堀井On-Line



3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると!

2010年11月16日(火)

 今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。
まず、この問題は、G20が韓国で開催される時期と、APECの日本で開催される直前に明らかに政治的思惑で
中国側から仕掛けられた難題である。それに、やすやすと乗って、中国の強圧的態度に尻尾を下げてしまい、その間隙をつかれ
ロシア大統領に北方四島の一つに上陸をさせてしまった。これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の
管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの計算外の海保の保安官の秘密漏洩が起こってしまった。
これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から幾重ものクッションを通して行われた可能性を含んでいる。
それが出来るほどのタマは現在の日本にいない? しかし、中国のトップの顔に泥を塗るにタイミング的に良かった。
その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみてタイミングがよすぎるたのではないか。
 保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる直前にマスコミに接触したことも、一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 
差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。 「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」
との解釈で揶揄されている。 それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに効果があった。だから、あの男は、
日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。 いずれにしても、保安官が逮捕でもされれば管・仙石ラインは、
そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も20パーセント辺りまで急落することになる。 
その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。
これが完成すればアメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が大同連合を組み、
国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 それが100年、250年に一度の地球規模の
危機に対する対処になる。 海保の保安官の逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか?

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3147, 地方経済惨状の一現象
 2009年11月16日(月)
 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国バンク支店長のインタビューで
「新潟市内のマンション建設が、この数年で3000室も供給された。しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。
団塊の世代の定年退職者の退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 
マンション業界では100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が倒産し、新潟の信濃川の川沿いの
大きなマンションが宙に浮いた状態にある。 それを長岡の行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、
5200万のマンションを1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、
息子が言っていたという。 それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にあるマンション、4室もあって
1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、
その間に世界が劇的に変わってしまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。 その間に、時代は激変をする。
その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまったことが今になって分かってきた。
新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収されるから何とか帳尻が合いそうだが。 
まさか、ここまで激しく時代が変わるとは、思ってもいなかったのも事実。それも面白いといえば面白いが!
 自宅の周りに建設15年〜20年のアパートが多くあるが、ほぼ空である。 新しいアパートは、何処も初めは満室。
ところで最近、アパートを建て信託で10〜20年は保障しますというのがあるが、これほど危険なことはない。
この激しい時代の中に、その会社が、それまで存続しているかどうかである。 柏崎のゼネコンが、それを始めて間もなく倒産した。 
しかし、それが大手では無いとはいえない時代である。 日本を一家に例えるなら、400万弱しか収入がない過程が、
予算900万の予算を組んでいる。借金は9000万もあるが、資産と資金は、まだあるから大丈夫と嘯いているが、それもどうなる?
 年末になると、このところ毎年のことだが冷え冷えした空気になる。
 ー後記 たまたま昨日の三年前の随想日記に似たようなことが書いてあった。
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2782, 浅井さん
 2008年11月16日(日)
 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、子雀達はどうなるのだろうと、
私は気がかりだった。ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は壊われた。 日暮れ近くになって、
庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行ってしゃがみ込むのを見た。
「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。  掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。
うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が
雲雀の子を育てて巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さるという。 
折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 その数日後、浅井さん夫妻には
長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。猫どもに気づかれぬよう、
私は鳥籠を二階の押入れへ隠した。餌をやる時には、金庫でも取り出すようにお出まし願う。 浅井さん夫妻は、
遠路を二日ばかりの滞在でとんぼ返りされて、また雀を迎えに来てくださった。"私は、肩の荷を下ろした。と同時に、
浅井さんのご苦労が思われて、期待をかけて負担になっては…と、「煮るなりと焼くなりと、浅井さんにおまかせします。
どうせ、助からなかった命ですから……」と、そんな事を言って、あとは電話もしなかった。 それから、どのくらいの日数が
たっただろう。浅井さんの奥さんからお電話を頂いた。すっかり(雀が)育って近々巣立たせるから、是非見に来てやってください、
とのことだった。私は出かけて行った。 雀は、軒先に見るような雀になっていた。奥さんにすすめられて鳥籠に手を入れると、
雀は、親し気に私の肩や腕に止まった。「アラ、助けてもらった人はよくわかるのね」と、奥さん。 とんでもない…。
 障子の向うで、もう一羽の羽音がするのである。 奥さんが笑いながら話されるにはー。 雀を預って頂いたすぐあと、
今度は次女の方がお勤め帰りに燕の子を拾って帰られて、それもご夫妻で育てたということだった。…私は、言葉も出なかった。
  (以下、字数の関係でカット2010年11月16日)
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2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2    ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に「 よく生きてきたのか? 」という自問自答である。 
やはり根本的なところが欠けていたいたようである。「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 生きてきた過程で現在、
こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならなかったのでは?という自問自答である。
真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
 まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)
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 2006年11月16日(木)
 2053, たとえ他人の過ちが90パーセントであっても
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
   いいですか、たとえその人のあやまちが90パーであり、あなたのあやまちが10パーであるにしても、
   あなたは90パーのことを考えることより何も得ることはできません。 何故かと言うと、
   あなたはそのことをどうすることもできないからです。
   ところが10パーからは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。   (ユング)
   ーー
   ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングはフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、
   フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。
   そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。
   同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。
   それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、
   相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。
   理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。
   この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・
   些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい!
   熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。
   ・・それも他人の90?の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。
   家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい?
   夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか!
     (;´-`).。oO (ぇ・・マジ!)         (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年11月16日(水)
 1688, アメリカ資本主義 "実体は巨大な政府"
 数日前の読売新聞のトップページ「地球を読む」というコーナーに時々、米国の未来学者のトフラー夫妻が寄稿をしている。
 今回のテーマが何と「アメリカ資本主義”実体は巨大な政府”」であった。
 目を疑い内容をジックリと読んだが、間違いなくそのテーマを論証するものであった。                 
  ー以下はその概要であるー        
 ドイツやフィンランドの細々した規制社会とは違い、アメリカは規制の少ない警官も少ない国というイメージとは全く違った内容。
 ほかの国と違うのは、「アメリカだけが、規制の少ない自由の国として紹介されていることだけ」という論旨である。
                         (o ・д・)ツ⌒□ 号外!!号外!!
 (以下、字数の関係でカット2008年11月16日)
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2004年11月16日(火)
 1323, まさか、地元で大地震!ー13       Σヽ|゜Д゜|ノ┌┛☆【びっくら!】
やっと収まったと思いきや、昨日も震度三の地震があった。しかし三週間以上も余震とは、全くシツコイ。
道路などの公共施設の損害が約2000億円と発表されたが、まだ膨れあがるだろう。学校や役場なども酷い状態とか。
民間を含めたら、その倍だろう。「被災地の多くの家の躯体は大丈夫だが、内部が目茶目茶で使えない」というのが実体だという。 
屋根瓦が雪国用に厚く作られている為、重量がかかって押しつぶされている。青いシートが多く屋根にかかっているので
よく分る。特に長岡の悠久山よりの住宅に多い。新幹線も、「トンネル内部などの損傷が激しく実体を発表できない状態」
との話も洩れ聞こえてきた。1〜2年、いや数年、という事も考えられるが、これだけは予測が付かない。まだ高速道路が通るから
救いがあるが、何といても新幹線の影響は大きい。長岡、新潟駅の専門店など如何なるのだろうか。 いや他人事ではない。
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メルクマール  堀井 
11月12日
・今朝方はAM2時半位に震度1〜2の地震あり。何だこの程度か、せっかくなら、せめて3~4位になれと!思う余裕も出てきた。
 これは被災の大きい人達に悪いと考え直したり。それでも一時であるが大雨が降ってきたが、ダムの土石流は大丈夫か心配になる。 
・東京に出張を控えていた人達が、そろそろ出張に行きはじめた。長岡を新幹線で朝6時40分に出たら、10時に東京に着いたとか。
 来週、仕事で東京に行くとか。バスが一番手ごろのようだ。それにしても、駅は可哀想なぐらい人が少ない。
 毎日のように長岡駅の専門店に通勤の帰り道によって、大幅値引きの弁当や酒の肴を買っている。
 売れないため、スーパーの半額以下。いや、もっと安い。 せめての贅沢?である。可愛いものだ!
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11月11日
・2〜3日続いた夜半の余震が無かった。 寝ているところを突然揺れると、少しは動揺する。
・幼児の頃、よく両親に連れて行ってもらっていた成願寺温泉ホテルが、この地震で倒産と新聞に出ていた。
 子供の頃、すぐ上の兄と姉と三人で遠足に行ったことを思い出す。
 およそ片道5^6キロの道を2~3時間以上もかけての遠足だった。モルモットがいたのが印象に残っている。
 130年以上続いた湯治場の旅館だったという。
・新幹線は相変わらず人が極端に少ない。年末まで開通が、JRの本音だろうが。年末の帰省者も躊躇するだろう。
 新聞に数千億規模の復興投資がおこなわれるとあった。 阪神大震災は九千億、普賢岳の時は、1000億というから、
 まちがいないだろう。 既に、県内の職人の数が足りないという話も出ている。
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2003年11月16日(日)
956, ハイビジョン超特急
 昨日の昼、NHKハイビジョンで過去3年間の「ハイビジョン番組」90本を5分以内にまとめて、4時間ぶっとうしで放送をした。
デジタルだから可能なのだろう。様々なジャンルの番組を繋げて放送するもので、息をつかせない内容であった。
未来の一部を垣間見たような時間であった。そして、至福に近い4時間であった。元々ハイビジョンの内容は、選りすぐりのものが多い。 
その二時間を5分にまとめて、次々に放送するのだから一瞬も目を離せない。 年末に再放送をする予告編も兼ねていた。 
音楽スーパーライブ、美の回路、お祭り、サッカーなどのスポーツ番組、動物、自然、宝塚、歌舞伎、遺跡など次から次へと出てくる。
7割は見た番組だったからこそ、更に面白かったのだ。 これからは、こういう番組が多くなるのだろう。ワールドカップのサッカーも
5分にまとめてあるのだから目が離せないのも当然。スポーツ、遺跡など、それだけを集めて5分にまとめて放送する番組も出てくるだろう。
 印象的なものとして、「長野オリンピック」「源氏物語・絵巻師との対話」「エチオピア」「イグアスの滝」
「ベネチアの仮面祭り」「ワールドカップ」「謎の深海大峡谷アメリカ西海岸・モントレーの神秘」「ミレニアム・オリンピック」
「リオのカーニバル」「青森ねぶた祭り」「天空への道」「南極大紀行」「大砂漠ラクダキャラバンーテネレ砂漠」
「永平寺」「九さい溝」「リビア」 どれ一つとっても非常に興味をひかれる内容である。
ハイビジョンの良さは遠くの背景がしっかりと見て取れることだ。すごい時代である。
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582, NTTと日本の現状
- 2002年11月16日(土)
このところ光ファイバーを会社や自宅に導入して、NTTの現状を垣間見ることができた。
自社ホテルの電話の使用売上が10年前の十分の一以下に落ちている。 携帯電話に変わった為だ。
各家庭や会社はホームベースとしての据え置きの電話があるが、使用回数が激減しているのは間違いはない。
そうするとあの電信柱から引き込まれている数兆とか十数兆の設備投資の価値が激減していることになる。
NTTの知人が「電電公社に入り、こういう目-肩たたき-にあうとは思ってもみなかった」と言っていた。
この現象が今の日本の大不況と酷似している。 新しい流れに転換できないでいるのが日本だ。
すでに電信柱からデジタルの携帯電話や光りファアイバーの変わろうとしているが、転換できないでのた打ち回っている。
不良会社の整理も当然しなくてはならない。 電信柱に例えられる旧体制がまだ抵抗している。
有線放送とかいろいろな関連会社も、その脱皮についていけないで。
駄目の者は駄目なのに。その代表が自民党の橋本派である。実際に利権を握っている為現実が見えてないのだ。
NTTもNTTドコモがあるから救われるが、今の日本には殆ど見当たらないのが恐ろしい。
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2001/11/16
[222] ベトナム旅行記−1
1、 −オートバイ社会ー 
 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。
 それに2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。
 おまけに殆ど信号がないのに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。 やはり、いや当然事故が異常に多いという。
 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。  今もそうか!?
2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。 ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。
 これでかなり物質的に豊かになった。  国民がアメリカ、日本に目がいっているという。
3、80パーセントが農業人口で占められとおり、貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。
4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。
5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。
6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。
 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。
7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり美味しい。
8、地方の風景は、日本のそれに似ている、水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。
 ー印象をそのまま書くと
・まじめな、仏教徒国、
・農業が80パーセントの縦に長い国
・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期
・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事
・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。
・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。
・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。
 ー今回の旅行での出来事
・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう
・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替 ーもちろん意図的につかまされる。


3521, 我が家に新しいTVが  −4

2010年11月15日(月)

「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから三ヶ月近くが経つ。
 そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでのテレビとは別物のマシーン。
 ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わってしまった。そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。
* 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、19時~23時の四時間×6日間(変更可)を
 自動録画する機能がよい。これが一番の売りだったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、
 実際に使ってみると、これがよい。 ゴールデンタイムには必ずといってよいほど面白い番組がある。 しかし当日の地デジは
 殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白くなければ、その場で消す。 平日の18時半から21時には、
 せいぜい二番組しか見る時間がない。当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの
 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て
 面白いものが冷静に選ぶことができる。そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。
*マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、プロ野球が格段に臨場感が出たため、
 内容が数段良くなって見える。 家内は三日に一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、
 臨場感がアップしたのである。 それが感受性を更に高めている。
*先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間テレビに釘付けになってしまった。
 ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに
 引きこまれてってしまった。 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。
 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観たマイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督)
 最後のコンサート「THIS IS IT」のリハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、
 いずれもステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り返れば夢のまた夢。虚構は虚構で!
  (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。隔世の感がある)
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3146, 変である、日経の論調
 2009年11月15日(日)
一昨日の日経新聞のー経済教室ーで 「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。
 慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。
日経に請われて書いた提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。
ポイントとして:貸し渋り対策で、過度の政府介入するな  :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 
        :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。
5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように指導し、
強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。 何を、この新聞社を載せるのだろうか。
そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ これで新規融資が一段と萎縮するというが、
上から目線の論法でしかない。 地方の現場から逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、
下の目線で資金コントロールするのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、
どこが悪いと言うのだろう? 二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の低迷」というが、
リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で救済する、どこが悪いというのだろうか。
日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、私の意見と思うが。この学者、「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 
地方の企業は、そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 
去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上などと言っているケースではない。
大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されているのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を
生み出しかねないと、一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。
床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、 「これは、大震災、それも100年に一度の大震災」。 
都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感できないのである。 それと、日経新聞もである。
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2781, 世界同時不況  ー日本は甦えるか −2
2008年11月15日(土)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2
  ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。
・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。 思いつく最も説得力のある答えは、
 金融機関の不良債権を買い取らせるとうポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森)
・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスのために六千億の金を用意しているという。
・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対してもドルの価格は上がっている。
 但し、円だけはありあえない。
・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。中国には、その力はない。
・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら特殊な国である。
 端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。こんな国は他にはない。
 その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。
・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。これからは、新興国の人から預金を集めて、
 中小企業にきちんと貸すリテール中心の銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。
・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立しない。
 日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争するしかない。
 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。
・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、中小企業であり、農業を初めとする
 第一次産業である。 農業といっても、農業土木ではなく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。
 −−−
  以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、ゼロからやり直すチャンスと説いている。
 これほど情報機器が発達した現在、そこまで破壊した場合、立ち直れるかどうか疑問になる。
 しかし、一部の金融機関の連中を代表とする勝ち組とかいう質の悪い連中の淘汰は本格化するのは良いことである。
  この一連の金融危機は、世界恐慌の序曲であり、5年や10年では片付く事態ではないことは間違いない。
 企業サイドの経営の問題は、これから発生することになる。 まずは倒産の暴風と津波が果てしなく続き、
 失業問題、社会問題、国際間の争いが、波状的に押し寄せるのである。 
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2007年11月15日(木)
 2416, よく生きる −1       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
池田晶子と陸田真志との対話集の中で、ソクラテスの{ただ「生きる」のではなく、「善く生きる」べきである。}
という問いが語られていた。 何か解りやすい本がないかと図書館で調べたら、やはりあった。 
哲学者の 岩田靖夫著「よく生きる」−ちくま新書 である。 目を通すと、「はじめに」の要約が解りやすい。
これで充分といえるほど簡潔で、知りたい全てがそこにあった。
 それを要約をすると、
1、幸福とは、自己実現することである。
2、その自己実現は目的ではなく、条件であるが、その意味ではない。目的は自己実現したレベルでの他者との邂逅である。
3、その中でも、挫折、病気、死などが待ち受けている。それを解決できるのは宗教しかない。
  それぞれの神という根源の元に帰るという確信こそ、人の求める究極である。
4、我われは、そういう人々の社会の中で生きている。そこでは自由と平等が求められる。
  その仮想がユートピアだが、理想として追求するのが求めるべき人間の姿勢である。
 さらに表紙裏の説明文が更に簡潔であった。
   ーまずは表紙裏ー
   (以下、字数制限のためカット2010年11月15日)
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2006年11月15日(水)
 2052, 新潟は今・・
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
このHPを見ていれば解るように地方経済は重苦しい状態がつづいている。首都圏のような明るさの気配は全くない。
駅前ホテルと飲食店、そしてタクシーは特に地方の景気に敏感である。目立たないが、飲食店の廃業の話が連日のように
入ってくる。一ヶ月ほど前には新潟駅から直通のワシントンホテル(300室)の撤退のニュースである。
シーズンが変わる度に、夜の繁華街の人通りが少なくなっている。もう誰も不景気とボヤク人もいなくなった。
その中で一部だけ良い店があるからだ。今風にして、ほんま物を廉価にして、互いの姿を見えないようにした隠れ居酒屋は、
それなりに入っているからだ。 それが出来ないところは自然消滅しかない。ところで、新潟市内のタクシー業界では
来春から一斉に完全歩合給に入るという。もし事実なら、タクシーの運転手も暇で仕方がないとぼやいてはいられない。
長岡でも新潟でも給料の話すると「固定給12〜3万+歩合給=15~6万円で、手取り13〜4万。それに、家内のパートで
8万円、合計20万で親子3人で暮らしてますよ。今さら働くところも無いし、辞めても直ぐに誰かが入ってくるし・・」
という返事が返ってくる。それが来春から完全歩合給になるというから、運転手も目の色が変わりざるをえない。
「個人タクシーが成り立っているのだから、完全歩合給も成り立つはず」という理屈も成り立つが・・・
15年ほど前に、札幌でタクシーに0時ごろに乗ったとき、運転手に「深夜の勤務は幾らほど出るのか?」と聞いたところ、
その返事に一瞬にして酔いが醒めてしまったことがあった。「札幌はね~、最悪の景気なの。私も問屋を倒産させてしまってね〜
最後の生き残りをかけて運転手をしているの。といって今さら正社員じゃ無理なの。 夜のタクシーは、殆ど私と同じ立場の
中途半端の中年が小金を稼ぐため、タクシー会社と契約して夜間だけ車を借りているの。 客を拾えなければ収入はゼロだから必死。
何処で客を拾うか、ハンターと一緒で勘が頼りなの。とにかく生きていかなくてはならないからね〜辛いよ!」今でも、
その時の情景をリアルに憶えている。完全歩合制は、それと同じ状態に全ての運転手がおかれることである。
固定給のベースを割る車が出始めてきているのだろう。数年前から始まったタクシー自由化と、不景気が背景にあるのだろうが。
私自身を考えてみても、タクシーを乗らなくなった。飲んでも、酔いさましのため、酔いの勢いを借りて歩いて帰ってくる。
十年ほど前から、特に古町の飲食街に行かなくなってしまった。 高いし、以前ほどホステスのプロも少なくなったし、
タクシー代はかかるし、機会そのものも少なくなった。新潟駅前で一軒の店に3時間ほど粘って帰るのが殆んどである。
まあ、燃やせば骨も残らないほど飲んでしまったし・・・          (。^0^。)ノサイナラ!
 ・・・・・・・・・  
 2005年11月15日(火)
1687, 新潟県 「2010年問題」 
最近、新潟県でも「2010年問題」がささやかれだした。
新聞で断片的に取り扱われていたが、朝日新聞新潟版・土曜特集に報道していた。
 ーポイントくをまとめてみると  φ(・ω・ )
 ・北陸新幹線の金沢までの開通が、2014年、富山までの開通は、2010年。
  [2010年問題]といわれるのは、2010年の方が、[呼びやすい]という説もあるが、
  富山までの開通でも新潟県に甚大な影響が予測されるためだ。 (=_=;)
 ・この開通で、北陸新幹線が幹になり、上越新幹線が枝になってしまう可能性が大である。      
 ・上越市経由のため新潟県上越地区が新潟県から分断され、金沢・富山圏に組み込まれてしまう。
  北陸自動車道の開通と重なっているから事は重大だ。      ┐(´ー`)┌
 ・金沢市と富山市と福井市が至近距離にあり、新潟県と後背人口と観光資源が圧倒的に違う。
 このことは新潟県にとって大問題にあり、新潟が間違いなく横丁になってしまうことを意味している。
  これに対して、新潟県が出来ることといえば 新潟駅の連続立体交差事業位しか手がうたれてない。
  日銀の新潟支店長を前県知事に選んだ、県民の致命的ミスの結果である。
  県知事に日銀支店長を選ぶセンスが最低であるが、今さら何をいっても仕方がない。 ( ̄ω ̄;)!!    
 30数年前になるが金沢に一年半ほど住んだ経験があるので、新潟と金沢の民度と後背人口と観光資源の差が
  格段に違うのを実感している。間違いなく、幹から枝になるだろう。 裏日本の裏横丁ということか!   ""(_ _,)/~~"      
 新幹線の新潟飛行場への乗り入れが、大きなポイントであろう。日本で新幹線の飛行場乗り入れは新潟しかできない。
  新潟駅〜飛行場間は単線でもよい。飛行場乗り入れは世界でも初のケースになる。
  佐渡や中国への飛行場にも、上手くアクセスすれば面白い。 さらに新潟駅立体工事も前倒しをすべきである。
  それにしても、前の県知事は何をしていたのか?誰も最?の政治家だったことさえ気がついてないから始末が悪い。                
  優先順位が、まず飛行場乗り入れだったのだ。 それと駅の工事である。       (^_^)/ パーか?
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2004年11月15日(月)
1322, PDPTV −2
2年前の今日、PDPTVについて書いていた。そこで、この2年間の感想と実感を書いてみる。
値段の値崩れが、思ったより少ない。50インチで年15〜20?下がっていれば、40〜50万円位のはずである。
(字数の関係でカット 09年11月16日)
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2003年11月15日(土)
955, 自分づくりの文章術 ー読書日記
 毎日、書き続けていると、自分の中の見えない自分や忘れてしまった過去に愕然とすることがある。
暗黙知を形式知に置き換える作業を毎日コツコツしていると、それが暗黙知の中にある自分を引き出し、直視することになる。
その点で書くことが無くなるまで?書き続ける効果は絶大である。
書くことが無くなるまで書くと、そこから暗黙知の中の本筋が出始めるからだ。
 いまひとつは、分類コーナーに投げ込んだ文章を改めて読み返していると、何気なく書いている文章の蓄積が、
違ったものとして存在をしているように感じる。 もう一人の自分が、独立をして存在していて、
自分の知らない自分を見ている感覚になる。 分ければ資源、いやその蓄積が資源になるのだ。
 以下の本は、1000近く随想日記を書き続けて、文章に対して言いたいことの全て、その数十倍のことが書いてある。
その遙か多くの文章を書いているからだ。アマチュアとプロの差は、如何にもならないのだ。 いや素人とプロの差だ。
ホームページを立ち上げ、毎日「テーマ随想日記」を書き出して二年半経つが、「自分づくり」というのが、ズバリ言い当てている。
毎日毎日、コツコツと自分をつくっている、いや自分の世界を広げている感覚である。その手ごたえが無ければ続かなかっだろう。
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 「自分づくりの文章術」 清水良典/[著]出版社:筑摩書房
   (字数の関係でカット08年11月15日)
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581, PDPTV
- 2002年11月15日(金)
PDPーTVを先週に居間に入れて6日が経つ。設置に3人で5時間以上もかかった。パイオニア製で50インチ。
それにソニーの音響システムを組み合わせて税込みで76万円だった。 あと半年で3割は下がるだろう。 
半額はローンにした。 さすがに迫力が違う。 相撲などは音響も含めて会場にいる気分になる。まだじっくりと見る時間はないが、
今週末から見るつもりである。コンサートや歌謡番組を夜電気を消して見ていると、その価値を充分感じ取ることができる。
あと15万を出すとソニー製の新型を買えたが、値崩れを起こし始めたパイオニアにした。ますますお宅になりそうだ。 
何か凄く豊かになったような気分だ。あと数年がたつと、PDPや液晶から有機TVが出てくるそうだ。ソニーはそれに絞って
商品開発をしているという。こういう時代に、遠出をしないでカウチポテト族になっているのに丁度よい代物だ。
それとこのパソコンが。 つまらないスナックで飲んでいるより居間の方が刺激的だ。
ただ集中度が高まるので疲れるのも事実だ。お勧めはあと半年経つと1インチ1万円に下がった時だろう。
それも部屋によっては42インチあたりでよいのでは。車を小型や軽にしてTVやパソコンにシフトしていく時代だ。
・・・・・
「222」ベトナム旅行記−1  2001/11/15      
1、−オートバイ社会ー 
 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。
 それに 2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。
 おまけに殆ど信号がないのに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。やはり、いや当然事故が異常に多いという。 
 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。今もそうか!?
2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。 
 これでかなり物質的に豊かになった。  国民がアメリカ、日本に目がいっているという。
3、80パーセントが農業人口で占められとおり、貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。
4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。
5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。
6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。
 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。
7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり、美味しい。
8、地方の風景は、日本のそれに似ている、水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。
 ー印象をそのまま書くと
・まじめな、仏教徒国、            
・農業が80パーセントの縦に長い国
・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期
・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事
・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。
・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。
・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。
今回の旅行での出来事
・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう
・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替ーもちろん意図的につかまされる。


3520, 電子書籍は、その後どうなった?

2010年11月14日(日)

 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックスとしても丁度良いタイミング。
私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが年内に出揃った後、比較してからにした。
それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。 
戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 
これまでの隠れネット難民も、その使いやすさから使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。
例えの話だが、村上春樹が自分の小説をブログから直接販売も可能になる。 映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、
直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に世界を駆け巡るので、
直ぐにスターになれる。 既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。
多機能のiPadは、半年で700万台売れたという。その使用場面が居間と外出先の電車やレストラン。
多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみである。
 思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏できるものや、
パソコンやiPhoeにある自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを競うものとか、カラオケ端末機能とか、
数年後には、日常の当たり前の端末になる。その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。
レコード店など駅前商店街が消滅していったように、新聞、雑誌、地方TV局など多くが淘汰されていく。
 これもインターネットの渦の一つ。
 ・・・・・・・・・
3145,高速道路千円の仕掛け人
 2009年11月14日(土)
学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと大和総研に頼まれたが、
何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から飛行場近くまで延長して、東京駅から
直接乗り込みの飛行場を持った環日本海都市として売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の
特区地区としてパスポートで出入りする地区をつくり、工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの
施設をつくって首都圏の補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、そのまま利用すればよい。
現在、新潟駅再開発が動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、
幹から枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが、数日たってから、
その話を新潟県のエライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・話は長くなるので、これはこれで
終いにするが、その松下さんが道路経済学を一人で長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。
「高速道路の千円」の大元の理論家である。 更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。
その彼が、民主党が天下を取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、大きな役割を与えられると数年前に
言っていたが、その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく取上げられたと
そのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな経済効果をもたらす」
という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書「道路経済学」も、なかなか説得力がある。
「過剰な?高速道路を、世界一高い値段の料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど
使ってないのだから」というのも一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・・
 以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの出版された本が出発点
 だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。
 また、民主党が高速道路の無料化の方針も、やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。
 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。
 恐らく、戦略会議の一員にも推挙されているのでは? と思いますが・・ 
  地方は、去年の9・15のリーマンショック以来、ますます悪化を続けています。 全体の四分の一のエネルギーが、
 そぎ落とされてしまったのが実感です。01年の9・11事件で、やはり三割近く落ちているので、
 八年で半減近くというのが実情のようです。ご存知のように、数年先に、新潟駅再開発のため、
 一つのホテルが買収される予定があるので、銀行も、あまり強く圧力はかけてはこないですが、もし無いとしたら
 死活問題になっています。それほど市場は冷え切っています。 亀井大臣が中小企業に対して、
 「返済三年猶予法案」を提出しますが、地方の企業にとって神風のようなものです。知人の会計事務所の過半数近くが、
 これまでの体力を使い果たし、年末から来年の3月にかけて大きな危機に見舞われると嘆いていました。
 決してオーバーな表現ではないのが現状。それにしても、これまでの自民党と官僚とゼネコンを初めとした財界の罪悪は、
 あまりに酷いもの。 その不正摘発をしている貴方の活躍は、見るものからしたら拍手喝采です。 
 一時のマイナスに大げさに騒ぐ輩がいたとしても、それを乗り越えて進まれることを願っています。 ご健闘のほどを!
                            堀井八郎
 ・・・・・・・・・
2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
               ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
 内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
 前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
   ーーー
   高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる     2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す     4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    印象に残った部分を書き出してみる。
   −−
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。大雑把にいうと、
  それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。だから日本のほうが株価の下落が大きい。
  ・平時の市場、非常時の国家というのは、世界中のコンセンサスである。
 ・株価の下落は、日本の金融機関は株を多く持っているので、大きな痛手になる。特に地方では危ないところが多く出る。
 ・都市銀行も8千円を割ると、自己資本比率が10%を割ってくる。
 ・額面で54兆ドルもCDSがあるいわれている。これを時価評価をしたら、どれだけ損失が出るか、そこが見えない。
      (字数制限のためカット2010年11月14日)
・・・・・・・・
2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有だと
                               才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 
 「上位1%」に居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。
・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0.89に対して、
 アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。まだまだ、日本は健全にみえるが、この数年で大きく変わってきた。
 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
 以上が大方の数字だが、20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、現在は50倍というから、
中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、
日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 
ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一?という。
一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。
それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか!     ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
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2006年11月14日(火)
2051, あたりまえなことばかり −7          才八∋ウ_〆(∀`●) 
  幸福論も、あるところまでいくと生死の問題に深く関わることになる。しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。
 観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、
 思ってしまうのが人間の性。 不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。
 前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、過去の知識の総点検をしているような感覚である。
 知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。知識として知らないことがあまりにも多すぎた!これが現在の心境である。
   ーー
「あたりまえなことばかり」
ー・ 幸福はどこにあるのか ー 
《以下、字数の関係でカット。2009年11月14日》
   バイバイ
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2005年11月14日(月)
 1686, 「ひとを嫌うということ」−2
 嫌いに対して、よくぞここまで書けるものと感心する。といって日常生きている上で、好き嫌いの感情はつきまとうものだ。
 だから、世の中が面白いものとして現前する。 この本の印象的なところを抜粋した。
 ー「嫌い」の結晶化作用ー         `(`´)”
スタンダールは恋愛における2重の「結晶化作用」について論じている。(′O`)
・第一の結晶化作用とは次のもの。ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。
 2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。
 一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。
 もとの小枝はもう認められない。 私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、愛する相手が
 新しい美点をもつことを発見する心の働きである。
 なんとなく気に食わなかった人があるとき当然「結晶化作用」により大嫌いになることは誰でも知っています。
・そして恋愛における第二の結晶化作用とは、相手が自分を愛していることの確信へと向かう結晶化作用であり、
 疑惑と確信との間を揺れ続ける「交互作用」です。恋する男は15分ごとに呟く。「そうだ、彼女は私を愛している」と。
 そして結晶化作用は一転して新たな魅力を発見することに向かう。と、ものすごい目をした疑惑が彼をとらえ俄かに彼を引き止める。
 胸は呼吸を忘れる。彼は自問する。「だが、彼女は私を愛しているのだろうか」 痛ましくもまた甘いこうした相互作用の最中で、
 哀れな恋人は痛感する、「やっぱり彼女は私に与えてくれるにちがいない、世界中で彼女だけが与えることのできる喜びを」と。
 どうも「嫌い」の場合はこうした交互作用はあまり一般的ではない。          キラ(゜´Д`゜)゜━イ!!!
ー「嫌い」の8つの原因ー
          《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》
・・・・・・
2004年11月14日(日)
1321, 西武鉄道の上場廃止
 ー時代の変遷の象徴
堤義明のオーナー会社・西武鉄道グループは、この不況下でも安定をした会社と思われていた。それが突然、不正が発覚、
株式が上場廃止という。 関連会社が西武鉄道の株を担保に借金をしている為、一挙に担保割れの事態になる。
日本の影のドンの一人といわれ、「総理大臣が誕生する度に3億円の祝儀を払い続けてきた」と囁かれていた堤義明も
ついに逮捕?の可能性がでてきた。 世の中どう変わるか解らないものである。ーもっともコネにて一件落着の可能性があるが。
 十年位前まで、西武株といえば5000〜6000円はした。 最近は、株価と連動して1500円まで下がっていたが、
この数年間は不動であった。それが400円近くまで下がってしまった。上場廃止は、10分の1まで下がるといわれるから
150円まで下がる可能性もある。西武鉄道クループそのものの存続も問われかねない事態になった?
一時は、西武流通グループの堤清二と張り合っていた時代もあった。 その流通グループも解体され、清二も追放された。 
今度は義明の番になった。「エレベーターの待合を、お連れが一般客を制止して天皇・首相並の扱いで乗り込んだ」
「飛行場でビップ待遇の専門通路から乗り込んだ」とか、とかく噂は聞いていた。今は、その彼も逮捕におびえている日々である。 
 もし、あの人の逮捕姿をみるとしたら、複雑な心境な人が多いだろう! これも情報化、大衆民主主義化の一つだろう。
 以前は黙認されていたことが、今では全く通らなくなったのだ。
・・・・・・・・
2003年11月14日(金)
954, 「意味」の意味を考える
 言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。
「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」とか、言葉と意味は一体である。
 考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、それは羅列によって意味を幾とおりも置き返している。
 といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。
 言語学者の西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。
「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。
「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかないことになる。
 言語学者の西江雅之の「『言葉』の課外授業」という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。
・一つ目は「意味」とは「価値」である。世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。
「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、「面白い」とか
「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を「意味」と呼んでいるのだ。
・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への「置き換え」なんです。
 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら「それは『人が座る道具』である」と。
 この置き換えが、ある種の「意味」になる。「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。
                《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》
・・・・・・・
580,中国の陰と光
- 2002年11月14日(木)

昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な内容であった。
ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力しかないという。
初めて聞いたが三井住友銀行も持ち株会社をつくって、本体はそこに残し、後は子会社化していくといいう。
この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。本題の講演は「現在の中国について」であった。
・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。 今開かれている中国共産党大会で、
 これから20年で経済規模を4倍にするという。もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。
・その為には年率7?の生長を続けなくてはならない。しかし絶望的の数字である。
 もし発表された数字が成長7?なら虚偽の数字とみたらよい。
・汚職、農村問題、私的企業の認可等の問題が山積みだという。
こういう問題が共産党の統治メカニズムを弱体化させていく。孫文が「中国国民は砂のようなもの」と喩えた。
極端な個人主義を言いたかったのだろう。 その為に強烈な統治が必要で共産主義の統治は今までは有効に働いたが、
これからはその解体過程にあるのは納得できる。 中国内部でも地域間賃金格差は十数倍あり、これが8000万人の
流浪の民をつくっている。現在、中国の内部の矛盾が大きく内部に膨らみだしてる。あまり日本のマスコミでは
言われてないが今までなかったような情報が多いとか、暴動とかストなど。いずれにしてもあまり過大評価をしない事だ。
今は光の部分しかみえてないが、背後の影が見すえなくては。これが結論であった。 
国内も世界も今まで経験したことのない時代に一歩踏み出したようだ。
・・・・・・・
[221] ただいま帰りました
- 2001年11月14日(水)
今朝、成田に7時半に帰ってきました。 午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。
  シーズンオフを含めガラガラでした。
2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。
3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、刺激という面で今ひとつでした。
4、その中で、イロイロな見聞がありました。
5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。 疲れは殆ど残ってないようです。


3519, インターネットは20万年来の革命か? −2

2010年11月13日(土)

  「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」と思うのは誰も同じ。
 人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、
 というから、いかにネットのツールとしての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、
 などが発信も、受信も、気楽に出来るのである。 やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。
 それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが完成すればコピーと圧縮が可能。
 それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく出来るため時間の経過とともに、進化していくことになる。
  「フューチャリスト宣言」の対談で、梅田 と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。
    ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
 茂木:  自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも最も強く、深い喜びはないでしょう。
  食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。
  インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発させる機会を与えている。
  まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、
  その可能性が広がっている。基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。
 梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
 茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、「言語以来」という言い方が
  成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わる
  ポテンシャルがある。 でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
 茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に変わるかもしれない。
  ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、
  タダに近いかたちで入手できる。そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。
  でも、長い歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
  〜〜
  ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、そのことが20万年来の革命である。
 ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、
 コンビニの総売り上げを超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの予約。
 また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入している。これは20万年来の革命的ツールと
 仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると
 述べていることを考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底から変化させている犯人。
  ・・・・・・・・
3144,「法則」のトリセツ  ー5
2009年11月13日(金)
  * フェルミ法則
 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、
短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。
フェルミ推定はコンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で科学的な
思考力を養成するために用いられることもある。Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』
(スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、見当もつかないような量を推定する。
フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。
これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、次のように概算することができる。
 まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする    ー>            ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとする ー> ・ピアノの調律は平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする      ー>  ・週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。    ー>   ・シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度  ー>    ・ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
 フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
  〜
 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。先日、新潟駅南のジュンク堂に
「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
・・・・・・・・・
2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
 2008年11月13日(木)       
こういう微妙な時期には「産経新聞」と「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より筆先は鋭い。
サブプライムローンの、問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマのスタッフが、クリントン時代の
面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。 今度の緊急サミットも、そのために使われるだろう。
アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを
解りやすく書いている。 一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ国債の価値が
失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 困るのは、紙を溜め込んだ日本と、
中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しにのり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれ
ならないのである。 その結果、待っている事態は、戦争であある。   −まずは、その内容から                   
 ーーー  
 * 米次期政権頼れば 展望見失う  【経済が告げる】編集委員・田村秀男    
                             2008.11.11 産経新聞・一面
「グローバル金融危機」とは面妖である。米低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)焦げ付きは
大きく見積もっても約30兆円にすぎない。1990年代に日本の金融機関が抱えた不良債権約100兆円の3分の1弱である。
なのに危機は世界に伝播(でんぱ)し、「100年に1度の大津波」(グリーンスパン前米連邦準備制度理事会=FRB=議長)。
  (字数の関係で中間カット2009年11月13日)
  ーーー
 以上だが、この金融崩壊は16世紀に始った近代資本主義そのものの崩壊という人もいる。
それは数百年かかって築きあげた現在の中産階級の崩壊につながる。 そう現在、日本で起きつつある現象が
世界的に、より激しく生じることになる。 それこそ、イスラムのアッラーの神の望んでいたことである。
もし、そうなら5年や10年で混乱は収まることは無いことになる。私が生きているうちは解決は無理と覚悟をした方がよい。
現状を知れば知るほど絶望感が強くなる。 地球システムからの反撃の一つでしかない。
・・・・・・・・・
2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題        才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*
今まで、古い背広を思い切って処分をした記憶がない いや、数年前に処分したつもりであったが、よく見たらまだ何着もあった。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2006年11月13日(月)
 2050, あたりまえなことばかり −6       \(≧ロ≦\)オハヨウ! サン
 著者の幸福論もシンプルで解りやすい。幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから‘こんなはずではなかった’
という結果になってしまうのである。それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の破局をみれば分かることだ。
家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。 まあ、相性もあるが・・・ 
幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが‘付随してくる感情か、自分を納得させるための方便’にしか考えてなかった。
この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、動物レベル?になるが・・
コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに見ているから恐ろしいのか!   
 ーー
「あたりまえなことばかり」
 ・ 幸福はどこにあるのか ー 
何ものでもない心の状態としての幸福というものを、ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。
人は「思い込みの動物」である。 動物存在として「カタチあるもの」をのみ幸福と思い込むのは自然である。
そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。生存するために存在する。しかし動物は、そのような自身のありように
自身のありようを問わないであろう。人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。このとき、その理由によって
孝・不幸は一つの思い込みになる。カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じように、カタチないものを、カタチあるものに
孝・不幸を求めてしまう。カタチなきものを、カタチあるように思い込む、 の思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。
孝・不幸もその意味で観念である。幸福とは何がしかカタチないものと予感しながら、カタチ無いままにさせておくことが出来ず、
何がしかのカタチあるものとして捉えては、捉われる、とか。例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、
人は結婚や家庭というカタチを求める。あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、「自由」「自己実現」
というカタチを求める。はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。心は、いわば分母の一のようなもの。
心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。分母が幸福であれば、いかなる分子も幸福であろう。あれこれの生活の
ありようなど所詮は分子的な存在でしかない。ここで問題のなるのは、「私」とは、では誰のことなのか。
他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの問題になってくる。
「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。人は自分を「個人」と思い込むことによって「幸福を個人の領域」
に押し込んでしまう。財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」とみなして、その所有を幸福と思う。
したがって、このとき「私」と「幸福」との間に、定義に大きな懸隔があることになる。
所有者は所有物ではないからだ。 主体の「私」は、客体の「幸福」ではない。
「『私』は『幸福』でない」、つまり「私は幸福ではない」のことになる。
個人がそれを所有するという仕方で人は幸福であり得ないのが、幸福は所有物でない理由よりも、むしろ「私」は個人である
という理由によっている。もっと言うならば「私」というものは「ない」。 「ない」ものが何かを所有することなどできない。
その理由で、人は「私は幸福になりたい」という仕方では幸福になることはできない。「私は私である」「私は個人である」
「私は存在する」という「私」をめぐる長い思い込みは、さらに「私は死ぬ」「人生は一度きりである」、
「だから私は幸福でなければならない」などの観念へと分岐し、いよいよ我をかきたてる。 
「死後、幸福なる」という奇妙な観念は、その一種といえよう。
 ーー
 字数の関係で、次回になるが、内容は仏教の滅私の世界になってくる。
まあ哲学も、宗教も重なりはあって当然だが、「私」を考えると尽きることはない。 
{「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。} の部分も深く考えてみる必要がある。
超越確実言明の「私は私、他人は他人」は、思い込みでしかなかった、ということ?
これに気づいた時、誰もが慄然とするのだろうが、誰も気が付かないうちに生前に戻ってしまう?
               (。^0^。)ノ  サイナラ!
・・・・・・・・
2005年11月13日(日)
1685, ザ・マインドマップ−3  −読書日記         (~O~)ふぁ・・                   
ー技術的ルールとして、
1、強調
  ・中心イメージを置く             ・絵を使う
  ・中心イメージには3つ以上の色をつかう    ・イメージと言葉を立体的にする 
  ・感覚にうったえる−視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など
  ・字、線、イメージの大きさに変化をつける   ・スペースを整理して使う
  ・適当な余白を残す    (ρ_-)
2、連想
 (字数の関係でカット2008年11月13日)
ーーーーーーー
2004年11月13日(土)
1320, 2000年前のポンペイ −3
 小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、
発掘が始ったのが18世紀の半ば。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。
まだ発掘してないところが多くあるという。歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。
当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。
その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。 その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官として
ナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
ーー
小プリニウスの「手紙」 ー6月16日の手紙
 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け、私は嬉しく感じました。
というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。
恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの著書に書き留められる
とすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるいは価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2003年11月13日(木)
 953, 腰痛ー2
 腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。
いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。
間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが悪かったようだ。
腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に
書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけかなかったが。
 腰痛になると何もする気が起きなくなる。また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。
しかし今まで一回も医者がかりはない。経験上、暖めていると長くて10日で大体は直ってしまうからだ。 
その治療法を40年近くしている。 インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。
デスクワークの人や、お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、運動のやりすぎ、等々ある。 
今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。
 ーーーーーーー
401, 腰痛 - 1
 2002年05月09日(木)
 (字数の関係でカット2008年11月13日)
・・・・・・・
579,ある時間の断片ー11
- 2002年11月13日(水)
 1968年 9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。気持ちもすっきりした。午後は3時間、明日のための準備の読書だ。
そういえば最近寮の他の人との距離が出てきたようだ。仕方がないのかもしれないが、あまり開放をしていると
自分の世界が保てない。彼らは彼らの価値観があるのだ。 当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから
仕方がないことだ。これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。 そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
 1968年 9月30日ー月曜
8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。 武澤先生に皮肉を言われた
ー少なくとも私のいい加減さを指摘されたと感じた −気持ちだけは積極的になっているが、
その実はやっていることはいい加減だということだ。 ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。 
気持ちが落ち着かず中途半端であった。 校庭であった奥野と中野と話をする。試験がその後あった、
ここは出ないと思っていたところが出てしまった。もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。
兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。
帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。
何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか?
今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?


3518, 不況景色とは、こんなもの? −2

2010年11月12日(金)

 これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え込んでいると実感する。 
「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目になる」と仮説を立てると、現在の深刻度がはっきり見えてくる。
二年前、アメリカのプライムローンの債権ばらまきから発した金融恐慌が、本格的に世界経済を大混乱に陥る時期である。
1929年に始った恐慌も大波は3〜4年後の1932年〜33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。
アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、その時期が団塊の世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。
その引き当て財源の多くがアメリカ国債などに化けている。 それが表面化すると一挙に円高から円安に転換し、5〜10年かけて
300円まで下がると予測される。あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、長期金利の上昇をもたらす。 
不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。 日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として
悲哀を味わうことになる。これが近未来に起こる大波の現象である。 現在は、まだ預金が1400兆円あるというが、
それらはハイパーインフレで価値が激減する。 一部の資産家は金の現物か、香港、カナダか、オーストラリアの国債に替える等の
避難をするが、一般人は丸裸に近い状態というイメージがわく。 この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、
今後10年の間、さらに低落に拍車をかける。 日本の政治システムが激変に対応できないのである。 これらを考えると悲観的に
なってしまうが、これが現実。 割り切るしかない。 これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。

 ・・・・・・・・
3143,プロ野球の順位予測と結果
 2009年11月12日(木)
毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人によるプロ野球の順位予測が、開幕前に取上げられる。
それぞれのリーグに5人ずつの記者が予測するが、その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、横浜。
結果が巨人、中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜だった。 ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わっただけだから、
良しとしなければならない。しかし、パリーグが惨敗で、予測平均は西武、ロッテ、日本ハム、オリックス、ソフトバンク、
楽天。 そして結果は日ハム、楽天、ソフトバンク、西武、ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。
特に西武が完全に外れ。その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んでしまったことを上げていた。
さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表されていた。 それと楽天を最下位に5人中3人が予測していたから、
これまた大きな外れといってよい。一位日ハムを予測した者は誰もいなく、もちろん二位楽天も一人も予測する者は無かった。
野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの配置で、結果が変わってくる。だから、面白いのだろう。
 −−−
  記者の目: プロ野球順位 私の敗因「西武4位」  =田中義郎
 プロ野球記者を通算14年務め、担当球団のリーグ優勝4回、日本一2回を目にした。それなのに2年連続で全部ハズレ。
読者の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「なぜ外したのか」を考えてみた。野村克也監督率いる楽天の2位躍進を
予想できなかった人は私も含めて多いが、それ以上に私の「敗因」は昨年日本一に輝いた西武の4位転落だ。中島裕之、
中村剛也両内野手や涌井秀章投手ら20代の選手が自信と力を付け、連覇を疑わなかった。
 西武低迷の理由を探る中で、組織内の「人」の重要性を痛感した。日本一になったチームと今年の大きな違いは大久保博元、
黒江両コーチがチームを去った点にある。・・(中略) 3人が「仲良しグループ」ではなかった点が、互いの責任を明確に
できたのだと思う。 90年代に黄金期を迎えた西武では、当時もヘッドコーチだった黒江さんが森祇晶監督に、
作戦面で何度もかみ付いた。選手も、マウンド上で野手が投手に「何で打たれるんだ」などと半ばけんか腰になっていたという。
・・・・・・・・・
2778, 世界は一冊の本
 2008年11月12日(水)
 次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。」
 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。
 そして感動し、考えるのである。    生きるとは感動し、そして考えることなのだ。
   ーー  
  「世界は一冊の本」        −長田弘
   本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
  書かれた文字だけが本ではない。 日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
  ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、 本だ。
  本でないものはない。 世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
  ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、 地図のうえの一点でしかない 遥かな国々の遥かな街々も、本だ。
  そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。  夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
  シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。 マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
  人生という本を、人は胸に抱いている。  一個の人間は一冊の本なのだ。 記憶をなくした老人の表情も、本だ。
  草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。  権威をもたない尊厳が、すべてだ。
  200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。 生きるとは、考えることができるということだ。
   本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
   ーーーー
   ローガウの「格言詩」の中に「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。
  国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。
  これを人生という視点で置き換えると「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。
  家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。
   それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。                          
 ・・・・・・・・
 2007年11月12日(月)
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −2         オハヨウ (▼皿▼#) !
 この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が解りやすく象徴的である。
「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」にすぎない。
 正義を振り立て、人をリードする職業などではない。人間のやった後始末をするだけだ。
 それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。
 ー前回の続きの部分をコピーしてみるー
  (字数制限のためカット09年11月12日)
ーーーーーーー
2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり −5
          オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)  
 {「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここでの著者の「私」についての、解釈も面白い。
「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテスの「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。
 複数の汝によって、「私」は社会の存在者として表出する。         
 ー 生きているとはどういうことか ー
科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。しかし自分は肉体であるとは、どういうことなのか。 
それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、心とかいった
ことも含めるんでしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私」は果して脳なのでしょうか。
脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。 感情だって、同じである。
「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。なんだこれは。考えている「これ」です。
「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」
という名を持ってきてしまったことだ。そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。
問いとしてあべこべになってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、
「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に過ぎないということに気がつきます。
この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。 最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、
これは方向としてあべこべで「私」という何かが何処かに在ると思っている。 
たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しいということなんでしょうが。 それは正しい問い方ではない。
「私なんてものは、無いんですから。無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。
「何が私という名前で呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。非物質。
それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして
時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、
ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きているということではない。
なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、これが正当な謎として立ち現れてくる。
このような不思議な存在に対して、「魂」と言いたくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。
何か実体があるような、そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」「私は個人である」とは、
「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。    
 ーーー
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。
 ーここがポイントではないか?「死があると信じて時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。
 「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、 深く結びついているのである。
 「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・   死(0_0)〜†  しっし "ゞ(`')
   死ぬわけ無いじゃん、わたすは私だから           (*^ワ^*)i  ホンジャ バイバイ
・・・・・・・・・
2005年11月12日(土)
 1684, ザ・マインドマップ−2
いままで読んできたブザンの本を開くと、どの本も「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が飛び出てくるような、
世界が光り輝いているような開放感になる。 絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。
思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の世界への世界を直感させる。
この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。
頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。
考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。
多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。
学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。
  ー要点をまとめてみたー
 マインドマップの目的といえば
1、思考を発展させる新しいコンセプトを知るー放射思考
2、これで人生のあらゆる場面で最大限に利用するために革新的ツールをしる −マインドマップ
3、思考プロセスの仕組みや発展はコントロールできること、
  創造思考能力は理論的に無限であることを知り、脳の能力を大きく開放する。
4、放射思考を体験して、知的技術や知性の水準を向上させる。
5、新しい世界を学ぶことで、興奮と発見の喜びを知ることができる。
  マインドマップの特徴として、
A,中心イメージを描くことによって、関心の対象を明確にする。
B,中心イメージから主要テーマを枝のように放射状に広げる。
C,枝には関連する重要なイメージや言葉をつなげる。
D,あまり重要でないイメージや言葉も、より重要なものに付随する形で加える。枝は、節をつなぐ形で伸ばす。
 これに、色、絵、記号、立体化などを加えることで、面白さや美しさや個性などが出てくる。
 このプロセスで「連想」が出てくる。この連想が多くの無限の力を引き出してくる。
 天才は、そのことを知っており、多くの業績を残していった。
 マインドマップは、言葉よりイメージ(絵)を中心におくことでさらに威力を発揮する。
 言葉とイメージを結びつけることによって、脳の力を倍増させていく。       ー つづく
 ーー
 以上の文章を マインドマップ的に、『島』にしてみた。                         ^^^^^(^_^)/
いままで読んできたブザンの本を開くと、「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が飛び出てくるような、
世界が光り輝いているような開放感になる。絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。
( ̄〜 ̄)ξ
思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の世界への世界を直感させる。(`´)ゞ
この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。
  頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。
   考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。
(;´Д`)
多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。
 学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。
  ー要点をまとめてみた
 (字数制限のためカット09年11月12日)
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2004年11月12日(金)
 1319, スリッパの原則
新聞広告の欄を見ていたら、新刊本で『スリッパの法則』という文字が目に入ってきた。
事務所でスリッパを履き替えさせる会社は要注意という。以前から、このことは言われていたことだが、
本の題名になるのは初めてである。 当社もメンテを考えて、移転する前の事務所からスリッパに履き替えていた。
たまたま一週間前から、来客は土足にしたばかりだった。数年前に若い銀行マンがはじめて来て、何か万引きを
見つけたような顔をしていたのが印象的であった。その時、真剣に土足にしようか考えたが・・・。 
早速、本屋で立ち読みをしてきたが、買うほどの本ではない。そこでインターネットのパソコンで検索をした内容とは。
ー2600億円を運用したとかで「カリスマ・ファンドマネージャー」と呼ばれた著者が、延べ3000社を超える
企業を訪問し、調査をした過程で、良い会社かどうかの以下の一定の法則性を帯びていることに気づいた。
「人の話を聞かない社長のいる会社」「社長室の豪華さとその会社の成長性は反比例する」
「スリッパに履きかえる会社に投資しても儲からない」「極端に美人の受付嬢がいる会社には問題がある」
「相談役のいる会社は成長性が少ない」「ラジオ体操を強要している」などを上げていた。
これでほぼ全てを言い尽くしているだけで、後はなんの内容もない。
そういえば、むかし仕入れで関西や広島の問屋やメーカーをまわっていた時、玄関で靴を履き替える問屋・メーカーは
旧態以前で、社員の平均年齢も高かった。 当たらすとも遠からず、ということだ。
・・・・・・
2003年11月12日(水)
952, 「殴られ屋」ー読書日記
http://www.rosetta.jp/hareruya/back.html
サロンのコーナーに貼り付けてある。
 世の中には、想像を絶した生き方があるものだ。 「殴られ屋」の存在は「ホームレス作家」を読んだ時に、
そのレフリーのアルバイトをした内容が詳細に書いてあったので知っていた。 その本を図書館で偶然見つけた。
しかし借りてきて暫くの間は、手に取ることができなかった。気の毒で正視できない思いが先立ったからだ。
しかし、読んでみてサッパリした体育会系の生の必死さが伝わってきて好感の持てる内容であった。
 人間死んだ気になれば、何でもできるものである。そして、その凄みが周囲の人に感動を与えていく様は素晴らしい。
それはものごとから逃げないという信念が直に伝わってくるからである。 ヤクザにショバ代を要求された時、
殴られることで支払おうとした。 それを親分が見にきて「馬鹿野郎、殴られて商売をする奴から金を取れるか!」
と子分を叱ったというのが、よい。 お客は素人と思っていたが、プロの挌闘家が多いという。 まさに命がけである。
 本は買う必要が無いが、是非ホームページを見てください。 破産せずに、毎日、殴られ屋をやって「借金の全額返済」
を目指している姿を、いまの政治家や役人に是非見てほしいと思う。
いや自分のことか!ほんと。 今の時代これがジョークでなくなるから恐ろしい。
 ・・・・・・
『殴られ屋』 晴留屋明著、古川書房
 ー以下は字数の関係でカット(11月11日)ー
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578, 読書について
- 2002年11月12日(火)
 以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、瞬時に出た言葉が「読みたいところを探して読む」であった。
小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべての本にはいえないが。「一冊の本からその真髄を一つを掴め!
多くのものを得ようとするな!」そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は知識の宝庫に変わる。
立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。勿論嬉しいー自嘲の話しだが,今まで本を読んで一つでも本当にモノにしてきただろうか
というと疑問だ。「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」「読み終わった後に、この本はこういう事がポイントだった」
とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。 読書の一番の要諦はこれしかないのに。
 多くのものを得ようとして何も得る事ができなかったのでは? また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは?
このことを考えてみても、内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んでいるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、
作家や記者などの物書きの凄さが解ってきた。
 文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。本屋や図書館はエネルギーのルツボである事も。
そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、人間の脳の中枢を刺激されるからだ。


3517, 不況景色とは、こんなもの? −1

2010年11月11日(木)

  * 繊維業界の不況景色とは?
 いずこも似たようなものだが、昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。
デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いでいたが、研修目的という題目の
低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。
30年前に5年近く実家の衣料量販店をたずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が
直に伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。 住宅も、車も、電気製品も、
エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、問題は来年はどうなるのか?である。 
前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。 
また消費税の増税も待ったなし、ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、
日本の農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。
 一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の応募が急増している」という。
顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い風俗に昼間行っているという。週に4〜5日、
6時間で月40万になるという。 朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。
 もう自明になったが、民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の小沢派が
大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 アメリカのCIAは、あらゆる手を使って
阻止してくるが、それしかない。 まったく、どうなってしまった日本よ!

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3142, 最近、いやに時間が短く感じるが
 2009年11月11日(水)
 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。
還暦を過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通のこと。 これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」という。
また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを突きつめると面白いはず。 
 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、時間に影響を及ぼす主な要因としては
  次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で午前がゆっくりで
 午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症の人をクモと
 一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を分節化してしまい、
 分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説がある。時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。 
 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的実在のずれは案外に大きいことがわかる。
 時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、
 人間の時間経過を操作する技術が発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
 ーー
 なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。 分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
 その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると、単純に考えていたが、
 他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに刺激の感受性が少なくなるのも理由。
 要は老化現象で時間が短く感じるということか。 長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。
 ・・・・・・・・・
2777, 仮説思考 −4
 2008年11月11日(火)
   棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。 次の文章で、そのことを上手く表現している。
  制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 
  羽生は、ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから七割なのだろう。 
  共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、仮説の世界で生きているようなもの。
  棋士の目で経営アドバイスをすれば、良い助言が出来るだろうに。
*天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む
  P−32
 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの世界に進んでいたとしても、
かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことをいうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。
 羽生の棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及している。  
 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、それでも「あとはなるようになれ」
という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を支えているのが仮説思考である。  
 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の可能性があるが、その八○をひとつひとつ、
つぶさに検証するのではなく、まず大部分を捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、
考える必要がないと瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに仮説思考だ。
八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。
大胆な仮説を立てて、「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに
沿って浮かび上がってくるものと思う、ど羽生はいう。 こんなこともいっている。
 「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。
私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、
怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」
 将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても、問題の原因と解決策について、
あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てることが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、
それは、経験に裏打ちされた直感力、勘によるものだ。
 −−−
 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 何事も同じである。 
・・・・・・・・
2007年11月11日(日)
 2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1           (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
バブル当時まで、元の住友銀行が大阪検察の幹部との定期的な会を開いていたことは周知の事実である。 
これは検察が定年退職をして弁護士になる時に、銀行の取引先を紹介してもらう見返りに、その銀行に対して逮捕者は
出さない取り決めだという。かなり強引な手法も検察がついているから好き放題できたと、この本にもあった。
やはり本当だったようだ。 地検も法務省の一機関でしかないということだ。
それにしても、恐ろしいことだ。 人間がいるところ仕方がないのか?ーその部分を抜粋してみる。
 「反転」 田中森一著
ー地検特捜の恐ろしさー
 ーP、178〜179ー
平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。
本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。
結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。
伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった
のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。
事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)              ○´・ω・]ノヂャァネッ
・・・・・・・・・
2006年11月11日(土)
2048, あたりまえなことばかり −4
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪   ー 読書日記
「生死を問う?ー何のためにいきるのか」は哲学上の大テーマである。
このコーナーでも何回も取りあげてきたが、私が一番好きなのは、フランクルである。
「人生に何を求めるか?ではなく、人生が何を私に求めているか?を問うてみよ」である。
 せっかく地球に生まれたからには「良く遊び、良く学び、そして良く働くこと」シンプルに言えば、これに尽きる。
 彼女ー池田晶子の生死については解ったような解らないような・・
 さわりの部分にこうある、「生死に対する、これはという答えなどないが、人は言語を所有するために、
 存在するしかない存在についての意味や目的を問うてしまう。言語のせいです。動物は言語を所有していないので、
 ただ生まれたから生きている。言語を持ってしまったから、問えない問いを問う不幸、十全には生きられない。
 問いを持ってしまったのだから、問うしかないから、問わざるをえない。『何のために生きるのか』」
 生を考えるとき、その対極にある『死』を知らなくてはならない。 しかし、死など解るはずがない。
 −−
「あたりまえなことばかり」
ー 生きているとはどういうことか ー
「なぜ生きるのか」と問うても、「生きていることはどういうことか」とは、人はあまり問わない。
意味、目的を問う前に、まずは生きているとはどういうことか知りたい。このことを知った上で、そこから初めて生存の意味や
目的を問うべきである。生存を知る前に、死を知っていなくてはならないが、死とは生きていることじゃない!と答えるしかない。
死を知らないくせに、知ったつもりでいる。普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
   (字数の関係で中間カット2010年11月11日11日)  
 ーーー
 内容はダンダン面白くなっているが、字数の関係でここで切る。エピクロスは、「人が生きているかぎり死は存在しないし、
死が存在するときには人は存在しない」と看破した。言葉を持った人間が死という言葉を持ったために、死という言葉の影に
脅えているに過ぎないということをよくよく納得しないと、生きかたを間違ってしまう。でも、言葉でわかったつもりでも、
「生きているうち、死んでしまえば、それまでよ!」と思ってしまうから困ったものだ。
しかし、死ぬという言葉自体が生きている人間が死体をみて、いや抜け殻を見て名づけた言葉である。
しかし仏教では「生老病死」というんじゃないか?でも、あれ宗教じゃないか! いや元々は宗教ではなかった。
死という字がよい、一の下に夕ヒである。夕陽が地平線の下に消えるのが人生の終わり!何ともロマンッチクである。
この辺に答えがあるのじゃないか?いや、一は生きている方が勝手に思っていること?当人は、その線の一は無い!のか?        
・・・・・・・・・
2005年11月11日(金)
1683, ザ・マインドマップ−1               −読書日記
ブザンのマインドマップに関しては、「頭の良くなる本」「自分が天才に思える本」「人生に奇跡を起こすノート術」
などを読んでいた。特に初めて「人生に奇跡を起こすノート術」を読んだ時は大きな衝撃を受けた。
その前に、「インスピレーション」というソフトを買って使っていたにかかわらず。
これをノートに切り替えるという、着想がわかなかっただけのことだが。しかし、絵入り、手書きという部分が違っていたが。
 《字数の関係でカット2009年11月11日11日)
・・・・・・・
2004年11月11日(木)
 1318, ベスト・エッセイ集ー2
 橋本元首相が、数年前に大手術をしたことは、ニュースで知っていた。この本の中に、その時の生々しい心情や、具体的な
日々が書いてあった。何かキザな鼻持ちのならない男と見ていた存在が、急に身近な一人の人間に思えてくるから不思議である。
またTV「お宝鑑定団」に出ている中島誠之助のエッセイもあった。普段知ることのできない骨董品の世界を覗き見ることが出来た。
骨董の世界は本物、偽者が混合している世界。本物の中でも、価値が大きくわかれている深い世界である。
 ー中島のエッセイの印象に残ったところを抜粋してみる。「骨董の世界では、初めから人をだますために作られたものを、
偽者にもおよばない最下級におき、『嫌物(いやぶつ)』と呼んで下げすんでいる。
嫌物は、それをこしらえた人化身であるために、そのもの自体に罪がある。それに対して偽者は、その人が作りあげたもので、
品物自体に罪はないといえる」 著名の作家の書く文章は、何気ない日常の描写が鋭く、それを思わせないタッチがプロの凄み。
一流の人は何気ないことでも、その文のタッチで改めて対象を見つめさせてくれる。それが一流の一流たる所以である。
一流の役者が端役を演じると、その役そのものが端役でなくなってしまうから不思議である。何事も魂を込めるからである。
このエッセイ集に選ばれることが、著名なもの書きや、政治家や、エッセイストの大きな名誉となっているという。
 この数年分の「ベスト・エッセイ集」をジックリ読んで勉強してみようか。
・・・・・・・
2003年11月11日(火)
 951, 衆議院総選挙の結果を考える
 終わってしまえば、こんなものだろうというのが選挙の結果である。もう少し、投票率がアップするのではと思っていたが、
それにしても低すぎる。総括として「二大政党のカタチが、でき始めた選挙」であった。
小沢一郎の捨て身の合併劇で、マニフェストー選挙公約を争う機運ができた。小選挙区制度の良さがここでやっと出てきた。
自民党保守派の社会主義者が、中選挙区制度の復活を言っても誰も相手にしなくなった。
 「もう一歩で民主党が勝てたかもしれない」という期待が少しあったことと、「自民党よ、そう甘い顔はしていられないよ」
という忠告が相まっている。しかし、もう少し民主党に勝って欲しかった。 190議席あたりが理想的であった。
 やはり若い人の選挙に対する無関心が、その壁になった。結局は自分で自分の首を絞めていることになるのが解らないのだ。
無知の彼等の未来から借金をして、生き延びようというのが旧守派だろう。自民党の恥元派と官僚だろう。その彼等に間接的に
手助けをしているのが解らないのだ。これも若年層の質の低下の現象と見てよいだろう。 ソ連と中共と北朝鮮からの
資金援助をしてもらっていた社会党の残党の社民党が、そこから金が入らなくなったら消滅するのは当然である。
共産党は今更、何もいうことがない。この残物整理という点でもこの選挙は意味があった。
ー毎日新聞の記事をweb毎日からコピーした。
          2003年11月8日
 以下字数の関係でカット(2007年11月10日)
・・・・・・
577, 一人旅
- 2002年11月11日(月)
20代前半に北海道と九州に二回一人旅をした。他には勤めていた会社にいたころ、近くの半島に旅行をした。
紀州半島と能登半島だ。これは一泊二日だったが。 一歩家を出れば、あとは旅行代理店とつくった日程どおりに
こなしていけばよい。結構楽しい旅であった。 写真を多く撮っておけばよかったが、そのアルバムも不明だ。
傷心旅行だったり、学生時代の最後の休みの旅行だった。一人頭の中でブツブツ独り言を言っていた思い出がある。
それがよいのだろう。一種のロマンチズムで、有り余るエネルギーの捌け口だった。ただ記憶が鮮明に残っているのが
不思議といえば不思議である。今考えてみれば、一人で外国に出てみるのもよかったが、あの当時の社会情勢からも、
自分の性格からいっても無理だった?? 一人旅は一歩踏み出せば、なかなか味がある。「深夜特急」の沢木耕太郎の
ドキュメンタリー風の小説がある。世界の一人旅を目指している若い人の手引書になっている。
7〜8年前にTVでもドラマ風に仕立てられて数回に渡って放映された。この出来もなかなかよかった事を憶えている。 
といって親しい人との旅行と比較すれば、やはり一人旅より良い。 TPOSによるが。


3516, インターネットは20万年来の革命か?

2010年11月10日(水)

 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万年前は、
言葉か絵画の出現では?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。
 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、
 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■ そして人間が道具を使うようになったのが20万年前。
 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明ということになる。
200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。
そして、この十年でネットが世界中に結ばれ、検索にキーワードを入れると世界中からの情報が入ってくる。
さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に公開を始めたため、情報が爆発的に増えている。
ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、それが現実世界の上位に立ち始めたことからみて、
20万年来の革命的ツールという説も、言葉使用からの200万年説も、決してオーバーとはいえなくなってきた。
そのネットと最先端電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。今さらなのか? しかし現実を見ていると、
機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、政治、経済のあり方を根底から変化させている。
政治ひとつとっても、直接に政治に関りない国民の方が、渦中の政治家より、正しい判断が可能になっているとか、
思いもよらない情報が表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。 現在問題になっている尖閣列島の中国漁船ビデオの流出も、
それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が政治を大きく左右することが容易になっているのも、ネットのため。
これらによる社会変動は、まだ始ったばかりで、時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。
 再度いうが、TV、携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 問題は、それをどう使いきるかである。
  まさか、これを現実に目の当たりにできるとは!
 ・・・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
 2009年11月10日(火)
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年である。
私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、9・11テロ、
そして、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子の中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に変っている。
三倍の200年の時代を経験してきたようだ。 特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、東京大地震があった。
世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 世界は激動していたのである。
 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、
中国が勃興するプロセスを目撃することになる。また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。
64年間、十分に世界を見てきた満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた80歳後半の人は、
本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に見ているから、なお、
時間の長さ・短さを実感しているだろう。  これだけ激しい変化を目撃するとは、実際思ってもいなかった!
・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 −3
 2008年11月10日(月)
「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  −−その仮説から考えると−−
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と世界恐慌・研究の米国人経済学者が
インタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的にみて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 
その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が多く保有しているからである。
 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、
早期回復など有得ない。 そうこう考えると、この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
5〜6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、土地の値段は現在の半分か三分の一。
生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 
それがどうしたといえば、どうもしない。 この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 
企業には成長対策、競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。
更に悪いことに、ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波やサイクロンが発生するし、
異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システムそのものの変調が原因とみるべきである。
 −−−−−
 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。                    つづく
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2007年11月10日(土)
2412, 暴対法について       ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜
また、九州で暴力団の素人を巻き込んだ殺人事件があった。こうなったら「暴力団対策庁」を「警察庁」から独立して設立すべきである。
暴対法が出来てまる15年、その社説が先日の産経新聞に出ていたが、この法律が出来てから見るからに暴力団風の男の宿泊は激減した。 
またクラシックなパターンのホテルへのカツアゲも殆どなくなった。開業以来ほぼ強請り取られた経験はないが、それでも現場は常に
緊張感に包まれている。地元の暴力団は比較的に大人しいが、それでも数年に一度はニアミスを起こしそうになる。
(字数制限のためカット 10年11月10日)
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2006年11月10日(金)
2047, あたりまえなことばかり −3
      オッ(*^○^*)ハ〜       ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・
如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。そして「きちっと考えれば悩まなくなる」
というが、そのとおり。自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
 ーーー
「あたりまえなことばかり」 
  ー 考えるとはどういうことか ー
 ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと考え始めて、
  如何にわからないかということをはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。
 つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテスの無知の知という自覚は、哲学の原点です。
 考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、考えるということはそこから始まるのです。
 この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。
 他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことがないからです。
 考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。
 もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。     
 考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、その開放感とか自由感は凄いものなのです。
 なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。
 相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、
 また宇宙大の視点から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。
 今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、あれこれ悩んだり喧嘩したり
 することから開放されるのです。死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
 これを上手く語る言葉がない。 また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。
 死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。
 ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
 どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。
 自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。 万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。
 そうすると再び、 今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。
 我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、考えることによって、その不思議さを自覚することによって、
 自由になることにあると思います。 我われは考えないことによって、要らないことにいっぱいこだわって、
 不自由になっているいるわけですから、考えることによって、それから一つ一つ自由になっていく。
 また本来すべての我われが自由であったということに、考えることによって人は必ず気づくはずです。
 謎を自覚することは、自由である他になりません。 だからこそ人は、じっくり考える必要がある。考えて自覚すること、
 自分が自分であることの謎を 自覚することこそ、この時代の人生を生きることの意味は尽きていると考えます。
 ーー
 以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。「人間の最上の快楽は考えることである」というのは少しは納得できた。
秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。最果ての地で直感した開放感と自由感は、
その離れたところからの大きい視点を得ることによって、確実な心の基点を裏づけとして、何時までも残る。
それが、哲学することー考えることと酷似ているということである。哲学も、秘境旅行も、その蓄積により自分の中の自由を
大きく切り開いてくれる。我われは、よく考え、よく生きることによって、よき自分の物語を持つことができる。
自分の中に自分の物語と、歴史の物語を重ねることによって、互いのプリズムを照らし合わせて
輝かしい人生にすることが、哲学をすることに求められるのではなかろうか。
 ・・・・・・・・・
 2005年11月10日(木)
  1682, 「ひとを嫌うということ」−1  
                    −読書日記
学生時代や、勤めていた時代に多くのタイプの人と接する機会があった。また、多人数の兄姉の末っ子ということもあり、
かなりきつい虐めにあった。学生時代の寮やクラブの先輩や、勤めているときに合わない先輩との確執も多々あった。
人間であるかぎり必然である。仏教でも四苦八苦の中で、怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)を説いている。
ここで取りあげるのは、こういう「程度の高い?」憎しみではなく、普段どこでもあるような嫌いについてであるが。
ひとを好きになることについては多くの本があるが、その反対の「嫌う」という問題を、真正面に捉えている
非常に面白い本である。ひとを好きになれ、しかし嫌いになるなというのは、食べてもいいが決して排泄するな
といっていると同じで、無理である。著者の中島義道は、とことん他人から嫌われてきて、そしてやたら嫌ってきたが、
ある日を境に、人生の大問題になってしまった。何となく嫌われていた妻子から、ウィーンで大喧嘩をして・・・
そして徹底して嫌われるようになった。 冒頭の「はじめに」から、すざましい内容になっている。
ー「思えば、母は父を嫌って死の直前の40年間、彼に罵倒に近い言葉を浴びせつづけていた。
その同じほとんど言葉を、今や妻の口から出てくる。 そして、私もまた父を死ぬまで嫌っていた。
いや、死んでからもなお嫌っている。 息子が、また私をはっきり嫌っている。 これは一体何なのだ!
私はみずから生きていくために「嫌い」を研究するしかないと悟った。つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたのです」
本書で私がつかんだことは、それは「嫌い」という感情は自然であること、そして理不尽であること、
しかもこの理不尽こそが人生であり、それを誤魔化してはならないということです。
 −
この本の初めから終わりまで、このような文章が延々と続く。自分の心を代弁し、そして深く納得する。
だから面白くて面白くて一人不気味な笑いを浮かべながら、中島義道の世界に引き込まれてしまう自分をみてしまう。
嫌うということは、食欲や性欲のようなもの。 その自然の欲求を、社会に生きているということで割り切って
コントロールすればよいと切って捨てている。自他に対する嫌いをヒリヒリするほど感じることも時に必要であると。
私事になるが、私もこのことをジックリ考えたことが多々ある。それも20歳の頃から。そして割り切ってしまった。
「嫌われることも、嫌うことも避けて通れないなら気にしないことだ。 受けとめかたとして、好き嫌いを二の次にする。 
他人の思惑も大事だが、自分の受けとめ方のほうがもっと大事。人は何時も自分がどう思われているか気にしている、
(字数制限のためカット 10年11月10日)
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2004年11月10日(水)
1317, ベスト・エッセイ集−1
’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。
何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本である。
この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。
何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。
(字数制限のためカット 09年11月10日)
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2003年11月10日(月)
950、「泣いて笑ってハッケヨイ」
 昨日より大相撲が始まった。そういえば先日、再放送であったが、NHKの人間ドキュメント「泣いて笑ってハッケヨイ」
が良かった。今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。 中学を出たばかりの子供が、
わずか数ヶ月の中で全く違った顔に変わっていく。もし自分の子供であったら、涙が止まらないだろう。
気の弱い登校拒否の子が、相撲の中で克服していく姿が生々しく映し出されていた。
大きな志と小さな自信をもって相撲に取り組んでいく姿がそこにあった。「体に痛さを慣れさせないと恐怖心に
勝つことが出来ない」という兄弟子の言葉が印象的であった。 そして稽古で痛さを体に憶えさせて行く場面は、
人生の根底の要点であった。 まずは自分の恐怖心を乗り越えなくてはならない。
 勝つことによって、だんだん意欲が出てくる姿が初々しくてよい。
いま大相撲が面白くなくなってきたが、こうして一人一人が自分の人生を背負って闘っている姿をみると、
じっくりと見直してみる必要がある。今場所は、横綱の武蔵丸が引退かどうかが一番の注目されている。
実際は無理だろうが、相撲の世界はわけの解らないところがあるからどうなることか?
 −過去に書いた大相撲の随想日記をコピーします。
 ・・・・・・・  
 相撲を考える
 2003年9月22日
 ー字数の関係でカット(2007年11月10日)
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 2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲
 −字数の関係でカット
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 2002年09月22日(日)
527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸!
 まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。
もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、
彼はそれを持っている。 しかし心情からみたら武蔵丸の勝利が望ましい。
 (字数制限のためカット 09年11月10日)
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 576, ある時間の断面ー10
 2002年11月10日(日)
  ー1968年 9月27日
7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。 
石川をチョット無視をする。 たまには薬になるだろう。 図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。 彼も大変のようだ。 その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調。
石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。 どうしたことか?疲れているようだ。
  ー1968年 9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの場所に行く。しかし彼はこない、図書館に直行して、
卒論のまとめをしていると、石川がくる。12時頃再び待ち合わせのところに行くが彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。 
石川と深井と川崎と松村の家に車で行くが、凄い家だ。山の手の家に入るのは初めてだ。 
(いや鳩山御殿に、ある会合で映画でいうその他のエキストラで行ったことがあった)その後松村の家を出て、
石川と深井と3人で[[赤と黒」というスナックへ行く。それぞれの性格について話あう。 23時に帰寮後、
服を着たまま寝てしまう。夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。 それっきり眠れない。


3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7

2010年11月09日(火)

  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
 ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という主張が欠如している。
つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義が
まいた種子の結果である。学校時代のまる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。
ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、消化器の胃腸を持たない食道だけの
状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで
考えたのであって、他人の言説の解説はほどんどしてない。 対照的に、日本の知識人は、
あたかも自分の考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べる   これを徹底的にすることで思考力を高めている。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生にあまり質問をすることはない。
それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、
自分で解答を見つけるように仕組むのが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と
ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、生徒たちは議論をしながら進める。
自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。
 〜〜
 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。疑問を持ち、何が問題かを見つけ、
解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。
島国の中で、外敵から攻撃の心配がないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
 坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
 ・・・・・・・・
3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した以上の内容だった。
長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで内容を調べ納得し観ることにした。
亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから何かがあるはずと・・・。
ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので丁度よいタイミング。
映画館の前から4番目の真ん中の席をとって、館内は私一人だけの気持ちでみたが、上映時間の二時間は、
アッという間に過ぎてしまった。 練習とはいえ、完成前の調整段階のもの。
マイケルと、指揮者、そしてダンサーやミュージシャン、などが一体になり、それぞれの歌の場面を知恵を出しながら
練り上げていた。 彼の歌の隠れテーマは『愛と自由』ではないかと直感したが、正しく、その通りであった。 
 ー以下は、HPの紹介文ー
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
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 2775、仮説思考 −2
  2008年11月09日(日)
   ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネスパーソンは多い。
 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。
 実際に起こることは何か? 情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
 最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。
 徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。
 仮説とは、十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。
 常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。
 「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。
 ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
 *仮説思考の効用
    著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
    (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけたくさんの情報を集めて
    分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。
    その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。情報収集に時間を取られた結果、思考する時間が
    ほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。
   「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
    仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした気にはなるが、
    実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの3に絞って考え、
    それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させるのではなく、
    仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認しようとしても、
    頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方が
    アドバイスしやすいし、上司も安心できる。ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
    同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業をしなくてすむ。
   「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違ったものが出てくる」という事態を避けられる。
    もう一つ事例を挙げると 「実験をする前に論文を書く」ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。
    そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
     失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分かるため、それほど時間の無駄にはならない。
 *自分より1つ上のポジションの立場で考える
   仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
   全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」
  「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、
   プロジェクト修了後に出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。
   著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」ことを勧める。
   また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
   ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法である。次回は、この本で紹介している、
   天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。
   彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。            ーつづく
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2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。図書館で見つけた本だが、その著者の随想なら
読む価値は充分にある。2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表された随想である。臨床医師として、文学界新人賞、
芥川賞と受賞した医師だが、終末医療に携わる中でストレス障害から体調を崩し38歳の時にパニック障害から欝病になる。
書くことも読むことも出来ない中で、生かされている自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。
  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》            ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん
数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する
  Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、
   市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、 このために必要な知識・経験」である。
 『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』 というのが、結論である。
ーー
先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が「今、教養とは」であった。なかなか納得しやすい言葉で各自が語っていた。 
印象的な発言を集約してみる。
ー日本画家の千住博の講演がユニークである。 {サルにとって、進化するための教養が壁画だった}という説が面白い。
西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの壁画がある。
約1万5千年前、時代は氷河期であった。その時期、氷河を前に旧石器人は洞窟に引きこもるしかなかった。
そこでやることはなく、絵を描いたのです。絵は洞窟の奥ほど古く、出口ほど新しく次第にリアルになっていった。
(数千年かけて書き継がれていた)これはなかなか良いとか、こう描けば良いとかといったコミュニケーションが生まれていった。
彼らは絵を描くという行為によって一歩ずつ人間に近づいていった。
その過程で、イマジネーションや観察力、知識、理解力、コミュニケーションが、当時の旧石器人に芽生えた。
つまり芸術がサルをヒトにした。それがアルタミラの壁画の持っている意味です。サルにとって、進化するための教養が壁画だった。
芸術を料理にたとえてみる。つくり手が材料から、美味しい料理を作ろうというイマジネーションが、
他人に食べてもらおうという、コミュニケーションになります。
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
・・・・・・・・
2005年11月09日(水)
 1681, うそつき−4
「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。
ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、
実はお巡りさんだという。 お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ーこのような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。
その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、
彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。しかし、その夜、帰ってきて村人に
『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。
嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。
・・・・・・・・
2004年11月09日(火)
 1316, まさか、地震が地元で!ー12
昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、
復興の為の手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。
イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。
今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。
建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。
昨日も震度4〜5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。
今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 余震がいつまでも続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。
 メルクマールの日記内容である。
 ーーー
メルクマール  堀井
  ー11月08日
・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。これからも震災関係も入ってくるから、予測していた動きが、
でてきたようだ。殆んどが事務方だ。長岡では宿がとれないためだ。といって、これは一時的なことでしかない。
東京〜長岡間は4時間15分〜5時間半はかかる。高速道バスで6時間だから、値段から考えたら、バスが多くなる。
新幹線の脱線の工事は、11月10日からというから、当分開通はないが。しかし亀裂をおこした立柱は、
もう工事に入っているだろう?から、年内は無理としても最短年越し直後辺りではないか。
長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の「イズミヤ」など、三つのホテルの従業員全員−100人あまりーが解雇されたと、
新聞に出ていた。 失業保険で急場をしのいで、一年後に再開するのか?
いずれにしても、経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。
  ー11月7日
・朝8時過ぎに、震度3の余震があった。ドッスンという縦揺れのドキッとする地震だった。当分はこの状態が続くだろう。
・「男はつらいよ」DVDを借りてきた。 こういう時は、これにかぎる。
・・・・・・・・
2003年11月09日(日)
 949, 流通大戦争
 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター「PLANT5」が開店をした。
10月29日に開店をしたがチラシをまかなかったのでオープンをしている事に気がつかなかった。
規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。
 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。 お客の立場からみればアイテム数が多く、
廉価であることが第一である。ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。
  (字数の関係でカットー2009年11月9日)
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 648, 流通業界を考える
  - 2003年01月16日(木)
 ー字数の関係でカット(2007年11月9日)ー
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516,デフレと流通大乱
 - 2002年09月11日(水)
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。 店内を3〜40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに
丁度よいからだ。 クーラーもきいているし面白いし。それにしてもお客が少ない。 商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。 
でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーとヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。それにしても
消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
 《以下字数の関係でカット2008年11月09日》
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575, つれづれに学生時代のこと ー2  
 − 2002年11月09日(土)
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」
といっている。その価値観はまるで違う物差しになる。今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。
若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』の追求」である。 
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく
設計図の再構築が必要ということだ。その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。
・・・・・・・
2001年11月9日
ーベトナム旅行中


3514, ペットロス ー2

2010年11月08日(月)

 インコの死で、何か家の中がシーンとしてしまった。 僅か一年だったが、存在感のあったインコだった。
呼びかけた言葉を憶えてしまい、居間のガラス戸越しに、その言葉で必死に呼びかけてきたからである。今までにない経験である。
ここで、ペットロス症候群というウツ病を知った。ペットの死で幼い子供の死と同じぐらいのショックを受け、立ち直れなくなる欝症。 
先日、私のブログでペットの死を知った友人が「飼い犬の死に際の逸話」を聞かせてくれた。
「15年間飼っていた犬が、あと一日で死ぬときに、県外にいる三人の子供全員が別れのため帰省してきた。
ところが友人は私と酒を飲んでいて午前様になってしまった。ところが、犬は帰ってくるのを待っていたかのように本人が
頬ずりをした直後に息を引き取った」という。 うちのインコが長男が知らせを聞いて駆けつけてきて撫ぜてもらった直後に、
死んだのも偶然だけではないと思っていたので、丁度よい内容であった。 動物も、人間と同じようなことがあるのかどうか。
休日だったこともあり死に際に立ち会えたが、ペットが一日かけて死んでいく姿も人間のようであった。何度も危篤になるが、
頭を摩りながら呼びかけるとハッと我に返る。そして時々、餌場から下に堕ちてしまい、力を振り絞って金網を登ってくるが、 
その都度、衰弱してくる。しかし目は虚ろになり、たっているのも難儀になり、蹲ってしまう。呼吸が苦しくなりヒューヒューという
息遣いが聞こえてくる。そして、時々大きな深呼吸をする。意識が遠くなるが、その都度、何かを待っているように戻ってくる。
最後は、長男が喉を摩っている中、ドッサと下に落ち、息絶えてしまった。長男も、家内も、涙を流していたようだ。
 ところでペットは何故、あれだけ人をひきつけられのだろうか。 それは彼らが無条件でなついてくれるから、
人間の方も無条件で受け入れるのである。 それが愛情の原点である。 愛情とは無条件だからである。人間は子供の頃は無条件だが、
時間とともに自立していくほど薄れていく。 しかしペットは、何時までも無条件で愛情を求めてくるため、人間も何時までも愛情を
無条件で与えることができる。したがって幼くして亡くなった子供の悲しみとペットロスの悲しみは酷似するほど深くなる。
 特に子供たちが結婚などで巣立っていった中高年の家庭では、ペットは実際の子供と同じように愛情をもたらしてくれる。
それだけ、悲しみも深くなるものである。それが犬や猫を10数年も飼っていれば・・・
 ・・・・・・・・
3139, 「法則」のトリセツ −4
2009年11月08日(日) 
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながらクロージングする方法。
よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉で
いろいろと買わされてしまう。 アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い出来ますか?」
いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、このステップを踏むと、承諾率は80%近い
ところまで跳ね上がった。 このテクニックは、通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。
サンプル無料提供、モニター募集、などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、
というセールストークもこの原理を利用している。 1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 そしてこの心理を応用した説得の方法を言う。
 ――
 こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。騙す本人も知らないで?
使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 素人の隙の部分をねらう。
   要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で
   到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。初めは小さなウソの積み重ねも、
   積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。
   まずは自分の創作した物語に自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。
   倒産劇からの親戚を巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 
   他人を騙す場合、まずは一番の身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。
   もう一つ最近にもあった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている自覚がない?から罪深い。
   すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  
 ・・・・・・・
2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)
  「仮説思考」 内田和成 著         −東洋経済新報社
   実のところ、これを読んでショックであった。 私の場合、仮説を多用してきたが、ある課題があると、
  問題点を幾つか探して、対案を幾つか考える。その対案を仮説と思っていた。しかし、早い段階の「仮の答え」を
  仮説というから、驚いた。リーマンの倒産直後に、大恐慌が始ったと書いた。 その時は、違うかもしれないが、
 8割方は間違いないと。確信はあったが、それでも半信半疑で、そう書いてしまった。 
 ところが、その視点で現象を見据えると、明らかに恐慌であり、その後の経過から現在は多くの人が、
 そのトバグチに立っていると信じている。「あと一週間で死ぬとしたら何をしますか?」という問いかけも
 分かりやすい仮設である。そうすることで、現在の「いまここ」の重要性に気づくことになる。
   間違いなく恐慌と確信したら、現在すべきことは全く違ってくる。
 「まずは結論から言いなさい。そして、その結論に至った理由を三つ分かりやすく説明しなさい」と、よく言う。
  それを思考に使うということだから世界のコンサルトは違うものだ。
  この本は必見に値する。 勘の鋭い人は、この文章だけで充分だが。
  ーまずは、この概要をまとめてみた。ー
 仮説思考とは何なのかというと、 情報収集の途中や分析作業以前に持つ「仮の答え」のことである。
『情報の少ない早い段階で結論を出し(仮説)、問題解決の筋道を大体決めてしまえ』というアプローチをいう。
・問題の課題の洗い出しをし 
・課題を発見したときも原因の追求をする、
・そして解決策を考える。
 この3つのプロセスにおいて事前に仮説を構造化していれば、漏れなく、早く、本質を当てることができる。
 大切なことは仮説を立て、仮説を構造化することである。
 仮説を構造化するために  So What?を使用する、訓練を行うために "Why?を5回繰り返す" などがある。
「仮説思考は、頭が良いとか、手法を多く知っているというのとは異なる」。
 誰もが日常生活の中で無意識に行っている思考方法。 それが仕事になると
「右脳的な考え方はいけない。もっと網羅的に理詰めで考えて結論を出さないといけない」とスイッチが左脳に切り替わる。
 だが、経営や仕事においても日常的な仮説思考を行った方がむしろ効率的で良い結果をもたらす。
  著者は「高速道路で渋滞にはまったとき」を例に挙げる。
「左車線は初心者など運転が遅い人たちが多いから、追い越し車線を選ぼう」「そう考える人が多いからここは左車線を選ぼう」
「この先はインターチェンジがあるから、そこまでは追い越し車線を行って、その後左車線を行こう」これは仮説思考そのもの。
  また雨の週末に外食に行こうとして「今日は雨だからすいているだろう」「雨とはいえ週末だから混んでいるだろう」
 と考えるのも日ごろ良くやっている仮説思考として取り上げている。
 ーー
 後記)レーガン米大統領が、「報告書には問題と、その問題の構造を大項目三分類、そして中項目を三分類ずつ九項目と、
  分かりやすくまとめたものにしていた」という。 成るほど!と感心したが、早い段階の「仮の答え」とは面白い!
  この効果は2〜3倍ではなく、10倍になるというから、若いうちに知っていたら違う人生を送っていただろう?
  それにしても、今になって知ることが、知ることがあまりに多い。 無知の涙か?・・・      ーつづく
・・・・・・・・
2007年11月08日(木)
2410, 「あたりまえ」ということ
 金子みすず の「不思議」という素晴らしい詩がある。
*不思議
わたしは不思議でたまらない 黒い雲から降る雨が 銀に光っていることが
わたしは不思議でたまらない 青いクワの葉食べている 蚕が白くなることが
わたしは不思議でたまらない たれもいじらぬ夕顔が 一人でパラリと開くのが
わたしは不思議でたまらない たれに聞いても笑ってて あたりまえだということが
ーーー
我われは、いとも簡単に「あたりまえ」と思っていることでも、少し考えてみれば、不思議なことばかりである。
自分が現に存在していること自体が、「あたりまえ」ではない。偶然の一致の重なりで現在の自分が存在している。
その現在の自分が存在している宇宙そのものが不思議である。 それに気づくかどうかである。
 (字数制限のためカット10年11月8日)
・・・・・・・
2006年11月08日(水)
2045, あたりまえなことばかり −2
   「 あたりまえなことばかり」 池田晶子著  ー 読書日記    (。^0^。)オッハ〜                
 この本の面白そうな項目から取りあげてみると「考えるとはどういうことか」になる。
「考える」とは、実際のところなんだろうか? 言葉の羅列?それとも、思いつき?、
 それともそれらを対比し、その差異と同定をしながら掘り下げること? 
 まずは、この本の面白そうなところを抜粋しながら「考えて」みる。我慢して最後まで読んでください。それも何度も!
 当たり前のことに何の疑問を感じなくなってしまっている、自分の感覚を呼び戻すためにも・・
 ー 考えるとはどういうことか ー
 *私が日がな何を考えているかといえば、考え始めたはじまりにまで遡ってみると、一言で言えば人生についてです。
  人生というと一言で敢えて具体的にいえば「生まれてきて、死ぬことです」あるいは「誰もが自分である」ということ。
  この当たり前のことが、不思議ではないですか? そんなのは当たり前といいますが、本当に当たり前と言われるが、
  それでは如何いうことか、解るのですか?生きることも、死ぬことも誰も知らないのに、どういうわけか皆知ったふりをして、
  毎日を生きているわけ。
 *キリストの言葉というものをよく読んでみると、私を信じろとはいってませんね。
  あなたの内なる神を信じよ、といっているのです。ところが、生命とか宇宙とかの不思議が本来もうどうしようもない謎を
  忘れた人たちにとっては、キリストそのものが信仰の対象になってしまうのです。 キリストだって分りませんよ、そんなこと。
  ところが自分がわからないといことを忘れているから、ただの権力闘争になってしまう。本末転倒なわけです。
 *どう考えるかという問いにあえて答えるとしたら、一言「驚け!」です。
  (字数制限のためカット09年11月8日)
 ・・・・・・・・
 2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4
   ー「メタモルフォーゼ」ー ?
     <意識の変容>
 一万年続いていた農耕社会の重心が、工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、
狩猟社会の本能が再び目覚めようとしている?のか。
北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど問われることになるだろう。
以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>の中の文章の抜粋である。
 ーーー
直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な関係を基本とする小グループを形づくってきた。
文化人類学者の原ひろ子は「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、さらに狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。
特に興味をおぼえたのは、彼らの生活が 「働く」「遊ぶ」「休む」の三つにわけられ、
そのうち「休む」が最も重要と考えられている、ということだ。
「休む」とは無為に寝転がっているということではなく、各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)
と相対する時間のことである。他人との関係からはなれて、ひとり静かに自分自身と、つまり自分の無意識と対話するのだが、
守護霊は雪の山野の親しい生物から選ばれるのだから、それは自然の声でもあろう。
そんな平等な個人を基本とする生き方が、農耕時代に入って、身分制社会の不平等生活へと一変したことは事実だ。
まるで高等サル類の不平等な群社会に戻ったかのように、ひたすら優位者の機嫌を窺い、身辺の人間関係に意識の大半を費やし、
一族の、村の、国の共同の神をそろって拝む。 だが農耕社会はわずか数千年来のこと。 
それに比べてわれわれは本格的な狩猟民として、最も短く見積もっても5万年もの経験を持っている。
20世紀の後半になって、農業人口が激減して、巨大な村に過ぎなかった木造的都会が、鉱物的な現代都市に変貌するにつけて、
狩猟民時代の記憶が意識の底から徐々に蘇り始めてきているように思えてならない。
 ーー
 以上であるが、現在の時代に大きなヒントが隠されている。 エスキモーの生活が「働く」「遊ぶ」「休む」の三つに分けられ、
その中で「休む」が最も重要に考えられているというのは、大きな示唆がある。 ゴロゴロ寝ているのではなく、
各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)と相対する時間というのがよい。
意識の変容は、本来の自分に戻る状態といえる。自分の守護霊と対じして、深く自らを見つめることで魂そのものと出会う。
・・・・・・・
2004年11月08日(月)
1315, ビーズ・クッション
数年前、パソコンショップで椅子と腰の間に置く「ビーズ・クッション」を見つた。
早速買って使ったところ非常に良い。そこで海外旅行に持っていって、飛行機やバスの席の腰に当てて使っている。 
 《字数の関係でカット2008年11月8日≫
・・・・・・・
2003年11月08日(土)
948, ユーモアのセンス
 このホームページにもユーモア・小話のコーナーを設けてあるが、世の中には、面白い小話、ダジャレ、
ユーモアは多くあるものだ。といって本当に面白いものは少ない。
以前もユーモアについて書いたが、当時は小話を100近く集めて知人に話した。
それが、ここの癒し系のコーナーに書いてある。  ユーモアについては、全く通じない人が多い。
「どうして?」と共通項を考えてみたが、本を読んでない人にその傾向が強い。
言葉の中にある微妙な面白いイメージが全く湧いてこないのだ。 それと、身構えて冷笑してしてしまう。
早くいえば教養のない人であるが、それをいってはお終いだが。
「じゃあ、あなたは自分の教養があると思っているのか?」と言われると答えようがない。
 全くつまらないと思うか思わないかのテストをしてみる、
ー身の上相談ー
アメリカのラジオ番組で、ある女性の回答が評判であった。あるとき、小学校のこどもが相談の電話をかけてきた。
「うちのママは、毎日、毎日、朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい よく勉強をしなさい TVをいつまでも見てはいけません 
 夜は早く寝なさい と言って、うるさくて、うるさくてしかたがありません。 ボク、どうしたらよいのでしょうか」
  それに回答者が答えた。
「朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい TVをいつまでも見てはいけません 夜は早く寝なさい 以上、サヨウナラ」
 (字数制限のためカット10年11月8日)
・・・・・・
574, つれづれに-学生時代のこと
- 2002年11月08日(金)
学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写しているが、そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。 記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活     ・武澤ゼミと卒論   ・欧州の一ヶ月の旅行 ・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出     ・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出   ・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどのことがあった。
脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが私の場合創業を目指していたこともあり刺激の強い20年間であった。
武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、
これからどういう生き方をしようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。  ・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。    ・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。 如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。 何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
・・・・・・・・
[220] 実感の言葉
- 2001年11月08日(木)
「自分の人生の今までの実感を、幾つかの言葉で表現してみたら?」と聞かれたら
 1、まずは「恵まれていた」これが全てと言ってよぐらいだ。(時代、両親、恩師・・)
 2、次は、「ついていた、運が良かった」
 3、第三は、「面白く楽しかった」
 4、第四が、「有難う」ー感謝・感謝・感謝である。
 5、そして、「愛こそ全て」愛情の大切さである。
 6、「もう一度全く同じ人生を!」ー
  「ありがとう、面白かった、悔いはなし」 実際のところ、うそ偽りなしの気持ちである。
   ーなんか遺言みたいだー
  (字数制限のためカット10年11月8日)


3513, ペットロス ー1

2010年11月07日(日)

 * ペットが風邪で死す
一年前に我が家に久々にペットになったメキシコ・コガネインコが、数日前の夕方に死んでしまった。
12年は生きるとあったので一年は早すぎる死である。 死因は風邪である。大よそ30年から20年前にかけて、
小桜インコを代々5羽飼っていた。 殆どは二年位で逃げられてしまった。その度に雛を飼ってきては手乗りにしていた。
しかし最後の一羽は凍死をさせてしまい、その罪悪感と子供が大学入学で巣立っていったこともあり飼うことを止めてしまった。
数年来、ペットショップを動物園代わりに、近くのSCに行ったついでに立ち寄っていたが、いやに人懐こいインコが気になっていた。
しかし売れないようで金網にとまって御客から頭を撫ぜてもらっていた。値段が6万8千円じゃ、そうは売れない。
たまたま中年の夫婦が、そのインコの頭を撫ぜていた。 「慣れたインコですよね」と話しかけると、
「私たちはオカメインコを飼っていたが、鳴き声が大きく近所迷惑で、親戚の人にあげた。それで時々、ここのインコを見にきているが、
このインコが懐いていて欲しいけど、やはり近所迷惑が・・・」という。 何気なく私の癖が出て、近くいた女店員に
「5万円なら買いたけど」というと、「このインコ、店の皆が大事に育ててきたインコ。値下げなど出来ません」と怒りだした。
で、私もムキになって、「三ヶ月前から、売れないでいる。ペットは大きくなるにつれて価値が下がるのは常識。
お客が、そう言っていると責任者に聞いてきて欲しい」というと、暫く姿を消していたが「店長が6万円ならオッケーです」との返事。
その成行きで買う羽目になったことは以前、ここで書いた。 で、家内に例のごとく反撃にあって、あわや
「新潟の長期滞在の御客様のペット」となる直前に、急に家内の気が変わって暫くはOKになった経緯がある。
そうこうして我家のペットになったが、ペットショップの多くの御客から頭を撫ぜてもらっていた為、人懐こいのである。
しかし朝晩以外は誰もいないベランダに置いておくため、足音など人の気配が聞こえるとピーピー鳴き叫ぶ。 
最初のうちは、うるさいと思っていたが、だんだん、それが可愛らしくなってきたのは私と長男だけでなく、昼間、家にいる
家内もである。直近は一番、あれだけ嫌っていたのが、このインコの大ファンになったいた。 鳥というより犬に近いと思うほど、
人懐こく、頭がよい。 個々人の識別もし、その対応も変わる。何とか人にかまってもらおうと、色いろな鳴声が憶えた人間の言葉。
それで呼びかけられれば愛情が湧いて当然。「三つ子の魂いつまでも」で、店頭で可愛がられて育った温もりが、性格になったいた。
 
 ・・・・・・・・
3138, 閑話小題  ーつれづれにー
2009年11月07日(土)
   * 金の価格が、動き出した?
 金の価格が、そろそろ動き出してきた。 世界の株式総額4000兆円に対して金の総額は500兆円でしかない。
信用取引などの債権総額が7京(7千憶×10)。 金の通貨としての歴史は数千年もある。 時代が変化しても、
やはり通貨の基準軸である。 で、去年に世界主要20ヶ国が、この通貨危機に対して、どんどん通貨を刷りましょうと
決めたのだから、近い将来に金が暴騰するのは当然のこと。 しかし目先に金を放出して、金融危機を乗り越える機関もあり、
一年あまりは自動調整をしてきたが、ここで値上がりに転じてきたようだ。IMFが放出した400トンの金の半分を
伏兵だったインドが買ったことも上げ相場の原因だが。 それとも、まだ調整期の一現象か? 金融の世界だけは
複雑怪奇なので即断は出来ない。 これでバブルの沸く中国上層階級が買いに入るかどうか?
  * 新潟飛行場タクシー運転手殺人事件
 物騒になってきた。新潟市は殺人事件が多いが、港町ということもある。
数万の金のため簡単に殺人事件を起こすから恐ろしい。 運転手も戦々恐々だろう。
「不景気で稼ぎが悪い上に、これだもの!」という、ボヤキが聞こえてきそうである。
さっそく、刑事が当日の宿泊客の名簿を調べにきていたが。 
  * 来春の高卒の就職内定者が4割を割って過去最低
 来年の高卒就職内定率が9月末で37パーセントで、去年より13パーセントもダウンした、という。
経済活動全般が三分の二になったのだから、この数字も肯けるが、地方ではよりマイナスが大きい。
新潟県は33パーセントというから、学校によっては、2割も決定してないところもあるはず。
企業側からいえば、5年もしないうちに大部分が辞めていくなら、中途採用を準社員にした方が数段、戦力になる。
この流れは、もう止まることもないから若者は絶望的になるのも分かる。 新卒の若いうちに、正社員としての
基礎訓練を入れてないと、何処の企業の再就職も難しいことは周知の事実。日本がますます弱っていく姿は痛痛しい。
その人にとって時代背景に恵まれていたかどうかは、大きな要素。その意味で現在、卒業を迎えている若者は気の毒。
しかし「今時の若者は」ではないが、ますます若者の質の劣化が進んでいる。まともな会話さえ出来ないのが大部分。
どうする日本である。それにしても、「ゆとり教育」の弊害は深刻である。 日教組か〜歴史に残るだろう、これは!
                         (偶然だが、去年、似たようなことを書いていた)
・・・・・・・・
2773,  どこか変?
2008年11月07日(金)
 今更だが、子供も含めて「どこか変」である。「今の若者は!」と、ピラミッドの何処かに書いてあったというが、
現在の若者のそれは、そのレベルではない。 見てみない振りをするしかないのか。アメリカが画策した占領下無能化教育の完成品?  
立場的に書けないことは幾らでもあるが、酷いを遥かに超えている。 情報化による弊害もある。
 以下、その純朴な疑問がそのまま書いてある随想の一部である。 まずは、その部分から、
   ーーーー
*どこか変です!
 女子高校三人が乗ってきて、通路をはさんだ私の前の三人がけの座席に座った。
その直後である。駆け込み乗車さながらに、白い蝶が一匹、勢いよく飛び込んできた。
まるで意志あるがごとくにである。その潔さに驚いているとドアが閉まった。
蝶はまぎれもなく電車の一員になったわけだ。 この珍景に心を奪われていると、蝶はやがて失敗に気づいたらしく
右往左往しだした。だが程なく居場所が決まった。三人の前である。彼女たちの匂いや彩りを花と見立てたのだろう。
その前を拠点に、ひらひらを始めたのである。 私はほっとした。 三人はきっと優しい視線を注ぎ、
あわよくば誰かが、その柔らかな掌に包み込んでいとおしむに違いないと思ったのだ。
 ところがである。彼女たちは、「きゃあー」と悲鳴をあげて、通路を前方へと突っ走って行ったのだ。
あたかも熊ん蜂に襲われでもしているかのように、両手で頭を押さえ、背を丸め、まるで必死なのだ。
信じられない。 なぜなの? 蝶は拒絶されてもなお、その花たちを追った。
三人は、前の車両に飛び込んで大慌てで境のドアを閉めた。そうして、こともあろうにガラスに額を押しつけて、
蝶のようすを伺っているのだ。 これっていったい何なの。ふざけ?それとも本心?高校生だけにその挙動は不可解だった。 
 乗客の大半は蝶のことを知らない。突然の騒ぎにも我関せずである。
ひたすら本のぺージを追い、携帯電話を見つめ、あるいは目を閉じている。
私は行きがかり上、無関心ではいられない。それとなく、孤独な蝶の行方に心を寄せていた。
なぜ、こうまで嫌うのだろう。 相手が複数なら別だけれど、たったの一匹だ。しかも三対一。
ふざけにしては大袈裟過ぎる。 それとも鱗粉が問題なの? それなら眺めるだけでよい。
 そういえば先日、蝉が怖いのだと母親にしがみついて泣き喚く幼児がいた。男の子である。
蝉は歩道の傍らで、ただ、うずくまっていただけなのに。 私にはその泣き声が、自然との関わりが
稀薄になることへの警鐘に聞こえた。そうして、今またその思いが重なった。
人々は急テンポで変化していく世相に翻弄され、それは子どもたちが、野に出て遊びほうとする掛け替えのない
時期を逸することとつながった。 馴染みのない昆虫に拒否反応を示したとしても不思議ではない。
しかし、これもまた痩せていく日本の一コマではないのかと胸が騒いだ。
菜の花と蝶、炎天下の蝉しぐれ…… これらは皆、列島の宝である。 万人の心に響くものでありたい。
 次の駅で私は下車した。 蝶は、まっ先に飛び出したことであろう。
そうして一路、あの葉桜の下の草むらへと、独り旅を楽しんでいるに違いない。
私の偏見かもしれない。 時代おくれも承知である。 これでいいのかしら、と気になるのである。
 ー
 以上だが、何か変なことは誰も知っている。だが、諦めたのか、馬鹿馬鹿しいのか、誰も素朴な疑問を持たない。
 新幹線や、電車の中の似たような出来事を、知人に話すと、今更という顔をしながら、更に酷い事例を話してくれる。
 先日、自動車で3キロ引きずりをして死なせた若者がいた。 その男の、それまでの行蔵をレポートをしていたが、
 その何か変!というのに当てはまる。 親が団塊の世代で、離婚をしていて、親の不仲が子に報い!という奴だ。
 それに過剰な情報である。 オカシクなって当然といえば当然である。
「どこか変?」でなく、「かなり変!」である。
・・・・・・・
2007年11月07日(水)
  2409, まわり道
               ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。
 同じようなことが、立花隆の文章にもあった。「青年期の10年は潜伏期間で何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。
 私のカラオケの18番が「遠くへ行きたい」である。「まわり道」の先で歌ってたせいか、心の歌になってしまった。
 一番の究極の時こそ一番のプラスとマイナスの経験をする。人生には、色いろな道を通らねばならない。
「のぼり坂、くだり坂、そしてまさか」という道。迷い道、けもの道、なみだ道、散歩道、行き止まり道、
 分かれ道?など、 多くの道を歩いた先にあるものは?  火葬場? 天国?
ーp.121
・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。
「運命」と当面のしごとが要求することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口が
あらわれてくることもある。 あるいはまったく思いがけない人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。
けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間見捨てられているわけではない。
いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、
たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。
人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。落伍者のようにみえた青年の中から、
のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも
多くの風景に接し、多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。
そのためにやっと「わが道」にたどりついた時、すらすらと一直線でそこに来た人よりも
独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。・・・
 ーー
人生60年余生きてきて、本当に無駄なことは無かったと実感する。それも順境の時より逆境の時の方が有益だった。
「順境は枝を張れ、逆境は枝葉を切り取って根を張れ」という。私が現在、文章を思ったままスラスラ書けるのは、
三回の浪人期に、自分を支えるため本を読み、文章を書いたため。その残存が、これである。外務省の佐藤優の文章が
心を打つのは、決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で考え、そして言葉を練りまわしていたからである。
また、そこを「勉強の場」として、本を徹底的に読んだからである。留置場こそ使い方によっては学びの部屋のようだが・・・   
留置場への道もあるか・・・
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2006年11月07日(火)
2044, 読書週間に読書習慣を考える       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
先週は、「読書週間」で読書について幾つかの新聞で特集を組んでいた。
驚いたのは、「この一ヶ月間で何冊本を読んだか?」の質問で、一冊も読んでない人が半数近くもいたことだ。
・男女はほぼ同じ、女性が50パー、男性が48パーであった。読まなかった人は、この10年間はほぼ変わらなかった。
・20年前に比べると20代では、20年前(22?)に比べると、二倍以上も増えていることだ。
 娯楽が本以外のメディアなどに多様化したことが原因である。
  (字数制限のためカット09年11月07日)      
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2005年11月07日(月)
1679, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−3
ー「メタモルフォーゼ」ー ?
   <意識の変容>
「意識の変容」といえば、夢であろう。 夢は裸の自分に出会うところである。夢について今まで多く書いてきた。
そして、その本質について深く考えてきたと思っていたが、この文章を読んで疑問を持ってしまった。
ユングやフロイトを読み、実際に不思議な多く体験をして意識の変容としての夢を冷静にみていたつもりであったが。
まずは、「自薦エッセイ集 魂の光景」 ー『メタモルフォーゼ』の章のポイントを書き写してみる。
この著者は深く難しいことを何気なく表現するのがよい。 ジャーナリスト出身だからだろう。
 ーーー    
"夢の形で何が現れるのか。少年時代からぼんやりと感じ、30歳代になってかなり意識したのは、
自分の内部に人気のない山奥の古い沼のようなものがあり、そのエメラルド・グリーンの静まり返った水面下に、
自分の体験だけでなく、両親とその先祖たちの何十代、何百年前にわたる同じ一族としての、同じ民族としての、
同じ人類としての経験だけでなく、哺乳類から爬虫類、両生類、魚類、海中微生物時代の経験までが、
深々と薄暗く沈みこんでいるらしい、ということだった。そしてたぶん私の場合、他のまともな多くの人たちに比べて、
その沼の水面の表面張力、つまり意識と無意識との境の膜が、極度に薄くって弱いらしい、ということも。
  (字数制限のためカット10年11月07日) 
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2004年11月07日(日)
1314, まさか、地元で大地震!ー11
ウォーキングで、彼方此方みるうちに地震の大きさに驚いている。 近くに避難所があることと、
自宅の裏の空家に被災者一家が入居してきたことと、一昨日の殿町の飲食街で、具体的な被害を見てきたこともある。
お客は閑散、店と客のボトルは殆ど棚から落ちて割れたとか。次々に廃業をしているという。
30分ほど歩いた所にSCがあるが、ゲームセンターは閉鎖のまま、隣接している玩具のチェーン店
「トイラザス」もやはり閉鎖のまま。ジョウシンという家電の全国チェーンも、痛々しいほど店の商品はスカスカ。
駐車場の一角に大きなテントを張って、壊れた商品を一時保管していたのをみても多くの商品が破損したのだろう。
近くのパチンコ店も閉鎖のままである。遊技場など行く雰囲気でもないが。道路は、陥没のまま手がつけられてない状態。
アルファルトで応急処理をしてある道路も余震で再び陥没していたところが多い。この地震で家の崩壊や死傷者が少なかったのは、
建物が雪国用に頑丈に作られていたことと、過疎地で人口の密度が低かったことなどで、第二次災害が最小であったためだ。
これだけの災害でよくぞ三十数人の死者ですんだのは、不幸中の幸いである。
新幹線も、雪国用の特別仕様のため大事故をまぬがれた。
この地震の特徴は余震が異常に多く、現在も続いていて、余震の地域が更に広域に広がっていることだ。
昨日のメルクマールでも書いたが、散歩途中で聞こえてきた農家の人の立ち話が印象的だった。
「丁度良い時期に、地震が起きてくれた。早ければ、稲刈りや農作物の取り入れに影響をしたし、
遅ければ寒さや雪で大変であった。 水害の跡片付けも丁度終わった頃だし」なるほど、その通りである。
大きなマイナスの出来事の中にも、必ずプラスがあるものだ。
これからの被災者の大きな問題は、普段の生活に戻れないことだろう。一番変化に対応しにくい人達?だからだ。
・・・・・・・
2003年11月07日(金)
947, 女の視線
「田中真紀子は選挙になると、一番汚い服を着る」という噂が専らである。なるほど、その同年代の女の視線を、
彼女には解らないのだろう。所詮は票乞食にならなくてはならないのが代議士。
もっとも選挙運動に綺麗な外行きの服も着ることができないが、パフォーマンスで着ているかは女の目には誤魔化せない。
目白御殿に住み、何不自由なく生きてきて、今更庶民派もないだろう。
   (字数制限のためカット10年11月07日) 
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573, 健康機器
- 2002年11月07日(木)
 以前ある人に「ニギニギ」を紹介されてから、散歩の時は必ず持ち歩き、握ぎ握ぎをしながら歩いている。
肩こりや目などに非常に良い。 数種類を持っていてその時々に使い分けている。
海外旅行の時など飛行機や移動のバスの中では、必ず手で握り締めている。 ボチボチや突起物が付いており、
それが手のツボを刺激をする。 足と目と手にツボが集中しており、手が気楽に一番やりやすい。
100円ショップに多くの種類が売っており、7〜8種類を持っている。
 2週間ほど前に会社の近くの家電の量販店をブラブラしていると、磁気付きのニギニギがあったので早速買ってみた。 
使ってみるとなかなか良い。また自宅の近くのダイエーをブラブラしていると、店頭で磁気付きブレスレッドの
定価8千円のものが1千円で売っていた。 迷わず買って腕にした。
その夜何か寝ていても気分がよく良い夢を見た、そして翌夜も。気のせいもあるだろうが。
 更に再び同じ家電の売り場に再び行くと、アイマスクの磁気入りの物を売っていた。
これを早速買って夜付けて寝ると頭がすっきりした。 今度はヨドバシカメラに行くと、
頭に掛けるイヤホーンの形のコメカミに磁気を当てる物があった。これも良い。
付けて本やTVを見ると疲れないのだ。従ってこの二週間で頭や目や肩が非常に楽になった。
腕にブレスレッド、頭にイヤホーン、手にニギニギ、寝室ではアイマスクをしている。
まあ馬鹿みたいだが? 肩こり、目の疲れに間違いなく良い!
・・・・・・
[219] 無駄な事なし
- 2001年11月07日(水)
 人生ふりかえってみて感じる事は[無駄な事は全くない]という事である。
ある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、
一番重要なポインだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。重要な事はボロを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に‘自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと姉より死後に聞いて、
立ち上がれないほどショックを受けた’という内容が書いてあった。なにか非常に悲しい響きが残っている。
母に「人生の元をとった?」と聞いたことがある。「とったとった十分とった!」と嬉しそうに言っていた!
人によって「無駄な事だらけ」という人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、そうして精一杯生きてないと、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。
無駄とはどういう事だろう? ある事業に失敗したとする、それをどういうように解釈するか?
自分の解釈で意味ずけをするかだ。 無駄にみえても、意味があると解釈するかどうかだ。

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