堀井On-Line



3322、iPadについて

2010年04月30日(金)

 iPadについて、「ウェブ進化論」著者の梅田望夫が、どのように見ているのか知りたかったが、
4月26日(月曜の産経新聞・一面)のコラムで以下のような感想を述べていた。
雑誌や、週刊誌の記者が実際に使ってみた感想と同じだが、同じことをいっても専門家の言うことは重みが違ってくる。 
私も使ってはいないが、ネットでデモの画面の内容をみて、「これは現在ある紙を媒体とした情報手段を叩き壊すだけでなく、
携帯電話や、iPodや、パソコンが生活様式を変えたより、大きなインパクトを与える革命的な存在になる」予感がした。
iPodやiPoneのソフトの下地にあるから相乗効果を出すはず。 書籍だけでなく新聞を、これを媒体として、
見るようになる。5年から7年で、本や雑誌の出版が1〜2割まで落ち込む可能性があるという。
 ■ 全てを“本”にするiPad   梅田望夫 (産経新聞)■
4月3日、米アップルがタブレット型コンピューター「iPad」を発売した。事前にネット注文していた私は
3日は外出の予定を入れず、自宅でiPadの配達を待った。そして、アップルストア開店から4時間遅れて中国から
フェデックスでiPadが届いた。 iPadは電子書籍端末としての期待も大きい商品だが、使ってみて私が直感したのは、
これは創業者ジョブズが昔から作りたかった「理想のマルチメディア・コンピューター」の姿そのものだ、ということだった。 
アップルの社名はもともとアップルコンピューターだった。しかし90年代に経営危機に陥り、携帯音楽プレーヤー
「iPod」の大ヒットなどで復活したあと、業態と合わせるために社名からコンピューターがはずれた。
しかしジョブズは執拗にコンピューターを構想し続けていて、いまiPadという製品に結実させたのである。
使い始めてしばらくして私は、ぜんぜん想像していなかった不思議な感覚を味わうことになった。
 「あれっ、本と雑誌と新聞とウェブサイトの区別がつかなくなってきたぞ」と。
昨年アマゾンが電子書籍端末「Kindle」を世に出したとき、人々は「本がまるで本であるかのように読める」ことに驚いた。
しかしiPadは、本や雑誌といった出版商品だけでなく、ウェブコンテンツであれ書類であれ、何でも読めるコンピューター。
しかも形状は電子書籍端末に近く、カラー画面上に指を滑らせるだけで、ウェブコンテンツにつきものの夾雑物をも取り除ける。
その結果、利用者に「本以外のすべてのコンテンツを、あたかも本を読んでいるかのように錯覚させてしまう」効果をもたらす。
「本がまるで本であるかのように読める」というのとは全く違うのである。 本も雑誌も新聞も、紙と印刷技術を前提にした
パッケージ商品である。 電子書籍とはこれまで、その「本という概念」を変えることなく電子化することを意味していた。
雑誌や新聞の電子化も右に同じ。 Kindleはその方向性に忠実な端末だ。
しかしiPadの登場は、逆に「本と本以外のあらゆるコンテンツの境界が揺らぐ感覚」を私たちに味わわせる。
そしてその揺らいだところに新しい技術が注入されれば、越境により新しいジャンルが創出できそうな予感に満ちている。
いまiPadにいちばん興奮しているのは、初期の利用者以上に、世界中の開発者やクリエーターたちだと言っていいだろう。 
iPadとは、ジョブズが仕掛けた「メディア産業全体に創造的破壊をもたらす時限爆弾」なのだ。
 iPadの米国での販売台数は発売から1週間で50万台以上と、事前予測を超える大ヒットとなった。
供給がまったく追い付かず、米国でもなかなか手に入らない。日本を含む米国以外での発売時期は1カ月延期されて5月末。
 〜〜
 【ツイッター、3D/TV、そして、これ。 よくぞ次から次へと21世紀的なソフト、マシーンが出てくる!】
 ・・・・・・・
2009年04月30日(木)
 2947,全日本柔道選手権  ー2009年
 毎年、全日本柔道選手権は(壮絶の試合になるので)必ず見ている。そして毎年4月30日は(一昨年を除いて)
前日の試合の感想を書いてきた。それを読むと、それぞれの時代の有力選手の姿などが見えてくる。
今年は24歳の若手の穴井が優勝をしたが、決勝戦の棟田との試合は極限の中での勝負であった。
最後の最後に若さの力を振り絞った穴井が逆転勝ちをしたが、見ていて感動的だった。
 去年までの数年間は、井上、鈴木、棟田、石井が準々決勝の常連だったが、今年は井上と、石井が引退、
鈴木も準々決勝で敗退してしまった。 時代の変化が、そのまま現れていた。
この試合は体重別でないのが良いし、日本人柔道家にとって思い入れの深い選手権。
次の主役が穴井と準決勝まで勝ち進んだ高井が浮き上がった。 毎年のことだが死力を尽くしきった試合は心を打つ。 
また、今年勝った、穴井が優勝をして男泣きしていた姿が何ともいえない純粋さが現われていた。 
石井が去年のオリンピックの金メダルを取った後の引退騒動。 彼によって柔道そのものが汚されてしまった。
それが柔道界全体に後をひいたように感じたが。 石井の醜態は、柔道そのものを汚した反面、
世界は柔道から「ジュウドウ」への流れを、石井は適応してオリンピックで優勝をした実績は実績である。 
 ところで毎年書き続けてきた文章を一切に目にしないで見たままを書いているが、
自分自身を試合を通して合せ鏡をみているようで面白い。 大相撲もそうだが、一つのことを
書き続けることも、何か自分の心を見つめる良い機会になる。
 ー
この文章を書いた後で、これまでのものを読み返すと、「毎年書き続けた文章を目にしないで書いている」
など、同じ文言が書いてあったが、決まった言葉を疑問を持たずに繰り返す自分の枠を見せつけらる。
・・・・・・・・
2008年04月30日(水)
2583, 全日本柔道選手権
毎年、この大会を楽しみにしている。特に、オリンピックの年のこの大会は、異常な熱気に包まれる。
日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に勝つことを重要視している。
今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も熱気に満ちた劇的な試合が続いた。
特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上康生と高井戦が劇的な戦いであった。
それまでの全てをかけた男同士の極限の戦いということ。結果として石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、私は違う。
 【以上、字数制限のためカット 2010年4月30日)
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2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり
                  (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪    
『団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー
2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。丁度、団塊の世代が今年から定年を向かえるのでタイミングがよい。
これもまた買うほどでないので、ネットで概要を調べてみた。 時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。総中流時代の中で、結果として格差がついても、
時代の恩恵は受けていた年代である。歴史的にみても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。
格差がついたとしても、それが如何した!でしかない。格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、問題は子供である。
それが大きい!が、 しかし、どれが如何した!と言えば、それまでのこと。
 ーまずは、ネットで調べた内容からー
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な数字を基に、
「団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、 ・不倫したことがある28%なども含まれている。
『下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。
 ー団塊格差ー
1.リッチ・シニア層
  退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有。
  職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、
  収入のためというより、社会貢献の一環として、好きで働く層。
  職業を卒業した場合は、ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、
  自分の好きなように、自由に、有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
2.アクティブ・シニア層
  金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、
  シニアになっても職業を得ている階層。 例えば、労働基準法の改正による、
  会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
  健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
3.ワーキングプア・シニア層
  金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る職業に就くことも難しい層。
 ーー
 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。
  著者があとがきに記している次の一文が、それを端的に表している。
*「団塊世代はマスメディアによってつくられた大きな虚像である、という側面があるのではないか」。
  当然ながら、この世代にもいろいろな人がおり、‘リッチな趣味の人’というのが平均的な姿ではない。
*「男性の個人所得」には大きなバラツキがあり、「高所得1割、中所得7割、低所得2割」になっている。
  定年を前にして「所得150万円未満」の人たちが1割いることを見ても、団塊世代の殆どはリッチ」でない。
 「貯蓄500万円未満」が4割、「退職金なし」が35%。その一方、貯金も退職金も多額の額という人たちもおり、
  社会問題になっている「格差」「二極化」が進行している。
*「夫婦関係」というと。「世間のイメージはまあまあ正しい」と言えない。
 「女性のほうがより離婚願望が強めであることはたしか」「定年と共に捨てられる団塊男性が増える」と分析を行う。
  自分たちはがむしゃらに働きながら、しかし
*「本当は好きなことを仕事にするのがいちばんいい」という価値観を持っているこの世代の人たちは、
その夢を自分の子どもに託す傾向が強いと分析。
 「ムリに嫌な仕事をする必要はない」「自分に合った仕事をゆっくり探しなさい」
  と言われて育った子どもたちは、“自分さがし”から派遣、フリーター、ニートの道を歩むことが多い。
団塊世代の子どもの3割(在学者を省く)が非正規雇用者という。妻は離婚願望を秘めていて、子どもはフリーター。 
団塊世代にもひとつだけ胸を張れる点があるとすれば、「仕事人生に満足」という人が過半数を超えていること、
そして、仕事に対する満足度には学歴でほとんど差がない。所得や職業に学歴が決定的な因子ではない。
学歴にかかわらず階層の上昇が可能だったことも、調査結果は明らかになる。
彼らには自分のやる気や努力ひとつで人生を変えられる、という自己決定権が与えられていた。
「自分の人生は自分のもの」と思い込む自由は、手にしていた。これが、自分の階層が親の年収や学歴で
あらかじめ決められ、そこから這い上がるのが困難ないまの若い世代とは、決定的な違いなのである。
 ーーー
 以上が著者が描き出した「団塊世代の実像」である。
私の見たところ、「質的に元々格差がついていた」のが、そのまま結果となっただけ!
分別される中学校の同級会や同期会に出ると、そのことを感じとれる。
この年代の二年先を露払いをしてきただけに、非常に興味がある問題である。
ただ、収入や社会的活躍だけで、その人の価値をハカルのはどうかとおもうが。             
しかし、あながちピンとが外れてもいない。 受けとめ方、受けとめ方、それぞれの!  
                     (*・ω)ノβψε★βψε
 ・・・・・・・・
 2006年04月30日(日)
 1853, 全日本柔道選手権
      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
毎年、4月29日は全日本柔道選手権が行われる。この数年来、このテーマで書いているが、
前年度を全く読み返さないで書く。その後以前の内容を読むと面白い。同じ日に同じテーマで書いていると、
その時々の選手の力関係だけでなく、それを見て書いている自分が見えてくる。
別に柔道が格別好きということではない。一年に一度の大勝負の真剣試合だから面白いだけだ。
年末の全日本相撲選手権も同じである。この大会は、階級別でないのが面白い!
今年の大会は、前評判の選手が順当に勝ちあがってきたが、19歳の最年少、
初出場の石井選手が初優勝をした。決勝戦は優勝最有力の鈴木桂治選手が勝ちあがり、
有力選手の中では伏兵の石井選手と対戦をした。最終まぎわまで鈴木選手が一方的に
攻めていたが最後の4秒前に、石井の捨て身の技で敗れてしまった。勝負とは面白いものである。        
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒー 
もっと面白いのは、優勝インタビューで
「自分は、この優勝より近くに行われる次の団体戦に焦点を合せているので、気をぬかないようにします」
と答えていた。聞きようによっては日本の全柔道人を馬鹿にした答えである。
何を自分が成し遂げたのか解っていなかったのだろう。
大相撲の朝翔龍が、日本的儀礼を小馬鹿にして根こそぎ権威とやらを叩き壊したのに類似している。
それと、苗字に「井」という字がついている選手が多い。井上、高井、穴井、石井と。
昔、プロ野球で国鉄に「田」がついている選手が多かった。金田投手がいた頃だ。何か?あるというが。
あるセミナーで、講師が「参加者の誕生日を、これから聞きます。必ず同じ月生まれの人に偏っているいるはずです」
と言って、それぞれの月ごとに挙手をしたところ、極端な偏りがあった。 話題が逸れたが! バイバイ♪(ノ´∀`*)ノ     
  ーー
 以上を書き終えたあと、以下の文章を読み直してみたが、数年来、出てくる選手の顔ぶれは変わっていない。
 鈴木に、棟田に、高井に、穴井とベスト8に出ていた。井上と、棟田の力が落ちてきたのが、流れから見えてくる。
 高井が次の有力選手と思われていたが、石井が割って入ってきた結果になった。
  ・・・・・・・
  2005年04月30日(土)
  1488, 全日本柔道選手権ー4
この数年間、4月30日には全日本柔道選手権について書いてある。今年も書かなくては気持ちが悪い。
毎年、同じ日に同じ対象を書き続けるのも面白いものである。昨日は、去年に続いて鈴木桂治選手が優勝をした。
ライバルの井上康生選手が休場した為に、今ひとつ盛り上がらない大会になった。棟田選手も早々と負けてしまったし、
若手の高井選手も元気がなかった。そして予想通り鈴木選手が村元選手を破って優勝をしたが、僅差であった。
気になるのが、若手で生きのよい選手がいないことである。いつの時代にも必ず若手でいるものだが現在は見当たらない。
高井、穴井というのがいるが、井上、鈴木の若い時の輝きはない。仕方がないのだろ。
今年の総評も、書くほどの内容はなかった。相撲も、柔道も、どうしても時代の勢いによって選手のレベルが決まってくる。
そして、優秀な選手には必ずライバルによい選手がいるものだ。この4年間の文章を読んでいても年々、柔道のレベルが
落ちていくのが解る。桜も充分見たし、連休で英気を養って夏を向かえる何時ものパターンである。
そういえば鯉幟の姿を殆ど見かけないが、地震のためだろうか。この三年間の文章を読んでいて、同じような文章を書いている
自分が其処にいる。それと、殆どの記憶は忘却の彼方になっていることに気づく。
読み返してつくづく思う事は、とにかく書き残すべきことは書き残したほうが良いということだ。
TPOSの時の具体的な事と、その時の正直な気持ちを言葉に書き残す事は自分の気持ちの刻印になる。
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 2004年04月30日(金)
 1123, 全日本柔道選手権ー3
今年で3年連続で「全日本柔道選手権」について書く。日記を読み返してみても、この選手権はドラマがある。
なんといっても準決勝で鈴木と棟田のオリンピックをかけた勝負が伯仲をした面白い内容であった。
二人の実力は五分であったが、消極的ととられた棟田が注意・指導ー有効の差で負けた。
これで鈴木が100キロ超級でオリンピック出場が決定をしたが、終わってしまえばやはり順当というところであった。 
負けた後に涙をこらえていた棟田の姿もよい。最後は最優勝候補の井上康生を鈴木が勢いで破って優勝をした。
鈴木も前回、負けた井上に勝ったのだから、自信を持ってオリンピックに出場できるから、このオリンピックも
期待できるようになった。当分この三人が100キロ級と100キロ超級の二つの枠をかけて争いながら
日本の重量級を引っ張るだろう。これと、天皇賞と、連休が終わるとで春は終わり、初夏に入ることになる。
 ・・・・・・
 2003年04月30日(水)
 756, 全日本柔道選手権?2
去年も書いたが4月29日は講道館ルールでおこなわれる「全日本柔道選手権」がある。勝てば天皇杯をもらえる。 
毎年必ず楽しみにしてみている。無差別でおこなわれるのが面白いし、毎年何らかの因縁の試合がある。
今年は、・篠原選手が引退をかけて出場してきた事と ・鈴木と井上選手の勝敗がどうなるかである。
数ヶ月前の世界選手権をかけて争った体重別選手権で鈴木が勝った。しかし過去の実績で代表は井上が選ばれた。
もし今度も鈴木が勝てば、井上の代表はどういうことか疑問を持たれる。結果は井上が一本勝ちで面目を保った。
優勝インタビューで井上は男泣きしていたが、鈴木も表彰式で泣いていた。 篠原は僅差で負け引退をした。
去年準優勝の棟田は怪我をおして出たが早々に負けてしまった。感動的な緊迫した一瞬も見逃せない真剣勝負が多かった。
 ・・・・・・・・・
 2002年04月30日(火)
 392, 「全日本柔道選手権」ー1
4月29日といえばこれである。この面白さは体重別でない事だ。軽い体重の選手が結構勝ち抜く。
それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」
ところにあった。それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。
それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。その人が2?4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。
この試合が近年まれなるよい試合であった。両者とも絶対に勝つというぶつかり合いで、会場も異様な熱気に包まれた。
一?二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。勝ち方を知っている為だ。
四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。ああそれと鯉のぼりだ。


3321, 「知の衰退」からいかに脱出するか?  −1

2010年04月29日(木)

 ー「『知の衰退』からいかに脱出するか? 」 ー大前研一 (著)
 
 大前研一は、図書館や書店で手に何度か手に取るが、何か読む気がしなかった。
しかし、現在の日本の行き詰まりなどをみるにつけ、「日本が変、それも異常なほど変である!」と思っていた矢先に、
グローバルの世界の中で「茹で蛙の日本」を徹底的に非難している内容をみて、読んでみることにした。
 保守的な人からみたら、眼を剥いて怒るような内容が次から次へと出てくるが、現実に中国や韓国の若者たちは、
眼を輝かせて必死に勉強している割合が日本の若者に比べて圧倒的に多い現実がある。
 高度成長期の時代なら、解るが、低成長の時代に生まれ育ちデジタルの時代の中で、情報だけは豊富にあり、
偏差値でランク付けを子どもの頃からされた若者の立場もわからないでもない。しかし、だからダメと諦めてかかっては、
どうもこうもならない。 これからのビジネスマンに必要な三種の神器は、「IT」「英語」「ファイナンス」というのも、
初めは??と思ったが、21世紀には、当たり前といえば当たり前のこと。 特に、ファイナンスを挙げているのは良い。 
最後は、この辺である。 日本の若者の相手はネットの先の、世界の高IQ化した若者である。
だから、日本の低IQ化した相手を無視して、自分の得意とする分野でユニークなスキルを磨くことを勧めることこそ、
若者の道筋である。 「現在の日本の低IQ社会の一員になってはならない」ということ。 だから、私の知人の子弟が
数人、高校から外国に留学をさせているのをみかける。「寂しくないか?」と聞くと、毎日ネット電話で顔を見て話しているので、
全く感じないという返事。 それと、外国に行っていると金銭感覚が、鋭くなるという。
そうこう考えると、著者のいう三種の神器を身に付けさせるために行かせているようだ。
 
・・・・・・・・
2946,タレント知事をどうみるか? ー2
2009年04月29日(水)
  佐高信は、タレント知事を完全に否定している。 
ー反対する理由はー
「タレント、つまり人気商売は常に多数に寄っていく宿命だ。だから知事に一番向かないのではないか。
 多数の人気に自分を預けていて、自分の意見がありそうで、ない。例えば、東国原知事の国政への転出騒ぎがその象徴だ。
『みなさんが許すなら』という言い方だった。 自分に信念があって不人気でもやるということではなく、
 人気に寄りかかっている。 橋下知事も反発を受けることを断行しているように見えるが、常に多数に乗っかっている。
 政治家や行政マンに必要な信念があるようで、実はない」
ー知事に必要な条件とは何かー
「弱者の痛みが分かること。過疎を切り捨てない人。この逆をやった政治家が小泉純一郎氏だ。
 全体的に政治家の『小泉純一郎化』が進んでいる。タレント知事も同じ人気者路線に乗っかっている。
 喝采(かっさい)を浴びた小泉氏のまねをして県民に受けている。 政治や行政の本来の使命である『公共』という概念が
 忘れられるというか“殺される”と思う」 タレント知事は人気を利用した発言力が役立ってはいないか
ーPR係として雇えばいいだけー
「知事でなく、PR係として雇えばいい。タレントそのものが浮草の人気商売だから、それが染みつき人気を利用して国と
 渡り合おうとする。だが、青写真がない。選ぶ方も人気だけでそれを要求していない。地に足を着けて選んでほしい」
ー有権者側にも責任がある
「タレント知事はその存在がすべてで、何を公約したかというのは問題にされていない。それはまずい状況だ。
 格好が良くて無内容の人と、格好悪くて内容がある人とを比較した場合、後者を選ばないと。
 政治がワイドショー化しているのだ。 タレントの生きている世界と全く対照的なのが政治の世界。
 行政や政治が堕落していくあしき兆候だと思う。隣人が選挙に行くから自分も行くような人には選挙権を与えなくてもいい」
ー政党側も人気を利用していないか
「人気ほど不確かなものはない。風によって登場した人は風によって消えていく。
(1期4年と短命だった)青島幸男元都知事も人気がないことはやる気がなかった。
(平成18年に初当選した)滋賀県の嘉田(かだ)由紀子知事は、自公民推薦の現職と共産推薦の新人を相手に勝った。
風を起こしたのだ。これに対して、人気に乗っかった人は、風の向きが変わると、言ったことと全く違うことをする怖さがある。
そのことをタレント知事を選出した県(府)民は分かっているのだろうか。県(府)民も風に乗って浮かれているのではないか。
 〜
 選挙で選ばれて県知事になるのだから、人気商売であることも確かである。しかし、お笑いや軽薄としか思えないタレントを
選んでしまう県民の民度は、その程度と、切り捨てるしかないのか?落ち目の国の、末期現象でしかないことは間違いなさそうだ。 
・・・・・・・・・
2582, 柳田邦夫の2.5人称の視点
 2008年04月29日(火)
 ー「人生の答え」の出し方ー柳田邦夫著 ー1
柳田邦夫著ー「人生の答え」の出し方ーに「2・5人称の視点」という言葉があった。その意味を噛締めてみると、
成程と合点がゆく良い言葉である。学生時代のゼミで、色いろな人間関係の実例を取り上げ、それぞれ原因を探り、
解決策を討論する事例研究を一年にわたり徹底的に鍛えられたことがあった。この本を読みながら気がついたことがある。 
それは事例研究から学んだことは、一人称、二人称、三人称、そして一・五人称、二・五人称の視点の訓練をさせられたこと。
 ーその二・五人称とは何か?を大筋書いてみる
一人称は、自分、 
二人称は、あなた、家族など身近な人、
三人称は、専門家、役人、ジャーナリスト等、客観的に見る人。他人事とみる視点。
三人称は「事態を客観的に見る良さがあるが、悩んでいる、落ち込んでいる一人称、二人称からは冷たく見えてしまう」
そこで、三人称の人も二人称に歩み寄り、同時に二人称に埋没しない「2.5人称の視点」を持つべきだと。
1人称、2人称の視点だけでは感情に走って冷静な判断が下せなくなる。といって他人事としての3人称の視点であれば、
冷たく突き放す見方が優先する。求められるのは、1人称と2人称を考慮に入れつつ3人称的な冷静な判断を下せる、
2.5人称の視点が、柳田邦男さんの「2.5人の視点」である。冷静・客観的な、それでいて人間性豊かな
かかわり合いを持てる人間こそ2・5人称の視点を持った人、ということだ。二人称に限りなく近づくが、
どっぷりと二人称になると、冷静な判断かつ正しい処置ができなくなる。そうすると「1.5人称の視点」「0・5人称の視点」
「4人称、5人・・・称の視点」と考えてみた。1・5人称の視点は、夫婦、親子、兄弟間のこととか・・0・5人称の視点は、
自分の中の神の目の視点とか、良心の視点とかである。 ーそれにしても、0.5、1・5、2・5とは面白い切口である。
思いやる心、温かい心、慈悲、感謝、感激、愛する心などなどということか。
・・・・・・・・・・
2007年04月29日(日)
 2217, ネットカフェ難民 
   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
今年になってから、インターネット難民という言葉を見かけるようになった。駅前で宿泊業をしているので、
こういう現象に敏感になる。当ホテルにもビジネスホテル難民?が数年前までぺアで1〜2組、入れ替わり立ち代り
宿泊をしていた。12?の部屋に3?10年の長期滞在になるが、身なりはシンプルで、キチットしている。
水商売で色いろの事情があるようだ。もちろん警察にはマークされるが、犯罪にはつながってない。
今年になってから、急にネットカフェ難民という言葉が目立ってきた。家内の話によると「最近は24時間営業の
ファースト・フード店やファミレスに若者難民が屯して、ドリンク一杯で一晩うつ伏せで寝る現象が出てきた」とTVの番組で
扱っていたという。新潟駅前のビルの1Fにあるロイヤルホストに夜明かしをする若者がいる!と聞いたことがあったが・・。
*「ネットカフェ」をインターネット辞書のウキィペディアで検索したら・・
 ー概説ー
ナイトパックが利用可能なインターネットカフェ。コインロッカーの一例これまで過ごしていた自宅(実家やアパート)や
寮を諸般の事情(家賃の滞納や家庭の事情など)で退去して、24時間営業のインターネットカフェや
漫画喫茶で夜を明かし、日雇い派遣労働などで生活を維持している若年者を指す。
ホームレスに代わる用語として2007年頃より用いられている。
一般的な高齢化による求職難、働く意思・意欲が無くホームレスになった人々とは対照的に、
ネットカフェ難民は働く意思を持ち、日雇い派遣労働に従事するのでホームレスの用語を
あえて使用せず、マスメディア側で2007年頃から便宜的に作られ使用されている造語である。
 ー雇用環境の変化ー
(以下、字数の関係でカット2,010年4月29日)
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2006年04月29日(土)
1852, ローマから日本が見えるー8
 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
二つのネットワークのうち、まずローマ連合と、その成り立ちとは?
ーローマ連合とは、その成り立ちー
 *ローマ連合は大きく分けて、 5つの要素で構成されます。
(以下、字数の関係でカット2,008年4月29日)
 ーー 
以上であるが、これは大手企業グループの資本金の比率などの構成に酷似している。学者などはローマ連合を類推して、
その合理性を導き出しているのだろう。現在の政治経済に、そのまま当てはまることが多くある。    ー つづく
                ヾ(^ω^*) バイバイ!
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2005年04月29日(金)
 1487, 郵政民営化と自民旧守
郵政民営化は、至極当然の流れである。しかし、反対派との猿芝居で殆ど骨抜きになったが、国鉄の民営化より
先にしなければならないことであった。この旧守派の連中のトップで反対しているのが、トナミ運輸のオーナーで、
前の橋本派(恥元派)の現在の実質トップの綿貫という男。自社の利益を守るための反対であるのは自明である。
郵政が民営化されると、一番困るのが運輸会社である。もう政治とか何とかいっている以前の話である。
こんなのが、政界の中心にいるというからエログロである。 この男の反対理由に「利益だけではなく、
公共の利益を考えなくてはならない」とか言っておられる。自社の利益を守るためであるのは誰の目にも明らかである。
これが政治家だというからお笑いである。それも元衆議院議長というから、その質の低下もいいところである。
政治的犯罪行為が露出しているのが、この連中には解らないのだ。 あの亀井静とかいう政治家も、
政界にまだ存在しているから恐ろしい。郵政族と称する票?食(乞?が怒るか?)も哀れな存在でしかない。
言葉が汚いかも知れないが、この連中のことを書くかぎり言葉の方が汚れてしまう。彼等の存在と名前は、
汚点として政治歴史として間違いなく残る。自民の旧守派どもが郵便預金を露悪的公共事業に注ぎこんできた主犯。
その残党どもが、その元金を断ち切られるのを恐れて反対をしているに過ぎない。
恥を知れ!というほどのレベルでもないが。書いていても情けないというより、その醜悪の姿に日本の将来に絶望を感じる。
こういうのが、まだ存在しているのだから。国鉄を振り返ってみれば、郵政の民営化は当たり前のことである。
郵便局の存在は国鉄の数倍も国にとって効率の悪い存在でしかない。何が公共的存在というのか。国鉄の末期のとき、
共産党と社会党の連中が同じことを言っていた。コンビニで郵便局の存在意味は、ほぼ終わってしまったのだ。
特に、郵便局の連中の言い訳に羞恥心があからさまに見えていた。あまりの非合理性を自分で知っているからだ。
とにかく自民党を潰さなくては! 小泉も含めてだが。
民主党の党首が、あの程度である。 貧すれば鈍するが今の日本の政治である。
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2004年04月29日(木)
1122, 「ライフ・レッスン」ー8
 ー怒りのレッスン
・怒りは文字通り腹部でつきあわなくてはならない。そのこつを身につけるには、眼をとじて、片手を胃のあたりに当てるとよい。
脳でなくからだを使うというかんたんな動作が、そのとき感じていることを知るのに役立つ。自分の感情とつきあう習慣は、
現代社会ではほとんど知られていない。現代人はからだで感じるということを忘れている。
わたしたちは理性と感情を分けようとする。理性に支配させることに慣れすぎているで、感情やからだのことは忘れてしまう。
・怒りは、うけた傷に自分がなんの対処もしていないことを知らせるシグナルである。その傷は現在進行形の苦痛だが、
怒りはだらだらと長びく苦痛になる。傷をためこみ、それに注意を向けないでおくと、怒りは成長をする。
わたしたちは怒りを多くためこみ、やがて傷の分類ができなくなって、最後には自分に怒りがあることに
さえ気づつかなくなってしまう。怒りの感情とともに生きる事になれてしまい、それが自己の一部と思いはじめる。
その怒りがアイデンティテーの一部になる。
だから、わたしたちは、自己のアイデンティテーと古い感情とを分ける作業を分けなくてはならない。
 ーーーー
ー感想ー
怒りっぽい性格のためか、このレッスンを過去の人生で多くしてきた。
怒るには怒るだけの理由がある。また、その怒りによって適切な判断ができたことが多かった。
怒りは、その感情の高まりによって自分の世界を他者との間に一瞬ラインとして見ることができる。
怒りの感情を抑圧することで対処しようとする人が多い。その必要はないのだ、といって怒ってばかり
いるのは問題だが。はなしは変わるが、去年の同日の随想日記の内容が偶然の一致で「怒る技術」であった。
面白いものである。怒るということからのレッスンが全く足りないのか?
方向違いを知らしめようとしているのか? じっくり考えてみる必要がある、特に私の場合は。
怒りの背後にあるものの一つに「恐れがある」という。 なるほどそうかも知れない。
怒ってみて初めて、その正体がわかることもある。 怒りを溜め込むと憎しみになる。
憎しみのヘドロを溜め込むなら怒って、そのつど吐き出すことも必要なこともある。
憎しみのヘドロでドロドロの人が、あまりに多い。そのヘドロを他人に投げつけるから始末が悪い。
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《--怒りについて--》 (以下、字数の関係でカット2,009年4月29日)
・・・・・・
2003年04月29日(火)
755, 「怒る技術」ー読書日記
タイトルが面白そうなので買ったが期待したほどの内容ではなかった。私が怒りっぽい人間でこの技術を
経験上身につけてきた事もある。 著者と同じ年齢で闘争的であることもあってか合点することが多かった。
私の場合は子供の頃から兄姉やクラス内の喧嘩で怒りの山であった。また学生時代の寮生活で、怒りのテクニックを
身につけざるを得なかった。創業でも色いろな場面に遭遇したことが多かったこともある。怒りの山を一づつ乗り越えてきた
というのが実感だ。その意味では、この本は哲学者の言葉の遊び的な甘さもあった。しかし彼がウイーンで、怒らなくては
生きていけなかったというのはよく理解できる。ヨーロッパ人は実によく怒るそうだ。喜怒哀楽を冷静に使い分けないと、
事業など出来ない。著者も彼らの「怒る力」には及ばないと書いてあった。
彼らはわれわれ大和民族と怒りの表出の仕方が違うという。
彼らの特徴は
・すぐにその場で怒りを表出する
・以前の怒りを根に持つことが少ないこと
・怒りは激しく、しかしただちに収まること
・怒りの表出が言葉中心であること
・個人的に怒ること
・演技的怒りであること
以上であるが、全く私が身につけた怒りかたと同じである。寮生活をしていて、大学を卒業しながら、社会に溶け込めず
寮に入り浸っている先輩の群れがいた。大人しくしていたら部屋のものを持ち去ってしまうこともあった。
直接攻撃もできないし、ただ見ているしかないこともあった。彼らの姿から、脱皮していくには過去の場所には二度と
行ってはならない、ことを学んだ。怒りは貯めておくと、膿になり化膿してくる。自分でコントロールしなくてはならない。
この本の中に「怒れない人達」というのが書いてあった。何か気の毒のような気がする。
最近こんなものかと怒りが少なくなってきたが、それでも山のようにある。この著者は怒りの代用として対象への軽蔑がある。
そのことに気がついてない。自分が生きているだけで精一杯でしかないのか、それとも哲学者のゆえんか。
「怒りの代用としての軽蔑と、生きていくだけで精一杯」は自分のことだからよく解る。私の場合と違うのは、この人の人生は
全く楽しくないということだ。本人もそう書いている。「笑いの技術」でも書けばよいのに!要らぬお世話と怒られるか!
昨夜この下書きを書いて寝た為か今朝面白い夢をみた。ペガサスクラブというチェーン店理論のコンサルタントの一種気違いに
近い怒り方をする渥美俊一先生が、セミナーで招いていた先生ー経済評論家のリチャード・クーを、私語をしていたといって
殴りつけたのだ。なんでリチャー・クーなのだろか解らないが?そして二人は喧嘩をしながら、
会場外に出て行った。恐らく警察をクーが呼んだのではと思いながら・・で夢が覚めた。
こんなものだが、それにしても脳は面白い! 話は変わってしまったが!
・・・・・
「怒る技術」 PHP研究所 中島 義道【著】
ー内容ー
たとえ間違っていようと、あなたは怒るべきである。
20年にわたる壮絶な対人闘争から掴んだ「怒りの哲学」。
・・・・・・・・・
2002年04月29日(月)
 391, 休日の風景
休日の一日の典型の日が昨日であった。
時系列に書くと
・5時に目が覚める、30分位 うとうと
・5時半、 起床ーすぐ仏壇の前でおまいり 「お父さん、お母さん、運一さん、進さん、正子さん(兄・姉)、ご先祖様、
 そしてあの世のすべての人が安らかに過ごされますように!そしてこの世のすべての人が良くありますように。
 特に大変な人がよくありますように。仏様ご苦労様です。今日一日最大限いきます。そして明るく・・」
・5時35分?6時15分  パソコン・・・・
・6時15分?8時15分  散歩
・8時15?11時   食事・新聞TV・読書
・11時      風呂
・12時      食事 パソコン
・13時      愛の貧乏大作戦ーTV
・14時      図書館・選挙
・15時      競馬・天皇賞ーTV
・16時?17時45分 WOWWOW ー映画ーリプレイスメント これが大当たりー面白い!
・17時45分?   笑点
・18時   近くのー100m先のサイゼリヤで食事(500mlの赤ワイン、牛肉の角煮、ムール貝、
      アンチョビのピサ、ドリア) 以上で2人で税込みで2100円。スーパーより安い! ウオーキング
・19時  サンマのからくりTV
・20時  巨人戦
・21時  居眠りーTVの前で  ビデオ少し
・10時半 就眠  
大体これで休みが過ぎる。80パーセントがこんなもの。あとはSC と映画 とあたりが加わる。


3320, 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす

2010年04月28日(水)

『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著 −2
  
* 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす  
学生時代の問い「理念の意味は何か?そして、その理の意味は?」が、40年以上経った現在、
その答えを見つけたのである。何か微妙な感覚である。 
理念が理性の「何故?何故?」を徹底した問いの極限というから、眼から鱗である。
 ーまずは、その部分を抜粋して考えてみる   P−24
≪ 理性的とは、「なぜ?ーなぜならば」という仕方で物事に筋道をつける能力である。 それも、どこまでも
道筋をつける能力である。 というのは、「何故?ーなぜならば」の関係は原則的に一組でほ終わらないからである。
一つの「なぜ?.」にいったん「なぜならば」と答えても、その答えに対して再び「なぜ?」と問いうるし、
そのまた「なぜ?」へとさかのぼりうる。 理由のそのまた理由……、原因のそのまた原因……、という具合にである。
そのようにして、「どこまでも」ということは、「徹底的に」という意味になる。 そして「徹底的に」ということは、
究極に迫るということ、すなわち、最後には「極限」にいたるということである。 それは、理性が推理の能力である
ということと表裏一体である。 ある物事(結果)の理由や原因には、そのまた理由や原因がある。 すなわち、いったん
「なぜ? なぜならば」の推理が開始されるや、その鎖は原理的にどこまでもさかのぼる。ということは、理性は原因の
そのまた原因、そのまた原因のさらにそのまた原因、等々の果てに、必然的に究極原因を求めざるをえなくなる。
要するに、理性は極限に迫らざるをえないのである。 いわゆる「理を通す」とは、そういうことである。・・・・
・・(中略) 冷めた言い方をすれば、理念は理性固有の本性や関心から理性自身によって生みだされ、現実社会に
合理的な脈絡をつけるために、現実社会のかなたに「投影」された像に他ならない。 それは現実社会を合理的に
読みとくためには、はなはだ有効であり、それどころか不可欠でさえある。
 ところが、ひとたび投影され現実世界と融合した像は、いつしか現実世界の一部はおろか、その全体として
実在するかのように、うっかりと思われてしまう。 ちょうど、熱心な観客が映画のスクリーンの中に、
あたかも実在の世界があるように思い込んで、感動したり憤慨したりするように。 このように、理念は
「功」と「罪」の両面性を持っている。 この両刀論法、すなわちパラドックスの原因とオーバーラップする。
この理性の両面性事態がまさしくパラドックスである。 このパラドックスこそ、アンチノミー(二律背反)に他ならない。 
その理性が意志をコントロールし、決定をする。 ≫
 ー以上だが、我が社の理念とか、私の理念とかで、使うが、まずは理性から考えていかなければならない。
 そうすると、やはり何故、自分は目指すのか、そして、何を目指すのか、その根拠(理性=理由)を明確にし、
それを突き詰めたのが会社理念となっていく。 それが個人としての私の行動指標なら、その根拠の明示が必要になる。
 ・・・・・・・・・
2945,タレント知事をどうみるか? ー1
 2009年04月28日(火)
最近、一時なりを潜めていたタレント知事がマスコミで注目を浴びている。
青島幸男、横山ノックなどで選挙民は、その正体を見てあきれ果てたはずだったが、再び田中康夫、東国原、大阪の橋元知事、
直近では森田健作が千葉県知事になった。田中にしろ、橋元、東国原知事も、現在見るところ、最大限にタレントの経験を
生かしているようだ。産経新聞のオピニオンというコーナーで、その功罪を浅野志郎と佐高信が論じていた。
浅野は、タレント議員を肯定する立場で、佐高は否定する立場である。
 まず浅野は「知名度で圧倒的有利なのは言うまでもない。外に対する発言力に長けている。マスコミに面白がられて
目立つことも悪くない。また政治的未経験について、「ほとんどの知事は政治未経験者だ。これは決してマイナスでなく、
むしろメリット。僕は国家公務員を23年7カ月間務めたので、知事になったとき行政についてはお手のものだったが、
大きな改革や新しい発想をするときにはマイナスになる。『センス・オブ・ワンダー』、つまり驚きを感じる心が必要だ。
東国原知事や橋下知事は県(府)庁に入って驚きの連続だったと思う。驚きによって新しい発想や改革案が出てくるのだ。
センス・オブ・ワンダーの反対を『もんだの人々』と私は呼んでいる。『役所とはそういうもんだ』『政治とはこういうもんだ』
という訳知りで来た人は危機意識やワンダー(驚き)がないため、いつまでも悪習が残ったままになる。
タレント知事というのは驚きを感じる立場にある。あとはその驚きをどう使うかだ」
有権者の心理をどう見るかについて、 有権者のタレントを選ぶ心理として
「政党や組織という既存の権威に対するアレルギーの反映ではないか。ただ、だれが知事になっても同じなら面白い方が
いいという考えは非常に危険だ。 青島幸男元都知事のときがそうだ。軽佻(けいちょう)浮薄に近かったのでは。
森田知事に叱咤(しった)激励するつもりで言えば、注目されているだけにミスをしたときは『それみたことか』と
留飲を下げる人もいるので、心しなくてはならないということだ」
 〜〜
タレントにも色いろある。弁護士や作家など、言葉を生業にしているなら良いが、お笑いタレントはいただけない。
東国原知事も、観光立県の知事のため、その知名度が県民にとって、プラスに働いているが・・所詮は、そのレベル。
それにしても国が衰えてくると、この言う現象が出てくるのだろうが、それにしても・・・
                                 つづく
・・・・・・・・
2581, 連鎖する大暴落 -3
2008年04月28日(月)
                才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
この本の「まえがき」に
「アメリカがいよいよ暴落する。・・・少しだけアメリカから離れましょう。
自分の財産を守りたかったら、ここで『損切り』を敢行すべきである。
投資とは損切りができることである。・・・」という言葉が印象的であった。
 その通りで、損切りができるかどうかが、投資の分かれ目になる。
人生と同じで見切りが大事である。 私の場合、この経験を嫌というほど経験してきた。
損切りに躊躇、迷っているうちに大損をしてきた。 しかし損切りも何度もしてきた。
これだけは自分が経験しないとわからない。 これは決断の話になる。
現在のアメリカの状況は、日本の18年前とホボ同じというが、その通りである。
その時期に損切りが出来なくて大損をした経験から、現在のアメリカの状況が透けるように感じる。
数年前に、親しくしている知人がカナダドルとカナダ国債を勧めに来た。
その時に、「アメリカは磐石。その理由は *世界機軸のドルと、*世界最強の軍隊と、*世界の共通言語と、
*ネットを含めた情報革命の最先端を走っている。その上に資源のあるカナダは更に磐石である。」とのこと。 
投資の最低ロットが2000万円からという。しかし、如何いうわけか、少しも心が動かなかった。 
理由は、「ユダヤ系資本の人の受け売りでしかない」と思ったからである。
いや、金(キン)の実物ならいざしらず、紙切れに何で?というのが、当時の本音であったが。
ーこの本に面白そうなところをー P59
ー先物取引は株にしろ通貨(外資)にしろ、イカサマと断じている。先物の値段はごく限られた特殊の人だけで勝手に
『値決め』されているという。ならば一般の市場も、これで振り回されるのだから当然一部の人の思惑で殆どが決まることになる。
ミルトン・フリードマンが『選択の自由』という本で『自由競争と市場原理の素晴らしさ』を説き、「規制撤廃」と「小さな政府」
を提唱した世界的経済学者ということになっていたが、しかし彼が影でこそこそしていたことは、
その逆のおそるべき統制経済であり、「私たち一番上の権力者が全ての値段を決める」という行動だったのである。
私たちはフリードマンに大きく騙されていたのである。
その日本における今の代理人の一人が竹中平蔵元金融大臣である。おかしな人である。
今でもまだ「日本は自己改革(規制緩和)が不徹底だから、景気が悪い」とのたまっている。まったく畏れ入る。
 ーー
先物投資が、株価や国債の値を先導するのだから、大筋の債権の投資とはヤクザが胴元のインチキ博打のようなもの! 
儲かるのは、たまたま運が良いだけ!と割り切ったほうがよいと、この本はいうのも肯ける。
                   (゚Д゚*)ノ⌒【ホンジャ】
・・・・・・・・
2007年04月28日(土)
2216, 中村うさぎ               才八∋ウ_〆(∀`●)
  「女殺し借金地獄」 ー読書日記
書き写しながら、何でこんな文章を自分が?時間を潰していて、果たしてよいのだろうか?
と自責の念にかられる内容である。男には、こういう文章はかけない?ものである。
アル中の、買い物依存症の、バカ女が、それを売りに捨身で文章にして、生計をたてているだけの本でしかない。
それもブランド買いの世にも哀れな気の毒な底の浅さを売りに!その哀れな女のサガが共感を得るのだろうが・・。
一番嫌いの、そのバカさの露悪が、逆に面白いから取り上げている。しかし、考えてみれば現象を変えてみれば
自分の姿でもある。お水の世界には、こういう人は意外と少ない。虚飾を見抜いているからだろう?
それとも、実は虚飾人間の吹き溜まりで、高い店に行かないだけか!?   
ーとっておきの場面を抜粋してみるー
P-177
その夜、私は、何人かの友人と、一気飲みのゲームをしていた。何回か負けた後、「これはヤバイ」と気がついた。
これ以上飲むと、私ははいてしまう。これ以上飲めないと宣告すると、友人たちは、苛酷な罰を私に課したのである。
「飲めないのなら、代わりに、ケツの穴を見せてもらおう」吐くより、ケツの穴を見せるのは、
ただ一瞬の恥で済むのではないか。痛くもなければ、体調をくづすわけもない。そうせ、こいつら酔っ払いだ。
私がケツの穴を見せた事など、一晩たてば、すっかり忘れるにちがいない。
 (字数の関係でカット2,008年04月28日)                 ゲッ!!ε=(@.@;)
 ーー
 これ、書き写していて「バカじゃないかい! 書くほうも書くほうだが、書き写している私はもっとバカか!」と、
不気味な気持ちであった。でも、これほど酷くないとしても、バカ騒ぎをしているのだろう、酔っ払いは。ヘ(゚◇み)ノ~  
ところで、自分は如何だったのだろうか? まあ、忘れてしまった! 都合の悪いことは、どういうわけか忘れてしまう。
                 (・_・) ノ ホンジャ~
・・・・・・・・
2006年04月28日(金)
1851, ローマから日本が見える?7
     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪    ー読書日記
1千年以上にわたって広域の多民族を支配し続けたシステムの根幹とは、驚くほどの合理的、かつシンプルで、
それぞれの民族にとってもプラスでなければならない。そこは突き詰めた組織の経験則の宝庫のはず。
その秘密が、『組織のローマ』の中で解明されている。時間をかけて写すだけの価値は充分にあった。
過去より現在の方が果たして進歩しているのだろうか? 宗教は人間にとってプラスだったのだろうか?
それは神のみぞ知る?である。著者はローマ帝国史を読んでいる時には、自分が皇帝になったつもりで
読むと良いといっているが・・・ しばし、皇帝になるのも良いものだ!
ーーー
 第4章 『組織のローマ』、ここにあり
前章で述べた「リキニウス法」で、100年にわたる貴族と平民の対立は解消へと向かう。
この決断が、驚くべき決断であり、どの社会でも起こりえる階級対立は『取りこみ方式』で解消しようと
したのはローマのみであった。その選択が結果として正しかったのは、その後のローマ史が明らかにしています。
僅か100年前にケルト人によって、あわや滅ぼされそうになった民族がイタリアの覇者になれたのは、
貴族と平民の融和政策であった。平民の中から優れた人材を集めて、その人材を元老院を中心とした
統治体制の中で活用していくやり方を、今日の表現に変えると、「組織力」という一語に集約される。
ー二つのネットワークー
歴史家リヴィウスをして『アレクサンダーをも退けたに違いない』といわせたローマの組織力は何も、共和制度だけに
負っていたわけではない。リキニウス法以後のローマには、同時代の他の国の持ってない二つの大きな武器がありました。
・一つは、モノや人を動かす上でのネットワークとしての道路網。
・もう一つは、ローマを中心とする、国家間のネットワークとしての「ローマ連合」。
この二つのネットワークの力で、ローマはイタリア半島の覇者になり、その後には地中海の覇者になるのです。
実はこの二つが同じコインの裏と表になるのです。別の言い方をするならば、
・道路網がハードウェアなら、
・「ローマ連合」がソフトウェアであった。
歴史家プルタルコスは、ローマが他を圧して大きくなった理由として次の一言に要約しました。
「敗者さえも自分達に同化させる彼らのやり方ぐらい、ローマを強大化に寄与したことはない」
この美徳はロムルスの時代にすでにサビーニ族との同化において現われていたが、それが王政から共和制に
移行した後も変わることがなかった。
  ー次回は、その「ローマ連合」の内容である」        ? つづく
            o(▽^*)ノ~~=バイ?バイ♪  皇帝諸君!
・・・・・・・・ 
2005年04月28日(木)
 1486, 男と女
男と女を語らせるなら、「オカマ」が面白い。その話が面白くて一時オカマバーにかよったものだ。
あからさまな女の本音を聞かせてもらえたり、突如、男に変身?する身の変わり方が絶妙である。
最近になって書店で、特に目につのが美輪明宏である。なるほど読んでいて鋭いが、あくまでも男女間の機微だけで、
人間の本質に関しては深くはない。これもオカマの宿命で仕方がないのだろうが。近くの図書館から借りてきた本で、
現在売れっ子の美輪明宏と斉藤隆の対談集の「人生賛歌」ー大和書房ーがよい。特に「第四章のセクシュアルに生きる」
ー弱い女と強い男は見たことがないー美輪明宏の言葉がなかなか男女の本質の差を言い当てている。
 ーその一部を抜粋してみるー
長い間、男女を見てきて思うのは、女はものの考え方がとても大人なんですよ、老獪なんです。
ところが視点が「浅いところ」をみている。男の考え方はとても幼稚で子供っぽい、稚拙なんです。
ところが実は「深いところ」を見ている場合があるんです。そこが女と男の本質的な違いがあります。
女は生まれながらにして、大年増、「オバタリアン」なんです。 小学校の6年生の男女を比べると、
一年と六年生位の差があります。 はるか年上の先生を好きになったり、性的に迫ったり、悪知恵を働かせます。
最近私がよく言うのは「弱い女と強い男は見たことがない」ということです。
中小企業の社長で死ぬのは男だけ、女は絶対に死にません。社会通念では「女がロマンチスト」で「男は現実的」
と考えられているが、これはあべこべなんです。ちょっとした叙情的な要素はあるが、女は現実そのもの。
私は男性がロマンチストで女が現実的というのは、それが必要だから、神様がそのようにつくったのだと思います。
男が雄雄しく、女は繊細でつつましく、やさしくあれというのは、実はそうでなかったからそう言われていたわけなんです。
女が現実的で、男はロマンチストだから、女に天才が少なくて男に天才が多いんです。
男は仕事のほうでは驚くくらい老獪でしたたか、抜け目がなくて油断ならないところをもっている。
しかし、私生活になったら、迷子になるぐらい方向音痴だったり、世の中の常識を知らなかったり、ストンと大きなところが
抜けています。そのギャップが天才の資質なんです。・・子供っぽさと深いところを見ている大人のところの落差が、
天才の条件なんです。
 ーーー
姉が上に4人もいたことと、女性の職場にいたため、この程度の男女の違いの内容は常識で初歩的でしかないのは解るが、
しかしオカマが言うから面白い。何で時間をかけて書き写したかといえば、ズバリ解りやすく表現しているからだ。
女は男よりシビアで現実的なのは生理があり、一つ間違えば妊娠してしまう立場にあるからだ。
雄犬と雌犬の差である。雄犬は本能に任せておけばよいが・・女性も見ているので、この辺で止めておいたほうがよい。
・・・・・・・・・・
2004年04月28日(水)
 1121, 平均寿命100歳!
新聞を読んでいたら、「今世紀後半に平均寿命が100歳になるとなるかもしれない」とあった。
ーその概要を書いてみるとー
線虫をモデルに、老化にかかわっている遺伝子「クロック1」を傷をつけると1・5倍に延びるという。
同じような遺伝子は人間にも見つかっており、「人も遺伝子の操作で最大1・5倍の延ばすことも
不可能でないはず」という。人間の寿命が120歳が定説になっているので、単純に当てはめれば180歳まで延ばすことが
可能でないかということになる。「老化は体内の神経系、免疫系のバランスが崩れ、体全体の機能が低下すること」である。
この研究を進めることによって、老化そのものを遅らせることも可能になる。脳が重いほど最大寿命量が長いともいう。
その意味からみても人間はより長生きができる可能性を持っているといえる。
ー以上であるが、
新聞の死亡欄を毎日見ているが、90歳を越えた人が多いのに驚かされる。100歳の平均寿命の可能性は、
一昔前までは考えられなかったことだ。長生きは、元気であるかぎりしたいものだが、100歳まで生きたいとは思わない。
 (字数制限のためカット2010年4月28日)
・・・・・・・
2003年04月28日(月)
 754, サエゼリアで思うこと
 サエゼリアのことは、よく事例として書くが更に書く。先日の新聞でスパゲッテーを何割か値下げを発表した。
290円ラインのスパゲッテの新商品も新たに加えていた。少し工夫すれば夕食を二人で千円で済むことになる。
ドリアにスパゲッテーにミニサラダにグラスワインで千円である。 さすがである。 
イタ飯は、一つのサラを2~3人で食べるのが中華料理と同じだ。前菜を入れて三品を食べたことになる。
 ー以下の文章は数ヶ月前に書いてそのままペンデングしておいた内容である。
 (字数制限のためカット2010年4月28日)
・・・・・・・
2002年04月28日(日)
 390, 因縁と果報
因は直接原因、縁は間接原因。 果は直接結果、報は間接結果。 嫁を求めている男が、ある知人の家に遊びにいて、
妹を見初め結婚をした。因が嫁を求めていたである。縁がタマタマ遊びに行ったーこれが間接原因である。
果は妹と結婚したである。報は知人と嫁本人が納得して応じたである。よい果報を得る為には、よい因と縁をなくてはならない。
特に因が大事だ。その因に縁がついてくるからだ。その中に感謝する気持ちがある。感謝をすれば、感謝をするような事が
どんどん集まってくる。これは意外と難しい事だ。 感謝は言葉を変えれば、ありがたいことに気づく事だ。
特に商売をしていると、客様のありがたさを見落とす事が多い。顧客第一主義といいながら、そのことを忘れてしまう。
準備は「因」づくりそのものである。準備は誰でもやれる魔法である。解っていながら?それをおろそかにする。
そして「果」のみを追う。事業でも、旅でも、人生でも全てそうだ。教養とは生きていくための基礎知識だ。
永年かけて積み重ねていくものだ。ところで基礎教養が自分にはあるのだろうか? 
過去にその準備をしてきたのだろうか?ただその問いかけは常にしてきたつもりだが。


3319, 理性の「理」は、理由の「理」

2010年04月27日(火)

   『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著

 学生時代に理念、理性の「理」の意味は何だろうと疑問に思い、ゼミの人たちに聞いてみたが、納得する答えがなかった。
そこで字づらから、王の里で、真理の大元と一人合点をした。ところが、先日図書館で借りてきた
『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著に、カントの「純粋理性批判」中の「理」が解りやすい。
 《 理性の「理」は、実は理由の「理」にほかならない、と述べている。 欧州の古典語であるラテン語で「理性」を意味する 
「ラテオ」は、同時に「理由」を意味する。理由とは、「なぜならば〜」と表現されるもので、物事の「根拠」、
 物事を「根拠付ける」働きを意味する。さしずめ「なぜならば」と答える能力が理性であると言ってよい。 
 20世紀のハイデッガーは、理性と理由、理性と根拠が同一であることを際だたせて、次のように述べている。
「理性とはラチオのことであり、すなわち根拠の能力である。理性は物事を基礎づける根拠である。
 根拠は、純粋理性の理性的根拠以外にはない」
 ところで、この「なぜならば」といきなり、切り出すものはいない。それを誘導するものがある。
 それは「なぜ?」という問いである。「なぜ?」と問われて、はじめて「なぜならば」が発せらるのである。・・・ 》
  ――
 以上だが、理性的とは「なぜならば」と答える能力である。と同時に「なぜ?」と、問う能力である。
分かっているようで、分かってなかったようだ。そうすると、常に「なぜならば」と「なぜ?」を、考えている人が
理性的ということになる。人は「なぜ『なぜ』と問うのか?の答えは、「人は根拠となる物事の基礎を把握したいため」である。
「なぜ?」「なぜならば」と、言っている限りは、理性を使っていることになる。 ということは、根拠=原因を知りたくなる
根本的な探究心のため何か驚いたり、知らない現象に出会うと、その背後にある原因を探したくなり、「なぜ」と問うのである。
 認識に経験論と合理論があるが、合理の理性から物ごとを認識をするという場合、経験が直接的に認識するのに対して、
合理の理性で把握するのは間接的に認識する、ということになる。  −つづく
 ・・・・・・・
2944,ブラックアウト
2009年04月27日(月)
 ーブラックアウトについてネットで検索をしたら、以下のようにあったー
blackoutは、飲酒中やその直後に自分の行ったできごとについて、翌日に一部の記憶がなくなるアルコール性記憶喪失をいう。
例えば、飲んでタクシーで帰ったが、友人に乗せられたまでは覚えているが、その後はまったく記憶がないなどである。
社交飲酒家でも認められるが、アルコール依存症者ではしばしば認められる。
ブラックアウトの出現は、アルコール依存症の入門切符である。
 ーー
「元スマップの草薙剛が、ブラックアウト?で逮捕された」と報道された。深夜三時ごろに全裸で騒いでいるところを
逮捕されたもので、何と猥褻罪という。深夜に素っ裸で公園にいたところで誰に見られた訳でなし、やりすぎではないかと
思うのは私だけではないはず。有名人でなければ、これだけ騒ぎになるわけでなし、酔っ払い保護センターもあるし、
騒ぐほうも騒ぐほう。これが情報化の恐ろしいところである。私など20数年間で新潟で酒を飲んで6回も新幹線を
乗り越した経験者。以前から「酒を飲んだ後の記憶がなくなったら、要注意」と酒の先輩格の人から聞いていた。
思い返すに一番酒を飲みまわっていた時に、何度かブラックアウトの経験がある。
それにしても、これだけ酒の失敗を重ねても警察の世話になったことがないのは、不幸中?の幸い。
草薙の場合、8合というからやはり飲みすぎ。 しかし酒癖の悪い私としても、どうしても甘くみてしまう。
二軒目からは焼酎のお湯割りだけにして、楽しい酒にすること。 そして、馴染みの店以外は行かないこと。
酒で人生を多くの失敗したが、その数倍は楽しく面白い思いもしてきた。
昨日のマスコミは全体的に、「警察のやりすぎ」というのが論調で、警察そのものを批判するもの当然。
結果的に警察のレベルの低さを露呈したということになった。 鳩山とかの何が、偉そうな批判をしていたが、
「御前さん、そんなことを言える柄かよ」の一言で失言の取り消しで、逆に嘲笑をかってしまった。
ブラックアウトといえば、精神的に追い詰められて蒸発をした人が、その間何をしていたか
まったく記憶がないケースがある。 これもブラック・アウトという。
「男はつらいよ」の中で、寅が知り合った男を捜すストーリーがあったが。
「酒、特に日本酒は口から脳に入れる魔物である!」 魔物に支配されて破滅は、長い歴史上、数知れずである。
・・・・・・・・・
2580, 閑話小題
2008年04月27日(日)
              \(⌒∇⌒)/おはよ?!
 ー哲学と思想の違いー
池田晶子著の「暮らしの哲学」で 「哲学」と「思想」の違いについて次のように書いている。
『「哲学」と「思想」の違いは「哲学」とは考えることであり「行為」である。
それによって導き出された言葉なり文章なりの結果が「思想」である。だから「哲学する」とは言うけれど「思想する」とは
言わない』と。 解りやすい説明である。「哲学は考えること。思想は思いこむこと」 というと、何か違うような気がする。
 人の考え、思い込んだことを言語化したもので、貼り付けることが出来るのが思想で、考える行為が哲学ということ。
一般的には、哲学も思想も同じように論じられているから、話がややこしくなる。
ここの差異をハッキリさせおくと、哲学・思想書関連の本を読んでも整理がつく。
 ー何でも半分ー
 (字数制限のためカット2010年4月27日)
 ー改めて考えてみても、おかしいと思わない?ー
アメリカの大手のナンバー3,5の航空会社が経営危機で合併。自動車最大手のGM,フォードなども経営危機。
そして三大金融機関のシティ・バンク、モルガン、メルリリンチがサプライム問題で危うく倒産。
やはり、ただ事ではない。 世界の変わり目。 それにしても脆いものである。「日本経済はアメリカが風邪を引けば肺炎になる」
というが、今回の危機を発端としたアメリカの危機は中程度のガンとすると、日本は末期ガンになる?が、
どうも実感としてピンとこないが、地方で、この事業をしていると何か底知れぬウネリの音が聞こえてくるようである。
             ヽ(。ゝω・)ノ ホナ また!
・・・・・・・・・・
2007年04月27日(金)
 2215, 買い物依存症の女   ^O^ノ  オアヨーン
海外ツアー、それも秘境に行く人は、心に大きな負担を持った人が多い。ある年代になれば誰もが何らかの問題は抱えている・・
特に刺激を求めてアフリカ、中近東、シルクロード、南米などに行く人は人生の究極を求めている人が多い。
その中で、「買い物依存症」の人が何人もいた。明らかに病的の、「やり手?ブランド嗜好の金ぴか中年女」である。
店側の尤もらしい口上、お世辞に金をばら撒いている姿が悲しく映る。買物で心の空虚を埋めようとするとするのは究極の癒し。
亡くなったが、何度かガンの手術の死線から生還してきた人と、その直後、酒を飲んだことがあったが、その時の言葉が印象である。
「もう帰ってこられないと思っていた娑婆に戻って(退院して)、何をしたいと思うか分かる?買い物だよ、
無性に買物がしたくなるのだ。セックスと思っていたら、そうじゃないんだ、何かを買いたくなるんだ。
何でだろうか、考えてみたんだ。動物の本能が出てくるんじゃないか!ということだ。生きるということは、
何かを欲すること、それも女じゃないんだ!物を得るという行為なんだ!」なるほど、その通りなのかもしれない。
ーー
(以下、字数の関係で中略2009年4月27日)
・・・・・・・・
2006年04月27日(木)
1850, 2008年、日本は大きなクラッシュに? ?1
        おはよ?!(*^ワ^*)i
 昨日、池袋で開催された『資産防衛セミナー』での第一声の講師の言葉が「平成20年に、日本は大きなクラッシュになる!』
 である。 そして「その対策を、具体的手順にふむべき時期がきている」という。二年半前に同じ講師で同じテーマの
 セミナーに参加したが、再び参加してみた。5回も参加している人もいるという。その衝撃的な内容は絶望度をましていた。
 景気回復など論外。 現在の日本の事態は生やさしいものではないという。
 本屋で、数年前まで悲観的な表題の本が平台に積まれていたが、最近は見かけなくなってきた。
 少し温かい微風がふいているからだ。この講師の話を聞いていると、その絶望的な話は不変であった。
 2~3年以内のクラッシュも、あながち有得ない話ではない。
ー印象的に残った部分を列記するとー
・金(ゴールド)など現物に替えておけ、グラム6000円も有得る(現在2000円)
・ハイパーインフレはもう始まっている
・銀行閉鎖も最悪の場合ありうる(その場合は貸し金庫も閉鎖される)
・金利が5~10?を覚悟をしておいたほうがよい
・日本はアメリカの植民地国家
・三井住友銀行の貸し手に対しての、脅しもどきの取立て現場の生々しい話
これからの日本の混乱の生々しい予測と現状の内容である。
現在は明治維新時、第二次大戦の敗戦時、と同じ有事の時。
それを明確に意識をして、ことに当たるべきだという。
思い切った決断しか、これからの時代は生き残れない!ということか。
私が感じているより、遥かに事態は深刻のようだ。日本は、これから何処に漂っていくのだろうか?
「日本という国は、潰れない。ただ、国民の財産を根こそぎアメリカ資本に持っていかれるだけだ!
 その防衛は、それぞれの自己責任で防衛するしかない!」が印象的であった。   ー つづく
                                ε(´',_c')зβyё        
・・・・・・・
2005年04月27日(水)  
 1485, 24歳の日記ー3
 3月31日 1970年
昨日、最終的に実家の会社の一員になることが決定した。恐らく三年後あたりが目途であろう。
それまでに、自分の力をつけなくてはならないのだ。もう許されないのだ、いい加減な姿勢は。
息苦しい感じがしたが、それでもハッキリとしたものが見えてきた。これからは、衣料店だけでなく他の事業も
考えなくてはなるまい。もう、サイは投げられたのだ。これから大事なことは、「自分を自分の相談相手にすることだ」
この時期は二度とない大事な時期である。足元を見つめなおして一つずつこなしていかなくてはなるまい。
ー私の現在思っている言葉の定義を、そのまま書いてみようー
・「贅沢」とは、他人の目を意識をして、そのために意識や金や物を使うことなのか。
・「生きがい」とは、自分の価値を明確にして、その追求をするプロセスの一瞬に感じる満足感
・「言葉」は大事な要素である。しかし、それは行為にあとに出てくるもの。
 その行為は、生きた言葉、生きた人間そのものである。
・「神」とは、真善美の理想形として人間が創りあげたXである。
・「真」とは、ものごとの本筋・本質をいう。
・「決断」とは何だろうか?その裏づけになる理論と、その後の行為が肉付けされて達成に至るものだ。
・「善」とは、道徳のいや、価値の側面である。道徳は社会の中の規範であるが、その社会の規範は過去のものでしかない。
・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。
・「美」とは、美を感じる心が無くては。美を感じる心とは、対象のバランスを
  自分の中のバランスとして受け入れる感受性である。それは、真善においても同じだろう。
・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。人に勝つ前に、自分に勝たなくては!
・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求?
 それとも目標? 外部に価値を見出すべきではない。そうなった時は自分に迷いのあるときである。
・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー?
 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ! 見えない未来に向かって。
                                  おやすみ!
 ー2005年4月27日5時半ー 記
 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。 難しいことというより自分の頭の中の言葉を引っ張り出して
 曝しているのが有効である。深くは考えないで、その時に気ままに日記に書いたものだが言葉の重要性に気づいたのだろう。
 この一年で情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。
 情報や言葉も同じであることに。この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。
 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。
 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を身近で観察できたこともある。
 内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。陸に上がって海そのものを見ることができない。
 まして、自分が内海にいることも知らない。 人間全てにいえることだが。
 ・・・・・・・・
 2004年04月27日(火)
 1120, 「ライフ・レッスン」ー7
  ー時間のレッスンー
・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。
外観も、内的自己も変化している。人生はたえず変化をつづけているが、ふつう、変化を好まない。
それに抵抗しようとする。そうこうしているうちに、周囲の世界のほうが変わってしまう。
変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。
たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面すること。
あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。
「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」
変化はたいがい、ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。
この時期はつらいものだ。もうだめだと思った時、何か新しいことが始まり、ドアが開く。変化に抵抗しようという人間は、
自分の人生そのものに抵抗していることになる。必要なことは変化に乗じること、少なくとも変化を受け入れることである。
 (以下、字数の関係で中略2009年4月27日)
ー感想ー
「時間がすべてを解決をする」ということを長く生きてきた人は誰でも実感することである。だいたい深い傷でも3年が目安。
ただし、深いところで自分で手当てをしておかなくては後々まで引きずるが。振り返ってみる時、時間と供に自分も
変わっていくので、客観的にその変化をみることができる。時間が経つと同時に、何が大事で何が大事でないかもみえてくる。
冷静に屋上の上から見ている自分が「魂」である。その時々に思い悩み、笑い楽しんでいる感情が「心」といってよい。
時間と供に魂の目を、その時間に伴って上方に上げてくれる。ただ今日、今という時間に意識を集中しなくては
魂は上方には上れない。一期一会とは、すべてにいえることである。
・・・・・・・
2003年04月27日(日)
 753, 孤独について考えてみた
 自分の強みは何だろうと考えてみた。「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だったこともある。
一人でいつも遊んでいたという。創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。
「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分の中の内在化された他者の声である。
それが多くの人の心を責めさいなまし、安らかな心を破壊してしまう・・・」とある本に書いてあったが、
私の場合そのような内在化された他者の声は全くない。独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地が
なかったのだろう。それと行蔵が整理?されていたこともある。幼児期に両親や姉兄に愛情をそそがれた事が大きい。
 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを忌避する、個人が自立できない
幼稚な社会である。これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、
他人に従順になりすぎる大多数の人には、逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。群れていれば安心している輩が
あまりにも多い、まあ如何でもよいことだが! 孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、
そういう場に行けばよい。独身時期はきっちりとその組み立てをしていた。居酒屋に行けばいくらでも、
癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。 本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。
そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、
そこがバカや低脳児の集まりの場でしかないことの証明でもある。本人たちは全く気がついてないのが哀れである。
仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。
手段の遊びが、目的になってしまうのだ。 過去を考えると他人事ではないが!??
ー孤独を失った時の損失を考えてみると
 ・独創性や創造性であり
 ・夢や目標や目的の喪失であり
 ・自我の確立であり、また自己の心の成長であり
 ・自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである
群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのか疑問である。
たえず友達や仲間といっしょにいる人は、群れの奴隷となり、自分を失っている。
私の嫌う子狐があちこちで群れているが、「和して同ぜず」ではなく、「同じて和す」ということか。
その「同じる」が恐ろしいのだ。「個性個性、孤独孤独といって石のカタチの違いこそ大事だといっても、
所詮は砂利は砂利でしかないのに、解ったことをぬかすな!」という心の奥の声がする。
・・・・・・
2002年04月27日(土)
 389, どういう時代に?
  今年来年はどういう年になるだろうか?
・今年はブロードバンド時代の新しい形が、製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義
 携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及
・何を発信できるか、するかの時代になってきている。ー堺屋太一
 ホームページは発信の窓か
・嵐の年、そして来年もビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、失業の増大 
 身近に失業者や倒産廃業が増えてくるデフレの進行
・テロの続出と社会不安の増大  新たな戦争?イラク、北朝鮮
・身近に具体的に危ない事件の続出
・思いもよらない大事件が生じるー社会的にも政治的にもますます殺伐とした時代になっていくことは間違いはない。 
しかし面白いことも事実である。20世紀的のものの崩壊と21世紀的の出現が同時に見れるのだから。時代の変わり目である。
こういう時こそ、戦略の練り直しが必要だ。 一人で考え抜かなくては生きていけない時代だ。


3318, 悲しみ、苦しみは人生の花

2010年04月26日(月)

 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむことの発見、
  これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」これ坂口安吾の言葉である。
 それなら喜び、楽しみは果実というところか? 60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 
 私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。
 近代の発見とは、目標の発見と解釈できる。 また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。
 目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。「花も嵐も踏み越えて」という歌の文句があるが、
 人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも大きくなるもの。 
「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、なかなかいえない言葉だからこそ、心に響くのである。 
 自分の子供に先だたれた親に、この言葉が当てはまるのだろうか。
 それも運命と割り切って受けとめることも人生なのだろうか。 「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。
  大きな時代のウネリの中でこそ、味わいたい言葉である。
 過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、周囲の人の苦しみや悲しみに対して鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。
 その時ほど多くの人と心が通いあっていた。 言い換えると「どん底の時期は人生の花の時期」。
「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、気づくかどうかである。 
 私の場合は「人生、面白かった〜!」が実感だが。「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。
 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか〜 
「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、それは一種の悟りだろう。   あれが花?

 ・・・・・・・・
2943電動式ステッパー
2009年04月26日(日)
 スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、知人が毎日使っているが、非常に良いとは聞いていた。 
ところが電動式ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 足の部分が勝手に動くものだが、
しかし13万円もする。数ヶ月前に電気ウエーブ・マッサージを見つけたが、12万円もする。そこでネットで廉く小さいのを探したら
1万4千円のものがあった。さっそく買って使っているが、これが大当たり。 朝晩使っているが腰と胃腸と血流に非常に良い。 
 それなら電動ステッパーも廉い簡易式のがあるはずと「電動ステッパー」と検索を入れたら、アマゾンやビックカメラのネットで、
29800円のものがあった。さらに価格ドット・コムで調べたら最低価格が7665円(送料別)があったので、さっそく注文した。
それにしても4分の1である、どうなっているのだろうか? 実物は三万円の価値は充分にある。しかし再度調べたら僅か5日で
最安値段が5980円(送料込)に下がっていた。29800円で買ったわけでないので、諦めがつくが。
それにしても「ネットの世界は凄い」と実感する。 現代はネットを使えるかどうかが大きな境目になる。
 使った感想というと、これが手軽に気分転換になる。 居間にあるため、細切れに時間に歩くことができる。 
ウォーキングを趣味にしているが、年齢のためか少しずつ歩数が減っていく。それをフォローするのに丁度良いのである。
あくまでサブの役割である。実際に電動でステップをしてくれるが15分も歩いて?いると、かなり疲労する。 
自分にあった道具と出会うと、生活が変化する。100点満点とすると、ハンモック・チェアー、電動振動マッサージが120点、
フレーム枠組ハンモック100点、そして、これが100点? まだ120点という実感はないが、数ヶ月後に結論が出るだろう。
これらの共通点は、腰にとってプラスになる道具ということだ。
それだけ腰は要。酷使しているのである。 ますます内向きになっているということか。
・・・・・・・・
2579, 連鎖する大暴落 -2
2008年04月26日(土)
                          (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 サブプライム問題は、予測できることであった。だから、逆張りも出来たはずだが、それも振り返ってみればの話。
オバマが大統領になると断じているところが面白い。民主党は(クリントンは新鮮味がないので)オバマとしても、
共和党のマケインとは互角だろう。しかし民主、共和党が10年ごとに交代することに話がついている、というのも肯けること。
この本の通り、日本がアメリカの属国と割り切ってみると、日米関係が改めてシビアに見えてくる。
世界中の物資を、ドル、アメリカ国債などの紙切れの偽札モドキで交換しているに過ぎない。
特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。この本を読むと、ドルが60円台、
株が3000ドルも、なんら不思議ではない。ー前著同様に、この目次だけでも内容が充分に要約されている。
[目次]
第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか
 ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた
 ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた 
 ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく
 ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム  
第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る
 ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた
 ・レオ・メラメッドという男が「先物市場」というイカサマで世界を支配 
 ・サブプライム売り崩しの「逆張りリファンド」が今度は買いにまわる
 ・世界一の資産家パフェットのモノライン救済提案は自身の救済のためでもあった
 ・アメリカの地方債が崩れたら大変なことになる
 ・サブプライムの損失は本当は500兆円にものぼる
 ・アメリカはなりふりかまわずドル(国家資金)を国内に投入する
 ・日本のバブル崩壊で起こったのと同じことがアメリカで起こる
 ・中国による米国債の売り崩しが始まった
 ・アメリカという沈む船から資産家たちが逃げ出し始めた
 ・やられたのはアメリカのヘッジファンドで、ヨーロッパ系は大借け
 ・1月の大暴落の本当の原因は仏ソシエテ・ジェネラルのトレーダーの大損失
 ・これから3カ月ごとに株、債権、為替が大変動する
第3章 沈みゆくドル帝国アメリカからお金を逃がせ!
 (字数制限のためカット、09年4月26日)
ーーー
「最高指導層だけが知っている『日本の真実』」副島隆彦著を買って読み始めたが、
属国に本の虚妄がメッタギリにしている。次に取り上げてみたい。
・・・・・・・・・・・
2007年04月26日(木)
2214, 中国人移民の話
       <(_ _)>  オハヨウゴザイマス            
 去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。
アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。 朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。
中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、素朴な疑問を感じていた。
 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
 それによると、海外在住移民の数が3500万人!  こんなもの?と思ってしまった。
 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、この記事には無かったが。 
総国民の3%が多いか、少ないかだが。「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。
これによると、ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人のミラノ在住中国人が13000人と、
26倍も膨れ上がったという。イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に妬みと軽蔑の気持ちが強く、
互いの軋轢が出てきている、という。 その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。
その内容を要約すると、
・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人             ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年に30万人に激増。 ・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人
・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、2001年の3倍近く拡大したという。
 旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」と言われていて、飲食街では殆んどの都市で
中華料理店を見かける。それが、また美味しい店が多いの。(日本料理は外れが多いが、中華料理店は外れは少ない)
いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が携帯などでネット化すれば、侮れない存在に
なっていくだろう。人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的でなければ、生きていけない。
没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。           
             Σ( ̄∇ ̄|||  バイ!           
・・・・・・・・
2006年04月26日(水)
1849, ローマから日本が見える?6
                     ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
第三章 共和制は一日にしてならず
 ー王から執政官へー
紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った中心人物はルキウス・ユニウス・ブルータス。
これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは血縁は全く無い。王を追放したブルータスは、ローマ市民を集めて
「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを許さず、いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」
と誓わせた。ーここからが面白い!ブルータスが考えたのが、「執行官」という最高指導者である。
王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、有事では指導者として軍隊を率いる。
とはいえ、アメリカの大統領とは違い、当時は実際に最前線で指揮をとるのが常であった。このような大きな権力を与える一方、
執行官が将来の王にならないように歯止めをかけた。その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、
その任期を一年とする」ということであった。これでは王のように振舞えないと考えた。 しかも、執行官を二人にすることで、
更に保険をかけた。二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。 しかし、これには弱点もある。 
任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。
100人の元老院を三百人に増やした。 当時、三百人まで増やすということは、殆どの有力者を網羅することになった。
                   まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。)
 ー「ノブレス・オブリージュ」ー
 著者の塩野は、ローマ帝国1000年を支えた根本は「ノブレス・オブリージュ」だったと強調している。
 ローマの貴族は社会的責任を負わなければならないという考えが強かった。戦争が起これば貴族は率先垂範して
 最前方に出て戦い、公共の利益をためには貴重な財産を社会に快く提供したという。ローマの元老院は真の意味で
「貴族精神」の持ち主であった。「知性ではギリシャ人より劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、経済力では
 カルタゴ人より劣っていたローマ人が、永らく巨大帝国を維持できた原動力は社会指導層の役割だった」と主張した。
    辞書にはノブレス・オブリージュの意味を
  ・身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。
  ・高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者には
   それに相応した重い責任・義務があるとする考え方。
  ・もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意とある。                      (´Д`;)/ヽァ・・・
ー「リキニウス法」の驚くべき内容ー
 紀元前367年といえば今から2373年以前。日本は歴史以前、中国では戦国時代に入ったばかりの時期に、
ローマ人が成立させた法律「リキニウス法」。この法律でローマは国政の中枢に貴族の賛成の上に平民を受け入れを決定。
(流血もなく平民の受け入れを決めたのは驚くべきことである。)この目的は貴族と平民の対立の解消にあったにせよ、
この改革は英断であった。その賛成をした大部分が元老院の大多数を占めていた貴族であったから、尚のことである。
それも彼らが選んでのは「全面的な開放」という道であった。つまり、共和国政府のすべての官職について、
貴族であろうが、平民であろうが、ローマ市民なら誰でもなれるようにした。「機会の平等」という他にない。
平民と貴族の結婚さえ合法化されたのである。ローマ人は、30年前の紀元前404年にアテネがスパルタに
敗れさった事実を見ていたからだろう。この事実が、[[近現代史の教訓」として強く刻まれていたからである。
当時のトップランナーであったアテネが民主主義の暴挙を許したがゆえに凋落してしまった姿を見たためだろう。
 ーーーー
 果てしない戦いの中で『共和制』の体制の基盤を作っていったローマは、『機会の平等』という民主主義と自由主義に
 似た考えに辿りついたのだろう。指導者に「ノブレス・オブリージュ」を失えば、その国は滅び去るしかない。
 どこかの国にもいえることだ。いや組織にも!              ーつづく
            ●・з)ノ" バイバイ?♪
・・・・・・
2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2         
  ー1970年3月22日
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。よく売れるのに驚かされる。
今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。
どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。明日は病院に行って、精密検査をしなくては。
ー3月23日
午前中は、病院で検査である。 午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。 焦りだけあって、何もできないのだ。 こういう時間をもらっていながら、
何もできないのが情けないが。といって時間だけは過ぎていく。一日一日、一歩一歩、歩むしかない。
走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。
ー 3月30日
今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。
遺言の内容の言い渡しという。 急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
 (字数制限のためカット 2010年4月26日)
・・・・・・・・
2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?
 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、
どうして電線から引火をしたのが解るのだろうか?組織的な大掛かりのテロ?TVで「近くの中国側の街での噂で、
今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、「金総書記が通過する近くに、危険物を乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、
報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。
NHKでも、阪大の爆発物の専門の教授が出てきて「電線から引火は考えられない、爆発物によるものと考えられる」
と言っていた。中国から近い駅というと、アメリカのCIA?がとも想像してしまう。北朝鮮そのものが、援助目的の窮余の一策
ともいう仮説は少し無理がある。状況からみたら、軍部のからんだ大掛かりな暗殺未遂のテロとみるのが自然だろう。
これから、いろいろな情報が出てくるだろうが。スターリン型の国家が隣国に存在していること自体信じられないことだが。
現在の北朝鮮にピッタリの事件に思えるが、いつも犠牲になるのは一般大衆である。
・・・・・・・・
2003年04月26日(土)
752, SARSの不安
 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。
発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われパニックになるところであった。
単純な自爆テロなら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを彼らが始めたら大変なことだ。
 中国の香港や広東州からばら撒くのが、世界恐慌を狙う彼らからみた時に、一番効果的である。あまりにも
TPOSがよすぎる疑問が残る。もしアルカイダーの立場なら、自分を感染させてアメリカとか日本に行くのが効果的である。
不特定多数の殺戮とパニックを狙うのがテロである。悲観的に考えたらどこまでもマイナスに考えられるが、そこまで今は
危ない状況である。これが世界中に蔓延をしたら、パニックと恐慌は必至である。日本などはすぐにパニックになりやすい国だ。
北朝鮮あたりが、その病原菌を貯水池などにばら撒くことも考えられる。北京は市内閉鎖の噂で飛行場に人が殺到したとか、
スーパーや小売店が買いだめのお客で殺到している内容のニュースでやっていた。私達のようなサービス業は、
国内で蔓延をしたら一番影響をうける。全ての人が他人事でないのが流行り病だ。先日、新幹線で咳をしたらいっせいに
視線が集まった。飛行機で世界中に一瞬に広まるのだから、恐ろしい。 これに北朝鮮の大問題だ、どうなっていくか?
・・・・・・・
2002年04月26日(金)
388, 温度差
3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で彼の講演がそこの主催で入っていた。
当然のことながら急遽中止なった。急なことで時間もとっていたし、飛行機の切符も送られてきたし,他の人との予定も
入れていたので、そのまま行ってきたという。それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。
飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて思わぬ内容に耳を疑った。北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるとか。
彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。
確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、道民感情は拍手喝采だという。
そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。
「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。反面ITの時代は、
こういう情報が瞬間流れてしまう。「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。
そこまで嫌われる理由は?マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。
こういう情報は現地で直接しか聞けない。どこかの県市でも、同じことが生じている。
気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。何処かの城下街のそれは時間の問題という。
リストラにあった元管理職や街の中から?? という話が生々しく聞こえてくる。


3317, つれづれに ー閑話小題

2010年04月25日(日)

  * 無理をするな、素直であれ! か〜
「無理をするな、素直であれ。すべてがこの語句に尽きる。この心がまへさえ失わなければ、人は人として十分に生きていける」
は、種田山頭火の言葉である。 この年になってこそ、その意味の深さが理解できること。それが許されない事態が
次から次へと起こるのが人生である。で、最後に落ちついた時に、この言葉が出てきて、そして一人納得する。
これを真正直にして生きればホームレスか、引きこもりになる可能性が高い。現に山頭火は放浪の乞食。
私なら「自然体で、力まず、目を逸らさず、真正面に向き合うこと、それも正直に」と言うところか。

 * 人生は放浪
 山下洋輔がいみじくも言った「旅とは帰ってくるものだ。だから、人生は旅だ、などという言葉がぼくには分からない。
どこに帰っていくというのだろう。むしろ、人生は放浪だ、といってくれたほうがよい。帰るあてがなく、行きっぱなしだ。」
 還暦を過ぎると、この言葉が身に沁みる。 自分に植え付けられている死のイメージが虚空に帰すからだ。 
死んでしまえば、それまでよ」と口癖だった父の言葉を思い出す。 引越し先では、全てを忘れる当てのない引越し?
 
 * 人間原理とは
 ーウィキペディアによると
《 人間原理とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。
"宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから"という論理を用いる。
これをどの範囲まで適用するかによって、幾つかの種類を見つけることができる。 
人間原理を用いると、宇宙の構造が現在のようである理由の一部を解釈できるが、
これを自然科学的な説明に用いることについては混乱と論争があり、未だ多数には認められていない。》
 何か無理があるように思える考えである。人間原理の人間を自分に置き換えてみると分かりやすい。
もっとも、優秀な奴は、これに近い自分原理を持っている。 それが自分のステートメントだが、
人類が、自分に当てはめると一神教みたいになってしまう。

 ・・・・・・・・
2942,閑話小題
2009年04月25日(土)
 * 県内景気 最悪の雨
財務省の新潟財務事務所が今年の1〜3月期の県内経済情勢について「一段と悪化しており、厳しい状況」と
総括判断した、報じていた。7段階で景況感を示す天気マークも2003年来マーク導入後に初めて最悪の雨に引き下げた。
全国的にも「悪化し、厳しさを増している」と判断し、去年の10〜12月の「全国的に悪化している」より、一段引き下げた。
全国を11地区に分けた10地区までが前の四半期より一段引き下げ、景気の悪化を示している。
 ここで何度も何度も書いていることだが、飲食、宿泊、タクシーは、一番敏感に反映する商売である。
日ごとジワジワと真綿で首を締め付けられるような感がしている。数日前に、ダイエー跡の大型専門店「ラブラ」の
地下にあるジャスコのスーパーに行ってみた。火曜日が特売の日で、主婦で賑わっていたが、何処を見ても100円前後の
特売ばかりが目立っていた。それも小手先でなく、本気で価格を引き下げているのが肌で感じ取ることが出来た。
デフレとは、こういうものかと、ただ驚いたが、
そういう駅前近辺のホテルも、ネットを通して乱売が始っている。2千円代半ばまで値段が下がっている。
そのネットからの顧客が25パーセントにまでなってきているのだから、堪ったものではない。
 〜〜
* 柏崎刈羽原発が、5月連休明けに再開だと?
実際に刈羽原発の下に地震帯があり、許可もデーターを誤魔化してとった事実がありながら、
最高裁が国の許可の取り消しの上告棄却で「住民敗訴が確定」と地元紙のトップに掲載されていた。
こうなると、エログロの世界と言ってよいが、地元からの大反対の声が聞こえてこないのも不思議である。
市民の過半数が反対の意志を表明すれば、絶対に再開される訳がないのに、そういう意志がないのである。
市長選挙も、反対派が立っての論戦と思いきや、両者とも基本的に賛成ときているから、救いようがない。
たまたま、あれだけの大地震でも原発大事故が起こらなかっただけで、あわや、チェルノブイユの何倍かの
大事故になるはずだった。 現在でも僅か二年もしないうちに9回も火災が発生しているのに、
どうして再開といえるのだろうか。 世界最大の原発都市として市民そのものが目先の原発からの恩恵がないと、
成り立たなくなってしまったこともある。
・・・・・・・・・
2578, 連鎖する大暴落 −1
2008年04月25日(金)
『 連鎖する大暴落 』 副島隆彦著  読書日記
 この本は「ドル覇権崩壊」の続編といっていいが、決して劣ってない内容である。恐らく、この二冊で著者の論が
見直されるだろう。ジュンク堂に行ったら彼の本が十数冊あった。どれも悲観・際物的な内容だが、「ドル覇権の崩壊」が
具体的になった現在になれば、どれも納得するしかない。欧州はイギリスのロスチャイルドが19世紀を支配し、
20世紀になってアメリカのロックフェラーが石油を背景に世界を支配。そして21世紀に入って、
その支配が崩壊しようとしている。そのきっかけが、サブプライム問題であると・・・
 ーそのポイントを要約するとー
 サブプライムの損失の額、500兆円! 日本のバブル崩壊後、90兆円を費やした日本と比較して、ケタ違い。
米国の住宅バブルに始まり、サブプライムローンなど信用力の低い債権を証券化した金融商品が生まれ、
実需のないマネーゲームに奔走、そして住宅バブルの崩壊、サブプライム証券の大暴落、次々に明るみに出る金融機関の損失、
そして今後の行方はどうなるかである。これから次々と大手金融機関やヘッジファンドの破綻、倒産が訪れ、
ドル円は60円まで大暴落し、日本が3万9千円から8千円まで五分の一まで落ちたことを考えれば、NYダウが3000ドルまで
転げ落ちてもおかしくない。 サブプライムをキッカケとして動乱に入ったのである。
  〜〜
 この本の裏表紙と、まえがき、の一部を書き写してみる。目次は、字数の関係上、
明日になるが、前著、同様にこれだけでポイントの8割近くのポイントが含まれている。
 〜〜
 「連鎖する大暴落」ー静かに恐慌化する世界   副島隆彦/著
  (字数の関係でカット09年4月25日)              つづく
・・・・・・・・・・
2007年04月25日(水)
2213, 白い雲に乗って ー3
          (・_・) ノ オハヨウ!
お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、
午前の3〜4時に一度目が覚める。そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。起床前の2時間が
半睡状態の時間になる。その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。
以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の
世界の描写である(いや白朝夢か)。白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。
脳の奥行きの深さに驚いてしまう。ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。50〜60年前の赤ちゃんから
幼児の記億の世界は、魂の世界。殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、ず〜と刺激の強い世界の思い出である。
白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた夢のような日々であった。
ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。初めての大きなショックが、
柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に
残っている。よほどショックだったのだろう。ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100?先の繁華街の四つ角の大手通の四つ角に三月後に戻ってきた。百日風邪になり、
「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」と父は口ぐせのように言っていた。
私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、もう一人2歳で亡くなった兄がいた。 
父が42歳、母が38歳の時の子供である。そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。 
16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、最後に私という構成であった。
(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人に、一倍働かなくては
ならない条件があった。産まれてから10年間の長岡の繁華街の真ん中の生活は刺激の強い環境にあった。
東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。
そこでは、「福ちゃん」という喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、衣料品店に転業をした。
そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、近くの公会堂の前に引きずっていき、
仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。 個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?その記憶が一つ一つ
記憶として残っている。人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの大手通のビルの立ち上げから、店の開店、
そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。
                                    ヾ(@⌒▽⌒@)
ーーーー
2007/02/18  
2147, 白い雲に乗って ー2
         b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。前回の夢が契機になって当時のイメージが
ドンドン出てくる。如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。
その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での微妙な世界に立っているようだ。    
ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」
に行った。そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に乗って
前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。最近できた大きなビルのところの子だ。何か遊んでいると楽しい!
その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、
お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と
近くにツリーの飾りを買いに二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。
小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入った
サンタの贈り物があった。雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。突如、周りを見渡すと誰もいない
空間になってしまった。何処に行ったのだろう、皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった
               (o ・д・)ツ  バイ!
・・・・・・・・・
2007/02/10  
 2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出
夜半に幻想的な夢をみた。小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれた。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある
  当時の私にとって大きなビルの中。一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。 
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 
その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。
いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。
小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。
そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、
多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。
何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。
ぼくは間違いなく、ここにいる!ズットここにいるのだ。何で、ぼくはズ~ットここにいるのだろうか?
 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか? 
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親が忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が
次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。何かそれをみていたら、
嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。
札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。
何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。
あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。ここは間違いなく大手通の世界である。
どうして、ぼくはここにいるのだろう!それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか?     
というところで、目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。
ーーーーーーー
ー字数の関係で内容をカットしました。
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2006年04月25日(火)
1848, ローマから日本が見えるー5        は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
                ー 読書日記
少し息抜きで、ークレオパトラは美人だったのか?ー
・・・・・・・・・
2005年04月25日(月)
1483, 桜咲くーつれづれに −2
・・・・・・・・・
2004年04月25日(日)
1118, 寝るほど楽はなかりけり
・・・・・・・
2003年04月25日(金)
751, 不思議-シンクロニシテー
 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を
散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。その中で一番凄かったのは、
7~8年前に義父が亡くなった時である。葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、
その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。 死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」
といっている。涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。それなら大都会では毎日
降っていなくてはならない。地方におきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない!
=以前書いたものをコピーしておきます。
  ーーー
H0407霊的体験
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。死後一週間後位か妙な夢をみた。
私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
《字数制限のためカット 2010年4月25日》
ーーー
H0511妙な夢―(?)  
ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周して
もどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。これが単なる夢か幽体離脱かわからない。
 また、こんな夢(?)もみた。
《字数制限のためカット 2010年4月25日》
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2002年04月25日(木)
 387, 習慣ー極限
人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。それを習慣化してしまえば良いという。頭を掻き毟る。
顔をこするーマッサージする。ため息を吐く。喚くー叫び声をあげる。身辺の整理をする。これを普段から習慣ですればいいと。 
  そのとおりである。 遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。毎日は無理かもしれないが、
毎年の年末に書くこともそれに似ている。末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。それなら普段から、
暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。
消極はそれを避けて生きることである。「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」というテリー伊藤の本があった。
いろいろの人がふざけて書いているが、全部いつでもその気になったら出来る事であった。
人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。
 


3316, 人みな骨になるならば ー11

2010年04月24日(土)

 * 神とは ?
 虚無主義の著者の宗教観がシビア。 この辺が、明るい乾いた虚無主義者の真骨頂である。
大方の人は、以下の論に近いのだろう。 アブラハムがつくりあげた超越的存在の神、そしてユダヤ教、
キリスト教、イスラム教の内輪もめ。 これが、現在の世界の宗教戦争を引き起こしている。
   ーまずは、その部分を抜粋してみるー
 神という言葉を使うと近代以後の知識人は懐疑的になったり警戒したりするものだが、それは「神」という概念の内包(意味)
に関して伝統的なイメージをひきずっているためである。もともと「神」などという超越的観念は、それを思っている人によって
勝手にイメージされてきた。 中世の農夫にとっては雲の上にいる白髭の老人であり、現代的な信者にとっては、
「宇宙に偏在する、形のあいまいな意志そのもの」である。 どこかの原住民にとっては自分と同じような腰蓑を
つけているオッサンかもしれない。 このように、信者たちが各自勝手に想像しているのが絶対者なのだ。
ある意味で、このような多義的になんとでも解釈できる教義を備えていない宗教は、レベルもニーズも様々な多数の信者を
引き寄せることができないらしい。 だから近代以降のインテリたちは、神を否定したがる。
確かに、そんなシロモノは実在しそうもない。 ただ、そうした多様なイメージのむこうに共通項として
「それ以上の審級が存在しないような超越的かつ絶対の存在にして運命の決定者」を想定することはできるだろう。
それが人間臭い愛や怒りや嫉妬や気まぐれをもつかどうかは、各信者の想像力の限界を示すだけである。
むしろ、その人間の程度を知りたければ、その人物が信じている神の特徴を教えてもらえばよい。
神のイメージは、たいていその信者の願望と恐れを投影したものだからである。 
そこで、ここにいう「神」とは「宇宙を統べるなにか」以上のものではない。そんなものが実在するかどうかはひとまず措く。
もしそうしたものが存在するならば、それとの相談なしに将来を誓うことは人間の分際を越えていることになる。
そして、そうしたものが存在しないなら、ますますわれわれの生や将来にはなんの保証もない。
 〜〜
「その人の程度を知りたければ、その信じている神の特徴を知ればよい。神のイメージは、その信者の願望と恐れを
 投影したものである」は、言いえて妙である。 人間が言葉を持ったが故の不安と不幸をカバーするため、
 未知の存在の畏敬としての神は、必要である。しかし、それでしかない。
「その人物の程度といえば、連れ添いを知ればよい!」というが、これは当たっているか?これとは関係ない。
  神については黙するしかない、ということか。最後は、神様助けて、というしかないのが人間である。

 ・・・・・・・・
2941,ナチが愛した二重スパイ
2009年04月24日(金)
 「ナチが愛した二重スパイ」  ベン マッキンタイアー著
 新幹線通勤の往き帰りの車中で一ヶ月かけて読んだが、これが何とも面白い。第二次大戦末期、ロンドン暗黒街の
 チャップマンは、ナチのスパイとなる。しかし「二重スパイ」として、ベルリンに偽情報を送っていた実録もの。
 ロンドンの当時の札付きの泥棒、ジゴロの生々しい犯罪と、監獄暮らしなどが詳細に書かれている。
 現在の犯罪者も似たようなものだろうから、我われ小市民とは全く異質の存在である。
 肯定的にみれば「何もしないで一生終わるより、よほど思いのまま生きることも必要では?とさえ思わせるほどである。 
 札付きの犯罪者がその経験を生かして二重スパイになって国家のために大きな働きをすることになるから、皮肉といえば皮肉。
 pー234に 著者は、二重スパイのチャップマンを次のように分析している。
 【 二重スパイのチャップマンの話は、地味なスパイの話とは違う。スパイ小説なら、あり得ないこととして拒否される
 内容である。主人公は悪党であるが、悪党としては決して敗残者ではない。彼の犯罪歴は、軍隊脱走から猥褻行為へ、
 女から脅迫へ、強盗から金庫爆破へと段階的に進んだ。あとになると彼の報酬は多くなり、最初はつまらぬことに手を染めたのを
 恥じているのは疑いない。この男の本質は己惚れで、自ら評価するところでは大物で、暗黒街のプリンスのような存在である。
 良心の咎めとは無縁で、どんなことでもやりかねない。社会とはなんの契約もせず、金はひとつの手段である。
 怖いもの知らずで、間違いなくドイツ人に対する根深い憎しみを抱いている。ひとことで言えば、冒険はチャップマンにとって
 必要不可欠なものである。いったん冒険に乗り出すと、信じられないようなことを達成する勇気を持っている。今日は、
 彼はドイツのパラシュート・スパイであるが、明日、活動的な二重スパイとして危険極まりない任務を引き受けるであろう。
 それに賭けるのは自分の命である。冒険が無ければ、彼は犯行者になるであろう。危険は大きいが、成功する見込みがある限り、
 危険は犯されねばならないと思う。チャックマンにとって確かなことは、たった一つしかない。 冒険が大きいほど、
 成功する確率も大きくなる。】
  犯罪者の生態、そしてスパイ機関の実態、そして世界大戦の中の生活ぶりなどが、リアルに目に浮かんでくるのは、
 事実を克明に書いてあるからである。また、その世界にドップリと漬かることで、現在の世界、日本、そして自分の人生の
 立ち位置が浮かび上がってくる。(チベット旅行記もそうだったが・・・)  世界は底知れぬ経験で満ちている。
・・・・・・・・・
2577, フロー体験 ?2
2008年04月24日(木)
   まずは、要点を書き写してみる。
 〜〜
我々が幸福であるかどうかは、世界の大きな力に加えることのできる統制によるのではなく内側の調和による。
肉体的生存が外部環境に依存している以上、外部環境を支配する方法を学び続けることは確かに必要である。 
しかし、外部環境を支配するとは、すでに経験して解るように、我々が個人としていかに喜びを感じるか、
または世界めカオスをどのように減少させるかに関しては、それほど役に立たない。
カオスを減少させるためには、意識そのものを支配すること学ばなければならない。
 ーフロー体験の構成要素が存在すると、
 次の8つを挙げている。
1. 明確な目的(予想と法則が認識できる)
2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3. 自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7. 状況や活動を自分で制御している感覚。
8. 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
フロー体験は外面的報酬とは隔離され、ひとつの活動に深く没入し、その経験それ自体が楽しいので、
純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすことができる状態をいう。
したがってフロー体験は、悲しい、辛い、煩わしい、妬ましい、腹が立つ、焦るといったネガティブな
感情とは隔絶した、うれしい、楽しい、歓喜に満ちた十全感、充足感、楽観、自己効力感をもたらしてくれる。
 ーー
最近、ipodを常に携帯して機会があるごとに聴いているが、マシン+音楽でフロー状態を作っていることになる。
特にアルファー波が出るのがよい。マリファナを吸ったときに出る脳波と同じ状態になる音楽だけを集めたシリーズもある。
スナックや居酒屋のバックグランドミュージックとして流しておけば、再び来たくなる効果が出るだろう。 
成功者は、フロー体験を人一倍持っている。 だから、人を引きつける。失敗者は、その逆の波が身についている。
だから人は近づかなくなる。逆境のときは、あまり人と接しないことだ。この毎日書いている随想日記も
フロー体験の構成要素をみると、当てはまる。居間のコタツの上で書いているが、目がパソコンに向かった瞬間、
他の情報はホボ遮断する。フローの状態そのもの。   (。´_`)ノ ほなぁ。
・・・・・・・・・・
2007年04月24日(火)
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?
                      (。・8・。)ノ おはよう!
 *一昨日の朝方の夢*
10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。
晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。 不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」
と聞いたら、「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、また、一つ一つの要素をキッチリと
言葉にしておくことよ。」と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。
さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」のようだ。
そこで目が覚めた。 普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議な感覚であった。
‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、‘宇宙的自己としての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’
ようであった。現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。「魂とは何なのだろうか?」不思議で
不思議で仕方がない。誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。夢も考えてみたら不思議である。犬も夢をみるというが、
自分の無意識がつくり上げた物語である。以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。そのまま、大学ノートに書きなぐるが、
生々しい夢を書くのも面白いものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?
と時どき思う。それも身近な母や父などの夢は、特に!ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。家系としての筋道? 胡散臭いが!        
                           ホンジャ  (~▽~*)/
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2006年04月24日(月)
1847, 安楽死について?2
         (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
昨日の随想日記の過去分(2002年4月23日)に、安楽死について書いてあった。(あとでコピー)
数日前の毎日新聞のー記者の目 ーで安楽死について取り上げていたが、鋭い論評であった。
私は積極的安楽死論であるが、この記者も安楽論のようだ。
両親や親戚の叔母などの死際を身近に見ていて実感したことは、
激痛を伴う終末の延命は無意味であり、カタチを変えた拷問の容認である。
 ーまずは、毎日新聞からー
「射水市民病院の呼吸器外し問題」=根本毅(大阪科学環境部)
◇「医師が命の線引き」、嫌だ  ー延命治療、議論を尽くせ
 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で末期患者7人が人工呼吸器を外され死亡した。
病院側や多くの医療関係者の意見は「越えてはならない一線を越えた」と、6件の関与を認めた外科部長(50)
自宅待機中=に厳しかった。しかし、病院周辺では「家族との信頼関係の中で外した」とする外科部長に同情する声が強い。
どちらが正しいのか、現地で取材しながら悩んだが、偶然あたった主治医の死生観で
自分の死に方が決まるとしたら、納得できない。外科部長の取った行動は誤りだったと思う。
医療技術が進み、意識の戻る見込みがない重体に陥っても、人工呼吸器や栄養・水分補給の点滴などで延命が可能になった。
今回、呼吸器を外された7人は末期患者で、うち5人はがんを病んでいた。
 問題は昨年10月、別の患者の呼吸器が外されようとしているのを、看護師長が院長に報告し発覚。
院長は外科部長と話し合い、県警に届けた。病院側は日本医師会が04年にまとめた
「医師の職業倫理指針」に基づき、延命治療の中止に必要な要件の
(1)回復の見込みがないという複数の医師の確認
(2)本人の意思表示??がなく、問題だとしている。
病院の別の医師は「外科部長は呼吸器のスイッチを切る時に手が震えなかったのだろうか。
命の重さを考えたら、私にはできない」と話す。
別の病院の外科医は「消極的安楽死という言い方もあるが、スイッチを切るのは積極的行為。
やはり一線を越えている」とする。大阪府内の脳神経外科医は「20年前までは医師の都合で平気でやっていた。
 (字数の関係でカット09年4月24日) 
                   ヾ(^ω^*) バイ
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2005年04月24日(日)
1482, ラジウム岩盤浴ー2
スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。新潟市内にも、先日郊外に開店をした。
数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、一時的ブームも可能性も充分考えられる。 
三〜四年が目安であろう?料金は一回600円?1500円。 天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。最近は男性も利用者が増えつつあるという。
取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、開店直前に失火で全焼してしまった。
現在、違う場所で開店準備に入っているという。失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。
その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、枕の下に入れている。特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、
身体に保温効果が出ている。風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と消えていた。
また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が
一段と美味しくなる。最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。
パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、その疲れが減っている。
ーあるHPのこぴーです。
 ルルドの泉って何?
(字数制限のためカット 2010年4月24日)
・・・・・・・
2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6
 ー罪悪感のレッスン
・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまったという意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。
多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって形成されるものだ。
それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは他者の親愛の情を得るために
自己を売るべく育てられてきた。自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に
専念するのがいい子であると教えられてきた。真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。
われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を知らないままに育ったのだ。 
適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。・罪悪感は時間とも密接に結びついている。
罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。罪悪感とは、現在というリアリティを
見ないようにするための方法なのだ。それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。
罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来創造ができる。人は罪に値するものではなく、
許しに値するものである。そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。
ーー
笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。ーあぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。
それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。
良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。 自分も両親ー良心ーの片割れだ。

・・・・・・・
2003年04月24日(木)
750, ある人生
 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋の蕎麦屋に
勤めにいった。といっても出前持ちである。一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。
大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。
 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと聞いて驚いた。
涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、
彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、
あの大人しい彼が開店から閉鎖まで自分一人でやったという。彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。そして自分のやってきたことに自信を持っていた。 
この自信こそ人生で一番大事なことだ。 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。
20数年かけて一心に働き、店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。
隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、
彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で! 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,
どんな成功者より凄い。少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。
人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。
 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。この経済の暴風の中やる気をもらった。
・・・・・・・・
2002年04月24日(水)
 386, 宗教的タカリ
オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。
宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。仏を盾に集っているのだ。 
彼等の法事等の話など聞けたものでない。こちらの知識の数段下レベルである。プロの素人化の典型といってよい。
戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。
幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、
白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。
特に結婚詐欺に似ている。  夢を売って金を騙す、お布施と称して。


3315, アポリアと空とぼけ

2010年04月23日(金)

「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 *アポリアと空とぼけ  P−36
対話によって突き落とされるこの困惑の状態は<アポリア>と呼ばれる。
それは、どこにも進むことができない行き詰まり、途(アポロ)のないあり様を意味する。
ソクラテスの吟味にさらされ、アポリアにおちいった者は、対話相手メノンが告白するよるように、
あたかも「痺れエイ」に刺されたように感ずる。 対話相手は心も口もしびれて何も言えなくなってしまうのである。
 このような対話においてソクラテスは、問いかけ、議論を導く主導者の役割をはたす。 しかし、ソクラテスは、
対話をかわしながら、自らはその事柄について「知らない」、つまり、自らもアポリアにあると主張する。
 その一方で、対話によってアポリアへと追いやられ、無知を突きつけられた人は、言葉によって鋭く矛盾をついて
論駁するソクラテスが、その問いの答えを実ははじめから知っているのではないかと推測する。 さもなかったら、
どうしてこれほど鮮やかに、相手の無知をあばき出すことができるのであろう?
しかし、そうしたなかであくまで「自分もあなたと同じように、知らない」と言いはるソクラテスに、やりこめられた相手は、
しばしば怒りをぶつける。 ソクラテスは本当は知って質問しているのに、しらばくれてわざと知らないふりをし、
意地悪にも人々の無知をあばき立てよろこんでいるのであると。 人々はこうして、ソクラテスを「空とぼけ」の人と呼んだ。
「空とぼけ」が、対話するソクラテスの謎をあらわす言葉となったのである。 だが、ソクラテスの対話を空とぼけ、
つまり、本当は知っているのに知らないふりをしているとみなすのは、対話する相手や対話を見ている人であり、
ソクラテス自身はけっして空とぼけているわけではない。
 〜〜
 学生時代の卒業の年に人事関連のゼミと出会い、そこでの学びの中で、自分は何にも知らないという事実を突きつけられ、
呆然自失状態。「学生時代にモット知識を得ておくべきだった!」と、頭がグチャグチャ状態。 
その結果、悩み苦しんだ結論として、死ぬまで学び続けること。 何があっても、一日ニ時間の読書を自分に課せることだった。
しかし、最近知ったことだが、「グチャグチャと、学び続ける決心」そのことが学生時代の一番の学習効果だった。 
なるほど人事管理のゼミの教授の策略に乗ってしまったことになる。
「自分は何も知らない」という思い込みが「アポリア」としてプラトン、いやソクラテスが2500年も前に看破していたのである。
15人のゼミの人たちの議論で、「何も知らない自分を一年かけて知ったことになった。」  本当に有難いことである。 
で、このザマ? 人は人、我は我である。 「 全て人は無知の馬鹿踊り 」と思えば、楽なもの。 自分は違う? 貴方だけはね!

 ・・・・・・・
2940,レーシック専門眼科医院 ー2
 2009年04月23日(木)
視力の矯正方法には、メガネ、コンタクトレンズ、の他に、レザー手術、有水晶体眼内レンズ、オルソケラトロジーがある。
・レザー手術は、レザーで角膜の形を変えてしまうもの
・有水晶体眼内レンズは、角膜と水晶体の間に、コンタクト・レンズを入れて矯正する方法。
・オルソケラトロジーは、寝ている間にハードコンタクトを入れ角膜にクセをつけてしまう方法である。
 レザーや、有水晶眼内レンズを入れたりすると、ドライアイになりやすい欠点もあるという。
今回の短い先生との会話を再現してみよう。
・私の質問、  レザーや、有水晶体眼内レンズの失敗確率は?
  先生の答え、 数千分の一
・質問、 失敗したり、上手くいかなかった時は、どうなるんですか?
  答え  出血をしたり、レンズがずれたり、黴菌が入って炎症が起きたりするケースがあります。
・質問  もしも初期の白内障を取ってもらって、レザーで矯正をしたときの中期的なマイナスは何ですか。
  答え  早ければ早いほど、次の段階、緑内障に移行する時期が早まることになります。
・質問  私の今の段階での手術は、先生は勧めますか?
  答え  私は元々、手術は最後の手段で、本来はすべきでないというのが持論です。
     今回の場合は、手術は勧めません! 何を選ぶかは本人次第です。
・質問  もし、手術をしたときに、眼の度数が進んだり、白内障が再度出るのですか。
  答え  もちろん、度数は同じく進み、白内障も出てきます。更に緑内障になる可能性も早くなります。
・質問  近視の進行を止める薬が開発されたと聞きましたが、実際に、どうなんですか?
  答え  あれは、過大評価で、殆ど効きません。出しても良いですが、効かないものを出すこともないでしょう。
  〜〜
 以上であったが、それにしても良心的な先生であった。身近な二人の経験者が同じような忠告をしてくれていたが、
「緑内障への移行が早くなる」と、「貴方の体質は極力、手術をしない方がよい」が、今回の断念の決め手である。
 ・・・・・・・・・
2576, ドル覇権の崩壊 ー6
2008年04月23日(水)
                \(⌒∇⌒)/おはよ?!!!
 *アメリカの住宅バブルとは?  P-55
アメリカの住宅バブルを分かりやすく話すと、例えば「10年前に50万ドル(約6千万円)で買った家が、
今は100万ドル(約1億2千万)になっている。これがアメリカのミドルクラスー中産階級の家である。
中産階級というのはそれほど貧乏ではない。日本語の中流という意味ではなくて、もう少し豊かな、専門職業をもっている
小金持ち層のことである。このミドルクラスが自分の家を最初、一軒目を住宅ローンで買っていたのだが、家の時価(市場価格)が
100万ドルになってしまっているので、残っているローンの残高の3千万円を除いた残り9千万円分を更に目一杯までお金を借りられる。
また銀行も担保力があるかぎりは、家の価値、価格がある限りは、いくらでもお金を貸すのがアメリヵの流儀である。
すなわち一般庶民層までぎりぎりまでお金を借りて、二軒目の投資用の家、あるいはアパート(コンドミニアムと言う)
を買って利殖する。 あるいはその余剰資金を株式市場や債券市場での運用に回す。もともと返済能力があまりない人たちまでが、
この含み資産であるところの不動産資産を担保にして、ぎりぎりまでお金を借りている。 
そして、これが逆回転(リワインド)するのがいちばん怖いのである。このことをグリーンスパンFRB前議長が警告を鳴らしていた。
ーー
これを読んでいると、まさしく日本のバブル期に土地投資に走った会社と、目端のきいたサラリーマン達が
してきたことと同じではないか。 現在、その人達は大損をして消えてしまった。それと同じことがアメリカで現在進行中で、
まだ殆どのバブルの感覚から抜け出ることが出来てないという。当時の株価から5分の一まで下がったのだから、
アメリカの株価が3000ドルまで下がるのは別に極論ではない。日本の損失が100兆円、そしてアメリカの損失は500兆円という。
日本経済の壊滅的な崩壊からみて、このサプライム問題が如何に大問題を含んでいるかわかる。アメリカが世界の主軸の
通貨ということを考えると、大恐慌は必至なのか。とくに、3年から5年は日々、深刻度合いが増していくだろう。
日本は関東から東海に渡る今まで好景気に沸いていた地域が一挙に冷え込むかどうかは、中国のバブルの破裂の度合いによる。
・・・・・・・・・・
2007年04月23日(月)
2211, 帰ってきたソクラテス ー2
      (^o^) (^0^)オハヨウ!
                  ー読書日記ー
 韓国人学生による米銃乱射事件、精神的に問題があったとしても、その原因は長年の人種差別の鬱積が本人を
追い詰めたことにある。 金持ちに対する恨み辛みというメッセージがあったというが、人種差別と朝鮮人の直情的な
国民性も重なり暴発したのだろう。 差別は人間の、いや動物の本能であり、これだけは、どうしようもないこと!
 と割り切るしかないのか。 目くそは、鼻くそを差別するものである。
 ー P・221
ソクラテス:救済と差別とは、どういう関係にあるのかな。僕はそこを君たちに聞いてみたい。
 だって、信者になるということは、自分は神に選ばれた、皆とは違う人間だってコトなんだろう。
 その選ばれた信者が、神の前に皆平等と説くなんて、やっぱり変じゃないか。
釈迦: 私は衆生を捨てておけなかったのです。ソクラテス:たとえ騙してでも?
釈迦:よしてくださいよ。ソクラテス:だけど、あなたも知っているとおり衆生はワカラナズヤだぜ。
 これは差別ではなく、事実を言っているだけだが、 自分ってものはなかなか捨てられないものだぜ。
  ・・・
ソクラテス: 宗教的なものとは、そも、一人っきりの心と、神なり仏なりとの間か、すごく孤独な何かだなんてこと、
 君たちには言うまでもないよね。なのに、なぜそのとき、他人の救済やら互いの平等やらが問題になることができるのかと、
 僕は思うんだ。 それぞれの人間が、それぞれの仕方で、神や仏と付き合ってはなぜいけないんだろうね。
イエス: だって、それじゃ宗教にならないんじゃないですか。
ソクラテス:だから宗教は詐欺だって僕はいうんだよ。教団や運動になった宗教なんて、大ウソもいいところさ。
 まして、言葉の数は限られているんだ。不特定多数の人間に一方的に語る仕方じゃ、一つの同じ言葉がそれぞれの心に
 どんなふうに受けとめられるかを確認できない、回収できない。集団をまとめる力には十分になるだろう。
 しかしそのための神や仏なら、話は逆になるってね。
イエス:やれやれ、さしずめ私は、詐欺集団のボスってとこかーー。
 いや実のところ私の弟子たちも、どうももうひとつ分かりがよくなくってね。
 なにしろこの私を拝むなかれ!、と私が説いた当の偶像を仕立てあげてしまった。全く相手をみて説かなくては!
ソクラテス:それが大原則だよ。それが「縁」だよ。
 僕には何が理解できないって、死んじまったあとに救われるヤツ、救われないヤツというあの考え方だ。だってそうだろう、
 この世の自分こそ、この世の当に原因なのに、その自分をわざわざあの世に連れて行ってまで、何で救われることがあるんだろう。
 あんなヤツは地獄に落ちるぞって腹立ちまぎれにせよ、死後こそ天国で楽にしてやろうって目論むにせよ、死後の差別で今の
 自分を救おうって考え方は、どうしても無理があるよ。死んだ後には天国も地獄もありはしない。
 しかし無もまた考えられないってハッキリ教えて、深く困惑させてやる方がよほど救いになろうってもんさ。
 譬えで語るのも考えものだよ。
釈迦:いえ、あながちそうとも言えないものでございますよ。いかなわからん人間であれ、
 その生涯を生きてゆくにつれて、次第次第にわかるようになるものであることは、
 あなたも認めになりましょう。はっきりとわかる、ありありとわかる、涅槃に覚醒する
 そのときまで、私たちの魂の成長は、来世、来来世まで続くものと言えましょう。
 そして、たとえばあなた、そしてこの私、幾世かを経て、もはやこの世の自分に執着しない、
 そのことによって以後煩悩の六道輪廻に落ちることなく、救いは今のこの場で成就している
 のでございます。・・・・
    ーー
解)「宗教的なものとは、そもそも一人っきりの心が、神なり仏なりとかの間に生じる
  非常に孤独の中に生じる神聖な心のはたらき」である。
  毎朝、起きて直ぐに仏壇の前に座り、数分間、一人お参りをしている。
  その時つくづく思うことは、坊様とは何ぞや!ということである。
  自分が魂を込めて参っていれば、形式としての坊様のお経など必要がない。
  日蓮宗とか、何じゃらかんじゃらは、何だ?というのだろうか?、と。
  家制度が崩壊し始めた現在、やはり仏壇と、盆暮れの墓参りは必要なことかもしれない。
  しかし、・・江戸幕府が体制維持のため、坊主をつかい百姓などを管理させた名残りが檀家制度である。
  それを最大限利用したのが・・まあ、止めておこう!何時お世話になるかもしれないから!?
                            (θ_θ)ノバイ?
 ・・・・・・・・
 2006年04月23日(日)
1846, いくらかかるの? 結婚のお値段
            (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
昨日の朝日新聞の『マネー外来』というコーナーで、
「いくらかかるの?結婚のお値段」を特集していた。二人の息子も、27と30歳になる。
いつ結婚しても不思議でない歳になってきたので知りたい内容であった。
 ーまずは、その記事からー =満足感を重視して382万円=
 ごく身内だけですませる地味婚から、セレブを気取った盛大なゴージャス婚まで結婚式の形態はさまざまですが、
気になるのが結婚費用です。 どのくらいかかるのか、最近の相場を調べてみました。
    Q 最近の結婚式の形態はさまざまだけれど、
      平均的な費用はどのくらいなの?
 A 結婚情報誌「ゼクシィ」が昨年、読者4547人に実施した調査では、
   結納・婚約から新婚旅行までの総費用の平均は382万円。
   このうち挙式、披露宴・披露パーティーが293万円。
   首都圏では02年の254万円を底に3年連続のアップで05年は291万円。
   前年より11万3000円も上昇している=グラフ左。
    Q 結構、お金をかけているんだね。
 A 結婚は普通、人生で1度きり。節約して後悔するより満足感を重視する人が多い。
   オリジナルな演出や料理にこだわるカップルが増えているのも価格上昇の一因だ。
    Q 400万円近い費用を工面するのは大変だね。
 A 2人の貯金総額の平均は470万円(首都圏)だから、
  結婚準備はしっかりしているようだ。でも、夫の3割、妻の2割は貯金ゼロ。
  親からの援助=グラフ右上=が役立っている。
    Q どんな式が人気なの?
 A 上位三つは
 (1)アットホームなムード(65%)
 (2)自分らしさを表現できること(57%) 
 (3)列席者を退屈させないこと(54%)。「お金をかけないこと」は16.7%で8位だ。
(字数制限のため中略 2010年4月23日)
・・・
以上だが、知人の数人から聞いたら、
・結婚の総額は400万が相場
・援助は新郎側が100万、嫁側が50万
・祝儀収入は半額の200万
・結納は、それぞれの考え方があるという。
・披露宴は50~人。
ーホテルには結納セットがあるというー 
 地元で事業をしていて、人間関係が絡まっている場合は規模は大きくなるという。
 その分、祝儀も入るからバランスはとれるとか。私が出席した中で、気持ちの入った結婚式が幾つかある。
 本人達の結婚式への思い入れが、そのままでる。小さな披露宴ほど良いのは、どういうことか。
 盛大のものは、当たり外れが大きい!出席するほうは、人の幸せの席に参加できるだけでも嬉しいもの。
 ただ私は結婚式に出席するのは大好きだ!
私ケースは、本人達が計画をしたのに従うつもり。50人以内で、カジュアルな、二人の気持ちの入った地味婚が
息子二人には似合ってる。まあ、結婚をしてくれるだけ有難いと思わなくては!       (v^ー°)バイ! 
・・・・・・・
2005年04月23日(土)
1481, ラジウム岩盤浴
最近、話題になっているのが岩盤浴である。岩盤浴とは、温められた天然石の上に寝ることで多量の汗を促進して、
新陳代謝を高め老廃物を排出する”お湯を使わない温石療法”である。天然石はブラックシリカ・ラジウム石・セラミックなど
と種類があるが、どれも遠赤外線とマイナスイオンを発する石だ。岩盤浴で有名なものとしては秋田の玉川温泉の地熱を
利用した天然岩盤浴がある。最近は北海道でサウナ感覚のものが急増して、それが全国に飛び火をしているようだ。
北海道のものは、ブラックシリカであり、国内では 北海道の檜山郡上の国町でしかとれないためか
道内からブームがおきた。サウナ式岩盤浴では、
・受付でパジャマのような服をもらい着替える。
・岩盤浴の部屋は大体が10名程度が一度に寝転べる程度の広さ。
・室温は38度、湿度80%位。
・うつ伏せで10分、仰向けで10分、その後いったん退室して、
 マイナスイオンの入った水を飲んで1、0分間水分補給。 これを1?3回繰り返しす。
岩盤浴はマイナスイオンをたっぷり吸ってクラッシック音楽などをバックグランドにして、深い眠りにつくのがよいようだ。
ベタベタしない、匂わないサラサラの汗がタップリでる。特に顔と首周りが汗が出るという。 この汗がダイエットにも
効果的をもたらす。ダイエットや、美肌効果や、体質改善など、週1回のペースで 一ヶ月くらい続けると効果が出てくるという。
                     ーつづく
・・・・・・・・
2004年04月23日(金)
 1116, 「内面なんて、見せかけだけのもの」
何気なく図書館で立ち読みをしていたら、この言葉が飛び込んできた。
早速借りてきて読んだが、一理あるようなないような。しかし面白い内容である。
 ー抜粋をしてみるが、際どい内容だが、まあいいだろうー
老詐欺師が私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。よくぞまあ、こんなことまでという内容であった。 
その話も終盤にさしかかったとき、私は彼に、「・・女性の、どんなところがあなたはいいと思いますか?」と訊いてみた。
しばしうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱり、美しさだね」と言った。「それは・・・顔の?それとも、内面の?」
と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもよいこと?」「・・・きみはね、まだ若いね。いいかい、内面の
美しさなんてものは、見せかけにしか過ぎないんだよ」「内面なんて見せかけだもの」という言葉は、ズット私の言葉に残った。
それから十数年の間に、わたしもかなり、さまざまの女性とつきあった。もちろん仕事上だが。例外なく心の美しい人たちであった。
彼女たちは心が純粋で、内面が美しくて、それのみを自分の価値観として生きてきてビジネス的な話は何ひとつ理解できなくって、
それどころか、私の方にも内面の美しさを要求し、つまり金などという汚いことを云々するなと,強要してほどほど困った。
           (以下、字数の関係でカット2,008年4月23日)  
・・・・・・・
2003年04月23日(水)
749, リオのカーニバル
 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと会場の熱気が直接伝わっていることだ。TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーするが、なかなか奥行きが深い。ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し            ・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス       ・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力  ・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応である。
 プロの演出者を雇い、その年のテーマにそってカーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
    (字数の関係でカット09年04月23日)
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2002年04月23日(火)
385, 安楽死
   (字数制限のため中略 2010年4月23日)


3314, 聞きしに勝る3D/TV

2010年04月22日(木)

    最近、昼飯は外食を週一にして、サンドイッチを通勤途中に買ってきて食べているが、
  昨日は、新潟駅の中華店でランチ。 その後、ジュンク堂書店に向かう途中、ビックカメラの前を歩いていると、
  話題の3D/TVが店頭にあった。 昨日の新聞で一部の店舗でデモ展示を始めた記事を読んだ直後だった。
   ところで、現在のTVは7年半になるパイオニアの50インチのプラズマ。当たり外れの、当たり。
  しかし、地デジには特殊のマシーンを入れなければならないので、替えときにきている。 先週の土・日に家電を見て周り、
  一度頭を冷やした今週末に、シャープの60インチのLED・TVを発注と決めていたが、「3D/TVが700万台の
  新規需要の創造」とかいう週刊誌の広告が気になっていた。 そこで早速、見たところ、その決心を覆すほどの画面。
  映画のアバターを3Dでみて驚いたが、TVは大したことはないと、思っていた。 ところが実際は映画より良い。
  映画もそうだが、画面と自分の間に空間ができ、更に画面の奥行きができたイメージで立体感を出している。
  デモ用の3D/TVはメガネが固定してあるので、メガネをした時と、しないで見たときの差が比べることが容易。 
  そこで、比べた結果は格段の違いである。 これで大相撲や野球を見たら、迫力は数倍は違ってくる。 
  デモ用のソフトは石川遼のゴルフだった。 なるほど週刊誌の見出しの「新規700万台の市場の創造」の意味が分かった。 
   十数年前に初めてハイビジョンが店頭に出たとき、ソニーの画像を見たときの驚きと同じである。 その時は、
  暗い舞台にバレリーナーが白鳥の湖を踊っていたが、立体的な画面に感動したことを憶えている。
  それまでのTVとハイビジョンTVの格差と、3Dの映像の差は同じ位はある。数年後には多くの3D番組が出るだろう。
  急遽、買い替えは数ヶ月待ってから、3D/TVにすることにした。 ますます、お宅か! 
   21世紀とは、ツイッター、3D/TVにしろ、iPadにしろ、こういう時代だったのか! 驚きの連続である。
   「明治は遠く、なりにけり」から「昭和は遠く、なりにけり」か〜。
  ・・・・・・・・・
2939,マネー資本主義“暴走
2009年04月22日(水)
4月19日(日)の 午後9時00分から 総合テレビで
「マネー資本主義 第1回“暴走”はなぜ止められなかったのかーアメリカ投資銀行の興亡ー」が面白い。
  *まずはーNHKのHPの番組紹介からー
【 金融危機はなぜ起きたのか。巨大マネーはどのように膨張していったのか。
 マネー資本主義の主役として批判の的となっているのが、リーマンショックを起こした当事者でもある「投資銀行」。
 かつて企業への財務アドバイザー部門が中心だった投資銀行は、1970年以降の規制緩和と金融資本の膨張を背景に
 債券市場という新たな場で、次々と新手の金融商品や取引手法を編み出し、金融の枠組みそのものを変えていった。
 ソロモンブラザーズをはじめ、伝説的な企業が攻防を繰り返しながら、アメリカ経済、ひいては世界経済を
 牽引する回路を作り上げていく。 「超レバレッジ」「莫大な成功報酬」「リスク管理の限界」など、
 サブプライム・ローンにつながる巨大なリスクを、投資銀行が激しい競争を繰り広げる中で自ら抱え込んでいったのである。
 投資銀行を変質させ、最後には破たんにまで追い詰めたターニングポイントはどこにあったのか。
 いま、その当事者たちが沈黙を破り、真相を語り始めた。数々のヘッジファンドの産みの親となり、
 歴代アメリカ財務長官を輩出、バブル経済のけん引力となって最後は業界ごと消滅する「投資銀行」の劇的攻防を描いていく】
  ――
 非常にシニカルな内容であった。 一番のターニング・ポイントは、ソロモン・ブラザーズが債券市場で、次々と
 新手の金融商品を編み出し、 利益を生み出した時に、若いトレーダー数人がトップと利益に見合った収入確保を要求。
「もし通らなければ 他社のスカウトで移動する」と談判したことから始る。当初は拒否をしようとしたが、
 ノウハウごと他社に持っていかれることを恐れ歩合制度を認めた。このことで他社も、こぞって同じ制度を取り入れた。
 それが「超レバレッジ」など、バブル経済を大きく膨張させる起爆となったのである。
 デモ隊が、そのトップたちが高級車から出てくるところを待ちかまえ、罵倒する映像は何ともいえない
 アメリカの現在の姿を現していた。次から次へと、アメリカのマネー投資の暴走の実態が暴かれているが、
 記事が映像として写しだされるのも生々しくリアルである。ところで日本の証券会社は手を染めてなかったのか?
 答えは簡単、染めてないわけない! 銀行は?毒餃子、冷蔵庫の奥に隠されてないの? ???
 ・・・・・・・
2575, フロー体験 ー1
2008年04月22日(火)

先日「好き」という言葉を取り上げた。好きな状態、好きなことをしていると、
 時間を忘れ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。最適経験をしている状態を
 チクセントミハイは「フロー」と呼んだ。好きなことをしていれば創造的になる。
 だから一流の人は「好き」になるまで、対象に集中する。その為には、成功体験の味を知らなければならない。
 当たり前のことといえば当たり前のことだが。一流の人の持っている雰囲気は、フローが滲み出ている空気をいう。
 ーー
 面白そうなところを、まずは抜粋してみる。
  「フロー体験 ー喜びの現象学」 ミハイ.チクセントミハイ著
「なぜ幸福になるのはこんなに難しいのか?」 「人生の意味は?」人はみなこの大問題に思いを巡らす。
あえて答えを示す者は多くはないし、それだけの素養のある者はさらに少ない。 著者のミハイ.チクセントミハイは、
最初の問いに答えることに全力で挑んだ結果、それが第二の問いと切り離して考えることはできないことを見出した。
(字数制限のためカット 2010年4月22日)
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2007年04月22日(日)
 2210, 帰ってきたソクラテス ?1
                       (*^_^*)I おはよう!
あのソクラテスを甦し、政治家、学者、評論家、老人福祉係、元左翼、人権擁護団体、イエスに釈迦まで登場。
プラトンの『ソクラテスの弁明』の問答形式で、彼らと対話をしながら、尊厳死から性教育まで身近な難問に大哲人が挑み、
知の広場へと誘っている。哲学とは自分の頭で考えることだが、それを具体的に示してくれた内容である。
池田晶子の本は、もう10数冊以上は読んでいるが、読めば読むほど面白い。初めは面白くない本を買ってしまったと
後悔をしたが、じっくり読むほどに間違いだと気がついた。面白い順にランダムに取り上げてみる。
まずは、イエスと釈迦とソクラテスの対話が面白い。三人の対話の架空の対話の中から、
一神教と仏教と哲学の考えの違いを面白く浮き立たせているところが良い。
     ーーー
=死後にも差別があるなら救いだ=
 ー登場人物ーソクラテス、イエス、釈迦ー
 ーP・215ー
ソクラテス:「彼と我々」って気持ちの持ち方が、この世の差別の始まりであって、けしからんことなのだそうだから。
イエス: 全然違う話だぜ。
ソクラテス:付き合いのよさこそが、君らの身上ってもんだろう。ここは一つ、有難い御法話と御説教といこうじゃないか。
釈迦:付き合いということなら、あなたは我々の比じゃないでしょう。 あなたは実によく付き合う。ものぐさなんて、
 何をおっしゃる。教祖というものは決して付き合わないものなのです。付き合わないからこそ教祖は教祖になるのです。
 差別はすなわちシャベツとは、本来仏教の言葉なのです。たまたま厳しい身分社会の制度が人人を苦しめていた
 世の中に、万物平等、一切衆生悉有仏性を私が説いた。たまたま王子であった私が、その位を捨ててそうした。
 それで、私は画期的に偉いということになっているのでございますよ。
イエス:メクラを治し、いざりを癒し、売春婦を赦したから私はえらいことになっている。馬鹿やろうだな!
釈迦:私が申しましたのは、そういうたまたまの現われでしかないこの世の肉体や身分やらの差別相に拘泥する
 心のあり方こそが、ない差別をあることにしてしまっているのだ ということでしたのに。こんな当たり前のことに
 気づかない無知蒙昧なる衆生たちは、差別相を実相と信じ込んでは、性懲りもなくすったもんだを繰り返し、初めから
 ないものを、ますますすることにしてしまっている。ああ色即是空、かくも簡単な真理が何故わからないのでしょう。
イエス:いや君ね、いちばん困るものがそれだってこと。
釈迦: あるものをない、ないものをあると言うから易しいが、ないものをないという、それをわからせる、これが実に難しい。
ソクラテス: うふふ。
イエス: 何がうふふですか。ほんとうにズルイんだから。確かに、執拗な問答という君の戦略こそ、先手必勝だった
 のかもしれない。十字架か毒人参かは対した違いじゃない。いずれにしても世間というものは、
 わからないものが怖いものだよ。 しかし、君、言い出したものの仕方がない。もはや断言あるのみだ。
 然り、然り、否、否、であるべきだ。私が言った「神の御心を行う者は、誰も私の兄弟である。」
釈迦:それ言ったのが悪かったようですな。
イエス: おや、それなら君だってかなりなものだぜ。「一切衆生悉有仏性」、言わずもがなだ。しかしね、
 それを聞いた弟子たちが、すかさず付け足すんだ、「一部除く」と。お陰で後世、あれは何を指すんだ、
 女人か、はたまた賎民とかの詮索が絶えないじゃないか。知ってるかい、部落の中でも女が
 差別されているとか、 女の中でも部落を差別するのがおるとか、互いにせめぎあっているとか。
釈迦: あ?あ、やだやだ。
ソクラテス: しかし、その点なら、君だって一言多かったんじゃないの。
 「ただし、この言葉を受ける力のある者のみ受けよ」だろ。
 受けられるのは俺だけだ、異教徒他宗派にはわかるまいって、連ちゅうやってるぜ。
 「汝の敵を愛せよ」って言われりゃさ、ない敵もあることになっちゃうことだしね。
イエス: 言わなきゃよかったよ。
  ーーー
 解)まだまだ、面白会話が続くので、次回に回すとして、三人の会話を通して宗教の好い加減さを鋭く突いている。
  道理からすれば、神は大自然の計らいを抽象化した呼び名でしかない。 知識を持ってしまった人間が、その知識ゆえに
  苦しまなければならなくなった、その対処として発明した?の呼び名が神である。それぞれの解釈があろうが、
  毒とも薬にもなる神?という発明なるものに、人類は多くのエネルギーを注いできた。
  そして多くが救われ、反対に多くの犠牲を払ってきた。どうしようもない人間の業を、どこかで統制しなければ
  ならないのだから、必要善、かつ必要悪、としての共通の価値観、規範が必要なのである。
  確かに差別という大問題が、我われ一人一人の前に突きつけられる。聖書はマタイの創作のオトギ話である。
  しかし、そのオトギ話が真実の道理なら、奇跡などが事実かどうかは問題にしなくてよいだろう。
  38歳で亡くなったといわれる、キリストが果たして何処まで人の苦しみを分かっていたかは疑問であるが、
  救い主は疑問の対象にしないものである。人間たる所以は「言葉」と「道具」を持っているためだ。
  そして「言葉」がつくり上げた最たる精神の「道具」が神なら、それも人間の遺伝子として、
  認めることも必要かもしれない。「神よ!罪ある子羊を救いたまえ」と。
                         (~▽~*)/ グッバイ!
 ーーーーーーー
2006年04月22日(土)
1845, あちら側の世界 ー10
             おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
ー狭い世界,6次の隔たり「ウェブ進化論」の中に「6次の隔たり」について書いてあった。
 「地球上の任意の二人を選んだとき、その二人は、6人以内の人間関係に結ばれている」というもの。 
 早速、グーグルの検索で調べてみた。
ー以下は、その中の一つのコピーであるー
6人の知人の連鎖を介せば世界中のどんな人にもたどり着けるという理論。もとは心理学者 Stanley Milgram 博士が唱えた、
"米国民全員は、6人程度の知人の連鎖を介してつながっているという"説。 これから,ネットワーク効果という
科学分野が生まれた。イェール大学の故 Stanley Milgram 博士(社会学者)が1967年に行なった実験から生まれた。
博士は全米から無作為に選んだ300人に対し,彼らが直接知らない受取人に重要な手紙を送るよう指示。
送り主に人々には,受取人のおおまかな居場所や職業といった手がかりが与えられ,彼らはそをもとに,目当ての受取人に
「より近い」かもしれないと思われる誰かに手紙を転送するよう指示され,最終的な受取人に手紙が届くまで,
これが繰り返された。この結果を Milgram 博士はサイコロジー・トゥデイ誌に発表,
(以下字数の関係でカット2008・40・22)
・・・・・・
2005年04月22日(金)
 480, 桜咲くーつれづれに
昨日か今日あたりが長岡の平地では満開であり、もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。近くに福島江という桜の名所があり、
この時期の楽しみになっている。車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか桜が好きでない。「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。10年に一度位は大当たりになる。悠久山などで早朝に見ると、
思わず息を呑むような神秘的な光景を目にすることが何度かあった。一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できない濃艶な妖精が無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。 庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。本格的な散歩が、この時期から始まる。
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2004年04月22日(木)
1115, 中年期の「八つの危機」
思春期妄想症、青年期神経症をやっと乗り越えて、中年期から老年期になると一番恐ろしい中年期の危機が大きく
口を開いて待っている。中年から老年に向かっている身にとって一つ間違えれば、とんでもない危機に陥ってしまう
年齢になってきた。アルフォンス・デーケンは、この中年期の危機を「八つの危機」にまとめている。
バランスを崩せば、何時でもこの鬱の世界に転げ落ちてしまう。この「危機」に対して、上手に対応することが
必要になってくる。以下は、アルフォンス・デーケンの本に書いてあった内容である。
いくつかは誰もが心の奥で感じたことであろう。どういうわけか私の場合、ほとんどない?? 
常にコントロールしてきた為だろうが。今まではそうであったが、今後は解らないのが人生というものだ。
このすべてを背負って、万年鬱になり自殺未遂を繰り返している人がいるが、ある日突然、
こころの芯棒が折れてしまって、この幾つかの穴にはまり込まないとは限らないことばかりである。
 ーその一部をまとめて抜粋をしてみるー
「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」「仕事がサッパリ面白くない」
「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」「何の為に生きているかわからない」
「ちょっとしたことでも、くよくよ考え込んでしまう」「若い頃のように、やる気が出てこない」
「上司や同期の葬式に出ることが多くなったな・・・」「コメディ映画をみても、素直に笑えないよ」
よく聞くぼやきであるし、身に覚えのあることである。以上のことは中年期に忍び寄ってくる特有な
「八つの危機」の典型的な現れである。それぞれを説明してみると--以下は字数の関係上カットしました。
 後は、HPの同日分を開いて見てください。(2008年04・22)
・・・・・・・
2003年04月22日(火)
748, 思い込み
 中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、自分が実はA型ということが解った。
その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ!
部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆?大好き!男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」
そのA型が自分自身だと!!「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。
逆に考えてみると、条件を設定をして、その中でパーツをたてればいろいろな自分を創れるということだ!
暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。
実の親と思っていたが、実は違っていたという感じである。面白いものでBの対極のA型といわれてみると、
自分は本来はA型タイプに思えてくるから面白く、かつ単純なものである。それからはA型類型の性格の自己暗示に
いつの間にかかかっている? 金沢の会社にいたころ、誰かの手術で緊急に寮生のA型が集められた。
全く自分とは正反対な性格の連中であった。その時やはり血液型は性格形成の基礎になっているのだと実感したのに、
あれは何だったのだ? 人間なんてものは全て言葉による刷り込みを、言葉によって剥がしていく動物でしかないのだろう。
そこに不条理が発生してくるのだ。イスラム教とキリスト教の対立も、その思い込み?が起因している!
宗教ー経典は刷り込みの典型である。地方にいれば地方の、都会にいれば都会の思い込みがそれにあたる。
思い込んでるのが愚か者、それを冷笑しているのがバカ、というのが何かに書いてあった。
・・・・・・・・
2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性?2
以前も「我が内なる無能性?後まわし」という題で書いたが、その続編。そういう人が反面教師として多くいる。
といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。それでも書き出してみる。
・自己責任がない ーーー人のせいにする。全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。その点で狡猾そのものだ、
 その芸術家だ。誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。その壁を自分の周りに作り上げ、
 その中から出れない状態。 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。
 考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。
 それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。


3313, 対話について

2010年04月21日(水)

  「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 * 対話について
 プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。 プラトンと、ソクラテスの立場を簡潔に分かりやすく述べている。
 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」として書いた。
ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと書くことのへだたりと「対」として現れる。
ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく営みである。
それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる
特定の生きた状況、時と場を離れてはありえない。 会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と言葉が吟味により明るみに出し
対話する人の生そのものである。 そして、人と状況は、その対話を通じて変化していく。 対話を交わした人のあり方は、
もはや以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を形作るものである。
そして、対話は、二度とくりかえさることはない。
 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか起こりえない対話を書き物に結晶させた時、
それは時を越えて反復可能なものとなった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが対話を反復させる。 
私たちの心のなかには、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、
著者プラトンの手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、それを再び時間において
くり返す対話者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。 しかし、ソクラテズが従事する生きた対話と、
それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的なへだたりがある。このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話
という形をかりて語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のためのすぐれた発明であると自慢する
テウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
 〜〜
 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を
読んでいたが、何を理解していたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と一度限りの対話があった。
その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。 そして自分の壁を破壊してくれていた。
現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、あれは会話?でしかないのか。
それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが! 
 議論すること、それを書き留めること! その青さを持ち続けること!  チロリチロリだけでは、だめか?

 ・・・・・・・・
2938, イエスマン
2009年04月21日(火) 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを自分に課した
ことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、
“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、
週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。
ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。
パスしていたら始まらない」と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
人生は毎日がYESかNOかの選択の連続。面倒なことや厄介なことはできれば回避したいし、まったく興味のないことや
絶対に無理なことにはNOと言うのが賢明な選択ーなのかもしれないけれど。でも、もし、それらのすべてにYESと
答えたとしたら?  その結果、全てが好転し始めたとき、思わぬどんでん返しが待っていた・・
全てに“YES”と言ったらどうなるのか、を実際に試してみたBBCラジオのディレクターの体験実話が原作の
『イエスマン “YES”は人生のパスワード』。全米では08年12月に封切られ、初登場1位の大ヒットを記録した。
 ーー
 これを読んだだけでも、是非とも観たくなったが。数ヶ月もすればDVDが発売されるので楽しみにしている。
オバマが選挙キャンペーンに使った言葉、「イエス、ウィ、キャン」に通じるところがある。
「ノウマン」の本当に多いのに驚かされる。「ノウ、ウィ、キャンノット」である。
誰に頼まれて、ノウばかりいっているのだろうかと?  ○○が強度のノウマン。
必ず、秘境旅行の行き先を決定する時は「絶対に、そんなところは行かない!絶対に」から始る。
仕方がないので、一人で行くと手続きをとる瞬間に、しぶしぶ「仕方がないので行く」とのたまう。
何時ものことだが、不安が人生の枠をはめてしまう。強固に反対した旅先ほど、よい結果が待っている。

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2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?
2008年04月21日(月)
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることが
できなかったのである。 ー『山椒魚』本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に
迷い込んだ蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。
学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境)
ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。
人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。
家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、
悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が大きくなって出れなくなって
云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。
所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、同じことかもしれないが。 その後人生を重ねて自分を振り返ると、
自分も同じである。これを読んで、ピンとこないのは鈍い?山椒魚の場合、岩屋に餌が紛れ込んでくるが、
最近は岩屋には餌が激減しているようだが。それでも最近は、インターネットという代物が出てきたため岩屋でもけっこう面白か!
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2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 ー4
   U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
「反時代的毒虫」ー河野多恵子、奥本大三郎との対談ー『人の悲しみと言葉の命』から
P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。 武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
P-156
車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、
   ふた通りありましたね。 前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。そういう人たちの
   顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、絶望感というか、そういうものをはっきり意識していた。」
車谷:「(無気力組のほう)つまり金がないということの行き着く先は、浮浪者というかホームレスという形になっていくと
   思いますね。比喩的な意味では、この世での居場所を失うということです。じゃあ気力がある人はどうなるかと言ったら、
   ドストエフスキーの『罪と罰』みたいに人を殺すんです。ラスコーリニコフみたいに人を殺すとか強盗に入るとか」
奥本:「気力はあるが、判断力がないんじゃない。」
車谷:「判断力のある人は、だいたい水商売に行くんです。なぜ水商売に行くかといったら、
   この日本社会では保証人になってくれる人がない限り、水商売以外では、暮らしていけないからです
   私も多分にもれずに、水商売を、9年もやった。水商売の場合は、タコ部屋というのが用意されていますから。
   そこでともかくねどまりをする。 だからそれは判断力のある人。
    (09年04月21日 字数制限のためにカット)
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解)お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での「金に関する扱い」もシビアで面白い。
 金と女(男)は、人間の煩悩の元である。車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。」
 という言葉が深く染みる。私自身も父親の影響を受けたため、金に関してシビアの方だ。
 父は「人間の金に対する建前と本音」の乖離を冷たくみていた。特にひ弱な教養人と自認している人間の、
 腰の弱さ、底の浅さ、うそと安っぽさを見抜ききっていた。 問題は、それを直視するかどうかである。
 世の中は、やはり8割は金で解決できるのだろうか? 「猫に小判」という言葉もある!   
 馬鹿に金を持たせても、ただ見ているだけのヤツ多いね、ホント!
   m(_ _)m       使い切るヤツよりいいか? どっち?
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2006年04月21日(金)
1844, ローマから日本が見えるー4       ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
 第二章 かくしてローマは誕生した。  
以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
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ー建国伝承ー
 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、イタリア半島に住みついた。
この都市をアルバ・ロンガという。時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。シルウィアは双子を産み落とすが、
怒った叔父の王は双子を川に流した。双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。
成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。
兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。
しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。
ー王政ローマの制度ー
 初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、
王の「助言機関」とした。人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて
移民してきた者や、戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで
味方に取り込み勢力基盤とした。これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に
囲まれた小さな「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」
であり、人口が増えないことには、自衛のための兵力すら維持できないからであった。
さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として王の選出を含む国家最高議決機関である
民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は共和政期に共和政の歴史を古くに求めるために
作られた伝説とする説もある。ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、この民会の選挙で選出(この場合信任)
され、改めて選挙で選ばれた王となった。 王の任期は終身。しかし原則として世襲制はとらない。
王の最大の責務はローマの防衛であり、そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤めるローマ軍全軍の指揮を担当した。
(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)  (。・・)_且~~ お茶どうぞ
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以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
 (2010年04月21日 字数制限のためにカット)
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 2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』ー1
クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、
音楽の基礎などが書いてある本である。ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、
どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、
音楽の世界に急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、先ず知りたいのが歴史と分野の体系であるから、
 (2010年04月21日 字数制限のためにカット)
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2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
 ー力のレッスンー
・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから生まれるのではない。
 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。 
 どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。
 一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。
 世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。
 真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。
 いま与えられているものに対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、自己が自己であることへの感謝、
 生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。 自己の唯一無二性への感謝。たとえいまから100万年経った
 としても 自分とまったく同じ人間は現れない。自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
 感謝の種は尽きない。「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
 「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
ー感想
 力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。しかし考えてみれば、内奥の力は
 今あるものに対する感謝・気づきから出発することを考えれば至極当然のことである。
「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。
 毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。
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2003年04月21日(月)
 747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に
大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が
テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。「自分はこの近くに住んでいるが、
これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ 花見こそ一期一会である。吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
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2002年04月21日(日)
 383,チンパンジー
TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。人間そのものである。まずはその社会、ボス争い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。特にボス争いが熾烈である。
また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、
くしゃみを誘発したりもする。蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。 嫁いびりや集団リンチなどもある。
京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。
その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。
今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。

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