堀井On-Line



3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり!

2010年06月19日(土)

しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
 
ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 
* 不幸になりたがる人たちからのヒント

どうも年齢のせいか、何かやろうとすると「めんどうくさい」が先にたってきた。
 先日 ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。
多くの人が「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、「不幸になりたがる人たちからのヒント」
で「めんどうくさい、が不幸のはじまり!」に、ハッとした。 そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを
望まない傾向にある。 たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持を選ぶ人の方が多数派」
という。 その根底にあるのが「めんどうくささ」だとしたら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。
 これは、人間は「低位安定」を心の奥に求めている結果ではないかと。「低位安定」から、どうすれば抜け出すことができるか?
これからの脱却は、「めんどうくさい」との戦でもある。著者は陳腐な結論とことわって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、
つきると・・・ まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。それができない者には、現状を変えようといこうとする力など
生まれない。不幸を願うものはいないが、不幸へと続くレールから外れようとしないものは多い。現状維持の方が楽に思えるからだ。
その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない何かが逆に新しい事態に直面するのを避けているのである。
私は不幸系の人は身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに「自律神経失調症」という病がある。
問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。 その積み重ねの結果「めんどうくさい病」
に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。他人事ではない、年齢からくる
老いが「めんどうくさい」病に知らないうちに陥っているのである。 秘境ツアーにしても、事業にしても、ブログも、
自分が幸せと思えた瞬間は、それを乗り越えた結果であった。 しかし「めんどうくさい」も、すべて否定はできない。
自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。
老齢になったら、否が応でも低位安定になってしまう。  面倒を克服するには、習慣化がよい。 それを積み重ねていけば良いが、
 それ自体が面倒か〜   さて、棚の整理だ!  それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか!
 ・・・・・・・
2997、定年か〜  ー2
 2009年06月19日(金)
 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー   北 連一 (著)  
 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題になるのは解る。
定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、
深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・・ 
私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始るのが常。 
「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を取り上げている。
人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど短いとか。
だから離婚も耐えなければならないのである。 ある生保の調査によると、女性の1割以上が
「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 
その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。
一、午前中は一歩も書斎を出ないこと          二、小遣は現在の2万5千円
三、食事の内容には一切要求をつきつけない       四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる
五、これらを不服として大声を発することをしない
 これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に
予測していたが、女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ事態に戸惑う。
「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。時間単位で公私を区切る近代的雇用とは
比べようもない、運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。
離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。
 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 
そう遠くない日が待っているが、その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
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2633, 娘に贈る12の言葉  ー2
 2008年06月19日(木)
 第一の言葉から要点を抜粋してみる。
 一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。
 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従ったときである。
  ーー
1、他者に流されてはいけない
 ー他者に流されず、自分の頭で考えることー
・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 他人に、
 たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。自分の考えに従って行動することだ。
・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。
 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に投資対象と気づいたのだ。
 実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。その上に、貯蓄率が35?もあり、それを投資に向けていた。
 そんな国が成長しないわけがない。ところがアメリカはどうだろう。、1990年頃の貯蓄率を4パーで、今ではたったの2パー。
 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従っているうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを
 得ることが出来た。 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。
・オリジナルな「自分でいること」。色んな分野で成功してきた人は、誰のコピーをしていないだろう?
 ソニーをごらん、ソニーは周りとは違う。彼らは常に周囲と違うことをしてきた。 
 誰も歩まない道を行くからこそ成功をすることが出来る。
・私に従わなくて良い、ただモラルだけは守って欲しい。自分の頭で考えて正しいと判断したことなら、
 思ったとおりするがよい。自分が絶対に間違ってないと自信がもてるほどてっていてきに調べてからでないといけない。
・常に質の良いものを買うように。質の良いものは長持ちするし、より価値が高い。
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2007年06月19日(火)
2268, 今年のミス・ユニバースって美人?
                      ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
TVで日本人のミス・ユニバースの女性を見て、違和感を感じていたら、夕刊フジのブログと、毎日新聞の文化欄の
「〈現在〉を読む」に論評が載っていた。誰も考えることは一緒である。 「少し可愛いいが、決して美人ではない。
生意気そうなところがマイナスで、差し引きゼロ。それ以上でも、それ以下でもない。
実際のところ、ミス・ユニバースの判断基準は理解できません?」というのが、両者の論評の概略である。
 ー以下は夕刊フジのブログの概要である。
 ーー
07年ミス・ユニバース世界大会で、森理世さん(20)が優勝し話題になっている。
日本人としては48年ぶりの快挙。昨年も、知花くらら(25)さんが2位となった。
日本も世界が認める“美人”輩出国となったかの騒ぎだが、テレビなどを見て、「可愛いが、決して美人ではない」
と思った方も多いだろう。果たして美人の世界基準は変わったのか。 専門家らが徹底討論した。
 【違和感】
「森さんは鼻がツンと上を向いている。日本人の(美人の)感覚とは違ってコケティッシュ系ですよね。
化粧をすると、昨年の知花さんと変わらない。スポーツ紙が、韓国代表と間違えて写真を掲載するくらい見分けが
つかなくなっている」 テレビや新聞で伝えられた森さんの顔を見て、女性を美しくするプロのたかの友梨さんも、
「顔立ちは際だってきれいというわけではない。おちょぼ口や色白など日本人の良さとは違って肌は白くない。
(日本の美人というより)アジアンビューティー的ですね。 日本人から見ると、アイシャドーはあんなに
濃くなくてもいいのにと思う」と指摘する。 漫画家のやくみつる氏は“美人ではない”と違和感を覚えた一人だ。
やく氏は、日本と外国の美の基準にも、「かなりズレがある。芸能人で、(森さんより)きれいな人はいると思う。
昨年も思いましたが、バチバチの派手な顔より、愛嬌のある顔が外国に受けるのかな」と、大きな違いを感じている。      
(字数の関係でカット2008年6月19日)
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2006年06月19日(月)
1903, 感動と感激についてー2 
        オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)( )(´・)(´・ω)(´・ω・`)ヨ? 
ー感動と失望ー   
 感動・感激の反対語は何だろうか?
 期待以下の大きなマイナスギャップ、    
 期待>実感 → 落胆・失望  ということになる。
「大きな期待を持っていったが、何も感動することがなかった。がっかりした。」である。 
 西アフリカの旅がそうであった。期待が大きかったからだ。失望を少なくするには、まず期待を小さくすればよい。
失望・落胆も、振り返った時に心と魂に多く残るが、人の脳は無意識のうちに、記憶から排除をしてしまう。
感動・感激とは驚きである。驚きは、そのまま考えるヒントを与えることになる。驚きはギャップに対して起こる心の動きである。
ギャップを埋めるための知識集積が自動的に生じて、それが考えることになる。従って、人間の能力は感動・感激と、
失望につながっているといえる。 今年のワールドカップ・サッカー、日本チームに対しては過剰期待である。
今回の過剰の期待と落胆は、貧困層の広がりが原因という見方がある。
冷静にみるより負けるまでせめて夢みたいという気持ちの表れは、貧困層の考え方?である。
WBC(ワールド・ベースボール・カップ)で日本が優勝した時、期待を誰もしてなかった上に、
イチロウなど日本人選手と王監督の健気な姿に感動が生まれた。誰もがまさか優勝するとは思っていなかったから、
驚きと感動が生まれた。この期待をサッカーのワールドカップに当てはめようとしたが無理な話である。
いかに多くの感動・感激・感謝を積み重ねるか、反対に失望・落胆を少なくするかが、人生にとってのポイントになる。
これは意識をすれば、出来ることである。一流のものを見続けることである。
一流の人と多く接し続けることである。そこには、一流の人の波動が出ている。
そのシャワーを浴びればよい。ー話は少し違うが、先日の産経新聞の産経抄の論評がよい。
 ーーー
ー産経抄ー
「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものだ。頼みもしないのに受信料をとりにくるテレビを筆頭に、
各メディアがサッカーW杯に出場した「青きサムライたち」をこれでもかと持ち上げ、
膨らみきったジーコ・ジャパンへの期待は初戦の完敗でみるみるしぼんだ。
▼にわかファンたちが口角泡を飛ばす居酒屋談議では、梅雨で曇り空が続くのも、株価が乱高下するのも、少子化に歯止めが
かからないのも、みんな下手な采配(さいはい)をしたジーコのせいだ、と言わんばかりの勢いで批判の矛先が監督に向いている。
▼もしあのまま1?0で逃げ切っていたら、同点にされたあと、駒野が相手ゴール付近で倒されたときに主審がPKをとっていれば、
ジーコは勝利を呼びこむ「サッカーの神様」として褒めそやされていただろう。勝負ごとはやっぱり勝たねばならない。
▼サッカーと戦争を比べるのは不謹慎極まりないことぐらい百も承知の上だが、敗戦がどれほどみじめかはサッカーファン
ならずとも身にしみる。戦後60年以上たっても、首相が靖国に参るだけで他国から悪罵を投げつけられている。
▼中国や韓国が「軍国主義の復活」と言い続けるのは両国の国内事情もあろう。
それより理解できないのは他国に迎合して、無宗教の追悼施設をつくるため首相の靖国公式参拝を「憲法違反の疑義がある」
と明記した中間報告をまとめた「国立追悼施設を考える会」の議員たちだ。
▼このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守るため心ならずも散華した人々への感謝の念があるのだろうか。
会長は下半身スキャンダルで週刊誌をたびたびにぎわしたセンセイである。少なくとも小欄は、こういう人物に靖国問題に
ついて指図は受けたくない。                   (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
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2005年06月19日(日)
 1538, 銀座24時-女たちの戦い
昨夜のTVスペシャル  
ードスペ! 「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラにカメラが潜入!!ー
 というTV番組の見出しにつられてみた感想である。二時間という時間がアッという間に過ぎ去った。
次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。 人間観察という面で人間社会を赤裸々に見せてくれる世界である。
[高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、見ている分には面白い。この不景気で銀座のクラブの多くが
淘汰されたが、その中にあってしぶとく生き残っている店があるのだ。まず一番印象に残ったのが 
ー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦であるー
昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1ホステス。
一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していたオープン時は、彼女を目当てに客が押し寄せる。
しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。それ以降に店の真の評価が分かるものだ。
正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。さらに、黒服といわれるスタッフ役の
男達とホステス達とのトラブルが発生。黒服の長であるマネジャーといわれる立場は、オーナーである会社側にある。
雇われママはホステスと黒服との間で苦闘する。それらの多くの障害を一つずつ乗り超えながら、店を切り盛りする。
そして、一人前のママに育っていく。一晩で、数百万をつかっている生の現場をカメラは正直にとらえている。
数万もするドンペリが、どんどん注文される。果ては百万のドンペリを注文した場面もあった。
また、誕生日に100万の指輪に10万の花を添えてホステスの贈る場面も。 あるホステスが給料明細も公開した。
時給4万円、それに指名料が加算される。24歳のホステスと、27歳のモデルのお客の奪い合いの実態を冷酷に追っていた。
黒服が辞めたホステスの客を、二人のホステスに競わせるのだ。銀座クラブの掟として、店では客の馴染みホステスが決まると
「永久」に固定化される。しかしホステスが辞めた場合、客に指名権が与えられる。店として、それを争わせる。
そのプロセスをお客に楽しませるのだろう。そこで、あらゆる手段で指名権を得ようと店の外で女の争いが始る。
結局は、新しく入った27歳のモデルが勝ちを収める。下手なドラマよりズット迫力があった。
TVでは取り上げることの出来ない「下ネタ」が、背後にあるのだろうが、まさか茶の間には出せない。
実際は凄いのだろう?エログロ番組になってしまう。早朝から、こんなことを書いている自分が面白い? いや、馬鹿か!
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2004年06月19日(土)
 1173, つれづれなるままに
・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。富士銀行が80億の金を出したホテルで
何と3億1500万の値段であった。金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利が入り組んでいて力に余裕
がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。それにしても、この差額は実際誰が損を
こうむるのだろう。間接的に国ー国民なんだろう。二年前に、このまん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。
・最近、昼飯を食べにいってもお客の少ない。そういえば、私も昼飯の単価が2?3割も下がっている。
近くに牛丼の「松屋」ができ、他がランチの値段を下げた為だ。。・一昨日は、宅建主任者の3年に一度の講習会。
長岡郊外のハイブ長岡であった。大きな会場で500人位が受講していた。初めて時計を持たずに行ったのが正解で、
あっという間に時間が過ぎた。危険物取扱者の受講もそうであったが、真面目に講義を聞くのがポイントである。
せっかく時間を過ごすなら、その時その時のテーマの中心から目をそむけないのがよい。宅建の内容は聴いていて面白い。 
法律の改正の変化が世相を現している。何事も、まともに聴いているとなかなか面白いものだ。大學時代がそうであった、
授業とは面白くないという概念が根本から崩れた。特に専門コースに入ってから面白くなった。
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2003年06月19日(木)
806, 『自分様と馬の骨』 読書日記
 ーなぜ認められたいかー
「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」等、彼の文章のタッチの面白さに、次々に買って読んだ。 
人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。先日、図書館でこの本を見つけたときは、しめたと内心叫んだ。
早速読んでみるとやはり面白い。「わたしを認めよ!」の続編であり、何ともいえない力がこもっていた。
彼のいっていることは別に難しいことをいっているのではない。
・自分を持して一生懸命に生きればよい、
・ダメならまた自分を立て直してやり直せばよい。たとえそれがぶざまな人生であっても。
「懸命に生きる」とは「自分ひとりの関係」である。それが自分様であり、自己が自分になっていくことだといっている。
人間は自分はとるに足りない馬の骨と思うことに耐えられないのだ。特に比較において。友人との年収の差、学歴の差、
同業他社との利益の差、性経験の差において、馬の骨として、耐えられないのが人間であると主張。 創業を経験すると、
人間観が変わるーこれは私だけでないと思う。自分の骨の髄のエゴイズムを知ることになるからだ。その骨の髄のエゴイズムから、
出発をしなくてはならない。それを嫌というほど、自分に対して思い知ることになる。表層で生きている人は、創業のそのリアルな
姿を見て冷笑する。
(字数制限のため中間カット 2010年6月19日)
   『自分様と馬の骨』
 勢古浩爾 著 長岡中央図書館 2003年6月15日
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2001年06月19日(火)
 [57] 3D-ホームページ
今日は午前、午後パソコンずけだ。 午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと
3d開発の増嶋さんだ。 そして夕方はパソコン教室だ。 パソコンはやはり凄い世界だ。
このホームページの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。
何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。 情報革命は時代を大きく変えるだろう


3371, 込み込み六千八百円のホテル

2010年06月18日(金)

 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに
「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで歌い放題で全部で六千八百円だった。
仲間10人で土日の高速代金の千円を利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。
さっそくネットで調べたら3名以上、込み込みでバイキングコースで六千八百とあった。
酒もビールもセルフで、カラオケもけっこう良い設備で、まあまあ満足という。
大湯の湯元館は、一応老舗で知られたホテルである。思い切った頭の切り替えが出来れば、自分でも出来たはずだが。
まあ、無理だろう。伊藤園ホテルグループの格安ホテルの話は聞いてはいたが、新潟でも買収をしていたのである。
ホテルの名前も、設備も、そのまま使っているというが・・・ なるほど、面白いところに目をつけたものだ。
 十数年前にペガサスクラブで、「パイプの煙」というリゾートホテル・チェーンの社長と同席をしたことがあった。
リゾートホテルのディスカウントでチェーンを展開をすると言っていたが・・・
 事務所の数軒先に居酒屋の全国チェーンがあるが、その店頭に飲み放題で込み込み三千三百円とある。
個室の宴会ルームではカラオケが無料で歌い放題。 その二倍で湯沢温泉に浸かって泊り込みで遊べるから価値はある。
  ところで、札幌で中国人専用ホテルが出来るそうな。

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2996,定年か〜  ー1
2009年06月18日(木)
 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー
                   北 連一 (著)      読書日記
 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、
地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、
その意味も最初は分からず、解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は
定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。 私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては来ないが、
従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。群れから離れて奥さん1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。
そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。これは抉らすと危ない。現在の私も少し「うつ病」気味である?、
とにかくムカツクのである。いや、恐慌下の売上不振なだけか。 そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、
切実さが直に伝わってくる内容。具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の奥さんとの力関係を取り上げている。
ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、今度は小さな家の中での息の詰まるような関係。
「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 
この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 
【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる,
 ローンが終わっていた,書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。
  ‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後のシミュレーションをやっておく,
 妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】
こういう人生もあるのかというような内容だが、「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、
深刻な内容も赤裸々に取り上げている。  8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの
生き様がみえる立ち位置に居たことからみてきて、「人生の敵(ミカタ)は女房」というのは深く肯けるが。 
その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、
最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。
 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
・・・・・・・
2632, 娘に贈る12の言葉
2008年06月18日(水)
「人生と投資で成功するために  娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著)   b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
 ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」を
アマゾンで取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白かった。 
それに劣らない力作である。「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目だが、内容は全く違う。
ー まずは、その12の言葉
・他人に流されてはいけない             ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい
・常識はそれほど常識でない             ・世界は自分で見ておいで
・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい  ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい
・歴史を勉強しなさい                ・汝自らを知ること
・変化をとらえ、そして受け入れなさい        ・未来を見つめなさい
・大衆に逆らいなさい                ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む
 ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、徹底的に歴史、哲学、
経済を学ぶことを推奨している。ジム・ロジャーズが生まれてしばらくして、この本の訳者が我が子に伝えたいことは何かと
尋ねたところ、彼の答えは「自立した考え方をする」「疑問を持つ」だった。また、投資家にとって大切なことは何かを聞いたら、
「大きな流れを見ること。ビッグチェンジがあるところに、ビッグチャンスがある。それを見極めるためには、自立した考え方をし、
疑問を持つことだ」というものだった。投機家を意味するスペキュレーターを、もともと「突っ込んで考える人」という意味。
その為には哲学を学び、思考することを学ばなければならない。 次回から、12の言葉の幾つかを取り上げて考えてみる。
                                ゜Д゜*)ノ⌒【さいなら】
・・・・・・・・・
2007年06月18日(月)
 2267, 「遊び」               (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から「働き」と「学び」と同じくらいに
 位置づけてきた。その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
 年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。              
 「遊び」をネット百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』調べてみた。
  ーーーーwww**ww*w(/⌒∇⌒)/?∞**www***w ーーーー
楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス (生体)解消などの目的で生物がする行動の総称。
普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事、睡眠や、自ら望んで行われない労働などは含まれない。
 (字数の関係でカット、09年06月18日)
 ・・・・・・・
2006年06月18日(日)
1902, 感動と感激について             
        才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
感動・感激・感謝は、人生の豊かさという面で大きなキーワードである。
感謝は「ありがとう」というキーワードで多く書いてきたので、今回は感動と感激について焦点をあててみる。
まず「感激と感動の違い」についてである。感激は人の言葉や物事に心が感応することで、感動は大自然や音楽などに
魂が感応することである。感激は、その気持ちが対象に向かうのに対して、感動は自分の内側深くに向かう。
どちらも、対象の波動に自分の心・魂が共鳴することである。  期待 <実感 → 感動・感激
期待と実感のギャップが大きいほど感動、感激、感謝が大きい感情になる。
その為には期待を小さくして、実感を大きくして、そのギャップを大きくすれば、感動を大きくすることが出来る。
反対に期待が大きすぎた時に感動は小さくなる。秘境・異郷旅行は、正しく感動を求めるもの。厳しいところほど感動が
大きい対象に出会える。そこへ到達するまでの苦労が大きいほど感動が大きくなる。そこでは魂の根底を大きく揺さぶるものがある。
この感動と出会うまでの人生と、その後の人生と分ける位のインパクトになる。そこに慣れてくると感動は小さくなるがそれで良い。
それは自分が対象に同化したことになるからだ。冷静に対象を見つめることが出来るようになる。感動・感激・感謝の経験の質量が、
心の豊かさといえる。人生を振り返った時に、自分の心に残っているのは感動と感激と感謝、そして後悔の念である。
一般的に感動・感激は年齢を重ねると同時に少なくなっていく。 ある調査によると、毎月一度以上感激・感動する人は
10〜20歳代で50?だが、30~40歳代になると30?に減るという。私の場合、歳を重ねるに従って、感動・感激の
場面が増加している。感動はその蓄積が、その質・量に比例して心の壁を低くし、さらに感動に対する磁力を強くする。
親の責任の一つとして子供に「感動・感激のシャワーを多く浴びさせること」がある。 
それは自分自身に対してもである。ある質・量を超えると、その人間の質のアップ・スケールが生じる。
一番の効果は、内面に自信が出てくることである。それと自由の意味も解ってくる世間とかいう奴にも迷わされないようになる。
感動は意識して自分に与えなくてはならない滋養である。
そのためには自分を太鼓に喩えていうと、常に手入れをして、その革を張り詰めていなくては共振はしない。
                 i (ω・`) bai         
・・・・・・・
2005年06月18日(土)
1537, 「これから5年・地価は半値になる」-2
             ー読書日記
ー対談方式だが、概略をまとめてみた。{??}は私の意見である。40年前の山の手線内の駅の数が多くの地下鉄などの開発によって、
現在では三倍以上に増えたという。山の手線内では殆んどの場所から5分以内に、何処かの駅に歩いていけるようになった。
それが地価の高騰を招いたのであって、山の手内の地価の高騰はバブルではなかった。
それにつられて上がったところが、バブルになったと看破している? {それにしても、あの高騰はバブルである!}
最近目立ち始めた高層ビルも、2000年頃から建ち始めたもの。2003年には都内の大型オフィスビルが面積換算で、
例年の倍以上も完成。1999年には36万?大型オフィスビルが、2003年には218万?と4年で6倍に増えてしまった。
そのオーナーも森ビル、三菱地所、三井不動産と大手が目立っている。
ところが、そのビルにはチャンとテナントがはいっているから不思議。需要の多いビルには法則があり、
『新・近・群・大』である。駅に至近で、新しく、複合かつ多くのビルが群れていて、大きい。
それに最近では、地価の下落後のため、安い家賃のビルが出て来ている。安いもプラスされている。
なぜ坪10000円の中小ビルから、30000円もする大型ビルに移動するかというと、ワンフロアーに子会社や部門を集約して、
効率化を図ったのだ。超高層ビルなどを『親ビル』、中小のビルを『子ビル』と表現すると、親ビルが子ビルのテントを
ドンドン吸収している。その子ビルが『孫ビル』の小さなビルのテナントを吸収する図式が出てきている。
『孫ビル』とは、新宿や池袋などにあるペンシルビルである。最近では更に『親ビル』同士の闘いが始まって、大小入り乱れての
大乱戦の状態になっている。これが地価の崩壊を更にすすめる。 先ずは親ビルが玉突き状態で『子ビル、孫ビル、ひ孫ビル』と
崩壊させ倒産させている。それが周辺の地価を引き下げているのである。
特に、銀行への金融庁に対する引き締めが強まれば強まるほど、中小のビル経営が崩壊、これが社会現象を悪化させ、
更に二等地の地価を引き下げるというマイナスの循環が出ている。
{こういう事態から5年~10年先を考えると、先行きは真っ暗闇といえる。一強多弱の世界が不動産の世界にも明確に現れてきている}   
                      つづく
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2004年06月18日(金)
 1172, ビューポイント
学習曲線というものがあって、自転車の乗り方や勉強や企業経営も同じである。新しいことを学ぶということは,S字を横に
したようなパターンをたどる。初めはゆっくりだが次第にペースが上がり、ピークに達してから穏やかに下降するパターンである。
エントロピーは学習パターンがピークを過ぎたころにみられるエネルギーの喪失を意味している。山道を車で走っていると、
何処にもビューポイントがある。大体が8~9合目の辺りで、それまでの急勾配から緩やかな坂に変わるところだ。
下界と遠景が遥かかなたに見え、その前後は今までいた道がよく見える。そこでは駐車場になっていたり、土産物屋や休憩所に
なっていたりする。そして、どういうわけか道の枝分かれをしているところが多い。そこで立ち止まって、自分の歩いてきた道を
観察する必要がある。そこでは一歩後退をして見ることも重要である。 大きな分岐点になるからだ。人生においても、事業に
おいても全く同じことがいえる。ジョージ・ランドが「展望点ービューポイント」を喩えている論法が面白い。
頂上への8?9合目辺りで坂が緩やかになるポイントで、サーファーが波の衰えを感じて、崩れる前に新しい波に乗り換えるのと
同じポイントである。新しい学習曲線への波に乗り換えるポイントになる。自分がビューポイントに達したかどうかは
簡単に解るわけがない。しかし注意をしていれば兆候を見つけることができる。それが過ぎてから初めてわかるケースが多い。
波が最終局面になって、初めて気がつくケースが多いことも事実だ。とくに事業はそうだ、他人事でない。
その時はブラックジョークではないが、再生のプログラムになるが。それぞれの人生にとってのビューポイントで
違う波に乗り換えることも必要だろう。乗り換えた波がより合わない波の場合が多いから難しいのだ。
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2003年06月18日(水)
 805、「ありがとう」の言葉ー4
一週間「ありがとう」を、一日おおよそ500回を言った実感を書いてみる。まずは、気持ちが落ち着いた。
特に夜半2時半に目が覚め、この経済の異常事態や事業のことをあれこれ考えてしまう。
ベッドの中では考えない訓練はしてあるのだが、今の状況は過去になかった異常な事態である。
会社も日本経済もだが。しかし、その時しめたと「ありがとう」を繰り返すと、あれこれ考えないで済むのだ。
また新幹線の中や散歩やふとした空白時間に繰り返していると、結果的に否定的な考えが激減している。
不思議といえば不思議である。単純に思えるかもしれないが、何か否定的な感情を消す作用があるみたいだ。
それと、意識をしていると結構細かい時間が多くあることに驚く。マイナスな時代に、否定的な言葉の毒消し作業がよい。
 死ぬ時に、周囲に対して心の底から「ありがとう」と言っていけたら、残った人に対して
最高の癒しになる。と同時に自分の死に方としても最高の死に方になる。
その為には「ありがとう」を数万回、数十万回、脳の中に叩き込んでおくというのも理屈に合っている。
以下はインターネットで調べた、50年以上「ありがとう」を言いつづけて2億回言っている人を書いた内容をコピーした。
 (字数の関係でカット2008年6月18日)
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2002年06月18日(火)
 441,時間持ち
「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」というのを本で読んだ事がある。若いときから時間だけは多くあった。
時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている?
現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。
小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 
お金と同じである。人がお金を持て余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。「主体的」に使えるから、
お金は幾らあっても持て余さない。お金は自由の塊そのもの。時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。
時間を持て余すことは、その自由を使いこなせない事。もう十数年も前の事になるが、ある長岡の不動産屋の社長が
毎日が日曜日のくらい暇な日程の私の姿を見ていて笑っていた。3月のある日、年度替りで不動産屋が一番忙しい時だった。
奥さんと二人パニックに近い状態に。その後二人で喫茶店に行った。本人自慢げに「イヤー忙しいくってね?」
私「その仕事何パーセント、500円のパートのできる仕事?」不動「99パーセント」
私「ふーん、あんたの時給はいくら?」不動「一万円あたりかな!」
私「時給一万が、500円(当時)の仕事をして喜んでいるんだ」その後、本人はすぐ一切の雑務をしなくなった。
話しは外れたが、時間もち(金持ち)とは、主体を持って使いこなしているかどうかだ。
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2001年06月18日(月)
 [56] 母のアルバム
昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。
そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、上部が細くなる写真に映し出された。
何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように上部が細くなる。
怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから
‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。
遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。
仕方がないので隣にならんであった、母の見合い用と聞いていた写真をスキャンする。
何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので‘あの世でも上手くいってないのでは’
と心配になってきた。 思い出の写真コーナーに載せてある。


3370, デジカメを買えかえた!

2010年06月17日(木)

 私はパソコン、デジカメ、iPod、iPhone、デジタル一眼レフ、デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ
(デジカメ写真の蓄積端末)などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称しているが、
今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。
(TVとビデオ機器とステレオもあるが・・・) その中でデジカメとiPodとiPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。
ブログの読書日記を書くさい本の文章の取り込みにも、デジカメを使っている。(iPhoneのデジカメ機能は食事時や、
居酒屋・スナックのスナップを撮るのに使用している。) デジカメは現在のもので5代目だが、それぞれ使い切ってきた。
 先日、長男に友人の結婚式で貸したが、みごとに落として壊してしまった。5年も使ったので5千円の弁償で示談をしたが、
心の中では新しいデジカメが買えるとあって、ニンマリ。 二年前にイングランドに行く直前にデジカメが動かなくなって急遽、
秋葉原のヨドバシで買うことになったが、新しいのは家内に、私は家内の使用した御下がりになっていた。
5年前のものだが小型で気に入ってはいた。720万画素で少し物足らないが、ブログに載せるには充分である。
 新たに買うにあたり、ネットで値段や機能を調べたが、値段は7千円から3万円の間に8割は収まっている。
それ以上のものは嗜好品。 二万円以上のデジカメは、ビデオ撮影の本格的な?機能が付いている。
先日、ブログ向きの3万円のデジタルビデオを買ったので2万円クラスと思ったが、やはり本格的ビデオ機能付きを選んだ。
この選定の決めてはGSP機能付きで、撮った場所が記録・分類されること。 タッチパネル式の画面が一回り大きいものと迷ったが、
これにした。値段は同じだが、機能は5倍以上は良くなっているというのが手に取った実感である。 
これでデジタルビデオにカメラ機能の付きのものと、デジカメにビデオ機能の付きの二種類になった。
違うのが外見で、ほぼ内容は同じ。しかし、目的がビデオとカメラは違うから、使い勝手に差はある。
もう家内から自分のものと交換しろというが、そうはいかない。
 ハードではパソコンとiPadとモバイル携帯とデジカメとデジタルビデオが、
ネットではブログとツイッタとYoutubeとユーストリームが、当面の間、時代を引っ張ることになる。
  5年で5倍か〜。 自分は、どうだろう?  少々の小金を持って、長生きをしたいもの。
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2995、 ピーク・エンドの法則
 2009年06月17日(水)
 ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、
「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まる」という法則である。
映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場のシーンと、最後のラストシーンになる。 
「終わりよければすべてよし」 というのも当てはまる。
経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには関係ないという特徴がある。
人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところがある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と
最後あたりの記憶が、その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の秘境を中心にして
旅行に出ているが、後半になるほどに、この旅行は良かったと互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 
間違っても良くない話はしない。帰ってきてからも、同じこと。せっかく行ったのだから、楽しい思い出にしてしまう。
どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、
そして人間関係もである。エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要になる。しかし、その最後が難しいのである。
人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せつけられてきたが、他人事ではない。人間は歳をとると、肉体だけでなく、
精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、最後の宿泊日には、その中では一番良いホテルに
泊めるケースが多い。また、文章でも同じことである。最後の一行が肝心。 で、いつも落ちに気を使う。
 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、そして落ちが必要となるが・・・。
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2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1
 2008年06月17日(火)
「無法バブルマネー終わりの始まり」 松藤民輔:著
この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、「日本の金融機関は労せずして、
欧米の金融機関に《不戦勝》してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。どこもかしこも、
毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、その余裕がなかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。
さらに、資源のない国だから、1974年、1978年のオイルショックをを経験してきた御蔭で、日本は世界で
一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。 それは、政治家ではなく、国民一人ひとりが、
そして企業が生き残りをかけて闘ってきた結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。
弱みを克服しているうちに強みをつくってしまったのである。それによると、EUの1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、
中国の8.7倍、ロシアの18倍である。ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れないうちに、
とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を実現していたのである。 また、東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、 
本社が8割も集中した国を創りあげてしまったのである。 この十数年、日本がのた打ち回ってきたが、
これからは、アメリカと中国、ロシアの番である。 それが本格的に表面化するのは私の予測では、
今年の秋口から年末にかけてだろう。中国のオリンピックが終わり、アメリカの大統領選挙の終了時点あたりか。
その前に、ブッシュが共和党政権を守るためにイランあたりに戦争を仕掛ける可能性もある。
いずれにしても、今年の前半にチベットの騒乱、四川省の大地震、ミャンマーのサイクロン、アメリカのサブプライム問題等、
大きな事件が続いたが、後半も何か大事件が続きそうである。その中で日本人は堅実で一般国民は「現金・預金」の50・50で、
「株式、債券は20?弱」。欧米とは比較がならないほど堅実である。現金・預金はアメリカは13・2?、イギリス25?、
ドイツ・フランスで32〜3?でしかない。また自動車のエンジンの開発、太陽熱の利用、原子炉のノウハウの蓄積等、
日本独自の開発が資源小国ゆえにある。弱点も多い反面、強みもある。
   次回は、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。        −つづく
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2007年06月17日 
 2266, 欧米のビール圏とワイン圏      * ̄0 ̄)ノ[才八∃一]     
ヨーロッパの国々や、その植民地に行って気づいたことは、ビール圏とワイン圏が大まかだが分かれていることである。 
ドイツやベルギー、イギリスはビール圏。^_^)/q□☆□p\(^_^ ) フランスやスペイン、イタリアはワイン圏。 
ドイツでも南はワインで、北はビール圏になるが・・・ビール圏は工業国が多く、勤勉で真面目なタイプで食事の時間が早い。
ワイン圏は農業国が多く、人生は楽しむものという国民性で、自分のプライベート・タイムや家族との交流を大切にし
飲食の時間が長い。料理はワイン圏の方が圧倒的に美味しいものが多く、ビール圏はそこに比べるとかなり落ちるようである。
日本はドイツの教育制度を取り入れたことと、武家社会だったこともあり、ビール圏に近いが、最近になってワイン圏の考え方が
急速に入ってきている。アメリカもイギリス系植民地だったこともあり、ビール圏である。アル中はワイン圏の方が多く、
人生は楽しむものという考え方が、酒量を多くさせてしまうようだ。 ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーヽ(#`Д´)ノ┌┛〃
とはいえ、日本のサラリーマンのように仕事仲間内で飲む習慣は少ない。
         ( ^_^)/q□☆□p\(^_^ ) カンパァーイ  (  ゜Д゜)⊃旦 もう一杯酒飲め !
美味しい世界各地の酒と肴を飲んできた。 中国には紹興酒、ロシアにはウォッカ、メキシコにはテキーラ、イギリスには
スコッチなど、世界にはその風土から生まれてきた酒があり、酒の肴を合せて飲むのが楽しみだ。その中でやはり日本人のためか
日本酒が一番好きである。 その中でも新潟の吟醸酒が最上である。それも駅のメーカー直販の店で、ワンカップで
280~500円位で売っているのが美味い。酒メーカーは戦略上、駅への酒の出荷は車内販売も含めて良い酒を出すからだ。
ビールは最近になって、好みもあるが日本のものが一番といってよいほど美味しい。40年前に初めて欧州に行ったときの
ビールとワインの美味しさをハッキリ憶えている。ワインなどポートワイン以外飲んだことも無かったこともあるが・・               
           (´・з・`)グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ    
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2006年06月17日(土)
1901, 半年の総括
                才八∋ウ_〆(∀`●)
少し早いが「今年の半年の総括」をしてみる。
・まずは読書で印象に残ったのは、
 *「ウェブ進化論」               *「グーグル Google」
 *「ズットやりたかったことを、やりなさい」   *「ローマから日本が見える」
 *「ジム・ロジャーズ世界を行く」どの一冊をとっても、衝撃的な内容であった。
その中でも「ウェブ進化論」は、今後のネット社会の方向が解りやすく書いてあり、衝撃的であった。
Web2.0には・・・  また「ずっとやりたかったことを、やりなさい」を読んで、 毎朝、思いのままをノート3Pに
書き出すモーニング・ページの習慣がついた。これも時間を重ねるほど、その重みを実感する。
・プライベートでは、
   *息子がフィアンセを(紹介のため)自宅に連れてきたこと。
   *静岡の大学時代の友人が遊びに来たこと。
   *やはり学生時代のゼミの友人と、「新潟県活性化のための会」を開いたこと。
   *それと還暦をむかえたこと。  個人として、大きい転機の時期なのだろう。
・事業面では、
 *新潟駅再開発の(三つの道路拡張工事の)認可が正式に決定したことである(実質的に再開発事業が始まった)
 *4月初旬から、一段と新潟県の景気がホテル・タクシー・飲食店を中心として落ち込んでしまったことである。
 以上は、私に直接関係ある総括である。 あまり刺激的でないのが・・・・
・潮流からみると、
  * 冬季オリンピックと、ワールドカップ(サッカー)が開催されたこと。
    WBCは日本がタマタマ優勝したから盛り上がっただけ。
  * 石油の不気味な値上がりなど、インフレの陰が見えてきた。
  * 反面、子供に対する異常な事件が次々起こった。
    2~3年前までは、子供同士が外で遊んでいる風景があったが、今では全く見られなくなってしまった。
 大きな事件は毎年、不思議なことに年の後半が多い。天気晴朗なれど、波高し!というところか?
                      (。・∀・)バイ
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2005年06月17日(金)
 1536, 「これから5年・地価は半値になる」  −読書日記ー
数日前から書店で立ち読みをしていたが、少し眉唾の「売らんかな」の題名の本と疑心暗鬼であった。
しかし、気になったので買って読んでみた。東京の不動産・事務所ビル・マンション事情が解りやすく、三人の対談方式なので
読みやすい。内容は業界関係なら周知している事実であろうが、地方では疎い情報を具体的に教えてくれている。
「都内の勝ち組立地の大型の物件以外は5年後に半値」というのも決してオーバーではないようだ。
現在、高層の億ションのいくつかの売れ残りが始まっているとか。大都市圏の一部での地価下げ止まりと上昇は、
海外有力ブランドの出店ラッシュと都市基盤整備による一時的カンフル剤をうったにすぎない。
・既に高級マンションの値引き合戦がおきていること、
・都心以外はビル賃料のダンピングで地価が下落していること、
・5年後の半値は銀座や青山ではなく、東京の十字架ゾーンを外れた場所とか、
 地方の値崩れが激しく総体では半値になるだろう
・十字架ゾーンから外れた郊外住宅やマンション、ニュータウンは既に暴落している。
・千葉の某団地は、都心マンションの頭金ほどの価格で購入できる。
・右肩上がり時代ではなく何時リストラされるか分からない時代はムリしてローンを組むと破産者になるだけと警告している。
・さらに日本人の「持家信仰」からの脱却を奨めている。
 持家の広い家が必要なのは「子どもが高校を卒業するまでの18年間」だけと、看破している。
等々が、印象に残った。 そういえば先日、都心から一時間のところに住む姉が法事で帰ってきた時、
 現在住むマンションの近くに、「値段の下がりきったマンションを娘のために買った」といっていた。
−以下、要点を抜粋してみるー
ー井上
40年前までの東京の地下鉄は、銀座線、丸の内線、日比谷線、都営浅草線ぐらいしかなかった。
ところが現在では、地下鉄網が完備してきて、山手線の内側なら、地下鉄駅から、どこでも歩いて五分以内に行けるという。
そこで地下鉄、東京メトロ、都営地下鉄の総数を数えてみたら、40年前の3倍強になっている。こんな都市は世界中に東京しか
ないのではないか?となると、東京の高度成長期の地価上昇も、インフラ整備が主因といえるのかもと。
この十数年の東京の地価の値下がりはインフラ整備の終息による結果かも知れない。考えようによっては、東京都の地価上昇は、
バブルではなかったともいえます。東京地区の上昇につれて上昇した他の価格は、バブルと見るべきでしょうが。
{なるほど、山の手線内はバブルでなかったという井上氏の見方は正しいのかも」 ーつづく
 −−−−
「これから5年・地価は半値になる」
副題 プロ不動産のウオッチャーがそっと教える
   「ほんとうの話」
著者 井上明義 三友システムアプレイザル代表取締役
・・・・・・・
2004年06月17日(木)
1171, 哲学についてー5
ー合理主義ー 
近代科学と同時に、近代哲学の芽吹きが始まってきた。「世界は理性で理解できる」という「合理主義」の考え方である。
初めて合理主義哲学を提唱したのはデカルトである。16世紀末にフランスに生まれた聡明な学者だった彼は、志願将校として
ヨーロッパを見てまわって、人間の世界が書物の世界より多様性に富んでいることに気がつく。
そして次第に、「人間が芯に確信できるもの、確実に知ることができることがあるのだろうか」と思うようになる。
人間の思考というものを、哲学、数学、科学の分野から研究を始めた。出発点に戻って思考する「私は何を知ることができるか」
である。そしてかの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り」という結論に達する。彼は「人間の究極は精神である」という結論から
現実世界は精神と物質という二つの要素から構成されるという考え方を導き出した。このように自然界を精神と物質、
主体と客体、観察する人される人の2種類に分ける考え方は、西洋人の考え方に組み込まれていく。今日まで哲学者の間で
「デカルト的二元論」といわれてきた。デカルトは、このシリーズで取り上げなくてはならない一人である。
その時は、より詳しくその思想の内容をマトメテみたい。彼から後、多くの合理主義哲学の一派があらわれる。
彼らの基本理念は「現実世界の知識は理性をとおして得られるのである、知覚することによって得られた情報は本質的に
信頼できず、知識になるどころか、間違いの原因になる」というものである。デカルトの後にはスピノザや
ライプニッツなどが出てくる。デカルトやスピノザは天才的な数学者であり、この二人にとって数学は
「真に確実な知識を手に入れるための理想的な手本」であった。 彼らは数学者が使っている手法を、現実世界を
理解する為に利用できるなら、あらゆることが解明できると考えた。我々が何気なく考えていることや、言葉などが
先人によって考え出された上のことでしかない。そう考えると、自分とは何ぞやと考えること自体ばかばかしくなってくる。             
                           −つづく
・・・・・・・・・・
2003年06月17日(火)
 804, 50歳の頃ー2
ー50歳といえば1996年、平成8年である。今から見れば、まだ景気の先行きに明るさがあった。
・村山から橋本に首相が変わり。
・狂牛病の0−157が社会的な大問題になっていた。
・携帯電話やパソコン・インターネットがが普及を始め
・この頃から『援助交際』とか『ルーズソックス』が流行りだした。
・アトランタオリンピックが開かれ、マラソンでは有本が銅、柔道では野村、恵本が金、田村が銅メダルをとった。
・ロシアではエリツィン、アメリカではクリントンが大統領に再選された。
・国内のベストセラーでは春山茂雄『脳内革命』野口悠紀雄の『超勉強法』がベストセラーになっていた。
個人的には
・母が亡くなった年である。海外旅行はエジプト、インカ・ペルーと南アフリカに行った。
 会社のほうは第三の増築をして、客室が合計500室になった。こう当時を振り返ってみると、時代背景が個人も
会社にも大きく関わっていることが解る。また刻一刻と時代が変化している。 個人的にも色いろの出来事があった。
その殆んどが忘却のかなたになっているが、それだかこそ生きていけるのだろう。
これからは60,70,80歳の坂を乗り越えていかなくてはならない。 現在とは過去から見たら最長老であり、
未来から見たら最年少といえる。 こうして文章を書いているとつくづく実感する。
・・・・・・・
2002年06月17日(月)
 440,自己不一致の人
誰でも持っている要素である。組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。自分の事といってよい。
 ・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。・夫婦間の問題 ・両親の仲が良かったか
中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。
あと舅・姑の関係も絡んでくる。家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。
夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。それがそのまま子供に反映してくる。あるいは自分に反映する。
その蓄積が自己不一致を深めていく。そしてそれが対象に不満という形で向けられる、実際は自分の問題なのに。
誰もが多かれ少なかれ抱えている問題である。会社が両親が離婚をしている人を入れたがらないのは、多くの人の中で
経験的にそれを知っているからである。何事も例外はあるだろうが。言葉を持ってしまった人間が無限の欲を持ってしまった。
アダムとイブが蛇に勧められて食べてしまったりんごである。しかしそれは有限である。そこに不平が出てくる。
仏様はその欲の対処の仕方を教えた、それが仏教である。ただ自己不一致も捉え方によっては必要なことがある。
理想主義による不一致、それを埋めるための視点であるからである。あるいは経営にとって、計画の不一致のフィードバック
として必要な事だ。前向きな建設的な自己不一致ならむしろエネルギーにもなる。コンプレックスもそうなのかもしれない。
・・・・・・・・・
2001年06月17日(日)
[55] ジョーク集について
 ≪字数制限のためカット2010年6月17日≫


3369, Youtubeでみる津波の映像

2010年06月16日(水)

 何度もYoutubeでスマトラ沖地震の津波映像を見ているが、百年か五百年に一度の経済恐慌のイメージとして見ると、
現在の置かれている立ち位置が見えてくる。マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が
流されていく映像を全国放送では流せないが、Youtubeでは次から次へと生々しいのが出てくる。
津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。そして、気づいた時には大波に流されていく。 
映像は、あどけない子供が大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・・
 この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震を震源とした大津波が日本に押し寄せている。
「輸出産業の拠点として名古屋が、金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。
その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れることになったが、もっと酷いのが地方経済。 
現在、政府が中小企業への緊急金融救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。
 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波でしかない。それでも、この惨状。
そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。
 二年後にはハイパーインフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では消費税の値上げも・・・。
もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業はコスト増で立ち行かなくなる。 どうなるのだろ?
とはいえ国家も大幅な税収減で、それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。
Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。

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2994、筆談ホステス
 2009年06月16日(火)
「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、ママには「美人系」と、
「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン?
と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目に
とまったのだろう。聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 
私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。クラブなどで言葉の替わりに筆談で
御客を惹きつけるのだから大変なことである。その大変な中から本人は言葉の持つ魔力と、不思議さを体験の中で知ったのである。
お客にしても、筆談などの経験は殆どないだろうし、私もない。もし近くにあるなら 「行ってみようか」
と誘われれば行くだろう。  アマゾンのHPに、この本の紹介文がある。
 ―「筆談ホステス」 斉藤里恵著 ー
 「内容紹介 ー聴覚障害を持つ青森一の不良娘が独自に編み出した“筆談術”だけで銀座NO.1ホステスに成り上がる
苦闘のすべてを描いた感涙必至の青春ストーリーです。青森の厳格な家庭に生まれ育った里恵さんは現在25歳。
≪字数制限のためカット 2010年6月16日≫
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2630, 閑話小題 
 2008年06月16日(月)
  *台風と地震が何で土.日曜日に多い?
統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。特に台風は決まったように週末である。  
最近では地震まで御付き合いのようだ。中越地震が土曜日、去年の能登地震と中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日。
(中国の四川地震とミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である)偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。
  *ワーキング・プアのテロ?
アキバの大量殺人事件、ワーキングプアの若者のテロ?と思った。
テロは政治的、宗教的な原理的信念のもとで行われるから、これはテロではない。
挫折と孤独と、厳しすぎる父親や、希望のない職場への暴発である。 ネット劇場型犯罪である。 
職場を転々としているうちに、滑り台を降りるように歯止めのない絶望感が育っていったのだ。
彼の優秀な弟も、挫折をして高校中退しているというから、ゆとり教育の敗者の姿といえる。
それが僅かではなく、若者の多くの傾向というから大きな問題である。
一度滑り台に乗ってしまった人は、元に戻ることは難しい時代になっている。
  *「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断
先日、最高裁が、ヤミ金元本も返済不要とは、思い切った判断をしたものだ。「ヤミ金は反倫理行為の手段として、
違法行為として貸したのだから返す必要がない」とは、最近の裁判所としては、英断である。これで、ヤミ金は危ない犯罪として
大幅に減るのか、それとも、更に巧妙に成るのか。ただ借りる方からすればヤミ金も無くなり犯罪に走るケースが増える?
これも過去に遡って適応すれば、ヤミの連中は震え上がるだろう。 ただ、得体の知れない死体が東京湾に多く
浮かぶことになる可能性もあるが。
・・・・・・・・・
2007年06月16日(土)
 2265, 動物が家畜化されると、どうなる?          *´・ω・)ノはよー!
 動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、
 文化(檻ーおり)を発展させてきた不思議な生き物という。
 ー家畜化した動物の特徴は
・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。
 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。
・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。 >(^┰^;)ゞ
 例えば、野生の羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。
 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、
 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。
・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。
 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。
・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。
・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・
 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。
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 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。動物は自然環境の変化に対して、
 自分を変えて生き延びてきた。それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。
 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。
 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、五感が退化して
 頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、最後はそれで滅びていく憐れな
 生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。
 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と!
「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・
  ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい?
(*^_^*)!!o(”>_<)っ( ̄(●●) ̄)  と気づいた次第であります!
                                       *´・ω・)ばあい?!
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2006年06月16日(金)
 1900, グーグルアースが凄い!
             おはよ?!(*^ワ^*)i
数日前にグーグルアースがバージョンアップした。
・画面鮮度が3~4倍のアップ、
・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。
 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。
 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。
 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」
 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。
 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。
使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。
最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。
「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。
別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に中古のパソコンを与え教えようという運動がある。
知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」      (。・ω・)ノバイ 
  ーー           
 以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。
(字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日)
 ーー
2006/04/07
 1830, あちら側の世界 ー8       (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
月の視線の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。
もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛回っているような錯覚になる。
殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。使ってみると、リアルな感覚になる。
「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、インド沖の大津波の写真、アメリカの本土の
ステルス(飛行機)まで紹介されていた。数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」
という記事が載っていたが、これでは問題になるだろう。世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。
北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。 原子炉?らしき写真もあった。
大都市圏以外は地形認識までしかできないが、有名観光地にはクリックをすると、その情報の入った小さな箱が貼り付けてある。
検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、誰でも無料で見ることができる。
この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、
マップで日本中の都市圏の場所に矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を紹介をするサービスがある。
 現在は地図だが、近い将来は写真になるのだろう。アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが、
実際は顔の認識まで可能という。最近の映画のスパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が実際に個々人で使えるようになった。  
「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。
ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー
 ーー
このソフトを開発した米キーホール社のジョン・ハンケ最高経営責任者(CEO)は「グーグル・アースは、いわば地球を眺める
ブラウザーを作ることを目指している。(われわれの使命は)グーグル・アースを地球の仮想モデルにすべく最大限の努力をすること」
と語る。こうした目的を達成する最善の方法は、ソフトウェアのプログラマーが考えもしなかったような場所や建物に、
ユーザーが無数の標識を付けてデータベースに収めてくれることだとグーグル社が考えているのは明らかだ。
 ユーザーはここ数ヵ月、米国のほぼすべての場所の地図を素早く簡単に検索できる
『グーグル・マップス』に夢中だった。このサービスでとくに人気があるのは、衛星写真を眺められる機能で、
家並みや市街の詳細な画像が閲覧できる。また、オープン・アーキテクチャーを採用しているので、ユーザーは、
グーグル・マップスと『クレイグズリスト』のようなサードパーティーのサービスを組み合わせた想像力豊かな
工夫(日本語版記事)を加えられる。 グーグル・アースは、グーグル・マップスの強化版だ。 
グーグル社はまた誰でも詳細な情報を追加できるようにすることで、工夫の要素をグーグル・アースに組み込んでいる。
 グーグル社が昨年、衛星写真を提供するキーホール社を買収した際に獲得した多数の技術的工夫やタグが、
グーグル・アースにはすでに組み込まれている。キーホール社はユーザーのコミュニティーに世界中の場所や
建物について知っているデータを投稿するよう勧めていた。ある工夫では、地図情報とコロラド州ボールダーの
路線バス・システムのデータを組み合わせ、ボールダーを走るバスの位置を3次元地図上にリアルタイムで表示する。 
他にもたくさんの楽しみ方がある。米国の灯台を巡る旅、カリフォルニア州マリン郡のおすすめハイキングスポット、
ヨセミテ国立公園の特選キャンプ地、ポーランドのグダニスクにある中世の建造物。   ー°)バイバイ!
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2005年06月16日(木)
1535, 秘境探検家の「幸福論」ー1
(字数の関係でカット2009年6月16日)
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2004年06月16日(水)
 1170, 哲学についてー4
ー近代科学の芽吹き近代科学が16~17世紀にかけて登場してきた。新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。
まずはポルトガルのコペルニクスである。宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に解明
できなかった問題が多く解決できると指摘をした。地動説である。それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いて
あったことを根本的に否定することになった。そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。
キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。
しかし彼は有名な言葉をつぶやく「それでも地球は回っている」と。次に史上最高の科学者アイザック・ニュートンがあらわれる。
1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。彼はそこでリンゴを落下させるために働いて
いる力は、月を地球に引きつけている力、地球を回らせている力と同じであると気がつく。
近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が薄まってくると、哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。 ーつづく
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2003年06月16日(月)
 803、50歳の頃ー1
 ー60歳までの人生
曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。丁度私が50歳の時であった。
50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンの
キャンプ場で、夕陽を見ながら息子と日本酒を飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。
その時に考えたのは、「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう!
『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。
・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう  等、生き方を変えようであった。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。
本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。
しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心」は良いのではと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。
「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。
その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今も
こうして生きている。短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」
かなり深い人生の示唆であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、
尚のこと心に響いた。 あと2年半で、その60歳に近づきつつある。「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることができるのではないだろうか。
そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に飛び出せる
のではないかと考えている。 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどでアフリカや
中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
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2002年06月16日(日)
 439,随想日記の不思議
毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 
それが何か非常に気持ちが安定するのだ。心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。悪趣味?といえば、
そうかも知れないが、見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。
書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」のような不思議な
感覚を受ける事がある。ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。もっと面白いのは過去の自分の文章。
読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の
心のメルクマールになる。過去に日記を書いておけばよかった。反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。
学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。
書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある? メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、
発散でもある。一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。思考の再深耕が容易になる。
ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。
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2001年06月16日(土)
 [54] つれづれに
朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。
更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。ホームページを開いてから、毎日が楽しい。
パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあいコミニケをしているという。
女性だからできるのだろうが、ある意味で理想に近いコミニヶだろう。
もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。
自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。


3368, ユーストリームの世界

2010年06月15日(火)

 ツイッターに驚き、Youtubeに驚き、とどめはユーストリームである。
実はツイッターを始めた頃に、「生中継サイト」があってよいし、できるのも時間の問題と考えたが、既にあったのである。
ツブヤキだけでなく、映像の生流しもと・・・ フクロウや鷹の巣に設置されたカメラの生中継にまず驚いた。
他にも漫画家の制作中の漫画や、ある街角の道路や、ボクシングだったり、色いろある。
 若い女性が自分のパソコンのカメラで語りかけているのに対して、チャットで数秒単位で複数の男?が書き込んでくる。
その両方を生中継をしているのである。何か異様な世界に紛れ込んでしまったようである。 恐らくアダルト系も?。
iPadなどのタブレット式パソコンが普及したら、街角に溢れて、「こんな面白い画面が・・・」となる。 
ツイッターが140文字のツブヤキの垂れ流しに対して、これは映像の垂れ流しである。 国会中継も、野球中継も、
個人から発信可能になる。 飲食店やスポーツジムなどが販売促進として、店内を生中継をするには良い。
またメガネやサングラスに極小のカメラをつけた生中継も可能である。 そういえば、以前に隼の頭にカメラを据えつけて
飛ばした映像を見たことがある。時速200キロ前後で林の間を飛んでいる映像は自分が飛んでいるような錯覚になる。 
独り住まいの老人の家庭の監視にも応用できる。 中高年のネット難民と若者の差は大きくなるが、iPadで何とかなるか?
 この十年の時代の変化は激しい。その根は情報革命。これでは小松左京でないが、SF作家もついてはいけない。
しかしツイッター、Youtube、ユーストリームは面白い! 恐らく近い将来スーパーが店内のコーナーがことに、
カメラを据えて中継するネットスーパーが本格化するだろう。 面白い時代である。
  ≪偶然の一致だが、以下は、この文章に関連している≫
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2993,アトムの七つの力
 2009年06月15日(月)
 鉄腕アトムは1951年に登場したというから私が5歳の時。美空ひばりの歌が聞こえてきたのと同じ頃である。
最近、アトムが再び見直されてきている。 その手塚治も現在のIT化をみたら、驚くはずである。
 ー ウィキペディアによると・・・ ー
 電子頭脳(CPU)の記憶容量は15兆8千億ビット(約1844ギガバイト)。
身長135センチ、体重30キログラム。ちなみに電子頭脳は頭部ではなく胴体内上部に設置されていて、
頭部は単なる飾りとされた(透視図では頭部にセンサー類が集中しているようだが、作中では頭部が外れてしまったり、
無しでも活動可能な描写があり、胴体にもセンサー類は搭載されているようだ。 彼が登場した時代は、2003年。
まさに現在である。 最近、色いろのロボットが出始めてきているが、自分で考えたり、心も持つまでには至っていない。 
しかし、彼には、七つの特別な能力があり、1963年、1980年、2003年と、その能力は変わっている。
  * 1963年アニメ第1作(モノクロ版)
1、どんな計算も1秒でできる電子頭脳。 2、60か国語を話せる人工声帯。
3、普通の1000倍も聞こえる耳。2000万ヘルツの超音波を聞き取りが可能。
4、サーチライトの目。      5、10万馬力の原子力モーター。
6、足のジェットエンジン。    7、お尻からマシンガン。1秒間に500発撃てる。
  * 次の1980年アニメ第2作になると
1、胸の中に電子頭脳セット。60か国語を同時通訳ができる。  2、耳は音を1000倍に聞ける。
3、サーチライトの目。   4、10万馬力の力。重水素燃料による核融合エネルギー。
5、腕と足はジェットで空を飛べる。 6、腰の中にマシンガン。1分間に600発撃てる。7、レーザーブラストの手。
  * 2003年ASTROBOY版
1、高度な人工頭脳。  2、人間の1万倍の聴力。  3、透視能力を持つ目。  4、10万馬力の力。
5、足のジェットで空を飛べる。  6、指にフィンガービーム。  7、腕にアームキャノン砲。
 ーー
 以上だが、個々を分解をすれば60ヶ国を話せる人工声帯以外、現在では実現をされている。
ロボットとして飛べないが、グーグル・アースで世界の空を何処へでも飛ぶことも可能になった。
またインターネットでテーマを設定すれば興味があるもの同士が話をすることも可能になった。
アトムに近いロボットが出現してないとしても、ほぼ似たような機能が、我われの近辺に出現しだしてきた。
パソコンのインターネットと検索機能、携帯電話、iPod、ナビ、など、一昔からしたら想像を絶する機能である。
 手塚治は60年近く前から、現在が見えていたのである。 
現在から60年後は、どうなっているのだろうか? 実際に人類が果たして存続しているかどうか?
いや、情報化などで情報、知識がいきわたり、よりクールな、そしてウォームハートな世界が出来ている?
 恐らく、後者だろう。私にしては楽観的であるが、それだけ情報化社会は可能性がある!ということである。
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2629, 世界バブル経済終わりの始まり ー3
 2008年06月15日(日)
第二章は、投資の最近の基本的な常識が項目ごとに書いてある。まずは第一章のように、項目の言葉をつなげてみた。
「大金持ちの投資家以外は、何かに集中しなければならない。それもまだ脚光を浴びてない将来性のあるものを探し出すこと。
ただし焦っての駆け込み投資はさけること。独り自分の確信を持てたものを長期的に保持し、儲けることである。 
ヘッジファンドは、投資先をブロイラーとしてしかみない。 太らせて目先利潤を得ればよい。
アナリストの予測は、ホボ当たらないもの、自分の目で調べ探し出すこと。」
 目次に感想を入れてみた。
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第二章 いまはすべてを手仕舞って備えるとき!
*いったんすべての投資を手仕舞え         
 ・「分散投資」は 金持ちのためのもの  =一般の数千万そこらの小金持ちは、一点集中するしか
   利益は得ることが出来ない。当たり前といえば当たり前だが。            
 ・日陰の銘柄でなければ儲からない =まだ脚光を浴びてない株を自分で探す当てなければ。
 ・ 割高で売り、割安で買い戻す     
 ・マーケットは、上がっても下がっても儲かる 
 ・駆け込み乗車禁止 次のバスを待て =人の儲けを見て、自分もでは遅い。自分で探し当てて仕込むしかない。
 ・データーやチャートより企業のトップを見る =トップを見抜くには、それなりの識見がないと。
 ・情報は現場で直に入手する =自分の使っている商品や、因縁ある人の関連していて、見込みあるかどうか。
 ・赤信号は一人で渡る   =皆が一緒にでは儲からない。
 ・ゼロ金利の国は経済力がある 
 ・どこにでも「インチキ」が溢れている = だから難しいのである。
 ・「儲かるかどうかか」こそモラル  =相撲でも勝ってこそ、弱ければモラルも何もない。
 ・へッジファンドは、未来に興味ない =だから恐ろしいのである。
 ・三角合併は外資企業のために
 ・会社は、もはや、ブロイヤーと同じ =目先、太らせて売りぬくしか考えてない。
 ・アナリストの予想は七?八割誤る   =たまたま当たったのをオバーに騒ぎ立てているだけ。
 ・金利が上がると株価は上がる  
・・・・・・・・・・
2007年06月15日(金)
2264, 閑話小題          (*´・ω・)ノはよー
 ー都銀の地方攻勢が始まったー
 都銀が数年前から地方に本格的攻勢をかけてきて、その玉突き現象が地銀以下の銀行に起きている。
金融庁から中小企業への貸し出しを指導されたことも背景にあり、都銀が地銀のリストラにあった
管理職を採用、彼らのテリトリーへの優良取引先を狙い撃ち、貸し出しを切り替えている。
そのため地銀が信金などの顧客に攻勢をかけ、玉突き現象が露わになっているようだ。
床柱意識から抜け出てない上に、合理化が進んでいない体質が自己存在の意義を問われ出したのだ。
 ーまた、中学校の同級会ー
 一昨日、長岡のホテルのビア・ガーデンで中学校の同期の面々の同期会に出席した。
新潟で3ヶ月ほど前「中学校の同級生とランチするから出てこない!」というメールをもらい、
2時間近く世間話をしてきた。先月も幹事になって、「病のY君を励ます会」を開いたばかり。
その時は高校のメンバーが中心だったが、今度は中学校が中心である。三ヶ月続けてということになる。
家内は結婚して以来、一切そういう会に出たことがない人。「アンタがた、変なんじゃない?」と怪訝な顔。
同級会・同期会は、なるべく出席するのをモットーにしている。仕事関係や、ライオンズ、商工会議所、
商業会など一切でないので、学校関係ぐらい出ないと地方では行く場所がなくなることもある。
それでも構わないが、年齢を立場を忘れてタイムスリップするのが面白い。
 ーサプリメント依存症ー
 ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫
・・・・・・・・
2006年06月15日(木)
1899, 結婚の三条件ー2
              ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
反対に結婚してはいけない三高条件と三低条件を体験から考えてみる。
こういう場合は、ごく身近な人のマイナス面を観察すればよい。
ドキッ! 私の主観が入りすぎているが?
 ーまずは三高とは?
・高コスト   ー金のかかる女 (稼いでくれれば、まだよいが)
・高プライド  ープライドのみ高い女(中味の薄さを、身近の人の批判でカバーしようとする)
・高依存症の人 ー常に判断を相手に求め結果のマイナスを攻撃する人(高コストと重なるが、高ブランド依存症である)
 早くいうと教養のない人?
 ー三低とは?
 ・低い品性       ?親の躾と生活情報が入っているかどうか・・
 ・低い夢しか持てない人 ?現実に溺れすぎている人
 ・低い趣味       ?本当に好きなことを求めてきたか・・    
  さらに低い知能もあるが・・・
誰も?大部分が当てはまるから、これ以上書くと問題になるか?いや、それよりも自分の姿が重なる?
人生は、選択した職業と、連れ添いと、ライフワークとしての趣味の質量、で決まってくる。
職業は生活の為とか、工夫によって何とか適応できるが、結婚だけは10年20年経ってみないと、分からない。
だから、せめて前提条件を見定める必要がある。両親をみれば半分は分かるが、あとは神のみぞ知るである。
神は一番相性の悪い相手を与えて、人生のレッスンをさせるらしい!毎日、よいレッスンをさせて頂いてます。
・・・・・・・・
2005年06月15日(水)
 1534, わたしの酒中日記ー8
ーミニ能登旅行 1972年4月某日
今朝、急に思いたって観光バスで「能登一周コース」を、まわってきた。50人乗りのバスに、乗客が12~3人位。
車内がゆったりしていたこともあり楽しい一日であった。金沢駅から出発、金沢港近くを通ってしばらく経った後、海岸線に出る。
何と波の打ち寄せる際の砂浜をバスが走るのだ。今まで、海岸線が道になっているのは初めてである。
こんなのが、日本にあるとは全く知らなかった。「千里浜なぎさドライブウエー」というが、能登の情緒がそのまま出ている。
しばらく走ると海の家の前に止まり、そこで「サザエのつぼ焼き」が出された。その景色の中で食べる味が何とも良い。
ビールを一本買って飲んだが、その美味しい。まだ4月のためか風は寒く波が荒いが、天気が良いこともあって風情があった。
数ヶ所名所を観た後に、輪島に到着。そこでは有名な「朝市」を覘いてみる。昼近くに着いたが、殆どの店はまだ開いていた。
風情のあるオバサン・オバアチャンが、それぞれの個性を売りにしている。帰りは、逆に富山寄りのコースになっている。
七尾と数箇所を観て、最後は金沢駅で解散。観光バスは気楽に最短のコースをまわってくれるからよい。その後、
駅の地下のおでん屋に寄る。いつも帰省する時に寄る店で、何げないオデン屋だが有名店である。ここの土手焼きと
オデンとハンペンが絶品で、また焼き蛤が美味しい!何ともこたえられない店である。そのあと香林坊まで移動、そこで一人
飲むことにした。初めて入る店で、少し高級そうなスナックである。靴を脱いで入る店だ。中は幌馬車内をモチーフにしてある。
初めてみる異様な雰囲気を漂わせている面白い店だ。ママとホステスは、ウエスタン・スタイルで、何か西部の田舎町に来ている
ような錯覚をしてしまう。薄暗いカウンター内に、赤い顔文字のネオンが印象的だった。
アメリカのウエスタンの片田舎にいる!という感覚になる。今度、誰かを連れてこよう!とにかく金沢は何処もあか抜けている。
今日は一日としては、充実をした時間を過ごせた。こういう急に思いたって一人でする旅は、自分を開放してくれる。
小さな籠から飛び出し、小さな自由を満喫して、再び籠に舞い戻った鳥のようだ。来月は金沢市内の観光バスに乗ってみよう。
面白そうだ。まだまだ、市内で知らない場所が観光ガイドに多くあった。金沢は、富山に福井に能登に加賀温泉、
そして金沢市内に多くの観光資源が豊富にある。そういえば、一昨年も四日市にいた時に紀伊半島を一泊旅行をした。
尾鷲に一泊した列車旅だった。まだまだ、学生時代を背負っていた。また四日市を去るとき、同期の連中と尾鷲と伊勢に
「お別れドライブ」をした。に変なことを思い出した。渡辺、西尾、桜井、私に、女性が二人いた。
その一人と西尾が結婚したと、桜井から聞いた。彼らは一番初めに配属された職場の連中だった。
いろいろあった。昔を思い出すには、まだまだ早い!明日は、結婚で辞める藤井さんの送別会だ。
・・・・・・・・
2004年06月15日(火)
 1169, 秘境・異郷ツアーレッスン ー1
過去にいろいろ秘境・異境ツアーを書いてきた。この随想日記の引き出しのコーナに「秘境・異境コーナ」をつくる予定だ。
そのための前段として、このテーマで書いてみる。このツアーから学んだものは、あまりにも多い。
今まで書いてきた文章を読み返してみると、想像をはるかに超えた自然や遺跡や文明に出会い、感動をしてきた痕跡が
記録してあった。実際にこの目で見て肌で感じ取ったことは心の奥底に残るもの。
「うあ?、何じゃこりゃ!、この地球上にこんな世界が実際にあるんだ、知らなかった!」と何度も何度も思ったことか。
そこで何よりも感じたのは、世界の広さと、自分の小さな世界である。自分の満足や不満のことなど、
この広い世界からみれば些細なことでしかないと実感できる。世界では人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかを
つくづく悟らされる。旅行は人間を謙虚にさせてくれる。10日から半月の旅行でも、秘境に行くには莫大のエネルギーをつかう。
一回の旅行の経験ごとに、間違いなく自分が成長していくのがわかる。自分の世界が広がり、それだけ内面が深耕していくのが
よく解るのだ。そこの大自然に感動するのは、自分がそこに同化したことであり、自然の中にある霊性と自分の霊性がつながる
ことになるのだ。それが精神の若返りの秘薬になる。多くの旅に出かけたところで人生観が変わっても人格は変るわけではないが。
「世界は一冊の本と喩えると、旅をしないものはその本を一頁しか読めない」という。まだまだ、これから先のページが
多く残っている。旅をするのは到着するためではなく、そのプロセスこそ意味がある。そのすべて楽しみに引き上げることだ。
人生と同じである。秘境旅行という本を1ページごと読み続けている限り、連続線の旅行をしていることになる。
それだけ、私にとって強烈な体験でもある。 成田で、飛行機に乗ると逆に「ああ旅行に帰ってきた!」
と思ってしまう。 それだけ私にとってインパクトの強い経験である。
ー10年前の文章をコピーしておきます。この時16回と書いてあるから、現在41回とすると、10年で25回も旅行したことになる。
 ーー
 H0603 海外旅行について
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の大きな趣味の一つといってよい。海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。それぞれ全てがすばらしい。
≪字数制限のためカット2010年6月15日≫
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2003年06月15日(日)
802, サッカー観戦記
先日、知人からサッカーの招待券を貰った。アルビレックス新潟とサガン鳥栖の対戦である。こういうチャンスはめったにない、
行くことにした。昨日ー6月14日、場所は新潟市の駅裏から数キロ先である。去年のワールドカップの為につくった
新潟スタジアム、一度見てみたかったから丁度よかった。雨が気になったが終了後、車に乗ったと同時に降ってきた。
もっとも雨よけがあったが。キックオフが14時、その30分前に着くように出かけたが、車の渋滞で開始後30分後席に着く。
初回は一時間前につく予定を立てるべきであった。やっとたどり着くと会場から、唸りのような歓声が聞こえてきた。
観客席に座った時には、アルビレックスがすでに一点を取られていた。何とも会場の大きなウネリのような歓声が凄い。 
その世界に一瞬に吸い込まれてしまった。招待席は相手チームの席、といってほとんどが地元の人たちであった。
若い人ばかりかと思っていたが、年代層は広い。3万4千人の入場者と場内放送でいっていた。 試合は一点リードされていた
新潟が後半に逆転、2対1で勝った。攻めまくった新潟がなかなか点が入らず会場が苛立っていたが。
それでも試合の後半に新潟が2点を入れて逆転、非常に面白い内容であった。これで引き分けを挟んで四連勝である。
サポータが熱くなるのも解るような気がした。あの熱気の世界も一度経験しておくと良い。最近は何事も経験と、
チャンスがあれば何でも参加するよう心がけている。今度は後楽園で巨人戦にいってみたいと思っている。
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002年06月15日(土)
 438, 因縁についてー与三八さん
私の仲人の名前である。私が八郎ー兄が三郎。兄は男で3番目、私が兄姉の8番目で八郎になった。
多くて最後の方は面倒だったのか、戦時戦後のドサクサでじっくり考えている余裕がなかったのだろうか? 
シンプルだ。兄も私も嫁さんを与三八が紹介してくれた「仲人」である。三八に与えるで与三八である。
そのことに気づいたのは、結婚して数年経ってからである。本人に「自分の名を宿命と考えてか、ブラックジョークと考え
意識して紹介したのか」と聞いた。本人はエヘヘと笑って答えをはぐらかした。まあ面白いものだ。
話が変わるが、最近はあまり行かなくなったが7?8年までは、よく経営セミナーに行った。
会場の席とか食事等で隣席の人と話すと何処かで因縁がある事が多い。またかと思うほど何処かで繋がっている。
確率から考えて異常に多い。何かがあるのでは?目に見えない? あるセミナーで聞いたが、
「集まりで同じ姓名の人が集まる確率が、理屈ぬきで多い」という。また誕生日も月単位で同じ人が集まるという。
会社も斎藤だったら斎藤が集まるという。 以前プロ野球で国鉄で、「田」のつく人が異常に多くて話題になったことがある。
金田投手のいた頃だ。 自分の名前は大事だ。名前で無意識で縛られている事が多い。
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2001年06月15日(金)
 [53] 北欧ロシアに決定!
朝スイスに決まっていた旅行、急遽‘北欧・ロシア’に変更。理由は「迷った場合は先に行っていたほうがよいほう選定基準にする」
である。スイスも捨てがたかったが‘モスクワとサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館’と
‘北欧の大自然’が捨てがたかった為だ!ぎりぎり迷い判断するから、後で後悔が少なくて済む。ぎりぎり迷うのも旅行前の
楽しみの一つだそれだけ多くの情報を真剣に探し、その世界に入るからだ。あと三週間今からが呼吸を整える時期になる。
たまたま朝、決断後書いた文章で、一度ホームページに載せた後に削除した内容である。


3367, 大不況で世界はこう変わる!  −2

2010年06月14日(月)

 * ネットワーク型資本主義
 ここで、榊原は、キーワードとして、「ネットワーク型資本主義」と表現をしている。
アマゾン、ヤフー、楽天、マックなどの出現から知ることができる。私の最近の買い物の半分はネット購入である。 
アマゾンン、価格ドットコム、楽天、ヤフーなどを通し購入、週に二日は宅配便が来ている。
ネット販売は既に百貨店業界や、コンビニの売り上げを越えている。 これにiPadなどのタブレット型情報端末が普及すれば、
ネットワーク型資本主義の時代の姿は鮮明になる。それは、もうアメリカ型資本主義の象徴である大量生産・大量販売の時代から、
ネットワークによるモノの交換の時代になっていくのである。ネットで市場で農家の奥さんが直接、お客に売る時代に
逆戻りをすることが可能になる。この著で一つの事例を上げている。 オイシックスという企業は農家1000軒あまりと契約をし、
ネット販売している。ここは注文があってから収穫し、新鮮な野菜を三日以内に届ける他、カタチの不ぞろいな野菜を扱う等、
オイシイということを基準に価格を三割程度低くして販売している。こうした新しい試みは、野菜の色と形を基準に仕入れをする
スーパーマーケットの方式に対する挑戦でもあり、いわゆるスーパーマーケット文明を壊していくポテンシャルを持っている。 
スーパーマーケットは、その効率と低価格で八百屋や魚屋、肉屋などに取って代わっていったが、オイシックス等は
新しいインターネットという技術を使って、二十一世紀型の八百屋をつくるという試みだということができるのでしょう。 
家内が最近、米を近くのスーパーや米穀店からネットの米屋に注文をかえた。 この方が価値があると判断したからである。 
そういえば最近、ヨーカ堂のネット注文の配達の車を見かけるようになったが、この傾向が更に強くなるだろう。 
 情報化が世界を根底から変えようとしている。その一つが、この恐慌である。 21世紀世界の創造の前の破壊である。

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2992,転機を迎えた受験ビジネス
2009年06月14日(日)
 * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。
早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。
中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない
63人だという。私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を
示すことになった。 来年度からは男子だけを男女共学にし、寮も取り入れ全国からの募集に切り替えるという。 
早稲田のブランドが落ちたのか、不景気なのか? 早稲田当局からみたら、横面を殴られたような気分だろう。
 また日本の大学より直接、アメリカのハーバードに受験する事例もあげていたが、私の知人の息子が直接、
アイルランドや、オーストラリア、カナダなどに留学している。それも本人が、そうしたいというから行かしているという。 
まあ、良いことである。 H20年度で私立大学の47パーセントが定員割れになり、3分1の34パーセントが赤字倒産の危機である。 
 少子化、不景気、価値観の多様化などで大学経営も、いずこも厳しい時代になったのである。
昨年の11月に駒沢大学が、財テクの失敗で154億円の損失を出したと、大々的に報じられた。慶応大学もH21年・3月期で
保有有価証券の含み損が366億円という。果たして経営学を教えてよいのかと疑問が出るが、時代が変わったのである。
 しかし、少なくとも3倍位はあって然るべきなのに、驚きである。
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2628, 日本経済、どん底への転落
 2008年06月14日(土)
 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが
読んでみたいとおもっていた。それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 
 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、
黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、
かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。
そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。
本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書。
 (目次)
第1章 明るさが見えない低迷       第2章 変換を迫られる経済政策
第3章 下落する経済の恐怖        第4章 「もの余り」社会から「もの不足」社会への転換  
第5章 国際収支の赤字と資金の不足    第6章 悪性インフレへの転落
第7章 少子高齢化が加速する下落     第8章 再発展を目指して
第9章 日本の将来のために
 ――
解)
「日本経済インフレの危機」(2007年)「銀行の錯覚?いまこそ正道に立ち返れ」(2006年)
「耐乏なくして再生なし?日本経済・復活のシナリオ」 などで何度も今からでも思い切った支出の削減と、消費税のアップを主張。
≪字数制限のためカット2010年6月14日)
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2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは     ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、色いろな部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。過去は打ち消すことが出来ない。
過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。未来への意思は「いま、ここ」の中で頑丈なものにする。
真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、それまでの生き方が問われる。
その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。 準備。
この成果が重要というより、前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。    50歳代か?!  面白かった! 
                   ヾ(´Д`、)マタネ
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2006年06月14日(水)
 1898, 結婚の三条件
     \(^▽^*)おはようございます!         (*^▽^)/
息子も結婚の適齢年齢になってきたが、最近の結婚条件が以前の三高から3Cに変化してきたという。
 ーその3Cとは、
Comfortable(快適な)   - 今の生活水準を落とさない十分な収入。
Communicative(理解しあえる、通じ合える)  - 価値観やライフスタイルが一緒。
Cooperative(協力的)           - 家事や育児に協力的。
バブル期の「三高」(高学歴、高収入、高身長)と比較すると、「高収入」は変わってないが他の条件が
「個人的な快適さや満足感」に変わっている。
女性が「自慢できる夫」という見栄より、「ラクさせてくれる結婚相手」を欲しがるようになった。
自分の満足を追求する時代の風潮であろう。 それに加え、最近では「三低」が求められるという。
「三低」とは、
・低姿勢   ーレディーファースト
・低リスク  ーリスクの低い安定した職業(公務員、資格保持者など)
・低依存   ー束縛しない、お互いの生活を尊重の男性         
これは男性に対して言えることではなく、女性に対しても要求されることである。
こういうことが情報化社会で知られると、男女の結婚難の原因になる。
そんな男女何処にいるの?と考えてみたら、共働きなら、そうせざるをえないか、前提条件になる?
それでは、自分は如何であろうか?三高なら適応しないが、3Cと三低なら、大筋は合致している?いやしていないか!
低姿勢は、三十数年の間に躾けられた?結果でしかない・・・
低リスクは最近怪しくなってきたか? 低依存は、ただ無視されているだけか!
ー結婚を迷っている人に告ぐ!
 鏡をジックリみて、 自分の履歴書をみて、自分の両親をみて、冷静に自分を判断しなさい!
 貴方は特別な存在ではないのです。自分を評価しすぎるな!ただそれだけである。但し 卑下することもない!
                 (自分のこともだが)                 (。・∀・)ノ゙バイ!
・・・・・・
2005年06月14日(火)
1533, タイソンの終焉
一昨日の昼、タイソンとマクブライトとの(ノンタイトルだが)、ボクシング・ヘビー級の一戦がwowowで放映された。
6回終了後、試合放棄でタイソンが敗れたが、試合後のインタビューでは涙を流して、「もう気力が出てこない!」
と言ったのが印象的であった。一時代を築いた男も、これで終わり。相手のマクブライトは、明らかに2流選手。
肉体は贅肉でブヨブヨ、2メートルの巨体で出来る戦術は小柄のタイソンに覆いかぶさって肉体的な疲れを待つだけ。
それに引っかかった平凡な試合であった。あの肉体に突き刺すようなフックやパンチは影を潜めていた。終わりはこんなもの。
あと数日で39歳というから丁度引退時期。20年前の野獣のような試合も、今は昔の話。解説者のコメント
「野獣が人間に戻ってしまった!」が、言いえて妙である。日本での、まさかのKO負けや、イベンダー・ホリフィルドの
激戦を思い出す。あるHPに歴代のヘビー級の強さのランキングがあった。もちろん時代が違うので、主観なのだろうが。
タイソンと、ロッキー・マルシャーノが入れ替えれば、こんなものである。やはりモハメッド・アリは一番である!
そういえば、この試合の前座でアリの娘が女子ヘビー級の試合をしていた。娘が勝ったが、アリ本人も会場にいた。
このHPのランキングの殆どの選手を子供の頃から知っていた。当時、ボクシングと野球と相撲ぐらいしかスポーツはなかった。
丁度、白黒TVが出はじめた頃に、ジョー・ルイスや、ロッキー・マルシアノなどの過去の映像が流されていた。
 現在は、歴代に残るようなスター選手はヘビー級にはいない。
 ーーーー
ー歴代ヘビー級ランキングー
 1位 モハメド・アリ  2位 ジョー・ルイス  3位 マイク・タイソン  4位 ジャック・デンプシー    
 5位 ジョージ・フォアマン  6位 ジョー・フレイジャー  7位 ジャック・ジョンソン
 8位 ロッキー・マルシアノ  9位 ラリー・ホームズ  10位 イベンダー・ホリフィールド
ーマイク・タイソンー
スーパースターの光と影。スポットライトを浴びる量が増えれば増える程、影もまた大きくなっていく。
マイク・タイソンほどその影の部分が強調されるボクサーもいないだろう。
マイケル・ジェラルド・タイソンの世界デビューはセンセーショナルだった。
86年11月トレバー・バービックを鮮やかな2回TKOに下し、WBC世界ヘビー級王座へ。
20歳4ヶ月の史上最年少ヘビー級王者が誕生した。アリ・ボクシングに欠けていたもの?
パワーと迫力を再びヘビー級に持ち込んだタイソンの登場は、時代の潮流として必然だったのかもしれない。
87年にはWBA王者ジェームズ・スミス、IBF王者トニー・タッカーを破り3団体の王座を統一。
90年2月、”世紀の番狂わせ”でジェームズ・ダグラスに10回KO負けで王座を失った。私生活の乱れから、
ボクシングにも狂いが生じたのだった。ついには婦女暴行罪で収監され、4年間のブランクまで作ってしまう。
95年に復活したタイソンは、翌年3月フランク・ブルーノを3回TKOで破りWBC王座にカムバック。
半年後にはブルース・セルドンに1回TKO勝ち、WBA王座も手に入れた。
そして11月ホリフィールドの執念の前に番狂わせの11回TKO負けを喫する。
97年の再戦では有名な”耳噛み事件”で失格負け。ライセンスもサスペンドされた。
99年のカムバック後、順調に白星を積み重ねルイス挑戦も視界に捉える位置に上がって来た。
しかし、ここに来てまた私生活のお騒がせが増えている。
ルイス戦の勝敗の行方は、タイソンの”自らとの戦い”の如何によると言ってもいいだろう。
ー52戦48勝(42KO)4敗1NC。
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2004年06月14日(月)
 1168, 笑いについてー2
笑いについて、度々この随想日記で書いている。動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、笑いの習慣化も可能である。
とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。自分を深刻に考えている時ほど、
可笑しいことはない。深刻な出来事も10年も経ってしまえば、どうでもよい出来事でしかない。
いや、むしろ滑稽とさえ思える事だ。笑いは陽気な客観化をしてくれるし、自分自身の癒しになる。
また笑いは周囲の笑いを引き出すことができる。自分が笑っていれば周囲にも笑いが広がる。
笑いは神が与えてくれた最大の贈り物である。 私の場合以前にも書いたことがあるが、日曜日を笑いの日にしている。
特にTVのお笑い番組みを効率よく使っている。「新婚さん、いらっしゃい」 「笑点」「からくりTV]前日に録画した
「BS笑点」である。笑ってやろうと、待ち構えていると倍は笑える。笑うから、可笑しいということが実感できるのだ。
笑えば心が軽くなるし、消化もよくなる。同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を過ごした方がよい。とくに笑っている時間は
人生で最も貴重な時間帯の一つである。「笑え、笑え、もっと笑え!」笑ってさえいれば、肩に背負った重荷は半減をする。
すべての悩みは、いずれは時間が解決をしてくれる。どこの国でも「ジョーク」がある。日本では落語があったし、
川柳もあった。これは笑いを国民レベルで創作をしていたのだ。この随想日記にも「ジョーク」のコーナーがある。
最近は書き込みが少ないが。まあ一番の笑いは、いい歳をして「お笑い」を見て大笑いしている自分だろう。
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2003年06月14日(土)
 801, 一期一会 「一語一会」?2
「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして「すべての客を一生に一度の出会いとして悔いのないようにもてなしなさい」
という意味である。 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。そうすると、飲み方が変わるのだ。
ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。一回ごと徹底的に割り切って飲む。
店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。
 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。これは酒席だけの事を言っているのではない。
言語学者の西江雅之ー「ことば」の課外授業ーに「ことば」はその場、その時、一回限りである、という趣旨のことがあった。
 ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどいと思われます。怒鳴っていったり、
これも当然違ってきます。また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・
 以上のとおり、ことばも一期一会である。もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。 その意味でー事業百訓というカタチで、
その時々に書き残してきたことも一語一会を記録してきた事になる。この随想日記もそういうことになる。
・・・・・・・・
2002年06月14日(金)
 437,地球に気が満ちている
朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。
一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。ワールドカップはサッカーを通した国家間戦争か。
オリンピックは多くの競技で行われるが、サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。
それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。
数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも俄かファンになってしまう。その為か見ている自分にまでも、
そのエネルギーが流れてくる。地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。これから勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。
フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よい。
・・・・・・・
2001年06月14日(木)
 [52] つれづれに
情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。
共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会?も壊してしてしまった。
情報端末の究極は携帯TV電話だという。これが普及はじめる3?4年先は想像不能だ!
この秋玩具メーカーから7?8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。
これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機になりかねない。
ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。あらゆる場所に固定して置いて、
自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。


3366, 大不況で世界はこう変わる!  −1

2010年06月13日(日)

 「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著)
 ーアマゾンの内容紹介からー
「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした20世紀型資本主義の終焉である。
まったく“新しい経済”が始まる」と著者。 製造業破たんの危機は?  新興国は失速するのか?  そしてドル暴落の危険は?
「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、世界経済のパラダイムシフトを読み解き、
日本に不可欠な経済政策等を提言する。
 軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。
≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を
起こしてしまった。 その被害の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルはそれほど暴落しない。 
米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。 
それは大量生産・大量消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。
戦後からアメリカを追い続けたのが日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から
「ネットワーク型資本主義」へ変える役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。
モノは先進国ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。そこで消費として新興市場国の台頭が求められる。
環境問題と農林水産業が、オバマのグリーン・ニューディールもあり注目される。世界は温暖化・フラット化・人口過密化が、
ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全認識などへパラダイムシフトしていくことになる。 
ここで先進国と新興市場国の環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。
その1つに一神教から多神教的価値観へ、がある。 アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだろうか? 
必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、
道州制より「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ 
 ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。
この10年は、その意味で混沌とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の時代になる。
その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコンなどの情報端末。そしてツイッターやユーチューブや
ユーストリームである。 情報化が人間のあり方を根本から変えていく世紀が21C。 「情報化で世界はこう変わる」である。
 ・・・・・・・・
2991,スナック・ママ の写真集
2009年06月13日(土)
  写真集『スナック』 山田なおこ
 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。
スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、男にとってはグチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、
いつものママが迎えてくれる。10年の歳月をかけ、北は札幌から南は石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した
写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。 
さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の上半身のカラー写真が味がある。
スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、
この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を
撮っておけば良かったと、この写真集をみて後悔している。 ほぼ全てが忘却の彼方。
 この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、気取りがないところが良い。
何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと品定めをして、
愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 
 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。
それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。
優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。
居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 
ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。
 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!                         
・・・・・・・・・
2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2
 2008年06月13日(金)
第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、
その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。
 ーー
真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。
これは今度波状的に世界経済を破壊する。その原因として1996年〜2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在がある。
しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。アメリカの低所得者までサブプライムローンで
住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。
サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。
FRBが金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、
アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。
そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。 その中で日本の生きる道は技術大国として、その特徴を活かすしかない。
NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを発足させ維持に懸命。
しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。
日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。
中国はバブル崩壊、ロシアは資源価格下落で弱体するだろう。株価乱高下がバブル崩壊、大暴落のシグナル。
それは歴史は常にくり返すということで、過去のケースを見ればわかるだろう。
 −−
 一年前としては、なかなか鋭い内容になる。この文脈からみると、現在の原油・穀物の暴騰=バブルも、
この数年で弾けることになる。大小にかかわらず、その金融大動乱の中生き抜くことが最優先しなければならない時代。
 ーー
   ー目次ー       2007年6月5日発行
  第一章 世界同時株安は、世界的バブルの終わりの始まり
    (以下字数の関係でカット09年06月13日)
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2007年06月13日(水)
2262, 「正しいスーツの定義」
                   (゚∇^*)オハヨ♪
図書館で借りてきた本の中に、もう亡くなったファッション・プロデューサーの石津謙介がビジネスの場の「正しいスーツ」
の定義をしていた。今さらスーツの定義ではなかろうが、ビジネスのベースとして知っていていいだろ。
クールビズも、それを猛暑の1?2月間は崩そうではないか!という面ではよいが、あくまでもフォーマルではない。
あの政治家の場違い!を見れば解る。といって、この定義はビジネスのベースで、TPOSで変えてもよい。
  ーー
 *石津の定義の部分を抜粋すると、
ービジネスの場の「正しいスーツ」の定義たったひとつ。
目立ってはいけない。これです。ビジネスの服装に、個性は不要です。
不要というより、あってはいけない。個性は服にではなく、その人の仕事にこそ表されるべきです。
スーツの色は濃厚か、中間色以上の濃いグレー。ようするにドブネズミ。オフィスでは緑や茶系は通用しません。
デザインは伝統的なイギリス調か、落着いた都会的なアメリカ風。
前ボタンは2~3つ。長すぎない袖で、シャツがのぞくように。ネクタイは4本しかいりません。
2?3色の細めに斜めに入ったもの、いわゆるレジタル・ストライブ。 
無地のニットタイ。ちょっとしたパーティにも通用する細かい小紋柄。あとは、余裕があれば色を少しそろえる。
ソックスは意外と目立つものですよ。できれば無地。柄なら伝統のもの。
色はスーツに合わせる。ベルト。穴は3?5個つと決まってます。キラキラの大きなものは関心しません。
濃紺やネズミのスーツに似合うのは、黒い靴です。底はゴム製が最上。革底など意味ないですよ。
 ーー
私が学生時代にアイビー・ルックを流行らせた人がいう言葉だから重みがあるし、
丸の内でのサラリーマンの背広は濃紺、黒で、上記の姿である。
現在では当たり前だが。ビジネスには相手に意識させない服装を!ということ。
クールビズで半袖もいいが、基本はやはり背広である。
  *他のファッション関係の本には、
「スーツの基本は濃紺無地。生地はサージ。非常に良質なものは、着たときに品がよくなるもの。
いいものを少なくてもよいから大事に着るのが基本。ワイシャツは実用的な木綿。中でもアイリッシュ綿がいい。
色は白がいいが、他の色に対する臆病さが表れているようで、もうひとつ冴えない。
紺のスーツには青系の、茶のジャケットにはベージュといった濃淡を合わせるといい。
ネクタイは、服と同色系、服と反対色、この段階を通り過ぎて、勝手な組み合わせができるようになった時、
意外と着こなしも身についている。
 ーー
「カジュアルの基本は濃紺のブレザーと、濃紺かグレーのズボン」と、ファッション関係の本で読んだことがある。
厚めより、四季に着れるもので、少し値段の張った良いものをベースに。
シャツやポロを季節に合わせて変えるといいようだ。服装は、第二の皮膚というくらい大事なものである。
特に歳を重ねれば重ねるほど、気をつけなければなるまい。     ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
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2006年06月13日(火)
1897, 治安悪化
              おはよ?!(*^ワ^*)i
先日、スナックで飲んでいたら一見客の入店を断っていた。最近、周辺のスナックで泥棒が頻繁に入るという。
その前に必ず新規の客として下見に来るので、一見客に、どの店も神経を尖らせているという。
長岡地震後にヨソモノが多くなり、比例して泥棒が増えているという。
よく行く居酒屋も一年ほど前に入られたが、金銭は置かないので被害は無かったとのこと。
  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
(字数の関係でカット2008年06月13日)
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2005年06月13日(月)
 1532, 「おばさん」の定義
図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、チェックポイントがあった。
私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。
「オバサン」の私のイメージでいうと、以下の通りである。
  1.傲慢で緊張感が全くない         2.自己中心的かつ利己的で
  3.他人の噂話が日々の潤いになっている   4.他人の行動が気になり節介をやきたがり
  5.服装が世帯じみていて、アンバランス   6.知性が全く感じられない
「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」と言われると返す言葉もないが。
しかし「何がオジサン・オバサンか」は、自覚をしておかなくてはならない。
その本を目を通しただけでも「なるほど!」という内容が幾つかあった。
服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。
時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、アンバランスになってしまう。
その過去の蓄積度の露出が、オバサン度を高くするという。その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、
放漫のため 気がまわらなくなるのだ。まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。
「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、年齢だからと諦めては駄目!」ということを
聞いたことがある。諦めたと同時にオバサンに転落するのだ。心のクローゼットも整理をしなくてはならないが。
 姉をみていても、オバサン化をしているかどうかは五分五分である。
常に何かを求めて、世界に自分を晒している環境にいるかどうで左右する。
新幹線にオバサンのグループが入ってくると、異物がチン入してきた雰囲気になる。
新幹線の車内は社会の集約された場である。そこに全く緊張感のない変な集団が入ってくると・・・?
ゾロリ・ゾロリ軍団という弛緩の塊が異様に目立つのだ! 懐かしのメロディーで、昔のアイドル歌手が出てくるが、
その外形の変容や、「普通のオバサン以下になっている弛緩の姿」を見ると、悲しく哀れになる。
一番大事な時期に基礎教養を蓄積しなかった無残な姿が、そのまま露出している。
中尾ミエなどの三人トリオや、天地真理などが典型である。今日も、スーパーの近くで「凄いオバサン」を見た。
ブラジャーなしで、アパパーを着て、頭はボウボウで、だいたい想像がつきそう?
「エ~、何処かのカアチャンの家の中の姿?」そこまで、言うな!家の中は弛緩の場だから?
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2004年06月13日(日)
 1167, 哲学についてー3
 哲学の歴史については、いまさら哲学の授業ではないので大まかに述べると
 ・紀元前6〜4世紀にギリシャに始まる、それもソクラテス以前と、以後の分けることができる
  ソクラテス以前は最初に登場した特徴は
 ・宗教や権威や伝統とは関係ない、論理で現実や世界を理解しようとした。これは、それまでとは全く違った画期的なもの。
 ・他の人にも自分の力で考えるように説いたことも、それまでに無かったことだ。
  そして、「宇宙とは何からできているのか」「何が大地をまっすぐにささえているのか」「万物は何からできているのか」
  という根本的な問いかけを突詰めて考えていったのが、最初の思想家のタレスであった。
  またヘラクレイトスが「万物は流転する」という有名な言葉をのこしている。この頃ピュタゴラスが、天才的な能力で
  「ピュタゴラスの定理」で、数学の  幾何学的概念を考え出した。「平方」や「立法」である。  
  ソクラテス以後は、まずソクラテスが哲学的対話を求めて問答法を生み出していった。
  彼は「友情とは何か」「勇気とは何か」「敬虔とは何か」 とくに「正義と何か」を問いかけたとき、いろいろな人間や
  判断や法律などの 取り決めに対して、その何らかの真実を探り出そうとした。彼はすべてを疑えと人びとに教え、
  権力や権威あるという人びとの無知を 徹底的に暴いていった。彼がここまで哲学の代名詞のようにいわれるのは
  基本的概念を徹底して疑うことを初めて説いたからである。ソクラテスは誠実であることこそ、何よりも大切であるとして、
  神や法に対する義務より自分自身への義務こそ最も優先にすべしと説いた。そしてプラトン、アリストテレスへと現在への
  西洋哲学の基礎がカタチつくられていった。
 ・その後、哲学でいう暗黒の時代が1000年も続くことになる。 これは、キリスト教会の影響が大である。
  キリスト教と矛盾するものは、排除すべきものとして、徹底的に吟味された。あくまでも哲学としては、
  キリスト教との結合の範疇でしかなかった。トマス・アクィナスがその思想体系を世界観をつくりあげただけであった。
  そして、中世になってやっと近代科学がはじまったのである。         つづく
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2003年06月13日(金)
800,「ありがとう」の言葉〜3
「幸せの宇宙構造」ー七つの言葉「祝福神」ーより
自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。
そのために私たちが発すべき言葉は・うれしい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ついてる、
の七つ(これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。
そうすれば健康になるし、つまりは自分の人生にとって大変得になるということになります。
人間は自分の発した言葉で自分の人生をつくります。 私の周囲の環境や、自分が立たされた状況は
すべて自分の発した言葉によって形成されていきます。ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、
愛している、大好き、ありがとう、ついてる、と言い続けると、この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまう。
私の周りの多くの人がそうなってしまいました。  私には最近、次のようなメッセージが届いています。
七つの「祝福神」を年間、五千回唱える人はその言葉を再び言いたくなるような現象が来年、五千回降ってくる。
 (以下字数の関係でカット2010年06月13日)
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2002年06月13日(木)
 436,凄い時代ー光ファイバーの時代
ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。
光ファイバーが各家庭やオフィスに入るという。会社の方の切り替えも考えて早速NTTにきてもらって話を聞いた。
契約後、導入に3ヶ月位かかるが9月より新潟でも可能という。 そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを通さずに
直接メールやチャットが映像でやり取り出来るようになる。あるペットの好きな人が、映像でチャットで話している。
そこの席が空いていればそこに入り,お互いの顔を見ながら話ができる。驚きである。またホームページ内で映像も編集しておけば、
いつでもそれをみる事ができる。今まではスイスの写真を見る事ができたが、今度は映像をみる事ができる。
メールも映像を送れるしTV電話もできる。ホームページも個人サテライトスタジオになってしまう。
3~4年前では考えられない現象がいまや現実になろうとしている。携帯TV電話の時代に、これなど当たり前の事かもしれない。
インターネットとホームページに集中しているが、それを超えた?時代の変化がきている。
光ファイバーの家庭への導入は3年先と考えていたのが、あと数ヶ月と現実になってきている。
出張が減るのは間違いないだろう。1000倍~2000倍の大量の情報量が安価になりTV会議や営業活動も
一般的になる。面白い反面、ナンバーワンしか生存できない競争社会の到来だ。
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2001年06月13日(水)
 [51] 無駄な事なし
人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。もっともある程度燃焼してきたから、
言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイントだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。 
ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと、姉より死後聞いて
立ち上がれないほどショックを受けたという内容が書いてあったが。無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。


3365, 「世逃げ」のすすめ

2010年06月12日(土)

 『「世逃げ」のすすめ 』ひろさちや著
 ー概要といえばー
 世間はおかしな物差しで人の価値を計ります。その「狂った」世間の物差しを捨てられないならば、世間から逃げるしかない。
世逃げとは、どこか別のところに逃げるのではなく、精神的に逃げることです。 禅の洞山の無寒暑を思い浮かべればいい。
目盛りがないのだから測れません。だから、測れない物差しが仏の物差しです。 測れないのではなくて、測らないのです。
仏の物差しは、物を測らない物差しなんです。 仏様は苦しみの世と言われました。その苦とは、思い通りにならないことです。 
世逃げとは、思い通りにならないことを、思い通りにしようとしないことです。つまり、あきらめの思想でもあります。
このあきらめとは、努力をするなということではなく、無駄な努力をするなということです。
無駄な努力とは、思い通りにならないものを思い通りにしようとすることです。仏教は「出世間の教え」。煩悩にまみれた
俗世間を厭い離れることが、仏教の姿勢である。ならー「世逃げ」しなさいーと!「世逃げ」とは、世間の物指しの他に、
神の、仏の物指し(目盛りのない物指し)を持ちなさい、ということである。
 〜 以上が概要だが・・ 二年前に、この本の中の「ある一文」を紹介したことがあったが・・・
 ひろさちや、といえば仏教的視線で、世間から一歩も二歩も超越しなさいという論だろうと、思っていたが、
「『狂い』のすすめ」の続編の内容である。 学生時代に社会学を専攻、また人事管理のゼミ入って、人間の管理という
生々しい問題を冷静に捉えて、客観的?に見つめる「訓練の場」のゼミの真っ只中に入った。 そこでは哲学的にいえば、
現象世界(感性、悟性)を、思考、訓練で理性に昇華する訓練の場であった。 教授は分かっていたのだろうが、その先には、
それぞれの選択した社会分野で、目指す世界を自分で創造しなさい、それが「自由世界」だったのである。 教養とは一枚一枚、
束縛されていた固定観念を脱ぎ捨てることと思い知らされた。 とはいえ、自由は甘くはない。 サルトルがいう「自由という牢獄」
での苦しい独りの闘いを必要とする。 ここでは、仏教だけでなく哲学的思考も隠されている。
 狂い、世逃げの繰り返しを40年以上やってきて? その結果、アウトサイダー、珍獣、馬鹿○○として冷笑されている。
しかし、あの経験と哲学や宗教を学び続けてなかったら、とっくの昔に胡散臭い常識人になっていた。
 ここで「世間は人間を商品価値で測っている」というが、世間とは、そういうもの。 しかし少し考えてみれば商品価値だけが、
人間の価値ではない。女性の容貌が衰えようとも、エリートコースを歩んだ人が失墜しようが、エリートコースの肩書きや
職業がすべてではない。それとは別の変わらない価値がある。その変わらない価値を、初めから人生に求めなさい!ということ。 
結局それは、社会的なものとは無関係な自分の好きな世界を構築しておくことだ。フワフワした名声など、所詮は瞬時の現象。 
しかし、それでは自分は商品価値で人を判断していたのでは?というと、ない!といったら嘘になる。
品性、教養、無心の人の傾向の強い人を認めてきたつもりだったが。振り返ると、そうでもなさそうだ。商品価値の高い人ほど、
それにともない、無価値の価値を身に付けている人が多いのも事実。 いや、その数倍も逆のがいるか? あれ等をみると! 
その、あれ等の一面しか見てないのだろうが。商品価値ね〜 モーツアルトも、ダビンチも、あの才能より、隣の善良な人が?
良いとでも言うのか?   良いでなく、好い?   それとも善い?
・・・・・・・
2990、1ドルを競りにかけると
2009年06月12日(金)
 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   ー読書日記
* 一ドル競りゲームから見えてくること
 ゲームで、「1ドルの競りゲーム」がある。 小人数のパーティの余興に面白いというが、そのゲームの中に、
深い示唆が含まれている。 もちろん、三人以上が参加するようにしておいて、1人に50セントまで値段がつくまで
買いにまわってもらえばなお良い。 このゲームでは、最後に競り負けた人が、その金額を払わなければならないルールを
前もって言っておく。5、10セントから始って、15、20、そして30セントと。そして50セントで、
頼んでいた人は降りてもらってよい。 競り人は、そこで二人から50セントずつ貰えるから、元は取れる。 
しかし1ドルを越えたところで、二人とも1ドルを失いたくないため、1ドルを越えても、どんどん競りあがっていく。
3倍の3ドルとか4ドルに。 そしてどちらも競ってせり上げた分の損をする。最後に勝ったほうも、大損をしてしまう。 
少し酒が入っていたほうが、冷静さを失うので効果がある。実のところ、これと同じことを我われはしているのである。 
事業や商売でも、株でも同じである。コンコルドという超高速旅客機が、そうだった。 完成させたがよいが、
どこからみても採算が合わない上に、大きな危険が伴うことが分かったが、それまで開発してきたエネルギーと資金からみて、
中断できなくなった。しかし、その結果として、事故があり、大赤字を重ねた上に止めざるを得なくなったのである。
株で見切りが出来ないのと同じである。 このゲームは、剥き出しの一ドルを、競っても理性を失うのである。
株屋の本質は、これである。 巧妙に仕掛けて競り上げる。 
 ところで、百戦錬磨の女が自分を売りつける時も似たようなものか? 相手を多く集めて競って売りつける。
買わされた方は、一生棒をふる。 何か何処かで見たような? 誰かが似たような経験をしている?ような!
 ・・・・・・・・・
2626, 世界バブル経済終わりの始まり ー1
2008年06月12日(木)             (。・∀・)ノ゛おっは?
              ー読書日記ー    
「世界バブル経済終わりの始まり」 松藤民輔著
一年前に発刊された本だが、現在の状況を、見事当てている。 バブル時期には著者は日興証券、
メルリリンチ、ソロモン・ブラザーズなどで年収2億円の凄腕セールスで知られていた。
ソロモン・ブラザーズの時代に日本のバブル崩壊を読みきって、投資商品の主役が「ペーパーマネー」から
「金実物」の時代に以降すると予見し、独立。1995年に株式会社ジパングを設立。
2005年にアメリカ・ネバダ州の金鉱山を買収、日本第三位の金鉱オーナーになる。
この本の出版の少し前に、『アメリカ経済の終わりの始まり』を書いた。
ー今回は印象に残ったポイントをマトメテみた。 次回は、この目次をコピーして、考えてみる。
*この本では、アメリカの現在は日本のバブル崩壊の前後に酷似していると指摘している。
 著者は、それを予見して、金の世界に移行したから、尚のことわかるのだろう。
 当時の日本の金融機関も、不動産業界に多額の金を貸し付けて日本経済の息の根を止め、
 かつ自分の首を絞めた。現在のアメリカのサブプライムローンと似ている。
*今回、アメリカの「バブルの塔」を、ここまで高めたのは日本にある。長期にわたるゼロ金利政策こそ、全ての元凶だった。
 1999年から、2006年7月までに解除されるまで7年間、実質ゼロの金が向かったのがアメリカの国債であり、NYダウである。 
 このオイシイ金利に、金儲けに聡いファンドマネーが目を付けないわけがない。日米の金利差を利用して、
 高金利のマーケットで運用する。 これこそ「円キャリートレード」である。5000億とも1兆ドルと言われている。
 日本のゼロ金利が、結果的に世界にバブルを輸出してきたのである。2001年9月11日のテロ以来イラク戦争をはさんで、
 腰折れをしないで済んだのも、日本資金の御蔭。ずばり日本の政府は日本国民を蔑ろにしてアメリカ国民に尽くしてきたのである。
 バブルが崩れだした現在、NYダウ以外の投資先を探して、淡々と大移動を始めたのである。
 それが石油高、穀物高の原因である。 だから大恐慌まで発展する可能性を大きく含んでいる。
*いったんすべての投資を手仕舞って備えるとき!
 誰の目から見ても、危ない局面であることは確かである。それも、ただごとではなく、世界大恐慌に近い事態になるか
 どうかの瀬戸際である。 今さらジタバタしても、如何にもならないこと。 それだけ深刻である。
 投資を手仕舞って、潮流をやり過ごすしかないが・・・やり過ごせるかどうかが問題である。
 一目散に高台に逃げるしかない。 金などの実物に紙切れを交換しておくしかない。
次回は、第一章から、目次ごとの項目に、書き込みながら考えてみよう。     (゚Д゚*)ノ⌒ 【さようなら!】
・・・・・・・・・・
2007年06月12日(火)
2261, 「アンラーン」について    (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】
「アンラーン」という面白い言葉に出会った。味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。
ーー
鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。 私が大学生であると知ると、
「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。
まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 
型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
   ー
成る程、一度編み上げたセーターを、解きほどき、もう一度変化した自分の身体に合わせるように
編みなおすという喩えが、解りやすい。 また他にも
 ー
ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、「知識は消え去りやすいものである。したがって始終、再確認(リコンファーム)し、
学び直し(リラーン)、習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の扱い方を述べている。 
さらに同書で、「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。
知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、「知識をラーン(学習)し、
リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、知識管理の大前提である」と述べている。
ーー
アンラーンすなわち“離脱学習”は、日本の弓道の「守・破・離」の「離」に酷似し仏教の「諦め」という言葉にも通じる。 
知識から知恵への転換ということだ。自分も含めて知恵の無い人が多いが、知恵に転換するまで知識に対しては貪欲に求め続け、
かつ掘り下げなければならない、ということだ。満60歳という歳は、人生の「アンラーン」の時期かもしれない。
一度、編み上げたセーターを解きほぐし、改めて新しいセーターを編み上げる転換期、
競馬でいう第四コーナーを回っているところだ。 少し息が上がってきた?・・・ 
そんなことはない、直線も面白そうだ!アンラーンか?! 「一生、一書生」という言葉もあるが。
「社会的な形式にこだわっているには人生は短すぎる!」「アンラーン!」
             byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード
           ー映画日記       才八∋ウ_〆(∀`●)
何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、
映画館に行く回数が減ってしまった。昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。全世界で5千万部、日本で
五百万部売れた本の映画化である。ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、
あくまで漫画的な奇抜な内容の域を出ていない内容。難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。
「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だったマグダラのマリアという設定。 
マグダリのマリアといえば重度の生理の売春婦で、よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を
「最後の晩餐」の中に入れたのだろうか?という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、
ヒロインがその血筋という設定になっている。キリスト教徒にとって大問題になっても不思議ではないが、
娯楽小説と無視しているようだ。ストーリーでは、「マグダラのマリアがキリストの子供を宿した事実が二千年の間秘密にされ、
その事実と血筋を消し去ろうという勢力と、守り抜こうとする二つの勢力が、秘密裏の戦いを繰り広げられてきた」という設定。
『聖杯』の意味は実をいうと、「キリストの直系の女性の血筋」という着想が面白い。キリスト教に関係ない世界の人にとって、
「それが如何した!」というレベルでしかない。敬虔なるキリスト教の信者にとって許しがたい内容で、ノーカットは
日本とインドと、あと数カ国という。ところで、「キリストは存在していたのだろうか?」という原初的な問いを、
イスラエルの旅の由緒ある寺院でたててみたことがあった。一瞬、周りにいた数人に凍り付いた雰囲気が漂った。
隣にいた無口の教養のありそうな人が、おもむろに低い声で「当時のローマ帝国の古文書の中に、
キリストと思しき人の処罰の問い合わせが有る。間違いなく存在していた」と答えてくれた。  
近年、発見された古文書(20世紀最大の発見といわれている)に「キリストは存在してなかったのではないか?」
という疑問の文章があったという。バチカンが、これを封印して現在に至っても、その内容が発表されてないという。
元々あったキリストの御伽話を、パウロが創作したに過ぎないと言われてきたが、信仰だけは事実の枠を超えた
 (字数の関係でカット09年06月12日)
・・・・・・・
2005年06月12日(日)
 1531、わたしの酒中日記ー7
 2005年6月10日
ーバイアグラ飲めず!
今日は、高校の同級会があった。三年ぶりの同級会、久々のせいか21人も集まった。
担任の先生が41年ぶりに、この会に出席してくれた。16歳年上だが、もっとふけた男が?何人かいた。
全く若い! 20年来、毎年続いていたが、仕切りをしていた?スーパーツチダ社長の土田君が亡くなってしまい、
この三年間は休会状態であった。
(字数制限のためカット 2010年6月12日)
・・・・・・・
2004年06月12日(土)
 1166, 豊かな時間
「貧しい時間」とはなんだろうかを考えてから、「豊かな時間」を考えてみる。
貧しい時間
・虚飾と虚栄に満ちた時間のなかで空虚に過ごすとき
・好きでないことを、状況から嫌々しているとき
等、思い浮かぶが、虚飾と虚栄の時間のなかで空虚?に過ごすことが豊かな時間の人もいるし、
群れていることが真に充実している人もいるし、刑務所にいるのが一番の充実している人もいるというから、複雑だ。
まあ質の問題になるが。豊かな時間、贅沢な時間についてソローの言葉がよい。
「生活がいくら惨めであろうとも、そこから顔をそむけずに、ありのままに生きることだ。
自分の生活を避けたり罵倒してはいけない。生活は、諸君が一番富んでいるときに一番貧しくみえるものだ。
粗捜し屋は天国にだって粗を見つける。貧しくても、生活を愛しなさい。救貧院に入っていたとしても、楽しくて胸のときめく、
素晴らしい時間はあるだろう。落日は金持ちの邸宅の窓だけでなく養老院の窓からも、おなじようにあかあかと照りかえる。
春が来れば雪は同じように早々とドアの前で溶ける。おだやかなこころの持ち主なら、そういう場所に住んでいても、
宮殿にいると変わらない満足感や、ひとを奮立たせる思想をいだきながら生きていけるだろう」 自分の本当の時間、
自分の真に充実できた時間こそ豊かな時間という。ありのままに生きることが、そのまま簡素な生活を生きることである。
 (字数制限のためカット2010年6月12日)
・・・・・・・・・
2003年06月12日(木)
799, 「ありがとう」の言葉?2
「幸せの宇宙構造」 小林正観著 弘園社刊
(昨日の続き)
 ・・・ある講演会に『ありがとうの実践会』の人が200人ほどいらっしゃったとのことでした。
『私は60万回』『俺は70万回』『今はまだ97万回』というような人が次々に現れ、私は驚きました。
5万、10万回という人は結構多かったのですが。『ありがとう』の回数が5万回あたりで、奇蹟が起こるモードが
第一段階がくるらしい。10万回あたりで、第二モードがくるらしい。50万回あたりで第三モードに入り、
100万回を越えたあたりで第四モードに入り、1000万回を越えたあたりで第五モードに入り、
一億回を越えたあたりでは第六モードに入るらしい、というものです。その『ありがとう実践会』の中に癌の人がいて、
20人くらいの間がみんなでその人を囲んで、朝から晩までただひたすら「ありがとう」を言い続けたところ、
その人の癌細胞が無くなってしまった、という例も
  (以下字数の関係で中略カット2008年06月12日)
 ――
とりあえず、毎日500回を一ヶ月続けてみよう。そうすると二ヶ月で3万回になるが、私の場合は到達する前に、
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を数百回言ってしまうから、涙が溢れることはない。いったという事実は事実である。
毎朝、両親と仏様には5?6回は言っていたのだが、まだまだ甘いことが解った。数ヶ月後には仏様みたいになっているか(笑い)。
                      ーつづくー
・・・・・・・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2      
 ー酒飲みの作法ー
女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ?私の場合それが酒だ。かなり危ないことが多くあった。
警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。それでも最近は2年に一度は?? 酒で失敗したことで、
かなり自分の人生で失ったことが多い。しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。
更に失った以上に、失ったことで逆に得ていることのほうが多い?子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?!
酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。ボトルを入れる人の気持ちが解らない。
従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。ただ飲みすぎて身体を壊さないように自己ルール化をしてある。
ー30数年の痛飲からの知恵である
 タブーとしてー自己規制
・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒  b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌  ーこれが一番危ない、蓄積される 。
     自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいるーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 ?不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くーよった勢いで???
・23時を目途とする
このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。好きとは、こういうことだ。
実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。 軽症と思っているが。一応許容範囲か???
記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。実際経験してみて、嘘でないことが解った。
「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」というが、どうであろうか?
・・・・・・・・・
2001年06月12日(火)
[50] 日本のプロ野球がつまらない!
 どうして? もちろん理由は解っている。野球もいっきょにグローバルになってしまった為で、またイチロウ効果だ!
 (字数制限のためカット2010年6月12日)


3364, 人みな骨になるならば ー14

2010年06月11日(金)

 * どうということはない地位と財産 P-126
≪ 財産や地位などというものは、「あるに越したことはない」のである。
ただし、「あるからといって、あるいは、ないからといってどうということはない」という点を忘れるのは問題である。
現実に財産や社会的地位のあるものの殆んどは、「あるからといってどうということはない」点に気づきにくい。
また恵まれない者ほど、「あるからといってどうということがない」と信じたがりすぎる。
もし「あるからといってどうということはない」のなら「ないからといってもどうということはない」のだ。
いにしえの聖賢たちが、財産や地位を警戒してきたのは、ひとつには、いったん得てしまうと今度はそれを失わないために
汲々としてしまいがちなこと、あるいはさらなる欲望にとらわれがちなるとによる。
なぜ、これらが警戒しなければならないことかというと、それによって人生が空費されてしまうからである。
財や名声を追い続けていると百年に満たない生涯はたちまち尽きてしまう。
 ・・・ 財産や地位の空しさを論証するのはたやすい。「あの世まで持っていけるものではない」からである。
一生かかっても使い切れない資産というのは食べきれない料理と同じである。歴史に残るほどの偉業をなしても
人類の歴史そのものが永遠ではない。世界一の金持ちもいずれ死んで財産はそのうち四散する。
世界の帝王になったとしても、跡目はだれかに譲るか簒奪される。≫
 ー
 以上だが、分かっていても囚われるのが人間。「死んで三日もすれば三百年前に死んだと同じこと」と
ハッキリと自覚すれば、何も目先のことに気持ちが大きく揺れることもないだろうに。生きていること自体が最も大事なことをに
気づく時は、死を自覚した時など切羽詰らないと、なかなか無い。ここで、著者が最後に指摘しているように、
「好きなことをして自然に転がり込んでくるような名利でないかぎり、我が身や時間を切り売りしてまで欲しがるべきではない。
百億の資産、大臣の椅子といったところで、所詮はサルが食べきれないほどのエサを掻き集め、あるいは、ひとつのサル山での
順位を目一杯あげたというだけだ」というだけのこと。 われわれにはもっと他に大事なことがあるはずだが。
 無いよりも、有ったほうがと、言うのが本音になるが・・・
・・・・・・・・
2989,歩く木
2009年06月11日(木)
 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。
アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保するために、根をタコ足のように伸ばして年に
10数センチも移動する。アマゾンの中でも樹木の争いがある。光の当たる方に根を伸ばし陰になったほうが腐ってくのだそうだ。
50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 (人間でも、それさえできないのがいる?)
そういえば、ネパールの森林深く入った処でみたのは、根を持たないで隣の木に抱きついて栄養を吸い上げ、
涸れると次の樹木に移動する木を見たことがある。 その時に何か女性を連想してしまった。まあ、いいか。
直径一メートルの樹木が巻きついている様相は何か不気味な感がしたが、移動する方も不気味である。 
木は根を持って、大地に張り付いているものと思い込んでしまっているから、その意外性に驚かされるが。 
 昆虫を食べる花とか、他の鳥の巣に卵を産みつけ育てさせるカッコウがいる。羽根の付いた飛び魚もいるし、
飛べない鳥もいるし、もっと凄いのは「考えることを放棄している人間もいる?」(あなたのことではありません) 
世界は、私たちの想像を絶する自然現象が多く存在をしている。 
知っていること以外は無知、いや未知ということ。その知っていること自体が怪しいから、どうもこうも。
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2008年06月11日(水)
『いのち楽しみ給え』吉川英明編  (講談社)
ーまずは、 第二章 人間の本質 から抜粋してみる
 理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。
*西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない。
   評)理想ある漂流者、感謝のある孤独か?詩は心だからである。 (『宮本武蔵』火の巻) 
*今の足の向き方ひとつで生涯大きな違いが生じるのだ。必然こうなるものだと決定された人生などが
 あろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。
   評)必然と偶然、哲学の話になる。               (『宮本武蔵』火の蓋)
*一個の人生にしたところで、余り気まま暮しな人間や、物に困らないものが、却って、
 幸福でない例を見ても、総括した民心というものにも、艱難する時代と、共栄謳歌する時代と、
 こもごもの起伏があっていい。なければ却って、民心は倦む。   「新誉太閤記」
*生きようとすれば、あがきの爪が、何かをつかむ。         (『「本太平記」みなかみ帖)
   評)最近の若者の大多数?は、あがきもしない。
*どんな大難も、一過を待てば、おのずから雲間に晴天を見せてくれる。(『「本太平記」帝獄帖)
*「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、
 どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、
 推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、人お互いの心も」(麻鳥)  (「新・平家物語』静の巻)
*人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。 驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。
 人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。(「三国志」 望蜀の巻)
   評)人を恨めば穴二つ、ということか。
 *はたらいた俺にはあるぞ夕涼み 「書簡・詩歌集」     評)はたらかぬ俺にはあるぞ閑の味
  老けて行く春を化粧の瓶の数  「書簡・詩歌集」     評)老けていく春をサプリの殻の瓶
  どん底の人に不思議な顔の光沢(つや)「書簡・詩歌集」  評)去年、癌で亡くなった人の顔
 --------
 評)は無かった方が良かったが、これを書かぬと味気ない。
    後で読み返した時の(いま・ここ)の自分のマーキングである。    ーつづく
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2007年06月11日(月)
2260, ミスター・ドーナツの原価 ?       
           (っ´Ι`)っ { おはよう
先日、新幹線で学生が二人話しているのが聞こえてきた。「ミスター・ドーナツでバイトをしているが、原価が6〜7円。
手間がかかる分、荒利が大きい。」との二人の話。  そうすると原材料費が大よそ20分の1ということになる。
まあ、空気を食べているようなものである。 要はお客を如何に呼び込める!かである。何でも同じだが。
ミスター・ドーナツの繁華街店の入れ替わりが多いと聞いているが、新潟市と長岡市に関しては粘り強く生き残っている。
過去にフランチャイジー料が、ベラボウに高く問題になってことがある。実際フランチャイジー店を経営していた人の話を
二人から聞いたことがある。「あれは儲からない!」と。 しかし長岡の「ミスタードーナツ」は、順調のようである。
ちなみに、コーヒー専門店の売価と原価の割合に似ている。コーヒー豆によるが砂糖、ミルクを入れた原価は30~50円で、
似たようなものである。ウドンもソバも似たような原価。うどん粉や蕎麦粉代など、10円もしない。
だから、あまりお客が入っていない店が何故か営業を続けていられる。話が変わるが、家賃は飲食の場合、売り上げの10?。
飲食店主の感覚は、5?か、三日間の売り上げが目安。ちなみに人件費は、荒利の35?40?である。
TVとかラジオなど製造の場合は、それぞれ違うだろうが、工場出しの出荷の原価が30?35?。ただ何ごとも例外があるが。
                                    ヾ(´Д`、)マタ
・・・・・・・・
2006年06月11日(日)
1895, 閑話小題              おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
ー長岡スーパー戦争が面白そう!ー
倒産したスーパーツチダの旧店舗を新潟市を本拠を置くウオロクが引き継ぐことになったと、昨日の新聞に載っていた。
ウオロクもあまり芳しくない話を聞いていたが・・他に引き受けてが無かったのだろう。
関係者の話によると、「地元のスーパー原信と感情的になっているほど、商売上の叩きあいが凄い」と聞いていた。
これで長岡市内で両者の叩きあいが始まるが結果として原信が勝つだろう。正攻法の原信と、我流が目に付くウオロクでは、
最終的な結果は明らかである。ウオロクに大手の資本?が云々と、考えてしまうが。 私の推測でしない。
原信も、来春のユニ系のアピタのオープンも控えていて、その対応もあり安閑としていられない事態であろう。
ウオロクが大手の支配化に入った時・・他の心配するなら、自分の心配をしろ!という声が心の奥から聞こえてきた・・全く!
ー最近、いやに本が面白い!ー
  最近いやに本が面白いと感じるようになった。
  どういうことか考えてみたが、「面白い本を見つけ出せるようになった」ということである。
  今年になって「ウェブ進化論」「グーグルGoogle」「ローマから日本が見える」
  「ずっとやりたかったことを、やりなさい」「ジム・ロジャーズの世界を行く」
  「不良のための文章術」等々、とびっきり面白い本に行き当たった。
  この殆どがグローバル化ならではの本でもある。情報化時代のグローバルの見方が面白く書いてある本である。
「不良のための文章術」は、自分の思いではなく、他人が見て面白い文章の書き方の本である。
  最近、本が面白くなってきたのは、物書きというプロの書き手でなく色いろの分野の人が、
  それぞれの世界の潮流を、外の人に解りやすく伝える時代になってきているからだろう。
  ブログが世界を根底から変えようとしている。書店を定期周遊をしていると、
  難しい内容を図解や漫画などで解りやすく書いてある本に出くわすことが多くなってきた。
  難しい問題が解りやすく書いてあると面白く感じるものだ。 ヾ(^ω^*) ジャ、また! 
・・・・・・
2005年06月11日(土)
1530, わたしの酒中日記ー6
 金沢ー4   ー1972年3月末日
大学時代の友人の島村君が訪ねてくる。年賀葉書に金沢にいると書いたためだ。何か金沢というと、東京では憧れがあるようだ。
会社の同期の桜井君が訪ねてきた。寮には社外の宿泊禁止規定があるが、こっそりと泊める。これだけうるさい会社で、
二回も規定違反をするのだからスリルがある。二人とも、寮に泊めてもらうつもりで来ているから。夜に落ち合って香林坊で飲む。
金沢の独特の雰囲気にのまれ、行く先々に興奮気味だった。私の現状はこれ以下ない惨めさである!観光気分の立場とは全く違うのだ。
それにしても、大学を卒業して激しい環境にいたのを島村君と対比して実感する。丸善石油の総務にいて、
ほとんど苦労していないみたいだ。それに引き替え私は、あまりにも惨めな気持ちである。居酒屋にしてもスナックにしても、
東京の世界とは全く違う。ただただ目を白黒している。直感的に金沢の異質な世界がわかるようだ。最後はホテルの最上階の
スカイラウンジに連れて行く。金沢の街が一望に見えるバーカウンターで、学生時代を懐かしむ。しかし懐かしむほど、惨めな気分
になる。サラリーマンは気楽で良いものだ。「私は独立を目指してここにいる」という気持ちが、現在の自分を支えているだけだ。
・・・・・・・
2004年06月11日(金)
1165, 哲学についてー2
「私は何をすることができるか」の「形而上学」は事物の本質、
 存在の根本原理を思惟や直観によって研究する学問であるが、
 ーアリストテレスにおいては存在一般を考察する存在論、また超越的なものを探究する学問であった。
 ーカントは純粋理性からの認識論をめざした。
 ーヘーゲルは反弁証法的思考を形而上学的と呼んだ。
 我々の住む世界の特徴は、空間(三次元)と時間(一次元)から成り立っているが、
その「空間とは、時間とは、そもそも何ぞや」という疑問から、その問いに対する答えを探そうとする。
そこでは信仰にすりかえたり、権威にすりかえることは許されない。哲学といえば形而上学には二つの基本課題がある。
・「存在するものは何か」
・「もし何かを知ることができるとしたら、それはどのようにして可能か」である。「存在論」と「認識論」である。
この何が存在し、何を知ることができるかという課題は哲学で探求される問題の大前提である。
哲学を芸術と宗教と科学の違いから見てみると
 ー宗教は理より信仰がまずあり、宗教心を育てることに重きを置く。
 ー芸術は哲学とものごとの底流にある真実をもとめ、人間を理解しようとするが、
  その手段が絵画や音楽などの作品を通して直接的な感にうったえる。
 ー科学もしかりである。真実を追究するが、実験や観察によって答えが出せる問題に限られる。物質的な問題が主になる。
フォイエルバッハではないが「宗教にとっては神聖なるもののみが真実である。哲学にとっては真実なるもののみが神聖である。」
というが、芸術は、さしずめ作品そのものの感動が真実である。これらはけっして相反するものではなくどれも宇宙や社会や
人間の存在という不思議を深く理解しようとするものである。また、直感と批判をどれもが必要としている。
                           ーつづく
・・・・・・・・・
2003年06月11日(水)
 798,「ありがとう」の言葉  ー1
長年生きてきてつくづく感じるのが「幸せ系の人」と「不幸系の人」がはっきり分かれていることである。
家柄、結婚の相方との相性、本人の品性等いろいろの要素がある。 多くの人を見てきて、不幸系の人に
感謝の念が足りない人ー特に両親に対する感謝が少ない人ーが多いことに気づいた。両親に対する不信感ーが本人を
不幸にしていることに気がついてないのが、更に不幸を拡大している。その不信感が人間観になってしまうからである。
夫婦間のトラブルー権力争いーが子供を傷つけ、子供が恨みで感謝を忘れてしまうことも起因している。
人間には感謝はしないが感謝される事を求める傾向がある。昨日図書館で何げなく借りてきた本を読んでいたら、
あるページに目が釘つけになった。
 ー以下に書き写してみるー
 不思議なことに、心を込めない「ありがとう」でよいから2万5千回ほど言うと、涙が出てきます。
呪文のように言っておくと、その累計が2万5千回を越えたあたりで、突然涙がどっとあふれてくるということが、
多くの人にあるようです。その涙というのは、短い人で1時間、長い人で3時間、平均2時間ほどで、
とにかく止まらないのです。こんなに自分の体から涙が出てくるものと思うほど激しく流れ続けます。
この涙が出終わって、そこからまた続けて「ありがとう」と言おうとすると、今度は心の底から感謝の念がわいてきて、
体中が温かい思いに満たされ、本当に有り難くて「ありがとう」という言葉が出てくるようです。
 さらに、心を込めた「ありがとう」が湧いたところから、2万5千回ほど心を込めて「ありがとう」を言い続けると、
なぜか突然「私」にとって奇蹟と思えることが起こるようになります。この話をあちこちでしていて、
「実際言ったが、そんな涙出てこない!」という質問を受けました。私はその人達に同じ質問をしました。
「2万5千回に到達する前に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わなかったですね」と。その答えはすべて
「言ってました」でした。「それを言った瞬間、チ~ンという音がして『ありがとう』の回数が
ゼロになったのだと思いますよ」と答えています。・・・
ー続くー
・・・・・・・・
2002年06月11日(火)
 434,創業の勧め?
過去に創業を何回か繰り返してきた。好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。
しかしそう甘くもなかった。その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で一つづつ判断していかなくてはならない。
ゼロからの出発である。表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは「発狂」である。
まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく工程を踏んでいるのだから。
部外者の人は狂っているという。そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。基本に忠実にゼロから一人で、
一日一日孤独の行為の積み重ねである。その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。
これは自分の事でもある、人間の底である。
・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・
  ・・・・・金である。
それを命を賭けて投資するのである。なけなしの金と銀行から借りた資金を合わせて、その「思い込みの対象」
に対する命を賭けた博打である。それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。
いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げしかない。
500?の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。それで実際のところ50?しかうまくいかないだろう。
実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても後悔はしないと。創業は勉強になる!それでこの程度!
・・・・・・・
2001年06月11日(月)
 「49」一期は夢 ただ狂え
 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や 夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                       ー 閑吟抄ー
470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つ。
‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’と言う内容である。
今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった内容だ。500年前この無名の男の人生
‐過去に何があったのだろうか? 今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!


3363, すでに世界は恐慌に突入した ー4

2010年06月10日(木)

  * ロボット・トレーダーとは!
 「怪しげな超高速取引のロボット・トレーダーの優劣の戦いが始っている」と、この本で紹介している。
現在、ゴールドマン・サックスや大手ヘッジファンドは、膨大の資金を投じて超高速超高速コンピユーターを導入し、
取引に使っており、今やニューヨーク証券取引所における、この高速取引のシェアは七割に達しようかという勢い。
その中で問題とされているのは、フラッシュ・オーダーという取引執行形態である。
 このフラッシュ・オーダーとは一般投資家の注文状況を、一〇〇分の三秒ほど早く見ることができる。
一方、超高速コンピューターは○.○○〇四秒で、注文を処理することができます。一〇〇〇分の一秒の間に何百という注文が
執行できる。 これで、どういうことが起こるかというと、一足先に一〇〇分の三秒早く一般投資家の売買動向がわかるので、
その状況を的確に判断して儲けにつなげるというわけである。 たとえば、A社の株価は現在四九四円とすると、この株価の売りと
買いの注文状況が出たとする。この場合、成り行きで一万株買ってくれという注文であれば、通常なら四九四円で買うことができる。
場にある四九四円の売りものを拾う形となるからです。ところが、ここにフラッシュオーダーの機械がセットされていれば、
一〇〇分の三秒早くこの成り行き注文を感知することができる。 すると一足先回りして、この四九四円の売りものを買い付け、
その後○・○○〇四秒の速さ、一万分の四秒のスピードで、四九五円に売り注文を出すことができるのです。こればこの取引で
この一万円を儲けることができます。一方、成り行きで買いに行った普通の投資家は四九四円で買えるはずだったA社の株式を
一円高い四九五円で買ってしまったわけで、一瞬速く四九四円の売りものをフラッシ・オーダーの取引で拾われてしまう。
これは、あくまでわかりやすい形を説明したもの。
 ー
 以上のことは、法的に今のところ押さえ込むことが不可能という。ロボットに、それを憶えこませて小口に分けたりして、
法令を違反しない範囲で取引をしてしまう。ということは、ほんの一部の超大手以外は、戦いにならなくなっている。
さや抜きロボットで膨大な利潤をあげているが、司法が介入できないプログラムが入ったロボット・トレーダーの出現である。
 ・・・・・・・
2988、「平均」顔は美しい
2009年06月10日(水)
 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   読書日記
 * 面白い実験 ー「平均」顔は美しいー
 世の中には面白い実験をする研究があるものだ。目・鼻・口・額などの部分を、それぞれ平均して
合成した顔が、その中の誰よりも美しい顔になったという。 考えさせられる結果である。
国民の裁判制度が始った現在、特に考えさせられること?。 アメリカで長年にわたって
取り入れられてきた裁判員制度だから、裁判長の1人の判断より公平かつ、信頼度の結果があるからだ。
それと平均顔の方が美しいと同じと考えるのも何だが、裁判員制度も悪くはないような気がする。 
秋葉原のワシントン・ホテルで若い女性の幽霊の顔が浮かんでいるのを見たことがあるが、
これを読んでいて、あれは数千人、いや数万人の平均顔に思えてきた。ノッペラした何の特徴もない顔だった。
 ー まず、その部分を書き写してみる ー  P-185
 テキサス大学の心理学者ラングロイスとログマンは一九九〇年、「平均的な」男女の顔は、
その「平均的な」顔をつくるのに使った個々の人びとの顔の誰よりも美しいと判断される、という結論に達した。
二人はこの実験のために、336人の男子学生と214人の女子学生の顔写真を集めることからはじめた。
その後、男女それぞれのグループから無作為に96枚を選び、そこからさらに32枚から成る部分集合をつくった
(男子の集合が3つと女子の集合が3つ)。これをもとにして「平均的な」顔をつくるのは簡単だった。
リタッチのプログラムを呼び出し、いくつかの写真をクリックし、それぞれのピクセルに数値を与え、
さまざまな写真から詳細部分の平均を引き出す。
 二人の研究者はおおよそこのようなやり方で、女性の平均的な顔を3つ、男性のそれを3つ作りあげた。
それから80人ばかりの人に、「平均的」人相を作るのに使ったほかの写真と比較してもらった。
すると男性の「平均的な」顔も女性のそれも、合成するのに使ったほとんどすべての本物の顔より美しいと
判断されたのである。  なんともうるわしい結果であろうか。
しかし、これは「合成した顔がすべて個々の顔より美しいのは、多数の人の平均的顔には、
一つ一つの表情を傷つける様々の欠点が見えてこないからである」と結論づけている。
集団の「平均的」判断としてまとめられるてしまうと、個々の間違いや偏見がチャラにされるからである。
  〜〜
 以上だが、美はバランスである。 目や鼻や口の形もバランスー均整がとれているのが良いということ。
バランスか〜、 バランスでしかないのか〜、 服装、化粧は、そのバランスを直すことこと。
人間の持つ幻想は、そのバランスに惑わされやすい、ただ、それだけのことなのか? 
クレオパトラは、大した美人ではないが、幻想を活用することを知っていただけ!と言うが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2624, いのち楽しみ給え ー1
2008年06月10日(火)
 図書館で借りてきて、直ぐにアマゾンで注文をした本である。長男が吉川英治の本の中から、人生の言葉を選んだもの。
なかなか、味わいのある言葉が並んでいる。 吉川英治といえば「宮本武蔵」「三国志」「新書太閤記」を読んだが、
これだけ、多くの「心に残る言葉」に再び出会えて良かったが、当時読んでも、その深さが解らないものも多かった。
やはり人生の経験を多くしてみないと理解できないこともある。「いつもの時代でも、亡ぶ者が、かならず抱いている滑稽な信念は、
(おれは亡ぶ者ではない)という錯覚である」  『新書太閤記』が、新鮮に聞こえてくる。
    『いのち楽しみ給え』 吉川英明編(講談社) ー読書日記ー
  まずは、第一章 生きるということ より
 ー
花は、散る支度をし始めるときが、花の一生のうちでもいちばん美しいし、盛りも見える。」 「新・平家物語」
幸福とは その人の心の手のひらがそれを持つか持たないかだけのはなしである。
       幸福とはじつにそんな平凡で無味ににたようなものだ 「草思堂随筆」
円(まる) 円   
いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。 果てなく、屈折なく、究極なく、迷いなく円い。
この円を、乾坤にひろげてみると、そのまま天地。 この円を縮めてみると、そこに自己の一点がある。
自己も円、天地も円。 ふたつの物ではあり得ない。 一つである。
                                「宮本武蔵」円明の巻
無為の苦しさは、無為を悶える者でなければ分らない。安楽は皆 人の願うところだが、
安楽安心の境地とは大いにちがう。なさんとして、何もできないのである。
                                「宮本武蔵」円明の巻
平常の取捨は、熟慮のいとまもあるが、生涯の大運は、突として来る。
(右か? 左かり?)は、多くは急場に迫って来るものである。    「新書太閤記一むすめに与ふ
         昭和三十六年夏軽井沢にて
                   或る雨の夜
倖せ何とひと問はば  むすめはなにと答ふらん 珠になれとはいのらねど あくたとなるな町なかの
よしや三坪の庭とても  たのしみもてば草々に人生植ゑるものは多かり  「書簡・川柳・緋句・詩歌集」

朝の来ない夜はない           座右銘
「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、どんな現実というものも、
じつは間断なく変っています、変るなと願っても、推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、入お互いの心も」 (麻鳥)
                               「新・平家物語』静の巻
                  ーつづく
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2007年06月10日(日)
2259, 今日、ホームレスになった ー2
      (。・∀・)ノ゛おっは よう!
 ホームレスにも二種類ある。辛うじて簡易ホテルや、深夜喫茶、ネットカフェに泊まっている人と、ダンボールや、
テントの住人である。駅の構内のダンボールの住人は毎日のように見かけるが、暗い虚ろな表情が何とも悲しそう。
コスプレの可愛い動物の帽子を被った若い女性が一年以上、新潟駅構内にいるが、服装がドンドン汚れて、
  (字数の関係でカット2008年6月10日)
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2006年06月10日(土)
1894, 不良のための読書術ー2
      おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
「本は見た目だと!」という声も、心の奥から聞こえている。文庫本は幾多出版された中で単行本として生き残ったではないか。
「文庫本の中にこそ良い本が残っているのに、表装が良い本がよい本を勧めるのはオカシイではないか?」というのも肯ける。
 この本は若者向け、初心者向けの本として割り切ってみないと・・・ だからこそ鋭い切り口になっている。
=その面白そうなところを、筆者の方法で拾い書きをしてみた=
・ゴダール式読書法の基本とは本を手に入れたら、適当のページを開いて、20~30ページを読む。ただそれだけである。
 読むページ数は決まってない。 小説の場合はやや長めに一章まるごととか。
 短編だと一編丸ごと読む。 それで解らないのは著者か編集者が悪いと思う。
 ここで一番難しいのは、その本の何処を読むかである。どんな本も本文の一ページに力が入っている法則がある。
 これを「ツカミの法則」という。それと、実用書などでは巻末の索引から、関心のあるキーワードを探し出す。
 30~40ページも読めば良い、くれぐれも全部読もうとは初めから思わないこと!
・本はタッチ・アンド・バイである。良いと思ったら買いである。そんな時、本の値段を他のものと置き換えてみればよい。
 コーヒー一杯500円と、文庫本。 居酒屋の突き出しとビールと、単行本。 専門書なら、ジーパンかウィスキー。
 そう思えば、良書は安いものである。
・良い本は見てくれでわかる。 良い本は見た瞬間グッとくるものなのである。
 本は見てくれでないと言うが、本は見てくれなのである。よくない本に見てくれを良くしようとするわけが無い。
・読書は悦楽の狩猟と宝探しと思えば良い!
・本は全て辞書と思えば良い。  適当に見たいところを見ればよい。
・筆者が生み出した「擬似速読術」
 *小説やエッセイを読むときには「  」内の会話だけを読んで、他の文を無視する。
  これは高校や大学入試のテクニックにも応用されているらしい。
 *専門書や実用書を読むとき、キーワードとなるような漢字とカタカナだけを拾い読みする。
  1P全体を見ると何度も出てくる言葉である。それがキーワードである。
 *一つの行の上のほうの10文字だけとか、まんなかへんの10文字だけを読んでいくもの。
  これはどんな本にも応用できる。
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 一箇所に拘らないで、鳥瞰せよ!ということ。鷲になって獲物を探すように本をみればよい! (ω・`) bai
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2005年06月10日(金)
1529, 「人を動かす」ー1
              ー読後38年目の読書日記
この本は思い出深い。学生時代に出会い、この原則を忠実に実行してみた。その結果、数ヶ月もしないうちに、
私の周囲に多くの人が群れだした。丁度、都会の生活にも慣れ、
脱皮の時期であった時に書店で見つけて読みながら一つずつ実行したのだ。 成る程、
・自分の言いたいことを我慢して相手の話を聞き、かつ認めてやるのは難しい。
・それも相手が自分自身を重要人物と納得するように誘導するのだから。
・人を非難するかわりに、相手を理解するように努め、
・相手の話に興味を持って聞いてやることこそ万人の求めていることなのだ。 
(字数の関係でカット2009年6月10日)
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2004年06月10日(木)
 1164, 哲学について ー1
哲学について、いつか書いてみたいと思っていた。といって、これは簡単に書けるテーマではない。
知識の浅さがそのまま露呈してしまうゴマカシがきかないテーマであるからだ。
そうとわかっていても自分のために、まとめてみたいという誘惑にかられる。
挑戦をしてみるが、知識や経験の浅さを露呈しても今更と割りきるが、しかし恐ろしい。
今まで哲学書で、一番納得したのは末広渉の「新哲学入門」である。
「従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって、認識、存在、実践の三つの側面から、私たちを捉えている
近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みている」と、説明文に書いてあったが。
 ーーー
日常におわれていて、ふと日常のおなじパターンを繰りかえしていることに疑問を感じ、「このことに何の意味があるのだろうか」
と疑念を持つことから哲学が始まる。この随想日記で「世間さま」を茶化して書いてきたが、これも哲学の初歩的なものだ。
「我々が住む世界の基本的な概念と原理に疑問に持つこと」が哲学の始まりである。前提そのものを先ず把握して、
それを疑ってかかることが哲学の始まりだ。過去の歴史的な偉大な哲学者が2千数百年にわたり,いろいろな概念を思索して
根本的なことを解明しようとしてきた。いまさら根本問題を深く考えても仕方がないが、といって避けては通れない問題でもある。
ー哲学そのものについては
 カントの哲学の定義が分かりやすい。
 (一)私は何をすることができるか。 (二)私は何を為すべきであるか。
 (三)私は何を希望してよいか。   (四)人間とは何であるか。
誰もが、漠然と常に考えている問題である。
第一の問いに答えるのは形而上学であり、第二の問いには道徳、第三の問いには宗教、第四の問いには人間論が答える。
人間論に含ませてしまえば哲学も簡単であるが。学生時代、自分というものに目覚めた時、そして社会を目の前にしたとき
まず直面するのが、この問いである。そしてわからないまま、とりあえず社会に飛び出していく。
そして晩年になって過去を振り返り、ふたたび後悔という意味で結果論として問い直す。
 (一)私は他に何をすることができたのではないか。 (二)私は何を為すべきであったのか。
 (三)私は何を希望すればよかったか。       (四)人間とは何だったのか。
そして、後悔と、自己満足の間をゆれる。 哲学はなけっして難しい問題ではない、身近な問いかけでしかない。
                         ー つづく
  ーーーーーーー
 書いていて、恐ろしくなってきた。何もわかってないのに、解ったような気になって適当の文章を書いているのだから。
 目的は、それぞれの有名な哲学者の言葉・思想を何人かまとめておきたい 前段として、この恐ろしいテーマに挑戦する。
 やめておいた方がよさそうだが。 「ショーペンファウアーについて」等のテーマを、何冊かの本からまとめた内容を、
 冷静にみるのも面白そうだ。 ダイジェストの本はいくらでもあるが、「哲学について」のテーマで10以上書いたら、
 やはり世界観が変わってくるだろう?  何処まで続くか?
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2003年06月10日(火)
 797, 流通業界よりみた時代の変化ー
流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に驚かされる。
  ー10年前は、
・ダイエーの中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。
・西武グループの堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。
・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいうアメニティーなど入れた複合の施設をつくっていた。
・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。
・ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。
・ソゴーも大型店を破竹の勢いで出店していた。
その全てが潰れてしまったか解体である!時代の変化の激しさを痛感する。すべて多角化によるエネルギーの分散による
競争力の低下で自滅したパターンである。当時チェーンストアのコンサルタントの渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。
今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂とジャスコ、それと十数年前に一時潰れそうになったユニー。
今後10年後はどうなっているか?というと、想像すらつかないのが流通の世界である。
もっとも日本そのものがどうなっているのかも想像を絶するが!
経済的大変動に90?以上は襲われているはずだ。愚民の選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。
それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせられたことも背後にある。若い人は本当に大変だと思う。
大激動時代を生きていかなくてはならないからだ。話しをもとに戻すと、この情報革命と、グローバル化により想像も
できない流通形態になっいるだろう。ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。
当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰。高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見ればいくらでも候補がある。
まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。
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2002年06月10日(月)
 433,自由ほど不自由なものはなし!
自由ほど不自由なものはなし!誰もが経験がある事だと思うが。
 ー至近の例で、
サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。 こんな筈でなかった、何もできない自分に直面する。
あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。今まで束縛されていた組織からの自由を求めているだけ。
「自らに由る」という言葉の意味さえ考える余裕も無かった自分に直面する。如何してよいか判らない。仕方がないので、
それまでの行動をとるしかない。会社の近くに同じ時間に出勤。今まで行っていた喫茶店やスナックなどの溜まり場に
行きざるをえなくなる。目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、紐まで付いたまま。
そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。「元・・などの肩書き」はそこでは何も
通用しない事をそこで思い知らされる。そして他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。
いや彼らの中味のほうがズット詰まっていることに初めて気が付く。自らに由るとは何か?自ら判断し責任をとることだ。
ただ群れて、その群れと同じ行動をして、何も考えず判断をしてこなかった自分に初めて直面する。
自由とは本当に厳しいことだ。人に甘く自分に厳しさが基本になくてはならない。普通、人間は逆になってしまう、
自分に甘く人に厳しく。自由、平等、博愛のフランス革命の精神。 自由に重きを置いたのが資本主義社会。
平等に重きを置いたのが社会主義である。 自由は平等ではなく公平を求められる。それまでの平等の意識が根底から崩される。
もう誰も相手にしてくれない小さな自分にはじめて気づく。公平?社会がすぐに冷たく圧し掛かってくる。
自由はそれに適応できる人には優しく、出来ない人には厳しく反応してくる。
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2001年06月10日(日)
 [48] 同じ人生を
全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に答えそうだが。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思える人生を生きることこそ必要な事と、ある人生論の本に書いてあった。 
そういえば父がガンで死を悟ったとき、母に何回も「もう一度生まれ変わって全く同じ人生を生き直したい」と言ったと聞いた。
その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。最近そうおもえるようになってきた。

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