堀井On-Line



3102, かなしみの詩

2009年10月02日(金)

  かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー  上條さなえ著

 たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。
今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。 図書館の天使が導いたのだ。「10歳の放浪記」では、
その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の「非情な虐めがあった」と書かれていた。
 学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。
11歳といえば自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。 不幸な子供たちほど仲間への虐めも辛らつになる。
その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。 そこで、自然と本を手に取るようになる。
そして、そこで先生に手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。
  いのちなき砂のかなしさよ  さらさらと  握れば指のあひだより落つ
いのちなき砂のかなしさよ という言葉が、さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。
  かなしみといはばいふべき  物の味  我の嘗めしはあまりに早し
この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。
そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。
山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」
「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った
 かなしみといはばいふべき 物の味  我の嘗めしはあまりに早し
山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。食べ物にはね、
うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると思っているんだ」
「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。とっても大切な味なんだ。
早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」私は俯いたまま涙をこぼした。
わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。
 〜以下は、この本の紹介文〜
 昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。
愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、
そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。
 養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公・早苗は、意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。
それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから
読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに児童文学作家として立つ原点となる。
 《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたしは山下先生との出会い
 により、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたしの励みになったことでしょう。
 友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。また、わたしはホームレスの日々を経て、
 強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》
後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに!
 ーーーーー
2283, 10歳の放浪記
         才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、
父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。
高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。
父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、街で出会ったパチンコ屋の兄さん、
やくざのお兄さん…など普通の人々である。弱者に対して優しかった時代であった。そこは池袋駅西口を背にして
左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だった
その日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。
10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。
1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。5個目の球が、途中でひっかかると、
隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、教えられ、ブザーを押す。
そこの店員が機械が壊れたと思い「どうしたの」聞いた。さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い
 「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。
さらに金に換える方法を教えてくれた。教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。
それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。しかし、ついに父が言う、
「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」
「なこちゃん、死のうか」 しかし、「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、
 どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。
 いつも友のこの言葉を反芻(はんすう)し、壊れていく父を励まし、生き抜く。
こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、ヤクザから算数を習ったり、
映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは「中に父親がいるの。探してもいい?」
と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
 また、当時の米国のケネディ大統領の演説「国が何をしてくれるかではなく、国のために自分が何をできるか」をTVでみて、
「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子供が何をできるか」に切り替えて、親のために宿泊費を稼ぐ動機にする。
 見かねたヤクザに説教された父親は本人を養護学校に入れる。ドヤ街生活が長く貧しく、服装も他の子供とは
異なっていたこともあり、そこでは壮絶なイジメにあうが、「いじめなんてなんでもない、それより、
帰る家のない明日泊まる所や、食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変か」と子供心に思い耐える。
    ーーーー
    以上であるが、感動的だったのが、そのドラマを収録している場面に、
    当の上条さなえが入ってきて、子役に涙しながら抱きついたところである。
    どんな気持ちで、当時の自分と抱き合ったのだろうか?
    学生時代、よくあの辺の映画館に行ったので何かドラマがリアルに思えた。
    色いろな人生があるものである。
   私が10歳の頃を忠実に書いたら、これまた面白いだろう!

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2737, 1929年の世界恐慌とは?
2008年10月02日(木)

 昨日の毎日新聞の 「なるほどドリ」質問、 というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機を
対比して説明している。これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、
三年で失業者が4人に1人の割合になり、これが世界第二次大戦につながっていった。
この「世界恐慌」に酷似している、というから恐ろしい。 ともにバブル崩壊が引き金!という。
29年の世界恐慌に詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が大きく性質が悪い」とコメント。
 〜〜〜〜
なるほどドリ  株価が大変なことになっているね。
記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、
  史上最大の下げ幅でした。 グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は
 「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に状況が似てきたとの懸念も出ています。
Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。
A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした世界の金融危機と、
  その後の長期的な不況を指しています。
Q 今と似てるの?
A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後の特需や
  工業化による空前の好景気でダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。
  今回もダウ平均は過去3年で2割以上、住宅価格は5年で倍に上昇しています。
 「株と住宅は上がり続ける」と過剰な投資を膨らませた金融機関が、急落によって巨額の損失を抱えたのです。
Q 恐慌でどうなったの?
A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展して銀行が相次いで破綻し、米国内の銀行の数は約半分に減りました。
  融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の全労働者の4分のーが失業しました。
  影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安はドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。
Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの?
A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、
 29日に35兆円の追加資金供給をしました。金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の枠組みも
 不十分だった29年当時とは違い、危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。
 「暗黒の月曜日(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は大量の資金供給で危機を抑え込みました。
Q 安心していいのかな。
A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。
 「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。
  〜〜〜
  現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。
  朝起きると、欧米発のニュースで「マサカ」の事件が待っている。
   出来ることなら、楽観的なレベルで終わって欲しいが、そうはいかないだろう。
   まずは、弱いところから大きな影響が出る。

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2007年10月02日(火)
2373, 人は60歳で何をしたか −2
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著   ー読書日記

ある月刊誌が贈呈として昨日、会社に送ってきた。 そこに作家の新井満が寄稿していた文章が
「60歳以降に何をすべきか」というテーマ。よくある偶然の一致であるが、それにしても不思議である。 
ーまずは、その内容をコピーしてみようー (百楽ーケイアイ出版)
*以前、禅宗の高僧と対談をしたとき「座右の銘は何ですか」ときかれ、お互いに色紙に書くことになった。
お坊さんは、たしか「誠」だった。で、私は「余命7日と想え 何をなして何をなさざるべきか」と書きました。
余命10年と思うと、まだ余裕があるから、死と生について真剣に考えるのはもう少し先にしよう、となってしまうが、
余命7日と想うと、本当にすべきことと、する必要でないことを区別せざるを得なくなるでしょう。そうすると生き方も
変わってくる。「死を考えることは、生を考えること」だというのは、このことなんです。(中略・・・)
私は若い頃から死と隣り合わせで生きてきましたから、死から生を考えるというのは当然のことなんです。
今年の春に自由訳の『老子」という本を出しました。 60歳になったら、どう生きるべきかという内容です。
老子という人物は2500年前の伝説的な哲学者ですが、その思想は難解中の難解といわれています。
私はその思想を、無謀と知りつつ4つに分類しました。1つ無欲、二つ目は謙虚、三つ目は不浄の徳、つまり争わないこと。
4つ目は貢献の徳、社会貢献です。 老子で有名なのは「上善如水」。
水のように生きるのが最高のライフスタイルだといっています。水ほど自己主張しないものはない。
丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。こんな町に従順で弱々しいのに最終的には岩をも砕いてしまう。
万物を潤し、万物に恵みを与えながら、決して威張ることなく、常に謙虚だ。
人間はこの水のように生きるべきだ、というのが老子の基本的な考え方です。この水の生き方はとても参考になります。
それに基いづ明いて、私は人生3期説を考えました。人生、90歳まで生きるとしましょうか。それを30年ずつで区切ってみる。
・最初の30年は、自分探しの時代。
・30歳から60歳までは探した自分を実現する自己実現の時代。
・60歳以降は、自分や家族以外の人間、あるいは人間以外の命のために何が出来るか考える時代。つまり老子の分類でいえば、
 人生の晩年は社会貢献の徳を実現しようという提案です。 これは、あくまで理想論ですがね。
 ーーーーーー
以上であるが、三期説にしても、5期説にても、その説を立てる論で幾らでも理屈はつく。
5期説とするなら〜20歳、40歳、60歳、80歳、80歳以上の五期に分けることができるが、三期説の方が解りやすい。
三期説で考えると、一番大切な時期は三期目ということになる。人生の収穫期ということになり、一番に充実した日々になる。
一番良くないのは、何も考えないことである。 何も考えないと、どうなるのか? 
あの8〜9割の方の群れている老人達。 表面は楽しそうだが、心の空虚は群れていては埋めることはできない。 
ところで、「人は60歳で何をしたか」藤原治・著で取上げている人たちは、その後も、二期を続けた人たちである、
そうすると荒井満とは少し違ってくる。 片方は世に、それなりのことを達成した人と、凡人は分けて考えるべきか?
ただ生き方を考える上では、藤原治の方が参考になるが。

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2006年10月02日(月)
2008, 「私」のための現代思想  −6
          (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜

 ー 先に概要を説明しておくと、
 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。
ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」
という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。
現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、
それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。
各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。
 ーーー      
第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2
  (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日)
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2005年10月02日(日)
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
(字数制限のためカット2009年10月02日)
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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2
(以下、字数の関係上カット08年10月2日)
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2003年10月02日(木)
911, 恥ずかしい話
・・・・・・・
537, 緩慢なる自殺
- 2002年10月02日(水)

 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今でもその忠告を守っている。
  ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
・缶ジュースも毒そのものー冷やすと甘味が薄れる為、甘味料を異常に入れてある。特にコーラは要注意、
 どうしても仕方なく飲みたいときは スポーツ飲料にすること
・インスタント物も可能か限り口にしないこと、やむをえない時は冷凍食品にする事。
・内臓ものも口にしないことー焼き鳥とか、レバ焼き。
 ラーメンもたまに食べるのはいいが、常食にしないこと−中華そばの汁は骨とかでダシをとってある。
・マヨネーズも危ない。今は動物性から植物性に変わっているが、ドレッシングがよい。
今考えてみて、それを実行してつくづくよかったと思う。今の人を土葬にしても骨が腐らないためにそのまま残るという。
防腐剤のためだ。 長岡のあるホテルの人から聞いた話だが「裁判調停の為長期で泊っていた母と子が数ヶ月間、
3食カップヌードルを食べていた」と聞いたことがある。 聞いただけでゾッとした。
農家は農薬を使っている現状を知っている為、自分達の口に入れる作物は無農薬しか口にしない
という話を聞いたことがある。こうなるとエログロの話だが実際のところそれに近いのだろう。
今になって狂牛病が大問題になっているが、知る人ぞしる話である。
「それでも世界で一番長寿なのだから心配することはない」というのは見当違いで、それは今のお年寄りの話。
そういう食品を若いときに口にしてない。今の30~40歳以下の人はその保障はない。
「インスタント物」「缶物」「砂糖などの糖分」は口に入れないことだ。そうしないと緩慢なる自殺になる。

・・・・・・・
[168] 忘れられないあのお店−1
 2001/10/02
 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。
初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店とかのことだ。
これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくる。
考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。
それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。
要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。
 私が3歳の時に両親が当時ビルを建設をはじめた。その時に仮店輔で木造の家を、厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。
家の下に、丸たんぼうを入れて移動したのだ。個人の申請として全国で初めてのビル建設だったという。
 昭和24〜25年の頃で、その時のことをハッキリと覚えている。ビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の記憶!
 今の緊張感の数倍あった!当時の方が圧縮された生々しさが有った。
あの白壁の匂い!そして三階への引越し。四階に従業員のねぐらと倉庫。
子供ながら色いろあった。それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。
考えてみても、異常体験だった。でも刺激的で悲しくもあり、楽しい毎日であった。
10人の家族と20人以上の従業員の戦場のような毎日!そのまま描写したら、面白い小説になるような日々の連続であった。                                 −つづくー
もし高いというなら、古本屋かブックオフで買えばよい。それでも高いというなら、図書館がある。
主知主義ではないが人間として生まれてきたからには、知る事が最も優先されべき権利であり義務でもある。
知れば知るほど知らない事が増えてくる。 知っただけその周囲の未知の部分が増えるからだ。
                        バイバイ!(゜▽゜*)ノ~~


3101,返済猶予法案の成立から見えてくること! −2

2009年10月01日(木)

 返済猶予法案の成立が現実味を帯びてきた。無理だろうという一般的な見方だったが、面白くなってきた。 
実際のところ、こうでもしないと中小企業はもたない、と前回書いたとおりである。
新聞やマスコミの論説などからして実態の厳しさが分かってない。「昭和初期の恐慌ほどではない」とか、
藤井財務大臣が言っているが、その数倍の津波が来ているのが理解できない?のである。 
「三年の返済猶予」など出来きないと信じているから驚いてしまう。非常時に非常手段は必要なのである。
成立し実行されれば、5年、10年を経過した後に振り返ると、「これが実行されてなかった本格的な恐慌になっていた」、
ということになっている。 大手銀行に資金注入をしておいて、中小企業の返済猶予に何がモラルハザードだと、
よく言うよ!ったく、である。 これまでの官僚と自民党の床柱意識に我われは毒されていたのである。
 ーネット新聞からー
亀井氏が打ち上げたモラトリアムは、民主党と国民新党、社民党による「連立政権合意書」にある、「中小企業に対する
『貸し渋り・貸しはがし防止法(仮称)』を成立させ、貸し付け債務の返済期限の延長、貸し付けの条件の変更を可能とする」
「個人の住宅ローンに関しても、返済期限の延長、貸し付け条件の変更を可能とする」との記述が元とされる。
 これに対し、金融機関側は「借り手の返済意欲が緩む」「不良債権処理額が膨らむ」などと反発しており、全国銀行協会の
永易克典会長(三菱東京UFJ銀行頭取)は「一律的、長期にわたって発動された例は過去にない」と慎重な検討を求めている。
鳩山由紀夫内閣は「官僚依存から政治主導」を掲げており、現時点で、財務省や金融庁の現職官僚らの言動は聞こえてこないが、
大蔵省OBである藤井裕久財務相は「そこまでの状況なのか」と疑問を呈している。
 果たして、天下り先が反対している「亀井モラトリアム」に対して、官僚らはどういう態度を取るのか。
政治評論家の浅川博忠氏は「亀井氏は修羅場をくぐり抜けてきた百戦錬磨の政治家。連立政権の中で、国民新党の
存在感を発揮するためにも、中小企業や弱者受けする政策を打ち上げたといえる。 批判は織り込み済み。
今後、丁々発止をしながら、落とし所を探っていくだろう」と分析。 そのうえで、「財務省や金融庁の現職官僚らは、
亀井氏の手法をよく知っている。 鳩山内閣は『脱官僚』を掲げているため、賢明な官僚たちは矢面に立つことは避ける。
以心伝心で、藤井氏にモラトリアム批判させながら、しばらくは『お手並み拝見』といった具合ではないか」と語っている。
 〜〜
 以上だが、自民党時代なら有得ない話。タップリ献金を受け銀行に尻尾を握られているから、少し凄まれれば、
取り下げざるを得ないのである。 今のところ、まだ、民主党は毒は盛られてないから、大丈夫なだけだが。
それにしても、自民党に永い時間政権を与えすぎていた。粉々に解体するのを怒り(いや喜び)を持って眺めるしかない。

・・・・・・・・・
2736, 正直こそ、最大の正当防衛
2008年10月01日(水)
 議論に絶対負けない法 −4  
                      読書日記
学生時代に、「青雲寮」(25人)という名の寮に4年間いた。 三日前にも40年ぶりに訪ねた夢をみた。
寮も部屋も40年前のままだったが、古くて瓦解する寸前の汚い風景であった。
そこで初めて知ったのが、自分の見たことのない世界があった。今回は夢がテーマではないので詳細は書かないが、
北は秋田から南は福岡までの人種を知った。こでまず驚いたのがウソを平気で言う何人かの人である。
8人兄姉の末っ子のため、ウソなど必ず見抜かれることを体験上知っていた。しかし、それは私だけの話し大体、15%の
割りでいた。(もちろん、ウソを付く程度のレベルで言っている。人を陥れるために付くウソを平然と言うと人種のことである)
正直であること、それが一番の自然体ということは、特に母から常日頃いい聞かされてきた。
だから、それが当たり前ということは、圧縮された異種の人間の集合体ではベースではないことを、そこで知った。
しかし、長い人生を歩いてきて、正直こそ一番の力になることを知った。
反面、正直とウソさえ知らない人種がいる。 それは無知の人間である。 ただ親の価値観を引き継いで、
その価値観の中で生きていて、その価値を疑ったこともない人たちが大部分だろう。 自分もそうなのだろう。 
その価値観に従うことが正直なのだろうから何がなんだか分からなくなる。
 −次の箇所が、そのあたりの人間の歪みを、言い表している。
 p−93
私たちは子供のころから本当のことを言いなさいと諭され、人生のさまざまな場面において「正直は最良の策」だと
確信するようになった。 だが、一生のあいだに、真実を語る事に、ほとんど上達しない。
おかしなことに、私たちの社会は正直であることを奨励しない。 大学に「真実を語る法」と題する講座はない。
「うそつき自主治療協会」など、というものもない。 真実を語る人だと自称する人には一度もお目にかかったことはないし、
もし自分の言うことは全部本当のことだという人がいたら、私はくるりと向きを変えて逃げ出すだろう。
私たちは幼いころの経験から本当のことを言うとたいていは罰を受けると学んだ。
本当のこと書うと、負けるか、拒否されるか、追い出されるかだ。 悪いことをして、それを正直に告白すると、
たとえ悪気がなく些細なことでも、たいがいは罰を受ける。自分が怖いと思ってることを正直に言うと、馬鹿にされる。
自分があこがれていることを正直に話すと、からかわれる。 愛情を告白すると、時には拒絶される。 
気に入らないことをはっきりと言うと、村八分にされる。怒りをあらわにすると、相手は怒りをもつて反撃してくる。
私たちは真実を話さないようにすることを学ぷ。 真実に近い話を作り上げる。まぶしすぎて目をくらませるような作り話を創造する。 
ひどい発疹を避けるように真実を避ける。私たちは正直者は単純でおめでたい馬鹿者だと教えられてきた。 
真実という言葉は嫌な言葉になってしまった。神よ、我らを真実から救いたまえ。とりわけ、自分自身に関する真実から!
私たちは真実を語らないことを身につけてきたが、私たちは誰でも、自分の心の服を脱がなければならない。
だが、あなた方を説得して心の服を脱がせるためには、まず私が自分の服を脱ぐことが必要だ。
この隠喩を実行したら、私が服を脱いでさらけ出すのは、たるんだ腹に、誰も羨ましがらない生白い胸、そのほか、
あれこれ見せるに値しないようなものではないか、と心配なのは確かだ。
だがそれでも、私たちは「裸でいるかのように話さなければならないレと私は主張する。
−−
著者は裁判の駆け引きの中で、やはり真実が力を持つことを経験上、知ったのだろう。 
といって正直過ぎるのも、相手を傷つける。 せめて出来ることは、自分に正直になるように努めることだ。 
そして誠実であろうと努めることだ。 口先の議論は、所詮はそれでしかない。そこに流れている真実を見るように勤めることである。 

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2007年10月01日(月)
2372, 人は60歳で何をしたか
                 ー読書日記
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 文芸春秋

何度もここで書いたことだが、50歳になった時、はたと今後如何に生きようか?
一年考えた末に、「この十年で、60歳以降も含めた全ての人生を生きよう」という結論に達した。
そして、そのつもりで生きてきた。現在に至って、このコンセプトは正解だったと自己満足をしている。
これは他人が評価する問題ではない、自分自身のことである。
昨年の一月に還暦を迎えた時に、「この10年間の生き方は満足できたが、次の10年をどのように生きようか?
そのコンセプトを一年間考えよう」と決めた。 正直にいうと、その満足できる結論は出ていない。
しかし大よそ考えたのは「この十年生きてきた中で、やり残したことが幾らでもあったはず、それを追求だけで幾らでも
あるはず、それを探せばよいだけ」である。「やり残しを探し、一つずつ潰していく」しかし50代のコンセプトからみると、
何か攻撃的ではない。50代のそれは好きな世界秘境ツアーを可能な限り行けばよいし、嫌なこと、嫌な人間のいるところに、
一切顔を出さなければよかった。秘境・異郷旅行を徹した?上に、このHPの文章を遺言と思いを書き足せば良かった。
他に身体に害にならない程度に美味い酒を楽しめばよかった。これまで読みたかった本は幾らでもあったが、
それを読めばよかった。その結果、60歳になった現在、何か張りが無くなってしまった。
この10年の間、少し無理してきたこともあり、唯我独尊の生き方でもあった。50歳で人生の元は取った実感があったし、
60歳で人生の余白も埋めた実感を持てた。そこで、他の同じような年代の人は如何なのか、気になりだした??
(いや、それより60歳代のコンセプトを満足してなかった!からだ)ところが面白いもので、丁度良い本を図書館で
見つけたのが、これである。それを読むと、60歳の地点で色いろな人生の立ち向かい方があるのに驚かされた。
意外に老成している内容が多いのには驚いたが、えり抜かれた人は当然ながら、それぞれの人生に最大限の努力をしている。
この本を読んでみて、小さな世界に満足していた自分の卑小さが合わせ鏡のように見えてくる。
生きてきたようにしか、その後も生きられない。それでも真摯に生きてきた人は、その後の人生でも枯れるのではなく、
むしろ成長しているのが解る。次回からは、その印象的なところを抜粋しながら考えてみる。、
同じ歳とはいえ、比べようもない相手ではあるが、自分が情けないような、悲しいような気がする。これは生まれた天分だから、
仕方ないとしてもである。二度とない人生、一日一生の思いを更に深くすれば良いのだが!

ーーーーーーー
2006年10月01日(日)
2007、「私」のための現代思想 −5  
                 おはよ〜!(*^ワ^*)i
  第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか

私たちは<世界>に投げ出され、その<世界>の中で何らかの<物語>を遂行しながら生きていく存在である。
私たちは<言葉>と<価値>によって<世界>を認識し、<物語>をつくります。ここでの物語とは、
私たち一人一人が持っている、自分が生きていく上での「脚本」のことです。
そして<世界>とは、そのそれぞれの<物語>が上演される「舞台」のことです。
 ーハイデッガーの「世界劇場」− 私たちは「役割」を演じている
ハイデッガーは「世界劇場」という概念を通して「人間の生」を把握しようと試みた。
彼はまず私たちの「存在そのものー現存在」と「役柄」は異なっている、ということから考える。「役柄」は、
人間は「この世界で何らかの役柄を演じている存在である」ということを表す概念である。
学校においては学生を、家では息子を演じ、また友人や恋人を演じたりしている。
これらを心理学では「ペルソナ」と呼ぶこともある。
これら仮面は、あらかじめこの世界に用意してあったもの。少なくとも、その役割の性格から大きく離れたりすることはない。
つまり私たちはこの世界に突然投げ出され、自らの意志によって、その世界に予め用意されていた仮面のうちから幾つかを
選び出して、それを演じています。このように「この世界に投げ出されること」をハイデッガーは「企投」と呼んだ。
またその「役割」に没入している状態を「耽落」と呼んだ。私たちは、この「仮面を被った自分」を「本来の自分」と勘違いしている。
仮面を被った状態の自己を「対象化された自己」という。被ってない状態の自己を「現存在」と呼んだ。
学生である男と、先生である自分がであったとする。そのお互いの立場ー役割を一瞬で把握して「相互関係的な役割演技」
をすることを、「原初的な出会い」という。その前段階としての「存在の認識」がある。
それは果して存在しえるのだろうか?という問題がある。しかし、「役割のみが存在している」のであれば、私たちは、
いきなり役割を認識できるわけです。しかしそうではありません。少なくとも短時間で「役割を持たない誰か」が認識され、
その上でその人の役割が想起されるという段階を通っているはずだ。
ハイデッガーは、我われが人生という劇場で役割をこなすためには、「役割を演じている役者である自己を自覚すること」
であるという解決を薦める。それをもっと自覚的にするためには「役者を辞めることを決意しつつ、役者を続ける」
ということです。そうすると大根役者と言われても、それは「役割上のことでしかないのだ」と考えることができます。
「芝居が下手だ」とか、「華がない」と言われようが、そんなことは気にならなくなる。
うまく演じることにどんな意味があるのだろうかと考えれば、うまく演じられないことにマイナスの意味を見出すことには、
それこそ意味のない。なぜなら「どうせ芝居でしかない」からです。
−−−−
評)もっと辛辣にいえば、人生などお笑い劇場でしかない。真面目に演じれば演じるほど喜劇の道化になっていく。
 それに早く気がつけばよいのだが・・・ 人を笑わせることは難しいが、こと人生にかけて簡単だ。
演じていることを自覚しなければよい。それがお笑いになる。没頭することは最も大事である。
 反面、どこかで没頭している自分をみている自身の時間が必要である。アウトサイダーと、インサイダーの両者の眼が。
   ・自分の人生という物語のシナリオと、
   ・そのシナリオに従って演じている自分と、
   ・その背景となる世界(劇場)を観ている観客と、
   ・観客を意識しながら見守っている監督、を意識して生きる!ということだ。
   そのためには、自分の人生の役を愛すること。そして、その背景となる世界と、観客と監督を愛することだ。
   そう考えると、やはり宗教と倫理は必要ということ??
この第二章 のー「私」はどこで、どのように生きているのかーの答えー総括ーは、
「私」は「世界劇場」で、私の「役割り」を果たして生きている。
ハイデッガーは、我われが人生という劇場で役割をこなすためには、「役割を演じている役者である自己を自覚すること」
であるという解決を薦める。それをもっと自覚的にするためには「役者を辞めることを決意しつつ、役者を続ける」
ということです。そうすると大根役者と言われても、それは、「役割上のことでしかないのだ」と考えることができます。 
−である。
それぞれの人生劇場は二度とない!だから一瞬たりとも無駄にはできないのが人生である。
自分の役を愛し演じとおすしかない!「私」と、私の「世界」は日々刻々腐っていく。生ものだから。
汚れていくなんて甘いものではない!腐っていくのだ。腐っていくのは仕方がないことだ。腐っていくことを
自覚するしかないのである。 そして、それを自分で笑えればよい! いや笑うしかないのだ。
他人のことは解るのだが、自分のことは解らない。だから生きていけるのである。
せめて心が腐らないようにしたいが・・・
そのためには、学び続けなければならないというが、今さら何じゃい!という、腐った声が聞こえてくる。
                        ー 以上である。
                 ーつづく  \(^▽^*)バイ!           
・・・・・・・・
2005年10月01日(土)
1642.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・1
 1, 人生を見せてもらいました!      宗親
居酒屋を二十数年も経営をしていると、社会の裏表が見える。
人生を人の数十倍、いや数百倍も見たように思える。
・数年前まで羽振りの良かった人が、今は乞食をしているとか。
・あのお客が会社の金を使い込んでいたとか。
・がんで亡くなったとか。
・かけ落ちをしたとか。
・実の娘に手を出し、子供ができたとか。
・遠くの親戚から、思わず数億の遺産が転がり込んだとか。
ここで書けないような犯罪の話の内容を聞いた。それらを中心にボチボチ書いていくつもりだ。
まあ人間は酒が入ると、人間性が丸出しになるし、幼稚になるからね!

・・・・・・・
2004年10月01日(金)
1277, [人生の目的]ー五木寛之著ー読書録

 数年前に話題になった本だが、当時あまり興味を示さなかった。
先日、たまたま図書館にあったので借りてきて読んでみた。幼児期のころから、かなり厳しい生活体験をしている為、
書いてあることは暗いが、しかし重い。彼のーあとがきにかえてーの一文が、全てこの本を伝えている。
ーー「人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。寂しいだけでなくて、むなしい。
むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は、「自分の人生の目的」を
さがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。
変な言いかたになるが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってよい。
そのためには、生きなくてはならない。生きつづけてこそ、目的も明らかになるのである。
「我あり、ゆえにわれ求む」というのがわたしの立場だ。
  (字数の関係でカット08年10月01日)
この本に、前回借りた人が書いた、メモが挟んであった。達筆な年配の人のような字だ。 それを書き写してみる。
「他力の信は義なきを義とす。生きている限り生老病死の影は、私たちにさしつづける。
 このことは、わがはからいにあらず 災難に会うときは会うがよろし 死ぬる時は死ぬがよろし 
 人生は暗夜の山中行である 人は彼方の灯火に勇気づけられる それを他力本願という」
 
・・・・・・・・・
2003年10月01日(水)
910, 人生の縮図

 先日、ある世界を垣間見た。といって書くには、あまりにシビアな世界であった。
しかし、それを書くのが随想日記の真骨頂である。ある売り物の物件を見にいった時の人生模様である。
生々しい状態であった。「あるリゾートホテルをどう転用したらよいか見てほしい」と頼まれた。
半年前に経営委託を受けた人が、支払いができないで逃げた直後。オーナーが嫌気をさして混乱しているという。
 現場に行くと数日前まで営業をしていたのが、ありあり。給料2か月分をまだ貰えない行き場のないマネジャーや
従業員が3人いた。彼等はそこで働き出して半年、派遣会社の身分で、保障は全くないという。
現在の日本の姿が、そのまま現れている状況であった。 これ以上の景観がない位の場所にあり、オーナーが
半分趣味で建てた素晴らしいリゾートホテルである。
(字数の関係でカット08年10月01日)

・・・・・・・
デフレと対策  2002/10/01

現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。
衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。自転車も、半値か四分の一だ。 電気商品もしかりだ。
  (字数の関係でカット09年10月01日)


3100,強請りの類

2009年09月30日(水)

 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。
 小さなのを入れれば毎年である。 何割かが、その手に乗ってしまうから流しが小遣い稼ぎに日本中の旅館、
 ホテルに回っているのだろう。 それでも暴対法が出来てから激減をしたが、今も後を絶たない。
・仲間に外部から電話をさせて、手違いで切れてしまうというストーリーをつくり、
「御蔭で商談が潰れてしまった。数百万の損害を受けた、何とかしろ」というのが初めてのもの。
 警察に電話しても、「民事で手に負えない」という返事。 それに対して、「一切の弁償は出来ません」
 のイッテン張りで粘るしかない。もし支払えば、その筋に流れ甘いカモとみなされる。
 それにしても、客商売の弱味を巧妙についてくる。このケースの場合は刃物を突きつけられ、それで逮捕に至ったが。
・アベックで泊まった二人連れが、「女の方が風呂に入ったら肌が変になった、何とかしろ」と、どこまでも粘ってくる。
 これでは警察も動くことも出来ない。刑事曰く、「最後は金をせびってくるから、それまで粘ってくれ」と。
 そして、何処までも金を払わないのに痺れを切らした男が、「10万円で、手を打とう」と言った直後に警察に連絡、
 刑事が二人の前に現われて「御前ら、駅前のヤクザに断ったのか?もし知れたら只事ではないぞ!」と言った直後、消えた。 
・直近で生々しいのがあったが、これは脅しの電話を録音をして警察に持ち込んで被害届を出して、問題を警察管轄に入れた。
 これも、当初は刑事が「民事不介入が前提」というから、電話で「 これまで積極的に警察には協力してきたが、
それなら刑事事件(手配書をフロント裏に張って窃盗犯の宿泊の通報)不介入を取り入れますよ 」と言ったら、
 態度がガラッと変わった?のは、当然のこと。 数年に一度のこととはいえ、現場の苦情処理の担当は大変。
 それを職業にしている連中の脅しは、素人を恐怖のどん底に落とし込む迫力がある。 現在進行形のやつがある。
 生々しいが、具体的には書くと万一ということがあるから今は書けないが、それはそれは、巧妙だが、 
 クラシックな手口で、素人?と思えるが。ホテルのフロントが警察直轄の十手持ちに近いのが分からないのは、
 そもそもチンピラ、素人、それも流しである。 「強請ハンター・マニュアル」でも作らなければ。
 そろそろ、ロビーに監視カメラを考えなけらばならないというサインか?。

  ・・・・・・・・
2008年09月30日(火)
2735, 学校 
  
山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。
それぞれに味があるが、この?の後に20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は『冒険の旅に出る』
との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定である。
彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客にハラハラ
させられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。
そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。
  −−
 ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。
彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。
一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことになった大介は、
 別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。『大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/
 あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くことなん
 か目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露
 /流れる雲/小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/
                                    日向国浪人 大庭登』。
 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」
 と、号泣する。  別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。
 屋久島に行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。
 その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。
 険しい山道を真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。
 その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は真知子に勧められて家に電話を入れる。
 出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に、母が毎日泣いていることを伝えてくれた。
 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、
 真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。
 −−−
 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。
少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。
自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。
何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。

・・・・・・・・・
2007年09月30日(日)
2371, え? なに! 何で?
          才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪

新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい!
切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。
ところが先週になってソニーファイナンスの審査部から電話が入り、「年金を貰ってますか?」という問い合わせが
入ったので、貰ってませんと返事をした。ところが一昨日「審査で融資付のものは今回は申し込みを受理できません」
いう手紙が来た。今まで一度もなかったので、非常に不愉快な気分になってしまった。
年齢からみて年金を貰ってないのが問題なのか? 私がブラックというのか?満額貰えるのが一年数ヶ月後であるので、
今受給しないのは当然である。しかし何で私が不適応? カード会社に対して返済遅延もないし、キャッシングそのものを
したことがない。カードは一回払いにすると現金払いより有利という理由だけで使っているだけである。
「何で?」という電話をソニーファイナンスにしたところ、「そういう質問には答えられません」という素っ気無い返事。 
その手紙を読んでから一日中不快感が残る。年金受給の年齢を審査が把握してないのか?もちろん、幾つかカードを
持っているが、こんなことは初めて。60歳過ぎたら一般的には、年金受給者なのか? それにしても不愉快も極まりない。
これからは一切ソニーの製品を買うことをやめることにした。還暦を越えると年々、娑婆から排除されていくのか?
  (字数の関係でカット08年09月30日)

・・・・・・・・
006年09月30日(土)
2006, 私の酒の自主規制とは

   おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
たしか以前にも書いたことがあるが、
酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。
驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。
そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。
キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。
・自宅で日本酒は飲まない              ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・)
・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない)        ・女性と二人で酒を飲まない
・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・  ・午前様でも、歩いて帰る
・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない      ・午前様は避ける(最近になって加えた)
・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ         ・地方名士様が集まる店には行かない
・客単価5000円以上の店には行かない       ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない
・ボトルは絶対に置かない              ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。
・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける
 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、
 イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 
 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・
 ーー
 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。
 そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ!この程度の者かお前は!
 しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている!
 さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・
 
 ・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2   −酒飲みの作法ー

女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ? 私の場合それが酒だ。
かなり危ないことが多くあった。警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。
それでも最近は2年に一度は??酒で失敗したことで、かなり自分の人生で失ったことが多い。
しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。
更に失った以上に、失ったことで逆に得ていることのほうが多い??
子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。
ボトルを入れる人の気持ちが解らない。従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。
ただ飲みすぎて身体を壊さないように、自己ルール化をしてある。
−30数年の痛飲からの知恵であるタブーとしてー自己規制
・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒
     b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌  ーこれが一番危ない、蓄積される。自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいる
             ーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 −不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くーよった勢いで???
・23時を目途とする
 このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。好きとは、こういうことだ。
実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。軽症と思っているが。 一応許容範囲か???
記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。 実際経験してみて、嘘でないことが解った。
「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」というが、どうであろうか?

・・・・・・・
2005年09月30日(金)
1641, 37年前の自分へ返信ー2

卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。
貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。
インナーチルドレンに対する心の癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。
ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。
ー1968年の私から、2005年の私への返信ー
手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと思います。
夢と解っていても敢えて、返信を書いてみます。 むしろその方が気楽です。
何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いているような気持ちです。
貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられたようでした。
現在の私は、とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄
というのが、日々の不安を大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか解りません。
卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が大きかったことに自信を失っているのです。
おそらく武澤ゼミの影響と、卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。
本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が吐露できないのです。
精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスをとることに精一杯なにです。
それにしても、今という時はすごい瞬間ということも理解しています。少しの判断が人生を大きく左右するからです。
あなたの手紙から、60歳近くの貴方を窺い知ることはできませんが、興味があります。
しかし、知らない方が良いのかも知れません。多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトをしてきているのですから、
色いろあったのだと思います。ただ貴方のこと、こじんまりとした人生を送るとは思いません。
夢の中でも、37年後の世界は想像すらつきません。ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。
誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして成功させて、
その事業に価値をつけた状態で売り抜けるプロセスでキャリアをつけていく
事業家としての人生をおくりたいのです。 夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。
             ー つづく
・・・・・・・・・
2004年09月30日(木)
1276, 「元気の出る言葉」−1

検索をしていて、いつの間にかネットサーフィンをして、思わず面白いHPに出くわすことが多くなった。
ここにきて、時間が経ってそれぞれのHPが充実してきたこともあろう。
何か「元気の出る言葉」がないかと「プラスの言葉」で検索・サーフィンをしていたら、面白いHPに行き当たった。
切り口が単純で解りやすくてよい。 一言一言が、心に染みるものばかりである。 感想文も所々に入れた。
「たった一言の言葉」で元気も出てくるし、絶望もする。
私など言葉の刃で、どれだけ人を傷付けてきたことだろう。
最近は、散歩の時「ありがとう」を500〜1000回、その他に「プラスの言葉」
を10〜20を、それぞれ数十回も唱えているが、それでも頭の中は何時の間に
マイナスの言葉を繰り返している。まあ、普通は90?はマイナス用語の繰り返しというから、
その半分は、いや90?は消えているという実感がする。
 ーー
「キッカケをくれた言葉」集より
一歩踏み出そうと思う言葉−1

■どんなに青臭いと言われても、夢を捨てたら、手段に殺される。(by 藤原和博)
 感想ー「夢を捨てたら、手段に殺される!」考えてみたら凄い言葉だ。
 夢に挫折をした時、それまで準備してきたことが全て無意味と思った時の
 辛さや、仲間割れや、云々が頭によぎる。
 死ぬまで夢追い人でなくてはいけないのだろうか?
■時代はオセロのようなもの。
 隅っこの一人が、全部をひっくり返す。(by 中谷彰宏)
■遅過ぎない。
 早すぎない。
 ちょうどいい。(by 中谷彰宏)
■アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。(by 相田みつを)
■たやすくなる前は、何もかも難しいものだ。
 感想ー全くそのとおりだ! (by ゲーテ)
■夢は逃げない。
 逃げるのはいつも自分。
 感想ー逃げる場合もあるが、見えなくなる場合もある。(by 高橋歩)
(字数の関係でカット09年09月30日)
・・・・・・・・
2003年09月30日(火)
909, 巨人軍の原監督の更迭について

「巨人・大鵬・玉子焼き」の世代に生きてきたものにとって、
 巨人は大きな存在であった。しかし、この数年は年々興味が薄れる一方だ。
(字数の関係でカット08年09月30日)

・・・・・・・・・
535,同級会
- 2002年09月30日(月)

 この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。但し同窓会はでないようにしていた。
同窓会は高校と大学だけだが、知らない人間が年上というだけで気を使わなくてはならないのが嫌だからだ。
・小学校が5年に一度、中学と高校は毎年開いていた。
・中学は3年前仕切っていたマドンナが事故で大怪我をして休会状態だ。今年から復活する?
・大学はゼミの同窓会が毎年おこなわれていたが、5年前に教授が亡くなられて
 今は出席していない。 大学は10年単位で学年ごとに学校が主催で会を開いている。
 これが素晴らしい。 我を忘れて数十年前のことを思い出すのもよいものである。
 中学高校を毎年開いている話を知人が聞いて、「毎年同級会を開くなんて変態だ!」と驚いていた。
知人は最近同級会を始めたが、それまでは殆んど開いてなかったという。
先日の法事で7歳年上の長岡に住む従妹が、年4回欠かさず開いていると聞いて吃驚仰天した。
世の中上には上があるもので、それも13人だという。
 面白いもので、小、中、高、大学と物理的にも知識情報にも、上に行くほど明確に世界が広くなっている。
「学校をでたら、10〜20年は学校の友人とは付き合わない方がよい」と本で読んだ事がある。
人間として脱皮できなくなるという。大学を出て10年ぶりに友人の結婚式に出たとき、学生時代の知人のグループに
出くわして驚いてしまった。当時と何も変わってないのだ。 すぐに家業を継ぎ友人関係もそのまま、同じ地域にいて・・・。
それが良いかどうか解らないが、いやに奇妙な感じだった。地方には長男長女が多い。それ以下は外に出るケースが多い。
不景気になってくると、全体に暗い会になりがちである。高校の同級会は年毎に少なく暗くなる。地元じゃ
大手の会社に勤めているか社長だ。それまで胸を張っていたような人ほど元気がない。また出席は10年前の半数以下だ。
 倒産、倒産直前、リストラ、早期退職など暗い話だけだ。日本で現在長岡が一番不景気だともいわれている。
毎月のように廃業、倒産がおきている。 次は何処が噂のネタになっている。
同級会は40前後が一番良いといわれている。 社会的にも絶頂で、先生も定年近くで、
女性も子供の手が離れる時期だ。50歳過ぎると、お互いに我侭が出てくるし遠ざかる時期でもある。
それと死亡が目立ってくる時期だ、5年ぶりの小学校で100人の同期で5~6人も亡くなっていた。
その年になったということだ!

・・・・・・
[166] 映画  2001/09/30

昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。何故いい年をしてアニメ映画?
動機は簡単TVで1700万人以上が、この二〜三ヶ月で見たといっていたからである。
なるほど面白い!三条まで行く価値があるかはさておき、広い範囲の客層が楽しめる内容であった。
軽くみれば軽くみれるし、深くみれば深くみれる内容であった。スターウオーズは神話が背後にある。
神話は[ある主人公が遠い旅をして、その先で大きい経験をして帰還する]のが骨子だ。
桃太郎、一寸法師もしかり、ギリシャ神話も全てそうだ。
このアニメの大筋はヒロインの少女と両親が道に迷い、魔界に迷い込んでしまう。
そこでいろいろな経験をして、最後に両親を助けだし目出度しのストリー。
ところで話が全く違うが、マイカルに帰りに入ったがみごと倒産直後の店であった。
食品売り場で生鮮売り場が閉鎖されていた。
この映画を見て、マイカルを覗き、ジャスコを覗き帰ってくるには丁度いい。


3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2

2009年09月29日(火)

  =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から
・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。
 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。
・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が
 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。
・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少)
 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、
 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。
・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、
 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。
  〜以上だが、
「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」
 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、
 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。
 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が
 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。
 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。
 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、
 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、
 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を
 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは?
 オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。
  *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない
  *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
  *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
  * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち
  *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。
  *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない
  *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。
何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。
しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」
                                   ーつづく
 ・・・・・・・・・
2734, 米国金融恐慌の深層 −2
2008年09月29日(月)

前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。
 まずは、続きの部分から
 ーーー
 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは
 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。
 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。
 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。
 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。
 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。
 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、
 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。
 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。
 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
  * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。
 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。
 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。
 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」
 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。
 ーーー
 評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている世界システムが
 アメリカ自身が自ら叩き壊してしまった。そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。
 誰が一番困るか、日本と中国である。 10年、20年スパンで考えると、当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。
 ただ同然で刷った札の価値が下がっただけでしかない。 結果として、それを持たされた日本が丸裸同然になるのである。
 日本が汗水流して得た経常黒字を、アメリカ国債を買わせて、ドルを回収してしまう循環をつくり
 強奪する「新・帝国循環」というシステム。 それがサブプライム問題で爆発してしまったという論が、的を得ている。
 ドルという絶対的基軸通貨が、ユーロ、元など幾つかに分かれて行くしかない。
 我われは、それでもマネーを媒介とするしかないのである。アメリア帝国主義の崩壊の後は、欧州、
 アジア、そしてアメリカ、 という多極に分かれた通貨制度になるしかないのである。 

 ・・・・・・・・
2007年09月29日(土)
2370, 喫茶店の話

先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種
そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。あったとしても、実体は定食屋だったり、年中休みなしで働くか、
趣味として採算度外視と割り切ったものだったりするのが実情である。チェーン店のそれは、中食ージャンクション食として、
コーヒーにスナックを軽く食べるのを目的としたものである。値段の高い、家では飲むことの出来ないコーヒーを
飲ませる外資系のチェーン店もある。ただし、個人店としては成り立ちにくく、年々店は減っている状態である。
古町のスナックのチー・ママを長年した後に、喫茶店をしていると聞き、今は東京に帰った友人が新潟に来たおりに
一緒に店に行ったことがある。しかし、その苛酷さに全エネルギーをとられ、ダウン寸前であった。
とにかく運営していく難しさは思いの他だという。(その後は、どうなったかは不明だが)
また、二十年来の取引先の営業の担当が55歳を機にコーヒー専門店を開いたと聞いて、新潟市の郊外の店に何度か
訪ねて行ったが、やはり苦戦をしていた。副支配人が飲食業の出身で、カフェレストランに何年か務めていたこともあり、
コーヒーには厳しい目を持っているが、「所詮は素人の域からは出てない!」との厳しい評価。(当社もホテルの開業から
十数年間、喫茶・レストラン店を開いていたが、もちろん赤字であり、体裁で開いていたのが実情である)
「素人が表面的に喫茶店でもと開店して順調にいくのは奇跡に近い」というのが、商売の未経験者には理解できないのである。
事業の立ち上げと、その軌道に乗せるのに大小は関係ない。「血の小便」とは良くいったもので、そのプロセスで死ぬ思いをする。
その経験をしたところで、上手くいくのは奇跡に近いのが実情である。
新潟駅前で何店か気に入った店を通ったが、何年か上手くいくと舞い上がり、阿波踊りを始めるか、
天狗になって手がつけられない状態になり、お客にソッポを向かれてしまうのが殆どの結末。至近の店などで、
そういう多くの事例を見てきた。 喫茶店は、水商売の原型である。

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2006年09月29日(金)
2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i

「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。
 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイが差別用語なら「既知外」といえばよい。
 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。
 一番さわりの部分を抜粋してみるー
・・ただ僕の場合、すべての人がちょっとおかしい、そしておかしいところがその人の個性と見ていますから。
(字数の関係でカット09年09月29日)
・・・・・・・  
2005年09月29日(木)
1640, 個性について

 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
 −−−
ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?
ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと
 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか
 によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い
 ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。
ー今西 個性が浅いということですね。
ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を
 より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、
 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
 別社会が何も外にある別社会だけじゃないですね。 自分の中にある別社会でもある。
 それは山に行くことで、日常から離れられて、非日常の次元で直感がさえる、はたらくということでしょう。
 ーーー
20年前に、中曽根内閣が臨時教育審議会で、従来の「自由化」に代わり、「個性化」を打ち出した。
それまでの画一的な詰め込み教育・偏差教育からのゆり戻しであった。個性を育てれば、受験勉強一辺倒の価値観が変わり、
登校拒否や校内暴力がなくなり、国際的にみても変形の日本人的な歪みがなくなるはずだった。
(字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・
2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー

ハワイが意外とよいのだ。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイといっているので、
そこの良さをあまり誰も言わない。オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。
観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。行くまでは、私もそう思っていた。
しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけでも思わない自然の宝庫が多くある。
ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。 火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。
波が荒く、サーファーが波乗りをしているのがロケーションにピッタシなのだ。
ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が
安いのは皮肉といえば皮肉である。日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。
今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。
実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、社員の半分近くの総員27名で行くことになった。
これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。どこに行ってもバス一台貸切である。その時の添乗員が、
後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さんであった。彼とは今でも付き合いがある。これで面白くないわけが無い、
6日間の祭り騒ぎの旅行になった。これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。
私も若かったし(当時32歳)、若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気がまた良かった。
ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。そこにいるだけで癒された。何処にいっても、
お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。今のラスベガスがそうだというが、全てがショーアップされていた。
世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。

・・・・・・・
2003年09月29日(月)
908, 医師?それとも技師?

 お医者様の話をしてみよう。
そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。
少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のようにモルモットにされて殺されてしまう。
こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解できない。あのエイズの血友病の放置と根は同じだ。
 ーー
・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。
これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。
一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。
こういうのが医師としてまかり通っている。 
      (字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・・・
534,「少し早めな遺言」
2002年09月29日(日)

50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。
数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。殆んどというと、少しは書いていたのかというと、
会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、5年前に数行書き始めてそのままのものがある。
照れくさくって書けないのが実情である。図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。
作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。 実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、
ある程度フザケテしか書けないだろうが。でも半数はけっこう真剣に書いている。
ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!!
 実感で書いてみる。
・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。
 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。まあ大した事はないから、
その点は気にしないでいてよい。 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。
・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」
 「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」
  ーこれ今即興で・・・
・今度生まれてきたら、また同じ両親の元に生まれ、同じ家内?と一緒になりたい 
 ー同じ条件で生まれる事はないから大丈夫だが!
 ー参考のために、家内は嫌だと20年前に宣言された!
・子供たちには怖い父親であったが、あなた方も優しい父親でなく怖い父親になってください。
 ただ困っていたら、その時出来る範囲で優しく助けてやってください。
・ー子供たちにー父親訓として
 真面目な路線の上を、面白おかしく生きてください。性悪説の路線の上を、性善説で生きてください。
 人生二度なし、燃焼した人生を送るように。クールヘッド、ウオームハートで。人と違う人生をプラスに前向きに生きること。
・ー家内にはー
 死ぬときは必ず傍にいるから安心していてください。お蔭様で明るく楽しい人生でした。
 −何事も深刻にならず、鳥の羽毛のように軽く生きる事ができました。
・ー家訓として残しておく言葉はー
 他人との金銭の貸し借りはしない事
 請け判ー特に保証人には絶対にならない事
 小銭を大事にする事ーそうしないと大金が使えない。
 生き金は使え、死に金は使わない
 贅沢は敵、質素に、簡素に生きる
 法事や墓参りは必ずする事ー坊主の布施は最小にーこれは私の意見
 近所の人とは親しくしない事ー但し挨拶だけはしっかりと
 商工会議所や町内会や青年会議所には要注意???!!!
  −業種によるが、同種の情報媒体は避ける事!
 −下記の参加は避ける事ー
 ロータークラブ、ライオンズ、商工会議所ー青年部とかの? 読書などの教養だけは身につける事
 書いていて面白くなってきた。この随想日記そのものが遺言そのものだ!
 更にー
・姉兄には  お世話になりました。
 皆様の分まで生きたようにも思います。 何か真剣に書いてしまった。

・・・・・・・・・・・
[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29

 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、
現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。あいた口が閉じなかった。
何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。
曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、値段を表示するのは可笑しい」
私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。その皆さんがこうして団体で来るのは
どいう訳ですか」 自分たちは疾しい事をしている負い目が、彼らにあった。おどおどしていた。そこだけはしっかり見ていた。
次の日に垂れ幕を下ろした、そんなことどうでもよかった。一人の強さとはこういうものか、反面闘いのない世界とは
こういうものかと。こんな程度か!地方は面白い!小手先の世界だと。馬鹿にされたのも、気きずいて?なかったみたいだ。
この連中のビジネスホテル協会とか。価格協定談合組合ということらしい。
いまでも残骸として残っているという。長野はその5年後実質解散したという。
5歳の頃、両親から全く同じ話を聞いていた。あの連中のあの感覚を!
20年前のその時期に、新?ビル管理?の馬鹿専務が、気の遠くなるような漫談を言っていた。
内容は可哀想で言えない。それぞれの視点がある。とりあえず楽だった。繊維の世界との差がありすぎた。


3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1

2009年09月28日(月)


* ほんとうかいな?
 最近の発刊の「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」三橋貴明著
を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 
 ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー
「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、
有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」
と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番
余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと
経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが
真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、
あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を
押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし、現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。
なぜ{一つもない}と断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。
一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる国など、
本当に一つもありません。 ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。
 ポイントを言うと
●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない
●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家
 〜〜
 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされてしまって
紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。
しかし、だから如何した。 国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、
不動産資産の価値の暴落があっても、その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。
 次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。                             
                                   ー つづく
・・・・・・・・・・
2733, 米国金融恐慌の深層 −1
2008年09月28日(日)

朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎氏が《金融危機の深層》として、
アメリカ発金融危機の本を評論していた。 内容が長いので二回に分けて掲載するが、
こと、ここに至って、冷静過ぎる内容と感じたのが私の感想である。
まずは、その内容の前半を・・・
 −−−
今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。
山一証券の約125倍という巨額の負債だった。 公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。
翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手のAIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、
発行済み株式の約80%を取得して、管理下で再建を図ることとした。
AIGは住宅ローンの証券化商品の元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大鰍に販売しているため、
元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる恐れありと当局は認識したらしい。 
昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、サププライムローンそのものの焦げ付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。
ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、「金融システム危機」が予感されている。
 *真実味帯びる悲観論*
こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、「実体経済の数字はそんなにひどくありません」
 「アメリカが駄目だと言われているほどにドルは下がっていないのでは?なかなかに打たれ強いですよ」と述べている。
 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募.増資できている」ことが拳げられているから、
 悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。
・「週刊ダイヤモンド」は悲観論の郵緬を分かりやすく図式化している。損失計上ー>貸し渋りー>景気悪化ー>焦げ付き増
  ー>損失計上の「負のスパイラル」が始動、大手金融だけでなく地銀・住宅公社からノンバンク、モノライン
 (証券化商品や地方債の保証会杜)までがバランスシートを悪化させ、もはや公的資金注入は不可避とする。
・水野和夫の推計によれぱ、米国の実質的な住宅価格はさらに34%は下落する。住宅ローン残高よりも安くなると金融資産を持たない
 多くの家計で差額が不良債権となってしまう。その紛額を大手金融機関の自己資本に匹敵する1・27兆弗と見積もれは、
 現在4千億Fルの処理進捗率はいまだ31%にすぎない。これからが危機の本番ということになる。
 公的資金の注入は避けられず、しかしその原資を調達しようにも増税は無理だから、国債を外国人、なかでも中東諸国や
 最大の貿易黒字国である中国に買ってもらうしかない。しかし国債に償還のあてがないとみなされれは、
 国際通貨としてのドル離れさえ起きる可能性がある、と言う。 
・さらに野ロ悠紀雄は、こうしたドル危機の「原因」はサブプライムショックであるかに見えるが、
 それはむしろ「結果」で真因はGDP(国内総生産)の5〜6%に膨れあがった米国の経常収支の赤字にあるとする。
 物価および利子率の差が日米間で3%あり、両国間で同一財価格が同一に、どちらの通貨で運用しても利回りが同じになるには、
 ドルが円に対し毎年3%減価(円高)しなけれはならない。ではなぜ経常収支赤字が減らなかったのか。
 それは円安を持続させ対米輸出を維持するために日本が資本提供をしたからで、しかしドルがードル70円程度まで低下する圧力は
 かかっていたから、いずれ何かのきっかけに解消されたはずだと推測する。
  −−−
 評) アメリカ金融危機に対する多くの本が並んでいるが、今年に入り、その最右翼の悲観論者のいう通りになってきた。
ここでは最右翼の本は扱ってなかったため、迫力に欠けた内容になってしまった。 学者タイプの人のためか生々しさにかける。
初め取り上げている北野一は甘いのか、もし恐慌になっても、それさえ乗り越える国力がアメリカには有ると言うのか?
現在のアメリカの財政の破綻は明らかだが、資源・宇宙工学・軍事・情報関連も含めた国力の蓄積で立ち直りは早い、
というのだろうか?  野口悠紀雄の間接原因は財政赤字というのも、納得できる。このところ悲観論者の本を何冊も
読んでいるので少し冷静になることも必要だろう。ところで昨日のマスコミは一切アメリカの金融危機のことを扱ってなかった。
これも驚き。問題はあまりに深刻で恐慌を煽り立てることも出来ないのか、日本のマスコミが呆けているだけなのか。
  もう火がついてしまったことは間違いない。
 
・・・・・・・・・
2007年09月28日(金)
2369, 大物の不在

産経新聞の、この日曜日の【論壇時評】10月号の中の「大物の不在」の論評の部分が面白い。
先日「ポスト・モダン主義」というテーマの内容で、{大きな物語=モダン主義の終焉により、大物が存在しにくくなってしまった。
存在したとしてもあまり脚光を浴びない時代になった}と、書いたばかり。そのことを宗教学者の山折哲雄は、宗教学者の視点から、
多くの闘いを勝ち抜いて大物になっていった本物が現代には存在しえなくなったと指摘していた。
そのプロセスで早々に寄って集って引き摺り下ろされてしまうのである。
ーまずは、その部分を抜粋してみるー
  山折哲雄は、折しも「日本から『大物』が消えた」(月刊誌・諸君)と述べる。
大物を好まなくなった現代日本の文化状況と、大物と本物との違いなどについて語るのだ。
山折は最近亡くなった2人の政治家(宮本顕治、宮沢喜一)の訃報(ふほう)記事に「大物」の形容詞が
使われていないことに着目。考えてみると彼らに限らず大学の大物総長、学界の大ボス、文壇の大御所、論壇の大家、
財界の大物…みんないない。なぜか。 ひとつには大量消費という時代の胃袋に消化(消費)され尽くし、
個人が大物にまで育つ余裕がなかったこともあろう。残るのは大量生産を担ったトヨタなどの組織ばかりである。
ところで山折の区別によると本物は、政治的利害に生きる大物と異なり、権威と真っ向から対決し、師殺し・父殺し
・神殺しによってそれを乗り越える毒々しい存在だ。しかし生命は、そうした死を通じてのみ次代に伝えられるのであって、
結局大物の不在は、師殺しにいたる対決自体を不可能にし、伝えられる文化を小さなものにしてゆく。
 たしかにテレビ時代を通じてわれわれは一貫して、他の人間をテレビ的サイズに
縮小して眺める視線に慣れ、今またネットブログの定着で、他人の思想・行動を高みから
安易に分析・評価する手段を得た。“見下ろす”視線の獲得は一瞬、自己の拡大を錯覚
させるが、そこに結ばれるのはどうやら卑小な自画像にほかならないようだ。
そしてみんな小物になった、か。・・・・      (評論家 稲垣真澄)(2007/09/23 )
ーーー
 (字数の関係でカット2008年9月28日)
・・・・・・・・・
2006年09月28日(木)
2004, 「私」のための現代思想  −4
       (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ

 社会は本来、我われがよりよく生きるためにつくられた筈だった。しかし社会そのものが私たちを束縛し、
苦しめている現実がある。そのような束縛から逃れ、「自由」を手に入れるために、<社会><言葉><価値> 
から一段上に立って見直す必要がある。この本では、その「もう一段上の視点」を <世界>と<物語>であると考える。
次の章では、その<世界>と<物語>について考えることによって、束縛から逃れる方法を模索しているが、
ここでは他人の集まりの社会について説いている。社会といえば、もっと身近で世間様がある。 
その辺の卑しい?人の目を言うが・・。社会と世間は、他人の集まりという面では共通だが、至近の人間関係を世間という。
その世間を卑しいというのも、問題があるか?地方で大きな壁になるのが人間関係の固定化からくる。
へドロ社会ー世間になる。「馬鹿の壁」と割り切るしかないが、その一員でしかないのも事実である。
     その壁は、所詮その社会の一員である自分自身そのものになる。      
 《 社会についての要点を抜粋してみる》
第一章 「私」を縛るものは何か ー
ーー≪社会≫についてーー
 ー 「生ー政治」 ー
フランスのフーコーは、「生かしつづけることを基本的として採用している政治」のことを、「生ー政治」と表現している。
そこでは、「生かすこと」が政治の基本原理であり、それに則った施策が実行されます。この生かすとは「≪身体≫を生かす」
ことを意味しています。すなわち、生物的な「生」を継続して維持するために、さまざまな政治的営みを行うことが、
現代の基本的な手法として存在しているわけです。そして、それは管理のための「究極の語彙」として意味を持っています。
《国を生かす、地域を生かす、国民を生かす、社会資本を生かす、のが政治の目的ということか!》
 (字数の関係でカット2008年9月28日)

・・・・・・・・・
2004年09月28日(火)
1274, シュリーマンの話−2

ーシュリーマンの「語学習得法の秘密」ー
シュリーマンにとって、語学力が最大の武器であった。 語学力の方法として、「当時売れていた小説を、丸暗記をする方法」
を取っていた。ストーリーは解っているので、意味は敢えて考えなくてもよい。
更に一ヶ国さえマスターすれば、他の外国語も同じ小説で、同じプロセスを踏めばよい。(詳細は後記) 理に適っている。
若いときにこれに気づいていれば全く違った人生が踏み出せたのにと、今さら悔やんでも仕方がない。いや実をいうと、
高校に入学をしたときの英語の先生が、殆んど同じ方法を教えてくれていた。右の耳から入って、左に抜けていっただけなのだ。
バカの壁にしっかりと囲まれていたのだ。「全く、もう!」である。 以下は幾つかのHPから抜粋し、まとめてモノである 
 ーー
シュリーマンは、1820年にドイツの一寒村に牧師の子として生れ、貧困の中から商人として巨万の富を築き、
その富を使ってトロイアなどエーゲ文明の遺跡を発掘した人物である。
彼がどうして巨万の富を築くのを可能にできたのか。それは、彼の類まれなる「語学力」にあった。
10数カ国語を自由自在に駆使し、他の商人よりいち早く情報を把握してビジネス・チャンスを次々に掴んで富を築いていった。
彼は「多くの外国語を極めて短期間に習得した語学の達人」と言われているが、その「語学習得法の秘密」は
どんなものであったのだろう。シュリーマンの学習法は、物語を丸暗記するという特徴的な方法を取っている。
英語では、当時よく読まれていたゴールドスミスの「ウェイクフィールドの牧師」とウォルター・スコットの
「アイバンホー」を丸々暗記している。物語を丸暗記する方法は、ストーリーがあるので記憶に残りやすく、
文章を丸々憶えるので熟語やコロケーションなどの言いまわしがそのまま身につく。
この方法で、彼は英語を僅か半年でマスターした。
更に以下の勉強方を工夫していた。
・非常に多く音読すること。        ・決して翻訳しないこと。
・毎日1時間あてること。         ・つねに興味ある対象について作文を書くこと。
・これを教師の指導によって訂正すること。 ・前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦すること。
・彼はさらに、会話をものにするために、その外国語が話されている
 教会にかよって説教を聴き、一語一語を口真似する方法もとっていた。
以下はジスの関係でカット!(2007年09月28日)同日のクリックをしてください)

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533, 離婚事情
- 2002年09月28日(土)

現在は三組に一組が離婚するそうだ。先日ある会で年配の女性が面白いことを言っていた。
「現代は少子化の為、嫌だったらいつでも帰ってきてもいいと娘を送り出す。
更に子供を連れてくれば一緒に暮らせるからだ。一子、二子の結婚でお互いに希少価値がある。
だから平気ですぐ離婚をする」といっていた。数年ぶりに知人に会ったら同じような事をいっていた。
息子が子供を連れて離婚をし、裁判で息子の方が親権をとったという。息子1人では育てられないから、
引き取って育だてているといっていた。でも新しい子供が家庭に入り楽しそうであった。
それにしても三組に一組は多い。わからない事は無いが、長く連れ添っていれば愛情がわくものを?
一家族に一人はいることになる。親子三〜四組うち一組になる。ということは、この文章を気をつけて
書かなくてはならない事になる。読んだほぼ全員傷つけかねない。実際のところ、そこまで多くない。
以前TVで、離婚をした中年の女タレントと数人が口をそろえて「離婚をして本当によかった!!」と言っていた。
それを黙って聞いていた小沢昭一が「苦労を友にしてきた連れ添いと歳をとって、昔の楽しい思い出や苦労話を
お茶を飲みながら、しんみり話す味もいいもんだよ」と反論。気の強そうな女性たちにとってカウンターパンチに
なってしまい、その場がシーンとシラケの場になってしまった。居ればうるさいし居なくては寂しいのが夫婦というものだ。
離婚をした独り者の飲み屋のママは連休が嫌だといっていた。どうにもならない気持ちになるという。
家族の基本はやはり夫婦である。現在の少子化もひどい、平均1・3人。人口維持の為には2,1人が必要という。
少子化が進めば更に離婚率が増すのだろうか。好きになる相手は自分の持ってない部分をある人に惹かれる。
うまくいっているうちはいいが、一つかみ合わくなると破綻しやすくなる。
昔、足入れ婚というのがあった。結婚の籍をいれず仮結婚をさせる。今も同棲があるが、
周囲も仮結婚と認めて合わない時はいつの間に別れさせてしまうという。

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[164] 目的と手段
 2001/09/28

 目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。
‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。
営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、営業が反対に手段になってしまう。
何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。
手段を楽しむ事は大事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。
といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。
 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)その喩えがピッタシである。
目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。
至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。
どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、
真にうけて社長業を放棄・・・・・、いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。
 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって逆転も何もないのか!
そのあたりが本当のところか?ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、
自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。
馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー
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* H0609歩行とダンス
 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?
ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。
今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”
と一人笑った。 大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく
“私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。
 ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。そしてその反対に逆の人も。


3097,返済猶予法案の成立から見えてくること!

2009年09月27日(日)

ーまずは産経新聞の記事からー
 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、
中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、
早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や
モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。
 ■証券大会で怪気炎
「『少々行儀が悪い』といわれる亀井静香ですが、世の中を良くするには、場合によっては思いっきり行儀も悪くしながら
 全力で頑張ります」17日に東京・大手町で開かれた全国証券大会であいさつに立った亀井氏はこう怪気炎をあげた。
 就任直後に行われた17日未明の記者会見でも「反発が出るというのは、反省が足らない」と、銀行を痛烈に批判。
「金融機関が社会的使命を果たしていない。だから国が出ていかざるを得ない」と、法案の正当性を強調した。
 亀井氏が成立を目指すモラトリアム法案は、民主、社民、国民新の与党3党が連立政権樹立の政策合意に盛り込んだ
「貸し渋り・貸しはがし防止法」だ。資金繰りが苦しい中小企業に借入金の返済を3年程度、猶予(モラトリアム)したり、
 金利などの貸し付け条件を変更できる措置を盛り込むことを想定している。個人に対しても失業や所得の減少で
 支払いが苦しくなった住宅ローンに同様の救済措置を盛り込む考えだ。
 ■金融界に戸惑い
 金融界は戸惑いと反発を隠さない。全国地方銀行協会の小川是会長は16日の会見で「貸し渋り、貸しはがしの状況はない」
 と異議を唱えた。ある大手銀行幹部は「返済がストップすれば経営への影響が出かねない」と懸念を示す。
 実際、法整備に向けたハードルは高い。金融庁幹部は「既存の貸し付け契約について、国が銀行に対し、強制的に猶予に
 応じさせることが可能かどうか不明」と指摘する。返済猶予の対象企業をどう線引きするのかや、猶予後に倒産などで
 回収不能となった場合の損失は誰が負うのかなど、制度を設計する上でも難題は山積している。
 銀行に代わり、国が損失を補填(ほてん)する場合、新たな予算措置も必要になる。
  〜〜
 以上だが、冷静に考えてみれば当たり前のことだ。金融危機になると、大手銀行を先頭に資本注入を行うが、
 中小零細企業には資金が回ってこないのが実情。 その銀行が、今さら、この法案に異議を唱えるなど言語道断。
 これまでの自民党政権との甘さが露呈した典型的事例といえる。 亀井静香の近々の発言からして、強引に
 通すことになるだろう。通ってしまえば、何で今まで銀行だけが救済されて、我われが冷遇されていた、
 ことに気づくことになる。そうでもしないと、中小企業は倒産の嵐になるだろう。来年2月辺りと見ていたが。

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2732, 恐慌前夜 −3
2008年09月27日(土)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記

 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」
  と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。
 「それでは我われ庶民は如何すればよいのか?」といわれても、どうにも答えられない。 
  せめて、銀行預金を金の現物に替えておくことしか考えられない。
  私の知人はケイマン諸島に5000万円の預金をしているという。  この事態を見越して数年かけて
  準備をしていたのである。外国に金融関係の友人がいて、日本の危なさを知っていたのである。
ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。
  −−−
*恐慌前夜、何に投資すればよいかー
 アメリカ発の《世界恐慌》は、もう誰にも止められない。
銀行の預金は、下ろして現物資産に置き換えるべきである。
地金か、カナダドルか、オーストリアドルにすべきである。アメリカドルは止めておいた方がよい。
金は現在、グラム3000円だが、3〜5年以内に6000円になるだろう。
不動産は、換金性の高い優良物件以外はやめておくべし。
原油高騰は、現在100ドルまで下がっているが、これは再び高騰するだろう。
こんど高騰を始めたら、250ドルあたりまでいくだろう。
そのまま放置すると、ハイパーインフレになるだろう。
 解)来年は間違いなく食品が暴騰しそうだ。暴騰をした時に、儲かる会社の株でもよいが、
   それが何か分からない。アメリカの金融の瓦解も、ここまで激しいと恐ろしくもある。
  −−−
 *中国も「一月危機」で崩れたー
 今年の1月21,22日以来の世界株総崩れの時に、中国の株が崩れて以来、元に戻してない。
上海総合指数は最高値の6000元以来、2000元まで暴落している。2010年の上海万博までは何とか持つだろう?が、
それから5年間は最悪の状態になり、2015年あたりから再び上昇するだろう。
中国の20年来の驚異的な急成長は、実は保有する米ドルとアメリカ国債を、もとにした信用が土台にあった。
現在の中国が保有する外貨は200兆円。その殆どが米ドルである。しかし、現在中国は密かに分散を始めている。
その対象として日本国債と円である。
 解)中国株も、底を確認した時が買いだろう。それより1年前の2014年辺りが買い時期だろう。
  −−−
 *すべての金融商品は「保険」から始ったー
ここまで時代が進んできて分かったことは、すべての複雑な金融商品(デリバティブ)
は実は保険商品だ、ということである。保険は生命保険と傷害保険に分けられる。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2007年09月27日(木)
2368, 閑話小題

 *安部居抜き内閣*
福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。
店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、
それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、
水商売は何でもありの世界である。
  −−
 *時津風部屋一家殺人事件*
この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。
親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。
今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。
相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。
殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。
リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、
復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。
それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。
恐らく、その実態が週間現代などから明らかになるだろうが、これで益々、大相撲は衰退するだろう。
これで朝青龍が復帰してきたら、それに拍車をかけることになる。この時期に、殺人事件として立件するのは、
朝青龍の一件が目先おさまったことと、本場所が終わったからだろう。
  ーー
 *漫画喫茶ーインターネット・カフェの昨今*
数年前に大型のインターネット・カフェが一時、郊外のバイパスやインター沿いにバタバタと出来た時期があった。
私も、これとホテルとの融合が面白いのでは? と一時期集中して調査したことがあったが、結果として、
一過性の業態という結論。東京などの大都心の駅周辺で、ビジネスホテル替わりに宿泊など絡めて24時間営業なら存続するが、
地方では商圏が狭すぎるというのもある。ところで、一時若い女性の間でもファッション的に好まれた時期もあったが、
この春より、ネット・カフェ難民という言葉が蔓延してイメージが低下。女性が入ることに躊躇しだしてきたという。
携帯電話でも多くのゲーム機能ができ、あえてネットカフェに入らなくても時間を潰せるようになったこともある。

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2006年09月27日(水)
2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・
 
 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。
  その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。
ーBuymaー
 誰もがバイヤー」になることで誕生した史上初の「お買い物代行コミニュティ」である。
 会員は世界50ヶ国に広がっている。 外国で面白い商品を見つけたとき、パソコンで例えば「今ミラノで何々??
 という商品を見つけたが、 幾ら幾らで誰か欲しい人いませんか?値段は??円です」
 と、このHP上で出せばよい。デジタル・カメラで、その写真を貼り付けるれば、借り決済をすれば纏め買いをして
 日本についてから送りつければよい。 このBuymaというキーワードを打ち込めば、その詳細が載っている。
 ただ驚きである。 これを重ねてファンができれば、カリスマのバイヤーになることも可能である。
ーアドバプラスー
 この会員登録してみたがなかなか面白い!一度登録して、グーグルの検索にキーワードを入れると、
 自動的にアドプラスの横バーが出てきて、登録時に入力した興味ある事項(海外旅行・読書・健康)の広告が流れる。
 また検索に「自動車」と入れると自動車の広告がバーに出てくる。
 さらに面白いのは、検索をするごとにポイント制になっていて、お金がもらえる
 システムになっている。「現在幾らもらえます」という表示があるのが面白い。
 暇の人が、そこを悪用してもそれほど貰えないようにもなっている。
ーポッシュー
(字数の関係でカット2008年09月27日)           つづく
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年09月27日(火)
1638, 巨大スーパー販売前線の男達

一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。
デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。
業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。
流通グループの勝ち組のジャスコと、ヨーカ堂であるが、一方の雄のヨーカ堂の惨状をリアルにレポートした内容。
よくぞ、ヨーカ堂も、堂々と公開したものだ。まだグループとしての余力を見せたかったのだろか。
アメリカのスーパーを手本にスタートした日本のスーパーは、バブル期に進めた経営多角化の失敗や
崩壊後の収益悪化に苦しんでいる。さらに安売り戦略を武器にしたアメリカのウエルマートの市場参入もある。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2004年09月27日(月)
1273, 2000年前のポンペイ

先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみるー
ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。
公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、
三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、
噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は
人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、
妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、
売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。
道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には
広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった事実を多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があったという。逃げられなかった理由が遺体の様子から、
それぞれ想像できた。ポンペイとヴェスヴィオス火山の反対側にエルポラーノの遺跡がある。
この遺跡は、18世紀にある農夫が井戸を掘っていて発見したというが、その近くの港で、300人の人骨が発見された。
その様子からエルポラーノの市民が、そこに逃げてきて救助を待っていて、亡くなってしまったと推測される。
遺跡も多く見てきたが、それぞれが当時の生活や、深い因縁を秘めている。
しかし、衣服や住宅や街の様子が、火山でそのままリアルに封印されて残っているのは、この遺跡だけである。 
そこより、うかがい知れるのは「変らぬ人間の営み」である。  世界は広く、そして深い!

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2003年09月27日(土)
906, 金魚の話

 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な
「黒いランチュウ」がいた。 仲間とは群れず、一匹水槽の中を泳ぎまわっているのだ。
指を水槽につけると、人懐こく指を動かした先をついて回ってきた。 事務所の水槽は丁度定員一杯だったが、
「凄い!二度と巡りあうことがない!」とポケットマネーで即座に買った。 少し高かったが。
 事務所の水槽にはランチュウだけ12匹いるが、現在その中を一匹が我が物顔で泳ぎ回っている。
5倍もある一番大きいボス?と、顔をつけて餌を奪い合い食べている。大きいヤツは普通の数倍、
餌を食べなければならない。その為には水面に口をつけてバキュームのように,浮いている餌を吸い取っていく。
これと同じ食べ方を一匹だけ、この凄いヤツが早くも身につけた。餌をやろうとすると、水面を飛び上がる勢いで
餌にくいついてくる。 殆どが群れているが、一切群れないのがよい。まだ数週間しか経ってないが、日ごとに
大きくなっていくのが判る。 こういう奴が、鳥でもいた。 エネルギーが満ち満ち溢れているやつだ。
無毛性のインコのヒナで手を差し出すと、必死で身体を摺り寄せてきた。後で買っておけばよかったと後悔した。
金魚でも弱いやつは、入ってくると既存のヤツに水槽の片隅に追いやられ、1〜2週間で死んでしまう。
隅のほうを向いてジッとしている。動物社会と同じである、いや人間社会と同じだ! 所詮人間も金魚も同じだ。
 結婚した頃に、ランチュウを数匹飼っていた。その一匹が水面を跳ねるのだ。
突如、水面に向かって泳ぎだすのだから、跳ねるのとは少し違う、遊んでいるようであった。
なるほど金魚にも遊びがあるんだとビックリしたことを憶えている。 ランチュウの愛好のホームページがある。

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532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 
- 2002年09月27日(金)

 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。
お盆に下の息子が帰省した時に、居酒屋で彼等から聞いて思い出した話だ。
その時「一人娘とホモに気をつけろ!」と言ったという。「知っていれば、何処かで気をつけるだろう」と、
注意しておいたのだ。それにしても、変わった面白い注意をしたものだ。 せっかく育てた子供を、
他人の家の子供にしたくないという心配が、そう言わせたのだろう。あとは息子がホモもまずい。後では取り返しのきかない。
特に都会ではそういうのが多い。女姉妹だけの長女とか、一人娘は要注意だ。本能的に、よい獲?がいないかと
目を光らせて狙っている? これは注意をしておけば避けられる事だが、それでもよいなら問題ないが。
あと幾つか注意したと思うが、「本を読め、色いろなアルバイトをしろ、ゼミに入れ、クラブにも入れ、
大学でしか経験できない事を可能な限り経験しろ」等々、いったことを思い出した。
  大学時の経験が一生の圧縮だ。

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[163] ] チンドンヤー 2   2001/09/27

 チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。チンドンヤの意味はその辺の英雄である。
鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。 そして悪役が必要になる。
そして本人-主役のチンドンが始まる。 自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。
何回悪役にはまってしまったか。 次に観客も必要になり観客作りをやる。それを自身の利害をかけてやるか、
にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局! 
この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・・。特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくり
その糸の手繰りをやる。以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。その手口をみていると自分でまず
ストーリーを書く。忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、しかし何度も重ねればその筋書きは
見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」と言うらしい。 ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。
ヤクザが1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりの因縁をつけてきた。
迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが解らないようだ。
彼らのワンパターンの手口は「仲間から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。
そして数百万の商談が壊れた」という手口である。もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、
警察に電話をかけるのが手順。実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。
請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。
こうなると執念に近いが。これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。


3096,久々にジョーク −4

2009年09月26日(土)

 * ジョークあれこれ ー2
  ー復讐ー
 ある男が旅先で泥棒に遭い、旅行カバンと財布入りのバッグを盗まれてしまった。
帰りの航空チケットは運良く背広の内ポケットに 入っていたが、空港までタクシーに乗る金がなかった。
男はホテルの 前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、運転手に事情を話した。
「…というわけなんだ。自宅に戻ったら速達で倍の料金を送るから、空港まで乗せていってくれないか?」
「ふざけんな、こちとら商売なんだぜ。金がねぇんなら俺の車から 出ていきやがれ!」
男は何度も頼んだが、運転手は頼みを聞いてくれなかった。男は やむなくヒッチハイクをして、どうにか空港にたどり着いた。
  一年後、男は同じ土地を訪れ、今度は無事に旅行を楽しんでから帰路に着いた。
ホテルの前で客待ちをしているタクシーの列を見つけ、先頭のタクシーに乗り込もうとした男は一年前の非情な運転手が
列の最後尾にいるのに気付いた。 男は、あの慈善の心を持たない運転手に仕返しをしてやろうと考えた。
男はまず、先頭のタクシーに乗って運転手に尋ねた。 「空港まではいくらかかる?」「15ドルくらいだね」
「じゃあ、50ドル払うから、途中で俺にケツを貸してくれないか?」 「なに!? ふざけるな! 俺はオカマじゃねぇ!
とっとと車から降りろ!」 男は先頭のタクシーから降り、2台目のタクシーに乗って同じ質問をした。
2台目のタクシーの運転手も激昂し、男は車から降ろされた。男は同じ質問を 3台目、4台目…と、
次々に繰り返しては、車から降ろされた。 そして最後の、あの運転手のタクシーに乗り込み、男は言った。
「空港まではいくらかかる?」 「15ドルくらいだな」 「じゃあ、空港まで頼む」
運転手は何の疑問も持たずにタクシーを出した。前に並んでいるタクシーの 横を通り過ぎるとき、
男はそれぞれの運転手に笑顔を向けながら親指を立てた。    解) 実際にあった話のように聞こえてくる
  〜〜
 ー良いのか悪いのかー
医師「良いニュースがありますよ、ミセス・ボンド」
 女性「失礼ですが、私はミス・ボンドです」
医師「でしたら、悪いニュースがあります」
                             解)「立場変われば、品変わる」か〜
・・・・・・・・・
2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記

*焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば
750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、
「GSEはすでに実質超過(破綻している)である。政府による救済がどうしても必要となる」と発言した
そのため・ファニーメイとフレディマックの株価は11日に、一気に一時10ドルを下回るまでに急落し
た(フレディが3ドル、ファニーが6ドル、そして破綻が本当に危惧される状況に陥った。
6ドルというのは日本の株式で言えば「額面50円割れ」に等しい。この株価が今後大きく回復することはない。
二大住宅公社は、すでに死に体である。つい最近まで株価が100ドルを超していたアメリカの
「政府系金融機関の超優良会社」だったのに。 みんなの血の気が引いた。その次の日の7月13日に、
ヘンリー,ポールソン財務長官の開き直りにしか見えない突然の記者会見があった。
ここで、両社の5.2兆ドル(530兆円)もの巨額の不良な融資残高と債券発行残高の合計金額が公表され、
これらのすべてが信用毀損していることが判明した。これらの公社債券の担保となっているのは、
公社が買い取ってさらに別の証券に組み立て直した住宅ローン債権である。
そのほとんどが大きく不良債権(バッド・ローン)化している。
 ーー
*シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178
アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。
 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
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2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、
解りやすい記述があった。 具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、
哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。最近、哲学がますます面白くなってきたことも、
このギリシャ旅行への動機になった。世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。
少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくるのである。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。
ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
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2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1
       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・

長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。
著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。
「聴衆の、どのレベルを対象に話すのか」も興味もあったが・・
まだ本を出して半年あまり日々刻々ネット社会は進化しているようだ。その中でキーワードが幾つかあった。   {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)}
     −  つづく                          \(^▽^*)バイ!
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 2005年09月26日(月)
1637, 37年前の私への手紙−1

ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、
 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。

ー37年前の私への手紙ー
あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。
倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 
見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。
数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?
振り返ってみることができるようになった。あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。
弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、
燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。
あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。
現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。
いや社会そのものに鍛えられたのだ。 その結果として、何か大きなものを失ってしまった。
あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方(37年前の自己)の悩みこそ大事である。
そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。膨大な未知の世界を前に好奇心と
期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかっただけか。 
貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を
言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、
浅く知識を摘み食いをしていただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを
私は知っている。それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、
悪かったのか何ともいえないが。あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。
そのことを手紙を書きながら憶え出しただけでも、この手紙を書いてよかった。
あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。
あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、
決してあの時の理想とは一致はしない。しかし方向は考えていた通りであった。
あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。
しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。
自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。
少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ! 他人をもっともっと大事にしなさい。 
これが私の最後の言葉です。              ーつづく
ーーーーー
ー後記
人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。
当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。
当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。
過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。 それがよい。
旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。
一番思い出になるからだろう。 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。

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2004年09月26日(日)
1272, シュリーマンの話−1

映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。
トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。
誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?である。 男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行って
ヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で初めて纏めた「伊能忠敬」である。
それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が多い人物も珍しい。 
また、膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスターをして、それを武器に莫大の資産を得た。
外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。
あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。
シュリーマンの一生は、常人から見たら常識をはるかに超えた波乱に富んだものであった。
夢の実現のため、捨て身で人生をかける姿は、このような時代にますます脚光を浴びる。
 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日)
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2003年09月26日(金)
905, 物を置かない努力

 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、
といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。
カラーは白と黒だけ、空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。
コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。
 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。
「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。
銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。
私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。
頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。
せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。
 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。
まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。
「孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。
これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。
圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。
そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。
 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。
サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。
生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。
しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。
さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう!
   
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531, 天皇制度について
- 2002年09月26日(木)

 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。
島国とか離れたスカンジナビア半島のように、あまり外部との入れ替わりの無い国では、
王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも王室が有効となる。
ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。
アメリカの大統領の宣誓式でバイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で
国家への奉仕を約束をすることである。 旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には
必ず二人の対立したセカンドがでてくる。対立をする間に中央の神が存在して、真空ー中空としての役割を果たす。
変化の乏しい島国では丁度よい役割を果たす。良くいえば弾力的システム、悪くいえばいい加減なシステムになる。
今の日本の窮状はそのいい加減なシステムの弱点が出ている為である。 アメリカが日本を占拠した時にアフリカとか
東南アジアやインドの占拠方式をそのまま当てはめ、天皇制の維持で国家体制の維持に利用した。
明治維新で日本という国家をつくろうとして、京都の天皇に目をつけた。 天皇家をシャッポ−帽子にした。
 ー国家のつくり方として
・先ずは帽子が必要である。警察の帽子といっしょである。
・次に暴力装置として内向けに警察、外向けに軍隊が必要になる。
・それと決め事としての憲法。
 戦後はその決め事ー憲法をアメリカに押し付けられ、天皇も占領に都合がよい為、そのまま押し付けられた?!
その名の下に戦争で死んでいった国民をこれほど馬鹿にした話はない。少なくとも昭和天皇は変えるべきであった。
それと居を京都に帰すべきであった。 裸の王様と同じで、誰もが解っていながら?口に出せない。
あの北朝鮮と同じである。ドン様が存続しているのは、恩恵を受けている軍部の存在である。天皇もしかり、
宮内庁を縮小しなくてはならない時期はいずれやってくるだろう。議論を避けて通ってはならない問題だ。
 石原慎太郎が「天皇家は朝鮮人のルーツを持つ」といっていたが、古墳をみると明らか。
日本こそ多民族国家である。その時々でいろいろの民族が浸入してきた。
台湾だったり、朝鮮だったり、アイヌ系だったり、南方系だったりした。
そしてその都度いろいろな一族が大きい勢力をもった、それの一つが天皇家である。
千年以上続いているのが素晴らしいといえば、全くそうだが。
 欧州の王室のように、質素な一般大衆とさほど変わらない慕われる王室に自然となっていくだろうが。
その為には、まずは京都に居を移ってもらわなくては! 予算も今の130億円から30億位に削って!

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 [162] 手順  2001/09/26
 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。
大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイントのように感じる。
 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。
そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき
その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 
チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる
プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、
それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。
創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。
それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。
「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。


3095,久々にジョーク −3

2009年09月25日(金)

 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」
                        解)好きだね、こういうのは!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」
                        解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』
 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』
 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』
                        解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。
 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
 ・・・・・・・・・・
2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記

再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。
そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
  〜〜
この7月から新たな金融危機が始まった。7月13日にペンリー・ポールソン米財務長官の驚くべき記者会見があった。
私が前々作「ドル覇権の崩壊」と、そのあとの『連鎖する大暴落」(いずれも徳間書店刊)で主張してきたとおりである。
アメリカはいよいよ本格的な金融恐慌に突入しそうである。次の「連鎖する大暴落」が年末までに起きるだろう。
この7月危機を引き継いで、事態はさらに深刻になってゆく。大きな銀行と証券会社が世界はたんの中で次々に倒産してゆく。
この7月危機では日本の三つの大きな金融法人が相当の打撃を受けた。致命的と言ってもよい。
それは農林中金(5兆5千)と三菱UFJ銀行(3兆3千)とニッセイ(2兆6千)である。農林中金は実質的にすでに破綻しており、
やがて、みずほ銀行に救済合併されていくのではないか。しかし、みずほも同じく1・2兆円「やられている」。 
この農林中金、三菱、ニッセイ三つの日本の大金融会社が今回受けた大損害(戻ってこないお金)は、7ぺージの表のとおり。
 ーー
ー次は、「あとがき」の出だしの部分になるー
 〜〜
この本「恐慌前夜」で私が最後に言いたい(書きたい)ことは、アメリカはどうせ壊れるということだ。
アメリヵの株価が少しぐらい上がったり、ドル高(円安)になって、アメリカが景気(経済)回復したように見せかけても、
どうせ次の大暴落が襲ってくる。日本の金融機関は政府系を含めてアメリカの国債や住宅公社債、
地方債(ニューヨーク市債やカリフォルニァ州債など)を山ほど買い込まされている。
合計で600兆円(6兆ドル)ぐらいある。それらの投資資金(債券買いや資金の貸し付け)は、もう戻ってこない。
アメリヵ(人)はまったく返す気はない。アメリカ政府はこれらの返済の保証などしない。
このことが日本人には分からないようだ。日本はこれから大損をするのだ。多くの国民が年金をもらえなくなるだろう。
私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。
読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよサイキック(霊能者)になることを目指そうと思う。
自分が優れた霊能者になることができて、人々に正しく助言できれば、多くの人々を破産と投資の失敗から救うことができる。
 −−−  
次回は、印象に残った部分を、取り上げてみる。

・・・・・・・・
2007年09月25日(火)
2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか

「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。
弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、対話の曖昧さを指摘。
いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。
この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ
「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。
同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。
この質問に対する答えを考えてみると、・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、
  ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。
  その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、
 「収入が入らなくなったり、転職をしたらゼロからやり直しになる。
 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。
 長い年月の間に、こういうこともあるのが人生じゃないか」辺りになる。
6年半の間、毎日この随想日記を書いているためか、他人の論理の矛盾点や、甘さに気づかされる。
家内も、言葉の甘さや矛盾を直ぐについてくるので、普段の言葉使いから緊張感に包まれている。
反面、社会的に突っ張っている人の言葉に、苦笑してしまうことが度々であるが、
それが大よそ著者が指摘している内容と同一であり、著者のいうのは至極ごもっとも!
書き続けることからくる効果が、この内容の通り論理の甘さを重ねるごとにそぎ落としてくれる。
ある世間の権化のような男が何時も使う言葉。 自分の言いたいことを、「人は・・・と言っているぞ」
が恒?だった。 こんなことを言っていればフラストレーションが溜まり早死にするだろうが!
ーーーーーー
内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)
・・・・・・・・
2006年09月25日(月)
2001, 二千日の随想日記!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
                
この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。
といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。
次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。2009年6月某日になるが、どうなることか。
千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。
良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな  と同じで、習慣の流れにまかせて    
書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな  というところか!
だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。
朝はそれでも一時間はかける。テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。
その三時間のプロセスは考える時間になる。そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。
アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。もう一つのプラスは五年分の
同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。
書いた文章を会社に行って読み返すと、数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。
自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。
                     \(^▽^*)バイ!
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2005年09月25日(日)
1636, ローズパレード

昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。
アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。
花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。
100チーム以上が参加している。アメリカ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが
テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。
参加するには厳しい審査のパスが必要という。リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で
心打つものが次々と出てくる。実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。このパレードを見るために全米から
100万人が集まってくるという。TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。前夜には、
道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。指定席もあり、かなり高い値段がする。そのローズパレードは、
毎年1月1日の朝8時から始まり、パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。
その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。またこのパレードが
終わると全米カレッジ・フットボール決勝戦のローズボールが行われる。ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。
今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ 
リーハントクラブがあって、クラブのメンバーが1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけて
パレードしたのが始まり。ヨーロッパの<バラ>の祭りを手本にして、山車に沢山の花を飾って自然の美しい輝く
太陽を本当に楽しそうに行進している。この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、
また花の新鮮さや、参加者のコスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。
このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。
1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。
お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。 世界は広い、そして深い!

・・・・・・・・・
2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2

十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、
彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。
知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」
と断ってしまったのだ。こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、
本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。
後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。
話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると
軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店−2

 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
 その後、新潟の郊外にある店に7〜8回通っている。何かヒントがあるようだからだ。
・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。 平均15分で出ていく。
・並んでからレジまで3~4分で済む。ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。
・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。
・値段が安いことも驚きである。 特に100円のかけウドンは価値がある。
・外国の飛行場などにあるセルフ方式で、トッピングできるのがよい。
・若い女性や女子高生が平気で一人で食事をしている。
 面白そうなので、今マスコミで話題を集めている「はなまる」という讃岐ウドンのチェーン店の
FCの説明会にいってきた。新潟のワシントンホテルの会場で、社長が直接説明をしていた。
「まだ100店だが、数年のうちに1000店にする」と言っていた。
聴く前はハッタリだろうと思っていたが、可能性は充分あるようだ。
婦人ファッション関係の出身で「ダサイ讃岐ウドンの店を、若い女性でも平気で入れるブテック的な店」
が店舗のコンセプトと言っていた。 聴いていて、これは本物かと思った。
・今まであるものを、
・時代のニーズに合わせて、
・提供方法を変えることで、
価値を作りかえることー業種から業態に置き換えることー を忠実に実行している。
 ホームセンターも、スーパーも、
・郊外に大きい店と駐車場をつくり
・セルフ方式で
・より多くのアイテムを
・ディスカウントにして売る  業態にしただけである。その意味で、面白い可能性のある商売であろう。
ホテルも、いま一度新しい業態という視点で、見直す時期に来ている! 一番の課題である。
去年の今日も焼肉屋の『新業態』の店の分析をしていたー後にコピー たくもう、全く成長してない自分を見る思いだ!
分析している暇があったら、ホテルの新業態を死ぬほど考えろ!という言葉が心の奥から聞こえてくる!

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[161] 自然体(自然態)
 2001/09/25 07:01

 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。
目の前の出来事に気を取られず、その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」
15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、その時の時勢の勢いにのっていた
ある経営者がいった言葉である。 丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの言葉であった。
浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。
 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。 目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、
この言葉のおかげだった。7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、
出発前に成田で言った言葉が印象的であった。「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!
起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。無理せずそのままでいきましょう」
「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。
その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。
自然体そのものであった。たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。
イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ているところが面白い。
もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。


3094,久々にジョーク −2

2009年09月24日(木)

* 三つの願い

 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、
足もとにランプが落ちているのに気づいた。 それを拾い上げ、ほこりを払っていると、
ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。 魔法使いは老婆に向かって語りかけた。
「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」
言われるまま老婆は願いことを口にした。 「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、
老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。「大金持ちになりたい。
使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」 老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。
三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、
宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。
その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」
  〜〜
  「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。
《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。
 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」
 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。
 「よろしい。あなたのたった一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。 
 「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」》
《 ハイキングに来ていた家族が山の中で道に迷った。歩き回っているうちにどんどん森の奥に入ってしまい、
 とうとう夜になってしまった。 子供が泣きながら「神様、助けて」と言うと、森の神様が現れて言った。
「お前たちの望みを一つだけ叶えてやろう」すると父親がすぐに答えた。「私たち家族を、とても我慢強くしてください」
「わかった。その望み叶えよう」神様は杖をひとふりすると、闇の中へ消えていった。
 神様が消えると、父親の意外な言葉にぽかんとしていた母親と子供たちが一斉に文句を言い出した。
「お父さん!どうして道を教えてって言わなかったの!?」「お父さん!ヘリコプターを出してって言えばよかった!」
「あなた!こんな森なんてどうせすぐに抜け出せるんだから、世界一のお金持ちにしてもらえばよかったのに!」
 しかし3人はすぐ口を揃えて言った。「・・・って言いたいけど、我慢する」》
  〜ジョークの世界は、捻りのあるミニ物語である。それも最後の一言の捻りの落ちで決まる。
  その影響のためか? 私の文章も会話も、何時の間にか落ちをいれないと気がすまなくなっている。
                 で今日は・・・、ありません。 捻りのきいたジョークの後では無理!
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2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4
2008年09月24日(水)
  
 「議論に絶対負けない法」 −4      ー読書日記
  −物語の力-
 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。
その筋たての準備に、可能な限りエネルギーを入れなければならない。
それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。
これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。
以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、
人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。
p−172
法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、
議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。
オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに
建てられたかにかかっている。すべての議論にとって最も強い骨組みは「ストーリー」である。
「さあ、お話をしましょう」 ストーリーを話すというのは、大昔から互いに教え合う大事な手段だ。 
たとえば焚き火を囲む集まり。一族が皆、焚き火を囲み、目をまん丸にした子供たちが大人の後ろからのぞき込んで
一心に耳を傾けている。過ぎた日々の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。人々は物語から何かを学んだ。
サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、
そして長老がいかにして嵐を生さ抜いたか。愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語
隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。人間の知識はすべて、太古にはストーりーの形で伝えられてきた。
ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけだ。ストーリーを話し、それを聞くという行為は、
人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、
大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。
意識のなかにも無意識のなかにも永遠に植え付けられる。私たちが楽しむ映画やテレビドラマ・芝居・これらは高度に
進化した形のストーリーだ。一番効果的なテレピコマーシャルは、三十秒あまりの小さなストーリーだ。
ジョークも小さなストーリーだ。世に名を残たと偉大な教師はストーリーを使って教えた。キリストの讐え話もストーリーだ。
p−180
ストーリーの議論はなぜこんなに力強いのだろうか。それは人間本来の言語形態で語るからだ。その構造が自然だからだ。
話し手が「心の底」から、気楽に正直に力強く話せる。 興味をかき立てる。ストーリーは、どんな議論にも混入される
恐れのある「停滞」という名の最悪の毒に対する解毒剤なのだ。私たちはストーリーに心を動かされる。
ストーリーは、私たちが常に決断を下す、柔らかく無防備なところ、すなわち「感受性」に触れるからだ。
わりに作られる。自分自身に「自分は何を望んでいるのか」と聞いてみなさい。危険な道路を拡張してほしいという希望を
郡行政委員会に推し進める論題は「郡行政委員会には人々を守る義務がある」ということだ。裁判官に相手方の訴訟を
却下してほしい。論題は「相手方が訴訟を起こしたのは、裁判所が紛争に判決を下す前に、土地を略奪するためだ」ということ。
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
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2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!

              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに
日本からの即席の「お嬢様」がアホづらをして参加しているとか、辛らつである。
(こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的な
ハイソサエティーな雰囲気をもたらすからである。しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。
確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、何か音楽音痴は自分だけのように思うが、
現実は一部マニアの道楽でしかないと中島がいうから確かなのだろう。以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は
「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、
話を聞けば趣味の一つでしかないし、度々行くほどの事でもないことが解った。そんなものでしかないが、といって趣味
なのだからケチをつけることもない。しかし新年に限り、私もそのコンサートの番組だけは観ているが、
新年の荘厳な雰囲気は素晴らしい。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
 ー妻との壮絶なバトル、くたびれ果てたー
(字数の関係で中間カット、2008年09月24日)
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2006年09月24日(日)
2000, 継父
                (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、
その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の
森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。 
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ
転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ!        ーつづく          
 ーー
書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
                             (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!             
 ・・・・・・・・
 2005年09月24日(土)
 1635, 「イヴの七人の娘たち」

ーまずは、この本の概略を書いてみるー
DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」
にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。
アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。
我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。
人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。
6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、この女性たちに名前をつけると、アースラ、
ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン。それぞれが「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たち。
 ミトコンドリアDNAには、
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン
 
・・・・・・・・・
2004年09月24日(金)
1270, 母が亡くなって、まる八年!
 ー命日に, 母の魂に捧げる

今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、
母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。
そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と
それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。
 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー
母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 
そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、
前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、
直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。
それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。
私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。
その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ!
                                       23日 6時半ー        
・・・・・・・・・
2003年09月24日(水)
903, 「仏像の不思議!」

 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。
20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。
お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で
仏像などを売っていた。多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。精巧な彫りでかなりのモノであった。
 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。
「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。お金は後で送金しますから」」といって別れた。
買う気は全く無かったのだが少し惜しい気持ちになっていた。ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。
そこまで下げるとは驚きである。 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった!
何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。
たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、仏像を見て青くなった。「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」
と忠告をしてくれた。確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。しかし、今でも自宅にあり
「家内の守り本尊」?として大事にしている。 いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても
不思議な出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。商品価値は三分の一だろう。
 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら家で不幸があったという。
「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。 気味が悪くなって、すぐ売ったという。
 ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。
−しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。 仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。
 不思議なことがおきても何も不思議ではない。若い時は、不思議ということは殆ど無かった。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、
不思議の経験を多く積むようになった。不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。
生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。

・・・・・・・・・
529、人の一生
- 2002年09月24日(火)

仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、
・上からはその動物が覗?込んでいる。     ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。
・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。
・しがみついている紐を鼠が齧っている。    ・怪獣は現実。
・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。
・下の大蛇は死。   ・鼠は歳月ー死への。  ・紐は生命。
人間の一生を例えた仏教説話である。これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。また井戸は内面ー孤独。
≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》
ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。
好みの美人もそこで酔っている。この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。あまりに美味いので
飲みすぎて泥酔してしまった。ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。
それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。
これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???!

・・・・・・・・・
[157] 自殺  2001/09/24 09:49 NoName

 ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。
まだありありと憶えている、警察が呆れていたいたことを。「確認に来たあまりに冷たい旦那と舅の態度を。」
‘表象’を見ただけだからその2人のことを責める事ができないが。まずは神主を呼んで御祓い、その後1週間客を泊めず閉鎖。 
その後私が泊まる。さすがかなり酒を飲んで、酩酊状態で泊まった。そのバスで怒りでそのドアを殴りつけた。
その跡は今でも残っている。今でも新潟で泊まる時は7割がたその部屋である。ヤクザとか危ない客(私もそうか)
が来るとその部屋に泊めるという。そして5年後再び自殺、そしてその2年後から毎年1人出ている。
朝7時前電話があると、ああまたか!ヤクザの脅しか自殺かと!最近ヤクザのそれはほとんどなくなったが。
「ヤクザは自動的にに3秒で‘暴力団担当’と‘機捜’と‘駅前交番’に電話する事がマニュアル化してあるからだ。
これは彼らは情報で解っているから絶対にこない。」間抜けな流しのそれが来るが、すぐ青い顔をして出て行く。
今はもう止めた。最期の部屋に泊まって戴いて有難うと思うようにしている。
 自殺の方法とその事情は当事者として詳しく警察から聞くことができる。
そして、それぞれの人生の深遠さに身も竦むことがある。見事な死にかたにバスタブにシーツを敷きその後、
お湯を一杯溜め睡眠薬とウイスキーを飲んで溺死。 もし死にたくなったら一番よい方法ではないか。


3093,久々にジョーク −1

2009年09月23日(水)

  一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。
ところが、ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。
ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。
周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。
先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。
最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 それにしても久々にニヤリとした。
  * 神の思し召し
医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。
出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。
「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、
女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、
神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」
「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に
「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。幸い赤ちゃんは元気です」
「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんですから、
間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、
結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。 それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。
「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」
「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。 「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」
「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」
 〜〜〜
解)ジョークの批評も野暮だが・・。 医師の不倫と、神父への冒涜、更に神父同士の男色の捻りまで入っている。
 最後の一言で、一瞬でブラックの笑いに誘い込む。 私のストックの中の「聖職もの」としては、次のものが面白い。
《 *旅たち* 修道院から、少女たちが旅立とうとしています。女性院長がはなむけの言葉を贈ります。
 「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。
 あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、あなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」
 「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」「そうですとも」
 「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」
                              つづく
・・・・・・・
2728,  議論に絶対負けない法 −3
2008年09月23日(火)
  
「議論に絶対負けない法」−3   ー読書日記

物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。  
以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、
いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。
好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。
 Pー195
 *私が百戦百勝している最大の秘訣

 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。
本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。 準備とは、創造する喜びだ。 
準備とは人生を苦労して前進すること、悩みながら生きていくこと、波にもまれながら生きていくこと、
人生を喜んで受け入れること、人生を自分自身に塗り付けること、人生を生きることだ。
 モーツァルトに労働したことがあるかと尋ねてみたとしたら、おそらくノーと答えたのではないだろうか。
だが彼の人生、彼の呼吸が、彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを費やした
周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を
整えている普通の人になりたい。準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な
並び方を言うのではない。天才とは土ネルギー、単に何かに向けられたエネルギーにすぎない。天才とは準備なのだ。  
 議論の準備をしている時、私は労働していない。この本を書く時も労働などしていない。遊んでいるのだ。
準備をする時の私は子供だ。子供だから遊びに飽きることは決してない。富あふれ・胸を躍らせる。ネズパーズ族の
酋長のスモーホール酋長が言ったように、「若者は決して労働してはならい。労働する者は夢を見ることができない、
そして知恵は夢の中で得られるものなのだ」あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、勝ちたいのだろうか。
配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。陪審員に自分の主張は正しいことを納得させたいのだろうか。
それなら、よく調べ、勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。自分の考えをくわしく書きなさい。
新しいアイディアが魔法の穴から飛び出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなければならない
ことは何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物tつまり、あなたについて知らなければならないことは
何かを発見した時の気分を味わいなさい。私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を
使うんですか」と聞かれる。私は暗審員に催眠術をかけたということで被告側のリーダー的な人物から訴えられた。
 さらに、法廷でそれまで仕事をしてきたなかで、これほど熱心に陪審員が原告に有利な評決を下したがったケースは
一度も見たことがない、と論じた。彼は実際に前もって私の勝敗の記録を調べ、弁論という正当な方法によるもので
あるはずがないと主張し、自分の議論が正しいことを立証するために、私がリズミカルに手を動かし、声を使って
命令的で抵抗しがたい音楽のような音を出して催眠術を用いたと指摘した。
そして、これは今自分が暴いたただのくだらないトリックで、裁判所によって禁止されるべきトリックだ、と論じた。
言うまでもなく、相手方は準備というものを理解していなかった。彼は私をスヴェンガーリのような催眠術師だと誤解していた。
彼は自分自身の主張について勉強して準備をするよりもむしろ、私を攻撃するための準備をしてきたのだ。
私が何週間も、時には何カ月もかけてたった一人で自分の主張の準備をしていることなど、彼には少しもわからなかった。
彼の目に映ったのは、周到に準備した事実の貯えを持つことによって思いのままにふるまうことのできる一人の弁護士だった。
裁判官はことの成り行きを理解し、もちろんその弁護士の申し立てを却下した。 私が階審員に論じる番がくると、
その弁護士は何度も立ち上がって異議を申し立て、私をさえぎり、私の議論のカを無効にしようとした。
 −−−
後記)以前、銀座ナンバーワンのママとホステスのノウハウについて、取りあげた。
店というステージに立つ前の顧客への決めの細かいサービス(誕生祝い、ゴルフ、ビフォアー・・)に徹している。
準備準備準備準備なのである。それを趣味にする位に努力しないと、相手に伝わらないことは一番に本人が知っている。

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2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
        Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪

池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。
色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。
それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
ーーー
「狂人三歩手前」 ー中島義道著
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。
この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? 
このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。
他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。
ここにメルローーポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、
「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ……。
哲学者とは、夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えているヘンな奴である。
メルローーポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。
そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということである。
この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。
いや・もう一つの条件を加えておこう。どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。
いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、つまり、「冷たい」厭な人間であること。
プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、人が驚かないことに驚くといい換えてもいい。
テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが(私は地下鉄サロン事件にもアメリカの同時多発テロにも
全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに警き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く。
思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。
少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した
女性にお目にかかったことがない。勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。
しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声をあげている、
という女性に遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、「いまとは何か?」と考えて
いることを想像するのは難しい。それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異であるように思われる。
女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。ふっと抱くかもしれない。
しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界はガラガラ崩れるかもしれない、という不安感がない。
彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。
それは、彼女たちが生物体として劣っているからではなく、優れているからである。
男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に
女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。(哲学釣な)男たちよ
1真夏の海岸で身を焦がしたら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。
ーーー
評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。」
中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。
池田晶子には不安定性が感じられないのは事実である。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、
池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。     
                    ヽ(★>з<)バイバイ
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2006年09月23日(土)
1999, 「私」のための現代思想  −3
                 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ
第一章 「私」を縛るものは何か ー?
  ー《価値》についてー

<価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。
道徳は私たちに本来セットされている「感じ方」や「考え方」ではありません。
私たちが社会から学ぶものです。 多くの場合、道徳は「規範の内在化」という過程を経過して私たちの中に形成される。
道徳そのものに本来は論理性は内在していない、と考える方が妥当です。ニーチェは『道徳の系譜』において、
キリスト教の価値観の問題点を指摘した。 その論理展開を箇条書きにすると
   ー、先ずは「力あるものは悪である」と考えた。
   ー、その逆として、「弱いもの=善」と考えた。
   ー、?により「力を自分のために使うこと=利己的な行為」は「悪」とされた。
   ー、?により「利他的・非利己的な行為」が善とされるようになった。
 ニーチェは、キリスト教においてこのような論理展開が行われたのは「ルサンチマン(怨恨・反感)」に求めている。
 人間は幸福を求める存在である。しかし、自己の幸福を(直接的には)もとめてはならないとキリスト教は説きます。
 こうした命令には従うことは普通はできません。しかし、この宇宙に絶対者が存在し、その絶対者の意志としてそれが命令で
 あれば、人間は従うしかありません。従って?^?に続いて、次のような論理の展開が行われるようになりました。
  (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2005年09月23日(金)
1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集

今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、
生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、
個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。
 対談者ー今西錦司ー創造とは何か?
ー父性原理と母性原理ー
 ー今西
西洋では神を一番上において、次に人間を据える。そしてその間が切れている。
そこからもう一つ切りよって、その他の生き物は全部が人間の下に置かれている。
デカルトですけど、「我思う、故に我あり」に当たらん。こいつらは何も考えよらん、で切られている。
縦割りのヒラルキーが厳然と決まっている。我われは幸か不幸か、そういう絶対的な神はいない。
天照大神が一番偉いのだろうが。ホカに八百万の神というて、さまざまな神様がいるが、これは欧米の縦の系列でなく、
横の系列なのである。ほかの生物に対しても、やはり同じ平面においている。
西欧が父性原理できるところを、こっちは母性原理でつないでいる。
 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日)
 分類のコーナーの検索に「父性原理と母性原理」と入れて下さい。
  (2009年9月23日)
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2004年09月23日(木)
1269, 否定的想念の恐怖

人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を持てば、
肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。
周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要とするし、否定的想念は
感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を
持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。
「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として「ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。
ーその内容とは、
ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に
協力してもらえないかと持ちかけられた。人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、
われわれは10パーセントを上回ると考えているので、ぜひそれを証明したいという。
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)

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2003年09月23日(火)
902, 「守護霊との対話 」

 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」といっていた。 
母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた小林正観と
中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容であった。
他愛のないものといえば、それまでだが。精神や意識に対する知識が少ない人には、具体的に守護霊と
いう表現で無意識の力を呼び寄せる大きな方法になるだろう。それこそストンと直感できるからだ。
 一般的には、守護霊といっても、何かピンとこないものだ。
『そんなものは、お前自身の神社だろう!勝手にしろ!!』と考て当然だ。
ところで『お前の守護神は誰だ?』と問われれば、私は間違いなく両親だ。
潜在的に自分の中にあるコントローラの抽象として捉えればよい。
 −−−−−−−−−
『守護霊との対話 』
ー以下はインターネットから検索したものである。 面白いといえば面白いー
ーこの内容は字数制限があるため、「分類のコーナー」でより多くの内容がコピーしてあります。
分類の「検索」に「守護霊との対話」と入れてください。  (2007年9月23日ー記)
 
 ーーーーーー
 貧すれば鈍する
 2002年09月23日(月)

 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 
 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話である。
  彼らの共通項とは
・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。
・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘絡み合っている。
・暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。
・言い訳だけを常に考え行動しようとする。
・ある土地を買った時、隣地に挨拶に行った。 その奥さんが初対面にかかわらず、
 買った土地の前のオーナーの悪口雑言である。その数年後旦那が脳梗塞になった。
・一番身近な連れ添いとの信頼関係がまず壊れている!浮気とか、嘘ごまかし、裏切りをまず一番の身近から始めている。
 最悪の場合、自殺とか、ストレスで早死にしている。その場合父親も本人も親子揃っての場合が多い。
 2~3の事例ではない。そういうのを家系というのだ。
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)

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