堀井On-Line



3392, 911・考えない・日本人  ー8

2010年07月09日(金)

             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だからこそ、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。」は、分かりやすい。
  = 哲学とは =    (P−217)
* 科学のように進歩発展があるものではなく、その確実性を求めるものでもなく、
 人間が共に語り合って確認しあう過程のことである。
* 哲学とは、人間が「目覚める」ための試みである。
* どんな人間でも、自分が人間であることを意識し、自分の運命や経験を意識すれば、誰でも参加できるものが哲学。
* 哲学は、誰でも、人間である限り手にすることができるものである。
 ただし、他人に教えてもらって覚えるものではなく、自分自身でトライするものである。
* 哲学は真理を自分のものにすることが目的ではなく、それを求める過程のことである。
* 哲学は人間同士の交わりである。
* 哲学は自分が人間となるために現実と関係を持ち、その現実に集中することである。
* 哲学の根源は、人間が森羅万象に持つ驚きと疑いから発するものである。徹底的な疑いが心の中に起きていない限り、
 哲学することは不可能である。
* 哲学の起源はそれぞれの人間が、自分自身の弱さと無力さを認めることであった。その自分のカの及ばないことを
 無関係だと思い、無関心になるならば、人間は哲学を失い、非人間化する。
* 世界の存在は頼りないものであり、信じられないことに満ちている。それらに疑問を持ち、考えない限り人間は人間の価値を失う。
* 人間が人間同士助け合う動物だという考え方は欺瞞であり、常に人間は孤独であり、平和には常に限界がある。
 故にどんな場合でも人間は自分独りで自分にとって確実なことを見出さなければならない。それが哲学することである。
* 人間が自分の挫折をどのように経験するかということが、その人間を決定する要点
* その個人的な困難と困惑の中から、目標を探り出すことが哲学である。
* 哲学することの要点は、次のようものである。すなわち、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。
  〜〜
独りで血の滲むように考えてきたことが、上記のことから読み取れることが出来る。多彩な経験と挫折が豊富?にあるからだ。
人間は考えるからこそ、人間の人間たる所以である。より多く世界を見て、より多く考え、感動すること!それが哲学につながる。
 ・・・・・・・・
3017, 閑話小題
2009年07月09日(木)
 * 中国のウィグル地区の暴動について
ウィグル地区のウルムチで、暴動が発生した。必然的な事件である。中国が、20〜30年前のソ連になるか、100年前の
アメリカになるのか、絶妙な分岐点に立っている。共産主義という建前で一党独裁で強権を支配しないと、多民族をマトメルことは
不可能なのか?、それとも、ソ連のように一度解体をして新たに出直すことが自然なのか、歴史が証明を待つしかない。
ハッキリしていることは、漢民族が少数民族を支配をし、搾取をしていること。 それが、共産主義の建前との隔離が情報化のため
白日に曝されていることから、暴発のキッカケになっていることである。中国の暴動は拡大はすれど収まることはないだろう。 
「中国の民は、サラサラの砂で統治するのは至難の業」。だから独裁統治も必要だが、時代は自由と個人に重心が移動をしてしまった。 
ネットで、それぞれの地区で呼応して暴動が起きる可能性もある。 情報化の流れを押し留めるは困難である。
 * 大阪のパチンコ屋の無差別テロについて
(字数の関係上カット、2008年07月09日)
 ・・・・・・・・・
2652, 人間、互いに理解不可能なのは、如何して?
 2008年07月09日(水)
ある哲学書(*ー参照)の中に、何故人は互いに理解不可能なのかを分解していた。。
長男がUターンで帰ってきて、再就職のことなど、節目ということもあり、話を始めるが全く互いに通じない。
それでいて、居酒屋などに誘うと親子三人が仲の良い家族になる。 そのことを、知人に話したところ、
 ・一人は、「親子で対話など有り得ないこと、会話さえないのが実情だろう。親子であるのは、ただ説得だけ」。 
 ・そしていま一人は、「私の息子は三十半ばになるが、今まで会話さえ殆どしたことがない、
  最近になって上京した時に ご馳走をしてくれと、電話がきだした。会話さえ、していること自体で充分」。
 そういうものか?と、思いつつ、それでも何とか成らないものかと思っていた矢先、わかりやすい道理に出くわした。 
                  <*?(哲学ワンダーランド・貫成人著)第一章の?「話せばわかる」1?3)>
ーまずは、その部分を書き出してみる。
 ーひとは誰でも、自分の「地平」に束縛されているー
二十世紀ドイッの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900?2002年)は、‘理解しえないものをいかに理解可能にするか’ 
をきわめる「解釈学」を構想した。かれによれば、人々がお互い理解不可能なのは各自が持っている「地平」が異なるからである。
たとえば、物置から古い掛け軸がでてきたとしよう。その値打ちを判断するには相当の経験と知識を必要とする。
それに、そもそもそのようなものに価値があると考えていなければ、その価値を判定しようとも思わない。
実際、古いものには価値がないと思われていた明治初年には、貴重な文物が安値で買いたたかれて海外に流出した。
およそ何かを判断するときには、一定の知識や価値に頼らざるをえない。そのような判断や価値付けの拠り所となるものを
ガダマーは「地平」とよぶ。大海原や砂漠に立ったときに三六〇度ぐるりを水平線、地平線が取り囲む。「地平」とは、
地平線の内側、自分が立っている足下とは逆に、地平があればこそ、その中にある何かを認識することができる。
もちろん、今わたしが位置する地平の外側にある対象も、わたしが移動すれば見えるようになる。
しかし、そのとき地平もわたしと一緒に移動しており、したがってその対象が地平の内部にあることには代わりはない。
物置から出てきた掛け軸の場合、この地平にあたるのは、骨董品を貴重とする価値観、その値打ちを判定するための経験、
知識だ。一定の価値観や知識があればこそ、古びた品物をそのまま捨ててしまうのではなく、目をとめ、
値打ちを判定することができる。あらたな経験を積み、地平が移動し、拡大すれば、これまでわからなかった
ものの値打ちもわかるようになるだろう。肝心なことは、自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである。
自分にどれだけの経験があるのか、どのような価値基準をもっているのかのリストをもっている人は誰もいない。
いつの間にか身につけた価値観や経験に応じて、ひとは、その場の諸問題に対処する。
その結果、各人は、自分でも気づかないまま自分の地平に束縛されている。 なにしろ、自分がどのような価値観や経験を
持っているかを客観視する方途はないのである。 しかも、このように地平に幽閉された状態であるかぎり、
それぞれは自分がそれまでに身につけた価値観や経験から、身の回りのすべてのもの、したがって他人をも判断するしかない。
もし、相手が自分とは異なる地平に立っていれば、その相手の言うことや、やることはまるで理解の範囲外ということになる。
古物に意味を認めない人物には、物置の掛け軸を二束三文で売ってはいけないという人物の言うことは理解できないのである。
では、この状況が変わることはありえないのだろうか。自分とは異なる他者を理解しうるためには、各人が「心を開いて」
いなければならないとガダマーは言う。他人の言葉や行為をすべて自分の地平の枠内で処理しているかぎり、そもそも
【自分とは異なるものがいる」ということ自体に気づくことはない。けれども、何かのきっかけで、自分が何らかの地平に
とらわれていることに気づくときがある。そのときはじめて、ひとは自分の地平を対象化し、相対化するだろう。そして、
それまで自分がとらわれていたのとは別の地平もありうるということに気づくことになる。 官僚出身者特有の話し方をしていた
政治家も、落選が続けば、土地の人たちの言葉でしゃぺり、かつ、自分の意見を伝えることができるようになるだろう。  
  ーー
 他人から理解してもらえないという嘆きほど、バカバカしいことは以上からみても解るだろう。
一人の人間を理解するなど、到底不可能でである。自分でさえ理解できないのに。ただ馬鹿なオッサンだけは解るが! 

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2007年07月09日(月)
2288, ちょっとした勉強のコツ ?2
        (p≧w≦q) オッ☆ o(≧▽≦)o  ハァァァァァァ♪ ヨウ    ー読書日記
 この本の中の「三つのことば」についても、面白い!
  ーまずは、その要約をしてみたー
ことばには三種類ある。 ひとつは、生まれてまず覚えるもので、たいていは、ものの名前。
それと、ごく少数の動詞をふくむにすぎない。日常の最小限のコミュニケーションはこれでできる。
この特質は、ものごとを直接的に指し示すところ。‘いま’‘ここ’にある事がらについての表現である。
  これをアルファーとする。
ーもうひとつは、ベーターのことばとする。
これは、人間の文化、価値のあるウソを多くふくんでおり、そういうものにかかわりのあるもの。
虚構、フィクション、創作、創造など。 昔話、おとぎ話などをいう。昔話をきいているうちに、見ることのできない、
触れることもできない非現実的世界を頭の中に描き出すようになる。 つまり、想像力によってストーリーを理解することば。
?そしてもうひとつは、ガンマーのことば。これにはベーターのことばと違って、ストーリーがない。その代わりに、
ものごとの関係を扱う。それは論理といいかえてもよい。物語りや小説を読んだだけではガンマーのことばは育たない。
論説や理論のある文章、表現にふれることで体得するほかはない。
(字数の関係上カット、2008年07月09日)           ヾ(。´・ェ・`。)By?               
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2006年07月09日(日)
1923, 孤独であるためのレッスン
 おっ w(゚Д゚)w ハァョ?   著・諸富祥彦
        ー読書日記          
孤独について何度か書いてきた。自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな人間の課題である。
図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に
死んでいく。その土壇場で人は死を恐れるのではなく「自分はやりたいことをやった!」といえない自分に直面することを
恐れるのだという。真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を
無視するか、処理をして、やりたいようにしないと仮面の人になってしまう。仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)
と信じている。この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。
 そのための条件を以下のとおり書いている。
  ー孤独であるための八つの条件ー
一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
二  人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
三  自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。
六  ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。 そう思える人を見つけよ。
八  自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め まあ、巧くまとめたものだ。
また、ー孤独の中の四つの出会いー  を一章にわたって書いている。
   ・自己との出会い ー自分の中の深い自分と出会う
   ・他者との出会い ?深い孤独を知っている他者と出会う
   ・普遍的なものとの出会い ー深い孤独の中に普遍的なものをみる公平な内なる観察者
   ・`人間を越えた何’かとの出会い
        ?人間を越えた何かは大自然の深い波に出会い感動した時に感じる何かである
  (字数の関係上カット、2009年07月09日)         
・・・・・・・
2005年07月09日(土)
1558, BOSEのステレオー6
 購入してから4ヶ月経つ。7万円台のものでもよかったのではないか?と疑問を持ちはじめた頃、
TVの横から、6m位先の部屋の隅に置いてみた。 そして、それが正解であった。
二m先のTVの横なら7万円代のものでも充分だが、部屋全体の反響を使って聞くなら、これが丁度よいようだ。
ただ、このコンポの効果的な使い方を知らなかったのだ。そして、このステレオの良さを改めて知った。
それと「ベストクラシック・100」シリーズが、3千円で販売された。 100曲で3000円は安い。
・ベストクラシック・100
・ベストクラシック・100モア
・ベストピアノ・100  と買いこんだのが良かった。
半分ほどは、過去に買ったシリーズのCD に入っているが、音質がよくない。家内には、「7万台で充分だったのでは?」と、
言われつづけてきたが、位置を変えてからは何も言わなくなった。イギリス人はゴルフやテニスなどの道具は思い切って良いものを
揃えるという。良い道具を揃えると対象に気持ちが入るし、途中でやめるわけにいかなくなる。また一生物になる。
今まで、音楽に対してはそれほど興味があったわけではないが、一日一~二時間は聴くようになった。
「人が皆、我より偉くみえる日は、コンポを聴いて妻と愉しむ」というところか!
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2004年07月09日(金)
1193, ニーチェ(1)
 ー哲学についてー14
  ー概略はー
ドイツの哲学者。(一八四四?一九〇〇) 実存哲学の先駆者。キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、
強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。機械時代・大衆支配時代に対する批判は、
一面ファシズムの支柱ともなった。 著「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「道徳の系譜学」「権力への意志」など。
  ーーーー
 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を
 最大限発揮するのが男の務めと考えていた。儒教的頑張りズムに相通じるところもあるが。 自分が考えることは、しょせんは
 全てが借り物。ただ借り物と意識をしないで踊っているにすぎない。それを気がつくかつかないかでしかない。
  ー印象的なことを書き連ねてみると、 
 この世には神は存在せず、人間には不滅の魂などないというショーペンファウアーの主張には賛同した。人生とは大部分が
 意味のない苦しみや争いの連続で、[意志]とよばれる非合理な力に引きずられていくだけという点でもショーペンファウアーに
 同意している。しかし、この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではないという彼の主張には反対をした。この世界こそ
 すべてだと考えた。更にショーペンファウアーの「人はそのような軽蔑すべき世界から背を向けて、関わりを持たずに生きるべきだ」
 という結論を否定した。 逆にニーチェは、「人は自分の人生を精いっぱい生き、可能なかぎりのものを手に入れるべき」と考えた。
ニーチェ哲学の最大の課題は、
 「神が存在せず、意味もない世界で、人はどのようにすれば情熱を持ち続けながら生きていけるか」。
 自己の能力を最大限に伸ばした人間は一種の超人的存在であるため、ニーチェはそれを「超人」といった。
 ニーチェにとって人がもつべき最高の価値観とは「自己の人生を肯定する」ことであった。
 「誰もが完全に自己を表現し、充実した人生を送り、人生を肯定すべきである」と説いた。
ニーチェの二つの主張がある。
・充実した人生そのものこそ意味があり、価値があるとした。 充実した人生は芸術作品のようである。
・すべては永遠の無に帰すのではなく、永劫回帰する、というものである。
 時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前おこったことはすべて、
 ふたたび巡り帰ってきて、その後永久の時を経て同じことが繰りかえします。
 人は精いっぱい生きることで、永遠に生きたいと思う人生を送る。
 時間は永遠に繰りかえすことで、限りある閉ざされた世界にいる人間に、永遠といえる生命を与える。
                          ーつづく
・・・・・・・
003年07月09日
 826, アラスカ旅行記 ー1
一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日行く前は、もしかしたら
「外れ」になるのではと不安であった。山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。
良ければ必ず情報が入ってくる。このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、
アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。ーだいたい一般の30?OFFあたり。
ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを現地ガイドに聞いて
初めて知った。今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。
直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、ソウルに飛んでそこからの直行便で行くかどちらかである。
その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。ーソウルからの直行便は出ているが、
日本はないということ。その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、6時間というのは信じられない感覚である。
全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、
ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。
ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。 あまり期待をしていなかったが、実際に見るマッキンレーは
 想像を絶する素晴らしさであった。特に軽飛行機から見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。
 ー詳しい内容は明日書く予定。
2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、実際は決して見劣りしない素晴らしい内容。
3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。 どこまでも単調な景色でハイビジョンで
 見たものとは違っていたー値段の高い展望車でなかったこともあるが?それと天気がよくなかった。
4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを詳しく 話してくれた。
 彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た おもいであった。  
            ーこの内容も後日書く。
                           ?つづく
・・・・・・・
2002年07月09日 スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月09日 北欧旅行中


3391, 911・考えない・日本人  ー7

2010年07月08日(木)

   「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 陽気なロボットが、日本人の原型    (P−192)
≪ 三歳児以下の日本人。自分を客観視するアイの代名詞を持たず、他者を客観視するユーを持たず、故に内言語が生まれず、
故に反省意識が生まれない。故に知性が育たない。故にその近代史は「突き当たり」の連続だった。故に人類で唯一無二の
原子爆弾被爆経験民族の栄に輝いた。「過ちは繰り返しません」と、善のアメリカに原爆を頂いた悪の日本人は、
見当違いの悔恨の思考を働かせて死者に誓い、賑罪をし、より一層の悪化を改善と信じた。こうした日本人の三歳児性は、
無論原爆の出現やその被爆とは関係ない。 われわれ日本人は動物心理をの水準を超えたことは一度もないのだ。
知能ではなく、心理として狸や狐と大差ないということだ。彼らも内語を持たず反省意識を持たないからだ。
原爆を落とした悪よりも、落とされた状態をつくった自分のほうに悪を見る脳みそは、内言語と反省では作りえない
言語以前の反応である。ニャーという猫言語が、ワンという犬言語に尻尾を巻いた心理・外言語構造である。
動物には外言語しかない。いや、言語ではなく、吠え声、鳴き声だ。日本人はその「音」を使ってきた。
「訓」ではない。もはや音と訓の区別もつかない。どっちがどっちだっけ?ハヤシ?リン? ・・・
人間が人間の条件とされたものを次第に失っていく西欧社会や、アメリカでは「陽気なロボット」(自己満足した
卑小な人間の形容)。人間としての尊厳さも、崇高さも字のとおりの意)とか、色いろある。どれも絶望的に
人間性を失った人間を嘆く言葉であり、その論証には反論の余地がない。≫
 〜〜
 この辺の論も外から見た日本人の姿をシビアに表現している。あまりにアメリカに飼いならされ良いように収奪されても、
それさえ気づかない三歳児以下の日本人の滑稽さを嘆いている。「アイ」と「ユー」さえ持ちえず「ウィ(我われ)」しか言えない
幼児性から抜け出れない日本人。そして、あと二年後にアメリカは??を宣言、日本が持っているアメリカ国債と、
ドルの価値を半減にしてしまう。それが分かっていても、どうもこうもならない陽気なロボットの日本。それが現状の様相である。
・・・・・・・・
16,旅する力 ー深夜特急ノート ー1
2009年07月08日(水)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    ー読書日記
 深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでもドラマ化されたが、これも良い脚本であった。
その後、彼の本を何冊か読んだが、それに勝るものはなかった。 この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、
旅の指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っているようだが、そうだとしても納得できる。
全体の総評を書こうかと思ったが、一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと判断して、
何回シリーズで書くことにした。
 まずは ー序章  旅を作るー から
   一行目の出だしからして惹きつけられる。
*「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には大槻文彦が『大言海』で記した次の定義がもっとも的を射たもののように思われる。 
 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー
 ・・・しかし、旅は同時に、終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。そこには旅を作る、という要素が入り込む
 余地が生まれるのだ。人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではなく、旅をする人が作るのだ。・・・
 (解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、旅行は目的地に行くことを
 主にすることをいう」ということは知っていた。私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、そして、
 文化・文明というより、大自然に触れることであった。それは目的地だけでなく、その移動の中に垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の姿が整えられていく。
  夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのようにして、旅を作っていく。しかし、人によって
  その作り方は違ってくるだろう。だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。
(解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を書いて総括し、写真を整理し、そして、
  その後にガイドブックや、ネットで情報を取って記憶を再編集する。そして、何時かTv番組で放送をしているのを見る。
  その都度に一度行った旅行が再編されるのである。だから、どんどん自分が膨らんでいく。
  とにかく一度その地に足を入れることである。 そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。
・・・・・・・・
2651, ロジャーズ 中国の時代 −1
 2008年07月08日(火)
最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。20年近く前に
中国を訪れて以来、5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、この本によると、更に変わっているようだ。
ただ、その劇的な成長に対する反動が、どういうカタチでくるのか問題だが。そのクラッシュ後の中国は、これを読む限り
より大きく成長するのではと思われる。ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き国際商品の高騰を予言した冒険投資家。
これは中国株投資の手の内を明かした全米ベストセラーになった本。どのページを開いても、唖然とする内容である。
この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ100倍になったのである。ロジャーズは、「現在の中国は、
1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。ソ連のように分裂というカタチを通るのか?
これだけの大国を束ねるのに、一党独裁という強権も必要なのか? 独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、
やはり同じ道を通るのだろう。 この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。
  〜〜
中国人の友だちが言うには、
「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した
中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、
世界経済が何十年にもわたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。
扉を閉ざして社会主義の桃源郷を作ろうとしていたのだ。 私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。
民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。
いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、
仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、新しいことを始めたりするのも不可能だった。
生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。
そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、
成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」
 〜〜
 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。
下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。
・・・・・・・・・・
2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!            ー読書日記ー
 外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、内容が濃いからだろう。 冒頭からして、
深く考えさせられる。特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、少し取上げたことがある。 
敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。
 ーオーストラリアの蜜蜂ー
かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、
オーストラリアでは常夏のように年中、なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。
こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、
仕事は始まった。最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、やがてほとんど蜜を
集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、いつも花があるからだという意外なことがわかった。
ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。年中花のある恵まれたところに移って、
蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。人間も概して、
きびしい環境におかれた方がよく働く。欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。
寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。それがやがて社会の繁栄に結びつく、
そう考えるのである。悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。ハングリーならよく働くというわけだ。 
ひとりひとりについても同じことが言える。いまアメリカでもつとも優秀な学生は、ベトナムやカンボジアからボート・ピープル
としてアメリカへ渡った難民家族の子女であると言われる。ハーヴァード・イエール、プリンストンなどの名門大学へ
すいすい入学する。ハーヴァードなどでは定員の二十パーセントを超えて問題になったほど。べトナム・カンボジアからの
難民が秀才、才媛だけをつれて行ったわけではあるまい。不目由・不如意な環境で育ったために、石にかじりついても、といった
勉強をした。ハングリーだったからこそ、目ざましく学力をのばしたのである。
ーー
現在の韓国や中国、そしてインドの若者が目覚め、必死に学んでいるが、ユトリ教育とか訳のわからない理屈で遊び呆けてきた
日本の若者の姿が痛た痛たしい。この文章は本の発刊の3年前の10年前に書かれた内容である。現在の日本は更に問題が深刻化している、
いや、表面化してきたということだ。「茹で蛙」という言葉があるが、自分が茹で蛙と気づけばよいが、茹で上がった蛙は、
その自分の姿が解らないものである。 それも、周りの蛙がホボ茹で上がっていれば、気づけというほうが無理? ・ω・]ノ ヂャァネッ !
・・・・・・・
2006年07月08日(土)
 1922, 第二次・関東大震災
       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/           
今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7)
の地震が起こる確率は70?という。その時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。死者は最大で13000人というから、
1000人に一人になる。イメージでは5~6万以上の死者と思えそうだが。700万人の避難者が出て、建物の全壊や焼失は85万棟。
損失の総額は110兆円と予測される。国家予算の150?になる。もっと、恐ろしい事実がある。マグニチュード8程度の
地震発生が予測される原発が、世界に一つある。中部電力浜岡原子力発電所である。 政府や電力会社は「『安全基準』を満たしている」
というが、専門家の間では、安全基準自体を疑問視する声が根強い。よく、そんな場所に造ったものだ。東海地震にしても、
関東大震災にしても、単独ではなく、一つの地震につづいて起こる可能性が高いという。そんなこと考えることないよ!
というかもしれないが、一昨年の暮れに、私の地元でマサカの大地震があった。夜になると近所は真っ暗闇になり、近くの学校に
被災者で一杯になった。そして新幹線が脱線をして惨劇一歩手前。現在でも裏の我が家の貸家には『被災者が住んでいる』という事実がある。
私なら、間違いなく何処かに引っ越すが! もう一度言う、間違いなく引っ越す。せめて住居は埼玉か、千葉か、鎌倉かにする。
歳を召されたかたは、それも寿命でよいが! 地震の予知は、実際のところ無理だという。関東に住むのも、働くのも、
命がけになったのだ。少し脅かすと、関東沖でインドネシア沖の大地震クラスが発生して大津波が来たら、数十万でなく・・
今月の日経新聞の「私の履歴書」は小松左京である。「日本沈没」を書いたSF作家の・・ 
日本の人口は昨年より減り始めたが、東京の人口は、この先10年間は増え続けるという。
年配を中心としてだから、それはそれでいいか? 30歳と27歳のわが息子よ! うするっぺ~か? 埼玉辺に住むようだから、
安心か〜 それに避難所も、三国の山を越えればあるのだから、大丈夫か! 越後も、日本海に面して、北朝鮮の頭のいかれた
ドン様がミサイルで恐喝をされており、柏崎原発にミサイルを・・・ どちらも同じことだ・・
              i (ω・`) bai
・・・・・・・・
2005年07月08日(金)
1557, 宇野千代ー3
 ー 宇野千代語録 −2
忘れるということは得なことである。 私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、すぐに忘れた。
人と別れても、決してその人を恨んだりはしないから、或る時が経つと忽ちその人とまた仲良しになったりする。(「願望」より)
 ー内語ー  そうだよな〜、そうだよな〜! でもなかなか、それができないのが人間の弱さ。 この人、強い人なんだ!
あ、いやだなあ、つらいなあ、とため息をつく代わりに、ちょっと心のチャンネルを切り替えてその答えでも見つけるつもりで、
幸福の種を探してみてください。最初はなかなか大変でも、くり返しているうちに、すばやく見つけられるようになり、そのうち
どんなときにも幸福を探すのが癖になります。そこまでくれば、あなたは達人、私と同じ幸福探しの達人になれます。
(「幸福に生きる知恵」より)
 −内語ー  そうか?そうか!
「粋」とは「とりつくろわないもの」のことである。化粧はしていても、決して、してはいないように、素顔であるように
見えなければならない。身なりもとりつくろわず、自然で、小ぎれいで、しゃんとしていなければならない。(「願望」より)
 ー内語ー  純粋の粋か?
「お洒落をしない人間は泥棒より醜いと思う」女は幾つになっても、お洒落をすることを忘れないようにしてほしいものだ、
と私は思うのである。世間には、お洒落をしないことを自慢のように言っている人もあるが、しかし、私は、
そのときそのときに会う相手に対して、それでは失礼ではないかと思う。(「しあわせ人生」より)
 ー内語ー 泥棒の方がまだまし?・・・、まあいいか! その位、自分に対して気を使わなくてはならないということ?
恋人同士、または夫婦同士で、別れたくない、いつまでも愛し合っていたい、と思う間柄の人たちは、
ちょっとの間でも、決して遠く離れて暮らしてはならない。      (「願望」より)
 ー内語ー  深い言葉だね!離れれば、直ぐに、その言葉ー気持ちの真実が見えてくるものね!
人間はいくつになっても、恋愛をしてはいけない、と言うことはありません。
それどころか、恋愛感情の枯渇している人は、もう、人間をやめているのだ、と思いませんか。 「普段着」より
 −内語ー(            )
理解するとは何か、ただ、ただ、そのもの自身を尊敬することである。
人々よ、あなたが何事をでも、理解する事を望むのであったら、ただ、ただ、
そのもの自身のことを、とことんまで尊敬することである。    (「普段着」より)
 −内語ー  そうか!そうか!  
人間同士のつき合いは、この心の伝染、心の反射が全部である。何を好んで、不幸な気持ちの伝染、
不幸な気持ちの反射を願うものがあるか。幸福は幸福を呼ぶ。幸福は自分の心にも反射するが、
また、多くの人々の心にも反射する。(「生きて行く私・下」より)
 −内語ー  すべての根っこに夫婦関係があります!
・・・・・・・・・
2004年07月08日(木)
 1192, 国家破綻?ー読書日記
       藤原直哉 長岡中央図書館 2004年7月3日
この4月に出版された国家破綻?を読んで、暗澹たる気持になった。
前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことができた。不況をセンセーショナルに
書いてあるが、ジックリと読んでみるとけっして誇張には思えない。現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、
少し景気が持ち直しているように見える。しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。
去年の11月のりそな銀行の破綻、そしてUFJ銀行のトップの追放劇などからも、その根の深さに只ならぬことが垣間見れる。
現アメリカのブッシュ政権も風前の灯である。小泉首相も改革といいながら実際のところ何もできない現状を見ていると、
20世紀的なものの最終崩壊の時期がきているようである。アメリカとイスラエルはマスマス世界から孤立、アメリカ経済も
いつ崩壊するどうかの状態といってよい。現在、好調に見える中国もバブルのピーク、はじけるのは時間の問題だ。
円もドルも輪転機でこれだけ多く刷っていれば、何時かは価値がなくなり、紙くずになる。ハイパーインフレが必ず来るという
筆者の主張も当たり前といえば当たり前である。国民向け国債を販売したら、国家としての体をなさない状態と五年前に聞いた
ことがあったが、いつの間にか販売を始めている。第二次世界大戦で国家が大量に国民に売り出し、敗戦と同時に紙くずになった
歴史がある。紙くずの分配でしかないのに国民は気がついてないのだ。もう守れる資産は現物の金を持つしかないという主張も肯ける。
現状を考えると、どうしても悲観的になってしまうのは仕方がないことか。
・・・・・・・
003年07月08日ー アラスカ旅行中
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2002年07月08日ー スイス旅行中
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2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!
まずコペンハーゲンへ
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由    2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド         4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。
5日目はストックホルムへ             6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ                8日目はレニングラード
9日目もレニングラード              10日目モスクワ
11日目帰路                   12日目早朝成田。


3390, 閑話小題

2010年07月07日(水)

 * Yotube の世界
 ビデオ・カメラを購入しアップロードをした機会からYoutubeを見るようになった。
それから面白い画像の紹介を私のブログ「バード・ウォッチング」で、毎日のように紹介している。
世界中でYoutubeの面白映像の話が会話の中で取上げられているのを真似たのである。 
そうすると意識して探すようになる。ブログには一日一枚の写真を載せているが、適当の写真を探し出すのが大変だが、
それよりもズット楽である。 「面白い、衝撃的、軽いもの」を中心にアンテナを立てているが、次から次へと
底知れず出てくる。一日20憶のアクセスも分かるような気がする。
 * 角界賭博の処分は妥当?
 この業界?の感覚に今さら驚いている。 解雇の二人は除名に、所属していた部屋の取り潰し、理事長以下三人は
責任をとって辞任、名古屋場所は開催中止、これが最低の断罪である。 それを外部の理事代行案を潰し、
内部からの理事にしようとし、あわや大問題になる直前までいった。 何が起きてしまったか理解できない社会音痴である。
考えてみれば相撲も暴力をルール化した見世物興行。 あの着物や、相撲部屋制度、ヤクザ社会に酷似している。 
その世界に一般社会に適応させるのは今さらと言える。 その世界の理事だから、この処分が厳しく感じられるのである。
 この問題は、これが入り口で、まだまだ何かがでて来るはず。 ところで突然に貴乃花親方が協会に辞任届けを出した。
別に自分の部屋から賭博常習者を出した訳でないのに。何かある?と思うのは当然。 仮説だが今度の野球賭博で槍玉の二人が
貴乃花が理事の賛成者である。 ということは、「それを良しと思わない理事の誰かが暴力団に働きかけて問題を表ざたにした
結果」と推測するのは私だけでないはず。 まさか、ここまでの問題にはなるとは思ってなかったが、何故、貴乃花に親しい
関係者が多く槍玉に上げられたのか? 彼は元もとある相撲協会の暴力団の付き合いや、賭博常習が体質にあった実態の中で、
何で自分たちだけが?と不満を持ったと見るべきだ。リンチ殺人、ドラッグ、八百長に、暴力事件に、何でもありの世界である。
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3015,エジプト・ピラミッドの謎
 2009年07月07日(火)
一昨日の日曜夜のーNHKスペシャル・エジプト発掘 第1集 「ピラミッド 隠された回廊の謎」が面白い。
一昨年、二度目のクス王のピラミッドを見学してきたが、あの巨大なピラミッドを5000年前にどのようにして
造ったのか、これまでも多くの番組で取り上げていた。 その中で一番尤もらしいのが、
「砂漠の砂をピラミッドの周囲に建設の高さに積み上げて、巨石を運び上げる方法」であった。
しかし、今回の説は違っていた。 岩を上に搬送するトンネルを螺旋状に造りながら上に運ぶという説だった。 
近くの崩壊した小さなピラミッドにも、そのような痕跡が見て取れた。
  ーNHKのHPの番組紹介からコピーからー
【 今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。その後500年あまりに渡ってピラミッドは建造され、
その数は現在確認されているだけでも100個を越える。その中でも最大規模を誇るのが、世界遺産にも登録されている
「クフ王の大ピラミッド」。高さ147メートル、底辺の長さ230メートル。世界最大の石造建造物である。
平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られている大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。 
クレーンもない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、
そこ答えは出ず、古代エジプト史上、最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという人物が現れた。
フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。彼は、最新技術を駆使し、建築家の視点から、
「内部トンネルを使って建設した」という独特の説を世界に発表した。番組では、ピラミッドの登頂調査をはじめ、
ウーダン氏のピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎を興味深く解き明かしていく。】
 ー以上だが、近年になって、ピラミッドの近くに、その建設に従事した労働者の村が発掘された。
その調査から分かったことは、4000人の労働者が20年の歳月をかけて造られたという。その人数で二十年で300万個の石を
積み上げるに、一個辺り2分しか掛かってないことになる。とうことは、かなり合理的なシステムになってなければならない。
石を運ぶ上げるにソリに乗せ、下に円滑油を振り撒いていた絵が映し出されていた。 
 ところで、エジプトには古代遺跡の7割が存在しているという。初めは耳を疑ったが、事実である。
ナイル川クルーズで、各地の遺跡を見てまわるのが欧州では一番のレジャーとも言われているようだ。
 ルクソール、カルナック、アブジンベルなど、驚きの遺跡が次々と見ることができる。
・・・・・・・・・
2650, 資源世界大戦が始まった
 2008年07月07日(月)
図書館で「アメリカ狂乱」とともに借りた元NHKの日高芳樹の本である。サブプライム問題から始った問題は、
アメリカの覇権の終了なのであろうか。その中にあって、資源のない日本はどの方向にいくべきか?などを問うている。
やはり、この本を読む限りに日本の行く末は悲観的になる。アメリカの属国でしかなかった日本が自立する道はあるのだろうか。
「資源世界大戦が始まった   2015年日本の国家戦略 ー 」日高 義樹 (著)
 ー内容紹介
独裁国家・北朝鮮が大国アメリカを揺さぶる現況は、ヒトラーが台頭した1920年代に酷似している!? 米国の要人と直接
対話して得た独自情報から、日本と米国の数年後の未来を高確度で読み解いた、衝撃の最新作。政局の混迷が深まる危うい
日本の行く末を、大統領選を控え、変わりゆくアメリカの世論と政策、政界の要人たちの発言をもとに近未来を予測。
 ーカバーの折り返し
アメリカの力の後退と中国の台頭は世界に、1930年代の再現ともいえる混乱をもたらそうとしている。
この本では、国際社会で現在起きている情勢を世界的な視点から整理すると同時に、
日本は自らを守るための国家戦略をいかに立てるべきかを考えてみたいと思う。 <序章より>
 〜〜〜
ー大ざっぱに、概要をまとめるとー
●「石油資源」を軸とした、近未来の世界は、土地を取り合う戦争から、資源(石油)の奪い合いになるという。
 マクロ的には、地球温暖化のため、厚い氷が溶け出している北極圏では、現在、国家間での激しい資源争奪戦が始った。  
 世界各地にある、平和利用目的の原子力施設を、高精度になったミサイルで攻撃することで、核兵器を持たなくとも、
 通常兵器が核の抑止力となったこと。
●石油価格の高騰で、ドルの価値が低落しており、ドルが世界の基軸通貨としての存在を脅かされている。
  (字数制限のためカット 2010年7月7日)
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2007年07月07日(土)
 2286, LSDを一服した状態とは、どんな状態? ?1
                    おはよー (((。・-・)从(・-・。)・゜
植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。 ただし、30年前の本で、著者もこの本を出した直後に亡くなった。  
しかし内容は、朽ちてはいない!「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが古今東西、植草甚一の読んだ
麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。図書館で借りてきた本だが面白そうなので、ひととおり目を通して、
中古本だが、直にアマゾンで注文をいれた。 麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬をまさか使うことは出来ないし、
中毒になったら取り返しがつかない。といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を経験してみたい誘惑もある。
まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態なのか、知識として知りたくもなる。 
手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。私の枕元にはトリップの状態に近づける音楽のCDのセットがある。
買って10年近く、寝る前などに聴いてきたが、そのためか寝つきが非常によい。酒を飲んだホロヨイの気分と同じである。
私の場合、秘境旅行や、酒席などの盛り上がりなど、至高体験を数多く経験してきたので、少しアルコールを飲んだり、
寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積がある。 体質的に脳内には回路が出来ている、ということ!
その体験の倉庫に入るようにすればよい。以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの「麻薬への旅」の中の
一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か持っているが、どれも似ている。ともかく、面白く解りやすいので紹介しておこう。
 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー

ーーー        p・12~13「カトマンズでLSDを一服」
 ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1?の値段が150フラン前後(ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、
ヒッピーの顔ぶれは変るが、いつも400人ぐらいいるそうだ。力トマソズには彼らの連絡場所になっている
「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さなキャバレーがあるが、ある日のことリーというアメリカのヒッピーが
LSDを持ってやってきた。そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた小コミュニティの
テソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、
著者ポルは書きはじめる。 暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。
みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。夜の静寂さ。二十分したとき、耳のうしろの首筋が
急に熱くなったかと思うと、舌ざわりが金属的になった。まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。 
すると始まったなと思う感覚の変化。神経が局部的にピリッと硬直し、その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった
気持である。いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、まわりの知覚世界に溶けこんでいく。 
それがすこしたつと、こうなった。 焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、
いや火の向うに存在しているようだ。というのは火や明りや影が、ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、
まわりの世界を、ぼくが上からフタをしているような気持になってきたからである。
それなのに、ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。
(字数の関係上カット2008年7月7日)
・・・・・・・
2006年07月07日(金)
1921, ドラッカーの遺言        才八∋ウ_〆(∀`●)
 去年の暮れ、20世紀の経営思想をリードしたドラッガーは世を去った。
 *「自らの強みに重点を置け」
 *「知識こそ、最大の経営資源である。‘学習こそ、一生涯にわたる冒険’として心から受けとめること」
 *「自らをイノベートせよ!」、
 *「『問題重視型』の思考に囚われるな。『機会重視型』の発想を持て。」が、彼の思想の中核を占めている。
  全く「新しい時代」を生きる私たちへの最後の遺言としてみるとよい。
 ドラッガーは我われに大きな経営思想をのこし、昨年の暮れに亡くなった。                   
 ー以下、(少し時間がかかったが)この本から要点を抜粋した。
  ーー                    (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
●国境が消えた
 インターネットの普及によって国境が取り払われ、国と国の距離はゼロになった。スペイン語を使えこなせる私の孫娘は、
いつでも好きな時にラテンアメリカから発信される情報にアクセスできます。
 言葉の壁を乗り越えさえすれば、世界中のあるゆる情報を瞬時に手に入れることができる。
●グローバリゼーションについて語っている時、人は情報について語っている。グローバルの時代の武器は英語力である。
●絶えざるイノベーションによって、常に新しい価値を創造せよ。
●西洋の価値観に支配されない「まったく新しい世界」が登場する。
●「時代の変わり目」にいま自分がいるという自覚を持て。 この転換期は30年続くであろう。 誰も知らない世界が来る。 
 異なる価値観が共存する新しい世界では、ソ連崩壊後の15年間、唯一超大国として君臨してきたアメリカも、その支配力を失う。
 超大国が持つ「権力」でなく、グローバル化した「情報」によって世界が強固に結びつく時代が来る。
 ーそれは誰も理解しない世界であり、まだ見ぬ世界に不安を覚えるのは当然のことといえる。
●新しい秩序へと向かう混迷した世界の中で、新しい重責を担う二つの国がある。
 一つはイギリス(西欧への窓口)、いま一つは日本(アジアへの窓口)である。
●日本が直面しているのは危機でない、時代の変わり目である。 時代が変わったことを認め、
 その変化に対応していくための意識改革に取り組むべきである。?その変化を拒絶してはならない。
●国際競争において意味を持つのは、唯一「知識労働における生産性」のみである。
●情報化が進展する新時代の世界経済のもとで、最も苦労する国は日本である。
 つねにイノベートを追求し、新しい価値を生み出すことでしか、日本は生き残れる道はないー。
●情報経済というまったく新しい世界経済の中で、日本は最大の難関に直面することになった。立ちはだかる相手は
 インドと中国です。この両国が急速に経済大国の仲間入りすることで最も脅威にさらされるのは、日本なのです。
●人はリーダーに生まれない。リーダーとして振る舞える習慣を持つ人が、リーダーになるのだ。
●現実における変化h、決して以前のものとは同じにならない。そして、机上で考えるより変化は先に現れるー。
●過去50年間で最も大きな変化は、教育において現れた。
 変化し続けるスキルを身につけるため、絶えず教育に立ち返ることが個人のイノベーションを促進する。
●最も重要なことは、個人個人が自らの未来を切り拓くことである。
●成果を得るために、どんな強みを活かして、何をしなければならないか? ー経営の本質は、すべてこの一言に言い表されているー
●『自分の仕事は何か』『何が自分に適しているか』『自分に何が適していないか』を突き詰めるべきである。
●どんな職業であれ、有能な人間は自分の得意・不得意を熟知している。
 そしてそれを知り抜いているから、生じた変化に柔軟に対応することができるのだ。
●決定の本質とは、将来に対する現時点のコミットメント」でもあります。
 決断通りにことがうまく行きません。だからこそ、リーダーは注意深く人の話を聞き、
 リスクとチャンスのバランスを考え抜き、人選にできる限りの時間を割く必要があります。
●絶えざるスキル・アップを達成するためにも最も重要となるのは、自分の強みを把握することです。
 自分が何を得意とするのかを知り、磨きをかけていくー
 これこそ個人のイノベーションの要諦であり、成果を挙げ続ける唯一の方法です。
●個人の長所をどうして見出すか? それは過去のキャリアの中に現れています。 何をうまくこなせたか、こなせなかったのか。
   ー
以上だが、どの言葉も鋭く響いてくる。日本人は特に英語を学ばさなければならない!これが解ってるかどうかである。
                 i (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年07月07日(木)
1556, 将来の不安?
  ー島田裕己「不安を生きる」より、さらに抜粋してみる。
「不安というものからは、そう簡単に逃れられない。逃げられるような気がしても、実は隠していただけに
終わっているのかもしれない。 不安なのは覚悟が決まっていないからで、どこかで一度しっかり覚悟を決めないと、
不安から逃れる道を見つけ出すことは出来ない。」「信仰を持ったって、必ず不安になるのです。そんな呑気な人は世の中にはいない。
何も疑問を持たずに一生そのままいける人ってあまりいるものではない。不安そのものを根本的になくすと発想しないほうがよい。
山岸会の場合も、ユートピアをめざす運動として幸福一色の世界実現を考えた。それがユートピアの恐ろしいところであって、
人はユートピアのなかで幸福でなければならないという考え方に陥ってしまいがちなのです。 そうすると、幸福でない人、
不安を抱えている人が出ると、その人が間違っているとして批判を受けたりする。そうすると、その反対の逆ユートピアに転じていく」
「だから社会は、若い女性達に結婚しろというメッセージよりも、結婚なんてしても幸せにはなれない、
子育ては大変だというメッセージを流すことに熱心です。なんとか不安に安住させて、癒しを求めて消費させようとする。
それはもしかして、巨大な詐欺ではないか。社会のメッセージでは、結婚は自由が奪われるという面ばかりが
強調されすぎている。」「欧米社会は、カップル社会で独りでレストランに出かけていってもよい顔をされない。
カップル社会はデート社会だから、金曜日や土曜日にデートする相手がいないとかなり苦労するという。
魅力のない女というレッテルを貼られる。 日本では、それがないから、色いろな産業が彼女らを狙う。
不安産業でいうと「エステ関連ー癒し産業」などである。それに女性は踊らされている。
「あなたは不安でしょう」とは言わない。「癒される、ホッします」という表現で客を巧妙に誘う。
ーー
(字数制限のためカット 2010年7月7日)
・・・・・・・・・
2004年07月07日(水)
 1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8
 ートラベルはトラブル
アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは何回かの飛行機を乗りつぐ。
飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラス。
特に成田からの最初のフライトの12?13時間が厳しい。酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。
といって飲みすぎると、腹の具合が着陸時点でおかしくなる。 これも楽しみのうちと暗示をかけて、音楽を聴いたり映画を見る。
その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。少しでも嫌だとか、早く着かないかとは考えないことだ。
人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。
南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、名も知れない飛行場で猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。
さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。言ったところで、どうしようもないことを皆知っているからだ。
その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。人生の圧縮されたレッスンそのものである。苦難こそ、余裕を持って
楽しむ姿勢が、その苦難を苦難でなくしてしまう。トラベルとは、トラブルの語源という。旅行では苦難、問題が次々と
立ちはだかってくる。中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタンのカラコルムハイウエーを通っての
2週間の旅行は、まさしくトラブルの連続であった。 それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。
人生も同じであるトラブルはつきものと割り切ってしまえばよい。振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。
中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は解決されるものだ。
感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。 人生も旅行も、ゲームである。
・・・・・・・
2003年07月07日
アラスカ旅行中
・・・・・・・
2002年07月07日
スイス旅行中


3389, 911・考えない・日本人  ー6

2010年07月06日(火)

            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
■ 自問自答が知性を磨く (Pー189)
  他者との対話とは別に自分自身との対話=自問自答がある。
    著者の考える=「哲学する」についてが、なかなか面白い。
≪ 哲学について、ポール・ソシャールの『言語と思考』には次のように書かれている。
*「子供は三歳半ごろ自分を指す代名詞〈私=I〉を使いはじめ、そのときに動物心埋の水準をはっきり乗り越える。
 …つまり反省意識という人間の段階は、言葉に結びついている。思考が内言語(註:個人の頭の中だけに聞こえている言葉)
 であるからこそ伝達できるのであり、意識状態の科学である心理学もできあがるのだ」
*「(I)の言語化と(you)のそれとは切り離せない。それは対話の言語化である。自己の想像した対者との対話も含んでいる」
*「人間では、言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語としてはコミュ二ケーションの役を果たし、
  内言語としては思考と反省意識を確保する」
*「人間を理解し、その水準を見定めようとするものは、言語問題に取り組まなくてはならない」
*「言語は人間の発明したもののうちで最高のものである。人間は話すからこそ知恵があるのだ。人間の身体は原初から
  何も変わっていない。変わったのは精神の働きだけだ。人間は言語のおかげで自己を完成し、知性を発展させてきた」
*「言語の無限の能力は単なる感情や状況を示す信号だけでは満足しなくなる。…… 言語は対象を離れ、独立する。
  本質的にコミュニケーションの手段ではなくなり、思考の道具となるのだ。人間だけがこの〈内言語〉を持っている。
  内言語はもはや言語ではない。発音されないからだ。音情報は脳に移動され、自己の意識化を助ける」
*「人間は言語化されていない思考を心に浮かべることはほとんど不可能である」
まだいくらでも引用したい文章はあるが、読んでいてもつらくなる。なぜなら言語段階から見ると日本人が人間として
いかに未成熟かが歴然としてくるからだ。特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。
どうやらわれわれの大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語の失語症を起こしている。
だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、結局主観と客観の区別がつかない。
それが「無反省」、つまり精神の言語化、あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
 〜〜
子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、そこから、自分に対するyouが出現する。
いや、youが(自分=I)を創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始るのは、
自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、
それを一度、ノートに外に出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。サルトルの対自、即自である。
  偶然だが、去年の今日、同じようなことを書いていた。 面白いものである。
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3014, 魂とは何か
 2009年07月06日(月)
  「魂とは何か」ー池田晶子著 −2
 何度か魂については、ここで何度か取り上げてきた。 
先日、「戒名は自分で付けよう」という本を読んで自分と、家内と、二人の息子の戒名を作ってみた。
そのためか? 近くの図書館で池田晶子の「魂とは何か」という本を見つけ借りてきた。
池田は二年前に亡くなっているが、この本は10年前のリメーク版である。
ここで頭脳明晰な池田晶子が、魂となると歯切れが悪い。それもあってか、この一週間は、「魂」漬け。
魂というと、「霊」と「私」「精神」「心」が浮かぶ。「心」は、TPOSで変化するが、「魂」は「それを見守っている、
産まれ、死ぬまで変わらない自分そのもの」。池田は、ヘーゲルなどの論を借りて、〈魂〉は「考える」より「感じる」ものだと、
「思考感覚」という。魂の表現を、無理を承知で言葉にしている。 
  《その一部を抜粋してみる。》
ーひょっとしたら「〈私〉が魂」なのでなく、「〈私〉の魂」という言い方もなく、「魂の〈私〉」に近い。ー
  *この部分も鋭く、というより頭の底からひねり出している。
ー以前、誰だったか神秘主義者の本を読んでいて、ひとりの人間を構成するものは、「肉体と精神と魂」という
 言い回しがあって、深く腑に落ちたのだったが、それは正確だろう。 肉体とは個別だが物体であり、
 精神とは物体ではないが非人称であるなら、その人を他の人ではなくその人たらしめている当のものとは、
 他でもない、〈魂〉ということになる。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。 あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。 内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。なぜ〈私〉は、この人間なのか・・・ー
 〜〜
* 魂を明快に表現出来るなどありえない。 それでも何度か読み返しているうちに、少しずつ、その中心に近づいていく。 
我われは、大自然に触れたり、世界的な芸術作品をみた時に〈魂が振動した〉という。 
実際に私も何度も、いや何十回も経験している。 あの時の「魂の振動」という時の魂とは何だろうか? 
べネゼイラのテーブル・マウンテンのキャンプで見た夕景。 あの荘厳な景色で感じた魂の響き。 
人間を遥かに越えた大自然の時間の蓄積と、美と、荘厳な一瞬に、自分が、その中に融けて永遠と共鳴し、
「私が、いや私の先祖が産まれる遥か前から存在している命と魂が共鳴している」という瞬間の「魂」とは、何だろう。
登山好きの人は、早朝などに独りで、それを直感しているのだろう。  宇宙の響きというのだろうか?
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2649, 閑話小題
2008年07月06日(日)
 *凄惨な事件のあとのマンションは?
昼飯に喫茶店に行って週間ポストを読んでいたら、以前から知りたいと思っていた記事に出くわした。
最近、週間ポストが面白い。 定年を迎えたシニア(団塊の世代)にも客層を広げたようだ。
セレブのバラバラ殺人や、江東区の凄惨なバラバラ殺人事件の部屋が、既に他の住人が入居をしているという。
まずは、セレブの殺人現場になった部屋は、女性が入っているという。家賃は20万円だったが、5万円ダウンの15万円。
江東区の方は2万引きの7万円で、これもまた入居済み。こういうイワクつきのマンションの販売価格は大よそ2割のダウンが相場。
こういう事件があると、わざわざ値下がりを期待して部屋探しに来るという。 何とも感じないらしい。家主の方からしたら、
事件のほとぼりが冷めるまで待つより、何割か下げて貸した方が得と判断するようだ。地方なら、嫌がられるかもしれないが、
都会は冷めているということだ。いや借りる方に変わった人がいるということだ。絶対数が多いということか。
 *深刻なスタグフレーションへ突入?
原油と穀物などの値上がりで、彼方此方から悲鳴が上がってきた。イカ釣り漁船は集魚灯の明かりでイカを集めるために
燃費が経費の4割もかかる。さらに漁場が遠くイカも小型のため、操業すれば赤字となる緊急事態。といって、この不景気の中に
あってイカの市場価格をあげられないジレンマに陥っている。全漁連は「このまま高騰が続けば漁業経営者の3割が廃業に
追い込まれ、漁業生産の40%が減少する」と危機感をあらわにしている。 これは、決して日本だけでなく世界中で大問題。
私の宿泊業も、大よそ売り上げの10?が水道光熱で灯油はその三分の二を占めている。(7パー)もろに純益が吹き飛んでしまうことになる。 
同業も同じ条件なので泥縄的に対処していけば、収まるところに収まるだろうと楽観的にやれるほど甘くはない。それも序曲でしかない。
 *ツタヤのネットレンタルに入会してみた
ツタヤの一ヶ月の無料レンタルに借りてみたが、心配したとおり、はまってしまった。週に二本で、月に送料込みで2000円の
レンタル料が高いとみるか、安いとみるかだ。以前、会社の事務所の至近距離にDVDのレンタルショップ開店してから5年間、
週二本を借りていた。二年前に閉鎖したが、実のところホットした。昼休みの食事の途中にあり、金曜日には寄らずには済まない。
年間100本、5年間で500本はみたことになる。 ネットで、ツタヤのHPをみると、いくらでも観たいものがある。
このレンタルシステムがよい。見終わった後に同じビニールの封筒で送り返すと、やはり二本送ってくるのである。
これとWowowに入っているのだから、ますます馬鹿になる。 これ以上は、なりようはないか!コテコテの馬鹿か? ったく。
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007年07月06日(金)
2285, バーナム効果
 詐欺師や占い師や、健康食品のネズミ講などで、相手を信じこませる言葉のつかい方に、「バーナム効果」という手法がある。  
  ーネット百科辞書の「ウィキペディア」によるとー
「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」
という。アメリカ合衆国の興行師・バーナム にちなんで(心理学者のポール・ミールによって1956年に)命名された。
アメリカの心理学者バートラム・フォアの名をとってフォアラー効果ともいう。
  ー
被験者に何らかの心理テストを実施し、そのテスト結果を無視して以前に被験者とは無関係に用意した
「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった
診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものと感じてしまうが、これはバーナム効果によるものである。 
占いや超能力(特に千里眼など)、霊視、血液型性格診断といった試行や現象が科学的根拠がないにも拘らず持っている
説得力の大部分は、このバーナム効果で説明出来るとされる。
 ーー
「フォアの実験」
1948年、フォアは学生たちに性格テストを実施し、そのテストの結果に基づく分析と称して下記の文を与えた。
フォアは学生たちに分析がどれだけ自分にあてはまっているかを(まったく異なる)から(非常に正確)の段階でそれぞれに評価させた。
このときの平均点は4.26であった。その後、フォアはどの学生にも、次のようなまったく同じ分析を与えていたと種明かしをした。
『あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。
また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。あなたは使われず生かしきれていない才能を
かなり持っています。外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向がある。
正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。あなたはいくらかの変化や多様性を好み、制約や限界に
直面したときには不満を抱きます。そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を
聞き入れることはありません。しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのは賢明でないと気付いている。
あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
  (字数制限のためカット 2010年7月6日)
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2006年07月06日(木)
 1920, 浮かれる景気   \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 「浮かれる景気」ー 読書日記
浅井隆の本である。書いてある内容は極端に聞こえるが、中長期的視点からみれば当たり前のことである。
ー株式会社第二海援隊 浅井 隆 
 (字数の関係でカット2008年7)                ☆゜+.バイ!
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2005年07月06日(水)
 1555, 将来の不安ー3
不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」という本があった。2005年・4月10日発刊というから最近の本である。
オウム教事件の時にオウム教擁護的発言でバッシングにあって、東京女子大学の教授を辞めざるをえなくなった人である。
宗教学が専門のためか「不安」心理に対しては専門であり、深い。宗教には「不安」に対する明確な解答が用意されている。
不安と宗教心は裏腹の関係にある。不安こそ誰もが何時も直面している心の闇である。その闇に神の世界を提示して見せるのが宗教である。
不安の正体を知ってしまえば自然と解決方法は出てくる。更に不安を解消する一つの手段として具体的にネットワークの存在を提案している。
 ー面白そうなところを抜粋してみる。
P-76 ところが不安がないということは、下手をすると今の状態に安住することにつながってしまう。
そうなると緊張感もなければ、進歩もない。進歩もないということは達成感もないということです。
イニシエーションという言葉を使えば、一つの役に挑戦することがイニシエーションになってくれない。
逆にそれをイニシエーションにするには不安が必要になってくる。心の安定ということでは、不安を悩みに変えていく必要があるけど、
安定は停滞につながっていくから、いっぽうで不安も必要になる。海老蔵は、弁慶をやる前日に寝過ごしてしまったと思った時、
これで役者をやめなくてはならないと思ったそうです。それだけ不安を経験しているからこそ、不安が欲しいという発言が出てくる。
彼は不安を次の発展へのバネにしようとしている。
ーー
不安について以前にも書いてきたが、その対応として思い当たるものをドンドン書き出してみることだ。
それが悩みという具体的に落とし込むことになる。その対応として思考と行動が生まれるきっかけになる。
そういえば、10代、20代の頃は、不安が常につきまとって、それがエネルギーになっていた。  ーつづ
  (字数制限のためカット 2010年7月6日)
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2004年07月06日(火)
1190, 大丈夫!ー2 
 * 哲学についてー13
  ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか生きてない人である!
不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、生きているからだ。大丈夫!を繰り返すことは、
毒消しに単純だが絶大の効果がある。単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。
人間の不安の90数パーは、考えすぎの影でしかない。 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、「われわれが恐れるべきは
『恐れ』そのものだけである」人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えている。その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、
90パーの影を消す効果がある。不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。
そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、
めまいがおこるのである」といっている。若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。その分だけ、大きい不安が自分を
支配していた。そして絶望感に陥っていた。さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。
不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。 不安から「絶対的な何か」が欠けているという絶望感に陥ってしまうのだ。
「どうしようもならないもんな?」という言葉が出てきて、そしてお決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていく。
これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。
真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。しかし、人間はさまざまな現世的価値観の中で生きている。
しかも、その価値観は全て有限なものである。そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなるとキエルケゴールと考えた。大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを
(心の中の)「大地震」といっている。それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。最近香港で、生活保護を受けていた人が
亡くなったあと、通帳が発見されたという。そこには、なんと数億あったという。この人は不安感にさい悩まされていたのだろう。
大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、失業したりして明日の生活に困ることが多いのが人生。
過剰な不安感をあくまで問題にしているから、勘違いをしないことだ。自分自身のことであるが。
・・・・・・・
2003年07月06日(日)
 823,ある時間の断片ー30
ー11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。13時頃から「早稲田祭」に行く。 14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。
1時間位話して彼は帰る。その直後急に頭が痛くなる。 「香港風邪」というやつにかかったらしい。佐藤君のところに行って
お茶を飲んでいると、佐々木さんから電話で東京駅に迎えにこいとのこと。でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。その佐々木さんが
「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと苦情をいいにくる。 道理からいって、因縁をつけているだけとうことが露骨だ。
今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。折れることにした。 
差額の半額を私が持つことにした。頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。よく自分で我慢したと驚く。
クールに割り切った方が良い。その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。佐々木さんに対する怒りと香港風邪で
頭がいたいことも含めて、彼にぶつけてしまった。人間的な含みがまだまだないということか。
・・・・・・・
2002年0706
旅行中
・・・・・・・
2001年0706
旅行中


3388, 911・考えない・日本人  ー5

2010年07月05日(月)

  「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 日本史は最低のドラマか?
= さすがに、古事記と日本書紀がつまらない物語とは書いてない。日本史である。辛辣だが、この視点も必要 =
 ー以下は、内向きになっている日本に対する忠告である。ー
≪ 日本史は最悪の作家の書いた最低のテレビドラマで、これではいくら視聴者のIQが低くても視聴率は取れない。
善悪という山場のない、ドラマのない国に、私はくたびれている。神と悪魔の戦いがない国ほど、グウタラな国はない。
そして・山場がないという意味は、意味がないということなのだ。善もなく、悪もなく暮らす。
何事にも意味を求めずに生きる。一体、何がその生活に残るか ? 考えてくれ、頼む! 善が悪に勝つこともなく、
悪が善に勝つこともない。 戦いはなく、葛藤はその一日に、一生に、歴史に、ない。そんな生活と歴史に残るものは何か?
ほら、答えはあなたの今にあるじゃないか。自分の今日の生活にあるじゃないか。 ・・・・ 
 たとえば、歴史上、最も男性的な日本男性は誰か。日本武尊だとしよう。ヘラクレスと比較すればいい。
日本史最大の賢者は誰か。聖徳太子だとしよう。アリストテレスと比較すればいい。日本最大の武将は誰か。織田信長だとしよう。
アレキサンダーと比較すればいい。日本最大のバカタレ(バカタレント)は誰だ。ビートたけしだとしよう。マイケル・ムーアと
比較すればいい。一方はただの世渡り上手な傲慢なバカだが、一方は真摯なインテレクチュアルであり、
かつ前者には皆無な勇気の美徳を持っている。≫
 〜辛辣である。 島国で、海が要塞になっているお陰で、小さな世界で安穏できる自然環境が日本を考えないで済ませている。
 しかしネットで世界が結ばれ、その中で生きるしかない現代では、それでは済まされない。アメリカ史を考えてみれば、
 日本史より最低のドラマだろうか?  その質は、歴史の長さと地政学に関係してくる。高度成長期の真っ只中に、
 日本のTV業界の脚本家として名を成し活躍しただけ、その時代を謳歌した経歴が、現在の日本の現状とのギャップが
 鮮明に見えるのである。隷属国家の国民の考えない日本の姿が、あまりに酷く悲しいから、書くのである。
  茹で蛙の日本人、ここで民主党に政権を与えたが、あの政策をみていると、彼のみたままである。
 二大政党という劣悪な政争ドラマが、それを証明している。「その姿は、自分の今の姿にあるじゃないか」が考えさせられる!
 ・・・・・・・・
3013,戒名は自分で付けよう ー3
 2009年07月05日(日)
 有名人は、どのような戒名を付けているか興味がわくが、この本には、それがあった。
それぞれの坊様が知恵を絞ってつくったのだろうが、なかなか味がある。
時代の影響にされるのは当然である。 まずは、それを見てみよう。
 ーー
美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉      石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士
三島由紀夫 彰武院文鏡公威居士        力道山 大光院力道日源居士
古賀政男 大響院釈生楽          嵐寛寿郎 寛寿院照誉威兄演達居士
松井須磨子 貞祥院実応須磨大姉       花菱アチャコ 阿茶好院花徳朗法大居士
榎本健一 天真院殿喜王如春大居士     夏目漱石 文献院古道漱石居士

鼠小僧次郎吉 教覚速善居士         清水次郎長 碩量軒雄山義海居士
浅野内匠頭 冷光院殿吹毛玄利大居士     大石内蔵助 忠誠院刃空浄剣居士
吉良上野介 霊性寺実山相公         徳川家康 東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士
豊臣秀吉 国泰祐松院殿霊山俊龍大居士   織田信長 惣見院殿贈大相国一品泰巌尊儀
上杉謙信 不識庵宗心謙信

武田信玄 法性院櫛山信玄          足利尊氏 等持院殿仁山大居士
平清盛 浄海               藤原遭長 行覚
聖武天皇 勝満
 ーー
美空ひばり を私が即興でつくるとすると、「美空燦々院尼雲雀大姉」。
 言い得て妙で気に入ったのは 古賀政男の「大響院釈生楽」である。 
あの世の土地でも買っておくかと思っていたら、ネット上にも売り出されている。
戒名に興味を持つなど、オチカイのかもしれない。 自分で位牌まで作って拝んでいればよい。
・・・・・・・・・
2648, 座敷童子と出会える宿 ー2
 2008年07月05日(土)
座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。 実際、どうなのだろうか? 
一度、面白そうなので行ってみたいが。 ーまずは昨日の続きから
 *優しい妖怪*
夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。
その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」という証言を見る。
そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。
9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子の居場所を教えてくれる。
筆者の部屋にやってきた若旦那は、「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。
私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに行くために起きて、部屋にもどってきた。
それから、少し経ったところで、私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長はーメートル弱である。
黄色の服を着ていて、白い靴下をはいている。 ただし、胸のあたりで姿がぼやけて、首や顔は中空で消えている。
要するに頭のない化け物であるが、不思議と怖くはなかった。
座敷童子は、両手で体長30センチくらいの茶色い猫(雌雄不明)を私に渡す。そこのところで、私の記憶はとぎれている。
おぼろげにテレパシーで座敷童子と話をした記憾があるのだが、会話の内容がどうしても思い出せない。
冷静に考えてみれば、私は、座敷童子の夢を見たのである。その前週の金曜日(1月13日)は東京でも、珍しく雪が降った。
家内と二人でスパゲティーを食ぺた帰りに西国分寺駅前のコンビニェンスストアー「アップルマート」の前で
茶トラの雄猫(推定2歳)を保護した。人なつっこい猫で、いまでは家族の一員になっている。
その印象が強烈だったので夢に出てきたのだろう。しかし、私の認識では、あれは夢ではない。
確かに私は座敷童子に会ったのだ。 村上氏に座敷童子は出なかったという。
〈だけど残念ながら私には座敷わらしが出ない、邪心や欲があると座敷わらしは逃げるそうですね。
無邪気な幼心でいとおしむ、無条件で信じることが大事ですね〉(村上正邦)・・・・・
ーーー
こんなところだが、TPOSで、暗示にかかっている風にも思える内容でもあるが。
大人のファンタジーを集団で楽しむには、丁度良い題材で、罪がない。
 http://www9.plala.or.jp/ryokufuso/index02.html
  http://www.zashikiwarashi.jp/
・・・・・・・・・
2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 ー2
                       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。その内容がユニークである。
「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。 彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも
愛されなくなってしまったのです。誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。先生の仕事は子供を愛することです。
人を愛することです。その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、まず自分を愛せなくてはなりません」 
という言葉が何とも説得力があった。一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた
自分に、男の先生が「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。
その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。
 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。 ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。
「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる
良心からの説得力のある言葉である。「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」
「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。
最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた時期の日々を。
誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も
大きな節目となる。そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?壮烈な戦場がある。
そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベースがつくられる。彼女のような経験は特殊だが、
しかし大きく揺れる時期でもある。一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。
10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、国家のために自分が何ができるかを問え」を
「親」に切り替えるとは、驚きである。             (* ̄∀ ̄)**SeeYou
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2006年07月05日(水)
 1919, 睡眠負債                才八∋ウ_〆(∀`●)
図書館で月刊雑誌を立ち読みをしていたら、睡眠についてのレポートがあった。
キーワードが「睡眠負債」である。睡眠不足のことだが、不足より負債という方が分かりやすい。
睡眠の場合、負債の免除期間が二週間。どんな溜まった不足でも二週間でチャラになるという。
深い眠りをとろうとしたら、寝不足状態の状態が一番良い。脳の機能と食欲などの欲望も同じである。
それなら、そうすればよいが。睡眠時間は世界共通で8時間だが、気にならない睡眠時間が、その人のベストの睡眠時間という。
仕事などの関係で、いつも睡眠時間が取れない人が、小刻みに昼間の睡眠を取るのが理想的な睡眠の取り方。私の場合、
睡眠に関しては殆んど問題はない。寝れない時の対処がしてあるからだ。布団滞在時間7時間が私のベストである。
 インターネットの検索で調べたら、ー快眠10ヶ条ー   があった。
1 起きたら太陽の光を浴びる  2 同じ時間に起きる  3 朝、軽い体操をする 4 朝食を食べる    
5 日中も太陽の光を浴びる  6 メリハリのある生活を送る 7 適度な運動をする 8 夜は強い光を避ける  
9 眠る前はリラックスする  10 ぬるめのお風呂にゆったり入る
 私の場合、ほぼ実行しているが、寝際にクラシックを聴きながら寝ている。更に初期睡眠(三時間)を深くしている。
             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
 ーー
 2002/09/14 眠れない夜に
眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と気持ちを
 その都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 
 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間であった。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、
 夜半に目が覚め寝つけなかったりする。 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。何かの本に面白い内容があった。
 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンのイメージで、騎兵隊のを待ち受けている。
 狭い渓谷に入ってきた彼らその一人一人を狙い撃ちをする。一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らはそれでも
 何処に潜んでいるのか、いくらでもいるのだ。 それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」
これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。
寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。
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2005年07月05日(火)
 1554, つれづれに
ー売り手責任
先日、ニトリにホテルの共同キッチンのダイングテーブルを買いにいった。ところが、「家庭用商品を営業用には
売ることが出来ません。売り手責任に問題が出る可能性があるので、お売りできません」という。
上の上というから、本部判断をあおいでいた。当方だって買い手責任があるし、設置責任がある。
何かおかしいいのではないだろうか?それとも、そこまで問題にしなくてはならないのか。
ー知人の息子がTV出演?
去年亡くなった五十嵐恭一さんの息子がTVに出ているというので昨夜見た。月曜日の23時の「あいのり」という番組。
「嵐」というニックネームで出ていた。かなりの応募の中で選ばれたのだろうから、光るものがあったのだろう。
「1年浪人後、「法政の二部」に入学金を払ったが、駒沢大に受かった。本人は法政の二部に行くつもりというが、
如何したらよいか?」という相談が、故五十嵐さんからあった。「駒沢大に決まっているじゃないか!一部と二部では先生と、
同期の質が全く違う。それでは浪人した意味がないではないか!」と返事をした。そこで本人も迷って高校の担任のところに
相談にいったが、私と全く同じ返事であったので、駒沢に行くことにしたという。
その男が、TVに出ていたが、なかなかのイケ面である。若い人の間ではなかなかの人気の番組というが。
  ≪字数制限のためカット2010年7月5日≫
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2004年07月05日(月)
1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7
    ー大自然
 大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、海・海岸系、
 などに分けることができる。 多くはその幾つかが重ねあっている。
・山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、南米のアンデス山脈、ヒマラヤ山脈、など。
・滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、エンゼルフォールの滝などがあげることができる。 
 あまり知られてない滝で、その迫力に思わず息をのむことが多い。迫力景観からいったら、やはりイグアスが一番である。
 ー主観をこめて印象に強い順にかいてみるー
1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。
 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった360度の視界の草原の美しさは、言葉には表現できない。
2、次にはカナダのロッキー山脈である。湖も含めてその壮大な景観は、これがほんとうに地球だろうかと思ってしまった。
 その時思ったことは[人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる]
3、南米のベネズエラのテーブルマウンテンの絶景。
 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、数億年の時間が目の前で直感できるイメージ。
4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・
5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景
6、ブラジルのイグアスの滝
7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈
8、パキスタンのカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈
9、アイスランドでみた、オーロラ
10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々
11、イスラエルの荒野
12、アラスカとスイスとチリで見た氷河
 などなどである。 それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。
ある高僧の言葉がよい [大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]
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2002年0705
旅行中につき休止
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2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29
  10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の早稲田駅で待ちあわせの約束をする。
午後から2時間、勉強をする。21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。 24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。最後の学生時代の時間は残されてないのに如何したことか。
  11月01日
・夜半の0時半ごろ佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、OBのMさんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。 彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。 会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。 他人事でないが。
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2001年07月05日(木)
 [74] 死について
誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして
耳年増になってしまった。そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。 そして坊さんの死の話も聞いた。
その中で一番印象に残っているのが「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。 
たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ瞬間は自身無になるのだから、
死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」という言葉をその坊さんは噛み砕いたのだろう。 
ー以下は以前書いた文章である。
 ー‘死’について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)
・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
  あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。
   ≪字数制限のためカット2010年7月5日≫


3387, 金融のミニ講演

2010年07月04日(日)

 一昨夜、新潟の駅近くのイタメシ屋で金融のミニ講演会に出席した。
日系カナダ人の保険業の社長で、香港とシンガポールに支店を持っている人の生の金融情勢も面白そう、と。。
 ーその要旨といえばー
・日本国家の金融もギリギリのところに来ているので、海外に口座を作って何割かの金融資産を出した方がよい。
 その手伝いが自分の仕事の一つという。世界中の10位の通貨にして置いておくのでリスクヘッジが簡単にできる、とか。
 ソ連崩壊時に、権力者たちが、それをしていたかどうかで、その後、大きな格差がでたという。
・世界は金融封鎖、円の切り替え、など、数年以内に起こる可能性が強い。
・日本は金融の実態に対しては情報管制がひかれていると強調。
 マスコミは金融の実態を書くと政府機関や金融機関から露骨な圧力がかかり編集段階で没になってしまう。
・日本人は自国が危険水域に入っている実態を知らな過ぎる。日本人特有の横並び意識が外国からみると、あまりに危険。
・欧米では人の真似をするのは恥。自分の独自性を大事にすることを教えられるが、日本は逆。
 また、人より先んじることが求められる。 それに対し日本は他人の顔色をみて判断する。それでは世界に通用しない。
 〜
以上が大方の要旨だが、数回、これまでお会いして食事をしたことがあった人。今年から数年間は間違いなく大変動が起きる。
その中で一「番に信頼が置けないのが自分が所属している国家」とは情けない。 
自分で自分を守るのがグローバルの時代の基本ということ。 それにしても、マクロ的に見てきたつもりが、
実際には大したことをしてなかった不明を恥じる日々である。 結局、「金と情報とインテリジェンス」の格差になる。
「この大震災のような恐慌では仕方がない」など、嘯いていても何にもならない。 とはいえ、現実は甘くない。
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3012,死ぬまでに知っておきたい5つの秘密
 2009年07月04日(土)
アメリカのケーブルテレビ局の番組で(死ぬまでに知っておくべき五つのこと)
の制作を著者が依頼されたことに端を発して、周囲の人たちから「幸福な賢人」と見なされている
1万5千人の高齢者を探し、その中から235人の60歳以上の高齢者に「幸福な人生を生きるための秘訣」
についてインタビュー。 彼らの言葉から浮かびあがってきた
 その「幸福に生きる秘訣」を、「5つの秘密」としてまとめると
1 自分の心に忠実であること    2 思い残すことのないように生きる
3 愛になれ   4 いまを生きよ  5 得るよりも与えよ
 今さらの内容だが、それでも1万5千人の統計の結果と言われると、いやに納得するが目新しいものはない。
〈 自分の好きなことをライフワークにして生きてきた者にとって、何を今さら 〉である。
そうじゃないのが大部分だから、こういう番組が出来、こういう綺麗ごとになるのだろう。
 といって、否定するものではない。
 ーそれよりも、その中で紹介している賢人たちの発言が印象に残る。ー
  「自己実現と好奇心と探求に情熱的に取り組むことだ」     ウィリアム 64歳
  「人の顔色をうかがうな」                  ドン 78歳
  「あわてて幕を引くな。アンコールか第四幕がつきものだから」 ジョシ 79歳
  「自分の心に従い、こうありたいと願う人間になりなさい」   ボブ 59歳
  「お金を目標にしてはだめ。節約し、楽しめる仕事を選びなさい」 メイ 72歳
  「つねに、することを五つ以上、見つけなさい」        ルーシー 101歳
  「自分や人を深く尊敬しなさい。人を傷つけてはならない」   ジュリアン 76歳
 ー何事にも興味を持ち続け、周囲には積極的に働きかけ、明るく生きなさい、とうことだ。
周りをみると、歳を重ねるに従い胡散臭くなっていくのが大部分。 人のことを言えるか、と言われそうだが。
特に、中途半端に生きてきた自主性の無い人ほど群れたがるから「薄汚れたジメジメした悪臭」が漂っている。 
その逆の「不幸に生きる、5つの秘密」という人間になっていく。
1、仲間を大事に、助け合い、自分を高め、奉仕に努める
2、世界は色いろなことに満ちている、独りでは出来ないので、そういう仲間を求めて寄り添い、
  悩みを分かちあうことこそ、老後にまず必要である。
3、愛されるために、自分は生きる。 愛される人間になりましょう。
4、過去の人生を振り返り、その思い出を大事にする。
5、死んでしまえば、それまでよ。 生きているうち、元気なうち。貪欲に人生を求めましょう。
 やはり老人は孤独が似合っている。孤独に耐える老人であるべきである。持って産まれた性格もあるが。
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2647, 座敷童子と出会える宿 ?1
 2008年07月04日(金)
  借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の手記が載っていた。
 それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしくない内容であった。 そこには「座敷童子」と出会った体験記が
 書いてあった。彼には圧倒的多数の人にとって予想外のことを勘で当てることがしばしばあるので、それが霊視能力と
 勘違いされることがある。 その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。東北には、座敷童子が出るのを
 売りにしている旅館が何軒かあるという。宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
 それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
 妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が
 [東北の妖怪・特集」であった。
ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、
2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」
と言ったが、もちろん、例外もある。座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、
子供の姿をした妖怪。これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
座敷童子は、大人には見えないというが、これは私の経験に反する。私は確かに2006年1月17日未明、盛岡市の旅館「菅原別館」で
座敷童子を見た。2005年末に私は座敷童子を見たという話を鈴木宗男衆議院議員(新党大地.代表)から聞いた。
ある日、鈴木氏から興奮した調子で、電話がかかってきた。「佐藤さん、出たんだよ。出た」「出たって、何が出たんですか」
「だから妖怪だ。座敷童子が出たんだ。盛岡に菅原別館と言って、その筋では有名な旅館があって、そこに座敷童子が出る。
その座敷童子に会うと、幸せになる。村上正邦先生から、そのルートに口を聞いてもらった」・・・・・・・
座敷童子に会いたい全国の人々が殺到するので菅原別館は、2年先まで予約がいっぱいだという。ただし、ときどきキャンセルが出る。
それを狙おうということになった。機会は意外に早く巡ってきた。2006年1月16日の晩にキャンセルが出たという。そこで、村上氏は、
急遙、旅行団を組織した。旅行団は、女子プロレスラーの神取忍氏、弁護士の弘中惇一郎氏など総勢約10名になった。
弘中氏は、村上氏、鈴木氏の弁護人をつとめている。過去、三浦和義氏(現在、サイパンで勾留中)
の弁護を担当し、無罪を獲得したことのある辣腕弁護士だ。
 ?????
   あとは、明日の楽しみとして、宿泊型化け物屋敷体験ファンタジーも何とも楽しそうである。
   秋葉原のワシントンホテルで、幽霊に会ったことがあるし、私の事務所の上の部屋(自殺のあった部屋)でも
   面白い体験をしている。その部屋が逆に好きになりワザワザ指定して泊まっているが、それがまた、面白い。
     そんなことを言ってたら、広島・長崎は幽霊だらけだろうが・・・そういう話は聞かない。   ーつづく
・・・・・・・・・・・
2007年07月04日(水)
 2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。
高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。
父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、街で出会ったパチンコ屋の兄さん、
やくざのお兄さん…など普通の人々である。 弱者に対して優しかった時代であった。 
そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにある
ホテルメトロポリタンだ。かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。
昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。
10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。
1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。
5個目の球が、途中でひっかかると、隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、
教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い「どうしたの」聞いた。
さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。さらに金に換える方法を教えてくれた。
教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。
しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」
「なこちゃん、死のうか」 しかし、「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、
 どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。
 いつも友のこの言葉を反芻(はんすう)し、壊れていく父を励まし、生き抜く。
こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは、
「中に父親がいるの。探してもいい?」と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
 また、当時の米国のケネディ大統領の演説「国が何をしてくれるか、ではなく、国のために自分が何をできるか」
をTVでみて、「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子供が何をできるか」に切り替えて、親のために
宿泊費を稼ぐ動機にする。 見かねたヤクザに説教された父親は本人を養護学校に入れる。
ドヤ街生活が長く貧しく、服装も他の子供とは異なっていたこともあり、そこでは壮絶なイジメにあうが、
「いじめなんてなんでもない、それより、帰る家のない明日泊まる所や、
食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変か」と子供心に思い耐える。
    ーーーー
    以上であるが、感動的だったのが、そのドラマを収録している場面に、当の上条さなえが入ってきて、
    子役に涙しながら抱きついたところである。どんな気持ちで、当時の自分と抱き合ったのだろうか?
    学生時代、よくあの辺の映画館に行ったので何かドラマがリアルに思えた。
    色いろな人生があるものである。私が10歳の頃を忠実に書いたら、これまた面白いだろう!
                        バイバイ!(゜▽゜*)ノ~~
・・・・・・・
2006年07月04日(火)
 1918, ワールドカップ           (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ?
前回のサッカーのワールドカップの感想が 2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」というテーマであった。
前回は日韓共同開催で、当地の新潟でも試合があった。そのわりには、あまり興に乗っていない。
しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
                    ヽ`д´)┌┛┌┛★( )  ?(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゜)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
 ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。を破ることはできなかった。         
                 (*・-・)θ (*・-・)θ(*・-・)θ☆ 【蹴り隊】     
ロナウニージョ、ロナウド、カカ、アドリアーノという超花形選手を擁しても勝てなかったのだから、致し方ない。
明日と明後日の早朝、準決勝が行われるが、全てが欧州勢である。
ブラジルが残っていないのと、ポルトガルとイングランドが入れ変わった以外は順当の国が残っている。
何でもそうだが、超一流の試合は感動する。私の予測では、準決勝ではドイツとフランスが勝ち残り、
決勝では開催国ということもあり、ドイツが優勝だろう? これだけは時の運があるから何ともいえない。                
4年後に、どういう気持ちで、この文章をみているだろうか?楽しみである。
この下書きを書いているとき、ニュースで中田がHPで引退声明を出した。
その内容を読み上げているが、燃え尽きたのだろう! 日本の監督にすれば良かったのに?
リスクがありすぎか!冗談冗談!           o(^ー^ θ"" けりっっっ♪  
          (字数の関係でカット、2008年7月4日)
・・・・・・・
2005年07月04日(月)
 1553, 宇野千代ー2
あるHPに彼女の語録が出ていた。突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。    
  ー「宇野千代語録」ー 
*信じるということは面白い事である。人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。 (「願望」より)
 ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ自分の人生のゲーム化の一歩である。
  (以下、字数の関係でカット09年07月04日)
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2004年07月04日(日)
 1188, 大丈夫!
斉藤一人氏の本に「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。
ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられないくらい気持が楽になった。
常に付きまとっていた不安感が半減したのだ。現在の日本経済の実態は、明日何がおきても不思議でない事態であり、
行く末を考えると楽観はしていられない。ふと言葉の重要性に気づいて[大丈夫]を繰り返したら、気分が非常に楽になったのだ。
(字数制限のためカット2010年7月4日)
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2003年07月04日(金)
 821,ある時間の断片ー28
・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整の為に飲む。
21時に羽田到着する。河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。帰りは友愛関係者の
萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。
といって一時、気があったが醒めてみれば・・・・。夜半の2時ごろまで勉強して就寝。 河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が傷ついてしまうことを。
それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。
・・・・・・・
2002年07月04日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月04日(水)
 [73] 夢についてー4
海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。もうじき下に
降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。
そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。
自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。
バンジージャンプ落下している感覚であった。 6?7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておきます。
ーーーーーー
ーH0905魂が万代橋の上を彷った話ー
 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、
“今回の検査はパスしない!”一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思い。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?..”パニック状態である。
それも夕方の飲み会の直前である。 まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、
焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて妙な夢になってしまった。
魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。
そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。


3386, 911・考えない・日本人  ー4

2010年07月03日(土)

 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の中に、どれほどの偶然が含まれているかを
見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
 911に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークのすぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者は出勤していなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が多く入居していて、
たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたまテキサスの別荘(ブッシュ家のたまたまご近所)
にいたビン・ラディンの一家は、他のすべての民間航空機がアメリカ上空の飛行を禁じられているにもかかわらず、
たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊するすることはありえないのに、
たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの著書には、
これらの「たまたま」が羅列されている。 ・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
 〜〜
 これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変なのに、マスコミは、それをあまり取上げようとしない。
そういえば真珠湾の攻撃の時も、明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
 あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、その情報でメリットを上げた
投資銀行である。株も為替も、その情報を知った上での買いが入っていたのは、周知の事実である。
 ・・・・・・・・・
3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)
「世界は感情で動く」 ー6         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー   
   *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなることからくる比喩で、
最初に印象にの残った数字や言葉に影響されることを言う。
店頭で、1万円に赤線を引いて7千円を見ると、お買い得と思ってしまうことをいう。
「本日限り」「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカーが待っている。
我われは、知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。 いま一度、それを点検してみる必要がある。
 アンカリング効果は、偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った数字(値段)や物(品質・量)が、
 その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片をあまりに重視することを指し、
 最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、意識してしまい決定される事象のことをいう
  ーアンカリング効果として、面白い事例があげられる。
「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を100回くりかえす。そうしたら紙の厚さはどれほどになりますか?」
大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる人でも、厚さ数十メートルである。
しかし正解は、地球から太陽までの距離(約1億5千万キロメートル)の800兆倍なのだ。
そんなに!と驚くかもしれないけど、計算したらその通りなのだ。
「紙は薄っぺらいもの」という固定概念という脳のトラップに見事に嵌っているのである。
 初めてついた仕事しか出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになるのだろうが、
人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ないと決めてしまう。
私の見る限り9割?の人が、そうである。 考えてみれば、自分で勝手に思い込んでいるだけのこと。
転職や転業は、例えると、ある箇所に穴を掘っていて、一度そこから出て他に似た穴を掘るのと同じである。
それは経験を重ねると解ること。一見違うようだが扱う対象が違うだけのこと。
それが理解できないのである。 そして多くの人は、その穴から一生出ることが出来ない。 
 人生は誰も同じだが。 カミサンもアンカリングか。 これは梃子でも動かない。 ったく!
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2647, アメリカ狂乱 ー2
 2008年07月03日(木)
この本の次期大統領の行方以外のテーマ、アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。
ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたようにこれまでの不況にくらべると、
いまのアメリカには資金があふれている。アメリカの経済専門家はこう言っている。「アメリカには資金がいまや
有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明は
きわめて意味深長である。これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。
消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々が
アメリカに資金を持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。
  歴史的にみてもこの事実は明らかだ。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
 実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンがアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東のオイルマネーを
 アメリカに取り込み、アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を集めてアメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によってグローバル化した世界の金融界から資金を集め、
 アメリカ経済の好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要としたのが、
 サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として確立しているかどうか分からないし、
 この問題について経済専門家が明確に説明をしているわけでもない。 だが政治的に見れば、このサブブライム債券は、
 ブッシュ政権にとって世界中から資金集めるのに役立った。「アメリカが偽札で世界をだました」と私が言うのは、
 このことである。 その証拠にポールソン財務長官はじめアメリカの財政金融当局に大勢の人間を出している
 ゴールドマン・サックスは、MBSをいち早く売り払って難を免れている。
かってアメリカは三つ子の赤字と呼ばれる財政赤字、貿易赤字、所得収支の赤字を抱え込んだとき、せっせとドルを
印刷をして世界の人たちに渡した。 受け取った人たちは紙切れになるのではと、心配になったがアメリカ経済が拡大したために
そうした事態にはならなかった。しかし、アメリカがドルを集めるために使ったサブプライム債権が紙切れ同然になった。
次の大統領はブッシュの「偽札事件」の後始末をしなくてはならない。
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 ブッシュは、最悪の大統領として歴史に残るはずだ。「アメリカ狂乱」は言いえて妙の言葉である。
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2007年07月03日(火)
 2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪
新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。(ただし値段は、ネット上の価格の2?3倍する!)
その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。 そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
コンパクトのものは一畳のスペースがあれば何処にでも設置できる。フレームの形が舟型をしていて、その中にハンモックを
吊るすようになっている。土曜日に注文したものが送ってきたが、値段は送料込みで5300円。
さっそく居間のベランダをサッシでガラスを囲ったスペース(幅1.5×7メートル)に設置した。
そこで寝てみたが、これが非常に良い。一枚の網にスッポリ包まれ浮遊した感じが、それだけで別世界に移動した感覚になる。 
大人の揺り篭といったらよいだろう。この夏、暑さで寝れない時、かなり頻繁に使うことになりそうだ。
ハンモックは一度、旅先で使ったことがあった。ベネゼイラのエンゼルフォールへのキャンプ地に、エンジン付きの10人乗りの
カヌーでキャンプをした時である。大きな広い屋根の下に、数十のハンモックが吊ってあった。初めは怪訝に思ったが、
まあ郷に入ったら郷に入れと寝てみた。ところが、これが寝心地が非常に良いのである。 寝返りの必要がないのである。
少し腰を動かすだけで寝返りをしたと同じ効果がある。疲れていたこともあったが、熟睡をした。
一緒に行った家内と次男も、熟睡できたと言う。それ以来のハンモックだが、別世界に移動したような気分がよい。
サルは木の上で寝ていたので、ハンモックは原始に帰るようでいいのだろう。それと宙に浮いている気分が瞑想をしているようである。
買う前から分かっていたことだが、もう少し良いものにしておけば良かった! 
 でも、よい! ますます「お宅」か!         バイ☆(^∀^)ノ~~
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2006年07月03日(月)
 1917, スペイン画家・堀越千秋ー8  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
 「スペイン七千夜一夜」?読書日記 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)
「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、「世間様(に対して、恥かしい)!」
という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。 東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り切ってみると、
その特質も理解できる。狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、世間様など気にしては生きていけない。
(仲間内があるか?)最近、国内でも「オイラが大将!」という言葉が流行ったことがあったが。
  まずは、「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
  ーー  o(●´ω`●)o♪ Y(´∇`*o)(o*´∇`)oIビバ・ジョ ?
誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。 「あなたは、ふだん誰も口にしないこのひとこと『ビバ・ジョー』
をどう思いますか?」「もちろん」と彼は答えるだろう。「それこそ最も私のいいたいことです」と。
それは「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、多いに決まっている。
スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。それは道理や物理にかなった直線である。
しかし現実社会の間違った悪い事件が心を痛めたり道理を歪めたりする。すると、この正しい直線に外的な力が加わり、
多少のズレが生じる。しかし、彼はそれに気づかず、また気づいたとしても、それは彼のせいではない。
外部の悪いもののせいである。外部の悪いもののせいであるから、彼はひたすら彼の直線を引き続ける。
彼はまとこに正しいのである。しかし、悲しいかな、地球の直線は宇宙から見るとまさしく、らせん、なのである。
ロマネスクの教会などで見られる、素朴な力強い直線的な表現が、やがて渦を巻き、天高きらせんになって、
ついには「悪趣味」「過剰」の代名詞ともなってゆくところの、かのバロック。これこそ、このねじれゆく姿こそ、
スペイン人のこころの奥深く潜むエッセンスなのではあるまいか。あれはれた砂漠のようなスペインの大地に根をおろし、
老獪にねじくれて、節くれだって、乾いた木肌をらせんに巻きつつ天に伸びて繁る、かのオリーブの樹。
そのオリーブの樹のように渦巻く精神が、他に植物の湿り、陰とてないスペインの荒れ地で、どうして同様に人の心に
育たないわけがないだろうか。彼らスペイン人においては、直線は、やがてかならず捩れ、ネジくれて、渦となり、
らせんとなって天へと吸い上げられるように天に昇るのである。 (エル・グレコの絵を見よ)。
スペイン人は、家族を愛し、故郷を愛し、故国を愛す。自己愛にもとづく、それへの依存度は非常に多きい。
れは、「ビバ・○○(地名)!」の言葉に表れている。哲学者も指摘する、スペイン人の究極のひとことが「ビバ・ジョー!」。 
  (字数の関係でカット 10年7月3日)
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2005年07月03日(日)
 1552, アウトサイダー
高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」
の中の『アウトサイダー』の章を読みかえしてみた。これから見ると、私は「アウトサイダー」に確かに重なる部分がある。
しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。自分の人生を大切にしようとするなら、アウトサイダーの要素を持っていないと
自己放棄の人生になりかねない。彼は「アウトサイダー」の特徴を、サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、ヘッセ、ニーチェ、
ドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、
バーナード・ショー、等々の中から引用して共通項を上げて、以下のように描写している。
ー「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の尊厳も、
哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だしを塗って、何とか文明的、合理的なものに
見せかけようとする欺瞞の試みにしか見えない。 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、 これと言って伝えるべき感情もない。 
 わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」
 アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである 
  等々である。
誰でもこの要素を持っている。早くいえば孤高に似ている態度でもある。
孤高は自己を無意味とは思わないところが違う。諸子百家の中では、荘子にも重なる部分がある。
鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰という視点の鳥瞰にも重なる。また敗者が社会からはじき出された時の心情にも似ている。
この辺は何度も経験しているからよく解るが。「アウトサイダー」といえば、その逆の言葉「インサイダー」が思い浮ぶ。
株の取引で、内側情報を知りえたものが、その立場を利用して株で儲けることを『インサイダー取引』という。
内側でこそ知りえる視点情報がある。 反面、外側からこそ見える視点情報もある。
「アウトサイダー」の視点も、「インサイダー」の視点も人間には必要である。「和して同ぜず」というが、
「同じて和せず」になるのが人間である。小さな世界で生きる知恵としての両者の立場が各々ある。
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2004年07月03日(土)
 1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6
  ー遺跡編ー
37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが初めてである。2000年前の動物の臭い?
がいまだに残っていたのは驚いた。それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。
十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、
2000年前の当時の生活がそのまま完全保存されていた。ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま埋もれており、
当時の様子が分かる。鉛の水道管が施されて水道があったのは驚異だ。 猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが
忍ばれる。歩道もあり、横断歩道もある風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。街の中心の水飲み場で、街の人がそこに手をついて飲んだところが、
回数を重ねたためか、すべすべしていて当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。遺跡の虜になったきっかけは、
8年前にいったエジプトの遺跡である。(あとで、その時の文章をコピーしておきます)とにかく、そのスケールの大きさに
圧倒された。シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。今後2000年?5000年先は気の遠くなるほどの彼方と思うが、
過ぎ去ってしまえば昨日のように感じるのも妙である。シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。
かつて隊商都市として栄華を極め、ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、圧倒的な存在感を漂わせている。 
記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、2000年前にいたような気持ちになった。
神秘的という面では、インカの遺跡である。その中で、やはりマチュピチの遺跡は圧巻であった。
霊界の世界というのが、正にいいあてている。日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、
当時の痕跡を多く残してくれる。時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。
 ーーーーー
 ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅 ー  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に! 周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
 (字数の関係でカット 09年7月3日)
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2003年07月03日(木)
 820,ある時間の断片ー27
・10月28日 1968年
 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 
 その後、江ノ島に行く。 第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
 自然のこれだけの夕景は初めての経験である。右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島。
 秋の海岸が何ともいえない。一生の思い出といってよいだろう。 夜3時間、勉強をする。
・10月29日 1968年
 10時起床、洗濯をした後食事だ。12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行きコーヒーを飲む。
 部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。 聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。
 その後、瓜生君の部屋に行き話をする。その後夕食をして、21時から本を読む。深井がまた新橋から20分位遊びに来る。
・・・・・・・・・
2002年07月03日 スイス旅行中
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2001年07月03日(火)
 [72] 3D-ホームページ延期
三D?ホームページソフト7月2日の予定が富士総業の都合で7月23日に延期。
打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、延期になりました。
ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、大化けの可能性もある為、徹底的な練り上げが必要のようです。


3385, 911・考えない・日本人  ー3

2010年07月02日(金)

          「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー
 * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62)
≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。
当然、日本にあるわけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。 白人の悪は復讐の対象である。 根本的に異質だ。
人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。 悪である。 悪を身につけない限り、生きられない。 
人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。 
それは無知であり、バカだ。 生きる条件、つまり《人間の条件》を持たないということだ。
 そしてここに911の問題が拡大される。あの出来事の真の意味を理解できない限り、今後の人間の条件はない。
「神は死んだ」というニーチェの言葉を、もっと深く理解しなくてはならない。
だが、悪がわからなければ、神もわからない。 悪のない日本には、死ぬ前から神は存在していなかった。
存在しない神は死ぬこともできない。 つまり「意味」がない。  意味――、 神と悪は鶏と卵だ。
ねえ、ちょっと、ほんとに・・・・
冗談じゃなく、日本史をよく勉強してごらん。 そして、その後で世界史を勉強してごらん。
そうすれば、いまなぜ日本が。これほどに惨憺たる状況にあるのか、実にハッキリ、完全に分かるんだ。
 〜〜
「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。悪を身につけない限り、生きられない。 
 人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。悪がないことは善か? ノー。」
 これは、ユダヤ教などの一神教の考えかただが、島国の日本人には考えられない思考法。アラブ・欧州には
 悪が身近に常にあるから、考えるしかない。 現在の惨憺たる状況は、過去の歴史をみれば分かること。
 僅か30年前に隣国中国では、呆けた老人・毛沢東の方針で、2千万とか3千万人が虐殺されたのである。
 あれが悪か善かは歴史が証明するが、あの世界では、善人は悪党の片棒を担がされるか、殺される。
 現在、日本はアメリカに60年以上かけて隷属的人間に変えられた。思考が出来ない哀れな人間にである。
   =偶然、以下の「垂直の言葉」に思考について書いてあった。 面白い偶然である。=
 ・・・・・・・・・
3010,垂直な言葉
2009年07月02日(木)
「魂とは何か」池田晶子著    ー読書日記
 池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。
横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。
「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、感動、感激の瞬間に
感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 ところが、今度は「垂直の言葉」である。
 池田晶子は判りやすい。 いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。
 ーまずは、その部分である。  P-217 
* 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子
池田  当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、と受け止められているのではと。
石川  それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。
池田  以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えたことがあったけど。
石川  そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に降りていくものと自覚的に使っている人は、
    めずらしいと思うんです。 なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。横の社会なんですよ。
    歴史的にも、現在で起こっていることをみても、横のつながり、比較の中でしか、
    誰もものを言ってないでしょう。互いの巻尺を当てて、それで対象を測っているという仕方でね。
池田  横軸でものを語るっていうのは、事実でなく、価値を語っているのです。
    たとえば、ある主義をかざす人は自分の主義を正義だという。ほかの主義をかざす人は、
    ほかの正義を主張する。 だけど、「正義」という言葉の意味自体を考えようとしない。
    彼らが語っているのは、事実ではなく、どこまでも自分の価値観なんです。
石川  あなたの動詞の使い方で面白いのは、「在る」という言葉だよね。「居る」ならばまだ比較対象となる、
    横軸が出てくる余地があるけれど「在る」になると それが綺麗に払拭されてしまう。
池田  「存在」を語っているのですよ。 たとえ人について語る場合でも、性格とか生活とかは捨象されてますから。
    今度の本にしても、人物批評のカタチをとっているですが、取り上げた方たちの私の意見は全くないのです。
池田  私は、自分が何ものでもないと思っているのです。何者でもないから、座標原点になれるのだと。
    あとはひたすら考える。その宇宙的な座標原点からは、結構色いろなものが見えてくる。価値を語っている人たちと
    は立つ位置が違うので、論争が起こることもないし、私の周りは台風の目みたいにいつも静かです。
石川  池田さんの文章は、徹底したリアリズムで貫かれている。日本人は、リアルとは生活のことだと
    思っているので、その辺のことは理解しにくいのではないかと。
  ー以上だが、
「垂直な言葉」とは、言いえて妙である。「横軸でものを語るってのは事実でなく価値を語っている」とは、
思い当たる節が多くある。考え抜かれてない言葉の中で生きている我われは横軸の社会的な価値を話しているに過ぎない。
宇宙からの視点で、地球上に住む人間の知恵、そして価値を見直す時期に来ているが、宇宙からの視点の言葉も垂直である。 
・・・・・・・
2006年07月02日(日)
1916, スペイン画家・堀越千秋ー7      才八∋ウ_〆(∀`●)
 スペイン七千夜一夜  集英社文庫  ー読書日記
スペインといえば、やはり闘牛である。何回か闘牛について書いてきたが、堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。
「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが!一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、
面白いと思えるようになった。早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。が、慣れてくると、
それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。そうしないと殺される確率が
高くなるからだ。初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。しかし、ここはスペイン!それが現地の文化?の
一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、何度か自分の良心に言い聞かせて・・  まずは、その一部を抜粋してみた。
 ー
スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。牛は、平和な原野の牧場から
ある日突然連れさられる。暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。 
何が何だかわからない。 一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があってよくない。
いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、
勝手なことを言う。 そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、拍手をしたり、
口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。
牛の都合は、実は、無視されているのではない。スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、
つまり人間にとって良い牛は、恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、
気高い「自分」なのである。強い牛は自分の美点の反映なのである。勿論こっちの自分は、
牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、
牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。
こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ
乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
    ーーー
 スペイン人と日本人は違うのです!!  
ー以前の闘牛について書いた文章ですー
2002/09/07 パンプローナの牛追い祭り
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が一日だけ
もう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
 (字数の関係でカット弐千八年七月弐日)  
・・・・・・・・
2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記 ー 番外
わたしの酒中日記を書き出して驚くほど昔の記憶が戻ってきている。居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、
芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。
真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。今まで後ろを振り返らないことをモットーに
してきたせいか、最近になって振り返ると、その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。その時々の心のひだが
ドンドン思い出されてくる。しかし書けないことは幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。
それが若さなのであろうが。昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。
その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
しかし、それを書き出すということはなかなか出来ない。そのフラッシュのように戻った一瞬の記億を酒場にからめて書けばよい。
酒中日記を書いて、「人生は多くの何げない日常の断片から構成されている」ことに気づいた。決して大きな塊ではないし、
光り輝いた結婚式や旅行などだけにあるのではない。何げない日常の中にこそ、深い人生の意味が詰まっている。
酒席のことを書いていたら、いくらでも昔のことが思い出される。それが果たして良いのか、良くないのかまだ判断できない。
このレベルなら、いくら思い出せるものだ。人生は、日常の根っ子の地中の中にこそ、味わいと真髄があるようだ。
・・・・・・・・・
2004年07月02日(金)
1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5
 ー感動は蓄積される
何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。
そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、
ほぼ同じではないかということだ。旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。
とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。その感動を得る為に、いそいそと
飽きずに家内と一緒に出かけていく。感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。れて、その時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。幼児期から青年期にかけて可能な限り、
親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や自然を見せて感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。
その量×質が、その人の人生を決めるという。感謝・感激・感動は、その人の潜在能力のベースになるからだ。
今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを見て、触れて感激・感動を
意識的にしていかなくては!いまさら遅いか?豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。
・・・・・・・・
2003年07月02日(水)
 819, 恵まれていた時代に生きて
50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。直感的の出た言葉が
「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。特に思ったのは「恵まれていた」である。
・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に
 対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。国に若さと希望があった。
歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代といわれるだろ。
この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。 また時代の変化も激しいのが特徴であった。
とにかく面白い事が多かった。時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。あと10年、恵まれていた時代に稼いだ
資産の食い潰しをしていくだろう。そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。今の日本は、
それしか選択ができないだろう。魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の姿がそうである。
いま1968年の時代の日記を随想日記に書き写しているが、時代の背景の違いが全く違うことに驚く。
やはり経済があってこその国であり、個人がある。そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。
話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても全て恵まれていた。
宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという感謝をする祠ということだ。
12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。 その一つ一つにできたら100回、計1200回あげるのが理想だろう。
とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。「ありがとう」を
一万回以上続けて「マイナス思考の毒が激減した」と実感を先日この随想日記で書いた。
「幸せの宇宙構造」というの中に、『3つの帝国』という項目に正にその理由が書いてあった。
人の心には『好帝国ー肯定国』と『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、
それぞれの国民が住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」と言っているうちに
無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。 単純だが、しかし真理をずばり突いている。
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2002年07月02日(火)
 455,地球をサッカーボールに喩え
今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、毎日新聞の社説がダントツよかった
「・19世紀のナショナリズム、 ・20世紀の資本主義、 ・21世紀のグローバリズム化。この3つが今の世界を動かす
理念だとすれば、地球がサッカーボールに凝縮して私たちの前に現れた。私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。
欧州と南米で4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、
アメリカの影響から逃れたい無意識の願望に後押しされて、アメリカが作らなかった国際標準を初めて選んだ」
この鋭い分析に納得した。「サッカーボールを地球に喩える」とは、書くプロはさすがに違うと感心した。
・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。
・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。
・朝日新聞に出ていた川柳もよい「球ひとつ生命あるようなゴール決め」
・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー  多国籍の選手ーグローバルの時代
  印象的キーワードを並べてみる
・地球最大の運動会 ・国家の威信をかけた模試ー代理戦争 ・壮大な民族展示会
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2001年07月02日(月)
[71] 夢についてー3
夢は犬や猿など他の動物も見るという。子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていいかげんな事と、
気持ちの中で全く受け付けなかた。ところが経験を積むにしたがって何か常識で考えられない何かが存在している事を確信してきた。
特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を超えた存在を感ずるようになった。  
 ー以前の文のコピーをまたしておきますー  
  H05 11 記   妙な夢
 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。
夢だろうと腕をつねったが痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。 全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、
のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人に
その話をしたところ、‘それって皆同じ顔しているんだよね’言われた時た時、はじめてゾーッとした。またこんな夢もある。
夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえてウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、
まずいと中断した。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。その前後の夜半に夢で宇宙船
みたいなものが近くおり、乗れという、これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。
あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


3384, 911・考えない・日本人 −2

2010年07月01日(木)

「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、
人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
これだけは確かなことである。 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、
ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とは
まったく違うものであるということを、確信している。なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が
多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、
「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86)
 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば
熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、
哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、
率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。
多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。
 〜〜
 この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない
哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアの視点からみると、
それがリアルに見えるようだ。 特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
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007,誰が電気自動車を殺したか?
 2009年06月29日(月)
 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」というドキュメント映画を放映していたが、
時が時だけに、その内容に引き込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。
19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの
業界の圧力の中で、何時の間にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、石油メジャー、
アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定して、具体的に探っていく。 
 ーその映画内容の紹介のHPからー
 「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年
 舞台はロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手のGMが1990年に発表した画期的な電気自動車「EV1」が
さまざまな理由で、この世から葬り去られるまでを克明に描いている。当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的だった。 
「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」(俳優トム・ハンクス)も大絶賛。ところが石油業界から
「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との声が上がってから風向きが変わってくる。低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。
トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなくリースだけで市場に出回ったEV1は
2005年3月、同州から完全に姿を消した。そのころGMが大々的に販売していた車の一つが大排気量の装甲車のハマーが皮肉だ。
ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェネッガー同州知事。
まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、技術的に未熟な面があったが、
作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた「不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。
 ―
 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、
三年前に作られていたというのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると一万で済むという。
ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、組み立ても同じことになる。
既存のメーカーは規模が大きいところほど、今後の転換が難しくなるのである。
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2643, 戦略+夢・ノート
 2008年06月29日(日)
大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。文庫版に統一するのが本当なのだろうが、
あと一月で結論を出すつもりだ。サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは思わなかった。
文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できるのが、私にとってのポイントだった。
早速、日常の思いを書く「随想日記」「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。
特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、どんどん書きこめるのである。
  (以下、字数制限のためカット 2010年7月1日)
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2007年06月29日(金)
 2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー2
            才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
 ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、医療現場では残酷な問題が生じる。
「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。
その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、
その期間の僅かの間に生きるのである。だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。
 ー以下は昨日の、続きー
我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。最初は確かにわかりやすかった。
「助けて」「治して」といった懇願でした。が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬまま曖昧な時間に変わってしまう。
いわば、からっぽ。・・・・中略  私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。そこで多くの宗教的なる行事、
儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、
像、言葉、残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。それらを駆使して何処かに導くのが、
僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、
その演出、導きの巧みさが際立っているのは言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルを
とりあえず騙す、目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。
それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。ほとんどが健康食品と
宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。訪間者の全員が
確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。これで貴女は救われますと断じます。
彼らの確信する「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、
と善男善女に伝える術を今だ見つけられず、戸惑うばかりです。          ーおわり
・・・・
ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる
 捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール。
 何ひとつ手がかりのない闇といささかなる音、気配のない空洞を方向も理解できず誰も傍らにいないまま歩む旅路。
ーこの言葉の中の何と恐ろしい、虚空を独り彷徨ってきた彼女の咆哮が言葉に裂けている。
 その救いの装置が、結局、神社仏閣の長年つくりあげてきた神と仏に祈る行為の積み重ねの中から、
 その時その時の目くらましをするしかない!という。それほど人間は弱い存在でしかないのを自ら告白している。
 私は末期ガンは告げるべきでないと思っていた。この告白を読んでますます、そう確信を持つようになった。
 家内とは互いに末期の場合は、絶対に隠すようにと、話がついている。
 父の末期を一年間、自宅で一緒に過ごした経験からして、その灼熱地獄のような死の恐怖との闘いを目の当たりにした。
 その時、エピクロスの「死は存在しない。死んだ瞬間、自分は無いんだから。在るのは他人の死だけ。
 しかしその当人にとっては既に自分で無いから死はない、とある本に書いてあったよ」と、何気なく言った時、
 ハッとした父の顔を覚えている。「死の意味が、この歳になって初めて解った」と、正直に答えてくれた。
 父の口癖は「死んでしまえば、それまでよ!」だった。傍観者の言葉でしかないことを、その時に理解したのだろか?           
                                 さいなら!(゚▽゚*)♪ノ
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2006年06月29日(木)
1913, くちなしの花
                 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 一昨日の日経新聞の「私の履歴書」ー遠藤実ー の中にあった詩である。
  深い純粋な思いが直接伝わってきて、思わず息を呑んでしまった。
俺の言葉に泣いた奴が一人   俺を恨んでいる奴が一人 それでも本當に俺を忘れないでいてくれる奴が一人 
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人 みんな併せてたった一人
 私が20代後半に流行った、渡哲也の「くちなしの花」(遠藤実・作曲)の元になった詩。
カラオケでよく唄う歌である。慶応大学出身の十三期飛行予備学生・宅嶋徳光少尉の遺稿集「くちなしの花」の一節が背後に
あったと初めて知った。「たった一人」とは出征に当たり「手向けの花にくちなしを」と約束した恋人。戦時中のこと、
好きだと直接言えないので(くちなし)と言わざるをえなかった。それ故に、若い兵士の深い気持ちがもの悲しい。
(以下、字数の関係でカット2008年6月29日)         (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
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2005年06月29日(水)
1548, 私の酒中日記 −11  
   金沢ー7        1972年7月20日
明日で、金沢を去る。 一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。
「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。
ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。ごりは、小さな川魚で
ゴツゴツした形である。金沢で初めて食したが、良い思いでになった。その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。金沢市内を一望できる有名店だ。同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。金沢の夜も今日で最終になった。一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。気分的には屈辱の日々であった。金沢は見方によれば、
露骨な差別社会で、そと者の社員は人間扱いはされない。金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。金沢は、派手なのだ。背後には能登半島、福井、富山、高山を
控えた観光地である。対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。比べること自体が問題であるが。
幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。金沢に住んで、このことがよくわかった。
長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の?も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界。
また、男は今でも自分のことを「わし」という。相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。
とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。          さらば!金沢。
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2004年06月29日(火)
 1183, ショーペンハウエルー哲学について-12
ショーペンハウエルは、カントの思想を修正して完成をさせたドイツの哲学者で、主著は「意志と表象としての世界」である。 
(一七八八?一八六〇)に生き、その思想はカント・ショウペンハウエルというものをつくりあげた。
彼はあくまでカントを自分の理論の前提条件とした。その意味で彼の哲学の出発点は「カント哲学批判」だった。
「真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、
苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学」を主張した。 この苦痛から解脱する道は、
・芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、
・個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、
 他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであると論じた。
絶え間ない望みと恐怖を伴う欲望の渦に身をゆだねるかぎり、永遠の幸福と平和は手に入らない、と説いた。
 カントは、物自体の世界にやどる意志の働きによって、人間の体は「自由」な運動をすることができると主張した。
それに対して、ショーペンハウエルは、それは不可能でとして、意志の働きとそれに関する体の働きは、本当は同じ一つの出来事が
二つの側面からとれえられているいるだけと考えた。一つは内側から経験されているもの、もう一つは外から経験されているものだ。
このことを、彼は「動機とは内側から経験される原因である」という有名な言葉でいいあらわしている。
人の倫理観の源になっているのは「同情心」であってカントが信じている理性ではないと論じた。
彼によればこの同情心こそ愛と倫理が生まれてくる基盤と考えた。彼まで、西洋では東洋哲学は全く知られてなかった。
その東洋哲学はこの時期に西洋哲学と同じ結論に達していたのだ。これを知った彼は、この発見を書にあらわした。 
 ショーペンハウエルは、人間が閉じ込められているこの世界の地下牢からのつかの間の解放される方法を一つだけ示している。
それが芸術であった。人は絵、劇、彫刻、とくに音楽を聴いているとき、一生逃れることができない欲望から自分を解き放つことが
できるといった。その瞬間、経験世界の外にある、異なる次元の存在に触れることができると。
 学生時代にショーウペンハウエルを知った時に何ともいえない神秘的なイメージを持った記憶が生々しい。
ワーグナーやフロイトやトルストイの人生の大きな影響を与えた哲学者として読んでおきたい人という想いがあった。
多くの偉大な芸術家や作家の若き日の人生の転機のきっかけをつくったのだ。その36年後の今になって再会した神秘的な哲学者、
というのが正直な気持ちである。そのショーペンハウエルを深く知るためには、カントをいま一度読みなおす必要がある。
彼の後に登場した哲学者のニーチェも、彼の本を読んで哲学者になる決意をしたというから、よほど文章力があったのだろう。
彼が幅広い分野にわたって影響があった理由として「人のおかれた状況を見通す、たぐいまれなる洞察力と文章家としての
才能を合わせ持っていた」 からだ。
・・・・・・・
2003年06月29日(日)
816、『80対20の法則』ー読書日記
 リチャード・コッチ著  仁平和夫訳 
ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスに
おける所得と資産の分布を調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見、2つの奇妙な事実に気が付いた。
「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」という数理的事実を発見した。以前からABC 分析や戦略論などがあったが、
この本は非常にわかり易い内容であった。この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。
7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように
思えて仕方がない。どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 
 ー 以下は幾つかのホームページから抜粋したものである。 
■この本の内容
 ・80対20の法則とは、たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、費やした時間の20%から生まれる。
 ・あるいは、本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中 にみつけることができることなどをいう。
 但し、80対20というのは目安にすぎず、 不均衡がもっと大きくなる場合もあれば、小さくなる場合もある。
★目に見えない20%、水面下に隠れている20%をみつけ、求めよ。
★80対20の思考の目的は、行動はひとまず忘れ、しずかに考え心の闇の中に光を 見いだし、それから行動を起こすことにある。
そして、行動を起こすときは、目標をふ るいにかけ、いちばん大切なものに的を絞り、必要最小限のエネルギーと資源で
最大限 の結果を出すために全力をあげる。
 (字数の関係でカット09年06月29日)
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2002年06月29日(土)
 452,「まあだだよ」
昨夜TVで見た黒澤明作品である、これで見るのが3回目だ。見れば見るほどその味わいが深くなる。
内田百聞とその門下生だった男達の心あたたまる物語である。 その内容は省くが、見るたびに新しい味わいを感じる
百聞の記念式典で花の贈り物を持ってきた生徒の孫に、思わず説教をする。もちろん小学生低学年でその意味が解るはずがない。
その内容は普段私が本当に実感している事である。「自分の好きな事を見つけなさい。そして周囲に惑わされる事なくやりなさい!
(字数の関係でカット09年06月29日)


3383, 「だまし」の心理学 ー1

2010年06月30日(水)

 二ヶ月前にも、この著者・安斎 育郎 (著)の「不思議現象の正体を見破る」を、ここで書いたことがある。
その中で「だまし」に絞って書いた書である。重なっている部分が多いが、これはこれで面白い事例が次々と出てくる。
固定観念を巧く利用した手法は、なるほどと感心するが、騙していることすら、意識をしないツワモノに出くわしてきた。
倒産で資金繰りのため、我を忘れて身近なものから借金のために「だまし」を仕掛け、その結果、詐欺師のウワテを
いく手法で親戚・友人を騙していくのを身近で見たことがある。浅ましいというか、見事というか、身が凍るようだった。
 ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
    ー「だまし」の心理学ー 安斎 育郎 (著)
  =まずは、アマゾンの内容の紹介より=
≪ 世の中には、さまざまな「だまし」があふれています。 最近問題になった、マンション強度偽装、食品の消費期限偽装、
 振り込め詐欺、盗作、必修科目履修漏れ、テレビ番組の捏造などなど、どれも広い意味での「だまし」です。
また、推理小説や手品、トリックアートなど、人を楽しませるエンタテインメントとしての、罪のない「だまし」というものも
存在します。本書では、古今東西、さまざまな事例をとりあげながら、人はなぜだまそうとするのか、なぜだまされてしまうのか
という疑問を、図説を使いながら解明していきます。 自称霊媒師による詐欺行為や、UFOやネッシーのニセ写真などの
トリックを暴きつつ、霊やたたり、超能力は存在するのかを科学的に分析。また、なぜ人々はスピリチュアルなものに
惹かれ、カルト宗教に心を奪われるのか、心理的、社会的な面からもアプローチします。≫ 
  その幾つかを紹介してみる。
* かって虹の観察で、どこでどんな地震が起こるかがわかると自称していた人がいた。その人M氏は、
 虹の色の濃さや持続時間に基づいて地震の予知をしていた。 その予知はハガキで知らされていた。 
 たとえば、8月2日の午前2時に某地方で震度4の地震があったとする。近所の人が8月2日に郵便受けを
 見ると、二日前の消印の付いたハガキがあり、差出人がM氏になっている。その文面には「8月2日の午前2時に某地で
 地震が起きる」と書いてある。それで、予知が本当と信じ込んでしまう。 ところが、これが騙しだった。
 M氏は自分宛によく「文面や宛名などをエンピツで書いたハガキ」を出していた。 このハガキこそが、虹による
 地震予知のトリックだった。 これをどこかで、地震が起こると、自分宛に送られたハガキに書かれたエンピツの
 文面を消しゴムで消して、近所の人の名前と、地震の起こった日時と、場所を書き込んでいた。そのハガキを、
 自分で入れにいっただけのこと。知らない近所の人は驚くわけである。稚拙なトリックだが、騙すに充分である。
 ・・・・・・・・
 2009年06月30日(火)
  3008,今年も半分が過ぎた
・新インフルエンザが発生し、パンデミックになったが、弱毒性のためかまだ落ち着いている。問題は第二波のくる秋口。 
・去年の9月15日に起きた金融危機の直撃の影響が身辺にも影響を始めてきた。アメリカのGMとクライスラーが倒産。
 シティなどのアメリカの金融機関が実質国家管理になった。
・1月末にオバマが正式に大統領に就任、その政策転換が具体的に見え出してきた。 
・北朝鮮で、原爆の実験が行われたが国内的に不穏な動きが出てきているようだ。 
 毎年の傾向だが、今年も大きな事件は後半に先送りになった。
 去年が、世界的な金融恐慌発生がキーワードなら、今年は新インフルエンザのパンデミック。
要は秋口からの二波で猛毒になるかどうかだが、後進国で猛威をふるった時の医療体制の不備が最大の問題。
この新インフルエンザが、世界的に数百万、数千万の死者が出るパンデミックの初期とみるかどうか。
さらにアメリカ発の金融恐慌を、世界恐慌の初期段階と見るかどうか。 この辺の見極めがポイント。
 歴史的から見ると、悲観的にみる方が正しいようだ。去年の9・15が起きた時に、アメリカの恐慌を専門に
研究している経済学者が、「今回の恐慌は、20世紀前半の恐慌とは比べようもないほど規模が大きく、かつ質も悪質である」
とコメントしていたのが印象的であった。 それが雰囲気として、底をついたような楽観的な空気が一部あるが?
まだまだ初期の初期段階でしかない。明日からの後半は、更に大荒れの歴史的日々が待っている。 近くに自民党が衆院選挙で
解党的な敗北が決定的。民主党が政権を取った後に、本格的な政界の再編成があり、その過程で終戦後の60年の膿が出てくる。
そして、気づいた時には日本は、更に経済的にも、政治的にも大きく縮小している。
 現に10年、20年前に比べると現在が、そうである。 それが顕著になるだけ。悲観的過ぎる? じゃあ、楽観的というと? 
原子力や、電気自動車などに応用されるユビキタスなどの技術は日本が持っており、調整段階をこなした後は日本にチャンスが必ず来る。 
特に省エネが世界的テーマになるから、それは日本のもっとも優れた分野である。 等々・・・ 
アメリカこければ、日本は重症だろう、やはり。まあ、無事なんとか、乗り越えているだけ、良いとしなければ。
 ・・・・・・・・・
2644, 「無法バブルマネー終わりの始まり」 ー2
 2008年06月30日(月)
 まず第一章の中の小項目
 ーゴーストタウン化が始まった!ー P/56を、そのままコピーしてみる。
≪ いま、金融機関ばサププライムローンによる融資どころか、プライムローン(なんの延滞もない健全顧客向けのローン)
にまで融資をストップしている。 年収五〇〇〇万円を超えるリッチな顧客向けのジャンボローンですら、新規融資は止まったまま。 
それほど過剰反応している、ということだ。当然、住宅を販売しようにも売れない。新築住宅の適正在庫期問は四ヵ月なのだが、
いまや延びに延びて一〇ヵ月である。中古住宅マーケットはさらに“塩漬け”状態である。 ロサンゼルスでわたしが見たように、
売れない在庫が溜まると、それはそのまま地域一帯がゴーストタウン化することにもつながっていく。地域の治安、安全という
観点でも、すぐに解決すべく取り組まなければならない重要な問題であるのだが、手の打ちようがない。
「サブプライムローンの利上げを今後五年問凍結する」とブッシュは発表した(一二月六日)。
残念ながら焼け石に水にすぎない。債務者の多くは安く買って、高く売る転売時の利ざや稼ぎのためサブプライムローンを契約したのだ。 
よりよい住生活を満喫するためではない。これだけマーケットが冷え込んでいると、おいそれと住宅を販売したり、
転売できるとは考えにくい。当然、延滞率のさらなる上昇は避けられまい。 元本はもちろん、利息だって支払えない。
仮に一〇年凍結されたとしても、効果は薄い。 それよりも融資した資金が回収できなければ、金融機関(=住専)はどうなるのか? 
もちろん、すべてが不良債権化し、破綻してしまうことになる。シティがとりわけ大幅な損失を被っているのは、
この債務担保証券(CDO)について、自己投資分)のほか、投資家向けの販売在庫を抱えているため、予想外にロスが膨らんで
しまったからである。CDOは価格変動が激しいうえに、相対取引(一対一の取引)のため、価格形成過程も不透明きわまりない。
   (以下、字数の関係上カット10年6月30日)
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2007年06月30日(土)
2279, 今年の半年の総括 (2)
            ☆^(*・ω・)ノ~~~オハヨウ!
 もう半年が過ぎてしまった。比較的、穏やかな前半といってよい。それでも振り返ってみると色いろなことがあった。
*プライベートでは
 ・次男がめでたく結婚(3月3日)    ・実家にあたる兄の会社が倒産(5月15)
 ・両親を含めて最後の叔母堀内リツさんと、母の従兄弟の元市長の内山由蔵さんが死去(1月下旬)
 ・ゴールデンウィークに大學の友人の川崎整治さんを静岡に訪ねる  ・高校の同級生二人が癌で入院、手術
*会社では
 ・新潟駅立体工事が正式に着工  ・会社のホテル業の底打ちと、右上がりが始まった
*政治・経済・社会面では
 海外も国内も大きな変動はなく、比較的穏やかな半年であった。地方統一選挙も大きな波乱はなかった。
 社会面では、相変わらず陰惨な殺人事件が毎日のように続いている。
 経済面では、少し経済が持ち直しているようだが、あくまでも一時的なもの。大嵐の前の微風が吹いているに過ぎない。
*本で印象的だったのは
 カズオ・イシグロの 「日の名残り」  中村うさぎの 一連の本
 藤田東吾の 「耐震偽装」  佐藤優の 「獄中記」
 高橋敏夫 「人生のことは、小説が教えてくれた」
 野口悠紀雄 「日本経済は本当に復活したのか」あたりが印象に残っている。
*健康面では「半日人間ドック」で、全く問題なし。
 後半は、かなり政治も経済も含めて大荒れの予兆がしている。   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年06月30日(金)
1914, スペイン画家・堀越千秋?5
              おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
この本を読んでいると、ところどころで日本の文化との違いに「そうか?!」と唸ってしまう。
アンダルシアに行ったとき、日本人女性の名前の墓を見たことがある。百年以上前のものだった。
「何の因縁でそこまで行ったのだろうか?」人の世の深遠を見たような、感動があった。その女性の寂しさが直に
伝わってくるようだった。南アフリカでも、古い女性の墓を見たことがある。またケープタウンの日本人女性の現地ガイドの
話が生々しく印象的だ。「東京のイギリスの商社に勤めているとき知り合った英国男性と結婚。イギリスに行った後、
南アフリカのケープタウンに来た。若い時は外国暮らしは良いが、歳をとってくると厳しい。もし旦那が死んで、
子供が独立をしたら天涯孤独になってしまう。わたしの生きた証を子供の名前につけようとするが、旦那も同じように考えていて、
子供の名前を日本的な名前にするかどうかで揉めた。出来ることなら日本に住んでいたかった」と。著者の堀越は、
この本で国際人の特徴をあげている。「国際人とは、長年の孤独になれたものである」
スペインの墓地のことが書いてあった。 何ともスペインらしい!
 ーー
スペインの墓地というものは、横浜の外人墓地のようにロマンチックでない。あたかも一戸建ての邸宅にたとえられる
横浜のそれに比べ、こなたは丁度団地である。7Fの、頭をこちらにむけた棺の入る室がずらり、ロッカーのように並んでいる。
死人たちは焼かれもせず、棺おけごと生のままロッカーに収められ、ドアのかわりにしっくいとレンガで固められてしまう。
その表面の大理石の墓碑版を張りつけるという次第。しかし死人も永眠というわけにいかず7年経ってその先墓場代を払い続ける。
  (以下、字数の関係上カット10年6月30日)
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2005年06月30日(木)
 1549, 宇野千代
宇野千代が代表作「おはん」を書き終えた後に、一行も書けなくなってしまった。そこへ中村天風が「今度ね、自分の頭の中に
舞台をこしらえて、その中でいろいろ、あの女とこの男とひっつけよう、この男とこの男とこうしようというふうに躍らせながら
そいつを書いていったらいいだろう」「出来ないと思うものはできない。出来ると信念することは、どんなことでも出来る」言った。
「いい事聞いた!」宇野千代は、それいらいスランプを脱し、書く文章も変ったという逸話がある。この天風の言葉を、
スットンと脳に入れてしまう彼女が凄い。彼女は中村天風の弟子であり、その教えの実践者である。天風の言葉が、
彼女の中で血肉になって明るく具体的に噛み砕いているところがよい。
ー「私は不幸に対してはなかなか凹まない自信がある。どんなところからでも、私流に幸福を見つける自信がある。
私は、勿論不幸は好きではない。…自分を不幸だと思うことの方が、もっと好きではない。…」
ー「何事をするにも、それをするのが好き、という振りをすることである。それは、単なるまねでよい。すると、この世の中も、
嫌いな人がいなくなる。このことは決して偽善ではない。自分自身を救う最上の方法である。」
ー「私たち人間は、何時でも、ものの考え方の方向を、絶対に明るい方にもっていきたいものです。
明るいところには元気が、暗いところには病気が必ず宿っているのです。」など、まさに、天風の言葉が彼女の体験を通して
具体的に諭しているようだ。また、彼女の「私、なんだか死なないような気がするんですよ。」という言葉もよい。 
90歳半ば頃に発した言葉である。本心から出ているからよいのだ。「人生はいつだって、今が最高の時なのです。」
と語っている彼女の顔が目の前に浮かぶようだ。人生を最大限に生きた人は、サッパリとして清清しい。
                    ーつづく
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2004年06月30日(水)
1184, ‘私は幸せ’
あるホームページをみていたら、福田純子さんの講演が載っていた。この人の本を読んだこともあって、さっそく読んだが、
奥の深い内容であった。そういえば母の口癖に、「わたしの幼児期に亡くなった父が、自分の守護霊で、いつも私を見守って
いてくれていて、時に助けてくれている。だから何があっても大丈夫なの」があった。そう信じていれば、潜在意識の中で
父親が自分をコントロールしてくれるのだろう。まあコピーしておきます、ご覧あれ!
ーー
始めての方に“私は幸せ”って話を一つだけさせて下さい。よろしいですか、10分だけ 山岸さんの時間を頂きます。
名古屋から博多に帰る時です。新幹線で指定席を探して歩いていると向こうからキラっと光る奥様がいてとても気になったんです。
“オー素敵”気になった奥様の隣りの席が私の席だったんです。会釈をして座りました。20分ほど無言状態です。
 (以下、字数の関係上カット08年6月30日)
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2003年06月30日(月)
817、「神話の力 」 2
                早川書房
ー私の感想
この本は、私にとって過去に読んだ本の中でベスト5に入る本である。随想日記でも何回か取り上げてきた。
自分とは何かを考える時、神話に大きいヒントが隠されている。日本のような島国の神話は「中空」思想が物語に隠されている。
左右に相対立するものを配置して中央に中抜きの存在を置いて、ガス抜きの役割をさせている。今も天皇制が中空としての
役割として存在しているのが面白い。西部劇もそうだ。ある町にふらりと現れた主人公が、そこの悪役と対決して苦難の上に、
倒して英雄になり、何処かに帰っていく。これが神話のストーリーと同じである。男は無意識のうちに英雄願望を持っており、
女は誰もがシンデレラ姫コンプレックスを持っているという。 結婚して10年も経った姉が「今でもシンデレラコンプレックスが
ある。白馬に乗った王子様が何時か迎えに来てほしいという」と私にうちあけたことがあった。
人間なんてのはそんなものだろうが、これも無意識の中の刻印があるためだろう。
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ーレビュー
神話はわれわれに何を語ろうとしているのか。神話が人間の精神に及ぼす見えない影響を明らかにし、
全米に神話学ブームを巻き起こしたベストセラー。
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<いま生きているという経験>
  神話は人間生活の精神的な可能性を探る鍵である。「人々はよく生きることの意味を探していると言いますが、人間が本当に
探求しているのは<いま生きているという経験>です。」この本は、神話学の世界的な権威であるジョーゼフ・キャンベルが、
世界各地の詩人や賢者の言葉を使い、私たちに「人生は素晴らしいことだ!」ということを伝えてくれる。古代の神話が失われつつ
ある現代において、今求められている神話がどういうものか、そしてその中で生きる私たちはどのように生きるべきかを導いてくれる
本である。宗教学や神話学に興味のない人であっても、必ず彼の言葉には自分と共通する物語が探せるはずである。
 (以下、字数の関係でカット2008年6月30日)
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2002年06月30日(日)
 453,世界で一番に貴方の味方
「大都会の超高級クラブの裏側」というドキュメントがあった。
-お水の青春ー女心の裏表ーが副題であった。
印象順に順不同で書いてみると
・大都会のクラブの「ママとナンバーワンホステスとタイとフィリピンの混血のホステスの3人」の内側レポート。
・会員制でお客の情報がパソコンで完璧に把握されている。その相手のホステスも決まっており気配りを徹底的にしてある。
・指名ナンバーワンーベストスリーを発表、お互い競わせる。
・ナンバー1の女性が店が終わった後、必ずその夜のうちにその日のことをノートにきめ細かく書き込むー書く事でいろいろな
 気づきとか、話題を記憶にとどめる。 その人の話題書き留めるーそのうち重要な事を情報はパソコンに打ち込む。
 ポイントはその日のうちにやることだという。
・メールと電話をする。 食事に誘う。事前の準備をきめ細かくしておく。
・銀座などの高級クラブのシステムは世界で日本しかないシステムである。
・男は夜の世界でー嘘と誠の世界を楽しむホステスは自分総てをかけて男女の際どいゲームを楽しむ
ホステス教育で其処のママが言っていた、「自分のお客に、世界で一番に貴方の味方と自分を認識して下さい」
「一番大事なことは人格であるーそれを磨く事」 なるほどと思った、そういう店が有ったら
行ってみたいものと思った。一晩10万以上も払ってけして高いと思わせない何かがあるから行くのだろう。
その一片を見たようだった。以前にも書いたが、銀座ホステスの対談を読んで驚いたことがあった、15年ほど前か。
要旨はー店に出る前に準備を完璧にまで終えている。孫子の兵法そのものを実行しているだけだ。あと男は威張りたい動物だそうだ。
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2001年06月30日(土)
[69] 夢について?1
夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。年に一?二回熊に追われている夢を見る。
熊に追われて二階‐三階の部屋に逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。
熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰もが経験ある夢である。
一度凄い夢を見た。10年以上前に社内報に書いた文章をコピーしてみる。
  霊的体験‐  平成4年 7月
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。死後一週間後位か妙な夢をみた。
私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’という内的実感。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。
また死後二?三日後の夢も強烈な夢(?)であった。 何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

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