堀井On-Line



3422, 哲学者の言葉 100 ー2

2010年08月08日(日)

 * 第一章、哲学と人間
  ≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
 これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。
そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、学歴差、
などあるが、まずは、同一性が問題になる。  まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。
さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、最後には乗り越えることの
できない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、死によってもたらされる」  ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち
思考する生物であり、行為によって国家(都市国家・ポリス)を法律のもとに共同体としてつくった生物であり、道具を製作し仕事をし、
経済によって生計を営む生物なのであるが、決定的なことはそういう事柄にはない。 人間の本質は運動の中にあるという。
人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。
人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で
「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを
知ったときに、人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、
それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパースは考えた。
人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければ
ならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが、
「すべての人は、われわれのようなものである」というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】 
 〜〜
《 人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、
 その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、究極の真理である。
 そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまう
 から、ことが拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。老いは勇気の喪失からくる。

 ・・・・・・・
3047,自信過剰な人
2009年08月08日(土)
  異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、
 それが自分の実力を超えた思い込みでは、自滅する確率は高くなる。
 やはり身近で自信喪失の人もいるから、その両者の断層から多くのことが見えてくる。
 世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立っているし、人生はその交互作用でもある。
  この不況の中では「私」は、少々自信喪失気味だが、そのぐらいの方が良いのだろう。
 特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しがある。
 失敗に対して、繰り返し立ち上がってチャレンジできるかで人生が決まってくる。
 大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」という言葉に出会ったが・・
   ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー
《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を過小評価し
 (「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、成功の確率を主観的に
 高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、いくつもの可能性を残しているにも
 かかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 そこへ追加的な情報が与えられても、
 自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲がそれほど広がらない。
 たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう(予測が外れるのは数%と判断しても、
 実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的解釈の原因でもある。 》
  こういう実験がある。
 質問=あなたは幾ら賭けますか?
Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか?
Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか?
 この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。
 そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果が出てしまう。 
 それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリックが潜んでいる。
  新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。
  何もしない人間の壁を見ているからだ。しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。
 この心理トリックで女も男も、相手をどんどん換えていくのである。 許されるのは若いうちだけだが。
 ・・・・・・・・・
2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −2
2008年08月08日(金)
 この本は、特に目次が面白い。
結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は、断層の時である。
自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らしているのである。
この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊が始った。
アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。
それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。
 ー目次ー
 第一章  動き出した「悪夢のシナリオ」   
   神の怒りに触れた人々   25
   バブルの顔はどれもよく似ている  27
   底なしの住宅価格  30
   売れない車と凍りつく個人消費  33
   急上昇する「原油価格」と「失業率」 35
   始まった自治体の連鎖財政破綻  38
   密かに進行する恐慌化一〇のプロセス  41
   「悪夢のシナリオ」は止まらない  51
   賞味期限切れの欧米中心型金融システム  55
   ドルの未来  58
   アメリカは滅び、ドルは強くなる  61
   「M」が示すマネーの暗号  63
 第二章  UBSとベアー・スターンズの転落 
   「証券化」という錬金術  69
   UBSオスペル会長の末路  73
   「ローカル銀行」の栄光と挫折  76
   サブプライム誕生の秘密  79
   「証券化」を前提にしたビジネスモデル  82
   (字数の関係でカット 09年08日)
 ・・・・・・・・
2007年08月08日(水)
2318, 岸洋子の世界        
      おはよー (((。・-・)从(・-・。) さん!
一昨夜、何げなくまわしたチャンネルNHK・BSで、懐かしい岸洋子が歌っていた。彼女は十数年前(1992年)に亡くなったが、
今でも強い印象が残っている歌手である。番組は丁度半分過ぎていたが、後半だけでも充分に見ごたえのある内容であった。
早速インターネットで調べてみた。後に、その番組の紹介内容をコピーしてある。波乱に富んだ人生を紹介しながら彼女の、
その時々の歌の録画を構成していた。そのエピソードを聞きながら岸洋子の歌を聞いていると、涙が溢れてきた。
その歌の合間の石井好子と菅原洋一のコメントが好い。菅原洋一をして「全ての面で彼女の歌は私の上です。彼女には敵いません!」
と言わせている。 菅原は私の大好きな心の歌を多く歌っている。最盛期の彼の歌は絶品であり、魂から迸る叫びを感じた。
菅原洋一のコメントを聞いて彼女の一曲一曲を改めて魂を込めて聞いてみると、なるほど彼より上、というのも謙遜と思えなくなる。
彼女が死の病を抱えて開いたステージの歌があった。命を賭けた魂の歌とは、このことか!と、思い知らされた歌であった。
石井好子の彼女への言葉、「一流の歌い手とは、歌に命を賭けています。命を賭けた歌は、声がかすれようが、
その心は相手に伝わるものです。彼女の歌は、それを感じます!」が好い。好きな人と別れ、その人がパリに行く。
その後、彼女は一日だけパリに立ち寄ったが、彼と会わずに帰ってきた。パリのタクシーの中で聞こえてきた歌を、
日本に帰ってきて自分のものにして涙ながら歌っている場面があった。たしか「恋心」だったが・・・一人の誰かを思い浮かべ
感情を込めて囁きかけていたようだ。その囁きは全ての人にも通じ、奥深く振動する。そのナレーターの話を聞いた後に、
彼女の歌を聞けば誰でも涙が出る。世の中は、人生は、感動で満ちている。感じ取れないのは「日常の牡蠣の貝殻」が、
コビリツイテいるから。 たしか、それがバカの壁になってしまうとか?横に流れている時間に、縦に立つ時間(魂の入った、
感動した時間・・)がクロスする時に人間は活きているのである。そして、そこに永遠が立ちあがっているのである。
この人の歌を聞いていた時に、永遠を感じていたようであった。
「感動を、子供にシャワーのように浴びせてあげなさい!それが親の一番の努めです」という。
大人になったら、自分に常に感動のシャワーをかけ続けないと・・それが自分への一番の勤めです。  
  ーーーー
{BSエンターテインメント 歌伝説 岸洋子の世界 − 8月6日(月)BS2 午後7:45〜9:15}
日本の歌謡界に大きな足跡を刻んだ歌手の魅力に迫る歌伝説シリーズ第6弾。
(字数の関係でカット 09年08日)
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2006年08月08日(火)
1953, ローマから日本が見える−22
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning    ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える −2
    ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー
アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。
カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に
東にあるエルベ河に移そうとする。アウグストゥスがカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、
生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。彼が長生きしていたら、ゲルマニアの遠征は
行われなかっただろう。カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、最期の征服は無理と見た土地である。
長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま遠征プランを立てて実行に移してしまった。
そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなっていたか解りません。ところがローマ帝国はやはり違った。
アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウスによってAC17年、ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。 
前任者の方針を破棄するのは難しい、それが創業者であれば尚のこと。ところがティベリウスは、思い切って転換してしまう。
 ーなぜローマ人は法を求めたのかー
ローマ人の「システムとは絶えず補修、改定していくものである」という思想の表れているのが、
法律に対する彼らの態度である。著者は「ローマ人の物語ー? 」で、次のように書いている。
「人間の行動原理の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシャ人。
法律に求めたローマ人。この一事だけでも、これらの三民族の特質が浮かび上がってくるくらいである。」
「行動原理の正し手」とは、わかりやすく言えば、何をもって善悪の判断基準にするか、ということ。
ユダヤ人は昔からの唯一絶対神を信じるコミュニティを出ようとしなかった。
ギリシャ人はその哲学の象徴的思考を理解し問題意識を共有できる都市国家の枠を出ようとしなかった。
ローマ人が宗教でも哲学でもなく、法によってみずからの行動を律しようとしたのは、ローマ人特有のメンタリティで
ある敗者も同化するという特質に大いに関係ある。ユダヤやギリシャ人に対して、法は違う。
同じ信仰を持っていなくても、同じ知的レルでなくても、法といういう同じルールを守っていれば
一緒に暮らしていける。王政の時代から、ローマ人は様々の民族や部族をローマの町に招き入れた。
 ーー
私見になるが、現在のアメリカの強さは、移民をどんどん受け入れて法律で束ねているところにあるのではないか?
日本も、島国の特性を活かすために、このまま移民を極力入れないでいくか、それとも、法律の下、
どんどん入れていくのか、決断の時である。このインターネットの時代、前者を選ぶことは国家の破滅になるだろう。
ローマ帝国の歩んだ道を選ぶしかないが、あまりにも体質にあわない!
日本の未来は厳しい! 私たちの生きた時代が、日本にとって一番良い時代だったのだろうか?                                 ( ^-^)_且~~~
・・・・・・・
2005年08月08日(月)
 1588, 自民郵政解散の攻防−2
郵政改革法案で、今日一日は大きなドラマになるだろう。昨日の日曜日の生のサンデープロジェクトなどのモーニングショーは、
今後の流れに大きく左右する。 各局は、ほぼ郵政改革を支持していた。やはり予測していたとおり、旧守派への弾劾になっていた。
今までの大きな政府か、小さな政府か、の選択である。民間が血の出る思いでリストラをしているのに、政府はそのままなど
許されるわけがない。いくら国民の民度が低い?といっても、この程度の判断を国民ができないと思っているのだろうか。
日経新聞をはじめ、大新聞も郵政改革賛成である。もし否決されたら、小泉首相は選挙で直接国民の真意を
問うべきである。政治空白が問題などいっていられない。利権を守ろうとしている旧守派の哀れな姿は滑稽でさえある。
衆院の反対派が、逆に必死になって参院の反対票を潰している?可能性がある。彼らには、そこの浅い利権の
政治屋のエゴしかみえてこない。政治の世界に対して興味は持たないほうだが、今回だけは違う。
もう改革は待ったなし、否決されたら衆院は即刻解散しかない。それにしても、緊迫した面白い一日になる。
戦後体制の総決算の選挙といってよい。旧守派の整理の丁度よいタイミングになる。
・・・・・・・・・・
2004年08月08日(日)
 1223, 思い出のメロデー
お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。毎年必ず見ることにしているが、
生の番組みの迫力がよい。今年は、例年より長い時間(19時30分〜23時30分)まで放映をしていた。
どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。「歌は世につれ」というが、
その時代を反映をしている。次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。
歌は過去に向かって歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおりである。
思い出の歌は魂の故郷である、お盆の里帰りのようなもの。それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。
終戦直後の戦災の焼け跡に生まれたこともあって、当時流れていた歌が特に懐かしい。
そして、戦後50年間は日本にとっての黄金期であったことを、改めて思い知った。
本当に良い時代に生きてきてよかった。繁華街の真ん中の店で、10歳まで暮らしていたこともあり、
いつもラジオから流行歌が流れていた。当時の歌を聞くと、感無量になる。
それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。
時代は、どんどん変わっていく。だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。
・・・・・・・・・
2003年08月08日(金)
856, 経済評論家ー高橋乗宣の本
 高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』とたて続けに読んでみて、
日本経済の悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。
そしてあまりの悲観主義ゆえか三菱総研の理事からおろされてしまった。しかし大筋として彼の言ったとおりでる。
「数年前は地獄の釜の蓋が開いた!」と言っていたが、今は「地獄の釜の熱湯が溢れ出てきた!」といいたいだろう。
「日本経済の破断界」によれば今頃は恐慌でパニックに陥っているはずだが。
  (以下、字数の関係でカット 2008年08月08日)
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2002年08月08日(木)
 481, ある信条 -経営セミナーにて
30歳代は数多くセミナーに行った。一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。
700人の席の一番前の真ん中にいつも座って聞いていた。この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、
講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。
テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。
香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた日本女性の話であった。その信条がよかった。
「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、人によかれと思って生きる」を常に自分に言い聞かせているとのこと。
なるほどな!と思った事を憶えている。ー人間は、そのままだと 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、
いつもブッスとしている。 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。考えてみれば、自分でもある。
ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。もちろんいるが80?が合致している、いや90?か。
実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。しかし、誰もが持っている要素である。
だからあれは自分の事ー影と言っている。先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。
その%の濃いか薄いかである。話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!だった。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。電電公社の会長、地産の会長、
フットワークの社長、100円ライターの東海??の社長とか。そう甘くはない。
・・・・・・・・
2001年08月08日(水)
 [102] 夢について−6
これまで夢について書いてきたが‘天女二人とセックスをした夢’の事を書こう。 20年近くなるが私の元部下の大森という人が
亡くなって、暫くして大森さんしのぶ会が開かれた。彼の人柄もあって4〜50人が集まりスナックで盛大におこなわれた。
非常に気持ちの良い会でもあり、かなり酒も入った。その夜天女二人とセックスをした夢を見たみたのだ。翌朝目を覚ました時、
これは彼なりの方法でのお礼なのだと確信をした。(今から考えると勝手な解釈かもしれないが)この話をすると年配の男の人にうける、
思い当たるふしがあるのだろう。夢としても感覚にしても、これ以上ないことは誰もわかることだが。夢は面白い!
学生時代の寮の友人に、夢コントロールのできるという男がいた。夢の中で寮の中を歩く事ができるという。
吉永小百合とも寝る事が出来るとも言っていた。少し内容が露わか?


3421, 日本の幸せ度

2010年08月07日(土)

 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、特集をしていた。
といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、許可を得ているのだろうが・・・
メモを持ってなかったので、頭のメモに書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
 日本人の幸せー9
* 一人あたり700万、一世帯1500万、金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。【これ以上あっても、同じ】
* 幸福度は、学歴に正比例する。    【 中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。 【 家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品 】
* 都会は、そうじて幸福である。     【これも残念ながら、本当。新潟市、長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。  【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。 【これは、難しい問題だが?】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。【 そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。【   】 以上だが、間違いがない。
 その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。
  * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
 この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。
ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、
熱意をもって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。 男性も女性もほんものの愛情をもち得る。
家族、家庭での生活も楽しくなりプラスに転じる。」といっている。 前向きの熱意が、この恐慌の中では、どうもこうもである。

 ・・・・・・・・
3046,卒業40年周年か〜 −5
 2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、
その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。
この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚している。 
いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、
書き残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、当時の光景が
昨日のように蘇ってくる。現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くものはない。
いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと後悔をしている。
 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。                  
 
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。 
 話をしたかったのだろう。 人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを
 必死に話をしていった。 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。
 見違えるように自信を持ったように見えた。 男っぽくなったという言葉がピッタシだ。
 4時間ばかりして帰っていった。 もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。 聞き役に徹していることもある。
 それと大学最後の時が来ているからだろう。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
 ーー
 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一〜二ランク上の男を狙う。
だから当時は妥協できなかったのである。 それと姉達のレベルより下げることができない
シスターコンプレックスもあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベル?だったので、その眼もある。
一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した日々だった。
この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚になってきている。 
過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなったというイメージである。 
死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 
この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。 今は使用後。 という感? 使用後というには早いか?
 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。
・・・・・・・・・
2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −1
 2008年08月07日(木)
  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著    -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」
を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、力が入っている。
 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
 まずはーはじめにー の以下の部分から
   〜〜
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つしかないのか?
けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。
恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、
この恐慌を逆手にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、どうだろう。
これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。
十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。
いま、金は、一九八○年の最高値一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融恐慌が
本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で
当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。
いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって地下二千の鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。
自らリスクを負った経営者として、現在のこの金融恐慌に向き合っている。
いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。
 〜以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
  ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ー金融機関の倒産は、これからが本番
  ードルの転落
  ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ー「有事のドル」の伝説崩壊
〜次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。
  ・・・・・・・・
2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ〜
ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。
幼少のときから父親に大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて行って貰ったこともあり、ラジオの大相撲放送を聞いたり
新聞記事をみていた。私がみてきた50数年間の力士の中で「朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。
   (字数制限のためカット 2010年8月7日)
・・・・・・・
2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える−21    ー読書日記ー
  第九章 ローマから日本が見える −1
さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システムが、
共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、
そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。
小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
 ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」
に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に何度も成功したからこそ、
ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。
・最初は、王政から共和制への移行です。
 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、
 以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部の改革である。
 貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。
 カイサルがその設計図を引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。
  ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った
 諸改革は、数えればきりがない。
 ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。  
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
・一神教の絶対神を信じるユダヤ教やキリスト教の信者とも違って、
 ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、
 かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を、彼らは持ち続けた。
ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で
1000年以上も帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。   −つづく             
                     (*^▽^)/ ホンジャ!
・・・・・・・
2005年08月07日(日)
 1587, NHK 受信料不払い問題
NHKの不払いが、その後どうなっているのかと思っていたら、毎日新聞の社説に丁度良いタイミングで、不払いの深刻な
事態についての解説があった。 現時点で900万件の未契約があるというから、今年の契約数3660万からみると2割が
受信料を払ってないことになる。不払いの理由は、一連の不祥事に対する怒りや抗議から始まったが、最近それが変質して、
払わなくて済むものならという層が増えた。この流れは、不景気も含めて当分終わることがないだろうから、NHKにとって、
大問題である。以前『NHK不払い』について、この日記に書いたことがあったが、そのキーワードの検索で、NHK関係の人が?、
このHPを覗いていた。大相撲を除いて殆んどNHKは観てないので、不払いをしたいのだが。30?を越えたら
真剣に考えるつもりである。不払いに対する罰則が無い限り、歯止めは難しいだろう。有料制度にしたら、半分以下になるのは
私でも判断できる。いや3分の一か。罰則が無いのに、今まで殆んどの人が払ってきたのは日本人の真面目さだろうが、
これからはそうはいかない!深刻な存続の危機である。時代は民営化の時代である。早めに思い切った民営化への方向転換が必要。
情報は、携帯電話やパソコンやTVから無尽蔵に入ってくる。NHKも、この情報化の大波で漂流を始めた。
恐ろしい時代になった。この問題と郵政を重ね合わせると、NHKの問題は郵政民営化に対して酷似している立場になる。
国営放送の時代ではない、完全民営化の変身しかない。 公務員?は現在の十分の一でよい!!

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
2005/01/31 1399, NHKと朝日新聞
昨日の朝日新聞の天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
  (字数の関係でカット 09年08月7日)
・・・・・・・・・
1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日
長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも観覧席が出来はじめたときいていた。
それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の空き地に「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、
近畿ツーリストのシールが貼ってあった」とか。この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって8月2日は満室。
それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど納得をした。バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、
目的地まで行ける。帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで
新幹線をつかって行くこともない。京都の花見のパック旅行のようなもの。前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、
花見をして夕方に京都を出発。やはり、22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。それで一万円なのだから、価値は充分にある。
その花火版ということだ。サッカーも、最近バス・パックができた。会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。
それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、秘境?の地(アイスランド、アラスカ、グリーンランド)
に乗り付けるパックも出始めてきた。       時代は、サービス化である。
・・・・・・・・
2003年08月07日(木)
 855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記
 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。中小の経営者の知人が、この本を読んで
目が洗われる思いだったといっていた。潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。wアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。
中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく
読む価値があると思った。ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにすることが大事であると思えた。
新幹線で読んでいたら、隣席の人の冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。 20~30年の長期の投資物件を事業と
している為、計画段階で最悪を想定して資金調達をする。余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして資金余裕を十分すぎるくらい持つ。
それだけ用心をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化していくためだ。
この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘している。
 連帯保証人など青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で判を押してしまう。
連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷な制度はない。先進国では日本だけだという。 
江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用しているためだ。その連帯保証の断り方まで書いてある。私は子供の時から両親に数百回も
「保証人の請け判だけはするな!」「手形は切るな」と言われてきた。この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」を
口実に使え!と書いてあったのに驚いた。「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。「父か親戚が請け判をして倒産したので
これだけはしないことにしている」でもよい。身近の人が何人か頼ってきた事があった。上手いもので断れないような状況をつくる。
次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。詐欺の手口とほぼ同じである。それも・・・・・?
あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち出し間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。
 いつも姑息の手を使うので有名な人だが。その支店長もぐるかと疑ってしまった。 金に切羽詰った人間は何でもするものだ。
 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。『借りた金は忘れろ』という続編の本も出ている。
いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を出すような愚行を避ける為にも読んでおく必要がある。
・・・・・・・・・
2001年08月07日(火)
 [101] 倒影ー2
人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」という理屈は子供のときから
分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。
「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け
一人満足をしていた。ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に多いこと。
これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。親戚に結婚もしない、仕事もほとんどしない
「俺はでかいことを考えている、2〜3年後に実行するつもり」といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、
自身の影におわれているのだ。もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。
こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。


3420, その後の、我が家のインコ

2010年08月06日(金)


去年の秋口にコガネインコが、我が家に来てから10ヶ月経つ。
ペットショップの店内で従業員や、お客に可愛がられ人に懐いていたインコ。
あまりに人懐こいので数回、店で頭を撫ぜていた。ところが三ヶ月も経っても、いつもの籠で人から頭を撫ぜてもらっている。 
何か愛おしくなったが、値段が6万8千円もするし、家内が生きものが大嫌い。もしか買った大騒動が起こる。 
しかし衝動的に、そのインコが買いたくなって、「このインコ、1万円を引いてくれたら買うけど、どうですか」と女店員に言うと、
大人しそうな女店員が、「このインコは、従業員みんなで大事に育てた素直なインコ。値引きなど、とんでもない」と、怒りだした。
「じゃあ、責任者にお客が三ヶ月も売れないインコは、それだけで商品価値が下がっている。6万円なら、買うといっていると、
聞いてきて」というと、しばらくして、戻ってきて「店長がオッケーをだしました」という。 という訳で商談成立。
それはよいが、家内の怒りを考えると、冷や汗が出てきた。そして家に帰ってから、一ヶ月間は毎日のように罵声を浴びせられた。 
それに耐え切れずに新潟のホテルの長期滞在の棟に、お客様のペットして持って行くことにした。 しかし、持っていこうと、
車に乗せる直前を図って、「暫くの間、置いておいてよい」との、許可を得た。本人もしたたかだ。居間のベランダに鳥篭を
置いていたため、部屋そのものにも寄り付かなかった。 それが今では毎日数回は籠の前にある椅子に座ってインコの相手になっている。
とにかく人恋しく、相手にして欲しいと鳴き叫ぶのである。あらゆる鳴き声で、自分の気持ちを伝えようというのが分かるから、
生きもの大嫌いな家内も、情にほだされたのである。 女店員がいうに「気が優しく、籠の蓋を開けておいても外に出ようとしない。
しかし人好きで、頭を撫ぜてもらうのが大好きでペットしては最高です」と、いったとおりである。人間も鳥も当たり外れがある?。
小桜インコを5代続けて飼ってきたが、子供2人が高校を卒業してからは、飼ってなかった。 小桜インコと比べると、
鳥というより、犬という感である。 とにかく人好きで、あらゆる鳴き声で気持ちを伝えてくる。個々の足音や車音で誰かの判別が可能。
また犬が尻尾を振ったり股に入れたりで、喜びや恐怖を表現するが、このインコ、羽ばたきで表現する。鳥の形をした愛犬という風。
要は自分を相手にして欲しいと全身をつかう。今でも居間の私の定位置のガラス戸一枚先のベランダで時々、鳴声で呼びかけてくる。
家から遠ざかるときは「行かないで」という鳴声、帰ってきたときは嬉しそうな鳴声。これは、むしろ犬。小桜の10倍の値段のわけだ。
 ・・・・・・・・
3045,会津八一の 学規
2009年08月06日(木)
  会津八一は「学規」を作成し、 自ら及び教え子達の範とした。   
 ふかくこの生を愛すへし かへりみて己を知るへし  学芸を以て性を養うへし  日々新面目あるへし
  ー 十四ヶ条 ー
1 感情を以ってうたふこと。
2 真に内心から湧き上がる感情無きときは、漫然として歌を作らんと思わざるべきこと。
3 世才・文才・常識、そんなものでは、自分も感動してをるにあらず。それを以て他人を動かし得ざること当然なり。
4 感情を単純化してうたふべし。
5 表現も単純にして直裁なるを尚ぶ。徒に曲折せるは、真情の流露をさまたぐ。
6 詞句の曲折は初学の能くなし得るところにあらざるも、老熟してこれを自在になし得るとも真情の枯渇し居らば、かへりて厭うべきなり。
7 用語は常人の耳に遠からざるものをよしとす。ろくろく学問を精しからぬ者が専門家振りて、古語歌謡といふようなるものを
  襲用するは、最も厭うべきことなり。 古語を用ふるは、やむを得ざる時にのみ限りて許さるべし。
8 散文にていふに如かざることを歌として歌ふは、根本的に心得ちがいなり。
9 和歌は我国のみにあれども、詩歌は如何なる民族にもあり。和歌はその一種なりと知るべし。
  我国の歌人なかまにあらざれば解しがたき如きことを、詩歌の本道とも本質とも認めがたし。
  外国語に翻訳しても、その国の人々によりてたやすく解せらるるやうにてありたし。
10 従って、その辺の歌集をのみひもどき居りて、それで勉強したりとおもふは不心得なり。ひろく世界古今の詩歌を味ひみるべし。
11 いやしくも歌を作るは容易にあらず。うかうかと濫作して、よき歌の出来んことを希ふは無理なり。
  一方心境を練り詩歌を弘むるとともに、真に感興の内に催すをまちて、精細を傾けて歌ひ出すべし。
12 要するに作歌は、天才と人力とをまちて、しかも精進して初めて為し得るのみ、漫然たる態度にてたづさはるべきにあらず。
14 書外は工夫をつみて悟得せらるべし。
  〜〜
 八一は新潟の人で名前は以前より知っていたが、 これだけ含蓄のある学規があったことを知らなかった。
 これまでの生き方で、甘さを痛烈に批判された気分である。
 特に、「・ふかくこの生を愛すへし ・かへりみて己を知るへし ・学芸を以て性を養うへし ・日々新面目あるへし」は、
 この年齢になったからこそ分かるところがある。更に十四ヶ条も、これは作歌の道だけでなく、人生の生き方に通じる。
・・・・・・・・・
2680, 漠たる不安
 2008年08月06日(水)
アメリカのサブプライム問題や、中国の動乱の予感や、イラン・イラク問題など世界は漠たる不安に覆われている。 
それに対して二つの取り得る態度がある。
・それから目をそらさずに色いろ対策を練って対処をするか、
・将来に対してあまり深く考えずに、ただ目の前のことだけに対処をして将来に対しては自己逃避をするかだ。
 そのためには、全て目先の状況の責任を押し付け、問題解決から背を向けるだけに徹する。
現在の日本の企業も、個人も、この後者の姿勢が大勢のように思える。ただ、大津波を前に逃げることも出来ず呆然としているのが現状。
将来が明るく、前向きになれればよいが、この現状では致し方がないのも解るが。将来に明るさが見込めないと、目先の直感に頼り、
論理的思考を無くしてしまう。思考停止の状態が、現在の日本の政治や経済において顕わに出ているといってよい。
こういうときほど、何が問題なのかジックリと冷静に論理的にならねばならない。漠たる不安の隠れた?原因として世界が大きな
激動期に入ったことにある。 その大きな要因は、情報化による、グローバル化である。
特に、共産圏が解体して、資本主義社会との垣根がなくなり競争が激化したことが大きな要因だ。
また情報機器の進歩で、今まで隔離していた影の部分が、露出され出した。アフリカで虐殺があれば、それが映像で露骨に流される。
内外に対する暴力装置で君臨していた独裁者も世界の目に晒されてしまう。日本では、これまでの教育の大失態で、差をつけられて
しまった若者の不安の蓄積と鬱憤は、最近の秋葉原の無差別殺人などから見られるようにマグマになってある日、爆発をするのである。
こういう時代であればあるほど、教養の積み重ねが大事になってくる。 こういう時代は、戦争という破壊で一度、清算をして、
ゼロから再び出発することも出来ない。だから、手段としてテロになるのだろうが、それが更に社会を重苦しくしていくのである。
 ところで不安といえばキルケゴールである
一方で、人間の実存感を支える「主体性」を取り上げ、他方では、その実存感にたえずつきまとう「不安」を取り上げた。
「不安」は人間精神の最大の課題であり、彼が生きた1時代以上に、20世紀は「不安の世紀」となった。
ハイデッガーが、キルケゴールの影響を受けて、人間の不安を自分の哲学のベースにした。現代人はあらゆる事柄に不安を感じ、
「不安」は人間の行動原理の内で最も大きな要因になっている。人間の欲求や行動は、その社会的な営みや文化的な営みも含めて、
すべて「不安」に起因し、「不安」に結実していく。人間は、この世に誕生したことの不安の叫びである産声から始まり死の不安に
包まれていく。そして、不安の解消のための気晴らしで、人生の多くの時間が費やされる。
情報化、そしてグローバル化で、この不安は解消・縮小されるのではなく、拡大されている。
不安の度合いがより深く浸透しているのが現在時点のようだ。だから不安とは何かをキルケゴールや
ハイデッカーなどの書を通じて学ばなければならない。 哲学がより要求されるということだ。
・・・・・・・・・・
2007年08月06日(月)
 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?
      ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に関心が向いた。
そこでインターネットで早速しらべてみた。 それによると・・・
世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37?。
世界全体として原子力の依存度が高まる傾向にある。現在の日本では石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が
大幅に低下。日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、
スウェーデンのエネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。
石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める石油依存度は、2001年度に50%になった。
(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う)現在の日本には、53基の原発があり、発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上
持っていきたいというが政府の意向。電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、
いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。その数は米国、フランスについで3番目。
国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。ここまで原発への依存度が高くなると撤去するわけにもいかない。
地球温暖化対策として化石燃料を増やせない現在、日本では原発でカバーせざるを得ないのが実情。刈羽原発を筆頭として、
日本列島はどこでも地震が起こり得る。今度の地震も新たな活断層が動いたというが、日本で活断層を避けることは難しい。
今回のように地震が起こって初めて分かるのが現状である。資源の乏しい日本では、エネルギーを確保、維持していくことは
国の盛衰に関わる。といって、数年来の原発事故や安全性隠しで原発に対する不信感は非常に強い。
敦賀周辺や東海周辺の原発の地下には活断層がある可能性があり、一つ間違えば、大都市が近くに多くあるため、
数十万、数百万単位で死者が出る可能性がある。この問題は日本にとって今後ますます大きく問われることになる。
                    byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年08月06日(日)
1951, ローマから日本が見えるー20      \(^▽^*)おはよう
                                  ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −3
 ーローマ軍団のリストラ
皇帝アウグストゥスは税制を整理・再構成をすることによって、以後のローマ帝国の財政面の基盤を確立した。
彼は限られた財源をもとに、あるゆる知恵を使い「パクス・ロマーナ」を実現していった。
アントニウスとの内戦が終結した時点のローマは、50万人の膨大な兵力を抱えていた。
オクタヴィアヌスとアントニウス双方がそれぞれに軍団を抱えていたから、これだけに達していた。
これをアントニウスは何と三分の一に削減する。
下手に削減すると人気に影を投げかける。彼は私財を投げ出して、退職金をあてることにした。
その軍団を常備軍へと改組する。広大なローマ帝国を限られた兵力で守るために如何したらよいか?
彼が考えついたのは、属州民の活用であった。彼は属州民からの志願者による「補助兵」からなる部隊を編成する。
その数は軍団兵と同数の15万人。軍団兵と属州軍の合計30万人があればローマ帝国の防衛線は守りきることが可能と読んだ。
属州軍の待遇は、さすがに軍団兵と同じにはできない。そこで、属州軍には補助兵としての25年の満期除隊を迎えると、
自動的にローマ市民権が与えられることになった。
  (字数の関係でカット10年08月06日)
・・・・・・・・
2005年08月06日(土)
 1586, 日本経済恐ろしい未来      
「日本経済 恐ろしい未来」ー 読書日記
この本を図書館から、何回か借りてきた。そして読み返しながら、日本経済の行方の参考にしている。
全ての問題を先送りにしようとする日本の将来に大きく警鐘をしている。冷戦が終了し米国の特待生であった日本が、
米国などに政治的に利用するだけされても、まだ体質を変えることができない事態。
この本が書かれて3年経っているが、その後に何ら改善されていない。いやマスマス悪化しているのが実情である。
目先、中国のバブルによって、日本からの輸出が増えて一見景気が良さそうだが。
さらに改革の大元の郵政法案が揺らいでいる。 あるHPから、この本の概略をコピーしておきます。
(字数の関係上、あとの文章は「引き出し」の読書日記のコーナーに貼り付けてあります。)2008年08月06日
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2004年08月06日(金)
 1221, 運について−2
何回か「運について」(後にコピーしてある)を書いてきたが、再び書いてみる。
運にも二種類ある。 受身の運と、積極的に自分からつかみとる運である。
・受身の運は、「結果として何時も運がついている運」 性格とか、親の愛情が本人に染み付いているとか、宗教的な
 環境の中で育っていて良い結果をもたらす運である。ー性格の明るく良い人。良家の子女(躾がゆきとどいている人)。
・積極的な運は、「何事にもポイントがある、それを見逃さないよう努力をする。意志こそ運の原動力、原因」という運である。
 ここで取りあげる運は、両者を重ねもつ運である。両方が揃って初めて開ける運である。
私の周辺の女性に、美人で、性格が明るくて、一生懸命に生きているが、そのわりには状況が不幸せの人が何人もいる。
やっと幸せを手に入れたと思ったら、すぐに不幸のどん底に落ちてしまう。よく見ていると、両親が不仲だったり等、色いろの理由が
ハッキリみえる。「ある程度耐える」という家系からくる知識・体質を持ってない。「ありがとう」を繰り返し言いつづけることは、
耐えることの呪文である。運が上向く以前に、耐えることが出来ない習慣を変える作用がある。いま一つ、言葉の重要性を知らない。
「自分は、ついている(運がある)」と、毎日こころの底から思っていれば、そして、「ついている」と現に言葉に出していれば、
ツキが回ってくるに。「俺はついてない」「どうしようもない」「世の中が悪い」「あいつのせいで、こうなった。あの畜生め」と、
あけてもさめても唱えていれば、不運しかこないのは当然である。もし幸運がきても、それが見えなくなってしまっている。
世の中の八割そうだから、それで良いのかもしれないが。チョッとしたことなのに、せっかくの人生、あまりにも勿体ない。
運は因縁と似ている。因は直接の原因、縁は間接原因をいう。これが重なって結果がきまってくる。多くの因縁の中で、
良いものを選択するのも本人である。やはり良い本、良い人、良い芸術、大自然にシャワーのように浴びるしかないのか。
ーーーー
265, 運について -1
2001年12月10日(月)
(字数の関係でカット09年08月06日)
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2003年08月06日(水)
854, 閑話休題
 全くテーマが浮かばず如何してよいか解らない日がある。まあほとんど毎日だが。そこが面白い面もあるが。
それでも強引に書いた文章ほど後で読むとよいから不思議なものだ。 そうこう考えていたら、あるホームページに
「閑話休題」というテーマがあった。これから無理にテーマを決めないで、時々「閑話休題」で書くことにした。
書いた後でテーマを書き換えればよいし、そのまま閑話休題としてもよい。 野口悠起雄の「超文章法」の中で、テーマの探し方に
「窓から飛び降りそうなくらい大変なものである、考え尽くしてひねり出すしかない」と書いてあったが、それを読んで
学者でもそうかとほっとした。それと「文章上達は量をこなして、校正と推敲を重ねるしかない」と本音で書いていた。
結局は努力努力努力しかない。一見なにげなく書いてある文章に、それだけのエネルギーと時間が入っている。
逆にいえば、プロほど想像を絶するほどの絶対量と、その校正と推敲を重ねているのだ。これはすべての分野にいえることで、
プロの世界はそうそう甘くはない。気楽な「閑話休題」を時たま挟み込むのも本音がでて面白いだろう。いまもテーマを
意識しないためか次々とキーが動いてくる。 話は変わるが、昨日隣家で建前があった。100坪の敷地に二階建てで延べ
50坪位の結構大きい家だ。夕方帰宅したら、屋根の下地も含めて建前が終わっていた。
家内が言うには「20~30人が蟻のように取り付いていた」とか。夕方には子供たちを集めて、
上棟の祝いで何かをばら撒いていたとか。大きいクレーン車が次々と加工された材木を吊り上げ、鳶が組み立てていく。
いま流行の何とか工法という奴で遠くの工場で加工して持ってくるのだろう。
 新しい家は、その人たちにとって仮の天国の世界の創造である。本人達はいまが一番嬉しい時期だ。
いままでは隣家に広い庭の空間があったが、これからは光が少なくなる。仕方がないが。
・・・・・・・・
2002年08月06日(火)
 479, 楽観と意志
「楽観は意志、悲観は感情」 この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解できたようなきがした。
そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には悲観という不安が大きな口を開けて足元にあった。
若い時期の楽観はあくまでも虚構のような夢の世界であった。その正体が意志であった事がこの言葉を知るまで
解ってなかった。それだけ強烈な言葉であった。悲観はただ流されている喜怒哀楽でしかない。
そういう悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界でしかなかった。鬱の自分はそう感情の世界にドップリ
つかっている意志喪失の自己の世界である。常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。また非行動的の人が多い。
行動の、行は仏教語で判断という。動はあくまで動物の動きでしかない。行動は意志が入った動きだ。行動的ということは
楽観が勝っている状態と云える。私の周辺の80?の人は悲観的な感情に支配されている人だ。また非行動的の人が多い。
行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が隠されている。楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている
今。それに過去の計画を実践している今。 それが楽観であり、意志である。
・・・・・・・・・・
2001年08月06日(月)
 [100] あら!たのし
難しいことをやさしく! やさしいことを深く! 深いことを愉快に!  (井上やすし)
井上やすしの本を読んでいて納得して、彼のように紙に書いて机の電気スタンドに張ってある。
彼の言葉じゃなくて誰かの言葉を彼なりに変えた言葉だが。 コツとか要領を旨くついている。
天才はそれぞれこの方法を子供の時より造りあげていた。考えている対象の文章化とか、ゲーム化とか絵画化とかして。
楽しみまで高めるのはそう簡単ではないが、でもやってやれないことはない。
「四S主義 = シンプリフィケーション  スタンダディゼーション 
スペシャリゼーション  セグメンテーション 」というチェーン理論のベースになる教えも、これに近い。


3419, 新たなる金融危機に向かう世界

2010年08月05日(木)

「新たなる金融危機に向かう世界 」副島隆彦 (著)
  ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
ギリシャの財政危機に端を発したユーロ暴落の裏側にはアメリカの仕掛けがあった。
アメリカは米国債に世界の資金を環流させなければもうもたないからだ。そして5月6日にダウが一時998ドル急落する過程で、
ゴールドマン・サックスのロボット・トレーディング・システムが壊された。このあと、金(ゴールド)が崩される。
そして、金(ゴールド)の大きな下落のあとにドル(米国債)が暴落させられるだろう。 ――サブプライム崩れを始め、
これまでことごとく経済予測を当ててきた著者が、2010年末の恐慌突入に向けてさらに下落を繰り返す世界の金融経済を読む。
 〜〜 面白そうなので、ネットで買ったが、☆4つ、というところか。
*現在、世界のゴールドは、16万トンといわれているが、それは表の話で、バチカン、イギリス、スイスに、
 それぞれ10万トン、合計30万トンある。したがって、16+30=46万トンあり、1600兆円あるとか。
 だから、いつでも金本位制度へ戻ることは可能である。ただし、 先ほどの国に覇権が戻るということか?
*ゴールドの大きな値下がりと、大きく新聞広告に書かれていたが、グラム3000円で、最大2500円でしかない。
 現在ユーロが狙われているが、それが終わると、次はゴールドが、狙われる可能性があるという。
 そして、その次にはドル(米国債)が下げられる。 ゴールドが値上がりをすると騒いでいた副島が、舌の根の乾かないうちに?
*秋以降には、アメリカの株価が6500ドルに向かって動き出す。
*アメリカは、不良債権4000兆円の実損処理をしなければならない。これは血をみるおもいで、やらなければならない。
〜〜 以上が印象に残ったところだが、今年、来年、再来年と、大きな危機が次々と襲ってくる。
 それは株価や、国債の暴落とか、実物経済でも不動産とかの暴落として現われてくる。恐ろしい限りである。
 100年か、500年に一度の変動期に入ったが、まずは徹底的破壊から始る。それが日ごと現象に現れてきているが、
 再来年には、非常に厳しい局面を世界も、日本もむかえる事になる。10年、20年スパンに渡ることになるから、
 想像を絶した場面が次々と現れる。  背後にあるのは、情報化社会のウェーブ。

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3044、罪深き新自由主義
2009年08月05日(水)
 「罪深き新自由主義」  高杉 良 (著), 佐高 信 (著)
 対談・高杉良×佐高信である。二人は「小泉・竹中路線」の深層構造を取り上げ批判、
小泉・竹中路線の罪でもある「かんぽの宿」問題と、マスメディアの劣化を鋭く問うている。
「現在の日本にリーダーはいなくなった」ことに二人は共鳴し、今の不景気は小泉・竹中不況と言い切る。
小泉・竹中虚構改革で得をしたのは米国だけで、ライブドアを太らせたのも小泉の「改革」を悪用しただけという。
 新自由主義を標榜していたアメリカがこけたのだから、日本は重症になって当然。
去年の9・15による世界的な金融恐慌が無ければ、これだけ早くアメリカの国家的犯罪も露出はしなかった。
 数年前に、アメリカの投資会社のトップがインタビューで、耳を疑うようなことを平然と言っていた。
《 日本の1985年のバブル発端のプラザ. 合意で、日本銀行は金融緩和を大胆に進めた。
あれは我われが意図的に仕掛けた政治的な戦略。 その結果としてのバブル崩壊と、その後の失われた10年で、
我われは日本を徹底的に買い叩いた。》と・・。それに対して、評論家が誰も反論をしなかったのも驚きであった。
 それがユダヤ資本のやり方で、日本は米国の隷属国家のために彼等のなすがままだったのである。
そのユダヤ系新自由主義のアメリカ金融が、アメリカ国内だけでなく世界に向けて似たような犯罪行為を行った結果が
この金融危機を招いたのは今さら言うまでもない。 サブプライム・ローンなどの傷物債権を束ねて、
同じ穴のムジナ(=格付け会社)に高い評価をつけさせて、ばら撒いたのである。これは見方によれば国家詐欺である。 
それが新自由主義の正体だったのである。 その日本版の子分が小泉であり、竹中という。
 実際のところ、私も9・15の金融危機が起こるまでは、新自由主義を支持してきた。世界が、自由化で、かつ
グローバル化の流れなら仕方がない上に、競争社会は世界を進歩させると信じて疑わなかった。
 しかしアメリカの格付け機関の基準を日本の企業や金融機関に押し付け、日本を撹乱したことは間違いない事実。
高杉良は、ここで「小泉政権の5年半が日本を非常に傷めた。『官から民へ』のスローガンの象徴が郵政民営化と断定。
その結果は無残であると。 利益を出す効率化のもとに郵便局は減り、国民のライフラインはズタズタになろうとしている。
もし日本郵政グループがアメリカの銀行などに出資をしておれば、現在の金融危機で大変なことになっていた。
生活基盤の維持は国が関与すべきだ」という。この改革で、日本の元気だったミドルの活力の素が力を失い、
『勝ち組』と『負け組』に分極してしまった。」という。
 −−
 この改革は、何だったのだろうか? ユダヤの陰謀ということか? 最近、周囲を見渡すと、
中間層が少なくなってきている。 上流とやらも減ってきているし、居たとしても、風前の灯のところが多い。
医者とか、弁護士、それと官僚がいるが・・・
 宮内、堀江モン、木村剛、それと村上ファンド。 一時期は脚光を浴びたが今や、戦犯扱いである。
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2679, ソルジェニーツィンが亡くなった
 2008年08月05日(火)
ロシアの作家のソルジェニーツィン が亡くなったと報じていた。 享年89歳だった。
私が20代前半の頃に、『イワン・デニーソヴィチの一日』『煉獄のなかで』『ガン病棟』を読んで、
大きな衝撃を受けた記憶が鮮明に残っている。 当時のソ連は一番勢いがあった時期。
反体制は秘密警察に捕まり、収容所に入れられるなどの弾圧を受けた。
その経験を書いたものだが、彼の文からソ連の共産党支配の弾圧の中の重苦しさが作品から滲み出ていた。
それに対して日本は高度成長期で絶頂期、その温度差にも驚かされた本であった。
ー経歴からして骨入りである。(ウィキぺディアより)
1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。
1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。
1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。
    (字数の関係でカット 09年08月5日)
 ーこのWeb辞書の中に次ぎの一節がある
1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、
ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。 ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。
彼の地元のチェチェン共和国はかつてエリツィンに、今はプーチンに独立を妨げられたままである。
彼は書いた。「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、
それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、
こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』
ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。
 −−
40年前といえば、ブレジネフが第一書記で、コスイギンが首相だった。二十年近くがソ連の絶頂期だった。
この小説を読んだ感想は、「歴史的にみてー百年単位でみたらソルジェ二ーツェンは大作家、
この二人の権力者は歴史的汚点」と、直感したことを憶えている。
現在、ブッシュとかいうアメリカ大統領は、話題を出すこと自体が小汚い気がする。
それだけ現在のアメリカは狂乱状態と言ってよい。 現在の日本のエリートとかいう政・財・官の連中!
このアメリカの隷属に尻尾の振り方で選抜されているに過ぎない。
何かうら悲しい気がするが、自分のコンプレックスが根こそぎ解消できることも事実。
「この隷属の御陰で、物理的に恵まれた時代を過ごせてのは我々の世代だろう!」の、心の奥の声、これも事実。
・・・・・・・・・
2007年08月05日(日)
2315, 風評で県外観光客が10分の1!ですと
              ・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
先日の読売新聞によると、
「・・県によると、7月16日の地震発生以降、県内での旅館やホテルのキャンセルは、約5万件に上り、
県外からの観光客は例年の10分の1以下にとどまっている。地震の被害がほとんどなかった佐渡や妙高高原、
越後湯沢温泉でも観光客が激減し、原発の被災などによる風評被害が深刻化している。」(2007年8月2日 読売新聞)
当社にとって、あまり関係ないと思っていた風評も、日ごと影響が出始めている。今のところ10?ほどだが、県外の観光客が
10分の1とは尋常ではない。特に一年で一番の稼ぎ時のリゾートホテル・旅館は致命的である。地元民も自粛をして、
飲食や温泉などに出ないから堪ったものではない。三年前の地震からやっと立ち上がろうとした矢先である。天災だから、
何処に不満の矢先を持って行きようがない。新潟市内の居酒屋屋スナックも、その日を境に売り上げが激減して、
全く回復の兆しがないという。この長岡祭りの名物の花火も、私が見るところ昨年の人出の6割。
この十年間、信濃川の土手のある場所に行くが、20時過ぎると当然のことながら、座る場所がない。
人の流れに沿いながら見てきたが、今年は自由席が半分以上も空いていた。新潟から長岡への17時過ぎの新幹線も、
例年の混雑のやはり6掛け。8月の2日からの10日間は当方にとっても稼ぎ時だが、少しだが影響が出ている。
2〜3割ダウンではないからまだよいが、それでもこの時期のダウンは痛手である。この影響は当分の間は続きそう。
寺泊に先週の土曜日に行ってきたが、さすがにゴーストタウンほどではなかったが、
駐車場は三分の一は空いていた。一年の一番のピーク時からみたら数分の一だろう。
ここは県外の観光客が多いので死活問題の事態である。2~3年は生き残りをかけた状態が続くだろう。
全く他人事ではない。日にちが経つほど、深刻度が深くなる。連続二回と、原発の直下型と火災はイメージがあまりに悪い。
柏崎市内の土地が大きく下落を始めたと親戚から情報が入ってきた。外部の人は誰も買わないし、原発再開が無いとしたら、
柏崎経済は壊滅。もし再開すれば、即死の怯えて生きていかなくてはならない。
どちらにしても下がるのは当たり前である。その影響は長岡も遅かれ受けるであろう。
  ところで、日本の原子力の依存度はどうなっているのか、調べてみようか。
   インターネットは、思いついたことが気楽に調べることが出来るから便利である。 グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
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2006年08月05日(土)
1950, 第四回新潟県活性化の会ー概要        
        (+>∀<+)ノおぁはは〜よう!
7月の28日に行われた「新潟県活性化の会」の概要を、私の主観でマトメてみた。
 ーー
*「環日本海拠点都市宣言」をする。
 −冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 
  この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。これからは環日本海の時代である。
  首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。
  それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。
  このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井(北陸地区)が環日本海の拠点都市になる。
*日本海時代の象徴として、首都東京から新幹線の新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。
*新潟空港までの新幹線延長工事が、55億の投資で延長工事が可能かどうか? 
  それを可能にする構想案を一般募集をする。採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。
「新潟国際空港への新幹線直接乗入れゴーゴー(55)作戦」いうネーミングにする。
*まず公共事業ありきではなく、 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能
  ー流通情報基地などーの充実をはかる。
*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。(高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、朝鮮特区・・)
  高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、二倍〜三倍の値段で売りぬけ、工事代金に振り向ける。
*新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。
 ーー
以上であるが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって知恵を出し合って議論するのも、面白いものである。
それぞれの個性が意見として出てくるのと、「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。
・・・・・・・・
2005年08月05日(金)
 1585, 自民郵政解散の攻防
いま現在、自民党が下野の恐れが出てきた。そのため衆院で反対票を投じた連中が慌てだした。
流れからいって、一般の国民から不支持をされることは間違いがないからだ。再選はホボ絶望になる。これで衆院を解散すれば、
郵政改革阻止の犯人探しになって血祭りに間違いなくされてしまう。旧守派は、その現実的な可能性に震える事態になってしまった。
参院本会議で否決されれば2時間後に、解散の為の臨時閣議が開かれて衆議院本会場で万歳が待っている。
その瞬間から代議士ではなくなるのだ。一度、解散をして抵抗勢力をマトメテ処分するに良いチャンスになる。
(以下、字数制限のためカット 2,010年8月5日)
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2004年08月05日(木)
 1220, 日記について
このホームページで随想日記と、日々の出来事を書いているバードウォッチングを公開しているが、
その他に手書きで「10行日記を」つけている。ところが、最近はマンネリぎみである。
 そこで以前買った「4行日記」と、荒川洋治の「日記をつける」と阿久悠の「日記力」を読みかえしてみた。
・その日付けと曜日と天気を書き、 時系列に書くのもよいー特に天気はその日の自然環境であるから重要だという。
「今日は快晴で、うだるような暑さであった」とか
・身辺の出来事を書いて、会った人の会話の内容、食事の内容、夢の内容等を具体的に書くー時間も書いておくとよい
・その日読んだ本、TVのドラマの感想
・今日の新聞記事の気になったスポーツとか、政治等の感想を書く。
それ位のことなら幾らでも身辺に転がっている。雑事として、あまり書かなかった内容こそ、後で読んでみると大事が多い。
日記は、「その日でしか書けないこと」を書くことが重要だという。 ホテルの客室と同じで、その日に売らなくては、
単なる空間でしかないのだ。 その日の雑事・出来事を書いてこそ、意味があるのだという。
通勤の新幹線の中での観察とか、知人のこととか、その日の新聞ネタとか、立ち寄った本屋の印象とか幾らでもあった。
手書きの日記までテーマ日記主義を通そうとしていたのだ。勝手に枠を決めて、幾らでも書くべき当日の日常を書かなかった。
Web上の日記では、書いてはいけないこともある。それが、そのまま手書きの未公開の日記と混同してしまっていたのだ。
単純なものだが。そういえば「22歳の日記」は、時系列に、正直にその日の出来事が書いてあった。何時に起き、食事をして、
何時に学校に行き、誰々と会って話をして、何時に寮に帰ってきて、誰々の部屋に遊びに行って、何時に寝たとか。
今から読み返してみて、もっと具体的内容を書いておけばよかったと思う。本を読んだでなく、その本の名前を書き記すとか、
感想を書くとか。ならば、そのパターンを真似て、具体的な内容を書き加えればよいのだが。
随想日記や、身辺のことを書いているバードウォッチングも、これから少しずつ変わっていくだろう。
より具体的に、日常的に。書き続けることは、自分を掘り下げることになる。
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2003年08月05日(火)
 853, 熊の世界
 昨夜のゴールデンタイムのNHKスペシャルで岩合光昭の「北極熊」を放映していた。
そういえば先月行ったアラスカのツアーで、ガイドの伊藤さんから熊の生態の話を多く聞いた。
熊は他の動物と違い、仲間内の共食いが日常当たり前の世界。子供が生まれて8割から9割が途中で殺され、その大部分が
他の熊に食べられてしまうという。雄熊が実の子供を食べてしまうだけでなく、メスも度々食べられてしまう。
そういえば20年位前に週刊誌に北海道の動物園の熊牧場で1頭の熊が他の全部の熊に食べられる顛末の連続写真が載っていた。
人間の常識をはるかに超えた世界がそこにあるという。 動物写真家の星野道夫も熊に最後に食べられてしまった。
襲われた瞬間の熊の顔のクローズアップの写真が最後の彼の遺作になった。動物写真家は原野に何日も一人じっと潜み、カメラを構え
シャッターチャンスを待つ。その間彼等はいろいろな言葉をくり返し暖めるという。写真も言葉も深くなるのも当然である。
  (以下、字数制限のためカット 2,010年8月5日)
・・・・・・・
2002年08月05日(月)
 478、100円ショップ
以前も他のテーマの中で書いたことがあるが、100円ショップについて書いてみる。
初めは泡沫に見えた100円ショップも社会的認知を得たといってよい。結構便利で使え勝手のよいものが多い。
今でも月に一回は必ずいく。先回は、センスを買った。私の場合、なくす確率が8割である、いや100?である。
それなら割り切って、100円ショップのセンスを買ってみた。悪くはない、ワンシーズン持てば充分である。
3本買ったが、恐らくあと二ヶ月で二本は壊すか無くすだろう。でも200円でしかない。旅行用で便利なものも多い。 
飛行機やバスで使う空気枕。小物をいれる網でできている子袋。健康機器、ハンカチ、食料いろいろある。
この良いところは、トレードオフの商品が多い。一つの機能の他は全て殺ぎ落としているのがよい。
初めは、無印良品がそうであった。しかし、今やユニクロと100円ショップにとって変わろうとしている。
壊れても、欠陥があっても腹のたたない値段が100円だという。これこそ消費者主体の商品つくりである。
また楽しいのだ。ダイソーの社長が100円で楽しめるデズニーランドといってた。「商売は少し馬鹿にされるのが一番よい時」
と丸井の創業社長がいっていた。月賦が認知されだしたときから旨みが無くなったと。今まで100点ぐらい買ったと思うが、
1万円でしかない。30回位いったとして、楽しみを入れたら十分お釣りがくる。十数年前アメリカのチェーン店の視察に行った時、
99?ショップに行ったとき誰も見向きもしなかった。まさか100円ショップがこれだけ伸びるとは誰も想像できなかった。 
時代の変化なのだろう。いく度に商品の内容が良くなっていくのもよい。100円だからこそ買える商品だからこそ、存在価値がある。
・・・・・・・・・
2001年08月05日(日)
 [99] 現地日本人ガイド −2
南アフリカの50歳の女ガイド。 日本の商社で知り合ったイギリス人と結婚。
いろいろあってその旦那とケープタウンに住んでいるという。不安はないかと聞くとその心情の一端を話してくれた。
子供の名前の件で真剣に日本名にするか、それとも英国名にするか戦いになるらしい。自分が死んだ場合残るのは子供の名前だけ。
自分の存在がそれこそ瞬間虚無になってしまうという不安らしい。最近までケープタウンに一つだけしか日本名の墓はなかったという。
移住は若いときはいいが、老年になるときいてくるという。子供が独立し亭主が亡くなった時がきついと言っていた。
一つしかない墓の名前が女の名前でそれを見たとき、芯から不安を感じたという。聞いているだけで肌が寒くなってきた。


3418, 哲学者の言葉 100

2010年08月04日(水)

    「最高の人生を送るための哲学者の言葉100」稲垣真美著

 何気なく借りてきた本だが、軽いタッチで読みやすいが、唸るような言葉が次々と出てくる。
10項目に100の言葉が書かれ、解説してある。10項目の中から幾つか書き出して考えてみる。
  * 第一章、哲学と人間
≪ 心(ハート)をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから ≫(ハイデッガー)
【 ハイデガーの学説を、一言で解釈し、具体的に説明するのは容易ではありませんが、古代ギリシャのアリストテレス
以来、種々に考えられてきた「存在」の問題について、人間存在とは「私が在る」ということであり、したがって人間とは
「現存在」である、と規定しました。「現存在」存在の仕方を「世界内存在」とも呼びました。 
この場合、「現存在」の言葉の中には、すでに「今」という時間が入ってきます。 すなわち「存在」とは、常に「時間の問題」
に突き当たり、一心同体なのです。  そうだとすると、「今(現在)」とは何でしょうか。
「私がこれこれのことを意図している今」「12時である今」「光が消えている今」等で確定される「今」には「私」「私自身」、
あるいはほかの誰でもがそのまま時間ということになります。 「現存在」は時間なのです。「私」は本来的に時間であり、
「私」は時間をもっているのです。このように考えて、ハイデガーは、私たち一人一人の時間としての営みの大切さに思いに至った。
南ドイッのフライブルク市の郊外にあったハイデガーの自宅の扉には、文字を刻み込んだ一枚の板がぶら下げられていました。
 その文字はハイデガーが大切な誓いの言葉とした。 「旧約聖書」の箴言でした。
「君の心をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから」
ハイデッガーは、この言葉を「現存在」である自らに対しても、訪れてくる客人たちにも、誓いの言葉として掲げたのです。】
 〜〜
 「ワシがやらねで、誰がやる、今、やらねで、何時できる」という言葉こそが、ハートである。
「現存在」とは、時間そのものである。 「私」は本来的に時間である。 土手の此方側に居る「私」、そして、あちら側に
渡った「私」に時間の経過と同時に変わる「私」がいる。 此方の「私」と、あちら側の「私」と、時間の経過で違う「私」になる。
それぞれの「私」に、時間が含まれていることが、このことより分かる。 だから、一期一会があり、かけがえのない今があり、
ここから生命の泉が流れ出るのである。魂を込めるとは、今・現在に集中することである。 今は永遠に繋がっている。
人生そのものが、今なのかもしれない。 過去を振り返ると、その意味が見えてくる。 後は、オボロだが。
 ・・・・・・・・
3043,閑話小題
2009年08月04日(火)
* 今年の長岡花火
  今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が降りそうな雲模様。
 それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 夏の雨は濡れてもしれたものと家内と出かけた。
 ところが信濃川の土手に着く少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず最後まで見てきた。
 ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)と共に雨が降ってきて、
 せっかくの花火も興ざめになってしまった。 それでも『天地人』をモチーフにした花火が印象に残った。
 二日目の昨日は、前日とうって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも良かった。
 特に最後のフェニックスが感動的であった。河原の人混みの中で歓声と共に一体化して見るのも風情があるもの。
* 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
 以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%と発表されたが、
助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると単純計算で8・8%になる」という記事が載っていた。 
欧州が9・4%、アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。過去最悪時は、5・5%だから、
僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということだ。 日米欧の失業者が3300万人となり、
昨年の3月から15月で1200万人も増えてしまった。 私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、
5〜10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。 事業が景気に敏感な商売なので、その深刻さが直に伝わってくる。 
* 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、真ん中に線を一本引く。
右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の言い分を聞きながら、「その点につていは、あなたの得で、
それはコレコレ」とプラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方が損でそれはコレコレ」と
マイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、
みんな重宝した。これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。
 ・・・・・・・・
2678, 長岡の花火 −2
 2008年08月04日(月)
 −三大花火大会とはー
花火大会といえば秋田の大曲と、隅田川と、長岡の花火と、思っていた。そこで三大花火で調べると、色々地域によって違うようだ。
大阪の花火も、豊田市の花火も、素晴らしいようだ。花火は、それぞれの川辺の情緒を背景に見るから良いので本来比べるものではない。
川辺で各家庭が、空を見上げて団欒するのも花火見学と桜見物ぐらいである。長岡の花火は、フェニックスの花火が中越地震の翌年の
2005年から加わり、段違いによくなった。正三尺玉が、ワイドスタマインと比べてミスボラシクなって、フェニックスが無ければ
ベスト10からも除外されても仕方がなかった。最近は同色の花火を同じ場所に重ねて打ち上げるので、三尺玉の数倍の大きさになる。
二年に一度のわりで、初日だけ行っていたが、フェニックスが加わってからは、二日とも行くようになった。
この数年、大曲の花火を部屋の電気を消してTVでみている。これがハイビジョンで、現場にいるようで臨場感がある。
ところで昨夜も二日目の花火見物に行ってきた。初日が良かったので、止めておこうか迷ったが・・・・
それでも〔 天地人花火 「愛と雪」〕という花火が、来年のNHKドラマに因んで特別に打ち上げられるというので、
もしかしたらと行くことにした。やはり期待通り、豪華であった。しかし人でも花火も初日に比べ劣っていた。
仕方が無いだろうが。桜と花火とスキーと海水浴と紅葉と足元をみれば屋外で四季折々に楽しめることが幾らでもある。
 少しパソコンとTVから離れることも必要である。でもWowowやレンタルDVDで映画を観るのも面白い!
後記)二年前の同日も、同じテーマで書いていた。完全に忘れているから、改めて読むのも奇妙な気持。
 ・・・・・・・・・
007年08月04日(土)
2314, 今日が今までの人生で一番幸せな日
                     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
「今日が今まで一番幸せな日」と思って生きることが出来たら、これほど素晴らしいことはないだろう。
ある人がインタビューで話していた言葉である。 この意味を考えれば考えるほど深い。「一日、一生」「今、ここ」「一期一会」
にも通じていく言葉である。これを自分の「人生の言葉」にして、常に意識をしていたら、「ありがとうございました」に匹敵する。
幸せの選択基準がハッキリと見えてくるからだ。一日を疎かにできないし、何が大事で何が大事でないか見えてくるはず。
「今日一日は、人生で一番大事な日であるし幸せな日である」ことは、紛れもない事実。気がつかないのは日常に慣れてしまった自分。
その視線で周囲を見れば素晴らしいことが多くあることに気づくはず。心の底から今日が一番素晴らしい思えるようになれば、
過去の一番幸せだった日々を常に意識し、その気持ちが蘇ることになる。その気持ちは、周囲の幸せを引き寄せる磁石になってくる。
そうは言っていても、それは暗示でしかないじゃないか?と思うようならば、「今日が人生で一番幸せな日に‘なりますように!’」
という‘願い’にすればよい。 願えば叶うからである。もし本心に、そう思えるようになってしまえば、後は簡単。
「昨日と同じか、それより少し今日が幸せ!」と思えればよい。 「もしも身内や親しい人が亡くなって『今日が人生で一番不幸の日』
の場合は? そうは思えないだろう? 如何なものか?」そういう時は、そういうことを考えないの!
ただ、最悪の日を最悪に過ごせばよいだけ。今日が人生で一番幸せ!と思える日がきっと来る!と、思えたら思えばよい。
『幸せ』の言葉の替わりに『素晴らしい』でも、『最高』でもよい。日々の中の何気ないことの中にこそ、多くの幸せのタネが
含まれているということだ。そして、それが開花しているのが「いま・ここ」であり、「今日」である。
       というところで、幸せに! ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪
・・・・・・・・
2006年08月04日(金)
 1949, 長岡の花火         
 *第一日目(8月2日)  おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
以前は、取引先の小さなビルの屋上で見ていたが・・・最近は、信濃川の土手まで行って見るのは三年に一度位。
自宅近くの土手から、遠方の花火も風情があると決め込んでいた。
去年の震災復興記念花火で超大型花火・フェニックスが打ち上げられたが、居酒屋でオヤジ相手に飲んでいた。
こういうイベントに乗るのが嫌いで、わざわざ人ごみの中にいくのが面倒でもあった。しかし兄嫁と共に行った家内の話によると
「フェニックスが凄くよかった!」という。ということで45分かけて、信濃川の土手まで歩いていった。 さすがに土手で見ると、
迫力がある。しかし一時間もしないうちに眠くなり帰ろうとすると、家内が「最後のフェニックスは見るべき」という。 
そこで、あと30分我慢することにした。 そして打ち上げ、 過去に見た花火の中で断トツのNO・1である。
10個のスタマインが同時に横1・6?にわたり超ワイドスクリーンのように打ちあげられた。
フィナーレは薄オレンジ色に統一されているため、幅1・6?わたる花火が一つの花火のように感じられる大パノラマ。
息を飲んで見入ってしまった。なるほど去年、多くの人が涙をしたというのも解るような気がする。
そういうわけで今日もまた、見に行くことにした。 ところで、昔から長岡花火で地方的な面白いことがある。
花火のパンフレットが新聞の折込に挟まってくる。花火の提供者の企業名簿が、長岡のその時のステータスになる。
あのスーパーがスタマインを例年提供していたのに、今年は出てないのは、他のスーパーに・・とか、 
あの小さな企業が出せるようになった・・とか、それが、花火会場のお喋りのネタになる。まあ、地方的な風情だが。
 ー花火の華?といえば、
・ミラクル・スタマインー幾重にも重なる華やかなXの線を描く
・ワイド・スタマインー5色の色で彩られる華やかなスタマインで、5台の打ち上げ台から同時に打ち上げられる。
・正三尺玉    ー長岡の名物花火、しかし最近では近郊の片貝が4尺玉を売りにしているので、少し影が薄れた。
・ナイアガラの滝  −ナイアガラの滝を思わせるような花火、長生橋から流れ落ちるように花火が舞い降りる
・フェニックス  −横に広く10個のスタマインが同時に打ち上げられる豪華な花火。ワイドスタマインの大きいもの・・等々。
 ーーー  
*第二日目(8月3日)                 \(~o~) n(0 ̄)        
初日のフェニックスが良かったので、また行くことにした。二日続けていくのは、10年いや20年に一度である。
前日より少し遅めに出かけ、20時15分に土手に着いた。土手には多くの人が行き来している。少しでも立ち止まると
ガードマンが執拗に注意する。前日もそうだが、土手の席の通路ぎりぎりの端のところにシャガム。
ガードマンが注意しそうに近くに来るが、何くわない顔をしていると、前日のようにブツブツ行って通り過ぎる。
ところが、前の席の人が「どうぞ!」と、席の一部を譲ってくれた。こういう時は有難く好意に甘んじることにする。
                               (字数の関係でカット09年08月04日)
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2005年08月04日(木)
 1584, 2005年分路線価が公表
先日、2005年分路線価が公表された。 その要約は
・東京都が13年ぶりに上昇。 山手線外側にも値上がりが波及しだした。
・反面、全国平均は−3.4?で、13年連続下げ。
都内では2割近く上昇する地点がある一方、上野や新宿の歌舞伎町など下落点ものこった。
利用価値で二極化が広がった。値上がりの背景には不動産ファンド浸透も背景にあるという。
東京以外にも横浜、京都、大阪の最も高い路線化が上昇に転じた。反対に地方の衰退が更に進んでいる。
甲府では25?も下落、ピーク時の12?まで落ちた。新潟市の最高路線価は14?の下落で、まだまだ落ち続けている。
  (字数制限のためカット 2010年8月4日)
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2004年08月04日(水)
 1219, 「君のためにできること」−2 
20年来、年に10回は酒を飲んていた友人が末期癌になり、終末医療の病院のビハーラに入院している。
本人が言うには、「24時間が拷問である」見舞いに行くたびに衰弱をしていくのが、わか解るから辛い。
丁度その時に、この文章を読んだこともあって身に沁みる内容であった。お盆は20年近くも、古町を飲むのが恒例になっていた。
そして、今年もその時期が目前になっているが、もう無理である。何か寂しいお盆になる。
ー以下は、作家・大崎善生の奥さんの高橋和の「第24回 言葉にできない」のエッセーであるー
 (サロンのコーナーに、HPが貼り付けてある) 
(以下、字数の関係でカット2008年8月4日)
 ー感想
「死は直視できない太陽のようだ」というが、この子の肉体的苦痛は、
想像を絶したものであることを見つめてやらなくてはならない。(字数の関係でカットしています)
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2003年08月04日(月)
 852, 孤独について −3
『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、それこそそれぞれの 「独」を認め、かつ自分の「独」を
大事にする言葉である。『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。孤独を特に感じるのは、一人旅である。
若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急』という小説に、「独り言をブツブツ言いながら一人、
旅をしていた」と書いてあった。サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。青年期によく国内だが一人旅をした。
 一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。
旅行の最中は寂しいということは全く無かった。誰かと対話をしていたのだろう。旅は孤独のプラスの異次元の世界に浸れる。
いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。「孤独」というキーワードで検索をしていたら、
脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。口がきけない人や、
盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。
「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」という言葉をアンドレ・マルローがいっているが、孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題。 
その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。
孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。
彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないとシミジミ言っている。我慢をしなくては」とポツリと
言った事があった。知人に数人家庭内離婚者がいる。 ほとんどが浮気がきっかけだ。それでも離婚をして一人暮らしより
ましの為だろうか。一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。群れたがる内なる羊である。
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 2002年08月04日(日)
477, 人口問題と今後の日本
先日平均寿命が発表された。女85歳、男78歳。女性の半分以上が88歳の米寿を祝う事ができるという。
童謡で「今年60の爺さんの・・・」と歌っていたが、いまや爺さんは80歳か90歳である。
100年前の日本の人口は4400万人で、現在までに約3倍になった。これから100年後は丁度半分の
6000万前後になるという。100年で3倍になり、これから100年で半分になる。
人口のピークは2006年で、翌年から60万人が毎年減っていくという。100年前65歳以上が5?であったのが、
後10年後には28?になり、50年後は37?を超えるという。考えたら背筋が寒くなる。 周辺は年寄りだらけになる。
よくぞ100年で人口が3倍になったものだ、それも第二次大戦をのりこえて。更に国民一人当たりの所得が世界の
トップクラスになったのだから。この100年のシステムは奇跡的な効率であった。そのシステムがもう終わってしまったことは、
誰の目にも明らか。中世でヨーロッパの人口が飛躍的に伸びたのは、南米から芋などの穀物の種が流入したことと、
アフリカから椰子の実から取れた石鹸の流入という。高地で旱魃に強い芋などが飢饉を避ける事が出来るようなった。
石鹸は疫病を激減させた。日本のそれは工業化と儒教と天皇制度が有効に働いた為である。
今後思い切ったシステムを作らなくては衰退の一途になるだろう。それよりシステムの均衡縮小をバランスをと
りながら目指すのが筋である。今の若い人たちはこれから大変である。少し硬い話になったが。
デフレはますます進むし、中国の世界への仲間入りで間接的に生活の圧迫が厳しくなる。
これでもまだ90?手つかずで背後に控えているという。中国の人件費のアップは今後無いという。
中国の人件費は日本の100分の1、その中間あたりが落としどころとして、今の10分の1に無限に近づいていくのが自然である。
子供は一人っ子になっていきざるをえない。  国内需要の右上がりは夢の夢だ。
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2001年08月04日(土)
[98] 現地日本人ガイド
 旅行シリーズもそろそろ終わりに近づいてきた。考えると話題はいくらでもある。現地日本人ガイドのことである。
彼らによって印象が全く違ってくる。添乗員から聞いた話だが、彼らが言い出さない限りあまり聞かないほうがいいらしい。
彼らは考えてみれば、色々な事情でそこでガイドをやっていて当然である。でもそれなりに見えてくる。
ここで数回に分けて事情を書いてみよう。
 ーイスラエルのガイドの話。
63歳の独り者の男性のガイド。イスラエルに来て10年以上とか。日本の客は本当に少ないらしい。滞在中一回しかシスターの
数人連れしか会わなかった。本人も久しぶりの日本人の為、うれしくて仕方がないらしい。マイク口からはなさず、喋りっぱなし。
一年前癌の手術をして、放射線にかかっているっらしい。神学生崩れらしくて、神学のイスラエルの大学を卒業しているという。
旧約聖書にしても、新約聖書にしても博識だ。 ただいつ死がくるかもしれない不安と、外地で虚無になってしまうかもしれない
不安がそのまま伝わってくる。それがイスラエルの地で聖書の話をすると迫力がありぴったしなのだ。


3417, 64歳の現時点で、感じること!

2010年08月03日(火)

 最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、心の底から思うようになった。
青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だったのか分かりかけてきた。 当時は、「自分が、何も出来ないのに
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの!特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。
ベルクソンが「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいものであるのに気づく。
偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、
あるいは人生の運というものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。特に情報化がリアルに表出させる。
 ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論をとなえ、
一気に名前を高めた。 ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。
普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ未来へと空間化され、直線のように考えられ、
測れるものとされている。現に私も、同じである。 アリストテレスもカントも、伝統的な時間論に従っていた。
アリストテレスは「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」としている。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、外在化する傾向も持たず、
数との間にいささかの類縁性ももたない、継起(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。
彼は、人間の生を純粋に持続するものととらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。純粋持続は意識に直接
与えられる時間、内側から生きられた時間であり、時間は、音楽のメロディを聞いているようにときのように、
空間や世界から切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。演劇を観ていて時間を超越している感覚である。
 話は少し脇道にそれたが、人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、所詮は、その時代の尺度の評価でしかない。 
それも時代時代に評価が変わっていくもの。「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うようになっただけ、
歳をとったということだ。
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3042,上杉謙信の家訓
 2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回のシリーズから転換した。
今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。 
それが何かというと、あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。 米沢の上杉神社に石碑にもなっている。
 【 上杉謙信公家訓16ヶ条 「宝在心」 】
一、心に物なき時は、心広く體泰なり   ー心を見失わせるような物がない時は心が広々として、体がゆたかである
一、心に我儘なき時は、愛敬失わず   ーわがままに振舞うことがない時は、全てを愛し、慈しむことを 忘れないものだ
一、心に慾なき時は、義理を行ふ    ー惜むようなことがない時は、他人への義理や思いやりを 忘れないものだ
一、心に私なき時は、疑ふことなし   ー自分勝手な心がない時は物事に対しても疑うことはない
一、心に驕(おご)りなき時は、人を敬ふ  ー思いあがった心がない時は他人を尊び敬う気持ちになる
一、心に誤(あやま)りなき時は、人を畏(おそ)れず  ーやましい心がない時は他人を恐れることがない
一、心に邪見なき時は、人を育つる           ー心に偏見がない時は人を立派に育てられる
一、心に貪りなき時は、人にへつらうことなし ー心に欲が深くない時は他人におべっかを使いへつらうこともない
一、心に怒りなき時は、言葉和かなり         ー心に怒りがない時は言葉は柔らかく和やかになる
一、心に堪忍ある時は、事を調ふ          ー心に耐え忍ぶ努力がある時は物事は順調にすすむ
一、心に曇りなき時は、心静かなり        ー心が曇りなく晴々とした時は、また心も穏やかである
一、心に勇ある時は、悔やむことなし     ー心に勇気がある時は後悔することはない   
一、心賤(いや)しからざる時は、願い好まず  ー心が卑(いや)しくない時は無理な願いを好まず努力して掴める
一、心に孝行ある時は、忠節厚し     ー心から尽くそう心がける時は真に仕えようとする気持ちが深い
一、心に自慢なき時は、人の善を知り ー心に自惚れ(うぬぼれ)がない時は、他人の優れた素晴らしさを知ることができる
一、心に迷なき時は、人を咎(とが)めず  ー心にしっかりとした信念がある時は他人を責めないものだ
  〜〜〜
 日本人、特に越後県人の生真面目さが、そのまま現われている。
 戦国の世だからこそ、これを実行してきた謙信の誠実さが、他国の武人に評価され、
 それが、信玄に塩を送ったことなどに現れたのだろう。
   天地人の隠れ主役は謙信の上記の精神ということが理解できる。
 ・・・・・・・・・
2677, 閑話小題
 2008年08月03日(日)
 *長岡祭か〜
8月1日〜3日は長岡祭。
一昨夜は、恒例どおり第一金曜日で長岡の殿町で飲み会。やはり人出は金曜日ということもあり例年より多いようだ。
居酒屋もスナックも、何処も満席に近い状態、それでも午前様に近い時間まで飲んでしまった。
昨日は、次男夫婦が花火見物のため日帰りで帰省。花火の観覧席を含めた新幹線指定席こみで、二人で3万2千円という。
フェニックスという大スタマインには感激しただろう。ただ天気は快晴というわけではなかったが、
それでもフェニックスは良かった。写真を多く撮ったので、ブログの「バードウォッチング」に、明日でも載せるつもり。
不景気なので、地元の人にとって手近なレジャーとして、見直されているようだ。
一番良かったがフェニックス、次が100連発スタマイン、三番目は取引先のワタナベのスタマイン。
  〜〜〜
 *内閣改造で、一挙に選挙に
 (字数の関係でカット 09年08月03日)
  〜〜〜
 *北京オリンピックも間近くなってきた
 (字数の関係でカット 09年08月03日)
  〜〜
 *赤塚不二夫が亡くなった
 (字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・・・・
2007年08月03日(金)
2313, 政治家の家族とは・・ −2
         ー焼き尽くす季節にー  ー2                  
  〜〜(前日のつつき・・)    ますいさくら
 でも、わたしは、いつか、自分が叫びだしてしまうことを知っていて、その前になんとかしなくては、と思いながらも、
周りに理解されたいとは、全然思わなくて、逆に、自分のことなんて易々と他人にわかられてたまるものかと思っていました。
一方で、わたしは、この家から逃げ出そとしていたのです。理由は、ゆるやかにやってきた体の変化でした。
思春期の体は成長していき、どす黒い癒と傷をいくつも背負う醜いさなぎも動けない羽を持ちあわせた蝶へと変身していったのです。
「兄さんの、わたしの体を見る目が怖い」何度も相談したのに、両親は耳を貸しません。わたしは、ついに、父の選挙期間中に、
通っていた中学校に火を放ちます。どこか、わからない、どこかへ行きたかったのかもしれません。いえ、実際は、わざわざ
放火しなくても、よかったのかもしれないのです。しなくてもよいことばかりしてしまう。だけど、なにかしていないと、
いてもたってもいられない、やっかいな季節を迎えていたのです。 校庭の裏庭から火は回り、火の粉は空中を這う,煙道'を作り、
天空に立ち昇る陽炎となりました。なのに大船という土地柄、松竹撮影所の映画ロケかと思ったみたいで、消火活動が大幅に遅れた。
そして、わたしは、だらしなく、酸欠で倒れているところを発見されました。まるで、自分の激しさが、わたし自身を、
焼き尽くしてしまうかのように。 事件後-両親は、わたしを引取りに警察へ来てはくれませんでした。
選挙期聞中だったからかもしれないし、私という存在自体をなくしてしまいたかったのかもしれません。
結局、わたしを守ってくれたのは、少年法という法律だけでした。暴力を受けること、口を封印されること、それが生まれた時から、
すでに決定されていた事柄なら、自分でひっくり返して、踏みつけて、蹴散らして、何がいけないの?
 兄みたいに、父親の輝かしい学歴や経歴に押しつぶされ精神に異常をきたすより、わたしの方が、よっぽど健康的なんだから。
だって、わたしたち家族は、まるで表面は無傷で綺麗なフルーツに見えたでしょ。でも世間なんてアホだから、その中身が、
どんなに虫に喰い荒らされ腐っていようが、量ろうともしない。指でつけられたへこみしか見つけられないじゃないって、
そう思っていましたから。でも、時間の経過とともに、その気持ちは曖昧になり、不安なものへと変わっていきました。
わたしは、行き場所を探していたし、自らがその答えを出さなければならないことも知りました。
兄にどんな目に遭わされても流したことのなかった、涙も顔を伝わるようになりました。
そんな時に、生きる術を教えてくれたのが谷川俊太邸の本だったのです。
   ーーー
   現役の銀座ママが、よくぞここまで書けるものである。 父親も健在のようだし、
   火宅の内情をそのまま書いてよいのだろうかと、考えるのは、まだ書き手として甘いのだろうか?
   こういう背景があったから、銀座で双子のママの一人として生きていけるのだろう。
   私が学生時代に入っていた寮が、早稲田大学の理事の自宅の庭にあり、
   24室ばかりの馬小屋みたいな平屋の建物だった。そこに政治家志望の学生が数人いた。 
   さらにOBも卒業しても、酒を持って世間の憂さ晴らしにきていた。
   そのOBの中の兄弟と親しくなりと(弟は学生で在寮)その兄の政治家秘書と酒を飲みながら政治家の裏話を聞いていた。
   本人は県会議員になるのが夢だった。(その後、結果としてなったと風のうわさで聞いた)
   彼の政治家像の話が、‘ますいさくら’の両親の政治家の姿と酷似している。
   「政治家は、あるべき理想の姿をデッサンして、それを演じるのが仕事だ。
   自分が、ああだこうだは、存在しない。それも長年かけて、その虚像を創り上げ票に結び付けなくてはならない。
   それと、大物政治家のコネとネットを張っていくのが仕事である。」等々、聞いていて、その道のりは
   遠くて険しいものだと思った。彼女は、政治家とは、そういうものという知識が無かったのだろう。
   あったとしても、受け入れることが出来なかったのかもしれない。これだけ、内と外面が違う人種はいないからだ。
   まずは世間を受け入れ、それに合わせて演技をするのが彼らの仕事である。そういえば、世の中の全ての仕事は、
   そうなるが。政治家は、世の中を良くしていく体裁が求められる! 政治家だけは、なりたくないし、なれない!
    ーーー
   現役の銀座ママが、よくぞここまで書けるものである。
   (字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・・
2006年08月03日(木)
1948, ローマから日本が見えるー19                 
            ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −2
     ー皇帝への「5枚のカード」ー
 彼は気づかれないように皇帝になるため、一枚ずつカードを集めていった。
 カードゲームで、一つ一つはつまらない手札なのに、5枚揃うと「最強の手」ができるのに似ている。
 その5枚とは、
 1、アウグストゥスとカエサルの名   2、「第一人者」の称号
 3、インペラトール のちの「エンペラー」の語源になる名だが、戦の勝者をいう。
 これもこの時点では単なる称号に過ぎない。 4、全軍最高司令官  5、護民官特権
 −護民官とは貴族階級に対して平民階級の政治的権利を守るために生まれたもの。
 彼は、貴族のカエサルの養子だったので、平民だけがなれる護民官にはなれない。
 しかし、一年限り「護民官特権」を貸して欲しいと頼んで元老院から了解を得た。彼は死ぬまで、この特権を放さなかった。
 この5つを得ることで権力基盤を絶対的なものとした。すなわち、初代の「皇帝」が誕生した。といって、無冠の帝王であった。
 皇帝になった彼は具体的にローマを、いかにすれば安定路線へと導けるか考えた。その答えは「平和ーパクス」の確立しかない、
 と考えた。そこで考えたのが税体系の確立である。相続税を発明、 関税、売上税、 奴隷解放税、等々、
    シンプルで解りやすい5つの税体系にまとめ上げた。                 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!            
・・・・・・・・・
2005年08月03日(水)
1583, 郵政民営化法案について
   (字数制限のためカット 2010年8月3日)
ーーーーー
2004年08月03日(火)
 1218、「君のためにできること」 −1
1昨日の日経新聞の最終ページの「文化」の欄のエッセーがよかった。悲しい純真な恋?に思わず涙がこぼれてしまった。
ーweb日経で調べてコピーをと思ったが、記載されてなかった。ならば、書き手の名前「大崎善生」で検索をしたところ、
彼の奥さん(女流将棋棋士の高橋和)のエッセーが出てきた。そこに「第24回 言葉にできない」というテーマで載っていた。
−−
ー新聞の書き出しをまず、書き写してみるー
  題名は 「君のためにできること」
                   大崎善生
ー我が家に天使のような10歳の少年が舞い込んできたのは、今年のまだ寒い頃のことだった。
舞い込んできたといっても、彼とは一度もあったことはない。
私の妻が手紙のやり取りを始めたのだ。 ーで、はじまっている。
 最後のほうは、
ー「痛いです。苦しいです」と書かれている手紙に何と答えればよいのだろう。
少年は末期がんの苦しみの中で、必死の手紙を書きしたためているのだ。「お手紙うれしかったです。
いつまでもいつまでもおともだちでいてくさい」とまるで泣き叫ぶような字で書かれている。
いつまでも、いつまでもお友達でいてください、その純粋なゆえ、自分のことより人の足の痛みを思いやれる少年の優しい心に。
何もしてやれない悔しさもあったが、少年が懸命に思い与えてくれるものの大きさに、胸が締め付けられる思いがした。
危篤に近い状態にあると聞いたとき、妻は自分が好きな音楽を集めてCDを作って送っていたが、それが少年に届くことはなかった。
「あまりにかわいそうに思った神様が、息子に、最後の最後の恋をさせてやってくれたのだと思います。」と
父親から妻あてに手紙が届いた。そして「病気の苦しさをどれくらい紛らわしてくれたことか」と感謝の気持が綴られてあった。
少年から手紙をもらって僅か三ヶ月。少年は前日まで、妻の足が痛くなくなるよう祈っていてくれたそうだ。
少年がくれたテディベアは、リビングの出窓に座り、今も私たちの生活を静かに見守り続けている。−
  で終わっている。                     ーつづく
・・・・・・
2003年08月03日(日)
 851、 いま政治が面白い
 私は政治嫌いであるが、今の日本の現状を見ると、そうはいっていられない。自由党と民主党が合併決定、
この秋に向けて政治が面白くなってきた。小沢は首相にさせたい一人であるが、ここで彼の身を捨てた合併はさすがである。
管代表独りでは看板として頼りないが、小沢と二人となると全く違ってくる。米英並みに選挙公約と閣僚予定者を並べて
政策による選択を直接国民に訴えてくるだろうから、今までの手法や感覚では選挙に勝てない時代である。
自民党も趨勢として小泉首相を下ろしたいが、万一旧守派が自民党総裁選挙で勝った場合、民意に反しているという理由で
総選挙は惨敗するのは明らかだ。その方がむしろお国のためになる。小泉もそのことを解っているので橋本派などを
挑発しているのが漫画的である。官僚政治家の亀井がいまさらのように出てきて、公共事業のばら撒きを餌に甘言を
並び立てているのは哀れな今の日本を代表している。疲弊している地方経剤の利権屋の支持を求めているのだろうが、
いまさら彼等の力は一般の声に反するために大きなマイナスになる。今の日本は思い切った構造改革をしないと、
10年以内に国が壊滅してしまう。それでも利権のためには構造改革したくないのが自民党議員の本音である。
自民党解体のためには一番手っ取り早く、橋本派推薦の新しい総裁の元で国民の真意を問うべきだ。
 選挙になると自民党の特に橋本派から多くの偽改革派ー月光仮面のオジサンが出る。それを演じるためには総裁選挙で
小泉指示に回る可能性がある。そのために橋本派の一本化は無理だろう。どうみても小泉は有利である。新潟県は反小泉で決定した。
私の意に反しているので今度の衆議院選挙では民社党に入れることにした。これは恐らく私だけでないだろう。
今度は、地域としても「個人より公約を優先するだけ民度が高いか低いか」が問われるのだ。 政治は何がおきるか解らない、
盆明けから目が離せない動きが出てくるだろう。政治も情報化で利権屋政治家の姿をリアルに映し出してしまう。
北朝鮮の緊迫した動きが本格的になってくるだろうから、それに合わせて最適な指導者を選ばなくてはならない。
 ・・・・・・
 2002年08月03日(土)
476、ある老女の遺書ー2
25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、30歳の女性になり、子供の成長も早く、
永遠に続く絆で互いに結ばれ、40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、50歳の時、再び、
私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、
愛し合った日々を思う。私は年老いた女。自然は残酷だ。老年が私をおろかにみせる。私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。
そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、私の人生を愛し続け、
過ぎ去った日々を再びたどる。永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、
あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、気難しい老女でない、‘私を知って!’
ーーーーー
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。いや久々に検査の為、
病院に行ったのがきっかけでしかないが。たったこれだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。
これは詩である、人生を言い尽くした。 必ず誰も思う道だ。
・・・・・・・
2001年08月03日(金)
 97] NoSubject
数日前小学校の同級会の幹事会を今やってるが出てこいとの連絡あり。15分前まで殿町で飲んでいたが再びユーターン。
東京の友人の会とどっちにしようか迷って、返事の期限を10日以上も出してなかった。出る出ないはどうでもいい。 
返事を出すのが筋!こってり絞られた。幼稚園、小学校、中学、高校と13年同窓の高木と山崎に頭が上がらず。
結局出席になった。 8月11日鴨川本館。その日はかなり盛り上がり、同級会を終えてしまった感あり。


3416, 「憎国心のすすめ」 ー2

2010年08月02日(月)

■ 知性の定義
 知性を電子辞書で調べると、
「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた素材を、整理・統一し、認識に至る精神機能』とある。
ここで日本人には知性が足りないと繰り返しているが、その「知性とは何か」と言われるといま一つ曖昧である。
そこで著者は知性について一章をさいて書いている。
 ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー
* 私は、「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」というジャン・ピアジェの明快な表現が好きだ。
 つまり「正しい答え」がないときや、通常の対処で十分とは思えないときに必要となる。 柔軟に対処したり
 手探りしたりする能力で、いわば知的な即興の能力である。 モーッァルトやバッハのコンチェルトのように高度に
 磨き上げられた作品ではなく、ジャズの即興演奏を思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、
 思考と行動によって磨かれる「過程」のことである。』 (『知性はいつ生まれたか』ウィリアム・カルヴイン著・草思社)
*『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法(例えば運動暴発)によらずに適応する仕方
 または課題を解決する方法をいう。過去の経験を利用することが多いので、この能力(記憶)をも〈知性〉のうちに入れるのが
 普通であって、これを〈再生的知性〉という。また、人の知性のうちには抽象的思考力があるが、これだけを〈知性〉と
 呼ぽうとするものもある。 なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な思考作用をいう。
〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』
*『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか持ち合わせていない動物は、その反応が成功するか、
 環境の偶然の変化によって条件が好転するまで、その力と衝動の持続する限り、その持ち合わせの反応を無駄に繰返すに止まる。
 たとえば飢えた鶏が偶然に柵の端に到達し道を発見するまでいつまでも柵の前でうろうろするのである。
 これに反し賢い動物は持ちあわせの反応を二三試みたあとで、その周囲の状況を考慮に入れて自発的にその行動を変化させる。
 いいかえれば、彼は新しい状況に応じて新しい行動を発明することができる。これこそ知的行動の一般的特徴にほかならない。』
〜〜以上だが、
 状況の変化に対し己を変化させ対処する知恵が知性ということ。もう一つ、「知覚を認識に作り上げる精神機能。」
 そういえば、知性の低さの集合体が世間様である。要は、知覚の世界に浸かり、認識まで持ち上げられない人々ということか。
「経験・知識を長年にかけて蓄積・熟成し、感性で知覚したことを、悟性から、理性へと移行していく精神機能」 これが私の集約。
 ・・・・・・・
3041,自宅近くの再開発地区のSCの概要
 2009年08月02日(日)
 自宅から歩いて7〜8分のところの再開発地区に、25店舗のオープンモールのショッピングセンターが出来る。
来年3月から徐々にオープンする予定で、その説明会が来週あると折込チラシにあった。長岡駅裏側から直線で歩いて15分で、
東バイパスに面した好立地の場所になる。私の毎日の散歩道の栖吉川の土手の至近距離にあり、土・日曜日には進捗をみるために、
周辺を散歩をするのが楽しみになっている。 新しい街ができていくのを見るのは夢があってよい。
 そこで、ネットで調べたら、25店舗の店名が紹介されていた。新潟の女池地区や長岡の川西からみれば、大規模ではないが、
オープンモールの25店舗なら、中途半端なNSC(ネバーフッド・ショッピングセンター)でない。
近くに出来れば生活を中心とした環境が一変する。数倍、住みやすくなるということだ。
 ー以下が、ネットで調べた具体的な出店名ー
 * イーストスクエア・アクロス長岡
原信        (スーパーマーケット)        蔦屋書店      (ソフトレンタル、書籍)
(字数の関係でカット、2008年8月2日) 
・・・・・・・・・
2676, ルソーの思想
 2008年08月02日(土)
学生時代に戻った気分でルソーについて、考えてみる
 まずは
ーフリー百科事典『ウィキペディア』からー
フランスにおいては早くからボダンなどにより君主に主権(政治についての決定権)が存するとの思想が表明されていた。
この君主主権の観念はフランスなどを中心に当時の絶対王制を支える強力な根拠となっていたが、ルソーはこの観念を転用し、
人民にこそ主権が存すると言う人民主権の観念を打ち立てた。一定以上の財産を有するなどの特別の資格を持つ国民ではなく、
その国の国籍を有するもの全てを意味する人民にこそ主権があると宣言したことは、その後の普通選挙制の確立や民主主義の進展に
大きく貢献した。一方、ルソーらのフランス啓蒙思想に触発されて始まったフランス革命において、自由や法の支配は全く無視され、
反革命派と名指しされた者への言われなき迫害、虐殺、裁判なしでの処刑などといった恐怖政治が行われた。
 〜〜
こんなところだが、
ルソーは、「社会の人々に(殺せる権利)と(殺されない権利)の両方を認めるとする。そうすると、お前の(殺せる権利)と隣人の
(殺されない権利)は両立しない。お前は(殺せる権利)と(殺されない権利)のどちらが欲しい?と言われたら(殺されない権利)
だろう。だから、社会の皆はお互いを(殺せる権利)を返上し、(殺されない権利)を優先して『社会契約』を自然に結んでるんだ。
だから「殺人はダメ」という理由になる。ルソーは「エミール」で、子供の教育の考え方を述べている。エミールとは、子供の名前で、
この子が育っていく物語である。エミールは、ルソーの思想にしたがって、その中で育てられていくのである。そこでは、
子供の自主性の重要性を述べている。彼は子供を不完全な大人とは考えない。子供は既に自分の素晴らしい世界、人間性を持っている。
人間的に最良のもの、人同士が信じられ、愛し合える元のもん、「良心」を、子供一人ひとりがそれを持って産まれてくる。
それを壊すのは社会、大人の方だとルソーはいう。それを守ってやるのが、教育だと。子供が持っている「良心」を育むのが
「自然に帰れ」という言葉の意味である。子供を守るということ(教育するということ)は、大人の価値観を押し付けるのではなく、
子供が本来持っている豊かなものを守ることである。次ぎのルソー「エミール」の中の一節が、その全てを言い尽くしていると言ってよい。
 〜〜
人聞よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、あらゆる年齢の人にたいして、
人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。
(字数の関係でカット、2008年8月2日) 
・・・・
2007年08月02日(木)
2312, 政治家の家族とは・・ −1
       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 あの双子の銀座ママの妹の‘ますいさくら’が、ある雑誌に寄稿していた文章である。
図書館で借りた「銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」を読んでいた。
それによると、彼女はシングルマザーで、そのことで子供が虐めにあわないようにアメリカに留学させていることと、
銀座で合理的システムで値段を思い切って格安にしたことも。「ああ、例のママが書いているのか」と気楽に読み始めたら、
内容は「政治家の家族の火宅の実情」である。政治家の火宅の例としては山村新二郎がいる。よど号ハイジャック事件で
人質交換の時によど号に乗りこんだ政治家だが、最後は自分の娘に殺されてしまった。その家庭を彷彿させる内容である。
 政治家は「井戸塀」(政治家は最後は井戸と塀しか残らない)といわれるほど、家(庭)を犠牲にしないと
成り立たない世界である。火宅といえば、私自身が物心がついた頃から少年期にかけて家は火宅そのものであった。
事業も政治業も同じ世界である。毎日が闘いの世界で、次々と問題が押し寄せてきて、子供にも直接・間接に
エネルギーがかかってくる。終戦から五ヶ月後に産まれで、両親が焼け跡から事業を再度立ち上げる最中であった。
8人兄・姉だったが、そのプロセスで長兄・次兄が亡くなってしまった。そのショックで母はノイローゼになり、心不全で死の
一歩手前までいった。子供ながらにエネルギーを直接感じていた。隣の部屋で「死のうか〜、死にたい!」という両親の話を聞いていた。
事業家とか、政治家とか、一見格好よくみえるが、実情は火宅といってよい。
いや、火宅など当たり前で、それを何とも思わないと、それが面白いとでも思わないと長期的にはやれない。 
だから好きになるしかない。丁度、参院選挙が終わった後、政治家の家族を内側から見るのも面白いだろう。
 ーー
ー焼き尽くす季節にー
   谷川俊太郎『ビリー・ザ・キッド』 ますいさくら
(字数の関係でカット、2008年8月2日)          ーつづく
 { ますいさくら(1968年10月6日〜、神奈川県鎌倉市北鎌倉出身)は、銀座のクラブのママ兼作家。
  血液型A型。父は、桝井祐三(神奈川県議会議員)。 シングルマザーで、一女の母。
  片親で母親が水商売だと日本では肩身が狭いだろうという配慮から、娘をイギリスの寄宿学校に通わせている。}  
                      ヾ(o・(ェ)・o)ノβyё
 ・・・・・・・・・
2006年08月02日(水)
 1947, ローマから日本が見えるー18
         (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!   ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −1
  ーローマ史最大の名優オクタヴィアヌス登場
カエサルは、「大きくなりすぎたローマを守るためには、既に共和制度のシステムは無理であり、住民共同体の利益を守るためには
強力な権力集中の皇帝を中心としたシステムに変えなくてはならない」ことを知っていた。ローマ領の中に住む人々全体の利益を
最大限にするのが覇権ローマの使命であり、その役割は元老院にはもはや果たせないと考えた。
 (字数の関係でカット、2008年8月2日)   
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2005年08月02日(火)
 1582, 変化について
「変化、挑戦、戦い」が生物の成長のサイクルである。環境の変化に対して、自らを変えることが成長ともいえる。
また自のサイクルに変化を見つけだすことも必要になってくる。現代はインターネットなどの情報化の技術や、グローバル化で
変化のスピードが益々加速している。ところが変化することは、非常に難しい。とにかく人間は変化を嫌う。
現状を根こそぎ否定しなくてはならないからだ。それが出来なくなった時、脱皮できない蛇のように死ぬしかない。
自分の過去を振り返ってみると、その節々に大きな変化をしている。その変化が止まった時に停滞が始まっていた。
起きた現象に対して、逃げずに直面して戦うことから挑戦の第一歩が始まる。その中から変化が生じてくる。
特に激変の時代には、ただ変わればよいわけではない。激変にあわせてより大きく変身しなくては何の意味も無い。激変の時は、
真似をしていては変化に追いつかない。自らの脳で考えなくてはならない。組織内では、とにかく配転しか能力をのばすことが
出来ない。出世コースは配転を繰り返し、キャリアを重ねさせる。本人にとって重圧かもしれないが、行蔵として蓄積される。
変化は結果として竹の節のように自らを支える役割も果たす。 そのため、節は打たなくてはならない。
世界が、日本が大きな節目にきている。情報化が根こそぎ世界を変えようとしている。
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2004年08月02日(月)
 1217, 広松渉ー哲学について ー25
広松渉の「新哲学入門」を読んで非常に難しいが、今までの常識が、根底から崩されてしまった。
その後、「哲学入門一歩前」を取り寄せて読んだが、むしろ「新哲学入門」のあとで読んでよかった。
広松渉は「もの」から「こと」の世界へのパラダイムチェンジを主張した。「物的世界像」から「事的世界像」への転換。
・旧来の世界像は「世界、存在界をモノから成り立っているとみなす。
 まず独立に存在する実体があって、それら実体が諸々の性格持って互いに関係する」
・これにたいして、「『事的世界像』は、関係規定態こそ第一次存在とみる。
 実体は、関係規定性の存在論的には独立自存体ではない。要するに関係があってこそ、存在がある」と考えた。
 広松は、日常意識で当たり前と思ってきたことを疑い、それは根底から違うという。彼は近代哲学者が思索を重ねてきた疑い得ない
「基盤」を、根底から崩そうとする。「私たちが見ている現象が果たして真実なのだろうか。 善悪の判断基準は何なのだろうか。 
 美しいと思い込んでいるだけではないだろうか。 等、今まで信じられてきた『真・善・美』とは、果たして何だ?」
今の時代は、幸福とか消費を基本的に、「もの」の充実とか消費だけでなくフィーリングとかサービスとかいう価値観でもとらえている。
別荘を持つことより、リゾートホテルの会員権を持つ時代。家を建てるより、旅行をしてまわるほうに価値をおく時代である。
そのサービスとかフィーリングに生活に必要なものと認知してしまっている。この情報化の社会では、ますます広松哲学を
知っておくべきである。実際のところ、次代から次次代のTVは、実際の生の目でみた対象より鮮明に映し出すという。
カメラでは、その域に到達しているというが。こういう時代には、近代哲学者がたてた哲学を根本から
考え直さなくてはならない時代になっている。 それが「事的世界像」への転換というのだ。
                       つづく
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2003年08月02日(土)
850, ミッション・ステートメントー自分の憲法
  ー原案ー
・死ぬ時に「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」
  と心から感謝できる人生を生きる。
・自分が自分の人生の創り手であることを認識し、自分だけの役割を果す。
・いついかなるときも、「積極的な姿勢とユーモアと誠実さ」を保つこと。
・私の隠された能力は人を癒すことだ、その能力をより磨きをかけることで社会と周囲の人に貢献していく。
・何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って気楽に変化を受け止めていく人間になる。 
 また何事も「一期一会」と真摯に向き合う。
・心の声に従って自分の価値観や信念によって行動する。それに対する批判・悪口は全く無視する。
・子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」と自信を持っていってもらえる人間になるー人生を送る。 
 子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところにやって来てくれるような人間になる。
 家内には私の伴侶として生きてきたことに満足をもてるように勤める。
・会社に対しては、常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を保つように努力をする。 
 存続は社長としての第一の義務であり、その為には常に新しい知識を導入するよう努力をする。
・健康には十分気をつけて80歳を大きい目標にする。 
  ー 具体的には −
1、ホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、情報の蓄積倉庫でもある。
 その維持発展に努める。 見ていて自他共に面白く魅力に満ちた内容にする。
 特に、随想日記は重要な発信媒体かつ蓄積倉庫としていく。
1、毎朝の散歩は一日のスケジュールで欠かせてはならない健康習慣として必ず実行する。1万4千~5千は維持する。
1、年2〜3回の海外旅行は可能な限り続ける。 60歳までに50回の目標はこだわらないが、近づけるよう最大限努力する。 
 70歳までに70回を次の目標とする。
1、事業は65歳を大きい目安とする。そのための後進の育成を考えていく。デフレの中、借入金の圧縮に勤める。
1、常に新しい変化に注意を向ける。デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置く。
1、人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることにする。但し卑しい人間は絶対に近づけない。
 我が内なる卑しさを判断材料にする。これはもっとシビアに徹底する。
1、純粋に助けを求めてきた時は、自分の力の範囲で答えることにする。
1、教養娯楽面では、読書や映画をレンタルやBS・TVを通して可能な限り吸収する。
1、80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリをしている。
 陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな絶頂にいる。
 丁度海外旅行も100回目で、行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで、昔を懐かしみながら好きな歌を歌っている。
 ーーーーーーー
 以上であるが、やはり大きな手直しが必要に思われる。 現在の延長線上でしかないからだ。
・・・・・・・・・・
2002年08月02日(金)
 475, ある老女の遺書−1
この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま写し書きしてみる。
ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から見つかった詩、書き置きです。
「何がわかっているのです!看護婦さん、あなたは何わかっているの?
さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も緩慢で、食ものを
ボロボロこぼしても返事をしない。(努力して、やってみて欲しいの!}とあなたが大声でいっても、
そんな事少しも気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、
長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんなふうにあなたは私のことを考えているの?
もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。
あなたのいうままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと静かにここに座っている間に、
私のことを話しましょう。私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
十六の若い少女のときはウキウキして、もうすぐ愛する人に巡り会えることを夢み、
やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると約束した誓いの言葉。
                 ー続く
・・・・・・・・
2001年08月02日(木)
 [96] 旅行で出会ったー普段会えない人ー
・大手情報機器メーカーをリストラされ傷心の60前後の人
・三條の67歳位の夫婦ー自在で何もおくさない人ーそのまんま!−
 イグアスの滝でゴミ袋の底に穴をあけ首を通して雨具にしていた。
・一度も結婚したことがないという70歳半ばの品の良いおばあさん
・ヌー河渡りを見たいばっかりに日本興業銀行を辞め、
 外資の銀行に勤め始めたのをまた辞めてきた30代半ばの女性
・30数年前、ある当時?の代議士の娘、自由時間にパリ野郎に誘惑され朝帰り。
 青い顔をして皆が心配しているのをしり目に、ピンク色の頬、うつろな目


3415, 売国者たちの末路

2010年08月01日(日)

 「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
   ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
 リーマン・ショックを的中させた副島隆彦と植草一秀の対面が実現。国民を不幸にする国家権力に対し「共闘宣言」を叩きつける。
植草は1990年代、日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、
その経済政策(すなわち竹中平蔵氏主導の『構造改革』路線)に異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」の犯人となり、
公的な職を失った。 2004年の事件は罰金刑が確定したが、2006年の事件は最高裁で係争中である。 
現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信している。 副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の
謀略に嵌められた」と指摘。 同時に植草氏の言論活動を高く評価してきた。 両氏が相見える本書では、小泉=竹中政策の糾弾は
もとより、民主党・小沢一郎代表への国策捜査、「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、
新聞やテレビでは触れることのできない「真実の言論」を展開する。
  〜〜
 このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。官僚、政治家、マスコミがアメリカの隠れた
コントロールに入っており、それに歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを今さらではないが、
それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、やっと気づいたのだから遅い。しかし大手銀行の
財務内容が改善されたことも事実。 冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から国を守らなければならなかったが、
それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。
植草は【一般国民の大多数は、観念的に「警察、検察、裁判所は中立公正であって、正義の味方」という考え方しか持ってなかった。
しかし一部の人たちから「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。 高橋洋一の万引き事件は、明らかに
検察官僚の捏造事件と疑ってきたが、植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。一度、解体的混乱を
通ってしか日本は改革できないのか。 頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!
・・・・・・・・・
3040,卒業40年周年か〜 −4
 2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして
書かれた手紙を貰うのは初めて。私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと
勝手に判断させて貰った。  ‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’の手紙上の対話
だから魂が入ったのだろう。それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。 
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 
 私にとって一期一会の対話になった。 それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  ーー
* 奥野君からの手紙
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての
佐渡旅行等々、四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
 堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思っていました。
どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったとお答えします。
その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、
名古屋、広島、東京、仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるようになりその方々の
浬繋のお顔を拝む都度、 一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、が人生の残り時間が
あとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、
日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。
 日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川の下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、
海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが 6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。 現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。平均睡眠時間は4・5時間との事。
親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているのでそのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなと
おもってしまう親馬鹿です。ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず
拙文とあいなりました。状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
              7月28日       奥野和男
 ・・・・・・・・・・・
* 奥野君への手紙        
                                2009年07月22日 
                   (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
  《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
・・・・・・・
2675, 東西が逆転を始めた! だと
 2008年08月01日(金)
  十年前、いや数年前まで、「東西逆転」という言葉など思いもよらなかった。この随想日記で書いたことがあるが、
  重心は地球を周る。「モンゴル、トルコ、欧州、そして現在はアメリカのエネルギーが、次は中国、インドになる」と。
  紆余曲折があろうとも、その流れになりそうである。アメリカの大統領の、あの男と、その背後のユダヤの諸々の事情、
  そう「9・11事件」で、事態は根こそぎ動き始めたのである。 情報化もあるが。アジアには地球の半分の人口が存在。
  その中国と、インド、そしてロシア(シベリア)に重心が移動始めたのである。これで俄然、娑婆が面白くなってはきたが、
  そのハザマにある日本は人口減という均衡縮小で対応するしかないのか? それもいいだう。
 〜〜〜〜
「東西逆転―アジア・30億人の資本主義者たち」ークライド・プレストウィッツ著
 《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
 ・・・・・・・・・・
2007年08月01日(水)
2311, カント ー世界の限界は経験可能か?−1  (*´・ω・)ノはよー  
  『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著
                                   ー読書日記ー
 カントは難しい。ここでも何回か書いてきたが・・・
トルストイをして「何度読んでみても、サッパリ解らない」と言わせしめるほどである。
「それまでの哲学をカントで哲学を収れんし、その後の哲学は、カントから始まる」と言われている。
亀のようでも良いから少しずつでも理解してやろうと5年ほど前に決意。ことあるごとに、噛み砕いてあるカントの本や、
各種の哲学書の中のカントの章を読んでいるが、それでもサッパリ解らない。私が、カントの属性
(クル病とか、生活の規則正しさとか・・)でなく、哲学のエッセンスで解りえたのは、
・合理主義を経験主義を統合したこと
・「し・な・の」と憶え、『人は何処まで‘知り’えるのか』『人は‘何を成すべき’か』
  『何処まで‘望みえる’のか』  という人間の根本を追及していた。
・カントを説明する上で、ある哲学書が一枚の絵を紹介していた。
 −雨上がりの草原に小さな二人の姉妹がいて、マンドリンのような楽器を盲目の一人が弾いている。
 その逆側の娘が盲目の娘の肩越しに、雨上がりの草原の虹の景色をみているー
 この絵は、雨上がりの草原で若草の匂いの中、好きな楽器を弾いているが、眼がみえないため虹と草原の美しさを
 知ることができない。 人間は、その機能の範囲でしか対象を認識できない!ということである。
 世界の限界を経験しても、その限界を超えることは出来ないということだ。
・現象は、それぞれカラーのサングラスをかけてしか見えないし、その色に限定されるということである。
 −−−等々である
 以上の簡単なことを知るのに、悪い脳で必死に取り組んだ結果である。
 先日借りてきた『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著ーNHK出版ーが、シンプルにカントの
 エッセンスを抜き出してあった。110頁ほどの本だが、視覚的にスウ~ッと入っていける?読んでいると、何か何面体かの
 球状鏡に色いろな意味が照り返しているような気持ちになる内容である。一度借りてきたことがあったが殆ど読まないで
 返してしまった。今回が、もう一つカントを理解するうえで、丁度良いタイミングなのだろう。 
 それとノロマながら、先ほどのことを、さらに一歩解りかけてきた。
 次回から、少し手間がかかるが、私の知的レベルに下げて、這いずりながらも意味を掘り下げてみたい。その為に、
 中古本だが注文をして読み始めた。 何度も何度も繰り返し書き込みを入れないと、とうてい歯が立たない。
 哲学は、脳の中枢の情報えり分けや、吸収の根幹に関わるので、避けて通ることはできない。 考えること、それが哲学である。 
 そして考えること、それが人間としての姿だからだ。「なに考えてんだ?自分は!」「なに考えてるんだ?あなたは!」と、
 何時も自分に、他人に問いかけているわりに考えるということを考えてない。そして、晩期になって、
「自分は何をしてきたのだろうか?」と、悶絶をする。 もう始めている? 本当にご苦労様です。 ホナナァ☆ |・∀・`@)ノ|Ю  
 ・・・・・・・・・
 2006年08月01日(火)
  1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る−2
            Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」というスナックで飲んだ。
そこで、
「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。ところが、マスターとスタッフが、
そこをよく知っていて、「大きな川の河口は恐ろしいところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。
知らないだけで、とんでもないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。
翌日、会社で近くに住む人に話たところ、もっと厳しい指摘。
「あそこは海の波と川の波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。 毎年何人か死んでいる。
そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題ではない。」
流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに乗ってないはずである。
松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに大きな川や、その河口も初めてと言っていた。
知らぬが仏だったのか。 たまたま、そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、
のめり込んでしまうという。一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、また解体して車に積み込み、一人で
帰ってくるのが良いという。 こういう趣味を持っているのは羨ましい限りである。おまけに、河口湖に別荘を持っていて、
そこでカヌー遊びなど・・・ 人は人、我は我だが・・・  こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、
自分の趣味を持っていると余裕を持てるからよい・・・
「趣味は、その人をそのまま現す」というが、そのとおりである。
永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。 私の母とマスターの母が同級生。
  その上、私の兄とマスターも同級生ときている。こういう老舗が地方都市には多いが、最近どんどん廃業している。
  このテーマと関係ないが)                 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
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2005年08月01日(月)
 1581, 「これから5年・地価は半値になる」−4
この本に、「都心の大型マンションの暴落が引き金になって土地の下落は更に進む」と、あった。
そのままの記事が、五月号の「ヨミウリウィークリー」にあった。(昨日、図書館でみつけたものだが)いま人気の「品川」に、
価格破壊タワーマンションが1〜2年先に売り出されるとか。70年の定期借地権つき高層マンションで、80平米が3600万という。
《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2004年08月01日(日)
 1216, 直立して歩くサル
先日のニュースで、ある動物園で直立をして歩くサルを報じていた。人間のように背筋を伸ばして歩いていた。
インフルエンザで高熱を出した後、直立で歩きだしたという。何かサルの惑星の世界のような不思議な感覚に陥ってしまった。
・風邪で脳の何処かをやられてしまったのか。・サルの歴史の中で直立で歩いていた時期があったのか。
・人間が歩き出したのは、脳をやられたサルが歩き出したのかもしれない。 等、考えてみたが。
一般にはサルが木にブラ下っているうちに背筋が伸びて、直立の骨型ができた。その後に、草原に獲物を獲るために出て行くうちに、
直立歩行になっていったと、信じていたが、サル学者はこの現象を如何みるのだろう?進化論で「脳内突然変異作用」の説が
あっただろうか。人間でも老人性痴呆症になった人が抑制がとれて突然、絵画の特殊才能が出たという例もあるという。
脳はまだまだ未知の領域である。それが注目をされた時は、悪化をしている時である。そう考えると、脳が最近になって
注目をされているというのは人類は少し脳がおかしくなってきているせいだ。それとも電脳といわれるコンピューターのせいだろうか。
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2003年08月01日(金)
 849, ありがとうの話ー7
《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2002年08月01日(木)
 474, ある小学6年生の作文
[僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。 そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は三歳のときから練習を始めています。
三歳から七歳までは半年くらいはやっていましたが、三年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやってます。 
だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が
大会のナンバーワン。 選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を打ちました。
そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得いく成績でした。そして自分たちは一年間負けを知らずに
野球ができました。だから、この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」
この文章はイチロウの子供時代の作文である。−「致知」という雑誌より「夢」と「意思」と
「実績からくる自信」が現れている。それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。
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2001年08月01日(水)
[94] 倒影について−1
投影といえば対象の中に自身の姿を見るとか,自身を相手に映し出すときにつかわれる。これに対し私が創ったか実際あった言葉か
忘れてたが、‘倒影’という心理がある。これが人間にとって曲者!ずるい批評家とかコンサルタントや新興宗教の教祖が多用する。
他人の悪口はこの心理より発せられる。‘心の中の影’を自身の中より、対象の中に見てけだし否定する。
ずる賢いやつはそういう対象に近づき、否定すべきことを探しある時期がきたら手の裏を返す。誰もが持っている哀れな姿である。
新興宗教の教祖がそれをやる。 ダライラマとかに500万とか1000万の金を献金。会見したようにして会い、あたかも
同格のように写真をとる。そのうちいつのまに教徒にそれ以上と洗脳をする道具に使う。オウム教とかこの前詐欺でつかっまった
足もみの教団はその典型だ。女子短大レベルの若い女が表面的知識を得た時、まずおぼえるのがこの否定である。
それであとは何にも見えなくなってしまう。それで同格かそれ以上と錯覚してしまう。
何事も三分一は影があるが、その影探しだけに精を出す。


3414, 「憎国心のすすめ」

2010年07月31日(土)

 18年の海外生活から帰国した著者が大分の山中に居を構えて5年、変わり果てた祖国・日本を憂えている。 
ここで、ひとりの地元青年とのやり取りを通して、日本再生には愛国心ではなく、憎むという感情、いわば「憎国心」が必須と説く。
最近は著者の見方にかなり感化されてしまったが、老化からくるマイナーの見方でもある。しかし「憎国心のすすめ」は極論になるが、
それで日本人にアメリカの間接統治を知らせたいのである。それを前提にしないと国家改革など不可能である。 日本は、いまだ
長年にわたった洗脳で思考停止状態にある。その実態に憎悪心を滾らせないと、真の己の姿が見えないというのは至極当然のこと。
  ―印象的な部分をランダムに書き出してみた―
《 愛ではない。この日本を救うのはむしろ、憎むという感情、いわば憎国心だ!・・・ 愛するために憎む。
 想うために考える。この日本を。「俺の仕事の動機はいつも怒りと愛だ」と私は無理に続ける。
「悶死したくなるような怒りの先に愛が見える。そのとき、仕事をする情熱が生まれ、行動の意味が完結する」「ははぁ・・・」
「日本に帰ってきてから、怒りはほとんど極限に達している。でも、その先の愛は見えない。
 だから、もっと、徹底的に憎国心を高ぶらせる」「ゾー・コ・ク・シ・ン・・・ですか」「無論そんな日本語はない。
 いま、とっさに考えついた。愛国心の相対だ」「ははぁ・・・」「憎国心さえもっと鍛えれば、もしかすると、死ぬ前に、
 もう一度この国を愛することができるかもしれない」》
《 日本人を一言で要約すれば<考えない>ということであり、―ジャップ(日本人の蔑称)は考えないという特殊能力を持っている、
 ということになる。人間が考えないでいられるというのは、ムズカシイ以上に実にありえない不思議な才能であり、
 特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、貴重な力となりうるからである。<考える>という根本は、
 まず疑問が無くてはならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、最後は統合。この4段階、どれもない。
 疑問がないのは、比較感覚がないからということになる。比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
 (日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。日本人自身は世界の文化を
 総合したつもりでいるが、じつは単なる便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から続くわれわれの本性だったのだ。
 他律とは、(自分の意志によるのではなく、他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語(ヘテロノミー)
 によれば、意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望(傾向性)によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、
 どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長させ、推進させ、摂取し、操っている。
 そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないのか?」》
 ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての価値観を疑いもせず、あくせく生きてきただけ?になる。
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2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな出会いがあるもの。本人にとって何にも替えがたい
自信になったろうし、前向きにさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、この人の漫画は何度も目にしたことがあったが、
軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」は、数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。
その絵に感動し十五年後に買い求めた人と、その絵を見てみたいものである《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。
私は数寄屋橋で風景画を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころです。 私の描いた油絵を、
大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間もそばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき
住所をたずねたものです。あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく家を新築したので、
ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容でした。その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンと
ぼくの手もとにあったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して見つけてくれたに違いない。
 ぼくは感激しましたね。さっそくその人といっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。
   むかしテレビ番組「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
  ーー
 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の1971年頃の文章になる。絵を描いていたのが、
その20年前というから1951年ということになる。 岸恵子の『君の名は』が1953〜54年だから、その二年前に数寄屋橋で絵を
描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。
 ・・・・・・・・・
2008年07月31日(木)
 iPoneについて
いずれにしても、これは凄い。少しオーバーに言えば1〜2ヶ月で、私の中の何かが変化するだろう。
 情報機器を幾つか持っている。 そのお陰で
・パソコンでインターネットを楽しみ、「お勉強」もしている。・デジタルカメラを常時、鞄に入れて歩いているし、散歩にも持っていく。
・2千曲入力してあるiPodも持ち歩いている。        ・携帯電話を身につけている。
・会社の机の前と、自宅の居間の机にもiMac(机上型のパソコン)が置いてある。
 それが全て、携帯電話を少し大きくした、このマシーンに入っているである。「それなら、携帯電話があるじゃないか」というが、
これはパソコンを基点としている。 超小型パソコンに、多くのデジタル機器の機能が入っているのが凄いのである。
更に、GPSナビゲーションまで入っている。 新聞や、マックのHPで、このデモンストレーションの映像を見たり、モーニングショーで
キャスターが操作をしているのを見たが、自分の手にとって腹を据えてみると、その凄さと深さが見えてくる。 
半年前にiPodを実際に使ってみて驚いた。 手持ちの200枚のCD(2000曲)が、マッチ箱位の薄いマシーンに、全て入ってしまった。
パソコンに一度入力をしてしまえば、何時でもマッチ箱に出し入れ自由である。ところが、それさえも、このマシーンは機能の一部として
入っている。 いま一つ、タッチパネル+ワイヤレス+超小型の総合効果が、パソコンのストレスを大幅に減らしている。
このストレス・フリーが最大のネックである。携帯電話が、固定電話から我々を解き放ってくれた。それと同じことが、
今度はパソコンでも起きている。大型コンピューターがパソコンになり、ノートパソコンになり、モバイルパソコンになり今度はこれである。
 これには母機のパソコンに対する子機という位置づけは殆どない。(iPodなどの機能を使う時はあるが)これも三年もしないうちに、
古くさい原始的なマシーンになっているのだろうか。まずは、これを使いこなすことから始めないと。何かSFの世界を垣間見ているよう。 
 若者が、モバイルパソコンに、如何反応するか楽しみである。
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2007年07月31日(火)
2310, また地震!どうなっている?まったく!ー 9
            才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
田中真紀子様が、この参院選挙に中越の長岡駅で堂々と車の上から選挙応援ができるか、見ものであった。
TVでは映像を出なかったので、さすがに度胸が無かったのか、警察からでも忠告を受けたのか、どちらだろう。
昨日の朝のTVのニュースでコッソリと個人演説会に来ていた映像があった。「下手に話すとマスコミに何を言われる
かもしれないから、街頭演説はしない」だと。この角栄の嬢様は、柏崎・刈羽原発を強引に誰が持ってきたか、ご存知なのだろう。
いくら越後人が人が良いとしても、そろそろ誰が危ない原発を誘致したか、気が付かないはずはない。 
しかし誰も口にしないから呆れてしまう。原発で??されかけたのに、何で怒らないのか? 不思議でならない!娘だから関係ない?
そうだろう関係ない!のか? しかし姿を現すな、姿を! 仕事場が新潟の駅前だから、たかをくくっていたが甚大の風評被害が
出始めてきた。毎日のようにTVと新聞のトップで原発事故関係が出ていれば、観光客を含めて一般客も来るはずがない。
当ホテルは関東方面から春夏、自動車学校が二週間の宿泊客を送り込んでくる。延べで2000人以上。まずは、そこから激減である。
8月上旬の長岡祭りと、新潟祭りも、これでは期待が出来ない。一割減で済めばよいが・・
(地震前の予定は一割増だったが)北朝鮮の、あの方?も、ミサイルを原発の周辺に一発ぶち込めば間違いなく
日本は政治的に折れるだろうと熟知しただろう。ミサイルに原爆を積んでなくともである。
相手はキ印のドン様なのである。キ印が脅しの武器なのだから・・・原発には敢えて原爆などミサイルにつけなくても充分だということだ。
まあ専守防衛とか、戦争放棄とか何処かの党が言っているが。平気で信じているこの国こそキ印ではないか!?
何で、20万以上が即死なのか、数年以内に数百万人が死ぬのか、いま一度おさらいをしてみよう。 核爆発をするの、核爆発を。
そして人体の最悪の放射能が一瞬に飛び散るの!それも八個も!日本全体が放射能に浸され数百万人が数年内に死ぬの!その規模は、
広島の数百倍などではない!人類史上最大の事故が、あわや地元で、それも私も即死をしていたのである。
中越地震なみだったら、新潟地震(マグネチュード7・5)なみだったら、現実だったのである。その危険を全く知らないのが、
この日本国民。 この事故、いや事件でも!恐らく、私が書いてきた内容を読んで笑っている人がいたら、あなたが無知蒙昧!
あの時(原発内火災で映像を見たとき)、何で即、車で脱出しなかったのかを真剣に反省して当然である。
   (字数の関係でカット10年07月31日)
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2006年07月31日(月)
1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ
豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。大学時代のゼミの後輩Mさんが、最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。
来県の前日の27日に電話があり、「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。
天気予報では豪雨注意報が出ていたので「カヌーなど絶対に無理」と言ったが、それでも車の上にカヌーを乗せてやってきた。
「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」という。 好きな人はそういうものだ。
天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、服装などの準備は全くしていなかった。
一昨日の29日の朝、どういうわけか打って変わった穏やかな天候になった。(前夜半はかなり降ったようだが)
前回にMさんが来て一緒に飛行場周辺を見て回った時に、阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と目を付けていた。
当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。    
この玩具みたいなカヌーでこの数百m、いや1キロ以上?もある河口を乗りまわるなど、とんでもないと思ったが、
本人は「平気、平気、何でもないですよ」という。 そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。(o_o ;)
岸沿いを漕ぐのかと思いきや、どんどん河の真ん中の主流に出て、そして対岸まで行ったしまった。    \(゜ロ\)
当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前の中、誰も乗るはずがない。 (///>_<;////)ノ
始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、恐ろしさが全くなくなってきた。地元の人からみたらとんでもことであろうが、
それにしても、面白い!豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、それを避けながらボートを操るのだ。
ふと気づくと2時間近くたっていた。そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。河とは全く違う面白さがある。Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、
私が乗りこなせるものではない。丁重にお断りをした。Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながらヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。
Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。殿町を深夜まで飲み歩いた。そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、
午前・午後にわたりカヌーをして、16時に東京にある自宅に帰っていった。 やってくる前日、知人の通夜があり、
数時間しか寝ないで新潟にきたというから、凄いエネルギーである。こういうのも、能力というのだろう。 
28日の活性化の会を含めて、この三日間は、刺激的であった。
  ー阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!ー        (@´∀`p★)゚*。
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2005年07月31日(日)
 1580, パンセについて
昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。
 ーー
 二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、中庸こそ偉大さがあるということか。
 偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
 ーー
 偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
 恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
 その障壁が高ければ高いほど燃え上がり、お互いが見えなくなるから困ったものだ。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
 ーー
 それが、親から・環境からの植えつけられた強固な先入観であれば、養老猛のいうバカの壁になってしまう。
(字数の関係でカット09年07月31日)
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2004年07月31日(土)
 1215, 「世界の名著をあらすじで読む」         
        ー読書日記
最近、本屋の平積みのコーナーで、古典などのダイジェスト版が目立つ。文庫本も出始めているからブームになっているのだろう。 
先日、図書館で「世界の名著をあらすじで読む」と、「子供に読ませたい世界の名著」を借りてきてさっそく読んでみた。
振り返ってみて、世界の名著はあまり読んでない。古典的なものとして、「罪と罰」「大地」「赤と黒」「魔の山」「旧約聖書」
「新約聖書」・・・それと、ロマンローランの数冊と、最近ではソルジェニーツェンの数冊と、あと数人の作家の本ぐらいである。
ノンフェクションが好きなためだ。「子供に読ませたい世界の名著ーベスト26冊」の中に挙げてある本は殆んど読んでいたので
安心はしたが。読んでみて、名著といわれるものはダイジェストでも非常に面白いことが解った。
それと過去に読んだ本でも99?は忘れているのには驚いた。それを思い出すだけでも充分に価値があった。
トルストイの「戦争と平和」やモーパッサンの「女の一生」や、ショーロフの「静かなるドン」などダイジェストでも面白い。
   (字数の関係でカット09年07月31日) 
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2003年07月31日(木)
 848、10の小法
ホームページのネットサーフィンをしていたら「10の小法」が出てきた。
  なかなか含蓄のある内容である。
    小食多噛 小肉多菜 小塩多酢 小糖多果 小煩多眠
    小衣多浴 小車多歩 小言多行 小念多笑 小欲多施
それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。『成人病への近道?10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。これさえなおせばよいが、
終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80?、40歳なら60?、60歳なら40?と歳に応じて胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。 
半分以上バツなら成人病間違いなしである。  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり 
  『10の大法』  
    多食小噛  ×  多肉小菜  ○  多塩小酢  △  
    多言小行  △  多念小笑  ○  多欲小施  △ ・・・・
・・・・・・・・・・
2002年07月31日(水)
 473,一言タレント
小泉首相が大衆に人気がある大きい要素に毎日だす一言コメントがある。すべてをこめていると言ってよいほど簡素で鋭いし、
いいえて妙だ。?ワンバイト(一言)化というらしい。それで気が付いたが、随想日記も「一言コメント」に似ている。
テーマが一言コメントで、文がその解説と言えよう。そういう面では時代に適しているのかもしれない。
テーマの決定にエネルギーをつかうが、それなりに出てくる。小泉首相の場合、そのプロのコピーライターが側近にいるだろう。
時代が一言タレントを求めているのだろう。これも情報化社会の一現象である。TVの色々の分野の専門的な番組を初心者向けに
放送すると、よい番組が出来上がるという。簡単に、特化して、編成すると内容が芯をつくという。田中真紀子女史もその事をしって、
批判をしているから人気の大きい要素になっている。つまらない時代になったのか、面白い時代になったのかどちらであろうか?
・・・・・・・・
2001年07月31日(火)
 [93] 旅行で出会ったー普段会えない人         
・日本生産性本部の元トップとおぼしき人          ・NHK幹部
・いつもお付きと来るが今回は一人できている山の手の奥様、 ・天下ったばかりの元官僚、
・日本興業銀行本部のキャリアウーマン           ・遠い親戚が亡くなりおもわず数億の現金を相続した人
・ツアーを2重がさねで続けて、現地でおち合った80台半ばの見た事がないくらい品の良い老夫婦、
・TVの経済解説でよく見る人               ・えげつない関西のおばちゃん  
まあ彼等から見たら、反対にどうみられているのだろうか?


3413, 中学校同期会 −65歳

2010年07月30日(金)

 まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期の会が開催された。 (前期高齢者入会の会)
出席者が67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している
「あの世の会」と思うと一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名が名前が呼び上げられ、
黙祷をした。 5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、三分の一の110名の出席者であった。4割減ったことになる。 
60歳を過ぎると年々、老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、何らかの問題が肉体に出てくる時期にはいった。 
今回の同級生に卒業以来初めての出席の女性が2人いたが、どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には
懐かしさのあまり泣いていた人がいた。私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、頻繁にクラス会を開かれていた。
20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、転居をしたために、
還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから可能なのだろう。
男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。
それにしても、65歳は長く生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、そのことが
目的である。それで充分。 しかし、恵まれている人は何処までも恵まれており、そうでない人は、そこから抜け出せないのが
人生のようだ。九州など県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほどと合点がいく。通ってきた道で出会うことは、
奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を重ねるごと実感する。 
 それにしても、幹事は大変である。 とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!

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3038,明日になれば何とかなる!
 2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。 誰もそうであるように、若いときは心配性の傾向が強い。そして長い人生で色いろ経験して
分かったことは「先の心配事は、その時になってから当たるしかない。で、今は問題の中心から目を外さないこと。 
明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している範囲のことしか考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」
である。「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、何か心に迫ってくる。創業時の不安感は、
底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 そういえば一休の逸話があった。
 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺した。 そして・・・
「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と遺言し、
遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になりました。弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、
妙案を思いつかず、どうしようもなくなってしまった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、
恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・・大丈夫  二巻目・・・心配するな  三巻目・・・なんとかなる
 それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに素晴らしい解決策を思い浮かべた。
 「なんとかなる」と信じていたら、本当に「なんとかなる」もの。
 「なんとかなる」だけではなく、人生は思いようで、本当は「なんとでもなる」ということである。
 19才でライ病発生以来深刻な体験をもとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉がある。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。 あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに
 到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実にこのあきらめと戦うことである。
 あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。 というよりも、あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。
 死んで勝ということは絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるということはあるのである。》 (北条民雄(頃日雑記より)
 絶望の果てに行き着いた言葉だから、鬼気迫ってくるのである。 
 明日になれば何とかなると、何もしないで生涯を過ごした人を多く見てきたが・・ 大部分の人は似たようなもの?
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2673, iPhoneは、超小型パソコンだった!
 2008年07月30日(水)
                    (っ´Ι`)っ { おはよう
一昨日、iPhoeを購入した。新潟市郊外の赤道の山田デンキで買ったが、説明やら、手続きに二時間もかかってしまった。 
購入の手助けをしてくれた知人と、購入直後に居酒屋で操作をしながら、「これは何だ?」と丁度よい酒の肴になった。
携帯電話や、情報だけの端末ではないし、パソコンの括りにも入らないし、何だろうかと? 私が玩具ではないか?というと、
そんな軽いものじゃないと反論された。そりゃそうだ。私の現時点の判断は、「ポケットサイズのタッチ式超小型パソコン」である。
超小型のため、身体に密着できて、タッチで情報を瞬時に呼び寄せることが出来るところがミソ。それに音楽が数千曲も入力でき、
電話が出来て、インターネットもできる。カメラや、携帯電話機能は、多くの機能の一つでしかない。現行の日本の携帯電話は、
各メーカーが競って色々の機能を付加していったもの。そのため、その多くは使われない。平均5?の機能しか使ってないという。
ボタン・キーは他に無いので慣らされ使っているだけのこと。この中の機能で驚いたのが、みたい部分を二回、指で叩くと拡大する。
これで小さい画面のデメリットをカバーしてくれる。よく考えたものだ。ただ、文字入力が慣れないせいか、躊躇している。 
キーワードは、 ワイヤレス通信 ・マルチタッチインターフェイス ・超小型(ポケットサイズ)。
常にポケットに入れておけるところが良い。脳のサイボーグ化?ともいえる。次ぎのポイントは低価格化が可能かどうかだろう。
私自身、7年前にこのHPを開設してから感覚が変わってしまった。開設してから数年後に、ブログという個人のHPが爆発的普及した。
更に携帯電話が爆発的に普及をし、機能も良くなった。そして、これからは「ワイヤレス超小型携帯パソコン」である。 
これは世界を、更に根こそぎ変えるだろう。携帯電話はタッチ式に大きく舵を切るだろうし、あと十年後から振り返ったら、
これは大きな折り返しの歴史的マシーンの位置づけになるだろう。パソコン?に、携帯電話と、カメラとiPodを付けてポケットに
入れたという意味で! そんなものが果たして必要か? 皆が持ち始めれば必要になるのでは?
お宅という言葉も、これで死語になるのでは?。 部屋に居る必要もないからだ。  いや、閉じこもりは別か! ヾ(^ω^*)
 あと、数日経ったら、その後の感想を書きます。 まだ、焦って買うこともないようだ。
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2007年07月30日(月)
2309, 自民党が惨敗!
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
参院が予測どおり自民党の惨敗に終わった。 当然だろう。
自民党のパフォーマンスには、国民はうんざりである。これで本来あるべき二大政党の枠が出来上がった。
小泉が党内の保守派=悪との対立軸を作り、旧来の自民党をそのまま存続させたのが、安部政権である。
岸信介の孫、安部晋三の息子というだけで、憲法改正の騎士として期待されてなった首相である。
だから、あれだけ甘い組閣をしたのである。最後は赤城農林大臣だが、その前の防衛大臣がタレント上がりの女性はいただけいない。
外向きの暴力装置の長が、北朝鮮という隣国のスターリン型国家の核爆発実験の微妙な時期に、この人事は安部の質そのものを
現したといえる。女性だから悪いというのではない、暴力装置の男の組織である、防衛省は!そのくらいの常識ぐらいも
持ってないということ。仲良しクラブ内閣とは、よく言ったものである。辞めないといっても、無理だろう。
早々、この人間の質としての次のミスが出るだろう。叩かれて強くなる要素は充分にあるが、本当の力があるなら、これからだろう。
(字数の関係でカット 10年07月30日)
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2006年07月30日(日)
1943, ローマから日本が見えるー17          
                        才八∋ウ_〆(∀`●)
第七章「創造的天才カエサル」ー4
 ーカエサルがヨーロッパを作ったー
ところで、カエサルによるローマ帝国の安全保障構想は、後世のヨーロッパ史にも大きな影響を与えることになる。
「カエサルがヨーロッパを作った」とする人も多い。 現在の西ヨーロッパの都市の多くは、
カエサル以降のローマ帝国時代に作られた軍団基地や、植民都市を起源としています。
・フランスのリヨン、ストラスブール、フレジュス    ・ドイツのケルン、ボン、マインツ
・イギリスのヨーク、チェスター、バース        ・オーストリアのウィーン
・ハンガリーのブタペスト、セルビィア         ・ユーゴスラビアのベオグラード などなど・・・
 ハッキリいってヨーロッパは古代ローマ人によって作られた。
 ーなぜカエサルは寛容を掲げたのかー
カエサルは「新しいローマ」のグランド・デザインを描き、それを次々と具体化していったが、その構想をよく理解できた人は
同時代に一人もいなかったといってよい。当時の一番の知識人であった歴史家のキケロさえ、カエサルは協和制の再建に力を
貸せてくれるものと信じていた位である。領土が拡大してしまった現在、そのローマに適した統治システムは何か、
それを君主制にみたのだ。そうした彼の思考を読みとれた人は少なかった。カエサルは生前に書き記したとおり、
「人間ならば誰にでもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」ということである。
ここまで冷徹にローマ世界を見ていたカエサルなのに、反対派を決して弾圧をしなかった。
彼は政権に就くなり「寛容」をモットーに掲げ、かって剣を交えたポンペイウス派の人々の安全な帰国を保障したほどであった。
それゆえに彼は自分の護衛隊を解散してしまい、丸腰同然でローマ市内を歩いた。これは彼の気性と見るしかない。
彼は自分の身を守る鎧は信義だけでよいと考えたようだ。そして、彼はBC44年に暗殺をされてしまう。
「カエサルは王位を狙っている」という確信から彼を暗殺をしたブルータス以下14名の元老院の議員によって・・
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2005年07月30日(土)
 1579, 閑話小題
 一昨夜の夢の話ー
面白い夢を見るものだ。
医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。薬によるハイ状態とはどんなものか、病院の
ベッドに横になって冷静に薬によるハイを待っている。ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。
危ないと思って元のベッドに戻った。しばらくすると、フア?とした酔った感覚になった。潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢の
カタチでさせようとしたのだろう。安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。インドに行った時ツアーの
同行の女性から??を飲んだ体験談を聞いたことがあった。とにかく、可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるという。
経験者がいうことは解りやすい。
 ー広い世界に馬鹿ひとりー
何気なく浮かんだ言葉で、何も深い意味は無い。自分に対する心の奥底の言葉といったらよいだろう。
「小さい井戸の殿様蛙」という言葉と対比すると面白か。世界を一人漂流旅をつづけていると、こんな言葉が出てくるのだろう。
孤独感と、広い世界に拠りどころを見出せない虚無感が覆いかぶさった自嘲の叫びか。しかし、この言葉に何ともいえない親しみを
覚えるのは何故だろう。一人大声で『あ?あ!』と大きな溜息をつく癖がある。
この溜息の背後にあるのは「広い世界に馬鹿一人」と「小さな井戸の殿様蛙」という自嘲の気持のクロスか。
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2004年07月30日(金)
 1214,パスカル(3)ー哲学についてー24
  ー「賭けの断章」ー
「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から
 説得しようとするものである。「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」すでにこの世に生きている以上、この勝負を
 降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
 賭ける対象は「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
・神が存在するという方に賭けて、勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、儲けは現世の幸福だけである。
 死後は虚無とみなすことになるから、得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
 来世の幸福をすべて失うことになるからである。如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。
 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。といって、今さらキリスト教関係のクラブに
 入るには遅かった?  せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
 理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。そのためには人との出会いと時間が必要であった。
 しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。 
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。というのは、全ての人間が支配者に
 なりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、各種の階級が存在せねばならないのだから。
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。知識の木は生命の木ではない。 
・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを知るほうが、ずっとよい。
・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、それはただ未来を処理するために、
 そこから光をえようとするに過ぎない。現在は決して我々の目的ではない。過去と現在は我々の手段であって、
 未来のみが目的である。
・習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない
・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、足のほうが我々と同じくらい低いところにある
・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。絵とはなんとむなしいものだろう。

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2003年07月30日(水)
 847, 海は見ていたー映画日記
 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』
に匹敵する。山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから
監督稼業として最高だろう。主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。日本には日本の素晴らしい人情がある。
(字数の関係でカット 09年07月30日)
 ーー
何とも山本周五郎作品を黒澤明が脚本した世界がよかった。また黒井啓とキャストが一体となり素晴らしい
作品に出来上がっていた。昨日書店に立ち寄ったら、黒澤監督が書いたこの脚本が絵入りで新刊で出ていた。
買うかどうか迷って、一週間後に判断することにした。
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2002年07月30日(火)
 472,近くの川の鴨
15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。
そしてある時期が来ると旅立っていった。そしてある時期が来ると再びやってきた。その都度その数がどんどん増えて、
一時200?300羽まで増えていった。ところがその一番多い時期から河川工事で川の泥が整備され、鴨が住む場所が少なくなり、
今では50〜100羽近くまで減ってきている。今では鳩やカラスと並んで、鴨の姿は一般的の光景になっている。
人家の近くは猟がない事を経験的に知っているのだろう。鴨にも大型と小型の鴨がいる。それと渡っていく鴨とのこり鴨がいる事が、
散歩で解るようになった。少し話が反れるが、結構多くの種類の鳥がいる事も知った。見たこともない鳥もけっこういる。
こんな近くで鶯、カッコウ、鷺、雲雀、もず、などだ。
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2001年07月30日(月)
 [92] 変わった人ーとの出会い
 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
・100回目の人とか(はじめ50回で目を回してしていたが)、
・12日間の旅行に布のショルダーバッグ一つ。グレーのスーツにポロ、その上によれよれレーンコート。
  行き先はヨルダン・シリア・レバノン。着いてみると現地人は正にそのスタイル。彼のほうがピッタシ。
・57歳のグランドオールドミスが一人いらいら。
 キャリアウーマンの明らかに会社から見たらヘドロの典型! 今会社の中は天国、こちらは地獄!
・大手の社長か会長あがりの人物。この前まで偉かろうが旅行の最中はただの旅行仲間!の意味が全く解ってない!人。
 奥さんこっそり社会復帰のリハビリのこれが初めての旅行と教えてくれた。
・生死の手術の後、奥さんと来てヒマラヤを見て泣いている人、
・10年ボケの父親を見送り世界中を旅行しまくっている人、

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