堀井On-Line



3142, 最近、いやに時間が短く感じるが

2009年11月11日(水)

 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。
還暦を過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通のこと。 これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」という。
また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを突きつめると面白いはず。 
 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、時間に影響を及ぼす主な要因としては
  次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で午前がゆっくりで
 午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症の人をクモと
 一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を分節化してしまい、
 分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説がある。時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。
 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。
 目や耳で感じる印象と物理的実在のずれは案外に大きいことがわかる。時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。
 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、人間の時間経過を操作する技術が発見できるのかもしれない。
 人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
 ーー
 なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。 分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
 その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると、単純に考えていたが、
 他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに刺激の感受性が少なくなるのも理由。
 要は老化現象で時間が短く感じるということか。 長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。

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2777, 仮説思考 −4
2008年11月11日(火)

   棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。 次の文章で、そのことを上手く表現している。
  制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 
  羽生は、ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから七割なのだろう。 
  共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、仮説の世界で生きているようなもの。
  棋士の目で経営アドバイスをすれば、良い助言が出来るだろうに。
   −−−
 *天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む
  P−32
 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの世界に進んでいたとしても、
かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことをいうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。
 羽生の棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及している。  
 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、それでも「あとはなるようになれ」
という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を支えているのが仮説思考である。  
 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の可能性があるが、その八○をひとつひとつ、
つぶさに検証するのではなく、まず大部分を捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、
考える必要がないと瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。
 これはまさに仮説思考だ。八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて
頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。大胆な仮説を立てて、「これでよいのではないか」と指しているのだ。
 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、
「こうういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに沿って浮かび上がってくるものだと思う、
ど羽生はいう。 こんなこともいっている。
 「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。
私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、
怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」
 将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても、問題の原因と解決策について、
あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てることが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、
それは、経験に裏打ちされた直感力、勘によるものだ。
 −−−
 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 何事も同じである。 

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2007年11月11日(日)
2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1
                           (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
バブル当時まで、元の住友銀行が大阪検察の幹部との定期的な会を開いていたことは
周知の事実である。 これは検察が定年退職をして弁護士になる時に、銀行の取引先を
紹介してもらう見返りに、その銀行に対して逮捕者は出さない取り決めだという。
かなり強引な手法も検察がついているから好き放題できたと、この本にもあった。
やはり本当だったようだ。 地検も法務省の一機関でしかないということだ。
それにしても、恐ろしいことだ。 人間がいるところ仕方がないのか?ーその部分を抜粋してみる。
 「反転」 田中森一著
ー地検特捜の恐ろしさー
 ーP、178〜179ー
平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。
本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。
結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。
伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった
のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。
事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)
                    ○´・ω・]ノヂャァネッ
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2006年11月11日(土)
2048, あたりまえなことばかり −4
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
                      ー 読書日記
「生死を問う?ー何のためにいきるのか」は哲学上の大テーマである。
このコーナーでも何回も取りあげてきたが、私が一番好きなのは、フランクルである。
「人生に何を求めるか?ではなく、人生が何を私に求めているか?を問うてみよ」である。
 せっかく地球に生まれたからには「良く遊び、良く学び、そして良く働くこと」シンプルに言えば、これに尽きる。
 彼女ー池田晶子の生死については解ったような解らないような・・
 さわりの部分にこうある、「生死に対する、これはという答えなどないが、人は言語を所有するために、
 存在するしかない存在についての意味や目的を問うてしまう。言語のせいです。動物は言語を所有していないので、
 ただ生まれたから生きている。言語を持ってしまったから、問えない問いを問う不幸、十全には生きられない。
 問いを持ってしまったのだから、問うしかないから、問わざるをえない。『何のために生きるのか』」
 生を考えるとき、その対極にある『死』を知らなくてはならない。 しかし、死など解るはずがない。
 −−
「あたりまえなことばかり」
ー 生きているとはどういうことか ー

「なぜ生きるのか」と問うても、「生きていることはどういうことか」とは、
人はあまり問わない。意味、目的を問う前に、まずは生きているとはどういうことか知りたい。
このことを知った上で、そこから初めて生存の意味や目的を問うべきである。
生存を知る前に、死を知っていなくてはならないが、死とは生きていることじゃない!と答えるしかない。
死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬ
という前提で人生を送っている。他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。
自分が死ぬという経験は絶対にありえない。もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思うんですね。
ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろなことがわかってくる。
死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。
そこで納得するが、ここも大事なところですが、無というものは無いから無なわけです。
無は存在しない。存在しか存在しない。したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、
そこで言われている無というものは無い。すなわち死はない、ということになります。
にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。 その視点を手に入れると、
死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。無いものを在ると思っているのですから。
思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと、「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。
やがて死ぬ、どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
理屈はそうかもしれないが、でも毎日人は死ぬではないか、と反論するでしょう。
確かに毎日、人は死んでいきます。 でも、死ぬのは常に他人です。 だれも自分が死んだことは無い。
死は他人の死しか経験できない。 それが現実である。これに気づくと非常に不思議な気になる。

生きる死ぬ、人は便宜的にそう言っているに過ぎないらしいと気づく。 つまり、動いているものを生と呼び、
動かないものを死と名づけているに過ぎないと。 生き死には言語的な名づけ、つまり言葉に過ぎない。実体ではない。
無としての死なんてこの世に何処にも存在していない。 一種のカラクリみたいなもの<存在のカラクリ>と私は呼んでいる。
無は存在しないかぎり、すべては存在しているわけです。 存在しか存在できないという事実に気づくわけです。
例えば論理的に死なないということに気がついたら、じゃあ死なない自分とは誰なのか。
ふだん自分であると思っている、その自分は実は自分ではないんじゃないか。そういう問いが現れてきます。
世の中ほとんどが生死のカラクリにだまされて動いている。 例えば脳死の問題。
あれは議論として不可能なことを議論している。死がどこからかということを決められると思っている。
しかし、無いものをどうして決められるのですか。また時間の概念も変わります。死に向かって直線的に流れると、
漠然と思っているが、だけど、その死が存在しないとなると、時間はどう流れるのか。 
死に向かって生きているわけではないんです。 「生きる」という意味も変わってきます。
「死というものがわからない」ということがわかる限り、生というものもわからないわけです。
つまり、生死というのは現象に対する相対的な名づけに過ぎないと気づきます。
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 内容はダンダン面白くなっているが、字数の関係でここで切る。
エピクロスは、「人が生きているかぎり死は存在しないし、死が存在するときには人は存在しない」と看破した。
言葉を持った人間が死という言葉を持ったために、死という言葉の影に脅えているに過ぎないということを
よくよく納得しないと、生きかたを間違ってしまう。でも、言葉でわかったつもりでも、
「生きているうち、死んでしまえば、それまでよ!」と思ってしまうから困ったものだ。
しかし、死ぬという言葉自体が生きている人間が死体をみて、いや抜け殻を見て名づけた言葉である。
しかし仏教では「生老病死」というんじゃないか?でも、あれ宗教じゃないか! いや元々は宗教ではなかった。
死という字がよい、一の下に夕ヒである。夕陽が地平線の下に消えるのが人生の終わり!何ともロマンッチクである。
この辺に答えがあるのじゃないか?いや、一は生きている方が勝手に思っていること?当人は、その線の一は無い!のか?        

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2005年11月11日(金)
1683, ザ・マインドマップ−1
                        −読書日記
ブザンのマインドマップに関しては、「頭の良くなる本」「自分が天才に思える本」「人生に奇跡を起こすノート術」
などを読んでいた。特に初めて「人生に奇跡を起こすノート術」を読んだ時は大きな衝撃を受けた。
その前に、「インスピレーション」というソフトを買って使っていたにかかわらず。
これをノートに切り替えるという、着想がわかなかっただけのことだが。しかし、絵入り、手書きという部分が違っていたが。
 《字数の関係でカット2009年11月11日11日)
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2004年11月11日(木)
1318, ベスト・エッセイ集ー2

 橋本元首相が、数年前に大手術をしたことは、ニュースで知っていた。この本の中に、その時の生々しい心情や、具体的な
日々が書いてあった。何かキザな鼻持ちのならない男と見ていた存在が、急に身近な一人の人間に思えてくるから不思議である。
またTV「お宝鑑定団」に出ている中島誠之助のエッセイもあった。普段知ることのできない骨董品の世界を覗き見ることが出来た。
骨董の世界は本物、偽者が混合している世界。本物の中でも、価値が大きくわかれている深い世界である。
 ー中島のエッセイの印象に残ったところを抜粋してみる。「骨董の世界では、初めから人をだますために作られたものを、
偽者にもおよばない最下級におき、『嫌物(いやぶつ)』と呼んで下げすんでいる。
嫌物は、それをこしらえた人化身であるために、そのもの自体に罪がある。それに対して偽者は、その人が作りあげたもので、
品物自体に罪はないといえる」 著名の作家の書く文章は、何気ない日常の描写が鋭く、それを思わせないタッチがプロの凄み。
一流の人は何気ないことでも、その文のタッチで改めて対象を見つめさせてくれる。それが一流の一流たる所以である。
一流の役者が端役を演じると、その役そのものが端役でなくなってしまうから不思議である。何事も魂を込めるからである。
このエッセイ集に選ばれることが、著名なもの書きや、政治家や、エッセイストの大きな名誉となっているという。
 この数年分の「ベスト・エッセイ集」をジックリ読んで勉強してみようか。
  
・・・・・・・
2003年11月11日(火)
951, 衆議院総選挙の結果を考える

 終わってしまえば、こんなものだろうというのが選挙の結果である。もう少し、投票率がアップするのではと思っていたが、
それにしても低すぎる。総括として「二大政党のカタチが、でき始めた選挙」であった。
小沢一郎の捨て身の合併劇で、マニフェストー選挙公約を争う機運ができた。小選挙区制度の良さがここでやっと出てきた。
自民党保守派の社会主義者が、中選挙区制度の復活を言っても誰も相手にしなくなった。
 「もう一歩で民主党が勝てたかもしれない」という期待が少しあったことと、「自民党よ、そう甘い顔はしていられないよ」
という忠告が相まっている。しかし、もう少し民主党に勝って欲しかった。 190議席あたりが理想的であった。
 やはり若い人の選挙に対する無関心が、その壁になった。結局は自分で自分の首を絞めていることになるのが解らないのだ。
無知の彼等の未来から借金をして、生き延びようというのが旧守派だろう。自民党の恥元派と官僚だろう。その彼等に間接的に
手助けをしているのが解らないのだ。これも若年層の質の低下の現象と見てよいだろう。 ソ連と中共と北朝鮮からの
資金援助をしてもらっていた社会党の残党の社民党が、そこから金が入らなくなったら消滅するのは当然である。
共産党は今更、何もいうことがない。この残物整理という点でもこの選挙は意味があった。
ー毎日新聞の記事をweb毎日からコピーした。
          2003年11月8日
 以下字数の関係でカット(2007年11月10日)

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577, 一人旅
- 2002年11月11日(月)

20代前半に北海道と九州に二回一人旅をした。他には勤めていた会社にいたころ、近くの半島に旅行をした。
紀州半島と能登半島だ。これは一泊二日だったが。 一歩家を出れば、あとは旅行代理店とつくった日程どおりに
こなしていけばよい。結構楽しい旅であった。 写真を多く撮っておけばよかったが、そのアルバムも不明だ。
傷心旅行だったり、学生時代の最後の休みの旅行だった。一人頭の中でブツブツ独り言を言っていた思い出がある。
それがよいのだろう。一種のロマンチズムで、有り余るエネルギーの捌け口だった。ただ記憶が鮮明に残っているのが
不思議といえば不思議である。今考えてみれば、一人で外国に出てみるのもよかったが、あの当時の社会情勢からも、
自分の性格からいっても無理だった?? 一人旅は一歩踏み出せば、なかなか味がある。「深夜特急」の沢木耕太郎の
ドキュメンタリー風の小説がある。世界の一人旅を目指している若い人の手引書になっている。
7〜8年前にTVでもドラマ風に仕立てられて数回に渡って放映された。この出来もなかなかよかった事を憶えている。 
といって親しい人との旅行と比較すれば、やはり一人旅より良い。 TPOSによるが。


3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる

2009年11月10日(火)

 
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年である。
私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)
   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、9・11テロ、
そして、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子の中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に変っている。
三倍の200年の時代を経験してきたようだ。 特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、東京大地震があった。
世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 世界は激動していたのである。
 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、
中国が勃興するプロセスを目撃することになる。また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。
64年間、十分に世界を見てきた満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた80歳後半の人は、
本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に見ているから、なお、
時間の長さ・短さを実感しているだろう。  これだけ激しい変化を目撃するとは、実際思ってもいなかった!

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2776, 仮説思考 −3
2008年11月10日(月)

「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  −−その仮説から考えると−−
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と世界恐慌・研究の米国人経済学者が
インタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的にみて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで
収束しない事態である。 その最大の被害者は最大の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が多く保有しているからである。
 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、
早期回復など有得ない。 そうこう考えると、この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、それが世界戦争に
つながる可能性が大。 「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
 食品が二倍に値上がり(いやもっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、土地の値段は現在の半分か三分の一。
生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 
それがどうしたといえば、どうもしない。 この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 
企業には成長対策、競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。
更に悪いことに、ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波やサイクロンが発生するし、
異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システムそのものの変調が原因とみるべきである。
 −−−−−
 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。 
                             つづく
・・・・・・・・・
2007年11月10日(土)
2412, 暴対法について

         ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜
また、九州で暴力団の素人を巻き込んだ殺人事件があった。
こうなったら、「暴力団対策庁」を「警察庁」から独立して設立すべきである。
暴対法が出来てまる15年、その社説が先日の産経新聞に出ていたが、
この法律が出来てから見るからに暴力団風の男の宿泊は激減した。 
またクラシックなパターンのホテルへのカツアゲも殆どなくなった。
開業以来ほぼ強請り取られた経験はないが、それでも現場は常に緊張感に包まれている。
地元の暴力団は比較的に大人しいが、それでも数年に一度はニアミスを起こしそうになる。
「ホテルは警察が常に出入りをしている場所」ということを彼らは知っているので、無理難題は言ってこない。 
脇を固めていれば、付け込まれることはない。 実感として暴対法以来、弱体化していることは確かである。
数年前に内輪もめのイザコザで組長と幹部が逮捕されたが、以前のような勢いはない。
マフィア化したのかもしれない。
その記事によると
・暴対法の実施から、構成員の半分が準構成員になってしまった。警察の目から隠してしまい、マフィア化が進んでいった。
 昨年末で構成員4万1千に対して準構成員が4万3千と準構成員の数が上回った。
 シノギも不景気で厳しくなり、ファジーのパート化?分社化していった。
・警察も暴力団との癒着を恐れ、接触を避けるようになり、暴力団も組織の情報統制を図り、対決姿勢を露わにしだした。
・中小の暴力団は弱体化が進み、地回りなどの収入が激減、多くが消滅していった。
 反面、山口組が、その中で過半数を占める寡占化が進んだ。

以前は、構成員は普通のスナックではあまり見かけなかったが、最近は得体の知れない怪しげな風体の男を
彼方此方で見かけるようになった、そのため繁華街には以前のように気楽に歩けなくなってきた。
素人(チンピラ)のアマチュア化、プロ(ヤクザ)のセミプロ化ということか。
堂々と犯罪組織が看板を上げているのは世界広しといえども日本だけというのは、
如何いうことだろう?
              ヾ(・д・。)バイバイ
・・・・・・・・・
2006年11月10日(金)
2047, あたりまえなことばかり −3
      オッ(*^○^*)ハ〜
                   ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・
如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。
そして「きちっと考えれば悩まなくなる」というが、そのとおりである。
自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
 ーーー
「あたりまえなことばかり」 
ー 考えるとはどういうことか ー

 ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと考え始めて、
  如何にわからないかということをはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。
 つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテスの無知の知という自覚は、哲学の原点です。
 考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、考えるということはそこから始まるのです。
 この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。
 他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことがないからです。
 考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。
 もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。     
 考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、その開放感とか自由感は凄いものなのです。
 なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。
 相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、
 また宇宙大の視点から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。
 今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、あれこれ悩んだり喧嘩したり
 することから開放されるのです。死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
 これを上手く語る言葉がない。 また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。
 死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。
 ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
 どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。
 自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。
 万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。そうすると再び、
 今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。
 我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、考えることによって、その不思議さを自覚することによって、
 自由になることにあると思います。 我われは考えないことによって、要らないことにいっぱいこだわって、
 不自由になっているいるわけですから、考えることによって、それから一つ一つ自由になっていく。
 また本来すべての我われが自由であったということに、考えることによって人は必ず気づくはずです。
 謎を自覚することは、自由である他になりません。
 だからこそ人は、じっくり考える必要がある。考えて、自覚すること、自分が自分であることの謎を
 自覚することこそ、この時代の人生を生きることの意味は尽きていると考えます。
 ーー
 以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。
「人間の最上の快楽は考えることである」というのは、少しは納得できた。
秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。
最果ての地で直感した開放感と自由感は、その離れたところからの大きい視点を
得ることによって、確実な心の基点を裏づけとして、何時までも残る。
それが、哲学することー考えることと酷似ているということである。
哲学も、秘境旅行も、その蓄積により自分の中の自由を大きく切り開いてくれる。
我われは、よく考え、よく生きることによって、よき自分の物語を持つことができる。
自分の中に自分の物語と、歴史の物語を重ねることによって、互いのプリズムを照らし合わせて
輝かしい人生にすることが、哲学をすることに求められるのではなかろうか。
 
 ・・・・・・・・・
 2005年11月10日(木)
  1682, 「ひとを嫌うということ」−1  
                    −読書日記
学生時代や、勤めていた時代に多くのタイプの人と接する機会があった。
また、多人数の兄姉の末っ子ということもあり、かなりきつい虐めにあった。
学生時代の寮やクラブの先輩や、勤めているときに合わない先輩との確執も多々あった。
人間であるかぎり必然である。仏教でも四苦八苦の中で、怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)を説いている。
ここで取りあげるのは、こういう「程度の高い?」憎しみではなく、普段どこでもあるような嫌いについてであるが。
ひとを好きになることについては多くの本があるが、その反対の「嫌う」という問題を、真正面に捉えている
非常に面白い本である。ひとを好きになれ、しかし嫌いになるなというのは、食べてもいいが決して排泄するな
といっていると同じで、無理である。著者の中島義道は、とことん他人から嫌われてきて、そしてやたら嫌ってきたが、
ある日を境に、人生の大問題になってしまった。何となく嫌われていた妻子から、ウィーンで大喧嘩をして・・・
そして徹底して嫌われるようになった。
 冒頭の「はじめに」から、すざましい内容になっている。
ー「思えば、母は父を嫌って死の直前の40年間、彼に罵倒に近い言葉を浴びせつづけていた。
その同じほとんど言葉を、今や妻の口から出てくる。 そして、私もまた父を死ぬまで嫌っていた。
いや、死んでからもなお嫌っている。 息子が、また私をはっきり嫌っている。 これは一体何なのだ!
私はみずから生きていくために「嫌い」を研究するしかないと悟った。
つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたのです」本書で私がつかんだことは、それは「嫌い」
という感情は自然であること、そして理不尽であること、しかもこの理不尽こそが人生であり、
それを誤魔化してはならないということです。
 −
この本の初めから終わりまで、このような文章が延々と続く。自分の心を代弁し、そして深く納得する。
だから面白くて面白くて一人不気味な笑いを浮かべながら、中島義道の世界に引き込まれてしまう自分をみてしまう。
嫌うということは、食欲や性欲のようなもの。 その自然の欲求を、社会に生きているということで割り切って
コントロールすればよいと切って捨てている。自他に対する嫌いをヒリヒリするほど感じることも時に必要であると。
私事になるが、私もこのことをジックリ考えたことが多々ある。それも20歳の頃から。そして割り切ってしまった。
「嫌われることも、嫌うことも避けて通れないなら気にしないことだ。
受けとめかたとして、好き嫌いを二の次にする。 他人の思惑も大事だが、自分の受けとめ方のほうがもっと大事。
人は何時も自分がどう思われているか気にしている、それはそれでよい!そんな感情など情念のひとつでしかない」と。
あと27歳の時、自分で事業を立ち上げた時も、割り切る機会になった。
「一神教」のキリスト教やユダヤ教の信者は、内面に共通の価値観がある。
しかし、多神教の日本人は如何しても周りの顔色をみるしかない。
自分のなかに絶対という信念を持てないからである。だから、嫌われることが恐ろしくなる。
人間関係に悩み傷ついている人は、この本を読めば大きく癒されるはずだ。
この男を見ろ、憎悪を持つ前に、嫌いを訓練すればよいと納得するだろう。
そういえば、歳を重ねるほど憎悪など持たなくなる。
気持ちの処し方が出来てしまったのだろう。 憎悪する前に、気持ちの中で抹殺してしまうから?

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2004年11月10日(水)
1317, ベスト・エッセイ集−1

’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。
何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本である。
この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。
何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。
(字数制限のためカット 09年11月10日)
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2003年11月10日(月)
950、「泣いて笑ってハッケヨイ」

 昨日より大相撲が始まった。そういえば先日、再放送であったが、NHKの人間ドキュメント「泣いて笑ってハッケヨイ」
が良かった。今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。 中学を出たばかりの子供が、
わずか数ヶ月の中で全く違った顔に変わっていく。もし自分の子供であったら、涙が止まらないだろう。
気の弱い登校拒否の子が、相撲の中で克服していく姿が生々しく映し出されていた。
大きな志と小さな自信をもって相撲に取り組んでいく姿がそこにあった。「体に痛さを慣れさせないと恐怖心に
勝つことが出来ない」という兄弟子の言葉が印象的であった。 そして稽古で痛さを体に憶えさせて行く場面は、
人生の根底の要点であった。 まずは自分の恐怖心を乗り越えなくてはならない。
 勝つことによって、だんだん意欲が出てくる姿が初々しくてよい。
いま大相撲が面白くなくなってきたが、こうして一人一人が自分の人生を背負って闘っている姿をみると、
じっくりと見直してみる必要がある。今場所は、横綱の武蔵丸が引退かどうかが一番の注目されている。
実際は無理だろうが、相撲の世界はわけの解らないところがあるからどうなることか?
 −過去に書いた大相撲の随想日記をコピーします。
 ・・・・・・・  
 相撲を考える
 2003年9月22日
 ー字数の関係でカット(2007年11月10日)
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 2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲
 −字数の関係でカット
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 2002年09月22日(日)
527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸!

 まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。
もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、
彼はそれを持っている。 しかし心情からみたら武蔵丸の勝利が望ましい。
 (字数制限のためカット 09年11月10日)
 ・・・・・・・・・
 576, ある時間の断面ー10
 2002年11月10日(日)

 ー1968年 9月27日
 7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。 
石川をチョット無視をする。 たまには薬になるだろう。 図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。 彼も大変のようだ。 その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調。
石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。 どうしたことか?疲れているようだ。
 ー1968年 9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの場所に行く。
しかし彼はこない、図書館に直行して、卒論のまとめをしていると、石川がくる。
12時頃再び待ち合わせのところに行くが彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。 
石川と深井と川崎と松村の家に車で行くが、凄い家だ。山の手の家に入るのは初めてだ。 
(いや鳩山御殿に、ある会合で映画でいうその他のエキストラで行ったことがあった)
その後松村の家を出て、石川と深井と3人で[[赤と黒」というスナックへ行く。
それぞれの性格について話あう。 23時に帰寮後、服を着たまま寝てしまう。
夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。 それっきり眠れない。


3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」

2009年11月09日(月)

 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した以上の内容だった。
長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで内容を調べ納得し観ることにした。
亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから何かがあるはずと・・・。
ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので丁度よいタイミング。
映画館の前から4番目の真ん中の席をとって、館内は私一人だけの気持ちでみたが、上映時間の二時間は、
アッという間に過ぎてしまった。 練習とはいえ、完成前の調整段階のもの。
マイケルと、指揮者、そしてダンサーやミュージシャン、などが一体になり、それぞれの歌の場面を知恵を出しながら
練り上げていた。 彼の歌の隠れテーマは『愛と自由』ではないかと直感したが、正しく、その通りであった。 
 ー以下は、HPの紹介文ー
6月25日に急逝したマイケル・ジャクソンがロンドンで実施予定だったコンサート「THIS IS IT」。
何百時間にも及ぶリハーサルとビバインド・ザ・シーンの映像を使用した劇場映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」
の新たなシーン(写真)が日本で初公開され、リハーサルの一部が明らかになった。 バックダンサーを背後に従え、
ブルーのジャケットをまとってキレの良いダンスを見せるマイケルの姿。 当時の猛特訓ぶりが伺える。
歴史的な記録映像を劇場映画の今作の監督は、コンサート「THIS IS IT」のクリエイティブ・パートナーのケニー・オルテガ。
「この映画はマイケルのファンたちへの贈り物」とした上で、「コンサートの“THIS IS IT”は観ることができなくなったが、
今作でマイケルの貴重な映像を披露することができる。 カーテン・コールの準備まで入念にしていたこのコンサートは、
マイケル・ジャクソンの最高傑作となっていただろう」という。
 ーー
私のように、全く分からないものでも、歌のエネルギーと、魂は分かる。幼児偏愛趣味とか、整形とか、
マイナーのイメージがあるが、それとショーのセンスとは別もの。 これは、リハーサル現場に立ち会い、
彼の一挙手一投足を覗き見る錯覚に囚われていくような構成になっている。 若かりし頃に、金沢でプレスリーの
ショーを、やはり映画化したのを観たことを思い出した。 あれも、素晴らしい内容であった。
矢沢永吉のリサイタルを映画化したのを、近く上映するようだから、気持ちが向いたら行ってみるつもり。

 ・・・・・・・・・
 2775、仮説思考 −2
 2008年11月09日(日)
 ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー

 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネスパーソンは多い。
 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。
 実際に起こることは何か? 情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
 最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。
 徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。
 仮説とは、十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。
 常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。
 「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。
 ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
 *仮説思考の効用
    著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
    (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけたくさんの情報を集めて
    分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。
    その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。情報収集に時間を取られた結果、思考する時間が
    ほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。
   「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
    仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした気にはなるが、
    実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの3に絞って考え、
    それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させるのではなく、
    仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認しようとしても、
    頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方が
    アドバイスしやすいし、上司も安心できる。ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
    同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業をしなくてすむ。
   「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違ったものが出てくる」という事態を避けられる。
    もう一つ事例を挙げると 「実験をする前に論文を書く」ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。
    そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
     失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分かるため、それほど時間の無駄にはならない。
 *自分より1つ上のポジションの立場で考える
   仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
   全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」
  「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、
   プロジェクト修了後に出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。
   著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」ことを勧める。
   また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
   ーー
  後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法である。
   次回は、この本で紹介している、天才棋士の羽生の話である。
   棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。
                                          つづく
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2007年11月09日(金)
2411, からだのままに
               (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 ー読書日記ー
               南木けいし著 文藝春秋社
数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、その著者の随想なら読む価値は充分にある。
2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表された随想である。
臨床医師として、文学界新人賞、芥川賞と受賞した医師だが、終末医療に携わる中で
ストレス障害から体調を崩し38歳の時にパニック障害から欝病になる。
書くことも読むことも出来ない中で、生かされている自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。
映画も、この随想からも、何ともいえない人間としての深みを感じ取れる人である。
私よりも6歳も下の人とは驚きである。 本人が深い病気を経験したり、多くの患者を看取ってきた経験と教養の深さだろう。
こういう人を知るにつけて、己は何をしてきたのだろうか?と、・・・。
 ーまずは特に印象に残った部分を抜粋してみる。
  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》
                  ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!

数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する
  Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、
   市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、 このために必要な知識・経験」である。
 『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』 というのが、結論である。
ーー
先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が「今、教養とは」であった。なかなか納得しやすい言葉で各自が語っていた。 
印象的な発言を集約してみる。
ー日本画家の千住博の講演がユニークである。 {サルにとって、進化するための教養が壁画だった}という説が面白い。
西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの壁画がある。
約1万5千年前、時代は氷河期であった。その時期、氷河を前に旧石器人は洞窟に引きこもるしかなかった。
そこでやることはなく、絵を描いたのです。絵は洞窟の奥ほど古く、出口ほど新しく次第にリアルになっていった。
(数千年かけて書き継がれていた)これはなかなか良いとか、こう描けば良いとかといったコミュニケーションが生まれていった。
彼らは絵を描くという行為によって一歩ずつ人間に近づいていった。
その過程で、イマジネーションや観察力、知識、理解力、コミュニケーションが、当時の旧石器人に芽生えた。
つまり芸術がサルをヒトにした。それがアルタミラの壁画の持っている意味です。サルにとって、進化するための教養が壁画だった。
芸術を料理にたとえてみる。つくり手が材料から、美味しい料理を作ろうというイマジネーションが、
他人に食べてもらおうという、コミュニケーションになります。
芸術とは作り手が、自分のイマジネーションを、何とかして他人に伝えたいと思う心です。
「俺の叫びを聞いてくれ」「私の歌を聴いてくれ」と思うのが芸術なのです。
私はこの芸術的発想が人類の発生と同時に存在していながら、こうした考えが弱まる時代は非常に危険だと思います。 
だからこそ、芸術がサルを人間に引っ張り出したという歴史を考えてみる必要があります。
相手が伝えようとしていることに対して、まずは相手の話を聞く。こんなことをしたらどうなるのだろう、と考えてみる。
たったこれだけのことがこの時代にどれだけ大切なことか。この発想が、教養という考え方の柱になると思っている。
−−
以上だが、現代の教養は書物はさることながら、インターネットとブログという手段を使いきれるかどうかが、
その人の教養度を大きく左右するだろう。
                      \(^▽^*)バイ! 
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2005年11月09日(水)
1681, うそつき−4

「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。
ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、
実はお巡りさんだという。 お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ーこのような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。
その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、
彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。しかし、その夜、帰ってきて村人に
『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。
嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。

・・・・・・・・
2004年11月09日(火)
1316, まさか、地震が地元で!ー12

昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、
復興の為の手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。
イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。
今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。
建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。
昨日も震度4〜5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。
今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 余震がいつまでも続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。
 メルクマールの日記内容である。
 ーーー
メルクマール  堀井
 ー11月08日
・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。
これからも震災関係も入ってくるから、予測していた動きが、でてきたようだ。
殆んどが事務方だ。長岡では宿がとれないためだ。といって、これは一時的なことでしかない。
東京〜長岡間は4時間15分〜5時間半はかかる。高速道バスで6時間だから、値段から考えたら、バスが多くなる。
新幹線の脱線の工事は、11月10日からというから、当分開通はないが。
しかし亀裂をおこした立柱は、もう工事に入っているだろう?から、年内は無理としても最短年越し直後辺りではないか。
長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の「イズミヤ」など、三つのホテルの従業員全員−100人あまりーが解雇されたと、
新聞に出ていた。 失業保険で急場をしのいで、一年後に再開するのか?
いずれにしても、経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。
 ー11月7日
・朝8時過ぎに、震度3の余震があった。ドッスンという縦揺れのドキッとする地震だった。当分はこの状態が続くだろう。
・「男はつらいよ」DVDを借りてきた。 こういう時は、これにかぎる。

・・・・・・・・
2003年11月09日(日)
949, 流通大戦争

 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター「PLANT5」が開店をした。
10月29日に開店をしたがチラシをまかなかったのでオープンをしている事に気がつかなかった。
規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。
 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。 お客の立場からみればアイテム数が多く、
廉価であることが第一である。ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。
  (字数の関係でカットー2009年11月9日)
  ーーーーーー
 648, 流通業界を考える
  - 2003年01月16日(木)
 ー字数の関係でカット(2007年11月9日)ー
ーーーーーー
516,デフレと流通大乱
 - 2002年09月11日(水)
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。 店内を3〜40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに
丁度よいからだ。 クーラーもきいているし面白いし。それにしてもお客が少ない。 商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。 
でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーとヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。それにしても
消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
 《以下字数の関係でカット2008年11月09日》
・・・・・・・・
575, つれづれに学生時代のこと ー2  
 − 2002年11月09日(土)
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」
といっている。その価値観はまるで違う物差しになる。今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。
若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』の追求」である。 
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく
設計図の再構築が必要ということだ。その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。
・・・・・・・
2001年11月9日
ーベトナム旅行中


3139, 「法則」のトリセツ −4

2009年11月08日(日)

  
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながらクロージングする方法。
よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉で
いろいろと買わされてしまう。 アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い出来ますか?」
いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、このステップを踏むと、承諾率は80%近い
ところまで跳ね上がった。 このテクニックは、通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。
サンプル無料提供、モニター募集、などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、
というセールストークもこの原理を利用している。 1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 そしてこの心理を応用した説得の方法を言う。
 ――
 こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。騙す本人も知らないで?
使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 素人の隙の部分をねらう。
   要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で
   到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。初めは小さなウソの積み重ねも、
   積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。
   まずは自分の創作した物語に自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。
   倒産劇からの親戚を巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 
   他人を騙す場合、まずは一番の身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。
   もう一つ最近にもあった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている自覚がない?から罪深い。
   すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  

 ・・・・・・・
2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)

  「仮説思考」 内田和成 著 
                   −東洋経済新報社
   実のところ、これを読んでショックであった。 私の場合、仮説を多用してきたが、ある課題があると、
  問題点を幾つか探して、対案を幾つか考える。その対案を仮説と思っていた。しかし、早い段階の「仮の答え」を
  仮説というから、驚いた。リーマンの倒産直後に、大恐慌が始ったと書いた。 その時は、違うかもしれないが、
 8割方は間違いないと。確信はあったが、それでも半信半疑で、そう書いてしまった。 
 ところが、その視点で現象を見据えると、明らかに恐慌であり、その後の経過から現在は多くの人が、
 そのトバグチに立っていると信じている。「あと一週間で死ぬとしたら何をしますか?」という問いかけも
 分かりやすい仮設である。そうすることで、現在の「いまここ」の重要性に気づくことになる。
   間違いなく恐慌と確信したら、現在すべきことは全く違ってくる。
 「まずは結論から言いなさい。そして、その結論に至った理由を三つ分かりやすく説明しなさい」と、よく言う。
  それを思考に使うということだから世界のコンサルトは違うものだ。
  この本は必見に値する。 勘の鋭い人は、この文章だけで充分だが。
  ーまずは、この概要をまとめてみた。ー
 仮説思考とは何なのかというと、 情報収集の途中や分析作業以前に持つ「仮の答え」のことである。
『情報の少ない早い段階で結論を出し(仮説)、問題解決の筋道を大体決めてしまえ』というアプローチをいう。
・問題の課題の洗い出しをし 
・課題を発見したときも原因の追求をする、
・そして解決策を考える。
 この3つのプロセスにおいて事前に仮説を構造化していれば、漏れなく、早く、本質を当てることができる。
 大切なことは仮説を立て、仮説を構造化することである。
 仮説を構造化するために  So What?を使用する、訓練を行うために "Why?を5回繰り返す" などがある。
「仮説思考は、頭が良いとか、手法を多く知っているというのとは異なる」。
 誰もが日常生活の中で無意識に行っている思考方法。 それが仕事になると
「右脳的な考え方はいけない。もっと網羅的に理詰めで考えて結論を出さないといけない」とスイッチが左脳に切り替わる。
 だが、経営や仕事においても日常的な仮説思考を行った方がむしろ効率的で良い結果をもたらす。
  著者は「高速道路で渋滞にはまったとき」を例に挙げる。
「左車線は初心者など運転が遅い人たちが多いから、追い越し車線を選ぼう」「そう考える人が多いからここは左車線を選ぼう」
「この先はインターチェンジがあるから、そこまでは追い越し車線を行って、その後左車線を行こう」これは仮説思考そのもの。
  また雨の週末に外食に行こうとして「今日は雨だからすいているだろう」「雨とはいえ週末だから混んでいるだろう」
 と考えるのも日ごろ良くやっている仮説思考として取り上げている。
 ーー
 後記)レーガン米大統領が、「報告書には問題と、その問題の構造を大項目三分類、そして中項目を三分類ずつ九項目と、
  分かりやすくまとめたものにしていた」という。 成るほど!と感心したが、早い段階の「仮の答え」とは面白い!
  この効果は2〜3倍ではなく、10倍になるというから、若いうちに知っていたら違う人生を送っていただろう?
  それにしても、今になって知ることが、知ることがあまりに多い。 無知の涙か?・・・
                                          ーつづく
・・・・・・・・
2007年11月08日(木)
2410, 「あたりまえ」ということ

金子みすず の「不思議」という素晴らしい詩がある。
*不思議
わたしは不思議でたまらない 黒い雲から降る雨が 銀に光っていることが
わたしは不思議でたまらない 青いクワの葉食べている 蚕が白くなることが
わたしは不思議でたまらない たれもいじらぬ夕顔が 一人でパラリと開くのが
わたしは不思議でたまらない たれに聞いても笑ってて あたりまえだということが
ーーー
我われは、いとも簡単に「あたりまえ」と思っていることでも、少し考えてみれば、不思議なことばかりである。
自分が現に存在していること自体が、「あたりまえ」ではない。偶然の一致の重なりで現在の自分が存在している。
その現在の自分が存在している宇宙そのものが不思議である。 それに気づくかどうかである。
不思議な体験を何度もしてきたが、それよりもっと不思議なこと、「いま、ここにある 自分」こそ、不思議そのもの。
その不思議をじっくり考えないから、せっかく不思議な宇宙、そして地球、自分の深さに気づかないのである。
そのためには「あたりまえ」のことに驚かなくてはならないのである。 感謝、感激、感動を周辺の全てから
感じ取らなければならない。最近、とくに感じるのは「いま、ここにある 自分」である。
これほど不思議な瞬間はないのである。こうなると哲学になってくる。あたりまえのことに、驚きを立てることである。
偶然、去年、池田の「あたりまえのことばかり」の書評が書いてあった。
面白いものだが、彼女の「あたりまえ」のことは、普通の人のいう「あたりまえ」とは全く違う。
「あたりまえ」と思っている全ては「あたりまえじゃない」ということ、それを全て疑いないなさいということが、
「あたりまえ」ということを言っている。 少し、ややこしいが・・・

・・・・・・・
2006年11月08日(水)
2045, あたりまえなことばかり −2
   「 あたりまえなことばかり」 池田晶子著  ー 読書日記    (。^0^。)オッハ〜
                 
 この本の面白そうな項目から取りあげてみると「考えるとはどういうことか」になる。
「考える」とは、実際のところなんだろうか? 言葉の羅列?それとも、思いつき?、
 それともそれらを対比し、その差異と同定をしながら掘り下げること? 
 まずは、この本の面白そうなところを抜粋しながら「考えて」みる。我慢して最後まで読んでください。それも何度も!
 当たり前のことに何の疑問を感じなくなってしまっている、自分の感覚を呼び戻すためにも・・
  ーー
 ー 考えるとはどういうことか ー
 *私が日がな何を考えているかといえば、考え始めたはじまりにまで遡ってみると、一言で言えば人生についてです。
  人生というと一言で敢えて具体的にいえば「生まれてきて、死ぬことです」あるいは「誰もが自分である」ということ。
  この当たり前のことが、不思議ではないですか? そんなのは当たり前といいますが、本当に当たり前と言われるが、
  それでは如何いうことか、解るのですか?生きることも、死ぬことも誰も知らないのに、どういうわけか皆知ったふりをして、
  毎日を生きているわけ。
 *キリストの言葉というものをよく読んでみると、私を信じろとはいってませんね。
  あなたの内なる神を信じよ、といっているのです。ところが、生命とか宇宙とかの不思議が本来もうどうしようもない謎を
  忘れた人たちにとっては、キリストそのものが信仰の対象になってしまうのです。 キリストだって分りませんよ、そんなこと。
  ところが自分がわからないといことを忘れているから、ただの権力闘争になってしまう。本末転倒なわけです。
 *どう考えるかという問いにあえて答えるとしたら、一言「驚け!」です。
  (字数制限のためカット09年11月8日)
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 2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4
   ー「メタモルフォーゼ」ー ?
     <意識の変容>

 一万年続いていた農耕社会の重心が、工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、
狩猟社会の本能が再び目覚めようとしている?のか。
北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど問われることになるだろう。
以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>の中の文章の抜粋である。
 ーーー
直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な関係を基本とする小グループを形づくってきた。
文化人類学者の原ひろ子は「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、さらに狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。
特に興味をおぼえたのは、彼らの生活が 「働く」「遊ぶ」「休む」の三つにわけられ、
そのうち「休む」が最も重要と考えられている、ということだ。
「休む」とは無為に寝転がっているということではなく、各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)
と相対する時間のことである。他人との関係からはなれて、ひとり静かに自分自身と、つまり自分の無意識と対話するのだが、
守護霊は雪の山野の親しい生物から選ばれるのだから、それは自然の声でもあろう。
そんな平等な個人を基本とする生き方が、農耕時代に入って、身分制社会の不平等生活へと一変したことは事実だ。
まるで高等サル類の不平等な群社会に戻ったかのように、ひたすら優位者の機嫌を窺い、身辺の人間関係に意識の大半を費やし、
一族の、村の、国の共同の神をそろって拝む。 だが農耕社会はわずか数千年来のこと。 
それに比べてわれわれは本格的な狩猟民として、最も短く見積もっても5万年もの経験を持っている。
20世紀の後半になって、農業人口が激減して、巨大な村に過ぎなかった木造的都会が、鉱物的な現代都市に変貌するにつけて、
狩猟民時代の記憶が意識の底から徐々に蘇り始めてきているように思えてならない。
 ーー
 以上であるが、現在の時代に大きなヒントが隠されている。 エスキモーの生活が「働く」「遊ぶ」「休む」の三つに分けられ、
その中で「休む」が最も重要に考えられているというのは、大きな示唆がある。 ゴロゴロ寝ているのではなく、
各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)と相対する時間というのがよい。
意識の変容は、本来の自分に戻る状態といえる。自分の守護霊と対じして、深く自らを見つめることで魂そのものと出会う。

・・・・・・・
2004年11月08日(月)
1315, ビーズ・クッション

数年前、パソコンショップで椅子と腰の間に置く「ビーズ・クッション」を見つた。
早速買って使ったところ非常に良い。そこで海外旅行に持っていって、飛行機やバスの席の腰に当てて使っている。 
 《字数の関係でカット2008年11月8日≫
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2003年11月08日(土)
948, ユーモアのセンス

 このホームページにもユーモア・小話のコーナーを設けてあるが、世の中には、面白い小話、ダジャレ、
ユーモアは多くあるものだ。といって本当に面白いものは少ない。
以前もユーモアについて書いたが、当時は小話を100近く集めて知人に話した。
それが、ここの癒し系のコーナーに書いてある。  ユーモアについては、全く通じない人が多い。
「どうして?」と共通項を考えてみたが、本を読んでない人にその傾向が強い。
言葉の中にある微妙な面白いイメージが全く湧いてこないのだ。 それと、身構えて冷笑してしてしまう。
早くいえば教養のない人であるが、それをいってはお終いだが。
「じゃあ、あなたは自分の教養があると思っているのか?」と言われると答えようがない。
 全くつまらないと思うか思わないかのテストをしてみる、
ー身の上相談ー
アメリカのラジオ番組で、ある女性の回答が評判であった。あるとき、小学校のこどもが相談の電話をかけてきた。
「うちのママは、毎日、毎日、朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい よく勉強をしなさい TVをいつまでも見てはいけません 
 夜は早く寝なさい と言って、うるさくて、うるさくてしかたがありません。 ボク、どうしたらよいのでしょうか」
  それに回答者が答えた。
「朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい TVをいつまでも見てはいけません 夜は早く寝なさい 以上、サヨウナラ」
 この何が面白いのかと疑問に思ったら、少し考えた方がよいのでは、と思うのは少し厳しすぎるだろか?
「子供の期待する答えと、全く正反対の言葉を斬って返すセンス」が面白いのだ。隣の席の女に気がいっていてはダメだ。
 ーまた他の話で
ある男が片腕を失って、将軍から銀の勲章を貰った。
男は将軍にもう一方の腕を失くしたら金が貰えますかときくと、将軍は「もちろん、あげますよ」と答えた。
それを聞いたその男やおら剣を抜くと、もう片方の手を切り落としてしまった。
 この話、何にも面白い内容ではない。ところが少し考えると、あることに気がつくはずである。
もし気がつかないなら、一日考えてください。これが解らないと「言葉に対するセンスがない」といわれても仕方がない?
 ー説明すると、いややめておく。 引き出しのコーナーの、この文章の最後に書いておきます。
ー江戸の小話でも似たのがあった。
「後家さんになると綺麗になると聞いた熊さん、『俺のカカアも早く後家さんになってほしい!』」

・・・・・・
574, つれづれに-学生時代のこと
- 2002年11月08日(金)

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどのことがあった。
脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と結構恵まれていたのは
時代の背景もあったようだ。高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。毎日日記の中で色々な友人と語っている
内容は、これからどういう生き方をしようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。 如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。 何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・・・
[220] 実感の言葉
- 2001年11月08日(木)
「自分の人生の今までの実感を、幾つかの言葉で表現してみたら?」と聞かれたら
 1、まずは「恵まれていた」これが全てと言ってよぐらいだ。(時代、両親、恩師・・)
 2、次は、「ついていた、運が良かった」
 3、第三は、「面白く楽しかった」
 4、第四が、「有難う」ー感謝・感謝・感謝である。
 5、そして、「愛こそ全て」愛情の大切さである。
 6、「もう一度全く同じ人生を!」ー
  「ありがとう、面白かった、悔いはなし」 実際のところ、うそ偽りなしの気持ちである。
   ーなんか遺言みたいだー
   −−−
 ーいざベトナムへ!ー  
  こういう時代、一回一回が最後のチャンスと考え旅行をしなくてはならない。
  行く方も必死だ、ベトナム航空でベトナムなら大丈夫だろうと決定した。
  いざベトナムを決めて情報をとると、サイゴン(ホーチミン)やハノイはかなりスサンだ状態だそうだ。
  かなり危ないらしい。 しかし地方は良さそうだ。一週間で、近いということで殆ど緊張感がない。18時に成田発だ。


3138, 閑話小題  ーつれづれにー

2009年11月07日(土)

 * 金の価格が、動き出した?
 金の価格が、そろそろ動き出してきた。 世界の株式総額4000兆円に対して金の総額は500兆円でしかない。
信用取引などの債権総額が7京(7千憶×10)。 金の通貨としての歴史は数千年もある。 時代が変化しても、
やはり通貨の基準軸である。 で、去年に世界主要20ヶ国が、この通貨危機に対して、どんどん通貨を刷りましょうと
決めたのだから、近い将来に金が暴騰するのは当然のこと。 しかし目先に金を放出して、金融危機を乗り越える機関もあり、
一年あまりは自動調整をしてきたが、ここで値上がりに転じてきたようだ。IMFが放出した400トンの金の半分を
伏兵だったインドが買ったことも上げ相場の原因だが。 それとも、まだ調整期の一現象か? 金融の世界だけは
複雑怪奇なので即断は出来ない。 これでバブルの沸く中国上層階級が買いに入るかどうか?
  〜〜
 * 新潟飛行場タクシー運転手殺人事件
 物騒になってきた。新潟市は殺人事件が多いが、港町ということもある。
数万の金のため簡単に殺人事件を起こすから恐ろしい。 運転手も戦々恐々だろう。
「不景気で稼ぎが悪い上に、これだもの!」という、ボヤキが聞こえてきそうである。
さっそく、刑事が当日の宿泊客の名簿を調べにきていたが。 
  〜〜
 * 来春の高卒の就職内定者が4割を割って過去最低
 来年の高卒就職内定率が9月末で37パーセントで、去年より13パーセントもダウンした、という。
経済活動全般が三分の二になったのだから、この数字も肯けるが、地方ではよりマイナスが大きい。
新潟県は33パーセントというから、学校によっては、2割も決定してないところもあるはず。
企業側からいえば、5年もしないうちに大部分が辞めていくなら、中途採用を準社員にした方が数段、戦力になる。
この流れは、もう止まることもないから若者は絶望的になるのも分かる。 新卒の若いうちに、正社員としての
基礎訓練を入れてないと、何処の企業の再就職も難しいことは周知の事実。日本がますます弱っていく姿は痛痛しい。
その人にとって時代背景に恵まれていたかどうかは、大きな要素。その意味で現在、卒業を迎えている若者は気の毒。
しかし「今時の若者は」ではないが、ますます若者の質の劣化が進んでいる。まともな会話さえ出来ないのが大部分。
どうする日本である。それにしても、「ゆとり教育」の弊害は深刻である。 日教組か〜歴史に残るだろう、これは!
                         (偶然だが、去年、似たようなことを書いていた)
・・・・・・・・
2773,  どこか変?
2008年11月07日(金)

 今更だが、子供も含めて「どこか変」である。
「今の若者は!」と、ピラミッドの何処かに書いてあったというが、現在の若者のそれは、
そのレベルではない。 見てみない振りをするしかないのか。 アメリカが画策した占領下無能化教育の完成品か?  
立場的に書けないことは幾らでもあるが、酷いを遥かに超えている。 情報化による弊害もある。
 以下、その純朴な疑問がそのまま書いてある随想の一部である。  まずは、その部分から、
   ーーーー
*どこか変です!
 女子高校三人が乗ってきて、通路をはさんだ私の前の三人がけの座席に座った。
その直後である。駆け込み乗車さながらに、白い蝶が一匹、勢いよく飛び込んできた。
まるで意志あるがごとくにである。その潔さに驚いているとドアが閉まった。
蝶はまぎれもなく電車の一員になったわけだ。 この珍景に心を奪われていると、蝶はやがて失敗に気づいたらしく
右往左往しだした。だが程なく居場所が決まった。三人の前である。彼女たちの匂いや彩りを花と見立てたのだろう。
その前を拠点に、ひらひらを始めたのである。 私はほっとした。 三人はきっと優しい視線を注ぎ、
あわよくば誰かが、その柔らかな掌に包み込んでいとおしむに違いないと思ったのだ。
 ところがである。彼女たちは、「きゃあー」と悲鳴をあげて、通路を前方へと突っ走って行ったのだ。
あたかも熊ん蜂に襲われでもしているかのように、両手で頭を押さえ、背を丸め、まるで必死なのだ。
信じられない。 なぜなの? 蝶は拒絶されてもなお、その花たちを追った。
三人は、前の車両に飛び込んで大慌てで境のドアを閉めた。そうして、こともあろうにガラスに額を押しつけて、
蝶のようすを伺っているのだ。 これっていったい何なの。ふざけ?それとも本心?高校生だけにその挙動は不可解だった。 
 乗客の大半は蝶のことを知らない。突然の騒ぎにも我関せずである。
ひたすら本のぺージを追い、携帯電話を見つめ、あるいは目を閉じている。
私は行きがかり上、無関心ではいられない。それとなく、孤独な蝶の行方に心を寄せていた。
なぜ、こうまで嫌うのだろう。 相手が複数なら別だけれど、たったの一匹だ。しかも三対一。
ふざけにしては大袈裟過ぎる。 それとも鱗粉が問題なの? それなら眺めるだけでよい。
 そういえば先日、蝉が怖いのだと母親にしがみついて泣き喚く幼児がいた。男の子である。
蝉は歩道の傍らで、ただ、うずくまっていただけなのに。 私にはその泣き声が、自然との関わりが
稀薄になることへの警鐘に聞こえた。そうして、今またその思いが重なった。
人々は急テンポで変化していく世相に翻弄され、それは子どもたちが、野に出て遊びほうとする掛け替えのない
時期を逸することとつながった。 馴染みのない昆虫に拒否反応を示したとしても不思議ではない。
しかし、これもまた痩せていく日本の一コマではないのかと胸が騒いだ。
菜の花と蝶、炎天下の蝉しぐれ…… これらは皆、列島の宝である。 万人の心に響くものでありたい。
 次の駅で私は下車した。 蝶は、まっ先に飛び出したことであろう。
そうして一路、あの葉桜の下の草むらへと、独り旅を楽しんでいるに違いない。
私の偏見かもしれない。 時代おくれも承知である。 これでいいのかしら、と気になるのである。

 以上だが、何か変なことは誰も知っている。だが、諦めたのか、馬鹿馬鹿しいのか、誰も素朴な疑問を持たない。
 新幹線や、電車の中の似たような出来事を、知人に話すと、今更という顔をしながら、更に酷い事例を話してくれる。
 先日、自動車で3キロ引きずりをして死なせた若者がいた。 その男の、それまでの行蔵をレポートをしていたが、
 その何か変!というのに当てはまる。 親が団塊の世代で、離婚をしていて、親の不仲が子に報い!という奴だ。
 それに過剰な情報である。 オカシクなって当然といえば当然である。
「どこか変?」でなく、「かなり変!」である。

・・・・・・・
2007年11月07日(水)
  2409, まわり道
               ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。
 同じようなことが、立花隆の文章にもあった。「青年期の10年は潜伏期間で何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。
 私のカラオケの18番が「遠くへ行きたい」である。「まわり道」の先で歌ってたせいか、心の歌になってしまった。
 一番の究極の時こそ一番のプラスとマイナスの経験をする。人生には、色いろな道を通らねばならない。
「のぼり坂、くだり坂、そしてまさか」という道。迷い道、けもの道、なみだ道、散歩道、行き止まり道、
 分かれ道?など、 多くの道を歩いた先にあるものは?  火葬場? 天国?
   ーーー
ーp.121
・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。
「運命」と当面のしごとが要求することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口が
あらわれてくることもある。 あるいはまったく思いがけない人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。
けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間見捨てられているわけではない。
いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、
たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。
人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。落伍者のようにみえた青年の中から、
のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも
多くの風景に接し、多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。
そのためにやっと「わが道」にたどりついた時、すらすらと一直線でそこに来た人よりも
独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。・・・
 ーー
人生60年余生きてきて、本当に無駄なことは無かったと実感する。それも順境の時より逆境の時の方が有益だったように思える。
「順境は枝を張れ、逆境は枝葉を切り取って根を張れ」という。私が現在、文章を思ったままスラスラ書けるのは、
三回の浪人期に、自分を支えるため本を読み、文章を書いたため。その残存が、これである。外務省の佐藤優の文章が心を打つのは、
決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で考え、そして言葉を練りまわしていたからである。
また、そこを「勉強の場」として、本を徹底的に読んだからである。留置場こそ使い方によっては学びの部屋のようだが・・・   
留置場への道もあるか・・・

・・・・・・・・・
2006年11月07日(火)
2044, 読書週間に読書習慣を考える
                  (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
先週は、「読書週間」で読書について幾つかの新聞で特集を組んでいた。
驚いたのは、「この一ヶ月間で何冊本を読んだか?」の質問で、一冊も読んでない人が半数近くもいたことだ。
・男女はほぼ同じ、女性が50パー、男性が48パーであった。読まなかった人は、この10年間はほぼ変わらなかった。
・20年前に比べると20代では、20年前(22?)に比べると、二倍以上も増えていることだ。
 娯楽が本以外のメディアなどに多様化したことが原因である。
  (字数制限のためカット09年11月07日)      
・・・・・・・
2005年11月07日(月)
1679, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−3
ー「メタモルフォーゼ」ー ?
   <意識の変容>
 
「意識の変容」といえば、夢であろう。 夢は裸の自分に出会うところである。
夢について今まで多く書いてきた。そして、その本質について深く考えてきたと思っていたが、
この文章を読んで疑問を持ってしまった。ユングやフロイトを読み、実際に不思議な多く体験をして
意識の変容としての夢を冷静にみていたつもりであったが。
まずは、「自薦エッセイ集 魂の光景」 ー『メタモルフォーゼ』の章のポイントを書き写してみる。
この著者は深く難しいことを何気なく表現するのがよい。 ジャーナリスト出身だからだろう。
 ーーー    
"夢の形で何が現れるのか。少年時代からぼんやりと感じ、30歳代になってかなり意識したのは、
自分の内部に人気のない山奥の古い沼のようなものがあり、そのエメラルド・グリーンの静まり返った水面下に、
自分の体験だけでなく、両親とその先祖たちの何十代、何百年前にわたる同じ一族としての、同じ民族としての、
同じ人類としての経験だけでなく、哺乳類から爬虫類、両生類、魚類、海中微生物時代の経験までが、
深々と薄暗く沈みこんでいるらしい、ということだった。そしてたぶん私の場合、他のまともな多くの人たちに比べて、
その沼の水面の表面張力、つまり意識と無意識との境の膜が、極度に薄くって弱いらしい、ということも。
 ”ロックフェラー大学のジョナサン・ウィンソン教授の説によると、夢を見るということは、
「昼間の体験の無数の知覚情報を脳内に蓄えられた長期記憶と照合して、生存に必要な情報か否かを『海馬』
にて選別する作業」であるらしい。」 だから「夢が常に視覚光景の、しばしばきわめて非論理的な展開の形なのも、
日々の知覚情報と照合される古い脳幹や大脳辺縁系の記憶が、言語機能発生以前の、言葉を知らない記憶だから、
と考えれば納得がゆく」。”  ”霊長類の大脳新皮質の異例な進化を促してきたのは、古い皮質の本能的情動の闇から
抜け出ようとする光への憧憬だったのではないか、とも思えてならない。世界の形と筋道を意味をより広く眺め渡すこと、
とりわけ自分自身を内部から突き動かしている暗い力を意識化することである”
”家庭が貧しすぎて小学校にも行けなかった一女性が、老年になって自ら読み書きを習って本を読み、
自分でも文章を書くようになってから、こう語ったという。「夕日がこんなにきれいだとは知りませんでした」” 
”解剖学者の養老孟司は、本来全く別々の経路だった聴覚系の神経機能と視覚系の神経機能が重なり合った結果として、
人間の言語活動が可能になったのだろう、と推測している。(「唯脳論」)
 ・・・
情報処理の波がちょうどうまくぶつかり合ったところに、視覚性言語中枢と聴覚性言語中枢が生じた。 
この二つの言語中枢は互いに連結しながら、さらに前頭前野の運動性言語中枢と結びついて、
言語の構造化、発語と書字という言語行動が出現した。” 
  ー評ー
 ーノルウェーの同じ街とおもわれるところで、私も全く同じ体験をした。
 貿易港の街を歩いている時、自分ではない誰かが以前からそこにいて、自分を包み込んでしまうような何かを!
 柏崎の極楽寺に行ったときも、同じ感覚になったことがある。

・・・・・・・
2004年11月07日(日)
1314, まさか、地元で大地震!ー11

ウォーキングで、彼方此方みるうちに地震の大きさに驚いている。 近くに避難所があることと、
自宅の裏の空家に被災者一家が入居してきたことと、一昨日の殿町の飲食街で、具体的な被害を見てきたこともある。
お客は閑散、店と客のボトルは殆ど棚から落ちて割れたとか。次々に廃業をしているという。
30分ほど歩いた所にSCがあるが、ゲームセンターは閉鎖のまま、隣接している玩具のチェーン店
「トイラザス」もやはり閉鎖のまま。ジョウシンという家電の全国チェーンも、痛々しいほど店の商品はスカスカ。
駐車場の一角に大きなテントを張って、壊れた商品を一時保管していたのをみても多くの商品が破損したのだろう。
近くのパチンコ店も閉鎖のままである。遊技場など行く雰囲気でもないが。道路は、陥没のまま手がつけられてない状態。
アルファルトで応急処理をしてある道路も余震で再び陥没していたところが多い。この地震で家の崩壊や死傷者が少なかったのは、
建物が雪国用に頑丈に作られていたことと、過疎地で人口の密度が低かったことなどで、第二次災害が最小であったためだ。
これだけの災害でよくぞ三十数人の死者ですんだのは、不幸中の幸いである。
新幹線も、雪国用の特別仕様のため大事故をまぬがれた。
この地震の特徴は余震が異常に多く、現在も続いていて、余震の地域が更に広域に広がっていることだ。
昨日のメルクマールでも書いたが、散歩途中で聞こえてきた農家の人の立ち話が印象的だった。
「丁度良い時期に、地震が起きてくれた。早ければ、稲刈りや農作物の取り入れに影響をしたし、
遅ければ寒さや雪で大変であった。 水害の跡片付けも丁度終わった頃だし」なるほど、その通りである。
大きなマイナスの出来事の中にも、必ずプラスがあるものだ。
これからの被災者の大きな問題は、普段の生活に戻れないことだろう。一番変化に対応しにくい人達?だからだ。

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2003年11月07日(金)
947, 女の視線

「田中真紀子は選挙になると、一番汚い服を着る」という噂が専らである。なるほど、その同年代の女の視線を、
彼女には解らないのだろう。所詮は票乞食にならなくてはならないのが代議士。
もっとも選挙運動に綺麗な外行きの服も着ることができないが、パフォーマンスで着ているかは女の目には誤魔化せない。
目白御殿に住み、何不自由なく生きてきて、今更庶民派もないだろう。
 真紀子パフォーマンスも前回で終わったのか。あまりマスコミも取り上げないのも、新鮮味が無いことと、
彼女への風が吹いてないということだろう。橋本が破れたのは、彼女の力もあったが橋本が悪すぎたのだ。
外務大臣のときの、大臣芸者としての役者ぷっりがひど過ぎた。 もっと風が吹くと思ったが、
パフォーマンスは前回の一度で終わりか。結局は「親の看板と地盤とカバン」しかないのが彼女の本質である。
 この人から誠意のひとかけらも感じられないのが、彼女の本質を突いている。
国をどうするとかの理念が全くないのは言うまでもない。でも、この選挙には勝つだろうが。
選挙は最後の最後まで何がおきるか解らないが、大勢に影響はないだろう。 困ったものだ。

・・・・・・・
573, 健康機器
- 2002年11月07日(木)

 以前ある人に「ニギニギ」を紹介されてから、散歩の時は必ず持ち歩き、握ぎ握ぎをしながら歩いている。
肩こりや目などに非常に良い。 数種類を持っていてその時々に使い分けている。
海外旅行の時など飛行機や移動のバスの中では、必ず手で握り締めている。 ボチボチや突起物が付いており、
それが手のツボを刺激をする。 足と目と手にツボが集中しており、手が気楽に一番やりやすい。
100円ショップに多くの種類が売っており、7〜8種類を持っている。
 2週間ほど前に会社の近くの家電の量販店をブラブラしていると、磁気付きのニギニギがあったので早速買ってみた。 
使ってみるとなかなか良い。また自宅の近くのダイエーをブラブラしていると、店頭で磁気付きブレスレッドの
定価8千円のものが1千円で売っていた。 迷わず買って腕にした。
その夜何か寝ていても気分がよく良い夢を見た、そして翌夜も。気のせいもあるだろうが。
 更に再び同じ家電の売り場に再び行くと、アイマスクの磁気入りの物を売っていた。
これを早速買って夜付けて寝ると頭がすっきりした。 今度はヨドバシカメラに行くと、
頭に掛けるイヤホーンの形のコメカミに磁気を当てる物があった。これも良い。
付けて本やTVを見ると疲れないのだ。従ってこの二週間で頭や目や肩が非常に楽になった。
腕にブレスレッド、頭にイヤホーン、手にニギニギ、寝室ではアイマスクをしている。
まあ馬鹿みたいだが? 肩こり、目の疲れに間違いなく良い!

・・・・・・
[219] 無駄な事なし
- 2001年11月07日(水)

 人生ふりかえってみて感じる事は[無駄な事は全くない]という事である。
ある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、
一番重要なポインだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。重要な事はボロを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に‘自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと姉より死後に聞いて、
立ち上がれないほどショックを受けた’という内容が書いてあった。なにか非常に悲しい響きが残っている。
母に「人生の元をとった?」と聞いたことがある。「とったとった十分とった!」と嬉しそうに言っていた!
人によって「無駄な事だらけ」という人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、そうして精一杯生きてないと、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。
無駄とはどういう事だろう? ある事業に失敗したとする、それをどういうように解釈するか?
自分の解釈で意味ずけをするかだ。 無駄にみえても、意味があると解釈するかどうかだ。


3137, 脳と日本人 ー3

2009年11月06日(金)

「 脳と日本人 ー3 」
   * 庭の話 
            P−116  ー枯山水と認知科学ー
≪ 伝統的な庭園を日本と西洋とでは、どう違うのかというと、日本庭園の始まりのひとつは京都の禅宗寺院の庭園。
その一つに竜安寺の石庭がある。 逆に幾何学パターンの伝統的西洋庭園の違いがある。
 日本の伝統的庭園素材の代表は石である。何百年も庭の存在を維持する石である。
石そのものが伝統的日本庭園の中心で、植物は、あくまでも脇役。しかし西洋庭園は植物、とくに花が中心で、石は具えもの。
 日本は庭をみて作庭者の心を読んで、無心に庭の心を読み、無心に己を見つめるためにある。
それに対して西洋の庭は花そのものを楽しむためのものであった。 日本は植生が豊富で、建物も木。
その対比として石を主役にし、植物は第二にする。 西洋は石材の建物のため、植物をメインにしている。
 日本の平安時代頃の建物は、家の空間が庭と一体となるように考えられており、部屋で座って庭を眺めるようになっている。
日本は家と庭とが同一空間の中の中にある。それで家庭という名になるのである。 
それに対して、西洋では石の家の上から見下ろすつくりになる。
 ところで中世から日本の作庭は、「石の乞わんに従え」といって、石が「ここに置いてくれ」といういう声を
出しているのを聞いて配列を考えると禅坊主から庭師に職かえをした人が「作庭記」に書いている。
石の形を生かそうとする考えが基本にある。それに対して、西洋の基本は、石を切り刻んで形に入れようとする。
その根本的な違いが両者にある。その違いを西欧人は日本に来て直ぐに見抜くのである。≫
 〜
 父が私の現在の年齢の時、昭和38年から39年にかけての高度成長期に入った頃に、終の住処として(現に私が住んでいる)
自宅をつくった。 それから数年にかけて庭造りに集中していた。 学生時代に帰省をすると、親しい庭園会社の社長と
嬉しそうな顔で、全国から集めた石で庭造りをしていた。 私も還暦を過ぎた頃から、この庭の奥行きの深さに気づきだした。 
それまでは、海外の秘境・異郷の自然に魅せられて足元が見えてなかったのである。家に庭の組み合わせの妙がある。 
この数年間は、早朝のウォーキングから帰ってくると、必ず庭の中を歩いている。 年中、両親の植えた木や花が
処を変えて咲いている。 父親の精魂込めて集めた石や木の石庭の魂に気づくようになったのだろう。
海外や国内の庭を見続けて、ある分水嶺まで達したこともある。 
50坪ほどで、さほど大きくはないが、幽玄な世界が感じられる庭である。
石、草木、それを創った人の魂が漂っている、それが庭である。 

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2772, アメリカの人種比率は?
2008年11月06日(木)

黒人の大統領が当選したが、アメリカの白人、黒人、モンゴロイドの人種比率をネットで調べてみた。
 ーー
2005年の人口統計によると、
・白人(ヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、中央アジア系、ラテン系) 74.7%(2億1530万人)
・サハラ以南のアフリカ系(黒人)                   12.1%(3490万人)
・アジア系(東アジア、東南アジア、南アジア系)            4.3%(1250万人)
・アメリカン・インディアン                      0.8%(240万人)
・太平洋地域の先住民系                        0.1%(40万人)
・2つ以上の人種を祖先とする国民                    1.9%(560万人)
・その他                                6%(1730万人)
ー以上だがー、
四人に三人が白人、九人に一人が黒人。二十二人に一人がモンゴロイド、五十人に一人がハーフ。ということになる。
五人に一人位と思っていたが、以外に黒人が少ないのに驚いた。赤色のアラブ系も白人に分類しているので、かなり
大雑把ではあるが。今回の選挙で白人の半分近くまで黒人のオバマを支持し、黒人の98%がオバマの支持というから、
マケインが勝てるわけがない。選挙前日のアメリカのABC局の五人の評論家全てがオバマの絶対的な勝利を予測していた。
決め手は、九月半ばから始った金融恐慌である。それを引き起こしたネオコン政権への否定は当然といえば当然である。
オバマも、肌は黒いが中身は白である。 そんな果物があった。 ハワイの日本人はバナナというが。
欧州の食詰めた白人がアメリカ大陸で一旗あげようと夢を持ってきた人たちの国、だから色いろな人たちが
寄り添い必死に生きているのがアメリカ。そして人種のルツボの国。だから人種だけでなく、あらゆる場面で
差別が付きまとう国である。 それにしても微妙な時期に微妙な人種を大統領に選んだものである。
アメリカが中東の力を抜くと、イラン、イラク、そしてイスラエル、アラブ圏が再び不安定になる。

・・・・・・・・・
2007年11月06日(火)
2408, 久世塾 −2
               (*´・ω・)ノはよー   読書日記
 ー本当の不幸な人とは−
 印象的な人ー講師の話を抜粋しながら、この本の要点を書いてみよう。
 まずは、内館牧子の「本当に不幸な女」には驚いてしまった。
 4人の姉がいたことと、女の職場にいたので、色いろの女性の時々の多くの生き様を見ることができた。 
 特に結婚や恋愛の姿をみていると、心の中が手に取るように見えることがある。
 100%満足をして結婚する女性は皆無に近い?当然のことながら、妥協か成り行きである。
 そして最期は、諦めになっていくのは、キュープラー・ロスの本にあった末期ガンを宣言されて、その受容に
 落着くまでの患者の諦念への過程に似ている。最期の最期まで白馬の王子様を待っているが、そんな人は
 現れるわけがない。   結婚詐欺師は、その心に付け込み理想的物語の世界に誘うのである。
   それはそれでよいが、シナリオライターの眼は、もっと深いところをみているのである。
 ーまずはその部分を抜粋してみよう!ー
私は悪いことでも、つらいことでも、苦しいことでも、あった方か幸せだと思っています。
--以下は字数の関係でカット(2008年11月06日)
              ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю  
・・・・・・・・・
2006年11月06日(月)
2043, 「私」のための現代思想  −17
               才八∋ウ_〆(∀`●)
  ーこの本の‘まとめ’になるー
   今年は「面白い本」の当たり年であった。この本は「面白い」という面で、ベスト3に入る本である。
                                    ( ̄∇ ̄ |||  
   私たちは考えごとをする時に、略しているかどうかは別として、《私》という言葉を常に使っている。
   意識しないのを含めれば一日数百、いや数千回は使っている。そして、取巻いている世界からは、他人の《私》の
  「超越確実言明」を聞く。人間関係の軋轢の中で都合よく自分勝手な理屈をつくり上げ、
   その歪みに全く気づかないのが人間。さらに悪いことには他人の歪みには敏感に気づくときているから始末が悪い。
   近代哲学などで多く「私」について扱われてきたが「<私>について何か解りやすい理論がないものか?」と考えていた矢先に、
   この書に出会った。「他者」と「他人」の違い}も解りやすい。「他人の知らない部分を他者」と思っていた。
   自分自身の知らない一面をみてもゾッとすることが度々あるから、自分の中にも他者がいることになる。
   ユングの「意味ある偶然の一途」の経験など、まさに未知なる自己である。
  「自分の物語」の中で他者を勝手な配役に振り分け、俺様は主役。主役の俺様にとって、他者へ役割が「他人」になる。
   自分の人生劇場の登場人物として都合の良い役割を決めつけてしまうのだ。
   その都合よい物語の中で他者を端役として位置づけ、都合の悪い相手は悪役にしたて、
   都合に良い相手は善役にする。自意識過剰な軽い女子学生が唯我独尊の独り芝居をしている「あれ」である。
   数年前に亡くなってしまった同級生が、チンドン屋のような独演をいていたが。
   まあ、人生は全ての人が多かれ少なかれ、同じようなものだろうが。U(^(ェ)^)U
   自分のことさえよく解らないのに、他者のことなど解るはずがない。
   他人は、自分の妄想でしかないことを自覚すべきである。 他者不可知論も肯ける。
   いずれにしても、我われは露出しないにしても、何らかのカタチで、《私》と<他者>の軋轢の中で生きて
   いかなくてはならない。<私>の核の《私》が他者の積み重ねの中から出来ているという指摘には驚いた。
   考えてみれば、そうなのかもしれない。簡単に言えばー「私」を認める者の存在ーを通して《私》になる。
   その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。
  「《私》と、その<世界>は腐っていく」というのも、戸惑ったが、実際周辺をみていると解る。
   多選の県知事汚職が、そのよい事例になる。 w(☆o◎)w 県知事も、その周辺も腐っていくのが当然である。
   こと自分自身について考えると、あまりにも辛辣に聞こえてくるが・・・
   気が付くかつかないの差である!身体も、《私》も日々腐っていくのである。柿の実と同じである。        
        ( ゜o゜)ハッ  まあ、まあ、まあ、コーヒーいかが? (*^ー^)/C□~~ 
                                     おわり!   バイバイ!
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2005年11月06日(日)
1678, 読書について

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」
ショウペンハウエル(1788‐1860)の寸言である。 読書には、プラスもマイナスもある。
自分自身で世界を観察し、考え、そこに不変の法則をみつけることこそが重要である。
自分で見つけた知識だけが自分のものになり、初めて世界は部分的としても理解される。
人生を振り返ってみて、「自分とは、過去の行蔵の総量である」と実感する。
だから、その蔵の中には良いものにしておかなくてはならない。「言葉によって表現されていることを直感的に理解するには、
その表現されていることを既に知覚していなければならない」。いや、そのベースの上に書き加えられるという方が正しい。
カントではないが、盲人には『空は青い』は理解できない。視覚という機能があってはじめて空を知覚できる。
自分で体験しないことにはよくわからない(経験主義)。また人間の理解は、その脳機能の範囲を出ることができない。
思考も言葉で考えを表現して見せたところで、それを考えたことのない人間には通じない。
考えを伝達するのは、その考えを知っている人間に対してはその考えを想起させ、
知らない人間に対してはそれを考えるきっかけを与えるに過ぎないのである。
読書についてショウペンハウエルは、読書についての中で「読書は、言ってみれば、自分の頭でなく、
他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けていけば、仮借することなく他人の思想が我われの頭脳に
流れ込んでくる。」 また「読書は思索の代用品にすぎない」と言っている。
しかし読書も、その行蔵のお宝のコーナーの重要な位置づけになる。
考えるということは、言葉によって初めて可能になる。その言葉と、見方、考え方、思考法を学ぶのは読書が中心になる。
異質の人との議論といる方法もあるが、範囲が狭まれてしまう。 それにしても、読書をしない人が多い。
問題は、読書をしない人は、読書の効用をほとんど理解できないことだ。
書物には、活字の奥に無限の空間がある。そこには、未知という名の圧縮された世界が存在する。星座の世界に例えると、
宇宙の星座と違い、書物の世界の中にある星座はたやすく得ることができ、人間形成に大きな役目を果たす。
教養とは、自由を獲得するためー生まれた時から縛られてきた先入観からの開放に必要な知識、経験である。 
その一番身近なのが読書である。 それにしても、教養が無い自分に今さら唖然とする。知らないことが、
知らなかったことがあまりにも多い。 人生の次の最大のテーマは、全く経験しなかった分野に目を向けること、
[未知への道を歩き続ける]ことである。

・・・・・・・
2004年11月06日(土)
1313, まさか、地元で大地震!ー10
 ー経済に与える影響は

この地震による家財などの破損などで一般消費は目先は家具や家電などは売れるだろう。
しかし一般的には災害地以外も含めて大打撃になると予測される。
被害の殆どない新潟市でも飲食店、ホテル、タクシーに大きく影響が出始めている。
新潟ではタクシーは一晩に一組の客が取れかどうかという。飲食店でも学校、企業関係の宴会が殆んど
キャンセルされている。 新潟駅前など、新幹線と関越自動車道の不通で、普段の賑わいの半分以下である。
それでなくとも数年来、駅周辺も人出が減っていた。
この一ヶ月で、個人飲食店の閉店が目立ち始めてきた。新潟の事務所の100m以内で、三店も閉鎖した。
長岡だけでなく、新潟もこの冬で多くの飲食店が閉鎖されるだろう。
当社の長期滞在型アパートメントで、フロアー貸しをしている自動車教習所の話しによると、
東京からの「宿泊の教習生」が、殆んどいなくなった。あらゆる分野で影響が出始めてきた。
反面、長岡ではホテルとタクシーは目先特需という。長岡駅裏のタクシーの待合に一台しか止まってなかったし、
ホテルは今月半ばまで全て満室状態という。 それも長くは続かないだろうが。
JRの在来線と新幹線と、関越自動車道がストップしているのだから、如何にもならない。
昨夜、長岡の殿町の飲食街に飲みに行ってきた。いずこも殆ど客が入ってなかった。
最後に、馴染みの自宅近くの居酒屋に行ったが、近くの避難所に来ていた山古志村の被災民が一人で飲みにきていた。
あまり詳しくは話さなかったが、自宅は壊滅といっていた。この居酒屋も年内で閉店する。
この下書きをしている現在も余震が続いている。夜半も、かなり大きな震度3〜4?の余震が二回あった。
どこまでつづくのだろう。

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2003年11月06日(木)
946, 22世紀への伝言ー読書日記

 この人の本は図書館に2ヶ月に一度ぐらいの割合で追加される。
 やはり「幸せの宇宙構造」が何ともいって一番である。しかし他の本も決してまけてはいない内容である。
 平易の文章の中にキラリと光る内容がふんだん含まれている。
 難しいことを易しくアッサリと言ってのけているのがよい。幾つかを書き出してみる。
 ーパワー充電法ー
 パワーの充電法として別の方法を三つ、教えておきましょう。
・その一。
 人間そのものもパワーをくれるものです。元気な人、若い娘、よく働く人、動き回る子供、大声で笑う人、
 考え方が前向きな人、建設的、肯定的で明るい人、それに、気力・体力・精神力・意志力などを強く感じさせる人。
 そういう人の傍にいるだけで元気になります。
 喫茶店やレストランで席を決めるとき、友人もそういう人の近くになるべく近づくべきです。
・そのニ。
 室内で充電する方法です。コンセントから5センチほど(手を広げて)離し、出ている電気を取り込みます。
 同時に、「気」が体に流れ込んでいるようにイメージしてください。
・その三。
 空中に「栄養の塊」「エネルギーの塊」があるようにイメージし、それを
 木の実を採るように空中から手で掴み取り、口に入れます。実際にゴクリと飲み込んでください。 
 −−−−−−−
以下は字数の関係でカット(2007年11月06日)
「22世紀への伝言 」
イライラせず、心穏やかで温かく、幸せで満ち足りているときに、自分の中の眠っている潜在能力が花開きます。
では、どうすれば“心おだやか”でいられるのか。その方法と実践の為の手引き書。

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572, ある時間の断面ー9 
- 2002年11月06日(水)

 *1968年 9月24日
8時前に市川さんが起こしにくる、そのまま寝てしまう。9時半に目がさめる。川崎との待ち合わせに間に合わない。
顔を洗い寮を飛び出る。タクシーで校庭の通称 4丁目の交差ベンチに行く。
5分の遅れだが、待っていてくれた。その直前に綾部嬢とバッタリ出くわす。
ヨーロッパに行ってきたという。「すごく良かった、ITAの主催の旅行で行って良かった」と言っていた。
そういえば私が紹介したんだっけ?石川のガールフレンドだったが、今は上手くいってないと彼が言っていた。 
まだお嬢さんだが気持ちのよい人だ。 吉田嬢にも出会う。アメリカに行ってきたという、去年欧州旅行の
グループの一員だった。川崎と喫茶店に行く。かなり溜まっていた話を一人話していた。松村に腹を立てていた。
彼の言い分はよく解るが、そう言っていたら人とは付き合えない。
川崎もこの一年で成長したようだが、人間に影がなく好きだ。帰寮後TVを見て、風呂に行く。さて洗濯だ。
 *9月25日ー水曜日
また寝過ごしだ。全く何たることだ。流されているのだ。 小学生や中学生以下でないか。
自分の中の力があるはずなのに何故流される。 この時期一瞬でも大事なはずなのに。
大学の図書館で3時間卒論の本をまとめをする。 その後、小作と石川とウエストサイドで話す。 
帰寮後、3時間卒論のまとめをして、就寝。
  *9月26日ー木曜日
朝9時に学校に向け出発。産関論を30分受講、食事の後掲示板を見るためにタッカーホールに行くとゼミの武澤先生に会う。
「学館の問題」でタッカーホールで説明会があるから是非聞くよう言われた。偶然深井と会ったので、ホールに聞きに行く。
途中で出て図書館で卒論のまとめ、その後深井と早稲田の本屋へ行く。彼の求めていた本がなく途中で分かれて寮に帰ってくる。
深井もここで変わってきた。卒業間じかのせいか友人が皆練れて男臭くなってきたようだ。
19時頃に大妻女子大の人が尾形君のところに来るが、いないので私の部屋で一時間位待つ。
結構面白い子だが、その後市川さんと食事に行く。 一時間本を読んで夜半の一時に寝る。

・・・・・・・・・
[217] 夫婦別姓
- 2001年11月06日(火)

夫婦別姓について、あるいは行き過ぎた女性の社会参加についても如何でもいいとも言ってられなくなった。
そうでもないか? かなりの思い切った男性優位論を掲げた、ユング系の教授のホーページが面白い。  
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/contents.html
アメリカに与えられた民主主義で、消化されてない女性の異常な権利の主張が日本の特質になっているが、
それのみならず家庭を崩壊始めている。 誰も男の立場で何も言わなかったが、正々と論陣をはった彼に敬意を表する。
すっきりするが、今の日本男子の哀れな姿を彼が教えてくれている。
今の原理主義も全く肯定できないが、今の日本の一部の馬?女を見ていると、そのとうりと言いたくなる。
その連中(テロ)の前でこの馬? 女ーどもに「銃を持って戦ってみろ!」と言いたくなる。
これは旧約聖書の原理の解釈の戦いだ。


3136,脳と日本人 −2

2009年11月05日(木)

 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 −読書日記
   
 * 日本という方法
松岡: ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、日本が日本を「方法としての日本」に
 しようとしてきたことに関心があるんです。それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの仏教は、
 中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、法然や親鶯らによって、かなり独創的な
 日本浄土教というものになっています。空海の密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。つまり、日本は、
 中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。それは禅もそうだし、屏風や庭園もそうです。
 屏風は、中国ではほとんどが木です。日本は紙ですね。 日本という方法になっていくんですね。 たとえば、屏風は、
 閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったらまた蔵に戻すとか。ぼくの家もそうしていました。
 掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。ヨーロッパなどでは、いつ行っても同じ絵を飾っていますね。
 えんえん百年間も同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。セザンヌの絵でもお爺さんの肖像画でも、三年ぶりに
 訪れたら掛け替えてあったということはほとんどないしね。 新しく購入した絵画を自慢したいというのは別ですけどね。
 ところが、日本では、僕くが育った環境では、少なくとも季節ごとに変えています。 みんな、お金持ちじゃないから
 繰り返して使いますけどね。そういうやり方をするわけです。また、禅宗は中国で生まれて発展しましたが、日本で広まり、
 五山の禅宗文化になった。そこにはいろいろ付属して芽生えたものもある。細長い掛軸もそのひとつ、座敷で酒を飲むのも
 そのひとつ。その代表的なものが、枯山水です。中国にもロックガーデンは沢山ありますが、枯山水はまったくありません。
 枯山水は、水を使わずに岩や石や砂を配置しただけで、そこに山や水をあらわしている。水を感じたいから、あえて水を
 抜いているんです。 枯山水の庭の前に、日本では池泉庭園というのをつくっています。毛越寺の庭園ですね。
 そういうのがあったにもかかわらず、枯山水の庭をつくって岩や石や砂があるだけなのに、そこに水の流れや大きな世界を
 観じようとした。つまり、感じたいものを方法論的にそこから抜いたのですね。 こういうことは、宗教改革のような
 既存価値の打倒や分割とはいえないかもしれないけれど、とはいえそこには宗教感覚が生成していないともいえないんです。
 水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまった。不在をもって、かえって存在感を表現する。
 ―
 松岡は、何らかの情報を得て受けとめる方法のすべてを「編集」であると見て史書の編纂から日記、短歌、連歌などに
 とどまらず政治・経済のシステムや、書くこと話すこと、生きることそのものまでを編集行為として捉え、
 長年考察し続けてきた成果をもとに日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探っている。
 ただ「主題」を求めようとするのではなく歴史に蓄積された「日本という方法」を発見している。
 極東の島国に流れ込んだ、あらゆる文化を島国に合わせて再編成を長年かけてしてきたのが日本である。
 21世紀こそ、このノウハウが世界に必要となるのではないか、という。分からないでもないが。

 ・・・・・・・・・
2771, 女の一生
2008年11月05日(水)

ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を見つめると、誰も彼もが波乱に富んでいる。
短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。「言葉には魂が宿る」ということである。
 ーー
・・・十代の終わりには私は親もとをはなれ、働きながら自分で縫ったスーツを着て成人式に出席しました。
これが二十代のはじまりです。そして.「この人となら死んでもいい」と思える恋をしたものの、
「わしの目が黒いうちは、かまどの下の灰も、他人にはやりたくない」と彼の母親に言われ、
死ぬほど辛い失恋をしたのも二十代のことでした。
主人と知り合って妻になり、長男を授かって親となって、私の二十代は終わりました。
主人が交通事故のために、右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。
それからの月日は二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店経営の忙しさに追われ、
いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢のように過ぎてしまいました。
子どもたちが成長して私の元から去っていき、五十五歳で喫茶店も閉じました。
先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、こんなことが書いてありました。
 女の一生
  二十代 美しく   三十代 強く      四十代 賢く    五十代 豊かに
  六十代 健康に   七十代 しなやかに   八十代 艶やかに  九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも健康に気をつけて、
しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
 ーー
解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、 
  二十代 七転八倒           三十代 激しく逞しく
  四十代 ゆるやかに、よろよろと    五十代 面白可笑しく、三十年分を
  六十代 静かに 穏やかに?      七十代 (やはり)しなやかに

・・・・・・・・・
2007年11月05日(月)
2407, こころの旅 ー6
                  ○´ω`○)ノ**c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
   
   この本は、ところどころに見逃すことの出来ない「人生の道理」の内容で満ちている。
   それを知っているといないとでは、人生が全く違ってくるだろう。
   その意味では、この本は常に身近において読んで置いてよい本である。
   ・一歳半〜五歳位の間におきる脱中心化=自己客体として自分の身体を客観化する転換期、
   ・思春期におきる超時間的な抽象的時間の概念をもつようになる転換期、
   ・熟年時におこる宇宙時間の実感化への転換期、 と、人生に三回のコペルニクス的転回を指摘している。
    私は宇宙的時間の実感化はおこり始めているが・・・
  まずは、その部分を抜粋して考えてみる。
  −−−−−
*人生の三回のコペルニクス的転回

・第一の転換期については、ピアジュは子どもの研究において、一歳半ぐらいまでの幼児は
 すべてを自己中心に考えているけれども、一歳半ごろから自分の活動を自分のからだから
 「脱中心化」し、自分のからだをほかの客体の中の一つとして見ることを始める。
 これは四歳ごろから顕著となり、五、六歳ごろには本格的なものとなる。
 つまり、空間における自分のからだを客観的に見ることができるようになり、
 ものを抽象的に考えることができるようになる。これが第一の転換期という。
・さらに思春期ごろから第二の「コペルニクス的転回」が起こる。 青年は時計の「物理的時間」は便宜上のものに
 すぎないということがわかって来て、超時間的な、抽象的な時間概念をも持ちうるようになるという。
 つまり時間というものは極めて不思議な、哲学的な問題であって、青年期にこの問題に思いをひそめる人は必ずしも少なくない。
  (字数の関係でカット09年11月05日)
・・・・・・・
2006年11月05日(日)
2042, 田舎に泊まろう!
     。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「田舎に泊まろう!」を見ながら、この文章を書いている。(11月4日9時半)
地上放送で土曜日の9時25分に、夜はBS/TVで、20時に放送しているが、最近はどちらかを必ず見ている。
(地上放送は二週遅れの内容である) 内容といえば行き先も何も知らされないまま、全国各地に飛ばされた芸能人が田舎を歩きながら
地元の人に声をかけ、『今晩泊めて!!』と頼む。そこで色いろなふれあいが生じる。だいたい7〜8軒は断わられるが、
面白いのは(*^ワ^*)i  バイバイ!
                (字数の関係でカット08年11月05日)
・・・・・・・・・・
2005年11月05日(土)
1677, うそつき−3

子供の頃、「うそはついてはいけない」と信じていた。当時の子供社会は、まだまだ純朴な時代背景があった。
中学生になってクラスの隣の席の男が平気でうそをつくのに驚いた。それまで、うそを平気でつく人間はほぼいなかったからだ。
それから年齢を重ねると同時に、うそを平気でつく人間を多く知るようになる。また裏切りも多く出会った。うそに対しては、
誰も一言も二言も言いたいことがあるはず。父が癌であと一年と宣告された時(本人には隠されていた)亡くなるまでの一年の間、
自宅で父と暮らした。私が26歳の時であった。死に病を隠すために時々父にうそをつかなくてはならない場面が多々あった。
そしてあと三ヶ月と宣言された時、父に隠れて葬式用の黒服を作りにいった。何かを察した父は、『何処に行ってきたのか』
と聞いた。その瞬間のうそほどつらいものはなかった。その時、「うそも訓練していなくては!」と、思い知った。
そして、私に思わぬ出来事があった。セミナーで、東京に泊まったときのことである。
ホテルの近くの居酒屋で会社の人と酒を飲んで、何処かのスナックに入った。そこで上機嫌で飲んだことは憶えているが、
その後のことは全く忘れてしまった。二日酔いの私に連れが翌日、「前日のことを忘れてしまったでしょう」と言われた。
「そういえば、全く記憶にない!」と答えると、思ってもない内容であった。人格豹変というのか、全く違う自分がそこにいた。
「自分は、数ヶ月前に離婚をして現在は、その心の傷でしょぼくれている」そして、悲しそうな顔をして肩を落としていたという。
恐らく、よった勢いで二度とくることはないのだから「しょぼくれた男を演じてやれ!」と、思ったのだろう。
酔いが醒めたこともあり、深い自己嫌悪に陥ってしまった。酒癖の悪い男の一場面でしかないが。
ところで知人に「うそつき」の典型的な男がいる。 本人は自覚してないようだが。
自分の行動や、その結果の責任に対して正当化して、その裏にある欲求や、能力といった真の姿を自分や他人から隠そうとする。
しかし、それがバレバレなのだ。その度合いが強いだけで、誰の中にも存在するものだが、それを自分のノウハウにしているから問題。
攻撃相手のある断片をとらえて、自分のつくった虚偽の事実を混ぜてストーリーをつくりあげて、あちこちで言いふらす癖の営業屋である。
女の腐ったような男という奴だ。 そういえば、流通革命を旗に掲げたコンサルタントも、その癖が強かったが。
うそは、真実の間にミックスするから効果があることは誰も経験があるだろう。[うそも方便]とは、よく言ったものだ。
以前書いたことがあるが、フランスで詐欺師の実際にあったと言いわれる話しがある。
まだ無知の田舎者がほとんどであった17世紀。 自分の年齢は2千歳、キリストも知っているとほらをついて
まわって詐欺をしていた男がいた。その従者に「本当にご主人は2千歳なのか?」と、こっそり聞いたら、
従者[私は3百年しか生きてないのでわかりません]

・・・・・・・・
2004年11月05日(金)
1312, まさか、地元で大地震!ー9

この地震シリーズを書くのも終りのはずであった。書くのも飽きてきたし、面白くない内容だ。
昨日は普通の生活パターンに戻る初日。ところが新幹線が長岡駅を発車して7分後に、再び余震があるとは思ってもいなかった。
震度は4で、ユサユサという感じの揺れであった。災害以後の、通勤初日の新幹線でまた余震にあうとは。
今年の台風と同じで、どこまでも続くのが不気味である。 地球規模の大気圏と地層で、何か起り始めているのではないのか?
と考えざるを得ない。 観光旅館は、県内は壊滅状態という。中越地区は、ほぼ100?がキャンセル。
他の地域でも80?がキャンセルをしているという。本当に深刻である。これは典型的な業種であるが、ほぼ全ての経済は
壊滅だろう。困ったものである。長岡駅と新潟駅の専門街は殆どお客は見当たらない状態である。
旅行をしていると、この数年どこにいっても、「地球温暖化の影響で、この数年異常気象が起きている。
生態系のバランスが崩れて色いろの分野で大きな問題がおきています」という。神(大自然)が怒っているのだろうか。
 ーーー
 昨日、出社の直後書いた「メルクマール」の日記の内容である。
 ー11月4日ー
「冗談じゃない!」 11日ぶりの新幹線、やっと平常に戻れたと思いながら外を見ていた。
ところが発車して7分ほどして、新幹線が急停車。その後10秒程度?揺れていた。
「これは地震で震度4~5位だが、もっと大きいかもしれない。当分、新幹線の車内から出ることが出来ない!下手すると、
数時間はかかるだろう。それにしても、危ない場面に出くわしてしまったのだ」と思い、自宅に携帯電話をするが不通である。
そこで新潟に電話をして状況を聞くと、中越地区が震度5強の地震という。
しかし30分後に発車、長岡を出発して1時間後に新潟に着いたことになる。 これで当分警戒期間が延びることになる。
災害地は、昨日の大雨で地盤が緩んでいたはず、二次三次災害がないといいが。 先週の水曜日の余震5の時も、
やはり三条と長岡の中間地点にいた。 今回の地震では、一回目の地震の三時間前に震源地に近い小千谷の
スー・パー・センターに行っていた。何か巡り合わせが悪い。 少し、それを意識しなくてはなるまい。
帰りの新幹線は長岡まで果して開通するのだろうか。
                
・・・・・・・・
2003年11月05日(水)
945, 瀬戸内寂聴

 先日たまたまBS・11にチャンネルをまわしたら、瀬戸内寂聴の講演で「四苦八苦」の仏話を面白おかしく話していた。
その時の概要が「笑うこと、合掌すること、そして鏡を見ること」であった。 
後半の滝田栄と寂聴の対談が面白い内容であった。「人の命は甘美なものだ!」と釈迦が言ったという寂聴の言葉が印象的。
 そして「慈悲が真髄だ」というのが彼女の実感として迫ってきた。「笑わすことが重要だ」「渇愛こそ最も大事な愛だ」
「自分を慎め!」「51歳で出家して、一つだけ守っているのはセックスだけだ。あとは守ってない」
「出家といっても、カタチからキチンと入ることが大事である。もし髪を下ろさなかったら、煩悩に負けてしまっていただろう」
「髪を下ろすことを絶対に勧めます」「仏像を彫りなさい!」等々、印象的な言葉がドンドン出てきた。
 作家である為か、難しい仏教の真理を簡単にしてしまうのが彼女の特性と自覚しているのがよい。
「笑うこと、合掌すること、そして鏡を見ること」という言葉もよいが「書くこと、与えること、夢をみること」もよい。
 
・・・・・・
571、ひしょひしょ話
 −2002年11月05日(火)

-組織づくりのポイントー
会社を始めるにしても、組織を創るとき一番大事なのはまず秘書を採用すべき事だ。
次に経理そしてその次にオペレーションー運営責任者のマネジャーになる。
これは逆に考えてしまいがちだが、冷静に考えれば当たり前の事だ。
これが意外と盲点である。これを読んでハッとする人が多いはずだ。 最近は日本もスカウトなどで会社を移動する場合、
秘書を連れて行くケースが多くなった。 それだけ秘書の役割は大きい。
秘書は大学教授の助手の役割と同じである。的確に指示を出す手助けとー雑務の代行だ。
アメリカの映画を見ていると、会社の大小に関係なく会社といえば先ず秘書が出てくることを考えれば解ることだ。
その次に大事なのが経理課長だ。 ラインのマネジャーは最も大事だが、まず充実すべきは秘書の機能である。
一人の部下を持つ場合まず秘書としての訓練をしてその機能を入れることだ。
次にお金の管理ー経理課長を訓練をする。運営は最後だ、運営はまずトップの自分がしなくてはならない。
家業で奥さんと一緒に仕事をする場合は、自分がトップと運営責任者のマネジャーを兼ねるケースが多い。 
最近はこの逆のケースの場合も多いが。 出来たら奥さんと仕事をしない方が良い。
一番大事な秘書機能が逆にはたらく?!更にトップの舵取りを奥さんが口出しをする。それだけでなく変化を嫌う。
女の社長が少ないのはこの為だ。この見極めがお互いしっかり分けてないと大きい失敗に繋がる。
家業でも職能を明確にしておかなければならない。 もう遅いか??!!

ーーーーーーーー
[216] クルージング
- 2001年11月05日(月)

10数年前になるが、3分の1の値段でいいから、クルージングのツアーに参加しないかと、当時のある大手の旅行代理店の
支店長から話があった。 定員を大きく割っているので、得意客を優先的にディスカウントをするという。
もちろん二つ返事でOK!当時第二新館の土地の買収先のオナー夫妻と参加した。クルージングが4泊5日で香港2泊の一週間で
10万円だった。こういうレジャーもあるものかと感激した。毎食がバイキングで、これ以上おいしい料理がないくらいの美味しさ。
かつ夜10時から朝6時くらいの睡眠以外、船内のあちこちをブラブラしている。
それがまた楽しい。船上で甲羅干しで寝ているか、ウオーキングをしたり、ライフルを撃ったりする。 
船内ではヨガ教室に参加したり、英会話、ダンスの講習、などイロイロあり、その好きなやつをして過ごす。
それが気ままにどれに参加してもいいのが楽しい。金持ちはイロイロな楽しみ考えるものだ。贅沢な遊びの最高に属するものだ。
三ヶ月で数百万するものがたまに見ることがある。 ここで面白い社会構造を見た。船会社と船員がイギリス人、
コックが中国人、メイドや下働きがフィリッピン人であった。それに客が日本人であった。
夜がカラオケにパーテーやカジノの時間だ。これが毎日続く。気分的に最高であった。
そして飽きた頃にフィリッピンに上陸である。 マニラとミンダナオ島であった。
正式な上陸でなく警察つきの仮上陸の為、パトカーのサイレンを鳴らしながらのビップ待遇である。
えらい?代議士がその気になるのが解かった。60歳を過ぎて余裕ができたら、地中海のクルージングに参加したと思うが。


3135, 「法則」のトリセツ  ー3

2009年11月04日(水)

* ドアインザフェース ー取引の駆け引きの一手法   
  ‘ホテルカツ上げ’のケース
 
アメリカの心理学者チャルディーニが行った実験がある。
最初の依頼「これから2年間、毎週2時間ずつ青年カウンセリングプログラムに参加してもらいたい」
第2の依頼「ボランティアとして、1日だけ、子供を動物園に連れて行ってもらいたい。」
 最初の要請はほとんどの学生が断った。 断った学生に第2の依頼をすると、約50%の学生が引き受けてくれた。
ところが最初のステップを踏まず、いきなり第2の要請をすると、17%の学生しか承諾してくれなかったのである。
この方法は、外交交渉でよく使われる。 以前の経済交渉で、アメリカが常套手段にした方法がこれである。
最初に、とんでもない要求を突きつける。相手が断ると要求を下げてくる。下げてきた要求の方がアメリカの狙いだったりする。
このテクニックは、最初の依頼を断った時の相手の罪悪感を利用している。
 一般的な例としては
「財布を忘れてきたので、一万貸してくれないか」「悪いけど人に小銭でも貸したことがないので汽車賃なら」
「じゃー昼飯代で二千円でも」で、相手が優位な状態で仕方なく金を貸しざるを得なかったことがある。
 女性にルーズで、当時倒産をして生活が苦しいとは聞いていたが。 また最近、ホテルであったケースとして、
《 部屋においていた高価な時計が無くなったと騒ぎ出し、警察を呼んで調べてもらった翌々日から電話での恐喝が始った。
 明らかにカツ上げが目的。百万以上の時計だが、御前のところの誰かが盗んだはずだ。どう弁償してくれる、何とかしろ。》
 警察に電話をしても「民事のこと、話し合いで何とかしてください」という。 何度か電話が来たが、最後は露骨な脅し。
 そこで録音をして警察にとどけることにした。 百万といっておいて数万〜10万で手をうつ手法は見えみえ。
 といって、恐喝ハンターとしては警察沙汰にした方が後々のため。 で、電話を録音をして警察に届け出て一件落着。
 二十年ほど前の時は、「電話の取次ぎが途中で切れてしまった。 数百万の取引が駄目になった。保障をしろ」という。
 これも体の良い恐喝である。 二人連れだったが、対応した副支配人に包丁を突きつけての脅し、その包丁が彼等の車内で
 発見されて逮捕された事件があった。 次回は、小さなウソを重ねた詐欺的行為?のケース・・
 
〜〜
2770, 半歩遅れの読書術 −3
2008年11月04日(火)

 茶道を通して二人の男の深い魂の結びつきが伝わってくる。
馴れあわない親愛、孤独に耐えうる人間の友情が、何とも良いものである。
何度かの茶の湯の場が、一期一会だったのだろう。
さっそく、『平心庵日記』をアマゾン《中古本》で注文をしたが、面白そうだ。
 ーあるHPの感想文からー
  *逃避から得た恩寵
 昨年(2000年)の晩秋に読んだ本だが、近藤道生氏の『平心庵日記-失われた日本人の心と衿持』(角川書店)も、
私にとってその種の本の一つであった。著者は戦後復興期の大蔵官僚であり、転身して博報堂の代表となった経済人だが、
同時に現代の茶道を支える大茶人として知られている。その著者が、外科医で茶人だった厳父、平心庵・近藤外巻の
日記を読み返し、しだいに大戦の影の迫る、大正末から昭和初期の茶人の生活を描いたのが、この本である。
 平心庵は文字通り「仁術」に生きる開業医だったが、そのために営利的な同業者のあいだでとかく孤立しがちであった。
だがその彼が茶友としたのが三井財閥の総帥であり、近代茶道の復活者一人、鈍翁・益田孝だったから、
話はにわかに華麗な背景に飾られる。 益田は財界の雄であり、山県有朋と結んで政界をも左右した人物だが、
それ以上に江戸後期に形骸化し、利休の精神に回帰させた大正茶道の指導者として有名であった。
 感動的なのは、この二人がたま小田原に住んで、ただそれだけの縁で無私の友情。育んでゆく過程である。
当時・反軍的な益田はようやく政界での力を失い、国の将来を憂いながら隠棲に似た生活を送っていた。
二人はともに孤独を覚えがちな境遇のなかで、いささかも馴れず甘えあわず、茶の湯の規則貫かれた君子の交わりを結ぶ。
二人のあいだに慎み深い距離があって、しかも同じ不幸な時代に耐える暖かい共感が養われていた。そしてとくに私の注目を
惹いたのは、この同じ規律が近藤家の家庭の内部にも及び、息子は父にいつも敬語で語りかけていたという挿話であった。
 この二年、私は「社交する人間」という長編評論に取り組んできた。そのなかで私が社交に求めていたのは、
一貫してこの馴れあわない親愛、孤立に耐えうる人間の友情だったのだが、この本はそれに具体的な挿絵を与えて、
書きつづける私を勇気づけてくれたのであった。
 −−−
 以上だが、両親が茶人だったこともあり子供の頃から茶道の世界を垣間見、その奥行きの深さを感じ取ってきた。
 私が残された時間ですべきことは茶道の世界なのかもしれない。 
 金沢時代に一年間、寮の近くの個人が教えている家に通ったことがあったが・・・

・・・・・・・・・・
2007年11月04日(日)
2406, カラスの話 −2
                ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。  ところが、そういえば一年ほど前に
書いたような気がしたので調べたら(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。
 先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に(亡くなった人の数?)打ち上げられて、
その音と地響きが聞こえてきた。その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、「恐怖の叫びと、
互いに安全の確認」と推測できた。「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラスの研究があった。
彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の「ク」の音階で聞こえるという。
それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。
この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、成る程、意思交換をしている。 
カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッという短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。
それと、朝晩の集会での意思交換をしている。 話しは少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬を
からかっている場面に出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。 カラスは、一番身近な野生を感じさせられる動物である。
 もう少し姿、形が良かったら、もっと身近に感じるのだろうが!
                                 グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
ーーー
2006/10/24
2030, カラスの話
 ー以下は、字数の関係でカットー2007年11月04日
・・・・・・・・
2006年11月04日(土)
2041, プロ野球の「記者の順位予測」  
                   才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
 毎日新聞の「記者の目」のコーナーで毎年、プロ野球の開幕前にセ・パ両ーリーグの順位を12人のスポーツ記者が予測する。
 そしてシーズンが終わると、それぞれの記者が「反省の弁」を、 実際の「予測順位」と「実績」の下に書く。
《私はセリーグは巨人、パリーグはソフトバンクと予測したが、みごと外れてしまった。》
  ー記者の結果を見ると、
 ・セ/パ両リーグとも、1〜6位の順位を当てた記者は一人もいなかった。
 ・セリーグに関して、1〜4位まで当てた記者が一人だけいた。 1位に中日を予測した人が6人中3人いたことと、
  巨人を4位予測が3人いたのは、さすがであった。それと、一位を6点、2位を5点というふうに点数をつけた
  順位がセリーグは1〜6位まで、記者の予測通りになったのには驚いた。
 ・パリーグにいたっては6人中5人の記者が、日本一位の日本ハムを5位と予測、全くの予測外れであった。
  総括として日本ハムが「新庄選手効果」の大きな緊迫感をエネルギーに変えて、
 「楽しむ力」にしたのが勝利の要因と結論付けていた。ところで、これを「12球団の順位当てトトカルチョ」として、
  面白おかし売り出せば面白いだろうに・・・        モーニングコーヒーでも!
                                         ( ^-^)_且~~~
・・・・・・・・
2005年11月04日(金)
1676, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−2

深く考えさせられる内容である。 まずは、この文章を!
 ー「イルカは跳んだーある感触」−

男はイルカのことを考え続けている。イルカ一般のことではなく、1960年代の末ごろのハワイの海洋研究所に
飼われていた一頭のメスイルカのことを。このメスイルカは研究所の訓練者が呼子を吹くとある動作たとえば水面に跳び出て
尾びれで水面を叩くという芸をみせて、餌をもらうように仕込まれていた。その研究所に来る見学者にその芸をみせるのである。
ところがある日、その芸をしても餌はもらえない。 2時間休んで次のショーの時も餌をもらえない。 
当然イルカは当惑して混乱して苛立つ。そうして数日後14回の苛酷な、虚しい演技が終わったあと休憩時間に、
イルカは明らかに興奮した嬉しそうな顔をする。そして15回目の舞台で、いきなりこれまでみせたことのない
4種類の演技を含む8種類の違った演技を、次々とやってのけたのである。 そして、やっと餌をもらえたのである。
それまでの毎回同じ演技をすれば餌をもらえる、という条件反射的行動から、
一回ごとに違った動作をしなくては餌をもらえないという複雑な一段上のルールを認識したのだ。
このイルカの話を、男(日野)はグレゴリー・ペイトソンの本の中で読んだ。
「ここでイルカはひとつの跳躍を、論理階型間のギャップのとび越えをやってのけたである」とベイトソンは書いている。
このイルカのことを、男(日野)は考え続けている。14回までの彼女の苦悩と不安を、
14回目の後の休憩時間に起こった劇的なひらめきを、そして15回目に実現した彼女の論理階型の新生を。
 べトソンは
・初めのイルカの段階つまり単純な条件反射的行動を「学習?」となずける。
・それに対して、様々に起こる出来事、つぎつぎと置かれる事態の間に コンテクト(文脈・脈絡)を見出して、
 それに従って行動する(適宜修正しながら) 段階を「学習?」と名づける。
 人間の場合は、幼児教育を終えると原則的に「学習?」の段階に到着する。
 教育とか、しつけはすべてこの「学習?」の強化でしかない。
 家庭の躾、学校教育、社員教育、勤務時間が終了した後の先輩達の新人のしつけなど。
さらにベイトソンの学習理論の独自さは、バートランド・ラッセルの「論理階型」の考え方を導入して、
「学習?」のメタレベルとしての「学習?」の上に、そのまたメタレベルとしての「学習?」、
さらにそのメタレベルとして「学習?」まで想定したことだ。
ただし「学習?」は、論理的には要請できても、現在の進化レベルでは
「地球上に生きる生物がこのレベルの変化に生きつくことはないと思われる」としている。
 −ー
著者は、この後の文章で、自分人生を振り返ってみて、学習?と?の間のレベルの狭間に宙ぶらりんになっているだけの
自分を振り返るのだ。ーさらに男(日野)の文章がつづく。いま男が透視できないもの。 
男は一応社会生活を続けてきたのだから、学習?のレベルのもろもろのルールを身につけているといっていいわけで、
従っていま男を苦しめているのは。学習?のレベルの見えないコンテクト(脈絡)に他ならない。
ベイトソンがよく使う比喩だと、地面(学習?レベル)に対する地図(学習?)、そのまた上だと
「地図の地図」ということになる。もはや、それは地図とはいえない何かだろう。
ーこれからは私の評論になる。
「はたして自分は『学習?』にレベルアップできたのだろうか?」という自問自答が誰の中にもあるだろう。
イルカが到達した一段上のレベルへの飛躍はあったのだろうか?
ベイトソンは、イルカを人間の潜在能力の例えにして解りやすく学習?への飛躍と、学習?の可能性を説いている。
イルカが、それまでの指示通りの行為に何ら餌をもらえなくなって、大混乱をしたとき、新しい脈絡を見出した。
これは、ギリギリになって出てくる飛躍ー知恵である。 男(日野)は、はたして自分は飛躍をしていたのだろうかと、
自分の奥深くに問いただしている。 見方によっては、ベイトソンの問いかけも不自然といえる。
「イルカに対して、見世物としての飛躍を要求したに過ぎない」イルカの調教は全く不自然な行為でしかないという見方である。
『何が、イルカが跳んだ』か、である。 解りやすい事例として果たして人間の能力の例えになるだろうか?、と。
でも、イルカが混乱の中から飛躍した答えを見出したのだ。自分の中のイルカを想定して学習する(自己啓発)のも面白い。
自分は跳んだことがあるのだろうか?誰も突きつけられる人生の大問題である。そしてまた跳ぶ必要は果たしてあるのだろうか?

・・・・・・・・
2004年11月04日(木)
1311, まさか、地元で大地震!ー8

昨日の朝、何時もの散歩道を歩いていたところ、一軒の家が全壊していた。
母屋の隣にある小さな二階建ての元住宅で、今は駐車場兼倉庫に使っていたようだ。
倒壊で車が押しつぶされていた。「サロンのコーナー」に写真を貼り付けてあるが、
小千谷など震源地に近い古い住宅は、同じように多く倒れているのだろう。
我家の自宅裏の空いていた貸家に、家が半壊した一家が昨日より引越のため荷物を運び始めた。
数日前に不動産屋からの紹介で、台風による洪水と中越地震のダブル被災の
長岡近郊の浦瀬の一家が入居することになった。殆ど生活用の家具は使えなくなったという。
台風でやっと立ち直りかけた後なので、かなり深刻のようで、もう避難所生活も限界だという。
しかし、JAへ夫婦共々勤めている内福の一家のようだが。
全壊は300万、半壊は100万円の支援金がでるというが、やはり厳しいだろう。
新幹線は今日から長岡〜新潟間が開通するので、普段に戻ることになる。
近くでは、長岡大手高校の前と、青少年センターの駐車場にテントに囲まれた
臨時浴場が現れた。中が電気で影が見えるのが生々しい。被害は全てにくるのではなく、マダラになっている。
地盤や古い住宅など、物理的に弱い所がやられるようだ。人間の体もそうだが。
今朝の明け方も、叩きつけるような雨が降っていたが、避難所にいる人は本当に大変だろう。

・・・・・・・
2003年11月04日(火)
944, 「創業者からの遺言」

 佐川急便の創業者の佐川清の「創業者からの遺言」というタイトルの本が図書館で目についたので借りてきた。
タイトルと目次をパラパラと読んで印象的であったのが「月一億の小遣い」であった。
 それでも通帳の中は何時も空であったとか。 数千万の外車を馬鹿タレントにくれてやったとか、
3億の無心にある有名タレントがきたとか、この男の馬鹿丸出しが可愛いと思ってしまった。
 そういえば何処かの県知事が、その選挙資金を佐川清に無心したことが問題になり、刑事事件になった。 
新潟県前知事の金子某とかいった奴だ。もっとも、いまの知事よりは政治家としてはマシだが?
この人も55年体制の認可を金で買って太ってきた??でしかないのが哀れである。
この人に集った政治家とか役者は、その蠅である。 そういう面で、「田中角栄の功罪」の罪という面では深いものだ。
とんでもない政治的致命傷を日本に与えたといえる。それと中曽根も、とんでもない男である。
国鉄解体で、NTT株を野村證券と組んで国民を騙した犯罪を隠したつもりであったのだろうが。
小泉は思い切ってこの老!!の首を切ったことは良い!しかし政治家とは「功罪重ね持って国を変えていくもの」だが。

・・・・・・
570, 仕事と性格形成−2
- 2002年11月04日(月)

以前習っていたパソコンの先生が直前まで教員をしていた。結婚で辞めた後に「人に無性に何か教えたくて仕方なかった」
と言っていた。警察官は私生活の中でも常に犯罪を探してしまうという。「できたら子供は警察官とは結婚させるな!」と
父が口癖で言っていた。私生活でも常にあら捜しをしている為、家庭が暗くなるという。
料理屋も絶対に嫁にはやるなとも言っていた、これはいわずもがだが。ーこれは今回の内容と違う。
私の親戚に元大蔵省の査察をしていた人がいる。仕事が面白くて仕方がなかったという。
仲間内で飲むと功績の内容の自慢と脱税の手口の情報交換という。 実直の塊のような人である。
小説家は全てが小説のねたにするのが商売だ。その為に恋愛もし、乞食もする露出狂とも云える。
私など飲食店にしても、スーパーや専門店に入ると、店員の動きやレジや店の規模や客層を常に見てしまう。
それと順調かどうかをも。 そしていつの間にその聞き取りをしてしまう。
前は近くで開店ををすると、一番客になるのが習性だった。面白いのは母は常に話の内容を1・5倍にして話していたが、
衣料量販をしていた時に、仕入れの1・5倍の値付けの癖が話しの内容に出たものだ。最近になってそれに気が付いた。
本人が本来もっている要素とそれがあいまって性格形成になる。
人間は生物の持っている環境の支配を抜ける事が出来ない猿だ。言葉をもってしまった狂った猿!

・・・・・・・・
[215] オカマバーー2
- 2001年11月04日(日)

 前回書いた初めて連れて行ってもらった時の事、カウンターで若い女性が二人飲んでいた。
「へー、若い女がこういう処にのも来るのかなー」と見ていたところ、一人の女性が「社長!こんな処に来るのですか!」
と話かけてきた。 よく見るとうちの会社の社員。「お前こそ、なんでこんなところに!」と逆にこちらがビックリした。
それぞれ世界があるものだと感心。 毎年行われている長岡高校の同級会を新潟でやってくれと、私の幹事の番に言われた。
そしてその日の3次会で残った4〜5人でその店に行った時、0時を過ぎていた。
確か二人の女性が踊りながら、我々を見てホモの集団を見ているような目つきで見た。
その時「これが引き時かなー」とそれから行かなくなった。 丁度その頃、古町で(Zoo)という店がオープン、
値段が7700円でかなりの話題になっていた。女装している店で、筋肉隆隆のコミックのうりの面白い女?か、
あれは切ったとか、いやに女っぽい女?を憶えている。 別世界の驚きがあった。
 二回行ったが、そのホステス(ホスト?)が中学の同級会に女装で行った時、担任の先生の驚いた表情の話が、
印象的であった。その世界の素人?に、その世界を面白おかしく見せたり話すのが「彼らの売り」であったようだ。
「笑われて何ぼ」という世界のようだ。 ただエログロの面白さ一見の価値はあった?
 学生の時、歌舞伎町で女装のオカマの店の前で、お客を見送っている姿を見た時のことを急に思い出した。
その時は如何いうことか全く解らなかったのだから、かなりオクテだったのだろう。
 


3134, 脳と日本人

2009年11月03日(火)

 「 脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎 」 −読書日記

 この本の初頭から、「エッ!」と思わせる内容である。「主題は20世紀に出揃っている、21世紀は方法の世紀」と。
最近、パソコン、インターネットを初めとするIT機器などの飛躍的進歩で、世界は大きく変わろうとしている。
それより良いにつけ、悪いにつけ、私自身が劇的に変わってきた。 方法のキーワードが「編集」と看破しているところが、
松岡正剛の言わんとするところ。 実際の、このテーマ日記を8年半ほぼ毎日書き続けていて、大きな内面の変化を実感する。
起承転結の編集作業を通して、外的世界の把握の仕方と、内面の編集作業がアップスケール?した。
それを実感しているからこそ、冒頭からの二人の対話に引きこまれてしまった。 
正座をして隣で聞き耳を立てて読んでいる感じである。  編集とは創造作業の方法というとわかりやすい。
 〜まずは冒頭の、その部分から〜
松岡: 20世紀は主題の時代で、21世紀は方法の時代。方法というのは、ものの見方、考え方の支点。
 そのキーが「編集」ということ。 平和とか環境とか、民主主義とか多様性とか共生とか、主題はだいたい
 20世紀に出揃ったでしょう。でも、何も解決していない。 だったらこれからは、方法が問われた方がいい。
 それには編集的方法にもっと注目した方が良い。 編集という言葉は、新聞や雑誌、テレビ、映画などのマスメディアで
 よく使われる技法用語です。 けれども僕は、その意味と用法を拡張して、何らかの出来事や対象から情報を得たときに、
 その情報を受けとめる方法のすべてを編集と呼んでいます。たとえば、パソコンで文章を打ったり、日記や手紙を書いたり、
 というのは全て編集です。企業の経営やプラニングを考えたり、会社でスピーチをしたり、家で料理をつくったりすることも
 編集です。アタマの中に浮かんでいることと、体で起こることを、目や手や道具をつかってつなげているわけだからね。
 だからサッカーや野球は編集ゲームですし、小説を書くことは編集構成です。何かを思い出すことも情報編集です。
茂木:「編集」という方法が考えたり、書いたりという人間の知覚や思考、表現のすべてにかかわっているわけですね。
松岡: 人間にかぎらず、生命体の活動はもともとが情報編集でしょう。 生命体の本質はそもそも情報高分子だし、生きていると
 いうのは、負のエントロピーを食べて非線形的なふるまいをすることですからね。二十一世紀は、そういう方法に着目するべきです。
茂木: その意味では遺伝子情報をめぐる多くのプロセスも編集的といえるでしょうね。
松岡:「編集というのは、新しい関係性を発見していくということなんです。スピーチだって料理だって、商品開発だって、
「印象に残る」とか「おいしい」とか「便利なものを提供する」というふうに新しい関係を発見することですからね。
茂木: 世の中には、科学、経済や文学、哲学、歴史、そして、インターネットからスポーツ、ファッション、料理、
 さらに、歌舞伎や能楽から音楽、お笑いまで、ぱらぱらに事象が散らばっていますね。情報の豊穣があっても、
 それを私たちの生の充実につなげられないでいる。
松岡: もったいないよね。それらの「あいだ」をつなげて、そこに新しい関係を発見しなくちゃね。
 たとえば茂木さんがクオリア(感覚の質感)を研究しているのも、心脳問題に新しい関係を発見したいからでしょう。
茂木: そうですね。人間の脳の中には約一千億個のニューロン(神経細胞)があります。そして、それぞれのニューロンが、
 シナプスと呼ばれる数千から一万の結合を通して他のニューロンと関係を結んでいる。
松岡: その一つ一つのニューロンを取り出しても、「心」はどこにもない。
茂木:「心」を生み出すのは、脳全体にまたがって、一千億個のニュー・ロンがつくり上げる、複雑で豊かな関係性ですからね。
 〜〜
 主題と方法というと、「主題さえ決まれば何とかなる」と思いがちだが、方法が問題である。
卑近な例として、電話である。 各家庭の普及、そして携帯電話、それが情報端末に変ってきた。
その変化が社会のあり方を変えている。パソコンも、TVも、車も、方法。これが先行してテーマを再編成する時代である。

・・・・・・・・・・
2769, 閑話小題
2008年11月03日(月)

 *時代が激変している!
この数ヶ月、休日に車で一人、フラッと目的なしに色いろな店に入るようになった。女性なら当たり前のことだろうが、
男はフラリというのは少ないのだろう。昨日は、地元のスーパーセンターの<ムサシ>のペットショップ。 
犬の半額セールデ、お客で溢れかえっていた。普段の3倍?の子犬で、それぞれが飼いたい衝動にかれれる目をしていた。
家内が動物が大嫌いとは知らなかったが、そういう人間が存在するとは衝撃であった。 まあ、愚痴か!
最近、面白いのが中古品ショップである。ハードオフに冷やかしで行っていたが、似たような店が出来てきた。
新品同様で、三分の一が相場なら買いたい衝動も沸く。 少し恥ずかしいが、今更である。
合理的という意味で、中古ショップは理にかなっている。アマゾンの中古本もしかり。
 −−−
 *りんごダイエット
  《字数の関係でカット08年11月03日》
 −−−
 *昨日は、親戚の法事
昨日は、父方の親戚の法事。 兄が実家の商売を倒産させてしまったので、数年は謹慎の身。
当分は私が法事を出ることになる。 これまでは「家」を殆ど無視、意識しなかったが、今後は違う。
10時半に法要があり、12時半からオトキ、二時過ぎに終了。家に帰ってTVで天皇賞をみる。
 ところでニューオータニの和食料理、なかなか美味しい。 驚いた。
 −−−
 *アメリカ大統領選
  《字数の関係でカット08年11月03日》
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2007年11月03日(土)
2405, 耳栓とアイマスク

         (@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
三ヶ月ほど前に、「100円ショップ」で耳栓を見つけ購入した。そして使い出したところ耳栓なしには寝れなくなってしまった。
あくまで主観だが、80?の音が遮断される。寝室でアイマスクと耳栓をすると、隣で家内がTVを見ていても平気で眠れる。
寝ついた後の四時間は熟睡状態になる。そのためにか、その後は逆に眠れない。私の住まいは住宅が密集していないため、
殆ど雑音は聞こえてこないが、耳栓をして初めて、それでも雑音に囲まれていたことに気づいた次第である。
翌日は忘れているが、消防車や救急車、そして猫の鳴き声、家内の部屋の出入りだったり、周囲の騒音が実は多かったのである。
耳栓は飛行機内で一〜二回つけただけで、家でつけて寝る発想自体がなかった。 夜半に猫の鳴き声に悩まされた時など、
枕元において付ければよかったのである。見た目は圧縮されたスポンジのようである。
先日借りてきた月刊誌「新潮45」の表紙の裏に広告が一面に載っていた。「新素材で、音をシャットダウン」という謳い文句で、
二個組みで280円であった。売れるから載せているのだろう。 売れるということは良いということである。
以前にも書いたことがあるが、ラジウム石付きアイマスクがよい。夏の間は、眼の周囲に汗をかくので付けないが、
それ以外のシーズンはつけている。耳栓に、アイマスク、これをしたと同時に違う世界に入った気分になる。
おそらく、その布も、そういう系統の素材で出来ているのだろう。調べてみたら、炭が縫いこまれたものもあった。
 でどうした?  チョッとした工夫で睡眠の世界が一変するということ!           バイヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年11月03日(金)
2040, 「あたりまえなことばかり」 −1
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
                      読書日記
 著者の池田晶子は、専門知識や用語に頼ることなく、
日常の言葉によって「哲学」を語ることで多くの読者から支持を受けている。
自分の考え、自分の言葉で、存在と宇宙について思考をしている。
 彼女は、日本で気をつけなければならない話題が三つあるという。
1、死、 2、宗教、3、国家とは何か、である。
  《字数の関係でカット09年11月03日》
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2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
             −読書日記

「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に
入ってから大きな手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。

心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。神秘思想に非常に近いところにいる。 
しかし同時に心の奥底に、神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という意識を明確に持ったまま、
心の奥深い世界を描写している。 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる
条件ではなかっただろうか。死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 
  《字数の関係でカット08年11月03日》
・・・・・・・
2004年11月03日(水)
1310, 23歳の日記−3
 ー卒業式の思い出ー

大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は殆ど無かった。
ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目である
その記念日の記憶は、大事なことと読んでいて実感する、それも年齢を重ねれば重ねるほど。
幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。その日の父親の気持ちが、今あらためて
振り返ってみると少しは解かってくる。写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。
それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。読み返していて感じることは、
「若いということは、若いというだけで光り輝いている」ことだ。不安定で歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが
若い時の特徴である。それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。それも振り返ってみて初めて気がつく。
 ー1969年 3月24日ー
卒業式に出席する為に、8時半に起床、10時半に四日市から東京に向け出発する。
15時前に東京駅に到着する。大学時代の友人の川崎のところに電話を入れる。
一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、大丈夫だった。
絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。万一の時は、就職もオジャンになってしまうのだから。
その足で、寮に行く。佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。
その荷物を持って、千葉の検見川にある(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらう
ために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。
恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。
「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。父は何か悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、
自分を怒鳴りつけたい。それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。
「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」 本当に恥ずかしい。
 ー3月25日ー
7時半に起床。今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。 父と私に会う為だ。
私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に家を出る。寮で大家の奥さんに挨拶をする。
丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。
しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。 佐藤よ、ありがとう。
これで壊れた関係を元に戻せたようだ。 これで恐らく会うこともないと思うが、良い友人に恵まれた。
さて、その後父と待ち合わせて、大学に行く。これが本当に、本当に最後の最後の行事になってしまった。
まずは深井に会う。新橋しのだ寿司の御曹司で、無神経だったが何ともいえない暖かさがあった。
彼も興奮気味であった。その後、武澤先生に会う。父を紹介した後、父ともども記念写真を撮る。
武澤先生には、言いたいだけいい、その結論を出さずしまいであった。その後、河村、外山、石川、奥野、
兼古、広瀬、皆が居た。 本当に最後ということで涙を浮かべて最後の握手をする。彼らとも、もう二度と会えないのだろう。 
思い出の深い校庭である。ここが日本かと思われるような何ともいえないアメリカ的な雰囲気があった。
父が、あまりに私のところに多くの友人が次々挨拶に来るので唖然としてみている。
父は何か取り残されているようだった。しかし、それより全ての友人に挨拶をする方が先である。
卒業式は、一人一人が壇上に上がって,総長から直接卒業証書を手渡された。その後、全員で校歌を歌い無事終了した。
そして、学食に集まり、ビールで乾杯をして、コップを床に叩きつける。これで学生時代とお別れという儀式である。
そして学校を後にする。ところが面白い現象がおきた。ふと見ると、歩いているのが、入学当時のグループの兼古と奥野と
広瀬の4人なのだ。最後はそこに収まったということだ。兼古は千葉の方向ということで、駅前の喫茶サルビアで思い出話と、
今後の人生について話し合う。そして電車で千葉の検見川まで一緒に帰ってくる。これで、完全に学生時代は終わってしまった。 
良い学生時代であった。そして、良い卒業式であった。これだけ、素晴らしい!と思えるというのは一生の宝になるだろう。
明日から再び現実が待っている。

・・・・・・・・・
2003年11月03日(月)
943, トンネル怖い

 先週TVを見ていたら、磐梯山から紅葉の景色の生中継をしていた。
「今年は紅葉の時期が例年に比べてかなり早い」と現地の人がいっていた。
その言葉の中に「11月初旬の連休には終わってしまって残念である」という気持ちが読み取れた。
ところが会社の大矢さんが、その時行っていたという。 それが「素晴らしい紅葉」であったと教えてくれた。
昨日、思い立って磐梯山に行ってきた。 しかし最後の盛りは、やはり先週であったようだ。
ゴールデンラインのコースの木々の大部分の葉っぱが落ちていた。それでも低い山には紅葉が十分残っていて、
快晴に恵まれたこともあって素晴らしい磐梯の秋の景色を楽しむことが出来た。
 ところで10年位前から、高速道路の一車線のトンネルが恐ろしくなった。
誰もがそうだろうが、特に緊張をしてしてしまうのだ。 不安になり他の車はみるところ80キロは
出しているのに65キロが精一杯。 手には汗ビッショリ、気持ちが悪くなるのだ。
高速道路にほとんど乗ることないのが理由なのだろうが。神経症の可能性もある。トンネル内の事故は死亡のケースが多い
こともあり、なおのこと焦るのだ。 一般道に下りればよいのだろうが、時間を節約しなくてはという気持ちがそれをさせない。
帰りは高速の入る直前にある事故用?の空間に車を止めて、後続車を追いやった後にユックリ走るようにしたが。
歳をとったということか。若いうちに家族と日本中を車でいっていて本当によかったとつくづく思った。 
今度からはバスツアーにきりかえなくては。 いや日本はもう京都を除けば行くことはないか? 
それとも、泊り込みで一般道をのんびりいくかだ!

・・・・・・・・
 569、ケーススタデー ー2
- 2002年 11月03日(日) 

1968年
毎週金曜日の15時か16時より2時間開かれる。ゼミが終わると太陽が黄色に見える位疲れていた。
知的訓練など全くしたことがなかったためか?二年間コースで初めの一年は課題の本を読んで、それの感想と議論。 
二年目の前半は事例研究で、後半は各自が自分で事例を創り、当事者として2時間ゼミの全員に質問と追及を受け、
その結果を討論する内容だった。私は途中二年目からの編入であったが。 他の人を聞き取る場合は刑事のような内容追及が
リアルで面白いが、自分の場合は追求されて、瞬時に物語を創っていかなければならない。 今でもその全て憶えている。
このケーススタデーは「見聞皆師」にあてはめて考える事が出来る。現象ー事象の中から真理を探し学ぶ方法にもなった 。
また人間関係だけでなく、営業や経営のベストプラクテス−ベンチマーキングにも酷似している。
ゼネコンの営業の社内研修でも、これに似たケースでOFF−JTが行われていると大手の
ゼネコンの営業の人から聞いたことがある。 流通やサービス業の他店見学も似ている。
サラリーマンの足の引っ張り合いは善意を装ってくる陰険版か?現象とあるべき姿の格差を埋める作業だ。
少し違うが、帰納法に似ている。現象の中の真理の内容を検討して結論に導くという点で??
新しい車が発売されると工場ですべて解体して、それぞれのパーツで業者やその部門の人達が集まってチェックする
のはどこのメーカーでもやっていたという。今はコンピューター処理でインターネットをフルに利用しているのだろう。
これの人事管理版が武澤ゼミのケーススタデー?! 管理されるという事はあまり気持ちのいいものではない。
でも組織体としては、それは必要欠くべからざるものである。ここでいま一つ学んだ事は、当たり前のこと
ー自分の能力は自分で創りあげるものという事だ。最後は独りの自覚で自分造りをしなくてはならない。習慣づくりといってよい。  
問題が逸れたが?私の辛辣さは、露悪ー露善(偽悪ー偽善)を自分や他人の中ですぐ直感してその原因を構造化するためだろ
ー父もそうだったから、その理論的訓練を受けた事になる。それよりその結果として自分の無知蒙昧をいやというほど知らされた。

・・・・・・・・・
[214] オカマバー
- 2001年11月03日(土)

14〜5年ぶりに新潟駅前にある、オカマバーにいってきた。オカマバーの面白いのはその話術である。
変わった飲み屋がないかと言われて、当時よく知人を連れて行ったものだ。始めは近くの大原簿記の理事長が近くに
ビルを創りたいが、この辺の情報を知りたいとので一献と、どう云うわけか奥さんと娘と行ったのがきっかけであった。
やはり初回は異様な感じで、カウンターに男同士の絡みの置物の像には驚いた。しかし知人に話をすると殆どの人が
連れていげという。喜ぶが二度と行こうとは誰も言わない。奥にやはりもう一軒あるそうで、そこはその気のある
ホモのタマリ場という。男同士はあまり猥談は言わないが、かなり際どい下ネタをあっさり言う。
以前姉達が新潟に来た時つれていったが、その時私の手をとって人先指をふき始めた。
そして目をツブレと言うつぶった瞬間その指をシャブラレタ!ぞっとした。
もしホモの味を知ってしまったら、抜けられないとその時思ったが、それより気持ちが悪いほうが先であった。
悲鳴をあげたが、1人の姉が私にもやってみてという。真面目を絵に書いたような人
で、皆凝視の中シャブラレタが「何ともないわ、それより真面目な顔でやってるほうが面白いは!」と言ったのに驚いた。
私の知り合いが、子供を連れてサウナに行ったららそのママがいたと言う。
子供を盾に下半身を隠しホウホウのていで出てきた時のシグサガの話が面白かった事を思い出した


3133、現代の結婚事情

2009年11月02日(月)

 
 この世知辛い世の中で、男も女も結婚相手を見つけることは大変である。
私の世代の男は、少し下の年代が団塊の世代のためイメージとして男女比が2対3で恵まれていた。
それにしては??。 最近の結婚の大変さには同情する。 世の中の男の格差の問題もある。 
以前は三高といって高学歴、高収入、高身長(ちなみに三低は低趣味、低収入、低学歴)だったが、今では
・女性からすると
 3低 =低姿勢(レディーファースト)、低依存(束縛しない)、低リスク(リスクの低い職業・公務員など)。
 3C =コンファタブル(快適)、コミニケーティブ(理解しやすい)、コンポレーティブ(協力的)
・男性からみると、4K =可愛い、賢い、家庭的、軽い(痩せている) という。
 収入問題などで、ますます晩婚化になっているが、歳を重ねると、プライドだけが高くなり、
 自分の品との段差が開いていくから、始末が悪い。
人生を振り返ると、両親、連れ添い、そして仕事の相性で、8割方が決まる。
その中で、結婚は私生活の大部分を占めるから大問題。 姉の一人が「結婚は大事業」と実感を込めて言っていたが、
その通りである。 最後は、性格の問題になるが・・・ 一生を添い遂げるのも芸のうちである。 
神様は最も合わない相手を結婚相手に選ばせるように人間をつくり上げてきたという。 
それにしても面白い罠を人間に与えるもの。 人生とはレッスンというより修行である。特に結婚は荒修行!
 ――
結婚といえば、^カリール・ジブラン「結婚」ーの詩が良いー
 師よ、結婚とは何でしょう。
師はおっしゃいました。 君たちの魂は一緒に生まれたのですから、いつまでも一緒にいることでしょう。
死の白い翼が君達の生涯を離れ離れに散らせてしまってもやはり一緒におりましょう。
そうです。君達は神の沈黙の記憶の中でさえ一緒にいることでしょう。
けれども君達の「一緒」の間には隙間がなければいけません。
君達の間を天国の風が踊って吹きぬけなければいけません。
お互いに愛し合いなさい。でも愛のきずなをつくってはいけません。
君達の魂の岸辺と岸辺の間には、波のうねる海があるようにしておきなさい。
お互いの杯を満たしなさい。けれども一つの杯で飲んではなりません。
お互いに君達のパンを分かち合いなさい。 でも同じ塊のパンに一緒に口をつけてはいけません。
一緒に歌い踊りよろこびなさい。でもお互いは別々の人なのです。
リュートの沢山な弦は同じ音楽をかなで出しますが、皆一本一本、別の弦です。
君達の心を与え合いなさい。 でもお互いの手の中に包みこまれてはいけません。
生命の手だけしか、君達の心を包みとることは出来ないからです。
一緒にお立ちなさい。でもあまり近くにくっついて立ってはなりません。
寺院の柱は皆離れて立っていますし、樫の木やいと杉はお互いの木蔭の中では大きくならないものなのです。
 ―カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)より―
{「我われ夫婦の間には浅くて広い河がある」と常日ごろ実感しているが、これで良かったということ?]
                        夫婦間というより人間関係の基本でもある。
 ・・・・・・・・・・
2768, 半歩遅れの読書術 −2
2008年11月02日(日)
 【 出久根達郎 】

  彼の記述にある「井上流 本の読み方十箇条」が面白い。 井上ひさしの『本の運命』に、紹介されているが、
  ここでは二つしか紹介されてなかったのでネットの検索で調べた。 以下のとおりである。
   ーー
一、「オッと思ったら赤鉛筆」。ーこれは万人が実行している。
二、「索引は自分で作る」。ー大切な言葉や事柄に関する索引を本の扉や見返しに つけておくとよい、という。
   思いつかなかったが早速、実行することにする。
三、「本は手が記憶する」。ー「書き抜き帳」を一冊作ってそこに何でも書き込ん でいく。
   大事なのは手で写すこと。そうすると手が自然と記憶する。
四、「本はゆっくり読むと、速く読める」。ーどんな本でも最初は丁寧に、登場人物の名前や関係を、抑えながら読むといく。
   そうすると書 いている人の癖が分かって、その後が読みやすくなり、結果的に速く読める。
五、「目次を睨むべし」。 ー目次は全体の構造の見当がつく。
六、「大部な事典はバラバラにしよう」。 ー分厚い事典は持ち運びが便利なようにバラバラにする。
七、「栞は一本とは限らない」。ー井上ひさしは本を買うとまず、タコ紐の栞を三本ほど貼りつける。
八、「個人全集まとめ読み」。ー個人全集を集中して全部読むと、著者の言葉遣いや書き癖などが分かっておもしろい。
九、「ツンドクにも効用がある」。ー本との運命を大事にする。本は「買おう」と思ったときに買っておく、これが鉄則。
   そして机の横にでも置いておくと、不思議なことに本の方から「読め 読め、読め読め」と言ってくる場合がある。
十、「戯曲は配役をして楽しむ」。ー戯曲を楽しむためには自分でキャスティング すると良い。
   ーー
  以上だが、これとは別に「本は撫でてやると、所蔵者にささやいてくれる」という。成程、その辺は合点がいく。
 そのためには、図書館で借りて、これは!と思ったら迷わず買うことだ。
 出久根によると、井上やすしはかって、日本で発行される書物と雑誌を、一冊残らず買い求めていたという。
 200冊か100冊か、全部毎日買い求めたというから、たいていではない。 井上は本を買うとまず暇そうな喫茶店に入り、
 一冊20分くらいかけて目次を見 たり、ところどころ読んだり、栞(後述参照)を貼りつけたりするという。
 そしてこれを「僕と本との新婚旅行」(98頁)と呼ぶ。こうして一回撫で回すと、本が彼に向かって話しかけてくる。 
 「この間、目次見たでしょ」とか、「そのことは私の中に書いてありますよ」、と。
 結局、そうこう考えると、テクニックというより絶対量をこなすほどの愛情がなければ!ということだ。
 出久根は、この文章の終わりに作家の福永武彦の名言で閉めている。
【人に人徳あれば本もまたこれに従う】 読書だけでなく、全てに言えることだろうが。

 ・・・・・・・・・
2007年11月02日(金)
2404, 久世塾
                       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ
   図書館で面白い本を見つけた。
   電子書店の紹介文をコピーしておきますが、これを読んだだけで如何に面白い内容か理解できるだろう。
   12回で24万円の講座に120人も集まり、一年にわたって開催されたもので、一人一人の講師がまた多彩である。
   それを一冊に纏めてあるから凄い本になって当然である。この一冊でシナリオライターの世界を深く垣間見ることが出来る。
   そこには色いろな人間観や、哲学、道理が深く含まれている。 シナリオライター塾というより、人間塾といった方が
   よいぐらい深い人間洞察が含まれている本である。シナリオライターは、時代の人間の本質の深いところを、
   面白おかしく提示しなければならない。 現場は血みどろにならなくては感動が生まれるわけがない。 
   一人一人の講師の話が生々しく言葉が深い。 さっそく、アマゾンの中古本を発注した。
  ーーー
 久世光彦/著 大石静/著 内館牧子/著 竹山洋/著 
  (以下字数制限の関係でカット09年11月2日)
・・・・・・・・・
2006年11月02日(木)
2039, 猫撃退法    1∧11∧
           (ΦωΦ) ニャ〜ン

隣に「猫のブリーダー」が引っ越してきて5〜6年経つ。 
それ以来、我家の庭やベランダが近所の猫の集会所になっている。水をかけたり石を投げても、全く効果が無い。
ブリーダーが知人の同級生ということもあり、露骨に文句も言えない。 そういう人には知恵があり、
近所の陰口屋に上手く取り入ってしまう強かさがある。 そこでインターネットで猫撃退法を調べてみた。
「ペットボトルやコヒーかすなどの猫よけ策のほとんどは殆んど効果なく、センサーで鳴るブザーやスプレーなども
一時的な効果しかない。目先の一時的なものは直に『猫にも見透かされる』」というのがHPに書いてある大たいの結論である。
                                   (=^・w・^=)
モロヘイヤの入った水を好み、それは猫にとって猛毒!。 たっぷり飲ませて間接的な殺害を勧めているのもあった。
水の入ったペットボトルで殴りつける!というのが、闘いに敗れた答えである。
電波を発して撃退するのも(1万3千円位)宣伝文句にチャンと 『90?の猫への効果はあるが、10?は効果ありません!』
と逃げ道を用意している。そして、その通りに大して効果ないと多くのHPに書き込みがあった。
といって、そのままにしておくわけにいかないので、ペットボトルをベランダの通り道に一月前から10本ほど並べてみた。
週に2〜3回はベランダを平然と歩いていた猫も、それ以来は見ていない。  =・ω・= 直ぐ行くにゃ〜
昨日も2Fへの外階段の脇の塀の上から「ニャ〜オ」とわざわざ挨拶された。 私自身、犬・猫は好きだが、家内が大嫌い、
いつも追い払う役を仰せつかる。恐らく、あと一ヶ月も経てばまた彼らも姿を現すのではないか?その時は、
一番原始的に画鋲を一缶、並べることにしている。その次はコーヒーの出がらし、そして次はネズミ捕りの接着剤のついたもの。
要は楽しんでやってれば、何時か根負けをするだろう。(どっちが??
ブリーダーの隣の家の玄関口に大型の犬がいるが、あまり吠えたのを聞いていない。
犬も一日中、吠えていられないのだろう。  X ∧
              サイニャン (・x・)
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2005年11月02日(水)
1674, うそつき−2

面白そうな所を書き写してみた。 何げない言葉の中に鋭い深い意味が入っている。
 私の評論も入れてみた。
  −ー
 ・人は自分にうそをつくために他人にうそをつく。
  (評)−他人に巧妙にうそを仕掛けるために、まず自分にまず巧妙にうそをつく。
    もう亡くなったが、身近の人の実演を見たことがあるが、迫真の演技だった。
    のっけから騙そうと筋書きを書いて、そのとおり演じ、その演技に自分が酔いしれてしまう。
    そうでもしなければ金を騙し取ることはできないが。これは他人を騙すために自分をまず騙すケースか?
 ・人は自負心を保つために自分にうそをつく。
  (評)ーこれもどこでもあるうそである。特に女のそれは凄い。
 ・人間は、自分のいうことを自分で『信じている』ときに、より効果的なうそをつく。
  (評−効果的なうそを言うために、信じるまで自分に言い聞かせている人間を何度見た。
 ・うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実を歪曲する。
  (評)−会社の責任の擦りあいなど典型だろう。
 ・うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである。
  (評)−なら女性などには、うそを言い続けなくてはなるまい。 また、それが一番よいのだろう。
 ・人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ。
  正真正銘の真実を聞かされて我慢できる人間はそうはいないものである。
  (評)−そうか、自分は真実をいいすぎて嫌われているのか。
 ・うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しない。
 ・自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい。
  (評)ー鬱病者は、自分に正直すぎるんだ。寝る前に今日は楽しかった!と、100回自分にうそ?を言えば良いのに!
 ・人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、一見もっともらしいように思われるものでも、
  その人の過去の歴史的事実など重要でない。
  (評)−渡りのホステスなど、聞いていて??
 ・人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い。
  (評)−私の場合は、逆のようだ? 採用面接で、ほぼ騙されている!?
 ・警官、税関検査官などのうそを見破る能力は、一般人となんら変わらない。
  (評)−ただ場数を踏んでいる!
 ・権力を求める政治家には自己愛的な人が多く、その人格特性がうそを助長する。
  (評)−庶民も、騙されることを望んでいるから始末が悪い。
 ・病的なうそつきは、脳の機能不全と関連のあることが多い。
 ・うそが非道徳的とされているのは、権力構造の維持に役立つからである。
 ・集団内で相互に強化される自己欺まんが、最も恐ろしい問題をひきおこす。
  (評)−集団自殺か、集団自滅!新興宗教の自滅は典型か! 今では、既成宗教にもいえるが!
 ・うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、そして個人として栄えるために不可欠の要素である。 
  (評)−浮気がばれるのは、少しつかれると、ばか正直に言うからだと?
 ・真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なものでもなく、単にコミニュケーションの形態に過ぎない。
  その道徳的価値が判断されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるによってである。
  (評)−夫婦間では特に、その通りだと思われる。

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 2004年11月02日(火)
1309, 23歳の日記 −2
ー社員教育が終了して、現場初日の日記である。

当時の澄んだ視点と、不安一杯の気持がそのまま出ている。 それと、冷静に見ているところが面白い。
当時は、高度成長期の真っ盛り。大卒の新入社員を確実に確保する為、一ヶ月前の3月1日に新人教育に入っていた。
卒業式の休暇はもらえたが、その辺のことも日記に書いてあった。 遥か彼方の記憶へタイムマシーンにのって、
当時に、よみ返ったような気分である。全てが新鮮で、毎日がドキドキ・ワクワクの連続であった。
しかし激務と変化の連続で、限界を遥かに超えていたようだ。とにかく気持を書きのこすという事は、何か深い意味がある。
 ー1969年3月5日ー
現在、四日市市内の駅裏から歩いて10分位の男子寮にいる。同室は、「魚職人の寡黙の男の人」と、
「同志社卒の一年アメリカに遊学してきた大人しそうな堀田という人」だ。この人とは、いやに気が合う。 
虚無的な、それでいて一言一言が哲学的な味のある男である。一人でワインを買ってきて、フランスパンを
食べている。何かホッとした。今朝は、8時に起床をして、寮での食事後、会社へ出発。初仕事である。
始めは主任会議に出席して紹介される。その後、全社員の前で辞令を交付される。自分でも驚くほど緊張をしてしまった。
午前中は、本店店長の説明がある。午後は、管理係長の説明、その後の15時半より実施訓練。全神経を使ったためか、
疲れてミスを重ねる。直接の上司の松又さんという人は温厚で面倒見が良い。初めから良い人に当たり幸運だ。 
しかし、それに甘えないこと。湯の山の研修にしても、昨晩にしても最低の失敗をしてしまった。
何か自信が無いのか背伸びをしているようだ。関大出の倉谷という同期に帰りの喫茶店で批難される。
「お前は、硬く考えすぎだ、そしてコチンコチンだ」と。 まあそうだろう。 敵を作らないことだ

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2003年11月02日(日)
942, ドウデモいいことだが!
ー昨夜「長島ジャパン代表」と「王プロ野球選抜」の対戦をみながら書いた文章であるー
 TVで「長島ジャパン代表」と「王プロ野球選抜」の対戦を放映している。もちろんプロ選抜は二流どころだ。
それでも王選抜が八百長をしない限り勝つのは当然である。金で超一流を集めて、監督としては?の長島が選定したチーム。
真剣勝負から遠ざかっていた感覚と勘で勝つわけがない。まあ、お祭りだから仕方がないが。
東尾が解説で「日本選抜がつよいに決まっている」といっているが、そのことをまさか解説ではいえないだろう。
 二流でも監督の質と今の状況をみても、王のチームが勝つに決まっている。
結果論を言っているのではないことを証明する為にこの文章を「引き出しのコーナー」に貼り付けておく。
今「プロ野球選抜」が逆転をしてしまった。「日本野球の文化を守る為に闘う」といか長島がコメントをしていたが、
何を言っているのかこの人、自分でも解ってない。「日本野球を駄目にしたのが、貴方と読売の渡辺恒夫だろう」
これではアジア予選で終わってしまう可能性がある! 皮肉でなく本当だ。いまの自民党と同じである。
 負けた場合を考えて、日本のプロ野球が完全に否定されないことを考えて、長島をたてたのだろうが。
「まあ長島なら仕方がないか」でごまかせるためだ。ドウデモいいことだが!   20時35分

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568,ペイオフー断末魔
- 2002年11月02日(土)

現在竹中大臣と銀行の国家管理」?を主張している元大蔵官僚の木村剛氏の書いた話題の小説の「ペイオフ」がシビアである。
一連の大蔵官僚と政治家の実体が辛らつに書いてある。 まだ半分しか読んでないが、 この小説はすでに2年前に書かれた
「通貨が堕落する時」という単行本の文庫版だ。  多くに人に見てもらうために早めに文庫版にしたという。
この二年の時間を経った今、更に悪化して小説の内容の同じように壊滅に?向かっている。
それでも政治家と金融関係者は自分の権益を守ろうとしている姿は末期の現象そのものである。
もう手遅れかもしれない。あの地銀の不思議な一連の動きが解ってきた。実情は隠れた不良資産の在庫が多く残っている。 
それを処理する為に取れるところから阿修羅のように引き剥がさざるを得ないのだ。それと金融監督庁が大蔵省ー財務省から
独立して銀行に手心を加えなくなった事もある。なるほどと1人合点がいった。これから辛らつな貸しはがしが露骨になる。
それと倒産ラッシュが吹きまくるが仕方がないこと。どうにもならない時代だ、悲観でない。あのゼネコンが次々と潰れるのだ。
株価100円以下の企業はどれが先にいくかの世界だ。そうすると銀行の幾つかが国家管理になる事は必定。
政変が起こるが、といって受け皿はもっと悪くなる。それを繰り返しながらハードランデングしていく。
気の小さい国民性か、アメリカにより精神の中枢をやられた戦後日本のつけがここで清算の時期にきた。
情けないと他人事にいっていられなくなってきた。 このレベルが日本なのだろう。
「皆で渡れば怖くない!ここは地獄の三丁目、よいよい」とジョークも飛ばしたなる。
是非「ペイオフ」を読んでみる事を薦める。 もう本屋に平積みをしてあるはずだ。
一日一日舵取りをしていくのが今の日本の姿だ。日本的社会主義者の大元の末期としてみると面白い。

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[213] ーゲゼルシャフトとゲマインシャフトー
 ー 2001年11月02日(金)ー
・ゲゼルシャフトー会社とか公務員の契約社会・組織をいう。
・ゲマインシャフトー血族とか趣味とかの同好家の集団・仲間をいう。
 これが解ってないと同属会社などの弊害が出てくる。 その中間の中途半端な組織ができてしまう。
中間のケースも勿論あるだろうが、その場合は「ゲゼルシャフトを基礎においたゲマインシャフトか、
ゲマインシャフトを基礎においたゲゼルシャフトなのか」明確にしておかないといけない。
 これを明確にしておくと、社会組織の構造の一端が見えてくる。大組織でも、鹿島建設など同属会社も例外的にあることはある。
ゲゼルシャフトの会社に、サークル的なそれ(ゲマインシャフト)を求めている二代目や甘い経営者を時たま見るが、
恐らくこの知識がないのだろう。 学生の時に得た知識を述べているにすぎないが、組織論の基本でもある。
カナダの観光地で若い人の働き手は、学生アルバイトだ。 カナダは親の務めは大学の入学まで。
あとは首相の息子であろうが、働きながら卒業するそうだ。それも社会契約だ。少し違うか?

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