堀井On-Line



3382, 考えない・日本人

2010年06月29日(火)

「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)

* 家畜人間ジャップ
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、
人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
これだけは確かなことである。 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、
ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とは
まったく違うものであるということを、確信している。なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が
多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、
「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86)
 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば
熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、
哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、
率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。
多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。
 〜〜
 この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない
哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアからみる、
それがリアルに見えるようだ。特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく

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007,誰が電気自動車を殺したか?
 2009年06月29日(月)
 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」というドキュメント映画を放映していたが、
時が時だけに、その内容に引き込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。
19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの
業界の圧力の中で、何時の間にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、石油メジャー、
アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定して、具体的に探っていく。 
 ーその映画内容の紹介のHPからー
 「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年
 舞台はロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手のGMが1990年に発表した画期的な電気自動車「EV1」が
さまざまな理由で、この世から葬り去られるまでを克明に描いている。当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的だった。 
「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」(俳優トム・ハンクス)も大絶賛。ところが石油業界から
「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との声が上がってから風向きが変わってくる。低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。
トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなくリースだけで市場に出回ったEV1は
2005年3月、同州から完全に姿を消した。そのころGMが大々的に販売していた車の一つが大排気量の装甲車のハマーが皮肉だ。
ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェネッガー同州知事。
まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、技術的に未熟な面があったが、
作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた「不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。
 ―
 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、
三年前に作られていたというのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると一万で済むという。
ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、組み立ても同じことになる。
既存のメーカーは規模が大きいところほど、今後の転換が難しくなるのである。
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2643, 戦略+夢・ノート
 2008年06月29日(日)
大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。文庫版に統一するのが本当なのだろうが、
あと一月で結論を出すつもりだ。サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは思わなかった。
文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できるのが、私にとってのポイントだった。
早速、日常の思いを書く「随想日記」「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。
特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、どんどん書きこめるのである。
そこに「7つの習慣」の「ベストの敵はベターである」を、副題として書き込んでみた。5年後(?10年後)を考えるということは、
5年前(-10年前)を振り返ることになる。ノートを開き5年先を想定することは、「潮流とは何か」を考えることになる。
長期の装置投資を事業するものにとって、この程度の専用ノートを書き続けるべきであった。一度気がつくと、前から、
こういうノートを専用に作っておかなかったことが悔やまれる。ただし、これが何時まで続くか自分でも楽しみである。
(数ヶ月で自然消滅の可能性もある)「モーニングページ」(毎日思いのまま書き込むノート)は、会社にきてからの
「ランチページ」として続いている。朝はこの随想日記を完成し、アップすることと、ウォーキングを優先している。
昨日、書き込んだことといえば、「金の価格は5年前は現在の半額である。金より大きく跳ねる金鉱山関係の株は3分の一。
これは金が上がったのではなく、ドルと円の価値が下がったのである。アメリカと日本の双子の赤字と、サブプライムローンの
破綻を考えれば当然の成り行き。そして、その崩壊が表面化した深刻な世界経済を考えると、これからの5年間のドルと
円の崩壊は拡大する。ということは金の価格は更に上がる」 と、書き込んだ。更に、スタグフレーションが深刻な国内外の
経済と社会をもたらしているだろうから・・・少しテーマから離れたが、夢とか、明るい素材を加えていかないと。
この辺がミソだろうが。
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2007年06月29日(金)
 2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー2
            才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
 ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、医療現場では残酷な問題が生じる。
「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。
その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、
その期間の僅かの間に生きるのである。だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。
 ー以下は昨日の、続きー
我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。最初は確かにわかりやすかった。
「助けて」「治して」といった懇願でした。が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬまま曖昧な時間に変わってしまう。
いわば、からっぽ。・・・・中略  私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。そこで多くの宗教的なる行事、
儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、
像、言葉、残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。それらを駆使して何処かに導くのが、
僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、
その演出、導きの巧みさが際立っているのは言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルを
とりあえず騙す、目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。
それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。ほとんどが健康食品と
宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。訪間者の全員が
確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。これで貴女は救われますと断じます。
彼らの確信する「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、
と善男善女に伝える術を今だ見つけられず、戸惑うばかりです。          ーおわり
・・・・
ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる
 捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール。
 何ひとつ手がかりのない闇といささかなる音、気配のない空洞を方向も理解できず誰も傍らにいないまま歩む旅路。
  (字数制限のためカット2010年6月29日)
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2006年06月29日(木)
1913, くちなしの花
                 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 一昨日の日経新聞の「私の履歴書」ー遠藤実ー の中にあった詩である。
  深い純粋な思いが直接伝わってきて、思わず息を呑んでしまった。
俺の言葉に泣いた奴が一人   俺を恨んでいる奴が一人 それでも本當に俺を忘れないでいてくれる奴が一人 
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人 みんな併せてたった一人
 私が20代後半に流行った、渡哲也の「くちなしの花」(遠藤実・作曲)の元になった詩。
カラオケでよく唄う歌である。慶応大学出身の十三期飛行予備学生・宅嶋徳光少尉の遺稿集「くちなしの花」の一節が背後に
あったと初めて知った。「たった一人」とは出征に当たり「手向けの花にくちなしを」と約束した恋人。戦時中のこと、
好きだと直接言えないので(くちなし)と言わざるをえなかった。それ故に、若い兵士の深い気持ちがもの悲しい。
ーー
(以下、字数の関係でカット2008年6月29日)         (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
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2005年06月29日(水)
1548, 私の酒中日記 −11  
   金沢ー7        1972年7月20日
明日で、金沢を去る。 一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。
「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。
ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。ごりは、小さな川魚で
ゴツゴツした形である。金沢で初めて食したが、良い思いでになった。その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。金沢市内を一望できる有名店だ。同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。金沢の夜も今日で最終になった。一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。気分的には屈辱の日々であった。金沢は見方によれば、
露骨な差別社会で、そと者の社員は人間扱いはされない。金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。金沢は、派手なのだ。背後には能登半島、福井、富山、高山を
控えた観光地である。対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。比べること自体が問題であるが。
幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。金沢に住んで、このことがよくわかった。
長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の?も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界。
また、男は今でも自分のことを「わし」という。相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。
とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。          さらば!金沢。
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2004年06月29日(火)
 1183, ショーペンハウエルー哲学について-12
ショーペンハウエルは、カントの思想を修正して完成をさせたドイツの哲学者で、主著は「意志と表象としての世界」である。 
(一七八八?一八六〇)に生き、その思想はカント・ショウペンハウエルというものをつくりあげた。
彼はあくまでカントを自分の理論の前提条件とした。その意味で彼の哲学の出発点は「カント哲学批判」だった。
「真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、
苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学」を主張した。 この苦痛から解脱する道は、
・芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、
・個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、
 他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであると論じた。
絶え間ない望みと恐怖を伴う欲望の渦に身をゆだねるかぎり、永遠の幸福と平和は手に入らない、と説いた。
 カントは、物自体の世界にやどる意志の働きによって、人間の体は「自由」な運動をすることができると主張した。
それに対して、ショーペンハウエルは、それは不可能でとして、意志の働きとそれに関する体の働きは、本当は同じ一つの出来事が
二つの側面からとれえられているいるだけと考えた。一つは内側から経験されているもの、もう一つは外から経験されているものだ。
このことを、彼は「動機とは内側から経験される原因である」という有名な言葉でいいあらわしている。
人の倫理観の源になっているのは「同情心」であってカントが信じている理性ではないと論じた。
彼によればこの同情心こそ愛と倫理が生まれてくる基盤と考えた。彼まで、西洋では東洋哲学は全く知られてなかった。
その東洋哲学はこの時期に西洋哲学と同じ結論に達していたのだ。これを知った彼は、この発見を書にあらわした。 
 ショーペンハウエルは、人間が閉じ込められているこの世界の地下牢からのつかの間の解放される方法を一つだけ示している。
それが芸術であった。人は絵、劇、彫刻、とくに音楽を聴いているとき、一生逃れることができない欲望から自分を解き放つことが
できるといった。その瞬間、経験世界の外にある、異なる次元の存在に触れることができると。
 学生時代にショーウペンハウエルを知った時に何ともいえない神秘的なイメージを持った記憶が生々しい。
ワーグナーやフロイトやトルストイの人生の大きな影響を与えた哲学者として読んでおきたい人という想いがあった。
多くの偉大な芸術家や作家の若き日の人生の転機のきっかけをつくったのだ。その36年後の今になって再会した神秘的な哲学者、
というのが正直な気持ちである。そのショーペンハウエルを深く知るためには、カントをいま一度読みなおす必要がある。
彼の後に登場した哲学者のニーチェも、彼の本を読んで哲学者になる決意をしたというから、よほど文章力があったのだろう。
彼が幅広い分野にわたって影響があった理由として「人のおかれた状況を見通す、たぐいまれなる洞察力と文章家としての
才能を合わせ持っていた」 からだ。
・・・・・・・
2003年06月29日(日)
816、『80対20の法則』ー読書日記
 リチャード・コッチ著  仁平和夫訳 
ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスに
おける所得と資産の分布を調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見、2つの奇妙な事実に気が付いた。
「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」という数理的事実を発見した。以前からABC 分析や戦略論などがあったが、
この本は非常にわかり易い内容であった。この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。
7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように
思えて仕方がない。どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 
 ー 以下は幾つかのホームページから抜粋したものである。 
■この本の内容
 ・80対20の法則とは、たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、費やした時間の20%から生まれる。
 ・あるいは、本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中 にみつけることができることなどをいう。
 但し、80対20というのは目安にすぎず、 不均衡がもっと大きくなる場合もあれば、小さくなる場合もある。
★目に見えない20%、水面下に隠れている20%をみつけ、求めよ。
★80対20の思考の目的は、行動はひとまず忘れ、しずかに考え心の闇の中に光を 見いだし、それから行動を起こすことにある。
 (字数の関係でカット09年06月29日)
・・・・・・・・・
2002年06月29日(土)
 452,「まあだだよ」
昨夜TVで見た黒澤明作品である、これで見るのが3回目だ。見れば見るほどその味わいが深くなる。
内田百聞とその門下生だった男達の心あたたまる物語である。 その内容は省くが、見るたびに新しい味わいを感じる
百聞の記念式典で花の贈り物を持ってきた生徒の孫に、思わず説教をする。もちろん小学生低学年でその意味が解るはずがない。
その内容は普段私が本当に実感している事である。「自分の好きな事を見つけなさい。そして周囲に惑わされる事なくやりなさい!
自分の持っている範囲で最大限やりなさい!」私の見る範囲では90?以上の人がそれができなかった人だ。
 (字数の関係でカット2010年06月29日)


3381, 今年、半年の出来事

2010年06月28日(月)

  今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。
 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、ハイチでは30万人の死者がでた。
一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末にはスマトラ島沖地震・インド洋大津波で20万人が亡くなったが、
今年は前半だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。
景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。 ギリシャ、そしてスペインと・・。 経済危機は当分の間、世界中で続く。
北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。
まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。
 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付で何とか最悪の事態を避けているが、
実態は二番底に向かってまっしぐら。 社会現象では、ツイッター(ミニブログ)が爆発的に普及始めている。
またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌・書籍などを近い将来、淘汰することになる。
大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の
大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・不幸は無かった。
 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、大地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。
後半も、何か大きな事件が続きそうな感がする。 日本経済も土壇場に来ており、先は暗雲が漂っている。
 
 ・・・・・・・・・
3006,戒名を自分で付けてみた ー2
2009年06月28日(日)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。 思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 
あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、これほど面白いことはない。
当時は坊様以外に、その能力を持った人が少なかったこともあるが、今は違う。家の仏壇には回出位牌が二つある。
回転式の祖先の過去帳である。 明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と亡くなった日が記録してある。
八角形の筒状になった書き込み式位牌で、中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 
この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。 この文を書くにあたりメモをとったが、一人ひとりの人生が
何かを語りかけているようである。 俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。 そして亡くなった年齢も命日も、
その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを踏まえて法名を捻り出したのである。 
本人も死に怯えたかもしれない。 それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにしてはならないのである。 
だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名してもらうも、
それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、として別につくっておくのも良いだろう。
俗名は親が作るなら、あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。
 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。
       父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没
       母   志摩      報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日   
    一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没     昭和27年3月15日
    二番目の兄、進 の法名は、釈証盆  24歳没       29年8月11日
    三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠   5歳没       11年6月4日
   祖父の多吉は、釈淨信         62歳没        2年7月22日
   祖母のツルは 釈尼妙証        55歳没     大正12年10月
  父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没     明治31年8月29日
 明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。
 そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて良いものか、疑問もある。
 下手をすると罰当たりになるか?  それぞれの命日には、心を込めて般若心経をあげないと・・・。
 ところで両親を除くと、誰も彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」が口癖だった。
 ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。
 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。   合掌!
・・・・・・・・・
2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ!
2008年06月28日(土)
昨日の産経新聞の一面のコラム、
 曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」
   ー弱点を武器にする弱者たちー  が、的を得た論評であった。
ー要旨といえばー
秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人たちへの批判である。
戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。
短大を出た環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と健康があること、
それだけで充分という。 アフリカや南米の貧困層と比べれば、全く恵まれている。
それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまっていると指摘する。
彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが当然という、開き直りを武器にしている、と。
 − 以上だが、
 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。
「死ぬしかない!」とか、「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。時代が下降すると、頭と尻尾が腐るというが。 
何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢をモクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。 
この事件は序曲でしかない。 彼女の最後の閉めの言葉
「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなしてきたが、それは間違いだ。
 強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を
 目的に教育すべきである」が、教育の背骨になければならない。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!娑婆娑婆 」ではね?。
・・・・・・・・・
2007年06月28日(木)
2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー1
   
何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、末期ガンと宣告された経験者しか知らない、
虚空を目の前にした不思議な体験の言葉。 ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」の文章。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。告知された私が三年半かけて自覚したのは、
告知人が医師であれ、占い師であれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは)
「その言葉にとことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば愚かしいまでの単純な事実でした。
実のところ死は虚構です。誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
にもかかわらず、誰もが死を語ります。その殆どは身内や友人の死の目撃談、または別離でしかありません。
死そのものではありません。当事者がいないのに目撃者だけがいる。画像に映り込んだ数えきれない幾つもの黒い影を
論拠として提示されながら、「あと半年の確実な死」を告げられるのはかって経験したことのない不思議な体験でした。
  ・・・・中略
死は誰にとっても永遠なる闇の空洞です。しかも空洞の大きさ、質感、彩りなど知りうるすべてが捉えきれないがゆえに
言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホールとでも言いえるかも知れません。
「あなたは6ヶ月後にそこに入っていくのです、」との告知は不思議でした。震えながら、ひとり、を実感しました。
 (字数制限のためカット2010年6月28日)
・・・・・・・・
2006年06月28日(水)
1912, スペイン画家・堀越千秋?4
  「スペインうやむや日記」?3  ー読書日記ー         
 その9 ーむかつく (P-90)が面白い!
 ーー
プラド美術館のそばに何ヶ月か住んでいる知り合いの日本の女の子が、まだプラド美術館を見てないというから、
『え~見てないの。せっかくそばに住んでいるのだから、損だよ、そりゃ見なくてちゃ』といった。
この言い方あるいは内容が、何か先方に劇的な感情を起こすかもしれないと。
ところが、何と彼女は、にわかにわめきましたです。「それってむかつくっ!」「・・・はい?」「む・か・つ・く!」
同席していた、もう1人の女の子(両方とも20代)が説明してくれた。
こういう「あたまごなし」の「先生みたい」な「一方的」なものの言いようは、「おしけがましく」て「むかつく」そうだ。 
ニャニィ 【君はъака】\_(・ω・`)ココ重要! あのな、ふざけんなよばかやろう。   
だが私は分別のあるインテリの国際人であるから、私の言葉のどこがそれに相当するか、静かに問うた。
しかし、むかついた女の子Aはソッポを向いているし、女の子Bは私が悪いという。
そもそも私は下心なしに安いレストランで不味い夕飯をおごり、そのあとアルメンドロのカフェでコーヒーまでおごって
いるところである。 全く無罪である。それが何故??「世代の差」と女の子Bはぬかした。ヾ(。??∀??)ノ??
私の目の前にいるのはタヌキか、虫か、ナマズか、火星人か? 頭ごなしでいったのではないし、先生みたいでもないし、
先生でもない。 ただの親切だ、ということです。その情けない論理にすがって、言い方の言い訳をいうのに二時間も要した。
時計を見ると午前三時である。この馬鹿どもの相手に、あたしゃつかれた。;;(≧ω≦;)
  ーーーーー
以上だが、そのときの場面が目に浮かぶようだ!こういう馬鹿女が、何も知らないでスペインにきているのだ。
とくに欧州に行くと、日本人女は舞い上がってしまう。日本とは、女の扱いが全く違うのだ。
レディファーストに徹しているから、それが土地柄ということが判らないのだ。
旅行先で何時も辟易させられている。頼むから食事の席では、そばに来ないでと・・・
この三十数年間、新入社員の入社前教育が、ほぼこういう経験である。
詳細は書かないが・・・ 家庭教育が全く入ってないのだ。それと学校でも社会規範を教えてない。  
ニャニィである。そして、1?2年すると、解ったような顔をして それも・・まあ、ここでやめてこ!
他人事ではない、自分の最も身近の誰々さん、まさか家内とも言えないが、
「もっと、 ひ・ど・い・・・・・」殺される??  消せ消せここ!何か堀越が乗りうつった?感じか。         
                     。゜+.゜ヽ(●´ω`●)ノ。         
わたし、プラドを見てまわった時の感動今でも忘れることが出来ません。これだけの絵が何と無造作に彼方此方で、
見れるのである。確かに、ルーブルも凄いがプラドはまた違った感動がある。近くに住んでいて見てない!など・・・
それも画家に言われて何を・・・である。 これを書いている現在、ワールドカップのフランス対スペインをみている。
フランスが後半に一点を入れたところ。 スペイン人はフランスを嫌いのようだ。フランスは嫌いじゃないが、フランス人が
嫌いだと!試合そのものは面白いこの上ない。自国の場合、こうも冷静に楽しめない!と書いていたら、ジダンが三点目をいれた!
(註)ープラド美術館ー
スペインを、いや世界を代表する美術館の一つがプラド美術館。絵画館としては世界一という声もある。
ボスの『快楽の園』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、ゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』、
ルーベンスの『三美神』…… 「オランダ絵画やフランドル絵画を研究しようとすればプラドを訪れなければならないが、
スペイン絵画を研究するには プラドを出る必要はない」という言葉があるほどだ。    ー つづく
・・・・・・・・
2005年06月28日(火)
 1547, エホバの証人ー2
彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。
信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
・献血の拒否
・偶像崇拝の禁止
・国の祝祭日の否定
・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務(多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる)
・毎週5つの集会の出席
 以上のような義務を果たそうとすると、家庭はもとより、職場や学校から次第に離れるようになっていく。
そこが、彼らの狙いがあるのだ。 それゆえ、「社会に背を向けた宗教集団」
「真理外の人々と社交をまじわるのは危険という独特な集団」として、外部から敬遠される。
それが、ますます信者同士を強める結果となり、家族との隔離をうんで、その結果がトラブルになってしまう。
彼らの説では1914年と、1942年と、1975年にハルマゲドンの大戦があるはずが何も起きないことが、
マイナスのイメージを強めている。これらから考えてみても、典型的なカルト?と見られても仕方がない。
この教義を信じて教団に入っていれば、楽しいであろうが。少なくとも疎外感とか、悩みはホボ解決されるからである。
検索でHPをみると、洗脳された人と、その家族とのトラブルが深刻である。
どこにもあるカルト対家族との対立構造が見てとれる。
このシステムに取り込まれたら、本人の自力では脱出はまず不可能だろう。
あのカルトの「オウム教」との共通点があるが、信者の財産を根こそぎ奪い取らないからまだましか。
年間、三万数千の自殺者が出ている現在、カルトを一方的には既存宗教も批難できない。
カルトも、その人達が金にならないことも知っている。 難しいところだが。
経済が右下がりの時代、カルトにとっては草刈場の場面である。
・・・・・・・・・
2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン ?3
いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。
そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。どんな仕事でも、それは共通している。
そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、
それに耐え得なくては存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合
見ているほうが辛くなることが多い。トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。
北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。 20代半ばなのに、30分前に閉館した博物館を日本から
ワザワザ来たと談じ込んで開けさせたのには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。仕事の辛さという面で、
究極の場面が次々と出てくる。やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。スペインが大好きという
本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインのカセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。
厳しい中でも、その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                            つづく
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21
 (字数の関係でカット09年6月28日
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2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛
 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルが
でたら借りようと待っていた。4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。
 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな
剣さばきの対比が素晴らしい。作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲からあざ笑われている。しかしそこで、
お家騒動がおこり巻き込まれていく。そして・・・ 早速、映画をみて驚いた。小説と映画は全くといってよいほど違っていた。
ー映画のあらすじは
 (字数の関係でカット09年6月28日)
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2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展
先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。
ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。 毎年40万人が訪れるという。
彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。
今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちに
なってしまった。何か悲しい、底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。見方によって不自然な絵でもある。
これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として
表現されたことが。絵の世界ではあったのか知れないが。決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、
そして愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなるのだろう。
・・・・・・・・・
2001年06月28日(木)
[67] 月次決算
20年前の創業時より月次決算と毎月監査を実施している。そしてその報告書を銀行に提出している。
都銀の担当者がいうに県内で大手も含めて殆どなかったという。不況に入り今になってその実施を慌てて地銀が
要求始めていると聞く。これをきっちりしてあるから権限の委譲ができる。 安心して海外旅行もできた。


3380, 閑話小題

2010年06月27日(日)

  * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ
 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。
10万人あたり30・4人という。ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。
 県としては秋田県が毎年トップというが。 真面目な内向きな性格が、そうさせているようだ。 
年代でいうと50、40、60歳の順で、男二に対し女一の割合。 40から60歳代といえば中年から熟年への過渡期。
仕事も肉体も大変な時期である。 自殺といえば昔から北欧が多いが、日照の時間が短く、家にいる時間が長くなる黒夜の時期に、
内向きの暗い気持ちになり自殺する傾向が強いと現地で聞いた。年寄りだけでなく、青少年の自殺が多いという。
東北・北陸も、北欧と同じような緯度にあり閉鎖的になってしまうからだ。それと景気悪化の直撃もあるのだろう。
   〜〜
  * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」
 「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。
 手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、相手の名前は? というと、
本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、
差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた事例という。 なるほど! 
 他にも、配達人の恰好で、留守の人(旦那とか、隣の家にいって)に立替で集金をする。TVのニュースでみたのは、
夜間金庫が壊れているといって、警備員の恰好をした詐欺師がお金を預かる、などなどである。
 この本の詐欺師の手口の紹介、近々に書いてみるか? 「世界は騙されたものの上で成り立っている」というが、
結婚など、その最たるものか。 幻想を互いに利用して実際は?? 騙し騙されない者よりはズット良い? 幻想もあるか?
 ・・・・・・・・
3005,戒名を自分で付けてみた
2009年06月27日(土)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で
「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。 早速、借りて読んでみたが、面白い。
戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。 坊様が葬式のドサクサに故人の苗字と名前を元に
名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出すモノでしかない。
それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。
ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 
 宗派により、それぞれルールは違うが、 
浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 
 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。
精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。
それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。
(最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い)
この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。 
 これも縁である。
私 =堀井八郎    志誠院釈八楽居士  (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字)
家内=堀井恵子    慈愛院釈尼恵光
長男 =堀井大    霊覚院釈大道居士   次男=堀井崇史    自然院釈崇駿居士
 まあ、決して悪くはない出来栄?である  80ー90点?。
訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。
 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・)
 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 
だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。
「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。
ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた
父=堀井誠作   池行院釈誠道    母=  志麻   報寿院釈尼信華
 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。
ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。
丁度良い酒の肴になる。  酒楽院釈酩酊居士 の戒名か?
・・・・・・・・・
2641, 今年前半の総括
 2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。
ー海外では
・アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安  ・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った
・ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡        ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及
・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明   
ー国内では
・岩手・宮城大地震                    ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた
・アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落  ・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった
・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況
 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。
これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。
ー個人的にみると、
・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。
・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連れ合いも全て亡くなった)
 これで親戚関係の付き合いが大きく変わる。
・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。
 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。
・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引にピンクに引き込まれそうになって
 警察まで行った騒動もあった。 
・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。
ー会社は、
・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。
 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。後半も大きな波乱要素が多くある。
 山より大きな猪はいない、というから、その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。
・・・・・・・・
2007年06月27日(水)
2276, 天才論 ー1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]  ー読書日記
「天才論」
ーダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。
この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。
ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった
とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子ということも含めて、
自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチも
持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」というところが印象的である。
「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら何なんだろうか?
モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」
があるはずとの著者の指摘。ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残されたものに書かれてある
「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。
 レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、
・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
天才といわれる人は、トップダウンの働きの傾向が強く、頭の中に「具体的な何か」をハッキリと思い浮かべてしまうよう。
アインシュタイン、モーツアルト、ニーチェなど天才と言われるひとたちには、「トップダウン」の働きが強いが、
レオナルドは「ボトムアップ」「トップダウン」の両方の要素を持っていたと著者は指摘。
彼の書いた絵について他の作家の絵画作品との違いに触れて、レオナルドを語る上で重要な部分とみている。
それはキャンバス(背景図)に描かれた部分に秘密が含まれており、それを読み解くことを見る人に問いかけていると指摘している。
 ー天才についての著者は以下のように指摘している。
「この章の冒頭で、天才はみんな、潜在的に万能である、と書きました。それはどういうことかというと、人間や世界の根本への
深い理解は、あらゆる分野の卓越した業績につながり得る、ということです。多方面に天才的な能力を発揮した人物というのは、
現実には見当たりませんが、天才はだれでも、どの方面にでも能力を示すことのできる素地をもっている、と言えるのでは
ないでしょうか。」と。 また、他の箇所でも「大事なことは総合的な知性を蓄わえた上で、ある特定の分野に集中することです。
 (2010年6月28日字数制限の為カット)
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2006年06月27日(火)
1911, スペイン画家・堀越千秋ー3         (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ
「スペインうやむや日記」ー2     ー 読書日記
 ースペイン人の特質ー
この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界に引き込まてしまう。
同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・・ 堀越の自在から滲み出ている人間の味が、葡萄酒のように漂ってくる。
28歳でスペインに渡って30年の実感を「国際人とは、長年の孤独に慣れた者のことなのである」といっているが、
海外の流浪者の哀感がそのまま伝わってくる言葉である。流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みがそのまま迫ってくる。
ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれるー
・行方不明者はタチマチ『死んだ』か『刑務所入り』にされてしまうような国。何でも断定と言い張ることは、スペインの特技。
・女性に対しては、『誰に許されて、彼女らはあんなに威張っており、わがままであり、傍若無人であり、支離滅裂であり、
 没論理的であり、没個性的であり、保守的であり、ヒステリックであり、お行儀が悪いのか』
・頭の中には、サッカーと闘牛しかない男たち。
 ーー
だいたい、これで著者のスペイン人についての思い・描写の部分を抜粋した。下手な作家より、どうしてこうも画家の方が
描写が上手いのだろう。やはりスペイン在住日本人で、何よりスペイン人が好きだからだろう。     
             つづく (⌒▽⌒)/"”バイバイ!
・・・・・・・
2005年06月27日(月)
 1546, 人生の最後に後悔すること
アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」の答えは、
「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。
一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、人生が私たち問いかけている問題である。
この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方になる。中村天風のいう「積極一貫」を、
人生を通して徹することである。何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか?知識がなかった現状に満足しきっていた、
余裕がなかった、人生を真剣に考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。豊かなアメリカの90代の人々が
「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」という切実な後悔は、何を意味しているしているのか? 
旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえるのだ。 
ということは、「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、 広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、
・『人生は可能ながぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。
 しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。
精一杯生きてきたからだ。それしかないし、他は考えられないからだ。 それでも、あるのが人間であるが。
「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」 この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、
もっと深く問い詰めてみよう!か。
父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列でしかない!」
と言ったことを思い出す。 中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。
人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。そして貯金をすることで解消しようとする。
それに支配される状態が、老いている状態である。今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。90歳の人がいうから
問題がクローズアップする。20歳の人でも同じ問いかけが必要である。周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。
見えてないのだ。それも足元にあるのに。
・・・・・・・・
2004年06月27日(日)
 1181, カント ー 哲学についてー11
カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。
ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。 因果なことに、“ せむし ”で、背中にコブがあり、
身体がゆがんで胸が小さく、生まれついての喘息もちだった。脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな
子供であったのだそうです。毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」
と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。そうするとこの医者は、じっとカントの様子を
見てからこう言います。「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう苦しかろう。それは医者として見ただけでわかる。
しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。
心までも“ せむし ”みたいにゆがんで息苦しくてゼイゼイしているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。
身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで何にもならない。それよりも、
心のしっかりしていることに感謝しなくては。死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、
身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」
カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・。 
そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。
毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。
しかし彼は、聡明で闊達な楽しい人物だったという。気に入った人と時間を過ごすことを好み、昼飯はかならず人を招待をしていた。
講義のすばらしさも、今も伝説になっている。中世以降、哲学を教えることを職業にした初めての人物であり、
彼以降は高名な哲学者が大学教授になるのが珍しくなくなった。彼は*経験論と合理論の統一*をして観念論をうちたてた。
それは、一言で言えば人間に知りうることと知りえないことを明らかにすること、言い換えれば「経験」つまり「認識」
の成り立つ条件を原理的に究明することによって、認識能力の範囲と限界を明らかにしようとすることである。
  (2008年6月27日字数制限の為カット)
・・・・・・
2003年06月27日(金)
814, 「ありがとう」の言葉 ー6
 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。
たまたま通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれる
という。ところがなかなか現地のその場所がわからない。普通なら、途中で「誰かに聞いてください!」
というのが当たり前なのに、30分近くも一緒にさがしてくれた。人品のよい、かなりの人というのは勘でわかったが、
こういう時の親切は本当に嬉しいものだ。最後にお礼を言おうとしたが、逃げるように帰って行った。
その時ハッとしたのが、「ありがとう」という言葉が心から出ていたことだった。さがしている間に何回も何回も
「ありがとうございます」といっていたのだ。「ありがとう」といい続けていれば有り難いことがよってくる。
先日から「ありがとう」の言葉を繰りかえしていたために、ありがたい気持ちが伝わったのだ。
もちろん、その人がそれなりの人品の人という前提があったが。「ありがとう」を口ずさむ習慣を身につけて、実感として
自分が一番足りなかったのが、「ありがとう」という気持ではなかったかということだ。
私の場合は特に亡くなった両親に一日千回いったとしても、足りない。まして恩師や上司や先輩に対して考えてみると、
数千回いっても足りない位だ。そういう視点で周囲を見渡すと、幸不幸は「ありがたい」という気持ちをどれ位持てるか
どうかで決まってくるのが歴然としている。何か修身みたいな話だが、やはり歳をとった為なのか?
「やれる親切は可能な限りする」というのが信条なのだが、見知らぬ地で見知らぬ人に困り果てた時にあってみて、
親切心は、教養という面で身に付けておきたいものだと思い知らされた。
・・・・・・・・ 
2002年06月27日(木)
450,吉村作治-宗教・教えー3
(2008年6月28日字数制限の為カット)
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2001年06月27日(水)
[66] ソフト変更
昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。
これは写真も貼れる。そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。
まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、
このホームページの変更の打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。


3379, 改めて、現時点を考えてみると

2010年06月26日(土)

 現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて整理してみる。
これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 
・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、
 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、
・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、
・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、
・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、
・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 等々の見方がある。
 その5つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。
ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが入手可能になった。
アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。
それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の
本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。
 日本にとっては、
・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。
 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり出来たことが幸運か不運か?
結局、アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が「現時点の日本」である。
その去勢された姿を象徴するのが、社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。
北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と自認している輩、とみれば分かりやすい。
一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・
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3004,そう考えない人はどうかしている
2009年06月26日(金)
 「世界は感情で動く」 ー5         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」
  まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。
 つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、
 他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した他者に出会うと、
 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】
  このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、
 ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。  しかし一たびその前提が崩れ、
「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執するようになる。 
 その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。
 これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。考えてみると我われの
 思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。
 おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。
 自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。  
 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも
 使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している
 のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、
「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。 
 まあ、それが人間か〜。
    (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。下手に説得力が
        あるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
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2640, ブランド品 ー2
 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、これは面白い対象である。
もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。
それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。
ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちではないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから
何段か下の人たちである。ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、
自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。
それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで心の空洞を埋めようという行為でしかない。
またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。 
知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。
人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。
フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。それは階級コードではないのである。
それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。
だから、銀座のブランドショップで買い物をする人は、それを買うに相応しい人ではない。
成金か、その家族か、自分に自信を持てない、その階層?の人たちである。「中村うさぎ」がブランド品偏執狂と自認しているが、
カタチは色いろあるが、ああいう人たちがメインの客である。考えれば直ぐに分かるだろう、ファッション関係の人は、
ブランド品は身につけない。付けていたら、その人はファッションセンスが疑われてよいはず。
頭の軽いタレントや成金の類が、それを飾り立てた姿をみれば解るだろう。
ぶっちゃけた話、家内が、旅行に行く度に一品は買う。 見ているだけで腹が立つが、喧嘩をすることもないが、
常に誰かを想定して自慢をするのが見え見えである。 それも・・・まあ、止めておこう。
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2001/12/19 261,ブランド品 ー1
 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。
  それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
  (字数制限のためカット 2010年6月26日)
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2007年06月26日(火)
2275, 希望格差
        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。
会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」
と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は
・将来に希望を持って取り組める人たちと、
・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか?
(そうだ、そうだ!と聞こえてきそうだが。それでは希望の持てる会社って、
 何処なのか?あったとしも、ミスマッチで受け入れるところは無い?
希望のある会社だって選ぶ権利がある!いや、あるのかもしれない? その辺を間違うとフリーターへの分岐点になる?)
 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
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2006年06月26日(月)
1910, スペイン画家・堀越千秋?       
    「スペインうやむや日記」?1   読書日記
 先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋ー集英社 であった。
文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。
さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。
(まだ読んでないが・・・)
画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、「自分より自分自身の存在が
彼のなかにある」というような錯覚になってしまう。それと文章の書き方を教わった。結局は人は自問自答をしているのである。
とくに随想日記は独り言で良いはずだ。著者に、こう言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように
書きなよ!ブツブツとさ。だいたい頭の中で繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。
ヘラヘラしてさ。いいじゃない、それで。アンタなら、そう書いても誰も何とも思わないよ。」
そこで単純だから、素直に少し文体を変えることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。もどるだろう。
ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の =第一章 スペインの黒い雨=から、スペインの
世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感になっている、と思ってもよい?
 ーー 
私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで貧乏であろう、
と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは
とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。
が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭に
お招ばれされるべきところを「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、
貧乏な友達にはたかられてしまうであろう。それでも、長いスペイン暮しで、いやおうなくワインやシェリー酒は
飲みつづけているから、金曜日だけが安ワインの日、という普通のジャパニーズよりはワインの味は分かるかもしれない。
だから、たまに日本でのお招ばれでフランス料理なんぞをゴチになったりすると、先方がせっかく張り込んでシャブリ
だのボルドーだのと開けてくれても、こっちは値段を知らぬものだから、平気で正直に首を傾げて「うーむ」
などと言ってしまう。 あとできくところによると、そういうものはまあレストランにもよるが
一万円以上するらしい。そんな高価なものを口に含んで「うーむ」と唸る当方が、さぞかしワイン通にみえるのは、
東京の金曜日の安ワインファンにはやむをえまい。 でもまずいんだから仕方ないよ。そもそもフランスのワインなんぞ
というものが、どういうクワセモノであるかは、先頃一九九五年のシラク大統領の南太平洋における核実験再開をみても
察しがつこうではないか。いや何も私は、このごろになってそんなことを言っているのじゃない。
シラクがパリ市長だったころから、右翼的で尊大で野心的で人種差別主義者的なこの男の顔が私は大嫌いだった。
この手のツラは、スペインにもちらほら、いやこのごろはぞろぞろいる。 特に一九九二年のバルセロナ・オリンピック以後。
スペインは今(一九九五年)、銀行家や警視総監や政府首脳を含む一大汚職にまみれており、そやつら、
亡国的売国的利己的な連中の顔が、スペインの湿った裏庭パリにもいた。 それがシラクである。
  (以下は字数の関係でカット2009年06月26日)         (*^ワ^*)i バイ
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2005年06月26日(日)
1545, エホバの証人ー1
誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはず。
といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る位のことである。
学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。(しかし、自力で脱会してきたが)中学校の
同級生が自宅に訪問伝道にきたり、前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。
貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。街角に立っていた元部下に偶然10年ぶりに会った時の話。
「抜けることができるのか?」と聞いたら、「もう無理でしょうね!」と答えた。
「あれだけ本を読んでおけと言ったのに!読まなかったのだろう。
だから洗脳されて抜けだせないんだ!自業自得さ。」と冷たく言ってしまったが、それはそれで仕方がないのか。
基礎教養が少ないと、こういうものを盲信してしまうのだ。ある本に彼らの概要が解りやすく書いてあった。
成る程、こういうことーシステムーだったのかと、納得できるものだった。典型的なカルト?の異常集団である。
しかし、教徒を盲信させる教えや、洗脳システムは凄いとしか言いようがない。
ーこの教団の要点をまとめてみた。ー
・エホバの証人は19世紀半ばにチャールズ・ラッセルによって始められたアメリカ生まれのキリスト教の一派である。
 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
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2004年06月26日(土)
 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2
このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。
それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。
金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどのシルクロードに危険を
冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっているのを知っている人である。
旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由でその地域に興味がある人か、
人生の癒しを求めに来ている人である。 また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。
職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。
その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。そこでは普段聞けない面白い話や人生を垣間見ることができる。
一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。
遠藤周作の小説「遠い河」のような、それぞれのおもい人生を背負った人の集団と赤裸々な日々を過ごすことにもなる。
もう二度と会わないから、本音の話になる。そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。
旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。旅行をしていて気がついたことは大まかに
・自然派と遺跡派と欧州派
・アフリカ派とインド派と南米派と中国派 に分類することができる。
                       ーつづく
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2003年06月26日(木)
 813, 日暮里界隈
一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。
谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。
それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。知人の会社の東京事務所があったため、
よく通ったという店があった。沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店であった。
店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。石垣島出身で具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。
何とも沖縄料理がおいしい。豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。
そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる。スーパーで売っているが、ブレンドされた泡盛がいやにおいしい。
 (字数制限のためカット 2010年6月26日)
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2002年06月26日(水)
 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2
「歴史」ー岩波文庫
に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに
「王の墓ではないか」と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで数千年それが信じられてきただけだという。
最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。墓や出勤簿が出てきたという。
それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。
二日酔い、兄の結婚式等々。発掘で事実がまったく変わってしまう。日本では中ぐらいの川が3000本あるという。
エジプトはナイル川一本だけ。しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。
ピラミッドは公共事業という説がある。それも無用の長物だから意味があるという。収穫の50?が王様、25?が地主、
25?が農民が取った。する仕事がない時に王様が25?をその公共事業のために放出したという。
一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と判ると二度とそれをやらなくなった。 
その後神殿造りに変わっていった。今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。
当時のエジプトで神について以下のように考えた
・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え
・二番目に良いのは、神が本当いると信じること
・三番目は神はいないと思うこと
・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと{これが今回一番面白い内容であったー現代人と変わってない}
日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。新しい国だ。AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。
エジプト中には83のピラミッドがあるという。ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。王様にも最大5個の
ピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。今は3年に一個の割合で発見されている。最終出るまでに後200年かかるといわれている。
・・・・・・・・
2001年06月26日(火)
 [64] おまいり
毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4〜5年続けている。
「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、
祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。
仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。
そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。特に大変な人こそより良くありますように。
かさねてお父さんお母さん有難うございます。今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」
大変な人は、今周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。
これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。


3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2

2010年06月25日(金)

    「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく一生を左右し、男社会の中、
男か女かでハンデがつき、老歴期までの準備の蓄積の格差がつく不条理を著者は述べている。
何度か書いたことがあるが、選りすぐり前の最終の中学校の同級生を見ると、その時の成績順が、そのまま
人生の生き方を決めている。一番が慶応大の教授、二番がレコード協会の専務理事、三番が・・・
そんなことは、この齢になると、どうでもよい。 冷静に考えてみると、元もと格差があったのが、
街中の学校区ということで集まっていただけ。 地元には大学の付属の小中学校もある。学校、医者、弁護士
などの先生の子供や、大手企業勤務の子供が行く学校。 子供なりに腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。
最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校に、わざわざ越境していたと数人から聞いた。
それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材がいたようだ。
 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。 私の学生時代は東京オリンピックが終わり、高度成長期の
真っ只中であり、夢さえ持てばチャンスが幾らでも転がっていた時代だった。 歴史的にみて黄金の時代。
もう、あのような急激な右上がりの時代はない。 歌謡曲は時代を表すというが、次から次へとヒット曲が
生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が就職できない時代の巡り合わせ。 不条理である。
 そうこう考えると、両親の質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。
その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、先日の広島のマツダの無差別殺人は、
これらの不条理が本人に覆いかぶさった結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。
結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。
これが果たして、不条理を乗り越える役割とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。
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3003、アルコール依存症
2009年06月25日(木)
  これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。
 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、一人うそぶき飲み続けている。 
 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。
 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準)
・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、
 1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。   ー適応
・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応
 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。
・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」    ー適応
 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。
・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。  ー半適応
・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応
・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。     ー不適応
・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応
  これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、
 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。また国際基準というから。
  少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。
 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。
 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。
 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 
 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。
  解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。
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2639, 世界の原子力発電の実情はどうか?
 2008年06月25日(水)
このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。
更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。
地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である
今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、
今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。
 ーー
世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、
計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカ合衆国が最大で、
06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 
ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。
 ーーー
情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。
それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。
それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。
 ―――
2007/08/06
2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?
                   ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。
 インターネットで早速しらべてみた。  
  ーーー
世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37パーセント。世界全体として原子力の依存度が
高まる傾向にある。現在の日本では、石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。
日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、
スウェーデンのエネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。
石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める石油依存度は、2001年度に50%になった。
(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う) 現在の日本には、53基の原発があり、発電量で37%を占め、
これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。 電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%と
構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。
その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。
(字数制限のためカット2010年6月25日)
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007年06月25日(月)
2274, 現在とは何か         (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ
 「現在」とは何だろうか? 
歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。
ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 
決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。
文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、?ハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏
(一橋大学名誉教授)の「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。
難しい本を優しくまとめてある文章のため、中味の濃い内容になっていた。
 ーその内容の一部を抜粋してみるー
ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。
その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。
しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまったハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。
一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。
 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、
 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。
 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・
 かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後
 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。
二、次に、持続する現在がある。
 私たちの意識の下層は過去を残している。
 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。ひとたび創りだされたものが
 生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。
三、一回限りの現在がある。
 それはひとたび生まれて死ぬ人間の運命である。子供はたしかに成長する過程にあるが、完結した全的人間でもある。
 戦渦の中で飢えている人には一切れのパンが現在であり、孤独なものには援助の手が現在になる。
 一回限りの現在は時代の脅威の中で幸福を享受することでもある。
四、最後に決断の領域がある。
 私たち自身の行動によって人と人とが感謝で結ばれていくことである。要するに、歴史に対して私たちは自己を主体として
 対するのであり、時間も客観的に流れていくのではなく、自分が捉えることによってはじめて生きてくるということが解った。
 すべての歴史的出来事を現代という視点で捉えるということは、自分の目で歴史を見るということであり、そのためには
 自分の内面に対応する歴史を発見しなければならないのである。私の若い頃の日本の歴史学にはこのような時間論は無かった。
 古代、中世、近代という時代区分が確立しているとされ、それぞれの時代のなかに幾つもの現在があるなど思いもよらなかった。
 現代世界にも様ざまな現在があるように、古代にも中世にも様ざまな現在があり、それらを意識していた人々の暮らしと
 思想を見出さなければならないのだと、思い知ったのである。私は自分が生きている空間としての周囲の世界を見ることから
 始めたのである。当時、安保騒動のさなかにあり、私の周りでもデモや議論が渦巻いていた。私もその議論の中にいた。
 しかし私はその中で自分の目で見、確認したことから出発しようとしていた。私は一つの地域を選び、その地域の歴史料から、
 その地域の歴史を起こしていくことを考えた。それは外国史を対象としているものにとってとてつもないことであった。
 ーー
ー以上が概要であるが、なかなか難しいようだが、それでも解りやすくもある。
・その時どきの現在があり、それは大きな革命や、出来事が現在を現出しており、
・現在は、私たちの意識の下層に過去を有しており、
・現在は、一回限りであり(一期一会)、
・現在は決断という領域を有していて、自己と対峙して自分が捉えることによって、はじめて生きてくる。
 現在は、自分の主体的に世界を捉え、自分の内面と対応した実感として考えたときに、その中に意味を見出すことが出来る、
 ということである。「現在」という問題も、結局は「いま、ここの現在」の自分との対峙ということになる。
般若心教を唱えているときの、五蘊皆空の直感に似ている。
          (ノ ゜口゜)ノさらばじゃあ
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2006年06月25日(日)
1909, スペイン画家・堀越千秋?1
            ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ブエノス ディアス!
以前NHK・BS でー遠くにありて にっぽん人 ーを、シリーズで放送していた。
世界各地の国に溶け込んで活躍している日本人の芸術家や、技術者や、経営者などを紹介する番組である。
強烈な個性的人物が、日本人のアイディンテティーを守りながら、活躍している姿を放送していた。
その中で選ばれた人を、日本のスタジオに呼び寄せて紹介する特集があった。
その中でも特に、堀越千秋さんが印象的であった。題名は「フラメンコの心を描く?スペイン 堀越千秋?」              
そこで彼が1枚の絵を描きあがるプロセスを数日にわたって撮影した場面があった。大きなキャンパスに茶色の背景を塗りたくり、
数時間もジッと見ているだけ、そしておもむろに描きたしていく。自分の潜在意識から滲みだしてくる抽象画である。
キャンパスに全身全霊を叩きつけて、スペインの情熱を自分を通して放射させるのだ。      
 (2009年6月25日カット)
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2005年06月25日(土)
 1544, 私の酒中日記?10   
       金沢ー6   ー1972年3月某日
武蔵店の店次長と最近飲むようになった。店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているからだ。
これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。何時ものように居酒屋に飲みに行こうと歩いていると、
目の前に店の女子がいる。丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。ところで、店次長の今日の話が面白い。
金沢でよく言われている裏話があるという。その地区でしか聞けない面白い話しである。「能登と福井の女は止めておけ、
嫁を貰うなら富山がよい。自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。
富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、
能登だけは止めておけ。自分が能登出身だから間違いがない!潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう」その同僚女子は
金沢周辺の出身で問題はなかったが。そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身の女性が良いと聞いたことがある。
神社のあるところは湧き水が特に良いからだという。人間も米も水しだい、こと結婚相手の女性は湧き水の綺麗なところがよい。
今日は居酒屋から、スナックに行く。以前から飲みに誘われていた女性だったので、これでよかった。二年先輩の彼女だが、
サッパリしていて好きなタイプだ。去年の暮れに二日間、金沢の郊外で一緒に売り出しのダイレクトメール配りをしたことがあった。
下手なデートよりズット面白かったが。彼氏のいる女性は安心して遊べるし、複数なら問題はない。三人で、かなり盛り上がった。
ところで、先日会社の私的な集まりがあった。40人位の若手の男社員が集められていた。西友ストアの資本提携に対する
反対総会のようであった。西武系の東大出の嫌味な人事部長と、慶応出のキザな総務課長が乗り込んできたが、
あまりも見下すような気持ちが露出していた。その爆発なのだろうが、明らかに社長が裏で動いているのが解った。
その直後、西武から来ていた10人ぐらいの社員が一せいに引き上げた。重大な局面にあるようだ。
会社は弱者の立場に多ってはならないケースとして、しっかり見ておかなくては!
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2004年06月25日(金)
1179, 哲学についてー10
 ー現在の哲学
現在の哲学はどうなっているのだろう。現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。
この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく
根源的生命力のことをいう。構造主義とは[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」
(無意識)を探求する]と、いうことである。解りやすく大雑把にいえば
「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それがすべてである」
その構造主義を唱えたのはソシュールである。彼は、人間は言語を持つことによって人間になった、
「人間は言葉だ」と主張。構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。
このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。
情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。
情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする社会といってよい。
その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。
哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に重要になってきている。
自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで主張することの重要性をあらためて確認した。
「哲学について考える」を書いてきた効用か、今までとは何か違った目で「哲学」の本を読めるようになった。この程度でだ。
ところで、本棚には哲学に関する本が何冊かある。何冊か書いてみると
「哲学のカフェ」 ノーラ・K  「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル 
「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太  「哲学がわかった!」鷲田小弥太
「哲学のコテン101物語」木田元  「新哲学入門」三木清
「ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ  「ユング」コリー・ウイルソンなどなど、30〜40冊以上はあるが、
それを理解しているかといえば話は別である。ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30〜40とした。
哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。難しいことをシンプルに、
シンプルのことを深く、深いことを面白くである。哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。
ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義」
とかの概念をテーマにして書くつもりである。  次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。
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2003年06月25日(水)
812, 変な人が書いた成功法則  ー 読書日記
(2008年6月25日字数の関係でカット)
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2002年06月25日(火)
448,吉村作治ー考古学について ?1
 昨日、彼の講演があったので聞いてきた。
 エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、一言一言が非常に興味をもてた。
 講演内容を時系列にそのまま書いてみる
・考古学は人間学である。 骨董屋とは違う
・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと虜になる
  (字数の関係でカット2008年6月25日)           ー 続くー
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2001年06月25日(月)
 [63] 秘境ツアーコーナー故障中
3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。
ホームページ面白いがメンテとランニング大変!
好きだからやってるが、そうでなくては無理。
                    ーつづく


3377, 人は風呂に何を求めるのか

2010年06月24日(木)

 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れていればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。
世界中で、汗をかくほどの湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かるのも日本人だけ。
だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンのシャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として
半地下の小屋で火を焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。 これが、焼き石を持ち込むことに替わり、焼き石に水をかけて
蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。 古代ローマも、各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。
ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。 
日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂になっていく。
「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、
汗をかいた後に、汗や垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の気持ちになっていた。 
刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。 だから、日本人は昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると
温泉に長時間の療養をしてきたのである。  国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で
「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題になったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。
ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり
美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。
 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に30分ほどつかる。
その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、
信濃川岸のサイクリングかウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、帰って新聞を読んで、
風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。
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3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件
 2009年06月24日(水)
 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の至近距離にあるホテルの美容室に勤務している
娘が昨夜帰ってきて泣きながら、殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」という。
特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュース
では100万円以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかったのだろう。 それにしても、事務所内は
血の海で、血の足跡が外まで続いていたというから、凄惨な殺し方のようだ。 月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金からみて、
極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって決めておいて逃げたのだろう。
犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、
黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 そういえば現場から200メートル先で、
7〜8年前に金券ショップの店主が殺害された事件があった。殺された店主の隣人が、万代の町内会長で飲み会で月に一度は
顔を合わせていた人。町内会長には警察からその詳細の内容が入るとかで、その会で微に入り細に入り聞いた記憶がある。
この時は怨恨で犯人は捕まったが金券か何かの縺れから、事件を起こし服役。服役中は「ただ復習しか考えてなかった」という。 
恐ろしいことである。ところで、新潟駅前にはサラ金が多く見かける。貸しビルの1Fは大手が入り、上階にいくにつれて
際どいサラ金になっている。会社の人の話によると、毎日、集金をして銀行に行っていると、店主と自然に顔見知りになり、
一言二言話をすることがあるが、かなり危なそうな人。 毎日の記帳が一冊になるという。ということは通帳には600段あるから
5ー600人の振込みがあることになる。せいぜい2〜3千円としても膨大な金額。 娑婆には私らの知らない世界がある。
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2638, 娘に贈る12の言葉  ー5
 2008年06月24日(火)
投資家ジム・ロジャーズの言葉  ー読書日記
 ー8、汝自らを知ること。ー
・自分自身をよく知ってほしい
 ソクラテスは「自分の無知を自覚して自分の魂を育んでいくよう」という 倫理的要求として、自らの行動上の標語としたと
言われている。もともとはスパルタのキロンの言葉といわれ「身の程を知れ」という意味だった。 投資で成功するには
何をさておき、自分というものを解っていなくてはならない。 どんな時にも、冷静な判断をしなくてはならない。
そういう状況に自分がパニックになるかを知っていることが重要。人は自分の好きなことについてはうまくやることができる。
 自分が最も好きなことを続けなさい。そうすれば成功をすることが出来る。
・人は群集心理にかられやすい  群衆から離れて冷静に状況を判断すべきである。
・パニックを起こしてはならない。心理学を学ぶべき。マーケットで起こりやしヒステリック状況を冷静に判断すべきである。
解)命と同じぐらい大事な金を賭けるのだから、顕わな自分と直面する。命を摩り減らすのは自明である。
 投機と投資を間違わないことだ。幾ら投機で損をしたことか!中国のバブル崩壊のパニックが何時起こるかである。
 ヘッジもしておかなければならないことも確かだが。
  ーー
 ー9、変化を捉え、そして受け入れなさい。ー
・すべては変化していく。
 世界は時とともに変化をしていき、それが重なったのが歴史である。 あるものにとっては開かれていくプロセスであり、
 あるものにとって閉ざされていくプロセスになる。変化は触媒になりうる。大きな変化こそ大事なのである。
 大きな変化は十年単位、百年単位でおこるもの。
・需給の原理を覆したものはいない。共産主義は需給に頑強に逆らってきた。
 需給の原理は経済の教科書の一ページにかいてある。これに逆らったからソ連は崩壊した。
解)現在の変化は、地球上の半数を占めるアジア人、その中でも中国に火がついたことと、情報化の大波が世界を揺るがしている!
  と言ってよいだろう。ナチ、ソ連など独裁国家がオリンピックを開催すると何年後に体制が崩壊する。
  中国も、一度解体するのだろうか。 見ものである。
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2007年06月24日(日)
2273, 霊長類オンナ科図鑑 ー1  (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。  
              中村うさぎ著  角川書店
 またまた、 中村うさぎである。図書館で手に取ると、ついつい借りて読んでしまう。この本は、「こんなオンナはイヤだ!」と、
女達への悪口の連続!の内容である。女の職場で、いやというほど色いろな女族を見てきたが、でも可愛いのが女である。
それにしても中村うさぎが、よくぞ冷淡に女の生態を書きあらわしている。だから同性に嫌われるのだろうが、若い鼻持ちのならな
いバカ女!達よ、少しはこの本を読んで、自分の姿を省みなよ!と心底、言いたくなる本である。
(字数の関係で中間カット 09年6月24日)
ーー
解) 本当に、こういう女を数多く見てきた、数え切れないほどである。
特に、自意識過剰な女子短大出の中途半端な無教養女!(誰のかみさん?)
女って、殆どこういう要素持っているではないか??。メス猿がキーキー「セクハラ~」と言っても、
書いているのが中村うさぎ!だから、文句あるまい。周囲は「この自意識過剰女め!」と不快感を隠しているのに
知ってか知らずか、鼻声で自分だけが女よ?って、面をして。オンナとは、こうも業の深い生き物でしかないのか。
男の愛すべき性質やはかなさもそれはそれで良さはあるが、知れば知るほど良くも悪くも女の方がずっと奥が深いと、
著者は言う。あまりに深すぎるから、大して美人でない女ほど「あたしって美人」と言い放つから奇妙な展開になってしまう。
でも再びいうが、それでも素直で、明るい、品性の良い女性は良い!     (○´ω`○)ノ**SeeYou**
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2006年06月24日(土)
1908, 地方経済(新潟)の実態
        おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
先日、佐渡出身の人から聞いた話。「佐渡の人口が、自分が高校を卒業した40年前に比べて14万→7万人以下に半減。
観光客も、120万→60万人に激減した」という。40年前(学生時代)に、大學の友人と遊びに行ったことがあるが、
何の印象も残っていない。 「二度と来るところではない島」という印象が残っただけだった。
「ドサ周り」の語源が、佐渡と土佐から来ていると聞いたことがある。先日の知人の話によると「あの小さな島で200〜
300の建設業者がいる」という。10〜20でも驚きなのに。仕事柄か、佐渡だけでなく新潟県の衰退を肌で感じている。
冬季オリンピックが終わった時、長野県が大きな転換期を向かえたが、新潟県も、戦後から続いた公共投資も底をつき、
農業保護政策も転換。急激に衰退し始めている。これは全国レベルでいえることだが、新潟が特にいちじるしい。
・新潟県の総建設費が10年前の1996年に比べて40パー減。
・公共工事にいたっては10年前の60?減という。
・談合への締め付けで発注工事の平均落札率の90?まで落ち込み、
 今年の1~3月の落札率は80?という。橋梁工事にいたっては60~80?にいたっているという。
地元最大手の福田組は去年の12月期の決算で、156億円の純損失を出したが、先日の地元新聞によると
「新潟市の官制談合の排除勧告を受け入れ」と報じていた。これは、もう談合をしませんという誓約書になり、もしこれを破れば、
公共事業の締め出しを食らうことになる。二年間、不服を言いたてていた背後には、認めれば談合を自主廃止をしなくては!
という背景と、さらに多額の談合で儲けたお金の一部返済もある。 公共事業が10年で60?減とは、危機ラインを超えている。
本来は、全県の総力で極東向けー環日本海都市宣言をして、物流の拠点を20年~50年スパンで造ってこなくてはならないはず。
目先だけの公共事業に頼り、時代を見越した都市構想もなく道路や橋だけにエネルギーを分散をしてきたツケが廻ってきたのだ。
あと五?十年もしないうちに、更に大きな衰退が待っている。そのレベルの政治家しか持ちえなかった新潟県民の責任は大きい!                                   (*^ワ^*)iバイ
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2005年06月24日(金)
 1543, 新宿・歌舞伎町の変容
歌舞伎町といえば、1~2年前までは風俗無法地帯であった。 しかし石原知事が『歌舞伎町浄化作戦』を展開させてから
昨年の4月から半年間で、風俗関係を162店、人数にして500人、暴力団員が200人、それから不法外国人が7百人が
検挙されて歌舞伎町の街が一変しているという。それまでは、日本暴力団とチャイナ・マフィアが仕切る無法地帯に近い状態。
そこで石原都知事が元広島県警本部長の竹花豊を副知事に任命。彼は、「NYはここ10年間で犯罪は減ったが、歌舞伎町は犯罪が
増加傾向にあり、その原因は違法風俗店が増え、その資金が暴力団に流れている」と宣言し、本格的に浄化作戦に出た。
アジア最大の歓楽街と言われる歌舞伎町を、「親子で歩ける健全な街に戻そう」という動きが本格化した。
警察などの取り締まり強化で怪しげなネオンが消え、飲食店舗ビルの看板は虫食い状態。違法風俗店が続々と摘発され、
キャバクラやクラブなどの店舗も相次いで閉店。歌舞伎町の町内会では、監視カメラを据付てビデオで録画などの警察と
共同作戦が効を奏し、売春婦、呼び込み、前科者、ヤクザ、不法滞在者などが消えてしまった。
以前なら客引きに付きまとわれたが、今では飲食店を含む客引きは一切規制され、ピンクビラは配布するだけでなく、
配布用に持っているのも禁止。「路上のたむろ」さえ規制の対象された。この三月に、北池袋の東横インに宿泊したが、
以前のような怪しげな店や、呼び込みの姿は殆ど見られなかった。このため、ピンク対象の飲食ビルなどのテナント撤退が進み、
不動産の相場が暴落したという。2007年問題(現在工事中の高層ビルが一斉に完成すると、中小ビルから高層ビルへの移転が
さらに進み、地価暴落の大きな要素になる)が控えていて、どの要素をみても、地価に対してはマイナスである。
それにしても、あの桃源郷?といわれた歌舞伎町が健全の街になるとは!
そして地価が暴落するとは数年前までは考えられないことであった。政治の力は絶大である。
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2004年06月24日(木)
1178, 哲学についてー9
ー現代の哲学  −2
実存主義の大きい影響を受けたサルトルは、たんに優れた著述家としてだけでなく劇作家・小説家としても名を知らしめていた。
彼はハイデッガーを研究し、最初の戯曲を発表。また1943年には哲学上の著作として重要な「存在と無」を書き上げた。
彼の言葉に「精いっぱい生きること」がある。「社会が課す規制や規則に反発するのは若者であり、誰でも
『自己についてのあらゆる選択権』をもっている」という、彼の言葉に当時の若者が飛びついた。
現代の哲学を考えると、アメリカのプラグマティズムをあげなくてはならない。「知識を実践的な活動としてとらえる」
考え方である。18世紀後半アメリカが国家として独立すると、アメリカ特有の新しい文化や思想が生まれるようになる。
その後100年かかって優秀な哲学者がハーバード大学などからでてきた。バース、ジェームス。そしてディーイである。
バースはプラグマティズムを「言葉に表れた意味を確認する手法、意味論である」と主張した。彼の一主張で
「知ることはひとつの行為」であるというのが印象的だ。20世紀には分析哲学が飛躍的にのびた時代でもある。
哲学者の多くは学者や科学者ばかりという背景もあった。論理分析や言語分析などは歴史的に見ても飛躍的といって
よいものであった。人間の知識の本質に対する徹底的な再検討と分析である。 そして構造主義がうまれてくる。
・・・・・・・
2003年06月24日(火)
 811, 「最良」の敵は「良」である
ある本の冒頭に出ていた見出しである。
 ー以下に書き写してみるー
「重要事項を優先すること」は、人生の核心に関する問題といえる。ほとんどの人は、「やりたいこと」や
「やらなくてはならないこと」がありすぎて疲れ果てている。 自分の時間を最大限に使い果たすために、そのときどき、
あるいは一瞬一瞬、行動を決定することは大変なことである。「良」か「悪」を見分けることは簡単だ。無駄な時間や
愚かな時間の時間の使い方なら誰にもすぐに分る。「良」か「最良」かを見分ることが難しいのだ。
「最良』の敵は「良」であることが多いからだ。あなたにとっての「最良」とは何だろうか。
「最良」のために時間を使うことを妨げているのは何だろうか。それは意外なことに、あまりに多い「良」が邪魔をしている。
数多くの「良」に邪魔をされて、最優先事項を優先できなかったことを、ほとんどの人が後悔するのである。 
 ・・・・・・
ー以上であるが、「無意識的に小事に取り組んでいるのは、意識的に大事に取り組まないのと同じだ」
と次の項目にあった。 小事が「良」大事が「最良」と考えてみると小事が最大の敵というのが解る。
小事も大事であるが、それにとらわれて大事を見逃すことが致命傷になる。目先の緊急を処理することが、いっけん大事そうだが、
これが敵である。「最良」を明確にして、真北(北極点)に向かって常に磁石の針を「最優先事項」に向けていなくてはならない。
 何かハッとする言葉である。イトーヨーカドウで「ヘドロー売れ筋外れ商品」の仕入れ原因を調査した。
ーそれがなんと売れ筋商品の品切れをカバーする為に仕入れた類似商品だったー売れ筋を最良とみて、次善の商品を入れたつもりが、
最悪の事態を呼び寄せてしまった。少し意味がそれたか?人生そのものであると同時に、すべてに当てはまることといってよい。
今の日本の姿といってもよいだろう。自民党旧守派が常に「足して二で割る」政策をしてきたことが、この「良」といえる。
日本をここまで追い込んだのは醜悪集団が「良」の選択をしてきた結果である。単なる利権集団屋さえ気がつかない低俗国民に
問題ありだが。最良の「敵」が「良」とは、もっと早く気がついているべき!気がついているほうであったが、それは「良?」
の人に比べてか。 最良じゃない自分がいう権利はないか?しかし真北の選択という面で最良は選ぶことはできたはずだ。
その都度真北を見てきたつもりであったが、どうであろうか。私が意識的にー敵(良)としてきたことは俗に言う「世間様」。
それでも一言で「『最良』の敵は『良』である』とずばりいってのけるとは!
・・・・・・・
2002年06月24日(月)
 447,内面処理の仕方ー心の自己処理
昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」でいろいろ行き詰まりなどあった?
それなりに乗り越えてきたのは「最後は一人」ということが実感で解っていることもある。
行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。
自分の気持ちと事象を、とことん書き連ねる。・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。
・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。もう出てこなくなるまで書く。・その内容を読み返す、そして更に書く。
これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。
・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。その時は残るが、時間が経つと
全く内面から消滅する。「割り切」を合理的にしていることになる。それを中途半端にすると後に残ってしまう。 
あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。
一番辛いという、連れ添いの死も三年という。般若心教を暗記してあるのも良い。全ては宇宙の出来事の些細な出来事で
しかないことが自己確認できる。般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。
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2001年06月24日(日)
 [62] あと2週間
あと2週間で北欧ロシア旅行だ。まだ実感がわかないが、かなりハードな旅行になりそうだ。
南アフリカやシルクロードからみれば、半分ぐらいだろう。このコースはやはり外せないコースだ。
ペルーにいった時、同行の人に「旅行道という言葉があるならインドは絶対外せない」
と言われて、インドに行ってみて納得したが、このコースもそれに近い何かを直感した。
それが当たっているかどうか?「12日で5カ国、バスあり飛行機あり船ありだ」毎日が面白そ


3376, 生涯に直面する四つの不条理

2010年06月23日(水)

 
 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
   ー生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。
  ー 以下はネットで調べた概要 ー
 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実である。
 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。
 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。
 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の
 出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が
 進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。
 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 
 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、
 時に一生その人につきまとうことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が一手に引き受けて、
 生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。 不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。
 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく
 異なっているのは、労働市場が男女で分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ
 社会的支援が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があることである。 
 医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。
四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、
 蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は
 同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには周到な老後設計が求められるのである。 
 高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、
 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本では年金だけで生活できないので
 老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと
 急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。
 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。
  〜〜
 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、
 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、恵まれた
 両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 
 老後は、それほど為残したこともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。
  ・・・・・・・・
 3001、ハロー効果
2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4                読書日記
   ー 行動経済学からみる脳のトラップー
 * ハロー効果の意味とは?
 ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、
【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての
評価が歪められる現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、
ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、
後光効果、光背効果とも呼ばれる。 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、
人格的にも優れてると思い込んでしまうケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品や
サービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、
実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】
 ーー
 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に囲まれ、
これから大一番に向かう冬時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。
といって、それと品格とは違う問題。 馬鹿な大男に「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。
ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。 この認知バイアスを利用しようとカリスマを演じている人もいるが、
ほぼお笑い。(気づいてないのは本人だけ)だから面白いのである。 皇室も似たようなもの。 
目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、7割はペプシが美味いと答えるという。
宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。
そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 
そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。
世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。
そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。
‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味!
 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。
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2637, ロードサービス、初体験!
2008年06月23日(月)            ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは!
  ー半ドアでバッテリーが上がるー
昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。
バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 
・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけのガソリンスタンドの電話を
して来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。
・車のコンビ二に電話をすれば、5千円?は取られるだろう。それこそ、ばかばかしい。
・そこで、カードのサービスにロードサービスがあったことを思い出した。 OMCのロードサービスである。 
 しかしロードサービスが自宅の自動車のバッテリー上がりにくるわけがないと独り言を言っていると、家内が駄目もとと、
 電話を入れた。 ところが「もちろんOKです」という返事。 駄目もとで何でもやってみるものである。
 さっそく、業者の人が20分もしないうちに来て、充電は10分で終了をした。 カードのロードサービスは、それぞれの
 地区の自動車修理の業者と契約をしていて、電話をすると、20?30分で駆けつけるシステムになっているようだ。
 今回、観察をして解ったことだ。 電話をしたしたところ、「○○自動車修理というところが、20分後に伺います」と言う返事で
 あったことから、理解したこと。宅配便も地区によっては、地元の小さな運輸会社と似たようなシステムをとっているのだろう。
 それにしても、ベンリである。地域密着型のガソリンスタンドが、大型のGSに取って代わられようという昨今、
 これらを一手に受けているのがカーコンビニだが、カード会社のロードサービスもナカナカよいものである。 
バッテリーが上がったのは20年ぶりのことだ。 その時は、行きつけのGSの人に来てもらった。
                        ゚Д゚*)ノ⌒バイ!                 
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2007年06月23日(土)
2272, 漢字は、一字で、詩やねん   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯
 ー 榊莫山 の名言ー
漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。山、川、木、森、すでに、字そのものに、
絵と言葉の合体がある。室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。
それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、
なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ...
 ーー
「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である!
「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、この言葉を重ねると何とも言いえて妙である。 
その物語のテーマという名前を両親が愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生をかけて演じるもの!
「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。
墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。
 一人一人物語と深い経験を持っている。
そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男!
私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った?
八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか!
                     o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪
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2006年06月23日(金)
1907, エピソードで読む西洋哲学史ー2
   。・∀・)ノ゙オハヨウ!           ー読書日記                      
この本の中にフランスの教育事情があった。日本との違いに驚いたが、これでは不法移民が暴動を起こすのも解らないでもない。
自由・平等・博愛を標榜している仏国をエリート教育システムからみると、徹底的な差別国家とも受け取ることができる。
(エリートは、選抜された人である。その背後には振り落とされた人が多く存在している)自由、平等、博愛はエリート社会の
仲良しクラブ内だけの合言葉でしかないのか?「有得ないからせめて努力しましょう」ということだ。北朝鮮のように、
漫画的な奴隷制度が残存している国からみればまだよいが。優秀な人を選んで徹底的に教育しなければ国は成り立たないのも事実。
ーー
 P・310
高等師範学校(エコール・ノルマル・シュぺリウール)、
これがフランスの知識人世界を理解するキーワードの一つである。
フランスの高校生は大学に進学しよう思えば、
・バカロレアと呼ばれる全国統一テストを受ける。
・これに合格すると大学入学の資格を得て、基本的にどの大學にも進学できる。
・フランスでは大學の授業料はタダ、無料である。
現在のデータでは、ソルボンヌ大學の場合、年間二万円少しの「登録料]]を払えばよい。
基本的には欧州の大學は、フランスでもドイツでも、授業料はタダ。
この点がアメリカとは基本的に違う。(アメリカは年間250万円が相場)
欧州は大學授業料がタダなので、私立大学は殆ど存在しない。しかし、フランスのエリート高校生は大学には進学しない。
ソルボンヌ大學なんか行かない。 何処に行くか?高等専門学校(グランゼコール)を目指すのである。
高等専門学校には様々なものがあるが、パリの「高等師範学校」は超エリートコースなのである。フランスの高名な学者の多くは、
たいていここの出身である。 哲学や文学だけでなく、物理、生物、化学、数学、情報科学などのコースもある。
しかし大學と違って、高等師範には入学試験がある。昔のエリート度はアメリカのハーヴァード、イギリスのオックスフォードを
問題にしないほどであったと言われている。フランスは「自由・平等・博愛」というが、(それとも、そのためか)徹底した
エリートコース支配の社会であり、官僚支配国家である。高等師範、国立行政学院、理工科学校といったエリート専門学校の卒業生が
フランスの政界、財界、学界を仕切っている。そういうわけで、卒業生のネットワークがとても強固である。
イディオロギーに関係なく、お互いに助け合うということになる。当然、高等師範の入学試験は難しい。超難関である。
普通に勉強しても受からない。そこで優秀な高校生は高等師範のための特別クラスに入り、二年ほど勉強をする。その中のごく少数が
入学できるのである。高等師範の授業料はタダである。タダどころではない。そこの学生は公務員待遇で、月に20万円の給料が
4年にわたって支給される。もっとも、高等師範の学生の大半は、上流階級の子弟である。彼らは、特にサルトルなどは
ソルボンヌ大學の学生や教師などを見下していた。サルトルは、「彼らは完全な人間ではない」と思っていたと、告白している。
どこであっても、つねに特別扱いされる、またそれを当然と受け取る、それがフランスのエリートの世界。
    ーーー
これを読んでいるだけ腹が立ってくるが、日本でも霞ヶ関では、そのままの世界が存在している。
 (字数制限のためカット 2010年6月23日)
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2005年06月23日(木)
 1542, バージン島にオフショア会社設立?
一昨日、取引先の保険会社の社長が、「面白い人を連れて行くから会ってくれないか」という電話が入った。
何回か、その面白い人?の話を聞いていたので、気楽に会うことにした。菊池ファイナンシャルグループ代表の
菊池重喜氏という人である。持ってきたパンフレットによると1966年にカナダ移住。
現地で、伊藤忠商事カナダ、サンライフ生命保険を経て、1980年に保険会社の菊池ファイナンシャルを創立、
2000年には現在の菊池ファイナンシャルグループを創立をしたという。 彼の話の要点は、
・日本そのものが危ない状態に入った、
・AAA格付けのカナダ国債・アメリカ国債をオフショア金融センターで購入しておけば資産が安全に育ちますよ!
そのお手伝いが、彼の仕事である。今までは、海外のオフショア会社の設立など、全く別世界に思えていたが
手軽につくれるという。このサービスは、日本にいながらにして、国際的オフショア金融センターである
英国領のバージン諸島において、オフショア会社の設立が可能となるという。
それにより、法人・個人の合法的節税対策に有効な手立てをこうじることが可能になるとのこと。
その設立費用は3000ドル、年間会計監査費用として、1500ドル必要とのこと。
最低ロットが2500万円という。決して胡散臭くはなさそうだが、解ったような解らないような話ではあった。
私の感想として、彼はアメリカが絶対に大丈夫といっているが、その前提の上でアメリカ国債の買いを勧めている。
果して「今後10年~20年以上、アメリカが大丈夫!」かに対して、非常に疑問を感じる。5年すら疑問である!
彼があげていたアメリカが大丈夫という理由
1、軍事力が絶対的に優位        2、ドルが主軸通貨
3、英語が世界共通語である       4、金の保有量を世界で25パーセント保有
これが果たして絶対的な理由になるだろうか?奇麗事の言葉の羅列でしかない!という仮説をたてると、
同じくらいの反対理由が成り立つ。信じるかどうかだが、私は信じない!
半分恐喝的に、アメリカの国債を日本政府が買わされているのは、周知の事実である。
それを肯定することと一緒である。それと同じことを奇麗事で個人に勧めているに過ぎないのではないか?
彼が勧めているはカナダ国債だから、少し話は変わるが。ただ、オフショア会社の設立をして、その利益をプールしておくのは、
日本の個人国債を買うことから比べたら、リスクは少ないし大きなヘッジになる。金融のグローバル化をまさに地でいっている
事例としてみれば参考にはなる。金(きん)を買って、銀行の貸し金庫に入れないで(銀行閉鎖の場合、金庫も閉鎖されるという)、
民間の貸し金庫に入れておけばよい話だ。自己責任とは、恐ろしい時代である! 紙幣も国債みたいなものだが? 
金融のクローバル化の一現象! まだ私の頭が固いのか、それとも? それほどの余裕がないから、どうでもよいことだが!
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2004年06月23日(水)
 1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記
人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに新たに新刊本が追加されてあった。
(字数制限のためカット 2010年6月23日)
「物語の主人公になる方法 」
著者/訳者名 : パトリス・ジュリアン/著 長岡中央図書館 2004年06・21日      
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2003年06月23日(月)
 810, 「ありがとう」の言葉ー5
 最近は殆んど見られなくなったが石油スタンドが完全自由化になる以前は、まだ石油の価格が暗黙のうちに規制されていた。
その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と頭を下げるのが流行っていた時期があった。
 (字数の関係でカット09年06月23日)
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2002年06月23日(日)
446,喧嘩のコツ
・まずは先手必勝、なんでもそうだが ? 王手・飛車より、先手が怖い
・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う
 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち
・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む
・短期決戦ーこれも鉄則
・大義をつくっておく
・時には捨て身でも
・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする
  ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式
 こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。その前に殆んど自滅していくが。
 喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。
事業は弱い相手を探して叩けばいいが。子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。
その場合けっこう面白がってやる。生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。
長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。
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2001年06月23日(土)
[61] 小泉総理メルマガの紹介  らいおんはーと ? 小泉総理のメッセージ]
[大臣のほんねとーく] 
● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣)
 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中で、
衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、上司の助教授に呼ばれた。


3375, 大相撲の野球賭博について

2010年06月22日(火)

 
 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博、覚醒剤とか、
一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、
神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。
地方巡業の興行というと、ヤクザが絡んでくるのは今さらのことである。 どうも、親方、理事の顔を見ていると、
彼等も何かやっていたのでは?と、思うのは私だけではないだろう。 野球賭博は40年ほど前から暴力団が始めたといわれ、
彼らの大きな資金源になっている。 新聞によると琴光喜は5年前から始めて、3千万ほどの借財があり、最近に勝った
5百万の金を返済に向けようと取り立てようとして、逆に350万を脅し取られた。更に一億を要求されたというが。
その交渉の席に親方二人が同席をしていたという。 自分から名乗り出た者は厳重注意だけで済ますという呼びかけに、
29人が野球賭博をしていたと名乗り出た。そこに親方衆まで入っていたが、元横綱の親方や理事などに
名乗り出れない立場の人もいるはず。 新聞によると「戦前の名横綱と、ある著名な親分が義兄弟の契りを結んでいた」とか。
直ぐに、誰でも分かる人といえば・・? 大鵬の横綱土俵入りの化粧まわしに、○○組の?のマークがあった映像を放映していた。
今回、執拗に脅しをかけた連中は警察だけでなく、ヤクザ世界の方からも、ただでは済まされない失態。
刑務所にでも入っていたほうが身の安全だろう。 国技とかいう特権を剥奪すべき時期にきたとみるべきである。
 大相撲がつづく限り、こういう問題は付いてまわる。 これから角界を去った元力士からの実態の暴露もでるだろうし・・・
・・・・・・・・
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか
注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。
ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
・・・・・・・
2006/09/24  
2000, 継父
                  (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ?          
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメを
することがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。
マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後になって「人様はなんて楽な日常を
過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。両親の一生をみると人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に
深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが
間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、
それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」
という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので
残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか?
この設定は、言わずもがなの結果になる。義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、
特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。                     ーつづく
                      さて墓参りだ!
・・・・・・・・・
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日を加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。
あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた
(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。
作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。
いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯   ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し  ・誤字と矛盾をさがす
このプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 スッと書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。書きつづけていると、
自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 


3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2

2010年06月21日(月)

 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編

「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。
しかし、時代は急速な変化を遂げ、情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と
自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 戦後、TVや教育などを通じて、
『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。 あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会の
あり方と矛盾を持ちはじめた。・・・輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、
日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』
のなかで、我われはもがき苦しむ。 では、そこから脱する方法があるのだろうか。
「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。
こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で
実現できたとしても本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対する
ジグソーパズルのピースのひとつひとつをクリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが
重要なのではないでしょうか」 しあわせを感じるには「技術」がいる。 それは観念でなく、具体である。 
モノ、視界、思想、気分。あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
 〜〜
 しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで組み立てる、
というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。
それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも大事だろう。若い女性が小さな
ノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。
しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
 ・・・・・・・・・
2999,百貨店の衰退について
 2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。
先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌に載っていた大前研一のレポートによると
・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており
・10年前の調査では、若い女性は通勤用、デート・レジャー用、結婚式やパーティー用と、シーンを三場面に分けて、
 一万、二万、数万円の予算だった。ところが5年前ほど前から、通勤とデート・レジャー用を兼ねた提案のメーカー、
 ショップにお客が移動するようになった。 更に最近は、全身で1万円でコーディネートできる H&Mや、
 ユニクロなどに殺到するようになった。その上に、LA発のカジュアルファッションチェーンの「フォーエバー21」などが
 次々に進出してきた。百貨店は、20年以上も衰退傾向にあったが、若い女性のファッションで凌いできたが、
 それも時代の変化についていけなくなってしまった。
・大前研一は、「もし百貨店の建て直しを依頼されたら、大家との契約を解除をして値段を下げてもらい、テナントにユニクロ、
 H&Mなどのテナントか、アウトレットのテナントに入れ替える作戦に出る」と提案をしている。家具はニトリや東京家具、
 電器製品は山田デンキやビッグカメラ、紳士服は青山、アオキになどに侵食され、最後の砦も欧米の格安のファッション店に
 攻撃され、瀕死の状態。その前の40年間は、ジャスコやヨーカ堂などの総合量販店に叩かれてきている。
 そのジャスコやヨーカ堂も、専門チェーン店に侵食されて衰退傾向に入ってしまった。  
 日経新聞も、地方百貨店の減収を取り上げていたが、総じて10〜20パーセント減で深刻な現状。 
 本来の百貨店の役割はファッションなどの情報の先取りを売りにしていたが、情報化社会ではネットやTVで、
 安易に収集が可能になってしまった。 自己存在の意義が無くなったしまったということ。
 大丸が松坂屋を、伊勢丹が三越を、高島屋が阪急と阪神を、ヨーカ堂が西武とソゴウを救済合併。
 目先を凌いでいるが、この合併効果も何時まで続くかである。全ての業種で根こそぎ、存在意義を問われている。 
 正体は本格的情報化社会の到来。既存の価値観、そして体制が適応出来なくなってきたのである。動乱の世である。 
・・・・・・・・・・
2635, 娘に贈る12の言葉  ~4
 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記
ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー
  ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。
   「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて
   間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。
  ・誰も考えないことを探す。
   →多くの投資家が考えないことは何だろうか。
   →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。
   →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。
  ・こんなふうに考えてごらん
   歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く
  解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。
    特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。先日から「子どものためのカント」
   (フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。
    哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー
  ・君の世代では英語についで重要な言語となる。
   ソ連が 74年間の共産主義だったが、中国は厳密の共産主義は30年間だけであった。
  ・中国株を買おう。中国株を買わないことで有名だったウォーレン・パフェットまでが、
   2003年にペトロチャイナの株を買って、その後も保有比率を増やしている。
  解)20世紀初頭のアメリカが、現在の中国に似ているのではないだろうか著者は述べている。
    成るほど、北京や上海の林立しているビル群をみると、肯けるが。 僅か20年もしないうちである。
ー 7、歴史を勉強しなさい。ー
  ・大局をつかむこと
    歴史を学ぶことを通じて大きな視点で世界の変化を捉える。
   「歴史は繰り返し、人類は常に変わらない。」
  ・一見、目新しいこと それは歴史の中で繰りかえし起こっている。
    今までに世界で何が起こって、何が起こらなかったか、しっかりと学ぶべき。
  解)パール・バックの「大地」を学生時代に読んだことを思い出した。
     中国の王一族の何代もの栄枯盛衰の壮大な物語である。
     中国には、数千年の歴史が背後にあるから、その底力は計り知れないのは解る。
・・・・・・・・
2007年06月21日(木)
2270, 東北6県の平均収入が、東京の半分だと!
                 ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 
 先日、昼休みに大型書店のジュンク堂で本を見ていたところ、最近出版の『ワーキング・プア』という本に、
「東北6県の一人当たりの収入・241万に対して、東京が456万円」とあった。二倍じゃないかい!と、地域格差の大きさに
目を疑った。東京に対し新潟八割、長岡7割と最近聞いたばかり。東北6県平均とはいえ収入が半分だというから、
若者は東京志向になるわけである。感覚として首都圏は物価は2割高いとしても、地域格差は予想外だった。
地方の場合、地価が安く家持比率が高いので、そのまま生活レベルが半分とは言えないが・・東北6県の人口が1200万人というから、
東京都の人口と同数である。それが、これから28年間で23?減になるが、東京都は微増。東北地方以外の全国の他の地域も
似たような傾向。首都圏には全国の人口の三分の一近くが住むことになるが、この28年間に関東から東海地区にかけては、
大地震がおこる可能性が80?以上! 神様は微妙なリスクを置いている。その辺が何とも可笑しい!
  まずはーasahi.com の記事からー
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2035年、45道府県で人口減少 秋田は65歳以上が4割 =2007年05月29日
(字数制限のためカット 09年06月21日)
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2006年06月21日(水)
 1905, グーグル Google ー10                 
 おっ w(゚Д゚)w ハァョ?         ー読書日記
 この本の一番重要な章は、この5章ではないだろうか。それほど、キーワード広告の意味は深いのである。
早速、グーグルのアドセンスにキーワード広告を投入してみたがアクセスがない!お客の立場からのセンスが無いのだろうか?
この辺になると、21世紀の世界がハッキリ見えてくる。五章の要点を抜粋してみる。
   ーーーー
第五章 最大の価値基準となる「アテンション」
 以前は検索エンジンは、ヤフーやAOL、MSNなどの総合ホームページのおまけツールとしてしか認識されてなかった。
 だからGoogleも当初は「今さら検索エンジンじゃ、儲かるわけがない」とみられていた。
 ところがグロスという男が、検索に使われるキーワードに大変な価値に気が付いたのである。
 そしてこの価値をキーワード広告という広告モデルに昇華させたのである。このキーワード広告はそれまでのダメな
 インターネット広告を一掃し、「良質な広告」としてクライアント、ユーザーの双方から絶賛され、受け入れられた。
 そしてグロスのキーワード広告はこっそりとグーグルによって真似られ、アドワーズという広告としてスタートした。
 アドワーズはやはり巨大な収益を上げるようになって、一時の苦境から完全に脱し、マイクロソフトやヤフー、
 インテルなどと肩を並べる巨大IT企業へと変貌した。そしてアドワーズで急成長したグーグルは、2003年には新たに
 広告サービス「アドセンス」を投入した。「アドセンス」は、個人のHPなどに広告を配信するサービスだ。
 HPを持っている人がアドセンスに申し込むと、広告がグーグルから送られてくる。その広告を自分のHPに貼り付けるように
 設定しておくだけで、広告は新しいものに自動的に更新される。画面の端に比較的小さな文字で、「動画配信サービス」
 「クリエーターのお仕事情報」といった広告が表示されている。これがアドセンスである。
 こんな小さな広告が効果あるのかというが、これにグーグルの驚くべきノウハウがふんだんに使われている。
  (以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
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2005年06月21日(火)
1540、「人を動かす」ー2       ー読書日記
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。人間関係という一番初歩的な基本を
身に着ければよい。会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!
もしかしたら、自分も?)誠意を持って相手の話を聞くことは、「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。
少しまともな営業屋なら当然身につけている。接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。
 まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」
ことにもなりかねない。会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。新人は会話術は身につけていても、
対話術は身につけていない。この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、誠実さに欠けたり
底の浅さを露呈してしまう。しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。人の話を真剣に聞くことは、
並大抵のことではない。
  ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。
  ーーー
ーあるHPより抜粋ー
 人を説得する12原則
1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。
・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。議論に勝つことは不可能だ。
 たとえ勝ったにしてもやはり負けている。相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。
 ・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。
・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
 思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。
・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。
 あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。
(以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
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2004年06月21日(月)
 1175, 哲学について ー7
ードイツ哲学の時代
イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。18〜19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学が
ドイツを中心に発展する。その先がけがカントで、それまでの合理主義哲学と経験主義哲学を統一させた。
「人が経験することができるのは、身体的なあり方によって枠組みをされており、その枠組みのなかでしか、
個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。盲人にとって、見ることを理解することができない、
嗅覚のない人も臭いについて理解するのは不可能である。人間の理解は、その持っている機能の範囲内に限られる。
カントの文章は非常に深遠で難解で、理解することが非常にむずかしい。
カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、さらに豊かなものになっていく。
ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。彼は「現実世界のすべてとその歴史を、精神的なものが発展していく姿」
と考え、世界と現実は自己認識に到達するための歴史的プロセスと考えた。
その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、すべての変化の理由とした。
マルクスはヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。ニーチェはあらゆる既存の道徳を攻撃した。
彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒キリスト教の教えが土台になっていた。
しかし当時は、その信仰心が薄れていて自らの価値観を求められていた。その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。
この頃の哲学者が生み出した思想は現代哲学に大きく影響している。そして現代の哲学が現れてくる。
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2003年06月21日(土)
 808、 大丈夫
一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。
そして残されたものが、如何にもならなくなった時がきた時に封筒を開いた。 その中味には「何とかなる!」
と書いてあったという話が残っている。本当かどうか解らないが、一休らしい逸話である。
 先日、本屋で立ち読みをしていたら、ある本の目次に「女に持てる法」という項目があった。
さてと心トキメイテそこをみて驚いた。 常に「大丈夫!」といい続けることだと。何か肩透かしを食らったようであったが、
納得した。 言葉だけでも、誰もが「大丈夫!」といって欲しいのが心理である。それも女性なら尚のことである。 
最悪の「死」を考えてみても、死んだ瞬間には本人にとって死ではなくなる。あるのは「死」に対する恐怖である。
だから何事も「大丈夫!」といえるのだ。何事も90数?が、あくまでも不安という恐怖心でしかない。
 話はそれるが「女にもてる法」といえば、九州の学生時代の友人が新潟に遊びに来たときの話である。彼は長崎で飲食店を
数軒経営しているのだが、女性が大好きだという。そして女にもてる話が始まった。実際にもてるのだろう、なかなか含蓄がある。
ー我われ中年はそうでなくても若い人から見たら脂ぎっている。それを自覚して「演技でよいからポヨーンとして、
女には全く興味がないようにしていなくてはならない。それで普通の状態に見られる。」
 なるほど一理があるが、勝手に持てているのは自分だけ信じているのが面白い。
経験的にみると「お前は女に持てるだろう!」というと、殆んどの男が舞い上がってしまう。
そして「如何に自分が持てているか」の自慢話が始まる。誰かに実験してみたらよい、罪のないジョークとして。
少しアルコールの入っている状態で、誠意を込めていえば大部分の男は舞い上がってしまう。
挙句に「お前はもてないだろう。ケチで口が悪い上に・・・」と始まる。ほっとけバカと思うのだが
「もてるのもてないは苦労の結果だろう」というのが持論だ。もてない男のいい訳か。これも男の永遠の課題だろう。
テーマが変わってしまった。この不況の中、今度は「ありがとう」だけでなく、「大丈夫」を呪文のように唱えるか。  
今さら、どうでもよいか?
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2002年06月21日(金)
 444,面白い話ー本??
 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html  「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。
子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。
辞表を書く段階で社長の耳に入る。オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。
そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。なかなか面白い内容であったー本もホームページも。
そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、さらに講演を続けている。
それなりに面白い内容である。 少なくとも自分でしたいができなかった事だ。
こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは? またこういうことがあっても、良いのではと思った。
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/
http://www.melonpan.net/tatsu/  http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php
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2001年06月21日(木)
 [59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ
富士総業の小竹さんより3dのホームページのモニターという
話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。当たればおお化けする可能性がある。
デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。7月1日を楽しみにしているが凄い世界に入ったもの


3373, 凄い時代

2010年06月20日(日)

    *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一著
 「はじめに」の前半に、この本の要約がズバリ書いてある。まずは、その部分から。
ー 「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先はまったく新しい世の中になるだろう。二年前の2008年の
洞爺湖畔で8ケ国のサミットが開かれた。それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や
17ヶ国の会合に当てられたのは、国際金融の建て直しと世界大不況の対策である。
たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、変わってしまったのである。・・・ 2009年の世界経済は
政策支援の「集中治療室」状態。 各国とも生命維持装置のカテールが何本もつけてある。 しかし、やがてそれを
抜きはじめる。その時こそ、本当の衝撃が始る革命的改革期だ。それが2011年になるだろう。本当の「凄い時代」である。
なぜそうなのか。今次の不況が巨大な文明の転換に起因しているからだ。 それは欧米で進む「知価革命」(情報革命)だ。
「物財の豊かさが人間の幸せ」という近代思想が失われ、「満足の大きさこそ人間の幸せ」という知価社会的的発想が広まった。
これに対して中国を中心とする東アジアには、近代工業社会の思想と体制が確立した。この文明的なズレこそが、世界経済の
凸凹構造の基盤である。この凸凹が維持できたのは、ドルを中心としたペーパーマネー体制があったからである。
赤字垂れ流しでも、ドルの地位と価値を保ったのは、借り手が存在したからである。アメリカ金融界は、様々な借り手を
創り出した。その究極がサブプライム・ローンである。・・・ これからの世界は、人口問題の構造変化で動くだろう。
色いろな条件の中で、再生を図らなければならない。これは財政支出の垂れ流しの不況対策だけでは済まされなくなる。
だから「凄い時代」が続くのである。・・・ ー
 〜〜
 現在が「凄い時代」は、誰でも分かっているが、ここで理路整然と分かりやすくダイジェストで書いてある。
私の知る限り、現在は集中治療室の中で管が繋がれている状態で、本当に大変なのは三年目の今年から5年間である。
その意味で、凄い時代=激変の時代になっていく。 ネット世界が、現実社会とは別に、いま一つできてしまった。
情報網が一般の人たちに張り巡らされて、殆どタダ同然に情報が手に入るようになった。物理的なものより、
その情報に価値を見出すことが優先されだしてきたのである。その傾向が日ごと進むことになる。
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2998,他人に厳しく、自分に甘く
 2009年06月20日(土)
 「世界は感情で動く」 ー3           読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
* 他人に厳しく、自分に甘く
 我われは「感情のトラップ」にはまっていることは自覚をしていたが、それを一つずつ解明している本である。
 前に「ピーク・エンドの法則」を取り上げてみたが、今回は「帰属のエラー」について取り上げてみる。
 17章の「他人には辛く、自分には甘い?帰属のエラー」である。
ーまずは帰属のエラーとはー
まわりに起きる社会的事象や、自分や他人の行動の原因を推理・推論することを「帰属」あるいは「原因の帰属」という。
  それを理論化したものが「帰属理論」。下記のような、色いろなエラー、ゆがみなどを「帰属のエラー」という。
1. 知覚的に目立った情報・刺激に左右されること。
2. 他者の行動に対しては性格・個性などの内面的要因を重視する。
3. 自分の行動に対しては極めてポピュラーで普通の反応であり、普通とは違ったとすれば状況、
 なわち外的要因が異なったと思い込むこと。
4. 自分が成功すると、自分の内面に理由があり、失敗すると外部に要因を求めること。
 こうしたバランスの取れない判断は、とても奇妙な結果を生むこともある。
 2,3に関しては誰でも身に覚えがあるだろうし、他人の失敗は、元々あいつは、そういう奴だと非難するが、
  自分が失敗をするとタマタマ失敗しただけと、自分に言い含めてしまう傾向がある。
 「期限を守る」ということにかけては、自分の能力に信頼を置いているし、「期限を守る」他人の能力は高く評価する。
 でも、自分が期限が守れなかった場合は、「めったにないほど大変な事情があったからだ」と言い訳をしたりする。
 しかしながらその事情とやらは、距離を置いて眺めたり、他の人に当てはめたりしてみれば、少しも例外的なものでなく、
 どこにでもあることだとわかる。 かくして、「期限を常習的に守らない人の言うことは信用するなかれ」
   という帰属のエラーにひっかかる。
   --
 「世界は感情で動く」というより、「世界は気分で動く」という題名の方が適切ではないかと読み込むほど思ってしまう。
  気分で90パーセントは動いているのだろう,
人間は。だから、それを如何に隠すか、目立たないように勤めなければ
  ならないのである。 人生をふり返ってみた時に、そのことが鮮明に見えてくる。 
  それほど人間は理性的ではないのである。 特に人間は他人に厳しく、自分に甘くなる。
  そういう人は、評論家に向いている。特に引退した野球の選手に、それが露出して見える。
  思わず、「それほどの選手だったの?」と言いたくなる評論が度々である。
・・・・・・・・・・
2634, 娘に贈る12の言葉  ?3
 2008年06月20日(金)
 ー2、大好きなことに情熱の全てを注ぎなさい。ー
・何かを始めるのに年齢なんて関係ない。好きな道を歩みなさい。
・素晴らしい人生を歩むためには「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」。
・細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。
 →大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしていないからだ。
 →徹底的に調べる。それによって初めて他人よりも多くの知識を得ることが出来る。
 →大変な労力を要するが、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。
 →情熱を傾けられることに打ち込みなさい。
 私は中国に価値があると「思っている」のではなく、中国に価値があることを「知っている」のだ。
 I thinkではなく I know なのだ。
 ーー
解)「好きこそモノの上手けれ」
  「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う」
   自分が好きなことを、早めに見つけること。
 ーー
ー 3、常識はそれほど常識ではない。 ー
・ほとんどの常識は間違っている。
 危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。
 →だから全てのものが非常に安い。
・新聞だって、そのまま信じてはいけない。
 →時にはジャーナリズムが大衆をミスリードすることもある。
 人口の半数以上の知性は平均以下だということを覚えておきなさい。
 ??
 解)そのことをどれだけ知っているかどうかである。
   大衆と違った視点で投資先を探せ! ということ。
   ことあるごとに「定説」を連発していた教祖様がいたが。
 ーー
ー 4、世界を自分で見ておいで。 ー
・「イギリスだけしか知らないものに、イギリスが本当に理解できるはずがない。」
 →他を知ることで、他から眺めてみることで観察は深まる。
  世界を視野に入れなさい 世界市民になってくれ。
・BRICsの重要性を理解するんだ。ブラジル、ロシア、印度、中国などだ。その中で、特に中国が重要。
 解)知れば知るほど、自分が何も知らないことを知るからだ。  それと自分の世界の小ささを。

・・・・・・・・・
2007年06月20日(水)
 2269, 家は大事である        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
隣家が4年ほど前に新築に建てかえたが、日毎に家庭が明るくなっているのが、手に取るようにわかる。 
「家は大事」とつくづく感じる。何か家によって家族のあり方が変化するようだ。
「人間の器は育った家の器に大きく左右される」と聞いたことがあるが、その通りである。
家はその天井の高さと、居間の広さがポイントになる。更に大事なのが、「風通し」と「太陽」と「湿気」の三つである。
家には家相があり不幸が続く家があるが、実はさっきの三つが起因している。太陽が当たりにくく、風通しが悪いため、
湿気がたまり、さらにトイレも一番目立たないように作るため、健康に良くない家になり、それが不幸を招いてしまう。
怪しげな宗教家が勿体なぶって、家をみて家相を講釈をするが答えは簡単。日当たりと風通しと、天井の高さと便所と
排水を見れば誰でも分ること。(知らないから、彼らの餌になるのもある)短期間にマンションに住むのは仕方ない場合も
あるだろう。しかし、風通しのよい、日当たりの良い、大きなリビングのある一軒屋に住むのがベスト。
怪しげなマンション屋のマンションなど住むこと自体が緩慢な自殺である。新築の場合、素材から出る毒は人体に良いわけがない。
できれば、日本が長年つくり上げてきた数奇屋づくりの家が理想。面白いもので、家をつくりかえると不幸が続くケースが多い。
身体が、家に馴染まないために健康を害するというが、あれ建材などが発する毒素が原因じゃないか?
家は肉体に似ていて、住む人の魂の器といえる。 乗り換えがきくか、きかないかの差があるが。
                           グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・・・・
2006年06月20日(火)
1904, グーグル Google -9
                ー読書日記    おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
「ロングテール」に関しては、『ウエブ進化論』の中に詳細があったが、大事なキーワードである。
情報の劇的なチープ化と、検索社会の象徴的な現象である。 私自身も図書館で気にいった本で、
既に廃刊されている本をアマゾン・コムから数分の一で買ったことがある。 以前なら有得ないことである。
この書の、めっき工場や羽田の駐車場は、ロングテールのアマゾン以外の卑近の事例として参考になる。 
 第四章 めっき工場が見つけた「ロングテール」
パレートの法則という理論があり、広くマーケッテングに応用されてきた。
「20対80の法則」という名でしられている。20?の商品群が、80?の売り上げをつくっているとか、20?の富裕層が、
世界の80?の富を独占しているという法則だ。最近になってオンライン書店の「アマゾン」が、この法則を覆してしまった。
アメリカのアマゾン・コムの売り上げの半分以上が、販売部数ランキングの4万から230万位までの本の売り上げを
あげるようになったのだ。リアル書店では在庫をもてない「売れない本」でも、インターネット上にリスティングするコストは
ほぼゼロだから、230万点の書籍を扱えるのだ。しかも売れない本は競争が無いから、利幅も大きいという良いことずくめである。
このロングテール現象は、特にデジタルコンテンツのネット流通において顕著に現れる。アップルのiTMSでの
音楽ダウンロード総数が3億曲を越えたが、取り扱っている百万曲以上のうち一回もダウンロードされなかった
曲は無いらしい。ここでもロングテールは長くなっており、大ヒット依存のリアル世界とは全く異なる経済原則で
事業モデルが成立し始めている。これと同じことをメッキ工場がはじめたのである。ネットから、大手のメーカーから、
携帯電話のパーツのメッキの仕事が舞い込んできた。また「個人メッキ市場」という尻尾を見つけた。
一般消費者向けのメッキサービスをスタートを始めた。それ専用のHpを開設したのである。その名を「必殺めっき職人」という。
羽田の民間駐車場や、このメッキ工場のようなニッチな顧客と、キーワードで簡単に広告が打てるようになった。
これが世の中を根底から変えようとしている。           つづく  (*^ワ^*)i バイ

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2005年06月20日(月)
 1539, 秘境探検家の「幸福論」ー2
この二人の会話には抽象的でない「実感としての幸福感」が伝わってくる。真・善・美とは何か?人間は如何あるべきか? 
人間は何が可能か? など難しい話はない。大自然の中で、ただ自然の中で生き、死んでいく未開の地の人々の純粋な
生き様のなかに、人間としての原点の共通点を見つめている。
ー関野
・・・ほとんどの日本人は、本当は景気が悪くて困っているんじゃないよ。経済という唯一の価値観にがんじがらめに縛られて
困っている。苦しんでいる。景気がよくなったからって解決する問題ではない。人間が生きていて嬉しい瞬間って、
美味しいものを食べたとか、子供が成長を実感したとか、差別されてないとか、好きなところに住めるとか、
他人の誤解が解けたとか、そんなところにある。人類が生まれた時からこれはズット同じである。ところが、そんな喜びが
みんな経済に取り込まれてしまった。効率よくお金を儲けたら、こんなことみんな上手くいくと思い込んでしまった。
ー長倉
「生きている実感がない」という人がいますね。 そういう人は間近で懸命に生きている人を見ていないんじゃないか。
生を実感するということは、自分自身を知ることにつながってくる。 自分を知れば生きる喜びをつかみやすく
  なるんじゃないか。アマゾンのアユトン・クレナックは「人はたった一人の存在だからこそ、人と出会うことに意味がある」
と話していたけど、これは人が在ることの意味をストレートに言い当てている。
ー関野
(字数制限のためカット 2010年6月20日)
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2004年06月20日(日)
 1174, 哲学についてー6
ー経験主義哲学ー
合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」
という主張に対して、「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。感覚による経験を絶対視する考え方は、
合理主義に対してあまりにも対極にあるが、アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。
ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」
経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを理解する為にはその性質をとおす以外ない」
というロックの認識論が基本になっている。「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが
経験主義の中心になった。彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。
ロックは、アメリカ独立運動とフランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。
アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。
「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」それ以外のことは、
  存在していることさえわからないという、いまでは当たり前のことを合理主義に対する一番いたいところをついた。
経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。 彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。
彼はロックと同じく現実世界についての知識は、自分自身についても、他人についての経験も、実際の経験を通して
  しか得られないと主張した。我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、感情、記憶。
「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。心理学でいう観念連合ということである。
私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、
  適応する段階になってからである。 「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。
そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する哲学が開花していくのである。
                     つづく
・・・・・・・・・
2003年06月20日(金)
807, 心の構造進化ー書き続けるということ
 少し難しい話をすると、社会学者のレビィ・ストロースは、人間社会の基本形を「時計仕掛け型」と「蒸気機関型」に分けた。
・「時計仕掛け型」の社会は実質的に歴史を持たず、構造変化をしない社会
 ー南アメリカのアマゾン奥の部族の人達やアフリカのマサイや・・・・・
・「蒸気機関型」は我々の社会のように進化をしていく社会をいう
 この両者の違いを、ストローは「書く」ことによるとしている。
 ーといって「どちらが文化的に優れているかというとむしろ『時計仕掛け型』ではないか!」といえるが、
 この問題は違う時に考えてみる。社会だけでなく私たちの心も言葉にして書かない限り「時計仕掛け型」である。
内語を書きとどめることによって、人間の心も言葉との相互作用によって構造進化を始める、
二年間書き続けてつくづくそれを実感する。
 この随想日記を書き始めて、何かが大きく変わった。毎日書いていて解るのだが、大体が過去の話である。ということは、
過去のことしか書けないのだ。未来のことも書けるが、結局は過去の前提の上での未来でしかない。
せめて夢か予定の一部だけでしかない。書くことで、過去の自分を見つめ直すことによって、心の構造進化をしている。
もし、過去を無理してふりかえないようにしているなら、心に蓋をしていることになる。
このように書き出すことによって、心の中の曇りやその奥にある光に気がつく。その意味では、二年以上毎日書き続けたおかげで
自分を見つめなおすことができた。 心がどんどん構造進化ー私の場合は構造変化だがーをしているのを実感する。
そして書くこと自体が面白くなる?! 毎日が一語一会になったしまう。
しかし、いつもネタさがしにキュウキュウとしているが。仏国生まれの文化人類学者(1908-まだ生きている)。
(字数の関係でカット 09年06月20日)
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2002年06月20日(木)
 443, 見せ金ーブランド志向心理
ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす。詐欺の手口の応用である。俗にいう見せ金である。
中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。 普段金に困っているから、
逆に故郷に帰ってきたときぐらい金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。 可愛いものだが。
銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない!
ツケはできない」という。外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。
実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。何回か会社を潰した人が再び会社を興し、少しうまくいくと
ベンツに髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。すぐに逆上せ上ってしまう。
結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。
ブランド品を上から下まで飾りつけ、香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。コンプレックスの裸の王様そのもので、心理は見せ金と一緒。
それに気がつかないから世の中面白いのだろう。日本人のブランド好きは上記のやり手ブスの心理そのもの。
それが人間の全ての集約した姿だ、自分の見えない姿でもある。
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2001年06月20日(水)
 [58] 一六会について
毎月の16日に第二新館近くの大橋ー料理屋で開かれる平均7?8人集まる会である。もともと花園のマルヒロ不動産の後藤会長が
開いていた会で、会長が元気な4年前までは20人以上集まっていた会であった。亡くなった後も続いていること自体不思議なことで、
やはり後藤会長の人柄だったのではないかと思われる。ただ酒を飲んで騒ぐだけなのだが、全く利害のない集まりで好きなことを
言っても喧嘩にもならないのが良い。ただ流れているのはやはり後藤会長の好きな連中の集まりというコンセプトだと思われる。
なんの気を使わず騒げる場もそうはない。平均年齢が65?70歳と少し高いが、それが何ともいえない味を出している。

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