堀井On-Line



3402, 「壊れ窓理論」の経営学

2010年07月19日(月)

「壊れ窓理論」の経営学  
            ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、
だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の
問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、
毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに
気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が
見逃されていたかもしえない。 少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。
あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても
足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
 ――
 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。
忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡にするのも良い。
自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。

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3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。    ・1960年代に入り、家電の街になって、 
・70年代になってオーディオの街に、・そして80年代がマイクロコンピューターの街になり、
・90年代でマルチメディアの街に、 ・2000年代になってオタクの街になった。
 それが時代が過ぎても、それぞれが生き残こりながら重層化をした奥行きの深い独自の文化圏をつくりあげている。 
先週に上京した時に二泊したが、二日目の午前中の空白時間に、秋葉原を三時間位をぶらつくつもりでいた。 
ところが大阪から上京してきた友人と東京の友人の二人に「時間つぶしに、何処かに行こう」と誘われた。その時に、
「秋葉に行くつもり」というと、好奇な目で「秋葉に?」と言われてしまった。友人の誘いの方が面白そうなので、そちらを
選択した。(結局、腰痛でホテルで時間ギリギリまで寝ていたが)それほど引きこもりの集まる場所という偏見があるようだ。 
80年代のパソコン趣味の人が集まっていた時は、彼らは怪しい目でみられていたが、今は多くの人が買いにくる。
そうすると現在の萌えなどとメイド喫茶に集まる青年達の嗜好も、世界の最先端を行っているのかもしれない。 
バーチャルと現実の混合を売りとする劇場型飲食店が世界の潮流になるということ? インターネットなどの影響で、その世界が主流に
なっても不思議ではない。世界恐慌の中で、中産階級が消滅し大多数が貧困層になるなら、全体が秋葉系になるのも解らないでもない。
< 秋葉が世界の最先端? 個々人が尊重されるが、貧しくなる。そして情報だけは極大化していく。>
 世界は果てしない情報化で、「相対化」「総体化」そして「普遍化」していく。 それに「個別化」「自由化」も。
 ということは、地球全体が都会化していくということだ。  良いのか悪いのか! そういえば、自分が歳とともに、
 どんどんオタク化している現実がある。 読書嗜好の人を何ゆえにオタクと言わないのだろう。 認可されているからでしかない。
   いや、それが、行為としてベストのことだからである。 その辺を間違わないことである。
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2662, 閑話小題
 2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、
腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 
座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。その方が気持ちを集中出来るからである。 
研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 何事かと、思うのは当然だろう。
  ーー
 *地球儀
私の事務所の机の前に地球儀がある。二人の息子が使い、その後ゴミ箱に捨てられいるのを見つけて、
会社に持ってきたもの。 表面は茶色になり、割れてボロボロでみるに耐えない。
そこで新しいのを買おうと決心して「ツタヤ」で特価品を見つけ買おうとしたが、留まった。
そして汚い地球儀をジッと見たところ、表面の割れているセルロイドは実はカバーで、二重構造に気づいた。
そこでハサミで剥いでいったら、内側の新品同様の地球儀が顕れたのである。
25年前の地球儀で、ロシアはソ連であるが、何となく地球を俯瞰するのが目的で大よその位置が解れば十分。
  ーー
 *喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる
先日の地元紙に、柏崎沖震災の被災者300人アンケートで「原発再開が6割容認、2割が反対」とあった。
震災から一年しか経ってないのに、驚きである。無知?としかいえない。
たまたま、大爆発が起きなかっただけというのが解らないのである。それより、もし東電が撤退したら
柏崎は「死」の街になる。ドッチの「死」を選択するかという皮肉な選択を迫っているということか。
  ーー
 *神様に信じられる人間か?
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2007年07月19日(木)
 2298, とどまりたまへ旅人よ
 わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
 琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
 ーー
藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! 
  まっすぐに、歩かなければならない時もある。 とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。
楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
               
若き命も過ぎぬ間に    楽しき春は老いやすし
誰が身にもてる宝ぞや   君くれなゐのかほばせは
 
君がまなこに涙あり    君が眉には憂愁あり
堅く結べるその口に    それ声も無きなげきあり
 
名もなき道を説くなかれ   名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより  来りて美き酒に泣け
 
光もあらぬ春の日の    独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に   老いにけらしな旅人よ
         
心の春の燭火に      若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば  哀しからずや君が身は
              
わきめもふらで急ぎ行く  君の行衛はいづこぞや
琴花酒のあるものを    とゞまりたまへ旅人よ
ーーー
最近、こういう歌に惹かれるようになってきた。 振り返るようになったからである、人生を! 
少なくとも、人生に大きな悔いが無かったことが、すくいである。
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2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2
   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ  ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記ー3
宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。 そんなものだ。それじゃ~、本当に解っている
というと解ってないだろう。こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」
と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。
死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に戻される、と思ってりゃ良いんだよ。
実際は、??・・ ただ、誰もが死に際に後悔をするんだ。 あれもこれも、何故しなかったのだろう?と。
「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、
生き方を指導してやるよ。それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。
前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。   そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。
                    \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。
御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ求めること、
そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
ーーーーー
四四太郎の霊日記ー4
霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、
ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。「無への窓としてのワシがいる」と言っただろう。
だからワシが話している時は、一種の瞑想の状態と同じ。
御前はワシが付いた時は、全く違った人間になっているのじゃ。ワシは気まぐれで、扱いにくいのだ。
  ≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2005年07月19日(火)
 1568, 退屈について
退屈な時間を誰もが当然経験をしている。しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から考えようとしなかった。
退屈といえばトマス・マンの「魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。
過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。
何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。
それが、良いのだ。 般若心境の[[空即是色]である。その退屈な時間に多くのことを考えることができる。
忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。暇な時間、いや退屈な時間という現象を
もっと深く考えてもよいだろう。携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に何をするかである。
退屈とは意味の欠如からくることが多い。何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。
フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。反面、そんなことに全く関係ない、退屈の気晴らしの
人生もよいのかもしれない。いや実際、それが人生だろう。所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?
もし、そうだとしても、それで良いのではないか?
子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。そして欝になる。欝はだいたい10?の人がかかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。まあ退屈紛れに、退屈について書いたが意味は深い。「退屈の小さな哲学」という本を、
図書館で借りてきた。まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18
ーマルクスー1
実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、生命力を無制限発動している無意識である」ということを明らかにした。
マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という
三つの知的伝統を融合させたものであったからだ。したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。 ある本に、ヘーゲル哲学と
マルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。
1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの運動を繰り返している。
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
6、このプロセスは人間にはコントロールできず、それ自体が内部にもつ法則によって前進させられる
7、このプロセスは、内部にある矛盾が解決されるまで反復され、矛盾が解決されると
  疎外も解決される。変化をうながす原動力もなくなる
8、このような対立のない状態に達すると、人間は自分で制御できない力によって
  流されることもなくなり、自分で自分をコントロールし、自分自身が変化の決定者になる
9、こうなってはじめて人間は、自由と自己実現を達成できるようになる
10、最後には、自由が謳歌され、自己実現が可能な社会が到来するこの社会は、自由主義者が理想とする、個々人がバラバラに
  活動する分断した社会ではなく、それ々人の人生とは比べものにならないほど大きく充実した全体の中に
  個人が吸収される有機的な社会になる
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2003年07月19日(土)
 836, 私のクレートジャーニー
ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、南米大陸最南端の
パタゴニアへ到った。 この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした旅をTVで、
数年間ドキュメントで放送した。私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)
点線で、グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。
・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペインを経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。
・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、 レバノンを経て、インド、ネパール、
 パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得てシベリアへ。
・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピン、そしてフィジーからニュージーランドへ。
 ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコースも完成することになる。
・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
 テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
 ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
 アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地パタゴニアに到着。
 一応コースは出来上がることになる。そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、
 オーストラリア、イースター島ということになる。しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。
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2002年07月19日(金)
 461,海外旅行のもう一つの難関
今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行では
あわやということが数回あった。やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。大事なのはワンフライト
(10~12時間)の機内食である。飲み物はアルコールを含め飲み放題。時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりにくる。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、
朝食後の出発前に更に行く。9割がたの人はそのようだ。そして到着後2~3日は、昼食後もいく。
これは時差の為身体が慣れてない対策だ。それとワンフライト目の食事、いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。
更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。
私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。
日本の薬では全く効かない。それと今回のスイスのように高度のところも危ない。高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。
・・・・・・・
2001年07月19日(木)
 先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。
3026,清水次郎長の顔がなくなった


3401, おテレビ様と日本人 ー5

2010年07月18日(日)

 何か、この本を読んでいて他人事のようでありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り返ってみた。
 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して成績が落ちる一方であった。そして、
ある時にハッと気づき急遽、高校受験に熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。
高校時代はテレビなど見ている余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。 ある意味で健全?だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、これを読んで気づいていた次第。
私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食になっていた。
それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化を逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。
 私と比較ならないほど更に家内がTV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本のナンバー・ワンのものを見ている。
スポーツといえば、ゴルフ、テニス、サッカーなどの騒がれ中継されているもの。
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。

・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
 ・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
 2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」
というから、一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
 以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
 ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう・・・読者は多少経験をつめば、
読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと
進むようになる。 そして、読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、熟考と疑問をもつ習慣だ。 
読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。たしかに多くの本は、読者がそれ以上の
ものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、べつにそのことが悪いわけではない。 
しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、能動的な行動にならねばならない。 
よい本をよい本たらしめているものを定義する、とはむずかしい。ひとくちによい本といっても、さまざまな種類があるからだが、
その大半に共通するのは、読者に考えさせ、感じさせ・元気づけ・当惑させ、その結果、本を読んだあとは世界がすこしちがって見える
という点だ。端的にいえば、そうした本は積極的な読書活動へと人を誘う。 数冊の本から得られるのは、読書を通して生まれる自分の
思考以外にはほとんどない。 そして偉大な書物には多くの思考をうながす余地があるものだ」と、ジョゼフ・ジュベールは言っている。
読書をしたからといって、自動的に前より賢くなったり、よい人間になったりするわけではない。読書に効果があるとすれば、
それは、印刷されたページに反応し、そこから素材を切りだすという仕事を、読者が自分でやりとげたからだ。 
しかし、人生の最高の家庭教師である実体験をべつにすれば、素材を切りだせる鉱床として、読書に比肩できるものはほとんどない。
その結果、読書は自己理解をうながすだけでなく、他人にとっては大きな関心事だが自分にはない欲求や関心、欲望にたいする
洞察力を身につけ、やがて他人の関心を理解し、寛容になり、ときには共感できるようになる。
こうして他人とどう接するかを決定する際に必要となる知識の量を増やしていくことは市民共同体と人類の兄弟愛の基盤にもなる。
 ーーー
そういえば、読書は旅に似ている。心は全く知らない世界に鳥のように飛び込んでいけるし、違う時間の流れに置くことも可能である。
・・・・・・・・・
2007年07月18日(水)
 2297, また地震!どうなってる?まったく! ー2            ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…ヨウ!
今月中は、何処に行っても地震の話で持ちきりだろう。前回の災害時から推測すれば大たいこうだ。
「その時、私は〇〇(TVを見ていた)という状態で、ビックリして〇〇をした。まさかね~、もう絶対無いと思っていたのに、
何で、この地域だけ起こるんだろうか。それでTVを見たところ柏崎沖が震源で、原発の火災に驚いてしまった。
で、〇〇さんのところに電話をしたが、大丈夫というので、ともかく家の中に散らばったもの後片付けをして、
落ち着いたところで外に出てみた・・・」これを近所とか、友人に面白おかしくオウム返しに話す。それしかないが・・・
考えてみたら、私のHPにも、ほぼ同じことが書いてある。県外からのお見舞いの何本かの電話には、この要約を話している。
前回の中越地震と全く同じパターンである。TVを見れば能登半島の地震と同じ質問と答えが繰り返される。
見るほうからすれば、またか!ぐらいだろう。 と言って、やはり見舞いの電話は嬉しいものである。
日本は世界に冠たる地震の国、その中で特に新潟最北から神戸にかけてのライン上が、更に危ないということが、
最近わかったと報じていた。40数年前の新潟地震に、最近では神戸大地震、能登半島地震と、直近では三年前の中越地震が
ライン上にある。今後とも地震が起きる可能性大というから、気が抜けない。家内の実家が、死者が集中した本町にあり義弟と、
近くに嫁いだ義妹がいる。義妹は箪笥の下敷きになったとか、家内の実家の会社の倉庫の一部が大きな木造で、倒壊した。
柏崎の本町の民家が多く倒壊したのは、海岸線のため海風で積雪は少ないため、民家そのものが頑丈に造られてないのと、
大火災と空襲にあってないため 築100年以上の古い家が多かったのが原因だった。
前回も、今回も、長岡市内の家が倒潰した話は殆ど聞かない。潰れたのは郊外の古い農家。前回の地震では、
新築をした隣にある旧家を物いれに使用していた所が潰れていたのを数軒見たが・・・。普通は積雪のため、
家の構造がしっかり造ってある。それと第二次大戦で、市内が殆ど火災で焼けたこともある。
  今回は、柏崎と、その周辺に被害が限定していたのが、特徴です。       グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
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2005年07月18日(月)
 1567, つれづれに
 ー二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。今がそうだ。面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。独り言に起承転結をつけていることになる。思考には非常に有効なことが
解っているし、止めたら張り合いが無くなるのも解っている。このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。
しかし、そうそうネタが思いつかない。ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。
全く違う分野に視点を向けざるを得なくなるからだろう。
 〜〜
 ー昨日の「サンデープロジェクト」を見ていて呆れてしまった。ゼネコンから送り込まれた代議士の「犯罪を犯して何が悪い!」
という開き直りの言葉には空いた口が塞がらない。この程度の連中が日本の中枢にいて、そしてTVに出てきて堂々と、
犯罪肯定をしているのだから何をかいわんやである。談合を止めると多くのゼネコンが倒産するという論法である。
談合という犯罪で生き延びている方がおかしい。泥棒を認めないと餓死者が出るというのと同じ論法だ。奴らは犯罪者なのだ、
それもマフィアなのだ。この国は、犯罪組織が牛耳っている。ゼネコンと、官僚と、政治家が犯罪システムを組んでいる
汚職システムが長年かけてつくられているのだ。それが、情報化で抑えきれなくなった事態が現状である。
  〜〜
 ー昨日、ダイエーに行ってみた。
閉店前の店というのは、もの悲しい何かがある。ここが閉鎖されると、一挙に駅裏は寂れた雰囲気になる。
これに反して、信濃川をはさんだ川西地区には、来年二つの大型SCがオープン予定である。
  〜〜
 ー梅雨が明けたようだ。
 雪と梅雨は日本の農業にとって大きな恵みとなる。これから2ヶ月熱暑がつづく。
  〜〜
 ー今日明日中に、旅行先を決めないと。不景気ためか?気合が入らない。といって、そろそろガス抜きも必要だ。
・・・・・・・・・
2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17
実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに
大きな影響を与えた。哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。実存という言葉は、中世スコラ哲学が本質存在と対比させた事実存在という
概念に由来する。「?である」に対応する概念が「本質存在」であり、「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ概念であり、サルトルはそれを
「実存は本質にせんこうする」と表現した。キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。 主体の哲学である。人間が人間であることの特性や意味を
哲学の対象としたことで、それまでの哲学とは違った実存哲学が注目されるようになった。 それまでの古典哲学の代表者である
ヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
  ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
  キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的 となる。
このキエルケゴールに対して、サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定し「実存が本質に先立つ」と主張を始めた。
 サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに事実存在としてある、実存している。
この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく自己を投企して、状況に主体的に関わっていく
ことこそ、真の実存のあり方である。と主張した。自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を想定し、
それを実現するために自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。
・・・・・・
2003年07月18日(金)
 835, 丁度よい
  お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない  死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい  ・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい     ・今日の夕飯丁度よい  ・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。
 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。
・・・・・・・・・
2002年07月18日(木)
 460,スリにあう
海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。今回の旅行で初めてスリにあった。といっても家内の話である。 
ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。その時らしいが、
帰りの列車に乗ったとき気づいた。その時はまだ落としたと思っていた。雨と霧の為ハキングは中止で、降りた駅で2時間ほど
時間ができてしまった。そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、
日本人のバッグを見ているのが目に付いた。その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。
そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。店内でバッグの蓋が開けられていたという。何かバッグのあたりが
モゾモゾするので手で触ると空いていたので慌てて出てきたという。違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。
家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいた。そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、
バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。その時はまだすられた事に気づかなかった。万引きに気をつけてと
添乗員に言われていたが、まさか自分たちとは思ってもいなかった。雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしている
その場は万引きの絶好の稼ぎ場である。そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。
カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。


3400, おテレビ様と日本人 ー4

2010年07月17日(土)

   * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 これまで何を考えてきたのか、
何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。
一人の日本人として考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って維持している健気さ!
 ーー
ーP196ー 私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつかの例を挙げれば次のようなもの。
  虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、
  追い詰められた野犬の群れ(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿(北朝鮮)、
  昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)などである。
それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。これ以上ぴったりのイメージは今のところない。
・・・食うている泥とは、無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかというと雑食系の日本人は
個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
 ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。 「ブー」である。・・・・
ーP211 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に
頼ったからだ。 フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証するために911で立証し、完全に
他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、
とめどなくバカをし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。 知性の善用は、即、悪であり不幸の原因となる。
なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡が取れているだろう。現在の人間の知性は、
弓矢並みであり、それがフィットしているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜程度であれば、
これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、
解消できないにもかかわらず、核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。 それを知性化し、知性利用することは
不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。 唯一の「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。
残るのは、ほんの僅かな、知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。
 ーー
あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。
単純にアメリカ公共事業の戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロではないことは間違いない。
それらが入り乱れた複合的な結果だったとみるべきか。いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?

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3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出して
 おきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する
 和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
 色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 金銭・物品が絡めば犯罪である。
  そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
 それにしても、麻生の首相としての感覚はおかしい。
 自民党はもちろん、国家、世界のことなど全く考えておらず、首相の座の役割に酔って遊んでいるに過ぎない。
 彼もまた、安部、福田と並んで、日本を奈落の底に落とし込んだ首相として歴史に刻まれることになった。
 その結果として自民党の大敗は火を見るより明らかである。 最後は、自民党そのものに石打ち追われるのだろうが、 
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2660, 幸福の4階建て ー2
 2008年07月17日(木)
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で「神よ私を見捨て給うのか?」という
ギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか? 問題提起としては重く、深いが何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!
ということなのであろうか? 「どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?
人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。その水が自分を支えてくれていたのも解る。 
苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。
(その理屈は知っていた)それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。
もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。いや、現在の世界観も根本的に変わる。 
・・・・・・・
2007年07月17日(火)
 2296, また地震!どうなってる?まったく!
            才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
 昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、地響きと同時に揺れが始まった。
アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが大きくなって、横揺れから縦て揺りになり茶箪笥の食器が飛び出してきた。
あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。慌てるとは、このことだろう。
破片で怪我をしなかったものだ。前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、
他の5つは大丈夫だった。前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、以前ほどではないという。
TVでは、六強というから前回より激しいことになる。午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように
整然と並んでいた。かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しのためか商品量は少なかったが、
他はチャンと元通りに並んでいた。地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう! まあ、合格というより、流石である!
お客は買出しのためか多く出ていたようだ。その後、土手でウォーキングをしていると、何と余震が始まったのである。
もう余震は無いものと思っていたので驚いたが、前から歩いてきた三人が何事もないように歩いているので、立ち止まったまま
揺れの止まるのを待った。土手の横の住宅が地響きをたてて揺れていた。震度四くらいか思っていたら、携帯を持った人が震度六と
話をしているのが聞こえてきた。まさかと思ったが、帰ってから家内に聞くと震度六弱の地震があったという。
三年近く前に、あれだけの大地震があったので、日本で一番地震の起きる確率の低い場所!と勝手に決め込んでいた。
それが、何と同じ震度の地震などありえないことだった。それが再び起きたのだから、どうなっているのだろう?本当に、
こういうことが起きるのである。脅かすわけじゃないが、いま東京に住んでいるなら、一度、じっくり考えたほうがよい! 
リスクはあまりにも大きい。たしか今後30年で、大地震が起こる可能性が八割だったと思うが。
刺激を求めるかどうか、その辺が微妙なところだろうが! 柏崎で全壊300世帯、半壊が600世帯で、死者が一桁とは、
信じられない。ますます中越地区は不景気になる。その後、連絡が取れた柏崎に住む三人の義弟と義妹は無事だった。
ただ家の中はグチャグチャという! 前の地震は殆ど被害が無かったので、今度は逆である。
平々凡々?の日々の中、刺激的なことが満ちている!それも、そういうものと思えば娑婆娑婆である! (○´ω`○)ノ**SeeYou
・・・・・・・・・
2006年07月17日(月)
1931, 10年後の日本を考えてみると
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
 十年後の日本で間違いなく起こっている問題点を考えられる限りあげてみた。
・消費税の20?以上の負担                   ・少子高齢化社会の到来
・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化  ・フリーターの増加と、下層階級の増大
・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題 ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる) ・2005年からの人口減と経済縮小
・介護保険増大による財政の悪化               ・地球温暖化による大問題の噴出
・関東大震災の可能性の増大              ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出
これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、間違いのない近い未来の日本の姿である。逃げ切り世代で「運が良かった」と、
ホッとしてはいられない。
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2005年07月17日(日)
 1566, つれづれに
ーユニクロ社長交代ー
 ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。 全く流通に関係ない人が社長になったことに疑問を持っていたが、
 やはり当然の結果となった。 参謀とトップは別ものということが、理解できなかったのだろう。
 それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。数年後に、その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。
ー橋梁談合事件ー
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2004年07月17日(土)
 1201, 仮説について
ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで
確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。 ーとある。
事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して判断決断をしてきた。
わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセスで考える方法「テーマ思考法」(演繹法)などがある。
正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に考えることが重要である。往々にして、
その反対の説の方が理が通っているケースが多い場合がある。そして、そのプロセスでよりよい案(合)を考え出す。
情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな状況に対応できる幅広い考え方が必要になる。
固定した考え方は、状況が一変したときに、それに対応できなくなってしまう恐れがある。
そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が重要になる。「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った
 角度から構築することだ。その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。仮説には、仮説演繹法と実践仮説がある。
ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  
ーまず実践者の行動の一部に「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が生じる。 
ーつぎに「たぶん?だろう」という形を思う。 これを「想起」とここでは呼ぶ。 想像が始まるのである。
ーこの想起が当たると、疑問は解消する。
ーそれでも当たらないと、「?か」と思う。想像にある方向性が生じる。 これが想定である。
ーこの想起が当たると、疑問は解消する。?それでも当たらないと「?か、あるいは?か・・・・・」となり。 これを「仮定」である。
 そして想像の分類が始まる。?仮定を確認する作業を行う。それにより仮定が支持されると、疑問は解消する。
ーそれでも仮説が支持されない場合は、研究の懸案として残される。
ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べるー
ー想起:
ー確認可能な命題の形で仮説を立てる
ー仮説を実験など実際に検証する
ー検証されなかった仮説は採用しない
ー検証された仮説を採用して論理を構成する
ーそれを考査
 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。科学的というと実験を連想しますが実証する方法は
なにも実験に限らない。日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的な事実といえる。
仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。特にフィードバックを瞬時に可能にする。
「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、それだけ多くの視点を持つべし、案を練りこむことになるから。
・・・・・・・
2003年07月17日(木)
 834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件
3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が
相手を殴っているのが見えた。瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。
15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。 しまったと思ったが、もう遅い!
 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に立たない位はしっている。
こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。物を持つと相手は
そう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。もし来たら、目を狙えばよい。相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は
解ったようだ。私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。
その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。いま考えても危ない瞬間であった。
 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を歩いていると、暴走族がオートバイを歩道の真ん中に
乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。警察に電話をしたが、まずフルネームを
いえという言葉に、面倒だと途中で切った。先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。深夜はこの道を
歩くのは当分やめることにした。ところが昨夜新潟で飲み会があった。十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を
取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して
5月末の顛末を言った。度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。 顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな
溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。
・・・・・・・
2002年07月17日(水)
 459,危機一髪
今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。当時130円、その時期は三月決算に向けて
140円は誰の目にも明らかであった。そこを銀行の担当もついてきたのだ。「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。円が135円まで上がってしまっていた。
そうすると大して旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと
数字をみていた。そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時、大矢氏が反対した。
「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で4円の手数料を取られ、銀行のテラセンの餌食でしかない。
それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた? 途中で売っていたとしても500万は損をしていた?
「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは思ってもいなかった!!」それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。 
危ない所であった!NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。それと去年の春先に金融関係者が
一斉に持ってきた「変額保険」うたい文句が、確か節税とかいうやつ。先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。
30万件売ったらしいが、これが???らしい!「ある子狐が持ってきて断ると手の裏をかえした」のもそれだった?
手数を稼ぐためには、何でもしなくてはならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。  情報化とはこういうことだ!
・・・・・・・・・
2001年07月17日
 旅行中


3399, おテレビ様と日本人 ー3

2010年07月16日(金)

 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
その典型が、その世代の10代後半から30歳半ばの青年たちは、中国、韓国の若者達に大きく差がつけられてしまった。
その上に携帯電話という思考停止マシーンで育っているから目が当てられない。哀れというしかない! 他人事でない?
 ーまずは、その辺の部分を記してある部分からー  (P/177)
≪ 第二次大戦以降だろう、「地球エリート」とでも名づけたい一部の集団が確立して、具体的な行動に取り掛かったのは。
 人類に一定の知性しか持たせない「総白痴化陰謀」である。エリートを揺るぎないエリート化するということは、結局その裏返し、
それ以外全員を非エリート化することで、全員を無知蒙昧のバカ者に仕立て上げておくということなのだ。・・・
何しろ人類を支えるあらゆる種類の「資源」には限度がある。食糧だけの問題ではない。知的資源にも飽和限界というものがある。
たとえばすぺての人間がデスクワークを望むようになれば、肉体労働者はいらなくなるか、常に闘争が激化する。
バカをバカのままにしておくことは、人類未来に必要にして不可欠な状態なのだ。 人類全体の知的啓蒙、教育浸透は、
昔単純に考えられていたほどに素晴らしいことではなのである。 個人的な人生の幸福論から考えても、これに近い解答が出る。
人間は考えれぼ考えるほど、知れば知るほど不幸になり、苦しみも増える。それより、「考えても仕方がない、知らないほうがいい」
という結論が出る。 これを全人類、その時代時代の人間全体に置き換えても真理なのだ。「人はみな、部相応に生きるのが
もっとも幸せである」という結論だ。 背伸びをするほど、求めれば求めるほど、不満と不幸はつのる。無関心こそ幸福への扉なのだー、
と、少数エリート集団は見極めている。 間違っていない。正しい。 豚には豚のエサがある。豚にライオンの食物を与えても
食べられない。 もし与え続ければ、豚は餓死するしかない。 であれば、豚には豚の好物を与え、ライオンに近づかせないことが
豚の幸せであり、ライオンの幸せでもある。 大衆にテレビを与えよ。 その番組内容を、できる限り豚のエサに近くせよ。
間違ってもライオンの食事を横取りしたいなどと考えさせるな。彼らの幸せのために! この種の陰謀はイラクから軍隊を撤収するか
しないかとか、アフガンの今後をどうするかなどといった陰謀とは、まったく性格を異にする陰謀なのだ。 白人から見た黄色人種、
なかんずく日本人は、豚の中の豚である。 人間のエサは決して与えてはならない。 人間のエサとは、何か? 考えることである。
思考力である。 これだけは絶対に食わせてはならない。 多少ビタミンが入っていてもいい。 ミネラルも少しは混合しよう。
タンパク質もごく少量。だが、思考力は絶対ダメだ。そんなエサがあるか?  ある。テレビだ。 思考力を阻害する最善策。
忙しくさせておくこと。 時間を与えないこと。 子供には勉強、部活、いじめ、そしてテレビで充分に時間がなくなる。 ≫
 ー現在の日本の世界に先駆けての恐慌も、ブタ化の結果である。リーマンショック以来、その弱点を一番初めに曝け出してしまった。
  それが現在の政治であり、経済の惨状である。更にケッタイな日本的な街中無差別テロである。あの虚ろな目をした若者たち。
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央ー
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、
その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? 
平成も昭和を引き継ぎ、戦後から数十年かけて豊かな経済社会になった一方で、アメリカの陰の占領統治で、若者を始めとする
社会的、精神的荒廃が進み、大正時代に似た社会現象が現われている。明治が大正を生んだとすれば、大正は国家主義の生みの親?
そうすると、これからの方向は昭和の統制経済に立ち戻る流れになるのだろう。
 ーー
 そうこう考えると、現時点は日本は重大な岐路に立たされていることになる。2001年の9・11のテロと、2008年の9・15の金融恐慌が
日本に与えた大震動からきた惨状を目の当たりにすると、日本がアメリカから離れて、戦後60年で自分の意思で大きく舵取りを
しなければならない時期に入ったことを示す。その意味で今回の選挙で自民党が壊滅し、その後の政界再編成は大きな意味を持つ。
表面的には、あまり変わった風ではないが、実態は終戦直後に街の彼方此方の焼け野原に闇市が立っている状態に
酷似しているといってよい。 悲観的に成るのは、アメリカが戦後半世紀をかけた占領政策もある。 
半世紀以上をかけて日本の文化、精神が粉々に破壊されてしまったことである。
戦争か、ハイパーインフレで実質所得が激減するかである。それは、間違いなく、ある日突然やってくる。
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2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを
 よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」
 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、
 必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり
 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。
 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への
 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって
 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、
 心理学とコールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
  ーーー
 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
 営業にしても人間関係にしても、それを利用して悪いわけがない。この手練手管の営業の男を何人も知っている。
 それも、どうも自分で意識をしないでしているから、恐ろしいのである。
 営業テクニックで、これを無意識でやる人こそプロ?である。
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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1
                      ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
ーー
池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、
私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、
彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、
こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、その日大学にいても
彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが
「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、
とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの
白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、
まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、
いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、
誰も世間的には有名ではなかった。

永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、それが講談社のPR誌『本』に掲載されて
いたとろから評判であった。そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると相前後して出版界は
「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、
永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・(中略)
池田さんは、例会のあと渋谷での呑み会にも時々参加した。何を話したかすっかり忘れたが、彼女としぼらく話し込んでいると、
丹治君がまん前に座り込んで、しげしげと二人を見比べ「やっぱり綺麗っていいもんだねえ」と言った。
私がそのあとを受けついで、「池田さんの欠点は、綺麗すぎる乙とレと言うと、彼女はのけぞっで笑い「そうなの、中島さん?!」
と言って、私の膝を,ハシヅと叩いた。・・(中略)ある日、呑み会のあとで、数人を彼女の行きつけのバーに連れて行ってくれた。
(字数の関係でカット 10年07月16日)
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
  (字数の関係でカット 09年07月16日)
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2005年07月16日(土)
 1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す
ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。
当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。丁度、ホテル建設から10~24年経っており
建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
10〜30パーセントのアップが見込める。(朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)
総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な
動きになってきた。年度内計画決定を目指すという。事業完成目標は平成25年というから、決定をすれば工事は急ピッチになる。
 今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
・万代島再開発事業で  290億円     ・サッカーの新潟スタジアムに 300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費  180億円  ・市民病院建設費   220億円
 等々である。これに比べても、この1445億円の開発の大きさは新潟市レベルからみて大きいことが解る。
内訳として
・立体交差事業に  707億  
・駅周辺整備事業として 738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
(字数の関係でカット 10年07月16日)
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2004年07月16日(金)
 1200, ロマン・ロラン
 ー哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)
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2003年07月16日(水)
833, 孤独について ?2
 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。経営者は孤独でなくてはならないとか、
孤独であるという。特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想  2 独学  3 独行  4 独遊  5 独創  6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。しかし実際はつらい孤独業である。
つらさと楽しみは裏表であること知る。二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。孤独に耐えるためには、
宗教が必要である。日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。欧米では自分が
気違いだと言っているに近いことになる。スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。
                   ーつづく
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2002年07月16日(火)
 458,一期一会
 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、全てを曝け出し、そして別れていく。
「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。平気で自分を曝け出せる場でもあり、
 人生の学問の場でもありうる。お互いの人生の通知表を見せ合える場であり人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作の「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を描いた小説が
あったが、正しくそれである。直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間に形成されるからだろう。 
特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。
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2001年07月16日
 旅行中


3398, ゴリラは人間の隣人 ー1

2010年07月15日(木)

ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。
山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前に見たことがあった。
 ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・・
遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差より遥かに大きい。 では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」というと、人間は劇を作ること。
類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。その中に入っていけない。
劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、劇中の人物に
共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。
しかし我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ー以上だが、これは人間にもいえること。 本を読み込んでない人は現実の世界から離れることができない。
現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、
というと言い過ぎになるか? その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。 人生設計を前もって作っておいて、
それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、
言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が圧倒的に違うということになる。
情報手段としての言葉がキーワードということ。 街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく

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3023,衝撃的な「ひらめきの話」
2009年07月15日(水)
  「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 
 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
  ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番大きかった。
 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ〜インテリジェントキューブ』というゲームです。この世界観が突然出て、
 動けなくなってしまった。 暗い画面に、あるステージが浮いている。向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、
 その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、僕はその人たちに『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。しばらくして、
 これが僕がやったことがないコンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントに
 のこのこ出かけていった。僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、話を聞いてくれたのは
 ポロシャツ姿のおじさんでした。拍子抜けをしたのですが、気を取り直して「この人に望みを託そう」と決めて、
 頭の中の世界観を話したら、僕のことをジッと見て「その話は面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。当時27歳の時です。それからです、
 わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、とにかく勢いよく動くのが始った。 それまでは‘AならばB、
 BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやっていたのが、そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも
 飲まないとやっていけなかったのが、あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。
 これ以来、わけがわからないけれど面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それでCMプランナーになったのです。
 そうしたらスポンサーから話がくると、♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる》
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
  〜〜
 モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえてくるようだった」というが。 
現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある)  
また、数学の天才にも数式を見ただけにで、自分でも知らないうちに答えが出るとかいうのもある。もちろん十二分の基礎が
あっての上だが。 飛行機事故で一人助かった少女が、「何か神がかりの顔をしていて、何かが憑いていたのでは」という、
まことしやかな話もある。 これは、ひらめきとは関係ないか。
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2658, 幸福の4階建て
 2008年07月15日(火)
      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、《人間はあまり「無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
 何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、その感じである。
 ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
 苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。
 それにしても、頭を大きな棍棒で思い切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。
 死ということを前提にして、この4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える
 人生の終わりに、最上の感動を見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答になるほど、
 大きな問いである。「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
            (^わ^)(^か^)(^ら^)(^ん)(^!^)
・・・・・・・・
2007年07月15日(日)
 2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
        オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・
ハンカチ王子の後はハニカミ王子とか、いい歳をしたオバサンが騒いでいる。「これって何?」と、家内に聞いたら「韓流ドラマの
熱が醒めかけたきたオバサンたちが、身近な若い子に憧れている現象」と、TV番組でコメンテーターが解説をしていたという。
女性は「シンデレラ・コンプレックス」を持っていて、心の奥で私を探し出してお城に連れて行ってくれる夢がつきまとうという。 
解らないでもないが。この現象の起こる4年前に発刊された中村うさぎの著「壊れたおねいさんは、好きですか
」ー母性という名の魔女たちーに、このオバサンたちの切ない心情が書いてあった。(また、うさぎ、である)男が女に求める
処女性と同じように清潔な王子様願望である。この中のホストに求めるオバサンの本音が、王子様願望として転換した心情。
    可愛いといえば、それまでだが・・・・ 
  ーー
【「壊れたおねいさんは、好きですか」 中村うさぎ著  ー魔女が白雪姫に嫉妬した理由ー  P?64】 
(字数の関係でカット2009年7月15日)
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2006年07月15日(土)
 1929, ローマから日本が見えるー13                     
 第6章 勝者ゆえの混迷ー2     
  ーグラックス兄弟の改革ー        ー 読書日記 ?
 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。都市に流入している者達に土地を与えて
再び自作農民に戻し、ローマ軍を再建しようと考えた。土地は貴族のラティフンディアである。125ヘクタール以上の
土地を占有している貴族からそれ以上の土地を国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。この政策に平民たちは喜ぶが
貴族たちはマイナスである。農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。
彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。
兄グラックスは護民官。護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、
その死体は川に投げ込まれた。この事件が起きたのは前133年であった。 弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、
同じく護民官になって兄の政策を実現しようとした。このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。
(前123)               \(∀\)ココハドコ?  (/∀)/アタシハダアレ?
ーマリウスの軍制改革 ー
 貴族は大土地所有を守ることができたが、ローマ軍の弱体化の問題は残った。これを解決したのがマリウスの軍制改革
(前107)である。ローマの軍の基本は、財産を持ったローマ市民が武器を自前で調達して従軍すること。
それを狙ってグラックス兄弟は農民を作りだそうとしたのだ。マリウスはこの基本をあっさり捨ててしまう。
マリウスは市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も払うことにした。その費用は基本的には彼の自費である。
兵士として働ける期間は長いモノではなく、年をとったら引退する。その兵には土地を分けて、自作農民として育てていった。
それで兵士不足は解決して、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けた。この軍制改革でローマ軍の質が大きく変化した。
それまでの兵士はローマ市民の義務を自覚して、ローマのために戦っていた。ところが、マリウスの兵はローマのためとか、
ローマ市民の義務として、という意識は小さくなる。マリウスの「私兵化」になっていた。この軍事力で、マリウスのローマでの
発言力が増していった。この後、多くがマリウスのやり方を真似ることになる。
私兵を養った将軍同士の内乱が続いてローマは混乱の時代になっていく。グラックス兄弟の改革から100年間を
「内乱の一世紀」とよぶ。前91年から前88年には、イタリアの都市がローマ市民権を求めてローマに反乱を起こす。
これが同盟市戦争である。ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与えることでこの戦争を終わらせた。
前88年から前82年まで、マリウスとスラ将軍の抗争が起こる。マリウスは平民派、スラは閥族派である。
そして、スラは軍隊は入城することが許されなかったローマ市内に乱入した。ローマの元老院は、この二人の将軍の抗争に対して
解決できなかった。この結果、あれだけ強大だった元老院の権威が低下してしまった。       つづく
・・・・・・・・・
2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」ー3
 ーマンション編
都心の高層マンションの計画が進んで売れ行きがよい。しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで不動産不況を
引き起こす可能性が大きい。マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、値下がりに転じかねない。
2005年までに、品川、港区、中央区、江東区などの湾岸エリアを中心に40棟以上の大規模マンションが建設される。
現実にマンションの値下げ合戦が激しさを増しているという。売れ残りが出ると、その後に売り出されたマンションが
予期せぬ値下げをしなくてはならなくなる。特に、今年のマンションの売り出し数がピークに達するから、間違いなく
ダンピングが激しくなる。このような高層マンションの破綻が、不動産不況の引き金になる可能性がある。
?基盤整備はカンフル剤になりえるか?JRなどの駅、高速道路の入り口、大規模ビル、
複合大型商業施設などがつくられると、目先は周辺の地価は上がる、それは地価下落を抑える一時的なカンフル剤に過ぎない。
少し時間が過ぎれば、他の土地の値動きと同じになる。現在勝ち組みといっても、未来が約束されているとは決していえない。
ー西武鉄道グループの問題も地価下落要因にこのグループの本格的なリストラもこれから始まる。レジャー施設も150あって、
スキー場、ゴルフ場なども110もある。それらの大部分が一気に売却されるようになったら、地方の地価にあたえるマイナスの
インパクトは相当大きくなる。もともと森林を切り開いて、そこに無理にレジャー施設をつくって、
土地の付加価値を高めていったから閉鎖をされれば、価値は元に戻ってしまうだけ。
 ーー
以上要点をまとめてみたが、どう考えてみても地価の下落は抑えられない。「これ以上の不動産の下落はない」と見ていたが、
供給サイドは有り余っているのだから、今後も下がり続けるのは当然である。特に地方の地価は半値ではなく、三分の一とみてよい。 
考えただけでも恐ろしいことである。地元の新潟の勝ち組の土地は新潟駅の周辺だろうが、そこすらどうなる事か?
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2004年07月15日(木)
 1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、潜在意識を覗くという面でみると
面白いのではないか?ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。 そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議。
ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。翌日、家内に
寝言で泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。起きていってみるが、そこには誰もいない。それも夢であった。
ー過剰情報ー
全国ニュースを見ていると、中越地区が水浸しで沈没しているような感じる。一番凄そうなところをカメラマンが取っているのだが。
情報化はこういう異様な現象が出る。ほんの限定的な一時的な現象をことさらオーバーに報じる。そういえばイスラエルに行った時を
思い出す。アチコチでテロが続発しているイメージが強いが、現地の99.99?の生活は普通である。世界各国から信者が礼拝に来るが、
どこの国の人も家族に戦地の真っ只中に来るように誤解されるという。よほど自分の病気か自動車事故のほうが恐ろしいのに。
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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」?映画日記
 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして
貼り付けておくが、日本の味わいと、スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を感慨深く表現していた。
主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながらストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉がこのストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。黒澤明の遺稿シナリオを映画化した
『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した小泉堯史監督の新作であることを、インターネットで調べてしった。
気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、
日本のアイデンティテーが印象的だったのだろう。 下手な感想文より以下をご覧あれ!
 ーあらすじー
(字数の関係でカット2008年7月15日)
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2002年07月15日(月)
457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー
マッターホルンで凧揚げた!といっても、他人の凧揚げの紐を一時も持っただけだ。マッターホルンを近くに見る
展望台の横の小高い丘で写真を撮っていると、突然ある中年の夫婦が小さな凧を二つ取り出し、揚げはじめた。
家内と登山列車の隣席で話をしてきたという他のグループの夫妻。その写真を撮って欲しいと頼まれた。
そこで「是非自分も記念で凧揚げしてみたい」とお願いすると、気持ちよく私らに貸してくれただけの話だ。
それでも揚げたことに間違いはない!貴重な体験だった。それにしても色々のことを考えるものだが、その情報を持っていたら
私も凧を買っていったに違いない!ーこれも情報なのだろう。 今度からは、大自然のツアーには凧を必ず持っていくつもりだ。
キリマンジェロやタンザニヤのセレンゲッテーの凧揚げなど最高だろう。10個ぐらい持っていき現地の人にあげるのも喜ばれるだろう。
その凧は横15cm、縦25cmぐらいの小さなモノだったが、風に乗りどんどん高く舞いあがった。
おそらく西洋凧ではないかと思われるが、玩具屋で捜す楽しみがまた増えた。 いろいろ楽しい!!
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2001年07月15日
 ー旅行中


3397, おテレビ様と日本人 ー2

2010年07月14日(水)

   *「第五の壁」とは何か.
 テレビを第五の壁とみなすのは面白い。そうすると、今度は第六の壁というと、パソコンになる。
パソコンには第五の壁も取り込まれ、一方的な情報だけでなく自分サイドも発信できるところが、今までとは違う。
だから、著者の心配がより大きくなるのか、それとも多くが解消されるのかは判断は出来ない。
第四の壁は、それでも生身の観客がいて、役者が直接触れ合える。しかし第五は、まさに流し手の思いのままになる。
 ー以下の部分がTVの本質を言い当てている。決して、機械がプラスに働いてはいないことを自覚しないとー
≪ われわれの知る「第四の壁」とは、演劇舞台の部屋の装置が三方の壁に囲まれ、残る一方の壁が観客席に向けて
取り払われているそれをいうのである。「第五の壁」とは、もとより著者が火星人の口に託して名づけたテレピの異称である。
地球を襲撃して戻っていった火星人は、次のように帰国報告したという。
【人間と称する地球上の生物は、光線と空気と出入りのための大小若干の穴のある四つの壁に外界から遮断されて
暮らしているが、ほかにもう一つ、〈第五の壁〉とも称すべきものを所有している。それは四つの壁よりは小さく、
移動は自由で、どつしりしている不透明なガラスの壁だが、四つの壁の穴からはとうてい期待できないさまざまな風物や
生物がそこに現われ、かの人間なるものと同じように語り、むせび泣き、歌う。 それは四つの壁を征服する。
四つの壁を取り払ってしまうのではないが、四つの壁を止揚する不気味なカの持ち主である】
 ……われわれは、テレビにたいして〈検察官〉になろうと、〈弁護人〉になろうと、忘れてはならないことは、
その間にもわれわれは〈第五の壁〉の照射にさらされているという事実である。〈テレビ時代〉に産声をあげる赤子は、
〈第五の壁〉の人工の光の中で歩きはじめるのである。 ― この本が書かれてから四十年以上が経過した。
半世紀ぶりに地球を訪れた火醒人が今度はどんな報告をするだろうか。 それは壁ではなく、実は底なしの地獄に落ちる
ブラックホールの穴だったと綴告するだろう。テレビの発する光線は、結局突き詰めれば金銭の発する光だった。
それも巨大な額の金が絡む光である。人はそこでただ語り、むせび泣き、歌うだけではない。隣間的な音声でも映像でも、
そこには人間の醜い欲得が潜在する。ただ単に事実を伝達するだけに思えるニュースのコメントですら、一言、
「オバマ氏の当選は確実」と声を発したとたん、あらゆる場面での金が乱れ飛ぶ。テレビの扱う範囲にフィクション、
ノン・フィクションの区別はない。両者は調合され、統合され、まったく別種類の認識対象となる。
認識された潜在意図、である。 この別称こそ「陰謀」と呼ぷものだ。意図はあくまでも隠されている。
誰も意識していない。だが、番組制作には「洗脳」という潜在的な意図が常に基調を作っているのである。
こうした曖昧な感覚混合体が、結局は陰謀と呼ばれるものの正体、テレビの実態になるのだ。≫
 〜 今度は、TVにネットが組み込まれてくる。違った洗脳が始ろうとしていることになる。〜
 〜〜
3022,閑話小題
2009年07月14日(火)
 * 池袋の早朝でみた荒んだ世界
 先週に大学の同期会があり二泊してきたが、二泊目の池袋のホテルを早朝にチェックアウトをして、
駅までの500mの路上で見たホームレスの姿は何とも殺風景であった。二人づれの若い女性もいた。
初めてアメリカ・ロスの下町をバスの中から見た、あの何ともいえない廃墟の中で佇んでいる黒人達の
虚脱感の顔と同じ空気。 何か、この十年で世界は変わってしまったようだ。
国が衰退を始めると、こうなっていくのだろうか。 
 * 自民党の末期
 都議選は、予測通りに自民党が惨敗をした。 小泉のパフォーマンスで国民は騙された怨念から今度はウネリが反自民に
変わるのも当然の帰結。 今度の衆院選でも惨敗は必然である。情報化が大きく国民の意識を変えたのが、自民党の生枯の
元首相達には理解できない。と言って、民主党の大勝も問題になる。 その辺の勝たせ方もある。 都議会選は、その辺は絶妙な
当選バランスであった。 なるほど天の声である。 本当に麻生で戦うのだろうか?民主党が大勝するだろうが、
良くも悪くもガラッと雰囲気は変わるだろう。 自民党が覆い隠してきた膿が一挙に出る可能性が大である。
 * 腰痛はつらい
 腰痛は、だいたい10日間が目安である。ただ過ぎ去るのを待つしかない。そして予測どおりに収まってきた。 
色いろの要素が重なって発症するが、今回は時期的なこと(梅雨)と、冷たい飲み物を昼に飲みすぎたことにある。 
最近は、細心に注意しているので重症にならなかったが。それにしてもタイミング的に、なってはならない時期に発症する。
何度か秘境ツアーの直前になった経験がある。その時もギリギリの状態だったが何とか行くことが出来たが。
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2657, いちゃつき ー2
 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、他人を迎え入れて他人で
 いっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。 自分が相手の中に吸収されるか、
 逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、自分を触っているか。相手を触っているか
 わからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という内容だが。いちゃいちゃする中で互いに自分を溶け込ませて、
 距離を無くす至福の状態は男女の仲だけでなく、宗教の中にこそ、その原型があるという。そこで思い出したのが、一月前に
 図書館で借りたDVDの「A2」という映画である。オウムの内部から、住民との対立を両者の目線で撮ったドキュメント映画。
<後でわかったことだが、「A]の続卷である。それを探したが、図書館にはなかった。>
 住民の反対運動、右翼、警察、マスコミ・・地上波のテレビから映し出される視点とは全く違った内容。
 社会的にオウムは凶悪犯罪を犯した団体だけに、一方的なイメージが先行してしまっているのも事実である。
 これを観ていてオウムの内側から撮影された映像も見る価値もあると思えた。
 それより、何ともいえない教団内の共同意識の甘酸っぱい空気に驚いた。
 あの空気から下界に出て社会生活をしろというほうが無理、それが宗教の解脱の世界の恐ろしさである。
 それを表層だけをみて、一方的に純朴な信者を攻めるのも気の毒にさえ思える内容だった。
 ーその概要はー
 1999年10月、群馬県藤岡市。倒産した印刷工場とその社長のかつての自宅に、多数のオウム信者が移住した。
 工場の前には群馬県警が常駐し、その外側には地元住民たちによる監視小屋ができる。
 やがてここでも、他の地域と同じように地元住民の反対活動によって信者たちは退去していくことになる。
 地元住民のボランティアで組織される監視団は、意外にも久しく失ってきた住民同士の交流の場として機能していた。
 また、信者との濃密な時間の共有はオウムに対する嫌悪とは別に、信者個人に対する人間的な心のつながりを芽生えさせていった。
  ー 以上だが、
 観ているうちに、信者同士の‘解脱’と‘救済’への修行で、何とも言えない連帯感がみてとれた。
 彼らの距離感が消えた不思議な感覚が、『いちゃつき』と同じ状態である。
 そして反対住民とも、何時の間にか奇妙な連帯感が生まれていくのを映像がしっかりと撮っていた。
 集団殺人は許されるものではない。このドキュメント映画で修行とおして「自分と世界の距離感、そして自分と自分の距離感」
 が無くなっている状態(法悦)=いちゃつき、からくる解脱と救済の世界を、監督は表現したかったようだ。
 オウムとは宇宙からの振動という意味もあるが、それに己を同調できるように修行するのが、彼らの目的のようだ。
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2007年07月14日(土)
 2293, 女ってバカなんじゃないか?
                  才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。
中村うさぎの「霊長類オンナ科図鑑」には「バカ女」という切り口で、多くの女類が小気味よく分類されて掲載されている。
女も男も、逆の立場から互いを見ればバカに見えて当然である。「男は女を、『可愛いかどうか』という優先順位を変える
ことができない。それってバカじゃないかい?」という見方は、成る程正しい。しかし大部分の女たちは一生の間、他人様に可愛い、
奇麗と思われたいため、エステなどで苦労するのだろう。それでも無理と思えばブランド物でフォローしようと涙ぐましい努力する。
多くの趣味を持って教養を積んで、内面の美しさが滲み出てこそ真の美しさになるんじゃないか。
男に対しては、冷静に価値規準を変えて評価するのに、こと自分に関しては、からっきし努力をしようとしないで、
ブランド物を追いかける。 極めつけはハン流ブームに乗ってフヤケタ男に熱を上げ、最近は童貞趣味に陥って
「はんけち王子様」とか「はにかみ王子様」とかに、熱を上げているのだろう。「全くバカじゃないかい、女って!」というのが、
亡国日本の女の姿だろう。バカといわれる女の成れの果てが「オバサン」である。今さらエネルギーを内側へ向けることが
できないから、徒党を組んでグルメだ旅行などに走り回る。
彼女らは恥じらいを忘れて恐れをしらない一群として、居酒屋・ファミレス・デパート、そして観光地へと繰り出す。
ーー
てな、理屈になる。  まあ、ドウでもよいことだが! 男といえば社会的刷り込みから抜けきれず、
それを傍目に大人しく佇む。 そして妻に絡みつく濡れ落ち葉! どっちも どっちだが・・・
                    byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年07月14日(金)
1928, ブログについて
                     おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
  二月ほど前に、ブログについて書いてみた。
 「 2006/05/14?/15 1868, ブログは社会革命ー(1)1869,ブログは社会革命ー(2)」
『ウエブ進化論』と『グーグル』の中から抜粋し、まとめたもの。それから二ヶ月経ち、ブログを開設してみて、その可能性に驚いた。
これは社会の根本を変えるだろう。携帯電話とは違ったカタチの情報発信基地を、気楽に誰もが持つことが出来るようになった。
 (字数の関係上カット09年07月14日)
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2005年07月14日(木)
 1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。
中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。
 ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。
それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの
逮捕を命ずる。しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。
最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。
ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。
1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、三人ずつ銃殺されることになる。
ドフトエフスキーは処刑の二番目である。その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。
「生きていられるのはあと5分ばかり。この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。
この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がしたので、色んな処置を講じたというのです。
つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間にいま一度自分自身のことを考える時間にあて、残りの時間は
この世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、
絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。 
その無限の時間がすっかり自分のものになったら、俺は一分一分をまるで百年のように大事にし、もう何一つ失わないようにする。
いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』減刑が言い渡されると、
ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー
以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの
恐怖経験がある。その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。
飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか?どうしても飛び降りなければならないのか! 
ただ前に体を投げ出すしかない! 何か時間が止まるという言葉があるが・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めて。
しかし、ドフトエフスキーのそれは、比べ物にならないほどのはずだ。私はガン末期の死の宣告はすべきでないと思う。
このドフトエフスキーの心理を、カタチを変えて経験しなくてはならないからだ。その瞬間から、極限の状態に置かれるのだ。
それも肉体的極限の苦痛で、七転八倒して! 死を考えることは、生を考えることでもあるから取り上げているが。
「死ぬまでは生きているから」と気楽に考えてもいられないが、しかし気楽に考えるしかない。
ーーーーーーーー
1253, 死について再び考える ー1
(字数の関係上カット09年07月14日)
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2004年07月14日(水)
 1198, 口ぐせー2
 ーどうしようもない!?
(字数の関係上カット09年07月14日)
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2003年07月14日(月)
 831,アラスカ旅行記ー6
  旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。
・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、今や修復不可能。 
 別れるより良いと、毎月出ているという。もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。
 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。 聞いていても悲しくなる。「ありがとう」を毎日千回、
 いや一万回言え!といいたくなった。夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと
 先日聞いた。旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
・若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。
 黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の
 違いのためか。その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。
  その聞き役の方の女性が面白い。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと
 「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。
・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。2年前に初めての海外旅行でアラスカに来て
 キングサーモンのオプションに参加。今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。魚は釣った後で逃がすとか、
 また2年後に来たいといっていた。これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。
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2002年07月14日(日)
 456,スイス旅行記 
感想をそのままかいてみると
・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たり。・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上。
・自然の雄大さに圧倒された               ・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的
・珠玉のような湖や村が何ともいえない          ・毎日が感動感動の連続であった
・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰 ・美しき小さな村々と牧場
 38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。
 私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。
 こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると
・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい!
 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング?季節も含めて何ともいえない明るさがよい。
・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」
 が素晴らしい絶景であった あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった?
 いろいろな氷河はは見ているがこれだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るもの。
・四日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここでハイキングしている自分が夢の中にいるようであった
・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、そこから見た景観が絶景
・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも忘れられない景色であった。
・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、 
 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。 しかしやはりその景観は何回見てもよい。
・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登ったピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい
   今回の旅行はただただ良かった!!! ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。


3396,  蛸が、サッカーの結果を予測

2010年07月13日(火)

   
 蛸がサッカーの結果を8試合全部を当て話題になっている。面白そうなので少し考えたみた。
蛸からすればサッカーの勝負など関係がない。ただ、どっちに入るかでしかなく人間が騒いでるに過ぎない。
とはいえ偶然の一致?が、8回も続くことは有りえないから、何かがあるのか。
 考えられることを挙げてみると
・蛸の予測に自信を持ったチームが勝ち進んだか、
・誰かが予測をして蛸を人知れずに誘導しているのか、
・蛸が水槽の外の誰かの顔を見て左右を判断しているのか、
・上記など全てを直感で判断する超能力がある、、
・人間には知りえない何かの能力がある、等が考えられる。
 マスコミが注目をしてたには、それなりの実績があったはず。
諸説が出てくるのだろうが、夢があり面白い。 何かトリック?を見つけるより、そのままにしておいた方がよい。
理屈からみれば、何で蛸が人間どものゲームの勝敗を当てなければならないのか? その理由など一つもない。
当った当たらないは、人間が勝手につくり上げた虚構でしかない。でも事実、試合前に勝っている方に入っているではないか?
といえるが、その勝ち負けを設定しているのは人間様。 8回も当たったという人間様の論理そのものを疑う必要がある。
まずドイツの勝ち負けの視点からみている、そこに何かがあるとみるべき。とすると、水槽の中で、
誰かのサインにしたがっている説が、有力に思える。 でも、そんなことは、どうでも良い。
スペインの優勝より大きな話題になったから、それで充分である。蛸は三年しか生きないというから次回は無理とか。
  
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3021,卒業40年周年か〜
 2009年07月13日(月)
 「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。
20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、非常に良いメルクマールになっている。(10周年は、20数年前から企画されたので、
『集い』そのものが無かった)ところが数日前から腰痛が出て上京など無理の事態だったが、「這ってでも行く」と決めた瞬間から、
痛みが少なくなったには驚いた。 「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」という誘いを断り、当日の土曜日だけを
出席すれば何とかなるのではと考えた。 しかし出席するとしたら、むしろ前日に東京に行って、クラブ仲間の会の出席は
一度ホテルで休んだ後で、腰と相談すればよい。 また当日に上京するよりも、前日に行って翌日のギリギリまでホテルで
待機して集いに参加すれば何とかなるはず。 ということで何とか二日間を乗り切ることができた。 最後は覚悟である。 
しかし本当に重症だったら無理だったが。 10年ぶりの会は、前回と同じ位の盛況の賑わいで、400人位が集まった。
2500人のうち1700人に連絡がついて400人が出席。 総長の挨拶で、「この厳しい大学経営の中で非常に人気があり、
経営も非常に良好、長期的に改革を地道に続けてきた成果」と語っていた。この10年ぶりの再会で、各人とも人相も体系も老化が
ハッキリ見てとれた。 仕方がないのだろう。あと10年後は、もっと激しくなるのだろう。 気持ちとしては、これが最後の参加の
集いと割り切っていた。そのため一人ひとりの語らいが熱くなった。 我われは良い時代に青春時代を過ごしていたのである。
この集いに参加する人たちは現状がある程度、余裕のあるのだろう。 何か気持ちがリッチに気持ちになれる。
 そこでは、まずは受付でチェックをして胸札と名簿を貰い。参加費は8千円、そこで何人かの知人と再会。 
10人位が集まると、若い女性が、構内ツアーで新しい施設などの案内。
そして、学部ごとの写真撮影。 その後、チャペルで集合ミサ。 総長の挨拶など・・・。
その後、学食で大立食パーティー。 その後、学校サイドが用意した二次会がある。
しかし前回同様の1~2年の同級会が東武百貨店の14Fに用意してあり、参加する。参加28名(途中で帰った人3名)
その後はクラスで親しかった男と、居酒屋に移動し語らい、22時過ぎにホテルに戻った。
姿、形は変わっても気持ちだけは変わらないのが同期の会での良いところ。 総括として、今回も満点。
 ・・・・・・・・
2656, コミュニケーション力とは?
 2008年07月13日(日)
   中島義道の「コミュニケーション力」についての一考察が、面白い。これによると、あくまで家内と私の関係だが、
  私がコミュニケーション強者で、家内はコミュニケーション弱者になる。しかし、如何みても家内の方が強者で、私の方が
  弱者に思えてしかたがない。外国に行って、観光地や飛行場で隣の人に平気で話しかけ英語の勉強をしたり、宮城県の
  医師会会長婦人と仲良くなり、ブランド店で見えの張り合いをしたり、ディナーで周囲の人と瞬間芸のようにハイソサエティー
  婦人に変身をしてしまう。私など何時も微笑をたたえて無言である。 たまに酔って、その場を目茶目茶にすることもある。
  中島のいう「コミュニケーション力」とは、私がいう「対話力」のことのようだ。対話をするには自分の主張を相手に理解させ、
  相手の言っていることを理解し、できれば互いに一人では思いもよらない一段上の内容まで内容を止揚することである。
  それは対「本」の著者ともである。   ーそれよりまずは、中島の、面白い部分を抜粋してみよう。
    (字数の関係でカット09年07月13日)
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2007年07月13日(金)
2292, 男ってバカなんじゃないか?
       (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
 ある本の中に、「男ってバカなんじゃないか?」というのがあった。
【女は、小学校、中学校、高校、大学と、男の色いろな側面、人間の才能の様々な魅力を見出していく成長過程は、
動物から人間への進化の過程に違いない。子供の頃は、強い子。そして、スポーツの強い子。成績の良い子。そして高校から
大學になると、成績だけでなく、アートのセンスのある人。そして、それらを加味した個性的な人を求めるようになる。
男性の好みの変転という契機から、人間における精神的側面に目覚めていく。 しかし、男にとって女が体育ができるからとか、
成績が飛びぬけているとか、突出したアートの才能があるのは、決定的の要因にはならない。それに対し、男は生まれてから
死ぬまでどうであれ、まず第一は可愛くて奇麗の人だろう。ほぼ、これだけは死ぬまで一貫している。
バカというか、芸がないというか。】
 ーそう言われてみれば、その通りである。逆にいえば女性に対して、それほど求めてない。
反対に女性は、その時々の男の価値観を見極めているということになる。男は節目の度に価値観を変え、自ら変身していかないと
社会に適応できない。だから男は同性に対して相手を一瞬に見抜く。しかし女性に対しては「美しさと教養と優しさ」を
第一の要素にする。それ以外、もともと求めてはいないのである。男なら明石屋さんまなどのお笑いタレントは持てるが?、
女となると、泉ピン子などお笑い系はもてはしない。この歳になってやっと、可愛いや奇麗など第二・第三の要素になってきたが、
数年前では、そのとおりである。いや、姉が多かったので、知性と人柄を同列においていた!性格が良く、知性的で、
その上に可愛い人で、相性の合う人。ほぼどれか欠けているが、もし満たしていたとしても、そう思っただけ? 
ところで考えてみたら私は、全て欠けている!(拍手!・・)女じゃないから、いいか!笑っている、あなたも、そうだろう!      
                       ホンジャ? ´・ω・]ノ ヂャァ ネッ
・・・・・・・・
2006年07月13日(木)
1927, 閑話小題
        Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
ー北朝鮮・ミサイル問題と、日本の軍事力ー
 (字数の関係でカット2008年7月13日)
ー社会主義についてー
  社会主義、共産主義と、最近は誰もいわなくなった。ソ連邦と共産主義国家群が崩壊、中国も社会主義経済を放棄した。
 ソ連邦の崩壊には、のソ連共産党同士諸君は驚いただろう!ある日突然、「建前としていた計画経済は全く間違ってました。
 全員が公務員という経済体制は、権力を握った高級官僚が権力を握って私服だけを肥やすだけ。 マトモな経済計画を作れないので
 放棄することになりました」と、認めてしまったから一大事! まあ、それまで悪事を重ねて私財を溜め込んでいただろうが。
 現在も、それに近いことが日本の霞ヶ関の役人どもと、自民党の一部に残存しているようだが。
 この前の選挙で殆んどの、これらゴミを廃棄したが!亀とかいうのが、ゴミダメコーナーでウロウロしているのが哀れ。
 あれは何だったというのか? バブルの崩壊とともに終わってしまったシステムの残存ーゴミである。
 最近は、共産対資本主義の対立軸がアッラーとキリストに転嫁されてしまった。アッラーは、茶色ーアラブの神、キリストは、
 白ー白人系の女子供に比重をおいた神ユダヤは、白人の拝金の男を中心とした神でしかないか! 仏教は、黄色か? 白、黒、茶色、
 黄色の混ざったインドは、有難いことに3千年にアーリア人が階級をつけたヒンズー教の神じゃないか。
   神は偉大なりか?! 般若心教でも唱えておこうか!            (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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 2005年07月13日(水)
1562, わたしの酒中日記ー14 
 ー岐阜の夜ー2  1976年 7月某日
夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。
日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、夜行列車の「佐渡」に飛び乗った。
夜行列車にやっと慣れてきた。枕木の音を眠るためのリズムとして聴くように努めてから寝れるようになった。
2歳年下の大森さんと一緒である。彼も私にしごかれて8ヶ月、やっと戦力になってきた。
朝の7時に岐阜駅に着く。駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。そして9時過ぎから問屋街を駆け回る。 
仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。 それと大手の問屋とメーカーも
大きな情報源である。小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって夕方にホテルのロビーでいきあった。
チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。 彼女達も意欲的に仕事をする。千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の
鞄持ちで来て、食事をした店である。12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちをしている超繁盛店だ。
とにかくネタが大きくて新鮮で安い。普通の店の三倍のネタの大きさである。こういう出張は、夜の食事とチョイ一杯をしながら
仕入れの戦果の話が楽しみである。店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは激務といえば激務。
しかし、仕入れは買い手の立場であるから、面白いといえば面白い。仕入れた商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。
当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。
しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。
その小さな店の商品一軒分全て買い上げた。これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。
こういう日の酒は特に美味い。明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。
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2004年07月13日(火)
 1197, ユングの臨死体験
臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。死にかけたときに生じる脳内の異常状態から
見る夢か幻想と思うのだが。ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が変わってしまった。
ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。しかし、ユングが臨死体験で見てしまった
宇宙からの景色と、宇宙船から飛行士が見た景色が全く一緒だったという。何とも不思議な気持になってしまった。
 ーその部分を抜粋してみる
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄状態になり、
私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 
幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこんでいた。
後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、彼女のつけ加えた
言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、
忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、
そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。
私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、
銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。
(中略)  どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。それは、驚いたことに、
ほぼ1500キロメートルの高さである。この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景で、もっとも美しいものであった。
ーこのときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆も指摘するようにアポロが撮った地球の写真の姿と合っている。
それをユングはアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているー
しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石のような黒い石塊が宇宙空間を
ただよっているのを発見する。その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。
その中に入っていった。  私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。
つまり私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて希望したもの、思考したもののすべて、
また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。
この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものはいくらかはあった。
それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてが、
まるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだいえるかもしれない。
いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを強く感じた。これこそが私なのだ。
『私は存在したものの、成就したものの束である。』 この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、
同時に非常に満たされた感情をも抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。
私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。 最初は、なにもかも剥ぎとられ、
奪われてしまったという消滅感が強かったが、しかし突然それはどうでもよいと思えた。
 すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりも
なく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。
逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。
「私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上
に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった」
 これに対し、彼に残されたものは何だったか。孤独な宇宙空間にただよいながら、
かつて自分が地上で経験し、行為したことのすべてが自分とともにあるという実感だけは残った。
そのとき残されたぎりぎりの「私」とは、自分がこれまで地上で経験し、行為したもろもろの事実のみであった。
それは要するに、「私」とは私のカルマ(業)にほかならないということなのか。
私に所属する多くが離脱しても、私の行為のすべては、おそらくは死後もカルマとして存続する。
 ーー
以上であるが、鈴木秀子の臨死体験に似ている部分がある。現実のとらわれから解放される部分である。
 (字数の関係でカット2008年7月13日)
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2003年07月13日(日)
 830, アラスカ旅行記ー5
  ーアラスカつれづれにー
アラスカで感じたのは、豊かさである。そして、その対比としての日本の豊かさの底の浅さだ。・高校の前を通ったら、
大きな駐車場があった。16歳で免許が取れるという。 多くの高校生が車で通学をしているという。16歳以下でも親と
一緒であれば運転できる免許もあるという。・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っているという。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。 
安いので500?600万で買えるという。夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても豊かさが直に伝わってくる。ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れた
 キングサーン の刺身がお勧め」、 とのことで注文したが、もちろん絶品。  鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして 食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、
 何と今回の現地日本人ガイドの上司。三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドにトラバーユした
 といっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。そして我々の間に座った。 知り合いらしく急にジョンは
 大人しくなった。そして英語で二人話し始めた。 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測 私もその時に
 一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると、それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて 
 機長の可能性が強い?一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」
 といった。 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」
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2002年07月13日  旅行中
・・・・・・・
2001年07月13日  旅行中


3395, 何故、名古屋の資産家の息子が麻布で?

2010年07月12日(月)

 学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の社長になったのか?非常に興味があった。
その話を一昨日に会って聞いたが、チョットしたドラマ仕立て。 撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、
そしてスタジオが舞台になる。撮影の世界は世間一般とは異質である。 人間関係が広く、うるさい上に腕の差が作品で明らかになる。
その世界で麻布周辺で三箇所のスタジオに80数人の会社を経営をしているのだから、そのプロセスの話しが面白くないわけがない。
その会社を独立させるまでの経歴がドラマ仕立てで面白い。三時間が瞬く間に過ぎてしまった。 プライバシーもあるので具体的に
書けないが、静岡の友人と、その話しを三時間に渡って聞き入ってしまった。 大学を卒業後、普通の会社に4年間勤務した後、
実家の貸しビル業に戻ったが、親父と衝突など色いろあった後、東京の撮影会社に勤務(弟子入り)。そこは百貨店の商品のチラシや
パンフレットの写真を扱っていた。 そのうち一つの百貨店をイトーヨーカ堂が買収した時に、社長がスーパーの写真など
撮りたくないと拒否反応。そのため、わざわざ分社。その会社の責任者になったが、撮影写真一点あたりの価格が百貨店の半額以下に
プライスを抑えられた。そこで知恵を発揮して採算にあうようにした。 その結果、ある時点から分社の方が組織的に大きくなり、
稼ぎかしらなった。それを良しとしない社長との対立。会社を辞めた、ところ過半数が辞めたので、やむなく会社を設立、
現在に至ったという。そこから一人の男の人生が見えてくる。寡黙な純粋な男だったがユニークな人生を生きることになるとは驚き。
そこの人間関係は非常な華やかな世界で、有名タレント、歌手、プロ野球の選手など、撮影で接するのが日常という。
それにしても、学生時代の色いろな友人から見えてくる人生は面白い。面白か、恵まれているから、会う機会ができるということもある。
 このリーマンショック以降、経費削減の影響を直撃しているという。最後は、人間性、品格で人生がつくられる、ということ。
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3020.旅する力ー深夜特急ノートー4
2009年07月12日(日)
旅する力 ー深夜特急ノート ー4
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
    第三章 旅を生きる
 * そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということだった。のちになって理解することになるのだが、
香港から東南アジアを経てインドに入って行くのには、そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的なルート
だったかもしれない。気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・。
だから、インドに入って下痢をすることもなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。
    解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に慣れていくのは同じことか。
 *私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。
  しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、次第に、
  必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
    いくら 何 どこ いつ  こんにちは ありがとう さようなら
   この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に入って放置されても、なんと切り抜けることが
  わかってきたからである。もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは 最低の清潔が保たれてしたし、
  食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理をしては火が通った安全な食べ物を提供してくれる。
  私は、やがて、どんなところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。
   解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。(一番外れが大きいのが和食の店)
    何処に行っても、中国人がいるから、いい加減な料理も出せないのだろう。
・・・・・・・・・
2655, いちゃつき
2008年07月12日(土)
阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。
多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、それは「いちゃつく」という言葉に
行き着くという。最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、
また良いと。鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。
だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って
いちゃついている姿に似ている。そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、
不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 それが女の職場の中の男の特権である。 
誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。
この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、
 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。
 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、
 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。
鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、
とことんゲップをしそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと正直に告白している。 
セックスになると、相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、いちゃつきの方が
イメージとしてよいとか。  阪大の総長という立場など、捨ててやってみれば!といいたいが、そうもいかないか。
いちゃつきは、酒の席の二次会では常道で今さら。5~6歳の頃、実家の商売上、若い綺麗な女性が入ってくると、直ぐに
擦り寄っていって、太ももに抱きついた思い出が、リアルな記憶としてある。 また4人の姉たちの中で育って、オモチャ
かわりに可愛がられたのも、いちゃつきの一つだったのだろうか。そういえば姉さんタイプに惹かれたのも、その辺の事情か?
最近、いちゃつくということが、殆ど無くなってしまった! 家内とは?言葉でジャレテイル、それもいちゃつき?
  ーー
  次ぎの鷲田の言葉がいちゃつきに対して、明確に説明している!
 「だから、一人っきりじゃなしに、誰かどなんの目的もなしに引っついて、密着する。
  そうやっていちゃついているような幸福のイメージを、僕なんかはポジティヴにとらえたいという感じがあるんです。
  なにかと親密な関係にあることの安心感。その相手は、友だちじゃないときはぬいぐるみだって、毛布だっていいわけ。
  部屋にいつばいぬいぐるみを置いておくような、そういう少女が持ってる気持ちよさ、少女が素直に気持ちいいと
  思えるような感じって、僕は意外と大事なんじゃかいかと思っているんです。
  でも、いちゃいちゃってことを考えてみると、子どものときって、ほとんどいちゃいちゃ生活だったと思うんですね。
  親にトイレットのトレーニングしてもらう前だって、おむつの中にウンコが漏れてもけっこう気持ちよかったし、
  海水浴に行けば、砂遊びしながら指の間から砂が漏れる感じとか、砂で作ったものが波がきたらバーッとさらわれる感じとか、
  あるいはドロんこ遊びにしても粘土細工にしても、モノと自分を切り離すんじゃなく、モノといちゃいちゃしてドロまみれに
  なったり汚物まみれになったりしている。それは子どもにとって、とても気持ちのいいことだったはずなんですね。」
  ー
 男がキャバクラで、アルバイトの女子大生などと遊ぶのも、いちゃつき願望なのかもしれない。いちゃつきたくなってきた!
・・・・・・・・・・
2007年07月12日(木)
2291, 10歳の放浪記 ?3
              。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を紹介したが、これは深い意味が含まれている。
この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。
辞書でトラウマを調べると、「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」
とある。特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、
イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」
のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」をドラマ仕立て観て、感動し、随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。先日の日曜日に近くの図書館の
ファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
 ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー
四月になると、暖かい日が続いたので、早苗は母が買ってくれた半コートを父のボストンバッグにしまった。父は数日にわたって、
風邪で熱を出していた。早苗は天井を向いている父の横で、算数の計算ドリルをしていた。「なこちゃん」父が目を開けた。
「ン?」早苗が父の顔をのぞきこむと、「死のうか…」と、ポヅリとつぶやいた。
「やだ。まだ、マティー二を飲んでないもん」早苗は首をふった(映画館で見た、マティーニを飲むことを夢みていたのだ)
「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ」父の言葉が、ショックだった。
 (以下、中間、略 09年07月12日)
  ーーーー                   
 実際の経験だから、人を引きつける。戦争体験は、もっともっと凄い体験をしたのだろう。
地元長岡は空襲を受け焼け野原、両親から色いろ聞いてきたが・・・・
それでも、国を守るためには戦わなければならない!それが現実である。戦争放棄だと、この国は!                     
                       ーつづく         ヾ(。´・ェ・`。)Byeヾ
・・・・・・・・
2006年07月12日(水)
1926, 教養について
            おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、
その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、
その子に説教を始めた。 その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。
「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。
さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。
その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくって
おかなければ!」その子は、何かハッとするところがあったようだ。両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが
嘘のように素直に聞いていた。人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。
歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。そこで教養について、考えてみる。こういう場合インターネットはよい。
幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。
・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。
 なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、
 経験を通して見えてくるのだろう。見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。
 だから娑婆は面白いのだが・・・  面白すぎる、人間というのは!もっとも、一番おもろいのは自分だが!!   
 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、
 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
 「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。
 「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・
  まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。   バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ
・・・・・・・・
2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 ?13
 ー岐阜 -1  1975年 9月末日
初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。
あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。まずは東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで
岐阜に入った。今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。しかし、全く経験のない
「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。学生時代の合気道の経験が役に立つ。
ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。
そのためには歩き回るしかない。それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては上手くいったようだ。
そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。
知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。
鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で
飲んでいた二人づれの一人が話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。
昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。
私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。とにかく疲れたので、
早々帰ってきた。緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。何か仕入れとは
こういうものかと、少しは解りかけてきた。 明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。未知な世界は、全てが冒険である。
我ながら、よくやるよ! ーつづく
・・・・・・・・・・・
2004年07月12日(月)
 1196, 口ぐせ
先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切かつくづく実感する。
中村天風も繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、その毒が我々に大きく影響を与えている。 
意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。
 ー私が気をつけていることを書いてみると
・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること
・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと、とくに布団の中では、マイナス用語に注意している
(以下、中間、略 10年07月12日)
・・・・・・・・・
2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4
ー26氷河クルーズー
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に
流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアの
モレノ氷河などと比べたくなる。この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、・一つ一つをとってみれば、
氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に
浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズや
カリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。
丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそく
ウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、
アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。
 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。スイス、パキスタン、ニュージーランド、
パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。
 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。
20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。
50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?アラスカの広大な自然の中で、色いろ考えさせられる事が多かった。
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2002年07月12日  旅行中
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2001年07月12日  旅行中


3394, おテレビ様と日本人 ー1

2010年07月11日(日)

 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」「鳩子の家」テレビ・映画の脚本家として
活躍した人だから説得力がある。 テレビ局からの一方的な押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。その中から、他者の持つ複雑な考えの意味を
理解しようと勤め、自分の考えを進化してきたのである。そして人間は、「考える動物」として、他の動物と違って、
飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。 それが、テレビ様の御かげで、根本から破壊された。
人間が創りあげたテレビという機械に、人間は勝ち目のない戦いをし、それに隷属されている。
 人生は短いのに、日本人の総白痴化が、ここで顕著になっている。 経済、政治について語る日本人の内容の浅いのも
「おテレビ」のお蔭という。 「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、テレビと本を比較すれば言いたいことがわかるだろう。
知的な刺激を求め、人間が本と親しんだその時間の大部分は、今テレビに奪われている。 本には良書と悪書の区別があった。
だが今、テレビに「良番組」「悪番組」などの識別をすることはない。あまりにも一過性で、人に判断の余裕を与えないからだ。
この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 焼け野原の都市に、本屋の数は少なかった。 古本屋はアリババの
洞窟のような魅力があった。実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。 約四万年も前に、柔らかい岩や粘土に刻み込まれた
絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を持つようだ。また同時に人間は、他者の持つ複雑な考えの意味を
理解しようと努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。同意・同感するたびに、あるいは異論を抱くたびに、
人間は人間らしくなっていった。その結果、何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを与えられ、考えるカを失ったために。 
もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史以前、石器時代と同じように、他の動物、野獣たちに戻る日が来るだろう。 
考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、人間だった。それはお互いに自分の損得を優先して
考えるようになったからだ。それは単に金銭、物質の損得への考えだけではなかった。 何よりも人間は、人間らしい人生を
送ることへの損得を考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより実りの多い時間で満たすことができるかの損得を考えた。
そのために競い合い、時にそれが暴力的な考えを誘発し、殺し合いもしてきた。考えることのできない他の動物の存在は敵ではなく、
単に危険な存在、もしくは食料の対象でしかなかった。 だが本を読まなくなり、考える努力をしなくなった人間、考えないで
テレビからの情報を鵜呑みにするだけで満足する人間が増えた今、基本的に他の動物と同じ状態に戻ってしまっているのだ。≫
 ー地方のためか、本を読んでいる人が少ないようの思える。 その結果として考えてないのである。 だから、
 考えている人が分からないのである。その元凶が「おテレビ様」というと、私にも当てはまる。 それでも考えてきたつもりだが、
 最近になって、「深く考えてなかったのでは?」「テレビにドップリ漬かりすぎ?」と反省をしている。 
 しかし野球、映画・ドラマ、世界の自然のドキュメント、歌謡ショーも面白い。 それを熱中してみている家内の顔を見ると
 一種痴呆症的に見えることがあるが、自分もそうだろう。テレビ視聴時間の制限も必要か、それとも今更か。
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3019.旅する力ー深夜特急ノートー3
2009年07月11日(土)
旅する力 ー深夜特急ノート ー3
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
 ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を押してくれたのは、
  1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖が書いた「アレキサンダーの道」という
  紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」の1974年の一月号である。
   その冒頭で井上靖は、こう書いていた。
 《昭和48年の5月〜6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、自動車で巡った。
  約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが初めての経験だったので、面白かった。
  一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、長島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に
 「アフガン、イラン、トルコ」というのは、まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》
    解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。
     だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で考えるしかない。
  旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・・・
  私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。
  これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は以下の通りであった。
  ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ
  持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の『李賀』である。
    解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、その読書は
     特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。
     金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを
     得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
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2654, 結論で読む人生論
2008年07月11日(金)
 「結論で読む人生論 ?トルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)
                              ー読書日記
 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
 著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、
 自虐的な文章が私の性に合って面白かった。この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ?」
 という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがき、の一部を紹介して、次からは、
 それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
 人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。それが自分の人生の司令塔になるからである。
 ーまずは、この本の概要からー
  ー内容紹介ー
 (字数の関係でカット09年07月11日)
 後記) 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。
何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。
特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。
人生論は人生という旅の歩き方に似ている。地図としてみれば、位置や方角がわかるし、
訪れたい場所と他の場所との位置関係もわかる。人生論を考えない者は、地図無しで異国にいるようである。
自分が道に迷って、混乱している者にとって、どの角も道も同じように見える。
しかし実は違うことを人生論の中で示唆してくれる。 人生論を読み、哲学書を読んで考えない限り、
到着した場所はただ行き着いた場所でしかない。 それはそれで良いのだろうが、
その人のレベルでしかない場所だけである。 実際のところ、書いている自分が一番、身につまされる。
若い時に、より多くの地図を見て、計画を緻密にたて、多くの場所を見ておけば良かったのに!と、
この歳になって気づかされる。  携帯電話が、若い人に、こういうジックリ考える機会を奪っている。
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2007年07月11日(水)
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか
                         (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。
真の「豊かさ」とは何か?は、考えれば考えるほど難しい問題である。
そこで「豊かさとは」と検索したところ、去年の11月の「豊かさ指数」というネット新聞記事がでてきた。
ーまずは、その記事のポイントを要約してみるとー
「豊かさ指数」というのがある。 この指数とは、国連開発計画(UNDP)が1990年より
世界177ヶ国・地域を対象に毎年発表している「人間開発指数」のことをいう。
「人間開発報告書」では国民の生活の豊かさは経済的な指数だけでは表せないとして、健康、教育、
所得(具体的には平均寿命、就学率、国内総生産など)などをもとに、人間の豊かさを国別にランクしたもの。
ー2006年の報告では、
1位・・・・・ノルウェー(6年連続) 2位・・・・・アイスランド 3位・・・・・オーストラリア
4位・・・・・アイルランド      5位・・・・・スウェーデン 6位・・・・・カナダ
7位・・・・・日本   8位・・・・・アメリカ   9位・・・・・スイス  10位・・・・オランダ
ーこのほかでは
韓国・26位、ロシア・ 65位、ブラジル・69位、
中国・81位、インド・126位、最下位ニジェール(前年同じ)
ー2006年11月ー
 国連開発計画(UNDP)は9日、06年版の「人間開発報告書」を発表。
経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」を示す人間開発指数で、日本は177カ国・地域中7位だった。
05年は11位で、初めてベスト10から転落したが、今年は景気の回復も反映して再浮上した。
 人間開発指数は、1人当たり国内総生産(GDP)のほか、識字率や平均寿命などをもとに算出した。
1位はノルウェーで01年から6年連続。次いでアイスランド、オーストラリア、アイルランド、スウェーデン、
カナダの順。日本が順位を上げたのは、大学院などの就学率や平均寿命、1人当たりGDPがそれぞれ向上したためだ。
ちなみに日本は1990年,91年,93年ではなんと1位。バブル崩壊でその後10位以下に。(1999年は4位)
2000年?4年間は9位  2005年11位  2006年日本経済の回復から7位になっています。   
 ー以上であるが、
他のHPに 豊かな社会の構成要素を、次のようにあげていた。
1. 不幸がない社会  2. 自殺数  3. 最弱者の生活が保障される社会  4. 格差がない社会
5. セイフティネットがある社会  6. 選択肢の豊富さ  7. 時間的余裕
 これをみると、日本は到底豊かには思えないが、世界と比較すれば、まったくかけ離れて豊かということだろう。
 ーーーー
以上が検索から調べたことだが、日本が1990年から3年間、世界で一位とは?何を基準にしたのだろうか疑問が残るが!、
といって現在世界で7番目というのも、あながち外れているとは思えない?
この上げられている殆どの国には行っているが、順位は正しいようにも思える。
(観光旅行でわかるのか?というが、観えている部分の比較から垣間見ることはできる)
デンマークが入ってないのが、少し不思議だが。オランダとスイスは、なるほど豊かだが、
イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、移民や南北地域の格差で民度が落ちている。
そこで「豊かさとは、どういうことか」と自問自答すれば、まずは三つの側面から考える。
   ・空間的な豊かさ、 ・時間的な豊かさ、 ・金銭・物理的な豊かさ、
次は、・人的側面、 ・家庭的側面、 ・教養的側面、をあげることができる。
時間的側面は、いかに自由な時間を持ちえるか。空間的側面は、自分の置かれた空間がゆったりとしているか。
金銭・物理的側面は、自分の生活をエンジョイするに適当なストックとフローがあるか。
人的側面は、友人関係や職場で嫌な人より相性の合う人に恵まれているか。
家庭的側面では、両親や兄弟、連れ合いに恵まれていたか。
教養面では、自分の心を自由、かつ豊かに保つための知識を培ってあるか。またライフワークを培ってきたか。
ー以上を自分の心でよし!といえる人が豊かな人と定義する。これも、あくまで私の定義でしかないが・・・。
ところで私は豊かかな?? 豊かかどうかは捉えかた次第だが!
まあ、豊かということにしておこう!
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2006年07月11日(火)
1925, シャイン   \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
              ?映画観想日記
何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。今も活躍している天才ピアニスト、
デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。そんなことも全く知らないで観ているうちに『シャイン』の世界に
引き込まれてしまった。この映画の成年期の主役の演技が素晴らしいと思ったら、何と彼は、この映画でアカデミー主演男優賞を
とっていたのだ。ジェフリー・ラッシュはこの映画の後、「レ・ミゼラブル」「恋に落ちたシェークスピア」「エリザベス」
「テイラー・オブ・パナマ」などに出演していた。「それでも人生は続いていく」という主人公の最後のセリフが、
耳の奥に残っている。 この映画の中で演奏された「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が素晴らしい。
何度か聴いたことがあるが、これを演奏できるのは限られた天才のみ!である。クラシックの良さが少しだが解るように
なってきたのは、一年以上の間、クラシックを寝る間際に一時間、聴き続けた結果だろうか。映画の主人公の父親の、
息子に対してスパルタ教育と異常な歪んだ愛。そして二人の葛藤の何とも激しく、矛盾に満ちていた。
「愛情は自分のエゴでしかない」ことが自覚できない父親の愛が哀しい。多くの印象的なシーン
(字数制限のためカット 2010年7月11日)
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2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学
                         ー読書日記
                  若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、
「人間の智慧に限界はない」である。トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
この書はトヨタ式の物の見方、考え方、行動の仕方が解りやすく書いてある。トヨタといえば、「かんばん」や
「ジャスト・イン・タイム」など経営手法ばかりが注目されてきた。
この本はトヨタの精神性ー「哲学」が明らかにされていること。換言すれば、「トヨタそのもの」がテーマになっている。
そこから見ている限り、トヨタの哲学は見えてこない。 この書はトヨタのブラック・ボックスの部分を、トヨタ生産方式の
生みの親である大野耐一氏の直弟子で、「トヨタ式の伝道師」とも言える著者が、自らのノートを紐解きながら語っている。
(以下、字数の関係でカットしました。 2008年7月11日)
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2004年07月11日(日)
 1195, 授かった不思議な力
ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集を読んで、
その中の臨死体験の話に興味を引かれた。何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。歳を重ねれば重ねるほど「不思議」
という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。
私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良くはしない。
やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。人間には、本来持っているが退化して
隠れてしまった能力が多くなるような気がしてならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。
 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
ーー
臨死体験後、不思議なことがありました。 結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が
男性がいらして、「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、
           (字数の関係でカット 2008年7月11日)
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2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記?3
デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。
230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。
「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった
食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、迷わずに参加した。そして大正解であった。
 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのようなセスナに乗った。
20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194?ある山頂を、
下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、
どこまでも広がるアラスカの大地が、この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。
「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。ギアナ高地のテーブルマウンテンの
遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。 マッキンリーの山頂に200??近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく
聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。
この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」。
本当に人生と同じである。ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで行ってきた。
家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけてエド・ディル(修道院)まで行ってきたが、
その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。
あと一歩踏み出したお陰であった。 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、
もちろん文章もである。特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を多く話してくれたことと
アラスカの大地のこの目で見た為だ。  また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。


3393, 閑話小題

2010年07月10日(土)

  * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に知っているかというと疑問?
その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊したのがアメリカである。 金があれば世界の9割が自由になるし、
無ければ今日明日の飯の心配をしなかればならない。 1万円を持って千円の買い物をするのと、1千円を持って
1千円の買い物をするとでは気持ちの余裕が違う。 身近で金にまつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。
親戚が親からの相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。環境=条件が人をつくる典型的事例である。
逆の話しは幾らでもある。 だから、その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
  * 再びユーチュウブについて考えてみる!
 昼休みをYoutubeタイムにしている。見ていると次から次へと面白いものが出てくる。これまではマスコミがチョイスしたものが、
今度はキーワードで、あらゆるジャンルから選ぶことができる。 思いもよらない映像で、その都度、噴出したり真面目にみたり・・
これからはTV局が壊滅するのは当然と思えてくる。 私のブログで毎日のように面白いものを紹介しているが、
色いろのサイトが、それを元もとしていた。 これではダラダラ見のTVが売りの総合局は廃れて当然である。
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。ところが社会に出て、仕事を通してみる年寄りは
機嫌の悪い偏屈の人の方が多いことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった老人の何割かは、明らかに不機嫌と
イライラの塊のような人が多いという事実がある。 しかし今度は自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。 
それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。あの出会ったイライラした老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。 
なるほど人生は60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。それと社会は年寄り向きには出来ていない。 
円熟なんぞは、年寄り仲間でしか通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの出来ない事態と割り切って、
人に見せないようにカモフラージュすべきである。 自分もそうであるように、同年代の知人も老化現象が起こっている。 
他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、待ってましたとばかり受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。 
 先のことを考えられなくなると、過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。 40年前のことを思い出して独り怒ってみたり、
ニヤニヤしたり、年老いた幼児である。これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。
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018, 旅する力 ー深夜特急ノート ー2
2009年07月10日(金)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
第一章 旅という病
 * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
  ―子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなに
   むずむずしなくなるよ」といったものだ。年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、
   と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、その病は治るよ」といわれた。
   いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
    解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
     時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
 * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。
   ひとり電車に乗って行ったあの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。
  「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、
   テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、
   泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。
  「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、
   それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》
    自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、半年間は放心状態であった。
   日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。
   その翌年に、北海道の一人旅や、そして九州、紀州、能登と一人旅をした。
   一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く器量はなかった。
   もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。
   あの21歳の時の旅行は、私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
    ・世界は広いこと 
    ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
    ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである
 ・・・・・・・・
653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
 2008年07月10日(木)
  あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、「何故あそこまで熱狂するのか?」
 戸惑うことが度々ある。人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。
 サッカーで韓国が異常に燃えるのも、先進国に対する追いつけ追い越せ精神が拍車をかけている。現在では、世界共通の
 集団チームプレーとして、代理戦争の様相さえ示している。そう思ってみると、またサッカーが面白く見えてくる!
ー (哲学ワンダーランド・貫成人著)より
 ある時期以降の世界的サッ力ー熱の背景には、「人間の本質」などという、ある種崇高とも見えるような事柄には収まり
きらない複雑な事情がある。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズとリバープレートという
二つのチームがあり、互いにライバルチームだ。 いわゆるダービーマッチ」といわれる同一フランチャイズのチームだ。
・・・・Jリーグなどでは、かつての横浜マリ・スと横浜プリューゲルスなど、ダービーマッチの対決でも、その応援は、
ほかの試合とそれほど変わらないが、アルゼンチンの場合には異なる。・ポカ・ジュニアーズはブエノスアイレスの低地、
港湾地域のひとびとをサポーターとし、・リバープレートはより高台のブルジョワ階級のチームである。
前者は主として、もともと貧しいイタリア系移民労働者の地域であり、後者は裕福なイギリス系移民の住むところだ。
両チームの対戦はしたがって、テクニックやスピード、戦術などの優劣を競う単純なスポーツ試合ではない。
それは、同じブエノスアイレスの住人同士でありながら、人種や階級、言語を異にするふたつのエスニック・グループ同士の
「戦い」なのだ。低地の住人にとってボカ・ジュニアーズの勝利は、常日頃自分たちを見下し、こき使っている富裕層に対して、
自分たち労働者が勝利することであり、高地の人たちの敗戦は革命に等しい。だからこそ、それぞれのサボーターは
「たかがサッカー試合」なのに両チームのプレイのひとつひとつに熱狂するのである。
ー(字数の関係で中間カット2010年7月10日)

・・・・・・・・・
007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 ー2
                        才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
ーヨゴレ自慢女ー
  この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。
 奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
 しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。
 「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
 本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。それがまた、面白いところである。他人を子供扱いをし、
 エロ系などのヨゴレネタが9割といってよい。自らを貶め、その場の人々に対して優越感を抱こうとする、逆説的な「露悪魂」が
 彼女の彼女たる所以である。
 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。
  ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
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2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
                      おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。試合はフランス優位であったが、1対1で終了。
PK戦の結果,イタリアが優勝した。PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダンが
後半の終了間際に、イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。   
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
次の候補に挙げられていた。私の予測は「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、ブラジル」と、思っていた。
イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。これだけは、終わってみなければ解らないことだ。
サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と歴史の差はいた仕方がない。
私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。その方が面白いからだ。決勝戦は、家内がフランス。
私がイタリアであった。 国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。
 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・
   n(0 ̄) ネム~(ρ_-) (/_-)    バイ!ヾ(  ̄ヘ ̄)θキック!(★)゚
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2002年07月01日(月)
 454,面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
   =字数の関係上カットしてます。   タタタタッッ≡≡≡≡≡  ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyёβyё♪
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2005年07月10日(日)
 1559、つれづれに
 ー新潟駅連続立体交差ー
やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。
三年前までの4年間は、朱鷺メッセと東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。
これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き立つだろう。
「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。
たんなる書いた餅ではない。長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。 4棟を建てた辻褄があってくる。
 ー梅雨、真っ只中ー
梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。カラスのツガイが巣立ちした
ばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。
 ー同期会の打ち合わせー
昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。60歳のなろうとしているのだ。
一応、この歳が一つの人生の目安になる。逆成人式というのが良い表現になるだろ。
41歳が同級会で一番良い時という。 そして60歳は次の大きな目安である。
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2004年07月10日(土)
 1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15
ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを
求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、指導者としての力を
最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズムの創始者のムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に歴史的会談をおこなった時にニーチェの
作品を贈呈している。そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、
反ユダヤ主義を軽蔑していた。19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に
要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ。
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。
  ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
 彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的??何かの新しいものをはじめて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にも
 ふれていたが見逃されて いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
                                     ー「人間的な、あまりに人間的な」ー
・善とは何か??人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か??弱さから生ずるすべてのもの。 ?「反キリスト」?
・生きるとは何のことか??生きるとは、死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことであるー「華やかな知識」ー
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
        (字数の関係で中間カット2009年7月10日)
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2003年07月10日(木)
 827, アラスカ旅行記ー2
ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、
雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。スイスのマッターホルンと、パタゴニアの
パイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。ツアー客の全景をみれる確率は20?とパンフレットに書いてあったが、
その20?に当ったのが幸運であった。更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。
その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。日本からアラスカに渡って30年経って、
アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに
街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、
溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの
一言一言が胸に突き刺さるようであった。 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100?の突風で飛ばされたといわれている。 
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、
足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の
生き方とか、彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。
                                ー続く
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2002年07月10日 スイス旅行中
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2001年07月10 北欧旅行中

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