、彼らは頑張って生きてきた。この「世間なみ」に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化の
ひとつの精神的な原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。
その反面、異端のもつ大胆なエネルギーが発揮されることは、きわめてまれであった。
ことの善悪をとわず、自分だけがとびぬけて目立つということは、「世間」の手前、
極めて気はずかしいことでなければならなかったからである。
 ーー
 「世間様に笑われないように」が、日本人の良くも悪くも、大きな羅針盤であった。
 「うだつが上がらない」という言葉も、それに近い。島国では、お互いの顔色を覗って生きるのも、
  大きな知恵になるのだ。 ”世間体”の”体”は「体面」「体裁」の”体”といい、それから逸脱した場合、
 「”恥”−”羞恥”−”罪”」になり、社会的制裁を受けるが故に「面目」「面子」「外聞」「見栄」「虚栄」
  と言うコトバを背景に持った行動が、世間に対してつくろう方策として個人の行動を規定するから、
  内的規範になってしまうのである。それに対して、教養とは、それらから自由になるための知識・経験
  ときているから、世間様は馬鹿の代名詞になる。 痴呆名士がその典型!   
                         バイ ´∀`              ーつづく
・・・・・・・
2007年01月18日(木)
 2116, 品格について −1           <(_ _)> おはようございます!
「国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、「品格」という言葉を巷でよく聞くようになった。
 何をもって品性・品格というか解らないが、私の最も嫌いなのが品性のない人。じゃあ、自分は品性があるかというと、
 どうも自信がない。 そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、あるHPの中の説明がよい。
 これを読んで少しホッとした。品性のない人を嫌うには、チャンと裏づけがあった。
 人品なのだから、これだけはどうしようもないが・・いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
 人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!
ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
  ーまずは、その箇所を抜粋してみるー
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、品性は人の性格を道徳的価値として見る場合の呼称である。
一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、品位、気品を言い、人間のみならず社会全体や都市、
地域に対しても当てはめることができる。日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)
は侍社会の躾だと言う人が多い(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中を歩き、
曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される
或いは笑い者になれば、死ぬほどの屈辱感をおぼえるなど行動規範が社会の品格を保つ要因となっていた。 
  品格があるというのを具体的に示すのは難しいが、
  品格のなさはどのような場合に生ずるかというと、
   ・権力に媚びる、
   ・大きいもの(組織・企業)を崇拝しそれに依存する、
   ・自分の権利だけを主張し適わないと嫉妬する、
   ・自立性がなく自尊心がない、
   ・ごまかしがあり本物の心と価値が分からない、
   ・金銭を崇拝する等である。
    これらは程度の差はあるとしても人間誰でも心の奥底に持っている。
    しかしそれが表に出ないように修養し、努力しているのである。 】
   {上品だ、下品だと?そんなもの! ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ(=△=)凸 ファック!           
  ーー
 以上であるが、この「6つを擬人化したような人」が実際にいるから面白い。
(字数制限のためカット 2011年01月18日)
・・・・・・・
2006年01月18日(水)
1751, あ~あ60歳−2             (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
一昨夜も還暦の会を開いてもらった。二次会で久々に新潟の古町のカントリーウエスタンの「テネシー」に行ったが、
不景気で息するのもやっと?という風であった。(つд;*) (ノω=;)。。。(/へ\*)))
還暦の赤いチャンチャコは着たいような、反面着たくないような気持ちであった。
ところが、その店のマスターが半年前に贈られた赤いウエスタンのチョッキと赤いハットをかぶり記念写真を撮った。
これで両方の気持ちをカバーしてくれた。 還暦の行事の赤いチャンチャコと帽子をかぶったことになった。
しかしマスターの弱気には驚いてしまった。対象のお客が定年とか不景気の為か、急激に顔を見せなくなったという。
かなり有名な店であったが、マスターの話は年金と老後の話である。50歳までは中年の最長老のような気持ちであったが、
一晩で初老の一年生という気持ちになってしまった。(60歳から65歳が老年の移行期というが)
誰もが人生で、それぞれの年代の峠を乗り越えていくのだろ。      (´∀`σ)σ !!!
何かの本によると、人間は歳を重ねても決して枯れるのではなくますます生臭くなるという。その人物によるが。
周りを見て見るとあの真面目だった人が???  ( 〃'ω')σこれから自分を見つめていけば解るだろう。                           
・・・・・・・・
2005年01月18日(火)
 1386, 若者と携帯電話
(字数制限のためカット 2010年01月18日)
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2004年01月18日(日)
 1019、「会社にお金が残らない本当の理由」−2
二年前に節税が何かないかと考え抜いた。そこで思いついたのが、個人の事業用資産の三ヶ所を会社に売却をする
「個人の損だし」による方法である。バブル期に買った個人名義の事業資産を時価で会社に売却をした。
そして個人の会社からの借入金と相殺した。その結果個人は?の損失が出た。そして過去2年分の税金の数千万が戻ってきた。
(字数制限のためカット 2011年01月18日)
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2003年01月18日(土)
650, 債務返済年数
 最近この言葉が新聞や本などでよく見かけるようになった。
会社の利益などや償却での現金収支の額が返済に充てると仮定して債務完済まで何年かかるかをいう。
ー総借り入れをキャッシュフローの金額で割った数字をいう。
 当社は今のところ12年である。装置産業の当社として、無借金と同じ状態が8〜10年であるから、
あと2~3年でその状態になる。といって大きい事件がおきて、日本の総生産が2〜3割ダウン、
利益がマイナスになれば、一挙に20〜30年になる可能性がある。 地銀などの
「審査能力の崩壊をきたしているところが、ただ審査基準を当てはめている」のが今の日本の状態である。
当方も危ない会社にされかけたが、貸しはがしの陰湿な口実だったかもしれない。
今朝の日経新聞に「過剰債務、中小が深刻」と書いてあった。大手で平均12年に対して、29年という。
深刻なすうじである。他人事でないのが経営である。新幹線にテロなどがあったら、売り上げが激減する。
小説といっていられない北朝鮮が控えている。あと2~3年でかなりの減量感が出るが、今の日本も似た状態だ。
本格的な倒産の嵐を耐えねばならない。
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2002年01月18日(金)
 304、パソコンの機能と実感−1
パソコンの機能と実感。これには無限に近い機能?が入っている。ワープロ、電卓、辞書、写真現像機能、名簿、TV、CD、
世界中の情報を検索できる図書館、情報発信機能ーホームペイジ機能、印刷機、手帳、ポストイット、などあげれば数かぎりない。
万能機械といってよいほど機能が入っている。10年前の数億相当のコンピューターが10万そこそこで買えるのだ。
これを使うかどうかが、仕事だけでなく人生にかかってくるといってよい。やっとその数百分の一を知っただけだ。
これを使って何をすればよいか、徹底的に考えられるかどうかが、これからの鍵になる。この一年でやっと人並みに近づいた。
この一年で全く違う世界に一歩足を踏み入れた。ブラインドタッチを少し出来掛けてきた。やっと門に入り、
その通路を歩き出した感覚だ。メールも抵抗なくできるようになった。飛躍的に自分が変化しているのが解る。
デジタルカメラの写真もあまり抵抗なく、やっとホームページに貼れるようになった。
それでも圧縮を抵抗なくする為に時間がかかる。本も抵抗なくWeb上で買えるようになったのも最近だ。
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1月18日 1969年
 9時半目覚める。二日酔いもよいところだ。やっと起きて、横浜さんのところを出る。 直接学校へ行く。
田島と学食でばったり出会う。昨日はゼミに出てこなかった。彼が言うには卒論を出せなかったということでゼミを辞めたと言う。 
二日酔いもあってか、怒りが出る。卑怯だと彼を責めたてる。後悔をしたが、私がいう問題ではなく彼自身の問題である。
でも寂しいのは事実である。今まで一緒にやってきたのに!あと一歩のところで何をしているのかと思うのは当然。
一番人間として信じていたのに。時々ハッとする言葉を投げかけていたのに。最後は挫折なのか。そういう姿も羨ましいところもある。
見習うべきなのかもしれない、満足のいかない中途半端な卒論を出すよりズット良いかもしれない。その後、産関論の欠席届を出して、
川崎と待ちあわせで来るのを待っているとクラブの高杉と出会う。高杉とも、如何いうわけか気が合う。
留年などして苦労しているからだろう。30分ほど今後の進路のことなど話をする。その後、川崎と喫茶店に行き話をする。
彼は彼のペースで相変わらずいる。彼は自分の思ったとおりに生きているのが特徴である。本当にこの学校に入って良かったと思う。
人間性が豊かの人が多いのだ。寮に帰り、またTVで東大の安田講堂の立て篭もりの攻防を放映していた。
彼等の行動は現実には全く理解できるものではない、といって、あそこまで駆り立てる何かがあるはずである。 
彼らが見ている社会矛盾をもっと見るべきであるが。その矛盾の中にこれから入っていくのだ。


3584,閑話小題

2011年01月17日(月)

 
  * 日めくりの格言
    「仕事に雑用はない!」  そうか!  そうだ!   これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。
   ――
  * セレンディピティとは
  − ウィキペディアによると、
 < セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。
  何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
  幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の一節
 「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。>
 ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが?
  ――
  * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」
 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。まったく理解できないが、感覚的には面白い。
  ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、
【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」
「やっふぃ」「もいきー」「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20があるとか。
それぞれの言葉の意味や出所だが、
・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 
・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」
・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」
・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。
・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ
  歌い踊る中で使用される掛け声」などである。…
ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、
 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。
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3209, 年金支払い総額 1400万
 2010年01月17日(日)
「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。
(以前の年金通知の中にもあったかもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動などからみて3倍が妥当。 
 実質の支払額は 1400×3=4200万は積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。
 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。
21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>、4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、
これを過去に食い散らしてなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段?をしていたのである。
その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。 
未来のために積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。 
腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、国家のダウンサイジングが現実のものになるとは
思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。
 こういう事態をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。
いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。
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2844, 「ほめる」言葉  −1
 2009年01月17日(土)
 《精神対話士》の「ほめる」言葉  ーメンタルケア協会偏 読書日記
図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書と思ったが、《精神対話士》の、
という部分が気になり借りてきた。 ところが、なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が
並んでいる本であった。基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。
 この本を編集した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーしてしてみる。
< 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。
 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウするための根幹となる「生きがい」
 を見失いがちになることに着目。 それらの人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる
 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。
 この本は、精神対話士の効用の一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。
 「温かいひと言」を相手に投げかけることで、親密な人間関係を築けることを教えている。>
 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。こういう場合、アマゾンは有り難い! 
私が人を褒めると、知人や同級生に驚かれることが何度かあった。
「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 
私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。 「営業用の褒め言葉」を聞きなれているため?言えないのである。
全て知った上で「嫌味」を言うより、営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。
「どっこいしょ」と言うだけ、持ち上げるのは重い。この本の中で私が感じた一番の褒め殺し文句は
「あなたには華があるね!」である。同級会で、前回休んだ人に「あなたが居ないと、会が盛り上がらないよ」と
言った時の嬉しそうな顔が印象的であった。実際にそうだったから言っただけだが。 
 以前書いたことがあるが「あなたは持てるでしょう。女性がほうっておかないタイプだよ」 これはイジリ? 
真から褒められたことは忘れないものである。そうそう、真から褒められるものではない。
なら、真から褒めれば良いことになる。 ブッシュ大統領の功績(功罪でなく)でも書いてみるか!(もう、嫌味か)
<暖かい一言>と言えば、心から発した褒め言葉と、相手の成功・幸せへの祝い言葉、それと慰めの言葉である。
 それを相手の胸に受けとめさせるには、本体が誠実でなくてはならない。 私のように褒めと、皮肉が紙一重は難しい。
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2008年01月17日(木)
2479, 新潟県の物流の現状は              (。´_`)ノおはぁ。
 地元の大手の中越運送社長が昨日の日経新聞・新潟県内版のインタビューで語った「新潟県の物流の現状」
 が注目すべき内容だった。貨物量の動きが、そのまま景気の動きを表すが、何処も同じ秋の空である。
 ーまずは箇条書きにまとめてみるー
・足元の景気と言えば、年末でも、これまでのような活気はない。
・住宅着工の遅れで、建設資材が動かないうえに、原油高のせいか人々は買い物には行かなくなっており、百貨店も人が少ない。
・かっては9月から年末年始にかけて越冬需要でモノが大きく動いたが、今は通常の月と変わらない。
・中越沖地震の影響で消費は減り、復興需要があったのは特定の業界だけ昨年は上半期から低迷、9月以降はめっきりダメで、
 12月に入ってから目に見えて落ち込んだ。12月20日でしめた決算も非常に悪い。  年末年始もこの流れがつづく。
・いまは企業によって二極化している。大手、とくに輸出を手がける企業は世界の運賃の高騰に水準を合わせて上げているが、
 一方中小はなかなか値上げは出来ない。うちで運賃があわないのに、下請けはもっとあわないはず。
・新潟での海外の荷物のほとんどは中国からの輸入。新潟で待っていても、仕事は殆ど取れない。
 中国の仕事を入り口で取る体制を整える。  日本郵政との競合はどうなるか分らない状態だ。
 ーー
 以上だが、どの業界も厳しさという面で、ホボ同じことがいえる。ところで、運送のコスト構造は、人件費が6〜7割、燃料が2割。
(当業態のホテルは、人件費が三割、燃費は一割)2005年度になるが、その4年前の6割に貨物量が減ったという。
中越沖地震から県内の動きは更に10?は減ったから、この5〜6年で半分ということになる。これでは運送業界だけでなく、
県全体は壊滅に近い事態といってよい。今年は更に落ち込みが見込まれるから、一足先に恐慌が来ていると言って過言ではない。
しかし、事業者の数は中小がジワジワ増えているというから、悲鳴をあげるのも分かる。
何処も同じであるが、それにしても酷い状態である。
                   ヾ(@⌒ー⌒@)ノ マタ!
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2007年01月17日(水)
2115, だと!    ○┓
『    だと!』   《     》
             『  んで!』  《     》
『 で、どうした!』  《     》
             『 で、どうする?』  《     》
『 うんで?』 《     》
              『 あふぉか!』 《     》
『 フニャ!》 《     》
             『 うんだ、うんだ!』 《     》
『ま、いいか!』 《     》
             『     』  《・・・・・》
『  ! 』 《  ?    』
             『   。   』  《   ・   》
                          ( ゜∀゜)ノ
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2006年01月17日(火)
1750, おひとりさま     (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
先日、TVで『おひとりさま』というテーマで女性の一人の食事や音楽会の参加について取りあげていた。
女性といえば、つねに誰かと二人以上で行動するのが常だが、最近になって、ひとりで行動するスタイルが格好よいとされている。  
 お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~   「おひとりさま」のスタイルといえば、映画やリサイタル一人で観たあと、ぶらりと店に入り
ワインかコーヒーを飲みながら食事…。大人の女性としての一人の時間を楽しむことである。背景にはキャリアウーマンの出現がある。
時には一人で旅行に出て、ジックリと孤独の時間を味わうスタイルを身につけること。ひとりの時間を楽しめる人間こそ、
「おひとりさま」であり、しっかりした個を確立してこそ他人との関係も良好になる。
自然態で自分と向かい孤独を楽しめる人こそ「ひとり」の世界を確立できる。         
ー自己の確立がしっかりしているとは
 1「個」の確立ができていること   2 他人の個を認めることができる
 3 独り遊びができること      4 知的裏付けをもっている である。
都会住まいをすると初めに直面する問題が男女を問わず『おひとり』の生活である。
三食の食事などの生活を自分で考え組み立てなくてはならない。そして家族から離れた寂しさのコントロールである。
(字数制限のためカット 2010年1月17日)
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2005年01月17日(月)
 1385, ラムセス2世
「たけしのエジプトミステリー?」ー古代エジプト最強の王ー  の録画を先日みた。10年近く前にエジプトに行った時に、
初めてラムセス2世の存在を知った。現地添乗員が「日本では、クレオパトラが有名だが、欧州ではラムネス2世の方が
段違いに有名である」と説明をしたが、なるほど彼の遺跡の多さには驚いた。この番組は、タケシと吉村作治と
女レポーターの対談方式で進行していた。ラムセス2世と古代エジプトを、より知りたいと思っていたので丁度よいタイミング。
  ーまずラムセス2世の概略をみるとー
・第19王朝のファラオで紀元前1304年〜紀元前1237年まで67年間エジプトを支配。 
 紀元前1295年頃、シリアのヒッタイトと戦い、決着がつかず、世界最初の国際的な和平条約を結んだ。
 そして後にヒッタイトの王女を妃に迎えた。
・後半の治世は内政に力を注ぎ、神殿建築等の事業を起こした。
・100歳近くまで生き、多くの女性との間に100人以上の子供がいた。
・彼は大規模な建造物を数多く建てたが,中でもアブ・シンベル大神殿が特に有名である。
・数の上では最も多くのオベリスクを建てたファラオとされ,実際8本のオベリスクが現存している。
 彼が建てたオベリスクは比較的小さなものが多いが,ルクソール神殿第1塔門前の一対のオベリスクは非常に大きいもので,
 エジプトに残るオベリスクの中では「ハトシェプスト女王オベリスク」に次いで二番目に大きなオベリスクです。
 本来ペアであるべきものが欠け,いまや1本しかない。
・最後はミイラとなって王家の谷に葬られた。しかし、彼の遺体は墓泥棒たちによって、本来の墓所から運びだされた。
 墓泥棒の隠し場所である共同墓所に、セティ1世、アメンヘテプ1世、トトメス3世などの他のファラオたちの
 ミイラとともに、隠されていた。1881年に、この隠し場所が発見され、現在、カイロのエジプト博物館に展示してある。
ラムセス?のミイラは、死後3000年の時が経たあとも、その表情はリアルで、強い意思が感じ取れる。
彼の生涯で私が最も強くひかれたのは、彼を偉大なファラオに押し上げた王妃ネフェルタリの存在である。
(字数制限のためカット 2011年1月17日)
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2004年01月17日(土)
1018, 「会社にお金が残らない本当の理由」 −1      ー読書日記
 紀伊国屋で、この本の帯につられて買ったがナカナカ面白い。タイトルは−93・7?の会社は10年以内に潰れる
ー攻めるだけでは会社は10年続かないーである。「初めに」の出しからして刺激的な文章である。
ー「まずはキャッシュで一億を作る。」
社員5名ほどの中小企業‥とか零細企業に私が最初に言う目標である。「零細企業にそんなことができるか?」と思うかもしれません。
しかし、会社経営をしているなら、当たり前です。現在日本には一億の預金を持つ人は108万人。総世帯4700万ですから全体の2.3パー。
50世帯に一世帯が一億を持っているのです。 実際の中小企業やその社長はどうでしょうか。資金繰りに追われているところが大半。 
何故こうなったのでしょうか? それはほんのチョッとした差から生じています。そのチョッとした差が生死を分けてしまいます。
・・普通の経営者は、経営の背後になっているシステムが分らないのです。
 ーとのっけから読み手を引きつけていく。
 ー印象に残ったところを抜粋してみるとー
・資本主義社会そのものがボッタリの本質をもっている。
・今の日本の税制は「かっぱらい」である。「取りやすいところからとる!」
・決算上の利益とは、実態とは違った税金を取るための数字でしかない。
 その粉飾決算の利益を経営者も税理士も会計士も信じきっている。税理士や会計士は無知もいいところ。
 ゾンビを生んでいる日本の税制に気がつかない。 設備投資の耐用年数は実態とかけ離れている。
 その数字のおかげで、ありもしない利益を計上させられ、税金をボッタクラレている。
・自宅の名義は奥さんにしておくべきだ。
・「車」と「家」と「保険」を、おさえておけばお金は残る。 ーこの詳細がナカナカ面白い
・社長で「いい人」ほど儲かってない。 一般常識の世界で生きているからだ。
 ロータリークラブとか・・ それとは別の独自の指標が必要だということが分ってない。
・中小企業ー零細企業の報酬の内訳は「役員20?、社員30?」但し役員報酬は合法的裏金で
 実質的に会社の金と割り切ること。 内部留保金と未来投資資金として割り切ること
・裏帳簿の勧め・・・
・戦略3つ,戦術7つ
・ローリスクだからこそハイリターンを得ることができる。
 リスクは極力かけるな!ローリスクは本業の中にしかない。
ー以上が印象に残った内容だ。   ーつづく
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2003年01月17日(金)
 649, 損切り
ある経営セミナーの案内のパンフレットが送ってきた。
題目が 「会社と個人の資産防衛策」 副題がーいま「損切り」してこそ新しいチャンスがつかめるー
その内容がなかなか面白い。このパンフレットに殆ど90パーが含まれている?
ーその概要を書くと以下のとおりであるー
・大清算時代ー含み損を吐き出してしまえ!
・個人も会社も、いまは「損切り」をしないと生き残れない。 いまは有事の時、平時の常識を捨てなさい。
 −不採算部門の切捨て
 −不良資産の切捨て
 −不良幹部ーヘドロの切捨て
 ー倒産を恐れるな
・不動産は「短期の流動資産」と考えよ、決め手は利回り
 −まだまだ不動産の大放出が続くと思え
 −より安全で、より高利回りのものに切り替えよ
・銀行取引の全面見直し
 社長は先手を打って資産を守るべし
 ー次は地銀・第二地銀・信金・・・金融機関の大編成が始まる。
 −貸してくれない銀行には返さないこと。
 −手元流動性資金の確保が絶対に必要
  (字数制限のためカット 2011年1月17日)
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2002年01月17日(木)
 303、事業と難関
 事業を始めると、必ずといっていいほど「身辺」に思いもよらない何かが起こる。
それと当然「事業そのもの」にも、想定以外のことがおこる。必ず難関が次から次に起こってくる。回を重ねるうちに、
そういうものだと割り切れるようなった。そしてかなりの極限に追い詰められた時、「これが今回の丁度ピークのそれ」と
冷静に受けとめれるようになった。そしてその二つが重なってくることが多い。しかし経験とは凄いものである、
それが勘で解る。 ここを踏ん張っていると次の展開が出て来ると解ってくる。従っていつの間にか、その感覚がゲーム的になる。
難関を一つずつ乗り越えていくのが逆に面白くなってくる。 それは付き物である。これが一波、これが二波、これが三波と、
そして「これが今回の一番の大波」?とうけながら冷静に対処していく。一番の大波と感じた時は、これが自分の限界点に近いことがある。
しかしこれ以上の波はないのも解る。それが仕事というものだ。人生もそうか! 初めて事業を興した時、全ての問題がはき出た。
「そういうもの」ということが解らなかった。気持ちに余裕はなかった。しかし親戚の同じ歳のナショナルに勤めていた人が遊びに来て、
帰りにボロボロの姿を見て「羨ましい!」といった一言が自分を支えてくれた。その人は今かなり出世をしたとか聞いている。
その人の弟の葬式に7〜8年前出会ったとき、「私は自己採点は80点だが、貴方はいくつか?」
と聞いたら、「93点」と言っていた。 人事系の仕事だから冷静な点数と思う。
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ー1月17日 1968年
 午後一時にゼミに出席する。今までのゼミの反省と総括をする。私の意見は「週2日を週一回にしたのが問題ではなかったのか?」
であった。全体的に同調されたようだった。 石川君と私の卒論の発表会的なところもあった。その後ゼミの連中と飲みに行く。
「嵯峨」から飲み始める。 下落合の助手の横浜さんの下宿の近くまで、17時から翌朝の5時まで12時間も飲みまわる。
その後数人で横浜さんの部屋で泊まる。石川には、「その仮面を剥げ!」とかなり激しく言ってしまった。彼も私を辛辣に批判をする。
私のほうが過激であった。 あとで謝らなくては! 言いたいことを言ったあとで自己矛盾がおこる。 自分が解らなくなってしまう!


3583, アート画像転換システム

2011年01月16日(日)

 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の広告記事をたて続けに出している。
そこで会員登録をして、HPのソフトを使って驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換してくれる。
それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に転換できる。それがプロが書き換えたと
思えるほどの出来栄えで、ここまで来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。これではプロがカタナシである。
この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。
デジカメで撮った過去の写真を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。 まだ、その機能が入ったデジカメを
手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、
これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。 他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。
そこには美人、線画、版画、漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。
 私にとって、これは夢のようなソフトになる。 これまで、多くの写真がCDカードやアルバムに眠っている。
この中で、気に入ったものを画像転換すれば、私にとって素晴らしいアートが出来上がる。
おそらく、セザンヌ、ゴッホ、ピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。 それだけでない、彼らの絵画を
自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。
実際にゴッホの「ひまわり」を加工してみたが、水彩画などに転換したものは、何とも味がある。
カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、
装飾品に印刷、販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、「この写真が、こんな風に転換してしまうのか!」の、
驚きの連続である。 iPadの次世代機種にカメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。
観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描きソフトで書き加えることが可能になる。
 いや、書き加える必要もないほど最良に近いソフトが、それを許さないか?   これは、凄いソフトである。

 ・・・・・・・  
3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。
直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然のようにあったのである。
そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 
そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、
数言の英語なら状況から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分からなくても 写真なら世界中の
人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 
このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、普通の女性?二人が胸を露出した写真だったり、
黒人の男のヌードもあった。 構えてないところが良い。 当然、Twitbideoというのもある。 写真もビデオも、パソコンでも
モバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。
TVのニュースでも、かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。 情報化の事例の一つである。
数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。
これも手軽に何処からでもビデオを配信できるからよい。 Twitterも、三年で既に九百億円の値がついているという。
 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’をつけると、それがネットでグループ化される。
「藤の花」を知らせたい場合、‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる、等々、幾らでも発進できる。
全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」とか、直ぐの反応があるはず。
初めキーワードをコンピューターが選定すると思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の
「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、この銀行の怒りを持った者同士が、
怒りを共有することが出来ることになる。 世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。
更に、情報を送りたい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。これが携帯で飛び交うから驚くのである。
ブログがマイクロ化し、互いにキーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。 情報格差は、無限に開くばかりになる。
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2843, 雲屯庵 −3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。 外見は茫洋としているが、この男がなかなかの博識で、俗にいう玉。
 最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の養子になったか?、名前だけ継いだのか?
 この人が語った「異世界」の話しが面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。 そこで僧侶の感覚で、朝6時に出社。
 他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も前に来て働いているのだから、
 上司に直ぐに認められ、一〜二年もしないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。
 別に、必死に働いたのではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、
 ショックであった。何時の間にか、周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのようであった。
   また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと
 「何?の方の世界」はシステム(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚のシステムがある。
 (もちろん地域的なものもあろう。そういえば「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と
 能力が十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。この歳になっても、少し綺麗な女性が
 身辺に来ると 「直ぐに手をつける?」等々、なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。 
 更には、預金通帳には?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、この位にしておくが、
 40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して変わらない。
 名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの存在なのだろう。
  ーー
 ー9月01日 1969年
その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大のビジネス・スクールの学生がいた。 
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう? 禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で
二人の議論についていけない自分が、そこにいるのだ。 何だろう、何だろう、何だろう!実践としてスーパーに入ったが、
何にもできない中途半端な自分がいる。実際のところ濁流の中で、もう水を飲んでアップアップしているだけの自分が、
神戸で一人呆然としているだけだ。どうしたのだ、どうしたのだ。 適当に真面目に考えることもないが。
  2005年 ー1月14日記ー
 ーこの時のショックは計り知れないものがあった。身近で、これだけの知的水準の高い、同年代のハーバード大学の人と
接したのは初めて。 会話さえついていけないのだ。一言一言の言葉が宇宙語のよう。その逆の環境の真っ只中にいたから、
その段差がなおのことあったのだ。「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま卒業をしたこともあり、
「いま一度一人になって知識の再構築したい」という気持ちが芽生えたキッカケになった。
司法試験受験をしていた高橋さんが三条市で弁護士になっていると、聞いたことがある。
まだ会ってはないが、実直な無口な人であった。懐かしい日々であった。
  ー2009年1月16日記ー  
 それはそうだろう、中学校を出て全く無垢の僧侶が、京大哲学科の老僧の直接の指導で10年近く学んでいるのだから、
 当時の私など足元にも及ばないのは、当然のことである。ハーバードも、恐らくかなりのレベルの人だから本人と対等に
 話せたのだろう。 今から考えてみても、その若い坊様が逸物なのである。 近くの名寺の住職が、以前、私が開いていた会に
 度々来ていたが、その人物に良い印象を持ってなかった。「何処かで酒を飲んで大虎になり、俺は雲頓庵の??だぞ〜」と
 喚いていたとか云々。この坊様が、また面白いが、省く。それと人物かどうかは、別のことだ。
(酒癖については、身に覚えがあるので寛大か??)そういうショックと、卒業真近かの興奮もあって、学校や寮の人たちとも
 色いろあって、グチャグチャになって卒業した、そして、卒業後は、一日2〜3時間は本を読む習慣をつけて、現在も続けている。
 そして、この程度である。「学生時代は、徹底的にグチャグチャになると良い」と、何かの本の中で誰かが言っていた。
 それが新たな創造の前の破壊ということだ。 それにしても、小さくまとまってしまった。 
 大小もないか・・・。砂利は砂利ということだ。 その砂利も「思い」でしかない! 最後は禅問答で終わりか!
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2008年01月16日(水)
2478, 「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −1    b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
 昨日の毎日新聞の −記者の目:黄昏の米国「多元的世界経済」へー(内野雅一)が刺激的である。
 サブプライム問題の深刻化と同時に、景気の減速どころか、「恐慌」が現実化をしてきた。 
機軸通貨ドルへの信頼感からアメリカへ 還流していた資金が原油と金、そして穀物にも向かっている。
 またアメリカ一極から、資源大国ロシア、中国、中東諸国へと、「多元的世界経済」へ変化を始めた。
 その移動過程で、一番影響を受けるのがアメリカと日本であるのは自明。 年末年始にかけてサブプライムや
社会的格差の実態をNHKが ゴールデンタイムに放送した。 それだけ事態は深刻ということである。 
  =まずは、その記事である=
「東証一時765円安」「大発会で最大の下げ」「原油高で大波乱」。1月4日付主要各紙の夕刊1面の見出しである。
普段ならご祝儀相場となることが多い年頭の株取引・大発会が「波乱の幕開け」になったことを伝えている。
  (字数の関係でカット09年01月16日)
 −−
アメリカのドル基軸は、サブプライム問題で瓦解したのだろうか?その結論を出すのは早いかもしれないが、
今までとは違ってきたのは間違いない。 アメリカの衰退は日本の衰退を意味する。   ヾ(=・ω・=)o☆バイバイ
・・・・・・・
2007年01月16日(火)
2114, セレブ殺人事件ーロスト・ジェネレーション   b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
現在を象徴する事件として多くの意味が含まれている事件である。
(字数の関係でカット09年01月16日)
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2006年01月16日(月)
1749, 心のままに生きてごらん−3            (゜Д゜*)ノ⌒【おはよう】
鳥はよけいなものを背おわない。 だから、とべるんだよね。        −87
過去は記憶のなかにしかない。 記憶はあくまであたまのはたらきで、
あたまはきりかえがきくから、過去も自分でかえられる。              −91
ほんのすこし時間をさくだけで、よろこんでくれるひとがどれだけいることか。
それなら、それをいとわないこと。 −96 
(字数の関係でカット09年01月16日)     ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪  
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2005年01月16日(日)
 1384, 生きる2004〜森山良子コンサート
 昨夜、何げなくTVの番組表を見ると「生きる2004〜森山良子コンサート」があった。
森山良子のコンサートを学生時代に見たこともあり、ジックリ見た。加山雄三・さだまさし・平原綾香の4人がそれぞれの時間を
受け持つもので、彼女のワンマンショーではなかった。誕生日に心に残る何かがないかと思っていたが、良いメルクマールになった。
かわいいものだが。何げなく皇后の来賓席の姿を映し出していた。そのためか全員の歌に熱が入っていたようだ。
加山雄三と森山良子は、学生時代の思い出の歌手である。さだまさしも心の歌をジックリ聞かせてくれる。自分の誕生日の贈り物と
勝手に思って聴いたが、部屋の電気を消して真っ暗の中で聴いていると、実際の会場にいるようであった。
特に、森山良子の歌の全てが心に響く。「今日の日はさようなら」は学生時代、また加山雄三の歌も当時を思い出させてくれる。
昭和40年代は経済の高度成長期のよい時代だったということだ。歌は時代背景を、そのまま反映する。
まあ誕生日に丁度よい番組みに当たったということだが、小市民そのものだ。
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2004年01月16日(金)
 1017, 足の話−2
 前にも少し書いたが、野球のスカウトがまず注目するのは足である。リトルリーグから大学を経て社会人に
なるまで観察し続けることもある。まず足が速いこと、それによって体のバネや筋肉や関節の柔らかさが分る。
野球はランニングに始まり、ランニングで終わる。大リーガーのスカウトは、特に足にうるさいという。
イチローや、二人の松井も脚力は並外れている。大相撲でも、入門をすると徹底的に下半身ー脚を鍛え上げる。
股割りから始まり、すり足、四股を教えていく。 そして、足指で土を掴まえるようになるまで足を鍛える。
本場所の相撲を見ていて、足に目があるのではないかと思うくらい微妙なところで俵の上で残ったりする。 
そこまで鍛え上げているからだろう。足を辞書でひくと、「体を支え移動させる機能。たとえば、動物の下肢、
立ちまたは歩行の用をなすもの、タコなどでは遊泳の用をなすもの」等が書いてある。 足といえば、「足が付く」
「足が出る」「足を洗う」「足を引っ張る」「勇み足」等々、慣用句にもなっているほどだ。
お金のことを「お足」とさえ言っている。これは、走るように去っていくという意味がある。いずれにしても、
自分の体を移動させる重要な機能である。 ところで、足の代用として何が考えられるだろうか。移動手段として見ると、
まずは車である。免許が無いのは、現代イザリとさえ言われている。飛行機、船、列車が考えられる。
このような移動手段の発達が人類の進歩に大きな役割を果たしている。 海から生物が陸に上がってきて進化する過程で、
移動手段としての足は重要な機能となった。鳥のように前足を羽に進化させて、空を飛ぶということで移動する生物もある。
また蛇のように一切足を持たない生物もある。逆に百足のようなものもある、
 ところで、今の乗り物の多くは生物の機能の真似から出来てきた。車は馬、飛行機は鳥、潜水艦は魚等。
しかし船だけは見あたらないというが。それと自転車やオートバイなどの二輪車は何だろうか?
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2003年01月16日(木)
 648, 流通業界を考える
実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。
その流れが都心の百貨店にきている。そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。
東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。
百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。問屋とアパレル業やメーカーの場所貸しでしかない。
 (字数制限のためカット 2011年1月16日)
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2002年01月16日(水)
 302、事前の一策は事後の百策に勝る
生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。これは準備の大事さ、計画の大事さをいっている。ビル計画の場合、
出来上がった後「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」ということが出てきても、その修正に莫大の
費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでもないと仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。
これ以上もう考えられないところまで、考え尽くす。それをどこまでやれたかが、10年〜20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して建物を造るという。数百年後の宮大工を意識して仕事をする。
以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。事前の一策を練る事といえる。
一般にみていると、「事前の一策の戦略ミス」を「事後の戦術でカバーしているプロセスを踏んでいる」ケースが多い。
本人はその意識もないレベルだが。他人事でないか?!事前の一策をどう打つか、立てるかがポイントになってくる。
それでは「それを十分に立てることが可能か?」もちろん「可能」である。十分な情報収集とその分析に、
時間とエネルギーをかけることである。過去の自分の失敗事例と成功事例を振り返ると、ここに行き着く!
準備とは集中の要である。準備とはなんに集中するかを、とことん突き詰める事だ。
計画中断も一策かもしれない。根本から数回やり直すことも、必要だったらやるべきだ。
やる前ならどうとでも修正できる。結婚もそれがいえるかもしれない。以前は「足入れ婚」があったという。
数年住んだあとで、籍を入れる、ああそうか今は同棲という形か!
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1月16日  1969年
9時起床。10時前に大学にいって卒論提出。万歳!これで頭を痛めていた難問をクリアーする。
内容は満足のいく半分のできであった。あれだけ努力をして、内容はこのレベルでしかない。
基礎ができてなかったのだろう。あちこちの文章を切り抜いて、自分の言葉に言い換えただけでしかない。
そこに新しい視点を見つけることは不可能であった。甘さといい加減さが、この内容が物語っている。
以前の自分はもっと自分に厳しかったはずなのにどういうことだろう。
そういえば今日試験があったのを知らなかった。これをとらないと単位が取れないという。
欠席届を出して、後はどうなるか様子見である。一つ大きな心配が増えた。
ゼミの河村と石川と外山と4人で研究室に行き、助手の横浜さんと話をする。
その後、寮に帰りTVをつけると、東大の校舎で反代々木系全学連が安田講堂にたてこもって8千人の警察官と
攻防を繰りひろげていた。まるで戦場である。 講堂の屋上からは火炎瓶、空からはヘリコプターが三機もいて
サイリュウガスを撒いている。驚くばかりである。駒村の部屋に行く。彼とは大きな距離を感じる。その後風呂に行く。
その後部屋に帰ってくると、先輩の永田さんくる。先日、飲みに行ったばかりだが、また彼と飲みにいく。
先日よりズット落ち込んでいた。あれだけ強気であった人が、何があったのか弱気なのだ。
もう秘書は辞めて田舎に帰るとか、鼻ー蓄膿症ーが悪くてどうにもならないとか。
 午前一時過ぎに帰って、就寝。

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