堀井On-Line
2010年03月11日(木)
* 9・11テロを予測していた投機筋 為替のディーラーをしていた人の著書「新・マネー敗戦」に刺激的な文章があった。 「・・・2001年の7月からスイス買いが始っていたのである。それは、何らかの危機が迫っているを察知していた 投機筋がいたからだ。当時、北米からの資金がスイスに大量に流れているという構図があった。 さらに、欧州通貨でみてもスイス買いが進んでいるのが英国ポンドである。ユーロではスイス売りが進んでいるのに、 ポンドでスイスが買われているということはつまり、欧州通貨内でみる限り、米ドルに何かが起こることを示唆している ともいえるのだ。以上の理由から、米国発、あるいは北米発の金融危機が起こるかもしれないとう漠然とした予測が 脳裏をよぎり、ドル・スイスに関しては「ドル売り・スイス買いにしたままで、二ヶ月後の9・11を迎えた。 これは偶然の一致の域を超えていた。明らかにスイスはニケ月前から危険信号を発していた。 このトレードセンターの崩壊を明らかに察知し、それで儲けようとした一団がいたのである。 9・11の夜ほど、肉食系投資家という見えない存在の恐ろしさを感じたことはなかった。」 ところが、先日に購入した「ドル亡き後の世界」にも、「・・この日の一週間前から航空会社の株式の出来高が10倍になり、 航空会社株には大量の空売りが入っていた。このテロ後に、これらの投資家は天文学的な大儲けとなった」とあった。 誰がいったいテロが起こることを知っていたのだろうか。 当時、週刊誌に一時取り上げられたが、その後、 何時の間にか、そのことを取り上げなくなった。 世の中には、私たちの知らない世界があるようだ。 あのテロはアメリカ軍事産業の業界に膨大の需要を発生させた。 数日前に民主党の国際局長の議員が、 9・11陰謀説を取り上げたことに、アメリカが異常な反応を示した。 陰謀説の仮説は充分に説得力があるからだ。 更にいえば(私の説だが)リーマンショックも、「100年に一度、500年に一度の大恐慌になることを見越した陰謀」 という仮説も成り立つ。 これは私が当時から疑問に思っていたことである。 6千兆円以上の返す当てのない国債を、 毒入債権をアメリカ国内だけでなく世界中にばら撒くことにより、一度、現在の通貨をチャラにするチャンスになった。 グリーンスパンに「百年に一度の世界恐慌」と言わせ、フレーズにしてしまい何度も流し、それなら新しい貨幣制度も いたし方あるまいと洗脳させ、まずは新しいドルに替えて裏にもぐった金を表に叩き出し、その後、踏み倒しのための 新ドル、それも交換価値の数分の一に一方的に下げる。 9・11も、リーマンショックも、元もと仕組まれていた 借金チャラのための大芝居という仮説が、生々しく筋として通ってくる。
・・・・・・・・・ 2897,自民党はすでに死んでいる 2009年03月11日(水) ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT) 「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の「自民党はすでに死んでいる」が、 正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにしている。すでに死んでいるのなら、「あの連中」は、 ゾンビの集団ということになり彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が理解できる。 戦後の大部分の間、色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて日本の舵取りをしてきた。 小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように衰退へ導いてきた。 最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が政権を放り出しを含めて未曾有の無策を露呈してしまった。 それを一番身近にみてきた政治ジャーナリストが、彼らの崩壊過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際の悪い醜態が 漫画のように思えてくる。 結論の「自民党はすでに死んでいる」の理由を、本の末尾で以下のように述べている。 《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う機会があった、その時彼は 「自民党は、小泉という奇人が登場して、たまたま助かった。だけど、小泉がいるから助かったので、 この人がいなくなったら自民党は終わる」と。 その時に喩えたのが自民党は恐竜だったと。 その恐竜は、森政権が最後で、倒れてしまったけど、小泉が一人出てきて、それが支えてきただけ。 それがいなくなれば倒れるだけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》 ーここで上杉隆は自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー ・麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、自民党がまだ古い自民党の 手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」といっていることに、気がついてないことである。 ・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で見てきたので、それを在任期間で使わないと 死ぬに死ねない。もう全ての人は彼を見捨てていている。彼は死んだまま存在しているに過ぎない。 しかし、その権限の絶大なことだけは知っている。その効果も・・・ ・自民党はだれでもいいんでしょう。 政権与党でいることが自民党の目標であるから。 ・2009年、大きく変わることは3つある。政治と、行政と、メディア、この3つである。 なぜ国民が国民が必死になって自助努力をして、家族を抱えながら、やっているのに。 金融だって、農業だってとっくにオープンになって、それでも頑張っているのに、なぜマスコミと、 役人と、政治家だけが護送船団方式で安全なところにいて、一切変わろうとしないんだ。 ・「自民党政権は、政権担当能力がないことを自ら認めているのだから、もう下野でしょう?と」国民は深く実感しているのに、 字もマトモに読めないアフォウ首相が政権に汲々としている。国民からしたら、民主だろうが、自民だろうが、 もともに政治をしてくれればよい。 自民党は耐久年数が、すでに終わっている。 ー 以上だが、さすが政治ジャーナリストである。現在の自民党への国民のさめた目を、チャンと押さえている。 政治家、官僚が悪いと思っていたが、マスコミの腐りを指摘している。 国民はマスコミのコントロールを冷静に見ているし、またインターネットという別チャネルを獲得している。 そして、先ほどの「三者」のいい加減さをネット上で指摘、批判をしている。 そりゃそうだろう、何にも分かってない若い記者が、知った風に書いても、人生経験の深い人が ネットをフルにつかって情報を得ている。 むしろ一般の方が遥かにプロ化している。 それは政治に対してもいえること。ゾンビの醜態劇場も、とにかく大衆の民度が低いと騙される可能性がある。 ここまで酷いと大丈夫だろうが・・・ ・・・・・・・・・ 2533, 人間魔界図鑑 2008年03月11日(火) この事業を始めて28年になるが親戚縁者は、一人も入れてない。実家の会社で子供の頃から父と兄との葛藤や、 親戚の従業員のイザコザを見てきたからだ。親戚の場合、首を切りにくい。彼らは親戚の立場を利用しようとするから歪みが出るし、 これほど使うほうからして、タチの悪い相手はいない。その逆も言えるのである。立場違えば、これほど微妙な相手はいない。 姉の舅も20年近く勤務していたこともあるが、・・・ まあ、やめておこう。次の文章が、人間の本性を辛らつに書き表わしている。 ーー 「金と口の出し方」 Pー25 「君はまだ若いから、わしの意見をきいておけば、何かの参考にはなるだろう。 わしはね、これでもずいぶんひとの面倒をみた。ぽんぽん金もやった。たくさんんの人間を一人前にしてやった。 ー君、君もすこしは人に知られるような人間になってみなさい。蟻やら蝿みたいな奴が、ウヨウヨとたかってくるよ。 そんな奴にかぎって、みんな面倒をみられ、金をもらい、一人前にしてくれるのを当然と思ってるな。 そうした意味でいちばん不愉快なのは、あかの他人より、知人親戚という奴だな。 わしがこうなるまでには、血の小便を出すほど奮闘した。しかし、むろんわしひとりの力とは思わん。 恩になったひとはずいぶんある。しかし、そういう知人親戚と称する奴とは何の関係もないな。 なかには、生まれてから、いちども顔をみず、名も知らなかったような親戚が続々と現れてくる。 叔母の従兄の細君の妹が嫁にいった先の義弟なんて連中だ。 あの安藤も、わしを叔父さんと呼んどるが、 その口だ。むろん、わしには一切合切みなたかるがままにしておいた」 「・・・・・・」 「ところがだ、それが、ちっともありがたがらんのだ。いや、ありがたがってもらいたくないが、恩を仇でかえす連中が多いのだな。 これをわしの不徳のいたすところなんて、ていさいのいいことをわしはいわん。かんがえてみると、はじめからただで人に たかろうなどという気を起こす人間は、所詮それだけの人間なんだ、むろん、それはそれでよろしい。 そういう連中にかぎって、あまりものにならん。そいつらはたかっただけの勘定を、どこかでじぶんで支払うことになっとる ようだが、それはわしの知ったことじゃない。ただ、よくよく見ていると、はじめわしが金をやり、面倒をみてやったことが、 かえうて害をなしておるのだね。世の中はこれで通ると甘くみる根性をうえつけたらしいのだな。 そうと知ってからは、わしは一切無意味な金は出さんことにした。人間は、自分のカだけで生きてゆくべきものだ」「・・・・・・」 損得をいえば、はした金をやって悪口をいわれん方がトクだよ。しかし、わしもこの年になれば、死んだあとで馬鹿者の悪口が のこることより、この世にじぶんの養成した馬鹿者をのこすことの方がいやだ。 ーしたがって、わしは、わしにちかづく人間はだれでも、その人間の値打ちだけの待遇しかせんのだ」、『極悪人』 ・・・・・・・・、 2007年03月11日(日) 2168, 池田晶子が亡くなった!ー 2 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 先日、8年前に出版された『考える日々』の中古本をネットで買ったが、最近の本を読んでいるためか、一つピンとこない 部分があった! 哲学者も8年で大きく成長するようだ。彼女を偲んで、印象的な彼女の文章を幾つか書き出し考えてみる。 ーー 『人生のほんとう』 ー人の死は悲しいのかー ・・・親しい人が死ぬと、当然「悲しい」という感情が起こります。 ただ、なぜ悲しいのかなと少し距離を置いて考えてみると、第一に「もう会えない」という思いがあります。 その次がたぶん、「かわいそう、気の毒だ」「死んだひとは悲しいんじゃないか」そういう思いもありますね。 でも、これはよく考えてみると、わからないんですよ。ひょっとしたらそれも思い込みではないかと考えることもできます。 死んだ人が悲しいと思っているかどうかはわからない。死ぬのが本人にとって悲しいことなのかどうか、 われわれにはあくまでもわからないんですよ。だって、われわれは死んだことがないわけですから。 (略)けれど、たいていは、「もう会えない」という感情のほうが、悲しみの内容としては強いのでしょう。 でも、その「もう会えない」とはどういうことかと考えてみると、裏から言えば、会えたこと自体が、 そもそも奇跡的なことだったと気がつくことになる。つまり、なぜ存在するのかわからない宇宙に、 なぜかわれわれは存在していて、なぜだかわからないけれども、その人と出会ってしまったわけです。 これはすごく不思議で、これ自体が奇跡的なことだったと気がつくと、悲しんでばかりでもなくなる。 驚きとともに、感謝にも似た感情も起こってきますね。また、会えたこと自体が奇跡ならば、なぜまた会えないことがあるのか、 という考え方もできますね。さきほど「無というものはない」といいましたが、いなくなるということは、実は無がないかぎり 「ない」のですから、いなくなるということ、無くなるということはないともいえる。 おそらくそれが、われわれがなぜだか出会ってしまったという奇跡の意味でしょう。 「一期一会は存在の構造です」 ーー 解)昨年末に義母が亡くなった時に悲しんでいる家内に、{亡くなったとしても、自分の生きてきた過去が消えるわけでなく、 母親が生きているより身近な存在になっただけ。「いま・現在のここ」で母親を思い出せば、会っていると同じではないか。 もう会えないということ自体、将来のことで今のことではないか。いま、キッチリと母親と心の中で会話ができれば、 それでいいじゃないか。}と諭したところ、「それでも会えないという事実は事実。」と言い張る。 「それでは、貴女が明日、来月生きている確証がどこにある?灰になってしまった母に会いたいというのはセンチメンタルな感情。 それはそれで良いが、悲しいという気持ちは、死という在りもしない言葉に縛られた感情でしかない。 そこを早くしないと、『母の死というイメージ』に降りまわされているだけ!死のイメージを早く払拭すればよい!」 ーー 『あたりまえのことばかり』 ー言葉はそれ自体が価値であるー 生きるために必要なものは、言葉であって、金ではない。なぜなら、金のために生きる人もまた、 なぜ金のために生きるのかを問うためには、言葉によらなければならないからである。 生きている全ての人は、問わなければならないからである。「なぜ人は生きるのか」。 したがって、言葉はそれ自体が価値である。人がそのために生きるまさにその価値である。 価値とは思わないもののために人は生きることをしない。それなら、「真善美」という言葉は、 われわれの全生活をその根底において衝き動かしている価値そのものではなかろうか。 価値ではないものを間違えて価値だと思うためにも、これらの価値による以外にないのだから、われわれの人生とは 言葉そのものなのである。「売れなければしょうがない」、そう言う彼らが間違えているのは損得という価値と善悪という価値だ。 しかし、値段は価値ではない。逆に、言葉に値段がつくと思うそれがその人の生の価値だ。だから、安い言葉を大量に売り飛ばして 平気なのである。「読まれなければしょうがない」、言葉を仕事に選びながら、なぜそう言うことができないだろうか。 ーー 解)言葉自体が価値とは、自分が絶対と信じていることそれ自体が、言葉の羅列としてこびり付いている 絶対確実言明でしかない。その絶対確実言明(信じきっている価値)自体も小さな自分の体験か、 親か世間様の価値をそのまま信じた結果でしかない。 頭の良し悪しは、言葉がストンと脳に入るかどうかで決まってくる。 他人事ではないが、「本を読まない人は、ストンと言葉が脳に落ちない」のだ。 体験を経験に落とし込むには、そこに言葉を介して脳に刻み込む作業が必要になる。 その為にも言葉への変換能力と、逆に言葉から脳への変換作用が必要となる。 ~~ヾ(´ω`●)バイ(●´ ーーーーーーーー 2006年03月11日(土) 1803, 閑話小題 (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○ ー日曜日の殿町 先週の話になるが、家内が所用で留守なので日曜の殿町にウオーキングを兼ねて行ってみた。 日曜日に飲み屋街に行くのは十年に一度あるかないかである。 17時半の殿町の実態は! スナック・バーは殆んど休み。駅前のチェーン店の居酒屋は全て営業。個人の居酒屋の三分の一が営業。 ピンク系はホボ休み。そこでマンションの1Fにある古びた居酒屋に入ってみた。 40年営業を続けていて、マンションなどの立ち退きなどで、この店で三店目という。 居酒屋にしては、ネタがそろっていたが、客単価は居酒屋として上の下?ー4000円位。 「開いていて客が来てくれれば、それでよし」で、用が無いかぎり店は開いているという。 何軒か店を覗いてみたが、その時間帯でも数人の客が入ってきた。 コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙ アチチ! ー道州制についてー 道州制について以前にも書いたが、最近になって新聞に大きく扱われだした。 市町村大合併の次に、道州制も流れだろう。47の都道府県を五分の一にして、思い切った権限委譲は、 日本国をスリムにするベスト?の方法である。情報化が進んだ現在、県そのものの機能は遅かれ早かれ必要はない。 時代の変化に対応していく為にも必要なことである。反面、州都の所在地以外は間違いなく寂れるだろう。 ある新聞の全国知事調査で、道州制賛成の知事が47人中27人。反対が二人。 どちらでもないが18人という。 知事のかわりに首相制度にして、現在の日本の首相制度を大統領制度にすれば、役割がハッキリする。 その位のことをしなければ、この日本の行革は追いつかない。 ー自民!どうしたー 自民党のライブドアの送金指示メール問題で、前原民主党代表への風当たりがあまりにも弱い。 推測するに、前原代表が改憲論者で憲法改革が待ったなしの現在、自民党にとって前原の方が組みやすいからだ。 小沢一郎が表舞台に出てきたら、自民党にとってマイナスになる。 国会対策委員長が渡部恒三になったのだから、鳩山が代表、幹事長が小沢も考えられる。 それにしても、渡辺恒三が国会対策委員長になったと同時に、風が変わるのだから、政治は面白いものである。 ε(´',_c')зβyё ・・・・・・・ 2005年03月11日(金) 1438, BOSEのステレオ 先週の店舗ショーのあるブースで立ちすくんでしまった。今まで聞いたことのない生演奏のような音楽がコンポから 聞こえてきたのだ。立体的な音響効果がきいた上に、それぞれの楽器が分かれて聞こえてくるようであった。 (好きな人なら、格別取り立てる音ではないだろうが、音の世界には全く無粋な人間の話である) 看板を見ると「BOSE」という名前が目に入ってきた。立ち止まって聞いていると、セールスの人が話しかけてきた。 その内容をリアルに再現してみる ー凄い音でしょう! これこそ音響マニアが百万円以上をかけて部屋に音響機器をセットした音です。 誰もここで‘信じられない’と立ちすくんでしまいます。新商品で、まだ一般には売られていません。 コンサートの音を解析したボーズ博士がある発見をした。その研究から解ったことは、楽器からリスナーに届く直接音は10?。 残りはまわりの壁、天井に反射して到達する間接音であること。間接音が音の暖かさ、臨場感、豊かさを認識させる大事な 役割があるとわかった。この発見からスピカーで20世紀最大といわれるモデルが誕生した。 その理論を発展したのが、この小さなステレオです。全面左右に二個。 側面の両側に二個。後ろの両側に二個。 (字数制限のためカット 2010年3月11日) ・・・・・・・・・ 2004年03月11日(木) 1072.つれづれにー今日はお笑いの日ー3 ーお笑い ジョーク・ユーモア辞典より (字数の関係でカット2009年03月11日) ・・・・・・・・・ 2003年03月11日(火) 706, スーパーTV-コンビニ戦争 昨日の21時のスーパーTVの番組が面白い。私の初めの事業の立ち上げが、郊外型貸しビルであった。 ところがドルショックがカウンターパンチになってしまった。 誰もテナントが入らないのだ。 これが良かったのか悪かったのか?! いかなる場合でも最悪を想定しなくてはならないことが、骨の髄まで知ることになった。 その一角で養老の滝のフランチャイズに参加して、日本で初めての郊外型居酒屋を始めた。日経流通の記事に大々的?出た。 (字数制限のためカット 2010年3月11日)
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2010年03月10日(水)
「裏読み日本経済ー本当は何が起きているのか」 朝倉慶/ 著 ー内容ー 資本主義は「神の見えざる手」ではなく「人の見えざる手」で動く!今の資本主義の中核となっている市場が、 「神の見えざる手」によって機能しているのなら、経済はうまく回っていくはずだ。ところが市場は時として 不思議な動きをみせて大きく崩れる。そして、ブラックマンデーや日本のバブル崩壊などの大暴落にの裏側には、 つねに莫大な富を手にする人たちがいた。決して表には出てくることのない資本主義のタブーに迫り、 「神の見えざる手」ならぬ「人の見えざる手」の存在を証明する。 <詳細>いま「日本売り」を仕掛けているのは誰なのか?株式と国債の大暴落から国家破綻までも 視野に入れた恐るべきシナリオとは?経済を裏側から動かしている仕組みをすべて教えます。 第1章 世界はデフレなのかインフレなのか(いまはデフレなのか、インフレなのか? ;40兆円の需給ギャップが日本をデフレに陥れている ほか) 第2章 これから起きるのは国家破綻の連鎖(ドバイ・ショックの本当の意味 ;世界経済はごまかしでもっているだけで、実質的には破綻 ほか) 第3章 金融ゲームの裏側で何が起きているのか (どうとでも説明できる相場の動き;お金の量が相場の世界の勝敗を決める ほか) 第4章 市場はどのように支配/コントロールされているのか (株はこうやって操作される;政府はなりふりかまわず景気対策に奔走する ほか) 第5章 恐慌経済を操る恐るべきカラクリ(SQという先物を作ったのは誰か;ブラックマンデーはこうして作られた) ~~ 面白い本である。先日の日曜日に「マネー敗戦」「新・マネー敗戦」を再読し、「ドル亡き後の世界」と、 この本を読んで、何か虚無感に包まれてしまった。要は、我われはアメリカに「紙切れのドルと、アメリカ国債の 金融システムに組み込まれて、真面目に働いた貯蓄を巻き上げられいるのである。今度のリーマンショックも、 加害者はアメリカだが被害者は全世界。アメリカも傷ついたが身を切らせて骨を切ったのである。世界の混乱の中で、 膨大の借金を棒引きをするのが狙いである。リーマンショックも、彼らの国家戦略と仮説を立てると、合点がいく。 戦後の日本の政治家と官僚はアメリカの間接占領の中で、忠実な犬という仮説も、あながち穿った見方ではない。
・・・・・・・・ 2896, オーラをみたことがあるか? -2 2009年03月10日(火) *それをブロッケン現象というらしい! 前回の「オーラをみたことがあるか?」を書いた翌日、これを読んだ知人A氏が来て「自分も見たことがある」という。 「亡くなった父が登山が好きで、早朝の登山で自分の姿のオーラを見たという。それをブロッケン現象といい、 登山仲間の間では、これを見ると遭難しても助かるというジンクスがある。父も何度も登山で遭難しかけたが、 助かった経験を持つ。そういう自分も、早朝のゴルフで自動散水しているところにゴルフの球を取りに行った時に、 自分の影のオーラを見た経験がある」という。 それをブロッケン現象と言うと教えてくれた。 ドイツのブロッケンという山でよく見ることが出来るので、そういう。 ーそこでネットのウィキペディア辞書で調べてみたー ブロッケン現象は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が回折され、見る人の影の周りに、 虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象。 光輪 ともいう。山岳の気象現象として有名で、尾根の日陰側かつ 風上側の急勾配の谷で山肌に沿って雲(霧)がゆっくり這い上がり、稜線で日光にあたって消える場合によく観察される。 航空機から見下ろす雲や、平地でも川霧等に現われることがある。 ・虹に比べて、見かけの大きさは10分の1程度と小さく、光の輪は何重にもなる場合がある。 また、見る人の影が十分小さければ、中心点にも輝点が見られる。内側は青色で、外側は赤色。 ・ブロッケンの妖怪(または怪物)とも呼ばれるが、日本では御来光、山の後(御)光、仏の後(御)光、あるいは 単に御光とも呼ばれる。これは、古くは阿弥陀如来が姿を現したと考えられていたためである。 槍ヶ岳開山を果たした僧・播隆の前に出現した話が有名。 ーー 私が母のオーラを見たときは、早朝の靄〈モヤ〉がカカッテいたため。ただ、あれが私が経験した稀な現象でないことを 初めて知った。昔の人が自分のオーラを見たら神の仕業と思うだろう。私は、人体の周りにはボデーフィールドが在ることを 知っていたので、たまたま見えたと思ったが。自分のブロッケン現象を見てみたいが、無理か。 ・・・・・・・・・ 2532, ウェブ時代 5つの定理 ー2 2008年03月10日(月) ーまずは第3の定理の概要から 第3定理は「技術者の眼(め)」である。21世紀のビジネスは、科学と技術を抜きにして考えることはできない。 アントレプレナーシップとチーム力を、その根底で突き動かしているのが「技術者の眼」だ。 シリコンバレーの中核には、 科学や技術を愛する人たち独特の価値観が深く根付いている。起業家やエンジニアばかりでなく、経営者、投資家や 金融機関にまで、文系的な管理者的な論理とは全く異なる精神が貫徹されている。特に2つのことが重要である。 ・1つが西海岸特有のカウンターカルチャー(伝統的・支配的な文化に対抗する文化)から強い影響を受けた思想である。 ・もう1つが「大きな技術の流れに逆らっては絶対にダメだ」という考え方である。 ≪カウンターカルチャーは中央集権化された権力に軽蔑(けいべつ)心を示し、まさにそれが、 リーダー不在のインターネットの世界だけでなく、PC(パソコン)革命に対しても哲学的基盤を与えた≫ これは、1960年代から70年代のカウンターカルチャー思想を牽引し70年代にシリコンバレー発で始まったPC革命から、 現在進行中のウェブ進化に至る思想的基盤には、技術こそが反中央、反権威、アンチ・エスタブリッシュメントの個をエンパワー (力を付与)するものだという考え方が根強くあった。その力を起爆剤に現状を破壊し、フロンティアを切り開こうというのである。 事実、PCは誕生当初から、個が技術を使って権威と対抗できる革命的な道具として産声を上げたものだ。 個人一人一人の自由を最大限尊重すべきだとし、国家や体制に縛られるのを嫌うリバタリアニズム(自由至上主義)に、 個の力を強めるパーソナルテクノロジー、管理されないネットの自由を信奉する考え方が結びついたのだ。 ーー 解)著者は「中央集権的な、経営者的な、社会的な視線より、全く違ったPC革命を見通せる技術者の目が必要」と看破している。 それは一人一人の自由を尊重する考えである。これはオープンソース化に繋がるものである。それとオープンソース化などで、 技術が日々革新されていく中で、革命的な技術者の目が更に必要になる。世界の頭脳が繋がってしまったから、 そこには止まることのない進化が核爆発を起こしているのである。その爆発の先を透視できる技術者の目こそニーズとなる。 全く統制経済の社会主義とは何だったのだろうか? 逆だったのである。 世界はネットで根底から変化を始めた。 「全く違う地球が、もう一つ出来た」と著者が述べているが、その象徴がグーグル・アースである。 そして、少し違った切口になるが、アップルの「iMac phon」である。 ー つづく ・・・・・・ 2007年03月10日(土) 2167, 「日の名残り」 ー1 読書日記 才八∋ウ _〆(∀`●) 福田一男著「成熟への名作案内」で紹介してあった本である。さっそく、インターネットで取り寄せた読んだが、 英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)が執事スティーブンスにー偉大さの条件は、品格にあるー と言わせているところが良い。 ー2007/01/20 に「2118, 品格について?2 」ーで書いたが、その本の中で、他に幾つかのプロとしてのあり方、 そして品格について、英国的文化にも興味を引かれる。英国の上流階級のマナーと考え方と教養とは何かを、執事の眼を 通して論じている。ホテルのマネジャーの職業に似ているところがある。何か反省させられるところが多い本であった。 パタゴニアに行ったとき、ツアーの品の良い中年の添乗員が、若い時に何年間か英国暮らしをしていたといっていた。 (大手銀行系から脱サラしたが、事業に失敗して・・・・)「執事のつもりで、何なりと仰せ付け下さい」という言葉の通り、 執事のように自分を押し殺し手際よく役割をこなしていた。この本を読んでいると英国の歴史の深さと豊かさが感じられる。 イギリスといっても、その背後にはオーストラリア、南アフリカ、カナダなどの国が連邦をなしていて、 英国人が多く住んでいる。日本とは、その隠れた豊かさのレベルが違うようだ。 ーー 旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がある。その老人の言葉がよい!「なあ、あんた、わしはあんたの 言うことが全部理解できているかどうかわからん。だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。 いいかい、いつも後ろを振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。 何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。わしを見てごらん。 引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー「人性、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。 足を伸ばして、のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方がいちばん一日で いい時間だって言うよ」男が立ち去ってから20分ほどになります。私はここに残り、いまの瞬間をー桟橋のあかりが 点燈するのを待っておりました。さきほど申し上げましたが、楽しみを求めてこの桟橋に集まってきた人たちが、 点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。 しかに、多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間なのかもしれません。 では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめという男の忠告にも、 同様の真実が含まれているのでしょうか。 ーーー 執事の自分語りの言葉を通して、イギリスの田舎の光景と文化を浮かびあがらせている。今年の旅行は、イギリスか アイルランドへ?と誘惑にかられる本である。品性か?!その視点で自分の人生を振り返ると、それは教養の深さに結びつく。 といって、品性とか教養を信じちゃいけません。ローマ帝国以来、それを自認して来た連中の残虐非道をみれば解ること。 結局は、アブラハムの発明した神に問題がある!といえるのか。(生意気そうに? これ先日亡くなった池田晶子の言葉!の租借) ーつづく (⌒▽⌒)/"”さいなら! ・・・・・・・・・ 2006年03月10日(金) 1802, 世界三大 (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○ 「世界三大○○」と検索してみて、その種類の多さに驚いた。世界中で代表するような存在として、滝、山脈、料理、絵画、 美術館など思いつくが、それ以外は考えたことがなかった。それに興味を持つ者たちにとっても、三大という意味は大きい。 その3つを制することは、世界を制することにも等しい。本当に「世界三大」がどうか?より、「そう呼ばれる」ということが 基本であり、かなり微妙なものが多く含まれている。ナイアガラの滝など、世界の滝を見てきて、非常に疑問である。 ーその幾つかをインターネットでコピーしてみたー 世界三大というと一時でも細事から離れ、大きな気持になれるからよい。(゚ω゚)(。_。)ウミュ(゚ω゚)(。_。)ウミュ ー*自然、地形 ? 世界三大河川 アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川 世界三大運河 キール運河、スエズ運河、パナマ運河 世界三大瀑布 イグアスの滝、ナイアガラ滝、ヴィクトリア滝 世界三大夕日 釧路市、バリ島、マニラ ー*構造物・建設物ー 世界三大天然橋 雄橋、プレヒシュ、ロックブリッジ 世界三大図書館 大英図書館、アメリカ議会図書館、フランス国立図書館 ー*遺跡 ? 世界三大陵墓 始皇帝陵、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、クフ王のピラミッド 世界三大秘宝 ツタンカーメン黄金のマスク、ミロのヴィーナス、モナ・リザ 世界三大宗教空間 法隆寺(日本仏教)、サン・ピエトロ大聖堂(カトリック教)、 《パルテノン神殿(ギリシャ神話)、タージ・マハール(ヒンドゥー教)》 ー*文化・芸術ー 世界三大劇場 オペラ座 (パリ)、コロン劇場(ブエノスアイレス)、スカラ座 (ミラノ) 世界三大歌劇場 ウィーン国立歌劇場、オペラ座 (パリ)、スカラ座 (ミラノ) 世界三大バレエ団 ロイヤルバレエ団(イギリス)、オペラ座 (パリ)(フランス)、ボリショイバレエ団(ロシア) ー*世界三大美術館 ー エルミタージュ美術館、ルーヴル美術館、メトロポリタン美術館 、ミレー美術館 世界三大国際映画祭 カンヌ国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭 世界三大交響曲 運命(ベートーヴェン)、未完成(シューベルト)、新世界より(ドヴォルザーク) 世界三大ピアノ協奏曲 ベートーヴェン(第5番「皇帝」)チャイコフスキー(第1番)《リスト(第1番)ラフマニノフ(第2番)》 世界三大ヴァイオリン協奏曲 ホ短調(メンデルスゾーン)、ニ長調(ベートーヴェン)、 《ニ長調(チャイコフスキー)、ニ長調(ブラームス)》 世界三大行進曲 旧友、軍艦行進曲、星条旗よ永遠なれ 世界三大叙事詩 イリアス、カレワラ、ラーマーヤナ 世界三大近代建築家 ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ 世界三大肖像画家 東洲斎写楽、レンブラント、ベラスケス 世界三大文豪 シェイクスピア、ゲーテ、ダンテ 世界三大ファンタジー 指輪物語、ナルニア国物語、ゲド戦記 ー*食ー 世界三大料理 フランス料理、トルコ料理、中華料理 世界三大珍味 キャビア、トリュフ、フォアグラ 世界三大スープ ブイヤベース、ふかひれスープ、《トムヤムクン、ボルシチ》 世界三大ハム プロシュット・ディ・パルマ、ハモン・セラーノ、金華ハム 世界三大ブルーチーズ ゴルゴンゾーラ、スティルトン、ロックフォール 世界三大果実 マンゴスチン、マンゴー、チェリモヤ ー*経済・産業ー 世界三大経済(金融)都市 ニューヨーク、東京、ロンドン 世界三大発明 活版印刷、火薬、羅針盤 世界三大モーターショー デトロイト・モーターショー、東京モーターショー、フランクフルト・モーターショー ー*スポーツ・競技ー 世界三大スポーツイベント オリンピック、FIFAワールドカップ、 《フォーミュラ1、世界陸上選手権、ツール・ド・フランス》 世界三大レース(モータースポーツ) インディ500、モナコ・グランプリ、ル・マン24時間レース ー*宗教ー 世界三大宗教 イスラム教、キリスト教、仏教 世界三大聖人 釈迦、イエス・キリスト、《マホメット、孔子、老子》 世界三大聖地 エルサレム、バチカン、マッカ(メッカ) 世界三大聖堂 ウェストミンスター寺院、サン・ピエトロ大聖堂、カテドラル (セビリア) 世界三大悪妻 クサンティッペ(ソクラテスの妻)、コンスタンツェ・モーツァルト (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻, 《ソフィア・トルストイ(トルストイの妻)、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (ナポレオン・ボナパルト第一夫人)、北条政子(源頼朝の妻)》 世界三大美女 ヘレネ、クレオパトラ、楊貴妃 世界三大予言者 ノストラダムス、ジーン・ディクソン、エドガー・ケイシー 世界三大植物園 キューガーデン、ベルリン植物園、モントリオール植物園 マタ! ’ω‘●)ノ ・・・・・・・・ 2005年03月10日(木) 1437, 感動について 人間の一番重要な能力は感動である。感動力という言葉もあるが、その能力は‘感動の回数と質の賭け合わせ’ により醸造される。「質の高い感動をいかに多く体験をするか」が人生のポイントになる。 親は子供に、感動体験をシャワーのようにチャンスを与えることが、躾と同様に一番の家庭内教育になる。 展覧会、音楽会、名作映画、本、旅行、自然などに直に接する機会を増やしてやることだ。 それは個人ー自分自身ーにも言えるが。感動は自分を変えてしまう力がある。 その都度、感受性が鋭く豊かになっていく。 感動は、対象の振動に共鳴することである。 共鳴は対象と同一化することになる。共鳴するほど、振動の対象が内面に焼き付けられるのは、同一化のためである。 そして奥に沈殿し、心の豊かさになる。感動の最高のものが歓喜になる。いや歓喜は、その一歩手前の経験でしかない。 歓喜さえ通り越してしまっている状態が至高体験である。感動体験は自分の小さな殻を叩き割る役割を果たす。 その殻からの脱皮が重なりが多くの対象の波動に敏感にしてくれる。「一流のものを見て聞いて、体験しなさい!」とは、 そこから出ている波動に共鳴しなさいという意味である。人間も本も、然りである。良い学校に行きなさい!というのは、 良い先生、良い仲間に出会えるからだ。もっと青少年の頃、本を読んでおけばよかったと悔やまれる。今更だが。 ・・・・・・・・・ 2004年03月10日(水) 1071, フランチャイズ・ショー ?4 三日間もいると見る必要のないと思われるものまで見てしまう。コンタクトレンズ・ショップ、中古ゴルフ用品、中古釣具、 結婚紹介所、近視矯正器具販売、などなど。以前より関心のあった介護ビジネスも、経営という面で面白い。 数年で投資回収が可能なのだ。この厳しい経営環境の中で異質の世界であった。その中でデーサービスに絞ったFCがあった。 新潟では乱立ぎみで来年度で飽和状態になるというが、一年で投資回収可能のケースもあった。 ところで会場に足マッサージ器具の展示品があった。毎回、必ず会場で販促をしているのだが、行く度にドンドン良くなっていく。 プロが足を揉んでいるようであった。足を両側から包み込んで強く圧縮する。但し上代15万、割引で8万円もしたが、 それだけの価値があったようだ。健康機器もドンドン良いものが出てきている。フランチャイズ・ショーの会場は 今の第4次産業の見本市でもあった。今の時代、経験をパックにして売ることも買うことも可能なのだ。 ・・・・・・・・ 2002年03・10 旅行中で書きみなし
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2010年03月09日(火)
図書館で書棚を見ていたら「焼鳥は何故串刺しか?」という本があった。 「何々??」と手にとってみたが、成るほどと思う部分があった。迷ったが借りてはこなかった。 記憶に残ったことといえば、ー 串刺しにすると ー ・何本食べたか出す方も、食べる方も分かりやすい。 ・串は食べやすい。箸を使うことなく串を口に持っていける。 ・皮、ハツ、モツ、軟骨など、多品種にできる。 ・焼き台で焼くのに串が最適。 (かつ火が通りやすく、生焼きを避ける) ・肉や内臓の切れ端が無くすことができる。 ・内臓など安い材料のものを、串に刺すことで、見た目に良く見える。 このように、改めて考えると要領を得ている。 最近、串刺しをしないで、材料を焼くだけの焼鳥を居酒屋で見かけるが、何か様にならない。 串焼に刺した肉や魚などを鉄板の間に挟んで焼く専門店がある。駅前に一店しか成立をしないが、焼き鳥の方が人気が高い。 串ものといえば串団子がある。これも串刺しにすることで一々箸で摘むことなく食べることができる。 蒲焼も串を通して焼くが、出すときは串を抜く。 焼き鳥の焼き台で一本一本がクルクル回転するものや、ベルトコンベアで一回転する間に自動的に焼き上げるものもある。 また火も炭のような金属を熱して焼くものなど、色いろな工夫もされてきている。冷凍は客に嫌われるので、 食肉屋が串に刺したものを配達するのもある。豚肉や内臓を串に刺す焼とんは、戦後の食糧難のときに苦肉の策で できたという説がある。最近、スーパーなどで中国製の冷凍のものを見かけるが、やはり焼き鳥屋で酒を傾けながらが良い。
・・・・・・・・・ 2895, 不況景色 -9 2009年03月09日(月) 去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々になっている。 この一年で中国で二千万人、アメリカで四百万人の失業者が増加。直近の12・1・2月の三ヶ月で アメリカは200万人が失業をし、それは年率にすると800万人。中国は今年は更に二千万人が失業するという。 日本も水面下で失業が増え続けている。来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより失業者の激増が予測される。 昨日の朝日新聞の一面トップで「失業者 雪崩打ち生活保護へ」ー1月は最多の116万世帯ーと報じていた。 5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、25年前の79万からみると、異常な増加。 この事態の中では当然だが、それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。 ・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、支出が25万。残りは預金の取崩しや子供からの援助など。 ・国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、二人で13万あまりだから、 ギリギリまで働かないと個人営業者は生活できない構造になっている。 ・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他11万1千円。 地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。 だから日々が刺激があって面白いが、反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。 この百年か数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。イギリスでは、あのロイドが国家管理になり、 4大金融機関のうち2つが国家管理になってしまった。まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ 企業倒産が続くことになる。その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、毎日が生きた心地がしないが、成るがままに 身を任せるしかない。 今さらジタバタしても、しなくても同じことである。 現金商売というのが、目先は何とかしてくれる。 1~2年は何とか大丈夫? 二年後には駅前再開発による道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、 まずは二年さえ凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・・。 それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。 ・・・・・・・・・ 2008年03月09日(日) 産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。 梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。 その5つの定理とは、 その1 アントレプレナーシップ その2 チーム力 その3 技術者の眼 その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」 その5 大人の流儀 になっているが、 まずは1と2の概要をまとめてみよう。 第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、 飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまで やりぬく気持ち、といった要素がこの言葉には含まれる。 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫ これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレーの そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源になっている。 第二の定理はチーム力 ≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫ この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、自分を向上させたいと常に思っているから、 自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、 という意味である。チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを 組成するところから始めなければならないという経験則が、この言葉の背後にある。 ≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。 理想のプロジェクトチームは、会議もせず、ランチを取るだけで進んでいく。 チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫ これは、サン・マイクロシステムズ共同創業者の ビル・ジョイの言葉である。マイクロソフトもアップルもグーグルも、すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。 「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、資金でも設備でもなく、 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。 ーー この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、 そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。研究都市だから、少し違うとしてもである。 ・・・・・・・・・ 2007年03月09日(金) 2166, 日本の人口動態の推移 オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン! 「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記 解りやすく、面白い本である。その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。 日本の人口が一昨年から減少に転じた。それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように 推移していったのか知りくなるのが人情である。人口推移を大雑把にまとめれば、 ・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定。 ・明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、 ・さらに昭和初めから現在までに倍増した。400年で10倍、140年間で4倍、80年間で2倍に増え、今後約100年の間に半分に減る。 ーまずは、そこを書き出してみるー ・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、 1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。日本の近代的な人口統計は1872年(明治5年)から存在する。 この年の総人口は3481万人である。すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。 そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と 近代産業国家をめざして成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。 総人口は1891年(明治24年)に4千万人を 突破し、1912年(大正元年)には5千万人を超えた。人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。 ・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は 約2倍に増加したわけである。 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。 総人口はさらに増え続け、 ・1936年に7千万人、・1948年に8千万人を突破した。終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。 1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている (39、45、46年を除く)。 最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。 総人口は1967年に1億人を超えた。1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、継続的に減少してゆくものと見られている。 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、 2010年に1億2747万人、20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、40年に1億938万人になる。 そして、50年に約1億人となり、2100年には、約6413万人になるものと予測されている。我われは、日本列島に生息する 日本人の数が最大になったさまを見ているのである。「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。 日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。 明治から大正期までは、 女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、その後非常に大きな変化があったことがわかる。 これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。 とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが 平均寿命を大幅に下げていた。この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。 この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、 60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。1891年?98年(明治24?31年)において60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。 60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。 現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。 60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。 ーー 以上だが、成人になった平均寿命は、思ったほどは延びてはいない。80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に 戻ると思えばよい。「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた人口が昭和初期の人口に100年かけて戻る」 ということだ。 これだけでも人口動態に関してチョッとした物知りになる。人口減少に対し社会資本は比例しては減らないから 豊かさは増える。その現象に対し、自らを変えていくシステムを構築すればよいだけである。 その意味でも州制度をとり、それぞれの地区に州知事か首相を置いて、思い切った権限の移譲が必要だろう。(o ・д・)ツ バイ! ーここで気がついたが、去年の同日に、やはり野口悠紀雄の読書日記だった。 ・・・・・・・・・ 2006年03月09日(木) 1801, 日本経済改造論 ー読書日記 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪ またまた野口悠紀雄である。このところたて続き読んでいるが、どの本を読んでも 飽きさせないから不思議である。この本では、現在の日本経済の不況の原因が ・1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。 ・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある、と指摘している。 従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から直接金融に移行し、 リスク回避的な企業が市場から直接資本を集め、新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は 立ち行かなくなることを指摘している。企業がリスク回避的であることを利益率の低さから考察している。 食料自給率の低さこそが日本の食糧の確保を確かなものにしていると看破。 人口問題は、人口減少が問題なのでなく、年齢構造の高齢化が問題であると指摘。 日本企業の資本収益率は国際比較で見てもきわめて低いし、長期トレンドとしてこれを高めることは容易なことでない。 郵政民営化は不要であり、他にもっとやるべき大事な仕事がある、それは年金改革と税制改革などである。 第一章では、日本経済の現在を概観 (以下、字数の関係でカット2009年03月09日) ・・・・・・・ 2005年03月09日(水) 1436, つれづれなるままに ー面白い日記のコーナー 10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。 それが書いていて面白い。 実際の日記より書きやすいのである。 それと、現実が良く見える。 なかなか10年スパンで物事は考えにくい。が、日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめることができる。 新しい発見である。我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か? その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。 ーーー ーはなまる・うどんーについて 一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、セルフうどん屋を新潟市内に数店開店をしようとした。 ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。 セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。6千万の投資をする直前で、あと2?3店舗も 出店するはずであった。その後、社長が例の詐欺で問題になった豊田商事の元社員ということが週刊誌に暴かれた。 その直後に牛丼の吉野家に株式の33・4?を売却、その系列化に入った。そして現在、ほぼ出店ストップの状態である。 焦りもあって、調査もしない甘さもあった。軽い損失で済んだのは、不幸中の幸いであった。佐渡で一店だけ 「はなまる」が開店したが、悲惨な状況という風評が入ってきた。経営は、ひとつ間違えば舟下は地獄である。 ・・・・・・・・ 2004年03月09日(火) 1070, 美容整形医師の「美人の定義」 ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。 ーその文章を書き写してみるー 普通、美人と問われれば「目がパッチリ」「肌がきれい」「鼻が高い」「小顔」・・・と思いがちだが全部間違い。 現代美人とは「顔立ちが整っていること」が絶対条件。浜崎あゆみの目であろうが、ベッカムの鼻にしても、バランスが 悪ければ立派なブス(ブ男)である。つまりプロポーションの良いのが美人であり、いくら部品がよくても組み立てが悪くては ブスなのです。一点豪華主義の美人は存在しません。むしろ全部地味なほうが美人なのです。 日本の伝統的美人は雛人形に見られるように、目も鼻も口も全て小さく平べったい顔をしています。 ヨーロッパの美人はミロのビーナスに見られるように、口も鼻も口も全て大きく、立体的な顔をしています。 美人に見せるには、全部大きいか全部小さいかどちらでも良いから均一化して、バランスをとることが重要なのである。 日本人は突出することを嫌います。「出る杭は打たれる」などいって、平均的な小さくまとまった美しさを好みます。 これが美人の基準にもなる。いま一つは、権力によってその基準は左右される。 北朝鮮では「金正日がいい男の面」になっている。欧州の貴族は、それだけで顔立ちに係わらず美人美男になる。 ー以上である。 美人バランス論ということか。中年になってきて、特に45歳を過ぎると急激に体形や顔立ちが崩れるのは バランスが悪くなる為であったと考えると納得できる。本来、化粧はそのバランスを直すためするものである。 わざわざ崩している人がいるが。太りすぎも体形のバランスの崩れを直すため痩せようとするのだ。 固太りの人は、それほど見たほどデブに見えないのはバランスが崩れないからであろう。 西欧的美人より日本的美人の方が歳を重ねた時に美的段差が小さいのは、チマチマしているから バランスの崩れが小さく済むためだ。顔は、その人の家系や過去の集約として現れるが、 化粧一つで誤魔化しがきくから恐ろしい。といって品位などは三日も経てば直ぐ見えるが。 ・・・・・・・ 2003年03月09日(日) 704, [つかず離れず]ー群れない為に 「つかず離れず」は人間関係の基本である。「和して同ぜず」ー和同の精神である。 (仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)「隣の芝生は緑に見えます」 「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。 以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。 離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の解ってない人が多い。スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。 フレンドリーで、お互いに距離を置かないのがプラスに働くのが皮肉である。お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。 群れといえばこういう話しがある。私のある姉が東京圏で、サラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。 そこで色々な家庭を見ていて、子供の数の理想は3人以上と言っていた。「3人以上だと群れという感がする」 「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」といっていたのが印象に残っている。人間は孤独を求めると同時に、 何らかの形で群れてないと生きていけない。 カナダやアラスカで一人で荒野に住んでいる人が街に出てきて人に会うと、 ハイになって話しまくるという。スナックなどでは多く見かけるという。何か解るような気がする。都会のスナックの片隅で 一人飲んでいる人は、人間の持つ両面を裏表にした姿である。 群れの中で自分を見失わないためには、自分の世界をしっかり持ち 距離を保つことが必要だ。 朝鮮人は儒教の影響が非常に強く、家庭の結びつきが日本に比べ格段に強い。 それに比べ日本は幕藩体制を300年続けてきた為か、組織に対する所属意識が強い。侍は藩に?百姓は5人組に 組み込まれていた。韓国人ー朝鮮人と結婚した人はその文化の違いに驚くという。基本的には日本人と全くかみ合わない。 (字数制限のためカット 2010年3月9日)
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2010年03月08日(月)
「ドル亡き後の世界 」副島 隆彦 (著) 10年ほど前から、著者の副島の本を何冊か読んできた。何か山師的な表現で眉唾ものだが面白い。 外れも多いが潮流は的を得ている。 この本も買おうか迷ったが思い切って注文をした。 (そして、土・日曜の二日間ジックリと読んだが、これからの具体的な恐慌のスケジュールが書いてある。) ー以下は、ポイントを荒筋にまとめてみた。 恐ろしいことだが、こんなものだろう。 ・FRBの「景気回復宣言」は大本営発表で、大嘘。アメリカの景気は冬季オリンピックが終了後の2010年3月頃から崩れ始め、 いったん持ち直すものの、2010年末にアメリカは恐慌に突入し2012年が大底となる。 まずは株、為替、債権は世界的に暴落し 「金融恐慌」が顕著になる。一ドルが80円を割り、60~70円代に、ダウ平均は6000~7000ドルまで低落、日経平均も5000円を割る。 ・オバマ政権は経済的な失敗から任期途中で辞任する。 ・日本はいまだ米国債を購入しているが、中国は米国債を徐々に売る準備をしている。 RMBS、CMBS、CDOなどの金融派生商品のリスクが一気に顕著になる。 ・アメリカは借金を返せなくなり、デノミ、計画的インフレを引き起こさざるを得ない。 ・このプロセスで、中国のプレゼンスは必然的に高まる。アメリカ中心の世界は崩壊し基軸通貨としてのドルは地位を失う。 ・個人資金の保護のためには「金」や成長可能な日本株を底値で買うべし。(株価が5000円を割ったとき) ・国家戦略において、アメリカの国家戦略に勝る国はない。軍事力は他国を圧倒、食料も世界一、金(ゴールド)も圧倒的に保有。 ドル暴落で借金棒引き、穀物の暴騰などで逆に潤う。アメリカの借金や財政から考えて、ドル暴落や大恐慌が起こって 一番得をするのはアメリカである。 結局は世界がアメリカは借金の棒引きをしてしまう。これが国家戦略というもの。 ・1ドル=10円時代の到来も有りうる。 日経平均は4,500円を割るのは二年以内?。 ・ドルの暴落後は、ハイパーインフレーション、そしてデノミが起こる。日本は米国債や外貨を溜め込んでいるので、 日本国民の資産が吹っ飛ぶ可能性が大。 既に800兆円もアメリカに貢いでいる。 ・アメリカは現在、増刷した紙切れドルで米国債を買うという禁じ手を使っている。アメリカ自身がもう自国通貨を信用していない。 各国の大使館に現金を送って現地通貨に替えている。2012年の底を経て、3年かけて世界の覇権はアメリカから中国に移る。 したがって2015年には中国が新しい世界覇権国になると予言。 上海万博が開かれる5月1日から10月31日までは、 世界経済や相場に何度か暴落はあっても決定的なものにはならない。上海万博が無事終わったその後にアメリカ発の大恐慌が起こり、 世界経済は地獄を見る。その過程では、日本でも日経平均が一時、5000円を割り、1ドルが70円を割ると言う。 ーー 以上だが、100年、いや500年に一度の変わり目、これより劇的なことが起きても不思議ではない。
・・・・・・・・・ 2894,厭世的時勢に、楽天であること 2009年03月08日(日) 「厭世」とは、まず自己を厭うがゆえに世界を厭う心の習性をいう。「楽天」とは、幼児の頃から両親を初め周囲から愛され、 それ故に自分を愛する心の習性をいう。人生を振り返ると、悲しいこと、苦しいこと、不安、恐怖心など、多くの精神的苦痛が あったが、なぜノイローゼや自殺に追い込まれなかったかというと、それ以上に楽しいこと、面白いこと、明るい展望があったからだ。 いや、それを見守ってくれる家族・友人があったからである。そのもとは幼児体験、そう両親の絶対的な愛情が基本。 楽天性は、まずは親子関係の中でジックリと育てられる。基本的に親は子どもに絶対的な愛情を降り注がなければならない。 しかし家庭内にも色いろの事情がある。幼児期に親父が事業に失敗してしまったり、両親の不仲もある。 最近では離婚確率が家庭内離婚を含めると過半数。その中で自分を楽天的性格にするためには、教養を自ら積むしかない。 最近になって「楽天は意思」とつくづく思う。人間は誰でも心の底は楽天でないと生きていけない。「自分だけは大丈夫!」 と思っているからこそ、エネルギーが、生命力が、発露してくるのである。いずれにしても、誰もが直ぐに死んでしまうのだから、 生きている間は、面白可笑しく生きること。ただし、将来の見通しだけはシッカリと立てた上だが。 だから楽天には長期的な生存確保が前提になる。毎日、安心して日々を過ごせる生活力があり、時代の変化に堪えられる力を持ち、 それ故に互いの信頼を維持できることが基本になくてはならない。その前提がないと心が不安定になり、厭世家になるのである。 楽天家過ぎてホームレスになった人はいても、楽天的なホームレスは、ごく一部を除けばいない。 このブログをみていると悲観論者と思われるかも知れないが、振り返ると楽観主義者である。 その場その場を何とか切り抜けてきたが、「最後は命までは失わないだろう」という開きなおりがあった。 問題に対して「正中心一点無」と、中心点に気持ちを集中するように勤めてはきたが・・・ それを心がけていると一時的にマイナスになっても、何時の間にかプラスに転換している。 「ベストを尽くして駄目なら仕方がないじゃないかい、皆の衆」の心である。再び書くが、幼児期の親の絶対的なシャワーの ような愛情こそ、人間のエネルギーの溜池である。その溜池が無い人は分からないだろうが有る方は無い人を直ぐに見抜いてしまう。 親を見ろ、特に母親を。 家庭を持ったら連れ合いを見ろ。 次は、子供を見ろ。 ほぼ見える! 愛情が満ちているかどうか、品性が備わっているかどうか、その部分だけを見れば良い。 言えた(品)柄でもないが・・ 最悪を想定して、その時の備えを常に整えていること。 それを受け入れる心の想定をしておくこと。 これが、「厭世的時勢に、楽天であること」の結論。「悲観の線路の上を楽観という電車で走ること」 地道に生きていれば、何があっても、何とことはない? そうもいかないのが人生だから辛いところだが。 ・・・・・・・・・・・ 2530, 千年働いてきました ー2 2008年03月08日(土) ー読書日記 第四章の 日本版バイオテクノロジーの発明 の「売り手、よし買い手、よし羊よし」が面白い。 その要約とは・・・ ベルトコンベアーに送られる前、羊たちは一匹ずつ仰向けにされ、脚の付け根あたりに注射をされる。 オムツ代わりに付けられるのが、テニスのネットみたいな白い網で包まれて、その後に放牧される。 それからひと月ほどして、ネット羊たちはまた作業場に舞い戻ってくる。そのネットをオーストラリア人の作業員が 二人がかりで外してみたら、すっぽんぽんの羊が姿を現す。羊の形をしたウールのコートが、つるりと出てきたようなものである。 SFチックである。「羊の毛刈り」という重労働を劇的に軽減することに成功した企業の名は「ヒゲタ醤油」。 創業390年という醤油製造業の老舗中の老舗が、伝統的な「醗酵技術」を応用したものだった。 羊の毛刈りは牧畜関係者にとって、頭の痛い問題だった。中腰で行う重労働で賃金は安いが、腰をやられてしまう。 そこでオーストラリア連邦研究機関が目を付けたのが、ヒゲタ醤油が開発し、大量生産化に成功した薬剤。 そのキッカケが抗がん剤で頭髪が抜ける現象であった。それを逆用した薬剤を作ったのである。 それで、毛が散らばらないようにネットを付けたのである。 その薬剤は毛が直ぐに生えてくるようになっている。薬代は一匹あたり50円位で毛刈り代の10?ほど。 ーー 面白いものである。 ヒゲタの社長がいうに「醤油は微生物をうまく利用して商品を作るわけだから、 オールド・テクノロジー。同じバイオだから出来るんじゃないかと、バイオに進出したわけです」 このヒゲタ醤油も創業が1616年、あと数年で400年になる。 携帯電話一つを取ってみても、 「折り曲げ部分」福田金属箔粉工業(創業307年) 「振動装置」田中貴金属工業(創業121年) 「液晶画面用鏡」村上開明堂(創業125年) 「人口水晶発信器」エプソントヨコム(創業116年) と、まさに「老舗製造業」の伝統技術の集大成といった趣なのである。 そんな「老舗企業」21社の5つの共通点を著者は以下のように指摘している。 1 同族企業だが外部の優秀な人材の登用を躊躇しない 2 時代の変化に対応して事業内容は変化させてきた 3 創業以来のコア家業は譲らない 4 分をわきまえ好景気でも投機をしない 5 「町人の正義」を実践してきた 「自分の本分を守るり、変化には弾力的に、投機などせず、婿養子などの血を躊躇しないでいれる」ということだ。 そういえば神社仏閣、いや天皇も仕事に一種とみれば・・・・ 宇宙のゴミの中の微生物の話は止めておこうか! ・・・・・・・・・ 2007年03月08日(木) 2165, 駅周辺専門店ビルの開店、三店! (~Q~;) おはよう?? サム?! 三月に入って、新潟駅周辺の大型集合専門店ビルなど三店がオープンした。 さっそく見学をしてきたが、なかなかよい!新規オープンは夢があって新鮮で良いものである。 ・まずは駅から徒歩10分のSCの中にあるダイエーの撤退後の専門店街ビルの「ラブラ万代」。 SCの万代シティーは、「伊勢丹」と「若者向けファッション店街ビル」と、「ラブラ万代」の集積化で、 さらに集客力を増すだろう。今回開店したラブラ万代は3万平米の規模の地下1F、地上6Fのビル。 最上階に紀伊国屋があり、他にユニクロ、ロフト、ギャップなどがあり、地下にはイオンの食品スーパーが 入っているが、そのテナント・ミックスが非常によい。(評価 90~95点) ・次に上越新幹線の改札口にある、JRの専門店街の「CoCoLo」の本館が改装オープンしたが、 今までの少し堅い雰囲気がカジュアル的になり、開放的で入りやすくなった。毎週一度は通っていた地元の本屋の 「文進堂書店」は、至近距離に開店した大型店の「ジュンク堂書店」に壊滅的な打撃を受けるだろう。 (評価 75~80点) ・駅裏にある大型ビルの一階と地階の2フロアーの「ジュンク堂書店」は、シンプルだが、主通路とサブ通路の幅広く とったなかなか良い店である。書店として5千平方は広いスペースで、『本以外一切扱ってない』のがよい。 店内6箇所に、検索のパソコンを置いていて自分の欲しい本が探せる。100万冊の在庫の取り揃えが売り(特徴)である。 ロビーのような広いスペースに椅子と超大型のTVがあり、セルフのコーヒー・スタンドがある。ちょっとした時間を 潰すのにもってこいである。書店は20~60分の滞店時間が相場だが、これなら60~90分の時間がつぶせる。 「ターミナルの超大型店の新しい業態とは、こういうもの」と、見せつけられたようだ! 街中のスーパーストアの新しい業態である。 (評価 90?95点) これら開店は新潟駅周辺への一極化の動きの一現象である。「何処も同じ都市の風!」ということだ。 (*^○^*)ノ バイ! ・・・・・・・・ 2006年03月08日(水) 1800, 「一夫多妻」男 (ρ_・).。o○ おはよぉ・・ 少し話は古くなったが、「一夫多妻」の事件は日本中の多くの男達の丁度良い、酒のツマミ?。 私など家内一人でも辟易しているので、羨ましいとは全く思わなかったが? 本人は酒池肉林で幸せだっただろう?その後、12人の多妻は現在でも共同生活をしているという。 行くところが無いのだろうが、何か現代の病巣を象徴している。 この事件から直に思い浮ぶのは、九州のキリスト研究集団千石イエス(千石剛賢)である。 本人は数年前に78歳で本人は亡くなったが、残った彼女らはクラブを今でも経営しながら集団生活をおくっている。 (TVで、この事件に関連してクラブ内の様子を放送していた。)マスコミが騒ぐほど千石イエスの会は問題の無い会。 今回の事件が産経新聞の社会面のトップ記事で詳細に掲載されていた。そのポイントをまとめると ・擬似家族に温かさを求めていた。現在でも12人の女性は、主のいなくなった東大和市の民家で暮らしている。 親との関係が希薄な中、一夫多妻の生活の中で集団生活の楽しみを見出した。♪(〃⌒▽⌒)八(〃⌒▽⌒〃)八(⌒▽⌒〃)♪ 彼女たちは、「外の世界が間違っており、自分たちだけが正しい」と凝り固まった状態にあるのではと推測される。 ・「夢の中に出てきた宇宙生物に指示された」という話は嘘。恐怖心をあおり一緒に暮らすのが目的だった。 女性を増やしていったのは、収入も増え生活も安定するためで、女性が増えるほど、孤独や寂しさを解消できると思った。 ・洗脳とマインドコントロールは違うもので、洗脳は強い力でねじ伏せるもの、マインドコントロールは日常の生活の中で 情報を与える方法で、このばあいはマインドコントロールであった。 ・占いに関しては、あくまで肩書きだけで、女性を集めるための口実でしかなかった。 ・手口としては、被害者を多妻の一人にするため、候補を見つけると自宅に妻の一人に誘わせて、 隣の部屋で事情を盗み聞いて、あたかも占いが当たって信じ込ませる手法だった。 ー 以上だが、人間の性(サガ)の深い問題である。オットセイのハーレムの雌も気楽で良いのかもしれない。 ヾ(。´・ェ・`。)Bye ・・・・・・・ 2005年03月08日(火) 1435, 人生の第四コーナー 私の年齢ともなれば競馬でいえば第四コーナーを回って最後の直線コーナーになる。 名馬は、この第四コーナーから最後の追い込みに本当の力を出す。逆にいえば胸突き八丁でもあり、一番大事な 時期でもある。両親の生き様を直接目にすることができた。それは、長年かけた楽しみを追及することである。 その準備を如何にしてきたかが問題であるが、その一つにお金もある。先日書いた中年クライシスは、社会的世界だけで 生きてきた人間に生じる。ライフワークのベースをつくっておかなくては、人生の第四コーナーの直線で息が尽きてしまう。 今年の4月1日から、私の同期の定年が始る。私の知る限り生き生きしている人は僅かである。 自分の趣味と独自の世界をつくっていなかった人が多い。人間には、社会的側面の欲求を満たす部分と文化的側面の欲求を 満たす部分がある。直線コーナーまでは、社会的側面の充実が主になり、その後は文化的側面の欲求の充実が主となる。 社会的側面を一つずつ剃り落としていく為には、本当にしたいことを見つけておくことである。そのためには、 まずは孤独、孤立を恐れてはならない。それを恐れていては社会的仮面ーチンドン屋ーを演じ続ける日々しか過ごせなくなる。 51歳の年に、ジックリと考える節目の時期があった。そこで「60歳までに、それ以降の人生を全て詰め込んで生きる。 人生の余白を残さない!やりたいことは、この十年で全てやりつくす」と決めた。 これは人生設計というより、ある程度の悟りに近かった。その60歳まであと1年、この8年でやり残したことが多い。 このHPも一種の自分史でもあり、遺言でもある。他人から見たら、この程度のことかも知れないが。 ・・・・・・・ 2004年03月08日(月) 1069, フランチャイズ・ショー ?3 変わったものでは、「ブランド物の中古品仲介店」があった。 そのシステムが理にかなっていて面白い。TVで以前、このシステムの商売を見たことがあるが FCは初めてである。「その辺街中情報」としては、とっておきの内容である。 ーその内容とはー (字数制限のためカット2,010年3月8日) ・・・・・ 2003年03月08日(土) 703, 「金持ち父さん貧乏父さん」ー読書日記 この本を読んで、読めば読むほど納得する事が多い。もうこの歳でいまさらというひとがいたら何回か読んで、 自分の子供にぜひ説明すべきだ。貧乏父さんなら失敗談として尚更である。読んでいて気がついたことは、 大阪商人に似ていることだ。徹底的に節約型で、合理的である。違うのは投資に対しての積極性だろう。 金持ち父さんと貧乏父さんの考え方の違いを書き写してみる ー金持ち父さん ・・上段 貧乏父さん語録 ・・下段ー ・「どうやったらそれを買うためのお金を作り出せるだろうか?」「それを買う為の金がない」 ・「一生懸命勉強をしろ、そうすればいい会社を買う事ができる」「一生懸命勉強をしろ、そうすればいい会社に入れる」 ・「この家は負債だ。持ち家が自分にとって最大の投資であり、最大の投資という人は大いに問題がある」 「この家は私たちにとって最大の投資であり、最大の資産だ」 ・「私が金持ちなのは子供がいるからだ」 「金がないのは子供がいるかだ」 ・「金は力だ」「お金には興味がない」 ・「私はお金のために働いているのではない、お金が私のために働いているのだ」「お金のために働いているのだ」 ・ 「人は損をするのが怖くって、その為に損をする」 金持ちは自分のためにお金を働かせる中流以下の人間はお金のために働く「無知」が「欲望と恐怖」を大きくする。 「恐怖と欲望を大きくするのは無知だ。ある程度のお金を持った人の多くが、金持ちになるほど、それを失ったときの 恐怖を強く感じるのは無知のせいだ。お金はニンジンなんだ。けして手に入らない幻みたいなものだ。 もし馬が自分の姿を遠くから眺めることができれば、自分の立場がわかり、ニンジンを追いかけることが 自分にとってためになるかどうか、考え直すかもしれないだろう?」人間の一生が「無知」と「啓蒙」のあいだの 絶え間ない戦いである。人間が自分を知るための情報や知識を求めなくなると、すぐに無知が忍び寄ってくる。 金持ちになりたかったら、お金について勉強しなくてはならない。「お金の流れの読み方」は高層ビルの基礎に喩える事ができる。 ・まずは資産と負債の違いを知ることである。 ー資産は私のポケットにお金を入れてくれる ー負債は私のポケットからお金をとっていく 「どうやってお金を稼ぐか」でなく、「お金をどう使うか」である。つまり「稼いだあとどうするか」だ。 一番悪いのは「稼いだ金は全部使う」ことだ、収入が増えた分、支出の増えるだけの事。 だから「馬鹿が金を持つとろくなことが無い」という格言がある。 普通の人は、まずは夢の確立の為に、家を持ち、車を買い、家庭用品を買い揃える。 ある程度の自己資金を貯めてからすべきなのに。せめて車は返済をかなりの額を返してから買うべきである。 これらの負債のために一生返済のおわれるのだ。 著者の感心する言葉は次の言葉である。 ー私だって人並みに贅沢は好きだ。 「人並み」と違うところは、ふつうの人が贅沢品を借金で買おうとするが、私はそうしないことだ。 借金で贅沢品を手に入れることを覚えた人は、周囲の人が持っているものを何でも手に入れるという 「罠」にはまっていくのだ。何かほしいものがあると、人はお金を作り出すことでなく借りることばかり考える。 ーお金に関する私の哲学の基本は、資産欄に種をまくことだ。これは、お金を作るための「公式」といってよい。 ー実践にあたって、いつも覚えておいてほしいことが一つある。それは「楽しむこと」だ。これは単なるゲームにすぎない。 勝つこともある、負けてそこから学ぶこともある。でも、どんな時でも楽しむ事だ。勝ったことが一度もない人は、 勝つ気持ちより負けるのを恐れる気持ちが大きいから勝てないのだ。 私の経験からして、要約をすると (字数制限のためカット2,010年3月8日)
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3268, 哲学者は神について、どのように語ったか ー4 |
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2010年03月07日(日)
* キルケゴールの「宗教的実存」 キルケゴールは、「個人の生は3つの段階を経て深化する」と主張した。 1、美的実存: 美しいものを求めて、そのときそのときの享楽を求める生き方である。 ドンファン的生き方。 2、倫理的実存: よいことをし、社会的の規律を守り、習慣などに従い、全てに道徳的な生き方。 3、宗教的実存: 神である絶対者との関係の中で生きることにより、真の人生を手に入れることができる生き方。 この宗教的な生き方も、二つに分けた。「宗教性A]と「宗教性B]である。 「宗教性A」は、自力救済を試み、自分の主体や理性によって自分を支配しようとする。 しかし、それはキエルケゴールによると罪になる。 支配するのは神である。それに気づいた時に「宗教性B]になる。 ここになるものは、もはや理性でも倫理でもなく、絶対的な神の服従であり、ここに至って絶望は癒され、 無限で絶対的な存在でありながら、この世に生きて死んだイエス・キリスト、神でありながら人でもある存在に 依り頼むことによって、人間の力では決して果たしえなかった絶望からの脱却が可能になる。 この宗教的実存を説いた彼は、教会からは嫌われていた。キルケゴールは、「何となく日曜日に教会に・・・」とか、 「デンマークはキリスト教国だから・・」とかなどの習慣的な信仰は偽ものとする批難の対象にした。 殆んどの人が、その対象になるから彼を嫌い、「全デンマークの牧師の敵」とよばれていた。 ・彼は「私にとっての真理」を追い求めた。人類にとって真理を求めても何もならない。個としての人間が、 生きていく上の支えとなり得る真理こそが必要と考えた。 ・「たとえ全世界が崩れ落ちようとも神的なものに絡みついてはなれないでいることを望んだ」が、しかし、 そうした永遠とのつながりを欠いた人間の状態は、無に脅かされており、人間に不安を呼び起こす。 その不安の奥に、神との関係がある。 有限性と罪責の中にある人間を救う神。その神と引き離された存在 であるという事実は、人を絶望させる。この絶望を、彼は「死に至る病」といった。 それは「宗教的B]でしか癒すことができないといったのである。厳しい宗教的生活でしか果たして癒されないだろうか。 ・・・・・・・・ 2893, 年寄りの持病自慢は、老人の猥談だと! 2009年03月07日(土) 50歳半ば頃から同級会では、年金か成人病の自慢のしあいか、誰かの死の話が中心になる。 青春時代に自分の体つきや身なりを気にしたり、性体験を陰で話したり、猥談を話したくなる時期があるが、 それと同じく、自分の「体調」や「病気体験」について語りはじめる老人の「健康談議」を「老人の猥談」というらしい。 五十歳代半ばの下半身の衰えは男の共通の話題。 その次は癌体験か糖尿病か心臓病などの成人病の披露のしあい。 こういう場しか、深刻な悩みを聞いてくれるところがないこともある。 それを老人の猥談とは上手くいったものだ。 要するに下半身のことや持病の露出は、人様の前では極力避けるべきである。 猥談に関しては家では御法度であった。マナーとして当然のことだが、それが平気でいう人がいて驚くことがある。 母からは、「匂いのするような話をしないこと」が刷り込まれていた。それと同じことが、「自分の持病を公然と話すことが、 老人の猥談談義」というと、なるほど肯ける。言うなら、抽象的に、なるべくは人前では言わないことである。 歳を重ねるほど二重三重に注意しなくてはなるまい。60歳までは死は後ろから迫ってくるが、 70歳になると前からくる感じになるという。だから互いに傷口を披露したくなるのだろう。 ・・・・・・・・・ 2529, 山田風太郎 のアフォリズム 2008年03月07日(金) 彼の本が好きで、何冊か図書館で借りて読んできた。暗い中に何ともいえない温みがあり、2年に一度は彼の本を読んでいる。 また亡くなる前に朝日新聞に『あと千回の晩飯』が連載したことがあった。なかなか文に鬼気迫る内容だったことを憶えている。 先日も『人間魔界図鑑』を借りて読んだが、著作群の中からの警句やアフォリズムなどを一冊にまとめたもので読みやすい。 手元に置いておきたい本と判断し、アマゾンの中古本を注文することにした。 以下の文章は 「人生(時間)のセイムスケール」というHPの中の山田風太郎のアフォリズムなどを抜粋コピーしたもの。 ---- ★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」 ★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」 ★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」 ★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」 ★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」 ★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」 ★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」 ★「生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」 ★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」 ★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」 ★「幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。 同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちは さまざまである」 ★「女ほど世にも尊きものはなし、釈迦も孔子もひょこひょこと生む」(「お血脈」という落語のなかの狂歌) ★「死をはじめて想う。それを青春という。 ★「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」(ラ・ロシェフーコー) ★「同じ夜に何千人死のうと、人はひとりで死んでゆく」 ★「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」 ★「臨終の人間〈ああ、神も仏も無いものか?〉。神仏〈無い〉」 (字数の関係でカット 09年03月7日) ーー 次回は、『人間魔界図鑑』の中の面白そうなところを抜粋してみる。 後記)また二年前の今日、山田風太郎のアフォリズムについて、書いてあった。 偶然というより、必然か、ネタ切れか、同じことしか考えられないのか? その程度ということか? 死について心せよ!ということか! ・・・・・・・・・ 2007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子 (~Q~;) おはよう~~ サム! 3月の日経新聞の「私の履歴書」は、「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。まだ6回目だが、なかなか面白い。 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに出ていたが、甘っ2007たるい声が印象的であった。 その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」を開いた。もう二十年前のことになるが、TVでその 「ねむの木学園」を放映した。 その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。 ピカソのような絵だが、絵から純粋な子供の心が直に伝わってきたからである。 役者をやめた後からも、人生の舞台の「役割り」を正直に生きている人である。 「人生を思いのまま生きている人がいる!」というのが当時の感想であった。 「私の履歴書」の一日目に書いてあった、学園を開設するにあたっての、愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。 1.愚痴はこぼさないこと。2.お金がないと言わないこと。3.君を信じてくる子のため、やめてはいけません。 その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。 三回目の、彼女の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。 ーそこを抜粋してみるー 私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。 並んで描きながら私は母に聞きました。「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は 「まりちゃん、人の絵をうまいなどと思っていけません。人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」 と少し厳しい口調で言いました。 「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなくなってしまったの。 あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」大きくなったら絵描きさんになりたい。私の初めての夢でした。 しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。 その人がとても気持ちよさそうに見えたので、感じたままに描いたら 腕が背よりも長くなりました。 先生は「真面目に描きなさい」といいました。 「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言ったことは ありません。 「うれしいわ」と言っています。だって「上手ね」と言ったら子供はそれで安心をして満足してしまいます。 ーー 書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。「ねむの木学園」の知恵足らすの子供が ピアノ演奏をしたが、鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれた。 感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた思い出がある。 今月は、毎朝彼女の魂と出会うことができる! ・・・・・・・・・ 2006年03月07日(火) 1799, 風太郎の死ぬ話 (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ -読書日記 山田風太郎の「死」に関する本を読むと、色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。そして読み終わって 「死」が軽く思えてくるから不思議である。また「死」を考えることは「生」を考えることになるのに気がつく。 死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。 暗いと言われるが、お経を読んでいるようで逆に安らぎを感じる。私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。 「・・・いろいろあったが、死んでみれりゃ~、なんてことった。はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」である。 この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。 ・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。あるゆる欲望を満喫し、 大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も関心も共鳴を買わないという点で、芸術的に失敗作である。 ・フィリップ・アリエスの「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。 今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」を取り上げ、 これによって著者の風太郎が「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」というアフォリズムを作ったという。 ・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』 神仏『無い』」「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのは誰だ?』 答え無し。 ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」 --- ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる! 死といえば宗教学者であり東京大学教授だった岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く響いてくる。 十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。 父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。 ーその一部を紹介してみるー もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、 癌というような思いもかけない病気のために、 生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前にたたされたのである。天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、 死後の世界は、暗闇ではない。 一つの実体である。しかも、輝かしい世界である。 しかし、私にとっては、それは、真黒の暗闇であった。私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。 そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。それは死というものは、実体ではないということである。 死を実体と考えるのは人間の錯覚である。死というものは、そのものが実体ではなくて、 実体である生命がない場所で あるというだけのことである。そういうことが、理解されてきた。生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。 物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。光がないというだけのことである。 光のない場所を暗闇という。人間にとって光にもひとしいものは、生命である。 その生命のないところを、 人間は暗闇として感じるのである。死の暗闇が実体でないということは、理解は、何でもないようであるが、実は私には大発見。 これを裏返していえば、人間に実際与えられているものは、現実の生命だけだということである。 人間は、日々の生活をくり返して生きている。 これは、疑いのないことである。 人間にとって生命は実体である。 しかし、人間にとってあることは、今生きているということだけである。人間には、生命がある。五十年か六十年か生きているが、 その寿命の中の一日一日は、どの一日も、すべて人間にとっては同じように実体としての生命である。どの一日も同じように尊い。 寿命がつきて、死が近ずいたとしても、その死に近い一日も、健康の時の一日と同じように尊い。そのいのちのなくなる日まで、 人間は生命を大切によく生きなければならない。死というのは別の実体であって、これが生命におきかわるのではない。 ただ単に、実体である生命がなくなるというだけのことである。このような考え方がひらけてきた後の私は、 人間にとって何よりも大切なことは、この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。 いかに病に冒されて、その生命の終りが近ずいても、人間にとっては、その生命の一日一日の重要性はかわるものではない。 つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後までよく生きてゆくよりほか人間にとって生きるべき生き方はない。 このようにして、死の暗闇の前に素手でたっていた私は、このギリギリの限界状況まできて、逆に、大きな転回をして、 生命の絶対的な肯定論者になった。死を前にして大いに生きるということが、私の新しい出発になった。 それ以来、私は、一個の人間として、もっぱらどうすればよく生きることができるかということを考えている。 しかし、そう生きていても、そこに、やはり生命飢餓状態は残る。 人間は、一日一日をよく生きながら、しかも同時に、つねに死に処する心構えの用意をつずけなければならない。 ーー 岸本は死の告知を受け、 ガ━━Σ(゜Д゜|||)━━ン!! 「身の毛がよだつほどおそろしい」と実感を述べている。その恐怖を乗り越えて、 「いま」を生きることの尊さに目覚め、「今が最後」とつねに思いつつ生きるところに、自分の安住をおいた。 ☆~~ヾ・ェ・)o尸~死んじまえばそれまでよ! マタネ~♪ ーーーーー 2005年03月07日(月) 1434, 滝の話 1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョンを見た。 再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。 よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが見えてくる。 滝、氷河、山脈、草原、断崖、海岸などの大自然に対する感動は何にも変えがたい。水には、生物が発生した 「海水」の原点がある。「生き物」のように、色いろな表情をみせるため、本能的な何かが騒ぐ。 世界3大瀑布といえば、 ・ブラジルの「イグアスの滝」 ・南アフリカのジンバブエの「ビクトリアの滝」 ・カナダの「ナイアガラの滝」である。 ・そして、4番目が南米のベネゼイラにある 「エンゼルフォールの滝」である。その中でイグアスの滝は、ずば抜けている。とにかく規模が他の滝に比べて桁違い。 昔、アメリカの大統領夫人が、この滝を見て「ああ、可哀想なナイアガラ!」と思わず言ったという。 しかし、何で三番目がナイアガラなのか解からない。ただ、美しさは抜群である。 遊覧船で滝の近くまで行って、180度の滝に囲まれてみる豪快な光景はさすがに凄い! ー以下字数の関係でカットー ・・・・・・・ 2004年03月07日(日) 1068, フランチャイズ・ショー -2 主観を込めて「面白い順」に書いてみる。 ・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。 フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。 味は高級専門店にまけないという。 以前TVで見たことがあったが、実際担当者から生で聞く話は格別面白い。 「フグ料理や開店指導やフグの供給」をするという。 客単価は6700円とか。 (字数制限のためカット 2,010年3月7日) ・・・・・・・・ 2003年03月07日(金) 702, 心と魂 以前に社内報の事業百訓で、 「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたことがあった。 ーホームページH09/05-見聞皆師 先日、ある本を読んでいたら、パソコンのハードデスクを「魂」、ソフトを「心」に喩えていた。 ーその概要は以下に書き写す 魂と心は厳密に言うと違います ・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、 ・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。 心の基本形成は、親の心のエネルギーを吸収しながら6才頃に、そのアウトラインがほぼ完成するという。 パソコンでいえばウインドウズのインストールを終えた状態。 ・「こころ」の核となっているのが魂で、これは生まれながらのもの。 ・魂は天命・宿命に関わり ・心は運命を左右します。 ・そして双方の共同作業の結果が、あなたの「個性・能力」となって現れる。 魂の進化は心とともに ある。 パソコンは平成8年春の製品でクロックは120しかありません 150以上を指定してあるウインドウズMeはインストールできない。メモリーとハードディスクは最大限増設してあるが、 クロック増設の手間と費用に見合うだけの魅力がMeに有りや否や?深層心理学者のユングは「魂はしだいに進化し、 聖なる方向に向かっていく」といっている。この進化の方向に関わってくるのが心なのです。 Me(心の向上)を諦めたので、 ハードウエアのクロック(魂)は120のままで進化していません。こころの葛藤とは魂と心の綱引きをしている。 魂は多くの業(ごう、因縁ともいいます)を持っていて、その業は縁あらば表へ出ようとしています。 それが自己本位の 好ましくない事だったら、心がセーブをかける仕組みになっているが、本質的には「魂の方が強力」です。 魂が要求している事柄を実行して良いかどうか…を ・「判断するのが心なのです」が、・「決断するのは魂」です。心が「ノー」という結論を出すと、 そこで魂と心の綱引きが始まるのですが、魂が心の判断を無視して行動を起こすと、人間社会の中では往々にして問題行動となる。 40にして惑わず、という言葉があるように、どうやら人間は、その年代以上にならないことには、 「魂を制御できるだけの心は完成しない」ようだ。 ー以上であるが、喩えが解りやすい。 また他の本で「自己」と「魂」は似ているとか。 自己の背後にある大本が「魂」といってよい。 「自己実現」を「魂をつくること」と言い換えたほうが むしろ解りやすいことからも納得できる。 ー魂の喩えとして ・心の親 ・心の故郷 ・心の実家 ・宗教心 ・他己 ・御祖先様 ・心の積み重ね ・神ーラージX 「心を込める」と「魂をいれる」と言葉の重みが違う。「魂を入れる」は全身全霊を入れるという意味合いにがある。 そうすると全身全霊ということか。対象の物事に対して「魂がこもる」ともいう。 一生は「魂をつくること」ということか。自己実現を図る事だ
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3267, 哲学者は神について、どのように語ったか -3 |
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2010年03月06日(土)
中世が終わると、キリスト教の影響から脱した反動から16世紀以降特に、素朴な信仰は色あせてくる。 その中で、バスカルは神への信仰を語っている。人間は卑小なものだが、その卑小さを知るがゆえに偉大であると。 彼は、「人間は考える葦である」という有名な言葉がある。「人間は一くきの葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。 だが、それは考える葦である」すべての人間は幸福を目指して行動をするが、最終的には「人間は死刑囚だ」と嘆き、 その不幸から逃れるためには来世の幸福を望むしかないと考える。遺稿に遺作の「パンセ」がある。 《パスカルの賭け》という断章がある。 「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける? ― いや、どちらかを選べということがまちがっている。 正しいのは賭けないことだ。 ― そう。 だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」 すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。 賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。 しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。 反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。 死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。 来世の幸福をすべて失うことになるから。 ー なるほど、理にかなっていると学生時代に「パンセ」を読んで納得したことがある。 パスカルは、理性を根拠に神の存在を証明したデカルトに反対する。有限な人間の理性では、 無限な神を理解できない。神を理解できるのは「心」と、考えた。彼が考えた神は「ヤコブの神」という。 旧約聖書の登場人物たちの語りかけ、導いた神こそ本当の神とであり、デカルトの神は「哲学者の神」に すぎないという。若いときの私にとって、非常に新鮮な感覚で、大きな影響を受けた一人である。 ・・・・・・・・・ 2892, オーラをみたことがあるか? 2009年03月06日(金) オーラを見たことがあるか?というと、殆どの人は見たことがないのでは? 一般的にオーラがかかっているというと、「貴乃花を見たときに、オーラが見えた」という人は、弟子に前後5~6人に 囲まれて熱狂的なファンの間を歩いている姿の全体のエネルギーの威圧感を言っている。 「光の手」という本に、「人間の体にはエネルギーフィールドがあり、7つのチャクラがある云々」とあった。 それを一般的にオーラというのだろうが、実は私は一度だけオーラを見たことがある。 15年ほど前、母が痴呆症になった時に三年ほど毎朝、車で20分の長岡ニュータウンの丘陵公園に母親を連れて、 車椅子で誰も居ない広場の散歩道を歩いている時のこと。大きな広場を坂道をやっと上がりきった瞬間に前方から 朝の陽光が雲間から私たち二人を照らした。その時に車椅子の後ろから見た白髪の母に虹のようなものが 包みこんでいるのが見えたのである。 逆光が私の位置から母の白髪を通して見たため光の加減もあったのだろう。 早朝の誰も居ない坂道の幻想的背景もあってか、今も心に焼き付いている。 その半年後に二番目の姉夫妻が千葉から母を訪ねてきた。その時のオーラの話をしたところ、そこに行きたいという。 そこで母と姉夫婦と私の4人で車でドライブがてら行ってみたところ、そこで義兄が面白いことを言った。 「私が学生時代に登山で似た体験をしたことがある。早朝の山頂で日の出をみていた時のこと。 自分の影が朝日に映し出された時に、その光景がオーラのように感じ取られ何とも不思議な感覚になった。 その感覚とソックリのような気がする」とのこと。自分のオーラを影の中で見たのだろう。 これは経験した者でなければ分からないこと。自分の感覚にはバクテリアの発生から進化を20億年以上かけてしてきた蓄積がある。 それを何かの折に、底知れない何かを感じるのは何ら不思議のことではない。 この年齢で人生を振り返ると、 色いろの経験をしてきたのである。 過去に数百、数千億人が人生を過ごしてきたのだから、信じられないほどの蓄積が存在している。 それを可能な限り知ること、これも生きるということである。まったく、人間には自分というバカの壁が強固に張り付いている。 しゃ~ないが・・・ ・・・・・・・・・ 2008年03月06日(木) 「ニッポン、ほんとに格差社会? 」池上 彰 (著) ーHPでの内容紹介ー 「日本は本当に格差社会?」 ー常識のウソを大検証 ーまずは内容概略からー 日本は本当に格差社会なのか? 本当に少子化国家なのか? 元NHK「週刊こどもニュース」の池上彰が、新聞、テレビから伝えられる「ニッポンの常識」を最新データをもとに診断。 世界の国々と比較することで、「日本はこんな国」と漠然と信じてきた「常識」が、劇的に覆ります。 項目は、「日本人は貯蓄好き?」「女性の社会進出は進んでいない?」「郵政民営化は先進国では常識?」など「30題」。 池上彰が○×形式で平易、そして明快に解説します。目から鱗になること請け合い。これがほんとの「ニッポンのかたち」! ー 発行されてから一年半が経つが、指摘していること自体が怪しくなっている。それだけ日本が急速に悪化している!ということが 解る内容でもある。その一つが生徒の学力である。現在はさらに著しく低下をしている。 経済が縮小しているのに対処できない姿が、この本の統計から窺い知ることが出来る。この本では格差社会の問題は、 あくまで一部。色々の30の分野で外国との差異を示し日本の特異な部分を浮かび上がらせている。 なるほどと、現在おかれている日本の危機を考えさせられてしまう。 30の命題に、○×△の判定を下してあるが、その中で印象的なものを選んでみた。 「日本の政府は巨大である」 ○ 「郵政民営化は先進国では当たり前」 △ 「米軍との地位協定は不平等」 ○ 「日本でも格差が広がっている」 ○ 「日本社会もかなり危険になってきた」 △ 「日本の生徒の学力は低下している」 × 「国会議員の数は多すぎる」 × ーその他に、幾つか印象に残った部分を書き出してみた。 *財政状態を家計に例えると借金総額は5380万円。 *「日本の生徒の学力は低下している」の項では「データを正しく読み取ることができない大人の方が学力低下の心配がある」 *厚生年金などは消費税率の高いヨーロッパよりも、給付額が多い。 次回は、「日本は本当に格差社会だろうか?」を取り上げてみる。 ・・・・・・・・・・ 2007年03月06日(火) 2163, 池田晶子が亡くなった! 才八∋ウ_〆(∀`●)サン 「哲学者の池田晶子さんが亡くなった」と昨日のモーニング・ショーで、読売新聞元政治部長の解説者がコメントしていた。 二年間に彼女の本を6冊を「何度も」読んだ。「生きることは考えること、考えることは生きること」と、 自分の頭で考える必要性を説いていた。哲学を普通の言葉で説明するのが売りで、彼女の本を読みこんだ分だけ、 地頭で考える力がついていったような気がする。 σ('、`)? 私は誰 地頭思考訓練・練習帳というふうであった。「ソクラテスやデカルトを学ぶことは、哲学とは何かとか、何を言ったとかを、 学ぶことではない。彼らの学問を通して考えることを学ぶことである」が印象に残っている。なぜ生きているのだろう(?_?) 常に考えるため、トイレの中にも、会社の机の上にも置いてある。 OH ?そうか!(・0☆) 最近の出版さた本は殆んど読んでいた。しかし亡くなったのを契機に、以前の本を読んでみることにする。 二ヶ月前、中・高校の同期生がリンパ癌で入院した見舞いに、「14歳からの哲学」を持っていった。 「自分の死(一人称の死)は存在しない!」が、その中に書いてあるからである。 「昨年秋に肝臓ガンを手術、先月の2月23日に亡くなった」と報じていたが、自分の死に直面して、 どういう気持ちであったのだろうか?今度、彼女のことを書いてみようか! 成る程「生と死の塀の上」でなければ、これだけの哲学は書けないのだろう。 何が彼女をして、ここまで深く考えさせたのだろうか?と考えていた矢先に、この訃報である。その辺だったのか? 死というブラック・ホールの際にいたから、真理が鮮明にみえたのだろうか? *最近の彼女の著書で○印は読んだものである。どれも同じようなことが書いてあるが、それでも面白いものは面白い! 「一度哲学の意味を充分に噛み砕いて普段の言葉に変換する」のが彼女の役割だからだ。 難しいことを難しくいうことは誰でもできるが、素人にはなかなか簡単に説明できない。 ×印をさっそく注文した。 〇14歳からの哲学?考えるための教科書(2003年) 〇あたりまえなことばかり (トランスビュー、2003年) ×新・考えるヒント (講談社、2004年) 〇41歳からの哲学 (新潮社、2004年) ×さよならソクラテス (新潮社、2004年) 〇勝っても負けても 41歳からの哲学 (新潮社、2005年) ×メタフィジカル・パンチ! (文藝春秋、2005年) 〇勝っても負けても(新潮者2005年6月) 〇人生のほんとう (トランスビュー、2006年) 〇知ることより考えること (新潮社、2006年) ×君自身に還れ?知と信を巡る対話 (共著/本願寺出版社) 人が人生をかけた言葉は、魂の言葉になって鳴り響く!言葉が垂直に立っているということか! ご冥福を! ¥(*^_^*)\ バイバイ ・・・・・・・ 2006年03月06日(月) 1798, 自分を変える魔法の「口ぐせ」 (*´・ω・)ノはよー 「あー疲れた…」とため息をついたり、「駄目だ駄目だ…」と、遥か昔のことを思い出しながら一人つぶやてしまう。 日常、私たちが何気なく口にする言葉には、ネガティブなイメージを持つ言葉が多い。 内語の70?80?はネガティブな言葉だという。“言葉は言霊(ことだま)”と言われているほどパワーを持っている。 NYヤンキースの松井秀喜は、中学生時代のある苦い経験をきっかけに、「2度と他人のことを悪く言わない」と誓ったという。 だから同僚から信頼されるのだろう。口ぐせは“一種の習慣になっている言葉であり、無意識のうち行動を支配するもの”である。 そういえばスナックのママで「私頭が悪いから…」が口ぐせになっている人がいた。 その言葉が大脳に私はバカなのだとインプットしていることに気がつかないのだ。 ~~旦 ゝ(-_- ) 「口ぐせリストを作成しよう」という項目の中には、次のような口ぐせ項目がある。 『鏡のなかの自分に向かってのひとことは?』『明日もまた頑張ろうという気持ちを表す言葉は?』 『気分のいい時は?』『気分の悪い時は?』『一日に何回“ありがとう”と言っている?』 ・・それぞれ、プラス用語を決めておくとよいだろう。項目ごとに自分は如何か考えてみたら、 殆んどプラス用語が自動的に出てきた。理想像と現実のギャップに悩むあまり、自分を卑下してしまうが、 それをプラスの口ぐせに代えれば自然にポジティブな人生を築くことになる。 自分が選択した行動の結果について、「これでよかったんだ!」と思うことで、すべてが上手くいくという。 「もし、あそこでああしていたら・・・」は誰でも思うことだが「これでよかった!」と自分の意志や心情を認めることで、 頭を切り替えることができるようになる。 中村天風は言葉の持つエネルギーの重要性を説いている。 二十数年前に天風の本を精読して、現在もトイレに置いて毎日のように目を通している。 それでも何時の間にかマイナス内語を呟いてしまっている。天風の本を毎日目を通すことで、人生が非常に豊かになっている。 ーーー 自分を変える魔法の「口ぐせ」 夢がかなう言葉の法則 佐藤富雄・著 かんき出版・刊 ヾ(。´・●_・`。)バィバィ ・・・・・・・ 2005年03月06日(日) 1433, フランチャイズ・ショー ?2 この時期に有明の東京ビッグサイトで店舗総合見本市が開かれている。もう34年になるが、半分近くは見学に訪れている。 去年に続いて3月2?3日に行ってきた。FCショー、建築資材、店舗、街づくりなどの棟に分かれている。 一棟5000?10000坪の会場に、多くの会社が出店している。会場を歩いているだけで、夢があって楽しい。 通っていると、時代時代の変遷が見えてくる。居酒屋が目につく年、コンビニ、インターネットカフェ、中華そば、 と主流が変わる。今年はマッサージや、化粧品を使ったエステなどの癒し系が目についた。(去年はインターネットカフェ) 面白いところでは、犬の洗滌機を組み込んだ車。SCの駐車場を借りて、犬の洗濯をする。B級の犬が狙い目というのが面白い。 血統書つきは、犬屋で専門家が洗うが、これは食器の洗浄器のような発想でつくられている。 去年も見かけた目の矯正の器械の販売会社も面白い。音波で、目の疲れをとってしまうのだ。 去年は「怪しげな!」という先入観があったので、声をかけられたが無視をした。 しかし、今年はカラカイ半分でつかってみた。ところが何と使った後に目の検査をしてみたら、 使用前と使用後では検査表が二ランクも良く見えるようになった。音波で目の疲れをとるだけなのだが。 なるほど、これを使えば少しは目が良くなるのかもしれない。インターネットや大型TVの普及で、目をマスマス酷使する 時代に目の矯正センターも見直されて良いはずだ。養殖フグの料理店のFCもあった。とにかく安くフグを食べさせるのだ。 これも、大商圏のポイントを押さえれば上手くいく可能性がある。コンビにもそうだが、フランチャイズは本部だけが 儲かるように出来ている。しかし、旧来のやり方から抜け出さないなら、FCも致し方ない。 ・・・・・・・・ 2004年03月06日(土) 1067, 高級1DKマンション ー2 店舗ショーに3日間見学に行ってきたが、その午前中は高級1DKマンションを見てまわった。 時代の最先端の多くのヒントやノウハウが隠されているからだ。最新のものは、最近オープンした品川の300室規模のものである。 10日ほど前に資料を取り寄せて前知識を持って行ったが、やはり本物をみると見ないでは違う。 なるほどTVに出てくるようなスタジオタイプのマンションである。1Fの無機質なロビー、そして最上階24Fの住民だけの プライベート・バーラウンジとトレーニング・ルームそして大浴場。部屋は最新のユニット設備や家具と、電化製品。 朝食は家賃の中に含まれているという。こんなところでパソコンを打ちながら夜景を眺めていたら、新しいアイデアが いくらでも出てくるのだろう。そして最上階で夜景を見ながら風呂でも入ったら、もう生活を落せなくなる。 他にも、共同サービスのない小型の高級(高価格)マンションを幾つか見てきた。 住み慣れた後にくるのは、東京砂漠の殺伐とした心象風景の世界である。 しかし一歩外にでれば、都合の良いことに赤提灯街が点在しているのが都会の良いところでもある。 私はもう東京のような大都会は住みたくないが。サービスマンションはアメリカや香港にあったもの。 最近アパマンとかいって、サービスを付加したアパートを売りにしている 雑誌情報誌があるが、そのベスト・プラクテスをしたものだろう。話は変わるが、品川や新橋や汐留のビル群には驚きである。 ユリカゴメの車内から見る景色は、新しい東京の象徴といってよいだろう。箱物好きとしては、こたえられない景色である。 ・・・・・・・・・・・ 2003年03月06日(木) 701, 「最強の勉強法」 本屋のコーナーで何度か目に入っていたが、衝動買いをしてしまった。ハウツーものとしては面白い。 今になって昔何故ハウツーものをもう少し読まなかった悔やまれる。まあ仕方がないが。 事業と同じで「プロセスを楽しめ、成果をあげる工夫を徹底しろ」の二つに尽きる。 大体の本は、2時間で殆ど把握できるようになった。 1、まずは前書きと目次と終わりにを中心にポイント読みをする。 2、次に、本に折込を入れる。それぞれの章と目次と太字のところを中心に入れる。 3、インターネットでホームページをさがし、書評と概要を読む。 4、最後の章からポイント読みを逆に遡って読む。 5、できたら随想日記の読書日記に書くためにまとめる。 以上が2時間だ。 6、一番大事な事は、読書日記に自筆で「目次とレジメを書くこと」である。 これを過去40年何もしてこなかったのが、人生の最大の後悔といってよい。 一ヶ月前から始めたが、これがよい。あとで読み直した時は赤のペンで書き足すのだ。 この歳になって悔やまれる事があまりにも多い。 いまさら仕方がないが。 ーーーー インターネットで調べた概要をコピーしておきます。 『 不可能を可能にする、最強の学習法!』吉田たかよし・著 PHP出版より2002年8月9日刊行 定価1350円(税別) 1.『吉田たかよし』とは日本で初めて、NHKアナウンサー出身の医師です。 また、衆議院議員の公設第一秘書として政策立案にも携わりました。 この他、エコノミストや報道記者としての顔も持っています。 ー以下、字数の関係でカット(2008年03月06日) ・・・・・・・・ 2002年03月06日(水) 351,自己配転 キャリアとは「多くの経験をしてきた」といういみである。役人の出世コースは若いうちにどんどん配転させ、経験を積ませる。 いわゆるキャリア組である。会社も「将来の幹部候補」は別に配転コースを組み、それに従いどんどん配転させる。 そのプロセスの中で実績を重ね、適正を見つけ、それぞれのコースにえり分けていく。仕事も何事も経験がまず第一である。 OーJ?Tが基本である。私も務めで、寝具、日用雑貨、子供服、靴下、配送センター等々経験した。 経営では、飲食で養老の滝ー1122号店、焼きたてのパンのセンチュリー・ベーカリー、衣料量販店、 今のビジネスホテルー学生ショップを経験した。「よくいろいろの経営ができるね」と聞かれるが、皆一緒である。 商品変われど、システムとして捉えれば全部同じである。そういう意味で自己配転をしてきた事になる。 ホテルをやるとき、「単品のズボンを一日70本売るのと客室を70室売るのと何が違う?」と考えたからだ。 何も違わない!ただそれだけ。4千円の値段まで一緒だ。そしてそのとうりだった。一つだけ違うところは、 それを20^30年、売り続けなければならない事だ。職を変えていく事とフリーターと何処が違うか、といえば 「目的を持ってそれを経験として蓄積できるか」どうかである。フリターも結果としてよい場合もある。 それが結果としてプラスになればだが、ほぼ絶望が99?だ。ある社長がきて「息子が勤めた会社を1年で辞め、フ リターになってしまった。本人が言うに、若いうちにどんどん色々な経験を積みたいという。どういうものか?」 と聞くから「いいじゃないか、ただのフリーターじゃないよ。自己配転をしようとしているじゃないですか。 考え抜いたそれだから素晴らしいよ。応援してあげなさい」と言うと、本人もそれに気づいたようだった。 目的を持つという事は、人生に意味を多く持たせる。更に目的に向かって、舵とりを覚えるようになる。
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2010年03月05日(金)
昨日の朝のTVで「大阪市税の6091億の半分近くが生活保護費(2863億)に消えている」と報じていた。 大阪は他より生活保護を受けやすいとは、聞いてはいたが・・・。 何と13世帯に一世帯が給付を受けており、アパートの前に「このアパートに入居すると生活保護がもらえます」 という看板が出ているのがあるとか。 他と比べると5倍以上である。人口230万人で国の2%で、国の1割の生活保護費である。 ネットによると、大阪市の予算は1兆7千憶円。国や大阪府の交付金、その他税収で、公債発行は千二百憶で済んでいる。 市債合計は5兆円))夕張の次の、市の破綻の候補。「これは日本の将来の姿?」とキャスターがコメントをしていた。 これでは厚生年金や国民年金などかけないで、最後は大阪市に移住して生活保護を受ければよい。 大阪は、社会党と共産党の支持基盤が前より強い地区。これが成れの果てといわれても仕方がない。 民主党が自民党の自壊のため政権を取ったは良いが、綺麗ごとを並び立てた22年度の予算。税収の二倍以上の予算。 国家破綻へまっしぐら。 大阪市の拡大版を国家として、やろうとしている。 もう国家としてのコントロールが不可能と市場が判断をすれば、国債と株式の暴落圧力が一挙に高まる。 それが年内なのか、来年か? 少なくとも2~3年以内になる状況である。 ところでアメリカのFRBも風前の灯である。FRBは、ドル札を発行して金融市場から国債など優良な資産を買い取り、 その資金で金融市場を円滑に運営するのが役どころだが、今年の二月の総資産のうち半分近い45パーセントが住宅抵当証券で 占めている。それは、人為的に証券の暴落を防ぐためである。それを実施しても住宅価格は下げ止まらず二番底に向かっている。 もしFRBが、この債権の介入を止めると、債権と住宅は暴落をする。 どうにもならない事態である。 ドルが暴落をすると、 最終的に本格的世界恐慌に入る。 その結果、国家税収の激減から大阪の拡大版に日本がなるしかないのか。 この10年間は世界と日本は大荒れになるとしか考えられない。 日本の税収の半分が生活保護費に消えていく?
・・・・・・・・・ 2891, 末期自民党政権 2009年03月05日(木) 自民党が最後の醜態を露出している。 その最後に相応しいのが麻生首相と思えば腹が立たない。 どうして、こうなったのであろう。 以前のようなドスのきいた首相がいなくなった。 ・三角大福中は、叩きあげで派閥を率いていた。早くいえば「汚職」ギリギリの塀上で集金し手下の面倒をみていた。 ・その後、安部晋太郎、宮沢喜一、竹下登という半二代目の親分が派閥を率ていた。 ・更に小粒の村山、橋本竜太郎、小渕、森などが続いて ・小泉が一言パフォーマンスを駆使して改革という幻想を国民に抱かせて何とか自民を持たせた ・極めつけが直近の安部、福田、麻生首相である。ひ弱な二代目、三代目が とても一国を率いる器ではない。 劣化の最たる者たちが政権にきゅうきゅうしている姿は、亡国の醜態そのもの。 首相は学歴とか、血筋で務まるものではない。それぞれの世界で、叩き上げでのし上がったものしか、国のトップになれない。 下から這い上がってきたからこそ、庶民の気持ちをくみ上げることができる。麻生に関しては全く大衆の生活が分かってないのを 大衆が直感で解ってしまった。第二次大戦を潜り抜けてきた連中が消滅してしまった。では、なぜ彼等が首相になれたのか? といえば、彼等でもやれる環境が、そうさせたのである。そしていざ地球規模の危機に際して、これほど程度の低い首相に 国民は茫然自失状態。あのレベルの失言で済んでいるだけ!まだ良いとしなければならない。実際は致命的ミスが出ないかハラハラ。 それだけではない、自民党そのものも劣化の最たるもの。ところで今度の小沢の第一秘書の逮捕は、タイミングから見て明らかに 国策逮捕である。検察の頭からして腐りきっているから始末が悪い。 これで更に国民に自民は嫌われること必定。 これは歴史に残る腐りきった自民と検察(官僚)の仕組んだ猿芝居として残る。 日本は世界恐慌に先駆けて突入したというのに。4~5月には株価が6千円はおろか5千円を割るのでは?
・・・・・・・・・ 2008年03月05日(水) 「千年、働いてきました」 「千年、働いてきました」ー老舗企業大国ニッポン (角川書店)が面白い。 三ヶ月に一度、金融を中心にコンサルトをしてもらっている林さんから、是非面白いから読んでみたらというメールが入った。 さっそくアマゾンから(中古だが)この本を取り寄せたが、成るほど面白い。まずは最も面白い部分を書き出してみると *「世界最古の会社はどこの国にあるだろうか?」。企業の寿命が30年といわれる中で、我が国日本に578年から 創業している会社がある。聖徳太子に招かれ百済(中国)から来た職人の技術を持った会社である。 ・他にも、創業して千三百年にもなろうかという北陸の旅館、 ・千二百年以上の京都の和菓子屋 ・同じく千百年を超える京都の仏具屋 ・千年を超える薬局といった具合に、開業当時に思いをはせると、気が遠くなる店や会社ばかりである。 *日本には創業100年以上の老舗企業が10万社以上あると推定されている。 これほど老舗が多い国は世界でも例がない。こんなにあるのは、アジアだけでなくヨーロッパにもない。 *伝統は革新の連続である。 *製薬トップの武田薬品(1781年)、大手ゼネコンの鹿島建設(1840年)や竹中工務店(1610年)、化粧品トップの資生堂(1872年)、 ゲーム機の任天堂(1889年)、楽器最大手のヤマハ(1887年)など・・ 大手デパートのほとんどが江戸時代に 創業した呉服店から発展しているし、三井、住友の様なロスチャイルドより古い歴史を持つ財閥も存在する。 *初代目から11代目に当たる福田さんは、こう言った。「身の程をわきまえるというのが、ずうっと貫かれてきたのではないかな。 バブルの時など、それはもう土地を買えとか言われたんですが、・・・・ 『コア・ミッション』=使命の核心=から離れてはいけない、というのはわかっていました」 *日本の老舗企業にも、一族経営は多いのだが、血族にこだわらない融通性をあわせ持っている。 たとえ長男でも、娘婿が経営者として優秀であれば跡継に選んだり、養子や赤の他人に家業を任せる場合も珍しくない。 ーー 一般的に会社は30年が寿命。 しかし時代の激変の中で、現在は20年になっているという。 激しい変化の中で、対応が出来なくなってきたのである。100年続いている店にしろ会社が本当に10万社もあるのだろうか? まだ疑問だが、旅館や老舗の菓子屋などを入れると、あるのかもしれない。しかし、この10年で多くが淘汰されたとも、 書いてあったが。千四百年以上など、まさか?ね? 奇跡的である。一度倒産しかかったのを、整理をして存続会社にしたというが、 会社として機能しているから存続していることになるが・・・ つづく ・・・・・・・・ 2007年03月05日(月) 2162, 秋田市のホテル事情 オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 秋田のシングル・ルームの値段がバス無しといえども、何と3000円。三度目の値下げでここまで落ちたという。 考えられないほど、安いが・・秋田は秋田新幹線が開通したとはいえ袋小路の県である。 その地価の値下がりは大きく、全国的にみても最悪の景気停滞地区である。その秋田市でホテルの建設ラッシュがつづき、 三年間で客室数28?、収容人数が35?も収容人数が増えたと新聞で報じていた、需要は減り続けているのにホテルが 増えつづけているというところは、新潟も似た現象である。 しかし新潟は4年間で18?増えたが、この三月の ワシントンホテルの撤退で、それを差し引くと、10?の増加でしかない。客数が一割、客単価が一割が減ったので、 差引三割の減である。地価の三分の一に値下がりをした土地に、金利が最低の2?、さらに建設費は三分の二となれば、 バブル期に投資したホテルと戦っても十分に採算が取れるという計算が成り立つ。それが参入者の理屈である。 しかし長期的にみて在庫過剰への過当競争の参入は、矛盾が出てくる。時の社長が置き土産レベルで長期物件の投資 決定をするから、後々に大きな問題として残るのが、ホテル事業の問題である。 三年目がピークで、七年目に投資の成果ー失敗が判明するのが一般的。判明時には、決定を下した当の本人はリタイヤを しているから、やり逃げの役人や政治家とおなじレベルになる。今の日本では責任追及が出来ないから始末が悪い。 それが現在の日本の新興のホテル経営者の実態の姿である。ホテルや貸しビル、立体駐車場は「資金を、鉄とセメント」 に変換することと同じこと。一度つくったものは、償却が終わるか、資金回収をするまで変更は不可能である。 だから長期にわたった時代の波を潜らなくてはならないから難しいのだ。神の代行業というコンセプトを持っていないと、 悪魔の誘惑に負けてしまう。他人ごとではない! 致命的な失敗をしてないだけで、同じようなものか? この事業で、長期的視点を学んだのが最大の収穫である。それと己の無知と限界を 嫌というほど見せつけられた。反面、「時間持ち」という金にかえ難い豊かさが持てたが! (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・ 2006年03月05日(日) 1797, 心に効くクラシックー3 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪ ー作曲家の性格の三分類 偉大な作曲家はそれぞれの性格的な傾向を持っているという。 強い個性があるからこそ、個性的な曲を生み出すことができるといえる。 性格分類といえば、クレッチマーの気質の三類型がある。 S型ー分裂気質 Z型ー躁鬱気質 V型ー粘着気質で、誰にも当てはまる。 S型ー分裂気質は、体型的には痩せ型。 一般的には内向的で自分独自の世界を作るのが特徴。天才肌が多く、自らを孤独に追い込み、シャープな頭脳で思考を重ね、 独特の研ぎ澄まされた世界をつくり、芸術上に現れたものは恐ろしいような美しさがあります。 服装も調度の好みもうるさく、いわゆる貴族趣味に走る傾向がある。感受性が豊かなゆえに矛盾した要素を抱え込み、 冷淡で利己的で鈍感だと思うと、別の面では非常に敏感で情熱的で興奮しやすかったりします。 ーベートーヴェン、ドビッシーなど Z型ー躁鬱気質は、体型的に肥満型多く、循環気質ともいわれる。 S型の怜悧な美しさとは対照的に、親しみやすさに溢れ人間的な美しさがある。 一般的には、人間大好きで、他者への共感性や同情心に溢れ、社交的、快活、温厚、善良、陽気、といった 性格に富んでいます。目新しいことにひかれ、アイデアが閃くと直に実行します。循環気質といわれるように、 気分の段差が激しく、明るく陽気と思えば、落ち込むと自室に籠るような極端さがある。 ーバッハ、モーツアルト、ヴェルディーなど =ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー V型ー何ごとにもこつこつと丁寧に打ち込み、まじめで粘り強いという特徴がある。 少々スロースターターだが、礼儀正しく、社会の常識や伝統を大切にします。冗談やユーモアにも縁遠い。 気質は、蓄積と爆発と評される。ネガティブな感情や不愉快な体験などの心的エネルギーを溜め込み、 世間に従おうとするが、時に大爆発をする。体型は筋肉質、闘士型でがっしりして、スポーツマンタイプが多い。 ベートーヴェンはS気質にV気質が加味されている。 作家だがドフトエスキーなどが典型である。 ヘーゲル、ジュリアス・シーザーのこのタイプである。 この三分類に当てはめることはできないが、実際には、複数の類型の中間型であったり、特定の分類の属していても それほどの明確な特徴を現していなかったりする。この本では三つを使って作曲家の心理を分析している。´',_c')зβyё☆ ・・・・・・・ 2005年03月05日(土) 1432, 危ない格言?6 ー読書日記ー 教育に関しては、危ない格言が真実に近いから恐ろしい。 教育は大事なことを認めるが、その前に躾としての訓練が大事ではないか。それも教育の一環であるか! ・児童教育は、子供達が躓かないように歩きやすい道を示し、そこを行く歩き方まで教えると称している。 子供たちというと、まずはこの教育に躓く。 ーmy感想ーこういう躓きも、道さえ解らないのよりましだ。弄りすぎという奴、いや弄られ過ぎか。 ・教育の自由ってあり? 教育からの自由は? ーmy感想ー時に、狂育も必要では? ・親が子供に対して行うべきことは、何よりも生活の術の伝承と できるだけ多種の人物見本の呈示であって、決して教育などでない。 ーmy感想ーまず親が第一の人物見本になる。よい親に当たればよいが、悪い親に当たった場合如何したらよいのか? ・個人は教育できない。個人は、教育の外で、教育に反して、そして、その欠如において育つ。 ーmy感想ー基本はまず教育からつけなくてはならない。 基本がないと、狂育になる可能性が強い。プチブルになる教育なら、狂育の方よいが。 ・家族生活は、ますます、各人がやもめ暮らしを一箇所で送るための妥協の成果となっている。 ーmy感想ー何らかのカタチで身辺に余りに多いから、この感想書けない!パラサイトシングルとか・・ ・いつまでも子供心を失わないー直接か変わりない人からすれば、それはそのように褒め言葉で語られる。 日常、付きわざるを得ない人から見れば、それは、いい歳をして子供じみている、ということだ。 ーmy感想ー子供が大きくなったのが大人だろう。 何処かに、子供心が残っていて当然のことだ。大人じみている子供こそ気味悪い。 いや大人じみている大人こそ気味悪いか!特に中年のしたり顔した人 ・・・・・・・・ 2004年03月05日(金) 1066, フランチャイズ・ショー ?1 この三日間、東京晴海のビッグサイトで行われてたフランチャイズ・ショーに行ってきた。 10年ぶりに行ってみたが、驚いてしまった。以前は、店舗ショーの一角で行われていたが、現在は独立した 大きな会場で市民権を得ていた。フランチャイズもネットビジネスという時代の流れにそってきたのだ。 三日間きめ細かく見てまわった感想は、「面白い!」である。全然飽きがこない、ただただ面白い時間であった。 今回の感想は「インターネット・カフェ、介護、学習塾、うどん屋」が目立っていたこと。 その他に、面白いところでは「幼稚園、中古ゴルフ、中古釣具、ブランド品交換ビジネス、激安ふぐ屋」であった。 「成功したビジネスモデルのソフトを販売しよう」というのだから、面白いのは当たり前である。 といって怪しげな世界の化け物屋敷でもあるのだ。生きた化け物世界をリアルで見れるのだからコタエラレナイ! ・・・・・・ 2003年03月05日(水) 700, お金の哲学ー2 私の父親と家内の父親は「地方の金持ち父さん」の典型だった。 秘境旅行仲間の人も私を除いて?金持ち父さん母さんである。 その共通点がある。 ・長年をかけて、ひとつ事を成し遂げてきた。 ・誠実で真面目な性格である。 ・合理的な生活態度が徹している。ー質素で堅実の塊りといってよいー ・生活の楽しみ方をしっている。 ・女性関係は潔癖である。 ・常に精神は安定している。 ・群れる事を嫌う。 家庭にとっても、これがベースである。家庭がしっかりしてないと、子供に何かが出てくる。 精神が不安定になったり、社会生活が苦手になる。クラスの虐めのボスなどは100?近くが家庭が不和である。 全てが家庭生活、夫婦間の安定が基礎である。離婚と家庭内離婚が半数以上というから今の子供は大変だ。 いや昔もそうか、下手に離婚できなかったからより大変だった? 話は変わるが、「普通預金に100万円以上」というのが意味深長である。 これは「お金のたまる人たまらない人」(著者・マネーライター丸田潔)に書いてあった内容だ。 細かい出し入れに気をつかわないで済むし、気持ちが豊かになる。有利な運用にチャレンジするのは、 普通預金に十分な資金をためた後にすべきといっている。サラ金も使わないで済むし、ローンもする必要もない。 今のような低金利の時は、むしろ一箇所の銀行の普通預金に潤沢なお金を入れておいたほうがよい。 そして買物はデビットカードかゴールデンカードをつかう。現金を持っているほうが有利の時代であるからこそ、 「潤沢な現金を普通預金に」という理屈になるのだろう。私も定期にしないで全て普通預金である。 会社に全てを投じているので定期をするほどもないが。でも何といっても気持ち豊かになる。 以前書いたが、私の場合は常に財布に多めのお金ー7~8万と、家内にわからないお金(一般にはヘソクリという) がある。といって10万だが。少し使いすぎたかなという時は、それを使う。そうしていると反対にいつでもつかえると 思うから、使わないで済む。装置産業は、その装置がある日全くの不良資産になる可能性がある。 特に借入商売のためにデフレには非常に弱い。これは価値が無いあるのかという自問自答の世界でもある。話がそれた。 父は収入を土地と堅実な株(当時ー1960年頃ー電力株やガス株)に変えていた。 もっと徹底していたら、より資産形成ができたろうにと母が愚痴っていたが。 男の従業員には給料から天引預金をして、ある金額になるとガス株を買わせて、その後自宅を造らせていた。 ベストセラーの「金持ち父さん貧乏父さん」の要約を、そのまま実行をしていた。 ・ ・・・・・・・ 2002年03月05日(火) 350,プラスの言葉とマイナスの言葉 ープラスの言葉 (^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vヽ(^o^)丿(^^♪! 楽しいヽ嬉しい、おいしい、きれいだ。可愛い。美しい。元気だ。丈夫だ。のびのびしている。満ち足りている。 どんどんよくなる。笑う-可笑しい。全てうまくいっている。すべておだやかだ。ポカポカ暖かい。成功する。順調にいく。 自信がある。かならずうまくいく。実に楽しい。とても愉快だ。とても幸せだ。 ーマイナスの言葉 ー(+_+)(/_;)(ーー゛)(;一_一)、 悩む。苦しい。悲しい。腹が立つ。痛い。憎い。辛い。不平。不満だ。泣く。どうしていいかわからない。暗い。ぞっとする。 意地が悪い。寒い。冷たい。どんどん悪くなる。汚い。汚らわしい。自信がない。どうしても嫌だ。私ほど不幸なものはない。 ----------- 以上がある本からの抜粋だが、周辺で上手くいってない人が多い。これは事実だ。上手くいっている人も多い。 周辺でも「信じられないような幸せな一生」を過ごしている人がいる。私の義母ーである。こんな人生もあるのかと思えるような、 幸せな環境である。上手くいっている人生と、全く上手くいってない人生とに、それぞれの共通点がある。 ・上手くいっている人は「育ち」という言葉で集約できる家系がある。幸せ系の家系というか、それは親の性格と夫婦間の相性だ。 子供にとって、これは集約された環境といっていい。・上手くいってない人の両親は夫婦仲が悪い。あるいは嫁姑の関係が悪い。 その間がマイナスであるから、自然に言葉もマイナスになってしまう。その環境に育てば、マイナスの言葉や空気が子供の時から 脳にしみこむ。プラスの人はその反対である。性格改造は言葉使いの改造である。言葉は言魂といって、それ自体魂が入っている。 プラスを使っていれば、人生そのものがプラスになる。 自戒の文章である。
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3265, 哲学者は神について、どのように語ったか -2 |
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2010年03月04日(木)
中世では、「スコラ哲学」が、キリスト教の教義を語るとき、プラトンやプロティノスの考えを取り入れた。 その頃の宗教哲学者といえば、アウグスティヌスとトマス・アクィナスが知られている。 神学は「信仰の真理」を目指しており、哲学は「理性の真理」を目指すものである。その融合が中世スコラ哲学の課題だった。 ・アウグスティヌスは「三位一体説」で知られている。・父なる神・子なるキリスト・精霊を、ひとつの神の異なる現われ方と 解釈する説を確立した。それまでは流動的だったキリスト教の信仰内容を、ギリシャ哲学を借りて一つの教義にまとめた 教父と言われている。すべてのものが、全能の神からつくられたものだとすると、何故この世に悪があるのだろうか、 という問いに、「悪はそれ自体は存在しない、悪は善の欠如である」というのが、彼の教義である。 もうひとつの彼の時間論がある。「時間は、過去・現在・未来が存在するのではなく、「過去についての現在(記憶)」 「現在についての現在(知覚)」「未来についての現在(予期)」、その根底に永遠の現在がある。 これらが同時に心の中にあるというもの。 この3つが同時に存在するのは「生の分散」。 成るほどである。 人間は、刻々と過ぎ去る現在を、3つの軸に分断されて生きる危うい存在。それを支えるのが神の存在としている。 神は永遠に去らないからだ。 知識の乏しい当時、これだけの理論をたてるのだから驚いてしまう。 ・トマス・アクィナスが「人間の欲望は、世俗的なものに対してだけでなく、永遠なるものにも向けられる、という。 自分は何ものなのか、何故生まれてきたか、神が私をつくったのなら、その神に会ってみたい。 人は知性を持って考えるほどに、自分や世界の原因である「神」に憧れを持つ。 彼はアリストテレスの哲学をスコラ哲学と融合させた。 事物は形相からできている、というアリストテレスの考えを取り入れ、 アリストテレスが世界のすべてを動かすものと考えた「第一原因」「不動の動者」は、キリスト教の「神」を意味すると考えた。 人間は理性ゆえに動物や植物の上に立つが、同時に理性の限界ゆえに、信仰がなければ神には近づけないとした。 彼はアンセルムスとは対照的に、経験と事実に基づき、物事の原因、そのまた原因とだどることで、最初の原因=神に 到達しようとしました。 スコラ哲学では、初期はプラトンが重んじられたが、中期にはアリストテレスが取ってかわった。 ルネッサン運動が始る背景に、ギリシャ哲学を取り入れがスコラ哲学があったのである。
・・・・・・・・・ 2890、失われし人々の祈り ー膨張するロシア正教 2009年03月04日(水) 「揺れる大国 プーチンのロシア 失われし人々の祈り ー膨張するロシア正教」 NHKスペシャル3月1日放送 ーまずは内容から ・NHKのHPよりー 強い国家を目指すプーチン時代に、新たな役割を担い、完全復活を遂げているのがロシア正教だ。 格差が広がるロシアでは庶民の荒廃が猛スピードで進み、各地の教会には連日悩みを抱えた人たちが殺到している。 極寒の12月、モスクワ市の繁華街の教会では、ホームレスや年金生活者が給食サービスに列をなしていた。 また教会の救済講座には、家族を捨て犯罪に走った中小企業の元経営者や、生きる望みを失ったソ連時代の 著名科学者らが神に助けを求めてもがいていた…。さらなる求心力の強化を狙う政権側は、このロシア正教に接近。 教会側も、小学校での愛国道徳教育や独自メディアを使った大量布教を目指してまい進している。番組は、ロシア正教に 救いを求める庶民たちに完全密着し、人々がロシアの伝統に回帰し、強い国家を求め始めている現実をルポルタージュする。 ーー 「プーチンのリスト」の続編である。今回は共産主義というイデオロギーを失った庶民の心の支えを支援するため、プーチンは ロシア正教に接近し大量布教を推し進めている。イスラエルにユダヤ教、アメリカにキリスト教、インドにヒンドゥ教、 アラブ諸国にイスラム教、タイに仏教という国教的な宗教が必要である。ロシアにはロシア正教があったのである。 ここで新しい時代に適応できなかった何人かの男と、その家族の苦悩を追っていた。 冷戦終了後のロシアや東欧諸国で、 旧体制のエリートが適応できなくなり、精神疾患やアル中になるケースが多いとは聞いていた。 ロシアではアル中で 男の平均寿命が59歳。そのアル中の何人かが教会の支援で立ち直った姿と、その後の葛藤を克明に映し出していた。 適応できない老人が、「ソ連時代は良かった」と何度も呟いていたのが印象的。自由は、自由の刑といわれるほど、 「選択と、責任という重い結果」が待っている。自由主義に適応できない大衆にとって、社会主義を懐かしむのも 理解できないこともない。国家は強くなくてはならない、というプーチンの信念は国家のトップとして正しい。 パスポート無しで国外に放り出されれば誰もが分かることであるが、突き詰めると、国家なのである。 次に家族、そして、自分である。 ジプシーなどの国家のない民族の悲哀をみれば理解できること。 新しい国家への生れ変ろうと模索しているロシアと、その混乱の中で翻弄される国民の姿を冷静な目で捉えていたが、 日本の将来の暗示も多くあった。 単一?民族に、多宗教の国の日本。道州制度も真剣に考えなければならない時期である。 ・・・・・・・・・ 2526, 閑話小題 2008年03月04日(火) *サブプライムローンと毒入り餃子* タイミング的に丁度良く、サブプライムローンと毒入り餃子問題が重なった。 悪質な不良債権(毒)をミックスした債権を餃子とみると、あまりに似た問題である。 それもサブプライムはアメリカの格付け機関の保障入りで、世界の金融機関にばら撒かれており、 気づいていないところが多いから始末が悪い。サブプライムローンの問題をキッカケに、 アメリカにとっての生命線のドル本位制への不信が拡大、ドルの暴落はさけてとおれない。 これに変わって資源本位制度というキーワードが出てきているが、その資源の乏しい日本は大きな岐路に立たされる。 中国の冷凍餃子も中国当局が事の重大さを認識してないことが問題を更に拡大することになる。まあ、どうなることか? *そういえば、去年の昨日は、次男の結婚式だった!* 取り立てて話題にするほどでもないが、去年の昨日、次男の結婚式であった。結婚式は、ある意味でレジャー。 晴れの出来事として全員で盛り上げるイベントである。家というカタチが崩壊している現在に、この儀式は本人たちの 人生の服装の一部としてしか意味がなくなってしまった。それは当人にとって大きな区切りであり意味になる。 過去を振り返ってると、結婚式と、二人称、とりわけ両親などの身内の葬式と、卒業式は人生の一大儀式になる。 親の立場からみると、最終学校を卒業させることと、結婚式を挙げることが節目になる。 *人生の節の作り方* 人生には節がある。その人によって各々違うが、大よそ7年か、10年サイクルになる。 その時、節をしっかり意識をして作ることが重要になる。その一番解りやすいのが、竹の節である。 そこでは圧縮された横ラインがある。竹がしなやかなのは、節があるからである。人生でも同じと言える。 それが人生を支えてくれるのである。時節到来の「節」で、アップスケール(脱皮)=変化の時である。 だから、ジックリと見据えて延長上ではない時間を作るべき時である。 その辺が、一般的には解ってないのである。それまでが横の時間(延長上の時間)なら、縦の時間とも言える。 *ある友人の死から学んだこと* 去年、高校の同級生がリンパ系の末期癌になり、あと半年から一年という内々の話が入った。 過去のいきさつから、親友というほどでもなかったが、私の出来る見送りをしようと決心。 少しでも彼の心が休まる本を何気なく読んでもらうことと、クラシックのCDを毎月病室に持っていくことを決めた。 彼は入院から8ヶ月後に亡くなったが、彼の姿を見ていて多くのことを学んだ。希望を持つこと、そして、それに対して 疑念を持たないで日々を明るく過ごすことである。それ以外に、何があろうか? ということである。 家族や周囲は疑念を持たせなかった分、気を使ったのだろう。それなら人生の普段の生活でも可能か、 死など死んだ後に考えれば良いと、毎日楽しみの計画を立てて鼻歌を歌っていれば良い。どっちみち誰もが死ぬのだから。 ただ、自分だけは生きている限り死なないのだから。死んでしまえば、それまでよ、でも少なくとも自分は死なないことは 間違いないのだから、気楽にしていれば良い。というわけで、毎日楽しく過ごしております! ・・・・・・・・ 2007年03月04日(日) 2161, 昨日は息子の結婚式! (~Q~;) おはよう?? ファ?、おはよう!♪? 明治記念館で結婚式というので、そのHPを調べてみて格式の高さに驚いた。嫁さんが学生時代アルバイトをしていた因縁で、 二人でそこに決めた。明治神宮のエリアの中にあり、由緒ある広大な屋敷を結婚式場にしている。何と昨日一日だけで 30組の結婚式が入っていた。何処を見ても花嫁姿であるが、それを決して違和感を感じさせない雰囲気がある。 出席者が50数名だが、二人の気持ちが全員に伝わった盛り上がった式であった。「格式ばらない楽しい会」が、 二人の希望というベテラン司会者の紹介もあり、笑い声が初めから終わりまで溢れていた。 出席者全員に家内と日本酒を注いで回ったが、全員が笑顔で挨拶をしてくれた。明治憲法の草案を議論した歴史的な 「金鶏の間」で、披露宴が行われた。会場には「明治天皇が憲法の草案を議論している大きな絵」が掲げてあったが、 私の隣の席が明治天皇の座った場所で、そこで飲んだ酒は美味く気分がよい。会場の壁に多くの「金鶏」の絵が描いたあったが、 司会の説明によると、「多く金鶏が、一つとして同じ方向をみていない、違う方向をみている。 これは、それぞれが違う意見を持つという、『自由の精神』を意味している」という。明治初期に、そのコンセプトの壁紙の絵に するセンスに驚かされた。最後の「花婿の父の挨拶」は、ハプニングのない内容のメモを読み上げるつもりだったが、 着替えをしているうちに、何処かに入れ忘れ行方不明。そこで内容を思い出してメモをしなおしたが、 それも行方不明ということにして、ハプニングを演出。 上手く締めた!(つもり?)家内はハプニングの演出が わからなかったようでで大汗をかいていた。お世辞もあるが、「こんな素晴らしい結婚式は初めて! 楽しかった!」と、 何人かの人に声をかけられたから、本当に良かったのだろう。私の数十回の結婚式の出席歴の中で、ベストである。 (手前味噌か)多くのプラスの要素が重なったからだろう。花婿系の親戚で、19時に会場から東京駅に移動。 最近出来たばかりの駅構内の居酒屋で二次会。 20時52分の新幹線に乗る。さらに長岡で23時から兄夫婦と行きつけの スナックで二時間カラオケで盛り上がる。結局就寝が、午前二時過ぎ。 ハイの一日であった。明治神宮の結婚式で、 もの珍しいということもあり、楽しみにしていたのも、盛り上がりの一因だった。 ところで、カタチの上では主催者は私だから、自画自賛の内容になるのか?、目出度いことなのでご勘弁を! ーーーーーー 2006年03月04日(土) 1796, 超アメリカ整理日記 ?2 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ー 読書日記 日本人のスタンフォードの留学者数はどんどん減っており、現在韓国の1/3、中国の1/5、韓国との人口比を考えると 十倍近くの差になる。これは日本にとって大問題である。著書の中で、教育は経済の先行指標であると述べているが、 日本の将来の大きな悲観材料になる。カリフォルニアは、アメリカの中でも特殊な地域である。本書でも統計が出ているが、 白人の占める割合が46.7%(全米では69.1%)、黒人の占める割合が6.7%(全米では12.3%)である一方、ヒスパニックの占める割合は 32.4%(全米では12.5%)で、ヒスパニックとアジア系(中国系やベトナムや韓国系)が圧倒的に目立つ国である。 ̄▽)_旦~~オチャドーゾ♪ ー日米の比較を生活者の視点で書いてある箇所を抜粋してみると ・まず第一は、日本は店員が親切なことだ。 特に、女性店員が。 アメリカの店員はそもそもサービスするという意識がないので、「客が頼んでお願いする」ようになる場合が多い。 ・そしてレストランの食事のうまさ! 高級レストランのことではない。 普段着でいける町中のレストランだ。 値段はアメリカと比べて高い感じがするが、感激するような味が、それを充分に補う。 私の評価では、イタリア料理では、 イタリア以外ではニューヨークと並んで東京は世界最高水準だろう。また、中国料理では、中国以外でロンドンと同じ水準である。 ・もう一つすばらしいのが、日本の都市では、電車とバスで何処にもいけることだ。 つまり誰にも移動の自由がある。アメリカでは日本と同じ自由度があるのは、ニューヨークだけ。 ・それでは日本がすべて良いかというと、そうではない。 気候という面では、カルフォルニアである。 澄んだ空気の中のすばらしい夕暮れ。私は、夏の夕暮れがこんなにすばらしいとは、これまで知らなかった。 ・もう一つは、農産物だ。特に果物。イチゴやリンゴが、これほどまでうまいものとは知らなかった。 この違いは、日米の違いより、大都会と田舎の違いなのかもしれない。 日本はサラリーマンと正直者が負担を負う社会である。とにかく、戦後社会はそうなってしまった。 ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛ ・・・・・・・・ 2005年03月04日(金) 1431, 「堤義明の逮捕」のショック 西武鉄道の会長の堤義明が逮捕された。角栄の逮捕ほどでないが、大きな時代の変わり目の事件である。 JOCの元会長で、西武ライオンズのオーナーで、西武鉄道グループの総帥で、日本では名実ともに経済界の ナンバーワンの実力者の逮捕である。私が客室主体の客室のホテルを考え出したのは、堤義明の言葉のヒントからである。 「ホテルの利益の元は、あくまでシングルルームがベースである。また全てのホテルの建設の基本設計は、潰しが効く (転用可能)ようになっている。客室の壁を取り払えば事務所ビルになる。」それならオールシングルの客室のホテルにして、 更に柱の少ない建物(鉄骨つくり)にすれば良いと考えた。このテーマとは少し違うが。 彼の経営手法では成り立たなくなったのか、大きな判断ミスをしてしまったのか。一時代を築いた、義明の兄・堤清二、 ダイエーの中内功、ミサワハウスの三沢千代治、と次々と消えていく。 西武鉄道グループは、日本では最も安定している会社と思っていた。いや安定していたのだろう。崩壊する時はこんなものだ。 ーーー ー先日書いた、関連の内容であるー 「西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜」 以下は字数の関係でカット(2008年3月4日) ・・・・・・・・・ 2004年03月04日(木) 1065. つれづれに-今日はお笑いの日ー2 ージョーク・ユーモア事典ー <予言的中> 寝言で未来を予言する少年がいた。しかも少年の予言は百発百中。ある晩のこと、父親が突然口走るのを聞いた。 ーパパは明日の正午に死ぬ。それからというもの一晩中まんじりとしなかった。仕事を休んで、かかりつけの医者に すっ飛んでいった。しかしどこも悪いところはなかった。それでも心配で、精密検査をしてもらったが同じであった。 下手に動くと交通事故などに会うとまずいと自宅でジッとしていた。刻一刻と正午が近づいてきた。 ついに、時計が12時を打ち始めた。と、その時コツコツと靴音がして、郵便配達人がやってきた。 その12時を打ち終わった時、郵便配達人はドアの前でバタリと倒れて、こときれた。 ・・・・・・・ 2003年03月04日(火) 699,「ホームレス作家」?2 読書日記 「ホームレス失格」しか読んでないので「ホームレス作家」は書評できないので、あるホームページの書評をコピーする。 周囲に実質ホームレス以下の人が多くいるー最下位5?だ。 周辺と家族にも見放され、誰にも認めてもらえず、 数度の自殺未遂の狂言がばれ、今もその辺を彷徨っている人間だ。 もうじきホームページを持たない人を「ホームレス」という時代が来るだろう。 「ホームレス作家」 書評 ・・・・ 石井 英和 評価:A ホームレス生活を心ならずも実体験しつつ著者は、彼等の日々が「はっきりと記すことは出来ないが、 もっと切実で狂おしい何か」への渇望に満たされていることを発見する。人類が太古の闇に捨ててきた筈の、 恐怖の叫びに満たされた心の地獄。その底へ落ちてゆきたいという倒錯した欲望が、実は万人の心の底にある。 だから人間は、無理矢理発明した「社会のシステム」を機能させ、それにすがって、やっとのことで命脈を保ってきた。 システムのほころびにはまりこんだ著者は、「自分は作家失格?夫失格?なおかつ浮浪者失格?」と律儀に自問を繰り返しつつ 彷徨い、この手記をものにする。その視線の先、欠陥だらけの生を送る人間たちとその社会は、いつかもの悲しいコメディの 様相を呈し始める。世界は実は、一個の壊れたオモチャなのだと知らしめてくれる書。 ----------- 今井 義男 評価:B 本書をホームレスの一般論として読むのは適当ではない。著者は現役の作家であり、原稿を書く環境が整い、 それを買い取る出版社があれば収入が見込めるのだ。現にこうして本が出ている。住居を失ったとはいえ 家族は施設で保護され、なにかと気にかけてくれる人もいる。他のホームレスに比べればずいぶんと状況はマシである。 したがって、大変な事態には違いないのだろうが、著者の苦闘ぶりはどこか仮の姿のようで あまり深刻な印象はない。本文中ボランティアや宗教関係者に対する強固な偏見が見受けられる。 他人が口をはさむ性質のものではないが、彼らがいなければ明日にでも生死にかかわる人たちが いることにも目を向けてほしい。もの書きならなおさらである。本筋とは離れるが、 著者が三日でクビになったバイト先の<共同出版>の話は実に興味深い。 色んな商売があるものだ。 ーーーーー 「ホームレス失格」書評と概要 ーー 字数の関係でカット(2008年3月4日) ・・・・・・ 2002年03月04日(月) 349、われ思う、ゆえに我あり 「われ思う、ゆえに我あり」この言葉をもじって、過去の哲学者がいろいろ書いている。 「われ意志す、ゆえに我あり」「われ笑う、ゆえに我あり」 「われ行動す、ゆえに我あり」「われ感激する、ゆえに我あり」 等々。 その中で「われ意志する、ゆえ我あり」がいい。意志するとは、人間の思考の基本といっていいからだ。 意志薄弱はその正反対の言葉だが、意志が固いはモノゴトをやり遂げるベースである。 「われ??する、ゆえに我あり」の??探しが一種の課題なのかもしれない。 今考えられるのは ーセックス、夢みる、感動、感謝、耐える、食べる、話す、恋愛、愛、働く、 死ぬ、いきる(生きる、活きる、・・)読書、創る、働く、遊ぶ、・・ いくらでもあるものだ。
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3264, 哲学者は神について、どのように語ったか ー1 |
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2010年03月03日(水)
神について「一神教と多神教について」以外はは書いたことは殆どなかった。 書けるほどの知識も宗教体験もない。 そんな恐ろしいことがかける訳がないし、結果として無知を曝け出すことになる。今さらだが。 それなら、哲学者が神について、どのように書いてきたかなら調べることが出来る。 もし、あと半年しか命がないとしたら、永遠の命の存在としての神について、真剣に考え救いを求めるだろう。 「あの世は、あるのだろうか」「生まれ変わりは」「この私の人生とは何だったのだろうか」 「神が存在するとしたら、自分は、その大元に帰っていくのだろうか」等等・・・・ 古代のプラトン、中世のトマス・アクィナス、近代のカントなどの哲学者が、神について書いている。 * まずはプラトンのイデア界(本物の世界)の考えが面白い。 【 我々が生きる、今ここは、人が真に生きる世界ではない。 前世のイデア界の世界で、完全な美や真実を目にしている。 しかし、生まれてきた現世では、そのことを忘れていて、この「世」の美しいもの、真実、良いものをみると、それを思い出す。 このイデア界の憧れは、この世ならぬ完全なものへの憧れで、この世の中での有限なものの恐怖と表裏一体としている。】 * 次にローマ帝国期のAC3頃のプロティノスは、 【 プラトンの哲学の流れをくんで、プラトンのイデアと同じく、この世に根拠を与えているものを想定し、 それを一者(ト・ヘン)となずけた。それは絶対的な超越者であり、人間が把握することも、表現することも出来ない。 それは一者でさえなく、存在に先立ち、すべてを含む完全なものという。一者は完全なるがゆえに、力が満ち溢れ、 外に溢れ出る。世界は、一者からの流出物と位置づけている。この一者からヌース(精神)が生まれる。 これが一者の思惟の世界。これがプラトンのイデア界にあたる。そして、プシュケー(霊魂)が生まれる。 さらにこれが、ヌース(精神)からイデアを受け取り、物質と結びついて、我われが感じ取る感覚の世界をつくる。 これが世界をつくられる。流出のプロセスである 】【 一者は、流出を行っても完全性を損なわない。太陽の光が どんなに照らしても、その力を失わないのと同じである。ただ、遠ざかると太陽のように光も熱も弱まるように、 そのレベルが低くなる。ヌース、プシュケ、物質の順に、一者から遠い存在になる。】 【 人間は、物質である肉体を持ち、そこに霊魂を持っている。その物質に逆行して、一者を目指すのが人間のあるべき姿である。 それは忘我の境地でなされ、そこで人は知性の光に満ち溢れる。一者のことをプロティノスは「神」ともいう。 忘我の境地になれば、人間は神と神秘的な合一が果たせる、という 】 ー 以上だが、プラトンにしろ、プロティウスにしろ、説得力がある。 プロティウスの論理と、そのイメージは、キッチリと頭に叩き込んでいた方がよい。 いざという時の 生から死へのイメージが沸いてくる。般若心教と同じような感覚として、安らかな気持ちになれる。考えぬかれたイメージである。 ・・・・・・・・ 2889,プーチンのリスト 2009年03月03日(火) 一昨日の三月一日のNKKスペシャルの「 揺れる大国 プーチンのロシア《プーチンのリストー強まる国家資本主義?》 」が、 今後の世界の方向を暗示する内容であった。アメリカもまたAIG、シティ、GMなどを政府管理下において建直しを図ろうとしている。 ーまずは、NHKのHPより、その番組説明をコピーしてみるー オイルマネーの流入で、いちやく経済大国となったロシア。 去年秋の金融危機以降、プーチン首相のもとで進む経済対策、 支配の強化によって、財界はかつてない大混乱に陥っている。ロシア経済の繁栄を支えてきた外国資本が一気に去り、 頼りは国家が貯めこんだ資金だけとなった。ソ連邦崩壊後、市場経済化の中で急成長してきた新興財閥は巨額の負債を抱え、 国の支援を受ける代わりに国から送り込まれた監視役を受け入れざるを得ない状況に陥った。 プーチン首相は、国家が蓄えた巨額の資金を振り分ける企業を選別する「プーチンのリスト」の作成を指示。 財閥たちはリスト入りをかけて熾烈な争いを繰り広げ、そのことがプーチンによる財界支配を強化していく。 取材班は、リーマン・ショックの前から財閥に密着。激動の瞬間をカメラに収めながら、ロシアの内部で起きている知られざる 闘争と変貌を見せていく。この20年、社会主義から資本主義へと転換し、国の財産を我がものとした財閥が跋扈した時代から 再び国家の統制する時代へと舵を切ったロシア。そして今、「プーチン流の国家資本主義」ともいわれる 異質な大国へ姿を変えようとする様を、経済の最前線の取材から明らかにしていく。 ーーー ロシアの富豪の昨年9月の金融恐慌の「前と後の段差」を時間の流れとともに追いながら、 ロシア経済のバブルの膨らみきった画面と、その後の生き残りの姿が生々しい。 1000億の個人の資産を持つ大男が個人の所有するジェット機内で、世界を駆け巡っている姿と、 金融危機を境にプーチンの国家管理の会社に自らを売り込まなければならない凋落の姿が、現在のロシアを象徴している。 プーチンは財界支配を強化して国家資本主義をとって、この難局を乗り切ろうとしている。 オバマが現在、チェンジと叫んでいる行き先も「国家資本主義」ではないか?と思われる。 異常の事態には国家管理を強化して戦時体制的で乗り切らないと、他国に隙に乗じられるしかない。 現在のアメリカが日本の預金・年金を狙っていることから見ても理解できること。 窮したロシアが北方四島を売るふりをして、何か引き出そうと画策を始めてもいる。 「日本は世界に先駆けて恐慌に入った」が、世界は踏みとどまれるかどうかの土壇場である。 ・・・・・・・・・ 2525, 国家を斬る 2008年03月03日(月) 「 佐藤優 国家を斬る 」 佐藤 優 (著), 宮崎 学, ー読書日記ー 佐藤優のみならず、、イーホームズ・藤田東吾社長、そしてヤメ検の田中森一の本を読んで国家の腐敗、 特に官僚の腐敗の実態に、ただただ驚く。それが司法の検察まで及んでいるのだから救いがない。 元々、腐っているのが、露見しただけということも言えるが。 この本は著者自身の裁判経験を交えた公演とJR労組の活動や松崎氏への評価をJR労組主催の講演で語った内容をまとめたもの。 宮崎学との対談を中心に著者の思想、言論展開もあり、国策捜査や外務省官僚の生態などを織り交ぜながら国家論を綴っている。 思いもよらなかったことは、有償講演をしないとことだ。こういう捨て身だから、何でもいえるのである。 3桁の額の講演の誘いもあるが受け入れないのは、原稿を書かなくなってしまう恐れがあるから、という。 この本の構成の内容といえば ・反権力自由主義者としての佐藤優/宮崎学 ・「国策捜査」と時代の「けじめ」/佐藤優 ・現代日本の官僚階級/佐藤優 ・対談:官僚階級の相貌/佐藤優・宮崎学からなっている。 ー宮崎学の次の言葉が印象的である。 「佐藤は、国家権力による「国策捜査」の犠牲になり、それに抵抗することで反権力の立場に立つようになった。 といっても、かつての左翼にありがちだった<権力=悪>という先験的な反権力ではない。佐藤は国家主義者で、 国家が社会を正しく秩序づけることを考えているのであって、<権力=悪>とはとらえない。 しかし、<正しい権力>と<悪い権力>とがあって、国家は<正しい権力>にならなければならない、という国家主義者でもない。 権力はつねに必要悪であって、悪い作用もするのだが、それも含めて必要なものだ、という立場なのだ」 ー著者の次の言葉も事実だろう。 「私が逮捕されたのは、私が鈴木宗男氏と親しかったからである。警察は私の逮捕を突破口に外務省と鈴木宗男氏を 結びつける事件を作りたかった」。そして、それならば、鈴木宗男はどういう政治家であったかについて、 「小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。内政的には、ケインズ型公平配分政策から ハイエク型能力配分新自由主義の展開です。外交的には、ナショナリズムの強化。鈴木宗男氏は内政では地方の声を 自らの政治力をもって中央に反映させ、再分配をちゃんとする公平配分論者で、外交的にはアメリカ、ロシア、 中国との関係をバランスよく発展させるためには、日本人が排外主義的ナショナリズムに陥ることはかえって国益を 穀損すると考える国際協調主義的な日本の愛国者ともいえる。」 ーー この本に影響されて、図書館から「国家の罠」「国家の自縛」を借りてきたが、 あらすじ読みをしてみて、とにかく辛らつで面白い。 それにしても、佐藤優のすごい能力には驚かされる。 ・・・・・・・・・ 2007年03月03日(土) 2160, 今日は息子の結婚式! 、おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 今日は花婿の父である。結婚式のその役割りの一つを演じるのも滅多にないこと。 その辺が面白そうだが! とにかく目出度いことである。 *⌒ヮ⌒*)ゞ まずは、最後の来賓への挨拶のメモより ー新郎の父親の挨拶ー m(_ _)m 新郎の父、堀井でございます。堀井家・高橋家、両家を代表し、お礼の挨拶をさせていただきます。 本日はお忙しい中、遠路はるばる 崇史、みな子両名の結婚披露宴に来ていただき誠にありがとうございます。 お忙しい中、ご出席いただきました皆様のおかげで、無事に結婚式を挙げることができましたことを、 心より感謝申し上げます。先ほどより、新郎新婦には、温かいお祝いの言葉、お褒めの言葉をいただき、 親としてましては大変ありがたく思っております。去年、崇史から結婚したいと話を聞いたとき、 子供だと思っていた息子が、やはり大人になっていたのだと感じた瞬間でございました。 嫁となるミナコさんを見て、私は人目で品性の良さと堅実な人柄を感じ、二人の結婚をすぐに快諾した所存でございます。 私自身は娘が欲しかったのですが、これでやっと「娘を持つ願い」が叶いました。「自分の家庭で平和を見出すものが、 もっとも幸福な人間である」といいますが、次男の崇史も、その点だけは大丈夫に育てたつもりです。 理想的な家庭人に必ずなることと思います。これから新しいスタートとなります二人に、どうか皆様のご指導、 ご鞭撻をお願い申し上げたいと思います。 本日は誠にありがとうございました。 --- 自分の息子が家庭を持つというのも不思議で複雑な気持ちである。孫ができるち、何か自分が老けこんでしまう感じがするが・・ 花婿の父の役割をただ目立たないように果たすことだ。 こういう役割、実をいうと好きである。 それも明治記念館なら、なお面白そうだ!会社の社員の結婚式の挨拶で、一度もトチッタことがない。 しかし自分の息子の場合は、どうなることか? 少しトチッタほうが場がもりあがるのだろうが・・やってみるか? 13時半過ぎに家族紹介、そして14時半に挙式。 (*'∇')/゚・:*【祝】*:・゚\('∇'*) 披露宴15時半、17時半?18時に終了。新幹線に19時半に乗車、21時半から長岡で二次会、23時半に帰宅!予定。 幸せな楽しい一日になりそうだ! さてと、明治神宮に向け出発の用意だ! ヽ(゜∀A)ゞ イケー! ・・・・・・・・・ 2006年03月03日(金) 1795, 心に効くクラシック?2 っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。) ー 読書日記 ー音楽がもたらす効用ー 音楽がもたらす効用は多大なものがある。まずは感情伝達の効果をあげることができる。 私も音楽で何度か人生の危機を救われたことがあった。最後は目をつぶり静かにしているしかない時、 何げなくかけた音楽が心の底で魂を包み込んでくれた経験を何度かしてきた。 気分が滅入ったとき、励ましてくれる凛々とした曲を聴いているといつの間にか気持ちが立ち直っていることがある。 (字数制限のためカット 2010年3月3日) ・・・・・・ 2005年03月03日(木) 1430.危ない格言 5 ・死後の世界は、もっぱら、まだ生きている人間専用にある。 ーmy感想ー 死んだ人間のためにも、必要なのにね? 死後の世界を信じて死ぬのと、信じられないで死ぬのと、ドチラガよいかが, その人の信仰の突き詰めた原点では? 信じたほうが気楽なのに。 ・釈迦は、水の上を歩いて見せるような奇術を弄さなかった。インドにはその手の奇術を見せる輩が沢山いたので。 ーmy感想ー 存在していたかどうかさえ定かでないのに・・・まあ、やめておこう! 宗教は必要です。 ・信仰が確固として成り立っているなら、信仰の対象は実在する必要がない。 信仰が人間の精神、関係、社会統制にもたらす効果は、その対象の実在がもたらす効果は、 その対象の実在がもたらし得るかもしれないそれを遥かに凌駕する。たとえ、その対象が全能の神であろうと。 ーmy感想ー 「信じるものは救われる」ということか。 ・霊魂は不滅であってもかまわない。さて不滅を信じ、主張するものたちにとって不幸なことは、それが何であるかを、 彼等は全く説明できないということだ。 何だかわからないものは、勿論不滅であっても、なくてもかまわない。 ーmy感想ー 霊魂は言葉の中にもあるから、どう解釈してよいのか? ーー ・神というのは、信じる者たちの敬虔さと信仰を欠く者への強烈な敵意と 憎悪による脅しが除かれてしまえば、むしろ滑稽な観念のつぎはぎ細工にしか見えない ーmy感想ー イスラム教徒を、遠くから見ると全くその通りである。キリストも、ユダヤも同じか? アブラハムとかいう人の発明のXに対して、白・赤・土色が都合よく創りあげた宗教でしかないのに。 ・・・・・・・ 2004年3月3日 1064,つれづれに つれづれにー今日はお笑いの日 ージョーク・ユーモア事典ー <合い鍵> 小さい女の子が生まれて初めて母親とお風呂に入った。そして母親の下半身を見てきいた。 ーあら、それってなに? ーこれはね、天国の入り口よ。 一週間後、娘は初めて父親とお風呂に入った。そして父親の下半身を指をさしてきいた。 ーパパ、これなに? ーこれは天国の鍵だよ。 ー天国のドアを開けられるのパパだけ? ーそうだよ、もちろん。 そうすると娘は不思議そうな顔をして、父親の耳元に口を寄せてささやいた。 ーパパ・・・上の階のおじさんは合い鍵を持っているようよ。 <7歳の坊や> 司祭館から出たとき司祭は小さな男の子がタバコをスパスパ吸っているのを目撃した。 ーおや坊や、タバコを吸うのはまだ早いよ。いくつだね? -7歳だよ。吸いはじめてもうだいぶんになる。 ーエッ、なんだって?いつから吸いはじめたの? ー童貞を失った日さ。 ーいつのこと? ーもう覚えてない。あの時はへべれけだったからな。 ・・・・・・ 2003年03月03日(月) 698, 「都都逸」の世界 ・信州信濃のしん蕎麦よりも わたしゃあなたのそばがよい ・女房にいえない仏ができて 秋の彼岸のまわり道 ・嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い ・好きと嫌いとどれほど違う 命ただやるほど違う 若い頃に、このような都都逸を知りよく口ずさんでいた。今でも「その味わいに感激した」のが印象に残っている。 7~8年前まで、いまは亡くなったが、近くの不動産の社長と古町の料理屋で、芸者を上げて彼が都都逸を歌っていた。 なんともいえない雰囲気と味があった。十数年通ったか?インターネットで調べてみたらもっと味がある都都逸がでてきた。 何ともいえない味がする。そろそろ小唄か都都逸を年増のお師匠さんのところに習いにいく歳になってきたのか? 芸者でも上げて座敷で歌ったらおつなものだろう。 都々逸は「七七七五」の二十六字詩。どどいつの起源は、寛政十二年(1800) 名古屋の宿場遊里・東海道宮の宿のお仲という熟女が唄い始め、三十余年 経て東漸したというのが定説である。名古屋市熱田区伝馬町裁断橋のそばに「都々逸発祥之地の石碑がある。 その囃し詞 から、どどいつ節といわれる様になったという。 ・お酒飲む人しんから可愛い 飲んでくだまきゃなお可愛い ・淋しがりや一本提げて 淋しがりやに逢いにくる ・私にはしらふで言わせてそのくせずるい あなたはお酒に言わせてる ・可愛い女の寝顔にただの 水がしみじみうまい夜 ・弱虫がたった一言ちいちゃな声で 捨てちゃいやよいった晩 ・9分と9分と互いに許した心と口に はっきりいえないあと一分 ・朝から嬉しく立つ茶柱に 逢える布団を陽にあてる ・酒の相手に遊びの相手 苦労しとげて茶の相手 ・赤い顔してお酒を飲んで 今朝の勘定で青くなる ・諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた(伝:都々逸坊扇歌作) ・あついあついと言われた仲も 三月せぬ間にあきがくる ・色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる ・色が黒うて惚れ手がなけりゃ 山のカラスは後家ばかり (以下字数の関係でカット09年03月03日) http://www.ne.jp/asahi/rokusekitei/kamigata/doditu.html
・・・・・ 2002年03月03日(日) 348,否定の否定の落とし穴 「マイナス言葉+ない」という言葉のトリック。「苦しくない」「悲しくない」・・・ これは意外な落とし穴がある。否定語を否定するとプラスにみえるが、それが常態になると、否定語が勝ってしまう。 私の嫌いな「子狐」を例にとる。否定を否定しているが、そのうち子狐が勝ってしまうのである。 悪貨は良貨を駆逐するのは真実だ。悪貨から離れるしかない。従ってどうしたらいいか。父が教えた 「近所の人と親しくなるな!」である。これ以上書くと差し障りがあるから、書いてはいけないが。 近所は否定語の最たるものだ?ー意味深長! 空間は早々変えることができない、真空にしておくべきだ。 一年に一度ぐらいが最高レベルの付き合い限度と、ある本に書いてあった。言葉は難しい、そのトリックに知らないうちに 落ちてしまうからだ。人間関係も然りだ。「いやよいやよも好きのうち」の最たるものだ。嫌いなら離れるべきだ。 人間にもプラスとマイナス要素をがある。プラス要素の多い人となるべく付き合うべきだ。マイナス要素(多い)の人は 長期的に付き合っていると、必ずマイナスの毒を飲まされる。今更いうことがないが。よどんでいる所、人にはガスが溜まる。 マイナスの要素の否定は、その否定よりマイナスが勝ってしまう。更に否定そのものが、マイナスの加勢する。
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2010年03月02日(火)
* 冬季オリンピックは終わったが オリンピックの賑わいも、昨日まで。今日からは現実がまっている。 この商売は不景感がモロに伝わってくる。 実感は、「大津波が静かに荒れている!」というところか。 狼少年ではないが、狼がいても今さら騒いでも仕方がないと、鍵をかけて家の中でジッとしている、という喩えか。 民主党、これで本当に大丈夫なのか? 革命ごっこはいいけど、社会と経済が壊れてしまえば、もともこうもない。
* 「津波と高波と高潮の違い」とは 「高波、大波」は、一般的な波で大きな波。「高潮」は、台風などで水面が盛り上がる現象。 気圧がさがる事によって、水が上に持ち上がる現象をいう。 カトリーナの被害はこれである。 「津波」は、地震などによる海底の振動や隆起によって水が持ち上げられて起こる。持ち上がった水が周りに広がっていく現象。 震源地の周囲が一様に一時的に水面が上昇、海岸線の海面が一気に上昇して、津などの内陸まで水が押し寄せる。 チリ地震のように地球の裏側まで到達することもある。「津波」と「高潮」は「水面が上昇する」という現象において同じ。 海底の隆起によって起こった水の盛り上がりは、当然元の水位に戻ろうとするので、津波による水位変化は一時的。 高潮は、気圧が上昇するまで続く。津波は地震だけでなく土砂崩れで湾が一気に埋まってしまったりする場合にも起こる。 「津波」が英語で「TSUNAMI」なのは、ハワイの日系人が「津波だ」と言ったことが語源とされている。 潮が一気に引いたのを見て、日系人が経験則から「津波がくる!」と避難を促したことが切っ掛けである。 チリ地震をきっかけに、数年前に起こったインド洋の津波の映像を幾つかiTuneでみた。 現在、100年に一度の恐慌という大津波が世界を襲っていることと重ねると、とんでもない事態がわかる。 まず日本に、そして欧州に、そして、中国に連鎖していくのだろうが。 ・・・・・・・・・ 2888, 天地人と先祖 2009年03月02日(月) 現在、「天地人」を日曜日の20時の連続ドラマで放送している。NHKの、このゴールデンタイムのドラマは 20年来見なかったが去年から観始めた。今年は地元越後の上杉家・家老の直江兼継が主人公で、先祖の縁があるので面白い。 堀井の家系は小父谷市近郊の片貝に、30代近く続いた総本家がある。4代前の祖先が江戸末期に長岡に出てきたと 子供の頃から聞いていた。その堀井家の総本家に父が亡くなる数年前に訪ねていったという。 ご先祖様は上杉謙信が亡くなった後の起きた御家騒動【御館の乱】で負けた影虎の家来で、その火中に小父谷郊外の片貝の 池津の村に落ちてきたという。その屋号が実家の池津屋の屋号になった由来である。 その争いの勃発の場面が、昨夜の「天地人」にあった。 何か先祖の霊の目で見ているようで、微妙な感覚であった。 直江兼継は御館の乱の勝者の上杉影勝の家来。私の祖先は負けて小父谷の郊外に落ちた方。 堀井を更にたどっていくと平家の落武者という。 堀井の姓を20数年前に図書館の電話帳を調べたら、 上越市と富山と岐阜県に堀井の姓が多かった。 それからみて、その元は平家の落人ということになる。 私が新潟で商売をしていることから、京都、岐阜の高山、富山、上越、小父谷、長岡、そして新潟と流れが続くことになる。 ちなみに合併前の旧長岡市の堀井の姓は7~8軒しかなかった。新潟市内も数人しかいない。ドラマとしても影虎と影勝の 対立の場面は他人ごとではなかった。大筋以外は創作でしかないが、どちらサイドの感覚で観たらよいのかおかしな気持ち。 次回が戦いの場面になる。 ー下書き後に分かったことだが、この随想日記で6年前の(3月01日)の、偶然に、先祖のルーツを取り上げていた。 面白いものだ。 ・・・・・・・・・ 2524, 酒は涙か溜息か 2008年03月02日(日) 「酒は憂さ晴らしに逆効果 」ー東大がラットで実験ー という記事が先日の地元紙に載っていた。 ーまずは、その内容をー 憂さ晴らしに酒を飲んでもむしろ逆効果?嫌なことを思い出した直後にアルコールを摂取すると、 かえってその記憶が強められることを松木則夫東京大教授(薬理学)らがラットの実験で見つけ、 28日までに米専門誌の電子版に発表した。人の場合なら、嫌なことを忘れようと酒を飲んで一時的に楽しくなっても、 翌日には楽しいことを忘れ、嫌な記憶が強く残ることを示しているという。松木教授は「酒を飲まずに、嫌な記憶に 楽しい記憶を上書きしてしまうのが良いのでは」と“しらふの気分転換”を勧めている。 実験で、かごに入れたラットに 電気ショックを与え、恐怖を学習させると、かごに入れただけで身をすくめて固まるようになる。 チームはいったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。 その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。(共同通信社) ーー 以上だが、20年以上前になるが、ある取引先の営業の人に 「私は、不味い酒は飲まないことにしている。自棄酒とか、気分を紛らわせる酒は、ますます気分も体調も悪くする。 楽しい酒を選んで飲めば気分は更に良くなるが、その逆を金を出してすると逆効果になる。」と言われた。 そして、その日以来、忠実に守ってきた。 10年ほど前に、高校の同級生に「おい堀井、御前な?自室でな酒を飲んで、二日酔いをした経験をしたことがあるか?」 と言われ、そういう経験の記憶は殆どない。色々の挫折の末に独りで部屋に篭って飲みざるをえない酒の味を 言いたかったのだろう。そいうば私の好きな歌に古賀政男の「悲しい酒」がある。 1 酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ 2 遠いえにしの かの人に 夜毎の夢の 切なさに 3 酒は涙か 溜息か かなしい恋の 捨てどころ 4 忘れた筈の かの人に のこる心を なんとしょう 「かの人」を、「かの憂さ」、「恋」を「傷」と置き換えると、中小企業のオヤジや、サラリーマンの赤提の憂さ晴らしと 同じになるか! これを歌っていると何とも面白く楽しくなるのは如何いうこと? 飲まなきゃ、やってられないことは よーく解るが!「しらふの気分転換」じゃ晴れないから飲むんじゃないか!ったく!! ってのが、おちか! ・・・・・・・・・ 2007年03月02日(金) 2159, 閑話小題 (o_△_)oゴロン (o_ _)o.。o○グー オハヨ? * 都知事選が面白くなった!* ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。これで見ている分には面白くなってきた。 石原知事は批判があるにしても、名知事である。少し変節したが許容範囲である。しかし浅野に代わるのも タイミング的に良いのかもしれない。二期で充分と言えなくもない。これで三月・四月の面白いイベントが一つ加わった! 石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。 一番手ごわい相手である。 浅野の方が勝ちそうな気がするが、 実績からみて五分五分だろう。 首都圏の為にどちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。談合が更に厳しくなるからだ。 * 中国発、世界同時株安* この言葉は何処かで聞いたことがある。同じような題名の本の題名が数年前から本屋の平台に積んであった。 今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。 現在の世界経済は、一度清算をしなければならないところにきている。 以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、それができなくなってきた。 今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで破壊がおこなわれる。 * 新潟駅周辺が変わり始めてきた* 日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。 今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、その至近距離にあるやはり大型ビルの地下と 1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある万代シティーのSCのダイエー跡も今日、開店。 合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。 今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた! (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・・ 2006年03月02日(木) 1794, 超アメリカ整理日記 ?1 (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ ー読書日記 ースタンフォードから日米をみると・・・ー 野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の2004年5月1・8日合併号?2005年4月16日に 連載したものをまとめたもの。米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。 政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、 年金制度、など、社会システムの非合理性を指摘している。イケア、マイクロソフト、トヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。 経営、経済、経済システムや、荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。 それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび上がってくる システムの矛盾の指摘がわかりやすい。 ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ! ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。 p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。 ただし、現地のコミュニティに溶け込むことが、重要。 p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国 →スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。 現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。 米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。 これらを考えると、10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる? p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会 p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」 最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて 説得力があってよい。自己制御がきかなくなっている日本の現状は、一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。 [○´・ω・]ノ ヂャァネッ ・・・・・・・・ 2005年03月02日(水) 1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇 岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。以前から、随想日記で書いてきた 「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、病気、職場の関係、犬の世話等々で、 自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。 海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。40代後半から60代前半は、 こういう問題が誰にも押し寄せる。見せているか見せていないかだけである。その中で一人でする、スキップと鼻歌は、 背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法の知識がない上に気弱だと、 尚のことである。この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。 外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。 深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。 直接原因はこれだろう。 以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。 後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面) を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。 ー文雄がいった。 「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」「どうして」「とにかく、そうなんだ。40前には、 迷うことなんかないよ。 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。 あり合せの目標に突っ走る。一段らくしたときが一番恐い。 40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。え、そうじゃないか。 迷いが出てきただろう」「そういえば、そうかな」「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。恐らく、 死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」「迷わない奴だっているだろう」「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。 しあわせという言い方もあるだろうがね」 ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。 しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。 そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。 ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の 「機能コンプレックス」であるという。それは個性というものとは違うものである。 安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が存在している。 ーー 誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。 真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。 私の解釈では、・真面目な、・気弱そうな、・善人面ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。 誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、 犬の調教の疲れなどの全てが、長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。 ・・・・・・・ 2004年03月02日(火) 1063, 高級1DKマンション ー1 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。 最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンをしながら調査をしている。 そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。 もちろん、高速インターネット付である。イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。 ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚をしてしまう。情報化社会の時代の新しい空間とは、 こういうカタチと見せつけられたようだ。またソフトハウスとしても利用可能のようである。特に新橋や品川や山の手周辺に多く、 一室で月20万?70万もする。ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。 ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。大規模のものが近々、品川にオープンするが、 都心だから入居者があるのだろう。買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が良い。 面白い時代になったものだ。古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。 時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。組み合わせを変えることによって、新しい価値の 創造をするデザインが現在求められている。ホテルプロジェクトを1DKに集中? 「高度化」がキーワードになる。 ・・・・・・・ 2003年03月02日(日) 697, ルーツー2(縦人脈) ーその資料によると 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。 そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」 という出城の城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の 片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。 一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、 平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって 変わってきている。金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。 また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。 その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。 上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。 20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。 車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。 何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような 気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。 そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。 家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。 それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。 ・・・・・・・・・ 2002年03月02日(土) 347,心の陰 人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、 いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく 自分のそれを認識しているに過ぎないー これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。 特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。 自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。 自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。 私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ
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