堀井On-Line



3172,ノートを下からとる!

2009年12月11日(金)

  面白いノートの取りかたである。 これは、目から鱗。
ノートは普通は開いた左上から下に書き下ろし、右ページ上段に戻って再び書き下ろすのが一般の書き方。 
せいぜい、左ページを白紙にして右ページに書いたフォローとして重要なポイントや、絵とかを気ままに書いたり、
空間をタップリとって島状に文章を書いて、後で見直すやすく工夫する。
 ところが、これは逆転の発想である。
*開いたノートの左下から①・・・・・・ 、②・・・・・・、そして行を上げて
 ③・・・・・・・ ④・・・・・・・・ 、そして行を上げていく。
 だいたい三分の二あたりに、それまで書いたマトメのポイントAを小項目とする。
*次にまた右ページの一番下の行から、Aから導き出されたBを想定して、①・・・・・ ②・・・・・、そして行を変え、
 上の行に①・・・・②・・・・、そして行を変えて、上に向かって書き足していく。そして三分の二を目安に段落として、
 そのマトメとしてのキーワードの項目を書き出す。
*そして、今度は左ページと、右ページのキーワードを入れた両ページにわたる長細い楕円を書いて、 
 その中に、③・・・・ ④・・・・というふうに、書き出していく。
 実際に書いてみると、上から下へ書くより、下から上に書いていくほうが考えがスラスラと出てくる。
そして後で読み返すとき、先に結論が書いてある上に、図示で分かりやすい。

 私の読書法には、最後の章から前に向かってポイントだけを追う方法があるが、それに似ている。
要するに、言葉=思考を上に、どんどん積み上げていくのが良い。考えてみれば、何もない下に書くということは、
何か不安がある。 しかし、いま書いた言葉の上に積み上げていくという実感が、考えを誘発する。
「どんどん考えが浮かびあがる」といった風が良い。
 私の、これまでは、ノートの真ん中に小さなハートを書き、その周りを脳のような図を描く。
そして、右上から、5〜6行の文章を 下に向かって三段書いて、下の段の左側に文章を書き足していく。
そして、一番左の行を島として、上に書き上げていく。 これはこれで、なかなか良い。
しかし左側の一番下から上に書き上げるのは目から鱗である。 これ本屋で立ち読みだけで会得した?が、
やはり、買って読まないと著者に悪いことになる?。 これは良い。下の副題が決してオーバーではない!
【 苫米地思考ノート術
  ― 脳を活性化し人生を劇的に変える最強思考ノート  ー苫米地 英人 (著)  】

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2807, 不況景色 −2
2008年12月11日(木)

 * アメリカ最大のメディアの「トリビューン」が破綻
あまり目立たなかったが「ロサンゼルス・タイムズ」や大リーグのカブスなどを傘下におく【トリビューン社】が、
破産法11条を米連邦破産裁判所に申請し事実上経営破綻した。
負債総額は何と1兆2000億円、<救済される>会社と<つぶされる>会社の線引きに批判が集まっている。
日刊紙8紙を傘下に置き、23のTV局を持ち従業員2万人の全米最大規模の総合メディア。
何故、【シティ】や【AIG】は (目先だろうが)救済され、新聞社の【トリビューン】社は破たんなのかと・・・。
さらに【NYタイムズ紙】の業績も急悪化、このままいけば経営破たんではないかとの噂も出ている。
今後、マスコミが巨大企業救済プランに一斉に反対キャンペーンを打ち出す可能性がある。
アメリカの新聞社は日本や英国に比べて競争力が弱く、その分だけ不況とネットの波が大きく影響。
アメリカ最大保険会社のAIGが実質破綻、自動車ビックスリーも倒産直前、シティバンクも風前の灯、
証券会社は壊滅というから、アメリカは恐慌に一歩足を踏み入れたといってよい。
 ーー
*地元・新潟も不況が深刻化
地銀の担当の話によると、一段と景況が悪化、特に不動産・建設、小売など急激に売り上げが激減しているという。
地元の金融機関は、地方経済の長年の悪化のために体力を落としており、含み損を多く抱えているため、
資金が出せない状態。マイナスの循環の速度が速まりそうだ。
当方は、日本経済の景気に直接左右される商売で、街角景況がリアルに分かる。
これまでは他の商売より三ヶ月は先行した数字が出るが、この金融危機の影響は、他山も同じのようだ。
世界恐慌は、製造から、流通、サービスまでが、25%減の売り上げになり、失業率は20%、
株価はピーク時の10%になる。それからみると、日本の株価は4千円。アメリカは2000ドル以下になる。
今年の忘年会、中止にしようか迷ったが、小じんまりとした会にした。 帰りの新幹線の乗客も、めっきり少なくなった。
来年から3〜5年間は世界は大きな経済的破壊が現実化するだろう。
  年を越した1月5日から一斉に倒産の実態が顕れるだろうという。
   新しい社会の創造前の破壊なら良いが。

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2007年12月11日(火)
2442, 人生後半に、哲学は一般教養として不要か?
             (´Д`;) オァ/ヽ〜 二日酔い!
人生、後半ほど哲学は必要と思っていたら、学者の谷沢永一著『人生後半に読むべき本』の中で、
「熟年には哲学など必要ではない!」と断じていた。 この数年、少し哲学にのめりこんでいるので、
丁度良い中和剤の論と思いつつ読んだ。しかし何で彼ほどの博識の人が、こういう論を立てるか理解できない。
「人生後半ほど、それまでと違う目で世界を見る必要性がある」と確信をしているので、
「近代哲学に対してのアレルギーが彼にあるのではないか?」と、思いつつ何度か読み返してみた。
道理は道理で必要である。それは間違いない。独り自分と、世界の不思議を見つめなおすことも大事なことである。
それも中心点に向かって! 彼が言いたいことは、「今さら哲学でもないだろう、貴方レベルには!」
ということ? それとも哲学(中心点に向かって考えること)など、彼の基礎教養の土台の上では必要が無い!
ということか?と、面白い問題提起になった。
     「人生の後半に読むべき本」矢沢永一・渡部昇一著  −PHP出版
 *谷沢永一
人生を深めるという観点で、たとえば哲学書。若い日に哲学書を読んで、もう一度読んでみようと思われる方が
いらつしゃるかもしれませんが、これはどうでしょうか。哲学は、ある時代の考え方の枠組みを創る。
そういう役割を果たしたものを読んでおくことはためにはなります。
ただ、たとえば咀噌されつくされたカントの哲学は今の時代を生きるために必要かといえば、ほとんど必要ない。
 また、へーゲルといえば団塊の世代の人々にはとりわけなじみの深い哲学者の一人かもしれませんが、
彼のいわんとすることは、「この世には絶対精神があり、それがだんだんと世界を高尚に持っていく」という上昇史観です。
キングが君臨し、ビショップが威張り、官僚が圧制する。それらもすべては絶対精神が自己を実現していくための
大きな流れの過渡期の現象であって、現在はプロセスの途上にある。 このプロセス論には、憎むべき狡猜さがあります。
これからはどんどんよくなるのであり、その途中に生まれ合わせたのだから、「高きを望むな」と、現体制を弁護する
最高の理屈にもなるからです。そしてヘーゲルがトマス・アクィナスの「神学大全一に近代的な衣装を着せたに過ぎぬ事情は
一目瞭然でしょう。 一方、マルクスは徹底的に模倣です。独創性は何にもない。共産党宣言の根本はエンゲルスが書いた。
共産主義というドグマは、幸田露伴の「五重塔」の表現を借りれば、「エンゲルスこれを創り、マルクスこれを為す」
というようなものです。そのエンゲルスも本当は歴史を知らない。モルガンの「古代社会」を読んで、それを勝手に解釈し、
夢の古代社会を創った。ルソーがやったのと同じ手です。 こう見てくると、どうも哲学というものは、物書きを目指す人は
別だけれども、一般教餐としては全部いらないと思えてきます。あれは要するに、人に固定観念を植えつけるためのものです。
人を楽しませ、喜ばせるものではない。しかし、人間の中には時代を問わず常に必ず不平不満は絶対ありますから、
それに訴える哲学は永遠生きるということも真実です。その点では、不平不満を書いてある本を読んでおいても意味がないではない。
ーー
以上だが、近代哲学を要約してあって面白いことは面白。大衆向けには、この論は丁度良いのだろう? いや、如何だろうか?
                      ゚∀゚)ノ バイ!
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2006年12月11日(月) 2078, 談合列島!
 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
    「垂直に立つ!」
 これが「情報化社会」と、「非情報化社会」とを、分けるキーワードになる。
 「死が人生の終点」と信じる人の延長上と、「いまここに生きている今日明日の現実」と、
‘水平と垂直’との境目が[いまここ]である。人生に垂直も水平も、ハッキリした境があるわけがないが・・
垂直とは何だろうか?  水平とは何だろうか? 水平とは、現実である。
垂直とは、いまここの切り口から直感できる永遠である。そして、この瞬間の中にある澄んだ純粋性である。    
以下の、異常な事態を考えるために、「垂直に立った」澄んだ視点で現在の三県・県知事逮捕を鳥瞰しながら考えてみる。    
  −−
先日のNHKニュースで、宮崎県知事の逮捕を受け、「日本は談合列島の様相を示してきた」と、アナウンサーがいっていた。
(字数制限のためカット09年12月11日)

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2005年12月11日(日)
1713, 絵文字が面白い! −1
                 (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
随想日記を読みやすく、かつ面白くするため、絵文字と空間を入れて一月経つ。
実際に、書いた後に絵文字を入れる方が面白い。感情が、いや心情がそのまま絵文字に入るからだ。
それと内容を和らげるのにもよい。♪〜(=^ε^= ) そこで絵文字の素材をHPで調べてみたら、これが面白い。
その中で見つけたのが、このエッチ系の奴だ。少し下品だが、とにかくご覧あれ!!
人間の本質が、そこにあるのだから仕方がない。漫画的に下ネタのイヤラシサを笑いに変えるところが良い。
赤裸々な人間の姿とみれば可笑しさも増すだろう! 
携帯電話世代が、心の深いヒダを記号で表現しだしている。言葉とは違った情報手段が出来つつある。
その組み合わせで、言葉以上?か、同じレベルまで心のやり取りの可能性が出てきたのだろうか。   
  ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!! ナンテコトヲ!  ーエッチ ー
         スケベ! ¬_¬) (´m`) ムフッ♪  イヤラシイ(*・ω・*)
イヤ━━━(゚,_ゝ゚)━━━ン!!! (´Д`;)/ヽァ/ヽァ
  ベット‖・Д・)ノ ハヤク コイョ マチキレナィ ゼィ   ストリップ♪ ▼⌒ ヽ州'∇^)ノ ⌒-●●-
 (´ρ`)φ シコ・・シコ・・ ( ´▽`).・: ゚ ・。.  イチャタ  (((.人.)))ユッサユッサ (((.人.)))ボヨヨーン!!
 ━━━━━ヽ(*゚浮゚)人(゚気゚*)ノ━━━━━ぃ   (・´з)(ε`・) ←--|柱|゚ω゚;)。oO(ゥ・・浮気モノォオ)
 女王様とお呼び、オホホホ  川^。^)/~~~~~~~~~ν
 ーーーーー
いい歳をして何じゃい!という声が聞こえてきそうだが。  
  面白いものは面白い! クルクル  σ@( ゚∀゚)y パー!? 
− 次は感情(喜怒哀楽)を取り上げてみる。
                 (^_^)/~~ja~ 
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 2004年12月11日(土)
  1348, もう一冊のアルバム

  中越地震の少し前に、事務所の移動をしていた時、2百数十枚の写真が入ったファイルが出てきた。
  2〜3年前に200枚入りのポケット式のアルバムに、今まで行った旅行のベスト8〜10枚を選んで、
  ダイジェスト式に纏めようとしていたようだ。おそらくアルバムに張る前に忘れてしまったのだろう。
  もしかしたら以前書いた20枚入りのアルバムもその時、更にダイジェスト版にするために買っておいたのかもしれない。
  中越地震の時に自宅で、丁度良い時間つぶしに200枚をアルバムに整理をした。
  結果として「ベスト20のアルバム」に劣らない位よい。厚めの本ぐらいの大きさであるが、コンパクトなのがよい。
  ほぼ、この十数年の旅行を網羅してあり、いつでも気楽に見ることができ、
  事務所か居間のTVの横に置いておくに丁度よい。お宅そのものであるが。
  開くと同時に、頭の中では、異次元の世界になる。家内の分を入れると、新築の家一軒分の費用は使った。
  モノは残るが、コトは残らない。しかしコトは、生きた証として!あの世に持っていくことができる。

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 2003年12月11日(木)
  981, 足銀の経営破綻 について

 足利銀行の経営が破綻した。新潟県に例えると、第四銀行と大光銀行の総額の預金量がある。
 群馬と新潟の経済規模から考えると地銀が全てが破綻したようなものである。
 総貸出しの50?近く占めている。破綻処理は、予想されていた「りそな型」ではなく、 国が既存の足銀株全てを
 ゼロ円で取得して経営を建て直した上で受け皿銀行に 引き渡すという、いわば「長銀型」の方式だ。
 投資家は株主責任をキッチリ取らされるのだ。 危機が叫ばれた時、「増資を貸出先に上積みをして引き受けさせた」
 と聞いている。取引先は二重のパンチである。 栃木県の深刻な経済危機である。これから年末にかけて本当に深刻になるだろう。
 政府系金融機関などは「土日なしの緊急事態」と何かに書いてあった。隠されていた負債が今後多く出てくるだろうから、
 県外の地銀に対してその連想が出て株価の暴落を呼びおこす可能が出てきた。もし新潟で、このような倒産が起きた事を考えたら
 背筋が寒くなる。 想像を超えた現象があちこちで始めるだろう。失業率が十数?とかいう数字である。  
 繁華街の店の灯は半分は、いや大部分が消えてしまうだろう。これが栃木県だけでなく、これから地方で次から次へと連鎖する
 可能性が大だ。今でも地方の落ち込みは、想像を絶するものがある。 この事業は、デフレスパイラルが手に取るように分かる。
 政府は目先政権を維持するだけで精一杯である。その中で地方経済の疲弊はマスマス激しさを増しているのだ。
 長野県が長野オリンピックの反動と、田中県知事による徹底的な公共事業の削減で大打撃を受けている。
 してこれで栃木県が続いたことになる。そして公共事業を潤ってきた新潟県や富山・石川県 なども疲弊の極みにある。
 会社の大矢支配人の実家が栃木県にあるが、早速生々しい情報が入ってきた。破綻となると、やはり空気が全く変ったという。
 再来年の4月からペイオフが待ったなしで行われる。ペイオフに向けて預金の引き出しが続くだろう。
 そうすると貸し剥がしがおき・・・ 来年からは考えただけで恐ろしい年になることは必定だ。
 高橋乗宣の本でも、いま一度じっくり読んでみよう。「引き出し」のコーナーに彼の文章をコピーしておきます。
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2002年12月11日(水)
607,ある時間の断片-21
        10月15日  1968年
9時起床。午前中卒論のまとめをするが集中しない。 夕方まで机に向かう。
夕方米林君が部屋に遊びにくる。 夜は夜で集中できない。
        10月16日
10時起床。オリンピックのせいか集中できない。4時間は集中しなくては間に合わない。
夜の8時過ぎに集中できた。明日は早く起きて学校の図書館に行こう。もっと集中しなくては。
        10月17日
9時過ぎの産関論を受講する。 50人も出席してない。午後は休講。
図書館で卒論のまとめをしていると石川がくる。20分ぐらい話をする。 いつもの彼でないみたいだ。
この前のことを根に持っているのか。かなり混乱をしているようだ。彼の弱点をまた言ってしまった。
もっとクールに状況をみなくては。自分に気を許しているから人に対しても気が緩むのだ。
外部と内部の一線を引くべきだ。 外部の内部化と、それを消化した内部の外部化が今の卒論だ。
割り切りをきっちりしてないと混乱がますます大きくなる。

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2001年12月11日(火)
266,基軸の日、基軸の時間

 一週間単位の基軸の日、基軸の時間。
それを決めておくといい。あくまで一つの見方としてだが。ふと私の場合、土曜日の9時に考えてみた。
そうすると何かぴったしだ。そうすると一日単位でも9時だ、いや9時20分だ。会社について「さてと!」
と言う時間だ。そう考えるとうなずける。そうすると、月単位では何時だろうか?年単位では、何時だろうか?
難しい話はまたとして、ホテル計画をして、ある重要な決断の場面の数ヶ月は、実際のところ午前二時三十五分が
基軸の時間になる。それだけ集中せざるをえないし考える。「何かその時間に意味がある」と、ものの本に書いてあった。
深夜の底というところか。木の水を吸い始める時刻が3時35分と聞いた事がある。「5時から男」は何時に基軸を
おいているのだろうか。仕事にんービジネスマンは一般論で言うと月曜日の9時というところ! そうすると、プライベートで
みるとやはり土曜日の9時、ビジネスでいうと月曜の9時というところか。

そこを芯にして、生活とビジネスを組み立てるといい。

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 ある時間の断片
  12月11日   1968年
11時に起床。
学校の図書館に行って卒論の勉強のために行く。2時間位集中する。 欧州旅行で一緒だった江夏君にバッタリ会う。
宮崎の大きな酒メーカーの御曹司だ。少し話す。朴訥としたいい男だ。 4時過ぎに帰路につく。
途中に池袋駅の地下の床屋で、レザーで髪の毛をすいてもらう。 私の髪の毛が硬いので、頭にきているのがよく解る。
帰寮すると、ゼミの同期の高木から電話で、人事管理の問題を教えてくれとのこと。
今の私には、人事管理に関して教えるだけの蓄えがないといい、石川譲治に頼んだらといった。
何か悪いことをしたようで後味が悪かった。 明日、謝らなくてはならない。


3171,「にこまる」で超図解

2009年12月10日(木)

 ー 3秒間! で脳内整理術 「にこまる」で超図解すれば問題解決ー 
                              茂野太陽 (著)
二つの○を重ねて書き、重なっている部分を「同定」し、そこから新しいキーワードを探し、三つ目の○に書き出すもの。
・「正・反・合」を○で図示しながら、正・反から合を気楽に導き出すものと、考えてもよい。
・また「守・破・離」も守・破から離を導き出すことができる。
・「三位一体説」の「神(父)、イエス(子)、霊)のモデルの図示にも似ている。
・その他にも、起承転結や、帰納法、演繹法などに気楽に使える。
書店で、立ち読みで充分と判断していたが、手に取るたびに著者のエネルギーが本から溢れ出ているようで、思わず買ったが、
これは使える。「脳内整理を遊びながらする」手法であり、新しい手法というより、一つのテンプレートの提示である。
実際に図をノートに手書きでうつしていると、著者が考えつくしているのが分かる。
 テンプレートとして、*にこまる基本図、 *にこまる時間図、 *にこまるラセン図、の三図がベース。
何か問題を抱えたら、この三つの図をジッとみて、そこに問題のキーワードが収まるのを待つという方法もある。
その意味では、面白い提示をしているともいえる。 まず○印が二個重ねるというところが、ミソである。
 ー以下は、キーポイントの言葉である。
*頭がもやもやするのは入り口が自動ドアだから
 =入り口で、開けるかどうかの判断を手動でするべきというのは、情報社会だからこと必要
*情報は外だしすることで整理が加速する
 =書き出し、まとめてこそ、情報の価値がでる。 脳内整理は「答え」ではなく「問い」に重点を置くこと
*情報は、問いを含めた形で整理する
 =問うという能動的な形で整理するから価値が出る。
*情報を整理するには入れる箱が必要
 =自分の手作りの箱が必要。 この随想日記は私の箱である。 一般にブログは最適。
*思考のステップ化で脳内整理をさらに加速
 =この「にこまる」は、思考のステップ化に最適である。
思考法としては、シンプルで分かりやすい。 図示し、展開するには良い手法である。

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2806, イングランド・ツアー  
2008年12月10日(水)
  
*英国という国
 英国の概要については‘?’で書いたが、更に書いてみる。
・英国の国民性として『働かないけど、金よこせ』が、サッチャーの改革で『働くから、もっとよこせ』に変わったという。
・長年の歴史から階級がハッキリしていて、労働者階級が出世するのは大変だが、事業での成否での入れ替わりの
 システムはあり、社会的弾力性は維持されている。
・バスからは山は殆ど見ることがない。延々と牧草地が続いており、道路の両側にオークの木や、
 林はブナの木、そしてポプラの木が所どころに見ることが出来る。教会にはイチジクの木が多く見られる。
 北イングランドの湖水地区や、コッツウォルズのカッスルクームの絵のような村の美しさが印象的。
・牧草地が目立ち、牛、羊、馬が多い。 また豚の牧草地に放し飼いが目だったのは英国的である。
 中世にローマ軍がやってきて、羊を持ち込んだため、多くの畑が牧草地に代わり、多くの農民が失職し、
 アメリカ大陸に押し出される原因になった。 そのアメリカで綿が大量に生産されて、英国に大量に輸入されて、
 羊毛の値段を暴落させたのは、皮肉な自然の摂理だった。
・食料自給率は80%あり、カナダの150、フランスの140、アメリカの130、ドイツの100%、 
 には及ばないものの、日本の40%からみれば、安定している。
・英国は、庭つくりの好きな国民性であり、自然を利用した庭つくりが基本という。
 ちなみに、フランスは幾何学的、イタリアは地形を利用した庭つくりが基本。
・英国は産業革命が始めて起こった国。 当初の自然破壊も大きな問題になり、環境保護の先進国でもある。
・ロンドンなどの都市に入ると同時に目立つのが、一棟が真ん中から左右対照同じ家が多い。それぞれが別の家族が入っている。 
 建売で、互いに気にしないで生活している。(値段が、安くなるからだろう)
・今回の旅行で、家族が仕事の関係で住んでいる人が三組いたが、その人たちの話では、英国は住めば都と、いう。
・世界的な金融危機を直撃したため、国全体がピリピリしているように感じたが、国民性に深い歴史を感じた。
 イギリスは、ファンタジー小説が多く書かれている国だが、その背景には、世界から略奪した富の蓄積がある。

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2007年12月10日(月)
2441, 四四太郎の霊日記 ー11
                ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
(字数制限のためカット 09年12月10日)
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2006年12月10日(日)
2077, 今年を振り返って −1
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
 そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。年末の31日になったら、
 もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
・北朝鮮の核実験とミサイル実験が日本にとってトップになるだろう。
・イラクでは日ごとテロが激しくなり、イスラム教の宗派間の内戦の様相を示してきた。
・国内では小泉から安部首相に代わったということか。
・それに児童虐待(親と仲間内)が頻繁におきだしてきた。家庭内が荒んでいるのが原因だろう。
・大型薄型TVが売れ出したことも大きい。
・県知事が三人逮捕となれば、やはり大問題だろう。市長の逮捕など、それがどうした?と思えるほどである。
・会社は、なんとか減収同益に持ちこめそうだ。来年から駅再開発が着工、今期を含めて三期がどん底だったが
 光が見えてきた?か・・ それとも、今そう考えていたほうが都合がよいから?楽観的に・・
・それと一番私らしくないこと、「県活性化のための会」を主導して開いた。
 学生時代のゼミの後輩に依頼されてのことだが・・・まあ面白かったが、無事終了。
・身辺では義母と、仲人の高橋与三八さんが亡くなった。
・二人の息子が婚約?、自宅に連れてきた。 来年が結婚式か?
・新しい習慣として、モーニングページ(思ったことを起きざまに30分間にわたりノートに曼荼羅の枠の中に書き込んでいく)
 の習慣を、3月から始めたことだ。これが今年の一番の収穫である。
・旅行はケニアであったが、サファリ・カーの外より、車内の動物に・・・
・今年は、「面白い本」の大当たりの年であった。次から次へと目が醒めるような内容に出あった。
 あまりの無知に一人赤面をしていたのが本音である。ここはと思ったところを一字一字タイプで打ち込むのが、
 良いのだろう。 自分の潜在能力に対して、「頭の悪い子供」として対応するのが 早道。
 池田晶子の [ゼロ基点の孤独]と、[人生経験とは、失敗経験でしかない。それほど人生を深く考えることはない。
‘たかが人生’でしかない]という言葉が印象に残った。その‘たかが人生’が、問題である。‘されど人生’であるからだ。
 これをブツブツいいながら、あるとき、垂直にプッツンになるのが人生!?
 来年は何が待ち受けているか? 花も嵐も・・・ でもないか?

・・・・・・・・・
2005年12月10日(土)
1712, 私の生活流儀 −本多静六
                ー読書日記
著者の本多静六は色いろな本で紹介されていたが、書を読むのは初めてである。
平易な言葉の中に深い洞察が感じ取れる。給与生活者である立場にも関わらず、40才で預金の利子や株からの利益が
給与を上回り、60才(昭和元年前後)で、当時の数百万円の貯金と、株式、家屋、田畑、山林が一万余町、
 別荘六カ所という財産を築き上げた。                          ( ̄〜 ̄)ξ
ーその方法は簡単なもの。
1.本業に励む。
  一日一枚、出版レベルの原稿を書く。   _〆(。。)
2.給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける
    3.ある程度のお金が貯まると、株式などに投資する。
・まずは、本業に励むことを説く。
 「人生最大幸福は職業の道楽化にある」という言葉に集約される。本業がキチンと確立すると、
  副業として、官庁や公共団体の嘱託、早稲田大学の講師、民間企業からの事業の相談を受けることができる。
  また、一日一枚の原稿で、370余冊の本を出版することになった。そして、二番目の「給与の1/4と臨時収入の
  すべてを銀行に預ける」で、人並み以上に働き、人並み以下の支出に押さえられれば、自然に、お金が貯まる。
  これは、給与生活の最初からの習慣にする方がスムーズに実行できる。
・三番目には、お金が貯まると株式などに投資を行う。本多静六は、山林の投資で多くの財産を築いた。
  氏の専門が造林学というのが有利に働きいたようだ。二万円の投資が、最終的には、当時の金額で五千万円になっていた。
  株式投資も行っている。投資方法は、先物で株式を買い、購入時に二割の利益を得られる状態になった場合は、
  躊躇せずに、現金化する。ある程度、保有して、二倍になった時に半分を売り出す。
  その後の株の値段はすべて利益になるのです。下がった場合は、ずっと、保有する。
 「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄、不景気、悲観時代には思い切った投資を」という。
  好景気時代にはお金を重視し、不景気時代には物を重視する。
 ーー
 以上だが、凡人が億万長者になる方法が理解でる。本業に専念して、給与の一定割合を貯蓄に回し、堅実な投資を
 行うことにより、 思っても見ないほどの資産を残せるのも理にかなっている。 
 若いときから、その情報や習慣をつけているかどうかだ。 金持ちと結婚するということは、その家系からくる
 生活習慣が家庭に入ってくるということだ。両親をみて結婚相手を決めなくてはならない!ハズレもあるが? 
                           ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!!
・・・・・・・
2004年12月10日(金)
1347, 「自分を活かす極意」−3 
              読書日記
ー情報摂取法
この本は、ダイジェストなので多くの要点がつまっている。本の一番の情報収集は
「三色ペンを使い20対80の法則の20と10を色分けをすることと、それを続けることが読書術そのものになる」である。
情報収集に関しては、本にしても、人からの情報にしても、収集した情報を的確に要約することが最重要課題である。
いわば「ミソ」の部分をマトメルコトだ。 それを、私は随想日記で毎日している。
これは、第三者に対してギブ・アンド・ギブであるが、何よりも自分の基地に情報をコツコツ収集していることになる。
数時間の(情報)エネルギーを文章にして真空パック的に押し込む作業でもある。
本屋の立ち読みでも、何気なく読んでいながらパックしていることになる。 頭の中で文章化をしてしまうのだ。
何気ないTVの解説を聞いていてもアンテナが動いている。毎日、一文章のテーマに対して敏感になりざるをえない。
自分の発信・備蓄基地を持つことの重要性をつくづく実感している。まあ、斉藤孝の本の内容からずれてしまったが、
言おうとしている主旨は同じである。著者のコミュニケ−ション術と会話の技術が面白い。
 ーまずはコミュニケーション術である。
  −抜粋ー
 私は、コミュニケーション術を上手にするコツは「質問にある」と考えている。
 いい質問さえできれば、会話はクリエイティブなり盛り上がる。「質問力」というのは私の造語だが、
 内容は誰にもわかることだ。 それらの多様な質問は、同等の価値があるわけではない。
 いい質問と、そうでない質問といったようにレベルの差がある。いい質問というのは、「具体的かつ本質的」ということだ。
 具体的だが本質的でない質問と、本質を突いているが、あまりに抽象的で意味がないという質問がある。
 質問を向上させるには、TVのインタビュアーの質問に採点をつけることだ。とりあえず「質問」というコンセプトで、
 いろいろなコミュニケーションを みてみることから始めてみることのが手っ取り早い。
ー以上であるが、
私の学生時代の友人が、商社の新潟支店に転勤になってきて16年間、暇ができると飲んでいた。
6年前に東京に帰ってしまったが。彼は商社マンになりきっていて、会話や、人の気持を飽きさせないプロになっていた。
会話をしていても、この「そいずらし」が上手い。翌日気がつくが、いつの間にか勘定負けが続いていた。
私も「質問力」と、「沿いずらし」は上手いつもりであるが、相手は商社で鍛えられたプロ、やはり敵わない相手であった。
聞き手にまわるというのは学生時代に鍛えていた。 聞き手に回って、相手の気持を引っ張り込むには
「目を見て、大きくうなずくことだ。更に相手のキーワードを幾つか頭に残しつつ、あまり真剣に聞かないことだ。」
疲れることと、途中でつまらなくなるが、真剣に聞いたふりをしないと長い具体的な話でも辛抱強く聞けない。
世の中で、何が面白いといっても人間が一番面白い。それも自分が!

・・・・・・・
2003年12月10日(水)
980, スーパーセンター
 この随想日記で最近話題にしている「スーパーセンター」とは、どういうものか調べてみた。
 スーパーセンターとは 
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
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2002年12月10日(火)
606,ある時間の断片-20
 10月13日
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
・・・・・・・・
2001年12月10日(月)
 265,運について

運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」
が適切・正しいということだ。運のいい人とは適切な判断家ということになる。 適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。
科学者に似合わない内容だった。その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人。
ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?何も努力をしないで、なにも学ばないで
「俺は運がない」と呟いている人を何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか? 
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。その逆を重ねていくということか。
ーー
−H・0605「般若心経のすすめ 」
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて
一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記する。 
・自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
・心臓音に波長があっている(リズム)
・α波がくみこまれている
・“念”がこの中に入っている
・お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
・情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する。
・これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中にその中空がつくられる
・夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。

・・・・・・・
ある時間の断片
 12月10日 1968年
昼の13時に起床。 姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。 
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。 あと二週間では無理である。 どうしようか。
おまけに就職予定のジャスコオカダヤに提出しなくてはならない論文がある。これは来年に一月十五日が期日である。 
姉の千葉にいる優子さんのところで数日篭るしかない。図々しいが仕方がないか。 明日優子さんに電話で打診である。
それと姉の正子さんに満足できたか電話をしてみよう。深井のところに電話をする。
彼いわく「今度の会(聖心女大のグループと、松村と深井と私との会)、来たかったら来い、来たくなかったら来なくてもよい」
とのことだ。先日の件で強く言いすぎたためか、他に何か思惑でもあるのか。ところが、すぐに電話で「やっぱり来い」
との命令口調だ。何を考えているのだ。行かないことにした。それに時間的・物理的に無理である。 まあこういうときは、
アマリ頭にこないことだ。私の道は彼達とは違う。自分に対して誠実であれば、こういう無礼なことに対して気にしないで済む。
このように怒っているのは自分に誠実になりきれないことか。何か毎日毎日がギリギリである。
・・・・
ー2003年12月10 日記
「深井義明」のことを書く。
10年位前に脳梗塞で亡くなってしまった。 あとで聞いた為、葬式に出席できなかった。
「新橋しの田寿司」の四十数店舗の寿司屋チェーンの息子で、「ある時間の断片」の中に度々出てくる。
私の結婚式に出席してくれた学生時代の友人だ。 日記を読み返して、ある時期によく寮に来ていた。
彼とは、欧州旅行で親しくなり、亡くなる直前まで接点があった男である。最後に会ったのが、チェーン理論の
ペガサスクラブのセミナーで箱根の小涌園であった。その時に学生時代のある秘密を私の打ち明けてくれた。
共通の知り合いの女性に結婚を申し込み振られてしまったことだ。まあ、美女に野?で不釣合いで、当然のことだ。
ところが、その女性に共通の友人も結婚を申し込んでいたという。私にすれば20数年後に知った「え〜まさか!」
という驚きであった。 わたしら三人と、合コンで一泊二日のドライブをした。相手方は「雲の雲の上の人」に見えた。
将来のことで頭がいっぱいで、余裕は全くなかった。無傷は私だけだったのか、そして私は二人のダシに使われていたのか?
後先出会った女性ではナンバーワンとは思っていたが、自分の恋愛対象など考えられなかった。
母親にどういうタイプが良いのかと言われたとき、その人の写真を見せた。それを見た人が今の家内の話を持ってきた。 
あの時代のことが、改めて思い出された。 それと、父親に対して「社内クーデター」を起こして強引に社長になったことも
打ち明けた。「その時父親が泣いていた」と話してていた。自分が考えていたことを実行したが全て失敗してしまった。
頭の中の理想でしかなかったのだ。その時になって初めて自分のした事の重大性に気がついたという。
最後とも思っていなかったのだろうが、心の秘密を10分ぐらいの立ち話で全て話した。
何か虫の知らせがあったのだろう。 人には色いろ心の傷があるものだ。


3170,つれづれに ー閑話小題 

2009年12月09日(水)

* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。
取引先からの発注の取消しのイザコザで殺害したものだが、業界不況が背景にある。
このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。
本人は納品したといっていたが、集金はまだということになっていたという。
何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
 〜〜
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に支配されているのではなく、
ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が
必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、
マンダラの中に翠点を発見した。 分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、
一点に交わるところ(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
 〜〜
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
もちろん、それを株式や、為替の相場は織り込んでいる。 その最後の予算が、これ。
株は半年先を読んで動くというから、来年春から夏にかけて株式と国債の大暴落があることになる。
デフレスパイラルの行着く先は、ハイパーインフレである。その時にデノミが行われる可能性がある。
来年も大波が襲ってくる。 二番底である。 本格的な世界恐慌のウネリが貨幣価値の下落という
カタチで現れてきた時が、恐慌と表現される。 事態は深刻である。

・・・・・・・・・
2805, オバマという人物
2008年12月09日(火)

オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。
父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、
史上初の大統領にまでなった人物である。しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを
産経新聞の「世界を斬るーオバマのアメリカ」の岡本行夫と佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
【オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、何者でもない。
よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。
勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、
1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、
アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
 実は1930年代当時の日本の国際情勢の本にはニューディール政策の解説があり、ルーズベルト政治を
「ファシズムの一類型」と説明している。要するに、自由主義的な資本主義から離れて社会格差を是正していこうという運動で、
イタリアのファシズムに近いというわけです。人種神話はなくて、ナチズムとは全く別の思想ですよ。
1920年代の初期ファシズムは「イタリア人とは何か」の問いに始まるんです。イタリアを思い、イタリアのために行動する人が
イタリア人で、老いも若きも男も女もない。一握りの資本家が太って、庶民が街頭で職にあぶれているのはおかしいと。
オバマさんも「ウォール街だけが潤っているのはいけない」と、ムソリーと同じ表象を使っている。
このファシズムがナチズムと融合さえしなければ、福祉国家的思想になったかもしれない。そういう構造が今
《アメリカで起きてることと似ている。ロシアの現象とも似ているんですね。歴史は反復し、資本主義が
格差拡大で行き詰まると修正が出てくる。そういう観点でアメリカを見ていくことも重要だと思いますね。】
 −−
ムッソリーニを応用して戦略を立てたのだろうか、それともあくまで偶然であり、時代の要請だったのだろうか。
アメリカ大統領は世界に大きな影響を与える立場にある。 彼に不気味なマイナスを感じるのは私だけだろうか。
それとオバマ政権が元クリントン大統領の内閣のメンバーが多いのも気になる。日本にとって、厳しい対応になるだろう。

・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?
                 ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、
還暦を過ぎた為と思っていた。 しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!
と中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。
考えるということは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。
元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
 −−−
(P・228)     −中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。
この言葉は、先に挙げた(第2章第3節)プルーストの言葉
「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところに
あるのではないだろうか」に比べると、やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、
「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか言っているのでないことがミソです。
次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき
「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。
その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律」
「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。
私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか
瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、
必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか
「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からも
いろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、
こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。
つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といった
レベルの議論に照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っている
わけではなく、殺人犯をえらいとは思いませんが、ありとあらゆる論調が殺人を当然のごとく
非難する現状を見ますと、そこに思考の停止を認めて揺さぶりをかけたくなるのです。
 ーー
世界の見方が変わってくると、過去の自分が恥ずかしくなる。 「おい、お前、何を考えていたんだ!」
「あの時の、あの人は、こういう考えではなかった」とか、違う視点で己を振り返ることになり、
ある意味では辛いことになる。 それだけ自分が拡がったと言い換えることもできる。
情報の溢れかえる時代に、逆に独りジックリと考える時間こそ求められる。
                                    w(′┏▽┓`●)w バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察
       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。
「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。
経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」と、
いっている。 経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。
人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、
経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。 汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。
消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。
それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に
織り込むことが可能になる。これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、
他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。
生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。 失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。
最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、
深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。
石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら考えても仕方ないが。
意味は、価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、
記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
人間というものは!                (人・・)それで(・・人)
                            い〜〜いんじゃ〜んない!
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!  
                         (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・・
2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   

 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、現代新書から
 「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので是非読んでほしいという。       
 そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して全くの素人の私も理解できる内容であった。
 彼が不動産鑑定士をしているという話は10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。
 現在、不動産鑑定士だけでなく、明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。
                                   【dou ro】\_( ゚ロ゚)
 私がまとめた概略を記してみる。その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。
                                マ ~~匸Pヽ(・ω・`) coffe ーデモ…
 ー
著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~

・・・・・・・・
2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記−5

実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい
息詰まるような日々であったようだ。もっとも誰もがそうだろうが。 それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。

4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。
それにしても、週に一回同期と飲む酒の上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。 一日一日を毅然としているしかないが。
「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、良いのだ。」 転ぶのを恐れてはいないのか。
 −−−
4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。
8割が女性社会ということは、はっきりいって知らなかった。
働いている女性の生き生きした姿を身近で見るのも初めて。
それにしても、いろいろな人がいるものだ。 自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
  ーーー
字数の関係でカット(2008年12月9日)

・・・・・・・・・
2003年12月09日(火)
979, 結婚30年

 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
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2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。
夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン大会をラジオで
やっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。

・・・・・・・・・
2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、それをいちゃーおしまいである。
それにしても今まで、税務調査に入らないのもおかしい?野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の
甘い体質がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに税務調査が入った。
そして一億数千万を追徴されたという。税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いてあるが、嫌われる仕事だ。
中国に旅行した時、定年退職したばかりの税務署所員が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、
帰国した新潟空港で円が下がってると9500円を返した返した。こうなると卑しいと卑下したくなる。
いや、その職業でなく人間性か!

・・・・・
12月9日 1968年
 9時半起床。
 11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。
  その後、正子さんの希望で京成電鉄で「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
  姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。18時20分に彼等と落ち合う。
  車が四人乗りで、横浜は無理である。以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは初めてである。 姉とその友人とも踊る。
  サイケ調でその世界に引きずり込まれてしまった。 その後、「アシベ」というクラブで飲む。
  遠藤周作がいた。 22時半に姉達を送っていく。


3169, 夫と妻 か〜

2009年12月08日(火)

 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。
私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。 
 そういう自分のことは分かりません!  だから生きていけるのでは?
悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。
しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。
< 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’のメリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。
野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーはそこに目をつけた。
メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、
家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。
これは大久保の助力で表ざにならなかった。
 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると 
・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。
 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。
「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 
スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。
嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。
付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。
だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。
それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。
特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。
 昨日、結婚記念日で36年たった。 

・・・・・・
2804, イングランド・ツアー ?
2008年12月08日(月)

『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。
  まずはギリシャのコーナー
 ーパルテノン神殿の破風彫刻ー
古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた
彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった
中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である
ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ)
これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。
次は古代エジプトのコーナー
 ージンジャー(ミイラ)ー
人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの
成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、
完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。
今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。
 ーアメンボテプ3世の頭像ー
古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。
欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、
顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に
誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ
 ーラムセス2世の胸像ー
新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。
19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。
右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。
ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため
「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。  BC1250年ごろ
 ーー
これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」
という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 

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2007年12月08日(土)
2439, サブプライム問題 −3
 *サブプライムローンの実態は消費者金融!

「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。
ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。
「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。
銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。
 ーこの要旨をまとめるとー 
 サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、
ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。
それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、
借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。
記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。
 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。
「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。
ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。
 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。
中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に
預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 
米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。
 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。
証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。
例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが
多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を
あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。
その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。
 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを
別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。
 通常、金を貸す時には、借り手の信用情報を吟味してから貸すものだが、証券化したことで借り手の顔が見えなくなった。
焦げ付いた債権がどの商品に組み込まれているのか把握できなくなり、一部が焦げ付いただけでも商品全体の価値が下落。
 中には優良債権もあったが、投資家は、危ないと思った証券化商品を早めに売ろうとしたため価格は急落、
市場全体が疑心暗鬼に陥った。 夏の金融危機はこうした構図で発生した。
 経済協力開発機構(OECD)は、サブプライムローン問題の損失が最大3000億ドル(約33兆円)
に達すると見通しを発表、「まだ我々は最悪期に至っていない」と警告した。
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長も「最も悲観的な見通しを上回る損失になりそう」と話す。
 日本はバブル崩壊後「失われた15年」を経験した。米国が同じ轍(てつ)を踏むとは限らないが、世界経済が
米国への依存度合いを低下させ、中国やインド、ロシアなど新興国の影響力が相対的に増すことは容易に想像できる。
 そんな折、米金融大手シティグループがアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ投資庁からの出資を受け入れた。
その額は75億ドル。日本円で8000億円以上の巨額出資だ。 米国最大の金融機関がオイルマネーに救われる構図は、
米国の黄昏(たそがれ)と新興国の台頭を象徴している。
「20世紀初頭に経済の中心が英国から米国にシフトしたような、大きな経済の地殻変動が近づいている」。
米国赴任から2カ月、日に日にそんな思いを強めている。
ーー
このサブプライム問題、底なしの様相である。決して、記者の表現はオーバーではないだろう。
ここまでアメリカは、大きな問題を抱えていたのである。アメリカが風邪をひくと、日本は肺炎になるというが、
肺炎で済めばまだよい。アメリカが重症の肺炎なら、日本はどうなるのだろう。

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2006年12月08日(金)
2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有
                 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で
ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。
 ーこれを解りやすくまとめるとー
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。
「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。
・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、
 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、
 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から
 負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
以上が大方の数字だが、「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というがそれを裏づける数字になっている。
中国や旧ソ連や、イスラム圏などから学ぶことは、アッラーや、イデオロギーは富という面からみたら問題ありになる。
無知が貧しさの原因になる。それと幸せ感とは違うというが、やはり・・日本の長期低落傾向は、その豊かさと、
ジニ係数がふつうの国レベルまで修正されるプロセスにあるということだ。
やはり金に換えておくか、外国に資産を移動しておくべきだろう。 あればの話だが。
                     *^ワ^*)i バイバイ
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 2005年12月08日(木)
1710, 結婚32年の風景

 昨日で結婚32年になった。       ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
 ほとんど危機らしいことは無かった?が、そうそう甘いものではなかった。 ~~旦⊂(・∀・ )
                      マァ チャデモ!  且~
相性が良いかどうかは、直には判断できない。相性という面では当たったのだろう。
 以前にも書いたが、昔から好きなタイプは
  ・長女  ・丸顔のノッペラ                  A(´∀`人)
  ・A型  ・控えめ  ・慎重  ・身長160?  ・気が強い    ( ;:゜皿゜:)_◇~~ アァァァ!!
であったが、ほぼ範疇に入っていたのが良かったのだろう。ただ、「代々続いた婿取りの家系の娘の特性」には
本当のところ驚いてしまった。男子受験高校の中でのチヤホヤされた環境も加え、60年に一回の年回りの『剛の虎』
生まれと、A型という血液型が加味されると、だいたい想像がつくだろう。 ((=゜Д゜=))剛のドラ      
全くの無知であったが、それは相手にも言えるだろう。「相互理解」という言葉の重みが身に沁みた32年間であった。
 その為には、やはり会話(いや、対話か?)が必要だ。 会話が無くなるのが大きな亀裂になるようだ。   
「我われ夫婦には『溝』などない、しかし、『浅くて広い河』がある」と、いつも知人に笑い話をしている。[河]`∀´)Ψ  
だから上手くいっているのだろう!!? それと、結婚して以来、国内外に旅行に供に出ていたのも良かったのだろう!
 我われにとっては『旅がカスガイ』だった。   ジャ! (^_^)/~~
   
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2004年12月08日(水)
1345, ビデオ・DVDで観たい 名画200選
                       ー読書日記
この本、最近本屋の平台に積まれていて気にはなっていた。しかし定点観測で見ていると、いつの間にか売れている。
過去の名画は、よほど名画といわれる以外あまり見ていないと思っていたが、この200選の40?も観ていたのには驚いた。
最近は事務所の近くにDVDレンタルショップが出来たことと、PDP・TVを二年前に購入したこともあって、
平均週二本は借りてきて見ている。名画のコーナーがあるが、どうしても最近封切られたものを借りることが多い。
しかし、立ち読みをしているだけでも内容をダイジェストにまとめ上げている内容の濃い本である。
見たことのあるものも読むことによって思い出すことができる。これからは、この本を参考書として、
過去の見ることができなかった映画の世界に入っていこうと考えている。恐らく過去に見た人でも、このあらすじを
思い出すためにも非常に良い本であることは、私も認める。あまり過去の名作映画に興味ない人でも、
あらすじを知っておくのにも素晴らしい理想的な本である。
 ー私の場合、
 2.サスペンス&アクション
 3.SF&スペクタクル
 4.ウエスタン のコーナーは殆んど見ているが、他はあまり見ていない。 かなり極端である。
 この本は
・あらすじ ・みどころ ・主役の詳細 ・淀川長治のワンポイントのコーナーが分かれていて、読みやすくなっている。
 読みやすく、手引書として絶賛してよい本だ。
 ーーーーー
「ビデオ・DVDで観たい名画200選 」 知恵の森文庫
 淀川 長治 (著), 佐藤 有一 (著)

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2003年12月08日(月)
978, 全日本相撲選手権
 (字数制限のため、カット09年12月08日)
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2002年12月08日(日)
604,ある時間の断片-18
 ー10月9日ー
7時半起床。どうしても6時半には起きれない。 まず初日からこれではどうしようもない。
もっと気合を入れなくてはならない。一人で自分を律するのは厳しい。土曜日まで頑張らなくては。
 ー10月10日ー
今日も計画通りに起きることができない。午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。15時から卒論の下書き始める。 
波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。19時に実家から電話がある。母と長姉の正子さんと話をする。
一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。
深井に電話をするが彼がいない。明日もう一度電話をする事にする。
 ー10月11日ー
8時に起床。卒論の方は予定通り進んだ。 明日夕方帰ることになった。
姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。 今日は時間のたつのが早い。

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2001年12月08日(土)
263,玉突き事故

半年位前に、市役所分室に印鑑証明をもらいに行った帰りのこと。長岡の大手通り四つ角で、車に追突してしまった。
その車がまたその前の車にぶつかる、玉突き事故になってしまった。 その玉突きされた車の中から、
恐持てのやくざ風の男が、怒鳴りながら飛び出してきた。雪駄を履き、金の首輪、角刈りの何とかスタイル。
「何さらすねん、この野郎!」と、やべえーなと思っても仕方ない。
「これは全て私が悪いこと、とりあえず100メートル先のところで!」という事になった。
直接ぶつかった車の人が真っ青の顔をしていた。どういう訳か、いつもこういう時は腹が据わってしまう。
そしてそこに行くと、直接ぶつかってしまった人がいない。 少し待ってみようということで、
待っても待っても直接ぶつかった人がこない。恐れて逃げてしまったのだ。恐れる必要は全く無いのに。
こちらも拍子抜け、相手も拍子抜けになってしまった。バンパーがかなり傷が入っていた。
「バンパーを変えなくては駄目だ!」ときた。しかし直接ぶつかった相手がいない。私も「保険が降りない。
手を打ちましょう!」というと「幾らだ?」と言うから「一万円!」と言った。4〜5万?取られるなら、
ハッタリで思い切って安く言ったのだ。相手の額に青筋が立った。すかさず「こちらも本来保険で下りるところ
相手がいないので一銭も出ない。警察を呼ぶと面倒です、手を打ちましょう!」と言うと急に「よし!」と言った。
警察がよほど嫌だったみたいだった。 拍子抜けであった。
その時財布に7〜8万の金がたまたま入っていた。いざ支払う時にそれを見た相手の顔が忘れられない。
「しまった、全部取れたのに!」と言う顔であった。 後は逃げるが勝ち、さっさとその場を離れた。

・・・・
12時8日(日曜日)1968年
12時に起床する。 昼飯後、何か落ち着かない。夕方独りで池袋に出てみる。
独り目的もなく池袋の街をブラブラするのもよい。皆がそれぞれ楽しんでいるのを見ると、自分まで楽しくなる。
田島がアルバイトをしているスナックに行ってみたが、日曜日でもやっていた。しかし彼はいない。今度は銀座にしてみよう。
本屋などは独りで立ち寄るが、何の当てもなく出かけるのは初めてだ。違った遊び方を一つおぼえた。 今度は銀座にしよう。
ところで朝寝ていると長岡の一番上の姉の正子さんから電話が来る。明日東京に遊びに来るから、よろしくとの内容であった。
ニューオータニだそうだ。高木・川崎・松村が案内の候補にあがった。高木は遊びすぎで謹慎の身だそうだ。
次に川崎に電話をするとOKであった。友人の車があるから、車つきである。明日は明日になってみなくては判らない。
それにしても、いろいろ毎日有り過ぎだ。一日一日がギリギリである。何せ、卒論と卒業を絶対に成し遂げないと。  


3168,人生に関する閑話小題 ー2

2009年12月07日(月)

 * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、なお人生を垣間見ることができる。
80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると
緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。
観察するうちに、その人が固まるから、犬も固まるのである。 2〜3度挨拶をしたが、その都度、犬が吼えかけてきた。
それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 

 * ある人生 
 三年前に奥さんを亡くした70歳代半ばの御父さん。 列車で30分ほどの市に在住だが、定期券を買って、
長岡に毎日、通っているという。 たまたま知人の同級生だった人の御父さん。 時々同じ時間の列車で見かけたので、
知人に聞いたところ、寂しさを紛らわせる?ためだという。 土・日曜日も休みなしで三年も通っているため、
車掌とも顔なじみという。 長岡駅の喫茶店でコーヒーを飲んで、街を一回りをして、駅内のスーパーで買い物をして
帰るのが日課という。 小さな街の小さな世界から一歩でも毎日、外に出たいのだろう。
そういえば、この数年、家内が1〜2ヶ月に一度、JRの格安の乗り放題のチケットを売出時に一人で、
東京の街の散策が趣味。 ポイントは、一人であることと、ネットで充分にスポットを下調べをすることという。
八時半過ぎに乗車、十八時過ぎの新幹線で帰ってくる。 往復4時間かかっても、六時間を東京や銀座や六本木など、
色いろ回れるという。 価値は充分あるという。 その御父さんも、長岡のスポットを回っているのだろうか。 
来春に駅裏から15分のところに大型SCが出来るので行動範囲が広まるだろう。それも人生である。
定期を買うことで、習慣つけるのも良いこと。 夜のスナックより良い。

 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。
境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、
傷ついたり、疲労もする。 この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。 
自殺者の多くが鬱病という。 その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。
ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。 また聞くほうもマイナーの話題を好むから、まともに受け取って
いたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。 時代は、100年に一度のマイナーである。

 ・・・・・・・・・
2803, イングランド・ツアー ?
2008年12月07日(日)
 *集団スリに狙われて −2

 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。
「ショッピング・センターには少年の集団万引きに注意してください。
特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。
面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。
腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。
その男、ニヤリと笑ったので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。
ただ、それだけのことだが・・・・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが
出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。
そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。
その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。
三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、その瞬間を待った。
しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
 −−−
 *旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高い値段を出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。
特に、移動時間をいかに過ごすかである。三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもあるということだ。
それを楽しむには、音楽かTVである。最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。
家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。
私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。
今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、無数の中から選択可能なのだ。
現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。
世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。
それなら、情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。 
ipodで、旅行先に自分の選択した2千曲を持っていけるのだから。

・・・・・・・・・
2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
                     (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」
ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、
表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。
鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、あとオランウータンとゴリラだけだと
番組では言っていたが、しかし、これは違う。
たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。
同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。
そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。
今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、
私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。
で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、どういうことなのか。
右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、じつを言うと、私は、
鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。
とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、
指されているのが「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。
「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、
意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。
確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が
知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。 
では「われわれ」とは?
ーー学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。
この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。
気持ち悪くさえ、なることがある。先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・・
2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに
義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。
「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、一夜を過ごす風習である。
この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。
ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性で映画監督デビューした作品でもあり、
原作は故中島らもである。笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、それぞれのお通夜でのエピソードが味がある。
始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
 −−−
 京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面したことがあるが・・。
ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎、桂三枝、笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、
津川雅彦の友情出演だろう。 笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。
生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、ゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」 トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。
邦画が再び息を吹き返してきたようだ。 この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
それにしても、えげつない!下ネタ‘座敷歌合戦’の中の「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ ちんぽ 
まんこのつまようじ まんこ まんこと、 いばるなまんこ  まんこ ちんぽの??? 」
    ここまで明け透けだと、嫌らしいと思う前に、ふきだしてしまった!   
                                  !(^o^)  バイバイ♪
・・・・・・・・・
2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 

  マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。
  これまで「建設業界そのものが、政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。
  その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。 
                                       ~~匸Pヽ(・ω・`)
   今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が
   偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)
・・・・・・・
2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 
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2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団」
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。(両親は戦後になって衣料量販店に転業)
しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
  古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、
山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。
一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。
事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、
事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて何回か見た。
修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。
私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。
「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8〜9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。
  ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。

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2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年

10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、
30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー  2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた
  百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、これからは
今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
 ・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。
 ・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。
 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
  それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、
長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。ヨーカ堂やジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 
面白いものである。

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2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口

ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも
支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。
現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」
という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。
 (字数制限のためカット 09年12月7日)
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 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  
 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として
尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。逃避で寮に来ているだけだ


3167, シュリーマンの話  ー4

2009年12月06日(日)

  ー抜粋のつづき
 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、
 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。
 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の
 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。
 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」
 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、
 当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。
 彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。
 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、
 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。
  シュリーマンの旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる
 からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。
 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。
 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上   【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】
 〜〜
 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。
日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や
工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、
教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。
NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。

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2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて

観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。
南イングランド・コッツウォルズのブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、
添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、
誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
少し危ない雰囲気だったが三人の横を通り過ぎて、トイレで用を足して帰ろうとすると、男が一人、何時の間にか手洗いにいる。
危ないと思いながら外に出て、残りの二人の横をすり抜けようとした瞬間に、トイレの中にいたはずの男が後ろから
大きなヒャーと奇声をあげた。ハッと後ろを振り向くと、右手にマジックを持って反対の手の甲に英語で何か書け?と、
早口で捲くし立てている。 瞬間にチンピラの因縁づけと判断、無言で目を睨め付けたまま後ずさりをして、
クルリと振り返って帰ってきた。 私がマジックを持ったら何かするつもりのようだった。ただ突然に不意打ちである。
次の瞬間に他の二人が、その男を制しているようだった。 その場では、「あれは何だったのか?」理解が出来なかった。
家内に言うと、「薬を飲んでラリッテ、絡もうとしたのでは!」と、添乗員は「酒でも酔って声でもかけたのでは?」という。
でも何か、あの雰囲気は犯罪一歩手前の何かだった。 翌日のロンドンの現地日本人ガイドが、
「最終日の自由時間でピカデリー広場に行った時、集団スリに十分に気をつけてください。
彼らは、あらゆる手段で仕掛けてきます」と何度も念をおした。 その時に前日の出来事が何だったか気づいた。
一人がトイレに入ってきて私の背後にまわり、二人の近くに来たとき、奇声をあげて後ろを向けさせたのである。
次にマジックペンを握らせ、手の甲に勢いで書かせた瞬間に手を移動させシャツにマジックをつけさせて、
脅しをかけているうちに、背後から財布を抜き取る算段だったのだ。それなら、辻褄があう。
あの場合は、相手のペースに乗らないのは、経験上よく知っている。ミラノで家内がショッピングの時に、
広場をブラブラして鳩の群れを見ていた。 何時の間にか若い男が横にいて、トウモロコシの豆をスッと突き出してきた。
アワヤ手に取りそうになったが、手を引いて、その場を移動した。そして、他の場所から男を何気なく見ていると、
他の観光客に同じようなことをしていた。初めは手に取ったときに一ユーロ位を要求するタカリだろうと思ったが、
後ろに仲間がいた。トラブルを起こしている間に財布を抜き取ろうというのだ。 しかし、瞬間に、その人も手を引いたので、
スリの現場を見れなかったが。家内はスイスのユングフラッホで、財布を全く気づかずに摺られたことがあったが・・・

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2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する
                       ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、
 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 
 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。
 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や
 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」
 という彼の言葉は痛烈である。  更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか?
 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
   −−−
ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。
 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。
 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。
 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、
 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)
 と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、
 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
  −−−−
衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、
作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。
ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには関係なかった。
しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。
劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。
今だったら「馬子にもブランド」?  ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、
6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・
   
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2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?
           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 
建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。質問そのものがナンセンス」が正論である。しかし本音のところ、
「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。 倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」
ということだけは断言できる。幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。 私の持論は、
「金で80?の幸せは買えるが、あとの20?は金で買えない。その20?こそ一番大切なことである。しかし80?は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。それは金では確かに買えない部分もあるが、
しかし金=自由であるから、やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。
(字数の関係でカット2009年12月06日)・・
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2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート −1
          −読書日記
また斉藤孝である。        ~~匸Pヽ(・ω・`)
 ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。
 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、
 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから
 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。
この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、
  ー 成功を以下のように定義する。  φ(・ェ・o)~カキカキ
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
  1、自分は成功できる! という強い信念を持つ
  2、プライドを捨てる。プライドが高いと能力よりも外見にとらわれ、安全圏を出れない
  3、不平、不満を建設的なアイデアに変える
  4、マンネリ習慣から脱却する
  5、いつもやる気満々で仕事に向かえ      ょしゃ∩(´∀`)∩
   そのためにバックアップしてもらえる人や、     yaruzo!
   情熱の火を消さない知人を持つことも重要。勝者の思考回路を徹底的にまねる 事も重要だ。   
  ー自分の可能性を最高度に発揮する7つの習慣 ー  
 ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー
       
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2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷

今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。
落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは
初めてである。さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は
閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。
そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、
地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。
子供の頃は、3〜4メートルの雪など珍しくなかった。柏崎の原発が出来てから、さらに顕著になったようだ。
住んでいるほうは、少ない方が生活をしやすいが、自然のバランスからいえば降るべき時には多く降ったほうが良い。
雷といえば、学生時代に自衛隊に合宿した高崎の雷を思い出す。数十メートル先に何回も落雷があった。
二段ベッドの鉄の手摺りが、落雷の電気が走ったのをアリアリと憶えている。

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2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! −2

この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。
特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。
まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷の
ように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。
 先日みた番組では、週の小遣いが500円という。500万円の収入があるのに、月に2000円の小遣いである。
「何で、そんなに少ないの?」と桂三枝の質問に「貯金が私の趣味なの!」と答える??女の答えが可笑しい。
亭主の昼飯が月曜日から金曜日まで「かけうどん、かけうどん、かけうどん、かけそば、かけうどん」という。
凄いものだ。本人はやせ細っていた。旦那が小遣いの値上げを懇願していた。せめて5000円というなら解るが、
900円で喜んでいた。また数年前になるが、パキスタン男と結婚した女は亭主を奴隷のように扱っていた。
まあ「愛の奴隷」のうちはよいが、「人種差別」による奴隷のようだった。
この時も月に2000円か3000円であった。会場からは怒声が聞こえてきた。
番組みの関係上、下ネタを明け透けに話すが聞きなれてくると「いやらしい」感じないのがよい。
それにしても新妻?が恥じらいもなく話すのには驚いてしまう。書いていて気がついたが、この番組みの主役は新妻だ。
「高校三年生」の流行歌を聞いて育った年代としては、女性の変容に時代の流れを感じる。
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783, 新婚さんいらっしゃい ! −1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 10月6日  日曜日
(字数の関係でカット2009年12月06日)
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2001年12月06日(木)
261,ブランド品

ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  −野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。したがって大金持ちの贅沢遊び!
  収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。
 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2〜3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一〜二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か7割の家賃を
 取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の旅行代理店がそれを熟知、
 それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象だった。

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12月6日 1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。
タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。
新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。
雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理に
ついて話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。 それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。
 18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。
解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。 それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。
 田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。彼が10月頃から大きく変わったと言った。
彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。
 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。 
人間性が崩れているというのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。


3166,シュリーマンの話  ー3

2009年12月05日(土)

 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。
 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、
「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。
 作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。
  ーその面白そうなところを抜粋したー
・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。
 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが
 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。
 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」
 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。
 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。
 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。
・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、
 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。
 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に
「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。
 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。
 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を
 ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。
 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。
・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、
 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が
 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で
 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。
   =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。           つづく

 ・・・・・・・・・
2801, イングランド・ツアー 
2008年12月05日(金)

 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。
ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、
そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。
 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、
走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。
翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 
  *まずはナショナル・ギャラリー。 
ダビンチ、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が展示されていた。
特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは
至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 
絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。
 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。
世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。
  *次に大英博物館。
エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。
それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの
資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、
『ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、
【ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって
エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、
岩には文字が刻まれており、エジプト語とギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。
その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた
メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字
(デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の
コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・
【世界に金融危機の暗雲が漂う中、英国のスーパーモデル、ケイト・モス(34)の黄金像が2日、ロンドンの大英博物館にお目見え。
 4日から始まる現代彫刻展で一般公開される。来年1月25日まで。英芸術家、マーク・クインさんの作品で、50キロの金塊を
 使用して作製した。時価にして150万ポンド(約2億7900万円)。古代エジプト以来、最大という黄金像は
 ギリシャ神話に出てくる半人半鳥の海の精「セイレン」と名付けられた。 クインさんは英BBC放送に
「ケイトさんは現代の美だが、それでも私の描く理想には及ばなかった」と話している。】
 (今日のYahooの私のブログに、この記事を載せておきます。              つづく

・・・・・・・・・・
2007年12月05日(水)
2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う!
                   オハヨウ (∀`* ゴザイマス!
 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う!
が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。
それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入!
 というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、
今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。
(前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた)
私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。
長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、
それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。
(今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。
ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、
「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に??
ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー
 疲弊する経済に新たな火種! 
“日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、
 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」
 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う!
■倒産の連鎖が始まった!
■ノンリコースローンの問題点
■「新築マンションの完売はウソ」
■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技
 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、
地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。
あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。
倒産の連鎖が始まった!
「都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなくなってきました。
 自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」
 −−−−
以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、
多くの不安要素が重なっている。 9月に入って、都銀と地元の担当が「マンションと住宅の割引が始まった」
と言っていたが、地元だけでなく全国的な傾向だったようだ。以前から言われている「2007年から始まる動乱」は起きているのか?
 年を経るほど、大きく姿を現す。 まあ、それもまた娑婆か。
                         ヾ(^ω^*)
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2006年12月05日(火)
2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞
     (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー!

先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。
その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、覚悟しておくように!」と、
家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になってしまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。
2年以上の長期入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。 ご冥福を!
 ー追悼で義母のことを書くー
私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。
これは家内も誰も認めていることで、こういう人生があるのか?と、思うほど静穏な恵まれた人生であった。
「穏やかな品位のある穢れのない人」というのが、義母の正確な人柄の描写になる。数代つづいた婿取り娘の家系で、
幼児の時から無菌培養のように大切に育てられた。母親が4歳の時に亡くなり、祖母に育てられた。そのため?義母は
両親の愛情を知らないで育った。婿養子の義父は10年前に78歳で癌で亡くなったが、模範的は品行方正の温厚な人物で
亡くなるまで義母に尽くしきった人である。柏崎のロータリー・クラブ会長などをしていて、誰にも好かれる人であった。
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2005年12月05日(月)
1707, 家訓づくりのすすめ −2

 第三章では
「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。
 それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。
 ー子育てに関する家訓の例として
・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業
・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう
・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め
ー他には
・お金や名声よりも大切なものを持て
・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶
・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう などがある。
 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。     
 離婚直前の夫婦が、家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。                          )`ε´()`ε´(
ーその家訓とはー
1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切
2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる
3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない
4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな
5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、恨まず、悪口を言わず  (o・_・)=○)*_*)
6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )""
 (字数の関係でカット2008年12月5日)
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2004年12月05日(日)
1342, カルフールが撤退
字数の関係でカット(2007年12月5日)
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2003年12月05日(金)
975, 「それぞれの輝ける日々」

 スペインの「パンプローナの牛追い祭り」の再放送を見ていたら、「それぞれの輝ける日々」という言葉が、
ナレーションで流れていた。 この言葉には「それぞれの人の、輝ける日々」とか、「それぞれの、人の輝ける日々」
と分けることができる。 その反面「それぞれのどん底の日々」もある。この話になってくると、いろいろあるので内容は
「・・輝ける日々」に絞る。人生には「それぞれの人にとっての輝ける日々」がある。
現在書いている「学生時代の日記」は、私にとっての「輝ける日々」の、ある時期の、記録である。
「輝き」という言葉の背後には暗黒がある。暗黒があるから、輝くのだ。偶然の賜物として倉庫の奥から出てきた
「22歳の日記」を読んでみると、私にとっての「輝ける日々」である。誰もが記憶の彼方に持っている青春の日々である。 
そして現在進行中の人もいる。青春とは、決して素晴らしいとはいえない。むしろ見っともなくボロボロの状態である。
しかし、それが輝きになっている。「輝き」は、光っていることである。
人間が光っていることは、燃え狂っている状態である。 そして背後には暗黒が大きく口開いている。
そこで思い出したのが、「 一期は夢 ただ狂え 」である。
 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
  夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ     (閑吟抄)
 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つである。
‘人生など一瞬でしかない。 なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’という内容である。
「一度しかない人生だからこそ、ひかり輝いて生きるべきである」という人生観。
人生を顧みたときに「光輝いていた時」は、何かに狂っていた時である。 人は、それをパラノイヤー偏執狂という。

・・・・・
2002年12月05日(木)
601,ある時間の断片-15
 1968年  10月5日  土曜日

昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。
小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。
かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。
親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。
そこで食事をした後、東名高速で横浜・板付へドライブ。あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。 その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。明日からは本格的に卒論に集中しなくては。
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「青雲寮」の過去に書いた内容をコピーしておきます。 2001/12/20
 −青雲寮(わが青春)
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2001年12月05日(水)
260倒産ー2

新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。 その重みを解かってなかったのが本当のところだ。
地元に生まれ育った人は、実際かなりショックのようだ。息子が新潟鉄工に勤めているだけで、自慢になるほどの
重みがあったという。下請け、孫請けの地元の影響は、これから益々大きくなるのは避けられない。
考えてみれば当然で、これからその波及が出てきそうである。地元では第四銀行が潰れた位ほどのショックらしい。
具体的にあそこがいくらとか、金額が出始めてきている。一昨夜のTVのニュースで,債権者に対する説明会が出ていた。 
直接の影響がないと思っていたが、そうはいってられない状況だ。 国内のテロを用心していたが、
とんでもない処から火の手が上がった。「日本の経済の終わり」の始まりの景色とはこんなものか。 
長岡でも‘七?商店’が一億?千万とか、‘何とか工?’がいくらとか。‘何とか銀行’が致命傷とか。
今まで貸し先がおかしくなると必ず噂の発生元としてて??銀行が流していたが、今度は自分の番になった。
それもペイオフに丁度いい塩梅で! 家内も「年内で全ての預金を引き上げる」という、当然の事だ!
もし株で信用売りができるなら、全ての財産を賭けて売りにするだろう!
これだけ確かな事はない。仕手株の価値もないか!巡る巡るものだ。全ての会社に言えることだが、「他人事でない!」
       
・・・・・・・
ある時間の断片
1968年 12月5日
(字数の関係でカット2008年12月5日)                                  ーつづく


3165,金本位制が復活? −2

2009年12月04日(金)

* ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー
 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、
金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で
競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。
 ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす
唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。
 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、
赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。
 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を
仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。
つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。
 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。
しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。
 たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。
 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」
 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。
 共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを
 抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。
 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを
 ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。
 ▲76年1月の「IMF(国際通貨基金)キングストン合意」では「金廃貨」を正式決定させるとともに、最貧途上国を支援するために
 IMFが保有する公的保有金の6分の1を売却すると決めさせた。これによって金価格は同8月には103ドルにまで急落している。
 こうして「通貨としての金」が否定され、金相場が下げ続ける中、米国は相場をにらみながら、常に金本位制を視野に入れてきたのだ。
 ――
 以上を読むと、金本位制に戻ると思うのは私だけではないだろう。 アメリカの背後にあるユダヤ資本が考えそうなことだ。
日本政府が金保有を異常なほど阻止してきたのは「隷属国家に金などもってのほか、稼いだ金は、自国のドルに替えておけばよい。
ポチに「金」など持つなど必要がない」という理屈である。 露骨な差別である。 そして、ドルを刷るだけ刷った後に
金本位制の新ドルに替えてしまうというのだから。今のところ可能性レベルだが、やるしかないのか?今は何でもありである。

 ・・・・・・・・・
2800,イングランド・ツアー ?
2008年12月04日(木)

 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。
この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る習慣は守るということで、決断した。
29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、ロンドンをバスで回るツアー。
英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、価値があると判断をした。
私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。
しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。
湖水地区の自然を散策するイメージに引き付けられたが、奥深く行く探索する内容ではなかった。 二日じゃ無理だが。
それより、コッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。 一箇所が二泊ずつ、三箇所に泊まるため、
非常に楽な日程だった。 格式の高いところや、公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。
いや日本が、イギリスに感化されたということだ。
印象を思いまま書いてみると
・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、違和感が少ないのが印象的である。
・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、
・人口が6000万人、
・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため、日本人は非常に大きく感じるという。 
・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。
・大英帝国を築き上げた歴史があるため、豊かさが国土に深く沁みこんでいるのがバスの中からでも分かる。
・村には、中央広場とメーン通り、教会、パブの三点セットが必ずあるというが、最近の不況でパブが多くの村で
 消滅をしているという。「階級制度がハッキリしていて、特に労働者階級は反発を感じないのか」と、現地の日本人ガイドに
 質問をしたら、「日本人からみたら個人主義が強くて、『人は人』という意識が、その反発を消している」との答えだった。
弱肉強食のシステムは、国の活性化のために必要で、没落と成り上がりのシステムはあるという。
なるほど、外は広く、内は広い、世界は! それを忘れないためにも海外に出る価値がある。                          
                               つづく
・・・・・・・・・
2007年12月04日(火)
2435, 絞首刑 −2
               ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪
 死刑は荘厳にさえみえる。 処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。
それは我われの二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的である。
もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。
もしかしたら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容である。何か、この死刑囚の場面に似ていた。
 ーまずは昨日の続きである。
(字数制限のためカット 09年12月4日)
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2006年12月04日(月)
2071, ゆっくり急げ! −2
               b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪    
以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 
ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が直るだろう。
還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代にやり遂げようと、
10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くのミスも多かったが、
ほっとしたような心の余裕ができている。 あとは、おまけ!という気楽さというか・・・
団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」と言われても、
産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。そして、‘60歳後の生き方’のような本にある
「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。
してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」
と・・・ しかし焦っても、焦っても、どうすることはできない。
   焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするにはどうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、
   寿命の尽きるまで輝いて生きるには「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。
    「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言としては、  
   ・ゆっくり行くことを恐れるな(中国)       ・ゆっくり行くものは遠くまで行く(アメリカ)
   ・急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス)    ・急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)  
   ・ゆっくり行くものは確実に行く(フランス)    ・おそくても、ぜんぜんしないよりよい(ドイツ) 
   ・急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス)     ・急げばまわれ(日本)             
   ・急ぎの文はゆっくり書きなさい(日本)  どの国の言葉も、こと、これに関してはほぼ同じである。
「目的、目標を明確にしたら、それに向かって手段をハッキリ決めて一つずつ確実にすすみなさい」ということだ。
 二度とない人生だもの、 せっかく地球に遊びに来たんだもの、可能な限り学び、遊び、創造することだ。 
やはり急がなくては、しかし、ゆっくり!      とくに、お前は!
                                    (+>∀<+)ノ バイバイ!
・・・・・
2003/05/15
ゆっくり急げ!
 字数の関係でカット(2008年12月4日)
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2005年12月04日(日)
1706, [我が家の家訓] をつくってみた

ところで、この本『家訓の作り方』を参考にして、「わが家の家訓」をつくってみた。(作成時間3〜4時間)
 【【 堀井家の家訓 】】
 =人生について
               ヽ('A`)ノェェェ マンドクセ
・群れるな!
  一人どっしりした生き方をすること
 そのために、教養の蓄積と余裕ある蓄財をしておく
・一度だけの人生、思い残すことなく生きよ
・何ごとも楽しめ!嫌なこと苦しいことほど楽しみのネタはある!
・自分の強みを見つけ、それを生かした人生を歩め
・自然体で生きよ 無理しない、あわてない、気にしない
・何ごとに対しても誠意を持ってあたれ        
・笑いと、喜びを持って日々励め       (´m`) ムフッ♪  
・はやい時期に自分の楽しみを見つけ、一生をかけて追求すること
・継続すべきプラスの習慣を一つずつ身に付けていくこと
・何ごとも一期一会、「いま現在」を大事にして生きよ 明日は常にないものと心がけよ!
・頭が固いとは、『脳硬化』と心得よ つねに変化に備えて、変身の用意を怠らないこと
           (; ゚ ロ゚)ナン!( ; ロ゚)゚ ナンデス!!( ; ロ)゚ ゚トー!! orega teinou dato~
・言葉に気をつけること  特に(心の中の自己対話)内語に気をつけること
       (;^_^A " kuso! baka! teinou! kogitune! ore dameda!
・行動、行動、また行動。常に積極的に行動すること、その周辺に情報と、さらなる行動がついてくる
・勉強、勉強、また勉強  知れば知るほど、知った周辺の知らないことが増えてくる
                         *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*  
  =お金に対して=
・保証人になるな ー請け判は人生を滅ぼす
・借金は能力範囲ですること
・商品取引、先物取引は厳禁のこと 大きな博打はしないこと
・個人的な金の貸し借りは親兄弟でも絶対にしないこと −友人の出資とかいう手合いの話に絶対乗らないこと
・お金は楽しんで使え
・支出は収入の8割までにすること

=家庭について=
・生活は質素倹約に徹すること (=_=;)
・親しき仲にも礼儀あり、特に挨拶は必ずすること
  *おはようございます ∩(´∀`)∩ オハヨ〜♪
  *おやすみなさい |寝室Юヾ(●´∀)ノ" おやすみ〜♪
  *いただきます    (^人^)
  *ごちそうさま ( ̄ω ̄;)!!
  *いってきます  (^-^)ゞ
  *ただいま   (* ̄0 ̄*)
  *ありがとうございます   Σd(ゝ∀・)アリガトォ♪   ♪〜♪〜 ♯♭
・自分のテリトリーは整理整頓に心がけること
  *自分の部屋の掃除
  *靴の並び
  *割り当てられた掃除          ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ
・親子、夫婦といえども自分のトラブルは家庭内に持ち込まないこと mou sima senn! (^┰^;)ゞ
・笑いと感謝を持ってお互い敬うこと      uyamaimasum(_ _)m  
    ヾ(o;▽;)ノ"ギャハハ   kannsya kannsya(^人^;)ヾ(。ゝ∀・)ノ┌┛☆ドンドン!!  ・゚・(ノ∀`)σ・゚・        
・常に話し合う習慣を日常よりつけておくこと
    ヽ(ヽ゚ロ゚) ギャギア!! ヽ(゚Д゚○)ノ  アアデモナイ、コウデモナイ
 
=社会に対して=
・常に笑顔を持って他人に接すること  ー近所の人とは、表面的な親しさに止めること
・ライオンズクラブ、ロータリークラブなどの社会的ステータスを求めている場所には近寄らないこと
 −但し、商売上止むを得ない場合は例外とするが、それを必然とする仕事は可能な限りさけること
・マイナス語を日常に使う人種とは一線をおくこと    butubutu(; ゚ ロ゚*)!
・社会は本来『不平等』と知ること、間違っても、平等が基本などと誤解をしないこと
 平等と信じている人を信用しないこと konoyoha byoudouja  ナンテコトヲ!(;^_^a   ;゚;Д;゚;; )ギャァァァ!!
・他人に対して、心にやましいと思うことはしないこと (=_=;)
・人は人、我は我、されど仲良くを基本とする
                        マタ~~■P o(´・∀・` ) coffee time☆     
*:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*
 =家訓としての戦略=
つねに長期的視点に立ち、求めることを一つに絞りこみ、全精力を集中して、競争相手を定めて、先手を打つこと 夢を持ち、 
明るく、質素に、ものごとの本質をみつめ、他人に良かれと思い、 日々を一歩一歩踏みしめて 生きること!
「変化・挑戦・戦い」の絶え間ない繰り返しこそ、活きることである。つねに新鮮な気持ちを持って 日々生きること。
   一流の人物を見つけ、その習慣を学ぶこと  
  ーーー
 こんなものだが、自戒の言葉でもある。 (^┰^;)ゞ
 
 ・・・・・・・ 
 2004年12月04日(土)
1341, 岩にスジをみつけよ

20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば簡単に割れる。
岩は中味が均等には詰まってはない。地球の力によって貼りあわされた合成物にすぎない。その接着の後が残って
スジになっている。それさえ見つけ、そこにミノさえ入れれば簡単に割れる。」たしか、松永安左衛門の言葉だった。
最近は、この人のことは話題にはならなくなったが。それを読んでから、常にこの言葉が座右の言葉になった。
それでは、それを実行してきたかというと何もいえない。どういう訳かハンマーで岩を割ろうとして、スジさがしはしない。
ハンマーで割ることが素晴らしいと思い込んでいるのだ。その為か、割れやすい部分さえ探そうとしない。
他人事ではない、自分のことである。プロは、そのスジを経験から直ぐ見つけ出す人である。
これも長年の経験が必要である。ふとこの文章を書いていて、「自分の中にスジを見つけよ」という言葉が浮かんだ。
自分の中のスジとは何だろう?習慣化、マイ・ゴッド、それとも口癖の言葉?
そういえば、習い事で「貴方はスジがよい」というが。才能ということか。 スジの意味が違うか。
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2003年12月04日(木)
974, 「黒い十人の女 」ー映画日記
 ー字数の関係でカット(2007年12月04日)

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2002年12月04日(水)
600, カットスロープ

ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。立地で解りやすいのが、
先日新潟駅前にオープンした東横インだ。税込み6500円ラインを駅直通の再開発ビルのテナントでぶつけてきた。
咽喉仏を掻っ切られるのが、そのプライスラインのワシントン、アルファーワン、東急イン、第一ホテルである。
10〜20?の売り上げダウンになる事は必定だ。そうでもないのに20〜30?ダウンしているのに。
当方のプライスラインは70?以下の為、軽微である。値引き期間の今月は1割はダウンするだろうが。
当分は東横インの一人がちだろう。新潟の宿泊は東横インのミドルプライスと当社のロープライスと分け合うカタチで
集約されていくだろう。新潟駅前の十数の小型のビジネスホテルとビジネス旅館は当社とターミナルホテルのカットスロープで
消滅した。市内の旅館も7〜8割も消滅した。丁度開業の時に考えたのが以下のコンセプトである。
 相手の心臓を  ?するどい  ?ナイフで 下より  ?つきあげる ?捨身で!
( =相手の主力商品、?=プライスのしぼりこみ、?=当方の主力商品、=低プライスで、?=重点集中主義 ?=業態の明確化)
これを元に今の事業を立上げ続けてきた。カットスロープに似ている。
弱肉強食の世界がますます露現してきている。事業は全てをかけたビジネスゲームである。

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忘れられない言葉   「2001/12/04 08:21 」
ー青年期の言葉
1、ベートーベンの
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐ええることを証明したいと思う」ーロマン・ローラン
 これが学生時代の私の一番好きだった言葉である。これにこだわりすぎた部分もあった為、行動を制限されたが。
「苦境を突き抜けて歓喜に」ーこれもおなじべトーベンの言葉だ。
2、ソルジェニーツィン
「人生小説でないと思います。弱者は悪、強者が善です、強くあってください。
 いや強くあらねばなりません。良くあるためにも強くなくてはならないのです!」
 -これは25歳の頃やはり社会で強さが求められたためか。
3、「そうだ。人生に期待するには間違っているのだ。人生の方が、私たちに期待しているのだ!」
 人生の問いのコペルニクス的転換。 未来には貴方に生み出される何かが待っている。
 人生が貴方に見出される事を期待しているのだ。 フランクルは、人生に何も見出せなくので自殺するつもりだった
 二人の囚人を説得し、生きる意志を起こさせている。事実一人の男性には、深い愛情をよせている一人の息子がおり、
 外国で彼の帰還を待っていた。もう一人は、科学者として本のシリーズを書いていたが、まだ途中で完結が待たれていた。
 ーこれは15年前に「夜と霧」に出てきた内容。自分が死んで葬式の額の写真の目から視点を全く変えてみたのと類似している。
・・・・・・
12月4日  ー1968年
・11時に起床。
 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」という感情がくる。 
といって考えてみたら何でもない事だ。パーテーの日が変った事で、一つのチャンスが消えただけでしかない。
それだけで自分が情けなくなってきたのがオカシイ。 大体あれもこれもというのが悪い。凄い美人でなくては何とも
無いことだが、その辺が問題だったのだ。この辺さえ受け止められないのが、今の自分でしかない。
この先に、自分で事業を立ち上げるのが今の自分の目指すことだ。22時から23時半まで市川さんと飲む。
昨日のことを愚痴っていたら、自分なりに冷静になれた。一日半の揺れで終わりだから、傷は浅かったが。かすり傷が最近多い。
今の自分は卒業に向けて最後の締めを決めなくてはならない。
その後、明方の4時まで勉強に集中できた。 毎日が嵐の中だ。小さなコップでしかないが。


3164,「物語」と「小説」

2009年12月03日(木)

  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。
 「物語」は――古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの“おはなし”。
  その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
  聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
  一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
  相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いた課は忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。
「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。
その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。
一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。
我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の
言うことは微妙に違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。
10年前のことだが、80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを
死なせたこと。医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。 
 
・・・・・・・・・
2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
  2008年12月03日(水)
 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。

【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる
弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。
                                            ニール・サイモン                   
「ものごとや状況が、悪くなる、悪くなる、いつも言っていると、よく当たる予言者になれるだろう。 アイザック・シンガー
「快適な空間にしがみつく自分をそこから押し出すのだ。そして、頭の中でくすぶっていたアイディアを
 実践にうつしてみよう」  ジョン・コッター
「男らしさというのは、最初から与えられている資質ではない。 自ら獲得するものである。 
正々堂々と小さな戦いを重ねて、勝利を味わってみて、はじめて手にすることができるものなのだ」ノーマン・メイラー
「知性というものは、年齢と共に自動的に身につけられるものではない。何もせずに、年齢と共に手に入れられるものなど、
何ひとつない。 もっとも、例外として雛が挙げられるが」      
                                アビゲイル・ヴァン・ビューレン
・・・・・・・・
2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 −1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍
            『絞首刑』(G.オーウェル著)より
         (*´з`*)<ォハョウサω♪        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
ーまずは、その部分を抜粋ー                 
  ーー
われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音
のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。
まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、
待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような
灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。われわれは絞首台の上の、縛りつけられ袋をかぶせられた
男を見ながら、じっとその叫びを聞いていた。一声でまた一秒、命が延びるのだ。誰もが同じことを考えていたー 
えい、早く殺しちまえ、すませろ、あの忌まわしい声を止めるんだ! とうぜん、所長は意を決した。 
彼はぐいと顔を上げて杖を一振りした。「チャーロー!」その叫びには獰猛な響きさえあった。 
ガタンと音がして、しんとなった。囚人の姿は消え、ローブが勝手に捩れ続けていた。わたしが手を放すと、犬はまっすぐ
絞首台の裏側へ駆けて行ったが、それきりそこに立ち止まって吠え、こんどは庭の隙までさがって雑草の中にひそんだまま、
おそるおそる首をのばしてわれわれの方を眺めた。われわれは囚人の死体を確認するために絞首台のうしろにまわった。
彼は爪先をまっすぐ下に向けて石のように息絶えたまま、ひどくゆっくりと回転していた。・・・・・
犬はさっきの行為を恥じるようにこそこそと行列のあとを追った。われわれは絞首台のある庭を離れると、
刑の執行を待っている死刑囚の独房の前をとおり、刑務所の中央にある広い庭へ出た。受刑者たちは、鉄のたががはまって
竹の簾を手にした衛兵たちに監視されながら、すでに朝食にありついていた。一人一人がブリキの小皿を手にして
うずくまぞいる列の前を、パケツを持った二人の衛兵が米をすくってやりながらまわって行く。絞首刑のあとでは、
これはじつに家庭的な楽しい光景だった。仕事を終えたわれわれは、すっかりほっとしていた。
歌いたいような、駆け出したいような気分で、思わず笑いがこみあげてきた。
「   ーーーー         」                    つづく
                (*бωб*)/
・・・・・・・・・
2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 −2
                   才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、
一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 
書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、
ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? 
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」
◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」
◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
  ・・・・・・・・・
 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10?!

 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ー
  の見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。 (o ・д・)ツ⌒□  号外!!号外!!
    
  東京では何と10組に1組、大阪で12組に1組という。【゜Д゜】ハァ?!
  25年前では全国平均100組に1組というから、わずか20年あまりで5倍に増えてしまったことになる。マ(。Д゜; 三 ;゜Д゜)           
  外人男性を紹介する結婚情報会社もあるというから時代が変わったものだ。 その反面、外国人女性が生活の安定を求めて
  日本人男性を探しているケースが多いという。それにしても大都会で10組に1組とは、信じられない。
 (100組に1組なら、まだわかるが) へ(~Д~*へ)))) ...(((( 都会の傾向は、地方に波及するから全国平均も
  それに近づいていくだろう。 古い家族観を持った日本人男性より外国人に傾くのは解らないでもないが。
  イギリスの貴族と結婚したマークス寿子著の本を先日、図書館から借りて読んだが、しっかりした自立を主張していて
  殆どの主張は納得はしたが。それでも国際結婚は特殊としか思えなかった。 ~~■P o(´・∀・`)coffee time☆
  このまま国際結婚がすすむと、国という概念が希薄になる可能性があると考えるのは、私の頭がまだ固いのだろう。
  地方にいるためか、その辺の事情はサッパリわからない。息子が、東南アジア系とか、白人、黒人を連れてきたら
  拒否反応が出るだろう。 -∀-)ニヒ!♪ まじヵょ >(゜∈゜*)!     ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
  嫁がスペイン人で、年に一度ぐらい嫁の実家に行くのも悪くはないか? (o^v^o)v
       kamisannには嫌だけれどね?              ヾ(^-^)ゞbai
 ................ 
 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」
                    −読書日記−2
酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋
「狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を
しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが
見えたそうです。それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。
その番頭さんは何故かこのキツネに自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、
天城山の中腹の神社にいたそうだ。その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。
二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうから
おいでおいでをしている。番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、その一週間後に川崎で見つかり、
不審人物として警察に連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを追かけていたそうだ。このように
アルコール性幻覚症もひどいものになると一週間を超え期間、幻覚が続くことがある。酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。
酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。何の苦労なしで快感を得るということは、必ずその代償がくる。
この快感が「依存症」という恐ろしい病気と裏腹になる。私たちは苦労した時間が長いほど、目的を果たした時の快感が
大きいものです。こういう快感は、連続した快感を得るのは難しい一面がある。

ー以上であるが、考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。
(字数制限の関係でカット09年12月3日)
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2003年12月03日(水)
973, 「永平寺」
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
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2002年12月03日(火)
599, 忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。
大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。 そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者の為、
遊び上手でうまく盛り上げてくれる。昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ち
が盛り上がっている。とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。 この忘年会で初めて年末の到来を実感する。
過去に書いた文章をコピーしておきます。
ーー
0905  宴会好き!
  (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。
その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、
何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、
指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行
全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に、
学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の話になると
目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。
それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さんが
国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、自分がね!というところだ。
ーーー
ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。
パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は行けない」とか。
気持が揺れているようだ。まあいいだろう。石川と綾部嬢とのケースに似ている。色いろあるようだ。
この時期は全員が大揺れの時だ。少なくとも人の揺れに惑わされないようしないと。 自分で立候補をしてきて、
気を向けたあとに途中で気が変わるパターンになるだろう、可愛いものだ。女の世界は違う思惑があるのだろうが、
深く考えないことだ。最近はチグハグしたことが多い。色いろ過熱気味だ!あれもこれもは無理だ。
これが今の寮の流れなのだろう、人の気持ちは流れゆくものだ。


3163, 金本位制度が復活?

2009年12月02日(水)

 
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す
外貨準備の運用について「金の保有量を3〜5年以内に6000トン、8〜10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。
現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が
勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、
金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が
再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
 ――
 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。
元もとあった論だが、こういう情勢で改めて見直されているとも受け取れる。
「ニクソンが金本位を止めたが、それは一時凌ぎで、こういうドルの乱発後には、
金本位制度に逆に戻し、新ドルと兌換にすれば、下げきった金は暴騰する。 紙切れのドルを無制限に刷って、
ドルの価値が下がったと同時に、金本位制度に逆戻りにすればよい」というアメリカにとっての秘策。
「逆ニクソンショック」で、再び世界の金融の主導権を握ろうというもの。 戦後一貫して、日本の金保有に
直接・間接的に介入してきた。そして、とどのつまりは、アフガン・イラク戦争の戦費捻出でドルを無制限に発行、
そのツケが回ろうとしたときに、金本位制度にして新ドルに替えてしまうという魂胆である。
そこで急遽、中国は、金を3〜5年で5倍、10年で10倍にしようと意図で、上記のような方針になったと受けとめられる。
 その意味で、今年と来年は日本経済の混乱をアメリカは画策してくるはず。ドル安も、その一つなのか。
日本は今もそうだが、金融恐慌の戦災の跡地に、さらに止めの爆弾を落とされている。それも理解できないのが日本国民。
この暮れから、不況の波は更に大きく日本を襲う。 悲観的になって当然である。

 ・・・・・・・・
2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)

 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
  〜〜〜
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」   ビリー・ジ。エル」
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス
「意味のある努力は、 やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて 
 結果が良ければ、その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」 ニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」 マックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ジョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することが できない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、 過ちの修正を 怠ったときである」      
                                       ジョージ・ソロス
「悲観主義は、 ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ゴルダ・メイヤー
 たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」  ジークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」   ヘンリッヒ・ハイネ

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2007年12月02日(日) 2433, お茶ひき

           (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。
先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
夜の飲食街の人たちは今さら他に仕事の当てもなく耐えるしかない。
そのせいか平均年齢がドンドン高くなっている。もともと若い人は仲間内で遊ぶ!
タクシーと、飲食の世界の人たちは、ますます寒風に曝されるしかない。水商売とは、よく言ったものである。
そこで、検索で「お茶をひく」で調べたら、次のような内容が出てきた。
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 (字数制限のためカット 09年12月2日)
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2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 −1
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、
常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、
骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。
さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼が
ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・
TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては
ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。
死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。
名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。
絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。
そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。
中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
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以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、
  その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。
  自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、
  己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
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 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 骨法用筆以下の5法は,努力して会得することができるが,「気韻生動」は天与の才能と
 人格をそなえた人物のみが実現できるとして、その後の文人画の根本的思想となったという。
 −−−
こういうのが、解るようになってきたのは、やはり熟年になったからか〜
                                    つづく
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2005年12月02日(金)
1704, 家訓づくりのすすめ −1  

「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...((((
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康・伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 −徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
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何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?
                     (^_^)/~~
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2004年12月02日(木)
1339, 「酒乱になる人、ならない人」
              −読書日記 −1

男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度失敗したことか。
大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。
一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから人間は馬鹿の生きものだ。
酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。
過去に多くの酒乱の人や、アルコール依存症の人を見てきた。そして、私も一過性の酒乱になったこともある。
それでも、間違って朝起きたら女性と?ということは一度も無かったし、暴力沙汰で留置場ということも無かった。
しかし、危ないことは数知れずである。アルコール依存症の手記を月刊誌で何度か読んだことがある。
TVに本人が出てきて、生々しいアルコール依存症の話を淡々としていた。三連休、4連休の休みに、大量の酒を買い込んで
三日間続けて、意識を失っている以外のみ続けるという。信じられないような精神状態になるようだ。
身も心もボロボロになる。 私も色いろ試した結果、酒の自制のルールをつくった。
・一人酒を飲まない(一人で外にのみに行かない) ・外での2日続けての酒はさける ・週2日以上はさける 
・23時以降には帰る ・一軒目では、酢の物、野菜サラダか漬物を初めのつまみにする
・飲んだ後の、食事ーラーメンなどーはさける ・不愉快な酒は絶対に飲まないー気の合わない人の屯する店には行かない
・飲み会の場合は必ず酔い止めのドリンクを飲む ・家では 日本酒は飲まない(在庫をおかない)
 ノンアルコールビール(350ml)を一本と、紹興酒(300ml)を一日の基準にする
・女性とは一々にならない
ーブラックアウトー
 飲んでいて、あるところから記憶が全く無くなることを「ブラックアウト」という。
 この言葉は、お医者さんの専門用語であるが、ブラックアウトの経験をするようになったら、 
 チョッと気をつけなくてはならないとか。私も十数年ほど前から、ブラックアウトの経験が何度かあるようになった。
 重症になると、数日間のブラックアウトが生じて本人はまるで、その期間のことは憶えていないという。 どこかの街で
 フット我にかえるが、飲んで正体を失ってしまってからの記憶が全くないという。 留置場のお世話になってはいないが、
 これが、酒乱かどうかの大きな目安である。二十数年前に、花見で飲みすぎて池の端で転がっていて、朝になって救急車で
 病院に運ばれたことがあったが。それでも、その夜の泥酔のことは、ほぼ憶えていた。 アルコール依存症と酒乱は本来違う。 
 私の場合は、酒乱のケがあるというレベルだが。  致命的な失敗はないが、それでも大きな失敗を多く繰り返してきた。
 この本のアルコール依存度テストでは、全く問題はなかった。歳も考えてか、気をつけていることもあるが。
 同級会で、酒の失敗の話を聞くと飲んで暴れて留置場に泊まってきたなど話はきりがない。
 特に日本では、「酔っ払い」といって甘く見る傾向があるが。               
                             −つづく
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 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 
ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
 ・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
  他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
 ・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
 ‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
 ‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得るために、
  組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
  業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な方法である。
  前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット(2007年12月02日)
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 598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)

少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。
もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。お手伝いの背中におぶさっていたのも
這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。
兄二人の死とその5〜10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、
近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。 

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