堀井On-Line



2992,転機を迎えた受験ビジネス

2009年06月14日(日)

 
 * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。

早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、
245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。
中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない63人だという。
私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を
示すことになった。 来年度からは男子だけを男女共学にし、寮も取り入れ全国からの募集に切り替えるという。 
早稲田のブランドが落ちたのか、不景気なのか? 早稲田当局からみたら、横面を殴られたような気分だろう。
 また日本の大学より直接、アメリカのハーバードに受験する事例もあげていたが、私の知人の息子が直接、
アイルランドや、オーストラリア、カナダなどに留学している。
それも本人が、そうしたいというから行かしているという。 まあ、良いことである。
 H20年度で、私立大学の47パーセントが定員割れになり、3分の1の34パーセントが赤字の倒産の危機に瀕している。 
 少子化、不景気、価値観の多様化などで大学経営も、いずこも厳しい時代になったのである。
昨年の11月に駒沢大学が、財テクの失敗で154億円の損失を出したと、大々的に報じられた。
慶応大学もH21年・3月期で保有有価証券の含み損が366億円という。
そんなところで、果たして経営学を教えてよいのかと疑問が出るが、時代が変わったのである。
 しかし、少なくとも3倍位はあって然るべきなのに、驚きである。

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2628, 日本経済、どん底への転落
2008年06月14日(土)

 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが
読んでみたいとおもっていた。それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 
 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
 ーー
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、
敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、
成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、
かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。
そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。
本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書。
 (目次)
第1章 明るさが見えない低迷
第2章 変換を迫られる経済政策
第3章 下落する経済の恐怖
第4章 「もの余り」社会から「もの不足」社会への転換
第5章 国際収支の赤字と資金の不足
第6章 悪性インフレへの転落
第7章 少子高齢化が加速する下落
第8章 再発展を目指して
第9章 日本の将来のために
 ――
解)
「日本経済インフレの危機」(2007年) 
「銀行の錯覚?いまこそ正道に立ち返れ」(2006年)
「耐乏なくして再生なし?日本経済・復活のシナリオ」 などで何度も今からでも思い切った支出の削減と、
消費税のアップを主張。それが出来ないと、日本経済は、どん底へ転落すると繰り返してきた。
そして、そのトドメのような内容である。
私が見る限り、現在の日本は著者の警告のような舵は切れない!
恐慌というプロセスを経た5?10年後には現在から想像も出来ない事態だろう。
それも現在の政治家の質をみればわかること。そして、最下層の若者の質もである。
そして、社会の階層化がより露骨に表面化している。それに伴ない劇場型の犯罪が日常化するだろう。
アキバの無差別殺人は、その序曲に過ぎない。 まあ、いやな予測だが、現在の能天気の国民と政治家を
見るにつけ、悲観的になってしまう。 

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2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは
                   ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)

 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、色いろな部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。
過去は打ち消すことが出来ない。過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。
未来への意思は「いま、ここ」の中で、頑丈なものにする。
真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、
それまでの生き方が問われる。その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。
ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。準備。この成果が重要というより、
前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。    50歳代か?!  面白かった! 
                   ヾ(´Д`、)マタネ
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2006年06月14日(水)
 1898, 結婚の三条件
     \(^▽^*)おはようございます!
                    (*^▽^)/
息子も結婚の適齢年齢になってきたが、最近の結婚条件が以前の三高から3Cに変化してきたという。
ーその3Cとは、
Comfortable(快適な)   - 今の生活水準を落とさない十分な収入。
Communicative(理解しあえる、通じ合える)  - 価値観やライフスタイルが一緒。
Cooperative(協力的)           - 家事や育児に協力的。
バブル期の「三高」(高学歴、高収入、高身長)と比較すると、「高収入」は変わってないが他の条件が
「個人的な快適さや満足感」に変わっている。
女性が「自慢できる夫」という見栄より、「ラクさせてくれる結婚相手」を欲しがるようになった。
自分の満足を追求する時代の風潮であろう。 それに加え、最近では「三低」が求められるという。
「三低」とは、
・低姿勢   ーレディーファースト
・低リスク  ーリスクの低い安定した職業(公務員、資格保持者など)
・低依存   ー束縛しない、お互いの生活を尊重の男性         
これは男性に対して言えることではなく、女性に対しても要求されることである。
こういうことが情報化社会で知られると、男女の結婚難の原因になる。
そんな男女何処にいるの?と考えてみたら、共働きなら、そうせざるをえないか、前提条件になる?
それでは、自分は如何であろうか?三高なら適応しないが、3Cと三低なら、大筋は合致している?いやしていないか!
低姿勢は、三十数年の間に躾けられた?結果でしかない・・・
低リスクは最近怪しくなってきたか? 低依存は、ただ無視されているだけか!
ー結婚を迷っている人に告ぐ!
 鏡をジックリみて、 自分の履歴書をみて、自分の両親をみて、冷静に自分を判断しなさい!
 貴方は特別な存在ではないのです。自分を評価しすぎるな!ただそれだけである。但し 卑下することもない!
                 (自分のこともだが)                 (。・∀・)ノ゙バイ!
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2005年06月14日(火)
1533, タイソンの終焉

一昨日の昼、タイソンとマクブライトとの(ノンタイトルだが)、ボクシング・ヘビー級の一戦がwowowで放映された。
6回終了後、試合放棄でタイソンが敗れたが、試合後のインタビューでは涙を流して、「もう気力が出てこない!」
と言ったのが印象的であった。一時代を築いた男も、これで終わり。
相手のマクブライトは、明らかに2流選手。肉体は贅肉でブヨブヨ、2メートルの巨体で出来る戦術は
小柄のタイソンに覆いかぶさって肉体的な疲れを待つだけ。それに引っかかった平凡な試合であった。
あの肉体に突き刺すようなフックやパンチは影を潜めていた。 終わりはこんなものだろう。
あと数日で39歳というから丁度引退時期。20年前の野獣のような試合も、今は昔の話。
解説者のコメント「野獣が人間に戻ってしまった!」が、言いえて妙である。
日本での、まさかのKO負けや、イベンダー・ホリフィルドの激戦を思い出す。
あるHPに歴代のヘビー級の強さのランキングがあった。もちろん時代が違うので、主観なのだろうが。
タイソンと、ロッキー・マルシャーノが入れ替えれば、こんなものである。
やはりモハメッド・アリは一番である!そういえば、この試合の前座でアリの娘が女子ヘビー級の試合をしていた。
娘が勝ったが、アリ本人も会場にいた。このHPのランキングの殆どの選手を子供の頃から知っていた。
当時は、ボクシングと野球と相撲ぐらいしか、スポーツはなかった。丁度、白黒TVが出はじめた頃に、
ジョー・ルイスや、ロッキー・マルシアノなどの過去の映像が流されていた。
 現在は、歴代に残るようなスター選手はヘビー級にはいない。
 ーーーー
ー歴代ヘビー級ランキングー
 1位   モハメド・アリ
 2位   ジョー・ルイス
 3位   マイク・タイソン
 4位   ジャック・デンプシー
 5位   ジョージ・フォアマン
 6位   ジョー・フレイジャー
 7位   ジャック・ジョンソン
 8位   ロッキー・マルシアノ
 9位   ラリー・ホームズ 
10位   イベンダー・ホリフィールド
ーマイク・タイソンー
スーパースターの光と影。スポットライトを浴びる量が増えれば増える程、影もまた大きくなっていく。
マイク・タイソンほどその影の部分が強調されるボクサーもいないだろう。
マイケル・ジェラルド・タイソンの世界デビューはセンセーショナルだった。
86年11月トレバー・バービックを鮮やかな2回TKOに下し、WBC世界ヘビー級王座へ。
20歳4ヶ月の史上最年少ヘビー級王者が誕生した。アリ・ボクシングに欠けていたもの?
パワーと迫力を再びヘビー級に持ち込んだタイソンの登場は、時代の潮流として必然だったのかもしれない。
87年にはWBA王者ジェームズ・スミス、IBF王者トニー・タッカーを破り3団体の王座を統一。
90年2月、”世紀の番狂わせ”でジェームズ・ダグラスに10回KO負けで王座を失った。
私生活の乱れから、ボクシングにも狂いが生じたのだった。
ついには婦女暴行罪で収監され、4年間のブランクまで作ってしまう。
95年に復活したタイソンは、翌年3月フランク・ブルーノを3回TKOで破りWBC王座にカムバック。
半年後にはブルース・セルドンに1回TKO勝ち、WBA王座も手に入れた。
そして11月ホリフィールドの執念の前に番狂わせの11回TKO負けを喫する。
97年の再戦では有名な”耳噛み事件”で失格負け。ライセンスもサスペンドされた。
99年のカムバック後、順調に白星を積み重ねルイス挑戦も視界に捉える位置に上がって来た。
しかし、ここに来てまた私生活のお騒がせが増えている。
ルイス戦の勝敗の行方は、タイソンの”自らとの戦い”の如何によると言ってもいいだろう。
ー52戦48勝(42KO)4敗1NC。

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2004年06月14日(月)
1168, 笑いについてー2

笑いについて、度々この随想日記で書いている。動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、笑いの習慣化も可能である。
とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。自分を深刻に考えている時ほど、
可笑しいことはない。深刻な出来事も10年も経ってしまえば、どうでもよい出来事でしかない。
いや、むしろ滑稽とさえ思える事だ。笑いは陽気な客観化をしてくれるし、自分自身の癒しになる。
また笑いは周囲の笑いを引き出すことができる。自分が笑っていれば周囲にも笑いが広がる。
笑いは神が与えてくれた最大の贈り物である。 私の場合以前にも書いたことがあるが、日曜日を笑いの日にしている。
特にTVのお笑い番組みを効率よく使っている。「新婚さん、いらっしゃい」 「笑点」「からくりTV]前日に録画した
「BS笑点」である。笑ってやろうと、待ち構えていると倍は笑える。笑うから、可笑しいということが実感できるのだ。
笑えば心が軽くなるし、消化もよくなる。同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を過ごした方がよい。
とくに笑っている時間は人生で最も貴重な時間帯の一つである。
「笑え、笑え、もっと笑え!」笑ってさえいれば、肩に背負った重荷は半減をする。
すべての悩みは、いずれは時間が解決をしてくれる。どこの国でも「ジョーク」がある。日本では落語があったし、
川柳もあった。これは笑いを国民レベルで創作をしていたのだ。この随想日記にも「ジョーク」のコーナーがある。
最近は書き込みが少ないが。まあ一番の笑いは、いい歳をして「お笑い」を見て大笑いしている自分だろう。

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2003年06月14日(土)
801, 一期一会 「一語一会」?2

「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして「すべての客を一生に一度の出会いとして、
悔いのないようにもてなしなさい」という意味である。 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。 
そうすると、飲み方が変わるのだ。ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。
一回ごと徹底的に割り切って飲む。店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。
そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。
 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。これは酒席だけの事を言っているのではない。
言語学者の西江雅之のー「ことば」の課外授業ーという本に「ことば」はその場、その時、一回限りである、
という趣旨のことがあった。
 ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどいと思われます。怒鳴っていったり、
これも当然違ってきます。また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・
 以上のとおり、ことばも一期一会である。もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。 その意味でー事業百訓というカタチで、
その時々に書き残してきたことも一語一会を記録してきた事になる。この随想日記もそういうことになる。

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2002年06月14日(金)
437,地球に気が満ちている

朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。
一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。
ワールドカップはサッカーを通した国家間の戦争ともいえる。
オリンピックは多くの競技で行われるが、サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。
それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。
少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。
庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも俄かファンになってしまう。
その為か見ている自分にまでも、そのエネルギーが流れてくる。
地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。これからは勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。
フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。
これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よいバランスである。

・・・・・・・
2001年06月14日(木)
[52] つれづれに

情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。
共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会?も壊してしてしまった。
情報端末の究極は携帯TV電話だという。これが普及はじめる3?4年先は想像不能だ!
この秋玩具メーカーから7?8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。
これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機になりかねない。
ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。あらゆる場所に固定して置いて、
自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。


2991,スナック・ママ の写真集

2009年06月13日(土)

 

  写真集『スナック』 山田なおこ

 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。
スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、男にとってはグチをこぼしたり、
仕事帰りに立ち寄ると、いつものママが迎えてくれる。
10年の歳月をかけ、北は札幌から南は石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した写真家・山田なおこ、
のデビュー作という写真集である。 近くの図書館で見つけたものだが、まだ去年の暮れに出たばかりのもの。 
さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の上半身のカラー写真が味がある。
スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、
この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を
撮っておけば良かったと、この写真集をみて後悔している。 ほぼ全てが忘却の彼方。
 この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、気取りがないところが良い。
何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと品定めをして、
愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 
 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。
それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。
優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。
居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 
ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。
 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!                         

・・・・・・・・・
2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2
2008年06月13日(金)

第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、
その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。
 ーー
真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。
悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。これは今度波状的に世界経済を破壊する。
その原因として1996年から2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在があった。
しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。
アメリカの低所得者までサブプライムローンで住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。
の不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。
サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、
そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。
FRBが金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、
アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。
そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。 その中で日本の生きる道は技術大国として、その特徴を活かすしかない。
NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを発足させ維持に懸命。
しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。
日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。
中国はバブル崩壊、ロシアは資源価格下落で弱体するだろう。株価乱高下がバブル崩壊、大暴落のシグナル。
それは歴史は常にくり返すということで、過去のケースを見ればわかるだろう。
 −−
 一年前としては、なかなか鋭い内容になる。この文脈からみると、現在の原油・穀物の暴騰=バブルも、
この数年で弾けることになる。大小にかかわらず、その金融大動乱の中生き抜くことが最優先しなければならない時代。
 ーー
   ー目次ー       2007年6月5日発行
  第一章 世界同時株安は、世界的バブルの終わりの始まり
    (以下字数の関係でカット09年06月13日)
・・・・・・・・・
2007年06月13日(水)
2262, 「正しいスーツの定義」
                   (゚∇^*)オハヨ♪
図書館で借りてきた本の中に、もう亡くなったファッション・プロデューサーの石津謙介がビジネスの場の「正しいスーツ」
の定義をしていた。今さらスーツの定義ではなかろうが、ビジネスのベースとして知っていていいだろ。
クールビズも、それを猛暑の1?2月間は崩そうではないか!という面ではよいが、あくまでもフォーマルではない。
あの政治家の場違い!を見れば解る。といって、この定義はビジネスのベースで、TPOSで変えてもよい。
 ーー
  *石津の定義の部分を抜粋すると、
ービジネスの場の「正しいスーツ」の定義たったひとつ。
目立ってはいけない。これです。ビジネスの服装に、個性は不要です。
不要というより、あってはいけない。個性は服にではなく、その人の仕事にこそ表されるべきです。
スーツの色は濃厚か、中間色以上の濃いグレー。ようするにドブネズミ。オフィスでは緑や茶系は通用しません。
デザインは伝統的なイギリス調か、落着いた都会的なアメリカ風。
前ボタンは2~3つ。長すぎない袖で、シャツがのぞくように。ネクタイは4本しかいりません。
2?3色の細めに斜めに入ったもの、いわゆるレジタル・ストライブ。 
無地のニットタイ。ちょっとしたパーティにも通用する細かい小紋柄。あとは、余裕があれば色を少しそろえる。
ソックスは意外と目立つものですよ。できれば無地。柄なら伝統のもの。
色はスーツに合わせる。ベルト。穴は3?5個つと決まってます。キラキラの大きなものは関心しません。
濃紺やネズミのスーツに似合うのは、黒い靴です。底はゴム製が最上。革底など意味ないですよ。
 ーー
私が学生時代にアイビー・ルックを流行らせた人がいう言葉だから重みがあるし、
丸の内でのサラリーマンの背広は濃紺、黒で、上記の姿である。
現在では当たり前だが。ビジネスには相手に意識させない服装を!ということ。
クールビズで半袖もいいが、基本はやはり背広である。

  *他のファッション関係の本には、
「スーツの基本は濃紺無地。生地はサージ。非常に良質なものは、着たときに品がよくなるもの。
いいものを少なくてもよいから大事に着るのが基本。ワイシャツは実用的な木綿。中でもアイリッシュ綿がいい。
色は白がいいが、他の色に対する臆病さが表れているようで、もうひとつ冴えない。
紺のスーツには青系の、茶のジャケットにはベージュといった濃淡を合わせるといい。
ネクタイは、服と同色系、服と反対色、この段階を通り過ぎて、勝手な組み合わせができるようになった時、
意外と着こなしも身についている。
 ーー
「カジュアルの基本は濃紺のブレザーと、濃紺かグレーのズボン」と、ファッション関係の本で読んだことがある。
厚めより、四季に着れるもので、少し値段の張った良いものをベースに。
シャツやポロを季節に合わせて変えるといいようだ。服装は、第二の皮膚というくらい大事なものである。
特に歳を重ねれば重ねるほど、気をつけなければなるまい。
                                  ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
・・・・・・・・・
2006年06月13日(火)
1897, 治安悪化
              おはよ?!(*^ワ^*)i
先日、スナックで飲んでいたら一見客の入店を断っていた。最近、周辺のスナックで泥棒が頻繁に入るという。
その前に必ず新規の客として下見に来るので、一見客に、どの店も神経を尖らせているという。
長岡地震後にヨソモノが多くなり、比例して泥棒が増えているという。
よく行く居酒屋も一年ほど前に入られたが、金銭は置かないので被害は無かったとのこと。
  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
(字数の関係でカット2008年06月13日)

・・・・・・・
2005年06月13日(月)
1532, 「おばさん」の定義

図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、チェックポイントがあった。
私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。
「オバサン」の私のイメージでいうと、以下の通りである。
  1.傲慢で緊張感が全くない
  2.自己中心的かつ利己的で
  3.他人の噂話が日々の潤いになっている
  4.他人の行動が気になり節介をやきたがり
  5.服装が世帯じみていて、アンバランス
  6.知性が全く感じられない
「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」と言われると返す言葉もないが。
しかし「何がオジサン・オバサンか」は、自覚をしておかなくてはならない。
その本を目を通しただけでも「なるほど!」という内容が幾つかあった。
服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。
時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、アンバランスになってしまう。
その過去の蓄積度の露出が、オバサン度を高くするという。その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、
放漫のため 気がまわらなくなるのだ。まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。
「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、年齢だからと諦めては駄目!」ということを
聞いたことがある。諦めたと同時にオバサンに転落するのだ。心のクローゼットも整理をしなくてはならないが。
 姉をみていても、オバサン化をしているかどうかは五分五分である。
常に何かを求めて、世界に自分を晒している環境にいるかどうで左右する。
新幹線にオバサンのグループが入ってくると、異物がチン入してきた雰囲気になる。
新幹線の車内は社会の集約された場である。そこに全く緊張感のない変な集団が入ってくると・・・?
ゾロリ・ゾロリ軍団という弛緩の塊が異様に目立つのだ! 懐かしのメロディーで、昔のアイドル歌手が出てくるが、
その外形の変容や、「普通のオバサン以下になっている弛緩の姿」を見ると、悲しく哀れになる。
一番大事な時期に基礎教養を蓄積しなかった無残な姿が、そのまま露出している。
中尾ミエなどの三人トリオや、天地真理などが典型である。今日も、スーパーの近くで「凄いオバサン」を見た。
ブラジャーなしで、アパパーを着て、頭はボウボウで、だいたい想像がつきそう?
「エ~、何処かのカアチャンの家の中の姿?」そこまで、言うな!家の中は弛緩の場だから?

・・・・・・・
2004年06月13日(日)
1167, 哲学についてー3

 哲学の歴史については、いまさら哲学の授業ではないので大まかに述べると
 ・紀元前6?4世紀にギリシャに始まる、それもソクラテス以前と、以後の分けることができる
  ソクラテス以前は最初に登場した特徴は
 ・宗教や権威や伝統とは関係ない、論理で現実や世界を理解しようとした。
  これは、それまでとは全く違った画期的なものであった。
 ・他の人にも自分の力で考えるように説いたことも、それまでに無かったことだ。
  そして、「宇宙とは何からできているのか」「何が大地をまっすぐにささえているのか」「万物は何からできているのか」
  という根本的な問いかけを突詰めて考えていったのが、最初の思想家のタレスであった。
   またヘラクレイトスが「万物は流転する」という有名な言葉をのこしている。この頃ピュタゴラスが、天才的な能力で
  「ピュタゴラスの定理」で、数学の  幾何学的概念を考え出した。「平方」や「立法」である。  
  ソクラテス以後は、まずソクラテスが哲学的対話を求めて問答法を生み出していった。
  彼は「友情とは何か」「勇気とは何か」「敬虔とは何か」 とくに「正義と何か」を問いかけたとき、
  いろいろな人間や判断や法律などの 取り決めに対して、その何らかの真実を探り出そうとした。
  彼はすべてを疑えと人びとに教え、権力や権威あるという人びとの無知を 徹底的に暴いていった。
  彼がここまで哲学の代名詞のようにいわれるのは基本的概念を徹底して疑うことを初めて説いたからである。
  ソクラテスは誠実であることこそ、何よりも大切であるとして、神や法に対する義務より自分自身への義務こそ
  最も優先にすべしと説いた。  そしてプラトン、アリストテレスへと現在への西洋哲学の基礎がカタチつくられていった。
 ・その後、哲学でいう暗黒の時代が1000年も続くことになる。 これは、キリスト教会の影響が大である。
  キリスト教と矛盾するものは、排除すべきものとして、徹底的に吟味された。あくまでも哲学としては、
  キリスト教との結合の範疇でしかなかった。トマス・アクィナスがその思想体系を世界観をつくりあげただけであった。
  そして、中世になってやっと近代科学がはじまったのである。          
                ーつづく
・・・・・・・・
2003年06月13日(金)
800,「ありがとう」の言葉?3
「幸せの宇宙構造」ー七つの言葉「祝福神」ーより
 
自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。
そのために私たちが発すべき言葉は・うれしい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ついてる
の七つ(これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。
そうすれば健康になるし、つまりは自分の人生にとって大変得になるということになります。
人間は自分の発した言葉で自分の人生をつくります。 私の周囲の環境や、自分が立たされた状況は
すべて自分の発した言葉によって形成されていきます。ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、
愛している、大好き、ありがとう、ついてる、と言い続けると、この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまう。
私の周りの多くの人がそうなってしまいました。  私には最近、次のようなメッセージが届いています。
七つの「祝福神」を年間、五千回唱える人はその言葉を再び言いたくなるような現象が来年、五千回降ってくる。
逆に嫌だ、嫌だ、疲れたという否定的な恨み言葉を五千回発すると、その言葉を言いたくなるような現象が、
来年五千回降ってくると。 五万回発すれば五万回、十万回発すれば十万回降ってくるというという意味です。
私は自分や仲間たちの身の回りに起こる現象を知れば知るほど、このメッセージが正しいと納得せざるを得ません。
 損得勘定で七つの「祝福神」を繰り返し口にしてきました。
でもいつのまにか夕焼けを見ては「きれいだなあ、楽しいな」と感動し、お茶一杯飲むのでも「ああ、幸せだ。ありがたい」
と心から喜べるようになっていることに気づきました。口先だけだったありがとうを何万回、何十万回と繰返すうちに、
身の回りのありとあらゆることが本当にありがたいと思えるようになりました。
損得勘定でやってきたら、最後には一つひとつのありがとうの言葉に真心がこもるようになりました。
そして、いま本当に幸せを実感しています。 宇宙に対してありがとうの言葉を投げかけていると、
誰が一番豊かになり得をするのか。それは自分です。このことに改めて思いをめぐらしていただきたい。
宇宙の方程式はシンプルですが、やればやるほどその深さに驚くことでしょう。
・・・・・
ー感想文ー
当たり前のことだが、その当たり前のことがこういう時代になればこそ、失われそうになる。
戦場の真っ只中でこうは言ってられないのも事実だ。大不況の中で、どうしても暗い風潮に流されやすいからこそ、
言葉ー心のコントロールが必要である。その意味で一番大事な言葉『ありがとう』を含めた七福神の言葉をセットして
おくことは重要である。20年近く前に般若心教を憶えて数万回唱えてきた。その効果は絶大あった。
二人の子供と会社の正社員全員も含めて三桁近い人がこのお経を暗記してくれた事が最大の成果であった。
「ありがとう」を数万回数十万回いうことはそれに匹敵すると直感をした。特に良いのは細切れ時間をつかえることだ。
もし若い人がこれを実行したら、人間的な暖かさがプラスされ若さの輝きを更に増すだろう。
この小林正観氏の本を、この本を含めて他の著書と供に3冊注文をした。
web上の書店にはなく、直接出版社に電話で宅配にしてもらった。他の二冊も面白かったら読書日記として書くつもりだが、
初回だから面白かったのかもしれない。いずれにしてもシンプルで解りやすい習慣だ。

・・・・・・・・
2002年06月13日(木)
436,凄い時代ー光ファイバーの時代

ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。
光ファイバーが各家庭やオフィスに入るという。会社の方の切り替えも考えて早速NTTにきてもらって話を聞いた。
契約後、導入に3ヶ月位かかるが9月より新潟でも可能という。 そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを
通さずに直接メールやチャットが映像でやり取り出来るようになる。あるペットの好きな人が、映像でチャットで話している。
そこの席が空いていればそこに入り,お互いの顔を見ながら話ができる。驚きである。
またホームページ内で映像も編集しておけば、いつでもそれをみる事ができる。
今まではスイスの写真を見る事ができたが、今度は映像をみる事ができる。
メールも映像を送れるしTV電話もできる。ホームページも個人サテライトスタジオになってしまう。
3~4年前では考えられない現象がいまや現実になろうとしている。携帯TV電話の時代に、これなど当たり前の事かもしれない。
インターネットとホームページに集中しているが、それを超えた?時代の変化がきている。
光ファイバーの家庭への導入は3年先と考えていたのが、あと数ヶ月と現実になってきている。
出張が減るのは間違いないだろう。1000倍~2000倍の大量の情報量が安価になりTV会議や営業活動も
一般的になる。面白い反面、ナンバーワンしか生存できない競争社会の到来だ。

・・・・・・・・・
2001年06月13日(水)
[51] 無駄な事なし

人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、
一番重要なポイントだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。 ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと、
姉より死後聞いてが立ち上がれないほどショックを受けたという内容が書いてあったが。
無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?
という気持ちになってしまうのだろう。


2990、1ドルを競りにかけると

2009年06月12日(金)

 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   ー読書日記

 * 一ドル競りゲームから見えてくること

 ゲームで、「1ドルの競りゲーム」がある。 小人数のパーティの余興に面白いというが、
そのゲームの中に、深い示唆が含まれている。 もちろん、三人以上が参加するようにしておいて、
1人に50セントまで値段がつくまで買いにまわってもらえばなお良い。 このゲームでは、最後に競り負けた人が、
その金額を払わなければならないルールを前もって言っておく。5、10セントから始って、15、20、そして30セントと。
そして50セントで、頼んでいた人は降りてもらってよい。 競り人は、そこで二人から50セントずつ貰えるから、
元は取れる。 しかし1ドルを越えたところで、二人とも1ドルを失いたくないため、1ドルを越えても、
どんどん競りあがっていく。3倍の3ドルとか4ドルに。 そしてどちらも競ってせり上げた分の損をする。 
最後に勝ったほうも、大損をしてしまう。 少し酒が入っていたほうが、冷静さを失うので効果がある。
 実のところ、これと同じことを我われはしているのである。 事業や商売でも、株でも同じである。
コンコルドという超高速旅客機が、そうだった。 完成させたがよいが、どこからみても採算が合わない上に、
大きな危険が伴うことが分かったが、それまで開発してきたエネルギーと資金からみて、中断できなくなった。
しかし、その結果として、事故があり、大赤字を重ねた上に止めざるを得なくなったのである。
株で見切りが出来ないのと同じである。 このゲームは、剥き出しの一ドルを、競っても理性を失うのである。
 株屋の本質は、これである。 巧妙に仕掛けて競り上げる。 
 ところで、百戦錬磨の女が自分を売りつける時も似たようなものか? 相手を多く集めて競って売りつける。
買わされた方は、一生棒をふる。 何か何処かで見たような? 誰かが似たような経験をしている?ような!

 ・・・・・・・・・
2626, 世界バブル経済終わりの始まり ー1
2008年06月12日(木)
                     (。・∀・)ノ゛おっは?
              ー読書日記ー    
「世界バブル経済終わりの始まり」 松藤民輔著

一年前に発刊された本だが、現在の状況を、見事当てている。 バブル時期には著者は日興証券、
メルリリンチ、ソロモン・ブラザーズなどで年収2億円の凄腕セールスで知られていた。
ソロモン・ブラザーズの時代に日本のバブル崩壊を読みきって、投資商品の主役が「ペーパーマネー」から
「金実物」の時代に以降すると予見し、独立。1995年に株式会社ジパングを設立。
2005年にアメリカ・ネバダ州の金鉱山を買収、日本第三位の金鉱オーナーになる。
この本の出版の少し前に、『アメリカ経済の終わりの始まり』を書いた。
  今回は印象に残ったポイントをマトメテみた。
        次回は、この目次をコピーして、考えてみる。
  ーー
*この本では、アメリカの現在は日本のバブル崩壊の前後に酷似していると指摘している。
 著者は、それを予見して、金の世界に移行したから、尚のことわかるのだろう。
 当時の日本の金融機関も、不動産業界に多額の金を貸し付けて日本経済の息の根を止め、
 かつ自分の首を絞めた。現在のアメリカのサブプライムローンと似ている。
*今回、アメリカの「バブルの塔」を、ここまで高めたのは日本にある。
 長期にわたるゼロ金利政策こそ、全ての元凶だった。
 1999年から、2006年7月までに解除されるまで7年間、実質ゼロの金が向かったのが
 アメリカの国債であり、NYダウである。 このオイシイ金利に、金儲けに聡いファンドマネーが
 目を付けないわけがない。日米の金利差を利用して、高金利のマーケットで運用する。
 これこそ「円キャリートレード」である。5000億とも1兆ドルと言われている。
 日本のゼロ金利が、結果的に世界にバブルを輸出してきたのである。
 2001年9月11日のテロ以来、イラク戦争をはさんで、腰折れをしないで済んだのも、日本資金の御蔭。
 ずばり日本の政府は日本国民を蔑ろにしてアメリカ国民に尽くしてきたのである。
 バブルが崩れだした現在、NYダウ以外の投資先を探して、淡々と大移動を始めたのである。
 それが石油高、穀物高の原因である。 だから大恐慌まで発展する可能性を大きく含んでいる。
*いったんすべての投資を手仕舞って備えるとき!
 誰の目から見ても、危ない局面であることは確かである。
 それも、ただごとではなく、世界大恐慌に近い事態になるかどうかの瀬戸際である。
 今さらジタバタしても、如何にもならないこと。 それだけ深刻である。
 投資を手仕舞って、潮流をやり過ごすしかないが・・・やり過ごせるかどうかが問題である。
 一目散に高台に逃げるしかない。 金などの実物に紙切れを交換しておくしかない。
次回は、第一章から、目次ごとの項目に、書き込みながら考えてみよう。
                           (゚Д゚*)ノ⌒ 【さようなら!】
・・・・・・・・・・
2007年06月12日(火)
2261, 「アンラーン」について
                      (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】
「アンラーン」という面白い言葉に出会った。
 味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。
ーー
鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。
 私が大学生であると知ると、「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、
まなびほぐさなければならなかった」といった。まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。
「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 型通りにセーターを編み、
ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
   ー
成る程、一度編み上げたセーターを、解きほどき、もう一度変化した自分の
身体に合わせるように編みなおすという喩えが、解りやすい。 また他にも
 ー
ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、「知識は消え去りやすいものである。
したがって始終、再確認(リコンファーム)し、学び直し(リラーン)、
習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の扱い方を述べている。 
さらに同書で、「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。
知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、「知識をラーン(学習)し、
リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、知識管理の大前提である」と述べている。
ーー
アンラーン(unlearn)すなわち“離脱学習”は、日本の弓道の「守・破・離」の「離」に酷似し、
仏教の「諦め」という言葉にも通じる。 知識から知恵への転換ということだ。
自分も含めて知恵の無い人が多いが、知恵に転換するまで知識に対しては貪欲に求め続け、
かつ掘り下げなければならない、ということだ。満60歳という歳は、人生の「アンラーン」の時期かもしれない。
一度、編み上げたセーターを解きほぐし、改めて新しいセーターを編み上げる転換期、
競馬でいう第四コーナーを回っているところだ。 少し息が上がってきた?・・・ 
そんなことはない、直線も面白そうだ!アンラーンか?! 「一生、一書生」という言葉もあるが。
「社会的な形式にこだわっているには人生は短すぎる!」「アンラーン!」
             byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード
           ー映画日記
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。
レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、映画館に行く回数が減ってしまった。
昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。全世界で5千万部、日本で五百万部売れた本の映画化である。
ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、あくまで漫画的な奇抜な内容の域を
出ていない内容。難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。

「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だった
マグダラのマリアという設定。 マグダリのマリアといえば重度の生理の売春婦で、
よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を「最後の晩餐」の中に入れたのだろうか?
という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、ヒロインがその血筋という
設定になっている。キリスト教徒にとって、大問題になっても不思議ではないが、娯楽小説と無視しているようだ。
ストーリーでは、「マグダラのマリアがキリストの子供を宿した事実が二千年の間秘密にされ、
その事実と血筋を消し去ろうという勢力と、守り抜こうとする二つの勢力が、秘密裏の戦いを繰り広げられてきた」
という設定。『聖杯』の意味は実をいうと、「キリストの直系の女性の血筋」という着想が面白い。
キリスト教に関係ない世界の人にとって、「それが如何した!」というレベルでしかない。
敬虔なるキリスト教の信者にとって許しがたい内容で、ノーカットは日本とインドと、あと数カ国という。

ところで、「キリストは存在していたのだろうか?」という原初的な問いを、
イスラエルの旅の由緒ある寺院でたててみたことがあった。一瞬、周りにいた数人に凍り付いた雰囲気が漂った。
隣にいた無口の教養のありそうな人が、おもむろに低い声で「当時のローマ帝国の古文書の中に、
キリストと思しき人の処罰の問い合わせが有る。間違いなく存在していた」と答えてくれた。  
近年、発見された古文書(20世紀最大の発見といわれている)に「キリストは存在してなかったのではないか?」
という疑問の文章があったという。バチカンが、これを封印して現在に至っても、その内容が発表されてないという。
元々あったキリストの御伽話を、パウロが創作したに過ぎないと言われてきたが、信仰だけは事実の枠を超えた
 (字数の関係でカット09年06月12日)
 
・・・・・・・
2005年06月12日(日)
1531,わたしの酒中日記ー7

 2005年6月10日
ーバイアグラ飲めず!

今日は、高校の同級会があった。三年ぶりの同級会、久々のせいか21人も集まった。
担任の先生が41年ぶりに、この会に出席してくれた。16歳年上だが、もっとふけた男が?何人かいた。
全く若い! 20年来、毎年続いていたが、仕切りをしていた?スーパーツチダ社長の土田君が亡くなってしまい、
この三年間は休会状態であった。久々に電話があって、急遽開くことになったのは、この8月2日の長岡花火に
「還暦祝いの花火」をあげるための寄付金集めと疑っていた。ところが、ある男が反対と気炎を上げて、隣に座った私も同調。
その勢いのためか、その意を受けていた?幹事が言いそびれてしまった?。結局、根回しが足りないのが問題だった。
その男が言うには、「あれは同期の主流派の主張したもの、このクラス会は反主流派。
ボイコットだ~!」何時ものように、子供の遊びの世界に戻って大盛り上がり。
20人のマトマリも考えてみたら大きな勢力で、顔を立て損なったようだ。
その日たまたま欠席した男達は、すべて主流派にされてしまった。
それをネタに笑いを取っていただけだが、ほぼ今日の話の内容は主流派に流れるだろう、また嫌われるか。
この会は地元の二代目が殆ど、このHPをみたら袋叩きにあうのは間違いない。
いつも二代目の悪口を書いているからだが、この会の反主流派は明らかに私だ。
笑いを取るため「自分はこの会の反主流派だ!」というと、すかさず「お前はただのアウトサイダーだ!」
という突込みが入った。 アウトサイダーでしかないのか。今度、アウトサイダーについて考えてみよう。
「人生のアウトサイダー」がよいだろう。60歳になろうする男どもが子供にかえった会で、よく20年以上も続いたものだ。
その後、二次会三次会と流れて、午前0時過ぎに帰路についた。
最後の店で、ある男が「近々にアメリカに行くのでお前の着ているジャケットをくれ」という。
スナックの勘定を払ってもらう交換条件で、脱いで渡してきた。私にしては高いもので気に入っていたものだが、これも縁。
しかし他の男から貰ったバイアグラが、その胸ポケットに入っていた。
一度飲んでみたいと思っていたが、残念である。  即効というが。               
                                 終わり!
・・・・・・・
2004年06月12日(土)
1166, 豊かな時間

「貧しい時間」とはなんだろうかを考えてから、「豊かな時間」を考えてみる。
貧しい時間
・虚飾と虚栄に満ちた時間のなかで空虚に過ごすとき
・好きでないことを、状況から嫌々しているとき
等、思い浮かぶが、虚飾と虚栄の時間のなかで空虚?に過ごすことが豊かな時間の人もいるし、
群れていることが真に充実している人もいるし、刑務所にいるのが一番の充実している人もいるというから、複雑だ。
まあ質の問題になるが。豊かな時間、贅沢な時間についてソローの言葉がよい。
「生活がいくら惨めであろうとも、そこから顔をそむけずに、ありのままに生きることだ。
自分の生活を避けたり罵倒してはいけない。生活は、諸君が一番富んでいるときに一番貧しくみえるものだ。
粗捜し屋は天国にだって粗を見つける。貧しくても、生活を愛しなさい。
救貧院に入っていたとしても、楽しくて胸のときめく、素晴らしい時間はあるだろう。
落日は金持ちの邸宅の窓だけでなく養老院の窓からも、おなじようにあかあかと照りかえる。
春が来れば雪は同じように早々とドアの前で溶ける。おだやかなこころの持ち主なら、そういう場所に住んでいても、
宮殿にいると変わらない満足感や、ひとを奮立たせる思想をいだきながら生きていけるだろう」 自分の本当の時間、
自分の真に充実できた時間こそ豊かな時間という。ありのままに生きることが、そのまま簡素な生活を生きることである。
金や名声よりも、精神を高く、そして真理をもとめる生活がより大事であり、その時間こそ豊かな時間といえるのではないか。 
自然の美しさや音楽を聞いていて感動したり、心の底から笑うのも豊かな時間といえる。
そのためには、やはり孤独の時間を自分の生活のなかに確保しなくてはならない。孤独の時間とは内面へ向かう時間といってよい。
  ー孤独、感動、感謝、自然、真理の追究、笑い、等がキーワードー
私にとって散歩が最も孤独であり、孤高な充実した時間になっている。そういえば、この随想日記を書いているときもそうだ。
そう考えると、本当に豊かな日々を過ごしていることになるが、不景気で経営の悩みが丁度よいくらいマイナスになっている。
  まあ人生とはそういうものだ。

・・・・・・・・・
2003年06月12日(木)
799, 「ありがとう」の言葉?2
「幸せの宇宙構造」 小林正観著 弘園社刊
 
(昨日の続き)
 ・・・ある講演会に『ありがとうの実践会』の人が200人ほどいらっしゃったとのことでした。
『私は60万回』『俺は70万回』『今はまだ97万回』というような人が次々に現れ、私は驚きました。
5万、10万回という人は結構多かったのですが。
『ありがとう』の回数が5万回あたりで、奇蹟が起こるモードが第一段階がくるらしい。
10万回あたりで、第二モードがくるらしい。50万回あたりで第三モードに入り、
100万回を越えたあたりで第四モードに入り、1000万回を越えたあたりで第五モードに入り、
一億回を越えたあたりでは第六モードに入るらしい、というものです。
その『ありがとう実践会』の中に癌の人がいて、20人くらいの仲間がみんなでその人を囲んで、
朝から晩までただひたすら「ありがとう」を言い続けたところ、その人の癌細胞が無くなってしまった、
という例も(以下字数の関係で中略カット2008年06月12日)
・・・・
とりあえず、毎日500回を一ヶ月続けてみよう。
そうすると二ヶ月で3万回になるが、私の場合は到達する前に、
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を数百回言ってしまうから、
涙が溢れることはない。いったという事実は事実である。
毎朝、両親と仏様には5?6回は言っていたのだが、まだまだ甘いことが解った。
数ヶ月後には仏様みたいになっているか(笑い)。
                      ーつづくー
・・・・・・・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2      
?酒飲みの作法ー

女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ?私の場合それが酒だ。
かなり危ないことが多くあった。警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。
それでも最近は2年に一度は?? 酒で失敗したことで、かなり自分の人生で失ったことが多い。
しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。
更に失った以上に、失ったことで逆に得ていることのほうが多い??
子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?!
酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。ボトルを入れる人の気持ちが解らない。
従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。ただ飲みすぎて身体を壊さないように自己ルール化をしてある。
ー30数年の痛飲からの知恵である
タブーとしてー自己規制
・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒
     b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌  ?これが一番危ない、蓄積される 。
     自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいるーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 ?不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くーよった勢いで???
・23時を目途とする
このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。好きとは、こういうことだ。
実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。 軽症と思っているが。一応許容範囲か???
記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。実際経験してみて、嘘でないことが解った。
「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」というが、どうであろうか?

・・・・・・・・・
2001年06月12日(火)
[50] 日本のプロ野球がつまらない!

どうして? もちろん理由は解っている。
野球もいっきょにグローバルになってしまった為で、またイチロウ効果だ!
いい意味で野球馬鹿の長島監督、もちろん監督としての裸の王様を、彼も含め皆で遊んでいた!
でもそれが自分の姿をと解っていながら!アメリカの隷属国家の日本の微笑ましさ!アメリカは多民族社会の実力社会。
野球に関してとくに土壌が違う!ここまで日本のプロ野球を駄目にした読売新聞の痴呆老人の渡辺某! 老醜の判断ミス!
正しく認可民放の象徴たる日本テレビの壊滅の姿が、あのミスターのジャイアントである。
スター気取りの巨人選手がグローバルで見た時、もう言葉でいわないほうがいい
‘巨人大鵬卵焼き’の自分がここまで変わるとは。



2989,歩く木

2009年06月11日(木)


 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。
アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保するために、
根をタコ足のように伸ばして年に10数センチも移動する。アマゾンの中でも樹木の争いがある。 
光の当たる方に根を伸ばし、陰になったほうが腐ってくのだそうだ。
50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 (人間でも、それさえできないのがいる?)
そういえば、ネパールの森林深く入った処でみたのは、根を持たないで隣の木に抱きついて栄養を吸い上げ、
涸れると次の樹木に移動する木を見たことがある。 その時に何か女性を連想してしまった。まあ、いいか。
直径一メートルの樹木が巻きついている様相は何か不気味な感がしたが、移動する方も不気味である。 
木は根を持って、大地に張り付いているものと思い込んでしまっているから、その意外性に驚かされるが。 

 昆虫を食べる花とか、他の鳥の巣に卵を産みつけ育てさせるカッコウがいる。
羽根の付いた飛び魚もいるし、飛べない鳥もいるし、もっと凄いのは
「考えることを放棄している人間もいる?」(あなたのことではありません) 
世界は、私たちの想像を絶する自然現象が多く存在をしている。 
知っていること以外は無知、いや未知ということ。その知っていること自体が怪しいから、どうもこうも。

・・・・・・・・
2008年06月11日(水)
『いのち楽しみ給え』吉川英明編  (講談社)

 まずは、 第二章 人間の本質 から抜粋してみる
 ーー
 理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。
 西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない。
   評)理想ある漂流者、感謝のある孤独か?詩は心だからである。 (『宮本武蔵』火の巻) 
  ー 
 今の足の向き方ひとつで生涯大きな違いが生じるのだ。 必然こうなるものだと
 決定された人生などがあろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。
   評)必然と偶然、哲学の話になる。               (『宮本武蔵』火の蓋)
  ー
 一個の人生にしたところで、余り気まま暮しな人間や、物に困らないものが、却って、
 幸福でない例を見ても、総括した民心というものにも、艱難する時代と、共栄謳歌する時代と、
 こもごもの起伏があっていい。なければ却って、民心は倦む。   「新誉太閤記」
  ー
 生きようとすれば、あがきの爪が、何かをつかむ。         (『「本太平記」みなかみ帖)
   評)最近の若者の大多数?は、あがきもしない。
   ー
 どんな大難も、一過を待てば、おのずから雲間に晴天を見せてくれる。(『「本太平記」帝獄帖)
  ー
「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、
 どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、
 推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、人お互いの心も」(麻鳥)  (「新・平家物語』静の巻)
  ー
 人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。 驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。
 人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。(「三国志」 望蜀の巻)
   評)人を恨めば穴二つ、ということか。
   ー
  はたらいた俺にはあるぞ夕涼み 「書簡・詩歌集」     評)はたらかぬ俺にはあるぞ閑の味
  老けて行く春を化粧の瓶の数  「書簡・詩歌集」     評)老けていく春をサプリの殻の瓶
  どん底の人に不思議な顔の光沢(つや)「書簡・詩歌集」  評)去年、癌で亡くなった人の顔
--------
 評)は無かった方が良かったが、これを書かぬと味気ない。
    後で読み返した時の(いま・ここ)の自分のマーキングである。
                            ーつづく
・・・・・・・・・
2007年06月11日(月)
2260, ミスター・ドーナツの原価?       
           (っ´Ι`)っ { おはよう
先日、新幹線で学生が二人話しているのが聞こえてきた。「ミスター・ドーナツでバイトをしているが、原価が6〜7円。
手間がかかる分、荒利が大きい。」との二人の話。  そうすると原材料費が大よそ20分の1ということになる。
まあ、空気を食べているようなものである。 要はお客を如何に呼び込める!かである。何でも同じだが。
ミスター・ドーナツの繁華街店の入れ替わりが多いと聞いているが、新潟市と長岡市に関しては粘り強く生き残っている。
過去にフランチャイジー料が、ベラボウに高く問題になってことがある。
実際フランチャイジー店を経営していた人の話を二人から聞いたことがある。
「あれは儲からない!」と。 しかし長岡の「ミスタードーナツ」は、順調のようである。
ちなみに、コーヒー専門店の売価と原価の割合に似ている。
コーヒー豆によるが砂糖、ミルクを入れた原価は30~50円で、似たようなものである。 
ウドンもソバも似たような原価。うどん粉や蕎麦粉代など、10円もしない。
だから、あまりお客が入っていない店が何故か営業を続けていられる。
話が変わるが、家賃は飲食の場合、売り上げの10?。飲食店主の感覚は、5?か、三日間の売り上げが目安。
ちなみに人件費は、荒利の35?40?である。TVとかラジオなど製造の場合は、それぞれ違うだろうが、
工場出しの出荷の原価が30?35?。 ただ何ごとも例外があるが。
                  ヾ(´Д`、)マタ
・・・・・・・・
2006年06月11日(日)
1895, 閑話小題
                   おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
ー長岡スーパー戦争が面白そう!ー
倒産したスーパーツチダの旧店舗を新潟市を本拠を置くウオロクが引き継ぐことになったと、昨日の新聞に載っていた。
ウオロクもあまり芳しくない話を聞いていたが・・他に引き受けてが無かったのだろう。
関係者の話によると、「地元のスーパー原信と感情的になっているほど、商売上の叩きあいが凄い」と聞いていた。
これで長岡市内で両者の叩きあいが始まるが結果として原信が勝つだろう。正攻法の原信と、我流が目に付くウオロクでは、
最終的な結果は明らかである。ウオロクに大手の資本?が云々と、考えてしまうが。 私の推測でしない。
原信も、来春のユニ系のアピタのオープンも控えていて、その対応もあり安閑としていられない事態であろう。
ウオロクが大手の支配化に入った時・・他の心配するなら、自分の心配をしろ!という声が心の奥から聞こえてきた・・全く!

ー最近、いやに本が面白い!ー
  最近いやに本が面白いと感じるようになった。
  どういうことか考えてみたが、「面白い本を見つけ出せるようになった」ということである。
  今年になって「ウェブ進化論」「グーグルGoogle」「ローマから日本が見える」
   「ずっとやりたかったことを、やりなさい」「ジム・ロジャーズの世界を行く」
   「不良のための文章術」等々、とびっきり面白い本に行き当たった。
  この殆どがグローバル化ならではの本でもある。情報化時代のグローバルの見方が面白く書いてある本である。
「不良のための文章術」は、自分の思いではなく、他人が見て面白い文章の書き方の本である。
  最近、本が面白くなってきたのは、物書きというプロの書き手でなく色いろの分野の人が、
  それぞれの世界の潮流を、外の人に解りやすく伝える時代になってきているからだろう。
  ブログが世界を根底から変えようとしている。書店を定期周遊をしていると、
  難しい内容を図解や漫画などで解りやすく書いてある本に出くわすことが多くなってきた。
  難しい問題が解りやすく書いてあると面白く感じるものだ。
          ヾ(^ω^*) ジャ、また! 
・・・・・・
2005年06月11日(土)
1530, わたしの酒中日記?6
金沢ー4   ー1972年3月末日

大学時代の友人の島村君が訪ねてくる。年賀葉書に金沢にいると書いたためだ。
何か金沢というと、東京では憧れがあるようだ。会社の同期の桜井君が訪ねてきた。
寮には社外の宿泊禁止規定があるが,こっそりと泊める。
これだけうるさい会社で、二回も規定違反をするのだからスリルがある。
二人とも、寮に泊めてもらうつもりで来ているから。
夜に落ち合って、香林坊で飲む。金沢の独特の雰囲気にのまれ、行く先々に興奮気味だった。
私の現状はこれ以下ない惨めさである!観光気分の立場とは全く違うのだ。
それにしても、大学を卒業して激しい環境にいたのを島村君と対比して実感する。丸善石油の総務にいて、
ほとんど苦労していないみたいだ。それに引き替え私は、あまりにも惨めな気持ちである。
居酒屋にしてもスナックにしても、東京の世界とは全く違う。
ただただ目を白黒している。直感的に金沢の異質な世界がわかるようだ。
最後はホテルの最上階のスカイラウンジに連れて行く。
金沢の街が一望に見えるバーカウンターで、学生時代を懐かしむ。
しかし懐かしむほど、惨めな気分になる。サラリーマンは気楽で良いものだ。
「私は独立を目指してここにいる」という気持ちが、現在の自分を支えているだけだ。

・・・・・・・
2004年06月11日(金)
1165, 哲学について?2

 「私は何をすることができるか」の「形而上学」は事物の本質、
 存在の根本原理を思惟や直観によって研究する学問であるが、
 ーアリストテレスにおいては存在一般を考察する存在論、また超越的なものを探究する学問であった。
 ーカントは純粋理性からの認識論をめざした。
 ーヘーゲルは反弁証法的思考を形而上学的と呼んだ。
 我々の住む世界の特徴は、空間(三次元)と時間(一次元)から成り立っているが、
その「空間とは、時間とは、そもそも何ぞや」という疑問から、その問いに対する答えを
探そうとする。そこでは信仰にすりかえたり、権威にすりかえることは許されない。
哲学といえば、さきほど述べた形而上学には二つの基本課題がある。
・「存在するものは何か」
・「もし何かを知ることができるとしたら、それはどのようにして可能か」である。「存在論」と「認識論」である。
この何が存在し、何を知ることができるかという課題は哲学で探求される問題の大前提である。
哲学を芸術と宗教と科学の違いから見てみると
ー宗教は理より信仰がまずあり、宗教心を育てることに重きを置く。
ー芸術は哲学とものごとの底流にある真実をもとめ、人間を理解しようとするが、
 その手段が絵画や音楽などの作品を通して直接的な感にうったえる。
ー科学もしかりである。真実を追究するが、実験や観察によって答えが出せる問題に限られる。
 物質的な問題が主になる。
フォイエルバッハではないが、「宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。哲学にとっては、
真実なるもののみが神聖である。」というが、芸術は、さしずめ作品そのものの感動が真実である。
これらはけっして相反するものではなくどれも宇宙や社会や人間の存在という
不思議を深く理解しようとするものである。また、直感と批判をどれもが必要としている。
                           ーつづく
・・・・・・・・・
2003年06月11日(水)
798,「ありがとう」の言葉  ?1

長年生きてきてつくづく感じるのが「幸せ系の人」と「不幸系の人」がはっきり分かれていることである。
家柄、結婚の相方との相性、本人の品性等いろいろの要素がある。 多くの人を見てきて、不幸系の人に
感謝の念が足りない人ー特に両親に対する感謝が少ない人ーが多いことに気づいた。
両親に対する不信感ーが本人を不幸にしていることに気がついてないのが、
更に不幸を拡大している。その不信感が人間観になってしまうからである。
夫婦間のトラブルー権力争いーが子供を傷つけ、子供が恨みで感謝を忘れてしまうことも起因している。
人間には感謝はしないが感謝される事を求める傾向がある。
昨日図書館で何げなく借りてきた本を読んでいたら、あるページに目が釘つけになった。
 以下に書き写してみる。
ー不思議なことに、心を込めない「ありがとう」でよいから2万5千回ほど言うと、涙が出てきます。
呪文のように言っておくと、その累計が2万5千回を越えたあたりで、突然涙がどっとあふれてくるということが、
多くの人にあるようです。その涙というのは、短い人で1時間、長い人で3時間、平均2時間ほどで、
とにかく止まらないのです。こんなに自分の体から涙が出てくるものと思うほど激しく流れ続けます。
この涙が出終わって、そこからまた続けて「ありがとう」と言おうとすると、今度は心の底から感謝の念がわいてきて、
体中が温かい思いに満たされ、本当に有り難くて「ありがとう」という言葉が出てくるようです。
 さらに、心を込めた「ありがとう」が湧いたところから、2万5千回ほど
心を込めて「ありがとう」を言い続けると、なぜか突然「私」にとって奇蹟と思えることが起こる
ようになります。この話をあちこちでしていて、「実際言ったが、そんな涙出てこない!」という質問を受けました。
私はその人達に同じ質問をしました。「2万5千回に到達する前に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、
文句を言わなかったですね」と。その答えはすべて「言ってました」でした。
「それを言った瞬間、チ~ンという音がして、『ありがとう』の回数がゼロになったのだと思いますよ」
と答えています。・・・
ー続くー
・・・・・・・・
2002年06月11日(火)
434,創業の勧め??

過去に創業を何回か繰り返してきた。好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。
しかしそう甘くもなかった。その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で一つづつ判断していかなくてはならない。
ゼロからの出発である。表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは「発狂」である。
まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく工程を踏んでいるのだから。
部外者の人は狂っているという。そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。
基本に忠実にゼロから一人で、一日一日孤独の行為の積み重ねである。
その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。これは自分の事でもある、人間の底である。
・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・
  ・・・・・金である。
それを命を賭けて投資するのである。なけなしの金と銀行から借りた資金を合わせて、
その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。
いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げしかない。
500?の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。それで実際のところ50?しかうまくいかないだろう。
実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても後悔はしないと。創業は勉強になる!それでこの程度!

・・・・・・・
2001年06月11日(月)
「49」一期は夢 ただ狂え

 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や 夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                       ー 閑吟抄ー
470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つ。
‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’と言う内容である。
今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった内容だ。500年前この無名の男の人生
‐過去に何があったのだろうか? 今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!


2988、「平均」顔は美しい

2009年06月10日(水)


 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   読書日記

 * 面白い実験 ー「平均」顔は美しいー
 
 世の中には面白い実験をする研究があるものだ。目・鼻・口・額などの部分を、それぞれ平均して
合成した顔が、その中の誰よりも美しい顔になったという。 考えさせられる結果である。
国民の裁判制度が始った現在、特に考えさせられること?。 アメリカで長年にわたって
取り入れられてきた裁判員制度だから、裁判長の1人の判断より公平かつ、信頼度の結果があるからだ。
それと平均顔の方が美しいと同じと考えるのも何だが、裁判員制度も悪くはないような気がする。 
秋葉原のワシントン・ホテルで若い女性の幽霊の顔が浮かんでいるのを見たことがあるが、
これを読んでいて、あれは数千人、いや数万人の平均顔に思えてきた。ノッペラした何の特徴もない顔だった。
 ー まず、その部分を書き写してみる ー  P-185
 テキサス大学の心理学者ラングロイスとログマンは一九九〇年、「平均的な」男女の顔は、
その「平均的な」顔をつくるのに使った個々の人びとの顔の誰よりも美しいと判断される、という結論に達した。
二人はこの実験のために、336人の男子学生と214人の女子学生の顔写真を集めることからはじめた。
その後、男女それぞれのグループから無作為に96枚を選び、そこからさらに32枚から成る部分集合をつくった
(男子の集合が3つと女子の集合が3つ)。これをもとにして「平均的な」顔をつくるのは簡単だった。
リタッチのプログラムを呼び出し、いくつかの写真をクリックし、それぞれのピクセルに数値を与え、
さまざまな写真から詳細部分の平均を引き出す。
 二人の研究者はおおよそこのようなやり方で、女性の平均的な顔を3つ、男性のそれを3つ作りあげた。
それから80人ばかりの人に、「平均的」人相を作るのに使ったほかの写真と比較してもらった。
すると男性の「平均的な」顔も女性のそれも、合成するのに使ったほとんどすべての本物の顔より美しいと
判断されたのである。  なんともうるわしい結果であろうか。
しかし、これは「合成した顔がすべて個々の顔より美しいのは、多数の人の平均的顔には、
一つ一つの表情を傷つける様々の欠点が見えてこないからである」と結論づけている。
集団の「平均的」判断としてまとめられるてしまうと、個々の間違いや偏見がチャラにされるからである。
  〜〜
 以上だが、美はバランスである。 目や鼻や口の形もバランスー均整がとれているのが良いということ。
バランスか〜、 バランスでしかないのか〜、 服装、化粧は、そのバランスを直すことこと。
人間の持つ幻想は、そのバランスに惑わされやすい、ただ、それだけのことなのか? 
クレオパトラは、大した美人ではないが、幻想を活用することを知っていただけ!と言うが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2624, いのち楽しみ給え ー1
2008年06月10日(火)

   図書館で借りてきて、直ぐにアマゾンで注文をした本である。
   長男が吉川英治の本の中から、人生の言葉を選んだもの。
   なかなか、味わいのある言葉が並んでいる。
   吉川英治といえば「宮本武蔵」「三国志」「新書太閤記」を読んだが、
   これだけ、多くの「心に残る言葉」に再び出会えて良かったが、
   当時読んでも、その深さが解らないものも多かった。やはり人生の経験を多くしてみないと
   理解できないこともある。。
「いつもの時代でも、亡ぶ者が、かならず抱いている滑稽な信念は、(おれは亡ぶ者ではない)という錯覚である」
  『新書太閤記』が、新鮮に聞こえてくる。

    『いのち楽しみ給え』 吉川英明編(講談社) ー読書日記ー
  
 まずは、第一章 生きるということ より
  ????

花は、散る支度をし始めるときが、花の一生のうちでもいちばん美しいし、盛りも見える。」
                                「新・平家物語」
??
幸福とは その人の心の手のひらがそれを持つか持たないかだけのはなしである。
       幸福とはじつにそんな平凡で無味ににたようなものだ 「草思堂随筆」
??
円(まる) 円   
いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。 果てなく、屈折なく、究極なく、迷いなく円い。
この円を、乾坤にひろげてみると、そのまま天地。 この円を縮めてみると、そこに自己の一点がある。
自己も円、天地も円。 ふたつの物ではあり得ない。 一つである。
                                「宮本武蔵」円明の巻
??
無為の苦しさは、無為を悶える者でなければ分らない。
安楽は皆 人の願うところだが、安楽安心の境地とは大いにちがう。
なさんとして、何もできないのである。
                                「宮本武蔵」円明の巻
??
平常の取捨は、熟慮のいとまもあるが、生涯の大運は、突として来る。
(右か? 左かり?)は、多くは急場に迫って来るものである。
                                「新書太閤記一
??
 むすめに与ふ
         昭和三十六年夏軽井沢にて
                   或る雨の夜
倖せ何とひと問はば  むすめはなにと答ふらん
珠になれとはいのらねど  あくたとなるな町なかの
よしや三坪の庭とても  たのしみもてば草々に
人生植ゑるものは多かり       「書簡・川柳・緋句・詩歌集」
??

朝の来ない夜はない           座右銘
??

「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、
どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、
推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、入お互いの心も」 (麻鳥)
                               「新・平家物語』静の巻
                  ーつづく
 ・・・・・・・・・
2007年06月10日(日)
2259, 今日、ホームレスになった ?2
      (。・∀・)ノ゛おっは?よう!

 ホームレスにも二種類ある。辛うじて簡易ホテルや、深夜喫茶、ネットカフェに泊まっている人と、
 ダンボールや、テントの住人である。
  駅の構内のダンボールの住人は毎日のように見かけるが、暗い虚ろな表情が何とも悲しそうだ。
  コスプレの可愛い動物の帽子を被った若い女性が一年以上、新潟駅構内にいるが、服装がドンドン汚れて、
  今では毛布一枚を持って歩いている姿が痛々しい。 若い女性というだけで気の毒なのに。   
 この本の中の、ホームレスの悲鳴に似た叫びの言葉を幾つか抜粋してみよう。言葉の中に深い響きが聞こえてくる。
   ???
*エリート系サラリーマンの誤算*
(字数の関係でカット2008年6月10日)

・・・・・・・・・
2006年06月10日(土)
1894, 不良のための読書術ー2
      おっ w(゚Д゚)w ハァョ?

「本は見た目だと!」という声も、心の奥から聞こえている。
 文庫本は幾多出版された中で、単行本として生き残ったではないか。
「文庫本の中にこそ良い本が残っているのに、表装が良い本がよい本を
 勧めるのはオカシイではないか?」というのも肯ける。
   この本は若者向け、初心者向けの本として割り切ってみないと・・・
   だからこそ鋭い切り口になっている。

=その面白そうなところを、筆者の方法で拾い書きをしてみた=
   
   ・ゴダール式読書法の基本とは
    本を手に入れたら、適当のページを開いて、
    20~30ページを読む。ただそれだけである。
    読むページ数は決まってない。
    小説の場合はやや長めに一章まるごととか。
    短編だと一編丸ごと読む。
    それで解らないのは著者か編集者が悪いと思う。
    ここで一番難しいのは、その本の何処を読むかである。
    どんな本も本文の一ページに力が入っているという法則がある。
    これを「ツカミの法則」という。それと、実用書などでは、
    巻末の索引から、関心のあるキーワードを探し出す。
    30~40ページも読めば良い、くれぐれも全部読もうとは初めから思わないこと!

・本はタッチ・アンド・バイである。良いと思ったら買いである。
 そんな時、本の値段を他のものと置き換えてみればよい。
 コーヒー一杯500円と、文庫本。
 居酒屋の突き出しとビールと、単行本。
 専門書なら、ジーパンかウィスキー。
 そう思えば、良書は安いものである。
    ・良い本は見てくれでわかる。
     良い本は見た瞬間グッとくるものなのである。
     本は見てくれでないと言うが、本は見てくれなのである。
     よくない本に見てくれを良くしようとするわけが無い。
・読書は悦楽の狩猟と宝探しと思えば良い!
    ・本は全て辞書と思えば良い。
     適当に見たいところを見ればよい。
・筆者が生み出した「擬似速読術」
 *小説やエッセイを読むときには
 「  」内の会話だけを読んで、他の文を無視する。
  これは高校や大学入試のテクニックにも応用されているらしい。
 *専門書や実用書を読むとき、
  キーワードとなるような漢字とカタカナだけを拾い読みする。
  1P全体を見ると何度も出てくる言葉である。それがキーワードである。
 *一つの行の上のほうの10文字だけとか、まんなかへんの10文字だけを読んでいくもの。
  これはどんな本にも応用できる。
   ーー
  一箇所に拘らないで、まずは鳥瞰せよ!ということ。
鷲になって獲物を探すように本をみればよい!
              i (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年06月10日(金)
1529, 「人を動かす」?1
      ー読後38年目の読書日記

この本は思い出深い。学生時代に出会い、この原則を忠実に実行してみた。
その結果、数ヶ月もしないうちに、私の周囲に多くの人が群れだした。
丁度、都会の生活にも慣れ、脱皮の時期であった時に書店で見つけて読みながら一つずつ実行したのだ。
成る程、
・自分の言いたいことを我慢して相手の話を聞き、かつ認めてやるのは難しい。
・それも相手が自分自身を重要人物と納得するように誘導するのだから。
・人を非難するかわりに、相手を理解するように努め、
・相手の話に興味を持って聞いてやることこそ万人の求めていることなのだ。
 人は他人の親が死ぬことより、自分の歯が痛いことの方が問題である。
心がけていると、身に付くものである。その時から、一人一人と友人が増えていった。
この本の冒頭に社員を300人以上解雇した男の例をあげている。
部下に褒め言葉一つも言わない、いやな上司の典型だが、カーネギーの講義を受け
「けっして批判したり、責めたり、文句を言ったりしない」という
原則を実行すると、その男は「314人の敵を314人の友に」変え、
それまでなかった部下の忠誠心を高め、増益を出したという。
それだけでなく、家族がさらに彼を愛するようになったし、人生観ががらりと変わった」という。
「人間は誰も重要な存在になりたい」という大きな欲求がある。
この認められたいという渇望を理解している人こそ、ひとを幸福にする方法を知っているのだ。

過去に、世界42ヶ国で2000万冊以上も売れた本である。
<あるHPに、この本の原理原則がマトメてあった>抜粋してみる。

ー人を動かす三原則ー
(字数の関係でカット2009年6月10日)

・・・・・・・・・
2004年06月10日(木)
1164, 哲学について ?1

哲学について、いつか書いてみたいと思っていた。といって、これは簡単に書けるテーマではない。
知識の浅さがそのまま露呈してしまうゴマカシがきかないテーマであるからだ。
そうとわかっていても自分のために、まとめてみたいという誘惑にかられる。
挑戦をしてみるが、知識や経験の浅さを露呈しても今更と割りきるが、しかし恐ろしい。

今まで哲学書で、一番納得したのは末広渉の「新哲学入門」である。
「従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって、認識、存在、実践の三つの側面から、
私たちを捉えている近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みている」と、
説明文に書いてあったが。
 ーーー
日常におわれていて、ふと日常のおなじパターンを繰りかえしていることに疑問を感じ、
「このことに何の意味があるのだろうか」と疑念を持つことから哲学が始まる。
この随想日記で「世間さま」を茶化して書いてきたが、これも哲学の初歩的なものだ。
「我々が住む世界の基本的な概念と原理に疑問に持つこと」が哲学の始まりである。
前提そのものを先ず把握して、それを疑ってかかることが哲学の始まりだ。過去の歴史的な偉大な哲学者が
2千数百年にわたり,いろいろな概念を思索して根本的なことを解明しようとしてきた。
いまさら根本問題を深く考えても仕方がないが、といって避けては通れない問題でもある。

ー哲学そのものについては
 カントの哲学の定義が分かりやすい。
 (一)私は何をすることができるか。
 (二)私は何を為すべきであるか。
 (三)私は何を希望してよいか。
 (四)人間とは何であるか。
誰もが、漠然と常に考えている問題である。
 第一の問いに答えるのは形而上学であり、
 第二の問いには道徳、
 第三の問いには宗教、
 第四の問いには人間論が答える。
  人間論に含ませてしまえば哲学も簡単であるが。
学生時代、自分というものに目覚めた時、そして社会を目の前にしたとき
まず直面するのが、この問いである。そしてわからないまま、とりあえず社会に飛び出していく。
そして晩年になって過去を振り返り、ふたたび後悔という意味で結果論として問い直す。
 (一)私は他に何をすることができたのではないか。
 (二)私は何を為すべきであったのか。
 (三)私は何を希望すればよかったか。
 (四)人間とは何だったのか。
そして、後悔と、自己満足の間をゆれる。
哲学はなけっして難しい問題ではない、身近な問いかけでしかない。
                          ー つづく
  ーーーーーーー
 書いていて、恐ろしくなってきた。
 何もわかってないのに、解ったような気になって適当の文章を書いているのだから。
 目的は、それぞれの有名な哲学者の言葉・思想を何人かまとめておきたい
 前段として、この恐ろしいテーマに挑戦する。やめておいた方がよさそうだが。
 「ショーペンファウアーについて」等のテーマを、何冊かの本からまとめた内容を、冷静にみるのも面白そうだ。
 ダイジェストの本はいくらでもあるが、「哲学について」のテーマで10以上書いたら、
 やはり世界観が変わってくるだろう?  何処まで続くか?
 
 ・・・・・・・
2003年06月10日(火)
797, 流通業界よりみた時代の変化ー

流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に驚かされる。

ー10年前は、
・ダイエーの中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。
・西武グループの堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。
・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいう、
 アメニティーなど入れた複合の施設をつくっていた。
・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。
・ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。
・ソゴーも大型店を破竹の勢いで出店していた。
その全てが潰れてしまったか解体である!時代の変化の激しさを痛感する。
すべて多角化によるエネルギーの分散による競争力の低下で自滅したパターンである。
当時チェーンストアのコンサルタントの渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。
今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂とジャスコ、それと十数年前に一時潰れそうになったユニー。
今後10年後はどうなっているか?というと、想像すらつかないのが流通の世界である。
もっとも日本そのものがどうなっているのかも想像を絶するが!
経済的大変動に90?以上は襲われているはずだ。愚民の選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。
それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせられたことも背後にある。
若い人は本当に大変だと思う。大激動時代を生きていかなくてはならないからだ。
話しをもとに戻すと、この情報革命と、グローバル化により想像もできない流通形態になっいるだろう。
ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰。
高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見ればいくらでも候補がある。
まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。

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2002年06月10日(月)
433,自由ほど不自由なものはなし!

自由ほど不自由なものはなし!誰もが経験がある事だと思うが。
 ー至近の例で、
サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。
こんな筈でなかった、何もできない自分に直面する。あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。
今まで束縛されていた組織からの自由を求めているだけ。
「自らに由る」という言葉の意味さえ考える余裕も無かった自分に直面する。
如何してよいか判らない。仕方がないので、それまでの行動をとるしかない。会社の近くに同じ時間に出勤。
今まで行っていた喫茶店やスナックなどの溜まり場に行きざるをえなくなる。
目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、紐まで付いたまま。
そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。
「元・・などの肩書き」はそこでは何も通用しない事をそこで思い知らされる。
そして他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。
いや彼らの中味のほうがズット詰まっていることに初めて気が付く。
自らに由るとは何か?自ら判断し責任をとることだ。
ただ群れて、その群れと同じ行動をして、何も考えず判断をしてこなかった自分に初めて直面する。
自由とは本当に厳しいことだ。人に甘く自分に厳しさが基本になくてはならない。
普通、人間は逆になってしまう、自分に甘く人に厳しく。
自由、平等、博愛のフランス革命の精神。 自由に重きを置いたのが資本主義社会。
平等に重きを置いたのが社会主義である。 自由は平等ではなく公平を求められる。
それまでの平等の意識が根底から崩される。もう誰も相手にしてくれない小さな自分にはじめて気づく。
公平?社会がすぐに冷たく圧し掛かってくる。
自由はそれに適応できる人には優しく、出来ない人には厳しく反応してくる。

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2001年06月10日(日)
[48] 同じ人生を

全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に答えそうだが。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思える人生を生きることこそ必要な事と、
ある人生論の本に書いてあった。 そういえば父がガンで死を悟ったとき、母に何回も
「もう一度生まれ変わって全く同じ人生を生きなおしたい」と言ったと聞いた。
その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。最近そうおもえるようになってきた。



2987,縁は異なもの ー4

2009年06月09日(火)

 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。
「魂というものが本当にあるものなら、陶器に外形の形の上に現われずにはおかない」とは、
これは美術全般に言えることである。いや、商売にしても、演劇にしても何事にもいえること。
さらに、「精神は認めたが、精神的なものは認めない」とは、グサリと来る言葉である。
 ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー
【 憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。
そんなのは、没個性的客観と同様に「何物も生みはしないのである」。
主観と客観、現実と虚妄などと、一般に区別されるものの皮膜の間に、確かな「存在」がある。
それを私は「たましい」と呼んでいる。 私は「美」とは無縁と言っていいほどの生き方をしてきたが、
心理療法という仕事をしていると、たましいの真実に触れる体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。
そのようなところから、白洲さんの作品のなかの「美」への理解が、少しずつひろがってきたと思っている。
 たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような印象的な言葉がある。
青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。 その青山ニ郎について白洲さんは
「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の真髄、
いわば形の中にある魂を求めたことにある」と言う。  
そして、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、もし本当に存在するものならば、
それは外側の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 これに続いて、青山二郎は
「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった。 意味も、精神も、すべて形に現われる。
現われなければそんなものは空な言葉に過ぎないと信じていたからだ。」という烈しい言葉が語られる。
『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い隠してしまうのである。 我われ心理学者はなどといわれる人間は、
「心理的」や「心」そのものを見えなくしているのではないか、と反省させられる。】
〜〜以上だが、
 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。作家の魂が直に伝わってくるからである。
直近では、ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、立ちすくんでしまった。
絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接伝わってくるのである。
だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。 「お宝鑑定団」で、陶器の鑑定で映像を通しても
本物と偽者は一目で大体わかる。(そっくり真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で
数限りの陶器を見てきたからである。 色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。

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2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2
2008年06月09日(月)
                 ー読書日記
 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー『12の口癖』」?を書いてみよう
   ー私をマイナスにする『12の口癖』ー
* 第1の口癖 「そんなこと出来っこないよ」『とりあえず、後で」
* 第2の口癖 「自分は駄目だから」「馬鹿だから」「どうせ自分なんか」
* 第3の口癖 「神経症だから」
* 第4の口癖 「もし失敗したら、どうなんだろう」
* 第5の口癖 「全然やる気が起きない」「面倒くさい」
* 第6の口癖 「世の中がマイナーだから、何をしても上手くはいかないよ」
* 第7の口癖 「自分は悪くはない、たまたま今まで出会った相手や会社が悪かっただけ」
* 第8の口癖 「自分はツイテナイ、不運だ」」「何で自分ばかり良いことがないのだろう」
* 第9の口癖 「大学を出てないから」「二流大学だから」
* 第10の口癖 「時間がないから」「忙しいから出来ない」「定年後にしよう」
* 第11の口癖 「あの時、逆のことをしておけば。大失敗だった」
* 第12の口癖 「あの馬鹿め」「死ね」「きもい」「あれほど酷い奴はいないよ」
  他には、      
  「べつに」「ビミョー」「どっちでもいい」 「もうダメ」「これで努力が無になった」
  「だって、それは‥‥」「でも、それは‥‥」「何をしてよいのか 自分でも解らない」
  後ろ向きで、出てくる言葉は他人や会社の悪口、そして愚痴である。
  3c主義の逆を地でいっている人である。(*3c=チャレンジ、コンペティション、チェンジ)
  失敗するからマイナスの言葉が出てしまうのではなくて、マイナスをマイナスと受けとめるから
  マイナスになるのである。
  失敗を重ねる度に、受け止める言葉をプラスにすれば、それがプラスの経験になるのである。
  成功・失敗も重ねる度にプラスの言葉が積み重なるのだから、それがツキを呼び込むのである。
  ーーー
 そこで再び成功者の『12の口癖』を見る。
* 第1の口癖「とりあえず、やってみよう」 * 第2の口癖「あなたに任せるよ」
* 第3の口癖「大丈夫だよ」         * 第4の口癖「あせっちゃダメだよ」
* 第5の口癖「気にしない気にしない」    * 第6の口癖「幸せだなあ」
* 第7の口癖「一から教えてください」    * 第8の口癖「ツイてるなあ」
* 第9の口癖「一緒にやろうよ」       * 第10の口癖「それ、おもしろいね」
* 第11の口癖「明日のために負けよう」   * 第12の口癖「信じているよ」
 やはり、幸せになった人は、それなりの前向きの言葉が出る。
   失敗者は「貧すれば鈍する」、 成功者は「馬子にも衣装(言葉)」になる。
 それにしても、失敗者の言葉はスラスラ出る。あまりに愚痴を言う人がが多いからだ。
   それとも、何時も口にしているから? そういえば、最近、どれもこれも口癖になっている。
   全く! しかしプラスも、毎日ノートに三回ずつ書いている。
  「ありがとう、うれしい、たのしい、しあわせ、ついている、だいじょうぶ、ゆるしなさい、
  積極一貫、いま・ここ、なんとかなる、ついている」  書いている割にマイナス内語が多い。

ーーーー
2007年06月09日(土)
2258, 今日、ホームレスになった -1
            o(*'▽'*)/☆゜’ おはよ????♪                        
                      ー読書日記
 「今日、ホームレスになった」増田明利著 新風舎

   自らの身に置き換えて考えざるを得ないようなリアリティな内容で、13人のホームレスの過去と
   現状が綴られている。路上で暮らす「かつての企業戦士たち」のルポルタージュといってよい。
   実際のところ、フナ板一枚下は地獄であるのが誰も置かれた状態である。 
   彼らのホームレスに至るプロセスを克明に生生しく追っている。
   この本で何人かが「まさか自分がホームレスになるとは!」と述べているが、
   他人ごとに思えない迫力がある。過去を振り返って、あの時もし反対の舵を切っていたら危なかった!
   という経験を何度かしてきた。 人生どこに落とし穴があるかわからない。
   通勤途中に彼らの姿を見かけるので尚のこと切実に感じる内容である。
(字数の関係でカット2009年6月9日)

 ーーー
 2006年06月09日(金)
1893, 不良のための読書術?1
  おはよ?!(*^ワ^*)i  ちくま文庫 永江朗著 
                          ー 読書日記ー

「不良のための文章術」を図書館から借りてきて、あまりの面白さのためネットで買うことにした。
ところが送料無料の1500円には少し足りない。そこで、同じ読者が書いた「不良(プロ)のための読書術」
を買うことにした。既に文庫本になっているので半額である。
「20対80の法則を、違う言葉で言い替えたのだろう」と思っていたが、正にその通りのものであった。
ゴダール式読書法と言い替えていた。 ゴタールという作家の映画の見方がユニークという。
三十分観るとさっさと次の映画館に行ってしまうという。原作を読んでいれば、それで充分なのだろう。
著者はその言葉からピンと来てゴダール式読書法と名づけたという。 それでも面白いのである。
若い人向けの本だが、基本中の基本が書いてある。
「本こそ、外見の見てくれで選べ!」と、誰が書くだろうか? それを、平気で書いてある。
老練の詐欺師が「女は見た目だよ!」と、ある本に書いてあったが、当たらずとも遠からず?である。
数十年本屋に通っていて、見てくれを意識したことは無かった。本は見てくれではない!と思うのが常識である。
しかし、良くないものに出版社が「見てくれ」を良くして売ろうとはしないのも事実である。
見てくれだけを良くして売ろうとするのは、若い娘か、薄っぺらの教養のない男である。
本人は見てくれを良くしているつもりが、どこかバランスがとれてない。
銀座で闊歩する夜の蝶ー蛾を見れば、一目瞭然である。

若いときに、姉に女性の見分け方を教えてもらった。「服装と化粧のセンスは頭の良しあしと比例している。
  センスが良いとはバランス感覚が良いということ。決して良いものを着ているからバランスが取れてるとは限らない。
  バランス感覚が頭の良しあしといってよい」と。なるほど、その後四十数年みてきて、そうであった?80p%は当たっていた。     
出版社がマトモで、金をかけた表装をしてあれば内容も良い確率は高い。図書館で写真集などのコーナーが大きくとってある。
盗まれないように(読書コーナーに行こうとするとき)チェックをされる。
それが嫌で、この数年は行かなくなった。しかし、数千~数万もする写真集が図書館全体の4分の1
のスペースを占めていて、あまり人が入っていない。見た目からいって見た目は徳上のものばかりである。
  そうである、あのコーナーにもっと行かなくては!アチラをジックリまわってみる必要がある。
  単純な、しかし解りやすい理屈である!

ー 次回は、さらにユニークな面白いところを拾ってみる。
            ヾ(^ω^*) バイ! 
・・・・・・・
2005年06月09日(木)
1528, 生きて死んでいく重み

最近、中島義道の哲学書をよく読んでいる。そして、この日記にも何度か取り上げてきた。
同年齢ということもあって身近に感じられ、似た考え方だから次々と図書館で借りてくることになる。
特に還暦を八ヶ月後に控えていることもあり、「人生とは何だったのか?」という人生の総括が頭をよぎる。
その時、中島がストレートに著書の中で答えてくれる。 大体は本を借りてくると、
まずは目次と最後の10ページの中の要所を探す。 そして遇った、彼が真剣にいっている箇所が。
 ー抜粋してみるー
オリンピックで金メダルをとっても、どんなに災害撲滅を見出しても、せいぜい二番目に重要なことだと思います。
では、一番目に重要なことは何かというと「生きている」ことでしょう。 生きて死んでいくことでしょう。
 この絶対的な重みは、忘れてはならないと思います。有名人が死ぬと、その人が何をしたということばかりが
報じられますけれど、そのすべては、ハッキリいいまして幻想です。何故かというと,全体を見ていないからです。
100億年もすれば全部なくなるわけです。 そうすると、多分一回きりだと思いますけど、
自分の人生を、見ないようにして、仕事に逃れていくというのは、もったいないのではないかと思うのです。
つまり、自分の持っている不適正、欠点をしっかり見ていくことです。 私は理不尽に人生を与えられしまった、
  その中でよいことをしようということでなくて、それをごまかさないで見よう、そういうことです。
つまり、世間的には何も貢献しない、場合によってはマイナスのことをしてきたかもしれない。
でも、その人の生きてきた重みは、立派な建設をしたとか、トンネルを掘ったり、という全てをもっても
代えられないものだ、と実感するんです。私にとっては、生きる仕事以上の仕事はないわけですから、
どんなに世間的に立派な仕事でも、そんなに感動しないわけです。
働いて生きがいを感じ生き生きと生きる人生を、私は批判しませんし、そういう人を批判しません。
働くことが嫌でしようがない、あるいは働いても働いても報われないということを、ごまかさないで
徹底的にみてみると、そこから新しい視点が出てくるのではないかと思います。
ーーー
以上だが、これは私にとって考え直さなくてはならない見方・視点である。
自分の中で、観ないふりをしていた自分の欠点や、自分を鼓舞するために否定してきた考え方を含めて、
「もう一度人生観を見直してみる必要のある問いかけ」をしている。
身近な人の死を経験した時、まず実感するのは「人生は生きているうちが花!金持ちとか、
肩書きとかいう社会的属性などは二次的なもの!生きていることが、生きてきたことが、最も大事。
この人は(亡くなった人)好きなことをどれだけしてきたのか?
その総量こそが人生である!人生は生きているうちである。そして最後はたった独りで死んでいくのだ!
人生などはかない。 常に死を思え!そして生きていること、生きてきたことを味わえ!」である。
中途半端に生きてきた人や、他人の批判だけが特性の人を徹底的に嫌い、傍によらないようにしてきた。
しかし身近な人の死で実感することは生きること、生きていることが人生の第一の仕事ということだ。
「長く生きればよいということではない!」ではない。「生きて死んでいくことそのことが、人生である!」
人の人生を勝手に判断すべきではない。 当たり前のことだが、それぞれの人生があるのだ。
誰もが光の中を生きてきたのである。そして、光の元に戻るのである。社会的属性や、行蔵も二の次でしかない。
しかし、小学生や中学生が、こんなことを親から学んで老成していたら、おかしいんじゃないか? 
気の小さい優等生哲学者の戯言でしかない?それとも、哲学病者の戯言じゃないか? とも思うが、
その疑問自体が彼に哲学を誘導されていることになる。
今朝の新聞の週刊誌広告の見出しに亡くなった二子山と二人の息子の確執が出ていた。
彼が何をしたかというより、家庭の揉め事も含めて全てが生きてきたことである。
揉め事結構! 部屋を繁栄させたことも結構! それが生きてきたことであり、亡くなった時に
その重みの一端が顕れただけである。
一人一人を見れば、誰もが人生の荷物を抱えている。そして、それを抱えてこの世から消えていく。

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2004年06月09日(水)
1163, JRー駅なか商店街
(字数の関係でカット2008年6月9日)
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2003年06月09日(月)
796, 至高体験ー読書日記ー2

「歓喜 ー>  理智 ー> 意志 ー> 気  ー>肉体」
至高体験=歓喜の体験、それを知った理智、そして意志にかわる、それが気になり、
肉体に反応する。たとえると野球で9回の裏逆転のホームランを打った。
そして歓喜する、その体験が理智になる、さらなるよい選手・バッターになる
意志を固める、それが気(気合)に変わり、練習をして積み重ねるようになり一流選手なっていく。
 他には薬草や苔類を使う場合と、アルコールを使う場合や、禅などの修業で到達する場合などがある。
教祖様やシャーマンは、この歓喜体験を通して自己より解脱をして理智を得る。
好きなことを見つけ一生かけて続けるプロセスで、この歓喜体験をするケースがある。
女性の千人切りも好きな人には、歓喜体験ー至高体験を多くする事になるのだろう。
 音楽会の会場が歓喜に包まれ、アンコールの嵐をTVなどで見かけるが、
至高体験をしている。この瞬間を味あう以前と以後位に感動するのだろう。
そういえば初めてロッキーに行った時も、旅行に行く以前と以後位に感動をした。

ー昨日とは別のホームページよりコピーしてみた。    
◆至高体験  
(以下字数の関係でカット2008年6月9日)

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2002年06月09日(日)
432, スイス旅行
   スイス旅行日程 ー7月3日(水)?12日(金) 
             新日本トラベル
http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm
http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html

1日目、 日本航空でチューリッヒへ。  ?チューリッヒ泊
2日目、 リヒテンシュタインの首都ファドーツ散策と
 「アルプスの少女ハイジ」の舞台マイエンフェルトでミニハイキングを楽しんだ後、サンモリッツへ。
   夕食は郷土料理ビュントナー・ゲルステンズッペ。?サンモリッツ泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/heidi-01.htm
3日目、 神秘的な白い湖を眺める”もうひとつの氷河特急”ベルニナ特急とディアボレッツァ登頂観光の旅。
    夕食はマス料理。 http://www2.plala.or.jp/dontak/glacier1.html ?サンモリッツ泊
4日目、スイスの観光列車の中でも最も人気のある氷河特急で
 ツェルマットへ。夕食はチーズ料理ラクレット。     ?ツェルマット泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/mthr01.htm
5日目、登山電車でゴルナグラードへ登り”
 ピラミッド”の愛称をもつマッターホルン(希望者は高原ハイキング)。
 下山後モンブラン山麓のシャモニーへ。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/dan04.htm    ?シャモニー泊
6日目、 ロープウェーでエギーユ・デュ・ミディへ上がりモンブラン観光。 昼食はサヴォア料理。
 午後、美しいシヨン城を観光しながらモントルーへ。
   夕食はレマン湖産の魚料理とヴォー州産ワイン。  ?モントルー泊
7日目、 風景の美しさで有名なパノラマ特急と”山峡の宝石”
   と謳われてエッシネン湖観光を満喫後グリンデルワルドへ。
   夕食はミートフォンデュ。         ?グリンデルワルド泊
8日目、 登山電車で名峰ユウグフランヨッホ登頂観光
 (希望者はアルプス高原ハイキング)。
   下山後、中世都市ルッツェルン小観光。夕食はゲシュネッツェルテス。 ールッツェルン泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/Jungfr01.htm
9日目、チューリッヒへ。 チューリッヒ発日本航空で帰国の途へ。  ?機内泊
10日目 成田到着

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2001年06月09日(土)
[47] シンクロ二シテ-

これは普通では考えられない遇然の一致を言う。 意味ある遇然の一致と心理学で言う
   ‐特にユングが深く研究ー 私も非常に多い経験してきた。
  人間個人を考えれば、今生きている事こそ奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。
・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の重なり
・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた考えられない出来事!
・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景!
・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、学生時代の親友だった男が目の前を歩いていた。
・家内の実家で展示会があり、いっしゅのお祭りで地元の道具やが出店を出していた。 
 そこの象 牙の仏像が気になり、帰ってから電話でそれを買いもとめた。
 4?5日経ってから送られてきて、底をみたら家内と同じ銘で恵子と彫ってあったこと。
    ‐その時全身鳥肌が立った!  等々書けばきりがない。
 遠藤周作などは、イギリスにある作家に興味があり、その地を訪ねた折ホテルのエレベーターで
 ぶつかった相手がその作家だった。葬式とか、自分が行きずっまってヒステリック状態の時とか、
 気持ちが異常に近いときに 考えてみるとおき易い。


2986,友愛思想

2009年06月08日(月)

民主党党首の鳩山が「友愛」の必要性について語ったところ、自民党などに失笑をかってしまった。
隣に「北朝鮮」というテロ国家があるのに、何が「友愛」だと等々・・・。
私が学生時代に住んでいた寮の先輩が軽井沢の「友愛山荘」のペアレント(管理人)をしていたこともあり、
何度かホステラーのアルバイトに行っていた。 そこが鳩山一族の政治団体「友愛の会」の経営する山荘で、
友愛思想について、何度か聞いたことがある。クーデンホフ・カレルギーの友愛思想は現在のEC(欧州連合共同体)
の根本思想で、自由と平等と博愛を目指す考え方である。フランス革命の自由・平等・博愛思想がバックにある。
ーネット辞書のウィキペデアによるとー
【『自由と人生』著者 クーデンホフ・カレルギー 1938 年刊 訳者 鳩山一郎 】に 友愛とは、上記「自由と人生」に
記されている友愛思想、友愛革命、友愛社会に則る考え方であるが、要は、自由と平等との対立を解消し、
克服するのが友愛主義であると記し、友愛の基本をフランス革命の友愛に依拠していると説明している。 
友愛という考え方は、宗教では、隣人愛、自愛、即他愛、等、広く一般的に知られておりますが、カレルギーは
「フランス革命は、自由、平等、友愛を目標として起こりましたが、そこには自由の革命はありましたが
平等と友愛の革命はなく、しかも自由と平等は対立関係のままにされ、その上経済的平等は誰しも望むところですが
自由が存在しなければ全く価値のないもの」と、述べている。
 さらに自由放任の社会は経済的不平等、富の偏在、貧困の差をより大きくし、如何にして自由と平等の対立関係を
調和せしめるのか、カレルギーはこの対立解消のベースに友愛主義を提唱し、人々の間に具体的に浸透する方途として
友愛革命を掲げました。革命という言葉はともすればテロを想像されるかも知れませんが、カレルギーの説く革命は
力による革命でなく、人間一人ひとりの心の中における革命です。人々の心の中に友愛をうえつけ、或は人間本来の持つ
人類愛そのものを喚起することにより友愛は達成される革命である。 そして人の心の革命は暴力や強制力でなく、
相互に人間が人間としての人格の尊厳を尊重することであり、人間の生まれながらにして持つ権利であると説き、
その権利は国家や社会のすべての制度に優越するものだと説明しています。従って社会の政治や経済の諸制度も
この考え方をベースにしなければなりませんし、このような考え方に基づく友愛社会は友愛主義の理想であり、
心の革命のそれぞれの段階に従って少しずつ改善されて行くべきものであるという。
 ーー
以上だが、ネットで調べながら、学生時代を思い出した。 40年前のことだが懐かしい思い出である。
2度、パーティーの壁フラワーとして数人来て欲しいと言われて、酒に惹かれて音羽御殿に行ったことがある。
音羽の高台に中腹にある古めかしい屋敷で、鳩山薫(現在の鳩山兄弟の祖母)の姿を見たことがある。
当時は、偉いとか雲の上の人とかいう見上げる気持ちも無かったし、ああ、いる位であった。
要は、「一人ひとりが紳士淑女たれ。人類愛を持つ、互いを思いやる尊厳を大事にすること」である。
欧米的な近代思想の典型とも思われるが、均衡縮小していくには丁度良い思想かもしれない。

・・・・・・・・・
2622, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉
2008年06月08日(日)
                 ー読書日記
ーまずは、「まえがき?人は言葉で評価される」よりー
 
銀座ママが見た日本のエリート1万人の秘密!!
「銀座という場所柄、お店にはいわゆる成功者」といわれる方々が数多くいらっしゃいます。
経営者、政治家、スポーツ選手、作家…その数は一万人を優に超え、どなたも溢れる魅力をお持ちです。
そして、その魅力が一番輝きを放つのは、口をついて出てくる言葉でした。 (中略)とくに、
何気なく話しているときに耳に残る口癖は、私を励まし、支えになってくれました。
そして、私はこの口癖こそが成功の秘密だと気づいたのです。」            
ー次に、その『12の口癖』
* 第1の口癖「とりあえず、やってみよう」
* 第2の口癖「あなたに任せるよ」
* 第3の口癖「大丈夫だよ」
* 第4の口癖「あせっちゃダメだよ」
* 第5の口癖「気にしない気にしない」
* 第6の口癖「幸せだなあ」
* 第7の口癖「一から教えてください」
* 第8の口癖「ツイてるなあ」
* 第9の口癖「一緒にやろうよ」
* 第10の口癖「それ、おもしろいね」
* 第11の口癖「明日のために負けよう」
* 第12の口癖「信じているよ」
* あとがき  成功する前は誰でも普通の人
 ーーー
この本の、印象的な部分を抜粋してみた。
 (字数の関係でカット2009年6月8日)

  ・・・・・・・・・・
 2007年06月08日(金)
2257, ビョーキな人々探訪記 ?4
                 |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は
   最近エステが大流行だが、いまいちその理由が解らなかった。
 しかし、エステ依存症の横森理香と、同じ経験者の中村うさぎの対談で、その意味の一端が解ったような気がした。
 奇麗になりたい!という心理は解るのだが、それが度を越して罠にハマってしまうのは、少々理解しがたかったが・・
 綺麗はバランス。 バランスを直すのがエステなら、やはりインプットとアウトプットのバランスをとることである。
 エステ依存症の横森が行き着いたのは、地味飯の玄米食である。
 外形を治すのに、逆に依存症という病気を抱え込んでしまうのは、本末顛倒ということになる。
 外形は内側の歪みが大きな原因であり、それを治すのがエステの目的であるなら、精神科が範疇でもよい。     
 サプリメントもエステに似たようなところもある。「私のサプリメント」でも書こうか! 結論はわかっている。
 玄米食と自然食品がベスト。それが出来ないから、サプリを飲んでるんだよ!という内面の声。
    (字数の関係でカット2008年6月8日)
 ーー
孤独になれない、??な女が陥る罠ということ?
                    ホンジャ ヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年06月08日(木)
1892, 酔生夢中
                才八∋ウ_〆(∀`●)
一昨日は、面白い人と酒を飲んだ。いま話題の南極越冬隊の高倉健が演じた菊池徹氏が父親という。
4月半ばに84歳で亡くなられたといっていた。カナダのバンクーバー在住で、保険業とカナダ国債の日本国内での販売が業務。
知人が菊池さんと親友ということで、「新潟で飲むので一緒に飲まないか」との、お誘いを受けた。
国際金融のプロフェッショナルで、日本人の金融音痴を嘆いていた。
この数年は年の半分以上は、日本中を「国際金融」などの講演をしているとか。
16歳で、父親とバンクーバーに移住したので、思考は殆ど英語という。
ハワイでは日本人二世や三世を「バナナ」と言うらしい。
(外見は黄色で中味が白色)食べ物は、やはり日本が絶対的に美味しいとか。
日本に、来ている動機の半分は、日本酒と魚を日本国中、食べ歩けるからだという。
十数年前に、カナダだけにいるのに飽きてしまい、日本全国を食べ歩きの旅をしながら商売になることを考えたそうだ。
そして、世界有数の安全なカナダ国債を売り歩くか、講演をしてまわることを思いついたという。
こういう考え方は、成功の基本中の基本である。 羨ましい限りである!
そこで南極越冬隊という検索を入れたら、菊池さんのお父さんのことが出てきた。
最近「南極物語」が、アメリカ版でリメイクされた。 お父さんも、その映画に関わっていたとか。
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ー菊池徹氏(元第1次南極観測隊員)が多臓器不全のため死去ー
菊池徹氏(きくち・とおる=元第1次南極観測隊員)
(字数の関係でカット2008年6月08日)
                 !(*^ワ^*)i バイ
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2005年06月08日(水)
1527, わたしの酒中日記?5
    金沢ー3
  ー1972年3月某日
とにかく部外者の目でみると、金沢は特異の街である。
加賀百万石の数百年の重みが詰まっている。それが酒場に集約しているから、
あちこちと探して歩くだけの価値が充分にある。 それと人間味も面白い。
今日は会社の島君に酒を誘われる。同期の男なのだが、現在所属している武蔵店に配送センターから
配属になったばかりの男だ。いい男なのだが、全く彼女ができないという。
何かオドオドしていて頼りがなさそうでモテナイ典型である。
店では日常的に、月に1度は飲みに誘われるが、一~二度喫茶店に行っただけで「自分の彼」にされてしまった。
噂が流れた瞬間から、他の誰も口を利かなくなるから女の職場は難しい。 その後は注意はしているが。
島君に、その話をしても信じない。今まで男だけの配送センターにいたためだろう。すべて需給のバランスである。
彼氏がいる女性ほど気楽に飲みに誘ってくる。「オイ!彼氏にいいのか?」というと、決まった返事が帰ってくる。
「彼は彼、私は私、別に悪いことをするわけじゃない。酒を一緒に飲んで何処が悪い?
あっちはあっちで適当にやっているわ!」である。 女というものは?!お互い、その方が上手くいくのだろう。
しかし一つ間違えば当て馬の一匹だ。いや、一頭か。もっとも、その方が面白いが、常に試されているようだ。
彼女達は女子寮で話し合っている? 「誘ったが駄目だった、今度あんた誘ってみたら?」と。
女性の職場は監視がキツイ!半面、個々人は面白い人が多い。
例外はいるが。女を使えれば天下を取れるという。使えなくてもよいから仲良くしたいが。
二人で、帰りのバスで香林坊を降りて、よく行く店に行く。
寮の近くの居酒屋が香林坊に引っ越した店。金沢大学の学生がよく出入りしていたが、同じ顔ぶれがいた。
その店を出て、一月前に行った大和の隣のスナック行く。前回の空約束を忘れていたが、彼女は憶えていた。
数日前に友人の車でドライブをしていた姿を見たそうだ。 もちろん冗談だろうが、
「今度私をドライブで東尋坊に連れてって!」と、誘われる。「今度な!」というと、「お願いします!」で、終わり。
前回の「期待を持たせる!」という二人の会話が下地にあることと、「スナックの言葉のお遊び」を島さんは知らないようだ。
彼女が席を離れて隙に「どうしたの??」「おれ生まれて一度も女性に誘われたことがないのに!」種は明かさなかった。
彼女達は約束をしても絶対来ないし、言葉遊びをしているから面白のだ。 島さんは、まだ純朴だ。
帰りに会社の(他店だが)知り合いの女性にであう。寮の近くに「茶道」を習いに行っているが、そこを紹介してくれた人だ。
何かお礼をと思っていたので、スナックに誘う。夜見ると、なかなか濃艶な近づきがたい雰囲気が漂っている。
助平根性が出そうになるが、あとが面倒だ。 今夜は島さんと大人しく帰る。
帰り道、島さん曰く「こんな楽しい夜は初めてだ。なんで??」 「場数、場数!」とはいったが、実際面白い夜だった。
最悪の職場環境の立場ほど、反面おもろいことが多い。 人生で一番辛い?時ほど。
この会社は西友の子会社化になっているが、社員は惨めだ。とにかく会社は強者の立場に置いておかなくては。
人生は弱者の立場に立ってはならないことを痛感する。  明日は「売り出し」で忙しい!

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2004年06月08日(火)
1162,「金融資産が狙われている」
 
ー日本の恐ろしい未来ー   ビジネス社 ー長岡中央図書館 2004年0606

高橋乗宣の最新の書が面白い!
ー 概略を書いてみるとー
「2004年・日本経済」で9月以降の経済の後退と国債暴落と、
日銀による国債の直接引き受けによる日本経済の破綻の危険性の増大を指摘しているが、
 この書では、9月以降ドル暴落の見込みが高まっていることを指摘し、現在デフレのど真ん中にあり
地方から疲弊した日本経済もより深刻な状態が予想されると一歩踏み込んだ言い方をしている。
これからの日本では、個人個人が自己防衛しなければならない。
双子の赤字が限界に達し、ブッシュの大減税により無理やり上昇させた
アメリカ経済は9月以降必ず失速し、ドルの暴落を呼び、アメリカ経済は縮小していくだろうとしている。
グローバル市場を管理することは不可能であり市場の実勢に任せざるを得ない。
日本経済がデフレから脱出するためには、実質を伴った財政出動と、適切な規制緩和が必要であり、
適切な規制緩和は新しい市場を作り出す。
・今の日本の僅かな株高は、アメリカの演出したもの? あと半年で終了ー大統領選挙まで 
 アメリカの景気は幽霊景気であり、ドル安、株安、国債安というカタチで崩れていく。
 まもなくアメリカ経済の大規模な減税効果は剥げ落ちる
・日本の地方の空洞化は一段と激しさを増す 地方経済はますます土砂降りがつづく
・深刻なデフレ経済はますます激しくなる
・いまの地価の下げ止まりは一部の地区でしかない
・デフレもリストラも激しさを増す人員や設備の過剰感は消えていない
・ドル安基調が本格的になるだろう円が80円をこえる場面もありうる
・国債の発行が続いていくと、株価の暴落をまねく株価は7000円割れも考えられる
・地域金融のショックがアチコチで生じて、中央に逆流の可能性あり
ー感想
経済ファッショの足音が聞こえてきたといってよい。
なし崩し的に国民の金融資産を「収奪」「劣化」させようとする政策に切り替えてきているようだ。
国民一人一人が自己防衛をしなくてはならない時代に入ってきたようだ。
「職業を持っていること自体がステータスになる時代になる」というが、そこまで本当にいくのか。
景気悲観論者でバブル期から景気の先行きに警告を発してきたが、流れとしてみていて彼のいっていることは間違いない。
徳川幕府から明治政府への転換期、第二次大戦の終戦時期、と比べて今回の方がはるかに大きい転換期であると考えれば、
彼がここで述べていることはけっして誇張ではない。情報化と、それと伴う経済現象としてのデフレのインパクトは
社会の根本を変えようとしている。情報格差による弱肉強食はますます激しい時代になってきている。
面白いといえば面白いが、大部分の弱者にとっては厳しい時代だろう。
現に、政府系金融機関がかりに融資しても、その資金が大手銀行への債務の支払いへと
還流する仕組みが出来上がっている。大手銀行にしてみても、地価が下がっている以上、
‘貸し剥がし'をせざるを得ない。そうしないと不良債権になりかねない構図になっている。
地方経済は目詰まりを起こし、壊死をしているのが現状だ。 これがデフレの恐ろしいところである。

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2003年06月08日(日)
795, 至高体験ー読書日記 -1

 数年前に買って読んだが、人に貸したまま帰ってこない本である。
当時コリン・ウイルソンの文章の巧さもあって、その面白さに夢中になって読んだ。
インターネットで調べた内容を後でコピーしておくが、至高体験の内容に対して詳細に情報が載っている。
 私の知人で精神症の人が、鬱の治療薬を飲んで一回だけ歓喜の体験談を話始めた。
「それは至高体験といい、薬物を使わなくとも経験できる。またその体質を持った人にはたびたびおこる現象」
と説明したところ、その人は怒り出した。「絶対に度々経験ができるはずがない!」と。
「じゃあ長島茂雄はどうなんだ。あの人は過去に他人の体験できない歓喜を数百倍経験しているだろう」といったら、
本人は納得をした。その直前に巨人が10・6?の劇的逆転優勝をしていたからだ。
 この本は19世紀から現在までの精神分析の流れが書いてある。
フロイトやユングなどはマイナスの精神病の患者からの切り口で精神分析をしてきた。
これに対してマズローが精神分析を健康人に対して、自己実現などの視点で前向きにとらえた。
 多くの普通人が「至高体験」を経験していることに注目をした。
そしてそれを真正面に分析して解ったことは、超人とか成功をしているほどこの「至高体験」を多く経験しているのだ。
成功体験などもそうだろう。一時巨人の9連覇した選手が多くのチームの監督になったのも、
至高体験者の原動力と成功手順の経験を求められた為だろう。
私がいそいそと秘境旅行に出かけるのも、そこで大自然の何かに打たれて「至高体験」を経験するからだ。
三桁以上は軽くある。 酒を飲んで騒ぐのも、ミニ至高体験を求めるからだ?少し違うか。
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「至高体験?自己実現のための心理学 」河出文庫
コリン ウィルソン (著), Colin Wilson

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2002年06月08日(土)
431,モテル男

世の中に、自称持てる男が多くいる。 そういう男をからかうのが好きだ。
「貴方持てるでしょう!」大体がこれに引っかかる。 そしてレクチャーが始まる。
・まずは[貴方は持てないでしょう。けちで努力もしなくては持てるわけがない。]
(??)心の言葉
 (ほってけ!馬鹿!うっせいこの女貧乏!勝手にそう思っているだけだろう。
  貴方が持てたいと思っている相手など傍にいるだけで反吐が?)
・「自分等中年はそうでもないのに脂ぎっている、それを如何に隠すかが勝負!」(それは当たっている)
・「とりあえず自分から絶対に積極的にいってはならない」 (ふんふん・・・・)
・「服装と言葉には十分気を配る」 (へーそうか、苦労してるんだ)
日夜それだけを考え努力しているという事だ。ちやほやされている状態が趣味という事。(負け惜しみ)
逆に持てないという事は、そういう努力もしないで、表面だけを見て持てたいと思っているということか。
ギラギラした欲をそのまま出してしまう男? ところでゴッド姉ちゃんが4人もいた立場で育った環境。
いっぱい教訓をいただいている。今度書いてみる。 もてる人(但しここでいうのは自称の人)は職場とか
家庭環境に女性が少ない人か、母親とか女姉妹がいない環境の人。心の奥に常に女性に対する渇望があるからだろう。 
こういう人は奥さんが離婚か自殺など早死にしている人が多い。 クリントンあたりなら、少しは羨ましいが?? 
くだらない話、しかし人間の一番の本質の話か。女性もそうだが、そういう人は小まめに、積極的、気配りを欠かさない。
   ーどれもないなー??!
関係ないことだがー 昔から,好きなタイプの女性には共通点があった
・身長が162cm当たり ・血液A型 ・長女 ・お嬢様タイプ ・美人?清そ ・知的
学生時代よりそうだった、自分が好きのせいもあるが。 56歳の男の書く内容でないが。

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2001年06月08日(金)
[46] ユニクロのホームページ

ユニクロのホームページがよい。そこで何点か商品を買ってみた。またパンフレットも取り寄せてみた。
ズボンの裾上げもサイズをうちこむと直され送ってくる。一度注文するとメールで週末その日の特売情報を知らせてくる。
衣料の小売りで私の知っている限り、ネット販売でこれほど買いやすいサイトはない。
サイズ、色、形、管理が大変だと思うが、そこがコンピューター管理の得意なところ!200メートル先に店があるが、
どーも中年で行くのがおっくうな気分の時に注文する。
こういう部分を一つとってみても、ユニクロのシステムの凄さを感じる。けっこうネット販売売れているのでは。


2985,腰痛持ちの皆さんに

2009年06月07日(日)

 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。
私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業でギックリ腰になって以来、45年間の付き合いである。
表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、地域の湿気の問題などもある。
現在でも年に平均3〜4回は軽い腰痛になる。5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出ることが多いが、
一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の腰痛は無くなった半面、
いつも腰に重い疲労感と少しの痛みが残っている。 特に長時間の座った姿勢のパソコンが良くない。
 半年ぐらい前に(腰痛の私にとって)最高のマッサージ機器を見つけたことは、ここでも書いた。
台がバイブレーターになっており、その上に座ったり乗ったりするもの。
これがウォーキングの次の最高の腰痛対策になっていて、一日数回は使っている。
これに最近、電動ステッパー(7600円)が加わり、一m四方のトレーニングコーナーになっている。
 ところがニヶ月前に、長岡の郊外の家電チェーンの健康機器売り場で「長細い座布団状のクッション」を見つけた。
幅が40、長さ75センチ、厚さが10センチ位のもの。 腰に当てて電気を入れると、7分間、色いろな叩きと、
バイブレーションが手を変え品を変えて続く。 また首から背中に当てると肩こりに良い。
マッサージ師が一通りのコースをこなすのと同じである。 それがロボットマッサージ師のようで何とも面白い。
 迷った末にネットで注文した「リズム・マッサージャー・パッション」が先日届いた。
早速使ってみて、7分間で、腰の重みが8割がた消えてしまった。 特に叩きが強烈である。
ビッグカメラや、ジョウシンの店頭の値段は39800円。 少し高いと思ったが、何度か店頭で使っているうちに、
欲しくなったのである。 そこでネットで調べると、税・送料込み25,500円である。(メーカー希望7万8千円)
去年の年末調整の残りの「ヘソクリ」を使うことで自己納得をして買うことにした。
以上、リズム・マッサージャーと、電動ステッパーと、縦型バイブレーション三点で、48,000円で、
家庭内腰痛対策の完成というところ。 で、どれが一番良いか? 値段に正比例ということで、先日買ったもの。

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2621, 消費社会から格差社会へ ?4
2008年06月07日(土)

ー「負け犬女」対「下流男」ー
   
「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで何度か聞いたことがある。
それに対して、男は負け犬という言葉自体が負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。
そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 社会学者は、その辺の造語は適格である。
現在の男女の結婚年齢が32歳と29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。
それほど、当人は気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。
 ーその部分を抜粋してみる。
 ーー
三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。ある住宅メーカーが調査したら一日五時間ぐらい
 一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。
上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの「下流社会』でよくわかったのは、
 下流の人たちにパソコンのヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格の娯楽だから。
 その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、なるほどと思いました。
三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、「上」の人の方が多いんです。
 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。「おうち」でじつとしている(笑)。
上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、男女ともにね。
三浦: そうですね。あと高級スーパーの「成城石井」とかでね。一人でもおしゃれな惣菜を買って帰って、
 エンヤを聴きながらカモミールティーでも飲んで、「まあいいかー」みたいな(笑)。
 それとネットショッピング。ひきこもっていても、暮らしていける。
 コンビニすら面倒くさくて行かなくなる説もある。・・・・・・・
  ーー
三浦: 「負け犬」という表現にある諧謔が読めてない。裏返して書えぱ、彼女たちの対極にいるはずの、
 彼女たちと同じ年齢層の結婚していない男たちは、自らを「負け犬」と呼ぶことすら抑圧している、
 それくらい男の負け感が強い。自分の負けを認めることさえ、抑圧の対象となるほどの状況にいる男の立場と、
 負けをさっさと認めて競争から降りる女の戦略とでは、男の抑圧の方が強いでしょう。
 そういう意味では、「負け犬」の男に与えられた称号が、「下流」だったかもしれない。
上野: うん、男は負け犬とは呼ばないですね。なるほど、「負け犬女」対「下流男」か(笑)。
 ただし同じ年齢層で「負け犬女」と「下流」を比べると、経済階層では「負け犬」の方が高いでしょう?
三浦: そうですね。
上野: 次の世代は、「下流男」対「負け犬女」になるかもしれませんね。
三浦 その「負け犬女」と「下流男」が、どっちも「おうちタイプ」だから出会わないわけです(笑)。
 調査をすると、けっこうおもしろい結果が出ていて、階層意識は低いけど生活に満足している人は、
 男性にはいますね。「下流」とは言っても、三〇代の前半で年収は三〇〇万円くらいあるんです。
上野 へえ…「下流」と言ってもけっこうあるんだ。 一人なら暮らせますね。でも結婚できない際どいラインですね。
「負け犬女」は、年収三〇〇万の男は相手にしないでしょう。
「負け犬女」」と「下流男」が出会わないのは両方「おうち系」だからだけではなくて、出会ってもすれ違いに終わる。
 ーー
 中学校の同級生をみていると、最下位5?6人の成績の男達の殆どは結婚してないか、しても離婚をしている。
 そして上位は、それなりの社会的な立場になり、離婚の話は聞いていない。 育った家庭環境の為だろう。
 「べきことを、べきときに、べくすべし」の積み重ねをしていたかどうかだろう。

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2007年06月07日(木)
2256, 定年後の生活費は幾ら?   
                おはよー(((。・-・)从(・-・。)・          
私の年代が定年に突入をはじめた。そこで、その後の平均値はどうなっているのだろうか、調べてみたら、
平成16年度の総務省家計調査で、世帯主が60歳以上の無職世帯(二人以上の世帯)の
・実支出の月額は28万。
・公的年金を含めた平均現金収入は、22万円。ということは差額の6万円は下げるしかないということになる。
 下げるためには、小さな家に引っ越すとか、車に乗らないとか、食費を斬る詰めるとか、
 義理を欠くとか、それぞれ割り切るしかない。でも「括り」そのものを捨てるには腹をくるしかない。
それに対して、(財団法人の「生命保険センター」の統計では)夫婦で「ゆとりある生活」をするためには、
月額38万円が必要としている。 それにしても「ゆとりある生活」をおくるには、あまりに大きな差がある。
だったら「ゆとりある生活」とやらの幻想を捨てて、22万円以下の生活に甘んじ楽しむようにするしかない。
反対に、定年生活者は将来の不安から、3割は貯蓄にまわすという日本的な国民性があるという。
余裕があるからいえるのだろう。 しかし、老後の不安とやらの心理が、自分の楽しみの壁になる。
もう子供も巣立ちをしているし、健康のために粗食も求めらるから、
切り詰めた生活に不満も持たないで貯蓄に励む滑稽な存在が垣間見られる。
子供や連れ添いにとって、これほど有難いことはないが、アフォバカな哀れな姿でしかない。
一年前のある意識調査で1?が上流、74?が中流、25?が下流と自認しているというから、
まだまだ日本は健全の国。 大部分が中流意識を持っているのは、世界の奇跡?である。
まあ、60歳も過ぎれば食べるものも決まってくるし、車も軽自動車で充分。 いいようになっている。
収入と支出だけが豊かさではない。しかし、それは最低限が保証された人間が言うこと!でしかないのも事実。
昨日、ネットで注文していた「今日、ホームレスになった」という本が届いた。
毎日のように新潟駅構内で、彼らを目にする。一人のホームレスの背後に大きなドラマを、想定していたが、
その一端が見えるのだろう。まあ、いずれ死が清算するのだろうが・・極限に真実が見えてくるから、
ついついこういう本を買ってしまう。 2?3日で読み終わるので、何時でも貸しますよ。  
ところで、取引先の社長、行詰ると寝袋を持って新宿のホームレスのところに行って泊まってくるという。
何があったかわからないが? 娑婆は面白いところだ!ツクヅク思う。 
 「定年後の生活費」から話がかけ離れたが、定年になったらギアを思い切って変えなければならない!ということか。
                  (○´ω`○)ノ**SeeYou**
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2006年06月07日(水)
1891, 村上ファンド崩壊の衝撃?2
           おはよ?!(*^ワ^*)i

(以下、字数の関係でカット2009年6月7日)
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2005年06月07日(火)
1526, ディープ・フロート判明

あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏とは驚きだ。
情報源については、諸説紛々であったが、その一人とも目されていたFBI副長官であったとは。
外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが、当のニクソンを失脚をさせたことになる。
後任の長官に自分が指名されることを期待していたが、実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法次官補。
このような因果関係から、フェルト氏が情報提供に協力する背景にあったのだ。
彼はFBI退職から6年後の1979年に著書「FBIピラミッドの内部」を発表し、
その中では「ディープスロート」ではないと否定していた。
たった一人の怨念が世界を揺るがす大事件になったのだ。非常に興味が持たれた真相も、この程度のことであった。
ミステリーのままの方が良かったのだろう。彼の名前も挙がっていたが、キッシンジャーやブッシュ大統領の
父親の名前も挙がっていた。 それにしても、フェルト氏も命がけであったと同時に、
ニクソンが窮地に立たされていくのをみていて快感であっただろう。
ー以下は、あるHPからコピーしたニュースの内容であるー
(以下、字数の関係でカット2008年6月7日)
 
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2004年06月07日(月)
1161, 衛星授業

アメリカのデンバーのあるコロラド州は校内で銃乱射があったところで、学校に通わせたくない親が極端に増えているという。
そこでインターネット・ハイスクールが注目されてきており、生徒数がアメリカ全体で、もう10数?になっているという。
ところが、その方が教育効果が遥かに高いということがわかりはじめ、まてよということになっているとか。
実際インターネット・ハイスクール出身の学力は普通の高校よりはるかに高くなっているという。
そこでは非常にユニークな教えかたをする。 重要なキーワード出てくると手元にあるパソコンに、
「それを調べてみてみてください」という指示がくるそうだ。 生徒は指示されたと同時に検索で調べる。 
そこで、さらに専門的なキーワードを調べるようにという指示がくる。そしてドンドン深く問題を掘り下げていくという。
十年もしないうちに過半数を超えるのではなかろうか。そして日本も似たような状態になることは間違いはないだろう。
予備校や専門学校もインターネット授業が本格的になったきた。代々木ゼミとか東進ゼミが取り入れている。英会話もそうだ。
講義中心なら、それで充分である。いやむしろ一流の先生の授業を聴いたほうが効率がよいはずだ。
考えてみたら、高校受験は受験雑誌や参考書を中心に勉強をしていたし、大学受験は、
それに加えてラジオ講座が中心に変わった。それが、パソコンや衛星TVによる映像に変わっただけだ。
  面白い時代になってきたものだ。

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2003年06月07日(土)
794, 夢とイメージ

 学生時代に3番目の姉が結婚をして、家を建てた時の話である。
その姉は節目ごとに私にノウハウを教えてくれていた。
(小学校5年時の勉強のコツ、中学2年時に具体的な目標のたて方と挑戦の仕方を教えてくれた)
「実を言うとね、この家と庭と旦那とのこの生活、ずっと願って心にイメージをしていたの。
それがね、このままいま現実にあるんだよね。夢を持って、イメージまで高めなさい。そうすると叶うんだから。
本当に驚いているんだから」と教えてくれた。
今ではポール・マイヤーとか、ナポレオン・ヒルとかの本に詳細にそのノウハウが本に書いてあるが、当時は新鮮な情報であった。
「なるほど夢を持ち、それを目標に変えて、具体的にイメージ化をして実行していけば夢が夢でなくなる」と解釈した。
建物なら平面図を描き、次にビルのイメージ画を先に書いてしまうのだ。 女性なら好きな女性のイメージを頭に描くのだ。
しかし世の中には自分の想像を超えた理想の女性がいることを現実に知った、高嶺の花でしかなかったが。
好きなタイプをイメージ化した為、早めの判断をしないで済んだ。(ダブルデートで、もう一組が何人も結婚していった)
当時、簡単に一生の伴侶を決めてしまうのが不思議であった。いま考えると、自分の未来を考えてない人が大部分であった為だ。
私の勝手の見方だったのかもしれないが。 夢のイメージの類の本を小ばかにして拒否している人がいたら、とんでもないことだ。
夢の実現の方法論として、高度のシステムとして体系化してあるからだ。
特に若い時に、この知識・情報を持っていると人生を効率よく生きることができる。
全く知らないのと知っているとでは天地の差が出る事は間違いない。
偉人などの自伝を読み、その中で自分を投影して夢を創っていくのが一般的であるが。
もっと割り切った時の方法論である。末っ子は、つらい反面けっこうノウハウを貰っていたことになる。

・・・・・・・・・
2002年06月07日(金)
430,自分の居場所

誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。
自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。
20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。
まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。そうすると、そこにあなたの居場所ができあがる。
座ると何気なく自分の物を机の上などに配置する。いつの間にあなたの場所ができている。」
その時代だけでなく何時もそうだった。私だけでなく人間すべてがその筈だ。
 居場所とは、
・自分が一人でいても寂しくないところ
・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ
・すわり心地の良いところ
そうすると趣味など、そういえるかもしれない。それをしている時、それが心の居場所だ。
毎朝あげるお経もそうかもしれない。引っ越したら、別に住まいだけでなく、まずは居酒屋、
そして昼飯を食べる店と自分の座る席。猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリーとして。

・・・・・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話

27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 
地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、
懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。
この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。
自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーー
ーH0907 養老の瀧1122号店、店長の日々ー
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、いざ自分がその立場に立って、
その認識の甘さをつくづく思い知らされた。千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と
“養老の瀧オ?プン”と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ?プン...!完全にパニック状態!オ?プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、地獄のような日になってしまった。
辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2?3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。 それまでは8時間プラス2?3時間、という立場が、
“24時間(休んでいても仕事のうちという)仕事”という立場になった。
サラリ?マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス?パ?の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、
適応能力が自然についてくるのだ。ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。 そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない位の
事件が月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。
“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、お客に怒鳴る変わりに
従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。
                 創業は辛い! 1973.11.07?


2984、閑話小題

2009年06月06日(土)


 * 資産家夫婦の惨殺事件
少し前の話になるが、資産家夫婦の惨殺事件があった。 月の小遣いが300万という。
ポケットに百万単位の金を入れていて、飲み屋で他のお客に驕っていたという。
世の中には、まだ、こういう人もいるのである。 その辺のヤクザ者に狙われるのは当然。
銀行を信用しないで家にお金を置いておいたというし、周囲の人もそのことを知っていたようだ。
起こるべくして起きた事件である。 
  〜〜〜
 * インフルエンザの第二波、第三波は?
この10月から新インフルエンザの第二波、三波が始る。
その時の第二波は毒性が強くなり猛威をふるう可能性が大という。
実際に毒性の強いのが発生した時にはどうなるのか? 
自分や家族のことだけでなく、日本中の経済が大打撃にもなる。
特に客商売をしているところは、凍りつくことになる。考えただけでも恐ろしい。
新インフルエンザ用のワクチンが年内の2千万人分を製造するという新聞が報じていた。
6人に1人に行き当たるようだから、何とかいけそうだが。
  〜〜〜
 * 昨夜は長岡で飲み会
昨夜は、恒例の長岡で飲み会。新潟駅前は不景気風が吹いていて居酒屋が少ない客の取り合いをしている。 
二時間で三千円で飲み放題は当たり前で、そこに値打ち感を持たせるかが大きなポイントになっているようだ。
ところで長岡は、そこそこ人は出ていたようだ。 そういえば、去年の今日、車に撥ねられた日だった。(コピー)
それを思い出しのだ、早々帰ってきた。 
  〜〜〜
 * 先が思いやられる、この一週間の不入り
6月の第一週は、毎年のように青ざめるほどホテルが不入りになる。 恒例としてもあまりに悪い。
駅前で居酒屋の店員が割引のチラシを持って客引きをしているのは当たり前の景色。
客の方も週に一度は三千円?で飲み放題の店で仲間同士で憂さ晴らしをしないと、鬱憤が晴れないのだろう。

 ・・・・・・・・
2008年06月06日(金)
2620, あわや大事故!

まったく、この男、よく変な事件を起こすよ!というのが、起きざまの実感!

昨夜、長岡で飲み会。 普通は第一金曜日だが、上さんの都合で一日早めた。
長岡の飲食街、道路には人っ子一人も居ない。 それだけでない、タクシーも一台も並んでいない。
平日のためだろう。 丁度0時頃、タクシーを拾うとして旧八号線にいっても車自体走ってない。
そこで信号を超えて川沿いの道を歩いていたら、左折をしてきた乗用車と出会いがしら撥ねられる。
ガソリンスタンドの角で見通しがよい筈。 かなりの衝撃であった。
ところが、左に担いでいた革鞄が振り向きざまで身体を防御してくれた。
右腕と左足の脛の右を痛打しただけで済んだ。運転手は若い男で、青い顔をして平謝り。
大きい衝撃の為、かなりの人身事故と勘違いをしたようだ。
車に乗って病院に向かったが、触ってみたがそれほどではない。しかし、後遺症が出る可能性がある。
事故届けに長岡駅前交番に進路を変える。 しかし、交番は電気が消えて誰も居ない。
そこで、電話をして本署からか来てもらう。 そして現場で事故の詳しい聴取。それも運転手のみ。
駅でパトカーが来るまで、「私は、問題を大きくするつもりはない、ただ、事実を正直に言ってください。
下手に自分の都合のよいことを言うと、貴方は不利になりますよ。私は後遺症の時に、保険の問題などで
公にしておきたいだけです。」と言い含めていた。 そのためか、処理は20分ほどで済んだ。
やはり、これを書いている現在、足の脛が痛み出した。 しかし病院にいくほどではないようだ。
全く何が起きるか分からないものだ! 九死に一生とは。 それが突然に自分にとは!
やはり人生、したいことをして、悔いのないように生きなければ、それにしても警察沙汰が二度も続けて起きるとは! 
(二ヶ月前に呼び込みに強引に店に連れ込まれそうになり、大騒動になった。)
これまで、個人として警察沙汰は一度もなかったが・・(普通なら当たり前だが)
 その運転手に、「こんな時間に、何してるの?」と聞いたら、 「スナックをしています!」という。 
 生きているうち、健康のうち、元気なうち、そして若いうち! 人生は!

・・・・・・・・・・
2007年06月06日(水)
2255, まあ、いいか!
            ヽ(★>з<)。o○ オ?ハヨ 
この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。
そこで、検索に「まあ、いいか」と入れたら、その題名の本が数冊も出版されていた。
自分を慰める言葉で、私の常用語「あ?あ!」の言葉の裏に含まれている。
「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。
それを延ばしたのが「あ?あ」か、これは屁理屈である。
「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。 ゜≫q(´I`●) マアマア!
「まあ、いいか!」の前後の言葉として、「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」が出てくる。
イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて「まあ、いいか! それがどうした」
と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。「あ?あ」「で、どうした」「まあ、いいか」は、
瞬間の癒しのの三言である。        ♪? ヽ(´π`)ノ まあ、どうでもいいや! 
しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分にはよいが、最初から、この言葉が先に立つのも問題である。
「中途半端な、あの人」になってしまう。金沢に「まあ、いいや男」というアダナの先輩がいた・・・・
バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。 何でも使う人間次第だが、この言葉は特にそうである。

ーあるHPに、このような詩があったー
 *まあ いいか

まったくもー、しょーがないヤツだなぁ まあ いいか。
俺も どーしよーもないヤツだし
まったくもー、しょーがないヤツだなぁ
とりあえず 俺のほうから謝るよ 傷ついたのは おたがいさまだし
もし君が 俺をまだ許してなくて
謝ったとき 素っ気ない態度をとっても 俺は一人つぶやくんだろう
「まったくもー、しょーがないヤツだなぁ」 ク?(”>_<)っ★(
 ーー
 他に「まあ、いいか」に対して次ぎの言葉があった。

  成長は悩まなくなることではない。
  成長すればするほど悩みはむしろ深刻化していく。
  しかしうまく共存できるようになっていく。
  光を知れば知るほど闇も深くなっていくのだ。
  しかしどんなに深い闇でも、
  一筋の光さえあればやっていけることを知るだろう。    ( ̄ω ̄;)!!
  ーー
  暗い闇にこそ「まあ、いいか」という一筋の光の言葉が輝くのだろう。
  「ところで、私の人生とは何だったのだろうか?」
  「まあ、いいか! 今さらしょうがないもんな?! あ?a!」
                    バイ☆(^∀^)ノ~~
・・・・・・・・
2006年06月06日(火)
1890, 村上ファンド崩壊の衝撃
                   おはよ?!(*^ワ^*)i
ライブドアの堀江の逮捕時に「最終ターゲットは村上」とスポーツ紙が報じていた。
当時はまさか村上ファンドが、そんなドジを踏むわけがないと思った。 日本的株式市場というイケスに
「食肉魚」を入れ活性化することも、株主の立場を軽くみてきた日本市場には必要だった。
積極的出資者といわれるオリックスの宮内社長、どのように言い逃れをするか見ものである。
高利貸しは高利貸しでしかないが・・・・時代の寵児だった堀江と村上が小菅の住人になるとは、
半年前までは誰も思ってはいなかったはずである。広告料を貰っている大新聞やTVや月刊誌などは、
大手銀行や証券会社の不正を積極的に書けない関係にある。そこで少し危なげな?スポーツ新聞に隠された情報が流れやすい。
村上もインサイダー取引で逮捕は必至ということで、シンガポールに会社と住居を移動したのだろうが、
生命の危機も感じたのだろう。新聞によると「5?以上の株の買占め情報を元に株を購入すると、インサイダー取引になる」
と知っていたが、「まさかライブドアの堀江が、それ以上を買う力があるとは思ってもいなかった」
と苦しい弁明をしていたが、何を今さら見えすえた嘘を!である。 合法的な恐喝ならよい! というユダヤ商法を
日本の社会が認めるかどうかの試金石の問題である。それも仕方ないと諦めるかどうか?難しいところだ。
この村上逮捕で村上ファンドは完全に崩壊した。あっさりしたものである。恐らく有罪になって執行猶予はつくだろうが
手元の金は、損害を被った株主からの訴訟でほぼ失うかどうか? そこでシンガポールに資産を移動したとみてよい。  
したたかな男である。 ところで、村上の記者会見の白々しく、よくぞ言えたものだ。
裁判用につくり上げた嘘のストーリーの構成は私でも見抜ける代物である。
「たまたまライブドアの堀江と宮内の話を聞いていたのがインサイダーだった」と、お涙頂戴の嘘?を
並び立てている姿は哀れである! マスコミが、その嘘を一つずつ裸にするであろう。
時代の寵児に弔辞!を全員で楽しむ風潮が恐ろしい!が、アメリカ資本とその一派が背後で金を出して、
合法的な恐喝をしていたのは間違いない事実である。 こういう問題が次から次へと出てくるであろう。
大手??機関は、この数年にわたり多かれ少なかれ強引な?・・間違いなく数年以内に多くの大問題が噴出する!
法すれすれの、いや・・ことをしてきた事実が、山のように存在している。  間違いなく火がつく!
               (*^ワ^*)i バイ
・・・・・・・
2005年06月06日(月)
1525, わたしの酒中日記?4
  金沢編?2
       1972年2月某日
武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。 その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、
老舗風の飲み屋を探す。今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。
人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店だという。 隣の客が話しかけてくる。
「言葉が違うようだが、観光客か?」「いや、勤めの関係で、一年います」地元の人からすると微妙な立場のようだ。
とにかく、金沢の人は人なつこいのが特徴だ。それと金沢べんの言葉が心を優しくする。
言葉の最後に(?じ)をつける。「?だよね~」という意味である。 それと「?しまっし」という言葉もよい。 
「~しなさい」という意味である。そのアクセントが何ともよいのだ。特に女性がいうと「あ~金沢」になる。
それとおいしい店が多い。ここの土手焼きが美味い。それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。
おでん屋のおいしい店を彼方此方で食べたが、この店はまた格別である。立て込んできたので、その店を出る。
このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。安そうなスナックに入って、カウンターに座る。
まだ8時なので、お客は誰もいない。素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。
まだ金沢に来て2ヶ月で、1〜2年いたら、何処かに流れていくとか。若いうちに、彼方此方にいって転々としたいという。
こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、
「期待を持たせること」とか。 まさか「何の期待?」とも聞けないし。「それじゃ?、何か期待してよいか?」と聞くと、
「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、「今度ね!」と、空約束をして?店を出る。
バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。浅野川の橋を渡って、20分ぐらいはかかったが酔いを冷ますのに丁度よい。
まあ、一人で飲むのも悪くはないが、それにしても金沢には美人が多い。それと金沢の文化と風情がよい。
金沢には、3年間が目安だ。能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。 もっと一人旅をしなくては。
加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。
ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。 反面、部外者には優しいのだ。
この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。明日は同期入社の連中との飲み会だ!
ーー
また偶然の一致か、去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。

・・・・・・・・
2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」?2

いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、どう対処していったかが、彼らの家計簿から
大きなヒントを得ることができる。彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。
 「あとがき」の最後の文章が印象的である。
ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」
が死活を分ける。家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。
現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、
未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終えて、
自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー
転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって彼ら猪山家の人たちより「深いメッセージ」
を与えられたといってよい。「まっとうなことは、一日一日の努力の積み重ねしかない。」
いま問題になっているのは、個人的にも国家的にも、過去のまっとうでなかった(バブル狂奔)シワ寄せである。
それを一つずつ引っ張り上げて、将来の姿を想定して、まっとうな姿に変えていくしか方法はない。
 ー
「武士の家計簿」 磯田道史著  新潮社

・・・・・・・・
2003年06月06日(金)
793, 起業についてー2

 起業について実感のキーワードは「発狂」である。精神の爆発といってもよい。
よし!やろうと決めた瞬間から、もう全てはプロジェクトの完遂をイメージして突き進むだけである。
よほどの粘りと信念がないと突き抜けることはできない。当然の事だが、簡単には事業を興して軌道に乗せることは不可能。
可能にするのは「的」が間違ってない事と、周到な準備と、信念だけである。
 いまの事業を興した時は500?の成功確率という確信があった。
失敗は許されないし、初めの一歩の重要さを知っていたため、考えられるだけのことは考え抜いていた。
それと、それまでの成功体験の裏付けがあった。何事にもいえるが一番大事なことは、成功体験である。
それが実績ということだ。 それと育ってきた家庭環境が大事ではなかろうか。
10歳位までに,両親の立ち上げをみた経験がなければ、計画も準備も甘くなっていた。
また20歳で起業をするという決心をして準備していた事もある。
その瞬間から女性に対しては、気を許さなくなった?どちらを取るかといえば、迷いなく事業の立ち上げであった。
若い時の最大の難関はまずは女性である、創業以外の事を割り切ることであった。
つまらない男になっていた!それが陰になっていた?ようだ。
 事業を始めるとき、まずは自分の心の問うたことがある。「経営資源として金を含めた資産を全て『博打の札ー事業』
に変えるが、全てを失っても後悔しないと自分に誓えるか? そして事業を本当にしたいのか???したい!!」
一人の誓いである!今更だが、それだけ勇気と覚悟が必要だった。おそらく大小にかかわらず誰もが、その位の自問自答は
しているのだろう。いろいろな危機があったが、最後はいつもこの言葉を繰り返していた。
結局は事業経営は博打でしかない!当たり続ける事はない。最後は裸になる覚悟は出来ている?のが強みである。
 しかし、まだ憶えているが、事業の準備をしていたときのことである。
何か一人でTVを見ているとき、急に不安になり「屋上の手すりの上に立っている
ような末恐ろしい感覚」になったのを憶えている。確か借金を初めてしたときである。
この意識下に隠れた不安が意外と経営の原動力になっているのだろう。
立ち上げで判断を迫られるとき、夜半の2時35分が一番冷静な思考になっている。
しかしこの大津波ー大不況に対して、まだそこまで意識がいってないのは、どういうことだろう?!これからか?

・・・・・・・・
2002年06月06日(木)
429,両親の死

両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。 そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。
死ぬとは如何に大変な事を知った。今ひとつ、死の視点から生を見るということを。
世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。
結局,残るのは「子供と愛情」だけ。それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。
意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか? 死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、身震いした。
その瞬間?死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」と考えれば逆に解かる?
何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、両親が死と直面した時に「主体」と「イメージ」が
湧き出てくる事実を見たからだ。それは死の恐怖感からくるものである?特に「主体」が凄い。
人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。それに満足できるか、できないかだ。死ぬ事はそう簡単のことではない。
昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。 今夜通夜、明日葬式に出る予定!

・・・・・・・・・・
2001年06月06日(水)
[44] 何の為のホームページ

何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
 まずはこの疑問
 1・わざわざ写真を撮って入れたり、
 2.貧しい内面の公開をしたり
 3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり
 4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない
でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。
むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。
インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、情報空間に自分の基地を持つ事になる。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。
その事をホームページ持ったことで実感できた。もしホームページを持つまでもないと考えるなら、
‘お気に入り’の集積と、その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。
そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。それは自分のパソコン内でいいのだが。
公開してもかまわない場合ホームページがよい。  巨大情報空間にさ迷い出た子羊というところか。


2983,超円高社会ー 6

2009年06月05日(金)


 現在の年金問題の大きな問題は誰が起こしたのか、そして、その問題点とは何かを簡潔に書いてあった。 
 これによると、田中角栄である。 考える方も考える方だが。 彼の功と罪は、あまりに大きい。
 最後は消費税とは別に、「年金税」という直接税で賄うしかないのだろう。
 ーまずは、その部分を要約して書いてみたー
 
  * 孫代にツケを回す年金制度の犯人は角栄
【 自分が積み立て、増やしたお金を老後に受け取るという制度は、当初のように続いていたら、
これは公平な制度である。「制度を越えた支え合い」などという政府のマヤカシで洗脳される余地はなかった。
では何時、世代間で極端に不公平な賦課方式に替わったのだろうか。実は、あの詐欺師のような男、角栄である。
田中角栄時代に、日本はハイパーインフレに襲われた。当然年金は目減りをする。年金を引き上げれば喜ばれる。
しかし、下げれば嫌われる。そこで角栄は考えたのである。日本の制度は大福帳会計である。個人個人の会計の
口座の中味を把握できる仕組みになっていない。そこで、年金制度を賦課方式に切り替えれば、年金を掛け金を
値上げすることなく、当面の年金額だけを大幅に増やせるぞ、と。 この決定こそ、身勝手に国民の財産を
奪い取る、悪魔の決定であった。 それを解りやすく説明をすると、若いXさんの積み立てた財産を勝手に奪い取り、
老後期にあるYさんに勝手にばら撒くという案なのだ。自分の積み立てた金は現在の老人に支払われてしまい、
老後は、その時の若い人から支払えばよい、という考えである。負担を後世代に回すことで票を買うという
背信的な政策だったのである。 当時、角栄の熱狂的に支持した層が、現在、老後の世代になっており、
この歪んだ制度の最大の受益者になっている。 彼等こそ角栄超円高社会ー 5の共犯者なのである。
積み立て方式を賦課方式に替え、そして自ら払った金額より大幅に超える年金を受給し、今の若者に
尻拭いを押し付けたのである。角栄は「今太閤」と呼ばれ人気者になって、票を取り、私腹を肥やして、
あの世に逃げていったが、残された国民はいい面の皮である。こうして角栄の手で年金はネズミ講の
システムに切り替えられたのである。このネズミ講の破綻を避けるには、より多くの金を集め、被害者の
数を多く集めて、誰かが尻拭いをしなければならないのである。そのためには人口が増え続けなければならない。】
ーー
以上だが、私たちの年代は、その恩恵を受けるが、その後を考えると大変な負担になる。
これと同じようなことを、自民党が大量国債発行を続けてきた。
更に、この金融恐慌をキッカケに大量に積み増している。 もう手が付けられない手負い獅子。
この総選挙で抹殺されるか、生き延びるか? 自民党を選択してきた国民の民度が一番の問題。

・・・・・・・・・
2008年06月05日(木)
2619, 消費社会から格差社会へ ー3
                      ー読書日記ー
ー若い人は一人旅は流行らないー

 この本によると、10年ぐらい前までは、「深夜特急」とかいう本に啓発されて若者がパックを背負って
 世界を旅するのが流行っていた。 が、今では全くといってよいほど見られないという。
 いつの間にか時代は変化していたのである。
  まずは、その部分を抜粋してみる。
 ーー
以前、ある研究会で旅行関係の仕事をしたんです。聞くところによると最近の若い子が海外旅行に行かなくなったと。
まあお金もないし、頻繁に海外旅行しなくなったと。でもお金の問題だけじゃなくて、どうもコミュニケーションカが
非常に低くなっているんじゃないか、と。 七〇年代初期に 「団体旅行なんてカッコ悪いぜ、デイパック背負って
行く旅がいいじゃん」っていう、「地球の歩き直的なムーブメントがあったけれど、今は「若者だから一人で旅をしろ」
って言っても、もう行かないんです。早大の探検部は今や存亡の危機だそうです。
しかも部長は東京理科大の女子学生らしい。 なぜかというと親が止めちゃう。「今度こんな所に行くんだけど」って
息子が言うと、親が「危ないからよせ」って言う。 それで探検が成り立たなくなったそうです。
日本以外にもっとおもしろい世界があるぞ、なんていう期待も持ってない。
じゃあ、どうやったら海外旅行をしてもらえるか、という研究をして、一つ出た結論が「新・団体旅行」なんです。
一昔前の「農協パック」みたいな団体旅行でいいんじゃないかと。なにしろ郊外の「下流」の若者は「新しい農民」だから。
ただ、まったくの団体旅行ではだめだから「みんなと一緒に行く自分らしい旅」みたいなコンセプトがいいんじゃないかと。
つまり「島宇宙」を用意してあげるわけね。
  ーー
  若い人の大半が、金もない、覇気もない、夢もない、ということ。 時代の背景に直接反映している
  インターネットや衛星TVをみれば、世界の映像が直ぐに飛び込んでくる。
  しかし実際に行って感じるのとでは雲泥の差があるのが、わからないのである。
  さらに傾向として結婚からも逃避し出している、ともいう。
  若者はノイズに弱いというが、結婚ほど連れ合いや、子供のノイズは煩いものはない。
  中国は「一人っ子政策」のプラス面がある。 両親が、一人っ子に集中して教育をするからである。
  特に主流を占める貧困層こそ、その脱出手段として、将来を子供にかける。だから底辺の底上げになるのである。
  その若者が、そろそろ社会の中核に出てき始めた。 それに日本の若者が太刀打ち出来るわけがない。
  衰退の最も深刻な現象が、若者たちの無力感である。 ある意味、政治の怠慢の犠牲者である。
                              ーつづく
・・・・・・・・・
2007年06月05日(火)
2254, ビョーキな人々探訪記 ?3
                  o(゜∀゜)o オッハヨウ
*鬱病について
依存症とは違うが、これも大変な病である。作家の原田宗典と中村うさぎの対談も絶妙である。
原田宗典は数冊読んだことがあったが、彼が鬱病とは驚きだ!
笑いとか軽妙な文章を書く人だったのに、心の奥は解らないものである。
知人(数年前にガンで亡くなった)が、重い躁うつ病になってしまった。
医者よりも私の言葉が薬になったようで、欝への対処に絶対的な信頼を寄せていた。
亡くなるまで彼を20年近く支えていた。後半は自分で病院に行って、自分で入院するようになっていた。
あの原因は夫婦関係にあったのは周囲の一致するところだったが・・・ 私が精神病理に興味があり、
その系統の本を多く読んでいたこともあるが、青年期に何度か精神的危機を一人で乗り越えた経験があったためだ。
 (字数の関係でカット09年06月05日)
・・・・・・・・
2006年06月05日(月)
1889, 閑話小題
            おはよ?!(*^ワ^*)i              
ーインフレの足音ー
 家内の話では、
「スーパーの特価のトイレットペーパーが売り出し直後に売り切れる。
 主婦レベルの買いだめが始まっているようだ」とのこと。
 値上がりを見越して、主婦レベルでのささやかな生活防衛が始まったようだ。
 原油の値上がりからみて当然の現象である。インフレはまだ先のことと思っていたが、
 悪性インフレが徐々に姿を現してきた。2008年から2010年辺りに世界的な大変動があると見てよい。
ーサッカーのドサクサにー
 サッカーのワールドカップのドサクサを狙って政治的な大事件が起こる可能性がある。
 冷静に、それが何だか見てみ極める必要がある。その一つが村上の逮捕か?
 それとも、あの大銀行の手入れか。アメリカの株価の大暴落か。
 アメリカの大手??会社の倒産か。大きなテロも可能性がある。無ければ無いでよいが。
ー自殺が8年連続で3万人超ー
 3万人超の自殺が8年連続とは、異常の数字である。
 ホテルで自殺者が出ると当事者として、その詳細が警察から知らされる。
「おん宿 かわせみ」という時代小説があったが、自殺者だけに限らず、
(長期宿泊者などの事情を聞くと)色いろな人生を垣間見ることができる。
 例えば
・12平米のツウィン・ルームに男女二人が5?6年近く宿泊して(暮らして)いたとか。
・子供連れの女性が二年近くシングル・ルームに住んでいたとか。
・怪しげな若い男が、明らかに純情そうな素人娘のヒモとして、ピンサロで働かせていたとか。
・最近は見られなくなったが、流れのピンサロ嬢も時期になると宿泊するという。
 当ホテルは方針上、絶対に売春などの宿泊は厳禁をしているが、時代のせいか、
 デルヘル嬢を他のホテルは殆んど認めているという。 書けばつきない・・・・
 そういう危ない人が必ず数人は宿泊しているが、必ず警察がチャックをしていて本人の大筋が見えてくる。
 自殺で一番憐れだったのが、窓から飛び降り自殺をした人である。警察が調べたところ、
 最近に同居していた女性が亡くなって、その身元もわからない上に、本人の身元も解らないという。
 何か深い事情があったようだが、身元不明で処理するしかないとのこと。
 誰も好んで自殺するはずがない、死ぬなりの深い理由があるのだろう。
 考えてみれば、20代までは死にたいと何度思ったことか?
 最近は、死にたい!でなくて、もっともっと生きたい!と思うのは老化の現象か?
ー駐禁民間委託についてー
 これは大きな問題となるだろう。今までのように15分の猶予をすべきだった。
 これでは数ヶ月で民意の反対運動で潰されるだろう。 一番影響を受けるのはダウンタウンの商店街や、
 路面のラーメン店などは商売があがったりになる。これでは大反対の合唱になるのは当然で、役人の甘さが露呈する。
 一番嫌われる法的処置である。アメリカでは、通用している処置でも日本では通用しないことがある。
 まあ、結果がどうなるか?
                   。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ?
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2005年06月05日(日)
1524, わたしの酒中日記ー3
   金沢編ー1

ー1971年10月某日
会社の寮から50?のところに「トラちゃん」というホルモン焼屋がある。
まわりカウンターの中で、小太りのトラちゃんというに相応しい小母ちゃんがやっている店である。
この店には月に1~2度位、ブラリ入る。寮に近いわりには、会社関係の人はこない。
香林坊には、いくらでも面白そうな店があるので、こんなところでは飲まないし、彼女が大体いるためか、
一人で飲む奴などいない。 香林坊からバスで10分のところにあるが、何時ものようにモツの炒め物を注文して
一人飲んでいると、寮の2年先輩が嬉しそうな顔をして入ってきた。 「おお一人か!実をいうと、
今日は競馬で大穴を当てたんだ。一杯奢るから俺について来な!」断る理由など一切無し、タクシーで香林坊の
少し路地に入った店に乗りつけた。 看板には「平家 落人焼き」とある。店に入ってビックリした。
油で店の中が黒光りしてギトギトである。威勢のよい40歳がらみの親父と、女将が愛想良くむかえてくれた。
カウンターの中に大きな1m四方の鉄板に、魚や肉を野菜と一緒に焼いて出してくれる。
メニューは鉄板焼きだけのシンプルなメニューだけである。
ツマミは、手で千切ったキャベツが大きなバケツから手掴みで、皿に入れられて出される。
それを食塩を振りかけて前菜にする。平家の落人が、山に隠れて兜を逆さました中で、山菜や猪の肉などを
焼いて食べていたという由来から名づけたのだろう。ここの名物は何といっても「夫婦喧嘩」とタクシーの中で聞いていた。 
ストレスの溜まったオカアチャンが、いい加減なオトウチャンに切れる。見ていても迫力があるという。
そして何時もの通りに夫婦喧嘩が始まった。両親の赤裸々な夫婦喧嘩もなかったので、その夫婦の迫力に驚いてしまった。
しかし、一戦が終わった後は何事も無かったように穏やかになった。
オカアチャンが休みの日など、一人しょんぼりとしているという。その親爺が、今度は会社の先輩の絡み始めた。
「お客さんには悪いけど、今日は最高の日のように見えるが、実際は最悪の日なんだよ!
博打で当たった味が結局は深みにはまり込むんだ。その意味で今日は最悪の日だよ!気の毒になー!」
聞いていてイヤに納得のいく言葉であった。

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2004年06月05日(土)
1159, 「武士の家計簿」

いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。
激動の時代が、武士の家計簿でリアルに浮き彫りにされている。
現在我々が直面している金融破綻や地価の下落、利権と収賄等々の問題が、
150年前に金沢で全部経験ずみなのが面白い。
・仕事は経理ー加賀藩御算用者(おさんようもの)(経理係)、
・小遣い6千円
・幕末の武士は年収の二倍の借金に苦しんでいた。
 禄高(ろくだか)では江戸と金沢との二重生活をまかない切れなかった。
 わが子に英才教育を施し、早くから出仕して禄をもらうことを考える。
 他の部署と違って御算用者は経理等の能力がなければ採用されないので、猪山家も必死だ。
 そのかいあって、息子の成之も早く採用されて俸禄は親子で二倍の収入になる。
 幕末の加賀藩士の家計簿を見つけた慶大非常勤講師の磯田道史氏が、地道に書き上げた本である。
平成13年の夏、彼が現金を16万円を持って神田神保町の古本屋に駆け込み買い込んだのが始まりである。
これが猪山直之・成之親子が三十七年間にわたってつけた入払(いりばらい)帳(家計簿)である。
この史料から金沢城下の下級武士の詳細な暮らしぶりが分かるほか、明治維新後に海軍主計として活躍した
猪山一族の隆盛から加賀藩士が日本の近代化に大きな役割を果したことが解る。
漠然としか知られていなかった武家の生活を、家計簿から読み解いたものである。
 天保十三(一八四二)年、高金利に耐えられなくなった猪山家は家財を売り払い、借金を完済。
「もう二度と借金を背負わない」という決心から饅頭一個を買っても記録する”完ぺきな家計簿”をつけ始めた。
以来、明治十二(一八七九)年まで親子二代が克明な記録を続けた。
 家計簿からは、武家の婚礼、出産、葬儀などの儀式に伴う出費のほか、
習字やそろばんなど子どもの教育に多くの費用が必要だったことが分かる。
金沢の直之から江戸(東京)で暮らす成之への手紙も含まれており、「犀川の土手でドジョウを焼いて売る士族が出現」
「裕福な商人に武家の娘が嫁ぐ縁組が流行」など明治維新後の激変ぶりが記されている。
 維新後、成之が優秀な経理マンとしての手腕を発揮し、海軍省で出世していくことについて、
著者は「当時、金沢の理数教育は非常に水準が高く、それが明治の近代化に大きく貢献した」とみている。
 猪山家が加賀百万石のそろばん係(財政担当)をしていたことで、数字に細かく、なおかつ収入よりも
支出が多い借金で破産しかかっていたことが当時の生々しい生活や社会の実態を記録したことになる。
 興味深いのは、江戸時代の武士が結構離婚が多かったこと。
これは、妻の側の財産は独立していたことや,婚家よりも実家とのきずなが強いためのようだ。
この文書でも、夫が妻に借金を申し込み借用書を書いたり、という事情が記されている。
冠婚葬祭や病気見舞い、昇進祝いなど、親戚や同僚との義理を欠けない
付き合いが、出世とともに増えていった。そして 交際費がかさんでいった。
武家社会特有の通過儀礼や年中行事もあった。ある年、猪山家が費用を支出した儀礼と行事は合計二十二回を数た。
真っ先に何を削ったかといえば、当主の小遣いだ。また家財を売り払い、借金返済や利息に充てたりしていた場面もある。
主人の使いに出ては、あちこちから祝儀をもらった家来の懐の方が温かだったのではと著者は推測している。
猪山家は加賀藩では下級武士で、その上御算用者という身分は他の武士身分からは一つ下にみられた。
しかし数字に強いという猪山家の能力が認められる時代が来た。明治維新である。以後、猪山成之は海軍に勤め出世する。
著者は、この家計簿から当時の社会を分析しているが、この切口が新鮮である。
「事実は小説より奇なり」ではないが、人間の生活や社会は、いつの世もたいして変わらない部分を垣間見た思いである。

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2003年06月05日(木)
792,起業とは?1

 現在アントレブルナー(起業家)という言葉がキーワードになっている。
国家が支援金まで援助して新しい事業を興すことを勧めている。
ベンチャーだけでなく、企業に属している人やすべての社会人にこのマインドが求められるようになった。
しかしアイデアや着想を練り上げて、プロジェクトを立ち上げ、業績をあげて、拡大し、
次世代にひき継ぐのは至難の業である。うまくいっても大体が25?30年で、その生命を終了する。
営業ー不動産などで「千三つ」といわれることがある。千に三つしか成功しないからだ。
これは2分の1の確立で10回当たった数字である。起業で成功する確率も同じ事がいえる。無から有を生み出すのだから、
想像を絶する苦痛を伴なう。コンサルタントの林さんも産能大学での講座では、本当は「起業論」をやりたかったといっていた。
 考えてみたら、小さいながらも27歳から事業の立ち上げを数回経験してきた。
決心をしてから半独立ー27歳、そして完全独立ー34歳、と階段を上るように一歩づつ独立をしていった。
私の知人友人に起業をした人が数人いるが、見ていても壮絶である。想定が甘かったり、少しいうまくいくと
拡大ではなく膨張をしてしまう。自己能力の限界の設定が甘くなってしまうのだ。 他人事ではないが。
 私も何回か立ち上げをしてみて大変であったが、両親の創業を見ていたので、その苦労の数分の一でしかない
ことをわきまえていた。時代の変化の中で、それまでとは違った業態を新たに創りあげるのだから簡単なはずがないが、
しかし手順は一緒である。今までの常識を否定して、仕掛けとして違う切り口で組立てをするのだから、
覚悟とエネルギーが要るのは当然である。

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2002年06月05日(水)
428, おしっこをしながら、水を飲む

「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が垂直に排出された感じになる。
 宇宙が身体に流れ込む感じ」という本を読んで、昨日3回も実行してみた。
・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は、
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな?」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事をしてみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。
ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた!
という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。 何事も経験です!! 貴方も経験してみたら??!
 
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2001年06月05日(火)
[43] オークションサイトについて

今日インテリア山下の社長が来社して、下取りのダンツーの絨毯を1円でネットオークションに出してみた’
と言われたので早速オークションに1000円で入札をしてみた。
またネット上の新しい世界を垣間見た思いだ(e?ビジネスの新しい可能性の一部を)。
これこそ新しい社会の1つの可能性を現している。
ホームページにしろインターネットで毎日が新しい発見の連続である。
確かにネットバブルの部分があることは否定できないが、といってネット社会の方向は事実である。
是非このサイト見てみる事を薦めます。前の頑張ってます!はパソコン教室の練習です。
記念の為残してきます。        http://auction.excite.co.jp/

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