堀井On-Line



3452, ニューカレドニアの休暇 −2

2010年09月07日(火)

  * ホェール・ウォッチング 
 オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。
家内はヨットに12時間も無理ということで、私一人の参加。 20人乗りの2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、
日本人が私の他に中年ペアー。 他は白人系が15人を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが意外と小さい。
外海に出たと同時に、船は二メートルの波で大ゆれ。 案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。 
乗員も分っていて海水を入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。そして胃を空にした。その直後に睡魔が襲ってくる。
ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら気分は元に戻る。 船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていたが、
何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に三時間後に到着。そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、
鯨が空気を吸うために海面に出てくる姿をウォッチングすることができた。そこでテレビの撮影を過って見たことを思い出した。 
今回は10匹近く見ることができた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて7〜8秒しか浮いてないので、
目を凝らしてないと見逃してしまう。 海も天気で大きく左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。
 また12時間も小型ヨットに乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能することができた。
甲板から海に向かって足を突き出して座って海を眺めボットするのも、気分は爽快である。 
また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、ボートと同じスピードで泳いでいったのも印象的であった。
 さらに帰港前の20分ほど、タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、
赤い色合いのマッチが印象に残った。 一期一会、迷ったら直感を信じ躊躇をしないことだ。

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3077,SCが工期半年で完成とは、驚き
 2009年09月07日(月)
 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日に着工、来年の3月8日にオープンと
現場の立て看板にあった。 それにしても半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。 
新造成地の更地で全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。先月、近くで説明会があった。 
折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、三菱東京銀行系が資金調達とあった。 住宅地も数ヶ所売り出されているが、
坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から直線道路一キロほど、自宅からは5分の場所。 
自宅の100m先にSCがある上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街があるので生活環境は、ますます良くなる。
 そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ、家電のジョウシン、ホームセンターのコメリ、ディスカウント、
紳士服のアオキなど20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。店舗構成をみるとバッテングをさけて補完してあるのが分かる。 
店舗が重なるのは、原信と、蔦や。業種では中古ショップである。 二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成になっている。
 これまでは長岡の信濃川の向こうに比べて、川崎のSCだけでは、魅力が薄かったが、この二つを合わせて対抗拠点として、
周辺に店舗が自然発生的に出来ていく過程をみることになる。 長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、
駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 
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2712, 大相撲が面白い!
 2008年09月07日(日)
若貴あたりから、違う面で大相撲が面白くなってきている。マスコミを巻き込んで、北朝鮮のような瀬戸際の
ブラックジョーク的な展開を示してきた。グローバルの流れと、人材不足をカバーするため、いち早く外国人に開放をした。
しかし国技とかいうが、法的に全く根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を払わない宗教法人と同じような扱いを受けている。
相撲部屋は、ヤクザの世界に酷似、縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムのように独立し、
それが集まって大相撲協会をつくっている。 だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、個々の選手の薬物まで
責任はないのと同じである。  そんなことは、どうでもよいが。 今回の土俵外の物語は、ロシアの三人の麻薬事件である。
一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人がトラブルメーカーだった。
それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。朝青龍かたなしである。
今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。今回は、もう無理だろう?しかし・・・・
昨日のニュースでは、期待をしていたとおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが
天皇家への尻尾振りで、政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。
しかし、幾ら程度が低い彼らも、世界的にも注目を浴びているので、腰が引けたのだろう。
日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い!「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」の質問をすればよい。
もし、「もちろん、します!」と答えたら、帰国をして数ヶ月以内に行方不明になるだろう。
大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、東欧の国家戦略として日本バッシング戦略的対象になる。  
大相撲協会は、あまりに、軽く甘い。 私が敵対国の政治家なら、対日の攻撃対象にする。 
自国の強い力士に女とか薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士を徹底的に怪我をさせるようにもって行く。
それかモンゴルのように、三役力士を自国の力士で占有する。 その意味で、外国人に開放をしたと同時に、
旧来の国技という名を返上すればよかった。せめて日本の相撲のルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに限定すべきだったろう。
それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 国技とかいう名を返上、払うべき税金は払い、
横綱審議会など解散することだ。 天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして一般席に座るべきだ。
 こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。
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2007年09月07日(金)
 2348.ベナレス・・・4
この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、
痛烈な批判なのかもしれない。朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。
そこには路地に暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の言葉を聞き、その後に繰り返し唱える。
集まってくる人びとの中には、たくさんの子供たちの姿もあった。かつてスワループさんがそうであったように、
聖地ベナレスに受け継がれてきた伝統が、また次の時代へと伝えられて行くことを感じさせる光景であった。
街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。こうしてペナレスは聖地としての歴史を刻んできたのである。
スワループさんは月に数回僧院を離れ、寺院やほかの僧院の儀式などに呼ばれ、祈りをささげに行くことがあるという。
多くの場合、その交通手段はボートである。数千年間続いてきた伝統の道に身を投じようとしているスワループさんは、
この街をどう見ているのだろうか。ここで両親を茶毘に付し、また二年前から現世での生活を捨てるという視点から
この街を見つめ続けてきた彼は、ベナレスの街並みが見えるガンジス河の上で、こたえてくれた。「私にとって、この街は
特別なところです。この街はすべてが本物なのです。私は『死』のあり方だけを言っているわけではありません。
この街で暮らす人びとは、とても生き生きと活力に満ちて生きています。それがベナレスの力だと思うのです。
みんな対岸から朝日が昇る光景が好きだと言いますが、私は日暮れ時のべナレスがいちばん好きです。
太陽が街の中心に沈んで、この街にエネルギーが注がれる気がするのです」
「すべてが本物である街」ベナレス。スワループさんが言うように、この街に太陽が沈む光景は、
確かに陽の力が街に与えられるような荘厳なものであった。人生の最期を家族と過ごす館「ムクティ・バワン」
に通い出してから二十日が経っていた。その間四人の人が亡くなられ、希望通りマニカルニカマトへと運ばれて行った。
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解)ベナレスも、現地のあの雰囲気を実際に味わってみないと、その意味は理解できないだろう。それだけの迫力と、
深さを感じ取ることはできる。あれだけ、あの地で死ぬことを欲していれば、死そのものの恐怖は逆に消滅してしまうだろう。
その意味では、宗教の力を直接的に感じる場所と言える
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2006年09月07日(木)
 1983, 閑話小題    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
  ーウォーキングの道でー
先日の土曜日の9時過ぎに土手でウォーキングをしていると、小学校の運動場で運動会が開かれようとしていた。
開会式のようで、マイクの声が聞こえてきた。 ところが中学生の声で、「何々中学応援団団長何某!」その後に、
小学生の女の子の声で「何々小学校応援団長何某!」と、宣誓の最後に締めくくった。
今どき、中学校と小学校の合同の運動会か?と、思いつつ通り過ぎながら見ると小学生しかいない。
中学校の応援団が、運動会の高学年の応援指導をしていたのである。
学生服を着て、頭に長い鉢巻をした10人ぐらいの中学生が大声で、高学年の生徒の前で応援の手ふりをしていた。
何とも微笑ましいが、生徒のほうはピリピリしているのが伝わってきた。 運動会全体がしまっていたようだ。
 小さな集団に小1のグループがあった。幼稚園の集団と間違ってしまうほど、幼さが残っていた。
 ー紀子様、男子出産の意味ー
「朝生TV]のテーマではないが、紀子妃の男児出産で、次の次の天皇継承問題が更に複雑になってきた。
過去の女系天皇の場合、結婚をしてない女性が天皇になっていた。 
   (字数制限のためカット 2010年9月8日)       
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2005年09月07日(水)
 1618, 楽しく生きるー3
「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を追い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、
 いう意味で言っているのではない。目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。何ごともバランスである。
  前回書いた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。
 ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」。それは無限のエネルギーを生み出したりして人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。すると、次の欲求が生まれ、
新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。
「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した「意識」はその動きに巻き込まれることなく、
いつも欲求から離れている。この「欲求」と「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない「静」で、欲求は動きまわる「動」。
楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを
動かしているのを忘れないように。 いつも変わらない「静」があるからこそ、 「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。
ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている「思い込み」である。
この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。
この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の自分に出会うことが、
「もう1人の自分に出会う」ことである。あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
 ー以上が、この本の概要である。
 <自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、思い込みに気がつき、真の「自分探し」の人を多く見かける。
そのタイプを要約すると、ー親と世間の常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。
ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。このままでは、死ぬに死に切れない。
そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。 もう少し早く気がつけばよかった。
余白はあまりにも短い! 等々である。「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。
その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。 魂が入っていれば、それでもよいか?
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2004年09月07日(火)
 1253, 死について再び考える
過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて死について考えてみる。
毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、深い長い夢をみながら死んだとしたら、
その夢と現実とはさほど変わりはしないのではないか。 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、
灰に帰す。骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。
人生とは何なのだろうか?ー意味  その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成     何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか?
  答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。
ー生死の格言ー
・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。  byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。           byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ  byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。 by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。
                             byレオナルド・ダ・ビンチ
・命とは、セックスで感染した病気である。         byガイ・べラミイ
・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。
                             byウィリアム・サローヤン
・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。  by映画『無防備都市』
・人間、死ぬときは死ぬのがよい。             by白隠
・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。     by梅崎春生
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。         by村上春樹
・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん    by蜀山人            
・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。          byトルストイ
・不幸な人間にとって、死とは無期懲役の減刑である。           byアレクサンダー・チェイス
・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。      byエリック・ホッファー
(字数の関係でカット08年09月07日)
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2003年09月07日(日)
 886, 「ありがとうの言葉」ー8
昨日の散歩で何回『ありがとう』をいえるか試してみた。8500回であった。
 今日は1万回に挑戦をしてきたところだ。1万回は2時間以上ふるに言い続けて初めて可能になる。
言い続けるにしたがって、忘我の境に入っていくのがわかる。7000~8000回が、その入り口であった。
回りが全く遮断され「ありがとう』の言葉に一体化してしまう。カウントを間違わないように指先に集中するのがポイント。
そうしないと、すぐに何かを考えてしまうからだ。右指を十単位、左指を百単位で折ってカウントをする。
カウントも、時間で計る方法と、距離で計る方法がある。今の私には指折りが最適のようだ。
慣れてきたら時間か距離の計測に変るつもりだ。散歩の歩数は、初めは万歩計であったが、今は時間で計っている。
 散歩に「ありがとう」を言い続けるのが一番良いようだ。
 この随想日記を読んで一番初めに反応してきた、ある社長は一日平均6000回言っているという。
また彼が紹介した知人の数人が、「幸せの宇宙構造」を10~20冊買って周囲に配っているという。 
ありがたいことだ。反対に一週間の約束で貸して、2ヶ月以上経った今も返してこない人もいる。
「ありがたい」と思えば約束を守っているはずなのに。読んでないのか、馬鹿なのか。
「貸したら帰ってこない」と思わなくてはならないのは解っているが。
「幸せの宇宙構造」を読んで、『ありがとう』を言い始めて3ヶ月が経つ。気持ちが安定をしたことが何よりの成果である。
それと、人に対して寛容になったようだ??? ミニ瞑想を繰り返しているようでもある。
否定語は相変わらず使っているが、すぐに「ありがとう」という言葉で消してしまうのが良い。
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2002年09月07日(土)
 512,パンプローナの牛追い祭り
今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。 初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、赤いネッカチーフをつける。
パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に
向かう街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。
4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。
19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中からその祭りに加わった。
ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋からファイナルギャザリングと牛追いが見れる。
 4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ーの内容をコピーしておきます。
  ーーーーー
  (以下、字数の関係でカット、09年09月07日)


3451, ニューカレドニアの休暇 −1

2010年09月06日(月)

 去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを急遽キャンセルをした。
その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入りこませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの扇動と後になって気づいたが後の祭り。
恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた海外旅行が途切れてしまった。 そして今年は恐慌三年目、経済的状況は
二番底に向け動き出した。 さて、どうするか迷った。毎年9月以降に大きな事件が起こる傾向があるので、
最終タイムリミットは9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを絞って盆明けになって探した。 
グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 オーストラリアはイマイチ。そうこう調べてると南太平洋の中で、
7日間で8万弱のニューカレドニアを探しあてた。 ワンフライト8時間で、滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。
しかしホテルの一ランク上に上げたり、現地で4回のオプションツアーに参加したりで、二倍近くになってしまった。
それでも15万である。 振り返ってみて、オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しをしたりして、
のんびりするのが正解。 二度と来ないと思うと可能な限り動きたい気持ちに勝てなかったのである。
私の基準の採点では80点。 フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の過ごし方になれてなかったこともある。
 フィジーと違って、ここはフランス領ニューカレドニア。 四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、小さな多くの島が
点在している。 ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。 フィジー、タヒチなど年中、常夏な気候に対し、5度ほど寒い冬がある。
この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏である。
大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの移民が3割の比率で、フランス支配感が強い国で、
地中海のフランス領の小島にいるようである。  その点、フィジーは小さいながらもポリネシアの独立国でありポリネシアの
人間的特性が前面に出ている。パック代はフィジーが1・5倍ほど高くなる。  
南太平洋に行くなら、何処の国の領か、それとも独立国か調べた方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。
現在、世界は一部の白人が支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、三千年かけたアーリア人による身分制度で、
裏づけにヒンズー教で心まで支配するシステムになっている。一神教のユダヤ、キリスト教も、ほぼ同じ手法で、侵略の尖兵として、
キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。 そして世界を牛耳っている。 ここで、日本がアメリカの金融被支配国が表面化してきた。
それだけでない、軍事も支配されている現実がある。 バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。
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3076,120年の物指し
 2009年09月06日(日)
 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。
  ーまずは民主党の大勝の長短の4つの物指しを要約
一、麻生の一年足らず政権、永田町の政治記者レベルの内容。今後、民主党が、
  そのレベルとして参院選挙まで、いかに実績を積み重ねることができるか。
二、次は、四年前の小泉劇場の大勝で、今度の選挙のように逆ぶれで民主党に政権が転がり込んできた。
  4年後の衆院選挙も同じ道をたどることになるかどうか。
三、小選挙区制度ができて15年で、ここでようやく政権交代が実現した。1993年の国会は、「政治改革国会」と呼ばれ、
  翌年には小選挙区比例代表制を含む政治改革関連4法が成立。今後15年で二大政党の交代システムが出来るかどうか。
四、120年という物指しで、これが最も本質的な物ざし。明治憲法ができて120年になるが、
  この間の政治は実は官僚に従属してきた。 今度の政権は120年の「中央集権国家」を廃絶して新たに「地域主権国家」を
  樹立しようというのである。 自民党も「地方分権」といい、その具体策として「道州制度」を導入しようとしているが、
  あくまで「中央集権国家」が今後とも続くという前提である。その官僚主導体制とその中核である財務省による
  徴税・国債管理・予算分配の「財政中央集権」も続くということであり分権といっても、うやむやにされることは目に見えている。
  これに対して、民主党のものは、国民生活に密接な権限と財源を基礎自治体に渡してしまうもの。
    ーー
   以上だが、その15年間、延命を繰りかいした自民政権があまりに狡猾であった。それも120年続いた流れで、国民が
  騙されていたことが露出してしまったのである。二度とあの威信は戻ることはない。 あとは民主党の自滅を待つしかない。
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2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
 2008年09月06日(土)
何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きを今でもリアルに憶えている。
それを契機に、キュープラ・ロスや、立花隆の臨死体験などの本を読み、その経験の意味を知った。
ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発したゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、これ装着すると万人が
体外離脱できるという。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上やっていて、その手術の際に側頭葉の
シルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激すると、体外離脱がおこることを発見した。これで体外離脱した意識が、
遠くのものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体をジャックしたイメージも起こるという。
これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気で脳を刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。
体外離脱とは、脳の中の幻覚ではなく、アストラル体のような意識が、抜け出している状態ともいわれる。
実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。それまで一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか
経験できなかったことを、科学者は誰にでも体験できるようにする。 何年もしないうちに、家電の店頭で並ぶかもしれない。 
これを被って気が向いたら幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー波を発生させる器械を買ったことがあった。
またマリファナを吸ったと同じ気分になるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分の状態になる。
私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを被っても、私の経験した幽体離脱の緊迫した
感覚とは違うだろう。色いろな状況の中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから神秘的なのであって、ヘッドギアの器械で
幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。前に書いたことがあるが、欧州の帰りの飛行機の中での夢。
「自分の身体が突然にフワフワ空に向かって上昇していく、電信柱が下に見えてきた辺りで恐怖心が出てくる。
夢から早く覚めて布団に身体を戻さないと、我に返った。 ところが、そこは飛行機の中で、身体が地上に在るはずなのに逆に、
その遥か上を猛スピードで移動している。 そこには、飛行機も、シートも、周囲の人たち消えて、独り宙を移動している」
身体が凍りつくとは、このことだろう。 恐らく、死ぬ瞬間とは、あの感覚になるのでは? 絶叫をしそうになったが、ギリギリ
抑えることができた。人間は大地の上で生きているのである。 死ぬと、大地から離れるのである。
幽体離脱で元の身体に戻ってこれないで、狂ってしまうケースもあるというし、自分が外に出ている間に、
動物か彷徨っている霊が入り込む場合が往々にあるという。 オウム教が騒がれていた頃、ニュースなどの映像で、
ヘッドギアをしている信者の姿を見かけたが、あれがゴッドヘッドだったのか? 集団維持の手法や典型的カルトの教えは
否定されるべきだが、宇宙からの視点とか、こういう幽体離脱の手法は、なるほどと感心する。
脳はまだまだ未知の世界である。脳は3?しか使われておらず、10?も使えば天才になれるという。神様(自然)は何を脳にさせよと
したのだろうか。我われ凡人は、パソコンなど、道具を有効に使ってせめて5〜6?を使えるようにすればよい筈だが?
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2007年09月06日(木)
 2347.ベナレス・・・3
出家した兄に対する妹の思いがそのまま伝わってくる。
出家をした目線がなかなか興味をそそられる。
  ーーー
 P-126
兄の品々を懐かしそうに見せてくれるサルラーさんの振る舞いは、まるで、亡くなってしまった兄弟の遺品を
大切に保管する遺族のようであった。実際、出家遊行僧とはすでに死んだ存在であるとされている。
サンニャーシーとなる際に、ガンジス河の岸辺で白い団子を流すという一つの儀式が行われる。白い団子は通常、
先祖の供養に流すものであるが、それを自らのために流すのである。つまり、死者となる自分を自分で弔い、
世俗の生活に別れを告げるのである。出家を志した今、スワループさんの生活の場は限られたものになった。
 (字数制限のためカット 2010年9月6日)
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2006年09月06日(水)
1982, ある首斬り役人の日記 −3
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning    −読書日記                    
   215、1602年9月14日
  ゲオルク・ブラウン、マンスフェルト出身。  彼は蜂蜜・胡椒入りケーキ職人で、流れ者の剣客であった。
  旅の道連れだった青年から13ターラを盗み、その代わりに石を入れておいた。
  その後、コペンハーゲンでも同じ青年からまたしても8グルデンを盗んだ。その他にもある車夫から車を盗んだ。
   229、1604年10月13日
     字数制限のためカット      (+>∀<+)ノ ホンジャ!
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2005年09月06日(火)
1617, 楽しく生きる−2
大不況の中、毎日を楽しく生きることができれば、これにこしたことがない。
図書館で借りた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著が、なかなか含蓄のある内容であった。
ー概要をまとめてみた。 (時間をかけて書き写すだけの価値は充分にあった)
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人の欲求が新たな希望へと向かう心の軌道とは?
欲求の生起ー>否定ー>欲求不満ー>絶望(対象喪失ー>茫然自失ー>否認ー>怒りー>自失−>怒りー>自責)
−>抑うつー>悲しみー>孤独の自覚ー>諦めー>新たな希望の獲得ー
この過程のどこに「私」はいるのか考えてみようと提起している。望みが叶わないといって絶望や諦めを恐れる必要はない。
人の心は絶望や諦めを超えることで、孤独の中の本当の自分と出合い、自分が何を望んでいたのか、欲求の全体構造を明らかにする。 
そして、その先にある新たな希望へと導く。挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、新たな希望を創っていく
中から、真の楽しみ方を見出していくのである。何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。
そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、
濁流や、澱みや流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。そこで、もう一人の自分に自分に出会う。
我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、それは時間が止まったときだけだ。 時間は二つの場合に止まる。 
絶望の中と、満足の中で。欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる
<諦めて得た楽しみ>
 追いつめられて見つけたもの、孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。
 それは、世間的な色・金・名誉を断念することで初めて可能になった心の安らぎ。その引き換えに諦めを得たのである。
 諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く慣れ親しんできた自分の外界の世界への固執も解く。
 もう、表象の欲に振り回されることもなく、静かに居られる場所を持ったのである。
 人の精神が新しい世界に飛躍する時は、静粛に一度立ち戻らなくてはならない。
 静粛の中で起こることは、古い欲求構造の破壊と新しい欲求の誕生である。
ー 雅ー欲を楽しむという意味
(以下、字数の関係でカット08年9月6日)
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2004年09月06日(月)
1252, オーストリア旅行記ー3
 ーシェーンブルン宮殿ー
シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。
その名を持つこの宮殿は、女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、
皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。
そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。 その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
 1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に居室として使用していた部屋である。
 18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。
・マリー・アントワネットの部屋
 マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで
 殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。
・鏡の間
 1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージアの前で初の御前演奏を行なった場所。
 そこで演奏後、けつまずいたモーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。
・漆の間
 マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに金で描かれた花鳥や東洋的な
 風景が壁一面に覆っていた。そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの肖像画が飾られていた。
 そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。
ー聖シュテファン寺院 Stephansdom
 市内中心部にある大きな教会。塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。
 エレベーターで、その屋根の上まで昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。
 その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から国立オペラ座あたりまでを ぶらぶらと歩いてみた。
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2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ
 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の2時間番組を放送していた。
昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており
丁度よいタイミングであった。 (感想文は後にコピー)
 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた内容の濃いものであった。
アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と愛を歌い続けてきた。
バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。その隅々までタンゴの一部になっているようである。
パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。
 その時パリにやってきていたカシミール・アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。
それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話がある。 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。
南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに世界中の踊りや歌を携えて船乗りたちがながれてきた。
そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い
出来上がっていった。執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。
 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。
変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。男女が身体を離して踊るのではない。
二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。
ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。
音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、
それがアルゼンチンタンゴである。
ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。スペインのフラメンコは一人踊りか、
集団で踊るかだ。それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
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ータンゴの歴史
 (以下、字数の関係でカット08年9月6日)
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2002年09月06日(金)
511,こころの添削
「文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」
            ー藤村藤村の「初学者のために」より
なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが自分自身である。
思っていることを書き出して、添削を続けていると心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。文章の上達は「量を書くことと添削しかない」
と立花隆が書いていたが、そのとおりである!添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提に
なっている自分の視線・視点を治す事だ。言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!
・・・・・・・
人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
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「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。
なるほど、そのとおりである。 毎日書き続けていてそう実感する。「こんなことを知っているぞ」とか「こんな経験したことがあるぞ」 
とかだ。それでは外に何を書けといえばいいのか?やはりその類のことしか実際のところない。勝手に書いて、公開しているんだからと
開き直るしかない。何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」
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2001年09月06日(木)
[135] 熊
「熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、その向こうに家がある」 
さあ貴方はどうする。「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」
 木は理想。 池はセックス。 家は-実家ー昔の思い出ー
ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。これが人間の姿だ。
熊は何かーもちろん現実そのものだが、自分の影か父親か。この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。
この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。「何処かの家の外に熊がいる、いつのまにか家の一階にいる、
そのうちドアの外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。


3450 秘・異郷の旅、よもやま話 -7

2010年09月05日(日)

 * アフリカに魅せられて
 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校時代の友人がケニアのサファリから帰ってきて、
その写真を見せてもらったことに始る。100枚以上の、ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。
それだけの写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。
そこには、バルーンから動物を撮った写真もあった。 なんで一回のツアーで、これだけ多くの写真が撮れるのだろか?
実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない活き活きした
野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。丁度、カナダのロッキーに行って、大自然に魅せられたばかり。
なら、アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 
しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。
とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。そして、初めてケニアのマサイマラの平原にサファリカーで
乗り入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に、動物が走っているのが見えてきた。事前知識は全くないので、
期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを見れれば儲けもので、テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、
信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。そして、その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。
現地のドライバーが、無線とか、行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れがいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。
そして、夕刻に像の20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。 夕陽の中に、黙々と隊列を組んで進む姿が
何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝サファリである。この時の参加者が4名に添乗員が一人。我われ夫婦に、
40歳ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になってしまう。 これほど、都合の良いサファリのツアーは
今だかってない。どの場面をとっても、強烈な印象が残っている。 最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。
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075, 父は疲れてしまったのです!
 2009年09月05日(土)
 * 民主308議席の衝撃 ー朝日新聞ーオピニオン高橋源一郎 9月4日
 朝日新聞のオピニオンのコーナーの高橋源一郎の「父は疲れてしまった」の例えが言い得て妙。
  ー概略とは
《 今回の政権交代は、自民党が古いタイプの家父長で、国民がその「妻」、民主党が自民党から生まれた「子」
と考えとわかりやすい。 要するに「熟年離婚」なんですね。「妻」である国民は、「夫」の自民党に何度も裏切られても、
なかなか別れることができない。 離婚など出来ないと思い込んでいたからです。「夫」も、浮気をしても喧嘩をしても
「妻」は自分のいうことを聞く、過半数は取れると思い込んでいた。両者とも「離婚」という発想がなかった。
でも、05年の選挙で、投票で政治が変えられると気づいてしまった。それなのに定年に近づいた「夫」がまだ威張っている。
そこで「妻」は離婚届を突きつけた。 一方で自民党も、実は離婚を無意識で望んでいた?。 一種の自殺願望。
小泉が自民をぶっ壊すといい、安部、福田の二代の総理が政権を投げ出した。 もう死にたいという自殺願望である。
半世紀以上も政権にいたことで金属疲労を起こし、当人たちは、もうやめたいと思うようになった。
国民は「戦後」的な関心を失っているのに、自民党だけが旧言語で話している。
彼等はそのことを体感としてわかっていても、あまりにずれていて、自分ではどうしようもない。
「子」である民主党は、自民党から脱皮した形で生まれた政党。だから、いち早く「戦後」から脱皮できたのです。
自民党の大物議員に「小沢チルドレン」の女性をぶつけたのは、「家父長的な老人と若い自立した女性の戦い」
という構図を見せつけたかったからです。 民主党は、この選挙が過去と現在の戦いということを知っていた。
「いま」や「変化」を掲げて、「現在」という時空間に適応したからこそ、大勝できたのです。
自民と民主党は、いわば違う時空間に存在している、だから、「現在」の中での価値の争いとはなりにくい。
恐らく、自民はこのまま自壊していくんじゃないか。 民主党は、自民党という「父」を敵にすることで結束してきた。 
一度「父殺し」が成功してしまえば、兄弟げんかが始まり、分裂しかけない。それをどう防ぐかが大きな課題になる。》
 = 作家とはいえ、全く上手い例えを思いつくもの。ギリシャ神話のオディプスの父殺しを、持ち出すとは。
このように一度、殺されてしまえば、父への思いは何だったのか?、ということになる。
森、安部、福田、山崎拓などの権威が元に戻ることは無い。 「自民党パージ」である。
社会党の残党が隠れ住んでいるが、これらも森、山崎拓と同じ穴の狢。 
一度、分裂した後に再編成のプロセスが必定だが、少し勝ちすぎたのが時期を遅らせてしまう。
 自民党という父は疲れただけでない、殺されてしまったのである。困ったのは、本人たちが解ってないこと。

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2710, 今東光の話題
 2008年09月05日(金)
 以前に、今東光の毒舌の味と凄みについて書いてある本を紹介したが、インターネット上の検索で見つけた
「極道辻説法」の一部抜粋してみる。自分の年齢が、この人物の年齢に近づき、若い人に対する視点が似てきたのに
驚いているが、今東光の足元すら届いていない己との距離も見えてくる。
今の時代が、この馬鹿な質問者よりもレベルが下になっているのか?。
彼が現代の日本に対して曰うとしたら、こんなものだろう!
「この馬鹿野郎!手前ら、ここまで成り下がったのか、エエ〜! アメ公の毒饅頭をまだ食べてんのかよ〜!
ブチ殺すぞ、この野郎。 頭と尻尾から腐るというが、あのパンダのようなキャスター上がりのようなオナゴが
次の首相に立候補だと、何をぬかしあがるか。馬鹿野郎! 面を見な、面構えがなってないじゃねえかよ、わかんねえのか!
程度の低い二代目が続けて首相だと、あいつらに国家が任せるしかない、日本がよ哀れでしか思えね〜よ。たくも〜!
どれもこれも腑抜けた奴ばかりじゃねえかよ、あの中曽根も、まだ生きてやがる!それもしたり顔をしてよう。
今度は、吉田茂の孫かよ、そして何をするかとみたら、またバラマキかよ。なんなもの。
一度な〜、明治維新のことを考えてみなよ。 今の日本の危機は、あんなものじゃねえんだ。解ってんか!」
大体こんなものか。 今度、今東光を私の脳に呼び寄せて娑婆批判をしてみる。「今東光語る」とかいうシリーズで!
    〜〜〜
  ー「極道辻説法」etc よりー
(以下字数の関係で中間カット2009年9月05)
(相談者)「親友はどのようにしたら出来ますか?」
(回答) 「そういうことを質問するテメエぐらいバカはいねえんだよ。
      なぜテメエがだよ、テメエ自身がいい友達になってやるっていう覚悟をしないんだよ。」
 〜〜〜
(相談者)「男の生きがいとはなんですか?」
(回答) 「男の生きがいってもんはな、生きてて満足だっていうのが生きがいだよ。
      なにとぼけたこと言ってんだコノヤロウ」
 〜〜〜
(相談者)「人間はなぜ人を好きになるんですか?」
(回答) 「じゃあ、なぜ嫌いになるんだい? オレなんかやっぱり人間好きだもんな。
      人間が好きだからこう文学も絵も書けるんで、嫌いだったら出来ないよ。しかし、人間には欠点がある。
      逆にこの欠点があるからこそ愛せるんだよ。欠点がなかったら神様や仏様みたいなもんで、これは彼岸の人だ」
 〜〜〜
(相談者)「人生とは何ですか?」
(回答) 「いい言葉を教えてやろう。それは「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という言葉だ。
      遊んで遊んで遊び尽くせば何かに突き当たって掴むものがある。何もやらない戯無よりも、
      たとえ失敗しても傷心の方がはるかに貴いものなんだ。空々寂々たる人生なんて糞食らえと思うべし」
 〜〜〜
(相談者)「仕事が忙しくて友達ができない」という悩みを抱えた22歳の左官に
(回答) 「オレはおめえの言うこと聞いてて、もっとも情けなくなるのは、どうしてそんなに友達が欲しいのかっていうことだ。
      友達なんて要りゃあしないよ。自分が立派になりゃあ、向こうが友達になってくれと来るんで、友達なんてものは、
      いくらたくさん持っていたところで、いざとなって役に立つっていったら、一人もいないもんだ。
      友達なんてものはそんなもんでね。バカこくな!  (中略)
      何もつまらん女をひっかけたり、友達作ってストリップを見に行ったりせずとも、ひたすら壁を塗りまくれ!
      金を使うひまがないんならなお結構な話じゃないか。 塗りまくって金を貯めまくりゃあ、
      いくらでもいい嫁をもらえるじゃねえか。  何をぐだぐだ言いやがる。しっかりせえ!
 〜〜〜
(女に嫉妬する男に対して)
(回答)  その女、オレに紹介せい。なかなか面白そうな女じゃないか。
      結婚なんてさせちゃあいかん。てめえもヤキモチ焼くようじゃ、そんないい女とする資格なんかありゃあしねえ(中略)
      糞ったれ野郎!彼女が美しければ美しいほど、ボーイフレンドはいるだろうし、 てめえなんぞはもう脈ねえよ。
 ・・・・・・・・・・
2007年09月05日(水)
 2346.エーゲ 永遠回帰の海ー2
この本を読むまでエーゲ海の周辺に無数の遺跡があることを全く知らなかった。
ギリシャ本土はもとより、エーゲ海に点在する島々に、そして対岸のトルコのアナトリア地方に数知れないほどの遺跡がある。
素晴らしい神殿があっても、その由来が全く解らないために、神殿A,B,C,Dなど記号で呼ばれているものもある。
序章の中で、シチリアのセリヌンテ神殿群を訪れた時のことを、以下のように書いている。「なぜそんなにまでして
遺跡を見て歩いたのかと問われると答えるのは簡単でない。ほんものの遺跡と自分自身で出会った事のない人に
その理由を説明するのは、ほとんど不可能に近い。」
「遺跡=滅びた跡。そこに必ず、繁栄と栄華ののち、その時代の大戦に敗北して破壊され滅亡した都市の歴史が刻まれてる」
「知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。
歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に遺されている歴史。
それらはすべてフェイクである。最も正統な歴史は、記録されざる歴史、
語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。」
「いま自分の前にあるこれらの神殿。これだけの見事な神殿が、これだけ立派に保存されているのに、
この神殿がいかなる神殿であったか、誰も知らないのだ。記録された歴史などというものは、記録されなかった
現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。
宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑みこまれてある。」
「時間は一つの方向に不可逆的に流れるものではない。円環をなしているのだ。
時が円環であるなら、初めもなければ終わりもない。過去は同時に未来で、未来は同時に過去である。
現在は永遠に過ぎ去りゆく一瞬ではなく、永遠そのものである。
現在はすでに過去に無限回くり返されたことがあり、未来においても無限回くり返される。
人はまさにこの現在の一瞬において、過ぎ去りゆく時を生きているのではなく、永遠を生きている。」
人気(ひとけ)のない海岸にある遺跡で、黙ってしばらく海を眺めていると、
これが永遠なのだということが疑問の余地なく見えてくるような気がするという。
他にも、シチリアのセリアンテ神殿群、トルコのペルガモンの大劇場、ディディマのアポロン神殿、
エフェソスの大劇場・アルテミス像、聖山アトス、リキアのサルコファガス、ヒエラポリスのネクロポスなどがある。
・・・・・・・
2006年09月05日(火)
 1981, 歩行とダンスー2
「歩行とダンス」というて、テーマで文章を書いて、はや12年も経つ。12年ぶりに引き継いでの文章化も面白い!
と思い立ち書いている。 当時、転勤で大手商社の新潟支店に来ていた大学時代の友人と、この話を酒のツマミにして
酒を飲んだことを思い出す。  その友人が、ダンスをフォーク・ダンスと喩えたのは面白かった。
その後「一人踊りでドアに行くとしたら何だろう?」と誰かにいったら、「鼻歌を歌いながらスキップすることじゃないか」
と答えた。なるほど、そのとおりである。 この話、よく酒のツマミにするが、けっこう受ける。
「ドアはドアでも、どの部屋のドア?まさかベッドルームじゃ、話が落ちるか?」と、言った人もいた。
ダンスの相手も色いろ考えられる。「困難」と考えると面白い。困難を嫌がらず、むしろ踊りの相手として一緒に楽しむ? 
まあ、かなり難しいが、それがゲーム化ということになる。事業の立ち上げも、ダンスの相手と思うとよい。 
人生の全てを賭けてのダンスだからスリルとサスペンスがあり命がけである。人生、ストリッパーの裸踊りのようなもの
と言うと、例えが悪いか? 隠すべきところは隠しておかなくては、色気も面白みも無いところが同じ。
手段の目的化と、目的の手段化、そしてその融合化と言ってしまえば話はつまらなくなる。
たまたま去年の同月同日に『楽しく生きる』というテーマが書いてあった。この文章を引き継ぐのに丁度よいテーマである。
12年前の文章である。
ーー
H0609 歩行とダンス-1
 丸山圭一郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか! ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。
人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、
“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”と、一人笑った。
私の学生時代の大手商社に勤めている友人と、酒をのみながら右の話をした。 
本人いわく “私はさしずめ、それはホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!” 当意即妙であった。
ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。
・・・・・・・
2005年09月05日(月)
 1616, 楽しく生きる−1
「楽しく生きる」を、私流に「面白おかしく生きる」というコンセプトにして自分に課してきた。
それも20歳代の頃からである。むしろ「楽しみを見つけだす」という生き方であった。
私の行蔵の中の「楽しい時間」の中には、溢れんばかりの行蔵が詰まっている。
(他人からみたらガラクタだろうが、私にとってお宝である)
楽しいときは、どういうときであろうか。
・自分のしたいことをしているとき     ・何かを期待してワクワクしているとき
・感動をしているとき           ・自分の望んでいたことが実現しているとき
・人に褒めてもらえたとき         ・自分の生き方に自信を持ってるとき等々、上げられる。
いずれも肯定的な感情に包まれ、自分の欲求が満たされたときである。
一度だけの人生、肯定的な感情で、かつ自分の欲求を満たさなかったら、人生を浪費していることになる。
特に人生の後半は前半ほど単純ではない。多くの過去を背負っているからである。
ならばこそ、その中で「楽しく生きる」喜びも深くなる。 文筆家(哲学者)池田晶子 の
「楽しく生きるためにどうすべきか」という文章がよい。彼女は、哲学することの意味を平易な言葉で語ることに定評がある。
ーまずは、彼女の文章をそのまま書き写してみる。
人生は短い。と、どうしてもやはり思いますよね。 平均寿命は80とは言われますが、歳をとってからできることは
当然若い頃より制限されますし、ましてやその歳まで生きるかどうかの保証はどこにもないわけです。
ひょっとしたら、明日、心臓発作で死ぬかもしれない。縁起でもないと、普通はやはり思いますよね。
しかし、よく考えてみると、いやよく考えるなどしなくても、生きている限り人が死ぬのは当たり前で、この当たり前を
当たり前として認識しているかどうかで、人の人生観は全然違ったものになるようです。
今のここに死はあるからこそ今のここの生はあるのだと思えば、人生は長いとか短いとか言いようもなくなるはずだからです。
 (以下字数の関係でカット2008年9月05日) 
             ーつづく
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3449 秘・異郷の旅、よもやま話 -6

2010年09月04日(土)

 *初めて経験した大自然の懐

 広大な大自然に初めて唖然としたのが、カナダのロッキーの懐に入って時である。
トロントと、ナイアガラの滝をみた後にロッキーを巡るコースのため、その途上のバスの中で寝入ってしまった。
そして目を開けると、何かこれまで見たことのない山々と渓谷が続いている。「これは、まだ夢の中。それにしても、
リアルな夢じゃないか」と思っていた。しばらくして、これが夢ではない現実に気づいた。
 これは何処かの星の異次元の世界としか考えられなった。(その後、これと同じような異次元の世界を数多く見ることになった) 
そして、次から次へと、想像を遥かに超えた光景が、これでもか、というほど現われてきたのである。 
「これまでの人生と、これからの人生という境になるほど、この感動は大きい」という言葉が、溢れ出てきた。
これをキッカケに大自然に魅せられ、世界の秘境・異郷の大自然の世界に引き寄せられるようになった。
 大自然には、
・「山脈」「湖」「滝」「川」「氷河」「密林」といった山脈系
・「海・海岸線・島」「クルージング」という海系
・そして「平原・草原」「サファリ」「砂漠」の平原系がある。
 目的別に分けると、リゾート、探検、遺跡探索などの知識収集、そして祭りなど、分かれる。
 どれが一番というのは一概にはいえない。どれもこれも、素晴らしいとしかいえない。

 ・・・・・・・
3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」
 2009年09月04日(金)
 週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が面白そうなので買って読んでみた。
 特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」に興味があった。 
 副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党119議席の結果について書いている。 
  ーその概要といえばー
「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい政治文化の国になってしまったのか。
 ぶっ壊されたつつあるのは自民党だけでない。日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。 
小選挙区制度にしたことと、派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では
ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ政治家のスケールが小さくなってしまう。
小選挙区制度になってから出てくる国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、
国政を安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。 これまでの中選挙区制度では、派閥があり、
そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。 そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家として
の日常のふるまい方を学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多くいると自慢できた。
それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。
 自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく総理大臣になったのに、その職責を
充分に果たせずに任期途中で政権を放り出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。
こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。 両党とも、これをどうするか、
一回も真剣な議論が聞こえてこない。 小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な
システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。 選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、
あとはTVを通じてプロパガンスを並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙が示した。
今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる形で、
「日本のぶっこわれ過程」がはじまってしまったのではないか、ということだ。
民主党を含む日本の野党には、口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担ったことはない。
その経験が無いことを自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いでいかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。
 −−
 以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば、「何で、こんな党に政権を預けていた愚かさ」に国民は心底から
気づくことになった。そうこう考えると、政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。
民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、借金が増えるのではなかろうか!
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2709, アメリカのコーヒー戦争
 2008年09月04日(木)
不景気が外食産業を直撃している。アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。
数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、最近は格段と美味しくなった。
スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、マクドナルドが1ドルと4倍も違う。
そのため不景気とガソリンの高騰で、コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。
二年前の株価を見ると両者とも35ドルと拮抗していたが、現在ではスターバックスは、その半値、
Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。 皮肉なことに、売価が逆の倍率になってしまった。
4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れるのは当然のこと。
そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。日本国内でも、不況の煽りで、
スターバックスとドトールも売り上げが前年割れをしており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。 
通勤途中の長岡駅周辺にスターバックス、Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、 最近、Mcとドトールには客が多く、
コーヒーの値段が400円以上のUccと、スターバックスは客が少ない。 
また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスがあるが、両者とも好調。
この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前にコーヒー専門店が二年前にできた。
それ以来、週に1〜2度はランチを食べに行くが、基本に忠実なコーヒーを出してくれる。
コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。その維持がなかなか難しい。
この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約をするもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。
自動のコーヒー販売機のコーヒーがプロ並みに美味しいのに行き当たった。
コインを入れてから、コーヒーを炒って出す?ので、時間が4分ほどかかる。
月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下のイオン内にある、カフェテラスの自動販売のカプチーノが美味い。
月に一度は行ってパンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノである。Sサイズで150円、
Lサイズで200円だが、充分満足できる昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると報じていた。
何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・
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2007年09月04日 
「エーゲ 永遠回帰の海」 −1          −読書日記
  * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社
ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅はギリシャ・エーゲ海の旅を思いたった。
(次男が「ギリシャに行って良かった」と言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、写真も文章が
違ってみえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、また違って見えてくるが、
それもまた楽しみである。世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な感覚になる。
数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。
初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と驚きの連続であった。
遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わってくる。生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没した
イタリアのポンペイの遺跡。火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がそのまま残っていた。
また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。
そこに立っていると、タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。
この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、トルコ取材をもとに出来た本である。
(出版までに20年以上を要した理由については本書にその経緯が記載されている。)写真家の須田氏の美しい写真と、
立花氏の紀行文がなかなかよい。ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの復活神話や
「一粒の麦もし死なば」という教えとの相似性。 アジアの地母神信仰がギリシアのアルテミス信仰に変容し、それが
さらにキリスト教のマリア信仰に姿を変えたこと。新約聖書「ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。
言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。」
というくだりが、新プラトン主義哲学のロゴス論を下敷きに書かれたことなど・・。ギリシアの神々は、一神教である
キリスト教の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、この本を読むとよく分かる。
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2006年09月04日(月)
1980, ある首斬り役人の日記 −2  \(^▽^*)おはよう         
               −読書日記
 HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきたのには驚いた。
 さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。 
  ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。
罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。この男は最後の最後まで抵抗し、
たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやると罵った。 
首切り役人は、「そう思うのなら切り落とされた首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」
と言った。 刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッとくわえた。 その形相の凄まじいこと、
この世のものとも思えなかったという。 周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。
事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って「そんなことがあるわけがない」と気にしなかった。
あまりの自信に何故怖くないのかと尋ねると、「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに使い切った。
だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」日本では「首切り浅右衛門」が有名である。事実は、小説より奇なり!である。
 ーー
298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。 
 38、1579年8月6日
  ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。  ゲオルク・ガーブラー、ー シェーンフェルト出身。
  ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。 
  哀れなのは辺境伯の妻。 哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。
  彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、そのような一味であったのを知らなかったのだ。
  ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かんでくる。大悪人の処刑を見ようとしたら、
  まさか自分の夫とは!立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。
 82、1584年7月7日  バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、
  別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の父親や息子といかがわしい行為に耽った。
  そのほか同じように妻ある男や若い職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。
   その件で立ったまま打ち首の刑に処した。  その夫はムチ打ちの刑を受けた。
   彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。
   相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にもそうしてやれ。
   あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われないよう訴えてやる。
   私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。  さらば、お休み。
   ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何かドラマ仕立てである。 
   女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。
 87、11月17日
  フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する
  刀鍛冶職人との間に子供を生んだ。この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、
  この子を投げ込み、溺死させた。その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首の刑に処された。
    ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。          つづく
                   (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・ 
2005年09月04日(日)
1615, アメリカインディアンの教え −3
「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた方」 ー著者・加藤諦三
加藤諦三とは懐かしい名前である。 20歳代の頃、よく彼の本を読んだ。
心が休まる内容だったことを憶えている。現在は「心の癒し」系の本は多いが、当時は殆ど見当たらなかった。
癒し系の日本の先がけだった。 心理学系の先生で、理づめであったためか、解りやすく納得のいく内容であった。
彼の本を手に取るのは三十数年ぶりだが、履歴をみるとその後も多くの著書を出しつづけていた。
彼はこれまでも、「インディアンの教え」のシリーズも何冊か書いている。
(このHPでも、過去に二回インディアンの教えについて書いている。)
 この本の構成は、アメリカインディアンにとっての
・生きるということ、 ・死ぬということ、 ・自然という存在 
 の3章になっていて、それぞれアメリカインディアンの根底に流れる哲学に関して記述されている。
冒頭に「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた7か条の教え」が書かれていたが、心に沁みてくる。
ーword 1
変化は必要です。もしあなたが不幸なら、何があなたを幸せにするかゆっくり考えて、必要な変化を受け入れなさい。
-word 2
あなたの喜びは私の喜びである。だから、あなたにすることは私の負担になるはずはありません。
-word3
誰かに判断をくだす前に、その人のモカシン(インディアンの革靴)を二週間は履いて歩いてみましょう。
-word4
あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りは笑っていたでしょう。
 だから、あなたが死ぬときは周りが泣いていてあなたが笑っているような人生を歩みなさい。
-word5
魚は水のことを考えません。インディアンは死のことを考えません。
(字数の関係でカット09年09月04)
 ー以前に書いたインディアンの教え」をコピーしておきますー
   2005/02/27 −1426, アメリカインディアンの教え−2
 (字数の関係でカット08年09月04)
  ーー
租借と熟慮をしていない分だけ、アメリカのドローシー・ロー・ノルトの「子供が育つ魔法の言葉」の方がよいが、
数時間かけて考えれば近いのは作れる?! インディアンの教えと、ノルトの言葉を声を出しながら何回か読んで
頭に何か浮かぶのを待てばよいのだが。 この位で止めておく。
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2004年09月04日(土)
 1250, 巨人がパに行けばよい!
「巨人がパに行けばよい!」
昨日の毎日新聞の一面トップ記事で、読売新聞の渡辺恒雄前巨人オーナーが、インタビューに答えていた。
「一リーグ制に反対なら、パをもう一つ合併させて4チームにして、巨人が移動すればよい」と思っていたら、
前オーナーも同じ腹案を持っていた。面白いものだ。自社の読売新聞で書けば問題になるから、毎日新聞で
書くところが何とも面白いが。 一リーグ制への揺さぶりだろうが、それにしても現実化すれば面白い。
マンネリのセリーグの試合より、巨人がパに移動しての試合はエキサイティングになる。
その後2〜3年してから、セを救済という意味で一リーグ制にすればよい。
大リーグを見てしまった現在、日本のプロ野球は二軍の試合を見ているようで殆んど見なくなってしまった。
渡辺恒雄オーナーがいう、千五百万の給料しかもらってないオーナーが、数億のプロ野球選手と交渉すること自体
おかしいというのも、肯ける。日本のプロ野球選手が、手前勝手な論理をかざしているのは自明である。
巨人大鵬玉子焼きの時代がまだ続いているなら、解らないでもないが。
サッカーや大リーグの放映などにより、プロ野球などアナザーワンになってしまった。
もし不満なら、大リーグに行けばよい。それ以下のマイナーの選手だから利権を守りたいのだろうが。
大リーガーになれない2流選手が自分の権益を守る為のエゴ行為に過ぎない。野球もグローバル化の時代に入った。
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2003年09月04日(木)
 883, 脅しの手口
こういう(ホテル)客商売をしていると、低脳ヤクザやチンピラの因縁付けの脅しが付きものである。
対処する一番厳しい場面になる。そこがマネジャーや支配人の仕事でもある。 何かに因縁をつけて脅し取ろうというのだから、
手が込んでいる。しかし、ホテルを脅して金にしようとするのは、非常にリスクが高い。ホテルによるだろうが、ヤクザなどの
プロはそのことを知り抜いているから、あまり脅しには来ない。ホテルは警察の派出所に近いことを体験上知っているからだ。
それでも脅しの素人?が1~2年に一度位、「無知の涙」という感覚でくる。
 ー今回の顛末を書いてみる
やくざ風のアベック客の女が湿疹が出たと騒いだ。
深夜に支配人や副支配人やマネジャーまで呼び出されて、病院まで連れて行って、そこでさらに大騒ぎ。
翌日20万で手をうとうと本音を出してきたという。 警察に連絡したが、こういう微妙なクレーマーを装った
脅しには彼ら警察の方法・技術があるようだ。 ホテルの外で、そっと近づき
「ここの縄張りの組事務所に挨拶をして仕事をしているのか!これ以上騒げば、しょっ引くぞ!」と囁いたら、
二人は2度と顔を現さなくなった。刑事曰く「20年前の手口でしかない!」
 この位の騒ぎは、大体が2年に一度ぐらいある。電話の取次ぎミスを演出をして、「数百万の取引の損を出してしまった、
どうしてくれる!」と凄んで暗に金をせびる手口が数回あった。彼等は責任者を外に呼び出して、決着を付けようとする。
外の呼びだしに出てくるかどうかが「金になるかならないか」の分岐点だ。
 常に得体の知れないヤクザ?が泊まっており、現場は緊張状態にあるのがホテル業である。
因縁など如何でも付けられる因果な商売である。それでも暴対法ができて、殆ど目にはつかなくなったが。。
・・・・・・・・


3448・秘・異郷の旅、よもやま話・・5

2010年09月03日(金)

* ツアーあれこれ ー4

・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の目的をいい、行程を組んで、
ホテルや飛行機の手配をしてもらうか。 ・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。
・それらをネット上で、全て予約を組むか。・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、
ホテルとか行き先を決めるとか、旅行にも色いろな方法がある。 人見知りをする私にとって、パック旅行は
最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。 全国から同じ目的を持った者が
チームを組んで旅の目的を達成する。その最適パッケージを代理店が企画販売するのがパックツアー。
激しい競争の中で、パッケージの商品は年々、改良されていく。その進化したシステムを如何に合理的に使うかである。
インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に出くわすが、彼等はそのシステムの合理性を知らない。
これがなければ、「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティーの草原で、チーターの狩りなど見れる訳がない。
それを可能にするには、10倍近い金額と期間が必要になる。 それ以前に、そんな気持ちになれない。
南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導するボートに乗って奥地までいき、キャンプをして、
飛行機で上空を旋回し、エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を見上げることなど出来るわけがない。
南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から100mの高さからのバンジージャンプなど、出きようがない。
代理店は、普通のパック商品では生き残れないから、各種のパッケージを開発する。特に中小は、自社の強みが何かを
探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、イスラエルだったり、南米のアマゾンだったり。
それをパッケージにして、可能な限り格安に売りに出してくる。面白いところでは、ツアーのベテランを狙って、
秘境・異郷のツアーに、かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた一ランク値段の高いパッケージを
売っている代理店もある。それも、ランクがあって特Aの客層狙いだったり、A狙いだったりする。特Aの団体を
時どき見かけるが、人相からして違う? 一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、成程である。
 ・・・・・・・・・
3073,飲み屋横丁考
 2009年09月03日(木)
 このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・
飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。
飲食街そのものは50年〜60年の長年の歴史の上に成り立っている。
その飲食街も、この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。
東京は銀座、新橋、六本木、新宿など地区で、客層が分けられているが、一般的には、
年齢、客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに分かれている。
 この数年は地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある3メートル通路両側に8軒が並んでいる
横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに入ってみた。
 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。
・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。
(そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で分かれているのに気づいた)
・私が通っている店は、50代後半から60代後半のカラオケを売りにしていた名物店。
・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 
・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。知らない人が入ったら驚く。
・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。
・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。
自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は行かないので少し離れた横丁である。
そこだけで店を替えていれば十年間は持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、
店の中より、最寄駅から周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。
 大きな飲食店ビルは、オーナーが意識的にテンポ構成をするのだろう。
そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 この御時勢、そうだろう。
・・・・・・・・・
2708, 政局の話
 2008年09月03日(水)
福田首相の辞任表明で、政局が動き出した。私は政治に対しては関心が薄く、なるようにしかならないというスタンス。
どれもこれも、大した人物はいない。 ただし、ここまで国が行き詰まると、無関心ではいられない。
これまでの日本人は、どういう訳か自民党の仕掛けに弱い。麻生を目先立て、何とか政権を維持しようとするが、
負けるだろう。 もしそう判断すれば、小池百合子を首班に立て、小泉を行政改革大臣担当副首相として、
捨て身の作戦の可能性がある。しかし参院との捩れを解消するためにも、一度は野党に政権を譲って国民の声を聞くのが筋。
民主党も、直ぐにボロが出て、政界の再編成になること必定。本来は、アメリカ大統領選挙の結果を待って、
アメリカが民主党なら日本も民主党、共和党なら自民党にすべき。 現状は自民党政権が政権を持ち続けること自体に問題。
見ている分には面白いが、日本の置かれた現状があまりに厳しい状態。民主党が政権をとって、日本を一度解体して
日本合衆国を作り変える位の改革が必要である。日本に巣くっている官僚を解体して、権限を8州に委譲することだ。
?北海道、?東北6県、?新潟、群馬、長野、石川、富山、福井の中部州、?東京、埼玉、千葉、神奈川の関東州
?静岡、愛知、山梨、紀州の何県かに飛騨と、岐阜県など名古屋州、?大阪、京都、兵庫の関西州、四国と広島、岡山などの
中国・四国州、そして?九州・沖縄州である。そして政治形態はアメリカをソックリに真似ればよい。 
現在の日本には無理だろうが・・しかし、待ったなしのところまで来ているのに、日本人そのものが
アメリカの実質統治の戦略で、骨抜き。日本の政治家で気骨のある男がいないものか。小泉は批判はあるとしても
世界のグローバル化に対応する方向づけをした。現在は「アメリカ一極から、中国・インド・ロシアと
多極化する世界に対応する方向付け」をしなければならない。 その意味では日本は歴史的に見ても大きな転換期にある。 
その点で麻生は選挙管理内閣レベルの繋ぎ役。 阿部、福田と、麻生と、二代目である。 
それも、一人として選挙で洗礼されてない。麻生は衆院解散後に否認されるのは当然の成り行きである。
「御前に何が出来るのか?前任者と比べてみればドングリか、それ以下!」の、一言で終わり。
「御前様、直ぐにバラマキを始めただろう! 哀れなものだ。」は追加。
 政治談議を、このように書いてみると面白いものだ。   それにしても危ない!
・・・・・・・・・・
2007年09月03日(月)
 2344, 糖尿病について    オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ踊♪
昨日の朝日新聞の朝刊のトップページに「糖尿病は万病のもとーアルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍」が出ていた。
アルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍、脳梗塞と心筋梗塞が約二倍というから、本当に恐ろしい病である。
年一度の検査の際で、インシュリンの点滴を受けている部屋を覗くことがあったが、いつも多くの人がいるのに驚かされる。
そこで、どの位の人がなっているのか早速、検索ー キーワード「糖尿病患者の人口比」で調べてみた。
 日本の人口比では6%(ちなみに肥満の多いアメリカでも6・6%)。
5年前の調査になるが、糖尿病が強く疑われる人の数は740万人、その可能性がある(糖尿病予備軍の数は
880万人といわれている。40歳から74歳の中高年男性の32.2%、女性の31.5%が糖尿病有病者か予備群と推定される。
その割りに、周辺ではあまり持病の人は少ないが、敢えて自分から名乗らないからか。
糖尿は親からの遺伝が多いと聞いていたが、今回の検索で「両親が糖尿病だと子供は50?が遺伝し、
片方が糖尿だと25?が遺伝する」という。私も家内も、両親とも糖尿の系ではない。
また親戚が糖尿病という話は聞いたことはない。酒好きなため糖尿に関しては気にかけている。
殆ど砂糖とか、甘い菓子は口にしないし、酒のツマミは肉類はさけて、魚類や酢のものを注文するようにしている。
それと、とにかくウォーキングも欠かさない。「糖尿になりかけたが、通勤の片道30分を徒歩通勤に切りかえたら直った」
という話を聞いたことがあるが、糖尿病になると直ることは絶望的ともいう。
糖尿になってしまうと10年以上は寿命が短くなるということか。死亡原因の間接的な病であるため目立たないが、
しかし恐ろしい病である。 糖尿病治療は食事療法・運動療法・薬物療法の三本柱という。
その大きな要因である生活習慣の改善には食事療法と運動療法が特に重要という。
そのために、医師の診療・指導を受け、正しい食事と運動を生活に定着させることだ。
その糖尿病予防には一にもニにも肥満解消が大きな比重を占める。 最近、ストレスのためか?
急に太ったあの人、大丈夫か? 私も実はってなことはないのか?? これだけ酒を飲んできたんじゃ・・
                   ホナナァ☆  |∀・`@)ノ|Ю  気をつけて!
・・・・・・・・・
2006年09月03日(日)
1979, 冷蔵庫を20年ぶりに買い換える
            (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
昨日は、20年使った冷蔵庫が寿命に近づいたので新しい冷蔵庫を買いに行く。あと10~20年使うと思うと慎重になる。
確か20年前に買ったときの値段が13万円。そして今回買ったのが同じ値段の13万円であった。
買ってきて見比べると比べようもないほど良くなった。
色いろあって、三回も(往復30分以上かかる)家電に通う。買うのも楽しみのうちの一つだが・・・
100台近くある冷蔵庫の展示品の売れ筋ナンバー3に気持ちを集中して、一番高い商品群と比べると、
自ずとヒントが見えてくる。当然のことだが、機能や外見に手が加ったぶんだけ値段が高い。
要は値段に比例しているだけだ・・・家電の白物(冷蔵庫・洗濯機・レンジ)は頻繁に使うので、
メーカーも神経をつかっているのが解る。結局買ったのは、その店の売れ筋?・2 のものだった。
二十年前に冷蔵庫を買い換えた時に感じたことは
・それまでと段違いに大型になったことと、・ドアが両開きになったこと、・冷凍庫が大きくなったことである。
今回は、
・一番上にあった冷凍庫が一番下に移動していたこと、・ドアの半開きの防止の機能がついたこと、
・独立の多くの引き出し増えて分類コーナーが増えたこと、・冷蔵庫が出すノイズがホボなくなったこと、
・電気消費量が段違いに少なくなったこと、
・ステンレスなど、カラフルになりデザインが良くなったこと、
・ドアがワンタッチで開くものもあった。 等である。
20年前の、ほぼ同じ機能の冷蔵庫が半額でしかないが、電気消費量と、ノイズが少なくなったこと等をみると
4分の1のダウン?まあ、どうでもよいか? 帰ってきて、他の家電のチラシと、パソコンで価格ドットコムで
値段をチェックした。価格ドットコムは約5~7パーセント安いが、説明料と配送料金を加味すると、それも納得できる。
余談になるが、ついでにパソコン売り場に行ってみたが、パソコンが更に進化?していた。
液晶TVにパソコンが付いているという感覚になった。 更に、驚いたのが、ソニーのVAIOの前に立ったら、
勝手にカメラ機能が自分の顔を写して、大きなテロップで流れ出した。
一瞬なにが起きたのか、目を疑ってしまった。恐らくインターネット上でも可能なのだろう。
稼ぎさえあれば、結婚など別にすることもないという、若い人たちの気持ちが解らないでもない!
こと家電売り場を歩いていると。   家電売リ場は夢があって好きなのだが・・・
 まあ、モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~
・・・・・・・・・
2005年09月03日(土)
1614, 「やりたいことは全部やれ!」
               ー 読書日記    
51歳の年に私が決意した内容と、著者の考え方が非常に似ている。著者とはスケールが違うが、
考え方・生き方の面で共通点が重なっている。大前 研一は何も特別な事を言っているのではない。
この年齢になれば、誰もが思うことで、その準備をしてきたかどうがである。
ー著者の言いたいポイントは        ・人生、楽しめるうちに楽しみなさい。
・寄り道、回り道もおおいに結構。     ・他人を気にせずマイペースを貫け。
・会社や仕事に振り回されるな。      ・やりたいことは先延ばしするな。
・いつ死んでもいいように悔いのない生活を! ・将来を再設計し、見つめなおす勧め。  
である。日本人は生きている間にあらゆる我慢をし、やりたいこともやらない。
そして悔いを残しながら、「自由な生き方ができる今の若い人がうらやましい!」
と思いながらあの世に行く。これをやめよう、というのが大前研一の提唱である。
我々が「人生を楽しむ」という一点において価値観を変えれば、世界の景色も全く変わってくる。
この価値観の転換ができないのが、日本人の悲しい習性ではないだろうか。
著者の、人生のバランスシート的見方も面白い。「日本人は死ぬときに生命保険、貯金、
ローンの終わった家などを残していく。金融資産だけでも3500万円近くになり、その他に家があれば、
少なくとも土地だけで数千万円ということにだってある。そして、それを誇っている。
これでは子孫に残すのは美田ではなく、係争の種かもしれない。理想的な生き方は、死ぬときにちょうど蓄えがゼロとなり、
ありがとうございました、と成仏できることである」と。死ぬときにゼロにするには、65歳の平均的蓄えの2500万円と、
その後の定期的預金の1000万を足した3500万円をゼロにする生き方である。65歳から80歳までの180ヶ月として、毎月の
生活費プラス20万円生き方である。それも遊びにである。夫婦で一回50万としても、海外に年5回以上はいけることになる。
そうすると70回以上は軽くいけるのだ。また、「私は相当周到な人間である。
だいたい飯が食える程度の芸は若い頃からいくつか身につけていた。いざとなれば家族くらいは食わしていける自信があった。 
クラリネットを職業にしようと思ったこともある。電子力でも工学博士号を取っているから、どこかの大学の先生か
安全委員などを歴任していたかもしれない」とも書いている。まあ、勝ち組だから、こう言えるのだろうが。
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「やりたいことは全部やれ!」  著者:大前 研一
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2004年09月03日(金)
 1249, これこれ詐欺
一昨日、我家にも俺俺詐欺の電話が来た。 たまたま、銀行でお金をおろそうと銀行の自動キャッシャーの画面を見たところ、
「俺俺詐欺に気をつけてください」という画面を見た、その日であった。家内が電話に出ると、小さな男の声で
「事故をおこしてしまった!」という。友人から同じような電話があったと聞いていて、詐欺と直感したので、
「あら、あら、あら〜」と答えたら、直ぐに電話が切れたという。電話をする方は名簿を片手に電話をしているのだろうが、
ここまで日常的になっているとは驚き。バブル期の證券会社も詐欺会社そのもので、「これこれ詐欺」だ。
自分の安く仕入れた銘柄を「これこれ」と言って、ゴミとしょうする素人に高く売り抜ける集団詐欺をしていた。 
いや、今もしているか?!天下?の野村證券が先頭になってやっていたのだから、それも自民党と組んでいたのだから
悪質を超えていた。今でも、週に数回は商品取引の会社から電話がかかる。彼等からみれば素人は赤子を捻るほど可愛い詐欺対象。
他人事ではない、あるファーストフードのFCに引っかかり、あわや数億の投資をしようとしてしまった。
その社長は元トヨタ商事の社員、説明会では巧妙な言葉で勧誘する。自己責任とはいうが、世の中も甘くはない。
特に情報化の時代、何が真実で何が虚実かの目を持ってないと全てを失う可能性が高い恐ろしい時代だ。
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2003年09月03日(水)
 882, 競売物件
 以前から、裁判所が差し押さえを売り出す「競売物件」に興味があった。
不動産業者で、競売物件専門の業者もいるという話も聞いていた。先日、最近の競売物件を数軒見て回った。
それなりのリスクがあるが、抵当等を奇麗にして改装して売れば結構面白い商売になる。
調べたら相場の半額から六割のあたりに値がついていた。やはり古い好感の持てるような物件は少ないが、
値段からみたら価値はある。 この時代は競売物件専門を扱う仕事も面白い事業になるのではないだろうか。
恐慌により、競売の割安物件が出てくるからだ。もっとも買いが少ないから、リスクも多くなる。
その為には充分な資金量が必要なことが絶対条件である。カタチを変えたハゲタカファンド?とも言える。
 ある不動産業の人の話だと、最近は素人が手を出すという。近くの土地を知り尽くしている人が狙って買い取って、
改築をして売り抜る。お金と感覚が研ぎ澄まされていれば可能である。プロも驚いてしまうという。
 アメリカでは、家を買い、日曜大工で時間をかけて改築・改装をして、より高く売り抜けて、
また新しい家を買って同じことを繰り返すという。一般の人は家を利殖対象の物件と割り切って、
引越しをするのが当たり前になっている。そのために、ホームセンターが早くからできたという。
日本もこれからは、そういう時代になるだろう。
 しかし、競売物件は扱うのは、よほどの知識がないと難しいのも事実である。
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3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4

2010年09月02日(木)

* 初めての21歳の欧州旅行 ー3

 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。
カルチャーショックである。今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が
根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たことである。
これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。
その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、深い一端をみた。
 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖と
スイスの渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない光景を、これでもか、
これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が多いと聞いた。
現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。 私のように、
中高校の白黒の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変になって当然である。
 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、
当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、全く違うが、
それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。
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3072,コカコーラのビン
 2009年09月02日(水)
最近、歴代のコカコーラのコマーシャルをまとめたDVDが発売され話題をよんでいる。
それぞれのCMに出演しているタレントと、その時代背景が織成すミニ物語が、そこにある。
目隠しをして、ファンタとコークの飲み比べをすると、ファンタのほうが美味しいと答える人が多い
という実験結果がある。 CMと、ビンのカタチのイメージの洗脳が、そうさせているのだ。
「コークのビンはグラマー女性の全身を模ったもので、理想的なスタイル」という。
 ーその創製の逸話を偶然ネットで見つけた
【 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がガラスビンを作っていた。
かっこよく、しかも中身が多く入っているように見えるビンはないものかと考えていたある日、
恋人がふらり、仕事場へ入ってきた。 いつもより色気がある。 タイトスカートをはいていた。
このスカートは膝のところが細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。
彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、社長のところに出かけていった。
「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」社長は気に入ったが素知らぬ顔をした。
3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。
「社長さん、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」 「そりゃ、ビンに決まっているさ」
青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。 コップの水が入りきらないうちに、ビンは、いっぱいになった。(う〜ん)
契約は即座に成立した。 ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。】
 以上だが、米国でグラマー女性がコーラと供に看板に書かれた絵を見たことがある。
「何でグラマーな女性にセクシーさを感じるか?」というと、
「騎馬で攻めた男が片手で女を持ち上げやすいのが、腰が括れていた女」だから、という。 
本当のような嘘のような話だが。 コーラも、括れていて持ちやすい。
ところでコーラの原料のコークは麻薬のコークじゃないのか? 薄けりゃ害にならない?
 何か飲みたくなるのは、そのせいか? それに刷り込みでもされれば・・・
水に麻薬を混ぜて数十倍の利益をだしているのだから、ドエリャイ儲けになる。 
あの地元の超大物(故人)がコーラの日本の販売許可の見返りに数パーセントの利権を得ていた、とかいう
噂があったが、本当かウソか? 「ありゃ、コークを原料とするから駄目」と言われりゃ、出すしかないのは分かる。

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2707, うつ病について
 2008年09月02日(火)
精神病や精神症について、何度か書いてきた。 誰もが、何らかの精神症は持っているし、その一歩手前の経験をしているはずだ。
(まともであればだが)言うか言わないかの差だろうが、家系や、性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。青年期と、
老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、それぞれある。私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、
それを気にしなくなったのは、50歳過ぎた頃だろうか。私を知っている人は想像すらできない神経症を一人静かに?乗り越えてきた。
青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。
誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。
60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触りかもしれない。
しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。 まあ、明日のことは分からないが。
北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。その冬の時期に起こるうつ病が深刻と旅先で聞いた。
「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。
治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。
元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。
日本で最も自殺の多いのは秋田県。北欧と同じく冬の時期が長いのが自殺を誘発するというのも肯ける。
ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。
私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、
コタツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。
しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。無線のチューニングのように、周囲のマイナス、
過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、
その海に溺れ、もがくようになる。そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。
その数歩手前の精神状況が殆どの老齢者の心のうちというから恐ろしい。そういう連中が寄り沿うと、人間は後退をしていくのが
リアルに見えてくる。他人事ではない、まったく。とにもかくも、腹から笑える場所を幾つか持てるかである。
私が鬱にならないという自信があるのは、毎朝の散歩があるからだ。これを始めて25年ほどになるが、朝の陽光と、新鮮な空気と、
鳥と虫の鳴き声と、川のセセラギが身体にも精神に良いからである。さらに土日の笑いの時間の設定である。 
それと毎日一度の仏前の祈りと、般若心経である。それを実行していても、どうも少し欝っぽいのは、そういう時期のためだろうか?
過去のマイナーの記憶がフラッシュのように飛び出してくる。 それが、歳をとったということか?
 欝的気分も日常の塩味として、必要であるが。 
                        -ω-)..。oо○(゜+。鬱々゜+。)
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2007年09月02日(日)
2343, ポスト・モダン主義とは          (o゜▽゜)o オハョ〜 ゴザマス!

最近は、あまり以前のような大物?が、居なくなった。 これは時代の変遷のためである。 
高度成長期の、田中角栄とか、小佐野賢二とか、堤義明とかいうのは、存在しえなくなったのである。 
存在したところで、「それが何じゃい!」と誰も仰ぎ見たりはしない時代になったのである。
解りやすい事例として、イチローが大リーグで超一流の選手として認められたところで、
「ああ、そういう人がいる、凄いな~」で、それはそれはご立派なことで!と、頭に過ぎってお終い。
それより、それぞれが自分の好きなことを見つけ、それぞれの楽しみを求める時代になったのである。
それは考えてみれば当たり前。それだけ、社会が成熟したということだ。第二次大戦後、マッカーサーが
日本を占領したとき言ったのが、「日本人は10歳の子供」である。欧州から見れば、そんなものかも知れない。
といって、西欧が未開の原始人より文化が進んでいるということではない。
モダン=大きな成功とやらを求めた時代は終わったのである。これを解りやすく書いたある本があった。
『世界をよくする現代思想入門』高田明典著である。 情報化社会は、ポスト・モダン主義をますます加速させる。
日本は、いや世界は、9・11が現象として大転換期と日となる。その意味で、あの男ービンラディンは歴史に残る。
アメリカ現大統領は、「アメリカの凡庸・親子大統領の息子」として歴史に留める。
私が生きた戦後のアメリカ大統領では、その意味ではカーターと肩を並べる??の人物。 その程度ということだ。
  この本の一部を抜粋してみるー  P-158
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20世紀を特徴づける概念として「大きな物語」があります。
私だちの社会は、二十世紀前半(モダン)の社会において、「大きな物語」を信じて突き進んできました。
その大きな物語とは
・「理性・知性によって社会は必ず理想郷へと近づいていく」、
・「科学は、私たちを幸福にしてくれる」というものであり、
・「勉強すれば社会的に成功して幸福になれる」であり、
・「お金持ちになることが、人間の幸せである」などなどの「物語」であった。
 二十世紀前半においては、多くの人たちがそれを「信じて」いたが、
一九七〇年代以降、そのような「大きな物語」を信じられなくなるような出来事が多く発生し、私たちの心の中に
「不信」が発生しました。科学は私たちの社会を「幸福にする」どころか、むしろ「不幸にする」ものでもある。
知性や理性によっては「理想郷の実現」はできそうもない、ということです。
そのような状態を「ポスト・モダニティ(ポストモダン状況)」と呼ぴます。
そのような「大きな物語への不信」の中で、芸術表現はいったい「何ができるのか」ということを考えたのが、
ポスト・モダニズムのそもそもの端緒でした。 なぜなら、それまでの「表現制作物」の多くは、
「その社会や文化が信じている価値の表現を行う」ということを、その駆動原理としててきたという側面があるからです。
「大きな物語」が崩壊した今、「何を表現すればいいというのでしょう。
もちろん、「次の時代を担うような価値観の提示」さえ、忌避されます。
もはやそのような「大きな価値」「支配的な価値」さえ信じられなくなっているのが、現代の私たちです。
この二十世紀末から二十一世紀にかけての表現分野は、すでに「ポスト・モダニズム」のような様相を呈しています。
 (字数の関係で中間カット2008年9月2日)
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 面白い時代である。ただし、それぞれが自分で考え、決断しなければならない厳しさを要求されるのである。
それぞれが自由を見出し、そこに価値=意味をつくらなければならない。                
                           (○´ω`○)ノ**SeeYou Again! dato  
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2006年09月02日(土)
 1978, クルマが売れない!   Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning       
ある新聞の経済欄で「クルマが売れない!という記事が出ていた。景気回復に比例して車が売れ出すという業界常識が崩れてしまった。
車そのものの魅力が低下、車が日用品化してきたからだ。これまでの車は30年から40年前までの時計みたいなもの。
ロンジンとか、ローレックスとか、持っているだけで偉そうな錯覚をさせるイメージを加えて売っていた。
ステータスシンボルの要素が大きかった。ところが現在は、どんなよい車に乗っていても何の価値も感じなくなった。
むしろ頭の軽さが目立つだけだ。この情報化でモノ、コトへの価値が見え始めてきたのだ。
7月の新車販売台数が(軽自動車を除いて)13ヶ月連続で前年実績を下回ったという。
軽自動車を除くと、13ヶ月も前年を下回ったのは1968年以来という。 (軽自動車を含めると4ヶ月連続の下落)
あれだけ騒がれて登場したトヨタのセルシオの国内販売が、当初予定していた計画を遥かに下回ったという。
この背景には日用品化した以外に、消費の多様化がある。車に振り向けられた消費者のお金が、
デジタル携帯音楽プレーヤーや、薄型TVなどの家電製品や、携帯電話の通話料に向けられているためだ。
確実に消費者の欲しいものの中の、順位が下がっている。かって本田宗一郎が「ライバルは同業者だけではない!」
といって言葉が、さらにシビアに聞こえてくる。車購入の中心だった団塊の世代の、車への興味も確実に下がってきている。
年功序列の賃金制度がホボ崩壊し、「いつかはクラウン」という購入パターンは過去のものになったこともある上に、
その年代が実質定年を迎えつつある。「クルマが売れない」というキーワードで検索をかけたら、
日産と三菱自動車の販売不振の内容が出てきた。かなり深刻のようだ。日産のゴーンの戦略も尽きてきたようだし、
鼻持ちのならない「三菱のブランド」が大衆に嫌悪感を持たれてしまった。
フルラインのトヨタ、若者・スポーツ感のあるホンダと、軽自動車のメーカーと、それぞれの特化が顕著になってきている。 
ところで私自身14年近くトヨタのソアラに乗っている。前の型のソアラに4年半乗った後、新中古のソアラに乗り換えた。 
現在もエンジンもしっかりしているし、車自体14年以上乗った車という古さを全く感じない。  
まだ8万キロしか乗ってないが・・・ また十年前より、高速自動車の長いトンネルに入ると、閉所恐怖症みたいな
感覚になってから遠乗りをしなくなった。そのため「近くの移動の手段であれば何でもよい!」という気分になった。
おまけに前の型のソアラがあまり出回ってないので、古車を乗っている感じがない。
60歳になったら最後の車を買おうと思ったが、そんな気分にもなれない。
それなら海外旅行に、もっと行ったほうがよい。その気持ちは、一般の団塊の世代と同じなのだろう。
売れない理由は、流行語でいうと、社会の比重が中流社会から下流社会へと変化していることもある。
 それが一番の理由だろう。                バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
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2005年09月02日(金)
 1613, 愛とはなにかー2
愛、それも「無条件の愛」こそ世界が必要としている。無条件の愛とは、期待も要求も制約を持たないで愛すること。
過去を振り返ってみると、自分が受けた愛情で深く残っているのは両親の愛情である。
これは無条件?の愛情だからこそ深く残るのだろう。それでは「条件付きの愛情」の、「条件」とはどういうものか? 
ある本(*)にキッチリと箇条書きであった。その共通点は、自分の利益・欲を満たしてくれる前提条件である。
そして、その中に自己認知も含まれているが、人間なら当然のことである。その「条件」を細かく当たると愛など、
自己愛の延長でしかないし、キリストも「自ら愛するように、汝の隣人を愛しなさい」と、自己愛を認めている。
ーその「条件」を、幾つか抜粋してみる。『わたしは、あなたが・・ の条件をもし満たすなら、あなたを愛します。』
・あなたが、私をあるがままに受け入れ、尊重するなら。 ・私を認め、勇気づけ、理解してくれるなら。
・私を楽しませ、喜ばせ、飽きさせないなら。      ・私に対して誠実で、善良で、忠実で、正直であるなら。
・私と共通点を持っていたり、信念や興味が共通なら。  ・私を責めたり、批判したり、裁いたりしないなら。
・私のことを大人として、対等に扱ってくれるなら。   ・私のことを最優先にしてくれるなら。等々、いくらでもある。
これを読むかぎり、恋愛など「条件付のエゴの塊」である。
成田離婚は、まさにその条件をお互いに知り、誤解して結婚して、理解して離婚する集約した姿である。
「バカな女」が男を渡り歩くのは、この条件付愛を真の愛と信じているからだ。
他人事ではないか。無条件の愛とは、我われの深奥にある神的自己の表れでもある。
汲み続けていないと直に濁るか、水が枯れてしまうが。
     *「愛することを選ぶ」 誠選書房 E.キャディ著
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2004年09月02日(木)
 1248, ダイエットに100万賭ける−1
二年ぶりに、契約更新で柏崎の保険代理店の社長が来社した。
スリムになってスッキリした様子なので、どうしたのか聞いたところ、ダイエットに成功したという。
彼の知人の保険屋さんから賭けを持ち込まれたそうだ「お互いのダイエットで、失敗したら百万を払う」
期間は4ヶ月で、体重の12?、本人にとって10?である。賭けた仲間は7人。まだ全員の結果は判明はしていない。
但し、二人は成功をしたという。彼のとったダイエットの方法は、三食の食前にグレープフルーツを一個食べつづけて2週間、
7キロも痩せたそうだ。それと家族が百万という金額に驚いて、食事に対してコトゴトク口出しをしたというのが、
さらに効果を高めた。そして4ヶ月にかなり余裕を持って達成することができたとか。
金額が1万や10万では、真剣にならなかっただろうが、百万円の金額が、真剣さを増したのだ。
一生に一回あるかないかのこと、必死になりざるをえない。私のダイエットといえば、朝の散歩と、
肉食と揚げ物をなるべくさけること。それと、甘味もの(缶ジュース・砂糖・お菓子)を口に入れないことである。
それと週に2〜3回は体重計に乗って、少しでも増えたら食べ物に注意する。
この十年間はほぼ理想的な範囲であるが、これに酒量を控えれば理想的なのだが。
崖っぷちに自らを追い詰めるこの方法、大きなノウハウである。考えてみれば、事業も人生も同じことがいえる。                    
                                      −つづく
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2003年09月02日(火)
 881, 讃岐うどんの店
 最近ブームになっている讃岐うどんのチェーン店に行ってきた。100円から讃岐うどんを食べられる客単価400円の店だ。
揚げ物などを皿に取り、うどんを注文して勘定をする方式をとっている。
社員食堂のセルフ式をそのまま讃岐うどん屋に取り入れた業態である。
・一回目に食べたのが「肉コロッケと、掻き揚げと、普通の讃岐かけうどん」で約500円であった。
・2回目は、「100円の小のかけうどんにオニギリとハンペンと天ぷら」で400円であった。
 客層は家族ずれからサラリーマン風とOL とばらついていた。
(字数の関係でカット 09年9月2日)
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3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3

2010年09月01日(水)

*初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。
それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。
その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、そしてロンドン市内には、
シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。 パブに入って飲んだビールの美味さ。 重厚なパブの雰囲気も異次元の世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。 そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験をした。
こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさという面で非常に豊かにしてくれた。
元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた
回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった?
 パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。
そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。その中で、
東洋人の自分に違和感を始めて覚えたということ。

 ・・・・・・・・・
3071,衆院選挙の各新聞の論評から
2009年09月01日(火)
  各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。
 ーまずは印象に残った箇所から
・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、
「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞)
・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が
 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞)
・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに
 されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞)
・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、
 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。
 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞)
  以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。
 自民党は「腐ってもタイ」から「腐ったタイ」に変わっていたのである。
 民主党も実際の政権の維持の経験がない上に、寄り合い所帯の危うさがある。
 それから考えて自民党が自己改革をして受け皿になる体質に変更すれば再起の可能性は残されている。 
 しかし戦犯というべき残党が比例代表で(小選挙区で敗れたに関わらずに)当選し居残っている。
 彼等こそ、まずは整理されるべき人たちに関わらずである。
  今回は、あくまでも自民党が自滅した結果であり、国民は元社会党の残党には疑念を持っている。
 それが、いずれにしても露出して1〜2年で政界再編になるのが目に見えている。
 自民党から民主党に替わったところで、恐慌が収まらないし、財政破綻が帳消しになるわけではない。
  まずは法務大臣に、鈴木宗男か亀井静香に、外務大臣は小沢一郎にすればよい。
    そうこうみると、民主党にも人材がいないように見えるが、実際どうだろう?!  
 ・・・・・・・・
2706, 現代とはいかなる時代か
2008年09月01日(月)
人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、
インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。
著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。
4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ
ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。
我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。
 ー以下、要点を抜粋したー
 〜〜〜
「地球システムの崩壊」 松井孝典著         −読書日記   −2
  *現代とはいかなるじだいか

1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。
人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、
次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。
この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。
 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。
「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。
今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。
 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。
それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、一般の人にも、画像としてはっきりと
確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体であることも認識させてくれる。
 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは生物圏の存在を示唆し、
地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態にあることを語っている。
専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。
 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、
灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、
「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。
それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、
その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた
時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 
その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から
向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を
確認しておかなくてはならない。
〜〜
何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。
月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて
みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。
それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。
それが自滅とわかっていても自分自身どうすることも出来ない事態に入ってしまっている。
この知的生物とやらは、知を得たがゆえに消滅していくのである。
正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。
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2007年09月01日(土)
2342, 「ある」ことと「あった」こと          お|* ̄O ̄|は
 『狂人三歩手前』 ー中島義道著
ー「ある」ことと「あった」ことー
理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるからあるから「ある」のである。
「あった」があるから、その想起で現在が「ある」のである。「私」も現在から過去を振り返ったとき、
「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれているのである。かって旅先で暴漢に襲われて
記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことがある。
これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。
それは「あった」があるから「ある」という説明に、解りやすい物語であった。
その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」ということで成り立っており、
その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。
   ー以下は『狂人三歩手前』から・・・
世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、われわれは
現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。
(以下、字数の関係でカット09年9月1日)
ーー
非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。
遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。
(その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、私が世界を生きている!
これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。
            バ━━ヾ(′ω`●)ノ━━イ
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2006年09月01日(金)
1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。
以前はケニアに行ってきたといえば珍しい存在であったが・・また首都のナイロビから
マサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。
 話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。
ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に
車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。
初めてみるシーンである。自然動物に対して絶対してはならない行為と、ただ驚いてしまった。
後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、それをみて突然泣き出してしまった。
彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど野良猫のようなもの。
もし抗議したとしたら「御前ら観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き散らして、
奇麗事を言うんじゃない!」というのが本音だろう。ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーは
お互いに危害を加えない暗黙の了解を作ってきた。その意味でやはり問題だろう。
今回の旅行でアフリカが遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた!
それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あまりにも強烈過ぎた。
野生のライオンや、豹を見ても感激しなくなった!もうサファリは最後か!いやタンザニアがある。
まだまだ、深いアフリカは!添乗員から、マリが面白い!と聞いた。
地方経済がもっと回復してくれば大手を振ってもっと出かけるのだが・・絶望的か!もう年一で充分だが・・    
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?        バイバイ!
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2005年09月01日(木)
1612, ハワード・ヒューズ
 ー字数の関係でカット(08年9月01日)
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2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
 −五十嵐恭一さんへの弔文
友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。
その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、
その事実を知った。朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、公私の付き合いがあり、
私の弟分であった。かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。支局長までなったが、
その病のため平社員に降格された。それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。
盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。 アポ無しで事務所で直接来ても、
抵抗感を持たせないキャラクターがあった。気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。
三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。 この5月に自宅に見舞いに行ったところ、
苦痛に呻いていたのをみて、末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。
(躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。
そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、
先に亡くなった人の名をあげて「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。
ところが、「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。
死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。苦痛は想像を超えていたようで「24時間の拷問にあっているようだ」
といっていた。奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。 私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、
彼のそれは悲惨で見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。
オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。
そして、バスに乗ると雨が止む。 それが三度目に、虹が出たとき、「ああ、五十嵐恭一は亡くなった?!」と、
思ったのが事実と知った時、なるほど、彼らしく自分でお知らせをしてきたのだと思ってしまった。
知人縁者の死は、自分の死でもある。しかし自分の中では、より身近になって何時までも生き続けることを実感する。
さようなら、五十嵐恭一!そして、ありがとうございました!  ご冥福を!
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2003年09月01日(月)
880, 敗戦の時 ー有事の時代に突入 −2
 彼が新宿のビルの上から東京を見ると、「大震災の後の無残な街の姿に見えてくる」という。
 このセミナーを聞いていて、その無残な国の真っ只中に置かれて、何も手をうってこなかった自分の鈍さに、
 背筋が凍る思いであった。 99?の人や会社が手をうってないとしても、大震災から疎開する1%で
 なくてはならないのが経営であり、時代を生き抜くということだ。 この内容を一ヶ月かけて熟慮して、
 手順に一つずつ落としていくつもりだ。 去年からの対策を含めて戦略は進行中だが、装置産業はこの有事では
 大きいハンデになる。返済能力が10~15年以内なら「良い借金」の範疇というから、一応大丈夫だ。
 四棟のホテルのうち2棟が新潟駅再開発の道路拡張にかかる。 ついているのだろうが、しかし有事である。 
 ある日売り上げが半分ということもあり得る。 今は返済能力が100年や500年はざらというが、
 その仲間内に入ってしまう可能性も無いとはいえない。 逆に考えれば、大チャンスである。  
 その為には、自宅などの全ての資産を売払い、その全てを金ーゴールドに 換えておく位の覚悟がいる。
 頭の固まった私に果たして、それができるだろうか。できれば今の大震災を軽く乗り切ることができるはずである。
 どこまで決断できるかであろうが。 全てを賭けたゲームとして割り切っていけば面白いだろう。
 このセミナを再度聴きに来ている人が数人いた。 何かわかるような気がした。凄い時代なのに、
 普段の生活の中では実感がわかない。多くの資料を貰ってきて、何度も何度も読み返しているが、考えれば考えるほど 
 日本の惨状に驚きざるを得ない。『今は有事なのだ!!』 「今頃わかったのか?」という声が聞こえてきそうだが、
 実をいうと実感として、正直そうである。 有事の意味の捉え方もあるが。
 ー以前に書いた読書日記をコピーしておきます。
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「財産を無くす人、財産を残せる人 」ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術-
                   ー読書日記ー 清水洋/著

ー私のマトメタ内容ですー
時代を見極めよ、そして早く決断を!
 その為に日本の現在をどういう時代かを整理してみると
・「デフレ基調」に変わった。
・官僚型社会主義システムの崩壊過程にある。
・市場原理が支配する自由競争になるー競争の激化。
・レース型競争社会からゲーム型競争社会になる。
・圧倒的な「勝ち組」とその他大勢の「負け組」と分けられる。
・これから5年間は「最悪期」に入る。
・国債の暴落とハイパーインフレの可能性が大である。
その結果
 ・不動産価格は5分の〜10分の1
 ・株式は5分の1から20分の1
 ・ゴルフ会員権は5分の1から1000分の1
 ・失業率は15~20?
 ・消費税は15~20? になる。
 以上はITなどの情報化や、それに伴うグローバル化が起因としている。
 更にこの動きは拍車がかかるだろう。
企業としては、この流れに対して
・総資産の圧縮と借入金の圧縮
・知的集約の企業形態に変身
・固定資産を手持ち流動資金への変換 ー手元キャッシュフローの流動性を高める。
・不良部門を徹底的に切り捨て、優良部門に集中する
・公的部門の民営化時代に先手を打つ   等への変身への決断をしなくてはならない。
以上であるが、以前この人の経営セミナーのパンフレットをみてさっそく取り寄せて読んだ本である。
これを元に会社を変身しないと遅かれ早かれ消滅してしまう運命にある。 以前書いた随想日記をコピーしておきます。
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2003年01月17日(金)
649, 損切り
ー字数の関係でカット(08年9月01日)
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2002年09月01日(日)
506, 孤独について
人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]
の私の問いに「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに気づくこと」と答えられた。
全くそのとおりである。 若い時に大都会に出る必要性は、大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくこと。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。 じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。
 それを若い時にじっくり経験してないと、「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
 どのようにしてよいか解らないで、そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
 それか濡れ落ち葉になるしかない。失敗の人生である。地方にはこういう人が大部分だ。仕方ないことだが?
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3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2

2010年08月31日(火)

 *初めての21歳の欧州旅行 ー1

 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二以上が、それに当たるからである。
ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。
当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。
モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。
それが突然、目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、牛肉に細い糸が巻き付いていた。
生まれてこのかたヒレステーキなど、食べたことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。
次に初めての海外に降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と緑の中に街がある
御伽の国に思えた世界があった。人種が違うのである。金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、
違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、
北欧人を目の当たりにするのだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。自分の精神を
正常に保つだけで精一杯であった。 当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。
 だから、出発前から気持ちが高揚していた。

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3070, 衆院選挙の結果をみる
 2009年08月31日(月)
 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。週刊誌では週間朝日の最終予測の307が一票差で、
完璧に近い予測。森元総理が落選するかどうかに注目をしていたが、残念ながら?当選、その反面、太田公明党首が落選した。
今回の特徴は元総理など多くの実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の要請である。
色いろな意味で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した結果のオウンゴール(自滅点)。
民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 私の周辺では殆ど自民党を支持する人はいなかった。
 あと講釈で言えば、自民の三代の首相が解散のタイミングを何回も逸し、自民党を粉々に崩壊させたことになる。
もう二度と元の自民党に戻ることはない。 海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。 
権力も失ってしまえば、磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。
アメリカの政治体制の変革に続いて日本も大きく舵を切ることになった。当然といえば当然の流れである。
自民党も振りかえると決してマイナスだけではない。 プラスの面も多かったが一度、
旧態依然の官僚支配の体質の根本的な改革をしろ、という天の声である。
それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。 これで経済に続いて政治も動乱に入った。 
面白くなったと他人事のように言っていられないのが、現在の日本の危機状態である。
幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか? 元もとは布教活動の宣伝活動だったのか?
我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。
次は、新政権の組閣の顔ぶれに興味が移る。 法務大臣が誰になるか面白い。検察のゴミ掃除をどうするかだ。
 これで日本も良きにつけ悪きにつけ大きく変わる。 あまり期待はしてないが、期待できない自民よりは良い。
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2008年08月31日(日)
 2705, 酒の話
ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。 しかし楽しい酒はこれまた格別よい。
致命的な大失敗をしても仕方が無いと割り切れるほど、酒は日常の制約や退屈さから解放をしてくれる。
「酒はモラルの休暇」とは、よく言ったものだ。 世界の人たちは酒の少々の失敗は認めてくれる。
歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌えの大騒ぎを許容する祭りや行事があり、その日のことは、大目にみられてきた。
ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思ってもいない浮気や、失態も起こる。
「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いはベラベラと話してしまう」ことが、酒の一番の欠点だろう。
そういう不節制にも教育的?価値もあるという。 少し無理はあるが、直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。
あまりに真面目くさった人生も、これまた面白くも可笑しくもない。 
下戸の人は、酒を飲んで大騒ぎをしている高揚した楽しさ、至福を知らないまま生涯を終えるのである。 
普段の生活の中に自分を解放する夕時の一時の時間として一般的には、どの世界もアルコールは日常の生活に入りこんでいる。
どの街にも飲み屋街が繁華街にあり、多くの人が頻繁に出入りする。スペインにはバールが、何処にいってもある。 
値段の安い西欧居酒屋である。 そこには、誰もかしこも入り浸っている。
長い歴史の中で、出来上がった庶民の娯楽施設だが、そこで家族や友人同士が夜遅くまで話し合っている。
カフェテラスのように店の前にも席があって、多くの人が親しそうに話しをしているのを見ると、奇異な感じがする。
バイロンは「理性があるからこそ、人は酔わねばならない。人生で最高のものは、けだし酩酊なり」と、いっている。  
  酒に十の徳あり(酒には十種の長所がある)という。
 百薬の長、 寿命を延ばす、 旅行に食あり、 寒気に衣あり、 推参に便あり、
 憂いを払う玉ぼうき、 位なくして貴人に交わる、 労を助く、万人和合す、 独居の友となる。
酒は、つらい日々ほど、その時間だけは美味い酒で楽しい最高の気分になれる。 辛い日々の酒こそ、美味い味わいが残る。
一時的に天下を取ったような気分に慣れるのである。 達成感など実際の喜びを感じるには長い年月と、汗と涙が必要となる。
しかし、酒は酔いという作用で、その喜びを与えてくれるのである。 だから、恐ろしいのである。
 まあ、よくぞ、これだけ、酒で失態をしたものだ。 しかし、その時々に本当に美味い酒を飲んできた。
これが、もしかしたら、人生で一番の価値あることだったかもしれない。
 たまには大騒ぎをするのも良いじゃないですか、ということだが、「御前の場合は、それさえなければ、な〜」
と何度言われたことか。 そして自戒しとことか! でも、私から、それを取ったら毒の無い河豚みたいなもの。
  棘の無いバラ、それともノンアルコールのビール? それにしても、酒を飲んだ楽しい思い出の多いこと。
先日、亡くなった赤塚不二夫の本を読んだ。 今度書くが、明らかにアルコール依存症。
新宿を中心に飲んで騒いだ具体的内容が書いてあるが、想像を絶した酒騒ぎである。
酒を飲んで漫画の世界に入り込んでしまうのである。カリブ海のホテルの一つや二つ分は飲んだと言うから、
数十億円は飲んだのだろう。なら、アル中になるわけだ。 でも、面白かっただろうな、う、ら、や、し、い ! 
  そうでもないか? いや、やはり、うらやましい??
                 
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2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か?        〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
  「狂人三歩手前」−中島 義道 (著)       −読書日記
   ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。
成る程と合点がいったが・・・ 常に考える時、「私」は何々・・・と一日、数百回も自問自答しているのに、
その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。それをキチッと知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。
 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
  ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた主観が
「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようでもう一つ理解できないモヤモヤが残っていた。
過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある「いま・ここ」の主観は、
まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、その「私」を噛み砕いて解りやすく説明をしている。
  −p.86
「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。
だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がっているが、なぜこれが「私の」
身体なのだろうか?そこに独特の感じがするから?だが、なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか?
こう問いつめていくと、この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の独特の作用によって
端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見いだせない。「私」とは知覚しているときに、
同時にそこに感じられるものではないか?いや、胃がきりきり痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。
そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的主体なのではないのか?多くの哲学者はそう考えた。
そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な
発光点のようなものであるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。
ここで、別の視点から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間における同一なものと了解されている。
「私」とは過去のあの時も同一の「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を見比べて
判定するのではなく、現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。
「私」は、過去と現在との関係において登場してくるのだから、現在の世界を隈なく探しても見いだせないのは当然である。
過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っているのだ。
現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによってはじめて「私」は身を現わすのである。
ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が不在であっても「私」の同一性は保たれるということだ。
夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。
「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。
まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を見ていたことになるのである。
夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、
ぼんやりもの思いに耽っている時など、いわば消えている。しかし、あとから「私は〜していた」と語れる限り、
その時「私」は存在していたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。
ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう三時間も経っている。
私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。
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夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。じゃあ、夢の中で私は何々、云々と
いっているのは何だろうか?ただ夢の中で過去のことを考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない
純粋何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何かを考えていた!
 ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、また夜半にリアルな夢をみた  グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ
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2006年08月31日(木)
 1976, 充実した人生
  おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・  時差ぼけだ〜
先日の新聞広告の「男の品格」という紹介文で「自分の一生が幸福だったかどうかは、男にとっては大した問題ではない。
だが充実していたかどうかは大きな問題だ」という内容があった。ところで私の場合はどうか、考えてしまった。
幸福度は70~80点? 充実度は、どうだろう? どうしても知人との比較対象になってしまう。
その充実度は外的なものになってしまう。 それでも、やはり80点か? 幸福度は気持ちの問題だから、
その本人次第だが充実度は? やはり過去の人生の密度に関係してくる・・・
密度は濃かった?、それとも淡白だった?のだろうか・・・
ところで「充実したか」と、「幸福」を置き換えて、「人生は充実していたかどうかは大して問題ではない、
だが、幸福と思えるかどうかは大きな問題だ」という理屈も、成り立つのでは?
充実をした人生を送ってない人も多いから、その見方も大事じゃないかと??     ( ̄ω ̄;)!!
全て解釈ー受け止め方、そう言葉・言葉でしかない。 どう考えても充実した人生を送ってない人が、
自分は充実した人生を送ったと勝手に思い込んでいる人もいるし、充実した人生を送ってきた人が、
自分は充実した人生を送ってこなかったと思い込んでいる人もいる。だからよいのだろう!人生は。  
充実した人生か〜 やはり大事なのだろう! ところで充実した人生とは?
・感動・感激・感謝の詰まった人生
・自分の夢を追い求め、そのプロセスで自分の力を出し切った人生
・自分の好きなことをやり遂げた人生
・燃焼しきった人生
・よく遊び、よく学び、よく働いた人生  というところか!!    ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
 美味い酒を飲んで、美味い飯食べて、上さんで満足して、ニコニコしていて、
充実した人生のことなど我関せずで人生を終えるのも良いのだが・・・
ところで充実している時って充実感など意識してないものである。食べている時満腹感がないのと同じこと。 
感動・感激、そして達成感などが、溜まった状態をいうからだ。不幸のときに充実感はない!
しかし充電をしているのだから、空の状態。下手に充実感など持たないほうがよほどよいのでは?とも考えられる。
まあ、いいか! この旅行の直後のためかイヤニ充実感がある! 気功をすれば、 早朝の散歩も、 
気の充実はできる。 それで充分といえば、それまでだが・・・           
               ホンジャ(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・
2005年08月31日(水)
 1611, 日本人「上機嫌化」プロジェクト−2
 
著者の斉藤孝は、日本人の持っているエネルギーは「自己肯定力」と看破している。
日本人が忘れかけている独自的な自己肯定力を、次の6つの特質としてあげている。
前回も書いたが、その6つを少し詳しく繰り返しみてみる、
1、日本人とは「上機嫌文化」をもっており、毎日の労働の中でも楽しむことを忘れず、
 仕事の辛さを軽減する智慧があった。
  (以下、字数の関係でカット09年8月31日)
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2004年08月31日(火)
 1246, オーストリア旅行記 −1
 8月22日〜29日までオーストリアのツアーに参加してきた。最近、文化圏の国に行ってきたのは久しぶりである。
オーストリア一周というから、自然系の旅行かと思って行ったが、チロル・アルプスの景観を見る機会は殆ど無かった。
チロルといっても、ザルツブルクやグラーツやインスルブルクなどの都市の教会やお城を見る内容であった。
それよりも、ヨーロッパ文化の底知れぬ深さに驚いてしまった。何ごともそうだが、実際何ごとも経験したことしか、
自分の世界が広がらないことを毎回実感する。知識も然りである。生きるということは、自分の世界を少しでも広げる
ことでもある。学生時代の欧州一周旅行でウィーンに来たことを思い出したが、ほぼ記憶に残っていないのには驚いた。
  オーストリアの概略を書いてみる
・オーストリアの面積は、北海道とほぼ同じ。
・人口は800万人、そのうち170万人がウィーンに住んでいる。
・国土の65%が山岳地区。
・欧州の中央にあり、北の異民族の防波堤的役割があった。
・ハプスブルク家が何といっても有名である。
日本の人口の15分の1しかないのに、これだけの存在感がある。
やはり文化の深さと広さが、それを成しているのだろう。
                   ーつづく
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 2003年08月31日(日)
879, 敗戦の時 ー有事の時代に突入
『会社と個人の資産防衛セミナー』
2003年8月27日 池袋・かんぽ会館12時30分〜17時
              講師清水洋  −中央会ー主催
東京で先日『会社と個人の資産防衛セミナー』に参加してきた。 以前この随想日記に、
この講師の本の感想文を書いたことがあるが、実際のところどうなっているか聞いてみる時期にきていた。
講師の清水洋の本を二冊読んでいたが、実際参加してみて日本の現状の酷さに驚かされた。
彼は税理士をしていると同時に、会社の再建・再生・債務対策などの指導に奔走している。
その生々しい一言一言がドラマで面白くさえあった。
40人ぐらいの参加者全員が食い入るように聞き入っていた。そのためか、講師も熱が入っていた。
ー要点を印象順に書くとー
・近い将来、間違いなく国債の暴落・金利上昇・ハイパーインフレになる。それに備えてヘッジを
しておくべきである。 動産ー金ーなどに換えておくべきだ。 銀行は預金封鎖もあり得る。
 戦前の預金閉鎖の法律が残っており、閣議決定だけで可能である。
・年間1万9千社が倒産といっているが、実際は転廃業を含めると22万社が消滅している。
 これは関東大震災が目に見えないカタチで毎年おきている以上のことだ。
・今年140兆、来年が150兆、再来年が170兆円の国債発行の予定。
 −という事は、一家の借金にすると毎年500万円の借金が増えていることになる。破綻をはるかに超えている状態。
・それをカバーするのは国債しかない。そろそろ銀行が、その買取に難色をはじめてきた。
 次の手段として小口にして国民に売り始めた。歴史的にみて、そうせざるを得なくなった時は国家財政の破綻の時期。
 第二次世界大戦の敗戦直前に、戦時国債が多発された。 それを信じ買い取った国民は財産を失った。
 金やドルに換えていた人もいたという。そういう人が大資産家にとってかわった。無知蒙昧な国民がこぞって買い始めている。
・現在は大清算時代の有事の時だ、今までの考え方では自己防衛は不可能だ。今までの常識を全て捨てることだ。
・不動産はまだまだ値下がりが続く。良質の不動産と、それ以外の不動産の価値の差がますますつく。
・借り入れは可能な限り返し少なくすること。
・政治家の旧守派と官僚と財界の利権のトライアングルが国家を破綻に導いている。
 国民がその自民党を支持している。この程度の政党の嘘に騙されている国民そのものが悪いのだ。
・日本政府は世界最大の金融機関である。郵貯に、年金、多すぎる税金をかき集め、政治家と官僚が好き放題使っている。
 道路に橋に第三者機関によるホテルや体育館などなど。 すべて採算割れ。 
                     ーつづく
・・・・・・・


3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1

2010年08月30日(月)

秘・異郷の旅、よもやま話 ー1

  * 海外旅行に見せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを思いのまま書いてみる。
その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験をリアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。
人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。
そのために、行き先の選定、日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方から、逆照射してみた
自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。
まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。 
旅先で、絶対に行きたかったが行けなかったところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。
秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。
その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 
 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、
あの時の下地と、21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここまでノメリ込んだのだろう。
その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かのチャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長のようになる。
「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。

 ・・・・・・・
3069,新インフルエンザの恐怖
2009年08月30日(日)
 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。
どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。
先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでのインフルエンザ(=B)との
違いを説明をしていた。その内容とは、
 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、気管支がやられ呼吸などが困難になる。
 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。
 ・5〜19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。
 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。
 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。
 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。だから、人の集まるところは何処もかしこも菌だらけ。
   こんなところだが、ようは殆どの人が罹ると理解した方がよい。
一昨日の新聞報道では、まず10月半ばに一波のピークが来た後に、一度沈静化をして第二波がくるという。
来年の3月までに3500万人と三割が感染。その一年後の2011年までに8000万人と7割以上が
感染する可能性がある。 世界的にみると、大流行が終わるまでに3割の20億人が感染するとみられる。
 WHOの新インフルエンザの症状として、
 ・顔が青ざめ ・呼吸困難になり ・休息の間でも呼吸困難になり ・痰に色がつく(血が混じったり)
 ・意識もうろう ・三日を超える光熱 ・低血圧  等々。
 当方の商売が商売だけに、これが日本中に蔓延した時の10月以降を考えると恐ろしい。
最悪の場合、数ヶ月間も客が半減し 「   」 現実に有りえることだ、そうしたら・・・後は天まかせ?。 
 金融恐慌の最中で、更に日本経済は壊滅状態? 特に地方経済は体力が消耗しているので深刻。 
当然、ビジネスホテルは直撃を受ける。 その上に新潟国体が中止か、大幅に縮小ということもありうること。
現実に身近にも感染者が出てきている。 盆休みで海外旅行から持ち帰った感染者や、里帰りでの交流で
広範囲で菌が交流し、その子供達が明日から新学期、そこが菌の媒体の場所になり爆発的蔓延はあきらか。
一ヵ月後の9月末には、日本中が新インフルエンザがピークを向かえる。 新潟国体も予断を許さない事態もある。 
明日からは、政変と恐慌と新インフルエンザが重なった大津波が吹き荒れるスリルとサスペンスの日々!  
 ・・・・・・・・・
2704、共同幻想を抱いていただけ?
 2008年08月30日(土)
 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。
一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。 そして右肩上がり人間圏の拡大が共同幻想だったことを、
人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、
これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。
 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。
 ≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、錯覚していたのである。
 これが人類の「共同幻想」というのである。共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に交換可能とか、神様の存在とか、
 人間の命は地球より重いとか、民主主義とか、市場主義経済とか、自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。
 21世紀の人間圏にとって、その崩壊の引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と
 認識されたときである。 その一つがインターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、
 情報が個人に拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化していくことになるが、共同幻想という面では
 理想的かもしれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。
 それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》
  そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。
 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。
日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉である。
吉本は、自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、
ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。
この分類は効果的であり、世界を正しく見るうえでこの3つの幻想領域を混乱、混同させないことが
大事であると吉本は主張する。これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。
 例えば、吉本は心理学者のフロイトはリビドーと言う対幻想性を、社会領域まで無条件に拡大して採用しようと
したところに誤りがあると批判する。また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。
 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、それぞれ違うのである。
 外弁慶、内弁慶という言葉があるように、冷酷な独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親であったり、
 逆に職場では物静かな男が、家庭内では暴力的な暴君として振舞うなどということは、充分ありえる。
吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張する。
 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、
 労働力を売りに来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 
 〜〜〜 以上だが、
 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。
地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた小さな生命でしかないことだ。
太陽の惑星の一つの地球、その大気圏の中の、物質圏の、生物圏の、人間圏の、極東圏?の中の小さな島国の、
北陸圏の、新潟圏の中の、何でしかない私。 地球の外から俯瞰すれば、そういうことである。
そして、共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である自分を振り返り、「何?何だったのか?」
と根こそぎ、人生観がぐらついている。恐らく、身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに
見える宇宙的な俯瞰の視線は、織田信長が舞ったという敦盛の
「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。
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2007年08月30日(木)
2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢
  -v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○o。(-v-★)
これだけ、ハッキリと憶えている夢は珍しい。毎朝書いているモーニング・ページに夜半にみた夢を書いているが、
殆ど忘れている。それでも、五日に一度位は大筋は書いているだろうか。夢から醒めた直後は忘れないように反駁をしているが、
しかし殆どは反駁したことだけしか憶えていない。ところが、どういうわけかリアルに殆ど憶えているのである。
夢見た直後に、リアルに、詳細に書けば、読んでいても面白いだろうから、あえて書き出してみる。 
まずは、私の夢の世界を、ご覧あれ。 私の潜在意識の公開である!
ーーー
近所を散歩していると、面白そうな家が目に付いた。家の向かって右の方に、子供のための遊び場がつくってある。
そこで主人らしき人が手作りで何かを作っている。 声をかけると、中に入ってもよいという。
そこに入っていくと右が廊下のようになっていて、手作りの小さな部屋が5つ位ある。
その中に子山羊がいたり、こどもの遊び場があったり、遊び道具が入っている。
その廊下の奥に少し広い空間があり、カヤックやカヌーなどが置いてある。
家の右全体が自分たちの遊び場として、その主人・松尾という人が自分で手作りで作ったという。 
そういえば去年、大学の学生時代の友人がカヤックを持ってきて新潟の阿賀野川の河口で大水の中、
二時間ぐらい遊んだことがある、と言うと、急に打ち解けてくる。そして、居間に案内をする。
そこには、彼の友人が4〜5人遊びに来ていた。毎週のように週末は仲間が集まるという。そこで奥の方の部屋に行き、
そこで松尾さんと話をする。薄っすらとした髭をはやした五十歳位の人で、自由業のようだ。
名刺をだそうとしたが、出さない方がよいと判断、自分の姓だけをいう。
急に睡魔が押し寄せてきたが、そこに10歳位の彼の息子が来て、正座をして挨拶をする。
私も挨拶をしようとしたが、眠くてできない。 その松尾さんに、「あなたは自由業でしょう。弁護士か、医者か、
会計事務所の先生とか」というと、その通りだと答える。そうじゃなければ、このような好きなことを好きなまま、できないはず。
ところが、この夢には次の場面がある。翌日、何と家内を連れて、その松尾さんの家に行ったのだ。
そして、家内は松尾さんの奥さんと話をしている。半分お互いに知っていたようだ。
二人で世間話を始める。まあ、せっかくのところに何で家内か、と思っているうちに帰ることになった。
ところが、何か騒がしいので行ってみると、この家の老いたお手伝いさんが前日亡くなり、
そのお参りに近所の人が来ていたのだ。 そこで私も、仏壇の前でお参りをする。
身寄りではないが、お手伝いとして面倒を見ていた人という。 聞いていて涙が出てくる。
その後、一人で自宅の前に帰ってくると、宅配の人が玄関口にいる。その前に宅配の人がきていたようで、
不在の紙がある。そして、家に入ろうとすると、何か人の気配がする。二人の息子と、二匹の犬が一Fの部屋にいる。
庭から部屋の中を見るとまだ高校生の彼らである。 その辺りで眼が覚める。
何か不思議な、リアルな夢である。心象風景ということか? 他人の夢を垣間見るのも面白い?
というより、珍しいか!私も直後にこれだけ、鮮明に文章化したのは初めてである ネムイ!
                :(,, ・∀・)ノ゛ マタネー.:+:
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2006年08月30日(水)
1975, 写真家はインドをめざす       \(^▽^*)おは!
              ー読書日記
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。
この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。 読めば読むほどに何とも魅力のある本である。
いや本が魅力があるというより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。
カルカッタのマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、
せめて屋根のある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。
インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7〜8頁の文章と、10枚位の白黒写真がその文章の後にある。
画家や写真家のエッセイは何故、ここまで優しく鋭く人の心を捉えるのだろうか?
恐らく、一瞬の被写体の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。
(字数の関係でカット09年08月30日)
  ーーーー
「写真家はインドをめざす」青弓社 (共同 著書)  (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
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2005年08月30日(火)
1610, 閑話小題
ーダイエー長岡店閉鎖ー
ダイエーの長岡店に一昨日の日曜日、最後の見納めで行ってきた。あと閉鎖まで三日ということで、
殆んど商品がない状態。最後の残りの商品にハゲタカかハイエナが集るように客が、右往左往していた。
本来は閉店といえば、問屋が売れ残り商品をドサクサに紛れて売るのだが、その元気もないようだった。
ダイエー出店で長崎屋が閉鎖に追い込まれ、今度は郊外のSCやスーパーセンターに敗れ去る姿は
現実の厳しさをそのまま露出していた。
ー今度の選挙は自民大勝かー
 (字数の関係でカット08年8月30日)
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2004年08月30日(月)
1245, オリンピックが終了
オリンピックが、昨夜(日本時間では今朝方)終わった。期間は8月12日から29日までの17日間であった。
結局は金メダルが16個。前回の三倍、東京オリンピックと同数、であるから大成功だった。
復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。 私の印象の強い順に書くと
・金メダルを16個取ったこと
・女子マラソンで野口が優勝したこと(丁度ツアーで、ウィーンのホテルでチェックインをした直後にゴールを見た)
・柔道が8個の金メダルを取ったこと ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、
 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど
・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった選手が優勝をしたこと
・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝
・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝
・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと
 −日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明したことと
これで、一リーグ制に加速がつくだろう  以上、誰もが同じ印象であろう。
ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮が
冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。そしていつの間にか彼らの得意競技になっていた。
それを一部とりかえしたといってよい。いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって
金メダルを狙いにいった結果だった。 まあ素晴らしいことだ!
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2003年08月30日(土)
 878,「何故なれない富士山が世界遺産に!」
 先日のNHKTVの「クローズアップ現代」をみていて驚いた。「富士山が世界遺産の指定から外れてしまった」
と真面目に取り上げていた。「馬鹿たれ、ユネスコの世界遺産とは何ぞや知っているのか!」
こんなものはフランスの一部の利権屋の既得権のワッペンの世界でしかない。
そのことを西アフリカのツアーで嫌というほど知らされた実感である。
 そのツアーの謳い文句が、「世界遺産を見てまわる旅」であった。
ところが、その世界遺産というのが見るに耐えない塵以下の代物だった。
殆ど意味のない、小さな小屋が世界遺産という。これは詐欺以下の世界である。
添乗員曰く「これは詐欺の世界で、世界遺産はそういう西欧のラベルーワッペンの代物でしかない!」
「うっせい、この野郎!それを謳い文句でパンフレットに載せて、つれてきたのはどこのどいつだ!」
と心の中で思ってもすでに遅かった。 NHKの番組で「何故、富士山が世界遺産から外された?」と
真面目に取り上げていたのだ。このことを解ってNHKも放送しているのだろうが、まさか「天下のユネスコの世界遺産とは
その程度のものだ」とも放送できないのだ。何の意味がない世界遺産をタップリ時間と金をかけて行ってゴミ?を
見せつけられた経験がいわせているのだ。 この文章をみて「私の偏見で決めつけているいるのではないか?!」
と考えるかも知れないが、実体験でこの目で見た事実である。どうしても西欧の価値観で決められるのだ。
自分たちが過去に統治していて、今も関係の深い観光資源に甘くなる。「こんなもので遺産はおかしいし、
まだ富士山が選ばれてない」と、その時も添乗員が言っていた ノーベル賞も、「もっと質が悪いもの」と考えると
世界が違って見えてくる。あくまで欧米の政治的価値観のレベルでしかない。馬鹿みたいなのが、この表象世界である。
しかしそこに住んでいるのが人間でもあるのも事実であるが。特に閉ざされた国の日本人は、世界遺産とかノーベル賞という
言葉だけで信じてしまう傾向があまりにも強い。更に地方にいると、こういう視点を持つこと自体が変人扱いをされてしまう。
「他の星の住人の視点」をこういうグローバルの時代こそ必要ではあるまいか!
フランスでは大統領に当選すると、まず大統領マニュアルを徹底的に叩き込まれるという。
その中に「地球儀を数メートル離れたところからみる習慣化の訓練」があるという。
それを知ったときは、なるほどと納得したものだ。自宅では、TV の横に100円ショップで買った地球儀が置いてある。
会社では、机の横に子供が使っていたボロボロの地球儀が置いてある。
時たま稀有壮大のことを考えるのは、そのせいだ。
100円ショップというところが自分でも(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)(^o^)丿!
週に数回は地球の旅の番組をTVで見るときに手にとって見るが、非常に便利である。
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3443, 最近の昼飯事情

2010年08月29日(日)

  * まさか昼飯がパン食になるとは!
 最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーで買ってくるパン食に切かえた。
時どき弁当もあるが、どうも冷えた弁当は部屋で食べるにはそぐわない。レンジでもあれば別なのだろうが。
それもインドのナンのようなものでパセリと海老か、唐揚げを包んだものがラップに巻かれている。
若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。 以前は、他にカレーパンなど二個だったが現在では一個にバナナ。 
この歳になると、味は美味しく、サッパリして、腹に持たないものを求める。とすると女性向きにつくられたものが丁度良い。
30年近くのランチャーも卒業で、お部屋でヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。
 駅内にあるミニ・スーパーの弁当コーナーを見ると、300円弱から400円辺りが中心プライス。月に3〜4回は買うが、
何かイマイチ。 駅のベーカリーにイートインのコーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。
近くのマクドナルドなどと競合しているが、殆どが女性客。 早い時間から客席は半数以上は埋まっている。
最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。 最近、ほぼ同じものが地元のスーパーに見かけられるようになった。
スーパー原信が、地元のベーカリーチェーンを買収して、自社店舗内に出店している。土日のどちらか一日の早朝7時に毎週
行って、焼き上がりのパンとコーヒーを飲むのが楽しみの一つになっている。
昼にパン食に切り替えてから体重が1〜2キロほど痩せたが、これで20歳半ばの体重に戻った。歳相応になったということか。
 それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。
 
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3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると!
 2009年08月29日(土)
 衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。
バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なって見える。
サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナを掴むと手が抜けない。
そこを捕獲するという逸話がある(本当かどうかは確かではない)。
それと、自民党の300議席からくる権力の執着に似ている。 誰かがこの喩えを使うかどうか。
  翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。
  * 民主党の大勝に意味すること 
《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民の失意の結果。
ところが自民党の領袖たちは最期まで、その自覚が全く無かったようである。
一年おきに、実力の無い首相を血統書のブランドだけで三人もたて続きに送り出し、その醜態を見せつけられれば、 
国民は愛想を尽かすのは当然である。 自民党は、国民を小泉劇場という猿芝居で騙し取った議席で4年間も居直り
官僚に利する政策を続けた結果が、これである。 日本の歴史に残る最悪の事態に導いた4人の宰相と、
元首相や元領袖などは、汚点として評価されて然るべきである。 
この7〜8年間に新自由主義の波に乗り、堀江モン、村上某、オリックスの宮内某とかの、怪しげな乗っ取り屋が
マスコミで寵児のように扱われた。 その結果、日本的企業風土は粉々に壊されてしまっていた。
 小泉の行った郵政民営化は旧態依然とした体質に風穴を開けたことは確かである。 
民主党が、それを全面否定してはならないが、大きな修正の必要性はある。
 ところで日本の国体をこれほど落し込んだ元凶の田中角栄の娘が、風の流れに便乗して民主党に入り込んで
閣僚を狙っている?と報じられているが、外務大臣のときの醜態を二度と国民の前に出してはならない。 
 落選した自民党の大量の元代議士が今度は参院で再起を目指して、水面下で選挙を目指して起死回生をかけるだろう。 
その結果として、参院が自民・公明党が過半数を取ることになれば、これまでと全く逆転する皮肉な事態になる。 
そのプロセスで政界再編成になるだろうが、この政治的に幼稚な日本という国にとって、この5年間は大転換期。
可能な限り安定した政局の必要である。 民主党の待ったなしの強力な戦略が求められる。 》
 大方、こんな風な内容だろう。「自民に不満、民社は不安」とは良く言ったものだ。変化は不安だが、必要である。
 ・・・・・・・・
2703, 「レンタルの思想」−7
 2008年08月29日(金)
 地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、生成されたもの。
 聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密があるのだろう。 趣味の究極は石になるというが、
 それもまた同じ理由なのかもしれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。
  全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。
 〜〜
「宗教の隕石学」への挑戦   松井孝典×植島啓司
 *聖地の岩石学
松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、みんな石切り場だ」ということです。
植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。
松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。
植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して出会ったものは「石」であった。
    エルサレムの黄金のドームは「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。
    聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。 ストーンサークル(環状列石)、 
    岩石刻文の宝庫であり、 パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、エジプトの
    ピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。
植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、なぜ石なのか、石には何か特殊の
    力があったのか。・・・ 古文書として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。
    ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。
    石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・
松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、巨大隕石の衝突と地球史・生命史を
    結びつける考え方は、科学では退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在や
    考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあったかもしれない。
松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が報告されているが、これが人間が少ない時に
    大空から大音響とともに火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。
  〜〜
解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。 私も多くの聖地を見てきたが、全てが石組みであった。
  古代は大創造物は石しかないのだから、何も不思議ではないじゃないか、 という見方も出来るが。
  隕石に不思議な成分が含んでいたのかもしれないし、宇宙の暗号があったのかもしれない。
  現代の人類が、その暗号に気づかないだけなのかもしれない。隕石に不思議な波長を、特殊能力のある人は、
  感じ取っていたのだろう。空から轟音とともに石が降ってくれば、神からの贈物と思うのも不思議ではないが。
  「聖地の隕石学」も面白いだろう。親父が晩年、石に興味を持ち、うちの庭には大きな石と石灯篭がゴロゴロある。
  一昨日も、兄の庭にあった石灯籠を一つ引き取った。 
  一年ほど前から、庭の花を写真に撮りだしてから、ここの庭に興味を惹かれるようになった。
  石と木と花と緑のバランスが良いが、実は特徴は背景の石だったということだ。
・・・・・・・・
2007年08月29日(水)
 2339, 意志について  ・ω・)ノはよー
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
  −哲学などしないようにー
哲学は、全て根こそぎ疑い、そして疑いの中から真実を見つけようとする。
哲学は曖昧な言葉をミキサーのように砕いてしまう。 意志についても哲学者は、その言葉に含まれている前提を見逃さない。
殺人者は、殺そうという意志があって成り立つ。(衝動もあるが)一般的に意志は初めから「善いもの」という前提がある。
その前提を見逃さないのが哲学である。だから、嫌われるのである。 といって、曖昧な考えは、判断を狂わしてしまう。
真理をさけて通ることは、さけて通ったという事実が残る。
ーー                  P−174
世の中で信じて疑わないことのほとんどが眉唾ものである。
とは、10歳の頃から直感していたが、ーそれを一つ一つ「やっぱり」と納得していく過程が私の人生であった
「ある」とは何か、「いま」とは何か、「私」とは何か、「善い」とは何か、人生経験を積めば積むほど夜中に
森の中をさまようようにわからなくなっていく。とりわけ、このごろ「意志」と呼ばれているものは、
ただの社会的取り決めにすぎないのだ、という思いが強くなってきている。 私はすべてにおいて優柔不断であり、
何かを選んだ瞬間に後悔することはざらにある。「タンメン」と注文した瞬間に「味噌ラーメン」にすればよかったと後悔。
だが、すぐ取り消すのは恥ずかしいし、もう作り始めているかもしれないし、とあれこれ考えて、ぐっとこらえるのだ。
  (字数の関係でカット08年8月29日)
 ーーーー
そういうこと! 哲学など徹底的に割り切って鳥瞰していないと、社会を混乱させるに過ぎないだけである。
                   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年08月29日(火)
1974, 東京駅の一瞬の出来事!
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・時差ぼけ!
ケニア旅行の帰路、最終の新幹線に間に合わないので日暮里に泊まった。
翌朝、東京駅の新幹線改札口の近くに行ったところ、突如顔色を変えた黒服の背広の10人位が走ってきて
通行をストップした。一瞬、テロ爆弾の予告電話が入り閉鎖を始めたのかと思った。
しかし、その直後冷静にみると何か違う。黒服の男達は改札口の両側にロープを張って、その中に人を
入れないようにしている。「はは~、超ビップの新幹線の乗り込みのための警戒のための何か?」と直感。
逃げかけた家内を呼び止め「超ビッグのための警戒。面白そう見てみよう!」次の瞬間に、カメラを出してと、
家内がいう。近くにいた人がやはり携帯電話のカメラを出した。私も一瞬迷ったが
バックにデジタルカメラを有ることを思い出した。そのときは、皇室??を忘れて写真を撮っていた。
近くのSPが嫌な顔をしたのが一瞬わかった。 それをさせないのが、SPの技術のなのだろう。
そして、一枚撮って、その後ビデオに切り替えた。しかし、それは写って無かった。東京駅では日常だろうが・・
天皇・皇后様が新幹線に乗るときの状況を直に見るのも面白い。新幹線に乗るときに数分間の一瞬の間しか
交通止めしかできない。もし閉鎖で乗り遅れたら、国民の反感を間違いなく受ける。
我われの目線は天皇であろうが、                    \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・
2005年08月29日(月)
1609, 愛とは何か −1
この歳になって、いまさら「愛とは何か」でもないが、この年齢でなればこそ、愛が人間の心の背骨と実感する。
ある愛の定義が納得のいくものである。「愛は、自分自身や他者に対して共感的にあるがままに受け入れることと 
尊重することである」これから考えてみると愛することとは、自分を自分として、他人を他人として受け入れることになる。
まずは自分と他人を尊重することである。他人を愛するということは、よかれと思い、その道を一緒に探し求めることである。
判断や批判なしに受け入れることが、愛の第一歩である。飯田史彦著「愛の論理」の「愛」の定義が面白い。
その一部を抜粋してみると、
 ー愛の定義 p.334
愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、
永続的な意志と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。
p.374
私たちは、愛の実行力からみた人間としての成熟度に応じて現在の自分に可能な範囲で精一杯の愛を実行すればよい。
なぜなら、成熟度を大きく超える愛の実行を試みても、そこには必ず無理が生じて、自分自身を痛めつけたらり、
相手をも巻きぞえにして傷つけてしまう結果になるからである。ただし、私たちは、自分の成熟度を高めるための努力を、
つねに怠ってはならない。なぜなら、私たちは、愛の実行のみによってゆるされるのではなく、
より高度な愛を実行しようと挑戦することによって、ゆるされるからである。したがって、私たちは、はるか彼方にそびえる
「愛の山頂」にあこがれながらも、いま目の前で踏みおろすべき「次なる愛の一歩」を、見きわめなければならない。
そして、まだ山のふもとや中腹を歩んでいることを自覚しながらも、
着実に山頂を目指して登ろうと努力する時、その勇気と成長によって、私たちはゆるされるのである。
ーまた谷川俊太郎の詩がよい
   あい    谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
 愛  文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
 愛  悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛  いつまでも生きてほしいと願うこと
 あい それは愛ということばじゃない
愛  それは気持ちだけでもない
 あい はるかな過去を忘れないこと
愛  見えない未来を信じること
 あい くりかえしくりかえし考えること
愛  いのちをかけて生きること
 −−
 宗教の愛についての教えも深い。 愛について聖書にはこう書かれています。
「愛は寛容で、情け深く、ねたむことをしない。高ぶらず、誇らず、無作法をしない。自分の利益を求めない。
いらだたない。恨まない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。すべてを忍び、信じ、望み、耐える。」
また仏教では、「無縁の慈悲」を究極の愛の姿としています。
つまり、私が誰かに何かをしてやるということを全く意識しないで、他者を幸せにすることです。
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2004年08月29日(日)
 1244.お笑いコーナー 今日のお笑い 
  (字数制限のためカット 2010年8月29日)
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2003年08月29日(金)
 877, 女の盛り時ー女とオバサンの境い目
十数年前に、第一生命の叩上げの財務の人と飲んだ時期があった。
女性を知り尽くしている人という感じであった。こと女性に関しての一言一言が相通じるものがあった。
私も姉が4人もいたり、女性の職場にいたため、女性の裏表を知っているつもりであった。
しかし体を張って保険をとってくる女性を管理してきた人の言葉は、全く違う響きがあった。
・保険勧誘はギリギリのところの女性を動機付けていなくてはならない。
 部下とは塀の上に一緒に立って(男女の中という意味)いないと仕事にならない。その危なさが何とも面白い。
・女性の盛りは40歳からの数年である。丁度人生の曲がり角で一番危ない時である。危なさが微妙に女性の魅力に
なっている時期である。 オバサンになるか、今一度最後の花を咲かせるかの境い目が何とも良い。
なるほどと思って、その視点で見つめなおすと全くその通りである。
高峰秀子が何かの本で「女性は45歳が境い目で、急激に坂道を転げ落ちるように変わっていく」と実感で書いていた。
何か第一生命の人の言葉と相通じるものがあった。 女としての最後の輝きが全身から出てくるのだろう。
その時期に、私の姉たちと従姉が葬式で同席した。その年齢の境い目の前後の姿を、そのまま目の当たりに見てしまった。
 しかし、チャンと身奇麗にしていれば、その年齢の魅力は出てくるものだ。
年齢を重ねれば重ねるほど、自己管理が必要ということだろう。それは男女に関係なくだが。
内面がそのまま表に出るから恐ろしいのが歳の蓄積である。昨夜も同級会の幹事会で悪臭を撒いていた
「おれは中卒だ!」が口癖の漫画に出てくるような職人がいたが。
同級の女性達も、年齢の割りにちゃんとした魅力を保っていた。長年の品位が魅力になってくるのだろう。
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2002年08月29日(木)
 503,「10,4,2,1の法則 」-2
我々は何時の間にかこの逆をやってしまうことがある。一つことをやって上手くいかないと次のことを始める。
それはそれでよいが、やめてから次のことをすべきである。やめないで、次から次に始める。上手くいって
舞い上がって始めるケースも多いが。力の分散である。飲食店の場合、見ていると本当に多い。
東京TVの「愛の貧乏大作戦」を見ていると面白い。追い詰められた商店主の店を建て直す番組。
主力の商品がお客に受け入れられなくなり廃業直前になる。メインの商品の落ち込みを他の商品を広げて逃げてしまう。
更に主力商品の力が落ちる。そのことすらも気づいていない。上手くいっている店は、商品の絞込みがしっかりしてある。
その店で修行する番組なのだが、その段差が漫画的ですらある。いろいろな失敗の中でそれに気づいている店主と、
全く気がついてない店主の差が歴然としている。マクドナルドはハンバーグだけであれだけ大きくなった。
ただハンバーグでは大きくなれない、あとはシステムの構築だ。それも数十年かけた。街の大衆食堂は何でもあるが全て中途半端だ。
その道のプロならまだよいが、素人が中途半端で始めると目が当てられない。近くの飲食店で死にかけている店がやはり
同じことをしている。拡散はメインの商品の質の低下を引き起こす。自分がレンズになり、メイン商品に焦点を当て続ける事だ。
そうすれば、そこにはエネルギーが集まる。自戒も込めて書いている。私の場合は、客室プライスの価格破壊の徹底と、
それでも利益を出せる仕組みつくりだ。話はそれたが、時代の変化に対して変化し続けることは難しい。
一つの事を止めて、次の商品の開発は大事なことだ。商品も事業もだが、メインの深耕を本当にしてからだ。
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2001年08月29日(水)
 [125] 目には目を歯に歯を
この意味をイスラエルに旅行するまで全く知らなかった。 実際の意味はその正反対の意味であった。
それまでは目をヤラレタラら殺す、歯をヤラレタラ目をやる。それをヤラレタ範囲で仕返しをやる、
というむしろ優しい掟であった。それだけ激しい条件の世界であった。
旧約聖書でいつの間に当たり前と思っていたことが、そこで始めて規制されていた。
ホモもしかり、それまで当然の世界で何もおかしい世界でなかった。
その倫理をただ旧約聖書が規定したから悪いことでしかないのだ。そのことをイスラエルではじめて知った。
5000年前にアブラハムという部族長が神の声を聞いてその声に従って、イスラエルに向かった。
そのアラーの神に今も世界が支配されている。キリスト教の神もそのラージXでしかないのだ。 
イスラムののアラーの神も然りである。考えてみればあの裸の王様でしかない。
皆解っていながらそう考えておいたほうが、良いから信じてしまえと鼻声で X を神にして祈っている。
確かに人間の人知に及ばない何かがあることは当然だが、それを単純に神に集約するのはおかしい。
しかし神の名の元に基準は必要であり、言葉を待ってしまった人間ー過剰な欲を持ってしまった人間ー

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