堀井On-Line



3412, マイナス思考法講座  ー3

2010年07月29日(木)

 著者はここで、「人間とは自分にとって都合のよいことを信じたがる」と指摘している。
 その結果、「信じる」というより「期待しすぎる」ことになってしまう弊害が出てくる。
 そして「期待に沿わなかった」結果に対し(自業自得でしかないのに)、「裏切られた」と思ってしまうことになる。
以下の絶望的、否定的な見方の多くは自分自身に対する本音。それを隠すために無理をして逆の自分をイメージしている。
他者から見れば、大したことがないのに、必死に「あるべき自分」を演じているのである。
この本の構成は14の絶望ワークからなっている。 この本を読む前に自分の意見を入れてみた。
 書いた本人は哲学書を、ほぼ読んでないのではと思いざるを得なかったことも事実。
「しかし、くだらない、嫌われ、恨まれ、何をやっても失敗する、誰も理解してくれない存在」と自覚することこそ第一歩である。
 汝自身を知れ! のソクラテスの言葉を己に当てはめれば、下記のとおりである。
 ー14の絶望ワークー  ≪ ≫内は、私の意見。
第1講 あなたはくだらない存在です     ≪だから、指摘されたら怒るのである。あくまで相対でしかない、それは!≫   
第2講 あなたは嫌われています       ≪もちろんである。だいたい誰からも好かれている人など信頼できない≫
第3講 誰もあなたの話を聞いていません   ≪聞いて欲しい、ということ自体が、もう対他的になっている≫
第4講 あなたの話は面白くありません    ≪面白い話など、そうそうあるわけがない。だから、本を読むしかない?≫
第5講 あなたは恨まれ、攻撃されます    ≪今さら、いわれる筋合いじゃない。そういう人こそクズである。ったく!≫
第6講 あなたは空気が読めません      ≪空気の読めない人など、元もと傍に寄せないこと≫
第7講 人はわかりあうことができません   ≪当たり前じゃないか、そんなこと! 名を出版社名にした理由が、この辺で分かる≫
第8講 あなたは成長できません       ≪要らぬお世話じゃ! これも上記の同じである≫
第9講 弱音を吐くことは許されていません  ≪泣き言も、やせ我慢も、それはそれでいいじゃないか≫
第10講 人はみな悪人です          ≪当たり前のこと、で、どうした。そう思っていれば裏切られることも無い≫
第11講 恋愛はすべて「脈なし」です    ≪逆に、脈がありすぎたら、どうする? うるさいだけか≫
第12講 あなたは何をやっても失敗します  ≪当たり前だろう、だから死に物狂いで練習を繰り返すのでは!≫
第13講 本当のあなたを知る人はいません  ≪本当のあなた、って何じゃ?自分で自分を知っているのかい≫
第14講 あなたの夢は叶いません      ≪夢は夢だけのこと。それを計画に落とすのが智慧だろうが・・・≫
 ーマイナス思考は人を不幸にするとされているが、逆に、その考え方が慎重にものごとを進め、確実に幸せになれる。
  要は、「慎重にいこう」こそ、人生の要諦。一つの失敗が、99の成功を破壊してしまうということ。
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3037,読書について
 2009年07月29日(水)
 読書については何度も書いてきたが、それでも何度も取りあげる価値は充分にある。手軽に時空を超えて多くの人や
現象に接することができる情報伝達の手段である。大学卒業間近に、色いろ重なって頭がグチャグチャになってしまった。 
そのグチャグチャになることが学生時代には最も重要な経験と、後で知ったが、そこで「もっともっと本を読んでおくべきだった」
という後悔の念が起きてしまった。そこで決心したことは「何があっても、毎日二時間の読書」であった。それを今でも守っている。 
私レベルとしては朝の散歩と、この随想日記と共に最高の習慣になっている。まずは読みこんでない人が直ぐに分かる。 
これは学歴とは違い、意志が大きく左右する学力の問題。 この詩は、読書の素晴らしさと効用を素直に表現している。 
また書物を旅に置き換えて読んでみると、ほぼ同じように感じることができる。 人生で時間だけはリッチであった。
  ー 「書」 ー         西條 八十 《少年詩集》より
1 雨が降るとき、−風引いて            
  すきな遊びが出来ぬとき、                                       
     こどもよ、書物をあそびなさい。      : (旅行紀を読んで遊びなさい)
     書物はあなたをつれていく、        : (空想はあなたをつれていく)
     海山こえていく千里
     知らない国や、とおい国。
  見たこともない人たちや、
  また、めづらしい動物が
  あなたと遊び、話する。
     書物を読めば、友だちは          :(旅行の空想に出れば)
     いつも出てくる、目のまえに。
2 どんなにだいじにしまっても、
  万年筆や、カメラなど
  なくしてしまうこともがある。
     かわいい鳩なき時計でも、
     電気じかけの機関車も、
     こわれてしまうことがある。
  書物は、いっぺん読んだらば           :(旅行は、一度旅先に行けば)
  あなたのこころの奥ふかく            
  じっとそのまま残ってる。
     書物がくれる財産は、           :(旅行が与えてくれる経験は)
     一生消えない、なくならない。
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2672, 雁行的進歩とは
 2008年07月29日(火)
「雁行的発展法則」というのがある。大空を渡る雁の群れは、先頭の鳥からしんがりの鳥まで、くさび型の隊形をなして飛んでいく。
これは長距離の飛行に一羽一羽の空気圧が最小になる。鶴翼と同じ形である。ー字型の群れと同じパターンで、アメリカ合衆国を
少し遅れながら日本や欧州が追いかける。アジアでは、先頭をきって工業化に成功したのが日本であり、次に台湾や韓国の経済発展が
これに続き、さらに中国の沿海部などが急速な経済成長を開始して、それを追うといった形である。このような「選手交代」の形で
経済発展が受け継がれていくのが、「雁行的発展法則」の考え方である。現在もそれにしたがい、動いているかといえば、
現実は違ってきたのである。グローバル化の進展に伴い、今までとは違った「世界システム」が出来、拡大している。
欧米中心の雁行発展法則は崩れはじめ、今後は中国、インドにその重心は移動していくプロセスに入った。
中国に隠れているが、インドも大きな変化のポイントになる。中国は製造、インドはサービス、の部分を担うであろう。
その背後には、ITなどの「情報化」がある。もう、時代は引き返せない。モダン主義社会から、ポスト・モダン主義社会へ
変化したということ。欧米が優れていて、未開発国が遅れているという考え方が、そもそもオカシイ?という
構造主義が出てきたこともあるが・・・ 先日、インドの発展について、NHKスペシャルで3回シリーズで放送していた。
20年後には、アメリカを追い越し、世界のトップを目指すとアメリカ在住の印僑が話していた。見ていて、それもありうると思われた。
先日、図書館で『東西逆転』という本を借りてきた。数日後に、その感想を書いてみよう。IT革命は確実に世界を変えている。
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2007年07月29日(日)
2308, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙  ー2
                           |。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
 私の4つの質問の答えはどうだろか、(成功もしてないのに、
何を答える資格がないじゃないか!という内面の声を無視して書いてみる。)
*どうすれば人生で成功できますか? ー好きなことを早くみつけて、楽しみまで引き上げ、続けること。
*世界で一番大切なことはなんですか?   ーいま、ここ! そして今日一日
*愛とはなんですか?      ー温み、おもいやり
*幸せとはなんですか?     ー好きなことができること、好きな人と一緒に居ること。
                そして自分を好きになれること。感謝できること。
ーさらに、この本の面白そうなところを抜粋してみたー
*自分ができることに集中しろ
 すばらしいアドバイスというのは、すでに亡くなった人から受けついだものだ。
1948年、ぼくがルーキーだったとき、ドジャースのベテラン投手、ビュー・ケーシーにこう言われた。
「なあ、野球にはおまえが変えられないことがいくつかある 
一天気、自分が登板する日、登板する球場、本塁の後ろにいる審判だ。
自分の力で変えられないことについてくよくよするのはよせ。
自分がコントロールできることーストライクを投げること、カープを低めにすることに全力をそそげ。
自分ができることをコントロールしつづければ、かならず勝てる」
さて、ニック、きみはまだ大リーグのピッチャーになれるほど大きくないが、人生でなにをやるにしても、
きっとケーシーのアドバイスが役立つはずだ。カール・アースキン(元大リーグ選手.1950年にナショナルリーグ優勝 通算122勝。)
  ーー
 *あえて人と違うことをしよう
あえてみんなと違う人間になろう。前例がないとか、だれもそんな風にはしないなどという言葉であきらめたり、アイデアを捨てたり
しないこと。そう言われたら、ますます試す価値がある。だれかがあえて違うことをやろうとしなかったら、自動車も飛行機も
存在しなかったはずだ。 分の心に従うこと。教育や知識もとても大切だが、心が頭に同意しないときは心のほうが正しいことが多い。
(以下字数の関係でカット09年07月28日)
                  (*≧∇)ノ~サラハ゛シ゛ャ!
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2006年07月29日
 10年後の日本は? −1
「10年後の日本」という本を買った。
 下記のの箇条書きの幾つかは、この本の目次を参考にした。まだ飛ばし読みだが、近々読書日記を書く。
『日本の論点』編集部編というから、鋭く切り込んでいる。
島国の閉鎖社会の日本が、この世界の潮流の激変の中での大問題が明快に書かれている本である
十年後の日本で間違いなく起こっている問題点である。
日本が、これらをどの様に乗り越え体質を変えていくかを考えると、悲観的になって当然である。
  ・消費税の20パー以上の負担 
  ・少子高齢化社会の到来
  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化。 
  ・フリーターの増加と、下層階級の増大 
  ・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
    (字数制限のためカット 2010年7月29日) 
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2005年07月29日(金)
1578,大阪から何が見えるかー2
 ー生活保護ー
この内容は月刊誌「新潮45」の2005年2月号の ー生活保護天国、大阪市はここまでヒドイー を参照に書いている。
 とにかく読んでいて、生々しくて迫力がある。
 ー書いてある内容の一部を抜粋してみるー
人は、金が無くなったらどうするか。
・一つは、借金をする。         ・できなければ人のものを盗む。
・それもできなければホームレスになる。 ・イヤなら自殺をする。
・その他に「生活保護」を受ける という、5つの選択肢がある。
『公園にテントを建てて定住すると比較的安全なうえに家賃も水道代もいらなくなります。
病気になれば福祉事務所ですぐに医療扶助が受けられます。生活保護の誘いも舞い込んできます。
仮設一時避難所に入所をすれば安全が保障され、ガスもシャワーも洗濯機も無料で自由に使えます。
閉鎖が近づくと職員が生活保護を受けるように懇願します。自立支援センターに入所すれば三食無料になります。
いずれにしても野宿者は65歳になれば生活保護を受けられます。 年金など積まなくても野宿さえすれば
老後は年金生活者より安楽です。』 多重債務者でヤクザに追われない限り、日本では最低保障はされている。
ホームレスの半数以上が、多重債務者である。それと前科者も就職できないからホームレスに多い。
資産のある人、持ち家のある人は原則として生活保護は受けられない。借家かアパートに住んでないと保護の対象にならない。
 生活保護者を分類すると、
・高齢者 (男65歳、女60歳)、 ・母子家庭、(18歳未満の子供と母親)
・傷病・障害          ・その他、に分けられる。
・高齢者の場合、67歳の例で男性単身者の生活扶助は80820円、住宅手当42000円、合計122820円受け取れる。
この外に、医療費とNHKの受信料は無料、水道代は基本料、市営の交通費が半額減免がついてくる。
・母子家庭では、母親30歳、子供9歳と4歳の場合、生活扶助をあわせて235000円を受け取る。
  更に高齢者の同じ減免措置がある。
これではヤクザ者でなくても、稼ぎの無いものにとって偽装離婚をしたくなるだろう。
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以上であるが、もともと大阪は人権にうるさいところというのも生活保護日本一の原因になっている。
老齢になって食い詰めたら、大阪に行けばよいのか? それにしてもホームレスが目立つ。
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2004年07月29日(木)
1213,パスカル(2)
 ー哲学についてー23
キリスト教の秘義とは、キリストが十字架にかけられ、苦痛の悲鳴の中で悶え死んでいった不条理を解くことである。
パスカルの信仰は、その苦痛で、底深く沈んでいったのだ。「私を救ってください、助けてください、お願いします、お願いします、
お願いします」 この祈りが、キリストの苦痛と一緒になった時、秘義となるのだ。先ほど書いたパンセの第一節
「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。だが、それは考える葦である」があるが、その先の文章がよい。
「これを押しつぶすには、全宇宙は何も武装する必要はない。ひと吹きの蒸気、一滴の水でも、これを殺すに十分である。
しかし、宇宙が人間を押しつぶしても、人間はなお、殺すものより尊いであろう。人間は、自分で死ぬこと、宇宙が自分が勝っている
ことを知っているからである。宇宙はそんなことを何も知らない。だから、わたしたちの尊厳のすべては、考えることのうちにある。 
まさにここから、私たちは立ち上がらなくてはならないのであって、空間や時間からではない。わたしたちには、それを満たすことが
できないのだから。だから、正しく考えるように勤めようでないか。如何に生きるかの根底はそこになるのだから」
  (字数制限のためカット 2010年7月29日)
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2003年07月29日(火)
846, 人生の目覚まし時計
「7つの習慣 ー最優先事項」ー2
 ベストセラーになった後の二冊めは大体が同じ内容をベースに書いてあってつまらないものが多い。
しかしこれはこの本のほうが「より最重要事項に絞り込んであって面白い」めずらしい本だ。
私の事業が装置産業であった為に、目先の時間だけはたっぷりあった。自然にABC 分析をして、
Aをやるようにしてきたつもりであった。この本を読んで果たしてそうであっただろうかと考えてしまった?
Aで満足してしまい、さらにAのAの追求を忘れてしまったのではなかろうか。
この本は何をどうするかの方向性を問題にしている。人生で本当にしたいことが何かを明示することを第一としている。
目先の緊急事態病が最重要事項をつぶしてしまうのだ。最重要事項かつ緊急事態が重なっている事項が一番の難敵である。
「むしろ緊急ではない最重要事項の中にキーが隠されている」と看破している。冷静に考えれば、全くその通りである。 
緊急事態は短期的視点でのこと、緊急でないことは、長期的なことであり、かつ方向性を見定める事項だからだ。
 ー人生の目覚まし時計の一部を書き写してみるー
 ある日突然、「本当に重要なこと」と「時間の使い方」のギャップを思い知らされることがある。
 それは人生の目覚まし時計というべきアクシデントによって知らされる。 例えば
・「恋人の死」。突然、恋人がいなくなり、「できたはずだが、しなかったこと」がはっきり見えてくる。
 成功のはしごに登ることに忙しく、恋人との「豊かな人間関係」をしてこなかった。
・「子供の麻薬禍」。自分の息子が麻薬に手を染めていたことにある日突然 気づかされるかもしれない。
 息子との豊かな人間関係をつくれたチャンスが、次々に頭に浮かんでくる。
 しかしそのときまでは、金儲けやコネクション作りなどに忙しくて実行してこなかったのだ。
・あるいは「癌の宣告」。医者から残り数ヶ月の命だと宣告されるかもしれない。
・あるいは「妻(夫)からの離婚請求」。離婚の危機に立たされるかもしれない。 このような突然の危機に立たされて、
 初めて自分の「時間の使い方」と 自分にとって「本当に重要なこと」との間のギャップがあることに気がつかされるのである。
このような危機的状況を知らせる「人生の目覚まし時計」におこされない限り、多くの人は人生の根源的な問題を考えるという
機会に接する事はまずないだろう。慢性的な深い原因を探らずに、深い痛みどめ応急処置としてバンドエイドや鎮静剤を探すのだ。
ー以上だが、テリー伊藤の『あと一週間で死ぬとしたら何をしますか』という本にいろいろな人が多くのことを書いていた。
しかし誰もがいつでも直ぐにできることばかりであった。ある人が私のその質問に、「身辺のものを全て捨てる」と答えたのが
一番気に入ったが、これなど人生の一番深い意味が含まれている。 当人は気がついていないようだったが。
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2002年07月29日(月)
 471,下着泥棒
昨日ー15時位か刑事が来た。下着泥棒が一軒先の家の下着を盗んで、たった今この辺に逃げ込んだという。
(字数制限のためカット 2010年7月29日)
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2001年07月29日(日)
 [91] 人生のこつ ー2
「生きることを考える事はまず死を考えること」というが、昨日書いた人の内容は正しく具体例として解りやすい。
何故勉強しなければならないか?という問いに、日下公人は何かの本のこう答えている。
「死んで葬式の額縁の写真に入った時、ああ自分は働くだけ働いた!遊ぶだけ遊んだ!
知るだけの事は知った!この世に生まれてきて可能な限りの事はしたつもりだ。これでよい!
このようにいえるようになる為、人は勉強をしなくてはならない。」これが解ってない人が多い。
定年退職した後でと総て後回しにしてしまう。後回しの大部分はやらないことの自己欺瞞という事を自身わかっていない。
働いて時間がないときに無理に時間を作ってやるから其れが活きてくることを解ってない。楽しい過去の倉庫、楽しみな
未来の計画の束作り、そして楽しかった倉庫の整理と計画を楽しんで実施している今。


3411, マイナス思考法講座  ー2

2010年07月28日(水)



「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 著 
   ーまずは、「はじめに」よりー
 この本の主旨は、「マイナス思考はプラス思考より優れている」、これに尽きます。物事を前向きにとらえるプラス思考、
 一見いいように思えますよね。「物事を後ろ向きにとらえるよりも前向きにとらえた方がいいに決まってる」
 と思うかもしれませんが、こと思考においては、必ずしもプラスがよいとはいえないのです。なぜかというと、
「プラス思考こそが、現実逃避の温床に他ならない」からです。プラス思考こそが究極のマイナス思考といってもいいでしょう。
 プラス思考そのものより、プラス思考で行動することで、人間のマイナス面が助長されてしまうといった方が正しいかもしれません。
 プラス思考の根本的な考え方「何事もプラスに考えよう」は、「耳が痛くなる情報を耳にしたくない」という人間誰もが
 持つ気持ちと合わさると、「物事のマイナス要因を忘れよう」に、ついつい翻訳されてしまうからです。
  【 プラス思考の問題点を4項目にまとめてみます。】
 1.プラス思考を身につけても、不幸に耐えられる忍耐力、不幸を幸福と読みかえる超解釈力が身につくだけ。
「不平不満を言うのではなく、現状の自分が幸せである、と思いましょう」という考え方がありますが、自分が幸せだと思ったら、
現状に対して何も手を打たなくなってしまいます。本当に幸せならそれを噛みしめていればいいのですが、そうでもないのに無理に
自分は幸せであると思いこみ、現状に対して何もしないのであれば、いずれ、幸せと思いこむこともままならないほど、不幸になって
しまうことでしょう。プラス思考は耳触りがよいので、つい現実を見誤ってしまう。現実を直視しないことには現実をよくしようがない。
 2.プラス思考は、他人にとってはマイナス思考です
「プラスにとらえる」とは、「自分にとってプラスにとらえる」ことで、つまりは、他人を無意識にマイナスにとらえることになる。
プラス思考とは、自分を軸にしている限りはなかなか見えてきませんが、どこかでプラスをすると、どこかがマイナスになり、
その結果、自分1人の中でプラスでも、周囲と合わせて見ると、誰かから幸せを引いて誰かの幸せがマイナスになっているのです。
 3.プラス思考だと、ありのままの自分を肯定するばかりで成長の機会がありません。
ありのままの自分をひたすら肯定するプラス思考のままでは、ありのままのあなたは、いつまでたってもありのままで、
成長することがないでしょう。ありのままの自分を乗り越えていくことが、成長には不可欠なのです。
 4.プラス思考は、必ず裏切られる運命にあります
「人を信じよう」と言いますが、信頼して仕事を発注した相手がスケジュールを守ってくれなかったり、
彼氏が友だちと旅行と言っていたのに実は女の人と2人で旅行だったり……  一言、事前に釘をさしておけば、
裏切られることはなかったのに、「信じよう」などと思って策を打たないから、ひどい裏切りにあってしまうのです。
 〜〜
 プラス思考は、マイナスを乗り越えた上での考え方であり、その背後にはマイナスを考えた上でのプラスを
元もというのであって、ここで書かれている上っ面の思考法ではない。 それより、言葉を額面どおり捉え、現実逃避に
知らないうちになっているケースが多いはず、それを諌めているのである。肯定は意志であり、否定は感情である。
人間は意志の動物であると同時に感情の動物。両者の混合が必要だろう。
 
 ・・・・・・・・
3036,閑話小題
2009年07月28日(火)
 * 新潟駅前の貸金女子事務員殺害事件の犯人が逮捕
 新潟駅前の貸金女子事務員殺害事件の犯人が逮捕された。 警備会社の役員というから驚きである。  
警備会社関連の犯罪が多いのは如何いうことか? 数年前には、新潟セコムで役員がらみで不正事件が起き、
新聞紙上をにぎわしたばかりである。 警備会社も、この不景気で合理化の対象になる。あれだけ残忍な犯行、
追い詰められると人間は何をやりだすか分からない。前に出入りしていた警備会社の役員と同姓だが、まさか・・・
 * 加山雄三の『私の履歴書」が面白い
 今月の日経新聞の加山雄三の「私の履歴書」が、派手な芸能人の生活の一端が具体的に見えて面白い。 
大学三年の時に欧州に一ヶ月の旅行に行って来た。もう42年になる。それが大学の旅行研究会の主催で、
金持ちの師弟達に急遽仲間入り。当時、年間20万人しか海外旅行には行ってなかったから、かなり裕福な人たちである。
その付き合いの中で、「世の中には、こういう世界があるのか?」と思い知らされた。 馬小屋みたいな寮で、
僅かな仕送りの生活から、全くの別世界を見てしまった段差の大きさは、あまりに大きい。 その世界は光輝いて見えたものだ。
加山の世界ほどではないが、当時としてはかなり派手な世界であった。 その後の加山も大きな浮き沈みは、
あまりにドラマチック。彼が羨ましいとか、冷笑するとかの気持ちがないのは、自分でも不思議である。 
 * 日経平均が1万円代を回復?
(字数制限のためカット 2010年7月28日) 
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2671, 幸福の4階建て -3
 2008年07月28日(月)
*不幸の4階建て」を考えてみる
「幸福の4階は、克服できない苦難や悲しみの中にある」というが、逆の「不幸の4階建て」とすると、どうなるか考えてみた。
 前回の「おばさん、の話」を書いていて、おばさんの特徴に弛緩というキーワードが出た。
 その反対の言葉が幸福の4階の「克服できない苦難や悲しみ」になるのではと・・・。
 不幸の建物の4Fは弛緩とすると、これから1〜3Fが導き出される。
 3Fは、やる気も目標も無く、同じことの繰り返し。
 2は、不満で悶々とする日々
 1は、当面の問題から逃げて、上手くいかないと他者に責任転嫁
不幸の4階建というテーマが、不幸なおばさんの姿から成立するとして、弛緩しているおばさんは果たして不幸なのか?との疑問も出る。
しかし、幸福の4Fの逆の意味で、不幸とは弛緩そのものが大きな要素と考えてよい。誰もが、幸福と不幸の4Fの建物の要素がある。
自分の趣味を持たないで、日々に流されると「こてこてのおばさん」になる。 それも不幸な・・・ というとこだ。 
ただ自分で気づかないだけだが。 それは「おじさん」にも、言えることだが。 現在の日本が、この不幸の4Fに近いのでは、
いや自分自身が、そうではないか?と感じたのではないか。 いや、自分は違うと自己説得しているのではないか。
「日々、戦場」を己に課すことが、果たして幸福?「日々、私は何て幸せ!」と何となく思っているのが不幸?なんだろうか。 
あまり考えてこなかった中年女性が、不幸なんだろか?  そう勝手に、他者を思い込んでいるだけじゃあないか?
 幸福など考えるから、訳が解らなくなるのである。 まあ、弛緩もいいものだが! 
 幸・不幸の裏表ががあるからいいのでは、人生は。 てなところか!
・・・・・・・・・
2007年07月28日(土)
2307, 最近ホテルでは・・・
            [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
ホテルのオープン以来20年近く、自殺は数件あったが、病死者は無かった。ところがこの6~7年前から病死者が4人も出ている。
どういうことだろうか。心不全、ガンの末期の人?、脳梗塞などなど。この月曜日、出社すると「前日の午前中に病死者が出た」
という報告。土曜日の夜半、いや日曜日になった未明の0時を過ぎの「2980円パック」の客が病死をしたという。 
時間になってもチェックアウトをしないので、電話連絡を入れてもノックをしても反応なし。もしかしたら自殺か?と
ドアを開けたところ、中年男子が裸で倒れていたという。身体を触ったところ、既に冷たくなっていたので慌てて救急車を呼んだ。
何かの手違いで、救急車に三台の消防車もきて、20人近くの消防士で現場は一時は騒然したという。
消防士が死を確認した後に、警察を呼んで遺体は病院に・・消防士が、「脳梗塞ではないか」と言っていた。チェックイン時に、
手が震えていてカードに身元が書けないので、フロントが代わりに書いたという。急性アルコール中毒か、それに伴う脳梗塞だったと
推測される。50歳前後の中年男性だというが、家族から昨日になって詫びの電話が入った。
病死の場合は、閉鎖の一週間分の部屋代の半額と、神主の「お払い代」が料金になる。ここで不思議なことが一つ。
別の棟になるが、前回の病死の客室のナンバーと、今回の別棟のナンバーが5??号室と同じだったことである。 
たまたまの偶然の一致か? それとも、何かがあるのか?不思議といえば、前々回の病死の時の不思議なことがあった。
ここで一度書いたことがあるが。「ホテル業を開業して初めて自殺者があった部屋」に泊まるのが趣味だったことがある。
その為かどうか、フロントが危なそうな客を時々その部屋に泊めるという。泊まった翌日、青い顔をして「この部屋は何か
あったんじゃないかい?」と聞くとか?ある日、その部屋に泊まった時のこと。 深夜にトイレに入ったところ人の鳴き声が聴こえてくる。
よく聴くと扇風機の音である。しかし、どう聴いても人の鳴き声に聴こえる。 何度も何度も点けたり消したりしたが、
その声は泣き声である。部屋が部屋だけにマンジリしないで一晩を過ごした。で、翌日に事務所に副支配人が、
その部屋の真ん前に病死者が出たと報告に来た。「嘘だろう?」と聞きなおしたが、事実は事実である。
こういうのを、ユングの「意味ある偶然の一致」ということ。 それ以来、その部屋には泊まっていないが。 
まあ、またそろそろ泊まるか!面白そうだから。 
 『あんた、何のため、哲学書を読んでいるんだ?こういう馬鹿なことを考えないためだろう!全く。』
                  ヽ(★>з<)アフォ?
・・・・・・・・
2006年07月28日(金)
1942, 今日は「新潟活性化の会」
                     \(^▽^*)おはよう         
これで4回目になる。 あと一回で私の役割は終了。 地域活性のデザインつくりに加わってみて、なるほどプロセスに
筋が通っているのが理解できる。本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。
転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っている。
ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない!
日本が危ない!ということと同じだが。金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、これに関東が直結する。
金沢が環日本海の玄関として拠点都市になって至極当然である。 森元首相も、まだ当分隠然たる政治力もあるし、
それに引き換え真紀ちゃん、あまりにも・・・? ここでは、まあいいや。手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・
でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか? よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。 
高速道路、新幹線、飛行場、港・・・ 無いのは戦略構想が無いというから・・・頭の足りない巨人と同じである。
・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、知事と市長が馬鹿みたいに
 言い続けなくてはならないの! そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの!
・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの!
・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて! これをゼロからやれ!といっているじゃないの!
 ホボあるんじゃないか。 無いのはグランドデザインでしょう!
・それと、あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの!
・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ!
・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ!
・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ!
・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも新潟になっていたでしょ!
・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう!
・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!
新潟は東京の天領だったの! それを生かさなくては! 北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ!
これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば? お客、お客、お客の立場で見てみたら・・ 
いくらでもネタはあるじゃない? 小手先のイベントを持ってくるとか、野球場とか、サッカー場だってどうだか?
要は新幹線なの!もう一度言う!「かなめ」は、新幹線なの! もう一回言おうか、「要ーかなめ」は、新幹線なの!
「国際飛行場」と「港」への直結の新幹線が何処の国にあると思うの!新潟だけなの、新潟だけなの!
これと物流特区などの一大特区地区造りを加味すればよい。
おまけに新潟駅再開発があるじゃないですか。 これを利用しない手は無い! 数千億かかる話ではない・・・
コンセプトを先ず作らなくては! ーこれは日々のことを書いている「バード・ウォッチ」の内容だったが、
              熱が入っているので随想日記に格上げ?をしたー
・・・・・・・・
2005年07月28日(木)
1577, 大阪から何がみえるか-1
ー大阪の衰退は日本の近未来の姿か?
大阪と札幌から、いち早く時代の流れが見えると言われる。特に商人の町の大阪は、いち早く時代の流れをつかんで動いた。
しかし、最近の大阪は全く変わってしまったようだ。まずは終戦後に総合商社が、メーカーが、そして金融機関と東京に
本社を移し始めた。現在残っているのは、電力・ガス・私鉄という地域産業のみになってしまった。
更に、大阪の企業は生産拠点までもが海外に移転してしまった。東京などの大都会には、高所得者の住む高級住宅地がある。
しかし、大阪市にはそれが殆どないという。富裕層は、神戸の芦屋や西宮の高級住宅地に邸宅を構えている。
ある意味で、金持ちの極端に少ない社会主義国の様相を示している。その結果、何と生活保護が26人に1人になってしまった。
もちろん日本一である。西成区においては、区民7人に1人の割合が生活保護という。
(ちなみに、日本では100人に1人の割合。新潟県もその割合である。)
大阪市は全国平均の4倍の生活保護者がいることになる。先ほど書いた大阪と札幌はいち早く時代を先取りをすると書いたが、
生活保護は、その日本の先行きの悪さを暗示しているようだ。下手に国民年金を払うより不払いで、生活保護を受けた方が得という。
これでは「何で国民年金の金を払う必然性があるか?」という疑問が湧いて当然である。
若いヤクザの夫婦で、偽装離婚をして母子の生活保護を受けているケースが多々あるという。
               ー つづく
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2004年07月28日(水)
1212,パスカル(1) 
 ー哲学についてー22
学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていたことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」パンセの第一節である。彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。
あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で人間とは何か、生きるとは何かを問い詰めた。 
彼の20年の慢性病が哲学を深めていった。「考える」という一事において、「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。
 ーパスカルが31歳の時、神秘的な体験した。
1654年11月23日22時30分?24時30分の間に、パスカルの生涯を一変させる出来事であった。
「火」の夜の出来事である。(恐らく)ヨハネの福音書17,18章を読んでいた時に、白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。 その一節が次の文章である。
   (以下、字数の関係でカット09年07月28日)
 ーーー
以上が、その時の文章である。心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
この一夜で一挙に溶け去った。そして歓喜にいたった。キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。 
                      ーつづく
・・・・・・・・
2003年07月28日(月)
845, 親父の小言  わが愛息へ
 ー親の小言と 冷や酒は後で効く
火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
(字数制限のためカット 2010年7月28日)
・・・・・・・・・
2002年07月28日(日)
 470, いい人とは
この意味を考えたことがあるだろうか。子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。
突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。あの人は本当にいい人だーそう自分にとって
とっても都合のいい人だ。ただそれだけだ。それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。都合などその都度変わるからである。
ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。教養のない女ー特に小汚い中年の女に多い。
男も子狐というレベルの男もそうである。こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。少なくともいい人の振りをしないことだ。
ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか?
どうであろうか?!真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。それも気違い部落の?
・・・・・・・
2001年07月28日(土)
 [90] 人生のコツ
ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。本当に色々な人がいるものだ。
推測だがどこかの高校の校長だったのではないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り 埋め尽くす生き方」をその人の感化で
その旅行で決心した。 その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた! 家族で日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期が
やがてやってきた。しかしどういうわけか死ななかった。それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず
世界中をほとんど回ってしまった。」この時, これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」
の私の質問に「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。 
後は好きな事だけをやる事だそうだ。 なるほどと考えさせられた。


3410, この国の終わり −6

2010年07月27日(火)

  * 日本の余命はあと僅かである  (P・107)

  どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。 彼らの悪辣さの度合いは、
 日本人の常識ではとてもついていけない。そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じることをやめる。
  福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと商売をせよ、さもなくば殺す、と言っているのだ」と看破。
 その性温厚にして軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかにはずれた奇想天外の暴言であり、
 だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中でコメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな
 言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても過言ではない。
  そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ごしてきたのは、ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、
 いま少し足りなかっただけのことである。 あるいはIT革命、情報革命といった、新しい最終的な手段が出そろっていなかった
 ためでもある。 彼らはそれらが出そろうまで、辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと舌なめずりをしながら、
 それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしをしてきたのである。 そしていますべてを手中にし、
 すべての条件が整ったというわけだ。 福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっとフォローできる表現を使って
 解説したが、本当はそんな生易しいものではない。 彼らが歴史で実証していることは、「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」
 ということなのだ。 商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。 金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。
 さらに、究極の奴隷化とは、頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのことである。 いまこそ彼らは堂々と宣言する。
 「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、さもなくば殺す」 それが最後の「お触れ」なのだ。≫
  〜〜
  それが30数年前から始めたアメリカの金融戦争である。 ドル一極支配下に入れ、さもなくば叩き壊す。
 その際たるものが、この金融恐慌。 これで欧州連合のユーロは風前の灯である。たしかにドルも傷ついたが、
 胴元の被害は、早々に元に戻る。 更には中国もドルを1兆ドルも持たされた。そして、数年後には、それらを
 アメロとかいう新ドル?でチャラにする。 それで日本は、その最大の被害者になるのである。家畜の運命は、そんなものか。
 ・・・・・・・
3035,「顔」を哲学すると
 2009年07月27日(月)
 「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 特に女性の場合、その造作で人生を変えてしまうほど大きな
要素になるのにである。そこでネットで調べてみたが、これはというのが、やはりない。それでは自分で考えてみることにした。
 古代よりクレオパトラや小野の小町など、美人は特別に扱われてきた。 考えてみれば顔の部分のバランスと、全身のバランスが
整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。 そこで考えられるのが、顔が露出した全身の凝縮した表出であるからだ。
また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている唯一の部分である。「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。
さらに顔は何代もかかって作られる。更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、感激の蓄積した内面が、そのまま現われ出てくるから、
人間は顔に興味を抱く。どんな人間も顔にはドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。 男の顔は履歴書で、
女の顔は請求書とは、よくいったものだ。徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで多くの作品を残している。
漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。 晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。
その意味で写楽の絵が、その典型である。 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。
 ところで若い女性にとっては、美人かどうかが一大問題。 そのために、整形もするし、高い化粧品をつかい、
毎日、数時間も鏡の前に座り、化粧品をぬったくり、色いろな表情をして魅力を高めようと明け暮れる。
「美人」の「美」とは、バランスが取れていること。 美男美女の顔は「左右のバランスにある」という。
他のバランスを含め、その調整ために化粧をするのであって、決して肌を覆い隠すためではない。
 先日、「清水次郎長顔が日本から消えた」というテーマで書いたが、内面から滲み出てくるほどの危機が
なくなってきたこともある。 田中角栄や吉田茂、そして佐藤栄作のようなドスのきいた顔は現在の政界には見当たらない。 
人の顔は、経験の重なって出来るもの。 「40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」とは、そのためである。
 数年前になるが、高校野球をTVで見ていたら、慶応高校と四国の高校生の野球試合の応援団の生徒達の顔つきの違いに
思わず笑ったことがあった。 都会面と、田舎面の違いが明確だったからだ。 一見、都会面のほうが良さそうに見えたが、
良く見ると、都会面は個性のない画一顔。 それに対して田舎面の方は一人ひとりが個性が滲み出ていた。
船頭の息子とか、百姓の倅の農村の味である。 顔は手相と同じで、万人が違う、だから興味を持つのである。 
 韓国の女性は、日本人と比べると、大きな割合で整形手術をしているという。 考えて見れば変である。
     でも、見とれるほどの美人は、好きである! めったに居ないが・・・
・・・・・・・・・・
2670, おばさん、の話
 2008年07月27日(日)
「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」「老化のバランスの崩れに対して
抵抗しなくなった女性」「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。
女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。 女性が一番美しいのは、40歳前後という。 おばさんへの、
折り返し地点であるからだ。演技を止めようか、それとも最後の濃艶な女を演じようか、その際が光輝くからである。
一子(長男、長女)の子どもから手が離れ、少し余裕が出てくるが、多くの問題が一挙に押し寄せる時期。
  (字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・・・・
2007年07月27日(金)
2306, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 ー1 
  祥伝社 チャールズ・J・アクイスト            |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
                      ー読書日記
 このようなプレゼントを、かって聞いたこともなかった。そのユニークな依頼に誠実に答えてくれるアメリカ人が素晴らしい。
成功者は、何かの共通した言葉を持っている。過って一歳だった自分の子供へのプレゼント!という、思いもあるのだろう。
彼らのシンプルだが真髄をついた言葉には感動するものが多い。米国の弁護士の著者が、息子の1歳の誕生日のプレゼントとして
「世の中で成功している偉人から、人生で成功するための助言をもらう」というアイデアを思いつき、1年近くかけて実行。
依頼をした「成功者」のジャンルは、政治、経済、芸能界、スポーツなど。大統領、大リーガーなどの著名人からの素晴らしい
アドバイスが届けられた。本書はそもそも、極めてプライベートなものとして依頼されたもので、「本にする」というアイデアは、
依頼者の一人のリチャード・ブランソンが、出版のための依頼だと勘違いして手紙に書いてきたところから思いついたもの。
その為に出版にあたっては、返信してきた全員に再度依頼して承諾書をもらった。その結果、95%の人は快諾し出版に至ったという。
この本の利益は全て寄付をするという言葉も書き添えたところが良い。
  著者が送った質問は次の通りである。
*どうすれば人生で成功できますか?  *世界で一番大切なことはなんですか?
*愛とはなんですか?         *幸せとはなんですか?
(次回、私のこの答えを書いてみようか?)
これに対する答えが、回答者の価値観を浮かび上がらせている。
上記質問に対して、空欄に答えを書いて返信してきた人、書ききれず別途に長文を書く人もいた。
著名人だけあって、自分専用のレターパッドを使っている人もいた。レターパッドにタイプ打ちして、
自筆のサインを見ると、この人はこんなレターパッドなのか!とか、サインはこんななのか!とか、
普段あまり目にすることのできない、側面を見ることができる。
  読んでみると、なかなか心のこもった座右の銘が多い。
 次のことは、その中で多く見られた言葉である。一番のベースとして、大事なことばかりだ。
「ベストをつくせ」「家族と友人を大事にしなさい」「愛とは、見返りをもとめないこと」「
決してあきらめない」「誠実であれ」「好きなことを極める」「親のいうことをきけ」等々ある。
   以下、印象的な人の言葉を抜粋してみる。
   ーーー
●良い判断を下すには情報が必要だ。
●すべての善人に過去があり、すべての罪人に未来がある。
●自分の性格判断の簡単な方法は、何もしてくれない人にどう接しているかを知ることだ。
●言いわけはするな。 友人には必要ないし、敵は信じないから。
●信仰心に栄養を与えて育てれば、疑念は飢えて死ぬだろう。
●勝とうという意欲より、勝つために努力しようとする意欲の方が大切である。
             モーガン・ウーテン(高校バスケットの名コーチ)
●ぼくのアドバイスは、‘毎日を最後の日と思って生きよう、そして自分を信じよう’
             リチャード・ブランソン(実業者ー冒険家)
●自分の身に起こることを常にコントロールすることはできないが、起こったことに対する反応を
 コントロールすることはできる。 失ったものはあきらめ、負けないすべを学ぼう。
           フィル・ニークロ(元大リーガー)
 まだまだ、面白いもの多くある・・・     ?つづく
                 (○´ω`○)ノ**SeeYou**again!
 ・・・・・・・・
 2006年07月27日(木)
1941, ローマから日本が見えるー16
                        \(^▽^*)おはよう
第七章「創造的天才カエサル」?2
    ー植民都市の建設ー
  徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にもローマ市民権を
 積極的に増やしていく方策であった。ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を積極的に
 増やしていく方策である。 彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。
・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、それを属州民にも適用していった。
 ガリアや北イタリヤにとどまらず、スペインの原住民の有力者にも、ローマ市民権を与えたのです。
 後世の歴史家が、ヨーロッパはカエサルが創造したとする、ゆえんである。
・第二は、カエサルはローマ市民を属州に送り込んで、そこに「植民都市ーコローニア」を造らせるという方法であった。 
 すでにローマはイタリア半島に防衛拠点に植民都市を建設していたが、それを属州までも広げるというやり方である。
 このアイデアはカエサルの独創ではない。かってグラックス兄弟の弟ガイウスが試みて元老院に
 潰されたカルタゴもそうだし、ポエニ戦役当時スキピオ・アフリカヌスがスペインに建設させたイタリカも、
 ローマ人が建設をした本国外の「コローニア」の例である。カエサルは、この植民都市をより多く建設していくことだけ。
 カエサルのこの政策によって、属州に移住したローマ市民は8万人にも達した。これは、あたかも棄民のように思われるが、
 そうではない。植民者となったのは、ローマにいても仕事の無い失業者であり、カエサルの軍団の兵士だったからだ。
 カエサルのこの「植民都市」の建設は一石三鳥の効果をもたらした。
 これらの政策によって、ローマと属州は「運命共同体」への道を歩み始めた。
 カエサルはローマ本国と属州との一体化を進めるための方策として、これ以外にも様々な政策を具体化していった。
  ・首都ローマと属州を結ぶ街道ネットワーク整備がそうだ。 ・また通貨の改革  ・ユリウス暦の制定もそうだ。
 カエサルは元老院が造幣権を一手に握っていたのを、これを取りあげて、国立の造幣所を開設し、
 そこで金貨・銀貨を作らせてることにした。ユリウス暦の制定にも、カエサルの考えが反映されている。 
 同盟関係にあったエジプトから天文学者、そしてギリシャからは数学者を招いて、正確な暦作りに着手する。
 こうして出来上がったのが、一年が365日、4年に一回、うるう年が入る太陽暦であった。これがユリウス暦である。
  これで貨幣として「基軸通貨」をつくり、暦としてユリウス暦という「基軸暦」をつくった。
  歴史は一朝では作られない、数千年の時間の中で、多くの血と汗で作られている。
                    i (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年07月27日(水)
 1576, 次にくる波 
ー2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる
 著者:浅井 隆           ?読書日記
HPに「次にくる波」の概略が解りやすく書いてあった。これを数回読めば、買って読むことも無いだろう。
少しオーバーと割り引いて読んでみても、現在の日本は異常事態である。 何らかのクラッシュをきっかけに、
このような最悪な事態になる可能性は大きい。ゼネコンと政治家と官僚のタカリシステムをみても、絶望的になる。
初めはマサカと思いながら読んでいても、決して有りえないことでない。「これから5年 土地の価格が半値になる」
「日本壊死」「日本崩壊」と、悲観的な本を読んで、先行きを考えると末恐ろしくなる。
しかし、これが現在の日本の現実である。小さいからこそ感じるのだろうが、経営の舵取りをしていて
経営環境の激変を実感する。情報化という波が、根こそぎ世の中を変えている。
  以下は、そのHPの要約である。
  ーーーーー
ー過去を変えることはできないが、未来を創ることはできるー
多くの人は、戦後から現在までの60年間の日本の歴史を一つの時代として認識していることだろう。
   (字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・
2004年07月27日(火)
 1211, 哲学についてー21
 ー哲学 つれずれに
「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。
そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしかないことに気づいたり、
それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。 私たちが経験して考えたり、
脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、数千年前に既に考えていたのだ。
書き連ねるほど、自分の知識と未知のラインが見えてくる。哲学のバカバカしさと反面、深さと効用も解ってくる。
哲学をきちっと勉強をしておけば、新興宗教に引っかかったり、社会の表層に流されたりはしない。
教養の背骨になっていることも事実である。学生時代の寮に、「哲学さん」というアダナの先輩がいた。
何時も一人でニヤニヤしてブツブツ言っていた。「あまり哲学を勉強をすると、ああなるのか!」と、
哲学は程々にしていたが。しかし、人間最後は一人で考え決断をしなくてならない局面で、
哲学の基礎教養は最も重要に働く。周辺に、常に人生の重要な局面から逃げ回っている人が多い。
哲学や宗教などの基礎知識がない人だが、必ず大きな壁にぶつかっている。
自分からは逃げることができないからだ。-他人事ではないが!自分と直面をした時に、哲学が始まる。
・・・・・・・・・
2003年07月27日(日)
 844, パイロゲン
 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。 酒がそのままストレートで・・・一晩で
10回以上トイレに行くことになった。しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で
体重が数?減ってしまった。二つを同時に飲むのは合わないらしい。どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択。
(字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・
2002年07月27日(土)
 469,チンパンジーの話
チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらいTVでドキュメントを放映する。
大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。 面白いので必ず見ている。
彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。 常に二番ボス、三番手がいて、
その序列は実力により明確に決まっている。 ボスは常に二番手の脅威にされさてている。
時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして自分の存在の示威行為をする。
時にボス争いで死闘が行われたりする。 その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。
チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。ボスのいない時に浮気や小競り合いなどある。 
若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や序列争いも人間に酷似している。
今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが全く相手にされず遠くからメスを
見ている目付きが人間のそれとそっくり。おまけに下半身が!!しているのが、あまりに人間的だった。
彼らは下痢をしたとき枯葉で尻を拭ったりする。またウンチを踏んだときも葉っぱに何度も足を拭ったりする。
風邪で鼻が詰まったときなど、鼻に小枝を入れてクシャミを誘発したりする。笑いに似た表情をしたりもする。
集団でアカゲザルの狩もする。遺伝子の研究がすすむにつれて、彼らは人間の範疇でないかという説もある。
ボノボという種類の猿は更に人間に近い。 TVゲームもできて、その姿は空想映画のようでもある。
・・・・・・・・・
2001年07月27日(金)
 [89] 城と教会そして宮殿
ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!
また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。
文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?


3409, この国の終わり ー5

2010年07月26日(月)

  終始一貫、日本の現状と先行きに悲観的である。欧米人を知り尽くしているからである。一神教は他の宗教に対して、
 奴隷か、死の二者択一ということをである。共産主義圏の崩壊後は、それほど日本の位置づけは大きくなくなった。
 後は、日本からの借財をチャラにする、いつものコースである。それが、911であり、915である。
 これは、仕掛けられた事件と見れば、以下の著者の論が理解できる。
   * 日本人なぶり殺しの条件は整った 
(P107)
≪ この章では、考えることのできない日本民族の明日の運命が問題だ。その運命は‥、喩えれば、10メートル先の線路は
 切断されていて、目前の千尋の谷に渡した鉄橋は影形もなくなっているのに、時速5百キロほどの速度で突っ走る無人列車に
 乗っているような状態が日本民族の現実なのである。 しかもそれは自然とそうなっているのではなく、完全に「彼ら」によって
 仕組まれている。それに気づき、かつ確認する方法は2つしかない。
・ひとつは私がここで紹介する何冊もの本を読み、その内容をまず最初に疑った後で、自分の努力で検討し、真偽を探り、
 試行錯誤を繰り返しながら深刻に悩み、時には身の危険を冒した個人的なリサーチを試み、また世界各地を自分の足で回り、
 最低1、2年の期間その場所に滞在し、実地に自らの経験を積み、見聞を広め、再び文献を洗い直して真贋を探るといった
 努力をすることである。 だが、これはほとんど、というより確実に不可能だろう。 問題は、私の時代と違って、
 それだけの時間的余裕がまだ残っているかどうかであり、それに関して私は百パーセント悲観的である。
 日本滅亡の必然を学び取り、納得したときに、もうこの国はない。
・もうひとつの、より安易だが、さりとてしないよりはずっとましな方法は、この私の文章を最後まで読み、内容を信じ、
 私と一緒に立ち上がり、行動することだ。 しかし(そうするとしても)、最初からもう一度はっきり断っておこう。
 まず九分九厘すべては手遅れである――と。 この国は終わる。 仮に私たちがその無人暴走列車に乗っていることを確認
 できたからといって、それを止める方法は何ひとつないのだから。何しろブレーキが「彼ら」によって破壊されているのだから。
 これは一種の完全犯罪なのだ。となれば、またしても奇跡が必要である。 昭和では吹かなかった神風が、平成で吹くだろうか?
 私たちは新しい『立正安国論』が生まれるのを祈るしかない。しかし―、時代が違う。21世紀の安国の実用にはならない。
  ・・・イルミナティの確信犯的犯罪などに対しては、もはや、いかんともしがたいのである。・・・
  ロスチャイルドやロックフェラーといった世界の超・大財閥から流れる彼らの資金は潤沢・膨大にある。
 見返りはそれ以上に膨大なのだから、彼らの出資を躊躇させるものは何もない。  後は世界の他の部分の征服との兼ね合い、
 つまり一極支配へのスケジュール的なタイミングに過ぎない。 即ち彼らの言う「アジェンダ(実行予定順位)」だ。 ≫
  ――
  この文章が4年以上前に書かれている。 2008年9月15日のリーマン・ブラザーの倒産から始った金融恐慌と、2012年末から
 起こる?大恐慌と新ドルなどの通貨切り替えが、日本人、そして世界の弱者への「なぶり殺し」ということになる。
 そこで著者の林秀彦は、99パーは、既に手遅れという。この国は終わっているのか? 気がついても、どうにもならない!
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3034, バブル時と現在の比較は
2009年07月26日(日)
 大よそ20年前と現在を比較した年表があった。 (日経新聞記事内)
比べてみると、なるほど面白い。如何に金融政策に我われが踊らされているかが理解できる。
 当時は、それだけ豊かというと、その実感はない。(反対に、当時と比べて現在は貧しいかというと、それも感じない)
           ー1990年ー           ー2009年ー
日本の土地資産    2477兆円            1253兆(07年)
日経平均株価    3万8915円(89年年末)     9287円(07年7月10日)
日本の土地資産   2477兆円 (90年末)      1253兆円(08年末)
平均マンション価格  6123万円 (90年、首都圏)  4775万円(08年、同)
新設住宅着工数     170万戸             109万戸(08年)
ゴルフ会員権価格   4388万円            325万円
サラリーマンの小遣い  76000円           45600円
大卒求人倍率       2・86倍            1・62倍
 ーー
土地資産は半分だが、今回の暴落を考えると、三〜五分の一。   株価は四分の一だが、買い支えを考えると、五分の一。
サラリーマンの小遣いは6割は厳しい。             ゴルフ会員権が十三分の一は、喜ぶべきか悲しむべきか。
バブルが異常過ぎたとすれば、健全な数字。いや、まだ高い。   株・土地・マンションなどは、まだまだ下がってよい。
20年前でなく、私が大学を卒業をした40年前からみたら、現在の半分以下の豊かさ。
半分以下になっても、情報化で自由と個人がより尊重されれば心は豊かになる?
 ただ、現在は、世代間ギャップがあまりに大きいので、マイナー世代が荒んでいるが、
荒みが荒みで無くなっていく。 人生は、その時々でやるべきことをこなしておけば後悔はない。
                             いや、あるか!
・・・・・・・・・
2669, 日本経済の崩壊と資産防衛 ー2
 2008年07月26日(土)
ドルが暴落をしたところで、アメリカは何の損失も受けることはない。 金本位制度に戻せばよいからだ。 
無制限に刷ったドルで金を買い占めておいて、権威の失墜したところで金本位制度に戻せばドルの価値は戻る。 
その時点でアメリカはドル本位制度に戻す選択肢を持っている。ところが落ち込んだ日本円は、元に戻ることは無い。 
金そのものがアメリカの40分の1しかないのである。もちろん、アメリカは、金本位制度のドルと、それまでのドルは
交換できない仕組みにする。そう考えると、国家戦略としての奪略である。日本を属国にしておく為に金の備蓄に異常なくらい
圧力をかけたという。 日本など、使い捨てで最後は全てを剥奪する手はずになっている。残酷なものだ。 アメリカ本土には
穀物だけは充分に生産能力がある。更にアラスカには資源が充分に埋まっている。日本がアメリカの国債を500兆円近く
持たされている事実をマスコミは騒がないが、既成の事実である。これらも価値として半分、いや三分の一になる可能性も出てくる。
地方は実感として、既に恐慌一歩手前になっている。これにガソリンの異常高とくれば、一人一台という所有が当たり前の地方では、
深刻な家計の問題が生じる。農業・漁業、公共事業で景気維持をしていた地方は、この一連の経済崩壊の中で更に悲惨な事態になる。
その上に年寄りの多い地方は、年金破綻が大問題にもなる。実際には第二次大戦と、明治維新の時代より、大きな時代の変化に
晒されているのである。日本のバブルが弾けたときに株価が6分の一になったが、それからするとアメリカは3千ドル代になる。
ドルも60円を割ることになるだろう。 これから10年スパンで考えると、こと日本は最悪の道を辿るしかない。
アメリカのドルは64間年で、30分の一価値に落ちてしまった。それは金一オンス、一ドルの値段が、35ドルになってしまった
ことからも知ることが出来る。35年間つづいた米英の通貨支配が終わり、多極化の時代に入りつつあるということだ。
この時代にアメリカの属国だった日本が、このプロセスの中で一番の劣化をするしかない冷徹な事実がある。
中国は製造工場として、インドはサービス業を特化して、それぞれ特性を生かし紆余曲折を繰り返しながら成長をするだろう。 
その中で日本は、企画製造型のメーカーという生き方が主流になる。知恵を生かした会社経営が求められる。個人としては
知恵を生かした生き方である。ドラッガーは「知識社会」の到来を予測していた。そのモデルが日本と言って無いが、
充分に条件は揃っている。とりあえず、今年も含め目先数年は、緊急事態である。 緊急処置をとらなければ手遅れになる。
・・・・・・・・・・
2007年07月26日(木)
 2305, ぼくの血となり肉となった500冊・・・
          ー立花隆著           ー読書日記ー
 6年の間、毎日一文章を書き上げてきてプロの物書きの凄みが見えてきた。特に一流といわれる人の圧倒的読書量と、
書き上げてきた多岐にわたる文章の多さに唖然とする。問題の在りかを見つける感覚と、それを正確に文章に書きあげる能力は、
シッカリした下積みの基礎があるのだ。 どの世界でもプロは甘くはない。底知れぬ能力ある人たちの中で頭角を現すのは、
そう簡単でない。しかし、ここまで見せつけられると納得をする・・もの書きの下積みのインプットは尋常ではない!
 ーその一部を抜粋するー
私はいちばん真剣にいちばん多くの本を読み、本格的な人格形成を行ったのは、二十四歳で大学を卒業して文春に入り、三十四歳で
「田中角栄研究」を書くにいたるまでの十年間である。その十年の間に、私はせっかく入った文春を辞めて大学に戻ったり、
はたまた大学をやめてもの書きになったり、もの書き稼業を捨てて、新宿でバーを経営したり、かと思うと、何もかも捨てて、
中近東とヨーロッパを放浪する旅に出たりと、あまり尋常ではない人生の軌跡をたどっていた。その十年の間に、私ははじめての
著書『素手でのし上った男たち』を上梓し、つづいて第二の著書『思考の技術』を出版した。
またこの時期にゴーストライターとして、香月泰男名で『私のシベリヤ』を刊行したし、立花隆とは別のもう一つのペンネームである
菊入龍介名義を用いて『日本経済・自壊の構造』という本を出した。同じ十年聞に、立花隆名で「文藝春秋」「諸君!」「潮」
「週刊文春」「週刊現代」に多数の雑誌記事を書いたが、実は全くの匿名で、その何倍もの原稿をさまざまの週刊誌、月刊誌に書いていた。
そのような文筆活動を通して徐々に活字の世界で立花隆の名が知られるようになっていったが、必ずしも世に広く知られるように
なったわけではない。しかし、三十四歳のときに書いた「田中角栄研究」によって人生が一変した。
ということは、二十四歳から三十四歳にかけての十年間を一言で表現すれば、「田中角栄研究」以前の十年間になる。
その十年聞は若干のアウトプットもしていたが、圧倒的時間をインプ・トにさいていた。
生活環境は次々に変わっていったが、とにかく読書にさく時間がいちばん多かった。つまり、私の血肉になる読書の大半は、
この時期になされたのである。それがこの時期に焦点をあてようと思った最大の理由だ。
(字数の関係で中略カット2008年07月26日)
 ー
 これを読んだだけでも、この人の圧倒的な知識を思いやられる。他人は他人とはいうが、それにしても
知識という面で自分を対比すると、 その貧弱さに呆然とする。外務省の佐藤優も、そうだが・・・
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2006年07月26日(水)
 1940, 新潟活性化案ー3
                    おっ w(゚Д゚)w  ハァョ?
7月の22日、三回目の新潟活性化のための会が、会社の事務所で開かれた。 県の??と、長岡、三条、新潟の地区の経営者など7人の
会であった。7月の28日に開かれる会の下準備の意味もあった。
   当日の朝、それまで二回の会の主だった流れを以下の通り纏めてみた。
・環日本海拠点基地としての位置づけを明確に打ち出すー首都圏の日本海への窓口として物流や工場の基地としての機能を充実させる   
・環日本海基地としての拠点として 新幹線の東京駅から直接乗り入れの国際空港を打ち出す。
・新潟駅再開発が、今年施工命令を出されたが、 その工事に重ねて新潟空港と機能を一体化をしていく。
 新幹線の延長線路に新潟駅と国際空港のリニアを共同運用をする。
 飛行場周辺に10~20万単位で土地を先行取得し、高層ビル特区として容積率を1000パーセントにアップして
 取得額の倍を目標にして売却。それを工事費用の一部に当てる。350億の試算になっているが、単線など考えられるあらゆる
 知恵を使い半額以内にコストを抑える。 そこの住民はリニアカーを格安で利用できるようにする。
 キーポイントは、
  *東京駅からの新幹線の飛行場乗り入れ
  *新潟駅再開発との共同事業
  *新潟駅と飛行場と飛行場周辺地域との一体化
  *飛行場周辺の高層ビル特区による事業費の捻出
  *飛行場周辺の特区構想ー  養老特区、外国人特区、物流特区、中国人特区、レジャー特区・・・
  *北陸新幹線への待ったなしの対策として完成を2015年(新潟再開発新駅の完成)を厳守する
   ーー 
 地元の経営者は、現在の新潟県の環境に非常に厳しい危機感がある。だから、こういう会が開かれているのだろう。
北陸三県対新潟県の地域間競争が切って落とされようとしている。そして、どちらが勝利を収めるか誰の目にも明らかである、
それに対して枝葉末節の対案も出せないのが現状。2014年の北陸新幹線の開通までに新幹線の新潟空港の開通、そして特区構想の推進。
そのプロセスを通して環日本海拠点基地化を確固たるものにする。その最終の計画を早急に決め、その手順に入らないと手遅れに
なること必定。凡庸な?政治家ー前県知事などや地元国会議員・・
ーのお陰さまで手遅れなのかもしれない。このままでは新潟県の衰退が激しくなる。
このさい東京都新潟地区と割り切った方が良い(元々新潟は幕府の天領だったのだから)。
昨日の地元紙の新潟日報の中越・上越版で 「発車ベル9年前」?上越地域と北陸新幹線ー
という特集のシリーズが始まった。 かなりシビアな内容である。 タイミングもよい!
 全くどうなっているのだろうか、この県は? 野球場じゃないじゃないか!
同じ200億をかけるなら、東京駅からの直接乗り入れの飛行場だろう!
そして飛行場周辺の極東地区に向けての本格的な物流・情報拠点づくりじゃないか!東京都新潟地区づくりでよい。
「日本海を内海とみたてた長期的ビジョンの地域つくり」こそ、早急にたてる骨組みである。
何処かの新幹線駅建設が住民の反対意見で取り止めになりそうだ、というレベルと、この延長工事は違うはずだ。
それさえ解らないのだ! 私はこの辺で、この論については打ち切りだが!
これは政治家がやるべきことである! 何で私がここでいわなくてはならないのか?まあ、面白い経験であった!
  2007年7月26日ー後記 
   それもこれも、猿回しの猿でしかない! ということだ。      (*^▽^)/ ホンジャ!
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2005年07月26日(火)
 1575, 道路公団副総裁が逮捕!
現職の道路公団の内田副総裁が逮捕された。
道路公団に対する公聴会の席での猪瀬氏の質問に、慇懃な返答をして中座した男である。道路公団発注の鋼鉄製橋梁工事をめぐる
談合事件が、現職の副総裁の逮捕になってきた。道路公団そのものが??の巣窟というのは公然の秘密である。
≪字数制限のためカット2010年7月26日≫
ーーーーーーー
ー産経新聞の記事から 2005年7月25日
  道路公団副総裁を逮捕 
(字数の関係でカット 09年07月26日)
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2004年07月26日(月)
 1210, つれづれなるままに
 ーアメリカの最終断末魔ー
アメリカの双子の赤字は何を意味するのかを考えると、底知れない恐ろしさをおぼえる。
石油の決済は、全てがドルでおこなわれている。 アメリカがイラクに侵攻したのも、フランスやロシアがフセインとユーロダラーで
決済をしようとしたからといわれている。現在の世界の石油の決済は全てドルでおこなわれているが、ユーロでおこなわれれば、
ドルへの信頼感が薄れる。輪転機でドル札を刷って世界中から物資を集めていたシステムが壊れてしまうからだ。
アメリカにとって双子の赤字など、全く問題はない。輪転機の紙切れの数字がマイナスをあらわしているだけである。
それとアメリカ国債も同じく紙切れでしかない。 かろうじて、その二つの暴落を防いでいるが、ある日突然で恐慌を引き起こして、
その価値を落としてしまえばよいだけだ。全く酷いものである。手形乱発とどこが違うというのだろうか。そのアメリカの属国が日本。
日本がその一番被害を被ることになる。 アメリカの断末魔の後は世界大恐慌となり、日本崩壊は?
 ー「有限会社」が廃止ー
≪字数制限のためカット2010年7月26日≫
・・・・・・・
2003年07月26日(土)
 843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証
 今月号の「文芸春秋」で小松左京が「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」
 レポートが面白い内容であった。本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」と思っていた。
 それが「まさか21世紀に自分が生きているとは!」と。
 ー要旨を私の主観でまとめてみるとー
・一番の衝撃は平成7年の阪神大震災だという。
 本人が書いた「日本沈没」が現実になろうとは。 ほぼTPOS が酷似していた。
・三十年前は米ソの冷戦真っ只中、まさかソ連と共産圏がこれほどあっさりと崩壊するとは正直思ってもいなかった。
・今のエレクトロニクノロジーの発達で電卓、パソコンに、携帯電話、ロボット・・等 電子機器がこんなに
「小型」「安価」になってしまったことは、本人の予測をはるかに 超えたことであった。 当時百億したコンピューターがいまや
 もっと性能が良くなって10万そこそこ買える時代は今でも信じられない。
 本人は現在この時代の速さについていけないので、携帯電話を持ってない
・宇宙開発はもっと進むと思っていたが、意外と進まなかった。
 今の人類にとっての、予測したほどの必要性が無かったためだ。しかし宇宙への進出は人類に必要である。
・イラク戦争も衝撃的であったという。多くのビデオカメラが入って戦場の映像がリアルタイムで入ってくる。
・高齢化社会と今の子供の問題は予測をしていた。
ー以上だが、
 ソ連と共産圏の崩壊、今の科学技術の発展、情報化社会の予想を超える進歩など、私が感じたこととほぼ同じであった。
 この情報化の進歩はSF作家の想像をはるかに超えていたようだ。 ソ連さえも、まずは軽く崩壊させたのだから。
 彼等のような戦中派が今の時代の変化を見ていたら、これほど面白いものはない。
 特に戦争体験をしてきた人が、アフガンやイラク戦争のアメリカのハイテク技術を駆使した
 武器はSF小説をはるかに越えている。 アフガンのゲリラさえ消滅させてしまう。
 ・・・・・・・・
2001年07月26日(木)
 [87] エルミタージュ宮殿
今回の旅行のハイライトはやはりエルミタージュだ。
カテリーナ?の冬の宮殿といわれ、ちょうどパリのルーブル美術館と匹敵する内容であった。
300万点ある所蔵の一部しか見れなかったが、ただ案内された壁画や展示物は見た事のある物ばかりであった。
制限された時間内で駆け足であったが、その印象は強いものだった。 エルミタージュはただ美術館と
思っていったが、広大な宮殿でベルサエユ宮殿に似ていた。 その豪華さにまずは驚かされた。
夏の宮殿と言われるカテリーナ宮殿も行ってきたが、これもまた目をみはる豪華さで感激してしまった。
当時のカテリーナ女王の権勢は絶大であることは、この2つの宮殿を見てうかがい知ることが出来た。


3408, この国の終わり −4

2010年07月25日(日)

  * 「取り繕い」国家の「その日暮らし」民族
 ー(P・53) 原爆を落とされる直前まで、私たちはせっせと竹槍を作っていたのはつい最近の出来事である。
 いくら資源不足の国とはいえ、なんとも象徴的な風景ではないか! それが何になったか。この大悲劇の教訓は、その後も
 全く生かされなかった。現在、足音高らかに近づいた究極の世界的大陰謀という「目」に対し、私たちの「目」は老眼にかすみ、
 日本民族総家畜化という「歯」に対しては、私たちの「歯」は全部抜け落ち、入れ歯さえもちあわせていないのである。
 この世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。 いったい世界で昨日今日何が起きているのかが、わかっていない。
 新聞に書いてある程度は読んでいるかもしれないが、その記事を疑う段階までは決していかない。ブッシュの言動と小泉の
 言動の間にある因果関係を考察する意欲もない。ということは、即、明日の自分の命には無関心だということである。
 なぜか?考えるということができないからである。 目にはカラオケ、歯にはパチンコで毎日を過ごしているのである。 
 明治国家がインスタント国家であり、急場しのぎ国家、間に合わせ国家、一夜漬け国家、ツギハギ国家だったことは確かなことだ。 
 世界のあらゆる事情に応急対応を迫られ、いずれかゆっくり腰をすえ、 ・・・と一時しのぎのつもりが、
 ずるずるとここまで生き延びた。
  ・・・・・・・・
 現在の民主党の沖縄軍事基地の対応も、まさに著者のいう「取り繕い」そのものに終始している。
 この本が書かれて4年経ち、その二年後にリーマンショックがあり、世界に先駆けて国家存亡の危機に立たされている現在でも、
 ただ「その日暮らし」の政策しかたてることが出来ない。 4年前には、この著は「過激」に受け止められたが、現在では、
 ご覧の通りである。自民党と民主党という二大政党の看板はあれど、旧態以前の体質は変わってない。軍事も、金融も米国に
 支配され、身動きがとれないで、ただ目先を「取り繕い」、「その日暮らし」をするしかない。ほぼ完全占拠されている
 現実が直視できないのである。軍事ひとつとっても、ほぼ全てが米国製。部品補給をストップされれば裸同然になる。
 中国、北朝鮮の防衛の一環のための米軍基地の配置というが、実際は日本の軍事占領。金融も、アメリカ国債に500兆円も
 買わされている。で、変動為替で、ある時期に来るとドルの価値を下げてチャラにさせられてきた。それを知って知らないふり。
 政治家も官僚も、むしろ尻尾を振って従わざっているとしか思えないのである。彼らは日本がアメリカの支配下にあることを
 知り尽くしているからである。 北とか中国の脅威より、この見えざる搾取の方が遥かに深刻である。これが現状である。
 ・・・・・・・・・
3033,刑事が家にやってきた
 2009年07月25日(土)
 先日、家に帰ると家内が
「今朝、あなたが出かけて直ぐに刑事がきて『御主人がいますか』というので、普段は8時15分に出るのですが、
病院に一度行った後、そう20分ほど前の11時前に出かけた」といったという。そこで刑事が「先ほど真ん前のアパート2Fの
一番奥の部屋の窓が割られ、泥棒が入りそうになったが、部屋には住人が居て、通報をしたため逃げた。御主人が、
その時間に出かけたなら目撃をしていませんかね。それでは帰る時間あたりに電話を入れます」と言って帰っていったという。
その1Fの前面にはヤクルトの営業所があり、その横の階段からしか出入りできないのに、何でまた?と家内が警察に言ったら、
現在もう一人の刑事が聞き込みをしているという。家内から話を聞いた後で、早速電話が入ったので、
「 11時8分の新幹線の乗ろうと、家を飛び出したので、家を出た時間はハッキリしている。10時52分で、家の前には
誰も居ませんでしたよ。 ところで、この辺では窓を破って空き巣が入ったなどの話を聞いたことがないが、度々あるのですか 」
と聞くと、「刑事になる前に三年間、駅前派出所に居ましたが、そんなことは、あの辺では全くありません」との返事。
しかし18〜20日の三連休に2回、玄関のチャイムが鳴り出てみると、人が居ないことがあった。 もしかしたら・・・ この辺も
物騒になってきたということか。 都会なら日常茶飯事なのだろう。そういえば、6年ほど前になるか、家に刑事が来たことがある。
一軒おいて隣の家の庭に干していた女物の下着が盗まれたが、その時に若い男が自宅の敷地に入ったのを目撃した人がいるという。
まず私の所在を聞かれたが会社に行っていて問題なし。その前年まで長男が一年間、居候をしていたが、どうも本人の可能性を
探りに来たようだが、そこで首都圏に行っていたのを確認した。そうすると、家の奥の貸家の学生の兄弟?が疑われるが。 
その後、二人は引っ越していったが、犯人は捕まったとは聞いていない。それ以外は、空き巣など聞いたことがない。
最近は、新しいアパートが多く建ち、多種の人が出入りをしている。あって当然のことか。 

・・・・・・・・・
2668, 日本経済の崩壊と資産防衛
 2008年07月25日(金)
二年と三年前に二回受けたセミナーのシリーズが、再び開講するというので一昨日、受講してきた。
講師の清水洋氏は《平成20年からマーケットの大転換》があると言い続けてきたが、いよいよ現実化をしてきた。
《日本経済はかってない構造変化を体験するので、早めに手をうって事業と財産を守れ》というのが、彼が一貫して言い続けている
ことである。今年になって、サブ・プライム問題がアメリカで表面化をして、一挙に世界の景気の陰りが出てきた。
数年前に出席したときに、言っていたことが、まさにそのとおりになってきた。今年になって読んだ本にも同じようなことが
書いてあったが・・ 講師は予告どおりになっているので上機嫌だったが、聞いている方は、その激しさに震撼とした空気であった。 
  その内容を印象に強かった順に大筋書いてみる。
・金利の高騰は、既に始っており6〜7?になっている。 出来たら固定金利に換えておくこと。
・とにかく破産者が多い。生活保護世帯も二年間で130万から150万世帯に増えた。
 零細・中小企業の倒産、廃業が信じられないぐらい多い。
・ガソリンスタンドが現在4万あるが、60?が淘汰される。
 (一例をとると、ガソリンは赤ランプがついてから入れにくる車が増え、その上に千円しか入れない)
・地方は老人と子供が増えて、商売が成り立たない職種が増えてきている。
・問題は国債だが、それより年金の未払いの数字が膨大にあるのを、国民は知らされてない。800兆円あるという。
・生産者優先の社会から、消費者優先の社会への大転換が雪崩をうって進みはじめた。
・金は現在、Kgあたり350万だが600万はいくだろう。
・アメリカのドルは近々には暴落をするが、その後に金か農作物本位制度で復活する。しかし日本は、暴落はするが、
 金を持つことをアメリカから間接的圧力で持たされなかった。アメリカの金の在庫量が7500万トンだが、 
 日本は170万トン、ドイツは350万トンしかない。
・郵政民営化は、郵貯の資金が外国に逃げることを意味している。
・国家破綻の結果として、ハイパーインフレが生じ、国債が暴落。国民の資金の価値が暴落。それで国の借金をチャラ?
 国家破綻は政府の破綻である。 それを外国メディアが正確に報じる。(外国メディアに敏感であれ)
 国民は、消費意欲が極端に落ち、さらなるデフレへ。
・スイスフラン、ユーロダラーや、金の現物にリスクヘッジをしておくこと。
・2〜3年後には、ドルと円の破綻は間違いない。
・人口減少社会は、300年に一度の社会的大変化の時代に突入。それは、明治維新、第二次大戦の終戦に匹敵する
  ー以上だが、次回は私なりの意見を書く。
                     - 2008年07月23日 13時〜17時 会場 御茶ノ水 山の上ホテル −
・・・・・・・・
2007年07月25日(水)
 2304, また地震!どうなっている?まったく! −8
今回の地震で不思議なのは、家の倒潰の数に対し火災が無かったことである。全壊1000棟、半壊2000棟、
被害住宅1万数千棟からみて、何で火災が発生しなかったのか? 祭日の午前中としても奇跡的である。
それもダウンタウンと隣接している住宅密集地で、かつ年寄りが大部分の中で?それと同じことだが、死者が11名も
合点がいかない。余震が何回かあってから本震があったのではない。突然の本震の中、三桁に近い犠牲者が出て当然、
不幸中の幸いである!柏崎市は‘家内の実家’があると同時に、母系の親戚があり、知り合いも何人かいる。
いま住んでいる長岡と、事業をしている新潟と、家内の実家のある柏崎と、丁度バランスが取れていた。 
それだけ柏崎は因縁があるところ。越後の英雄?田中角栄の出身地の西山が長岡と柏崎の丁度中間にある。
角栄の地元の中で、柏崎は最も利益を受けていたところである。直接的には、今回の刈羽原発と道路網である。
原発だけで3兆数千億、関連を入れればサラに増えるだろう。家内の実家が建材屋をしているので、その内々の豊かさに驚かれる。
柏崎は地味で堅実が特性、しかし小粒だが時代の変化には敏感である。深海の底にシッカリ根を張っている生きもの、
そうヒラメかカレイのような人が多い。家内がそうだからである。長岡は城下町で、派手でプライドだけが高いところで、
柏崎とは全く性格が正反対のところがある。両者とも昔ながらの越後気質が残っているが・・・
あの真紀子とは違う! あれは長岡人ではない、女コメディアンである。じゃあ、お前は何じゃい?と言われれば、
「コメディアンの親の恩恵(新幹線・高速道路網)を間接的に受けて、ヌクヌクと蠢いている住民でしかない!」。
しかし、これが現実である、実際。その代償が、世界最大規模の原子炉の直下型地震で生死の際だった!、と言うこと。
前回の地震の時も聞いたが、前日カラスが異常に騒いでいたという。当日、カラスが何処かに疎開していて一羽も居なく
なっていたとか、金魚が異様に動き回っていたとかいう。地震の前の人間が感知できない余震があったのだろう。
・・・・・・・・
2006年07月25日(火)
1939, 降りかけコーヒーの味!
      おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・                    
昨日の朝、朝食の御飯に何とコーヒーをかけてしまった。「山葵ふりかけ」のビンと「コーヒー」のビンを勘違いをしたのだ。
「気候のせいで、おかしいのかな〜」と独り言をいっていると、「たんなるボケじゃない!」 だと。
 「耐えている! こういう妻に耐えている!」という川柳を思い出した!そのコーヒー振りかけの御飯の不味いこと、
この上なしである! もしかしたら美味いのかもと!期待したが。年近くになるが、「山葵ふりかけ」をかけて食べている。
(字数制限のためカット 2010年7月25日)
・・・・・・・・
2005年07月25日(月)
 1574, 日本人の苗字ー2
日本の苗字の多い順ランキングは、
この本によると以下の通りである。
1位 佐藤 1914300人 2位 鈴木 1692300人 3位 高橋 1406000人 4位 田中 1324200人 
5位 渡辺 1090400人 6位 伊藤 1072400人 7位 山本 1068200人 8位 中村 1041200人
9位 小林 1011900人 10位 加藤  853300人
田、藤、山、野、川、木、井、村、本、中などが名前によく使われる漢字ベスト10である。
これからみて、自然と土地の名前と関係の深い文字が多いことが分かる。元々、苗字を持つことは特権階級のものだった。
江戸末期の苗字を持っていた人口は20〜30万人、約1万姓だった。明治初期の苗字の義務化により、29万の姓が増えてイッキに
30万になった。それ以前より非公式に使っていた例も多かったようだが、一般的には、苗字は100年しか経ってない新しいものである。
明治8年の平民苗字必称義務令が出たときに、慌てて作られた苗字が多くあった。
そのため、苗字を決めるときの悲喜こもごもが、そのまま現在でも残っている。笑うに笑えない実話が無数にある。
ーこの本の中の幾つかの実例を抜粋してみるとー
・喧嘩の耐えない夫婦に、庄屋の旦那が「円満」といわれて、 そのままそれが、苗字になった。
・若い身空で後家になった女に、ご隠居に「口説かれたら『射矢』といいなさい」と言われて、名前をそのままつけた。
・大学の前に住んでいたので『大学』
・大工だったので『大工』
・仙人のような顔をしていたので『仙人』
・女道楽が過ぎるので『女楽』
・愛媛県南宇和郡網代村の村民の名前が、株菜、大根、浜地、鱒、稗田など、魚と野菜の名前ばかりの村がある
・庄屋が、その男の顔が蛸に似ているので面白がって『太古』とつけられ、教師になった後で「タコ、タコ」と馬鹿にされて辞職した。
 ーー
そういえば親戚の葬式に出たときの話、隣の席に「家老」という珍しい名前の人がいた。「珍しい名前ですね!」というと、
「実は『けら』という名前だったが、虫の名前で馬鹿にされるので、今の名前に改名したのです」とのこと。
(字数制限のためカット 2010年7月25日)
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2004年07月25日(日)
1209, ヘーゲル ー哲学について−20
  ーヘーゲルー
 マルクスの後になってしまったが、近代哲学でヘーゲルが基点になる。ヘーゲルは、「現実世界とその歴史は精神的な
発展していく姿ー現象と考え、それは自己認識に到達するための歴史的プロセスである」と考えた。
 心や精神は無機質の自然から生まれたのではなく、それ自身が存在の中心的な構成要素であり、現実を構成する
歴史的プロセスの主体と捉えた。この全プロセスを現におこっていると認識しているもの(存在の究極的な本質)を、
ドイツ語で「ガイスト」と呼んだ。 この意味は「精神」と「心」の中間のようなものであった。
ヘーゲルにとって、ガイストは、存在の核心、存在の究極の本質であった。
ガイストが自己認識を目指して発展する姿であった。それが達成されると、全ての存在は調和をしてひとつのものになる。
それをヘーゲルは「絶対者」とよんだ。 それが「絶対的観念論」である。
  ヘーゲルには3つの理論がある。
1、さっき述べた現実とは歴史的なプロセスであるという考え方
2、二番目には、歴史は合理的な構造を持っており、その構造を理解するために必要なのは変化の法則、
  すなわち弁証法(正・反・合)であるという考え方 
3、三番目には、疎外についての理論である。
  人間は、文明を築くプロセスの中で色いろな組織や規則や思想や宗教を生み出してきた。
  それが逆に人間を抑圧するようになって、自分で作ったものなのに自分のものでなくなってしまった。
  宗教が、その端的なものと考えた。神を自分の投影として作っておきながらそれとは異なる存在、
  正反対の存在として考えてしまうようになった。
ヘーゲルの思想のいま一つの特徴は、「国家への崇拝」がある。 {人は全存在を国家に背負っている}と考えた。
それがヒットラーなどに利用され右翼的な民族主義者とみなされた。また共産主義者からもその国家観を利用された。
現在の哲学思想の四大潮流、ヘーゲル哲学・マルクス哲学・実存哲学・分析哲学は、ヘーゲル以後の哲学史そのもの。
[ヘーゲルの弁証法]とは、ー出発点の第一段階は「テーゼ(正)」とよばれ、これに刺激をされて生まれる対立的な反応が第二段階で
「アンチテーゼ(反)」で、この二者の対立がやがて解消されてそのどちらものりこえた新しい状態が生まれる。
それが第三段階の「ジンテーゼ(合)」になる。しかし、この第三段階は新しい状態なので新しい対立を内包して、テーゼになる。
そして、再びテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階が始まる。この変化は途切れることなく変化し続ける。
これは宗教、科学、経済、社会などの内側からの変化として現れることになる。
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2003年07月25日(金)
 842, エンドレスの巡礼
 先日、殺人未遂で逃げ回っていたお爺ちゃんが、エンドレスのお遍路さんでTVに出演をして、たまたまTVを見ていた刑事に
正体がばれて逮捕されてしまった。当地では「エンドレスお遍路」で有名の人だった。TV出演を拒否すればと思ってしまうのだが、
そこが人間の持つ浅ましさだ。 実を言うとこのエンドレスの老人の存在を知っていた。『到知』という月刊誌で、
俳優のショーケンー萩原健一の文章に登場していたのだ。ショーケンは、お遍路を年中恒例にしており、その詳細を書いていたのだ。
その文章でエンドレスの爺ちゃんの存在を知って「70歳を過ぎたら、こういう生き方も良いのかもしれない」と感心をした。
すべてを失い駅などでホームレスをしなくてはならない時が万一きたら、思い切ってエンドレスのお遍路も良いじゃないかと考えた。
絶望をして、死にたくなった時でもよい。実際に、お遍路の道中に行き倒れて死ぬのも、病院で管に繋がれてのた打ち回って
死ぬよりはずっと良い。その最後のよりどころを、この老人は儚くも潰してしまった。「歳とっての逃亡」でしかエンドレスの巡礼は
できないのかもしれないが。「巡礼は自分の過去に向かって歩いていくこと」と聞いたことがある。その行き先のまた先が神仏なのだろう。
まだ巡礼をしたいとは思わないが、いつか駆り立てられる日がくるかもしれない。母が80歳を過ぎ痴呆症の現象が出始めの頃に
面白い夢をみた。母が5~6歳の巡礼姿で玄関口にいる。その姿をすでに亡くなっていた母の妹がじっと見つめているのだ。
恐ろしい悲しい神秘的な夢であった。人生はエンドレスの旅路なのかもしれない。
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2002年07月25日(木)
 467,内山由蔵さんへの手紙
葉書ありがとうございます。この春奥様がご逝去されたと、兄より五月の連休頃に散歩の途中に会った時に聞きました。
謹んでご愁傷申し上げます。 丁度私が西アフリカに行っていて留守、参列できなった非礼お詫びします。
今年の2月ごろ堀内トシさんより手紙で「見聞皆師そのご追加分を送ってもらいたい」との依頼されました。
去年の五月より個人のホームページを開設して、毎日「随想日記」を書いたのをコピーして送りました。
その時に2部コピーして、内山さんにもと思ったのですが、少し差出がましいかと、そのまま手元にあるのを今回送ります。
その後の分もあるのですが、この秋頃に再び送りたいと思っています。毎日文章を一文書くのは大変ですが、頭の活性化には
ベストのようです。自分でも色々のことを考えているのに驚きます。「書き出す」ことの重要さを改めて実感しています。
土曜日が一番都合が良いので、いつでも連絡をください。大手通りは何をしても無駄だと思います。
同じ努力をしても半分以下の効果しかないからです。同じ努力なら二倍の効果のある場所でやるのが道理だと思います。
  ー内山さんの手紙の下書きーより
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2001年07月25日(水)
 [86] ホームページ用3dソフトが完成
ホームページ用3dソフトが完成したようです。 http://www.fsn.co.jp/bonoboのサイトでダウンロードして
このホームページの3dの絵をクリックすると動き始めます。
私のホームページに似たものが私の立上げの10ぶんの1のエネルギーで出来そうです。ただし有料です。
詳しくはそのサイトで見てください。富士総業のソフト部門で作成したものです。 ホームページ開設勧めます。
世界が2〜3月経つと変わると本に書いてあったが正しくそんな感がします。


3407, 人みな骨になるならば ー15

2010年07月24日(土)

 * 心理学が自虐 
(−P199) もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれるべきものがあるとすれば、
それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、
つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。 われわれの無意識はわれわれに信じたいように信じさせる
傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを得ないことか、
単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を
無邪気に信じ込むことが出来なくなる。 それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、受け入れ、引き受けることで
初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。
なぜなら、そうした「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法や薬物療法がいくつも知られてしまったからである。
とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが
危険であるのと同様に、世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に唾しなければならない。
願望充足をたくらむわれわれの無意識が、そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
・極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独をごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがためなのだ。
 〜〜
 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに
自分自身で気がついていないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識はわれわれに
信じたいように信じさせる傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、
信じざるを得ないことか、単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。」とは、恐ろしい自己洞察にも思われる。
その視点からみれば、ムシのよさを備えた世界観や欺瞞として、輪廻転生や、極楽浄土、宇宙人の存在、超能力等々を
斬って捨てるところが虚無だからこそ可能である。
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3032,青年と成年の境目
 2009年07月24日(金)
 青年と成年の境目とは何だろうか、何度か考えたことがあった。
「就職をし、結婚をして家庭を持って落ち着き先を見出した時」とは思っていた。
 開高健は以下の文章は、そのあたりを明快に書いている。
  ーまずは、その部分より
【「青春」という言葉があります。私なりに定義をすると、「自分の気に入った、自分の適した職業を見つけるまで、どんどん職業を
 変えていける条件と心のある時期」を「青春」というんじゃないか。 職業を選んでしまうと、それはもう青春ではなくて
「青」が「成」という字になる。職業を選んだときからアダルトになるじゃないですか。  (佐治敬三氏との対談より)】
 成るほど、その通りである。そうすると、私は34歳までは青年だったということだ。考えてみると、そうかもしれない。 
 青春は、理想を求め彷徨い漂っている時期をいうのである。それでは、中学校を卒業して就職し、一途に仕事をしてきた人には
 青年期は無かったというのか? その辺の判断は非常に難しいが、如何だろうか? そのファジーな部分からみると、人生に希望を
 持って具体的に行動をしている人が青年期というのだろう。 一生、足元を踏み固めずに、夢見るオノコがいるが、彼を万年青年とは
 いわない。万年青年という言葉には、深い教養の上で理想を追い求める人をいう。人にとって、その職業の占める位置は大きい。 
 連れ添いと同じぐらいといって良い。力=仕事、愛=家庭、知=教養とすると、青年期は、それぞれのカタチを模索し
 吸収している時期をいう。 見っともなく、ボロボロで、大きく変化をしている時、だから光輝いているのである。 
 成年期は、その光を失った時というと、そうでもない。仕事や、家庭つくりに全身をぶつけている違う輝きが出る時である。 
 そうこう考えると、就職と、結婚が大きな境目といってよい。 自立した時が成年にアップスケールした時である。
 心は何時も青年だが、身体は老年になっていく。諦念するしかないか! ところで、青年期も、成年期もない人がいる。ドッキ!
・・・・・・・・・
2667, 結論で読む人生論 ー3
 2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。 
 とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主と割り切れば、
「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。
極めつけは、これ。
・「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、
 まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、
 女を愛することもできないし、女にも愛されない」。
「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。利いた風なことをいう者には東光は容赦ない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 いやならとっとと死にゃあいいだろう。
 そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。オレたちは
 命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには
 何も残らねえとか、そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』
おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っててもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。(略) それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえばいい。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。」 ──同書
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。 「そんなことわかるかい!」。
 ーーー
これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。 そして、言葉は何時までも残るというのが解る。
本当に言葉は大切だ。 その中に感情と理性が入るからである。 最後は人間性ということだ。
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2007年07月24日(火)
 2303, また地震!どうなっている?まったく! ー 7
 ー風評で観光地が壊滅状態ー
まだまだ、地震の話はつづく。2?3回のつもりだったが、いくらでもあるものである。
この地震の原発の風評が、観光を直撃している。これから一ヶ月近くの稼ぎ時期の海水浴場と、温泉などの観光旅館である。
死活問題であろうが、他人事ではない。8月~10月は当方にとっても一年間の利益の殆どを稼ぐ時期である。
今年は政令都市になった勢いで、一割近くの売り上げアップを期待していたが、これでは大幅でないとしても、マイナスも覚悟を
しなくてはなるまい。この商売の宿命である。さっそく地元紙に取上げられていたのが、寺泊港の名物の海と魚の「アメ横」通り。
10軒以上の魚市場風の店が立ち並び、1千台?以上の駐車場は、平日でも車で溢れる。休日は観光バスが大挙して押し寄せてくる。
近くには小洒落たレストランや、海洋深海水をつかった風呂が売りの入浴施設「きんぱち」などが立ち並んで、若いカップルなどで
賑っている。去年も知人の元部下が経営をしているレストランに行って食事をしてきたが、なかなか主人には強気な雰囲気が
漂っていた。ところが、その日を境に寺泊はゴーストタウン化。駐車場には殆ど車が見当たらず、目も当てられない惨状という。
毎年7月20日前後に始まる臨海学校も軒並み中止。群馬から受け入れ予定だった小学生約5千人はキャンセルになったと報じていた。
まだ被災地の柏崎周辺は災害関係者の宿泊があって、差し引きゼロだろうが、寺泊や村上の瀬波温泉など風評だけで壊滅状態という。 
全く関係ない湯沢や、佐渡までさえもキャンセルが相次いでいるから、この観光シーズンを前に深刻な問題になっている。
さらに米など農水産まで影響する可能性もあるから深刻である。下手をすると、コシヒカリというだけで、新潟の酒というだけで、
敬遠される可能性がある。 恐ろしいことである! 
・・・・・・・
2006年07月24日(月)
1938, 急増“働く貧困層
                    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
昨夜のNHKスペシャルがシビアな内容であった。(急増“働く貧困層"07/23(日) 後09:00 >> 後10:15 )
 ▽400万世帯が生活保護水準以下
 ▽リストラで年収200万・父親の涙
 ▽仕事に就けない若者都会を漂流 等が、骨組みとして構成されていた
NHKも日曜日のゴールデンタイムの21時に思い切った番組を組むものだが、これが現実であるからだ。
  ーまずはNHKのHPから紹介文をコピーしてみるー
いくら働いても豊かになれない「ワーキングプア」と呼ばれる低所得者層の実態をリポートする。
働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできないワーキングプア世帯は全世帯の約10分の1に当たる400万世帯とも、
それ以上ともいわれる。景気が回復に転じたとされる都会でも正社員は狭き門で3人に1人が非正規雇用で働いている。
子どもを抱える低所得世帯では食べるのに精いっぱいで、子どもの将来にも暗い影を落としている。
一方、地方では低収入が原因で税金を払えない人が急増している。基幹産業の農業は厳しい価格競争にさらされ、
離農する人が後を絶たず、集落の存続すら危ぶまれている。高齢者世帯には医療費や介護保険料の負担増が追い打ちをかけている。
憲法が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」さえ脅かされかねないワーキングプアの深刻な実態に迫り、
これから目指すべき社会の在り方を模索する。
ーー
現実の地方経済は信じられないような落ち込みなので、この番組は身近の現状の断面を鋭く切り取った内容として
受け止めることができた。 この番組の中での印象的なケースといえば
・30歳過ぎのホームレスが職を求めて彷徨う姿が生々しく深刻である。
 このままいって最後に食えなくなったとき、犯罪しか生きる道はなくなる?
・地方都市の寂れた商店街の洋服屋のお爺ちゃんの姿も現代の姿だ。 妻は痴呆症で入院、国民年金の大部分は
 その支払いで消えていく。 生活保護を受けるには、持ち家と預金が有ってはならない規定がある。
 それが人間としての尊厳の問題となって決断できないでいる。
・50歳のお父さん、中学生の少年二人を抱えて月に21~22万円で生活をしている。奥さんには先立たれ、数年前にはリストラされ、
 現在は3つのアルバイト先で働いている姿が映し出されていた。身近で、これに近い姿を多く見ているので他の世界の出来事ではない。
 商家で生まれ育って、幼児の頃から生々しい浮き沈みの世界を見てきたので 現実の問題として深く沈んだ時の恐ろしさには、
 さほど驚かないが・・・
今までは勝ち組?にスポットライトに当てられていたが、反対に、ワーキングプアの姿を通して現代を考えてみる必要がある!
倒産、離婚、生活苦、そして自殺のケース。もっと辛辣に時代を見つめた番組を作ってよい!普通の生活がしたいだけ!という言葉が重い
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2005年07月24日(日)
1573, 日本人の苗字      ー読書日記        
 ー30万苗字の調査から見えたことー
図書館で借りてきた本だが、身近なことのためか面白い内容であった。知っていることといえば、佐藤などの藤は、
藤原氏の藤から頂いたこと位である。日本人の約30万姓をデータに日本人の苗字を探って、その苗字の驚くべき由来などを紹介。
中国人の姓、約3500、韓国人の姓、約250。欧州では、全てあわせても30000というから、いかに日本が多いかわかる。
まず「鈴木」がもともとは熊野方言で、稲束の中心の一本棒であると述べている。江戸時代末期の人口が3000万人、そのうち苗字が
あったのが4パーの100万人。苗字の数は10000と推測されるから、明治以降から三十倍に増えたことになる。
この本によると、苗字の由来には様々なタイプがあるが、大体次の三つになる。
  (字数制限のためカット 2010年7月24日)
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2004年07月24日(土)
 1208, 自殺 3万4427人
昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7?も増加して3万4427人と報じていた。
 ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45?、経済苦が25? 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70?、女子が30?
・鬱病が30?70?。 他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万?2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ
20万都市で一週間に一人が、日本全体では、毎日94人が自殺で亡くなっていることになる。
大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に
駆られるという。何か解るような気しないでもないが。「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。 しかし自殺をしようとする人の大部分が「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。
歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を過ごしていたら、自分でも死にたくなる。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人の立場からみれば、その苦しみから解放される唯一の方法
かもしれない。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人アルベルトとの自殺の議論があった。
ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。
自殺は、けっしてバカな人間や卑怯者するのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない時に
仕方なくとるものと主張した。一方、アルベルトは、自殺に対して徹底的に反感を持つ。彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない
弱さから引き起こされる」と考えていた。この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が悲劇のもとに
なることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。
死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。しかし、生きることも、生きるだけの理由もある。自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない!いや、若い時にあったか?
地獄も天国も、この世にあるものだ。 地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!
・・・・・・・・・
2003年07月24日(木)
 841, 初めての経験ーユースブック
 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかったことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30?オフで出ていた。早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から
本が送られてきた。大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」
と考えも及ばない事をいう。恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが? そのシステムは革命的だ。
  (字数制限のためカット 2010年7月24日)
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2002年07月24日(水)
 466,内山由蔵さんからの葉書
W杯のお陰でアフリカの地図を引っ張り出すチャンスが多く、だいぶ勉強しました。ホテル業も大変のようで、長岡のグランドホテルも
市議の中では云々されています。日本精機の永井さんが赤字のグランドホテル手本にして新潟の万代島の再開発のホテルをやるとか
云っていますが、永井さんでは経営はできませんね、どうするんでしょう。貴方がメルクマールで誉めておられ、私もフアンになった
ユニクロ、一揃え買ったが着こなせず若い者にやりました。ユニクロも元の元気はありませんね。大手通も今月一杯で丸越と覚張も廃業、
キッドも閉まったまま。どうするか考えはありませんか?市民センターは一日600人の入場があるとか。
お会いして貴方の話を聞きたいと思っています。私は元気でいます。
ー葉書の日付は7月20日ー2002年
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2001年07月24日(火)

先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルとトンネルの合間の空間で列車が停まった。
そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。 100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、突然音楽が鳴り出した。
ふと滝の中間に赤いものが見えた。赤いドレスの女が踊っている。
写真を撮ろうか、それとも見ることに集中しようか迷ったが両方にすることにした。
まさしく水の精が踊っているようであった。 一生に残る感動的場面であった。明日写真アルバムの載せます


3406, この国の終わり ー3

2010年07月23日(金)

 * 「転ばぬ先の杖」こそが知性の原点
 恐怖と不安は鋭敏な自衛感覚を育て、それによって人間である限り永遠に尽きることのない敵に対処することこそ、
人間の知の原点である。その典型的な形が、外交をはじめとし、最後の原爆投下にいたるまでのすべての闘争における
攻撃と防御のストラットジーである。 恐怖は考えの母であり、不安は考えの教師である。
考えた結果を個人的な知性に転じるという能力もまた、疑うという能力をも持っていなければ達成できない。
疑いの度合いが深ければ深いほど、そしてその疑いの解答が明晰であればあるほど、人は賢くなる。
「何故」があり、「何故なら」がある。 西洋哲学は恐怖と不安への疑いが原点であり、西洋宗教も同じである。
それが日本人以外の人間たちが持つ知性である。 一神教的知性なのだ。 賢い人、とは、知性があるということを
古風に言った言葉である。ただの「物知り」とは違う。知恵者とも言った。知恵は智慧とも書く。・・・・
 〜〜
 感想) 知性とは、モノゴトを知っているということでなく、恐怖と不安を感じ取り敵に対処する人間の原点を
わきまえ知ることである。 持っている知識を、それに対処する智慧を知性という。言われてみれば、当たり前のこと。
その意味では、現在の日本は知性も何も無いといえる。考えることが出来ないのは知性がないのである。
このように仕立て上たのがアメリカである。 平和憲法を宛がわれ、現在も大事にしている能天気に驚き絶望している。
今だアメリカに軍事占領と金融占拠をされている現実を省みようとしない、著者は終始一貫して、それを指摘している。 
恐らく真のアメリカからの独立、「新憲法」に対し国民投票をしたとしても、拒否をするだろう。脳をやられてしまったからだ。
 ・・・・・・・・
3031,卒業40年周年か〜 −3
 2009年07月23日(木)
* 奥野君への手紙
            (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。ブログに同月同日に毎日載せたものです。 
従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに
訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後    
・ジャスコに一年在社後に、 ・産業能率大学に途中編入をし、・その後金沢の「いとはん」(ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを
 二年間従事(その当時に結婚) ・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。
  どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。 
 30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところです。
 ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。   2009年07月22日     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
   当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
   分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
・・・・・・・・・
2666, 結論で読む人生論 ー2
 2008年07月23日(水)
 ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
順不順でなるが {第6章 人生の価値、人生の意味ー なにはなくともこの糞坊主ー今東光}
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年近くも経つだろう。
 まずは、その部分ー
  ーー
 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、食傷気味である。もしかしたら、
人生論が人生をむずかしくしているのではないか。たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、それぞれの計らいでいいではないか。
ここまで見てきたさまざまな人生論はあまりにも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものは
ないのか、とお嘆きのあなた、これがあるのだ。 その男が生存中は、なんだこの濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。
が、わたしはいまでは今東光を尊敬している。 そう、今東光和尚である。 聞いていただこう。
 ー
*「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。
自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。
それしか、オレは言いようがないね。(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。              ──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 ー
*「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言うけど、その言っている野郎が、
ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、絶対にそうじゃねえんだな。 そんなのはダメなんで、
真実火の玉になって人生を渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。
人がよすぎて結構じゃねえか。そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな! ──同書
 ー
*「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、この馬鹿野郎!」
「おめえみてえな野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでものばしてた方がよっぽどましだぜ、この野郎!」。
  ー                                     ──『極道辻説法』集英社
*二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話をかけた。
どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。おれはどうしたらいい?
 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「 自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな電話かけたりするバカなら、
自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。 切に自殺をお勧めいたします。
                                        ──『毒舌身の上相談』
 ーー
後記)「死にな」がいい。「悪いことは言わん」。「お勧めいたします」がいい。
   現在、これだけのことを言ったら「馬鹿ども」に袋叩きにあうだろう。
   だから誰も、こういうことはいえない。だから懐かしいのである。
   今東光が現在の若者、特に負け組みといっている連中。私が今東光に変わって言ったとしたら、こうなるだろう。
   「この馬鹿野郎が!何が負け組みだ。そうしたのは御前自身だろう。何が格差社会じゃい笑わすな。
   手前に能がないのさえ自覚しないから、能がないままにしてきたのだろう。 知恵を使え知恵を。
   その程度のことは幼児でも使っているじゃねえか、馬鹿野郎。 知恵が無いとぬかすなら、足と手を倍以上使え。
   御前に覚悟も知恵も無いことを自覚もしてねえで、何が格差だよ。いいじゃねか、格差も。
   もし、格差をつけられたと思っている連中、あんなものゴミみたいなものじゃ。御前よりはマシぐらいだよ。
   そんなことより、知恵を使え知恵を、この馬鹿が・・・」てな具合になるか。
                                 ーつづく
・・・・・・・・・・
2007年07月23日(月)
 2302, また地震!どうなっている?まったく! ー6
昨日の、サンデー・モーニングなどを見ていて感じたことは、ことの重大さが実際のところ解ってはいない!
ということである。当事者も、まだ本当のところ解っていないのだから、仕方ないのか? それだけ、この二回目の地震は
大きな意味を持っている。43年前の新潟地震はマグネチュード7・5だった。あの規模だったら、柏崎周辺の10?20万人が即死、
日本は壊滅。地元の長岡の大部分が被爆、数年以内にガンで十万人が死亡の可能性もあった。地震学者が、柏崎市内を歩きながら
道路の液状化現象を説明していた。道路や、そこにある陥没を見て、大げさに海岸の至近にあるための液状化を説明していたが、
そんなもの前の中越地震の長岡市内で何十箇所で目撃している。道路の浪打ちも段差も驚くべきことではなく、あちこちで
見ることができた。別段に柏崎だけの現象でないことを知らないのである。専門家でさえ、前回の地震の実際の現場を
見てなかったことが、それだけで解る。もっと凄いコメントをしていた地震学者がいた。「この規模の直下型の地震にしては、
被害は少ない。2・5倍の想定以上に対して、このレベルの被害で終わったのは、それだけ刈羽原発の施設の構造が
シッカリ造ってあったからだ。」これ、まともな答えに聞こえるが、とんでもない。何で、この程度と解るのだろうか。
この男は実際の中を見たのだろうか? 彼らの言うことが事実だろうか? 言っていることが本当だとという前提で、
彼はコメントをしている。全く、こちらは生死にかかわっているのである。あくまで日曜日の茶のみのショーでしかないのである。
コメンテーターの談笑の話題の一つでしかないのである。その中で、驚くべきことを地震学者が言っていた。
「もし、原発の事故などで原子炉が破壊されれば周囲の20万が即死、近くに大都市があれば200万人が癌などで死亡する」という。
ただ、それが本当かどうかは解らないが、話半分としても大惨事である。専門家が言うのだから有り得ない話でもないだろう。
もう一つ、大きな問題が出るはずだ。原発に対して反対派が地震の断層を指摘したにかかわらず、強引にこの地に造った事実を
見逃してはならない!大量殺人未遂ととられても仕方がない。誰だ、その時の権力者は?真紀子の父親だろう!
それを徹底的に追求しない限り、同じような間違いが続く。ユダヤ資本による石油戦略上、原子炉は必要であったことは解るが・・
 原子炉の危険性を知る専門家が、「活断層が近くにあることが解っていて造られたとは、有り得ないことだ」
という言葉! 意味が解っていないんじゃないか? 善良なる被災者は。
(追文)
今朝の週刊誌の新聞広告の見出しに、刺激的なタイトルが出ていた。 こういうところに、大新聞が書けない真実が
書いてあることが多い。「20万人が急死寸前だった」は事実だろう。
柏崎は全滅、長岡、小千谷の半分が犠牲だと!いう。 全くそのとおりである!
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2006年07月23日(日)
1937, ローマから日本が見えるー15
      \(^▽^*)おはよう \(^▽^*)おはよう!
 待ちに待ったカエサルの章である。ローマ帝国といえばカエサルと言ってよいほどカエサルの業績は大きい。
 現在のヨーロッパはカエサルが作ったといってほどの改革をしてしまった。 その意味では現在の世界システムの
ベースを作り上げたといっても決してオーバーではない。実際に、この本を読むまでは知らなかった。
 ーー
第七章「創造的天才カエサル」ー1
   ーカエサルの登場ー
元老院側BC44年に立つポンペイウス派との内戦を終えたカエサルが終身独裁官に就任した。
前回のスッラに似ているようだが、その意味するところは全く違う。スッラの独裁官就任は一種の緊急避難的措置である。
スッラは自分の改革を独裁官権限で全て実現をすると、ただちに職を辞しただけでなく、政界からも引退してしまう。
本来、独裁官とはローマ共和政の危機管理システムであった。カエサルが、「独裁官に終身という名を付ける」
ことによって彼が生きている間はローマの共和制度が停止することを意味する。
これがローマの政治体制を事実上変えてしまった。 スッラは「共和政の浄化のため必要」と政治改革と粛清をした。
それに対してカエサルは「ローマの領土の拡大によって、共和制度の寿命は尽きていた」ことを知っていた。
    (字数の関係でカット2009年7月23日)         (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年07月23日(土)
 1572, 詐欺師
身近な詐欺師としては、毎日のように電話が来る「??取引屋の営業」である。
しつこく同じ会社から数百回も十年近くもある。もうここまでシツコクかかってくると、声は懐かしい知り合いになる。
こちらにしては、丁度良い怒鳴りのストレスの解消相手である。相手も、解っていて社内向けにかけているのだろうが、
最近怒鳴り声に閉口したのかかかってこない?詐欺師は、遇えば半分は落としたようなものだという。
学生時代の同級生の野村證券や大和證券の営業の男から、昔何回も聞いた事があった。
「俺らのやっていることは、1?0パーセントは詐欺である!」真面目な奴も、稀にはいるだろうが?現在は、
そうではないだろうが。その露骨なのが、??取引の営業の手口である。最近は脅しまがいの手口の電話もかかってくる。
その手口を冷静に見ていると、重罪の犯罪者から学んでいるとしか思えない。
ーーー
昨日、通勤の帰り道に車が私の目の前に急ブレーキで停まった。親しそうな顔をした中年の男が何か早口で話し始めた。
高校の同級生とテッキリ思ってしまい、立ちとまって相手の話を聞くことにした。財布とライターとネクタイピンの入った
木の箱を開けて、貰ってくれという。てっきり同級生が、それをくれると思って貰おうと手を差し出すと違う男なのだ。
その男が言うには、「いま、会社の創業祭が終わって、記念品を貰った。これから東京に帰るが、こんなものを貰っても
仕方が無いから地元の人にあげようと思う。丁度あげるにピタッリ人がいたので、ビール代を貰えれば彼方にあげたい。」
「タダなら貰うが、金は払う気は全く無い!」と言うと、顔色を一瞬変えて、そのまま行ってしまった。
こういう場面を何回か経験しているので、路上詐欺の手口の一つだろうと直感したが、未経験なら軽く引っかかるだろう。
それにしても、あの瞬間芸は迫力があった。交番に届けても仕方が無いが、あれでは引っかかっても仕方がない。
交番のお巡りさんは、こういう話も小ばかにしてしか聞かない。応対の言葉は聞かなくてもわかっている、
「実際被害にあったのですか?・・・」である。
ー検索で「詐欺師の手口」のHPに似たようなものがあったー
  (字数の関係でカット2008年7月23日)
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2004年07月23日(金)
 1207, 排除勧告
昨日の朝日新聞の一面トップが新潟市公共工事の談合の排除勧告の記事であった。このホームページでも何回か書いてきたが、
この国を取り仕切ってきたゼネコン・マフィアの一端が全国的に明らかにされる。公然と、このマフィア・システムを書いてきたが、
字数の関係でカット(2010年7月23日) 
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2003年07月23日(水)
840, プロジェクトー
 NHKTVのプロジェクト?がなかなか面白い内容だった。このシリーズは三回に一回は見ているが、昨夜はソニーのロボット犬
『アイボー』の開発プロジェクトのチームリダーとメンバーの苦労話であった。一つの商品の中に、多くのメンバーの思い人生と
エネルギーがぎっちりとつまっている。社長の井深大の『人の真似をするな!』が、ソニーの商品開発のコンセプトの
一つということは知っていたが、しかし現場の技術者にそれが貫かれていたのをみせつけられた。 
   ー字数の関係でカット(2008年7月23日) 
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2002年07月23日(火)
 465,流離(さすらい)のランチャー
ある長年サラリーマンを勤めている人から、彼らの昼飯をとることの大変さを聞いたことがある。
昼飯時は何処も混んでいる、それを同僚か誰かと探し歩いて食べる大変さ。
その気遣いだけでかなりのエネルギーを使うという。私の場合は、殆ど一人で11時45分に出る。
サラリーマンで混雑する直前に入ってしまうのだ。週5日のうち2日は回転寿司である。
今のランチは500円から300円以下になってきているという。マクドナルドのハンバーガーに缶コーヒーで
200円でも結構悪くない。昨夜家に帰ると家内が不思議そうな顔で、長岡の駅前のアルファー・ワンという
ホテルで、680円のバイキングに入ったという。12時少し前に入り13時まで自分達一組だけだったという。
値段も安いし、内容も良いし、店は大きいのに誰もいないのが不思議だという。
それとあの大量のバイキングの料理をどうするのだろうかと。新潟駅前で自分が行く店で少し遅れて入って、
ピーク時間に誰もいない事は月に1?2度出くわす。週一度の居酒屋の楽しみを欠かさない為に、節約の
一番のターゲットになる。ランチは一番に景気に左右する。流離のランチャーという言葉ももの悲しく聞こえてくる。
 不景気だ!
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2001年07月23日(月)
 [84] 北欧の印象
いま欧州各国の首都はインターネット化による合理化と、EC統一で本社機能がドイツのベルリンに移転、
本社の支店化や支店の撤退が進んで、合理化と人員削減による不況が進んでいるという。いずこの国も一緒と感じた。
ロシアの国境以外は完全オープンといった感だ。ただノルウエーだけは北海油田が発見された為、海陸資源が豊富な上に
石油の心配が無くなったためECに参加せず一国強気という。北欧とロシアは欧州の片田舎とい位置づけられている。 
北欧4国の各国の位置付けはスエーデン・デンマーク・ノルウエーの順で彼らはゲルマン民族で言葉もほぼ一緒。
フィンランドだけはハンガリー系のフン属で彼らは露骨な?差別意識があるようだ。何処も一緒か。常にロシアと
ドイツなどの外敵にさらされてきたという。どこも立憲君主の政治体制をとっている。また社会民主主義が進んでいる。
ノルウエーの学校制で考えさせられたのは小中9年間クラス換えがなく、先生も一緒。
一クラス20人のため先生は80人の生徒を見ることになり、責任を持って生徒を指導できるという。
虐めや差別は少なく、20人は一生の付き合いになる。
競争社会の日本でこれがそのまま良いかどうかわからないが、ヒントになることは確かだ!


3405, この国の終わり ー2

2010年07月22日(木)

   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、何とかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。
これでも考えて生きてきたつもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省しきりである。
10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体に疑問を持つようになる。
こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えてないように見かけられる。「考えて何になるの?」という質問が帰って
くるのが落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で哲学の授業があるという。考えるとは、陸続きの他民族の侵略の恐怖や
不安がああるからだ。 それを真剣に考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない日本民族にとって、
考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
   ー以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  −P34 
 要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が、少なくとも他の民族と比べ極端に欠乏している。
猫でももう少しましに考えて行動しているのではあるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも鋭敏で潤沢な「感じる」
という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から押し出されてしまったせいなのかもしれない。
つまり右脳と左脳、ロゴスとパトスの千秋楽の結果である。この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人もいない九州の
山中に住み着いたこの六ヶ月、日々ショックを新たにし、今日も変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。 
 国家は芯の芯まで腐り果て、民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も考えていないのである。
いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じてはいるらしい。そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。
なにやら日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、怖ろしい結果が近づいている、といった漠然とした恐怖は、なんとなく
感じてはいるらしい。何しろかつてこの国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで起こり続けている。
帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も覚えきれず、次々に忘れて
いくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリだって、私が十八年暮らしたオーストラリアだって、
犯罪は起きる。しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いたこともない。どこであろうと、起きているのは「並みの犯罪」だ。
並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな種類の犯罪であろうと、何かは考えている。
どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、愚かな考えでも、邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪ 恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然としている。それが考える遺伝子の不在としたら ≫
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3030、卒業40年周年か〜 −2
 2009年07月22日(水) 
* 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
 1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れているという話はあった。 
 一年留年をしてアメリカに行っていたのか、留年をしたためアメリカに行っていたのかはファジーである。 
 二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。 
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした石○譲○。ハッタリ屋だったが20年前のバブルの崩壊で倒産。
 借入金が280億で、ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している状態で不参加だった。三次会の最後は彼と飲んだが、
 二棟だけビルを隠して持っていて現在は、それが生活のベースになっているとか。更に、この恐慌で、経験を買われて
 コンサルタントもしているという。 バブル時の倒産劇は、人生の大きく覆いかぶさっているというが、そうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、仰々しい包みのお菓子をくれたが、家内が言うに、
「これって、前週に買おうと東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざわざ並んで買ってくれたのかしら」
 と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、少しは有りえるかも」と答えていた。お返しで、新潟の酒を送った
 ところ、自宅に電話があり家内が出て「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだという。「先週、買おうと店まで行ったら
 行列で買えなかった。奇遇です・・・」家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保温泉の「村松屋」に婿養子に入った友人の根岸君。
 十数年前に脳溢血になって、九死に一生を得たとかで、半身不随になっていた。それでも朝一の高速バスで來京し、
 最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」を、その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。 還暦を越えると、社会的に如何こうは、三番目か四番目になる。
                             10年後には出席できるかどうか。
・・・・・・・・・
2665, 人生は儚いのか?
 2008年07月22日(火)
知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。たまたま散歩をする土手の折り返しの近くに墓がある因縁のためだが。
習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。
必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけてくる言葉は「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」そしてダメ押しに
「もっと墓参りに来てくれ!」勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。故人と話しをしながら、
思うことが、娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。
それは生まれる前の無限の時間と、死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に「あまりに小さな時間」を思い浮かんだ
実感である。だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、言い得ている。故人から学ぶことは、そのことである。 
達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、出来ること。そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。
しかし、それを言えるのは達成をした経験のある人間しかない。それも、これも、如何でもいいことだが!儚さと感じるのは、
4Fの克服できない苦難と悲しみの意味を知らないからだ。儚いというのは「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限の自分の、
小ささをシミジミ知ることである。その小ささの一番の意味は時間の小ささである。それも、他人と比べるのではなく、生前、
生後にある何処までも広がる時間に対してである。自分を取り巻く永遠の広がりの時間である。
そう感じる「わたし」は、実は過ぎ去った時間を振り返った時に「これ」から「わたし」になった言葉。
そうすると、「わたしの人生は儚い」は、その言葉に縛られた感情でしかないということになる。人生を振りかえって
長かったような、一瞬だったような気がするが、それは現在、そう思っている「わたし」の言葉ということだ。 
一年前の日記に「わたしの人生は儚い」と書いてあったのを読み返したとして、あの日に、そう思っていた「わたし」がいた、
というだけのこと。知人の墓参りに感じる「儚い」は、故人からの教訓で、実は直面するだろう自分の死に対する、予行演習を
勝手にしているということでしかない。儚いと思ったら、現在直面している苦難と悲しみをジックリ味わえ!ということ。
故人の墓参りをして「儚い」などとは、自分の心が、都合のよいことしか考えていない、解りやすい事例でしかない。
 まあ、そういうこと! みも蓋もない話になったが。
・・・・・・・・・
2007年07月22日(日)
 2301, また地震!どうなっている?まったく! ー5
 まず今回は原発に絞って、これまでの問題をまとめてみる。
・世界最大規模の刈羽原発の真下に、実は活断層が直下に走っていて震度6強、
 マグネチュード6・8の地震が発生した。それは、日本の国家として最も恐れていた非常事態である。
・海岸線のため、それは普通の地震とは違い、一般住宅が1000世帯、半壊はその倍の2000?
 被害家屋が10000世帯にのぼった。それは直下型地震の上、地盤が弱いことが原因である。
 それからみて、原発の施設は想像を遥かに超える損傷を負ったと考えるのは妥当である。
・原発は最大マグネチュード6・5を想定して設計されており、6・8とすると2,5倍の衝撃が
 かかっている。もし、中越地震並みに震度7だったら、マグネチュード7,2だったら、と想定すると、日本はチェルノブイユの
 ような事故になっていた、と考えられる。 日本壊滅?は、決して小説・映画の世界ではない!ということになる。
・マスコミで「この事件の結果、過去に原発反対運動の住民が言っていたことが、ほぼ正しかったことが改めて検証できた」と報じた。 
 ということは、利権で推進した連中は、国家をあわや滅ぼそうとした輩として断罪に値する、ということになる。 
 想定外でしたとは、言いのがれはできない! そのトップだったのは誰かは周知の事実である。その利権に屯したマフィアは誰か!
・3日前に私の知人が海水浴に行ったら、殆ど泳いでいる人が居なかったという。
・最も不運だったのが、外部の火災である。それがトップニュースとして世界中のマスコミに流れてしまった。
 このイメージダウンは最悪といってよい。彼らは、ことの真実を見抜く力がある。報道規制は彼らには効かないのである。
 それだけではない、インターネットで原発で働いている人から内部の生々しい状況が瞬時流されてしまった。さらに、消火が
 二時間も放置されていた事実も映像であるからリアルである。消火が遅れたのは被爆と火力を恐れて誰も近づけなかったというが・・
・おまけに、さらに震度6弱の余震がある可能性があるのに、 それが原発施設に及ぼす影響、危険に対して住民避難を検討した
 形跡が、どうもない。そういう私も、もう起きないだろうと実はタカをくくっている。これは自己責任のレベルの問題であるが。
・新潟市に近い‘巻’という村で原発計画があった。 一度決まりかけた計画が、住民運動のため中止になった。
 かなり激しい住民同士の対立があった。しかし、この結果からみると反対住民が正しかったことになる。
 柏崎と長岡の関係と、巻と新潟は同じような立場にある。 柏崎は経済波及を選択したのだ。決して政治家や建設マフィアだけが
 悪いのではない。これで、全国の原発周辺の住民は大きな不安を倍加したことになる。 特に、福井周辺には幾つかの原発がある。
 新潟北から神戸にかけての地震危険地帯の上にある。これら全ての廃棄を、真剣に検討すべきである! 
 もちろん、柏崎・刈羽原発の再開は、検討する以前の話である。『廃棄!』である。 再開など世界が許すわけがない。
 ・・・・・・・・・
 2006年07月22日(土)
1936, ローマから日本が見えるー14   (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 第6章 勝者ゆえの混迷ー3
  ー同盟者戦役ー
マリウスの改革は、特に志願兵の導入は『誰の既得権をも損なわない』という意味で利点があったが、
思わない副作用をローマにもたらすことになった。志願兵の導入は元老院の力を最終的に削ぐ作用を働かせていく。
ローマ連合に属している同盟国や地方自治体の市民にとって、兵役はいまだに義務のままだった。
彼ら非ローマ市民たちは、直接税を納めた上に『血の税』としての兵役に就く義務が課せられていた。
これに対してローマ市民は兵役が免除され、しかも直接税はもともと存在しない。これではあまりの不平等である。
こうして起こったのが「同盟者戦役」である。イタリア半島の比較的貧しい8つの部族が一斉蜂起したこの戦争は、さすがに苦戦を
強いられてしまった。結局この戦いは、戦闘に勝ったローマが大幅な譲歩をしたことで完全に収拾する。戦役の二年目にあたる
BC90年の冬、ローマは「ユリウス市民権法」を制定、同盟国に暮らす市民がローマ市民権を自由に取得できるようにした。
かってガイウス・グラックスが市民権改革を提案したのは、30年前のこと。人間とは、厳しい現実を目の前に
突きつけられてしか改革はできない。 しかし、この市民権を開放をしたのは大英断であったと言うべきである。
 ースッラの登場と改革ー
マリウスはもともとローマ市民権さえ持たない出自で、軍団畑をたたき上げでのし上がってきた。そして40歳でユリウス一門の
カエサル家の娘と結婚する。カエサル家はローマでは2流の家柄だったが、これで名門につながることになる。
  (字数制限のためカット 2010年7月22日)
・・・・・・・
2005年07月22日(金)
 1571, 五稜郭
幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣と新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に共和国を樹立する。
そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣・黒田清隆)率いる軍と熾烈な戦いを繰り広げる。
その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。しかし土方など幕府方の残党は殆んど
ここで最期を遂げる。やがて刑期を終えた榎本は新政府のロシア交渉特使として活躍する。
阿部公房が「五稜郭」という小説で、榎本武楊が政治的に江戸幕府の残党を纏めて整理する役割になってしまった矛盾を書いている。 
学生時代に読んで、その複雑多層の立場を初めて知った。攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。それらの混沌とした
中で維新の歴史は作られていったが、その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な結果をもたらした。
阿倍公房の小説は、函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、厚岸(あっけし)の海岸から上陸、
山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを追う男の話から始っていた。
「蝦夷共和国」という、とんでもない構想に魅力を感じて読んだが、実は?その背後の複雑な背景を抱えた
夢の世界であったという阿倍公房の世界観があった。もう三十数年前に読んだ本だが印象に深く残っている本である。
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ー榎本武楊ー 1836-1908
 (字数の関係でカット09年07月22日)
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2004年07月22日(木)
 1206, 「半落ち」ー 映画感想 
30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰『半落ち』が映画化され、今年の1月に公開された。
そのDVDが、もうレンタルショップにあった。さっそく借りてきた見たが、素晴らしい内容であった。 見おわった時、
涙が知らずと溢れ出ていた。あとで家内から聞いたが、みた人のほとんどが泣くという。 私の感想文は、最後に書いてある。
 ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)を貼り付けておきます。
       (字数の関係で中略カット弐千八年七月二十二日)
< 感想>
母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の深い思いに感情移入をしてしまった。
そして、それに関わる色いろな立場の思惑や利害も、身に憶えのあることばかりで、主人公の心の壁を探っていく物語は、
そのまま自分自身の心の壁を抉りだしているようであった。そして、当時の自分の心の姿が浮かび上がってきた。
辛く悲しい母の姿と家族の、それぞれの立場で必死に生きていた当時の日々がリアルに浮かんできた。しかし、そこには底知れぬ
暖かさがあった。アルツハイマーの身内を抱えた崩壊一歩手前の家族が、どういう気持ちで毎日を過ごしているか、この映画は
深く入り込んではいなかった。それも、しかたがないが。高齢化社会の、大きな問題がアルツハイマーである。
どこの家庭でも、ぶつかる大きな問題でもある。いまの寝室の寝ているところが、母の寝ていたところである。
アルツハイマーになった母が夢で月に二回は出てくる。 母は今でも私の中では生き続けている。
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2003年07月22日(火)
 839, あいうえおー生き甲斐測定法
 今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。
「あ」は、アイデア      「い」は、インタレスト
「う」が、ウォーク      「え」が、エキサイティング  「お」が、オーナーズシップ
  この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。
「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。   
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。
 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。これを満たした上で総てを注ぎ込んで
初めて動き出すものだ。この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、
「自分の好きなことを見つけて、それに集中する」しかない。私自身、好きなことをして生きてこられたことが
  (字数の関係でカット2008年7月22日)
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2002年07月22日(月)
 464,煮た豆
母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。
人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」をいう。この言葉は自分の自戒の言葉であり、
常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。
腐ってしまって、お互い粘粘している。仕方がないが、もうオカラのような人もいる。豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。
「3歳では遅すぎる」というソニーの創立者の井深大の本があるが。私の見るところ、95?はいや99?はその範疇だ。
もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。
いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。そういう自分ももう煮た豆か?こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。
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2001年07月22日(日)
 [83] バイキングについて
ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。キリスト教の影響ではないかと言われている。
面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から出て行くそうだ。
海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。1000年前のバイキングの船がそのまま発掘されて展示されていた。
一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。アメリカまでも行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年
さかのぼる事になる。それにしても金髪で背が高く足が長い、それに美男美女である。料理も上手い!


3404, この国の終わり

2010年07月21日(水)

  「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だった。
この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、
日本の惨状の驚きと、怒りが新鮮である。 アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に
唖然とし、そして怒りの言葉が続く。私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。
日本人には、そもそも「考える」という総合的な頭脳的現象が存在していなかった、という著者の見方が一貫している。
世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、こちらの武器でなければならない。
剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を持たないで生存が
不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
 ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症   −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」
で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。
疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯だから恐怖や
不安を先回りして回避する。目をつむり、恐怖の実体を無視する。そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。
だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。
乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。呆けているほうが楽なのだ。
そしていままでそれで何とかやってこられた。幸いなことにこの列島には資源がほとんどない、だから助かった。
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 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、目先の不安解消にしている。
もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。
自分を見れば分かることだが、家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
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3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。
そして、新潟にユーターンで帰ってきた後も、新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなる。
ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 若いときは、このことが独自のことではなく、
一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。最近になって、私だけの傾向ではないと知った。 
本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。
あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、脳のどこかを刺激するものと言われている。
私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの何か異様な緊張感が、そうさせるか
半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、中を覗きみることで、
脳に強い刺激を与えることも考えられる。 大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が重なるのだろう。
また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。
私は外国のお城の牢獄に行くと、必ずといってよいほど変になる。何か寒気を感じた後の15分ほどでアッきた、という感覚である。
それも急性とくるから、大変である。 石牢の冷たさと自己暗示もあるのだろうが。イスラエルの城で、
スイスのレマン湖の岸辺の城で、オーストリアの城で、書けばきりがない。 
ツアーといえども、外国は非日常である。 トラブルの全てが出る。秘境ほど。だから行くのである。
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2664, インドの女盗賊プーラン
 2008年07月21日(月)
 図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
彼女の語った世界には尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。   
グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。
 ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー
プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
 カーストは、絶対的神の前に、下層部が上層部にへりくだる事や、自分より更なる下層に倣岸に振舞うことによって維持されている
だけではなく、上層に対する打破不可能な絶望感の前で、同一カースト内部のより弱者をいけにえとすることによって、
欺瞞的に延命を画策する、集団的かつ日常的なテロリズムを蔓延化させている。 
アチュート(不可触民)のマッラ階級に生まれたプーランとその家族が、同じ階級のそれも叔父の家族に徹底的にいたぶられる
ことから悲劇の幕が開けられる。 貧困さゆえに、11歳で既婚暦のある20歳年上の農民との婚姻、日々の重労働と性的暴力。
それからの逃避、結婚して戻ってきた娘プーランとその家族に対する帰省後の郷里の村八分。半ば公然と(家族の前でさえ)
行われる性的暴力。 かくて、救いのヒンヅーの女神は現れることなく、いとこから、盗賊団(ダコイット)の汚名を着せられ、
最初の収監。収容所での地方官憲の更なる集団暴行。その後、曲折を経ての帰省後、今度は、そのいとこから依頼された
盗賊団に誘拐される。 ダコイット内部でさえ、構成される盗賊の階級によって分化が促される。 誘拐したダコイットの
一方の、同一階級のリーダーに愛されることによってプーランはそこで初めて心の安らぎを瞬時的に与えられる。
だがそれも束の間、愛する人は、ダコイットの他方の、より上位階級に属するリーダーの裏切りによって殺される。
これまでに蓄積された怯えと悲しみが、ここで一挙に憎しみとなって暴発していく様が描かれていく。
彼女はもはや自ら「盗賊の女王」と名乗り、復讐と、貧民への施しのための誘拐、襲撃、簒奪をいとわない。
この著作は、その後、プーランが司法取引をし、刑務所に収監され、何年かの歳月を過ごすところで終わる。
プーランが収監された1983年は、奇しくもリチャード・アッテンボローが『ガンジー』でアカデミー賞を受賞
(オスカーは、E.T)した年でもあった。 プーラン・デヴィがその後、1996年元女盗賊として、インド総選挙に出馬、
当選、その後落選、サマジャワディ党に所属し、社会活動にいそしんでいたが、2001年12月、暗殺された模様である。
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 以上だが、読んでいるだけで身もよだつ内容が次から次へと出てくる。
確かに、日本にも格差社会があるが、3000年以上かけての格差社会とは、レベルが違う。
平等?そんなのは建前! 何を綺麗ごとを言っているのか! が人間社会の実態という事実を見せつけられた本である。
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2007年07月21日(土)
 2300, また地震!どうなっている?まったく! ー4
 ー中越地震と中越沖地震の意味することー
 この二つの地震が地元新潟にとって大事件ということは、今更だが、二回たて続きに重なったことと、
 原発が活断層の真上にあり、直下型だったことは、重大な事態である!
 まず中越地震と中越沖地震の違いは何か? 私の主観で考えてみる。
・規模からいえば三年前の中越地震の方が圧倒的に大きいが、地域的にみても長岡を中心とした
 中越地区全体にわたっていた。 山間部の道路や田畑、そして道路・線路がズタズタになった。
 一時期、中越地区で10万人が学校の体育館などに避難していた。
・それに対し今回は避難民は一万人足らずであり、柏崎市中心の商店街や住宅と至近にある刈羽の原発などに被害が限定していた。
 しかし柏崎市を中心を主にした1000世帯が全壊、半壊などを含めて6000世帯が破壊。 
 小さな市としては甚大である。その数は前の中越地震の3倍近い。
・今回の特徴は、世界で最大規模の刈羽原発の直下型ということである。もう少し震度が強ければ、チェルノブイユの事故の
 二の舞になりかねない事態だった。現実的に日本崩壊?の一歩手前だったのだ。チュルノブイユの8倍の規模からみて決して
 オーバーな表現ではない!(このことを何でマスコミは騒ぎ立てないのか不思議で仕方がない。また住民の怒りが、
 あまりにも少ない)まさか、角栄も活断層が下にあるとは、思わなかったのだろう。政治は結果である。この男の罪は重大である!
 この中越沖地震の深刻なのは、三年もしないうちに二度たて続きに発生したこと。その意味では今回の地震は、前回に比べようも
 ないほど衝撃的といってよい。 新潟県にとって、アメリカの9・11事件に匹敵するといってもよい。
 9・11以前、以後というほど、この地震は新潟県にとって深手である。まだ誰も気づいてないようだが。
 このまま原発が再開されれば、大手の企業の進出を躊躇うだろうし、撤退を真剣に検討するだろう。
 それだけではない、農水産品をはじめ酒や、加工品までもが影響を及ぼす。 今後、観光地は致命的イメージダウンになり、
 回復には時間がかかるだろう! 「チェルノブイユ一歩手前だった!」と、何故言わないのだろうか?
 日本沈没が現実になるところだったことを! 何で気づかないのだろうか? 
  脳がおかしいんじゃないか、この国は! 1?2週間以内に、震度6弱の余震がある可能性があるという。
 何故、そのことに無頓着なのだろうか?原発の施設にとってダブルパンチになり、危険性は計り知れない。
  本当は、そ知らぬ顔をして新潟に行っているほうが良いことになる。 解っていながら行動に移してないのだから、
 おかしいのは、私も同じである!もし現実に行動していたら、現実の意識レベルからみて、お笑いだろう。
   何故なら、普通の日常が、そのまま続いているからである。
 まさか、こんな大事件が起ころうとは!そして、いま現に現在進行しているとは。
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2006年07月21日(金)
1935, 霊界からの訪問者 ー3    (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
  ー四四太郎の霊界日記ー5
霊がブログを持つのも面白いものじゃ。ふざけて書くわけにもいかないし、教訓を垂れれば面白くもないだろうし。 
ところで、これを読んでカルトのそれと、用心している人もいるだろうが、全く関係ないから。
カルトは直ぐに解るだろうけどね!何か今日は書いていてぎこちないが、ワシは指の動くままキーボードでも
動かしていればよい。何時でも話す準備はできているが、お主が構えて考えようとするから
ワシそのものが固まってしまうのだ。 \(∀\)ココハドコ?  (/∀)/アタシハダアレ?娑婆娑婆♭♯♪?              
   (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
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2005年07月21日(木)
1570, 日本壊死
           ー読書日記
この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。船井幸雄氏の本は数多あるが、ほとんど読んだ事はない。
その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かが
あるのだろう。以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。(30年も前のことだが)いい加減というのを体験上知った。
数回、この人とも一対一で話ししたことがあるが、怪しげな生臭坊主というイメージしか残ってはいない。
たまたま、この本が図書館にあったので、丁度良いタイミングであった。副島隆彦氏の本は図書館で数冊借りて読んでいるが、
本筋は正しい。(売らんかなのオーバーな表現が目立つが)この二人の対談で、彼(副島)の「日本の近い将来の悲観」
に対しては同感する。船井氏の話術で、彼が言わんとするところがクローズアップしていて解りやすい内容になっている。
アメリカ帝国主義の崩壊のシナリオから始まり、日本がいかに駄目になったかを説いている。
具体的にはアメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、1ドル60円時代の到来、ユーロの台頭、借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、 
財務省の重罪、 預金封鎖と老人税の導入の可能性、行革が進まないワケ、 脱米入亜の可能性、 次世代国家を作る
新しい人たちの登場 等々、内容は悲観的である。
 ー 概略を目次順に書いてみるー
     (字数の関係でカット2010年07月21日)
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2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学についてー19
 ーマルクス ー2
マルクスの考えでは、当時の資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が実現する二つ手前の発展段階とみなした。
近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、ますます限られた者に生産手段が
握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。この到達点に必然的に進んでいって、いったん理想郷が実現されると、
もはや弁証的でなくなる。生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。マルクスは哲学そのものを否定し、
「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。大切なのは、世界を変革することである」と断じた。
しかしその予言は実現しなかった。それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったためマルクス主義者がただのマルクスの
個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に
立っていると盲信してしまった。その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の口ぐせになってしまい、敵はみな、
「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。この考えが20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。
ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。
当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上ない。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制になってしまた。
それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると
主張した。芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。その結果、多くの芸術家がその影響を受けてしまった。
サルトル、ピカソなどは、その最たる人である。現在でも多くの国で、その体制が残っているが、独裁の一種の建前として
使われているにすぎない。一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。
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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人
                 ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く  日高 義樹 (著) 出版社: PHP研究所 ;
  ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。 中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。
この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。今までは、
毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。 ソ連よりはズットましだっただろうが。
 ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
・イラク戦争のアメリカの狙いは中東石油支配。ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
(字数制限のためカット 2010年7月21日)
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2002年07月21日(日)
 463,再び業態について
何回か業態について書いているが、地元の今井家具が昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
業種店の消滅である。ひと時代前,いやふた時代前の商売である。メーカー分類ごとの商品を並べる商法である。
靴屋、家具や、薬屋、金具屋、今でも原始的の兼業商家として駅前立地で一部残っているが。これに対し業態とは、
お客ー生活者のサイドで商品の括りを変えることである。全国チェーン化を始めた「ニトリ」がそうである。
店独自のコンセプトで商品を開発する。それえも早くから、インドネシヤとか中国で開発輸入をしていた。
台所、居間、トイレ、ガーデニングとそれぞれのシーンごとに分類。そこで買っていれば、家の中はカラーコーデネートが
自然と出来ている。昔は金持ちの一部しか出来なかった「家を飾り立てる楽しみ」が誰でも出来る。これは考え抜けば、
個人でも小さな企業でも出来る事だ。5年ほど前、九州のある大きな神社に行った時、ある店がお客でいっぱいであった。
何と「土産1000円ショップ」であった。笑ってしまったが、これこそ生徒の小遣いの範囲を見抜いた商法ー客サイドである。
百貨店は今大都会の一部を除いて殆んど淘汰されたか、されつつある。これは業種店の典型である。地方銀行以下もしかり。
時間の問題である。昔の駅前繁華街は業種店の集積で栄えていた。今はご覧のとおり毎日のように廃業が続いている。
・・・・・・・・
2001年07月21日(土)
 [82] 人生がモチーフの公園
なんとその公園のモチーフが人生!であった。広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ! 
何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。


3403, マイナス思考講座

2010年07月20日(火)

 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!!
  〜〜
 この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、何も知らない、何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。 プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。ただ、それだけで良いはずはないのは、
誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、
それを受け入れるべし」と捉えがちになる。 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それら
から導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践を
することがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの
中心点をみるためには、マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。
今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つのが自然であり、
「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。明日にでも、この本が送付されてくる。
 ・・・・・・・・
3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で、1000人の死を見届けた医師が書いた本で、
「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが
常かもしれないが、最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。
 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと          △       たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと         ○       治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと     ◎       夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと             ○       感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
【 私(堀井)の実行度を主観で○(後悔しない)△(中間)×(後悔する)で評してみる?は未体験 】

 ー以下は、印象的と抜粋してあった内容をコピーしてみましたー
<私の中に三人、強い記憶を残している患者さんがいる。彼らは死を本当に恐れていなかった人たちである。
 残りの方たちは、大なり小なり死を恐れていた。しかし彼らは「まったくのゼロ」だった。死を恐れる気持ちが、である。
 しかも彼らは、私の知る限りでは何の宗教の信者でもなかった。もちろん日本的な宗教心はあったろう。
 けれども、どんな宗教の信者でもないとはっきりと言っていた。死を前にして、彼らの心は何のさざ波も起きていなかった。
 ただその時を粛々と、従容(しょうよう)として待っていた。 その中の一人に、ある女性がいた。
 自らが葬祭業者と話を詰め、彼女の死後も滞りなくささやかな葬礼が遂行されるように、彼女は緩和ケア病棟にて
 その計画を練っていた。 果たして、その願い通り、質素だけれども素晴らしい葬礼が催されたとの後日談を耳にした。
 ボランティアで彼女とかかわりのあったお坊さんが読経してくれたようだが、それも生前彼女から直々に
 頼まれたとのことだった。用意は完璧だった>         (同書100〜103ページより)
 〜〜
○×は手前勝手の判断だが、私は後悔しない生き方をしたきたことになる。 
死ぬことを何時も意識し準備をしてきた人は、その時には静かに受け容れることが出来るのである。 
それもこれも、死んでしまえば同じことだが、それよりジタバタはしたくない。 死から免れないと察知した時から、
それまで生きてきた分の人生を生きるというから、準備をしておかなければならない。
しかし、死を従容と受け容れることが人間に可能なのだろうか?  
・・・・・・・・・
2663, 「哲学づくと、どうなるか」
 2008年07月20日(日)
この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 
但し重心だが。 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
要するに、自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。
その反面、これまでの表層的な自分の姿を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・
インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)
数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっているのである。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、
哲学づいたのである。自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、
知らないことが膨大に広がっているのを知ると、先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。
それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
・・・・・・・・・
2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
  これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
 更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
 しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題。
 角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。代議士として存在していること自体が、
 この地区の後進性を現している。 世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
 ところが、今回の地震は6・8である。0・2で二倍の衝撃度が増すというから、今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
 ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか? 情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
・放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか? 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
ー日報抄ー
 世界のメディアは、激しい揺れに襲われて放射能漏れや火災を起こした東京電力柏崎刈羽原発を大きく報じている。
 中越沖地震は日本の原発が地震の巣の上にあることを国際社会に伝えた震災として、人々の記憶に残ることになりそうだ
▼米原子力規制委員会の警告を思い出す。「原発の重大事故の発生確率は故障によるものよりも、
地震による方がはるかに大きい」。柏崎原発は最も避けなければならない断層の上に建てられていた
可能性が高いことが、気象庁の解析で明らかになった
▼ 神戸大学の石橋克彦教授はいう。「普通、原発の事故は単一要因故障といって、どこか一つが壊れる。
それを多重防護システムや安全装置で守ることになっている。だが突然激しい地震の揺れに襲われると、
機器や配管のあちこちに損傷が生じ、多重防護システムでは対応できなくなる恐れがある」
▼地震が原発にとって最大の脅威といわれるゆえんだろう。原発が被害を受ける規模の地震が発生すれば、
周辺もライフラインが寸断され、人的被害が出る。死の灰の降る中で救援や原発事故の応急対応は困難を極める
▼二月の衆院委で石橋教授が訴えた「原発震災」のシナリオは悪夢だ。
「おびただしい人が被ばくし、土地や水も汚染され、混乱は海外に広がる。
大震災の時は世界が同情し救援に来てくれるが、逆に厳しい非難を浴びかねない」
▼柏崎市長は原発の使用停止命令を出した。中越沖地震を詳報した英科学誌ネイチャー
(電子版)は「原発が閉鎖になる可能性がある」と論評している。
安全性を県民をはじめ全世界に説明できるまで、運転を再開してはならない。
                   [新潟日報7月19日(木)]
 ーー
以上だが、 株価が一日置いた一昨日、200円も下落(昨日は100円反発したようだが)、原発の火災と漏れに対する
深刻さを現している。自動車部品大手のリケンの生産休止で、トヨタなど6社が週内に一時的にせよ7割が週内に
生産休止になるという。また知人の保険屋の社長に電話をしたら、現地はかなり深刻という。
風呂に入るため長岡の郊外にあるスパに行ったところ、10人の柏崎の知人と会ったという。
今回の地震の深刻なのは「地震は一度あれば、当分は無い」という前提が崩れたことだ。
さらに原発の直下に断層があったことが問題を深くしている。「数年後に、同じ規模の地震の可能性は否定できない」
   (字数制限のためカット 2010年7月20日)
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2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ?2            
  (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは? よう!        
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。
  (字数制限のためカット 2010年7月20日)
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2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記 ー15
 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日
仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテル。
欧州のホテルに来ているようだ。2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。女性の好みそうな風情のあるホテルである。
近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。観光客用につくってあり、江戸時代を
モチーフにした店である。100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。それと土産物店が何ともいえない風情がある。
福山と倉敷に来たのは二回目である。ここはジーンズと作業服の生産地である。メーカーから直接発注するのだ。
昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。 行く先々に父の話を聞かされた。仕入れは亡くなった父に
出会うたびでもある。 明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、学生服メーカーのベンクーガーによる予定である。
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2004年07月20日(火)
 1204, つれづれなるままに
ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。 東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の
 現場にいたためだ。 行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。 そこの柴犬が落ち着いた犬で、
 早朝の散歩時にいつも声をかけていた。たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。
 近所だけでも、最近色いろなことがある。
ー橋本元首相がまた疑惑だ。
 今度は危ないだろうが検察も信用がおけないのが、この国のレベルだ。彼が捕まって初めて自民党の旧体制崩壊が本格化するだろう。
 いやしないか!? 彼ほど、首相を辞めてから人相が悪くなったのも珍しい。 利権の渦の真っ只中にいれば、ああいう顔に
 なるのだろう。 中国の女スパイと関係を持って脅かされたとか、色いろいわくのある人物だ。戦後日本を悪くした10人には
 間違いなく入る?。角栄に、竹下に、この男の流れがまだ保守本流といっているのだから、 早く抹殺をしなくてはならない。
 丁度良い時期なのか、少し遅れてしまったか。
 ―――
(橋本元首相関係の記事)
ー日経新聞ー (7/16)よりー
 (字数の関係でカット2008年07月20日)
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2003年07月20日(日)
 837, 民間校長ー腑におちる教育を!
 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の民間から採用された校長を取り上げた
番組を放送していた。広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、
自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。
ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて 実際の生の教育をしていた。 
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、 その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を教えていく手法は解りやすく
 道理に合っている。 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
(字数の関係でカット2009年07月20日)
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2002年07月20日(土)
 462,臭いのするような話し
子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。そういえば家族の会話で、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。言葉は大事だ。下痢の事を、
そのまま下痢というか、お腹がゆるいというかで、全くニュアンスが違ってくる。言葉に無頓着の人と接すると、
どうしても影響されてしまう。学生時代に聖心女子大のグループと一時接する事があった。その言葉のきれいな事に驚いた。
その前提の生活環境が、まずその第一歩のだろう。私が嫌う子狐と飲むと、自分でも信じられない汚い言葉が出てくる。
変幻自在ではあるが、こういう人は可能な限り遠ざけなければならない最大の理由だ。不幸の人はそういえば言葉が汚くなっている。
心の傷は、膿となって言葉に出てくる。心が荒れると、言葉も荒れる、心の管理は言葉の管理でもある。
怒りやすい私も、その時は自分でも信じられない言葉がでてしまう。話しは少しそれたが、言葉の重要性を言いたかった。
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2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記
 ー印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行のハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2 ・次はフィヨルド 2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3 ・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、下車して見た見た滝がすばらしい。
  突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
 ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。
5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。モチーフが人生! 赤ちゃんから成人?老人そして死が像で
  立ち並ぶ公園である。何かヒンヤリした、超越した視点が空間に漂っていた。今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容。
   飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
   何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。
 ーー
 [81] 無事に帰ってきてよかったすね。

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