堀井On-Line



3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか?

2011年01月05日(水)

 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。
また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も弱者肯定の見本のようなもの。
ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、
ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が
人間にはあるようだ。 それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、野獣に襲われ
食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さないように、その記憶を長く残した。
逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。
その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪いことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。
だいたい、良いこと悪いことが同量が起こっていると考えればよい。 しかし良いことを思い出す訓練をしていると、
どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、
自然、その方に自分から擦り寄っていく。 例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアーの経験は、
週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、
再び訪ねている感覚で見ることができる。 また、自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくるもの。
 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似したTVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。
その繰り返しの中から怒り、憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。だから、嫌なことは、
意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。
言葉を持ってしまった人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。これが、マイナス思考を
更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身をつくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。

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3197,つれづれに ー 閑話小題
2010年01月05日(火)
 * 人生味わえば、8割は良いことになる
 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性が語った言葉が良い。
「人生、生きてきて、良いこと、2割。辛いこと、8割だった。しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」
が、印象に残った。「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。その話し相手に行っていたが、
彼らが終戦の一月前に出撃していった。 彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。
そのお陰で、疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、味わえば、
良いことが8割に変わる!」と、しみじみと語っていた。 そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが!
 * 面白いものである!
 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。 書いていると自己嫌悪に陥るのである。
自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマがなくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、
どうもこうも、ならなくなる。お手上げである。 しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。
その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚である。だから続けることができる。
 これは人生と同じじゃないか? そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じである。
その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 
 * 婚活ブームの後は、離活ブームだと!
 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞の社会面トップで取上げていた。
20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、
呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。
以前なら親が説得する程度のことを、親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、
分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、連れ添ったものなら分かっているはず。
 後記)去年に、偶然に同じようなテーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
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2832, 1秒でも早く・結婚したい女たち -2
 2009年01月05日(月)
  ー前回に続いての、まとめである。
・雇用機会均等法の中で育った40歳前後のアラフォー世代の女性たちは、キャリア志向が強く「仕事をする女はカッコイイーッ!」
 という価値観。 彼女たちが20代のときは「結婚して家庭に入るよりも仕事に生きたい」と願い考える女性が多かった。
 その結果で晩婚化していった。その盛りが過ぎたキャリアウーマンが、40歳に近づいて焦り始めているケースを取り上げていた。
・しかし、その下の若い世代(20代)になると、女の幸せを考えたとき「仕事で輝いたとしてそれが何ぼのもの?」
 「それが本当にカッコイイーッのか?幸せなのか?」と考えるようになり、結婚も仕事もこなす女性の方がカッコイイーッと
 いう価値観が生まれてくる。 妻となり母となり、キャリアウーマンをこなす「キャリア・マザー」がカッコイイーッと捉える
 女性が多くなっている。 全体として結婚して人生のパートナーをつかみ、仕事もバリバリこなすライフスタイルの賛同者が多かった。
・その女性の反面、男子たちは女性化している。かつてクリスマスの夜の予約に執念を燃やしていた男達は少なくなっている。
 肉食系動物より草食系動物系に男が変化しているという。 別に結婚に執着しない男が増えている。
 「現在の20歳の女性の4人に1人が一生結婚が出来なくなる」というデーターもある。
 女性週刊誌は、いかに男を見つけ口説き落とすかの特集が多いという。一時代前の男の週刊誌と同じになってきたようだ。 
 何か気持ちが悪くなってきた。 36年間、結婚生活を過ごしてきて結婚生活は、そう甘いものではないと実感する。
 慣れるに10年、諦めるに10年はかかる。そのあと10年かけて同じ方向を見るようになる。そして最後は「同居の貴女」になっていく。 
 それでも結婚しないよりは良い。人生の半分(いや、三分の二)は、結婚相手によって良くも悪くも決まってくる。
 私生活の大部分を一緒に過ごすのだから当然のこと。選り好みをしていたらチャンスを逸するし、焦れば「化け猫」
 を掴んでしまう可能性がある。どう見ても「化け猫と、ボケ犬」の組み合わせとしか思えないカップルが多い。
 もしかしたら結婚とは、こんなものかもしれない。 「一秒でも早く・離婚したい夫婦たち」というテーマを思いついた。
 この数年に同年代の親戚の男が二組、熟年離婚をして旅先に家庭を置いて実家に帰ってきた。  
 知人に倒産・浮気等で夫婦関係が破壊して、それでも同居している男が何人かいる。
 相手が気の毒だが、他人の家庭のこと。 地獄は、末期の夫婦の不仲にあるようだ?
 ・・・貴方の家庭のことではありません?! 念のため。そして私の家庭のことでもありません。
 過半数が、家庭内離婚というから、熟年離婚を書くのは拙いか?  
 私のように、浅くて長い河があるのは、如何か? まだ歩いてわたれるから、まあいいか?
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2008年01月05日(土)
 2467, 歌は世相につれ      ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
20年ほど前に経済評論家が「ナンバーワン戦略では、直ぐに二番手に狙いうちにあう。
ナンバーワンを深化してナンバーツーが辿りつけないまで磨き上げてオンリーワンになることこそ生き残りの戦略である」と論じていた。 
このオンリーワンの言葉をパクッタのだろうか、スマップの「世界に一つだけの歌」に、このオンリーワンという言葉がある。
オンリーワンの意味をしらない作詞家が「ゆとり教育」で育った若者に向た媚びた歌詞を作り上げたという見方ができる。
彼らも普通の人なのだから、そういう歌詩を批判する方が野暮といえば野暮だが。オンリーワンの本来の意味が個性ということだから、
その間違いを書いている。これだけ流行するのは、時代の現状を現している。ゆとり教育肯定派は
・一部勝ち組が賞賛される時代、それ以外でも精一杯生きる何処が悪いのか?
・オンリーワンと勝手に思い込む何処が悪いのか?
・生きているだけで全てではないか、それを気づかしてくれる歌詞の何処が悪いのか? それはそれでよい。
 しかし、それだけでは人生ではない!人生は世界に一つだけの花ではない、人間は。傷つき、汚れ、ボロボロになるのが人生。
個性は、それぞれの世界で長い時間をかけて自己を磨き上げてこそできるもの。
気持ちよく歌っているのにケチをつけることもないか!この素晴らしい?
歌詞を、改めてみると面白いはずだ!現在の『ゆとり教育』を失敗かどうかまで考えて読むと尚面白い。
 ーー
 「世界に一つだけの花」(NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one)
花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね 
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
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2007年01月05日(金)
2103, ウェブ人間論             (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
 このHPを開設して、あと4ヶ月で六年になる。開設した日の前と後というほど、大きなインパクトを持つことになった。
「誰かに見られている」という意識が文章の手抜きを最小にしてくれる。「手抜きができない」が一番の自己コントロールになっている。 
 平均2時間の準備と、寝る前に30分、 起きて30〜45分の添削をしている。それでも会社にいって読み返すと誤字や筋が通って
ないことが多い。誰に頼まれたわけでもないのに、毎日書き続けて2100項目になったが、確かにこの六年近く書き続けたことで、
何かが変わった。文章化の能力と、その蓄積と分類、そしてそのオープンソース化は、
人間の脳を根こそぎ変えてしまう不思議な何かがある。
  ー 第一章 ウェブ世界で生きる  −?
 *ブログで人は成長できる*
平野:梅田さんは新書や文庫という旧来型の紙という媒体で本を出される一方で、
  ウェブ上ではブログを書かれていますが、両方を経験して、どういう印象ですか。
梅田:まずブログというのは、まとまったものを読むのには不向きです。
  書くほうも読むほうも、一日でせいぜい原稿用紙で5〜10枚ですから。だから読むほうも、ジックリ読むのではなく、
  情報をパッパと見て、リング先に飛んで戻ってという情報ハンティングですよね。断片を消費するに近い。
平野:朝、新聞をざっと読むような感じで、ということですか。
梅田:ブログは文章の推敲が足りなくても、少々誤字があっても、リアルタイムが必要だということです。
  それに対し、本にしたのは、思考を構造化したかったということです。
  考えをひとつの構造にまとめるのに適したメディアはやはり本しかない。
梅田:むしろブログの本当の意味は、何を語る、何かを伝える、ということ以上に、もう一つあるのではないか。
  ブログを書くことで、知の創出がなされて以上に、自分が人間として成長できたという実感があるのです。
  ブログを書き始めたとき、最初は自分の中にどこかに、「シリコンバレーでずっとITの未来について
  考えてきたプロ中のプロの僕が、無料で毎日書くんだから、読者はありがたいと思って読むに違いない」
  という意識があったんです。毎日二時間ぐらい勉強した成果を、一時間かけて書くわけですから。
  (以下、中間略ー字数制限の関係で2,010年1月5日)                           ・・・・・・・・
2006年01月06日(金)
  1739, 人生の自己採点
 ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ       オットッ! 且_(゚◇゚;)ノ゙ アチッ!      
 私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。その中でも特に顔色を変える質問がある
「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。 
 おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。 それも次の言葉を加えるから厳しい。
「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから感覚的な数字をあげてみて」と、一瞬の間を置く。
 70点以上の人は直ぐに答えるが、それ以下の数字を頭に描いた人は黙ってしまう。この答えをはぐらかすには、
「合格点が60なら、その辺かな?いや努力をしたので70点あたりか。しかし他人は50点以下と評価するだろうな!」
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
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2005年01月05日(水)
1373, キュープラー・ロス
 去年の8月24日に『死ぬ瞬間』などの著者キュープラー・ロスがなくなった。その彼女の最期をリアルに映し出した
 ドキュメントを年末の教育TVで放送をしていた。その録画を一昨日じっくり見た。
 彼女の最後の日々のインタビューを見ながら柳田邦夫と山崎章郎とNHKの女性アナの対談形式で進められていた。
 彼女の本を数冊読んで何度か息を呑んだ経験を持っていた。そのためか、彼女の一言一言が心につき刺さってきた。
「私は聖女ではありません!ふつうの人間です。聖女など大嫌いです。そんな言われ方などとんでもありません」
 自分が死を迎えるに当たって、一番大事なことに気がついたといえば、愛を与えることと、愛を受け取ることです」
「来世が死ぬ人にとってのニーズなら、それを認め与えてやらなくは」(*´-ω-`)(*´・ω・`)(*´-ω-`)ウンウン♪
「死を覚悟して、自分がとるべき態度は悟り済ました姿ではない。死を看取ってきた患者の気持ちになって、恐れ慄く姿こそ
 私のとるべき態度です。その彼等の立場に自分がなって、その経験をすることこそ残された最期のレッスンです。」等々、
 言っている内容が深い。医者や看護婦や医学生を集めて、死にいく人とのインタビューの録画があった。
 もう数十年前の白黒画像で、末期肺がんの老人であった。死に直面した老人の心奥の恐れや悩みを引き出していた。
 また白血病の10歳位の子供のインタビューもあった。その子供の内面を、ロスが引き出していく様子が涙を誘う。
「死ぬことは違う世界に移り変わるだけ、そこには多くの人が僕を待っていてくれる」
「この病気になって気がついたことは、生きるということは辛いことだ。」 私がロスの著書で一番好きなくだりがある。
 ロスの最高の師が「黒人清掃作業員」だったということだ。ー重体の患者を元気づける不思議な能力のある黒人作業員の
 秘密が知りたくて、博士は彼女をスパイのように追いかけ回す。彼女に接した患者が誰もが癒される。
 作業員は博士に、彼女は息子を肺炎で亡くした経験から死を怖れず、「心配しないで。死は怖いものではない」と
 死に行く患者に語っていただけと言う。博士は清掃員を「人生の師」と呼び、自分の第一助手として採用する。
 ーこれが彼女のあらゆる本の中で一番彼女をそのまま表しているところだ。
・・・・・・
2004年01月05日(月)
 1006, 「この俗物が!」−2
一回で終わるつもりであった、あまりにも内容が面白いので続編を書くことにした。
 (字数の関係でカットー2008年0105)
・・・・・・・・・・
2003年01月05日(日)
 632, 自由化\(~o~)/
日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。 特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、金融ー銀行・保険、農家など殆ど全てといってよい。
自民党と結託した利権団体を隠れ蓑にした社会主義の共産党員社会である。その意味で今のこの混乱はソビエトが崩壊した
十数年前のロシア共産社会の混乱に酷似をしている。今の自民党はロシアの共産党以下のレベルを演じている。
それを支持しているこの国の民度の低さがますます露呈されている。その意味でこの3年間は更に激しい破壊の年になる。
システムや能力は激しい競争社会の中でしか進化をしない。それを否定し理想社会を夢見たのが共産主義や社会主義である。
チャンス平等でなく、結果平等を求めた。資本主義社会の矛盾の破壊の役割として有効に機能を一時果たした。
現在は、その役割を果たした日本的社会主義の終了過程にある。自由化とは何か??いや自由とは何??それぞれが自己責任を背負う事?
それを国家単位で放棄してきたツケがこの数年で一挙に清算過程に入った。 ところでこのホテル業界は規制が全くない。
結果的にこれが非常に良かった。競争対策を常に求められた。一見大変そうだが、競争対策がシステムに組みざるを得なかった。
従って現在大混乱にある甘さがよく見える。規制ー寄生の甘さである。例をあげてみると、スーパーが大店法に守られ
競争対策が全くなされてない。「存在意義が大店法の存在だけ」という事が露呈してきた。地方豪族化の漫画的存在が周辺でも見られた。
あと5〜7年後にアメリカのウォールマートに制圧されるかどうかの瀬戸際にたたされている。その前に自滅もあろうが。
ホームセンターやスーパーの1ロットが最低5000億の世界という。地方では500億で大企業だ。 その行方が??
・・・・・・・・・
2002年01月05日(土)
291、一人遊び
 孤独に強い人は、これができるかどうかである。一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、それって
「お宅」でないか。似ているがやはり違う。 それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
 結局中途半端のそれをいうのではないか?字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
 山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。別にそれをお宅といわない。 
 読書好きの人もお宅といわない。自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、
 求めてもそこに何もないことを、経験上知っているためだ。結局人間最後は一人だ。
 そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。
 これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくてはならない。
 その積み重ねが個性を作る。ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
・・・・・・・・
1月5日  1969年
 8時半に起床。 店に11時前にいく。長岡の街には人があまり出ていない。14時に兄三郎さんの婚約者の「木村恵美子」さんと
初対面。可愛い人というのが感想だ。17時に店を手伝い、家に帰る。正子さんに頼まれたものを間違えてしまった。
いい加減な自分に嫌になる。 ー今日の本にダイエーの中内功の言葉が印象に残った。
「われ進むところ常に道なし,荒野の中独り道をつくる」


3571, ダイヤモンドは 何故美しい?

2011年01月04日(火)

   ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の超新星爆発で出来たものとされている。
 この太陽系は、宇宙がビッグバンで出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、
 ダイヤモンドができるという。 だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
 《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近知り、世界観が少し変わるほど驚いた。
 テッキリ地球上の物質は地球上で出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた物質が
 衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、当時の物質が地球上にあって不思議ではない。
 超新星爆発という「恒星の死」の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質がダイヤモンド、
 といえば見方も変わってくる。 地球生成以前から、ダイヤモンドは宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、
 他の物質を加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、物質に対する見方も変えなくては。
  この歳になって、本当に知らないことだらけ。いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。
 人間が持つ、それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年でしかない。 それに対し、ダイヤモンドは50億以上の宇宙の旅をしてきた。
 その「私」など、それに比べると宇宙のチリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を知ることである。
 人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。  
   石か〜  森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、これが人間の理想的な生活というが・・・。

・・・・・・・・
3196, 一〇〇年前の世界一周
2010年01月04日(月)
  「一〇〇年前の世界一周  ある青年の撮った日本と世界」     アベグ,ワルデマール著
   =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、
  中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
  とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。
  まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 
   *ベグ,ワルデマール= 【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。大学で法律を学び、卒業後公務員となる。
                ナチズムに反感を抱いており、第二次世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。 1961年没】。
〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。
2009年11月30日発刊とあるから、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。 
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。写真も、その記録も本書で初めて出版になった本という。
アベクの趣味が写真撮影のためかシャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山などを撮っている。
 公務員として33歳になった時に、研修旅行の名目で休暇を取る。 17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから
流行した青春の締めくくりの旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。
 1905年4月、青春時代から親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちとともに大西洋を渡り、
ニューヨークに上陸。 当時の米国は経済・産業が発展を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、
地下鉄の高架路線が走る。 半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから、日本に到着。 ニューヨークで知り合った
ガイドのナカノの案内で旅を始めた。  撮影した銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮からインド、エジプトを経て故郷に帰った。 
カラー写真が半分を占め、当時の写真としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 
 ・・・・・・・・
2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
  一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。
 ーまずはHPの番組説明からー
◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、女性たちの結婚観を探る。
 自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法などライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、
 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、
 結婚相談所主催の見合いパーティー、20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。
 さらに20代女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかにして形成されてきたかを
 解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
  *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K)高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
・結婚相談所のお見合いパーティーは女性よりも男性が集まらないというから驚きである。
 以前は男が多く、女は「さくら」が多かった時期があったという。
・また、「三手」‘手をつなぎあい’‘手をとりあい’‘手伝ってくれる’人を求めるという。
 アホクサ!とも、言ってはいられない。 幼児化してきたのだろう。
・久米宏は「圧倒的に晩婚化が進んでいる中で、ある世代に突如早婚化の兆しが見えるのは珍しい。
  キャリアを積んで、仕事場で上昇するという生き方がイリュージョンだって気づいたのかもしれない」と分析。
・さらに「僕は、経済状況が厳しくなると女性の結婚願望が増すと思うんです。不安感がますから、つっかえ棒がほしい。
 多分、精神的なものを求めているんだけど2人なら支え合って生きていけるという、不安が半分になるんじゃないかな」と分析。 
・キャバクラでは、「アルバイト嬢が“いい結婚相手を見つけるにはほかの仕事よりも優位”」と言う。
・女性たちの育った時代、社会環境、経済状況を検証し、2008年結婚の価値観がいかにして形成されてきたかを解き明かす。
・スタジオゲストは、議員の小池百合子、京都大学大学院研究科教授でゴリラ研究の権威でもある小極寿一、タレントの小倉優子。                                            −つづく
  ーー
  要は、情報化で、互いに夢が、幻想が、無くなり、シビアになったということか?
 社会学が好きな者にとって、今の若者の生態を知るのに持ってこいの内容である。
 私の子供が30歳、33歳のこともある。その前後を含めて見るということだ。
 14歳の頃に両親や社会環境から受ける影響が大きいことを、この番組で知ったが、18歳までは親の責任も大きく左右する。
 日本も含めて、縮小化社会になるが、それは内篭り傾向が強くなる。
 家に篭る、家庭に篭るに、やはり結婚していた方が良いということが、早く結婚したい焦りになるのだろう。 
  それにしても何時の間にか、良い夫に仕立てられている、私は! たくっ! ・・良いは良いでも、都合の良い夫だが。
・・・・・・・・・
2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
   「今日を楽しむための100の言葉2」+「−−100の言葉3」伊藤守著 ディスカバー21   オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために捨てる時期も必要である。
 その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。要するに人のことばかり気にしないで生きること、
 そして楽しくないことを如何に面白く転換するかである。歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えたからである。
 ということは中年以降の開き直りを言っているに過ぎないと言えば、それまでだが、しかし、それを若いうちから知っておく
 必要もあるのか? 世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割である。だから敢えてこういう本が
 ニーズになるのである。『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、味方をつくることから遠ざかっている。』
『自分を愛することと他人を愛することが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなんてあるわけない。
 ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』『人が何を思ったっていい。
 自由に思わせればいい。介入する必要はない。思っていることは思っていることでしかないんだから。』
『喜ぶには、理由が必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
『嫌いな人とも 口がきけるようになりたいだって? いいんだよ、嫌いな人とは口はきかなくて。
 八方美人をしているから、息苦しくなるんだよ』『いい人ほど死んじまうだから、いやなヤツでいろ。』
『ほんとうに思っていることを伝えたいなんて幼稚で未熟。あなたの気持ちほど、あてはならないものはないのに』
『何を言うかは問題ではない。大事なのは、誰が言うか、どんな状態で言うか』
『話なんて合わせておくだけで良い。なぜ、相手の考えを変えようというのか』
『申しわけないくらい、あんたのことなど見ていないよ。誰もあんたのことなど何とも思っていないよ。どう思われる?』
『自分のこと正直に話したら、弱味を握られるか、馬鹿にされるか、鼻先で笑われるか、
 友達をなくすか、だいたい、このうちの一つがおきます。ただ、それだけですから。』
 ーーー
 そういえば、倒幕、その上に明治維新という扉を押し開いた高杉晋作。
 「面白くなき世を面白く」という言葉が、人生の根本だろう!!
その意味でネットは大きな武器になる。      ヽ(*´∀`*)ノ.+゚またあ〜〜♪.+゚
・・・・・・・・・
2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ −2
   ohayou_〆(∀`●)
(以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、以前の文章と比べてみるのも面白いだろう)
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、
カメラをつけたカメラマンがバンジージャンプをする場面があった。ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている
100Mの鉄橋の上から、飛び降りるのだ。世界で一番高いジャンプ台である。私も11年前に飛び降りたことがあるが、
今はもう無理だろう。「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。その数年前に、
ニュージーランドで43?の橋の上から飛び降りた時の恐怖心が、その時に立ち上がったからだ。そうなったら身体全体を
フイゴのように呼吸するしかない。そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、
あんな感じなのだろう。飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。躊躇したら恐怖心が数倍になるのを
知っている。身体を前に向かって投げ出すしかないのである。そして投身! その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」
という声が聞こえてきた。そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げたのである。
引き上げられる時に更なる恐怖心が襲ってきた。自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、紐のついた鉤をかけて引き上げ始めた。
もうできないが、何ごとも経験である。南アフリカ旅行といえば、これが強烈過ぎて他が霞んでしまった。
   (以下字数の関係でカット2009年1月04日)
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2006年01月04日(水)
1737, 日本一短い「母」への手紙   ー 読書日記
   (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
人は誰もマザコンである。だから、嫁姑の問題は深くなる。 母親の子供に対する愛ほど深いものはない。
その愛の深さは人間の心の奥深く沈殿して一生の温もりになる。その温もりが人間形成の基礎構造になる。
両親の温かさが感じ取れない人は信用しない方がよい! 温みのない人は、その温みを他人にもとめる。
しかし、他人との間の温みは独りになるとスグさめる。母親の温みは、そのまま直に子供に与えることができる。 
良い母親に当たるかどうかは神の判断の領域である。 良い母親になるには、良い伴侶が必要だ。
それも、母親の責任になる! 両親への感謝が、その人間の温みの原点である。     ♪♪アリd(*´□`*)bガトー♪♪    
 ・・一筆啓上賞・・
お母さん
  雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。  もうすぐ雪ですね。       天根利徳(大阪府51歳)
後10分で着きます。 手紙よりさきに着くと思います。 後で読んで笑ってください。 瀬谷英佑(愛知県16歳)
「私、母親似でブス。」娘が笑って言うの。 私、同じ事泣いて言ったのに。ごめんねお母さん。田口信子(群馬県38歳)
桔梗が、ポンとおとをたてて咲きました。 日傘をさした母さんを、思い出しました。   谷本栄治(京都府65歳)
 (字数制限のためカット 10年1月4日)
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2005年01月04日(火)
1372, 日本人と笑い   あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪  ┌(。Д。)┐ あはは♪ (o_ _)ノ彡☆ばんばん
  昨日の朝日新聞に、「日本人と笑い」をテーマにした全国世論調査の結果が出ていた。
    その中で、印象の強い順に抜粋してみる。
   ・最近よく笑うー62%
   ・人を笑わすことが好きー61%
   ・若い人ほど良く笑い、歳を重ねるほど笑いが少なくなる。女性の方が、男性より笑いが多い。
   ・どういう状況で笑うことが多いか?に対する答えとしては20代では9割が「人と話している時」であり、
    高齢者ほど、「TVや漫画を見ているとき」が増えていき孤独な笑いがふえる
   ・ユーモアのセンスは、「かなりある」「すこしある」を合わせて、全体の6割。
   ・親父ギャグに代表される「親父ギャグ」については、76%が別にかまわないと肯定的であった。ワーイ♪\(^ω^\)
  (字数制限のためカット 10年1月4日)
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2003年01月04日(土)
 631, 文化と文明
文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと
2、人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、みずからも自然状態から脱して作り出してきた
 物質的・精神的ないっさいの成果。フンボルト以来物質的文化を文明、精神的文化を文化と呼び分けることが多い。
これまでは 文化の積み重なりとしての遺産を文明。その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。 ロングスパンのものを文明として捉えていた。
しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
 ー 各ホームページから抜粋したものを纏めたものである ー
・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。
ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して向けられる言葉であるが、
ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに対して向けられる言葉である。
 最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる
「文化」と「文明」という言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。
・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」などのように、特定の時代の、
 しかも特定の人々の社会もしくは経済的所産を指しており、その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものとなっている。
・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか「仏教文化」というように、
 たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、その時代や地域に制約されることなく、
 その多くは今日まで何らかの形で生きている。確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、
 文明なしの文化、文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。
 高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
  ――例えば古代インド人―― 一方、大いなる文明を持ってきたが、
 比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、そして現代ではアメリカ人―がいるのである。
 歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、文化と文明との闘争であるとさえ
 言いうるであろう。アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、文化と文化の争いでしかない?
 ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
 幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした学者並みの小論文が出来上がる。
・・・・・・・ 
2002年01月04日(金)
290、歓喜ー2
TVであるが、元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートがよかった。 
あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」やワルツ「美しく青きドナウ」などであった。それに合わせ他の?お城でダンスを
踊っているのが夢のような世界である。指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる歓喜の世界であった。
当然最後はアンコールの拍手の渦であった。 この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが
芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。 歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に
与えるものである。音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、作品に仕上げたものであろう。
それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。 歓喜は当然のことだ。
・・・・・・・・・
1月4日 1969年
 10時に起床。
食事をして、顔を洗い、新聞を読んだりして時間を過ごす。 午後は裏に住む姉の正子さん宅の屋根の雪下ろしだ。
2時間した後に、従妹の旦那の関口さんが来る。 高専の先生をしている。彼と学生運動から教育論について話す。
気がついたら3時間も経っていた。気持が若く開放的だ。 先生とはこういうものかと思った。
20時からジャスコオカダヤの論文の構成を考えるが、上手くまとまらない。
この程度の問題がナカナカ上手くいかない。 如何したのだろう。


3570, チョットした小話 ー2

2011年01月03日(月)


    ー 初笑いー
 * 臨月に入った、ある奥さんが電車に乗った時の出来事。上品な紳士に席を譲られ、お礼を言って座りました。
   その紳士が下車する一瞬、紳士の着るスーツの襟に付いた、見覚えのある社章に気付きました。「主人と同じ会社だ」。
   帰宅したご主人に事の顛末を話しました。奥さんから聞いた背格好から推定し調べた結果、顔見知りの、
   別の課の課長さんである事が判りました。課長さんは「ああ、君の奥さんだったのか。こんな事もあるんだねぇ」と言い、
   この偶然について驚いていたそうです。3ヶ月後。課長さんの自宅に、奥さんの名前で一通のハガキが届きました。
   赤ちゃんの写真が印刷され、その横にはこう書き添えられていました。
  「その節は、ありがとうございました。この子は、あの時の子供です」 その日、課長さんの家は、大変な修羅場と化した。
 * 小さな島国の小さな人間がだ。
    10年で国を根こそぎひっくり返し、
   20年で中国と戦争し、
    40年でロシアと戦争し、
   80年で太平洋全域で戦争し、コテンパンにのされたのに世界二位の経済国になり、
    アメリカの横面を札束でひっぱたきそうになった。
   そんな国が平和を唱えたとして、信じるバカがどこにいる。 
 * るるちゃんはいつも、ママとおふろに入っています。
   ある日の夜、るるちゃんがテレビを見ていると、おふろあがりのパパが素っ裸で出てきました。
   全裸のパパを真正面から見たるるちゃんは、驚いて声をあげました。
  「ねえママ!!パパのあれ、なあに?まんなかについてる、ほら、あれ!」
  「るるちゃんたら。指差したりしないの。あれは大事なものなのよ。
   もしあれがなかったら、るるちゃんは今、ここにいないのよ」
  「へえ。そうなんだぁ」  「・・・まあその前に、ママもここにはいないでしょうけどね」    
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3195, 三が日、つれづれに
2010年01月03日(日)
 今年も明けた。久々に雪は積もり、風が吹き荒れる冬らしい正月である。腰痛も今のところ治まっているし、
少し鼻風邪気味以外は体調は良い。そろそろTVや新聞で、今年の予測が始るが、金融恐慌からくる世界不況は
収まる気配はない。恐慌とはいえ、戦後からの60余年のインフラ整備があるので、一見穏やかに見えるが、
普段の生活に不況感と、周辺環境から聞こえてくる話しは厳しいものが多い。
これまでは、2対6対2の割で、裕福、普通、余裕なし層というイメージが、1対4対5の割りになってきた。
更にいうと平均年収の半分以下(日本では200万円以下)の層が6人に1人の割りであり、母子家庭の過半数が、
その層になっている。 最近の貧しさの背景は、グローバル化と、情報化、ハイテク化がある。
経験でしか得られなかった個々人の能力の大部分が、ハイテク器械とか、システム化で単純労働に置き換えられた。
更に海外から安いものや人が入ってきており、グローバル化による労働賃金や物価の平準化は抑えようもない。
問題の先送りも、いつか数倍になって返ってくる。21世紀は決してばら色ではない。しかし、情報は誰にでも
劇的に安く手に入る時代でもあり、チャンスも無限に広がる。 我われは、生涯を全うするために生きる。
その大きな位置を占めるのが「知ること」である。その意味で、人類にとって非常に良いインフラが劇的に整備される時代である。
携帯でミニブログ「ツイッター」を瞬時書き込み、その場で発信できるようになってきた。先日、地震があった時に、ツイッターに
「地震」と入れたら、「今、地震の揺れで目がサメタ。まだゆれている」という生々しい書き込みが、次から次へと出ていた。 
ツイッターにビデオを貼り付けるソフトもあるから、キーワードを入れると、いつでも現場の臨場感のある情報が行きかうことになる。 
鳩山首相も、今年からツイッターを公開するとか。 去年のオバマも選挙でツイッターを、最大限使って勝利した。
 時代は厳しさを増しているが、無制限に近い状態で情報が入手可能である。 想像を遥かに超えた時代を、
我われは経験を始めた。 誰も、数年先のことは想像すらつかない。 
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2830, 新年に、つれづれなるまま! −2
 2009年01月03日(土)
  * 自らの文化を大切し、誇りを持て!
 年末30日の産経新聞の一面の岡本行夫の「人界観望楼」の中の一文である。 
  そのテーマは ー歴史は「現在進行形」ー
《 今年の初め、私はある中学校を訪問して、二年生のクラスで質問をした。「君達、松尾芭蕉のことを知っていますか?」
 生徒達は当たり前だという顔で答えた。 「小学校で習ったから、みんな知っている」「えっ、みんな?」
 クラス全員の手が挙がった。「知ってます」に驚いた。これはウクライナの首都キエフの中学校のことだ。
 日本の中学校で同じ質問をしたら如何だろう興味があることだ。 ウクライナの学習指導要領には
「自然を描写して気持ちを表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ日本と
 日本人に対する尊敬の念を養う」とあると、前駐ウクライナ大使の馬淵睦夫氏から聞いた。
 ・・・馬淵氏は「ウクライナは自らの文化を大切し、誇りを持っているからこそ、他国の文化に対して関心を持ち、
 尊敬の念を持つことが出来るのである」と書いている。日本人が胸を張って世界に輸出できるのは、「日本人」である。
 これほど善意で真面目で勤勉な国民はいない。例えば途上国での援助活動において日本人ほど愛情をもち、かつ大きな
 成果をあげている人はいない・・・・ 》 
  以上だが、成るほど、今どきウクライナみたいな国もある。「日本人の特質こそ誇るべき」である。誇るべきことがなければ、
 他者のそれも理解できない。私の通勤途中で、ゴミが落ちているのを見ることは殆ど無い。誰も捨てないし、あっても住民が
 掃除をしている。当たり前の普段の現象が外国に行くと、そうでないのが理解できる。 欧米文化に追いつけ、追い越せが
 果たして進歩なのだろうか。 哲学の世界では、欧米文化主導の価値観に疑問を呈している。
  外を見る目で内を見つめないと! 個人として、企業として、国家として。 
  * 今年になってしまったが・・・
 今年になってしまった。目先はオバマ次期大統領の言動に注目が行くだろう。 問題は、その熱が冷めた後である。
昨年の10月の最初の二週間で、アメリカの銀行は毎日4300億?以上をFRBから借りている。
総額は二週間で5兆ドル以上。それだけお金をつぎ込んでも問題が解決されていない。
ビッグスリーだけを見ても、今後も膨大な損失が予測される。恐らく、ブッシュ政権が隠していた実態がオバマ政権に
移転したと同時に次々に公表されるだろう。その時に世界は真実を知ることになる。 いや、知らしめないか??
・・・・・・・・・・
2008年01月03日(木)
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる −2    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。もし、そのアイディンティーが、寄る当ての無いものなら、
寄る当てのあるように変えていかなくてはならない。まずはボタンのかけ違いを一番初めから、かけ直さなくては。
居場所こそ、人間が持っていなくてはならない場所である。私の場合は、机と本棚である。
そこに好きな愛読書とコーヒーカップが有ればよい。 そしてステレオかラジオかTVを置く。 
誰でもが、まず始めることだが!現在なら自分のパソコンと、その中のブログと携帯電話になる。
ブログは、そういう意味で居場所の概念を変えてしまった。携帯かパソコンが身近にあれば、それが自分の居場所になる。
それもあるが、前回にも書いたが、やはり暖かい家庭こそベースになる。
*前回の続きです*
ー 芹沢
この話が告げているのは、悪いことをやる奴には「悪いことは悪い」ときっちりと教えなくてはいけない、
それを強い規律と指導と訓練で教え込もうというような方策が、実は失敗への道でしかないということです。
いまアメリカがイラクに対してやろうとしていることは、それに近いですね。でも、その女性がやったことはそうではない。
盗みでもしなければやっていられないような彼自身の、安心も安全も安定もないようなこれまでの人生を、
ーそれは過去からの歴史が作っているわけですけれども、しっかり受け止めたのです。受け止められた中で、彼が変わっていくのです。
例えば、青年はものすごくケチで、自分のことにはお金を使うけれども、人にプレゼントなんて一切しない人だった。
そんな彼が、彼女にプレゼントを初めてしたというのです。そんなふうに初めて安心、安全、安定できる場所ができ、
ここが自分の居場所なのだと初めて感じたとき、その居場所を作る支えになった人が大切な存在として見えてくるということが
起きているのです。 すごいな、と思います。彼女は母の役割をしたのです。 
母というのは「存在の大地」につながるのだ、とそのケース・カンファレンスを聞きながら実感しました。
 ー 二階堂
芹沢さんは、先に大地とは居場所だと言われましたね。言い換えれば、どこに座っているか。
仏教では、仏さんそのものより仏さんが座っている蓮華の座をまず観て大事にするのです。
どこに座っているかということで、その人間がわかる。座る場所がなくなってしまうのが、いちばん苦しいわけです。
「拠りどころ」という言葉もありますね。「人・地に寄るが故に倒れる・還りて地に依りて立つ」(地に因りて倒るる者は、
地に依りて立つ)という言葉が仏典(『入大乗論』にあります。人はいろいろな苦難があって、大地に倒れても、
必ず同じ大地から立ち上がる。 良い言葉だなと思います。
 −−−
心の拠りどころ、心が何処に座っているのか、それも大事である。自分の夢と信条、好きなことを明確にして、それに従って
生きることこそ重要である。そして、物理的にも自分が座るべき場所を明確にしておくことも! 父親の位牌とか、母親の形見とか、
そういうものを常に身近に置くことも居場所つくりに良いだろう。森の鎮守様など、それだろう。    ヽ(・д・`●)
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2007年01月03日(水)
2101, ウェブ人間論 −2
  b(^o^)dおっW(^O^)Wはようー♪  
この1〜2年でネットによって社会が劇的に変わりつつある。光ファイバが各家庭へ劇的に普及したことと、
ブログと、携帯電話の進化のためで、この激変はとどまることはない。私の今年のテーマは現在のHPから
「ブログ」への転進である。第一章から内容は深く核心をついた内容になっている。梅田のネット世界が窺い知れて面白い。
 第一章 ウェブ世界で生きる  −? 
  *ネットの世界に住んでいる*
梅田:今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8~10時間位ネットにつながっていて、「ネットの世界に住んでいる」
   という感覚である。僕の仕事は、アメリカで考え事をして、ニケ月に一度日本に戻り日本企業の顧客と議論するという
   スタイルなので、東京にいる間は、打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットにすめない。
   だから僕は「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、ネットの世界が僕にとって「リアル」なのです。
梅田:ネット上の僕の分身が僕のブログだから、まずそこに行きます。 家族が元気かどうか、
   家は家事になってないか心配する感覚で、分身が異変を起こしていないかを、確かめに行きたいんですよね。
梅田:少しまとまった時間があれば、いつもチェックしているブログを見に行きますが、それだけでも英語のもの、
   日本語のものあわせて300~400位あります。気になっている人300~400人の日常や、いま考えていることを、
   シャワーのように浴びるっていう感覚でしょうか。もちろんリアルの友人のブログもその中に含まれますが、
    それは全体からみればわずかですね。
平野:僕が2004年にパリに住んでいた頃に、ネットカフェがパーッと増えたんです。当時のパリは、
   自宅のネット接続まだまだ遅くて、やっとADSLが出てきたという調子であったからと思います。
   パリのカフェは本当に人がお喋りをする場所で、いつ行ってもフランス人がダラダラ喋っている空間であったのが、
   いまやインターネットカフェでは誰も口をきかず隣の人でなく、数千キロ、数万キロ離れた人とやりとりをしている。
   これは何なんだ!という雰囲気が、特にネットに関係ない人たちの間にありました。
   その時、コミュニケーションの際の「時空」の把握の仕方が変わってきているなと、感じました。
*検索がすべての中心になる*
 梅田:「ウェブ進化論」でも紹介した将棋の羽生善治さんの「高速道路」論というのがあって、
 「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなる高速道路が一気に
 敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先には大停滞が起きています」と、彼はいうわけです。
 僕はその大停滞を抜け出せるかどうかのカギの一つは、構造化能力と思っています。
               (以下字数の関係でカット)−2008年01月03日  ーつづく
 −−−−−
 映像ブログが本格化してくると、また一味違った社会が出現するだろう。
 梅田のブログを、興味を持って見つづけるしかないか・・・ 1975年生まれの人が、
 ウェブ人間の大きな境目になるというが、息子の歳である。なるほど、見ていてそう思うが・・・ ホンジャ(*^ワ^*)i
・・・・・・・
2006年01月03日(火)
1736, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −2
           ヽ(*´∀`*)ノ.+゚おはよ〜♪.+゚
このシリーシーズの「喜怒哀楽」は、読めば読むほど良い。心は、喜怒哀楽と感激・感動・感謝が大きな比重を占める。
日常は、それが原動力で動いているといってよい。感想文かわりに、絵文字で語ってみました。 \(@^0^@)/♪
怖いのは、怒っているのに笑っている人。  偉いのは、哀しいのに笑っている人。  阿部 智幸(山形県 43歳)
  (字数の関係上、ここでカット、あとは過去歴から! ) 
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2005年01月03日(月)
1371, 人生における成功者の定義と条件−1  −読書日記
  (字数制限のためカット2011年1月3日)
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2004年01月03日(土)
1004, 正月の過ごし方
  基本的には寝正月だ。元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる兄一家と酒を飲む。
  2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが習慣になっている。近くの料理屋のものだが、絶品である。
  ?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
  内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。 魚屋と料理屋の差は歴然としている、仕方がないが。
  2日は家内が子供と実家に泊まる為、一人で帰ってきて何処かのスナックで酒を飲む。
  今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしくしていた。年末年始の挨拶は一切なし。
  図書館で読んだ月刊誌の中で、正月に対して今の若い人は以前ほどの思いいれはないという。
  むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。 正月に対する若者の意識の変化は家庭崩壊の一つの現象と、
  筆者が分析をしていたが、少しオーバーに思えた。日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があったのも年越しの
  思い入れにあったのだろう。 田舎や実家に年二回帰る習慣はやはり根強い。これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の
  少ないのに気が付いた。 初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、7〜8年前にタンザニアの年越し位である。
  あとは全て両親か母親と供にいた。実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。
  反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は強烈な思い出がある。
      以下をコピーしておきます。  
 -H10・01  タンザニア・サファリ -
 (字数の関係でカット09年1月03日)
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2003年01月03日(金)
630, クロスエンカウンター
仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ー の英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との出会いを兼ねてクロスエンカウンターと訳した」
 という言葉が印象的であった。先日読んだ野口悠起雄の本に大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの
 緊急の話題をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸のキーワードを探して話をまとめるとよい」という内容があった。
 一つの例として学校でのケースで考えてみると先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。 即興で作ってみると
「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場が明確になる。 生徒の一生を縦軸とすると、
 先生やクラスは大きいメルクマールであり、知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。逆に先生の立場を縦軸とすると、
 教師生活での担任は先生にとってもメルクマールになる。その時々のクロスこそ教師にとっても生徒にとっても
 真剣勝負でなくてはならない・・・」このことは時間が縦軸、空間が横軸といえる。
  商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横にして話の構成をすればよい。取引先と店も縦横にできる。
 これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。対象を縦か横にすえて自分との対比とか、対立する対象を縦横にして
 考える軸にすればよい。 一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。そしてその中心は自分だったり神様だったりする。
・・・・・・・・
2002年01月03日(木) 289,歓喜
「歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」
 私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の一文である。「生きてきて人生これだと思う」
 という内容だった。その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。 実を言うと私は「たとえ話」を
 自分の思考法に昔から使っている。喩えの名人になってしまった?いや迷人か。この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。
 彼らの多くが監督、コーチになっている。もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み重ねの中で、
 上記の内容を全身全霊に体験したからである。勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。
 どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験にかなわないのは、それは理智に留まっているからである。
 秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。
 薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然のカタチになってしまうからだ。
・・・・・・・・・・
ある時間の断片
1月3日  1969年
 10時に実家の店に手伝いに行く。17時まで働く。あまり街には人出はない。家に帰って食事をする。
 22時から本を読む。そういえば店にいたら中学校の同級生の山本に会う。
 中学校以来だが、殆ど変わっていない。実直な大人しい男だ。長崎屋に勤めているとか。
 同級の阿部さんと遠藤が結婚したという。思いもよらない組み合わせで驚いてしまった。
  そういえば数年前に同級会の2次会で二人が中座をした事を思い出した。
 それと姉の正子さんに長靴を買ってもらう。お返しに、持ってきたカーネギーの「人を動かす」を贈る。


3569, 沈黙せよ! ー2

2011年01月02日(日)

  「語りえぬものからの問いかけ」 ー東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
   《「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説 ー沼野充義 》の沈黙」
  * 究極の逆説
 ー まずは、沈黙せよと言いながら、沈黙を破り、この文章を書いている矛盾そのものが、以下に書かれている ー
【 ーそもそも「沈黙」をめぐる詩が存在するということ自体、なんだか妙なことではないか、ということなのです。
「何を言っても他人には理解されない、何かを口に出したら嘘になるのだから、沈黙せよ!」と主張している詩人がみずから
 その主張に従ったら、詩は書かれなかったはずではないか。そもそも「沈黙せよ」という主張を言葉によって行なおう
 とすることのうちに、矛盾がひそんでいます。厳密に論理的に考えると、これは「クレタ人はうそつきである、
 とあるクレタ人が言った」という、あの有名なエピメニデスのパラドックスにも似た状況でしょう。
 もっとも、私は哲学にも論理学にもまったく疎いのですが、言語芸術を多少なりとも扱う立場からあえて理屈をつけると、
 その「矛盾」とはこんなふうに説明できるのではないでしょうか。 つまり、
  ;言語とはそもそも「何かを言い表す」ために人間が獲得した道具である、
  ;しかし、その言語をもってしても「言い表すことができないもの」がこの世界には存在する……。いや、ここまでならば、
   特に妙ではありません。 どんな道具にも、どんな技術にも限界がある、それだけのこと。しかし、その先に、もう一つ、
  ;その「言い表すことができないもの」について、それでもわれわれは何かを言い表している、なぜなら少なくともそれが
 「言い表せない」ということをわれわれは言っているのだから、という段階が付け加わると、やはりこれはなんだか妙な事態、
 ここにはどうも解きほどきがたい厄介な問題が含まれているのかも知れない、という気になってきます。
  無意味な屁理屈のように聞こえるかも知れませんが、ある意味ではこの厄介さこそが言語による表現の本質ではないでしょうか。
 言語によって何かを表現しようとするものは必ず、その表現の限界に行き当たります。「言いたいことが自由に言えるから、
 それがそのまま作品になった」とのんきに言っていられる文学者は、じつはまだその限界に突き当たっていないだけでしょう。
 真の創造のプロセスは、むしろその先にあります。「言い表せない」ものに向き合ったとき、それでもなおかつそれをどうやって
 言い表すことができるのか、この観点からすれば、文学的表現だけでなく日常言語でも常に使われる直喩や隠喩、換喩といった
 比喩的表現の数々も、「言い表せないもの」をなんとかして言い表そうとする人類の古くからの努力の結晶ではないか、とさえ
 思えてきます。本来、比喩とはあるものを、それ本来の名前で呼ばずに別のものの名前を持ってくる、という手法です。
 どうしてものや現象をそれ本来の名前で呼ぶことができないのか、それは究極的に、言語が不完全なものだからです。 ー 】
  ==
  沈黙するしかない弱者にとって、「語りえない」はありがたいことなのか、それとも、この言葉に反発を持つのか?
 どうであろう。言い尽くせなくとも、限界の範囲の言葉で残しておく必要性はある。 チュッチェフの詩「沈黙」は素晴らしい!
・・・・・・・
3194, 句読点とは妖精のようなもの! ー1
 2010年01月02日(土)
毎日、文章を書き続けていると、文章作法で色いろの問題にぶつかる。といって、誰も教えてくれない。
小説(の書き方)などには、作法の習得は、多くの本を読んでの我流という。「文章の書き方」とか、「小説の書き方」とか
いう講座もあり、経験則を教えているようだが、突きつめると独学しかないようだ。 とにかく量をこなすしかない。 
まずはテーマと構想をたて、とにかく書いていく。そして起承転結の体裁を整えて、その後に、添削するしかない。 
そのプロセスで更に考えるのである。そこで一番の問題は、「 、」と「。」である。 後者は、とにかく三段論法で
「。」で締めればよい。しかし、「、」となると、難しい。 何かの本で、「ね」と入れて、ゴロが合えばよいとあった。
 「片耳の話」秋山駿著、の中に【句読点とは妖精のようなもの】という小項目があった。
ここで「泰西の画家が、裸婦のオヘソを、しかるべき位置に遅疑なく描くには、30年かかったというが、
句読点の置き方にも、それに比されるところがある。」と、あった。  句読点の打ち方に何か法則があるか調べたが、
それは、本人の息のつき方と同じで、決まりないという。 それが読むものにとって、奇異であれば問題である、等等で、
エイヤッと、これまで書いてきた。 量をこなしているうちに、自然と収まるようになってきた。 
裸婦のヘソの位置と同じで「量を書くしかない」ということ。 この文章でも、句読点の位置には違和感がないはず?。 
この随想日記を書き始める前の文章の句読点は、ところどころ変なところで、うってある。秋山駿は、そこで「句読点は、
文章の流れの裡に内在し、言葉の連続の間に出没する、何か妖精のようなものだ。自分勝手にならないし、私の要請を聞かない。
あちらが戯れに出現したり消えたりするーその音調に耳を澄ますしかない。」いうが、なるほど納得する。 
句読点とは、そういうものか。毎日、句読点と闘っているからこそ、その辺は納得できるのである。    −つづく
・・・・・・・・・
2829, 新年に、つれづれなるまま!
2009年01月02日(金)
 *年金でも貰うか
1月15日の誕生日で厚生年金が満額貰える年齢(63歳)になる。65歳かどうか迷ったが、貰うことにした。
といって、月あたり20万円の厚生年金と、家内の給料と、年金が満額まで貰えるまで減額した?万円の私の給料の総額では、
一割ほど手取りが少なくなるが、よしとした。これで会社の役員賞与を350万もカットできる。今年は更なる経費のカットが必要。 
中小企業は辛いが、スリルとサスペンスが面白い! 早く貰わないと、今後日本の年金そのものがどうなるか分からない。
「60歳までに、したいことを全てやってきた」という満足感があるので、金銭欲も、それほど無くなった。
次が家内が厚生年金を満額貰える年齢がポイントとなるが。そういう年齢になったということだ。
 *年始のTV番組
年始の一週間分のTV番組を見ると、どの局も地味なものばかりである。大不況のためスポンサーが節約したのだろう。 
あまり声高に言わないが、2009年は大恐慌突入の年になり、大荒れになるのは周知の事実。といって、どうすることも出来ない。 
大荒れの中で身を委ねるしかない。
 *新幹線がガラガラ
年末の29日・30日の新潟行きの9時前後の新幹線は、例年は座れないほどである。それを覚悟をしたが指定席も、
自由席も三分の一も乗っていない。今までなかったことである。恐らく、高速バスとか、夜行列車とかに分散したのだろう。
 *イスラエルが変
イスラエルの政情が変になってきた。イラン攻撃への一つの動きなのだろうか? そのためか原油が少し値上がりに転じた。
これも計算の上なのだろう。もちろん、攻撃を事前に知った資本が原油の先物を買い増しているはず。
こういう時期は戦争に目を向けさせて、思い切った政策を採るのが常套手段である。
 *昨夜は殿町で・・
昨夜は、長男と次男夫妻と私たちの5人で殿町の「あかちょうちん」で食事会。
珍しくタクシーで行き帰りで使ったが、運転手さんに「景気はどうですか?」と聞くと、「最悪」という。
しかし去年も元旦に同じ店を同じ時間に居たが、客は殆ど居なかった。しかし今年は客で満席に近い状態である。 
その後、隣のビルのカラオケに行ったが、そこは、2〜3組しか客が入ってなかった。
年末の30日に次男が学校時代の友人と、この店と駅周辺の居酒屋チェーンに行ったが、何処も満席で
入れなかったという。そこで駅裏まで行って、やっとは入れたという。これも面白い現象である。
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2008年01月02日(水)
2464, ロールモデル             d・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
「ウェブ時代をゆく」−3  読書日記
  著者が見出したという「ロールモデル」という言葉が面白い。
 人間は、自然と色いろな付き合いの中で、何人かの「ロールモデル」をさがし、無意識で真似をしているうちに
自分の個性を作り上げているものだ。技術や文化に関する知識だけではなく、人間の行動パターンでも、
巨人の肩の上に立つことが可能であるという考え方である。企業では、ベンチマーキングという手法でモデルとなる
会社の優位点を真似るが、何故か人間の行動パターンについてはマネをする手法を敢えて取上げない。
子供には、偉人の伝記を勧めるが、大人になると見向きもしなくなる。「ウェブ時代をいゆく」で、「ロール・モデル」
という言葉で上手く手法として提示している。 学生時代に「ロール・プレーイング」という役割演繹をゼミで一年に
わたってしたことがあったが・・・ それは、問題が起こった当事者として解決方法を実例を元にするものだが。
 ーP−119・ 120
 著者の梅田望夫の 『ロールモデル思考法』とは、その答えを外界に求める。 直感を信じるところから始まる。
外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び
盲信するのではなく、『ある人の生き方のある部分』『ある仕事に流れるこんな時間』『誰かの時間の使い方』『誰かの生活の場面』
など人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
自分の内から湧き出る何かが具体的に見えなくとも、「ある対象に惚れた」という直感にこだわり、その対象をロールもでるとして
外部に設定する。そしてなぜ自分が惹かれたかを考え続ける。それを繰り返していると、たくさんのロールモデルを発見することが、
すなわち自分を見つけることなのだとだんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデルの
総体として、外部の世界からはっきりとした形で顕れてくる。そのときどきのゴールとなり「けものみち」における灯台になるのだ。
 ーー
この思考法は『大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。それが人生で一番大切なようだ。
・・自分が何にむいているのか、何がすきなのか、見つけるのはやさしくない。それでも何とか見つけ出さなければいけない。』
小柴昌俊の言葉からそれを見つける方法とは何か?を著者は考えた末に外界の偉人のモデルをみつけ、その行動、
考え方を真似ることを提案した。面白いといえば面白い。無意識で誰もがしてきたことだが・・・
また偶然に、去年の同日に彼の前著の「ウェブ人間論」の読書日記を書いていた。無意識が呼ぶのだろう?( ^_^)/バイ
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2007年01月02日(火)
2100, ウェブ人間論  −1  (~Q~;) おはよう〜〜   ファ〜
この本は確かに面白いが「ウェブ進化論」ほどの衝撃度はない。
しかし二人の対談からウェブの世界の中で人間がどのように変化していくのか、多くの示唆がある内容であり、
「ウェブ進化論」のフォローという面では、ベストと言える。面白そうなところの抜粋と意見は次回にするとして、
    まずはー紹介文ーを直接読んだ方が解りやすい。
    ーー
「ウェブ人間論 」(新潮新書) 梅田 望夫・平野 啓一郎著
 ー内容説明ー
「ウェブ進化」によって、世の中はどう変わりつつあるのか、そして人間そのものはどう変容していくのか。
ビジネスとテクノロジーの世界に住む梅田望夫と、文学の世界に生きる平野啓一郎が、その変化の本質と未来を徹底討論!
   ーー
 まず 梅田望夫と平野啓一郎という二人が対談したという事実が興味深い。
シリコンバレーでITを主体とした実業家と京都で中世欧州を舞台とした「日蝕」を書いた芥川賞作家の間の「距離」は
いままでの常識で考えると 果てしないものがあるはずだ。 つまり 出会うはずの無かったセグメントに属したお二人が
出会ってしまい、かように刺激的な対談を行うようになったという点で 時代の変化を強く感じた。
 (字数の関係でカット2009年1月2日)
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2006年01月02日(月)
 1735, 内福について         オハヨウゴザイマス  o┐ペコ
先年の暮れ、東京のある会で新潟の県民性について話した。「新潟県は一見貧しそうだが、実情は内福な家が多いのですよ。
特に中越地震の被災地区の辺りは、裕福なのですよ。間接的に雪の融け水が豊かな農産物や鯉・畜産にプラスになっている」
といったところ、居合わせた4人がぽか〜ん、として「『内福』という言葉も、字も知らない。如何いう意味ですか?」という。
子供の時から両親が「あの家は地味だが内福だ」が日常用語であったので、知らないということに驚いてしまった。     
そして、その場の‘主の立場’の人が、「貴方のいう内福は豊かとは違う!」と発言。
 それに対して「ヨーロッパのイタリアとかフランス人も、実際の生活は実収入より豊かな生活をしているというが、
彼らは豊かではないと言うのですか?」というと、「豊かとは思わない」という。そこで
「私は家内と、この十数年で三十数回地球の秘境旅行をしているが、これは豊かといわないのですか?」と訊ねると、
「それは豊かといえる。しかし、地味な生活に甘んじて遊びも控えているのは豊かとはいえない」との答え。
それも一理ある。私の従兄弟に一億以上の貯金がある?という噂がある60代半ばの独身男がいる。
見たところ地道な生活をしており、殆どお金を使っていない。< ;`∀´>マジっすヵ!!
この人は間違っても豊かとはいえないし、内福とは言わない。内福という言葉を知らないことが驚きであった。
越後長岡の典型的な方言だろうかと 「検索」で調べたら、小説の一節に「以前は内福であったが、現在はそうでもないらしい」
というのがあった。それからみると方言ではなくて、死語になってしまったようだ。内福は、「収入内でヤリクリして
それなりに豊か?な生活をしている状態」である。これからの日本の生き方のヒントが『内福』の生き方にあるのではないか。
  書店で『300万で豊かに暮らせる方法』みたいな本がならんでいるが。
                      ヾ(●´∀)ノ" また〜♪
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2005年01月02日(日)
1370, 酒についてー3    ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーイ
正月早々、また酒についてを書く。前回書いた「作家の酒についての名言」の続きである。
  感想も含めて考えてみる。
  −−
・酒に限らず言えることですが、人間のつくり出した
 『楽しむためのもの』を、不必要に恐がらずに、みくびらず、使いこなして、
  『楽しむ』ことを覚えれば、それだけ豊かな時間を過ごせるわけでです。
   ー豊かな人生、豊かな青春が。     −吉原幸子 ( ^_^)/q□☆□p\(^_^ ) カンパァーイ
   my感想ーその反対も多く過ごしてきた。 みくびったためだろうが。
・酒は、その土地の文化の結晶なのである。       −田村隆一
   my感想ーその土地土地の酒は、景色、人間に劣らず個性がある。
    新潟の酒、沖縄の泡盛、世界各地の葡萄酒、ビール、そして中国の紹興酒などなど。
     そこの肴を一緒に飲む酒は、何よりも絶品である。
・深まってくる秋とともに飲みたくなるのはやはり日本の酒である。
   一人で部屋で仕事から解放されたあと、魚のひらきなどを焼いて飲む。
    この時のものさびしさは、やはり捨てがたい。        −三木卓
   my感想ーそれで二日酔いをしたら馬鹿?
・女を口説くときは酒はあったほうがいいものだが。が、酒を飲むときは、女は要らないサカナである。−荻昌弘
   my感想ー?   ?!    クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)"
(字数の関係でカット2009年1月2日)
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2004年01月02日(金)
1003, 「2004年日本経済」ー読書日記
  ー円高デフレの恐怖が襲来する。
この人の本はバブル発生時から一貫して「日本経済悲観論者」である。
 中長期的に振り返ってみると、この人のいうとおりになっている。
  ー印象に残った順に列記してみる。
・2005年のペイオフが一つの鍵になる。金融再々編成によって残る大手銀行は二行になる可能性も。
  メガバンク国有化は、日本経済の信用を損なう、そうなる前に再編成をさせる。
・いまのデフレとは、銀行の信用デフレが発端である。 銀行がその役割を終えてしまった。
・さらにリストラ、倒産はつづく。日本経済は根幹から音を立てて崩れはじめている。給料はまだまだ下がり続ける。
・アメリカは内部崩壊をはじめてきた。この円高ードル安は、日本では更にデフレ圧力になる。
・EUも深刻なデフレに向かっている。 ドイツ経済が日本化をしていく。
 元東ドイツの住民が社会主義的な政策政党に票を入れ始めた。 その為ドイツ経済は競争力を無くし始めた。
 日本の生産地が中国に移動したのと同じ現象がドイツと元東欧諸国と同じになってきた。
・円高は100円を割る可能性を含んでいる。79円も割る可能性も十分考えられる。
 この水準を割り込めば日本経済は完全に息の根を止められる。
 この大不況の中、何とか持ちこたえられたのは輸出のおかげである。 円高はドル安になるといくことである。
 この輸出が円高で激減する可能性がある。またアメリカの国債を持たされた日本は実質の回収が落ちることになる。等々である。
 実際に事業現場に立っていると、この内容は決してオーバーに思えない。新潟駅前の夜は、火が消えてしまった
 ように静まり返っている。 何処の会社も経費節減の為に2時間以内は日帰り圏にしてしまった。
 この数年間でビジネス客は3分の1に減ったという統計も出ている。「2003年日本経済」では副題はー世界恐慌の年になる!
 であった。実際のところは恐慌にはならなかった。だから「今年は、この人のいう通りにはならない」と考えるのはおかしい。
 この本では人口の問題には触れてない。 数年先から、本格的な人口の減少が続く。他には若い人の質の低下の問題がある。
 まだ何とか持っているのは、団塊の世代が踏ん張っているからである。 こと日本に関しては悲観的材料が多すぎる。
 生存対策をまずは第一にしなくてはならない時代である。この情報化社会は世の中を激変させている。
 健康食品も本も、インターネットで注文するようになった。近く「ユニクロ」があっても、インターネットで注文をする。
 電化製品も必ず「価格ドットコム」で最低値段を調べて、近く大販店で値段交渉をするようになった。
 まさかこんな時代をみることになるとは思ってもいなかった。
 大不況になっているのではなく、違う時代への過渡期の整理過程と見るべきなのだ。
 整理されないよう自分を変えていくしかない。 会社も自分も社会もである。    


3568、年始、つれづれに

2011年01月01日(土)

 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。
  
   ー 現在は、20万年、200万年に一度の変革期か?ー
 「20〜200万年に一度の変革期というのは、果たして本当か? 
もし本当なら世界に何が起き始め、更に何が起ころうとしているのか」を、このところ何度も独り考えている。
20万年前は人間が道具を使い出した時期、200万年前は言語を使い出した時期。以来、人間の脳と行動が他の動物と変わっていった。
そして気候等の大変動があった1万年前、その事態を乗り越えるため牧農を始めた。それまで自然の恵みを採取していた生活から、
人間自らの手で牧農をすることで、その変動を乗りこえた。それが村落をつくり、都市をつくり、5千年前の5大文明になっていった。
数百、数千年先からみたら、現在がその時になる。以来の大発明がネットとデジタル機器であり、大変革の開始になる。
 まず、これが「言語と道具以来の人類にとってのツールか?どうか」である。 ネットが世界中に張りめぐらされて、
キーワードを介して瞬時に情報がやりとりが可能になったことは、世界が電脳化したことになる。これは、世界を根底から変化する
力を持つことになる。 人間が言語の使用を始めてから、脳の言語脳の機能が永年かけ進化してきた。それが他の動物との絶対的な
差異になっている。その脳が、電子脳として世界中にネットで結ばれ、それが人間の意識、生活を根本から変えている。
それからみて、20万年、200万年の境目と認めてよいのではないか? こう考えると、世界が行き詰っている原因は、
20万、200万年に一度の人間社会を根底から変え始める境目であると見てよいのでは? このIT化社会の到来が、この数百年、
数千年かけてつくり上げてきた在り方を根底から変えている、とみてよいだろう。 この仮説?は、20世紀末から21世紀にかけて始った
情報化社会が始り、それをキッカケにして世界が激動を始っていたのである。それと環境問題も含めて、20万、200万年のスパンで、
人間の進化と、ありかたを考える時期に来ているのである。 現代に生きている私たちは、これを地球の有り方を考える、
ツールにし、これまでの価値観を見直すに丁度よいテーマになる。 時代は、100、500年スパンでなく、数十万、数百万単位の
変化の中に入ってしまったようだ。それが地球の環境問題であり、頻発する地震などの天変地異も関連している。これが21世紀!
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3193, 新年にあたり
2010年01月01日(金)
* 「日本は、既に恐慌に入っている!」 まず、これを前提にしないと!
  これまでの、「新年にあたり」を読み返すと、一年一年、経済の悪化がジワジワと身に迫っているのが分かる。
 今年も経済悪化の進行の中で年が明けた。 経済はデフレスパイラルに入ってしまい、企業も売上減が更に深刻になる。 
 緊急対策で何処まで持ちこたえられるかである。 失業率は10パーセントに向けアップを始め、社会的にも不安定度が増す。
 これまでと全く違った時代になったと割り切るしかない。 自民党は、政治一家の三代目を立て続けに首相につけ、
 更に、今度は民主党も三代目の鳩山、乱世のトップには相応しくない。
  このウネリからみて、2〜3年以内にデフレからハイパーインフレに転じて、円と株と日本の国債が暴落は避けられない。  
 その事態が現実になるまで、日本のトップはなすすべがない。 アメリカは、まだまだ政治も、経済も悪化、日本は既に
 世界に先駆けて恐慌に入ってしまった。それを、まず認めることである。その辺のことをハッキリしておかないと判断を誤る。 
 何で恐慌の中で株価が1万円なのか? これは緊急対策などでカンフル剤をうっているからで、これも目先の対策でしかない。
 いずれカンフル剤も続けられなくなる。 兎にも角にも、目先を、どのように乗り切るかである。
 世界恐慌に入ったのである。 その意味で、今年も大変な年であるのは違いない。 恐慌も、何も、生きていればこそである。
* 今年は「閑吟集」のチロリチロリチンチロリ がピッタリか?    「一期は夢よ ただ狂へ」か〜!
 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり (51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に  あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53)
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
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2828, 新年にあたり
2009年01月01日(木)
  新年が明けた。 「新年明けましておめでとうございます」と言っていいものか?
「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」は、一休宗純が読んだ句だが、今年の正月にピッタリである。 
大暴風が本格的に吹き荒れる、何でもありの年になる。松井孝典の「共同幻想」「自己幻想」「他幻想」という言葉で、
現在起こっている問題を考えてみる。《宇宙から地球を見ると地表に何やら光を発している生物がいる。彼らは知的進歩をしている。
彼等は共同体をつくって、共同幻想を抱いている人間とかいう。何で共同幻想を抱くのか? それは自己に対する幻想と、
自分以外への幻想を抱く癖があるからだ。それは言葉という情報伝達が起因している。》これは私の解釈した要約だが・・・
 そこで「幻想」、「共同幻想」のキーワードで、この金融恐慌を解きほどいてみる。アメリカが社会主義に勝利し、
自由主義を推し進めた結果、「自由経済主義が絶対!」という共同幻想を抱いてしまった。世界の共通言語の英語、主軸通貨のドル、
世界最強の軍隊の存在の裏づけをもって、アメリカが当分の間、世界支配が続くと思い上がった。そのうえアメリカだけでなく、
世界全体が共同幻想を持ってしまった。そして内需を掘り起こすため低所得者に危険なサブプライム・ローンを貸し出し、
それを債権化して他の債権と混合し世界中にばら撒いた。 住宅が永遠に値上がりする前提だったが、住宅バブルが破裂すると同時に
債権は毒入りになってしまい、無価値化した。 2008年9月15日に、もろくも共同幻想が崩壊し、債権と、ドルへの信頼が破壊された。
 自由がいき過ぎれば、不公平になる。そこで自由が制限せざるを得なくなる分岐点が、今年である。 
災難に会うときは、災難に会うしかない。 会えば会ったで、何とかなるもの。 今年はチェンジ=変化がキーワードになる。 
チェンジするためには、過去の破壊へのチャレンジが必要になる。そこにはコンペティション(闘い)が生じる。 
今度のチェンジは数百年に一度の経済、社会変動である。21世紀への変身への壮絶な闘いと挑戦が要求される。 
目をそむけないで変化を凝視し、前向きに立ち向かうしかない。 そのうちに、気づいたら、その変化に適応しているのだろうが。 
薄笑いでいくか、今年は!巣篭も、また楽しいもの。 そういえば、昨日、家電店で46インチの液晶(PDPでない)、
98000円で売っていた。韓国製だが、画面は綺麗であった。 巣篭もりに、丁度良い? 少しは群れから離れるのも必要では? 
世界が総アウトサイダーになると、それはアウトサイダーでなくなる。 
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2008年01月01日(火) 
2463, つれづれに −元旦
  新年明けましておめでとうございます   ○┓  今年もよろしくお願いします。
昨日は腹痛と頭痛のために一日寝込んでしまった。大晦日に寝込んだのは初めての経験である。
風邪の一現象なのか、それとも飲みすぎと寒さのための腹痛なのか、まだ分かってない。重症でないの確かのようだが。
時々居間に顔を出して紅白は最後の30分しかみてないし、K-1も殆どみてない。今日は次男夫婦が里帰りで夜、
外食の予定だったが私は無理だろう。今年は、大荒れの年になるだろうし、去年の後半から、その兆候は出ていた。
世界的には、サブプライム問題、原油の暴騰、テロ、温暖化問題、インフレ兆候など地球規模で次々と問題が噴出。
その広がりがより大きくなる年である。国内では、自民党の惨敗、安部前首相の突然の辞任と混乱、石油の高騰、
そして柏崎沖地震等、これらの影響は今年になって深刻になる年である。今年は、国内では政権が民主党に移動、
それによる政治的混迷と、アメリカ大統領の選挙と民主党への政権の移動などから、思いもよらない事態が生じるだろう。
考えれば考えるほど、悲観的になってしまうが、事実であるから仕方がない。割り切って一つずつ乗り切るしかない。
ーー
四四太郎の霊日記ー16 人(_ _ )
新年になりましたか! 400年も昔の世界から来たものから見ると何とまあ、忙しない時代である。 
それでも、この物理的な豊かさがある、食べれない心配から見れば、御主の世界はあまりに恵まれすぎじゃ。
一日一日を、充分楽しめばよいじゃないか。4百数十年のスパンの視点から見ても、面白い時代になったものじゃ。
この境目に生きているだけでも、充分に恵まれている筈である。ワシが御主に言いたいのは、せっかく娑婆に
生を受けたからには、その時々の「いま、ここ」に活なければならない! ということじゃ。
また、説教的になってきたか。今年は、御主も気がついているようだが、大荒れの年になる。
それも御主等が考えている範囲を超えてじゃ。といって、それが何だというのだ。
大荒れ結構、問題など目を逸らさない限り乗り切れるものじゃ。 ただ、常に長期的な視点で先手を打つことなくして、
理屈を捏ねているだけでは、最悪の事態になるだろう。こうしてみると、文明など何だというのか思ってしまう。
集団自殺じゃないか、それも他の動物を巻き込んだ。全く。今年は、ともかく気を緩めないこと!それだけは言っておく。
 それにしても、羨ましいことじゃ、生きていること、そのことがだ。
・・・・・・・
2007年01月01日(月)
 2099, 新年にあたり   新年明けましておめでとうございます ○┓ 今年もよろしくお願いします。
 2007年から5年間は大きな転換期に入るが、時代はどの方向に向かっていくのだろうか。
情報化が人間を、社会のあり方を、根底から変えている。その中で私たちはどのように身を処してよいのだろうか。
1995年から2005年まではインターネットの時代、2006年から10年間はブログと、グーグルの時代というが、
それがはっきり見えてきたのが昨年である。今年からはより鮮明に具体的になる年であろう。
その一つがグーグルアースで、これは驚愕といってよい。しかしこれは、グーグルの料理でいう前菜でしかない。
通常の地図の他に衛星からの写真があり、建物の一つ一つが明瞭に識別できる。衛星写真で最大限にすると、
地球全体が見え、そこから高度を下げていくと、地上の状況が次第に詳細に見えてきて、車までみえてくる。
最近になって、飛行機の操縦桿みたいなものがついて、ヘリに乗って飛び回っているようになっている。
グーグルの地図ソフトは、一年前まではいくら金を出しても個人では入手できないものだった。 
それが、家の机に向かったまま無料でみることが可能になった。その他にも、図書館に存在する書籍の検索を、
グーグルが始めた。まだ始まったばかりなので初期的段階だが、これが進めば検索の対象になる情報が飛躍的に拡大する。
   (字数制限のためカット 2011年1月1日)
・・・・・・・・
2006年01月01日(日)
1734, 新年にあたり (σД≦)ネムゥ〜 ☆・゚+。*゚・.+´
                  あけましておめでとうございます 今年もよろしくおねがいします`。
  2006年元旦である。 心新たに、新年をむかえる気持ちがよい。
  雪が積もってないと墓まいりが行事になっているが、これほど積もった場合は行かない。
  あと二週間で還暦になる。「60歳を一つの大きなゴールとして、それ以後の全てを詰め込んでしまえ」
  と思って生きてきたので、この年越しは感慨が深い。「思い残すことはない!」というのが実感であるが、
  「本当に思い残すことはないのだろうか?と一年かけて考えつくすことと、これからの十年のデザインをする」のが
  今年一年の課題である。 ま!*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?今年も情報化の影響で、さらに大きく世の中を変えるだろう。
  冬季オリンピック、ワールドサッカー、政治では小泉の退陣、阿倍?が総理に変わり、憲法改正と消費税のアップ、など
  次のステップに向けて動き出す。身辺では、新潟駅立体交差の工事が始まり雰囲気は一変する。天気晴朗なれど
  波高しというところ。 日本は、この10年は政治経済は想像を超えた混乱期に入る。各家庭に光ファイバーが浸透して、
  情報の質と量が膨大にアップ。これがますます時代の変化を加速するだろう。
  面白い時代でもあるが、生きづらい時代になることも事実である。今年もよろしくお願いします!! ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё♪
・・・・・・
005年01月01日(土)
1369, 新年にあたり
 さて今年が始ったがまあ元旦の清々しい気分がよい。去年、世界的にも身辺でも災害が続いた。
 オリンピックに、アメリカ大統領選挙、国内では参議院選挙も重なって刺激の強い日々が続いた。今年はどうなるだろうか。
 早生まれなので、来年早々に還暦を迎えることになるが、多くの同級生が還暦を向かえることになる。 
 やはり感慨が深い。「とりあえず60歳まで!」と、人生を生きてきたのであと一年の余白を何で埋めるか、
 この一週間じっくり考えてみたい。その意味で今年は、思い切ったことをしたい。4月からは、銀行のビッグバンがある。
 特に地方銀行は、待ったなしの年になる。風評だけで倒産になる可能性が出てきた。 大きな再編成は必至だろう。
 特に地方は大きな変わり目になり、多くの倒産・再編成がおこるだろう。ますます、刺激的な日々が続く。
 それにしても大晦日と元旦では全く違う感覚が非常によい。この時代、あまりにも変化が激しい。しっかり足元を見つめていないと!
 自分を見失ってしまう。面白いといえば面白い時代でもあるが。 今年の私のキーワードは「3C]である。
 チェンジ・チャレンジ・コンペティションだ。 白紙に戻って、変化・挑戦・闘いをし続けなくてはならない。
  年始から少し硬すぎる内容になってしまった。楽しんでやっていれば良い。ー過去の元旦の文章を見ると面白い。
元旦の気持ちはいつも同じようになる。また、時代時代の背景がクッキリ見える。書くということは、気持ちをパックしてくれる。
去年の元旦の日記に「グリーンランドに行く」と書いてあったが、実際のところ忘れていた。
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2004年01月01日(木)
1002, 新年に思う
  新年になった。新年の何ともいえない雰囲気が好きである。神社に行ってお参りする習慣はないが、雪が積もってない時は
 寺に墓参りに行くことにしている。ただ坊様のところには、新年の挨拶は行かない。 今年は、日本経済に関して正念場になる。
 閏年は、アメリカ大統領にオリンピックがある年だ。国内では、これに参議院選挙がある。来年のペイオフを控えての銀行の
 大編成を避けることは出来ない。参院選挙を終えた後に、大きな倒産が続くだろう。 大手4行の合併問題とか、
 地方銀行の倒産や合併が進むだろう。 経済は更に一段落ちになる。そうそう甘い年ではないだろう。今年と来年は何とか
 持つのではないか、むしろ2006年からだろうという説も肯けるが。今年の旅行は北極圏の「グリーンランド」と
 激安の何処かに二回は行くつもり。会社では、一年をかけて一棟を長期型ホテルに変更。いずれにしても予断を許さない時代になった。 
 国内でテロやSARDが何時発生してもおかしくない。新幹線で、もしテロが起こったら窮地に立たされかねない。 
 牛丼屋やハンバーグ屋や焼き肉屋が、ある朝のTVニュースで突然に窮地に立たされる。テロやSRADというカタチで、
 自分に何時向かってくるかは解らない。ある地元の会社の二代目が社長になって、新任の挨拶に来た。本人曰く
 「挨拶に回っていて誰一人として、おめでとうと言ってくれる人がいなかった」もちろん私も「おめでとう!」など言えなかった。
 1000人の従業員を抱えて如何するのだろかという方が心配であった。 今、フリーの状態で、その規模の会社を引き受けるか?
 と言ったら誰もがノーというだろう。 年末に日航の子会社のリネン会社を買収と新聞に大きく載っていた。
 攻撃するしかないと記事に載っていた。時代は変った。激変な時代、舵取りはそう簡単にはいかなくなった。時代は氷河期に入った。
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2003年01月01日(水)
628, お正月の意味
  今日はお正月、その意味をインターネットで調べてみた。お正月の意味はお正月さま、年神様という先祖の集合霊をいう。
この霊が各家に帰ってくる。12月13日は家を祭場する準備のすす払いの日という。 門松は神様の依り代で、
神様が何処に帰ったらよいかの目印の為に置くという。お雑煮は帰ってきた神様に供えたものを下げて一緒に食べるごった煮をいう。
 その餅に宿る霊魂をお年玉という。今はお金を貰うことだが本来の意味は先祖の霊魂をいう。
 子供の頃一家揃って年末の御参りをしたのも、年始参りもその為だ。 そういえば、旧家などで貰うお歳暮は貝柱だったりする。
お盆も同じように先祖を迎え入れる行事である。その準備を始めるのが七夕だそうだ。何かいつも何気なく過ごしている中に
先祖崇拝の風習があったのだ。日本的風習の中に盆暮れに実家に帰省をして仏壇参りやお墓参りは良い。
 最近は海外旅行に変わりつつあるが。ホームページのサイトをサロンに載せてある。
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2002年01月01日(火)
 287、リセットの年
今年のキーワードは「リセット」と年末に挨拶に行った銀行支店長が言っていた。21世紀的なものへの、変わるべきところへの
リセットである。自分自身に対しても同じことが言える。世界、日本にとって政治経済で白紙からの出発の年といっていいだろう。
その背後は情報革命の本格的影響が本流になってきたためだ。何を変え、何を更に充実すべきかよーく見きわめなくてはならない。
ここで一歩間違うと、とんでもない事態に陥ってしまう瀬戸際の年である。まず変わらなくてならないのは、自分の脳からであろう。
どう変わらなければならないか、新年じっくり考えてみる。やはり個人はHPの充実、会社も社内ネット化とHPの充実である。
 あとは今の事業の棚卸である。
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ある時間の断片
 1月1日  1969年
 8時起床。 食後、あと一寝入りをする。11時過ぎに、実家の店の佐藤さんが新年の挨拶にくる。
 その後、事務所の女事務員が数名挨拶に来る。 近くの分家の堀井明ちゃん夫妻と従妹のまり子ちゃんも来る。
 相変わらず可愛い。彼等と裏に住む姉の正子さんの所に行く。 一時過ぎまで、まり子ちゃんと話をする。
 小学生までに私のアイドルであった。母屋に戻ると、会社の五十嵐君が新年の挨拶に来る。彼は小学校の同級生だ。
 兄の三郎さんと三人で酒を飲む。その後、父と二人でお寺三軒を新年の挨拶に回る。
 そして、また裏の姉の所に遊びに行って、ボンカルタをする。夕食後、TVを見ていると二番目の姉の旦那の弟で、
 長岡高校の同級生だった、花井衛さんが遊びに来る。彼とはいやに気が合う。一年に一度は何処かであっていた。 
 二時間以上、積もる話をする。彼は松下電器に入社予定だという。隠れた逸材である。彼も社会にでるということで
 塞いでいた。同じなのだ。今年は社会への門出の年でもある。今日、衛さんに「何か言葉にとらわれている」
 と注意された。  揚げ足取りをしている部分だ。 気をつけないと。


3567, 年末ーつれづれに

2010年12月31日(金)

 ー今年の経済を振り返ってー
 今日で無事、今年は終わる。不況の波は一日一日大きくなってきている。 耐久消費財(車、家電、住宅)の
エコポイント制度で(前どり需要で)何とか消費を喚起してきたが、来年そうそう、その反動が来るのは必定。
またグローバル的にみればリーマンショックの表出が来年から更に激しくなる。 東海から関東のベルト地帯は、
まだ経済的温もりが残っているが、そこから離れた地方ほどマイナスの度合いが高くなっている。 不思議なことに
マスコミは取り上げないが、惨状は酷いもの。鳥取、福井、石川、富山、新潟、山形、秋田など日本海側に接する県は特に酷い。
 長岡、新潟市をみると、悲鳴すら上がらないのが実情。私の知る限りでは、デフレスパイラルの渦がリーマンショック以来、
三周目になっても一日一日大きくなっており、押さえが効かなくなっている。欧州ではデフォルトする国家が出る可能性がある。
それをきっかけに世界同時株安となれば、体力を消耗しつくした日本が大きく傷つくことになる。現在の心情をいえば、「来年怖い」。
時代の流れとは恐ろしいもの。右上がりのよい時代を生きてきただけ、時流の段差が見えてくる。チロリチロリ、チンチロリか〜
 ー独学が唯一の教育であるー
10年位前に、「どんな教育も突きつめれば独学が唯一の教育である」という言葉に出会った。
その後、そのことについて考え続けている。大学卒業時に自分の絶対的読書量の少なさに呆然として、
社会に出てから一日2時間以上の読書時間を持つことを誓った。その独学こそが学生時代の一番の収穫ということは、
当時知りようもない。特にネットで情報を取れる時代に、そのベースは大きな財産になっている。
とはいえ基本は独学より学校システムに乗り、そこで多くの指導者に出会い学ぶ方が良い。修破離の修である。
教育とは、独学が可能な能力を持たせること。そのベースは、これまでは高等教育だった。
しかし、今度はネットという新しいツールが出きてきた。独学に、これは最適である。
「それぞれの人の素質が、それぞれに伸ばすことが可能になる」ということ。
 〜年末の、過去の同月同日の文章が自分書いただけに時代がみえて、懐かしく面白い! 
 何で、ここまでして書くの?の自問自答の答えがある。思いと行蔵の痕跡を残すため、そして・・・である。
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2009年12月31日(木)
 3192、大晦日、つれづれに!
 今年も大晦日になった。覚悟をしてほど経済の混乱は無かったが、それでも確実に悪くなっている。
政治は、アメリカでオバマが正式に大統領に選ばれ、日本では自民党が政権に最後まで、しがみついた結果、
国民に見放され自己崩壊。 民主党の鳩山政権が発足、今のところ、及第点だが、来年からは土壇場の場面に
直面し、政界再編成は必至。 日本経済の崩壊予測を書いてきた浅井隆の本を先日、立ち読みした。
「リーマンショックは、日本にとって東京と名古屋に原爆二個を落とされたようなもの。
 その激震の津波は、まず体力を消耗している地方に直撃しており、凄惨な事態」と、あった。
上越新幹線の最終駅で、ビジネス・ホテルを経営しているので、その論は至極当たり前に受け止めることが出来る。 
一般より3ヶ月早い数値が先行して出るが、すでに二番底にむけて動き出したようだ。  2〜3月あたりから、
経済は深刻な一段落ちになる。 恐ろしい限りである。何とか、緊急対策で失業率の上昇や株の暴落を抑えているが、
これもカンフル剤でしかない。来年は何とか、これで持たせることが出来ても、参院選挙の終わった来年の後半からは、
思い切った政策が断行されるだろう。それが通貨の切り替えなのか、銀行閉鎖なのか、国家非常事態宣言による??なのか。
悲観的に成りざるをえないのは、まだ、数百年に一度の動乱の入り口でしかないことだ。人間は脆いものだが、国家も脆いもの。
 25年ぶりに、私の人生の大きな位置を占めている「秘境ツアー」に行かなかった。《最近は、欧州が多いが》
気合が入らないのである。 無理をすることもないが、といって、「何が何でも行く」というのが崩れてしまった。
 それにしても、大晦日の総括の、これまでの文章を読み返すと面白い。何ともいえないTPOSが感じられる。
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2827, 晦日は、今年の読書の総括
 2008年12月31日(水)
今年の締めくくりは読書の総括。
まずは年初に読んだ 副島隆彦の「恐慌前夜」「属国・日本論」「連鎖する大暴落」を読んで愕然とした。
他に彼の一連の本を読んで、迫っている世界経済の危機を感じ取った。
また金融を中心にコンサルトをしていただいているH氏に紹介された竹森俊平著「資本主義は嫌いですか」と、
マンデンブロ著「禁断の市場」も印象的であった。 ソロス著「ソロスは警告する」、
金の投資家、松藤民輔著「無法バブルマネー終わりの始まり」、藤原直哉著「世界同時株暴落」、
野口悠紀雄著「世界経済危機ー日本の罪と罰」、そして、松井孝典著「地球システムの崩壊」など、
地球規模で起こっているエネルギーのウネリを感じ取れたことも収穫だった。
そのために、リーマンの破綻が世界恐慌の発火点と直感し翌日ここで取り上げ書いた。 
どの本を読んでも目から鱗であったが、いざ金融恐慌が始るると、
世界的な経済崩壊の規模の大きさとスピードの速さに驚愕している。
ー 本として印象の強い順に書いてみるー
1、松井孝典 「地球システムの崩壊」         2、副島隆彦 「恐慌前夜」
3、竹森俊平 「資本主義は嫌いですか」        4、マンデンブロ 「禁断の市場」
5、松藤民輔 「無法バブルマネー終わりの始まり」   6、ソロス  「ソロスは警告する」
7、近藤道生 「平心庵日記」             8、副島隆彦対佐藤優著 「暴走する国家ー恐慌化する世界」
9、野口悠紀雄 「世界経済の危機」         10、米原万理 「打ちのめされるようなすごい本」
(字数制限のためカット09年12月31日)
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2007年12月31日(月)
2462, つれづれにー大晦日          ´▽)ノおは〜
大晦日である。 一年は本当に早く過ぎ去る。御節は今年は止めておこうかと思ったが、結局は注文してしまった。
例年の半値の5千円のセットだが、郊外にあるフランス料理店のものである。この十年以上は紅白歌合戦はホボ見ていない。
格闘技を見るか寝ているかだ。総括は先日書いたが、面白い本には多く行き会った。新潟駅前に新しい図書館が出来たのも大きいが・・・
今まで自分がそこまで行ってなかったこともある。自分の知能のレベルでしか本の内容は理解できない。
以前ほど、年末年始の感慨がないのも年齢のためか。この歳になり、周辺のことが面白くて仕方がない。見ていて見えないかったことが、
少しずつ見えてきたということか。それも当たり前のことが。次は祖先様のお出ましである。良い年を!
 ーーー
四四太郎の霊日記 −15
 (以下は字数の関係でカット2008年12月31日)      (■*U∀u)ノ 良い年を!
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2006年12月31日(日)
2098, 今年を振り返って −2
     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今日で今年も最後になる。12月の10日に「今年を振り返って」を書いているので、
ここでは、「私的なこと」に、割り切って書いてみようか。今年は私にとって「60歳」になった節目の年である。
{60歳までに、一生分を前倒しをして、やりたかったことを、全てやりとげる}と51歳で決意し、そして生きてきたので、
肩の荷物が降りたような虚脱感と、ホッとした満足感が現在もつづいている。
そして来年の3月までに、60歳代の生き方を決めるつもりである。    
2人の息子も婚約をして来年には結婚予定で、丁度、還暦の頃に子供が家庭をもつという「人生のサイクル」は、
丁度よくできている。私にとって、その意味では節目の年であった。
友人と話すことといえば、なるほど年金の話が中心になる。企業年金が??万+厚生年金21万=3?万とか、
私は家内が厚生年金に入っているので+?万とか年寄り臭い話になる。
12月1日に義母が亡くなり、盆と正月に唯一行くところが消滅した。
仕事場が新潟市にあり、自宅は長岡、そして家内の実家が柏崎と、丁度良いバランスであったが・・・。
前回も書いたが、今年は塩野七生の「ローマから日本が見える」「ウエブ進化論」
「グーグル」「あたりまえのことばかり」が印象に残った。
 印象の強い順にベスト10を思い浮かぶまま書いてみると
 1、「ウエブ進化論」梅田望夫  
 2、「あたりまえのことばかり」「14歳からの哲学」「知ることより考えること」「41歳からの哲学」池田晶子
 3、「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン
 4、「要約世界文学全集?・?」木原武一          5、「生き方の研究」森本哲郎
 6、「『私』のための現代思想」高田明典         7、「ローマから日本が見える」塩野七生
 8、「グーグル」佐々木俊尚               9、「エピソード読む西洋哲学史」堀川哲
 10、「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行」
「生きていることの不思議さに気づいた年」である。考えれば考えるほど不思議なことだ。
  *^ワ^*)i それでは良いお年を!       バイバイ 
 (以下は先日書いた内容です)
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12月10日(日) 2077,
今年を振り返って −1   才八∋ウ_〆(∀`●)
そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。
年末の31日になったら、もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
 (以下は字数の関係でカット2007年12月31日)
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2005年12月31日(土)
1733, 今年を振り返るー総括 b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?ヨ〜
大晦日になり今年の総括と思ったが、『私が選んだ今年の十大事件』の先日の内容が、総括に近い。
そこで今年の十大事件から世相を考えてみる。まずは先日の内容をコピーしてみる。
ー私が選んだ日本版・10大事件ー
1、人口が初めて減少に転じる    2、衆議院で自民党が歴史的大勝   3、JR福知山線で脱線、107名死亡   
4、耐震強度偽装で大揺れ     5、郵政民営化関連法が成立      6、愛知万博が開かれる
7、堤義明西武グループ会長逮捕  8、小学生女児が相次いで殺害される  9、アスベスト関連死、次々と明るみ  
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝 大相撲では、外人力士が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関に  
−−
以上から読み取れることは
・少子高齢化
(字数制限のためカット09年12月31日)
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2004年12月31日(金)
 1368, 今年を振り返るー総括
毎年、同じような言葉で始る。「今年も、あと一日になった」である。それが誰もが抱く感慨だろう。
地球が怒っているのではないかと思われるほど、次々と災害に襲われた。その幾つかを記録として書いてみる。
・インド洋で、とてつもない大きな地震がおこった。震度はM9で、阪神大震災の1400倍のエネルギーというから
 想像を超えている。地球を津波の余波が三回したという。被害は10ヶ国をこえて、現在のところ10万人というが、
 まだまだ増えるだろう。TVで多くの映像が流れて、何人かを飲み込んで流されている映像もあった。
 明治29年の明治三陸地震の2万2千人の被害を軽く超える惨事で、20世紀来、エネルギーとしては4番目の大きさ。
 やっと、中越地震の余震が収まりかけてきたと思っていたら、この大震災である。台風は例年の3倍もあり、
 やっと落ち着いた時に、中越地震、そして、このスマトラ地震である。 全くどうなっているのだろう。
・暗い話だけでは片手落ちになるので、明るい話はオリンピックで日本が久しぶりに多くのメダルをとったことである。
 強いところに、集中的に強化をしたのが功を奏したという。
・地方の景気も相変わらず、良くはない 特に新潟県はその中でも一番悪いところである。これに台風による水害と、
 この中越地震である。復興景気といっても土木が少し良い位で全体的には決して良くはない。日本全体から見ると、
 明るい兆しが見えてきた。その要因として、政府の力、外部要因、内部要因からみると、外部要因は、中国向けを中心とした
 輸出の伸長である。内部要因は、液晶・プラズマの薄型TVやDVD、そしてデジタルカメラに象徴されるデジタル家電のブーム。 
 中国とデジタルの頭文字の「CD景気」は、この1、2年で反転するようなことはないだろう。
 しかし中国景気は、日本の地方に直接・間接の大きな影響を与えている。
・この十年間2〜3回は海外旅行をしていたが、今年は一回であった。年末にと思っていたが、この中越地震である。
 これがなければインドネシアか、タイと考えていたので、助かったのかも。
・プロ野球問題、西武鉄道の問題、ダイエーの解体の決定、など多くの問題が噴出した年でもあった。
 情報化・グローバル化による時代の変化が、ますます激しさを増して時代を変えた年といってよい。
・身近の人で亡くなったのは、取引先の朝日広告の五十嵐恭一さんである。会社の事務所に一番多く訪ねてきた人である。
 年に数回は、個人的に飲みにいっていた。 多くの取引先をまわっているので、景気とか時流の情報に敏感であった。
 親戚では、亡くなった人はいなかった。 伯父叔母も、あと数人になったこともあるが。
・仕事の方も、相変わらず下方圧力は大きいが、今年の10月の後半で底うちをしたようだ。
 と同時に中越地震の復興関係の宿泊のためミニ・バブルになり、予算を何とか達成可能になった。
  今年はやはり何といっても中越大地震が一番の出来事であった。 忘れられない年になった。
・・・・・・・・
2003年12月31日(水)
1001, 今年の総括
今年も大晦日になってしまった。 恒例の今年の総括をしてみよう。
ー個人的の問題では
・今年の身近な物故者は高校の同級生の‘スーパーツチダ'の社長をしていた土田恒夫君が亡くなった。
 一番死にそうでない男であったからショックであった。親戚では母方の従姉の連れが亡くなった。
・海外には二回行った。この数年三回であったので、少し物足りなさが残った。アラスカとアイスランドである。
 これで41回である。当面の目標の50回にはまだだが。60歳までに、というのは無理になった。 大不況の中、今年は
 特に行くのを躊躇をしたが、後になれば何ということはない。 行けない状況に行くからこそ価値があるのだが?
・国内では、京都に一泊のバスツアーと鎌倉に行く。
・産能大で「一時間講義」をする。 いい思い出になった。
・ 新潟の引越しを考えるが、決断が出来ない。
・ウオーキングは一日平均1万4千歩を確保した。 数年前より1万5千歩より1千歩減らしている。 
・新しい習慣として「ありがとう」を1千回平均言うことが加わった。
ー会社は
・去年11月に始まった売り上げの落ち込みが進む。今までは他山の石だったが。世間並みになったとはいっていられない。
・来年の事業構造の転換に向けて、支配人と副支配人をホテルのラインから外して本部付け
(新規プロジェクト開発部)にする。久々に仕事に本気になる。新規事業の準備が進む。
ー国際社会では、
(字数制限のためカット09年12月31日)
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 2002年12月31日(火)
 627,パタゴニア旅行記ー9
ー絵を描く人ー
 今回の旅行で素晴らしい絵を描く女性がいた。見るところプロ並みの絵を描いていた。
画家の安野光雅に小学校の絵の担任でもたれたと嬉しそうに言っていた。
いつも面白い話をしてくれて、「先生お話!」皆が囃したてていたとか。
今から考えると情緒教育をしていたのではないかと言っていた。
何十種類のクレヨンを持ってきて30〜40分位で仕上げてしまう。
見ていても気持ちが良いぐらい綺麗に仕上がっていく。あの位巧く書ければ本人も気持ちが良いだろう。
 主人の方はカメラマニアでお互い自分の世界に没頭しているのがバランスが取れていて良い。
ある意味で理想的な夫婦の形に見えた。絵を描くということは対象に対し観察眼が鋭くなるし脳に残る。
私も60歳になったら、クレヨン画の勉強をしようかと考えてしまった。 旅行では一人はデッサンをする人がいるが、
この位本格的の人は珍しい。 個展を開いたり、自宅のリビングに額に入れて折々楽しんでいるとか。
 ところで話は変わるが、ご主人に写真の撮り方を学んだ。
・対象をしっかり見定めて         ・両脇をしめて
 (字数制限のためカット10年12月31日)
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2001年12月31日(月)
286、良質の人材とは-
「ビージョナル・カンパニー」という本を知人に紹介され、その後その人と酒を飲んだ。
ある目的のために人材を集めるのでなく、まずよい人材を集め、それから何をやるか決める、
という逆の見方である。考えてみればその方が正論である。 ある人材が何人か出会い、
さて何をやるかを考えそれをやり遂げていく。その上で明確な目標をきめていく方が筋が通っている。
酒を飲みながら、それではよい人材とはどういう才能をいうのだろうか? という話の内容になった。
酔っ払いが話しているのだから、いい加減の内容であったが、それでも結構真実をついていた。
「自分で問題を見つけ、それを解決する手順を考え着実に実行やり遂げる能力である」それがその時の結果であった。
(字数制限のためカット10年12月31日)
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ある時間の断片
12月31日  1968年
あと10分で1968年も終わる。 学生時代最後の年になる。今年を振り返ると、色いろなことがあった。
・三月下旬から2週間、石川君と一緒に、卒論の「流通革命」を書くために大阪の船場のメリヤス問屋に
 住み込みで流通の現状を見てきた。 生々しい旧来の世界と、そこに蠢く人間がいた。
・帰って直後に、欧州旅行の川崎と深井と松村と九州旅行に出かける。 先ずは川崎の家に行って一泊をする。
 ところが川崎は事故がおきる予感がすると言って、急に旅行から降りた。
 三人で今度は名古屋の酒向の家に行く。家に泊めてもらって、その夜は高級中華料理店で最高級のご馳走だ。
 こんな美味しい中華料理は初めてであった。それから九州に行く。九州の鹿児島で聖心女子大のグループと落ち合う。
 1泊2日の薩摩の彼女等との旅行は一生忘れられないだろう。
・そして4月に父に「もしアメリカに行きたかったら、全ての費用を出してやるから留学をしてこい」と急に言われた。
 その気になったが、英会話に通うこと2ヶ月で、急ごしらえの留学は無理と断念をした。そこでの自己葛藤があった。
・またその時期に、石川に勧められて「武沢ゼミ」に入った。これは私にとって前の年の欧州旅行とともに大きな出来事だった。
・そして急遽ジャスコオカダヤと長崎屋を受験。両社とも合格する。ジャスコオカダヤに決める。
・夏休みは、卒論のための本を十数冊買い込み読む。
 9月に二週間、10月に一週間、新潟県の六日町の禅寺の「雲洞庵」で、集中するために籠る。
・11・12月は、かなり頭を使いすぎたため不安定な時期になる。 
 去年に続き今年は、これからの人生での土台になる事があった。
 ーそう書いているうちに、あと三十秒で今年も終わろうとしている。
 ーーー
 ここより今年である。 1969年になった、学生から社会人の年になるのだ。今度は自分独りの力で生きて
 いかなくてはならないのだ。頼れるのは自分だけである。人生は三つの戦いがある。自分、他人、そして自然との戦いだ。
 先ずは自分に打ち勝たなくてはなるまい。信念としての決意は「自分に打ち勝つこと」だ。


3566, チョットした小話 ー1 

2010年12月30日(木)

*  レストランに強盗団が客と店員を壁向け立たせて財布や腕時計や貴金属を奪い始めた。
   二人連れの客の一人がポケットの50ドルを連れの男のポケットに捩じ込んだ。
   そして小さな声で 「この前に借りた金、いま返しておくからな!」 ー以前にも、似たようなのがあったー
* ・兄が弟に向かって言いました。「おまえのかぁーちゃん、くそったれ!」
  ・猫の親子がネズミを見つけて、「お母ちゃん、あのネズミ大きいね」「いや小さいよ」
  「大きいよ」「小さいよ」  ネズミが一言、「チュー」
  ・ある日、ペコちゃんがシャワーを浴びていると・・・ そこにポコちゃんがやってきた。
   好奇心おおせいなポコちゃんは、覗いて見ようと近づいたんだ。
   すると、その気配に気づいたペコちゃん。戸を開き、こう言ったんだ。 みるき〜   
* ・道を歩いていたら、葬式に人が沢山並んでいた。「どうしたんですか?」と聞くと、
  「この家の奥さんが、飼い犬に噛まれて亡くなったんです」という返事。
   思わず「その犬を貸していただけませんか?」と言うと、「じゃあ、この列に並んで下さい」・・・
  ・観光名所の古い井戸に中年の夫婦がやって来る。ガイドに「井戸に願い事を言うと、それが叶うのです」
   と言われて夫が中を覗き込む。すると、妻が「どいて。あたしが願い事を言うんだから」と言って旦那を
   押しのけて中を覗き込む。その途端、バランスを崩して井戸の中へ真っ逆さま。それを見た夫が「本当だ」・・・
  ・教会での結婚式に参列していた小さな男の子が小さな声で母親に訪ねた。
  「ママ。あの女の人のドレスはどうして白いの?」「白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。
   人生で一番幸せな日に着るのよ」「フーン」男の子はしばらく考えて,また聞いた。
  「じゃ、ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの?」  
・・・・・・・・
3191,今年の読書の総括  −2
 2009年12月30日(水)
・哲学といえば、再び池田晶子の本に立ち返り、「2001年 哲学の旅」を読んでみた。
 数年前にギリシャに行ってきたことも含めて、彼女の目を通してギリシャの哲人の史跡から、
 問題提起をしてくれて、なかなか読み応えのある本である。
・哲学といえば、ブライアン・マギーの「哲学人」(上・下)である。英国の哲学評論家の本だが、
 10年ほど前に、彼の「ビジュアル版・知の歴史」を読んでいた。これは、今でも居間のパソコン近くに置いてあり、
 月に2〜3度は目を通している。 それもあって「哲学人」を何とか読んでいるが、私のレベルでは難しい。
 これは、哲学のセミ・プロでなければ読み解けない内容である。
・今年は「カント」の哲学を少しでも理解を深めようと、これまで読んだ哲学書や、図書館から哲学入門書などを
 片っ端から借りて読んでみた。その中で図書館から借りて目を通して直ぐに買いこんで読んだ「子供のためのカント」
 フリートレンダー著が、良かった。 第一に、「何を行うべきか」。 第二に、「何を望むべきか」。
 第三に、「何を知ることができるか」の問いに、無矛盾の証明によって答えている。」
・その他に、恐慌についての本を10数冊を読んだが、金融恐慌の渦中で読むから、なお分かりやすい。
 10冊以上は読んだが、そこで分かったことは、「世界は既に恐慌に入っており、今後10〜20年は続く厄介な事態であること。
 その波を直撃しているのは、日本、韓国、イギリス、そして欧州の弱い国(東欧とか、ギリシャ、スペイン、など)。
 それに、アメリカの中流、下層階級である。 「100年に一度の恐慌」レベルというより、300年から500年来の
 近代という欧米中心につくり上げてきた文明の崩壊過程に入ったと受けとめられる。 その根は、情報革命である。
・他に、やはり佐藤優の「功利主義者の読書術」である。 この人は立花隆と同じく、頭の構造がどうなっているか、
 窺い知れない知識量に圧倒される。 そのために数百分の一でも知識を身につけようという気持ちにさせてくれる。
  ー読書に関しては、今年は満足をしている。
 ・・・・・・・・
2826, 暴走する国家恐慌化する世界 −3
 2008年12月30日(火)
*今回の危機の一連で三菱UFJが大損、三井住友は軽微
 副島: 今回の三菱UFJは悲惨です。
  実質破綻している2大住宅公社フレディマックとファニーメイの紙切れ債権が3・3兆円もある。
  その上に、モルガン・スタンレー救済の為に九千五百億円も供出させられた。これに比べて三井住友は意外と被害がなかった。
  アメリカ住宅公社では、たったの2000億円である。英国バークレーに一千億円の出資をしたが、もしかしたら一兆円かも?
  今度の金融恐慌が拡大したら、生き残るのは大手ではゴールドマン・サックスとJP・モルガン、ウェルズ・ファーゴ銀行。
  シティバンクは危ない。
 解)「落ちてきたナイフは掴むな」というが、三菱UFJは掴んでしまったのか? 
  勝ち組、資産家、大企業をターゲットにしてきた銀行。今回をもし無難に乗り切ったら、世界にアップスケール出来たはず。
  そうは問屋が卸さないということか。
*大暴落の時は、「20分の1の原理」が働く。
 副島: モノの値段はどこまで下がるか。清算する時の本当の値段はいくらか。
  私は、10年前に、「20分の一の原理」があることに気づいて本に書きました。
  捨て値で処分する時は、元値の10分の一か、20分の一になるのです。
  一億の不動産とか株が値崩れをしたら、500万円になるのである。博打で張った金は二割を残して損切りをする。
  二割なら再起が出来る。一割は厳しい。だから7〜8割引で何とか回収する。モノの本当の値は20分の一である。
 解)何事も同じで、見切り千両である。特にレバレッジで膨れ上がった金融は、決して大げさな原理ではない。
  毒入り債権を見れば解ること。今は、大暴落、恐慌である。ということは、金か何かに買え替えて、20分の一になった
  優良株を探せばよいことになる。 それは中国の企業の中だろう。
*ユダヤ教の本質は合理にあり
 副島:ユダヤ教の本質はラチオ(合理)とリーズン(理性)にある。この二つを突きつめると、突きつめると同じことだそうで、
  語源が同じで「合理」に行き着くのです。君の意見は合理的だね、というのは、「インプットより、アウトプットが大きい」
  ということです。だから、「報われる結果」が100を入れたときに、200,300でなければならないのです。
  だからラチオとリーズンは「利益の法則」ということです。
  それを人間行動に移し替えると金儲けのための合理的行動になるのです。
 解)ラチオとリーズン、この二つの言葉こそ西欧社会の底流の思想、そうユダヤ教思想である。
  それが露出しているから、ユダヤ人は嫌われてきたのである。しかし、イスラム教の教会の上に立つ
  天に向かって三つの球を突き刺している槍のようなもの。あれをラチオとリーズンと見る解りやすい。
  実際は、ユダヤ、キリスト、イスラム教の神ヤフー=ラージXをあらわしたものだが・・・・
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2007年12月30日(日)
2461, 病的まで心配性の人だけが生き残る!
    「ウェブ時代をゆく」 −2  読書日記
著者は序章で、福澤諭吉の『文明論之概略』緒言の中でその66年の生涯を「最初の半分」
を封建時代の江戸時代に、「あとの半分」を明治時代に、「恰も一身にして二生を経るが如く」と表現。
それと同じ大変革の時代を私たちは生きているというのが著者の論である。
著者はもう既に二年前からネットの住人になった感覚を持った時、
自分も「一身にして二生を経るが如く」生き始めたと感じたという。
著者はネットにオプティミズムを貫くのは、ネットという技術の持つ五つの性格を挙げている。
 1.ネットが強者よりも、弱者と親和性の高い技術であること。
 2.人々の「善」なるものや、小さな努力を集積する可能性を秘めること。
 3.一部の人に可能だった行為を、すべての人々に開放する技術である。
 4.「個」の固有性を発見し増幅することにおいて有効な技術である。
 5.社会に多様な選択肢を増やす方向の技術である。
著者はこれから高速道路を走る若いネット・アスリートたちに、
シリコンバレーデ学んだ3つの言葉を送りたいと書いている。
 1、「 Only the Paranoid Survive」(病的なまでに心配性な人だけが生き残る)
 2、「Entrepreneurship」(自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない)
 3、「Vantage point」(見晴らしのいい場所)だ。
・まずは「 Only the Paranoid Survive」
 病的なぐらい心配性の人ーそのぐらいの緊張感で事を処することの出来る人のみが生き残ることが出来る、
 ということ。インテルのアンディ・グローブの言葉。競争の激しい中では、それだけの緊張感が必要ということ。
・次の「Entrepreneurship」
(自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない)地頭で考え、絶対に諦めないことである。
・モグラ観、虫観、鳥瞰の、鳥の目線である。
 情報化の時代であればこそ、プロ、それも一流のプロが求められる。それも華やかなプロより地道な「個」「個」の
 有効な技術を発揮するプロである。それが、オープンソースで開放を始めたのがWeb2.0である。面白い時代である。
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2006年12月30日(土)
2097, 日本経済は本当に復活したのか−  読書日記  (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
 今後、日本経済はどうなっていくのだろうか、現在の日本は楽観論と悲観論が交差しているのが実情である。
 私が知る限り、どの切り口からとらえても悲観論になってしまう。その中で関東を中心として景気が持ち直しているような
 雰囲気が漂っている。 この本の概要は、このHPの「サロンのコーナー」で、あるHPの著者のインタビューで、この本の
言わんとしているところを凝縮して語っているので、ここでは部分的に印象に残った箇所をクローズアップして考えてみたい。
 まずはアマゾンの本の紹介文が、ずばり一番急所を書いている。
 =内容の概要=
(字数の関係でカット08年12月30日)
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2005年12月30日(金)
 1732, 日本一短い父への手紙 ー読書日記            
                     オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚
父親の役割ほど微妙な立場はない。外では7人の敵、家では稼ぎ頭のわりには居場所がない。
せめて家の中ではと思っても、誰も認めてはくれない。それでも家庭の重さが、そのまま男としての重みになる。
夫婦の相性としての当たり外れは五割というから、なおのこと父親の立場は、微妙のケースが多くなる。
           カンカンカン〜・・¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀ワラ人形  −−
石けんよーし タオル よーし 湯加減よーし パパが風呂場のぞく口実 全然 なーし   今村嘉之子(静岡県13歳)
合格発表の日、掲示板に僕の番号を見つけて僕を殴った父さん。 うれしかった。 (σ*ゝω・)σゲッツ大石悠太(東京都17歳)
父がコップに残したビールは、 父の残りの人生のようで寂しくなりました。 大保昇(東京都29歳)
事情はあったでしょうが、やっぱり認知はしてほしかったです。       糀谷弘美(三重県53歳)
どうしてあんなに 私を殴ったの子供を産んだら 余計 わからなくなりました `_´;)  幸田亜子(神奈川県29歳)
大好きなお父さん。 私たち三人と結婚してくれて、ありがとう。      庄野恵美(大阪府18歳) お茶 (@゜▽゜)_且~~          
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2004年12月30日(木)
 1367, 酒についてー2  ー作家が書いた「酒の名言」ー
ある本を読んでいたら、作家の酒についての名言を集めたコーナーがあった。
この随想日記の中で、酒にまつわるテーマで十数編も書いてきた。この「分類・引き出し」の中の検索で「酒」を打ち込むと、
出てくる出てくる。数多くの文章が書いてあった。その全てをコピーするわけにいかないから「酒について」を、このテーマにした。 
酒乱一歩手前?も、色いろの経験がある。 だから、酒についての真髄は、心の奥に染みる。
私の人生から、旅行と酒をとったら何が残るだろうか。さすが作家が随想や小説の中で書いている「酒」についての言葉は含蓄が深い。
あの作家が酒について、こういう感想・実感を持っていたいたと思うと、感慨が深くなる。特に多くの経験?を重ねたせいもあるからだ。
  ーその幾つかを書き写しておきます。
・酒飲み人はただ酒飲む人それのみであることはできない。
 酒を飲む瞬間は、生きつづけたその人の到達したある一点である。                −武田泰淳
・<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在にかんじられはじめる。
 つまり酒によって己みずからを知ってしまうのだ。・・・・
「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、あんがい静かな絶望の表現であったりする。 −高橋和己
・酒飲みというものは、どういうものか酒のこぼれるのだけは非常に惜しがる。
 あやまってお膳にこぼしてみたまえ。十人が十人「もったいない」と唇をつけて、すするから。    −サトウハチロウ
・酒飲みは判官びいきであって、かならずといってよいほど、小さな醸造元の酒を推薦するものである。 −金子兜太
・酒を飲んでいて次第に拠ってくるその移り変わりが一番の味はひである。              ー内田百聞
・酒好きにとって酒というものは、どの一口もうまいにはちがいないが、わけてもうまくなるのは、ちとすぎる頃からだ。ー堀口大學
・酒と旅・・・本当に不思議なものだ。どうして旅に出ると、うまい酒に出会うのだろう。
 東京でどんなに高級なウイスキーを飲まされても、あの旅情に浸りつつの酒にはかてない。      ー赤塚不二夫
                                  ーつづく
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2004/05/02
1125, 酒について −1
(字数の関係でカット08年12月30日)
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2003年12月30日(火)
 1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。しかし小説風の「宗親日記」
が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。
一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。
作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、
また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。 
少し難しくなってきたが。 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、土日を休むとかして、
今のエネルギーを半分にしようと思っている?このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、
頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?どうなるか?
自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
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2002年12月30日(月)
 626, 葬式仏教の由来
 現在の日本の仏教は完全に成り下がっている事を随想日記で何回も書いている。
  葬式仏教の集り体質である。その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府がキリシタンを弾圧した江戸時代にある。キリスト教徒を撲滅する為に、
 お寺に監視機能を持たせた。お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
  (字数の関係でカット10年12月30日)
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2001年12月30日(日)
 285、フィジィ‐について
地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、日本より飛行機で7^8時間位か。もう9年なる。 
この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを
残している国である。人がいい!のだ。フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。
一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。今でも映画館が男女別席である。
小さい島国なのにまたその周辺に多くのミニの島よりなりったている。島がホテルになっているところもある。
他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、他と比べる事はできないが、華やかな観光がない分、
海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、
1人で海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員と
その家族が、小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。会社の社員旅行で行ったが、そのうち1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。南洋の楽園とはよく言ったものである。
もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいならフィジーがいい。
・・・・・・・
ある時間の断片
 12月30日 1968年
12時に起床する。正子さんと母と食事をとる。正子さんが、今の私が陰鬱という。前の私の方がよいという。
何か頭だけが先走っているようだ。社会に出ることに対する不安による動揺が陰に振れているのは解っているが。
14時に大手通りにいく。気持が晴れる。ただ塞いでいただけか。18時に帰ってきて食後にTVを見て
23時に日記を書いて一時に寝る。三日からジャスコに出す論文を書かなくては。
 


3565, 閑話小題

2010年12月29日(水)

   * 米銀行の一つや二つ消える!
 例のウィキリースクが来年早々、BOA(バンク・オブ・アメリカ銀行)の不正暴露で最悪の場合、消滅?すると新聞にあった。
165兆円の預金量をほこるアメリカ最大級の銀行が内部秘密を暴露で倒産?とは、ただならぬこと。リーマンショックで、
危機にあったメルリリンチの救済買収時に、アメリカ政府との間の秘密事項の暴露?。そのためBOAの株価が下がりぎみ。
既に、その資料はマスコミに渡っていて来年早々から大騒動??。 私の学生時代の友人が、ここに勤めたと聞いていたが、
年齢からみて退職をしているはず。暴露ネタは役員のハードディスクから得た情報で、アサジンは、これが公表されれば
「米銀行の一つや二つは消える」という。 僅かな人たちが、国家や銀行を暴露記事で翻弄する構図は、テロに酷似している。
アメリカの銀行は、そのために戦々恐々。 面白い時代に入ったものである。
 そういえば朝日川柳に 「尖角のビデオかわいくなる暴露」 があったが、その言葉通りになるか?
それとも国家権力が動いて闇に葬られるか? その辺の動きの方が注目した方がよい。
  * ハワイとフィジーとニューカレドニア
 この夏にニューカレドニアに行ってきたが、そこはフランス領である。 20年近く前に近くのフィジーに行って、
その海と島の美しさに魅了されたことが今回、南太平洋に行ってみる動機になっている。
太平洋といえば、他にハワイとニュージーランドに行っている。 
・ハワイには三度行っているが、ここはアメリカ領の世界のリゾート地、観光施設と、遊びのソフトが充実していて、
 何度行っても飽きることはない。
・フィジーは、どこにも統治されてない独立国。国全体がポレネシア系フィジアンの暖かい空気が満ちていて
 日本人は直ぐに、その雰囲気が気にいってしまう。 ノンビリしていて、現地人のまなざしが暖かい。
・ニュージーランドは英国系で、アメリカ系に近い雰囲気がある。
・これに対しニューカレドニアは、フランス領が色濃く、あたかも地中海にいるような錯覚を覚える。
 若い人から見たら、それが良いのかもしれない。円高の現在、チャンスがあれば海外ツアーもよいが・・
 ・・・・・・・
3190, 今年の読書の総括 ー1
2009年12月29日(火)
* 今年の読書の総括をしてみる。?
・まずは、川口慧恵の「チベット旅行記」である。知人に紹介されてさっそく読んだが、期待通りに面白い。
 明治期に僧・河口慧恵がインドからヒマラヤを大した装備無しに越え、身元が知れれば死刑になるチベットのラサに潜入し、
 帰還するまでの旅行記である。 信じられないような苦難の中、信心が、それをなさしめたのである。
 宗教とは、信心とは何かを、その体験を通して教えてくれる。 明治期に一人の僧の眼を通して当時のチベットの社会を
 目の当たりしているように感じられ、当時の世界に引きこまれてしまった。これまで読んだ本の中でも印象に残る一冊。
・次に、内田和成著「仮説思考」が考えさせられた。 仮説思考力とは、情報収集の途中や分析作業
 以前にもつ「仮の答え」のことである。経験を積まないうちから、早い段階から結論を出して考える
 訓練をしておくと、失敗も多いが学ぶことも多い。 そのプロセスで、仮説思考は進歩する。
 実際には、それしかないが、実際に「仮説思考」と、目の前に突きつけられと、躊躇する。
・そして、共同幻想から、岸田秀の「唯幻論」を知り、また、茂木健一郎の「脳と仮想」を読んでみた。
 茂木は、「サンタクロース」は存在するかという、子供の切実な問いを、真正面に捉えて、
 「生きること、仮想すること」の根本的な意味を論じている。 我われは、過去を振るかえると、
 現象は夢・幻ということが、おぼろげながら分かるが、実際の生活の中では、その実感は持てないもの。
 その論は、ゾロアスター教の経典にあったという。 般若心教の空即是色の論も似ているが。 ーつづく
 ・・・・・・・・・
2825, 年末、つれづれに
 2008年12月29日(月)
この数ヶ月前から、長岡の駅裏のバス停車場前のベンチにいるホームレスの男三人。雪の中でも、しっかりといる。 
気の毒だが、酒を飲んで騒いだり、街頭のアルバイト学生を追い掛け回したりするのを目撃するにつけ、同情する気が起きない。
家内は数回も声を掛けられたという。 私も先日の通勤帰りに初めて声を掛けられたが、身につまされる思いである。
事業を何度か立ち上げるたびに、失敗を想定した時に、底知れぬ恐怖に落ちる。事例は周辺で過去に多く見てきたから、
その凄惨さを知り尽くしている。経済変動のたびに、もしかしたら倒産するのではと! そして後は、そのときになったら
対処するしかないと!と、夜も眠れないことが度々であった。しかし、何時の間にか厚生年金を満額貰える年齢に達した。
家内も40年近く厚生年金に入っているので、あと一年少しで貰える年齢になる。これで最悪でも普通の生活は確保される、
それでも大恐慌は何が起こるか分からない。むしろ心配で夜も寝れない方が張りがあって、生きがいになってきた、というのは
振り返った時にいえること。来年は解雇された派遣が全国的にホームレスになって溢れるという。また名古屋では、派遣で働いていた
ブラジル人の帰国ラッシュがニュースの話題になっていた。帰国しても不景気で仕事がないが、帰るしかないという。 
来年は失業者問題と、倒産が社会問題になる。危ない領域に入った。 毎日が倒産や失業者で、凄惨な日々が続く。 
そして過去のケースからみると10年以内に三次世界大戦が始る可能性がある。少なくとも今年の数倍の混乱の事態とは? 
今年も、あと2日になったが、歴史的残るような事件が次から次へと続いた。中国・深川の大地震、中国の暴動、北京オリンピック、
ミャンマーのサイクロン、アメリカの黒人大統領の当選、そして、金融大恐慌である。前にも書いたが、今年は本に例えるなら
「目次」と、「前書き」部分のなる年である。来年は「序文」に当たる年である。恐ろしい序文にならなければと、祈るだけ。 
しかし・・・  そういえば、今年は葬式が身近に一度も無かった。 それと結婚式もである。
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2007年12月29日(土)
2460, 2007年度の総括        。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
 今年も、あと二日になった。 一年の早く過ぎること!それでも、振り返ってみると色いろなことがあった。
・身近では、柏崎沖地震である。親戚や知人が多く住んでいたことと、ホテルに風評被害を直撃したこともあり、
 やはり大きな出来事であった。
・次男の結婚が次である。(お雛様の3月3日・明治会館)そういう時節になったということである。
・そして実家の商売を引き継いだ兄の会社が倒産。 27期連続赤字なら仕方がない。
 実家は私が引き継いだカタチ?だから、まだ救いがあるが?
・新潟駅の立体交差の再開発工事が4月01日に着工、雰囲気が一変した。
 ホテルも大口の団体が入り、目先は順調に推移。同日から政令指定都市にもなった。
・葬式は親戚が三人と、高校の同級生が一人。
・政治向きでは、日本では予測どおり安部が自滅。 参院で民主党が大勝利。 
 アメリカはジュニアの現大統領がレイム・ダックになった。
・石油が急騰、アメリカがサプライム問題とイラク戦争の疲弊が目立ち始めた。日本でも、同じようにサプライム問題や
 景気後退感が出る。比較的、平穏に思えたが、こうして列記してみると、結構色いろなことがあった。大変動期であるが、
 それでも来年以降を考えると、まだまだ平穏の年ということか。人生を生きることは、このようなことを毎年経験してきた
 ことになる。人の一生は、それぞれに、その人の経験で詰まっている。それぞれの時に、それぞれの出来事が生じ、
 そのプロセスが生きるということ。生きるということは生易しいものではない反面、生きた分だけ充実感も残る。
 その中でも良い年であった。 日々是好日である。          ヽ【・ω・】ノ バイ
・・・・・・・・・
2006年12月29日(金)
2096, 下流喰い −5      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ            
 最近、まったく週刊誌や月刊誌を買わなくなったが、以前は文藝春秋(月刊)や週刊文春を数ヶ月に一度は買っていた。
このHPを開いたあたりから、読まなくなった。時々、図書館で立ち読みをしても面白くないのは、年齢もあるのだろう。
というわけで新宿の歌舞伎町の、その後の様子など知りようもない。
石原都知事になってから徹底した取り締まりをしたことと、監視カメラの設置などで風俗の呼び込みなどが激減して、
昔の猥雑さが無くなったというが。ところが、この本で歌舞伎町の風俗事情が説明してあった。成程、色々事情があるものだ。
  *歌舞伎町の風俗事情*
 ソープランドをのぞいて、当たり前だが本番が禁止されていたが、以前はそれは表向きの話であった。
実際は、その裏で本番の盛況をきわめていた。警察の集中取締で、さすがに鳴りを潜めざるを得なくなった。
どこの店でも「本番はご法度」を謳っているが、そこはアジアの歓楽街である。
  (字数制限のためカット 2010年12月29日)
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2005年12月29日(木)
1731, 私が選ぶ今年の10大ニュース       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
新聞に今年の総括として10大ニュースが発表されているが、
 以下は私の選んだ10大ニュースである。 フム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
  ー日本版・10大事件ー
 1、人口が初めて減少に転じる 二年早く2004年に人口ピークとなる。
 2、衆議院で自民党が歴史的大勝   3、JR福知山線で脱線、107名死亡
 4、耐震強度偽装で大揺れ      5、郵政民営化関連法が成立
 6、愛知万博が開かれる       7、堤義明西武グループ会長逮捕
 8、小学生女児が相次いで殺害される 9、アスベスト関連死、次々と明るみ
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝
  大相撲では、外人歴史が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関に
ー外国版・10大事件ー  
(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? それとも(。・・)_且~~ お茶どうぞ

 1、大災害が続く  パキスタン大地震、アメリカ南部超大型ハリケーン
 2、テロがつづく ロンドンの同時爆破テロ、バリ島のイスラム過激派テロ、エジプトの同時爆破テロ
 3、NY原油が高騰、60ドル代に              4、ブッシュが再選される
 5、ローマ法王ヨハネ?が死亡                6、フランスで、アラブ系の大暴動
 7、韓国でES細胞論文の捏造が発覚 韓国のイメージの失墜  8、イスラエル、ガザ地区の撤退
 9、中国で人口13億人突破
10、中国で鶏インフルエンザで死亡、再び危険状態に入る (。・_・)ノ”【   】” メモ貼り付け
私が選んだニュースとはこんなものだ。去年が、身辺の中越大地震があり、スマトラ沖大地震で30万人が死亡した
大事件があったため比較的小粒な事件しかなかったように思えるが、やはり大事件が続いたといえる年であった。 
人口減少が予測より二年早く始った歴史的年といえる。 国内では、自民党の大勝で郵政民営化の流れがついて、
それを象徴とした国家レベルのリストラが決定したといってよい。また東京からバブルの兆しが出てきた年ともいえる。
世相として、毎日のように凄惨な殺人が紙面やTV画面を賑わした。 ますます時代はアメリカナイズしているよう。  
                               。゚+.(・∀・)゚+.゚ バイイ!!
 ーーーーーーー
 2004年12月29日(水)
  1366, あなたにできること
 文芸春秋12月号の 巻頭随筆 の小川洋子の「あなたにできること」がよかった。
 中越震災のNHKスペシャルの題名が確か、「あなたにできること」であった。 時期からみて、この随想がヒント?
 ではなかっただろうか。 心に響く内容であったので、その文章を抜粋して考えてみた。
  ーーー
  ー16年前ほど前、文芸誌「海燕」に小説を書くようになったとき、最も驚いたのが、編集者が親身になって
  私の作品と向かい合ってくれたことだった。どうして自分の小説でもないのに。というほど圧倒されるような気持ちに陥った。
  その彼はまだ私と同い歳のまだ若いのに、思慮深く、決してうろたえない人であった。どういうわけか、
  ふと小さな灯りがともり、私の中に新しい場面が浮かんだ。 すぐさま私はゲラに赤ペンで、十数行ほどの書き込みをした。
   ・・・ その時、編集者の視線が痛いほど鋭く手元に突き刺さってくるのがわかり私は恐ろしかった。
  仕方がないので、恐る恐る一歩ずつ進んでゆくしかなかった。以来私にとって、ズット編集者は恐い存在であり、
  完成前の未熟な小説の前で彼等の内面ではどのような思いが渦巻いているのか、想像もできないでいる。そんなある日、
  偶然「『ニューヨーカー』とわたし 編集者を愛した40年」という本を手にした。アメリカの『ニューヨーカー』という
  雑誌のライターである、リリアン・ロスの自伝であった。内容の多くは、名物編集長ウィリアム・ショーンとの出会い、
  結婚を許されない状況の中、関係を深めていくないように割かれているが、私が興味を持ったのは、編集者としてのショーンの姿。
  サリンジャーやレイチェル・カーソンなどの信頼を寄せられていた。作家がどこに向かっているにせよ、そこまでの道のりを
  しめすことができた。そして、「あなたにできることはあなたにしかできないんですよ」と言って、作家を励ました。・・・
  耳にたこができるほど、何度でも作家達はショーンのこの言葉を聞きたかったという。
  私も16年間、同じ言葉で励まされてきた。別の言葉で、態度であるけれど、大勢の編集者に導かれてきた。
  私の小説にどれほどの意味があるのですか、素晴らしい小説は世界には一杯あるのに・・・・。
  そんな気分になって座り込もうとする私を、無理やりにでも立ち上がらせてくれた。
  ・・・ウィリアム・ショーンは既に亡くなり、文芸誌『海燕』は休刊になった。けれどもショーンの残してくれた言葉は、
  今までの小説に向かいあってくれたすべての編集者たちの声と一体になり、心の中で響き続けている。       
    ーーー      (*゚Д゚)つミ匚_ _ あ゙!
  以上であるが、読んでいて自分の内面、過去に対して深く考えさせられた。NHK・BSの「遠くにありて日本人」
  のバイク・ビルダーの生き方にしても、ひた向きに何かを創造している姿勢と精神の真髄に、改めて教えられた思いである。
 「私にしかできないことは私にしかできない」それが何か一度考え直してみる必要がある。随想は自分にしか書けないことを
  書けばよい。毎日書き続けると、自分に書けないことしか書くしかないが。 それが毎日書き続ける効用である。
・・・・・・・
2003年12月29日(月)
 999, 人間って何の為に生きているの?
昨日、TVで「男はつらいよ」を見ていたら、「人間って何の為に生きているの?」という質問に
「『ああ〜、生きていて良かった!』と思う為に生きている」という寅さんの言葉が良い。 
刹那的な言葉であると同時に,複雑な思いが残る。「ああ〜、生きていないほうが良かったのに!」
と思いざるを得ないような背景があるからこそ、この言葉の重みが出るのだ。また、柴又の住職が
「寅さんの言葉を借りて仏様は話しているんだよ。仏様は愚か者を、むしろ愛しているようだ」という言葉に
監督の思い入れを感じた。ところで、この質問を自分に投げかけられた何と答えるだろうか?
「飯食って、糞して、死ぬだけ」という名僧・暁烏敏の言葉が思い浮かぶ反面、「よく遊び、よく学び、よく働くこと」
が私の答えになる。死ぬ時に「ア〜よい人生だった!」と思えるかどうかだ。 哲学とか何とか難しいことを言っているが、
突き詰めればこの問題になる。「自分の人生は何だったのか?」=「人間って何の為に生きているの?」しか究極はない。
「生老病死」という大問題を乗り越えた果てに「あ〜生きていて良かった!」と言えてこそ人生を勝ち取ったことになる。
 そういえば母や叔母から、この言葉を聞いたことがあった。 叔母の場合足を切断するかしないかの瀬戸際に、
あわや信濃川に投身自殺をしそうになって思いとどまった。その後切断しないで済んだが、その直後に法事で聞いた話である。
絶望の果てに、この言葉がある。暁烏敏といえば「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」の歌がよい。
・・・・・・・
2002年12月29日(日)
 625, 朝鮮戦争の不安
来年の一月下旬に米国のイラク攻撃は避けられない情勢になってきた。 攻撃に入れば時間の問題で早期に片付くだろうが、
(字数制限のためカット 09年12月29日)
・・・・・・・・・
2001年12月29日(土)
 284、[大倒産時代]
  大倒産時代
今年四月に出版された、帝国バンクの情報部長の「大倒産」を図書館から借りてきて読んでみて、その深刻さに改めて驚いた。
そのサブ表題が、今年から来年にかけて、過去最大の倒産ラッシュに襲われるという。今年はこの表題ほどでなかった?
から来年がそのしわ寄せが大きくなるのではと不安になってきた。100万社の倒産予備軍控えているという。
今年2万社が倒産しているが、その予備軍の二割から三割が、この数年で倒産するとしたら、一年で5万社あたりになる。
考えただけで背筋が寒くなる。データーから読むとそう考えざるを得ないという。来年4月のペイオフの第一弾、その翌年四月の
第二段と控えている。今もそれに近いが、倒産が日常茶飯事になりつつある。身近にマイカルが、新潟鉄工が、新潟中央銀行が
倒産したが、それが日常になり驚かない時代に入ってきた。それが飛び火して身近の火事にならないという保障がない時代である。
誰もが未体験ゾーンに入ってしまった感が出てきた。とくに今まで溜まっていた膿が来年一挙に出ようとしている。
この本によると、「放漫経営による倒産」は死語に成ってしまったという。「不況倒産」がほとんどという。
この波は新構造不況業種を洗い、名門・老舗企業を飲みこんでいく。 発火点は地方都市より始まり、大都会へと荒れ狂うという。
その典型が長岡市であり、新潟市に思えて仕方がない。公共工事が多く占めている新潟県は直撃そのものである。
その中で経営者はケチ、ガンコ、ムクチが必要要素とか。それにしてもそこまできたか!というのが実感である。
........
ある時間の断片
 12月29日 1968年
今朝5時に長岡に到着する。バスで帰るのは初めてである。6時に就寝、11時に起床する。12時まで裏に住む正子さんと話をする。
昼飯を食べた後に本を読む。昨夜、この日記を書くために頭を使いすぎたようだ。あまり頭を使うと否定的な気分になってしまう。
楽観的に自分を置いておかなくては。今の私は悲観的になってはならないのだ。楽観面から悲観を引っ張りあげなくては。
夜になって父が帰ってくる。何か話していてもシックリいかない。寝る前に年賀はがきを書いて午前1時に寝る。 
このところ、親しい石川、深井、佐藤、兼古ともギクシャク。いま上手くいっているのは川崎位のものだ。
何か焦って友人達と摩擦を起こしている。個人主義といいながら、エゴになっているのではないか。


3564, 豊かなのに、幸せになれない、何故?

2010年12月28日(火)

 日曜日のモーニングショーで、「豊かなのに、幸せになれない、何故」というテーマで、
レギュラーのメンバーが議論をしていた。直ぐに、「豊か=幸せ、と決め付ける前提の方が変である」と、呟くと、
家内が「また屁理屈を言っている」と、のたまった。 「豊かさは必要条件だが、絶対条件ではない」と言っても
分かる相手ではないと頭の中で呟いていたが・・。しかし人生を振り返ると、やはり豊かであるにこしたことはないのも事実。
あるメンバーが「豊かさは、求めるものでなく、深めること」という言葉に一人納得。 幸福度の一番高いのがデンマークで、
二位がスイス、八位がブータン、日本は90番目という。何の根拠かしらないが欧州に続いて、日本は幸福度はAクラスに
入っていいはず。 日本人が世間知らずというか、あまりに世界を知らない。ここで、「人間は繋がりの中で生きているのに、
変な個人主義に陥ってしまい、集団社会の中の役割を果たす場面が少なすぎる」といっていたがが、そのとおりである。 
哲学の先生がインタビューで、「戦後からこのかた、成長を追い求めてきた結果、便利の追求が、身体を使わないことと
思い込んでしまい、自分の立ち位置が見えなくなっている」と、述べていた。
 戦後、日本は自由主義=個人主義、民主主義=平等主義、成長経済=豊かさを追求してきた。
それもこれも共同幻想でしかなかったが、それでも世界に稀な国家をつくりあげた。それも、占領統治国家のアメリカの手の内で、
その手を返され直ぐに崩壊してしまった。それが国家として、現在も大きな暗い影を覆ってしまっている。
「物質的な幸福と、精神的な幸福を混同してしまい、幸せを幸せと感じることが出来なくなっているのが現在の日本」。
また、人間は世界の王様と勝手に思い込んでしまった結果、多くの矛盾が生じている。考えてみれば、幸せという言葉自体が
共同幻想そのものである。それからすると、不幸もである。「貧しいのに、幸せな私、何故?」という言葉、やはり、そぐわないか。
「豊かで、幸せの私」「貧しくて、不幸な私」どれもこれも、似て非なるもの? いや違う? 
でも、「豊かなのに、幸せになれない、何故?」は、ブラックジョークの最たる言葉。
家内が言うに、「友達の殆どが、自分は不幸と思っているみたい」だと! 傍から見れば、豊かで美人で教養がありそうなのに?。
ということは、やはり、このテーマは殆どの人が実感していることか。 ところで豊かとは何? それは比較? 共同幻想?                                                                    ま、いいか!
 ・・・・・・・
3189, つれづれに ー閑話小題
2009年12月28日(月)
* 来年は、どういう年になるのだろうか?
 思いつくまま、来年のイメージしてみるが、マイナーなことしか思い浮かばない。
・日本国債と株価の暴落と、金の暴騰。
 日本経済の二番底か、二番底の底抜け。 中小企業の破綻がドミノ倒しのように続く。
・アメリカは今更だが、日本と欧州経済が後半にかけて更に大混乱する。
・国内も参院選挙に向けて、政界再編成に動くだろう。鳩山も参院まで持つかどうか。
 持てば、長期政権の可能性も出るが、この難局を乗り越えるかどうかというと疑問である。
* かえり矢
 かえり矢とは、矢を放せば、おのれに矢はかえることをいう。 現在の鳩山首相が、この言葉そのもの。
野党時代に、自民党幹部の秘書の汚職に対して、それは代議士本人の責任で辞めるのが当然と攻撃。 
今度は自分の秘書である。その当時の鳩山の攻撃の映像が、彼の弁明の会見の前後に繰り返し放映されるのだから、
どうもこうもである。 どうみても、あの弁明では納得できない国民感情だろう。
 * クレタ人のウソ
 今更だが哲学に、「嘘つきのパラドックス」 がある。 
(ネット辞書のウィキペデアによると)
≪ 自己言及のパラドックスの古典として知られるのが、次の嘘である。
 “ 「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。 ”
なお、この発言をしたクレタ人はエピメニデスであるとされる。
ここでクレタ人(エピメニデス)自身が「クレタ人は嘘つき」と言及しているため、パラドックスが発生してしまう。
すなわち、「クレタ人は嘘つきである」が本当なら、クレタ人であるエピメニデスも嘘つきであるはずで、従って
「クレタ人は嘘つきである」という発言も嘘でなければならない。しかし「クレタ人は嘘つきである」が嘘なら、
クレタ人であるエピメニデスも正直者である事になる。 従って彼の「クレタ人は嘘つきである」という発言も
本当でなければならない ≫  禅問答のような話になるが。
 人生の中に似たような場面にしばしば出会うことがある。鳩山のウソは、これ以前のレベルである。
・・・・・・・・
2824, 暴走する国家恐慌化する世界 −2
 2008年12月28日(日)
  AIGが何故救出されたかが、詳しく述べられているが、知るほどに今回の金融危機の根の深さを感じ取る。
  1929年の世界恐慌を遥かに超えた破壊が起きようとしている。異常な時には、異常なリーダーが出る。ヒトラー、
  スターリンである。毛沢東も含めると、5千万人以上が直接間接的に殺された。スペイン風邪を含めると一億人が亡くなった。
  これから10年は異常な事態を覚悟をしていた方がよい。 何度も書いてきたことだが・・・
 * AIG は 何故救出されたか
  副島: AIGが何故救出されたか?15兆円という巨額の資金をFRBが出したか?
  それはCDSの保険商品を扱う最大の保険会社だったからだ。AIGはリーマン・ブラザー向けに巨額のCDSを発行していた。
  リーマンが倒産したため、AIGの株価は暴落、しかし大銀行各社と結んでいたCDSの契約が巨額だったので、
  もしAIGが倒産すると全てのCDS(最大6200兆円の価値が無価値になる可能性もある、
  そうすると他の銀行が引当金を積まなければならなくなり激しい金融恐慌が起こる可能性があった。
  最近、私が聞いたのが、日本の自衛隊、団体保険、年金運用やその再保険を、全部このAIGに任せていたという。
  金融庁が9月15日にやったことは、日本にある資金を、AIGの在日幹部達が米国本部に送金を阻止することだった。
  −6200兆円の1割としても、六百兆円の損害金をアメリカ政府がAIGに替わって支払うことなど出来ないはずだ。
  15兆円を当座の資金として支払っても、2%でしかない。その数十倍をアメリカ政府が払えることなど不可能。
  それがAIGだけでない。 そうこう考えると、アメリカは一度デフォルト(支払い不能宣言)をするしかないのか?。
  口先の上手い黒人大統領が綺麗ごとをいっても、払えないの払えない。この人が話す言葉の裏づけは瞬時に融かされる。
  それが情報社会の凄みである。 日本の「あの人?」よりは、ましか。 
  外黒、内白の大統領は、当面は無制限にドルを刷り、国債を発行し、ハイパーインフレもやむを得ないとするだろう。、
  その後デフォルトを宣言する。それとも旧札二ドルを一ドルの新ドル発行するかしかない。
  恐ろしいことだが、これが事実のようだ。地球の隅々まで毒饅頭が回っていたのである。
  金融立国と称して米国同様にイギリス、スペインなどもしていたから
  世界同時金融恐慌になったのである。AIGは目先の救出をしただけで、根本が解決されてはいない。
  来年は、世界恐慌が本格的に吹き荒れる年、最低5〜10年は続くことになった。
  ブッシュは史上最低の指導者として、歴史に残る。 阿部、福田、そして麻生は如何だろう? 日本は小泉か?
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 2007年12月28日(金) 」
  2459, ウェブ時代をゆく −1  【お】|ゝω・)【は】|・ω-)ノ【よ】|((ゝω<)ノ【う】          
                             −読書日記
   なかなかよい本である。「ウェブ進化論」の完結篇で、それに劣らない内容。一言一言が新鮮で説得力がある。
   この情報化のスピードと変化に戸惑っていたおり、分りやすく現在地と方向を示している。
   それも肯定的・楽観的なところがよい。若いSEには必見の書だが、一般の人こそ読んでおいた方が良い内容である。
   ウェブの世界は、いま一つの違う地球の出現であり、リアルの世界に匹敵するほどの世界である。それをアメリカ大陸
   の発見と、アメリカという人工国家と類推している組立てが非常に面白い。世界の1〜2割の人がインターネットで
   結ばれるなど信じがたいことである。それも、ブログという受発信基地を持って、平等に、そして自由に。
   さらにオープンソース(情報公開)の潮流が、情報の莫大な恩恵をもたらしている。
 ーまずは、紹介の内容と目次を書き写してみた。
  「ウェブ時代をゆく 」─いかに働き、いかに学ぶか         梅田 望夫 (著)
ー内容紹介文(アマゾン)ー
現代は、江戸から明治に匹敵する「時代の大きな変わり目」だ。ウェブという「学習の高速道路」によって、
どんな職業の可能性がひらかれたのか。食べていけるだけのお金を稼ぎつつ、「好き」を貫いて知的に生きることは可能なのか。
この混沌として面白い時代に、少しでも「見晴らしのいい場所」に立ち、より多くの自由を手にするために――。
オプティミズムに貫かれ、リアリズムに裏打ちされた、待望の仕事論・人生論。『ウェブ進化論』完結篇。
 序章 混沌として面白い時代
ー 字数の関係でカット(2007年12月28日)
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 2006年12月28日(木)
2095, 下流喰い −4    オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!        
バブル崩壊から日本の経済が立ち直りつつあるというが、金融の再編成の歪みや、ゆとり教育の行きすぎなど
多くの問題が日本社会を蝕んでしまった。強者が弱者からむしり取る社会構成が出来上がったのである。
高利貸しは徹底して弱者からサラ金三悪という手法で全てをむしり取る。十数年前のことだが、ある話が鮮明に記憶に残っている。
  字数の関係でカット(2010年12月28日)
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2005年12月28日(水)
1730, 新潟県活性化案
  ある知人から、新潟県活性化案の知恵を貸してもらえないかと相談を受けた。
  学生時代のゼミの後輩だけに、私の知恵を搾り出せるだけ出した案が、以下の通りである。
  1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
  2、新潟飛行場を3千?に延長してハブ空港(国際空港)化する。
  3、コスト削減のため単線にする。
  4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、そこを特区にして高層のビルの
    容積率を1千%に上げ、買入価格の二~三倍の値段で売却して、新幹線の工事費の半分以上を捻出する。
  5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
  6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システムの無人電車を通す。(新幹線の空いている時間をフルに使う)
   ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
  7、新潟駅から朱鷺メッセ〜西港~飛行場~東港の新交通システムを別に通す
   以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、宣言をする。
  その象徴として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」を上越新幹線の特化とする。
 ーー
 これが私の新潟県活性化のための原案である。φ(._. )カキカキ   (。・ω・)ノ□ハィ 3(-ω-。)クシャ (。-ω-)ノ⌒゚□ ポイ
 今さら、観光は金沢・富山・福井の観光資源に対して太刀打ちはできないのは誰の目にも明らかである。
 それなら東京駅から新潟飛行場まで直接乗り入れをすることで、日本初の直接乗り入れのハブ空港にすれば良い。
   字数の関係でカット(2010年12月28日)
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2004年12月28日(火)
 1365, シンプルの勧め−3
 以前にも何回か、シンプルの勧めを書いてきた。服装に関して、昔の旦那様の粋な着物の着こなしについて書いた。
 欧州を旅行していると、気づくことが服装のセンスである。よく見ると、シンプルなのである。基調は白と黒である。
 白と黒のどちらかといえば、黒である。他は、せいぜいベージュか、濃紺か、ネズ。 しかしデザインがよい、それもシンプル。
 ネッカチーフとか、くづ下とか、カバンや、帽子などの色を変えてポイント。オカマのオスギが、銀座で服装チェックの番組がある。 
 家内が好きなので見ることがあるが笑ってしまう。気取ってブランド物を身につけている人を片っ端から切り捨てている。
 着こなしているつもりのブランド物のバランスがチグハグ。 すべての人が、「コスプレ」そのもの、それもチンドンヤ以下である。
 銀座で目立つブランド物を固めている人はコスプレ!と、 思ってウオッチングをして歩けば楽しいだろう。
 「銀座の街を意識した、外見を繕っている世界のコスプレ!」は少し言いすぎか? そう思っていれば、
 ブランド物など欲しくはなくなるはずである。土人が西洋のブランド物を身につけても似合うわけがない。
 まして、黄色人種はさらに似合わないのが解からないのが可笑しいのだ。 オスギが言いたいことはただ一つ
「シンプルに、着こなしているかどうか」である。定番的服装をまず着こなすことという。
 一例をあげれば、パリでよく見かける、何げない白のブラウスに、濃紺のタイトスカート。
 これを何人が着こなすことができるだろうか。定番的服装も着こなしができない人ほど、ブランド物に頼る。
 よくスナックなどで見かける、やり手ブス風ブランドチャラチャラ女。そういう視点で人生を見直すと、面白いことに気がつく。
 捨てて捨てて捨て去った時のシンプルさは、禅僧の生き方に見られる。 そこまでは極端としても、他人に惑わされているものを
 最小限度にすべきである。一般には、死を宣言されて人生を振り返った時に無駄なことが何であったか、初めて気がつく。
 人間関係もそうだ!捨てて捨てて捨て去った時に残ったシンプルこそ一番重要なことだ。 但し若いうちは、せいぜい派手に、
 その時にしか着れない色彩をして、多くのものを身に着けてみることも必要なことである。
 ー以前書いた1,2と大して内容は変わりがないが。自戒・反省のため、書いた。
  ーーーーーーー
 シンプルの勧めー2
   字数の関係でカット(2007年12月28日)
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2003年12月28日(日)
 998, アマチャアビデオ特集
 昨夜NHKで「アマチュアビデオ特集」を放送していた。
単身赴任の父親に赤ちゃんの姿を映像に録って、毎日TV電話に送る姿や、小学生のグループがテーマを決めて
ビデオで録って編集をする活動があった。また庭で雀が、足が何かに絡んで動けなくなった仲間を助けようという
微笑ましい内容が映しだされていた。井筒和幸という映画監督が、解説をしていたが、この中で「他人に見せるということになると、
全く違ったビデオの内容になる。もっと深く言えば、誰に見せるのかを意識をした時に内容は全く変わってくる」という言葉が印象的。
字数の関係でカット(2009年12月28日)
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2002年12月28日(土)
 624,今年の総括
今年の総括の時期になった。 毎年卓上日記に書いている。
・姉正子が亡くなる ー9人のうち4人死んだ。
・父方のオバがなくなる。父方の叔父の連れ添いだ。
 これで父の兄弟・姉妹とその連れ14人が全てが亡くなった。年齢の一つの風景か。
・海外は三回行った。 西アフリカ、スイス、パタゴニアだ。
 これで39回、60歳までの50回の目標に近づいたが。来年は戦争の可能性があり、どうなることか。
・子供は長男が再就職と更なる転職。次男は会社ごと身売り、転籍。これは時代の風景だろう。
会社は
・この不景気の中一応順調に経過という事か?相変わらず銀行の貸しはがしの予兆があったが。借り入れも一応順調にいった。
・売り上げも微弱ですんだが利益は2割減った、来年はどうなることか。 新入社員が6名入って若返った。
国際社会は去年は歴史的な9・11があったが、比較的に落ち着いた年だった。北朝鮮問題がクローズアップしてきた。
国内も比較的安定した年だったが、景気がますます悪くなって救いがたい状況。国内も国際的にも
20世紀的なものが本格的に壊れ始めてきたのが今年の特徴だった。自民党は仮面を変えてしぶとく残っているが。
・・・・・・・
2001年12月28日(金)
 283、創業の頃ー2
中途採用は‘一ヶ所でオぺレーションを4〜5年以上やってきたキャリア’以外は入れない。 
間違えて入れたら、いらない苦労を背負い込むからだ。ある日のこと,ライバルになる会社の事務の責任者と名乗る女性から
電話が入った。会いたい、どうしても面接をして欲しいとのこと。かなり強引の電話内容であった、そうして会った。
「取引先から貴方の事を聞いた、ほれ込んだぜひ自分を使ってほしい」とのこと。私もドライだが、こういう小説みたいな事は、
まずいのは解かっている。 それより立ち上げの時は、なるべく汚れてない(癖のついてない)人間を集めないと、空中分解をする
可能性を孕む。当たり前のことだが、人間は過去の経験に縛られて一歩もそれから出れない性(さが)をもつ、更にそれに対し無自覚だ。
その意味で人選は立ち上げ(創業)の一番の要素になる。当然その話は成立しなかった。次はマネージャーである。
初めは潰れたばかりの建築メーカの元課長。癖がついていてマネジャーに不適任。すぐ話し合い解消、次の人選。
時計やの2代目!これも一週間でヤメ。あとはリクルートしかないと、
東京まで中途採用の関連会社に出向いて、広告と面接! そして応募してきた今の支配人と出会う。
・・・・・・・・
 12月28日 1968年
11時に起床。13時に千葉の姉の優子さん宅に向かう。途中花屋で植木の花を買っていく。
卒論の清書をしてもらった分をもらい、16時半に帰路につく。途中に集団すりを目撃をする。
財布を掏ろうとして騒がれて慌てて逃げていった。17時半に帰寮。20時に帰省バスに乗る為に新宿に行く。
21時のバスに乗る。翌朝の5時に到着。家に着いたあと就寝。ーこの4ヶ月の日記を見ると字があまりに乱雑である。
他人に見せるものでないとしても、これ自体自分の姿である。最近自分というものに対して目覚めてきたと同時に、
自分に懐疑的になってきた。そして少しのことで動揺するのだ。
この二ヶ月間は特にそうだ。また同時に脱皮に向かってモソモソしているようだ。自分の理念とは何だろうか?
・創造、遊び、愛、知性という面から、それぞれをどう位置づけるか。自分の理想的なバランスである。
・それと真善美のいう面からも自分のバランスを考えてみよう。
ー 創造について
 男としては、価値基準の一番の指標になる。 これは生きていく手段としてより、人生の目的として、
 自己の具現化として追求するのが重視されて当然のことである。
 人生の大部分はこれを追求すべきである。 その追求をしていく過程・・・・
ー愛について
ー遊びについて
ー   省略


3563,  閑話小題ー激流の中で

2010年12月27日(月)

  * 高校・大学生の就職難について
 25日のクリスマスの土曜日のゴールデンタイムに何と「高校・大学生の就職難」についての討論会があった。
 時代が変わったものである。 大学生は、一番価値があるモラトリアム(社会人前の猶予期間の自由)が、
 これでは満喫できない。 それより過半数以上が大学に進学すること自体が変。25%あたりが適正である。
 私の時代は16%だった。それが、まず問題である。高校卒では就職が不利、だから大学に行くというのが進学理由、
 だから学生時代に自由を有意義に謳歌できないのである。 高校、大学とも42〜3%が就職先が決まってないというが、
 違う学部に再編入したり、大学院に残ったりした学生は数字に入ってないので、実際は過半数が就職出来ないのが現実。
 すざましい厳しさである。 韓国、中国人の質を比べるとレベルが非常に低下しているというが・・・ 
  * どうなっている?朝鮮半島
 23日の韓国の大規模な実弾射撃訓練、危ないと思っていたが北は急にトーンが低下してしまった。
 全面戦争になった時、韓国は失うものが北に比べて格段に大きいためイザとなると腰が引けてしまう。
 片一方は、全面戦争を常にちらつかせ、始ったら終いのことを熟知している。脅しは、脅しでしかない。
 目を凝らして状況を見ると、結局は北朝鮮は中国の隠し砦、日米韓はいいようにあしらわれている。
「アメリカへの間接的脅し道具」ということ。 中国が「世襲は反対、早晩、金一族は政権を国民に返すべし」
 という声明と、国境閉鎖で数ヶ月で体制がひっくり返る程度のこと。
  * 瞬間像
 「突然涙が溢れたり、ふと笑いがこみあげたりすることがある。それは過去に堆積された経験、思い出が〈今〉と結びついて、
 瞬間像がフラッシュのように表出した結果、それはまさに生そのものと触れた時である。 その意味では、瞬間像とは、
「純粋持続」を感覚的に把握するする瞬間である。この特性を、ベルクソンは〈直感〉ないし〈哲学的直感〉と呼んでいる。
 これは「意図的にぼんやりすること」で、感じ取ることが出来る。だから老齢期には、その時間が多くなる。
 これを日本語で〈イメージ〉とか思い出像と言ってしまうと、明確な輪郭をもったものと想起されるが、
 フラッシュは、あたかも「いま、ここ」に鮮明なイメージを映し出す。年寄りはボンヤリしているようだが、これまでの人生の
 思い出が、次々と表出しているのである。それが、コントロール出来なくなると、痴呆症に陥るのである。
  ・・・・・・・・
3188, 3D映画の初体験の感想とは?
 2009年12月27日(日)
 昨日の朝9時からシネマで「アバター」を観てきた。「3D=立体のシネマとは、どんなものか」の実感の感想を書いてみる。
メガネに上に重ねたこともあり、初めの30分は馴染めなかったが、馴れてくるにしたがい異空間に引き込まれいた。
「映画の画面と、自分の顔の間に映像空間ができた」というのが、未体験の人に説明するに分かりやすいだろう。
映画そのものが、画面から映像が飛び出して見える演出が計算されてつくられていて、自分が映画の空間の中に
入りこんでしまった感覚になり、緊迫感が数倍になってしまう。 ストーリーがなかなか面白く、想像を絶する画面が
次から次へと展開していく。 20世紀では考えも及ばない映画である。「2012」も、同じだったが、自分が、
どっぷりと異空間に取り込まれてしまうのである。 21世紀のバーチャルもここまできたかと感じいった。
所詮は、生きていること自体、夢・幻のバーチャルでしかないが・・・。私がみたのは字幕版だったが、
3Dに関しては字幕が見えずらい。 吹き替え版がお勧めである。これをみても何とも感じない人もいるだろう。
戦後、何も無いところから時系列で時代の変化をみてきたので、こういうものに敏感になるのだろう。
今世紀に入ってから次から次へと、これまでとは違う世界がつきだされる。 21世紀に生きているのである。
9・11テロ、9・15の金融危機、ブログの飛躍的普及、携帯電話の進化、アメリカの黒人大統領の誕生、
中国の経済発展。 日本では、自民党の壊滅など、思いもよらない現象が起きている。
この3D映画も、その一つである。 ドラッガーが40年前に「断絶の時代」がやってくる言っていた。
ソ連の崩壊、中国の文化革命、インターネットなどの情報革命、それと100年?数百年に一度の恐慌と、
怒涛のごとく日常にも押し寄せてくる。 この3D映画も、その一つだろう。面白いが、恐ろしい時代である。
 ーところで、家内は3Dが思っていたより大したことがなかった、という。 私とは受けとめ方が違う。
 私は、意識的に立体空間に入ろうと勤めていたのと、初めの30分の違和感に引きずられたからだろう。
 ・・・・・・・・
2823, 年初来、世界の株価は半減!
 2008年12月27日(土)
年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日、経済欄)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。これに国債や住宅ローンや
サブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、その損失は計り知れない。
 ーまずは、その記事からー 
 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)の下落になっている。
 9月半ばからの金融危機と景気後退の深刻化で、世界の株式市場の株価が08年の1年間でほぼ半減する見通し。
 年初から11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、市場からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった
 新興国の急落ぶりが激しい。 年間の下落率は02年の19.6%を超え、95年以来で最大で、対象の国すべてがマイナス
 となるのも初めて。  なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに71.30%、インドが67.98%、
 中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。高い経済成長率で投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が
 資金を一斉に引き揚げ始め、株価の大暴落。 ちなみに、ドイツ・フランス・ドイツは5〜60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、アイルランドが69.86%)、
 ベルギー(同68.78%)で、調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の下落という。
 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機の震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から株価が低迷していた分、
 新興国と比べると下落率が小さいようだが、数年スパンでは同じと見ることもできる。
 来年も不安定な相場が続くだろう」とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
 −−−
 これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて下落していたし、米国は一年前から下落していた。
 その上に輸出立国のモデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃を受けることになる。これから5年間は倒産の嵐になるのは必然。
 まずは、失業率が数年後に10〜20%になる。これは数軒に一軒の家庭に失業者が出ることになる。
 目先はカンフル剤的な資金投入で平穏を保つが、一時的なこと。 かなり厳しい管理体制になるだろう。
 ・アメリカから離れ、中国と組んでアジアのブロック圏をつくるか、
 ・これまで通りアメリカの隷属国家として、太平洋経済圏で生きるか、、
 ・アメリカも中国からも等しい距離をとり、真の独立国家を目指すか、である。
  この場合、憲法を変えて、原爆保持を宣言する。 現在の日本は、?の選択しか能力は無いだろうが・・・
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2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。
中越の十日町市の元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺の話を聞いていた)
当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。それが、応援団の暴行で学生が自殺。その凄惨な内容が露見した。
「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐めである。
学生時代に国士舘の応援団の虐めを山手線で目撃した友人の話が聞いたことがある。
蝉と先輩らしき男がいうと、下級生が手すりに掴まりミーンミーンと鳴いたとか、荷物置き場に上がり鶯の真似をさせられたとか、
公衆の面前で暴力団まがいだったといいう。先年に亡くなった新潟の『夕陽コンサート』を立ち上げた男も応援団だったが・・・
応援団といえば、いつも校庭で屯していて別世界に閉じこもっているグループという印象が残っている。また、その男はそうだった。
地元の長岡高校に入ったとき、数ヶ月間、新入生は放課後、校歌の練習でしごかれる。大声と丸めた新聞紙で殴りつけ恫喝をしながら、
校歌を幾かつ憶えさせられたが、今でも恐怖と嫌悪感が残っている。プライドと伝統を植えつけるのに必要か?と、半分肯定、
半分否定ではあるが・・・ 大学では体育会系で一番ガラが悪く、暴力団紛いというのが応援団の印象であり、今回の問題は
起こるべくして起きた問題。下半身に熱湯をかけるなどがビデオに残されていたというから、解散は当然である。
それでも大相撲部屋から見れば甘いだろうが・・彼方此方のスポーツなど行事に一番前で見る機会が多いから上級生になれば、
良いだろうが、馬鹿製造集団でもある。馬鹿になることも必要だが、小馬鹿はこまる。
ーマイナーな話なので、可愛い話を一つ加えよう。近くの土手を散歩をしていたところ、小学校の運動会をしていた。
例年になく元気の良い紅白の応援団の声が聞える。よくみたら、先輩と思しき中学生の応援団が数名ずつ、紅白に分かれ、
指揮をとっていた。さすがに低学年は別グループだったが、気合を中学生に入れられた小学生の姿が何とも初々しい。
                          ((´_`○)ノ ノヾィ♪         
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2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い −3      (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
 −−−−
この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。ここでは何度も取りあげてきたが、
「タクシーの運転手の悲鳴」である。飲み会の帰りに数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、
「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、ほぼ同じ返事が返ってくる。<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで
8万位稼いで、子供1~2人で何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入ってくるからね〜」である。
ホテルの前にタクシーが並んでいるので、その時々の景気状況や彼らの身近の話が入ってくる。
全国的に「固定給のベースが廃止され、完全歩合給制」が全国的に普及始めてきたという。
新潟市も来年四月から完全歩合制になるという。4年前に規制緩和を受けて、タクシー業界に多くの新規参入があった。
そのため業者間競争が激しくなり、各社一斉に増車をして収益確保に入り、各社には成果主義が導入された。
その一環が完全歩合給である。平均年収が300万弱と、全産業のそれより150万円も低い現状にある上に、
今度は最低賃金も保証されないのだという。運転手もお客という獲物を他の車より先に捉えるセンスが要求される。
そのセンスのあるとなしでは、収入が全く違ってくる。
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(字数の関係でカット、08年12月27日)   
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2005年12月27日(火)
 1729, 流通再編成             (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
 これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
 これで国内でイオンと二大流通グループを構成することになる。アメリカのセブンイレブン本社も
 買収しているから、世界の流通として質からみても遜色ない流通グループになる。   ~~旦_(-ω-`。)
      (字数の関係でカット、10年12月27日)     
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2004年12月27日(月)
 1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院で手術をした時、隣のベッドの人の話も
M資金に似た話を父にしていた。「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
  (字数の関係でカット、09年12月27日
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2003年12月27日(土)
 997,「 私の死亡記事」−2
 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。
あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、
日本から新潟を見つめ、そして自分を見つめ、その自分を突き放して最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
 ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、
両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていない。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。
実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくがバブルの時代に買い取り方式に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。 享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。
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2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2002年12月27日(金)
 623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく画面がきれいだ。明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。会社のパソコンの入れ替えを利用して2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。当たりであった。画面が明るいことと
クッキリしているのが本当によい。まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも遠からじという感じがする。
あと二年経ったらもっと凄い内容になっているのは間違いがないだろう。恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。
不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信できるのが売り出されるという。
5〜6分のものを3本まで可能といっていた。 面白い時代だ!
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2001年12月27日(木)
 282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。必ずいるはずだと。山田太郎とか、
小林恵子とか言う名前の人は何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。
初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、それはおかしいと思い止めた。 
その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。
本人もびっくりしていた。 堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。
その社長の名が堀井だった。鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。
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ある時間の断片
 12月27日  1968年
12時に起床する。 午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。
彼らに理想などあるものだろうか。この溝はもう埋められない。
 -2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。国会議員なら、もっと程度が??
・・・・・・・
ーある時間の断片
12月26日  1968年
 11時起床。 午後から卒論のまとめ。ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。行くべき方向も見つけた。自分の長所も欠点も把握した。
そして自信もついた。これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジをすることになる。
そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくてはならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
 両親を見てみるがよい。戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。その為には逆に自分の中に生きなくてはならない。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。私の中のそれを探し出していかなくてはならない。
石川にしても、外山にしても、河村にしても、それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。
もちろん自分にもそれに負けないものがあるはずである。 最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか。
 纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。  少し考えすぎだ。

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