堀井On-Line



3352, 父の命日(37周年)

2010年05月30日(日)

 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の彼方から思い出される。
思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。
「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。
これまで書いてきたが、父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、
第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり仏壇と仏具の販売で乗り切った。
終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。 
古美術商の時代には、地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」というのが持論にあった。 
それは教養によってベースが築かれることを彼らから学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、
それがバネになっていた。 日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝は5時に起き、仏壇で祈り、新聞を隅々まで読むのが日常だった。
その辺は私も同じで、これは家の文化(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、
株屋ぐらいしか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と最小限度しかとらなかった。
(当時は、それが一般だったが) 年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬときのイメージは両親の手に引かれ、
光の中に消えていく光景になるだろう。 毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になるのである。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、それを重ねることで、魂に熟成していくのである。
音楽家は音楽で、仏像師は仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、それに乗っている間は人生である。 
さて、恒例の墓参り!
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2977、父親の37回忌に
 2009年05月30日(土)
 今日は父親の37回忌。亡くなって、もう36年になる。命日に何度か父のことを書いたが(後でコピー)、
テーマにすることが供養になると思い書いてきた。父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、父が43歳の時に産まれたこともあった。 
そのために幼児から少年期の記憶に、父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、父が何時も
私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて
精神的に独立をすることが出来た。(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳だったが、
その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、
その段差には大きい。まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで家を中心に常に考えていた。
父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なっており、そのことを事あるごとに話をしていた。 
特に長岡の戦災体験は生生しく残っていたようだ。  また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、まさか20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・父を思い出すというより、父の視線で世の中の
変化を見ている自分がいる。命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響していることがわかる。
その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで私らしさで、そのまま結構なのか?
いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。 
 それに引き換え私ときたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と合体したような
不思議な夢について書いたことを思い出した。 その辺のことを書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
  これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
ーー 
2003/04/25
 不思議-シンクロニシテー
 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を
散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。ああまた出たという感覚である。 その中で一番凄かったのは、
7~8年前に義父が亡くなった時である。葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、
その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象である。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」
といっている。涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。なら大都会では毎日降っていることになる。
地方におきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない!
 ー以前書いたものをコピーしておきます。
   ・・・・・・・
H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が
“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二?三日後の夢も強烈な夢
(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
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 2613, 閑話小題
2008年05月30日(金)
 ー今日は父親の命日ー
父親が亡くなって35年、36回忌である。
毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある故人の顔を思い出し手を合わせている。
一番初めは父であるが、父の愛情の上で、現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。
家庭的には恵まれていた。特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。
次には家内との相性だが、それなりに? この文章を推敲し、ネットに上げ、墓参りに行く。
 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー
交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。
車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が
飲酒運転の強化を図ったことと、シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。去年の交通事故死の半分近くが、
65歳以上の高齢者で占めているというから、年寄りは交通事故には特に気をつけないということになる。
10年近く前で、一万人を割ったと聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。
 ー中学校の同期会の話ー
先日、中学校の同期会に出席した。元々、中学校の同級会が、ほぼ毎年行われてきたが、他のクラスの同期の人たちが参加を
することで、いつの間にか同期会になってしまった。今回の出席者24人のうち、私が属していたクラスの出席者は7名であったが。
小学校と重なる人が半分以上入るので、年に二回は会う人が半分以上はいる。ところで、あまりシビアには書けないが、
それぞれの人生の大枠が見えてくる。離婚、倒産、死別、大病、事故など、一人の人生は重いものだとつくづく感じる。
人生は決して平坦ではなく、山あり谷ありである。一人の人生には小説一冊分の人生が濃厚に詰まっている。だから面白い。
大よそ、15?は亡くなった。
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2005年05月30日(月)
 1518,今日は父の33回忌
去年の今日も、父の命日のことを書いたが。 私にとって父の存在はあまりにも大きかった。
そして、今でも父の影響から抜け出てないといってよい。明日は、身内だけの33回忌の法要である。
父の口癖は、『死んでしまえば、それまでよ!』であった。そして、この歳になっての実感として『その通りである!』
だから、「早いうちに生きることとは何かを知り、生きることを第一の仕事としなくてはならない」ことを学んだ。
末期癌で亡くなる一年間、赤裸々な父の死の葛藤を身近で見ながら、人生とは何かを教えてもらった。
そして、その後の生きる大きな教えと指標になった。・何をするにしても捨て身で取り組まなくてはならないこと。
・地元のー痴呆名士ー とは一線を引くこと。 近所の人とは親しくするな!。
・お金に対する対処を間違うな。金はライフワークの一つとして取り組むこと。人間はお金の前では赤裸々で悲しいほど弱いこと。
・「女はを持つということは、荷車に大きな重い荷物を持って坂道を登るようなもの、遊ぶなら覚悟を持って遊べ!」
この年齢になって改めて父を振り返ってみると益々学ぶことが多くなっている。 学歴は無かったが、接してきた人に
超一流の人が多かった。古物商をしていたためであろう。 深い違った教養を持っていた。時代を読み取る能力と、
人物を選別する能力、そして人間の狡さを知っていた。 さて、これから近くのスーパーで花を買って墓参りだ!
・・・・・・・
2004年05月30日(日)
 1153, 今日は父の32回忌
今日は、父親の31年目の命日である。この世で一人の人を選びなさい、といったら間違いなく父である。
それだけ私にとって父の影響が大きい「ありがとう」と一番いわなくてはならない人である。
年齢とともに、父親と心の中で話すことが多くなってきている。 一方的に話しかけているのだが、ときどき父も
話しかけてくることもある。もっと以前から事業のことなど話しかければよかったと、今になって思い始めている。
 《供養の為に、14年前に書いた文章をコピーしておきます。》
ーそういえば、この文章を書いた頃のことを思い出した。ある休日の夕方、TVでお寺の仏像を映し出していた。
そのとき、TVの中の仏像に少し開いていた障子から夕陽があたり、何ともいえない不思議な感じになった。
何だ何だ、今日は何かあるんじゃないか?!と、考えてみたら、父の命日だった。うっかりしていて、
父の命日を忘れていたのだ。本当に不思議なことがあるものだ!と思った。 さあ父親の墓参りだ!
 ーー
 H0505 小説のような本当の話!
 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。ところがすでに墓がきれいに磨かれており、
花が飾られていた。 生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、お参りをしていると、
見知らぬ老人が話しかけてきました。 たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に正直に事情を話したところ、
父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。 それが本当にうれしくてうれしくて! それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく
考えさせられる出来事でした。父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。


3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −4

2010年05月29日(土)

  * さあ、次はテレビの番だ!
 ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、・高機能のHDR(ハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。
テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 新聞社もテレビ局も風前の灯である。 
まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDSを半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が残っている。
もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 
録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」のものばかり。 面白そうな番組が無いときは、
それを見ることになる。 それはタイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にないから見るか〜
というのが皆無になったのである。 次に最近、急に興味を持ちだした YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にある
パソコンを向かっているが、それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを入れると面白い映像が
次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを
共同で開発するというから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコンの普及がある。
これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化することになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。
そこにはネット経由の映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。だらだら流し見していた
テレビの見方が変わることを意味している。その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。
NHKもさえも大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える!

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 2976,縁は異なもの  ー2
2009年05月29日(金)
「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集   
  * 能とは
 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした
記憶が鮮明に残っている。その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの違いもあるのだろう。
 ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー
《 能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、室町時代になって、当時流行していた、
ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつの芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、
大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 
が、ふつうの、台詞は少なく、歌の部分が戯曲や脚本とちがうところは、あくまでも歌いものですから歌が大半をしめている
ということです。謡曲は、それだけでも独立した歌いものですが、能になると舞をともない、伴奏に、大鼓と小鼓と笛、
はなやかな曲には、太鼓も入ります。伴奏のことを囃子といいますが、他に、地の文を合唱する人々を、地謡と呼びます。
 謡いの文章は、音楽の拍子に合いやすいように、七五調を基本にしており、散文より詩歌に近いといえましょう。
近いどころか、謡曲は、和歌の伝統のもとに作曲されているといっても過言ではないと思います。
題材を、古い物語や歌集に得ているだけでなく、枕詞・掛詞・縁語などを、たくみにつづり合わせて、叙情的な雰囲気を醸しだす。 
反対に強い鬼の能などでは、かたい漢文調や経文の言葉を用いて、はげしい動作に似合った表現をするといった具合で、
それぞれの曲柄によって、工夫がこさられています。もっとも、読むのが目的でなく、見るために作曲してあるのですから、
謡曲の文章だけとってみても、純粋な文学とは呼べません。 飛躍するときもあるし、意味のよく通らないところもある。
 お能は、舞台の上で舞って、はじめて完全な芸術となるのです。そこが戯曲とはちがった点で、謡の台本だけ読んでも、
お能の全体をつかむことはできません。 そういう意味では、文学というより、むしろ、音楽(歌いもの)として
とらえたほうがいいので、極端なことをいえば、一つ一つの言葉の意味など、わかっても、わからなくても大差はないのです。
 たとえば、シェークスピアの劇はブランク・ヴァースといって、韻をふまない詩の形式をとっていますが、
美しいセリフのリズムに身をまかせていれば、英語はわからなくても、十分に堪能することができます。
言葉をもたないピアノやヴァイオリンでも、心をゆさぶるのと同じことで、それが音楽の表現する意味であり、
言葉でもある。 ましてお能の場合は日本語です。古語にくわしくなくても、だいたいの筋はつかめるはずです。
   (字数制限のためカット 2010年5月29日)
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2612、 佐藤優の速読術について
 2008年05月29日(木)
「国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優の「速読術」の方法、考え方が面白い。
ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。
・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが完全にインプットされていない分野では、
 無意味である。ヒンズー語を知らないのに、その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。
 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、そうでないのは無理がある。
・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで難しいフリをしているもの。
 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、読んでいけば知識が得られるもの。
 何故、速読術が必要かといえば、読むに値しない本を見分けるためです。
 速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。
 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。
 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために他を速読するという逆転の発想です。
・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか得ることが出来ません。
 速読は自分が持つ知識以外のものが出ているかどうかのチェックする手段に過ぎません。
 速読術は熟読術にあるということです。読まなくても良いものを精査するためのものです。
・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。
 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400〜500ページの本に2〜3時間かかります。
 超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、大づかみで内容を把握する方法で、
 10〜20分ですみます。最初と最後、そして目次を見ること。
・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。
   =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える= 竹村 健一 佐藤 優より
 ーー
熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 もう一つは「繰り返し」である。
ところで私も似たようなことをしている。 長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。
そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。そして、本に取りあえず織り込みを入れる。
自宅の居間と会社の机の上に三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。そして、その中で、これはというのを、
この随想日記のネター読書日記に書く。熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。
私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも常に本を横に置いている。
せっかく地球に旅に来ているのだから、地球上のことを知らないと。それが、動機である。
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2007年05月29日(火)
2247, 女性の品格            (*´・ω・)ノおはよー
 NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏のインタビューがあった。
昭和女子大の副学長で「女性の品格」という講義もおこなっていた。私自身はさておき、品性のない人間は大嫌いときている。
学歴や肩書きや収入とかでなく、その人の持っている生まれながらの品位は、どうしようもないものである。
その人のもって生まれた何かである。
この本の中で、強く、優しく、美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、
ーその中で幾つか選んでみたー
 上品な女性は、
・礼状が書ける  ・約束をきちんと守る  ・型どおりの挨拶ができる  ・長い人間関係を大切にする
・流行に飛びつかない  ・姿勢を正しく保つ  ・贅肉をつけない  ・プライバシーを詮索しない
・よいことは隠れてする  ・愛されるより愛する  ・得意料理をもつ  ・恋をすぐに打ち明けない
・人に擦り寄らない  ・礼を尽くす
 などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的に示してある。
何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。
自分を卑下しすぎず、もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。
「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として「凛とすること」である。
私自身、ご存知の通りあまり品格のある方とは全く思ってなかった。
都合の良いところを選んだつもりはないが、上記の内容は全て〇と自認している。(また、自慢?)
    (字数制限のためカット 2010年5月29日)
 女性の品格?装いから生き方まで   PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】
                 (*・ω)ノβψε★βψε
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2006年05月29日(月)
 1882, 新潟県活性化案ー2  おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回をはさんで5時間にわたり議論をした。
利害と直接関係ない新潟県に対する危機感を持った参加者が多かったため、内容は濃いものとなった。 
色いろな職業の人がバラエティーに散らばっていて、それぞれの立場からの視点が丁度よいバランスになっていた。
内容としてベストといってよかった。2010年の富山まで北陸新幹線開通後の新潟県の危機は深刻である。
さらに2014年には金沢までオープンする。その時、上越新幹線は北陸三県を背後にした北陸新幹線の枝葉になってしまう。
何故飛行場まで新幹線を通さなかったのか?アジア大陸の窓口としての拠点都市つくりをしてこなかったのだろうか?
この議論をした翌日、新潟東港?新潟空港?トキメッセ?寺泊を見てまわった。特に新幹線の延長可能な「廃線した貨物線」
をみたが、そこを生かせばそれほどのコストはかからない。20年前に新潟空港まで新幹線を開通していれば、
環日本海拠点都市宣言をして都市づくりをしていれば、全く違った展開になっていたはずである。
今さら遅いといっていられない事態である。高崎から新潟県に新幹線を開通させるという大プロジェクトではない。
あと10キロ足らずの新幹線を延長させるだけで「全く違った性格を持つ世界稀なる首都から直接乗り入れの新幹線になる」
ということが解らないのだから、角栄以後の政治家のレベルの低さに呆れてしまう。飛行場周辺と新潟駅の一体化を図るべきだ。
そのためには、骨太の奇策と思える計画が必要である。新幹線の延長したレールを共有して新交通システムー新潟駅~新潟空港間に
動くエレベーター(新交通システム)をつくり、一体化すればよい。ただしコストを安くすること! 
羽田の新交通システムも周辺住民が多く利用しているではないか。新潟空港周辺をみてまわったが、その自然環境は素晴らしい。
そこと新潟駅周辺の集積された商業集積を結びつければよい。テーマパークのロシア村をつくったり新潟駅の再開発に
千数百億も投資するなら、せめて10年前に飛行場に新幹線を乗り入れ、その周辺にサッカー場や、流通団地、専門学校や
大学の特区地区などに集中投資すべきであった。岡目八目ではないが、私の知人が呆れるのも解る。   
ー以上、新潟県活性化案を補足するものである。         ゝд・) ノ バイ バイ!
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2005年05月29日(日)
 1517, 酒中日記ー2
この本の面白そうなところを抜粋してみる。 作家の文章を書き写すということは、文章のレッスンをしていることになる。 
絵でいう写しをしていると同じことである。「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。
写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。
ーその後の文章を抜粋してみます。 それにしても作家の文章は上手い!
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黒岩重吾
ー飛田にひとり
某月某月
大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに飲みに行った。
(字数の関係でカット09年05月29日)
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2004年05月29日(土)
 1152, 「老い」を考えてみる ー2
昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する思いが偶然そのまま書いてあったが、
彼の思いがそのまま伝わってきた。 (実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)
何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情はこんなものであろう。
特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み嫌われた亭主はこんなものかもしれない。
あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と孤独感が底知れずあるからなのだろう。
この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、
その世界になじめない。一人ウロウロしているじぶんがいる。まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。
ー「海鳴り」の中の一節
妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。
妻子からも、家からも離れて、一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。だがそれは、長い道のりを歩いてきた
一匹の生きものが、ふと足をとめてかたわらの泉から水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかったのだという気もする。
長い道をわき目もふらず歩いてきたので、生きものは身も心もくたびれ果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。
それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。 色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。
道がか細く消えている地平あたりから、風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。
それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。それが生きもののさだめだった。
振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。しかしその道は、振り返ることも出来ても、
戻ることは出来ない場所である。生きものは新しく見えてきた風景の心細さに心を痛めながら,いっとき泉のまわりをうろつき、
一息いれた。新しい、のぞみのない旅にそなえて気持をととのえるために。あるいは歩いてきた道に醜い後悔の痕を残さないために。
それだけのことが、そんなに批難されなければならないのか、と新兵衛は思うのだ。生きものの心に思いをひそめたから
人間の道をはずれたと指さされるのか。歯車が狂ったもとは、もっと別のところにある。
それが何なのか新兵衛にはわからなかった。わからないことがもどかしく、ほんの少し不気味であった。
 ーーーー
今でいえば初老性鬱病か、それとも誰もが感じる年齢の心象風景の一つなのか。
まあ、かなり藤沢周平の世界に影響されているようだが。
ー『海鳴り』?藤沢周平
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2003年05月29日(木)
 785, 一期一会(すすき野の夜)
 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。 二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」
に行くことにした。せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るようなエキサィテングな店がないかと
数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいをみせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。 暫くすると、他の団体も帰っていった。隣には、その店の馴染みと思える
中年の品のよさそうな男性が座っていた。何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、自分は佐渡の出身だという。その場が急に同郷の会
みたいになってしまった。この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。
そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。二人が深刻そうな話を始めていた。「もう店をやめたら!」と
ビルの専務が言っているのだ。ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが捨て身で店を開いていたのだ。
連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。
その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。
どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。
歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、
一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。
・・・・・・・・・
2002年05月29日(水)
 421,世間とはー2
前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。 
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。
神話の世界でいう蛇である。その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。どういうわけか世界中の神話に
龍が出てくる。縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。羽仁五郎の「都市の論理」に、
両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。 西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。
まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。 次に両親からの影響と環境からの自立である。 
自分という意志を持った主体の確立である。世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。
両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。それを自覚する事である。「短い人生、ただ狂え!」が、
世間様の丁度いい噂の餌になるが。王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」というのも、
世間に縛られた生き方を諌めたものだ。 個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。
世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。 私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。
  誰にもある要素だ。 もちろん自分にある最も嫌っている影である。その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!
・・・・・・
2001年05月29日(火)
 [35] 一人暮らしのあの頃
今日は終日長男(堀井大)のアパート探し! よくあれだけ部屋があるものだとビックリ! 部屋の中にある人生を感じた。 
一人部屋にある何ともいえない哀愁を! 私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。いつも鏡を机の上に置き、独り言を
言っていた侘しさ。でも自由のよさ。何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。


3350, 新型インフルエンザの総括

2010年05月28日(金)

 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、現在では、話題にさえのらない。
WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動にマスコミが異常に騒ぎすぎた。 一年経ってみれば日本だけが過剰反応。
街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、それが世界のマスコミに報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する
季節性インフルエンザの死者数より少ない結果になったという、変な結果になってしまった。
 医学者で東京文化短期大学学長の中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザの総括をしていた。
・新型インフルエンザの想定が鳥インフルエンザに対してしていた為に、強毒性の行動計画に大きく影響された。
 それが、感染者が一人でも出た時点でも都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、集会の中止がした。
 これが過剰反応という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、カナダの10分の一の死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、直ぐに受診する必要性を国民に訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。 他人に感染させないためのマスク着用も大きく影響した。
 「うがいと手洗い」を多くの人が積極的に行ったことも影響をした。
  〜〜
  以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザの予行練習とみれば、決して過剰ともいえなかった。
 その時の教訓が、この騒ぎの中に多く含まれている。これは国家の非常事態であり、自衛隊の役割が大きく求められる。
  この騒ぎのお陰で30年近く毎年行っていた海外旅行を急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。
 これで大儲けをしたのは製薬会社。 現在でも、何か?大きな疑問が残っている。 
  当時のマスコミの対応も異常であった。 マスコミも、このことを総括したのだろうか?
  ・・・・・・・・・
 2975, 縁は異なもの
 2009年05月28日(木)
  「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、しかも最後がどうなるかわからない。
白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる・・・・現われないかもしれませんから。
  連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」
『徒然草』の一節についてで、それまで私は「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」というふうに
思っていたわけ。でも違ったの。 その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に 薄くなり、もはや用に
立たなくなった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。 ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀と
いうんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を磨いでもだめ。 いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに柔らかくなるんですよ。
兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は「鈍き刀」じゃダメなんですよ。
それが良くわかったの。
 ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。
鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ よき細工に使うことが出来るという。 
言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、凄いことをいう。 芸道や能力のことを言っているのだろうが。
・・・・・・・・・
2611, サルトルについて、考えてみる  −2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。
当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、やはり「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。
人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では「ない」ということなのだ。
たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。サルトルは、人間が「世界に関わる」という
あり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。言い換えれば、人間と世界の間には「すき間」「裂け目」
がある、ということだ。人間が「世界と関わる」ということは、人間が「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。
サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の
「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。意識としての人間は、いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。 
それは、意識が、関係する片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、外部の世界への「矢印」そのものである。・・・
「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく、「自分自身に対して」も裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。 
人間は、常に過去の自分から脱出して新しい自分になっていく存在である。
過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
  〜〜
解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、
 裂け目、世界の無である、という。過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、
 色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、
「関係」そのものであった。それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を幾つか立ち上げてきて、
 その通りである。世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目をもたらす、「意識としての人間」をサルトルは
「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を忘れて見入っているとき、自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、
 見入っている自分を対自として見ている内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われているとき、
 そこは一方の割れた「私」ではなく、裂け目そのものが私である。別に難しいことではないのである。  
  −−−
 *サルトルの人間観
(字数の関係でカット 09年05月28日)
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2007年05月28日(月)
2246, 愚痴
      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては「 三毒の一の癡にあたり、物事を正しく
認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}σ(^◇^;)
人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と、注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあった。愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」というしかない。
                          (-""-;)
私の周囲には少ないが、自分自身、知らないうちに言っているのかもしれない。
思い通りにいかないのが人生であリ、不意の出来事で窮地に立たされたり、本意でない状況は「あざなう縄の如し」、
次から次に問題が押し寄せてくる。それに対し「愚痴を言っちゃ〜おしまいよ!」と痩せ我慢をするのが人間のあるべき姿である。
「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」は最悪のことと分っていても、言いたいのが愚痴である。
だから、居酒屋が存在しているのである。とくに擦り切れるような大組織の人間関係では、愚痴を言い、
憂さを晴らさないことには精神の均衡が保たれないのが男社会というものだ。
              あのバカヤロウ!(>ε<)(-"-;)( ̄ω ̄;)!! チェ
教養ある人が愚痴をいっている姿は、あまり見受けられない。 しかし人生の後半になると、肉体だけではない、
精神の衰えとして、愚痴が出てくるから気をつけなければなるまい。特に身近な問題、矛盾が吹き出る時節である。
自分にプライドと、自立心があれば、愚痴など言わないが、経営者や目上の者が愚痴など言っていたら、
男の風上にも置けない。 「腐った女のようなヤツ」と言えば、       ( ゜o゜)ハッ
「他人の陰口を言い、人を平気で落とし入れ、愚痴を言う人間」である。それは、やはり無知からきているのである。   
「あなた(わたし)、風上に置けない人じゃない!と言い切れますか?」 m(_ _)m
   自立してますか?ということ!                 スンマセン
                    :ヾ(´Д`*)マタネ
・・・・・・・・・
2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題
        ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★   
 ーつれづれにー
一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。
店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年以上前のカセットビデオ、
そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よくみるとチリなど溜まっていない。
もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という
愛想のない声が聞こえてきた。5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。
(以前にもこの店のことを書いたことがあったが)この三匹に役割があって、入れ替わり立ち代り接客をする。
カウンターの上を気を使いながら歩いて客に媚びたりする。  
(字数の関係でカット 09年05月28日)   (。・∀・)バイ!
・・・・・・・
2005年05月28日(土)
 1516, 気の発見−2
気の話なら、40年のキャリアがある。
この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、どういうわけか、これをテーマにしたものは全く無かった。
「気功」などというと誤解されるか、全く知らない人には説明が難しいから、取りあげなかったのだろう。
本棚を見ただけで10冊以上はある。
・「『気が』もっとわかる本」 ・「真気光」 ・「『気』で心と体が変わる」 ・「気の威力」
・「病は気から」 ・「『気』と正しくつき合う本」 ・「‘気'の発見」 ・「『栗田式』超呼吸法」 
・「帯津良一の自然治癒力の脅威」 などなど、
図書館で借りてきて読んだ本を加えれば20冊は軽く越える。(もっとも理解していたかどうかは、全く別の話。
殆どが、その本を買ったことで安心して知ったつもりでいるだけだったが。)その集大成が、「ウォーキング気功」。
しかし、解りやすいという点では、この本は群を抜いている。
ー以下は要所の抜粋であるー
(以下、字数の関係でカット二千八年五月二十八日)
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2004年05月28日(金)
 1151, 「老い」を考えてみる
誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、そうプラスに考えれば、
老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。老いは誰もが通らなくてはならない道である。
人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。登るほど息切れする。
  しかし視野は広くなることも事実である。身体の老いより、心の老いが怖ろしいのが老齢期の大問題である。
  「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗りこえた精神の自由を維持することが大事。
若いときには、われわれは愛するために生きるが、年を重ねるとともに、生きるために愛することが必要になってくる。
過去を振り返って、その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。
身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は老いている」というのが解る。 
何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。人は老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに
気楽なものである。人生は飛び立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。
とくに商売や事業をしているものにとって、最後は切実な問題になる。いかにソフトランデングするかが問題になる。
「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、今になって本当に良かった思い始めている。
気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、どうしても計画どおり行かなくなる。色々な問題が弱いところに出てくる。
それなら、無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。義兄がしっかり60過ぎの準備をしていて、ルンルン気分でいたが、
60歳直後に亡くなってしまった。 思った通りにいかないのが人生である。初めから、人生の余白を埋めるのも
大事ということを教えてもらった。いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。
以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して
『母は50,60,70,80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』と言っていたのが印象的である。
老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つだ。
彼は主人公を通して老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。もう目の前に、一つの峠が見えてきた。
・・・・・・・・
2003年05月28日(水)
 784, 芸術家と芸人
5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、面白そうなので参加した。
大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の集まりであった。
一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。
日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。
といって、取ってつけた感も否めなかった。一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、湯布院、
大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りたお遊びでもある。しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。
特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが感じ取れた。
再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。
湯布院が期待していた以上であった。時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。
個性的な店が多く出ていた。料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。
若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。映画セットの中にいるような感じがした。
30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、ほのぼのとした感じで好きだ。
 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、
広大な敷地とモチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。函館の観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、
寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。
この旅行で芸術家数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」
と酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。
・・・・・・・
2002年05月28日(火)
 420,世間とは
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。阿部謹也の「世間とは何か」という本を
立ち読みをして、思わず納得した。現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない国際「社会」
の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて
漫画的な社会?構造に驚いた。世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、
その滑稽を「気違い部落」という本で著した。それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、と先ほどの「世間とは何か」
に書いてあった。  その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。そしてその地域の噂社会の中で、
よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。
ーーーーーーーー
10年前書いた文章です。
 ーH0407城下街小唄ー
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、
その長所・短所がよくわかる。その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており
漫画的ですらある。彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、
彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”の中心点に近い人間が
言った事こそ絶対のようだ。(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。
固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。
先日もいやな“ウワサ”を聞いた、今は下火になったのだが、新興の各業界の?1の社長が十人あまりが故に聞くに耐えない
“ウワサ”を流された。“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである? それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、
自らの名が出るかどうか怯えている。“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。
・・・・・・・・・
2001年05月28日(月)
 [34] 糸井重里サイトを見て感じた事
糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたがなるほど面白い!
ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が変わってきている事がわかる。
考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータは半永久的に残る。
ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。永久に残るデータベースである。
糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたがわかるような気がする。


3349, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −3

2010年05月27日(木)

 「2011年新聞・テレビ消滅 」佐々木 俊尚 (著)
  * 新聞の敗戦
 ー第二章 新聞の敗戦ー の内容は強烈。 著者によるマスコミの死亡予告である。
   その一部分を抜粋してみる
≪ 結論として、こういうことだ。何をしたって助からないものは助からない。コンピューターの時代がやってくれば
 紙のマスメディアが成り立たなくなることは、実はアメリカでは何十年も前から議論されていたが、これまで
「こうすれば何とか生き延びることができる!」という話は聞いたことがない。もう紙メディアは「さようなら」である。≫
 ここまで書いて良いものかと一瞬思ったが、著者の言うとおりである。 さらにいう、
≪ 新聞は再販制度に守られてぬるま湯に浸り続け、あげくに「押し紙」などという発行部数の水増しを行って弱小新聞販売店を
いじめてきた流通寡占と広告減少が密接にかかわっている(中略)寡占が進むと供給者と需要者の間の情報を取り持つ広告の
機能がなくなってくる(中略)メーカーなどの供給者は、マスコミを通じて直接需要者に宣伝するよりも、強力な流通業者に、
セールスプロモーションと称するカネを払って、自分の商品を売ってもらうほうが効率的という考え方になる新聞、テレビが来年、
消滅するというより、壊滅するのは間違いないようだ。地方の新聞社にとって三行広告というのが隠れた収入源だったのが、
アメリカでは、これがネットによって崩壊過程にある。「売ります」「買います」「仲間募集」といった個人広告がそうだ。≫
 〜〜
 何度も書いているが、アップルのタブレット式のiPadが明日に発売されるが、これが新聞の息の根をとめる役割になる。
日刊紙だけでなく、週刊誌も、月刊誌もだが。3〜5年もしないうちに、全国紙が倒産か、大同合併をするしかない。
総部数も半分か三分の一になる、といっても実感が湧かないが。新聞記者より、端末を持って現場にいる人の方が、
情報を先取りし、共有してしまう。さらにミニブログのツイッターが爆発的に普及しているが、これも影響してくる。
 電子化の波は、新聞、そしてTV局を破壊する大津波である。 次は、テレビ、いやテレビ局の崩壊について、である。
 ・・・・・・・
2974,超円高社会  ー2
 2009年05月27日(水)
「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
  * 資源小国・日本に眠る天然ガス
 思わず見入ってしまったが、実際のところはどうなのか?
ー大まかに概要をまとめてみるとー
英国が第二次世界大戦後、英国から主だった植民地が全て独立をしてしまった。
にもかかわらず、ケインズ流の高福祉政策が労働党によって実施され、経済は活気を失い、国は疲弊の極に陥っていた。 
それはソ連がばら色の宣伝を行ったことも影響していた。この英国病を救ったのは、サッチャーの行った徹底的な民営化と、
小さな政府への方針転換がある。 だがいま一つ、「北海油田の発見と開発」なのである。日本も現在、英国病に似てきて
日本病の様相になっている。ところが日本にも年間消費量の数十年分の天然ガスが噴出したとしたら、どうだろう。 
それがあるというのだ。メタンハイドレートという。 低温高圧の環境下でのみ、メタンガスは少量の水といっしょに
氷を作る性質がある。この「メタンの氷」、メタンハイドレートの鉱床が、静岡県から鹿児島にかけての太平洋沿岸の沖合いに
広がっているのが発見された。 経済産業省が2007年に静岡と三重県の沖合いの区域を対象にして資源量評価を実施した。
その結果、その区域だけでも日本の天然ガス消費量の14年分のメタンガスが眠っていることが分かった。
今回の調査で最大のポイントは、所どころに集中的にメタンハイトレードが存在している場所がある発見だった。
濃集帯の存在が判明したおかげで、発掘の商業ベースに乗ることが分かったのである。
静岡と三重だけで7年分、日本沿海で数十年分のメタンの氷が眠っている可能性があるという。
何でできたかというと、地上の有機物が数百年ごとの間隔で、ドスンと一気に流れ込み、海底に深く溜まったことが判明した。 
つまり、西日本の太平洋側は温暖で雨が多い。そこには豊かな緑が育ち、大量の有機物が地上に蓄積していく。
ところが山が険しく、海が深い。しかも地震帯のデパートである。数百年に一度、巨大地震が襲来し、巨大な台風が襲来する。
地上に分厚く堆積していた有機物の層が一挙に深海にまで勢いよくなだれ込んでしまう。これが浅かったら意味がない。
一気に深海のなだれ込むから意味がある。 深海1000mまで一挙に落ちるから、低い水温と高い水圧で閉じ込められて、
その水圧がメタンハイドレードガスをつくる。 こうしたメタンガスの氷が海底一面に覆い尽されていたのだ。
こういう幾つかの好条件が全て重なって、巨大な鉱床が生まれたのである。 その研究フェーズは2008年に完成し、
2017年には商業化を始めたいのが、現在位置。 あと8年後には日本は世界有数の資源大国に変身し、エネルギー自給国家に
変身しているのである。 台湾近くの尖閣列島に、その鉱床があるから中国は、因縁をつけて、そこを狙っている。
 ーー
 以上だが、採算ペースに合うかどうかの多くの問題があるはずで、そのまま信じて良いのかどうかである。
・・・・・・・・・
2610, 平和度指数で日本が5位というが !
2008年05月27日(火)     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 ーまずは、YaHooのニュースーから
英経済誌エコノミストの調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)などが
140カ国の政情や治安状況を分析し、ランク付けした「世界平和度指数」2008年度版が20日公表された。
日本は昨年と同様5位で、主要8カ国(G8)中では最高。隣国と緊張関係にあるものの、重大犯罪が少なく、
政情も比較的安定していることなどが評価された。
(1) 戦争や内紛が起きたか(2)暴力犯罪のレベル (3)政治的安定性 (4)テロ発生の潜在性など24項目について分析し、
 数値化して国別比較した。トップはアイスランドで、二位がデンマーク、三位がノルウェー、4位がニュージーランドが続いた。
 最下位はイラクで、ワースト2位はソマリア。ほかは英国49位、中国67 位、米国97位などとなっている。 
 ーまた読売新聞によると、
日本は、防衛費の対国内総生産(GDP)比や犯罪率が他国より低い点が評価。
G8では、米国は97位(昨年96位)、ロシアは131位(同118位)だった。
上位20か国のうち16か国が欧州勢。
 --
 以上だが、それでは何でトップ三位には入れなかったか?その理由として近隣に北朝鮮や中国などの不安定の国があるから。 
その北朝鮮は133位という。トップ4位の国は、いずれも行ったことがあるが、共通しているのは、自然が豊かで、福祉が
行き届いており、治安がよいことである。 何で日本が5位なのか、島国で、自然が豊かで、当面テロなどの心配が少ない
ということか。確かに、アジアでは間違いなくダントツに一位ではある。外国人、特にイギリス人の目からみればやはり、
住みやすい国なのだろう。カナダ、スウェーデン、ギリシャも住みやすそうだが? アイスランドも確かに良いが、カナダや、
日本と比べたら如何か?   何時の間にか暮らしやすさに問題がすり替わってしまった。
行ったことがないがブータンなども考えられるが・・・
幸福と平和、どこが違うか? 幸福は主観の問題が強いが、平和は安全問題という客観が求められるか!
                     \(⌒∇⌒)/ホナ、平和ぼけ諸君 バイ
・・・・・・・・・・
2007年05月27日(日)
 2245, 耐震偽装 ?3
ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
この問題、知れば知るほど根が深い。 間違いなく政権を根底から揺るがす大問題で、背後に創価学会の何かさえ窺わせている。
本当に何時殺されても不思議ではないほど本人はキーマンになってしまった。外人クラブで、藤田は記者会見をして、
今回の問題を暴露していた。この本も自分の生命を彼ら?から守る意味もあったのだろう。
阿部内閣になったとき、一番初めの留任が公明党の北側だった。その時何か奇妙な感じをもったことをおぼえている。
この本が、何時の間にか店頭から消えてしまうのか、増版を重ねるのか、見ものである。実名を書かれた関係者も、
心穏やかではないだろう。とにかく参院まで、押さえきれるかどうかが彼ら?にとって、分岐点になる。
誰もがおかしい!不可解!と思っていたから、これは謎解きとして公開裁判的に問題の火が広がる。
司法は三権分立のはずだったが、今の司法はここまで成り下がった事例として世界に発信してしまった責任は重大。
ーー
Pー301
 田口は、じっと私を見てから、静かに口を開いた。
「今回の偽装事件は、創価学会内部の問題だと思います。今度の内閣改造で初めに決定した大臣は、北側国土大臣でした。
今に出てきますが、<そうけん>というのが絡んでいます。今回、偽装が関係したホテルオーナーも、姉歯も、
ヒューザーの小嶋も、皆な関係者です。この問題を表面化させないため、公明党の北側が続投して、
一挙に解決を図るべくイーホームズがターゲットにされたのです」  田口の思いもよらない言葉に、僕は驚いた。 
「何でそんなことを知っているのですか」僕は唖然として口を開いたまま訊ねた。
「今にわかります。『きっこの日記』というサイトがあります。そこをモニターしてください」
田口は、時として何かを暗示する。今までもそうであった。僕はその話を聞いても「ありえない話」だと思ったし、
あまりにも空想が過ぎるのではとおもった。田口は「きっこの日記」という謎の言葉を残して僕の部屋を出て行った。
僕は、困惑しながらも、グーグルで「きっこの日記」を検索してみた。これが初めて、「きっこの日記」を知ったときだった。
  Pー393
 この事件に遭遇するまで、僕は、マスコミとは‘真実’を伝えるのが仕事と思っていた。
ところがこれが違う。もし、あなたが何かの事件に関わり、取材を受けたとしたら
(字数の関係でカット 09年05月27日)
 ーー
マスコミの実態の姿がそのまま書いてある。 マスコミなど、その程度のものだろうということを知らなくてはならない。
しかし、今はインターネットでこうして事実は一瞬のうちに知れわたり、覆い隠したり、操作も限度が出てきている。 
この問題は、国民の間に周知されているのである。しかし国民レベルが低ければ、如何にもならないだろう。
高みの見物ではなく、それぞれのレベルで主張すべきは主張しなくてはなるまい。     (*・ω)ノβψε★βψε
・・・・・・・・
2006年05月27日(土)
 1880, 新潟県活性化案
1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
2、コスト削減のため単線にする。
3、新潟飛行場を3000~3500?に延長してハブ空港(国際空港)化する。
4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、特区にして高層のビルの容積率を
 1千%に上げ、買入価格の二~三倍?で売却、新幹線工事費の半分?大部分を捻出する。
5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
 ?特区として、労働特区(外国人への最低賃金制度を免除等)学校特区、高齢者特区・・・
6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システムの無人電車を通す。
 (新幹線の空いている時間をフルに使う)ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
7、新潟駅から朱鷺メッセ?西港~飛行場~東港の新交通システムを新幹線の延長工事にあわせて本格検討に入る。
 以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、高らかに宣言をする。
 その象徴(目玉)として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」とする。
 ーー
 以上が新潟県活性化のための原案である。観光は金沢・富山・福井の観光資源に対して太刀打ちはできないのは
誰の目にも明らかである。(2010年富山開通、2014年金沢全線開通)東京駅から新潟飛行場まで直接乗り入れをすることで、
日本初の直接乗り入れのハブ空港にすれば良い。時代は日本・中国・ロシア・朝鮮半島の環日本海時代であり、
首都圏からは一番近い立地を生かした拠点として、物流基地、アジア大陸への拠点基地として首都圏への中継基地として、
さらには独自の物流基地化が新潟県の機能としてもとめられる。「新潟から2百?のテリトリーとした商圏」のハブ空港化も
セールスポイントになる。軌道にのるに20~30年のスパンになるが、これが新潟県の活性化の最適な姿である。
この案に近いものが方針に出されるだろう。 何故なら、当たり前のことであるからだ!
・・・・・・・
2005年05月27日(金)
 1515, 気の発見 ー1   ー読書日記
去年の今頃に書店の店頭で目にしたが、初心者向きに思えたので買わなかった。
ところが先日、図書館で偶然見つけて読んだところ、これが面白い。五木寛之と、対話者・気功家の望月勇の対談集であるが、
作家と気功家の組み合わせが良かったのか、気功について解りやすい言葉で引き出している。
「気ってなに?」という本質的な部分と、気による治療行為、 想念、 遠隔治療、イメージ治療、東洋と西洋の思想の違い、
誤った呼吸法の危険性とかが、読み手に解りやすく語りあっている。私自身、学生時代に合気道に出会い、本部道場にも通った
こともあり、気については40年間にわたって、本を読んだり、実践を通して健康法の一つとしてとり入れてきた。
現在は20年近くかけて「ウォーキング気功」を独自でつくりだし実践している。早朝、土手を腹式呼吸をしながら手の先に
意識を集中をしながら歩く。さらに、太陽を7~8秒見つめて目を閉じて残像の光を見つめる。
それをしながら歩いていると、途中から全身腹式呼吸になってしまう。丸一日の毒素が、身体から吐き出ていくようである。
数年前までは、手の先がヒリヒリする程度であったのが、現在は、ビリビリするほどになった。
特に、ラジウム石のブレスレッドやネックレスを身につけるようになってから、更に強くなった。
気功の先生などは、バリバリするほどになるという。二人の会話は、素人向きに語っているが、内容は高度である。
 ー次回は、この本の面白そうなところを抜粋してみるー             ー つづく
・・・・・・・・ 
2004年05月27日(木)
 1150, つれづれに
ー古着屋ー
最近に新潟と長岡につづけて古着専門チェーン店がオープンした。面白そうなので、新潟店をみてきた。
105円のネクタイ二本を衝動買いをしてしまった。持ち込みの古着を?100円で仕入れる。荒利が82パーセントとか。
店は120坪位で、売りにきた人が買っていくケースも多いようだ。全国で三十数店のフランチャイズ・チェーンという。
ハード・オフやブック・オフがあるのだらから、古着があって当然である。
一昔前なら考えられなかった古着屋チェーンとは、時代も変わったものだ。いま元気なところといえば、
リサイクルショップとディスカウントである。時代が厳しくなっているのだろう。
 ーー
ー自然体ー
フッと詩集が目に入ったが、なかなか深い自然体の良さがでている。
【坂村真民詩集】
才なき人は才なきままに 処するがよい           花にたとえるなら侘助(わびすけ)のように
鳥にたとえるならみそさざいのように おのれの花を咲かせ  おのれの歌をうたい 嘆かず訴えず
なにごともあるがままに 生きるのが一番よい        
《見えないからと言って》
日の昇らない時があっただろうか        月の出ない時があっただろうか
見えないからと言って             なかったとは言えない
それと同じく                 見えないからと言って
神さまや                   仏さまが                   
いないと誰が言えよう
それは見る目を                持たないからだ                 
大宇宙には                  たくさんの神や仏さまが居て          
この世を幸せにしようと            日夜努力していられるのだ
一輪の花の美しさを見たら           一羽の鳥の美しさを見たら
それがわかるだろう              見えない世界の神秘を知ろう
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2003年05月27日(火)
 783, 新婚さんいらっしゃい !
テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。 桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、
2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬 両司会が引き出していく。
恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。人間の原点や、それぞれの人生が結婚というプロセスで見えてくる。
時には際どい下ネタが出てくる。この番組を見はじめて30年以上が経つ。軽いのりで時代背景がそのままでるのがよい。
周辺のいろいろな結婚を見ているが、全国レベルの変わった結婚のカタチが面白い。
 先日のケースの「拾った男と結婚した」というのが面白かった。 17歳の家出少年を一歳年上の女性が拾って、
カラオケにいって、そのまま部屋に泊めて、成り行きで結婚したケース。捨て犬を拾ってきて、飼っているという感覚である。
色々あるものだが、結婚は人生の私生活という面で大半が決まってくる。結婚相手レベルが自分であるといって過言ではない。
幸せを笑いで祝っているのだから、本人達、放送局、視聴者の三方両得になる。
・・・・・・・・・
2002年05月27日(月)
 419,「金融腐敗列島」
昨夜、BSー6チャンネルの「金融腐敗列島]を見ていると、現在進行中の何処かのある地方銀行の姿そのもの。
(この映画面白いので過去に放送するたび4回見ている。)建てなおす主役がいないことが映画と違うが?
ひどいものである!「取れるところから、分母の貸し金を剥ぎ取れ」が、実際露骨におこなわれている!!!
(大口の倒産の引っかかりを中小の引き剥がしでカバーしている露骨な実態)
どうなるの日本?これが情報化!どんどん腐敗の内部がこと細かく暴露される。
どんどんTVで流されていること解ってないのだろう! 自分が同じことをやっている事、解ってない!
こっちは4回見ているのに。 これが日本の姿は旧約聖書の世界に似ている!
日本的社会主義の末端??の最終踏ん張り。でもその一員でしかない! そのテリトリーの?
それだけ現在は追い詰められている! 金融腐敗列島の内容が、今こそ露骨な現実だ。
・・・・・・・・
2001年05月27日(日)
 [33] デフレ実感
家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェ?ク1個を買って300円でお釣りがきたという。
息子とインスタントコーヒーを出し、チーズバーガーを1つとシェ?クを半分ずつ飲んで信じられない感覚だったとか。
1人150円でインスタントコーヒーをいれて170円、デフレを実感したという。うかつであった。
買った事がなかったのだ。 100円ショップ、家具のニトリ、サエゼリア、ユニクロ大きい共通点がある。
物価のグローバル化を戦略的にめざしている。100円ショップの原価は平均28円だそうだ。
300円から3000円のプライスの商品をトレードオフして、中国などの国で10?35円で作らせて持ってくればいい。
100円ショップは当分は伸びる。2000?3000円した旅行用空気枕を100円ショップで買って結構良いのに驚いた。
デフレとこの不況まだまだ入り口だ! デノミのタイミングもそろそろだろう。


3348, 閑話小題 

2010年05月26日(水)

 * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快がない夢をみた。これは不徳のなせること?
もう一つが夜空の星雲をみている夢である。 それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、夢でしか経験できない内的な経験である。
もっと近づいて見ようとするうちに夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めてだが、
こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や「2012年」をシアターでみたのもあるか。
3Dの映画やTVで、これに近いか、それ以上の経験もできるのだろうが。 脳の奥行きの深さを夢で知らされた思いである。
こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする内的経験であった。 内面は宇宙ということ? 
宇宙の境界線に実は我われの意識があるのでは? それとも、宇宙の外の視線?
夢分析?からみると、その不快な夢が、その前段階にあり、それからドロップしたのが、宇宙ということか。
 * 朝鮮半島の不気味!
 朝鮮半島が不気味な緊張感に包まれてきた。果たして米韓の陰謀なのか、アメリカの潜水艦が接触事故をおこしたか。
北朝鮮の攻撃だったのか、今のところ分からない。北朝鮮としたら、新通貨導入失敗の混乱の引き締めと、
後継者引継ぎの権力移行の計画的パフォーマンスとも考えられる。 実際に、この真相は何年か経たないと分からない。 
欧米諸国にとって、ここで戦争を起こして注意を向けて、その間に通貨切り替えをするに丁度良い事件。
中国が上海万博で動きづらい時期と、ワールドサッカーもあるから、ここが狙いどこでもある。 
イラクが片付き、次は北朝鮮かイランという順もある。アメリカにとっても、北の暴発を期待しているのか。
欧州の金融恐慌の広がりも含めて、だんだん、生臭くなってきた。
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2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、欲しいだけ、いくらでもニッポンATMから
ゼロコストで引き出しできるというのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに流れていき、
世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力となったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに
供給してきたキャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、産油国が好景気を堪能した。
しかしただ日本だけは、好景気から取り残され街角に佇んでいたのである。ニッポンATMからどんどんお金を引き出しては、
飲んで踊って、いい気分に酔っていた。 自分の銀行口座に残高ゼロなのに、ATMから無尽蔵に引き出しているとしたら、
それが本当にラッキーだったのだろうか。ゼロコストで借りたと思って引き出したお金には高い金利がついていた。
為替変動によって、数割も、ものによっては数倍にも元本額が膨らんでしまった。・・・ 》である。
 もう一つは、「おわりに」の政府を「一法人」に例えた話である。
《 政府は一個の法人に過ぎないと言う事実を見過ごして、「国民が1570兆円の金融資産を持っているから、
 1570兆円までは国債を増やしても大丈夫」などという戯れ言に、ウカウカと乗せられて国を誤ったのが、この結果。
町内に資産が16億円の資産家が住んでいたとして、そこに住む札付きの悪党が合計16億円の借金をしていいとは限らない。
悪党と資産家が同じ町内で住んでいても、別個の家計を持ち、独立した人間であるからである。
ところが、こんな滅茶苦茶のな理屈でも、成り立つ場合がある。 警察にも裁判所にも悪党の息がかかっている場合だ。
何をしようが、借金をチャラにするだけの力を持っていることが前提である。 悪党=政府が国民から資産を
脅し取る権利が前提である。それを知っている町内の人は誰も金を使おうとしない。ところが、悪党が改心をしないで、
上手くいくケースもあるのである。 町内が対象となる大規模再開発計画が明らかになり、いきなり投資資金が
流入し始めた場合が、これに当たる 》
 解りやすい例え話である。特に「まえがき」のニッポンATM論が、何とも上手い例え話し。
後者の方も、私もそう信じさせられていた。悪党が裁判所と警察とグルときているから絶望的である。
 町内の人もある日、その事実を周知する。それが何時か?近い。結果として株価暴落と、ハイパーインフレ?
・・・・・・・・
2609, サルトルについて、考えてみる ?1
 2008年05月26日(月)
              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。
サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」
というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、
 ということだけは疑うことが出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
  それをサルトルは批判をした。 彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の
 「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。
 つまり反省している意識とは、意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。                   
       次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)
・・・・・・・・・・
2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2
          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。 
ネット上に事実が時系列に流れているからである。「安部首相が何で『美しい日本!』など言う資格があるというのか?」
と週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通り。
藤田はパソコン世代なのである。会社のHPや自身のパソコンに詳細に成り行きをメモしていたのである。
文藝春秋が圧力?で、この本の出版から降りてしまった。しかし、彼は自費出版というカタチで世に問うてきいたのである。
人気ブログの「きっこのブログ」に、自分の書いた文章を寄せてきたのである。これで火がついたのである。
国交省の役人も思ってみない所から火がついてしまった。小泉と安部でしか、この隠蔽は指示・判断できないのは明らか。
そして、その安部が『美しい日本』などと、のたまっている。政治家を今さら非難するなど、意味はない。 
pー^263
 (字数の関係でカット2008年5月26日)      ーつづく    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
(字数の関係で中間カット2009年5月26日)
今日は、私の事務所のあるホテルで、[新潟県活性化を考える会]が開かれる。
14~5名の出席である。去年11月、東京で不動産鑑定士をしている大学のゼミの後輩から電話が入った。
卒業後、ゼミ出身者の会で何度か顔を合せていたが、それでも十数年ぶりであった。
この人は[道路行政に関する本]を出していて、数万冊売れたという。
(字数の関係でカット2009年5月26日)
 ・・・・・・・
2005年05月26日(木)
 1514, 酒中日記        ー「酒中日記 」中公文庫  吉行 淳之介著    
何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』のエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。
ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。 
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、更にひきつけられる。
30年?40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。さすがに作家の日記である。具体的に克明に、
面白おかしく書いてある。このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが具体的に記憶に
鮮明に残っただろうに、残念である。「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」が書き残してあったら、
私にとって絶品の内容になっただろう!誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。
この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、酒乱とその翌日の後悔の時間、大酔しての活躍状況、
いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの酒にまつわる話が次々と出てくる。吉行淳之介から、
安岡章太郎、瀬戸内晴美、遠藤周作など、現代文学史に出てきそうな人たちから、山田詠美、吉村昭までの32人の作家に
よるエッセイだから、面白くないわけがない。「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)をテーマに軽く書かれたが内容は生々しい。
「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、
飲んでは人を呼び自分も出かけるという、「作家」イメージが見事に再現されている味ある文章が続く。
「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなく、また死んだフリをする。」など、酒飲みの
何ともいえない心理を書いている作家もいる。銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、
京都逗留の水上勉の一人酒の話もよいものだ。創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や先斗町をフラフラと
飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。次に具体的に彼らの文章を書き写してみたい。
                ー つづく                   
・・・・・・・・
2004年05月26日(水)
 1149, ああ結婚! ー1
結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で
生まれてきた。そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。そこで、格言集の中から面白そうなものを
探してみたところ、あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとに
あらゆるカタチで露出している。結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。そこにあるのは、相性と、忍耐と、
諦めと、思いやりである。以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。
一番こころ、うったのは、「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめだ!」 ーバイロンーである。
過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!女房も同じだが。
自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。 実際にありそうな話だ。
 ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
   ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 
・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。  D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。   ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。       フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。     バルザック
(字数制限のためカット 2010年5月26日)         
 ・・・・・・・・・・
2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた
  (字数の関係でカット2008年5月26日)
・・・・・・・・・
2002年05月26日(日)
 418,価値観の変遷
大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」を卒論のテーマに選んだ。「こいつ凄いテーマを考えたな」と
完成を待ったが、結局テーマ倒れであった。 時間がないということで、断念してしまった。
 ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。それを受身でなく、
 積極的に自ら変えていく時節。どんどん変わっていく価値観と変わらない価値観がある。そして地域によって違う価値観がある。 
 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。
 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。
・・・・・・・・・・・・
 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化
欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07?
 デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 
・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01?30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。?深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた当時年間20万人しか
海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。
その時の印象に残っている事は、
1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をした。それと露骨な人種差別の視線を。
2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 
 全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
 〜〜
A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ! 一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安! 
 郊外にあったお城からみた緑と空の色! 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこのバイキングの食事
 ーバイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。 確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が
 一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよい
 ハイデルブルグ、そしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見た
 ピエタの像。 地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク?その何ともいえない素朴な景色。 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な
 東南アジアの良さがにじみでていた。この旅行から帰ってきて2?3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −2

2010年05月25日(火)

 一般投稿というアイディアをカタチにして1年半僅かでグーグルに16億ドルで売却するのだから驚きである。
最近、映画館に行くと開始前に「ビデオの撮影禁止の注意」を流すが「ビデオに何故撮る必要があるのか?」と疑問だった。
YouTubeに投稿するための盗撮だったのである。 少し画質の劣化を我慢すれば、このサイトで見れるのである。
 外国でも、日本のニュースなどや、人気のワイドショーなどが、ここに投稿されていてネットで見ることが可能になった。
大晦日の紅白歌合戦を、これで見る人が多くなっているという。 テレビが無くともパソコンで見れるのがポイントである。
当初、このサイトの動画は最長5分だったが、現在では10分。普通のテレビ番組が数百万人、数千万の視聴者を5~10分間、
釘付けにすることは不可能である。 実際にケーブルテレビのチャンネルが100もあるアメリカでは、平均滞在時間は
13秒でしかないという。 だから、5〜10分間見てもらえるユーチューブが広告メディアとして注目されるのである。
これまで外国の人たちと日本人の共通の話題がなかなか見出せなかったが現在では、この人気ランキングの話題が共通の
話題になることが多いという。 私のブログに面白いのを見つけると載せるようになったことから見ても、肯ける。
 TVボクシングを見ていた猫が立ち上がりボクサーに感情移入をしてしまい、左右のパンチを繰り出している映像が
人気ナンバーワンになっていた映像があったが、誰かに教えたくなるのも人情。また聞けば見たくなるはず。
日本にも独自の「にこにこ動画」が出来て人気サイトになっているが、そこから変わった人気者が出始めているという。
 数日前に、ソニーとグーグルが、パソコンとテレビを融合した未来型のテレビ開発で提携と発表があった。
この恐ろしさを一番感じているのがテレビ局だろう。 グーグルはYouTyubeの親企業、その映像がテレビで気楽に
見れるようになったら、視聴者も広告スポンサーも、一挙にネットサイトの映像に向かうことになる。
 ユーチューブには、これまで投稿された膨大の映像が保管されているし、それをテレビを通して気楽に見ることが
できれば視聴者は直接、見ることが可能になる。 さらにタブレット型パソコンが、この数年で爆発的に普及するだろうが、
これもテレビに縛られていたカウチ族が、それを持って外に出てくる。 これが「ツイッター」と連動すると、
社会のあり方そのものが、さらに根底から変化するはず。だから、情報発信だった百貨店が壊滅をしているのである。
 他人事ではない、ビジネス関連と打ち合わせのための宿泊は激減している。情報革命が、これだけ激しいものとは。
 ・・・・・・・・
2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬と朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てがモンゴル人である。 
大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 
一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌、パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、
何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
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2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
新潟市の古町近くの地下の西堀ローザが、去年の売り上げが前年度の30?減だという。
オープンから30年が経っており、16年前の売り上げが三分の一、11年前の半分、6年前の6割、
一年前の7割というから、壊滅状態といっていよい。テナントも47店舗のうち7店舗も開いている。
去年できた新潟駅から10分ほどのラブラ万代の影響が20?、郊外にできたイオンのSCの影響が10?。
まあ、手の打ちようが無いのが現状だろう。ダウンタウンの古町にある大和百貨店も撤退の意向のようだが。
新潟駅の再開発も、今後すすみ更に古町周辺は地盤沈下は避けられない。これも時代の流れである。
同じことを、知人が言っていた
「長岡駅と新潟駅の中にテナントとして入っているが、長岡は、ユニ系のアピタがオープンしたら三割減。
新潟駅も三割減である。今年が勝負の年になる。新潟駅は新ビルが出来たところに移転するが、経費だけ増え、
売り上げが元に戻るだけ。」
 *柏崎原発「一月再開」という内部文章が露見?
柏崎原発が来年の一月に再開、という文章が外部に流れたという。
これも、穿った見方をすれば「やらせ」?とも思えるのも、東京電力への不信感が強いからか。
そうとすれば上手いやり方である。 従来の5倍の震度に耐えられる構造に作り変えるというが?。
 ーー
 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ
生きられるのである。雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!
・・・・・・・・・・
2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
                 (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記
インターネットで取り寄せた本だが、読み出すとなかなか面白い。
国家権力による偽装と隠蔽をそのまま暴いてる。ヒューザーや、アパグループのマスコミ発表は氷山の一角!
平成元年?17年の間にわたって200万棟?の偽装のビルがあり、それを許したのは国交省である。
政府と役人そして、それを周知の上でつくったマンション建売業者は、この問題は、けりがついて、
この世からイーホームズと少数の者が消える、そう考えていたであろう。国の威信を守ろうとした策謀が、
かえって国家そのものを傷つけていくことを、そのまま告発しているので内容はクールである。
「偽装物件を押さえようと思っても、雨後の筍のように後から後から出てくるな。
誰も止めることなんてできないと思う」まさに予言者の如くであった。
 (本文より抜粋)
  (字数制限のためカット2010年5月25日)
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2006年05月25日(木)
1878, <不良>のための文章術
              おはよ?!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
 ーNHKbooks 著者 永江朗  ー長岡中央図書館・借入れー
5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。書き続けたからこそみえてきたこと。 
何が違うのだろうか? ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。
そんなことは素人が書くことだという。この本でまずガツンとやらえるのが「自己表現を捨て読者を愉しませることに徹せよ!」
である。私の5年間書き続けてきた「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。そこがプロと私の差である。
もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!
 ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。
こんど行こうかしら」と、書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそが
プロフェッショナルの文章である。おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
・・・美しく正しい文章なんて、退屈で眠たくなるだけです。そんなものはシロウトにおまかせしておけばいい。
プロは客を退屈させてはいけません。客を眠らせてはいけません。良識ある人は顔をしかめるかもしれませんが、
しかし、それでいいのです。(中略)というわけで、<不良>になればなるほど文章の商品性は増します。
<不良>でたりなければ、極道でも悪党でもなんでもけっこうです。つまりこの本は、「出版社がカネを払いたくなる。
読者が買いたくなる」ような文章の指南書である。名文はカネにはならない。美しく正しい日本語は良い子のもの。
不良(プロ)は自己表現という考えを捨て、読者を愉しませることに徹します。「本書を読めば、誰でも
プロのライターになれます」万が一なれなかったとしたら、それはあなたが『良い子』だからです」と。
「自己表現を読みたくなるのは有名人、大家に限ってのこと。どこの馬の骨だかわからないやつの自己表現など
見向きもされない、ことを自覚しておくべきだ」という。アマチュアの文章が「書き手」からの発想とするなら、
「読み手」から発想するのがプロの文章です。「読み手」にとって役立つ情報とは何か、プロは「読み手」は
何をいちばん知りたいか、から考えはじめる。
読者が知りたいのは書き手の「私」ではなく「本」であることを忘れないよう釘をさしている。
 ーー
図書館で借りてきて、買いたくなる本が三ヶ月に一度くらいある。この本が正に、これだ。
プロになりたい人より、プロの技法を盗みたい人向けの本でもある。
最近では[ローマから日本が見える][ずっとやりたかったことを、やりなさい」である。注文をして手元に届くと、
それで安心して読まなくなるが,それでもよいと思わせる本が良い本である。「商品としての文章を書くのがプロである。
だから貴方の文章はつまらないのです」と自覚せざるを得ない内容である。文章術に関してベスト3に入る本である。             バイ♪(ノ´∀`*)ノ
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2005年05月25日(水)
1513, こころを凛とする196の言葉 ?2
               ー読書日記
美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、
そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、自分は
悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに年上の女を思おう。
辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが
「姿勢の悪さ」であると思う。背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。
美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・・。世にも簡単な、変身である。
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。
・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話
遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。自然淘汰における中心的な役割を
演じているのは、遺伝子と生物個体である。」人間の身体を支配するものは遺伝子であって、
人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
 ーあるホームページからのコピーですー なかなか解りやすくうまくまとめてあるー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは
遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。  (以下、字数の関係で中間カット2,009年5月25日)
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。個体を維持させることが目的でなく、
遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になって
きたことは確かである。神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?
・・・・・・
2003年05月25日(日)
 781, 父が亡くなって30年
 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。 もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。 必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。 時間をかけて種銭をつくり、
情報を自分で集め、投資をしろということを教えたかったのだろう。ー以前書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)
・・・・・・・・・・
2002年05月25日(土)
 417,人生の負け組みと勝ち組み
だいたい20?が勝ちで、80?は負け組みである。何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。 その意味でやはり、あるはずだ。
社会的な勝ち負けの話しではない。 負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、 ・未来の計画をキッチリ立ててある人
そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。刑務所など99?だろう。
その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。80?の人も然り?ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。
ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。
「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」こう言える生き方が勝ち組だ。
・・・・・・
2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていくものだが、
ーいつか実行したいと思っていた。そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。 しかし途中挫折しなければよいが? 
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。どういう展開なるか自分でも解らない。小さな世界がますます
露呈されていくが、しかたあるまい。だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが
 


3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1

2010年05月24日(月)

 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白いとサイトを開いてK-1を見て驚いたが、
それっきりだった。 それがビデオカメラを買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度にはまってしまった。
 このサイトのHPによると
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと作業の末、YouTube.com をオープンしました。
その使命とは「誰でも簡単に動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、または大きな何かと
繋がっていたいという人たちが、自身をブロードキャストすることができる場となりました。
YouTube は誰もが想像したよりも遥かに素晴らしいサイトに変化を遂げ、活気に満ちたユーザーのコミュニティが創られた。
多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は 1 日あたり 20 億回を超えるまでになりました。
これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値です。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、
200 カ国に放映される 1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、
更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビューまでも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
2006年10月にグーグルに16億5000万ドルで買収されグーグルのグループ会社となった。
社名とサービス名であるYouTubeのTubeは、真空管、映像を表示するテレビのブラウン管を意味している。
今や大画面TVでくだらないバラエティーやドラマを見るより、パソコンの小さな画面で素人が投稿した動画を見る方が
面白いと感じるようになっている。 世界のネットやビジネスの共通話題がYouTubeの映像の話題になることが多いという。
一つの映像を世界中で数千万人がみることも珍しくない。アフリカの動物の動画で一千万以上のアクセスが次から次に出てくる。
見る方からしたら五百万以上のアクセスのものから見れば、面白いのに確実に辿りつける。
更に驚いたのが、アクセスしたテーマの類似ビデオが右側に羅列して出てくる。これでは、はまる訳である! 
                                         ー続く
 ・・・・・・・・
2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。
さすらいといえば、船乗りと遊牧民である。 彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。
彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。
「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、さすらいが出来る。
 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤ・キリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、
彼岸という最終目的に至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。
 今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
しかし、著者は到着のためにさすらうのではなく、「さすらいのためのさすらい」、「さすたいのうちに住まうこと」
「住まいながらさすらうこと」すなわち「旅を枕とすること」を主張している。
我われが住まう空間を個々の物質的に限定された家の枠を越え、天と地のあいだの空間、
すなわち世界という家と解釈するならば、そこは我われがさまよう空間でもある。
 さすらいの人生、そういえば哲学的だが、元々人類は一万年前までは、さすらってきたのである。
それが天変地異があり、採取では生きていけなくなり、実のなる木を植え、動物を囲い込んで飼うことで
生き延びてきた。そして、それまでの移動生活から、固定した家をつくる切っ掛けになったのである。
だから、さすらいという言葉に人間は本能的に憧れを持つのである。
 既に亡くなった両親や、兄や姉、そして親戚の人たちを思い出すたびに、彼らは、娑婆でさすらい住んで、
そして無に帰っていったことがわかる。この歳になると友人が多く亡くなっている。
彼らを思うたびに、天の下、地の上に住まいさまよってきたことが合わせ鏡のように理解できる。
先日、小林旭の「さすらい」と、渡哲也「東京流れ者」をカラオケスナックで唄ってきたが、
「落ちこぼれ者」の哀愁の歌でしかない。 全ての人は、生まれ、住まいさすらい、落ちこぼれていく?
 ・・・・・・・・・・
2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、
現職議員や老人福祉係、ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、
トレンドクリエイター、コピーライター、サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、
その他諸諸のことについて、対話する。筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、
ソクラテス(池田晶子に話をさせている。 ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。
これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。
確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 でも、世の中って、そういうもんて言や、
そういうもんなんじゃないの。 (中略) あたしは、自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。
言ってわかる連中じゃないんだから。(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、
自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとはそっちが先でないのか。
みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、結局世の中全体が、
そういうふうになるんでないのか。.……」ーソクラテス
『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「 フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
   女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
  クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
   社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
   断然その方が面白いね。
  フェミニスト  全然甘いわね。男たちは女の言うことなんか、そんなに簡単に聞きやしませんよ。
  クサンチッべ  そりゃ、あんたがそれほどのタマじゃないからさ。それだけのことだよ。
  フェミニスト  失礼ね!自分の食い扶持も稼げないくせに!
  クサンチッペ  やれやれ、食うことばっかりこの人は言うんだ。ない、私が稼がないのは、
   ソクラテスが私に惚れているからだよ。男ひとりに惚れられなくって、何で女の能力なのさ。」
 ーー以上だが、
もちろん、クサンチッペは池田晶子そのもの。 一人にやにやして、自己会話をしている姿が彷彿する。
そうそう、面白いことを思い出した。 ある家の部屋の更に奥にある部屋に入って亡くなった親戚、家族、友人、
恩師などのテーブルを想定して、そのテーブルに座り、一人一人と会話をするイメージの創作をしたことがあった。
何かの本からヒントを得たのだが。これをイメージだけでなくノートに書けば、面白い文章になったのに、書いておけばよかった。
当時は気持ちが重くなって、あまり長続きはしなかった。今からでも遅くはないが。
 脳内会話の本、アマゾンでまだ注文してないが、するか。
・・・・・・・・・・・
2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 *滋烈亭のママ*
十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」というと「滋烈亭」という
創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ ところが当時、改装をしたという
案内をもらったので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
当時、「ちょっと高級志向的過ぎるのでは?」と注意した記憶がある。露骨に嫌な顔をされて、それ以来行ってなかった。
その直後に金融の再編成や、官公庁への接待なども厳しくなって、高級イメージがマイナスになったことも加え、
前ほどお客が行かなくなった、という噂を聞いていた。 本人は骨身に沁みていただろうに!
だが、「本当のことをいってはならないのが人のため」というのが最近分りかけてきた?・・・私には出来ないが!
そのママが先日、事務所に訪ねてきた。 曰く「この十数年、ギリギリ乗りこえてきたが、東京で勤めていた息子が
店に入るというので、それを機会に駅前に移転したいので駅前界隈の情報を知りたい。色いろな病気もその頃から出て、
この十年は闘病の日々であった。十数年前までは接待費の店として充分採算があっていたが、今は時代が変わった」とか。
以前の面影はあまり見られなかったが、それでも人生に対して前向きのところは変わってなかった。
この話を聞くまでは「格差社会の中、で高級志向の人たちに支持されているのかな」とも思っていたが、
それほど甘くはなかった! ということだった。
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 *やはり変わった駅前周辺の空気*
   (字数制限のためカット2010年5月24日)
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2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 ?2          おっ w(゚Д゚)w ハァョ?               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめるので改めて書き直す方が良い。
     メモ情報のなかにお宝が多いのを掘り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く(たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
   「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。ノートは片面しか使ってないので
    切り離してもよい。タイトルを端に書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)^ー^)/C□~コーヒー?
この内容のポイントは、
・ 楽しく書けば長続きする。
・ 方眼紙の紙やノートを使うと図表やグラフを描きやすく便利である。
・ 空間を充分に取り、絵とか図を多く取りいえるとよい。ノートは片面だけを使う。
・ メモの場合、必ずワンフレーズにしておく。 というところだが・・・
現在、モーニング・ページで毎朝思いついたまま3P書き連ねているが、ほぼ上記をカバーしているが、実際のところどうだか?
                 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
                     読書日記
最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、切口が鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも
当てはまる内容が多い。特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。外見に対して気をつけることとして、
「清潔7割、色気3割」は、男にとって「清潔7割、着こなし3割」と考えればよい。それとも、色気3割も必要なのかもしれない。
とにかく、読んでいて男の自分が「ハッ!」とする内容が次々と出てくるから不思議である。
特に、汚いオバサン化した女性には厳しい言葉である。若い女性には、是非読んでほしいものものばかりだ。
女性の気の使い方が読んでいて面白い。大事なことだが、でも? まあ、いいか!
女性の化粧は、欠点をカバーするもので、特にアンバランスを調整する為にするのが基本であるという。
ブランド物でどういうバランスを保てるのか疑問符があるが。
 ー幾つかを書き出してみるー
・美の真骨頂は7対3
  私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。 清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
・清潔感を毎日ひとつ
  メイクでも服でも香りでも何でもいい。毎日ひとつでも、清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。
 それが「清潔感のある人」・・・
・服のルール
  おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
  (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 
この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。脳こそ、情報器官そのものであり、
それがコンピューターと結びつき、さらにインターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。
自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、他人が見たらもっと面白いだろう? 
この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。「現代人は脳の中に住むという意味で、
いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」と著者は書いているが、ある意味、このHPもお伽噺かもしれない。
ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
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養老孟司著 青土社刊
●はじめに
・現代とは、要するに脳の時代である。
 (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃 −1986年
過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。時代はバブル直前の何ともいえない
エネルギーが溢れていた。コンピューターを導入した年でもあった。政治的には、アメリカとプラザ合意をして
バフルに入った直後であった。気持ちの中ではギリギリの限界であった。ーこれを書いているときー今、
TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の?と歌っている」
また起きた感じだ。 NHKのBS・2で、時間は21時55分。恐ろしい感じがする。よくおきるがあまりに露骨だ!
 (字数制限のためカット2010年5月24日)
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2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」
何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。しかし本来ある技法を、とってつけたような
内容も多かった。最近ノウハウ書に凝っている。以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、技術の宝庫で
あることは間違いない。この本もそうだ。ノートのとり方一つでも目から鱗。私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。
最近凝っている即読法もそうだ。10倍とはまだなってないが、3~5倍早く読めるようになった。うそみたいな話だが。
10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」
これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。 それがきっかけであった。そして中学二年の時、・・・と。
  さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。
 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。ダビンチのノートもそうだ。
 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。 それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。そして後ろのほうから、逆読みをする。
 推理小説の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
・あくまで本人の主体性を尊重する。
これは別に写したわけでなく、自分の印象に残った順に記憶から記している。
受験なら、どこそこの大学と具体的に目標を決め、その科目を集中して勉強する。
それも高校一年の時から割り切り、他の授業は割り切って進級すればよいレベルにする。
こういうのを戦略的勉強法というんだろうが。
でもそれを出来なかったが、「生き方で戦略的に生きてやれ」と、学生時代に意識できた収穫もあった。
・・・・・・・
2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感
 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先ホームページの開設を思い立ち、
そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニットをつかむ事が出来た。自分のデータベース造り、及びその蓄積に
なっていくと同時にそれがそのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。ということは大項目のデザインということになる。
この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとHPをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。


3345, 閑話小題 ―つれづれに

2010年05月23日(日)

  * トヨタのレクサス
 先日、車検に出していた車を引き取りに行ったところ、30分ほど待ってくれというので、
隣にあるトヨタの中古車センターで車を見ていたところ営業マンがよってきた。そこで時間つぶしの事情を話したが、
ついつい「高級車か、スポーツ車で面白そうな車があるか?」といったところと、マークとレグサスを見せてくれた。
私は先代の車をいれて22年間、ソアラに乗っている。現在の車は18年も乗っているが今でもエンジンの衰えが全くない。 
 で、外からはレグサスを見てはいたが、運転席に初めて座ってみた。 何か違うのである。 偉くなったような、
選ばれし者といって気分になるのである。 自動車も18年もたてば車も格段に進化しているのである。
二年前の車で、600万が367万円。 個人として買えないことはないが、リーマンショック後の恐慌の世。
この暗い世相で無ければ、おそらく買っていただろうが。もっとも、最近は遠出は年一もないし、乗るのは市内のみ。
 良く稼ぎ、良く遊ぶためにも、景気回復が待ち遠しいが、当分は無理。  TVでも買え換えるか。
 
* ペット大嫌いな人と、インコ
 去年の10月に、メキシコ・コガネインコを飼ってから7ヶ月になる。家内がペット大嫌いで、買った当初は居間の
ベランダに鳥篭があることもあり、一月ほど居間に用がある時以外は、立ち寄らなかったほどの拒否反応。
ところが現在は、休日など見ていると一日数回は、籠前に置いてある簡易イスに座ってインコと戯れている。
インコが人に時々必死に呼びかけてくるのを聞くうちに情が移ったようだ。あれだけ、嫌っていたのに。
小桜インコを5代(匹)飼っていた十数年は、全く感心を寄せなかったのに。犬と同じ位の感覚で人の気持ちを察知する。
そして、自分をかまってもらいたいのである。今まで鳥を多く飼ってきたが、自分の糞が好物というのは始めてである。
ウサギが、そうだと聞いたことがあったが・・・

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2970住まうこととさまようこと ー2
2009年05月23日(土)
 * まずは「住まうこと」とは
住まいは、外壁で外と内の世界が分けられており、昼は外が光の世界になり、夜は逆に内側が光の世界に逆転する。
外部空間の環境と、家の内部空間、その両者の布置が、部屋の雰囲気、広がりを決定する。住居は、壁で囲まれ、
垣をめぐらしている。それは自然に対する防禦でもあり、人間に対する遮断でもある。また住まいは上下の構造になっている。
ここで、「空間の詩学」という本を紹介し、その中の「家とはまさに「垂直的な存在」であるとして、
次のように述べている。「垂直方向は地下室と屋根裏という両極によって確保されている。
この両極性の特徴は、大変深くおよんでいるために、非常に異なった二つの座標軸を開いてみせる。
屋根に関しては屋根裏では、人は梁全体の硬い骨組みがむき出しになっているのを、見ることができる。
そこで大工の手堅い幾何学にあずかるのだ。 そこで、地下室はどうであろうか。きっと、そこは役立つものと
考えるだろう。便利さの合理性を幾つかあげるだろう。しかし、そこは家の暗い存在、地下の威力をわけもつ存在である。」 
殺人事件の映画では、刑事が犯人の家に踏みこんで調べると、そこには地下があり、殺人のための道具や、
死体があったりする。 逆にファンタジー映画の場合は、屋根裏部屋の箱の中や、見知らぬドアに、
光が満ちていて、別世界への入り口になっている。 屋根裏部屋は最も孤独で静寂な上昇の象徴でもある。
私が4?10歳まで育った商家では、戦後の数年後に建てられた4Fのビルであった。
1Fが店、2Fが事務所と倉庫、3Fが台所兼食堂、そして家族の住居、4Fが従業員の宿泊部屋、そして街全体を見渡せる屋上。
まさに垂直的な存在、そのものであった。幼児期の、そこの体験は、まさしく小説のような生々しい物語の連続であった。
住まい、商いが、混同した楽しいが、しかし戦いの連続の世界であった。 そして、ついに大事件が幾つか発生した。
それは、ここでは省くが。 住まいは、外と内があり、内の中にも垂直と、横断(機能別の空間)があった。
・・・・・・・・・
2606, 脳内会話
 2008年05月23日(金)
昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、何処にもない。
そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本を見つけた。
しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど目新しい内容でなかった。
もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)  としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。
ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
「ところでお父さん、貴方なら、この問題を如何考えるだろうか?」とか、
「兄のこの件に関して、如何判断する?」などなど・・・
他にも、大学ノートに「モーニング・ページ」を毎日のように書いている。
白紙に9つの桝を書いて、その真ん中にはハートの絵と、その外側に心臓の絵を書く。
そして思うままに、ペンの動くままに書き込むのである。
これこそ、脳内会話になるが、さっき考えた肯定君や欲望君、そして冷静君など擬人法をつかって書き込めば、
  ペンの動きは更に活発になるだろう。 まあ、子供じみているが、その子供じみているからこそ良いのである。

それより、迷ったこの本を買いたくなった。中古本は出てないが、まあ、面白いか。
読めば、また脳内会話の擬人の6人も違ってくるはず?。
  私「ところで、冷静君よ。この原油の値上がりで、如何なるんだろう」
  冷静「誰も答えなど無いから、変化の時々に考えるしかないだろう」
  私「そうは思っているが、スタグフレーションという本当に性質の
    悪い大雪崩か、大津波みたいなやつ。高台に逃げようにも。??」
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2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 ?2
         o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
二ヶ月前に家内がワンセグの携帯電話を買ったのをキッカケに、私も三年前の携帯電話を買え替えた。
前の携帯電話とは全くの別もので、ミニ・パソコン?ではないかと!
この本に、私が感じとったことや知りたいこと、その方向がわかりやすく書いてあった。
 ーまずは面白そうな部分からー
*インターネットの本質  ーP・29
 インターネットとは何か?「バラバラで始まった世界のあちこちのネット同士を乗り入れ可能にするために、
 同じ技術を使いましょうという約束事である」 すなわち技術的約束事である。同じ技術的約束事を持っている
同士であれば、アメリカでも日本でも、どこからでも、必要なサーバーやクライアントに入ることができる。
またどの場所でも、それが可能であるのが利点というなら、デスクトップよりノートパソコン、さらには片手で扱える
携帯電話が、より有利になる。すなわち、技術的約束事を持った携帯電話、もう少し言うと、携帯トリプル?が
これから世界を席巻するということになる。
  携帯トリプル?とは、いわゆる携帯電話のことだが、それは既に単に電話ではない。
・メールやブラージングもでき、  ・ラジオも聞け、TVも見れ
・カメラもついていて、      ・GPS付や財布にもなりはじめている、
これは、もはや電話ではない。だから、この進化し続ける複合機を、便宜的に携帯トリプル?と呼ぶことにする。
この携帯トリプル?はマイクロソフトやインテルの牙城ではない。国産OSを開発したり、リナックスなどに注力するより、
携帯トリプル?をどうすればよいか国際的戦略を組むほうが日本として大切なことになる。
インターネットは所詮、携帯トリプル?のバックテクノロジーに過ぎないことが、だんだんわかってくるだろう。
人々の生活を激変させるのは、インターネットではなく、携帯トリプル?である。インターネットは所詮、技術なのだ。
携帯T.?は、ハードやコンテンツではなく、まだまだスタイルを作ることができる。
その使いこなしの先端に立っているのが、いまの段階で日本人である。
ーー
 *携帯トリプル?が、パソコンの未来 ?P・30
実際、携帯T・?はパソコンの問題を多く解決している。
まず、小さい。安い。通信が殆ど落ちない。画面が固まらない。
所有者の身元が比較的しっかりしている。課金が簡単など挙がればきりがない。
すなわち、携帯トリプル?は、パソコンの未来なわけだ。
見方を変えれば、パソコンで今やっていることは、数年後には携帯トリプル?でも出きるということである。
現在キーボードや液晶モニターは、当分小さくなりそうもない。
投射型レーザーのヴァーチャル・キーボードや、ゴーグルタイプのモニターなども具現化しているが、
まだまだ使いづらい。したがって、人間の手の先にあるキーボードという入力端末と、
液晶モニターという出力端末のサイズはそのままで、その間に携帯T・?が挟まって使用できるというのが現実的である。
言わば、ポケットに入れて持ち歩きのできるCPU(パーソナルコンピューター)ということになる。
iPadがハードデスクをポケットに入れる新しい提案なら、次なる提案はポケットサイズのパソコンだろう。
  ーー
 *インターネットの限界 - P・32
インターネットはまだまだ無限の可能性があるように言われている。
私はむしろ逆で、行き先の限界をそろそろ理解しなくてはならないと考えている。
インターネットからまだ本物のスターは出ていない。それは何故か?
インターネットが、スターを生み出すような仕組みを持っておらず、
ここでは全員がスターだからだ。インターネットは大きな夢を生み出すのが苦手で、
マス・マーケットを狙ったエンターティーメントを構築するのが難しいのだ。
小さな個人の夢と欲望と、マスメディアとは違う大きなスキャンダルのようなもので
今日のインターネットのコンテンツは動いていると言える。
   ーーー
解)
確かに、携帯T・Xの最近の動きは異常と思えるほど進化を始めている。
私のように明治生まれの両親を持つものにとって、SFの世界のようである。
特に携帯T・Xに関しては、戸惑うほど進化が激しい。この日本の携帯T.Xが数年内に世界の文化を根こそぎ変え、
また光ファイバーを全国にいち早く導入した効果が、現象として現れ、それが+?面で顕著になっていくだろう。
    それが格差をさらに生み出し、社会を不安定にしていくだろう。 それも面白いだろうが・・・・
                  (´∀`)ノ~サイナラー
・・・・・・・・・
2006年05月23日(火)
1876, 10年後に後悔する事とは?
            おはよ?!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、
それを潰していく生きかたをする」である。 (七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
私が十年前に考えたことは、           (。-`ω-)ンー
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。それがこの程度の変化でしかなかったのか?。  
という自問自答は残るが。現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。(*^U^)人(≧V≦*)/
後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
 とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  (・∩・)?アレ??≡3   
想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、それ以上である。
後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミスが最悪だったということ。それが想定可能かといえば、可能である。        10年後に何を後悔するだろう?一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいればもっとシビアな手が打てたはず。
 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
  ≪字数制限のためカット2010年5月23日≫
・・・・・・・
2005年05月23日(月)
 1511, 子供や若者が変!
若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、言いたくはなかった。
同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。古代の遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。
しかし最近になって、じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい」と思うようになった。
どうも、例の「ゆとり教育」のぶざまな結果である。一時「ゆとり教育」が騒がれたが、いまや余りの学力低下に
文部省も慌てふためいて指導要領を見直すことになった。世界からみても、日本の学力低下が著しく目立ったためである。
20年前からスタートして、2002年開始の学習指導要領で完成したはずの「ゆとり教育」が、「学力だけでなく、
質そのものの低下になってしまった」と、いうのだ。それでは、その「ゆとり教育」とは何だったのか
 ー以下は、あるHPから抜粋した学力低下の実態であるー
OECDが3年に一回、世界41の国と地域を対象に行っている国際学習到達度調査の成績が前回は8位であったが、
今回の調査で日本は14位。3年で6位も転落してしまいました。日本が得意とされてきた数学力でも日本は1位から6
位に転落しています。この傾向は他の調査でも同じで明らかに日本の子どもの学力は低下している。
また、日本地理学会が発表した初の「世界認識調査」で、日本の大学生や高校生を対象に最近ニュースなどで
よく取り上げられる世界の国と地域の場所を認識しているか調べたところ、約4割がイラクの位置を正しく認識しておらず、
アメリカも約3%が場所を知らないという実態が明らかになった。一方、日本の子どもが宿題する時間は1時間で調査国の中で最下位。
 (以下、字数の関係上カット 09年05月23日)
ーーーーーー
以上であるが、ゆとり教育の結果が、その弊害だけがでてしまった。
「お子様大事、優先」の結果、どうにもならない馬鹿な世代が出来上がってしまった。
現在の小学生から大学生を中心にした世代である。教育現場では、大問題になっているという。
現場の教師が一番そのことを知っており、自分の子供は私立の小学校・中学校に入れるという。
それだけでなく、小学校の先生は父兄に私立の中学に行くようすすめているという。高校にいたっては、
30?も中退するところもあるとか。特に、外資系の会社員は「ゆとり教育」など認めてなく、
個性のある私立校に当初から子供を進学させていた人が多い。
何か、失われた10年は経済・政治だけでなく教育界も同じだったようだ。
衰退する時とは、こんなものだろう。 恐ろしいものだ。
・・・・・・・・
2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条
{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。働くとは、
人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきかの多くの示唆が含まれている。
耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。道としているところがよい。
理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。
1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。
6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも耐え得る雅量あるべし。
  (以下、字数の関係上カット 09年05月23日)
・・・・・・・・・・
2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩
  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした。 私の解説など入らない!        
  落ちこぼれ       茨城 のり子
       (字数の関係でカット2,008年05月23日)
 ・・・・・・
 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」
ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。
書き続けることが大事である。「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。
しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。
後二年近くかかるが。それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。大テーマを立ちあげた時に、
それぞれの大テーマに合わせてそれを組み替えればよい。書いているうちにコツが解ってくる。新幹線の中とか、
散歩の時間にそれを集中する。またどういう訳か集中できるのだ。この時間の集中の積み重ねが膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を組み合わせる作業が考えを深める。
内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の自然に出てきたテーマと内容なので、
これ以上でも以下でもない。書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。そうでなくては、続けられない。
今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが良く理解できるからだ。そうする事が、逆に自分の為になるからだ。
仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。それをすることで、他のページのそれが解ってきた。
自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、理解できるようになったからだ。 
そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。
またその時々のメルクマールにもなる。時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。


3344, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー1

2010年05月22日(土)

 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
   ーアマゾンの内容紹介よりー
 消費税は上げなくても大丈夫! 年金は破綻しない!政府の借金は心配するな!  国民的大疑問を丁寧にわかりやすく解決。
 日本経済の常識を根底から覆す。 世界の経済大国「日本」の底力を、グラフやデータをもとに世に知らしめる珠玉の一冊!
 ≪年金、消費税、格差、国の借金。4つのテーマから見る、日本の将来が安泰なこれだけの理由。≫
 ーまず、その概要をまとめてみたー
 以前からメディアは日本の借金が数百兆円だ、破綻すると騒いでおり、現在、日本の借金は1000兆円を超えようとしている。
しかし一向に国家が破綻する気配を感じない。「いつ破綻するの?」「いくらになると破綻する?」のだろうか。
 父親(国家)が、子供たち(国民、企業、他)の預金を借用書(国債)で目一杯借りて、何とか急場を凌いでいるが、
それが数年で差し引きゼロの限度に達しようとしている。 とはいえ国の預金は、まだ二百数十兆円もあるから大丈夫!とか。
そして発行する国債の限度が尽きた時、自前で札を刷って、それを国債で賄えば良いだけと著者は主張する。 
しかし、これは禁じ手と前から言われていること。 この辺から著者の論に疑問が出てくるが・・。 国の金融資産も、
アメリカ国債を強引に買わされ、その額が500兆というし、楽観視は出来ないはず。 ただし消費税がまだ5パーセントと、
20〜25パーセントまで余裕?がある。 (ここには書いてないが)それを資産価値に換算すると500兆円。
 しかも国民の銀行預金や企業の預金などで国債借入れを賄っているので円安になった時のリスクはない。
(もし外貨建てなら90円が150円になれば、借金が900兆円から1500兆円に増えることになる。)
知人から「国債は永久債にして、返済は一切しない!で、金利だけ払う方法がある」と聞いたことがあるが、
金利をしっかり払えば、子供たちも何とか我慢してくれるか? そのため諸外国は日本の国債の異常な数字には、
あまり危険視をしていないというが・・。 
ところで、リーマンショックで欧米がニッチモサッチモいかなくなってしまった。アメリカは軍事力を背景に新ドルの
「アメロ」の切り替えで、デフォルトをしてくる可能性があるが、ユーロ通貨の矛盾も見ているので躊躇するだろう。
「日本経済がすごい!」稼動かは疑問だが、1400兆の預金は中途半端な金額ではない。
それと、消費税の10〜15パーセントの余裕もあるか? さらに永久国債化と、日本銀行の国債買い入れ、デノミ、
道路公団の株式化による売却に、地方分権と称した切捨てに、・・ギリシャのように、気楽に生きましょうか〜 
                                              ったく!  ー続くー
 ・・・・・・・・
2969、住まうこととさすらうこと −1
2009年05月22日(金)
 「住まうこととさすらうこと」 ウーテ・グッツォーニ著      ー読書日記
 *世界という家の中で、住まうこと と さすらうこと
図書館で何気なく手にとって、そのまま二時間以上も近くの机で読み込んでしまった。 
その本の冒頭に芭蕉の『奥の細道』 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。 舟の上に生涯を浮べ、
 馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」が書かれていた。
住まうこととさすらうこと、さすらうことと住まうこと。 人生を振り返ると、この二つの間を行ったりきたりした。
そこで学生時代の寮生活を思い出してみると、住まうこととさすらうことの重なっていることが解る。
そして、その後にジャスコに勤務をし、三重、神戸に行き。 東京に舞い戻り、金沢に、住まいさまよい、長岡に舞い戻り、
千葉に、そして、再び長岡・新潟に 住まいさすらってきた。 人はそれぞれが、住まいさまよってきたから、
その一言一言が鋭く心の奥に響いてくるのである。通勤途上に私と同じ年位のホームレスの姿が「住まうこととさすらうこと」
を目の当たりに見せつけられる。 住まうことは、特定の場所に、特定の時間にいることである。
 それに対して、さすらいは、動いており、過程にある。異郷の馴染みのないものの挑発に実をさらし その中から身の証を
立てていかなければならない。 その経験が、その人の人生である。住まうことは「より自然に生じたもの」、
より大地に結びついている。それは、「屋内」という閉ざされたなかで、緊密な領域でくつろぐことである。
そこでは、開かれた外を忘れ、ゆったりと落ちつくところである。しかし、住まいのないさすらいは、ただ落ち着きのないだけ。 
住まいがあるからこそ、さすらいがある。「男はつらいよ」の寅がそう。正しく人生は、住まうこととさすらうこと、である。
だから、この本に引き込まれ自分の人生を重ねてしまう。人間の存在が、住まうことであるなら、それは
「世界という住まいー家ー」に住むことである。天の下、地の上を我が家にしていることを自覚することである。 
逆にさすらいは、つねに新たな未知の空間や辺鄙な地域に行ったとしても「全体的な世界」を自分の住処にするのである。
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2605, 自己愛について
 2008年05月22日(木)
先回書いた「最近みる夢」で、自分の夢を分析して驚いたのは、自分の心の奥の本質を、そのまま提示されたことである。
夢に出てくる「海」が「自己愛」の象徴で、海底の牢獄でもがいている己の姿に、我ながら驚いた。
ユングの地下の象徴の夢に近い。 その夢の中には、自己逃避、不安、自己愛、それに囚われもがいている自分、
そして、死などなど、多彩な内容が重なっている。これは、私個人というより、人間の本質を提示していると言える。
(いや、勝手に、そう解釈したとも言えなくないか?)そこで、行き着いた「自己愛」とは何か?を調べてみた。
  ーー
 真の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということ。 自分が深く納得している自己愛でなければ、ナルシストの姿
 かたちの表面的なものに過ぎない。キリスト教の教えのように、真の自分を愛するように隣人を愛しなさいという自己愛である。
 自己愛という言葉は、「私さえよければ」という利己主義とはまったく違う。 あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて
 自分自身が好きであると思われることもあるが、本当はそれとも違う。その区別を見わけるために本当の自己愛の条件をあげてみる。
 自己愛とは、自分が認められたり、周りから褒められたりすると、喜ぶ。これが自己愛です。生きていくうえで、他者の存在は
 絶対に必要で、そのため自己愛と同じように他者愛を持つことも必要となる。 常に自分が一人ではない、と認識したうえで、
 自己愛を持つことが、健康な自己愛といえる。その極端な「自己愛性人格障害者」の特徴として、次のようなものがあげられる。
・自分は偉くて重要人物だと思っている。この幻想に限度がない ・自分は特別であり、優れている人にしか理解されないと信じている。
・過剰な賞賛を求め、特権意識が異常に強い。         ・相手を自分の目的にしか利用せず、相手に共感することがない。
・自分の身体の不快にとても敏感でオーバーに反応する。
 〜〜 以上だが、
ごくごく至近に、その傾向の強い人がいる。女性の本質だから、仕方が無いだろうが。いや、誰の心の奥にも、
酷似して傾向が隠れている。自己愛性人格障害者の特徴に一言を書き加えれば、誰にも当てはまることだ。
そうすると、仏教の四苦八苦の世界の煩悩の最たる要素が極端の自己愛ということになる。
しかし、それは人間を大きく動かすエネルギーの元ともいうことも出来るのである。生物の遺伝子は自己愛ーエゴ
そのものという。自然体とは、エゴ丸出しということも出来る。キリストも、「己を愛するように隣人を愛しなさい」
と言っており、己を犠牲にして隣人を愛しなさい、とは教えてないのである。      ーつづく
・・・・・・・・・
2007年05月22日(火)
 2240, ヤバいぜっ!デジタル日本    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 
               高城剛著  集英社  ー読書日記
ー表紙裏に書いてある内容ーから
ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、情報最先端の事象を紹介しつつ
日本人の知らない日本と日本人を論じる。世界から取り残されてしまったIT戦略をこのままにしていいのか?
国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか? 日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる要素を組み合わせて
新しいスタイルを創ろう、それこそが日本人の得意分野で、世界から「クールでヤバい」と評価されるはずじゃないか?
日本への憂慮と愛が溢れる、元気の出る本。今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。
著者は、これからの近未来はPCではなく「携帯電話」を情報の受・発信装置として駆使するライフスタイルが主流となり、
そのTrendは日本(人)が主導する」と予言。「携帯で電話しながらメールを書いてるのは日本人くらい凄いらしい」
「Googleは基本的にただの情報整理屋」と断定している。デジタル社会に乗り遅れないために日本が行うべき事として
使い方(ライフスタイル)志向で携帯電話の機能・Design・Softを開発し、デジタル社会のプラットホームにするような国家戦略を練って
いくべきと論じている。グーグルに対しての見方には異論があるが、それでも携帯電話が主流になるとは、成る程と思うが・・
ーまずは面白そうな部分を
 P-21 ー TVを処分することを勧める!ー
情報ダイエットの方法として、思い切って何かをやめるとしたら何だろう。情報量の多い、インターネットか携帯電話、
そしてテレビ。その中で一つやめるとしたら、あなたは何を選択しますか?
どれもやめられないとう人がほとんどだろう。僕は、テレビを数年前にやめた。
モニターを数台持っているが、チューナーを接続していない。一週間で見るテレビの時間はゼロである。
もちろん、サッカーもオリンピックも見ない。正確に言うと見られない環境にある。朝一時間くらいついていたり、
夜1~2時間ついていて、テレビの音声を聞いていることが多い。一日3時間、週に21時間、テレビと暮らしていることになる。
これをやめれば、約一日使える時間が増えることになる。週8日。これは大きな変化である。
もし本気で情報ダイエットに取り組もうとするなら、ネットオークションでTVを売るか、友人にあつかってもらうことを勧める。
 P-24 ー未来のないゲームー
この数年で、ゲーム業界が不振に陥っている。一般的には、携帯電話に市場を取られた、次世代機を持っている、
などいうものだった。 プレーステーションでゲームの頂点を迎えた。実際に、マイクロソフトからもX-box360と呼ばれる
次世代機が発売され、僕も使ってみたが、映像がきれいになった程度で、欲しいものではなかった。
 わかりやすく言えば、iPodほど価値観をかえるものではない。オンラインで音楽を入手して、それを一万曲ハードディスクに
詰め込んで、外に持ち出す。音楽の入手を一貫して提案できたのはアップル社だけであった。・・・
では何故ゲームをやらなくなったのか?僕はこの数年来、「街の構造がゲーム化したから」と答えている。
簡単に言えば、ドラゴンクエストなどでポイントを貯めたりレベルを上げることより、家電量販店のポイントやマイレージを
稼ぐ方が楽しくて現実的で、美少女ゲームをやるより、出会い系サイトのほうが楽しいということだ。ITが普及したことで、
実写がゲーム化したことも大きい。大金をかけた架空の箱庭のゲーム・コンテンツが、現実社会に根ざしたちょっとした
メールに負けているのだ。時代はブログのような発信可能なメディアへとシフトしているのだ。大情報化になってしまって
時間がなくなったのである。非現実的なものに触れる時間は、まず第一に削られることになった。 それがゲームである。
 ーー
解)これを読んでいて、全くと思う。 私が40数回いった秘境ツアー、あれは旅のゲーム化である。
それも、その地域を熟知している専門代理店の企画に乗ったバーチャルに近いものである。
その道の専門家からいったらあれは偽もの。 しかし、お客はそれでいいのである。
詳細は帰ってきてから、TVや図書館にある写真集や、冒険家の本を読み返せばよい。
リスクは負いたくないし、タンザニアなど危険すぎて単独旅行などできない。
なら企画モノに乗ればよいのである。情報は幾らでもある、それを元にいかに構造を組み立てるかが、
個人個人に求められる時代ということである。日本は、その点では非常に知恵のある人種。
可能性は幾らでもある時代になってきたということか!    ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年05月22日(月)
 1875, 大相撲・千秋楽   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
大相撲は初日と千秋楽が何ともいえない緊張感があって面白い。今場所は、朝青龍が怪我で休場をしたが、
最終的には白鵬が優勝をした。まあ順当であろう。最近は千秋楽の翌日に、大相撲について書くことが多くなってきた。
この数年間(若乃花・貴乃花時代が終わってから)全くつまらなくなっていたが、最近になって徐々に面白くなってきた。
今場所も以前から比べると空席が少なくなったようだ。日本人、モンゴル人、旧ソ連圏のグループの対決が鮮明になり、
モンゴル相撲と、トルコ系?レスラーの異種格闘技の様相が時代にマッチしてきた。ただ若い有望な力士は殆んど
外国人力士の上、幕内上位の半数が外国人力士というのが気になるが。一部屋に外国人力士一人という制限があっても、
段違い?外国人が強いのだから、その制限をとったら幕内の殆んどが外人力士になってしまう。まだ幕下に強い外人力士が
数人いて、まもなく上がってくる。金髪の把瑠都という力士も、怪我さえなければ横綱昇進は間違いない。
白鵬、朝青龍、把瑠都の時代が3~5年は続く。先日、新聞に載っていたが、過去の15日制になってからの
全データーを調べると、7勝7敗の力士の勝率は8割という。その数字は明らかに八百長の存在をあらわしている。。
そのため千秋楽の前日は、翌日の番組発表は幕内の取り組み後になっている。ただ、最近は携帯があるから?・・・
自信を無くしていた日本人も持ち直してきた。相撲を始めて二年もしない新入幕の金髪力士が
優勝に絡むのだから、相撲の深みとは何?なのか。ただ、立合いの気合いが大きい要素というのは、他にない格闘技である。
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2005年05月22日(日)
 1510, ご自愛のほどー2
この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、大切にしてきたことを娘のために綴った、
詩のような言葉である。 著者は、この本を完成させてまもなく、命まで本にこめて亡くなってしまう。
そう思って読むと、またどの一行も深く感じるものである。彼女が亡くなった後で、娘が自費出版を続けていたのが、
出版会社に目がとまり、多くの読者に読まれるようになった。
 (以下は字数の関係でカット)
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2004年05月22日(土)
 1145,「デフレ・スパイラル」について
 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、デフレについて、調べてみた。
 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。
・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。
(字数制限のためカット2010年5月22日)
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2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年
 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の
衣料ディスカウント店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)に転居していた。
それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。
 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。
母親が重度のノイローゼーになっていた。二人の息子(兄)の不幸の死と、仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。医者にも見放されそうで、何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。身近で見ていても子供なりに、それが分った。そのあと40年は
遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。商売を続ける事は、すざましいことだ。
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ーその頃の政治や社会的出来事としては、
(字数制限のためカット2010年5月22日)
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2002年05月22日(水)
 414, サッカー直前の馬鹿話!
一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、開催地のホテルが深刻な?
悩みというのを放映していた。一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な!
それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、落穂拾いの方針に切り替えた。
黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが有利に決まっている。
どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。昨日のTVで、それに合わせて開業予定のあるホテルが、
設備を代理店の言うままに追加投資。それが直前になって90パーセントが解約されてしまったという。
泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。何処かの県?の旅館組合の代表が、この時期に毎年やる
他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。
少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを!普段の月より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。
去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう
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2001年05月22日(火)
 チャレンジ100
60歳までに50回 外側?異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、
(以下、字数の関係でカット2,008年5月22日)


3343, 閑話小題

2010年05月21日(金)

  * 9・11事件の謎
 ここで「9・11事件についての謎?」何で、というと、米国軍事産業か、金融関係者なら平気でやりかねないと最近、
特に思うようになってきたからである。このテロでアフガンやイラク戦争で軍事産業が大きな需要が生じ、恩恵を受けたからだ。
さらにリーマンショックもしかりである。世界中に不良債権という毒の入った債権を売り、その影響が今後、
10年〜20年間にわたり出てくる。これは数百年にわたって築き上げられてきた近代資本主義の崩壊をもたらす。
それさえ金融の支配者はやりかねないという疑念が出ている。ユーロの揺さぶり、そして膨大なアメリカの借財の棒引きの狙いだ。
その真っ只中に我われがいるのである。その第一波の大きな波が、まずは南欧のラテン系の国家、Piigsである。
そして、時を同じくして日本の地方と輸出産業である。まずは地方の我われが、その直撃を受けている。
 9・11事件発生の数ヶ月前から、株と為替に異常な動きが在ったと、関係者からの証言がある。
事前に知っていた者たちが、その情報で大儲けをしていたのである。あれから世界は本格的に激動を始めた。
  * 韓国が北朝鮮に報復攻撃?
 5月19日の読売新聞によると、≪ 韓国海軍哨戒艦「天安」の沈没原因を調べている韓国軍・民間合同調査団は、
沈没現場付近の海底で回収した魚雷スクリューの破片に記されていた識別番や刻印が北朝鮮の字体だったことを確認し、
北朝鮮の犯行を裏付ける有力証拠とみている。≫ また、昨日では、それが正式に発表された。
 この件で、攻撃された韓国軍が黙って見過ごすとも思えない。 北に攻撃を仕掛けることは充分にありえること。
あまり気持ちの良い事態ではない。 本当に北朝鮮かどうかは現時点では分からない。アメリカの陰謀もありえるからだ。
北の魚雷スクリューの破片が発見というが、それも本当かどうかである。 韓国と北が交戦して一番、利を得るのはアメリカ。 
日本の普天間基地問題も、これでスムーズになる上に、日本の参院選挙でも民主党に対する揺さぶりにもなる。
  * 一年近く収まっていた腰痛が?
 ベッドとシーツの間に低反発マットを、居間と事務所の椅子にも低反発クッションを敷いたため腰の負担が半減したこともあり、
腰痛が殆んど収まっていた。 しかし、例年の五月連休明け後から恒例の腰痛が出始めてきた。 腰痛予防に年中、
腰に幅5センチほどのゴムベルトを巻いている。それでも、このところの寒さと湿気のためか腰が重い。
数日前に、会社のYさんが急にギックリ腰になってしまった。 車に乗るのに5分、降りるのに5分もかかったといか。 
いつも私が腰痛の姿を見ていたが自分が経験してみて、その苦痛の深さが分からなったという。
歩く動作が、自分の姿を見ているようで不思議な感覚になった。 まさか「この苦労を47年もしてきた」と言えないし。
腰痛にも軽症、重症、そして超重症がある。その超重症の時の痛みなど、言葉には言い表せない。
這っていた猿が縦になって歩き出した結果、腰の骨格が対応してないためだが・・・・
  ・・・・・・・・・
 2968,閑話小題
 2009年05月21日(木)
 * 考えるほど、恐ろしい近未来
新インフルエンザが、日本でも拡大してきた。通勤帰りの新潟発の新幹線は、車内で一割、新潟駅構内と長岡駅構内では
3〜4%位がマスク着用。数週間後には、全国に蔓延しているだろう。微弱性の新インフルエンザに過剰反応と思いがちだが、
秋口には、弱毒性から強毒性になる可能性がある上に、鳥インフルエンザが流行する可能性もあるというから、WHOの反応は
決してオーバーではない。今回の新インフルエンザは、鳥インフルエンザに対する世界規模のシュミレーションになっていると、
考えた方がよい。新インフルエンザの死亡率が2%だが、鳥インフルエンザは60%というから、ただごとではない。
都市機能だけでなく国家機能も失われることになる。 この騒ぎが何時まで続くか誰も知らない。
世界恐慌を上に、これである。 現実の世界とかけ離れた小説のような世界に入ってしまった。
地球システムが、人間システムを根こそぎ壊し始めたということなのか?
 * 事務所の移動
事務所を移動したが、これで8回目。前の事務所は5年間。これまでの平均すると4年である。
まあ腰が落ち着かないが、ここも4〜5年先に移動することになる。 今回の引越し理由は、事務所の壁を隔てた隣のテナントの
居酒屋が事務所の面積を含めた規模を希望したため。 今回の事務所は、第一シングルインの隣のビルの2Fである。
オーナーと知り合いで、家賃を半値にしてもらったことが、この移転の決め手になった。
とはいえ、ここも駅再開発工事の道路拡張のため取り壊しになるので、移転しなければならない。
また、第一シングルインの接収の売却交渉に、隣りのビルにいた方がリアルで交渉がしやすく、
そこのオーナーとも共同戦線もはれることも良い。 昨日で大方の移動作業は終了したが、
窓側が全面ガラスで天井が高く、事務所環境は格段上である。 さすらいの事務所? ということか。
・・・・・・・・
2604, 最近みる夢 ー2
 2008年05月21日(水)
前回、「空からパラシュートから飛び降りて、墜落し、気がついたところが海底の檻の中で、
もがいている所で目が覚めた夢」を書いた。そこで、その夢分析をしてみた。
・まずは「空を飛び降りる夢」
 空は束縛のない自由の世界。 現実の世界は覆いかぶさる責任ある仕事の重圧や、会社や家庭という束縛、日常の退屈など、
 知らないうちにプレッシャーがある。 空から飛び降りる夢は強い脱出願望の現れ。また落下することは、強い不安の現れである。  
 不幸な境遇に陥る、ひどい気分に落ち込むなどを、敏感に感じ取っていることを現わすから、サブプライム問題で更なる
 不況への不安感や、還暦を過ぎたことの焦りなどが、夢に集約されている。
・「落下途中にパラシュートが開かない」 これは開くはずのパラシュートが半分しか開かずパニックになる、
 予定していた想定が、外れる不安である。この歳になると、いつ死に直面するかもしれない不安感の顕れ・
・次は、「海に落ち、海底の牢獄の中で檻から出れないでもがいている」部分。 これが面白いのである。 
 夢の中で、海なら助かると自分で直感的につくりあげた瞬間創作。海は欲望、それも自我愛である。 
 海底の牢獄は自我愛の牢獄。そこでもがいて死の境にいる私の顕わの姿そのもの。
・そして、「ああ、このままでは死んでしまう」と恐怖を持った瞬間に目が覚めた。
 死の夢は、 古い自分が死んで新しい自分が生まれる前ぶれという期待。
 従って死ぬ夢は、新しい人格の為に古い人格が死ぬことを意味している。
 解釈の問題だろうが、それにしても人間の顕わの姿が、自分の夢に示されている。
 現在、色々の問題で混乱している部分の己を、こういう夢で光を与えてくれていると解釈すると、驚きである。 
 一種のユング的な夢と受け止めることができる。 夢そのものより、解釈のほうが面白いだけか?受け止め方である。 
  前夜、これを書いたためか、これに劣らないほど?面白い夢をみたが、ほぼ断片を残して記憶の彼方に消えた。
・・・・・・・・・・
2007年05月21日(月)
2239, 宇宙に他に地球のような星があるの?
                    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
以前にもすこし書いたことがあるが、20年以上前の話。夏休みの午前中にNHKラジオ放送の「子供電話相談室」に
「宇宙に地球のような星が他にあるのですか?」という質問があった。子供は純粋だからこそ鋭いから、偉い先生も
タジタジすることが多い。その時の回答の先生が天文科学者だったが、その名回答に、「成る程!」と感心してしまった。
    ーー
「宇宙に人間が住める星が他にあるかどうか、まだ科学では解ってないの!
でもね、考えてみて、この広大の宇宙に地球のような奇跡の星があって、人間や生物が生きているとうことの方が、
素晴らしいことで疑問なの。現在どんなに科学の研究が進んでも、解決できないほどの奇跡の結果なのね。
解る?だからね、他に星があるのか疑問に思ったなら、この広大な宇宙に地球しか無いかもしれない不思議を考えてみる方が
重要なの解る!」である。車を運転しながら「何ということをいう学者だろう!」と驚いてしまった。最近マスコミで、
「さほど遠くない星に地球に酷似した環境の惑星が発見された」と発表されたが、生命がいるということではない。
哲学者の池田晶子が、最近TVに頻繁に出ている怪しげな「来世」など「生まれかわり」を話す江原啓之を、
一刀で切り捨てていた。「いま、生きていること自体が不思議で解らないことばかりなのに、何で来世など問題に
できるの?笑ってしまう」と。 全くその通りである。 現世を地球人にたとえ、来世を宇宙人にたとえれば
面白いのかもしれない。宇宙人を問う前に、地球人とは何か知るべきである!
その視点で江原啓之の話をTVで聞いていると、下手なお笑い芸人よりズ~ッと面白い。
 ーウキィペディアで江原啓之を調べてみた。以下はその一部ー
(字数制限のためカット 2010年5月21日)
・・・・・・・・
2006年05月21日(日)
1874, 人生の質×量=人生の総量
            才八∋ウ_〆(∀`●)
4月19日のバードウォッチングの中で、
「人生の真実は、人生の勝敗で勝ったとか負けたとかは関係ない。人生の質は常に喜ぶことのできる能力に比例する。
その喜ぶ能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる」を紹介した。
(モーニング・ページを紹介してある「ずっとやりたかったことを、やりなさい」 の中にあった言葉である)
この言葉が頭の中に残っていて何度も思い浮かべているうちに、人生の質×人生の量=人生の総量(豊かさのレベル) 
と思い至った。人生の質は認めるが、それだけでは男として物足りないと考えているうちに、人生の量(行蔵)も
大事であると思いたった。そらから人生の質×人生の量=人生の総量ではないかと。そして総量があるラインを越すと
アップ・スケールが生じる。蛹が蝶になる脱皮である。 総量が一段上の質へ転換することだ。 
人生の質だけでは何か男として物足りない、量も大事では?と思ったことが、これで筋が通ってくる。
アップスケールし続けることで総量(豊かさ)が増え続けることになる。人間は、それぞれの立場で、立ち止まることなく、
変化(アップスケール)をすればよいのだ。少し歪んだ立場(場面)になると、人間は自分の人生を必死になって肯定しようとする。
誰か何らかの形で、現状を肯定しようと必死になっているものだが。幼稚園から、小学校、中学校、高校(大学)、社会人、
親・・と、それぞれの立場が変化していく。その時々の立場を喜んで受け入れ、肯定して次の立場へのステップをしながら
脱皮続けることが、人間のあるべき姿ということになる。 「人生の質とは成功も失敗も喜んで受け入れる能力に比例する」
ということからみても「好きなことを見つけ、それをやり続けること」こそ、人生を豊かにするである。
「人生の質=喜んで人生を受け入れる能力」という言葉から、人生を考えてみた。
          ヾ(^ω^*) バイ! 
・・・・・・・
2005年05月21日(土)
1509, ご自愛のほど?1
 「もっと自分を愛してごらん」ー1    ー読書日記
図書館で何げなく借りてきた本である。女性向の本だが立ち読みをして、心が和んだので借りてきた。
簡易な短い言葉の奥にある優しさや力強さが、そのまま感じられ、また見る度に気になるページが変るから不思議である。 
すっと自分の心に入るもの。ちょっと考えこんでしまうもの。自分を愛すると変わってくるもの。自分を満たすと見えてくるもの。
そのページごとに深い愛情が、言葉の底から湧き上がってくる。その愛情が自分を楽にしてくれ、誇りを感じるようになり、
また深い自分に気づくようになる。実際に「自分の娘に語りかけるように」して書かれた内容である。
一人、孤独に浸るときなど、女性だけでなくとも読むと良い。また心の疲れや悩みを和らげてくれる。 
 まず、自分を愛してみることである。
 ーその幾つかを書き出してみるー
もっと自分を愛してごらん すると すぐにあきらめたり 妥協したりしなくなる
もっと自分を愛してごらん すると自分のいいところが見えてくる。
もっと自分を愛してごらん すると 今いるここ この時代こそが
実は自分にピッタリの居場所だったのだとわかってくる。 そして むだな力が 抜けていく。
もっと自分を愛してみたら ひとりでいることが 好きになった。
静寂につつまれ その魔法にも似た力に打たれながら 自分の内のはるかな広がりに 耳を傾けるようにして。
自分をしずかに愛してみたら わかるようになってきた。
べつにわたしは 特別な人間ではない でも この世に ただひとりしかいない人間だ と。
自分をしずかに愛してみたら 「成功する」ということの意味が変わって
人生がシンプルになった。 ああ 毎日が 何と すがすがしくなったことだろう。
もっと自分を愛してごらん すると かわってくる。 人生を追かける必要のないのだ、と。
しずかに あわてずにいれば 人生のほうから やってきてくれる と。
自分を深く愛してみたら 心の痛みというのは わたしが何か 神様の真理からはずれたことを
してしまっているシグナルだと わかってきた。
ちゃんと自分を愛してみたら機会あるごとに せっせと歩くようになった。
階段を歩くようになった。 景色のいい道を 選ぶようになった
 ーーー
  以上のような詩が 82も書いてある。
左側には母親の自筆のノートが写真で。
右側が訳者の言葉で、心がこもっているためか、どれを見ても染みるように響いてくる。
「もっと自分を愛してごらん」 キム・マクミラン著  文藝春秋社 
 ー明日も、幾つか書き写す。
                  ーつづく
・・・・・
2004年05月21日(金)
1144, つれづれに -不安
 ・テロの脅威
アルカイダ幹部が、昨年9月まで、一年二ヶ月も新潟に潜伏していたという。経歴もかなり年期の入ったテロリストで、
本人がその気なら何時でも大きなテロを起こせたようだ。まさかと思っていたが、身近な問題になっていている。
ドイツで捕まり、取調べからこの事実が初めて解ったのだ。上越新幹線か柏崎原発辺りは、何時でも可能であった?
スペインやインドネシアのテロが思い出される。国内への600万の入国のチェックは、かなり難しいだろう。
参院選挙が近づいてきて、非常に危なくなってきているとみたほうがよい。
もし、新幹線などのJRの駅でテロがあったら、直接に商売が上がったりになることは自明である。
最近、新幹線のホームで警察官の姿が目立つようになったのも、こういう情報に基づいてのためであろう。
 ・今度はUFJ銀行
「りそな銀行」の国家管理が落ち着いたと思ったら、次のターゲットが「UFJ銀行」になってきた。
3年連続の赤字で、今期は3000億の赤字とか。関連のUFJ信託銀行を、住友信託に3000億前後で売却に入るとか。
東海銀行にしても、三和銀行にしても、硬い基礎の銀行で、悪いなりに大丈夫というイメージがあったが、
このデフレ・スパイラルには抗しがたいようだ。グループの三人のトップは引責辞任とか。
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2003年05月21日(水)
 777, 何ともいえない日々が続いている。
 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、
黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまったと聞いている。当方もこの一?二年で可能性がでてきた。 
そのパターンは「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくてはならないのが経営というものだ。
「後は野となれ山となれ」ともいえない。今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。明日はわからないというのが、
全ての会社の偽らざる事態だろう。もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業やデズニーランドや
飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。日本でも26万人死んだというが、SARSが
この状態になる前に防ぐことができるだろうか? 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、
ユダヤ人だけは無事だったとか。ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、手と身体を清潔に保っていたのが
ペストにならない原因。話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。これも清潔に関係しているという。
世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロやエイズなど暗い問題が多いが、
せめて気分は前向きにしておきたいものだ。
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2002年05月21日(火)
413,ー印象に残っている両親の言葉ー
母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。
世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。
三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、
数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。
「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、上手い言葉だ。
歯についた血がいつまでも口に残る。今はあまり言葉として聞かないが、父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。
自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、天の理を欠くで、「天合」?を欠くというのだろう。
倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。他人におどけて見せたり、
パフォーマンスをするなという意味だった。大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。
 家内に時々そういう類の言葉を使い、「明治生まれの両親の子」とからかわれている。
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2001年05月21日(月)
つれづれに
今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS?TVの癒し系の番組268チャネルを』
申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。
映像つきラジオ番組472チャネル?マザーアースもいい。

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