堀井On-Line
2009年07月14日(火)
* 池袋の早朝でみた荒んだ世界 先週に大学の同期会があり二泊してきたが、二泊目の池袋のホテルを早朝にチェックアウトをして、 駅までの500mの路上で見たホームレスの姿は何とも殺風景であった。二人づれの若い女性もいた。 初めてアメリカ・ロスの下町をバスの中から見た、あの何ともいえない廃墟の中で佇んでいる黒人達の 虚脱感の顔と同じ空気。 何か、この十年で世界は変わってしまったようだ。 国が衰退を始めると、こうなっていくのだろうか。 * 自民党の末期 都議選は、予測通りに自民党が惨敗をした。 小泉のパフォーマンスで国民は騙された怨念から 今度はウネリが反自民に変わるのも当然の帰結。 今度の衆院選でも惨敗は必然である。 情報化が大きく国民の意識を変えたのが、自民党の生枯(なまかれ)の元首相達には理解できない。 と言って、民主党の大勝も問題になる。 その辺の勝たせ方もある。都議会選は、その辺は絶妙な 当選バランスであった。 なるほど天の声である。 本当に麻生で戦うのだろうか? 民主党が大勝するだろうが、良くも悪くもガラッと雰囲気は変わるだろう。 自民党が覆い隠してきた 膿が一挙に出る可能性が大である。
* 腰痛はつらい 腰痛は、だいたい10日間が目安である。ただ過ぎ去るのを待つしかない。 そして予測どおりに収まってきた。 色いろの要素が重なって発症するが、今回は時期的なこと(梅雨)と、 冷たい飲み物を昼に飲みすぎたことにある。 最近は、細心に注意しているので重症にならなかったが。 それにしてもタイミング的に、なってはならない時期に発症する。何度か秘境ツアーの直前になった経験がある。 その時もギリギリの状態だったが何とか行くことが出来たが。
・・・・・・・・・・ 2657, いちゃつき ー2 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。 「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」 という内容だが。いちゃいちゃする中で互いに自分を溶け込ませて、距離を無くす至福の状態は男女の仲だけでなく、 宗教の中にこそ、その原型があるという。そこで思い出したのが、一月前に図書館で借りたDVDの「A2」という 映画である。オウムの内部から、住民との対立を両者の目線で撮ったドキュメント映画である。 <後でわかったことだが、「A]の続卷である。それを探したが、図書館にはなかった。> 住民の反対運動、右翼、警察、マスコミ・・地上波のテレビから映し出される視点とは全く違った内容。 社会的にオウムは凶悪犯罪を犯した団体だけに、一方的なイメージが先行してしまっているのも事実である。 これを観ていてオウムの内側から撮影された映像も見る価値もあると思えた。 それより、何ともいえない教団内の共同意識の甘酸っぱい空気に驚いた。 あの空気から下界に出て社会生活をしろというほうが無理、それが宗教の解脱の世界の恐ろしさである。 それを表層だけをみて、一方的に純朴な信者を攻めるのも気の毒にさえ思える内容だった。 ーその概要はー 1999年10月、群馬県藤岡市。倒産した印刷工場とその社長のかつての自宅に、多数のオウム信者が移住した。 工場の前には群馬県警が常駐し、その外側には地元住民たちによる監視小屋ができる。 やがてここでも、他の地域と同じように地元住民の反対活動によって信者たちは退去していくことになる。 地元住民のボランティアで組織される監視団は、意外にも久しく失ってきた住民同士の交流の場として機能していた。 また、信者との濃密な時間の共有はオウムに対する嫌悪とは別に、信者個人に対する人間的な心のつながりを 芽生えさせていった。 ー 以上だが、 観ているうちに、信者同士の‘解脱’と‘救済’への修行で、何とも言えない連帯感がみてとれた。 彼らの距離感が消えた不思議な感覚が、『いちゃつき』と同じ状態である。 そして反対住民とも、何時の間にか奇妙な連帯感が生まれていくのを映像がしっかりと撮っていた。 集団殺人は許されるものではない。このドキュメント映画で修行とおして「自分と世界の距離感、そして自分と自分の距離感」 が無くなっている状態(法悦)=いちゃつき、からくる解脱と救済の世界を、監督は表現したかったようだ。 オウムとは宇宙からの振動という意味もあるが、それに己を同調できるように修行するのが、彼らの目的のようだ。
・・・・・・・・・ 2007年07月14日(土) 2293, 女ってバカなんじゃないか? 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。 しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。 中村うさぎの「霊長類オンナ科図鑑」には「バカ女」という切り口で、多くの女類が小気味よく分類されて掲載されている。 女も男も、逆の立場から互いを見ればバカに見えて当然である。 「男は女を、『可愛いかどうか』という優先順位を変えることができない。それってバカじゃないかい?」という見方は、 成る程正しい。しかし大部分の女たちは一生の間、他人様に可愛い、奇麗と思われたいため、エステなどで苦労するのだろう。 それでも無理と思えば、ブランド物でフォローしようと涙ぐましい努力をする。 多くの趣味を持って教養を積んで、内面の美しさが滲み出てこそ真の美しさになるんじゃないか。 男に対しては、冷静に価値規準を変えて評価するのに、こと自分に関しては、からっきし努力をしようとしないで、 ブランド物を追いかける。 極めつけはハン流ブームに乗ってフヤケタ男に熱を上げ、最近は童貞趣味に陥って 「はんけち王子様」とか「はにかみ王子様」とかに、熱を上げているのだろう。「全くバカじゃないかい、女って!」 というのが、亡国日本の女の姿だろう。 バカといわれる女の成れの果てが「オバサン」である。今さらエネルギーを内側へ向けることができないから、 徒党を組んでグルメだ旅行などに走り回る。 彼女らは恥じらいを忘れて恐れをしらない一群として、居酒屋・ファミレス・デパート、そして観光地へと繰り出す。 ーー てな、理屈になる。 まあ、ドウでもよいことだが! 男といえば社会的刷り込みから抜けきれず、 それを傍目に大人しく佇む。 そして妻に絡みつく濡れ落ち葉! どっちも どっちだが・・・ byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ ・・・・・・・ 2006年07月14日(金) 1928, ブログについて おっ w(゜Д゜)w ハァョ? 二月ほど前に、ブログについて書いてみた。 「 2006/05/14?/15 1868, ブログは社会革命ー(1) 1869,ブログは社会革命ー(2)」 『ウエブ進化論』と『グーグル』の中から抜粋し、まとめたもの。
それから二ヶ月経ち、ブログを開設してみて、その可能性に驚いている。これは社会の根本を変えるだろう。 携帯電話とは違ったカタチの情報発信基地を、気楽に誰もが持つことが出来るようになった。 このHPを作るのにパソコン教室に通ったり、プロのSEに事務所に来てもらってデザインなど苦労した。 それが現在では20分から30分もしないうちに、数倍も良いデザインで、かつ便利な機能を持ったものが無料なのだ。 そのためか、2~3年で600万人以上がブログを持つようになってしまった。 ハッキリいって、このHPを持っていることが自慢であった。それが、現在では20~30分で誰もが持てるのである。 随想日記のように5年間書き続けた在庫は、自分の経験と知識の蓄積庫になっているし、 書き続けたことによって世界観と価値観が全く変わってしまった。英語を使いこなせないハンデも知った。 ブログにはトラックバックや、RSS配信機能という機能が付いている。 HPを5年維持してきたから、それが凄い機能か解るのだ。テーマがドラッガーについて書いたとしよう。 まず検索にドラッガーの文字を入れて、共感できるブログを幾つか見つけて、 トラックバックすればよい(その日書いた内容を相手のトラックバックのコーナーに貼り付ける)。 相手のブログのアクセス順位が高いほど、多くの人が見ているので、多くの人がクリック一つで 自分のブログに見にきてくれる。 そのテーマで、多くの意見の書き込みもある。 また自分が気に入ったブログに対して、RSS機能を使って張り込んでおけば、 相手が新たに書き込んで発信したと同時に、自分のブログのコーナーに数行の文章が張り込まれるのだ。 さらに私が毎日苦労している分類への仕分け作業も、クリック一つで仕分けされる。 これからのブログは写真と文から映像と文へと重心が移行するという。 ライブの映像の流すのもあるようだ。一人一人が、独自発信機能を持ったのである。 私の同年代の半分はインターネットを使いこなしていない。今年になってから、インターネットを使っている人と、 使えない人と二分類で見るようになった。しかし、これからは三分類に分けて見るようになるだろう。 使いこなしている人でも、自分のブログを持って使いこなしているかどうか? で見分けて見るようになるだろう。少し言い過ぎか? いや、そうでもないだろう! (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年07月14日(木) 1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。 中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。 ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる 彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、 秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの逮捕を命ずる。 しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。 最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。 ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。 1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、三人ずつ銃殺されることになる。 ドフトエフスキーは処刑の二番目である。その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。 「生きていられるのはあと5分ばかり。この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。 この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がしたので、色んな処置を講じたというのです。 つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間にいま一度自分自身のことを考える時間にあて、 残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。 ・・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、 もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものになったら、 おれは一分一分をまるで百年のように大事にして、もう何一つ失わないようにする。 いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』 減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。 死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。 ーー 以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。 バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの恐怖経験がある。 その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。 飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか? どうしても飛び降りなければならないのか! ただ前に体を投げ出すしかない! 何か時間が止まるという言葉があるが・・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めてである。 しかし、ドフトエフスキーのそれは、比べ物にならないほどのはずだ。 私はガン末期の死の宣告はすべきでないと思う。このドフトエフスキーの心理を、 カタチを変えて経験しなくてはならないからだ。その瞬間から、極限の状態に置かれるのだ。 それも肉体的極限の苦痛で、七転八倒して! 死を考えることは、生を考えることでもあるから取り上げているが。 「死ぬまでは生きているから」と気楽に考えてもいられないが、しかし気楽に考えるしかない。 ーーーーーーーー 1253, 死について再び考える ー1 (字数の関係上カット09年07月14日)
・・・・・・・・・ 2004年07月14日(水) 1198, 口ぐせー2 ーどうしようもない!?
最近ついつい使ってしまう言葉に「どうしようもない」がある。 マイナス用語の最たる言葉が、この「どうしようもない」である。 考えてみたら、これがトンデモナイ言葉のトリックになっていた。 自分の努力不足を棚に上げて、自分で自分の範囲を決め、思考をストップさせてしまう。 デフレには、どうしようもない! もう歳だから、どうしようもない! 頭が悪いから、どうしようもない! からだがわるいから、どうしようもない。 じかんがないから、・・・! おかねがないから、・・・!等々、 知らないうちに、あらゆる機会に使っている。 この「どうしようもない」という言葉は世界中にある。 中国語では「メーファーズ」 フランス語では「セラビー」 英語では「オブライジド」 それだけ、この言葉は世界的に軽率きわまりないのだ。どうしようもない状態を解決していくのが、人間が人間たる所以。 「歳だからどうしようもない」を考えてみても、明らかにナマケモノ、無能者の言いわけでしかない。 「どうしようもない」は「何ともならない」という意味である。 それに対して、「何とかなる」「何とかできる」[何としよう」という意思から努力と知恵が生まれてくる。 最近になって「どうしようもない」と多用していた自分に気がついた。 「ほんと、この不景気にはどうしようもないもんな?」と、何百回呟いたことか! 考え抜くしかないが、それにしても変化が激しすぎる!どうにかしなくてはならない。
・・・・・・・・・ 2003年07月14日(月) 831,アラスカ旅行記ー6
旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。 ・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。 別れるより良いと、毎月出ているという。 もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して 腹を立てているとか。 聞いていても悲しくなる。「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。 旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。 ・若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。 黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも 年齢と経験の違いのためか。その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。 その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと 「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。 今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。魚は釣った後で逃がすとか、 また2年後に来たいといっていた。 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。
・・・・・・・・ 2002年07月14日(日) 456,スイス旅行記
感想をそのままかいてみると ・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たりであった。 ・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上であった。 ・自然の雄大さに圧倒された ・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的 ・珠玉のような湖や村が何ともいえない ・毎日が感動感動の連続であった ・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰 ・美しき小さな村々と牧場 38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。 私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。 こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると ・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい! 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。 そしてミニハイキング?季節も含めて何ともいえない明るさがよい。 ・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。 デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」が素晴らしい絶景であった あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった。?いろいろな氷河はは見ているがこれだけ身近のパノラマで 幻想的の景観ははじめて見るものであった。これで元を取ったような気持ちになってしまった。 ・5日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト! ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー ーここにこうしてハイキングしている自分が夢の中にいるようであった ・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、そこから見た景観が絶景 ・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・ カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも忘れられない景色であった。 ・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。 しかしやはりその景観は何回見てもよい。 ・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登ったピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい
今回の旅行はただただ良かった!!! ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。
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2009年07月13日(月)
「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。 20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、非常に良いメルクマールになっている。 (10周年は、20数年前から企画されたので、『集い』そのものが無かった) ところが数日前から腰痛が出て、上京など無理の事態だったが、「這ってでも行く」と決めた瞬間から、 痛みが少なくなったには驚いた。 「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」という誘いを断り、 当日の土曜日だけを出席すれば何とかなるのではと考えた。 しかし出席するとしたら、むしろ前日に東京に行って、 クラブ仲間の会の出席は一度ホテルで休んだ後で、腰と相談すればよい。 また当日に上京するよりも、 前日に行って翌日のギリギリまでホテルで待機して集いに参加すれば何とかなるはず。 ということで、 何とか二日間を乗り切ることができた。 最後は覚悟である。 しかし本当に重症だったら無理だったが。 10年ぶりの会は、前回と同じ位の盛況の賑わいで、400人位が集まった。 2500人のうち1700人に連絡がついて400人が出席。 総長の挨拶で、「この厳しい大学経営の中で 非常に人気があり、経営も非常に良好、長期的に改革を地道に続けてきた成果」と語っていた。 この10年ぶりの再会で、各人とも人相も体系も老化がハッキリ見てとれた。 仕方がないのだろう。 あと10年後は、もっと激しくなるのだろう。 気持ちとしては、これが最後の参加の集いと割り切っていた。 そのため一人ひとりの語らいが熱くなった。 我われは良い時代に青春時代を過ごしていたのである。 この集いに参加する人たちは現状がある程度、余裕のあるのだろう。 何か気持ちがリッチに気持ちになれる。 そこでは、まずは受付でチェックをして胸札と名簿を貰い。参加費は8千円、そこで何人かの知人と再会。 10人位が集まると、若い女性が、構内ツアーで新しい施設などの案内。 そして、学部ごとの写真撮影。 その後、チャペルで集合ミサ。 総長の挨拶など・・・。 その後、学食で大立食パーティー。 その後、学校サイドが用意した二次会がある。 しかし前回同様の1~2年の同級会が東武百貨店の14Fに用意してあり、参加する。参加28名(途中で帰った人3名) その後はクラスで親しかった男と、居酒屋に移動し語らい、22時過ぎにホテルに戻った。 姿、形は変わっても気持ちだけは変わらないのが同期の会での良いところ。 総括として、今回も満点。 ・・・・・・・・ 2656, コミュニケーション力とは? 2008年07月13日(日)
中島義道の「コミュニケーション力」についての一考察が、面白い。 これによると、あくまで家内と私の関係だが、私がコミュニケーション強者で、家内はコミュニケーション弱者になる。 しかし、如何みても家内の方が強者で、私の方が弱者に思えてしかたがない。 外国に行って、観光地や飛行場で隣の人に平気で話しかけ英語の勉強をしたり、宮城県の医師会会長婦人と仲良くなり、 ブランド店で見えの張り合いをしたり、ディナーで周囲の人と瞬間芸のようにハイソサエティー婦人に変身をしてしまう。 私など何時も微笑をたたえて無言である。 たまに酔って、その場を目茶目茶にすることもある。 中島のいう「コミュニケーション力」とは、私がいう「対話力」のことのようだ。 対話をするには、自分の主張を相手に理解させ、相手の言っていることを理解し、できれば互いに一人では 思いもよらない一段上の内容まで内容を止揚することである。それは対「本」の著者ともである。 ーそれよりまずは、中島の、面白い部分を抜粋してみよう。 ーーー 今回のテーマは、斉藤孝の造語のコミュニケーション力についてである。 私は電通大の人間コミュニケーション学科で、「コミュニケーション論」とか「ディスコミュニケーション論特論」 という名の講義を受け持っているが、多分一般の大学のコミュニケーション論とは随分毛色の変わった授業をしている。 普通、コミュニケーション論の目的は、コミュニケーションカをつけることにより、他人に正確に自分の意思を伝え、 他人の言語的・非言語的メッセージを正確に受け取り、他人との円滑なコミュニケーションを目指すことであろう。 面接にうまく合格するとか、上司に気に入られるとか、部下がついてくるとか、職場の人間関係がうまくいくとか、 恋愛においても勝ち組に入るとか……、つまりこのせち辛い現代日本で「得する」ことを学ぶのである。 これを一概に否定するわけではないが、私が目指すコミュニケーションカとは、似ていて非なるものである。 (字数の関係でカット09年07月13日) ・・・・・・・・ 2007年07月13日(金) 2292, 男ってバカなんじゃないか? (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 ある本の中に、「男ってバカなんじゃないか?」というのがあった。 - - 【女は、小学校、中学校、高校、大学と、男の色いろな側面、人間の才能の様々な 魅力を見出していく成長過程は、動物から人間への進化の過程に違いない。 子供の頃は、強い子。そして、スポーツの強い子。成績の良い子。 そして高校から大學になると、成績だけでなく、アートのセンスのある人。 そして、それらを加味した個性的な人を求めるようになる。 男性の好みの変転という契機から、人間における精神的側面に目覚めていく。 しかし、男にとって女が体育ができるからとか、成績が飛びぬけているとか、 突出したアートの才能があるのは、決定的の要因にはならない。 それに対し、男は生まれてから死ぬまでどうであれ、まず第一は可愛くて奇麗の人だろう。 ほぼ、これだけは死ぬまで一貫している。バカというか、芸がないというか。】 ー そう言われてみれば、その通りである。逆にいえば女性に対して、それほど求めてない。 反対に女性は、その時々の男の価値観を見極めているということになる。 男は節目の度に価値観を変え、自ら変身していかないと社会に適応できない。 だから男は同性に対しては、相手を一瞬に見抜く。 しかし女性に対しては「美しさと教養と優しさ」を第一の要素にする。 それ以外、もともと求めてはいないのである。男なら明石屋さんまなどのお笑いタレントは持てるが?、 女となると、泉ピン子などお笑い系はもてはしない。 この歳になってやっと、可愛いや奇麗など第二・第三の要素になってきたが、数年前では、そのとおりである。 いや、姉が多かったので、知性と人柄を同列においていた!性格が良く、知性的で、その上に可愛い人で、相性の合う人。 ほぼどれか欠けているが、もし満たしていたとしても、そう思っただけ? ところで考えてみたら私は、全て欠けている!(拍手!・・・) 女じゃないから、いいか! 笑っている、あなたも、そうだろう! ホンジャ? ´・ω・]ノ ヂャァ ネッ ・・・・・・・・ 2006年07月13日(木) 1927, 閑話小題 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
ー北朝鮮・ミサイル問題と、日本の軍事力ー (字数の関係でカット2008年7月13日) ー社会主義についてー 社会主義、共産主義と、最近は誰もいわなくなった。ソ連邦と共産主義国家群が崩壊、中国も社会主義経済を放棄した。 ソ連邦の崩壊には、のソ連共産党同士諸君は驚いただろう!ある日突然、「建前としていた計画経済は全く間違ってました。 全員が公務員という経済体制は、権力を握った高級官僚が権力を握って私服だけを肥やすだけ。 マトモな経済計画を作れないので放棄することになりました」と、認めてしまったから一大事! まあ、それまで悪事を重ねて私財を溜め込んでいただろうが。 現在も、それに近いことが日本の霞ヶ関の役人どもと、自民党の一部に残存しているようだが。 この前の選挙で殆んどの、これらゴミを廃棄したが!亀とかいうのが、ゴミダメコーナーでウロウロしているのが哀れ。 あれは何だったというのか? バブルの崩壊とともに終わってしまったシステムの残存ーゴミである。 最近は、共産対資本主義の対立軸がアッラーとキリストに転嫁されてしまった。 アッラーは、茶色ーアラブの神、キリストは、白ー白人系の女子供に比重をおいた神ユダヤは、白人の拝金の男を 中心とした神でしかないか! 仏教は、黄色か? 白、黒、茶色、黄色の混ざったインドは、 有難いことに3千年にアーリア人が階級をつけたヒンズー教の神じゃないか。 神は偉大なりか?! 般若心教でも唱えておこうか! (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年07月13日(水) 1562, わたしの酒中日記ー14 ー岐阜の夜ー2 1976年 7月某日
夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。 日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、夜行列車の「佐渡」に飛び乗った。 夜行列車にやっと慣れてきた。枕木の音を眠るためのリズムとして聴くように努めてから寝れるようになった。 2歳年下の大森さんと一緒である。彼も私にしごかれて8ヶ月、やっと戦力になってきた。 朝の7時に岐阜駅に着く。駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。 そして、9時過ぎから問屋街を駆け回る。 仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。 とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。 それと大手の問屋とメーカーも大きな情報源である。 小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって夕方にホテルのロビーでいきあった。 チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。 彼女達も意欲的に仕事をする。 千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の鞄持ちで来て、食事をした店である。 12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちをしている超繁盛店だ。 とにかくネタが大きくて新鮮で安い。普通の店の三倍のネタの大きさである。 こういう出張は、夜の食事とチョイ一杯をしながら仕入れの戦果の話が楽しみである。 店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは、激務といえば激務である。 しかし、仕入れは買い手の立場であるから、面白いといえば面白い。 仕入れた商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。 今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。 しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。 その小さな店の商品一軒分全て買い上げた。これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。 こういう日の酒は特に美味い。明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。
・・・・・・・・ 2004年07月13日(火) 1197, ユングの臨死体験
臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。 死にかけたときに生じる脳内の異常状態から見る夢か幻想と思うのだが。 ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が変わってしまった。 ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。しかし、ユングが臨死体験で見てしまった 宇宙からの景色と、宇宙船から飛行士が見た景色が全く一緒だったという。何とも不思議な気持になってしまった。 ーその部分を抜粋してみる 1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。 意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど 危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこんでいた。 後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、 彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。 私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。 とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、 そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。 私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、 銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。 (中略) どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。 この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景で、もっとも美しいものであった。
ーこのときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆も指摘するようにアポロが撮った地球の写真の姿と合っている。 それをユングはアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているー しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石のような黒い石塊が宇宙空間を ただよっているのを発見する。その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。 その中に入っていった。 私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。 つまり私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて希望したもの、思考したもののすべて、 また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。 この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものはいくらかはあった。 それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてが、 まるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだいえるかもしれない。 いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを強く感じた。これこそが私なのだ。 『私は存在したものの、成就したものの束である。』 この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、 同時に非常に満たされた感情をも抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。 私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。 最初は、なにもかも剥ぎとられ、 奪われてしまったという消滅感が強かったが、しかし突然それはどうでもよいと思えた。 すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりも なく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。 逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。 「私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上 に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった」 これに対し、彼に残されたものは何だったか。孤独な宇宙空間にただよいながら、 かつて自分が地上で経験し、行為したことのすべてが自分とともにあるという実感だけは残った。 そのとき残されたぎりぎりの「私」とは、自分がこれまで地上で経験し、行為したもろもろの事実のみであった。 それは要するに、「私」とは私のカルマ(業)にほかならないということなのか。 私に所属する多くが離脱しても、私の行為のすべては、おそらくは死後もカルマとして存続する。 ーー 以上であるが、鈴木秀子の臨死体験に似ている部分がある。現実のとらわれから解放される部分である。
ーあるHPのユングの臨死体験の解説をコピーしておきます。 非常に解りやすい内容であるー (字数の関係でカット2008年7月13日) ・・・・・・・・・・ 2003年07月13日(日) 830, アラスカ旅行記ー5 ーアラスカつれづれにー
アラスカで感じたのは、豊かさである。そして、その対比としての日本の豊かさの底の浅さだ。 ・高校の前を通ったら、大きな駐車場があった。16歳で免許が取れるという。 多くの高校生が車で通学をしているという。16歳以下でも親と一緒であれば運転できる免許もあるという。 ・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っているという。 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では 浮き輪を付け替えるという。 安いので500?600万で買えるという。 夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて遊ぶという。 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、鬱病になってしまう人が多いとか。 ・アンカレッジの街を歩いていても、豊かさが直に伝わってくる。 ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。 ・しかし乞食があちこちで見ることができた。 アルコールでやられるらしく、 彼等を収容するシェルターがあるという。特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。 『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。 「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れたキングサーン の刺身がお勧め」、 とのことで注文したが、もちろん絶品。 鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と 日本語で声をかけると、赤い顔をして「食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と嬉しそうに答えていた。 常連らしいので話しかけると、何と今回の現地日本人ガイドの上司。 三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドにトラバーユしたといっていた。 その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。 そして我々の間に座った。 知り合いらしく急にジョンは大人しくなった。そして英語で二人話し始めた。 後で家内がいうには 今回のジャンボの機長ではないかという観測 私もその時に一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて 機長の可能性が強い? 一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」といった。 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」 ・・・・・・・・・ 2002年07月13日 旅行中 ・・・・・・・ 2001年07月13日 旅行中
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2009年07月12日(日)
旅する力 ー深夜特急ノート ー4 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著 読書日記 第三章 旅を生きる
* そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということだった。 のちになって理解することになるのだが、香港から東南アジアを経てインドに入って行くのには、 そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的なルートだったかもしれない。 気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・。だから、インドに 入って下痢をすることもなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。 解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に慣れていくのは同じことか。
*私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。 しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、次第に、必要最小限の 単語だけを教えてもらうようになった。 いくら 何 どこ いつ こんにちは ありがとう さようなら この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に入って放置されても、 なんと切り抜けることがわかってきたからである。 もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは最低の清潔が保たれてしたし、 食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理をしては火が通った安全な食べ物を 提供してくれる。私は、やがて、どんなところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。 解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。(一番外れが大きいのが和食の店) 何処に行っても、中国人がいるから、いい加減な料理も出せないのだろう。
・・・・・・・・・ 2655, いちゃつき 2008年07月12日(土)
阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。 多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、それは「いちゃつく」という言葉に 行き着くという。最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、 また良いと。鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。 だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って いちゃついている姿に似ている。そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、 不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 それが女の職場の中の男の特権である。 誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。 この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。 「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。 鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、 とことんゲップをしそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと正直に告白している。 セックスになると、相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、いちゃつきの方が イメージとしてよいとか。 阪大の総長という立場など、捨ててやってみれば!といいたいが、そうもいかないか。 いちゃつきは、酒の席の二次会では常道で今さら。5~6歳の頃、実家の商売上、若い綺麗な女性が入ってくると、直ぐに 擦り寄っていって、太ももに抱きついた思い出が、リアルな記憶としてある。 また4人の姉たちの中で育って、オモチャ かわりに可愛がられたのも、いちゃつきの一つだったのだろうか。そういえば姉さんタイプに惹かれたのも、その辺の事情か? 最近、いちゃつくということが、殆ど無くなってしまった! 家内とは?言葉でジャレテイル、それもいちゃつき? ーー 次ぎの鷲田の言葉がいちゃつきに対して、明確に説明している! 「だから、一人っきりじゃなしに、誰かどなんの目的もなしに引っついて、密着する。 そうやっていちゃついているような幸福のイメージを、僕なんかはポジティヴにとらえたいという感じがあるんです。 なにかと親密な関係にあることの安心感。その相手は、友だちじゃないときはぬいぐるみだって、毛布だっていいわけ。 部屋にいつばいぬいぐるみを置いておくような、そういう少女が持ってる気持ちよさ、少女が素直に気持ちいいと 思えるような感じって、僕は意外と大事なんじゃかいかと思っているんです。 でも、いちゃいちゃってことを考えてみると、子どものときって、ほとんどいちゃいちゃ生活だったと思うんですね。 親にトイレットのトレーニングしてもらう前だって、おむつの中にウンコが漏れてもけっこう気持ちよかったし、 海水浴に行けば、砂遊びしながら指の間から砂が漏れる感じとか、砂で作ったものが波がきたらバーッとさらわれる感じとか、 あるいはドロんこ遊びにしても粘土細工にしても、モノと自分を切り離すんじゃなく、モノといちゃいちゃしてドロまみれに なったり汚物まみれになったりしている。それは子どもにとって、とても気持ちのいいことだったはずなんですね。」 ー 男がキャバクラで、アルバイトの女子大生などと遊ぶのも、いちゃつき願望なのかもしれない。いちゃつきたくなってきた!
・・・・・・・・・・ 2007年07月12日(木) 2291, 10歳の放浪記 ?3 。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を 紹介したが、これは深い意味が含まれている。この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。 精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。辞書でトラウマを調べると、 「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」とある。 特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、 イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。 ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」を ドラマ仕立て観て、感動し、この随想日記に二回にわたり書いてきた。 本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。 先日の日曜日に近くの図書館のファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。 諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。 ーー ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー 四月になると、暖かい日が続いたので、早苗は母が買ってくれた半コートを 父のボストンバッグにしまった。父は数日にわたって、風邪で熱を出していた。 早苗は天井を向いている父の横で、算数の計算ドリルをしていた。「なこちゃん」父が目を開けた。 「ン?」早苗が父の顔をのぞきこむと、「死のうか…」と、ポヅリとつぶやいた。 「やだ。まだ、マティー二を飲んでないもん」早苗は首をふった(映画館で見た、マティーニを飲むことを夢みていたのだ) 「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ」父の言葉が、ショックだった。 (以下、中間、略 09年07月12日) ーーーー 実際の経験だから、人を引きつける。戦争体験は、もっともっと凄い体験をしたのだろう。 地元長岡は空襲を受け焼け野原、両親から色いろ聞いてきたが・・・・ それでも、国を守るためには戦わなければならない!それが現実である。戦争放棄だと、この国は! ーつづく ヾ(。´・ェ・`。)Byeヾ ・・・・・・・・ 2006年07月12日(水) 1926, 教養について おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。 (この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、 その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、 その子に説教を始めた。 その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。 「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。 さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。 その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくって おかなければ!」その子は、何かハッとするところがあったようだ。両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが 嘘のように素直に聞いていた。人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。! 大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。 歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。そこで教養について、考えてみる。こういう場合インターネットはよい。 幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。 ・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。 ・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。 ・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。 古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。 それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。 ・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。 しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。 なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、 経験を通して見えてくるのだろう。見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。 だから娑婆は面白いのだが・・・ 面白すぎる、人間というのは!もっとも、一番おもろいのは自分だが!! 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」 「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。 「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・ まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ ・・・・・・・・ 2005年07月12日(火) 1561, わたしの酒中日記 ?13 ー岐阜?1 1975年 9月末日
初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。 あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。 まずは、東京の現金問屋街で仕入れ、 その後に名古屋廻りで岐阜に入った。今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。 しかし、全く経験のない「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。 学生時代の合気道の経験が役に立つ。ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。 とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。そのためには歩き回るしかない。 それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては、上手くいったようだ。 そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。 知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。 鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、 小座敷で飲んでいた二人づれの一人が話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、 彼らの席にいく。昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。 その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。 彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。とにかく疲れたので、早々帰ってきた。 緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。 何か仕入れとはこういうものかと、少しは解りかけてきた。 明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。未知な世界は、全てが冒険である。我ながら、よくやるよ! ーつづく ・・・・・・・・・・・ 2004年07月12日(月) 1196, 口ぐせ
先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切かつくづく実感する。 中村天風も、繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、 その毒が我々に大きく影響を与えている。 意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。 それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。 ー私が気をつけていることを書いてみると ・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること ・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと とくに布団の中では、マイナス用語に注意している ・マイナスの人の近くには寄らないことーマイナスの人?常に他人のうわさ話をネタにして生きている人ー ・あまり過去の話はしないこと。 楽しいこと以外、考えないことにしている ・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない ・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、「ありがとう」という言葉を 繰り返すようになった。 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。 私の過去を振り返ると、実感として・恵まれていた ・ついていた ・面白かった、であるが、 そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。 経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。 やはり中村天風の影響が大きかった。 私の口癖に「おいしい!」というのがある。実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさが倍増する。 少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。 逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。 最近意識して使っている言葉は ・うれし、たのし、しあわせ ・ありがとう、だいじょうぶ、ついている ・おいしい、よかった、すばらしい ・おもしろい、めぐまれている、悔いはない すべて、心の底から思うようにしている。しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用している自分がいるが。 ・・・・・・・・・ 2003年07月12日(土) 829,アラスカ旅行記ー4 ー26氷河クルーズー
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。 ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルドを 巡るクルーズがよかった。氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。 この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、 ・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。 ・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。 ・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに 愛らしいラッコが海に浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。 特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。 客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、 何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、 パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。 対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。 スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。 氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。 氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。 20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、 2年前にアラスカに流れてきたという。50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。 そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。 但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?! アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。
・・・・・・・・ 2002年07月12日 旅行中 ・・・・・・・ 2001年07月12日 旅行中
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2009年07月11日(土)
旅する力 ー深夜特急ノート ー3 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著 読書日記
ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を押してくれたのは、 1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖が書いた「アレキサンダーの道」という 紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」の1974年の一月号である。 その冒頭で井上靖は、こう書いていた。 《昭和48年の5月〜6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、自動車で巡った。 約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが初めての経験だったので、面白かった。 一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、長島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に 「アフガン、イラン、トルコ」というのは、まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》 解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。 だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で考えるしかない。 旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・・・ 私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。 これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は以下の通りであった。 ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ 持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の『李賀』である。 解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、その読書は 特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。 金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを 得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
・・・・・・・・ 2654, 結論で読む人生論 2008年07月11日(金)
「結論で読む人生論 ?トルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著) ー読書日記 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。 著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、 自虐的な文章が私の性に合って面白かった。この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ?」 という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがき、の一部を紹介して、次からは、 それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。 人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。それが自分の人生の司令塔になるからである。 ー ーまずは、この本の概要からー ー内容紹介ー (字数の関係でカット09年07月11日) ーー 後記) 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。 何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。 特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。 人生論は人生という旅の歩き方に似ている。地図としてみれば、位置や方角がわかるし、 訪れたい場所と他の場所との位置関係もわかる。人生論を考えない者は、地図無しで異国にいるようである。 自分が道に迷って、混乱している者にとって、どの角も道も同じように見える。 しかし実は違うことを人生論の中で示唆してくれる。 人生論を読み、哲学書を読んで考えない限り、 到着した場所はただ行き着いた場所でしかない。 それはそれで良いのだろうが、 その人のレベルでしかない場所だけである。 実際のところ、書いている自分が一番、身につまされる。 若い時に、より多くの地図を見て、計画を緻密にたて、多くの場所を見ておけば良かったのに!と、 この歳になって気づかされる。 携帯電話が、若い人に、こういうジックリ考える機会を奪っている。
・・・・・・・・・・ 2007年07月11日(水) 2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆ 豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。 真の「豊かさ」とは何か?は、考えれば考えるほど難しい問題である。 そこで「豊かさとは」と検索したところ、去年の11月の「豊かさ指数」というネット新聞記事がでてきた。 ーまずは、その記事のポイントを要約してみるとー 「豊かさ指数」というのがある。 この指数とは、国連開発計画(UNDP)が1990年より 世界177ヶ国・地域を対象に毎年発表している「人間開発指数」のことをいう。 「人間開発報告書」では国民の生活の豊かさは経済的な指数だけでは表せないとして、健康、教育、 所得(具体的には平均寿命、就学率、国内総生産など)などをもとに、人間の豊かさを国別にランクしたもの。 ー2006年の報告では、 1位・・・・・ノルウェー(6年連続) 2位・・・・・アイスランド 3位・・・・・オーストラリア 4位・・・・・アイルランド 5位・・・・・スウェーデン 6位・・・・・カナダ 7位・・・・・日本 8位・・・・・アメリカ 9位・・・・・スイス 10位・・・・オランダ ーこのほかでは 韓国・26位、ロシア・ 65位、ブラジル・69位、 中国・81位、インド・126位、最下位ニジェール(前年同じ) ー2006年11月ー 国連開発計画(UNDP)は9日、06年版の「人間開発報告書」を発表。 経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」を示す人間開発指数で、日本は177カ国・地域中7位だった。 05年は11位で、初めてベスト10から転落したが、今年は景気の回復も反映して再浮上した。 人間開発指数は、1人当たり国内総生産(GDP)のほか、識字率や平均寿命などをもとに算出した。 1位はノルウェーで01年から6年連続。次いでアイスランド、オーストラリア、アイルランド、スウェーデン、 カナダの順。日本が順位を上げたのは、大学院などの就学率や平均寿命、1人当たりGDPがそれぞれ向上したためだ。 ちなみに日本は1990年,91年,93年ではなんと1位。バブル崩壊でその後10位以下に。(1999年は4位) 2000年?4年間は9位 2005年11位 2006年日本経済の回復から7位になっています。 ー以上であるが、 他のHPに 豊かな社会の構成要素を、次のようにあげていた。 1. 不幸がない社会 2. 自殺数 3. 最弱者の生活が保障される社会 4. 格差がない社会 5. セイフティネットがある社会 6. 選択肢の豊富さ 7. 時間的余裕 これをみると、日本は到底豊かには思えないが、世界と比較すれば、まったくかけ離れて豊かということだろう。 ーーーー 以上が検索から調べたことだが、日本が1990年から3年間、世界で一位とは?何を基準にしたのだろうか疑問が残るが!、 といって現在世界で7番目というのも、あながち外れているとは思えない? この上げられている殆どの国には行っているが、順位は正しいようにも思える。 (観光旅行でわかるのか?というが、観えている部分の比較から垣間見ることはできる) デンマークが入ってないのが、少し不思議だが。オランダとスイスは、なるほど豊かだが、 イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、移民や南北地域の格差で民度が落ちている。 そこで「豊かさとは、どういうことか」と自問自答すれば、まずは三つの側面から考える。 ・空間的な豊かさ、 ・時間的な豊かさ、 ・金銭・物理的な豊かさ、 次は、・人的側面、 ・家庭的側面、 ・教養的側面、をあげることができる。 時間的側面は、いかに自由な時間を持ちえるか。空間的側面は、自分の置かれた空間がゆったりとしているか。 金銭・物理的側面は、自分の生活をエンジョイするに適当なストックとフローがあるか。 人的側面は、友人関係や職場で嫌な人より相性の合う人に恵まれているか。 家庭的側面では、両親や兄弟、連れ合いに恵まれていたか。 教養面では、自分の心を自由、かつ豊かに保つための知識を培ってあるか。またライフワークを培ってきたか。 ー以上を自分の心でよし!といえる人が豊かな人と定義する。これも、あくまで私の定義でしかないが・・・。 ところで私は豊かかな?? 豊かかどうかは捉えかた次第だが! まあ、豊かということにしておこう! SeeYou**(○´ω`○)ノ ・・・・・・・・ 2006年07月11日(火) 1925, シャイン \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ ?映画観想日記 何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。 今も活躍している天才ピアニスト、デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。 そんなことも全く知らないで、観ているうちに『シャイン』の世界に引き込まれてしまった。 この映画の成年期の主役の演技が素晴らしいと思ったら、何と彼は、この映画でアカデミー主演男優賞を とっていたのだ。ジェフリー・ラッシュはこの映画の後、「レ・ミゼラブル」「恋に落ちたシェークスピア」 「エリザベス」「テイラー・オブ・パナマ」などに出演していた。 「それでも人生は続いていく」という主人公の最後のセリフが、耳の奥に残っている。 この映画の中で演奏された「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が素晴らしい。 何度か聴いたことがあるが、これを演奏できるのは限られた天才のみ!である。 クラシックの良さが少しだが解るようになってきたのは、一年以上の間、クラシックを寝る間際に一時間、 聴き続けた結果だろうか。映画の主人公の父親の、息子に対してスパルタ教育と異常な歪んだ愛。 そして二人の葛藤の何とも激しく、矛盾に満ちていた。「愛情は自分のエゴでしかない」ことが 自覚できない父親の愛が哀しい。多くの印象的なシーン ・小さなレストランでのピアノ演奏の場面 ・ジャケットになっている、青空の下トランポリンで跳ねる場面 ・冒頭の街の小さな教会でポロネーズを弾く場面、 ・疲れきって噴水の前で寝ている場面 ・・・等々。 近くのレンタルDVDショップには、まだまだ気づかない名作が多くあるのだろう。 それはどれか、見ない限り解らないから・・ ーー ー「シャイン」の背景を、検索で調べたみたー 「シャイン」は、1996年のサンダンス映画祭で上映され、 もっとも注目された作品です。 「シャイン」は非常に大きな反響を呼び、一般公開前からすでに伝説の作品となりました。 すでにいくつかの国際映画祭で賞を受けたほか、主役のデヴィッド・ヘルフゴット扮する ジェフリー・ラッシュが1997年のアカデミー賞で主演男優賞を受賞しました。 彼は、訓練を積んだ優秀なクラシック音楽のピアニストでした。しかし、天賦の才能をもつそのピアニストが 世界の舞台から姿を消します。ストーリーは、それから10年後にパースのあるレストランで再びピアニストとして 復活するまでの夢と苦悩の日々を描いています。
・・・・・・・・ 2005年07月11日(月) 1560, トヨタ流 仕事の哲学 ー読書日記 若松 義人 (著) 著者は、この書で一番いいたかったことは「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、 何と難しいか」である。「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。 トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、「人間の智慧に限界はない」である。 トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。 この書はトヨタ式の物の見方、考え方、行動の仕方が解りやすく書いてある。。 トヨタといえば、「かんばん」や「ジャスト・イン・タイム」など経営手法ばかりが注目されてきた。 この本はトヨタの精神性ー「哲学」が明らかにされていること。 換言すれば、「トヨタそのもの」がテーマになっている。そこから見ている限り、トヨタの哲学は見えてこない。 この書はトヨタのブラック・ボックスの部分を、トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の直弟子で、 「トヨタ式の伝道師」とも言える著者が、自らのノートを紐解きながら語っている。 本書を読むことで、トヨタの強さの源泉が、その「行動規範」「価値観」「組織文化」にあることを知り、 また読者はそれを自らのものとして吸収できるだろう。この本の中には、たんなる一企業の理念を超えて、 多くの企業、そしてビジネスマンにとって有効な「普遍性」を有しているからだ。 以下、それぞれの章ごとに印象に残った部分をメモ代わりに抜粋してみた。 (以下1?6章までは字数の関係でカットしました。2008年7月11日) ーー 以上であるが、システム的なものは前書きにあったように、ほぼ書いてなかった。 何度も何度読む必要性のある本である。
・・・・・・・・・・ 2004年07月11日(日) 1195, 授かった不思議な力
ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集を読んで、 その中の臨死体験の話に興味を引かれた。何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。 何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。歳を重ねれば重ねるほど「不思議」 という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。 私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。 神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。 有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良くはしない。 やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。人間には、本来持っているが退化して 隠れてしまった能力が多くなるような気がしてならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ! ーー 臨死体験後、不思議なことがありました。 結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が 男性がいらして、「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。 自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。 そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。 どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、 どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、 それだけ色いろなことが重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。 そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。 だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。ー ー人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこでは繋がっているということです。 自分の手にたとえると良くわかりますが、人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、 お金があるってお互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では平等で, 全部繋がっているんです。何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。 誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている大切な存在という三つにおいて 平等だと思うんです。だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は経ていく世界だって いう感覚があるんです。やはり人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングのつながりに 意識を向けていかないと虚しくなっていくのではないかと。人生のテーマを考える時、 ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、充実したものになるのではないでしょうか。 ーその臨死体験の講演をまとめてみるー (字数の関係でカット 2008年7月11日) ・・・・・・・・・ 2003年07月11日(金) 828, アラスカ旅行記?3
デナリ国立公園ーb ーマッキンリー遊覧飛行ー 一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。 230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。 「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった 食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、迷わずに参加した。そして大正解であった。 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのようなセスナに乗った。 20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194?ある山頂を、 下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、 どこまでも広がるアラスカの大地が、この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。 「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。 ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。 マッキンリーの山頂に200??近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近で みている時間は「至福の時間」であった。思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。 この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。 いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」である。本当に人生と同じである。 ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで行ってきた。 家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけて エド・ディル(修道院)まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。 またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。あと一歩踏み出したお陰であった。 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、もちろん文章もである。 特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を多く話してくれたこととアラスカの大地の この目で見た為だ。 また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。
・・・・・・・・・・ 2002年07月11日 スイス旅行中 ・・・・・・ 2001年07月11日 北欧旅行中
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2009年07月10日(金)
「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著 読書日記
第一章 旅という病
* スタインべックの『チャーリーとの旅』には、 ―子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなに むずむずしなくなるよ」といったものだ。年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、 と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、その病は治るよ」といわれた。 いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。 解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。 時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。 * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。 ひとり電車に乗って行ったあの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。 「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、 テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、 泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。 「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、 それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》 自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、半年間は放心状態であった。 日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。 その翌年に、北海道の一人旅や、そして九州、紀州、能登と一人旅をした。 一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く器量はなかった。 もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。 あの21歳の時の旅行は、私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、 ・世界は広いこと ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである
・・・・・・・・ 653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか 2008年07月10日(木)
あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、 「何故あそこまで熱狂するのか?」戸惑うことが度々ある。 人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。 サッカーで韓国が異常に燃えるのも、先進国に対する追いつけ追い越せ精神が拍車をかけている。 現在では、世界共通の集団チームプレーとして、代理戦争の様相さえ示している。 そう思ってみると、またサッカーが面白く見えてくる! ー (哲学ワンダーランド・貫成人著)より ある時期以降の世界的サッ力ー熱の背景には、「人間の本質」などという、 ある種崇高とも見えるような事柄には収まりきらない複雑な事情がある。 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズとリバープレートという 二つのチームがあり、互いにライバルチームだ。 いわゆるダービーマッチ」といわれる 同一フランチャイズのチームだ。・・・・Jリーグなどでは、かつての横浜マリ・スと横浜プリューゲルスなど、 ダービーマッチの対決でも、その応援は、ほかの試合とそれほど変わらないが、アルゼンチンの場合には異なる。 ・ポカ・ジュニアーズはブエノスアイレスの低地、港湾地域のひとびとをサポーターとし、 ・リバープレートはより高台のブルジョワ階級のチームである。 前者は主として、もともと貧しいイタリア系移民労働者の地域であり、後者は裕福なイギリス系移民の住むところだ。 両チームの対戦はしたがって、テクニックやスピード、戦術などの優劣を競う単純なスポーツ試合ではない。 それは、同じブエノスアイレスの住人同士でありながら、人種や階級、言語を異にするふたつの エスニック・グループ同士の「戦い」なのだ。低地の住人にとってボカ・ジュニアーズの勝利は、常日頃自分たちを見下し、 こき使っている富裕層に対して、自分たち労働者が勝利することであり、高地の人たちの敗戦は革命に等しい。 だからこそ、それぞれのサボーターは「たかがサッカー試合」なのに両チームのプレイのひとつひとつに熱狂するのである。 同じようなことはスコットランド・リーグのセルティックとレンジャーズにも見られ、この場合には、 新教と旧教という宗教的対立、英語とスコットランド語という言語的対立とも連動している。 同じ町のチームというわけでなくても、スペイン、リーガ・エスパニョーラにおけるレアル・マドリードと バルセロナの対戦は、もともと地域ごとの独立性が強かったスペインにおいて、 地方自治を弾圧する国王のチームであるレアル・マドリードと、言語その他において独立性の強い カタロニア地方のチームであるバルセロナの対戦という意味を持つ。ここにも文化的。政治的対立が潜むのである。 ヨーロッパでも南米でも、それぞれの地域ごとに、近代化以前からの先住民、近代化=欧米化とともに渡来した住民、 そのかれらが強制的に連れてきた住民といった、それぞれの履歴の落差がある場合、 こうした言語的・人種的・宗教的・階級的・経済的・文化的対立が、各サッカーチームの成立の要因となり、 サッカー試合はエスニック・グループ同士の代理戦争という様相を呈する。 各チームのファン、「サポーター」は、自分が応援するチームのプレイやゴール、勝敗のたびに、 スタジアムやテレビの前で「一体となって」、喜びや怒り、悲しみを共有する。 アメリカ合州国の文化人類学者ペネディクト・アンダーソン(一九三六?)は、国民国家について「想像の共同体」 という言い方をした。サッカースタジアムの観客は、むしろ「熱狂の共同体」を、しかもきわめてリアルに形成するのである。 Jリーグの場合には、第二次世界大戦後に世界的にも希有な形で国民全体の富や資産の平準化(一億総中流)が 達成された日本で生まれたリーグであるために、欧州や中粟でみられるこうした性格は見られない。 その各チームを「地域に根付いたチームではない」 ーーー それで会場では、熱くなった観客同士が乱闘するのが理解できた。 *今気づいたことだが、一昨年の今日に、ワールドカップについて偶然書いていた。 ・・・・・・・・・ 007年07月10日(火) 2289, 霊長類オンナ科図鑑 ?2 才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪ ーヨゴレ自慢女ー この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。 奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。 「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。 本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。 それがまた、面白いところである。他人を子供扱いをし、エロ系などのヨゴレネタが9割といってよい。 自らを貶め、その場の人々に対して優越感を抱こうとする、逆説的な「露悪魂」が彼女の彼女たる所以である。 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。 ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日) ーー 等々、つづく。 彼女のエログロも慣れると、何とも快く?聞こえてくるから不思議である。 でも、読んでいて反省するのも、合せ鏡になるからである。 たっくもう?!こういう上手(うわて)の話は反面教師になる。 考えてみると、私は「露悪的偽悪主義」か、 いや、「偽悪的露馬鹿主義者」か?? ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ ・・・・・・・・ 2006年07月10日(月) 1924, ワールドカップー2 おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ 2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。 試合はフランス優位であったが、1対1で終了。PK戦の結果,イタリアが優勝した。 PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダンが後半の終了間際に、 イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。 開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、 次の候補に挙げられていた。私の予測は、「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、やはりブラジル」 と、思っていた。イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。 これだけは、終わってみなければ解らないことだ。サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。 日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と歴史の差はいた仕方がない。 私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。その方が面白いからだ。決勝戦は、家内がフランス。 私がイタリアであった。 国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・ n(0 ̄) ネム~(ρ_-) (/_-) バイ!ヾ(  ̄ヘ ̄)θキック!(★)゚ ーーー 2006年07月04日 ワールドカップ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ?
前回のサッカーのワールドカップの感想が 2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」 というテーマであった。この内容からみると、当地の新潟でも試合があった。 そのわりには、あまり興に乗っていない。しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。 私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。 ヽ`д´)┌┛┌┛★( )??(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚) 日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。 ブラジルの二つのジンクス、 ・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。 ・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。 を破ることはできなかった。 (*・-・)θ (*・-・)θ (*・-・)θ☆ 【蹴り隊】 ーーー 2002年07月01日(月) 454,面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。 サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。 優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。 =字数の関係上カットしてます。 タタタタッッ≡≡≡≡≡ ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyёβyё♪ ・・・・・・・ 2005年07月10日(日) 1559, つれづれに ー新潟駅連続立体交差ー やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。 三年前までの4年間は、朱鷺メッセと東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。 これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き立つだろう。 「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。 たんなる書いた餅ではない。長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。 4棟を建てた辻褄があってくる。 ー梅雨、真っ只中ー 梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。 カラスのツガイが巣立ちしたばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。 また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。 ー同期会の打ち合わせー 昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。60歳のなろうとしているのだ。 一応、この歳が一つの人生の目安になる。逆成人式というのが良い表現になるだろ。 41歳が同級会で一番良い時という。 そして60歳は次の大きな目安である。
・・・・・・・・・ 2004年07月10日(土) 1194, ニーチェ(2) ー哲学についてー15
ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、 「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、ひるまずに立ち向かい、 それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを 求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。 これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。 それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、 指導者としての力を最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。 反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。ファシズムの創始者のムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、 ヒトラーと1938年に歴史的会談をおこなった時にニーチェの作品を贈呈している。そのため彼の思想は大きく 誤解されることになってしまった。彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。 19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。 その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に 要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ。 我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。 多くの人によって散文作家とみなされている彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。 格言や聖書のように短く区切られていた。新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。 彼の主張は暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。 当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。 ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。 彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。 ・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。 ・独創的??何かの新しいものをはじめて観察することではなく、 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。 ?「人間的な、あまりに人間的な」? ・善とは何か??人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。 悪とは何か??弱さから生ずるすべてのもの。 ?「反キリスト」? ・生きるとは何のことか??生きるとは、死にかけているようなものを 絶えず自分から突き放していくことである。 ?「華やかな知識」? ・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。 (字数の関係で中間カット2009年7月10日)
・・・・・・・・・・ 2003年07月10日(木) 827, アラスカ旅行記ー2
ーデナリ国立公園ー 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。 デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、車で6時間の距離にある。 このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、 野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、 雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。 なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。 スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。 ツアー客の全景をみれる確率は20?とパンフレットに書いてあったが、その20?に当ったのが幸運であった。 更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。 彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。 ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。 その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。 またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。 3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。 日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。 「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで 話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す) が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。 ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。 自己承認を求めているのだろう。色いろな人生があるものだとつくづく思う。 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。 NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。 また地球シンフォニーという映画にも出ていた。『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。 数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。 彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100?の突風で 飛ばされたといわれている。 アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。 沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、 また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、 彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。 ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。 ー続く ・・・・・・・・ 2002年07月10日 スイス旅行中 ・・・・・・・ 2001年07月10 北欧旅行中
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2009年07月09日(木)
* 中国のウィグル地区の暴動について ウィグル地区のウルムチで、暴動が発生した。 必然的な事件である。 中国が、20〜30年前のソ連になるか、100年前のアメリカになるのか、絶妙な分岐点に立っている。 共産主義という建前で一党独裁で強権を支配しないと、多民族をマトメルことは不可能なのか?、 それとも、ソ連のように一度解体をして新たに出直すことが自然なのか、歴史が証明を待つしかない。 ハッキリしていることは、漢民族が少数民族を支配をし、搾取をしていること。 それが、共産主義の 建前との隔離が情報化のため白日に曝されていることから、暴発のキッカケになっていることである。 中国の暴動は拡大はすれど収まることはないだろう。 「中国の民は、サラサラの砂で統治するのは至難の業」。 だから独裁統治も必要だが、時代は自由と個人に重心が移動をしてしまった。 ネットで、それぞれの地区で 呼応して暴動が起きる可能性もある。 情報化の流れを押し留めるは困難である。
* 大阪のパチンコ屋の無差別テロについて 恐ろしい事件である。自殺をするに不特定多数を巻き込もうとするのを「拡大自殺」というらしいが、 秋葉のテロ?と相似点が多い。 時代のマイナーを凝縮している事件である。 一度、歯車が狂うと、元に戻すのは不可能に近いのだろう? とにかく仕事が無い・・ そのために離婚になり、虚無的になり失業。 そして借金地獄から自殺かホームレス。 「年金年齢になったので、大丈夫」とは妄想でしかないのか。 自民党の一党独裁を容認してきた国民は、 それゆえに、年金の元金もアメリカの国債を押し付けられ、皆無に等しい状態??。 それさえ気づいてないから、すくいようがない。 最後はハイパーインフレで、丸裸の帰結が待っている。
* あれから40年か〜 あと数日で、大学卒業から40年になる。腰痛で出席が微妙だが、何とか出たい。 「あっという間であり、しかし長かった! 何とか、たどり着いたが、面白かった」が実感である。 そういえるのは、今のうちか?
・・・・・・・・・ 2652, 人間、互いに理解不可能なのは、如何して? 2008年07月09日(水)
ある哲学書(*ー参照)の中に、何故人は互いに理解不可能なのかを分解していた。。 長男がUターンで帰ってきて、再就職のことなど、節目ということもあり、話を始めるが全く互いに通じない。 それでいて、居酒屋などに誘うと親子三人が仲の良い家族になる。 そのことを、知人に話したところ、 ・一人は、「親子で対話など有り得ないこと、会話さえないのが実情だろう。親子であるのは、ただ説得だけ」。 ・そしていま一人は、「私の息子は三十半ばになるが、今まで会話さえ殆どしたことがない、 最近になって上京した時に ご馳走をしてくれと、電話がきだした。会話さえ、していること自体で充分」。 そういうものか?と、思いつつ、それでも何とか成らないものかと思っていた矢先、わかりやすい道理に出くわした。 <*?(哲学ワンダーランド・貫成人著)第一章の?「話せばわかる」1?3)> ーまずは、その部分を書き出してみる。 ?? ーひとは誰でも、自分の「地平」に束縛されているー
二十世紀ドイッの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900?2002年)は、 ‘理解しえないものをいかに理解可能にするか’ をきわめる「解釈学」を構想した。 かれによれば、人々がお互い理解不可能なのは各自が持っている「地平」が異なるからである。 たとえば、物置から古い掛け軸がでてきたとしよう。その値打ちを判断するには相当の経験と知識を必要とする。 それに、そもそもそのようなものに価値があると考えていなければ、その価値を判定しようとも思わない。 実際、古いものには価値がないと思われていた明治初年には、貴重な文物が安値で買いたたかれて海外に流出した。 およそ何かを判断するときには、一定の知識や価値に頼らざるをえない。 そのような判断や価値付けの拠り所となるものをガダマーは「地平」とよぶ。 大海原や砂漠に立ったときに三六〇度ぐるりを水平線、地平線が取り囲む。「地平」とは、地平線の内側、 自分が立っている足下とは逆に、地平があればこそ、その中にある何かを認識することができる。 もちろん、今わたしが位置する地平の外側にある対象も、わたしが移動すれば見えるようになる。 しかし、そのとき地平もわたしと一緒に移動しており、したがってその対象が地平の内部にあることには代わりはない。 物置から出てきた掛け軸の場合、この地平にあたるのは、骨董品を貴重とする価値観、その値打ちを判定するための経験、 知識だ。一定の価値観や知識があればこそ、古びた品物をそのまま捨ててしまうのではなく、目をとめ、 値打ちを判定することができる。あらたな経験を積み、地平が移動し、拡大すれば、これまでわからなかった ものの値打ちもわかるようになるだろう。肝心なことは、自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである。 自分にどれだけの経験があるのか、どのような価値基準をもっているのかのリストをもっている人は誰もいない。 いつの間にか身につけた価値観や経験に応じて、ひとは、その場の諸問題に対処する。 その結果、各人は、自分でも気づかないまま自分の地平に束縛されている。 なにしろ、自分がどのような価値観や経験を 持っているかを客観視する方途はないのである。 しかも、このように地平に幽閉された状態であるかぎり、 それぞれは自分がそれまでに身につけた価値観や経験から、身の回りのすべてのもの、したがって他人をも判断するしかない。 もし、相手が自分とは異なる地平に立っていれば、その相手の言うことや、やることはまるで理解の範囲外ということになる。 古物に意味を認めない人物には、物置の掛け軸を二束三文で売ってはいけないという人物の言うことは理解できないのである。 では、この状況が変わることはありえないのだろうか。 自分とは異なる他者を理解しうるためには、各人が「心を開いて」いなければならないとガダマーは言う。 他人の言葉や行為をすべて自分の地平の枠内で処理しているかぎり、そもそも【自分とは異なるものがいる」 ということ自体に気づくことはない。けれども、何かのきっかけで、自分が何らかの地平にとらわれていることに気づくときがある。 そのときはじめて、ひとは自分の地平を対象化し、相対化するだろう。そして、それまで自分がとらわれていたのとは別の地平も ありうるということに気づくことになる。 官僚出身者特有の話し方をしていた政治家も、落選が続けば、 土地の人たちの言葉でしゃぺり、かつ、自分の意見を伝えることができるようになるだろう。 ?? 他人から理解してもらえないという嘆きほど、バカバカしいことは以上からみても解るだろう。 一人の人間を理解するなど、到底不可能でである。自分でさえ理解できないのに。 ただ馬鹿なオッサンだけは解るが!
・・・・・・・・・・ 2007年07月09日(月) 2288, ちょっとした勉強のコツ ?2 (p≧w≦q) オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨウ? ー読書日記 この本の中の「三つのことば」についても、面白い! ーまずは、その要約をしてみたー ーーーー ことばには三種類ある。 ?ひとつは、生まれてまず覚えるもので、たいていは、ものの名前。 それと、ごく少数の動詞をふくむにすぎない。日常の最小限のコミュニケーションはこれでできる。 この特質は、ものごとを直接的に指し示すところ。‘いま’‘ここ’にある事がらについての表現である。 これをアルファーとする。 ーもうひとつは、ベーターのことばとする。 これは、人間の文化、価値のあるウソを多くふくんでおり、そういうものにかかわりのあるもの。 虚構、フィクション、創作、創造など。 昔話、おとぎ話などをいう。 昔話をきいているうちに、見ることのできない、触れることもできない非現実的世界を 頭の中に描き出すようになる。 つまり、想像力によってストーリーを理解することば。 ?そしてもうひとつは、ガンマーのことば。 これにはベーターのことばと違って、ストーリーがない。 その代わりに、ものごとの関係を扱う。それは論理といいかえてもよい。 物語りや小説を読んだだけではガンマーのことばは育たない。 論説や理論のある文章、表現にふれることで体得するほかはない。 …… (字数の関係上カット、2008年07月09日) ヾ(。´・ェ・`。)By? ・・・・・・・・・ 2006年07月09日(日) 1923, 孤独であるためのレッスン おっ w(゚Д゚)w ハァョ? 著・諸富祥彦 ー読書日記 孤独について何度か書いてきた。自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな人間の課題である。 図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。 我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に死んでいく。 その土壇場で人は死を恐れるのではなく「自分はやりたいことをやった!」 といえない自分に直面することを恐れるのだという。真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。 だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を無視するか、処理をして、やりたいようにしないと 仮面の人になってしまう。仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)と信じている。 この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。
そのための条件を以下のとおり書いている。 ー孤独であるための八つの条件ー 一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。 二 人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。 三 自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。 四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。 五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。 六 ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。 七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。 そう思える人を見つけよ。 八 自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め まあ、巧くまとめたものだ。 また、ー孤独の中の四つの出会いー を一章にわたって書いている。 ・自己との出会い ー自分の中の深い自分と出会う ・他者との出会い ?深い孤独を知っている他者と出会う ・普遍的なものとの出会い ー深い孤独の中に普遍的なものをみる 公平な内なる観察者 ・`人間を越えた何’かとの出会い ?人間を越えた何かは大自然の深い波に出会い感動した時に感じる何かである (字数の関係上カット、2009年07月09日) ・・・・・・・ 2005年07月09日(土) 1558, BOSEのステレオ?6
購入してから4ヶ月経つ。 7万円台のものでもよかったのではないか?と疑問を持ちはじめた頃、 TVの横から、6m位先の部屋の隅に置いてみた。 そして、それが正解であった。 二m先のTVの横なら7万円代のものでも充分だが、部屋全体の反響を使って聞くなら、これが丁度よいようだ。 ただ、このコンポの効果的な使い方を知らなかったのだ。そして、このステレオの良さを改めて知った。 それと「ベストクラシック・100」シリーズが、3千円で販売された。 100曲で3000円は安い。 ・ベストクラシック・100 ・ベストクラシック・100モア ・ベストピアノ・100 と買いこんだのが良かった。 半分ほどは、過去に買ったシリーズのCD に入っているが、音質がよくない。 家内には、「7万台で充分だったのでは?」と、言われつづけてきたが、位置を変えてからは何も言わなくなった。 イギリス人はゴルフやテニスなどの道具は思い切って良いものを揃えるという。 良い道具を揃えると対象に気持ちが入るし、途中でやめるわけにいかなくなる。また一生物になる。 今まで、音楽に対してはそれほど興味があったわけではないが、一日一~二時間は聴くようになった。 「人が皆、我より偉くみえる日は、コンポを聴いて妻と愉しむ」というところか!
・・・・・・・・・ 2004年07月09日(金) 1193, ニーチェ(1) ー哲学についてー14
ー概略はー ドイツの哲学者。(一八四四?一九〇〇) 実存哲学の先駆者。
キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、 強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。 機械時代・大衆支配時代に対する批判は、一面ファシズムの支柱ともなった。 薯「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「道徳の系譜学」 「権力への意志」など。 ーーーー 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。 高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を最大限発揮するのが男の務めと考えていた。 儒教的頑張りズムに相通じるところもあるが。 自分が考えることは、しょせんは全てが借り物。 ただ借り物と意識をしないで踊っているにすぎない。それを気がつくかつかないかでしかない。 ー印象的なことを書き連ねてみると、 この世には神は存在せず、人間には不滅の魂などないというショーペンファウアーの主張には賛同した。 人生とは大部分が意味のない苦しみや争いの連続で、[意志]とよばれる非合理な力に引きずられていくだけ という点でもショーペンファウアーに同意している。しかし、この世界は部分にすぎない、 それも大して重要ではないという彼の主張には反対をした。この世界こそすべてだと考えた。 更にショーペンファウアーの「人はそのような軽蔑すべき世界から背を向けて、 関わりを持たずに生きるべきだ」という結論を否定した。 逆にニーチェは、 「人は自分の人生を精いっぱい生き、可能なかぎりのものを手に入れるべき」と考えた。 ニーチェ哲学の最大の課題は、 「神が存在せず、意味もない世界で、人はどのようにすれば情熱を持ち続けながら生きていけるか」。 自己の能力を最大限に伸ばした人間は一種の超人的存在であるため、ニーチェはそれを「超人」といった。 ニーチェにとって人がもつべき最高の価値観とは「自己の人生を肯定する」ことであった。 「誰もが完全に自己を表現し、充実した人生を送り、人生を肯定すべきである」と説いた。 ニーチェの二つの主張がある。 ・充実した人生そのものこそ意味があり、価値があるとした。 充実した人生は芸術作品のようである。 ・すべては永遠の無に帰すのではなく、永劫回帰する、というものである。 時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前おこったことはすべて、 ふたたび巡り帰ってきて、その後永久の時を経て同じことが繰りかえします。 人は精いっぱい生きることで、永遠に生きたいと思う人生を送る。 時間は永遠に繰りかえすことで、限りある閉ざされた世界にいる人間に、永遠といえる生命を与える。 ーつづく ・・・・・・・ 003年07月09日 826, アラスカ旅行記 ?1
一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日行く前は、もしかしたら 「外れ」になるのではと不安であった。山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。 それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。 良ければ必ず情報が入ってくる。このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、 アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。ーだいたい一般の30?OFFあたり。 ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを現地ガイドに聞いて 初めて知った。今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。 直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、ソウルに飛んでそこからの直行便で行くかどちらかである。 その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。ーソウルからの直行便は出ているが、 日本はないということ。その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。 パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、6時間というのは信じられない感覚である。 全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、 ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。 ー印象順に書いてみると 1、何といってもマッキンレー山である。 あまり期待をしていなかったが、実際に見るマッキンレーは 想像を絶する素晴らしさであった。特に軽飛行機から見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。 ー詳しい内容は明日書く予定。 2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、実際は決して見劣りしない素晴らしい内容。 3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。 どこまでも単調な景色でハイビジョンで 見たものとは違っていたー値段の高い展望車でなかったこともあるが?それと天気がよくなかった。 4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを詳しく 話してくれた。 彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た おもいであった。 ーこの内容も後日書く。 ?つづく ・・・・・・・ 2002年07月09日 スイス旅行中 ・・・・・・・ 2001年07月09日 北欧旅行中
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2009年07月08日(水)
「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著 読書日記
深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでもドラマ化されたが、これも良い脚本であった。 その後、彼の本を何冊か読んだが、それに勝るものはなかった。 この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、 旅の指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っているようだが、そうだとしても納得できる。 全体の総評を書こうかと思ったが、一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと判断して、 何回シリーズで書くことにした。 まずは ー序章 旅を作るー から 一行目の出だしからして惹きつけられる。 *「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には、大槻文彦が『大言海』で記した次の定義が もっとも的を射たもののように思われる。 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー ・・・・・しかし、旅は同時に、終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。 そこには旅を作る、という要素が入り込む余地が生まれるのだ。 人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではなく、旅をする人が作るのだ。・・・ (解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、旅行は目的地に行くことを 主にすることをいう」ということは知っていた。私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、 そして、文化・文明というより、大自然に触れることであった。それは目的地だけでなく、その移動の中に 垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の姿が整えられていく。 夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのようにして、旅を作っていく。しかし、人によって その作り方は違ってくるだろう。だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。 (解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を書いて総括し、写真を整理し、 そして、その後にガイドブックや、ネットで情報を取って記憶を再編集する。 そして、何時かTv番組で放送をしているのを見る。その都度に一度行った旅行が再編されるのである。 だから、どんどん自分が膨らんでいく。 とにかく、一度その地に足を入れることである。 そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。
・・・・・・・・ 2651, ロジャーズ 中国の時代 −1 2008年07月08日(火)
最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。 20年近く前に中国を訪れて以来、5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、 この本によると、更に変わっているようだ。 ただ、その劇的な成長に対する反動が、どういうカタチでくるのか問題だが。 そのクラッシュ後の中国は、これを読む限りより大きく成長するのではと思われる。 ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き、国際商品の高騰を予言した冒険投資家。 これは中国株投資の手の内を明かした全米ベストセラーになった本。どのページを開いても、唖然とする内容である。 この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ100倍になったのである。 ロジャーズは、「現在の中国は、1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。 ソ連のように分裂というカタチを通るのか?これだけの大国を束ねるのに、一党独裁という強権も必要なのか? 独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、やはり同じ道を通るのだろう。 この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。 〜〜 中国人の友だちが言うには、 「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した 中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、 世界経済が何十年にもわたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。 扉を閉ざして社会主義の桃源郷を作ろうとしていたのだ。 私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。 民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。 いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、 仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、新しいことを始めたりするのも不可能だった。 生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。 そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、 成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」 〜〜 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。 下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。
・・・・・・・・・・ 2007年07月08日(日) 2287, ちょっとした勉強のコツ −1 (´∀`σ)σ オハYO! ー読書日記ー 外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。 この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、 内容が濃いからだろう。 冒頭からして、深く考えさせられる。 特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか? 何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、 少し取上げたことがある。 敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。 それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。
ーオーストラリアの蜜蜂ー かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。 ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、オーストラリアでは常夏のように年中、 なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。 こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。 さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、仕事は始まった。 最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、 やがてほとんど蜜を集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、 いつも花があるからだという意外なことがわかった。 ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。 年中花のある恵まれたところに移って、蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。 それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。人間も概して、きびしい環境におかれた方がよく働く。 欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。 寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。 それがやがて社会の繁栄に結びつく、そう考えるのである。悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。 ハングリーならよく働くというわけだ。 ひとりひとりについても同じことが言える。 いまアメリカでもつとも優秀な学生は、ベトナムやカンボジアからボート・ピープルとしてアメリカへ渡った 難民家族の子女である、と言われる。ハーヴァード・イエール、プリンストンなどの名門大学へすいすい入学する。 ハーヴァードなどでは定員の二十パーセントを超えて問題になったほど。 ベトナム・カンボジアからの難民が秀才、才媛だけをつれて行ったわけではあるまい。 不目由・不如意な環境で育ったために、石にかじりついても、といった勉強をした。 ハングリーだったからこそ、目ざましく学力をのばしたのである。 ーーー 現在の韓国や中国、そしてインドの若者が目覚め、必死に学んでいるが、 ユトリ教育とか訳のわからない理屈で遊び呆けてきた日本の若者の姿が痛た痛たしい。 この文章は本の発刊の3年前の10年前に書かれた内容である。 現在の日本は更に問題が深刻化している、いや、表面化してきたということだ。 「茹で蛙」という言葉があるが、自分が茹で蛙と気づけばよいが、 茹で上がった蛙は、その自分の姿が解らないものである。 それも、周りの蛙がホボ茹で上がっていれば、気づけというほうが無理? [ ・ω・]ノ ヂャァネッ ! ・・・・・・・ 2006年07月08日(土) 1922, 第二次・関東大震災 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7) の地震が起こる確率は70?という。その時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。 死者は最大で13000人というから、1000人に一人になる。 イメージでは5~6万以上の死者と思えそうだが。700万人の避難者が出て、 建物の全壊や焼失は85万棟。 損失の総額は110兆円と予測される。国家予算の150?になる。 もっと、恐ろしい事実がある。マグニチュード8程度の地震発生が予測される原発が、世界に一つある。 中部電力浜岡原子力発電所である。 政府や電力会社は「『安全基準』を満たしている」というが、 専門家の間では、安全基準自体を疑問視する声が根強い。 よく、そんな場所に造ったものだ。 東海地震にしても、関東大震災にしても、単独ではなく、一つの地震につづいて起こる可能性が高いという。 そんなこと考えることないよ!というかもしれないが、一昨年の暮れに、私の地元でマサカの大地震があった。 夜になると近所は真っ暗闇になり、近くの学校に被災者で一杯になった。そして、新幹線が脱線をして惨劇一歩手前。 現在でも、裏の我が家の貸家には『被災者が住んでいる』という事実がある。 私なら、間違いなく何処かに引っ越すが! もう一度言う、間違いなく引っ越す。 せめて住居は埼玉か、千葉か、鎌倉かにする。歳を召されたかたは、それも寿命でよいが! 地震の予知は、実際のところ無理だという。関東に住むのも、働くのも、命がけになったのだ。 少し脅かすと、関東沖でインドネシア沖の大地震クラスが発生して大津波が来たら、数十万でなく・・ 今月の日経新聞の「私の履歴書」は小松左京である。「日本沈没」を書いたSF作家の・・ 日本の人口は昨年より減り始めたが、東京の人口は、この先10年間は増え続けるという。 年配を中心としてだから、それはそれでいいか? 30歳と27歳のわが息子よ! うするっぺ~か? 埼玉辺に住むようだから、安心か〜 それに避難所も、三国の山を越えればあるのだから、大丈夫か! 越後も、日本海に面して、北朝鮮の頭のいかれたドン様がミサイルで恐喝をされており、 柏崎原発にミサイルを・・・ どちらも同じことだ・・ i (ω・`) bai ・・・・・・・・ 2005年07月08日(金) 1557, 宇野千代ー3 ー 宇野千代語録 −2
忘れるということは得なことである。 私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、 すぐに忘れた。人と別れても、決してその人を恨んだりはしないから、 或る時が経つと忽ちその人とまた仲良しになったりする。 (「願望」より) ー内語ー そうだよな〜、そうだよな〜! でもなかなか、それができないのが人間の弱さ。 この人、強い人なんだ! ーー あ、いやだなあ、つらいなあ、とため息をつく代わりに、 ちょっと心のチャンネルを切り替えてその答えでも見つけるつもりで、幸福の種を探してみてください。 最初はなかなか大変でも、くり返しているうちに、すばやく見つけられるようになり、 そのうちどんなときにも幸福を探すのが癖になります。 そこまでくれば、あなたは達人、私と同じ幸福探しの達人になれます。(「幸福に生きる知恵」より) −内語ー そうか?そうか! ーー 「粋」とは「とりつくろわないもの」のことである。 化粧はしていても、決して、してはいないように、素顔であるように見えなければならない。 身なりもとりつくろわず、自然で、小ぎれいで、しゃんとしていなければならない。(「願望」より) ー内語ー 純粋の粋か? ーー 「お洒落をしない人間は泥棒より醜いと思う」女は幾つになっても、 お洒落をすることを忘れないようにしてほしいものだ、と私は思うのである。 世間には、お洒落をしないことを自慢のように言っている人もあるが、しかし、 私は、そのときそのときに会う相手に対して、それでは失礼ではないかと思う。(「しあわせ人生」より) ー内語ー 泥棒の方がまだまし? ・・・、まあいいか! その位、自分に対して気を使わなくてはならないということ? ーー 恋人同士、または夫婦同士で、別れたくない、いつまでも愛し合っていたい、と思う間柄の人たちは、 ちょっとの間でも、決して遠く離れて暮らしてはならない。 (「願望」より) ー内語ー 深い言葉だね!離れれば、直ぐに、その言葉ー気持ちの真実が見えてくるものね! ーー 人間はいくつになっても、恋愛をしてはいけない、と言うことはありません。 それどころか、恋愛感情の枯渇している人は、もう、人間をやめているのだ、と思いませんか。 (「普段着」より) −内語ー( ) ーー
理解するとは何か、ただ、ただ、そのもの自身を尊敬することである。 人々よ、あなたが何事をでも、理解する事を望むのであったら、ただ、ただ、 そのもの自身のことを、とことんまで尊敬することである。 (「普段着」より) −内語ー そうか!そうか! ーー 人間同士のつき合いは、この心の伝染、心の反射が全部である。 何を好んで、不幸な気持ちの伝染、不幸な気持ちの反射を願うものがあるか。 幸福は幸福を呼ぶ。 幸福は自分の心にも反射するが、また、多くの人々の心にも反射する。(「生きて行く私・下」より) −内語ー すべての根っこに夫婦関係があります!
・・・・・・・・・ 2004年07月08日(木) 1192, 国家破綻?ー読書日記
藤原直哉 長岡中央図書館 2004年7月3日 この4月に出版された国家破綻?を読んで、暗澹たる気持になった。 前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことが できた。不況をセンセーショナルに書いてあるが、ジックリと読んでみるとけっして誇張には思えない。 現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、少し景気が持ち直しているように見える。 しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。去年の11月のりそな銀行の破綻、 そしてUFJ銀行のトップの追放劇などからも、その根の深さに只ならぬことが垣間見れる。 現アメリカのブッシュ政権も風前の灯である。小泉首相も改革といいながら実際のところ 何もできない現状を見ていると、20世紀的なものの最終崩壊の時期がきているようである。 アメリカとイスラエルはマスマス世界から孤立、アメリカ経済もいつ崩壊するどうかの状態といってよい。 現在、好調に見える中国もバブルのピーク、はじけるのは時間の問題だ。 円もドルも輪転機でこれだけ多く刷っていれば、何時かは価値がなくなり、紙くずになる。 ハイパーインフレが必ず来るという筆者の主張も当たり前といえば当たり前である。 国民向け国債を販売したら、国家としての体をなさない状態と五年前に聞いたことがあったが、 いつの間にか販売を始めている。第二次世界大戦で国家が大量に国民に売り出し、敗戦と 同時に紙くずになった歴史がある。紙くずの分配でしかないのに国民は気がついてないのだ。 もう、守れる資産は現物の金を持つしかないという主張も肯ける。 現状を考えると、どうしても悲観的になってしまうのは仕方がないことか。
・・・・・・・ 003年07月08日 アラスカ旅行中 ・・・・・・・ 2002年07月08日 スイス旅行中 ・・・・・・・ 2001年07月08日(日) [76] 行ってきます! まずコペンハーゲンへ 今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由 2日目はベルゲン 3日目はバルダンゲル・フィヨルド 4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。 5日目はストックホルムへ 6日目はストックホルムから船旅〜1泊 7日目はヘルシンキ 8日目はレニングラード 9日目もレニングラード 10日目モスクワ 11日目帰路 12日目早朝成田。
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2009年07月07日(火)
一昨日の日曜夜のーNHKスペシャル・エジプト発掘 第1集 「ピラミッド 隠された回廊の謎」が面白い。 一昨年、二度目のクス王のピラミッドを見学してきたが、あの巨大なピラミッドを5000年前にどのようにして 造ったのか、これまでも多くの番組で取り上げていた。 その中で一番尤もらしいのが、 「砂漠の砂をピラミッドの周囲に建設の高さに積み上げて、巨石を運び上げる方法」であった。 しかし、今回の説は違っていた。 岩を上に搬送するトンネルを螺旋状に造りながら上に運ぶという説だった。 近くの崩壊した小さなピラミッドにも、そのような痕跡が見て取れた。 ーNHKのHPの番組紹介からコピーからー 【 今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。その後500年あまりに渡ってピラミッドは建造され、 その数は現在確認されているだけでも100個を越える。その中でも最大規模を誇るのが、世界遺産にも登録されている 「クフ王の大ピラミッド」。高さ147メートル、底辺の長さ230メートル。世界最大の石造建造物である。 平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られている大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの 巨石も使われてる。 クレーンもない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、そこ答えは出ず、古代エジプト史上、最大の謎とされてきた。 ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという人物が現れた。フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。 彼は、最新技術を駆使し、建築家の視点から、「内部トンネルを使って建設した」という独特の説を世界に発表した。 番組では、ピラミッドの登頂調査をはじめ、ウーダン氏のピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、 大ピラミッド建造の謎を興味深く解き明かしていく。】 ー以上だが、近年になって、ピラミッドの近くに、その建設に従事した労働者の村が発掘された。 その調査から分かったことは、4000人の労働者が20年の歳月をかけて造られたという。 その人数で二十年で300万個の石を積み上げるに、一個辺り2分しか掛かってないことになる。 とうことは、かなり合理的なシステムになってなければならない。 石を運ぶ上げるにソリに乗せ、下に円滑油を振り撒いていた絵が映し出されていた。 ところで、エジプトには古代遺跡の7割が存在しているという。初めは耳を疑ったが、事実である。 ナイル川クルーズで、各地の遺跡を見てまわるのが欧州では一番のレジャーとも言われているようだ。 ルクソール、カルナック、アブジンベルなど、驚きの遺跡が次々と見ることができる。 ・・・・・・・・・ 2650, 資源世界大戦が始まった 2008年07月07日(月)
図書館で「アメリカ狂乱」とともに借りた元NHKの日高芳樹の本である。 サブプライム問題から始った問題は、アメリカの覇権の終了なのであろうか。 その中にあって、資源のない日本はどの方向にいくべきか?などを問うている。 やはり、この本を読む限りに日本の行く末は悲観的になる。 アメリカの属国でしかなかった日本が自立する道はあるのだろうか。 「資源世界大戦が始まった 2015年日本の国家戦略 ー 」日高 義樹 (著) ー内容紹介 独裁国家・北朝鮮が大国アメリカを揺さぶる現況は、ヒトラーが台頭した1920年代に酷似している!? 米国の要人と直接対話して得た独自情報から、日本と米国の数年後の未来を高確度で読み解いた、 衝撃の最新作。政局の混迷が深まる危うい日本の行く末を、大統領選を控え、 変わりゆくアメリカの世論と政策、政界の要人たちの発言をもとに近未来を予測。 ーカバーの折り返し アメリカの力の後退と中国の台頭は世界に、1930年代の再現ともいえる混乱をもたらそうとしている。 この本では、国際社会で現在起きている情勢を世界的な視点から整理すると同時に、 日本は自らを守るための国家戦略をいかに立てるべきかを考えてみたいと思う。 <序章より> 〜〜〜 ー大ざっぱに、概要をまとめるとー ●「石油資源」を軸とした、近未来の世界は、土地を取り合う戦争から、資源(石油)の奪い合いになるという。 マクロ的には、地球温暖化のため、厚い氷が溶け出している北極圏では、現在、国家間での激しい資源争奪戦が始った。 世界各地にある、平和利用目的の原子力施設を、高精度になったミサイルで攻撃することで、核兵器を持たなくとも、 通常兵器が核の抑止力となったこと。 ●石油価格の高騰で、ドルの価値が低落しており、ドルが世界の基軸通貨としての存在を脅かされている。 アメリカは、日本ではなく、中国に向いたアジア戦略をたてているが、 原油高によるドル体制の崩壊、それによるアメリカの衰退が始った。 ●資源戦略によるロシアの一時的な繁栄をしているようにみえるが、 新しい状況に対応する力を失っているロシアは崩壊する以外にない。 ●日本は経済力、軍事力、科学技術などでは、世界の一流国家になったが、政治力だけは、いまだに三流国家で、 世界の大国と伍 することができないこと。 民主党は、日本の労働人口の減少に対応するため、 移民を積極的に受けいる政策を掲げているが、過去に同様の移民政策を行った、ドイツ、フランス、 スウ ェーデンが移民問題に対応できずに苦悩していることを省みていないことなどをあげている。 ●これから日本のとる道には、3つの選択肢があるとしている。 一つ目は、日本が軍事力を保有し、独立の道を行く。 二つ目は、アメリカと対等的な協力関係を構築していく。 三つ目は、中国に頼っていく。 その何れも選択できないまま、ずるずる行くしかないだろう、日本は。
・・・・・・・・ 2007年07月07日(土) 2286, LSDを一服した状態とは、どんな状態? ?1 おはよー (((。・-・)从(・-・。)・゜ 植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。 ただし、30年前の本で、 著者もこの本を出した直後に亡くなった。 しかし内容は、朽ちてはいない! 「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが古今東西、植草甚一の読んだ麻薬に関する 記事・文献などが話題になっている。図書館で借りてきた本だが面白そうなので、ひととおり目を通して、 中古本だが、直にアマゾンで注文をいれた。 麻薬のトリップに対して興味がある。 しかし麻薬をまさか使うことは出来ないし、中毒になったら取り返しがつかない。 といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を経験してみたい誘惑もある。 まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態なのか、 知識として知りたくもなる。 手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。 私の枕元にはトリップの状態に近づける音楽のCDのセットがある。 買って10年近く、寝る前などに聴いてきたが、そのためか寝つきが非常によい。 酒を飲んだホロヨイの気分と同じである。私の場合、秘境旅行や、酒席などの盛り上がりなど、 至高体験を数多く経験してきたので、少しアルコールを飲んだり、寝る前の音楽で、 直にトリップしやすい蓄積がある。 体質的に脳内には回路が出来ている、ということ! その体験の倉庫に入るようにすればよい。以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの 「麻薬への旅」の中の一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か持っているが、どれも似ている。 ともかく、面白く解りやすいので紹介しておこう。 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー ーーー p・12~13「カトマンズでLSDを一服」 ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1?の値段が150フラン前後 (ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、ヒッピーの顔ぶれは変るが、いつも400人ぐらいいるそうだ。 力トマソズには彼らの連絡場所になっている「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さな キャバレーがあるが、ある日のことリーというアメリカのヒッピーがLSDを持ってやってきた。 そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた 小コミュニティのテソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、 みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、著者ポルは書きはじめる。 暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。 みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。夜の静寂さ。 二十分したとき、耳のうしろの首筋が急に熱くなったかと思うと、舌ざわりが金属的になった。 まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。 すると始まったなと思う感覚の変化。 神経が局部的にピリッと硬直し、その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった気持である。 いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、 まわりの知覚世界に溶けこんでいく。 それがすこしたつと、こうなった。 焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、いや火の向うに存在しているようだ。 というのは火や明りや影が、ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、まわりの世界を、 ぼくが上からフタをしているような気持になってきたからである。 それなのに、ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。 (字数の関係上カット2008年7月7日) ・・・・・・・ 2006年07月07日(金) 1921, ドラッカーの遺言 才八∋ウ_〆(∀`●)
去年の暮れ、20世紀の経営思想をリードしたドラッガーは世を去った。 *「自らの強みに重点を置け」 *「知識こそ、最大の経営資源である。‘学習こそ、一生涯にわたる冒険’として心から受けとめること」 *「自らをイノベートせよ!」、 *「『問題重視型』の思考に囚われるな。『機会重視型』の発想を持て。」が、彼の思想の中核を占めている。 全く「新しい時代」を生きる私たちへの最後の遺言としてみるとよい。 ドラッガーは我われに大きな経営思想をのこし、昨年の暮れに亡くなった。 ー以下、(少し時間がかかったが)この本から要点を抜粋した。 ーー (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? ●国境が消えた インターネットの普及によって国境が取り払われ、国と国の距離はゼロになった。スペイン語を使えこなせる私の孫娘は、 いつでも好きな時にラテンアメリカから発信される情報にアクセスできます。 言葉の壁を乗り越えさえすれば、世界中のあるゆる情報を瞬時に手に入れることができる。 ●グローバリゼーションについて語っている時、人は情報について語っている。グローバルの時代の武器は英語力である。 ●絶えざるイノベーションによって、常に新しい価値を創造せよ。 ●西洋の価値観に支配されない「まったく新しい世界」が登場する。 ●「時代の変わり目」にいま自分がいるという自覚を持て。 この転換期は30年続くであろう。 誰も知らない世界が来る。 異なる価値観が共存する新しい世界では、ソ連崩壊後の15年間、 唯一超大国として君臨してきたアメリカも、その支配力を失う。 超大国が持つ「権力」でなく、グローバル化した「情報」によって世界が強固に結びつく時代が来る。 ーそれは誰も理解しない世界であり、まだ見ぬ世界に不安を覚えるのは当然のことといえる。 ●新しい秩序へと向かう混迷した世界の中で、新しい重責を担う二つの国がある。 一つはイギリス(西欧への窓口)、いま一つは日本(アジアへの窓口)である。 ●日本が直面しているのは危機でない、時代の変わり目である。 時代が変わったことを認め、 その変化に対応していくための意識改革に取り組むべきである。?その変化を拒絶してはならない。 ●国際競争において意味を持つのは、唯一「知識労働における生産性」のみである。 ●情報化が進展する新時代の世界経済のもとで、最も苦労する国は日本である。 つねにイノベートを追求し、新しい価値を生み出すことでしか、日本は生き残れる道はないー。 ●情報経済というまったく新しい世界経済の中で、日本は最大の難関に直面することになった。 立ちはだかる相手は、インドと中国です。 この両国が急速に経済大国の仲間入りすることで最も脅威にさらされるのは、日本なのです。 ●人はリーダーに生まれない。リーダーとして振る舞える習慣を持つ人が、リーダーになるのだ。 ●現実における変化h、決して以前のものとは同じにならない。そして、机上で考えるより変化は先に現れるー。 ●過去50年間で最も大きな変化は、教育において現れた。 変化し続けるスキルを身につけるため、絶えず教育に立ち返ることが個人のイノベーションを促進する。 ●最も重要なことは、個人個人が自らの未来を切り拓くことである。 ●成果を得るために、どんな強みを活かして、何をしなければならないか? ?経営の本質は、すべてこの一言に言い表されているー ●『自分の仕事は何か』『何が自分に適しているか』『自分に何が適していないか』を突き詰めるべきである。 ●どんな職業であれ、有能な人間は自分の得意・不得意を熟知している。 そしてそれを知り抜いているから、生じた変化に柔軟に対応することができるのだ。 ●決定の本質とは、将来に対する現時点のコミットメント」でもあります。 決断通りにことがうまく行きません。だからこそ、リーダーは注意深く人の話を聞き、 リスクとチャンスのバランスを考え抜き、人選にできる限りの時間を割く必要があります。 ●絶えざるスキル・アップを達成するためにも最も重要となるのは、自分の強みを把握することです。 自分が何を得意とするのかを知り、磨きをかけていくー これこそ個人のイノベーションの要諦であり、成果を挙げ続ける唯一の方法です。 ●個人の長所をどうして見出すか? それは過去のキャリアの中に現れています。 何をうまくこなせたか、こなせなかったのか。 ー 以上だが、どの言葉も鋭く響いてくる。日本人は特に英語を学ばさなければならない!これが解ってるかどうかである。 i (ω・`) bai ・・・・・・・ 2005年07月07日(木) 1556, 将来の不安? ー島田裕己「不安を生きる」より、さらに抜粋してみる。
「不安というものからは、そう簡単に逃れられない。逃げられるような気がしても、 実は隠していただけに終わっているのかもしれない。 不安なのは覚悟が決まっていないからで、 どこかで一度しっかり覚悟を決めないと、不安から逃れる道を見つけ出すことは出来ない。」 「信仰を持ったって、必ず不安になるのです。そんな呑気な人は世の中にはいない。 何も疑問を持たずに一生そのままいける人ってあまりいるものではない。 不安そのものを根本的になくすと発想しないほうがよい。 山岸会の場合も、ユートピアをめざす運動として幸福一色の世界実現を考えた。 それがユートピアの恐ろしいところであって、人はユートピアのなかで幸福でなければならないという 考え方に陥ってしまいがちなのです。 そうすると、幸福でない人、不安を抱えている人が出ると、 その人が間違っているとして批判を受けたりする。そうすると、その反対の逆ユートピアに転じていく。」 「だから社会は、若い女性達に結婚しろというメッセージよりも、結婚なんてしても幸せにはなれない、 子育ては大変だというメッセージを流すことに熱心です。なんとか不安に安住させて、癒しを求めて消費させようとする。 それはもしかして、巨大な詐欺ではないか。社会のメッセージでは、結婚は自由が奪われるという面ばかりが 強調されすぎている。」「欧米社会は、カップル社会で独りでレストランに出かけていってもよい顔をされない。 カップル社会はデート社会だから、金曜日や土曜日にデートする相手がいないとかなり苦労するという。 魅力のない女というレッテルを貼られる。 日本では、それがないから、色いろな産業が彼女らを狙う。 不安産業でいうと「エステ関連ー癒し産業」などである。それに女性は踊らされている。 「あなたは不安でしょう」とは言わない。「癒される、ホッします」という表現で客を巧妙に誘う。 ーー 最近、「ラジウム石の癒し」とか「エステ」の店が開店している。 不安定な時代になればなるほど、癒しという言葉につられて女性が殺到する。 エステが潜在的には不安解消であることを、本人達は気づいてないのでないか。 不安とは、孤独感にもつながっている。最近流行りの女性の「おひとりさま」も、その典型である。 男なら居酒屋でも、パチンコ店に平気で入ることができるが、若い女性は気楽に入ることが出来ない。 しかし、都会で一人たくましく生きている女性が最近多い。そのニーズを見越して都会では「癒しの空間」 かいうエステや石風呂などが増えてきているのだ。ホテルの女性狙いの「おひとり様コース」も出てきている。 「癒しの世界」が、不安の解消であったとは意外である。一見かっこよい世界が、実は心の闇の不安解消の世界とは。 健康食品も9割は不安感の解消と同じことである。何種類も飲んでいるのは、潜在的に不安そのものの解消だったのか? 不安になったら、エステか運動ジムに行こうか? その方がまだましか?
・・・・・・・・・ 2004年07月07日(水) 1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8 ートラベルはトラブル
アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは何回かの飛行機を乗りつぐ。 飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラス。 特に成田からの最初のフライトの12?13時間が厳しい。酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。 といって飲みすぎると、腹の具合が着陸時点でおかしくなる。 これも楽しみのうちと暗示をかけて、 音楽を聴いたり映画を見る。その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。少しでも嫌だとか、 早く着かないかとは考えないことだ。人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。 音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、 名も知れない飛行場で猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。 さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。言ったところで、どうしようもないことを 皆知っているからだ。その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。 人生の圧縮されたレッスンそのものである。苦難こそ、余裕を持って楽しむ姿勢が、その苦難を苦難でなくしてしまう。 トラベルとは、トラブルの語源という。旅行では苦難、問題が次々と立ちはだかってくる。 中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタンのカラコルムハイウエーを通っての2週間の旅行は、 まさしくトラブルの連続であった。 それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。 人生も同じである、トラブルはつきものと割り切ってしまえばよい。 振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。 中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は解決されるものだ。 感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。 人生も旅行も、ゲームである。
・・・・・・・ 2003年07月07日 アラスカ旅行中 ・・・・・・・ 2002年07月07日 スイス旅行中
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2009年07月06日(月)
「魂とは何か」ー池田晶子著 −2
何度か魂については、ここで何度か取り上げてきた。 先日、「戒名は自分で付けよう」という本を読んで自分と、家内と、二人の息子の戒名を作ってみた。 そのためか? 近くの図書館で池田晶子の「魂とは何か」という本を見つけ借りてきた。 池田は二年前に亡くなっているが、この本は10年前のリメーク版である。 ここで頭脳明晰な池田晶子が、魂となると歯切れが悪い。それもあってか、この一週間は、「魂」漬け。 魂というと、「霊」と「私」「精神」「心」が浮かぶ。 「心」は、TPOSで変化するが、「魂」は「それを見守っている、産まれ、死ぬまで変わらない自分そのもの」。 池田は、ヘーゲルなどの論を借りて、〈魂〉は「考える」より「感じる」ものだと、「思考感覚」という。 魂の表現を、無理を承知で言葉にしている。 《その一部を抜粋してみる。》 ーひょっとしたら「〈私」が魂」なのでなく、「〈私〉の魂」という言い方もなく、「魂の〈私〉」に近い。ー *この部分も鋭く、というより頭の底からひねり出している。 ー以前、誰だったか神秘主義者の本を読んでいて、ひとりの人間を構成するものは、「肉体と精神と魂」という 言い回しがあって、深く腑に落ちたのだったが、それは正確だろう。 肉体とは個別だが物体であり、 精神とは物体ではないが非人称であるなら、その人を他の人ではなくその人たらしめている当のものとは、 他でもない、〈魂〉ということになる。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。 〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。 あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。 内容のない形式とは、 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。 〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。内容のない形式とは、 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。なぜ〈私〉は、この人間なのか・・・ー 〜〜 * 魂を明快に表現出来るなどありえない。 それでも何度か読み返しているうちに、少しずつ、その中心に近づいていく。 我われは、大自然に触れたり、世界的な芸術作品をみた時に〈魂が振動した〉という。 実際に私も何度も、いや何十回も経験している。 あの時の「魂の振動」という時の魂とは何だろうか? べネゼイラのテーブル・マウンテンのキャンプで見た夕景。 あの荘厳な景色で感じた魂の響き。 人間を遥かに越えた大自然の時間の蓄積と、美と、荘厳な一瞬に、自分が、その中に融けて永遠と共鳴し、 「私が、いや私の先祖が産まれる遥か前から存在している命と魂が共鳴している」という瞬間の「魂」とは、何だろう。 登山好きの人は、早朝などに独りで、それを直感しているのだろう。 宇宙の響きというのだろうか?
・・・・・・・・・ 2649, 閑話小題
2008年07月06日(日)
*凄惨な事件のあとのマンションは? 昼飯に喫茶店に行って週間ポストを読んでいたら、以前から知りたいと思っていた記事に出くわした。 最近、週間ポストが面白い。 定年を迎えたシニア(団塊の世代)にも客層を広げたようだ。 セレブのバラバラ殺人や、江東区の凄惨なバラバラ殺人事件の部屋が、既に他の住人が入居をしているという。 まずは、セレブの殺人現場になった部屋は、女性が入っているという。 家賃は20万円だったが、5万円ダウンの15万円。江東区の方は、2万引きの7万円で、これもまた入居済み。 こういうイワクつきのマンションの販売価格は、大よそ2割のダウンが相場とか。 こういう事件があると、わざわざ値下がりを期待して部屋探しに来るという。 何とも感じないらしい。家主の方からしたら、事件のほとぼりが冷めるまで待つより、何割か下げて貸した方が得と 判断するようだ。地方なら、嫌がられるかもしれないが、都会は冷めているということだ。 いや借りる方に変わった人がいるということだ。絶対数が多いということか。
*深刻なスタグフレーションへ突入? 原油と穀物などの値上がりで、彼方此方から悲鳴が上がってきた。 イカ釣り漁船は集魚灯の明かりでイカを集めるために燃費が経費の4割もかかる。 さらに漁場が遠くイカも小型のため、操業すれば赤字となる緊急事態。 といって、この不景気の中にあってイカの市場価格をあげられないジレンマに陥っている。 全漁連は「このまま高騰が続けば漁業経営者の3割が廃業に追い込まれ、漁業生産の40%が減少する」 と危機感をあらわにしている。 これは、決して日本だけでなく世界中で大問題。 私の宿泊業も、大よそ売り上げの10?が水道光熱で灯油はその三分の二を占めている。(7?) もろに純益が吹き飛んでしまうことになる。 同業も同じ条件なので泥縄的に対処していけば、 収まるところに収まるだろうと楽観的にやれるほど、甘くはない。それも、まだ序曲でしかない。
*ツタヤのネットレンタルに入会してみた ツタヤの一ヶ月の無料レンタルに借りてみたが、心配したとおり、はまってしまった。 週に二本で、月に送料込みで2000円のレンタル料が高いとみるか、安いとみるかだ。 以前、会社の事務所の至近距離にDVDのレンタルショップ開店してから5年間、週二本を借りていた。 二年前に閉鎖したが、実のところホットした。昼休みの食事の途中にあり、金曜日には寄らずには済まない。 年間100本、5年間で500本はみたことになる。 ネットで、ツタヤのHPをみると、いくらでも観たいものがある。 このレンタルシステムがよい。見終わった後に同じビニールの封筒で送り返すと、やはり二本送ってくるのである。 これとWowowに入っているのだから、ますます馬鹿になる。 これ以上は、なりようはないか! コテコテの馬鹿か? ったく。
・・・・・・・・ 007年07月06日(金) 2285, バーナム効果
詐欺師や占い師や、健康食品のネズミ講などで、相手を信じこませる言葉のつかい方に、 「バーナム効果」という手法がある。 ーネット百科辞書の「ウィキペディア」によるとー ー 「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、 自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」という。 アメリカ合衆国の興行師・バーナム にちなんで(心理学者のポール・ミールによって1956年に)命名された。 アメリカの心理学者バートラム・フォアの名をとってフォアラー効果ともいう。 ー 被験者に何らかの心理テストを実施し、そのテスト結果を無視して以前に被験者とは無関係に用意した 「あなたはロマンチストな面を持っています」 「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」 といった診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものと感じてしまうが、 これはバーナム効果によるものである。 占いや超能力(特に千里眼など)、霊視、血液型性格診断といった 試行や現象が科学的根拠がないにも拘らず持っている説得力の大部分は、このバーナム効果で説明出来るとされる。 ーー 「フォアの実験」 1948年、フォアは学生たちに性格テストを実施し、そのテストの結果に基づく分析と称して下記の文を与えた。 フォアは学生たちに分析がどれだけ自分にあてはまっているかを0(まったく異なる)から5(非常に正確)の段階で それぞれに評価させた。このときの平均点は4.26であった。その後、フォアはどの学生にも、 次のようなまったく同じ分析を与えていたと種明かしをした。 『あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。 また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。 あなたは使われず生かしきれていない才能をかなり持っています。 外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向がある。 正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。 あなたはいくらかの変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。 そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を聞き入れる ことはありません。しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのは賢明でないと気付いている。 あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。 あなたの願望にはやや非現実的な傾向のあるものもあります。』
フォアはこの文章を占星術から構成していた。 次のような条件を満たす時、 被験者はテストの正確さにより高い評価を与える事が後の研究でわかっている。 * 被験者が分析が自分にだけに適合すると信じている * 被験者が評価者の権威を信じている * 分析が前向きな内容ばかりである
ーーー 以上であるが、言葉のテクニックでお仕事をなさる方のノウハウをまとめてある。 政治家の口先の公約のようなものである。健康食品を小道具にしたねずみ講や、 TVで最近よくみる女ヤクザだった細木和子などが、このバーナム効果を最大限利用している。 引っかかる人は、その手合いからみると、すぐ分るという。 「迷いが先に立って適切な手を打つことが出来ない他人志向的な人」である。 詐欺師や類似した方々は、こういう子ヤギ?を探しに癒し系の会や、宗教団体の会、 会員系の健康食品の会に素知らぬふりをして顔を出す。 そして子ヤギを見つけ出しフレンドリーを装い近づく。 そしてこの話術をフルに使う。 元々相手は騙されたいのであるから、これほど楽な相手はいない。 以前の話だが、家内が興奮して言うには、あるファッション店で、 女店員が「奥様、不思議でしょうがないです。どれを着てもお似合いです。 どういうことでしょう?鏡のせいでしょうか?」と言われて次々と試着させられた。ところが、どもこれも 鏡に仕掛けがあるのでは?と、思うほど似合ったという。たまたま、そういう商品が揃っていたのだろう。 これも一つの暗示か、それとも偶然の一致なのだろうか。 「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、 自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」という、 バーナム効果を服に書き換えてみると・・「誰にでも似合うようなありきたりの服を、 その人だけにお似合いと捉えてしまう心の現象」ということになる。 ファジーが世の中の現象なら「世の中、ほぼバーナム効果で成り立っている」というと言い過ぎか。 ・・・・・・・ 2006年07月06日(木) 1920, 浮かれる景気 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 「浮かれる景気」ー 読書日記
浅井隆の本である。書いてある内容は極端に聞こえるが、中長期的視点からみれば当たり前のことである。 発刊されたばかりの本を偶然図書館で見つけた。 この数年彼が主張してきたことを書きかえているだけだが、決して間違ってはいない。 「現在の景気は、目先のミニバブルでしかない!来年か、再来年から、間違いなく国家破産に近い状態が来る。 現在からでも遅くはない、それに対応した準備をしておきなさい」というのが主旨。 さっそく速読をした。かれのHPに要点が書いてあった。 ーー 株式会社第二海援隊 浅井 隆 (字数の関係でカット2008年7 ☆゜+.バイ! ・・・・・・・ 2005年07月06日(水) 1555, 将来の不安?3
不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」という本があった。 2005年・4月10日発刊というから最近の本である。オウム教事件の時にオウム教擁護的発言で バッシングにあって、東京女子大学の教授を辞めざるをえなくなった人である。 宗教学が専門のためか「不安」心理に対しては専門であり、深い。 宗教には「不安」に対する明確な解答が用意されている。 不安と宗教心は裏腹の関係にある。不安こそ誰もが何時も直面している心の闇である。 その闇に神の世界を提示して見せるのが宗教である。 不安の正体を知ってしまえば、自然と解決方法は出てくる。 更に不安を解消する一つの手段として具体的にネットワークの存在を提案している。 ー面白そうなところを抜粋してみる。 P-76 ところが不安がないということは、下手をすると今の状態に安住することにつながってしまう。 そうなると緊張感もなければ、進歩もない。進歩もないということは達成感もないということです。 イニシエーションという言葉を使えば、一つの役に挑戦することがイニシエーションになってくれない。 逆にそれをイニシエーションにするには不安が必要になってくる。心の安定ということでは、不安を悩みに 変えていく必要があるけど、安定は停滞につながっていくから、いっぽうで不安も必要になる。 海老蔵は、弁慶をやる前日に寝過ごしてしまったと思った時、これで役者をやめなくてはならないと思ったそうです。 それだけ不安を経験しているからこそ、不安が欲しいという発言が出てくる。 彼は不安を次の発展へのバネにしようとしている。 ーー 不安について以前にも書いてきたが、その対応として思い当たるものをドンドン書き出してみることだ。 それが悩みという具体的に落とし込むことになる。その対応として思考と行動が生まれるきっかけになる。 そういえば、10代、20代の頃は、不安が常につきまとって、それがエネルギーになっていた。 つづく ーーーーーーー 「不安を生きる 」筑摩書房 島田 裕巳【著】 私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。 会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。そんな思いを抱く人が増えている。 こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な 共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、 もう後戻りすることはできない。不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。 この問いを多角的に追究した本書は、現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。 1 不安と悩み 2 体感不安の時代 3 不安をとらえる視点 4 不安をバネにする 5 仕事と不安 6 都市生活者の不安 7 不安を煽る「癒し」産業 8 「支え」としての共同体 9 自分の足場をつくる
・・・・・・・・・ 2004年07月06日(火) 1190, 大丈夫!?2 * 哲学について?13 ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。 これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか生きてない人である! 不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、生きているからだ。 大丈夫!を繰り返すことは、毒消しに単純だが絶大の効果がある。 単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。 人間の不安の90数?は、考えすぎの影でしかない。 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、 「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えている。 その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90?の影を消す効果がある。 不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。 彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな可能性を持っているからこそ、 不安が生まれる」と考えた。そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。 ・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、めまいがおこるのである」といっている。 若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。その分だけ、大きい不安が自分を支配していた。 そして絶望感に陥っていた。さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。 不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。 不安から「絶対的な何か」が欠けているという 絶望感に陥ってしまうのだ。「どうしようもならないもんな?」という言葉が出てきて、そして お決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていくのだ。 これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。 真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。しかし、人間はさまざまな現世的価値観の中で生きている。 しかも、その価値観は全て有限なものである。そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。 それが絶望のきっかけとなるとキエルケゴールと考えた。大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。 「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。 キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを(心の中の)「大地震」といっている。 それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、 通帳が発見されたという。そこには、なんと数億あったという。この人は不安感にさい悩まされていたのだろう。 大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、失業したりして明日の生活に困ることが多いのが人生。 過剰な不安感をあくまで問題にしているから、勘違いをしないことだ。自分自身のことであるが。
・・・・・・・ 2003年07月06日(日) 823,ある時間の断片ー30
ー11月2日 1968年 10時起床、食事後12時半まで床屋。13時頃から「早稲田祭」に行く。 14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。1時間位話して彼は帰る。 その直後急に頭が痛くなる。 「香港風邪」というやつにかかったらしい。 佐藤君のところに行ってお茶を飲んでいると、佐々木さんから電話で東京駅に迎えにこいとのこと。 でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。その佐々木さんが「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと 苦情をいいにくる。道理からいって、因縁をつけているだけとうことが露骨だ。 今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。 折れることにした。 差額の半額を私が持つことにした。 頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。 よく自分で我慢したと驚く。クールに割り切った方が良い。その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。 佐々木さんに対する怒りと香港風邪で頭がいたいことも含めて、彼にぶつけてしまった。 人間的な含みがまだまだないということか。
・・・・・・・ 2002年0706 旅行中 ・・・・・・・ 2001年0706 旅行中
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2009年07月05日(日)
有名人は、どのような戒名を付けているか興味がわくが、この本には、それがあった。 それぞれの坊様が知恵を絞ってつくったのだろうが、なかなか味がある。 時代の影響にされるのは当然である。 まずは、それを見てみよう。 ーー 美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉 石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士 三島由紀夫 彰武院文鏡公威居士 力道山 大光院力道日源居士 古賀政男 大響院釈生楽 嵐寛寿郎 寛寿院照誉威兄演達居士 松井須磨子 貞祥院実応須磨大姉 花菱アチャコ 阿茶好院花徳朗法大居士 榎本健一 天真院殿喜王如春大居士 夏目漱石 文献院古道漱石居士
鼠小僧次郎吉 教覚速善居士 清水次郎長 碩量軒雄山義海居士 浅野内匠頭 冷光院殿吹毛玄利大居士 大石内蔵助 忠誠院刃空浄剣居士 吉良上野介 霊性寺実山相公 徳川家康 東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士 豊臣秀吉 国泰祐松院殿霊山俊龍大居士 織田信長 惣見院殿贈大相国一品泰巌尊儀 上杉謙信 不識庵宗心謙信
武田信玄 法性院櫛山信玄 足利尊氏 等持院殿仁山大居士 平清盛 浄海 藤原遭長 行覚 聖武天皇 勝満 ーー 美空ひばり を私が即興でつくるとすると、「美空燦々院尼雲雀大姉」。 言い得て妙で気に入ったのは 古賀政男の「大響院釈生楽」である。 あの世の土地でも買っておくかと思っていたら、ネット上にも売り出されている。 戒名に興味を持つなど、オチカイのかもしれない。 自分で位牌まで作って拝んでいればよい。
・・・・・・・・・ 2648, 座敷童子と出会える宿 ー2 2008年07月05日(土)
座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。 実際、どうなのだろうか? 一度、面白そうなので行ってみたいが。 ーまずは昨日の続きから ------------- *優しい妖怪* 夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。 その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」という証言を見る。 そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。 9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子の居場所を教えてくれる。 筆者の部屋にやってきた若旦那は、「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。 私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに行くために起きて、部屋にもどってきた。 それから、少し経ったところで、私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長はーメートル弱である。 黄色の服を着ていて、白い靴下をはいている。 ただし、胸のあたりで姿がぼやけて、首や顔は中空で消えている。 要するに頭のない化け物であるが、不思議と怖くはなかった。 座敷童子は、両手で体長30センチくらいの茶色い猫(雌雄不明)を私に渡す。そこのところで、私の記憶はとぎれている。 おぼろげにテレパシーで座敷童子と話をした記憾があるのだが、会話の内容がどうしても思い出せない。 冷静に考えてみれば、私は、座敷童子の夢を見たのである。その前週の金曜日(1月13日)は東京でも、珍しく雪が降った。 家内と二人でスパゲティーを食ぺた帰りに西国分寺駅前のコンビニェンスストアー「アップルマート」の前で 茶トラの雄猫(推定2歳)を保護した。人なつっこい猫で、いまでは家族の一員になっている。 その印象が強烈だったので夢に出てきたのだろう。しかし、私の認識では、あれは夢ではない。 確かに私は座敷童子に会ったのだ。 村上氏に座敷童子は出なかったという。 〈だけど残念ながら私には座敷わらしが出ない、邪心や欲があると座敷わらしは逃げるそうですね。 無邪気な幼心でいとおしむ、無条件で信じることが大事ですね〉(村上正邦)・・・・・ ーーー こんなところだが、TPOSで、暗示にかかっている風にも思える内容でもあるが。 大人のファンタジーを集団で楽しむには、丁度良い題材で、罪がない。 http://www9.plala.or.jp/ryokufuso/index02.html http://www.zashikiwarashi.jp/ ・・・・・・・・・ 2007年07月05日(木) 2284, 10歳の放浪記 ー2 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。 その内容がユニークである。 「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。 彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも愛されなくなってしまったのです。 誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。先生の仕事は子供を愛することです。 人を愛することです。その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、 まず自分を愛せなくてはなりません」 という言葉が何とも説得力があった。 一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた自分に、男の先生が 「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。 その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。 ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。 「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる 良心からの説得力のある言葉である。「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。 まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」 「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。 色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。 最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた 時期の日々を。誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような不安の日々。 ひとつの節目だが、その前の十歳も大きな節目となる。そこで決まってしまう時期でもある。 初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?壮烈な戦場がある。 そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベースがつくられる。 彼女のような経験は特殊だが、しかし大きく揺れる時期でもある。 一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。 10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、 国家のために自分が何ができるかを問え」を「親」に切り替えるとは、驚きである。 (* ̄∀ ̄)**SeeYou ・・・・・・・・ 2006年07月05日(水) 1919, 睡眠負債 才八∋ウ_〆(∀`●) 図書館で月刊雑誌を立ち読みをしていたら、睡眠についてのレポートがあった。 キーワードが「睡眠負債」である。睡眠不足のことだが、不足より負債という方が分かりやすい。 睡眠の場合、負債の免除期間が二週間。どんな溜まった不足でも二週間でチャラになるという。 深い眠りをとろうとしたら、寝不足状態の状態が一番良い。脳の機能と食欲などの欲望も同じである。 それなら、そうすればよいが。睡眠時間は世界共通で8時間だが、気にならない睡眠時間が、 その人のベストの睡眠時間という。仕事などの関係で、いつも睡眠時間が取れない人が、 小刻みに昼間の睡眠を取るのが理想的な睡眠の取り方。私の場合、睡眠に関しては殆んど問題はない。 寝れない時の対処がしてあるからだ。布団滞在時間7時間が私のベストである。 インターネットの検索で調べたら、ー快眠10ヶ条ー があった。 1 起きたら太陽の光を浴びる 2 同じ時間に起きる 3 朝、軽い体操をする 4 朝食を食べる 5 日中も太陽の光を浴びる 6 メリハリのある生活を送る 7 適度な運動をする 8 夜は強い光を避ける 9 眠る前はリラックスする 10 ぬるめのお風呂にゆったり入る 私の場合、ほぼ実行しているが、寝際にクラシックを聴きながら寝ている。更に初期睡眠(三時間)を深くしている。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ーー 2002/09/14 眠れない夜に 眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。 ・仰向けになり全身の力を抜く。 ・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と気持ちを その都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。 ・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」に3時間かけたことがあるが。 それはそれで楽しい時間であった。 ・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。 それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。 ・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。何かの本に面白い内容があった。 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンの イメージで、騎兵隊のを待ち受けている。狭い渓谷に入ってきた彼らその一人一人を狙い撃ちをする。 一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、いくらでもいるのだ。 それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」 これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。 寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか? その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。
・・・・・・・・ 2005年07月05日(火) 1554, つれづれに
ー売り手責任 先日、ニトリにホテルの共同キッチンのダイングテーブルを買いにいった。 ところが、「家庭用商品を営業用には売ることが出来ません。 売り手責任に問題が出る可能性があるので、お売りできません」という。 上の上というから、本部判断をあおいでいた。当方だって買い手責任があるし、設置責任がある。 何かおかしいいのではないだろうか?それとも、そこまで問題にしなくてはならないのか。 ー知人の息子がTV出演? 去年亡くなった五十嵐恭一さんの息子がTVに出ているというので昨夜見た。。 月曜日の23時の「あいのり」という番組。「嵐」というニックネームで出ていた。 かなりの応募の中で選ばれたのだろうから、光るものがあったのだろう。 「1年浪人後、「法政の二部」に入学金を払ったが、駒沢大に受かった。 本人は法政の二部に行くつもりというが、如何したらよいか?」という相談が、故五十嵐さんからあった。 「駒沢大に決まっているじゃないか!一部と二部では先生と、同期の質が全く違う。 それでは浪人した意味がないではないか!」と返事をした。そこで、本人も迷って高校の担任のところに 相談にいったが、私と全く同じ返事であったので、駒沢に行くことにしたという。 その男が、TVに出ていたが、なかなかのイケ面である。若い人の間ではなかなかの人気の番組というが。 ー今日散歩で、高校の友人の墓参りによる。いつも散歩するコースの折り返し地点の橋から5分のところにある。 先週も行ってきたので、これで4回目になる。特に、この一月で三回目だ。 墓をみるかぎり誰もお参りに来ていないようだ。まさか、私がこうしてお参りをしているとは、彼も意外だろう。 たまたま散歩コースの近くにあっただけだが。一番長生きしそうな男であったが。 お参りは、対象より自分自身に出会っているようなものだ。まあ、反対の立場だったら、彼なら絶対にお参りに 来なかったはずだ。そう考えながら、お参りをしていると色いろ考えさせられる。人生は生きているまでだ。 「生きているうちに、やるべきことをしっかりしておかなくては」と、彼が話しかけてきているようだ。
・・・・・・・・・ 2004年07月05日(月) 1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7 ー大自然
大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、海・海岸系、 などに分けることができる。多くはその幾つかが重ねあっている。 ・山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、南米のアンデス山脈、ヒマラヤ山脈、など。 ・滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、 エンゼルフォールの滝などがあげることができる。 あまり知られてない滝で、 その迫力に思わず息をのむことが多い。迫力景観からいったら、やはりイグアスが一番である。 ー主観をこめて印象に強い順にかいてみるー 1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった360度の視界の 草原の美しさは、言葉には表現できない。 2、次にはカナダのロッキー山脈である。湖も含めてその壮大な景観は、これがほんとうに地球だろうか と思ってしまった。その時思ったことは[人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる] 3、南米のベネズエラのテーブルマウンテンの絶景。 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、数億年の時間が目の前で直感できるイメージ。 4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・ 5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景 6、ブラジルのイグアスの滝 7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈 8、パキスタンのカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈 9、アイスランドでみた、オーロラ 10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々 11、イスラエルの荒野 12、アラスカとスイスとチリで見た氷河 などなどである。 それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。 ある高僧の言葉がよい [大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]
・・・・・・・・・・ 2002年0705 旅行中につき休止 ・・・・・・・・・・ 2003年07月05日(土) 822,ある時間の断片ー29
10月31日ー 1968年 ・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の 早稲田駅で待ちあわせの約束をする。 午後から2時間、勉強をする。 21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。 24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。 焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。 最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。 11月01日 ・夜半の0時半ごろ佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、OBのMさんが炊事場で高橋を説教をしている。 何か自分にあてつけのように聞こえてきた。 彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。 寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。 会社では上手くいってないと聞いている。 学生気分が脱皮してないためだ。気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう かたちになっている。先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。 二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。 他人事でないが。
・・・・・・・・・・ 2001年07月05日(木) [74] 死について
誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない一大問題である。 40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。 子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして耳年増になってしまった。 そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。 そして坊さんの死の話も聞いた。 その中で一番印象に残っているのが「人(他人)は先、我は後!」である。 自分が生きてる限り全くそのとうりである。 たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、 なぜなら死んだ瞬間は自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」 という言葉をその坊さんは噛み砕いたのだろう。 ー以下は以前書いた文章である。 ーーーーー H0503 “死”について ・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 私の年令の風景の一つなのか? ・ 人間の死亡率は百%! ・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか? ・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント ・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”(エビクロス) ・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹) ・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。 ・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても! ・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎) ・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事! ・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー) ・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。 あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや) ・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。 ・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。 ・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。 自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。 ・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”にわけられる。死は根本的には“無”。 “無”にはいかなる準備のしようがない。“無”になる事に覚悟せよと言ったって、いかなる覚悟も“無”であり、 “無”になる。死はどうであれ “無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。 ・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚) ・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。 だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。 それをやっていると毎日が濃縮されて、いつ死んでもいいと思う程、充実してきます! (曽野綾子) ・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。 ・ 他人(ひと)は先、我は後! ・生前、死後には無限の暗黒のひろがり…その暗黒は球状をなしているように幻想され、 私の死後ばかりか、わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。 丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、あとはすべて球形の闇だという格好である。 向こう側(彼岸・無)よりみれば針の尖でついたような、しかしながら、たしかにここに光っている わたしの生、それ故にわたしはこの世に有る限り一日一日を大切に遺憾なく生き抜かなくては… (吉野秀雄?やわらかな心)
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