堀井On-Line



3462, 純粋持続 −2

2010年09月17日(金)

 * 純粋持続と自由
ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、選択の自由を意味する。
たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか
自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。 しかし、ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を
思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。
 生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的に
創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての純粋自我による行為である。
他方、物質界は一瞬前の過去を惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを
破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 
宇宙の万象は、この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開なのである。そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。
 〜〜
 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」である。
その時は空間時間は消え、没頭している時、そこに「したいことを、しているという自由」がある。
純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も空間も超越している。しかし我われは日常の煩わしい空間に縛られ、
日常の反復を繰り返すだけになっている。それらをカサブタと仮定すると、その奥に隠れている真の時間が「純粋持続」である。
哲学は、固定、静止、実在するもの、定着したものを探究するのが常であった。しかし、ベルクソンは「流動性」つまり
「流れ」に注目する。一人の人間存在について考えても、その細胞は日々刻々と変化しており、昨日と今日は、同じでない。
生命の場合、同一状態が永遠に続くことはありえず、流れの只中に「ある」ということが保証されているに過ぎない。
ベルクソンは、この「流れがある」こと、ならびに「流れの中で生きている」こと、この両者に「自由」を見出す。
あえて言えば、生命体が生きているだけで、どのような状態であっても、死んでいなければ「自由」である。
我われは、強力な束縛はないが、小さな細かい束縛の中で生きている。もう一つは、現在はある程度自由だが、もっと多量な、
もっと高貴な、深遠な自由に到達してないと考える場合である。どっちにしても、ある程度自由だが、自由でもない、
のが多くの人たちの現実だろう。 気の持ちようである。だが、この「気」こそ、ベルクソンの呈示したものである。
 ・・・・・・
3087,挫折を考えてみようか −2
 2009年09月17日(木)
 哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を
拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じスイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」
という考えが、色濃く反映している。『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、
悩み、歴史による規定などをいう。それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。
反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。
 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者)
の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる
という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを
知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。
それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、
大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 
 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。
挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史
などの暗号を解いて、包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。
 挫折は、自分の壁が破壊することでもある。 その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。
養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、人間にとって(特に若いときの)
挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・    〜つづき    
・・・・・・・・・
2722, どうも世界恐慌に入ったようだ!
 2008年09月17日(水)
*アリコが危ない?
昨日の午後に初めて世界最大の保険会社のアリコが、倒産の危機に瀕しているのを知った。
一月の株価が59ドルが、今週に入って5ドルを割ったというから、倒産一歩手前と見てよいだろう。
ところが、他人事ではないのである。会社の節税の為に私に毎年保険をかけて経費で一度落とした後、
ある程度のボリュウムができた後に、それが返ってくるという保険に入っている。それがアリコジャパンなのである。
そのアリコが、こともあろうに住宅債権の保険をつくっていたのである。サブプライム・ローンの不良債権の保障をしていた
というから、結果は知れたもの。世界一の保険会社であっても、倒産ということになる。アリコといえば、現在日本でも、
国内の保険会社を食い荒し、多くの資金を集めている。それが全てパーになる可能性がある。当社も1200万を入れてある。
(四割は節税になっているので700万は、最悪ロスになる!) たくもうである!
まだ間に合うと言うから、今週中に、売却かどうかの判断はしないとならない。ということは、最悪の事態になったときに
世界は大パニックになるということだ。アリコに入っている人は世界中にいるし、多くの金融機関もアリコの債権を持っている。
それが不良債権化して、戻ってくるはずの保険金は戻らないとしたら、恐慌である。私のように世界中の人も金融機関も
同じ行動をとるだろう。そうこう考えると、恐慌のパニックは果てしない広がりを示していく。煽り立てているのではない!、
100年に一度のスケールの恐慌が始ったようだ。今回、払い下げの毒入りの米を、業者がそ知らぬ顔をして販売した事件が発覚。
これとサブプライム・ローンの事件と似ている。不良債権という少しの毒が入っただけで、幾つかの組み合わされた健全の
債権全体が毒入り債権になってしまうのである。それが世界の辻の裏まで行き届いている?から、ことは深刻である。
まさか、住宅バブルが弾けようとは思ってもいなかったのだろう。ブッシュ政権が好景気を維持するため、考え出したというから、
ブッシュという男、歴代最低の大統領の烙印を間違いなく押される。 哀れな末路だが、本人にはピッタリである。
奇数月の月半ばが、そういう決済日ということで、注目されていたが、案の定、リーマンの倒産である。
次の11月はAIG(アリコ)と言われているが、もっと早くなる可能性がある。
今週から来週にかけて、市場から目がはなせない。100年の一度の大恐慌の現象が、一つずつ姿を現してくる。
その結果、特に日本は甚大な被害を受けるというが、考えただけで凍りつくようだ。
銀行閉鎖とか、大手の金融機関が倒産とか、株価が現在は半分以下とか・・・これが10年〜20年スパンで続くのである。
その国家的な大危機に、日本もアメリカもトップが、レイム・ダック化しているから、深刻度は、より深い!
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2007年09月17日(月)
 2358, ギリシャとエーゲ海の旅 −4
ギリシャに着いて、初めて行ったところが‘デルフィの遺跡’である。なるほど2500年前に欧州とペルシャ周辺から、
王侯貴族が宣託を聞きに行く雰囲気が、そこにはあった。遺跡の背景には大きな岩盤の山があり、その前に広大な平原があった。
そこに神々しい巫女が御宣託を恭しく述べれば、当時の情報過小の王様など信じて当然。今でいうと、新興宗教の洗脳演技の
舞台として充分な場がデルフィの地にあった。当時としては国家単位として、洗脳手法ー戦術を冷静に実行していたのだろうか?
しかし、その手法?は、キリスト教的な思想が入ってきてから、衰退していった。現在でも越後の地元にも、狐を神様?とした
「??宗教」が岩塚という村落にある。あれが存在しえているだけ、地域民度の低さを物語っている。
イングランドの狐狩を、あそこでやればよい! 福沢諭吉の「学問のすすめ」ではないが? 
いや、それとも土着レベルの神様も必要である?というのか。
ーデルフィの遺跡ー
アポロンの神託(神のお告げ)が行われた聖域として、また世界の中心「大地のへそ」として有名なデルフィの遺跡は、
パルナッソス連峰の南の傾斜面のプレイストス河の谷を前に、天然野外劇場のように広がっていた。
パルナス山の麓に築かれた「神託の地」であり、このアポロンの聖域は古代世界の命運を左右した古代史上で特異な聖地。
南欧やオリエントの王様が戦争や跡継ぎ、統治などの重要な問題について神託を受けるため、はるばる海を渡り、
山を越えて訪れてきた。
・まず上っていくとローマ時代のアゴラ跡があり、
・次にはBC6世紀の宝物殿、アテネ人のストア、アルゴス王たちの奉納像、アポロンの聖域、劇場、競技場がある。
 ここでは多くのポリス(都市国家)をつなぐ宗教的な核として絶大な影響力を持ち、アポロンの神託が行われた聖域である。
その遺跡の背面には大きな岩盤のような山が背景にあった。そこの巫女は50歳位の農婦が神の代理として神託を下していたという。
しかし現代からみると、かなり好い加減な内容で、悪用の部分が多くみられるという。遠くから苦労をして、この地にたどり着き、
この雰囲気の中で、巫女の宣託を受ければ、頭から信じてしまうのも肯けるが・・その一番奥(上)にあった
観覧席付きの野外運動場には驚いた。幅40メートル、長さ200メートルの競技場は、現在でも何処にでもある学校の運動場のよう。
ここぞ、ギリシャの神殿の遺跡!という風である。その翌日いったのがメテオラ修道院である。
その岩山の麓に一泊したが、ホテルから修道院がよく見えたが、何とも言えない神々しさが漂っていた。
 ーー
ーメテオラの修道院ー
(字数の関係でカット、2008年09月17日) 
 ーー
以上が概略だが、今回、私達が行ったのは聖ニコラオス修道院と、尼僧の住む聖ステファノス修道院である。
過去には24あった修道院も現在は、6つしか修行僧はいないという。 ここは人気の世界遺産の上位に
常に占めているだけあって、その神聖さとパノラマは人気世界遺産の上位になるだけのことはある。。
何事もそうだが、現場に行って感じ取ったことは、自分の心の財産になる。
人類は、色いろな分野で営々と修養を重ねてきたのである。
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2006年09月17日(日)
1993, 悪筆  おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 { もっと「きれいな字!」が書ける本−1 }  ー読書日記
(字数の関係でカット、2008年09月17日)
 ・・・・・・・  
2005年09月17日(土)
 1628, ソウルの富士山ー日野敬三 対談集 −2
また、作家の保坂和志の対談 ーソウルの富士山ーも含蓄がある。
死に直面した日野の心理が二人の対談から、みごとに浮かび上がっている。
ー保坂和志
今日は日野さんが、脳の手術から回復される過程で体験されたことを、
闘病記というより旅行記のような感じでうかがいたいと思います。
ー日野ー
自分が脳を手術されて、術後に安静状態にあるんだとわりあい客観的に自覚したのは一ヶ月ほどあとでした。
なんとなく現実がわかるようになっても、まだうつらうつら夢を見ている状態がさらに一ヶ月続きました。 
そこには、どうも完全な夢とは違う。 自分がソウルにいて窓の外がソウルの街がみえる。
(実際は東京だが)
そして、富士山でなくてカイラス山がみえる。 もしかすると、この人生ではなくて、その前のいつか巡礼に
行ったことがあるのかも、と思い直しました。 だとすると、僕の中で辻褄が合うのです。
カイラス山はそれだけの格と威厳がある山ですからね。超意識の神話的空間内だったら、カイラス山も見える。
それだけのリアリティのエネルギーを持ってなかったら、何が聖山ですか。
ー日野ー
僕は実は世の中を楽しんでいる、あるいは生きていること、人間であることが好きなんじゃないかと思い当たったんです。
それを好きでないように思い込んでいきていたのが、いよいよ最後のところに来て、
その思い込みが剥がれ落ちて本当の地が出たんだと気がついた。
もう一つ考えたのは、人生はなにも正しく生きねばならいことはないと。楽しく明るければよい。
正しくありたいと思ってきたが、それは最も大切ではないとベッドの中で声に出して自分に言った覚えがあります。
ー保坂ー
(字数の関係でカット、2009年09月17日)
ーーーー
冷徹な記者あがりの作家が幽体離脱をして、チベットの霊山のカイラス山にいってきた。
それも夢ではないと言い切っている。 また、ー僕らは日ごろいとも簡単に現実と夢と言います、
全く別のように。でも本当は、そう分かれる以前のところに生きているんじゃないか。
「夢現のあいだ」ということを東洋の人たちは古くから知っていたように思います。
「夢現のあいだ」は「無現のあいだ」でもありましょう。 という、クダリは、生死の狭間での極限から生じた
魂の深い世界を垣間見た体験があるからこそ、言えることだ。人間の脳には、信じられない能力が隠されている。
死の瀬戸際を漂うと、その一部を垣間見ることができるのだろう。死ぬ時の楽しみでもある。
ー面白いことに、去年の今日老子と荘子のことが書いてあった。意味ある偶然の一致である。
・・・・・・・
2004年09月17日(金)
 1263, 老子と孔子
本を読んでいて、時々ハッとする文章に出会うことがある。 以下を書き写してみるが、儒教と道教を対比させることによって、
それぞれの本質を、より解りやすく知ることができる。    (生き方の研究ー森本哲郎 P・302より)
ー「孔子の教え」はあくまで「厳父の思想」であり、対する「老子の思想」は「慈母の思想」とみることができよう。
老子と目される人物が生きたのはー孔子もそうだがー春秋、それにつづく戦国時代の乱世であった。
誰もが真剣に生き方、というより生き抜くための知恵を求めていた。それに、応えて、孔子と老子に代表される
儒教と道教が生まれたのである。対立というより、対照というべきかもしれない。いずれが是で、いずれが非か、
などという問いは愚かである。我われは、ここに二通りの生き方を見、学べばよいのだ。考えてみれば、この世には
「人間なるものは存在しない。生きつづけてきたのは、男と女である」。人間とは、女と男の総合した抽象概念である。
だとすれば、その「人間」には、当然二通りの生き方が考えられよう。すなわち、男性原理による哲学と、女性原理に
つらぬかれた思想である。中国は孔子、老子という祖によって、二元的に、つまり、全人的に生きてきたといってもよい。
私たちが学ぶべきことは、そのような二つの知恵なのだろうか。 中国の作家、林語同は、こう書いている。
ー功なれば儒教ー孔子ーの徒になり、失意の時は道教ー老子の徒に奉じるようになる。
 道教の自然主義は、中国人の傷ついた魂を和らげる鎮痛剤なのである。
得意と失意で織りなされた人生、それを歩む人間の生き方ー
それは何といっても「父」と「母」に従うことなのではないだろうか。
ーーーー
以上であるが、
道教と儒教を対比させ中国そのものを、いや人間の生き方の知恵を提示している。学生時代、「諸子百家」を読んだ時に、
孔子の教えは堅苦しく思い、むしろ老荘の思想に共鳴をした。老子の言わんとする要諦は ー小さな私心を捨て去れということだ。
人間存在なんぞは宇宙から見れば砂、いやチリのような存在。それを真に理解すれば、無為自然、母なる自然の道に従うのが
一番の近道ということが解ってくる。人間が生きていくからには、常に挫折と失意が波のように押し寄せては返していくものだ。
その時、宇宙的視点でその波を見つめる視線が道教の真髄である。
 ー老子の思想の幾つかを書いてみるとー
・道を体得した人は、何事にもとらわれず、言葉を使わず教えを行なう。
・もっとも理想的な生き方は、水のようなものである。
 水は、万物に恵みを与え、相手と争そわず、衆人の嫌がる所へと流れていく。だから道に近いのである。
・実在が意味をなすのは、無が作用しているからである。
・道を体得した者は、行動した跡をのこさない。
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2003年09月17日(水)
896, 言いわけ読本 ー読書日記
               塩田丸男 中央図書館ー2003・09・14日
(以下、字数の関係でカットー2007年09月17日)
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522,勉強法ーノートのとりかた--3 -
 2002年09月17日(火)
 以前にも「鳩山家の勉強法」でも書いたが、レオナルド・ダビンチや モーツアルトなどの過去の天才のノートや
 メモの共通点があるという。・絵と図を中心として、そこに文章を書き込んでいる。 空間配置を中心にしてある。
 知識としてより、創造のエネルギーが、それを共通項として必要としていたのか、直感的なのか?
・似た方法として、左か右に普通のノートをとり、反対側に絵や図や遊びなどの自由のコーナーにしてある。
 考えてみれば、脳そのものが右脳・左脳と二重構造になっているいるから、そうする事が自然で効率が良くなる。
 このような箇条書きも、してないよりはず〜とよいが、できたら空間配置のほうが良いのだろ。
 空間配置の中でフルに○と→をフルに使ってそれぞれの関係を現しながら、解りやすく表現する事が重要だ。
(字数制限のためカット 2010年9月17日)
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 147  機動捜査隊  2001/09/17
7〜8年まえになろうか。当ホテルで年平均二〜三人の犯罪者を逮捕している。その協力の功績で、機動捜査隊が表彰状をやるから
私に来いとのこと。「何いってるのか!来るのはお前らの方だろう」と思ったが、「面白そう!」という誘惑に負け行くことにした。
まずは車で若い私服の機捜隊が迎えに来た。そして、機捜の新潟本部についた。10人ぐらいの機捜が玄関で整列をして出迎え。
「面白い!そして気分がいい!かっこいい!」だった。そして捜査隊長の部屋に! 暫くすると隊長が部下を連れてお出まし!
世間話をする間もなく写真班が2名きて、撮影バチバチとられた。そしてそれから表彰状と金一封の授与式と続く。
まあいいや、いい経験だ!と有難く戴いた。そしてまた会社まで送ってもらった! 彼等はまっさらな目で見ていて、
新選組みたいな一体感を感じとった。ウエットな親分子分という感じであった。それが異様であった。
こんな人間関係まだあるのか!という感じであった。‐さてこの内容が面白いのは、これからであるー
その一年近く後に、機動隊の若い男と第三シングルインのマネージャーをしていたAさんが、
結婚するという。そうすると、あれは何だったのか?機捜に紹介された機動隊の人とか?
 ーこんなものか世間は! まあ人生面白い!であった。


3461, 純粋持続 −1

2010年09月16日(木)

 ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 
まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。
 * 粋持続と真の時間
【 たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、こま切れにしたりすることはできない。
このように概念や言葉から離れて内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。
その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、止めようなき自発、能動によるものである。
これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。
というのも、空間化とは数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、それはもはや
流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】
 〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、
 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ時計や、手帳やカレンダーなど
空間に時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。
それを真の時間と勘違いしている。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も直感で知っている。
日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を忘れている。 人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を
剥がしてみると、そこには本当の時間が姿を現すかのようである。 その「本当の時間」を「眠った時間」の状態から
分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を
如何に確保できるかにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く確保できるからである。
空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。
 人間は定期的季節の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、さらに三等分をして
一月、そして一日、という単位を作っていった。農耕にとって、それが大きく役立った。しかし、それは人間が作った
約束事でしかない。 人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。その時間こそ真の時間と看破したのである。
                                           つづく
 ・・・・・・・・・
3086, つれづれにー 閑話小題
 2009年09月16日(水)
  * 9・11から8年が経った
 このHPを開いて4ヶ月後に9・11テロが起こった。 先日で丸8年になる。 
昔といえば昔だが、8年で時代は大きく変わった。 アフガン戦争、イラク戦争、そしてインドネシア沖の地震、
ミャンマーのサイクロンに、中国・深釧の大地震、地元では中越地震、柏崎・刈羽地震、去年の9・15金融恐慌と、
世界は大きく変わってしまった。 直近では、衆院選挙での自民党の壊滅的敗北である。これが21世紀のようだ。 
更に情報化の進展が我われの生活を根本から変えている。 5〜6年前からブログ(個人HP)が飛躍的に普及、
個人がそれぞれの情報を発信し始めた。 これに携帯電話にデジタルカメラやビデオが取り込まれ、
現場から瞬時に情報発信が可能になったのである。 地球上にネットという別世界が新たにできて、
それが現実世界に大きく影響を始めてきたのである。 この想像を絶した情報化はSF作家の小松左京をして、
「SF作家の我われさえ追いつけない事態」と言わせるほど。 日本は冷戦終了後、それまでの冷戦の恩寵と、
その結果としての世界第二位の経済大国の立場はもろくも瓦解してしまった。
人口の本格的縮小も重なり年々、経済などのダウンサイズが始ったのが、この不況である。
   〜〜〜
  * 民主党が政権を取るとどうなる?
 民主党が鳩山政権として発足するが、どうなることか? 面白いといえば、面白い。
闘う相手は自民党ではなく官僚というから尚のこと。 検察を使おうにも、彼等こそ一番の悪巣。
ここで日本も大きく変化するのは間違いはないが危うさも出てくる。
民社党も批判しているうちはよいが、今度は責任政党に立場が変わってしまう。
二大政党は、交互に政権交代すること自体がよいのだから、目先を心配することはない。
   〜〜〜
 * 9・15リーマンショックから一年
 昨日で、リーマンショックから一年が経った。見るところ三割の経済規模がダウン。
緊急輸血で何とか恐慌一歩手前で踏みとどまっているが、現場段階では上っ面な回復としか感じられない。
メーカー段階では、3分に1にダウンしたのが、2分の1になった位でしかない。これも、何時まで
続くか分からない。元に戻ることはないという上で、経営戦略を根本から練り直さなければなるまい。
超大型地震は起きてしまったのである。津波の本体がくるのは、これからである。
何か、それが分かってないのでは?というほど、日本は長期停滞で神経が麻痺してしまっている。
 ・・・・・・・・
2721, BOAが、メルリ・リンチを買収!
 2008年09月16日(火)
バンク・オブ・アメリカが、メリル・リンチを買収!というニュースが入ってきた。
シティバンクが倒産レべルのニュースより大きい。(シティは倒産してないが)それも、リーマン・ブラザーズと
天秤にかけて、メルリ・リンチを買い取ったというから驚きである。しかも選択されなかったリーマンの方が倒産というから、
なお衝撃が大きい。しかし、そのツケの支払いは日本国民にも覆いかぶさってくることは明白。
アメリカの、というより世界の金融の再編成に入ったということになる。1929年の大恐慌より、深刻な事態というが、
その大きなウネリが姿を現した。ニュースで、100年に一度の金融のニュースといっていたが、その通りである。
日本では、三菱・UFJ銀行が、野村證券を買収したような出来事である。
リーマン・ブラザーズは野村證券の2・6倍というから、世界に及ぼす影響は計り知れない。
サブ・プライム問題の深刻度からして、おこるべくして起こったことである。
5年から10数年前まで、日本を買い叩いていたアメリカ金融機関が、脳梗塞・脳血栓で半身不随になったと例えられる。 
もちろん日本の十数年前よりも根は深い。崩壊という表現も過激ではない。
アメリカの三大自動車メーカーが、ほぼ死に体状態から考えて、世界的な混迷期に入ってしまったといってよい。
先週受けた経営セミナーの先生が言うとおりである。証券会社の一位・ゴールドマンサックス、二位・モルガン・スタンレー、
三位・メルリチンチ、四位・リーマンブラザーズ、五位のベアーズ・スターンズ(この春にモルガンに救済合併)。
この三位から五位が異変をきたしたのである。どうなっているのだろう。
今年に入って、三位から五位が消滅したということになる。ここにきてアメリカの航空会社、自動車、そして金融と、
異常事態に入ったということになる。アメリカ経済の崩壊というと、ドル安圧力が当面は強まるだろう。
その行き着く値段が60円。それが近日か3年先かは分からないが。そして、一度下げておいてから、再び回復するだろう。
何故なら、ドルはアメリカが輪転機で刷っただけの偽札もどき紙切れでしかないからだ。
一番影響を受けるのは、資源のない、紙切れを掴まされた日本、中国、インドである。いずれにしても、大恐慌へのテンポが
速すぎるようだ。世界中が震撼としていることは事実である。今日からの為替と株価がどうなるのだろうか。それにしても、
あの首相候補の5人の漫画的なパフォーマンス、何をしているのだろうか、この国は!
そういえば私の学生時代の友人がBOAにいたが、どうしてだろうか。クールなハッタリの大きな男だったが。
・・・・・・・・
2007年09月16日(日)
2357, ギリシャとエーゲ海の旅 −3  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
  ー旅行の雑感ー
*今回の旅行で、地中海と中近東一帯でイラン・イラクを除いて、エジプト、ギリシャ、ローマ、オスマントルコ、
 メソポタミア、イスラエルの遺跡を巡ったことになる。 そうすると、数年以内にイラン・イラク(イラクは無理だが)
 に行くのが目標になる。更に、遺跡といえばビルマのアンコール・ワットになるが、まだ行ってない。
 それでは、この外にあとは何処?といえば、中南米のマヤ文明と、インカ文明、中国の黄河文明、そしてタクマカラン・etc
 など挙げれば切りがない。旅行を続けていると、行き先の選定の意味が出てくる。
 世界四大山脈、四大滝、有名氷河めぐり、飛び石世界一周とか・・・
*話は変わるが、前回(家内だけだが)に続き、ビジネス・クラスがあたった。
 成田の飛行機の受付コーナーで、私達の航空券にトラブルが起きたようで、 受付にいた飛行機のパンサーらしき人と
 何か相談をしていた。 何ごとが起きたのか心配したら、「お二人がダブル・ブッキングで、エコノミーが満席のため
 ビジネス・クラスに席変更をさせていただきます!」とのこと。ラッキーである。
 前年も家内一人だけだが、やはりダブル・ブッキングでビジネス・クラスに座席変更した。
 これまでの旅行で席がガラガラの時に、特別に無料でビジネス・クラスの変更してもらったことがあったが
(添乗員が偶然スチュアーデスと知り合いだった)。 やはり快適である。席がエコノミーの1・5倍の広さがよい。
 私の場合、エコノミーでも何の不自由を感じないが、タダであれば快適な方が良い。
 ビジネス・クラスといっても、食事内容が少し良くて、1・5倍のスペースがある位。
 私は、慣れたこともあるがエコノミー席で何のストレスも感じないのである。
 帰りはエコノミーだったが、席が2・3・2のサイド側の2人席のためストレスは最小であった。 それにしても、
ついている時は、そういうことが重なるものである。その逆が前回であったが、 やはり代理店の選定段階のミスが大きい。
*秘境系の参加者は、癒しを求めている人が多い。その分、癖のある人が多い。
 それに対して、クルーズや欧米ツアーの参加者はレジャーの楽しみを求めている。
 実際は秘境系の素晴らしさを知らないだけだが。大自然が与える大迫力は魅力である。
*今回、エジプト航空を利用。  帰りは搭乗日が9・11の9月11日。 エジプト空港についてから実際の飛行機に
 乗るまで5回のチェックを受けた。 まずは飛行場に入る時に、パスポートと荷物チェック。次に入国審査に入る直前の
 パスポートと荷物チェック。そして、搭乗の控え室に入る時の両方のチェック。控え室から搭乗券チェックの時の
 パスポート・チェック。そして飛行機の搭乗階段の前のチェックで、つごう五回である。それだけチェックは必要なのだろう。
 そういえば、初日にギリシャへの乗り継ぎのためエジプトに深夜に入国、空港至近のホテルに一泊した時も、
 旅行バックと手荷物のチェックを受けた。ホテルの入館のチェックを受けたのは、これが初めてである。
 最終日にエジプトのギザのピラミッドに行ったときも、十年前に行った時と、様相が一変していた。
 とにかく警官がアチコチ警戒しているのである。数前にルクソールのハトプシュトの遺跡で、観光客を狙った
 原理主義者よる殺戮があってから、観光地の警戒が一変してしまったのである。エジプト考古博物館も同様であった。       
                        (○´ω`○)ノ**SeeYou**
 ・・・・・・・
 2006年09月16日(土)
1992, デジタル一眼レフカメラ −3
          (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
一番肝心の「写真の具合は?」ということに言及していなかった。写真は見ての通り全く別物である。
例え話でいうと、ハイビジョン液晶TVと、今までのブラウン管の地上放送Tvの差と同じといってよい。
【字数制限のためカット2010年9月16日】
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2005年09月16日(金)
 1627, 自分の死ー日野敬三 対談集 −1
先年、亡くなった日野敬三の対談集「創造する心」が深い内容である。
癌から脳出血まで、次々と死に至りかねない病の中で書いた文章は、一言一言が胸に刺さるようである。
秘境ツアーの代理店「ユーラシア旅行社」が毎月送ってくるパンフレットの冒頭の旅行のエッセーを彼が書いていた。
これを編集した一冊の本が出ている。それぞれの旅行先のエッセイが深く対象と一体になっている。。
「創造する心」を読んで、生と死の狭間の中で今生の地球を見つめていたのが解った。著者心の奥行きの深さには敬意を払う。 
言葉は、意識化をするはたらきがある。そして、言語にすることによって第三者に引き継ぐことが可能になる。
(字数の関係でカット 09年09月16日)                          ーつづく
・・・・・・・・
2004年09月16日(木)
1262, 書いてなかった旅行記 −1
 ーカナダ旅行記−
過去の旅行記は殆んど書いてきた。しかし先日、地域別ごとに旅行記を纏め直していて、カナダと、ハワイと、中国(桂林・香港)
の旅行記が書いてなかった事に気づいた。 そこで早速、書くことにする。まずはカナダである。 カナダは二回行っている。 
一回目を書いてみる。 この旅行は、トロントと、その近くにあるナイアガラと、ロッキー山脈と、バンクーバーと、
その近郊のブッチャーガーデンを巡るコース。ナイアガラはNHKの特集を見ていたが、実際見てみて「こんなものか!」と
少し失望したのが実感であった。しかし、ボートで近くの滝のカーテンの迫力は実物ならではの迫力があった。
しかし、この旅行のハイライトはロッキー山脈のジャスパー国立公園である。飛行機の乗り継ぎなど、かなりの強行軍で、
バスでジャスパーについた時には疲れのため熟睡をしていた。ふと目が覚めると今まで見たことのない裸の大きい山が展開していた。 
変な夢を見ていると思いつつ、再び目を開けると、どうも夢でない。そこは私の知らない別世界であった。 それからは、
次から次へと見える光景に目が釘付けになってしまった。これまでの自然のパノラマを見るのは生まれて初めてであった。
日本でも黒部渓谷や立山など、多くのパノラマを見てきたが、そこで見たものは全く違うものであった。
「なんだ?!こりゃ!」と息を呑む景色が次々展開しているのだ。「こんなところが、地球にあったんだ?知らなかった!」
「これを見るまでの人生と、この後の人生は全く違う。 家を叩き売ってでも見るべき価値はある!」等々の感激が、
ロッキーにいる最中次々と出てくるのだ。この時から、旅行は大自然派になってしまった。 自然の美しさを、
これだけ数日に渡って味わって見たのは初めて。自然が自然と、こういう神々しい姿を創りあげたのだ。 山々の神々しさ、
そして空の青さ、湖のエメラルドグリーンの美しさ。そこに住む地リスの愛らしさ。あちこちで見ることができた熊とヘラ鹿。
はじめて見るものにとって、そこは違う惑星の景色である。
ーーーーーーー
2003年09月16日(火)
895, 超一流選手の共通項
 ー世界柔道選手権とプロボクシング世界タイトル戦-
 この五日間の世界柔道選手権が面白かった。昨日まで5日続けて男女の八階級と団体戦の試合があった。
2年に一度おこなわれるもので、オリンピックと同じ位の権威のあるものだ。何といっても井上康生の強さが目立った。
背の低い棟田と大柄の外人との勝負も面白い内容であった。 二日目と三日目は、殆ど目に付く内容は無かった。 
個人戦の最終日は、無差別級の鈴木桂治の強さと、女子の田村亮子の安定感が印象的であった。
 また一昨日は、ボクシングのスーパーウエルター級の世界タイトルマッチがあった。
5階級を制覇したオスカー・デラ・ホーヤと、3年前に負けているシェーン・モズリーの因縁の試合であった。
デラ・ホーヤは前人未踏の6連覇を目指しており、デラ・ホーヤの有利といわれていた。
しかし結果としてモズリーが僅差で勝った。二人とも、スピードと高度のテクニックが売りの選手。
見ていても、玄人好みのする稀にみる好試合で、最後の最後の瞬間まで息の抜けない試合であった。
ここまでお互いの技が磨かれていると、芸術の域に達しているといってよい位だ。
 柔道にしても、ボクシングも世界の一流選手には共通項がある。野球のイチローもそうだが、身体が相手の動きに
自動的に反応するまで、練習を積み上げてあるのだ。間一髪で、お互いの技を外すことができ、攻撃もできるのだ。 
見ていると、優勝をするのが、いかに至難であるかがわかってくる。一つの技に反応するのに頭で考えていては勝てない。
特に優勝候補の場合、弱点を徹底的についてくるし、得意技に対する防御に全てをかけてくる。
それでも、その得意技で勝つのだから、普通の練習では不可能。科学的に徹底して鍛え抜かれている。
 この二試合に、メジャーリーグの試合と、大相撲に、『お笑い』にと、一日TVの前に釘付け。これに3時間の散歩に、
スーパーに、図書館に、パソコンに、居酒屋(あかちょうちん)にと、根を詰めた、しかし充実した一日であった。
・・・・・・
521,「世の中を良くする為には」
 - 2002年09月16日(月)
昨日の昼、何げなくみた映画のなかで、薬中のホームレスが橋から飛び降りようとする見しらずの女性を助ける時の言葉がよい。
「なぜ助けようとするのか?」という瞬間の問いに、「自分を助けてほしい、貴女を助ける事でしか今の自分を救われない!
たった今まで薬のことしか頭になかったが、いま気づいた!貴女を救う事が自分を救う事だということを!
頼む私を助けてくれ! 死ななでくれ!」この男の哀願に女性が自殺をとどまる。
中学の初めての授業で先生が出した自分への課題。ーこの一年間で、世界を変える方法を考え実行してみよう!−
ある少年の考えた課題ー「3人の人に役立つ事をする誓い。 それをして貰った人は他の3人に役立ちをわたす、
それが鼠算に伸びれば世の中が良くなる」という自分の創った課題を実践しようとした。しかしことごとく失敗した。
その一つが薬中のホームレスを自宅のガレージで立ち直らせる事であった。しかしその期待に答えられなかった男が、
元の生活に戻って失敗した。しかし人を救う何かをしなくてはというのが残っていたのだ。それがその女性を救った。 
その少年がいうー日々の生活に慣れきってしまい、良くないことが変えられないんだ!
怖いんだ、変化する事が。良いことをしたら、次に渡せ!ー耳が痛いが、なかなか味のある内容であった。
広がっていくのだが??シックスセンスの子供役がその男の子を演じていたが、素晴らしい心理描写を演じていた。 
「可能の王国」という題であった。 最近TVの内容が面白い!
・・・・・・・ 
[146] チンドンヤ  
 2001/09/16
 社会学をやっててほんとうによかった! これは‘個人とその集合体の社会’の学問である。 
それを解っていたから(反社会的でなく?)超社会的に社会的とかを全く気にとめないで?済んだからだ。
チンドンヤー(自分の仮面)ーペルソナーを演じないで済んだからだ。 仮面を演じている‘こっけいな姿’を嘲笑しながら?
チンドンヤ(その姿が自身でもある?)になりざるを得ない。必死になってチンドンヤをやっている男は何処にもいる。
俺は英雄ー正義の味方、−ここからが面白い。「俺のやることは特別の自分(英雄を演じているチンドンヤ) 
のやることだから正しい!」「だから俺様のやることに、皆従え!」 その必死さがかわいいが。
それ(仮面)を利用してせいいぱい背伸びしているところが哀れである。身近な親戚にも、この論法の男?がいた。                          


3460, つれづれにー政治談議  −2

2010年09月15日(水)

 * 管首相の大勝利
 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。これは日本経済にとって深刻な問題。
ある意味で致命的である。目先は分裂することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。
この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、彼が経済、外交音痴であることが判明。
当分の間、政権を担うとなると考えただけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底に向けて
容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。我われに商売は直接、景気が直接反映するから敏感になる。
結果からみれば小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか分からないし、次の選挙の資金確保という
大問題に直面する。 この歴史的危機でも国家天下より、御身大事を優先するしかないのか。地方議員や、サポーターなどの
票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに
自分の出番が来ることを彼が一番知っている。二人の演説を聞いていて、管首相の内容が国家のトップとして内容が乏しいのが
渦中にいると分からないようだ。過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れないのだから、
民主党の議員レベルの質を問われて然るべきである。 無政府状態が当分続く。そして景気はますます悪化する。
 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる?

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3085,時間リッチと時間貧乏
 2009年09月15日(火)
 新聞広告の雑誌の見出しに「時間リッチと時間貧乏」があった。
図書館で立ち読みをしたら、「TodoリストよりNotTodoリスト」つくりとあった。
「何をするかより、何をしないかをリストアップして実行せよ 云々」である。
私事になるが、時間リッチを自認している。 月に数回の飲み会以外は一切の付き合いが無いに等しい。
自分を育ててくれた学校の同級会、同期会以外は、商工会、町内会、ライオンズなど、誘いもないし、行く気も無い。
都合の良いことに、職場と住宅が新潟と長岡に分かれているので新幹線の乗れば、そこで遮断できる。
おまけに事業が装置産業ときているので、目先の判断は人任せでも大きな支障がない。
そのために20年あまりで、40回近い秘境ツアーに参加することも出来た。
おまけに早朝5時に起床、散歩や、読書、そして、この随想日記を書いたりもできた。
 「戦略とは、何々をすることを決めるのではない! 何々をしないかを決めること」という言葉を
著名なコンサルタントの先生の講義で、30歳そこそこで聴いたこともあり、時間に関してはリッチであった。
「で、時間リッチというわりに全然、人間的にリッチじゃないじゃないかい」と言われれば、返す言葉が無い。
しかし可能な限り世界の果てを見てきたという満足感はある。
 そこで検索に「時間リッチ」と入れたら面白いリストがあった。 その幾つかを抜粋してみた。
 〜 時間リッチになる 〜
・一週間は金曜日から。 金曜日に翌週の準備、月火水でmustを済ませ、木に検証反省。
・やる気が出ないときはとりあえず動く! 動くからやる気が出る!
・楽する方法を考える       ・自分の時間価値を意識する。「2735円」
・スタートから完璧を目指さない。走りながら完璧を目指す。挑戦すると案外簡単、成果が出るもの。
・失敗しても経験が残る。「武器を手に入れてから走るのでは遅い。走りながら武器を拾え」
・今動かないとそのチャンスを他の人に持って行かれると考える。  ・時間はお金で買える。(セミナーは有料を)
・お金を殖やすため、モチベーションを維持するための先行投資を恐れるな
・時間をケチらない。「ながら作業」は「ケチ」。 一つの行為に2つ以上の意味を見いだす、
 一つの行為をいくつかの目的のために利用するのが時間密度を濃くするということ。
・忙しいときこそ勉強する。自分のために時間を使うという行為が安心感を生む。
・仕事のできる人は仕事に遊びを取り入れ余裕がある。 ・そうねではなく魅力的ねと言われるように。
・かきくけこ(簡単・興味・グレー時間・決断・行動) ・嫌なことは朝一で片付ける ・隙間時間にやることリスト  
・捜し物は時間の無駄                ・携帯時計よりアナログ腕時計。時間の量的感覚を身につける。
・日々のルーティンは決めてしまう。食事、洋服等。
・スランプのときは無理にでもポジティブに。まずは言葉一つから。鏡の前で笑顔。得意な仕事だけして自信を取り戻す。
・何かに頑張るとき、一週間に半日は自分の好きなことをする。
・頭だけじゃなくバランス良く体も疲れさせる(プール) ・午前中は思考、午後はコミュニケーション
・締め切りは自分で前倒し               ・確実にこなせるスケジュールを立て満足感を得る
・ボーっとする日を確保する          ・寝る前に翌日の服、バッグを準備。同時に明日をシミュレーションする。
  〜 以上だが、「時間が無い」という言葉は、「自分が無い」という言葉に等しい。
 ・・・・・・・・・
2720,議論に絶対負けない法 −1
 2008年09月15日(月)
「議論に絶対負けない法」
  ―全米ナンバーワン弁護士が書いた人生勝ち抜きのセオリー    ゲーリー スペンス 著
 ある知人が訪ねてきて話しをしていたら、現在、トラブルに巻き込まれて裁判中という。
「500万〜1000万規模か、それとも億単位なのか?」と聞くと、「億単位」という。
その人は30年来の付き合いがあって、地元では大手クラスのトップ。
大きな分岐点の経営判断のときは必ず相談に来て、何気ない応答にヒントを得るようだ。
その場では、ヒントを得たふりを見せないが、後年になってからヒントになったという。
 今回は、裁判の係争の真っ只中、具体的な生々しい相談。「議論に絶対負けない法」という本を紹介した。
アメリカのナンバーワンの弁護士が書いた本で、拗れたトラブルであるほど、彼の一言一言が全て、
問題をヒント与えてくれるはずと、助言をした。私が、この本を読んだのは十年以上前。 
問題を抱えていた時で、本そのものがコンサルタントの先生のような役割を与えてくれ、非常に参考になった。 
 詳細は憶えてなかったが、スラスラ出てきた言葉は
・準備、準備、準備、それが全てである。 準備以外の秘訣など何もない。
・それと構えである。 構えの構築を一つずつしていくこと。それが準備。
・問題の中心点に向かって、自分の心を無にして集中すること。
 そのためには、心の底から正しい!と信念が持てるかどうか自分の心に問うこと、そこが一番重要。
・戦いを始めたからには、絶対に強気、攻撃的で攻めること。等々、それを言えるのは、10年前に貪り読んだため。
「その知人の相談は、再び目を通せ」というメッセージだろうと本を探したが無い、誰かに貸したのだ。
そこで早速アマゾンで中古本を買った。 10円+送料340円=350円。新書なら750円である。
そして再び目を通すと、なかなか内容があり、味がある。著者が魂を込めて書いてあるのが解る。
 ー 次回から、面白そうな所を書いてみる。ー
十年前は、どうなった?かですか。構えを知ってか、相手が手を引いてきました!       −つづく
 ・・・・・・・
2007年09月15日(土)
 2356, ギリシャとエーゲ海の旅 −2
               o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
この旅行では、?天候、?実際の対象の内容の良し悪し、?スケジュール内容の質、
?添乗員の当たり外れ、?同行のツアー仲間の質、?体調(食あたり など)?行き帰りの飛行機の席の順など、
すべてが90点以上であった。この一つでも外れると、だいなしになることがある。
前回のケニアでは、過半数が外れたが・・代理店の選定ミスがあったが。 それも御愛嬌と割り切らないと
旅行など続けることは出来ない。「アフリカ・南米などの零細専門業者、地元の中小の旅行代理店」は
‘外れる可能性が非常に高い’ことは経験からいえることだが・・・外れた場合は金をドブに捨てたと割り切らないと!
中小の場合などでは、「劣悪の添乗員ー素人の遊び気分の夏休み代わりの添乗員」を平気で組んでくる。
二度、いや三度当たったことがある。 でも、そんなものと割り切らないと・・・
ある規模以上の代理店は、質の高いマニュアルのしっかり入っている添乗員が揃っている。
同じ代理店の、ほぼ同じ少し商品の違うパックのグループとクルーズで一緒だった。
ところが、そのグループの添乗員への不平不満が、食事時に耳に入ってきた。
そのグループは外れの添乗員だったのである。間違えれば、当方の担当になる可能性もあった。
 今回の旅行を印象に深い順にランダムに書き出してみた。
・まずはクルーズ船の最上階にある甲板の先頭で、長いすに横たわりエーゲ海の風に当たりながらの日光浴。
 三日間、毎日90分間、一人で小島を左右に見ながらの甲板の瞑想?は至高であった。夢の中にいるような気分であった。
・次は、サントリーニ島の断崖の上からみたエーゲ海ブルーの広大な景色。
 そして、傾斜面の街の建物が全て白に統一された光景・・広角に広がる湾とエーゲ海の光。これも眼に印象的であった。
・小さな珠玉のようなミコス島のリトル・ベニスといわれる海岸線からみたエーゲ海に沈む夕景と、その街。
・デルフィの遺跡の神々しい雰囲気。 2500年以上昔に、そのままタイムトリップしたようであった。
・奇岩の上にそびえ立つメテオラ修道院の神聖な雰囲気と それを取り囲む広大な原野と、山々。
・アテネのパルテノン神殿と、そこを取り囲んでいるアテネ市内の風景。
・二度目だが、ギザにある三つのピラミッドとスフィンクス。そして前回は時間の関係で見なかったピラミット群の遠景。
・カイロ市内にある「エジプト古代博物館」特に、見れば見るほど驚かされるツタンカーメン王のマスクなどの財宝群。
 そして、多くのピラミッドなどから発見された像や財宝などなど・・
 以上、指が動くまま、頭に浮かんだまま、キーボードを打って書いてみた。
この旅行はギリシャ本土とエーゲ海と、そして、そこにある遺跡を見て歩く少し趣向の変わった旅行であった。
そして三日間はクルーズとはいえ、午前、午後と二つの島を数時間かけて見てまわる強行なスケジュールであった。
しかし、その間は移動が船のため、ストレスの少ない旅であった。
              ヾ(´Д`、)マタネ         ーつづく
・・・・・・・・
2006年09月15日(金)
1991, 仲人・高橋与三八氏を偲ぶ
            ( −」)φ~~
兄と私の仲人をしてもらった高橋与三八さんが亡くなられた。 私の10指に入る恩人である。 
柏崎の出身で、元銀行マン。 大手銀行の再編成の中で、苦労した人である。
日本相互銀行に入行、合併で太陽銀行になり、太陽神戸銀行になり、さくら銀行になるプロセスで定年を迎えた。
多くの仲人をしたようで、多くの人に慕われていた。 私の名前が八郎で、兄が三郎。 その仲人をしたので、名前どおり
「嫁を与・三・八」をした。 面白い因縁である。家内の父親と何かの因縁で親しくなり、それが私との因縁になった。
夕飯近くになるとフラッと来て、一杯飲んで帰る人。それが家内子供の頃の印象だったという・・
あの厳しい都銀の合併の中で多くの嫌な思いをしたのだろう。酒でウサを晴らすしかなかったのも解るような気がする。
人生は甘いわけがない、当たり前のことだが。入行の時からコツコツと勤めていた銀行の株を買い集め、
7万株も持っていたというから、?億の時価の流動資産である。目先の数字をあげることに汲々としている
阿修羅のごとき支店長の姿をみて、馬鹿にしきっていた気持ちが垣間見ることができた。    
また一人、私の世界から因縁が消えた。ただ、特に先立つ恩ある人には、『ありがとうございました』
という言葉しか出てこない。「お前には、そういってもらえる人が何人いたというのか?」と自分の心の奥から声がする。
そして、更に次の声が聞こえてくる。「人生で何を得たというのか、何を失ってしまったのか?」
最後に残るのは人徳と、誠意と、愛だけだ・・・ 「ところでお前には、あるというのか?」
    さようなら!  与三八さん 
・・・・・・・・・
2005年09月15日(木)
 1626, 頭脳の果て−2
以前にも書いたが、この本をヒントに「三つの部屋」のイメージ空間を創ってみた。
一見バカバカしいが、イメージ空間から真実が語りかけてくる。
・縁者/故人の部屋 ・10年 20年後の自分の部屋 ・もう一人の自分がいる惑星(前回書いた)である。
通勤の列車の中とか、寝つきが悪い細きれ時間とか、ウオーキングの時などに、このイメージ空間に入り自己対話をする。
これも習慣にすると面白い。 さらに二つが加わった。以前行ったネパールの、カトマンズ近くにある山の中空の突き出た
岩場で、座禅をしている男(王)が、現在の自分をイメージをする。現在の自分が透けて見えるような感覚になる。
−荘子の「胡蝶の夢」ーからヒントを得たが。また、毎日パソコンの壁紙を張り替えて、その場から自分を見ている
イメージをつくる。子供じみているが「思考にイメージの世界の空間」を持って、具体的な自己対話が気軽にできる。
この本の「ポータブルメモリーバンク・テクニック」 も誰でもできるテクニックである。
ー以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日)
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2004年09月15日(水)
1261, 幼児虐待殺人事件
 −字数の関係でカット2008年09月15日ー
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2003年09月15日(月)
894, 「バカの壁」読書日記ー2
「バカの壁」を常に感じ取っている。過去を振り返ってみれば、よくわかるはずである。
子供に遡るほど小さな視界の世界ー壁が立ち塞がっている。その壁を一つずつ乗り越えるのが人生でもあり成長である。
学生時代、ある友人に「大爺」といわれたことがある。「地方の固定観念の塊」と「両親からの価値観の殻」
を感じ取って批判したのだ。学生時代の一番の収穫は、この壁‐殻を可能な限り叩きこわしたことである。
そのためか、地方にいると全く価値観が合いあわない。壁は乗り越えれば乗り越えるほど、多くの壁が立ち塞がってくる。
「バカの壁に気がついてくる」といってもよい。 メジャーにはメジャーの壁、マイナーにはマイナーの壁がそれぞれある。
この随想日記も、バカの壁の提示でもある。自分の壁を認識するのに、過去の喜怒哀楽の極みを内省してみるのがよい。
一番、喜んだこと、怒ったこと、悲しかったこと、楽しかったことを書き出してみることだ。それと好きなことや人、
嫌いなことや人を考えてみることだ。感動・感激・感謝の極みもそうだ。それが、その人の限界でありプラスの意味の壁である。
その壁の上に立って、その向こう側を眺めると、自分が何をすべきかが見えてくる。
バカの壁を一番乗り越えるヒントが見えてくる。私のバカの壁を乗り越える方法を幾つか書いてみる
ー新しい習慣をプラスしていくことである。
・ウオーキング ・お経ー般若心経 ・読書 ・本屋と図書館通い ・パソコンー随想日記
・頭の固い人との接触を避ける ・常に新しいこと現象に興味をもつ ・意識して感激・感動の場面に近づく
・秘境旅行に行き続ける 等々を時間をかけて習慣化していくことだ。
チャレンジ・コンペテション・チェンジの繰り返しのサイクルを維持すること、中村天風の「積極一貫」である。
バカほど、こういう本は読まないものだが!バカとは頭の固い人ーバカの壁がびっしり囲んでいる人のことだ。
   そう貴方、いや自分のことだ。 
ーこの本の感想を書いてみるとー
「内容を理解もせずに、うわべだけを見ただけで知っただけで、わかっているという思いこんでしまう恐ろしさ」を提示している。
「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は違うとして「二元、論」
の考え方で主張している。現代世界の三分の二が「一元論」者の中で限界がきているとしている。
 (字数の関係でカット09年09月15日)
 −−−『バカの壁』 著者 養老孟司  出版社: 新潮社
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2002年09月15日(日)
 520, 宇宙について -
宇宙についての知識がこの10~20年で、飛躍的に観測等で伸びた。
以前事業百訓で書いた内容をコピーしておこう。これを書いてから数年後の7~8年前に、
NHKスペシャルで数回にわたり放送した内容がよかった。あまりの壮大な内容に驚いた。
地球の特異点はビックバン、ビッククランチ、ブラックホールの3つある。
宇宙は130億年前あたりに大爆発があり時空をつくっていて、今も膨張している。最後には限界点まで行くと、
収縮をはじめて消滅する。宇宙にブラックホールが存在して周辺の星などの物質を飲み込んでいる。
それがある一点にむかっていくポイントがビッグクランチという。あるところまでいくと、反転してビッグバンになる。 
この宇宙は、その大きなブラックホールでもあり、数億のブラックホールを抱えている。 
それぞれのブラックホールもその中に宇宙を抱えており、それぞれがビッグバンとビッグクランチをくり返している。
ある説によるとブラックホール内のビッグクランチが限界に達すると、違う宇宙に管のようなトンネルを通って
つながっているといわれている。当時3~4回この再放送を見た為、しっかりと頭に入っている。
当時感じたことは「何だこれは人間の生死と同じではないか」という妙な気持ちであった。
15年前の文章に比べると、飛躍的な宇宙知識の飛躍でもあった。あれから7年もっと科学知識は飛躍したはずだ。 
TVだからこそ、その高度の内容を理解することが出来たのであって、本でこれだけの内容の理解は、今の自分では無理だ
  −字数の関係でカット2008年09月15日ー
 ・・・・・・・ 
 2001年9月15日
 [145] 宗教戦争ー4    
 大事件を当然の上で私の主観を書く!
恐らくアフガン、イラクや??は国の壊滅に近い状態、そしてイスラエルの過激派の幹部のかなり数が年内に抹殺されるだろう!
いやそれが必然の世界にはいった。虐殺がその連中になされる。これが宗教戦争だ。その反面今のようなテロが行われるだろう。
しかし、アメリカの全体の力を考えた時、今回の事件は微弱の損害でしかない。別にアメリカの力の過大評価でない、大儀名分を
与えたからには力と力の戦いだ。気の毒なのはイスラム教徒だ。宗教は民族の魂であると同時に自我でしかないのに。
自我と自我の戦いが始まる。神という名のもとで虐殺が始まる。う簡単に済む問題でない。
4000(旧約)年対1300年(コーラン)の戦いでもあるからだ。宗教全面戦争になるのか。
アメリカにとってアラブのメッカが破壊されたようなもの。驚天動地だろう。何をやりだすかわからない。 
旧約はかなり生々しい、生きた補虜を尻から杭を打ち込むのだ。最近その遺体がかなりの数発見されたという。
それだけ残酷になれるのだ。 宗教戦争は恐ろしい。今回はイスラム圏にとってあまりにも不利だ。


3459, 今日の民主党党首選は?

2010年09月14日(火)

昨日のヤフーの私のブログに
《 小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話である。 
真っ当でないのが、衆院選で当選している可能性があるから、外れるかもしれないが・・ そこまで程度が低くないはず。
政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか我われの身を守ってくれない。だから恐慌の現在、
特に注目せざるを得ない。 小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。 短命でも良いから、
政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。
 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、むしろ負けた方が良い。その方が首相の立場で再編するより、
やりやすいはず。 だから党首選に立候補して、接戦をすること自体が目的だろう。その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。
そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に勝負があったことになる。 それより民主党の代議士が
真っ当かどうかの方に興味がある。 何でマスコミが、その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。
アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。ネットでは8割が小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 
とはいえマスコミの記者が、その乖離の原因を見逃さないはずがない。 無政府主義(社会主義の真髄)のお二人が、
無政府状態を作っている?という、笑うに笑えない事態と言われそう現在、やはり現状にみあった保守本流に再編すべきである。
現在の政治のシステムが、この国難にそぐわないのは周知だが、それを自力で変えることも不可能なら、大同連合しかない。
 どちらになっても、漂流という事態は変わらない。頭と尻尾から腐るというが、お寒い限りである。もう、戻らないのか、
9・11以前の状態に? それまでが、豊かすぎたということ。現在でも、国民が年1700万も海外に行っていることが問題か?
それにしても、小沢を除いて政治家らしいのが、見当たらないのは、どういうこと? 情報化で、利権による金集めで、
ボロが出てしまうからか。 で、金があるのは政治を家業にして貯めこんだ資金のある二代、三代目しかお大臣になれない、
現在の日本。そこで、たまたま政権をとったのが、労働運動上がりの二人。しかし、舵取りは素人ときたら最悪か。 
 今日の午後が楽しみである。 どっちらにしても、今日を境に政治がまともに作用してもらわないと!
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3084,挫折を考えてみようか
 2009年09月14日(月)
 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。
人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることにはならない。
なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。
ところが、それを真正直に守ると最後には挫折が待っている。 人は最期は死ぬのである。 
それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 
色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、身近な死が我われに教えてくれる。
しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える
「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。
その超越が促すのが「暗号解読」である。それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。 
芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。》
と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。人間が生まれ存在しているから挫折をする。
そして最後の挫折としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。人間は誰かに人生を
代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、
自分の実存を他者に開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。
実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると、挫折から多くのことを得た。 
その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われていたのである。40,50歳代の峠越えは
秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。 
更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている
意味が隠されている。挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・感動こそ超越状態である。
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2719, 嘘について
 2008年09月14日(日)
社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。
その場その場で、ころころ変化する人物は直ぐに見抜かれて信用を失う。
「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が鮮明に出やすい。
後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 
その共通点が嘘が多い人である。開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。
ある人を例に取ると「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。 三歩ほど歩いたら全てを忘れる、嘘など更々言っていない」
のが真実。「私を信じて下さい」が、ある人物の口癖だが、そのことさえ自覚をしてない。
話を都合のよいように変えるのも、嘘の一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに嘘の構築のプロセスを
踏んでいることになる。考えてみたら、誰もが大同小異ではないか。他人のウソは見えても自分のウソは気づかいないだけだ。
所詮、世の中は全てが幻想、ウソも真実も大して変わらないではないか?と嘯くこともできる。嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように
気遣う場面も必要である。鮮明に憶えていることがある。父親が、末期癌になり、あと一年と宣告され一年間実家で同居をしたとき、
そ知らぬ顔をして、父親の葬式のための喪服をつくりに行ったことがあった。 嘘も必要悪と己に言い聞かせ。
「末期かどうかは自分は聞かされてない!」という前提で、全ての言動をしなければならなかったのも辛い。 
この時に、綺麗ごとだけでは生きれないことを、つくづくと知らされた。普段からウソの訓練も必要ということ?
私の場合は、後味の悪い他者への裏切りや、嘘は避けてきた。 結局は周り回って帰ってくる。
動機が純粋かどうかを、最終の判断基準にしている。 ただ、人間の窮したときの露骨な嘘こそ忌み嫌う。
自分の利益行為のために、綺麗ごとを当然のごとく並び立て、結果として尻尾を出している男かいる。
営業という仕事自体が綺麗ごとを並べ業績に結びつける要素が含まれる。全てを営業成績を上げるため、生きるため、
の手段にしなければならないのがプロと思わないと、やれない。嘘をつかないで、相手をグサリと刺しまわっている「私」も
大問題である。嘘を言う前に、まず真実を知らなければ! 真実も嘘も知らない手合いが多いから困ったもの。そうこう考えてみると、
親の資質や、本人の教養度合いの低い人が、ウソが多い人、ということになる。まあ娑婆は適当なウソで持っているところがあるが・・
 後記)書いた後に気づいたが、ほぼ同じ文章を書いたことがある。   
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2007年09月14日(金)
 2355, ギリシャとエーゲ海の旅 −1
この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、秘境・異境派は一組もいなかった。
23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、6名が女性づれ、1人参加が1名。 平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって
丁度良いバランスの連れ合いであった。少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、食事時の会話が大変であった。
(その辺は家内の得意とする分野!私は寡黙の人に変身した日々。)内容的には、クルーズではトルコのクシャダズと、
また乗り継ぎ拠点のエジプトでは、ピラミッドとエジプト考古博物館のオマケつき。盛りだくさんのスケジュールが
組まれていて10日間としては、内容が豊富であった。点数でいうと、100点満点といってよい。まずは今回のツアーの
「スケジュールと主な内容」を旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表をコピーしてみた。
   ーーー
 (字数の関係でカット09年9月14日)
 ■空路、エジプト航空直行便にて帰国の途に       宿泊:(機中泊)
10日目 成田着 12:55
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 以上である。次回は、その感想を書きます。
 たまたま、数年前の今日、同じエジプトの旅行記が書いてあった。
 面白い偶然である。                      つづく
・・・・・・・・・
2006年09月14日(木)
1990, 9・11から5年が経過
       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
9・11同時テロから先日で丸5年が経った。 その日を境に世界が一変してしまった。
その認識度が、その人の時代感覚の度合いとみてよい。ユダヤ対アラブ戦争が発生、これが今後延々と続く
図式ができてしまった。アメリカはアフガンとイラクにアメリカが侵攻、政権を覆してしまった。
あの事件以来、国家としても個人としても弱肉強食がハッキリしてきた。
丁度その頃からインターネットが一般社会に根付いて、世界がさらにグローバル化した。
(字数制限のためカット2010年9月14日)         
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2005年09月14日(水)
 1625, 戦略的思考について−2
アインシュタインは、質問の力について、「もし自分が殺されそうになって、助かる方法を考えるのに
一時間だけ与えられるとしたら、最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」と述べている。
それだけ最適な質問には、莫大なエネルギーと力が秘められている。 その事態に対する『隠された質問』
を探しだしさえすれば、問題の殆どを解決したことになる。 それは思考についても同じことがいえる。
問答による思考発展として2500年前のギリシャで、ソクラテスの対話による教育手法が生まれた。
現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育方法になっている。
18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを破壊してしまった。
これは高等教育を普及させるのに役にたったが、個人の教育の立場ではギリシャ以前に立ち戻ってしまった。
その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと考えてしまうようになったが、
教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す’という意味がある。
古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す方法で、ソクラテスによって名が
知れるようになったテクニックである。先生が鋭い質問を生徒に投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、
説明するように仕掛けることである。これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。
はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。
私が学生時代に武澤ゼミで訓練された「ケースメソッドーケーススタディ」は正にこれであった。
多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生とゼミ仲間同士が問答形式
(ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法である。
与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、
最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。 その効果は
・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる
・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、論理を引き出し問題を明確にしていくプロセスの学習
・ロジック構築のプロセスの学習  である。
内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。
戦略は鳥瞰としての絵図である。 その絵図の構図を練ることが戦略思考である。
それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。
戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。
その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。
わたしが最近ゲンキがないのは、デフレのすざましさを読み違えたことだ。
インフレ脳でしか考えてなかったことか!戦略思考など偉そうなことは書けない立場のはずだが!
冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。
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2004年09月14日(火)
 1260, 人生の基礎は10歳までに作られる!
人生は10歳での環境によって、ほぼ既に決まっている。中学校は選抜される前の最後の場である。
その時の成績が、その後の人生を殆んど決めてしまっている。以前にも書いたことがあるが、私の中学の同級では、
一番が慶応大学の教授、 二番が日本レコード協会の専務理事、 三番が自衛隊の幹部である。
反対に、成績が悪い方を見ると、具体的に??書かないほうが良い。それをより突き詰めてみると、
10歳の成績と環境まで遡ることができる。好奇心と向上心が潜在意識の中に如何育まれていたかである。
子供のころは「退屈をする時間」が有り余っていた。その時間の中ありあまる好奇心で大人の世界を見たり、
子供同士の世界の中で多くの試行錯誤を繰りかえしていた。初恋や、新しい遊びの発見、人間関係の駆け引き等々。
また大人の世界を子供の純粋な目でチャンと捉えていた。
ここで親が、その自由な時間を奪い取ったり、口出しをしたら、無気力な指示待ちの基礎が出来てしまう。
もう一つのチャンスは、大学時代である。 嫌になるほどの、自由な退屈な時間と、有り余った時間の中で、
自分の人生の「予行練習」と、「人生計画」を練り上げる。多くの分野の本を読んだり、多くの人と出会い議論するのは、
その知識を得る為である。クラブ、寮、ゼミの先輩、教授から、その準備期間に如何に多く教え頂くかで決まってくる。
その時に、如何に準備に集中したかで長い人生が決まってしまう。
「べき時に、べき事を、べくすべき」ということだ。10歳までは親の責任である。好奇心と、自主性と、
やる気を壊さないように導き出してやれるかだ。しかし,それだけでないのが人生だからこそ面白い。
反面教師として、それをのりこえる場合も往々にしてあるから。 いや無いか!
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2003年09月14日(日)
 893, 「バカの壁」ー読書日記−1
 以前から気になっていた本だが、ついに買った。この人の本を多く読んでいたので立ち読み程度でよいと思っていた。
しかし金を出して、手にとって読むと真剣度と理解度が全く違う。人間は、本気になって知ったこと以外「バカの壁」
に囲まれている存在である。教養とはその「バカの壁」をいかに多く取り除いた状態の程度といってよい。
といってその壁は取り除けば取り除くほど、更に自分を取り囲んでいる多くの壁に気がつく。
 この本では、「詳細を知らず、かつ知ろうともせずに上辺だけを見みて、わかっていると思いこんでしまう
ことの恐ろしさ」を指摘している。「わかっている」という思い込みの怖さである。「人間は全てそんなものだが」
と書いた後、そこで「人間を解っているつもりの自分の壁」に気付いて驚くことが度々ある。
小さい世界から一歩も外に出たことのない住人は、この壁が頑強に取り囲んでいる世界が全てである。
その壁に囲まれている自覚すらないから更に恐ろしい。そういう壁が全ての人に存在している。
 「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は、
違うものであるという「二元論」の重要性を説いている。「ものごとには良い面と悪い面があるということを認識しよう。
それには実際に経験するのがいい」というのがテーマでもある。 一般に良いこととされる言葉--
 たとえば「個性重視」,「効率化」,「景気回復」「人間性」なども,考えるとそうである。
「個性重視」...これは最近あまりいわなくなったが、我がままの人間とどこで線を引くのか
「効率化」..... 仲良しクラブも良いところがある?のではないか
「景気回復」... ハイパーインフレになっても良いから目先の阿波踊りが良いのかー景気回復が本当に良いのか
「人間性」..... いい訳に使う言葉に最適である
「物事は全面的に良いものではなく,良い面と悪い面があるものだ」と、「一元論」を否定し,
「二元論」を示唆している。 話せば分かる,という世の中にするためには,多くの人が「一元論」の考え
方から脱却し,「二元論」を受け入れることが必要としている。
以下は字数の関係でカット(2007年09月14日)                −続く
・・・・・
2002/09/14
眠れない夜に
 眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と気持ちを
 その都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 
 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。
 それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。 何かの本に面白い内容があった。
 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンのイメージで、騎兵隊の待ち受けている。
 彼らは狭い渓谷に入ってきた。 その一人一人を狙い撃ちをする。一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。
 彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、幾らでもいるのだ。それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」
これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。
寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。
・・・・・・・・・
2001/09/14
宗教戦争−3
 [姉のメールに是非見てみろとホームページのアドレスが載ってました。
  今回の事件の写真が載ってます。 http://www.tch.org/~russb/wtc/ ]
初めてエジプトに行った時の事を忘れられない。深夜にカイロに着き、ホテルで寝入った瞬間妙な音で目が覚めた。
丁度ラマダンの期間で早朝より街中コーランの祈りの声が流されるのだ。
何か異様な世界にきてしまったと感じた、強行軍で数時間の眠りの後直ぐ朝食。
レストランに行くと、ボーイ意がラマダンの為か苛苛していて皿を投げつけるように置くのだ。
バスに乗ったと同時に若い女性の日本の現地ガイドが曰く「この国に来たら、キリスト文明の感覚を全部すてて下さい。
(字数の関係上、カット08年09月14日)


3458, 9・11から9年

2010年09月13日(月)

 
 あれから9年になる。こと自社からみたら、この日をもって右下がりになり、現在も続いている。
2004年から少し持ち直してきた矢先に今度は2008年9月15日のリーマンショックを契機にした100年、250年に一度の世界恐慌。
あの日から世界も日本も変わってしまった。まことしやかなアメリカ陰謀説がある。時間の経過と同時に信じるようになってきている。
為替と株式で大儲けをした輩がいた現実がある。更に、この事件をキッカケに兵器業界は大儲けをした。
アメリカでは戦争は公共事業といわれ、不況にとって手っ取り早い毒薬と同時に、回復剤になる。 第二次世界大戦は、
1929年から世界恐慌から立ち直る大きな契機になった。 アメリカの誘導によって日本がハワイ急襲をしてしまった。
そうこう考えると、アメリカは恐ろしい国。イラクの攻撃のキッカケとなった大量破壊武器所持疑惑も、実際には存在してなかった。
戦争を仕掛けるためにCIAが捏造したことが後になって判明した。日本のバブルもアメリカによる日本国内の内需拡大の強制による。
その結果の日本のバブルのピークを待って株式の暴落を誘導を図った。そして下がりきった株と不動産を買い捲ったファンドが、
大儲けをした。 好き放題に日本の資産をいじくりまわし、収奪を繰り返しているアメリカに日本は成す術がない。
歴史的にみて、その後の2008年9月15日のリーマンショックと同じレベルで、2001年9月11日の事件は語られるはず。 
アメリカ崩壊への二つの大事件として。 これを必然的事件とみると、何か底知れない深いウネリを垣間見れる。
20世紀的なものの崩壊の必然の事件としてである。そして、この火の手が10年20年かけて世界を焼き尽くす。
日本のバブル崩壊後、山一證券が倒産したのが、7年後。大手銀行が3つになったのが10年後である。
この世界恐慌も、10年20年の時間で世界を大きく変えていく。現在はデフレ、そしてハイパーインフレが襲ってくる。
グローバル化は、世界をフラット化する。日米欧は、その他の国と変わらないレベルになりざるを得なくなる。
9年で、インターネットも、携帯電話も、テレビも、劇的進化をしてきた。それが、世界をフラット化を進めている。
これから10年、世界は、その動きを更に大きくするだろう。 面白いと同時に、恐ろしい10年になる。
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3083, 哲学人 −1
2009年09月13日(日)
 * 小説の作り方
哲学研究者の、ブライアン・マギー著『哲学人』を、半年がかりで読んでいる。
なかなか難しいが、時どき解りやすい部分もある。分野の違う人の「小説の作り方」も、
小説作法の全くの素人からみると新鮮で解りやすい。 自分の欠けていた部分を満たす作業としての小説も、
読んでいる方も、書いている方も、リアルに感じるだろう。 自分の体験を補充するなら事実に近い
深みのある内容になって当然である。 まずは、その内容から〜
 ーーー
《 私の希望は、相思相愛の果てしない追求だったが、そうした愛を経験したことは一度もなかった。
経験できなかった理由は、私が愛されなかったからではなく、愛さなかったからである。行き場のない強烈な感情の内海は
私のなかでせき止められ、誰かが愛してくれたときでさえ、表に現れることはかなわず、自由に流れることもできなかった。
そのため大きな不満が募り、激しい感情に支えられた衝動が蓄積され、私はそのはけ口を求めた。 そこで思いついたのが、
小説を書いてこの衝動をつぎこむことだった。その小説のなかでは、大海のごとき感情があふれ出ると同時に癒され、
私に欠けていたことが、ある意味で達成される。それも想像のなかだけではなく、現実のもの、自分の外に存在するもののなかで、
である。私はこれを『ラブ.ストーリー』と名づけようと思った。驚くべきことに、このタイトルはその時点では
まだ使われたことがなく、少なくとも私の知りあいに過去の例を覚えている者はひとりもいなかったのである。
私の構想では、中心人物は最低でもふたり必要だった。 女と男がひとりずつ、これは当然である。
では、このふたりをどうするか? 単純に、彼らは恋愛中という設定にして、その愛を表現してみるのか?
それだけを二、三百ページにわたって情熱的に語っていくのか? これをうまくやってのけることが想像できなかった
わけではない。 私が、本来の私とは違う作家になれば、それも可能だったろう。壮大な散文詩、淡々とした、それでいて、
たゆまぬ愛の賛歌というわけである。ただし作品自体がだれることなく飛翔しつづけるためには、その勢いは単に力強いだけでなく、
本質的に詩的でなければならない。そしてこの場合、私の勢いに力はあるが、詩情はないとわかっていた。 
この本の背後にある衝動は、何よりもまず心理的、感情的なものだった。私が探していたのはリピドーのはけ口だったのである。
それに、私にとって自然なはけ口とは、叙情的であるよりむしろ劇的であるべきだろうと感じてもいた。
波乱に富んでいて、望むらくは力強いものでなければいけないのだと。 しかし、だとすれば本のなかで何かたいへんなことが
起こらなくてはならない。 そして、このたいへんなことが本の内容に大きくかかわるのだとしたら、恋愛関係に影響を
及ぼすものでなければならないだろう。 さらに、それがささいなことでないとしたら、重要なことでなくてはなるまい。
いずれにしても、劇的な効果をあげるにはそうである必要がある。考えれば考えるほど主人公たちの恋路を邪魔するもの、
なんらかの障害でなければならないという思いが強くなっていった。いわゆる三角関係についても、思いつくかぎりの可能性を検討
してみた。だが、そのうちのどれかが読者の心をつかんだとしても、本来無条件であるはずの主感情に制限を設けることになってしまう。 
それは避けたかったので、別の登場入物を巻きこまずとも、彼らの恋愛にとって大きな現実の脅威となるものを考えてみた。
浮かんできたのは、重大な病気や事故というアイデアだった。 》
 ーーー
ここで、著者は「相思相愛」の経験が無かったと正直に告白している。そのリピドーのはけ口を『ラブ・ストーリー』にしたのだと。  
相思相愛?の恋愛結婚をした人は、そのまま、脚色をすれば小説になる。  が、本当に面白いのは、著者の方だろう。
所詮は共同幻想、いや自己幻想、いや他幻想だから、『達成したことに何かを付け加えるより、達成できなかった幻想の方が、
むしろ新鮮味がある』と言える。 哲学人の書いた小説作用の切口もリアルである。
・・・・・・・・・
 2008年09月13日(土)
一昨日、「清水洋の経済セミナー・全3講ー有事に勝ち残る」を受講してきた。
4年前からのシリーズで、これで三回目である。30数名の参加者だが、行くたびに、講師の言うとおり、
経済が世界的にも国内的にも深刻度を増している。何時も暗い気持ちになって帰ってくる。 
 *印象に残っている順に書くと、
・この5年間で中小・個人を含めた30?の事業所が閉鎖。ここに来て更に悪化している。(周りを見ていると、その通りになっている)
・ハイパーインフレは、もう間ちかに来ている。来年は食品がインフレになる。 5年〜10年先を想定して、金とか財政が
 優良な国家の債権などに、ヘッジをしておくこと。 国家破綻とは、ハイパーインフレになり、庶民の資産価値が激減すること。
 ヘッジをしてあれば、六分の一になったら、逆に六倍の価値が上がることになる。金は現在二千八百円だが、六千〜七千が目安。
 他のヘッジとして、 カナダドルを持って、ケイマン諸島に預けておくとか、
・不動産のビッグバンがおきている。地方銀行の隠れた不良債権が膨大にあり、これから表面化してくる。
・変化は、ある日、一挙に起こる。
・10年後のイメージとして、国家予算が370兆円、70兆円が国債の発行。(ハイパーインフレのため)
 ガソリン千円。 首都圏移転が本格化。
・現在の夕張市の実情が、10年後の日本の姿。公共事業はゼロ。公務員の三分の一カット、給料の三分の一カット。
・道州制は、早く導入されるだろう。そうしなければ、日本は持たない。官僚を解体するのに一番手っ取り早いからだ。
・日本政府は、隠れ資産が膨大にある。まずは東京の霞ヶ関の土地と建物。 首都移転で、数百兆円など軽く捻出できるし、
 ガソリン税などの特別目的税などの余剰の資金が国民の目から隠されている。道路公団を民営化すれば膨大の株価から金が入るし、
 郵貯の株式も膨大な金額になる。それもこれも、道州制と首都移転から派生する。 まだまだ、国家は多くを隠蔽している。
 要は、これまでの固定観念を根本から変えること。グローバル、フラット化、情報が誰にでも手軽に入る時代になった。
 それは根こそぎ社会を変えようとしている、ということ。
 −−−
大まかに言えば、こんなものだ。 税務署が来て、明らかに理不尽なことをいう。
こと細かくメモを取っている。 もちろん、ここで後日に一連のヤリトリを公表するが、彼らは、そういう官僚機構の末端である。 
この国は狂っているとしか思えない。取れる相手が3割しかないから、そこで理不尽なことをするしかない。 というより、
世界的な混迷期に入ってしまったのだ。 知れば知るほど、この10年の変化がタダゴトではない。特に日本は一番マイナスに働くであろう。
明治維新の動乱など足元にも及ばない混乱が始ったのである。
・・・・・・・・・
2007年09月13日(木)
 2354, 閑話小題 
ーギリシャ旅行より帰ってー
明日からギリシャ旅行についての感想を書くが、大まかの感想をそのまま書いてみる。エーゲ海は想像していたとおり素晴らしい!
エーゲ海ブルーとは成る程言いえて妙の言葉である。旅行をして感じるのは、その対象の背後にある広大な景色である。
ただ対象を見るのではなく、それを支えている背景が対象を光らせている。ギリシャ本土は緑豊かな南欧?といった雰囲気であり、
トルコとイタリアに挟まれた微妙な立地がギリシャ文明の色合いをつくっている。8千年から一万年前の知られてない文明もあった。
ー安部辞任ー
18時過ぎに家に帰ってTVをつけると、阿部首相の辞任のニュースが流れてきた。
遅かれ早かれ辞任は避けられない事態であったが、最悪の時点の辞任である。
小泉・安部政権の末路ということか。 ここにいたって、小泉チルドレンが小泉の再登場を画策しているようだが、
(字数制限のためカット 2010年9月13日)
・・・・・・・・・
2006年09月13日(水)
 1989, 地元・中堅企業が二社倒産
ー石橋組の倒産ー
 一昨日の朝の新聞を見ると、柏崎のゼネコンの石橋組の倒産を報じていた。
公共事業の軸足をアパートの建売建設に移動しようとしていた矢先という。
新潟駅前に更地があるので、何回も営業から電話があった。「アパートを一括借りをするので建設をしないか?」
という話である。「この厳しい環境で20年~30年会社が存在するの?」とも聞けなかったが・・
家内が柏崎出身ということもあり、石橋組のことはよく知っていた。
 「字数の関係でカット09年9月13日」 
ーボン・オオハシの倒産ー
 「字数の関係でカット09年9月13日」                               
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2005年09月13日(火)
 1624, あるラーメン屋での、とある話
十年ほど前に家内が友人から聞いた内容だが、今でも鮮明に記憶している。どこでもあるような何げない話だが印象深い。
ー家内の友人がラーメン屋に入ってすぐに、貧乏学生風の男が一人入ってきて、ライスの大盛りだけを注文した。
ライスだけなので、すぐに運ばれてきた。すると、やおらラー油と醤油をライスの上に振りかけて無我夢中で
美味しそうに食べ始めたという。11そして食べ終えてお金を払って無言のまま出て行った。
その間、食堂にいた総ての人が一切食べていたものを口にせず、呆気にとられて見ていたというー
たったこれだけの話だ。が、どういう訳か?その場面が目に浮かぶように憶えている。
さすがに学生時代に、その経験はなかったが。しかし何処でもありそうな内容である。
本人も、これだけ美味しいご飯は一生に一度?ではなかったのではないか。どんなご馳走より、美味かったはずだ!
そういえば下の子供が、ご飯そのものが大好きで、新米の時期にオカズも無しに「美味い美味い!」
と食べていていたが。去年のこと、駅前でホームレスがベンチで駅弁を一人で食べていた。
その隣のベンチでひとり座っていたやはりホームレスが生唾を飲んで羨ましそうに見ていた。
それを横目に見ながらワザト勝ち誇ったように食べている姿が、人間の原点を見るようであった。
・・・・・・・・
2004年09月13日(月)
 1259, 「裏帳簿のススメ」ー読書日記 ー 岡本 吏郎 (著) 出版社: アスコム
この裏帳簿の意味は、けっして危ない脱税の裏帳簿ということでなく、
「役員賞与を目いっぱい取って、生活費の差額を別通帳にプールしておく、戦略的予備費のつくり方」、
要するに「副帳簿を作っておくべし!」という内容である。 我々中小企業の経営者は、こういう戦略的予備費を
持つという考え方は持っていないで、日々の資金繰りに追われているのが大部分である。
前書の「会社にお金が残らない本当の理由」では、
・裏帳簿は絶対必要!その理由と作り方 ・決算書の数字はまったく意味がない理由
・経営をするうえで知らない人が多い、たった一つの数字ー本当の数字
 (字数の関係でカット2009年09月13日)
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2003年09月13日(土)
 892, 危険物取扱主任者講習会
 先日の午前中「危険物取扱主任者」の3年に一度の法定で義務付けられた講習会に出席してきた。
主に、ガソリンスタンドやタンクローリーや、大型ビルや、ホテルなどの軽油や重油を扱う設備をおく事業所に
一人は必要な資格である。 この資格を取るには結構、試験が難しい? 一日4時間、2週間は集中しなくてはならない。
参考のために、宅建は夜間の講習会に5ヶ月通って、更に家で3時間平均 集中して勉強して、合否確率は50?である。
 この講習会の参加は7回目になる。これに宅建の講習会が数年に一度あるから、大変といえば大変だ。
今回の場所は三条の地場産業振興会館であった。第三セクターの豪華な、しかし有っても無くてもどうでもよい箱物である。
5百人は入る大会議場で、空気と温度は最適に保たれていた。そのせいか、ほとんどの人が講師の話を真剣に聞いていた。
いつもは三分の一は寝ている人がいるのだが。帝国ホテルやパレスホテルの会場より快適なのだ。
こんなものは、新潟県に一つや二つでよいはずだ。どうなっているのか?これも補助金ばら撒きの箱物の典型だろう。
 ホテルの場合は、全くといってよいほど注意することが無いので寝ていてよいのだが、
ガソリンスタンドの従事者の場合そうはいかない。何事もそうだが、関係ない話でも真剣に聞いていると結構面白い。
あれだけ硬い内容にかかわらずでだ。「何事も楽しんでやれ」と、思って聞いたからだろう。
 危険物を扱っている事業所は年々減っているようだ。ガソリンスタンドの廃業が増えているためだ。
それに比べて事故は年々増えているという。何処も経費節減のため、人手が足りず事故につながっているという。
「何処も同じ秋の空」ということだ。
 〜〜
 硬い内容だったので、駄洒落を一つ  ー空から鳥が落ちてきた・・・コトリ
 これじゃつまらないなら、私の創作連想駄洒落 ー空から人が落ちてきた ひとい
 つまらない?それじゃ ー空からストーカーが落ちてきた ー人〜か
  もっとつまらない?  いい歳をして! 朝っぱらから
・・・・・・・
2002年09月13日
 勉強方ー速読法−2
10年近く前までは、構造やキーワードなど二の次にして、初めのページから読んでいた。
そして本は汚さないようにして、古本屋に売る気もないのに!本棚は途中で投げ出した本の山であった。
月に2〜3冊を買ってきて、半分ぐらい読んで投げ出し、ただ読んだという満足感で終わっていた。
読み返しも大してしなかった。 大きい転機は近くに地方にしては大型の図書館が出来たことだ。
読みたい本が山ほどあった。借りてきて少し読んで1〜2週間で返した。そして再び借りる。
通って借りているうちにとりあえず目次と前書き、後書きを読むようになった。
そして2年前より借りられる量が5冊から10冊に増えた。ポイントはギリギリ借りて、居間のTVの横に
積み上げておく事である。2年前に速読法に興味を持った、必然である。丁度図書館に5〜6冊あったのだ。
それが前回書いた概容である。10年前からみれば10倍以上の速度と量になっている。
随想日記を含めたホームページを開いてからは、書き出す量が10倍いや20倍以上になった。
やはり、第三者にさらけ出すということ大事だ。アウトプットがあればインプットの力も強くなる。
そういう意味で物書きは、長い時間の中で膨大の循環がなされている。
生活とプライドをかけて書いているから、当然に違うわけだ!インプットとアウトプット力は数十倍になった。
といっても、あくまで10年前の自分との比較だが、ブラックボックスとしての自身の処理能力の革新である。
・・・・
2001/09/13
 [143] 宗教戦争ー2
この事件はキューバ危機・ケネデ−暗殺・ソ連崩壊に位置ずけられるとんでもないテロである。
元大蔵省の榊原某と寺島実郎が言っていたのが一番本当だろう。
「恐慌とか株価が云云とかのレベルでない、とんでもない広がりの宗教戦争の本格的な始まりといってよい。」
世界中が今かたずをのんで、成り行きを見ている。株価の相場にしてみると、2000円の下げに値する出来事だ。
そうなると!もう違う頭の切り替えをしなくては。‘9月11日の前と後’というくらいの段差が出てくるだろう。
「彼らは世界恐慌を狙った!」と寺島実郎が言っていたが、戦略的に見るとふかい狙いだ。
我々の日常に関係ないといっていられない事態でもある。日本ももちろん巻き込まれるだろう。
ハイジャックの飛行機を4機同時に突っ込むなんて、考えられない事をするのが宗教の恐ろしさだ。
旧約聖書の世界に入りつつある。
「イスラム対ユダヤ・キリスト宗教の宗教戦争の参考の為、以前書いた文をコピーしていく」
 ーーーーー
ーH1105 イスラエル聖なる旅 
この旅行は四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に数えきれないほどの
ドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何も
むずかしくない、ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。印象の強い順に列記してみると、まずは何といってもエレサレム。
イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。 四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。
 (2008年09月13日字数の関係上カット)
 [1999.4.14〜4.24 -ryokou ]


3457, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー8

2010年09月12日(日)

 * アフリカに魅せられて ー2
 以前にも書いたが、ケニアのマサイマラにあるマラ川のヌー河渡りが圧巻だった。
「ヌーの河渡りツアー」に参加したのだが、10人のツアー仲間とサファリのプロの日本人がつく。
サファリカー二台に分譲して、マラ川の近くで、ヌーとシマウマの群れが集結するのを待つ。そして、遥か彼方に
集結するのを発見すると、気づかれないように近づき渡る瞬間を待つ。30分、一時間は待たされる。そして次の瞬間、
地響きをあげて川に飛び込む。 それを隠れ潜んでいるワニが力強いあごでヌーやシマウマに襲いかかり、水の中に引きずり込む。
そこは生と死のドラマが繰り広げられる。それが緊張に満ちており、感動的である。それまでTVで何度か死闘を見たことがあるが、
生(なま)の現場でみると迫力が全く違う。 河渡りの途中に襲われ、一度水中に引っ張り込まれたシマウマが最後に、
ワニを振り切って生還する場面が圧巻であった。 また、渡りきった後に、水辺から上に登ろうとするが、
力尽きて河に流されていくヌーと、力を振り絞って何とか登りきるヌー。 それを近くの藪の中から見るのである。
正に生と死のドラマの真っ只中で見る。 アフリカのサファリに魅せられるのは、生と死の狭間で動物が大自然の中で生きている
エネルギーが直に感じることが出来るからである。 動物園内のライオンやシマウマと、野生のそれとは全く違うのである。
最近、Youtubeで、ライオンなどの狩りの撮影が投稿されているのを見るが、これも迫力がある。
 私が参加したチームの6割がリピーターで、ヌー・クラブをつくって東京で会合を開いているという。
都会生活に疲れ、癒しを求めているという。 「オンリー・ユー」をかけて「オンリー・ヌー・クラブ」とか。
ここで、驚くべき場面に出くわした。 現地のジープのドライバーが60歳近いシングルの女性に、自分を買わないか?と、
人が居ないところで言っていたのである。 本人は断っていたが。 更に金持ちそうな人にドライバーが家を買ってくれと提案された。
一軒が30万で買えるので、年に一度来たときは、家賃とサファリを差っ引きに出来るし、別荘をケニアに持つことが出来るからと、
真剣に考えていた。マサイマラに30万の別荘といえば、面白いといえば面白いが、トラブルの元になるのは火を見るより明らかだが。
 ヌーの川渡りも一度で充分だが、それでも強烈なサファリである。
 ・・・・・・・・・
3082,対話とは何か
2009年09月12日(土)
 以前から新入社員教育でST訓練を取り入れていた。 会話しか経験のない20歳前後の新人に、
基本としての対話を教えるもの。 この元となる書を四十年近く探していたが、先日、偶然ネットで見つけたのである。
「ダイアローグ 対立から共生へー議論から対話へ 」デヴィッド・ボーム (著), 金井真弓 (訳) ーである。
さっそく注文をしたが、前の会社を含めると30回前後の訓練をしてきた。
これは訓練をされる方より、指導するほうが勉強になる。 驚くのは若い人が、この訓練をすると見ちがえるほど変化する。
相手が何を言わんとしているかを把握して、今度は自分の考えを言葉にして相手に伝える基本中の基本である。
学生時代に武澤ゼミで一年間、15人位のグループでみっちり鍛えられ、更に金沢の新人教育で罵声の中で鍛えられた
経験から、見よう見まねで指導してきた。 そして30年近く、自分が一番得るところがあった。 
相手の話の筋道を聞き取るのは当たり前と思うが、私の知るところ3割もいない?。
一度、自分の脳の中に言葉としてインプットして、こんどは相手に向けてアウトプットするのは、厳しい訓練か、
ハードな上司に鍛えられないと出来ないのだろうか?  哲学者の池田晶子が、その著書で
「対話とは、普遍の理性によって、個別の事柄について、その理非曲直を論じ合うことである。
それは相手が誰とかは関係なく、原則に貫かれるべきことである。」と述べている。
 −そこでネット検索で「対話」を入れて調べてみるとー
 対話(ダイアローグ)とは、「ダイア」(通る・流れる)と「ロゴス」(意味・言葉)
 を語源とするギリシャ語からきている。 そのため対話の基本姿勢としてつぎのようなことが大事となる。
・徹底して言語化する。 言葉にして初めて存在する
・知識と経験を共有する。 言語化された意見・知識・経験は共有される
(ただし、それ を持っているから優位な立場になるわけではない。言葉を個人から切り離すことが重要)
・「目的を持たずに話す」「一切の前提を排除する」など実践的なガイドを織り交ぜながら、チームや組織、
 家庭や国家など、あらゆる共同体を協調に導く、奥深いコミュニケーションの技法。
ー以上だが、地頭が良いということは、自分の地言葉?(私の造語)を持って、真剣に現象と対話することである。
 現象の背後にある構造を読み取ることである。これは難しいことだが、最後の最後は、これしかない。
 それを対話の中から互いに引き出すのが目的である。 神との対話、本を通した著者との対話、
 販売データーを通した顧客との対話、コンサルタントとの対話、知人との対話、等々、色いろある。
   対話が出来ないじゃなくて、対話段差の違い? ということか? 
   人の話を聞こうとしない人、知ろうとも思わない人が多いが、それは「程度」ということ?
 この随想日記も、考えようによっては、対話をしているのだろう。 自分と、読んでくれている人と!
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2717, iPhoneその後
 2008年09月12日(金)
購入をして45日になる。自宅と会社の事務所の机に上には、オールイン型のiMacのパソコンが置いてある。
また、8GのiPodもあるので、必要ないといえば必要は無いのである。
しかし、新しいもの好きな者にとって、これは身近に手を取ってみたいもの。
実際、現在も携帯電話に戸惑っている。 もちろん携帯電話機能は、既存の方が使いやすい。
デジカメ機能もデジカメの方が良い。じゃあ、何が良いのか?といえば、
携帯電話と、デジカメの多くの機能が付いた小さいパソコンを腰ベルトに付けておくことが良いのである。
ただ、それだけ。 携帯電話のように、時間の経過とともに身体の一部になるのだろう。
マスコミでは、思ったより、これが売れてないといわれ始めた。しかし時間がかかるだろうが、これは売れる。 
多くのメーカーが、携帯電話を、このカタチに近づけてくるだろう。
これはハシリのマシーンで、これを出発点として進化を始めるだろう。
この欠点を並び立てることは幾らでもできる。
・何であるが、中途半端である。
・電池が、みるみる減る。
・携帯電話としてはでか過ぎる。   等々。
恐らく、私のように携帯電話を使いこなせなかった中高年が興味を持つだろう。
現在、何でいま一つヒットしないのは、女・子供に行き渡ってないからだ。
彼らは、あまりに現在の携帯に適応しているのである。で、お勧め出来るかって?と言われると、
私のように趣味として割り切ればよいが、携帯電話を使いこなしている人は、1〜2年は様子をみても良いんじゃないですか、
である。でも、昨日のように東京にセミナーに出席した時に、小さなパソコンが腰についていると
何か奇妙な感じのことは事実である。 未来が現出しているオモチャ、と思えばよい。
それでは、携帯電話に戻しますかというと、いや、これがよい、ということ。 それが現時点の感想である。 
使い出した初めは、携帯電話の方で良かったのに! と思うだろう。
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2007年09月12日(水)
 2353.ベナレス・・・9
 12、母なる河ガンジス
日本の文化や精神性を象徴するのが富士山であるとすれば、インドのそれは間違いなくガンジス河である。
ヒマーラヤの山間部ガンゴーツトリー氷河に源を持ち、勢いよく南下して平地に達成するかがわかる。
日本では英語のガンジスの名で親しまれているが、インドではガンガーと呼ばれ、女神そのものもと考えられている。
神話によれば、バギーラタという王が先祖の犯した罪を浄めるため、神々に懇願し苦行を重ねた結果、罪障を洗い浄める
力を持つたガンガー女神が天界から地上に流れ下つたのだとされる。 それ以来、ガンガーはあらゆる人びとの罪障を浄め、
より良い再生をかなえてくれる聖なる河として崇められるようになったという。ガンジス流域から離れた場所で
儀礼を行う際も、その土地の水を入れた壺にガンジスの聖水(ガンガー・ジヤル)を一滴でも注げは浄められるというほど、
この水は霊力を持つと信じられている。ヒンドゥー教徒はこの河で沐浴するときには母なるガンガーに身をゆだねる
安堵感にひたリ、また、死んだときには母に抱かれてヒマーラヤに帰っていくことを願って、ガンガー女神に篤い信仰を捧げる。
 ーー
解)死体を流す川での沐浴。そして、その近くで骨の中から指輪などの貴金属を川の中からあさっている人たちの姿。
なんともいえない悠久の流れがそれらを全て包み込んでいるようであった。
インド、特にベナレスは一度日本人は行ってみるべきである。 死はサシたる事ではないと思えるようになるから・・
(字数制限のためカット 2010年9月12日)
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2006年9月12日
1988, デジタル一眼レフカメラ −2
 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ            
今回、「初心者用のデジタル一眼レフ」を買うについて、色いろ調べたが、結論として、
・キャノンのEOSKissデジタルNと、 ・ニコンD200と、
・ソニーのα100と、        ・パナソニック一眼L-1ーLUMIX に絞られた。
何ということはない、「ヨドバシカメラの売れ筋コーナーのエンド」に並んである順である。
さらに値段と、メーカーと、売れ筋を、インターネットで調べた結果、最後の選択はソニーというブランドと、千二十画素と、
手ぶれ補正機能と、CCDにゴミがつきにくいアンチダスト機能など、全て採り入れてあったソニーのα100に決めた。
パソコンやTVなどソニーの商品を買ったときに、記億媒体やソフトの共用の可能性も判断材料であった。
「ソニーが、デジタル一眼レフに参入する為の機種が悪いわけがない。 私のお勧めはソニーです。
そして現在は当店で一番売れてます!」これが、ヨドバシカメラの担当のお勧めの殺し文句である。
今回のケニア旅行で使って後悔をしなかったのだから、良かったのだろう。
コンパクトデジタルなら買え替えも気楽にできるが、一眼レフは少なくとも10年は付き合わなくてはならない。
望遠や広角レンズを徐々に買い揃える?ことなど考えると、慎重になりざるをえない。
型落ちの4〜5万円の5〜6百万ガソの一眼レフとも考えたが、ローンにすることで、思い切ってこれにした。
いつも安いものを買ってしまって後悔しているので・・・
最近、冷蔵庫、コンポのステレオ、このカメラにしろ、買い替えをする時に、「冷蔵庫として最後の買い物かもしれない」と、
その度に思うようになった。 そうみるとシビアな感覚になるが、60歳過ぎの心象であろう。
洗濯機と、電子レンジが寿命間近かだが、その時も同じことになる。そう思いながら楽しんでいるだけだが・・ 
しかし、やはり・・・          
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2005年09月12日(月)
 1623, 自民党大勝
予測どおり自民党が歴史的大勝をした。 反面、民主党が惨敗である。
これで自民・公明で三分の二を占め、郵政改革案は確実に成立することになった。
自民党の郵政反対派が34人のうち18人も当選したのが意外である。三分の一になると思っていた。
綿貫と亀井が当選したのも、地方の民度の低さをそのまま現していた。 この二人は落とさなくてはならなかったが。
これで、参院が法案を否決をすると面白くなってくる。参院の存在そのものが、無用になっているのは誰の目にも明らか。
   (字数制限のためカット 2010年9月12日)
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2004年09月12日(日)
 1258, 人生のセイムスケールとは?
最近、個人のホームページが、注目を始めているという。趣味を写真や文章で、個人のホームページに表現し始めてきた。
このHPもそうだ。10年も経てば、(あくまでも私にとってだが)膨大な資料館になる。
自分の情報基地を個々人が持ち始めて、ここにきて時間と供にカタチになり始めてきた。
ネットウエーブをしていると、最近思わず唸るようなものに多く行き会う。ほぼ毎日、新聞の死亡欄を見ているが、
自分の年齢の前後から下を見て、その数を数えている。今日は一人もいないとか、5人とか。大体15?である。 
歳を重ねると間違いなく、その比率がドンドンあがっていく。山田風太郎の『人間臨終図鑑』に、
年齢別に亡くなった有名人と行蔵が分類してある。山田風太郎が既に先陣をつけていたことを知らないで、
2001年7月9日から実行していた人がいた。途中で風太郎の『人間臨終図鑑』に気がついて、その時から勝手に
二代目・風太郎として、その遺志を継いで、その後、こつこつと書き溜めて1200人以上になろうとしている。 
この人の趣味のようだが、そのプロセスで多くの人の行蔵と魂を知ることが可能になる。実際始めたら病みつきになるだろう。
サロンに、このホームページのアドレスをコピーしておきます。とにかく面白い。自分と同じ年齢をクリックすると、その歳で
亡くなった人が出てくる。何か自分が情けなくなる感がしないでもないが。この作業は、膨大な時間とエネルギーを使う作業。
好きでないと出来ない。 この人の最後の文章がよい
ー「大きな物語」の喪失した現在、「小さな物語」の集積とネットワークによる「終わりのない人生の森の物語」は、
どこへ向かうのだろうか。ボクにはわからない。ただ言えることは、この「おつとめ」をするためにボクは今生きている。
(以下、字数制限のためカット 09年09月12日)
http://www009.upp.so-net.ne.jp/artrandom/samescale/index.html
・・・・・・・・・・
2003年09月12日(金)
 891, 9・11に思う
アメリカの9.11テロから2年が経つ。この日を境に世界が変わった。アメリカにとって、テロとの全面戦争に入った。
無条件に「テロ容認国家とテロ集団を破綻させる戦い」に全てのエネルギーを注ぎ込む決意をしたのだ。
100年戦争の突入である。まずはアフガニスタン、そしてイラクである。いまイラクの戦後処理に手こずっているというが、
そんなもの当初からの予定の範囲でしかない。 次は北朝鮮、そして中国。ロシア?とは取引済みのことは当然。
表面はポーズで和平交渉をしているが、戦争をするための一里塚でしかない。まずは、兵糧攻めを徹底的し、戦争をせざるを得ない
状態まで追い込む。そして、戦争は至極当然に始まるだろう。その間にある日本は一番の標的になることは間違いはない。
 私の9.11の出来事があった。丁度その時、私が居間のTVの前でうたた寝をして、寝室に行こうとしていた時であった。
就職をしたばかりの下の子供が帰省中であった。寝室のTVで二人はその事件があったことを知っていたが、居間で私と交代のタイミング、
歴史的事件と解っていながら無視をして黙っていた。寝室から開放されて、居間にきたのに今更呼ぶことがないと。
翌日、初めてその事件を知ったが、二人はそんなことは全く知らぬ顔。たまに帰ってきた子供と家内に怒ることも出来ない。
これが私の9.11であり、家内の私に対する可愛いテロ?である! テロの後の一ヶ月はライブで見たか見ないかが話題の中心。
ライブで見たという話を聞くたび腹がたった。多くの人が見ていたのには驚ろいた。
今でも9.11になると腹が立つ。 昨夜その話をすると、「『ありがとう』を回数いっている割に
くだらない事に拘っているのね」と軽くいなされてしまった。 まあいいか。
 --今日から、一年前と二年前の同日の随想日記をコピーします。
暇だったら、読んでください。 三年日記帳のつもりで読み返す習慣をつけるためです。
・・・・・・・・・・
2002/09/12
 勉強方ー速読法
昨年から今年の前半は、ホームページ立ち上げとその為のパソコンの勉強であった。
今年の前半からは、「読書法と文章作法を中心とした勉強法」に集中した。
特に読書法の方法論が目から鱗という内容が多く、じっくり
身に付けるというより、いろいろな方法論の知識に気がいった。
しかし読めば読むほど、それだけ吸収力が確実につく!更に集中力とポイントの把握が飛躍的に付いた。
空の上から下の動物の群れをみる鷲のような感覚が強くなった。 共通の内容は大体がこんなものだ
まずは前書き、後書き、目次を集中して読んで骨格を把握。−これは10年以上前から実施していたが。
・キーワードをさがす。
・図や箇条書きや太字のところを読む。
・それが終わったら最後の章からポイントを探しながら、一とおり流し読みをする。
・常に目次をベース基地にして各論を読む。
・旅としての読書か、旅行としての読書かハッキリ分ける。 (読書そのものを楽しむのかーA、
 知識を多く得たいのかーB) 両者の速読の仕方がまったく違う。前者ープロセスを楽しむにも早読法がある。
次がこの1年間に仕入れたポイントである
・目をスキャンに例えて、 一ページをなぞる、そして半ページをなぞる、
  4~5行の段落でなぞってから2~3行ずつ飛ばし読みをする。ーー A、B両方可能
・とにかくページをパラパラと何回も目を通す。  ーーB
 目から脳に多くの情報が無意識で取り込まれるという。
・間違っても、初めから終わりまでまともに読もうとしない。
・段落の初めの2~3行を読んだあとは、流し読みをする。 
 ー大体が10~20行で段落になっており、一目で塊りは分かる。
その一割の2〜3行に大部分の情報が載っていることが多い。−−B
自分で発見した方法は
・折込をいれる。ー前書き、目次、後書き、項目、図、まとめ箇条書きに。大項目ほど折込を大きくする。
・マーカーを引くより、ポストイットを縦に半分にきり、その部分の上に 貼り込む。
・とにかく繰り返して読む。  一冊に重要なポイントは少ないと 割り切ってしまう。 
 −本より3~4つの最重要の部分のつまみ食いで十分と割り切る。
実際のところ本はまだまだ情報化とはいえ、まだまだ一番の情報の宝庫だ。 また合理的手段である。
・・・・・・
2001/09/12
 [142] 宗教戦争
今朝おきて初めてアメリカのテロのニュースを知る。
・株を持っていなくってよかった!
・次に全面宗教戦争の可能性!
・そして恐慌の引き金にならなければよいが!  まずそう思った。
3日前の日曜日TV映画で、イスラム系アラブ人によるニューヨークのある地区の無差別テロの
「マーシャル・ロー」というのを見たばかり。 さすがアメリカ映画と思ってみていた。
それは劇場公共の場を狙った無差別テロで、今回のテロに酷似していた。かなり迫力のある内容であった。
その桁違いの内容が現実に起きようとは思っていなかった。 21C最大のニュースと解説が言っていた。
厳重な警戒態勢の中で行われたのが重大だ。 今日から、戦争・恐慌も含め何が起こっても不思議でない。
数万でなく、数百万単位の死者の起きる戦争になる可能性がある。 恐ろしい事件だ。


3456, 渥美俊一氏死去 −2

2010年09月11日(土)

 一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。
7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。知人に聞くと日経新聞に小さく載っていたという。
氏の業績から言えば、より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 所詮はスーパーの神様でしかないのか。
早くいえば、流通先進国アメリカをウォッチング、そっくり真似をし、日本の遅れている流通経路に新しいバイパスを創りなさい、
ということである。「大量生産、大量消費の間に、大量流通の仕組みつくりを、それぞれの立場で、新業態をつくること、
それをロマンとして志すべし」は、高度成長期には正しいことであった。その時期、ジャスコや、いとはん(その後、北陸ジャスコ)
に勤めていたので、濁流の渦で色いろな現象を目の当たりに見てきた。そしてバブル崩壊。以降、今度は激しい生存競争に晒される。
その中で、長崎屋、マイカル、ダイエー、西武流通グループなどが次々と姿を消していった。 大手で残ったのがジャスコ=イオン、
ヨーカ堂だけになってしまった。 その二社も最近、変調をきたしてきている。ジャスコは、大型の郊外型SCの過大投資が重荷に
なって経営を圧迫。 ヨーカ堂も旧態のGMSの整理が遅れている。コンビニのセブン・イレブンが親会社のアメリカ本社を逆買収、
それで何とか、息をついている始末。 悪いことに西武百貨店・ソゴウをグループで買収したことも、大きな問題に発展するだろう。
 そうこうあり、ペガサスの会員企業も三分の二に減ってしまっていた。 今後5年〜10年スパンで、情報化の浸透で、ネットが
流通業の根底からの破壊が劇的に進むと見られる。中抜きの一番のターゲットが、大型店舗になるからだ。
その一つの事例がアマゾンである。私自身の書籍の購買の三分の二がアマゾンになっている。音楽も、ネット販売が主流になっている。
それらの変化を、氏は理解できなかっただろう。 ネット販売が、コンビニや、百貨店の売り上げ総額を上回った事実を氏は、
如何のように見ていたのだろうか。 それにしてもセミナーでの、あの熱気ある言葉は迫力があった。

 ・・・・・・・
3081, 第三の場所
 2009年09月11日(金)
 我われは家と職場だけでは息がつけないので、行きつけの居酒屋やスナックをつくり、学生時代の校友会や、
気の合った飲み友達の会などの自分の世界を広げる。その他にもスポーツクラブやゴルフの会にも参加したりする。
 それがレイ・オルデンバーグがいう「サードプレイス(第三の場所)」である。
「サードプレイス」とは 家(必要不可欠な第一の場所)と 職場(必要不可欠な第二の場所)に加え、
都市に暮らす人々にとっての「必要不可欠な第三の場所」を意味する。 オルデンバーグは「サードプレイス」の代表例として、
イギリスのパブ、フランスのカフェ等を挙げ、それらが自由でリラックスした雰囲気の対話を促進し、都市生活における良好な
人間関係を産み出す重要な空間であるとする。 その特徴を「インフォーマルでパブリックな営み」を促進する場としている。
インフォーマルとは社会的立場を脇に置くことであり、パブリックとは仲間がいて協調する場をいう。 
第三の場は、年齢とか趣味で個々の組み合わせが変わってくる。
 私のベースは、居酒屋・スナック+秘・異郷旅行+図書館・読書+早朝のウォーキング+新幹線通勤の車中などである。
誰もそうだろうが、私も学生時代から現在まで、第三の場所を直ぐに創る習性があった。 家が商売をしていて
大家族だったこともあり、自分の世界を創るしかなかったのである。但し中・高校時は、その余裕は全く無かったが、
その分、大学時代に一挙に爆発したようだ。 ところで8年前にパソコンを始めて、HPを開いてからネットが
第三の場所の一つに加えられた。 もしかしたら第四の場所? いや、第三の場所か??。 
サルトルは、その一つとしてパリのカフェの一角で多くの友人とサークルを作り、オープンな議論をした。
 そうこう考えていたら、人生でみると学生時代が第三の場所だったような気がする。第一の場が両親の影響下の家庭、
第二の場が自立後、そして第三の場が中間の学生時代である。だから現在でも学生時代の友人と会いたくなるのである。
学生という身分でスポーツやゼミなどで日本中から集まった人たちと、酒を飲み、議論をし、旅行などをした。
第三の場所に父親に頭を押さえつけられた二世・三世が逃避しているケースが多く見られる。青年会議所、ライオンズなどである。 
こういう時期に人間関係を形成する機会という見方もあるから否定は出来ないが、要は第一・第二・第三のバランス。 
場所といえば、時間にも「第三の時間」という言葉が成り立つ。「第三の場所で過ごす時間」である。
 時間と空間と具体的な内容ーTPOの問題と、それを受け止める心(立場)の問題が出てくる。
で、「第四の場所」を想定すると? 「絶対孤独の場」それとも「何かに夢中になっている場」か「忘我の読書」?
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2716, 東京について
 2008年09月11日(木)
家内は東京大好き人間。 私は好きではないが、少なくとも住みたいとは思わない。
大都会は確かに情報が集まり、面白いかもしれないが、何か豊かさの方向を間違ってしまったように思える。
私は日本の中央の東京の反対側の日本海の都市で、職は新潟市、住いが長岡市である。
のんびりしているが四季の変化が激しく、地方特有の時間がユックリ流れている。そこには色いろな人生を、
活き活きと生きている人が多い。また夜になれば、そそくさと家に帰り、家人とノンビリと過ごせる。
私が千葉で事業を始めて二年後、家の事情で実家のある長岡に帰ろうと決意した時のこと、
仕事上で知り合った友人がいった一言「何で、その歳で都落ちをするの?」である。
その人は、やはり私の故郷の近くの出身者である。 Uターンを都落ちという言葉に驚いた。
あの雑踏の、ビルや車だらけの無機物の塊の、何処がよいのか? という見方は地方から見た感想になる。
それぞれの生きてきた過程もあるから一概には±を軽々しくは言えないが。長男が、半年前に帰省してきて最近勤め始めた。 
そして、Uターンの人を評して曰く、「あの人は○○という会社の落ち武者」 自分を落ち武者と思っているから、
いうのだろうが、落ち武者とはそれなりの仕事を成し遂げた武士だろう?と。都会礼賛が何処かにあるからだろう。 
確かに、お金と能力があり、長年住み慣れれば、大都会も良いのかもしれない。学生時代を含めると首都圏に8年居たが、
都会だから良いというより、青年期に都会に居たのが良かっただけ。
(字数制限のためカット 2010年9月11日)
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2007年09月11日(火)
 2352.ベナレス・・・8
  6、輪廻と解脱の思想
 輪廻と解脱という考えは、ウパニシヤッド聖典(奥義書)の中に最初に現れた思想である。
過去の善悪の業(もともとの意味は行為)が現在の果報を生じ、現在の業が未来の果報を招くというように、
われわれの生死は繰り返し続いていく。古代の思想家の大半は、このような輪廻の世界に存在すること自体を
苦であると考え、いかにして輪廻の束縛から解放されるか、すなわち解脱できるかを最大の問題とした。
彼らにとつて解脱とは、自我の本質とされるアートマン(我)が宇宙を成り立たせている
根本原理、すなわち万有に遍在する力であるブラフマン(梵)に合一することである。
しかし、庶民一般にとつてはこのような思想はいささか難しく、普通は死後天界におもむくことと考えられている。
現在の生が過去の生の結果であるという考え方は一見宿命論的に思えるが、輪廻の大海で生死を繰り返すのも、
またその連鎖を断ち切つて解脱を獲得するのもすべては自己の行為にもとついている。
いわば執看を離れた努力主義精進主義こそが、ヒンドゥー教徒にとっての理想的な行動原理となつている。
解脱は日々の正しい行いの蓄積によつてこそ達成さる。
ーー
輪廻と解脱。まあ、解りやすい因果応報の内容である。この位の制約をつけておかないと、
征服者の支配はインド大陸の中では不可能なのだろう。宗教による縛りとは考えたものである。
これで3000年支配してきたのだから、奇跡といえば奇跡である。 
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2006年09月11日(月)
1987, デジタル一眼レフカメラ−1
                     おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
 ー字数制限のためカット09年09月11日ー
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2005年09月11日(日)
1622, 戦略的思考について

「戦略」については、書いたことがあったが・・。不況の真っ只中に、それに対して戦略的な手をうってきたのか
というと、問題がある現在?あまり偉そうなことも書けないが。まあ、いいだろう!理屈は理屈である。
戦略的思考とは、「自分に対する質問と、その答え」であり、その飽くなき繰り返しの中での練り上げのプロセスをいう。
質問に、その大きな要素が含まれている。
ー私の手帳に「戦略的質問」がポストイットに書いて貼ってある。(どの本から書き抜いたか憶えていないがドラッガー?)
・現在おかれている事態は何だろうか?        -What
・それは何故そうなったのですか?         −Why
・現在うっている手は、本当によいのだろうか?
・そのためには何故を何回質問しましたか?     ー最低5回繰り返しまたか?
・それは、『自分の強み』を生かしたものですか?  −その自分の強みとは何ですか?
・今後、どうなっていくのですか?
以上であるが、なかなか良い含蓄のある内容である。貼ってから、自分で自問自答したかといえば、ほぼしていないが。
「自分のおかれている事態は何だろう?」という質問を考えてみると、全てに、根本問題が噴出してくる。
この歳になれば、誰も似たりよったりだろうが。そして、この問題の答えがそう簡単に見つかるわけがない。
問題に対して『正中心一点無』なって自問自答を、し続けるしかない。       ーつづく
以前書いた『戦略について』をコピーしておきます。
 ーーー
「戦略について 」
ー少し難しい問題を定義してみる しかし一番大事な問題である。
・時代の流れを認識して  ・限定された資源を
・自己の強みを認識して  ・集中して投下を決めるー選択
その為に
・戦略を良質な情報に触れて、じっくり考える事。
 決済、権限を委譲する事。
・戦略を考える基本は他人と違う事,自己の強みに集中する事。。
・旧習を壊す事  ・戦略を考えることに集中する事。 ・ひたすら、1人で考える事。
戦略とは  −キーワード
・長期的ー継続し続ける     ・革新的−革新の継続
・集中的ー革新ポイントへ集中し ・統合的ー集中のために要素を揃える
ペガサスクラブの4C主義も同じ
 チャンス     ー機会の開発
 チャレンジ    ー挑戦
 コンペテテーションー闘い
 チェンジ     −変化し続ける
その為には
 4S主義をとる
 スペシャリゼーション  −特殊化
 シンプリフィケーション −単純化
 スタンダデゼーション  ー標準化
 セグメンテーション   ー限定化
人生もまったく同じである。
・自分の持っている材料から、自分の課題とチャンスをさがす。
・その中から課題と最重要な重点課題を見つける
・そこより戦略を構築ー自動的に戦術を具体的に見つける
・実施をするー習慣化をする。
・継続して執拗に   この結果がライフワークの構築となる。
 今朝家内から聞いた話、
−自分の知人の知り合いが定年になり、家にいるが何もしないという。
 犬の散歩とTVゲーム以外に。 私の答えーその人実は何もできないんじゃないか? 
 家内ー実は私も同じ意見なの。私ー指示待ちで、誰も指示してくれないだけじゃないか?   
私ならー年単位、月単位、週単位、日単位で日程を立てる。中心は週単位を最重要にする。
その計画に考えて考えて考え抜く。これが戦略である。その為に本屋と図書館に通う。
時には東京の神田の本屋を回る。そしてパソコン教室に行き、インターネットのやり方と
ホームページの作り方を勉強する。幾らでもあるが。まあいいか、人は人の生き方があるだろうから。
理屈の割りに大した人生でなかった?そういえばそうだ!
・・・・・・・
2004年09月11日(土)
 1257, オーストリア旅行記ー4
ーパプスブルク家の人たちのことを書いてみる。
パプルブルク家は、オーストリアを統治した640年の間、多くの人たちで
時代時代を彩った。日本の徳川幕府の二倍の間、よく続いたものだ。
主な名前をあげてみると
・パプスブルク家の基礎を固めた「ルドルフ1世」−13世紀
・プラハの王城で閉塞して芸術を愛でた「ルドルフ2世」−16世紀半ば
・近代オーストリアの基礎を作った辣腕女帝の「マリア・テレジア」−18世半ば
・実質最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」
・ヨーゼフ皇帝の皇后で、悲劇と美貌の伝説をうんだ「エリザベート」 などをあげる事ができるが、
 マリー・アントワネットの母のマリア・テレジアと、エリザベートをあげてみる。
ーまずは、エリザべート。
19世紀の欧州で最も美しいと称えられ、「シシィ」の愛称でも知られた。
彼女のことをロシアの提督は「すべての士官は老いも若きも皆、エリザベートに恋をしてしまった。
比類なき美しさと、近寄りがたい品格を持ち、いかなる時も皇妃としての威厳を備えている」と述べたという。
彼女はたとえ礼儀作法を習わなくとも、品格を生まれつきもっていた。
エリーザ・ベトは子供の頃から、芸術に関心を持ち、絵画や語学、作詞などに才能をしめした。
しかし誰もが羨むような皇妃として生活は、幸せではなかった。愛する子供達は、生まれると同時に姑である
大公妃ゾフィに取りあがられ、一日に一時間、監視付にしか会わせてもらえなかった。
そして、その姑の溝はますます大きくなり、自分の中に閉じこもるようになり、乗馬や作詞などにのめり込んでいった。
その中で、彼女がとりわけ愛したのは旅であった。彼女は自分の美をも深く愛し時には栄養失調になるほど食事制限をした。
そのような生活の中に、突然不幸がおこった。息子の皇太子のルドルフが若き男爵令嬢と心中事件をおこして、
自らの命を絶ってしまった。この時から、彼女は公式の時だけでなく、常に喪服を着るようになる。
そして、あてども無い旅がより頻繁になる。しかし62歳になった年に、彼女はあっさり暗殺されて劇的な生涯が閉じられてしまう。
王宮には二人のヨーゼフ1世とエリザベートの肖像画が大サロンに飾られてあった。そこは永遠な二人の魂が漂っているようであった。
・・・・・・・
2003年09月11日(木)
 890, バックナンバー 4
 最近の傾向として、読書日記と映画日記が多く占めるようになっている。
ネタがなくなると、図書館や本屋で「何か読書日記として書くに適当な本」を探している自分に気が付くことが度々。
 一瞬で消え去る考えや気持ちを( ..)φメモにする習慣を身に付けた効果も大きい。
旅行先で撮る写真に似ている。またバックナンバーのテーマを見ているだけで、内容の80?を思い出す。
  ー字数制限のためカット09年09月11日ー
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2002年09月11日(水)
 516,デフレと流通大乱
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。店内を3〜40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに丁度よい。
クーラーもきいているし面白いし。それにしてもお客が少ない。商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。
でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーとヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。
それにしても消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。 誰もわかっていることだ。
「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた中華料理屋も、ここに来てやっと本物になり始めてきた。
イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。 とにかく安い、味はまあまあだが価値は充分感じる。 
チェーン店評論家?として、この2つと、マクドナルド、家具のニトリ、ユニクロ、無印良品、100円ショップ、
しまむら、吉野屋、居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。デフレに強い業態で、
ロアーポピュラープライス専門店グループだ。それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。
・西武流通、ダイエーグループの実質解体。
・長崎屋、マイカルーニチイ、ヤオハン、九州最大の寿やの倒産。
・百貨店だが,そごうの倒産。
総合店が苦戦している構造になっている。本来GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)
は専門部門を束ねたものであるはずだが、組織がそれについていけないのだろう。
アメリカでは、10年前の雄であったK−マートが倒産。今はウオールマートの時代だ。西武流通グループから
西友を買い取って日本に乗り込んでくる。ジャスコとイトーヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない相手だ。
ジャスコは、この3年間荒利をこのままにして人件費を20?減らすという。
正社員は3年間殆んど入れないという。それも可能かどうか???実際は不可のはずだが??
ところが下げたとしても、20?以上人件費の比率がウォールマートより高いという。
創業者の元会長が「あと3年で準備ができないときはジャスコも危ない」と、警告を発している。
流通は渦中でなく、横でウオッチングしていると面白いが、渦中で働く人は阿修羅の世界だろう。
デフレが更にこれに拍車をかけているからだ。 時代の変わり目だ!!
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2001年09月11日(火)
 [141] (日本的)カースト制度−3
まず地方のカースト制をさらに書く! 地方の平均的なプチブルをみてみると、資産が大体5億が目安。
老舗が10億が上クラスの老舗企業。個人の年収が2000〜3000万。会社も3000〜一億あたり。
この辺りが地方カーストの上部になる。それも7〜8年つづけているかが基準となるそこに地銀の頭取を
頂点としているのが面白い。お医者さんに、坊主に校長先生。会計士に弁護士、後はどうでもいい。
母が面白い話を聞いた。嫁に来た時に父に聞いたそうだ。母「この家は金持ちなの?」 父「う〜ん’7万ある。」
その時代の長岡の基準で5万が金持ちだったそうだ。72年前の話だ。1万倍か5000倍かというところか。
そうするとやはりそんなとこか。話を元に戻す。日本の官僚とその体制の官僚社会主義者の崩壊の話。
その大本が大蔵省、その次が外務省その次が通産とか。大蔵官僚が今までの日本的社会主義体制の大要。
先日書いた長期国策銀行ー日本勧業銀行、潰れた長期信用銀行を頂点とした銀行ピラミッドができている。
都銀、地方銀行、第二地銀、あとは信金ーとつずく。テリー伊藤が革命的な本書いた。
「大蔵に検察は手を入れることができない。予算を減らされるから。」検察はカースト制度を当然と信じていた。 
しかしよくみたら犯罪の巣窟であった。それが先年のの大蔵官僚の大量逮捕になった。 
そして今外務官僚に対象が移った。ほとんどが内部告発である。さすが外務、キャリアは捕まってない。
いまは情報機器が発達している。精巧なカメラやパソコンで直ぐに検察マスコミに送られてしまう。
ソ連の社会主義崩壊と一緒だ。あれは情報手段を一般大衆が手に入れたため始まった。これからますます混乱は当分続く。


3455, 渥美俊一氏死去

2010年09月10日(金)

 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が亡くなった。
チャーンストアの時代の大きな転換期の目安になる。 そこには、桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、
彼女がペガサスを支えることができるかどうか?  昭和30年半ば、大手スーパーや専門チェーンの創業経営者のほとんどが
渥美先生の元に終結、成長・拡大し、そして消えていった。 現在でも流通界におけるカリスマ的指導者で、亡くなる直前まで
講義を続けていた。氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。日本の高度成長を流通面から
支えた貢献は多大である。 バブル崩壊後は、ダイエー・マイカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、
チェーンストア理論が必ずしも有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢い失っていった。 
最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初から属さない成長チェーンも出現してきている。
 学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新」を手に取り、渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立ち上げ、ダイエー、
ヨーカ堂などのチェーン店のコンサルタントをしていることを知った。そして、「チェーンストアへの道」という
10巻シリーズのチェーンストアつくりの戦略、手法が書かれている理論を貪り読んだ。そして、それをベースに卒論
「流通革命」を書いた。 それもあってジャスコの創業一期生として入社をした。 そうこうあって渥美先生には、
大きな影響を受けた。そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的背景にチェーン理論があった。 
セミナーだけで、50〜60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の二つの土地転がしで直ぐに元は取れた。 
立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益を得て、その理論の正しさを確認した。
 しかし20年前にバブルが弾けた瞬間、彼の理論は、時代とはかけ離れたものとなってしまった。
「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を増やしなさい。それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、
自店舗を建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店を続けなさい」という理屈である。
 またアメリカの流通事例を見せるため、店舗見学ツアーを組んで、200人、300人と連れて行くのである。
私も二度、参加したことがある。 大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、新しいバイパスとして、
スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。
彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、
やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。 ご冥福を! 
 ・・・・・・・
3080,再び死について考えてみる
 2009年09月10日(木)
 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。 地元の米屋に嫁に行ったが、小姑が多くいて難儀をしていると聞いていた。
「この世に、今時にこんな厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。
 その10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に亡くなったと死亡広告にあった。
一度、当方の事務所に来たことがあったが、創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。
暗い顔をした気難しそうな人だった。 「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしているのを知らないね」と言われ、
それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、
子供たちに一棟ずつ与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。 
 ところで、身近な知り合いと、第三者の中間の立ち位置の「二・五人称の人」が死を考えるに最適という。
第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死から多くのことが見えてくる。知っている程度の人である。
「死ぬ=無になる」、という論理の矛盾(無になる〜無には成りようがないー無いものに何故なる?)という
池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち位置にあるのが2・5人称の人である。
10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に思った、「何で人は周囲の眼を気にして好き放題生きないのだろうか?」と。
子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、次の疑問は父親の死に接した時である。 
 死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。
死に際で、「あと、せめて三年、生きたい」という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。
その時に「人間は生きているそのことだけでベストである」ことを肌で感じ取った。
そのためか、父親が亡くなってから全く人生観が変わってしまった。「一日一日を生ききること」が
人生から与えられた責務と思うようになった。 知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教えてくれる。
 生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! 
・・・・・・・・・・
2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。
  ーまずは、その箇所である。
 〜〜
【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに細かくとっていかないと、
解くべき問題を設定することすらできない。 それがわれわれの脳の仕組みと合っているのかもしれない。
だから、時代とともに、より細かく対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。 それが要素還元論です。
しかも自然と人間とを分ける。考える主体と認識される客体を、とりあえず分けなければ思考はスタートしないわけで、
それが二元論でしょう。 現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的にたたきこまれているわけ。
「わかる」とは何なのかについて、それ以外の「わかる」ということは考えられないわけです。
ぼくは今、地球学とかアストロバイオロジーとかで、二元論と要素還元主義の枠を超えて、
昔のようにとりあえず現代の知の体系のすべてを認識しましょうということを主張しています。
何か新しい方法論が出てこないと、「生命の起源と進化」という問題は解けないと思うからです。
そういう過激な認識を持っているわけです。 とりあえず、二元論と要素還元主義に対抗する方法論として、「システムと歴史」
という見方で、もう一回すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も人類も文明も全部一緒に論じようとしています。
数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。 
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。
そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう。】
 〜〜以上である。
なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。
「帰納法、演繹法」発想法として「KJ法」、「テーゼ、アンチ・テーゼ、ジンテーゼ」とか、
情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、「要素還元法」「二元法」も、上記の中でしていたことである。
この年齢になって初めて初歩的な知識を得ることの、何か恥ずかしいような、無知の再確認をさせられているようである。
それに加えて、松井教授は、「システムと歴史」という考え方を提示している。これは宇宙、地球システム、人間の歴史、
個人の歴史、全てに当てはめて考えることができる。要素還元法、二元法の限界を、一度「システムと歴史」という
視座に入れて考えると、限界を超えることができるという。「システムと歴史」の意味が理解できなかったが、
人間の歴史、個人の歴史に置き換えて考えてみたら理解できた。「システムと、これまでの始まりとプロセス」ということ。
「数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。
そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう」など、非常に新鮮に驚かされたことばである。
そうこう考えると、中学校時代の教科書の内容は、全ての基礎であった。
昨日、図書館で「やりなおし教養講座」-村上陽一郎著 を借りてきた。学校を卒業して、平均2〜3時間は、
本を読んできたが、これで、この様だ。カントがいうに、「犬は犬の理解しか出来ないように、人間も人間レベルしか理解できない」
というと、私は私レベルしか、理解できない!ということ。 悲しいかな・・・やはり、よい大学に入り、よい会社、機関に入り、
レベルの高い人に接し続けないと、駄目?か。 本が呼びかけてきても、気づかないのも、そういうこと?
                           今更か〜
・・・・・・・・
2007年09月10日
べナレスー7
3、 多くの化身を持つヴィシュヌ神
インドには石造りの壮大な寺院から路傍の祠にいたるまで、様々な神様が祀られている。
それらの中で現在最も信仰を集めているのが、ヴィシュヌ神とシヴァ神である。
 (字数の関係でカット08年09月10日)
 ーーー
解)ユダヤ教とキリスト教の関係と、ヒンドゥー教の関係が似ている。
 何でもそうだが、必ずその母体があるものである。特に、厳格なものから、弱者の立場に立ったものが・・・
 ーー
4、破壊と再生をもたらすシヴァ紳
ヴイシュヌ神と勢力を二分するシヴァ神は、もともと暴風の神であったものが民間信仰と融合し、
次第に破壊と再生を司どる最高神となつた。
  (字数の関係でカット08年09月10日)
・・・・・・・
2006年09月10日(日)
 1986, 事業百訓・・・?
H0901 事業百訓  
 480 準備!そこから魔法がはじまる。 準備とは創造する喜びだ!。
   準備とは人生を苦労して前進する事、悩みながら生きていく事。
   ...並はずれたIQを持っているが、準備をするほど賢明ではない人よりも、
   力強い議論の準備をととのえている普通の人になりたい。準備とはあくまで“心の底”の栄養だ!。
    (ゲ−リ−・スペンス=議論に負けない法)
  481 楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ!。(ロ−マの詩人=プルデンチウス)
  482 集中する為には自分なりの結論が出るまで誰にも相談しない。
   自分の中で決めてから相談するのはいいのですが、迷っている時に相談すると、集中力が半減する。
   徹底して1人で考える、思いついたら考えを書きためて、それをファイルしておき、それをよみかえして
   書き足して事業のデザインをしていく。 その間ある結論が出るまで人には一切相談しない。(セコム・飯田会長)
  483 経営者の条件(成果を上げる事)
    ?自分自身を管理する。  ?その為に“自分の仕事”は何か?問うてみる。
   ?問題設定が本当に正しいか?。 ?重要な資源は“時間”である。
   ?優先順位をつけて“努力”を集中する。 ?仕事のアクセント“強み”の上におく。
  ?問題より“機会”を追求する。 ?地平線のかなたを常にみる。(長期視点) (P・F ドラッガ−)
H0903  事業百訓
  484 道中は宿屋よりも、いつもよい
  485 それぞれが一番苦しいのです。としたら自分に与えられた神からの苦しみの形が
   一番相応(ふさわ)しいのだと受諾するほかないでしょうね。私はきっと反抗するでしょうが。(曽我綾子)
  486 完全という言葉が不完全なのだ。(ホロビッツ)
  487 私たちに課せられているのは、肉体を持って生きている事に感謝し、
   その範囲で毎日の生活を楽しみながら創造的に生きていく事。あの世からの魂のメッセージを見ること
(字数の関係でカット10年09月10日)
 H0903 只今・戦闘中!
母が痴呆症になり丸三年が過ぎた。 安っぽいヒューマニズムや一時的な情愛など
“今の現実・現状の前に吹き飛ばされる!。家庭内は子どもを含めて毎日、毎晩が戦闘である。
週に一度は一晩に十数回起こされる。朝起きると寝る前より疲労している状態である。
親と子といえども正常人と異常人の戦いである。異常と正常が蛍光灯のように混合するから更に問題が深く複雑になる。
母自身も正常なときに“今の私の齢になりこの経験をしてみなくては、この辛さをわかってもらえない!”
というのも身にしみるから歯がゆい。遠くにいる姉達が時々きて、忠告、助言をしてくれる、
それが一面しかとらえてもらえず心臓を貫く位、一言一言が痛い!
でも口先介入だけの甘さが“中途半端な傍観者”として“怒りの嵐の対象になる。
でもこの行き違いは痴呆看護の大部分に生ずるトラブルで、ごく普遍的な事という!
年齢的風景の為か知人、取引先の人にも七人も同体験者がいる。”母を十年介護・見送った。
近親者のトラブルは当然あった。……そして娘が介護士になった。この苦痛は同居介護した人間でなくては絶対わからない。
“実父を十年介護。自分の中にこんな優しさがあるとは…自分がうれしかった。”
“自分の近くに住む実姉が姑を完璧に看ておくった! 今自分の家庭に来て、看護について口を出す!
 おそらく貴方の場合よりつらいのでは?” 等等、まだまだあるが書けない位すざましい!
こんな事表現していいのか憚るが、心の中である姉に対してナイフを突き刺すイメージを持ったり、
妻に対しても“絶対に亡くなったら離婚してやる?”等・思ってしまう。
それだけ追いつめられてしまうものだ。今まで帰宅拒否症候群というのが私には理解できなかった。
本当はうれしいはずの金曜日の夜、帰宅するのが本当につらい!月曜日は朝、会社に飛び出ていけるのが救いである。
妻にはそれがないだけ辛いはずだ! でも、すばらしい事も当然ある!家の中が暖かい!
赤ちゃん、幼児がいる家のそれである。 本人は天使そのものである。家より火が吹き出しているようだ。
それと子供達が何も言わずに私達以上に母の介護をしてくれる!子供に教えられるとはこの事である。
 (ボツにしていた原稿だが母が亡くなり半年、供養も含めてあえてだしてみた)

H0903 図書館の効用
  (字数の関係でカット08年09月10日)
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H0905  事業百訓  
491 人間はすでに「なにものか」(本質)として存在しているのではなく、
  常に「なにものかになろう」として自己を世界に投げ出す自由な存在(実存)である。−サルトル−
492 本当の敵というものから際限ない勇気がおまえの中に流れこむ。           −カフカ−
493  昨日の自分は許しても、今日の自分は許すな!。
494 私の落語は噺を聴いてもらうのではのうて、自分の楽しいな、
 うれしいなという気持ちを伝えるものだと思います。      −桂 枝雀−
495 心は天と自分をつなぐパイプだ。 この結び目がしっかりしている限り、宇宙からの無限のエネルギ−が
 注ぎこまれ弱気になることはない。
496 我々は単数の生を生きずに、複数の借りものの生を生きている。
 それに気づいて“しまった”と思った時にはもう遅い。−高橋 義孝−
497 “自分がいいと思うように真面目にやって、お客がアクビをして帰ったら仕方がない。 
 家へ帰ってカミサンの前で一席やってごらん。カミサンも聞いてくれなければロウソクの前でやってごらん”
 と教えたそうだ。信じた通りやり、お客の喝采を気にするなという円朝の信念のあらわれだ。
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H0905  魂が万代橋の上を彷った話
 第2新館の役所の検査の直前の話である。
担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、“今回の検査はパスしない!...”
一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...”パニック状態である。
それも夕方の飲み会の直前である。まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、
そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と、酔いを含めて妙な夢になってしまった。
魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで、目線が5m位の高さでプカプカ浮遊しているのである。
“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!
でもあの話は本当である!それも夢であってほしい!”と念じた事を今でもはっきり覚えている。
その2〜3日後に設計士の思いこみでしかない事がはっきりしたが、本当に長い氷つくような時間だった。
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 H0905 私を生かして下さい!  <H8.7.24の日記より>
 今朝、病院に日課どおり母の様子を見にいくと、母が私の事を担当医と勘違いをしたらしく
“先生、私を生かして下さい!”と両手で拝まれた。本能的な生への執着の言葉である。
何とも言えない気持ちになってしまうと同時に、その言葉の重みに圧倒されてしまった。
死の間際にあっても、“生”への執着のことば、そして死の不安を自覚している事実である。
“これでよい、いやこれだ!”生きる事への執着こそ人生で一番大事の事と思い知らされた。
それにしても、あの担当の若い医師には呆れる思いだ。人間の生き死にを扱っているのに何もわかってない!
目の前の病気をなおそうとして母体そのもののことを考えていない!。 薬は反面、毒である事を!。
これが今の医療の大問題の一面なのだろう。彼等は技術者であって医師・医者ではない。
それが若いから許されていいのだろうか?。自分は判ったつもりでいるから始末が悪い!。
これから何年もの経験を重ねるうち今の誤りを気づくのだろうか?
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H0907  養老の瀧1122号店、店長の日々
(字数の関係でカット09年10日) 
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 H0909  ギアナ旅行記
  (字数の関係でカット08年09月10日)


3454,  つれづれに −政治談議 

2010年09月09日(木)

* 民主党党首選挙について
前にも書いたが中長期的にみたら、やはり小沢がなるしかない。 管首相は選挙管理内閣で終わるべきである。
まず、その器でない。それが役割以上のことをすれば、それは国害になる。左翼運動家上がりが、さらに過激派だった
男を官房長官に据えれば、舵取りを間違えることは誰の目に見ても明らか。 実質オーナーの小沢を首班指名をされた途端に
手の裏を返すとは、あまりに露骨で稚拙である。まだしも愚衆の目を欺く演劇なら分かるが、本気でやるとは思いもよらないこと。
それが、あの官房長官と財務長官の指名である。 それにしても、あの世論調査ってのは何だろう。 
現在の政治と内閣は「世論調査内閣」といってよい。 世論調査で政治の行方を左右するなど、亡国の極まりである。
100・250・500年スパンの世界的激変の時代に世論に動かされる舵取りなど、とんでもないこと。
タイタニックの船内の連中に海原の向こうの大波が見えるわけがない。 それを彼等の顔色に従って舵取りをするなど、最悪。 
船内で揚げ足を取りの経験しかない彼らに船の舵取りを任せた国民も問題あり。 間違いに気づいたなら、早く政界再編をして、
体制を作り変えないと国家破滅になる。それはアメリカにとっても、中国にとっても望ましいこと?自民も駄目、民主党も駄目なら、
それを解体して新しい枠決めをしなければならない。また政治家の二代目、三代目しか、政治の表舞台に出れないシステムも、
変である。明治維新後、学歴を自力で上り詰めれば、誰でも出世のチャンスが、日本を短時間に飛躍的に国力アップにつながった。
どうも、こうも、日本は気がつけば戦後65年で、頭から尻尾まで、腑抜けにさせられてしまった。
それでもネットでは小沢の支持が八割という。世論調査とかいうのは、どうも誘導されたマヤカシでしかないと考えた方がよい。
蓋をあければ、小沢が間違いなく勝つだろうが、それでも、この国の民度が異常な低下からみると、管首相の続投も有りえる。
その時は、間違いなく政界再編成しかない。いずれにしても、あと数日で大きく政治も動き出す。

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3079,不況景色 −12
 2009年09月09日(水)
 この御題目で書くのは、6月1日以来で3ヶ月あまりになる。その前に「世界恐慌に入って、まる7ヶ月」というテーマ名で
二回書いている。「不況景気などを今さら書くことでもないだろう」だが、そこが生き物、ジワジワときている。
9月に入って落ち込みが始った。 こういう先ぶれが居酒屋とホテルに最初に来る。
 現場段階は十数兆のバラマキで何とか小康を保っているが、何が起きても不思議でない。 
重体患者を緊急の大量輸血で持たせているようなもので、集中治療室にいる事態は変わりない。
衆院選挙が8月末まで延びたため、株の暴落や経済の大混乱が来年2月まで延期しただけのこと。
まだ東海地区の輸出産業は、この数年間の好況の蓄積があるが、他の地方は体力を使い果たし、大きく弱体化している。 
これに悪質のパンデミックでもなれば、大きな波乱が起きるのは必定である。 週に数回は、通勤の帰りや、家内のお供に
スーパーや、駅の専門店街によるが、実際に売れてない。TVのワイド・ショーで、「はしっこ食品」や「訳あり商品」
の特売などを特集をしていた。 ハムや、カステラ、魚などのスミの切り落としが半額から三分の一になるのだから客は殺到する。
そういえば最近、生ハムや鳥肉の燻製の『切り落とし』を、安さにつられて買ってしまうことが多い。
 新潟駅前周辺の飲食街では、潰れた店の後に出来るのは「ホルモン焼き肉屋」が目立つ。 
「安く、小じゃれて、腹が一杯になる」のが必要条件だが、時代が変わったものである。
 当社も、長期のミニ団体が何組かが途切れずに入っていたが、それが少なくなっている。
夏場の稼ぎ時は別腹と期待していたが、この冷夏で結果は芳しくはない。 それでも9月下旬から
10月にかけて国体があるので、数字は何とか例年に近い数字は作れそうだが、甘くないことは事実。 
 町内会の役員の人から聞いた話だが、新潟市内の町内連合会が、急激な売り上げの悪化に、
駅再開発計画を改めて説明会を開いて聞いたという。 今さらであるが。(10年遅れである) 
これに北陸新幹線開通という2014年問題がある。新潟県にとって大打撃になるが、それを誰も真剣に考えない。 
20年前に既に新幹線を新潟空港まで延長し、その沿線に環日本海都市としての機能をコツコツと造っておくべきだった
ことすら、誰も気づいていない。 飛行場の直接乗り入れも大きい要素だが、「日本海に東京駅直結の新幹線の乗り入れ」
が良いのである。 僅か5〜10キロの延長で済むのにである。 そこに新幹線駅沿線のサッカー場と野球場をつくり、
野外スポーツなどのレジャー施設を長年かけて造るべきべきだったのである。 更に夢のある高齢者向けの施設と、
本格的な中国人街もである。 金沢が関西と関東を後背にした新日本海都市創りを始めるのは目にみえている。
 不況景色から少し話が逸れたが。
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2714, 大相撲が面白い! −2
2008年09月09日(火)
               ぉは(σ。ゝω・)σYO!!
せっかく、面白くなってきたところで、北の湖は辞任。三重の海の武蔵川が理事長に選ばれた。
そして、ロシア人二人は解雇。 当然のことである。起訴猶予になった若の鵬を含めた三人をロシア政府は急遽
帰国させるであろう。立場は外国人労働者でしかないから、場所が始る前に大使館員に付き添われて国外退去ということか。
ロシアにとって、三人の言動はロシアにとって国辱ものである。これは世界的なニュースになるからだ。
この事件発覚以来、北の湖と貴闘力の二人の親方の言動は最悪であった。ウヤムヤにして責任回避をしようとしたのが見え見え。
本人達に否定をさせたままロシアに帰ってしまえば、それで済むと思ったのであろう。これで、二人とも今まで築きあげてきた
社会的基盤は無くなったに等しい。事件として、角界から二人を追放すべきレベルの事件、これで終わらないだろう。
次は、今場所の開催の問題である。理事長が辞めましただけでは済まない大問題。それもこれも、見るものからしたら面白い
ストーリーが続く。 身の潔白をはらすための突然の検査、北の湖理事長も、自分の弟子が!と夢にだに思ってなかったのだろう。
理事長と一部理事は検査を知っていたというから、まさか自分の弟子がやっていたとは・・・
TV映像でみるロシアの兄弟は明らかに確信犯の顔になっていたが。これで当分、皇室も大相撲観覧は当分の間は無理だろう。
  (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
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2007年09月09日(日)
 2350.ベナレス・・・6
 2,ヒンドゥー教とは
ヒンドゥー教は紀元前一五〇〇年頃に西方からインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人が
信仰していた祭祀中心の宗教を核にして、先住民のもつさまざまな民間信仰を融合して発展してきた。
それ故・この宗教には開祖が存在しないが、そのかわり『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)など、
人びとを宗教的な道に導く数多くの聖典が編纂された。 ヒンドゥー教は基本的には多神教であるが、
それらのうち主要な神のどれもが最高神と考えられるという独特な神観念を持っている。
   (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
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解)むげに否定することは出来ないが、それにしても酷いものである。
当時のアーリア人の何とも嫌らしい意図が露骨といえば露骨である。
支配のための宗教などが、このように露骨なカタチで残っている不思議。
それが地球上にあるのだから、何とも言いようがないのである。
明治憲法も、似たようなものだが。それと、葬式で食べている現在の坊主!
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2006年09月09日(土)
1985, ハイデッガー
       (。^0^。)ノオッ*^○^*)ハ〜 ヨウ             
10年来、トイレに常に哲学書が置いてある。そして一年に一度位の間隔で、入れ替えをする。
そして、普段も必ず哲学書のいずれかは私の鞄か机の横にある。歳を重ねた経験の裏づけが哲学の言葉を噛み砕いて
くれるようになった。哲学的大問題の「死」に向き合わなくてはならない歳になったこともある・・・
「首切り役人の日記」とか、このHPの随想日記で辛辣に死について書いている。哲学にしても宗教にしても結局は、
ー人間いかに生きるべきか? そして最後の最後は、いかに死ぬべきか?ー  ということだ。あと何があるのか?
もし知っていたら教えて欲しいもの!
『面白がって死ぬことだ!』という黒鉄ヒロシの言葉位か、面白かったのは!
「ヒーヒー悲鳴を上げてジタバタしている最後の自分の姿をみるのが何で悲しいの? 
こんな面白いことが何で?」彼ならでの言葉だ。冷静に自分を見ていなくては笑えない!
ハイデッガーは、「その死を意識的に見ないようにして日常をすごしている我われの姿を、そのまま直視。 
見ないようにしている死が、我われにマトワリついていて、それが不安という漠然とした心理になっている」と看破している。
彼は不安とは現存在として最も根本的な気分であるとし、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、
そのつど、何らかの気分に規定されていると・・ 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、
本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安であると・・
とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての根源的開示がはじめて生起する。
我われはいつか死ななくてはならない。 「この私」の死を誰も変わってはくれない。
その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し、自分自身と対面せざるを得ない。
その死を見つめることによって、その可能性に「先駆」することによって、初めて本来の自分を取り戻すことができる。
おのれの実存をたえず知覚させてくれる気分として「不安」を考察した。恐怖と不安は違う。恐怖は対象を持つが不安は対象を持たない。
ハイデッガーは「私は何が一体不安なのか?」という問いをする。「私が存在そのものが不安なのである。」という。
「私がある」こと自体が不安の発生現場で、私の存在は「無」の中に沈みこんでいくのである。それが不安の時である。 
不安は人間そのものの根源的な性格なのである。 彼は「人間は、日常性の中に存在の本来性を忘れている」という。
われに現存するのは「他人の死」のみである。
「死、それはまだまだ自分の番ではない!」と思っているから、生きていけるのだろう。
私が死を度々とりあげるのは、その死を直視することで、生とは何か考えるためであり、
現存している自分を見つめるためである。夕陽をみて人は、その太陽を自分に投影する。 一日の死である。
そして、朝陽をみる、今日の生誕を感じる。そして、その夕陽のように沈んでいく。
しかし、夕陽のように沈んでいく死だけでないのが、人生の妙味であるから面白いのである。
                        (。^0^。)ノホンジャ、マタ!  あの世で!いや明日!
 そういえば、明日とあの世は似ている。あると言えば在るし、無いと言えばないし!
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2005年09月09日(金)
 1620, 「仮想と虚妄の時代」
月刊誌の文藝春秋5月号の石原慎太郎の「仮想と虚妄の時代」ー援助交際と純愛ー
が、現在の日本の現状と病巣をそのまま書きあらわしていた。
若者、いや現代人の携帯電話やインターネットの仮想と虚妄の実体と病理をえぐっていた。
ITは確かに便利で効率は良くなったが、人間の情緒などの一番大事な部分を失ってしまったと看破。
ITは情報を無限に提供してくれるが、人間本来の情念やエネルギーまでも伝えない。
そのため、リアリティと虚構の差が解らなくなってしまう。私の知人に、何かあると友人に携帯電話で相談する男がいる。
それも、いい歳をした大人?である。自分の頭の中で、「あれやこれやを考えること」ができない。
思索を何度か繰り返した上で相談するなら解るが、それを一切しない。いや出来ないのだ。
本人を観察すると、彼は本を読んでいない。読書は、著者との無言の対話でもある。
それを普段の生活の中でしてないから、内面の対話が出来ない。だから、何かあるとすぐ携帯電話で相談するしかない。
事態を多角的に見ることや深く掘り下げることなど、彼の世界には存在していない。
携帯は会話しか成り立たない。内面の対話をした上で、それを相手に投げかけをしあうのが対話である。
 ー石原はここで以下のように述べていているー
ー最近、問題になっているエンコーなどの新しい風俗の正当化(?)
のために作られる言葉の醸し出すヴァーチャルなイメージは、ことの本質を外れた価値判断を容易に導き出す。
内質の空疎化とは想像力の枯渇であり、無個性化による自己喪失画一化であり、
人間としての尊厳の喪失の繋がり社会そのものの活力を失わしてしまうーと警告している。
現在、中高等学校の生徒の間で人気のある生徒の評価の指標が勉強やスポーツの能力ではなく、ただ携帯電話が鳴る頻度と、
いかに多くの連絡相手が登録されているかにかかっている現象は、人間関係における本質の変化を暗示している。
こうした浅はかな人間関係が何ももたらさないことを、彼等は解っていない。
そんな交流の中では本気にお互いを預けあい頼り合うことができるだろうか。
 ーー
 そういう私も一日数時間もパソコンに向かい、家ではTVを3時間は見ている。情報の多くは、ITから得ている。
それから入ってくる情報は、実際のところ生の人間からも質も量も格段に上である。
だから困ったものである。この随想日記で書いている内容は、私の脳の多くの部分を占めている。
実際に会って話すより、より自分の言いたいことが顕わに書いてある。 といって、それが私の全てではないし、
誤魔化しも、虚構もある。やはり、情けの報せとして直接会わなければ伝わらないことがある。
 −−
 また、この中で触れられているホーキング博士の発言の部分が面白い。
石原慎太郎がホーキング博士の講演に行った時「地球ほどの文明を持った惑星は、どのくらいあるだろうか」という質問に
「二百万ほど」という答えがあった。それに対して、「それほどの数があるのに、どうして他の惑星の生命体を目にすることが
ないのだろう」と質問があった。 その答えが、「現在の地球ほどの文明を保有してしまうと、そうした惑星は自ら正当な
循環を狂わせ環境を破壊しつくし、文明の主体者たる生物は内面的にも極めて不安定な状況をきたして、彼らの惑星は宇宙の
時間の総体に比べればほとんど瞬間的に自滅してしまう」というという答えであった。終末論や環境論として興味深いものである。
ーー
以上が概要だが、情報化は基礎教養の蓄積があってこそ、
仮想と虚妄の世界に漂う現代人は、自分という存在さえ仮想と現実の境が無くなっている。
・・・・・・・・・
2004年09月09日(木)
 1255, ダイエットに100万円賭ける ー2
本人に「どうして、そのダイエット方法を知ったのか」の問いに、「インターネットの検索で調べた」という。
そこで早速、インターネットで「グレープフルーツ・ダイエット」で検索を入れてみた。 色いろのHPがでてきた。
  (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
・・・・・・・
2003年09月09日(火)
 888, バックナンバー 2
バックナンバーを見ながら、今まで書いてきた随想日記を総括してみる。まずは読書日記や映画日記の感想文。
あの時、あの本を読んでこんなことを考えていたのかがリアルにわかる。日記は未来の自分に対して書くものだ
ということが、一番わかりやすい事例といえる。
 映画もそうである。感想文を書いてないと、単なる娯楽で終わってしまうものが多い。
それはそれでよいが、文章化をきっちりしていると、自分のメルクマールとなる。
また映画日記を書き続けていると、映画の見方が変わってくるのが解る。その世界に意識的に飛び込みと同時に、
冷静な目が養われているのだ。日記としての追悼文も姉と両親には書いていたが、親戚や友人の場合も
書いた方がよいことに気がついた。故人に対して一番の供養になる。
こうして書いていると、いかに毎日つまらないことに振り回されている自分に気がつく。
それをいつの間にか鳥瞰してしまう作用が書いていて解る。人が見ていたら、こんな面白いものはないのではないか。
他人の内面の棚卸と陳列変えと改築を傍観しているようなものだ。また誤字なども冷静に見れるからだ。
 一番面白いのは実は自分だが。
・・・・・・・
2002年09月09日(月)
 514,大相撲−貴乃花のこと
昨日は貴乃花が8場所ぶりの出場で館内が異常な雰囲気であった。
土俵に上がった瞬間、これは闘える身体ではないと感じた。
昨日は辛うじてかったが、今場所乗り切れる確立は5分かそれ以下だろう。
元横綱が2場所休むと土俵に上がるのが恐ろしくなるといっていた。
かなりの緊張感が館内に漂っており、他の力士まで異様な盛り上がりをみせていた。
兄弟子の貴ノ浪まで次の対戦で武蔵丸に勝ってしまった。前回の優勝の時の怪我で、引退の状態であった。
協会の一人横綱では都合が悪いという状態で、ここまで引き伸ばしてきたのは誰の目にも明らかであった。
館内にはいる待合では、凄い気合の入れようであった。
アフリカで100メートルのバンジージャンプの飛び降りる直前の10分前は、丁度あの状態であった。
あの極限状態が見ているものの心を打つのだ。勝負審判をしている父親が勝った瞬間、泣きそうな顔に見えた。
そういえば、貴乃花が千代の富士に勝った時の事を思いだした。
今の彼の頭に、その時のことが去来するのはいつの事か!相撲取りは現役がすべてだ。
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2001年09月09日(日)
 [139] カースト制度−1
インドに行ったときそのカースト制の現状かいま見た。4つの階級、その中に500以上の更なる階級があるという。
白、赤、黄色、黒色とみれば、直ぐ階級がそのままわかる。3000年前、侵略してきたアーリア人(白)が
その維持のため、宗教を創った。そして人種が混ざらないカースト制度をつくり、その階級を3000年維持してきた。
彼らはその理屈はわかっている。ただ3000年かかった、その積み重ねからくる体質はどうにもならない、
人種の差を作ったしまった。 日本にもそのカースト制があるという。今崩壊しつつある、体制がカースト制そのもの。
学生の時、すぐそれを感じ取った。そのカースト制だ。但し学生は大学の優劣だけで済んだ。都会ではそれが露骨だった。
 1、どこの大学を出て、 2、家柄はどの程度で、 3、収入はいくらか、 4、地方出か都会か。
大体これで決まる。それでまずその連中が友達友人になっていく。
ガールフレンドももちろんその範囲。金持ちの友人が、カースト制度者であった。
こういう考えがこの世にあると初めて知った。学校でまず露骨の差別、次に家柄、
そして能力、地方かどうか、女性なら容姿と、その一つでも80以下は眼中にない。


3453,, ニューカレドニアの休暇 −3

2010年09月08日(水)

 夕飯でいったフランス料理、ベトナム料理、中華料理が、それぞれ美味しい。フランス領のためだろう。
特に天使の贈りものといわれる「海老」が美味い。 ベトナム料理、中華料理は日本的味付け。
それより新鮮な貝魚がふんだんに入っているからである。値段も、日本の居酒屋に少しプラスした程度である。
 ところで、オプションツアーで行った「天国にもっとも近い島」のニックネームで親しまれているイル・デ・バン島が良かった。
日本では、その称号は森村桂の著『天国にいちばん近い島』から、ロワイヨテ諸島のウベア島がそう呼ばれているが、実際はここ。 
数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い海水の中に見ることができた。この島は南北15キロ、東西13キロの大きさで、
島人口は約2,000人である。 珠玉のような島で、ニューカレドニアで是非とも行ってみたかったところ。
双発のプロペラ機で首都ヌメアから30分ほどのところにある。 行く先々の小さな湾の海岸線と海と空が美しい。
いまだ観光づれしてないハワイと考えればよい。ここに宿泊するツアーもあるが、値段は非常に高くなる。
 ニューカレドニアは日本人に特に好まれているようで、親しみやすい。 中国、韓国人の姿は、ここで一人も見かけなかった。
まずはハワイ、東京、欧州、オーストラリアなのだろう。この島を通して、日本の現状を現地のポリネシア人を通してみてしまう。
小さな島国で、フランスの占領に甘んじているが、日本も同じ被占領国。ドルとアメリカ国債という紙切れと小麦・大豆と、
汗水たらして作った商品と交換。 その紙切れは、20年〜30年単位で価値を数分の一に一方的に下げさせられている。
アメリカ、オーストラリアも、欧州人が現地人を虐殺して建国したところ。 現在も、その構図は同じである。
 マスコミを背後で操り、教育システムで骨抜きにし、官僚を洗脳、コントロールすることで、間接占領をしている。
フランス領の観光地で、気楽に避暑。それだけで、深く考えることもないが・・・・

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3078,富豪と金の使い道
 2009年09月08日(火)
 一昨日の日経新聞の最後の紙面(「私の履歴書」の隣コーナー)に「富豪と世捨て」というテーマで、
作家で法大教授の島田雅彦が書いていた。昔の富豪の身の処し方と使い方で、西行や千利休などを取上げていた。
井原西鶴の作品の中の‘世之介’は、現在では500億円位の資産で、生涯をかけて色事に追求し、
花魁を次々に身請けをしたが、それでも使い切ることが出来なかった。
 また日本人の昔の粋な生き方として、世捨てを紹介している。死を前にして身軽になることが含意されているが、
不祥事で失脚した時のリセットで、政治家などが清貧を気取る場合がある。その辺が人間の面白さである。
富豪は、その富のために悩みが多いが、人のためにそれを使うのが、一番の悩みを消す効果があるとする。
資本主義の覇者は資本主義によって滅びた物を復活させて、その罪を償う義務がある。失われた神仏を買い戻し、
廃れた神社仏閣を復活させたことなどである。 それが「歴史からの使命」と結論づける。
何代か続いてきた金持ちは、その使い道さえ無頓着で淡々としている人が多い。
 金を使っての快楽など知れたもの? 金を気にしないで済む生活こそ豊かさである。 
で、金を気にしないで済む生活は、幾らか。 そう考えると、人様々である。 平均すると、家一軒があって、
蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万ぐらい? 
 ところで、直接、両親の生き方をみてきて、合理的散在?を学んだ。
定額を見定めて、平均して使うことである。 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 
所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。 私の親戚に「清貧を自認した生きかた」をした人がいた。 
90歳後半で亡くなった時には、3千万近くの蓄財があった。その人の収入からみたら奇跡的ですらある。 
もし、年間300万を65〜75歳の10年間を使っていたら、面白かっただろうに思うのだが。 
私は、それを40〜50歳代後半の二十年間で使ったから、わかる。 といって、年間、150万なら散在ではない?
貯めるのも難しいが、それを後悔しないで散在するのは、もっと難しい。貯めるは努力、使うは芸術というが。 
 ところで、100億を10年で浪費で必ず使うことを約束して神様から貰ったと仮定して考えると面白い。
浪費というところがポイントだが、50億の船を買って世界中をまわったとして、
年間5億×10年=50億のコストとみると、大したことではない。 それなら世界の豪華クルージングの
最高級クラスの部屋でサービスを受けた方が良いか? まあ、それも2〜3年で飽きる。 でも、面白そうだ。
しかし「それが如何した」という内なる声も湧く。 そうこう考えると、一日を真剣に遊ぶ能力こそ重要ということか。
問題が山積みの中、ストレス解消のために遊びに使う散在こそ、価値があるということ?
しかし、富豪はそれを超えた世界があるのだろう。 経験しないものには分からないだけ?
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2008年09月08日(月)
 2713, コピペ
 先週のNHKの「クローズアップ日本」で、コピペを取り上げていた。「コピペ」とは
パソコンのコピーと、ペースト(貼り付け)の略語である。 なかなか考えさせられる内容であった。
  ーまずはNHKの番組紹介を、コピペしてみよう。
 * コピペ 〜 「ネットの知」とどう向き合うか〜
インターネットで見つけた文章をコピー&ペーストして、自分の文章にしてしまう"コピペ"。
ある大学では提出されたレポートの半数近くがコピペで作成されていたという事実が明らかになった。
夏休みには小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトがアクセス数を伸ばし、
大人の世界でも、役所が募集したパブリックコメントに大量のコピペの「組織票」が提出されるなど、
コピペは今、社会全体に広がりつつある。 「コピペは人間の考える力を弱める」と批判の声が上がる一方、
「新たな知の技法」として肯定的に捉えるべきだとの意見もある中、私たちはネット上に広がる膨大な情報と
どう向き合っていくべきか考える。 (NO.2623) スタジオゲスト : 茂木 健一郎さん (脳科学者)
 〜〜
以上が概要だが、コピーと、貼り付けは、デジタル社会では当たり前になっている。
私も、随想日記で書くネタがないときは、キーワードの検索で情報を集め、要点をコピーして、張りあわせもする。
そのプロセスで思い浮かんだことを書き込み文章の体裁を作り上げることもある。
学生時代のゼミの論文も振り返ってみれば、彼方此方の本から抜書きをしたものを繋ぎあわせたものだった。
 それだけで精一杯だった。随想日記を毎日書く目的は、自分の日々の情報を第三者に公開することで、
まとめ上げることだから、それでよい。せっかくだから、自分の脳を通して情報を濾過して公開をするようにしている。
そうしないと、何年後に自分の文章を振り返って読んでも面白くない。最大の読み手は明日(将来)の自分である。
自分の情念と苦労が見て取れる内容にしないと、後年に字数の関係でカッの対称になる。
実際に、毎日、(字数の制限がレポート用紙15枚分しかなく)カットしているが、自分を切り裂くようつらい。 
それだけ、汗水を流しているのである。 この番組で、コピペの反対派と、賛成派が出てきて話していた。
賛成派の野口悠紀雄は、情報化の時代に、どんどんコピペをして、そのプロセスで考えればよい。
時間節約になるし、効率よく情報を吸収すべき、という。反対派の人は、自分で考えることを放棄している。 
自分でジックリと考えることで、情報は身に付く。安易に情報を集め、張り合わせるのは、いかがか?という。 
両方とも分かるが、それぞれの人によるだろう。私は野口悠紀雄の説で、どんどん情報を吸収すべきである派である。
使い分けをすればよい。ネット上の日記のほかにもアナログの日記帳も書いている。自分の手で字を書くことも重要である。
これはコピペではないが、結構、レシートとか貼り付けている。
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2007年09月08日(土)
 2349.ベナレス・・・5
 ー多様なるインド世界ー
インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。
これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。
多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。
古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀頃に相次いで生まれた。
紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。
またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も十五世紀に興起する。
ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のようなものである。兄たるヒンドゥー教は
古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。
一方、弟の仏教はそういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは十三世紀にイスラーム教徒の
仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では
現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。庶民は心の底から平和を祈っているのである。
解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民との混血が、自分達の存在を脅かすと
考え創った物語が三千年の時間をかけて白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれが交わることなく
現在に至っている。今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。人間は平等です? 
そんなことは有りえない! それはあくまで奇麗事という、インドの社会が正直に露出している。
考えてみれば平等などあるわけがない。それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。
優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。
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2006年09月08日(金)
1984, バイアグラ
        おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ              
6年前に、ある人からバイアグラ(精力剤)を飲んだ話を聞いた。
グァム島に行ったおりに現地で買ってきて飲んだところ効果てき面という。
当時は必要を感じなかったので聞き流していたが、この数年来、精力減退を実感するようになった。
精力減退の為か女性に興味がなくなってきたのには驚いた。この歳で感じすぎも困るが、何とも感じないのも・・ 
このHPを開いてから、朝方に気持ちが随想日記に集中!精力減退の一番の原因と思われる。それだけエネルギーをとられるが、
やはり歳からくる衰えだろう。知人に聞くと、結構その悩みを持っている人が多い。ある友人が数年来、常用していて
「効果が絶大」という。そこで一年前に、彼から10錠ほど調達してもらった。(一錠1500円・・)しかし何か不自然な気がして
一年間、一錠も飲まなかった。先日、そのバイアグラを思い切って飲んでみた。効果は? 飲んでから5時間ほどしてから
効果が出てきた。なるほど、こういうものか納得をした。「10年前の状態に戻った」というのが実感である。
飲んだ時間から24時間、その効果は持続した。その結果「一年前買ったときに飲んでおけばよかったのに」と後悔?をしている。
あるスナックのアルバイト・ホステスにバイアグラの話をしたところ、「お客に一錠もらい飲んでみたが、
欲情がでるとかの現象は起きなかった。 男と女は違うのでは?それと、女性用のものもあるみたい」と言っていた。
精力が溢れているようだから、同じということか。二年ほど前に、マカという精力剤を通販で買って飲んだことがある。
毎日、二錠ほど4日ほど飲むと、効果があるようだが・・・私の場合は殆ど効き目が無かった。
ただ、身体全体に精力が溢れるという感じはあったが・・バイアグラは、泌尿器科に行けば貰える上に、保険が利くという。
それを貰いに泌尿科に行く気力もない。これは、ネット上に書く内容?ではないが・・・ 品位の問題だろうが、今さらである! 
精力減退は年齢を感じる! そして虚無的になる。 まあ、助かった!
もう40数年前のことになるが、父親が、私と同じ年齢の頃、「九竜虫」という小さな虫を菓子箱の中に飼っていて、
生きたまま飲むと精力がつくと一年ほど飲んでいた。 あれは効いていたのだろうか?
              ヽ(●´ω`●)ノ。バイ!             
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2005年09月08日(木)
 1619, 閑話小題
ー書くとはー
この随想日記で、
書くということは「自分に向かって語りかけている」ことである。第三者の目を利用して自分を駆り立てて書いている。
公開することは、日記を続けるためと、内容を落とさない手段である。日記の読者を巻き込んで自分に語ることである。
第三者の目を通して自分に納得しようとしている。第三者を意識しなくては、毎日これだけ書けるわけがないし、
意識すればこそエネルギーも出てくる。
・毎日書くこと、 ・第三者の目に曝した文章こそエネルギーがでる、
・一年~数年後の自分の目に対して恥ずかしくない文章にする、 ・新しい発見を自分に課せる、
・私自身の言葉で人生を彩ることが書くことである、 ・何のために書くというのではなく、書くために書くのである。
ー電波歯ブラシー
  (字数の関係でカット 09年9月08日)
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2004年09月08日(水)
 1254, 自信喪失症に悩む韓国人
日経新聞の「地球回覧」の「自信喪失症に悩む韓国人」が考えさせられた。
日経新聞のソウル支局長の手記だが、なかなか鋭く現在の韓国事情を書いていた。
少しキーワードを変えると、現在の日本の地方の現状に酷似している。
  ー概略を書いてみるとー
「景気や庶民の暮らしや考えを聞くにはタクシーの運転手が一番」。 駆け出し記者時代にそう教えられたが、
最近では、話をしないようにしている。景気やニュースの話になると「こんな酷い状態は初めてだ」と興奮状態になる。
「スリル満点の運転で悪名高いタクシーが暴走しかねない。
  ー現在の韓国は以下の状態である。
・韓国経済は今年も5?の成長率を見込むが、牽引役はサムスンなど一握りの輸出関連企業だけ。
 内需不振が長引いて、景気は1990年代後半におきたIMF危機の時より悪い。
・イラクで「死にたくない」と絶叫しながら、韓国人人質が殺されたり、
・中国の政府系機関が古代国家「高句麗」を、中国地方民族政権と主張したり、
・アテネオリンピックで、サッカーやマラソンで期待のメダルが取れなかった。
(字数の関係でカット 09年9月08日)
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2003年09月08日(月)
 887, バックナンバー -1
 今まで書いてきた、テーマ随想日記のバックナンバーである。バックナンバーをクリックして内容を読めるソフトもあるが、
手間がかかるため今のソフトを使っている。書初めの頃は、サロンのコーナーと混同して空のものが幾つかあるが、
「宗親日記」が別にあるから、総数はこんなものだろう。それにしても、よく書いたものだ。
「間違い字」が所々見られるが、殆ど内容を忘れているので再度読んでも新鮮に思える。
それだけエネルギーを入れてきたのも事実である。とりあえず1千項目の目標は年内で達成する。
「自分史」であると同時に、「遺書」にもなる。まだ見ぬ子孫の眼も意識して書いている。
 書いていて、初めの頃は戸惑っていたが、今は面白くさえある?習慣化が一番の要点である。
言葉にまとめることの重要性が書き続ければ続けるほど解ってくる。
  (字数の関係でカット 09年9月08日)
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2002年09月08日(日)
 513, 入試はクイズゲーム?
「入試にしても、資格試験にしても、暗記とか理解を捨ててしまえ!
ーゲーム、パズルゲームゲーム、クイズゲームと割り切ってしまえ!」というある文章を見て固まってしまった。
「ゲームや遊びの類と割り切ってしまったら、真っ当に受験勉強をしないはずだ。
クイズゲームの能力のレベルを上げたいなら、過去のクイズゲーム(問題)の質問と答えを徹底的に調べて、
その傾向とか癖の調査を楽しめ!その為の準備を遊べ!」要するにゲーマーになってしまえということだ。
何事も遊びに昇華した時に能力が飛躍する、入験がそうだと。自分で試合を創れる男をゲーマーという。
ゲームとは「目標を決め途中に難関を置き、それを乗り越えながら達成するプロセスを第三者か、
自分自身と競う事を楽しむ事」という。 あるレベルを超えると、これが一番重要になる。
自分が事業を始めたとき、そうだった。自分の練り上げた計画を実行というプロセスを楽しむゲームと
いう要素があった。そこまで計画を自分で内省した。 「計画お宅」といってよかった。
評論家がそれを非難した文を読んだことがある。「遊びで事業をしている馬鹿がいる!」とか、これは第三者の目。
そこまで練り上げると遊びになっているのが解らないのだ。いやそのはるか下のレベルの人を言っているのか?
その差も解らないレベルの批評というと、その批評に対しても、同じレベルの目線という理屈になる。
高校時代に不思議に思っていた「同じ勉強をしてどうして全く違うのだ?」
それが40年経ったいま初めて気づいた浅はかさである。でも実際社会にでた時から、
実践でそれをやってきたから後悔はないが。あの受験の時の優秀?の人はゲーマーだったのだ。
まあ、それだけではないと思うが。本当にしたい事、なりたい仕事があったから必至に勉強したとかが本当のところだろうが。
パズルゲームか、あれは!!?クイズ??馬鹿馬鹿しいともおもえない。誰も教えてくれなかった、その事実を。
愚直に挫折をしながら、独り知恵を絞った事も事実である。それが力を創ったことも確かだ。
でも事業で両親から、その遊びかたを教わっていた!遊びになるまで集中しろ、継続しろ、努力しろという事だ。
彼らはそれを受験勉強で知っていたのだ・・・??人間はその人の範囲のレベルしか力はつかないものだ。のっけから、
真剣に望めば逆に能力が湧き出る。秘境旅行も「旅行道?というものがあるならば地球の何処を埋めていこうか?」
というゲームになっている?!!ところでこの随想日記はじつは危ないゲームになっている。毎日のネタさがしと、
その内容の構築がゲームでもある。全くの無の状態から探し、材料の構築はスリルでもある。
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2001年09月08日(土)
[138] 夢についてー10
ー今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみるー
・海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい
・谷の間を飛行している夢ー最高の気分
・お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ
・白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ
・長岡の大手通の店ー子供のころの3階の部屋の夢
・どこかの町でトイレを探している夢
・大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢
・5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢
・母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿を、亡くなった不運の一生だった
 叔母が見ている夢ー母の生前の10年前の頃
・あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢
・お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、その池が幻想的である夢

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