堀井On-Line



3492, 実践・50歳からの少食長寿法

2010年10月17日(日)

「実践・50歳からの少食長寿法-粗食革命のすすめ 」幕内秀夫著
  ーアマゾンの内容説明からー
 50代から、量を減らして質を高めれば歪んだカラダもすべて治る。 朝食断食、一日一食法から食材、水、調味料の選び方まで、
食卓を「宝食」に変える知恵と工夫!!貧困から脱却していろいろなものを食べられるようになった「豊食」くらいで止めれば
よかったはずです。ところが金にあかせて食を粗末にする「飽食」が当たり前となってしまったのです。しかもそれだけでは
済みませんでした。バブル期を迎えた日本人は、1人当たりの残飯量はアメリカを抜いて世界一ともいわれながら、中身を吟味しない
「泡食」に突き進みました。一方で「粗食」を放棄したために体調を崩してしまい、いわば「崩食」と呼ばれる食生活を送るように
なりました。さらには、無意味な健康情報に惑わされふり回される「呆食」の時代を迎えています。
こうした愚かなホウショクを、真にぜいたくな「宝食」に変える。
これこそが天命を待つ50代にふさわしい食生活なのではないでしょうか。
●みそ汁を飲むとがんは防げる?   ●更年期障害になる人、ならない人
●長寿日本一、岐阜県和良村の秘密  ●4ヵ月で7キロ減の4つの方法
●朝食断食・一日一食のどちらかで  ●沖縄長寿神話の崩壊
●歩いて旅して3000キロ       ●自己防衛の「食の10ヵ条」
●フードマイレージという考え方   ●命を与える偉大な発酵食
 〜以上だが、分かりやすく実行しやすいという内容である。最近、逆に昼飯をサンドイッチなどパン食に切かえたが。
  この中で自己防衛の「食の10ヵ条」が分かりやすい。
1、食事は量より質にこだわる  2、主食は御飯   3、発酵食品を食べる  4、砂糖、油脂のとり過ぎに注意  
5、パンを常食にしない      6、液体でカロリーをとらない       7、副食は季節の野菜を中心に   
8、動物性食品は魚介類を中心に   9、未精白の御飯に挑戦する       10、食事はゆっくり、よく噛んで
  要は昔ながらの日本食が健康食になる、ということになる。
御飯は玄米食で、納豆、味噌汁、季節の野菜を、量を少なめにし、ゆっくり噛んで、食べていれば良いということだが。
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3117, つれづれに  〜閑話小題〜
2009年10月17日(土)
  * 電動自転車を注文
 小学校4年時に、父親に自転車を買ってもらって以来、自転車を個人として持ったことがない。
中高校時代には何処の家にも一台はあったが個人としては持てない時代であった。子供時代の記憶に、
あまり乗りまわした記憶がない。 成人になってからも乗った覚えがない。 この25年間はウォーキングで
一万歩以上歩くことを心がけてきたこともあり、チャリを乗る距離なら歩いてきた。 ところが最近になって
自転車ブームになった。 またUターンしてきた長男がスポーツタイプの自転車を乗り回しているのを見て
自分も自転車が欲しくなり、数ヶ月前から自転車の選定を始めた。しかし、いざ買うとなると、なかなか決心が定まらない。
ママチャリか、スポーツタイプか、車輪の小さい折り畳みか、電動自転車か、など結構迷う。思い切って決めれば良いのだが。 
 ところが10日ほど前の新聞記事に「スポーツ用品チェーンの《アルペン》が、59800円の電動自動車を発売」
の新聞記事をみて、HPから注文をした。納入が10月末の予定である。選定で、まず考えたのが使用目的。 
あれこれ考えたが一番が休日のサイクリング。 他にも、休日の川崎のSC、図書館、公園。 
電動ということで、川向こうのSC、遠出のサイクリングなど、結構ある。
 ところで、ここで紹介した電動マッサージ、海老そり屈伸マシーンなど、その後どうか?というと、朝晩に数回使っている。 
どれもこれも愛用品になっている。 もちろん、ベースに毎朝の一時間近いウォーキングをした上で、それらを補助にしている。 
そして、次のマシーンが電動自転車である。iPodや、健康機器など自分に合うものが見つかると本当に良い。 
あれば使う、無ければ使わない、ただそれだけだが、あっても、使わないものも結構あるが!
   〜〜〜
  * いわしの群れになるな!というけれど
「いわしの群れになるな」という言葉がある。 個人主義の強い欧米人からみたら日本人が屯している姿を見るにつけ、
「いわしの群れ」に見えるのだろう。 良くいえば他人に気を使い、互いに傷をつけないように細心の注意を払い、
自分を抑えて集団に従う心優しき人種ということになる。 が、反対からみれば、自己を確立できないで集団に流されている
意志薄弱な国民性。 天才に向かってなら、この言葉は似合うが、鰯か秋刀魚的人間性の人間には向かない言葉。
「ハグレいわし」と「群れいわし」と、どちらが良いかというと‘弱者は群れていた方が良い’から、群れいわしの方が良い」
ということ?。 私のようなハグレいわしは、どうもこうも、岩陰に隠れて小さくなっているしかない。
落ちカツオが秋口に出回るが、油がのって美味しいから逸れても効用がある。
 ところで、「いわしの群れ」と検索をしていたら、 
「日本人は鰯の群れ―戦後民主主義は間違っていた! 」アーサー ボストン (著) があった。
 ーアマゾンの内容紹介ーからみると、
《 いまだにマッカーサーの呪縛から覚めていない、島国日本の「気がつかない病巣」を鋭く指摘するアメリカの眼。
戦後の日本人の「井戸の中の良心」を的確に批判する目から鱗の書。 小さな島の中だけでしか通用しない民主平和主義。
日本人が知らない間に取りつかれているドクマ。 マルクスの画一平等主義と弱者救済の思想に対抗できなかった新保守の
理論的裏付けを、長い間中国とキューバの社会主義の現場を観察してきた著者が今ここに公開。≫ とあった。
 弱者が寄りそり、なるべく考えないようにして世間という世界を作り上げ、互いの顔色を窺って生きる島国根性の国民性も、
分からないこともないが。 天才なら光輝く存在だから良いが、鰯が一匹群れから離れても所詮は変わった鰯でしかない。
 それでも群れているよりは良いと思うのも、思い込みだけ。 敵に襲われた時にリスクが少なくないのも良いのか?
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2752, サブプライム問題の6つの波とは
2008年10月17日(金)
 株の相場に興味のない人でも、今回の金融危機のタダならぬことに気づき始めてきたようだ。
今年の年末から数年にわたり、過って経験したことのない現象に遭遇することになる。
恐らく半数近くの事業所が閉鎖され、失業者が10パーセント以上、ハイパーインフレが襲い、食糧危機が襲うなど、
想像外の事態にジワジワ追い込まれる。 既に秋葉原の無差別殺人や、親の子殺し、などの予兆はあったが・・・
 リーマンブラザーズの倒産以来わずか一ヶ月で起きた一連の金融崩壊と、フォードとGMが倒産でもしたら
アメリカ炎上といっても過言でない。 歴史的大事件を毎日、目撃していることになる。
 この影響を一番被るのが、やはり日本。 それがハッキリするのが年末から来年の5月にかけてである。
まずは倒産ラッシュだろう。 この十数年で淘汰されるべきところはされたが、しかし、今度の津波は根こそぎ
私たちの生活を破壊するほど強烈になる。まずは衰弱の激しい地方の企業と地銀から問題が発生する。
銀行は金を貸さなくなり、売り上げは、平均30%は落ちる。 それで立ちいかなければ、消え去るしかない。
あれだけの思い切った資本注入を発表して、二日間しか相場が回復しなかった。 目先のカンフル剤になるはずだが? それさえもである。
GMが倒産した場面で6千円台をつける可能性がある。日本の生保・銀行の含み益が大きくマイナスに転じ体力を消耗する。
今回のサブプライム危機をステージとして、次の六段階になる。(参考ー日経、10月5日ーサブプライム危機ーより)
1、去年の8月のフランスのパリバショックである。
  −金あまりを背景とした欧米での信用膨張が瓦解を始めた瞬間ともいえた。銀行間の取引こ疑心暗鬼が広がり、
   中央銀行による多額の流動性供給など当局も緊急対策姿勢を強めた。
2、次に来たヤマ場は2008年2月、米証券大手ベアー・スターンズが資金繰りに行き詰まり実質的な破綻状態になったこと。
  円相場は一時=95円台に上昇、日経平均株価は12000円を割った。
3、三つ目のヤマ場となったのは7月。今度は米国の連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)など、住宅公社二杜の経営悪化問題が浮上した。
  金融不安は現実の金融危磯に発展、
4、9月15日に米証券大手リーマン・ブラザーズが破綻したのである。
  米証券大手メリルリンチは米大手銀行パンク・オブ・アメリカへの身売りを決めた。
  リーマンは救済されるとの観測が大勢だっただけに市場では大きなサプライズと受け止められた。
  これを機に欧米の金融機関同士の疑心暗鬼は一段と強まり、各国中央銀行が大規模なドル資金供給を続けたものの、
  銀行間金利は上昇を続けた。
  (字数制限のためカット 2010年10月17日)
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2007年10月17日(水)
2388, こころの旅  −2
   「こころの旅」神谷 美恵子 (著)
第一章 人生の出発点
      の心の琴線に触れた部分を取りあげて考えてみる。
 ーー ーP.22
 天井からぷらさがったガラガラの動きに赤ん坊がよろこんでさらに手足を勤かすと、ガラガラはいっそういきおいよく
動いて音をたてる。これを何度もくりかえしているうちに「条件づけ」ができて、赤ん坊には何となく自分の動きと
ガラガラの動きとの間の因果関係がわかってくる。この感覚運動的知脳が発達してくると、今度は紐のついていない、
(字数の関係で中間カット2009年10月17日)
解)
両親の愛情の温もりが直に伝わってくる人がいる。特に幼児期に両親や周囲の愛情をシャワーのように受けた人である。
深い愛情を受けると、人は笑顔になり周囲に対して積極的になるものだ。そして、それが性格の基礎としてカタチつくられる。
如何に幼児期の愛情が大切か身近の人を見ていると実感する。人間は絶対量で既に一生は決まっているといって過言ではない。
簡単にいえば温かみのある人で人品が良いともいえる。こういう人は本当に強いし、弾力性があり、不幸の方が弾き飛ばされるようだ。
反対に全くそれを感じない人がいる。 そういう人は直に解る。貧すれば鈍するでないが、両親の不仲の環境に育った人である。
自意識過剰で、自分を過大に勝手に評価、直に手の裏を返す。自分の顔に責任を持て!というが、顔と目に出るから恐ろしい!                       \(^▽^*)バイ!
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2006年10月17日(火) 2023,
「私」のための現代思想  −12
 (字数の関係でカット2008年10月17日)
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2005年10月17日(月)
1658, 北イタリア旅行記−7
ツアーの楽しみの一つに、普段なら会えない人と会えることがある。一度会ったら二度と会わないから、気楽に何でも話せる。
共通点は旅行愛好家ということで互いの情報交換が気楽にできる。その中で色いろな人生が、それぞれ垣間見ることができる。
また私たちも彼らから同じ視点から見られているのだろう。今回は、北イタリアという場所ということもあり欧州派がそろった。
アフリカとか南米とかシルクロードなど殆ど誰もいったことがない。反面、欧州には隅々まで行っている人達ばかりで、
殆ど話がかみ合わなかった。特に、イタリア愛好家が何人かいて、イタリアへの深い愛情を感じた。
好きなものは好きなのだ。イタリアに行けば、その理由はよく解る。ローマ帝国から続いている長い文化が味わいがある。
どの街を見ても深い文化と歴史を感じることができる。イタリアとは関係ないが、面白い人がいた。趣味として、
デジタルビデオを番組風に編集してしまうのだ。元映像カメラマンの人で、編集には熟知しているから可能だという。
過去に30本以上も番組として完成してDVDに収めてあるという。5~6枚この旅行に持ってきてミニDVDデスクで見せてもらった。
奥さんが劇団にいた人で、ナレーターをして共同制作をしている。NHKなどで放映している海外ものの番組の内容と
同レベル?である。まず映像を編集して、ナレーションの内容を考え、バック音楽を選定し45分位にまとめ上げなくてはならない。
集中して三週間はかかるという。それにしても、旅行者として羨ましい限りである。そのテープを旅行代理店のツアー説明会に提供
しているようだ。代理店にとって、宣伝用の番組をつくるのには数百万円は最低かかるからそれを借りることができれば便利である。
「一人位、ツアーに半額位値引きしてでも?」と、考えるのは私の卑しい考えになる。何よりも、つくっている本人が
一番楽しいだろう。一度つくれば、コピーは簡単である。ボランティアとしても、誰からも喜ばれる。
今回も、希望者に送ると全員から住所を聞いていた。同行のツアー仲間にしてみれば、夫婦のビデオカメラマンを
引き連れていったと同じ。この夫妻にとって、最高のものを与えることで喜ばれ繋がりができる。
自分も楽しみ、そしてそれが因縁のある人達に最高に喜ばれる。
人生の最高の楽しみになるはずだ。世の中は広いし、人生の達人がいる。
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2004年10月17日(日)
1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 −3
「今ここに」を、更に考えてみる。
 ー前回では 「空」を時の上から解釈して、「即今」、 平たくいえば、ーただいまーと解釈した。
 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。
 この「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこには、あとに残る過去も先に待つ未来もなく永遠の今があるだけということに気づく。
 空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。ーを抜粋し、そして感想を書いた。
 今回は、その即今の凝縮した瞬間はどういう時か考えてみる。 感動、感激、至高体験、歓喜、感謝の時といえよう。
 その瞬間が「今ここ」を実感する時である。その瞬間を経験した時、それが永遠に通じている感覚がする。
 それが「永遠の今」である。 感動の時、その瞬間は自分の中に永遠に残る切り取られた時である。
 この経験をするため、この瞬間を経験するために、生まれてきたといってよい。それまでの全てを超えた体験する飛躍の時である。 
 その「今ここ」は、悟りの世界でもある。この中に、感激、至高体験、歓喜、感謝が含まれる。いや、これらの言葉の中に、
 それぞれが含まれる。「今ここ」は、決してプラスの時だけでない。 挫折をした時、死を宣告された時、
 絶望を味わった時、 身近の人の死の時、 等々、あげることが出来る。 意識の深くに陥ってしまう時といってよい。
 その時は意識は研ぎ澄まされ鋭く自分を切り裂く。
 「今ここに」を意識している時は、宇宙の中心に立っている時であり、宇宙と直接つながっている瞬間である。 
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2003年10月17日(金)
926, 180円ラーメン
 新潟市内で目についた180円ラーメン店に入ってみた。180円のラーメンと、色いろなトッピングを付けたラーメンと、
餃子とチャーハンのセットがメニューの基本であった。 ー何処のラーメン屋もそうだが。
 特別美味いわけでもないし、といって不味いわけでもない。ただちょっと食欲の無いときや昼飯に食べるのに丁度良い店である。
  (字数制限のためカット 2010年10月17日)
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552, 人生に目的はあるのだろうか?
- 2002年10月17日(木)
この年になると人生の仮決算期に入ってくる。「自分の人生はハタシテこれでよかったのだろうか?」
「人生に意味などがあるのだろうか? 有るとすればなんだろうか?」そういう話が最近面白くなってきた。 
 人生の目的とは漠然と考えてみるとー
・真にしたい事を見出して一生をかけてやりとおす事。
・そして全エネルギーをかけ一瞬一瞬を生き抜く。
・家庭をつくり、子供を育てあげるなど基本的な人生を生き抜くこと?
・誰かが困っている事を事業やボランテアを通して救うこと。
・歓喜を何度か経験して「この生を受けて本当に良かった!」と全身で感じ取ること。
・死ぬ時、本当に良い人生を過ごせたと思える生き方。
意味ある人生とは、こういうこと? 知ること、行動する事、創ること、そして愛すること??
これが絶対だというものは無いだろう。 一番良くないのは、人生を生きてきて最後に後悔すること?
倒産や挫折で最後に号泣すること?それも人生である。 飯喰て、糞して、ただ死ねばよいか!
意味などクドクド考えるな!この馬鹿! 所詮は自己正当化か!? これが落ち! いや違う??
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2001/10/17 
「189」ツアーのプラスとマイナスを考えてみる
ーマイナス面ー
・添乗員、エージェンシーの意図のまま飛行場に集まり、そのまま機上の人となる。
・そのうち外国の街に着く。そこに当地のガイドが待っており、そのグループは
 外国のエージェンシーのガイドにわたされる。そしてお膳立てされたホテルにバスで行く。
・翌日から予定表どおり、市内観光に博物館に繁華街に公園へとぞろぞろと行列。
・ホテルでお仕着せの食事をして、そして飛行場まで無事送ってもらい 成田に帰ってくる。
「ツアーで旅行する人は主体も無いし、知性もなにも感じられない」
 あるもの書きの本の冒頭に書いてあった内容であった。その人は自称ー知性の塊と自認している人である。
 慶応の大学院を出て、ケンブリッジの客員教授をしていたそうだ。日本の一応知性人と自認しているらしい。
 ツアーをほとんどしたことがないと思われる。時間をまとまって取れる立場にいるから、それぞれの立場が理解できない。
ープラス面ー    
・10数年前よりツアーの利用の仕方が全く変わった、進化したのだ。
 ツアーでなくてはできない事、行けないところに行くように変化した。
・使い分けをするようになった。添乗員なしで当地のガイドと空港で会い、そして翌日から手配どうりに動くパッケージもある。
・アフリカのサファリキャンプは普通の人はツアーでしか危険でいけない。ナイロビなどは単独では、数十回の旅行を
 していても危険である。こういうところは4〜5名でも全く知らないもの同士で サファリができるのだ。 
 外国に行ったことがない人でも、ケニアでキャンプができるのである。
・考えられないほど安い金額で内容は詰まっているのである。
・環境からいって一般の人は2週間が、日本から離れられる限度だ。
 その中に如何に安く、価値ある商品パッケージを出せるかが、エジェンシーの役割になっている。
 私はツアーが大好きだ。 ある目的地に行きたいという主旨のもと、全国からあらゆる人が集まる。 
そしてその縁のもと一緒に時を共有し、 また別れていくのがよいのだ。個人では絶対に行けない、
かつ行く気もしない地に、同じ思いの人と行けるからだ。一日あたりの旅費をみると、国内旅行と大して変わらない。


3491, しあわせの法則

2010年10月16日(土)

 先日、昼飯に入った店の週刊誌に「しあわせの法則」のタイトルの記事があった。
何かの本を要約し噛み砕いたもの。調査の統計はシビアな現実を表している。
 9つあったが、一つ残らずに憶えていた。
1、男性より女性の方が幸福の人が多い。
2、都会の人は大よそ幸福と思っている。
3、学歴が高くなるほど、幸福の人が多い。
4、年収700万、資産合計2千万が幸福の臨界点(それ以上になってにあまり変わらない)
5、幸福の八割は遺伝する。
6、国による税率の大小は、幸福に関係ない。
7、失業の不安感は幸・不幸に大きく関係する。
8、年齢が高くなるほど幸福度は低くなる。
9、その人の経験は、大して幸不幸に関係しない。(連れ添いの死の傷は9ヶ月で消える)
 ー [幸せ]については何度か取り上げてきたが、現実はシニカルである。
 見方によれば辛辣だが、実際に学歴を見ていると、中学校、高校、大学の友人の実例をみていると肯ける。
豊かで教養ある両親の元で、順調に育った人間は、その後の人生で、同じような生き方になっていく。
何度か書いているが、最終振り分け前の中学校の同級生の、その後の人生も、その格差が大きくなっているだけ。
家柄?が、運命そのものになっている。とはいえ、それも目くそ鼻くそとは一概にいえない。
 実際は10歳で勝負がついてしまっているという。 そうこう考えると結婚相手の選別と決断は重要である。
特に女性にとっての伴侶は、男より大きく人生を左右するから、ドライになるのは理解できる。
その上に、相性の当たり外れは五分五分と言うから、結果は神のみぞ知るである。
またブルーカラーより、ホワイトカラーの方が、概ね幸せの人が多いという結果もあるという。
 人間は不平等に生まれ不平等のまま死んでいく。「しあわせ」は、能力の一つか。
 ーーーーーーー
3116, 久々のジョーク −5
 2009年10月16日(金)
* ある日夫が妻と夫婦喧嘩をした。夫は怒りのあまり誤って妻を殺してしまった。焦った夫はすぐさま死体を自分の家の庭に埋めた。
それから数週間が経った。夫は5歳になる一人息子に言いました。「なぁ、ママが家出したまま長いこと帰ってきてないけど
お前は何にもいわないな」 そしたら子供が言った。「じゃ、パパは何でママをずっとおんぶしてるの?」
 〜〜〜
* あるユダヤ人が交通事故にあって歩けなくなったとして多額の保険金を受け取った。
しかしながら保険会社としては保険金詐欺ではないか?との疑いを持っているようだった。
入院しているユダヤ人を友人が見舞った。「大金をもらったといっても一歩も動けないんじゃ仕方ないね」
「いやあ、そうでもないさ。」「でも歩けるとなったら詐欺罪でブタ箱行きじゃないか」
「大丈夫、とりあえず退院したらフランス行きの飛行機の切符買ってルルドへ行くから」
 〜〜〜
Q1: すでに8人の子供があり、うち三人は耳が不自由で、二人は目が不自由、一人は精神面で成長阻害が見られ、
  そして本人は梅毒を患っている妊婦の知り合いがいるとする。 あなたは、彼女に妊娠中絶を勧めるか?
   解説は、次の問題を解いてから見てください。
Q2: 世界の指導者を選ぶときがやってきた。あなたの一票は、貴重な一票である。
  以下は、候補者に関する情報である。
  候補者A:  不正な政治家とつながりがあり、占星術者に助言を求める。 彼は二人の愛人を持っていた。
       また、チェインスモーカーで、一日に8〜10杯のマティーニを飲む。
  候補者B:  会社を二度クビになった。いつも昼まで寝ている。 学生時代には阿片をやっていた前歴がある。
        一晩に1クオート(約1リットル)のウィスキーを飲む。
  候補者C:  彼は勲章を受けた戦争の英雄である。 菜食主義者で、タバコは吸わない。
       ビールを良く飲むが、これまで浮気をしたことはない。
 これらの候補者のうち、あなたは誰を選ぶか?
  候補者Aは、フランクリン・D・ルーズベルト
  候補者Bは、ウィンストン・チャーチル
  候補者Cは、アドルフ・ヒットラー
    …… ところで、妊娠中絶の質問に対する答えは  ----
  もしあなたが「はい」と答えていたら、ベートーベンは生まれてこなかっただろう。
・・・・・・・・・
2751, 米国大統領は激戦区の白人の黒人観で決まる?
 2008年10月16日(木)
アメリカ大統領は、このままではオバマで決まりそうだが、実は結果を待たないと分らないという。
アメリカの黒人差別は根強いものがあると昨日の 毎日新聞の「記者の目」 の論説員のレポートは説得ある。
今回の正副大統領候補は、黒人、女、そして老人の組み合わせで、壮年の白人は一人もいない。
 ーーまずは、その辺をコピーしてみたーー
ずっと気になっている。これまで来国では白人男しか大統領にならなかった。
さて、今年、黒人あるいは老人を大統領として、そして女住を副大統領とて受け入れる用意が米国にあるだろうか。
そうした個人の属性は人の意思では変えられい。そこに優劣や価値をつけ、反対票の理由にする。
そんな人がどれぐらい多いか、という問題だ。投票まで3週間を切った大統領選挙の最大の政策課題はもちろん経済だ。
しかし、票の争点にはならないので気づきにくいが、今年、米国人の投票行助を左右する争点が三つあると思う。
 それがへ人種、年齢、男女の性差だ。米国においては、この3点を根拠に、他人を差別してはならない。
(字数制限のためカット09年10月16日)
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2007年10月16日(火)
2387, 新潟経済は今
          *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 先週の金曜に取引先の地銀の担当が「判子・仕事」で事務所に来た。
 そこで最近の地元経済の状況を聞いてみたところ、担当が浮かぬ顔をして言うには、
 ・地元は一部自動車部品メーカーを除いて中越沖地震を境に悪化
 ・特にマンションや一般住宅が売れなくなり、露骨な値引きが始まっている
  さらに建設中や予定のマンションが十数棟もある
 ・風評のためホテルや飲食店の売り上げが減少、回復の兆しがない
 ・不動産の動きも芳しくないという。
 中越沖地震が地元経済にとって甚大な影響を与えている。さらに手取り収入の減少、年金問題の不安感の増大、
農家の実質収入の激減など、多くのマイナス要素が重なっているためだという。先週の金曜日に長岡で飲んだが、
お客の数は少ない。客単価を上げようと店の方は必死。それはそれでよいが、健康も含めた対策として飲む回数を減らす。 
地方は、特に新潟県は、ますます疲弊しているのが実情である。 しかし、地方の疲弊は前ぶれ、関東・東海地区にも遅かれ早かれ
波がくることは必定。3〜5年後を考えると何か恐ろしい雰囲気である。ただ当方は目先は大口の団体が半年にわたって入ったのと、
駅の再開発が始まったので、一応目途は立っているが。ただ全体の地盤沈下はいただけない。昨日、都銀の担当がやはり
「判子・仕事」で事務所に来たおりに、同じく地場の景気の状況を聞いてみたが、内容はホボ地銀の担当と同じ。
・中越沖地震が大きなキッカケで、デフレスパイラルの様相。
・コストは上がるが、それを売価に転換できない矛盾が全ての業界に出ている。
・地震が二つ続いたことで設備投資に対して、県内外の会社は及び腰で、その影響は大きい。
 それらが複合的にジワジワ経済に影響して地域の地盤沈下を大きくしている。
今日で丁度柏崎沖地震から3ヶ月、その影響は地元にとって一過性の問題ではない。
三年もたたないうちに二度起きたことは、県内外の企業の設備投資に冷や水をかけた。
さらに年金の不安も重なり、住宅の買い替えなどは躊躇するのは当然である。
さらに大きな問題がある、北陸新幹線の開通で環日本海都市が金沢になることだ。
歴代の政治家に新幹線を日本海(飛行場)まで、10キロ延ばさなかった重大な過失がある。
延ばしておけば、そこに野球場や、サッカー場、物流基地、そして飛行場の拡張などが集積し、
環日本海の関東の拠点としての機能が集積していたはずだからだ。今更、開通しても遅いが・・
これも県の民度といえば、それまでである。 駄目になるには訳がある!
それにしても金沢は富山、福井県と能登半島、岐阜高山を至近に控え、
東京と大阪の距離のバランスも良い。どっちにしても新潟より金沢である。     ☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・・
2006年10月16日(月)
2022, 「ちょい悪」の一考察
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
  「ちょい悪親父」の「ちょい悪」 =不良= の意味を考えてみよう。
子供の頃「不良」という言葉には、不気味な響きがあった。ヤクザモノというか、前科者か、その予備軍という意味があった。
徒党を組んで同級生弱い者虐めや万引きをするゴミのような連中で、誰の目にも卑劣の負け犬ということが歴然としていた。
そういう人間は中学校を卒業して以来、身近にいなかった。そういう場に近づかなかったこと、近づけなかったこともあるが。
街中の割には、それほどの札付きの男は居なかった。私が知る限り「不良」という言葉は、近年になって死語になってしまった。
最近の「不良」の意味あいは、「付和雷同の世間体を大事にする良い人・真面目な人」に対して、「不真面目な人」
に使われているようだ。この大多数の真面目?の人たちは、既にその子供によって馬鹿にされ、それすら気づいていない
哀れな存在?と見られるようになった。もっと露骨に言えば「毒にも薬にもならない凡くら」それも人生だが・・
「ちょい悪親父」の悪は、毒である。「ちょい毒」を持っている親父をいう。
その「毒」を使い分けることができる、ということである。 「ちょい悪」と「おやじ」という言葉、何かフィットする。
イメージとして、戦中・戦後生まれの団塊までの55歳から65歳で、高度経済成長期の真っ只中で生きてきて、
何か真面目でも、不真面目ともいえない、その辺の居酒屋でクダをまいている男・・・というイメージである。
というと私のこと?と同年代の人は思うだろうが、正に私も含めてピッタリ当てはまる。
「若いうち論語とか、諸子百家あたりを読んでいるのはよいが、歳をとってから急に目覚めている低脳親父。
何じゃい?今頃になって『師のたまう?』だと、この馬鹿野郎!黙って、部屋で読んでいる分には良いが、
般若心経を読んだり、写経している分にはよいが、今さら孔子・仏でも無いだろう。」と、捨て身になって言える親父が
「ちょい悪親父」である。
私の酒飲み仲間に、多くの「ちょい悪」がいた。いや、いるか?際どいところにいながら、崩れていない人?のことだ。
酒を飲みすぎて死んでしまった人や、??の秘密を持っている人、 ど助平の人、しかし、何か男の色気がある、
自分の毒を上手く薬に変えている人? 自分の好きな趣味を持っていて、こだわりのある人をいう。
大多数?の真面目で面白くない人の共通点がある。
(字数制限のためカット09年10月16日)
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2005年10月16日(日)
 1657, 世界の絵画50
今回の北イタリア旅行でも、フィレンツェのウフィツ美術館で素晴らしい絵画を多く見ることができた。
実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには余程のキッカケがない限りできないものだ。
「知識を持って絵をみること」これを知ったのは、15年前にスペイン・マドリッドにあるプラド美術館で、
日本人のガイドの説明を聞きながら絵を見た時である。 絵の中には、さまざまなドラマが詰まっている。
その画家の技法、思い込み、性格を知ることで、絵が全く違ってみえる。
ピカソの「ゲルニカ」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、そしてゴヤの「裸のマハ」「カルロス4世の家族」
スペイン独立戦争を描いた「1808年5月3日」など、絵の中にある多くの背景と、隠されているドラマを聴きながら、
初めて知識を持って絵を見ることの醍醐味を経験した。名画は、画家たちの精神や思索の凝縮したものである。
それが絵画というカタチで、私たちの前に提示されている。いかなる技法で描かれたか、あるいは画家が作品に
込めた思いや、その人となりを知ることで、はじめて鮮明に私たちの目の前に立ち現れてくる。
それまでは、絵の力や精気から感動を得るだけであったが、この日以来、絵の見方が全く変わってしまった。 
その意味で、この本は初心者にとって理想的な本である。この歳になって、やっと知りえることがあまりにも多い。
年齢を重ねることは、前を向いているかぎり堰が切れたように好奇心が旺盛になる。自分を鳥瞰できるようになるからだ。
ー目次
1 誰の何という絵か言えないと恥ずかしい名画
2 見る者を神話・宗教の世界へいざなう名画
3 美術史のターニング・ポイントとなった名画
4 歴史と人間の営みをいきいきと表現した名画
5 画家の心象風景がリアルに伝わってくる名画
6 独創的な色づかいとフォルムに圧倒される名画
       著者名:佐藤 晃子  出版社 :河出書房新社
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2004年10月16日(土)
 1292, 随想について
 随想日記を書き続けていると色いろな事に気が付く。結局は、随想とは自分自身のこと、それも自分でしか
 書けないことを表現する、自分の物語である。もともと日記と随想は違うもの。 日記の対象は自分であり、
 日常の出来事や気持ちを書き残すものであり、随想は第三者を想定して、それに合わせて書き下ろすものである。
 その二つを重ねた随想日記とは、矛盾している。 実際は「毎日書く随想、あれこれ」という意味である。
 いや、日記にテーマをつけて書いていたのが、随想的になっただけである。
 日記としては、この随想日記に書いてある「22歳の日記」が、理想に近い。
 時系列に、その日の出来事と気持ちを正直に書いている。当時はただ、自分をコントローズをする為に
 本能的に書いていた。友人と議論した内容や、ちょっとした社会現象に対する意見や、
 読んだ小説や本の感想が書いて置けばよかった。 当時、何故書いたか、その動機を憶えていない。
 それに対して随想は、第三者に向かって自分を表現する物語である。
 読んでいるほうは、実際こんなに面白いものはないだろう。ふつう経験できない個人の心の奥底に入り込めるからだ。
 文章は飾り立てても、その飾り立てている姿が出てしまう。正直に書くしかないし、そうでなければつづかない。
 飾り立てても今更というのが、書き手の立場である。 毎日テーマをたてて脳の奥底を書くかというと、
「未来の自分という読者と、まだこの世に存在しない子孫をも意識している」
 からである。そう思って書いていると、魂が入る。「今ここで」が、そのまま入魂になるからである。
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2003年10月16日(木)
 925、「おん宿かわせみ」
 ホテルのフロントにたっていると、色いろな人生垣間見みれるという一宿一飯のサービスと部屋貸しの商売である。
色いろな人が泊まっているのは当然である。7割がリピータで、何らかのカタチでその人の事情が見えている。
 年に2~3回は、当ホテルの通報で犯罪者が逮捕される。フロント内に指名手配の写真が数枚張ってあるのだ。
その功績で表彰状と金一封ー5千円を貰ったことがある。 一月ほど前は広島の詐欺師で、通報をしたら
7~8人の刑事が来て連行していった。ホテルからの通報ということを知らさない為か、違う捜査で各部屋を
調べているように装って、偶然みつけたようにしていた。お礼で3千円ほどのケーキを貰ったが。
 ロシア人を捕まえようとしたら、一瞬の差で窓から逃走してしまったこともあった。
大体が、通報があった場合、外に出てくるのを待って逮捕する。こういう時代のため、最近は得体の知れない人が
10人前後はいる。どう見ても泥棒としか思えない人もいるという。あまり派手なたちまわりはない。
誰もそうだが、自分の居場所では大人しくしているものである。
 三日前には、5月2日より長期で泊まっていた老人が部屋で亡くなっていた。
偽名で泊まっていたが、警察が所持品で調べたら身元が分ったという。家出をしていたらしく、
親戚が三人駆けつけてきた。最近になり身体全体が浮腫みはじめていて、コンビニに一日一度出かけるのも
大変そうだったという。推測するには、癌か何かの宣告を受けて死を覚悟で家出をしたのではと?
どういう気持ちで泊まっていたのだろうか。 死は直視することはできない!
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551、「エッ、嘘だろう!」−2  
- 2002年10月16日(水)
 本当かいな???「ビジネス客数56パーセント減!」「観光白書」の宿泊数の激減の実体をみて驚いた。
2001年度の国内宿泊は前年に比べて「マイナス17パー」。その中のビジネス宿泊は何と「マイナス56パー」。
ビジネスの宿泊が、一昨年の1億5700万人から6800万人に激減、正しく壊滅と言ってよいだろう。
今年度も減少が続いている。 そうすると3分の1以下である。 現場からは、「この数年背広を着たお客が
激減をしており、数分の1以下」という話しを聞いていたが、白書で実際の数字を聞いて現場の話しが裏づけられた。
 その代わり関東圏を中心とした建設関係の現場の作業員の小団体や、得体の知れないセールスグループが
多く泊まっているという。 新潟市内は現在のところ再開発やSCの工事が多い。下請けは今や地元より全国レベルで集めてくる。
その団体が泊まってくれるのだ。今や作業現場では泊まらない。当方は勝ち組みで、昨年は2?の減で済んだ。
しかし全国的の実際の数字は、マイナス56?の世界であった。チホウ銀行の態度が全く変わったのは、あくまでも
その一員と見た為であった。その不自然の態度が昨日の情報でやっと解った「なるほど!」日本の経済が壊滅の状態と
いうのも決してオーバーの表現でない。負け組みなら前年比マイナス70~80?減の世界だろう。
 こういう情報はマスコミには載らない。戦略の一つにコスト力が最大の課題になっている。
当社の強さはコスト力である。 こうなった時に強さを発揮できるのが救いである。
今日のテーマ「エー、嘘だろう?」が、これから多く出てくるのではないか?
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「188]」愛犬、コロー 2001/10/16
 犬ー子供のころのペットは懐かしい。 猫がいて猿がいて、犬のコロがいた。
初代コロである。白と茶と黒の混ざった雑種のムクイヌみたいな犬であった。
一番のおもちゃと同時に友達みたいであった。初めて出会ったころは私の6歳の頃か。
少し頭が悪く、人がいい?ところがあった、当時は放し飼いで、時たま行方不明になったりした。
近くの高砂園というお茶屋の犬がライバルで、喧嘩ばかりしていた。家族にも従業員にもお客にも、愛されていた。
最後は病気で死んだが、ペットといえば一番印象に残っているのがこのコロである。
 次のコロは、長岡駅駅裏に10歳の頃住んでた時、前の家主の飼っていた犬。九州に引っ越した為、そのまま飼っていた。
細い茶色の猟犬のメス犬で、家付きの犬のせいか陰のある犬であった。
猟犬のため鼠をよく獲っていた。この犬はよく子供を産んでいたが、捨てにいった後一晩中啼いていたのを思い出す。
4年後に交通事故で死んだ。よくしたもので、その直後小さな柴犬が紛れ込んできた。恐らく逃げ出したのだろうが、 
愛想ががよくそのまま居つき、10数年後行方不明になった。学生時代、夏休み等の長期休暇の暇つぶしに、
石灯籠に飛び乗る芸当を教え込んだ。その犬を散歩に連れて行ったら、橋の欄干に自分で飛び乗った。
そのまま彼女の芸になった。結婚後は家内がペットが嫌いで飼ってない。


3490, 居酒屋・スナックは今

2010年10月15日(金)

 居酒屋・スナックは、この不景気に直撃を受けているのはホテル業と同じ。
10数年前と比べて三割以上の売り上げが減って、三割の店が廃業・休業直前。
数年前までは悪い中でも人気がある店があったが、現在では、そこも不景気に直撃を受けている。
不景気でサラリーマンの小遣が減らされたことと、不景気の中で接待交際費も大きく削られたことによる。
私の行きつけの居酒屋やスナックの大方が最後の最後の風前の灯。そういえば、月に3〜4回は飲みに出ていたのが、
1年前あたりから2〜3回に減り、一晩に3〜4軒まわっていたのも二軒で帰るようになった。
三軒、四軒目に行くと、必ず翌日、二軒で帰ればよかったと後悔するのも加齢のためか。
また一軒目、二軒目の店の客が少ないため引きとめられる。 そのため長時間居座ることになる。
三軒目となると22時過ぎになるが、以前のような元気が無いので帰るパターンである。
家の大型の薄型TVにブルーレイが付いて数百本も録画がされている。それをみている方が、スナックでカラオケを
歌い騒いでいるより面白いし、刺激的。 スナックも実際の競争相手がTVのドラマやドキュメントになってしまった。
巣篭もり現象である。 駅の鮮魚店で酒のツマミを買って帰り、WoWoWで録画した映画を観ていたほうが、遥かに面白い。
それと昔のようなプロのママ、ホステスが消えたこともある。ドンドン、見切りをつけて消えていった。 
一番の理由は、やはり不景気。だいたい気合が入らない。生き残っているところは、仲間内という風なアットホーム的な
ところだが、そこも飛び込みの客が激減しているからジリ貧である。 そういえば新潟の古町に3年以上は行ってない。
店主の悩みは、廃業後の働き場所が限られている。 華やかな仕事柄、あるのは3Kのものばかり。
特に国民年金も払ってない人が多いので悲惨そのもの。そんな話しを耳にするとマイナスの連鎖で回数が減る。
 英国といえば、町並みの景色としてパブ(スタンド・バー)がある。田舎の街で、まず目に付くのが、これ。
ところが、そのパブが激減をしていると5〜6年前から聞いていたが、リーマンショック以来、その加速がついたという。
何処も同じである。

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3115, セコロジー
 2009年10月15日(木)
  エコロジーをもじった「セコロジー」の特集を日曜日の朝番「がっちり」で放送していた。
 セコイことなら幾らでもネタがある。 といって、一々書くのも何だが、しかし露悪趣味を
 自認しているものとして書かない訳にはいかない。 その前に、この番組で紹介していた
 「セコイ」内容とは・・
「タクトモ・ドットコム」は、深夜に同じ方向に帰る人を携帯電話サイトで探して、割り勘で帰るもの。
  その値段まで、サイトのソフトが探し出してくれる。
「試食会・com]も面白い。 レストランサイドが、予約の空いている日時を提示、その時間帯に申し込むと、
 半額で食事ができる。レストランも、席を開けておくより埋まっていた方が良いという思惑がある。
 私のセコロジーは、
・海外ツアーである。 夏休み直前・直後の7月、9月とか、11月のツアーは半値近い値段になる。 そこを狙う。 
・通勤帰りの新幹線が18時に長岡駅に着くが、駅の食品スーパーなどの食品街が一斉に値段が下げる。
 更に、切り落としのハムや焼き豚も買い得。 また朝、新潟駅に着くのが9時、これも前日の売れ残りの 
 精肉や果物が、三分の一から半値に値下げをしている。 バナナなどは殆ど無傷のものが三分の一。
・本屋で欲しい本を見つけても、メモを取って、ネットで中古本を買うか、図書館で借りる。
 中古本なら、送料込みで半額から三分の一。健康機器、小型家電、デジカメ、音響機器もネットなら三割以上は安い。
・聞くところによると、主婦が「3日間新幹線乗り放題1万2千円」のサービス期間の切符を三人×4千円で買って、
 それぞれが東京へ日帰り旅行をするとか。 三日間、毎日東京を日帰りで通うというツワモノもいる。
・極めつけは、サラリーマが、電話の呼び出し音で切る回数を帰宅時間のサインとしたもの。これなら加算されない。
 三回で切ると21時、4回は22時とか、6回は何時になるか分からないとか、まあ面白い。
・やはりTVのワイドショーで特集していたのが、「端っこ商品」ハムや、燻製、ケーキ、など端っこなど
 カタチの崩れたが内容は同じ商品が三分の一、半額以下で販売しているのを特集したもの。
・カミサンは19時過ぎると、姿が消える。聞くと、100メートル先のスーパーが値段を下げる時間だという。
  こんなところだが、それだけ、世知辛い時代に入ったということか。
 父親から、「必要なものは使ってもよいが、不必要なもの、体裁のための金は徹底的に節約しろ」と、
教え込まれたが、父ほどに徹することは出来なかった。「小金を使う人間は大金は使えない」ということも。
 しかし晩年には「金は使えるうちに使っておけ」というようになった。色いろ両親から教わったが、その割りに・・
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2750, 閑話小題
 2008年10月15日(水)
 *株価は反騰しているが
株価が昨日、久々に大きく反騰したが、今月末か来月にかけて再び大きな暴落の場面がやってくるだろう。
今回、世界の主要な各国が株の暴落を防ぐために公的資金注入を協調するというが、それも目先の処理でしかない。
この事態は、詐欺同様のサブプライムの債権処理でも回復に最低10年は要する。 しかし、それだけでなく、
健全な?プライム債権、消費者ローン債権、不動産債権、各国の国債、他もろもろの債権の信用崩壊も始ったのである。
これが、今日・明日に解決できるわけがないのは自明のこと。 さらに情報化で各国の指導者の知らないことまで、
一般の大衆の方が知りうる社会になってしまった現実がある。 実際に、今回の日本の大臣の中には、誰がみても、
その資格のない能力の人が任命されている。 今回の金融危機も、あれだけのエリート?が真面目な顔をして
「ここまで深刻な問題になろうとは!」と、いっている。まだ冷静に眺める余裕はあるが、実際の大津波が目の前にして、
そのことの重大さに唖然としている。具体的には、まずはハイパーインフレなのか、それとも現在の事業に直接に
覆いかぶさってくるのか? 人類が過って経験をしたことのない事態。 予測不能である。 
ブッシュが戦後最低いやアメリカ史上最低の大統領ではなく、数千年レベルの歴史に残る
最悪な大統領として名をなすだろう。 ローマを焼き払ったネロのような人物として・・
ネロはローマだが、ブッシュは世界を炎上させたのだから・・・
  ーー
 *衆院選挙とアメリカ大統領選挙、どうなった?
恐慌前夜の様相の事態の中、日米の選挙の影が薄れてしまった。
どっちらが勝つかが、日本にとってもアメリカにとっても大問題なのに・・・
流れからいって日米とも民主党が勝利の形勢だが、問題は、その後である。
イラクからの撤退が早まり、北朝鮮との戦争も不景気のため回避するか、逆にやるか?だ。
来年一月の大統領の交代までは世界は、麻痺の状態が続くしかない。 
   ーー
 *新潟駅前で大の男が拉致未遂?
(字数制限の関係でカット09年10月15日)
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2007年10月15日(月)
 2386, ビジネスマン退職後の誇りある生き方19章
  「ビジネスマン退職後の誇りある生き方19章」  G.キングスレイ ウォード (著),飛鳥新社
題名だけをみると軽そうだが、ある本に推奨してあったので買って読んでみた。
(とにかくアマゾンで、中古本を安く手軽に買えるのがよい)
以前、書店で平積みになっていた「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」の著者の書いた本である。
私自身、サラリーマンの経験が少ないので、組織の束縛と逆に気楽さは最小であった。
そのためか当たり前と思える部分が多いが、一般的には定年で組織から離れるのは、大きな節目になる。
この本では長寿社会の中で、人生の果てへのまだ遠い道のりの中、プラス思考で身近な人たちと親密な関係を保って、
旅行や趣味を広げるように勧めている。私の両親が商売人で42歳と38歳時の子供だったので、若い時から、
その晩年のすごし方、死に様を身近に見ることができた。そして色いろな人生訓を特に母親から教えてもらった。
そのお陰で比較的豊かな人生?を享受できたと自認している。 (アホ!)
そして、ここで書いてあることは、当たり前の事として理解することができた。
問題は、周辺にいる八割の人生の何たるかを知らない「妨害者」と著者が呼んでいる人たちである。 
世間様のいう俗説や、常識とかいう世界が全てと思い、そこから一歩も出ようとしない「あの方々」のことである。
そういう自分こそ「あの方々」ではないかと自嘲している日々だが。
それから日々脱皮するのが生きるということ、いや学ぶということだろう。
 こういう箇所を直に見つけ出してしまう癖がある。
  ーまずは、そこから・・
 ーー
私が40歳で小型飛行機の操縦を習おうとした時に聞かされた、「いい歳をしてもっと安全なことを探したらどうか」
と忠告を受けた。それと同じようなことを妻も同じような人種「妨害者」から「何ですって、もういい歳ですよ。
今更そんなことをしてどうなるのですか」というのでした。自分が止められないので他人の努力をあしらわないでいられない。
「くだらないことを言わないでちょうだい」と妻は心のなかで冷静な判断を下しました。
妻にはまだ、十年も、二十年も、もしかしたらそれ以上の人生があります。実現したい夢もたくさんあります。
この友人についても同じことが言えますし、彼自身もそのことは十分に理解していました。
彼こそは将来を危険にさらす愚か者です。しかし私の妻は違います。妻の煙草をやめる決意は揺るぎませんでした。
生まれつきの性格か、あるいは後天的な習性のせいか、同じコップを見ても、もう半分空だと感じる人と、
まだ半分あると感じる入がいます。いまお話ししている「妨害者」は、人生に喜びや希望やユーモアを見出せない人たち。
宿命と憂鬱が彼らの親友で、古い格言にもあるように「不幸は社交好き」なので、「妨害者」はことあるごとに
不幸をまき散らします。何かの行事に顔を出さなければ、家族で旅行でもしていたのか、とは聞かないで、
病気だったのか、と聞くのでしょう。 足を挫けば、一生正常に歩けなくなる可能性を説明し、
身体のどこかが痛むと言えば、腫瘍学の権威に診てもらえと忠告するでしょう。
(以下字数の関係でカット、2008年10月15日)
ーーー
ドキッとするかも知れないが、彼らなりの世界があるから、その世界で群れていれば良い、それが彼らの人生であるからだ。
しかし彼らの暗示に引っかからないことである。私の知人の一人が、一歩も自分の世界から出れなかった人である。
しかし考えてみれば、自分も同じでしかない!気がついているかどうか?の問題だが、考えてみたら対比の問題でしかない!
要は、自分こそ自分の妨害者ということである。それを一番知っているから、直ぐに本の中でそういう箇所を見つけるのである。
「嵐が丘」を書いたエミリー・ブロンテは英国・ヨークシャーの片田舎で外面的にはあまり変化のない日常生活を送りながら、
深い激情的の小説を書いている。その人によるということか! という訳で、いま一度、よーく読み直すことにしました。はい!
                      byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ニャーンw           
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2006年10月15日(日)
2021, 「新潟ワシントンホテル」が撤退
       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ さむい               
一昨日の地元の新聞に「新潟ワシントンホテル」の撤退が報じられていた。
12年前のピーク時の50?以下に売り上げが激減、三年前から赤字に転落。
同社の支配人が「市内ホテルの供給過剰や、施設の供給過剰で、飲食や宿泊客が減った上に、
プラーカ(専門店街)の閉鎖が大きな打撃になった」とコメントしていた。
同業者の立場からみえてくるのは
・直接原因は「東横イン」のオープンと、プラーカの閉鎖、
・間接原因は首都圏からのビジネス宿泊の激減−4分の1、この十年で新幹線の朝晩には多く乗っているが、日帰りが定着。
・企業が経費節減のため、2時間圏内の宿泊を禁止したことと、
・地方経済の低迷、
・さらにインターネットやイントラネット、携帯電話の普及も大きな原因にあげられる。
 大型のホテルの撤退は初めてであるため、やはりショックは大きい。
 駅の連絡路から直接ホテルに入ることができ、戦略的にこれ以上の好立地の場所は無い。
  (字数制限の関係でカット10年10月15日)
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2005年10月15日(土)
 1656, 吹き来る風が私に云う
    帰 郷     中原中也
  柱も庭も乾いてゐる   今日は好い天気だ
 縁の下では蜘蛛の巣が   心細そうに揺れている
  山では枯木も息を吐く  あゝ今日は好い天気だ
 路傍(ばた)の草影が   あどけない愁みをする
  これが私の故里(ふるさと)だ  さやかに風も吹いてゐる
 心置きなく泣かれよと   年増婦(としま)の低い声もする
  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・ 吹き来る風が私に云ふ
生まれ故郷に帰った中也が、自分に向かってつくった歌である。
何か万人の心の声といってよいだろう! ほんとうに、オイお前なにをして来たのか?
自分の人生を生きてきたというのか? これでよかったのか?
だれもが、この気持ちを持っているだろう。 私など、何回思ったことだろう。
そして、次の言葉で、その言葉を打ち消す。 ー仕方がないじゃないか、精一杯やったじゃないか。
これしかできないのも自分。 まあ、いいや。 と。中原中也の詩は、悲しい。しかし、悲しみを慰めてくれる。
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2004年10月15日(金)
 1291, 「元気の出る言葉」ー5
ーどん底からはい上がるコトバー2
■やりもせんで、できんというな。(by 堀之内九一郎)
 一言 〜若いうちはね〜
■見返りを求めるな、そうすれば行動は制限されない。
 一言 〜解からない
■打ちのめされるような人生の経験は、もっとも豊かな報いをもたらし得る。
 一言 〜「           」
■自分について知ることは貴重であり、欠かせないことです。
 それは、危険な楽観主義とともに、陥りやすい失望を避けさせます。
■機会を待て。だがけっして時を待つな。(by ヴィルヘルム・ミュラー)
 一言 〜何々、何々?何々!チャンス?呼吸?
(字数制限の関係でカット09年10月15日)
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  2003年10月15日(水)
 924, アイスランド旅行記ー4
   ーつれづれに雑記
・ツアー仲間の話は書いていて面白い反面、物悲しいことが多い。今回は同じバスではなかったが、痴呆症?の65歳位の女性の話。
 アイスランド最終日に初めて気がついてのだが、そのバスの同行者数人が面倒を見ていることに気がついたのだ。
 それから注意してみていると全ておかしい。目が虚ろ、いつも誰かに質問をしているのだが、その結果が違うことをしている。
 羽田に着いて、モノレールに乗る時も質問をしながら、結果として違う行為をしていた。まあ人生そのものだが。帰りの列車で、
 独り考えてみたら凄い人であったということだ。 軽い痴呆症の人?が独りツアーに参加をして、ちゃんと帰っていったのだ。 
 決して軽蔑をして言っているのではない!意志があれば何事も可能ということである。そこに、その人の人生が全て現れているのだ。
 前回の添乗員がある話をしてくれた。車椅子の人を家族の人が連れてきて、たった一言「お願いします!」といって、
 逃げるようにして帰っていったという。結果としてツアー仲間が最後まで全員が協力しあって無事帰ってきたという。
 痴呆症のオバアチャンもあったという。これも全員が最後までみたという。今回は隣のバスで明らかに同じケースであった?。
・色いろツアーに参加したが、添乗員の面白い人に出会う。「ヌーの河渡り」の添乗員が、自分がホモと酒を飲んで
 告白したハプニングがあったり、元大手銀行員の経歴の持ち主であったり。今回の添乗員が飛びっきり面白い人であった。
 若い女性なのだが、お嬢様なのか、ただバカなのか? 全て自分のレンズを通してクドクド説明をして話すのだ。
 お客は親位の年齢で、こういうツアーに参加しているレベル。何でも解っている相手ということが解らないらしい。
 まず結論を言って、その結論に沿って、その説明をするのが添乗員の当たり前の世界と思っていたが、初めから最後まで
 その逆をしているのだ。 全員がイライラしているのが解る。全て自分本位を、そのままお客に知らずに出してしまっている。
 しかし良い点もある。「何々でございまーす!」と最後に歌うように鼻声をはりあげるのだ。
 そしていつも現地ガイドと大声で笑って話しているのだ。イライラもその声で、ガックリして怒りを忘れてしまう。
 まあしようがないかという諦めを押し付けてしまうのだ。これはノウハウであろう。
  旅行は普段会えない人に会えるのがよい。 いやな人もいるが!
 ・・・・・・・・・
 550, ビールの飲み方
 - 2002年10月15日(火)
ベトナムに行った時の話だが、朝から晩まで中華系料理。昼飯も、どうしてもビールが必要になる。
一本なら良いが、異常な暑さの為どうしても二本飲みたくなる。もちろん350mlだが、脂系の食事のため二本を
飲むと腹の心配になる。そこで考えたのが、コップに一口分(5分の1)をついで、ゆっくり味わって飲む事だった。
それが美味しいのだ。少ないビールを味わって飲んだからだ。その後は全くその事を忘れていた。
先日、図書館で池波正太郎の「男の作法」という随筆集を借りた。その中でビールの飲み方が書いてあった。
「一口づつ、その都度ついでイッキに飲むこと」 なるほどと納得をした。それと酒飲みの底の深さを改めて知った。
私の場合はそれさえもユックリと飲む事だが。量の制限がない時も、少量を一気に飲むのも悪くない。
その都度接ぐのが面倒だが、そこを習慣をしてしまえばいい。ケチクサク見えるだろうが,美味く粋にのむ為だ。
日本酒をお猪口をひっくり返して底についで飲むのが安くて酔うのは知っていたが。
 ・・・・・・
「187]」強い人  2001/10/15
 私の周辺に非常に強い人がいる。何を持って強いのかと難しいことは横において、そういう人を観察してみると、
10歳位までに両親の愛情をたっぷり注がれている。逆に弱い人はその時期、両親の不和とかで愛情が中途半端な人が多い。
精神の柱が愛情で出来ているのではと思われる。そういう人は、明るい、暖かい、さっぱりしているが反面,我侭だ。
人生の何かを教えられる。そこで自身は如何であろうか。少なくとも10歳までは、多くの人にたっぷりそそがれたことに氣づいた。
両親からはベタベタしたそれでなく、間接的な絹木綿的な感覚の愛情であったようだ。
やはり直接しっかりとじかに愛情を受けた人は違う。 愛情のなかで親の愛情ほど、強いものはない。
一番の自我愛だからだろう。だからその子は我侭になってしまうのだろう。子供にとって両親の不和ほど不幸の事はない。
子供に対しては絶対愛と夫婦愛の両輪が必要という事か。


3489、金は暴落する! 2011年の衝撃    

2010年10月14日(木)

      「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著
 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」鬼塚 英昭の最近の著書である。
要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を共有するために、金を値上がりをさせ、2011年か2012年の早い時期に
金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。
わずか3年前の2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。わずか3年で二倍近い値段である。
これを著者はロスチャイルドと金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 来年から再来年に金価格の暴落をはかり、
逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁るという。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、
大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。
バブル崩壊後に狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、
ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中に
ばら蒔いてしまったから始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ罠という。 
ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、
次にバブル崩壊を狙っている。それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。 
そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。
 大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、おかしく書いてある。
                                              つづく
 ・・・・・・・・・
3114, つれづれに ー閑話小題 
2009年10月14日(水)
* 低反発マクラ
 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。
ということで低反発マクラを一月前に買って使っている。それが良いのである。マクラに関しては、商売上も敏感になる。
外国の一流ホテル?では、少し固めと、少し柔らかめのマクラが二つ置いてある。それを重ねると丁度良いのである。
その時々に柔らかいのを下にしたり、逆にして使う。 これまでは籾殻風の硬めのマクラを使っていた。
それに最近買った低反発マクラを重ねると丁度よいバランスである。これまでで一番良いあんばいである。
年内には低反発マットレスを買う予定だが、恐らく良いだろう。 ところで、この低反発マクラが良いので、
エンドに山積みになっていた特価品を買ってきて、バスタオルを巻いて縫い付けて座布団替わりに居間で使っている。
TVの前の卓上にパソコンを置いて、随想日記を書いたり、インターネットで使っているが、長時間にわたるために
結構腰に来る。 丁度、低反発クッションが良いのである。 低反発クッションとして売ってはいるが。
 〜〜
* 最近の万歩計
20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて
年間1万5千歩を数年の間歩いていた。 毎日、歩数を手帳に書き込み週平均、月平均、累計月平均を書き込み
目標達成のために、晦日の晩まで必死に歩いたこともあった。しかし、途中から記録を録るのを止めた時から、
歩数が年々下がっていった。現在は一万歩を割っているだろう。 真面目に書いている間は平均が右下がりに
ならないようにするため、大雨以外は必死になって歩くことになる。 しかし最近は意識の中で
「一万歩を歩くように心かけよう」というだけになってしまっている。 そこで、再びノートに記録することにした。 
で、思い出したのがTVで放映していたデジタル歩行計である。 一週間分を記録をし、歩幅を打ち込んでおけば、
歩いたキロ数と、一週間の毎日の歩行の累計まで、記録をしてくれる。 更に3Dという機能があって、
歩いたかどうかをセンサーで正確に把握する。 以前の原始的なものは、歩いてなくても揺れただけで記録をしてしまう。
しかし今度のものは歩いた微妙な部分をセンサーが把握するというもので、実際に使ってみて、その通りであった。
「で、十数年前のヤツと大して違ってないのか、全く違うかって?」と聞かれたら、「もちろん、後者」である。
しかし誤差が1~2割違っても、大して変わりはないことも事実だが、正確で面白いものなら、長期的に使うだろう。
それより、一週間分の記録を残してくれるのが良い。 これも当たりである。
・・・・・・・・・
2749, ソロスは警告する −2
 2008年10月14日(火)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社   ー読書日記ー
『アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、
欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、
エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に
大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、
このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。
歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、
ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。
 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、
 −−−
ー松藤民輔(解説文)よりー
「オックスブリッジ」の歴史学科を出ているその人物は、私たちに平然と
「歴史を勉強していなかったら、ブタだ(人間じゃない)よ」と言い放った。
特定の人間を愚弄した言葉ではなく、ごく普通に口から出た言葉のように思えた。これが世界の政治経済を牛耳る
トップの感覚なんだなと、その時、私は痛感したものだ。現実に、彼らエリートには彼らだけの標準である「共通言語」
や「共通認識」がある。そうした共通言語をもち、真のエリートたちのクインナーサークルに入れるごく一部の者だけが、
世界の大企業のトップとなって数十億円の年収をもらい、プライベートジェットでスイスのダボス会議に参加し、
「次の金儲けのテーマは「金融」から「エコ一にしよう」などという、地球の新しいルール作りにたずさわる資格をもつ。
欧米、特にヨーロッパでは、エリートになるための教養知性として哲学や歴史学は必須科目なのだ。
実際、どちらも彼らが己の理想や世界観を自分の言葉で語るのに不可欠な学問だと思う。・・・・・
一見、現実的な政治と観念的な哲学とはあまりにもかけ離れているようにも思えるが、実は、そうではないのだ。
あくまで私見だが、「私のようになりたかったら、哲学を勉強しろ。私のように考え、歴史から学べ。
そうすれば世界の政治経済に参加出来るエリートになれるチャンスがあるぞ」といったソロスなりのメッセージが、
この本には込められているのだと思う。だからこそ、彼の本は、欧米で、、明日のエリートの仲間入りを夢見る多くの
人々に読まれるのだろう。  さて、ここでまた一つ、厳しいことを言わなければならない。
それは「日本には真の意味で世界の"インナーサークル"に入れるエリートがいない」という現実だ。
これは戦後の日本がひたすら大衆国家の道を歩んできたこととも深く関係している。残念ながら、今の日本には、
数十億円もの年収をもらい、ダボス会議で世界のエリートたちから相手にされるような経営者はいない。
それは、これまでの日本の政治家、経営者に、世界のエリートからサークルの会員として認められるような
資格を備えた人がほとんどいないからである。
(哲学や歴史を学び、世界で起こっている出来事と関連づけて考え、さらには、その世界観を自分の言葉で語ることが出来る」。
それがエリートの道へのパスポートなのだ。 私がこの本を勧める第二の理由は
「ソロスのような欧米型知的エリートの思考法を身につけるのに格好の本」は、以上の背景による。
おそらくソロスは、市場の微妙な動きやデータを、彼の長年にわたる経験や独特の直感から「認知」と「操作」とに分類し、
瞬時に頭の中で判断しているのではないか。これは論理的というよりも、心理学で言うところの「内観」的ー自分の意識や
その状態を自ら観察することなどの発想法に近いと私は思う。本書でも明らかなとおり、若き日のソロスが熱心に学んだのは
一経済学『というよワも一哲学一や「歴史学」だった。哲学で知り得た膨大な知見を金融市場に応用し、
常に考.義けていくことで、彼は独自の直感を磨いていったのだと思われ、おそらく、ソロスの言動や発想や思考は、
ソロスの境地に到達しないと分からないし、短期間の学習ですぐに習得出来る類のものでもないだろう。
だが、たとえソろスでなくとも・ソロスのような「頭」をつくるためのトレーニングは出来るはずだ。
私が冒頭で、「ソロスのような天才投資家に不可欠な、"市場を読み解くための技を体得するために本書は最適の教材である」
と断言したのは、まさにこのことを言っている。 ソロスの本が欧米のエリート志願者に読まれる理由も一つである。
本を読んで非常に強く感じたのが、「エリート」としてのソロスの自負である。
 −−−
 以上である。アメリカ国民の大半が、金融機関の救済に反発するのは、この文章からも理解できる。
1929年の大恐慌のときは、千数百人を逮捕したというが、今回は無理だろう。
今回の大統領選挙で、それを選挙公約をした方が勝つだろうが、資金の出所が、そこだから絶対に無理 !
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2007年10月14日(日)
 2385, 私の嫌いな10の人びと −3
「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著)  ー読書日記
2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する日本人の感覚に
疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。この人の本を何冊も何度も読んだが、
一度ひいてみれば、所詮は「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」でしかない。
英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。
営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2006年10月14日(土)
 2020, 13日の金曜日恐怖症               
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
昨日は「13日の金曜日」であった。日本では、あまり騒がれないが、西欧社会では「13日の金曜日恐怖症」がある位、
この重なりの日は自重をしている人が多いようだ。さっそくネットの検索で調べてみたが、インターネットは手軽に
調べることができるから便利である。古代から、13という数字が不吉というのは、初めて知ったが金曜日との重なりを
嫌うのは週末もあるのだろうか?数年に一度しかないので、この機会に知っておくのもよい。
 まずは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のー13日の金曜日ーから抜粋してみた。
 −−−
・キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから、13は不吉な数とされた。
・またキリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされた。
・一説には、イヴによるアダムの誘惑も大洪水からノアが脱出したのもバベルの塔が壊されたのも
 13日の金曜日だと言われるが、聖書にそのような記述はなく迷信の域を出ない。    
    (中間、字数の関係でカット2008年10月14日)
ーリアルの例としては、
オーストリアの作曲家シェーンベルクが有名である。彼は1874年9月13日に生まれた。
13は縁起の悪い数とされており、7と6をたすと13になるから彼は76歳で死ぬと思い込んでいた。
1951年、76歳になった年の7月13日の金曜日。その日が来ると彼は用心してベットから一歩も外に出なかった。
そしてその日がいよいよ終わろうとする午後11時47分、彼は死亡した。
   −−−−
  まあ、13日の金曜日は皆で、このような話を楽しむ日ということか?
               (。^0^。)ノホンジャ、マタ!
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2005年10月14日(金)
 1655, 北イタリア旅行記−6
 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエロー
このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。
この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。
 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」         ・ミケランジェロの「聖家族」
 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」  ・ラッファエロの「ヒワの聖母」
 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。
特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、
「モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。
「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で観ることができた。
地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエローの
三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。
それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。
きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。
「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときにおこなう否定もまた、
肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。−
全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。
憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。
疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。    ーつづく
・・・・・・・
2004年10月14日(木)
 1290, ダイエーが再生機構活用!
一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。売り場に商品が、あまりに少ない。
債権が焦げ付く可能性があれば、メーカーや問屋が商品の納入はしない。まさに末期現象と思っていた。
ところが、昨夜のTVのテロップで、「ダイエーが再生機構を受け入れる」と臨時ニュースを流していた。
これで、解体、売却の手順が踏まれることになる。一つの時代の終わりの象徴といってよい。学生時代、
ダイエーが流通革命の旗手として飛躍を始めていた。チェーンストア理論を売りにしていたペガサスクラブの優等生であった。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2003年10月14日(火)
 923, アイスランド旅行記ー3
 ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」
という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。
だだ行きの飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。
そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をしていたより
遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に
壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「・・・」である。 
取材できていた共同通信社のカメラマンが、「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と
私に話しかけてきた。「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。しかし、この言葉の意味が実際見て
初めて解った気がした。 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう!
 ・・・・・・・
549,「宣戦布告」
2002年10月14日(月)
 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。 北朝鮮の拉致事件の帰国も迫っていることもあり、
迫力と現実味のある面白い内容だった。「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。
浮上した潜水艦からは、戦闘服に身を包んだ男たちが出現、夜の闇の中に姿を消していった。
−そんな中からかって無かった未曾有の緊急事態に見舞われる。 今の法律では北朝鮮の戦闘員に発砲すら許されない。
追い詰めるが、一方的に射殺されていく。そして全面戦争への危機に発展していく姿」をまねいている。
 この危機状況は、現実に起きても不思議でない状況である。スターリン時代のソ連がプチ状態で存在しているのが北朝鮮。
   (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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[186] 野村と円楽  
2001/10/14
 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。
メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、野村も面白いのではと期待していった。
まず野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよい
と思っているんしょう。円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、ザワツイテイタ会場は
シーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに聞き手をのせてしまった。
 ー要点はー
・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され
・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた
・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた
・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた
・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある
・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー
等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため説得力があった。
また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。 今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、
野村だけは底から這い上げって来たためか、ずば抜けた内容があった。
その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、しらけた会場の空気が漂っていた 。
さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと憶えている。
キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。


3488, インコのクシャミ

2010年10月13日(水)

 ペットのコガネインコが、先週末の土曜日に変になってしまった。
身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろで、エサを食べようとしない。籠の出入り口を開けると出てきて、
頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣になっている。しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場でジッとしている。
呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸をする。
母が亡くなる直前も、そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで椅子に座り、みていた。
時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。
そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。 小さくクショッと人間のようにするのである。
そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、
クシャミまでするとは思ってもいなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲っているのをみて、何だろうと思い、
8〜9分は死ぬと思い込んだが。 寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。
インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。
クシャミをし、全身の毛が逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。
ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコをしている」が、そのまま全身から伝わってくる。
全身で苦しみ、全身で喜びを表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は「ありのまま」で生きている。
だから、ペットとして人間に好かれるのである。 衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。

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3113,イチロウの言葉
 2009年10月13日(火)
 以前もイチロウの言葉について書いたことがあった。その後も、これだけの記録を打ち立て続けている。
  それに対して的確な自己分析を理路整然と話せるのスポーツ選手も珍しい。
  右脳も左脳も明晰だから、これだけの記録が可能なのだろう。
 昨夜、NHKの19時半の ≪ おしえて イチロー選手!「大記録はなぜ生まれたか」≫で、
子供たちからの質問にイチロウが答える内容が良い。 純朴な子供だからこそシンプルで鋭い切り口。
 イチロウといえば、「超一流投手に対して投げそこないを待つが常識だが、私は相手投手の一番厳しい球を狙う!」
という言葉を憶えているが、何処かに似た言葉がある筈と思っていたら、先日読んでいた本に、
「一番強敵と思える相手に挑戦しろ」とあった。 それこそが真のチャレンジ。
  ところで、この番組の中で、良い言葉として印象に残ったのは・・・
・「これはと思った道具と出合ったときは、その道具に自分を合わせていく。」 
  イチロウも将棋の天才も、パソコンやピッチングマシーンを子供のころから使いこなしていたという。
  現在のネット上の最高の道具といえば、ブログとグーグルの検索機能とグーグルアースなど。
  それなら自分が徹底してグーグル化してしまえば良い、という著書がある。 それと同じである。
・「どうすればチャンスに打てるの?」の質問に、
 「何度も経験した中で、悔しさ、喜びを経験しながら、自分のカタチを創っていくしかない。」
 「チャンスに必ずしも打てるとは限らない。そうそう打てるものじゃない。そのプレッシャーに自分は弱い。」
・「野球を辞めたくなったことない? 」に対して、
 「辞めたいと思ったことないが、辞められたら良いのにな~とは思ったことはある。」との答え
・「200本を9年続けられた原因は何ですか?」
 「続けて試合に出続けてないと、できないこと。 だから好きでないと不可能。
  しかし犠牲にしなければならないことが多くある。」 等々。
ワールドシリーズの優勝決定戦の最後の優勝を決めた一打の直前の恐怖、その生々しい言葉が凄い!
プレッシャーから、恐怖に変わった一瞬の重圧は乗りこえた人しか分からないこと。
「あの瞬間の恐怖を乗りこえることが出きたので、これから、どんな場面でも乗り越えられる自信がついた」
その時の場面を何度か放送していたが、相手投手だけでなく、心の内で、自分自身の恐怖と闘っていたのである。
誰もが感動するわけである。 もし、三振だったら、その後、どうだろう? 結果が全てか、いやどうか? 。
  ・・・・・・・・・
 2748,  ソロスは警告する −1
2008年10月13日(月)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社     ー読書日記ー
 まずは、この本の背裏のジョージ・ソロスの紹介文からして面白い!
生き馬の目を抜く世界でトップのクラスの利益を出しているのだから、余程の知識と哲学がなければ勝ち抜けない。 
10年前から哲学に興味を持って継続して学んできたが? つくづく今まで何をしてきたか考えさせられる。
歴史も哲学同様に学ぶべきである。権力者の都合のよいように作り変えられるとしても、生の人間の足跡がある。
ソロスという人物はマスコミでは知っていたが、実際に読んでみると、その骨組みが見えてくる。
哲学と歴史を徹底して学んで、それを長期投資に振り替えていることだ。
 ーまずはアマゾンの、この本の紹介からコピーをしてみるー  −−
    人物紹介: 金融投資家。ソロス・ファンド・マネジメント会長。
  1930年ハンガリーに生まれる。 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒。
  1956年、アメリカに移住後、証券会社勤務を経て、投資会社(後のクォンタム・ファンド)を設立。
   以後、世界一ともいわれる運用実績を上げ、今日までに1兆3000億円ともいわれる莫大な資産を築き上げる。
  1992年には、ポンド危機に乗じて100億ドル以上のポンドを空売りし、莫大な利益を得たために、
  「イングランド銀行を破産させた男」としても有名になった。 自ら設立した財団を通じての慈善事業や、
  巨額の資金を投じた政治活動にも積極的に取り組んでいる。 著書『ソロスの錬金術』『グローバル資本主義の危機』
  『ブッシュへの宣戦布告』『世界秩序の崩壊』はいずれも世界的なベストセラーとなった。
 ー以下は、あるブログの内容紹介文であるが、簡潔にまとめてある。
・2008年5月5日に発売されたジョージ・ソロスの「The New Paradigm for Financial Markets」の日本語訳である。
 本書は、ジョージ・ソロスが2008年以降の激動の世界経済・金融について書いたものであり、
 恐慌論でおなじみの松藤民輔氏が解説をしている。
・内容としては、ソロスの「再帰性」の理論について多くがさかれているが、かなり難解で難しい。
 解説で松藤氏も書かれているが、ソロスの現状認識と未来予測はカンタンにまとめるなら以下のとおりである。
 ー現状は、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張の時代が終わりを迎えつつあり、未来は、サブプライム・バブルとは別の、
 さらに大きな『超バブル』が崩壊寸前で、その規模は、あの大恐慌以来のものになるだろう」というもである。
・ソロスは、欧米などの先進国は「売り」、中国、インド、中東諸国を「買い」としているが、
 素直に未来についてはよくわからないとしている。 経済問題が政治に飛び火し、それがさらに世界経済へ影響を
 与えるといった事態になるかもしれないし、そうはならないかもしれない。
 ただ、政治的にも経済的にも不安定な時代に入ろうとしていることだけは正しいのだろう。
 CDS市場の巨大さとそれがデフォルトした時の影響と中東のドルペッグ制である。
 ソロスはロシアには悲観的であるが、中国には楽観的である。中国を楽観視している理由がよくわからなかった。

ー他のブログである、これも簡潔でよい!
 1: 現在の景気後退は、単なる「アメリカの住宅バブル崩壊」以上のものである。
 2: 現在のサブプライムバブルは、はるかに大きな「超バブル」のわずか一部分に過ぎない。
 3: 今年末までに、一九二九年の大恐慌と比肩するほどの「超バブル」が崩壊するであろう。
 4: アメリカ・ドルを国際基軸通貨とした信用膨張の時代が終焉を迎えようとしている。
 5: この「超バブル」は、これまでの信用膨張の飽くなき肥大化(支配的なトレンド)と、
   市場原理主義という支配的な誤謬とによって生み出され、強化されてきた。
 6: 長年にわたって筆者が主張してきた「再帰性理論」を用いれば、
   現在のバブル崩壊の過程を有る程度まで正しく認識することが可能である。
 7: 「経済エンジン」としてのアメリカは間違いなく衰退化する。
  新しいエンジンとして中国・インドおよび中東が期待される。
   彼は「2008年中に巨大バブルが弾け大恐慌の危機が来る」と見事に予告している。
(以下、字数の関係上カット、2010年10月13日)
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2007年10月13日(土)
 2384, こころの旅  −1  
 「こころの旅」神谷 美恵子 (著)
藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、
もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。
一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を
感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。
(以下、字数の関係上カット、 09年10月13日)
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2006年10月13日(金)
2019, 「私」のための現代思想  −11
      (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。
「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。
「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。
《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。
  <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。
 そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の
 存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。
第四章「私」にとって「他者」とは何か  −?
  =「ともに生きる」ということ=
 −なぜ人は顔を露出するのかー
<他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。
実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。
つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。
そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に
「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、
顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。
「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日) 
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2005年10月13日(木)
1654, 北イタリア旅行記−5 
 ーチンクエテッレー
この意味は、「5つの島」という。海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように
家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように
好みの色を塗りつけてあり、それが何ともいえない風情がある。 その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、
ウォーキングができるようになっている。 その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日)
・・・・・・・
2004年10月13日(水)
 1289, 「元気の出る言葉」ー4
 ーどん底からはい上がるコトバー1
どれだけ、どん底で先人の一言で励まされたことだろうか。 「元気の出る言葉」シリーズの中で、やはり胸を打つ言葉が多い。 
読んでいて思った事は、実際あの時、果たしてどん底だったのだろうか?今回の一言は、特に気持ちをこめた。
正反合の反という意味で、後で読んだときの思いが合になる。 第三者の視点も合になる。
  ーー
■心配すんな、どうせ死ぬんだ。 (by 軌保博光)
一言〜それが解かってないから心配するんじゃ! でも、死ぬことを常に忘れるな、
 そこから自分の人生を見つめよという点で良い言葉だ。
■自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。 (by 高橋がなり)
一言〜現在という瞬間の継続が、潜在への入り口だ 。
■時間が迫ってきて追いこまれて「もうできるとかできないとか、そういう問題じゃねえ、
 とりあえずやるしかねえ」って決心した途端に、一件目が決まる。  (by 高橋歩)
一言〜本当?
■「わくわく」センサーに従って、進路をズバッと決めてしまうこと。 (by 高橋歩)
■今がんばらなければ、いつがんばる。(by 藤田晋)
■ぐちだけは、言わんとこうな。
一言〜愚痴か〜 、一人で布団の中で泣くのとどっちがよいのかな〜
■人生は10段変速の自転車のようなもの。
 自分が持っているものの大半は使ってない。(by チャールズ・シュルツ)
一言〜一段だけの人もいるんだよな〜
■なんのために生まれてきたのか。答えは1つ。 生まれ変わるため。(by 中谷彰宏)
一言〜うん〜〜〜?!
■乗らないと損だと思える提案をせよ。(by 神田昌典)
■自己実現とは、今の生活を最大限に充実させて満足を感じる能力だ。
(by アブラハムマスロー)
■努力した人ほど運が良かったと言い、努力が足りなかった人ほど運が悪かったという。
 一言〜そういうものだ!
■強いって事は泣かないことじゃない。 泣いてもまた笑えること。
 一言〜泣き笑いが一番
■どうにもならない事って、きっとどうでもいい事なんだよ。
 一言〜そう思うのが一番
■しっかりした知識より、土壇場での経験値のほうが役にたつ。
一言〜これも何ともいえない!しっかりした知識も大事
■自分で思うほどダメじゃない。(by 中谷彰宏)
一言〜自分って、自分が思っているよりダメなのかもしれない!
■やれなかった、やらなかったどっちかな。(by 相田みつを)
一言〜両方
■最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。
 唯一生き残るのは、変化できる者である。(by ダーウィン)
■それが何と書いてあるのか何が言いたいのか。もちろんそれも大切だけれども、それよりも大切なことは、
 それを読んで 自分が何を感じ、どう思ったか、どんな風に考えたかなんだよ。
一言〜それで、これを書いているが、バカ丸出しになっているんだよな〜。
■自分の欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることができない。(by 村上龍)
一言〜何いっているのかナ〜この男! わかんな〜い。
■与えられているのは時間ではない。それは瞬間。与えられている瞬間で時間を作るのはわれわれである。(by G・プーレ)
 一言〜ホント?嘘だろ!!  一期一会、今ここに、と納得しながら何か酒乱の失敗の経験があるからな〜!
 
(以下、字数の関係上カット、 09年10月13日)
・・・・・・ 
 2003年10月13日(月)
 922, アイスランド旅行記−2
  ーアイスランドを印象順に書いてみるー
   字数の関係上、カットしました。(2007年10月13日)
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548,予定挫折
- 2002年10月13日(日
ミスマッチの組み合わせの言葉である。挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。
この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいてその準備をしておく事である。
私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。
必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。大体が7年である。その時期を読み、変化を積極的に自分で
創らなければならない。その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。
スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツを覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。
予定挫折を初めから組み込み、その時期がきたら割り切ってしまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。
ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。 有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰ったし、もうやり残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。
それで生きていけそうだし楽しい!」私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。
五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。 
予定どおりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。これが予定挫折というのかと苦笑をした。 
しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。挫折時期はある程度読めるものだ。定年退職やリストラとかで、無知の為に
中年クライシスになってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。 準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!
・・・・・・
[184] 基本  
 2001/10/13
この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。
以前はまる三日、最近はまる一日になった。真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。
結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。本当にどうなっているのかと、
開いた口がふさがらない事が多いが、もうなんとも思わなくなった。対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は
1、本を読むこと             2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事     4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること            6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事 等々おしえる。
 しかし一番勉強になるのが、自分自身である。 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、
自分自身にそのまま教える事になるからだ。 全てが大事な事だ。
読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。


3487, ジョハリの窓

2010年10月12日(火)

 「ジョハリの窓」という原則がある。 ーネットによると
【ジョハリの窓とは、1955年にJoseph Luft とHarry Inghamが考案した自己理解のメカニズムを指す。
 対人関係における自己理解について、4つの窓の視点を提示し、自己理解がどのようになされるのかを分かりやすく説明した。
 コミュニケーション心理学の分野で認知されており、研修や能力開発の場面で使用されることが多い。
  <4つの窓>
A.自分も他人もよく知っている自由な行動領域「開放の窓」  : B.他人は知っているが、自分は気づいていない領域「盲点の窓」
C.自分は知っているが、他人には隠している領域「秘密の窓」 : D.自分にも他人にもまだわからない領域「未知の窓」    
 ・いつも失敗する人は、「盲点の窓」が大きい。自分の悪いところも、いい部分も気づいていない。
 ・「秘密の窓」が大きい人も、表と裏の顔が違うもう1人の自分を隠していて、いざというときに、その自分が顔を出して
 「こんな人じゃないのに・・・」と言われることもある。その、もう1人の自分をできるだけオープンにすること。
 その窓を広げるためには、自分の気持ちを率直に話すこと。自分を開示していくのは難しい。横にA→Bへと窓を広げるためには
 友達や周りの人からの率直な感想を謙虚に聞く姿勢が必要です。そして友達も気づいたことや感じたことを率直に伝えることが大切。
 このよう知らなかった自分に気づくことで、人は成長し、「未知の窓」を広げていく。】とあった。
   〜〜
  私のHPは、ジョハリの窓そのもの。10年近くも頭の中と私生活をオープンし「C・B」から「A」へ移行してきた。
 そして自分で自分が書いた内容を読み返している時に、「D」領域が垣間見ることがある。過去を思いやった時に、鳥瞰の視線で
 BとCに気づくと同時に、Dの影?も見え隠れする。 その時点で気づかない未知の窓の気づきがある。そこには、戦略、夢、目標、
 神の視線、純粋なギブ&ギブ、血筋、教養、等々色いろある。未知の窓こそ人間に進化?するプロセスの生命、動物の進化の
 プロセスが遺伝子に書き込まれている潜在意識の世界が隠されている。 開放の窓・Aと未知の窓は対角線・Dの位置にある。
 自分を開放し、自由な行動をすればするほど、自他ともが窺い知れない未知の世界に飛び出す確率が高くなる。
  驚き、感動が人間にとって最も重要な受容能力だが、それこそ未知の窓へ通路。驚き、感動の周辺に知識・知恵が豊富に存在する。
   外は、広い、内は、深い! そして人間には限界があり、それぞれの外は狭く、内は浅いのである。それをソクラテスが・・・
 ・・・・・・・・・
3112,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー5
 2009年10月12日(月)
 初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、あれよあれよのうちに成立しそうである。
4~5年前とは180度違う様相になってきた。アメリカの都合の良い基準に強制されて弱った会社を整理するのが金融庁の役割で、
徹底的に弱者切捨てを指導してきたのが、今度はこれである。 去年の9・15から、日本では恐慌が静かに深く浸透している。
これを前提に考えないと、この法案がアッサリと成立する流れになったことが理解できない。だから、先々週の土曜日の亀井静香と、
TV側の学者との認識の差になるのである。輸出入ともマイナス40パーセント減は現在も続いているし、メーカーなどの現場は
三分の一か、良くて二分の一の稼動率は今も変わってない。政府が十数兆円の景気刺激をしても、現場サイドの声は
「何時まで続くか知れたもの。回復の兆しなど全くない」としか、聞こえてこない。
弁護士などから入ってくる話といえば、「来年の2~3月に、持ちこたえられない会社が一挙に崩壊する
可能性がある」である。 等々を考えると、これは亀井静香が強引に進めている法案というより、「この対策をしないと、
恐慌から大恐慌に移行する可能性がある」と捉えてよいのではないか。また、これは地銀以下?の当面の救済にもつながる。
それだけ日本経済は弱体化している。 特に地方は。更に民主党が掲げて実行を始めるマニフェストで地方の公共事業のストップは、
景気の落ち込みに拍車をかける。自民、官僚、ゼネコンマフィアなどの構造汚職体質を破壊する反面、弾き出された失業者が増加する。
その直撃を受ける中小・零細企業に対しての受け皿の法案という面もある。何度も書くが、2001年の9・11テロから右下がりになり、
何とか輸出で持ちこたえていた日本経済も、去年の9・15のリーマンショックで、大打撃。 何とか緊急の資本注入も、あと数ヶ月で
力尽きようとしている。それを今度は下から支えるのが、今度の法案である。 設備投資産業にとっては神風である。
当方は、それでも新潟駅前再開発があるので、法案が成立しなくとも何とか切り抜けられそうだが、もし再開発が無かったら、
この法案は神風になっていたはず。最近のマスコミの論調も、この法案の慎重論が少なくなっている。 やっと、気がついたのか?
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2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して
 2008年10月12日(日)
 商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。
これまで地元の名士様と群れるのをタブーにしてきたが、全て無料と、仙台が一極化で顧客を集めているのを
ニュースで見ていたこともあり、有難い誘いと参加してきた。 時系列に日程と概要を書いてみると・・・
 28人乗りの中型観光バスで、総員17名で、まずは牛タンの専門店で昼飯を食べ、仙台の商工会議所に訪問。
仙台の実情を聞いた後に、駅周辺の繁華街を見て周り、一度ホテルに戻って、18時から宴会。
2時間飲んだあとは、30分ほど飲食ビル街を散策後、国分町のトアル店に入る。少し高級そうで
6千円位の店と思ったが、「うちは飲み放題で4500円よ!」と言われ安心して、ダブルの氷割りを5〜6杯を飲む。
客種は背広族のエライさんみたいな人たちばかり、二時間ほどいたが、一ゲンの客二人に最後までママが相手をしてくれた。
仙台の夜の雰囲気を味わってホテルに戻り、ベッドで熟睡。 翌日は一次会・二次会と飲んだ割りに二日酔いはない。
バスは運動量が多いからアルコールを吸収・消化しているのだろう。 翌朝は仙台駅から飛行場への直通アクセスの電車に乗る。
20分あまりで便利でよい。その後、一月前に出来たばかりのアウトレットの専門店が120軒集まっているSCへ行く。
あか抜けをしたセンスのよいSCである。 何気なくみている内に、ビジネス鞄と柄物のシャツを衝動買い。
鞄は6万円の半額だが、一目みて気に入って購入。 少し高そうなジャケットも買いそうになったが、止めた。
昼飯は昼飯代と貰った1000円で、マグロ丼を食べたが、丼の中身の半分がマグロの刺身でビックリ、中トロが多くて大満足。 
帰りのバスでは、一番前の座席に座って缶ビールを三本飲んでしまった。 新潟に泊まろうと思ったが、缶ビールのお陰で?
里心がつき、真っ直ぐ帰る。 これが、今回のアラスジ。土産など買ったことがないが、今回は、仙台の『萩の月』を買って帰る。
 仙台は東北6県の首都化のため、土地が大きく値上がりしていることは聞いていたが、駅近くの商店街も、
周辺からの顧客で賑わっていた。 仙台の町内会の連合会の会長の鼻息に、なるほどと感心した。
しかし、バブルの反動と、いずこも同じ郊外の大型SCの影響は、いずくも同じである。
町内会の会合や、連合の寄り合いには参加したことがないので、旦那様的な雰囲気の中で、ただただ大人しく?していた。 
一言一言が、私の常識からかけ離れた言葉の中、40年前の世界にタイムスリップした感覚。
それはそれで立派と感心してしまった。今回、iPhoneを持っていって、株の暴落をリアルタイムで知ることが出来、
ベンリなものだと再認識した。それより頭は世界恐慌になるかどうかの瀬戸際、視察より、そのニュースが気になった二日間であった。
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2007年10月12日(金)
2383, 私の嫌いな10の人びと −2
                 中島 義道 (著)       ー読書日記
まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。
「世間の感受性に漠然と合わせて、無批判的に従っている人が嫌いで、自分の固有の特性に基づいて
考え抜き鍛え抜いているかが決め手」というが、哲学者じゃあるまいし、殆どの人間は目の前、生きることに精一杯のはず。
この哲学者にかかったら、世の中の大部分の人は嫌われる対象になる。しかし、その辺の「世間人」を見ると、そうだそうだ!
と肯いてしまう。自分の弱さをしりつくしている我が身は、大多数の中で自分だけは違う!
と心の奥で呟いているだけでしかない。 好き嫌いはその人の固有の問題だから気にすることはない。
ーー
私は本書では、むしろ大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。
( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日)
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2006年10月12日(木)
2018、「私」のための現代思想  −10                        
「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。
そういえば自由は孤独の極みにあった。過去を振り返ってみて、孤独の極みのときに一人旅に出ていた。
そして結婚と同時に自由は狭まり、孤独(感)も激減した。互いに首輪をつけて紐を握られ、握ってしまったからだ。
「自由になりたい」というが、自由ほど厳しいものはない。自由にはまず「個の確立」が要求されるからだ。
 <他者>了解不可能性というが、これは同時に<自己>了解不可能性になる。
 「誰も自分を理解してくれない」と、悩んでいるとしたら、それは悩んでいること自体が、無知からきている。
  もし誰かに「理解してもらっている」と思ったら、一時的な妄想を抱いているだけのこと。
 いい歳をした男どもが、群れているのをみると気の毒になる。程度と比較の問題で、誰もが群れなければ生きてはいけない
 ことも事実・・  それも人生だが!孤独の人ほど、それが人間の自然の姿である。孤独とは、他者と一線を画すこと、
「自らの分」を他者と画すことである。 和して同ぜずの精神である。 和して同じたとき自由が狭まる。
 −−−
第四章 「私」にとって「他者」とは何か−?
     ー孤独と自由ー
「存在する」が「存在者」という「かたち」をとることによって、何が発生するか、レヴィナスは「孤独」が発生すると言います。
「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知するのみです。 その境界の中で芯としての《私》に気づきます。
自分の外部が存在し、そこに<他者>が存在するのですが、それは<他者の了解不可能性」のよって推測されているに過ぎない。 
このとき《私》は、入り口も窓も無い「閉ざされた部屋」の中にいることを知ります。 これがレヴィナスのいう「孤独」です。
その部屋の中で、《私》はいろいろな概念をつくります。 なに不自由なく暮らすことができます。
しかし、親も子供も、友人も恋人も、そこに「存在しているように」見えるのですが、それは単なる「映像」でしかありません。
彼らは全て<他者>であり、それは恐らく壁の向こうに側にあるだろうとしか思えません。
境界が発生することによって、「孤独」とともに「自由」が発生します。「存在する」ということを「液体である」
という状態にたとえるなら、そこには「自由」は存在しません。なぜなら、それは「全にして一」の存在であり、
動きは取れない状態。どのような場合に「自由」が存在するのでしょうか。それは境界によって他と仕切られた状態になった時です。
それは「孤独」の別名でもあります。その時《私》は居場所を決めることができるのです。つまり、自由とは「個別である」
を前提としているということです。このイメージは、「存在」という海の中で、結晶化した「存在者」が、
孤独に浮かんでいるというようなものです。
( 字数の関係上、カットします−2009年10月12日)
 ・・・・・・  
 2005年10月12日(水)
1653, 北イタリア旅行記−4
字数の関係上、カットします−2007年10月12日
 ・・・・・・・
 2004年10月12日(火)
1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2
11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。
  ーー
・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。
 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。
・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、
 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。
 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。
 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも
 その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。
 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、
 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。
 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。
                                   鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫
 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと
 いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。
 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。
 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカやエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。
 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、
 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。
 −−−
 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。
 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。
 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。
 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。
 ーーー
 ー「閑」のある生き方ー
    著者 中野孝次 発行元 新潮社  2004年10月3日長岡中央図書館
・・・・・・
003年10月12日(日)
921, アイスランド旅行記−1
 ー2003年 10月4日〜10日 
  ーアイスランドという国とは ー
直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。
行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。
その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、
合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。
もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。
乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 
一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。
大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに
18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。
・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。
・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。
・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテンが
 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 
 人口の50パーが漁業関係に従事している。
また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。
家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。
  ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。
・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、
 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。
 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。
 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。
ー何処かの国に似ている。
・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。
・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。
 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。
・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。
・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。
                     −続くー
・・・・・・・・
547, 人生で一番よい時
- 2002年10月12日(土)
母から聞いた話である。
母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の
祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で
あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。
祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。
人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。
「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 
マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?


3486, つれづれに ー閑話小題

2010年10月11日(月)

   * ガラパゴスに戻って
 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモの携帯に切り替えて7日が経つ。
二年前にiPhoneに切り替えたドコモの携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 
で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になったこと、画面が大きくなったこと、
カメラが810万画素になり、タッチ式になったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。
他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、ということで今の機種を選定した。 
しかし他の機種で4〜5万を出したものなら、その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。
   
   * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減
 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、
1994年のピークの664万円に比べ2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり続けている。
世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働きに出たり労働時間を延長したこと、などがある。
増税などを含めると、世帯の収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の世代の大量の
定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行とともに日本経済はますますダウンしていく。
おそらく10年で、更に2〜3割以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円になると、
勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。反面、それほどの貧困感は出ることはないだろう。
中古市場や、フリー(不用品の無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあうシステムが
ネットを通して働くからだ。貧乏だけど、最低限のモノや情報には不自由しない時代になっていく。

・・・・・・・・・
3111,つれづれにー閑話小題  
 2009年10月11日(日)
 *「正座が趣味」は、言い得て妙である
 ある随想を読んでいたら「セイザが趣味」とあった。「セイザというと星座と思われるかも知れないが、
私のは正座である」という書き出しが良い。正座をしている人を見て、格好がよかったと思ったので、
正座に挑戦してみたところ、良かったので続けているうちに趣味と思えるようになったという。
 海外旅行などで長時間、飛行機のエコノミーの席に座ってきた経験から言うと、座席にあわせ深く座り、
腰骨を立てて姿勢を正していた方が結局は疲れが少ない。 まあ人生の姿勢も同じであるが。
私は学生時代に合気道を経験したことと、両親が茶道を趣味としていたため、いつも自宅で茶道の会など、
両親の隣に座らされていたこともある。 もちろん、背骨を立て正座である。
 葬式とか、法事で公式の席で座る機会が多いが、最近は途中から正座を崩すようになった。今度は、
どこまで正座に耐えられるかこころみることにしようか。 で、何年後かに「正座が趣味」と言ってみたいが。
  〜〜
  * 自民党総裁選の結果を総括する!
 今さら自民党を取上げることもないが、谷垣を談合もどきで選出した愚を書いてみる。
恐らく、当たり前のことを当たり前に述べるのだから、ほぼ同じ内容が、よりシビアに政治評論家が切り捨てているはず。
しかし新聞にしろマスコミでバッサリと斬った内容を見てない。 ところで、その選挙、当て馬の何某は谷垣の反対票を
分散するための、「あの連中(自民党壊滅の戦犯)」が仕立てた役割以外の何ものでもない。 
要は、河野太郎と谷垣との選択選挙だった。 そこで主張している内容は、河野太郎の方が一方的に筋が通っていた。
「森元首相など戦犯を追放し、民主党の大きな政府の対立軸として、小さな政府を目指す党にしなければ自民党は再生できない」
全く、そのとおりである。 それに対して、谷垣は「これまでの派閥の領袖や、森元首相など首相経験者の後ろ盾を背景に、
これまでの体制を維持しながら立て直そう」という。 誰の目にも真っ当なのはどちらかは判断できる。
 小泉のアメリカ追随の新自由主義は行き過ぎだったが、といって自由競争はグローバルになった世界経済社会では
必要である。 また、アメリカと協調していくこともである。従って、民主党の方針をそのまま実行していけば
必ずや行き詰り、自滅するのは目に見えている。 その時を期して、今までの悪しき体質のヘドロ体質を思い切って
保守本流の自由主義を目指すのが筋である。 いずれにしても、二大政党としての対立軸は必要なのだから。
 これで、官僚と自民党の守旧派は陰湿な手段で陰謀を仕掛けるだろうが、その辺の匂いは、自然と見えてくるもの。
そうこう考えると来年の参院で、更に惨敗の可能性がある。 その方が当面は良いのだろうが。
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2746, 閑話小題
 2008年10月11日(土)
*7日間で3000円の下落
 株式が7日間で3000円の下落した。それにしてもテンポが速い!フリーターなどの弱い部分に直ぐ影響が出てくる。
その結果、暴発したした事件が続くことになる。昨日、大和生命が倒産したが、この数年間は倒産のニュースが続くだろう。 
他人事ではないから・・・全ての会社、個人にとって、最善を尽くして結果を待つしかない。
歴史的な経済崩壊の日々を生生しいく記録するのも、後年のため良いだろうと思いつつ連日、同じようなことを書いている。
それにしても中越地震、中越沖地震と大きな事件を経験した直後に歴史的なアメリカ発、世界恐慌?を目の当たりにするとは。
それから発生する不安定が、さらに世界戦争レベルの事件を引き起こす可能性がある! 6年前の同日に、
奇しくも8200円割れになったことを書いていた。この後に7600円まで下げているが、当時と、どちらが厳しい状況だろうか?
株式も考えてみたら、共同幻想で成り立っている。それが崩壊してしまえば、下げは下げを呼ぶ。
 *「仙台視察」の感想記
仙台は何度か行ってるが、町内の副会長に「一人ドタキャンが出たので、仙台視察のツアーに参加しないか」と誘われて、
参加してきた。仙台の町内会連合の偉いさんや、商工会議所の担当のレクチャで驚いたのは、東北六県の一極集中化からくる、
景気の良さと強気である。しかし、不動産バブルが崩壊直後という感があり、10年間は、その影響で苦しむことになるだろう。
三井不動産が開発したアウトレットのSCが、ナカナカ面白い。 まだオープンをして一ヶ月だが、大成功のようだ。
10月の16日に、やはり郊外に三菱が同じようなアウトレットのSCをオープンさせる。 
これが大きく仙台駅周辺の商店街に影響を示すだろう。 何処も同じ様な現象である。 
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2007年10月11日(木)
2382, 私の嫌いな10の人びと −1
  「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著)        ー読書日記
この本の要点は「『いい人』の鈍感さが我慢できない」に言い尽くしてある。なるほど、言いえて妙であるが、
『いい人』にも色いろある。中島の嫌う『いい人』というのは世間的な「いい人」である。
それに対し『良い人』とはカントのいう『良心』を持った人ということである。生活していると、積もり積もってゆく
世間の重圧がある。それらに押しつぶされている人達は、良心を足蹴りにしても世間的慣習を優先する。
笑顔を強制されたり、感謝を要求したり、善意を押し付けたり、前向きにさせたり、けじめを教えこんだり、
世間的「いい人」であらねばならないという脅迫観念に、全神経をすり減らしている。
この本の目次を、そのまま書いても、その「世間的いい人の型」が見えてくる。「何時も笑顔を絶やさないで、
感謝の気持ちを忘れないこと。そして周囲を喜ばせ、何ごとも前向きに、自分の仕事に誇りを持ち、けじめを大事にして、
喧嘩をする人がいたら宥めて、人の嫌がることは言わないようにして、卑下することなく、悔いないように生きていくこと、
それが人生の目指す姿である。」まあ、何処でもいる人格円満を演じている市会議員か、地方名士の仮面の姿である。
自分自身からして笑顔と感謝の心は心がけているし、前向きに生きようとしている。
更に、『人生に悔いなし』と自分の生き方を正当化しようとしている。
(字数制限のためカット2010年10月11日)
   ーーーー
この本のーみんなが喜ぶ顔が見たい人ーの中で、著者は夜回り先生の水谷氏に、まずは疑問を呈する。
水谷氏は、夜の世界で薬物、売春などでずたずたになっている若者に、昼の世界に行くことを勧める。まじめに学校へ行く、
働く、家族を大切にするというような昼の世界が幸福を与えてくれることを、水谷氏は信じているようだ。
しかし著者から見れば、それは当然のことではないという。 著者のもとにやって来る若者たちは、昼の世界に
幸福を見出していない人、愛されたことのない子供時代の絶望の体験を持つ人、仕事を失って家族を養うことができない
親の焦燥感を持ったことのある人、病気や障害を持った家族を持つ人、そして将来への不安を体験した人は、
平凡な幸福というものを、普通ということに「それじゃ、やはりつまらないんじゃないのかな」と呟いてしまう。
彼らは実はこの呟きから出発している。そのつまらなさを知った人に、それでは何も答えを出してないことになる。
中島は次のように述べている「私は自分の頭で考えることができず、自分を内省的に振り返ることもせず、
 自分の生き方を人に押し付けるようなタイプの人間が嫌いだ」と。「悔いのない人生」に対しては、
両親の晩年を身近で暮らし看取って、人生を燃焼しきった後姿から得た生きかたである。
しかし目指すのは良いが、最後まで思わないことを言いたいのだろう。
次は、気になる「常に感謝の気持ちを忘れない人」を取上げてみる。     ーつづく      
                  w(´・з・`)バァイ
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2006年10月11日(水)
 2017, 北朝鮮の核実験について
             才八∋ウ_〆(∀`●)
「ついにきたか!」というのが、このニュースを聞いた時の実感である。朝鮮半島の情勢が、そのままつづくとは思えなかったが・・・
いざ動き始めると、日本にとって事態は深刻である。「アメリカの空爆」か、「海上臨検」か、何が起きるか解らない事態である。
最後のカードの原爆を道具に国際社会を脅してきたから、中国・ロシアも隣国として黙っていられなくなった。
「北朝鮮に対する強行路線」を売りにしてきた阿部首相、早速その実行をせざるを得なくなり、かなり際どい場面が
出てくるのは必至。日本へのテロも考えられし、暴発の危険が大になった。これを区切りに日本海周辺は様変わり、
中東なみの事態になった。北朝鮮も土壇場まで追い詰められているのは周知の事実。アメリカがアフガンとイラクに
エネルギーをとられ、イランの核開発の問題で攻撃をしてこないだろう踏んだのだろうが・・・
アメリカが、いや世界が黙っているはずもなく、最終の事態になる。それにしても韓国のノ・ムヒョンという大統領!、
ありゃ何?選んだ韓国民の現在のレベルーをそのまま現している。 韓国民も、よく大統領にしたものだ。 
北朝鮮に対して『太陽政策』だと!、まったく。 これで韓国名物の軍事クーデターの可能性も出てきた。
5年前の9・11事件の事件の流れとして、アフガン・イラクに続いてアメリカにとって次の標的に
丁度よいタイミングである。ただ国力をあまりに消耗しすぎたのが大問題である。
今度は対岸の火事とは、いっていられない戦後60年来の初めての非常に深刻な事態である。
日が経つにつれて深刻度が増していくのは目に見えている。「やれるものなら、やってみな!」と、
言っていられないくなってきた。
                 モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~
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2005年10月11日(火)
1652, 北イタリア旅行記−3
昨日の午前、午後にかけてタイミングよくNHK総合で『世界遺産イタリア縦断1200?・総集編』を放映していた。
今回の旅行前(8月と9月)にBSで放送したものだが、行く前と行った後では、見る目も違ってくる。
今回行ったところではシエナと、チンクエレッテがあった。とにかく石の文化は残るからよい。
一度つくってしまえば、数百年も先祖代々住みつづけることができる。やはり、
日本とは歴史の深さからくる民度が圧倒的に違う。またイタリアも北と南との豊かさの格差が大きい。
ーフィレンツェー
ルネッサンス発祥の地”フィレンツェ”。フィレンツェ歴史地区はフィレンツェの中心部であり、
ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されている。
歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されていて、ルネッサンスの芸術や文化を感じることができた。
イタリア統一後、短期間イタリア王国の首都がおかれていた。
(1865年-1871年)。
フィレンツェは長期にわたりメディチ家の支配下にあった。中世からルネサンス期にヨーロッパにおいて、
商業および金融の重要な中心地であり、文化の中心地域としても発達し、美術、建築の傑作が数多く残されている。
黄金期のミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品が残り、街全体が美術館のような佇まいになっている。
ーその幾つかの概要を書いてみるー
・大聖堂
フィレンツェといえば、その象徴とも言える大聖堂である。別名「サンタ・マリア・デル・フィオレ(花の聖母寺院)」
と呼ばれ、白・緑・ピンクの色大理石を巧みに使った優美な外観を持つ。量感と均衡に満ちたイタリア独特の
ゴシック建築である。着工は1296年カンピオによって始められ、その後ルネッサンスの建築家ブルネレスキが
14年の歳月をかけて大円蓋(クーポラ)を架け終ったのが1436年のことである(頂上のランタン部分は1461年に完成)
400段以上ある石の階段を上ったが、その屋上から見る中世を思わせる町並みの景観はすばらしい。
外側の3つの扉にはレリーフがほどこされている。その中の一つ東側の扉は、ギベルティが1425年〜1452年まで
27年かかって完成させた傑作で、50年後にミケランジェロが「天国の扉」と称えた程である。
・ミケランジョロ広場
( 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 )
 主な所蔵品として、
ーーーーー
2004年10月11日(月)
 1287、「閑」のある生き方ー読書日記−1
そろそろ定年をむかえる団塊世代を意識した内容だ。現代人は忙しいが、忙しさに流されたままでは
充実した人生が送れない、その中にあって「閑」のある生活が、不可欠である。内なる自分を優先して
生きる為に、生活を単純化して、 自分の ハートを大事にして、自分の納得した生き方を勧めをしている。
著者は「風の良寛」「老年の愉しみ」「自分を生かす”気”の思想」を読んで、質素な老いの生き方に同調、
「老いの生き方」の準備の必要性を説いている。そこには多くの引用があった。
良寛の詩集であったり、吉田兼好の「徒然草」、加島祥造訳の「老子」の詩句、セネカの「人生の短さについて」、
尾崎一雄の「まぼろしの記・虫も樹も」、そしてローマ時代の「エピクテートス」の話があった。
40代を迎えた「甥っ子」に、老いに向ってどう生きていくべきか諭すカタチで進んでいく。
物の時代、消費する時代、金本位の時代、経済成長率のあるのが当たり前の時代、自己中心主義の時代の、
(いい大学、いい企業、出世、名誉を重んずる時代の)どっぷりと浸かった、「甥っ子」世代に対しての警鐘が
淡々とつづく。55歳を過ぎ、定年に近い団塊世代に対する書であり、彼らに定年後の生活に入る心構えを
作っておくべきと勧めている。老後の準備をしておくか、おかないかで、ーがっくりした悲しい末路になるか、
ー老年を自由の時として楽しめるかの、生き方に分かれるのだ。
   (以下は字数の関係上カット・2008年10月11日)
・・・・・・・
2003年10月11日(土)
920, ある時間の断面ー41
  11月18日 1968年
・11時起床
15時過ぎまで試験の勉強をする。その後、試験のため大学へ行く。
試験終了後、学食で酒向と偶然会う。川崎君と三人で「嵯峨」で一杯飲み、その後パブ「エリート」へ行く。 
( 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 )
・・・・・・・
546、株下がるー非常事態?
- 2002年10月11日(金)
株価が一時だが8200円を割った。8500円までは下がるといっていたが、軽く割ってしまった。
今度は8000円を割り込むかのポイントになってきている。7500円を割る可能性もでてきた。
8000円を割るということは殆どいわれてなかった。「どうなるんでしょうか?」と聞いても、
誰も経験してないのでコメントのしようのないのが実情だろう。銀行に金を借りるとき、持合で
その銀行株を持たされるケースが多い。痛むのが銀行だけでなく、持合の会社も足を引っ張られるのが多い。
数年前に地元のスーパーがそれで数億引っかかったことがある。 長銀だった?
今はすでに恐慌スパイラルに入っているのか?今朝のNHKニュースで、企業への銀行貸付の審査の
厳格化を更に徹底するといっていた。本当に悪いなら仕方がないが、こちらまで問題会社にされかねない。
小泉は半年か一年以内に頓挫する! 先日までは支持していたが、ここで評価は変わった。
政変が起きる、間違いなく!不況感が更に深った! マスコミが悲鳴をあげるように大不況を取り上げ出した。
  (字数制限のためカット2010年10月11日)
・・・・・
[181] テロの影響  
          2001/10/11
 昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに
目を通して、改めて戦慄をおぼえた。‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!やはり初め直感したとおり、
9月11日以前と以後といえる位の段差のある出来事だ。その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。
成田空港はガラガラ、昨日TVで相撲の元横綱の曙がハワイの観光地の宣伝をしていた。4割の客が減ったそうだ。 
実際そんなものですんでないと思われる。実際古町にしても駅前の飲食店も、2~3割トの売り上げが減るだろう。
そうでもなくても死に掛けているのだから、本当に死活問題であろう。10日まえに古町にいったとき、
ほぼ毎日お茶引き(客が一人も来ないこと)で、廃業直前とある店のママが言っていた。
当ホテルの第二が飲食客の流れの宿泊が多いが、端的にその減少が見えてきた。
新幹線に警官の姿は年に2〜3日しか見なかったのが、数人車内の中を覗き見ている。
 それにしても、あの国会議員の質疑内容のひどい事!日本が6000人殺されても、黙っていろというのか。
国連に提訴して、その判断に従えというのか!アメリカがその相手を探し出し殺してくれるというのか?
あれが国会で議論されているー実際馬鹿馬鹿しく見てないが見なくとも解る!
国の態をなしてない!どうしてこうなったのだろう? アメリカの隷属国家に安住しているためだろう。
自民党と社会党(社民党)の今の姿がそのまま現状を表している。「文芸春秋」は内容があった。「現代」はひどい。


3485, エッセイ脳 ー2

2010年10月10日(日)

  「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)

  ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー
・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、
「どのように」にあたる部分がBになる。単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは読み手(公共)
 の納得の方が優先されなければならない。そのため、「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先され
 なくてはならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる題材を探さなければならない。
・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていてもよい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。
 テーマに合わせて題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。
 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、抽象的だが題材は個別、具体的になる。
・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。
「ある=起、ある=承、へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして、「へえっ〜=転」が、書きたいことの中心にある。
 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。
 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを
 考えればよい。他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。したがって「転、起、承、結」の順に
 なってくる。それはテーマが与えられてない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。
・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみの文、セリフ「 」に括られるもの、などある。
 これは小説でも同じである。もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。枠組は頭にはたらきかけ、描写は、
 感覚にはたらきかけるケースが多い。
・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイ
 こそ、エッセイのエッセイの由縁である。 セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、さらに再現性がある。
・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」)
 を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。
・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。
・注意事項として①具体性に心かけ②文章は短く③文の見た目(ビジュアル)に配慮ー余白など④文のリズムに配慮する、になる。 
〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。
 ・・・・・・・・・
3110,生きる幻想 死ぬ幻想
 2009年10月10日(土)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を
世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、
といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。
「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。
現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。
  ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー
 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。
本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、
そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、
人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。
自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう
世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、
現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を
形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。
この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略)
 ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、
多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に
それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると
言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな
形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。
ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。
一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、
差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、
信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。
   (以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
・・・・・・・・・
2745.サブプライム問題と「ファウスト」 −2
2008年10月10日(金)
 *メフィストフェレスのモデルはジョン・ロウ
ゲーテが第二幕のこの場面で、「紙幣」の創造を語ったのは、単なる思い付きではなかった。
それは、「ファウスト」という作品そのものの制作動機と深くかかわっている。つまり、「紙幣」の創造に象徴される「錬金術」
こそが、この不滅の名作のテーマなのである。南ドイツのフライブルクに近いシユタウフェンという町に、こんにちでも獅子亭
という宿屋が残っている。その外壁には「一五三九年、黒魔術師ファウスト博士、獅子亭に死す」という碑文が刻まれており、
ゲーテの戯曲の主人公、「ファウスト」は、この実在の黒魔術師がモデルだといわれている。「黒魔術」とはほかでもない、
「錬金術」の別名である。「火」、「土」、「水」、「空気」の四つの要素に、「哲学者の石」という「フィフス・エレメント
(第五の要素が加われば、「鉛」のような価値の低い金属を、「金」に変える魔法のカが生み出されるという「錬金術」の思想が
誕生した古代エジプトでは、「ケム」と呼ばれる黒い土が簸金術に用いられていた。ゲーテはジョン・ロウをモデルにしていた。
ーまずは、ジョン・ロウたる人物を分かりやすく欠いてあるブログから抜粋してみるー
1715年に太陽王という異名をとったフランスのルイ14世が亡くなっています。この当時のフランスは、度重なる
戦争の影響で深刻な財政破綻に瀕していたのです。新しい王となったのはルイ15世ですが、わずか5歳の幼少であったため、
オルレアン公フィリップが摂政を行うことになったのです。 フィリップは遊び人で、たびたびパリのカジノに出没していたが、
そこでジョン・ローなるスコットランド人と知り合い意気投合。
 このジョン・ローなる人物は大変の頭の良い男であり、とくに経済理論に通じていたのです。後に英国の新古典派の
経済学を代表するアルフレッド・マーシャルやあのカール・マルクスは、彼のことを次のように批評しています。
 (以下、字数の関係でカット2008年10月10日)
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2007年10月10日(水)
 2381, 下流社会 第二章
 産経新聞・土曜版の産経書房というコーナーの
「下流社会 第二章」 ーなぜ男は女に負けたのかーの書評が、面白い! 買って読むほどではないが?
 前書の「下流社会」を読んでいたので、尚のこと面白い内容だった。
  まずは、そこの部分をコピーしてみる。
ー「女性と国家にすがりたい!」が、下流社会の男の本音ー
「品格」の名のつくミリオンセラー2冊を当てこすったわけではありませんが、これが今の下流男性たちのホンネです。
その「心」を問う前に、そもそも下流とは何かについて、簡単におさらいしておきましょう。 
格差論争に「火に油を注いだ」と著者自ら振り返る前著『下流社会』は80万部を記録し、ネットを中心に物議も醸しました。
(以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
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2006年10月10日(火)
2016, 「私」のための現代思想  −9  (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
*まずは第四章の内容を大まかに書いてみる
 この章では、「私」にとって「他者」とは何かを掘り下げている。「他人」と「他者」の違いと、「他者」は「私」
にとってどういう位置づけなのか? その意味と位置づけが、この章を読んでいると少しずつ解ってくる。
「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知する。その境界の中で、芯としての《私》に気づきます。
他者との境界が、内なる《私》をつくっていく。他者は時間とともに変わり、消滅しても「境界」と、内なる《私》は残る。
この汝らとの境界が発生することによって、それまで未分化だった「私」は、明確な「形」をもつようになります。 
これが《私》の発生です。《私》は、他者の「声」に触発されて発生する「私の核」である。それがいつの間にか、
私の境界を守るようになる。それが孤独を発生させ、「固別であること」の自由を得ることになる。
その《私》は「他者」を自分の都合の良いように認識する、その姿が「他人」となる。「他人」の姿は、《私》が自分の
物語のためにつくり上げた「他者」の像でしかないのか? そう考えると、全くその通りでしかない!
 ー以下は、要点を抜粋した内容であるー
第四章 「私」にとって「他者」とは何か −?
 この章では、私たちの存在の核である、《私》の成り立ちを明らかにすることによって、<私><身体>を
所有することを考えていく。他者と他人は異なる概念であるということに注意すること。
<他者>が、<私>によって認識されたとき、その認識された像を「他人」という。
ここでは、まず「<他者>とは何か」ということから考えはじめる。ところで、<物語>と<世界>を所有した人間は、
その物語を遂行する際や、世界認識において、<他者>と対立します。<社会>とは、異なる物語を生きる者たちの
集合体なので、そこに行き違いが発生する。行き違いを調整して同じものを目指そうとする必要がありません。
<他者>の了解不可能性を認識し、闘い、共振することを目指すだけで、<社会>を所有することができます。
<他者>の存在を想定することによって、<社会>を所有することができるのです。
ーレヴィナスの <他者>−
(以下、字数の関係でカット2008年10月11日)
                      モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~
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2005年10月10日(月)
 1651, 北イタリア旅行記−2   ードロミテ渓谷ー
オーストリアと国境を接するドロミテ渓谷。アルプスの雄大な山々と奇峰の間の道をバスで通りながらみる光景は
感動の連続であった。オーストリアからの抜け道的な道路は、第一次、第二次大戦の時の軍事道路として開発され、
その後その景観の美しさから山岳リゾート地として知られるようになった。イメージとしてスイスに酷似しているが、
210?にわたる道路からみる景観は今回の旅行のハイライトであった。その中で、やはりボルドイ峠にみる
カレッツァ湖の美しさが感動的であった。石灰岩の岩肌がむき出しのノコギリ状の山々が次から次と雄姿を現していた。
山と空は、その地域特性をそのまま露出して見せてくれる。観光初日で、既に感動のピークになってしまった。
山の美しさは、何故これほどまでに人の心をうつのだろう。カナダのロッキーが広大の大地を背景にした
山の美しさなら、ドロミテは奇景の山並みの間からみる美しさである。
 ーべネツアー
べネツア観光当日の雨は残念であった。この日が快晴ならば、この旅行は最高級の旅行の分類に入ったのだが。
ベニスが西暦800年から1800年までの1000年間も独立国していたことを、今回はじめて知った。
ローマ帝国と、トルコの間にあって、このような小国が独立を保てたのは奇跡に近い。海に突き出た島々に位置し、
攻めるには膨大な海軍力が要するからだ。海に突き出た島も入り組んだ細い川?が道路のようにあり、水上バスや
水上タクシーが移動手段として使われている。メイン道路が川で、側道が歩道になっているところが風情がある。
ベニスは日帰りではなく数日の間滞在してじっくりするところ。天候が良いという前提だが。
結局、自分が実際に目で見たことと、経験したことが自分を構成してしまう。
だから自分の壁は、経験と見聞を広げるしか乗り越えることができない。旅行は、そのことをよーく教えてくれる。
雨のベニスもすばらしいが、この日の雨はかえすがえす残念であった。       ー つづく
・・・・・・・・
2004年10月10日(日)
 1286, 内部告発ーもう一つの情報化
UFJが刑事告発をされたが、発覚は一本の電話だったという。「UFJ東京本部の3F会議室に、
金融庁に説明をしたものとは別に資料が隠されている」という電話が去年の10月9日に入った。
これがUFJ銀行を三菱東京銀行に統合されるまでに追い詰められる契機になった瞬間であった。
そこで金融庁の検査官が入って見たものが100個のダンボールの箱だった。これが内部の隠語で「やばファイル」である。
常務以下の三人の役員などが告発を受けたが、当時の社長や副社長や専務などが知らないはずがない。
早速、副社長宅が捜査に入られたが、それにしても恐ろしい事である。誰が電話をしたのか、そのあたりの事情を調べて
いくと一冊の小説になる。いまはデジタルカメラや、カメラつき携帯電話がある。脱税で上げられるのは殆ど内部告発という。
数十年も前の話だが、私の知人の会社に税務局が入った。何と社長の自宅の隠し金庫に、税務暑の担当が直行したという。
私が、「おかしいと思わないのか、内部の告発だよ!」というと、ハタと考え込んでしまった。
そこは、家族しか知らない?はずだが。何か複雑な情念の凄さを感じ取った。
厳しい時代になったものだ。4大大手銀行が、内部告発の一本の電話であえなく消えてなくなるのだ。
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2003年10月10日(金)
ある時間の断片ー40
  11月15日  1968年
・8時過ぎ学校へ出発。「人事管理」の授業に出席。終了後。先生と顔を合わせるが、緊張をしてしまった。
自分に自信がないためか。全て見抜かれているようだ。授業終了後、高木の車で寮近くまで送ってもらう。
再び、ゼミに出席のため、大学にいく。15時から17時まで教授と同期の3人と「東レの派遣学生」4人と
議論をする。特に田島が教授に対して好戦的な議論を仕掛ける。大した神経の持ち主である。そして自信も凄い。
その後、田島と二人で学食で夕食後喫茶店へいく。カナダに行きたいといっていたが断念をしたと告白した。
その理由を話した。
・カナダの叔父さんから手紙で、甘さを指摘された。    ・母から家庭に事情で行かないで欲しいと哀願された。
・アルバイトをしていて、世間の事情がわかってきたこと  ・兄夫婦を見ていて、実直に生きる必要性を感じた
・遠くを見つめすぎた、夢のようなことばかり言っていられない等々理由を挙げた。20時過ぎに帰寮。22時から机に向かう。
 ー11月16日 1968年
・朝10時半起床。大学の書籍部へ行く。どういうわけか今日は誰も会わずじまいだ。こういう日もあるのだ。
(以下、字数の関係でカット2008年10月11日)
・・・・・・
545, 物書きの凄み
- 2002年10月10日(木)
このホームページで素人レベルで毎日文章を書いているが、プロは凄いとつくづく思う。
毎日文章を書いているから、それが解るだけの話しだ。作家の椎名誠が週刊文春に、「赤マント」という連載を書いている。
5年位前に、たまたま買った内容にただただ驚いた。「新宿駅で、お腹がおかしくなり、トイレに駆けこもうとしたが、
間に合わなかった具体的な事情」を詳しく書いているのだ。誰もが「あわや!」ということがあるはずだ。
「くそったれ」「クソ!」というとおり、日本人の一番の恥でもある。「デモノ・ハレモノー出物、腫物ところ嫌わず」
というが、これは「大便、生理」の掛け合わせの言葉だということが最近解った。アメリカのクソという同意語は
「ファック」だ。海外旅行の心配は、これが最大の事だが。誰もが過去に失敗の一つや二つや危機一髪はある筈である?
それをネタにして、読者をひきつける凄みはやはりプロでしか出来ない。 その後の「赤マント」に、この文章が大反響を
したと書いていた。瀬戸内寂聴が「作家は大通りの真ん中で、素っ裸で大文字で寝ているようなもの」と書いていたが、
その凄みを垣間見た思いだった!露悪趣味と捉えるか、人間的側面の原点の表現と見るかだ。
私など偽悪趣味でしかない??!!偽善もあるが!
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179、創造について-2
 2001/10/10
創造とは‘カタチ’ にすることである。言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると
・‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり
・‘カタ’は  −型,形ー  枠組みにする、 システムを作るということになる。
 ( アイデアの実現の計画化ともいえる)田は字のとうり枠組みであり、‘か’と‘た’をつけて形になる。
・‘カタチ’ −カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。
 創造について、システム工学の城功氏の本に書いてあった内容であった。
なるほどと唸ったものである。これはアイデアが出た後、これを実現化していく内容を簡便に分解したもので、
非常にわかりやすい内容であった。カレーライスを例に取ると、急にカレーが食べたくなったとする。
これがカである。冷蔵庫の材料を頭に浮かべ、スーパーにいって足りない食材を買い、仕込む、これが形作りである。
そして煮込むこれが血である。これが国作りでも、会社でも、ビルでもみな一緒である。
かー>かたー>かたちー>これを知らないうちに何らかの形でしている。もちろんこの文章も、そうである。
まずはテーマ次に枠組みを考え、時間をかけて修正、そして一挙に書き上げである。


3484, エッセイ脳 ー1

2010年10月09日(土)

 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)
     ー内容ー(アマゾン)
   言葉の選び方、書き出しの心得、起承転結の「転」を利かし書き手の「ええーっ」を読み手の「へえーっ」に
  換える極意とは?しなやかに感じて、したたかに描く、奥義を伝授。人気エッセイストが初めて明かす文章術。
  第1章 テーマは連想の始動装置―「私」と「公共」の往復運動
  (何を、どのように書くか―エッセイの基本要件;学習で高められるもの―他者が読みたくなる要件 ほか);
  第2章 頭にはたらきかける文、感覚にはたらきかける文―無意識を意識する
  (文章のはたらきに着眼―三種類の役割;枠組の文でアウトラインを―「描写」を「枠組」で引き締める ほか);
  第3章 リスク回避と情報開示―「自分は他者でない」宿命を超えて
  (読みにくさは個性か―読みやすさの必要性;自分≠他者の宿命を超えて―読み手はヤマ場が見えていない ほか);
  第4章 文を制御するマインド―「筆に随う」はエッセイにあらず
  (言葉を選ぶ三つの側面―検討すべきこと/正確さ/主述、並列、呼応;クリエイティビティに先立つもの―
  〜〜                                       崩れを防ぐ方法は ほか)
 著者の岸本葉子はプロのエッセイストとして20年以上書いてきた経験から生まれたノウハウを、そのまま書いている。
私のような「エッセイか、読書日記か、論評か、何か訳のわからないテーマ日記」を10年書き続けてきたものにとって、
一言一言がズッシとくる。彼女は、エッセイを書く人はすべて「ある、ある、へえー、そうなんだ」を目指すべし、という。
さらにテーマを決めてから題材を集めるののではなく、逆に題材を先に決めてからテーマをつける手順は、私も経験から
身に付けてきた。また起承転結 の「転」から起・承と結を書いていく手法に目から鱗であった。それと改行や、「 」など、
見た目も意識すべしという。なるほど、プロともなると、どれもこれも納得する言葉ですべてが満たされている。
「自分の言いたいことを、他者が読みたくなるように、書く」という。しかし自分は他人ではない。 その宿命を越えて、
相手に訴えていかなければ、良いエッセイは書けない、「自分の思いを相手に解りやすく伝えることこそ人間にとって
最も必要なこと」が、一貫して流れているテーマ。「起承転結の起と結のかね具合」と考えていたので、転は目から鱗である。
 ・・・・・・・・                                      ーつづく
3109,サエゼリア
 2009年10月09日(金)
* 村上龍のカンブリア宮殿
 以前にサエゼリアについて書いたことがあるが、大不況の中で最近、再び注目を浴びている。
テレビ東京に「カンブリア宮殿」という村上龍がメインナビゲーターの番組がある。それぞれの会社のトップを
インタビューをしながら、成功の秘密を探る番組である。先日、珍しく家内が自主的に録画をしてくれた番組を見た。 
 私たちは「サエゼリア」のファンである。 家から100mにあるのが最大の魅力だが、兎に角安い。
同じSC内にあるスーパー原信の惣菜よりやすい感がする。それと、高校生からファミリーや私たちの年代まで
気楽に入れる雰囲気が良い。 しかし、そのサエゼリアを褒めると、次男や会社の副支配人は顔をしかめてしまう。
「あんな女、子供の屯している煩い店。それに料理は美味くも不味くもない味。イタ飯なら個人店の少し高い店がよい」云々。
「世界中の美味しいものを食べつくして、好きというのだから、そこを斟酌しろよ」といっても、思い込みは変わらない。
「美味いものは、癖がある」ので、時たま食事に行くには良いが、度々ならば、あまり美味くない方がよい。
食べたことを直ぐに忘れてしまう程度がよいのである。まあ、趣味の問題。 ところで、何時も気になっていたのが、
そのシステム。 特に厨房内である。 この番組で紹介していたが、あれだけの客席の厨房に店員が一人には驚いた。
サエゼリアの社長の話していることは、ペガサスの渥美俊一のオウムカエシだが、忠実に実行しているところが凄い。
 ーTV東京の番組紹介から ー         
イタリア料理専門店のファミリーレストラン・サイゼリヤは「安さと美味さ」で勝負。創業以来右肩上がりで
売上849億円を叩きだす。
(字数制限のためカット2010年10月9日)
・・・・・
2003/04/28
 サエゼリアで思うこと
 サエゼリアのことは、よく事例として書くが更に書く。先日の新聞でスパゲッテーを何割か値下げを発表した。
290円ラインのスパゲッテの新商品も新たに加えていた。少し工夫すれば夕食を二人で千円で済むことになる。
ドリアにスパゲッテーにミニサラダにグラスワインで千円である。さすがである。ー以下の文章は数ヶ月前に書いてそのまま
ペンデングしておいた内容である。イタ飯レストランのサエゼリアのニュースが出ていた。前年の9〜12月の既存店の売り上げが
マイナス14?という。それでもこの三年間で450店の出店をして1000店に持っていくという。
豪州にその為の工場を作って完成したと日経新聞に書いてあった。 この店には自宅の至近距離にあって、月に1〜2度は行く。
スーパーの弁当と同じか安いのには驚く。そして行く度に値段が下がっている。量も減らしているが、不味くはないのが良い。
1千店になった時に規模のメリットがさらに出てくるだろう。殆どの商品がセントラルキッチンから半製品になって店に送られてくる。
あれだけの席のホールをアルバイトと思しき若い子が1〜2人でこなしている。忙しくなると中の人が飛び出してきて、ホールを
手伝うのも合理的だ。品出しをした後、必ず食べ終わった食器を下げるのもこの店の特徴である。
 考えてしまうのは、このような勝ち組で業態がしっかりしている店が14?の売り上げダウンという事だ。
実勢として15〜20?のダウンが今の日本の消費の実態ではないだろうか。北海道出身の家具のニトリも定点観測で数ヶ月に
一度は見に行くが、行く度に安い商品に重点が移っている。応接セットのイスと机もばら売りに切り替えている。それだけ厳しく
なっていると考えてよい。ー以上が数ヶ月前の文章だが、それからやはり手を打って客単価を下げてきたのだ。たまたま至近距離に
あるので、定点観測をしやすいので注目しているが、居酒屋も含めて飲食チェーンで一番お値打ちを感じる。
最近はチェーン店以外に入ると、いつも失望して店を出てくることが多い!
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2744, 劇的な毎日が刺激的だが、凄惨な日々が待つ?
2008年10月09日(木)
 *東証が1万円割れ、NY株も一万ドル割れ
株式がジワジワ下げてきたが、二日前に日米ともに一万割れになり、現在は9200円近くに下がり続けている。
次は前回の下げの7600円が目安になる。 状況からいえば4000円でも不思議でない。10月中は一万台は持つだろうと
思っていたので、驚きである。9月15日から始った金融恐慌の波は日ごと大きくなってきている。 
東証株価は去年の同時期からみると45%の株価の下げになる。企業も、個人投資家にとっても大きな痛手になる。
ホテルは景気に直接影響を受ける商売。小団体が何組か入っているので現在のところは数字は出来ているが、
それを除くとマイナスである。駅前の飲食街も、このところ立て続けに長岡の飲み屋街に行っているが、
どこもホボ客は皆無。深刻をとおりこした状態である。 事業所のある新潟駅周辺の飲食街も殆ど歩いていない状態! 
なるほど、これが恐慌前夜の状況かと・・心の底ではアメリカの金融崩壊に拍手を送りたいが他人事でないのが米国属国の悲哀。
まずは欧州に飛び火をして大きな影響を出ているようだが本格的な危機は、これからである。
あのGMの倒産確率が95%、そして次の金融機関のターゲットはシティー・バンクだが、最近のニュースでは
バンカメの株が26%暴落し$23になっており、一気に経営危機が表面化し、近々に$20を割り込み、$10をも
割り込む暴落状態の可能性があるという。もし、シティーとバンカメが消滅したら、世界は最大級のパニックになる。
ソ連の崩壊を目の当たりにして驚いたが、今度はアメリカの崩壊過程を連日目にしているのである。
色いろのブログの中の生々しいレポートによると、アメリカはパニックで金融恐慌の話題一色という。
一ヶ月も経ってないのに、連日飽きもせず金融危機のニュースが飛び込んでくる。
それが日ごと深刻な内容になる。十月から十一月にかけて、更に大荒れになるだろうが、金融危機は、我われの生活に
直接に影響してくるから深刻である。現在進行中の一連の出来事は、私が生を受けて最大の事件である。
家内がTVで誰かが『日本は破滅だ〜』と言っていたとか、NHKのニュースで急遽上場を延期した会社社長が、
「台風と、サイクロンと、大地震が一度に襲ってきたような状況の中で不安で延期するのが当然のこと」
と言っていたが・・・・ 恐ろしいことは、アメリカの大統領選挙でアメリカの頭脳が麻痺していることだ。
大統領の交代時期が来年の一月というから、一番重要な時期に手を打つべきことが最小になることだ。
現在の日本にも同じことがいえる。 それでも十数年間にわたり金融に関しては合理化をしてきたので
金融バブルは最小だったようだが?  恐慌は数年間で大小の会社の半分は消滅するというから、
せめて自分のところだけは生き延びないと! サバイバルの世界に入ったということだ。
イラクは早々にアメリカ軍は撤退だろうし、北朝鮮も金が回らなくなって政変間近になったし、中国も荒れるだろう。
恐慌は国際間の緊張を呼び込み世界戦争への道を作っていく作用がある。 恐ろしい状況である。
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2007年10月09日(火)
2380, ハンモックのある生活      才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
「ハンモックを二つ買った」ということは、他のコーナーで写真付で書いた。
一つは2Fの居間の隣のベランダ用に、一つは室内用のハンモック・チェアーである。
この三連休、非常に有効に使っていた。このハンモックの脚に古い靴下を履かせ、本を読む時、TVを見る時と、
居間の中を気楽に移動できるようにした。その為、居間がこれ一台で様変わり、もう数年もあったかのように鎮座している。
我々は座っている時、寝ている時、身体にベッドや椅子の接触面に重圧がかかる。
そして、それが当然のことと思い込んでいる。寝ている時に何度も寝返りをうつのは、それに耐えられないからである。
ところがハンモックは、その接触面が網のため重圧が最小になる。 さらにブランコのように揺れる。
それが不思議な感覚になるのである。 その妙な経験すれば、その浮遊感の虜になるだろう。 コンパクト・ハンモックは、
「網で出来た揺れるベッド」ハンモック・チェアーは「網のブランコ」という感覚であり、網が身体を包み込む感覚と浮遊感が、
異次元世界の入った気分にさせてくれる。ハンモックといえば、木と木の間に網を吊るして寝るもので、
日常の生活とは無関係の存在であったが、吊るす木の替わりに鉄パイプを組み立てて(コンパクトにすることで)
何処にでも設置したのは知恵の産物である。家内は新しいものを拒否するタイプ、当然居間の中に異物が入ったため、
この事態をどのように判断してよいのか、戸惑っているようだ。常に一週間は文句をいって、その後は黙する。 
Xチェアーのデザインが居間とフィットしているので、時間の経過で、その拒否反応は解決するはずだ。
ますます、カウチポテト族か 馬鹿になる!いまさらか。
(参考のために、コンパクト・ハンモック=5000円、Xチェアー=16800円。税送料込み)
             ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ フウ〜
・・・・・・・・・
2006年10月09日(月)
 2015, ゴミ少女 −2    (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
この写真とゴミ少女に対して論議を呼びおこし、多くの意見が寄せられたという。そんな中に写真家は、
ある日一通の気になるメールを受け取った。25歳の元・ゴミ少女からで、読んでいても説得力がある。
その彼女にあって藤原新也はインタビューするのだが、彼女たちの心の深層を見事に浮かび上がらせていた。
 ーまずは彼女のメールの内容であるー
私は、吉野さやか(仮名)といいます。25歳です。サイトで貴方の原稿を拝見しました。
で何かいいたくて打っています。私は彼女たちと地続きの人間です。
地べたに座っているときは、無敵でした。毎日、楽しくなさそうに働いている大人を馬鹿にしていました。
ギャルはギャルでないすべての者を見下しています。そうすることでしか、自分の存在意義を見出せないからです。
「ゴミ化」という言葉を使われていましたね。当初、藤原さんに否定されたと落ち込みました。
ーその中で幾つかを抜粋してみるー
 (字数の関係でカット09年10月9日)
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2005年10月09日(日)
 1650, 北イタリア旅行記−1
9月30日〜10月8日まで北イタリアのツアーに行ってきた。 ミラノ、ドロミテ街道、べニス、ピサ、フィレンツェ、
シエナ、チンクエテッレ、サンタマルガリーリグレなどである。何回にかけて書くが、今日は総括の感想を書いてみる。
実質、7日間の滞在中2日、雨になった。ドロミテの二日目と、ベニスの観光の日である。
特にベニスは期待していただけに残念であった。山や海は、荒れたら悲惨である。
ベニスはもし快晴であったら、すばらしいはずである。土砂降りでも、あれだけよいのだから。
イタリアは世界遺産の宝庫といわれ、39ヶ所もあり世界最多を誇っている。3千年の時が遺跡という形で、
そのまま残こっている。いかにローマ帝國が偉大なものであったか現在でも巨大な遺跡建造物から窺い知ることができる。
今回は遺跡は殆どみることはなかったが。オーストリアと国境を接するドロミテは峻険な山々の間を・・・
また美しいリビエラ海岸のチンクエレッテは・・・ これは明日書くので止めておきます。
それにしても、イタリア男は女性を見ると誰もかしこも、直ぐに口説きにはいるには驚いてしまった。 
女性の添乗員が、『イタリア男は、誰もかしこも女性とみれば口説きに入ります。
それは年齢とか、美貌に関係ありません。充分に気をつけてください。それがマナーと思っているようです。
イタリア男は、そのことしか考えていません』と言っていたが、なるほどその通りであった。
このところスイス、オーストリア、北イタリアと欧州が続いたが文明国は、このあたりで当分やめて秘境に切り替えである。
一年以上も海外に出なかったのは20数年来であるが、海外旅行はストレスの解消になる。     ー つづく                  
・・・・・・・・
2004年10月09日(土)
1285, 「北朝鮮人権法」
先日、何気なくニュースを見ていたら、アメリカで中国・北朝鮮に厳しい
「北朝鮮人権法」が法案が可決、今後アメリカの政策はそれに従うという。
(以下、字数制限のためカット 09年10月9日)
・・・・・・・
2003年10月09日(木)
 ある時間の断片ー39
 11月13日 水曜日  1968年
8時起床。9時に友愛バザーの手伝いで文京区役所に行くが、実際は10時であった。一時間近くを散歩をして時間を潰す。
売り始めたが、さっぱり売れない。仕方がないので寮の駒村を呼び出す。彼が来てから、俄然と売れ出す。
という事は私に問題があったからだ。如何して売れないかを考えなかったからだ。
16時に帰寮、20時から26時までゼミの予習をして就寝。
 11月14日
・9時起床。
9時半に大学に出発。 到着後、掲示板を見ていると川崎とバッタリと会う。
学生証を忘れてきたので、丁度良いので借りて学食で食事。
図書館に行くと雨宮君がいる。一時間近く話す。彼も面白い人間だ。去年新潟の自宅に二泊していった男だ。
典型的な都会っ子だ。進路を迷っているようだ。昼飯を川崎と食べる。その時、川崎に私の毒舌を指摘される。
彼に対して「隙と甘え」があったようだ。「価格理論」の授業に出席後、石川譲治と「ウエスト・サイド」
へいく。彼はいま私と感情のもつれがあり上手くいってない。かなり混乱しているようだ。
少し覚せい剤を飲んでいて、時々おかしなことをいうが。彼からは多くのことを教えられた。
・・・・・・
544, 「シャムネコという店」
 - 2002年10月09日(水)
10年前にある不動産を買った時のオ-ナーに紹介された店に「シャムネコ」という店がある。
 一年に1〜2回位行っている店で、知人などを新潟の古町に案内する時に連れて行くと喜ばれる店だ。
 一昨日に一年ぶりに行ってきた。この店の特性が面白いのだ。
・シャム猫が3匹いて、この猫が接客をする。この三匹に序列があり、社長、専務、常務と言われている。ママは従業員という。
・店に入ると社長が挨拶に来て接客をする。自分の役割を知っているのが面白い。帰る時は必ず外のエレベーターまで見送る。
・つまみ等を口に持っていっても絶対に食べない。
・社長が疲れると専務が交代に出てくる、そして常務が最後に出てくる。序列が出来るまで、死闘がおこなわれたという。
・その店のいま一つの特性は整理をしない店の雰囲気を売っている。 雑然としているのだ。10〜15年前のビデオテープが
 置いてあったりする。阪神の掛布のテープがあったりして見れる。夏なのにコタツがそのままあったりする。
・とにかくそこに行くと休まる。自然体の不思議な雰囲気の店である。今はないが、ドアに一見お断りの張り紙があって、
 紹介される前に前を通り「変な店がある」という記憶がある。 その時は恐ろしくて入らなかったが。
・15〜6席あるカウンターが5〜6人も座れないほど昔の変なもので溢れている。
 計算ずくで逆転の発想で売っている店である。一年に一二度行くに良い店だ。
・・・・・・・・・
[180] 創造ー1(心観学術態)
 2001/10/09
会社を作るときまずは
1、理念、 2、何をやるか  3、何をモデルとするか 4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、の手順を踏む。
 別の例をとれば医者の例がある。医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、
 そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。
 そして勉強をするーこれが学である。そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターになり、
 学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。そして医者になるこれが態である。
・心ー目的、中心点、目指すところ。  (芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深
・観ー観点、視点  (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・
・学ーその視点から学ぶ  (楽・学・愕
・術ー学んだ結果身につく、熟練する  (術
・態ーそれがカタチとしてみえている  (態・体・諦  心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。
・ 心ー会社の理念、個人の信念、国の国是−ー芯というところか!
・ 観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に手をだして妊娠させてしまった。
  帰りのの電車から、20数件の産婦人科のネオンが見えたという) たとえが悪いが、解りやすい!
・学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。
・術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化
・態ーカタチ 逆もある。業態−現象から学・観・心を観ていく


3483, フューチャリスト宣言

2010年10月08日(金)

「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
 ー内容(アマゾンより)
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。
過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬はないのか?
談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。
未来創造の意志をもって疾走しよう。フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。
  〜〜
 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を
明るい視点で見つめる「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸とした社会の変化や
人間の存在のあり方の変化を語り合っている。「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。
1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目がアップル社のリンゴ、そして4つ目が
「フューチャリスト宣言」。肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 
現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、それを可能としたツールが日ごと進化し、
身近に新しい可能性が次々と出来ている。「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」
と茂木は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」という明るい見通しがある。
パソコン&インターネットは「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」の大革命という。
既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に
捉えなければ、生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や一匹狼たちにやさしいと
語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力である。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで
新しい何かを創りあげる可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは「学ぶ」という
最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、
ここで二人は、「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性をその特質としている」と語る。
「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが
機能する可能性がネットにはあることだ。 茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験という
システムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。  
 今更いうまでもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。
 ・・・・・・・・
3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3
 2009年10月08日(木)
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著    ー読書日記
 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。
国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、
利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、
為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、
1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。
しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない限りは
大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 
 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債の発行は
無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。 郵政自由化を日本に迫り、強引に
小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。
現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが
親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。
 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》
2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。
*資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、
                家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円      資産合計 5515兆
*負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、
                家計=375兆、民間非営利団体=17兆円          負債合計 5272兆
*純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、
                家計の純資産=1058兆、民間非=35兆          純資産合計243兆
 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。
それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、
これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。 しかし純資産は200万しかない。 
世界の一時期の株価の総額に近いとみると、少し多いように感じる。 そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、
アメリカの属国という事態から脱却しなければならない時期に来ている。 これをもって、日本は豊かで国家の力量が
あるとは言えない。 中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。 
アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という世界共通言語がある。永久国債しかないのか?
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2743, サブプライム問題と「ファウスト」 −1
2008年10月08日(水)
 「資本主義は嫌いですか」―それでもマネーは世界を動かすー 竹森 俊平 (著)
 現在進行中のサブプライム問題、何処かで聞いたような感じをしていたが、この本で、気がついた。
ゲーテの「ファースト」の場面の悪魔の囁きー提案と瓜二つなのである。アメリカは「ただの紙切れ」を刷って、
世界中にばら撒いていたのである。ドルや国債だけで事足りず、毒入り饅頭を売っていたのである。 
恐ろしいほど酷似した次の場面、サブプライム問題をキッカケとした恐慌とセットに歴史に残るだろう。
 *ゲーテ「ファウスト」の狙い
P-151 「バブルの勢いに乗った世界経済の急成長」に対する弔辞(オビチュアリー)を捧げよう。それについては、世界的な文豪に
登場してもらって、その名文で結びたいと思う。第一部は、「ペテン師か、天才か」いまでも議論が分かれている
ミシシッピー・バブルの仕掛け人、ジョン・ロウから話が始まった。実は、ロウには、大経済学者ヨゼフ・シュンペーター以外にも、
有名人のファンがいる。ほかでもない。ドイツのワイマール公国枢密顧問官としてその行政に長年にわたって携わり、科学、経済、
法律など学問全般に無類の博識を誇ったドイッの文豪ヨハン・ヴオルフガング・ゲーテ(一七四九-一八三二)である。
 ゲーテが晩年に書いた戯曲「ファウスト」は、代表作として知られている。あらすじを簡単に説明すると、老齢に達した
学者ファウストは、悪魔メフィストフェレスとの間で、魂をかけた賭けをする。もしファウストが「時よ、とどまれ、
お前はじつに美しい」という言葉を口にしたなら、ファウストはその瞬間に魂を失うという賭け。
メフィストは、さまざまな崇高な瞬間をファウストに味わわせて、ファウストの口からこの言葉を引き出そうとする。
ファウストはいかに甘美な体験にも、この言葉を口にするほどの陶酔は許されない。
 ーー
第二幕の冒頭で.二人はひとつの王国を訪れる。その王国の財政は、ルイ一四世治下のフランスと同様に完全に破綻している。
「帝国の金庫は空っぼ」で、「寝床の枕も担保に入っている」という状態である。皇帝を囲んで、宰相、大蔵卿などお歴々が
国の行く末を思い悩み、嘆き悲しんでいるところに、道化に化けたメフィストがひょっこり現れて、王国の財政問題を一気に
解決する妙案を持ちかける。 身動きの取れない状態に追い込まれていた皇帝やその臣下たちは、メフィストのような悪魔の
怪しげな提案にも乗らざるを得ない。しかしさすがは悪魔。彼の力で、この国の財政問題は解決する。
それは少し後の場面である。宰相が出てきて、その「良いニュース」を告げる。
(宰想)この歳になって、こんなよろこびを味わうとは思ってもみませんでした。
  ごらんください。すべての災いを福に転じた幸福の文章であります。
 「知りたいと望むすべての者に告げる。この紙片は干クローネの価値がある。
  皇帝領内に埋もれた無尽蔵の宝が保障する。直ぐにでも掘り出して兌換に当てる用意がある」
(皇帝)途方もないイカサマだ! だれが皇帝の著名をした? 罰しないでおくものか!
(大蔵卿)お忘れですか?その手で著名なさいました。皇帝自身がイカサマと思うような政策。皇帝領内に埋もた(?)
 無尽蔵の(?)宝(?)により保障することによって、「ただの紙切れ」を貨幣として流通させるという途方もない考えが、
 この国の財政立て直しのためにメフィストがひねり出した妙案だった。しかし、このことによってこの国の財政は
 見事に立ち直る。しかも立ち直ったのは、財政だけではなかった。「過剰流動性」の力で、沈滞に喘いでいたこの国の経済は、
 みるみるうちに息を吹き返してきたのである。
 このケインズ経済学的処方箋の効能を、ゲーテは「大蔵卿」の口を通じてこう語らせる。
(大蔵卿) さっそく署名をいただきましたので、昨夜のうちに彫り師に刻ませ、どっさり刷り上げたのに印を捺しました。
 ほかに十クローネ。三十クローネ。五十クローネ。百クローネの紙幣にいたしました。国をあげて喜びにむせんでおります。
 町をごらんください。ひっそり死んであったようなのが生き返り、わき返っています。
 −−
 以上だが、皇帝がアメリカ大統領のブッシュか、メフィストはアメリカを支配しているユダヤ資本家か、はたまた
 ロスチャイルドか?しかし、最後は、それ故に自壊していく姿は、喜劇になる。いや、壮大な悲劇である。 
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2007年10月08日(月)
2379, 人は60歳で何をしたか −5    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪                 
  「人は60歳で何をしたか」 藤原治・著
まずはー大江健三郎『燃えあがる緑の木』ーから、印象的な部分を抜粋してみる。
ここでは、 大江健三郎の魂に対するイメージを鮮明に言葉にしている。「亡くなった人が、生まれる前から割り当てられていた、
森の樹木の根っこに戻っていく」 自分の両親は、どの木に戻っていったのだろうか?もし両親に、「この木と思う!」
と言われていたとしたら、 墓より意味は深いはずである。「自分の木を見つけておきなさい!」という言葉にハッとしたことが
あったが・・ 今度は本気になって、自分の木を探すことにした。知人の別荘?に大きな大きな藤の木がある。
  (字数の関係でカット09年10月8日)
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2006年10月08日(日)
2014, ゴミ少女 −1
         おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・                    
図書館で「新潮45」の1月号を何気なくページを捲っていると、ある一枚の写真に眼が吸い寄せられた。
電車の中で、女子学生が超ミニスカートで電車内で座り込んでいる姿があった。その写真と手記を書いているのが、
インドやネパールなどの写真で知られている写真家の藤原新也なのである。文庫版の彼の写真集を二冊買っているので、何で
「こんな写真」と「クソ女」という過激な文章を書いているのかと、さっそく借りてきて読んだ。
特別寄稿のテーマはータリウム事件に見る、「殺さねば出会えない母」に関する一考察ー【藤原 新也】である。
話は変わるが、長岡の駅裏で通勤途上、超ミニの女子学生30人位がバス待ちをしている姿を毎日見ている。
本当にパンツが見えそうなほどで、目のやり場に困ってしまうほどである。
そうそう、地元のラジオで新潟県の女学生のスカート短さが日本で一位と言っていたが・・
数年前のことになるが、女子学生数人が駅の専門店街の中二階で、股を広げスカートをパンツを   
隠すスタイルで座っていた。そして下から上がってくる男達の目線を笑いながら見ていた。
私も一瞬、眼のやり場に困り、次の瞬間、その娘達の真意を読み取った。
「このクソ女!ガキども」と、思ったことを、この藤原新也の文で思い出した。
恐らく多くの大人が同じような経験をしているのだろうが、このレポートは、その代弁をしているような内容である。
ーその書き出しのところを書き出してみる。
 −−
[ゴミ少女]
 ネットで話題になった一枚の写真がある。JRの車内。女子高校生の通学風景である。
  (字数の関係でカット2008年10月8日)                                                          ーつづく
後記)それにしてもが、以前書いたが画家や写真家の文章は鋭い! 一瞬の現象の本質を捉えるからだ。
 この写真、このHPの‘バードウオッチ’のコーナーにリンクしてあります。
   http://ore.gonna.jp/blog/archives/000273.php
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2005年10月08日(土)
1649.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・8
  8・うちの商法ー3
宗親
昼も定食を一品だけ出してるんだ、日替わりでね。月曜はマグロ刺し定食、火曜日はマグロハンバーグ、
水曜日はマグロブツトロロがけ定食、とかしてね。すべて700円で100食限定でね。もちろん完売だね。
特に金曜日はトロ定食980円で出すの。行列になるよ。普通だったら原価割れ寸前のはず。いや実際の価値は3千円以上だよ。
一本おろすからできるんだ。お客は知っているの、その事を。うちの店の厨房は、一歩入ると機械だらけなの。
マグロのメイン以外は手をかけないの。ご飯、味噌汁、コーヒー、スープ、オニギリなんか手をかけないように器械化がしてあるんだ。
今の器械化は凄いよ。それと生野菜の真空パック技術なんか信じられないぐらい凄いよ。手を抜くところは、徹底的に抜くんだ。
その反面、入れるところは徹底的に入れるんだ。初めはね、中の上の商品を中の下で売れってねコンサルタントの先生に教えられたの。
それを忠実にやっていたの。そしたら疑問がでてね。上の下の商品を下の上の値段にすべきじゃないかってね。それをやるに
どうしたらよいかってね。仕入れを変えるしかないってね。それには生産現地に行くしかないって考えたの。そして、焼津に
3日泊り込みで行ったの。 同業者のところに毎日通ったね。      Date: 2002/03/28/07:16:42 [29]
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2003年10月08日(水)
 ある時間の断片ー38
 ー11月11日  1968年
昼過ぎに佐藤のところに行くと「多恵ちゃん」から、電話で大妻祭に招待される。毎日忙しいことだ。
これもアマリ気が乗らずに、佐藤のお供で行ったようなものだ。講堂で「森山良子のリサイタル」があった。
さすがに彼女の歌は上手い!一曲一曲が心にしみる歌であった。 しかし腹がへって貧血気味になる。
多恵ちゃんの友人の飯野貞子さんを紹介してもらい、4人で食事をする。 ブラブラ4人と寮の近くまで送る。
飯野さんと話しながら帰るが、真面目そうな面白い子だ。といって、それ以上の何も感じなかったが。
23時から24時までゼミの予習をして、その後佐藤と明け方まで酒を飲んで寝る。
 ー11月12日
・明方まで酒を飲んでいたせいか、10時過ぎまで寝ていると、電話がかかってくる。
先輩の永田さんから、文京区役所でバザーの手伝いの依頼だ。毎日毎日お呼びが良くかかるものだ。
タクシーで駆けつける。電動歯ブラシの販売である。これは売れそうだと思いきや、殆ど売れない。
隣で30過ぎのオバサンと話をする。宝石のデザイナーで、渋谷の専門学校で色彩学を教えているとか。
西銀座で宝石店を持っているとか。彼女の友人の銀座の「モンブラン」のバーのマダムも、バザーの手伝いに来る。
販売よりも、この二人と話している方がずっと面白い。結局、二人と知人が買ってくれたのを含め都合6つしか売れなかった。
がっくりしたが仕方がない。帰寮後、風呂に行き、食事をして、21時から25時までゼミ関係の本を読んで就寝。
ー後記ー
最近、急速に武沢ゼミに影響されている。先生とゼミ同期の4人だ。非常に個性的である。その4人に段々
感化を受けているようだ。それと教授の影響がここにきて大きい。気を緩めると、潰されてしまう位厳しい。
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543, [エッ嘘だろう!!]
 - 2002年10月08日(火)
「エッ嘘だろう!!」と思わず叫んでしまった。
・自己資本は資本金の2倍以上で、創業時の償却勘定でマイナスになった以外は黒字の優良会社と思っていたのに、
 会社の借入金がある銀行の不良債権の可能性があったという。
・政府系銀行の借入れの都合で個人名義で買った「2箇所の駐車場の土地」の資金を会社から借入をした。
 その役員貸付金が自己資本と同額であった。その事情は銀行が解っているのに?金融庁の検査で問題になっているとか。
・金融庁の監査の担当がいうには「個人と会社は別物で、その事情は関係ない」 という。
「自己資本と役員貸付金は相殺するのが筋で、そうすれば 実質資本金はゼロで、健全会社といえない」とか。
   (字数の関係でカット10年10月8日)
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[178] 忘れられない店ー4(金沢)
ー平家ー鉄板焼き   2001/10/08
金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。4〜5年前に行った時まだっその店があったが、
しかし個性的な親父は死んでしまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。今でもちょっとないかわった店だ。
食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りでツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。
その為店が油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、その話を聞いているだけで
よかった。当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、必ず大喧嘩をするのが名物で、
皆それが始まるのを待っている節があった。「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。 何回も家に電話しているのだ。
たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、
大穴を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。

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