堀井On-Line



3472, 人生、よもやま話

2010年09月27日(月)

 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 
現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。
終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく
犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 
一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。
這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。
夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。
そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、
人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、
この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと
父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の
家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。
今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。
そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。
そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。
 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。
二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして
ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。
これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。
 ・・・・・・・
3097,返済猶予法案の成立から見えてくること!
2009年09月27日(日)
ーまずは産経新聞の記事からー
 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、
中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、
早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や
モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。
 ■証券大会で怪気炎
「『少々行儀が悪い』といわれる亀井静香ですが、世の中を良くするには、場合によっては思いっきり行儀も悪くしながら
 全力で頑張ります」17日に東京・大手町で開かれた全国証券大会であいさつに立った亀井氏はこう怪気炎をあげた。
 就任直後に行われた17日未明の記者会見でも「反発が出るというのは、反省が足らない」と、銀行を痛烈に批判。
「金融機関が社会的使命を果たしていない。だから国が出ていかざるを得ない」と、法案の正当性を強調した。
 亀井氏が成立を目指すモラトリアム法案は、民主、社民、国民新の与党3党が連立政権樹立の政策合意に盛り込んだ
「貸し渋り・貸しはがし防止法」だ。資金繰りが苦しい中小企業に借入金の返済を3年程度、猶予(モラトリアム)したり、
 金利などの貸し付け条件を変更できる措置を盛り込むことを想定している。個人に対しても失業や所得の減少で
 支払いが苦しくなった住宅ローンに同様の救済措置を盛り込む考えだ。
 ■金融界に戸惑い
 金融界は戸惑いと反発を隠さない。全国地方銀行協会の小川是会長は16日の会見で「貸し渋り、貸しはがしの状況はない」
 と異議を唱えた。ある大手銀行幹部は「返済がストップすれば経営への影響が出かねない」と懸念を示す。
 実際、法整備に向けたハードルは高い。金融庁幹部は「既存の貸し付け契約について、国が銀行に対し、強制的に猶予に
 応じさせることが可能かどうか不明」と指摘する。返済猶予の対象企業をどう線引きするのかや、猶予後に倒産などで
 回収不能となった場合の損失は誰が負うのかなど、制度を設計する上でも難題は山積している。
 銀行に代わり、国が損失を補填(ほてん)する場合、新たな予算措置も必要になる。
  〜〜
 以上だが、冷静に考えてみれば当たり前のことだ。金融危機になると、大手銀行を先頭に資本注入を行うが、
 中小零細企業には資金が回ってこないのが実情。 その銀行が、今さら、この法案に異議を唱えるなど言語道断。
 これまでの自民党政権との甘さが露呈した典型的事例といえる。 亀井静香の近々の発言からして、強引に
 通すことになるだろう。通ってしまえば、何で今まで銀行だけが救済されて、我われが冷遇されていた、
 ことに気づくことになる。そうでもしないと、中小企業は倒産の嵐になるだろう。来年2月辺りと見ていたが。
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2732, 恐慌前夜 −3
2008年09月27日(土)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」
  と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。
 「それでは我われ庶民は如何すればよいのか?」といわれても、どうにも答えられない。 
  せめて、銀行預金を金の現物に替えておくことしか考えられない。私の知人はケイマン諸島に5000万円の預金をしている。  
  この事態を見越して数年かけて準備をしていたのである。外国に金融関係の友人がいて、日本の危なさを知っていたのである。
ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。
  −−−
*恐慌前夜、何に投資すればよいかー
 アメリカ発の《世界恐慌》は、もう誰にも止められない。
銀行の預金は、下ろして現物資産に置き換えるべきである。
地金か、カナダドルか、オーストリアドルにすべきである。アメリカドルは止めておいた方がよい。
金は現在、グラム3000円だが、3〜5年以内に6000円になるだろう。
不動産は、換金性の高い優良物件以外はやめておくべし。
原油高騰は、現在100ドルまで下がっているが、これは再び高騰するだろう。
こんど高騰を始めたら、250ドルあたりまでいくだろう。
そのまま放置すると、ハイパーインフレになるだろう。
 解)来年は間違いなく食品が暴騰しそうだ。暴騰をした時に、儲かる会社の株でもよいが、
   それが何か分からない。アメリカの金融の瓦解も、ここまで激しいと恐ろしくもある。
  −−−
 *中国も「一月危機」で崩れたー
 今年の1月21,22日以来の世界株総崩れの時に、中国の株が崩れて以来、元に戻してない。
上海総合指数は最高値の6000元以来、2000元まで暴落している。2010年の上海万博までは何とか持つだろう?が、
それから5年間は最悪の状態になり、2015年あたりから再び上昇するだろう。
中国の20年来の驚異的な急成長は、実は保有する米ドルとアメリカ国債を、もとにした信用が土台にあった。
現在の中国が保有する外貨は200兆円。その殆どが米ドルである。しかし、現在中国は密かに分散を始めている。
その対象として日本国債と円である。
 解)中国株も、底を確認した時が買いだろう。それより1年前の2014年辺りが買い時期だろう。
  −−−
 *すべての金融商品は「保険」から始ったー
ここまで時代が進んできて分かったことは、すべての複雑な金融商品(デリバティブ)
は実は保険商品だ、ということである。保険は生命保険と傷害保険に分けられる。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2007年09月27日(木)
2368, 閑話小題
 *安部居抜き内閣*
福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを
「居抜き」というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も
聞いたことがある。もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。
 *時津風部屋一家殺人事件*
この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。
親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。
今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。
相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。
殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。
リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、
復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。
それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。
恐らく、その実態が週間現代などから明らかになるだろうが、これで益々、大相撲は衰退するだろう。
これで朝青龍が復帰してきたら、それに拍車をかけることになる。この時期に、殺人事件として立件するのは、
朝青龍の一件が目先おさまったことと、本場所が終わったからだろう。
 *漫画喫茶ーインターネット・カフェの昨今*
数年前に大型のインターネット・カフェが一時、郊外のバイパスやインター沿いにバタバタと出来た時期があった。
私も、これとホテルとの融合が面白いのでは? と一時期集中して調査したことがあったが、結果として、
一過性の業態という結論。東京などの大都心の駅周辺で、ビジネスホテル替わりに宿泊など絡めて24時間営業なら存続するが、
地方では商圏が狭すぎるというのもある。ところで、一時若い女性の間でもファッション的に好まれた時期もあったが、
この春より、ネット・カフェ難民という言葉が蔓延してイメージが低下。女性が入ることに躊躇しだしてきたという。
携帯電話でも多くのゲーム機能ができ、あえてネットカフェに入らなくても時間を潰せるようになったこともある。
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2006年09月27日(水)
2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・
 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。
  その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。
ーBuymaー
 誰もがバイヤー」になることで誕生した史上初の「お買い物代行コミニュティ」である。
 会員は世界50ヶ国に広がっている。 
(字数の関係でカット2008年09月27日)           つづく    (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年09月27日(火)
1638, 巨大スーパー販売前線の男達
一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。
デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。
業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。
流通グループの勝ち組のジャスコと、ヨーカ堂であるが、一方の雄のヨーカ堂の惨状をリアルにレポートした内容。
よくぞ、ヨーカ堂も、堂々と公開したものだ。まだグループとしての余力を見せたかったのだろか。
アメリカのスーパーを手本にスタートした日本のスーパーは、バブル期に進めた経営多角化の失敗や
崩壊後の収益悪化に苦しんでいる。さらに安売り戦略を武器にしたアメリカのウエルマートの市場参入もある。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2004年09月27日(月)
1273, 2000年前のポンペイ
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
 ーまずはポンペイの概略を書いてみるー
ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。
公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、
三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、
噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は
人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、
妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、
売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。
道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には
広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった事実を多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
(字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2003年09月27日(土)
906, 金魚の話
 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な
「黒いランチュウ」がいた。 仲間とは群れず、一匹水槽の中を泳ぎまわっているのだ。
指を水槽につけると、人懐こく指を動かした先をついて回ってきた。 事務所の水槽は丁度定員一杯だったが、
「凄い!二度と巡りあうことがない!」とポケットマネーで即座に買った。 少し高かったが。
 事務所の水槽にはランチュウだけ12匹いるが、現在その中を一匹が我が物顔で泳ぎ回っている。
5倍もある一番大きいボス?と、顔をつけて餌を奪い合い食べている。大きいヤツは普通の数倍、
餌を食べなければならない。その為には水面に口をつけてバキュームのように,浮いている餌を吸い取っていく。
これと同じ食べ方を一匹だけ、この凄いヤツが早くも身につけた。餌をやろうとすると、水面を飛び上がる勢いで
餌にくいついてくる。 殆どが群れているが、一切群れないのがよい。まだ数週間しか経ってないが、日ごとに
大きくなっていくのが判る。 こういう奴が、鳥でもいた。 エネルギーが満ち満ち溢れているやつだ。
無毛性のインコのヒナで手を差し出すと、必死で身体を摺り寄せてきた。後で買っておけばよかったと後悔した。
金魚でも弱いやつは、入ってくると既存のヤツに水槽の片隅に追いやられ、1〜2週間で死んでしまう。
隅のほうを向いてジッとしている。動物社会と同じである、いや人間社会と同じだ! 所詮人間も金魚も同じだ。
 結婚した頃に、ランチュウを数匹飼っていた。その一匹が水面を跳ねるのだ。
突如、水面に向かって泳ぎだすのだから、跳ねるのとは少し違う、遊んでいるようであった。
なるほど金魚にも遊びがあるんだとビックリしたことを憶えている。 ランチュウの愛好のホームページがある。
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532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 
- 2002年09月27日(金)
 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。
お盆に下の息子が帰省した時に、居酒屋で彼等から聞いて思い出した話だ。
その時「一人娘とホモに気をつけろ!」と言ったという。「知っていれば、何処かで気をつけるだろう」と、
注意しておいたのだ。それにしても、変わった面白い注意をしたものだ。 せっかく育てた子供を、
他人の家の子供にしたくないという心配が、そう言わせたのだろう。あとは息子がホモもまずい。後では取り返しのきかない。
特に都会ではそういうのが多い。女姉妹だけの長女とか、一人娘は要注意だ。本能的に、よい獲?がいないかと
目を光らせて狙っている? これは注意をしておけば避けられる事だが、それでもよいなら問題ないが。
あと幾つか注意したと思うが、「本を読め、色いろなアルバイトをしろ、ゼミに入れ、クラブにも入れ、
大学でしか経験できない事を可能な限り経験しろ」等々、いったことを思い出した。
  大学時の経験が一生の圧縮だ。
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[163] ] チンドンヤー 2   2001/09/27
 チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。チンドンヤの意味はその辺の英雄である。
鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。 そして悪役が必要になる。
そして本人-主役のチンドンが始まる。 自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。何回悪役にはまってしまったか。 
次に観客も必要になり観客作りをやる。それを自身の利害をかけてやるか、にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。
私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局!この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・。
特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくりその糸の手繰りをやる。以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。
その手口をみていると自分でまずストーリーを書く。忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、しかし何度も
重ねればその筋書きは見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」と言うらしい。 ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。
ヤクザが1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりの因縁をつけてきた。迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが
解らないようだ。彼らのワンパターンの手口は「仲間から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。
そして数百万の商談が壊れた」という手口である。もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、警察に電話をかけるのが手順。
実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。
こうなると執念に近いが。これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。


3471, 久々のジョーク -9

2010年09月26日(日)

 
  * 呼び方
 意地悪な伯爵夫人をブタと呼んで訴えられたミラノの家政婦。法廷でさんざん油を絞られたあげく、罰金刑に処せられたうえ、
原告のいるその場で謝罪を命じられた。家政婦は謝罪の言葉とともに、伯爵夫人に深々と頭を下げた。 儀式が終わったあと、
裁判長に向かって家政婦が尋ねた。「以後つつしみますが、ブタを伯爵夫人と呼んでも罪にならないでしょうか、裁判長? 」
裁判長は、それは法律上いっこうに構わないと明言した。そこで家政婦は伯爵夫人に向き直って言った。
 「伯爵夫人、今日のこ機嫌はいかがですか?」
  * 男女の差
「洞察力は男のほうが上だよ。それはおまえも認めるべきだ」 
「ええ、認めます。だからこそ、あなたは結婚相手にわたしを選び、わたしの方はあなたを選んでしまったですからね」
  * 動物愛護
 母親が買ったばかりの毛皮を試着しているのを見てエコロジー派の娘
「お母さん、お母さんがそうして喜んでいる陰でかわいそうな動物が泣いているのよ」
 母親、娘をキッとにらんで、「お父さんのことをそんなふうに言うもんじゃありません」
  * 祈り
 チベットの盆地を一人行くラマ僧。遠くにオオカミの姿が見えたが、逃げるとかえって追われると思いそのまま歩き続けた。
オオカミは足が速く、あっという闇にラマ僧の自の前に来ていた。図体が大きくやせ細ったオオカミは、
よろよろとラマ僧の横に倒れこんだ。襲ってくる様子も見せないオオカミを見ていると、なんとオオカミは手を台わせて
祈りのポーズをとっているではないか。 ラマ僧は仏に感謝した。
「御仏のお情けで、こんな山奥のけだものにまで信仰心が目覚めております… 釈迦さまの徳の高さをお称えいたしますー…」
オオカミはラマ僧の方を振り向いてうなった。「ブツブツ、ブツブツうっせえな。おいらの食前の祈りの邪魔をするな 」
  * 離婚の理由
「ぼくが結婚した理由を申し上げましょう。何を隠そう、自分でコインランドリーに行ったり、
テイクアウトの食事で夕食をすませたり、1人で食事をすることにあきあきしたからです。 
離婚するに至った理由ですか? それもいま述べた理由とまったく同じです。はい」
 ( 多くの旦那は、ただ離婚に至らないだけじゃない? 3割の離婚をのぞけば! )
・・・・・・
3096,久々にジョーク −4
2009年09月26日(土)
 * ジョークあれこれ ー2
  ー復讐ー
 ある男が旅先で泥棒に遭い、旅行カバンと財布入りのバッグを盗まれてしまった。
帰りの航空チケットは運良く背広の内ポケットに 入っていたが、空港までタクシーに乗る金がなかった。
男はホテルの 前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、運転手に事情を話した。
「…というわけなんだ。自宅に戻ったら速達で倍の料金を送るから、空港まで乗せていってくれないか?」
「ふざけんな、こちとら商売なんだぜ。金がねぇんなら俺の車から 出ていきやがれ!」 男は何度も頼んだが、
運転手は頼みを聞いてくれなかった。 男は やむなくヒッチハイクをして、どうにか空港にたどり着いた。
  一年後、男は同じ土地を訪れ、今度は無事に旅行を楽しんでから帰路に着いた。
ホテルの前で客待ちをしているタクシーの列を見つけ、先頭のタクシーに乗り込もうとした男は一年前の非情な運転手が
列の最後尾にいるのに気付いた。 男は、あの慈善の心を持たない運転手に仕返しをしてやろうと考えた。
男はまず、先頭のタクシーに乗って運転手に尋ねた。 「空港まではいくらかかる?」「15ドルくらいだね」
「じゃあ、50ドル払うから、途中で俺にケツを貸してくれないか?」 「なに!? ふざけるな! 俺はオカマじゃねぇ!
とっとと車から降りろ!」 男は先頭のタクシーから降り、2台目のタクシーに乗って同じ質問をした。
2台目のタクシーの運転手も激昂し、男は車から降ろされた。男は同じ質問を 3台目、4台目…と、
次々に繰り返しては、車から降ろされた。 そして最後の、あの運転手のタクシーに乗り込み、男は言った。
「空港まではいくらかかる?」 「15ドルくらいだな」 「じゃあ、空港まで頼む」
運転手は何の疑問も持たずにタクシーを出した。前に並んでいるタクシーの 横を通り過ぎるとき、
男はそれぞれの運転手に笑顔を向けながら親指を立てた。    解) 実際にあった話のように聞こえてくる
  〜〜
 ー良いのか悪いのかー
医師「良いニュースがありますよ、ミセス・ボンド」
 女性「失礼ですが、私はミス・ボンドです」
医師「でしたら、悪いニュースがあります」          解)「立場変われば、品変わる」か〜
・・・・・・・・・
2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
*焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば
750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、
「GSEはすでに実質超過(破綻している)である。政府による救済がどうしても必要となる」と発言した
そのため・ファニーメイとフレディマックの株価は11日に、一気に一時10ドルを下回るまでに急落し
た(フレディが3ドル、ファニーが6ドル、そして破綻が本当に危惧される状況に陥った。
6ドルというのは日本の株式で言えば「額面50円割れ」に等しい。この株価が今後大きく回復することはない。
二大住宅公社は、すでに死に体である。つい最近まで株価が100ドルを超していたアメリカの
「政府系金融機関の超優良会社」だったのに。 みんなの血の気が引いた。その次の日の7月13日に、
ヘンリー,ポールソン財務長官の開き直りにしか見えない突然の記者会見があった。
ここで、両社の5.2兆ドル(530兆円)もの巨額の不良な融資残高と債券発行残高の合計金額が公表され、
これらのすべてが信用毀損していることが判明した。これらの公社債券の担保となっているのは、
公社が買い取ってさらに別の証券に組み立て直した住宅ローン債権である。
そのほとんどが大きく不良債権(バッド・ローン)化している。
 ーー
*シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178
アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。
 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
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2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、
解りやすい記述があった。 具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、
哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。最近、哲学がますます面白くなってきたことも、
このギリシャ旅行への動機になった。世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。
少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくるのである。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。
ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
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2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1
       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。
著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。   
 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)               \(^▽^*)バイ!
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 2005年09月26日(月)
1637, 37年前の私への手紙−1
ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、
 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。
ー37年前の私への手紙ー
あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。
倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 
見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。
数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。
あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 
社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。
あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。
現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。
いや社会そのものに鍛えられたのだ。 その結果として、何か大きなものを失ってしまった。
あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方(37年前の自己)の悩みこそ大事である。
そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。膨大な未知の世界を前に好奇心と
期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかっただけか。 
貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を
言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を
摘み食いをしていただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。
それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。
あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した
だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。
あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。
しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。
しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。
自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。
少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ! 他人をもっともっと大事にしなさい。 
これが私の最後の言葉です。              ーつづく
ーーーーー
ー後記
人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。
当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。
当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。
過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。 それがよい。
旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。
一番思い出になるからだろう。 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。
・・・・・・・
2004年09月26日(日)
1272, シュリーマンの話−1
映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。
トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。
誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?である。 男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行って
ヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で初めて纏めた「伊能忠敬」である。
それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が多い人物も珍しい。 
また、膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスターをして、それを武器に莫大の資産を得た。
外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。
あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。
 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日)
・・・・・・・・・・
2003年09月26日(金)
905, 物を置かない努力
 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、
といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。
カラーは白と黒だけ、空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。
コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。
 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。
「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。
銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。
私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。
頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。
せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。
 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。
まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。
「孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。
これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。
圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。
そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。
 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。
サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。
生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。
しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。
さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう!
・・・・・・・・・
531, 天皇制度について
- 2002年09月26日(木)
 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。
島国とか離れたスカンジナビア半島のように、あまり外部との入れ替わりの無い国では、
王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも王室が有効となる。
ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。
アメリカの大統領の宣誓式でバイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で
国家への奉仕を約束をすることである。 旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には
必ず二人の対立したセカンドがでてくる。対立をする間に中央の神が存在して、真空ー中空としての役割を果たす。
変化の乏しい島国では丁度よい役割を果たす。良くいえば弾力的システム、悪くいえばいい加減なシステムになる。
今の日本の窮状はそのいい加減なシステムの弱点が出ている為である。 アメリカが日本を占拠した時にアフリカとか
東南アジアやインドの占拠方式をそのまま当てはめ、天皇制の維持で国家体制の維持に利用した。
明治維新で日本という国家をつくろうとして、京都の天皇に目をつけた。 天皇家をシャッポ−帽子にした。
 ー国家のつくり方として
・先ずは帽子が必要である。警察の帽子といっしょである。
・次に暴力装置として内向けに警察、外向けに軍隊が必要になる。
・それと決め事としての憲法。
 戦後はその決め事ー憲法をアメリカに押し付けられ、天皇も占領に都合がよい為、そのまま押し付けられた?!
その名の下に戦争で死んでいった国民をこれほど馬鹿にした話はない。少なくとも昭和天皇は変えるべきであった。
 (字数制限のためカット 2010年9月26日)
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 [162] 手順  2001/09/26
 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。
大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイント。
 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。
そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき
その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 
チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる
プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、
それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。
創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。
それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。
「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。


3470, 昨日は母の15回忌

2010年09月25日(土)

 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容で、
夢から醒めても暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。
家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので溜まっており、その捌け口で
徘徊を始める。しかし、本人にとっては、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているようなもの。
それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったことか。
したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。
亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)
50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になって死線を漂った後に、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに向かって
全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。 まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をして、設定したライバル
に対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の
末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在になって分かった。
 冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場でもあり、天国である。
 ・・・・・・・・
3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」                   解)好きだね、こういうのは!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」     解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』
 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』
 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』        解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。
 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
 ・・・・・・・・・・
2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。
そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
  〜〜
この7月から新たな金融危機が始まった。7月13日にペンリー・ポールソン米財務長官の驚くべき記者会見があった。
私が前々作「ドル覇権の崩壊」と、そのあとの『連鎖する大暴落」(いずれも徳間書店刊)で主張してきたとおりである。
アメリカはいよいよ本格的な金融恐慌に突入しそうである。次の「連鎖する大暴落」が年末までに起きるだろう。
この7月危機を引き継いで、事態はさらに深刻になってゆく。大きな銀行と証券会社が世界はたんの中で次々に倒産してゆく。
この7月危機では日本の三つの大きな金融法人が相当の打撃を受けた。致命的と言ってもよい。
それは農林中金(5兆5千)と三菱UFJ銀行(3兆3千)とニッセイ(2兆6千)である。農林中金は実質的にすでに破綻しており、
やがて、みずほ銀行に救済合併されていくのではないか。しかし、みずほも同じく1・2兆円「やられている」。 
この農林中金、三菱、ニッセイ三つの日本の大金融会社が今回受けた大損害(戻ってこないお金)は、7ぺージの表のとおり。
 ーー
ー次は、「あとがき」の出だしの部分になるー
 〜〜
この本「恐慌前夜」で私が最後に言いたい(書きたい)ことは、アメリカはどうせ壊れるということだ。
アメリヵの株価が少しぐらい上がったり、ドル高(円安)になって、アメリカが景気(経済)回復したように見せかけても、
どうせ次の大暴落が襲ってくる。日本の金融機関は政府系を含めてアメリカの国債や住宅公社債、
地方債(ニューヨーク市債やカリフォルニァ州債など)を山ほど買い込まされている。
合計で600兆円(6兆ドル)ぐらいある。それらの投資資金(債券買いや資金の貸し付け)は、もう戻ってこない。
アメリヵ(人)はまったく返す気はない。アメリカ政府はこれらの返済の保証などしない。
このことが日本人には分からないようだ。日本はこれから大損をするのだ。多くの国民が年金をもらえなくなるだろう。
私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。
読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよサイキック(霊能者)になることを目指そうと思う。
 −−−  
次回は、印象に残った部分を、取り上げてみる。
・・・・・・・・
2007年09月25日(火)
 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか
「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。
弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、対話の曖昧さを指摘。
いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。
この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ
「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。
同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。この質問に対する答えを考えてみると、
・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。
  その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、「収入が入らなくなったり、転職をしたら
 ゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。
 長い年月の間に、こういうこともあるのが人生じゃないか」辺りになる。
6年半の間、毎日この随想日記を書いているためか、他人の論理の矛盾点や、甘さに気づかされる。
家内も、言葉の甘さや矛盾を直ぐについてくるので、普段の言葉使いから緊張感に包まれている。
反面、社会的に突っ張っている人の言葉に、苦笑してしまうことが度々であるが、
それが大よそ著者が指摘している内容と同一であり、著者のいうのは至極ごもっとも!
書き続けることからくる効果が、この内容の通り論理の甘さを重ねるごとにそぎ落としてくれる。
ある世間の権化のような男が何時も使う言葉。 自分の言いたいことを、「人は・・・と言っているぞ」
が恒?だった。 こんなことを言っていればフラストレーションが溜まり早死にするだろうが!
ーーーーーー
内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)
・・・・・・・・
2006年09月25日(月)
2001, 二千日の随想日記!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・       
この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。
といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。
次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。2009年6月某日になるが、どうなることか。
千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。
良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな  と同じで、習慣の流れにまかせて    
書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな  というところか!
だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。
朝はそれでも一時間はかける。テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。
その三時間のプロセスは考える時間になる。そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。
アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。もう一つのプラスは五年分の
同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。
書いた文章を会社に行って読み返すと、数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。
自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・
2005年09月25日(日)
 1636, ローズパレード
昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。
アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。
花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。
100チーム以上が参加している。アメリカ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが
テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。
参加するには厳しい審査のパスが必要という。リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で
心打つものが次々と出てくる。実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。このパレードを見るために全米から
100万人が集まってくるという。TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。前夜には、
道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。指定席もあり、かなり高い値段がする。そのローズパレードは、
毎年1月1日の朝8時から始まり、パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。
その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。またこのパレードが
終わると全米カレッジ・フットボール決勝戦のローズボールが行われる。ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。
今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ 
リーハントクラブがあって、クラブのメンバーが1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけて
パレードしたのが始まり。ヨーロッパの<バラ>の祭りを手本にして、山車に沢山の花を飾って自然の美しい輝く
太陽を本当に楽しそうに行進している。この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、
また花の新鮮さや、参加者のコスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。
このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。
1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。
お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。 世界は広い、そして深い!
・・・・・・・・・
2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、
彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。
知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」
と断ってしまったのだ。こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、
本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。
後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。
話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると
軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。
・・・・・・・・・・
2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店−2
 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
 その後、新潟の郊外にある店に7〜8回通っている。何かヒントがあるようだからだ。
・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。 平均15分で出ていく。
・並んでからレジまで3~4分で済む。ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。
・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。
  (字数制限のためカット2010年9月25日)
・・・・・・・・・
[161] 自然体(自然態)
 2001/09/25 07:01
 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、
その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、
その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの
言葉であった。浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。
 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。
7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、出発前に成田で言った言葉が印象的であった。
「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。
無理せずそのままでいきましょう」「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。
その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。
自然体そのものであった。たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。
イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ているところが面白い。
もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。


3469, 基本的信頼

2010年09月24日(金)

 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、むしろ基本的不信の強い人である。
それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情が
タップリ入っている人がいる。その過剰は、自分が特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。 
乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱って
くれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。
この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を得ることが出来る。
基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。
E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。
「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、
乳幼児は求めているのである。 片親の子供は就職に不利というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を
選択するのも、こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。
 その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。
それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感が
あるだけで充分に恵まれていたことになる。 過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。
 今日は母の命日で亡くなって14年になる。

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3094,久々にジョーク −2
2009年09月24日(木)
 * 三つの願い
 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、
足もとにランプが落ちているのに気づいた。 それを拾い上げ、ほこりを払っていると、
ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。 魔法使いは老婆に向かって語りかけた。
「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」
言われるまま老婆は願いことを口にした。 「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、
老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。「大金持ちになりたい。
使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」 老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。
三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、
宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。
その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」
  〜〜
  「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。
《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。
 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」
 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。
 「よろしい。あなたのたった一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。 
 「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」》
《 ハイキングに来ていた家族が山の中で道に迷った。歩き回っているうちにどんどん森の奥に入ってしまい、
 とうとう夜になってしまった。 子供が泣きながら「神様、助けて」と言うと、森の神様が現れて言った。
「お前たちの望みを一つだけ叶えてやろう」すると父親がすぐに答えた。「私たち家族を、とても我慢強くしてください」
「わかった。その望み叶えよう」神様は杖をひとふりすると、闇の中へ消えていった。
 神様が消えると、父親の意外な言葉にぽかんとしていた母親と子供たちが一斉に文句を言い出した。
「お父さん!どうして道を教えてって言わなかったの!?」「お父さん!ヘリコプターを出してって言えばよかった!」
「あなた!こんな森なんてどうせすぐに抜け出せるんだから、世界一のお金持ちにしてもらえばよかったのに!」
 しかし3人はすぐ口を揃えて言った。「・・・って言いたいけど、我慢する」》
  〜ジョークの世界は、捻りのあるミニ物語である。それも最後の一言の捻りの落ちで決まる。
  その影響のためか? 私の文章も会話も、何時の間にか落ちをいれないと気がすまなくなっている。
                 で今日は・・・、ありません。 捻りのきいたジョークの後では無理!
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2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4
2008年09月24日(水)
 「議論に絶対負けない法」 −4      ー読書日記
  −物語の力-
 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。
その筋たての準備に、可能な限りエネルギーを入れなければならない。
それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。
これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。
以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、
人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。
 p−172
法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、
議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。
オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに
建てられたかにかかっている。すべての議論にとって最も強い骨組みは「ストーリー」である。
「さあ、お話をしましょう」 ストーリーを話すというのは、大昔から互いに教え合う大事な手段だ。 
たとえば焚き火を囲む集まり。一族が皆、焚き火を囲み、目をまん丸にした子供たちが大人の後ろからのぞき込んで
一心に耳を傾けている。過ぎた日々の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。人々は物語から何かを学んだ。
サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、
そして長老がいかにして嵐を生さ抜いたか。愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語
隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。人間の知識はすべて、太古にはストーりーの形で伝えられてきた。
ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけだ。ストーリーを話し、それを聞くという行為は、
人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、
大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。
意識のなかにも無意識のなかにも永遠に植え付けられる。私たちが楽しむ映画やテレビドラマ・芝居・これらは高度に
進化した形のストーリーだ。一番効果的なテレピコマーシャルは、三十秒あまりの小さなストーリーだ。
ジョークも小さなストーリーだ。世に名を残たと偉大な教師はストーリーを使って教えた。キリストの讐え話もストーリーだ。
 p−180
ストーリーの議論はなぜこんなに力強いのだろうか。それは人間本来の言語形態で語るからだ。その構造が自然だからだ。
話し手が「心の底」から、気楽に正直に力強く話せる。 興味をかき立てる。ストーリーは、どんな議論にも混入される
恐れのある「停滞」という名の最悪の毒に対する解毒剤なのだ。私たちはストーリーに心を動かされる。
ストーリーは、私たちが常に決断を下す、柔らかく無防備なところ、すなわち「感受性」に触れるからだ。
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
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2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!
              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに
日本からの即席の「お嬢様」がアホづらをして参加しているとか、辛らつである。
(こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的な
ハイソサエティーな雰囲気をもたらすからである。しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。
確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、何か音楽音痴は自分だけのように思うが、
現実は一部マニアの道楽でしかないと中島がいうから確かなのだろう。以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は
「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、
話を聞けば趣味の一つでしかないし、度々行くほどの事でもないことが解った。
(字数の関係で中間カット、2008年09月24日)
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2006年09月24日(日)
2000, 継父
                (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、
その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の
森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。 
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ
転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ!        ーつづく          
 ーー
書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!             
 ・・・・・・・・
 2005年09月24日(土)
 1635, 「イヴの七人の娘たち」
ーまずは、この本の概略を書いてみるー
DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」
にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。
アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。
我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。
人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。
6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、この女性たちに名前をつけると、アースラ、
ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン。それぞれが「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たち。
 ミトコンドリアDNAには、
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン
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2004年09月24日(金)
1270, 母が亡くなって、まる八年!
 ー命日に, 母の魂に捧げる
今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、
母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。
そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と
それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。
 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー
母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 
そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、
前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、
直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。
それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。
私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。
その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ!
                                       23日 6時半ー        
・・・・・・・・・
2003年09月24日(水)
903, 「仏像の不思議!」
 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。
20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。
お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で
仏像などを売っていた。多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。精巧な彫りでかなりのモノであった。
 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。
「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。お金は後で送金しますから」」といって別れた。
買う気は全く無かったのだが少し惜しい気持ちになっていた。ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。
そこまで下げるとは驚きである。 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった!
何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。
たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、仏像を見て青くなった。「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」
と忠告をしてくれた。確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。しかし、今でも自宅にあり
「家内の守り本尊」?として大事にしている。 いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても
不思議な出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。商品価値は三分の一だろう。
 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら家で不幸があったという。
「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。 気味が悪くなって、すぐ売ったという。
 ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。
−しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。 仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。
 不思議なことがおきても何も不思議ではない。若い時は、不思議ということは殆ど無かった。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、
不思議の経験を多く積むようになった。不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。
生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。
・・・・・・・・・
529、人の一生
- 2002年09月24日(火)
仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、
・上からはその動物が覗?込んでいる。     ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。
・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。
・しがみついている紐を鼠が齧っている。    ・怪獣は現実。
・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。
・下の大蛇は死。   ・鼠は歳月ー死への。  ・紐は生命。
人間の一生を例えた仏教説話である。これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。また井戸は内面ー孤独。
≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》
ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。
好みの美人もそこで酔っている。この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。あまりに美味いので
飲みすぎて泥酔してしまった。ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。
それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。
これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???!
・・・・・・・・・
[157] 自殺  2001/09/24 09:49 NoName
 ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。
 (字数制限のためカット 2010年9月24日)


3468. 閑話小題

2010年09月23日(木)

   * 検察の特捜主任検事を逮捕
  検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。
 押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。
 彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通る
 というのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた
 所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界??。
 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、
 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。 検察もたまったものでない。 情報化で国家権力を持った者でも、
 以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが検察、末端が警察。
     〜〜
    * 尖閣漁船衝突問題について
  ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー
 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、「目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。
  例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。
 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。
 「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は「孔子は公を無視している」という。
 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、
  日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。
 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、
  国際社会の秩序に従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、
  日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝(どうかつ)しているのである。
 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、
  中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。
 ▼だが容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思えない。
  事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】
  ―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。
  「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。
  中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 
  ・・・・・・・・
3093,久々にジョーク −1
2009年09月23日(水)
  一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。
ところが、ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。
ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。
周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。
先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。
最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 それにしても久々にニヤリとした。
  * 神の思し召し
医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。
出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。
「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、
女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、
神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」
「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に
「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。幸い赤ちゃんは元気です」
「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんですから、
間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、
結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。 それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。
「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」
「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。 「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」
「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」
 〜〜〜
解)ジョークの批評も野暮だが・・。 医師の不倫と、神父への冒涜、更に神父同士の男色の捻りまで入っている。
 最後の一言で、一瞬でブラックの笑いに誘い込む。 私のストックの中の「聖職もの」としては、次のものが面白い。
《 *旅たち* 修道院から、少女たちが旅立とうとしています。女性院長がはなむけの言葉を贈ります。
 「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。
 あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、あなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」
 「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」「そうですとも」
 「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」
                              つづく
・・・・・・・
2728,  議論に絶対負けない法 −3
 2008年09月23日(火)
  議論に絶対負けない法」−3   ー読書日記
物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。  
以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、
いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。
好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。
  Pー195
  *私が百戦百勝している最大の秘訣
 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。
本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。 準備とは、創造する喜びだ。 
準備とは人生を苦労して前進すること、悩みながら生きていくこと、波にもまれながら生きていくこと、
人生を喜んで受け入れること、人生を自分自身に塗り付けること、人生を生きることだ。
 モーツァルトに労働したことがあるかと尋ねてみたとしたら、おそらくノーと答えたのではないだろうか。
だが彼の人生、彼の呼吸が、彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを費やした
周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を
整えている普通の人になりたい。準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な
並び方を言うのではない。天才とは土ネルギー、単に何かに向けられたエネルギーにすぎない。天才とは準備なのだ。  
 議論の準備をしている時、私は労働していない。この本を書く時も労働などしていない。遊んでいるのだ。
準備をする時の私は子供だ。子供だから遊びに飽きることは決してない。富あふれ・胸を躍らせる。ネズパーズ族の
酋長のスモーホール酋長が言ったように、「若者は決して労働してはならい。労働する者は夢を見ることができない、
そして知恵は夢の中で得られるものなのだ」あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、勝ちたいのだろうか。
配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。陪審員に自分の主張は正しいことを納得させたいのだろうか。
それなら、よく調べ、勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。自分の考えをくわしく書きなさい。
新しいアイディアが魔法の穴から飛び出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなければならない
ことは何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物tつまり、あなたについて知らなければならないことは
何かを発見した時の気分を味わいなさい。私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を
使うんですか」と聞かれる。私は暗審員に催眠術をかけたということで被告側のリーダー的な人物から訴えられた。
  (字数制限のためカット 2010年9月23日)
・・・・・・・・・
2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
        Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。
色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。
それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
ーーー
「狂人三歩手前」 ー中島義道著
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。
この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? 
このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。
他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。
ここにメルローーポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、
「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ……。
哲学者とは、夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えているヘンな奴である。
メルローーポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。
この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。いや・もう一つの条件を加えておこう。
どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、
つまり、「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、
人が驚かないことに驚くといい換えてもいい。テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが
(私は地下鉄サロン事件にもアメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに警き、
いつも「いま」であることの不思議さに驚く。思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。
少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した
女性にお目にかかったことがない。勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。
しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声をあげている、
という女性に遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、「いまとは何か?」と考えて
いることを想像するのは難しい。それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異であるように思われる。
女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。ふっと抱くかもしれない。
しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界はガラガラ崩れるかもしれない、という不安感がない。
彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。
それは、彼女たちが生物体として劣っているからではなく、優れているからである。
男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に
女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。(哲学釣な)男たちよ
1真夏の海岸で身を焦がしたら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。
ーーー
評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。」
中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。
池田晶子には不安定性が感じられないのは事実である。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、
池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。          ヽ(★>з<)バイバイ
・・・・・・・
2006年09月23日(土)
1999, 「私」のための現代思想  −3   (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ
 第一章 「私」を縛るものは何か ー
  ー《価値》についてー
<価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。
道徳は私たちに本来セットされている「感じ方」や「考え方」ではありません。
私たちが社会から学ぶものです。 多くの場合、道徳は「規範の内在化」という過程を経過して私たちの中に形成される。
道徳そのものに本来は論理性は内在していない、と考える方が妥当です。ニーチェは『道徳の系譜』において、
キリスト教の価値観の問題点を指摘した。 その論理展開を箇条書きにすると
   ー、先ずは「力あるものは悪である」と考えた。
   ー、その逆として、「弱いもの=善」と考えた。
   ー、?により「力を自分のために使うこと=利己的な行為」は「悪」とされた。
   ー、?により「利他的・非利己的な行為」が善とされるようになった。
 ニーチェは、キリスト教においてこのような論理展開が行われたのは「ルサンチマン(怨恨・反感)」に求めている。
  (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2005年09月23日(金)
 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集
今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、
生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、
個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。
 対談者ー今西錦司ー創造とは何か?
ー父性原理と母性原理ー
 ー今西
西洋では神を一番上において、次に人間を据える。そしてその間が切れている。そこからもう一つ切りよって、
その他の生き物は全部が人間の下に置かれている。デカルトですけど、「我思う、故に我あり」に当たらん。
 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日)
 分類のコーナーの検索に「父性原理と母性原理」と入れて下さい。
  (2009年9月23日)
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2004年09月23日(木)
 1269, 否定的想念の恐怖
人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を持てば、
肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。
周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要とするし、否定的想念は
感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を
持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。
「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として「ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。
ーその内容とは、
ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に
協力してもらえないかと持ちかけられた。人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、
われわれは10パーセントを上回ると考えているので、ぜひそれを証明したいという。
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2003年09月23日(火)
 902, 「守護霊との対話 」
 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」といっていた。 
母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた小林正観と
中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容であった。
   (字数制限のためカット 2010年9月23日)
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 貧すれば鈍する
  2002年09月23日(月)
 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 
 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話である。
  彼らの共通項とは
・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。
・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘絡み合っている。
・暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。
・言い訳だけを常に考え行動しようとする。
・ある土地を買った時、隣地に挨拶に行った。 その奥さんが初対面にかかわらず、
 買った土地の前のオーナーの悪口雑言である。その数年後旦那が脳梗塞になった。
・一番身近な連れ添いとの信頼関係がまず壊れている!浮気とか、嘘ごまかし、裏切りをまず一番の身近から始めている。
 最悪の場合、自殺とか、ストレスで早死にしている。その場合父親も本人も親子揃っての場合が多い。
 2~3の事例ではない。そういうのを家系というのだ。
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)


3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11

2010年09月22日(水)

 * アフリカに魅せられて ー5

 アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、
そしてイスラエルのコースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。
あとエチオピアか、マダカスカル島に行きたいと思っている。アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。
それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と何が違うのだろうか考えさせられる。
父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて、一族を束ねている。
その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。
現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、
未開発地域の人たちにも同じような文化が存在している事実に注目した。
戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した手紙などが記録で残っている。
それがアフリカのマサイ族の部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。
初めてアフリカに足を入れる前までは、恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかし、
サバンナで出会うマサイ族の衣装と野生動物から身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性の
センスにひけをとらない。サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に
似合った柄の羽織?を買い求め着ている。それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。
その視線で自分に流れている日常を見直すと、小さな自分の世界を見直すことができるのである。

 ・・・・・・・
3092,つれづれに ー閑話小題ー
2009年09月22日(火)
* 自民党総裁選挙だと!
 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。
早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。
三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。
勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは河野太郎だけで、二人はボケ。
派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。
その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、
その方が日本にとってよい。 それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。
今のところ政権交代は、現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはずだ。
数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。
 〜〜〜
 * 図書館にて
 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。
それも全員が立ち上がっていて氷突いている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 
次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。
何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを起こして追い出され悪態をついたのか?
ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、強盗でもないので
無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。男の館員が受付の外で対応していたが、
ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。
それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作して
トラブルの演技で金を強請にくる。 また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 
 〜〜〜
 * 5連休か〜
 秋の5連休とかで、高速道路の千円効果もあってか春のゴールデンウィーク並みのようである。
この不景気の中、観光地は思わぬ特需で息をついているという。私の方もだが。
高速道路の無料化は地方にとっては大きなインパクトになるだろう。さっそく「知人の奥さんが4名で東北まで
一泊で遊びに行ってガソリン代と往復2千円を加えて、割ったら一人当たり交通費が二千八百だった」とかいう
話題が入ってきた。そうこう考えると、高速無料化は日本全体にとって莫大な経済効果をもたらすだろう。
学生時代のゼミの後輩が、その火付け役である。さぞ、鼻が高いだろう。
・・・・・・・・・・
2727, ザ・オオズモウ
 2008年09月22日(月)
  *大相撲が面白い!
 ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。 
一場所を中止をする位の大事件なのに、それ以上は騒ぎ立てなかった。
ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。
これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 
歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。
歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。
柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。 
それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。
外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。
一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。
もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、
尚のこと、徹底すべきである。
  〜〜
  *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退?
 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。
この力士の特技が立ちあいの張り手である。下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して
張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、張り手がやりづらくなった。
これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには気力が衰えている。
しかし、ヒール役(悪役)としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、
引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、
新理事長の下では早々の引退だろう。 元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、
リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 
後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。
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2007年09月22日(土)
 2363, 郵便配達夫シュバルの理想宮  −2
シュヴァルの凄さは、理想宮が明らかに意味あるものなら解るが、今でいうテーマ・パークを、誰の理解もされずに
ただ黙々と石を集め、自分の心の命じるまま理想宮をつくり続けたことである。ただ、そのプロセスの中で生甲斐を
感じていたはず、もし感じてなければ続くわけがない。他の人から見たら何ら意味もないことを、自分でも意味など
考えてなかったのだろう。あるのは、それに取り組んでいるときの何ともいえない喜びである。 続けているうちに、
評判を聞いた外部の人が見に来て褒めてくれたこと、認めてくれたことなどで、意味を見つけていったのである。
それは結果として、潜在意識の具現化につながっていく事になる。そのテーマ・パークはみる人の気持ちをうつのである。
もちろん、周囲の人は、その奇異な建物をみても理解などできようがない。むしろ外部の人は、それを冷静に客観視
できるから興味も加えて評価が可能になる。創造者は、まずは気違いにならないと新しいことは創造できない。
そして周囲は、その姿をみて、気違いという。 だから面白いのである。
 ーその部分を抜粋したみるー
ー村の気違いー
シュヴァルは、村では最初から異端者であった。農地を持たない、という一事だけでも、村において、人を異端者と
するに足りたであろう。そのうえ彼には、孤独癖、厭人癖があって、周囲の生活に決してなじむことができなかった。
パン屋をしながらの数年間の放浪は、そのことを示している。郵便配達という職業は、この異端を一時期
蔽い隠していたけれども、彼が宮殿を建設しはじめるに至って、この異端は露わになり、決定的なものとなる。
{近所の人たちは、私の毎日の石運びに気づきはじめました。彼らは最初、道路管理官に売るための資材を私が集めている
のだと考えました。やがて私は、そうではないことを覚らせました。《じゃあ、どうするんだ》と彼らは訊ねました。
 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日)
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2006年09月22日(金)
1998, 「私」のための現代思想  −2  
   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜  −読書日記
第一章 「私」を縛るものは何か ー
 ーまずは問題とはー
まず「我われの世界は正しいのか」という問題をまず考えなくてはならない。
我われの世界には正しい部分と、腐った部分がある。《「世界」と「私」は、ともに腐っていく》という方が解りやすい。
この世界で自分が腐っていくのを実感することは、さらに腐敗にまみれないようにするためには、非常に重要である。 
我われを拘束する要素として、<言葉><価値><社会>が考えられる。
 ー言葉ー
私たちは<言葉>を使ってこの世界を認識し、他者に何かを伝えます。言葉は「思考の枠組み」であり、
便利な道具ではあるものの、逆にその「枠」の外には出られないという意味で束縛となる場合がある。
 ー価値ー
私たちは何らかの、<価値>を求め、それに照らし合わせて自分の行動を決定したり選択したりします。
自分が重要だと考えている<価値>そのものが、私たちを束縛している場合がある。
 ー社会ー
この枠組みは、私たちがよりよく生きるために構築されてきたものですが、そこに窮屈感や閉塞感が出ることがある。
これらは「束縛」となる場合と、「自由になるための武器」になる場合がある。 この束縛から脱するには、
これらを得なくてはならない。 得るためには、まずは言葉・価値・社会とは何か知らなければならない。
 まずはーー《言葉》についてーー
言葉の機能の中心には「分類」があります。これは、言葉は「私たちが知覚したものを分類する」ために
用いられるという意味である。私たちが「何かを学ぶ」ということは、
ー社会において重要とされている分類基準を自分のものとするー
ということを意味しています。このとき私たちは、少しだけ「自分を殺す」ことになります。
それが「大人になる」ということであり、「社会化する」ということです。
フランスの精神分析家のピエール・ルジャンドルは =換言すれば、    
「 自己と世界に対する関係は言葉のスクリーンを経由する 」ということです。
 人間のアイデンティティには複数の水準がありますが、自己への同一化
(それが主観的なアイデンティティ形成です)と、世界の同定および世界への同一化ということです。
その全てにとって前提となるのが言葉のスクリーンなのです。
自由に「思考」するためには =「他人の考えるように考える」ということは、重要である反面、
「他の人が考えるようにしか考えられない」という状況を発生させてしまう。
そのときに人は「言葉による束縛」もしくは「言葉の専制」を実感します。
そうならないために‘社会の側の分類規準は便宜的なものでしかないことを、しっかりと把握しておかなくてはならない。
自分を殺さずに、社会の側の分類規準と上手くやっていかなければならないが、
そのとき重要なことは、「言葉の主人は自分である」という意識を持ち続けることである。
すなわち言葉は、自分を拘束するものではなく、認識の道具であり、意思伝達の道具であり、思考の道具である。
(以下、字数の関係でカット2009年09月22日)
 ー感想ー
 この随想日記を書き続けることの束縛が、反対に言葉の束縛を一つずつ開放してくれる。
 一つの束縛が、一つの開放の獲得になる。要は、それぞれの束縛が物語としての基盤になっていれば、
 それが人生の物語の完遂になっていく。まずは、言葉による自分の物語の構想を若いうちからしておくべきである。
 それが、その人の価値観になるのである。             ヽ(●´ω`●)ノ。バイ!
・・・・・・・
2005年09月22日(木)
 1633, 閑話小題
 ー雲を消すー
私が、雲を消すことができるというと、頭がおかしくなったと思うだろう。しかし消せるのである。 
まずは雲の消し方を紹介しよう。晴れた日にたくさん浮かんでいる雲のうち、3センチくらいに見える雲を指さして
「消えろ、消えろ……」と念じると、だいたい三分ほどで雲が消えてしまう。
ぜひやってみると面白いはずだ。小さな雲は、常に発生したり消えたりを繰り返している。
指をさして念じなくとも、小さな雲は三分くらいで消えるもの。そうした現象の種明かしをしらないと、
実際に雲が消えたように見えて、念動の存在を信じてしまう。 実際、それを信じている人もいるから面白い。
 ーあのビルの臭いー
爆破当時にニューヨークの9・11の貿易センタービルの下を通っていた地下鉄で
電車が通過する時に、ものすごい臭いがしたという。何千?人分の腐った人間の出汁の臭いとか。
思い出したくない地元の人は生ゴミの臭いと言っていたという。(マスコミにはあまり出てこないはなし)
また、その翌年アフガンでは10万人以上が餓死したというが、そのことは殆んど新聞には報じられなかった。
 ー晩婚化と高齢化ー
現在の晩婚化は高年齢化に深く関係しているという。もうかなり以前だが、『人生ゴムバンド』という説があった。
高齢化になったぶん、人生の節目と節目の期間が延びたという。なるほどと肯いた。私の知人数人が30代半ば結婚したが、
現在も子供が学生である。65歳までは収入は落とせないと言っているが、そう話しながらでも本人は嬉しそうである。
下の子供が大學を卒業した時にホッとしたと同時に、何か物足くなった。年金が満額出るのはあと三年だが、その時は・・・
・・・・・・・・・・
2004年09月22日(水)
 1268, 大相撲に思うーつれづれに
大相撲が始まると、相撲について書くのが恒例になってしまった。場所ごとに刻々と、相撲の様相が変わっている。
最近は、朝鮮相撲、モンゴル相撲、レスリング、そして日本相撲の「国別異種格闘技」の様相に変ってきている。
外国人の出身地もハワイ、アメリカ大陸から、モンゴル・旧ソ連圏になってきた。彼等は、お金を稼ぐという目的が
ハッキリしていて、ハングリーなのだ。それと骨格も違うのだから、日本人がどの面から見ても勝つ要素が少ない。
異種格闘技のK−1では、日本人がほぼ駆逐されてしまったが、相撲も、あと一年で大関・横綱は外人で独占されるだろう。
国別異種格闘技として割り切って大相撲を見ると、むしろ面白い。日本人も個性的な面白い力士が出始めてきている。
小さくて、その小ささを武器にしている力士や、気力を売りにして神がかり的相撲をとる高見盛などである。
一つ気になるのが、「一部屋に外国人一人の制限」である。ある新聞の冗談とも、本音ともいえる提言が書いてあった。
「外人枠を撤廃をして、東西それぞれを日本対外国人に分けて対抗戦にしたら!」なるほど、そのとおりにすべきである。
前半は外人対日本人、後半交流戦とかして。 これこそ、グローバル化である。 これに、今のプロ野球を重ねると、
面白い姿が見えてくる。このプロ野球の恩恵を受けていたのが、日本のトッププレーヤーである。グローバルに見れば
二流選手(大リーグからみた)でしかない。2Aか3Aクラスの選手が、二倍以上の年収を受けていた事実が判明した。
今回の騒動の中で、それが露出されるだろうから皮肉なものだ。相撲もプロ野球も大きな曲がり角にきている。
TVでは巨人戦を開幕来、殆どみていない。しかし大リーグは結構見ている。
一リーグ戦にすべし!
今、反対意見を言っているのは、目先しか見てないファンか、選手ごときと、それをネタにしているマスコミである。
大リーグと契約をして、公式の交流戦に参加すればよい。アメリカの方が断る可能性があるが、といって日本の市場が
できるから彼等にもメリットがあるはずだ。 話はかなり逸れてしまった。
ー後記ー
書き終わって去年と一昨年の随想日記をコピーしていたら、三年続けて同日に相撲のことを書いてあった。
それにしても奇遇である。潜在意識が呼び寄せるのだろう。 年々、内容が変化しているのが面白い
・・・・・・・・・
2003年09月22日(月)
 901, 相撲を考える
 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。他の格闘技も多くできたこともあるが最近の大相撲はつまらなくなった。
つまらなくなったという点で、今のプロ野球に似ている。NHKのBSでメジャーリーグを見るようになってから、
全く見なくなった。以前、「過去の相撲の大一番」を特集していた。
子供の時から相撲が好きであった事もあって、ラジオやTVで大一番は殆ど見ていた。
・私が見た中での大一番は「栃若の千秋楽の全勝の一番」である。
・大鵬と柏戸の千秋楽の全勝同士の一番も素晴らしい一番であった。
・生まれる前なので見てないが、歴史に残るのが双葉山が69連勝の後、安芸の海に負けた相撲も大一番といえる。
  (以下、字数の関係でカット2008年09月22日)
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2003年03月12日(水)
 707, モンゴル大相撲
 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。
今場所からは、両横綱とも外人である。外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。
  − 以下字数の関係でカットー2007年9月22日
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2002年09月22日(日)
 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸!
 まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。
もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、彼はそれを持っている。
  (以下、字数の関係でカット2010年09月22日)
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[154] 性善説と性悪説   2001/09/22
 以前、身近に[おれは性善説だ]と口癖の男がいた。本当に性善なら‘それを売り言葉に使うのがおかしい’
という事も解らない。人間なんぞ性善も性悪もごちゃ混ぜになっているもの。
光のあて方でどうにもとれる。「性悪の路線の上を性善で走れ」あたりが少しもっともらしいのかもしれない。
 善良は、ある状態ー苦労やぎりぎりのところに立ってない状態ーでいっている戯言でしかないというと、
言い過ぎか。善悪とは、多様にあり解釈の結果でしかない。詐欺師やその手合いはその事を熟知している。
従って善良という言葉の衣服を綺麗に着こなす。 本当に世の中、悪がいる!芯からの悪党がいる。 その人間が
‘俺こそは実は性善’だと信じていたら、手のつけられない悪党になれる。それか、政治家いや政治屋向きであろう。
 自分中に隠れ住んでいる‘邪悪なるものと神聖なるもの’と、とことん付きあってみれば、性善説や性悪説は
見方の一片でしかない事にきずくはずだ。どうでもいいことだが、言葉の遊びレベルでいっているだけだが。


3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10

2010年09月21日(火)

 * アフリカに魅せられて ー4
  ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー
 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見たような気がした。 
ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、
遊牧民マサイ族の生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。
野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、
バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。
このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどはカルデラの外にでることはない。
(象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに
生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。
上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。
それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。実際に地球上に、
アフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。
 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。
ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。

 ・・・・・・・・
3091,猫背の話
 2009年09月21日(月)
 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。 腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た猫背の
初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを一年ぐらい気を
抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる直前に布団の中で全身を
伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、これでかなり矯正はした。
 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。
・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。
 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。
・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。
 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 
・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。
・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。
・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。
  ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2010年09月21日)ー
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2726, 議論に絶対負けない法 −2
 2008年09月21日(日)
ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、
この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。
孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。
 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より)
1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。
  -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。
2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい
  −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。
3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。
4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。
5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー
   ―ただ一つ不正という苦しみを除いては―
6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。
  相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。
  相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。
7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」
8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。
   絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。
9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい
  −自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。
  それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。
10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。
   だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。
  −−
 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか!
次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。
告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、
真実は二の次になってしまう。これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。
それだけ、物語の力があるということだ。 共同幻想は、物語から沸いてくる。 
 そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。
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2007年09月21日(金)
2362, コーヒーの由来
 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー
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2006年09月21日(木)
 1997, 「私」のための現代思想    読書日記
   \(^▽^*)おは!   (光文社新書)  著者・高田 明典
 「私」とは何か、「他人」とは何か、そして他人の集まった「世界」とは何か?
 を解りやすく書いてある本がないかと思っていた矢先に、図書館でこの本に行き当たった。
 哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。
 この本では、<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>という現代思想の
 主要概念を検討する構成をとっている。 この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。
 まずは「はじめに」の中から、ポイントの部分を抜粋してみる。
・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、一介の労働者として工場に入り込み、
 そこで辛い体験を通して、自らの思想を研ぎ澄ました。そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく
 奪われてしまいました。そこで私たちは「時間の流れ」にさからうことはできません。
 しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを思い描き、その通りに行動することはできます。
 それを人は「意志」といいます。また、「精神」とも、「魂」ともいいます。すなわち「魂」とは、
 人が「時間を支配すること」です。もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、
 自分の意志とは全く関係なく起こるものであれば、人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。その自由は失われます。
・教養とは「自由になるための技術」です。そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。私たちに与えられた武器は、
 思考であり言語であり論理である。それ以外の武器を、私たちは持っていません。 自由になるための「技術の束縛」
 から逃れるためには、「技術を所有する」ことです。「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。
 所有するとは権限を持つことと同義語である。 何に束縛を感じるか、その人によって違います。
 その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。
 束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。 その人が採用する「物語」が遂行していく途上に
 存在する「壁」のことです。「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」という
 「物語」が遂行中であることを意味しています。「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、
 すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。
 「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。
              おわりに      (。^0^。)ノホンジャ、マタ! 
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2005年09月21日(水)
1632, 記憶する身体、飛翔する意識
         ー 日野敬三 対談集  −3
柄谷と保坂の違って、三木は本人自身が生死の淵の大手術をしているので対談の内容は、よりリアルになっている。
ー手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。
ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。努め帰りの人たちがドンドン出てくる。
以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、
みんな輝いているのですよー のクダリなど、挫折を何度か繰り返してきた経験から、痛いほど解る。
現在、リストラにあった人の心象風景そのものである。 以下は、少し暗いが真実の声である。
   ー記憶する身体、飛翔する意識ー 三木卓
ー三木
生死ぎりぎりの大手術をして、人生の荒治療を食らったという感じは大いにありますね。
突如として目の前に「シャッター」がダーンと落ちてきたときには、やはりかなり慌てた。
多少は死のことを考えていたつもりなのに、やはり本番の覚悟はできてなかったのですね。
ー日野
『2001年宇宙の旅』というSF映画の中に、モノリスという不思議な金属が出てくる。 ツルツルの黒っぽい。
三木さんは先ほど、シャッターとおっしゃいましたが、僕はあれが目の前にスーッと現れた気がしたの。
ー三木
モノリスが?怖いな!
ー三木
病室の窓から、恵比寿の町の灯が見えるんです。そうすると街のどこかのバーで僕が一杯ひっかけていてもいいわけですよ。
ところがその風景が、何か、明治時代のガス灯の世界か何かに思えてくる。その間にあるガラスは厚いですね。
驚くほど厚いガラスなんです。そこに僕が行って飲むということは素晴らしいが、もう絶対できない。
ー日野
僕は、手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。
ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。勤め帰りの人たちがドンドン出てくる。
以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、
みんな輝いているのですよ。僕はここにいて、10~20m先の改札口の皆が帰っていく姿が、この世のものならぬ光に包まれて、
そして自分とそこの間には絶対の隔たりがあった。その光景は忘れられません。
ー三木
日野さんも僕も、シャッターが落ちたときから、そういう時間が始まったんだと思う。
僕はときどき高校に講演に行くんですが、入試に絶対に受かる方法があると、冗談めいたことを言うんです。
君達には、まだ一年があると思って悠々としているだろう。しかし、入試一ヶ月前になったら必死に
勉強しないではいられない。それは一ヶ月という時間ならそれを実体として把握できるからだ。
その実感としての時間を一年前に見通して把握できるなら、つまり一ヶ月前の時間の質と
同じように一年前の時間を感じることができればいい。きっと優秀な人間はそういう能力を持っていると思うと。
ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2009年09月21日)ー
ーー
死を直面する時に、だいたいこんな気持ちになるのだろう。そして、ひとり悶絶して諦念するしかないのだう。
そのときの準備のために、人類は宗教をつくりあげたのだ。最後の最後は、『神様助けてください、お願いします』
になるだから心に迫ってくる。しかし、この二人は神ではなく科学的に死を見つめている。
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2004年09月21日(火)
1267, 書いてなかった旅行記ー2
 カナダ旅行紀ー2
バンフスプリングス・ホテルが一つの芸術作品のようである。重厚な石造りの建物に、豪華なロビーとレストラン。
もちろんホテルとして、世界的に有名なホテルである。その庭先にはレイク・ルイーズがある。
いや、レイク・ルイーズのほとりにホテルを建てたのだ。朝、昼、夜(白夜)とその湖の色が大きく変わって見える。
ロビーの窓が、あたかも絵の額縁のように作ってある。早朝、その窓から見た湖の美しさに息を呑んでしまった。
白夜の11時過ぎに、一人でレイク・ルイーズの畔のウォーキングコースを散歩をした。
よそ者は入ってくるなと脅しているように稲妻と雷の音が鳴り響く、自リスや、ラッコが威嚇の声を上げる。
それが、その背景とピッタリなのである。恐ろしくなり引き返そうとした。ふと人の気配するので、目をやると若い白人女性が
一人でハイキングから帰ってきたところだった。男でも恐ろしいところをよく一人で歩くものだと感心をした。
高台から見えたペイト・レイクの美しさも心に焼き付いている。コバルトブルーの色は、過って一度も見たことのない色。
右を見ても左を見ても、全てが絶景というのがカナデアン・ロッキーの特徴である。
旅行の都度、添乗員に必ず次の質問をしていた。「貴方の主観でよいから、一番良かったところは何処ですか?」
殆どの添乗員答えは「カナダのロッキー」であった。次がスペイン。そして、インドであった。
そういわせるだけのものは確かにあった。ところで現在の私に同じ質問をしたら、迷わず、「ケニア!」と答える。
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2003年09月21日(日)
900,『 V・E ・フランクル』についてー2
彼の言わんとすることは
ー「よく働き、よく遊び、よく学べ」ということだ。
「よく」あるためには、この3つのバランスがとれてなくてはならない。
よく働くためには、よく遊び、よく学ばなくてはならない。
よく遊ぶためには、よく学び、よく働かなくてはならない。
よく学ぶためには、よく働き、よく遊ばなくてはならない。
 私の場合は、
・よく働くは、現在の事業の発展・維持である。
 バブルがはじけて大変だが、5年~10年先を読んで、事業構造の変換が当面の課題である。
・よく遊ぶは、ウォーキングや、秘境旅行、映画・TV鑑賞。
・よく学ぶは、読書や人間・社会観察である。
 この3つはそれぞれ重なり合い、同じであったりする。この「随想日記」は私にとって3つが含まれている。
「何を」という目的・目標をハッキリさせ、そのプロセスを楽しみや遊びになるまで、徹底することだ。
フランクルは死と常に隣りあった異常な状態の中で、人間の可能性を見た。その「人間の可能性」を大学に
復帰して講義をするイメージが、彼を収容所から生還させたのだ。収容所で作業のため整列して歩いている時に、
数?上から見ている自分がいたと書いていた。これなど究極の体験から生じる脳の昇華であろう。
彼のコぺルニクス的大転換は「人生に何かを求めるのでなく、人生が何を求めているか」を常に問い続ける
重要性に気づいたことだ。 それも死の収容所の究極の状況の中でだ。
  ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)
・・・・・・
526,社会の変化
- 2002年09月21日(土)
日本も社会の価値観が根本的に変わろうとしている。この失われた10年間で政治も企業も宗教も権威が失墜してしまった。
一昔前の一流企業といわれるところが、倒産や赤字や不祥事で全く権威を消滅してしまった。代議士や大臣を偉いと
思う人が全くいなくなってしまった。宗教もしかり、「集り」という姿がオウム教で露出してしまった。
「家」という制度も根こそぎ変わろうとしている。 江戸時代から続いてきた「日本的家制度」が、新しい年代の出現や
我々の意識の変化で根こそぎ変わってきている。家のオモヒの仏壇も仏教がまだ権威を保っていた時の文化だ。
法事も地味なものになるだろう。農家や商家が激減し始めきたことも「家制度」の崩壊の原因になっている。
家業としての商売や職業が成り立たなくなってきた。 周辺でも多い事例として、実家にUターンで帰ってきたが、
家業が成り立たなくなり再び都会に帰っていくケースが多い。「帰ってこないほうが良かった」といって。
初めから帰ってこないケースも多い。結婚式も最近、当人が会費制度でやる地味婚が増えてきている。
家どうしの顔ミセから、本人達のお祝いの会に変わっている。家単位の行事が一づつ消滅か縮小してきている。
葬式や法事もこれに近づいてくるだろう。何かの本に、「家業一代、家二代の時代」と書いてあった。
私の場合、この十年間で年で数回海外ツアーに出ているせいか、更にこのホームページを開いたせいか、
人間関係の感覚が変わった。趣味の同じ人と、側にいなくとも何かどこかで繋がっている感覚がある。
気持ちの距離感が変わってしまった。 やはり情報革命が背後にあるのだろうか。
・・・・・・
2001/09/21 
 9・11事件は、第三次世界大戦の開戦?
第三次世界大戦開戦!ーほんと!まだピンとこない。しかし一日一日とその重みを感じる。
長期になる宗教戦争だ。怖いのは北朝鮮が関ってきたかどうかである。30~40%の確率で関っていると見る。
あの男ー金正日なら可能性大だ。その場合もちろんアメリカは原爆を使う可能性がある。
そうすると日本海側の原発がまず狙われるだろう。
ー以下字数の関係で中間をカットしました。(2007年09月21日)ー
 また日本は世界恐慌を狙ったイスラム過激派に狙われて当然である。
パレスチナの?2が殺されたので必ず大事件がおきると思っていたが、まさかここまでのテロをやるとは!
 企業はまず生存対策に全てのエネルギーを向けなければならなくなった。
競争対策、成長対策などいっていられなくなった。一年後の世界の経済環境は想像も出来ない。
この宗教戦争の中を生きていかなくてならないからだ。それも大きいツケを払いながら。
終身雇用が揺らぎ、ついてゆくべき上司に頼む風潮がなくなったこと、「家」と「家」から「個人」と「個人」
の結びつきに変化したためである。更に仲人を頼まれるのを嫌がる人も増えているのもある。
三年前には20?がまだ仲人をたてていたが、そのサラに4分の1に激減した」という。
そういえばこの数年来の結婚式で仲人をたてた結婚式はみたことがない。
非常に良いことだ。昔から、仲人が二人の経歴を長々述べて、ただ祭壇に黙って座っている姿が滑稽で、
気の毒でさえみえた。家という制度が確実に破壊していることもある。これは決して良いことではない、
少子化の時代の現象でもある。反面、気楽に結婚して子供をつくるのはよいが、家庭を維持できなくなり、
先日の「幼児殺人事件」に見られる現象が度々起こってくる。少し減ったというなら解るが、ほぼ消滅とは驚きである。


3465, 純粋持続 −3

2010年09月20日(月)

 私が行った47回の旅行は、それぞれが今だ終わってない気がする。
それぞれが続いているから、旅先をTVで放送をみる時、その延長として見ることができる。
記憶の中で現在も鮮明に残っていて、TVの旅番組で再び見る新たな記憶がプラスされていく。それはロマンチックな感傷で
語るのでない。それぞれの旅が心の奥底に「純粋持続」している実感がある。その意味で「純粋持続」の意味がよく分かる。
初めての一ヶ月間の欧州旅行の同行の友人の二人と先日、東京で会い、43年前の思い出話になった。
そして、それが昨日の出来事のように思えてしまう。 この43年間で同じ旅行先に立ち寄ったり、旅番組の放送でみたりして、
その間も私の旅は続いていたのである。 ほぼ毎日、これまで47回の旅先をBS/TVで放送している。
それを見る度に純粋持続の純粋記憶に、それが重なっていく。 それらは空間化された日常時間とは別口の〈趣味の世界〉の
引き出しに加えられる。だから、ベルクソンのいう〈純粋持続〉が実感として受け止められるのである。
純粋記憶として鮮明に残すため、写真の整理と、感想文(感傷文)にして《随想日記》や、ブログに載せる。
それは記憶、記録というだけでなく、【魂に記録される純粋記憶】になる。 それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる
瞬間像の記憶である。 そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。
 趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。 好きな仕事に没頭している時間も純粋持続になる。だから仕事を好きに
なるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。
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3090,「官僚内閣制」が終焉
 2009年09月20日(日)
  * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」
「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著 に刺激の強い内容が書かれている。
 菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から民主党への政権交代と
 官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めて
 の大改革。この実現に全力を挙げたい。」と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。
  * 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を次のように述べている。
《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。 官僚政治は省の中の省である財務省に仕切られてきた。
 財務省は各省予算の査定と国税の査察の権限を持つ、これに真っ向から歯向かえる政治家は一人もいなかったろう。
 そこで民主党は予算の大枠を決める財務省のコアの部分を握ることになった。 主計局は戦略局の大方針に従うことになる。
 国家戦略会議に加えて「行政刷新会議」が設けられ、仙谷由人氏が担当相になった。自民党政権では「行政改革推進審議会」
「地方分権推進委員会」などを作って識者を集めた。私も土光臨調での「国鉄分割民営化」のあと12年にわたって行革審に
 参加させられた。この種の官僚が事務局を務める審議会は官僚にうまくごまかされ、全く無意味だった。
 新設される「行政刷新会議」が役人抜きで、政治家の判断で、運営されれば、地方分権から地域主権に至る改革にも到達できる。
 内閣に100人の政治家を入れるという。今までも60、70人入れていて効果がなかったから、意味がないという批判がある。
 しかし、効果を発揮できなかったのは大臣と副大臣、政務官が各派閥への均衡人事で配置され、全く“一体感”がなかったからだ。
 今回は大臣が自分の同志や盟友を集めてチームとして君臨する。秘書官がついて各個撃破されていた現状とは様変わりになる。
 重要案件は「閣僚委員会」で火曜、金曜の閣議の前日に行われた事務次官会議は、翌日閣議に諮る案件をすべて決める。
 閣議でそれ以外のことが議題になると即、閣僚懇談会に切り替えられ、正式の議題から外される。次官会議の決定は全会一致であり、
 一省でも反対すれば決定されない。貿易交渉などで日本の回答が何カ月、何年も遅れるのは全会一致主義のせいなのだ。
 この仕組みでは「農業で譲って他の分野で獲る」といった政治判断は不可能だ。この事務次官会議は明治19(1886)年
 から始まっているが、法令上の規定はない。明治の元勲政治以来の伝統で、自民党はこの官僚絶対の「慣習」さえ破棄することは
 できなかった。民主党はまず、この官僚支配の元凶である事務次官会議を廃止する。 重要案件は関係閣僚を集めた「閣僚委員会」
 で決するという。 民主党の「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている。
 安倍晋三内閣でも同様の発想で国家公務員法改正が行われ、渡辺喜美行革担当相時代に公務員制度改革基本法が成立した。
 これに基づいて麻生内閣で仕上げの法案が作られたが、最後の段階で谷公士(まさひと)人事院総裁が首相が招集した会議を
 ボイコットして法案は結局流れた。行政府の一機関にすぎない人事院総裁が首相の会議をボイコットするほど官僚は増長していた。
 日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ。(ややま たろう)》
  麻生太郎は「官僚は使うもの」と官僚を弁護して最後まで官僚に使われていることに気付かぬほど暗愚と、矢山は指摘し、
 民主党が政治主導の要として設計した「国家戦略局」が、それに取って替わるという。 先ほど取上げた菅直人氏が副総理、
 国家戦略担当相に就任し、ここで予算の基本方針や外交、防衛などの国家基本戦略を仕切る。これは、日本にとって
 革命的なことになる。 それを阻止しようと、自民党の悪霊と、検察官僚と大蔵官僚が組んで、国策捜査を仕掛けた?が、
 もう流れは止めることは出来なかった。 戦略会議に、その宦官を取り締まるCIAみたいな部局も必要になるだろう。
 ことと次第によっては、アメリカのCIAも乗り込んで、大仕掛けの謀略も参院選挙まで行われ可能性が大である。面白い。
  ・・・・・・・・・
2725, サブプライム・ローン販売の現場
 2008年09月20日(土)
 「金融偽装」ー米国発金融テクニックの崩壊 伊藤博敏著 
  以前にサブプライム・ローンを扱っていたNHKのドキュメントで、ローンを販売していた人の
  証言を映していた。図書館で見つけた、この著書の以下の場面と、ほぼ同じ内容だった。
  こうして、世界中に、証券会社の契約社員達によってバラマカレテいったのである。
 −−−
P−18
販売プロセスは、綿密に仕組まれた詐欺のようなものである。しかも米国の住宅ローンビジネスは分業化しているから責任者不在で、
詐欺を働いていても、誰も罪の意識を感じなくてすむ。例えば住宅ローンを組む際に、購入者が接するのは住宅ローンブローカー。
こうしたブローカーは歩合でセールスを雇い複数の住宅ローン会社の商品を斡旋、セールスにはローン残高のー%を報酬として支払う。
それだけにセールスは必死だ。審査が緩いのをいいことに、自己申告で収入と仕事を記載させ、借り手に不利な重要事項は教えず、
最初の金利は安くして支払い可能なローンと思わせて売りまくった。サブプライムローンが好調な時には、年収100万ドルのセールスが
ざらにいたという。こうして、最初の2年は金利が6%で残り十数年が十数%といった無茶なローンを組ませた住宅ローン会社は証券化で
「貸し手責任」から解放され、証券化した金融機関は格付け会社や債券保証会社の信用供与で責任を逃れる。
この「負の連鎖」の特徴は、誰にも責任が及ばないことだった。 この実体経済を揺るがす金融商品は、住宅ブームを演出したい
という金融当局の思惑によって生まれていた。そこには「マエストロ(名指揮者)」とまで呼ばれて尊敬を集めた
米国FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン前議長もいたという。
P−24
(字数の関係でカット2009年9月20日)
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2007年09月20日(木)
 2361, 閑話小題
 ー新潟駅にビック・カメラが出店ー
来年12月にオープンする新潟駅内のビルに「ビック・カメラ」がオープンと新聞に発表されていた。 
現在「ヨドバシ・カメラ」がオープンしているので駅再開発の前に、このビルに移転するのではと予測をしていたが、
何とヨドバシの競合相手の「ビック・カメラ」になった。 現在のヨドバシ・カメラは1500〜2000坪あるかなしかで、
同じ商品構成では今度のビッグ・カメラの3500坪とでは闘いにならない。こういう場合、カメラとパソコンなど品種を絞り、
闘いを挑むしかない。秋葉原ではヨドバシ・カメラが超大型店を出店したら、多くの中小規模の量販店が撤退か廃業を
余儀なくされたばかりである。ヨドバシも闘いは無理と判断するかどうか? これで、新潟駅が俄然面白くなってきた。
(字数の関係でカット09年09月21日)
 ー阿部首相の退陣についてー
あっさりと安部首相が退陣することになった。福田で決まりのようだが、その手腕は未知数である。
経歴、年齢からいっても短期内閣で終わるのは誰の目にも確か。しかし民主党も心もとないことも確かである。
小沢はアメリカの共和党が次の大統領選挙では民主党に取って代わることを読んで、
思い切った戦略を組んでくるだろう。そのため思いもよらない事態が起こるかもしれない。
その前に、政界の大編成が起こるのだろうか・・・。安部と小泉では、やはり力量が違ったということか。
それにしても、阿部は損な役回りをしたことになる。総選挙の敗戦時が辞め時だったが、その位のことも解らなかったと
いうこと。一昨日のネット上で「阿部首相が自殺未遂!」という情報が飛び交ったというが、有りそうな話である。 
彼も一年もすれば立ち直ってくるだろう。 それが政治家というものだ。
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2006年09月20日(水)
1996, 悪筆ー3         才八∋ウ_〆(∀`●)
 =もっと「きれいな字!」が書ける本=     
                       読書日記             
 (字数の関係でカット2008年9月20日)
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2005年09月20日(火)
 1631, 愛か、夢か、それが望めないなら仕事を!     
この連休前に借りてきたDVDの『フライト オブ フェニックス』の一場面の、ある男のセリフである。
砂漠の真ん中で墜落した飛行機から一人絶望のうえに脱出しようとした男が、助けに行ったリーダーに向かって言うセリフである。
「この状況では愛など関係ない、ならばせめて夢を与えて欲しい。それも無理なら仕事を与えて欲しい!
ただ死を待つのはもう耐えられない!」極限の言葉である。
それに対して、「あくまで援助隊を待つべし」という方針だったリーダーは、その考えを変える。
この言葉は人間のあるべき姿を全てを言いあらわしている。
・人間の一番だいじなことは、「愛」    −暖かさ
・次に「夢」を持つこと          −方向
・そして、それを可能にするための「仕事」 −力ー愛と夢を支える力ー現前の気晴らし? である。
リーダーとしても、人間にとってもこの順位は変わらない。
どれも、決して侮れないことである。極限では、この一つも見出されないのが人間の姿である。
極限の中にこそ、これを見出せるかどうかが試されるのだろう。何気ない映画の一言にドキッとした。
 ー検索で調べた荒すじをコピーしておきます。
 閉鎖された石油採掘所のスタッフと廃材を運ぶ運搬機が、巨大な砂嵐に遭遇し砂漠の
ど真ん中に不時着する。毎度お決まりの仕事を無難にこなすだけだった貨物機操縦士のフランク(デニス・クエイド)は、
自分たちの状況が最悪なのを察し、助けを待つしかないと悟る。しかし、コスト削減のため採掘所を閉鎖した本社が、
彼らの捜索部隊を出す予算など持っているわけがないことに気付き、彼らは絶望の淵に立たされる。
その中で正体不明だったエリオット(ジョヴァンニ・リビシ)が不時着した貨物機の
破損していない部分を見つけ、彼らはここから新しい飛行機を造ることを決意する・・・。
 1965年製作の「飛べ!フェニックス」をリメイクした作品。 砂漠の真ん中で遭遇した事故により
 過酷な状況に陥った生存者が、砂漠から脱出を試みようと飛行機造りに奮闘する姿を描く。
 飛行機の残骸から新たな機体を造るという荒唐無稽なアイデアと軽快な音楽とが相まって、
過酷な状況である筈の生存者達の姿には、悲壮感や緊迫感があまり感じられない。
この点は賛否が分かれるだろうが、心理描写よりも飛行機造りをメインに据えて展開する
ストーリーは思い切りが良く、映画ならではの面白みがある。
 シンプルで解りやすいストーリーはテンポ良く進んでいき、すぐに作品の世界に入り込むことが出来る。
ラストは容易に想像できてしまうものの、冒頭の飛行機墜落のシーンや飛行機造りの過程で次々起こるトラブルは、
観ていて飽きることがなく最後まで観賞する事ができる。 気楽に楽しめる娯楽作である。
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2004年09月20日(月)
 1266, 仲人制度が消滅?
新聞に出ていたことだが、「結婚式で仲人を立てたカップルは4・6?と、前年より3?近くも減少。
20組に1組以下になった。 首都圏では、僅か1?しかなく、制度としてほぼ消滅した。
終身雇用が揺らぎ、ついてゆくべき上司に頼む風潮がなくなったこと、「家」と「家」から「個人」と
「個人」の結びつきに変化したためである。更に仲人を頼まれるのを嫌がる人も増えているのもある。
三年前には20?がまだ仲人をたてていたが、そのサラに4分の1に激減した」という。
そういえばこの数年来の結婚式で仲人をたてた結婚式はみたことがない。 非常に良いことだ。
  (字数の関係でカット2010年9月20日)
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2003年09月20日(土)
 899, 《V・E・フランクル》について
十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生丁度まがり角であったためであろう。その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
・「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
・「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」
・「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』『満たすべき意味』
を発見するための手がかりになると、フランク心理学では考えている。
 特に以下の分析には深く納得をした。
ー自己超越のための3つの意味(価値)ー
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味   =仕事・子育て・学問・芸術
       ー力への意志
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味  =自然・芸術・愛
       ー愛への意志 
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで
        得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化
        ※自身が何らかの喜びに満たされていること ー知への意志 
人生には発見されるべき価値や意味がある
 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である
ー私が読んだ本は以下であるー
  ー以下は、字数の関係でカットー2007年09月20日
・・・・・・・
525,光ファイバー
- 2002年09月20日(金)
昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。今までの電話線の10?安いネット料金で
コストパフォーマンスはよくなったが、諸経費等が65万である。1~2年で元はとれるが、それで1000倍近い速度だ。
自宅では来月半ばに入る。長岡で導入の一号だそうだ、その証明書も出してくれるという。
何か営業に強引に加入されてしまったが、一号の証明書をもらって我慢だ。
月9000円で、来春5800円に下がる?そうだ。電話代が無料になるから、その辺が入り時という。
ブロードバンド ポルノと検索入力して、はじめは 定番から入るしかないか?
「ブロードバンドと何々」の何々をこれからキーワードに意識をしていくと、面白いものに行き当たるだろう。
愛犬家だったら犬と入れると犬の画像が出てくる。おしゃべり日記といれたら、何か話している人の画像が出てきたりする?
自宅ではADSLが一月前に入ったが、早速ブロードバンドとポルノと入れたら、リアルな映像が出てきた。
それから見ていないが、あれはこっそり見るもので、パソコンで見るのに適してない?
美術館とか博物館などが早速取り入れてくるだろう。 それとサービス関係のホームページも。
これに携帯が連動してくると、さらに面白い時代なってくる。 今まで写真中心の海外旅行のホームページが、
写真が出てくるまで時間がかかりすぎて、見るのに躊躇していた。その問題は軽くクリアーするだろう。
二紙とっている新聞を一紙にしようかと、今月中に結論を出す。トレードオフだ。
以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。この時はWOWOW に加入した時だった。
次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。 会社に行けば見れるのだから。
今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。インターネットでネット新聞を見ているという、
もちろん無料だ。 死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない!
考えてみたら、とってないのもいいかもしれない??!新聞社の斜陽が更に進むだろう。
ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。
・・・・・・・
[151] 世間様  2001/09/20
「世間とは現実にドップリつかった馬鹿な4^5人のこと。」
浪人を重ねるうち悟ったことである。それは諦めと醒めた視点から感じたことだ。
現実とは世間とは「教養のない馬鹿な女と女みたいな男の現象世界」でしかないことを。
それが馬鹿な彼女・彼等にとって、現象が全てだからそうなのだろう。
世間の目、世間様とかは自分の(自己の範囲を自分というなら)日々の泡でしかないのに。
それが解ってないから前に書いたチンドンヤや子狐が出てくる。
その言葉に呪縛されて、一生終えてしまうのが95%いやもとっと多いのでは。
世間様に笑われないようにとか、世間様に迷惑をかけないように!これも大事だろう。
城下町街はこの世間様の世界に入る。彼らの情報(噂)は下ネタか夜逃げか不幸,それを皆で楽しんでいる。
社会と世間の言葉の違いを定義つけておかないと!こういう世界に迷い込んでしまう。
 ーーーーーーー
(10年近く前に書いた文章に似たような内容をコピーしておきます。)
 −H0407城下街小唄ー
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。
その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。
彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、
彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”
の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。
(字数の関係でカット2010年9月20日)


3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9

2010年09月19日(日)

 * アフリカに魅せられて ー3
  ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー
 
 ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が遅れていて、その分アフリカ的である。
まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 
その広大な草原はケニアのマサイマラと地続きであり、ケニア側をマサイマラ、タンザニア側をセレンゲッティという。 
その広大な草原をヌーとシマウマが楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。
その群れにライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス領、タンザニアはフランス領だった。
ケニアもタンザニアも、サファリが大きな観光資源になっていて、国立公園内には現住民を除いて観光客以外に入ることができない。 
サバンナで時おり現地の鮮やかな布をまとったマサイ族などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。
草原に彼方此方にいるのではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。
ヌーとシマウマの群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 群れがいないところで、ウサギや
ジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。 大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。
そのサバンナに6メートル位の土の道路が何処までも続いている。走行中に他のサファリカーは、ほぼ見かけることがない。
そこを同行のジープ数台で激走するのである。車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に立って胸から上を外部に出せる。
そこで外を眺めていると、たった一人でサバンナで走っているような錯覚になる。
車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。自分より強いという認識があるという。
だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。しかし、時おり像のボスが襲うことがある。
ボツナワのサファリで、その現場を直接見たことがあるが、乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。
特に危ないのが、離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。ケニアで、早朝に10人位のマサイ族が
逃げてきたところに出くわしたことがある。我われのジープを間に入れて、クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。
 そういえば先日Youtubeで、白人がライオンの群れを撮影をしていて、つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、
群れに生きたまま食べられている映像を見てしまった。何でもありである。
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3089,つれづれに-閑話小題
 2009年09月19日(土)
・民主党政権が発足したが、問題は、公約が守られるかどうかだ。 100年以上の官僚内閣制度を打破できるかだ。 
 検察と国税と土建の国土省の狡猾な宦官をコントロール出きるかどうかだ。戦略局が次官会議に取って代えるところがミソ。
 自民党も政権を下りてしまえば、官僚内閣の小間使いでしかなかったのが露出したことになった。
 今度は、民主党が、彼等にどう取り込まれるのか、それとも首輪をはめられるのか?
 そのバトルが生々しく劇場化してくる。 国民による自民、官僚パージが、この選挙だったのである。
・中小企業と個人の返済3年猶予というが、実際に行われるのかどうかだ見ものである。
 徳政令ということだろうが、そうでもしないと、来年早々、日本経済は大きな転換期になる。
 中小・零細企業の倒産ラッシュである。 せざるを得ないということだ。 銀行も、反対するが、
 逆に政府も間接救済になる。 自民党政権も、大手銀行の使い走りだったので、このような発想そのものが
 出ないのだろう。自民党よりの読売新聞が「自民党よ、堂々たる与党に」だと、更に破壊しないと無理。
・一週間後の国体に向けて、新潟市も慌しくなってきた。 当方のホテルもである。
 宿泊は、選手よりマスコミとか、運営関係の役員とかが中心のようだが、色いろ細かいようで現場は大変のようだ。 
 身障者の大会も含めると半月の間は新潟市は満杯になる。問題は、終了後のことだが、それは、その時に考えるしかない。
 しかし、来年になると新潟にある火力発電の増設工事が始るようだ。柏崎刈羽の原発が当分フル稼働が出来ないので、
 新潟の火力発電を増やすしかないとか。 景気の落ち込みで、柏崎刈羽のマイナスを吸収したと思っていたが、そうでもなさそうだ。 
 いずれにしても大変である。 どの程度か分からないしし、当てには出来ない話だが。
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 2724、世界恐慌の結果、どうなる?
  2008年09月19日(金)
 恐慌になると過去の事例から、30?売り上げが減り、それに耐えられないところから消滅を始めるという。
毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に一度の恐慌が始った。
アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて思え懐かしい。
アメリカで震度6強の大地震が起こったのである。 そして、大きなウネリが起こってしまった。
それは大津波になり日本のみならず世界中に押し寄せ始めた。 津波と違うのは何年にもわたることことである。
ところが日本は政治的空白の事態で、頭がないのが現状である。 これは2001年の9・11事件に匹敵するか、
それ以上の出来事。大津波を、現象としてイメージしてみると、数年以内に既存の会社の半分は倒産、いや、
そんなものではないか? 銀行、特に地銀以下の過半数が消滅、ハイパーインフレが発生、失業率が二倍、
国家非常事態宣言が出て、銀行口座の閉鎖?  現在考えられるのは、その辺だが実際は、この程度ではないだろう?
100年に一度の世界恐慌なのだから。  それも一番の直撃を受けるのは日本。どうすることも出来ないのが
アメリカの隷属国家の運命である。次は、アメリカの証券会社二位のモルガン・スタンレー。
緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。そして、シティーバンクが次のターゲット。
数年前まで日本を買いあさっていたアメリカの金融機関の惨状、ザマ〜ミロと言えないのである。
そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、果たして会社はどうなるのだろうか? 
逃げも隠れも出来ないが、生存に全てをかけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルになってきたということだ。 
それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。 
そして、次に来るのは中間層が総下層になる。 社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時と同じような現象になる。
年末から100円以下の株価の会社は銀行のしめつけで、次々と倒産が始るだろう。 日本型社会主義の完全崩壊である。  
第二の敗戦が表面化してきたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは思ってもいなかった。
私自身、2008年9月16日14時をもって、「世界恐慌」と判断した。そう判断すると震えるほど恐ろしい。みる目が全く違ってくる。
みる目が違うと判断も違ってくる。私の人生で、過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 
それにしては、まだ実感が少ない。 茹で蛙になってしまったのだろうか。現実に信じられような大混乱が直ぐに始るだろうから・・、 
いや始ったのである。ゴールドや、資源を持っている国は、それを担保としてあるから、立ち直りが早い。
しかし、体力のない日本の行く末は・・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」
・・・・・・・・・・
2007年09月19日(水)
2360, ギリシャとエーゲ海の旅 −6
  ーギリシャ旅行の総括ー (1)
この旅行で言いたかったことはホボ書きつくした。去年のケニアを除けば、北イタリア、オーストリア、
スイスと欧州が続いている。やはり何処にいっても、欧州は数千年の間に積み重ねられた豊かさと文化の深を実感する。
観光地の一部だけを見たにしても、アジア・アフリカとは根本的な格差が解る。
レジャーにしても、長年の間に洗練されたセンスが違う。人生を楽しむことに長けている。
またクルーズをするならカリブ海クルーズだろう。底抜けの明るさと太陽は、またギリシャとは違った味わいがあるだろう。
メキシコに行ったとき、一日だけメキシコのリゾート地のカンクンに泊まったが、カリブ海を臨む高級リゾート地の雰囲気は
何ともいえなかった。クルーズ船に乗ってカリブのバハマなどの諸島を巡ったら、思いもよらない景色に出会うだろう。
「求めよ!さらば与えられん」である。今回は殆ど無駄のない日程が組んであった。旅行は、続けてこそ当たりも外れもある。
当たってばかりでないのが、よい。外れがあるから当たりもあるのである。人生と同じである。
出発前にギリシャの各地で山火事のニュースが流れた。行く前に、誰かに「大丈夫ですか?」と聞かれたが、
「大丈夫! 九州の鹿児島辺りの一部で火事が起きているようなもの。イメージでしかないし、絶対に日程が狂ったりしない。」
と答えた。案の定、旅行の最後の方で地元のガイドが少し話しただけで、遠い遠い何処かの話でしかなかった。 
そんなものだ。逆にいえば風評は恐ろしい。エジプトはギザのピラミッドと、エジプト考古博物館に行った。
二回目である。エジプトの遺跡はルクソールだけでも世界の遺跡の5〜6割以上ある?
(現地ガイドの説明で真偽は解らないが)というが、その中でもこの二つは一番の見所であった。
良いものは見れば見るほど、その素晴らしさが見えてくる。前回は、この二箇所をじっくり見ることができなかった。
いま一度どうしても行ってみたかったので、丁度よいタイミングであった。特にカイロの考古博物館は、素晴らしい。
その中で圧巻は、ラムネス?などのミイラと、ツタンカーメンの「黄金のマスク」と、副葬品である。
それらは現在でも通用するものばかりである。今回旅行で解ったことだが、ナイル川クルーズがあるという。 
今度チャンスがあったら、是非乗ってみたいクルーズである。もしエジプトを計画しているなら、これはお勧め。
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2006年09月19日(火)
1995, 世界の絵画50 −2
             おはよ〜!(*^ワ^*)i                   
      不安の正体  ームンクの「叫び」
    不安感を絵で表現するとムンクの「叫び」になる。あれは恐怖の叫びとは違う!不安の叫びである。
   人間がいきている限り、不安は常に付きまとうものである。生きていること自体が不安の原因となる。
   これが 先日、ハイデッガーについて書いた中にある、「不安」の本質である。
   「不安とは現存在として最も根本的な気分である」という。  彼によると現存在は世界内存在として理由もなく
   この世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。
   日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。
   とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての根源的開示がはじめて生起すると・・
    誰でも漠然とした不安が夢の中で熊の姿で現れたり、金縛りになったりする。
    その根源が現実社会と思っていたが、「死」の可能性を前にしての不安というのも納得できる。
    恐怖は具体的な恐れであるが、不安は漠然とした恐れである。 その正体が「死」である。
    もう一つは変化そのものであるが・・・ 難しくなるので、「変化」のテーマで書くことにする。
                     ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪                     
   ところで、新聞にノルウェーのオスロのムンク美術館所蔵の強奪された「叫び」が発見された、と報じていた。
   この「叫び」の男は、絵の中で表現された人物として、絵画の世界で有数な有名なキャラクターになっている。
   ムンクは、この男の絵を通して不安を表現したかったようだ。彼は、この絵に対して、次のような言葉を残している。
   ー友人ふたりと歩いていたムンクは、ひとり立ち止まって、太陽の沈んだあとの、血のように赤くなった雲を見た。
    友人はそのまま行ってしまったが、ムンクはそのとき、恐怖と不安にふるえながら、自然の大きな叫び声を聞いた。
    そして、この「叫び」を描いたーという。 彼は自分のその時の体験をそのまま描いた絵であり、
    その男は、ムンク自身の姿である。この絵には中央の雲の部分に小さな字で、「こんな絵を描けるのは狂人だけである」
    と書き込みがある。ムンクは1863年、ノルウェーのロイテンで軍医の子供として生まれている。
    5歳にして母親を亡くし、その9年後、母親と同じ結核で姉を亡くし、32歳で、父親と弟が亡くなっている。
    そして、妹も精神を患い、病院に入れられてしまう。彼は「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守ってくれた
    黒い天使だった」という言葉を残している。
     ー「世界の絵画50」より抜粋ー
   正に「病と死と狂気への不安感」が大きく口を開いている。この絵は人間の不安感という黒い闇を鋭く描いた絵である。   
                      (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・
2005年09月19日(月)
 1630, タクシー業界の実態は!
ホテル業をしていると、生々しいタクシー業界の話が入ってくる。
平均して週一割りで外で飲んでいるが、健康の為にタクシーに基本的には乗らない。年に数回?位だろう。
たまにタクシーに乗った時に運転手に実情を聞くと、信じられない内容が返ってくる。
「月の収入が、手取りで15万円で一家三人でギリギリくらしている。家内がパートに出ているから何とか生活している。
高校出の新卒の給与より安いのは惨めだ。直ぐにでも辞めたいが、同僚が辞めても直ぐに新しい運転手が入ってくる。
とにかくお客が乗ってくれない」等々である。ある新聞のコラムに、韓国・ソウルでタクシーに乗って景気の話ができないという。
その話になると、運転が急に荒っぽくなるという。タクシー業界は一番、景気の敏感である。韓国の景気もひどいらしい。
先日チラシに目を疑う内容があった。『成田まで10000円、羽田まで8000円ー全ての経費込み スーツケースも運びます。
  (字数の関係でカット09年09月19日)
・・・・・・・・・
2004年09月19日(日)
 1265, 少し際どい、「とある話」
かなり危ない話は、実際のところ随想日記では書いてない?
といって、「エッ!」という話は、よくあることである。??日位前のこと?、あるところで飲んでいた。
カウンターの隣で、人品の良さそうな二人連れが気持ちよく歌い、帰っていった。
その一時間後、帰ろうとしたところママさんが「あの人が、例の人なの!」  ただ「    」
その店で、何回か「??!!」の話をしていたと思うが?!
具体的には、もちろん書けないし、40年以上も前の封印された事件である。
少し際どい話になったが、今となっては殆どの人が知らないし、この文章だけでは、誰だか解らない「とある話」だ。
以下の詩の、その人である。
・・・・・・・
こころにのこった詩ー2
2002/11/26
            ビートたけし
ー兄弟ー
兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた  初めて見た外国の映画は何か悲しかった
ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ  兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に
殴られて、お金をとられた
帰りのバス代が一人分しかなく     兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした
僕はバスから飛び降りた        兄ちゃんと歩いて帰った
先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた  僕も泣きながら歩いた
  −−−−
ーこれを読んで子供のころの出来事を思い出した
  詩的に書いてみるー
小学校の低学年の頃、兄と歩いていた  兄が急に頭に手を当てた
帽子を取ると頭が血だらけだった  兄はそれを見て泣き出した 帽子に穴があいていた
すぐに誰かが空気銃を撃ったのだと思った  近くに不良の中校生がいた
彼だろうと思った  兄の手をひいて帰った  その問題は大きくはならなかった
それから10年経ってその少年は??事件をおこした  「ざまみろ!」と思った
・・・・・・・・
2003年09月19日(金)
 898, 携帯TV電話を買った!
 ある飲み会で、ついに「携帯TV電話」を持っている人がいた。
数回飲んでいたが、携帯TV電話を持っているとは知らなかった。今年の4月に28000円で買ったという。
アニメ系ソフトや携帯電話などのソフトの開発の仕事をしている為、利用価値があるのだろう。
仕事仲間の殆どが携帯TV電話を持っており、仕事内容の打ち合わせに最適だといっていた。
東京の仲間内の事務所にカメラが据えてあり、よくアクセスするとか。
また音楽が大好きで幾つかの録画をダウンロードしてあり、フルに使っているという。
「普通のiモードの携帯の10倍の価値を感じる」といっていたのを聞いて私も買うことに決めた。 
 実際に手にとってみて、SFの世界にいるような気持ちになった。
その人がアクセスした事務所の照明をつけたり消したり、室内の音声まで聞こえてきたのには驚いた。
 まずはアダルト系とか、出会い系サイトに利用されるだろう。まだ綺麗なTV放送は見られないが、
あと数年経つと今とは全く違った画面が見られるようになるという。
メーカーの研究所で次世代の液晶画面の開発がすすんでいるとか。
 まだ買ったばかりで殆ど利用方法が解らないが、これは面白そうだ。カメラ付を来月にでも買おうとしていた矢先、
思わぬキッカケでTV付を買う羽目になってしまった。値段は1万9800円で半年で三分の二に下がっていた。
もちろんカメラ機能が併設してある。私の場合、周辺では誰も持っていないので、他人の公開している部屋や事
務所でも覗き見してみるつもりだ。そう、スナックや居酒屋の店内を覗くのも面白そうだが。もう少し使い込んだら
再び話題の取り上げてみるつもりだ。それより紹介してくれた相手とTV電話をして使いかたを教わるのが一番実用的だ。
 これを持っている??でもいたら一番よいのだが、無理か。
・・・・・・・・・
 524,北朝鮮を考える
  2002年09月19日(木)
 解りやすく北朝鮮を要約するとー
得体の知れないマフィアの親子が国家を乗っ取ってしまった。
そして?鹿息子が自分を「偉大なるドン様」と国民にいわせている。
・やりたい放題、偽札は国家単位で生産する。
・武器を狂信的国家に製造して売りつける。
(字数制限のためカット 2010年9月19日)
・・・・・・・・
「再びホームページ‐5ヶ月 の実感」 
 2001/09/19
・個人のサテライト・スタジオだ。       ・個人の応接間だ。-WEB上に開いた個人応接間。
・個人のお店だ。               ・個人の自己実現の場だ。
・個人の楽しい過去の行蔵、楽しい今の楽しみの場、 楽しみな未来の計画の場。
・唯我独尊の独り言の場。           ・この5ヶ月間の全エネルギーを注ぎ込んだ。
・自分がどんどん変化していくのが面白い。   ・過去の内面に溜まっていた何かが一挙に出てくる感じだ。
・文章力が飛躍的についた。
・なんといっても1日30分も触ってなかったパソコンを、5〜6時間以上触るようになった。
・パソコン教室に通うようになった。      ・同時に多くのソフトを知った。
・写真をメインにしたアルバムホームペイジから始めるのが一番の早道である。
以上であるが、これから1000項目のテーマを随想日記に書き込むのを目標にしようか。


3463, 9・15より二年

2010年09月18日(土)

 リーマンショックから、二年経過し三年目に入った。100年とも、250年に一度の激震と言われる。
アメリカでは、証券大手の殆どが瞬時に消滅、シティーバンクなど幾つかが大手銀行も政府管理会社になり、
ビッグスリーのGM、クライスラーも政府管理の事態になっている。日本のバブル崩壊で、大手銀行が20社から
三社に集約されるまで10年も要したことからみれば、迅速である。日本では今のところ目だった大手では日本航空ぐらい
なのは不思議と言えば不思議である。まだ表面化はしてないが、まずは関東・東海ベルトラインを除いた地域経済は惨憺たるもの。
悪いことに政権が民主党に移行し、人間に例えれば脳がマヒ状態で、この難局に国の方向が定まらない無政府状態。
このまま、この激震のクライマックスに入る2012年を迎えることになる。デフレから悪性のハイパーインフレへの転換である。
現在は円高だが、さらに恐ろしい円安が日本経済を襲うことになる。まだ表面化してないが、ある日、株と国債の暴落から
始る激しい恐慌の本番は、激しく我われの生活を襲ってくる。悲観的だが、それが事実なら認めざるをえない。
 これに情報化社会の進展によるグローバル化が、世界をフラットにしていけば、これまで東西冷戦の狭間で、大きな
恩恵を受けてきた日本が、普通の国並みに豊かさが損なわれるのは当然である。それが、現在の日本の衰退である。
情報化、グローバル化、フラット化の流れは、もう止めることは不可能である。これまでの常識は根底から破壊され、
全く違った価値観が通用する時代に既に入ってしまった。情報、軍事、金融を支配しているアメリカは、当面は勢力を
保つだろうが、中期的にみれば衰退は免れない。それに対し、中国・インド・ブラジルなどに覇権の重心が移動するのは
避けれないこと。その中で、日本はアメリカの更なる植民地化が進むことになる。毒素が脳までやられてしまったのである。
その一つの現象が、現政権のトップ達に、そのまま現出しているとみると、ニヒルな笑いが出てきざるをえない。

 ・・・・・・・・
3088,挫折を考えてみようか −3
 2009年09月18日(金)
 ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。
そこで改めて考えてみた。 大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない?
金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという実感はあった。創業を目指して彷徨いながら
準備をしていたという明確な絵図があった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」という指摘も正しいことになる。 
先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。そうこう考えると、挫折と軽々しく言わない方がよい!ということ。 
 ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」とあった。
挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンスになり、竹の節目に譬えることが出来る。 
そこに大きな鍵が隠されている。 超越者の声に敏感になることもある。 それまでが横の時間なら挫折の時節は縦の時間。
「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 物語なら、そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の
「転」の時になる。挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。
「予定挫折」という言葉がある。 挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場にするのである。
そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、
それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は勘違い? 
しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と、何人かの知人から聞いて驚いたが一番傷つきやすい時期の、
それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でもなんでもない。
また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。 
最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。 予定挫折ともいかないし。
 幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化すこともないが・・・
「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。
                      「日々是挫折」 =「日々是口実(好日)」
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2723, アメリカ発、金融危機の始まり!
 2008年09月18日(木)
AIGが一昨日、1ドル台まで下落したが、アメリカのFRBが昨日になって9兆円の融資を決めたことで、
当面の倒産を回避した。FRBがリーマンと同じスタンスをとれば、倒産になるところだった。
世界中が一瞬、息を呑んで見守っていた決定であった。NHK海外衛星TVで、ジョージ・ソロスに
インタビューをしていた。「これで問題が解決をしたのではなく、小さな目先の問題が先送りをされただけ、
次から次へと同じような問題が出てくる!」と、大恐慌の到来を匂わせていた。
アメリカ政府が80?の株式を持ち、切り売りなどしてソフト・ランディングをさせる方針だ。
アメリカの上位数社の壊滅と、AIGの政府の倒産の危機は9・11事件に匹敵する金融の大事件。
一つ間違えれば世界の金融は崩壊の危機に立っている。これが序曲でしかないのは、誰の目にも明らか。
ボロボロ世界中から、大問題が次々と発生してくるのだろう。 恐慌が始ったようだ。ある日、手に負えないような
ハイパーインフレが発生し、スタグフレーションになる。考えただけで恐ろしい日々になるのである。
メルリリンチが、もしBOAのリーマンを買収が決定すれば、次にターゲットが自社に来ることを察知。
恐らく財務関係者から救済がないことを知らされて、急遽BOAに売却を申し込んだのだろう。
メルリチンチの倒産の方が更に衝撃が大きかっただろう。 映画のような非常に緊迫したヤリトリがあったのだろう。
リーマンでも負債総額が64兆円というから。日本でも各金融機関は大きな損失を被るだろう。この混乱は、
今後大きな尾を引く。これまでとは全く違った金融環境になることは自明。 日本でもあったように、
資金の貸し渋り、貸し剥がしが、アメリカのみならず、世界中で起こる。 やはり世界恐慌が始ったのである。
欧米各紙は、「ブラック・サンデー」と命名したという。それか翌日の15日の荒れた月曜日ということで、
「ワイルド・マンデー」ともあったが、ドチラが定着をするだろうか?昨日の為替・株式、世界中の国家が、
その維持に必死だったのがうかがえる。日米欧、二日で36兆円、というが、そんなものではないだろう。
すざましい攻防があったはずである。2001年9月11日をもって時代が様変わりしたように、
この9月15日をもって経済が様変わりをしたのである。その意味で、歴史的な日になってしまった。
アメリカで大地震が起きれば、日本に大津波が押し寄せる。それも数年にわたって何波もである。
銀行と企業の倒産の嵐、円安、株の暴落、政情の不安定、失業率の増大、資産の海外への逃避。
考えただけでも恐ろしくなる。 その中で経営していくのもソラ恐ろしい!
 大津波の場合、全てを捨てて高台に向けて逃避するのが助かる唯一の方法。
具体的に、如何いうことか走りながら考えようか? 日本人には「マレーシア沖地震の大津波を、
アメリカの大地震の津波と類推する」ことさえできない。そういう私も、そうかも知れない。 
戦後最大の日本の危機であることを実感してないのでは?僅かな、貯金を直ぐに金に換え、AIGの預け金を何をして・・、 
今更何をしても変わらないか!ソ連の崩壊時に、政府高官とか、マフィアは自分の資産を海外の口座にドル建ての預金を
しておくとか、秘密金庫に貴金属に替えて預けておいたという。その人たちが、崩壊後に資本家として現在、君臨している。
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2007年09月18日(火)
 2359, ギリシャとエーゲ海の旅 −5       才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
ーエーゲ海クルーズー
クルーズといえば、過去に香港クルーズの経験がある。香港からフィリッピン周辺の海域をクルーズするのだが・・
何社かの旅行代理店の共同企画だったが、{参加者が少ないため体裁を整えるため御得意に三分の一の値段でどうか}
というので参加したことがあった。クルーズが、こんなに楽しいとは実際、参加して初めて知った。
朝から晩まで何かしら船内で企画があり、それ以外は甲板で日光浴かウォーキング。決して飽きさせないノウハウを
企画者は持っているのである。そこに日本の老女の未亡人が、ほぼエンドレスで参加していた。
日本で生活しているのと生活費は同額?なら、よほど国内より楽しいという。スタッフは親切にしてくれるし
解らないでもないが、それは人生の甘い辛いの全てを経験した後のこと。ところで、この実質三泊三日のクルーズ朝から
晩まで飽きることのない日程。むしろ、時間、いや体が足りないぐらい。三日間、午前・午後と分け4時間、
地中海の小島の遺跡や観光地に上陸する。それぞれが深い歴史と味わいを持っていて世界中からの観光客に親しまれている。
確かにエーゲ海をバックに見ごたえのあるものばかりで、バカンスの極致だろう。それをカジュアル?に組んであるのが、
欧州の欧州たる所以である。毎日午前と、午後か夕方に分けて、二回エーゲ海の島にある観光地に上陸。
移動は夜間か、昼飯から午後の暑い時間に船でするから合理的である。客船を移動ホテルと見立てれば、こ
れほど便利な手段はない。それと、エーゲ海での甲板の日光浴が良い。今回のクルーズで立ち寄ったサントリーニ島や、
ミコノス島などは、珠玉の島という言葉がピッタリである。地中海、エーゲ海沿岸の豊かさは観光地とはいえ
目を見張るものがある。世界の大金持ちのお遊び場を垣間見た思いである。     ヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年09月18日(月)
1994, 悪筆ー2   (。^0^。)ノ オッ
   ーもっと「きれいな字!」が書ける本−2
(字数の関係でカット09年09月18日)
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2005年09月18日(日)
 1629, 戦略的思考についてー3
戦略的思考としての「質問」を幾つかの本からランダムにとりあげてみた。(戦略的でないものも含まれるが)
・その意味は何だろうか? 何故?何故?何故?何故?何故?何故? 何?何?・・・・・
・私が長期にわたって成し遂げたいことは何か?私にとっての価値あることとは何だろうか?自分を使って何をしたいのか?
・それが可能なことは解っている・・・しかし、やる必要があるだろうか?
・ここで新しく学んでいることは何ですか?  その目的は?
・それを仕切るのがあなたなら、どんな手段をとりますか。
・なぜ、ずっとこの方法でやってきたのですか? その方法で本当によいのですか?
・もっと前向きな方向に進めるために一つ決断を下せるとしたら、それは何ですか?
・お客にもっとも必要とされ、やりがいのあることは何でしょうか? お客に私たちが提供できるものは何でしょうか?
・顧客にどんなことを尋ねるべきでしょうか?
・自分のスキルを向上させるために、今日は何をしましたか?
・誰もが、果たすべき役割を持っている。その役割は何だか考えていますか?
・いま起きている変化は何ですか?そして、それに対する対応は如何しているのですか?
・あなたはどういう人生を送りたいのですか? 今日、その一日を過ごしたといえますか?
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2004年09月18日(土)
 1264, 自己喪失感
10年から20年前のことだが、喪失感?に捉われたことが何度かあった。自信喪失というか、虚無感というのか。
このような心理状態を、誰からも直接は聞いたことがない。誰も黙って、こころの奥に閉まっているのだろうか。
「自分は全くの無能者で、何にも中味も蓄積もない。 今まで生きてきたが、全て上辺のことしか経験してこなかったし、
学んだ蓄積も何も無い。いや何も学んでこなかったのだ。ただ此処にいる自分は無能の抜け殻があるのみ」という凍りつくような
恐怖感である。 いや、真実の自己に気がついたということか!これが虚無感というのか、それとも一種のノイローゼの心理か?
その無能感のためか、他の存在がいやに大きく感じる。多くの挫折感を味わってきたが、その虚脱感とは違う底を抜けたような
無能感だ。心のある状態なのだが、底知れない心の深遠を覗きみた。
「心に穴が空いて、その下を恐怖感で見たときに,虚無に取り付かれた心理状態」である。
失業をしたり、離婚をして、山手線の駅の雑踏の中で自己喪失感にとらわれた時に、
思わず電車に飛び込でしまう自殺が多いという。死を覚悟をした時に同じような感覚になるのかもしれない。
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2003年09月18日(木)
 897, イルカの話ー2
 先日、NHKで「野性の発見ーイルカとロビン・ウイリアム」という内容のドキュメントを放送していた。
ロビン・ウイリアムは私の数少ない好きな性格俳優の一人だ。そういえば去年の今頃、イルカの話を書いた。
イルカの能力は底知れぬものがある。鏡を見て自分と認識できる動物は、一部の類人猿とイルカしかいない。
先日のTvで、イルカに鏡を見せている場面が何とも面白い。自分の顔を人間のように、いろいろの角度から見たり、
表情をつくっていた。そして笑っているようにさえ見えた。イルカは牛がそのご先祖様で、
進化して6000万年が過ぎている。イルカのひれと牛の蹄は同じものであるという。
 ーイルカの特殊能力をあげてみると
・ハワイの研究所のイルカは60の手話と2000の文章を理解できる。
・人間の動きをすばやく捉えて、そっくりの物まねをする。
・一致協力して、ボラを陸に追い上げて捕る漁法を持っている。
・セックスそのものを楽しむ数少ない動物の一つである。
・イルカは心に傷を持っている人をすぐに見分ける。 その能力を取り入れたイルカ療法がある
 去年、NHKスペシャルで「漁民とイルカが共同で漁をする」内容を特集していた−後記コピー
 彼等は自分のサインのような個々の音を持っている。人間が違う知性と交流できるとしたら、イルカだろう。
 人間の想像をはるかに超ている進化した動物の可能性がある。
 二つのドキュメントとインターネットの検索で、ちょっとしたイルカ専門家きどりだ。これが情報化というものか。
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523, 本屋と書籍出版社と問屋
- 2002年09月18日(水)
本屋の世界が特殊ということがあまり知られてない。書店の問屋に2大勢力がある、日販と東販だ。
・荒利が20?、返品自由の世界。価格は再販制−定価販売で、値引いては売らない。
 問屋への注文は本の間に挟まっている注文書を販売時点で抜いて、注文をするシステムである
 ー現在はバーコードがついている。
・本屋の棚割とか在庫数は問屋の指導で決められている?問屋は情報システムを本屋に売っていることになる。
 解かりやすくいえばいえば、本屋は不動産業そのものといえる。ある立地を確保して、本屋をやる!
 といえば問屋が飛びついてくる。そして棚割りと在庫数の決定をする。フランチャイズシステムに酷似している。
 イトーヨカ堂の鈴木敏文社長は大手問屋の課長の転職者だ。
 小売は情報システムの販売という事を熟知していたから、社長まで登りつめたのだろう。
・20?の荒利の内訳はー人件費が40?、地代が7~8?、電気光熱費がなどの経費が30?、
 万引きなどが3~4?のロスの世界だろう ーこれは私の推定だが。
・本の価格は、初版でコストが回収されるように値付けされている。大体の話だが、価格の分岐点は単行本で,
  *初版1〜2万部で1700円あたりである。
  *2000〜2500円だと初版は8000部あたり。
  *3000円にしておけば、3000部あたりでよい。
・単行本の中から、売れた本は文庫本に選ばれて書棚に残っていく。値段は半額から三分の一になる。
これからデジタルの時代といえ、本は残るといわれている。それもビジュアルの要素が多く入った解りやすい本が。
そういえば本屋ではそういう本が多くなった。文庫本にもカラー写真がたっぷり入った本も目に付くようになってきた。
かなり難しい哲学の本を3年前に買ったが、大きな絵入りと解りやすい解説が空間にたっぷり入った本であった。
居間のTVの横に置いてある。最近は左のページが原書になっていて、右に難しい英語の解釈や解説がしてある本もある。
これを読めば一応原書を読んだ事になるように、出版社もあの手この手で知恵を絞っている。普通の人でも原書が読める時代だ。
そういえば、街の小さな書店がどんどん姿を消している。大きなチェーン店にとって代わっているのは、どの業種も同じだ。
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148、アフガン国境   2001/09/18
カイバル峠ーアレキサンダー大王が通った峠ー
 ー昨日間違ってけしたため今日改めて載せる
ー自宅のパソコンにコピーしてあったので助かった
中近東シリーズ、インド・パキスタン・シリーズとこの2年旅行して見てきたそのままが、1〜2年後大きいニュースに
なるのが必然か。その前がペルーやケニアであった。異郷をキーワードに行っていたのが、こういう結果に
なってしまったのだろう。しかしツアーレベル(観光客レベル)でしかないのもわかっているつもりだ。
もっとシビアに言えば旅行で帰ってきて、どうだった?ときかれてもベラベラ喋れない!
というのが本当のところだ。かなりのお金を払ってなんで?とは一回思ったことはない。
しかしそこで見たものは、感じたものは、得たものはその数十倍もあるからだ。
したがってこう言う機会にしかいえないからあえて言う。 シルクロード!の昨年の旅行、考えられない社会の連続であった。
パキスタンが注目の世界に入る事を前提にシルクロードのバスの世界で垣間見た世界を書いてみよう。 表面的の話を!
 ーバスの中で現地添乗員ー
「ここの部落は自治区です!治外法権の世界です!排他的な民族です、外を見たら目を絶対にあわせないでください!」
「ここの部落は近親相姦の平気な部落です!従がってかなり民度と部族としてレベルの低い世界です!」
「ここは麻薬と銃器の世界に対する密輸基地です、あの大邸宅の内側はホワイトハウスの
 中より物理的にはるかに豪華な世界があります!警備もその数倍の仕掛けがあります!」
「この街は麻薬と銃の暗黒街ーマフィアにむけた秘密基地です、あの店の名前が麻薬やと堂々と書いてあります」
「ここからアフガンまで2時間の街道の200メートルまではパキスタンの管理下、 その向こうの道路は密輸通り!
みて見ぬふりです!」芥子の花はその辺に咲き放題!その辺で石に混ざっているヒスイをさがしていたら、
ある女性が上から落ちてきた小さな石に当たった、しかしその速度のため頭は血だらけ
ーもちろん帽子の上でこうなるのだから! あちこちで落石事故!自分たちだけは絶対大丈夫という信念の中で、
まずパキスタン添乗員が疲労で倒れ、次に我われの添乗員が倒れ!気を張っていた自分が、最終のフライトの飛行機の中で、
死ぬほどの下痢!脱水!トイレの前の席で30分ごとの脱水状態!もちろん生まれて初めての経験
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 参考に為にシルクロードの旅をコピーしておきます。
ーH12・07 シルクロード15日間の旅ー
=旅は人生の縮図!=
(以下は、字数の関係でカット・・・2008年09月18日)

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