堀井On-Line



3162,人生に関する小題

2009年12月01日(火)

* 人生は玩具箱
「人生とは畢竟運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎)
言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。
「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。 
そこで「人生は宝箱」という言葉が思い立つ。 (恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが
宝とすると、幾らでも宝はある。 それでは「人生はゴミ箱」というと、それほど無いのは、無意識で
自分の心をコントロールしているためか? そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、
全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時?
 無駄も必要だから、それは違うか。
  〜〜
* わたしは地上でたった一人になってしまった
 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。
 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで
人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」
と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。
 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の
卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。
 〜〜
* 「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽
 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。
《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、
また或るものは戦うために出て行かなければならない。 皆が同一の処にいることもできなければ、
また善いことでもない。だが、君に何かもっと辛いことが課せられるとき、君が将軍から課せられた
任務を果たすことを怠って不平をいい・・・ それは軍隊がそういうものということを理解していない。
というのはもし皆が君のまねをするならば、人は豪を掘りもしないだろうし、また保塁をめぐらすことも、
危険を冒すこともしないだろう。 むしろ戦争に役に立たぬように思われるだろうからだ。(中略》・・・・
各人の生活は戦役、しかも長い複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない。》
 = 最近、つくづく実感することである。「人生は不条理!と割り切るしかない」ということか?
 
・・・・・・・・・
2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6
2008年12月01日(月)
 ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。

 ダーウィンの次の言葉が好きだ。「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、
 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」ことしか
 生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・
  ーーー
「第5の法則】
  「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が本当に
やりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味から、ただただ、
それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー
「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、
 突如として まったく違った見方をすることです」          ドレス・レシング
「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。
 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」 アルバート・アインシュタイン
「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。
 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」     アルバートアインシュタイン
「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。
 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」       アイザック・アシモフ
「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」  ユダヤの諺

・・・・・・・
2007年12月01日(土) 2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日
                 オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が最終日であった。
アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が「株は長期に低落する。
「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジがこんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、
再び、ここで同じことを予言している。「また、海の色が変わる!」という。
 ーーー
ー日経新聞「私の履歴書」2007年11月30日ー
 =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理=
  *再度・海の色*
バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言したことを書いた。
今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポンと言う人が多いが、
僕はアメッポンを使う) と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。
その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。
 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と高まり、
中東情勢は混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの信認が低下し、
米国は金や原油、穀物などの実物資産を裏付けとする新しい通貨制度を考え出すのではないかと思う。
そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。世界中が混乱、
アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。
僕は安倍晋三前首相のお父さん(安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、
「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。 小沢一郎さんが天下を取るのか
小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。
高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎える
ことになるように思う。 僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。
「職人国家」としてそれなりのステレータスを保っていけると思うから心配していない。
最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに「金融立国」
の幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り返っても、
僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、「人間は太古の昔から
同じことを繰り返している動物」ということだ。 人生は思った通りにならない。それは残念なことだが、
だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。
「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。
人間、何が幸せで何が不幸か、本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。人間は変わらないが、
世の中は変わる。これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・
 −−−−
解)今年から5〜10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。
それと日本を「職人国家」という見方も面白い。今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。
とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへのプロセスに入るのは当然である。
                  (σ’д゜)バイ!
  ・・・・・・
  2006年12月01日(金)
 2068, あたりまえなことばかり −19
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!

  哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、外傷と言えないという。
 しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、
 外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。
 以前は、癒しなどの言葉は無かった。精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流の
 セラピーの役割をしていたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、
 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 
 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。  
 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、
 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできはしない。
 そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。
 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。
 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ 
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どうすれば癒されるのか  
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癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のためカラオケに行く。
コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと浮わついた「雰囲気気」、
それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、癒されるべき傷などどこにも無かったか、
その程度のものである。具体的なものが見えないから、漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが
商品として流通するという構図である。しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、
主語を支点にこれを能動態に変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、
自分で自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。
癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 
そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの予測を
はるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の逆転によって垣間見られる。
「私とは何か」   −>「何が私であるのか」 「心とは何であるか」−>「何が心であるか」
「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内にそれがある存在している
ことを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な
存在ではない。本来、物理的な存在でないものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような
命名が、多くの誤解を生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、
傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。
物理的でないものの、「外」、その「内」とは、どのような区分であろうか。「心の外」とは、どこを指すのであろうか。
「心」に外と内があるというのは、これも長い我われの錯誤は、「私」が身体であるという一方の強力な錯誤と手を組んで、
「私の心は体の内側に存在する」、その主観である。そしてそれは客観としての世界もしくは他者とは関係しないか対立する、
という錯誤の世界像として定着する。したがって、「私の心に傷を与えるのは、世界もしくは他者である」。
トラウマ理論とは、あるいは主客二元の世界観に典型的な、短絡的解釈ではないだろうか。
幼少期に虐めを受けたから性格はこうなった、という遠い原因から、あなたにそういわれたから私は傷ついた、
という近い原因まで、そこに共通しているのは、「心の外」に、「傷の原因」を求められるという、
それ自体が一種病的な捉え方である。 なぜなら、「心」は身体のうちに存在していないからである。
「私」もまたこの身体ではないからだ。すると傷ついているのは誰なのか。それは「誰」の傷なのか。
したがって、私は私であり、私の心は私の身体の中にあるという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、
各種のセラピーグッズやセラピーによって「癒される」。癒されたと思いこむことができる。
心の傷は外から与えられるものであり、その傷は外からの癒しによって癒されるものと思い込んでいるからだ。
おそらく、「本当の傷」を負った人々は、そのような単純な主客二元の処方せんでは治癒できず、
「本当」のかの問いに直面することになる。 すなわち傷ついているのは誰なのか。
−−−
心に外傷というのもオカシナモノだが、心が痛むというのはあって当然ではないか。
                 \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・
2005年12月01日(木)
1703, 政府系金融機関の統合
                             (~O~)ふぁ
政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。
悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。      ヽ(ヽ゜)ヒイィィィ!!!
思いきった人員整理も断行されるから、政府系金融機関の職員は仕事にはならない。統合は地方の切捨てでもある。(@_@;)
戦後60年、地方への過剰投資が目にあまったことも事実。 四国への三本の大橋の建設は、この象徴である。 (=_=;)
糖尿体質の現在の地方には過激な手術になるが、グローバルの時代に中途半端な体質変換では日本そのものが衰弱死をしてしまう。 
(字数制限のためカット、09年12月01日)
 ・・・・・・・
 2004年12月01日(水)
 1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記−2 
  ー自分のクセを技に変えるー

   三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。 その文章を抜粋して考えてみる。
  ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した私たちには何を技にすればよいのだろうか。
   私は究極的には「クセの技化」だと考えている。 武道や芸道ではクセを直して技を身につける。
   しかし、年齢を重ねると、クセはほとんど直らないものである。
   それを直そうとするよりも、それを芸にする、技化することを考えた方が現実的だと思うのだ。
   それがクセなのか、技なのか、その分かれ目は全体に対してクリエーティブな働きをしているかどうかである。
   その人のある種のクセが周りをクリエイティブにしていれば、それはもはや技化しているといえる。
   たとえば「卑屈さ」さえも技化できる。卑屈さというのはそのままでは軽蔑の対象になるものだが、
   タイミングよく下出に出ることがうまい人がいると、場全体が円滑に回ることがよくあるものである。
   そう考えると、新たな技を身につけるより、一見ネガティブにみえるものを技化し、自分なりの
   スタイルを確立するほうが、社会全体をトータルに見たときにクリエイティブといえよう。
   画家にしても、二流の人にはスタイルがない。プロ野球の選手でも、スタイルは一流選手しか持っていない。
   その典型がイチロウ選手である。彼のバッティングは完全にクセが技になっている。
   このクセは、バッテングセンターで早い球を打つために、あの体全体をスライドさせる打ち方になったという。
   野茂投手の投げ方も同じである。世の中、クセを技化して自分のスタイルを作った者の勝ち、というところもある。
   ふつうはあまり推奨されない発想だが、人間、残り少ない人生になってきたら。
   自分なりの味を出して、「あの人のやることだから・・・」と周りに認めさせるようになればよいではないか。
   ーー
   以上である。 この文章を読んでいて、100?認めてよいか疑問であるが、クセを逆に技化してしまう考え方は面白い。
   特に、ある程度の年齢を過ぎてしまえば、焼き直さなくてはクセを変えろというほうが難しい。
   それなら、それを技としてしまうのがよい。 母親が、部屋の飾りに近くの川から流木を拾ってきて、そのクセの
   ある枝を逆に飾りとして置物にしていた。何とも風情であった。落語家が年配になってくると、何ともいえない
   性格そのものが笑いになってしまう。晩年の林家三平とか、今では林家円鏡がそうである。
   間違ってはいけないのは、年配の癖は「守・破・離」の「離」でしかないということ。
   クセー我流をスタイルに変えればよいだけだ。 一番難しいことだが。
  ー斉藤スタイルという、スタイルもクセと大して違わないのでは? いや技化しているから違うのか!

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2003年12月01日(月)
971, ナレッジマネジメントー2
 「マルコムボルドリッヂ国家品質賞」について
字数の関係でカット(2007年12月01日)
 ーーーーーーー
 2002年12月01日(日)
597, スーパー床屋 −2

そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。 TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは省略をして掃除機の
ようなもので吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。一人当たり10〜15分で仕上げてしまう。
   特に土曜と休日に集中するという。それなら美容院もあってもよいのではと思ったら新潟にも全国チェーンで
「クイーン&キング」という名で青山にあるという。 これなら家族でいける。知人が最近スーパー床屋に
切り替えたと言っていた。月に一回行っていたのを2回行くようになったとか。それでも安いという。
「将来殆どがスーパー床屋にきりかわるだろう」と言っていた。自宅の近くのSCゾーンの一角にスーパー銭湯が開店するが、
その中にスーパー床屋が併設されると家内が言っていた。 500円の銭湯に1500円の床屋で2000円である。
それでも床屋の半額なら大部分がそちらを選ぶだろう。 今の回転寿司と寿司屋の使い分けの状態ににてくる。
寿司屋も数年前に80?は回転寿司に取って代わると食堂専門誌に書いてあった。現在その流れが加速している。
年に1〜2度寿司屋に行って、月に1〜2度回転寿司に行くパターンになってきている。
学生時代の事を思いだした。池袋駅の地下に半額に近い床屋があった。多くの若い女性の従業員がいて広い店であった。
いつも満杯であった。ただ一回で二度と行かなかった。若い女性にミニスカートに胸の開いたブラースを着せて色気を
売っていた店がある時期流行ったという。 クラシックを流している床屋もあった。 何か床屋談義になってき


3161,つれづれに ー閑話小題

2009年11月30日(月)

 * 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。
年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか
中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる
不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。 
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
 〜〜
 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、
この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と
時代背景を書いている。 ある意味で、戦後日本人に一番影響を及ぼした歴史小説で、「大きな物語」の典型。 
20歳代の青春時代を思い出しながら、このドラマを見るつもりである。 ただ、小さな物語(個々人の物語)
の時代の現在、大きな違和感も出てくるだろう。 司馬遼太郎が晩年、日本のバブルの狂態をみて、
「自分が、こんな連中の時代のために、小説を書いてきたのではない」と怒っていたのも印象的である。
  〜〜
 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 
二回目にみた方がズシリとくるから凄い。 初回は、世界崩壊のリアルさと、物語の筋たての両方に
気持ちがいったが、二回目は地球崩壊の画面をリアルに観ることに絞って、気持ちを入れて観た。
そのため前回には観えなかった画面をシビアに感じることができた。何で、これだけ引きつけられるのか?といえば、
地球規模の破壊スケール。 南極と北極が入れ替わるというから。 
 金融恐慌から恐慌への過程の中で、タイミング的にピッタリの内容である。

 ・・・・・・・・・
2008年11月30日(日)
2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ

「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、
自尊心が確立されているから、仕事の体裁などにこだわることはない。
チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、わずかなチャンスを
確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、
空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。)      
                               ユダヤの知人の言葉
 〜〜
「この仕事で 豊かな気分になることはない
ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に 苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ
 〜〜
「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、
どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」  ドロシー・パーカー
 〜〜
お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
自分が運転手だ ということは、 忘れてはなりません」       アイン・ランド
 〜〜
11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」  東欧ユダヤ社会の諺
 〜〜
「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」  ショーレム・アレイヘム

・・・・・・・・・
2007年11月30日(金) 2431, ネット君臨

       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
「ネット君臨」−毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)
                       −読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にしたものだが、
この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。
私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。
マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。
特に「2ちゃんねる」上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。
毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の規制を考える面で、良いこと。
   ーー
*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
 ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率をもたらす一方、
さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会を
どう築けばいいのか。ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。
本書では、国内最大のネット掲示板「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに深刻な
影響を与えている実態を現場から報告。「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。
さらに国の政策がインフラ整備に偏り、企業や個人のマネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、
中国のネット犯罪の現場をルポ。
 ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。
難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円)
を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。
だが2ちゃんねる上でさまざまな中傷記事が書き込まれた。第一に、両親がともにNHKの職員であって
高給を得ているうえ、東京近郊に土地と建物を所有していることが伏せられていたということ。
そしてこの募金活動をしている非営利組織の運営が不透明であり、過去に行われた同様の臓器移植募金に関して、
余剰金などがどう処理されたのかがまったく情報公開されていないということ。
こうした情報公開を行わずに募金を行い、しかもそこで集められた浄財の行方が明確にされていないというのは、
「死ぬ死ぬ」と騒いで金を集める一種の詐欺行為ではないか−−というのが、批判者たちの主張だった。
*次に2ちゃんねる の書き込みの部分を抜粋してみた。
 −−−
ーP・22 
(字数制限のためカット、09年11月30日)
・・・・・・・・・
2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり −18
          (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!

人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。
私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、
その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1〜2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、延々と夜半まで
三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。
そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。
経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、むしろ面白く、味わいが深くなる。
人生など大したことがないものである。深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から
生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! ということである。
        ( ^3)〜♪よ〜よ〜それが一番、難しいんじゃないかい!        
 ーーーーーーーーーー
 老いは個人の生を超え  −? 
 ーーーーーーーーーー

老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきたのかと
訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、したがって老いることを拒む。
動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。
老いた自分に価値が認められない。「老醜」とは正確には自虐的に使われる。
逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。外に映る鏡の姿が崩れているにしても、
ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。
内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。
歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生では
なくなっているということだ。自分の人生を振り返ってその視野に、自分の人生としての人類の人生、
すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。
内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映っているからだ。
過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。
それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
 ーー  
 母親が80歳の時に、「私の生きた5〜6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」
 いう言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。
 自分の生きた時間と家康の生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。
 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。それは自分の人生とは比べようもない
 実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。
 その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。
 いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも以下でもない男。
 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、
 自分が生きてきた時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。
                (-"-;)
 これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。
 これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を自虐していたとしたら、
 全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。 
     (ノ≧ロ)ノ<いまさら何をいってんだ、ばかやろぉ〜〜〜!!!             
               (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 −2
                    nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、
40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」
       ということだ。 (いや、あるか!?)                        
 *上手くいったという人はそれでよし、
 *上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。
  要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。
 どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。(≧▽≦) 本当か?
 誰にでも悔いがあるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか?
 そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、
 その結果として、自然の笑いが出てくればよい」ということになる。        ♪〜(=^ε^= )
 出席している人は、比較的に恵まれている人?のためか、全体として、明るい人が多かった。
 めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、
「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる気持ちだったろう。
 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 人生は短い!      (-ω-*)
     還暦は逆成人式ということだ!          
                      (^_^)/~~baybay
 ・・・・・・
 2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」
              ー読書日記 −1
  齋藤スタイル―自分を活かす極意   齋藤 孝 (著)
            
書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。
いや一度、この著者の本を図書館から借りてきたが、読まずに返したことがあった。
先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、内容が濃厚である。
斉藤孝の多角的世界を集大成してある。日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。
多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、斎藤ワールドのダイジェストといえる。
対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。
特に「三色ボールペンで読む日本語」のダイジェストの章がよい。赤ペンチェックの言葉が多い。
「図化と文章化」 「具体的かつ本質的」「エネルギーを出し続けているが故に、技も必然的に磨かれていく」
などもよい。著者は、「勉強でもスポーツ仕事でも、自分が体験し学んだことは、自分のスタイルとして練り上げ、
技化しなければならない」といっている。齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書である。
ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。数年前に、「三色ボールペンで読む日本語」を図書館から借りてきて
目を通したが、ほとんど読まないで返してしまった。 おそらく他に面白い本があったのだろう。
しかし先週の土曜日に、この本を借りてきて再度「三色ペン」の効用を読んで、4色ペンを買ってきた。
ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、これに黒の入った4色ペンしかなかったー
まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。
この本では、三色ペンで読書をしながら
・重要な部分を「赤」の線、
・少し重要な部分は「青」の線、
・面白いところを「緑」の線、 で色分けをすることを勧めている。
これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。
メモにもこの三色を使い分けることが可能だ。 さらに、速読法に三色ペンを使うのだ。
読む前に、速読をしながら色分けをしてしまうのだ。私のあみ出したページ折込と同じか、それ以上の効果がありそうだ。
この歳になって、こういう初歩的なノウハウの発見があまりにも多い。数年前に、このノウハウを読んでいて全く
心が動かなかったのは、どうしてだろうか?考えてしまった。会社の大矢さんに聞いたら、彼は「4色のペン」を
常時もっていて、メモで、個人と、会社と、家族と、子供に分けて使っているという。
私の場合は、今のところ斉藤孝氏の三色の使い分けの他に黒を、感動か新しい発見・知識にしようかと思っている。
あるいは書き込みもよい。この数ヶ月間の訓練で、思わない発見がでてくるだろう。
                       ーつづく
・・・・・・・・
2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。
当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人から5万通以上の作品が寄せられたという。
せいぜい2000〜3000作品」と見込んでいたUFJ信託銀行にとってうれしい誤算だった。
そこで急きょ、出版社からの申し出で「敬老の日」を狙った作品集の発行が決まるなど、
「遺言川柳」がちょっとしたブームになっているという。 
遺言といえば、両親とも、私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。
遺言は残された子供にとって、その後の人生を左右するほど大きい要素になる。
母が亡くなったときは、さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。それだけ、両親は「家」というものを
重んじていたのだ。両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移っている部分と、末っ子という特殊要因もあった。
 相続は、それぞれの子供に連れ合いがいるから複雑になる。日常でおこる争いの一番の原因になる。 そして生々しい。
ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。
 −−−−−−−
ー特選ー 1作品
・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性)
 ーー
ー入選ー 5作品
・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)
・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)
・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)
・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)
・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性)
  ーーーー
以下は、字数の関係でカット
 2007年11月30日
・・・・・・・・・・
2002年11月30日(土) (2)
596, スーパー床屋は席貸業 -

最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。日経流通新聞の広告でフランチャイジーの
募集の内容に興味を持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」どうして?と思うのは当然である。
若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を強いられていた職人の世界である。
そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに会うと聞いていた。
誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。 
場所貸し業と捉えたのである。スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。
この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。最適な立地の不動産のオーナーと
理髪のフランチャイザーが組む。フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、タダそれだけでしかない。
席を借りた人は働いただけお金になるのだ。札幌のススキノで飲んで帰るタクシーの運転手さんの話が今でも忘れられない。
深夜のタクシーは倒産した人の最後の砦の世界という。とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。
タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを丸投げで貸したほうが良いという。 
その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。
若い人で4〜50万稼ぐ人がいるとか。都会の既存の床屋はここにきて大きな落ち込みが始まり、また新規開店が
激減したとか。床屋の世界おまえもか!である。そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。
そのベンチマーキングの結果の美容・理容の世界でしかない。全国チェーンもあるところまでいくと行き詰るのだろうが!
商売は全てがシステム7割、商品3割である。そのシステムが根こそぎ変わろうとしている。


3160, ドバイが債務不履行!

2009年11月29日(日)

  アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。 
数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、石油で得た資金で競って超高層ビルを
中心とした新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという信じがたいことも報じていた。
大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。
しかし今年に入り一転、金融危機と石油の値崩れで、歴史に残るバブル崩壊を映し出していた。 
数年前の活況時のドキュメントの映像と比較した内容だから、その段差は極端。さながら映画のようである。
そのドバイの債務不履行は5兆円というが、これから数十兆円になる可能性がある。
欧米の金融機関、特に欧州の金融機関が直撃という。また日本のゼネコンの大林や、清水建設も大きな請負をしている
というから大打撃になる。 鹿島、大林がどうか分からないが・・・大手ゼネコン総倒れの可能性さえある。 
さらに日本の大手銀行もドバイワールド向けの債権を多く抱えている。 さらなる本格的な金融崩壊の引き金が、
この辺になるかもしれない。 この金融恐慌の底は深い。それに関係して、ドルとユーロが値下がりの圧力がます。
80円割れでなく、70・60・50円割れもありうる。その時、日本はどうなるのか、考えただけで身の毛がたつ。 
師走と新年は大荒れになるのは覚悟をいていたが、なるほど、次はドバイが発火点ということか。
銀行閉鎖や、国家非常事態宣言!も、というとマサカと思うが、そのマサカが次々と起こる。
 何が何処かで、戦争をしかけるか? ありそうな事だ! 大きなテロをキッカケに、イスラエル? 北朝鮮?
ロシア・東欧?で、G20が抑止力になるか、どうかだ。 

・・・・・・・・
2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
2008年11月29日(土)

【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」 ユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。 噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になっている人だ」
「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」 ユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、
 一度発した言葉を 取り返すことはできない」          ユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、
 最後は人に教えてみることだ」             ソロモン・カビロール 
  (字数制限のためカット09年11月29日)
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2007年11月29日(木)
2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより

「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。
死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが
見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。
この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
 ーーー
<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは   もう二十年近くもねてゐる。
 すべり台のやうな傾斜のベッドに  首にギプスをして上むいたまま。
 はじめはふしぎそうだったが  いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。
 なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
 むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
 そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。
 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。
 できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。
 おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
 ーー
 ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。
 
 偶然に去年、老いを取上げていた!
・・・・・・・・・
2006年11月29日(水)
2066, あたりまえなことばかり −17
                         おふぁ  ファ〜
そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、
そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・
両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、
決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。
だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、
彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。
母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。
ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・
ーーーーーーーーーー
老いは個人の生を超え
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人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、
若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという
現実を肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。
生きられてしまった事柄とは、端的にかこである。それは動かせない事実である。
過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、それ以外ではあり得なかった、
このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの感情や感傷によって
覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。
なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。
生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失っていく過程である。
しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、得ているものはたしかにある。
何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。魂は成熟する。
「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。
経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、いった意味合いらしい。
縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を織り上げていく行程は、
刻々老いてゆく肉体の老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の
他ならないのだから。それすらも、織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。
人生とは、生死の間に存在する時間である。なるほど論理的には、人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 
したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には、人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。
有と無の間で生成する質である。質は論理でない。論理が指示する、論理自身の影である。
論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、このこと自体が人生の不思議である。
その存在しない死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはずである。
かって老いたことのないわれわれにとって、それは未だ知らない質である。老いるという未知の経験、未知の質を、
味あうことなく拒むのは、死ぬのを待たずに既に生きることを拒んでいるようなものである。   
ーー               
死か〜 まあ、麻薬をタップリ楽しんで、消えていくのも悪くないが・・
やはり、朝いつの間にか死んでいるほうがよい。魂の成熟か〜 無限の宇宙に浮かぶ
未知の質か〜 人生は!    (+>∀<+)ノ  バイバイ
 
 ・・・・・・・・・
 2005年11月29日(火)  1701, ほめ芸王 ー2

以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める
ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
  というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。
                          funn~(。_。)q
以前借りてきた時に印象的だったのは、
 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、
  人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。    
だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。
お犬様の散歩の時の女性の、犬自慢がそうだと聞いたことがある。
自分の犬を褒めて欲しいと、相手の犬を褒めるという。相手もそれを周知して、すかさず相手の犬を
褒めるのが社交マナーとか。 ヽ(・ω・ゞヵゎィ+  ヽ(*・ω・)+. 超ヵヮィィ♪
人間は自分のことが「傍から如何みられているか」気になる動物だ。つねに自分に対しての評価は甘い。
誰も評価してくれないなら、自分で数段上に評価するしかない。したがって微妙な2ランク位上に
評価してやれば、本人も納得する。カラオケは、褒めて欲しいから一生懸命練習し、そして熱唱する。
子供の頃、小中学校時代に先生の褒められたことなど、現在も鮮明に憶えている。
それだけ褒められることは記憶に残る。  (∀`)iうほ♪私のように殆ど褒めないと、たまに褒めると
効果絶大という利点もあるが。 軽々しく褒めちぎるのも納得しないが、『美点凝視』の心がけは
絶対必要条件のはずだ!
                     (◎゜ω゜)ノ^ジャ、マタ!!
 ・・・・・・・
 2004/04/04
「ほめ芸王」−1  ー読書日記
字数の関係でカット(2007年11月29日)
・・・・・・・・
2004年11月29日(月)
1336, 2000年前のポンペイー5

一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、
落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ
逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、
そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。
当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、 パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に
与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに〔とことん飲むぞ!〕
というものもあった。富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。 「あの男に災いあれ!」
当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う
姿」があった。試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。
普段の生活が、火山で時がそのまま密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
 −このポンペイのシリーズはまだまだ続くー
  
・・・・・・・
2003年11月29日(土)
969, 幽霊店舗

 昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、
次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。次の店が決まるまでの
店舗の劣化を防ぐ為である。実際のところ聞いてないので真偽は解らないが、間違いがないだろう。
 興味があったので、その幽霊店舗に行ってみたら、何事もないように営業をしていた。
たまたま知人が以前に勤めていた店であった。「幽霊店舗」という言葉とその実体をみて、
今の時代の典型的な事例に思える。 この店の直前に見た店は、数ヶ月前に夜逃げをした店であった。
30年近く前から郊外のポイントの立地に店を出して、評判の良い店だったという。
三店目が失敗、全国チェーン店の攻勢の追い討ちで倒産のパターンである。この二ヶ月間、真っ白な目で
郊外型飲食店をみてまわって不思議であった。車社会のなか不景気でも、信じられないほどの店舗が存在していることだった。
それが更にドンドン開店をしている、それも若い立地に。どこかに必ず歪があるはずだと思っていた。
日進月歩、常に変り続けていける店以外は、淘汰されて当然である。ところで、幽霊店舗があれば幽霊会社も
あるのは当然である。「幽霊会社」とは、どういう会社をいえばよいのであろうか。
 銀行管理会社? 債務超過の会社? 実質社長業放棄の社長の会社?
   ドキッ!
・・・・・・・・
[242] ゼネコンー2
- 2001年11月29日(木)

同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。
日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。
新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人)
と言う責任者が、殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。
(字数制限のため、カット 09年11月29日)
・・・・・・・・・・
ある時間の断片
 11月29日 ー1968年  
10時前に起床。 12時に学校に向け出発。川崎の約束を破ってしまった。昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。
どうしても自信がもてなかった。それか、傷をつきたくない為か。 17時に終了。 帰寮後、食事をする。
21時から一時間、本を読む。 その後佐藤のところで酒を飲む。一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。
かなりいい加減なことをいっていたようだ。 明方の3時過ぎに就寝。
ー「今日のゼミについて」で考えたことー 
 ゼミで、個人主義と集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。
ホワイトのいう集団主義は「個人」を決して働かせない。それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。
グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大である。大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。
一般的にいえば、人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。個人主義においても、集団という環境に
合わせて目標に向かっていく条件は必ずある。反面、集団主義は集団であるがゆえに不可能を可能にする側面を持っている。
言葉の捉え方のニュアンスの差があった。集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は大きいのは事実である。
それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。私も人間関係主義?によって流されて、
自分の本質を見失っていた部分が大だ。しかし今やその段階はすぎたようだ?
 利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。
個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。
そして集団に対しては協調をすることだ。「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。
それは寂しく、辛いものである。その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。人間関係に捉われて自己の創造性や
個性を否定することだけは、やってはダメだ。 その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。
 ーーーーーー
−2003年11月28日記ー
ーこの35年前の日記を読んでー
あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと?
に驚いている。いまの自分よりよほど筋が通っている。ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。
多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。
この日記がなければ全ては忘却の彼方である。「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。
現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。決して現在の自分に劣っていない
当時の自分がそこにいるのに驚きである。当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。
それだけの自信を全員持っていた。 裏付けもあったのだ。その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を
何度もした。全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。その中で、遙か彼方の自分が、
これだけの文章を書いていたことに驚いている。他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。


3159,金を通して世界を読む  −2

2009年11月28日(土)

「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)

住宅価格下落を予測して、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を中心としたファンドを始めるという。
彼が3〜5年スパンで金に「兆」単位を投資するというから、2〜3倍以上の高騰を予測しているはず。 
銀も一年前から高騰を始め、年に90パーセント以上も値上がりをしているから、金はまだ40パーセントだから、
50パーセントの値上がりと考えることができる。 そうはいかないのが相場の世界である。まあ、どうなることやら。
 ーこの本の中で、含蓄の深い部分を抜粋してみるー 
 日本で最も金が売れる地域といえば、京都である。 店舗の面積坪当たり最大の金小売店も京都にある。
京都には宗教法人が多く、資産も蓄積されている。 長年歴史の波にさらされてきたからこそ、スイス流の
「最後に頼りになるのは金」という考えも強いようだ。 ある金ディーラーが縁あって某名刹の住職と面談したときのこと。
住職曰く「金は先の大戦でもそのまま残り、資産として破損することはありませんでしたな」。 ディーラー氏答えて
「はあ、第二次大戦でも京都は空襲を免れましたしね」。 住職「なにをおっしゃる。私の申しているのは応仁の乱のことです」。
各県別に見ても、金が売れる地域というのは必ずしも県庁所在地とは限らない。 現代の経済行政の中心地より、城下町であった
都市のほうが資産のストックは多いようだ。 郡山より会津、山形市より米沢、青森市より津軽、というようなあんばいである。
一万円札の新札への切り替えのときのこと。 ある歴史ある都市の貴金属店に金地金を買いに訪れた顧客がボストンバッグから
取り出した紙幣の束は半分濡れたような古い旧一万円札ばかり。どうやらそれは地下にでも眠っていたのか、独特の古いインクの
すえたような臭いが店中に広まった(筆者も新入行員だった頃、銀行の金庫で同じ臭いで気持ち悪くなった経験がある)。
紙幣同士がくっついてはがれないので、まず1枚1枚と丁寧にひきはがし、乾かすこと四時間。やっと紙幣勘定機に入った。
 ーー
 こういう金融恐慌だからこそ、「金」ということだろう。 そして世界中の投機筋が買いに入った?
金の動きから世界をみていると、測り知れない世界の一端が見えてくる。 間違いないのは重い10年が続くということ。

 ・・・・・・・・・
2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3
2008年11月28日(金)

【第二の法則】
  なんでも鵜呑みにするな!人間は鵜ではない。
「世間において 常織とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。
  健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である 」    ロバート・ルービン
「誰もが同じように考えているときは、一人として真剣には考えていないものである」 ウォルター・リップマン 
「貴殿の理論が狂っている、つまり突飛であるかという点では、我々の意見は一致している。
  だが、正解になる可能性があるほど狂っているかについては、意見がわかれている。
  私の直感では、まだ十分に狂っているようには思えないのだが」       ニールス・ボーア
「二つの文化のうち、それぞれの半分だけ足しても、一つの文化は 生まれてこない」 アーサー・ケストラー
「半分の真実といえば聞こえはいいが、本当は真っ赤なウソである」     ユダヤの掟
「権力とは 究極の媚華である」                 ヘンリー・キ・ソシンジャー
「違うよ。そうじゃないんだ。君は、思考していない。ただ、論理に支配されているだけなんだ」 ニールス・ボーア
「嘘には三つの種類がある。 ウソ、 真っ赤なウソ、 そして統計である」 ベンジャミン・ディズレイリ
  ーーーーー
何事も、自分の頭で一度は精査することが必要である。それが、考えることになるのだ。考えない方が良い人が多いが。

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2007年11月28日(水)
2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て

           (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
大よそ半世紀少しを20世紀に生き、世界の色いろな変化を見てきたが、明治・大正生まれの人は、その感慨は更に深いだろう。
この20数年間、憑かれたように秘境ツアーで地球の果て?を見てきて、自分の庭とは言わないが、デズィニーランドのように
世界の文明と自然を見ることができたのが最大の収穫である。21世紀になって、携帯電話やパソコンによる情報革命の
大きな変動を見るにつけ、何と恵まれためぐり合わせが良かったと、信じられない思いである。
情報化が良いか悪いかは二の次に置いて、これだけの知識・情報が世界を駆け巡る事態はSFの世界に迷い出た思いである。 
20世紀と対比できるから言えるのだろうが。恐らく、数百年、いや数千年の経験を60年余りの時間の中で味わったのである。
その不思議である。 21世紀は、やはり違う世界である。それも想像を遥かに超えた。
その結果だろうか?、この数年から哲学が面白くなってきたのである。この地球の大自然の由来は、宇宙の果ては、
130数億年前のビッグバンは何故おきたのか、それ以前は何があったのか、人間の6千年の文明史はどのようになっているのか、
等々、疑問が噴出してからである。地球を見てまわり、少なからず人生経験を積み、人類の遺産の文化や文明を見てきた。
そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。
それらを考えること(哲学をすること)で、少しずつ理解できると哲学者は言う。
「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。少し地球に存在し、少し認識したということか? 
それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。我われは地球に、遊びに、働きに、
そして学びに来ているのである。「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。
                 (((。・-・)从ホンジャ
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2006年11月28日(火)
2065, あたりまえなことばかり −16
  b(^o^)d おっ W(^O^)W  はよー! ー♪

この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」という内容に関しては、
深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、
色いろな体験をしているからだ。父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。
{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、
まさに上記のとおりである。「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、寒気がしたのを憶えている。
ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。
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他者の死はなぜ悲しいのかー?
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、
記憶として存在する他者は、その限り、「存在する」。この存在の意味を考えてみよう。
死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、死んだ人はあの世にいると納得したのではなかったか。
心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。彼は「今」どこにいるというのか。
生きていたのは誰なのか。という、かなりの程度奇妙な問いが、押えがたく立ち上がってくるのが、ここである。
更には、「生きている」ということすら、肉体の所有と消滅で理解できるような自明な何かなのか。
肉体として消滅してなお、死者は生者の記憶として存在する。死者の記憶を心に抱いて、生者もまた死者になる。
それなら、その人が存在したということはなかったことになるだろうか。そんなことはあり得ない。存在したことは存在する。
すなわち過去は現在である。 全過去はこの現在に存在しているということだ。
全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で、存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」存在するのではない。 記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。
  ー2009年11月28日ー字数制限のため削除ー

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2005年11月28日(月)
1700, 人生の価値についてー2  (*´o)*ゞふぁぁ

このHPの維持も、「退屈と不安の解消が目的か?」と、問われれば、「目的ではないが、手段である」が答えになる。
退屈に対して、これだけ赤裸々に抉っているのも珍しい。「小人閑居して不善をなす」というが、閑居に対する姿勢が
小人かどうかを決めるのだろう。閑居は何か悪いように錯覚するが、逆に最も大事なことである。
アラブの遊牧民は、閑居を第三の時間ー瞑想、仕事と遊びと、そして休みの時間)として、一番大事にしている。   
第104節の「人生の退屈そして不安 」でさらに、生きるとは何かをさらに掘り下げている。
 何ヶ所か抜粋してみる。
                       φ(・_・)
 ードストエフスキーはシベリアの徒刑地で、
   懲役の労働が囚人達に苛酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。
    つらさという点では農民の方がよほど苛酷なはずだ。
     しかし、農民には自分のために働いているという目的がある。
      だが懲役の労働には目的も意味もない。
      それが刑罰の刑罰たるゆえんである。
 ー彼は囚人達が「意味の無い労働」でない、
   例えば家を建てる仕事を与えられると、
    にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。
     強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、
      刑期が短くなるわけでもない。
       それでも囚人達は少しでも具合よく、良い家を仕上げようと
        一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、人間の生きる目的
         ということの秘密が宿っているのではないだろうか。」 
      この節で、人間の日々の行動に何らかの目的があることの重要性が説かれている。
    ‖┓  ((  
  (_)   匚P 
   ━┻    
 ードストエフスキーは次のようにいう。
 「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、
  それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、
   土の山を一つの場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻す
    というようなことをさせたら・・・・
     囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、
      でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思って
       どんな罪でも犯すだろうと思う」     ヽ(゜Д゜;)ノ!!  
 ーわれわれの暮らしや仕事もまた、つきつめて考えると
  「一つの手桶の水を他の手桶にあける」
   作業の繰り返しのようなものだと自嘲せずにいられぬ一面をも具えている。
    しかしそれを刑罰とも感じないし、苦痛とも感じないのは、
     我々が鈍感だからということもあるが、毎日の活動の中に、
      なにか物を作る行為にも似た行為によって自分で自分を生かす目的なり
       意味なりをいつの間にか黙って自ずと見出して、その日その日の自分を
        無言のうちに支えているからだともいえるであろう。」
以上からみて
 人間が生きるということは、
 ・死を直視するのを避けられる生活で
   ・「時間を短く過ごす」事の出来るような行動を求めて    
    ・その中に意味や価値を見いだせる行動と思い込んでいるに過ぎない
      ということになるが、人生をかけたライフワークの裏面は、
        そんなところかもしれない。
                        (^┰^;)ゞ
・・・・・・・
2004年11月28日(日)
1335, 「おカネの発想法」 ー読書日記−2
 ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー

 ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。
そのおカネが受け取ってもらえるのか、それとももらえないのか、というところに、おカネであるか否かを
峻別する本質があるというその性質がおカネにとって最も重要な「一般受容性」なのです。
おカネが増えるとしたら、それはそのおカネを使ってビジネスをする人がいるから増えるのです
 ー株式会社の株式を所有していると、万が一倒産したときに投資がパーに
なってしまうということを「リスク」と呼んでいるのであれば、
株式会社に勤めることはもっと大きな「リスク」である。
 おカネの発想法に基づく株式投資
・どの株式会社がうまくいくかわからないから、いろいろな株式会社に分散投資することによって、
 全部が全部ダメになるということのないようにしよう
・二〇銘柄に分散→「転職してみたい会社の株式」がお勧め株式投資における究極の目的は、
 おカネを儲けることではないのです。 株式投資の究極の目的は、人を動かすパワーを手に入れるということ。

ーおカネというツールに頼らないコミュニケーション能力を持っている人はおカネが要らないということなのです。
おカネがなくとも、他人を動かせる人には、おカネは不要なのです。おカネに頼らなくとも、自分の好きなモノが
手に入る人には、おカネは要ない。めざすべき究極の姿は、「自分自身がおカネになる」ということ。
コミュニティとか、仲間とか、人望とか、信頼性とか、信用というモノはカネと同じなのです。
そういうおカネをどういうふうに獲得していくのかが極めて重要なのです。
おカネは、インフレで価値が減ってしまいますが、コミュニティとか、仲間とか、人望とか、信頼性とか、
信用というモノは、インフレによって影響を受けません。逆に、そういうときこそ、真価が発揮されるに違いありません。
『金持ち父さん貧乏父さん』の教えには反してしまいますが、まずは仕事をしておカネを稼ぎながら、
自らを鍛えなければなりません。何も他のことは考えずに一二〇%の力を現在の仕事に注ぎ込むべきである。
節約ができる人は、意志が強い人です。自分の行動を自分でコントロールできる人です。
外部の雑音や他人の行動に惑わされることなく、自分の意志を貫ける人です。そして、意志が強いということは、
財産形成で成功するために不可欠の要素なのです。複利を味方につけられるかどうかが、あなたの財産形成の成否を決定づける。
財産形成のメインエンジンは、仕事からの収入→最も重要な投資は自己投資。
財産形成のスピードをアップするためには、仕事で成功することが一番重要(中略)株式を売買する前に、
まずは自分を磨く――それが財産形成の王道です。

 ーーー
ー以上が抜粋である。
書き写すに(前回分を含めて)2時間近くかかったが、戒めのためだ。

日本にバブルを起こさせたのも、アメリカの強引な景気浮揚と称して大幅な日銀発行を押し付けためである。
そして、株価の操作で日本株の暴落を図ったり、連銀のドル操作などで日本を骨抜きにしたのもアメリカの操作である。
さらに自国に都合の良い格付け機関をつくって、日本の株価を叩き落していった。
そして、その美味しいところを買いあさっている。我われの国庫から、アメリカの国債を買わされて、
その国債の価値を落とすのだから、「インチキ・ルーレットで胴元が操作をして全て巻き上げている」ことと、
どこが違うというのか。アメリカの従属国家として、第二次大戦後に恩恵を受けてきたことも事実である。
日本が二分割されて北朝鮮のようになっていたことを考えれば、これでも仕方がないのか?という、
日本独特の諦念がある。アラブが怒るのもわかる。世界の石油の決済の殆ど全てがドルでおこなわれている。
アメリカの紙切れで、石油が全て持ち出されているのだから。彼等の質の悪さ?も手伝って、それをモノの再生産に
投資できない事情もある。その対極の日本も、稼いだ金をドルとアメリカ国債に半強制的に替えられているに
すぎない。アラブの人たちと大して変わりはないのだ。ユダの世界戦略の一環でしかない。
ー以上であるが、80対20の法則でいう殆どの要点はここに書いた。
あとは、本屋の立ち読みで充分である。但し、その意味を噛み砕いての話だが。

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2003年11月28日(金)
968, 「企業の人間的側面」

以下は字数の関係でカット
この後は、分類のコーナーの検索に「X理論とY理論」と入れてください。
ー2007年11月28日ー削除

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594, パソコンの恩恵
- 2002年11月28日(木)

毎日飽きずに、こうも書けるか種明かしをしよう。パソコンのおかげである。
会社の机の上と、自宅の居間のパソコンの存在のおかげで、パソコンが無かったら絶対に不可能である。
何か思いついたときパソコン内のメモ帳に書きこむ。それに気楽に書き足していくのである。最後に適当にテーマを
書いて保存しておく。反対にテーマを思いついたら、まずはテーマと思いついたことを2〜3でも書いておく。
特に一番リラックスしている夕食前後に面白いテーマやキーワードが出てくる。
10秒もしないうちに書ける休止状態にしておき、遊び感覚で打ち込む。
これで飛躍的に文章力と量が増えたのだ。 その場が一瞬に書斎に変わるのだ。
更にパソコンのよいことは修正と追加が軽くできることだ。順序も考えないで、思いついた事が打ち込めるのだ。
後で順序を並べ替えればよい。そのプロセスは思考である。そうするとパソコンは思考機械になる。
これが紙に書くとそれ自体で気分が重くなる。さらに書きなぐっていると、頭が混乱してくるのだ。勿論大切な事だが。
ポイントはテーマなどは後で面白おかしく書き換える事だ。毎日書き続けて解ったことは推敲の回数を重ねるほど
文章は良くなっていくことだ。文章上達はそれしかないといってよい。それがパソコンの場合簡単にできるのである。
話しは変わるが随想日記の最大の読み手は実をいうと私なのだ。数ヶ月前のある日の随想日記を突然ランダムに呼び出して、
毎日のように読んでいる。その都度、こんなことを書いていたのかという驚きがある。
これは自己対話をしていることである。あるいは自分を深耕していることにもなる。これもパソコンだからできる。
書斎に移動して読む必要はない。我が家には書斎はない、いや必要ないのだ??
この一年半で、自分の文章力が飛躍的に向上した。これは毎日文章を書き続けたことと推敲を毎日重ねたおかげである。
その最大の武器がこのパソコンである。 それとホームページのおかげだ。
誰かとつながっているという動機づけがあったからである。パソコンは知的玩具です。 痴的にもなるが?!


3158, 金を通して世界を読む  −1

2009年11月27日(金)

「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)

 このところ、金の価格が動き始めてきた。年初からみると、4割の上げで3500円。
銀が9割上げていることからみて、まだ上がるという強きの見方が大勢である。
この本、半年前に買って目を通したが、あまり積極的には読んでなかった。
 しかし、ここで新聞などで金の値上がりが報じられたこともあり、再び読み始めたが面白い。 
   まずは、その一分内容を書いてみる。
・ 投機を目的とするか、投資なのかをハッキリすべし。
・ 金は一般的に「有事の買い」といわれるが、実は「平時の買い、有事の売り」である。
・ ドルは200年、金は2000年の通貨の歴史がある。
・ ドル発券国のアメリカの外貨準備に占める金の割合は70パーセント以上。
  中国・日本は1パーセントに過ぎず、巨額のドルを保有。欧州のドイツ、フランスは50パーセント以上。
  中国の金の生産量が南アを抜いて世界一位。その日本は、金が高騰すると、貴金属のリサイクルが進んで、
  一転輸出国になる。 これは国力衰退の象徴である。
・ 金は30年前の5千数百円をピークに停滞が続いたが、10年前の1999年から長期上昇トレンドに入っている。
  10年前の底値は250ドルである。現在は1200ドルに近いので10年で5倍近い値上がりになる。
・ 実物資産の不動産と比較すると、金には 
  *固定資産税がかからない。 *売買市場が完備されており、日々の価格も外為同様に公表される。
  *小分けが出来る。 *資産の隠匿手段として最適  *利息などキャッシュフローを生まない。
   しかし、これがアラブなど中東の金持ちにとって、アッラーの教えに反しないので金保有は都合が良い。
   〜〜
 以前にも少し「金」について取上げたが、金といえば商品取引業者の餌食になる「金の投機」が思い浮かぶ。
 目先の動きの先物で利ヤザを稼ぐ際どいもの。 著者は、その道のプロだが、長年の結果が8勝7敗だが、
 そのプロ筋では8勝の結果は評価は高い。金投機のプロは8勝7敗で生き残り、7勝8敗で消えていく世界。
 その8勝と7勝の一勝の差は、「損切り」。 問題は負けが込んでいたときに、いかに手早く見切るか、
 それが出来ないという。 今に戻ると希望的観測を持ちたがるが、よほど強い意志がないと出来ないという。
 だから、相場のプロも自分個人の資産運用に関しては純金積み立てと決めている。
 相場に魔法の杖がないことを骨身にしみているので無益なゼロサムゲームには、参加しない。
 仲間のデーラーも同様だという。 そういう世界が投機筋ということだ。 恐ろしい世界である。
                                    ーつづく
 ・・・・・・・・
2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
2008年11月27日(木)

 「自分を大切にするものは、他人も大切にできる」とするなら、「自分を大切にしないものは、
他人も大切にしない」ことにある。こういう人間、本当に多いよな〜、と思っていたが、じゃあ、御前さんはどう?
と言われると、酒飲みすぎて、命を縮めているじゃないか。そして酒の勢いで他人を傷つけているじゃないかい?と
言われれば、成るほど、納得する。「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」(ユダヤの諺)は、至言である。
 ーーー
「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」−2 
                           読書日記
【第一の法則】
  自分を大切にするものは、他人も大切にできる。

「自分が ありのままの自分でいられるような人生を 謳歌するためには、
音楽家なら作曲し、 画家ならば絵を描き、 詩人であれ1ざ詩を書くのだ。
自分の命にそった生き方を選ぶことが、人間にとって、もっとも自然な姿なのである」 エイブラハム・マズロー
 ー
「無理して人と違う自分を演じようとする必要はない。
良い結果を出そうと頑張れば それだけでじゅうぶん人とは違う自分を演出できるのだ」 アーサー・フリード
 ー
「盲人の国では片目の男は王様だ」    ユダヤ人の友人のことば
 ー
「自分を信じるのだ。 自分の力は、自分が思っている以上に あるものだ」     ベンジャミン・スポック
 ー
「自分に対して とことん正直になること、それが心身に良い影響を与えるのである」 ジークムント・フロイト
 ー
「いつも自分一の外側に、カや自信の源があると信じて捜してきました。でも、本当は自分の内側から 
 にじみ出てぐるものなのです。 いつだって 自分の中にこそ、強さや自信の源はあるのです」 アンナ・フロイト
 ー
「世の中を敵にまわして戦う時は、世の中につけ!」        フランツ・カフカ
 ー
「よく、あの人はまだ自分を探し終えてない、などという人がいるが、
   そもそも自分とは 探すものではない。 みずからが創り出すものである」 ユダヤの諺
 ー
「みんなにイイ奴とは、誰の友達でもない」  ユダヤの諺
 ー
「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」   ユダヤの諺
 −
「わたしのモットーは、心に生じる罪悪感を 決して疑わないこと」  フランツ・カフカ

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2007年11月27日(火)
2428, 自分を理解するため他者・コンピューター −2
                                才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、
人間固有の特徴として逆照射されたが、今度は特有の特徴を凝縮したコンピュータから
人間に向けて照射したら何が浮かび出るのだろうか。 
この数日、コンピューターから人間を照射した、動物と人間の差異は何か?を
自分の頭で色いろ考えてみた。 
・喜怒哀楽の激しい感情、
・欲望の過大性、
・自らの知恵で環境を変える能力、
・考えることを考えるー哲学をする能力、
・新たな他者としてのコンピューターを使い、支配する能力、
・言葉を持ち、それを書き写す能力、 
・自らの意思を持つ能力、
・自らの神を創造する能力、
 を持ち、それ故に自ら自然界を道連れに消滅する宿命を持った動物である。 まだまだ幾らでもあるが、
 私が今考えた「動物と人間の境い目」である。そうこう考えると、やはり動物とは違う存在である。
 更に人間は、この新たな他者を爆発的に発展させ、自らの周辺の環境に融合しだした。
これが良いにつけ悪いにつけ、次の大きな問題になってきた。 世界が一変しだしたのである。
 −前回のレポートの続きである。
   ーー
 *現実感を変えるバーチャル・リアリ一アイ  ーコンピューター
                           黒崎政男(哲学者)
そして、今日では、コンピューターと哲学をめぐる聞題群はさらに広がっている。1980年代から始まったコンピューターの
パーソナル化は、予想を超えた速度で進行し、コンピューターはあっという間に個人的生活の内部にまで浸透した。
コンピューターは、もはや、われわれに脅威を与える他者という遠い距離に留まるのではなく、完全に環境として
われわれを取り巻くようになった。 そしてさらに、コンピューターとわれわれの関係はさらに密接になっていき、
〈われわれの外部としてのコンピューター〉という性格さえ危ういものとなっていく可能性が出てきた。
つまり、現在さまざまな形で間題となっている〈バーチャル・リアリティ〉である。
われわれわれは、今やそれをわれわれの身体の一部として、あるいは頭脳に一部として
組み込もうとしているわけである。その意味で、人問とコンピューターとの結びつきは、もしかしたら、
着実に進行しているのだろう。それは、脳に直接機械を埋め込むという、ミンスキー教授が言うような
原始的な方法によってではないかもしれない。われわれの環境が、電子的に媒介された映像などで満たされていくとき、
そして、人々のコミュニケーションがほとんど電子的な媒介によって営まれるようになったとき、われわれの現実感の変容
という形で、それは進行していく。コンピューターは、人間とはなにか、を逆照射してくれるあらたな他者として、
今日、きわめて意味深い存在者なのであるが、今後、人間は自己規定をどのように遂行していくのだろうか。 
あくまで、人間性にこだわっていくのか、それとも、そんな課題は放棄してしまうのか。興昧は尽きないのである。
 −−
10年先、いや5年先さえ、想像すらつかない変容が待ち受けている。
 それを見るだけでも現代に生まれた良かったと思っている。
                         ヽ(。・c_,・。)ノ バイ
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2006年11月27日(月)
2064, あたりまえなことばかり −15
           o( `▽´ )Ψオハヨウ!           
7歳の頃、一番上の兄が死んだ時に姉に「死んで兄ちゃん、どこに行ったの?」と聞いた。
そのときの姉の答えは、「白い馬になって、空の上の昇っていたいったのよ」であった。
数日後、兄が白い馬になって空に昇って行った夢をみた。
子供ながらに、その時の両親と兄・姉の悲しみは敏感に感じ取っていたのだろう。
こういう経験を重ねて、死は怖いもの悲しいものという先入観が植え付けられたのだ。
亡くなってから何度か「どこかに行っていた兄が帰ってきた夢」をみた。
空の彼方からというより、そのつど事情が変わっていた。兵隊から帰ってきたり、旅行より帰ってきたり・・・
人は元気で長生きをしなくてはならない。世界も、自分も変わっていく。それは遥かに予測や想像をこえている。
いま、ここは全てである、しかしその全ての背後に得体の知れない世界がある。
それを知りえるには、変化していく自分の世界と経験の蓄積の範囲でしかない。    
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
ーーーーーーーーーーーー
言語と論理に即して考える限り、「死は存在していない」。自分の死は言うに及ばず、他人の死すら「見つからない」。
しかし、だからこそ、「他者が死ぬ」とはいったいどういうことか悩ましいなぞとなる。死は存在しないが、死体は存在する。
他者の死体の存在によって、現実の出来事になる。死の境によって動いていた体が動かなくなる。この変化の意味、
これが理解できない。理解できないまま、死体は然るべき手順で処理され、無くなる。
死体として存在していたものが、もう触れることも出来なくなる。我われが他者の死を理解したと思うのは、
やはり物理的肉体の消滅、その確認ということだ。逆にいえば、物理的確認がなければ、我われは「その人が死んだ」
ということを、どこまでも理解できないことになる。人類における葬式、葬送の儀式とは、この、理解できない他者の死を、
理解しようとするための方策に他ならない。文化的社会的なけじめを与えるのでなければ、我われは「その人が死んだ」
といえない。
(字数制限のためカット 09年11月27日)
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2005年11月27日(日)
1699, 人生の価値について −1    −読書日記 
 
 『人生の価値について』西尾幹二著 新潮選書  (-_ゞnemu  (~O~)ふぁ
 
 この本では、どうしたら人生に成功するかという、いわゆる人生での成功の秘訣や、いかに生きがいを見つけるか
  といったことは書かれておらず、生きがいとは何か、成功は価値に等しいのか、が述べられている。
  成功失敗、幸福も不幸も、希望も絶望も、生も死も、結局は同じものの二面性にすぎないという。
 「人生は偶然に支配され、何が起こるか分らないからこそ、生きるに値する」という、宿命を認めているところは
  本人の人生体験を重ねて深いところを見据えている。
  104節からなる各々の文章が、どれを読んでも解りやすい文章で読者を深いところで納得                             
 ー90節の「希望について 」が、心に残った。
 重病患者ばかりが入っている病棟に入院したときの著者の記述が鋭い。
 著者がそこで不思議に思えたのは、明日にも死ぬかも知れない人々にも「社会生活」があることである。
 余命幾ばくもない患者たちが、日常のささいなことに心をとらわれていることである。
 明日の命も知れぬ人が、ナイター中継に夢中になっていたり、同じ病室の人に悪く思われないように
 気をもんでいたりすることなど、「死」という大きくて困難な問題を直視しないようにしていることを知る。
    Σ(゜Д`;)ア…ア…アッハァァァァァァァァ?!!    死にたくない!
 このような経験から感じたのは 日々の小さな出来事に敏感になることで、困難で恐ろしい(死)を考えないで
 すむようにする人間のたくましい実態である。 パスカルはこんなふうに言っている。
 「人間と言うものは、どんなに悲しみに満ちていても、もし人が彼をなにか気を紛らわすことへの引き込みに
 成功してくれさえすれば、そのあいだだけ幸福になれるものである」また102節の「人生の長さについて」もよい。
 「人生は快楽や楽しみごとや不安や緊張や困難で、いっぱいに満たされているのが通例である。
  だから時間は素早く過ぎていく。しかしそういう物を何かの偶然で突如欠いてしまうと、時間はとたんにだらだら
  と怠惰に流れ、退屈という新しい苦痛が発生するのである。 時間はそのさなかではむやみに長く感じられる。」
                          (′O`)hima〜
 「今過ごしつつある時間を長く感じることを人間は一途に嫌悪し、これを避けようとするのだ。
  できるだけ時間を短く過ごすことが生の確証であり、生きがいの充足をしていると思っている。」  
  著者は「あらゆる人間の行動はすべてその人の暇つぶしである」と述べている。
  この人間の行動というものの中には仕事や家事、学術的な研究まで含まれる。暇であるという状態は、その人に
  自己の生の無意味感を与える。それを感じたくないがために、我々は何かを行っていなくては生きていけないのである。
  何かこの辺を読むと人生とは何ぞやとか真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。
                         
 ・・・・・・・・
 2004年11月27日(土)
 1334, 「おカネの発想法」ー読書日記

父が末期ガンで死期を悟った時、私に意味深のことを言ったことを思い出す。
「紙に一千万と書いて、この一千万と通帳の一千万と自分にとって何が違うだろうか。
 今さら一千万の現金を手にとって使おうとしても何に使えない」 と。死を目前にした父にとって、
いくら現金があろうが、それが何にもならない。お金も、元気なうちに使わなくては価値がない。
「使えるから価値があるので、使えないのは価値がないのと同じである!」と言いたかったのだろう。
好きな事業をしてきて、地方としては戦前・戦後と二つの時代に渡って成功をしてきた人である。
そして、道楽も幾つか持ち人の数倍も人生を楽しんでいた。「全く同じ人生を、いま一度生まれてきた繰り返したい!」が、
父の最期の口ぐせになっていた。父は事業の恐ろしさを知り尽くしていたので、最悪のヘッジとして不動産や、証券や、
古道具や、現金にして溜め込んでいた。 しかし死を目前にして、何だったのか疑問を持ってしまったようだ。
反面、事業をしていると、資金は命の次に大事であるとを思い知る。会社の血液である。
「ある日突然、思いもよらない時代の激変が起こって裸になってしまう!」ことが、経営の宿命である。 
そのため、経営はそれに備えて置かなくてはならない。 しかし、あるところまで生きてきたら、
生き方そのものを転換をしなくてはならないことを、その時に父から教えてもらった。
ーー
ーーこの本の印象に残ったところを抜粋してみる。
ーあなたは、おカネである金貨を大きな袋に詰め込んで船に乗り込んでいます。
ところが、乗っていた船が激しい嵐に襲われて、船を捨てて避難しなくてはならなくなりました。そこであなたは、
金貨の袋を腰にくくりつけて海にとびこみました。海底に沈んでいきながら、あなたは人生を振り返りこう思い悩みます。
私はお金を所有していたのか、それとも、お金が自分を所有していたのだろうか、・・・と。お金は所有するものであって、
所有されるものではありません。 お金に振り回されないためにも、お金を所有することの向こうにあるはずの
リアルなコミュニティの重要性に気づくべきです。
 ーー
ーヤップ島の石のおカネの話と我われの通貨とどこが違うというのか。
ヤップ島には、車輪のついた乗り物がなかった。したがって、道路も整備されていなかった。
そこで、、1898年にドイツ政府がコロリン諸島をスペイン政府から買取り、所有権を引き継いだ時、荒れ果てた道を
修繕するように通達を出しました。ところが、全然修繕が進みません。そこで、ヤップ島の通貨として
指定したドイツマルクで金を取ろうしたが、島民達は、笑うだけで自ら修繕しようとしません。
そこで一計を案じました。通達を出した村や町に役人を送ると、価値ありそうな現地の通貨の「フェイ」に「×印」をつけて、
政府所有にしたのです。この政策がウソのように効果をあげ、ドイツマルクに対して、何とも思わなかった島民は「フェイ」
を失ったことを悲観して、ひっしに働きだした。 修繕が終わると、政府は「フェイ」に書かれた「×印」を消して回りました。
島民たちは自分達の財産が戻ってきたことを心から喜んだという。ヤップ島のひとを笑うのは自由だが、本当に笑えるだろうか。
というのは、私達がお金と信じている預金通帳のデーターも、本質的には「フェイ」に書かれた「×印」と大同小異だからだ。

・・・・・
2003年11月27日(木)
967, PDPテレビをいれて一年、の感想

 一年前の随想日記を振り返って読んでみて、PDPテレビをいれて一年経ったことに気づいた。
丁度その頃、会社の近くにDVDのレンタルショップが開店したため毎週のように借りて見ていた。
オーバーにいえば、そこの見たい映画を殆ど見てしまった、といってよい。普通のTVがハイビジョン並みの画面である。
それと画面の大きさが一番のポイント。映画館にいっているようで、綺麗で迫力がある。
その為、劇場中継や音楽番組や自然紀行などの番組がすばらしい。 次の世代は「実際見るよりより綺麗な画像」
になる可能性があるという。 人間の眼よりも世界を鮮明にとらえてしまうのだ。プロの使うカメラの世界は、ずっと前に
その段階まで入ってしまっている。これからは映像の世界がそうなるというから、想像を超えた世界になるだろう。
PDPの値下がり幅がもっと進むと思っていたが、それほど下がってない。しかし「カタ落ち」では1インチ一万円
(50インチー50万)に近づいている。価値はあるかと問われれば、「充分ある」というのが答えである。
「36インチのブラウン管のハイビジョンと変わらないのでは?」といえば、そうではない、それなりの価値はある。
来年から爆発的に売れ出すであろう。3年後、1インチ5千円あたりが落ち着きどころだろう。
それよりも一緒に買ったDVDがよい。ハードに録画を貯めておくのが非常に便利である。
DVDに録るということは皆無である。どんどん録って、見て面白くないのは消去できるからだ。
あのビデオの物理的な煩わしさから開放されたのが良い。


3157,つれづれにー 閑話小題

2009年11月26日(木)

  * 金か〜
 金の動向が気になってはいたが、一月前あたりからジワジワ動き出してきた。
金が上がるのではなく、他の貨幣が下がるのだという理屈は言いえて妙である。
住宅価格下落をよんで、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を中心とした
ファンドを始めるという。彼のことだから、3〜5年の最低のスパンで金に兆単位を投資するというのだから、
ズッシとくるのは当然である。 恐らく、2〜3倍の高騰を予測しているのだろう。
銀も、一年前から高騰を始め、年に90パーセント以上も値上がりをしているというから、
銀に正比例すると、金はまだ40パーセントというから、50パーセントの値上がりが見込めることになる。
そうはいかないのが、相場の世界の恐ろしさである。 まあ、どうなることやら。
  〜〜
 * その時、犬が吼えた ワン!
 まだ忘れることが出来ないが、ウソのような本当の話がある。
学生時代のドイツ語の授業のことである。 ドイツ語を日本語に誰かが訳していた時のこと。
「そこで犬が吼えた」と訳した時に、ハカッタように何処かから犬が「ワン!」と吼えたのである。
部屋中、教授も含めて大爆笑だった。 あれほどの面白タイミングの面白い偶然は、後にも先にもない。
あれから44年もたったか。年齢を重ねると、一年前も、50年前も同じようなものか。
  〜〜
 *「ランチョンテクニック」
 食事をともにした相手に心を許しやすい心理傾向を「ランチョンテクニツク」という。
我われは自律神経が午前中と午後とでは働きが違うが、これは人類がまだ狩猟生活に明け暮れていた頃の名残で、
「交感神経」が「闘争と逃走」を、「副交感神経」に、午後は「休憩と食事」のモードを司っているからである。
つまり朝から昼にかけては論理が支配する「論理モード」に、夕方以降は「感情モード」になっている。
 これをさらに応用すれば、ランチ時は「論理モード」なので、契約や提携などビジネスモードのシビアな話をしても
「ランチョンテクニック」で緩和される。 そして「感情モード」の夜に食事をする相手は、ビジネスの話はそこそこに
親密度がアップする接待モードが効果的になる。 だからロジカルにビジネスの話を進めようとする外国企業はランチを
共にすることを好み、取引先との人間関係を大事にしたい日本は夕食を共にしたがる。
 そういえば、自分をみるに、朝一番には、この随想日記の最後の仕上げをし、出社した後には前日の数字を見て、
新聞と手帳や手書きの日記帳に何やら書きつけ、それが終わると遊びモードに入ってしまう。
自由に気ままにインターネットをしたり、本を読んだり、とにかくリラックスをして考える。

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2792.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・1
2008年11月26日(水)

 ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ  −1
    「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」
                           スティー ブ・モリヤマ (著)
 この本はユダヤ民族に流れる哲学や思想が151の名言・フレーズとして紹介されている。
図書館で借りてきて何気なく読んでみたが、中味の濃い内容が次から次へと出てくる。
ユダヤ流「成功のヒミツ」は、ビジネスの成功者やノーベル賞受賞者は人口比でみても多いのですが、
ユダヤ人の成功哲学には、「金儲方法」の類はまったく見当たらない。実践の結果として、財力や知性が身につく教えが多い。
彼らに一貫しているのは、「知識」ではなく、「知恵」に対すこだわり。 
彼ら成功者たちは、先人や親からのそうした教えを自分で消化し、実践している。
 ー以下は、この本の説明文と、9つの成功法則である。
  〜〜〜
この本ではユダヤ流・成功法則を以下の9項目に分け、各項目に関連するユダヤ人成功者たちの名言を付記している。
各法則を一つ一つ文字でこと細かに説明するよりも・この方がより効果的に行間に流れているユダヤ哲学を伝えられるのでは
ユダヤ人は他人と差別化することを重視しているため、多種多様の解釈がでてくるが・読者の置かれている状況も
多種多様である以上、そのほうが具体的事例に当てはめやすいかもしれない。
●ユダヤ流・成功法則 1        自分を大切にするものは、他人も大切にできる。.
●ユダヤ流・成功法則 2        なんでも鵜呑みにするな1人間は鵜ではない。
●ユダヤ流・成功法則 3        口はひとつ、耳はふたつ。
■ユダヤ流・成功法則 4        カネを追うな!お金には追われるようになれ。
●ユダヤ流・成功法則 5       「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
●ユダヤ流・成功法則 6        失敗を恐れるな。やろうともせずに逃してしまうチャンスこそ、恐れるに値するのだ。
●ユダヤ流・成功法則 7        何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
●ユダヤ流・成功法則 8        無から有を生み出す喜びを知れ!それには「質問力」が大切だ。
●ユダヤ流・成功法則 9        笑ってツキと若さを引き寄せろ!
 〜〜〜
 これらの内容は、著者が過去十余年にわたってヨーロッパで働きながら集めた世界中のユダヤ人による
 名言の一部である。収集した約1万の名言の中から厳選したというだけのことはある。

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2007年11月26日(月)
2427, 自分自身に「なる」こと        
                (。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 人生を振り返ると、全てが自分自身に「なる」ためのプロセスのような気がする。
先日、小学校の同期会があったが、それぞれの生き方をしてきたとしても、突きつめてみれば
「自分らしく生きてきたかどうか」である。 人生の質でも濃さでもない。
そんなことは生きてきた、生きていることからみれば、些細なことである。
死線を何回か乗り越えてきた人、北アフリカとフランスに十年住んでいた人など、色いろな人生を背負った、
それぞれの人生を垣間みて、「人生で何をしたかより、その人らしい生き方をしたかどうか」
こそ、振り返った時に問題になる。  残るのは「本人らしさ」だけである。
以下は、『哲学の教科書』・中島義道ー の中の文章である。
 −−−
 ここに、最高の自己表現、誰にでも適性があり、かつ人生の最高目標に据えるにふさわしいことが一つ残されています。
それこそ、はじめに触れました(自分自身になる」というとです。 全ての人は個人なのだから、そのまま何もしなくとも
人生の最高目標をもう達成していると考えるなら、そんな甘いものではない。マザー・テレサは、視線を絶えず苦しんでいる
人達に向けながら、このうえなく「自分自身になる」ことを実現している。あるいは自分のよい個性を伸ばす事も
「自分自身になる」である。特別世間的には偉くなくとも、その人のそばにいるとホッとするような人や安心するような人は
どこにでもいるものです。しかし「自分自身になる」ことは、必ずしも世のため人の為になることを含意してはいません。
この言葉には「よいこと・悪いこと」といった枠を越えたもっと根本的な意味があります。
それは、「生きること」そのことを目標にする「生きること」そのことを問題にすると必ず「死ぬこと」
が影のようについてまわる。 前に紹介した禅の坊さんたちの修行の目標は、例えば白隠の「いつかは生死を離るべき」
のように、あるいは道元の,「生をあきらめ死をあきらめるは仏家一大事の因縁なりのように、「生死の区別」そのものを幻と
自覚するようなところにあるようです。最終的にはこうしたことに収斂することは認めながらも、しかし多くの若い人々は
必ずしもつねに,「生」、や「死」そのものに悩んでいるのではなくー
すでに見たように一就職とか結婚、あるいは自分の肉体とか性格など目前の具体的なことに悩んでいるのではないでしょうか。
そこで、次にこうした悩みについて考えてみます。 私はいかなる(いわゆる)些細な悩みであれ、本人がそれを悩むかぎりは、
彼〔女)にとって悩む理由はあると思っております。 いやむしろ、(いわゆる)些細な悩みであればあるほど、
誰もそれを真剣に取り扱ってくれないゆえに、本人の内部でいつまでもくすぶり続けるのです。 では、どうしたらよいか。
ある欠点に悩む人はその欠点を消去ないし改善するのではなく、それをー変な言い方ですがー「伸ばす」ことです。 
ーー
著者の事例が良い、「長谷川町子からサザエさんを、美空ひばりから演歌を取ったとしても、
本人が生きたことから見れば些細なことでしかない。」それを死期を悟った時に、本人が一番気づいたはずである。
 著者は、これまでの価値観を根本的に揺らぐようなことを平気で述べる。
 それだけ生きるということ自体が価値があるということだ。 
 少し考えれば、当たり前のことだが、その当たり前のことに気づかない!だけである。 
                  *´・ω・)ノ バイ!
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2006年11月26日(日)
2063, 親戚の交通事故

一昨日の夜20時過ぎに家内が柏崎の実家の近くに住む妹に電話をしたところ、彼女の連れ添いが交通事故にあったという。
「入院中の義母が、数日前から具合が悪い」という連絡が数日前に義妹から入り、私と見舞いに行く打ち合わせの電話をした時に、
その知らせを聞いた。 「数時間前に亭主が交通事故にあい、病院で手術中」という。
昨日の朝さっそく病院に行き、集中治療室に入っていた本人と話したが、身近の人の重傷の交通事故の人は初めてである。
顔は倍近く腫れあがり、脚は二箇所骨折、来週ふたたび手術という。 首の骨も折れているという。
たまたま、義妹と家族が買い物に出ていたが、頭はしっかりしていて、見舞いのお礼をいっていたが、正視できない姿であった。
オートバイで直進していたところ、交差点で右折の軽自動車と激突。意識不明のまま、救急車で運ばれたという。
タバコも吸わず、酒ものまず、「家業の自転車屋と、社会保険労務士と、貸家、貸し駐車場を経営、真面目を絵に書いたような人。
今まで事故も一切起こしたこともなく性格どおり平穏な人生であった。人生何が起こるか解らない。来週の手術次第で、
どうなるかは今のところ解らないとか。私が同じ状況なら、誰もが、「ヤツも、やっと罰が当たった!ざまをみろ」と、
異口同音言われるだろうし、それも肯けるが・・ 交通事故は車を運転している限り、一生のうちに、平均すると
重傷の人身事故(軽傷から死亡事故までを均すと)に出合うという。車や、オートバイで人を殺傷してしまったという話は、
何度か聞いたことがあったが、本人が重傷のケースは初めてである。二十年ほど前に日光街道で‘ありがとう右折’で止まって
くれた車の後ろから直進してきたきたオートバイを撥ねたことがあった。撥ねた瞬間、その場面がスローモーションのように
展開したのが脳裏に鮮明に残っている。ボンネットにライダーが宙返りをして、バッタと、かぶさった影像である。
たまたま人身事故にはならず、オートバイの損害保険程度で済んだが・・一期一会は、決して感激・感動・感謝の場面だけではない。 
家内がいった、「事故の前に時間を引き戻したいでしょうね!」という言葉が、印象的である。

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2005年11月26日(土)
1698, 辺境へ −3

この本の内容とは、少し違うが私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。
(辺境というよりむしろ、異境ー‘Σq|゜Д゜|p ワオォ ’という意味である。)
1、やはり一番は
   中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のインド側のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境のクンジュラフ峠
   〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール~イスラマバード。
   2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方
    3、南米のベネゼイラのギアナ高地
     4、タンザニア
      5、イスラエル
       6、北インド
        7、アイスランド
         8、ケニアのヌーの河渡り
          9、ネパール
           10、シリア・レバノン・ヨルダン
            11、エジプト
             12、モロッコ
              13、桂林
 (~O~)ふぁ・・       14、ペルー
              15、ブラジルのカーニバルと、イグアスの滝
   (以下、字数制限のためカット09年11月26日)
                                     (◎-◎;)!!
         一番辛かったのは、生理現象である。( ̄ω ̄;)!!
      時差と食べ物の関係で2〜3日 体調を崩す。それを恐れていては、何処にもいけるものではない。
     ただどういうわけか、強盗・窃盗にはあったことはない。ツアーの良いところだろう。
    大自然や異文化から受ける大きな感動や驚きからみれば、その前に立ちふさがる壁は踏み石でしかない。
   それだけ、素晴らしい景色と感動が待ち受けていた。 
 できる時に、できる事を、できるだけしておいて本当に良かったのが、実感である。
                    ヾ(^-^)ゞ
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2004年11月26日(金)
1333, 2000年前のポンペイ −4

遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に提示してくれている。
この世界のグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、驚きざるをえない。
( 字数の関係で、カット。あとは、分類の検索に載っています。)
  (2007年11月26日)
・・・・・・・
2003年11月26日(水)
966, 悪口についての一考察 −2

どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉がある。だから、その人の居ないところでいう悪口は楽しいのである。
これが人間の悲しい性である。4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。
片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を言っていたのがミエミエであった。
そして「人の悪口は楽しい!」といっている姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口である。
 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。虚飾などどうでもよい? 見えるのは
裸の猿の狂った姿である。大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。
人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。さらに、こういう社会学的な本が好きで
40年近くも読み続けているから知らないうちに外語化しているのだろう。
表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。同級生のスナックのママに説教をされたが、
その道のアマチュア? ということは知らないようだ。ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライドなど微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、「悪口はいけません」とのたまう。
 この二面性を持っているのが人間の姿である。 悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。
ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー
「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっているような奴」「子狐のような奴」「屑どもめ」
「仕事が出来ない」「気がきかない」「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」
「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス」 悪口はまるで無尽蔵である。
嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に渦巻いているドブから発するガスである。

 ・・・・・・・・・
 592,ーこころにのこった詩ー2
 - 2002年11月26日(火)
 ー兄弟ー びーと たけし

兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた
初めて見た外国の映画は何か悲しかった
ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ
兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に
殴られて、お金をとられた
帰りのバス代が一人分しかなく
兄ちゃんがおりた
僕はバスから飛び降りた
兄ちゃんと歩いて帰った
先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた
僕も泣きながら歩いた
 −−

これを読んで子供のころの出来事を思い出した
詩的に書いてみるー
小学校の低学年の頃、兄と歩いていた
兄が急に頭に手を当てた
帽子を取ると頭が血だらけだった
兄はそれを見て泣き出した
帽子に穴があいていた
すぐに誰かが空気銃を撃ったのが解った
近くに不良の中校生がいた
彼だろうと思った
兄の手をひいて帰った
その問題は大きくはならなかった
それから10年経ってその少年は殺人事件をおこした
ざまみろと思った
 −−
この文章を考えて寝たため昨日の朝、ビートたけしの兄弟の夢をみた。夢の中の対談で私が司会者だった。
たけしが兄にふざけて昔貸した200円を返せという。また二人で読んでいる新聞を取り合いをしている。
兄弟でいつの間にコントをしている。それがこの詩のように仲がよいのだ。
何か失われた家族を見ているようであった。
また自分の脳の想像力の凄さ単純さに驚かされる。自分でいっているのだから間違いがない。

・・・・・・
ある時間の断片 
          1968年
11月26日
9時15分に起床。10時半に学校へむかう。川崎と待ち合わせて、ノートを借りる。食事後川崎と「サルビア」へ行き話す。
「昔の彼女に会って婚約を知り、再び結婚を前提で付き合いたい」といったという。聞いていて馬鹿馬鹿しくなってきた。
「身勝手もいい加減にしろ」と思ったが、口には出さなかった。試験勉強をする為に、独りで図書館に行き、
その後再び川崎と食事をする。帰寮後、川崎に借りた本をうつしていると、駒村が来る。 少し彼と話す。
その後、炊事場で米林から、南波嬢と蒲生が何とやらと聞く。本当かどうか解らないが、もしそうなら南波嬢も
その程度の人かと失望をする。佐藤に知られなければ良いのにと心配だ。 佐藤は気が多い男だからだ。
その後、大妻の宮本さんがくる。宮本さんも面白い人だ。間中の「自他とも認める何」だから気楽に傍に寄せているが。
彼女が帰った後に、食事に行く。 その後、集中して勉強。 夜半0時に米林がくる。 
佐藤嬢とのノロケを聞かされる。彼は今は女性のことしか頭がないみたいだ。
不安なのだろう。 それにしても、シモの具体的なことを何故言いたがるのか理解できない。
後記ー 2003年11月26日ー 
 書き写していると当時をアリアリと思い出すものだ。そして、よくもまあ、色いろのことがあったものだ。
何事も忘れるから生きていけるのだろう。 日記に書いてなければほぼ全てを、忘れていることだ。
過去を振り向かないことを自分に課してきたが、このように思い出すのも面白いものである。


3156,デフレ・スパイラル

2009年11月25日(水)

 政府が先日、三年数ヶ月ぶりにデフレ・スパイラルに入ったと宣言をした。
この宣言は消費者の財布をますます閉めることになるが、賃金・GDPも17年前の水準まで落ち込んでおり、
購買が減るのは当然である。 そういう当ホテルの客単価もピーク時の3分の2である。 
ネット予約の顧客が全体の四分の一になっているが、破格値である。 そういう私も本の半分以上はアマゾンで中古本を買う。 
カメラや、ブルーレイ録画機も、健康機器も、電気自転車も、何でもかんでもネットで一番買い得のものを選ぶ。 
また週初めは通勤途上の新潟駅で、週末の売れ残りのバナナか、村上の牛肉の値下がり品を買う。 
家内は初めの頃は買ってくると怒っていたが、今では逆に頼まれる始末である。
 新潟駅駅ビルにビッグカメラがあるので度々、カメラや薄型TVを見にいくが、この数年で廉くなっているのが分かる。
先日、長岡のアピタの隣のシネマ館にいったが、60歳以上は千円である。 またユニの衣料コーナーで驚いたのが紳士服。
二着で一万五千円だったが、柄も生地も悪くない。 思わず買いそうになってしまったが、踏みとどまった。

 デフレ宣言を報じていた新聞をみていたら、紳士服の単価が一年で4割以上もダウンしているとあった。
家内がジーンズが好きで、微妙なカタチで購買を決めるというが、廉くても、その微妙な部分はチャンとデザインに
取り込まれていて悪くないという。  既に大手スーパーや百貨店などは、究極の消耗戦に入っているが、
こうなると弱いところに打撃は大きくなる。 その山が年末年始にくるはず。 ユニクロも、デフレを察知し、
60週記念売り出しで思いきった値下で先手を打った。 大盛況だったというから、他店の出鼻を挫いたことになる。
それだけ、ユニクロは大きな影響を与える存在のなってしまった。 企業にとってはデフレは厳しいが、
消費者の節約にとっては良いことになる。 しかしハイパーインフレが始った訳でないのが、まだ救い。
金(ゴールド)がジワジワ値上がりを始めてきた。大荒れの一現象だが、見逃せないことである。

 ・・・・・・・・・
2791, 新型インフルエンザ
2008年11月25日(火)

このところ、連日のようにTVで鳥インフレエンザの脅威について報道している。
60年か70年に一度は、必ずといってよいほど大流行が起こるが それが近々という。
世界で最大、一億5千万人が死亡、日本では60万人と言われているが、鳥インフルエンザH5N1型の場合、
感染の六割が死亡するといわれる。半数が感染した場合、三割とすると????万人である。(最悪の場合だが)
それは防ぐことは不可能で、何時起こるかの問題というから、深刻である。
新型インフルエンザの発生は、20世紀中に3回も発生して、大きな被害を出した。
そのなかでもスペインインフルエンザ(1918年〜1919年)が知られており、世界で人口の25%〜30%が罹患、
4000万人が死亡したと推計されている。飛行機のない時代であるにも関わらず、日本でも2300万人が感染し、
39万人もの人が死亡しました。(阪神大震災の約8倍)  当時の新聞によると、郵便、鉄道、電話などの
あらゆる社会システムが麻痺し、食料や熱さましの氷が高騰するということが起きたという。
題名を忘れたが、アメリカの、ある町で発生、あわや町中の人ごと焼き払う寸前にワクチンが発見され、
急場がすくわれた、という映画を観たことがあった。スペインインフルエンザは世界中に流行の波が到達するまで
6〜9ヶ月の期間であったが、現代社会は人口の増加や都市への人口集中、航空機などの交通機関の発達などから、
世界中のどこで発生しても短期間でまん延する。厚生労働省の発表によると、海外で発生してから日本に到着するまでの時間は、
2週間〜4週間程度と予測される。「新型インフルエンザウィルス」は動物、特に鳥類のインフルエンザウィルスがヒトに感染し、
ヒトの体内で増殖するように変化し、ヒトからヒトへと効率よく感染する。現在、毒性が非常に高い
「H5N1型鳥インフルエンザ」がヒトからヒトへと感染するように変化し、世界中に一挙に感染する可能性が高い。
鳥インフルエンザが人と人の間を空気感染する菌は、実験室の中で二回の突然変異で生まれたという。
これが世界のある場所で、何時発生するかは分からないが、世界的爆発的が発生することは間違いないという。
それがH5N1の進化したインフルエンザなら、・・・・・・。 恐ろしいことだ。タイミング的に世界恐慌とセットで、
世界を根こそぎ変えることになるが、結果として人口の多い中国が最後は生き残ることになる。ただ、中国共産党は跡形もなく、
無くなるだろうが。いや、こういう時ほど、独裁国家の方が政治形態としてプラスに働く。 やはり中国か?
そろそろ、準備を始めるか! それも年内に?  どうするのか?って、自分で考えましょう!  
ウガイとマスクのセットは売っている、ネットでも・・・  (この情報源はTVとネットで、間違いありません)
前門の狼、後門の虎である。 21世紀の玄関先は破壊と混沌から始ったようだ! 
  それに参加できることを喜ぶべきか、悲しむべきか?

・・・・・・・・
2007年11月25日(日)
2426, 「おばあさん」初体験
                   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
朝日新聞の「生活」のページのーひとときーという欄に切実な投稿があった。
家内が読んで、「もう直ぐこういう経験をするかもね!」と教えてくれたのである。
一年ほど前に山の手線で偶然にシルバーシートの前に立ったことがあった。
若い人が座っていたが、その時に「もしかしたら、席を譲られるのでは」という不安感に陥ってしまった。
結果として譲られなかったが、次の駅が来るまで頼むから譲らないでと願った経験がある。
少し意味が違うが、駅のスーパーの中の魚屋の兄ちゃんに、『そこのオトウサン、これ安くするから持っていってよ』
と言われて、睨みつけたことがある。『お前に、そこのオトウサンなど言われる筋合いはないわい』と思いつつ。
少しその場から離れて小声だが、『おっかねえ!』と聞えてきたが。
初めて就職をした時のスーパーの売り場に立った初日のこと、『そこの店員さん』と言われた時の衝撃は今でも憶えている。
『そうか!自分は店員になったのだ』と、初めて社会に放り出されたことを知った。
  −−
 *「おばあさん」初体験*
孫たちと川遊びに出かけた時のことだ。 釣りに興じる孫たちを見ながらひと休みしていると、
「おはあさん、おはあさん」と誰かを呼ぶ声が聞こえる。
振り向くと、私より年上と思われるじいさんが、なんと、私を呼んでいるではないか。
思わず「私のこと?」と聞いてしまった。 このごろ、とみに老け顔になっているのは承知していたが、
まさに「ひええっ」という思い。わが人生初体験のことだった。 だが第二弾はすぐに来た。
上野の宝物館で入場券を買おうと値段を尋ねた時だ。私の顔を見た女の人は「600円です。けれど70歳以上は無料です」。
その時は気づかなかったが歩き出してふと、そうかわざわざ70歳以上と言ったのは、私がその年に見えたからか、と気づいた。
日ごろ体力に自信ありの私だけど、見目かたちは年相応でしかないのか。 わかった。私は妙にすとんと納得した。
と同時に、すぐ決心した。形だけでも颯爽としたばあさんになろう、と。 そのためには着やすい服はバツだ。
薄いストッキングとスーツにバンプス。リュックもやめ。小ぶりのバッグだ。
「年寄りの冷や水」というけれど、こうなったらやせ我慢だ。背筋を伸ばして歩こう。
無理しないと限りなくだめになっちゃう年代だぞと鼻息荒いこのごろなのである。
(川崎市 神林英子 主婦 68歳)
 −−−−
投稿の女性は、かなりのショックのようだったが、遠くない将来、私も同じような経験をするのだろう。
最近、知人から「私も遂にオジイチャンになってしまった」という声を聞く。
               ( ̄∠  ̄ )ノ バイ!
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2006年11月25日(土)
2062, モーニング・ページその後!
        (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜

今年の3月半ばから始めた「モーニング・ページ」を相変わらず続けている。今年に入って新たに加わった習慣である。
何も難しいことはない、ただ起きざまに大学ノートに思いのまま書く。ポイントは、毎日必ず書くことである。
(以前にもかいたが)書き始めて8ヶ月、改善を重ねた結果、曼荼羅図のように中央にハートの絵を書いて、
周辺に9つの円を描いた中に書き込んでいく。健康コーナーや、 随想日記のヒントコーナー、 読書コーナー、
つれづれにのコーナー等々、 だいたい位置が決まってきた。大学ノートを横にして上下のページを朝一番に書き、
昼や夜に思いついたことを、その上に書き込む。内容が一人歩きするのかと期待したが、脳の排水レベルで留まっている。
書き連ねているうちに、思ったままのことをスラスラかけるようになったのが一番の収穫だ。
それと毎日ほぼ同じことを書いている自分に驚いてしまう。MP(モーニング・ページ)の習慣を40年前に、
いや10年前に身につけていたら、もっともっと豊かな人生をおくれただろう。
随想日記のように蓄積されていくうちに、知らずに何かが生まれてくる可能性を秘めている。 
起きて、真っ白の状態そのままで書くのが良いのだろう。一種の座禅、瞑想である。頭に浮かんだことを文に書き出すと、
浮かんでは消えている雑事を掬い取るのと同じ。脳の排水を小まめにしていることになる。 その排水の中に時には
砂金が入っていることもあるが・・夜半みた夢と、前日読んだ本の印象に残った書き込みがよい。
  この一日一文と、モーニング・ページは私にとっての生き甲斐?になっている。
 それと( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪も
                          (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月25日(金)
1697, 哲学マップ
               -読書日記
「哲学マップ」(貫成人 ちくま新書)が面白い。

哲学とはどんなもので,他の哲学とどういう関係を持っているかの地図を示そうというもので、
 切り口を変えた哲学史ともいえよう。 最近、哲学がますます面白くなっている。
 極限の自己対話の本音の部分と、過去の哲学者の自己対話との重なりに、自分の練りを今という瞬間に突きつめる。
 それが日常の足下を掘り起こし、日常の外に出ようとすることになる。 
 だから哲学は、常に日常の中でおこなわれなくてはならない。
 自分が鵜呑みをしてきたことが、どんな哲学の範疇であるか、そして、他の哲学からみたら、
 どういう関係にあるかしれば、その思い込みから自由になることができる。
ーこの本の大筋はー     φ(・ω・〃) ♪
 哲学の発想法といえば,
  1.全体を問題にする,  2.日常性から出る,
  3.形式的である, 4.方法についても慎重であるべきである、 
    の4つである。  
また哲学的な「問い」を次のように立てている・・
(1) 「〜とは何か」という問い (イデア:現実の二項対立でとらえる  プラトン)
(2)「わたしとは誰か、なにを知りうるのか」という問い (自我/対象、主観/客観の二項対立でとらえる  デカルト)
(3)第一と第二の問い組み合わせカテゴリーが人の認識メカニズムにアプリオリ-先天的-に組み込まれている、と考える
 (「経験に先立つ本質」 カント)
(4)「なぜそれを問うのか」という問い 価値を差異に還元して考えるニーチェである。(虚構、流動性 ニーチェ)
簡単に言えば、
(一)は「真理」への希求に関する問いであり、
(二)は、人の「認識」についての問いといったところか。
(三)については、「経験に先立つ本質」についての問い
(四)は「超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いによって生まれる流動性を肯定する」
   と書かれていることから、「流動性」(不確実性?)がキーワードになる。                  
20世紀の哲学は,               (*´o)*ゞふぁぁ…
 現象学, 言語分析, 言説分析, 精神分析, 実存分析, 構造分析
などの道具を使って行われている。大雑把すぎるが、この本の大きな柱になっている。      
                 (^┰^)ゞ
・・・・・・・ 
2004年11月25日(木)
1332, 23歳の日記−4
1969年 3月29日 ー四日市にて

勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。後方部隊の管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性。
今年配属された男子4名の他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。
それにしても、肉体的の限界の激務である。 寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外の食品スーパーに
配属されているが、話からすると、仕事の厳しさは本店の管理部は彼よりも数倍厳しいようだ。
部屋に帰ってきて、布団にバタッと倒れる状態である。それでも、既に数回同期の4人と三回も居酒屋に行った。
同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人だ。酒好きというのが共通点である。
いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。学生時代の寮の連中からみれば、地方大学出身の為
かすれてないのがよい。上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。
高卒で8年目だが仕事が出来る。我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。
今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。
純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての対応の仕方である。
傷つきやすい敏感な年頃である。 全く難しい。自分としても、どう気持を開いてよいのか解らない。
やはり、自分を取り払わないとわかっているが。それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。
本店には、300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が7〜8人はいる。
働く女性の姿が輝いている姿を身近にみるのは初めてである。 小説を見ているようだ。
それにしても良く働く、いや働かされている。
 ーー
 4月2日
どうも、若い女性を扱うのは難しい。他の三人は結構上手く、楽しそうなのに自分は駄目なのだ。
まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。何か焦りを自分に感じている。
取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。 次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。
そしてコード名を憶えよう。何か一日一日に追われているだけだ。統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。 
4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、受領書として相手方に送り返される。
この伝票システムが仕様書発注として内容が細かくないようが伝票にギッシリ書かれるのだ。凄いと思わざるを得ない。
 ---------
 2003年11月25日(火)
965, 悪口についての一考察 −1

 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマだからだ。
 昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、悪口を言ったことがないという。
 (所詮は勝ち組が言っているから注目している部分もあるが) それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
 本音でいうと 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には極力行かないようにしている。
 例えば、ライオンズとか商工会議所などである。痴呆名士志向の子狐的人間である。
  地方で頑張っている人はこういう傾向が強いから始末が悪い。 自分より肩書きや収入が多い人間には媚びへつらい、
 下の人間には尊大な人だ。まあ仕方ないのは解っているが。「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
 人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。自分を理解しろと必死になるが、
 嫌な人を理解しようとはしない。それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
 辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)いう言葉」とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。
 悪口とは事実に反してと書いている。 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で
 天国の門は間違っても叩かれないことになる。思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。 したがって根は深い。
 ただ自分で気がついてないのだ。 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。 本人に面と向かっていう悪口と 陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』              
                        ー続く
 −−−−
591, ある時間の断片ー13
  - 2002年11月25日(月)                
 ー 1968年 10月3日ー
9時半起床。 10時40分学校へ出発。 12時に図書館に行く。途中で石川と会う。
図書館で数人の人と話ばかりで、試験勉強が身に入らない。試験は予想どおりで、簡単であった。 
必死になったのが馬鹿みたいである。帰寮後、床屋に行く。 夕食後TVを見る。 今の自分が何かあるべき
自分とのギャップが大きい。どうかしているのではないか? 石川に今日言われた。 「かなりいいかげんだ!」と。
そうだ、新潟の六日町の禅寺の雲洞庵にいこう! これで遅れた分が取り戻せるだろう。このままだと、
その半分以下だろう。 この7日か8日にいこう。 そこで集中して卒論の大筋をまとめあげよう!
同時に人生の将来図ー目標とか理想をつくりあげよう。 イメージにまでにしてしまおう。
 ーーーー   
 11月25日(火曜日) 1968年
朝10時起床。 卒論のマトメをしたが中途半端であった。部屋に米林がくる。 彼もかなりクールのようだが。
佐藤嬢との、あけすけな話をする。 他人にいうことでないのに、馬鹿な奴だ。
それより、他人のことに気を向けている時間が無い。夜半の2時まで集中したが、まだまだだ。 時間が足りない。
ところで冗談で言ったことが独り歩きをした。 今は、外に気がいってはならない時期だ。
仕方がないが、軽く考えて深入りしないことだ。 取ってつけたような相手捜しは止めにした方がよい。
何を焦っているいるのか。 試験に、卒論に、ゼミに、会社のレポートに、山積みなのに馬鹿な事をいった。
自分は会社を創りたいのだ。 そして二年勤めて、その後違う大学の三年に編入して四年後に創業をしたいのだ。
流通か、貸しビル業が面白そうだ。


3155, 「 2012 」

2009年11月24日(火)

  * シネマ 「2012」
 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 
現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。
映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、
思わず座席にしがみついてしまうほど。 都市破壊の場面や大津波は圧巻! エベレスト山頂近くまで
洪水が押し寄せ、ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、
次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。
「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 
 ーまずはHPの紹介文からー
 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。
天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。
マヤ人のカレンダーであるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で
突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、
多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、その終末世界と人類が
生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』『デイ・アフター・トゥモロー』など、
過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督がついに地球の滅亡を描き出す!
 〜
 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。
この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。
やがて世界各国の首脳と一握りの富裕層にのみ事実が知らされ、人類を存続させる一大プロジェクトが極秘に開始される。
そして2012年。売れない作家のジャクソンは、子供たちとキャンプにやってきたイエローストーン国立公園で、
政府の奇妙な動きを目撃。世界に滅亡が迫っていることを、偶然知ってしまう…。
 ――
 後半は、これでもか、これでもか、というほど次々と都市破壊、地球破壊の場面が続く。
最後のオチが、これまた面白い! 選ばれし者の乗ったノアの箱舟は、宇宙船でなく、近代的な箱舟で、
隆起した南アフリカに向かうところで終わる。その箱舟には選ばれし者以外の人の値段が一人あたり1千憶。

・・・・・・・・
2790, 閑話小題
2008年11月24日(月)
 *金融危機 あれこれ
 AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りをつけなければなるまい。
見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなくドル投入しなければならない事態。
当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。
 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。
現在は、ビッグスリーのGM、フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。
 その中で、十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。
日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。
  −−−
  *定額給付金の愚挙
定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。
決定のニュースを見たときに思わず咳き込んでしまったが、それは私だけではなかった。
あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になったということ。 怒りより日本の行く末の方が心配である。
日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、
その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は何だろ?。
これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、よく言ってくれたが・・・
  −−−
  *散歩の光景
一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、
通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、帰っていく。
毎日、色いろな人と会うのが楽しみのようで、多くの人と立ち話をしている。何度か声を掛けられたが、挨拶だけにしている。
痴呆の人は歩き方が小またで、蟹股のようになる。母親の晩年がそうだから分かるのである。
兎に角、人懐こく挨拶をするので、誰もが彼の世界に引きこまれるようだ。人品卑しからずの雰囲気があり、
少年のような顔が良い。 犬を連れた子供からも何時の間にか友人のようになっている姿が、愛嬌がある。
痴呆症の人にとってはゴールデンタイムになるだろう。 時に姿を見かけないと、心配になるほどだ。
  −−−
  *猫派、犬派?
先日の朝のTVで、「あなたは猫派、それとも犬派?」という話題を取り上げていた。
犬派が44%、猫派が16%、どちらも同じぐらいが40%との結果であった。大よそ三対一ということになる。
犬は素直で、従順が良いというし、猫は独自性があり、クールのところが良いとのこと。 
私は犬が好きだが、家内がペット全てが嫌い。少し珍しい人種である。

・・・・・・・・・
2007年11月24日(土)
2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1
                     ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] 
  ーまずは、私の感想文からー                   
  人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。
  それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。  ある雑誌に載っていたレポートを
  読んで考えさせられてしまった。19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から
  大混乱させてしまった。そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ー例えば、
  計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。
  しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。
  それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。
  動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう?
  さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。
  その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。
   さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。
  ーー
 「人間とは何かを逆照射する新たな他者  ーコンピューター」
                  黒崎政男(哲学者)   
  *自分を理解するために他者が必要*
いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、
古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。
哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、
何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。
さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。
それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。
われわれは自分を理解するために、他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、
人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことになったのは当然である。
自分とは、動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を
浮かび上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。
そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、
抽象化能力などが、われわれ人間のアイデンティティの根拠となりはじめたのである。
そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための新たな<他者>となったのである。
人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、
人間固有の特徴として逆照射されていた。 しかし、コンピユーターは、この「論理的能力」を特化した存在であるので、
今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップされ
にくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。
だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、
確定しようとすると、この両者に挟まれて人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。
動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、コンピューターと我われとの差異が見えないし、
コンピューターという<他者>によって動物とわれわれとの差異が見えにくくなるからである。
                  ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ
・・・・・・・
2006年11月24日(金)
2061, 虐めについて
         (+>∀<+)ノ  おぁはは〜ようさん!
‘虐め問題’の解決などあるはずがない、家庭内の不和が原因にあるからである。
自分にかかった血を学校の弱者に塗りつけるのが虐める方の理由である。情報化により弱肉強食社会の傾向が
強くなればなるほど、家庭内へストレスが持ち込まれざるを得ない。
総下流社会化の傾向の中で、そのストレスの捌け口が弱者に向かうのも当然である。
振り返ってみれば、小学校、中学校で酷い虐めがあった。虐めっ子は家庭内が壊れていたためか、
その後の人生をみると不遇の人が多い。逆に虐められていた方が、まともになっている方が多いのは面白い現象だ。
ただ潰されないことが前提だが。こういう時代になったら、「ギブアップ・システム」をつくり、虐められっ子の転校を
しやすい環境をつくってやることも必要だ。数年前のことだが、中学校時代に殺してやりたいほど憎んだ男が、
40数年ぶりの同窓会で隣の席に座った。隣に座るまで「殺してやりたいほどの憎しみ」を忘れていたから、
大したことはなかったのだろうが・・ 酔った勢いで、「お前は中学校時代に理不尽なことで頭を殴っただろう。
小中学校時代で殺してやりたいほどの男の7人のうちの一人だ」と言ったところ「あの当時、両親の不和で自分でも大荒れで、
誰見境なく喧嘩をうっていた。野球部でも、俺がいたため何人も辞めていってしまった。 ところで7人のうちの何番目?」
とのこと。「三番目!」他のクラスだったが、そのネジレの酷さは私の耳にも入ってきた。 
今さら指摘されることもないという風。集団社会に住んでいれば、何処でも相性の合わない人が一人や二人はいるもの。
四苦八苦の中にも「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」があり、娑婆にいる限り避けて通ることはできない。
だから、小中学校時の虐めも、娑婆ー社会に出たときの火の出るような虐めに対する予行演習でもあるといえるが・・・ 
袋叩きにしたいのあまりにも多い。 誰も加害者であり、被害者でもあるのが娑婆である。
  でも人生は、嫌なことの数百倍、よいことがある。探し求めればだが!
   −−
朝日新聞の一面に〈いじめられている君へ〉「すばらしい瞬間必ず来る」が連載されている、なかなかよい。
 短い人生論のようでもある。 その一つをコピーしておこう。
 ーあさのあつこ さん 2006年11月14日ー
 (字数の関係でカット2008年11月24日)

・・・・・・・・・
2005年11月24日(木)
1696, 辺境へ −2
  この本で紹介している星野道夫の「人を通して風景を見る」という言葉がよい。
  写真も、同じことがいえる。 やはり現地人の入った写真は背景をひきたてる。
  そのことに最近になって、やっと気がついた。人生も同じである。全く今まで何をしていたのか?ヽ(゚Д゚;)ノ!!
  旅行記はおおよそ、飾らない真実の言葉で綴られている。写真と共に読むと、その場に吸い込まれてしまう。                    
  最後の章の[忘れえぬ人々ーあとがきにかえて]の中の、著者の言葉がよい。        
 ー 世界をあちこち歩いたことで、たくさんの経験を積み、さまざまなことを考えさせられる機会を得た。
   しかしなんといっても、ヒマラヤを旅をする中で得られたもの、ひと言では表現できない「気」
   のようなものが自分の中に、あるいは取り囲まれるように存在するのを感じる。
   ヒマラヤの高みは天に近く、心安らかになり、容易に俗世間を思うことが出来る。
   麓にはその山を敬う人々が暮らし、心優しくたくましい。そんな世界を歩き、体験した中で、いい[気]を感じる。
   下界では絶対に出会えない心洗われる風景、永遠なる宇宙の時間の流れ、すべてを許すことのできる大きな心、
   世界には多くの宗教があるが、それらの底にある根源が少しだけ実感できたようだ。自分の目で見て、
   体で感じた自然や秘境の大きさは、いかに人間が小さく儚いかを教えてくれて、地球にいる自分の姿勢を正してくれる。
                シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン
    ひと言ひと言が、ズシリと胸の奥に響いてくる。この言葉の数分の一を味あうために、旅行に出ている。
  秘境の地に行けほど、人々が優しく、文明の地ほど、人がけばけばしいのは、如何いうことか? 
   都会は、その典型として現出している。 人類は何をしてきたのだろう。 
    (^_^)/~~
 ・・・・・・・・
 2004年11月24日(水)
 1331, 相撲に思う
数年前までは、
・学生相撲 対 序の口からの叩上げ相撲の対戦であったが、現在では
・外国勢士 対 日本勢、 ー異種格闘技化
・古参力士 対 新鋭力士 対戦を見ていると、その分類に7割は入る。
 無双山が引退に追い込まれたが、現在の大関と元大関のほぼ全員が 数年後には引退に追い込まれているだろう。
 魁皇が横綱挑戦というが、相撲の世界に存在しているかどうかである。
 モンゴルなど元ソ連圏の力士が、小さな相撲業界を占拠はじめた。
 相撲を、日本的ルールの多国籍の格闘技としてみると違って見える。相撲は八百長が当たり前の旧態依然の世界であった。
 談合を確認するために、それぞれの親方が土俵の周りに居座っているとも解釈することもできた。
 それにしても、新鋭力士の台頭が新鮮にうつる。 今年になっての新入幕力士は10人もいる。
 昨日のワインの話ではないが、今年はワイン同様あたり年である。
 以前、昭和38年生まれが台頭した大当たりの年もあった。今は、それが外国勢のハングリー精神旺盛な
 若者というのが特徴だ。 外国人を相撲に開放するのは問題というが、もし彼らがいなかったら
 全くつまらないものになっていた。これも時代である。それにしても、お客があまりにも少ないのが気になる。
 平日で3~4割も入っているかどうかである。それも年に一度の地方場所でだ。大型TVの普及もあるのだろうが。
   世界各国にTVの放映すればよい。

・・・・・・
2003年11月24日(月)
964,「アルビレックスの優勝」
 今日13時から新潟で、地元のアルビレックス新潟と大宮アルデージャの一戦が行われた。
アルビレックスが1−0で勝ってJ2の優勝を決めて、サッカーのJリーグの一部昇格を決めた。
(字数制限のため、カット 09年11月24日)
・・・・・・・
590, 愚か者と馬鹿者
- 2002年11月24日(日)
宗教学者の対談の中で、愚か者と馬鹿者の定義をしていた。
・愚か者とは社会一般の常識しか知らない者。
・馬鹿者とは一般社会を離れて見ている者。 そう見ると、世間様は愚か者の世界そのものだ。
見るところ80?が愚か者? 愚か者の目で見たら、超越している人は正しく馬を鹿という
文字どうり馬鹿者だろう。「馬鹿になれ!」とかいうのは愚か者に対する宗教者の視点である。
教養はその視点を時間をかけて積み上げた経験と知識をいうのか。私などは愚か者に馬鹿が加わった馬鹿愚者である。
それすら気が付かない愚か者よりマシなのか、それ以下なのか?社会常識を元々知らない事と、知った上で離れてみる
視点を持つことは別だが。愚か者はその識別さえできない。私の知人のある匂いを持った愚者の群れは一番嫌う人種だ。
嫌うという事は、自分もその匂いを持っているという事だ。何か誰にもいえることだから、誰もが考えてしまう問題だ。
「男はつらいよ」の映画の場面に印象的な場面があった。ある地方の少し頭の軽い男に誰かが「この馬鹿!」といった。
言われた男が「馬鹿に馬鹿というのが一番馬鹿だ!と母ちゃんが言っていたぞ!」
 よく考えてみたら、自分が一番愚者だった!!? 気がついているか、いないかの差だろうが!                  

・・・・・・・
11月24日 (日曜日)  1968年
10時に起床。
ある部屋で、朝っぱらからダンスの模擬講習会をしていた。面白そうなので早速参加をする。
ジルバとルンバとブルースを一通りマスターはする。15時に市川さんが部屋に来る。その話をすると
「自分にもダンスを教えてくれ!」ということで、今度は私の部屋で講習会みたいになる。 
そういえば昨日スナックで飲んでいたとき、三年の植本くんが「(同じゼミの同期の)田島さんが、私について
評価をしていた」といっていたと教えてくれた。「堀井はいつも人を冷静に見て平等に公平に評価をしてくれる」
といっていたという。また反面「自分が傷つくのが恐くって構えている。それが堀井の壁になっている」
ともいっていたとか。 なるほど鋭いものだ。 そういえば深井にも同じようなことを言われた。
「絶対にわき道にそれることはない。ノロノロと中速の速さで、事故も無く、一定の速さで進む。
しかし高速道路を見つけ得ないだろう」と言われた。 一年・年下の駒村孝道にも「ものごとを考えすぎだ。
若いのに考えて判断できる歳ではないのに。行動をした後に考えるべきだ」とも言われた。なるほど一理がある。
高木の言うとおり「なすがまま、その場におぼれること」も重要だ。
 −−
ー卒論について
11月になって、風邪をひいたり、ハイキングとか試験で全く進まなかった。 他のゼミの同期が卒論に対して
全く進んでないことを言い訳にしている。それを言い訳にして遊びすぎである。他の人に流されるとは。
寮生とアマリにも付き合いすぎる。一人の時間を見つけなくてはならない。
彼らと群れることで自己逃避をしているのか。独りの中心点の神秘な部分を大事にしなくては。
卒論は12月10日まで、下書きを書き終えること。 せっかく新潟の六日町の雲頓庵に2週間も篭ったのだから。
11月28日、12月2日、5日が中間試験だ。そして6日がゼミと続く。 この間が卒論の勉強は無理である。
いや両立をさせなくてならない。 ゼミと人事管理は27日と28日までに。 26日には「価格理論」を。
ということは明日しかない。そうすると明日の予定は中止か。約束はしているが、可能な限りやらなくては。


3154,低反発マットと腰痛

2009年11月23日(月)

 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラにバスタオルを巻いて使っているが、
その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。 使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。
腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。
人は平均、左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。
だいたい寝返りの時に目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。
それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、マクラと首も同じである。 
実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと分からない
感覚。 特に腰痛の人にはお勧めである。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み込むことにある。 
シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は熟睡するが、その後、
身体と布団の接点部分の重圧で寝返りが多くなる。  ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。 
私のはニトリで2千円だが、そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
 他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。 (私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている)
 低反発マットもニトリで6980円の値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。
ベッドには、低反発枕と、その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムのアイマスク、
耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は充分出ている。
 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。
この低反発マットを使って気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。

 ・・・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)

  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
 この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが
 人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。
人生には、ある程度の長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。
そのためには、常に楽しい明日をイメージして、その実現の準備を地道にすることだ。
耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、
本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、季節季節の新鮮なものを食べればよい。 
誰でも、身の回りに楽しめることは、幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」
と下の句をつけたというが、成るほど上手い歌である。
 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそ
ゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。

そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。ウィキペディアによると、
【 原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案された「The Checkered Game of Life」。
  日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。 タカラトミーの発表によると、
 日本版の累計出荷数は1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって
 「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、
 人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。】
 面白そうなので、一度してみたいものだ。
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2007年11月23日(金)
2424, 四四太郎の日記 −9
            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´-ω-)o)
一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。
すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。 先日、バードウォッチのコーナーに
久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、新しいブログに切り替えようと思いたった。
そこで多くのブログを実際に立ち上げてみた結果、去年開設したブログが(私にとって)ベストと判断、
ブログ名を「四四太郎の日記」から「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。
全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。読後感として、それほど幼稚でもなく
400年前からみた現代の現象が書いてあり、本当に?祖先様が語りかけている感覚になってしまった。
{「私」の中の<私>の中核の《私》}とコンタクトしているからだろう。「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、
週に一度、曜日でも決めて、御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。このブログの内容は記憶から全く消えていたが、
四四太郎に最近?亡くなった縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合うのも面白い。何か神がかりになりそうだが、
恐らく面白い出会いと、意外な対話になるだろう。書くということは、 不思議なことである。
 ーー
ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。
                         *宗親(ペンネーム)
【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら!
亡くなった縁者と出会えたのに、何で無視をしようというのか?
お前のように400年前の先祖の霊ブログをつくろうというヤツはいない。
せっかく面白い視点を与えてやろうとしたのに。
少なくとも週に一度ワシの魂を使って現代を透してみるのも面白かったではなかったか。
まあ、再び、このブログを再開しようというのも何かの縁じゃ。
魂というのは、言葉じゃ、それもワシのような霊の言の葉は、その中核じゃろう。
魂の入った古典も、歴史家を通した偉人の言葉も残るのじゃ。
決して何も不思議なことではない。その人が生きたそのまま、全てが刻印されるのじゃ。
そして、生きているときに思ったこと、考えたこと、そして経験は魂として
何時までも、「ある」のじゃ。だから私を借りて語ることは、お主が一人で語ることと、
全く意味が違ってくるのである。 それと、お前は一年前にワシが連れてきた父親と
あまり深く話そうとしなかっただろう。父親は多くを語りたかったのをお主は知らなかったのだ。
お主は、父親が亡くなった時に父の魂が夢を通してお主の魂に入っただろう。
それを父親は、言いたかったのだ。もっともっと世界を見ろ!知れ!何でもやってみろ!ということだ。
今度は、金曜日の午後と土曜日の朝にワシを呼び出すのじゃ。 わかったか! 11月23日  5時45分
          ヾ( ̄(●●) ̄)ノ さらばじゃ!        
・・・・・・・
2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜
            
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で         
        **** Ψ( `▽´ )Ψケケケケ♪  ココハドコ (/∀)/アタシハダアレ?
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
ーーーーーーーーーーーー
死は観念である。 人が、自分の死をいう観念を、現実のものと思い込むに至る経過について考えてみたい。
死ぬことを知らない人は死なない。レトリックではない。「意識そのもの」とは、「存在すること」に
他ならないからである。「存在しないこと」としての死は、意識そのものには存在しない。
「存在しないこと」という観念が存在するのでなくては、人には、死ぬということはないのである。
    言葉の抽象度が高すぎるので、いくらか具体的に考えてみたい。
    生まれて初めて人の死に出合うのは、誰か他者の死である。
    自分の死に出合うことはありえないから、人は他者の死に出合う以外ない。
    おそらく、幼少の頃、誰か身近の人の死を見る。 「死を、見る」           
                       ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
    しかし、ここでは細心の注意をはらって考えたい。人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
   「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。
    しかし、多くの人は、この両者を混同する。死体を見たことによって、死を見たと思うのである。(~Q^(^┰^;)ゞ
    当然である。「存在しないもの」としての死が、存在するものとして見つかるわけがない。
    こう考えると、自分の死だけでなく、他者の「死」もまた「存在しない」。そもそも存在しない死に対し 
    「死」と名づけたことにより、死は存在していることになったというのが真相なのである。
                         死(0_0)〜† 死っし "ゞ(`')
死とは言葉以外の何ものでもないのである。死が存在すると信じ、死への恐怖に追われて生きてきた我われにとって、
こんな、その意味で馬鹿げた事態は納得できないかもしれない。 しかし、「無」を言語化した刹那、あたかもそれでは、
無が存在するかのようになるではないか!我われの日常は、事の初めから、存在と言語の共犯的奸計に巻き込まれて進行。
ふとそのことに気づき、存在と言語の外へ出る道はないことも悟った時、逆に人はそれを自覚的に生きようと
構えを変えるはずである。わかりきったと思い込んでいた生と死の日常が、いかに摩訶不思議なものであったか。
その意味でそれは新たな誕生、生の再生になるのではなかろうか。
               (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
 ・・・・・・・・
2005年11月23日(水)
1695, 辺境へ −1   ー 読書日記

 素人の身として辺境へは、ツアーでしかいけないが、「辺境・秘境」をキーワードにして、この十数年近く
   アフリカ、南米、シルクロードなどを家内と共に行ってきた。┐(´ー`)┌
   図書館にあった、「辺境へ」−大谷映芳著ーはもう5~6回以上借りてきて読んだ。
   そして、ついにインターネットで新・中古本だが、買ってしまった。
   写真も、文章も体験をそのまま書いてあるので、心に直に迫ってくる。    
   この本で、著者が一番思いの深いの7ヶ所を紹介している。チベット・ヒマラヤを除いた5ヶ所
   訪れているので、私にとって非常に魅力のある内容で、何回読んでも飽きることはない。        
    ((  
    匚P 
  まず著者の大谷映芳の「内容紹介文」をコピーしてみる。  
 ー「ニュースステーション」で、高視聴率を獲得した“秘境ドキュメント”。
  ブータン、ギアナ高地、ドルポ、アフリカ大陸グレート・リフト・バレーなど、その取材は、全世界の秘境と
 言われた地域に及ぶ。今は亡き冒険家の植村直己や夭折した写真家・星野道夫、グレートジャーニーの関野吉晴氏ら
 その旅の思い出とともに、こうした世界の秘境エリアをレポートしてきた著者が綴る紀行と貴重な写真を多数掲載した写文集。
  ー  この本の7ヶ所とは、   w((´ω`))wワオッ!!
 ヒマラヤの王国ブータン/ 南米大陸のギアナ高地/ 南米パタゴニア/ 西ネパールのドルポ/ アフリカ大陸の
 グレート・リフト・バレー/ 北極圏のグリーンランド/東チベットのヤルツァンポで、写真とともに紹介している。
 その写真が素晴らしい。また人々との出会いなどが中心に書かれているのも特徴。
 現地で出会った人々の話や、亡くなった冒険家の植村直己さん、写真家・星野道夫君、探検家の関野吉晴さん等の話も面白い。           
   ‖┓  (( 
  (_)  匚P 
   ━┻    
ー彼のこの本に対するコメントも良いー
「地球上にこういう素晴らしい所がある事を知ってもらいたいし、そういう場所が冒されつつある
 ということは人類にとっては非常に危機的状況であると思うんです。
 そしてこういう本を書くと改めて日本の事を思うんですね。 比較というんですかね。∩゙ヽ(。・ω・。)へ  
 (以下、字数の関係でカット09年11月23日)       
・・・・・・・
2004年11月23日(火)
1330, ワインの話

昨夜は、兄夫婦に誘われて、ボジョレー・ヌーボを家内共々飲みにいった。
兄の友人が金欠病でドロップ・アウトの代理に誘われたのだ。盆と正月以外、あまり飲む機会がないので
丁度よい機会であった。しかし空きっ腹のためか、かなり泥酔をした、いつものことだが。
ワインといえば、海外旅行の機内で無料の極上のワインが飲み放題。そのためワインにはうるさい? 
月に3〜4回、自宅の至近距離のイタ飯チェーン店の『サエゼリア』のワインを飲んでいる。これが安い割りは美味しい。 
さらに2Lのワインのパックを今年になってから冷蔵庫に入れてある、月に一本の割合だが。
世界各国のワインを飲んでみたが、ワインといえばオーストリアである。十一月十日は、ウィーンで最も“古い酒”を
飲む日である。ボジョレー・ヌーボは新酒だが、ウィーンは古酒だ。その古酒とは、前年の秋に収穫されたブドウで
造ったワインをいう。翌日の十一日からは新たに収穫されたブドウで造ったワインが出回る。
この新酒のことを「ホイリゲ」といい、こうしたワインを出す居酒屋も同じ名で『ホイレゲ』と呼んでいる。
「ホイリゲ」の歴史は結構古い。一七八四年、皇帝ヨーゼフ二世がウィーンのワイン農家に「年間三百日を限度として、
自家製ワインを売ってもよろしい」というお触れを出したのが始まりとされる。
毎年、十一月十一日の聖マルティン祭の日に樽(たる)を開封し、向こう一年間、その年のホイリゲとして飲む習慣だ。
 ベートーベンが長く住み、交響曲「田園」などを書いたウィーン郊外に、ホイリゲは点在する。 
店で「ホイリゲ」を注文すると、たいていビールジョッキを小さくしたようなコップに入った白ワインが出てくる。
味は酸味が強く、こくはない。しかし、サラミやハム、ウィーン風カツレツなどをつまみに飲むとうまい。
炭酸水で割る飲み方もあるようだが、これはあまり美味くない。 八割以上のホイリゲが家族だけで経営している。
すべて自家製ワインだから、各店とも独自の味を持っている。店ごとの、ワインの味比べもホイリゲの楽しみの一つだ。
そこで弾き語りの歌を聞きながらワインを飲むのだ。そういえば学生時代に友人数人と『ホイレゲ』に行ったことを思い出した。
それまで、ワインといえば「ポートワイン」しか飲んだ経験が無かったため、その美味しさに、グラスで7〜8杯も飲んで
全員腰が立たなくなり、タクシーに這うようにして乗って帰ってきた。さらに、部屋で買ってきたボトルを飲んで目茶苦茶。
今考えてみると酒癖が悪くなった原点が、そこにあったようだ。この8月末にも行ったが、当時と殆ど変ってなかった。 
弾き語りが何ともいえない雰囲気をかもしだしていた。話は変わるが、ブランデーのできた由来が面白い。
輸出用に一度水分を抜いて、濃度を高めて輸出していた。ところが、それをそのまま飲むのが流行ってブランデーという
飲み物ができたという。
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2003年11月23日(日) 963, 「コーリング」ー映画日記
字数の関係でカット(2007年11月23日)
・・・・・・・・
589, 癒しについて
- 2002年11月23日(土)
癒しはヒーリングの訳語だ。ヒーリングの意味は「本来備わっている自然治癒を引き出す事」
をいう。そうすると癒しの意味はそれを妨げているものを取り除く事になる。
人間の中の元々ある力を導きだす事だ。気安く癒しを求める事がおかしい。
安易に傷を治したいというからだ。甘い生き方を更に甘さで埋めようということだ。
垂直に自分を突きつめないでー軽く傷を治そうというのがみえみえだ。
更にゴッドマザーやゴッドファザーが出てきて治そうとするから傷が深くなるのだ。
このホームページに癒しのコーナーがあるのはいかなる事か?笑って時間をやり過ごす為だー
傷ついた時や疲れたときの居酒屋の自分のコーナーのつもりだ。生きていれば傷つくのは仕方がないことだ。
消毒をしっかりしてバイキンよけの薬を塗って時間を待つしかない。感謝が足りないのが傷口を大きくしている。
縦の自分の関係が浅くなっているから、横の関係に惑わされるのだ。
垂直に自分を掘り下げるチャンスにすればよい。 深いところで変わらなくては、傷が治るわけがない。
・・・・・・・・・
ある時間の断片
 1968年 11月23日(土曜日)
10時起床。洗面後、OB会に行く準備をする。 駒村のところに「多恵ちゃん」と、飯野さんが来ている。
佐藤のことだが、何か割りきりがつかない。先日の件で陰険な抵抗にあっているようだ。
飯野さんは別に約束を破った私が悪いが、まあいいか。佐藤とはこれで完全に気持が離れてしまったようだ。
ゼミのOB会の出席のため、高輪ホテルにいく。14時半に始まる。17時半に終了。空腹に油系を食べたためか、
気分が悪くなる。先輩は組織人という感じで、魅力のある個性的な人はいない、仕方がないが。 
その後、高輪プリンスに行き、コーヒを飲んでくつろぐ。そこで、ゼミの同期で親しかった石川がしつこくからんでくる。
最近無視をしていることに対する怒りだろう。いま石川と妥協したら、お互いマイナスだ。腹を立てないことだ。
その後、高木と三年生の三人と5人で、武蔵小山の「なつめ」というスナックに飲みに行く。
そのママさんが面白い。 千田敏さんという名のホステスもなかなか面白い。非常に面白い時間を過ごす。 
ホステスどうしの争いの大変に見えた。0時過ぎに店を出る。1時に帰寮、2時に就寝。いろいろあった一日であった。


3153, ラ行の受身形 ー2

2009年11月22日(日)

 ー まずは前回の続きの部分より ー
妻の葬式の時、私は不思議な体験をした。 いよいよ出棺というそのとき。
私の鳩尾(みぞうち)から喉に向かって稲妻のように熱いものが走ったかと思うと、
それは胸全体へと広がっていった。 その瞬間、私は言葉では譬えようのない至福感の中にいた。 
あの体験は、「 死は悲しみではありません。 私は満ち足りた気持ちであの世へ向かっています 」
という妻からのメッセージではなかったかと、今になってそう思うのである。
もし、あの世の妻とコンタクト可能なら、私はこんな問い掛けを妻にしてみたい。
「 がんに殺されたと思う? 」、
「 いえ、がんに殺していただいたんです。お蔭でたくさんのことを学ばしていただきました。
 ありがとうございます 」  「ラ行の受身形」の透けとおった心で、そう応えるかもしれない。
そして最後に「 あなたも感謝の心を持って、狼狽えることなく生きてくださいね 」と妻は、
微笑みながらそう付け加えるのを忘れないであろう。
 〜〜
 こういうのは、本人しかできない不思議な体験である。 「鳩尾から喉に向かって稲妻のような熱いものが走った」
というのが、チャクラが反応したのである。 似たような経験を、幾つかの記述を何度か読んだことがある。
身近な故人とは、色いろの魂の邂逅があるようだ。 私も父が亡くなった初七日に不思議な邂逅があった。
 夢で父の気持ちになってしまい、死の恐怖心から〔死にたくない〕と思った瞬間、我に返った時、
あれっ、私は生きている!という不思議な安堵感と父の魂との邂逅と、似ている。 思いは、言葉で作られ、
そして残るもの。 思いも、それを形成する言葉は、後々残るから大事にしなければならない。
気楽に、言葉遊びとして、ラ行の受身形を前向きな言葉に替えるように努めたいものである。
〔こん畜生め!〕は、やめとこう。 言ってもいいが、その後に「何かのサインを出してくれて、ありがとう」
を加えれば、気が楽になる。  歳をとった暗い顔だけは、なりたくないもの。 

 ・・・・・・・・
 2788, 平心庵日記
 2008年11月22日(土)

  「半歩遅れの読書術ー?」で紹介されていた本で、さっそくアマゾンで注文、朝晩の通勤の新幹線内で読んでいる。
  これが何ともいえない味わいがある。 もしかしたら己の人生を間違えていたか?と、考えさせられる内容である。
  明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と、主治医・近藤外巻(平心庵)の心の交流を、
  大正13年から昭和13年までの平心庵日記をもとに、平心庵の長男である近藤道生が描いた本である。
  当時まだ年少だった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がもの静かに書かれている。
  「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者だが、
  政治的には影の存在に徹した。 隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は、
  現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と、日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった。」と書評にあるが、
  成るほど読むほどに大茶人の片鱗が窺える。 千利休以来の大茶人と謳われ、茶の湯や美術関係の人には、
  よく知られているという。両親の趣味が茶道だったこともあり、子供の頃から色いろな話を聞いたり、
  茶席に同席させられたこともあり、何か、日記の一言一言が目に浮かぶようなイメージが沸いてくる。 
  これを読んでいて気づいたが、両親はかなりの茶人だったようだ。私は、どうも堅苦しい作法に反発を感じ、
  現在も近寄れない。  しかし私の人生で、知っておくべき世界だったかも知れない。 
    ーーーー    
   「平心庵日記 :失われた日本人の心と矜持」 近藤道生著
 ー日記が大体が次のようなベースで書かれていまる。
   「大正14年  元旦」
  ・・・五時頃より国民年中行事正月のところをよみ 六時頃若水をくみ洗面仏前にて礼拝 
 再建のわが家にもはじめて年を迎ふることとてうれしく勇む心しきりなり 長女千蔭 十二歳
 次女みゆき 十歳 長男道生(筆者)六歳となる 道生をつれて海岸に初日の出拝みにゆく
 今しがた水平線を倣なれて一、二尺、開運をいのるよりも安穏をいのる心先なるがこの頃の
 傾きなり 銀盃にて屠蘇いはひ 雑煮いはふ 列席者塾生を含めて十三名と震災後迷ひ込みし三毛猫一匹
 昨年より着手したる漢文学選中国の部大略終りたれば昨日より年表をつくりつつあり今日も百科大辞典みて
 すこし調べたる後、二宮神社に参詣 小峯公園に遊びて皆と別かれ益田邸に御年首に行く
 邸内にて御主人の迎へに来たらるるに遇ひ静江(平心庵の妻ー筆者註)をも 自動車にて呼ばれ
 茶と御料理賜はる お手製の茶碗 珍品そろひの御料理うどの生など結構なりき」
   「大正14年  6月8日」
 五時半起床 便所掃除 朝礼。朝食。文学史万葉の歌例のところ講義。外来患者60人許。
 益田大人より朝 お使ひあり。四時半頃自動車のお迎へいただき五時頃行く。わびたる田舎家風の寄り付き。
 為楽庵にて初座。敦盛草とえぞまんてんの花の下にて懐石。後座 大燈国師の手紙,茶碗ととや 濃茶銘 松の華…」
 真摯な開業医としの生き方が淡々とした日記のなかクッキリと浮かんでくる。 
   ーー
   これを読んでいて、やはり両親の趣味だった、茶道を30歳辺りから入るべきだった。
  それなりの子供の時からの下地があったのだから。 私が求めるのは、それだったのである。
  何か人生で足りないものは、求道だったようだ。しかし、ある程度の金と、教養がないと出来ない遊びの世界。
  昔の社交の場だったのだろう。

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 2007年11月22日(木)
2423, 夢のようなホントの話       
                       
 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
週刊誌を何気なく読んでいたら面白い話があったので、紹介しよう。作家の高橋三千綱のミニ・エッセーだが、
引き込まれる内容である。こういうことが実際にあるのだろうし、また逆のこともあるはずだ。 
その分岐点は、その人が持っている人間性である。
 ーまずは、その部分から
南カリフォルニアのラ.コスタに滞在していた、ある年の夏のことである。
・・ホテルのラウンジバーで飲んでいると、いつのまにか人の輪の中に紛れ込んでいた。
話題がラスベガスの話になったので、その頃人気のあったマジックショーを見たいものと私が言った。
時刻は午前一時を回っていた。どうやらホテルのマネージャーを呼び出しているらしい。
相当酔っているな、と私はあきれていたのだが、四日後にはラスベガス空港に降り立っていて、
しかもリムジンが待っていた。それから私は、夢のような3日間を過ごした。
部屋はスイートで寝室がふたつあり、バーも広い談話室もついていた。
最前列で見るマジッグショーは迫力満点で、目の前で巨大な像が消えた。
ホテルでは私専用の女性秘書をつけてくれて、あらゆる用事を彼女がやってくれた。
その全でが大男の招待だった。カジノでも私はつきについた。一体、あの男は何者なのだ、
と秘書に訊くと、ニューヨークの大富豪で、有名なプロデューサーでもあるという。
何も知らなかったの?と驚く彼女を見ながら、こんな話をしても誰も信じないだろうな、と私は思っていた。
ーー
大金持の酔っ払い世界に紛れ込んだということだ。その大男からみたら「気分が良かったのでしてあげた」
だけのこと。2〜300万の宝クジに当たったレベルの話でしかないが、それでも庶民感覚とは、
かけ離れた世界の一端を、垣間みた話である。
                           ☆bye-bye☆ε(*゜ω^*)
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2006年11月22日(水)
2059, あたりまえなことばかり −13
    (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜

ここでは、深い哲学のサワリを解りやすく書いてある。我われは「観念としての死」に、今まで取り付かれてきた。
そして物理的な時間軸を生から死へと一直線の前方に向け生きてきた。
ところがそれは違うというから、面食らってしまう。「永遠として直感される瞬間とは、それ自体で生死を越えて、
生死を飲み込んで今ーこの瞬間に立ち上がる!」ということは、人生の深い経験をしてこそ実感できるのである。
経験の裏づけがないと、言葉の言い回し位としてしか理解できないだろう。 いや、鋭いのは解るか?
その瞬間の「永遠」は、死後にあるのではない、生の真っ只中に垂直に立ち上がる。
(感動、歓喜の中で)著者の池田晶子の、その瞬間が以下の文章に立ち上がっている。
仏教でいう、悟り、覚醒感がそのまま伝わってくる内容だ。
 −−−−−−−−ーーーー
*死ぬのは不幸なことなのか ー?
 −−−−−−−−−−−−
死は、恐るべき避けるべき事柄と、深く思い込んでいる。転倒した生存本能としての死の恐怖は、人生の孝、
不幸を量るわかりやすい目安とも化し、観念と現実からも判然としないまま、今も岩のように人類を縛り付けている。
死は、恐れるべきものではなく、あるいは祝福すべきこと、喜ばしきことなのかも知れない、
という可能性である。これは死は恐ろしいもの、と言う可能性と同じく、その論拠は無い。
それを恐れとして、喜びとしての「死後」を提示することで答えようとする宗教とは哲学は違う。あくまでも、
「死後」を語っているのは、生きている人だけである。永遠として直感される瞬間とは、そのこと自体で生死を越えている。
あるいは、すべての生死を飲み込んで、今である。考える精神として、一直線に前方へと流れる物理的時間塾から
垂直に立ち上がる時、人は、自分が肉体として生き死ぬ自分でない存在であることを知る。生きているか死んでいるかが、
なぜ今さら問題であり得るのだろうか。すべては永遠に存在し、永遠に生成する。今この瞬間に直感されるそれは、
したがって、「死後」ではない。死後などない。死後は死後に存在するのではない。 生の真っ只中においてこそ、
それは永遠の時間として知られるものなのである。ギリシャ人たちが、肉体を墓場であると呼んだことの背後には、
このような確信が存在している。精神でありながら、同時に肉体である我われが、永遠の存在であると同時に
死するべき存在である。しかし、死への恐怖に衝き動かされながら、直線時間軸上をよろめきながら歩いているという
惨めな表象が錯覚であるとしたら,逆に肉体こそ死後であろう。 したがって、肉体が死ぬと
いうことは、本来の「生」、すなわち永遠的存在への開放に他ならない。死ぬということは、精神の再びの誕生として、
祝福すべきことでなかろうか。 だからと言って、死すべき肉体を粗末に扱うということにはならない。
摂食、生殖、快楽の意味、幸福の源泉であることで不幸の源泉でもあるところの肉体を、精神がどのように扱うか、
それが肉体によるこの生を、われわれが経験していることの意味だからである。
この生で幸福になるのでなければ、どの生で幸福になることができるのだろう。
じっさい、このような言い方は可能なのだが、生きながら死んでいる、かの「永遠」を想うその時間、思考の切っ先が
幽明の境に溶け出していくような、自分が誰で何であるか、およそ知りえないことすら快いような、それはその意味で
至福の時間なのである。いや、時間ではない。形而上には時間はないのだから、「存在」と触れ合ったその刹那、
全方位に底が抜ける万象の光景というべきだ。今ここに(生きて)在ることの奇跡、とは、正確にはこのような事態をいう。
死なずに生きていることが奇跡ではない。 存在が存在していること、そのなぞに驚いている自分が
存在していること、そのことが奇跡なのだ。すなわち、謎なのだ。謎を見てしまった者にとっての幸福とは、
何か、謎と心中することと似ているだろう。観念にすぎない死を恐れ、観念にすぎない死後を空想することの、
不幸は、真正の形而上学を経ることで、何がしかの甘味な困惑へと変容するはずである。
 ーーーー
 身体は、生の墓場か?  はたまた、糞袋か?それとも、手、足、頭という機能付き道具? 
考えれば、いくらでも挙げられる。割り切って、それぞれを使うべし!ということである。 
                (*^ワ^*)i バイバイ
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2005年11月22日(火)
1694, 「官から民への流れ」の一現象

 選挙の自民大勝を受けて本格的に小さな政府に向けての動きが本格的になってきた。
 まずは政府系の金融機関の大鉈がふるわれることになった。中小・零細企業は大きな岐路に立たされる。 (X_X;)    
 ところで身近でも、面白い動きが出てきた。 求人を出していたところ、『財団法人・雇用能力開発機構センター』
 という所より連絡が入った。国から、雇用を促進するために委託をうけた独立行政法人という。
・雇用保険を受けている人で、ある職業を希望している人の仕事を
・三ヶ月間、希望先で実習・訓練して、互いに合格すれば入社をする。お互いに不一致でも、本人の職業訓練になる。   
・その期間、求人側は採用不採用に関わらず約2万5千円を補助してもらえる。    
 求職者も雇用保険を貰いながら、一日500円の日当が支払われる。
・パート、準社員の求人でも雇用保険と社会保険が支払われれば適用範囲になる。         
  ( )
   ‖┓  (( 
  (_)  匚P 
   ━┻    
  解りやすくいえば、今までの丸抱えの職業訓練を、「一日500円払うから、
  就職の適正を互いに見合うという条件で現場で教えてくれないか」という仕組みである。
  よく考えたものだ。採用する方も三ヶ月という期間、雇用保険も社会保険を支払わないで
  済むというメリットがある。 三者両得という理屈に合った仕組みである。 ?¬_¬)nannjai    
  現在、職安に行くと30台ほどのパソコンが並んでいて、求職者で満杯で、一昔前の様子と様変わりという。 
  全く求人する方も求職する方も、世知辛い世の中になったものである。考えてみれば当たり前のことでしかない!  
                          フウ〜 ( ̄ω ̄;)!!       ーつづく        
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 2004年11月22日(月)
1329, 教養と自由とバカの壁

「教養とは自由になるためのアーツ(芸術・芸)」と、昨日の読書日記で書いた。
そういえば「自由」について以前書いたことがあった。 (後に、コピー)
そこでは、自由について
・積極的な自由とは、自分の真にしたいことを見つけて追求すること、
・消極的な自由とは、束縛されていることから解放されること、 の二つに分類した。
教養とは、「真に自分がやりたいことを見つけ実施していくために蓄積し、知識、経験を芸にまで高めておくこと」
である。また自己を束縛していることから、いかに解放するかのアーツ(芸術)といえる。
「話が通じない時、情報を遮断しているもの」を養老孟司が、「バカの壁」と名づけたが、
情報を遮断している小さな固定観念を一つずつクリアーしていくことが、経験を芸に昇華していくことになる。
自由とは、選択の自由である。多くの選択肢の中から、一つの選択をしなくてはならない。
これは非常に難しいことである。そこには決定という自己責任と結果が生まれてきて、その不安に常に付きまとわれる。 
そこに哲学が必要になってくる。 教養としての哲学は、取り囲んでいる壁に対して自覚することから始り、
その壁を土台にすること、そして乗り越えるのに必要になる。
話は少し変わるが、「英語をマスターすることも教養のうちか?」と、問われれば勿論教養のうちだ。 
英語を話せる分、読める分、それだけ自由の枠が広がる。特に英語は、現在世界の標準語になっているから。

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2004/05/17
1140, 自由についてー1

学生時代より『自由とは何』を考えてきた。そして自分の自由を優先して生きてきた?
しかし、よく考えてみたら、自由は自分のしたいことをみつけ、それを追及することであった。
自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。字のとおり「自らに由り、生きること」である。
そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている状態を理想としてきた。
調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。
手の自由といっても、所詮は人間の体の一部としての腕の範囲内の自由でしかない。
といって使い方は自由である。また自由には、当然の責任がともなってくる。
アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。
ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという意味での自由」であり、
ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」と捉えられる。
例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。
(字数の関係でカット 2009年11月22日)
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2004/05/19
1142, 自由について −2
(字数の関係でカット 2007年11月22日)
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ある時間の断片
11月22日(金) ー1968年
・8時起床  今日は人事管理に出席。 ゼミの同期の外山君と食事。彼は新潟の三条市の同郷だ。おとなしく誠実な男だ。
 彼と行きつけの喫茶店の‘ウイーン’に行く。 田島のグループがいる。 彼らと口泡を飛ばして話し合う。
 奥野君も来る、彼は先日突然部屋に訪ねてきた男だ。
・13時にゼミに参加。 ゼミの先輩で社会人になっている人が二人がきて、社会人になった実感を語る。
 その後マクレガー「企業の人間的側面」という本の内容について、読後感を各自発表する。 15時に終了。
 その後、16時まで明日のゼミのOB会のネームのバッジつくりをする。
・帰寮後、大妻大の宮本さんから電話で昨日の件で1人いい人を紹介するという。
 かなりの美人だとか。 冗談だったのに、まあいいや、なるようになるだろう。
・その後、市川さんと飲みにいく。 夜半の2時に就寝する。

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