堀井On-Line



3312, ゴールドマンを訴追

2010年04月20日(火)

 1929年から始った世界恐慌では、その直接の仕掛け人達が多くが逮捕された。
しかし、これまで逮捕までされたという話は聞いてない。 何か不思議な感がしていたが、
やっとSEC(証券取引委員会)が訴追に動き出した。 アメリカは金融マフィアが仕切る国でも、歴史に残る
犯罪を、このまま見逃すことは歴史が許さない。以下は、毎日新聞の数日前の社説だが、毒入り債権を欠陥車に例えるとは、
トヨタの喚問もあったこともあり比較するに分かりやすい。例え話は本質をより分かりやすく整理してくれる。
 〜まずは、その部分から〜
  = 毎日新聞社説: 「ゴールドマン訴追 金融危機解明の弾みに」 =
SECの訴追を受け、ゴールドマン株の時価総額は瞬時にして約1兆2000億円も吹っ飛んだ。
衝撃の大きさを物語っているわけだが、ゴールドマンに限らず、今後同様の訴追や処分が相次ぐ可能性がある。
日本も大いに関係する金融規制強化や危機再発防止策の議論に影響が及ぶのは間違いなく、今後の展開を注視したい。
 SECによるとゴールドマンは、将来の価格暴落を十分予知しながら、信用力の低い借り手向けの住宅ローン
(サブプライムローン)を組み込んだ投資商品を投資家に販売した。その商品設計には、顧客だった有力ヘッジファンドが関与し、
焦げ付く可能性が高そうなローンを多く組み込んだのだという。このヘッジファンドは投資商品の暴落を見越して空売りを
かけると同時に、暴落すれば元本が受け取れる保険もかけていたことから、最終的に1000億円近い利益を得た。
ゴールドマンには手数料が入った。しかし背景を知らされず値上がりを信じて購入した投資家が大損した。 
 単純化して例えると、こうなる。
<ゴールドマンはヘッジファンドという名の車両技術者が細工した欠陥ブレーキ付き自動車を販売、
 車両技術者は車が事故を起こすたびに保険金を受け取れる手続きをとっており、結果的に大もうけした。>
 ゴールドマンは訴追内容を全面否定し、当局と争う構えだ。これから法廷で真相が明らかになることを期待したい。
ただ、金融危機を一握りの有名金融機関による悪行の結果だと片づけ、非難して幕引き、とするわけにはいかない。
特定の金融商品を規制すれば済む問題でもない。 世界は何十年に1度というスケールの危機を経験した。
痛みは随所に残っている。それだけに、再発を許さない堅固な規制・監督の枠組みを築くことが米国をはじめ主要国の政府や
立法府に課されている。 そのためには金融危機に至った過程をめぐる冷静で徹底した事実関係の究明と分析が不可欠だ。
何より震源地となった米国で、訴追を機に全容解明に向けた努力が加速することを望みたい。
 〜〜〜〜
 以上だが、トヨタ自動車の社長を本国まで呼びつけて、リンチまがいの喚問をしておいて、これが不問だとしたら、
露骨な金融占領国家の身勝手な恥ずべき行為として、世界史に残ること。 どこまでやるかだが、ゴールドマンだけでないく、
他の金融機関にも波及していくことになるから、大問題に発展する可能性がある。 株式の暴落から始るか?

・・・・・・
2937,レーシック専門眼科医院
 2009年04月20日(月)
姉三人が私と同じく強度の近視。 その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」という。
知人の何人かが経験者、聞いてみると「白内障の手術時にレンズを入れたが、出来たらやらない方がよい」
と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、去年の半ばに、春先になったら決断しようかと決めていた。
そして春は過ぎようとしているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、何と自宅から数分のところの所在地に
「長岡眼科医院」が、あった。三年前ぐらいに出来た(眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな医院があったが、
まさか、そこが気にしていたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。本気にならないと見えてこないものである。
そして、木曜日に予約を入れて、昨日の日曜日の8時半にいってきた。入ってビックリ、ホテルのようなロビーに次から次へと
客が来て、流れ作業のように検査、診察、瞳孔検査、診察、と流れていく。再診は、そのまま診察だが、初診が多いのに驚く。
結局は検査もあったことで一時間半もかかってしまった。そして私の結果といえば「できたらレーシック手術などしない方が良い。
ブッチャケタ話し、貴方の場合は、まだ、その時ではない。少し白内障になっているが、手術するほどではない。
白内障の手術に、近い将来になる。矯正手術は、その時のほうがよい。眼鏡が嫌でたまらないなら、話しは別。
幾つかのコースがあるが、それは貴方の判断です」という結論。 姉が三人、知人が三人が手術をし、その一人は秋葉原の
三井記念病院の眼科の一人者、赤星先生から手術を受けた等を話したのも、〈ブッチャケタ話し〉を引き出したのだろう。 
私も眼は、盲目の危険も伴なうので真剣になる。 それより、自分の初期の白内障の写真を見せられたのは少しショックで
あったが、仕方がないのだろう。白内障の後はどうなるのか聞いたら、緑内障になる!という。 
亡くなた義理の母が、そうだった。あと数年後に白内障になり、メガネから解放される反面、次は緑内障が待っている。
それが老いるということか。 生きていればの話だが。年齢ごとに、それぞれの風景がある。
・・・・・・・・・
2573, 「好き」という言葉の重み
 2008年04月20日(日)
「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。
私も好みの激しい人間だが、この感情は、何に由来するのだろうか。「あの男は好かん」とか、「あの女性は私のタイプだ」
とか、思うにつけて、その意味を考えたことがない? 育ってきた環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、
趣味が一緒だとか。反対に「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに心の底では??
私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は禁句である。 いわれた方が、それで一生恨まれるからである。 
犬でも猫でも、相性があるから、これだけは如何にもならないことと割り切るしかないのか。
私の好き、嫌いの基準は娑婆経験の中からハッキリ自覚している。女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、
少し抜けていて、顔はノッペリ。他人には概ね無関心で、優しい雰囲気があり、明るい人である。大体、好きなタイプは概ね、
これを満たしていた人。興味のないタイプは、冷たいタイプで、神経質な近寄りがたい正統派美人と個性的な自意識の強いタイプ。 
殆どいないが!コンプレックスの強い人。犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、コリーのような人は苦手。
同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書きだけで人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。
商工会議所、ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。それと女性関係に派手な人。
軽薄な二代目。 もう一度品性のない人!。 そんなことをいっていたら、地方では誰も相手に出来ないのでは?
とはいうが、それはそれでよい。そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い? 
ところで好き嫌いということは、如何いうことか?相性ということ? それとも持って産まれた先天的な本質。
これだけは、どうにもならないこと?好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の分かれ目になる。
好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいことになる。 神=自然が与えた本質的素養だからである。
シカゴ大学の心理学者ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態" と呼んでいる精神状態がある。
遊びの過程で我を忘れて熱中する状態をいいう。これは遊びだけではなく、仕事や勉強にも当てはまる。
フローの時は精神が完全に集中していて、心の底から楽しい感覚が湧きあがってくる。だから好きなことをするのが
一番いいことになる。「ありがとう」と同じぐらい重要な言葉は「好き」と、この文章を書いていて気づいた。
「何々+好き」を、もっともっと使うべきではないだろうか。 特に人に対して使ってよいのでは。
この言葉は、その意味で魔力のある言葉になる。 誰も好きと思われて、言われて悪い気はしないもの。
 次の機会にハイリ・チクセントミハイ著「フロー体験 喜びの現象学」について書いてみる。
・・・・・・・・・
2007年04月20日(金)
2208, 下流志向
                  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ       
一週間前の毎日新聞・文化欄「本の現場」のコーナーに、「下流思考」著者の内田樹氏へのインタビューをまとめた、
{ 若者はなぜ学ばず、働かないのか<「下流志向」内田樹著 講談社> }という記事があった。
本屋では平積みであったが、数回立ち読みをしていた。面白そうだが、買うほどでもない本と判断していた。
この記事と書評で八割は把握できたようだ。言わんとしているエキスを著者から引き出している。
 ー毎日新聞のHPに記事があったので、コピーして置きますー
  ーーー
◇固まった頭をぐちゃぐちゃに
 フランス現代思想の研究者にして武道家が「学力低下」「ニート」という若者をめぐる二大問題を論じた。
約2カ月で10万部と、この手の本としてはかなりの売れ行きだ。丘の上に南欧の修道院を模した校舎が建ち並ぶ、
神戸女学院大(兵庫県西宮市)で話を聞いた。「ここより美しいキャンパスは見たことがありません」という。
  (字数制限のため中略 2010年4月20日)
 ■人物略歴  ◇うちだ・たつる 神戸女学院大教授(フランス現代思想)。
「『おじさん』的思考」「先生はえらい」ほか。 毎日新聞 2007年4月13日 
ーー
なるほど、と納得する。学生時代は寮生活、ゼミ、クラブ、世界一周旅行と当時としては恵まれた経験を多くした。
その中で一度、「固まった頭がぐちゃぐちゃ」になった経験があるから、その重要性が深く理解できる。
馬鹿の壁を一つずつ叩き壊す経験をしたが、振り返ってみてどこまで壊してきたのか?疑問である。
何も壊していなかったのか、いや壊した!の、自問自答である。
その時に生の言葉を発していたかどうか分らないが、傷口から出る血のような言葉であったことは間違いない。
 ー著者の次の指摘も、ずばり急所をついているー
「ずっと考えていたけれど、背後にある巨大な地殻変動の正体がわからなかった。『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二著)
を読んで、腑(ふ)に落ちたんです。『それってグローバリゼーションだったのね』と」・・・
 ・・
グローバルぜーションの上に共産圏が一挙に資本主義社会に組み入れられ、更に「ゆとり教育」の失敗が、
無気力の若者を造成していまった。また、アメリカの実質占領政策が、この国民を無気力にしてしまった。
団塊世代ジュニア以下の年代の人たちは、明らかに自ら下流を目指しているのでは?と思うことが度々である。 
彼らは、お消費様なのだ。逆の立場は数パーセントの人たちが確実に占拠してしまっているのであ。
この時代の変化に、やはり一度、グチャグチャにして、己を変えるしかない!
変わり方によるが、少なくとも、アメリカ型の消費社会を見据える知識は持たねば!
                  (℃゛)/ また、明日!
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2006年04月20日(木)
1843, 桜の話
               才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。「花」と言えば桜を意味するくらい桜は日本人にとって特別な花である。
今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、桜の花が多い。
長岡にも幾つかの桜の名所がある。自宅から数分のところにある、福島江の桜と悠久山の桜だ。毎年、開花を楽しみにしている。
5年に一度は大当たりの年になるが、今年はその年か如何か?桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。
文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとっても、桜は大事な役割を果たしている。日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。
春になると「桜前線」が天気予報のように(今どこが満開かと)放送される位だ。
十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた従兄弟が、桜の散り際を待っていたように「自死」をした。
その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。ゾクッとするような不思議な体験であった。
5月3日に、その法事に行くことになっている。  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?               
ー幾つかの花に関する和歌・俳句をHPからコピーしてみた。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし    在原業平
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なり      細川ガラシャ
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける         紀 貫之
こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな      紀 貫之
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける      紀 友則
色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける           古今和歌集
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ           西行
(以下、字数の関係でカット2009年4月20日)

 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。
 こういう日の強風は、何か腹立たしくなるものだ。     ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・
2005年04月20日(水)
1478, 居酒屋放浪記
土曜日は家内と至近にあるサエゼリアか、歩いて十数分の駅周辺の全国チェーンの居酒屋に行っているが、
もうソロソロ飽きた。そこで、昔からの居酒屋をあらためて見直すことにして三週続けて行った。
今更の感もあるが、年齢もあるのだろう。家内はもう行きたくないというが。
最近、BSi・6で「吉田類の居酒屋放浪記」を放映している。平日の19時半に放送しているが、毎日これを
見るのを楽しみになっている。全国のレトロな居酒屋を訪ね歩く内容だが、吉田類と現場で酒を飲んでいるような
カメラ目線がよい。先々には、何十年も積み上がられた味と雰囲気が漂っている。
店と料理と親父・女将とお客の醸しだす暖かさがよい。それと、その地域の日本酒の紹介も時々ある。
以前に「居酒屋の親父」のミニ小説?を書いたことがあったが。男の楽しみは酒と女と博打であるというが、
軸は一つという。間違いなく私は酒である。そういえば32年前に初めての創業で貸しビルつくった時に、その中に
「養老の滝」を立ち上げて経営したことがある。二年間だったが、忘れられない経験だった。酔っ払いの恐ろしさ、
嫌らしさ、そして面白さをジックリ味わった。居酒屋は客としてはよいが、自分がやるものではない。
カウンターの外と内側は全く違う世界である。人間、酒が入ると別人になる。歪みと誠実さなどの人間性がそのまま露呈する。
割り切ってみれば、これほど面白いものはない。人生の縮図が、そこにある。 書き出したら止まらない。
ーー
これからは私の文に戻るが、東京の中野の居酒屋もよかった。創業以来47年の女将と、それ以来のお客との会話が
何とも味があった。苦しい時の居酒屋の酒の味の何とも心の気休めはなかった。神戸のガード下の中華料理店の油に
まみれたモツの炒め物とか、おでん屋(関西では、たしか関東煮といった)のスジ肉の美味しさ。誰もが、甘じょっぱい
酒のつまみの思いでは数知れずあるだろう。今度、養老の滝の立ち上げの時の話をジックリ書いてみよう。
あまり思い出したくないが、書きたくなったということは、その時のことを受けいれる余裕が出てきたのだろう。
その時の相棒もこのHPを見ているとメールが入った。
・・・・・・
2004年04月20日(火)
 1113, ヘビー級の醍醐味 ー2
 ー家内性手工業ー
昨夜、世界ヘビー級ボクシングを見ていたら、アナウンサーが面白い言葉をいった。IBFの世界チャンピオンのセコンドが
何とトレーナーが父親で、カットマンが母親であった。解説者も長くボクシングを見ているが初めてと言っていた。
その時のアナウンサが「家内性手工業」と言ったから笑ってしまった。上手いジョークである。大型の選手が小型の選手を、
追い回している試合であった。その内容を称して「コンニャクを押さえつけて包丁で叩き切ろうとしているようだ」
という表現もおもしろい。際どい壮絶な試合だからこそジョーク?が出るのだろう。大型選手の名前がまた良い「ゴロタ」
というポーランドのゴロツキあがりの柄の悪い選手なのだ。いつも負けそうになると相手の下腹部を叩きつけて、反則負けになる。 
数年前もタイソンに負けたばかりだ。この試合ではないが、観客席で見ていた母親が、負けそうな息子を助けようと興奮して
「ハイヒール」で、相手の選手に殴りかかったこともあった。この試合は最後の最後までわからない大接戦でドローであった。 
ヘビー級は面白い。そういえば具志堅というチャンピオンが「あなたの職業はどういう関係?」と聞かれて
「肉体関係」と答えた話しを聞いたことがあるが。 まあ、どうでも良いことだが。
 ・・・・・・・・・
 2003年04月20日(日)
746, 笑われている自分を笑っている面
 数年前の話である。 
高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、聴講して欲しいと頼まれた。
たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので二つ返事で参加をした。300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。
恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。 
何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」と言うと、本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。
正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」と言葉がでてきた。どうしようも隠せない心の顕れが
純粋にでた面であった。それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。本人も何か嬉しそうな顔をしていた。
 自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまうのがコツである。その意味で、この随想日記も
赤裸々に心の奥を曝け出して笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」ことにになる。
ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。酔っ払った時の顔を鏡で見て
ビックリした事がある。漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。実際そういう顔をしているのだろう。
そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。 
顔はごまかせない。 バカな女が必至で化粧をするのも解る。
・・・・・・・・
2002年04月20日(土)
 382,能力とは
人間の能力は無限だ。問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。それを伸ばす為に、
人生設計ーグランドデザインが必要である。それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスと
その結果が能力。したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。
 まとめると
・高い志を持ち                 ・ウオームハート&クールヘッドで
・事の本質を見つけ
・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし  ・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい
・全エネルギーを持って             ・チャレンジとコンペテションとチェンジをする
知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ継続してやり続ける。
その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、それを好きになるかだ。  まあこんなところか。


3311, 笑われ力  −3

2010年04月19日(月)

「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
  ー次に、なるほどと合点した箇所を抜粋し考えてみる!ー
*「笑われ上手」に「背伸び」禁物
 ・まずは「私は凡人」とみとめる。
 ・「みんなをリスペクト(敬う)する。そう思えば、自分の中の良い部分も見えてくる。
 ・笑ってもらえたら「笑ってくれてありがとう」という気持ちを持つこと。
   この一歩下がった気持ちが必要となる。
*「笑われ上手」の下ごしらえ、をつくっておく
 ・「ダメな自分物語」を多くつくっておく。出来るだけ短くまとめておく。失敗したその場でつくる。
 ・もったいぶらないで、いきなりクライマックスの話を話題に出す。
 ・キーワードを決めておく
 ・一度、物語を用意したら、あとは白紙の状態にしておく
  〜
20年前から10年前にかけて、かなり遊び人の不動産屋の社長と古町を、飲み歩いたことがあった。
小料理屋や、スナックなどで、話術の巧さに驚き、花柳の世界を垣間見た。。
芸者を相手の粋な遊びは今では夢のようである。あれから10年も経ってしまった。
 彼には、ここに書いてあることは、ほぼ身につけていた。決して他人の悪口や話題をしないのは、当たり前。
自分の昔話も成功談が一割、失敗談が九割。 芸者に三味線を弾かせて都都逸など一ひねりなど、粋な遊び方等など。 
話術も自分を嫌味なく下座におき笑わせておいて、実は笑わせている妙は場数のなせる技(業)
 こういう時代になればこそ、「やれる時にやれる事をやっておいて、良かった」と実感する!(逆に遊び過ぎ?もあったか)
「ダメな自分は、嫌な自分ではない」、これが笑われ上手のポイントと著者がいう。 笑われ力は、自分の中の
ダメな部分や矛盾を笑ってもらう力であり、相手のタイミングで「笑われネタを」提供する。それが受けたからと言って、
もっと笑わせてやろうとか背伸びするのは厳禁。 あくまで相手と場のタイミングに合わせるのだ。
 その「笑われ力」のきほんステップとは
1、「ダメな自分」を見つける 2、「笑える部分」を特定する 3、自分で笑い飛ばしてみる
4、笑顔で他人に話す     5、その結果「心地良い笑い」が生まれる 
  落語の「まくら」では、名人の域に達した人ほど、上手い。「駄目な私」のネタなら膨大な蓄積がある! ったく。
カミサンに耳にたこが出来るほど指摘されている。 大きな経営者大会で講演者が「女房は亭主をバカにする動物である」
と言った時、会場が異常な爆笑があった。大きな会社の立場の人ほど家ではバカにされているのだろう!良いように出来ている。
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2936,「NHKの世界同時不況の双方向解説」を見て
 2009年04月19日(日)
昨日の土曜日の午前10時に、NHKの「そこが知りたいー世界同時不況・危機への対応は十分か?」は、
9人の解説委員による、伯仲した議論と、その合間に視聴者の意見や、世界の識者の論説を挟んだ、
見ごたえのある内容だった。
 ーまずは、NHKのHPの紹介文から
去年9月のリーマンショックから半年あまり。
「100年に一度」とも表現される経済危機は深刻な世界同時不況をもたらしています。
世界各国では、企業倒産や失業者の数が拡大し、予想をはるかに超えるスピードで景気が悪化しています。
国際協調の下で各国が打ち出す経済政策は、景気を下支えする十分な力になっていないのが実情です。
この状況を打開する処方せんを世界各国の政府は持ち合わせているのでしょうか。
そして、日本をはじめ世界の政治指導者たちは、経済危機を乗り切るための責務を果たしているのでしょうか。
4月18日(土)の双方向解説では、私たち解説委員室の経済・国際・政治担当の解説委員が、
世界同時不況への危機対応や解決への糸口を、視聴者の皆さまとともに考えたいと思います。 
 ーー
 解説委員ということで、同質の意見が多かったという感は免れなかったが・・・。
・100年に一度の経済危機なら、100年に一度の対策をたてるべきだが、それが感じ取れない。
・非常に深刻な事態である。大量に輸血しないと患者が死んでしまうという共通認識はある。
・アメリカと中国のG2が、今後大きな役割を持つ。ロシアと中国をプラスしたG9も必要。
・視聴者からの質問で、「100年に一度の経済危機というが、世界恐慌といわない何故か?」に対して、
「GDPの落ち込みは、1929年の世界恐慌と同じだが、失業率は25パーセントに対し、10パーセントで収まりそう。 
 今回は世界の経済政策の協調があるところが前回とは違う。従がって、まだ世界恐慌に入ったと認識されてない」
 の答えであった。 実際は、10年〜20年後に振り返れば、今回の方が遥かに大きいはず。
・アメリカを中心に世界経済を引っ張ってきたが、今後は、新興国に中心が移動する
 ターニングポイントではないか。 今後はアジア中心の経済モデルを作るべきである。
・ドルに替わる基軸通貨は10年20年単位では出てこない。
ー以上、印象に残った部分のメモをまとめてみたが、それほど大したことを言ってはいない。
 今回の恐慌の概要を知らしめ続けるには、良い内容だが、NHKの立場もあって、過激な現実を報道ができないこともあろう。
・・・・・・・・・
2572, ドル覇権の崩壊 ー5
2008年04月19日(土)
「金や銀、プラチナを買って、手元に保有すれば良い」と、そこまで言わしめるだけ、この危機は異常なのだろうか? 
 実際のところ国家単位で自国民を騙すのだから、それも道理。 税務署を暴力団とは言いえて妙である。
 税務調査を経験してから、そう信じていた。 調査の対象は、のっけから被疑者扱いである。
 そこまで疑うなら、脱税をしない方がおかしいのではと実感した。 
 何でしてないの?するのが当然で、その当然のことを我々は取り締まりに来たんじゃないの?という態度である。
 サブプライム問題もバブルの典型で、これをキッカケで世界恐慌の可能性をはらんでいる。
 実態は火の車で、いつ何が起きても不思議ではない状況。
 ドル安、アメリカ国債安、アメリカ株平均値安になると儲かるファンドもあるという。買ってみたいが。
*アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
  P-18
だから、金や銀、プラチナなどの貴金属を買って手元で保有すればいいのである。
銀行の貸金庫にも預けない方がいい。自分で安全確実な場所に隠すのがいい。税務署の調査になど、
やすやすと応じてはならない。彼らは国家強盗団である。正義の法の執行者のふりをして、
日本の資産家、投資家、経営者たちを痛めつける国家の暴力団である。
  (以下、字数制限のためカット、2010年4月19日)
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2007年04月19日(木)
2207, 犯罪集団の存在を公認している日本
                  オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
 一昨夜の長崎の山口組による、現職市長へのテロ?には驚いた。たまたまNHKを見ていたので、現場の生々しい事態が、
そのまま茶の間に入ってきた。これは明らかに国家に対する彼らの挑戦である。(結果としても)それにしては、
安部首相のコメントには驚いたというより、怒りを感じた。地方統一選挙の最中に現職の市長が、みよがしに射殺されたのに、
当たりさわりの無い一辺倒の言葉である。これでは、なめるわけである。犯罪集団が公然と国家を相手に戦争を
仕掛けてきたからには根絶しなければ、国家は破滅する。 闇は闇でしかない。光を当てればそれまででしかないはずだが、
現在の日本は別?。激烈な批判が噴出して当然で、それだけのことをしてしまった。
世界で、暴力団の存在を違法としていない国は日本だけである。それも堂々と事務所を構えて、夜の繁華街がマフィアに
占拠されている異常を何とも思わない日本という国が果てして治安国家といえるのだうか。
今回の事件は明らかに広域暴力団による地域公共事業工事からの締め出しへの‘見せしめ’と捉えてよい。
地方選挙の真っ只中に、現職市長を公衆の面前で射殺するなど言語道断である。それも二代続けての長崎市長へのテロ。
司法、立法そして立法は何をやってきたのだろうか。今度の対応次第によっては、裏世界が国家利権のシンジケートを
確立する可能性が出てくる。いや、あったのが崩壊した結果なのか?。法整備を根底から変える絶好のチャンスである。
広域暴力団の存在そのものを法律で否定しない限り、地域公共事業での利権、汚職の強要は無くならない。
              ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・・
2006年04月19日(水)
1842, ローマから日本が見える?3
                        おっ \(*^▽^*)/ はぁー
ー第一章 なぜ今、「古代ローマ」なのかー  
 *この章の印象的なところから抜粋してみる・・
  「歴史とは人間である」
私にとって歴史とは、人間がこれまで経験してきた全てが入っている。キリスト教は千年の間、ヨーロッパ人の精神を
支配してきた。だが、それにもかかわらず、ヨーロッパ人の人間性が向上したとも思われない。
これは結局、人間の存在自体がもともと、宗教によって変えようがないほど「悪」に対して抵抗力がないのではないか。
そうした人間世界を変えていこうとするなら、こういう人間性の現実を冷徹に直視する必要がある。
なぜなら古代ギリシャやローマの人々はキリスト教のない時代に生きた人々であった。・・・・
キリスト教は本来は人間をさらに向上させたはずだ。それが、そうならなかったのは神と信者の間に、
聖教者というフィルターが介在したと考えられる。彼らの存在はかえってキリスト教の教えを損ねているだけでなく、
神と信者のつながりを邪魔をしているとルネサンスのルターは考えた。{私見ー現在の日本の葬式屋僧侶にもいえる}
「水平思考と垂直思考」    
  現在の日本を考える時、改革の遅れに破滅への危機を感じる。
  どうすれば良いのか?それには、一つには、日本以外の国はどの様にしているのか?
(水平思考)
  他には、垂直方向のリサーチー歴史を振り返ることです。西欧的な考えが崩壊している現在、
  ローマ人の生き方は宗教やイデオロギーとは無関係だっただけに参考になる!と・・・
「試行錯誤がローマを作った」
当初は小さな都市国家でしかなかったローマがイタリア半島に勢力を伸ばし、
ついにはポエニ戦役に勝って大国のカルタゴを下し、地中海を「我らが海」と呼ぶまでの勢力になる。
あたかも幸運の女神に導かれて、すくすく発展したようだが、実際は正反対であった。
ローマ人の強さは失敗しても、必ず次の成功につなげようとするメンタリティがある。
彼らは敗因が自分たち自身にあったことを直視する。反省するだけでなく、それを、国論分裂という
活力のロスを避けることを目的とした政治改革という形に結びつけるのです。
こうして完成したのが、帝政に移行するまでのローマの政体として有名なローマ独特の「共和制」であった。
                    まあ茶でも! ~~旦_(。-_-。)
「一級品の男たち」
 「役に立つ」ことだけが歴史のとりえではありません。ましてや、ローマの全史ときたら、素晴らしい男たちが
  次々と現れてくる波乱万丈の物語です。ドイツの歴史家モムンゼンをして「ローマが産んだ唯一の創造的天才」
  と言わしめたユリウス・カエサルはもちろん筆頭ですが、カエサルだけがローマ史ではありません。
 ・ポエニ戦役の天才のハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌス。
 ・ポエニ戦役以後の「混迷の時代」の登場したスッラ。
 ・カエサル暗殺後、初代ローマ皇帝になるアウグストゥス。・・・
この他にもユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないが、
愛すべき人間達が無数に登場する。 歴史とは、やはり人間が作るもの。だから面白い。
             ? つづく  。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ?
・・・・・・・
2005年04月19日(火)  1
477, 男はつらいよ
 ある保険会社のアンケートによると、
・また生まれてきて再び 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20%に対して、同じ女房と再婚したいと
 思っている男は75%(40%と60%の調査結果もあるが)女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5?もいる
・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15%、 妻が夫を看取るのが85%。
 看取ったあとの男の余生は5年、逆に夫を看取った妻の余生は22年。
私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。女は逞しいものであるし、夫に愛想をつかしているのがわかる。
定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする逆転現象がおこってしまうという。
しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。
その中に未亡人の会があったが、「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、実際は片羽を失った鳥」
という。しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。60歳過ぎると、甘いものでないことは事実のようだ。
夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、
すぐに群れることができる。しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。
人生は甘いものではないのは老後も同じ。ライフワークをチャンと創っておかなくては!
おかあちゃんの奴隷になってしまう。最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。
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2004年04月19日(月)
1112, 「ライフ・レッスン」ー4
       ー人間関係のレッスン
ー感想文ー
人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど
自分の姿の合わせ鏡になる。その軋轢の中に真の自己が表れてくる。また私たちが無意識の中に求めている
ロマンチックな関係の相手こそ、ありもしない自己逃避の空想の相手である。そして勝手にイメージとして作りあげ、
対象に求めていくから幻滅が生じる。解りやすい例としては、成田離婚がある。そのイメージこそ自分を不幸にする
「バカの壁」になる。しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。「ブランド」は、その一番リアルな
イメージ商品といってよい。お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。
真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。
ー抜粋ー
・人間関係は人生のレッスンを学ぶ最高の機会をあたえてくれるものである。 自分はほんとうはどんな人間なのか、
 何を恐れているのか、自分の力はどこから生まれるのだろうか、真の愛とはどんなものなのか、人間関係は
 それを発見ための場である。 人間関係は多くの場合、なかなか上手くはいかない、時にはひどく辛い
 経験だからだ。だからこそ、学び、成長し、愛し、愛されるための最高の機会にすることができる。
・全体性や完全性は自己の内部から生まれるものでなければならない。誰か特別の人を見つけることは、
 親密な人間関係にかかわる問題の解決にならない。独身で不幸な人は結婚しても不幸なのだ。専門職につけない人は、
 とくべつな人をみつけても、パートナーのいる専門職のない人しかなれない。他の人にもとめることをやめて、
 自己を完成させることなかにある。だれか愛する人をみつけようするのではなく、
 自分自身を愛されるに値する人間につくりあげていくべき。
・あなたは、ただあなたであるというだけで、だれかとくべつな人なのだということを、けっして忘れないでほしい。
 仕事で成功していようがいまいが、完璧な相手と結婚していようと独身であろうと、あなたはこの世界にとって、
 唯一無二の尊い贈り物なのだ。あなたはすでに一個の全体であり、外から何かがやってくるのを待つ必要がないのである。
 人生にロマンをもとめたいなら、あなたの人生そのものと恋におちればよいのだ。
・・・・・・
2003年04月19日(土)
 745, 散る桜、残る桜も散る桜
「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。桜は生臭い死の臭いがする。人生の縮図を桜の花に感じるのは
歳のせいか? 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。悠久山の桜も絶品だ!5?6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が
微妙に関係してくる。桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画を
みた事を思い出した。ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・・
2002年04月19日(金)  
 381,システム販売
「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。
 診断料は無料」という提案の講習会に出てきたと、あるメーカの専務が言っていた。
システム販売そのものである。物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。
IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは難しい問題でない。私もフランチャイズを2回経験して
システム力には納得している。息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから
合理的だ。もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。これもそのシステムを売っているのだ。
イトーヨーカ堂もシステム70?商品30?という考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。もの主体から、こと主体の時代の変化であ


3310, 笑われ力  −2

2010年04月18日(日)

   「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
  笑われることができたら、会話も人生もラクになる!
  笑われ力: 飾らず、威張らず、強がらず、素の自分をさらけ出せる力。
 
 「笑われ力」では、まずは「恥ずかしいこと」を全面的に認める。そうしてしまえば、まわりもそれ以上バカにできない。
恥ずかしいという感情そのものを曝け出すのである。 私は、平気でサエゼリアに行くし、その話をする。
サエゼリアが値段からみて価値がある思うからである。 世界中の郷土料理を食べてきて味に対する自信があるから、言えること。 
気楽に入る安いイタメシ屋を小ばかにする方が野暮というもの。SC内の隣にあるスーパーより安いのだから。
あれはファーストフードとみた方が分かりやすい。その辺の出来損ない?のイタメシ屋と比べる方が無知といういうもの。
美味くなくていい、不味くなければ。 日本料理も、居酒屋料理も、フランス料理も、中華料理も食べつくきたので言えるのだろうが。
 週末などの外食は2千から5千円の店で充分。もちろん二人で! 「笑われ力」も、実は、それと似ているのではないか。 
笑いで周囲に安らぎを与えることが出来れば、それが73パーセントの「おとな力」の要素として、当人にプラスになる。
「笑わせ力」を身につけるより「笑われ力」を伸ばす方が簡単。 笑われる欠点を自分がよく知っているからだ。
人間の本能が「笑い」を求めている。もし「笑い」がなければ場は息苦しい空気に包まれる。「笑い」が醸し出す「心地良さ」が、
その場を良くする。 注意しなければならないのが「笑わせ力」である。ひとつ間違うと笑いの強要になり、シラケを生む。 
無理をすると、タチの悪い「笑い」になることが多い。 特に第三者の失敗の話題で笑いを誘う「邪悪な笑い」は特に注意。 
 著者は、 笑われ力をつけるには、準備が必要という。 まず、
・ダメな自分を集めてみる
  *過去:失敗談    *現在:無知、悩み、コンプレックス、苦手    *未来:妄想
・そのネタを次の公式(ネタ*表現)に当てはめて話をする
 失敗話、 コンプレックス、 悩み、 勘違い、 なら幾らでもある。ただ、ヒタスラ隠してきただけ。
 まあ、あまり辛らつにならないように、サラリというまでには時間がかかる。 馬鹿?の餌食になることなど恐れてはならない。
 ≪ そういえば、昨夜、近くにできたSCの地元チェーンのステーキハウスで、赤ワインの注文時に、「デカンタにしてください」と、
  言ったつもりが、何と「デカタンにしてして下さい」と言ってしまった。 家内は噴出したが、店の人は我慢していたようだ。》
  味は値段の割りに美味しい。サエゼリアとは違うが、300グラムのサービス・ステーキセットが1980円。二人で食べたが、これで充分。
  タコのカルパッチョとワインで3000円強の値段なら、駅周辺の居酒屋より安い。サエゼリアなら半額だが! これも「笑われ」か!
   ステーキは、数ヶ月、いや半年に一度でよい。 ところで、ステーキハウスに入ったのは10年ぶりか?   ー つづく
・・・・・・・・・
2935,わが人生最良の瞬間 ー2
2009年04月18日(土)
 一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は小野田寛郎の「29年後の終戦記念日」である。 彼にとっての終戦日は、
昭和20年8月15日でなく、その29年後であった。その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で命令に従い戦い続けたのである。
終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれていたが、彼等は信用しなかった。そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の
鈴木と遭遇した時も、フィリッピンの掃討兵と思い殺害しようと接近したが、思いとどまり、話をしているうちに、
「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」と、ボールを投げた。それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除と
投降命令を受けた。その瞬間「なぁんだ」と思ったという。・・・ 投降ということは、それは死を覚悟したもの。・・・ところが、
フィリッピン軍のレーダー基地に着くと、捧げ銃の敬礼で迎えられた。捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。
さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを拒否しました。そして翌日、マラカニアン宮殿で
会見したマルコス大統領がこう話したのです。「我われは、それぞれの目的で戦った。しかし戦いはもう終わった。
私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為すべてを赦します」 もう疑う余地はありません。昭和49年3月11日のその瞬間に
私の身柄と生命は保証され、「私の戦争」は終わりました。帰国のためにマニラ空港を出発する私に、フィリッピン空軍の軍楽隊が
日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から解放されたのだと、
心から生きる喜びを噛みしめました。
 ーー
 以上が概略だが、この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。これほどの最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の
三十数年があればこそである。こういう体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ないと
思い知らされる。彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が
心に残るのは如何いうことなのだろうか?「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、「嫌なことも多くあったが、
良いことも多くあったな?!」と、言葉を言い換えるだけで全く違ってくる。私は、後者を口癖にしているが、悲観と楽観の差だろう。
喜怒哀楽を、それぞれに「わが人生で一番嬉しかった瞬間」「わが人生で一番怒りを感じた瞬間」「わが人生で一番哀しかった瞬間」
「わが人生で一番楽しかった瞬間」を、思い尽きるまで書き出した時にその人の人生が浮き出ることになる。 
怒り、哀しみ、喜び、楽しみ、どれもこれも、あまりに多い。やはり人生をタップリと生きてきたということか。
・・・・・・・・・
2571, ドル覇権の崩壊 ー4
 2008年04月18日(金)
                  ー読書日記
 2001年の9月11日のテロは、ことアメリカのドル政策、石油にとって理想的な事件であった。
 そのため、当初はアメリカの国家としての陰謀か、意識的に見逃した事件ではないかと疑われた。
 アラブ民族、イスラム諸国にとって有利の事件だったのだろうか?と考えると、疑問は増す。
 価値のない紙切れは、ドルだけではない、円もしかりである。 私は、少し落ちついた40歳を過ぎた頃から、
 意識的にお金を使うことにしていた。といって、子供二人を大学に入れて毎年、1000万は使うこと!である。
 貯めたところで、それが通帳の数字以外の何ものでもないことを父親の死に様から、学んだ。
 この程度は使ったうちではないが、普段の生活は節約をしていたから、年2?3回の海外旅行など、
 割り切って使うべきことができた。この本、読めば読むほど心が寒々としてくる。
   ーー
第三章 かくしてドル覇権は崩壊していく
  P-155
今や処刑されたサダム・フセインは、2000年11月にイラクの石油輸出をユーロ建てにすることを要求した。
彼の公然たるアメリカへの挑戦とその傲慢さは、ドルへの直接の脅威であった。彼がもっていたイラクの軍事力は既に相当に
疲弊して欠乏しており、アメリカにとってはたいした脅威ではなかった。当時のポール・オニール財務長官(任期2001?2002)の
発言で後にわかったことは、「2001年の1月のブッシュ新政権の初回の閣僚会議の主要な議題は、どの様にしてサダム.フセインを
国際社会から追放するか」であった。サダムフセインが米国に脅威を与えた直接の証拠は何も無かった。
(字数制限のためカット、2010年4月18日)
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2007年04月18日(水)
2206, 反時代的毒虫 ?3
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
「反時代的毒虫」ー中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの浪費」ーより
浪費癖で借金してでもブランド品を買いまくりを売りにしている「ショッピングの女王」こと、あの中村うさぎ、との対談である。
彼女は自らを「自分を売る職業・・・それが風俗や水商売なら、私の仕事だって同じことだ。私には、『自分を切り売りしている』
という意識が常にある。」「そんなふうに自分を切り売りしている人々は、必ずそのことに復讐される。魂が壊れていくのだ。」
と語っている本を書くため身を削り、シリアスなキャラが売りで、まさに「覚悟の文学」である。最初の結婚は、大失敗に終わり、
2度目の結婚相手の現在の夫はゲイ。「毎日一緒のベッドで寝ているが、互いの裸を見たことがない」という。
彼女の両親はゲイの夫に大きなショックを受ける。一人のホストにいれあげて、出版社には前借りの借金を繰り返し、時には税金未納で
銀行口座を差し押さえられながらも、1本100万円のヘネシーをオーダーするまで「命がけの浪費」をする。
 (字数の関係でカット2,008年4月18日)                                バイ! UvU/?
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2006年04月18日(火)
1841, 理解する技術ー情報の本質がわかる?2
     +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ  ー 読書日記             
□第3章ー文章から情報を読み取る基本テクニック
  (字数の関係でカット2,008年04月18日)
・・・・・・・
2005年04月18日
(月) 1476, 24歳の日記
  ここで22歳・23歳の日記に続いて「24歳に日記」が始まる。 数回だが。あまり書きたくないのが本音であるが、
自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない足跡である。途中から、日記をカード式に切り替えたが、
そのカード式の日記帳は全て捨てた。今から考えてみたら残しておけばよかった。残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、
大まかにしか書いてない。まず、生活信条が書いてあった。 真面目に書いたものである。それが若さであろう。 
35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。
直視したくないので、数回で終えるが。中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。
当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れてしまった感じといわれたが、当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。 
それと中原中也の心も。それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。人は愛情の中で生かされて
いることを実感する。全ての人に感謝をしなくては。特に両親に対して。昨夜、独身時代の自分の夢をみた。
 ーーー
1970年3月
ー私の生活信条
誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること、愛情を基本とすること
   ー常に相手の意思・立場を理解をして、それを持って自己の満足とする毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、
自分の善に従うこと、善悪を明確にしておくこと
   ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める善悪の基準は他人に対して、いかに自分と同様に
    満足せしめるかにおく打算においても、同じ扱いをする動機において不純はさけることとする
    (最後に拠るべきは純粋な動機のみである)
人間関係ー常に相手側と同じ立場におく
    ただし、能力レベルが同等に対してであるが
不言実行(無言実行)ー
    有言不実行の矛盾に陥らないこと 経験を振り返ると無言実行が一番実効があった
    言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること
自己投資をすること
    人生とは、投資である。 自分に対して、そして創造行為もである
    与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること
克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す
    そのために己に打ち勝つこと
 ーー
 1970年3月21日
現在、自分を見直すために会社を辞めた。そして、現在は長岡の自宅にいる。 会社には丁度1年在社したことになるが、
いざ辞めてみて解ったいたことだが、動揺があまりにも大きい。今も夢の中にいるようだ。辞表を出して、2〜3週間大きな
揺れがあった。色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。これからは決心をしてしまったからには1年ジックリ
勉強のやりなおしである。コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。マーケッテングのほうも面白そうだ。
義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか考えてみなくてはならない。
それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。そのために如何するかを考えるべきである。
日記を考えると、即自と対自の会話である。また自分自身である時間。 反省と焦りが交差するところである。
・・・・・・・・・・
2004年04月18日(日)
 1111, 「今時の若いものは!」
エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して
「今時の若いものは!」と、批判的にいっている言葉が気になった。年寄り臭い嫌な響きがあった。若い人にも個々それぞれある。
この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から出ている。「それにしても、今の若いものは!」
という言葉が出てきそうだが。一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の旅行先としてのターゲットに
なっているという。今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。ボラティアの女性だけが救いであったはずが、
??を吸いにいく丁度よい名目?で、NPOを利用してだけ? という疑惑も浮かびでてきた。
18歳の坊やも、共産党一家のパフォーマンスでしかなかったのか。といって、彼らには彼らの正義があったはずである。
インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから困ったものだ?
しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。
 −−−
 演題:「近頃の若者」 養老猛
この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、
養老 孟司先生に御了解を得て、このホームページに掲載しています。「近頃の若者」という題をいただきましたが、
私ももう相当な年になったのでこの題がちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。
「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。ですから紀元前の頃から年寄りは
若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、
小学校からずっと学校におりまして卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。
ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で
世の中が相当変わりました。その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。
私が小学校に入った時というのは戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。ちょうど東京で空襲が始まった頃です。
その頃病院に入院したことがありましたが、ご存知のように病院の食事というのはひどいものですが、そのひどいのが戦争中で
したから一層ひどいものでした。その時代、親は食べていくことで精一杯。子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って魚を
捕ったり、空き地で虫取りをしたりの生活でしたので、学校は大変ありがたいところでした。私がまず最初に「近頃の若者」
と違いを感じたのは、団塊の世代でした。  (字数の関係でカット2,009年04月18日)
・・・・・・・・・
2003年04月18日(金)
 744, まずは一日一図から ー2 
これを実行して10日が経つ。 三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。
始めたら面白いのだ。一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。 ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、    ・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。    ・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。
漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を
中央に描いて、左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、気楽に考えられるのだ。
 読書法で10?100倍の速度が可能という本が多く出版されている。 私の場合、その方法を身につけて10倍以上の
読書力になった。それもこの1^2年である。しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。以前から天才のノート法とかいう本を読んで、色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、
漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増加。そうすると、
「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことになるが、集中力がそれだけ増えた事は間違いない。
これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいたに過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているのだろう!
・・・・・・・
2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん
 姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。去年の6月に来て,3時間半なにを話したか? 大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為、保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話
 彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」という気持ちがあったのだろう。
 彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ。 この内容から私なりの彼女の心理分析をすると
・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁
一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。
これからお風呂に入って身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。
   面白い人でもあった。


3309, 笑われ力  −1

2010年04月17日(土)

   「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りることにした。
「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろしていることになる。」とは癒しの真髄であり、
これまで「フン、この程度モノさ!」と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組むとは。
お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。
タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、
ところが大爆音のガス一発だけ!1時間の苦労はなんだった? 」で、場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。
誰も一度や二度は経験のあること?。私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。
実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。 
自分より知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、躊躇をしてしまう。 
素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、基盤がないと出来るものでない。
  まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原 壮一郎 ≫
≪ 「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。しかし、ウケを狙えば狙うほど、
スベりやすくなるものです。 まして、人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。
そこで「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、人をネタにするのではなく、
自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、
「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くためのプロセスに過ぎません。
 大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」をプロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫
 〜〜
 この本の「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう!あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、
あなたの人生にとって、必ずや大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」とあり、最後の方には
「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。
 この随想日記やブログも早くいえば、「笑い」というより自嘲の披瀝である。そうでも思わないと、
毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになっている。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に
捻りを入れるようにしている。 それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。 
決して、この本を読んだぞ! でなく、やっと読みおえた!という気持ちでないと続かない。
この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。
 そういえばオカマバーの方々、実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。 
笑われてナンボの世界か、珍獣?の世界は。 10年以上は、行ってないが、歳のせいか気持ちが悪いが先にたつ。
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2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2
 2009年04月17日(金)
新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌の影響がストレートになる。
初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 二時間以内の出張は日帰りである。
インターネットや携帯電話などで情報をやりとりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。
最近は宿泊ネット販売が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は当たり前。 
当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから、堪ったものではない。そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、
電気製品、デジタル家電、書籍、健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買うのはネット。 
2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズから始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。
情報化によるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。最低価格が実現できないところは、
即、退場をさせられてしまう。(客室は、在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰される
ことになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。 
アメリカのように資源や軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を揺るがすほどの大事件。
4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのはが中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようと
しているというのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の共産社会体制が消滅。
そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義のアルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、
2千数百人の生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年に一度といわれる金融恐慌である。
これは簡単に解決できるような事態ではなく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。 
まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。それも全ての人が直撃する惨事を・・
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2570, 些細なものほど、光を放つ!と、振り返ると解る
 2008年04月17日(木)
日常のチョッとした瞬間、60年にわたる過去の些細な記憶がフラッシュのように出る。これが還暦を前後して特に多くなってきた。
人生は些細なことほど大きな意味が含まれているようである。コマーシャルではないが、「人生は、その人の選択で
出来上がっている」と実感する。一日、数万のことがフラッシュのように脳に発生するというが。 様々の経験から、
自分の心の芯にとって、いやな後味になることはしないようにしてきた。それでも、次から次へとフラッシュが発生する。
自分の過去を冷静にみれる年月が経ったためだ。多くの人を虐殺した政治家の内面は如何なるものだったのか。
死者が纏わりついているのだろう。彼のそれは、些細なものではないからだ。
  次の文章が‘些細なものほど、光を放つ’ことを理路整然と表現している。
「哲学の教科書」中島義道著
  *些細なものほど、光を放つ      P-232
哲学者の目とは、人生の「外側」から、すなわちあたかも死者、あるいは他の天体からの飛来者のように、
人間たちの営みを見る目です。 こうした目で見続けますと、そこに面白い変化が生じてきます。
人生の大事と思われているものは取るるに足らぬように見え、逆に取るに足らぬと思われていることが輝いて見えてくる。
「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく 些細なものこそ光を放ってくる。 フランクルは強制収容所という
「向う側」にいる人間の心持ちを次のように語っております。 彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に想いを馳せて、
それに耽っているのであった。しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事や
ささやかかな事象のまわりを彼の考えはめぐっているのであった。……市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、
電話が鳴る、受話器を持ち上げる、部屋の電灯のスイッチを入れるー囚人がその思い出の中でいわば撫で回して慈しむものは、
こんな一見笑うべきささやかなことであった。そして、その悩ましい思い出に感動して彼らは涙を流すこともあったのである。
強制収容所に入っていない私たちが、今この状況を腹の底から実感するのは難しいでしょうが、例えば奈良時代の
官吏の一日を文字通り再現してくれれば、どうでもよいことがわれわれには本当におもしろいことでしょう。
もし私が一時間だけ千二百五十年前の奈良の都に戻してくれるなら、東大寺や興福寺には行かずに、人がごった返す市場に
行くでしょう。 内裏の「閣議」は見物せず、一般の家庭の夕餉を見物するでしょう。・・(中略)女房が派手で困るとか、
給料が上がらないとか、子供がぐれて困っているとか、毎日の生活がしみじみと面白みを帯びてきます。
ーー
学生時代の日記を、ここで公開したが、私にとって、その面白みは当時の日常の風景が具体的に書いてあったことである。
実際に読み返してみると、当時のことが昨日のように思い出される。何で、その後、思ったままのことを具体的に書いて
なかったか後悔する。誰かに見られたら嫌だというのが、それなのだろうが。些細なことの中に光が宿っているのである。
それは、「今日、今、ここ」しかないから。ここに永遠が存在しているから。
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2007年04月17日(火)
2205, 反時代的毒虫 ー2  才八∋ウ_〆(∀`●)
             ー読書日記ー
「反時代的毒虫」の中の ー白洲正子との対談『人の悲しみと言葉の命』ーから
車谷が『四十八瀧心中未遂』で直木賞をとったあとの「文学界」で白洲正子との対談である。
白洲をして、恐ろしい、こわい、と言わしめるのだから、驚きである!
 ーー
白洲 「私、十何年も前に見っけたんだからね」
車谷 「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました。
 『新潮』に発表した『吃りの父が歌った軍歌』を先生が読んで、手紙を下さった。」
白洲 「いや、恥ずかしい。そんなもの、持っていらっしゃらなくてよいのに。」
車谷 「私が板前ををやめてセゾンに勤めていたころです。消印を見ると昭和62年12月です。」・・(中略)
車谷 「20年間、文章を書いてきてファンレターなるものをいただいたのは、
    一度だけです。それが白洲先生からだから、びっくり仰天です。」
白洲 「冗談じゃないわよ。なにしろあなたの文章じゃ、誰も手紙なんか出せないわよ。私は思い切ってだしたけど」
車谷 「お手紙の中で、『車谷さんの文章は生きている』と書いてありました。
   『生きている』というところに傍線を引いて、何回も読みました。
   のちに先生にお目にかかったとき、『おそろしい』と言っていただいたことを覚えています。『こわい』とかね。
白洲 「ほんとうにこわい。今だってこわい。」・・・・(中略)
車谷 「私が25歳のときに小説を読むきっかけは、永井龍男の『青梅雨』という短編を読んだ時でした。
   ぼくは名文だなと思った、よけいな言葉が一つもなくて。それで、一生に一度でよいからこういう名文を書きたいと
   おもったのが、ぼくが小説を書く動機だったので、文章がダメな人は、文学者としてダメだと思うんですよね。」、
白洲 「あたりまえじゃないの」。 ・・・・
車谷 「若いときから西行に憧れて出家したいと思ってたんです。とにかく一生の間に一冊作品集を出して、
   それで出家しようと。47歳のとき「しお壷の匙」という作品集が出まして、これでもう出家しようとしたら、
   高橋順子というのがあらわれて、結婚するはめになって。」
   (字数制限のためカット、2010年4月17日)
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2006年04月17日(月)
1840, ジャンケン
              オハ (´・ω・`)(ω・`)!(´・ω・`)! ヨ? 
「ジャンケン」について書いてある資料は殆んどない。HPを調べても勝ち方の極意が書いてあるだけだ。
その中で、それぞれのだす確率があった。580回のうち、グウが190 、チョキが203、パアが 187 回とあった。
確率からみたらグウを出すのがよいことになるが、ほぼ同じである。もっと偏りがあると思っていたが。
図書館で何気なく立ち読みした「大切なことは60字でかける」
 ー高橋昭男著の中にジャンケンについて書いてあった。 それによると、
・ジャンケンは、江戸時代に中国から長崎に伝来 大阪を経由して江戸に伝えられた。
・江戸時代のジャンケンには色いろな方式があり、子供の遊びではなく、お座敷遊びの一種であった。
・中国では、日本と同じ方式で行っている。 世界の40ヶ国で盛んに行われている。
 ーマレーシア、パキスタン、サウジアラビア、イギリス、 フランス、ドイツ、 デンマーク、エジプト、
 アメリカ、チリなど・・ アメリカのジャンケンは日本のかけ声を英訳したもの。
この本を読むまでは、日本特有の遊びと思っていた。お座敷遊びで、野球拳とかがある。
子供の頃は何かあるとジャンケンで決めていた。そういえば、ジャンケンで勝ってハワイに行ったことがあった。
(実家の会社にいたとき、社員旅行で兄とどちらか社員旅行でハワイに責任者として行くかで)まあ、よき時代であった。      
                    ゚+.(*・ω・)ノ*. バイ!      
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2005年04月17日(日)
 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2
「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、「倒れてしまった悲しみに」
という詩を書いてみた。 昔の何度かの挫折を思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
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2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?3
  第二章 愛のレッスン
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただ一つの真実である。
永続をするただひとつのものである。愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、
自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。
それはあらゆる障害をとりのぞくことである。自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。神に会うことができたら、神は
「おのれに愛をあたえたか、人に愛をあたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に付いていく。神はわれわれに、愛し、
愛される無限の機会をあたえてくれる。
・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。 
子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、いい成績をとれば、オバアチャンにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、
「愛してもらえる」ことを学んできた。愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、にせものの愛であったことに
気がつかなかった。いちいち他人から是認を必要とするような愛を本当の愛とよべるだろうか?自分自身への慈しみの心を
持つことが、本当の愛の第一歩である。あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。それをすることがうれしくて、たましいが歌を
うたっているのだ。そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている
行為である。たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きをしてなにか「有益な」ことをするのではなく、
ただのんびりと寝ていることかもしれない。・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。「何人かの女性を愛そうとしました。
相手を幸福にしようと努力をしました。ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、意外な質問だったらしいのです。「もし愛が、相手の女性を幸福に
するものでなかったとしたら? そんなこととは無関係に、ただ傍にいるだけが愛だとしたら?相手を幸福にするという
思い込みすてて、ただ傍にいることが、長い目でみたら、相手を幸福にすることになると考えてみたら?」
人生には浮き沈みがある。愛する人がかかえる問題をすべて解決してあげることはできないが、
そばにいることなら、できなくはない。長い目でみればいちばんの愛のしるしではないだろうか。 
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2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』?2
             読書日記
ー抜粋ー6
父は話をつづけた。「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、
ランプの中に押し込められた精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つけることが出来る。
天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」「ランプの精が見つかると、
精がおまえらにこう聞く。『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、二つ目は自分の才能を愛するものや
 親しい者たちだけに与えること、三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』
「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。問題は、たいていの人がその才能をランプの中に
閉じ込めたままにしていることだ。才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。
ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ効果を発揮するんだ」
  (以下、字数の関係でカット2,008年4月17日)
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2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪
一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。外国人の犯罪らしい。
ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。
ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。休業の張り紙は出せないらしい。外国人がトラックで全て持ち出すという。
10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。犯罪もグローバル化になってきた。
平気で殺すから恐ろしい。同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。8000円が少し高いが 。


3308, 万田酵素

2010年04月16日(金)

 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、
一万円前後。 無料キャンペーンはお試し用の6パックで1200円のもの。10日前に届いたので、試し飲みをしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、
一日中逆上せているような感じ。そこで、小さなパックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。  酵素といえば、
もう25年来、玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いているから身体に適応しているのだろう。
 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さなコーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。
 無料の試しパックは一パック2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じである。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば
三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。
ネットでは、3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットでチェックしているはず。
それでも、この価格で販売しているのだから、ネットでチェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、
ドラックストアさえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 
   今さら、大して用がないか!
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2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、
多く読んできた。楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消えて、「100年に一度の経済危機」という言葉が
定着したきた。1930年代の世界恐慌より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40パーセントダウン。輸出産業を中心としたメーカー関連で、
40〜50パーセントダウン、それ以外が20〜40パーセントのダウン。2001年の9・11事件の時は、三年かかって30パーセントに
ダウンしていったが、今回は2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、
駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、
お達しが出ているという。大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上げ減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。
国家として3月末の大量倒産を避けることが出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて大きな事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが、問題は、これからの
経済社会の情勢である。この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、
これからである。韓国・台湾・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンと
いうから、大打撃になっている。かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。
この7〜8年、何とか輸出立国というモデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは崩壊してしまった。
 どうなるのだろうか? 
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2569, 閑話小題 
2008年04月16日(水)
 *ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。
そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、
127円で統一(談合)しているのでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしているから
消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
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 *呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
新潟のキャッチが古町も駅前も完全に姿を消したという。呼び込みは店の前というよりドアの内外の辺りにいて、積極的に
声をかけなくなった。外でタバコをすっている振りをして、そこにいることを知らしめるだけで、自分からは声はかけないという。
先々週、長岡の殿町でキャッチに付きまとわれてトラブルになったが、その後はどうなったのか。
風俗の店はキャッチが禁止されれば、商売が成り立たない?。 ところで先週末の古町はキャッチもいない代わりに、
一般の客もいない状態で閑散としていたとか。少し猥雑の雰囲気を客は求めているのか?。
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 *ロシアのバレー事情の激変
先日、NHKのハイビジョン特集「シベリア鉄道2008」の中でロシアのバレー学校の事情を部分的だが、
紹介していた。この番組、20年以上も前の番組と同じコースを映しながら、その変化を紹介する内容。
なかなか見ごたえがあった。ソ連の時代はバレーダンサーは優遇され、全国から殺到していたが、
現在は素質のある生徒が集まらない。学校のほうが全国にスカウトにまわっている始末。
やっと、育て上げても海外の条件の良いところに行ってしまうケースが多い。
ダンサーの給料が激減、若者の希望は実業者とか、銀行マンに移ってしまった。17年で価値観が変化したという。
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2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる 
あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに
衝突の車を見かける。慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では誰も前の席に座りたがらない
沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
 ーベトナム交通戦争ー 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、衝突する際どさの中を運転技術で
コントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。ベトナムのオートバイは2000年で650万台、
2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10パーセントをベトナムが占める。
自動車とオートバイの比率は、9対1で圧倒的にオートバイが多い。そのため交通事故は2004年で年間17,500件以上、
死者数も14,000人を超えている。1990年に死者は2300人だというから、14年間で6倍になってしまった。
オートバイの数と丁度正比例していることになる。日本で1970年に交通事故死者数が16,765人をピークになった当時、
ベトナム戦争での年間戦死者数より交通事故死者数が多いところから「交通戦争」と呼ばれた時代があった。 
現在のベトナムは、その「交通戦争」の様相になっている。かつてハノイには市電とトローリーバスが走っていたのだが、
交通の妨げと廃止され、それに変わり自転車からバイクへなってしまった。一家に一台はあるどころか、家族一人に
一台になりつつある。無免許、飲酒運転当たり前、事故死は日本の人口の三分の二にかかわらず倍。
ということは人口比からみたら三倍になる。もちろん、ヘルメットをする人は皆無。
2~3割は無免許で、免許も賄賂を渡せば簡単に取れるという。しかし、あの戦場?の迫力も、あの国のエネルギーと
してみれば、穏やかな国民の発散に思えてくる。20年近く前の中国の北京で見た、通勤時の自転車の群れも迫力があった。
    ホンジャキオツケテ(o ・д・)ツ バイ! 
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2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ?1
     おはよ?!(*^ワ^*)i             ー読書日記              
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから?
「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
 ー著者からの内容紹介ー 
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには?「分かりやすい技術」の著者が、
効果的な情報収集・整理術を伝授!携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには? 一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには? 本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
▼情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」
 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」
 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。
▼日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える
 テクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。
  ーー                且_(・_・ ) まあ、どうぞ!
以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーセントは把握できるはずであるが?
5年間にかけて随想日記を書き続けた結果把握したノウハウがそのまま書いてあったようだ。
最近は「検索」で、読む前に本の構造を調べるようになった。読む前から、骨組みを知っているのでエネルギーは数分の一。
骨組みを知った上に、仮説を立てて、その誤差を測ると手っ取り早い!情報洪水に溺れないためのコツである。
情報発信者の手抜きを私たち情報受信者が補い、「わかりやすく理解する」ための情報受信術をマスターすることだ。     
具体的には、人間が文章を読んで理解するまでのメカニズムと、脳の仕組みを理解して、それを利用することである。
(字数制限のためカット 2010年4月16日) 
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2005年04月16日(土)
1474, 汚れつちまつた悲しみに     中原中也

汚れつちまつた悲しみに  今日も小雪の降りかかる    汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは  たとへば狐の皮裘       汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく   汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに  いたいたしくも怖気づき    汚れつちまつた悲しみに  なすところなく日は暮れる
 ・・・・・
  河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-
この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、
当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」
が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。
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2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー
この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、
一章づつ印象深い文章を書き出してみる。私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの
極限を味わう為である。その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。学ぶのだ、学ぶしかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」
という、こころの大転換があった。その時から視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。分厚いレンズー現実が目の前から
消えたようだった。この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。
過去を考えてみると全てがレッスンであることが理解できる。人生は学校なのだ。
現象は神があたえた教科書の練習問題。何故、その問いに答え続けなくてはならないのか? それが生きるということだから!
ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1 の内容である。 
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記  2003/10/29
  (字数の関係でカット2008年04月15日) 
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2003年04月16日(水)
742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』ー1               
                        ー 読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折を
してしまう! 何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷に
なってしまう。お金は、ある意味で生きていく交通手形である。お金に対する考え方は生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
 ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを
犯すことで進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは一ところを回っているだけだ」
 ー抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間に変わりのないことは私も知っている。
問題はそういうことではない。問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているかどうかだ。
エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、
より多くのお金を持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは何か、私に言わせればそれは『自由」であった。
 ー抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」「たいていの人は、お金を稼いだあと
それをどうするかについて、貧乏になるプラン、やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームをやるんだよ」
 ー抜粋ー4
「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れになることはある・・」
「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。・・・古い考えにこりかたまった老人だ。
 まだほんの50歳だというのに。問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、
 それに気がつかなかったことだ。」
 ー抜粋ー5
本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を与えることである。
「借金を返しなさい」「預金をしなさい」「請求書の払いをきちっとしなさい」「クレジットカードを切って捨てなさい」
「お金は借りてはいけません」
・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。
・中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。
・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて
 くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を 見つけるよう促すことで、
 より細かく区別する力を伸ばしてくれた。つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。
                     ー 続くー
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2002年04月16日(火)
 378,不況
昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、現在は
その半分の売り上げに激減。家内が言うに、今の社長は「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。
今の倒産の多くに見られるパターンだ。先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。全国に、このパターンの倒産予備軍で
満ちている。昨日の新聞に載っていた、ある雑誌のアンケートで、サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を
持っているという。大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。私の感じていた、
「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」と同じ数字だ。新潟県はあと一割増か。
自社は一応17パーセントに入ると思うが? 社員はそう思ってないかもしれない。
 どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。 ・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。        ・会社資産の売却。
今のところ当社は一つもないが。しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。


3307, 日本破綻 −2

2010年04月15日(木)

ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」
                         藤巻 健史 (著)
 著者は新自由主義論者で、円安論者。 グローバル化社会を推進すべきだとしている。
そして「大きい政府・規制社会・結果平等税制」の是正を主張している。 経済を拡大をしないと、
グローバルの世界を生き抜くことは不可能で、そのため円を実力どおりの円安に誘導すべきという。 
日本は輸出立国でしか成り立たないと論じている。格差が開いたとしても日本の貧困層は世界の中間層でしかない。
 ここで、アメリカの強さを何気なく書いている。
・アメリカの双子の赤字は大げさ= アメリカの税収2008年で約2.5兆ドル=220兆円。日本の44兆円の5倍ある。
 アメリカのGDPは日本の3倍に対して5倍である。一方、財政支出は、2008年で4500億ドルの赤字。ほぼ日本と同じ。
 2008年末の連邦債務残高は10兆ドル。これも日本と同じでしかない。日本は不景気が良くなって金利が5パー増えたら
 43兆円の支払い増で、今の税収が吹っ飛んでしまう。もうひとつのアメリカの赤字、経常赤字も大げさに騒ぎすぎ。
 ネット金額で見ると、資本を海外から取り入れているにかかわらず、配当金や金利は「支払う額」より「入ってくる額」
 の方が大きい。 借金をしていれば金利は「支払うはず」なのに、「受け取っている」のです。それは、アメリカ人に
 リスクをとる精神があるからである。海外投資で高い配当金や利息が国内に入ってくる一方、支払い金利の方が少ないからだ。
・日本のバブル時の1989年末と現在2010年1月と比べると、日経平均3万8915円から1万765円と4分の1近く。
 一方のNYダウは2753ドルから1万765ドル。4倍になっている。 その差は15倍になってしまった。
 NYダウが最高値の1万4千ドルをつけた時、日経は1万8千円として、そこから1万765円。
 アメリカが20パーセントダウンに対して、日本は40パーセントのダウンになっている。
 〜この背景には世界の主軸通貨がドル本位制がある。 ネズミ溝の親ハ、外貨準備金は必要でない。
  ただ紙切れを刷っていれば済む。紙代だけなら荒利は99パーセント以上の利益を得ることが出来るからだ。
  数年以内に、アメロなどの新ドルに切り替え、実質的なデフォルトをしてくるだろうが、日本破綻は大きな岐路にたつ。
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2009年04月15日(水)
 2932,筑紫哲也の残日録
文藝春秋の二月号の、筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。
2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。
癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。発見されるまでの潜在的なものを含めると、
全員が癌を持っており、全ての人が癌への道を歩いていることになる。
一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。
  =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる=
・《07年10月20日》 福田康夫様
  歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まっていくものです。それをあまり我慢するのもよくありません。
  秘訣は、本当に怒らないことです。口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。
  そんなものに自分がとらわれてたまるかと思えば腹は立たないでしょう。総理の仕事は、それより遥かに次元が違うでしょう。
・《07年12月8日》 執行猶予
  この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられたことになる。 
  それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということだ。私は何ほどのものか。何をしてきたか、何をしてこなかったのか。
  己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。それに加えて、もう一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて
  表現することは、通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、訓練次第、
  あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができるだろう。だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、
  自分に向かって自分を説明するのに、どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく部分、そこに自分の正体はぼんやりと、
   または黒々と潜んでいるのではないか。「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」どちらにしても、言語を用いる以上、
  他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。
・《08年1月 日付なし》 
   泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは どちらでもない一日 せめて怒ってみるか
・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉
  この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をしたことがあるんです。その時に言われたことは
 『自分が駄目だと思ったときが余命の始まりです』という言葉。はっきりとした余命を伝えることは『ダメか』と
  思わせることになるから、と家族で結論を出して、伝えることをしませんでした。
・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙とエンピツを用意させ、
 《THANKY YOU》
     ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。
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2568, ドル覇権の崩壊 ー3
2008年04月15日(火)
 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと疑問を呈する。私も以前から北朝鮮が国家として
 作っているといわれる偽ドルと、アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、
 その極めつけがプライムローンである。 まずは、その部分を書き写してみる。
 ーー
第二章 世界はこうしてドルに騙された
  非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
ーP100
「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの格言が真実として通用するだろう。
今日では、ゴールド(金貨〉は通貨としてもはや使われていない。表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備貨幣とする
経済体制も存在しなくなっている。しかし、それでも今のアメリカの強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と
強制通用のみせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような信用力を有するものと、思いこみ、
深く信用しているからだ。また、そのように信用させることが大事であるから、そのように、上手に「ドル紙幣の生産と
そのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという外見は今も不変である。実際には、ぺーバーマネーでしかない
今のドルは、非兌換紙幣、不換紙幣である。金にいつでも替えてもらきという保証のある紙幣でないものは、マネーとしての信用の
一番大切な価値を失っているのである。今の紙幣(お札)は、非兌換紙幣であるから、ゴールドなどの実物資産の裏付けがない。
この非見換紙幣を印刷し続けることは、極端に言えば国家によるヤネーの偽造である。・・・・・・・ 基軸通貨の発行者は、
必ず世界の金融のシステムの支配と管理を保証するだけの信用保持力(サステイナビリティ)の保有国でなくてはならない。
アメリカ政府の・現代の悪化鋳造、実質の価値を持たない粗悪なマネーの製造という、隠されたあっ刻が露見しつつあるのである。
アメリカの世界中からの信頼が傷つき、アメリカは詐欺の大国である、という悪評を受けるようになっているのである。
悪貨(資金の裏付けのない紙幣の大量印刷、大量発行)によってアメリカ国民は自分の収入以上の楽な暮らしをこれまで享受してきた。
しかしアメリカの偽計による繁栄による、アメリカ国民の甘やかしは、健全な国民性を破壊してしまった。
このやり方はゴールド(金)が本当に通貨であった時代に、諸外国を支配して政治的、軍事的に屈服させて、ゴールドを帝国が手に
入れていたやり方と全く同じ手法。 (中略) アメリカ国民の貯蓄は、いまも 0%である。 薯貯蓄するよりも、目先の贅沢の
ために消費し、さらには出来る限りの限界まで借金をして、それを投資に回して、その金融バクチで国民までもが豊かな生活を
しようとしている。 そのせいで、だから自己の返済能力を超えた、銀行からの過剰な融資という悪性の借金や、とめどない浪費、
贅沢がアメリカでは奨励されている。例えば不産産王のドナルド・トランプが司会者を務める、「あなたもこのようにして
儲けましょう。その具体例の指南をしましょう」という、儲け目的の、露骨で下品なテレビ番組が今もまだ人気を博している。
そのうちに、すでにもうアメリカの住宅バブルは、激しく破裂して全ての金融財産を失うときが刻々と近づいている。
 ーー
 今回のドル安、株安は地震の前揺れで、本震はこれから。その一番の被害者は日本の中産階級になる。
アメリカの国債を五百兆も持たされているというから、いくら隷属国家とはいえ、絶望的な事態である。
そして、政治が、この有様ときているから・・・
・・・・・・・・・・
2007年04月15日(日)
2203, 自殺について ー2
                (~Q~;)  おはよう??
経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。日本人のような生真面目な性格も世界で
1~2位の自殺率に要因なっている。それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
フィンランドやデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)が
人の心を暗くして自殺が多いという話を聞く。そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
ー自殺率の世界分布地図を見るとー
 ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
 ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなどユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
 ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
 *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、現在は断然世界一となっている。また、米国、英国、
 カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。
ー日本の自殺率の高さと推移についてー
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、
  責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて、これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や1960年所得倍増計画に代表される
  経済成長目標の国民的普及により自殺率は、15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増(前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて
  失業者が急増し、自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、
  一気に3万1千人台へと急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。 そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。
  ーー
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。激変の中、生きていくことは大変である。
「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人
(以下字数の関係でカット2008年04月15日)
・・・・・・・・
2006年04月15日(土)
1838, あちら側の世界 ー9      才八∋ウ_〆(∀`●)
グーグルについて書いてきたが、先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。
簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。先ずは、その記事のコピーである。           
 ーー
産経新聞 2006年4月13日[木]                ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも!
 =サービス基盤、OSからウェブに 
 IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 =
インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と
呼べるウィンドウズで台頭したマイクロソフト(MS)だが、同様の機能をインターネット上で利用できるようになったことから、
米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で無料ソフトを
開発するグーグルのビジネスモデルは、正反対。ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。
 (字数制限の関係でカット09年4月15日)
・・・・・・・
2005年04月15日(金)
 1473, 指桑罵槐(しそうばかい)
ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、教えてくれた言葉である。問題になっている中国のデモは明らかに
中国政府の政治的な意図が読み取れる。日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。
中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題でない。
15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく「文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千?3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。すでに17回も陳謝させているのに。
  以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
 (以下、字数制限のためカット2010年4月15日)
・・・・・・・・・
2004年04月15日(木)
 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。西武の森元監督が講演会で、彼のことを
「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」
と誰もが思ったはずである。逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。歴代の首相が就任をすると、
3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。一つの時代が終わった事件である。堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく
西武グループをここまで率いた力は大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。もっとも、辞めるのは本社の会長だけで
他は留まるというから、カタチだけなのだろう。
・・・・・・・・・・
2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 ?2
 ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。
 今の日本はデフレである。しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。それが修正過程に入っている
だけである。戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で世界的な物価への平準化プロセスに入っている。
家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践を
しているためだ。世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。
 先日の日経流通新聞に箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に
期間限定で、この値段に下げたら、お客が殺到した。それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。その代わり徹底した合理化を図った。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。こういうのを「高級を高度に切り替える」
という銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店が好調だと先日このコナーでかいた。昨日いった京都は深夜にバスに乗って、
宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。凄い時代である。
  http://www.ichinoyu.co.jp/
(字数の関係でカット2008年04月15日)
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2002年04月15日(月)
 377,「知ったかぶりをするな」
「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。誰かに聞かせたい言葉でもある。
ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。
わからないことは正直にいえ」それから公園で英会話の特訓が始まった。そして数ヶ月もしないうち、英語が
だんだん話せるようになった。そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。  
 以上である。 この話の中に多くの教訓がある。        
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。  ・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。               ・真剣なぶつかり合いになった。
実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 
それもぎりぎりの。いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を
始めるのだから。しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。 真っ白から始められるからだ。


3306, 日本破綻 −1

2010年04月14日(水)

ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」
                         藤巻 健史 (著)
 またまた恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安と分かりやすい。
現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙というのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。
津波がきたところで、今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 最悪の政党がやっと瓦解し、
溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れの社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。
それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は早まること必定。
  まずはー 内容(amazn)から
バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた
代償として「トリプル安」による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか?
 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに背筋が凍りつく思いである。
  〜〜
*「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、それは違います。日本でも株価が4000円を割り、
 円は200円まで暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、それは『市場』の自動調整機能を
 封印し、「計画経済」「管理経済」政策を長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。
*2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで落ち込んでしまった。
 この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。
 その結果、33兆円の赤字を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。
 ところが、2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。それは民主党がいっていた
 マニフェスト「子供手当て」とホボ同額。法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」として、
 すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行して、更に金を借りようとしているから驚きである。
*ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル安が起こった結果としてハイパーインフレに
 なった結果としては、貨幣の価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん小さくなる。
 国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策
 と呼ぶ理由はここにあります。 ・・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。
 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、給料の低い経済弱者が酷いめにあう。
  〜〜
 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 問題は、これが何時、始るかである。
 ・・・・・・・・
2931,わが人生最良の瞬間
 2009年04月14日(火)
ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が寄稿していた。
歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、その人をつくりあげたことを、それぞれが心を込めて書いている。
なるほど、このテーマで自分の思いを語ることは、自分自身を語ることでもある。
それぞれの人が、自分の思い入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」である。
【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。 
 何処をもって最高だったか?・・・と考えた瞬間にハッと閃きました。そうだ〈いまが最高なんだ〉と。
 ラテン語に「カルペ・デイム」という言葉があります。「いまを楽しめ」という意味。BC1世紀のローマの風刺詩人の
 ホラティウスの言葉です。   仏教では ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」です。
 もし、いまが苦しみの内にあるなら、わたしはその苦しみを味わって生きればよいのです。病気なら、その病人を
 しっかり生きればよいのです。病気でないわたし、苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。
 あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に求めても存在してないのです。
 それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」になるのです。何か遺言みたいになってしまったが。】 
  以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼のこの言葉は当然のことだろう。
 わたしの「わが人生最良の瞬間」を、考えてみたことが何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。
 しかし「わが人生最良の瞬間」という経験を数多くしてきた。多くの感動の積み重ねが自分の中に沈殿し、それが磁力になって
 感動を求めて(引き寄せて)いったのだろう。 その度に感受性が強くなってしまったのだろう。 
 秘境で大自然の神秘的な光景との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して時空を超えて多くの人と出会い、
 それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画などに出会うなどの集積が、多くの最良の瞬間を
 引き寄せてくれたのである。小さな自己満足でしかないが。「 いま、ここ、自分 」を大事にしろ!ということだ。
  そして、その場をつくる積極的な準備もである。
 「 ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ 」も、人生最良の瞬間になりえる。
・・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
 *桜咲く
*今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。
 毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。
 一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。そして今日あたりから一日一日と散っていく。
 通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
*最近の身近な景気状況
 取引先の都銀の担当の話だと、去年の秋口から小さな倒産が続いていて、 ここにきて更に景気の悪化が著しいという。
 税理士や知人の情報からも似たような話を聞く。三月期末の結果の数字は1?2ヶ月後に出るので緊迫感がないが、
 厳しい事態が予測できる。特に建設と運輸関係の倒産が中心になるだろう。飲食・サービス関係もかなり切迫している。
 ところで当方はどうかというと団体が七ヶ月にかけて入っているが、これを除くと,やはり二つの地元の地震による影響がある。 
 そう甘いものではないが、駅前再開発がここにきて急ピッチになっている。 ここだけは別のようだ。
*その後のipod
 日にちが経つほどipodの良さを実感している。本体が小さいのと、操作が簡単なのが良い。
 通勤の車内では行き帰り、ほぼ聞いている。それと就寝時は20分は聞く。それと昼休みの食事時も聞いている。
 TPOSに合わせて選曲を気楽に出来るのがよい。
*最後の叔父が亡くなる
 両親とも7人兄弟(姉妹)で連れ添いを含めると26人になるが、その最後の一人が一昨夜亡くなった。
 89歳だったが、老衰だという。従兄弟の平均年齢が70歳になるのだから、その時期なのだろう。 
 昨夜が通夜で、今日は本葬である。 何か寂しい気がするが、叔父叔母全てが明治・大正生まれ。
 その時節ということ。 後ろに感じていた死が、前に見えてきだしたきた?
 父方の従兄弟(従姉妹)達は、既に三分の一以上亡くなっている。平均年齢が70歳というから、
 叔父叔母全てが亡くなっても不思議ではない。ご冥福を! これから葬式に十日町に出発。
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2007年04月14日(土)
2202, 自殺について ?1
      ?? <(_ _)> ??        おはようございます!   
自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺である。考えてみれば、自殺ほど考えさせられる
ことはない。「死」が哲学(考えること)の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。
歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、自殺に対して否定的になってきている。
状況がそう言わせていることもある。若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。
しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。
それは未来という時間があったからである。この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど
苦しかったのだろう。先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。数年前に韓国が一番になったようだが、
同じ位の数字である。検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、1990年代後半から異常に自殺率が跳ね上がり、
7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。
不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。
 ーー
日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。
主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、に対し日本25.3人(平成16年)。
日本の自殺率を押し上げている最大の要因は「成人男性」の自殺だ。平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。
このうち、25歳〜44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。100人の死者のうち、なんど24人は自殺!
この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。家のローン、子供の教育費、親の介護の資金と、
金はいくらあっても足りない。生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。この年代を含む30代?50代男性の自殺の動機は、
1位が経済・生活問題である。女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の切れ目とは、何とも哀しい。
  主な自殺のサインは、
・うつ病にかかっている、           ・周りの人とかかわりをもてない、
・ゆうううつな状況を不安な口調で訴える、   ・アルコールや薬物に依存している、
・長期にわたる不眠を訴えている、       ・人との接触がほとんどない、などがあげられる。
ー自殺予防としては、
 一人で悩まずに、妻、家族、親、友人に相談すること。それができないときは、「命の電話」「自殺防止センター」などに
 電話で相談するのがよい。相談することで、心が少しは軽くなる。
ー日本における自殺の手段は、
・圧倒的に首吊り  20,669件(64.4%)、  ・次がガスか排気ガス 3,538件(11%)、
・飛び降り     2,774件(8.6%)と続く。 ・拳銃とライフル銃による自殺は、それぞれ13件、19件と少ない。
                    ーつづくー
   以前書いた内容をコピーしておきます。
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2006/10/25
 2031, 「私」のための現代思想  ー15   (+>∀<+)ノ おぁはは?ようさん!
   字数の関係でカットー2008年04月14日
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2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える?2
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記
読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。彼らは自分達のありのままの姿を直視し、
それを改善しようとする気概があった。この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
 ーリーダーの本質についてー
イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、
実行力、判断力、ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。「経営者の決断力」などが課題になること自体が
問題であると看破。決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて
当然のこと。 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。古くからローマの歴史を演繹することによって、
有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
現代においてもローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にもなる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。
巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。  
                        (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙アチチ!
 ーところでシーザーの『賽は投げられた』の詳細は、どういうことだったのか?ー
  (以下は、字数制限のためカット2010年4月14日)
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2005年04月14日(木) 
 1472, カリスマについて
先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして
現代風にアレンジしたファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。
宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。といって、30人以上の少女を毒牙にかけていながら問題に
ならないのもおかしい。カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
この手合いは、現在でも世界中に満ち溢れている。 ニーズがあるからである。救いとしてのセックスもカリスマなら
ストレートで効用があるのかもしれないが。(もちろん皮肉である)前に読書日記でカルトの教祖様について
書いたことがあった。コリン・ウイルソンの「カリスマへの階段」という本で、初めから終わりまで息を詰めて読んだ。
教祖様の描いた天国の世界に、教徒は洗脳され、そして・・・の世界である。
共同体は、カタチは変われど似た側面があるが。言葉を使った教祖様空想世界の夢商品の販売である。
(字数の関係でカット09年04月14日)
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「カリスマへの階段」 コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03)
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2004年04月14日(水)
 1107, 大逆転ー2
昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、昨夜は7対1で負けていた
巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。たまたま逆転の場面からTVを見たので、一番面白いところを見ることができた。
そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。その時は寝てしまっていたが。
あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。昨夜の対戦相手が中日であるが、
今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、
出てくるだろう。過去に蓄積されたものがどの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。
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2003年04月14日(月)
 740, 深夜特急
沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎバスから
とった小説の題名である。 TVドラマにもなった。昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、
翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが先週に桜のピークは過ぎていた。しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。
・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。
 ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。
 最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、パックシステムに参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて帰りのバスに乗るいう方法もある。 
43人の参加で添乗員がついていた。新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。
深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。
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2002年04月14日(日)  
 376,新潟駅前界隈
新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。本当に商売の難しさを思い知らされる。
意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。しかし多くの潰れていく店も多い。数年たつといつの間にやめている。
その共通点は私生活の乱れが多い。それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。お客は一度離れたら二度と戻ってこない。いろいろな事情と思惑で、
商売を始めている。しかし原理原則が商売にきっちりある。その原則がわかってない人が多い。
大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ない。他人事ではないが。 特に飲食店がよくない。原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。  ・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。    ・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。その為、
                          家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
 商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
 客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ。お客は食べ物には敏感である。
 おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。
「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。


3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2

2010年04月13日(火)

 ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。しかし前回のレポートからみて、、
投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、
国家が金を吸い上げようと思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、
金売りが殺到し、暴落する。 その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻せばよい。 一般の国民は、
一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど不可能である。 アメリカの金融占領国の日本は、
そのコントロールから抜け出すことは出来ないのが現実。 近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。
 金は世界共通通貨である。 ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、ドル体制を守るために金の価格を
コントロール下におくのは当然である。 金が真実で、ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、
金の価格を可能な限り下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに買い集めたゴールドを、
今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきたのである。 ドルの下げはアメリカの対外債務が大きく減額される。 
あと1〜2年か、遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。 と同時にデノミなどを
世界中の国々が一斉に実施するだろう。 その前に金融シンジケートは何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、
売りだされた金などの現物商品を買いに入る。 だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、金は買い。
「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」
という、眉唾的な本を度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを得なくなる。
 G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在しているはずである。今更何をいっているかだが!

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2930,新潟清酒達人検定
 2009年04月13日(月)
一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、銀と銅のランクの、銀に合格したという。
・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。
・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。
・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は1〜22度まであるとかいう軽い内容が中心?
・受験生は若い女性から、あらゆる世代の人にわたっていたという。
それから、酒のメーカーの批評から話題が次々と出て和気藹々になってしまった。新潟の酒蔵は104あったが、
現在では97に減ってしまったという。酒は米の質と、水と、米を何処まで削り落とすかで清酒の質が決まってくる。
「上善酒、水の如し」というが、水の質も大きな味の要素になる。酒は朝日山と、寒梅が良いとか、南魚沼の「緑川」
が美味しいとかの議論が伯仲した。そこからNHKの「天地人」に話題が移行、長岡近郊の与板城主が井伊直弼の4男だったとか、
まあ面白い話題をそれぞれの人が持っているものである。法事も普段に会えない、叔父叔母の連れ添いの親戚などの
色いろの人生を知るチャンスでもある。一人の人生の中には、生きてきた経験と知識が詰まっている。当然のことだが・・
清酒達人検定試験、来年でも受けてみようか?
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2566, ターニングポイント
 2008年04月13日(日)
・世界のターニングポイントは
 ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、
 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まる
 ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 
 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。
 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。
 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
  ー以上のことから
 「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95・阪神淡路大震災・オウム教事件の発生した10年間、 
 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。
これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅するなど、
考えられない事件であった。日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。
20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。
デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。
それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。
幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県の
エネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。
これは、どの事業も同じことだが。もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。
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2007年04月13日(金)
2201, 新幹線乗り越し、6回目
                  (~Q~;) おはよう?? ファ?
一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、
その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉った。
またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。そして、無事Uターンした帰ってきた。
4年弱ぶりということになる。HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。
なるほど文章化をしておくのも面白い。 乗り越した「浦佐」の駅員に、「長岡では乗り過ごさないように」
と注意されたり、横にいたホロヨイ気分の人に「頑張ってね!」と励まされたり、シッカリ酔っ払いをしてきた。
いや酔っ払いずれをしているということだ。5年前の湯沢で乗り過ごした時に、やはり乗り過ごした人がいたので、
割り勘で同部屋に泊まったことがある(全く知らない人だった)、その半年後、会社のパソコンに光ファイバーを入れた。
その時のNTTの営業担当が何とその人。 互いにビックリした事があった。
 以下は以前の書いたものだ。
 ーーー
2003/08/22  
 5回目の乗り過ごし
昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、十四年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。
気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
ーーーーー
2002/02/10
 新幹線の乗り越しー4回!
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。10?15年前で
一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いでビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
・・・・・・
2006年04月13日(木)
 1836, ローマから日本が見えるー1   b(’0’)d おっ (゚Д゚)w  ハァよー
                 ー 読書日記
この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国成立までを、
自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。
 =まずは、この本の概要をまとめてみる。
ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー
著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、ということは、
自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、
有史以後最大の帝国にまで成長を遂げ、千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。
そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。
古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。
あなたがここに入るまでのすべての日々を。」 と、書かれていたという。
「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。
だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」
「ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。
また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。              
 ーローマ人の改革についてー                  
「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」         ーε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~
ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。
一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。
そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。
どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。
結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。したがって改革をやろうとすれば、
結局は力で突破するしかないということになる。カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた
元老院を潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。それは従来ローマ市民にしか与えられなかった
元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。
カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。
                        …(´Д`驚)…!!              
改革にはタイミングがポイントとなる。ローマは紀元前390年に北方ケルト族の襲撃であっけなく占領された。
このどん底から這い上がることで真のローマになった。敗因が自分たち自身にあったことを反省し、ローマ独特の共和制を
樹立し政治改革を完成させた。ローマは、その苦境を乗り越えるために、ローマは、自らを改革して行った。
それこそが、ローマが王政から共和制へ、そして帝国へと変わっていった過程なのだという。
「ローマは試行錯誤によって作られた」のである。もちろん改革の時期には改革を阻止しようとする勢力が優勢になり、
後戻りも頻繁にある。しかし、その後戻りも結果的には改革への推進力に切り替えるかたちでローマは自らを成長させて
きたことが、本書でも簡潔に示されている。著者はローマが新生ローマになるには20年の年月がかかった。
それだけかかっても改革への取り組みを諦めなかったからこそローマはローマになったと指摘している。
ローマも改革も1日にして成らずである。改革には時間と手間がかかる。既得権益を持つ人達は手放したがらない。
多くの人は改革の手間を惜しみ、まだ大丈夫と思っている内に国家は衰退していく、と指摘。
当時のローマに今日の日本の姿を投射しながら改革の「必要性」とタイミングの「重要性」を説いている。
急激な経済の拡大成長に従来の国内システムが対応できない日本。
その間に業者や特定利益団体が自民党族議員・一部官僚と結託して、利権体質を作りあげた。
現在の日本はその体質改善が求められる。 
                 ーつづく   ヾ(^ω^*) バイバイ!
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2005年04月13日(水)
 1471, 『冥途のお客』を読む
  佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。
月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。読んでいて背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。
文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。
最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな現象に出くわした。
そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、
私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、
内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。違う感覚器官が、身についたという感覚である。
そのことを、佐藤愛子も書いている。耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。
それと同じことである。私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。どこどこで、全く知らない霊と
出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、
[あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)
に泊まった時の話である。夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ
人の鳴き声に聞こえる。それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない
と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、
人が死んでいた」という報告が入った。あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?理屈から考えれば
有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。
佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。
理屈に全く合わないのだから。ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。けっこう上手くまとめてある。
 ーーー
著者自らの霊体験を告白
(以下、字数の関係上カット2008年04月13日)
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2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味
昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバック
のように相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか
一方的の試合になってしまった。そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが
負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。映画の「ロッキー」を見ているようであった。
ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。
9回2アウトからの大逆転のようなものである。最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に
負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた
選手の、劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。
白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。
それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。
ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。
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2003年04月13日(日)
 739, 睡眠時無呼吸症候群
一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,息するのを忘れていたことに気がついた。
「エッ!」というのが、その時の印象だった。「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。ところが最近になって無呼吸症候群が問題に
なって、初めてなるほどと感じた。それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も
無呼吸症候群だった!そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。
その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー
一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
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2002年04月13日(土)
 375, 「テーマ日記」を書き始めて一年
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。
何処までやれるか自身との闘いで始めた。あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1?2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない
自分が顕わになった。本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に今更驚かされる。
それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。


3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1

2010年04月12日(月)

 
 あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。
 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、
 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」
 というと、話しは違ってくる。 
 そのレポートの内容とは
・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が上がりそうになる度、
 大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、
 金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、
 レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 真偽は如何だろう?
・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社の中の主要9社が
 午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めているいうもの。
 米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が
 保有している総量より多いことである。 これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという 
 その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。
金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で
騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんなものかもしれない。 
相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、
 「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、3千円、
 2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。 世界経済は、数人の男たちによって
 動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、アメリカの政府の首脳とは別の!

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2929,閑話小題
2009年04月12日(日)
 * 昨日は法事
去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。
その叔父と連れ合い、そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。
「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。これから法事は少なくなる傾向のようだ。
「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、ごく内々で済ますようになった。
坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。
 * 国債>税収 
09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で
初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。
世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、
その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、綻びが現れてきている。
 * 宮城県が2011年にも財政破綻
これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状にあるという。
一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。
マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。
 * 桜が満開に
新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、
それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。
地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・
・・・・・・・
2565, ドル覇権の崩壊 ー2
2008年04月12日(土)
                     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本で面白いと思ったところといえば、
・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、
・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。
・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。
 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。
 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。
 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、
「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産をまとめてバスケットの中に入れて、
それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。 コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする
戦略的な物質の全てである。現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が
無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。
 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に
もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。
そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。
 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く
新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ
見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、
実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」
ー以上だが、
 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。
 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、
 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。
 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。
 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。その一番の被害は資源のない日本であるのは
 誰の目にも明らかである。 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる!
 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。 上層とかいうのも、激減していくだけ。 
 大変なのは団塊世代の後の人たちである。 プアーといっても、1950年?60年代の生活レベルに近づくだけ。
  社会資源は残っているから、それよりましか?     .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ
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2007年04月12日(木)
2200, 反時代的毒虫 ?1
         才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記   
 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。
*カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。
ところが、その使者は何時になってもこない。使者はその男が死んだあと、到着するのである。
私は自分をその使者を待つ男と同じでいいと思うていた。ところが47歳の時、新潮社から『シオ壷の匙』という本を
上板していただくと、突然、私は白洲正子さま、吉本隆明氏、江藤淳氏の絶賛を浴びて、世に認められた。
皇帝の使者がきたのである。驚いた。「駄目な男」であることになれきっていた私には、青天の霹靂である。
あれから12年経ったいまでもまだ「変な気分」である。
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(字数制限のためカット 2010年4月12日)
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2006年04月12日(水)
 1835, 善意について
      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。
善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。
環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党の族議員、ゼネコン、
官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。
日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。
「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、「連帯保証に、善意で判を押してしまった」
という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに
割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。
善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。
(ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)   
ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。
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2004/02/06
 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2
以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識。
この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。
真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。
その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が
含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。(実際は5パーが、
95パーの悪さをするのだろうが)面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、
不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。
ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。
しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。
悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。
人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。 まあ他人事でない。
違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。生きるということは、こういうことなのだろう。 
純粋性の恐ろしさがある。不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は情報の売り買いである。
長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。
少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。そして無くてはならないビジネスである。
不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。 野球のバッターに例えると
・バント専門                 ・ヒットバッター
・ホームランバッター
・代打専門と、それぞれの特性がある。     ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う
・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割?半額をもらうことを
 裏契約をして共同作戦をする人、等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界に
 サラシテ生きてきたからよく解るのだ。トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしている
 ハイエナ的な仕事である。 饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
                    ー つづく   ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
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2005年04月12日(火)
 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2
このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、
それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。知識・教養とはそれでもよいが、
やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。
反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、自分のノートや備忘録に落とし込むのとは
おのずから違ってくる。まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。
自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、一度濾過をしなくてはならない。
それが自分をコントロールをしてくれる。1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。
しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、第三者の人とも共用が可能になる。
この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。いま一つ良かったことは何か感じたリ驚いたりした時に、
それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣が
ついてしまったことだ。また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。これも結果として大きな収穫であった。
更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。
インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。
                    つづく
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2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2
・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象の
 お陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。
・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」
 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。
 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。
 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。
・言葉の原則がある。
 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。
  注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。
 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。
 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。
 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。
・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。
 ー「明元素言葉」は
「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、 
 積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。
 ー「暗病反言葉」は
「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」
 これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。
                          ーつづく
 ・・・・・・
2003年04月12日(土)
 738, NTTの現状から時代の変化をみる
先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。 
NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。一般回線からの収入は数年後には、減っているなか更に激減するという。
今後の収入源が光ファイバーと、ADSLの収入しかなくなるという。それも他業種の参入で競争が厳しいという。
固定費が本来高いので競争に不利である。今の時代の象徴そのものだ。あの電信柱と電話回線という数兆の資産が、
たんなるゴミになってしまうのだ。他人事ではない!観光白書によると一昨年だけで、ビジネス客が一年間で6割も減っている。
昨年は更に減少傾向にあったから、三分の一になっている。ある日突然、ある価値が全くの無価値になるのが、今の時代である。
東京の中央部の中型・小型の貸しビルが、最近目立ち始めた超高層ビルに取って代っているという。
NHKスペシャルでやっていたが、出揃う4年後の2007年に大問題になるという。立地がよいという理由だけでは
存在価値が無くなるのだ。この情報化革命という奴は、想像をはるかに超えて世界を根底から変えている!
・・・・・・・
2002年04月12日(金)
 374, 主観と客観(喜劇と悲劇)
以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」
後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。前者はその滑った本人の目で書いている、
これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。
「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。それだけ自立していないのと多神教のせいもある。
逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?あまり他人を笑わないほうがいい!そ
の他人に対する同化になってる状態だ。考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。


3303, 人みな骨になるならば ー10

2010年04月11日(日)

* 死の不安の克服は可能か
ー まずは、その部分の抜粋
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれはそれと正面切って
対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで紛らせようとするが、
人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、
そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは
中高年期以後に精神障害に陥るように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり
対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが
はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。少なくとも、
病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、
最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、
猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、
死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのもの
ばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が
空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、E.バーンは
「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かの
いずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、それほど恐れる
べきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたか
どうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは
多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんでいると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、
そこで安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
 〜〜
 あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、
70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての気を紛らわせる
手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、
そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから
宗教が最後のよりどころということか。 最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、
一日一日を精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、
楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。気を紛らわせるために。
・・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか?
 ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・
 ー設計事務所ー
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウスー
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。
・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
 2008年04月11日(金)
以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。
猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等を考えた。
しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を
感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
まずは、その一節を書き写してみよう。
〜〜
ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。
その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。
ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと
台地の向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。
  〜〜
この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきた
ときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、
アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、
谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
それから緒事物がはっきりとした形をとって光のなかに現れ、光は緊密な輝きとなって峡谷を満たした。
谷の上方に見える地平線はまばゆいばかりに白んだ。次第に輝きをましてくる光は諸物の構造にまで透過するようにみえ、
諸々の事物は、まるで色ガラスの破片のように、ついには透明に輝きだすほどにまで、内側から輝いてくるようになった。
すべてのものは閃耀する水晶に変容してしまう。 ベル・バードの鳴き声が地平線のあたりに響き渡った。
このような瞬間には、私はまるで寺院の内部にいるような気がした。それは一日のうちの、もっとも聖なる時間であった。
私は歓喜して飽くことなくこの光輝を眺めており、むしろ時を超越した恍惚にひたっていた。 (中略) そのとき私は、
人間の魂には始源のときから光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、
理解した。(中略) 光の来る瞬間(瞬間に傍点あり)が神である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。
それは瞬間の原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は忘れられてしまう。
「今や、悪霊の徘徊する夜が終わったと、われわれは喜ぶのだ」と土人たちが言うとき、これはすでに合理化を意味している。 
実際には、大地を覆う自然の夜とは、全く異質の暗黒が圧倒している。それは心的な根源的夜であって、数え切れないほどの
幾百万年もの昔から、今日と変わることはない光への憧憬、意識に対する憧憬なのである」『ユング自伝2−思い出・夢・思想』
    解)これに劣らない?場面を アフリカで何度も見てきた、次回、それを書いてみる。
      ユングとはいえ、よくぞ言葉にして描きだしてくれた。
〜〜〜〜〜〜〜
2007年04月11日(水)
2199, 歌舞伎町シノギの人々    オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ
                            ー読書日記ー
新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い!
新潟駅前で宿泊業の仕事をしているから、尚のこと興味を引かれるのだろう。遊びの達人?から「歌舞伎町は悦楽桃源郷の魔界」
と聞いたことがある。なるほど、この本に出てくる人たちは異様な住人である。彼らの正体を知ってか知らないのか、普通の人と
同じ目線で扱っている。そこは刑務所と娑婆の塀の上の世界であり、舟板一枚下は地獄の人たちである。
ー背表紙の紹介文からー
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2006年04月11日(火)
1834, 壁際の名言−2   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
              −読書日記ー
唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。
老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで
現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。
 ーあとがきーの文章がよい!
老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとしているが、
京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、
一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。
・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」
と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」
「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」
逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、
ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である)
そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、
ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、
と強要し、こちらはホトホト困窮した。一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、
此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、
プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。

以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい一部分は
理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をしているから、
その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。
 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 
顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。
  ーーー
 ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの言葉を選んだ。 
「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」  (尾崎紅葉)              
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」         (ジョジョの奇妙な冒険)
「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」(マツモトキヨシ)         
「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。それから女に貢がせろ。それも出来なかったら・・ 泥棒しろ」(立川談志)
「談志師匠は、人格最低、芸最高」           ( 弟子たちによる談志の評価)
「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。死ぬことは厄介である」( 聖バーナード)           
『楽観論者は失望しか味わえないが、悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』(唐沢俊一)
「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」   (マーク・トウェイン)
「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、なんでワシになってんねん」(清原和博)
『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一)
「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン)
「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」   (堀口大學)                                 
『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一)
         ー唐沢俊一 「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館                      
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2005年04月11日(月)
 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かにそういえる部分がある。
特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を
言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。
常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、
努力と技術で可能になる。いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。
荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、
重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。
海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。
慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2004年04月11日(日)
 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1
以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」
の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、
「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。
「ありがとう」という言葉には、考えれば考えるほど深い意味が含まれている。
過去に出会った周辺の「人生や仕事の上手くいっていない人」は、100?が「感謝の念の少ない人」である。
私自身も上手くいってない時期の原因を考えると「感謝が足りない」ことによる。
 (字数の関係でカット2008年04・11日)
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2003年04月11日(金)
 737, 若い人の価値が下がってしまった
 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。
フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを
いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。
  いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、勝ち組と
負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。
「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。
十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると
血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった!
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2002年04月11日(木)
 373, 何故マイナス思考になるのか
ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。
そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺!
ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。
現実に溺れて(下と横だけを見て)???  子狐がいるせいもあるが。この子狐不景気になってきたら急に元気になった。
周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?
いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは
事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、
どんどんマイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。
主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。
「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、この年になると実感する。
といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。
人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。
目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。不幸の話をしている人の声が弾んであるという。
幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。
いやその前に自分が幸せと芯からえなくてはならない。まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。
それがプラス思考の第一歩。以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。
「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を
身に付けてない典型の例だ。

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