堀井On-Line



3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6

2009年11月01日(日)

 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)   
                               ー読書日記
 近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p−99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた世界が崩れていく。
そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。1789年のフランス革命では、「理性」が
至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。
そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者である。近代は理性というものを
発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見したのである。その三者の共通点は理性の欠落である。
子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないということで、
植民地主義が正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命もロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義や共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツは
みんな殺されなけばならないことになってしまう。 で、中国やソ連やカンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければことになる。
最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。 
毛沢東は何を国民にしたのだろう。スターリンも毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 

・・・・・・・・・
2767, こころと脳の対話 −3
2008年11月01日(土)

   面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、
  「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。
  そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
  そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性になるのである。
  河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。 
  相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。 
  そこまでいくには、経験を重ねるしかない。  それにしても、色いろな心の病があるものだ。
 「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P−160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、『五輪書』には、
   たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたかというとね……。
   その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
   こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこういうふうに手を振っても、
   本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。
   自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近するわけね。
   その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
   恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。
   そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
   どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらい
   かかったんですよね。「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
   おそらく、二日後に道で会っても絶対わからないだろうと思うぐらい、なにも見ておられなかった、と。
   「ああ、そうですか」「それだけじゃありません。先生は私の話の内容に、全然、注意しておられませんでした」(笑)
   「僕、何をしてましたか」 「何をしておられたかというのは、すごくむずかしいんだけれども、あえていうなら、
   もし人間に『魂』というものがあるとしたら、そこだけ見ておられました……」
   −−−−
   解) 魂、とは何かを、ここで大きなヒントを感じ取ることが出来る。 心、こころ、魂。 産まれ、生き、死ぬ。
    そして死んだ後も、何かしら続いていく生存中のエネルギーの痕跡が‘魂’ということ。 
     《ナショナルというブランドに松下幸之助の魂が入っているとか・・・》それも、これも宇宙の藻屑だが。
    二十数年前に、ある本で<正中心一点無>という言葉を知った。 中心を外さない、と同じ意味だろう。

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2007年11月01日(木)
2403, 恩送り
             (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、仏教的な味わいがある。
 それが明治以降西欧的な考え方が入り、死語になってしまった。親が子供にしてやったことは、子供もまた順繰りに子
 孫代々受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれていくものである。最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、
 個人に重きを置くようになったが、それでも個人として「恩送り」を必要ということである。
  最近「Web 2・0」で、情報公開が大きな流れになっているが、これも類似したものである。
  ー電子辞書のウキィペディアによるとー
「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えてくれた人へ直接返すかわりに、別の、
必要としている人達に送る事である。又、それにより善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと広がってゆく事も指す。
これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の通り恩を受けた人に直接に恩を返すことが、
これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という考え方・実践ならば、返す相手が限定されていないので、
親切を送り出す相手や、親切の内容は、自在に無理なく選ぶ事が出来る。従って比較的短い期間・時間の間に、
具体的に親切をこの世に"現実化"させる事が出来る。 人々が「恩返し」にこだわらず「恩送り」も選択肢とする事で、
社会全体としては、"現実化" し "流通" する親切の量が、圧倒的に多くなるのである。
これは1人1人の視点でも、日常的に自分が出会う親切の量が増える事を意味する。

井上ひさしはNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る〜イタリア・ボローニャの共生社会』において
 以下のような主旨の事を語っている。
ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。
ご恩返しは、贈り物を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。
ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを親切を受けた誰かに返すのではなくて、
他の人に渡していくんですね。そうすると、江戸に100万人いるとしますよね。
1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に100万の恩
というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。
 ・・・(中略)最近ではある程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにも
このような考え方が広がってきている。特に旅好きの青年、ボランティア活動に熱心な
青年などには顕著にこのような考え方を持ち、日々実践している者も多々見られる。ー
 −−−
  −以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
  (1)めぐみ・なさけ・いつくしみ・あわれ・ありがたく思う
  (2)「心」と「因」を合わせたもの。因とは、わけ・もと・おこり。
  (3)恩は心をよせること。人に対していたむ心。
  (4)大は人で、人が囲いの中にいることによって、安心していられる。
  (5)人がふとんに寝ている形で、安心・やすらぎの意。
  要約すると「人に対して慈しみの心を持つこと」である。 
 そうすると「恩送り」とは、それぞれが慈しみの心を持てば、互いに安らぐことが出来るということになる。
 私の場合、特に両親から大きな恩を受けたが、それを如何に自分の子供に「恩送り」をするかが今後の大きな課題。 
 連れ合いが入るから難しい問題もある。 生きている限り何らかのカタチで社会から恩を受けている。
 だから、できる範囲のチャンスには可能な限り「恩送り」をするように務めればよい。
 しかし恩送りをした相手に期待はしないことだ。 したと同時に、その価値は激減する。 
                      ホンジャ バイ!(゚▽゚*)ノ~~
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2006年11月01日(水)
2038, 躁鬱病について −6   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 「夫はうつ、妻はがん」
    ―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?  小川 宏 著

この本で有名人で「うつ病」から脱出した人や、亡くなってしまった人を何人かあげている。
脚本家の倉本聰、俳優の木の実ナナ、高島忠夫、気象士の倉嶋厚などである。
皇太子妃の「適応障害」も、専門家の話によると「うつ病」という。
世界を股にかけたキャリアの女外交官が小さな籠に入れられ、男児が生まれない重圧の中で、
ノイローゼになるのは当然のこと・・倉本聰とラジオの対談で病気の話を聞く機会があった。
それによると20歳代から欝を繰り返し、さらに二十数年前、北海道の富良野に居を移してからは、
毎日のように自殺を考えていたという。 その地に適応するまでの苦闘が思い知れる。
自殺で亡くなった人は、桂枝雀、ポール牧、嵐寛寿郎などがいる。精神科医の大原健士郎氏との対談で、
「小川さん、自殺未遂者が息を吹き返した時の第一声の言葉かわかりますか?」と訊ねられて、
「多分生きていて良かったと言うんじゃないですか?」の答えに、 先生曰く、
「そういう人はわずかで・・・ほとんどの人は、助けて!といいます。」 自ら命を断とうとした人が、助けて!
とは矛盾しているが、先生は「誰でも命への執着があるので、そういう言葉を発するのです」という。
最近のアメリカの研究では、成人の糖尿患者のうち20?が「うつ病」になると報告されている。
日本では糖尿患者は普通の人の三倍の確率になる統計がある。またガン患者の25?も「うつ病」
になるというから、気が滅入る状態になった時は、気分の転換が必要、生真面目もほどほどに!ということだ。
10年ほど前になるが、近くに住む私の従兄弟が「うつ病」で自殺した。
見ていて残された者にとって、これほど不幸なことはない! 深い心の傷で、一生の哀しみになる。
自分独りで自分の傷口を治療するしかないが、無理と解ったら医者に行くのが一番良い。
それができるようだったら、ノイローゼにはならないだろうが・・そういえば、ノイローゼという言葉を最近聞かなくなった。
自律神経失調症という言葉に変えられたのか!「正中心一点無」という言葉を少しは理解していれば、
心の負担は軽くなるのに・・・・般若心教につながるが ー自殺から生還した人の話を聞いたことがある。
「地獄の苦しみ」という、肉体的にも神経的にも・・ 地獄の底から這い上がってくるのだから、そうだろう!
                    (*^ワ^*)i バイバイ               
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2005年11月01日(火)
1673, うそつき −1              ー 読書日記
  「うそつき」 ―うそと自己欺まんの心理学  
                  チャールズ・V. フォード (著) 
この本は面白い!自分の心理の底奥深く食いこんでくる。
「人は誰しもうそをつく」という解りきったことを、あらためて突きつけられると、ひるんでしまう。それほど、
「うそ」は誰も扱いがむずかしいテーマである。 実際、夫婦でも友人でも「うそ」を上手に織り込んでいないと、
その関係は崩壊してしまう。 要は真実を語り、その中に適当にうそを織り込むからこそ人間関係は上手くいく。
「うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである」という言葉に、結婚詐欺師と宝石屋の営業マンが思い浮ぶ。
ただ、相手のシンデレラ・コンプレックスを満たしてくれる王子様を演じればよいのだ。
餌は、理想的な結婚と宝石という石ころである。 私は、可能限りうそは言わないことをモットーとしてきた。
この本を読みながら、「うそを言わないことで多くの他人を傷つけてきたのではないか?」という疑念が出てきている。
 ー以下は、本書の概要であるー
(以下、字数制限のためカット09年11月01日)
・・・・・・・
2004年11月01日(月)
1308, まさか、地元で大地震!ー7

先週の金曜日、新潟に一泊のあと自宅の近くに帰ってきたところ、200m先にある、
長岡高校と長岡大手高校の周辺が、自衛隊やマスコミの車で、ものものしい雰囲気に一変していた。
一昨日(土曜日)の朝、散歩をしていたら自衛隊の大型ヘリが住民を搬送している
のが見えた。長岡高校のグランドが、ヘリの基地になっていた。近くの大手高校が山古志村の避難場所に
なっているようで、自衛隊が朝晩、運んでいるようだ。長岡も被災地であるが、自宅近くの倒壊の家はない。
生命の危機は全くなかったし、秘境旅行を十数年してきた為か、目の前の死の恐怖以外は不感症になっている。 
しかし彼等のヘリで運ばれている姿をみて、被災地の真っ只中にいるという実感が少しわいてきた。
こういう経験は感じ方(受けとめ方)で、全く違ってくる。昨日の夕方、同じコースを歩いてみたら、もう終わった雰囲気。
人生一度のあるかどうかの出来事であるが、何か実感がまだ湧いてこないのは如何してだろうか。
新幹線が長岡〜新潟間を開通すれば、ほぼ元の生活に戻ることもある。 個人的には30〜40万位の損失か。 
石灯篭の復旧に15万の見積もりが、とりあえず確定したものだが。 今朝方も、震度4ぐらいの地震があった。 
まだ予断が許されないが、間隔は空いてはきている。

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2003年11月01日(土)
 941, 何事もない日の日記

 はっきりいって今日は何も書くことがない。何事も書くことがないときは、何もないことを書くのも面白いと考えて、
それをテーマにして書いてみる。 テーマがまったく見当たらないことは月に一〜二度位ある。
そういう時は、中途半端で終わっているパソコン内のメモ帳の中から引っ張りだして書き足す作業をする。
その場合は書いているうちに、違うテーマが出てくる。
何もないといっても、周囲を見渡せば幾らでもテーマがあるはずだが、毎日だとやはり全く浮かばない日が出てくる。
大体が前日荒筋を書いて、翌朝の5時半にパソコンに向かい30分近くかけ書き直しをする。
その後一時間近く散歩をした後、風呂に入りその後いま一度見直してホームページに貼り付ける。
それでも後でふりかえると誤字・当て字がある。 しかし貼り付けた後の達成感は格別である。
常に頭の中は記者モードになっていて、何か明日書くネタはないかという目ができている。
「これは文になる」と勘が働いた瞬間、文章の起承転結の構築を始めている。
私の場合、文章化をすることが自分の人生に深く生命を与えることになっている。
自分の文章を読み返すということは、過去の自分の生命と会話をしているということが実感で解る。
毎日1年前、2年前の随想日記を一緒に貼り付けているが、その時は真剣に読み返すことにしている。それが内省にもなっている。

・・・・・・
567、ケーススタデー   ー1
  ー 2002年11月01日(金)
 前回書いた学生時代のゼミの内容を書いてみる。 人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。
人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー
各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。
・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。
・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。
・それにしたがって議論を始めるのだ。
・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を示されるのだ。そしてゼミの結論との誤差を話し合う。
幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、8人兄姉の末っ子で常に状況を
冷静に見ていた為か、自分の意見があたるのだ。寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。
その為か自分のゼミにおける立場が確立さていた。
それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの組み立てをする面白さを知った。
これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。人間関係に対して、直感的に論理だって構図になって瞬間に
出てくるのが最大の武器になった。良質な上司には可愛がられるが、逆のケースの場合は大変な事態になってくる。
この男は何を考えているのかを不安になるらしい。自分はサラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。

・・・・・・
「205」春画
 ー2001年11月01日(木)
 子供の時から、一番上の姉より家に春画があることは聞いていた。それが寝室を改装した2年前に隠し??より出てきた。 
かなりの価値ものかと色めきたったが、カタカナが混じっていた。 明治以降のものだろうから、期待は全く出来ない。 
税務署対策用だったようで、金庫に入れておき、踏み込まれた時に、何気なく見せるものだったとか。
 ー効果は充分あったそうだ。
 今はそんなものは、ポルノとインターネットに打ち込めばいくらでも出てくるが、昔は珍しいものだったらしい。
(以下、字数制限のためカット09年11月01日)


3131,期待どおりの電動自転車

2009年10月31日(土)

 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗したきた。
自宅は長岡駅裏から歩いて10分ほどにあるが、長岡駅前から歩いて20分のところにある大手大橋まで12分で着いた。
信濃川を渡ったところにあるジャスコには15分、ユニ系のSCのアピタまでは20分かかった。そして、その先にある
長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが45分後であった。万歩計をみると、2500歩になっていた。
45分というと5500歩あるくから、半分近くこいだことになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらいである。
 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。  一日一万歩を目指して歩いているので、自転車には
ほとんど乗ることはなかった。 だからスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの自転車を
乗った驚きは大きいのは当然のことである。一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると二倍の加速がかかるもの。
自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、その時に特にペダルに力が更に二倍加わるから、何か異様な感がする。
線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂とか、けっこう起伏がある。
そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽になる。
電動自転車は、法律でアシスト一対一から、一対二が認められたことで、爆発的に普及するような気がする。
 ただ、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が忠告した「すぐに、盗まれるよ」
というのも分かる。小型のためボックスカーに、そのまま乗せる事が可能だからである。
一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。
まだ、珍しいからで、あと数年先がよいんじゃない」といって、買うのを止めた経緯もあった。
スーパーや、駅前などは、当分は置けないが、その時はその時ではあるが。 とにかく、驚いた!

・・・・・・・・・
2766, こころと脳の対話 −2
2008年10月31日(金)

「 こころと脳の対話 」  潮出版社   河合隼雄 茂木健一郎
 第二回 箱庭と夢と無意識 
    《箱庭のなかの「生」と「死」》の要点からー
 京都にある河合隼雄の研究室で、「20数年ぶり」という箱庭づくりを終えた茂木健一朗。
  ー茂木の箱庭を見ながらの二人の対話のポイントをまとめてみたー 
 ーーー
 河合隼雄はまず「意識と無意識の関係」を提示する。 箱庭で、ニワトリなりゴリラなどのアイテムを手に取る。
ここですでに、アイテム(意識)の背後にその人の無意識ーとば口ーが関わってくる。
「たとえば、ニワトリならニワトリが、心のなかに残っているわけですね。で、帰ろうと思ったら、本屋でニワトリの本が
パッと目に映ったりするとか。必ず買って読もうと。 それが、ユングのいう「シンクロニシティ」です」(P・102~103)。
この時、箱庭で選んだニワトリと本屋で見つけたニワトリとは因果関係はないです。大切なのは、自分の無意識と外のものとが
呼応するというほうです。 なぜか知らないけれど、箱庭の前に立ったらニワトリというアイテムを手にしてしまった。
そして、帰りに本屋に寄ったら、ニワトリの本にパッと目がとまって買ってしまった。
私のなかになぜかニワトリというかたちで無意識が働き出して、それがニワトリの本と呼応した。これが「シンクロニシティ」。
「意味ある偶然の一致」です。 ここには科学的な因果関係はまったくありません。でもこころにとって「意味」があるんです。
「この非因果的ということがものすごく大事なんです」と。河合はこの無意識の非因果的連関のなかに、臨床の中でクライエント
(患者)の生きる「意味」と「可能性」を探りだしてゆく。「とくに近代科学以後は、因果関係を知るというのはすごく
便利なことで、役に立つことでしょう。 因果関係がわかったら、こちらの意図で操作できるわけですから。
だからそっちへ行きすぎて、非因果的連関を見る態度を失ったんじゃないかと、僕らは思っているんですね。・・・・ 
僕なんかは、この非因果的連関のほうをけっこうおもしろがって見ているわけですね。 もちろん因果的にはつながらないんですよ。
ただ、ミーニング(意味)はあるわけだから、そのミーニングを知ろうというわけですね」。
(箱庭の世界は)「わからない。わからないのが大事なんです。だから、それが「可能性」なんです。だからこれを続けると、
その可能性が活躍したりするんですよ。 可能性がもう出てきてる。自分でもわからない可能性があって、そのへんが活躍しだす」
ーー                                                (本書より)。
解)
以上だが、「箱庭で、ニワトリなりゴリラなどのアイテムを手に取る、その背後に既に無意識ーとば口ーが関わってくる。
 それが既にシンクロニシティーの強力な引力になっている」というのが、この本の一番の要点である。
 たまたま本屋で、ニワトリの本を見つけたことと、因果関係はないということがものすごく大事というのが、面白い。
 その本屋になくても違うところで、違うニワトリの本を見つけるんじゃないか、それはそれで、意味ある偶然の一致になる。 
 人との出会いも似たようなもの。 ここでも、述べているが、全てがシンクロニシィテーである。
 たまたま何かのアイテムにエネルギーが集中しているから、その対象に意味ある偶然の一致が現れてくるだけ! なるほど。
                                          −つづく
・・・・
2007年10月31日(水)
2402, 独りでしていて唯一惨めでない行為
                        才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
  以下は、林まり子の「読書はじめ」というエッセーであるプロは同じ文章でも、読んでいて読者を引きつける力が違う。
 ここまで書けるには、この随想日記を一万は書かなければならないだろう。すなわち現在は2400であるから、差し引き
 7600÷365日=21年以上はかかる。 いやあと10年、いや5年はかかる。文章力は何をさておき、まずは絶対量である。
ー以下字数の関係でカット2008年10月31日ー
・・・・・・・・
2006年10月31日(火)
2037, 躁鬱病について −5
                才八∋ウ_〆(∀`●
 「夫はうつ、妻はがん」―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?   小川 宏 著  
ー主観をこめた概要であるー
・31年前に糖尿病になり、ストレスなどが重なり15年前の平成3年に「うつ病」になった。
 癌と同様に、糖尿病は普通の人の三倍も「うつ病」になる可能性が高くなる。 その伏線がそれである。
・当時、彼はモーニングショーなど活躍したアナウンサーだったが、自分の事務所を任せていた弟がお金を使い込んだ
 トラブルが「うつ病」の 直接のキッカケだったという。
・うつ病になった直後の平成3年に電車へ投身自殺をしようとした一瞬、
「自殺は愚か者の結論なり」という言葉がよぎり自殺をとどまった。
・その事情を知った妻に病院に連れて行かれて、本診の前の、問診で「親戚で神経系の病気をされた方はいますか?」いわれ、
「はい、その昔、叔父が神経衰弱と言われました」と答えた。 本診の結果、その場で入院を命じられる。
(帰りに自殺を決行の危険がありと診断) その 三ヶ月後に退院。 {うつ病に遺伝があるとはね〜}
・入院直後の医者の注意が印象的である。「うつ病だけは自分の意志で直そうとしないでください。
 ですからこの病に関しては‘闘病’という言葉は当たりません。上手く付き合えば‘心の風邪’のようなもので個人差はあっても、
 完全に直ります」 この言葉で心が励まされたという。
ー以下字数の関係でカット2007年10月31日ー
            (*^_^*)\          ー つづく
・・・・・・・・・
2005年10月31日(月)
1672, 聖荊の奇跡

パスカルといえば、「パスカルの賭け」ー後記ーがよく知られているが、それと同じくらい有名なエピソードがある。
(日本ではあまり知られてないが) ー[聖荊の奇跡]である。この奇跡を見たパスカルが[パンセ]を書く大きな動機になる。
姉の娘マルグリットが、目の病気になってしまう。多くの医者をまわっても誰も治せない状態で、症状はますます悪くなる。
その間に、姉のジルベットは修道院に娘を寄宿させる。しかし目の腫れ物が肥大して、膿がでて、鼻骨も侵されてしまう。
ある日、修道院に展示されていた聖荊(キリストが磔にされたときに、頭につけていたとされる荊の冠)
の一部がにマルグリッドの患部が触れると、たちまち腫れ物は消え、完全に病気が治ってしまう。
これは宗教裁判所からも、奇跡として公認されている。この出来事を身近に見ていたパスカルは、信仰が揺るぎないものになる。
彼は、この出来事を契機として人間の回心を願い[パンセ]の執筆に入った。ところで、私に奇跡を貴方は信じますか?
と問われれば、信じる方を選ぶ。手品もどき宗教のトリックでなく「人知のはるか及ばない出来事はありうる」という意味で、だ。
全く、穢れてない少女が純粋に信じ念じたことが、何かのキッカケで細胞レベルからの変容も不思議ではない。
‘パスカルの賭け’
「神を信じて、本当に神が存在すれば天国に行き、もし存在しなければ天国も地獄もない。神を信じないで、もし神が存在すれば
地獄へ行き、存在しなければ天国も地獄もない。ゆえに、神の存否が分からない時は、神を信じたほうがよい」  (パンセ) 
 ダメもと、の信仰論がおもしろい

・・・・・・・
2004年10月31日(日)
1307, 一冊のアルバム

地震に明け暮れているので、話題を変えてみる。事務所の移動で、秘境ツアーなどのアルバムを整理していたら、
未使用の小さなアルバムが出たきた。一面一枚の20枚しか貼れないが、台紙のあるチャンとしたアルバムである。
買っておいて忘れたのだろう。そこで、「さてどう使おうか?」と考えてみた。
その結論として、「過去の旅行のベスト20枚」を貼り付けることにした。そして、それが良かった。何度みても飽きない。
私にとって、どんなものより素晴らしい宝物である。「これは!」という写真は、一回の旅行に数枚はある。
それを更に、20枚に集約したのだ。開けば、それだけでハイになる。 アルバムはそうそう開いて見ない。
いちいちアルバムを開くのが面倒だからだ。 それなら数千枚の写真を、二十枚に纏めればよいのだ。 
そして、常にカバンに入れておくことにした。詩も、言葉の中に全てを集約して残すのだから、究極の凝縮のカタチである。
母が多くの道楽の末に行きついたのが「詩」であった。
事業にしても、お金にしても、不動産にしても、写真にしても、古道具にしても、後継者にしても、残るのは、
生きてきた実感としての「真実としての言葉」と「写真」「信頼」そして「子供」だけである。
話しが大きく逸れてしまったが、貼ってある順に紹介してみる。
・パキスタンの桃源郷といわれているフンザ近郊の小高い崖の上で一人で、足を開いて片手を上げているショット
・パキスタンのカラコルム・ハイウエーのがけ崩れの落石の中、現地人に手を引かれ走り抜けているショット
・機上から、天山山脈を撮ったショット
・タンザニアの大晦日の現地運転手の特別招待のパーテーで、多くの運転手たちと 0時を過ぎた瞬間の写真
・フィンランドの登山列車で、トンネルの合間のビューポイントの滝で、一時停車をして写真を撮っていた。
 ところが、 急に音楽が鳴り出して遠くの滝の岩間で赤いドレスの女が踊りだしたショット(列車のお客に見せる為のショー)
・スイスの山頂の氷河に着いたが、霧で視界はゼロだった。その時、霧が急に風で飛ばされ、氷河が自らの姿を現した。
 家内と二人、感動で呆然として氷河の美しさに見とれていた。 
 ー帰国後、同行の人が、そのショットを上から撮っていてくれていて、送ってくれた一枚
・スイス・マッターホルンでの凧揚げのショットと、マッターホルン
・モロッコ・マラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」の夕景
・モロッコのサバクで撮った、朝日が写しでした「私たちの砂上の影絵」幻想的な極上の写真
・ヨルダンのぺトラの前でのショット
・シナイ山の山上でのショット
・フィジーでパラ・セーリング(モーターボートでパラシュートを引っ張り空を飛ぶ)で、
 空から撮った写真と、地上からそのショットを撮った写真
・リオのカーニバル
・北スペインのパンプローナの牛追い祭り。最終日のファイナル・ギャザリングで、大衆が踊り歌っているショット
・ギアナ高地でボートからテーブル・マウンテンを写したショット。 それと機上から撮ったテーブル・マウンテン
・メキシコのテオティワカン遺跡の、「月のピラミット」の頂上からのショット
・パルミラ(シリア)列柱通り
・ケニアのヌーの河渡りを見たあとの帰り道、夕陽と雲の織りなす夕景
・ワニとシマウマの死闘のあと、最後にシマウマが陸に逃げ切った瞬間のショット (私の人生の最高の一枚である)
・ネパールのカトマンズ近郊の山から、ヒマラヤ山脈を望む
・イスラエルのマサダの砦の山頂からのショット。ユダヤ人1000人が自害した時の闘いの生々しさが、今も残っている
・そして、最後はブラジルのイグアスの滝をヘリから撮ったショットである
  以上だが、恐らく死ぬ時、この一冊を抱きしめているだろう。

・・・・・・・・
2003年10月31日(金)
940, ゲーム理論ー2

「ミニマックス理論」と「囚人のジレンマ」はゲーム理論の大きい柱になる。
「囚人のジレンマ」は「自分が一番得をしたいと思って選んだ選択肢が、
結果として最適でないものでなくなっている」、それを互いにゲームで競う。
ーそれでは「囚人のジレンマ」とは?
 泥棒の嫌疑がかかっている二人が警察に逮捕され、独房に入れられている。
ただし、物証がないため証言だけが頼り。 そこで警察側は2人に次のような条件を提示した。
1)・2人とも黙秘すれば、証拠不十分で両方が懲役一年
2)・2人とも自白すれば、両方が懲役2年
3)・1人が自白をし、1人が黙秘をすれば、自白側は無罪、黙秘側は懲役3年                 
ー以下は字数の関係でカットー2007年10月31日ー
                     ーつづく
・・・・・・・・
566、 2002年10月31日(木)
1968年9月22日 ーセミナーハウス二日目ー

8時10分前に起床、同室者はまだ二人とも寝ている。 朝食後、セミナー開始。
 ーケーススタデー
討論開始、いい加減なことをいって恥ずかしい! もっと深く考える必要があった。ほかの人がよく学んでいるのが判った。
考え方もベースができているのに今更の感がする。昼食後、全員で相模湖へ行く。私と大島君と東レの研修員3人と同乗する。
ー君は一年後輩、呼び捨ては同期、さん付けは東レの研修派遣の人ーで使い分けているー
東レの野村さんの女性論が面白い。冗談と真実の紙一重の話がさすが大手の人事部の人はセンスが違うと感心した。
車が逸れるが、現地で落ち合う。 早速、釣りをする・・帰りは高木の車でセミナーハウスへ帰る。 高木の人間的魅力の深さに驚く。
再び「愛」について討論、最後に国家愛に行き着く。印象的だったのが「所詮バケツいっぱいの精液が、愛でしかない!」
が印象的だった。 終了後、焼き鳥とビールで夜半の12時過ぎまで語り合う。

ーある時間の断面 −
                 1968年 9月23日  
 ーセミナーハウス三日目ー
8時10分前起床、食後、討論に入る。「将来の日本」についてのパネルデスカッション。
パネラーは田口、石川、小島、鳥山、高嶋さんであった。小島君の安保、自衛隊の批判に反論が出る。 
かなり白熱した内容であった。昼食後一時に解散。高木の車で帰路に着く、東名高速は初めて乗ってみたが
名神より車が多く外国に行っているような錯覚におちいった。帰寮後、夕飯に出ると大学の知人にばったり会う。
ITAという海外旅行研究会の部長で、昨年欧州行きで知り合った。
寮の近くにバイトに来ているという。奇遇であった。私の部屋で話をする。アメリカに留学するという。
何か考えていることや話している内容がスケールの違いを感じた。 圧迫を受けてしまった。
彼を見ていると自分にもその力がある筈なのに、どうしてこうも違うのだろうか?同じ力がある筈なのに。
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感想ー段々と社会に出る切迫感がこれからの日記に出てくる。 かなり無理をしている自分がそのまま書いてある。
 自分の子供を見ているようでもある。丁度息子の歳ごろだ。 でも行動的であったのに驚いてもいる。
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2001年10月31日 [204] 霊体質ー3
 今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
 シンクロニシテー(意味ある、乃至考えられないような遇然の一致)と重なっている。
1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができその下を通った。
  100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。
2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」をしたときの事。
  丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。 それで天侯を憶えていたが、
  午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを趣味としていた。
  その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。
3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が待っている時、急に気分が悪くなった。
  ハッとした、今叔母が私の処にきているのが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った」
  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。また以前の文をコピ−しておきます。
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  S6201霊的体験 2001/10/31
 私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開する。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へおまいりにいった。
その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になり、そこで彼の供養も含めてお経をとなえた。
その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみた。そして何げなく“B”さんの顔をみると、彼の顔がまっ青になっていた。
やはり車中で“C子”さんの話をしていた。“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせた。そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社した。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確立で彼女の家の前に車がとまったのだ。
十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのだ。私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまった。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられないという風だった。
私自身またかというのが実感だった。その日一日“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとった。


3130, 閑話小題 ーつれづれにー

2009年10月30日(金)

   * PDP・TVとDVD購入から7年経過の感想
  購入7年経過の感想といえば、50インチの大きさと画面の明るさと鮮明さが良かったことである。
 特に映画と相撲やボクシングなどの迫力が圧倒的になる。それと海外各地の紹介番組も、現地に居るような錯覚にさせる。  
 ただし、長時間見ていると疲れる。 購入メーカーのパイオニアがPDP・TVより撤退をしたが、製品としては合格。
 7年経っても、現在の薄型TVに見劣りをしていないところは、さすがに日本のメーカーである。
 TVと録画機は8年を目安にしているので、TVはあと一年だが、三年位は持ちそうだ。
 その時は、液晶の65インチのつもりだが、そろそろ液晶とは違う画期的なTVが出はじめている。
  で、現在、薄型液晶を買おうと迷っているなら、50インチ以上をお勧めする。結局は画面の大きさだが、
 部屋の広さもあるから一概にはいえない。メーカーは、どこも同じようなものだが、敢えていうならソニーか、シャープ。
   〜〜
  * 経済の二番底が近くあるのか?
 9月に入ってから、地場から聞こえてくる経済の様子が変のようだ。 しかし新潟駅周辺は9月下旬の国体と
 身障者のスポーツ大会、5連休の観光客のために賑わっていたが、10月半ばから一挙に元に戻ってしまった。
 このところ半年に一度は、こういう雰囲気にはなるが、銀行や会計事務所の話や取引先の話を聞くと、
 今度は本当に追い詰められてしまったところが多いという。 年末年始は大荒れ、の予測が前からあったが、
 その余震が9月から始ったということだ。 当方は、冷夏のマイナスを9月、10月で何とか取り戻したので、
 何とか二月決算の数字は予定通りの目安はたっているが・・・。 年末・年始は二番底に?。
   〜〜
  * 「足腰の痛み」か〜 
 NHKのクローズアップ現代の10月27日(火)放送「あなたの関節は大丈夫?」〜ロコモティブシンドロームの脅威〜
 を食い入るように見てしまった。  その内容とは《(NHKのHPより) 手すりにつかまらなくては階段を上れない、
 横断歩道を青の間に渡りきれない…。 足腰の痛みなど自覚症状がほとんどない人も含め、骨や関節に問題を抱えている人が、
 全国でおよそ4700万人もいるということが、厚生労働省研究班の調査から明らかになった。原因は、ヒザや腰の関節を支える
 軟骨がすり減っていたこと。こうした運動器の障害はロコモティブシンドロームと呼ばれ、"寝たきり予備軍"と受け止められている。
 その半数以上に自覚症状がなく、何ら対策をとっていない人も多い。この膨大な数の予備軍にどう指導・対処していくかが
 大きな課題となっている。将来の寝たきりをいかにして減らすのか、新たに浮かび上がったロコモの脅威に迫る。》である。
  私の腰痛も、この一つの症状なのだろうか?。 私の場合は元もとの持病で、軟骨が磨り減ったのとは違う。
 しかし年々、腰痛が慢性化しているようだし、足腰が重くなってきているが、まあ生きている利子と思えば・・娑婆娑婆!

 ・・・・・・・・・
2765, こころと脳の対話 −1
2008年10月30日(木)
「 こころと脳の対話 」  河合隼雄 茂木健一郎 著  (潮出版社 )             
ー概要ー
  月刊誌上の3度の対談を再構成した本である。脳科学者・茂木健一郎が作る「箱庭」を
  ユング派分析家・河合隼雄が分析。脳科学と心理療法は現代人の苦悩を救えるなどを議論している。
第1回 こころと脳の不思議(ユングは人間の何を見ようとしたか
   ;学生時代の箱庭体験;安易に「言語化」することの怖さ ほか);
第2回 箱庭と夢と無意識(箱庭のなかの「生」と「死」
   ;「わからない」ことを大事にする;ニワトリが牛耳る不思議な世界 ほか);
第3回 「魂」を救う対話(脳治療の倫理的課題;脳科学に限界はあるか
   ;夢のなかで「意味」がつながるとき ほか)
  −−
 まずは第一回「こころと脳の不思議」の《夢の意味を自分で考えてみる》から・・箱庭の解釈が印象的である。
 私も時々、前夜みた夢を雑記帳に書きだすが、後で読み返すと非常に面白い。
 これは箱庭の話だが、箱庭は意識と無意識の、少し意識よりの世界を表現するという。
 私の事務所の部屋の横に、秘境ツアーで買って来た小さな人形がある。
 それだけでなく、母が旅先で買ったものや、子供が小さな頃に買ったものもある。
 考えてみたら、この棚そのものが、箱庭ではないか、脈絡は有って無いような。
 母、私、そして息子の三代の小さな人形が百個位詰まっている。
 そこで時々、気の向くまま7〜8個、白い用紙の上に並べてみようかと思っている。
 そして、ジッと見ているうちに何か不思議な世界に、入り込んでしまうような気がする。
 それはそうだろう、南アフリカの喜望峰で買ったサイの像と、ケニアのマサイ族と、子供が買ってきた
 ディズニーランドのミッキーマウスなどが、白紙の上で並べば、そこに深層の何かが見えてきて当然である。
ーP・19
茂木 僕がやった箱庭は、いまでも覚えてますけれど、やっばリ砂でした。僕はそのころ、内向的というか、
  知らない人としゃべりがあまりできなくて。 あるとき、箱庭で、村でお祭りをやっていて、
  山にサルが一匹いて、木の上からそのお祭りを見ている、というのをつくったんです。
茂木 どういうことか、と聞かれたので.「僕はこのサルで、そのお祭りのなかにまでは行きたくないんだけど、でも一人で、
  こうやって楽しそうな様子を見ているのが好きなんだ」というようなことをいって。そのころの心象風景だったんですね。
河合 その、祭りを見ているサルですね。それは、客観的に祭リを観察している自分というのと、それからサルで典型的なのは
  孫悟空ですね。将来、大活躍する可能性とか、あるいは仏道に入っていくような宗教性や精神性とか、そういうものを
  全部もっている存在としてそこにいるんですよ。それで、いたたずらもするしね。それって、すごくおもしろいですね。
茂木  なるほど、その「サル」というところがポイントなんですね。
 ーP・23
河合 わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。
  それを無理しているだけではもたないかち、寝たときに調整するわけです、全体性のなかに。
  その全体性のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思ってるんです.
   だから夢を見るということ自体が.ものすごい大事なことなんですね。それは解釈しなくてもええぐらいなんだけれど、
  解釈したほうがおもしろいと。いろいろ役にも立つし。夢をつぶしたら、だんだんおかしくなってきますね。
  だから夢というものは、生きていくために必要なものだと僕は思っているわけです。それは一種の調整作用みたいなもの。 
  だからその人にとっては、ある程度盲点みたいなことを見せられることが多いので、
  夢を見た本人にはわからない場合が多い。自分ではね。
河合 だからおもしろいんですよ。人の夢はわかるんですけれど、自分の夢はわかりにくいです、やっぱり。
茂木 それはちょっと、目からウロコですね。じゃあ、夢分析というのは、他人がやらないとだめだということですね。
河合 自分ではわかりにくい。だから、明恵は天才ですね。すごい天才やと思います。
  本当に、世界に誇るぐらいの。遊木自分を外から見るという視点も、同時にもちえた。
河合 ええ。あるいは、それを誰かにしゃべっていたのかもわかりませんね。
  ユングもいってますけれど、やっぱり誰かにしゃべったほうがいい。ただし、信頼できる人。
  で、その人はなにもいうてくれなくていいと・じっくり聞いてくれたちいいんやといってますね。
  ユンクにも聞き役の、信頼できる女性がいたし、フロイトの場合もちゃんと相手がいたわけですね。
  そういうふうに、やっぱり誰か他人の目が入らないと、自分だけではむずかしいですよ。
  ただ、僕らは長いあいだやってるから、もうだいぷできますけどね。自分の夢でもある程度はわかります。
茂木 その盲点というのは、どういうことなんですか。 たとえば、私は最近、イギリススに留学していたときの夢を見て、
    そして目が覚めたときの感覚というのは「最近、なんだかちょっと日本の社会と付き合いすぎてて、疲れてるんだ」
  ーーー
 解)「生きていること自体が、ものすごく無理をしている」そのことを理解すれば、遊びと、学びと、仕事と、真空、
    のバランスが必要ということが分かる。その一日単位の調整が夢というのも面白い。 
            7年前の同日、夢について書いてあった。(「203」夢 2001年10月30日)
                                         ーつづく
・・・・・・・・・・
2007年10月30日(火)
2401, こころの旅 ー5         ('-'*)オハヨ♪
  ―カリール・ジブラン『預言者』
      「子供について」       −読書日記
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った どうぞ子どもたちの話をして下さい
(それで予言者は言った)
あなたがたの子どもたちは あなたがたのものではない 彼らは生命そのものの あこがれの息子や娘である
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども あなたがたから生じたものではない
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが  あなたがたの考えを与えることはできない
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが 彼らの魂を宿すことはできない
なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが 彼らに自分のようにならせようとしてはならない
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく いつでも昨日のところに うろうろ ぐずぐずしてはいないのだ
あなたがたは弓のようなもの その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる 射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ その矢が速く遠くとび行くように力をつくす
射る者の手によって 身をしなわせられることをよろこびなさい
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓を愛しているのだから
ーーー
解)
この詩は深い意味がある。 子供に対して全ての親が理解しておかなければならない基本の姿勢である。
子供に対する責任があるが、それはあくまで自立に対するトレーナーであるべきで、相互依存のためではない。
ペット的に扱ったり、自分の私物とするのは言語道断。自分たちを通して子供は生まれてきただけで、自分ではない。
愛情を与えることは出来ても、考えは与えることは出来ない。出来るのは考える、そして自立できるように導いてやるだけ。
カナダでは、大学に入ると殆ど全ての学費は夏休み、冬休みのアルバイトで稼ぐという。
それが首相や財閥の子供であっても関係なく、もし、親が学費を出していたら、軽蔑の最たる対象の人間と見做されるという。
学生生活から、既に自立への訓練になっている。親子を弓と矢の関係に例えるのは面白い親と子供のあるべき関係を述べている。
しかし、これでは弓の的を決めるのは、射るのは、誰になるのか?という疑問がでる。
的は「自立」がということ? 己から遠くに飛ばす、自立させる考え方としては良いだろう。
それにしても、あの親亀(亀田)のエゴなんだろうか? その結果があの子亀達ということか? 
ここで書くことではないが、あまりにも宮沢リエ的?な内容である。             
                                (ゝ∀・`*)ノ))バイ゚
・・・・・・・・
2006年10月30日(月)
2036, 躁鬱病について −4
                       (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
 一昨日、図書館の棚を眺めていると、たまたま小川宏の「夫はうつ、妻はがん」という本があった。
丁度、うつ病について書いていたのでさっそく借りてきた。経験者が在りのままを書いているので、一言一言が深い。
きっかけは軽重あるが、そう簡単に「うつ病」になるものではない、それぞれの人生の積み重ねの結果に生じるのが病。
この本を読んでいると、うつ病になるべくしてなったのが理解できる。 病気になりかけたら、体験者の本が一番よいが、
そういう人は、その余裕や意欲が無い人が多い。
  まずは彼の談から・・・
「夫はうつ、妻はがん」 ―夫婦で苦境を踏み越えて   小川 宏 (著)
  *「うつ病」完治は家族の絆あればこそ
 平成3年、私は不意に全身の倦怠(けんたい)感に襲われました。
 原因がわからず苦しい日々が続いたある日、ついに自殺未遂を起こしてしまいます。
 そして「うつ病」が発覚、3カ月の入院生活を余儀なくされました。
 その体験をテレビ番組で公表したところ思いがけず大きな反響を呼び、同じように悩んでいる方が
 全国に多くいることを知りました。 元々私は、30年来の糖尿病とそれに伴う糖尿病性網膜症をはじめ、
 腎臓結石、気管支拡張病など病気とは縁の切れない生活をしてきました。
 そこにうつ病です。ストレス社会の現在、うつ病は“心の風邪”とも言われ、誰がかかっても、
 おかしくない病となりましたが、社会の偏見を恐れて病院にかかることをためらう人は今でも少なくないようです。
 本書では、そんな方やご家族に向けて「うつ」を防ぐ方法や、かかった場合の対処法などを私自身の体験と取材を含めて
 書かせていただきました。私がうつ病にかかったとき、家族をはじめ医療関係の方々など多くの人に助けられ、
 人は決して一人で生きているのではないという思いを噛(か)みしめました。病気は生活上の苦しみであって、
 人生の挫折ではありません。妻も子宮頸(けい)がんに加え うつ病に……つらい日々はありましたが、
 そんな経験があったからこそ、いま生きる喜びを感じることができるのだと思います。
 うつ病は必ず完治します。私がその証しです。 この本を読んで、うつで悩んでいる方や
 そのご家族をはじめとする皆様に、希望を見いだすヒントとなれば幸いです。
 モーニングショーの司会者だったこともあり、内容は読者の目をひきつけるような話題で一杯の本だ。
 まあ次回を・・・・ 
                   −つづく
 ・・・・・・・・
2005年10月30日(日)
1671, 「全ての装備を 知恵に置き換えること」−2

「全ての装備を 知恵に置き換えること」は考えるほどに深い言葉である。
‘ハードを、ソフトに置き換える’‘色即是空、空即是色などが直ぐ思い浮かぶ!
ーさらに、この本のポイントになる文章を抜粋する。「レベルの高い難しいクライミングをいくつもこなした後、
何がしたいかを問われたある男は言ったそうだ。歩きたいと。道の方角へずっといつまでも歩いていたい、そういったんだ。」
  (以下、字数の関係でカット、2009年10月30日)
・・・・・・
2004年10月30日(土) 1306, 究極の観光旅行
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日)
・・・・・・・
2003年10月30日(木)
939, ゲーム理論 −1

 一昨夜、コンサルタントの林さんと酒を飲んで「ゲーム理論」の話題が出た。
ほとんど忘れたこともあり、「ゲーム理論」をインターネットで検索して調べてみた。
また本を読み直してみた。 なるほど勉強になる面白い理論である。
一般的にゲームというと、「目標を決め、途中に難関を置き、それを乗り越えながら達成するプロセスを、
第三者か自分自身と競う事を楽しむこと」であるが「ゲーム理論」というと少し違ってくる。
ー要点を書いてみるとー
「『勝つ』ためには‘損切り’をして『負け』をへらす!」が一番のポイントと思われる。
ゲームと仕事に勝つための4原則は
・『勝利』より『損切り』を重視する
・裏切りによる勝利は長続きしないことを知る
・相手も自分と同様に利益を求めていると知る
・あらゆることが起こり得ることを知る である。
ーゲーム理論では「相手の存在』が不可欠である。 ゲーム理論は数学理論をもとにしている。 
その大前提は、『自分』と『相手』がいて、それぞれが「合理的・利己的」に「最適な状態」を目指すことにある。
かけひき上手を競うのが「ゲーム理論といってよい。
 ゲーム理論で考えられる世界は、100人が100通りの答えを持ち、相手の存在と立場を見ながら戦略的に手を打つ。
(以下、字数の関係でカット、2009年10月30日)
・・・・・・・・・
565,、ある逸話ーインドで見たこと
 - 2002年10月30日(水)
インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本をつきながらやって来た。
素足で身に付けているののはパンツ一枚である。それで飛行機に乗ろうというらしい。
急を聞きつけた警察が数十名が周りを取り囲んだが誰も手を出せない。
空港の制服の女の人が間に立って説明をしているが、どうしても折り合わないのだ。
パスポートも持たないでパンツ一枚で国際線に乗ろうとしているのだ。
恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。
恐らく「神の指示で乗れといわれたのに何故乗せぬ」と言っているようであった。
最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を最後まで見せ付けられた出来事であった。
インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と街を我が物顔で歩いているのだ。 
宗教上で神聖な生き物なのだ。以前にも書いたが、20?のある階級は餞民で人間とみなされないのだ。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。
  −4年前に書いた文章をコピーしておきます。
   −−−−−−−−−
10/11  インド旅行記 ー私のみた北インド 
“ インドとは...”など滞在一週間のツア−では表現できない。
 面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日)
・・・・・・
「203」夢ー11  2001/10/30
 
 五〜六年前にみた夢で忘れられないのが、自分の葬式の祭壇を見たことだ。
学生時代住んでいた部屋であった。久しぶりに寮の自分のいた部屋を覗くと、それがあった。
恐らくもう‘あの時の自分がもう終わってしまった’というシグナルだったのではなかろかうか。 
何か変な奇妙な印象が残っている。 どんどん変わっていく中で変わらないのが過去だけだ、しかし夢でさえ、
もうあの時の自分は消滅したといってくる。 それから一年に一度位見ていた寮の夢をほとんどみなくなった。
 ーまたこんな夢もみた。
中東?の兵隊の自分が絞首刑になる夢である。7〜8年前か。それを当人になっている自分と、それを上から見ている自分がいた。
その瞬間もう一人の違う自分に移り、やはり絞首刑を経験する夢である。
いやに茶色の埃っぽいイメージが残っている。その前に確か廃墟の建物を訓練で数人と昇っていた。
 非常にリアルな、前世の自分の過去霊をが夢に出てきた?感覚であった。
これとは全く違うと思うが、瞑想をしていると、突如「タジータジーダ」という人の名前?が突如出てきた。
「なんだこれは?」と今でもそれが何かわからない。情報のシャワーの中で、脳が勝手にある単語を吐き出したのだと思われる。


3129,電気自動車の時代

2009年10月29日(木)


先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」
という内容の特集を組んでいたが、地球温暖化防止のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車へ
向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて脱ガソリン車の開発・完成をした時にあらゆる妨害が入った。
それを「誰が電気自動車を殺したのか」というテーマのドキュメントも放送していた。
石油業界にとって脱ガソリンは大打撃になる。が、温暖化を考えたら、そうはいってはいられない。
 ーNHK・HPのこの番組紹介からー
《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》
シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの動きと、電気自動車に社運をかける日本メーカー
日産の最前線の動きに密着する。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。町工場が雨後のタケノコのように生まれ、
今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいている。 新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、
自動車メーカーと市場争いを繰り広げるところも出てきた。一方アメリカでは「グリーンニューディール」を推進する
オバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレーのIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを
握ろうという動きが進んでいる。これに対し、世界の自動車メーカーで初めて本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、
ガソリン車の購買層をターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電インフラ整備など様々な
課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。
 ーー
 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。
  ー印象に残った部分を列記してみると、
・ガソリンエンジンから電気モーターに替わることで、車体は高熱の問題から解放され、鉄の車体に縛られなくなる。
・その結果、部品が3万ユニットから10分の1に減らすことができ、ユニークなデザインも可能になる。 
・中国の世界の貧しい層を ターゲットにした 13万円の 電気自動車 をみると、何が必要か不要でないかを
 根底から考え直すときが来ているようだ。 
・また、インドのクルマは小さくて狭い道の多いヨーロッパに良いという。 
・投資家の支援を受けて、自由な発想で電気自動車を開発するシリコンバレーの 新興企業 … 
 既存のクルマとは明らかに異なるデザインで、SFの世界に入り込んだようである。
・近い将来、自動車は 一番大きな “ 家電 ” になる、と 豪語する Googleグループ。
・超軽量ファイバーで、3輪の 電気自動車を作ったシリコンバレーの 社長は言う。
 《自動車メーカーの 人間は、「 自動車は、4輪で 箱型の乗り物 」 と思い込んでいる …》
  以上だが僅か1年で、これだけ激しく時代が変化するのだから驚きである。
 自動車の電子化が今後、果てなく続くことになると、部品メーカーが淘汰されていくことになる。 
                電気自動車でなく、電子自動車の時代??
 ・・・・・・・・・
2764 ,ウォール街の魔女
2008年10月29日(水)

  【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である!
  関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、
 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。
  ーまずは、そのコピーから
 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーンという。
 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、
 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。
 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する第六感のようなものを持っていた。
  銀行の破綻(はたん)や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、稼ぎまくった。
  さらに、大富豪にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。
 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。食事は安いレストランですまし、
  安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。読んだ新聞は息子に売りにいかせ、
  その息子がケガをしたときは、治療代をケチり片足を切断させられた。
 ▼モノを作って売るわけではない。「金」だけを信じ、投機と吝嗇(りんしょく)とで巨万の富を築く。
 「魔女」的な部分を除けば彼女もこの街の典型的な住人だったのだろう。そのウォール街が今、集中砲火を浴びている。
  言うまでもなく世界の金融危機の発信地としてである。
 ▼特に株など買ったことがなく、毎日コツコツ働いているだけという米国人の反発は強い。
 「何で税金で奴(やつ)らの失敗の尻ぬぐいを」となるからだ。
  そこらの空気を察して、投票日が迫った大統領選の両候補ともウォール街を「強欲」と非難しているそうだ。
 ▼国際的にも金融市場の改革を求める声が強い。
  だがへティの時代から投資家たちの「強欲」が世界の経済を動かしてきたのも事実だ。
  それを封じては世界経済そのものが破綻する。問題は投資する側とされる側との信頼をどう取り戻すかなのだろう。
  ーーー                                 (産経新聞 10月25日)
  ジェイ・ナッシュという女性を笑うことは出来ない。資本主義の原型そのもの。事業の出発点は似たようなことを強いられる。 
 まずは種銭を大事に扱わないと失敗する。アメリカ資本主義帝国の崩壊の原点をみるのに、丁度よい人物を取り上げている。
 それにしても上手い文章を書くものだ! 面白い人物がいるものだ。先日観たDVDの「天国の門」の娼婦の館の御婦人に似ていた。
 「言葉を除けば、あと残るのは愛情?それとも金? 空気と同じで無いと死んでしまうのはドチラ?」
 彼女なら、こう言っただろう! 自由も、平等(差別)も、愛情も、9割は金で買える(替える)から、狂うのである。
  成るほど、人間は狂った猿というが・・・

 ・・・・・・・・・
2007年10月29日(月)
2400, こころの旅 ー4
                (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu!
*まわり道*
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。
  同じようなことが、立花隆の文章にあった。
 「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。
  誰もが直線的な人生より、まわり道をする。 が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。 
  行ったきりの人生もあるが・・・  精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な事例。 
  一つや二つは、迷路の迷い込み七転八倒した経験は人知れず持つのが人生である。
  お伽噺や神話は、その理想の物語として我々に提示される。 まわり道こそ、物語なのである。 
  その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、しかし真実と夢があった!
  逆にまわり道のない人生は、そこに何の味わいがないだろう。 中学校の担任が定年の祝いの同級会の二次会で、
 「オレの人生はなかった!両親が先生で、今も90歳近いのに矍鑠としている。そして二人のコントロール下にある」 
  という言葉が重く聞こえた。   
   ーp.121ー
  ・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。
 「運命」と当面のしごとが要求することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口が
 あらわれてくることもある。あるいはまったく思いがけない人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。
 けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間見捨てられているわけではない。
 いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、
 たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。
 人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ
 個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも多くの風景にせっし、
 多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。 そのためにやっと「わが道」にたどりついたとき、
 すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。・・・」
  ーー
 人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感する。 それも順境の時より、逆境の時の方が有益だった。
 「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」というが。佐藤優の文章が心を打つのは、
 決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていたからである。   
 そこを「勉強の場」として、割り切ったからである。 まわり道の中でこそ、個性ができるのである。
                                       honnja ヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・
2006年10月29日(日)
2035, 躁鬱病について −3
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ

 世界には躁鬱病状態で芸術活動をつづけた人が多くいる。ドイツの作家のゲーテが、その代表例である。
・18歳から亡くなる83歳まで、躁状態が八回、鬱状態が五回あった。当然、そう状態のときに創作活動が活発に行われた。
・ロシアの作家のトルストイも、82年間の人生の最後の30年間は、躁鬱を繰り返していた。
 鬱状態のときに、構想を練り、躁状態のときに、一挙に書き上げるというのが創作活動に必要なことかも知れない。
  そういえば、一番危ないのが「初老性うつ病」がある。60歳直後あたりにくる「うつ病」である。
 「自分の人生、果してこれでよかったのか?」という疑念と、老齢への体質の変わり目が、重なることが原因である。
 特に何も考えず、ただ平々凡々と生きてきた反動である。神様が「そういう人には、厳しくあたる」のも至極当然である。
 この時期に、それまでの無理がたたって、胃潰瘍、高血圧、癌、糖尿病など体内のホルモンや神経系が乱れる時期と重なり、
 それらが意欲の低下や、不眠症も加わり、うつ病になりやすくなる。 特に癌からなりやすくなり、四分の一にのぼるという。
 昔は、うつ病は「神経衰弱」と言われていた。見るところ、資産家など恵まれた環境に人はうつ病になる人は少ない。
 その対極にある、頭を使わない末端労働者の二種類の人種も少ない。
 我がままを許される階層と、末端で生存欲求さえ満たされればよい階層は、ノイローゼなど関係ないのである。  
 その意味で中途半端な人や、生真面目の人がなりやすい。 居直ってしまえばよいが、その居直ることが出来ない。
 それと女性が男性の二倍の確率になるのも特徴の一つ。 発散する機会が半分以下?と、身体の構造の違いもある。
 「一人遊び」の出来る人は、ノイローゼになりにくい。独りの世界で、ストレスを解消できるからである。
 それがライフワークであれば尚のこと良い。ライフワークという自分の世界と、現実の世界を二つ以上もって、
 その一つが上手くいかないときは、他の世界に比重を移動させるバランス感覚を常に意識しておけばよいが、
 それが出来ないから病気になってしまう。 心の風邪だから、そういう人の傍に寄らないことだ。
 それも慢性ときているから、自分がかかったと思ったら近寄らない気の使いも必要だ。
                               ー つづく
               (+●∀●)ノさいなら!
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2005年10月29日(土)
1670, 「全ての装備を知恵に置き換えること」−1
                     −読書日記
「全ての装備を 知恵に置き換えること」図書館で何げなく借りてきた旅行記である。
  著者は、まだ28歳の芸大の大学院生だ。
・高校の時にインドを旅して以来、世界中を旅するようになった。
・そして現在は、芸大の籍を置いて旅行中。
・北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト「POLE TO ROLE]の旅をしたり、
・世界7大陸最高峰登頂を目指すとともに、
・大学院では人類学、民俗学などの領域に関心を持つ。
 プロとしての旅行探検家である。旅を続けるために大學に行き、大学院に行き、本を出版している。
秘境旅行をしていると、このような一人旅をしている男に必ず出会う。
共通点は禅僧のような顔をして、優しく、悲しそうな顔をしている。 日本の高僧?のあの??からみると、数段よい顔である。 
当然であるが!この本の集約は 「はじめに」の「全ての装備を知恵に置き換えること」の章中の冒険旅行の恩師
イヴォン・シュイナードというカルフォルニア生まれの男との対話といってよい。(この本によると今年亡くなったとあった。)
このような著者のような男には、先生が何人かいるものだ。
その一番の先生であるイヴォン・シュイナードは、パタゴニアという登山用品などを売っている創業者。
その彼が著者の質問の答の言葉がよい。 冒険に対する質問の答えが、人生の答えにもなっている。
  ー幾つか書き写してみる
(以下は字数の関係でカットー2007年10月29日)
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 2004年10月29日(金)
 1305, まさか、地元で大地震!−6

昨日、地震以来初めて新潟の会社に出社する。 新幹線が不通の為、久々に車出勤である。
高速道路は長岡〜月夜野間が不通のため、新潟方面はガラガラだが長岡方面は工事関係のトラックなどで異常な多さだった。
昨夜は新潟に泊まったが、地震は殆んどなかったようだ。
(以下は字数の関係でカットー2007年10月29日)
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2003年10月29日(水)
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記

 各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々を説いている。 すべてを終えたとき、「生」と「死」
の本当の姿があらわれるのだ。 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」と言われたという。 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、
生も達成とみていない・・死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。 ロスは生そのものの大切さについて教えてくれる。
彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれた気持ちになる。
 ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー
・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面している人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。
 死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かすための時間が残されていない。
 1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。
 その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。そして幾度も訪れてこないことに失望した。
 準備は完了していたからである。しかし、死ななかった理由は私にはまだ学ぶべきレッスン、最後のレッスンがあったからです。
 そのレッスンの多くは人の生についての究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
 今度は「死」そのものではなく「生」についてである。
・人には誰でもガンジーとヒットラーが住んでいる。象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
 もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ否定性と卑小性をあらわしているのだ。
 人生における人ノレッスンとはおのれの卑小性に働きかけ、否定性をなくして、己のなかにも他人の中にもあるベストなものを
 見つけ出す作業である。人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして本来の人に戻してくれる。人間が地球上にいるのは、
 互いに癒しあうためである。これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。精神と魂の癒しである。
・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
 気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題とは死についての問題ではなく、生についての問題である。
 '確かに私は豊かな暮らしを実現した。しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'というように最も大切な問題である。
 多くの人々は確かに存在はしてきたが、本当に生きてはこなかった。それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、
 膨大なエネルギーを費やしてきた。
(以下は字数の関係でカットー2009年10月29日)
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 564, 一点集中主義  ー 2002年10月29日(火)
少ない資源を最大に生かすには集中しかない。 例えで解りやすいのが「錐の論法」だ。
一点にエネルギーを集中することで穴をあける事が可能になる。 それと前回書いた虫眼鏡も然りである。
集中はその中で更に核爆発をも起こす。 集中は潜在能力への穴である。人間は無限の潜在能力があるといわれているが、
その秘密のトンネルが一点集中である。マクドナルドのハンバーグや、キューピーのマヨネーズ、味の素など幾らでも事例はある。
分散も必要だ、一点に集中したものを分散する例としてセブンイレブンがいえる。
50坪の店を一万店出店することで、三越や本体のイトーヨーカ堂を追い抜いてしまった。
資源が少ないのに、その少ない資源を更に分散をしてしまう。淘汰されるのは淘汰されるべくしてされているのだ。
何かを始めようとしたら、それまでのやっていた事を全てをいったん止めてしまう事だ。それか人に任せてしまうかだ。
空即是色である。人間可能な事は、目前の努力だけだ、それも一点への。以前書いた一点豪華主義をコピーしておこう。
ーーーーー
2001年12月12日(水) 
 267,一点豪華主義
(以下は字数の関係でカットー2009年10月29日)
 ーーーーー
H0511妙な夢―(?)   
2001/10/29

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ
一周してもどってきて布団に入る。 ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢?である。これが夢か幽体離脱七日まだわからない。
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
初めは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではなかった。
 ところで当社の関係先の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。


3128,ジム・ロジャーズの経済見通し

2009年10月28日(水)

 
 去年の9・15のリーマンショックは世界経済に大激震を与えた。 世界各国は、この一年間、その影響を最小限度に
 抑えるために可能な限りの資金を投入。それで表面的には平静を保っているが、それは目先の応急処置でしかない。
 日本の失われた10年、20年と同じような停滞をもたらす杞憂があるというのも、今更だが、どうも分かってないのが多い。
 ジム・ロジャーズのインタビューを数ヶ月ぶりに目にした。 当たり前のこととはいえ、彼が言うから説得力になる。
  ーまず、その内容をコピーしてみるー
  聞きたい: 米国人著名投資家、ジム・ロジャーズ氏     
【聞き手・工藤昭久、田畑悦郎】
 著名米国人投資家のジム・ロジャーズ氏は26日、毎日新聞のインタビューに対し、リーマン・ショック後の世界経済について
「問題は解決されておらず、危機が再燃する恐れがある」と警告した。日本経済の先行きについては、財政赤字の拡大に懸念を示した。
                                        ◇「経済危機、再燃も」
   −−金融危機から1年余りが経過し、世界経済は回復の動きも出ています。
 ◆各国の政府が大量にお金を使ったおかげで改善しているように見えるだけだ。自律的な回復ではなく危機が去ったとは言えない。
 米国経済は消費が低迷し、問題解決のために政府は借金を重ね、一時的な雇用対策などに重点を置いている。産業の競争力の
 向上にはつながらず、問題を先送りしている。「失われた10年」、いや「20年」に突入したかもしれない。
 一方、中国政府は競争力をつけるような分野に投資しており、米国との差が鮮明になっている。
   −−日本の政権交代が経済に及ぼす影響をどう見ますか?
 ◆政府は「未来は明るい」と言うもの。ただ、私自身は投資について政府のアドバイスを受けないことにしている。
 政権交代があれば、恩恵を受けるところとそうでないところが出る。日本の新政権は出生率を上げる政策に力を入れるので
 子育て関連の企業は恩恵を受けるが、公共事業削減を目指しているため建設業のような企業は先行き厳しいのではないか。
   −−日本に対する投資スタンスは?
 ◆次の10年を見通すとアメリカに比べると債権国の日本の方が期待できる。私も日本円は保有している。
 最近は円高傾向にあり、円はまだ上昇するはず。ただ、日本は少子高齢化に直面しているうえ、巨額の財政赤字を抱えているため、
 将来的に円を手放さなければならない時期が来るかもしれない。日本の国債は投資への意欲をなくすような低金利だから保有しない。
  −−関心を持つ投資先は?
 ◆貴金属や農産物などの商品相場だ。商品は新興国を中心とした需要の増大に対する供給が追いついておらず、高騰している。
 今後も堅調に価格が上昇すると見込まれるため、今後も商品に投資していく。
  ーー
  サブプライム・ローンを混入した債権は世界中の金融機関や企業内の資金運用部門に秘かに眠っている。
 それが何時、表面化するか、その時が大恐慌のキッカケになる。 ただ引き延ばしているだけでしかない。
 だから世界の20ケ国が顔を突き合わせて、対策を考えているが、世界の金融機関の一せい閉鎖をする位の荒治療が必要だが、
 それは無理である。だから、失われた10年~20年になるしかないのである。 以前なら世界戦争で、一度清算という手があった。

 ・・・・・・・・・
2763, 閑話小題
2008年10月28日(火)
 
 *金融危機が止まらない
9月半ばから始った金融危機、予想通り恐慌の様相を呈してきた。その時点で、この随想日記で「世界恐慌に入ったようだ」
と書いた。他の人は如何であれ、そう信じて状況をみると、恐慌の発火に思えたからである。 何人かの知人に、
「これは既に恐慌だ!と思い込んで世界の状況を見ると、見えないことが見えてくる」と、言ってきた。 
そして、あれよあれよと、一万、9千、8千、そして5年半前の7607円割れを先週末にしたと思ったら、
昨日は7162円でひけた。この数字は、26年ぶりの最安値。 あと少しで7000円割れになるところだ。 
大方の経済評論家は7000円が底値とみているが、近々に6000円前半もあるかもしれない。この上に円だけが独歩高。 
輸出立国の日本はダブルパンチになる。年末から来年にかけて体力のない企業から倒産が始る。 不動産、建築関連、
そして中小金融機関辺りからか。それだけではない、大手銀行も痛んでいて、五千億〜一兆円の増資をするとか、
銀行保有の株式を政府が買取るとか、何でも有りになってきた。世界に目を転じれば、アイスランドに続き、フィリッピン、
ブラジル、そしてロシアと、株式市場の閉鎖などの金融危機が切羽詰ってきた。
世界の株式市場の時価が一年前の半額の三千兆円が消失、それがさらに実体経済を凍りつけている。
11月の15日に、G8と、中国・インドなど新興国が緊急に集まるというが、
そこで何が決定されるのだろう? 最近、グリンスパンなどが、これは世界を覆う大津波といっていた。
先月半ばの一連の金融危機は私の人生で一番の世界的な大事件と、何度も書いてきた。
この恐ろしさは、短期的に収まるような問題ではない。アメリカが世界中に毒をばら撒いてしまったのである。 
それもタチの悪い、簡単に回収できない毒。 その中で、ただ生き抜くしかない時代になってしまった。
  ーー
 *WBCの監督問題
面白いから、WBCの監督に誰がよいか頭の体操をしてみる。北京オリンピックで現役監督から遠ざかっていた星野は
難しかったのは、誰の目にも明らかだった。そのことを本人は自覚していると思いきや、どうも最近の彼の言動からして
違うようだ。やはり優勝チームの監督がやるのが自然だろう。エネルギーを使い切るためにハンデキャップになるので
腰が引けるようだが、決まっていれば割り切れる。しかし早々に西武ライオンズの監督が辞退の意向発言をしたため、
原監督に依頼があったようだ。前回のWBCは異常な雰囲気の中で奇跡的に勝っただけ、今度はアメリカもキューバも
本気になってくるから、惨敗を覚悟をすべきである。その意味で、少し嫌われても、今回だけは辞退するのが最善だろう。
特に原監督は、監督としては首を傾げる場面が多すぎる人物。惨敗をして袋叩きは、火をみるより明らかな姿。
 読売のトップの命令だろうが、気の毒といえ気の毒な役回りである。

・・・・・・・・・・
2007年10月28日(日)
2399, 世間に踊らされた「悪役」
                  オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
荻野アンナが読売新聞に『亀田一家の問題』を軽妙に書いていた。彼女は現在、慶応の教授をしているが、
よくTVで見かける人である。ジョークのセンスがよいので、なかなか話が面白い。亀田の親父は面白いといえば面白い。
チンピラの後ろには親チンピラがいるもの、それよりヒール(悪役)を演じる一家4人の姿は劇画的で、コミックだった。 
おそらく一家して、コミックしか本は読んでなかったのだろう。  虚構が暴露してしまえば、もう存在価値がなくなり
商品価値は暴落をした。 4人の子供を置いて出た母親は、どんな気持ちで彼らを見ているのだろう。
親父の暗い、攻撃的な姿がウラ悲しい。彼女はボクシングジムに通っていてライセンスを持っているため、
なかなか熱が入っている。 ーまずは、その彼女のレポートから
ーーー
亀田(次男)の試合は初めてで、彼の愛称が「ナニワの弁慶」と知らなかった。私は金髪の弁慶姿で花道を練り歩く
大毅にコケた。この段階で、明らかにジャンルが違う。寿司屋で握りを頼んだらステーキが出てきた、という感じ。
試合は内藤がボクシング、亀田が「亀田スタイル」で、2人の動きはバラバラだった。
ボクシングの基本は、フトワーク・ジャブ・ストレート。「亀田スタイル」は、がぶり寄り・頭突・フック&目つぶし。
最終ラウンドは亀田はスープレックス(プロレス技す)をキメた。
 (以下字数の関係でカット2008年10月28日)
               ヾ(TωT)Byeヾ(TωT)Bye
・・・・・・・・・
2006年10月28日(土)
2034, 躁鬱病について −2
     おはよ〜!(*^ワ^*)i ~O~)ふぁ・・
                
鬱病経験者といえば、アナウンサーの小川宏と、俳優の高島忠男、作家の北杜夫などが知られている。
彼らの体験記を読んでみると、その病状はすざましい。ストレスによる睡眠不足が大かたの原因だが、
躁からの反動の鬱も山(躁)が高い分だけ谷(欝)も深くなる。「うつ病」の定義は世界中どこも同じである。 
倦怠感、不眠症、食欲不振、体重の減少、焦燥感、興味の喪失、自殺の願望、集中力の欠如、嫌悪感などが
5つ以上あると鬱病といわれる。人間は誰もが、このうち2〜3つは持っているものだが・・。 
どういう訳か私には一つも無い。普通の生活をおくっていれば無いはずだが・・・  
こういうのが一番危ないのかも知れない。最近は治療は比較的簡単になって、薬を中心とした治療で、
8割以上の人が2-3週間 で回復するという。殆どの人が治療さえすれば、うつ病は大した病気ではないことになる 。
ただ問題なのが、うつ病の半分以上が治療を受けていないことだという。
うつ病になりやすいのは真面目で責任感の強い人が多く、自分の問題は自分で解決しようという
傾向が強いのもその一つ。 周囲の人も、心の問題は医療の対象ではないと考えてしまうので、
治療が遅れたり、病状が進行してしまうケースが多い。義?がうつ病にかかった時に、一晩で治ったことがあった。
不動産のトラブルを抱えていたので、あるコンサルタントを紹介して、その問題を全て一任して貰った。
ところが驚くなかれ、その翌日「うつ病は全快しました」との連絡が入った。
一年近く鬱々として半病人状態になり、私に「会社を引き継いで欲しい」と、頼まれたが、一晩で治ってしまうのだから・・
その義?も亡くなって10年近くになる。心もからだと同じく病気になる。早く医者に行って直すのが一番だろうが、
行きづらいのも確かである。アメリカなどカウンセラーがいて、悩みなどを聞きながら治療する。
日本では、まだなじみが少ない。新興宗教が「おいで、おいで」と待っている。
それと癒しとかいう商売もはびこるのだ。 「癒し」か、今度書いてみよう。
人間の心は、そんなに強いものではない、常に手入れをしてないと、肌と同じで荒れてくる。
言葉、言葉。日常使っている言葉に気をつけろということだろう。
毎朝、モーニングページに幾つかの言葉を写経のように書き続けているが、それでも荒れてくる! 
カサカサの暗い顔をしたのが、同じ場所に集まる!
癒し?をもとめて。また検索で「自殺」とでも入れれば真っ暗な世界が出現する。
                                ーつづく
        (+>∀<+)ノ サイナラ!
・・・・・・・・・
2005年10月28日(金)
1669, おい、どうすんだ、定年後!−3

 葬式に参列した故人の写真に自分の姿をイメージをして、 そこから「故人としての自分から、生前の自分への言葉」
 とは、こんなものだろう。 心の底の真実の声である? 背後から迫ってくる自分の声でる。
  ーー
 おい、何やってんだ!まだ娑婆の縛りに囚われているのか?
 この写真に入ってしまえば解ることだが、好きなことを可能なかぎり求めるとよい!
 死んでしまえば、無である。お前なんぞ、一年もしないうちに忘れ去られるのだ。
 いや数ヶ月だ。 好きなことを早く見つけろ! そして、それをさっさと一つずつやれ!何を、ためらっているのだ!
 今夜、美味いものを食べろ! といっているのではない。 死ぬのは何時か解らないから、したいことを見つけろ!
 といっているのだ。俺は、実際にこんなに早く死ぬとは思っていなかった!そして、やり残したことに後悔しているのだ。 
 だから後悔する生き方をするな! といいたいのだ。呆けっとしている周囲の顔など見るな! 自分の内面を見ろ!
 色いろなことに、もっと目を向けろ、せっかく地球にいるのだから! この奇妙な惑星を自分の目でもっと見ろ、
 そして多くのことを経験しろ!葬式の写真に入った今、あれもこれも経験しておけばよかったと後悔しているのだ!
 人の評価など、どうでもよいことだ、とにかく生きろ!生きろ!そして活きろ!
 未知に向かってどんどん歩け!それしか人生はないのだ!その為には、俺の言葉を真剣に聴け!生きているうちだぞ、
 娑婆は! 呆けに惑わされるな! いや、お前が呆けているのだ! それにに気がつけばよいのだ。 
 自由になれ、その壁に気がついてないのか!
 ーー
 自分の潜在からの声が、死者たちからの声に聞こえてきた。{メメント・モリ}ー死をおもえ、ということか。
 
 ・・・・・・・ 
 2004年10月28日(木)
1304, まさか、地元で大地震!−5

昨日の、余震には驚いた。震度4以上の余震がいつまでも続いているのが、中越地震の特徴だ。
今年の台風と一緒で、そのしつこさは今までなかったことである。世界規模で起こっている異常気象の一つの現象であろう。
それと、余震の中のレスキュー隊による、奇跡の行方不明の母子の救済のTV中継も迫真であった。
二歳の幼児一人だが助かったが、母親の愛情の結果であろう。何か私たちに解からない人間の深い何かがあるのだろう。
不可思議としか思えない、奇跡である。今回の地震は新幹線の脱線、奇跡に近い子供の救出劇、大きな余震が異常に
続いていること、長岡市の4分の1が避難所にいること、そして、身近で起きていることが特徴である。
ところで昨夜、夕食のため長岡駅前の居酒屋に行った。長岡駅はニュースで言っていたとおり閉鎖されていた。
駅前の店は殆ど休業をしていたが、全国チェーンの店が数軒開いていた。プロパンガスを使っているので営業が出来たのだろう。
6時前だが、ほぼ満席であった。私たちの両側の席は、やはり応援部隊の人たちであった。
その帰り、避難所になっている阪の上小学校を覗いてみたが、近所の人がいた。館内放送で「配給は、おにぎり一個に、
飲料ボトル一個、それに子供にミタラシ団子一個の配給だけになります」といっていた。
昨日も、刺激的な一日であった。 今日は、新潟行きに再挑戦だ。
 ー日常の「生もの」を書いている日記のコーナー
 「バードウォッチング」の数日分を以下にコピーしておきます。
ーーー−−−
メルクマール
 10月27日
(以下字数の関係でカット2009年10月28日)
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メルクマール
 10月26日
(以下字数の関係でカット2009年10月28日)
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メルクマール  堀井
10月25日
(以下字数の関係でカット2009年10月28日)
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メルクマール 堀井
 10月24日
 (以下字数の関係でカット2008年10月28日)
・・・・・・・
2003年10月28日(火)
937, ダイエー優勝
字数の関係でカット(2007年10月28日)
 
・・・・・・・
563、一点集中主義
2002年10月28日(月)
 人生の体験の中で私が得た最大の教訓がこれだ。 若いときより知っていたらヨリ豊かな人生を過ごせたのにと今更思うが。
イロイロの挫折の中で自分の能力の限界を思い知らされていたから、戦略的にしか生きる道はない事は知っていたが、
その要諦が一点集中であった。人間の能力とレンズは似ている。太陽から、人間から、歴史から、エネルギーを集め一点に集中する。
その為には自分が虫眼鏡のレンズになる事だ。レンズは濁っていては駄目だ。
常にきれいな磨かれた状態でなくてはならない。 その意味で「自分が神になる」といってよい。
それと一点に集中すべき対象の選定だ。これに近い言葉に一点豪華主義がある。
集中していれば自然にこれになってしまう。私の場合は秘境旅行だ。今はこの随想テーマ日記だ。
それにウオーキングに読書にあと???だ。 一点集中は言葉では簡単に思えるが、実際は大変である。
捨てるべきものをドンドン創らなくてはならないからだ。 そうそう集中できるものではない。
事業では[シングルルームのデスカウント]である。それも新潟駅前の花園地区。4棟に分散をしたのが甘さで残っている。
他に学生服やカラオケはエネルギーの分散であった。百貨店のソゴウのように駅前に超大型店をつくり、その大きさが限界を超えて
しまった失敗の例もある。 ロスだけで済まないのが分散である。 主体のチャンスロスが一番のロスになる。 
若い時から自分の無能を自覚していたから、集中しかないのはすんなりと受け入れる事ができた。
一点集中のポイントは、一点に向かいその真正面から中心点に総てのエネルギーを集中する事である。
自分そのものがその中心点になる事である。それが正中心一点無である。いま一つがこれを継続する事でであるが、これは今度書く。

・・・・・・・・
[201] 霊体質ー1
2001年10月28日
 作家の佐藤愛子が月刊誌の「新潮45」に連載で、霊体質に52歳になってしまった体験を書いている。
図書館でトビトビ読んでいるので全て読んだわけでないが、今まで8回シリーズになっている。
その連載はまだ続いているが面白い。北海道で買った別荘に霊がついており、そこでかなり激しい霊現象が起こるそうだ。
それがさすが作家、きめ細かく書かれている。 実際経験したことのない人にとって、考えられない妄想にしか思えない。
私も父の死の直後から起きた怪現象から、霊体質になった。 (後で昔書いたその時の文章のコピーを貼り付け)
この10年は元に戻り、ほとんど身辺でなくなったが、私の27歳の時だった。約20年はその体質だったことになる。 
かなり共通の部分があるが、家付きの霊というところが違う。それと私の場合、身体から自分の霊が抜け対する
ところが彼女にはない。同じところは、ラップが聞こえたり、動物の何かが被さってくるところだ。
それが起こるまでは全く信じてなかった。              ーつづく
 ーーーー
H0407霊的体験 ー見聞皆師より
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。死後一週間後に妙な夢をみた。
私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。 私自身父になってしまった。
いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。
それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。 また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが “おやじ助けて!”と言ってしまった。 
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。 
全身汗びっしょりであった。 まだまだ不思議な事がいっぱいある…。 最近は少なくなったが、それから幽体離脱とか、
妙な霊的体験が多くなった。 佐藤愛子ではないが「霊体質」になってしまったのだろう。


3127,「法則」のトリセツ ー2

2009年10月27日(火)

 * エメットの法則  ー後回しは二倍のエネルギーが必要となるー
 他人事にはよく分かるが、自分のこととなると全くみえないから恐ろしい。
仕事を頼むなら忙しい人に頼めとは、出来る人は仕事を後回しにしないで直ぐにやるからである。
ーウィキペディアによるとー
≪エメットの法則とは「仕事を先延ばしにすることは、片付けることよりも倍の時間とエネルギーを要する」
 というリタ・エメットが提示した法則である。 我われはついつい仕事や判断を先延ばしにしがちである。
 そのことは大きなマイナスになることを体験上知っている。だから如何に問題から逃げないようにするかである。
 しかし「やりたくない」という気持ちが勝ってしまい「後で」という言葉が習性になっている。≫
▲ これは、個人だけではない、現在の日本が直面している問題である。
 そのツケは、結局は我われの後の世代に回ってくるが、その根は深く、後に回すしかしないのが現状である。
 これは、逆に考えれば「何事も先手を打った方が結果として、エネルギーは半分で済む」ことになる。
 戦略的に先を読んで、前もって準備をしておくと結果は半分のエネルギーで済むということ。
 たったこれだけの法則、どこまで実行してきたのだろうか?
  〜〜
 * ハロー効果
≪ ハロー効果とは心理的効果の一つで、ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が
 歪められる現象のこと。 一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。
 ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。
 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまう
 ケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにも
 かかわらず良いイメージを与える。それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 いっぽう、CMに起用された
 タレントが不祥事を起こしたりすると、商品自体に何の不満も覚えていなかったにもかかわらず購入意欲が削がれたりする ≫
▼ 常に、何処かのバカタレが麻薬事件で問題を起こしているが、あれが実情の素顔でしかない。虚像を売るのが彼らの商売。
 クレオパトラは、それほどの美人ではなく、ただ常に男の視線を意識をして派手な演出効果をしていたとか。
  特に色と光に、そんなもの。

 ・・・・・・・・・
2762, 半歩遅れの読書術 
2008年10月27日(月)

 日経新聞に連載中の書評4年分をまとめたもの。新刊書ではなく、刊行後1-2年経た本を主な対象にしている。
30名が読書にまつわる思いを書いている中身の濃い本である。
冒頭に出てきた荒川洋治のー基本という「本」−僕のジャンル別の『書き方』−の次の一節が面白い。
 ーP-22
M・j・アドラー、C・V・ドーレンの『入門本を読む本』(外山滋比占、一九九七)は本を読む人のための、本だ。
「文学書」を読むときの心得は、「文学の影響力に抵抗してはならない」。たとえぱバリが舞台の小説を読みながら、
ロンドンだったらいいのにね、などと思わないこと。流れに身をまかせよ。それが読者の経験となる。
「文学の中に名辞、命題、論証を求めてはならない」。いうにいわれぬ「何か」を求めることだ、と。
またテレビやラジオなど外側の情報源は「突っかい俸にすぎない」。だから本を手放してはならないと、
「自分の中に精神的貯えをもたなければ、知的にも、道徳的にも、精神的にも、われわれの成長は止まってしまう。
 そのとき、われわれの死がはじまる」。現代人への、警告である。・・・(中略)
さて、ぼくは読みかたではなく、書きかた、主に書くときの気持ちのもちかたをジャンル別に整理してみた。
「簡潔」を旨としたい。 
《小説》自分がその件について書けることをすべて書く。
 「自分がかかえている問題」が、いちばん重要な問題なのだと思って、つきすすむ。
《エッセイ》自分がその件について知ることをすべて破棄する。知識、情報、数字を出さない。
  できあがったら子供や年下の人に見せて、意見をきく。「これでいいかなあ」
《評論》誰もが考えもしない視点をもちだし、「聞い」を突き出す。発表まで、決して人に見せてはならない。
《詩》自分のなかにある「権力」をゼロにする。言葉をも追い払う気持ちで書き、死後に託す。
  生きている人の評価に耳を貸してはならない。
《短歌》五七五七七のうしろの七七にすべてをかける。自己の感情の充足を第一とすると、いい歌?になる。
《俳句》五七五のあとにまだ七七があるつもりで、しかし、途中でぶったぎる。意味が生まれては俳句ではない。
 本当にこうなのかは、どうでもいい。「文学書」不況の時代には、基本的な事柄について、熱く議論することだ。
そうすれば目がさめる。ぼくもわたしも。 基本の中に、「本」がある。
 ーー
−以上だが、何とも迫力がある。
《エッセイ》で、自分の知ることをすべて破棄する!とは、凄い言葉である。
 私など知ることを精一杯書いているだけでしかないから分かるのである。限界の先を書くから人を引き付ける。
また、ここで荒川は知り合った「学ぶ」学生5人組に共通点を挙げていた。
<彼らは雑記長を持ちある> <いつも本屋にいる> <風邪をひかない」の三つという。
風邪を引くのは甘いと思う!という言葉も重く響く。 何事もプロの世界は質量が違うということ。

・・・・・・・・・
2007年10月27日(土)
2398, 20歳代 海外旅行離れのワケ

     オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪        
 先日の日経流通新聞のトップ記事の見出しが「20歳代海外旅行離れのワケ」であった。
時代の流れが、その時々の若者の気持ちを決めてしまう一つの事例である。
逆にいえば、この不景気の中、国家存亡の時期に20歳代に6割も海外に行っていること事態がおかしい!のである。
それと、やはり情報化が、この10年間に進んだこともある。 TVで世界中の映像を、こと細かく放送をしていれば、
未知への憧れも薄れてしまう。 さらにインターネットや携帯やゲームなど、旅行より面白そうなものが
手軽に手に入るようになったのも大きい要因だろう。
 ーまずは、その要旨をまとめてみるー
・二十代の海外旅行は過去最大であった10年前の6割に落ち込んだ。
・20代の75?が過去一年間に海外旅行に出かけていない。また、一度も出かけてない人が40?であった。
 その理由として、言葉が心配が14?、何となく心配が10?。
・一回の旅行代が25万で、「高い料金を支払った上に想定外の嫌な思いをしたくない」のが心の奥にあるという。 
 また3割が学生時代に旅行に行った経験がある。 仕事が忙しいが3割になっている。 
「リラックスをするのが目的なのに、海外旅行は長期の休みを取りにくく、せわしなく行きたくない」という。
・それより「リムジンを借りて遊んだり、ホテルで仲間内でパーティーを開いたりして楽しんだ方がよい」という。
 また沖縄や軽井沢などを何度も訪ねているうち、「見知らぬ海外より、身近な土地をより深く知りたい」という。
 最近の若い人は知的好奇心が減少しているのが特徴。 特に男に海外より温泉と預金という人がふえていて、
 海外旅行は一度行けば充分! という風潮もあるという。
 −−
  以上が概要だが、時代がプアーになってきているのを若者は察知して、「高額+不快」な海外より、身近な「温泉・預金」
 に目がいっている風潮。私のように、趣味の大きな柱にしているものにとって「若いうちに可能な限り世界を知っておくべき」
 と思うが。 生活の重視が当面の問題という社会情勢からみたら、それも解る気がする。
 この島国で年間1750万人、15%も海外旅行にいくこと自体が多すぎる。 それだけ良いから行くのだろうが、
 若者の内向けの姿勢にも時代の変化を感じる。それより、日本が高すぎ! まだまだ、デフレで絞りこまないと!
    特にサービス産業は! それとゼネコン!
                  ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・・・
2006年10月27日(金)
2033, 躁鬱病について −1
       (。^0^。)ノオッ(*^○^*)ノハ〜 ヨウ! ウジウジしてる?

鬱病について、マスコミで取り上げられることが多くなった。
そもそも人間は軽い躁鬱症であり、迷ったり(分裂)、気分の浮き沈み(軽い躁鬱)は誰でもあることだ。
それがコントロール出来なくなって日常生活に影響を示すから問題である。
数年前に亡くなったが、ある取引先の営業をしていた人が躁鬱病で、十数年にわたり私のところに頼ってきていて助言を与えていた。 
私の経験から、逆療法で辛らつに状況を本人に説明。 いつの間にか病院の先生よりも私のいうことを聞くようになり、
病気が出始めると私のところに先に来るようになっていた。しかし逆に躁の時はなかなか来ない。他の知人から様子がおかしいと
連絡が入り、しばらくすると奥さんから電話がかかってきて、「本人を私のところに行くように説得しましたから、お願いします。
とにかく医者よりも貴方の助言を信頼しています」・・彼の場合、躁鬱が定期的に2〜3年に一度は起き、5年に一度は
入院するほど重くなる。初めは躁になり、その後必ず鬱になるパターンである。しかし、よくぞ会社を首にならなかったものだ。
経験を重ねているうちに、まずは私のところに来て相談。重い場合は、自分から即入院のパターンになっていた。
その人も二年前に癌で亡くなってしまった。 亡くなるまで、「もし貴方の助言がいなかったら、
とっくの昔に会社を首になっていて、間違いなく病院の中だった」と・・・ 本来は書くべきことではないが。
という訳で、躁鬱に関しては身近に見続けてきたこともあり、熟知するようになった。
何度かの浪人生活を経験してたが、その時は鬱状態である。その都度、色いろの挫折経験によるストレスが原因で安眠が
できない鬱々とした状態が半年はつづく。心はバラバラ、真っ暗闇である。その中で独りもがき苦しみ、
心や精神療法の本や宗教書を手がかりに、暗闇の穴倉から這いずり上がってきた経験を何度かしてきた。 
腰痛もそうだが、「鬱」に関しても「独りで直してきた」強みがある。「孤独」を受け入れ、世間とかいう奴を却下に見えるまで
苦しんで昇華しないと、独力で「鬱状況」から脱却はできない。「正中止一点無」ー何が問題で、その中心は何であろうか?を、
とことん突詰めるのが、私の療法である。放っておくと、間違いなく菌が入り膿み、腐っていく。身体と何ら変わらないのが心である。
ところで老人の心は「うつ病」に酷似しているという。いや、それが当たり前だからこそ、病気とはいわない。60歳直後に
おこる初老性鬱病は最後に病気として扱われるが、70歳過ぎれば当たり前の老人の精神状況としてしか扱ってもらえない。
 まあ、去年の同日の日記に丁度つながるが・・
「その人たちのために、初老性欝病があるんだから、恐れ群れてないでしっかりなるべきじゃないか、その病気に!」
 病気は神からの贈り物である。効果は、その人の質によるが・・無理か!あれじゃ!
                              まあ、まあ モーニングコーヒーでも!  ーつづく            
・・・・・・・・
2005年10月27日(木)
1668, おい、どうすんだ、定年後!−2

 定年になったら「囲碁とか、絵画教室、パソコン教室などに行けば!」と考えてしまう。が、もちろん彼らは何回か
行くが続かない。彼らは元仕事人間が多く、仕事の合間の自由の過ごし方は知っていても、自由そのものの扱い方を知らないのだ。
会社という縦社会の住人だったため心の鎧が自分を閉じ込めて裸の自分を曝け出せないのだ。趣味の会などの横社会には全く馴染めない。
しかし人間であるかぎり、共同体に入ってないと自分を保てない悲しいのが人間。共鳴してくれる相手を必要とするが、もはや
誰とも波長を合わせることが出来ない。そういう人達が、大都会のベッドタウンに溢れている。
2007年から団塊の世代が大量に定年をむかえる。高度成長期時代の騎士たちである。
右ならえ!という生き方しかしてこなかった、彼らこそ定年後のすごし方を知らない世代だ。
家では粗大ゴミ扱いされて、外の世界の生き方のノウハウが全くない。
電車の乗ると、働いていない自分が許せないのだ。サラリーマン時代の価値観から全く抜けきれないのだ。
群れているだけで、真の孤独を経験していなかったからである。
 ーー
ー以上が月刊誌の概略であるー
定年直後は首輪をはめた飼い犬が、家から放り出されて行くあてがなくウロウロしているようなものである。
そこで元の会社の肩書きなど、何の役にも立たないことを初めて思い知る。だからライフワークを長年かけて
構築しておかなくてはならないのだ。その暇がなかった大部分の都会サラリーマンにとって深刻である。 (字数制限の関係でカット 09年10月27日)
・・・・・・・・
2004年10月27日(水)
1303, まさか、地元で大地震!−4

地震から、既に四日目をむかえている。あらためて周囲を見渡すと、思っていたより被害は大きい。
昨夜、一昨夜と、近所の家の電気が全くついてなかったのをみると、ほとんどの住人が避難していたのだろう。
近所では、あまり大きな被害は無いようだが、二軒先の家の玄関先が壊れていた。
やはり一番のショックは、新幹線の脱線事故である。200キロでよく大事故にならなかったものだ。本当に奇跡である。
これで、新幹線の安全神話が壊れてしまった。反面、40年間も死亡ゼロというのが、奇跡に近いといってよい。
これだけ全国に新幹線が張り巡らされていて、走行中に大地震にあわなかったものだ。そう震度6の地震も無いだろうが。
あれだけ大きい石灯篭が倒れるなら、墓石も倒れているのではと寺に行ったが、見た範囲で倒れている墓は一つも無かった。
どうして墓石は倒れないのだろうか不思議である。数百年の知恵が入っているのだろう。
昨日、何時ものコースを散歩をした範囲では
・土手の大小の橋の全てに亀裂が入っていた。橋の交通止めは一箇所(段差が30cmのズレ)、
 注意書きがあったのが数箇所、アスファルトで臨時に修正してあるところが三箇所もあった。
・道路は所々に亀裂が入っており、地震の大きさを物語っていた。
・家は、少し壊れているのが目立つ位で大きな崩壊の家は無かった。
・近所のソフト・ハウスでは、ガレージに事務所内の壊れた棚や机などを出して、修理をしていた。
今回の地震は全ての家庭、事務所の内部が破壊されたのが特徴である。
家内の数人の友人の家は、全てひどい状態。新潟のマンションに住む知人の家は殆ど被害は無かった。
近くにある坂之上小学校の避難所はどうなっているのか、散歩のついでに行ってみた。受付で名前を書いて、
横に積んである毛布をもらって、体育館の空きスペースに座る。何か花見の場所取りをしているようである。 
夜になると人で満杯になっるという。受付の人に「まだ余裕はあるのか?]、と聞いたら、「ある}と言っていた。
昨夜から今朝にかけて2度、震度2〜3の地震があったようだ。今日は、新潟に行く予定だが、どうなる事やら。
高速バスは2〜3時間かかるという。ー随想では、こういう内容を「生もの」という。もっと具体的に、気持ちを正直に
書いておくべきなのだろう。 めったにない体験なのだから。

・・・・・・・・
2003年10月27日(月)
936, 角栄の怨念 ーこの選挙の面白さ!
 −字数の関係でカットー2007年10月28日
・・・・・・・
562, ある時間の断片ー7
- 2002年10月27日(日) 1968年 9月21日

9時起床。11時に図書館に行く。13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。
思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。 メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。夜から早速議論をはじめる。 課題は「遊び」だ。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊びー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。 終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。  その後夜半の12時半に寝る。
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。背景にベトナム戦争、大学紛争、
そして高度成長期の真っ最中でもあった。歌も二度とこういう時期は来ないというほど名曲が生まれていた。 
その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、
大阪のメリヤス問屋に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という禅寺に一ヶ月にも行っていた。
そして自宅に帰った後の日記である。学生時代の十数年間の総括の時期であり、また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。色いろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でもあった。
寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。 そういう意味で大学時代に恵まれていた、
当時はその事に気が付いてなかった。寮に、ゼミに、教授に、クラブに、友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。 大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論をする事、
自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
 ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー
父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによって来た。一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは、本当に良い青春の思い出の財産だ。

・・・・・・・・
[200] 月刊ー文芸春秋  2001/10/27

 今月の‘文芸春秋’の内容があった。
イスラエル旅行から帰ってきら、毎月読んでいた‘文芸春秋と週間誌’を買わなくなった。嘘みたいだが本当の話である。
‘図書館で読めばいい’に変わった。あまりにも旧約聖書の世界が生々しいのだ。今更そんなえげつない現象など
如何でもいい、軽い話でしかないに変わってしまった。 2〜3月に一回買うか買わないかである。
しかし今回は違った!テロの特集で、内容はかなり悲観的に書いてあったが、買う価値は充分ある。
新聞で、インターネットで、TV でその意味はとらえていたつもりであった、かなりシビアにその意味が書かれていた。
 (字数制限の関係でカット 09年10月27日)


3126、あいうえお言霊修行

2009年10月26日(月)

 「あいうえお言霊修行 」 矢山 利彦 (著)  ー読書日記

  図書館で、何気なく手に取った本。さっそくポストイットに書き写して、パソコンの画面の下に貼り付けた。
「ありがとう」を何万、いや何十万回か言ったが、最近は言わなくなった。 
今度は「あいうえお言霊修行 」として、せめて一万回をいって見ようか。 以下は、アマゾンの
 ー内容紹介ーと 「カスタマレビュー」
《 言葉には気のチカラがこもっています。そのチカラを脳が感じているのです。
言葉には意味だけではなく、本当にチカラがこもっているのです。「うれしい」「悲しい」・・・。
そうした言葉の一つ一つを脳の深い部分が感じ、プラスとマイナスの言葉に振り分け、そのチカラを身体に伝え、
心の文様をつくっているのです。気がつかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、
私たちの身体と心はつねに反応しているのです。》
 ーカスタマレビューで、ホボ7割方を言い尽くしているので、そのままコピーしてみるー
魔法の言葉では、五日市剛さんの『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』がある。  本書では、魔法のプラス言葉
【あいうえお言霊修行】として、『言葉が心を変え』『身体を変え』『人生を変える』方法が紹介されている。
●この言葉は、(声に出して)1万回間違わずに唱えれば、確実に変われる強さがある。
●途中でマイナス言葉を言ったら、振り出しに戻って【0:ゼロ】から、始めること。
   [魔法のプラス言葉]
・「あ」は、「ありがたい」 ・「い」は、「いつくしむ」 ・「う」は、「うれしく」 
・「え」は、「エンジョイ」 ・「お」は、「おおらか」
   [病気になる人、ネガティブ]な人に多い、
  「が・ぎ・ぐ・げ・ご」思考及び行動
・「が」は、「がんばる」 ・「ぎ」は、「義理・義務」 ・「ぐ」は、「グチる」
・「げ」は、「原理・原則」  ・「ご」は、「ごまかす」
1万回間違わずに唱える行動に動くことで、人生は、積極的なプラス思考となり、いい方向に変わると考えます。
魔法のプラス言葉の第2弾です。 行動に動いて、損をすることはないでしょう。
 ーー
指回しをしながら、親指から、あいうえお順に回しながら言うのも良いだろう。
栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」というのがあった。
一時、中年の人が彼方此方でしているのを見かけたが。  良いと思ったら何でもともかくしてみることだ。   
 でも、一万回も、言えるかな? まあ、パソコンの下に貼り付けてあるから、それだけでも良いか?
「がごぎげご」か〜、社民党の女党首が、これ! いや他人事じゃないか〜 そのどこが悪い!とも言えるが。
                                    世界は娑婆娑婆! だもの。
・・・・・・・・・
2761, 金融危機・中国からの視点
2008年10月26日(日)

産経新聞の【ちゃいな.com】という産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、面白い。
中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。更に米国の金融危機の余波を受けている。
やはり米国同様に、これから10年間は動乱になる可能性がある。
 その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載されていた。まずは、その内容から・・・・
  ーーー    
 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタートを切ったのは1978年12月。
この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)は翌1月、外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。
トウ氏は経済発展には対外開放が不可欠で、そのかぎは対米関係にあると考えていた。
 トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の米国研究の権威、李慎之・元社会科学院副院長が、
なぜ対米関係が重要なのか問うと、トウ氏は明快に答えた。「米国についていった国はみな富強になったではないか」
 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、トウ氏の頭にあったのは、
米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。 実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナーに、
対外貿易を振興、急成長を続けてきた。
 中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。
特に対米貿易は米側統計では数年来、年2千億ドル超の出超を続け、世界一の外貨準備高(約1兆8千億ドル)に寄与している。
 中国の非公式統計によると、中国の国内総生産(GDP)に占める対外貿易依存度は約70%と異常な高さで、
今般の米国発金融危機の影響をまともに受けそうなものだが、「直接的影響は小さい」と指導者も専門家も冷静だ。
 香港の中国系紙「大公報」は「地球的(金融の)嵐の中で、中国はまれな楽土、安全島」と評し、
「英米の自由放任金融方式の終わり」「米国の金融覇権の没落」によって、中国の発展に「世紀のチャンスが訪れた」
と勇ましい。  どんなチャンスなのか。
 中国は日本と並ぶ5千億ドル余の米国債はじめ1兆ドル超の対米債券を保有する。今後予想される米国債追加引き受けを含め、
中国は米国に対する発言力強化をバックに、米国の各種の「理不尽な要求」をはねつけることが一つ。
(字数の関係でカット、09年10月26日)
・・・・・・・・
2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                        (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。
父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、メスと子供を外敵から守る。
これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる人間様は動物とは違う!というが、
その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、吾身や社会を省みて思わざるをえない。
それと歴史・・・ 父親は父性、母親は母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・・
これは世界の何処の社会でも同じことである。一番おかしくなっているのがアメリカと日本!
 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘している。
当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。
 −−−−−
*父性と母性*

こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。
父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。この形を維持すれば、
子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る子供たちの
家庭は例外なく父性が弱い。酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、
犯人の家庭では、父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。
役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、家庭で母親が父親
並みの権力を持って何かいいことがありましたか、と問うてみたい。
 無論、何もいいことはないのである。
私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。
二つ目は、餌を取ってくること。
三つ目は家族を物理的に守ること。
四つ目は、国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと子供は不安になるのである。
自分の数々の経験からこれは間違いない。人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出すことがある。
これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、群れを守るためでもある。
群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。子供たちも己を捨ててチームや社会、国のために
働くヒーローが好きだ。漫画やテレビなどでもそういうヒーローものにひきつけられる。
男の子は本能的にそれを知っているのだ。いまの日本は、男性が女性化して守ってもらう側になっていることも珍しくない。
群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。戦後、男に与えられていた責任感が激減したから強くなれなくなって
しまった。女は本能的に保護を求める性だが、男が頼りなければ、女が強くなっていくしかない。
しかし、母親はよほど自覚的にならない限り、子どもを強く育てることはできない。
たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足してしまう。それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。
少なくとも群れを守ろうとするような男の子は育てられない。そろそろ男の論理を家庭にも社会にも取り戻さなければならない。
もっとも子供の教育に関して、家庭でできることはそんなに多くない。人間教育について親がやれることは限られている。
親は、子供に安心して帰れる場所を作って、外に送り出しさえすればいい。外で子供は人間性を高めるトレーニングをしてくる。
しかしトレーニングというのは厳しい。まいってしまうことだってある。そのときに帰って安らげる場所、
安心できる場所としての家庭を作ってやることだ。子供はそこで安定する。それには母親とともに、強い父親が必要なのだ。
進歩とは、自分の価値があがることである。価値を獲得すれば、本能的感情としての喜びが生じ、この喜びから
理性的感情の幸福、感謝が生まれる。感謝は人から与えられたときに生じるが幸福は自分で獲得したときの感情である。
だから幸福になるには、自分の力でするしかない。子供たちを幸福にすることとは、進歩させる力を教育によって
身につけさせることである。いまの教育は、その根本を間違えている。進歩させる力を育てるどころか、奪っているのである。
ーーーー
家庭がシッカリしているということは、それぞれの役割分担が、あるべき姿であるということである。
父親や、母親になってない両親の子供は、欠陥が出て当然である。それぞれが違う家庭文化を携えて新たな家庭をつくるのは、
簡単なことではない。何処かに歪みが出て当然、しかし、こと子供教育は最低の知識と常識が求められる。
「こころの旅」や、この戸塚宏の本などが「そういう子供」をつくらないためにも
お勧めである。      「エッ!もう、遅い」 失礼しました。 
                SeeYou**(○´ω`○)ノ
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2006年10月26日(木)
2032, 「私」のための現代思想  −16  
      おはよ〜!(~O~)ふぁ・・ さむい!

*以下の部分には深く考えさせられた
ー私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられるものでしかなく、さらに《私》は<他者>によって支えられています。
そうされることで、この世界で確実なものになります。<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生する。
また《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく上での基本的な要素であるという。
・「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、その<他者>において、《私》の存在の引き受け」が発生。
・また「他者」の呼びかけに応じることは、相手を引き受けることになる。
・<他者>を‘もてなす’ことによって世界は広がっていく。 人に呼びかけ、呼びかけに応じ、
 そして他者をもてなすこと、これが世界を大きくすることということだが・・
何か一番私にかけていたような気がするが、呼びかけ、呼びかけに応じることが、私の世界を大きくするということが・・・
対象にもよるが、ライオンズ、ロータリーにでも入ることも世界を広める意味で重要?
その置かれた環境と状況の中で、それぞれの目的が自分に適うなら、それが自分の世界として適正な選択になるということか。 
他者にも色いろある。 世界の大自然も他者である。自分が関係する事物、人物すべて他者である。
情報を取るプロセスで、対象からの呼びかけに応じていくのであるから。

 ーーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −?
  ー<世界>をつくるー
 *<世界>を引き受ける者として生きる

前にも述べたが、私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられるものでしかなく、
さらに《私》は<他者>によって支えられています。そうされることで、この世界で確実なものになります。
この場合の引き受けられ方には、愛するものとして、子供として、友人だけでなく、敵として、憎悪の対象としてなど様々です。
ここで<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生するということを思い出してください。「私」の存在(=《私》)は、
<他者>による呼びかけによって確実なものとなりますが、「呼びかけられた」側の「私」も、
必ず<他者>に対して呼びかけているはずです。 つまり、ここで「私」は、<他者>の存在を引き受けているということです。
こうした《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく上での基本的な要素です。
その一方で、「私」を道具としてしか扱わない<他者>も存在します。この場合、「了解不可能な<他者>としてのあなたの存在」
を引き受けないというだけでなく、単に道具や装飾品や遊具としての認識しているだけの状態が現れます。
出会う人がすべて、充分に《私》の存在を引き受ける<他者>となるわけではありません。存在の引き受けには強度が存在し、
強弱があります。 《私》の存在が希薄であるとき、<私>の「超越確実言明」も希薄になります。
それは、《私》という「基盤」を失うからです。私たちは「共存の場」において、役割演技を行います。
(以下は字数の関係でカットー2007年10月26日)
                       *^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye  
・・・・・・・・・
2005年10月26日(水)
1667, おい、どうすんだ、定年後!−1

ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー
私たちの世代も、そろそろ定年に入ってきた。そして耳に入ってくる話は、全く気力を失ってしまった男達の話である。   
20年近く参加している、ある会に出席したところ、その会員の数名がシンポジュウムを開くパンフレットを配っていた。
何か私には積極的に勧めてはいなかったようだ。私にとって今さらの内容ということを知っているからだろう。
「定年後の生き方、過ごし方」がテーマだったが、彼らは何を言おうというのか?
ところで先週の土曜日、図書館である月刊誌をみると
ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー というレポートがあった。なかなか面白い切実な問題だった。
ーその内容といえば、
あるビルの一Fの焼き鳥屋に午後5時を過ぎると、20人ほどの男たちが焼き鳥を分け合いながら酒を飲んでいる。
「船橋市時活村」のメンバーだ。地元の友達のいない、熱中できる趣味のない、ボランティアをするでもない、
行くあてのない定年退職者が、居場所と仲間を求めて集う。1996年から9年経つという。 村民は現在、280名を数える。
地元に根っこのない、ベッドタウンを中心に住んでいる連中だ。会社を辞めたあと、家の中でゴロゴロしている人達である。
年代は50代後半から70歳位まで。そこでは自己紹介をする時、どこどこに住んでいる誰さん位しか紹介しない。
二時間もしないうちにお開きなる。 一人平均1500円だった。
・入村料は一万円、年会費5000円(二年目からは3000円)
・昼は20種類位あるゲームの何かをするスポーツ関係が多い。 ウォーキング、親父の料理講習会・・・
・夕方になると、焼き鳥屋に集って酒を飲む
・ほぼ毎日おこなわれている
・退会者は現在のところいない
                 −つづく
・・・・・・・・
2004年10月26日(火)
1302, まさか、地元で大地震!−3

その時は、「震度6の地震とは、こういうことか!」という思いと、
「神戸ほどでないな!」、「性質(たち)の悪い地震ではない!」と考えた。
それと同時に「「新幹線大事故の可能性が大きい」と、心配になった。
新幹線の不通は会社(ホテル)の経営に直ぐ跳ね返ってくる。震源の近くを200キロで走っていれば、当然大惨事になる。
時間から考えると、当然可能性がある。(私が乗っている新幹線の時間帯からみて、その辺にいるはずであった)
下りの‘とき’が震源地を200キロで走っていたと、その後知った。脱線で済んで本当に良かったというのが実感。
大事故なら数ヶ月は復旧しないだろうから、経営にとって大問題になる。もしかしたら、一週間程度で済まない可能性もある。
専門家の話では、「この程度で済んだのは奇跡に近かった」とか。百数十人の生命が奇跡的に助かったのだ。
あと数分ずれていたら、対向車の新幹線が衝突した可能性もあったという。当分は、この地震のほとぼりが済むまで
新幹線の乗客は激減するだろう。 昨日の株価が下がったのも、景気に台風と地震が景気に少なからず影響を与えると
読んだからだ。本当に他人事ではない、今週の宿泊は半減するだろう。話は変わるが、母が亡くなって初めて、
たまたま仏壇周りの両親の写真と、遺品を整理した日に大地震が起こるのも何か因縁めいている。
「その時間に、引きつけられて整理をしたのだろうか?」と考えてしまった。 葬式用?の大きなロウソクも、
ついでに倉庫にしまった。それが、その日のうちに必要になるのも因縁めいている面白いものだ。
仏壇の中のモノが(地震で)全て外に投げ出され、石灯篭が全て倒れるのだから、因果に結びつければ、亡くなった両親が
怒ったと思ってしまうのも仕方がないか。歩いて数分の長岡高校と、長岡大手高校の前には多くの自動車が停車をしていた。
避難をするために駐車しているのだが、何か非現実的な思いである。私も自宅に電気が通じてなければ、
近くの避難所に行っているか、新潟のホテルで過ごしているであろう。 やはり危ない事態なのだろう。
数時間前の深夜、震度3〜4の地震があった。まだまだ予断は許せない事態である。

・・・・・・
2003年10月26日(日)
935,『年収300万時代を生き抜く経済学』  森永卓郎著 (光文社) 
(字数の関係でカット、08年10月26日)

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561, ある時間の断片ー6
−2002年10月26日(土)
   1968年 9月18日
8時10分前に起床、すぐに学校に行く。夏休みあけ後久しぶりだ。
事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの喫茶ウイーンで話をする。
それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と重ねって、独自性が逆に見えて面白い。
その後いったん寮に帰る。6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。
歌舞伎町のB&Bで飲む。3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。
その後三浦というスナックに行く。以前と変わってないが家庭的雰囲気である。
何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。ここも面白い、3人で3000円であった。
奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で泊まることになる。私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。
  ーーー
  1968年 9月19日
翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。
何か今日も予定どうり卒論が書けない。頭の中に最近熱中して読んだ、精神論の言葉が駆け巡る。
言っていることと、やっていることと違いが大きすぎる。ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!      
    9月20日
(字数の関係でカット、09年10月26日)
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[199] トレード.オフ  2001/10/26

トレードとは野球のトレードである。5名トレードすれば、5名首を切らなくてはならない。これがオフである。
ビジネスホテルのもっと合理化できる業態を考えた。カットできるもの、和室、会議室、ツウィンである。
そのぶんシングルの部屋数をとる。これがトレードオフである。
ホット商品を早くコストカットして、安く、大量に生産、売り抜ける。
その時まずやるのが、トレードオフである。まずはこれが基本である。
 (字数の関係でカット、08年10月26日)


3125,「法則」のトリセツ  ー1

2009年10月25日(日)

    知っているようで知らない「法則」のトリセツ      
                          水野 俊哉著
 書店や図書館などのビジネス書に記載されている「法則」がカジュアルに面白そうに編成してある本である。
分類が「職場の法則」「仕事の法則」「ビジネスの法則」「勉強の法則」「心の法則」「成功本の法則」と分かりやすい。
160冊以上の書籍からコンパクトにまとめた人生の取り扱い説明書にもなる。
40年以上かけて多くの原理原則の書物を読んできたが、ここで初めて知った法則が次から次と出てくるのには驚いた。
この年齢になって今さら原理原則の勉強でもないが、人生の節々で多くの「法則」で、救われたことは度々である。
また知ってはいたが、注意を払ってなかった法則がコンパクトに核心だけが書かれていると改めて納得する法則もある。
それが、この本の題名「知っているようで知らない「法則」ということ。
  ここで、新たに面白そうな「法則」と、キーワードを考えてみる。
 ーブルーオーシャンとレッドオーシャンー
* ブルーオーシャンとは、競争のない穏やかな海のイメージであり、独自の市場=ブルーオーシャンを切り開くことで、
  さまざまなメリットを享受することができる。一人勝ちのメリットである。  
* レッドオーシャンとは、既に過当競争でマーケットシェアを奪い合い、際限ないコスト競争に突入してしまった市場で、
  過当競争で赤い血に染まっている海のイメージをいう。時代の変わり目には海の潮目は赤色に変わるもの。
 独自の価値基準を創って顧客に圧倒的支持を受けているのがブルーオーシャンの世界である。 
しかし、他社が参入してある日突然にレッドオーシャンになる可能性がある。 最近のブルーの例として、任天堂のWiiや、
独自のサーカスの世界を切り開いたシルク・ドォ・ソレイユがある。 また、普段着に絶対的な価値を見出していったユニクロ、
そして家具のニトリ、イタメシのサエゼリアも、そのうちに入る。どれもこれも、レッド・オーシャンの中から、
新たな真空地帯の世界を切り開いたもの。 ホームセンターが30年前に日本で発生したころ、セミナーで隣に座った
社長の言葉が忘れられない「別に新しい商売ではない、郊外型の金物屋と割り切り、スーパーのマネをしただけのこと」
当時のホームセンターは、まさにブルーオーシャンの世界であった。 
 原理原則を知っていても、その応用というと知識を知恵に換えなくてはならない。地頭が使えるかどうかの問題である。
 何か「知恵足らず」とは、自分のことに思えて仕方がない。  「勘定たって金はなし」ということか。 まあ、いいか!        
                               つづく
 ・・・・・・・・・
2760, 閑話小題 2008年10月25日(土)

 *毎日が薄氷の上
9月の半ばから、恐慌前夜の重い雰囲気である。
日経平均も、三ヶ月で40%以上も暴落、何と7600円まで下がってしまった。
ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニックに入っているのだろう。
この結果どうなるのか? 倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。
それで済めばよいが、数年以内に大小の半分以上の事業所が倒産、廃業だろう。
何か考えただけでゾッとする。それにしても、大津波、世界中を押し流しそうな勢いである。
ー以下は、一年前と現在の比較である。これからみると、まだまだ経済破壊は序盤ということが分かる。
 (2008年 10月22日現在)      
      2007年10月24日       2008年10月22日
ドル円         114.10             97.70
ユーロドル       1.42              1.27
ユーロ円       162.80            124.70
NYダウ       13,675            8,519
米国債(10年もの)  4.3%              3.5%
原油         87.10             67.48
金          757ドル            724ドル
日経         16000            8500
 ーーー
 *アクアラインが1000円に
私のゼミの一年後輩の松下さんが、《道路経済学》とかいう本を出版。その中で川崎市と木更津市を結ぶ、
アクアラインの通過費を1000円とか、2000円に値下げをする運動を起こしていた。
ところが、数日前の新聞で自民党が景気喚起のため、1000円に値下げを決めたと報じていた。
三年ほど前に、彼から電話があり、「新潟市を活性するには如何したらよいか?」と相談して、
新幹線を日本海の海辺にある飛行場まで延長させて云々から、大和総研と共に会を開いた人である。
私が、案までで、それ以上深入りを拒否して、そのままになっていたが・・・
三ヶ月ほど前に彼から電話があり、民主党から参院の調査会に呼ばれ、意見を述べてきたと、
嬉しそうな声で話をしていたが、でも彼も良かっただろう。
 −−−
 *台風の来ない年は珍しい
  (字数制限の関係でカット 09年10月25日)
・・・・・・・・・・
2007年10月25日(木)
2396, 白い壁とドア                オハヨォ…
 「生」と「死」のイメージを詩的に書いてみた。
  −−
私の生のイメージ、それは白い四角の立方体の壁に囲まれている空間。
十数年前に一度、そのイメージをリアルに持ったことがあった。おそらくは、この白い箱の中の壁の何処かに
見えないドアがあって、ある刹那に、その外に放り出されるのである。白い立方体は生に囲まれた日常である。
その意識下の見えない死へのドアがあって、一度出てしまったら、二度と箱の中には戻ることは出来ない。
白い箱の外は、無。 大きな黒い無限の中で、小さな箱はチリのような存在。いつか、その白い壁が開いて、
その虚無の真っ只中に放り出される。それがスグ明日かも知れない、それとも20年、30年先かもしれない。
その一瞬、白い壁と黒い虚無の狭間で永遠を見るのだろうか? それは歓喜だろうか、それともただ寝入る瞬間のようだろうか?
そういえば寝入る瞬間を感じ取ったことがある。「アッ!」という間の一瞬であった。
それを言葉でいうと、数千秒の一のプツンという刹那のよう。
ーー
以上だが、このイメージにピッタリの詩を見つけた。死の際にたった魂の叫びが詩の奥から聞こえてくる。
ドアの前に立つと、こんな声が聞こえてくるのだろか!それとも「おらは死んじまった」の歌声か。
中島義道ではないが、いずれ誰もが直ぐにドアの前に立たされる。
ーー
暗やみの中で一人枕をぬらす夜は   息をひそめて
私をよぶ無数の声に耳をすまそう   その果てから空の彼方から
遠い過去からほのかな未来から    夜の闇にこだまする無言のさけび
あれはみんなお前の仲間達      暗やみを一人さまよう者達の声
沈黙に一人耐える者達の声      声も出さずに涙する者達の声
                
ー ブッシュ 孝子 (30年前に28歳で逝った女性の詩である。)
            o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪
・・・・・・・・・
2006年10月25日(水)
2031, 「私」のための現代思想  −15
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
 前・評)
人間は「生きること自体が『緩慢なる自殺』である」と言ってしまえば、それまでだが、
戦争もある意味では集団自殺ともいえる。 いや集団殺戮の方が正しいか?
《私》にとっての「超越確実言明」を守るために死ぬことも、時にとって必要なのかも知れない。
人間の最後に残された自由へのジャンプとしての自殺もある。自殺にも正しい自殺と、正しくない自殺があるという。
自分であるために死ぬ、それもイスラエルのマサダの砦の集団自殺のように、自殺厳禁のユダヤ教徒の自殺なのだから
意味も深い。この場合の自殺を正しくないとは言い切れるだろうか。誰の目にも明らかな自殺に「子供の道づれ心中」がある。 
子供を自分の所有物と思いこんでいるから、暴挙にでるのだ。自殺をするには、それなりの理由があるが、やはり
「自殺は決して許されるものではない!」のは、道理である。 それが永遠の自由のためにといっても!
ーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −?
 *正しくない自殺*
正しい、正しくない自殺というのも変なものだが、それでも「正しくない自殺」は、誰の目にもハッキリしている。
それを象徴するのがインターネットで知らないもの同士を募り、複数の者達が一度に命を絶つ「集団自殺」である。
彼らは「死ねば楽になる」という「誤論理」で揺らいでいるので、その揺れを止め、自殺を遂行するために、
<他者>による引き受けを必要としている。この場合、普通の他者の共振を受けることもできるが、集団自殺志願者は 
その人たちの《私》を嫌います。
その人たちの《私》は自らの「超越確実言明」を守る方向に走るからです。
そのような呼びかけに答えてくるのは、同じく「死ねば楽になる」と感じ、死を決意している人たちということになる。
それはお互いの《私》の「非存在=存在の否定」を引き受けあうのだから。
「《私》の存在を引き受けてもらう」はずの行為が、「《私》の存在を否定すること」を通して行われるからです。
存在の引き受けは、「存在しつづけることを引き受ける」ことであるはず。
しかし集団自殺は、「ともに存在しなくなること」を引き受けあうになってしまうからです。
{解}死に際まで独りでは不安なので一緒に行こうという弱者の論理もなるほどと思わないでもないが・・・
「死にたいやつは死なせておけばよい」と同じ意味で彼らは「死にたいのだから勝手に死なせて」というレベル。
壊れたラジオは自分地震で自らを直すことが出来ない・・この本を読むまで、自殺について考えたことがなかった。
しかし考えれば考えるほど、自殺を否定できなくなった。 自殺を否定したのは、
「支配階級が最下層の働き手のロスを最小にするためにつくり上げた価値観でしかない」という論もある。
    ーー
 *正しい自殺*
正しい自殺とは、一回性の人生で、闘いぬき、他の物語を時間の許す限り試し、その結果としてギリギリの判断において、
「死ぬことによってしか、<私>が<私>でありつづけることができない」と考えるとき、それは「正しい自殺」
となるということです。これは「名誉のための死」とか、「誰かのための死」を称揚するのではなく、
あくまでも「<私>でありつづけるために死ぬ」ということである。
  ーーー
後評) 正しい自殺かどうか判断できないが、イスラエルで初めて知った「マサダの砦の集団自殺」である。
マサダ砦は、死海の西南にある要塞。ヘロデ王の建てた離宮だったが、70年のローマに対する反乱時、
過激派のユダヤ教徒が最後の砦として篭城したが、ローマ軍によって落とされ、その後2000年間、
ユダヤ人は流浪の民となった縁の地である。ケーブルカーで頂上まで上がるとヘロデ王の宮殿、サウナなどが残っている。
一世紀、ここを要塞にして戦ったユダヤ教徒約1000人は2年の篭城の後、ローマ軍に侵入される直前に集団自殺を遂げた。
下を見下ろすとローマ軍の陣地となった場所がくっきりと見え、攻撃のため砦に向かって積み上げられた人工の山が残っている。
その完成の前日、女子子供数人を残して集団自殺を決行した。「奴隷になるよりも死んで自由を」という言葉が、有名である
現在イスラエルの新兵の入隊式はここで行われるという。この集団自殺が正しいかどうかは、歴史が判断するのだろうが、
意味の無い集団自殺ではない。肉体的な苦痛から逃れる自殺も、ある意味で容認されてよい。肉体の死によって、
肉体の耐えられない苦痛からの避難になる。現在の社会は、その死を認めていないのは明らかに誤りである。
苦痛の緩和の体制ができていて、その上での話なら別。自殺の是非も含めて、全て根本より疑うことも必要なことだ。
                               \(^▽^*)バイ!
・・・・・・
2005年10月25日(火)
1666, 日本のこれから 今どきの若者たち

先週の土曜日のNHKで、ゴールデンタイム19時半〜22時半まで三時間にわたって「日本のこれから 今どきの若者たち」 
の討論がおこなわれた。 若い人は、何を考えているのだろうと興味を持って最後までみた。
私の場合、三十年以上も若い人を身近でみてきたこともあって、こんなものだろうという諦念があった。
若者、中年、芸能人、社長など多彩なタイプの人を集めたのが良かった。
一番印象的だったのは、ハンガリーの若い女性の意見であった。「私は社会主義国だったハンガリーの出身。
 (字数制限の関係でカット 09年10月25日)
・・・・・・・
2004年10月25日(月)
1301, まさか、地元で大地震!−2

この文章を書き出したと同時に、再び大きな揺れである。震度5強と予測して、TVを見たら5弱であった。
まだ、震度に対する体感には誤差がある。既に36時間も経っているのに、今も地震が現在進行形というのが
驚きであり、不気味である。 今朝の地震では、電気と水道が止まらなかったのが救いである。
一昨夜の二回目の地震は、揺れると同時に、電気が消えた。真っ暗になったので、まず仏壇前にあったロウソクを
皿に数本立て明かりをとる。地震が少し落ち着いた後、もう一皿に移動用のろうそくを立てた。
今日仏壇周りを整理して倉庫にしまった,大きなロウソク二本を取ってきて更に大きな明かりの確保をする。
その後、懐中電灯を探すがナカナカ見つからない。次に携帯ラジオを探す。両方ともあったが、今度は電池が見つからない。
それでも、やっと見つけ取りあえず居間の整理を始める。現在から考えてみても、冷静に対処していたようだ。 
鉄骨の二階で、かつ座っている場所の空間に、危ないものが無いから冷静でいられるのだろう。
こう書いている現在また震度3の地震がおきている。慌てて、水の確保を思い立ち、鍋にポットに水を入れる。
(ゆれると同時に、サイドボードの前にいってドアを押さえている)その合間に、この文章を書いている。面白い体験である。
電気、水道と、ガスが全て止まると、全く普段の生活がストップしてしまう。 まず、水である。 
トイレが使えない(風呂の水が当面使えたが)飲料水がない。(ジュースが5〜6本、ノンアルコールビールが10本あった)
TVからの情報が途絶えた(携帯ラジオがあった) 食料はスナックが代用できた。感覚的には、一週間は代用で持ちそうだ。 
近くの24時間スーパーに行ったら、閉鎖していたが、隣のドラッグストアーは店内散乱の中で営業を始めていた。 
それでよいのだ、緊急時は。食品と、飲料水が飛ぶように売れていた。 40人位がレジに並んでいた。
地震から一時間もしないうちにヘリコプターの音がした。 報道か自衛隊か解からないが、発生と同時に準備をしなくては、
その時間に飛んでこれないから、その瞬時体制は凄いものである。昨夜は市民の4分の1の4万数千人が、
避難所に夜を明かしたという。電気も、ガスも、水道も確保出来ないのだから、それも当然だろう。
近くに住む兄が昨日の午後、訪ねてきたが、やはり家の中は足場も無いほど倒れたモノが散乱しているとか。
また、庭にある石灯篭も二つ倒れ、隣の家に入り込んでいるという。
                                  つづく
・・・・・・・・・
2003年10月25日(土)
934, 成果についてードラッカー

ドラッカーの言葉の中に「成果」という言葉が頻繁に出てくる。努力そのものでなく成果をあげることの重要性を説いている。
経営は理屈ではない、結果をいかに出すかだ。 成果能力を問われるのだ。
成果とは長期にわたって業績をもたらし続けることである。ドラッカーは人生の生き方を経営学を通して教えてくれる。
ーこの成果について、ドラッカーの本より抜粋してみるー
・「成果が自己実現の前提になる」
ー成果をあげる者は、社会にとって不可欠な存在である。 同時に、成果をあげることは、
 新入社員であろうと中堅社員であろうと、本人にとって自己実現の前提である。
・「自らの最高のものを引き出す」
ーまず果たすべき責任は、自らのために最高のものを引き出すことである。人は自らの持つものでしか仕事ができない。
 しかも、人に信頼され協力を得るには、自らが最高の成果をあげていくしかない。
・「成果をあげることは習慣である」
ー成果をあがることは一つの習慣である。実践的な能力の積み重ねある。
 実践的な能力は、習得をすることができる。それは単純である。あきれるほど単純である。
・「成果をあげるための五つの能力」
ー成果をあがるための実践的な能力は五つある。
第一に、何に自分は時間をとられているかを知り、残された時間を体系的に管理をする。
第二に、外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。
第三に、強みを中心にそえる。
第四に、優先順位を決定し、優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中する。
第五に、成果をあげるように意思決定をする。
 ー以下は字数の関係でカット(2007年10月25日)

・・・・・・・・
560, ある時間の断片 −5 
- 2002年10月25日(金) 1968年ー9月15日

朝7時半に起床、食事の後に東京の寮に帰る支度をする。
裏の家で姉の正子さんと、帰省中の3番目の姉の優子さんと、甥の宗彦ームーチャンと写真を撮る。
12時5分発の第三佐渡に乗る。いやに長く感じられる4時間だった。青雲寮につく、懐かしいわが部屋だ。
市川さんが飼っているミケに子猫が2匹生まれていた。苦手だった先輩の河路さん、欧州行きが延びてまだ寮にいるようだ。
夕食後漫然とTVを見て過ごす。またマンネリとした寮生活が始まるが、もう残された学生時代の時間はない。
最後はちゃんとして卒業しなくては。
 ー現在の感想ー
日記を書く習慣を持っていればよかった。それと写真をもっと多く撮っておけばよかった。
大学を卒業する前年の8月31日から翌年の2月半ばまでに半年間、気分が高揚としていたのだろう、
日記が残っていた。たまたま6年前に倉庫を整理していたら、その当時の教科書の一番下に隠すようにあった。
机の引き出しに入れて、読み返している、そして折々にこの随想日記に書いている。
一種の躁の状態の自分の気持ちがそのまま残っている。懐かしい本当に懐かしい!
タイムマシンに乗って当時に帰ったような感がする。何も変わっていない自分が
そのままいるのが奇妙といえば奇妙だ。社会に出るにあたり不安と希望に揺れているのが懐かしい。
結局私にとって学生時代が人生の縮図であったようだ。口泡を飛ばして議論をしていた青い時代があった。
・・・・・・・・・・・・
[198] 天の広さ  2001年10月25日                
  
  * 井の中の蛙,大海の広さ知らず,
 この言葉の後の言葉をもじって‘井の中の蛙大海を知らず!されど天の広さを知る’
この後の「されど天の広さを知る」がいい。世間知らずの学者が考えたか?
「世間知りの、天命知らず」とも考えられる深い味のある言葉だ。 しかし両方でなくては
(大海ー世間も天も知らなくては)所詮井戸から見た天しか知る事が出来ないのは当然の事だ。
それもこれも全て独り言でしかない、世間のことは自分の想像でしかないのだから。
  * つれずれに
 (字数制限の関係でカット 09年10月25日)


3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5

2009年10月24日(土)

   ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
 
 以下の部分で、その原理を説明している。 これでは多神教が敵うわけがない。
 それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人だからだろう。
 彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれていれば、どうもこうもない。
 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し違うのですね。
  終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて
  律法を守ってきた自分たちを窮状から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
  出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれがそういう目に
  あわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが降りてきて政治権力を握るということになる。
  そもそもユダヤ人は、幾度も周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる願いは、
  メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということなんです。ただし強力な国を作りたいという
  願いはありますが、全世界をユダヤ教}色にしてやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教やイスラームより
  はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教とキリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやってくるのは現世的な救いなのですが、
  キリスト教では幻想的にというか、非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考えるところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的にはないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。
 その時にアッラーの前に引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。で、死者たちは、
 それまでずっと眠ったような状態でいて、終末が来た時に生前の肉体で甦って、裁きを受けるのです。
 だからイスラームでは火葬は御法度。 裁きも具体的で、ちょっとおとぎ話みたいですが、それぞれの人の左右の両肩に
 天使がいて、ちゃんと律法を守ったら、それが天使によって記帳され、さぼったら、これまた記帳されていくんです。
 裁きのときはその双方の記帳が天秤に乗せられて、右肩が下がったら天国行きで皮対は地獄行きです。
 裁きは一回かぎりで、地獄から天国に行くということはできません。そのときは現世はなくなってしまい、
 天国と地獄になるのです。『コーラン』には天国の様子もちゃんと描写してあります。ただし男の天国しか書かれていない。
 そこは緑のしたたるオアシスのようなところで、七十二人の処女が侍ってていて、いくら飲んでも酔っぱらわない
 美味な酒がしこたま飲める。 それでは女性が天国に行った場合はどうなるかは書かれていない。
 ただし、殉教者は最後の審番は免除なのです。血だらけの姿をアッラーに見せれば、それで天国行きという事になります。
 ですから殉教者は葬式の際には、血だらけの生々しい埋葬をします。偉いウラマーでも、少しは律法を破ったことがあるから、
 最後の審判は怖いのです。 でも、殉教者はストレートにパスなのです。だから殉教したい人が多くなる。
   〜〜
  これらを読んでいると、天国とは「幻想論」を絵に描いたようなもの。ニャロメの赤塚など、この程度の天国を
 十二分に味わったはず。日本のプチブルも彼らのいう天国の門前にいるようなもの。 と、思うのも多神教徒の浅はかさか!
        天国はアラブの地の貧乏人の夢かいな!  
・・・・・・・・
2759, ソロスは警告する −3
2008年10月24日(金)
 ー要点をまとめると、以下の通りになるー

 この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。
*「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかないと、
 ソロス自身の哲学を築き上げるが、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』に影響されたとしている。
 ポパーは"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の
              平和共存を可能にする制度が必要であると認めているような社会」であると定義している。
*これからソロスは彼独自の哲学を育てた。 彼のキーワードは、「再帰性」と「可謬性」。
 ・「再帰性」とは 【人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。 世界に対し操作を加えたとき、
  観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。 さらに、究極の真理あるいは確実な情報は
  人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで、「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。】
 ・「可謬性」とは、【人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。 】
  これを行動経済学の観点から解釈し応用していった。 彼は、誤謬の可能性ではなく、人間は間違うもの!と断定している。
*現在の経済は1929年の大恐慌以来最悪の状態になりつつあり、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張時代が
 終焉を迎えている。(中略)  ソロスの分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、
 人々が誤った投資行動を続ける原因になった「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した、という。
 「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、
 「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任と呼ばれた、市場には一切規制を加えるべきではないという市場原理主義である。
*ソロスは、サブプライムはトリガー(状態変化の引きがね、となる信号)に過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、
 信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"が、そのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって
 成長してきた超バブルがはじける、と警告している。
  ーP-53 の以下の部分が再帰性について、解りやすく説明してあるー
●ー人間の誤解は社会に大きな影響を与えるー
「再帰性」は、参加者の見方と、事象そのもののありようとの間に成り立つ、一種の循環性、両者の間の双方向的なフィードバックが
生み出す円環だと見ることが可能である。 人は、直面する状況そのものをもとに決断を下すわけではなく、その状況の認識あるいは
解釈にもとついて決断をくだす。 彼らの決断は状況に影響を与え(操作機能)、状況の変化は参加者の認識も変える(認知機能)。
  (字数の制限の関係でカット09年10月24日)
・・・・・・・・・
2007年10月24日(水)
2395, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー3
                        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 戸塚の幼児・少年期の教育論は、自分の経験を省みると一つ一つが、よく解る。
そのプロセスを飛ばした部分は青年期になってから、その数倍も跳ね返ってきた。
反面、彼のいう躾や見えない指導は両親からシッカリと仕込まれてきた。片親の場合や、父親が軟弱の場合に
指導チェックが行われない可能性が大きい。やはり理想をいえば小学校時代までは両親の深い愛情と躾が必要である。
両親から5〜6歳の時、こっ酷く殴られたことが何回あった。 但しそれ以降は一切なかった。 
さすがと思ったのは、大學に入ると同時に一人前として、人格の尊重をするようになった。 
多くの子供を育てて経験からの知識であろう。神谷 美恵子の本にあった人生の諸段階にそって導いていたことになる。
道理にそれほど差がある訳がない。 子供がまともに育てるには、それなりのステップが必要ということになる。
「出来ちゃった婚」など、生まれ出る子供からしたら「ふざけるな!」である。その時点で・・、
これ以上書かない方が良いか? ー彼の幼児期の教育論の部分を抜粋してみる。 
 ーーー
  *体罰は三歳から小学生いっぱい*
 では、子供たちのどの時期に何をすればいいのか。 それが善でも、もちろん施すにはそれぞれ時期がある。
 年齢に応じたやり方があり、それを超えると虐待になつてしまう。
・三歳までは、完全に保護された状態で肉体と精神が成長していくのが望ましい。
  (以下、字数の関係でカット09年10月24日)
 ーーー
携帯電話が子供に与える影響はプラス・マイナスがある。小中学生に、どのように導いてやるか大問題であろう。
 また、なるべくしてなったのが引きこもりである」 でも、どこかが欠けているのが人間でもある。
                    バイヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・・
2006年10月24日(火)
 2030, カラスの話
        (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。
低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、今でも思っている。 
時々からからかったりしていたからだ。また私の散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。
雀、セキレイ、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、
時には襲うようだ。ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。
小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。
また電線に千羽以上もとまっていることもあった。あれは何かの集会ではないだろうか?
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
 ・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
 ・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
 ・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
 ・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた“遊び”といわれる。
そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
       (字数の制限の関係でカット09年10月24日)     \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・
2005年10月24日(月)
1665, 中越地震から一年!
昨年の「バードウォッチング」をまず、コピーしてみる。

ー10月23日ー
 去年の丁度今頃に地震がおこった。早夕食が終わった直後であったが、あまり恐怖心はなかった。
秘境旅行を続けてきたのが一番の理由であろう。一回の旅行で、圧縮されたトラブルがほとんどでる。
創業を何回もしてきたこともあるし、仕事の関係で常に現場では何かが起こっている。
真っ暗の中、一つずついま出来る手順をふめばよい。 身の危険が無かったこともあるが、
「この程度でなんで騒ぐの?」が、実感であった。それぞれの建物事情もあるのだろうが。
刺激の濃い日々だったのか。現在も同じ? 丁度花火が打ち上げられている。  黙祷!!
 ーー
以上であるが、実際は凄かった?喉元過ぎればか。近くの高校と小学校が避難所になっていて、一週間は近所のほとんどの家は
(避難をしていて)真っ暗であった。その瞬間からは、毎日ライブでこの随想日記に書いてある。危機になればなるほど面白がる、
楽しむ悪癖がある。良くいえば余裕がある? 悪くいえば性格が歪んでいることになる。 やはり場数を踏んでいることか。
ただ、山古志などの全壊した村で避難所に住んでいる人が一万人近くいるのも厳然たる事実である。
車で10分もしない所に、避難所で生活している人がいる。時々近くを通るが、彼らが普段の生活に戻ることを祈る。
そういえば、自宅内の貸家に被災者が住んでいる。彼らが自宅の裏の貸家を見にきた時の姿が目に焼きついている。
その一年前に、水害にあってやっと落ち着き始めたところ再度、地震にあったという。
一家して、疲れきった肩を落とした姿が印象的だった。

・・・・・・
2004年10月24日(日)
1300, まさか、地元で大地震!

10分ほど前に、電気が復旧する。長岡の市民の4分の1が、学校などの施設に避難しているとラジオで言っていた。
電気とガスが切断されていれば仕方ないのだろうが。仕方がないので17時前に郊外にファミリーレストランを
探しに行くが、一軒だけ和風の地元のファミレスの電気がついていた。そこで食事後、家に帰ってきて18時半に就寝。 
直ぐ熟睡。 電気が今日中に復帰とラジオで言っていたので、電気のスイッチをいれていた。
それが23時半に復旧。何がともあれ飛び起きて、この随想日記を書いている。地震がおきた時は、丁度早夕食を
終えようとしていた時であった。普段、土曜日は家内と居酒屋か、近くのサエゼリアなどで食事をすることになっている。
たまたま、長岡近郊の小千谷市のスーパー・センターにドライブをかねて買い物に行き、惣菜を買ったために、
家で珍しく食事をしていた。殆ど、前ぶりもなく激しい地震がおきた。サイドボードに、コーヒーカップや、茶碗や、
皿が多く詰め込まれている。その半分ほどが、揺れで外に飛び出して割れてしまった。大きな地震が4回、他に小さな
地震が10回前後も揺れ続いた。一時間ほどかと、時計を見ると2時間半も経っていたのには驚いた。
一度なら、それほど驚かないが4度も大きな地震には恐ろしいより、笑ってしまった。 
と同時に、そこが私の面白いところ!「これは県内で、二桁の前半の死者の数が出るだろう」と、
地震の最中に家内に言っていた。 現在起きていることに対しても、解説的な自分が可笑しい。                                                               ーつづく
ああ〜、0時一分前、このソフト今日中でなくては翌日の日付になってしまう。
  ギリギリ間に合った! それにしても余震が絶え間なく起こっている!                             
・・・・・・・・・
2003年10月24日(金)
933, 強みに焦点をあわせよ(集中せよ) ー2

ドラッカーの過去の書物の中から「強み」について、抜粋していた本の項目から書き写してみた。
この中で印象的な言葉として、「無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも遙かに多くのエネルギーと
努力を必要とする」である。これは人に対しても、自分の中の能力に対してもいえることだ。
自分の不得手を直すより、得意分野に努力を集中すべきということだ。不得手を直すのは、むしろ害になることもある。
そこに気持ちの集中がいってしまうからだ。「得手に帆を揚げ」という言葉が日本にもある。プラス思考にもつながってくる。
 大組織のサラリーマンに嫁いだ姉たちを見ていると、マイナス思考になってしまっているのが分かる。まずはマイナスを
お互い指摘しあう世界であるからだ。それがまず必要なこともわかるが、マイナスのカバーに神経を研ぎ減らしている。
 ー抜粋ー
・自分の強みはわかりにくい
 ー誰もが、自分の強みをよくわかっていると思う。
 しかし、たいていは間違っている。 わかっているのは、せいぜい弱みである。
・不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。
 ー自分の強みに集中すべきだ。 無能を並みの水準にするには、
 一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。
・いまさら自分を変えられない
 ー今さら自分を変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。
 自分の得意とする仕事のやり方を向上させることに、力を入れるべきである。
  ー以下は、字数の関係でカット(2007年10月24日)
・・・・・・・・
559, ある逸話-外地のガイド
- 2002年10月24日(木)

海外の現地の日本人ガイドにはあまりプライバシーを詳しく聞くなといわれている。
日本で訳ありの経緯できている人が多いという。イスラエルや南アフリカなど日本人の殆ど行かない所では、寂しいのだろう、
自分で全てを話してくれた。南アフリカでの話は今でもハッキリと憶えている。50歳ぐらいの女性であった。
日本の商社に勤めていて、英国人と恋愛結婚して初めは英国本土に行ったが、平凡な生き方に嫌気をさした
旦那の意向で南アフリカに十数年前にきたという。ケープタウンに日本人は二十人前後しかいないと言っていた。
日本人同士の付き合いは殆どないとか。日本人の墓は女性名で一つしかなく、その墓を見てきたが冷えつく思いだったという。
子供ができた時に子供の名前を日本名にするか、英国名にするか大モメだったという。
女性の場合、自分が死んだときに生きてきた自分の証明が残るのは日本名の子供の名前だけになる。
自分という存在が完全消滅してしまうような不安にかられるという。外人と結婚して外地暮らしは若いうちは良いが、
歳をとった時に辛いと言われているが、自分はそれを知らなかった!と言っていた。聞いていても身に沁みる話であった。
人生いろいろあるものだ。10年近く前、ニュージーランドに行った時も70歳近い女の老添乗員が悲鳴をあげていっていた。
「40数年前に豊かさを求めてこの地に来たが、この地より日本が遙かに豊かになってしまった。大誤算だった!」
現在は日本も事情が変わり、そうでもないだろうが??! 全ての事は±ゼロである。

・・・・・・・
[196] 本格的チェーン店の出現
  2001/10/24

日本にもやっと国内資本系のチェーン店で本物が出始めてきた。ユニクロ、家具のニトリ、しまむら、イタメシのサエゼリア、
100円ショップ、無印良品、全国居酒屋チェーンの一部、そして上記の店は今の日本において本格的なチェーン。
ホット商品を廉価で提供しているからである。チェーン理論のコンサルタント渥美俊一が三十年以上前から口酸っぱく言っていた。
「普段の生活を豊かに!日本の物価は高すぎる。それはチェーンの形態しかできない。」業態というカタチしか、
出来てなかったそれが最近になってやっと出来てきたようだ。 デフレとグローバル化の追い風に乗って。
皮革張りのイタリヤ家具で、皮はイタリア製で木工と製造が韓国製の応接セットがある。
韓国は昔から木工の家具の得意なところ、イタリヤから皮革を輸入して、木工と人件費の安さと合わせた
韓国製イタリヤ家具が完成する。実をいうと自宅の家具がそうなのだが、ブランド家具の150万相当の家具が30万で買えた。
五分の一である。グローバルとはそういうことが可能となる。100円ショップの原価は27円? ほぼ中国・東南アジア製。
100円ショップの凄いところは300円〜1000円なら要らないが、100円なら買うというところに目をつけてところ。
チェーン店はそれがより可能になる。サエゼリアでもワインなど船一隻丸ごと? 運ぶことが可能となる。
イタリヤ料理の材料を直接運ぶことが可能だ。近くの地方スパーの原信の惣菜より安く、もちろんずっと美味く提供が可能になる。
客として不思議にさえ感じる。。知らない客にとって見えないマジックそのものだ。
マクドナルドはそれを65円ハンバーグで、実現してみせた。
今の海外ツアーと国内ツアーみたいなものだ。 3倍〜5倍の価値の商品が同額だからだ。

 


3123, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー4

2009年10月23日(金)

 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)   
                               ー読書日記
 宗教は「死に対する恐怖を軽減する役割」が大である。死がやがて訪れることを知ってしまったので、
 その恐怖こそ、人類が長年にわたって個々人が乗り越えなければ壁であった。 
 一神教は、それを利用して神というラージXに対する恐怖を洗脳し、バラバラの人心を一つにしようとしたのである。
 エジプトの奴隷が集団でイスラエルの地に逃げてきたのだから、その奴隷には恐怖心を植え付け煽るしかない。
  −以下の部分は、その辺の事情を分かりやすく述べている。
  * 恐怖の神 * P-24
岸田:一神教は、「対神恐怖」の宗教だと以前から言っている。唯一神を奉じる人々は、神という主人の奴隷であって、
 戒律に違反すると、神から厳しい処分を受ける。この恐怖が一神教徒の行動の規範です。彼等はあまりにも神が恐ろしいので、
 神以外のものが恐ろしくなくってしまい、平気で無関係な人間を軽んじてしまう。彼らが尊重するのは同じ神を信じる人間だけ。
 そこから、キリスト教徒ではない先住民や、異教徒に対する虐殺が由来する。神は主人、人間は奴隷であって、奴隷は
 主人の命に従わなくてはならないのです。そうしないと酷い目にあわされてしまうのです。自殺など、とんでもないことです。
 一神教の文明圏で自殺が厳禁されている理由は、奴隷には自殺の権利などないのです。
 自殺は神との契約を破棄することなので、最大の違反です。奴隷が主人の命である律法を守っていれば、
 主人は『救い手』を遣わして、奴隷たちを窮状から救い、万人の主にしてくれる。 それが一神教の基本テーマです。
小滝:これに対して日本人は対人恐怖症なのです。社会で相手の信頼関係の中で「じゃあ、そうしましょう」
 となるのです。約束を破らないのは、彼に悪いとか世間での自分の評価を気にするからです。
 しかし一神教徒は神に叱られるから約束を守るのです。
岸田:対神恐怖と言うのは、それが共有されれば、人間の行動を規制するのに非常に役立つもの。
小滝:彼らにとって、異教徒というのは、同じ神に誓うという条件を満たせない者たちなので相互の信頼関係を結べないのです。
 異教徒の契約は常に仮契約でしかない。 その辺に一神教徒の異教徒への非道の原因があるようです。
 ーー
 アメリカという一神教国が多神教国を冷酷な割り切りの視点でコントロールしている背景を上記からも知ることが出来る。

・・・・・・・・
2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと!
2008年10月23日(木)

仏文学者の鹿島茂が毎日新聞の文化欄に「株価暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して書いていた。
経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと、‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。
1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。
結果として株価は八分の一になってしまった。 それよりフロント係の 「窓ですか、ベッドですか?」は、絶妙。
「窓ですか、バスタブに睡眠薬、丈夫な紐の、ドチラですか?」は、実際に・・・・?
  −−−
【 「この数日は、大暴落の期間中でまちがいなく最も陰欝な日々であった。組織的な買い支えはとうに姿を消し、
 この頃には組織的な気休め発言も放棄されている。となれば、せいぜい皮肉なユーモアにでも紛らわすしかない。
  (中略)ダウンタウンのホテルのフロント係は、ベッドをご利用ですか、それとも窓ですか、と客に尋ねたそうな」
                             (ジョン・K・ガルブレイス『大暴落1929』日経) 】
 この九月二九日に日本を発ってパリに到着したら、テレビも新聞も米下院で公的資金投入法案が否決されたため
ウォール街で記録的な大暴落というニュースで持ちきりだった。・・・・
さて、長らく世界中の人が恐れていた「起こるべきこと」がついに「起こってしまった」。 
今回のウォール街大暴落が一九二九年に似ているのか、それとも一九八七年のブラックマンデーに似ているのか?
と問われたら、私は間違いなく前者だと答えるろう。
なぜなら、暴落は市場の自動的調節などではく、雇用不安という死に至る病の兆候を示しているからである。
一九二九年の悪夢は確実に現実化し、一九三〇年の大恐慌を再び到来させるにちがいない。 
 以下、ガルプレイスの本を参考にして、今回の大暴落に続くであろう展開を占ってみよう。
後にブラック・サーズデーと呼ばれることになる一九二九年一〇月二四日の木曜日、大暴落は前場に始まった。
十一時には市場はすさまじい狼狽売り一色となり、追い証を払えなくなった人の担保株は売り払われた。
十一時半には、完全なパニックとなった。しかしあまり知られてないが、ブラック・サーズデーは後場では回復しているのである。
昼休みの間にJP・モルガンの事務所で大手銀行家たちの会合が開かれ、株の買い支えを決定したというニュースが伝わったため、
相場は猛スピードで回復し、結局、タイムズ平均の終わり値は一ニドル下げに止まった。 金曜、土曜と相場は安定した動きを
見せたので、投資家は一安心した。悪夢は終わったかに思われた。 だが、終わってなどいなかったのである。
 一〇月二八日月曜日、相場」は記録的な下げ幅を示した指数が、火曜日には最悪の様相を呈し始めた。
出来高はブラック・サーズデーを大きく上回り、前日の月曜日に匹敵した。
市場はいずれの日にも劣らぬ強い不安感と先行き不透明感で覆われた。
 街には銀行家グループは買い支えどころか大口の売り注文を出しているという噂が流れたが、これは後に事実だったと判明。
ここから数週間、椙易は薄商いの中、突如暴落するというパターンを繰り返し、十一月の中旬にようやく
下げとまったかのように見えた。タイムズ乎周は九月の最高値四五ニドルから半値の二二四ドルに下落したが、
これを底値にゆるやかな反転を示したからだ。株式暴落が実体経済にまで影響しだしたことに気づいたフーバi大統領は
無関心な態度をかなぐり捨て、「考え得るあらゆる方策」を用いる決意を固めた。、
 だが、歴史はここがフィナーレではなかったことを教えている。一九三〇年の三月に回復したかに見えた相場は
四月に入るともう立ち直る力を失っていた。下落は三二年六月まで続いた。本当に底打ちしたときには、大暴落当時の最安値
二二四ドルが懐かしく感じられるほどになっていた。三二年七月八日のタイムズ平均は五八ドルだったのである。
 というわけで、最後はガルブレイスの次の言葉で締めることにしよう。
「一九二九年の大暴落の際立った特徴は、最悪の事態がじつは最悪でなく、さらに悪化し続けたことである。
 今日こそこれで終わりだと思われたことが、次の日には、あれは始まりに過ぎなかったのだとわかるのだった。
苦しみを深め、引き延ばし、できるだけ大勢を残酷な運命から逃れられないようにする仕掛けというものがあるとしたら、
あれほど巧妙な仕掛けはあるまい」この悪夢を日本人はバプル崩壊で経験したはずなのに、教訓とはならなかったようである。
 −−
 大統領選挙の終了直後、前回のG7のサミットが一月前に開催したばかりなのに緊急に開催されるということは、
想像を超えた異常事態に陥っていることだけは確か。世界中の銀行を一時的に閉鎖するのか、米国が債務不履行を宣言するか、
などの思い切った措置が行われる可能性も考えておかなければ・・・・。 

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2007年10月23日(火)
2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2

 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。
早くいえば、終戦時に日本を骨抜きにしようと、腰抜け憲法をアメリカが押し付けた。
そして、今日までそれを大事に大事にしてきた。国民の去勢化である。そして、その完成が、あの「ゆとり教育」である。
その結果が現在の、公立の小中学校の先生と生徒の様である。 さらにニートとかいう完成品である。 
そして人生を投げてしまった奇妙な人たちである。彼は教育の最終目的は、子供たちを『独立』させることだという。 
だから独立にいいものは善で、悪いものは悪。ハッキリさせている。だから体罰は善。いじめも善。 
褒めるより叱るが善に決まっている断言する。学校にカウンセラーなどトンデモナイものを導入。これ自体がおかしいという。
 −戸塚の文を抜粋しながら考えてみる。
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*体罰もいじめも善である*
   恥ありて且つ格(ただ)し   恥を知るは勇に近し
 前者は論語で、後者は中庸の一説である。恥をかくことが人間を進歩させることを昔の人はちゃん、とわかっている。 
それなのに先生は叱らない。みんなの前で叱るようなことはまずしない。 公衆の面前でやれば、それだけ恥は大きく、
相手の進歩に役立つ。 それがわかっていない。 体罰もいじめも善である
 体罰というのも、相手の進歩を目的にするものである。だから体罰も善だ。もちろん世の中には目的を考えずに
体罰をする人もいる。ヒステリーを起こして、無茶な罰をして怪我をさせたりすることがある。
そういう人は自分のためにやっている。強くならなかった人がそういうことをする。
ヒステリーになるのは、自分の中で情報が満杯になってその処理ができない人だ。弱いから、相手のことを考えられない。
 (字数制限のためカット 09年10月23日)
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2006年10月23日(月)
2029, 中越地震から今日で二年
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
中越地震から今日で丸二年になる。今では私の周辺では「中越地震」の話題をする人は一人もいない。
もう一年以上、地震の話をしたことは無い。大きな地震の確率は他の地域より少なくなったし、世界の刺激的ニュースが、
身近な出来事など忘れさせてしまう。臍が曲がっているためか、当時、その事態を楽しんでいる自分に呆れていた。
数百メートルの小学校には夜になると殆んど避難。一月ぐらいは自宅周辺の殆んどの家には灯りがついていなかったし、
毎日のように余震が続いていた。その最中余震が起こる度に家内と震度当てをしていた。
地震発生の一週間後に、新潟に行こうと車で出たところ20分もしないうちに、高速道路に入る直前で震度5の余震が発生、
そのまま引き返してきた。 さらに、その数日後に新幹線で通勤途上に震度4の地震にもあった。
でも、ああまたか〜位にしか感じなかった。秘境旅行を三十数回行っていて神経が麻痺しているのだろう。
また仕事がホテル業ということもあり、緊急事態になるほど冷静さが要求されるためか?
「この程度で騒ぎすぎ」と独り呟いていたのも事実である。 夜半に余震が連日あったが、家の倒壊の心配がないので
冷静でいれたが、古い家の人で、危ない経験の少ない人の不安感は遥かに大きいかったのだろう。
 隣の家から女の子のひきつけの悲鳴が聞こえてきた。わが家の被害が比較的に少なかったが、
隣同士でも被害は全く違う。また2キロ先の山の麓の住宅地は悲惨な状態であった。
その一月もしないうちに、自宅の裏にある空家に被災民の一家が引っ越してきた。
(あと一週間の今月一杯で、新築の家へ引っ越していくが・・) 下見に来たときに立ち会ったが、その前年に大雨の洪水と
たて続きの被災で、肩を落とした一家の姿は気の毒で正視できなかった。 300m先の長岡高校のグランドで、
被災民を山古志村からヘリコプターで数ヶ月にわたり運んでいたが、何か現実からほど遠い出来事のようであった。
山古志村の被災者の3割はもう地元には住みたくないと、街中に留まることを希望しているというが、何か解るような気がする。
因縁を取り払えば7〜8割の人が帰りたくないのだろう。二年前の随想日記、数日後から連載してあるので、
これを見たついでに二年前の同月同日の日記を眺めてください。
                      (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年10月23日(日)
1664, ウィリアム・ブレイクの詩
  ー字数の関係でカットー2007年10月23日
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2004年10月23日(土)
1299, 「23歳の日記」

 事務所の移転で、部屋の整理をしていて、一冊の見た事のある小さな鍵付のノートが出てきた。
開いてみると日記帳である。「22歳の日記」の続編である。その続編があるとは、思ってもいなかった。
おそらく、「22歳の日記」とセットで、何処かにしまっていたのだろう。
 もっとも、入社したてで激務のせいか、8ヶ月で17日分しか書いてなかった。
 ー3月5日から11月初旬の間であるー
かなり刺激的な内容もあって、肉体的にも精神的にも極限状態が手に取るように解かる。読んでいて戸惑ってしまっている。
三重県の四日市から、神戸に転勤するまでの心の軌跡や、具体的な日々の有様が、そのまま書いてあった。
 小さな会社が三社合併をした年で、その交流の1弾として方々に転勤させられていた。今から考えてみても、
異常な日常の連続であった。まあ良い体験をしたのだろうが、当時の流通は今でいう3K そのものであった。
 流通革命の旗手と上手く煽てられて、合併の最前線の駒に使われていた。 一番立場の強い会社に入社したため、
惨めな目には会わなかったが、それでも、一日一日が変化の激しい体験の連続であった。まあ、それは40歳近くまで続いたが。
 研修が終わり、現場に配属された初日の事や、卒業式に出席する為に一度東京に帰ってきた2日間のこと。
(当時は卒業前の3月1日に仮入社するところがあった)悩んで、学生時代に通った禅寺に行ったことや、
神戸の日々のことなど、その時々の気持ちが書いてあった。
 スーパーの店頭での「瀬戸物の叩き売り」は、映画に出てくる「男はつらいよ」の寅さんの口上とほぼ同じである。
当時の関西のスーパーの肉屋や魚屋の職人には・・?それだけでない、スーパーの店員なんぞは下の下という風潮があった。
何が流通革命の旗手かと、ただただ驚きであった。 汚い寮に住んでいたとはいえ、学生時代のアカデミーな世界とは一変、
地獄の底に突き落とされたというのが、その時の偽ざる実感であった。もし、この文章を読み返さなかったら無意識で、
当時の記憶の消去を頑なにしていただろう。それだけあまり思い出したくない日々であった。誰もが入社したての頃はそうだろうが。
 書き残すということは非常に長い目でみても有益なことである。「猿人類と人間の差は魂を持っているかどうかの差である。
魂とは、言葉を持つことによって得ることが出来る。」という猿人類学者の言葉を、このような日記を読み返すと実感する。
言葉で書き残してなければ、当時の心の叫びは残ってない。おりおり、配属の日の日記とか、卒業式の光景、そして神戸の日々とか、
禅寺の一日を書き写してみるつもりだ。 ただし五日間のみにする。あまり当時を直視したくない。
心情を書き残すということは魂を書き残すことと実感する。 今このような日記を書けといっても書くことは出来ない。

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S5709事業百訓 
 ー1982年7月9日記(社内報)より
 何かの偶然で私自身全く貴重な経験をしてみた。 修業という事で、三重県のA社に勤め、考えるところがあり再び学校へ入り、
その後石川県のB社に再就職をし、
  ー以下は字数の関係でカットー2007年10月23日
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2003年10月23日(木)
932, ある旅行代理店の廃業
 ツアー大好き人間として、旅行代理店遍歴を多くしてきた。
ー以下は字数の関係でカットー2008年10月23日

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558, 仕事と性格形成
          - 2002年10月23日(水)
知らないうちに人間の考え方は、自分が実際に携わっている仕事に影響されているのを最近強く感じる。
私のような大商圏を相手にする仕事の場合、どうしても小商圏を相手に仕事をする人との考え方が正反対になる。
気が合う相手は大商圏の仕事や、大手相手の事業をしている人だ。 小商圏といえば、お互いの目を気にして「世間様」
を第一にしなくてはならない。お付き合いとかの人間関係の中から情報やビジネスチャンスを捉える事が重要となる。
大商圏を相手にしていると、逆にそれが邪魔になることが多い。 近目と遠目のちがいである。遠視になってしまい
近くのことが見えなくなる、逆に小商圏は近視的視点になってしまう。この違いの乖離が最近特に大きくなってきている。
最近それを指摘されるが、といって今更変えようとも思わない、また指摘する人は小商圏相手の仕事をしている人だ。 
もっともそのことすら理解できない人だ。数年前から間隔をおいているが、そうすると大部分の人になってしまう。
最小限の人とのいきちがいは仕方がないと割り切っている。 銀行も政府系や都銀との付き合いに傾く。
人間関係もどうしても地元でない人が多くなる。地元の人と一切付き合わないで済むから、地元では異様に思われているだろう。
大商圏的生き方として当然の事と受け止めている。特に父親はこの傾向が強かったモデルがいるから更にそれで良いと思ってしまう。
気が付いたら一人というと頑固爺の末路だろうが、その辺の変身は早い。 ある中国出身の作家がいっていた。
「地元で商売をするな、因縁がらみで何も見えなくなる。 他所なら全く関係なく、ビジネスとして割り切れるから。」
全くそのとおりである、ブラックジョーク以下の現象がビジネスで日常になってしまう。 地方の景気が最近悪いのは、
これに近い原因である事はいうまでもない。 情報化でグローバルの時代になってきた為だ。
これからの時代ますます大商圏的生き方の流れになる。 手前勝手か??

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[195] 宗教戦争ー6−  2001/10/23
 ーイスラム原理主義とはー
  ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違い

原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。
ややこしいのがイスラムが母体という事である。 モハメッドは一人考えた!
「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、預言者がいないからだ。
そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」と考えたのだろう。
まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。そんなもの、宗教とは。
宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いを解りやすく書いていた。
ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」
キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書」
イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン」
まずベースが旧約聖書である。  三宗教のうち、
・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が誕生した。
・ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。
 その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約にもとずいて
 神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。 したがってユダヤ教は本質的にー契約宗教です。
   ー以下は字数の関係でカットー 2007年10月23日

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