堀井On-Line
3112,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー5 |
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2009年10月12日(月)
初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、 あれよあれよのうちに成立しそうである。4~5年前とは180度違う様相になってきた。 アメリカの都合の良い基準に強制されて弱った会社を整理するのが金融庁の役割で、 徹底的に弱者切捨てを指導してきたのが、今度はこれである。 去年の9・15から、日本では恐慌が静かに深く浸透している。これを前提に考えないと、 この法案がアッサリと成立する流れになったことが理解できない。 だから、先々週の土曜日の亀井静香と、TV側の学者との認識の差になるのである。 輸出入ともマイナス40パーセント減は現在も続いているし、メーカーなどの現場は三分の一か、 良くて二分の一の稼動率は今も変わってない。政府が十数兆円の景気刺激をしても、現場サイドの声は 「何時まで続くか知れたもの。回復の兆しなど全くない」としか、聞こえてこない。 弁護士などから入ってくる話といえば、「来年の2~3月に、持ちこたえられない会社が一挙に崩壊する 可能性がある」である。 等々を考えると、これは亀井静香が強引に進めている法案というより、 「この対策をしないと、恐慌から大恐慌に移行する可能性がある」と捉えてよいのではないか。 また、これは地銀以下?の当面の救済にもつながる。それだけ日本経済は弱体化している。 特に地方は。 更に民主党が掲げて実行を始めるマニフェストで地方の公共事業のストップは、景気の落ち込みに拍車をかける。 自民、官僚、ゼネコンマフィアなどの構造汚職体質を破壊する反面、弾き出された失業者が増加する。 その直撃を受ける中小・零細企業に対しての受け皿の法案という面もある。 何度も書くが、2001年の9・11テロから右下がりになり、何とか輸出で持ちこたえていた日本経済も、 去年の9・15のリーマンショックで、大打撃。 何とか緊急の資本注入も、あと数ヶ月で力尽きようとしている。 それを今度は下から支えるのが、今度の法案である。 設備投資産業にとっては神風である。 当方は、それでも新潟駅前再開発があるので、法案が成立しなくとも何とか切り抜けられそうだが、 もし再開発が無かったら、この法案は神風になっていたはず。 最近のマスコミの論調も、この法案の慎重論が少なくなっている。 やっと、気がついたのか?
・・・・・・・・ 2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して 2008年10月12日(日)
商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。 これまで地元の名士様と群れるのをタブーにしてきたが、全て無料と、仙台が一極化で顧客を集めているのを ニュースで見ていたこともあり、有難い誘いと参加してきた。 時系列に日程と概要を書いてみると・・・ 28人乗りの中型観光バスで、総員17名で、まずは牛タンの専門店で昼飯を食べ、仙台の商工会議所に訪問。 仙台の実情を聞いた後に、駅周辺の繁華街を見て周り、一度ホテルに戻って、18時から宴会。 2時間飲んだあとは、30分ほど飲食ビル街を散策後、国分町のトアル店に入る。少し高級そうで 6千円位の店と思ったが、「うちは飲み放題で4500円よ!」と言われ安心して、ダブルの氷割りを5〜6杯を飲む。 客種は背広族のエライさんみたいな人たちばかり、二時間ほどいたが、一ゲンの客二人に最後までママが相手をしてくれた。 仙台の夜の雰囲気を味わってホテルに戻り、ベッドで熟睡。 翌日は一次会・二次会と飲んだ割りに二日酔いはない。 バスは運動量が多いからアルコールを吸収・消化しているのだろう。 翌朝は仙台駅から飛行場への直通アクセスの電車に乗る。20分あまりで便利でよい。 その後、一月前に出来たばかりのアウトレットの専門店が120軒集まっているSCへ行く。 あか抜けをしたセンスのよいSCである。 何気なくみている内に、ビジネス鞄と柄物のシャツを衝動買い。 鞄は6万円の半額だが、一目みて気に入って購入。 少し高そうなジャケットも買いそうになったが、止めた。 昼飯は昼飯代と貰った1000円で、マグロ丼を食べたが、丼の中身の半分がマグロの刺身でビックリ、中トロが多くて大満足。 帰りのバスでは、一番前の座席に座って缶ビールを三本飲んでしまった。 新潟に泊まろうと思ったが、 缶ビールのお陰で?里心がつき、真っ直ぐ帰る。 これが、今回のアラスジ。 土産など買ったことがないが、今回は、仙台の『萩の月』を買って帰る。 仙台は東北6県の首都化のため、土地が大きく値上がりしていることは聞いていたが、駅近くの商店街も、 周辺からの顧客で賑わっていた。 仙台の町内会の連合会の会長の鼻息に、なるほどと感心した。 しかし、バブルの反動と、いずこも同じ郊外の大型SCの影響は、いずくも同じである。 町内会の会合や、連合の寄り合いには参加したことがないので、旦那様的な雰囲気の中で、ただただ大人しく?していた。 一言一言が、私の常識からかけ離れた言葉の中、40年前の世界にタイムスリップした感覚。 それはそれで立派と感心してしまった。今回、iPhoneを持っていって、株の暴落をリアルタイムで知ることが出来、 ベンリなものだと再認識した。それより、頭は世界恐慌になるかどうかの瀬戸際、視察より、そのニュースが 気になった二日間であった。
・・・・・・・・・ 2007年10月12日(金) 2383, 私の嫌いな10の人びと −2 中島 義道 (著) ー読書日記 まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。 「世間の感受性に漠然と合わせて、無批判的に従っている人が嫌いで、自分の固有の特性に基づいて 考え抜き鍛え抜いているかが決め手」というが、哲学者じゃあるまいし、殆どの人間は目の前、生きることに精一杯のはず。 この哲学者にかかったら、世の中の大部分の人は嫌われる対象になる。しかし、その辺の「世間人」を見ると、そうだそうだ! と肯いてしまう。自分の弱さをしりつくしている我が身は、大多数の中で自分だけは違う! と心の奥で呟いているだけでしかない。 好き嫌いはその人の固有の問題だから気にすることはない。 ーー 私は本書では、むしろ大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。 それは、さしあたり物事をよく感じない人、よく考えない人と言うことができましょう。 「よく」とは自分固有の感受性をもって、自分固有の思考で、という意味であり、ですから世間の感受性に漠然と合わせている、 世間の考え方に無批判的に従っているような人は嫌いだということ。すぐさま反論が出そうですので、さらに説明しますと、 ・感受性において、思考において怠惰であって、勤勉でない人、 ・「そんなこと考えたこともない」とか「そういう感じ方もあるんですねえ」と言って平然としている人、 ・他人の感受性を漠然と自分と同じようなものと決め込んで、それに何の疑いももっていない人、 ・他人が何を望んでいるか正確に見きわめずに「こうだ」と思い込んでしまう人です。そのさい、その人の喋る言葉が鍵となる。 ・定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人。 ・自分の信念を正確に表現する労力を払わない人。 ・周囲から発せられるその時々のサインを尊重せず、自分の殻(安全地帯)の中に小さく閉じこもってしまう入。 ( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日) ・・・・・・・・・ 2006年10月12日(木) 2018、「私」のための現代思想 −10 「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。 そういえば自由は孤独の極みにあった。過去を振り返ってみて、孤独の極みのときに一人旅に出ていた。 そして結婚と同時に自由は狭まり、孤独(感)も激減した。互いに首輪をつけて紐を握られ、握ってしまったからだ。 「自由になりたい」というが、自由ほど厳しいものはない。自由にはまず「個の確立」が要求されるからだ。 <他者>了解不可能性というが、これは同時に<自己>了解不可能性になる。 「誰も自分を理解してくれない」と、悩んでいるとしたら、それは悩んでいること自体が、無知からきている。 もし誰かに「理解してもらっている」と思ったら、一時的な妄想を抱いているだけのこと。 いい歳をした男どもが、群れているのをみると気の毒になる。程度と比較の問題で、誰もが群れなければ生きてはいけない ことも事実・・ それも人生だが!孤独の人ほど、それが人間の自然の姿である。孤独とは、他者と一線を画すこと、 「自らの分」を他者と画すことである。 和して同ぜずの精神である。 和して同じたとき自由が狭まる。 −−− 第四章 「私」にとって「他者」とは何か−? ー孤独と自由ー 「存在する」が「存在者」という「かたち」をとることによって、何が発生するか、レヴィナスは「孤独」が発生すると言います。 「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知するのみです。 その境界の中で芯としての《私》に気づきます。 自分の外部が存在し、そこに<他者>が存在するのですが、それは<他者の了解不可能性」のよって推測されているに過ぎない。 このとき《私》は、入り口も窓も無い「閉ざされた部屋」の中にいることを知ります。 これがレヴィナスのいう「孤独」です。 その部屋の中で、《私》はいろいろな概念をつくります。 なに不自由なく暮らすことができます。 しかし、親も子供も、友人も恋人も、そこに「存在しているように」見えるのですが、それは単なる「映像」でしかありません。 彼らは全て<他者>であり、それは恐らく壁の向こうに側にあるだろうとしか思えません。 境界が発生することによって、「孤独」とともに「自由」が発生します。「存在する」ということを「液体である」 という状態にたとえるなら、そこには「自由」は存在しません。なぜなら、それは「全にして一」の存在であり、 動きは取れない状態。どのような場合に「自由」が存在するのでしょうか。それは境界によって他と仕切られた状態になった時です。 それは「孤独」の別名でもあります。その時《私》は居場所を決めることができるのです。つまり、自由とは「個別である」 を前提としているということです。このイメージは、「存在」という海の中で、結晶化した「存在者」が、 孤独に浮かんでいるというようなものです。 境界を「外側から」規定するのが<他者>であり、「内側から」規定するのが「超越確実言明」ということになる。 この境界の範囲が「自我の範囲」であり、それを内側から支える行動(言語行為)によって維持されています。 ー《私》による「境界」の維持ー 境界は《私》によって維持される必要があります。《私》は「正しい居場所」を求めてこの世界を移動しますが、 そのとき境界は、積極的に守られる必要があるということです。 それを達成するのが、ウィゲンシュタインの「超越確実性言明」です。 境界を「外側から」規定するのが<他者>であり、「内側から」規定するのが「超越確実性言明」になります。 ー<他者>了解不可能性ー ( 字数の関係上、カットします−2009年10月12日) ・・・・・・ 2005年10月12日(水) 1653, 北イタリア旅行記−4 字数の関係上、カットします−2007年10月12日 ・・・・・・・ 2004年10月12日(火) 1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2 11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。 ーー ・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。 ・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。 鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカやエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。 −−− 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。 ーーー ー「閑」のある生き方ー 著者 中野孝次 発行元 新潮社 2004年10月3日長岡中央図書館
・・・・・・ 003年10月12日(日) 921, アイスランド旅行記−1 ー2003年 10月4日〜10日 ーアイスランドという国とは ー 直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。 行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。 その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、 合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。 もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。 乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。 大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに 18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。 ・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。 ・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。 ・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテンが 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 人口の50?が漁業関係に従事している。 また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。 家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。 ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。 ・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。 ー何処かの国に似ている。 ・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。 ・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。 ・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。 ・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。 −続くー ・・・・・・・・ 547, 人生で一番よい時 - 2002年10月12日(土) 母から聞いた話である。 母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の 祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。 祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。 「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。 人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。 そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。 「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?
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2009年10月11日(日)
*「正座が趣味」は、言い得て妙である ある随想を読んでいたら「セイザが趣味」とあった。「セイザというと星座と思われるかも知れないが、 私のは正座である」という書き出しが良い。正座をしている人を見て、格好がよかったと思ったので、 正座に挑戦してみたところ、良かったので続けているうちに趣味と思えるようになったという。 海外旅行などで長時間、飛行機のエコノミーの席に座ってきた経験から言うと、座席にあわせ深く座り、 腰骨を立てて姿勢を正していた方が結局は疲れが少ない。 まあ人生の姿勢も同じであるが。 私は学生時代に合気道を経験したことと、両親が茶道を趣味としていたため、いつも自宅で茶道の会など、 両親の隣に座らされていたこともある。 もちろん、背骨を立て正座である。 葬式とか、法事で公式の席で座る機会が多いが、最近は途中から正座を崩すようになった。今度は、 どこまで正座に耐えられるかこころみることにしようか。 で、何年後かに「正座が趣味」と言ってみたいが。 〜〜 * 自民党総裁選の結果を総括する! 今さら自民党を取上げることもないが、谷垣を談合もどきで選出した愚を書いてみる。 恐らく、当たり前のことを当たり前に述べるのだから、ほぼ同じ内容が、よりシビアに政治評論家が切り捨てているはず。 しかし新聞にしろマスコミでバッサリと斬った内容を見てない。 ところで、その選挙、当て馬の何某は谷垣の反対票を 分散するための、「あの連中(自民党壊滅の戦犯)」が仕立てた役割以外の何ものでもない。 要は、河野太郎と谷垣との選択選挙だった。 そこで主張している内容は、河野太郎の方が一方的に筋が通っていた。 「森元首相など戦犯を追放し、民主党の大きな政府の対立軸として、小さな政府を目指す党にしなければ自民党は再生できない」 全く、そのとおりである。 それに対して、谷垣は「これまでの派閥の領袖や、森元首相など首相経験者の後ろ盾を背景に、 これまでの体制を維持しながら立て直そう」という。 誰の目にも真っ当なのはどちらかは判断できる。 小泉のアメリカ追随の新自由主義は行き過ぎだったが、といって自由競争はグローバルになった世界経済社会では 必要である。 また、アメリカと協調していくこともである。従って、民主党の方針をそのまま実行していけば 必ずや行き詰り、自滅するのは目に見えている。 その時を期して、今までの悪しき体質のヘドロ体質を思い切って 保守本流の自由主義を目指すのが筋である。 いずれにしても、二大政党としての対立軸は必要なのだから。 これで、官僚と自民党の守旧派は陰湿な手段で陰謀を仕掛けるだろうが、その辺の匂いは、自然と見えてくるもの。 そうこう考えると来年の参院で、更に惨敗の可能性がある。 その方が当面は良いのだろうが。
・・・・・・・・ 2746, 閑話小題 2008年10月11日(土)
*7日間で3000円の下落 株式が7日間で3000円の下落した。それにしてもテンポが速い!フリーターなどの弱い部分に直ぐ影響が出てくる。 その結果、暴発したした事件が続くことになる。昨日、大和生命が倒産したが、この数年間は倒産のニュースが続くだろう。 他人事ではないから・・・全ての会社、個人にとって、最善を尽くして結果を待つしかない。 歴史的な経済崩壊の日々を生生しいく記録するのも、後年のため良いだろうと思いつつ連日、同じようなことを書いている。 それにしても中越地震、中越沖地震と大きな事件を経験した直後に歴史的なアメリカ発、世界恐慌?を目の当たりにするとは。 それから発生する不安定が、さらに世界戦争レベルの事件を引き起こす可能性がある! 6年前の同日に、 奇しくも8200円割れになったことを書いていた。この後に7600円まで下げているが、当時と、どちらが厳しい状況だろうか? 株式も考えてみたら、共同幻想で成り立っている。それが崩壊してしまえば、下げは下げを呼ぶ。 *「仙台視察」の感想記 仙台は何度か行ってるが、町内の副会長に「一人ドタキャンが出たので、仙台視察のツアーに参加しないか」と誘われて、 参加してきた。仙台の町内会連合の偉いさんや、商工会議所の担当のレクチャで驚いたのは、東北六県の一極集中化からくる、 景気の良さと強気である。しかし、不動産バブルが崩壊直後という感があり、10年間は、その影響で苦しむことになるだろう。 三井不動産が開発したアウトレットのSCが、ナカナカ面白い。 まだオープンをして一ヶ月だが、大成功のようだ。 10月の16日に、やはり郊外に三菱が同じようなアウトレットのSCをオープンさせる。 これが大きく仙台駅周辺の商店街に影響を示すだろう。 何処も同じ様な現象である。
・・・・・・・・・ 2007年10月11日(木) 2382, 私の嫌いな10の人びと −1 「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著) ー読書日記 。っω-)..。oо○オハヨウ この本の要点は「『いい人』の鈍感さが我慢できない」に言い尽くしてある。なるほど、言いえて妙であるが、 『いい人』にも色いろある。中島の嫌う『いい人』というのは世間的な「いい人」である。 それに対し『良い人』とはカントのいう『良心』を持った人ということである。生活していると、積もり積もってゆく 世間の重圧がある。それらに押しつぶされている人達は、良心を足蹴りにしても世間的慣習を優先する。 笑顔を強制されたり、感謝を要求したり、善意を押し付けたり、前向きにさせたり、けじめを教えこんだり、 世間的「いい人」であらねばならないという脅迫観念に、全神経をすり減らしている。 この本の目次を、そのまま書いても、その「世間的いい人の型」が見えてくる。「何時も笑顔を絶やさないで、 感謝の気持ちを忘れないこと。そして周囲を喜ばせ、何ごとも前向きに、自分の仕事に誇りを持ち、けじめを大事にして、 喧嘩をする人がいたら宥めて、人の嫌がることは言わないようにして、卑下することなく、悔いないように生きていくこと、 それが人生の目指す姿である。」まあ、何処でもいる人格円満を演じている市会議員か、地方名士の仮面の姿である。 自分自身からして笑顔と感謝の心は心がけているし、前向きに生きようとしている。 更に、『人生に悔いなし』と自分の生き方を正当化しようとしている。 問題は、それが自分の生きてきた中で練られ、良心から出ているどうか、人格円満結構、それが仮面かどうかである。 仮面でも必要なこともあるが! (必要なら、ふりをしろ、ふりを!) エッ、そんなのいつもしているって! まずはー目次ーから・・・ 1 笑顔の絶えない人 2 常に感謝の気持ちを忘れない人 3 みんなの喜ぶ顔が見たい人 4 いつも前向きに生きている人 5 自分の仕事に「誇り」をもっている人 6 「けじめ」を大切にする人 7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人 8 物事をはっきり言わない人 9 「おれ、バカだから」と言う人 10「わが人生に悔いはない」と思っている人 ーーーー
この本のーみんなが喜ぶ顔が見たい人ーの中で、著者は夜回り先生の水谷氏に、まずは疑問を呈する。 水谷氏は、夜の世界で薬物、売春などでずたずたになっている若者に、昼の世界に行くことを勧める。まじめに学校へ行く、 働く、家族を大切にするというような昼の世界が幸福を与えてくれることを、水谷氏は信じているようだ。 しかし著者から見れば、それは当然のことではないという。 著者のもとにやって来る若者たちは、昼の世界に 幸福を見出していない人、愛されたことのない子供時代の絶望の体験を持つ人、仕事を失って家族を養うことができない 親の焦燥感を持ったことのある人、病気や障害を持った家族を持つ人、そして将来への不安を体験した人は、 平凡な幸福というものを、普通ということに「それじゃ、やはりつまらないんじゃないのかな」と呟いてしまう。 彼らは実はこの呟きから出発している。そのつまらなさを知った人に、それでは何も答えを出してないことになる。 中島は次のように述べている「私は自分の頭で考えることができず、自分を内省的に振り返ることもせず、 自分の生き方を人に押し付けるようなタイプの人間が嫌いだ」と。「悔いのない人生」に対しては、 両親の晩年を身近で暮らし看取って、人生を燃焼しきった後姿から得た生きかたである。 しかし目指すのは良いが、最後まで思わないことを言いたいのだろう。 次は、気になる「常に感謝の気持ちを忘れない人」を取上げてみる。 つづく w(´・з・`)バァイ ・・・・・・・・・ 2006年10月11日(水) 2017, 北朝鮮の核実験について 才八∋ウ_〆(∀`●)
「ついにきたか!」というのが、このニュースを聞いた時の実感である。 朝鮮半島の情勢が、そのままつづくとは思えなかったが・・・いざ動き始めると、日本にとって事態は深刻である。 「アメリカの空爆」か、「海上臨検」か、何が起きるか解らない事態である。 最後のカードの原爆を道具に国際社会を脅してきたから、中国・ロシアも隣国として黙っていられなくなった。 「北朝鮮に対する強行路線」を売りにしてきた阿部首相、早速その実行をせざるを得なくなり、かなり際どい場面が 出てくるのは必至。日本へのテロも考えられし、暴発の危険が大になった。これを区切りに日本海周辺は様変わり、 中東なみの事態になった。北朝鮮も土壇場まで追い詰められているのは周知の事実。アメリカがアフガンとイラクに エネルギーをとられ、イランの核開発の問題で攻撃をしてこないだろう踏んだのだろうが・・・ アメリカが、いや世界が黙っているはずもなく、最終の事態になる。それにしても韓国のノ・ムヒョンという大統領!、 ありゃ何?選んだ韓国民の現在のレベルーをそのまま現している。 韓国民も、よく大統領にしたものだ。 北朝鮮に対して『太陽政策』だと!、まったく。 これで韓国名物の軍事クーデターの可能性も出てきた。 5年前の9・11事件の事件の流れとして、アフガン・イラクに続いてアメリカにとって次の標的に 丁度よいタイミングである。ただ国力をあまりに消耗しすぎたのが大問題である。 今度は対岸の火事とは、いっていられない戦後60年来の初めての非常に深刻な事態である。 日が経つにつれて深刻度が増していくのは目に見えている。「やれるものなら、やってみな!」と、 言っていられないくなってきた。 モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~ ・・・・・・・・ 2005年10月11日(火) 1652, 北イタリア旅行記−3
昨日の午前、午後にかけてタイミングよくNHK総合で『世界遺産イタリア縦断1200?・総集編』を放映していた。 今回の旅行前(8月と9月)にBSで放送したものだが、行く前と行った後では、見る目も違ってくる。 今回行ったところではシエナと、チンクエレッテがあった。とにかく石の文化は残るからよい。 一度つくってしまえば、数百年も先祖代々住みつづけることができる。やはり、 日本とは歴史の深さからくる民度が圧倒的に違う。またイタリアも北と南との豊かさの格差が大きい。 ーフィレンツェー ルネッサンス発祥の地”フィレンツェ”。フィレンツェ歴史地区はフィレンツェの中心部であり、 ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されている。 歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されていて、ルネッサンスの芸術や文化を感じることができた。 イタリア統一後、短期間イタリア王国の首都がおかれていた。 (1865年-1871年)。 フィレンツェは長期にわたりメディチ家の支配下にあった。中世からルネサンス期にヨーロッパにおいて、 商業および金融の重要な中心地であり、文化の中心地域としても発達し、美術、建築の傑作が数多く残されている。 黄金期のミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品が残り、街全体が美術館のような佇まいになっている。
ーその幾つかの概要を書いてみる ・大聖堂 フィレンツェといえば、その象徴とも言える大聖堂である。別名「サンタ・マリア・デル・フィオレ(花の聖母寺院)」 と呼ばれ、白・緑・ピンクの色大理石を巧みに使った優美な外観を持つ。量感と均衡に満ちたイタリア独特の ゴシック建築である。着工は1296年カンピオによって始められ、その後ルネッサンスの建築家ブルネレスキが 14年の歳月をかけて大円蓋(クーポラ)を架け終ったのが1436年のことである(頂上のランタン部分は1461年に完成) 400段以上ある石の階段を上ったが、その屋上から見る中世を思わせる町並みの景観はすばらしい。 外側の3つの扉にはレリーフがほどこされている。その中の一つ東側の扉は、ギベルティが1425年〜1452年まで 27年かかって完成させた傑作で、50年後にミケランジェロが「天国の扉」と称えた程である。 ・ミケランジョロ広場 アルノ川南岸の小高い丘の上にあるミケランジェロ広場の夜景もよい。 ここからは、花の都フィレンツェがパノラマのように見渡せ、特にアルノ川とヴェッキオ橋が美しい。 中央にはミケランジェロの彫刻「ダヴィデ」のレプリカが置かれていた。 ・ウフィッツィ美術館 ( 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 ) 主な所蔵品として、 ーーーーー 2004年10月11日(月) 1287、「閑」のある生き方ー読書日記−1 そろそろ定年をむかえる団塊世代を意識した内容だ。現代人は忙しいが、忙しさに流されたままでは 充実した人生が送れない、その中にあって「閑」のある生活が、不可欠である。内なる自分を優先して 生きる為に、生活を単純化して、 自分の ハートを大事にして、自分の納得した生き方を勧めをしている。 著者は「風の良寛」「老年の愉しみ」「自分を生かす”気”の思想」を読んで、質素な老いの生き方に同調、 「老いの生き方」の準備の必要性を説いている。そこには多くの引用があった。 良寛の詩集であったり、吉田兼好の「徒然草」、加島祥造訳の「老子」の詩句、セネカの「人生の短さについて」、 尾崎一雄の「まぼろしの記・虫も樹も」、そしてローマ時代の「エピクテートス」の話があった。 40代を迎えた「甥っ子」に、老いに向ってどう生きていくべきか諭すカタチで進んでいく。 物の時代、消費する時代、金本位の時代、経済成長率のあるのが当たり前の時代、自己中心主義の時代の、 (いい大学、いい企業、出世、名誉を重んずる時代の)どっぷりと浸かった、「甥っ子」世代に対しての警鐘が 淡々とつづく。55歳を過ぎ、定年に近い団塊世代に対する書であり、彼らに定年後の生活に入る心構えを 作っておくべきと勧めている。老後の準備をしておくか、おかないかで、ーがっくりした悲しい末路になるか、 ー老年を自由の時として楽しめるかの、生き方に分かれるのだ。 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 ・・・・・・・ 2003年10月11日(土) 920, ある時間の断面ー41 11月18日 1968年 ・11時起床 15時過ぎまで試験の勉強をする。その後、試験のため大学へ行く。 試験終了後、学食で酒向と偶然会う。川崎君と三人で「嵯峨」で一杯飲み、その後パブ「エリート」へ行く。 そこで同級の雨宮と角田などに会う。 その後21時過ぎに帰寮。TVでボクシングの世界タイトルの西城戦がある。 大逆転で西城が勝つ。 面白い内容だった。その直後、寮内の揉め事の仲裁である。女性がらみの感情的なものだ。 仕方がないが、色いろ絡まっていてどうなっているのか解らない。佐藤も好きな彼女ができデートをしていながら、 まだ寮内の女性が忘れられないようだ。この辺になると複雑な感情になる。 出来ることはしなくてはならない、馬鹿馬鹿しいが。 ー2003 10月10日記ー 毎日も飽きもせず、35年前の日記を書いている。 ( 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 )
・・・・・・・ 546、株下がるー非常事態? - 2002年10月11日(金)
株価が一時だが8200円を割った。8500円までは下がるといっていたが、軽く割ってしまった。 今度は8000円を割り込むかのポイントになってきている。7500円を割る可能性もでてきた。 8000円を割るということは殆どいわれてなかった。「どうなるんでしょうか?」と聞いても、 誰も経験してないのでコメントのしようのないのが実情だろう。銀行に金を借りるとき、持合で その銀行株を持たされるケースが多い。痛むのが銀行だけでなく、持合の会社も足を引っ張られるのが多い。 数年前に地元のスーパーがそれで数億引っかかったことがある。 長銀だった? 今はすでに恐慌スパイラルに入っているのか?今朝のNHKニュースで、企業への銀行貸付の審査の 厳格化を更に徹底するといっていた。本当に悪いなら仕方がないが、こちらまで問題会社にされかねない。 小泉は半年か一年以内に頓挫する! 先日までは支持していたが、ここで評価は変わった。 政変が起きる、間違いなく!不況感が更に深った! マスコミが悲鳴をあげるように大不況を取り上げ出した。 今更という感もないが、どれにしても末期癌患者のモルヒネの量が足りないというレベルだ。 この十年の繰り返しの大合唱が始まった。現場レベルの生の声は本当に生々しい話が多い。 地元の会社の倒産や廃業ニュースや噂で、お前もかと呆れる。昨年の9・11以来、更に時代が変わったのに、 アメリカの株の暴落とイラク攻撃の切迫で、追い討ちをかけて不況感がましてきた。ワールドサッカーで 隠れていた部分が露骨に表面化してきた。さらに9月の半期決算の悪化の発表が近づいている。 政府も不良債権処理を本気で処理をしようと腰をあげてきた。死体の企業の処理に本格的に入るということである。 当方は売上は微弱、利益は10月で前年をクリアーする?たまたまプラス要素が幾つか重なっただけだ。
・・・・・ [181] テロの影響 2001/10/11 昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。 そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに目を通して、改めて戦慄をおぼえた。 ‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!やはり初め直感したとおり、9月11日以前と 以後といえる位の段差のある出来事だ。その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。 成田空港はガラガラ、昨日TVで相撲の元横綱の曙がハワイの観光地の宣伝をしていた。4割の客が減ったそうだ。 実際そんなものですんでないと思われる。実際古町にしても駅前の飲食店も、2~3割トの売り上げが減るだろう。 そうでもなくても死に掛けているのだから、本当に死活問題であろう。10日まえに古町にいったとき、 ほぼ毎日お茶引き(客が一人も来ないこと)で、廃業直前とある店のママが言っていた。 当ホテルの第二が飲食客の流れの宿泊が多いが、端的にその減少が見えてきた。 新幹線に警官の姿は年に2〜3日しか見なかったのが、数人車内の中を覗き見ている。 それにしても、あの国会議員の質疑内容のひどい事!日本が6000人殺されても、黙っていろというのか。 国連に提訴して、その判断に従えというのか!アメリカがその相手を探し出し殺してくれるというのか? あれが国会で議論されているー実際馬鹿馬鹿しく見てないが見なくとも解る! 国の態をなしてない!どうしてこうなったのだろう? アメリカの隷属国家に安住しているためだろう。 自民党と社会党(社民党)の今の姿がそのまま現状を表している。「文芸春秋」は内容があった。「現代」はひどい。
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2009年10月10日(土)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を 世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、 といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。 「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。 現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。 ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。 本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、 そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、 人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。 自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう 世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、 現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を 形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。 この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略) ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、 多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると 言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな 形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。 ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。 一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、 差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、 信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。 全知全能の神に頼らなければならないほど彼らは追い詰められていたのである。 数千年を経て現代では世界はキリスト教が、 なかでも特にアメリカが優勢をしめており、そして、もう一つの一神教、イスラムが劣勢ながら、アメリカに挑戦している といったところである。そして、多神款は一神教に押され気味であるが、一般に多神教徒は多神教徒であり続けたがっている。 多神教と一神数とが共存できる道はないものであろうかと。共存できると考えるのは多神教徒、一神教は、そうは思っていない。 ―― こんなところだが、人間は他愛のないもの。この程度の神に数千年も世界中が縛られているのだから!
・・・・・・・・・ 2745.サブプライム問題と「ファウスト」 −2 2008年10月10日(金) *メフィストフェレスのモデルはジョン・ロウ ゲーテが第二幕のこの場面で、「紙幣」の創造を語ったのは、単なる思い付きではなかった。 それは、「ファウスト」という作品そのものの制作動機と深くかかわっている。 つまり、「紙幣」の創造に象徴される「錬金術」こそが、この不滅の名作のテーマなのである。 南ドイツのフライブルクに近いシユタウフェンという町に、こんにちでも獅子亭という宿屋が残っている。 その外壁には「一五三九年、黒魔術師ファウスト博士、獅子亭に死す」という碑文が刻まれており、ゲーテの戯曲の主人公、 「ファウスト」は、この実在の黒魔術師がモデルだといわれている。「黒魔術」とはほかでもない、「錬金術」の別名である。 「火」、「土」、「水」、「空気」の四つの要素に、「哲学者の石」という「フィフス・エレメント(第五の要素が加われば、 「鉛」のような価値の低い金属を、「金」に変える魔法のカが生み出されるという「錬金術」の思想が誕生した古代エジプトでは、 「ケム」と呼ばれる黒い土が簸金術に用いられていた。 ゲーテは、ジョン・ロウをモデルにしていたのである。 ーまずは、ジョン・ロウたる人物を分かりやすく欠いてあるブログから抜粋してみるー 1715年に太陽王という異名をとったフランスのルイ14世が亡くなっています。この当時のフランスは、度重なる 戦争の影響で深刻な財政破綻に瀕していたのです。新しい王となったのはルイ15世ですが、わずか5歳の幼少であったため、 オルレアン公フィリップが摂政を行うことになったのです。 フィリップは遊び人で、たびたびパリのカジノに出没していたが、 そこでジョン・ローなるスコットランド人と知り合い意気投合。 このジョン・ローなる人物は大変の頭の良い男であり、とくに経済理論に通じていたのです。後に英国の新古典派の 経済学を代表するアルフレッド・マーシャルやあのカール・マルクスは、彼のことを次のように批評しています。 (以下、字数の関係でカット2008年10月11日) ・・・・・・・・ 2007年10月10日(水) 2381, 下流社会 第二章
産経新聞・土曜版の産経書房というコーナーの 「下流社会 第二章」 ーなぜ男は女に負けたのかーの書評が、面白い! 買って読むほどではないが? 前書の「下流社会」を読んでいたので、尚のこと面白い内容だった。 まずは、そこの部分をコピーしてみる。 ー「女性と国家にすがりたい!」が、下流社会の男の本音ー 「品格」の名のつくミリオンセラー2冊を当てこすったわけではありませんが、これが今の下流男性たちのホンネです。 その「心」を問う前に、そもそも下流とは何かについて、簡単におさらいしておきましょう。 格差論争に「火に油を注いだ」と著者自ら振り返る前著『下流社会』は80万部を記録し、ネットを中心に物議も醸しました。 一躍時代のキーワードとなった「下流」とは、単に所得が低いだけでなく、総じて人生への意欲が低く、 だらだら生へきている人たちを意味します。2年ぶりの続編となる本書は、前著で提案されたいくつかの仮説を検証すべく、 全国男性一万人対象の大規模アンケート調査を新たに実施、分析したものです。その結果、数々の意外な発見がありました。 ここで冒頭の一文に戻ると、彼らは今や「正社員には夢がない」と嘆息し、「妻にも年収3OO万円以上稼いでほしい」 と切望する一方で、強い政治家、強い日本を志向しているからなのか石原慎太郎都知事を支持し、「オリンピックや サッカー、ワールドカップで日本を心かすら応援する」というのです。すがられる側の女性はどうでしょうか? 著者の分析は既婚性/未婚、子あり/なし、正社員/非正社員など、さまざまな軸を用意して「女30歳の勝ちパターンはどれか?」 と虫の目で迫ります。すると.「未婚で非正社員で一人暮らし」が希望にあふれている。 つまり、会社と男性と親に束縛されない女性が幸せ」なのです。男女の意識は、かくまですれ違っているのです。 本書は、人生選択に、ビジネスに、政治改革に、多くのヒントが含まれています。 ーー 書評は以上だが、「女30歳の勝ちパターンはどれか?」と虫の目で迫った結果、「未婚で非正社員で一人暮らし」 が希望にあふれている。 つまり、会社と男性と親に束縛されない女性が幸せ」というから驚きである。 考えてみたら、それが当然なのかもしれない。ただし、心の中は別なのだろうが。 すぐ辞めていく若い社員を見ていると、実際のところ似たようなパターンが多い。 ただ、長い目で見たときに、それは不自然であり、何らかのカタチで自分に跳ね返ってくるのが解らないのだろう。 その基礎教養すら持ち得ない「ゆとり教育の落とし子」と見ると理解できる。競争社会では、一部の人を 除けば夫婦で働かなければ生活できない。そこで共働きというが、ゆとり教育で育った女性は、家庭、会社、 両親に束縛されたくない。それは解る、しかし、その先にあるのは、その誰にも相手にされない未来がある? その時は、やはりミスマッチの男はゴロゴロしているから、選りどりみどりか! オマチシマース.:☆。:ヾ(´Д`、) マタネ ! ・・・・・・・・・ 2006年10月10日(火) 2016, 「私」のための現代思想 −9 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス! *まずは第四章の内容を大まかに書いてみる この章では、「私」にとって「他者」とは何かを掘り下げている。 「他人」と「他者」の違いと、「他者」は「私」にとってどういう位置づけなのか? その意味と位置づけが、この章を読んでいると少しずつ解ってくる。「私」は<他者>の「声」の存在を通して 「境界」の存在を察知する。その境界の中で、芯としての《私》に気づきます。他者との境界が、 内なる《私》をつくっていく。他者は時間とともに変わり、消滅しても「境界」と、内なる《私》は残る。 この汝らとの境界が発生することによって、それまで未分化だった「私」は、明確な「形」をもつようになります。 これが《私》の発生です。《私》は、他者の「声」に触発されて発生する「私の核」である。それがいつの間にか、 私の境界を守るようになる。それが孤独を発生させ、「固別であること」の自由を得ることになる。 その《私》は「他者」を自分の都合の良いように認識する、その姿が「他人」となる。 「他人」の姿は、《私》が自分の物語のためにつくり上げた「他者」の像でしかないのか? そう考えると、全くその通りでしかない! ー以下は、要点を抜粋した内容であるー 第四章 「私」にとって「他者」とは何か −? この章では、私たちの存在の核である、《私》の成り立ちを明らかにすることによって、<私><身体>を 所有することを考えていく。他者と他人は異なる概念であるということに注意すること。 <他者>が、<私>によって認識されたとき、その認識された像を「他人」という。 ここでは、まず「<他者>とは何か」ということから考えはじめる。ところで、<物語>と<世界>を所有した人間は、 その物語を遂行する際や、世界認識において、<他者>と対立します。<社会>とは、異なる物語を生きる者たちの 集合体なので、そこに行き違いが発生する。行き違いを調整して同じものを目指そうとする必要がありません。 <他者>の了解不可能性を認識し、闘い、共振することを目指すだけで、<社会>を所有することができます。 <他者>の存在を想定することによって、<社会>を所有することができるのです。 ーレヴィナスの <他者>− (以下、字数の関係でカット2008年10月11日) モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~ ・・・・・・・・ 2005年10月10日(月) 1651, 北イタリア旅行記−2 ードロミテ渓谷ー
オーストリアと国境を接するドロミテ渓谷。アルプスの雄大な山々と奇峰の間の道をバスで通りながらみる光景は 感動の連続であった。オーストリアからの抜け道的な道路は、第一次、第二次大戦の時の軍事道路として開発され、 その後その景観の美しさから山岳リゾート地として知られるようになった。イメージとしてスイスに酷似しているが、 210?にわたる道路からみる景観は今回の旅行のハイライトであった。その中で、やはりボルドイ峠にみる カレッツァ湖の美しさが感動的であった。石灰岩の岩肌がむき出しのノコギリ状の山々が次から次と雄姿を現していた。 山と空は、その地域特性をそのまま露出して見せてくれる。観光初日で、既に感動のピークになってしまった。 山の美しさは、何故これほどまでに人の心をうつのだろう。カナダのロッキーが広大の大地を背景にした 山の美しさなら、ドロミテは奇景の山並みの間からみる美しさである。 ーべネツアー べネツア観光当日の雨は残念であった。この日が快晴ならば、この旅行は最高級の旅行の分類に入ったのだが。 ベニスが西暦800年から1800年までの1000年間も独立国していたことを、今回はじめて知った。 ローマ帝国と、トルコの間にあって、このような小国が独立を保てたのは奇跡に近い。海に突き出た島々に位置し、 攻めるには膨大な海軍力が要するからだ。海に突き出た島も入り組んだ細い川?が道路のようにあり、水上バスや 水上タクシーが移動手段として使われている。メイン道路が川で、側道が歩道になっているところが風情がある。 ベニスは日帰りではなく数日の間滞在してじっくりするところ。天候が良いという前提だが。 結局、自分が実際に目で見たことと、経験したことが自分を構成してしまう。 だから自分の壁は、経験と見聞を広げるしか乗り越えることができない。旅行は、そのことをよーく教えてくれる。 雨のベニスもすばらしいが、この日の雨はかえすがえす残念であった。 ー つづく ・・・・・・・・ 2004年10月10日(日) 1286, 内部告発ーもう一つの情報化
UFJが刑事告発をされたが、発覚は一本の電話だったという。「UFJ東京本部の3F会議室に、 金融庁に説明をしたものとは別に資料が隠されている」という電話が去年の10月9日に入った。 これがUFJ銀行を三菱東京銀行に統合されるまでに追い詰められる契機になった瞬間であった。 そこで金融庁の検査官が入って見たものが100個のダンボールの箱だった。これが内部の隠語で「やばファイル」である。 常務以下の三人の役員などが告発を受けたが、当時の社長や副社長や専務などが知らないはずがない。 早速、副社長宅が捜査に入られたが、それにしても恐ろしい事である。誰が電話をしたのか、そのあたりの事情を調べて いくと一冊の小説になる。いまはデジタルカメラや、カメラつき携帯電話がある。脱税で上げられるのは殆ど内部告発という。 数十年も前の話だが、私の知人の会社に税務局が入った。何と社長の自宅の隠し金庫に、税務暑の担当が直行したという。 私が、「おかしいと思わないのか、内部の告発だよ!」というと、ハタと考え込んでしまった。 そこは、家族しか知らない?はずだが。何か複雑な情念の凄さを感じ取った。 厳しい時代になったものだ。4大大手銀行が、内部告発の一本の電話であえなく消えてなくなるのだ。
・・・・・・・・ 2003年10月10日(金) ある時間の断片ー40 11月15日 1968年
・8時過ぎ学校へ出発。「人事管理」の授業に出席。終了後。先生と顔を合わせるが、緊張をしてしまった。 自分に自信がないためか。全て見抜かれているようだ。授業終了後、高木の車で寮近くまで送ってもらう。 再び、ゼミに出席のため、大学にいく。15時から17時まで教授と同期の3人と「東レの派遣学生」4人と 議論をする。特に田島が教授に対して好戦的な議論を仕掛ける。大した神経の持ち主である。そして自信も凄い。 その後、田島と二人で学食で夕食後喫茶店へいく。カナダに行きたいといっていたが断念をしたと告白した。 その理由を話した。 ・カナダの叔父さんから手紙で、甘さを指摘された。 ・母から家庭に事情で行かないで欲しいと哀願された。 ・アルバイトをしていて、世間の事情がわかってきたこと ・兄夫婦を見ていて、実直に生きる必要性を感じた ・遠くを見つめすぎた、夢のようなことばかり言っていられない等々理由を挙げた。20時過ぎに帰寮。22時から机に向かう。 ー11月16日 1968年 ・朝10時半起床。大学の書籍部へ行く。どういうわけか今日は誰も会わずじまいだ。こういう日もあるのだ。 (以下、字数の関係でカット2008年10月11日) ・・・・・・ 545, 物書きの凄み - 2002年10月10日(木)
このホームページで素人レベルで毎日文章を書いているが、プロは凄いとつくづく思う。 毎日文章を書いているから、それが解るだけの話しだ。作家の椎名誠が週刊文春に、「赤マント」という連載を書いている。 5年位前に、たまたま買った内容にただただ驚いた。「新宿駅で、お腹がおかしくなり、トイレに駆けこもうとしたが、 間に合わなかった具体的な事情」を詳しく書いているのだ。誰もが「あわや!」ということがあるはずだ。 「くそったれ」「クソ!」というとおり、日本人の一番の恥でもある。「デモノ・ハレモノー出物、腫物ところ嫌わず」 というが、これは「大便、生理」の掛け合わせの言葉だということが最近解った。アメリカのクソという同意語は 「ファック」だ。海外旅行の心配は、これが最大の事だが。誰もが過去に失敗の一つや二つや危機一髪はある筈である? それをネタにして、読者をひきつける凄みはやはりプロでしか出来ない。 その後の「赤マント」に、この文章が大反響を したと書いていた。瀬戸内寂聴が「作家は大通りの真ん中で、素っ裸で大文字で寝ているようなもの」と書いていたが、 その凄みを垣間見た思いだった!露悪趣味と捉えるか、人間的側面の原点の表現と見るかだ。 私など偽悪趣味でしかない??!!偽善もあるが!
・・・・・・・・・ 179、創造について-2 2001/10/10
創造とは‘カタチ’ にすることである。言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると ・‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり ・‘カタ’は −型,形ー 枠組みにする、 システムを作るということになる。 ( アイデアの実現の計画化ともいえる)田は字のとうり枠組みであり、‘か’と‘た’をつけて形になる。 ・‘カタチ’ −カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。 創造について、システム工学の城功氏の本に書いてあった内容であった。 なるほどと唸ったものである。これはアイデアが出た後、これを実現化していく内容を簡便に分解したもので、 非常にわかりやすい内容であった。カレーライスを例に取ると、急にカレーが食べたくなったとする。 これがカである。冷蔵庫の材料を頭に浮かべ、スーパーにいって足りない食材を買い、仕込む、これが形作りである。 そして煮込むこれが血である。これが国作りでも、会社でも、ビルでもみな一緒である。 かー>かたー>かたちー>これを知らないうちに何らかの形でしている。もちろんこの文章も、そうである。 まずはテーマ次に枠組みを考え、時間をかけて修正、そして一挙に書き上げである。
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2009年10月09日(金)
* 村上龍のカンブリア宮殿 以前にサエゼリアについて書いたことがあるが、大不況の中で最近、再び注目を浴びている。 テレビ東京に「カンブリア宮殿」という村上龍がメインナビゲーターの番組がある。それぞれの会社のトップを インタビューをしながら、成功の秘密を探る番組である。先日、珍しく家内が自主的に録画をしてくれた番組を見た。 私たちは「サエゼリア」のファンである。 家から100mにあるのが最大の魅力だが、兎に角安い。 同じSC内にあるスーパー原信の惣菜よりやすい感がする。それと、高校生からファミリーや私たちの年代まで 気楽に入れる雰囲気が良い。 しかし、そのサエゼリアを褒めると、次男や会社の副支配人は顔をしかめてしまう。 「あんな女、子供の屯している煩い店。それに料理は美味くも不味くもない味。イタ飯なら個人店の少し高い店がよい」云々。 「世界中の美味しいものを食べつくして、好きというのだから、そこを斟酌しろよ」といっても、思い込みは変わらない。 「美味いものは、癖がある」ので、時たま食事に行くには良いが、度々ならば、あまり美味くない方がよい。 食べたことを直ぐに忘れてしまう程度がよいのである。まあ、趣味の問題。 ところで、何時も気になっていたのが、 そのシステム。 特に厨房内である。 この番組で紹介していたが、あれだけの客席の厨房に店員が一人には驚いた。 サエゼリアの社長の話していることは、ペガサスの渥美俊一のオウムカエシだが、忠実に実行しているところが凄い。 ーTV東京の番組紹介から ー イタリア料理専門店のファミリーレストラン・サイゼリヤは「安さと美味さ」で勝負。創業以来右肩上がりで 売上849億円を叩きだす。しかも、この飲食不況でも全く影響を受けない。42年前、街の小さな洋食屋から スタートしたサイゼリヤが、今や800店ほどのチェーンストアの巨大企業に成長。 その秘密を追う。 スタジオのゲストは創業者で現在サイゼリヤ会長の正垣泰彦。正垣は大学で理論物理学を専攻。 大学4年生の時、 起業したが、客はさっぱり来ない。そこで質は落とさずに定価の7割引をしたところ、今度は大繁盛。 その時、サイゼリヤの経営哲学である「安くて美味しければ客は来る」ことを確信した。 同時に、フードサービス業を水商売ではなく、しっかりとした産業に育てて社員を幸せにすることを目指した。 そのためにはじめたのが徹底的に無駄を省く生産性重視の経営。しかも、理数系の正垣らしく合理的なデータ分析を重視。 その現実を、レストランと自社工場、自社農場で見ていく。レストランの厨房には何と、包丁がない。フライパンもない。 しかも店員ひとりで調理している。究極の人件費削減。その訳は、食材が自社工場ですべて加工されていたのだ。 その神奈川県にある工場では毎日、東関東580店舗分の食材11j;:\重油・イオl。ムがあった。 正垣は「サイゼリヤは農場・工場・レストランが一体となった生産工場だ」と言う。 その徹底した効率重視の経営には低賃金のフードサービス業の現実への憤りがあった。 正垣は「社員が一生、家族を養っていけるだけの給料を払い続けられる会社にしたい」という。 本社の会長室には、正垣の母が贈った言葉が飾ってある。それは「驕らず、謙遜に生きよ」というメッセージ。 そこに「サイゼリヤに関わる人すべてが幸せに」という正垣の原点が見える。 ≪ゲストプロフィール≫ サイゼリヤ会長 正垣泰彦 1946年 兵庫県生れ。 1964年 東京理科大学物理学科入学 1967年 大学4年生の時、洋食店「サイゼリヤ」を開く 1973年 多店舗化を視野に法人化、株式会社サイゼリヤを創業 1997年 フードサービスの産業化を目指し、食品工場を設立 2000年 福島県に自社農場を設立 現在、国内799店舗、海外46店舗を展開 〜〜 ニトリ、ユニクロ、100円ショップ、サエゼリア、そしてネットショップのアマゾンの中古本販売システム。 この、どれもこれも、機能や素材のトレードオフ、工場の海外委託、中間流通のオフで破格の価格破壊をしている。 上記のことは私の人生の力=創造の分野で、やりたかったことばかり。 といって、それはそれと諦念しているが。 ・・・・・ 2003/04/28 サエゼリアで思うこと
サエゼリアのことは、よく事例として書くが更に書く。先日の新聞でスパゲッテーを何割か値下げを発表した。 290円ラインのスパゲッテの新商品も新たに加えていた。少し工夫すれば夕食を二人で千円で済むことになる。 ドリアにスパゲッテーにミニサラダにグラスワインで千円である。さすがである。
ー以下の文章は数ヶ月前に書いてそのままペンデングしておいた内容である。 イタ飯レストランのサエゼリアのニュースが出ていた。前年の9〜12月の既存店の売り上げが マイナス14�という。それでもこの三年間で450店の出店をして1000店に持っていくという。 豪州にその為の工場を作って完成したと日経新聞に書いてあった。 この店には自宅の至近距離にあって、月に1〜2度は行く。スーパーの弁当と同じか安いのには驚く。 そして行く度に値段が下がっている。量も減らしているが、不味くはないのが良い。 1千店になった時に規模のメリットがさらに出てくるだろう。 殆どの商品がセントラルキッチンから半製品になって店に送られてくる。 あれだけの席のホールをアルバイトと思しき若い子が1〜2人でこなしている。 忙しくなると中の人が飛び出してきて、ホールを手伝うのも合理的だ。 品出しをした後、必ず食べ終わった食器を下げるのもこの店の特徴である。 考えてしまうのは、このような勝ち組で業態がしっかりしている店が14�の売り上げダウンという事だ。 実勢として15〜20�のダウンが今の日本の消費の実態ではないだろうか。 北海道出身の家具のニトリも定点観測で数ヶ月に一度は見に行くが、行く度に安い商品に重点が移っている。 応接セットのイスと机もばら売りに切り替えている。それだけ厳しくなっていると考えてよい。
ー以上が数ヶ月前の文章だが、それからやはり手を打って客単価を下げてきたのだ。たまたま至近距離にあるので、 定点観測をしやすいので注目しているが、居酒屋も含めて飲食チェーンで一番お値打ちを感じる。 最近はチェーン店以外に入ると、いつも失望して店を出てくることが多い! ・・・・・・・・・
2744, 劇的な毎日が刺激的だが、凄惨な日々が待つ? 2008年10月09日(木) *東証が1万円割れ、NY株も一万ドル割れ
株式がジワジワ下げてきたが、二日前に日米ともに一万割れになり、現在は9200円近くに下がり続けている。 次は前回の下げの7600円が目安になる。 状況からいえば4000円でも不思議でない。10月中は一万台は持つだろうと 思っていたので、驚きである。9月15日から始った金融恐慌の波は日ごと大きくなってきている。 東証株価は去年の同時期からみると45%の株価の下げになる。企業も、個人投資家にとっても大きな痛手になる。 ホテルは景気に直接影響を受ける商売。小団体が何組か入っているので現在のところは数字は出来ているが、 それを除くとマイナスである。駅前の飲食街も、このところ立て続けに長岡の飲み屋街に行っているが、 どこもホボ客は皆無。深刻をとおりこした状態である。 事業所のある新潟駅周辺の飲食街も殆ど歩いていない状態! なるほど、これが恐慌前夜の状況かと・・心の底ではアメリカの金融崩壊に拍手を送りたいが他人事でないのが米国属国の悲哀。 まずは欧州に飛び火をして大きな影響を出ているようだが本格的な危機は、これからである。 あのGMの倒産確率が95%、そして次の金融機関のターゲットはシティー・バンクだが、最近のニュースでは バンカメの株が26%暴落し$23になっており、一気に経営危機が表面化し、近々に$20を割り込み、$10をも 割り込む暴落状態の可能性があるという。もし、シティーとバンカメが消滅したら、世界は最大級のパニックになる。 ソ連の崩壊を目の当たりにして驚いたが、今度はアメリカの崩壊過程を連日目にしているのである。 色いろのブログの中の生々しいレポートによると、アメリカはパニックで金融恐慌の話題一色という。 一ヶ月も経ってないのに、連日飽きもせず金融危機のニュースが飛び込んでくる。 それが日ごと深刻な内容になる。十月から十一月にかけて、更に大荒れになるだろうが、金融危機は、我われの生活に 直接に影響してくるから深刻である。現在進行中の一連の出来事は、私が生を受けて最大の事件である。 家内がTVで誰かが『日本は破滅だ〜』と言っていたとか、NHKのニュースで急遽上場を延期した会社社長が、 「台風と、サイクロンと、大地震が一度に襲ってきたような状況の中で不安で延期するのが当然のこと」 と言っていたが・・・・ 恐ろしいことは、アメリカの大統領選挙でアメリカの頭脳が麻痺していることだ。 大統領の交代時期が来年の一月というから、一番重要な時期に手を打つべきことが最小になることだ。 現在の日本にも同じことがいえる。 それでも十数年間にわたり金融に関しては合理化をしてきたので 金融バブルは最小だったようだが? 恐慌は数年間で大小の会社の半分は消滅するというから、 せめて自分のところだけは生き延びないと! サバイバルの世界に入ったということだ。 イラクは早々にアメリカ軍は撤退だろうし、北朝鮮も金が回らなくなって政変間近になったし、中国も荒れるだろう。 恐慌は国際間の緊張を呼び込み世界戦争への道を作っていく作用がある。 恐ろしい状況である。
・・・・・・・・・ 2007年10月09日(火) 2380, ハンモックのある生活 才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪ 「ハンモックを二つ買った」ということは、他のコーナーで写真付で書いた。 一つは2Fの居間の隣のベランダ用に、一つは室内用のハンモック・チェアーである。 この三連休、非常に有効に使っていた。このハンモックの脚に古い靴下を履かせ、本を読む時、TVを見る時と、 居間の中を気楽に移動できるようにした。その為、居間がこれ一台で様変わり、もう数年もあったかのように鎮座している。 我々は座っている時、寝ている時、身体にベッドや椅子の接触面に重圧がかかる。 そして、それが当然のことと思い込んでいる。寝ている時に何度も寝返りをうつのは、それに耐えられないからである。 ところがハンモックは、その接触面が網のため重圧が最小になる。 さらにブランコのように揺れる。 それが不思議な感覚になるのである。 その妙な経験すれば、その浮遊感の虜になるだろう。 コンパクト・ハンモックは、 「網で出来た揺れるベッド」ハンモック・チェアーは「網のブランコ」という感覚であり、網が身体を包み込む感覚と浮遊感が、 異次元世界の入った気分にさせてくれる。ハンモックといえば、木と木の間に網を吊るして寝るもので、 日常の生活とは無関係の存在であったが、吊るす木の替わりに鉄パイプを組み立てて(コンパクトにすることで) 何処にでも設置したのは知恵の産物である。家内は新しいものを拒否するタイプ、当然居間の中に異物が入ったため、 この事態をどのように判断してよいのか、戸惑っているようだ。常に一週間は文句をいって、その後は黙する。 Xチェアーのデザインが居間とフィットしているので、時間の経過で、その拒否反応は解決するはずだ。 ますます、カウチポテト族か 馬鹿になる!いまさらか。 (参考のために、コンパクト・ハンモック=5000円、Xチェアー=16800円。税送料込み) ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ フウ〜 ・・・・・・・・・ 2006年10月09日(月) 2015, ゴミ少女 −2 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ この写真とゴミ少女に対して論議を呼びおこし、多くの意見が寄せられたという。そんな中に写真家は、 ある日一通の気になるメールを受け取った。25歳の元・ゴミ少女からで、読んでいても説得力がある。 その彼女にあって藤原新也はインタビューするのだが、彼女たちの心の深層を見事に浮かび上がらせていた。 ーまずは彼女のメールの内容であるー 私は、吉野さやか(仮名)といいます。25歳です。サイトで貴方の原稿を拝見しました。 で何かいいたくて打っています。私は彼女たちと地続きの人間です。 地べたに座っているときは、無敵でした。毎日、楽しくなさそうに働いている大人を馬鹿にしていました。 ギャルはギャルでないすべての者を見下しています。そうすることでしか、自分の存在意義を見出せないからです。 「ゴミ化」という言葉を使われていましたね。当初、藤原さんに否定されたと落ち込みました。
ーその中で幾つかを抜粋してみるー (字数の関係でカット09年10月9日) ・・・・・・・・ 2005年10月09日(日) 1650, 北イタリア旅行記−1
9月30日〜10月8日まで北イタリアのツアーに行ってきた。 ミラノ、ドロミテ街道、べニス、ピサ、フィレンツェ、 シエナ、チンクエテッレ、サンタマルガリーリグレなどである。何回にかけて書くが、今日は総括の感想を書いてみる。 実質、7日間の滞在中2日、雨になった。ドロミテの二日目と、ベニスの観光の日である。 特にベニスは期待していただけに残念であった。山や海は、荒れたら悲惨である。 ベニスはもし快晴であったら、すばらしいはずである。土砂降りでも、あれだけよいのだから。 イタリアは世界遺産の宝庫といわれ、39ヶ所もあり世界最多を誇っている。3千年の時が遺跡という形で、 そのまま残こっている。いかにローマ帝國が偉大なものであったか現在でも巨大な遺跡建造物から窺い知ることができる。 今回は遺跡は殆どみることはなかったが。オーストリアと国境を接するドロミテは峻険な山々の間を・・・ また美しいリビエラ海岸のチンクエレッテは・・・ これは明日書くので止めておきます。 それにしても、イタリア男は女性を見ると誰もかしこも、直ぐに口説きにはいるには驚いてしまった。 女性の添乗員が、『イタリア男は、誰もかしこも女性とみれば口説きに入ります。 それは年齢とか、美貌に関係ありません。充分に気をつけてください。それがマナーと思っているようです。 イタリア男は、そのことしか考えていません』と言っていたが、なるほどその通りであった。 このところスイス、オーストリア、北イタリアと欧州が続いたが文明国は、このあたりで当分やめて秘境に切り替えである。 一年以上も海外に出なかったのは20数年来であるが、海外旅行はストレスの解消になる。 ー つづく ・・・・・・・・ 2004年10月09日(土) 1285, 「北朝鮮人権法」 先日、何気なくニュースを見ていたら、アメリカで中国・北朝鮮に厳しい 「北朝鮮人権法」が法案が可決、今後アメリカの政策はそれに従うという。 (以下、字数制限のためカット 09年10月9日) ・・・・・・・ 2003年10月09日(木) ある時間の断片ー39
11月13日 水曜日 1968年 8時起床。9時に友愛バザーの手伝いで文京区役所に行くが、実際は10時であった。 一時間近くを散歩をして時間を潰す。売り始めたが、さっぱり売れない。 仕方がないので寮の駒村を呼び出す。彼が来てから、俄然と売れ出す。 という事は私に問題があったからだ。如何して売れないかを考えなかったからだ。 16時に帰寮、20時から26時までゼミの予習をして就寝。 11月14日 ・9時起床。 9時半に大学に出発。 到着後、掲示板を見ていると川崎とバッタリと会う。 学生証を忘れてきたので、丁度良いので借りて学食で食事。 図書館に行くと雨宮君がいる。一時間近く話す。彼も面白い人間だ。去年新潟の自宅に二泊していった男だ。 典型的な都会っ子だ。進路を迷っているようだ。昼飯を川崎と食べる。その時、川崎に私の毒舌を指摘される。 彼に対して「隙と甘え」があったようだ。「価格理論」の授業に出席後、石川譲治と「ウエスト・サイド」 へいく。彼はいま私と感情のもつれがあり上手くいってない。かなり混乱しているようだ。 少し覚せい剤を飲んでいて、時々おかしなことをいうが。彼からは多くのことを教えられた。
・・・・・・ 544, 「シャムネコという店」 - 2002年10月09日(水)
10年前にある不動産を買った時のオ-ナーに紹介された店に「シャムネコ」という店がある。 一年に1〜2回位行っている店で、知人などを新潟の古町に案内する時に連れて行くと喜ばれる店だ。 一昨日に一年ぶりに行ってきた。この店の特性が面白いのだ。 ・シャム猫が3匹いて、この猫が接客をする。この三匹に序列があり、社長、専務、常務と言われている。ママは従業員という。 ・店に入ると社長が挨拶に来て接客をする。自分の役割を知っているのが面白い。帰る時は必ず外のエレベーターまで見送る。 ・つまみ等を口に持っていっても絶対に食べない。 ・社長が疲れると専務が交代に出てくる、そして常務が最後に出てくる。序列が出来るまで、死闘がおこなわれたという。 ・その店のいま一つの特性は整理をしない店の雰囲気を売っている。 雑然としているのだ。10〜15年前のビデオテープが 置いてあったりする。阪神の掛布のテープがあったりして見れる。夏なのにコタツがそのままあったりする。 ・とにかくそこに行くと休まる。自然体の不思議な雰囲気の店である。今はないが、ドアに一見お断りの張り紙があって、 紹介される前に前を通り「変な店がある」という記憶がある。 その時は恐ろしくて入らなかったが。 ・15〜6席あるカウンターが5〜6人も座れないほど昔の変なもので溢れている。 計算ずくで逆転の発想で売っている店である。一年に一二度行くに良い店だ。
・・・・・・・・・ [180] 創造ー1(心観学術態) 2001/10/09
会社を作るときまずは 1、理念、 2、何をやるか 3、何をモデルとするか 4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、の手順を踏む。 別の例をとれば医者の例がある。医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、 そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。 そして勉強をするーこれが学である。そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターになり、 学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。そして医者になるこれが態である。 ・心ー目的、中心点、目指すところ。 (芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深 ・観ー観点、視点 (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・ ・学ーその視点から学ぶ (楽・学・愕 ・術ー学んだ結果身につく、熟練する (術 ・態ーそれがカタチとしてみえている (態・体・諦 心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。 ・ 心ー会社の理念、個人の信念、国の国是−ー芯というところか! ・ 観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に手をだして妊娠させてしまった。 帰りのの電車から、20数件の産婦人科のネオンが見えたという) たとえが悪いが、解りやすい! ・学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。 ・術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化 ・態ーカタチ 逆もある。業態−現象から学・観・心を観ていく
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2009年10月08日(木)
「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著 ー読書日記 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。 国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、 利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、 為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、 1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。 しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない限りは 大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債の発行は 無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。 郵政自由化を日本に迫り、強引に 小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。 現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが 親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》 2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。 *資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、 家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円 資産合計 5515兆 *負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、 家計=375兆、民間非営利団体=17兆円 負債合計 5272兆 *純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、 家計の純資産=1058兆、民間非=35兆 純資産合計243兆 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。 それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、 これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。 しかし純資産は200万しかない。 世界の一時期の株価の総額に近いとみると、少し多いように感じる。 そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、 アメリカの属国という事態から脱却しなければならない時期に来ている。 これをもって、日本は豊かで国家の力量が あるとは言えない。 中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。 アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という世界共通言語がある。永久国債しかないのか?
・・・・・・・・・・ 2743, サブプライム問題と「ファウスト」 −1 2008年10月08日(水) 「資本主義は嫌いですか」―それでもマネーは世界を動かすー 竹森 俊平 (著)
現在進行中のサブプライム問題、何処かで聞いたような感じをしていたが、この本で、気がついた。 ゲーテの「ファースト」の場面の悪魔の囁きー提案と瓜二つなのである。 アメリカは「ただの紙切れ」を刷って、世界中にばら撒いていたのである。 ドルや国債だけで事足りず、毒入り饅頭を売っていたのである。 恐ろしいほど酷似した次の場面、サブプライム問題をキッカケとした恐慌とセットに歴史に残るだろう。 *ゲーテ「ファウスト」の狙い P-151 「バブルの勢いに乗った世界経済の急成長」に対する弔辞(オビチュアリー)を捧げよう。 それについては、世界的な文豪に登場してもらって、その名文で結びたいと思う。 第一部は、「ペテン師か、天才か」いまでも議論が分かれているミシシッピー・バブルの仕掛け人、ジョン・ロウから話が始まった。 実は、ロウには、大経済学者ヨゼフ・シュンペーター以外にも、有名人のファンがいる。ほかでもない。 ドイツのワイマール公国枢密顧問官としてその行政に長年にわたって携わり、科学、経済、法律など学問全般に無類の博識を誇った ドイッの文豪ヨハン・ヴオルフガング・ゲーテ(一七四九-一八三二)である。 ゲーテが晩年に書いた戯曲「ファウスト」は、代表作として知られている。 あらすじを簡単に説明すると、老齢に達した学者ファウストは、悪魔メフィストフェレスとの間で、魂をかけた賭けをする。 もしファウストが「時よ、とどまれ、お前はじつに美しい」という言葉を口にしたなら、ファウストはその瞬間に魂を失うという賭け。 メフィストは、さまざまな崇高な瞬間をファウストに味わわせて、ファウストの口からこの言葉を引き出そうとする。 ファウストはいかに甘美な体験にも、この言葉を口にするほどの陶酔は許されない。 ーー 第二幕の冒頭で.二人はひとつの王国を訪れる。その王国の財政は、ルイ一四世治下のフランスと同様に完全に破綻している。 「帝国の金庫は空っぼ」で、「寝床の枕も担保に入っている」という状態である。皇帝を囲んで、宰相、大蔵卿などお歴々が 国の行く末を思い悩み、嘆き悲しんでいるところに、道化に化けたメフィストがひょっこり現れて、 王国の財政問題を一気に解決する妙案を持ちかける。 身動きの取れない状態に追い込まれていた皇帝やその臣下たちは、 メフィストのような悪魔の怪しげな提案にも乗らざるを得ない。しかしさすがは悪魔。彼の力で、この国の財政問題は解決する。 それは少し後の場面である。宰相が出てきて、その「良いニュース」を告げる。 (宰想)この歳になって、こんなよろこびを味わうとは思ってもみませんでした。 ごらんください。すべての災いを福に転じた幸福の文章であります。 「知りたいと望むすべての者に告げる。この紙片は干クローネの価値がある。 皇帝領内に埋もれた無尽蔵の宝が保障する。直ぐにでも掘り出して兌換に当てる用意がある」 (皇帝)途方もないイカサマだ! だれが皇帝の著名をした? 罰しないでおくものか! (大蔵卿)お忘れですか?その手で著名なさいました。皇帝自身がイカサマと思うような政策。皇帝領内に埋もた(?) 無尽蔵の(?)宝(?)により保障することによって、「ただの紙切れ」を貨幣として流通させるという途方もない考えが、 この国の財政立て直しのためにメフィストがひねり出した妙案だった。しかし、このことによってこの国の財政は 見事に立ち直る。しかも立ち直ったのは、財政だけではなかった。「過剰流動性」の力で、沈滞に喘いでいたこの国の経済は、 みるみるうちに息を吹き返してきたのである。 このケインズ経済学的処方箋の効能を、ゲーテは「大蔵卿」の口を通じてこう語らせる。 (大蔵卿) さっそく署名をいただきましたので、昨夜のうちに彫り師に刻ませ、どっさり刷り上げたのに印を捺しました。 ほかに十クローネ。三十クローネ。五十クローネ。百クローネの紙幣にいたしました。国をあげて喜びにむせんでおります。 町をごらんください。ひっそり死んであったようなのが生き返り、わき返っています。 −− 以上だが、皇帝がアメリカ大統領のブッシュか、メフィストはアメリカを支配しているユダヤ資本家か、はたまた ロスチャイルドか?しかし、最後は、それ故に自壊していく姿は、喜劇になる。いや、壮大な悲劇である。
・・・・・・・・・・ 2007年10月08日(月) 2379, 人は60歳で何をしたか −5 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 「人は60歳で何をしたか」 藤原治・著 まずはー大江健三郎『燃えあがる緑の木』ーから、印象的な部分を抜粋してみる。 ここでは、 大江健三郎の魂に対するイメージを鮮明に言葉にしている。「亡くなった人が、生まれる前から割り当てられていた、 森の樹木の根っこに戻っていく」 自分の両親は、どの木に戻っていったのだろうか?もし両親に、「この木と思う!」 と言われていたとしたら、 墓より意味は深いはずである。「自分の木を見つけておきなさい!」という言葉にハッとした ことがあったが・・ 今度は本気になって、自分の木を探すことにした。知人の別荘?に大きな大きな藤の木がある。 多くの花が咲いた写真を見せてもらったが、祖先が集って咲いているのだろう。 そして、そこの根元に自分たち家族も行くと思うと心が安らぐはずだ。そこには会いたくない人もいるのかもしれない?が・・ 多くの先祖が集っていると思いながら手入れをすれば、楽しいだろう! 自宅にも藤の花がある。 あれが母で、梅の木が父と思うと何か庭が違って見えてくる。 そうだ私達の木を植えよう? あまりそういうことを考えると、ここから出れなくなる! ーP・50 「家庭おける環境が持っている『癒し』の力から、私は核時代の病んだ社会に対する被爆者の『癒し』の力を考るにいたりました。 (字数の関係でカット09年10月8日) ・・・・・・・・・ 2006年10月08日(日) 2014, ゴミ少女 −1 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ 図書館で「新潮45」の1月号を何気なくページを捲っていると、ある一枚の写真に眼が吸い寄せられた。 電車の中で、女子学生が超ミニスカートで電車内で座り込んでいる姿があった。 その写真と手記を書いているのが、インドやネパールなどの写真で知られている写真家の藤原新也なのである。 文庫版の彼の写真集を二冊買っているので、何で「こんな写真」と「クソ女」という過激な文章を書いているのかと、 さっそく借りてきて読んだ。 特別寄稿のテーマはータリウム事件に見る、「殺さねば出会えない母」に関する一考察ー【藤原 新也】である。 話は変わるが、長岡の駅裏で通勤途上、超ミニの女子学生30人位がバス待ちをしている姿を毎日見ている。 本当にパンツが見えそうなほどで、目のやり場に困ってしまうほどである。 そうそう、地元のラジオで新潟県の女学生のスカート短さが日本で一位と言っていたが・・ 数年前のことになるが、女子学生数人が駅の専門店街の中二階で、股を広げスカートをパンツを 隠すスタイルで座っていた。そして下から上がってくる男達の目線を笑いながら見ていた。 私も一瞬、眼のやり場に困り、次の瞬間、その娘達の真意を読み取った。 「このクソ女!ガキども」と、思ったことを、この藤原新也の文で思い出した。 恐らく多くの大人が同じような経験をしているのだろうが、このレポートは、その代弁をしているような内容である。 ーその書き出しのところを書き出してみる。 −− [ゴミ少女] ネットで話題になった一枚の写真がある。JRの車内。女子高校生の通学風景である。 K駅から乗り込んで向かい合わせのシートに座り一息ついたとき、前方を見てギョッとした。 これまでにも挙動の乱れた女子高校生を何度も目にしているし、昨今そのような風景を目にすることは珍しいわけではない。 しかし、その日の景色は一味違っていた。それはなぜか昔見た『ソドムの市』という映画の奴隷船のシーンを 思い出させるほど恐ろしく弛緩している。 携帯していた簡易なデジタルカメラを取り出し、座ったまま ひとつシャッターを押す。立ち上がって構図を決めず、そのままの姿で撮ったのは乗客の視線を維持したかったからだ。 ー (字数の関係でカット2008年10月8日) ーつづく 後記)それにしてもが、以前書いたが画家や写真家の文章は鋭い! 一瞬の現象の本質を捉えるからだ。 この写真、このHPの‘バードウオッチ’のコーナーにリンクしてあります。 http://ore.gonna.jp/blog/archives/000273.php ・・・・・・・・ 2005年10月08日(土) 1649.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・8 8・うちの商法ー3 宗親 昼も定食を一品だけ出してるんだ、日替わりでね。月曜はマグロ刺し定食、火曜日はマグロハンバーグ、 水曜日はマグロブツトロロがけ定食、とかしてね。すべて700円で100食限定でね。もちろん完売だね。 特に金曜日はトロ定食980円で出すの。 行列になるよ。 普通だったら原価割れ寸前のはず。 いや実際の価値は3000円以上だよ。一本おろすからできるんだ。お客は知っているの、その事を。 うちの店の厨房は、一歩入ると機械だらけなの。マグロのメイン以外は手をかけないの。 ご飯、味噌汁、コーヒー、スープ、オニギリなんか手をかけないように器械化がしてあるんだ。今の器械化は凄いよ。 それと生野菜の真空パック技術なんか信じられないぐらい凄いよ。 手を抜くところは、徹底的に抜くんだ。その反面、入れるところは徹底的に入れるんだ。 初めはね、中の上の商品を中の下で売れってねコンサルタントの先生に教えられたの。 それを忠実にやっていたの。そしたら疑問がでてね。上の下の商品を下の上の値段にすべきじゃないかってね。 それをやるにどうしたらよいかってね。仕入れを変えるしかないってね。それには生産現地に行くしかないって考えたの。 そして、焼津に3日泊り込みで行ったの。 同業者のところに毎日通ったね。 Date: 2002/03/28/07:16:42 [29] ・・・・・・ 2003年10月08日(水) ある時間の断片ー38 ー11月11日 1968年 昼過ぎに佐藤のところに行くと「多恵ちゃん」から、電話で大妻祭に招待される。毎日忙しいことだ。 これもアマリ気が乗らずに、佐藤のお供で行ったようなものだ。講堂で「森山良子のリサイタル」があった。 さすがに彼女の歌は上手い!一曲一曲が心にしみる歌であった。 しかし腹がへって貧血気味になる。 多恵ちゃんの友人の飯野貞子さんを紹介してもらい、4人で食事をする。 ブラブラ4人と寮の近くまで送る。 飯野さんと話しながら帰るが、真面目そうな面白い子だ。といって、それ以上の何も感じなかったが。 23時から24時までゼミの予習をして、その後佐藤と明け方まで酒を飲んで寝る。 ー11月12日 ・明方まで酒を飲んでいたせいか、10時過ぎまで寝ていると、電話がかかってくる。 先輩の永田さんから、文京区役所でバザーの手伝いの依頼だ。毎日毎日お呼びが良くかかるものだ。 タクシーで駆けつける。電動歯ブラシの販売である。これは売れそうだと思いきや、殆ど売れない。 隣で30過ぎのオバサンと話をする。宝石のデザイナーで、渋谷の専門学校で色彩学を教えているとか。 西銀座で宝石店を持っているとか。彼女の友人の銀座の「モンブラン」のバーのマダムも、バザーの手伝いに来る。 販売よりも、この二人と話している方がずっと面白い。結局、二人と知人が買ってくれたのを含め都合6つしか売れなかった。 がっくりしたが仕方がない。帰寮後、風呂に行き、食事をして、21時から25時までゼミ関係の本を読んで就寝。 ー後記ー 最近、急速に武沢ゼミに影響されている。先生とゼミ同期の4人だ。 非常に個性的である。その4人に段々感化を受けているようだ。 それと教授の影響がここにきて大きい。気を緩めると、潰されてしまう位厳しい。
・・・・・・・・・・ 543, [エッ嘘だろう!!] - 2002年10月08日(火) 「エッ嘘だろう!!」と思わず叫んでしまった。 ・自己資本は資本金の2倍以上で、創業時の償却勘定でマイナスになった以外は黒字の優良会社と思っていたのに、 会社の借入金がある銀行の不良債権の可能性があったという。 ・政府系銀行の借入れの都合で個人名義で買った「2箇所の駐車場の土地」の資金を会社から借入をした。 その役員貸付金が自己資本と同額であった。その事情は銀行が解っているのに?金融庁の検査で問題になっているとか。 ・金融庁の監査の担当がいうには「個人と会社は別物で、その事情は関係ない」 という。 「自己資本と役員貸付金は相殺するのが筋で、そうすれば 実質資本金はゼロで、健全会社といえない」とか。 たまたま節税のため、個人の2物件を会社に売却をする報告に銀行にいって、その話を聞いて呆然ー足し算引き算も 出来ないのが現状なのだ。 金融庁と地方銀行の審査レベルの混乱がこういう現象を生んでいる。 ・これがグローバルスタンダード?という事なのだろう。考えてみれば個人と会社を一体で見るということ自体おかしな話。 銀行にしても、金融庁にしても「売却をして相殺しなさい!」ともいえない。 こちらが判断をするしかないのか。 とんでもない誤解?で、不良会社になっていたのだろう。 かなりこういう混乱が全国で起きているのだろう。今の日本の自滅のある現象だ。社会主義世界の崩壊のある断面だろう。 ・・・・・・・・・・ [178] 忘れられない店ー4(金沢) ー平家ー鉄板焼き 2001/10/08 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。4〜5年前に行った時まだっその店があったが、 しかし個性的な親父は死んでしまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。 落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。今でもちょっとないかわった店だ。 食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りでツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。 その為店が油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、 その話を聞いているだけでよかった。当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、 必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。 「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。 たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。 何回も家に電話しているのだ。 たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で大あてをして連れていってもらったのだが、 「お前の人生は今日で終わりだ、大穴を当てた味を知ってしまったのだからだ!」 と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
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2009年10月07日(水)
* 中川昭一の死について 実際のところは藪の中になるだろうが、状況からみたら誰からみても自死。 父親の死も当初は色いろな説が乱れ飛んだが、自死に落ちついたのは数年経ってから。 あの酩酊?会見で自民党も大きいダメージになったことは否めない。一年前には鳥をも落とす勢いだったが。 そして落選、政治の世界は一寸先は闇とは、よく言ったものである。 鈴木宗男も政治的に致命傷を負った。 直接、間接的にしても中川親子の死に大きく影響を与えたことになり、敵に包囲されてしまった。 中川が政治的な挫折をもたらしたのは身から出た錆。 あれこれみて政治家だけはなりたくはない。 〜〜 * オリンピックの東京の落選 石原都知事も政治的には大ダメージになってしまった。 権力を持つと人間は変わるものである。 時間の経過とともに慇懃になっていくが気になっていた。 やはり二期で辞めるべきだった。 立候補をした時に、もし東京が落選をしたら都知事として責任をとるといっていたようだが、 ここに及んで辞めないと言葉を翻したが、普段言っていることと違うじゃないかい、と言いたくなる。 それにしても、招致のお祭り騒ぎはいい加減にすべき。日本一国が150億円の予算のかかるシステムは 根本から変えるべきである。 しかしブラジルの決定は正しい。世界の良識が働いたようだ。 昨年の中国は問題があったとしても順番からいって正当だったし、次の英国も順番としてよい。 今度の決定も、一度も開催されたことのない南米の開催は一番真っ当。そうこうみると次々回はインドか、 エジプトあたりにか。いや先進国と新興国との交互と考えると、1900年来行われてないパリ。 〜〜 * 新潟国体も終わり、恐慌景色が再びか~! 7月半ばの新潟競馬から始った恒例の夏景気と、秋の五連休、そしてミニ神風の新潟国体も終わって、 来週から再び大不況の冷たい風に曝される。(週末は身障者の大会がある) 予約状況からみると5月の連休明けの異常な事態。一応は来年の二月決算の目途は立ったが、 それでも日本全体の景気が上向かないと、どうもこうもしようがない。 やはり中小・零細企業の三年間返済ストップは必要のようだ。そうもしないと、パニックは必定である。 ・・・・・・・・・ 2742, サブプライムの本質とは? 2008年10月07日(火) 「資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす 」ー 竹森 俊平 (著)
サブプライム・ローンの分析については、分かりやすい文章である。 喩えで言えば、 債務不履行という債権入りの毒饅頭をアメリカの格付け機関の保障付きで世界中にばら撒いてしまったのである。 そのため他の健全な住宅ローン債権まで売買ができなくなったのだから、問題は大きい。 その上に、アメリカのドルや債権まで不信感を持たれるようになったのである。 アメリカの一極支配のドル体制が崩壊をしたのである。 それだけ、この激震は大きいことを何度も書いてきた。 ーまずは、その部分から P−27 サブプライムについては、日経新聞だと「信用力の低い個人向け住宅融資」という注釈が必ず付くことになっている (筆者も日経の紙面に書いた時に経験したので間違いない。)筆者はひそかにこの注釈がなくなるXデイを楽しみにしている。 これだけ毎日、新聞に顔を出す単語なのに、いつまで注釈が必要なのか。ともかく、このローンは審査基準が非常に甘い住宅ローン。 普通のプライムローンは、連邦政府による与信審査のガイドラインがあり、金融機関は厳格な与信審査をしなければならないのに、 サププライムは、このガイドラインに従わないからである。 だから、「特殊」な住宅ローンというわけだ。 サブブライムが連邦政府のガイドラインに従わないのは、それを供紹する金融機関、すなわち住宅ローン業昔が、 連邦政府の監督下に置かれていない場合が多いからである。 実際、住宅ローン業者全体の半分だけが連邦政府の監督下にあり、 残りの半分はよリルーズだといわれる州政府の監督を受けている。さて、日経のサブプライムについての注釈は 「信用力の低い個人向け」ということだが、何もサブプライムの供給者が、「うちは信用力の低い個人を相手にしている」 と宣伝しているわけでない。プライムローンを申請しても、承認される見込みのない「信用力の低い個人」が、 そのローンを借りに行くのである。 サブブヲイムローンの審査は本当にいいかげんらしい。 「所得なし」「審査なし」 「資産なし」でも審査に通る。住宅ローンの場合、住宅が抵当に取られているから、最低限の安全性は確保されているという 判断があるのかもしれないが、それにしてもなぜ、こんなに危険な住宅ローンが罷り通るのだろうか。理由はおそらく政治である。 クリントン政権、ブッシュ政権と続く歴代のアメリカの政治は、普通のローンの審査には通らない低所得者が、 特殊なルートであっても持ち家を持てるようにすることが政治的に有利と判断した。それに加えて、クリントン政権とか、 ブッシュ政権の「オーナーシップ・ソサエティー」の哲学とかも、「サブブライム」の存在を正当化する根拠になっている。 2004年末において、アメリカにおける住宅ローンの60%は証券化されていた。 当時EUの証券化は15%でしかなかった。 「住宅ローン抵当証券」は、最初は普通の住宅ローンについて開発されたが、90年代半ばから政治的空気に押されて サブプライム・ローンの証券化が開発された。 普通のローンもサブプライムも、証券化をする原理はかわりないからだ。 それが諸悪の根源になったのである。 サブプライムの歴史がなかったことと、住宅が右上がりに上がりだしたこともあり、 サブプライムの危険性が見落された。さらにサブプライムの市場では連邦政府の規制や、監督が不十分なため、 モラル・ハザードが起こりやすくなった。更に、このサブプライムの毒性を隠す現代錬金術として、投資適格性を審査する ムーディーズやS&Pなどの主要格付け機関は、それにトリプルAという最上の格付けを与えてしまった。 格付け機関が有毒廃棄物にお墨付きを与えてしまった。 −−− 世界の景気を主導してきたのは、アメリカの住宅バブルと言ってよい。 住宅産業は、産業のあらゆる要素が含まれている。 国内景気を維持するためにドルを刷って、アメリカ国内の「信用の少ない人たち」に、ほぼ無審査で貸し出していたのである。 ヘリコプターから貧民街に金をバラマクようにである。その毒入債権を保証書付きで撒いたのだから根は深い。
・・・・・・・・・・ 2007年10月6日 2378, 邪視の思想 −2 (。・∀・)ノ゛おっは〜 我々は、人を褒めてあげなさいと教えられるが、イスラム圏ではむしろ、あんたの子供は可愛くないと、 わざわざ言う場合もあるという。邪視の思想の原型は、イスラム教よりずっと以前の古代ローマやインドなどで 信じられてきたもので、東アジアを除けば世界的に昔からあったという。 瞳を覗き込むと、黒い部分に相手の姿が 小さく写っているのが見えるが、昔の人にとって、これが不思議に見えて、それを怖れたという説もある。 インドでは王や聖職者など位の高いものが持っているとされ、反対に、エチオピアなどでは身分が低いものが邪視を持つと 思われたという。特に、国を持たないジプシーと軽蔑されたロマは誰もが邪視を持っていると欧州では思われてきたようだ。 だから欧州では人をジロジロ見ないのである。パキスタンのカラコルム・ハイウエーをバスで駆け抜けた時のこと、 フンザの近くの村に差し向かったときに、「絶対に村民を見ないでください。ここは見られることに異常に敏感なところで、 殺されることもあります」と言われ、全員が硬直して前を見据えていたことがあったが、邪視の思想の名残りでったのだろう。 欧米、特にアメリカや日本などは、相手をみたら良いところを見つけ褒めてやるのがエチケットと推奨されるが、 元々は褒めるということは、逆に恨みや嫉みの元と考えて嫌がるのが本来の考え方だったのである。 世界では、これだけの違いがあるのである。エジプトなどでは、子供の名前を雑巾という悪い意味の名前をつける 親もいるという。だからエジプトなどでは、日本みたいに「お子さんは何人ですか?」 という質問ができないという。 子供が多くいると羨ましがられるから、聞くのはマナーに反するという。 動物学者の畑ムツゴロウが、「動物は、視線に関して人間が想像する数倍も敏感である」 と言っていた。 試しに電線にとまっているカラスをジッと見るとソワソワする。若い時に視線恐怖症や赤面症になるのも 動物の名残りなのであろうか。東アジアでは視線に関しては無頓着で、邪視の思想は殆どないのはアジアは大らかということ。 一歩外に出ると今まで持っていた常識とやらは通用しないということだ。島国日本の常識は、世界の非常識と思ったらよい。 (○´ω`○)ノ**SeeYou** ・・・・・・・・・・ 2006年10月07日(土) 2013, 居酒屋離れ (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 先日の新聞記事によると、居酒屋が、この十数年で30?以上も売り上げが減ったという。 (1992年の1兆6千億に対し、2004年度で1兆1千億)しかも今年になっての飲食業の研究機関の調査で ‘団塊の世代’が、「居酒屋をほとんど利用しない」と46?も回答、「料理がどこも同じ」「うるさい」 という答えが理由の上位を占めている。団塊世代の飲酒頻度は「だいたい毎日」というから、自宅か、家族で 週末にレストラン辺りで飲むのだろう。月の酒代は50代で3万円弱、20代で2万円弱だという。 居酒屋も、団塊の世代が定年を向かえる2,007年を控えて危機が迫っている。彼ら企業戦士たちが居酒屋からも大量に ‘卒業’するからだ。少なくとも連れ立ったオジサンたちの姿は激減するだろう。 私自身を振り返ってみると、以前に比べて半分以下になっている。 その理由は、 ・このHPをもったお陰で日々が充実したことと、 ・大型TVとDVDレコーダーを4年前に購入、店で酒を飲んでも家で飲んでも大して変わらなくなってしまった。 ・さらに一年ほど前に晩酌の時間に、同じ目線で居酒屋で飲む番組を放映。 家で缶ビールを飲みながらみていると、ほとんど一緒に飲んでいる錯覚になる。 といって60歳を過ぎた現在も週一は‘会’で飲んでいる。さらに家内とは、ほぼ毎週のように 駅周辺の居酒屋チェーンか、自宅の至近にあるイタ飯チェーンの「サエゼリア」で食事をしている。 家族二人だから、行けるのだろうが。社会人になってから、居酒屋に行く機会が多くなった。 しかし、今から考えてみると回数が多くなったのは、現在の仕事を始めてからで、それまでは居酒屋は、 出張と家族と旅行にでたとき位であった。私の場合、少なくとも10〜20年は命を縮めた。 緩慢なる自殺である。 最近の居酒屋の流れは、 ・個室化、個性化をしていて、 ・ハモとか、湯葉とか、専門料理店が出している料理を格安に、 ・メニューの内容を流動化していて、・客単価が3000円以下で ・駅至近距離で目立たないところ。 女将が独りの小料理屋や、夫婦でやっているような旧来の個人店は大苦戦中で、死滅?直前の状態である。 それにしても、よく飲んだものである。 \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年10月07日(金) 1648.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・ 7・うちの商法ー2
宗親 こちとら月に一度は、その産地に行ってさセリに一緒出たりさして、いろいろやっているのが解らないんだ。 それと築地に一日おきに行くの。マグロの部分買いもしているんだ。それと見せ商品も買ってさ。 マグロ以外は絶対に手をかけないのがミソだ。マグロだけだらさ、それだけ集中しているから安く買えるんだ。 店の開店までさ、彼らの数倍の知恵と時間を使っているんだ。もう店が開いた時は、勝負がついているのさ。 酒もさ、新潟の酒のメーカーから直接仕入れるんだ。一社だけだね、これは通でも素人でもわかる美味しさだ。 ほぼ越の寒梅と同じかそれ以上だ。〆張り鶴という酒なの。蔵元が一緒といっていたが、事実かどうか解らないがね。 つきだしにトロを少しだけど出すんだ。 これもこれだけで1000円はするの。 240円しかもらってないの。ビールの大ジョッキーと日本酒の小と付きだしで960円。 うちは税込みだから、1000円でおつりつくの。これにマグロの焼き鳥で1時間という人が3分の一もいるんだ。 内じゃ「1200円セット」といってるの。何処にもこの価値は出せないね。火曜日は酒類を半額にするの、 平日の1,5倍の客数が来るから荒利は一緒なんだ。ビールは生ビールしか出さないの。ビンの半額に近いからね。 それを特大ジョッキーで出すの、480円でね。1リッターに見えるけど、実際は700mlなんだ。 これに新潟の酒を出すんだ。絶対に大瓶で出さない。 酒を味わってもらわなくてはね。 それと「日本酒5本以上は出しません」といってあるの。価値のある酒だからね。結構日本酒儲かるんだ。 それとビンごと売るんだ。その店で一応出してね一合だけね。あとは持って帰ってもらうの。 これだと国税から文句来ないの。一回来たが理屈を言ったらそのまま帰ったね。 それらしき人がきて、しつこく封を切れず売れといったがね。これはまもらなくて法律違反になってしまうからね。 それでも結構売れるんだ。3800円でね。それにしても十分価値があるの。原価が2400円もするんだからね。 酒は一合でも実際使うのは7勺も使わないんだ。それで60?以上の荒利取れるんだ。バックマージンあるしね。
・・・・・・・ 2004年10月07日(木) 1283, 原油高騰の不安
原油が、あれよあれよいう間もなく高騰を続けている。昨日の段階で51ドルで、このまま行けば、11月以降 61ドルもあり得るという。イラク戦争後、原油供給国の政情不安を引き金に始った暴騰に歯止めがかかっていない。 産油国はフル生産をしているが追いつかないという。 この高騰には、イラク戦争の政情不安だけでなく、 中国経済の原油消費が「底なし沼」のためという。既に日本を抜いてアメリカに次いで世界第二位の消費国になった。 これに・ベネゼイラの政情不安 ・ロシアの石油大手ユコス社の輸出大幅減 ・メキシコ湾を襲ったハリケーンによる 影響による精製施設の稼働率のダウン などが重なった為である。これを材料にヘッジファンドが、巨大な資金を つぎ込んで先物取引市場をあおる。いわゆる「ペーパー取引」は9月、実需の2.5倍もあったという。 ユダヤ資本が動いているのだろう。いずれにしても、日本経済にとってはボディ・ブローになるのは時間の問題である。 デフレという前門のトラ、インフレ懸念という後門の狼の気配がしてきた。 原子炉に対して多くの批判があるが、(必要悪としても)日本にとって造っておいて良かったことになる。 中国は世界にとって、大きな波乱要素になりつつある。
・・・・・・・・ 2003年10月07日(火) ある時間の断片
1968年11月9日 ・10時起床。 瓜生のところで、30分お茶を飲む。その後、洗面をして、今度は佐藤の部屋でコーヒーを飲む。 そこで、大妻女子大祭に行くからこないかと誘われ、尾形と佐藤と3人で行く。知っている人が居ないし、 一人で途中で帰ってくる。その後米林が部屋に遊びに来る。風呂に行き帰ってくると、再び米林が来る。 早稲田の二年であるが、哲学や文学などかなり突詰めている。その後。駒村の部屋でTVデ「ハニーを銃を取れ」をみる。 なかなか面白い。明日はハイキング、どうなることやら! 11月10日 ・6時半起床。 長瀞にハイキング。 お相手は「文化服装学院」。あまり乗り気がしない。 池袋から、東上線で寄居から長瀞へ行く。電車の中で少し気分が悪くなる。長瀞駅で引き返すつもりであったが、持ち直す。 ロープウエーで山頂に行き食事。その後ゲームなどをして、13時半に山を降りる。途中で半々に分かれて、16時まで 長瀞駅で待つことにする。駅裏の川辺が何ともいえない景色。絵に描いたような自然が何とも素晴らしい景観であった。 いつかどこかで見たようなイメージであった。16時14分の電車に乗る。佐々木さんと、相手がたの女子大生4人の グループと分かれる。気が乗らず、新宿で3人と分れ帰寮する。まだ誰も帰ってない、24時まで佐藤とビールを飲む。
・・・・・ 542, K−1が面白い - 2002年10月07日(月)
1昨夜のK−1が面白い。これは10年近く前から始まった総合格闘技である。寝技を認めてないのが、 プライドという格闘技と少し違うところだ。キックと空手とカンフーの頭文字のKの字を取ってK−1にしたものだ。 異種の格闘技だから、たまらなく面白い。最近はプロレスとの対抗戦やプライドや極真空手との対抗戦があって、 エキサイテングの多い内容が多い。極真空手も最近は苦戦をしている。(最近は世界最強の格闘技と言わなくなった) この10年間のK−1のトップクラスの選手が全盛期を超えてしまった。その上に世界には幾らでも強い選手はいる。 昨夜もk−1のナンバーワンの選手が、格闘技を始めたばかりのパンチさえまともにうてないアメリカン・フットボールの 元選手に軽く負けてしまった。 見方によってはk−1の全面否定でもある。相手は筋肉の塊の2メートル、 170キロの選手でただ力任せにパンチを振るストリー・ファイター。それに負けてしまうのだから面白い。 前回は反対に、プロレスの実戦派の強豪が軽くK−1の選手に負けてしまった。 最近は金網の中で、噛み付きと急所の攻撃以外なんでもありの総合格闘技の放映を始めた。 もちろんアメリカ本土の内容だが、寝技が中心になっていて、内容は凄惨過ぎる。 最近は月に一〜二度は、面白いボクシングかk−1が見られるのがよい。
・・・・・・・ [177] 世間様ー2 2001/10/07 あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、実感している言葉として、その言葉を多用している‘痴呆症(病)の無恥蒙昧’ (自身も含め)に捧げるためにかく。しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりしているからことは重大だ! それこそ「みな皆いっている」これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の世界の(俗に言う世間の) テクニックとして通用しているからことは重大だ。ある話を聞いてこれは面白い!利用してやろうという時、 「皆言っている!」と知的レベル? 低い人間を探していう。 あるいは相手を混乱させる目的に言う。 それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか? 1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。 2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。 3、噂の場合につかう。 4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。 5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。
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3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4 |
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2009年10月06日(火)
昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、 以下は、それをメールで教えたくれた林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、自民党から民主党に変わると、 政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。 * 堀井 様 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、テレビにもよく出てくる 山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足を債務者に」と題して書いていました。 ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」 と手のひらを返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられていた10月3日の読者の声欄の投稿です (これは立派な投稿でした)。 あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは 「日銀統計によると全国145銀行の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。 実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」 としていた点です。「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」でした。 (これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も確かめずに書くのか、につながってきます。) この「記者の視点」はこちらの指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。 このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁明、先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」 と言ってくること、「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところでしょう。) そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に対しての私の一番の批判点です (朝日新聞お前もか、というところ)。それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえなってきます。 最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に 入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に電話する気になったのですが…)。 ではまた 林 * To: 林様 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。 これは、マスコミのマイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が早いですね。 と同時に、やはり良識が残っているということで、林さんの電話が大きく影響したようです。 今日も、フジTV系が扱っていた以外は、何かいずこも避けていたようです。ますます面白くなってきましたね。 再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと思っています。手前味噌になったら、ご勘弁を! 堀井 ―― 朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」 と常日頃から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、少しタイミングが遅い? 「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で!目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目か?
・・・・・・・・・・ 2741, 賦課方式の年金制度は公営ねずみ講 2008年10月06日(月)
「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」 竹森 俊平 (著)
我われが、信じ、40年近くも払い続けてきた年金、あれ「ねずみ講」ごときシステムで、 もしかしたら国家単位のマヤカシだとしたら、何を信じてよいのだろうか? ーまずは、その部分からー * 賦課方式の年金制度は公営ねずみ講 P−83 「賦課方式の公的年金制度」とは、まさに国家が運営する「ねずみ講」なのである。 しかも、これは経済理論的に考えてそうだというばかりではない。 賦課方式の公的年金制度が発足した時には、 政治家はまさにこの制度がそのような性格を持つものと認識した上で、この制度を発足させたのである。 以下に引用する、アメリカにおける賦課方式の公的年金制度が設立された時のブレインの一人であった ポール・サミュエルソンが、一九六七年に書いた文章を読めば、そのことが分かるだろう。 「社会保障制度の素晴らしさは、それが年金数理的な会計上は収支が均衡せず破綻しているという、まさにその点にある。 引退する年齢に達したものは誰でも、自分がこれまでに払い込んだ額をはるかに上回る金額に相当する社会保障制度の 便益を受け取れる。(略) 一体、どうしてこんなことが可能なのだろうか? その理由は、国民所得が複利的に成長し、 しかも可能な限りの将来にわたって、その成長が持続するという事実にある。 人口が増加する国では、若年者の数は高齢者の数を必ず上回る。さらに重要なことは次の点である。 実質所得が年三%で成長する限りは、社会保障制度の毎年の支出を賄う課税ベースからの収入が、 退職者が現役中に社会保障のために払い込んだ税額を大幅に上回るのだ。 成長する経済とは、かって構想された中で最も壮大な『ねずみ講』である」 −−−− 解)「引退する年齢に達したものは誰でも、自分がこれまでに払い込んだ額をはるかに上回る金額に相当する社会保障制度 の便益を受け取れる。(略) 一体、どうしてこんなことが可能なのだろうか? その理由は、国民所得が複利的に成長し、 しかも可能な限りの将来にわたって、その成長が持続するという事実にある」と、いうとおり、年金の前提は、 経済が成長し続けることと、人口が増加することを前提としている。それは、正にバブルを前提ということであり、 「ねずみ講」そのものである。資本主義そのものが成長する経済とするなら、ねずみ講・資本主義という名にすればよい。 紙切れ通貨制度自体が、既にバブルだからだ。 いや一万年前の農業・牧畜を始めて人間圏を拡大してきたことが、 既にバブルだからだ。 ということは、その限界点に達してしまった人間圏の自爆の一つとみると、理に合う。 異常気象の原因と同じなのである。 そうすると、これは5年、10年レベルではなく、数百年、数千年単位の問題である。 アブラハムが創ったラージX自体は人間の神でしかない。それ自体を否定する大自然の人間に対する反撃の一つと見ればよい。 人間を越えた生命体の視点からの仮説は、「燃えろ、燃えろ、もっと燃えろ」となるのではないか! 我われの子孫からの視点からしても、同じじゃないか。 「とんでもないマイナスをつくった現代人にに丁度良い」 と! 「燃えろ、燃えろ、もっと燃えろ!」という、生命圏の全ての生物を代表した「?」の立場からの雄叫びを書いてみようか! 人類史上最大規模の大津波襲来を前に、何を馬鹿なことを!だが・・・ とにかく、アメリカで震度7クラスの地震が発生、世界中に大津波が・・・ これだけは間違いない事実 社会保険庁の、ずさんな体質は、彼ら自身が、詐欺団体ということを自覚していたからだろう。 だから、非難されても、その国民の方が無知蒙昧に過ぎないと確信しているだけなのである。 国家単位の「ねずみ講」でしかないのだから。 ・・・・・・・・・ 2007年10月06日(土) 2377, 邪視の思想 −1 ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
今回の旅行先のエジプトやギリシャで、「邪視」という言葉を何度か聞いた。 10年ほど前に、初めてエジプトに行ったとき、現地の日本女性の若いガイドに、 「とにかく、この国に入ったら、全ての常識を捨ててください。あらゆることが西欧文明の常識とは違います。 (字数の関係でカット09年10月06日) ・・・・・・・・・・ 2006年10月06日(金) 2012, 裸の王様を、「裸!」と言った少年か〜 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
去年の暮れに学生時代のゼミの後輩からの「新潟を活性化するには、如何したらよいでしょうか?」 という一本の電話から始まった数回の「新潟県活性化の会」の効果?が、表立ってきたようだ?(私の一方的な解釈だが) 昨日の地元紙・新潟日報の二面のトップに、新潟商工会議所会頭の何某が県知事に「新幹線の新潟空港への乗り入れの要望書」 を手渡している写真と記事が載っていた。 「活性化の会」の議事録を県知事も見ていたようだから? 手順もあるのだろう。 しかし、「今頃、何をノンビリしたことを!」「2015年までに、新潟駅再開発工事に便乗して、 新幹線を空港まで開通させなければならないの!」というのが、みた率直の実感である。 「まずは、在来線を新潟空港まで通して、その様子見をしてから」と、馬鹿も休み休みに言いなさい!である。 でも、このノンビリした茹で蛙の地方柄から見て、大いなる進歩ともいえようが・・ 私のHPを見続けている人は解るだろうが、表面化した瞬間に私たちの「新潟県活性化の会」の存在は消されてしまうのは、 娑婆経験から当初から解っている。「裸の王様」に対して「裸だ!」と言って誰もが認めれば、それで少年の役は終わり。 当たり前のことに誰も声を出さなかっただけだから・・ 立派な、いや立派過ぎる達磨があるのに、「めん玉」が入ってなかったの! その「めん玉」は、環日本海への窓としての「首都東京駅から新潟空港・登場口直接乗り入れ」なの! もう一度言おうか・・止めとくが、いや言う!「めん玉は、新潟空港への新幹線直接乗り入れなの!」 めん玉だけを見るな!達磨を冷静に見て見なさいよ! 数兆円も、いや、数十兆かもしれない・・ 達磨に使っておいて、 なぜ目玉を入れないの? 不思議で不思議で・・ 仙台空港の現在行っているアクセス工事知っているの?・・ わざわざ造っているじゃないの・・ このことは「真っ当な人」なら誰もが解っていること。 その真っ当な人間が、政治家や地元の商工業者には皆無であった! という事実は現状からみれば解ること。 裸の王様は誰だ?そう、目先のことしか見えない県会議員と市会議員と、 地元の代議士と、新潟財界人である。 金と票にならなかったのだろうか!? だから私が呼びかけた地元商工業者の人たちは、新潟空港への新幹線乗り入れを当たり前のことと受けとめ、 諸手をあげて賛同してくれた。 「政治家も、大物?商工業者も、目先のことしか見えなかった」と、 さすがに言ってはいないが、しかし・・・環日本海時代の到来に無頓着であった!のは間違いのない事実である。 北越新幹線の開通を目前にして、新潟県の置かれている危機の重大さに気づいた。 *私が何ゆえに、冷静にみることが出来るのか?といえば ・新潟駅前でホテル業を25年間、営業していることと、 ・全国を渡り歩いていること、 ・25年間にわたり長岡〜新潟間を新幹線通勤していること、 ・私のスタンスが「アウトサイダー」で、社会的な利害関係が皆無のこと、 ・20年間以上、成田に年二回通い続け、飛行場と駅(特に首都)へののアクセスの重要性を実感していること、 もあり、「新幹線の飛行場駅の乗り入れ」を客観視できたこと、 などである。 25年前に、新幹線を飛行場まで通していたら、新潟は今や「環日本海都市」として、全く違う都市になっていた! 飛行場周辺にサッカー場・野球場や、佐渡汽船の乗り場を移動するとか・・ 新潟駅周辺の商業集積の機能と結びつき、「独特の面白い都市」になったはずである。 何もしなくとも、それが特区になっていたのだ。一本、新潟島への橋かトンネルの投資を新幹線に向ければ良かったのだ。 ただ大手ゼネコンの利益にならなかっただけだ。 改めて新潟県をみると、環日本海時代に本当に恵まれた立地にある。 「あと僅かの投資で、東京駅から飛行場の登場口まで直結でき、それが首都圏からみたら、非常に魅力があるに決まっている!」 ということが何故解らないのでしょうか ?? 「地元住民にとって、本当にプラスでしょうか?」だと? 「ボケ!」と言ってしまえばお終いだが・・ 「新潟経済が発展して、初めて地元住民もプラスになるの!」 心して聞け!全く・・ この文章、 県知事と地元代議士、そして県会議員、あとは市会議員と、市長。 何度も何度読んで、県の行く末を真剣に考えてもらえれば・・・ それにしては、文章の格調が低いか? 忙しすぎて見やしないか・・・何が忙しいの?? ところで 解るの? (後記) めん玉は新幹線の空港への乗り入れとすると、顔が新潟、身体は首都圏と喩えると、なお解りやすい!! 目はアジア(中国と朝鮮)とシベリア大陸に対する視線になる。これを実行しようとしたら、 県知事は政治生命をかけてやらなくては! 歴代の県知事、何をしてきたの?知事として何をしてきたの? 特に前の知事!いや20数年前の知事!誰だっけ、君?? Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye ・・・・・・・・・ 2005年10月06日(木) 1647.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・6
6・うちの商法−1 宗親 飲食業界も今は一段と不景気だね。その中で一応、いややっと生き抜いている状態さ。 昔から常連のお客にコンサルタントの人がいてさ。教えてくれるんだ、商売のイロハをね。 それを忠実に実行してるんだ。コツとはね、一点集中という事。 自分がレンズになってしまうんさ。 商品もマグロを中心に出してね、8割はマグロさ。 後は見せ商品なの。見せ商品とは、手のかからない 3〜4品で売れきれにしちまう商品。それは殆ど儲けないの。すぐ売れ切れてしまうから、それでいいんだ。 商品の荒利を55パーセントにして、酒類は63パーセントにしておくの。それで58パーセントの荒利にするの。 それだけでは駄目だね。全ての商品を240円と480円の値段にしておくんだ。ああそれと980円を少しね。 これは見せ商品。でもそれが売り上げを稼ぐんだ。荒利30?で売るんだ。お客も解っているんだ、自分も言うしね。 マグロもいいマグロを可能な限り使うの。このぐらいの大きさの店で繁盛さえさせとけばマグロの一本買いができるの。 もちろん本場の??から、直接買うの。それとカマー頭だけを一本につき10個安く買うの。 大体それを毎日送ってもらうんだ。それをさばいて、240円、480円、980円に商品を創っていくんだ。 そうすると、ほとんどがよその店の倍の価値の商品になるんだ。980円のトロなんて、他所じゃ3千から6千円の 価値は十分あるんだ。240円は普通の店じゃ捨てるところを、丁寧に切り出してさ。 焼き鳥風串焼きやハンバーグ風にしたりするの。カマも結構使えるんだ。3分の1は980円で出せるんだ。 同業者も首をひねっているんだ。 Date: 2002/03/24/11:18:39
・・・・・・・・ 2004年10月06日(水) 1282, 「元気の出る言葉」−2 一歩踏み出そうと思う言葉−2 (字数の関係でカット08年10月06日)
・・・・・・・・・ 2003年10月06日(月) ある時間の断片ー35.36 11月8日 −前半 ・7時50分起床。 人事管理の授業に出席。 今回こそ試験と思っていたが違った。 授業終了後、朝飯と昼飯を兼ねて食事。11時にゼミで、それぞれの車で石川島播磨造船所に向かう。 一時過ぎに到着。 そのスケールの大きさに腰を抜かさんばかりの驚きであった。 30万トンの巨大タンカーの大きさに、たたただ呆然とした。数百人が蟻のように張り付いて働いていた。 組織の意味を教授が教えたかったのだろう。私は小さなボートに乗っているほうが合っていると思った。 凄いものを目の当たりに見せ付けられた。工場内のオートマチックの流れも驚きであった。 そこの課長との質疑も面白内容であった。帰りは教授の車に乗せてもらう。 田島君や小島君は議論が大好きだ。彼らについていけず一人蚊帳の外という感じであった。 途中渋谷の喫茶店に入り話し合う。教授の思想について聞いたり、女性論を話し合った。 教授に「社会に出ると良い相手はなかなか居ないから、学生時代に探しておいたほうがよい」と言われた。 そうならそうと解っていたら、去年にチャンスが集中してあったが。「さっきの話で、堀井君は女性は打算的といっていたが、 自分と比べて言っているのか、それとも自分が打算的であるが故に女性に対しても打算的に見えてしまっているのではないか?」 と鋭い指摘をされた。 私の全性格を見抜かれているようで恐ろしい思いがした。 教授の女性遍歴を少し話された。昔同棲していた女性のこと。そしていまの奥さんとの出会いのことを話された。 教授の思想はアメリカナイズされた極端の個人主義と自分で言っていた。 教授自身、自分の思想にしろ理念をハッキリ言って持ち得ない!とのこと。分析能力は自信がある。 しかし、それを一つの思考形態の統合するのには、分析で物事が見えすぎる為に躊躇をしてしまうとの事。 経営学の野田一夫教授は、直感的に思想を持ちえるし、当たっている。 しかし分析に関しては、全く甘いと指摘されていた。ピーター・F・ドラッガーの受け売りでしかないとか。 しかし、生徒に対する影響度は野田教授の方が上だとも言っていた。奇麗事は言うが、汚れ役は必ず避けて通る人だとも。 武沢先生は教務部長、野田一夫教授は課長でしかない。同じ年齢でライバルだが、大学では武沢先生のほうが上だ。 人事管理を専門にしているせいか、流れのままの刹那的なところがみられた。 人事管理哲学があるなら、それこそ先生の哲学になってしまっているといって良いのではないか。
・・・・・・・・ 2002年10月06日(日) 541,幸福と本当の仕事
何気なく本を読んでいて、自分が事業を通して得た実感が、ずばり書いてあることがある。 そのうちの一つが下記である。山本周五郎の「青べが日記」の一節である。 ー幸運を望むものよ、お前は3つの事しか為さないのに10の結果を望んでいる間は、幸運は来ない。 幸運を望む男よ、お前が2つの結果を得る為に、10の事をしたら必ず、幸運は来るぞ。 貧乏をしても、出世していく友に遅れても、本当の仕事(為事)をこつこつやっているこの力強さ。 白蟻が大黒柱を如何にしてガランドウにするか己が知っているー 事業をしていると、この闘いだ。2の結果を得る為に10の努力をしてもマイナスになるのが事業の恐ろしさだ。 「しない方がずっと良かった」という結果との闘いである。「本当の仕事」をしているつもりが、虚の仕事をしてしまう。 「本当の仕事」をきっちり見つけなくてはなるまい。 知識と情報と経験不足から、それらは起因する。 新しい事態に対する判断を、常に不足状態の能力の中で求められる。経営は相撲の喩えでいうと「14勝1敗より、8勝7休」 でなくてはならない世界であり、一敗は致命傷になることが多い。情報と方向が正しいなら、1の努力でで 10の結果を得る事が可能な時代でもある。情報化社会でその傾向がより強くなっている。現代の不幸は最小の努力で 最大の成果ー効率を求められることである。人間の気持ちまでも効率を求めてしまう事が、不幸にしてしまう。 好きということは最大の努力に対して、それ自身が楽しいことだ。 好きという事と有利という事を混同してしまうことが、人間を不幸にする。好きの事を有利にする事は可能だが。
・・・・・・・・ 「176」 [自己能力の限界の設定] 2001/10/06 この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉だった。 (字数の関係でカット09年10月8日)
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2009年10月05日(月)
「我にたためる翼あり」という言葉には考えさせられた。なかなか含蓄がある。 バーネット作「小公子」を日本で初めて紹介した若松賎子の言葉。 「私の中に、たたんだ翼を持つ者と信じて努力をして、大きく羽ばたく時を待つ」という意味。 賎子自身は、若くして病に倒れ無念の思いと祈りのこもった言葉。 それを知っていれば尚のこと深さが覗きみれる。 何かを志す者にとっては、これほど励ましてくれる言葉は少ない。翼を才能、努力の蓄積、志、夢とも、とることができる。 賎子の魂が、この言葉の中に篭っているような響きがある。 それも女性の言葉、それも「たためる翼」という内に込めた 大きなエネルギーを感じ取ることができる。 何かを目指している若者がいたら、是非とも教えてやりたい言葉である。 縁あって、この文章を読んで感銘をしたならば、近いくの青年に是非とも教えてやって欲しいもの。 ところで我に、たためる翼があっただろうか? 精一杯翼を広げ羽ばたいたが、雀は雀。 翼を持っていると自分で信じて努力していれば、それだけで良いということで納得するしかない。 「我にたためる翼あり」を私の小さな経験に鑑みると、自分の翼?で飛んだのは「秘境・異郷ツアー」。 たたんでいる時間は少なかったか。 翼といえば、一羽ばたきで数百里を飛ぶ大鵬のイメージが沸いてくる。 私にとって「我にたたむほどの翼ありや」である。 また軽く飛びまわることの出来る天使の翼のイメージである。 そう、私にとっての翼は読書や映画などを通して異世界に入る「イメージそのもの」である。 それなら、ある。 毎日、何回も開いているが。 私に当てはめると、せっかくの言葉が壊れてしまうか。
・・・・・・・・・ 2740, 貨幣経済は「ねずみ講」 2008年10月05日(日)
「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」 −2 竹森 俊平 (著) 紙幣は「ねずみ講」の札と同じ!と言われれば 「エッ!」と思うだろう。 しかし直感的に納得する事実である。 アメリカのドル一極基軸体制だった数年前まで、正に、それに近い感覚を持っていた。それをズバリ「ねずみ講」とはね! ーP74ーにそのことをズバリと書いてある。 《「ねずみ講」というのは、【親」の会員が「子」の会員から利益をもらい、「子」の会員は「親」の会員から利益をもらい、 といった連鎖を繰り返していくことにより、会員全暴利益を享受するとをねらったものである。何のことはない、この仕組みは、 より先の世代の会員たちが受け取る利益の「つけ」全部を、連鎖の最後の世代に回しているに過ぎない。 しかし、もし「ねずみ講」連鎖が永遠に続くならば、「つけ」を回される連鎖の最後の世代の存在は無限時点の彼方に消滅する。 それゆえ、この場合には「ねずみ講」に参加する会員全員が利益を受けるという奇跡が起るのである。 ここでは、何も有益な生産活動が行われているわけではなく、単に「つけ」のたら回しがされているだけなのだが、 それでも会員全部が利益を受ける。それは無から有を生じる「錬金術」のような奇跡である。 ただし会員全部が利益を受けるといっても、誰もがまったく同じだけ利益を受けるわけではない」 「ねずみ講」の第一世代、つまり「親」は、自分自身は他人に利益を与えることなしに、自分だけが利益を受けるのだから、 受ける利益は人一倍である。これは「貨幣経済」についてもいえる。胴元や、始めたものが貰い得なのが、「貨幣経済」である。》 ーー 以上だが、犯罪としての「ねずみ講」を主催していた連中は、そのことを熟知していたはずだ。 そして、アメリカの金融システムの支配者達もである。 ねずみ講も、それが拡大しているうちは問題にならない。 しかし、一度それが行き止まった瞬間に破綻をする。 それと同じことが「紙切れ通貨制度」にも言える。 次回にとりあげるが、著者は現在世界の各国が取り入れている「賦課方式の年金制度」を「公営ねずみ講」と看破している。 私の過去40年近く、2000万以上も支払ってきた年金、前の世代が使ってきただけで我われの将来のために保全はされてない。 これでは、権力者による公営詐欺である。 国債も未来に対する先取り詐欺と同じである。 今回の「サブプライム問題」については、資本主義体制の中の「紙切れ通貨」そのものから起因しているから根は深い。 さて、この大混乱の行く末は、やはり戦争だろう。 民族間か、宗教間か、世代間か、国家間か・・・淘汰されるのは弱者! 潮流は、情報化社会からくる既成体制の崩壊の本格化である。 それらが直接、個々人に影響してくる。 今回のサブプライム問題では当然、ねずみ講の親は結果として被害最小になる。 最大の被害者は、日本と中国になる。 金と情報が絡まっているから、ことは重大である。 つづく (次回は年金制度は公営「ねずみ講」?) ・・・・・・・・・ 2007年10月05日(金) 2376, 人は60歳で何をしたか −4 ー読書日記 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ この本の中で古今東西44人の「60歳時の本や作曲などの作品」を紹介しているが、その中で、神谷美恵子「こころの旅」が 一番印象的だった。 図書館から借りたような記憶があるが、見れど見えず!だったということか? この本は人間の生から死までを「こころ」というキーワードを使って分析している。 それは目次からみれば解ることだが、自分を省みる時の案内役になる。さっそく中古本だがアマゾンで、この本を発注した。 (何と値段が1円、発送料が300円=301円で、新本の5分の1である) まずは、彼女の著書の目次をコピーしてみる、 第1章 人生への出発 第2章 人間らしさの獲得 第3章 三つ子の魂 第4章 ホモ・ディスケンス 第5章 人間性の開花 第6章 人生本番への関所 第7章 はたらきざかり 第8章 人生の秋 第9章 病について 第10章 旅の終り 著者の藤原治は、中でも三章 「三つ子の魂」に感激、そしてここを再読、あらためて、その意味の深さに考えさせられ、 さらに 第8章の「人生の秋」が、気になったという。著者は、そこを抜粋してながら60歳の心象風景をみている。 ーー 「社会的に無用者となった、という意識は否応なしに老化した自己の全体像をこころの中に浮きぼりにする。 じつは向老期ではふつうまだ真の無用者ではないはずだが、少なくとも覚悟として、 この新しい自己像を受け入れるがこの時期の困難な課題である」 「老いて引退した人問の最大の問題の一つは、こうした『社会的時間』の枠がしだいに外されて行くところにある。 (略)このことをよく覚悟して、向老期のころから、自主的に自分なりのペースで『生きる時間』の用いかた、配分のしかたを考え、 また時間そのものについても洞察をふかめ、『超時間的に』時間を観ずることができるようになるのが望ましい。 そうすれば自分の一生の時間も、悠久たる永遠の時間から切りとられた、ごく小さな一部分にすぎないことに気づくであろう」 「どんな一生を送ってきた人でも、人生の終りに過去の旅路をみはたすとき、こころというものの変幻自在な ふしぎさに感嘆しないではいられないはずである。 宝積経にはこころの詩ともいうべき長い部分があるが、 この中でこころはじつに多くのものにたとえられている。 幻の像・いなずま・虚空・猿・画家、王、怨敵、 砂ででつくった家、盗賊、などなど。一生のあいだ、私どものこころもこれらの比喩に該当するような、 まざまな姿をとってきたときがあった、と思いあたるとことが多い」神谷の著作に最初に接したのは、 『生きがいについて』だった。 多分、何かの原因で、かなり落ち込んでいた時に読んだのだと思う。 「生きがいを感じている人は他人に対して恨みや妬みを感じにくく、寛容でありやすい。 それはマックス・シェラーが言っているように、自分より幸福な人々に対する密かな憎しみ の念が入り込む余地がないからであろう」というこの本の記述が、僕を励ましてくれた。 この人は、どんな生き方をしてきた人なのだろう。 ハンセン病との献身的かかわりを思い、「キリスト者だな」 と推測したが、当たっていた。クエーカー的キリスト信者である。「育ちもいいはず」と思ったが、これもずばりだった。 父親は内務省職員のエリート官僚であり、後に国際労働機関(ILO)に勤務したり、朝日新聞論説委員にもなった。 戦後すぐに成立した内閣では文部大臣にも抜擢されている。彼女も、そんな父の関係でスイスやアメリカで教育を受けている。 医学への志は、叔父とともにハンセン病患者の施設を訪れた際、患者の病状に強い衝撃を受けたためという。 後に彼女は、この時に自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした、と語っている。 猛反対だった父を説き伏せコロンビア大学や東京女子医専(現東京女子医大)で医学を学び、30歳で精神科医になった。 結婚したのは32歳だった。 ーーー こういう文章を読むと、宗教の偉大な力を感じとることが出来る。 それと、自分の小さな世界の歪な姿がリアルに 感じとることが出来る。 こういう人は、60歳の時の心は安定した安らぎで満ちていて当然である。 明日あたりに送ってくるはずである。歳を重ねると見えなかったモノゴトが、雲の彼方から一つずつ現れてくるようだ。 ヾ(=・ω・=)o☆ばいばい! ・・・・・・・・・ 2006年10月05日(木) 2011、「私」のための現代思想 −8 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
私たちを束縛しているものから自由になるには、束縛している対象を理解しなくてはなりません。 第一章では、その束縛するものの正体を論じたが、いま一度それを取り上げ、それから逃れるには如何すべきかを論じているのが、 この章である。「私」を束縛するものとは、 <言葉>と<価値><社会><世界><物語>などがあります。 束縛から逃れるためには「所有」が必要になる。所有者になることによって、主体者になるのです。 所有することも捨てることもできるのが主体的ということである。 この随想日記を毎日書き続けることは、 その範囲で「言葉」を所有していることになり、自由に考えを述べていることになり、開放されている。 「<価値>の主体者は、<価値>を生み出す側ではなく、それ<価値>を「受益する者」であるということです。」 当然といえば当然だが、私たちはその反対と思いがちである。「消費者本位」というのは、今では当たり前になっているが、 提供者の方は、それを一番忘れてしまうのです。言葉も相手の受け止め方で、救われもするし、加害もする。 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪ ーー 第三章 「私」とは何か ー束縛から逃れるー :<言葉>と<価値>の束縛から逃れる
? 私たちが<言葉>の束縛から逃れるためには、「<言葉>を所有すること」が必要になる。 「言葉による束縛」とは、「自分が使った言葉が、新しい意味を帯びる」ということを認識しない ことによって発生する。また、「自分が受け取った言葉に自分が新しい意味を付与することによって、 それを認識している」ということに気づかないことによって発生する。 これを換言するならば、 それは「私がある時点で使った単語は、常に新しい意味で用いられている」と認識し、 また「他者から発せられた言葉も同様である」と認識することです。 私たちは、厳密な意味で同じ単語を同じ意味で使うことができません。 言葉による意思疎通が(不完全であれ)可能となるのは、「了解不可能な他者を了解しようとする意思」 によって発生するものでしかなく、ある言語体系よって適切に語を使用することで発生するものではありません。 私たちは、何らかの概念を伝達しようとする時、「この単語は、この程度の意味に使われていたはず」と推測し、 それに「近似した」新しい意味を付与しつつ発語している。そのとき、言葉の主体者は<私>です。 ー <価値>の束縛から逃れるためには、<価値>を所有するしかありません。しかし、ここで注意しなくてはならないのは、 <価値>の主体者は、<価値>を生み出す側ではなく、それ<価値>を「受益する者」であるということです。 <言葉>と<価値>の束縛から逃れるためには、この二つの本性を理解するだけで充分である。逆にいえばー<言葉>とは 言語体系のこと、そして<価値>は、それを発生する側が主体者である、と考えていることによって、それらによる 束縛が発生します。その両方が「誤りである」ということを認識するだけで私たちはその束縛から逃れることができるのです。 ー<物語>と<世界>の束縛から逃れるためにはそれを所有しなければなりません。 そのとき<物語>所有する主体者は、いうまでもなく<私>です。私達は<物語>も<世界>をつくることも捨てることもできます。 その状態が「所有」であり、そのときそれらの束縛から逃れることができるのです。 ーー ここで、<私>と《私》について、もう一度整理をしてみる。 <私>は、 ? 言葉を用いて対象化された「私の像」 ?「超越確実性言明(つまり言葉)」の束、もしくはそれに支えられている「自己の像」 ?「私」の「論理的」な側面(言葉によって認識・構築された「私」)の意味を持っています。 これに対し、《私》は、 ?<私>の中核にあり、<私>の存在を支えているもの ?<身体>の中核部分にあり、<身体>(=対象化された身体)を支えているもの ?「生そのもの」としての「私の存在」 サルトルに「対自」「即自」「対他」というキーワードがあるが、それに《私》を関連付けると、さらに面白くなる。 ホンジャヽ(●´ω`●)ノ。バイ!
・・・・・・・・・ 2005年10月05日(水) 1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・5 5・ゴールドクラブ 宗親 酒はこの商売をしていて、つくづく気違い水と思うね。 まあみんなこの世智辛い世の中、 気でも狂わなくてはやってられないのは判るけどね。 陽気な酒、喧嘩っぽくなる酒、助平になる酒、理屈っぽくなる酒といろいろあるね。 まあ気違い水を売って此方も食べてるんだから、なにも言えねんだがね。 本当のところ、素面で酔っ払いを見ていると面白いよ。気違い水を脳に叩き込むんだら。 その中で特に面白いのは、シラケ酒って言う奴さ。独り浮いてしまって、暗い自分の殻に入ってしまう奴。 オールドミス、いや〜ああなるとゴールドミスさ。グランドオールドで、G,OLD、ミスって奴さ。 独りでいつもある時間が来ると泣き出す。皆もそれを知っていて、待っている。 普段イライラを周囲にぶつけているんで、皆心の中は喝采さ!でもそれがバレタラ、あとで数倍も陰湿に それもあるけど最近は女も恐ろしいよ。 自分で誘っておいてさ、都合が悪くなるとセクハラという奴。 見ているとおとこの方が馬鹿だね。もてない男ほど、すぐ引っかかるね。 あまり慣れてないから、引き際が判らないんだよね。 こうやって色色見ていると人生いや人間なんて結局さ、その人間が実際行動した全体だと思うようになってきたよ。 それから一歩も大きくもないしさ、小さくもないしさ。 これが意外と判ってないんじゃないかな。
・・・・・・・・・ 2003年10月05日(日) ある時間の断片ー34 11月7日 −1968年
・10時半起床。12時に池袋に出発。掲示板をみていると川崎と出会う。 「ヤタロー」で食事。その後、「価格理論」の授業を聴講。12月5日に試験とか。 産業関係論が11月21日に試験と帰りに寄った掲示板に書いてあった。 明日のゼミの工場見学の資料を取りに武沢教授の部屋に行くが、助手の横浜さんが居ない。 川崎君と一時間位喫茶店で話す。磯部嬢とバッタリ会う。石川とは上手くいってないみたいだ? 数ヶ月前に行ってきた欧州旅行のことを話したいみたいだ。 17時に帰寮。
・・・・・・ 540,お経 2002年10月05日(土)
お経は「般若心教」「観音経」「歎異抄ー第一章」「生長の家」の経を暗記してある。別に生長の家の信者ではないが、 お経の内容は良い。お参りとかの時にそれを使い分けている。「お経を暗記してると何なんになるんだ?」というが、 逆に暗記してない事を考えてみると、その効果は絶大という事が解る。少なくとも、夜寝れない時の眠り薬になる。 般若心教は「憶える前とその後」といえる位な内面の変化がみられる。心のベース基地ができる感覚である。 南無阿弥陀仏やアーメンの中に「オーム」という響きが入っている。オームは宇宙からのある波長と同じという。 暇な時間に「オームオームオーム」とゆっくりと繰り返して100回位唱えてみると、気持ちが落ち着いて宇宙と 一体感になっているような気になる。8年前に書いた文章をコピーしておきます。 −− ーH0605般若心経のすすめ ー (字数制限の関係でカット 09年10月5日) ・・・・・・・ [175] 忘れられない店ー3 2001/10/05 11:25 NoName
衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、全国的に有名な店であった。 大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。また大手商社からも直接仕入れをしていた。 全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。20年間位は店にはお客が殺到していた。 大家族のため両親からの干渉は一切なく放任そのものであった。各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態。 −当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の ‘金貸し’の勃興とか、三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の興こした‘丸大’とか、十日町の衣料品店の 市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、‘内山商店’とか、大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。 私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、山本五十六とかに可愛がられ、 茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。 反面羨ましそうの面もあったが。そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。 10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。 ーーーー 今回旅行はベトナム 2001/10/05 (11月8日〜14日ー7日間)に決定! ー近畿ツーリストー 16.8万ー ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行がベトナムに決定。 このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、 今回は自粛も含めてベトナムに決定した。旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて2〜3年先の計画に入れていた。 あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。 あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。 今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。 来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。何があっても行くのが趣味の世界だ。
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3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3 |
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2009年10月04日(日)
昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。 亀井節で、この評論家を根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。 都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、あまりに酷い。 亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、されて当然。 何を言っても議論にならないレベル。 最後は、「この程度のしかコメンテーターはいないのか、この局は」と適切な御言葉で切り捨てていた。 まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 生の現実に接してないからである。 参考のために、そのコメンテーターは、岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター) 高橋進(日本総合研究所 副理事長) 森本敏(拓殖大学 海外事情研究所所長)である。 ところで、9月29日の朝日新聞の「返済猶予法案」に対する論説を読んで、何か浮世離れをした 内容に驚いていたところ、コンサルタントの林さんから次のようなメールが届いた。 本人の了承を得て、紹介することにした。 あんな連中より以下のメールの遣り取りの方が数段まとも。 なぜなら、現場にいるからである。 TVは生の姿を映し出すから恐ろしいものである。 ー To:堀井様 ー 29日付け朝日新聞の社説の内容があまりひどいので、同社の質問コーナーに電話してみました。 意見だといえば「貴重なご意見を有難うございました。今後紙面をより良いものとするよう努めます。」 で終わりかねないので、「なぜ銀行は3兆円失うことになるか」教えて欲しい、と。 当初、質問コーナーの回答者が 適当に答えそうだったので、「自分の理解では、返済猶予は元金だけで利息は入るわけだから、利益が3兆円消える ことにならないと思っている。 ただ、天下の朝日新聞の、しかも社説にかかれていることだから、私の知らない 何か特別の理由があるかもしれない。 その根拠をぜひ聞かせて欲しい。できれば、書いた方に教えて欲しい。 時間はかかってもいい。」といい、回答話を待つこととしました。 1度か2度、電話を受けた担当者から質問の趣旨について 確認があった後、午後3時前後でしたか、最初の回答がありました。(当初「書いた人に直接聞きたい」といっていた点について、 チームで検討し書いていることなので、直接書いた人間ではないけれど、メンバーの一人として「私」が回答します、との断り がありました。こちらは、社説という朝日新聞を代表する欄についての質問したわけですから、このことに異論があるはずも ありません。)最初の回答は「誤解を与えるような書き方をしたことは遺憾でした」というような趣旨でした。 これに対しては、 (私)「いや、書き方、あるいは表現の問題ではなく、社説の根拠、あるいは前提としたことに基礎的な誤りが あったかどうか、です。誤った根拠をもとに、『亀井氏にはもっと取り組むべきことがあるはずだ』と書いたのかどうか、 ということの確認ですから、そのような回答は認められないのでは?」といって、再度回答を待つこととした。 その後、1、2度ほぼ同じような趣旨の回答がありましたが、 (私)「要するに、論ずる上での基礎的な事項を間違ってとらえ、社説を書いてしまったのではないか。 私なら、まず、訂正して、再度主張を述べるなら述べる。まずは、(無知による?)誤認という事実の訂正が必要では? なにしろ天下の朝日新聞の、しかも社説なのだから」といいました。 ー TO: 林様 ー メール拝見しました。 新聞の社説やTVのワイドショーを見ていると、指摘のあった?上からの圧力があるようです。 亀井静香に対する賛同することを評論家が一言いうと、二度とキャスターが意見を求めない図式がミエミエで、 これは、どういうことかと、驚いている次第です。 何か、私たちの知らない力が明らかに動いている?のではと? 検察と、国税などが、官僚システムを守るために動き出したような?それほど、この政変は大ごとのような気がしています。 実際は、国民が自民党の4年間の醜態に呆れ、民主に政権を渡したら、実は、革命的な出来事だった、ということでしょうか。 で、朝日新聞は天下の何?でしょうか? そんなのは遥か昔のような? とにかく、政治がおもしろくなってきたのは良いこと。 ところで、このやりとり、私のブログで取り上げてよいですか。 もちろんベールはかけますが。 まずいときは、メールをください。 Frome 堀井 今日の日曜日の各ワイドショーが、どう扱うか面白そうだ!
・・・・・・・・ 2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか? 2008年10月04日(土)
「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1 竹森 俊平 (著) この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って読んだが、成るほど面白い! 世界恐慌の様相を示してきている米国発の金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。 ーまずは、その部分からー なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。 その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、 経済システムの「自動制御装置」が働いた結果であった。 高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や 政府が、さまざまな手段を動員して高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。 あまりにも単純なルールに従って動く「自動制御装置」は、システムの安定をもたらさないこともある。 特定の要因だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、かえってシステムの安定が乱される可能性があるからだ。 今回のサブプライム危機も、「自動制御装置」が「高い経済成長率」という一つの要因にあまりに重点を置いてきた結果と いえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、今後は「自動制御装置」も根本的に調整し直されるだろう。 バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。 その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが結論。 −−−− 解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。 日本の2002年以来の、景気の好調も、著者は、その原因をただせば、「小泉改革」ではなくアメリカの「住宅バブル」という。 それが崩壊したと言うから、日本は大不況に入ること必定である。 バブル、通貨危機、投機ファンド、市場原理主義、デフレ、 インフレ、など多くの問題が発生する「紙切れ通貨制度」の功罪はあるが、それでも、この管理通貨制度以外に方策は見出せない。 紙幣そのものが、既にバブルそのものである。 そのことは、次回に取り上げる。 これから最低でも10年は、この通貨制度の危機がつづく。 著者は「序文」で、シカゴ大学の経済学者フランク・ナイトの ・発生確率が予測できる危険を「リスク」といい、 ・そのリスクを予測できない危険を「不確実性」という、 考え方を取り上げている。 【ナイトは熾烈な市場において、「不確実性」の領域に踏み込むことによってしか、利益を得ることができないと述べている。 なぜなら、事業にかかわる危険が、確率予測できる「リスク」だけなら、事業についての収入と生産費の期待値が計算できるからだ。 そうだとすると、収入の期待値が生産費の期待値を上回り、平均的には「利潤」がその事業に見込まれている場合には、 熾烈な競争が継続するだろうから、その結果、収入の期待値は生産費の期待値まで下がって、平均的には「利潤」消滅せざるをえない。】 という。これ全ての事業にも言えることである。 著者は序文の中で、 【近年の金融業界の「金融工学」という膨大なデーターによって、確率予測の上で投資戦略を展開してきた。 (字数制限のためカット09年10月3日) ・・・・・・・・・ 2007年10月04日(木) 2375, コシヒカリが売れない! (* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]
先日のニュースで{最近になって「コシヒカリ」が売れない}と、ミニ特集をしていた。 去年だけでも、県内で3万トンの余剰米が出たという。事態はかなり深刻のようである。 ーーーーーーー 2006年10月04日(水) 2010, 「私」のための現代思想 −7 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ・・さむ
ここのー「私」とは何かーという文は非常に難解であるが、一番の触りでもある。 「独我論」-唯我独尊の独りよがりの論法ーで生きている人は何処の世界にもいる。 究極的には全ての人にいえるだろうが(<特に私は強い!>・・と、思ったほうがよい) しかし、それ(独我論)では、長い時間の中で自然と淘汰されていく。 言葉は「言語という制度」に従わなければならないが、その「言語という制度」に従って使用することが思考である。 そして思考する主体が「私」である。 言葉の意味とは、その使用であり、「言語制度に従って言葉を使用すること」が 「言葉に命を与えている原因」であるならば、思考の「主体」は「言語制度」ということになる。 つまり私たちは「自我」「私個人」で思考しているのではなく、言語制度に従って言葉を使用している状態を「私の思考」 と呼んでいるだけ、ということになってしまいます。 しかし、それだけでないと誰でも考えます。 それでは・・・それが以下に述べられている。 話すにしても、文章を書くにしても、まず「私」がある。 その私とは何かが明確になっていない。ここで、その私の正体が解剖されている。 随想日記を2,000書いてきたが、それは独我論の「私」に気づくプロセスだった。 《私》という「私」の芯は、歪んだ過去の残物でしかなかったということ??・・ 過去の感動・感激・感謝の倉庫? 夢で溢れた夢倉庫? その総体ということ?? −−−−− 第三章 「私」とは何か −? ーウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」−
私たちの脳裏に発生している思考は、言語によって表現されます。言語以外の方法で表現された自分の思考を、 認識することはできません。原稿を書いている私は、キーボードの打ちすぎで右手が少ししびれてきたが、 それもしびれてきた」と言葉にしてみるまでは気づかなかったことです。 「眠いかも知れない」と感じたことも、言葉にするまで気づかなかったことです。 脳裏で言葉になった瞬間に「感じた」であり、それまでは「思っても見なかった」ことだと言えます。 そういう私は、本当に主体者なのだろうか?「私」の営みは、純粋な意味で全て「私」に帰属しているといえるだろうか。 (字数の関係でカット2008年10月04日) \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年10月04日(火) 1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4 4、超一流の人 宗親
どうしてもこういう商売をしているとね、人間の悪い面だけが見えてしまってね。 でもいいことも多いよ。絶対にこういう仕事でないと会えない人と直接話ができる事だね。 芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。やはり普通じゃないよ。一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。 「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。一生を一つの事にかけている奴は違うよ。 ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。教わる事は、「真剣に」ということさ。その人の周囲はピーンと 張り詰め空気が漂ってるんだよな。 あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。 自分の仕事と何も違うところはないよ。ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。人間こういう人は、 1000人に一人いるんだよ。まず50人に1人、別格のがいるんだ。その50人のなかから20分の一選ばるんだよな〜。 そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。 50人に1人は物真似レベル。そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。 これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。
・・・・・・・ 2004年10月04日(月) 1280, 「乾杯!」を考えてみる
乾杯といえば、忘年会などの酒席や、祝いの席には欠かせない。 家内や知人と飲む時も、グラスをぶつけあって乾杯をしている。「乾杯」は、そもそもは日本古来のものではなく、 その起源は古代ギリシャ、ローマ時代に遡る。 『世界大百科事典』(平凡社)には、「古代に神または死者のために 神酒を飲んだ宗教的儀式が起源とみられ、ギリシャ、ローマでは食事中に神酒を神にささげ、公の宴会では列席者 ならびに死者のために乾杯した。…それがいつのまにか生きた人間の健康を祝福する乾杯となった」とある。 古代ギリシャ人の間では、「酒を飲むと、一緒に魔物が入ってくる」と考えられ、飲む前にグラスをぶつけ合うことで 悪魔を払ったといわれている。 悪魔は大きな音や騒がしい音が嫌い!特にグラスの鳴る音を嫌がったらしい。 その一方ではもう少し生々しい説もある。「紀元前6世紀、ギリシャ人の間には主人が友人の健康を祝って乾杯をする習慣があった。 当時、敵を殺害するため、ワインに毒を入れることがよくあったため、まず、主人がワインを飲み、客はそれを見て安全を 確認してから自分のグラスのワインを飲んだ」というのだ。互いにグラスを勢いよくぶつけたり(酒が混じる)、 一斉に飲みほす…… というのも、毒殺対策がいわれというわけである。 飲みほすことについては、杯に底が平らでない貝殻や獣角が使われており、飲みほさないと傾いてしまう (こぼれてしまう)ためともいわれる。記録によると、毒殺の盛んだった中世ヨーロッパでも、グラスをぶつけ合い、 互いの酒を入れ合うことで、毒が入っているかどうかを確かめていたという。 時の王様は自身の権力をライバル達に知らしめるために、大勢のお客を呼んで夜ごと、豪華な晩餐パーティを開いていたが、 しかしライバル達を暗殺する絶好の場だった。 そこで乾杯をして、毒など入っていない事を証明し合う行為だった。 乾杯は世界中、どこにでもある習慣だ。スペイン南部の結婚式で行われる風習とは、乾杯で新郎新婦が乾杯酒を飲み干し、 そのグラスを地面にたたきつけて割るというもの。「これには独身時代には色々な事があったけど、 全てきれいさっぱり捨てて、今ここから新たなるスタートとしよう!」という意味が込められている。 大学の卒業式の後、学食で学部の全員が集まり、パーテーがあった後、乾杯してグラスを割った記憶が生々しい。 これで学生時代とお別れという節目としての粋な計らいであった。
・・・・・・・・・ 2003年10月04日(土) ある時間の断片ー33 11月6日 ー1968年 ・10時起床。 風邪で頭が痛かったが、少し良くなってきた。12時、佐藤君のところでお茶を飲む。その後本を読む。 夕方、飯を炊き、刺身を二人前買ってきて食事をする。 風邪を回復するための滋養だ。 食べ過ぎのせいか逆に気分が悪くなる。21時にレポート用紙を買いに出ると、市川氏と高橋君に会う。 近くの行きつけの「サンキスト」へ飲みにいく。となりの30過ぎの女性と話す。一人で楽しんでいるみたい。 私を田舎の坊ちゃんとか、結婚する典型的タイプとか、気取っているとか、貶されているのか、褒められているのか解らない。 これが自分の姿なのだろう。市川さんのおごりだ!その後3時間、勉強をして寝ようとすると、佐藤のところで駒村、 ブーちゃんと3人で飲んでいる。私も加わり、どうでもよいような議論が始まる。どうも攻撃的で、間中ブーちゃんを責める。 他人事でないのに、何を言っているのか後悔する。酔っ払いでしかない。もう少し勉強に集中しなくては、ダメだ。 卒業まで時間がないのに。周囲に動かされすぎだ。いまの勉強は、自分を納得させるためにしているに過ぎない。
・・・・・・ 539,至高体験−2 - 2002年10月04日(金)
「この経験をしただけでも、この世に生まれてきた価値が充分にある。 この瞬間を経験する為に生まれてきたとといって良い」という感覚である。 精神病は精神のマイナスの偏りの病だが、プラスの人(何をしてもうまくいく人)は、至高体験を異常に多く重ねているとか。 私の至高体験具体的に書いてみる(恋愛・下ネタはないのが少し残念だが?) ー旅行先でのそれが多い ・初めて海外旅行ーヨーロッパに行った時、生まれて初めて腹の底から笑った、何回も! 確かイギリスのパブで、 それとオーストリアのワイン居酒屋で、それとミュンヘンのビアホールで。感動と歓喜の毎日であった。 その旅行で私の固い頭を(固定観念を)叩き壊されたのが最大の収穫であった。 中学高校時代は腹の底から笑う事は本当に少なかった。またそれだけ刺激の強い事は、それまで全く無った。 ・あとは20数年前、実家の会社にいた時30人近くを引き連れてハワイに行った。その時も、至高といっていい位ぐらい ハワイの総てに感激した。 世界に名だたる観光地、ショーにしても、洗練された内容が次々出てきた。 ・カナダのロッキーも感動感動の連続であった。「一回しかチャンスが無いが、何処に行ったらよいか?」といわれたら、 カナダのロッキーだ。多くの旅行経験者はそう言う!地球でなくどこかの星に行ったような錯覚に陥る。 「ロッキーでの旅行の感激は、「自分の家を売ってでも経験する価値がある」であった。 この日を境にして、この経験をする前と後という感じだった。 ・9年前に震えながらいったケニアもそうだ。 アフリカの大地の広大のサバンナを見たときの驚きと感動! 遙か彼方にシマウマとヌーが数十頭走っている姿を始めてみた時の 感動も強烈な思い出だ。 ・事業でもそうだ。初めて千葉で千城ビルを立ち上げ仕事も軌道にのり、ふとそのビルを見上げた時の 何ともいえない絶頂感も良かった。誰もがその瞬間を持っているはずだ。 ・会社の忘年会や竣工式の後の宴会でも、それに近い気持ちになる。成功経験を重ねる人は、至高体験を重ね 続けることの出来る人だ。 巨人の長島は至高体験を普通の人の数百倍、いや数千倍経験している。 それがますます至高体験を呼び寄せる。自分を良くしようとしたら、至高体験を重ねる事だ。
・・・・・・・・ 2001年10月04日(木) 「随想日記について」
新たに考えた事より、殆どが過去に日記帳などに書いた内容が多い。それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。 具体的文章と、抽象的文章と、その中間の文章を意識して分けて書いた。 かなり刺激的な文章もあるが、 これも迷ったが思い切って載せた。この随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。 潜在意識の顕在化のプロセスを、毎日実施していることになる。 よくテーマが出てくると感心する。一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いて、いいか解らなくなることがあるが、 しかしいつの間にかテーマが出てくる。‘しかかり文章’を先に2〜3作っておくことがポイントである。 そうしておかないと、常に不安感が付きまとう。仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。 土日曜日に、3〜4つ仕掛かりの文を書き溜めておく。 どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。
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2009年10月03日(土)
「心に残るとっておきの話ー第九集」 ー終わりなき旅ーより
これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。 ≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に乗ることになった。 殆どの同行の人の顔も知らないまま飛行機の席に座ったところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が赤ちゃんの 世話をしていた。孫にしては両親がいないのでオカシイとは気になりだした。スチュワーデスが声を掛けたが、 赤ちゃんを見たところ、変な顔をして行ってしまう。 周りの人も何か変な雰囲気。そして飛行機を降りたところで、 その赤ちゃんをみたら、何と人形だった。そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、誰も近くに寄らない。 ところが食事のおりに同席したところ、その初老の男の人が「変だと思うんでしょうね」と、その事情を話し始めた。 「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで授かった。ところが直ぐに亡くなってしまい、 そのショックで妻は自殺を図ったりした上に、精神を病んでしまった。 その精神治療のために医師と相談した上に、 せめての慰みにと人形を身代わりにして、10年、衣服を替えたり、食事をしているふりをしたり、生きているように 扱ってきました。 何で、こういう話をするかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。 それを聞いて、返す言葉がなかった。 ≫ 大筋は、こういう内容である。 何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で旅行しているのだろうか。 ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、あの世に行く前に チョッコラ世界の果てでも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな人生を背負ってくる人が多い。 この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、何とも悲しみが深く伝わってくる話である。 ・・・・・・・・・ 2738, フォードが4ドル、GMが9ドルだと! 2008年10月03日(金)
アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。この影響で世界中の株価が暴落を始めている。 それにしても、火の手のまわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は1〜2年で収束するほど生易しくない。 火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか分からなくなる。アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転すしかない。 その結果、金融破綻というハイパーインフレが待っている。欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、 取り付けが静かに進んでいる。金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。 身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらいのことしか思いつかない。 情報化社会は以前のような情報コントロールが不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、資産防衛セミナーで 知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、劇的な世界の銀行の破綻と、再編成が生じている。 これは既に金融恐慌である。世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、現在の動きをみると、一連の動きが違って見えてくる。 これまでは金融機関の破綻に眼が行っているが、アメリカの大企業を見てみると、GM の株価が9ドル、フォードにいたっては 4ドルである。一時期の1割の株価である。そして9月の全米の車販売数が、去年の25%オフである。 目先、米政府が資金援助をするようだが、焼け石に水。更に数年前まで、世界の企業の最優良企業と言われていたGEが 次の危ない会社と見られ、急遽増資を発表した。こういうニュースが、今後とも休憩を入れて続いていくのである。 歴史の残る出来事を連日、目撃することになる。そして、ある日、その火の手が、自分達の世界にも押し寄せる。 戦争でも、家に赤紙が届いたり、爆撃がくるまでは、普段の静かな生活は変わらないという。 −−− *大相撲の場外乱闘が面白い!
本場所が終わったと同時に、ロシア三人組の騒動が再開した。 特に若の鵬が「旅の恥は掻き捨てとばかりに八百長や大麻疑惑の暴露を始めた。ここで俄然面白くなってきた。 脅しをかければ屈するだろうと、必死になればなるほどエスカレートしてくる。 朝青龍の八百長事件が報じられてから、勝率が80?台から50?台に落ちたと週刊誌の見出しに出ていた。 若の鵬に対して、「直接話があり、金を強引に渡された」と記者会見で言っていた。あの男ならやりかねない。 玉春日が、まだ引退をするほど負けこんでないのに、千秋楽直前に引退届けを出した。 少し穿った見方をすると、これも? その親方の巨砲も親方を辞めてしまったが、これまた不自然。 所詮は、芸能スポーツの世界のこと、これも見世物と割り切ったほうがよい。 白鵬もアメリカ巡業でのリファナ疑惑が出てきた。 何でもあり!ということである。 それより若の鵬が変な事故か、自殺のようなカタチで抹殺されはしないかと・・ その筋の関係者がタニマチが多いからだ。それより国外退去ということか。 「共同幻想」は、あまり壊さない方がよい。
・・・・・・・・ 2007年10月03日(水) 2374, 人は60歳で何をしたか −3 ー読書日記 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著
著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、 本人が一番勉強になったはずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。 彼らに一致しているのは、この時期は「起承転結」の「結」の時期ではなく、起承転々の「転」である。 最後まで転げまわるのも良いものである。この本では、古今東西の大家の「60歳の時点」の創作を具体的に提示して、 そのプロセスで、その人となりの精神を現わそうとしている。 著者は私と同じ年齢になるが、比べようもない 知識の広さと深さに大きく溜息をつきながら読んでいる。 それよりも紹介されている人たちに驚かされる。 比較しようということ自体が、おこがましいのは解っているが、それでもである。 殆どの本がそうだが、「まえがき」に多くの著者が言わんとすることが凝縮してある。 その中に「定年退職する人には、職探しの前に自分探しをする人が多いという。 企業を離れたとたん、個人としてのアイデンティティの確認に苦しむという話をよく耳にする」とあったが、 何か解るような気がする。会社という制服を着てきた人間が、それを脱いだ時に初めて自分に直面する。 自分=「私」は哲学的にいうと、過去のトータルの「・・」である。 それが制服を脱いだと同時に自己喪失感にとらわれ、個人としてのアイデンティティの確認を求めざるを 得ないのは当然のことである。 その辺のことを、この本の中では解りやすく説明している。 ーーー P・7 それまでの自分は、会社の規範の中で生きてきた。異動や転勤があり、人生の生き甲斐も家庭の悲喜も、 会社の意思で決定された。そのような企業組織に対する依存度が高い人ほど、人生が変わってしまうのが定年。 会社の出世コースを外れた人ほど、第二の人生を生き生きしているという。 そこで生き甲斐を見出せないためか、 会社以外に自分探しをしているためである。還暦とは、稀有な長生きの先に、僥倖として新しい人生が開けたという考え方だ。 60歳まで無事生きれたのだか、これを契機に新しい人生を生き直してやれというから、哲学的な概念である。 定年はそれまでの縛りがなくなることだが、還暦は新しい人生を生き直すことである。 なら積極的に新しい人生を探してみて、第二の人生を深くしていって方が良いに決まっている。 ーP・8 精神科医の中沢正夫は、その著書『人生が二度ある』の中で、 第二の人生計画を練るにあたっての原則を次のようにまとめでいる。 1、第一の人生のなかでの自分とは、自分にとって何であったのか、見きわめること 2、何をしたいのかは徹底的に個人主義的に考えること、配偶者にもそうしてもらうこと 3、計画は終了・完成を目標としないこと 4、道草・浮気の旅を心がけよう 5、働くこと、社会参加することを中心に 6、世にはばかるパワフル・シルバーに 7、挑戦を一つ入れること 8、記録をのこそう 9、早めに計画をたてる 10、もう遅いという人へ これに加えて自分探しの要諦について、評論家の佐高信は「会社への『離塁感覚』を持て」といっている。 作家の堺屋太一も「職縁から離れる時だ」といっている。 この離塁感覚というのは、以前の組織にいた時の自分を引きずるなということだろう。 あくまで自分の頭で自由に決めることを前提に、自分探しをすべしということであろう。 考えてみれば会社を去るわけだから、束縛されるものはもう何もない。 時間の過ごし方も、考え方も、 自己を規制するルールもまったくないのである。ある意味で、こんな幸せなことはない。 とはいえ、具体的にどうすれば自分探しができるのか。初めての経験だから、途方に暮れる人も多かろう。 僕は気に入っている作家の60歳の著作を書斎で探してみた。文豪といわれた人たちが、60歳という人生の切れ目で なにをしたかを調べたくなったのである。通常、著作の是非は内容で諭じるもので、60歳という視点で各分野の作品を 斬ることは、おそらく誰も試みたことがないように思う。その還暦調査を手掛ける前に、実はふたつの予感があった。 一つは、巨匠たちが節目ということを意識して、 自分の代表作をものにしているのではないかという予感。 二つ目は、この調査が新しく第二の人生を模索する人たちの、参考資料になるのでは という予感。そして、調べていくうちに、二つの予感が正しかったことを確信した。 ーーーー 以上だが、過去に何回も書いてきたが、座卓犬が突然、首輪をとられ家の外に放り出されるようなもの。 家の外は、誰も見向きもしないし、何処の犬だったなど通用しない。そうすると放り出された野犬の群れに入るか、 他の家の屋外犬として軒先に入るしかない。それともさっさと一匹狼として、街の外に出て自然の中の餌を探すか。 逆に考えれば、そのまま老いた座卓犬でいるより、余程よいかも?
・・・・・・・ 2006年10月03日(火) 2009, ドイツ病に学べ (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、ー本と出会う=批評と評論ー の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。 「日本に次いでGDP世界第三位を誇ったドイツが、EUのお荷物となっている」 というニュースは何度か目にしてきた。その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。 *その惨状といえば、19?の消費税、実質16?という高失業率、リストラ、旧東独の苦闘、 高い給料と強すぎる労働組合、旧東欧諸国に逃げ出す企業、年金制度、等々 問題が山積みである。 「まだまだ日本は、ドイツに比べたら恵まれている?」とさえ思えてくる。 しかし、現在の日本に酷似しているから驚きである。それにしても、東西冷戦時代の優等生だった ドイツと日本の凋落は激しい! ソ連とアメリカの冷戦の一番の恩恵を受けていた日独が、 終戦と同時に凋落するのは当然だが、共産圏の垣根が掃われた直撃の影響は想像を遥かに超えている。 さらに、これからはアメリカの凋落が待っているから先行きは楽観できない。 これに対して、中国とインドは紆余曲折があろうとも強大になっていく。 さらにロシアも社会基盤ができてくればその後に続くのは明らかである。 地球上の繁栄の軸は欧州から米国へ移動したが、これからはアジア・シベリア大陸に移動していく。 ドイツ車が本国で人気失墜をしたことを、まだ日本人が知ってない? ホンダと、トヨタ車があるのに、まだベンツ神話の人が多いときている・・ フォード、ゼネラル・モーターにつづいて、次はベンツの危機か? ー記事全文 ー (以下は字数の関係でカット08年10月3日)
・・・・・・・・・・ 2004年10月03日(日) 1279、イチロウの大記録
それにしても、イチロウの記録には驚いた。絶対無理といわれていた257本のヒットの記録をついに破った。 これで、歴史に残るスーパー・スターになった。相手チームの選手も祝福してくれるのだから、 それだけ凄い記録ということだ。これほどの歴史の残る大記録を、日本からの輸出品(完成品)で通用したことは、 驚くべきことである。生のドラマを、劇場的雰囲気で見れるのだから素晴らしい。昨日は、この試合を初めから 終わりまで見た。野球の試合をフルに見たのは、数年来初めてである。イチロウが初めて打率を日本でトップを とった20歳の頃、森・元監督が、あるセミナーで「王や長島より数段上の天才バッター」といっていたことが頭によぎる。 しかし、ここまでの大選手とは思ってもいなかった。以前にも書いたが、彼のある言葉に注目をした。 ートップクラスの投手の一番得意の決め玉を待つ、他の選手は得意球を避けて甘い玉の来るのを待っているが、自分は違うー 超一流の投手なら、驚くだろう。「奴は俺の得意玉を待っている、挑戦をしようというのか?」 「それなら、受けて立とう!」といかないのが、人間である。今だかって、その経験がないからだ。 相手が、得意の玉以外を待っているから、得意球が効果を上がるのだ。マジックショーのネタを相手が知っているのだから。 見ている方からしたら、こんな面白いショーはない。彼は、手持ち時間は常にストレッチをしている。 超一流選手は、どういう訳か怪我が少ない。常に鍛え、集中しているからだ。 ー以前書いた内容をコピーしておきます。 ーーーーーーー 2001/12/21 [233] イチロウ 「将棋、囲碁など今の天才と言われる新人類は、みんなコンピューター付きマシーンを使っている」 と、美輪明宏がTVで言っていた。 何か練習に工夫をしているのではないかとは思っていたが、 昨日のBS・NHKのイチロウ特集で、その秘密の一部を知る事が出来た。それは何か!「 テニスボールを投げ込むマシーン」であった。それで230?のテニスボールを投げ込み、 スピードに対し、目を作ることと、反射の訓練をしていたのだ。これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。 実際に球がきた時に、緩く見えるまで訓練するのである。そこに赤と黒で数字が書いてあった。それが見えるまで 訓練するのだろう。バッテングと守備の捕球に対して、球の見極めができるようになるまで訓練をしている。 子供の時から、そのマシーンを使っていたのではなかろうか。脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。 もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!その上に努力を人一倍重ねたのだろう。 努力は誰もできる、要は、人と違った手法を如何見つけるかだ。イチロウは自分の練習を人に見られるのを 極端に嫌っていた。他にも彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。 数年前に森監督の講演を聞いた時、 「イチロウは王・長島とは格違いのレベル」と言っていた。 そのとうりになってきた。
・・・・・・・・ 2003年10月03日(金) 912, 開発部門ーベンチャー
人間も組織も、自然に任せておけば、「最良」を避けて「良」だけをする。いや良だけでなく、悪をする。 そこで「組織にとって最良とは何かを考え実行する部隊」となる職種とはなんだろうと考えたら、開発部隊であろう。 それも3年〜10年後の新しい事業の開発行為を専門に動く職種である。 これを組織的に創るとしたら、「経営・戦略開発室」いや「経営企画室」である。 ラインやサービスとは独立をして「情報と経営・戦略の立案」に専従する職種だ。組織的ベンチャー部門ということ。 この激変の時代、常にその変化に対して自己革新を続けなければ、すぐに陳腐化をしてしまう。 そのこと自体も判らなくなるのが組織いや人間というものである。 ところで、8月21日から開発専門を一人独立をさせた。毎日、情報とりを開始をした。勿論、ラインの仕事を一切なし。 新プロジェクトの開始である。 二年前と三年前に一ヶ月間だけ期限を切って、二人に開発休暇を与えた。 期限を切れば、ラインの視点を超えることができないことに当時は全く気がつかなかった。 悪く言えば、本気にはなれなかったのも当然である。開発の必要性に気づきだしたのに、あと一歩であった。 問題の大部分は組織図にあるというが、その通りだ。 人間そのものの素質という面もあるが、システムー仕組みの問題点として問題点を捉えてみるべきだということだ。 開発行為は『外』に対する働きかけて新しい事業チャンスを模索することだ。 自分の庭の中には地表深く掘り下げれば多くの金塊があるかもしれない。それに気づくためにも、一度外に働きかけなければ。 少なくとも事業に関しては、庭の中にいては何も見えてこない。 小さい会社は社長そのものが一番の仕事になるのだが。 金物屋はホームセンターには変身不可能である。それまでの常識がバカの壁になってしまうからである。
・・・・・・・ [170] 忘れられないお店ー2 2001/10/03 その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだ。 その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、高校を卒業するまでの8年住むことになるが。 衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’ ‘3Fが住居’‘4Fが直しと女子寮’になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。 ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。 そのビルと大手通りが私の遊び場であった。 かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にも可愛がってもらった。 特に綺麗な女社員が入ってくると、 ぴったしくっついていた。競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。毎日の売り上げが気になり、 必ずレジを覗いていた。 両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。 倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。今でも年に2〜3回はその頃の夢をみる。 でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まりご馳走を食べたりして年越しをしていた。
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