堀井On-Line



3302, ブログ向けビデオカメラ

2010年04月10日(土)


新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。
発売当初から両方とも興味があったので早速、近くの家電量販店に行ってみた。
たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、なるほど実物は思ったよりズット良かった。
衝動買いは必ず後悔することを経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。 
ネットで調べて迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。 ヨドバシカメラの値段より、25パーセントはやすい。
16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千である。ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。
一方のソニーのものと最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。 シンプルだが、非常に使いかってがよい。 
5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。
どうも、ビデオ・カメラは、自分の相性は良くない。 この20年近くで三機種を買って海外旅行に持っていったが、
家で改めて見ることは、殆んどなかった。 しかし、SDカードの記憶媒体で、去年の暮れに買ったブルーレイにはSDカードを
直接セットが可能である。 これなら、デジカメのように使える。 ビデオに使わないとしても、デジカメとしても、充分に使える。
私のデジカメは、新たに買ったものを家内に取りあげられて、5年前のもの。小さいので、使いかってが良いので、鞄に入れて
常に持ち歩いている。更にウォーキングもポケットに入れておく。 しかし、5年でデジカメも、ビデオカメラも様変わりを
していた。 軽くて、使いかってよく、安くなっている。 デジカメの5年は、その機能と価格は様変わりするのは
当然であるが。私にとって iPod以来のヒットである。 ところで、私がメカ音痴のためか、iPhoneは、いまいち使いこなせないでいる。
外で使う必要がないからである。 それぞれのビジネス条件とかで、適応が違ってくる。もし、外回りが多ければ、iPhoneは
手放すことが出来ない重宝な道具のはずだ。 以前、東京や仙台に行った時の経験から言っている。
 それと、画面が小さいので少しみていると眼が疲れる。 それぞれの相性がある。 で、ビデオの相性は良い。
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2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6
 2009年04月10日(金)
 *「三位一体モデル」を使った演習  ー ①
「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。
実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に
書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである幻想としての
 「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 
国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。
人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。
我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。
現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、
ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・                                  つづ
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2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)
『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著
                      ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。
 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。新米記者ボブ・ウッドワードに
地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
 ー
著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。
ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。
ボブに情報をもたらした匿名の政府高官は「ディープ・スロート」と呼ばれ正体が明かされなかった。
 ーー
 はてな検索によると、
(字数制限のためカット 2010年4月10日)
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2007年04月10日(火)
 2198, リーダーシップの旅    才八∋ウ_〆(∀`●) 
                   ー読書日記ー
「リーダーシップの旅」 
              ー 見えないものを見る (新書) 野田 智義 (著),
野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは
「見えないものを見る」である。二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。
*リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、
  自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで
  初めてリーダーになる。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。
創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。
ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。 だいたい家内の大反対から始まり、
それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。この難関が一番大変である。 
周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。
 :面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと
言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、
一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。
見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が
  フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、
  リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21〜22ページ)
 ーー
社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。はじめからフォロワーがいるわけではなく、
「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、
だれかから教わるものでもない。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。
リーダーシップはだれの前にも広がっている。「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを
再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。何かを見たいという気持ちがあれば、
可能性は無限に膨らむ。自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
 ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。
三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、
  自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、
自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より
自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。
  そう私は、強く、とても強く信じている。中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくるというわけでもないだろう。
むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた自分との連続線上に、夢が浮かび上がって
  くるものだと考えられる。                      (161?162ページ) 
(2008/04/09字数の関係でカット)
                 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
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2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい?6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)          ー読書日記ー
この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。
言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。
最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。先人の深い言葉は、
数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。
 ー癒しの言葉ー
言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。あなたの手首を包んであげたい。
ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。
言葉でもって癒してあげたい。

丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。
                         ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
 1468, 通販の時代の到来
先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2〜3の会場に行って決定するという。
日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。
私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。
生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。ところが、その情報がインターネットで瞬時で
世界中に飛び交う時代になったのだ。これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。リクルートなどが出している情報誌を見て、
予約をしてくるという。新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。パソコンに事務所機能が入っているので
セクションがないほうが合理的になる。日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらに
TV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで
出てくるだろう。一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、
一強多弱しかないのだから。
ーーーーー
2004年04月10日(土)
 1103, マスコミは戦争地域には・・
今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリスト。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が
無いともいえるのだ。当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。
以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで行くのが仕事。
新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにもリスクと金がかかりすぎる。
フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、
その危険がたまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。マスコミは奇麗事をいっているが、
実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で
行方不明になったことがあった。今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。
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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から
 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。  ・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」          ・また「図解は一日にしてならず」もよい。
 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 
そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。
次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。
レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。しかし、なかなか図解するのは身に付かない
ものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。
ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
 (字数制限のためカット 2010年4月10日
「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房
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2002/04/10  
 不安解消法
学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、  
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。     2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。      4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。
 という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうにロンドンへの機内で話していた。
 「ロンドンで降りようか」と。 実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」が襲ってきたが、
実際はその数百分の一でしかなかった。その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。そして具体的に一つずつ解決していくしかない。
「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」という言葉が聞こえそうだが。
「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。


3301, 日本経済は死ぬのか

2010年04月09日(金)

 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、
それでも何か目新しいことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人にはダイジェストとして丁度良い。
 その中で、野口悠紀雄が、
「もはや日本経済は死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を「米国の金融危機」と
考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。
戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗ったものです。米国の住宅価格のバブルによって、
結果として日本の輸出が伸びたという現象が起こっていたのです。 当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、
日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けてしまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。
数字で言えばピーク時の07年度に対し輸出で20パーセント、GDPで10パーセント減になる。
09年の2月の輸出額は3兆5300億、これは1984年度3月と、殆んど同じ。 この事態に、政府はエコポイントで家電や自動車などの
購入を支援している。これは、今の製造業が、政府の支援にしがみついて生きている状態である。
これも、期間が終了をした時には反動として跳ね返ってくる。それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセント
というが、これが打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える可能性が高くなる」等々、刺激的内容である。
 彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェストとした述べているといってよい。
欧米の失業率が10パーセントに対して、これだけ悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。
それが、一挙に二倍、三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。 他人事では決してない。
まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。これが、既に欧州並みの20パーセントで、
これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。
ただし、国民を納得する上にも国会議員、そして地方議員も定数を半数か、三分の二にしなくてはならない。
 スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
 ・・・・・・・
2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5
2009年04月09日(木)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
  *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会
 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。これからみても思考モデルとして充分に使える。
 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、
 そのプロセスで頭の中を整理していく。第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を
 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。
 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。
 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。
 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。
 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。
 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。
 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。
 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
  ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。
  次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。
・・・・・・・・・
2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)
 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。
 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。
 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。
 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 
 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、
 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、
ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。
日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、
これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。
  ー 目次 ー
第一章 2008年末からドルが大暴落しアメリカ帝国は衰退する
  2008年末にかけての為替と株の動向を予言する
  円キヤリートレードは金融博打である
  いまのうちに黙って人民元を買え!
  ジェイ.ロックフェラーはアメリカのバブルを延命させて最後には奈落に突き落とす
  財政と金融の政策をごっちゃにしてきた日本
 すでに金融統制経済は始まっている
  ドルは2008年末ごろ暴落を始め やがて一ドル80円台の超円高が出現する
  ユーロの台頭でドル離れがますます進む
  アメリカの国力衰退によって円安の日米秘密合意も壊れていく
 アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
 バーナンキは米ドル紙幣を刷り散らして大不況突入を阻止する
  原油価格がさらに高騰すると米国内では非常に危険な状況に
  原油高騰は日本にとってはチャンスの到来
  これからのエネルギーの鍵を握るのは何と原子刀発電
第二章 世界はこうしてドルに騙された
(字数の関係でカット2009年04月09日)
・・・・・・・・・
2007年04月09日(月)
2197, ファンタジー文学の世界へ ー3     ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス!
 「ファンタジー文学の世界へ」  ー読書日記
 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?)
■目的と存在 ?「ある人生とする人生」について
 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。
 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と
‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
 ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな
 時間が持てなくなる。 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、
 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」
 ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは人生の目的を意味する。
人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。
抜粋にあるとおり、若きゲドは「する人生」に飛びついたという。
目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。
目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだからである。
目的と行為の一体性には、何ら問題がないように無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、
何もしないことや、何もできないことが自分にとって否定的に感じてしまう。
とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが鬱陶しくなってくる場合が
多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ「ある」という、
それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。
この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。
   ・・・・・・・
 ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、
本人はそれを喜ばない。そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、
そして、おそらく、いちばんつまらないものが、この大賢人というやつだ」と。
河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。
ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)
しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
コスモロジーとは、この世に存在するすべてを、自分もそこに入れ込むことによって、ひとつの全体性へと
作り上げることである。世界を対象化するのではなく、自分という存在との濃密な関係付けの中で、
全体性を把握することである。本人のなんらかのパフォーマンスが要請される。」
 
 ・前半の問題とは、平たくいうと「生きるためにすること/壊すこと」、
 ・そして後半の問題とは「死ぬためにすること/創ること」である。
 若い時は攻撃的だったのが、人生の後半になると大人しくなる。
 前半は「する人生」、後半は「ある人生」に転換してしまう。
   ーーー
   解)人生を振り返って一番重要と思えるのは、無駄と思えた『浪人』の時期である。
   一度、リセットをして一より考え、出直す時であった。
   その時は、無駄で意味がなく惨めで、辛く悲しいとしか思えない。
   しかし、その時ほど人生で一番大事なことをしていた時期であった。
   水平から、縦に立っているから、水平線の人からみたら無駄飯食にしか見えないし、
   当人も、仕方なく縦に立っているしかない。しかし、「する人生」を振り返り、
   「ある人生」の転換期でもある。水平の彼方の地平線が果たして幻覚かどうか、眼を据えて見るときである。
   「する」と「ある」という面では、ホテル業も似たところがある。
   立ち上げ(創業の時)という晴れの時と、日々の日銭で借金を返す倹約時(ケの時)と明確に分かれる。
   それをツマラナイとみるか、面白いとみるかは、性格によるだろう。
                 ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
・・・・・・・
2006年04月09日(日)
1832, グーグル完全活用本 ?1
      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★  ー読書日記
この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった)
この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。
(ウェブ進化論の影響があるが)
もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。
別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。
30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。
もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。
これがキーポイントになる。          ~~旦_(^O^ )
この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。
・「120×180= 」と計算式を検索の窓に入れるだけで答えが、
・「新潟市 郵便番号」と入れれば、新潟市の郵便番号がすぐ調べられるHPが、
・「和英 何々」と入れれば、和英辞書の検索のように英語が、
・税金を調べたい時は「税金□(空間)源泉□控除」と入れれば、効率よく調べたい内容が、
・ある企業の株価を調べたい時は「企業名と株価」を、そのまま入れればよい。
 「ダイエー□株価」(□ー空間)と。 
・「イチロー」以外の「鈴木一郎」を検索する方法として、イチローの前にマイナス記号をつけて
 ( 鈴木一郎 -イチロー)とすれば、イチロウ以外の鈴木一郎の情報が出てくる。
・キーワードを<" ">で囲むと、完全一致検索ができる 
 ーその言葉の範囲内で検索する。
・意味を知りたいときは「?とは?」といれればよい。
・多く使えるのが「ビジネス□ ”文例集”」である。ビジネスの部分に色いろのキーワードを入れればよい。
 「”文例集”」 ー 手紙、スピーチ・・・
 知人が私の「随想日記」を読んで、どうしてそんな細かなことを知っているのか
 不思議そうな顔をしていた。  別に物知りなのではない。
 本の引用と、この検索から引き出しているだけである。
 グーグルのサイトは、普通の「検索サイト」と思っていたが、
 実は「人工知能」という方が正しい。擬人化をするか、電子図書館と思えばよい。
・・・・・・・
2005年04月09日(土)
 1467, おしっこ
雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。
「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」と何かに書いてあったので、試みたこととがある。
やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。
何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。
シンプルな詩であるが、中味は濃い。

曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎
ーお し っ こー    谷 川 俊 太 郎

大統領がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすれば

テロリストもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる
おしっこしながら考えている
マシンガンを撃ってみたいな
きっと気持ちがすっきりするから

武器商人がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和は守れぬ
金がなければ自由も買えぬ

道で野良犬おしっこしてる
おしっこしながら考えている
敵もいなけりや味方もいない
ただの命を生きているだけ

・・・・・・
2002/06/05
おしっこをしながら、水を飲む
(字数の関係でカット2008年04月09日)
・・・・・・・・・
2004年04月09日(金)
1102, つもりちがい十ケ条

 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう
                          天台宗別格本山 両子寺
人間の浅はかさ、のぼせ上りをいっている。「般若心教を唱えていたので、高いも低いも、深いも浅いも、多いも少ないも、
『色即是空・諸法空想』としか思っていなかったつもりであった」が、果たして実際はそうであろうか。いや、そんなことはない。
この通りであった。この随想日記をその全てを露呈しているではないか。恥ずかしいことである。 それにしても、人間の心理の
一番奥の逆上せ上がりをそのままついている。これを読めば読むほど、本当に自分はバカで卑小とつくづく思ってしまう。
・・・・・・・・・
2003年04月09日(水)
 735, ホームページを開いて二年
このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。
脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。
お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。・何事も三年である、あと一年は今のペースは
続けるつもりである。随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の
情報収集の動機になる。公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。
書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。毎日文章を書き続けることは大変である。
「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、テーマをみつけて筋の通った?
(字数の関係でカット2008年04月09日)
・・・・・・・・
2002年04月09日(火)
 371,花見
いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。
「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。人間の人生の短さに例えて言っているのだ。
所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。
この時期の名物の一つである。7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。
なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。納棺の桜吹雪である。
背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。


3300, 平山郁夫の教養世界

2010年04月08日(木)

 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。
原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には
仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の
西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 彼は東京芸大教授、そして学長になるが、
何ともいえない風貌に教養の深さを感じ取ることができる。 
 この番組で、彼の逸話が印象に残った。
「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。 
独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。 
それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。 
この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、尚のこと納得をした。 
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある幽玄な世界に、等伯の魂を
数百年の時空を超えて感じとれた。 絵の中に彼の独自の精神世界が全て込められている。
 独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。
そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする此の頃である。
良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養のベースができるということか。

 ・・・・・・・・
2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、
 似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ
  カタ=カ+タで、型をつくることになる。
  カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。
 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。
「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。
そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。
二つの思考法の合体である。いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などを
メインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』
の実例を書き出してみる。 その一つだけを、まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。
書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。
何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。
・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が解りやすいから、
尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点が、チャップリンの凝縮された
ミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
 ーーー
ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、思いきってやってみよう。
ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
 ーー
「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
 ーー
実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
 ーー
ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
 ーー
我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。
とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 ーー
どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か?
  気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。
・・・・・・・・
2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ ?2
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 
「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記
 ーP57〜58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。イギリスの教育界では粋なことに、
この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」
もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」という肯定的なものである。
教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、
そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
 ーー
「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

水曜日の午前5時  夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る手紙を残して 
階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる
外へ出る とうとう自由だ

 彼女は (あの子のために何でもやってきたのに)
 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
 家を  (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの

彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
何年も何年も    (さようなら)

金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
きちんと約束の時間に待ち合わせ
自動車の仕事をしている彼氏がやってく

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)
ーーー
解)
これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
しかし、親の愛ほど純粋なものはない。特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。
親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の
(特に父親の)深い愛情の元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。そういうものと信じて疑わなかった。
少子化の時代。両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。 気の毒といえば、気の毒である。
                      ー続く
・・・・・・・・
2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話
     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」
を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、
ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」
「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」「東京テッシュ」「元プロ野球選手の
セカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。
 〜〜                              (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」
夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。
夫の浮気の一度や二度や三度・・・見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ!
夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。
=これだけで、もう引き込まれてしまう=
                         ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月08日(金)
 1466, 閑話小題
  ーロシア人の大立ち回りのその後ー
拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。
本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、国外退去が
妥当というところであろう。損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。「何で?」という疑問が残ったが。
  ー不景気風ー
このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。
  ー音楽の世界ー
私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、
それでも最低2?3時間は聴いている。元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。
読書日記で書くつもりだが、「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような案内書になっている。
何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。
他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた
SACD(スーパーオーディオCD)が5?6年前より市販され、最近になってドンドンソフトが
出されているということも知った。あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、
録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、
サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8?12面?)も付いていたものがあった。
其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。
・・・・・・・
2004年04月08日(木)  
 1101, 春がきた
新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に
初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしている
ような気持ちになってしまう。近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。
春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春に
とっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。
・・・・・・・・・
2003年04月08日(火)
 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。
軽く読むにはなるほど面白い内容だ。 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、
といって数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。5万10万出しても、価値を感じさせる何かを
常に店に演出しているのだろう。なるほどというのが所々納得できる。 このママの店のホームページをみてキーワードは、
「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
 ーーーー
 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」
から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。
不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり! やはり彼女は男を見る眼が違います!
「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/ 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。
人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。濃密な時間が流れる街、「銀座」。巷には、不況や不景気を
言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口にしていませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?
能力だけではつかめない「お金と成功」。では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか?
「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」
ーますい志保?
その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。
【目次から】
ー感想ー
この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。学ぶ姿勢、不景気の時代の合わせた廉価の追及、
好きのことの追及などなどである。一番印象的だったのは、たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」  ◇著者:ますい志保
               (字数の関係で中略2008年4月8日)
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  
 370,なりきる
散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会への
リハビリでこの旅行にきたといっていた。かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を
引きずってきていたのである。考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。
学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。
実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分に
いつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる
所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?


3299, 金融世界大戦 という捉え方

2010年04月07日(水)

  * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ)

 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質を説明している。
さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器
という危ないやつである。 何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。
「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を
狙ったが、それが敢え無く破綻し、世界を恐慌に導いてしまった。 一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」をつくり上げ、
世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし
大元のアメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っているドルを注入し、立ち直りを図っている。
詐欺師は元もとの金(キン)や資源を温存しているから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。 しかし被害者は
輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。
 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを
見境なく買ってしまったのである。 現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように必死に持ちこたえているが、
これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、
世界中にばら撒かれ、連鎖して世界中を破壊する。 それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの転換期に始る。
日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。 
「気がつきゃホームでゴロ寝」で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。
 アメリカは第二次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、そしてソ連の崩壊後は、アフガン、イラク戦争と戦い続けている。 
ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意
から始る日本のバブルと、破綻である。 そして、破綻した日本の金融株や土地を買い叩き、大きな利益を得たのである。
そして、次はイスラムのテロである。軍事産業にとって、これほどの都合の良いことはない。2001年の9・11テロをキッカケとした
アフガン、イラク戦争への突入である。 そこで軍事費を捻出するに何かないかと考えて、米国内の下層への融資を思いつく。
そして、その債権を束ねたバンドル債権をつくり、もっともらしい「格付け機関」をつくり、格付けを高くして金融商品として
世界中に売りつけたのである。 一握りの連中は、それが金融破壊兵器になることを充分に知ってである。 
 そして、ある時期が来ると丁度良いターゲット(リーマン)を見つけ破綻させたのである。 世界中の資産家と金融機関は
サブプライムローンだけんでなく、不動産担保債権や、その損失を保険にした債権などを優良債権と信じて買ってしまった。
実は、これは最も危険な金融武器である。 アメリカ国内にも売りつけているが、その数倍は世界中に販売済みである。
その被害者は、国家管理にして、自分の輪転機で刷った金を投入すればよい。しかし、世界の国々は、それができないのである。

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2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
 2009年04月07日(火)
『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記
 * 煉獄の発明
キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。
それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に地獄から這い上がれば、
上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、
資本主義が動き出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、
その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、
死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。こうした経緯を経て、
西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を経て、
19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。
ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。発達を可能にしたのは、それに加え、
増殖の原理を飲み込んでいたからである。キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では
資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。1990年代まで続いた東西対立の、
いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、
また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
 ーー
煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。
地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・
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2560, ホモ・ルーデンス ー2
2008年04月07日(月)
          (*´∀`)」" おはよう☆彡
子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。
人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 
 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。
 ー文化は遊びのなかにはじまるー
遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な要素のすべてが、
すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。
子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという
規則も守っている。まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。
もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。
このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって
 もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から
遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 
言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 
どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。
 *遊びを定義すると
遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、自発的に受け容れられた、
絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、
また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。
このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、
このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。
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日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのものということが
出来る。ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。パソコンのインターネットも、
携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、
仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。
もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。     。・∀・)ノ ホナ!
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2007年04月07日(土)
2195, ファンタジー文学の世界へ ー1    
                    オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
「ファンタジー文学の世界へ 」ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) 
                           ー読書日記
一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、
 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。
ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が
詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。
*それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。
   情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を鳥瞰することも必要となる。
この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を
特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。
   この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。
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  P-23 ■ファンタジーの構造
神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。
これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。
(字数制限のためカット 2010年4月7日)
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2006年04月07日(金)
1830, あちら側の世界 ー8
          (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。
もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っているような感覚になる。
殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。使ってみると、リアルな感覚になる。
「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス
(飛行機)まで紹介されていた。数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、
これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。
北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。大都市圏以外は地形認識までしか
できないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、クリックをすると見ることができる。
検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、誰でも無料で見ることができる。
マウスでズームアップもダウンもできる。手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。
この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、マップで日本中の都市圏の場所に
矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、
近い将来は写真になるのだろう。アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが実際は顔の認識まで
可能という。スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。
「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。
ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー
(字数の関係でカット2008年04月07日)             (v^ー°)バイバイ!
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2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!
またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。
ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
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たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」
といって置いていった酒である。その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。
そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、
これが特別なのである。早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は
飲んできたのに。自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。 しかし美味しいのである。日本酒に関しては、
この随想日記にも書いたことがあるが、美味しい酒が飲める環境にあった。地元の人がみている前提で書いているが、
美味しいものは美味しい。そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。
「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。
「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。
このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。
そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し
薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。
そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。
数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。
ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー
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2004年04月07日(水)
 1100, 撃墜王の秘密
ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」
二人のパイロットは、ハルトマン少佐とその師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、
完治不能の傷を負った。普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい
生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。
彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。
敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を
費やしたのである。彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。
ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。
 ー
ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。
普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、確実に勝利の取れるポジションとりの研究を
  していたのだ。 チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。
過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは
一瞬で消え去る。難しいところだ。一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。
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2003年04月07日(月)
 733, 30年間着ている礼服
現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に
母にいわれて、「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、
全く古い感じがしない。私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。
年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけ。まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
ということは体形が30年変わってないということだ。 当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。
現在は60キロ、ウエストは79センチだ。ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。
話は変わるが、その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたのではなかろうか?」
とこの文章を書いていて気づいた。何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。
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2002年04月07日(日)
 369,植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。
1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。その前にキリスト教の宣教者を派遣して、
内側から攻めていくのが常套手段だ。秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。
戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。今の日本は王族を飾り物に、
戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。
この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは
周知の事実だ。今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。


3298, 一年の重み

2010年04月06日(火)

 図書館で久々に小林正観の「人生を楽しむための30法則」を、見つけ借りてきた。
例の「ありがとう」教の本を書いた人である。 それで一番ありがたかったのは、彼だろう。
それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような面白い内容があった。 一理ある。 
私の場合というより世界中がインターネットのお陰で情報が手軽に入手できるようになった。 
10年前にパソコンとネットに集中したお陰で、良いにしろ悪いにしろ情報の質と量が飛躍的にアップ、
恩恵を充分に享受している。 20年以上の秘境旅行の積み重ねが相乗効果になりベースが大きく変わってしまった。
一年という時間を以下のような1年の重みの捉え方はしたことがない。 まずは、その部分を抜粋してみる。
≪ 48歳と32歳の間の16年は、単純な年数ではありません。もし今、40歳とすると、40歳までの情報量、
経験量と、41歳までの1年とは、同じ重さを持っています。 その一年は膨大な内容と密度と充実感を持っています。
その41歳までの経験量や知識量、情報量と同じだけの密度と情報量が、今度は42歳までの1年に入ってきます。
つまり今までの人生の総量に相当する情報量や楽しさ、面白さが、これから1年に待っているということです。
今、十代、二十代の方たちにはわからないかもしれませんが、30歳代を過ぎると、加速度的に情報が入ってきて、
人生がますます面白く展開されるでしょう。 そういうわけで、16年の差というのは16年分だから大したことはない、
とうことではなくて、32歳の人と48歳の人は、情報量が二の一六乗違うのです。≫
 〜〜
 それは闘い続けていたり、学び続けている人に言えること、何も変わらない人には当てはまらない?と思うが・・。
私自身の実感は正観に近い。 表面的には誰も分からないだろうが10年前の自分と現在の自分は別人と思うほど変っている。
振動針の幅がプラスマイナスが大きく振れるようになっただけで、成長の変化ではない。逆に、経験量、知識量、情報量が
逆に自分をマイナーな気持ちをもたらしたり、これまでの人生の失敗の傷口を広げることにもなる。
そこで、それは他者も同じような経験をしていることを知らなければならない。 それを知る基盤が教養である。

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2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2
2009年04月06日(月)  
『三位一体モデル』中沢新一著   −読書日記
 *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。
語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と
構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。
その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、現実の姿として
「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。
この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教していくことになる。
それが西欧資本主義の出発点になるのである。ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
 ーー
 * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である
「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する
存在など、あってはならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、
絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を
組み込んでしまった。イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
 ーー
結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、
ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 
霊を増殖するものという見方は初めてである。
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2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)
 ー語録ー2
人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。
水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで
底についたのは必ず浮かんでくるんだ。そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、
不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、
それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、まるで不動明王や
五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。
水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。
日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、
三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。
  こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。
クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。
広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこにいた一匹が逃げたんだ。
それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。僕がエサを取ってしまうとおもったのか、
全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感を持ったね。
眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。
川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、
それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。
そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。で、犬の目から目を離さないように
しながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めてこれをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま
少しずつあとずきりをして川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。
奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。
こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから
何となく大丈夫だと思ったわけ。これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。
 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。
ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。
 ーー
インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、
一本フィトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、
全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。 
加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。
 ?解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。
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2007年04月06日(金)
2194, 大人のファンタジー読本
    おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ   ー読書日記 
 ー未知なる扉をひらく180選ー       出版:マックガーデン
この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。
その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて
ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、
ネット上の語らいからつくり上げた本。180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。
1P~2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 
これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」と言われれば、
間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。初めは図書館で借りて読んだが、
アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。
ファンタジー本は、1980年代にアメリカで「指輪物語」が一大ブームとなり、「ナルニア物語」
そして「ゲド戦記」などが映画化されている。それと最近のブームはやはり「ハリーポッター」映画化である。
これがファンタジーの世界を変えたと言えよう。この前と後というほど、大きな影響を与えたという。
 ファンタジーは、ハイ・ファンタジーとロー・ファンタジーの二つに分けられる。
・ハイ・ファンタジーとは、まったく架空の世界を創りあげて、そこで色んな人物が登場して
 冒険や旅をする形のもの。『指輪物語』や『ゲド戦記』など・・
・これに対して、昔の伝説をちりばめたり、歴史上の出来事を舞台にして語り直したものをロー・ファンタジーという。
 この本の母体になっている翻訳クラブのファンタジーの定義がある、「現実にはありえない何らかの法則に従う
 世界に従う世界を舞台にした物語。あるいは、現実のはありえない何らかの法則に従う世界を法則に従う現象を
 主な構成要素とした物語」である。それが、SFやホラーや御伽話とは違う。 この本は、ハイ・ファンタジーだけでなく、
ロー・ファンタジーなども多く紹介されていて、 ファンタジーの魅力のブックガイドの本といえる。
 先日、その中で紹介してあった「トムは真夜中の庭で」を読み始めたら、これが面白い!
 小説でファンタジーを読むのが初めてであるが、なるほど、ファンタジーのイメージ世界は何とも夢がある。
列車の中で「獄中記」と交互に読んでいることもあり、内容が極端な段差があるから互いに刺激的になる。
                              (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・
2006年04月06日(木)
1829, あちら側の世界 ?7
    「ウェブ進化論」読書日記      (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
ー「アマゾン」とはー
 =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテールに
 ついてーに重なるが敢えて取り上げる。ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を
 予感させる)IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、インターネットが登場するまでは、
 出版社と流通業者と書店であった。今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本
 ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、
 事業モデルであった。2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えて
 しまったことである。日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。
 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が
 在庫を持たない本から上げていると発表した。インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
                    (字数の関係でカット2008年4月6日)
以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。
世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。
                   ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・・
2005年04月06日(水)
 1464, 発想名人 ?読書日記
最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。
ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』これが私の最近のスローガンである。
すべての現実の困難は、具体的なアイディアによって乗りこえるものだと私は考えています?
ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。
それが、考えることである。したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。計画を練ることは、正反合を
繰り返し繰り返ししていくことである。ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。特に女性に多い。亭主の否定をして、
稼ぎを当然のように取りあげれば済む。それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
(字数制限のためカット 09年04月06日)
・・・・・・・
2004年04月06日(火)
 1099, 「80対20」革命 ー4
「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
 ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?   一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。          どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。       人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう?   想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、
如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記に殆ど
書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまっているからだ。もう見せているから今更だが。
全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。
・・・・・・・・
2003年04月06日(日)
 732, 「こうすれば良くなる」
いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみたー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。
それで西欧並みでしかない。日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。
 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。恐慌というやつにだ。いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、
政府の予算規模も縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。
このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?
 ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。
・・・・・・・・・
2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル
いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って歌い踊ったという。
普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。1888年に奴隷制度が廃止された時、
彼らはリオに仕事を求めていった。彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に
会場で競う。それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
ーーーーーーー
H0703ブラジル旅行記
“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。カーニバルはリオディジャネロだけでなく全国津々浦々の
都市で行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、Bランクが15?16チーム、
Cランクは数十チームとなっている。 AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。
 (字数の関係でカット2010年4月6日)


3297, 不思議現象の正体を見破る ー2

2010年04月05日(月)

 * 手品師 ユリゲラーの超能力
 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。
それは後として、私より一歳齢下のイスラエルのユリの経歴に興味をそそられた。1946年12月30日、テルアビブに生まれた。 
少年期に両親が離婚、キブツに入れられ、色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり、2年間の訓練を受ける。
そして21歳の1967年にイスラエル兵として第三次中東戦争に従軍し、戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて
療養生活に入るが、そこで、シュトラング(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、初めは
友人の誕生パーティーなどで演じていたが、後には、クラブのショーなどに出るようになる。
得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれるもので、目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように
一人の観客が黒板に数字を書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。 すると、ユリ・ゲラーが
おもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。つまり、観客が念波をユリ・ゲラーが
とらえて当てようというわけ。 そこで、お客に念じ方が足りないとか、色いろけしかける。 やがて、おもむろに
「5でしょう」などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらといった暗号に基づいて
信号を送っていただけの話。 あまりに単純のため劇場の支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、
裁判沙汰までなっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカからプハーリクなる超心理学者がきて、
ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んでしまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。
 彼はユリをアメリカに連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰だったようである。
相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。
 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカのTV局も考え始めた。
プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定し、ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、
彼の売り物の超能力は全く起きなかった。 これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、サスガ超能力者、
失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、とされるようになった。 アバタもエクボである。
ユリが1974年に日本に上陸、TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで仰天させた。
当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、
その超能力があると、一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。
何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから投げていたのである。 
                                          ー つづく
 ・・・・・・・・
2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1
2009年04月05日(日)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。特に、キリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を
解りやすく書いている。三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。
 それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。
『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。
『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 
『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。(販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた)
この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。
会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。
『父』の不在が、会社を迷走させることになる。社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。
『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。偶像廃止も、
この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい)
そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては
『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。
 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。    ーつづく
・・・・・・・・・
2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。
そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。
 ーーーーー
 【爪もみのやり方】
・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。
・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
・以上を一日に二から三度行います。
・少し痛いくらいの強さで刺激する。
・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう)
 以上は福田稔医師が考案した療法の簡単バージョン。爪もみ療法が効果を発揮するのは、すべての病気で、効果があるようだ。
 ーー
他のブログには、
{ 親指・人差し指・小指の手指の爪の生え際と第一関節の間くらいにあるツボを、
順に反対の親指と人差し指の腹で20?30秒ほど「いた気持ちいい」くらいの強さで押しながら
指全体をねじるようにして刺激します。ツボだけを押す爪もみよりも、経絡全体に刺激を与えられるので、
肩こり解消の効果が高いそうです。薬指の肩を通る経絡(気の通る経路)の肺経・大腸経・心経・小腸経
それぞれに様々なツボがありますが、れらの中で比較的簡単に押せるのが爪の生え際と第1関節の間くらいに位置するツボです。
1日に爪もみをする時間を決めて毎日行うのがよいです。個人差がありますので、爪もみ効果がでにくい場合は爪もみの時間を
ながくすると良い。足の指を通る経路の中に肩を通る経路もあるので、爪もみは手だけでなく足の指でも効果がある。
おすすめは小指です。 }とあった。  下記は福田稔医師が考案した本格的療法である。
 (字数制限のためカット 2010年04月5日)
・・・・・・・・・
2007年04月05日(木)
2193, やまあらしのジレンマ    オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
 ーまずは、その内容からー
あるところに二匹のやまあらしがいた。冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。
そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。
そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、また互いに相手を傷つけてしまう。
このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、ようやく「最適の距離」を見いだした。
 ーー
この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことが
できないことを提示している。やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。
青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど
傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。
青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。
孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。 
夫婦関係にも言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、
痛みを殆ど感じなくなってしまった。適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。
青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。 あれが、自我だったのだ。  
今もそうだが! トゲは必要である! 自己を守るためにも。 しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     
  ホンジャ、バアアイ   ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
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2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさいー5゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ
                        -読書日記
 ーアーティスト・デートー
「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を
秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」という。
ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家
といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)
には参考になる方法である。机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という
具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、
一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。
 ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、あらかじめ日時を指定しておくデートであり、
他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ…
 ーー
 以上だが、要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」
ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。
  ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。 怒りは私たちの限界がどこにあり、
 私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・
 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。 素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、
 きわめて誠実な友達だ。 それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。
 そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。 怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》
《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み癒しをもたらす。》
     ーー
ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい ということか。
              ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」?NHKスペシャル
一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、
そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、「翌日の、報道番組に取り上げたい」。
キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。
しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、
「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。
ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。
インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、実質債務超過になってしまった。それをキッカケに、
隠れていた事業のボロが露出してしまった。その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。
多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。不景気の直撃がレジャー産業に直撃。
更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。レジャーもグローバル化が生じたのである。
そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状。
ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。
ーー
以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。あぶないところは、かなり書き換えてあるが。
ーーーー
2004/04/15  1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
(以下、字数の関係上カット2008年04月05日)
・・・・・・・
2004年04月05日(月)  
1098, 拾い物
拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で
行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回もそういう経験をしたこともないし、
良心に対してマイナスになる。早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。
警備の受付のところに直接持っていけという。電話をして呼べばよいのに、本人はタダ面倒でイヤという態度。
(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)言われたところに行っても、その事務所がない。
乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。
数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。これも新潟の駅前の交番に届け出たが、
彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろといわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。
そう考えると拾い物は殆どないということだ。そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。
もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。 考えること自体が卑しいことだ。
・・・・・・・・・
2003年04月05日(土)  
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」
「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。
  ー要旨はー
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの
縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。日本社会の人間関係は、
個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する
日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。 
なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのがその縦社会という視点そのものが、
はたして正しいのだろうかという提示であった。「何々それってどういうことなんだ??」私が考えていたのは、
それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。
日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、
縦社会と同じように説得力があるのだ。「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく
横社会ともいえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。
そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を
初めて知った。 常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。
・・・・・・・・・
2002年04月05日(金)
367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。
5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。
「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えてしまった。空間の溝を取り払ってしまった。
それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。これにそれぞれの場所に
カメラが設置して、それにリンクすれば、一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。
現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。
インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。
昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に
変わっていると言っていた。これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。


3296, 不思議現象の正体を見破る ー1

2010年04月04日(日)

「不思議現象の正体を見破る」        安斎 育郎 (著) 
   ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
 ー内容ー (アマゾンより・・・)
 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、予言など)のトリックと、
それを鵜呑みにしてしまう心理状態を解説した書。同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、
不思議現象が存在するという根拠にたいし、そのトリックを説明することで、それらすべてがいかに信憑性がないか
(あるという証明になっていないか)を示している。 世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純な
トリックであることに改めて驚く。 圧巻は、漠然とした詩が、大事件と簡単に符合し、いかにも予言であるかのように
曲解して読み取ることが可能かを示した点である。例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火に
ぴったりと符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が後世の歴史的事実と多少符合しても、
それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 現に、世紀末には何も起こっていない。
 〜〜
 ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、その嘘を一つずつ解明している。
そういえば、ユリゲラーも、ミステリーサークルも、念写などをTVで取上げなくなった。
これはブログなどの情報化のためである。もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。
それだけでない、TV局そのものが問題視され、ディレクターは外される。
この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになっていた。
< 二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だったと白状していた。
二人はL字型の棒を持って、実際にデモンストレーションもやってみせた。 
いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。この現象をプラズマ物理学の立場から研究した
ミーデンは真面目に、この現象は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた。>
彼らは、二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の正体を暴いているから、読んでいて飽きない。
 次回は、あのマジシャンのユリゲラーを、今さらだが、オサライをしてみよう。
彼はマジックを超常現象としてショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、その稚拙な手法がコミック的。

 ・・・・・・・・
2921,不況景色 ー10
2009年04月04日(土)
 * 上野動物園が入園300万人を切る
一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。
前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。
パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。
9月半ばから4〜5割減ということになる。 家計面で節約対象になったようだ。
また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。
恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。
  * 金融サミットで
金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げてしまった。
公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・
  ー金融サミットで合意した主な項目ーは、以下の通りで。
 ▽2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動により経済成長率を4%押し上げる
 ▽各国中央銀行は、非伝統的手段を含むあらゆる金融政策手段を活用
 ▽為替の切り下げ競争は行わない。2010年末まで新しい保護主義的な措置は取らない
 ▽ヘッジファンドを金融規制・監督の対象とする。タックスヘイブン(租税回避地)の規制強化
 ▽IMFの資金基盤を7500億ドルまで増強する
 ー 世界のGDPは5000兆円というから、その一割を緊急に財政投資をしたところで、
 何処まで効果があるか、非常に疑問を感じる。 世界恐慌は3〜4割のGDPが失われるから、
 年間1500〜2000兆円が失われる。そこに3分の1位を投入しても焼け石に水。
 しかし20Gで世界のGDPの8割を占めるというから、半年に一度、一堂に会して即断することは
 世界的経済の大惨事を避けることが可能という面では、非常に有効がある。
  * 4月に入って、更に悪化
去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。
そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。
ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を保っている。
しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。。
・・・・・・・・・
2557, 印度放浪 ー2
2008年04月04日(金)
この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。
40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養なのか。 
読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。そして、小さな世界の中で、小さな習慣に甘んじている
自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしいが。 その一部を抜粋してみる。
 ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。
家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、
案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 
さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。
十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。
今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。
実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。
解)初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。
 当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなっている。
 ーー
物ができあがって滅びて死んで行って土に戻り、また別の何かの型をとって再生するという大きなサイクルがあるでしょう。
それはやはり自然物でないと表現されないわけですね。そういう環境を目の前に持てなければやはり彼岸とかあの世、
この世といった感性は生まれにくいんですね。
 解) 現在の情報社会の一番の欠陥であろう。若者の質の劣化も、こういう部分がある。
 ーー
インドだかといって聖人.善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。悪人、俗人が入り乱れて人間博覧会みたいだね。
日本はその幅が平均的だけど、インドの場合は聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。カーストが百くらいあるとすると、
それほど人間の格=聖と俗のパリエーションがある。どのバリエーションの格でつきあうかで自分の格が見えるんだね。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)
・・・・・・・・・
2007年04月04日(水)
2192, 人生とナメクジの線
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、
人生もナメクジの這った跡の線と思えば、何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、
後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示しているようでもある。
我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。
ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。
そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。
家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など持つことはない。
これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」
と考えると尤もらしい言葉になる。 ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。
 *そこを抜粋すると*
「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」
私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。
そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。
殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。
たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、
貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。
 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、
「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、重い鞄を持って塾通いと、
裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。
ーー
土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、その跡がついているのだが彼らとて大変である。
雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。
お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。
                  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・・
2006年04月04日(火)
1827, 日本一短い手紙「私へ」    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
                 ?読書日記                 
「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。だから万人に共通する言葉であり、
一言一言が響いてくる!あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。
これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。
こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。
この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 
この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。
「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある!
それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。
 ーー
 まあ、いいじゃないか!         それで、いいじゃないか!
 これしか、なかったじゃないか!     それも、これも、 どうでも、いいじゃないか!
 ほんとうに、これでよかったのか?    ほんとうに、あれでよかったというのか?  
 まあ、いいじゃないか! これで!    他に、しかたなかったじゃないか!
 ー
 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。 それが老いるということである。 
気持ちは青年のままでいたいものだ! せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。
そのためには常に感動、感激を求めることだ。       お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
ーー
日本一短い手紙「私へ」
 一筆啓上賞
おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳
お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。     荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳
コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル   道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳
ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの? 金島道子 広島県庄原市 17歳
私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳
あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。     竹田飛鳥 東京都江東区 15歳
お願い、黙って、私が努力している綺麗な夢の孵化を、手伝って… 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦
一人で来たブラジルだけど、今は五人。俺が我家のル?ツとはくすぐったくなるな。 堤剛太 ブラジル 52歳 会社員
アホでいるこっちゃ。オサキにやるこっちゃ。エライこといわんこっちゃ。  根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳 無職
過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、別れる時が、辛いから。    野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生
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他にも、多くの印象的な言葉があった! その一つが以下の言葉である。自分に壁を作るのはやめよう。
見えるものも見えなくなるから。自分の可能性は限りないから。ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?タダ、
その気持ちはだいじだが。次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。
    ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛     
・・・・・・・・・
2005年04月04日(月)
 1462, 永遠に生きるように学べ
学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。
最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。
母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。
その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。
年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。せっかく地球に生まれてきて、
80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を
可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、
虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」
「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。
それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが趣味になってしまうから、
自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。
その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。
それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と
同義語であるが、響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。
明日死ぬかもしれないのが人生である。だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。
一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。
この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、この今の一瞬の集中の閃きは、
そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。
最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」 「自分のこと!?」 「そう!」
・・・・・・・
2004年04月04日(日)
 1097, 落し物
 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに
入れたところ、いつの間にか無くなっていた。傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだので
その時落としたのだろうと、その道を取って返した。ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと
下を向いて道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い拾った人は如何するだろうかと考えた。
「おそらく目立つところに置くのでは?」と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、
やはり橋の欄干に置いてあった。拾った人が分かるようにそうしたのだろう。いまの日本人にはそういうところが残っている。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)
・・・・・・・
2003年04月04日(金)
 730, 「ほめ芸王」ー読書日記
ー褒め上手は芸のうち
営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。
十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」と考える。それが営業の第一歩であり、
まずは切り口となる。今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を
克明に書けばいかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ!
ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する
・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。ほめるということは、見上げる事である」
 これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。
・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。自分のほめ方は自分にしかできない。
・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。神様の心にならなくては、ほめることができない。
 ほめることで神様の心になれるのだ。怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
 ほめるとは、感動である。
 ほめるとは、感謝である。
 ほめるとは、感激である。
 ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。
感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。
私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。まずは顔色からほめるのもよいが。
家内を実験台に少し始めてみるか! 少なくとも貶すのはやめよう!
・・・・・・・
2002年04月04日(木)
366, 速読法
先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度に
ページ全体を眺め、フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。
初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。見開きの2ペジの中央に目を合わせ、それを4つかどの隅に
全体の視野を広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、
それをまた意識をそのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章が
スラスラ読めるのだ。目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。もし疑うなら実際やってみればいい。
人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。一回めくる度に4秒をかければ、
250ページなら20分かかるが、かなりの情報が脳に記憶されるという。


3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?

2010年04月03日(土)

  昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、時が時だけに注目して読んでみた。
  ーその内容を私の主観でマトメテみたー
 日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で最悪の借金体質」といわれる中で、
 国債発行余力を探った。 どこを危険水域とするか? の問いに・・・
・日本政府は、300兆円の債務超過。しかし、経常収支は長期にわたり安定的な黒字が出ている。
 しかも個人金融資産のレベルが高く、95パーセントが国内で消化されている。父さんが母さんから借金をして
 まかなっている。家全体としては借金は少ない。しかし、母さんが父さんに不信を持ち、家を出て行くと大変な事態になる。
 長期金利が落ちついていることからみて、母さんが家出の兆しはない。
・日本の租税負担率は23パーセント、試算によると欧米並みの35パーセントに上げると886兆円の資産価値が上がる。
 債務超過分を相殺しても、まだ569兆円の国債発行余力がある。年換算にすると14兆円である。
・消費税率を上げて財源を確保すべきかというと、いきなり上げると元も子もない。ただ、税率を上げずに封印すれば、
 先があるかどうか、心配するものが出てくる。求められるのは将来の展望である。変化に対するガバナンスである。
  〜〜
 これから考えると、アメリカが狙っている日本の個人の金融資産だが、その多くがアメリカ国債を買っている現実、
 それも、何時暴落するかの瀬戸際にあり、その価値も不安定である。ただ、日本の強みは、個人の金融資産があるので、
 ギリシャやスペイン、ポルトガルとは違う。しかし、危ないと日本人が思い、金や、現物に換金しようとすると
 危険になる。ここで高田氏は、国家の経常収益が長期わたり黒字という部分をみている。その経常収益とは。
 民間貯蓄+財政黒字をいい、これが安定している日本は、まだ国債発行が可能と見ているが・・・どうだろう? 

  ・・・・・・・・
 2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
  ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」
  と言っていたそうです。これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。
  つまり、「私は嘘しか言いません」というのが本当だと既に嘘をついている。
  河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》
   なるほど、面白い。 
哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で,
クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。
もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。
つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー
 言葉の何とも妙なところだが・・・
「私は嘘をいいません、信じてください!」 の口癖の人がいた。これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、
騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。
それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。 それも、哲学的ときているから面白い。
しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。
言葉は共同幻想、そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。
「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか?
「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に跳ね返ってくるし、自分の中に残る」
これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。
 ところで本当(真実)って何だろう?
・・・・・・・・・
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。
言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。
 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。
ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。
  世界は良かった。
 《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。
 そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。 良くも悪くも、すべては良かった。
 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
 ーー
40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、
その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について)
 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
 ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
  ーー
 インドは何々とは、この本を読むと何もいえなくなる。
ただ、行ってよかったと、つくづく感じるところである。
                         ーつづく
・・・・・・・・・・
2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える
                          才八∋ウ_〆(∀`●)
 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。
「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。
「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、これからの人生である。
それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。
勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。
鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。 
その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、
「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。
そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。
「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を
問おうとしているのである。 面白いので、つい話がそれてしまった。
還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。今さら言っても仕方がないが・・  
まあ、面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 
それも解らない? じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、
さらに小鳥を飼えばよい。もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。
その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。
定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。
もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、「やっと、人からの束縛から抜け出て、孤独、いや孤立したのだから、
あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、
その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、
そんなものは霞でしかない。限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。
死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。
だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 
美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。 
シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついつい!ウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
                             ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ
別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。
ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。
何で好きなことを探さなければならないのですか? こういう生活が好きなのだから、
ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの!
・・・・・・・・・
2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4           
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 
 もっと日常の些細なことや気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
 書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、
 許す、よかった」などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も
 面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。
 ーー
             ー 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
(字数の関係でカット2010年4月03日)
・・・・・・・
2005年04月03日(日)
 1461, 「どう思いますか格差社会」
昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会と
グローバル化のために分かれてきた。それに対して、シビアな議論がつづいた。議論内容はレベルの高いもので、
自由闊達で好感が持てた内容であった。「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。格差はどの時代にも元々あったもので今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。
国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?という議論がある。
アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、問題がすりかわってしまうが。
面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と下の段差で出演料が違う。」という暴露があったことだ。
前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。
「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。
「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。
中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。
豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、
といわれている。格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。
行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。
また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため
崩れるのも仕方がないことだ。この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて議論させたことである。
勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。
日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。
「アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への移行過程の一現象でしかない!」
と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。
 ・・・・・・・・
2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間
 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間
 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。
・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退
1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。
自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、異なった結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずがない。時間認識の有無は優れた
ライフ・デザイナーにするための前提条件です。それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件である。
話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。自分の時間を持つコツを知っている人というのは、
自分の「場所」を幾つか持っている。自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」
という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も
経てば殆ど消えている。連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。
『何事も三年よ!』と。倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。
学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。
そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。
「時間が全てを解決する」ということだ。それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。
「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性をズバリ言い当てている。
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2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」  ー読書日記
(字数の関係でカット2008年4月03日)
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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法
「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。
それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。
今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。
中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と実際あったという。落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。
ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。
授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。
カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。
注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を読書などの対象に集中させる事が出来る。


3294, エッ何!

2010年04月02日(金)

 * 次年度からの予算財源はこれ?
 ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。
閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに決定したカタチをとったのは筋書きどおり。
23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを見越し郵貯の限度額を上げて、郵貯残高を増やそうという目論見。
穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、その受け皿をつくっておくメリットもある。
3人だけの政党の亀井を金融大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、それを承知、それが政治。
先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」と述べていた。
「もし郵貯への移動が予想より大きければ見直す」というが、その時は中小は死に体。見直すわけがない。
そこまで、国家が追い詰められているということだ。 日本の現状は国家非常事態、何でもありである。
「この手があったのか!」というところ。 金融の世界では大問題を、電光石火でしか決定できないため、計画を練りに練ったはず。
1〜2年以内に、日本も米国並みに銀行の倒産ラッシュになるということ。 自民党には出来ないことを、民主党政権は
いとも簡単に実施してしまう。 ある意味、国民新党の存在は、互いにベストの役回りになっている。 
中小企業への金融救済法は今からみれば先延ばし策としても現時点ではベストと評価するしかない。 
この2千万の限度額アップも財源確保の一つになる。次は、消費税である。最低15、そして20パーセントは必要である。
 恐慌の中で、やはり直接税に比重を移動しなければならないが、これをやると、企業の弱肉強食が更に強まる。
といって、これしか国家運営の維持が出来なくなるなら、流れとして容認するしかない。
その分、国民の実収がカットされたと同じことになり、ますます財布の紐を締めることになる。
 少子高齢化も含めて、日本の政治経済のダウンサイジングが進むが、これも受け入れなければなるまい。
この10年間は、世界が動乱を極めることになる。 根底にあるのは情報社会の到来による再編である。
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2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3
 2009年04月02日(木)
 マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、
 ウィトゲンシュタインは死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようとしても無理であると
 彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識がなくなるため、それを意識できないからなのだと。ー
 これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験できないというのだ。
「もし哲学者が考えるとしたら?」と私が考えた内容と酷似はしている。
 しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の一秒の感覚を、寝入る瞬間に直感したのである。
 実際にスット意識を失う刹那(瞬間)を感じたのである。「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、寝入る瞬間ではない」
 と反論されそうだ。 しかし、「それが寝入る瞬間だろう」と、反論も可能である。それに対して、「意識が無意識の世界への
 移行の瞬間を如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。その直前の刹那が果たして経験できると言うのか?」
 と言うだろう。しかし私は、その刹那を感じたのだから、何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」と言われれば、
 証明のしようがない。この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をしたことが分かった。
 寝入ったアチラの物語の夢について、ここでも多く書いてきたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。
 このテーマとは関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと? って。
 ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、私にとって大事なことです!
  毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。それを経験したのだから。
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2555, ホモ・ルーデンス ?1
2008年04月02日(水)
『ホモ・ルーデンス』       ー読書日記
      ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。
「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うならば、遊びの中で始まったのだ」
  ーすべては遊なりー
〜文化は遊びの中にはじまる〜
ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。
まずは ーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。
ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。
「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。
 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。
 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。
 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯しながら、
 今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」
著者は、この真面目と遊びの対立において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを
自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。 そして、遊びの定義として、
「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、
自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、
緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」
「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、
 最も高貴な二つの性質によって充たされている。リズムとハーモニーがそれである」
遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。
最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、自らの能力の輝かしさをためしてみると、
必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。
どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。
この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。
古くからの『すべては空なり』に代わって、おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』が
のし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、ただ精神の無力を思わせるかのようだ。
しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」
 ーー
一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。
次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。
「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」
子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、
そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。
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2007年04月02日(月) 2190, 飲料水について
           オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、
 と言い訳をして失笑をかった。しかし、それだけ水の健康に対する影響も大きいということだ。
 そこで、水の健康に対する効果と、飲み方を調べてみた。
*まずは水と人間との関係は
・人間の体内の水の割合は、成人男子が60?、女子が55%。(新生児で80?、幼児では70?がある)
 年齢と供に水分の比率が減り60歳になると、50%に減少する。
・人間の脳には水分濃度を感知して補給の信号を発するセンサーがあるが、
 歳を重ねると同時に感度が狂ってくる。体内の水分不足に対し喉の渇きが自覚しにくくなる。
・体から1%減っただけで喉の渇きを感じ、2%不足すると脱水症状を起こし、
 6%減では呼吸困難や精神錯乱を招き、20%に達すると、臓器の機能不全で死にいたることもある。
・人の水分の排出は2.5Lで、それだけの水分補給が必要になる。
 一般的には硬水は動脈硬化の予防やダイエットに、アルカリイオン水がガンの予防に、疲労回復には炭酸水が良いといわれる。
(以上、字数制限のためカット 2010年4月2日)
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2006年04月02日(日)
1825, あちら側の世界 ー6        b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー
ーGoogleという会社とは?ー
グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」と定義している。
「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを全部グーグルで作ろう」ということだ。
そのために「世界中の情報を整理しつくす」というが、そう簡単にはできることでない。
グーグルに関して
ー第2章 グーグル?知の世界を再編成するー の概要から考えてみよう。
(これは、あるHPからコピーしたものだが、簡潔にまとめてある)
・グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」
・ネットの「こちら側」であるフィジカルな世界から、インターネット空間に
 浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルな世界である「あちら側」へのパワーシフトが確実に起きる
・情報をインターネットの「こちら側」と「あちら側」のどちらに置くべきか、情報を処理する機能を「こちら側」と
「あちら側」のどちらに持つべきなのか、というトレードオフが、これからのIT産業の構造を決定する本質となる
・グーグルの情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムは、チープ革命を徹底追求した全く新しい
 作り方で自製し、 圧倒的な低コストを実現したという意味において、三大潮流のすべてを体現した存在である
・グーグルのビジネスモデルは新しいバーチャル経済圏を形作ろうとしており、
 「知の世界の秩序の再編成」に新しい富の分配メカニズムをもたらしている
・「情報自身の淘汰」に委ねるという思想のもとに、すべての情報を共有することこそが、組織と情報」
 におけるコペルニクス的転回であり、グーグルの組織マネジメントにおけるスピードとパワーの源泉になる
・サービスにおける「人間の介在」の思想の違いから、ヤフーはメディア、グーグルはテクノロジーという本質的な違いがある
 ー以上だが、
「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」「世界政府があるとしたら、
 そこで開発しなければならないはずのシステムを 全部グーグルで作ろう」というミッションの恐ろしさの一端を、
 多くの人が 実感できたのが、2005年6月に「グーグル・アース」というサービスを始めた時だ。
 無料でダウンロードできるグーグル提供のソフトウェアとサービスを使うと世界中の衛星写真、起伏に富んだ地形の立体画像、
 さらに大都会の場合、建物の意味を含めた詳細の三次元画像を、私たちはパソコン上ですべてみることができるようになった。
 東京の詳細の画像も全部見ることができる。適度の高度からズームアップをしたり、高度を上げて、東京全体を鳥瞰できる。
 これに仰天するが、これは「挨拶代わりにどうぞ」という感覚で、グーグルが世に出したに過ぎない。
 これ一つとっても恐ろしいが、彼らはリアルタイム性や解析度もさらに高め、全地球上の何が起きているかを
 全部閲覧できるシステムをゴールとしているに違いない。チープ革命とは、そういうことを可能にする潮流なのである。
 ーー                
                       (*・_・)y-~~~ ひといき
  ーさらに他のHPにも解りやすい内容があった。
  (以下、字数の関係でカット2008年4月02日)
ーー
先日さっそく「グーグル完全活用本」?創芸者を買ってきたが・・・
次回は「アマゾン」について書く。                         
                      ゝ(-_- ) バイ!
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2005年04月02日(土)
 1460, 頭脳の果て ?読書日記
この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。何げなく手に取ってみたところ、面白い。
前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。ネット書店の「アマゾン」で、
この本の基本情報を取ろうとしたら、この中古本が何と10倍近くの値段で出ていた。
絶版のため、値段が競りあがっているという。書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、
そうでなかったら、売りに出したのだが。(売り手の戦略の可能性もあるが)それにしても、面白い本である。
特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。
天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。
イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。
大まかにいえば、1.リラックスする 2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する
3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。
 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐというような感じになる。
実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に自分の文章を読み返すと、
いつの間に全く違った添削をしている。他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。
 その一つを紹介すると、
1・エレベータのようなものに乗る。
2・ボタンを押すと、他の星に移動する。
3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。
4・その自分と一体になって、ものごとを考える。そして何かヒントがでてくるはず。
5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。
 まあ、大雑把にいえばこうだ。 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、これがヒントかも知れないが。 
更に、いま一つを紹介しておこう。夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、彼らと一緒にいると想像する。 
彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに向けて
努力する気持ちと正直な考えを表現する勇気を持つことができる。自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。
「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい
潜在意識のメッセージに耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。
大脳皮質とそれが持つアイデアを吸収したイメージを形作ることになる。そうすることによって、より優れた能力を
発達させることが可能になる。スター・ウォーズに出てくる、フォースをイメージするのも面白い。
フォースは基本的な訓練やテクニカル・スキルをマスターしてみて初めて得られる威厳ある自由な力
フォースとは、右脳と左脳が完璧に調和したときに同時に作用したときに得られる解放された力である。
(フォースー潜在能力から湧き出してくる力)これらのテクニックは幼稚に思えるが、実際は右脳をフルに使うことになる。
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2004年04月02日(金)
 1095, わからないという「方法」
この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の枠の世界からでない方法のことを
言っているのかーと思ってしまった。それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも同じ。
立ち読みをして、インターネットで調べてみると、わからないと、一度0に立ち戻って1つずつ理解しようとする
努力方法をいっている。ナルホドと肯いたが、わかるとは何かを一度考えるチャンスにもなった。
わかるとは理解することである。といって何処まで理解するとわかったことになるか、あいまいである。
むしろ「わからないという方法で」対象に入り込んでいくとよい。私はあのひとを、わかっているといって全く
わかっていないのが実態である。あれはこう、これはこういうものという勝手な思い込みを捨て去ることをいっているのだ。
異業種参入が新しい業態を作ってしまうケースが多いのは、むしろわからない「方法」を利用している為である。
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2003年04月02日(水)
 728, 天国と地獄
 人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。
その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割といってよい。 事業は経営が順調だと天国、
上手くいかないと地獄である。これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。
 しかし経営悪化で、資金繰りが行き詰まり自転車操業になった時は生き地獄そのものである。
その意味では「日本中は現在は地獄のふたが開いている状態」と経済評論家の高橋乗宣がいっているが、
実感としてよく解る。自民党という鬼が今も利権のため地獄の世界に国民を巻き込んでいる!
何ともいえない日本を覆っている暗い雰囲気は、それを物語っている。 サラリーマンはよい職場か、悪い職場で
それが決まってくる。ある時期に倒産直前状態で大手の資本下にあった会社にいたことがある。
この世の地獄である。お互いの足の引っ張り合い、傷のつっつきあいになる。
また上司の相性も、その分かれ目になる。大の男がトイレで号泣!になってしまう。
 家庭もそうだ、基本の夫婦関係が「あたり」か「はずれ」で、天国か地獄かの分かれ目になる。五分五分でまずは、
試される事になるのだ。いかにいい加減に相手を決めてしまうのが人間の弱点だ。誤解をして結婚してしまい、
理解して離婚というケースになってしまう。 重いうつ病もこの世の地獄である。その人が理想としてつくった家は、
その人にとっての天国のカタチという。なるほど解るような気がする。いま住んでいる自宅は両親が
「自分の人生の最後を飾るため」に造った家だ。 そうすると、私は両親の天国世界にいることになる。なるほど!
私の天国は家内と秘境旅行をしている時だ。 それぞれのカタチがある。
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2002年04月02日(火)
 364,新入社員歓迎会
毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、歓迎会がさらに盛り上がる。
2?3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。
まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。その辺を調整しながら、盛り上げる。 
しかし面白いことこの上ない。若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい!
花が咲いたという例えがピッタシである。それと時代に左右されている。
彼等はとにかく携帯電話世代だ。意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。反面、孤独という一番大切な世界を知らない。
宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると以前事実に近い事があったのではとイメージが湧く


3293, 人みな骨になるならば ー9

2010年04月01日(木)

  * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか
「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。
 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー
試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの現われである。あの広告塔も、
こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、
目の前にある山川草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚をわずかに
持つことができる。一番難しいのは、むしろ他の人間と通底しているという実感である。これは予想外のことだ。
 人間は他の人間との差異に対して最も敏感である。 もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や
「同国民」と連帯しているような感覚を持つことができる。 われわれはスローガンとしての連帯や仲間意識は
大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした観念上のものではなく、目の前の太ったオバちゃん、
向こうからやってくるダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。
 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において自己と他の具体的な成員と
区別をするために発生したのではないかと疑わせる。人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を
通じて進化してきたと主張する学者が多い。 人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベルタイガーや
マンモス相手に開発されたものではない。 異性や仲間との付き合い上、是非とも必要だったのだろう。
自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の
社会生活を生き抜くために必要だったからだ。
 ーー
 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、これを読んで浮かんできた。
人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団における自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、
鋭い指摘である。 40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の分派達との
争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が家庭・親族という事実と同じである。
人間の遺伝子の性格は利己主義という。 それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、
社会の有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と割り切るのではなく、
エゴを野獣、いや野性と看做し、コントロールすることが教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺?

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2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1
2009年04月01日(水)
  新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、
 メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。
 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。
 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。  真の達成感や充実感は、
 多大なコストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
  ー 思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。
 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。
 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 
 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。
 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで
 居酒屋通いをしてきたものとして、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も
 興奮が満ちていた。 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。
 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 
 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。
  少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか?
 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。その一つが  ー効率化とゆとりー 
 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」
 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか?
  身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?
 ・・・・・・・・・
2554, 閑話小題
2008年04月01日(火)
 *予習と復習
 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが
多くなってくる。特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。
そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。
ここにエネルギーの20?を入れると、効果として200?300?の効果になったのである。ところで中高学校、
そして大学の学業は人生の予習であり、熟年期から、その復習期といえる。その意味では、熟年期こそ人生の一番大事な時期と
言えるのである。先日、知人と「若いときの節目の旅行こそ大事ではないか」と話した。その後の人生で長い時間をかけ、
その経験に知識を加えていくこと(復習)こそが、人生をより豊かに彩ってくれるからである。 
一度行った旅行は何時までも続くのである。
 * 客引き・スカウト行為が今日より禁止
4月1日から、「新潟県迷惑行為等防止条例」改正により、客引き・スカウト行為などが禁止され、
50万円以下の罰金が科されるなど規制が強化される。 以前は古町界隈にイカガワシイ男たちが
立って、客引きをしていたが、数年前から新潟駅前も悪質な客引きが目立つようになった。
来年の国体の開催もあり、迷惑行為防止法が実施されることになったが、これが実施されると
ほぼ客引は他の都道府県の実施例からみて、ほぼ姿を消すことになる。 三月になってから、
自警団も駅前にも出来て見回りが実施されているようで、四月からは、少しの客引きでも取り締まられる。
先週末には、警官が二名立って、客引きに警告をしていたようだ。
ピンクなどの客引きも、仕事はできなくなり、少なくとも新潟駅前と古町では仕事はなくなる。
新潟駅構内にも、カラスといわれる「ホステスのスカウト」が目に付いていたが、これで一掃される。良いことである。
 *ガソリン値下げ
道路関連税制を無くすことは非常に結構なことだ。恐らく、自民党は4月に再議決をして成立を図るつもりだろうが、
そのプロセスで数十年間にわたり国民をだまし続けてきた構図が浮き出るだろうから、これだけでも充分である。
これこそ、道路族を含めた建設マフィアとの金つるである。叩き壊すのは当然のことである。
これで地方が更に不況になってもである。
.......
2007年04月01日(日)
2189, 「考える」とはどういうことか? 
   おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ    ー 読書日記    
「近代哲学再考」 竹田青嗣著
ー「ほんとう」とは何か 自由論ー
池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。
「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。
我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。
把握のプロセスから、すでに考えることになる。「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために,
いろいろな経験や知識を組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。
すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである」と定義している。
ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、
私の考える切り口でもある。池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。
ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい!
ーー
「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。
*「物語」を使わずに抽象概念を使用する。
*「原理」を提示する。
*つねに「一から」(根底)から再始発する。
ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、
どのようにして存在したか、人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、
といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。
 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。
ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。
「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、
 誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。
   ??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、というルールで行われる世界説明
  (人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、根本的で究極的な
  「真理」という考え方とは違ったものである。自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、
   という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。
   しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、
   さらにすでに成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、できるだけ深い前提に
   立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、という根本原理によって成立していることがわかる。
   哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、またそれをどう構成すれば、
   より普遍的な(=広い共通了解を生むような)説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な
   方法であり、自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。
  ??について、哲学の重要な点がある。
 それは哲学において、先人の説を聖化しないで常により根源的な仕方で、「一から」考え直そうとすることです。
  (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2006年04月01日(土)
1824, あちら側の世界 ?5
                オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)
ウェブ進化論ー5  ーオープンソース現象ー(2)
 ー「ウィキペディア」について
この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。まずは、この百科事典から調べてみた。

ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、公開されているオープンコンテント方式の多言語百科事典。
ウィキペディアはウィキメディア財団の展開する最初の多言語プロジェクトである。 執筆、編集は主に参加者の
共同作業によっておこなわれており、自由参加型である点にも特徴がある。
 (字数の関係でカット2008年4月1日)
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2005年04月01日(金)
 1459, 遠くにありて日本人 ー2
この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。スペイン在住の日本人画家であったが、その中で
印象的な場面があった。大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、あとは数日間、
その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。
そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。元々頭には、何の構想もないという。
その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。
ただただ、驚いてしまった。それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。
天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。
これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。
その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。
何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。
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2004/12/13
 1350, 遠くにありて日本人 ー1
この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。
 (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2004年04月01日(木)
 1094, 『携帯電話不安症』症候群
先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。メールが来ないと、不安になってしまい
精神のバランスを失ってしまい、不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。
手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、
孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを崩してしまうという。
常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。
いま一つの特徴としては、'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。
それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。
さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、社会をファシズムに走らせる危険性もはらんでいる。
会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、
・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。 ・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。
・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇)   ・冷や汗が出る。
・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群)            ・動悸・息切れがする。
・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群)
  (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2003年04月01日(火) 727,  
「結婚スピーチ 」-読書日記
     ー死ぬまで忘れられない話 ー  
 この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、
色いろの逸話を集めたのだろう。考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。
夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。
 ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。
・ある人がアインシュタイン夫人に、「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」と訊いた。
 それに答えて「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」といった。
(感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、難しい質問をした。
 フォードいわく「それは解りませんが、それが解る人間はすぐ呼べますよ」の逸話を思い出した。
・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。
 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。ーグレタ・ガルボ
(感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている中年女タレント数人に小沢昭一が、
「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。
・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。
 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」(感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき
 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!といわれてしまった。
結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うように 互い努力することと聞いたことがある。
・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。
                           ーマーガレット・ミード
(感想)アメリカの地質学者の言葉だ。  やはり港があるから楽々遊べるのだ。
・結婚は鳥篭のようなものだ。外にいる鳥は、入りたがり、なかの鳥はいたずらに出ようともがく。 ーモンテーニュ
 (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。 そうもいかないか?! 
 夫婦生活は最後は 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。
         「結婚スピーチ 」ー死ぬまで忘れられない話  斉藤茂太著  
                文化創作出版 1996年出版
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2002年04月01日(月)  
363,人に好かれる方法         
 * 聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的感覚が身についてなかった。どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。
即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した? もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。特に聞き役は大変だ。そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を
考える事である。と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。誰か聞いて欲しいのである。また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」「今度は逆をやってみよう!」
ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。その時読んだ本が「教祖の話術」?赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。
行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

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