堀井On-Line



2942,閑話小題

2009年04月25日(土)


 * 県内景気 最悪の雨
財務省の新潟財務事務所が今年の1〜3月期の県内経済情勢について
「一段と悪化しており、厳しい状況」と総括判断した、報じていた。
7段階で景況感を示す天気マークも2003年来マーク導入後に初めて最悪の雨に引き下げた。
全国的にも「悪化し、厳しさを増している」と判断し、去年の10〜12月の「全国的に悪化している」
より、一段引き下げた。全国を11地区に分けた10地区までが前の四半期より一段引き下げ、景気の悪化を示している。
 ここで何度も何度も書いていることだが、飲食、宿泊、タクシーは、一番敏感に反映する商売である。
日ごとジワジワと真綿で首を締め付けられるような感がしている。数日前に、ダイエー跡の大型専門店「ラブラ」の
地下にあるジャスコのスーパーに行ってみた。火曜日が特売の日で、主婦で賑わっていたが、何処を見ても100円前後の
特売ばかりが目立っていた。それも小手先でなく、本気で価格を引き下げているのが肌で感じ取ることが出来た。
デフレとは、こういうものかと、ただ驚いたが、
そういう駅前近辺のホテルも、ネットを通して乱売が始っている。2千円代半ばまで値段が下がっている。
そのネットからの顧客が25パーセントにまでなってきているのだから、堪ったものではない。
 〜〜
* 柏崎刈羽原発が、5月連休明けに再開だと?
実際に刈羽原発の下に地震帯があり、許可もデーターを誤魔化してとった事実がありながら、
最高裁が国の許可の取り消しの上告棄却で「住民敗訴が確定」と地元紙のトップに掲載されていた。
こうなると、エログロの世界と言ってよいが、地元からの大反対の声が聞こえてこないのも不思議である。
市民の過半数が反対の意志を表明すれば、絶対に再開される訳がないのに、そういう意志がないのである。
市長選挙も、反対派が立っての論戦と思いきや、両者とも基本的に賛成ときているから、救いようがない。
たまたま、あれだけの大地震でも原発大事故が起こらなかっただけで、あわや、チェルノブイユの何倍かの
大事故になるはずだった。 現在でも僅か二年もしないうちに9回も火災が発生しているのに、
どうして再開といえるのだろうか。 世界最大の原発都市として市民そのものが目先の原発からの恩恵がないと、
成り立たなくなってしまったこともある。

・・・・・・・・・
2578, 連鎖する大暴落 −1

2008年04月25日(金)
『 連鎖する大暴落 』 副島隆彦著  読書日記

   この本は「ドル覇権崩壊」の続編といっていいが、決して劣ってない内容である。
   恐らく、この二冊で著者の論が見直されるだろう。ジュンク堂に行ったら彼の本が十数冊あった。
   どれも悲観・際物的な内容だが、「ドル覇権の崩壊」が具体的になった現在になれば、
   どれも納得するしかない。   欧州はイギリスのロスチャイルドが19世紀を支配し、
   20世紀になってアメリカのロックフェラーが石油を背景に世界を支配。
   そして21世紀に入って、その支配が崩壊しようとしている。
    そのきっかけが、サブプライム問題であると・・・

 ーそのポイントを要約するとー
 
  サブプライムの損失の額、500兆円! 
  日本のバブル崩壊後、90兆円を費やした日本と比較して、ケタ違い。
  米国の住宅バブルに始まり、サブプライムローンなど信用力の低い債権を証券化した金融商品が生まれ、
  実需のないマネーゲームに奔走、そして住宅バブルの崩壊、サブプライム証券の大暴落、
  次々に明るみに出る金融機関の損失、そして今後の行方はどうなるかである。
  これから次々と大手金融機関やヘッジファンドの破綻、倒産が訪れ、ドル円は60円まで大暴落し、
  日本が3万9千円から8千円まで五分の一まで落ちたことを考えれば、
  NYダウが3000ドルまで転げ落ちてもおかしくない。
  サブプライムをキッカケとして動乱に入ったのである。
  〜〜
 この本の裏表紙と、まえがき、の一部を書き写してみる。
 目次は、字数の関係上、明日になるが、前著、同様にこれだけでポイントの
 8割近くのポイントが含まれている。
 〜〜
 「連鎖する大暴落」 静かに恐慌化する世界
             副島隆彦/著

  (字数の関係でカット09年4月25日)
                  つづく
・・・・・・・・・・
2007年04月25日(水)
2213, 白い雲に乗って ー3
          (・_・) ノ オハヨウ!
   
お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。
就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、午前の3〜4時に一度目が覚める。
そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。
起床前の2時間が半睡状態の時間になる。その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。
夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。
以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。
夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の世界の描写である(いや白朝夢か)。
白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。
脳の奥行きの深さに驚いてしまう。

ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。50〜60年前の赤ちゃんから幼児の記億の世界は、魂の世界。
殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、ず〜と刺激の強い世界の思い出である。
白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた夢のような日々であった。
ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。
初めての大きなショックが、柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。
それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。
それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に残っている。よほどショックだったのだろう。

ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100�先の繁華街の四つ角の大手通の四つ角に
三月後に戻ってきた。百日風邪になり、「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」
と父は口ぐせのように言っていた。私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、
もう一人2歳で亡くなった兄がいた。 父が42歳、母が38歳の時の子供である。
そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。 16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、
その下にすぐ上の兄がいて、最後に私という構成であった。(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)
終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人に、一倍働かなくてはならない条件があった。
産まれてから10年間の長岡の繁華街の真ん中の生活は刺激の強い環境にあった。
東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。
リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。そこでは、「福ちゃん」という
喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、衣料品店に転業をした。

そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、
近くの公会堂の前に引きずっていき、仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。
 個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?その記憶が一つ一つ記憶として残っている。
人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの大手通のビルの立ち上げから、店の開店、
そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。
                  ヾ(@⌒▽⌒@)ノ バイ
         
ーーーー
2007/02/18  
2147, 白い雲に乗って ー2
         b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪

    先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。
    前回の夢が契機になって当時のイメージがドンドン出てくる。
    如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。
    その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での
    微妙な世界に立っているようだ。    
    ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、
母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。
そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。
面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。
家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。
やはり最近できた大きなビルのところの子だ。 何か遊んでいると楽しい!

その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、
お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。

    クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに
    二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。
    ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
    それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
    ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
    こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
     あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
    雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった
               (o ・д・)ツ  バイ!
・・・・・・・・・
2007/02/10  
2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出
  
夜半に幻想的な夢をみた。小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれた。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある
  当時の私にとって大きなビルの中。一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか
歌謡曲が聞こえていた。 店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、
正に当時の真っ只中にいた。コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。
そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 その空間には何時も緊張感がただよっていた。

燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。いやに首の下の赤い色が印象的だ。
そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。小さな三輪車で駅の方に行くと右手に
小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。
そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。
周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。
何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。
夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。ぼくは間違いなく、ここにいる!

ズットここにいるのだ。何で、ぼくはズ~ットここにいるのだろうか?
  忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか?
    
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。
両親が忙しそうに働いている。その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。
その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。
外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が次々と通っている。
三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。
しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。
札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。
何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。
あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。

ここは間違いなく大手通の世界である。どうして、ぼくはここにいるのだろう!
それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか?     
というところで、目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。

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ー字数の関係で内容をカットしました。
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2006年04月25日(火)
1848, ローマから日本が見えるー5
        は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
                ー 読書日記
少し息抜きで、ークレオパトラは美人だったのか?ー
・・・・・・・・・
2005年04月25日(月)
1483, 桜咲くーつれづれに −2
・・・・・・・・・
2004年04月25日(日)
1118, 寝るほど楽はなかりけり
・・・・・・・
2003年04月25日(金)
751, 不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。
  ああまた出たという感覚である。その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。
写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
  天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が偶然に一致したのだが。
  死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。
 涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

以前書いたものをコピーしておきます。
  ーーー
H0407霊的体験
 
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒に
なったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。
その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたがその時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがり
トイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
ーーー
H0511妙な夢―(�)  

ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ
  一周してもどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
  下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
  かなりうなされていたと思うが? 何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢では
なかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。
(一部字数の関係でカット2,008年04月25日)
・・・・・・・・・
2002年04月25日(木)
387, 習慣ー極限

人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。
それを習慣化してしまえば良いという。頭を掻き毟る。顔をこするーマッサージする。
ため息を吐く。 喚くー叫び声をあげる。身辺の整理をする。これを普段から習慣ですればいいと。 
  そのとおりである。 遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。
毎日は無理かもしれないが、毎年の年末に書くこともそれに似ている。
末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。
それなら普段から、暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。
積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。消極はそれを避けて生きることである。
「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」というテリー伊藤の本があった。
いろいろの人がふざけて書いているが、全部いつでもその気になったら出来る事であった。
人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。


2941,ナチが愛した二重スパイ

2009年04月24日(金)


 「ナチが愛した二重スパイ」  ベン マッキンタイアー著

 新幹線通勤の往き帰りの車中で一ヶ月かけて読んだが、これが何とも面白い。
  第二次大戦末期、ロンドン暗黒街のチャップマンは、ナチのスパイとなる。
 しかし「二重スパイ」として、ベルリンに偽情報を送っていた実録もの。
 ロンドンの当時の札付きの泥棒、ジゴロの生々しい犯罪と、監獄暮らしなどが詳細に書かれている。
 現在の犯罪者も似たようなものだろうから、我われ小市民とは全く異質の存在である。
 肯定的にみれば「何もしないで一生終わるより、よほど思いのまま生きることも必要では?
 とさえ思わせるほどである。 札付きの犯罪者がその経験を生かして二重スパイになって
 国家のために大きな働きをすることになるから、皮肉といえば皮肉である。
  pー234に著者は、二重スパイのチャップマンを次のように分析している。
 【 二重スパイのチャップマンの話は、地味なスパイの話とは違う。スパイ小説なら、あり得ないこととして
 拒否される内容である。主人公は悪党であるが、悪党としては決して敗残者ではない。彼の犯罪歴は、
 軍隊脱走から猥褻行為へ、女から脅迫へ、強盗から金庫爆破へと段階的に進んだ。
 あとになると彼の報酬は多くなり、最初はつまらぬことに手を染めたのを恥じているのは疑いない。
 この男の本質は己惚れで、自ら評価するところでは大物で、暗黒街のプリンスのような存在である。
 良心の咎めとは無縁で、どんなことでもやりかねない。社会とはなんの契約もせず、金はひとつの手段である。
 怖いもの知らずで、間違いなくドイツ人に対する根深い憎しみを抱いている。
 ひとことで言えば、冒険はチャップマンにとって必要不可欠なものである。
 いったん冒険に乗り出すと、信じられないようなことを達成する勇気を持っている。
 今日は、彼はドイツのパラシュート・スパイであるが、明日、活動的な二重スパイとして
 危険極まりない任務を引き受けるであろう。それに賭けるのは自分の命である。
 冒険が無ければ、彼は犯行者になるであろう。危険は大きいが、成功する見込みがある限り、
 危険は犯されねばならないと思う。チャックマンにとって確かなことは、たった一つしかない。
 冒険が大きいほど、成功する確率も大きくなる。】
  犯罪者の生態、そしてスパイ機関の実態、そして世界大戦の中の生活ぶりなどが、
 リアルに目に浮かんでくるのは、事実を克明に書いてあるからである。
 また、その世界にドップリと漬かることで、現在の世界、日本、そして自分の人生の立ち位置が
 浮かび上がってくる。(チベット旅行記もそうだったが・・・)  世界は底知れぬ経験で満ちている。
 
・・・・・・・・・
2577, フロー体験 ?2
2008年04月24日(木)
 オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
   まずは、要点を書き写してみる。
 〜〜
我々が幸福であるかどうかは、世界の大きな力に加えることのできる統制によるのではなく内側の調和による。
肉体的生存が外部環境に依存している以上、外部環境を支配する方法を学び続けることは確かに必要である。 
しかし、外部環境を支配するとは、すでに経験して解るように、我々が個人としていかに喜びを感じるか、
または世界めカオスをどのように減少させるかに関しては、それほど役に立たない。
カオスを減少させるためには、意識そのものを支配すること学ばなければならない。
 ーフロー体験の構成要素が存在すると、
 次の8つを挙げている。
1. 明確な目的(予想と法則が認識できる)
2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3. 自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7. 状況や活動を自分で制御している感覚。
8. 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
フロー体験は外面的報酬とは隔離され、ひとつの活動に深く没入し、その経験それ自体が楽しいので、
純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすことができる状態をいう。
したがってフロー体験は、悲しい、辛い、煩わしい、妬ましい、腹が立つ、焦るといったネガティブな
感情とは隔絶した、うれしい、楽しい、歓喜に満ちた十全感、充足感、楽観、自己効力感をもたらしてくれる。
 ーー
最近、ipodを常に携帯して機会があるごとに聴いているが、
それはマシン+音楽でフロー状態を作っていることになる。特にアルファー波が出るのがよい。
マリファナを吸ったときに出る脳波と同じ状態になる音楽だけを集めたシリーズもある。
スナックや居酒屋のバックグランドミュージックとして流しておけば、再び来たくなる効果が出るだろう。 
成功者は、フロー体験を人一倍持っている。 だから、人を引きつける。 
失敗者は、その逆の波が身についている。だから人は近づかなくなる。逆境のときは、あまり人と接しないことだ。
この毎日書いている随想日記もフロー体験の構成要素をみると、当てはまる。居間のコタツの上で書いているが、
目がパソコンに向かった瞬間、他の情報はホボ遮断する。フローの状態そのものであ
               (。´_`)ノ ほなぁ。
・・・・・・・・・・
2007年04月24日(火)
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?
                      (。・8・。)ノ おはよう!
 *一昨日の朝方の夢*
10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。
晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。
不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、
「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、また、
一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」と諭すように答えた。
そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。
さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」のようだ。
そこで目が覚めた。 普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議な感覚であった。
‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、
‘宇宙的自己としての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’
ようであった。現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。
「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。
誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。夢も考えてみたら不思議である。
犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。
以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。
そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白いものである。
モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。
夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。それも身近な母や父などの夢は、特に!
ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。家系としての筋道? 胡散臭いが!        
                           ホンジャ  (~▽~*)/
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2006年04月24日(月)
1847, 安楽死について?2
         (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?

昨日の随想日記の過去分(2002年4月23日)に、安楽死について書いてあった。(あとでコピー)
数日前の毎日新聞のー記者の目 ーで安楽死について取り上げていたが、鋭い論評であった。
私は積極的安楽死論であるが、この記者も安楽論のようだ。
両親や親戚の叔母などの死際を身近に見ていて実感したことは、
激痛を伴う終末の延命は無意味であり、カタチを変えた拷問の容認である。
 ーまずは、毎日新聞からー
「射水市民病院の呼吸器外し問題」=根本毅(大阪科学環境部)
◇「医師が命の線引き」、嫌だ  ー延命治療、議論を尽くせ
 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で末期患者7人が人工呼吸器を外され死亡した。
病院側や多くの医療関係者の意見は「越えてはならない一線を越えた」と、6件の関与を認めた外科部長(50)
自宅待機中=に厳しかった。しかし、病院周辺では「家族との信頼関係の中で外した」とする外科部長に同情する声が強い。
どちらが正しいのか、現地で取材しながら悩んだが、偶然あたった主治医の死生観で
自分の死に方が決まるとしたら、納得できない。外科部長の取った行動は誤りだったと思う。
医療技術が進み、意識の戻る見込みがない重体に陥っても、人工呼吸器や栄養・水分補給の点滴などで延命が可能になった。
今回、呼吸器を外された7人は末期患者で、うち5人はがんを病んでいた。
 問題は昨年10月、別の患者の呼吸器が外されようとしているのを、看護師長が院長に報告し発覚。
院長は外科部長と話し合い、県警に届けた。病院側は日本医師会が04年にまとめた
「医師の職業倫理指針」に基づき、延命治療の中止に必要な要件の
(1)回復の見込みがないという複数の医師の確認
(2)本人の意思表示??がなく、問題だとしている。
病院の別の医師は「外科部長は呼吸器のスイッチを切る時に手が震えなかったのだろうか。
命の重さを考えたら、私にはできない」と話す。
別の病院の外科医は「消極的安楽死という言い方もあるが、スイッチを切るのは積極的行為。
やはり一線を越えている」とする。大阪府内の脳神経外科医は「20年前までは医師の都合で平気でやっていた。
 (字数の関係でカット09年4月24日) 
                   ヾ(^ω^*) バイ
・・・・・・
2005年04月24日(日)
1482, ラジウム岩盤浴ー2

スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。新潟市内にも、先日郊外に開店をした。
数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、一時的ブームも可能性も充分考えられる。 
三〜四年が目安であろう?料金は一回600円?1500円。 天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。最近は男性も利用者が増えつつあるという。
取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、
開店直前に失火で全焼してしまった。現在、違う場所で開店準備に入っているという。
失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。
その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、枕の下に入れている。
特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、身体に保温効果が出ている。
風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と消えていた。
また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。
また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が一段と美味しくなる。
最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。
パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、その疲れが減っている。
ーあるHPのこぴーです。
 ルルドの泉って何?
フランスのスペイン国境近く、ピレネー山脈の麓にルルドという村があります。
1858年2月11日、この村に生まれたベルナデッタ・スビルーという13歳になる娘が、
たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前にマリア様が姿を現しました。
それから7月16日まで18回にわたってマリア様は彼女の前に姿を現しました。
2月25日の9回目に、マリア様がお告げになられた場所から湧き出た泉が、
後に数多くの病人を奇跡的に治したと言われる”ルルドの泉”です。
1879年4月16日、35歳という若さで昇天された聖ベルナデッタは、現在ヌヴェ?ルの
聖ギルダード修道院の聖堂に安置されています。昇天されてから120年以上経った現在も、
そのお姿は腐敗しておらず、”もうひとつの奇跡”がここにあります。
この村にある泉の水を飲んだり、身体に接触させると、近代医学では不治の病と考えられている病気や
身体の不調・障害が急速に回復していくという実例があります。ローマ法王庁からは奇跡と認定されています。
後の研究の結果、泉の中には、実は驚くほどの多量のゲルマニウムが含まれていることがわかりました。
現在この奇跡の泉には年間300万人を超える病人が世界中から訪れています。
また東洋でも評判の良い漢方植物にゲルマニウムの含有が知られています。
ルルドの泉の奇跡が全てゲルマニウムで説明がつくわけではありませんが、現在医学界ではゲルマニウム(
元素番号32)は予防医学の切り札として、大変な脚光を浴びています。

・・・・・・・
2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6
 ー罪悪感のレッスン

・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまったという意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。
多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって形成されるものだ。
それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは他者の親愛の情を得るために
自己を売るべく育てられてきた。自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に
専念するのがいい子であると教えられてきた。真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。
われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を知らないままに育ったのだ。 
適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。
・罪悪感は時間とも密接に結びついている。罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。
罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。
それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。
罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来創造ができる。
人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。
そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。
ーー
笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。ーあぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。
それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。
良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。 自分も両親ー良心ーの片割れだ。

・・・・・・・
2003年04月24日(木)
750, ある人生

 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。
2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋の蕎麦屋に勤めにいった。といっても出前持ちである。
一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。
大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。
 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと聞いて驚いた。
涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、
彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。
 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、あの大人しい彼が開店から閉鎖まで
自分一人でやったという。彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。
そして自分のやってきたことに自信を持っていた。 この自信こそ人生で一番大事なことだ。
 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。
20数年かけて一心に働き、店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。
隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、
彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で!
 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,どんな成功者より凄い。
少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。
人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。
 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。この経済の暴風の中やる気をもらった。

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2002年04月24日(水)
386, 宗教的タカリ

オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。
宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。
仏を盾に集っているのだ。 彼等の法事等の話など聞けたものでない。
こちらの知識の数段下レベルである。 プロの素人化の典型といってよい。
戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。
彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。
幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、
白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。
特に結婚詐欺に似ている。  夢を売って金を騙す、お布施と称して。


2940,レーシック専門眼科医院 ー2

2009年04月23日(木)


視力の矯正方法には、メガネ、コンタクトレンズ、の他に、
レザー手術、有水晶体眼内レンズ、オルソケラトロジーがある。
・レザー手術は、レザーで角膜の形を変えてしまうもの
・有水晶体眼内レンズは、角膜と水晶体の間に、コンタクト・レンズを入れて矯正する方法。
・オルソケラトロジーは、寝ている間にハードコンタクトを入れ角膜にクセをつけてしまう方法である。
 レザーや、有水晶眼内レンズを入れたりすると、ドライアイになりやすい欠点もあるという。
今回の短い先生との会話を再現してみよう。
・私の質問、  レザーや、有水晶体眼内レンズの失敗確率は?
  先生の答え、 数千分の一
・質問、 失敗したり、上手くいかなかった時は、どうなるんですか?
  答え  出血をしたり、レンズがずれたり、黴菌が入って炎症が起きたりするケースがあります。
・質問  もしも初期の白内障を取ってもらって、レザーで矯正をしたときの中期的なマイナスは何ですか。
  答え  早ければ早いほど、次の段階、緑内障に移行する時期が早まることになります。
・質問  私の今の段階での手術は、先生は勧めますか?
  答え  私は元々、手術は最後の手段で、本来はすべきでないというのが持論です。
     今回の場合は、手術は勧めません! 何を選ぶかは本人次第です。
・質問  もし、手術をしたときに、眼の度数が進んだり、白内障が再度出るのですか。
  答え  もちろん、度数は同じく進み、白内障も出てきます。更に緑内障になる可能性も早くなります。
・質問  近視の進行を止める薬が開発されたと聞きましたが、実際に、どうなんですか?
  答え  あれは、過大評価で、殆ど効きません。出しても良いですが、効かないものを出すこともないでしょう。
  〜〜
 以上であったが、それにしても良心的な先生であった。
身近な二人の経験者が同じような忠告をしてくれていたが、「緑内障への移行が早くなる」と、
「貴方の体質は極力、手術をしない方がよい」が、今回の断念の決め手である。

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2576, ドル覇権の崩壊 ー6
2008年04月23日(水)
                \(⌒∇⌒)/おはよ?!!!
 *アメリカの住宅バブルとは?
P-55
アメリカの住宅バブルを分かりやすく話すと、例えば「10年前に50万ドル(約6000万円)で買った家が、
今は100万ドル(約1億2千万)になっている。これがアメリカのミドルクラスー中産階級の家である。
中産階級というのはそれほど貧乏ではない。日本語の中流という意味ではなくて、もう少し豊かな、
専門職業をもっている小金持ち層のことである。このミドルクラスが自分の家を最初、一軒目を住宅ローンで
買っていたのだが、家の時価(市場価格)が100万ドルになってしまっているので、残っているローンの残高の
3000万円を除いた残り9000万円分を更に目一杯までお金を借りられる。
また銀行も担保力があるかぎりは、家の価値、価格がある限りは、いくらでもお金を貸すのがアメリヵの流儀である。
すなわち一般庶民層までぎりぎりまでお金を借りて、二軒目の投資用の家、あるいはアパート(コンドミニアムと言う)
を買って利殖する。 あるいはその余剰資金を株式市場や債券市場での運用に回す。
もともと返済能力があまりない人たちまでが、この含み資産であるところの不動産資産を担保にして、
ぎりぎりまでお金を借りている。 そして、これが逆回転(リワインド)するのがいちばん怖いのである。
このことをグリーンスパンFRB前議長が警告を鳴らしていた。
ーー
これを読んでいると、まさしく日本のバブル期に土地投資に走った会社と、目端のきいたサラリーマン達が
してきたことと同じではないか。 現在、その人達は大損をして消えてしまった。
それと同じことがアメリカで現在進行中で、まだ殆どのバブルの感覚から抜け出ることが出来てないという。
当時の株価から5分の一まで下がったのだから、アメリカの株価が3000ドルまで下がるのは別に極論ではない。
日本の損失が100兆円、そしてアメリカの損失は500兆円という。
日本経済の壊滅的な崩壊からみて、このサプライム問題が如何に大問題を含んでいるかわかる。
アメリカが世界の主軸の通貨ということを考えると、大恐慌は必至なのか。
とくに、3年から5年は日々、深刻度合いが増していくだろう。
日本は関東から東海に渡る今まで好景気に沸いていた地域が一挙に冷え込むかどうかは、
中国のバブルの破裂の度合いによる。
 
・・・・・・・・・・
2007年04月23日(月)
2211, 帰ってきたソクラテス ?2
      (^o^) (^0^)オハヨウ!
                  ー読書日記ー
 韓国人学生による米銃乱射事件、精神的に問題があったとしても、
 その原因は長年の人種差別の鬱積が本人を追い詰めたことにある。
 金持ちに対する恨み辛みというメッセージがあったというが、
 人種差別と朝鮮人の直情的な国民性も重なり暴発したのだろう。
 差別は人間の、いや動物の本能であり、これだけは、どうしようもないこと!
 と割り切るしかないのか。 目くそは、鼻くそを差別するものである。
 ーーー
 P・221
ソクラテス:救済と差別とは、どういう関係にあるのかな。
 僕はそこを君たちに聞いてみたい。だって、信者になるということは、
 自分は神に選ばれた、皆とは違う人間だってコトなんだろう。
 その選ばれた信者が、神の前に皆平等と説くなんて、やっぱり変じゃないか。
釈迦: 私は衆生を捨てておけなかったのです。ソクラテス:たとえ騙してでも?
釈迦:よしてくださいよ。ソクラテス:だけど、あなたも知っているとおり衆生はワカラナズヤだぜ。
 これは差別ではなく、事実を言っているだけだが、 自分ってものはなかなか捨てられないものだぜ。
  ・・・
ソクラテス: 宗教的なものとは、そも、一人っきりの心と、神なり仏なりとの間か、
 すごく孤独な何かだなんてこと、君たちには言うまでもないよね。
 なのに、なぜそのとき、他人の救済やら互いの平等やらが問題になることができるのかと、僕は思うんだ。
 それぞれの人間が、それぞれの仕方で、神や仏と付き合ってはなぜいけないんだろうね。
イエス: だって、それじゃ宗教にならないんじゃないですか。
ソクラテス:だから宗教は詐欺だって僕はいうんだよ。
 教団や運動になった宗教なんて、大ウソもいいところさ。
 まして、言葉の数は限られているんだ。不特定多数の人間に一方的に語る仕方じゃ、
 一つの同じ言葉がそれぞれの心にどんなふうに受けとめられるかを確認できない、
 回収できない。集団をまとめる力には十分になるだろう。
 しかしそのための神や仏なら、話は逆になるってね。
イエス:やれやれ、さしずめ私は、詐欺集団のボスってとこかーー。
 いや実のところ私の弟子たちも、どうももうひとつ分かりがよくなくってね。
 なにしろこの私を拝むなかれ!、と私が説いた当の偶像を仕立てあげてしまった。
 全く相手をみて説かなくては!
ソクラテス:それが大原則だよ。それが「縁」だよ。
 僕には何が理解できないって、死んじまったあとに救われるヤツ、救われないヤツという
 あの考え方だ。だってそうだろう、この世の自分こそ、この世の当に原因なのに、
 その自分をわざわざあの世に連れて行ってまで、何で救われることがあるんだろう。
 あんなヤツは地獄に落ちるぞって腹立ちまぎれにせよ、死後こそ天国で楽にしてやろうって目論むにせよ、
 死後の差別で今の自分を救おうって考え方は、どうしても無理があるよ。
 死んだ後には天国も地獄もありはしない。しかし無もまた考えられないって
 ハッキリ教えて、深く困惑させてやる方がよほど救いになろうってもんさ。
 譬えで語るのも考えものだよ。
釈迦:いえ、あながちそうとも言えないものでございますよ。いかなわからん人間であれ、
 その生涯を生きてゆくにつれて、次第次第にわかるようになるものであることは、
 あなたも認めになりましょう。はっきりとわかる、ありありとわかる、涅槃に覚醒する
 そのときまで、私たちの魂の成長は、来世、来来世まで続くものと言えましょう。
 そして、たとえばあなた、そしてこの私、幾世かを経て、もはやこの世の自分に執着しない、
 そのことによって以後煩悩の六道輪廻に落ちることなく、救いは今のこの場で成就している
 のでございます。・・・・
    ーー
解)「宗教的なものとは、そもそも一人っきりの心が、神なり仏なりとかの間に生じる
  非常に孤独の中に生じる神聖な心のはたらき」である。
  毎朝、起きて直ぐに仏壇の前に座り、数分間、一人お参りをしている。
  その時つくづく思うことは、坊様とは何ぞや!ということである。
  自分が魂を込めて参っていれば、形式としての坊様のお経など必要がない。
  日蓮宗とか、何じゃらかんじゃらは、何だ?というのだろうか?、と。
  家制度が崩壊し始めた現在、やはり仏壇と、盆暮れの墓参りは必要なことかもしれない。
  しかし、・・江戸幕府が体制維持のため、坊主をつかい百姓などを管理させた名残りが檀家制度である。
  それを最大限利用したのが・・まあ、止めておこう!何時お世話になるかもしれないから!?
                            (θ_θ)ノバイ?
 ・・・・・・・・
 2006年04月23日(日)
1846, いくらかかるの? 結婚のお値段
            (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆

昨日の朝日新聞の『マネー外来』というコーナーで、
「いくらかかるの?結婚のお値段」を特集していた。二人の息子も、27と30歳になる。
いつ結婚しても不思議でない歳になってきたので知りたい内容であった。
 ーまずは、その記事からー =満足感を重視して382万円=
 ごく身内だけですませる地味婚から、セレブを気取った盛大なゴージャス婚まで結婚式の形態はさまざまですが、
気になるのが結婚費用です。 どのくらいかかるのか、最近の相場を調べてみました。

    Q 最近の結婚式の形態はさまざまだけれど、
      平均的な費用はどのくらいなの?
 A 結婚情報誌「ゼクシィ」が昨年、読者4547人に実施した調査では、
   結納・婚約から新婚旅行までの総費用の平均は382万円。
   このうち挙式、披露宴・披露パーティーが293万円。
   首都圏では02年の254万円を底に3年連続のアップで05年は291万円。
   前年より11万3000円も上昇している=グラフ左。
    Q 結構、お金をかけているんだね。
 A 結婚は普通、人生で1度きり。節約して後悔するより満足感を重視する人が多い。
   オリジナルな演出や料理にこだわるカップルが増えているのも価格上昇の一因だ。
    Q 400万円近い費用を工面するのは大変だね。
 A 2人の貯金総額の平均は470万円(首都圏)だから、
  結婚準備はしっかりしているようだ。でも、夫の3割、妻の2割は貯金ゼロ。
  親からの援助=グラフ右上=が役立っている。
    Q どんな式が人気なの?
 A 上位三つは
 (1)アットホームなムード(65%)
 (2)自分らしさを表現できること(57%) 
 (3)列席者を退屈させないこと(54%)。「お金をかけないこと」は16.7%で8位だ。
 
最近は、少人数でも本当に招待したい人だけを招き、新郎新婦も招待客と一緒に会話を楽しみ、
くつろいだ雰囲気の中で感謝の気持ちを表すカジュアル婚が人気。
実際、首都圏でみると、95年の招待客81.3人が、05年は67.3人と14人減っている。
    Q それでも費用が膨らんでいるのは、招待客1人にかける費用が高くなっているのかな?
 A そうなんだ。1人当たりの挙式・披露宴・披露パーティーの費用(首都圏)は、
  98年の3万8000円から05年は4万5000円と7000円アップ=グラフ右下。
  地域別で最も高いのは東海で、4万5000円だ。

親・親族からの援助は
0円         ー25%
0〜100万未満    ー16%
100〜200万未満    ー26%
200~300万未満    〜17%
300~400万未満    〜9%
400~500万未満    〜3%
500万以上      〜3%
 婚約から新婚旅行までの総額は380万
 結婚式のみだと 290万(首都圏)
 祝儀の総額は  217万(首都圏)
 パーティーの費用は、全国平均4万(首都圏4・5万)
(森本美紀)
http://www.be.asahi.com/20060422/W15/20060412TBEH0015A.html
・・・
以上だが、知人の数人から聞いたら、
・結婚の総額は400万が相場
・援助は新郎側が100万、嫁側が50万
・祝儀収入は半額の200万
・結納は、それぞれの考え方があるという。
・披露宴は50~人。
ーホテルには結納セットがあるというー 
 地元で事業をしていて、人間関係が絡まっている場合は規模は大きくなるという。
 その分、祝儀も入るからバランスはとれるとか。私が出席した中で、気持ちの入った結婚式が幾つかある。
 本人達の結婚式への思い入れが、そのままでる。小さな披露宴ほど良いのは、どういうことか。
 盛大のものは、当たり外れが大きい!出席するほうは、人の幸せの席に参加できるだけでも嬉しいもの。
 ただ私は結婚式に出席するのは大好きだ!
私ケースは、本人達が計画をしたのに従うつもり。
50人以内で、カジュアルな、二人の気持ちの入った地味婚が息子二人には似合ってる。
まあ、結婚をしてくれるだけ有難いと思わなくては!
                     (v^ー°)バイ! 
・・・・・・・
2005年04月23日(土)
1481, ラジウム岩盤浴

最近、話題になっているのが岩盤浴である。岩盤浴とは、温められた天然石の上に寝ることで
多量の汗を促進して、新陳代謝を高め老廃物を排出する”お湯を使わない温石療法”である。
天然石はブラックシリカ・ラジウム石・セラミックなど と種類があるが、どれも遠赤外線とマイナスイオンを
発する石だ。岩盤浴で有名なものとしては秋田の玉川温泉の地熱を利用した天然岩盤浴がある。
最近は北海道でサウナ感覚のものが急増して、それが全国に飛び火をしているようだ。
北海道のものは、ブラックシリカであり、国内では 北海道の檜山郡上の国町でしかとれないためか
道内からブームがおきた。サウナ式岩盤浴では、
・受付でパジャマのような服をもらい着替える。
・岩盤浴の部屋は大体が10名程度が一度に寝転べる程度の広さ。
・室温は38度、湿度80%位。
・うつ伏せで10分、仰向けで10分、その後いったん退室して、
 マイナスイオンの入った水を飲んで1、0分間水分補給。 これを1?3回繰り返しす。
岩盤浴はマイナスイオンをたっぷり吸ってクラッシック音楽などをバックグランドにして、
深い眠りにつくのがよいようだ。ベタベタしない、匂わないサラサラの汗がタップリでる。
特に顔と首周りが汗が出るという。 この汗がダイエットにも効果的をもたらす。
ダイエットや、美肌効果や、体質改善など、週1回のペースで 一ヶ月くらい続けると効果が出てくるという。
                     ーつづく
・・・・・・・・
2004年04月23日(金)
1116, 「内面なんて、見せかけだけのもの」

何気なく図書館で立ち読みをしていたら、この言葉が飛び込んできた。
早速借りてきて読んだが、一理あるようなないような。 しかし面白い内容である。
 ー抜粋をしてみるが、際どい内容だが、まあいいだろうー
老詐欺師が私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。
よくぞまあ、こんなことまでという内容であった。 その話も終盤にさしかかったとき、
私は彼に、「・・女性の、どんなところがあなたはいいと思いますか?」
と訊いてみた。しばしうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱり、美しさだね」と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」
「内面とかはどうでもよいこと?」「・・・きみはね、まだ若いね。いいかい、
 内面の美しさなんてものは、見せかけにしか過ぎないんだよ」
「内面なんて見せかけだもの」という言葉は、ズット私の言葉に残った。
それから十数年の間に、わたしもかなり、さまざまの女性とつきあった。
もちろん仕事上だが。 例外なく心の美しい人たちであった。
彼女たちは心が純粋で、内面が美しくて、それのみを自分の価値観として生きてきて
ビジネス的な話は何ひとつ理解できなくって、それどころか、私の方にも
内面の美しさを要求し、つまり金などという汚いことを云々するなと,強要してほどほど困った。
           (以下、字数の関係でカット2,008年4月23日)  
・・・・・・・
2003年04月23日(水)
749, リオのカーニバル

 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。
 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応である。
 プロの演出者を雇い、その年のテーマにそってカーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
今年もなかなかの出来であった。数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。

ー以前書いた文章をコピーしておきますー
 H0703 ブラジル旅行記
(字数の関係でカット09年04月23日)
・・・・・・・・
2002年04月23日(火)
385, 安楽死

定期的に安楽死が問題になる。
今回の内容は、記事を見る限り詳細は解らないが、私が知る限りのことを書いてみよう。
ただ誰が見ているかわからないので、ある程度は抽象的にしておく。
・安楽死は実際日常的に行われている公然の秘密である? 何処までを安楽死というかもあるが。
・末期癌で、集中治療室で最後の苦しみの段階で、身内の了解のもと
 筋弛緩剤をうつなどは当然のことと思っていたが。実際は医者の手で?酸素呼吸器を外すことも。
・苦痛をとめるモルヒネは、死をいっきょに加速するのは公然の秘密だ。しかしそれより本人を楽にする方法はない。
・脳死など、それをもって死と判断し移植につかう時の最後の「方法」は何だろうか。
・身内のなかで、悪意の第三者?がリークして自分に有利にする事が多い。TVドラマでもあった。
 ところで私がその事態になった時は、「モルヒネはどんどんうってくれ、さっさと積極的安楽死をしてくれ」
 と常々言っている。「苦しんで死んでいった」という話を聞くと、周囲にそういう経験者がいなく
 「モルヒネは死ぬから、うたないで」と望む為、最後の最後までノタウチマワッテ、死んでいくケースが多い。
 こういう事について、あまりにも議論ないし、理想論が勝ちすぎだ。
 駄目なものは早く死なせてやるべきだ。生まれる前に戻るだけなのだから。
 どっちも管を巻かれノタウチマワル事は一緒か。 出来たら死ぬ時はそれを回避してほしいものだ。
  ただそっくりなモデルはいる。


2939,マネー資本主義“暴走

2009年04月22日(水)

4月19日(日)の 午後9時00分から 総合テレビで
「マネー資本主義 第1回“暴走”はなぜ止められなかったのか
                ーアメリカ投資銀行の興亡?」が面白い。
 *まずはーNHKのHPの番組紹介からー
【 金融危機はなぜ起きたのか。巨大マネーはどのように膨張していったのか。
 マネー資本主義の主役として批判の的となっているのが、リーマンショックを起こした当事者でもある「投資銀行」。
 かつて企業への財務アドバイザー部門が中心だった投資銀行は、1970年以降の規制緩和と金融資本の膨張を背景に
 債券市場という新たな場で、次々と新手の金融商品や取引手法を編み出し、金融の枠組みそのものを変えていった。
 ソロモンブラザーズをはじめ、伝説的な企業が攻防を繰り返しながら、アメリカ経済、ひいては世界経済を
 牽引する回路を作り上げていく。 「超レバレッジ」「莫大な成功報酬」「リスク管理の限界」など、
 サブプライム・ローンにつながる巨大なリスクを、投資銀行が激しい競争を繰り広げる中で自ら抱え込んでいったのである。
 投資銀行を変質させ、最後には破たんにまで追い詰めたターニングポイントはどこにあったのか。
 いま、その当事者たちが沈黙を破り、真相を語り始めた。数々のヘッジファンドの産みの親となり、
 歴代アメリカ財務長官を輩出、バブル経済のけん引力となって最後は業界ごと消滅する「投資銀行」の劇的攻防を描いていく】
  ――
 非常にシニカルな内容であった。
 一番のターニング・ポイントは、ソロモン・ブラザーズが債券市場で、次々と新手の金融商品を編み出し、
 利益を生み出した時に、若いトレーダー数人がトップと利益に見合った収入確保を要求。「もし通らなければ
 他社のスカウトで移動する」と談判したことから始る。当初は拒否をしようとしたが、ノウハウごと他社に持って
 いかれることを恐れ歩合制度を認めた。このことで他社も、こぞって同じ制度を取り入れた。
 それが「超レバレッジ」など、バブル経済を大きく膨張させる起爆となったのである。
 デモ隊が、そのトップたちが高級車から出てくるところを待ちかまえ、罵倒する映像は何ともいえない
 アメリカの現在の姿を現していた。次から次へと、アメリカのマネー投資の暴走の実態が暴かれているが、
 記事が映像として写しだされるのも生々しくリアルである。ところで日本の証券会社は手を染めてなかったのか?
 答えは簡単、染めてないわけない! 銀行は?毒餃子、冷蔵庫の奥に隠されてないの? ???
 
 ・・・・・・・
2575, フロー体験 ー1
2008年04月22日(火)

先日「好き」という言葉を取り上げた。好きな状態、好きなことをしていると、
 時間を忘れ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。最適経験をしている状態を
 チクセントミハイは「フロー」と呼んだ。好きなことをしていれば創造的になる。
 だから一流の人は「好き」になるまで、対象に集中する。その為には、成功体験の味を知らなければならない。
 当たり前のことといえば当たり前のことだが。一流の人の持っている雰囲気は、フローが滲み出ている空気をいう。
 ーー
 面白そうなところを、まずは抜粋してみる。
 「フロー体験 ー喜びの現象学」 ミハイ.チクセントミハイ著

「なぜ幸福になるのはこんなに難しいのか?」 「人生の意味は?」人はみなこの大問題に思いを巡らす。
あえて答えを示す者は多くはないし、それだけの素養のある者はさらに少ない。
著者のミハイ.チクセントミハイは、最初の問いに答えることに全力で挑んだ結果、
それが第二の問いと切り離して考えることはできないことを見出した。
この二つの問いをつなぐものこそ、「フロー」理論の本質である。
一般的な次元での、第一の問いに対するチクセントミハイの答えは、
「幸福になるのが難しいのは、宇宙は人間の幸福のためだけにあるわけではないからだ」
これに対する防御手段としで、宗教や神話がつくられはしたものの、
私たちは厳しい現実を残酷にもくり返し身をもっで知らされる。
宇宙は、秩序とカオス(エントロピー)という観点から考えるのがいちばんよい、と論じる。
「幸福を得るためには、意識に秩序をもち込む=心をコントロールする」ことが不可欠。
しかし、このコントロールはどうすれば可能になるのだろう?
チクセントミハイの研究は、幸福の本質を検討することからでなく
「人間はどんなときがいちばん幸福かと問うことから始まった。
 楽しさや達成感を感じるのは何をしているときか?」の問いから出発している。
これを見つけるために、一週間の中で無作為の時間を被験者のポケットベルを嶋らす、という調査も行われた。
そのとき何をしていたか、その行動によってどんな気持ちになっていたかを厳密に書き留めてもらうのである。
その結果、最高に幸福な瞬間は、予測のつかない外的な出来事によって偶然に起こるのではなく、
特定行動を行っているときに、起こりやすいことがわかった。
その特定の行動は本人にとってきわめて価値があるもので、それを行うと不安や雑念は消えうせる。
その状態を「最適経験」あるいは単純に「フロー」と呼ぶ。
フロー状態の人は、何かより大きく創造的に発展させていると感じる。
・運動選手はこれを「ゾーンに達する」 
・神秘主義者は「法悦」 
・芸術家は「恍惚」という。 時間が止まっているように感じることである。
 ーー
「特定行動」 =これがミソである。自分のライフワークを見つけ、それに没頭すればよいのである。
それを早く見つけ、やり続けることなら誰もしていることだが。 いや、してないか??

・・・・・・・・・・
2007年04月22日(日)
2210, 帰ってきたソクラテス ?1
        (*^_^*)I おはよう!

あのソクラテスを甦し、政治家、学者、評論家、老人福祉係、元左翼、人権擁護団体、
イエスに釈迦まで登場。プラトンの『ソクラテスの弁明』の問答形式で、彼らと対話をしながら、
尊厳死から性教育まで身近な難問に大哲人が挑み、知の広場へと誘っている。
哲学とは自分の頭で考えることだが、それを具体的に示してくれた内容である。
池田晶子の本は、もう10数冊以上は読んでいるが、読めば読むほど面白い。
初めは面白くない本を買ってしまったと後悔をしたが、じっくり読むほどに間違いだと気がついた。
面白い順にランダムに取り上げてみる。
まずは、イエスと釈迦とソクラテスの対話が面白い。三人の対話の架空の対話の中から、
一神教と仏教と哲学の考えの違いを面白く浮き立たせているところが良い。
     ーーー
=死後にも差別があるなら救いだ=
 ー登場人物ーソクラテス、イエス、釈迦ー
 ーP・215ー
ソクラテス:「彼と我々」って気持ちの持ち方が、
 この世の差別の始まりであって、けしからんことなのだそうだから。
イエス: 全然違う話だぜ。
ソクラテス: 付き合いのよさこそが、君らの身上ってもんだろう。ここは一つ、
 有難い御法話と御説教といこうじゃないか。
釈迦:付き合いということなら、あなたは我々の比じゃないでしょう。
 あなたは実によく付き合う。ものぐさなんて、何をおっしゃる。
 教祖というものは決して付き合わないものなのです。付き合わないからこそ教祖は教祖になるのでございます。
 差別はすなわちシャベツとは、本来仏教の言葉なのです。たまたま厳しい身分社会の制度が人人を苦しめていた
 世の中に、万物平等、一切衆生悉有仏性を私が説いた。たまたま王子であった私が、その位を捨ててそうした。
 それで、私は画期的に偉いということになっているのでございますよ。
イエス:メクラを治し、いざりを癒し、売春婦を赦したから私はえらいことになっている。馬鹿やろうだな!
釈迦:私が申しましたのは、そういうたまたまの現われでしかないこの世の
 肉体や身分やらの差別相に拘泥する心のあり方こそが、ない差別をあることにしてしまっているのだ
 ということでしたのに。こんな当たり前のことに気づかない無知蒙昧なる衆生たちは、
 差別相を実相と信じ込んでは、性懲りもなくすったもんだを繰り返し、初めからないものを、
 ますますすることにしてしまっている。ああ色即是空、かくも簡単な真理が何故わからないのでしょう。
イエス:いや君ね、いちばん困るものがそれだってこと。
釈迦: あるものをない、ないものをあると言うから易しいが、
 ないものをないという、そしてそれをわからせる、これが実に難しい。
ソクラテス: うふふ。
イエス: 何がうふふですか。ほんとうにズルイんだから。確かに、執拗な問答という君の戦略こそ、
 先手必勝だったのかもしれない。十字架か毒人参かは対した違いじゃない。いずれにしても世間というものは、
 わからないものが怖いものだよ。 しかし、君、言い出したものの仕方がない。もはや断言あるのみだ。
 然り、然り、否、否、であるべきだ。私が言った「神の御心を行う者は、誰も私の兄弟である。」
釈迦:それ言ったのが悪かったようですな。
イエス: おや、それなら君だってかなりなものだぜ。
 「一切衆生悉有仏性」、言わずもがなだ。しかしね、それを聞いた弟子たちが、
 すかさず付け足すんだ、「一部除く」と。お陰で後世、あれは何を指すんだ、
 女人か、はたまた賎民とかの詮索が絶えないじゃないか。知ってるかい、部落の中でも女が
 差別されているとか、 女の中でも部落を差別するのがおるとか、互いにせめぎあっているとか。
釈迦: あ?あ、やだやだ。
ソクラテス: しかし、その点なら、君だって一言多かったんじゃないの。
 「ただし、この言葉を受ける力のある者のみ受けよ」だろ。
 受けられるのは俺だけだ、異教徒他宗派にはわかるまいって、連ちゅうやってるぜ。
 「汝の敵を愛せよ」って言われりゃさ、ない敵もあることになっちゃうことだしね。
イエス: 言わなきゃよかったよ。
  ーーー
 解)まだまだ、面白会話が続くので、次回に回すとして、三人の会話を通して宗教の好い加減さを鋭く突いている。
  道理からすれば、神は大自然の計らいを抽象化した呼び名でしかない。
  知識を持ってしまった人間が、その知識ゆえに苦しまなければならなくなった、
  その対処として発明した?の呼び名が神である。それぞれの解釈があろうが、毒とも薬にもなる神?
  という発明なるものに、人類は多くのエネルギーを注いできた。
  そして多くが救われ、反対に多くの犠牲を払ってきた。どうしようもない人間の業を、
  どこかで統制しなければならないのだから、必要善、かつ必要悪、としての共通の価値観、規範が必要なのである。
  確かに差別という大問題が、我われ一人一人の前に突きつけられる。聖書はマタイの創作のオトギ話である。
  しかし、そのオトギ話が真実の道理なら、奇跡などが事実かどうかは問題にしなくてよいだろう。
  38歳で亡くなったといわれる、キリストが果たして何処まで人の苦しみを分かっていたかは疑問であるが、
  救い主は疑問の対象にしないものである。人間たる所以は「言葉」と「道具」を持っているためだ。
  そして「言葉」がつくり上げた最たる精神の「道具」が神なら、それも人間の遺伝子として、
  認めることも必要かもしれない。「神よ!罪ある子羊を救いたまえ」と。
                         (~▽~*)/ グッバイ!
ーーーーーーーー
2006年04月22日(土)
1845, あちら側の世界 ?10
             おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
ー狭い世界,6次の隔たり「ウェブ進化論」の中に「6次の隔たり」について書いてあった。
 「地球上の任意の二人を選んだとき、その二人は、6人以内の人間関係に結ばれている」
 というもの。 早速、グーグルの検索で調べてみた。
ー以下は、その中の一つのコピーであるー
6人の知人の連鎖を介せば世界中のどんな人にもたどり着けるという理論。もとは,
心理学者 Stanley Milgram 博士が唱えた,"米国民全員は、6人程度の知人の連鎖を介して
つながっているという"説。 これから,ネットワーク効果という科学分野が生まれた。
イェール大学の故 Stanley Milgram 博士(社会学者)が1967年に行なった実験から生まれた。
博士は全米から無作為に選んだ300人に対し,彼らが直接知らない受取人に重要な手紙を送るよう指示。
送り主に人々には,受取人のおおまかな居場所や職業といった手がかりが与えられ,
彼らはそをもとに,目当ての受取人に「より近い」かもしれないと思われる誰かに
手紙を転送するよう指示され,最終的な受取人に手紙が届くまで,これが繰り返された。
この結果を Milgram 博士はサイコロジー・トゥデイ誌に発表,
(以下字数の関係でカット2008・40・22)

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2005年04月22日(金)
1480, 桜咲くーつれづれに

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開であり、もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。近くに福島江という桜の名所があり、
この時期の楽しみになっている。車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか桜が好きでない。「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。10年に一度位は大当たりになる。悠久山などで早朝に見ると、
思わず息を呑むような神秘的な光景を目にすることが何度かあった。一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できない濃艶な妖精が無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。 庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。本格的な散歩が、この時期から始まる。

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2004年04月22日(木)
1115, 中年期の「八つの危機」

思春期妄想症、青年期神経症をやっと乗り越えて、中年期から老年期になると一番恐ろしい
中年期の危機が大きく口を開いて待っている。中年から老年に向かっている身にとって一つ間違えれば、
とんでもない危機に陥ってしまう年齢になってきた。アルフォンス・デーケンは、この中年期の危機を
「八つの危機」にまとめている。バランスを崩せば、何時でもこの鬱の世界に転げ落ちてしまう。
この「危機」に対して、上手に対応することが必要になってくる。
以下は、アルフォンス・デーケンの本に書いてあった内容である。
いくつかは誰もが心の奥で感じたことであろう。どういうわけか私の場合、ほとんどない?? 
常にコントロールしてきた為だろうが。今まではそうであったが、今後は解らないのが人生というものだ。
このすべてを背負って、万年鬱になり自殺未遂を繰り返している人がいるが、ある日突然、
こころの芯棒が折れてしまって、この幾つかの穴にはまり込まないとは限らないことばかりである。
ーその一部をまとめて抜粋をしてみるー
「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」「仕事がサッパリ面白くない」
「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」「何の為に生きているかわからない」
「ちょっとしたことでも、くよくよ考え込んでしまう」「若い頃のように、やる気が出てこない」
「上司や同期の葬式に出ることが多くなったな・・・」「コメディ映画をみても、素直に笑えないよ」
よく聞くぼやきであるし、身に覚えのあることである。以上のことは中年期に忍び寄ってくる特有な
「八つの危機」の典型的な現れである。それぞれを説明してみると--以下は字数の関係上カットしました。
 後は、HPの同日分を開いて見てください。(2008年04・22)

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2003年04月22日(火)
748, 思い込み

 中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、自分が実はA型ということが解った。
その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ!
部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆?大好き!
男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」
そのA型が自分自身だと!!「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。
 逆に考えてみると、条件を設定をして、その中でパーツをたてればいろいろな自分を創れるということだ!
暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。
実の親と思っていたが、実は違っていたという感じである。面白いものでBの対極のA型といわれてみると、
自分は本来はA型タイプに思えてくるから面白く、かつ単純なものである。
それからはA型類型の性格の自己暗示にいつの間にかかかっている?
 金沢の会社にいたころ、誰かの手術で緊急に寮生のA型が集められた。
全く自分とは正反対な性格の連中であった。その時やはり血液型は性格
形成の基礎になっているのだと実感したのに、あれは何だったのだ?
 人間なんてものは全て言葉による刷り込みを、言葉によって剥がしていく
動物でしかないのだろう。そこに不条理が発生してくるのだ。
イスラム教とキリスト教の対立も、その思い込み?が起因している!宗教ー経典は刷り込みの典型である。
地方にいれば地方の、都会にいれば都会の思い込みがそれにあたる。
思い込んでるのが愚か者、それを冷笑しているのがバカ、というのが何かに書いてあった。

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2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性?2

以前も「我が内なる無能性?後まわし」という題で書いたが、その続編。そういう人が反面教師として多くいる。
といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。それでも書き出してみる。
・自己責任がない ーーー人のせいにする。全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。
 その点で狡猾そのものだ、その芸術家だ。誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。
 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。その壁を自分の周りに作り上げ、
 その中から出れない状態。 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。
考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。
それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。
 


2938, イエスマン

2009年04月21日(火)

 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。
 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを
自分に課したことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」
と言われ、半年間、“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。
スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。
「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。
楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。パスしていたら始まらない」
と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
人生は毎日がYESかNOかの選択の連続。面倒なことや厄介なことはできれば回避したいし、
まったく興味のないことや絶対に無理なことにはNOと言うのが賢明な選択ーなのかもしれないけれど。
でも、もし、それらのすべてにYESと答えたとしたら?  
その結果、全てが好転し始めたとき、思わぬどんでん返しが待っていた・・
全てに“YES”と言ったらどうなるのか、を実際に試してみたBBCラジオのディレクターの体験実話が原作の
『イエスマン “YES”は人生のパスワード』。全米では08年12月に封切られ、初登場1位の大ヒットを記録した。
 ーー
 これを読んだだけでも、是非とも観たくなったが。数ヶ月もすればDVDが発売されるので楽しみにしている。
オバマが選挙キャンペーンに使った言葉、「イエス、ウィ、キャン」に通じるところがある。
「ノウマン」の本当に多いのに驚かされる。「ノウ、ウィ、キャンノット」である。
誰に頼まれて、ノウばかりいっているのだろうかと?  ○○が強度のノウマン。
必ず、秘境旅行の行き先を決定する時は「絶対に、そんなところは行かない!絶対に」から始る。
仕方がないので、一人で行くと手続きをとる瞬間に、しぶしぶ「仕方がないので行く」とのたまう。
何時ものことだが、不安が人生の枠をはめてしまう。強固に反対した旅先ほど、よい結果が待っている。

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2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?
2008年04月21日(月)

山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、
頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。 ?『山椒魚』本文より?
岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い込んだ蛙を
閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。
学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった
現実(生活レベルの環境)ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から
出れなくなった悲哀である。人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。
身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。家業に縛られた長男、長女の立場も
岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、悲しいといえば悲しい!
しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が
大きくなって出れなくなって云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。
といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、
同じことかもしれないが。 その後人生を重ねて自分を振り返ると、自分も同じである。
これを読んで、ピンとこないのは鈍い?山椒魚の場合、岩屋に餌が紛れ込んでくるが、最近は岩屋には餌が
激減しているようだが。それでも最近は、インターネットという代物が出てきたため、岩屋でもけっこう面白か!
 
・・・・・・・・・
2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 ?4
   U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
「反時代的毒虫」ー河野多恵子、奥本大三郎との対談ー『人の悲しみと言葉の命』から

P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
 P-156
車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、
   ふた通りありましたね。 前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。
   そういう人たちの顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、絶望感というか、そういうものを
   はっきり意識していた。」
車谷:「(無気力組のほう)つまり金がないということの行き着く先は、浮浪者というかホームレスという
   形になっていくと思いますね。比喩的な意味では、この世での居場所を失うということです。
   じゃあ気力がある人はどうなるかと言ったら、ドストエフスキーの『罪と罰』みたいに人を殺すんです。
   ラスコーリニコフみたいに人を殺すとか強盗に入るとか」
奥本:「気力はあるが、判断力がないんじゃない。」
車谷:「判断力のある人は、だいたい水商売に行くんです。なぜ水商売に行くかといったら、
   この日本社会では保証人になってくれる人がない限り、水商売以外では、暮らしていけないからです
   私も多分にもれずに、水商売を、9年もやった。水商売の場合は、タコ部屋というのが用意されていますから。
   そこでともかくねどまりをする。 だからそれは判断力のある人。
(09年04月21日 字数制限のためにカット)

ーーー
解)お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での「金に関する扱い」もシビアで面白い。
 金と女(男)は、人間の煩悩の元である。車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。」
 という言葉が深く染みる。私自身も父親の影響を受けたため、金に関してシビアの方だ。
 父は「人間の金に対する建前と本音」の乖離を冷たくみていた。特にひ弱な教養人と自認している人間の、
 腰の弱さ、底の浅さ、うそと安っぽさを見抜ききっていた。問題は、それを直視するかどうかである。
 世の中は、やはり8割は金で解決できるのだろうか?まあ「猫に小判」という言葉もある!   
 馬鹿に金を持たせても、ただ見ているだけのヤツ多いね、ホント!
   m(_ _)m       使い切るヤツよりいいか? どっち?

・・・・・・・・
2006年04月21日(金)
1844, ローマから日本が見える?4
                       ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
 第二章 かくしてローマは誕生した。
  
以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
 ーー
ー建国伝承ー
 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、イタリア半島に住みついた。
この都市をアルバ・ロンガという。時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。
シルウィアは双子を産み落とすが、怒った叔父の王は双子を川に流した。
双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。
成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。
兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。
しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。
ー王政ローマの制度ー
 初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、
王の「助言機関」とした。人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて
移民してきた者や、戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで
味方に取り込み勢力基盤とした。これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に
囲まれた小さな「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」
であり、人口が増えないことには、自衛のための兵力すら維持できないからであった。
さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として王の選出を含む国家最高議決機関である
民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は共和政期に共和政の歴史を古くに
求めるために作られた伝説とする説もある。ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、
この民会の選挙で選出(この場合信任)され、改めて選挙で選ばれた王となった。
王の任期は終身。しかし原則として世襲制はとらない。王の最大の責務はローマの防衛であり、
そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤めるローマ軍全軍の指揮を担当した。
(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)  (。・・)_且~~ お茶どうぞ
 ーー
以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
ローマの王は市民全員が参加する市民集会での投票で決められる。
王は終身制であったが、他国と違って王の子孫や血縁者が自動的に王になるのではない。
あくまでもローマ市民の同意がなければいけないということにした。
さらに、市民集会は王の政策に承認を与えるという権能も持っていた。
このように王の権利はかなり制限されたものになっていた。その王の政策の助言として元老院が創設された。
現代の民主政体では国家権力を司法、行政、立法の三権にわけ、それらがお互いにチェックしあうことで、
権力の暴走を防ごうとしている。ローマの制度は現代式の民主制度ではないにしても国家権力の三分割という点で似ている。
形式上は王政であっても、その王は市民集会によって選出されるので、ローマ市民の意識は「王の国」ではなくて
「我らが国」であった。だからこそ、彼らは戦争の連続にも耐えられたし,戦意も衰えなかった。
現在の日本より政治体制と大して変わりはないでないか?いや、皇族ー王政が選挙という面でローマのほうが?
人間性という面で、千年経っても変わっていない?             ー つづく
                    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
 ・・・・・・・・
 2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』?1

クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、
音楽の基礎などが書いてある本である。ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。
「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。
むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。
ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、音楽の世界に急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、
先ず知りたいのが歴史と分野の体系であるから、この本はタイミング的にみてもベストであった。
これまでに、知識としてクラシック、ポピュラー、世界の民族音楽の三分類と、
・クラシックではバロック、古典派
・ポピュラーではブルース、ジャズ、フォーク、ロック
・世界の民族・地域音楽として、アルゼンチンタンゴ、スペインのフラメンコ、ロシア民謡、イタリア民謡、
・・・位のものであった。それが、この本では解りやすく、時系列と分類を鳥瞰できるように纏めてあった。
=以下は検索で調べた概要である。
 ー知的生きかた文庫  三枝成彰監修
 この一冊で‘音楽通`になれる!
・バロック、古典派、ロマン派・・・どんな音楽?代表的な作曲家は?
・「ソナタ形式」「交響曲」の定義は?
・バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・これだけは知っておきたい!
・どんなオペラが有名で、何から観ればいい?
・ジャズは、いつどこでどうして生まれた?
・「スウィング、ビバップ、ハード・バップ」ってどんなもの?
・ブルースが生んだ重要な音階「ブルーノート」って何?
・プレスリーブームからフォーク・ロック、ハード・ロック、パンク、そして90年代グランジ・ロックまで
・歌舞伎に欠かせない音楽の知識とは?
ー目次
1 クラシック音楽(中世・ルネサンスの音楽 バロックの音楽 古典派の音楽 ほか)
2 ポピュラー音楽(ジャズ ロック 世界のポピュラー音楽 日本のポピュラー音楽)
3 世界の民族音楽 (ラテン・アメリカの音楽 アジアの音楽  アフリカの音楽)
4 知っておきたい日本の伝統音楽(邦楽の世界)
 ーー
次回から具体的に、それぞれの音楽の言葉の意味(ジャズとは?クラシックとは?とか)をまとめてみる。
                        つづく
・・・・・・・・
2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
 ー力のレッスンー

・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから生まれるのではない。
 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。
 どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。
 一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。
 世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。
 真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。
 いま与えられているものに対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、
 自己が自己であることへの感謝、生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。
 自己の唯一無二性への感謝。?たとえいまから100万年経ったとしても
 自分とまったく同じ人間は現れない。 自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
 感謝の種は尽きない。 「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
ー感想
 力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。しかし考えてみれば、内奥の力は
 今あるものに対する感謝・気づきから出発することを考えれば至極当然のことである。
「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。
 毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。

・・・・・・・・
2003年04月21日(月)
747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
 
ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に
大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が
テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。もう50年も前のことだ。
 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。

・・・・・・・・・
2002年04月21日(日)
383,チンパンジー

TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。
人間そのものである。 まずはその社会、ボス争いが面白い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。
特にボス争いが熾烈である。また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。
鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。
蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。 嫁いびりや集団リンチなどもある。
京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。
その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。
今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。


2937,レーシック専門眼科医院

2009年04月20日(月)


姉三人が私と同じく強度の近視。 その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」という。
知人の何人かが経験者、聞いてみると「白内障の手術時にレンズを入れたが、出来たらやらない方がよい」
と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、去年の半ばに、春先になったら決断しようかと決めていた。
そして春は過ぎようとしているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、
何と自宅から数分のところの所在地に「長岡眼科医院」が、あった。
三年前ぐらいに出来た(眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな医院があったが、
まさか、そこが気にしていたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。
本気にならないと見えてこないものである。
そして、木曜日に予約を入れて、昨日の日曜日の8時半にいってきた。
入ってビックリ、ホテルのようなロビーに次から次へと客が来て、流れ作業のように検査、
診察、瞳孔検査、診察、と流れていく。再診は、そのまま診察だが、初診が多いのに驚く。
結局は検査もあったことで、一時間半もかかってしまった。

そして私の結果といえば「できたらレーシック手術などしない方が良い。ブッチャケタ話し、貴方の場合は、
まだ、その時ではない。少し白内障になっているが、手術するほどではない。白内障の手術に、近い将来になる。
矯正手術は、その時のほうがよい。眼鏡が嫌でたまらないなら、話しは別。幾つかのコースがあるが、
それは貴方の判断です」という結論。 姉が三人、知人が三人が手術をし、その一人は秋葉原の三井記念病院の
眼科の一人者、赤星先生から手術を受けた等を話したのも、〈ブッチャケタ話し〉を引き出したのだろう。 
私も眼は、盲目の危険も伴なうので真剣になる。 それより、自分の初期の白内障の写真を見せられたのは
少しショックであったが、仕方がないのだろう。
白内障の後はどうなるのか聞いたら、緑内障になる!という。 亡くなった義理の母が、そうだった。
あと数年後に白内障になり、メガネから解放される反面、次は緑内障が待っている。
それが老いるということか。 生きていればの話だが。年齢ごとに、それぞれの風景がある。

・・・・・・・
2573, 「好き」という言葉の重み
2008年04月20日(日)

「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、
これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。
私も好みの激しい人間だが、この感情は、何に由来するのだろうか。
「あの男は好かん」とか、「あの女性は私のタイプだ」とか、思うにつけて、その意味を考えたことがない? 
育ってきた環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、趣味が一緒だとか。
反対に「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに心の底では??
私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は禁句である。 いわれた方が、それで一生恨まれるからである。 
犬でも猫でも、相性があるから、これだけは如何にもならないことと割り切るしかないのか。
私の好き、嫌いの基準は娑婆経験の中からハッキリ自覚している。
女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、少し抜けていて、顔はノッペリ。
他人には概ね無関心で、優しい雰囲気があり、明るい人である。
大体、好きなタイプは概ね、これを満たしていた人。興味のないタイプは、冷たいタイプで、
神経質な近寄りがたい正統派美人と、個性的な自意識の強いタイプ。 殆どいないが!コンプレックスの強い人。
犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、コリーのような人は苦手。
同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書きだけで人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。
商工会議所、ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。それと女性関係に派手な人。
軽薄な二代目。 もう一度品性のない人!。 そんなことをいっていたら、地方では誰も相手に出来ないのでは?
とはいうが、それはそれでよい。そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い? 
ところで好き嫌いということは、如何いうことか?
相性ということ? それとも持って産まれた先天的な本質。これだけは、どうにもならないこと?
好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の分かれ目になる。
好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいことになる。 神=自然が与えた本質的素養だからである。
シカゴ大学の心理学者ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態"
と呼んでいる精神状態がある。遊びの過程で我を忘れて熱中する状態をいいう。
これは遊びだけではなく、仕事や勉強にも当てはまる。フローの時は精神が完全に集中していて、
心の底から楽しい感覚が湧きあがってくる。だから好きなことをするのが一番いいことになる。
「ありがとう」と同じぐらい重要な言葉は「好き」と、この文章を書いていて気づいた。
「何々+好き」を、もっともっと使うべきではないだろうか。 特に人に対して使ってよいのでは。
この言葉は、その意味で魔力のある言葉になる。 誰も好きと思われて、言われて悪い気はしないもの。
  次の機会にハイリ・チクセントミハイ著「フロー体験 喜びの現象学」について書いてみる。

・・・・・・・・・
2007年04月20日(金)
2208, 下流志向
 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
        
一週間前の毎日新聞・文化欄「本の現場」のコーナーに、
「下流思考」著者の内田樹氏へのインタビューをまとめた、
{ 若者はなぜ学ばず、働かないのか<「下流志向」内田樹著 講談社> }という記事があった。
本屋では平積みであったが、数回立ち読みをしていた。面白そうだが、買うほどでもない本と判断していた。
この記事と書評で八割は把握できたようだ。言わんとしているエキスを著者から引き出している。

ー毎日新聞のHPに記事があったので、コピーして置きますー
  ーーー
 ◇固まった頭をぐちゃぐちゃに
 フランス現代思想の研究者にして武道家が「学力低下」「ニート」という若者をめぐる二大問題を論じた。
約2カ月で10万部と、この手の本としてはかなりの売れ行きだ。
 丘の上に南欧の修道院を模した校舎が建ち並ぶ、神戸女学院大(兵庫県西宮市)
で話を聞いた。「ここより美しいキャンパスは見たことがありません」という。
 「ずっと考えていたけれど、背後にある巨大な地殻変動の正体がわからなかった。
『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二著)を読んで、腑(ふ)に落ちたんです。
『それってグローバリゼーションだったのね』と」

■過剰な「消費主体」
「オレ様」を元に話を広げていった。商品経済は世界の隅々にまで行き渡った。
日本人は過剰に適応し、子どものころから「消費主体」として振る舞うようになったという。
 消費主体とは、商品を買うように「今の自分に損か得か」によって、物事との関係を判断するあり方。
学校や仕事にもそれを持ち込み、すぐ役立たないことを学んだり、簡単に稼げない仕事をやるのは、
高くて不必要な買い物と同じと考える。学ばず働かずとも、とりあえず何とかなる。
だから学力は低下し、ニートが生まれる。

「消費主体化が進んだのは、日本人みんながすぐ『右へならえ』になるから。
国策が成功しすぎたんです。グローバリゼーションへの過剰適応は、
子どもを規格化するような教育政策が大成功した結果でしょう」
 問題解決には、かつての地域社会や大家族、学生寮といった損得ではない
人間関係を持てる場が必要だ。自身は将来、<寺子屋のような、道場のような、
コミュニティの拠点を作りたい>と思っている。
「子どもに武道や哲学を教え、書生を住まわせ、宴会やマージャンをしたり…」

■忍耐強く聞こう
 普通の人にもできそうなことはないだろうか。
「商品のように流通している出来合いの言葉しか知らない子どもたちに、
『オリジナルな言葉を聞かせてよ』と言うこと。たとえ言語の体をなさなくとも、
大人は忍耐強く聞くことです。楽しいですよ、決まり文句しか言わなかった子が、
初めて生の言葉を発する瞬間に立ち会えるのは」

 これは、キャンパスで日々実践していることでもある。
「18歳までに固まった学生の頭の中を、ぐちゃぐちゃにして社会へ送り出す、
 それが私の仕事なんじゃないかなあ」
 校舎の中庭に出た。抜けるような青空にクリーム色の外壁が映える。
 「昔は全寮制だったそうです。今の寮も定員を増やしたいのですが」
 「ぐちゃぐちゃにする仕事」への思いを新たにしているようだった。
                        【鈴木英生】
  ====
 ■人物略歴  ◇うちだ・たつる 神戸女学院大教授(フランス現代思想)。
「『おじさん』的思考」「先生はえらい」ほか。 毎日新聞 2007年4月13日 
ーー
なるほど、と納得する。
学生時代は寮生活、ゼミ、クラブ、世界一周旅行と当時としては恵まれた経験を多くした。
その中で一度、「固まった頭がぐちゃぐちゃ」になった経験があるから、その重要性が深く理解できる。
馬鹿の壁を一つずつ叩き壊す経験をしたが、振り返ってみてどこまで壊してきたのか?疑問である。
何も壊していなかったのか、いや壊した!の、自問自答である。
その時に生の言葉を発していたかどうか分らないが、傷口から出る血のような言葉であったことは間違いない。

ー著者の次の指摘も、ずばり急所をついているー
「ずっと考えていたけれど、背後にある巨大な地殻変動の正体がわからなかった。
『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二著)を読んで、腑(ふ)に落ちたんです。
『それってグローバリゼーションだったのね』と」・・・
 ・・
グローバルぜーションの上に共産圏が一挙に資本主義社会に組み入れられ、
更に「ゆとり教育」の失敗が、無気力の若者を造成していまった。
また、アメリカの実質占領政策が、この国民を無気力にしてしまった。
団塊世代ジュニア以下の年代の人たちは、明らかに自ら下流を目指しているのでは?
と思うことが度々である。 彼らは、お消費様なのだ。
逆の立場は数パーセントの人たちが確実に占拠してしまっているのである。
この時代の変化に、やはり一度、グチャグチャにして、己を変えるしかない!
変わり方によるが、少なくとも、アメリカ型の消費社会を見据える知識は持たねば!
                  (℃゛)/ また、明日!
・・・・・・・・
2006年04月20日(木)
1843, 桜の話
               才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。「花」と言えば桜を意味するくらい
桜は日本人にとって特別な花である。今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。
私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、桜の花が多い。
長岡にも幾つかの桜の名所がある。自宅から数分のところにある、福島江の桜と、悠久山の桜だ。
毎年、開花を楽しみにしている。5年に一度は大当たりの年になるが、今年はその年か如何か?
桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。
文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとっても、桜は大事な役割を果たしている。
日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。
春になると「桜前線」が天気予報のように(今どこが満開かと)放送される位だ。
十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた従兄弟が、桜の散り際を待っていたように「自死」をした。
その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。ゾクッとするような不思議な体験であった。
5月3日に、その法事に行くことになっている。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?               
ー幾つかの花に関する和歌・俳句を
   HPからコピーしてみた。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし    在原業平
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なり      細川ガラシャ
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける         紀 貫之
こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな     紀 貫之
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける     紀 友則
色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける         古今和歌集
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ          西行
(以下、字数の関係でカット2009年4月20日)


 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。
 それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。
 こういう日の強風は、何か腹立たしくなるものだ。               
                   ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・
2005年04月20日(水)
1478, 居酒屋放浪記

土曜日は家内と至近にあるサエゼリアか、歩いて十数分の駅周辺の全国チェーンの居酒屋に行っているが、
もうソロソロ飽きた。そこで、昔からの居酒屋をあらためて見直すことにして三週続けて行った。
今更の感もあるが、年齢もあるのだろう。家内はもう行きたくないというが。
最近、BSi・6で「吉田類の居酒屋放浪記」を放映している。
平日の19時半に放送しているが、毎日これを見るのを楽しみになっている。
全国のレトロな居酒屋を訪ね歩く内容だが、吉田類と現場で酒を飲んでいるような
カメラ目線がよい。先々には、何十年も積み上がられた味と雰囲気が漂っている。
店と料理と親父・女将とお客の醸しだす暖かさがよい。それと、その地域の日本酒の紹介も時々ある。
以前に「居酒屋の親父」のミニ小説?を書いたことがあったが。
男の楽しみは酒と女と博打であるというが、軸は一つという。間違いなく私は酒である。
そういえば32年前に初めての創業で貸しビルつくった時に、その中に「養老の滝」を立ち上げて経営したことがある。
二年間だったが、忘れられない経験だった。酔っ払いの恐ろしさ、嫌らしさ、そして面白さをジックリ味わった。
居酒屋は客としてはよいが、自分がやるものではない。
カウンターの外と内側は全く違う世界である。人間、酒が入ると別人になる。
歪みと誠実さなどの人間性がそのまま露呈する。割り切ってみれば、これほど面白いものはない。
人生の縮図が、そこにある。 書き出したら止まらない。
ーー
これからは私の文に戻るが、東京の中野の居酒屋もよかった。
創業以来47年の女将と、それ以来のお客との会話が何とも味があった。
苦しい時の居酒屋の酒の味の何とも心の気休めはなかった。
神戸のガード下の中華料理店の油にまみれたモツの炒め物とか、おでん屋(関西では、たしか関東煮といった)
のスジ肉の美味しさ。誰もが、甘じょっぱい酒のつまみの思いでは数知れずあるだろう。
今度、養老の滝の立ち上げの時の話をジックリ書いてみよう。
あまり思い出したくないが、書きたくなったということは、その時のことを
受けいれる余裕が出てきたのだろう。その時の相棒もこのHPを見ているとメールが入った。

・・・・・・
2004年04月20日(火)
1113, ヘビー級の醍醐味 ?2

 ー家内性手工業ー
昨夜、世界ヘビー級ボクシングを見ていたら、アナウンサーが面白い言葉
をいった。IBFの世界チャンピオンのセコンドが何とトレーナーが父親で、
カットマンが母親であった。解説者も長くボクシングを見ているが初めてと言っていた。
その時のアナウンサが「家内性手工業」と言ったから笑ってしまった。
上手いジョークである。大型の選手が小型の選手を、追い回している試合であった。
その内容を称して「コンニャクを押さえつけて包丁で叩き切ろうとしているようだ」
という表現もおもしろい。際どい壮絶な試合だからこそジョーク?が出るのだろう。
大型選手の名前がまた良い「ゴロタ」というポーランドのゴロツキあがりの
柄の悪い選手なのだ。いつも負けそうになると相手の下腹部を叩きつけて、
反則負けになる。 数年前もタイソンに負けたばかりだ。
この試合ではないが、観客席で見ていた母親が、負けそうな息子を助け
ようと興奮して「ハイヒール」で、相手の選手に殴りかかったこともあった。
この試合は最後の最後までわからない大接戦でドローであった。 ヘビー級は面白い。
そういえば具志堅というチャンピオンが「あなたの職業はどういう関係?」と聞かれて
「肉体関係」と答えた話しを聞いたことがあるが。 まあ、どうでも良いことだが。

 ・・・・・・・・・
 2003年04月20日(日)
746, 笑われている自分を笑っている面

 数年前の話である。 
高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、聴講して欲しいと頼まれた。
たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので、二つ返事で参加をした。
 300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。
恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。
それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。 何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」
と言うと、本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。
正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」
と言葉がでてきた。どうしようも隠せない心の顕れが純粋にでた面であった。
それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。本人も何か嬉しそうな顔をしていた。
 自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまう
のがコツである。その意味で、この随想日記も赤裸々に心の奥を曝け出して
笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」ことにになる。
 ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。
酔っ払った時の(^。^)y-.。o○?顔を鏡で見てビックリした事がある。
漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。実際そういう顔をしているのだろう。
そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。 
顔はごまかせない。 バカな女が必至で化粧をするのも解る。

・・・・・・・・
2002年04月20日(土)
382,能力とは

人間の能力は無限だ。問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。
それを伸ばす為に、人生設計ーグランドデザインが必要である。
それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスとその結果が能力。
したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。
 まとめると
・高い志を持ち
・ウオームハート&クールヘッドで
・事の本質を見つけ
・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし
・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい
・全エネルギーを持って
・チャレンジとコンペテションとチェンジをする
知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ
継続してやり続ける。その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、
それを好きになるかだ。  まあこんなところか。


2936,「NHKの世界同時不況の双方向解説」を見て

2009年04月19日(日)

昨日の土曜日の午前10時に、NHKの「そこが知りたいー世界同時不況・危機への対応は十分か?」は、
9人の解説委員による、伯仲した議論と、その合間に視聴者の意見や、世界の識者の論説を挟んだ、
見ごたえのある内容だった。
 ーまずは、NHKのHPの紹介文から
去年9月のリーマンショックから半年あまり。
「100年に一度」とも表現される経済危機は深刻な世界同時不況をもたらしています。
世界各国では、企業倒産や失業者の数が拡大し、予想をはるかに超えるスピードで景気が悪化しています。
国際協調の下で各国が打ち出す経済政策は、景気を下支えする十分な力になっていないのが実情です。
この状況を打開する処方せんを世界各国の政府は持ち合わせているのでしょうか。
そして、日本をはじめ世界の政治指導者たちは、経済危機を乗り切るための責務を果たしているのでしょうか。
4月18日(土)の双方向解説では、私たち解説委員室の経済・国際・政治担当の解説委員が、
世界同時不況への危機対応や解決への糸口を、視聴者の皆さまとともに考えたいと思います。 
 ーー
 解説委員ということで、同質の意見が多かったという感は免れなかったが・・・。

・100年に一度の経済危機なら、100年に一度の対策をたてるべきだが、それが感じ取れない。
・非常に深刻な事態である。大量に輸血しないと患者が死んでしまうという共通認識はある。
・アメリカと中国のG2が、今後大きな役割を持つ。ロシアと中国をプラスしたG9も必要。
・視聴者からの質問で、「100年に一度の経済危機というが、世界恐慌といわない何故か?」に
 対して、「GDPの落ち込みは、1929年の世界恐慌と同じだが、失業率は25パーセントに対し、
 10パーセントで収まりそう。 今回は世界の経済政策の協調があるところが前回とは違う。
 従がって、まだ世界恐慌に入ったと認識されてない」の答えであった。
 実際は、10年〜20年後に振り返れば、今回の方が遥かに大きいはず。
・アメリカを中心に世界経済を引っ張ってきたが、今後は、新興国に中心が移動する
 ターニングポイントではないか。 今後はアジア中心の経済モデルを作るべきである。
・ドルに替わる基軸通貨は10年20年単位では出てこない。
 ー以上、印象に残った部分のメモをまとめてみたが、それほど大したことを言ってはいない。
 今回の恐慌の概要を知らしめ続けるには、良い内容だが、NHKの立場もあって、
 過激な現実を報道ができないこともあろう。

・・・・・・・・・
2572, ドル覇権の崩壊 ー5
2008年04月19日(土)

「金や銀、プラチナを買って、手元に保有すれば良い」と、そこまで言わしめるだけ、この危機は異常なのだろうか? 
 実際のところ国家単位で自国民を騙すのだから、それも道理。 税務署を暴力団とは言いえて妙である。
 税務調査を経験してから、そう信じていた。 調査の対象は、のっけから被疑者扱いである。
 そこまで疑うなら、脱税をしない方がおかしいのではと実感した。 
 何でしてないの?するのが当然で、その当然のことを我々は取り締まりに来たんじゃないの?という態度である。
 サブプライム問題もバブルの典型で、これをキッカケで世界恐慌の可能性をはらんでいる。
 実態は火の車で、いつ何が起きても不思議ではない状況。
 ドル安、アメリカ国債安、アメリカ株平均値安になると儲かるファンドもあるという。買ってみたいが。

*アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
  P-18
だから、金や銀、プラチナなどの貴金属を買って手元で保有すればいいのである。
銀行の貸金庫にも預けない方がいい。自分で安全確実な場所に隠すのがいい。税務署の調査になど、
やすやすと応じてはならない。彼らは国家強盗団である。正義の法の執行者のふりをして、
日本の資産家、投資家、経営者たちを痛めつける国家の暴力団である。
金銀プラチナは奇妙なことを言うようだが、鉱物資源である。金属のかたまりである。
鉱物資源でしかない。だから税務署・国税庁はそれをもって金融資産と見なすことはできない。
ここが味噌である。たとえば、自分で檜の材木を300本買って、倉庫に寝かしておくことと同じことだ。
国税庁・税務署は「買った売った」で利益(課税所得)が生まれた時にしか課税できない。ここが味噌である。
国家は金地金(ゴールド)を管理できない。ところが、最近の国税庁、税務署は資産家(金持ち)たちに向かって、
納税申告の際に、「資産負債残高表」などという奇妙な書類を出せという。
日本は恐ろしい金融統制国家(預金封鎖の国)になりつつある。
  P-19
「円キャリートレード」などという恥知らずの取引ができたのは日本の円をアメリカが"ゼロ金利"で
自分たちのオモチャにしたからだ。「円はほぼゼロ金利だから、超安価で借りて使える」と、
このことにいち早く気づいて10年前から儲かった人がたくさんいる。それはアメリカの金融資本家どもである。
彼らの仲間であるアメリカ政府(米国国務省)とFRBが日本政府と中央銀行(日銀)を脅しあげて"ゼロ金利政策"
などという奇妙きわまりない政策を強制して10年間、日本を痛めつけてきたからである。
ほとんどゼロ金利に等しい低利の資金を、円市場(日本の銀行や生保)から借りて米国債を買えぱ、
黙っていても年率4?5%つく。例えば南アフリカのランド通貨、ニュージーランドのドルで運用すれば、
自動的に年率7?8%の利益が出るのである。 この金融博打を放置してきた責任はG7(各国・中央銀行総裁会議)
にある。彼らが世界の通貨政策をおかしくしたのである。
これに投資家筋が襲いかかって自分たちの旨みをつくりだすのは当然のことだ。もつと分かりやすくいえぱ,
パチンコ屋のパチンコ台のチューリップが最初から開いている台でパチンコをやるようなものである。
 ーーー
 真剣に金でも買うことを考えなければならないのか?悲観を売りにしているとはいえ、
 ことごとく当たっているだけでなく、それ以上の事態になってきた。

・・・・・・・・・・
2007年04月19日(木)
2207, 犯罪集団の存在を公認している日本
                  オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
 一昨夜の長崎の山口組による、現職市長へのテロ?には驚いた。
たまたまNHKを見ていたので、現場の生々しい事態が、そのまま茶の間に入ってきた。
これは明らかに国家に対する彼らの挑戦である。(結果としても)
それにしては、安部首相のコメントには驚いたというより、怒りを感じた。
地方統一選挙の最中に現職の市長が、みよがしに射殺されたのに、当たりさわりの無い一辺倒の言葉である。
これでは、なめるわけである。犯罪集団が公然と国家を相手に戦争を仕掛けてきたからには根絶しなければ、
国家は破滅する。 闇は闇でしかない。光を当てればそれまででしかないはずだが、現在の日本は別?。
激烈な批判が噴出して当然で、それだけのことをしてしまった。
世界で、暴力団の存在を違法としていない国は日本だけである。
それも堂々と事務所を構えて、夜の繁華街がマフィアに占拠されている異常を
何とも思わない日本という国が果てして治安国家といえるのだろうか。
今回の事件は明らかに広域暴力団による地域公共事業工事からの締め出しへの‘見せしめ’と捉えてよい。
地方選挙の真っ只中に、現職市長を公衆の面前で射殺するなど言語道断である。
それも二代続けての長崎市長へのテロ。司法、立法そして立法は何をやってきたのだろうか。
今度の対応次第によっては、裏世界が国家利権のシンジケートを確立する可能性が出てくる。
いや、あったのが崩壊した結果なのか?。法整備を根底から変える絶好のチャンスである。
広域暴力団の存在そのものを法律で否定しない限り、地域公共事業での利権、汚職の強要は無くならない。
              ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・・
2006年04月19日(水)
1842, ローマから日本が見える?3
                おっ \(*^▽^*)/ はぁー

ー第一章 なぜ今、「古代ローマ」なのかー  
 *この章の印象的なところから抜粋してみる・・
  「歴史とは人間である」

私にとって歴史とは、人間がこれまで経験してきた全てが入っている。
キリスト教は千年の間、ヨーロッパ人の精神を支配してきた。
だが、それにもかかわらず、ヨーロッパ人の人間性が向上したとも思われない。
これは結局、人間の存在自体がもともと、宗教によって変えようがないほど「悪」に対して抵抗力がないのではないか。
そうした人間世界を変えていこうとするなら、こういう人間性の現実を冷徹に直視する必要がある。
なぜなら古代ギリシャやローマの人々はキリスト教のない時代に生きた人々であった。・・・・
キリスト教は本来は人間をさらに向上させたはずだ。それが、そうならなかったのは神と信者の間に、
聖教者というフィルターが介在したと考えられる。彼らの存在はかえってキリスト教の教えを損ねているだけでなく、
神と信者のつながりを邪魔をしているとルネサンスのルターは考えた。{私見ー現在の日本の葬式屋僧侶にもいえる}
「水平思考と垂直思考」    
  現在の日本を考える時、改革の遅れに破滅への危機を感じる。
  どうすれば良いのか?それには、一つには、日本以外の国はどの様にしているのか?
(水平思考)
  他には、垂直方向のリサーチー歴史を振り返ることです。西欧的な考えが崩壊している現在、
  ローマ人の生き方は宗教やイデオロギーとは無関係だっただけに参考になる!と・・・
「試行錯誤がローマを作った」
当初は小さな都市国家でしかなかったローマがイタリア半島に勢力を伸ばし、
ついにはポエニ戦役に勝って大国のカルタゴを下し、地中海を「我らが海」と呼ぶまでの勢力になる。
あたかも幸運の女神に導かれて、すくすく発展したようだが、実際は正反対であった。
ローマ人の強さは失敗しても、必ず次の成功につなげようとするメンタリティがある。
彼らは敗因が自分たち自身にあったことを直視する。反省するだけでなく、それを、国論分裂という
活力のロスを避けることを目的とした政治改革という形に結びつけるのです。
こうして完成したのが、帝政に移行するまでのローマの政体として有名なローマ独特の「共和制」であった。
                    まあ茶でも! ~~旦_(。-_-。)
「一級品の男たち」
 「役に立つ」ことだけが歴史のとりえではありません。
  ましてや、ローマの全史ときたら、素晴らしい男たちが次々と現れてくる波乱万丈の物語です。
  ドイツの歴史家モムンゼンをして「ローマが産んだ唯一の創造的天才」と言わしめた
  ユリウス・カエサルはもちろん筆頭ですが、カエサルだけがローマ史ではありません。
 ・ポエニ戦役の天才のハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌス。
 ・ポエニ戦役以後の「混迷の時代」の登場したスッラ。
 ・カエサル暗殺後、初代ローマ皇帝になるアウグストゥス。・・・
この他にもユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないが、
愛すべき人間達が無数に登場する。 歴史とは、やはり人間が作るもの。だから面白い。
             ? つづく  。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ?
・・・・・・・
2005年04月19日(火)  1477, 男はつらいよ

ある保険会社のアンケートによると、
・また生まれてきて再び 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20%に対して、
 同じ女房と再婚したいと思っている男は75%(40%と60%の調査結果もあるが)
 女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5?もいる
・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15%、 妻が夫を看取るのが85%。
 看取ったあとの男の余生は5年、逆に夫を看取った妻の余生は22年。
私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。女は逞しいものであるし、夫に愛想をつかしているのがわかる。
定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする逆転現象がおこってしまうという。
しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。
その中に未亡人の会があったが、「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、実際は片羽を失った鳥」
という。しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。60歳過ぎると、甘いものでないことは事実のようだ。
夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、
すぐに群れることができる。しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。
人生は甘いものではないのは老後も同じ。ライフワークをチャンと創っておかなくては!
おかあちゃんの奴隷になってしまう。最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。

・・・・・・・・
2004年04月19日(月)
1112, 「ライフ・レッスン」?4
       ー人間関係のレッスン
ー感想文ー
人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。
それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど自分の姿の合わせ鏡になる。
その軋轢の中に真の自己が表れてくる。また私たちが無意識の中に求めているロマンチックな関係の相手こそ、
ありもしない自己逃避の空想の相手である。そして勝手にイメージとして作りあげ、
対象に求めていくから幻滅が生じる。解りやすい例としては、成田離婚がある。
そのイメージこそ自分を不幸にする「バカの壁」になる。しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。
「ブランド」は、その一番リアルなイメージ商品といってよい。
お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。
真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。
ー抜粋ー
・人間関係は人生のレッスンを学ぶ最高の機会をあたえてくれるものである。
 自分はほんとうはどんな人間なのか、何を恐れているのか、自分の力は
 どこから生まれるのだろうか、真の愛とはどんなものなのか、人間関係はそれを発見ための場である。
 人間関係は多くの場合、なかなか上手くはいかない、時にはひどく辛い
 経験だからだ。だからこそ、学び、成長し、愛し、愛されるための最高の機会にすることができる。
・全体性や完全性は自己の内部から生まれるものでなければならない。
 誰か特別の人を見つけることは、親密な人間関係にかかわる問題の解決にならない。
 独身で不幸な人は結婚しても不幸なのだ。専門職につけない人は、とくべつな人をみつけても、
 パートナーのいる専門職のない人しかなれない。他の人にもとめることをやめて、自己を完成させることなかにある。
 だれか愛する人をみつけようするのではなく、自分自身を愛されるに値する人間につくりあげていくべき。
・あなたは、ただあなたであるというだけで、だれかとくべつな人なのだということを、
 けっして忘れないでほしい。仕事で成功していようがいまいが、完璧な相手と結婚していようと
 独身であろうと、あなたはこの世界にとって、唯一無二の尊い贈り物なのだ。
 あなたはすでに一個の全体であり、外から何かがやってくるのを待つ必要がないのである。
 人生にロマンをもとめたいなら、あなたの人生そのものと恋におちればよいのだ。

・・・・・・
2003年04月19日(土)
745, 散る桜、残る桜も散る桜

「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?
 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。
悠久山の桜も絶品だ!5?6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。

・・・・・・・
2002年04月19日(金)  381,システム販売

「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、
初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。診断料は無料」
という提案の講習会に出てきたと、あるメーカの専務が言っていた。
システム販売そのものである。物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。
IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは難しい問題でない。
私もフランチャイズを2回経験してシステム力には納得している。
息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が言っていた。全国数百箇所の教室で、
いっせいに聞くのだから合理的だ。
もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。これもそのシステムを売っているのだ。
イトーヨーカ堂もシステム70?商品30?という考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。もの主体から、こと主体の時代の変化である。


2935,わが人生最良の瞬間 ー2

2009年04月18日(土)

 一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は
  小野田寛郎の「29年後の終戦記念日」である。
 彼にとっての終戦日は、昭和20年8月15日ではなく、その29年後であった。
その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で命令に従い戦い続けたのである。
終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれていたが、彼等は信用しなかった。
そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の鈴木と遭遇した時も、フィリッピンの掃討兵と
思い殺害しようと接近したが、思いとどまり、話をしているうちに、
「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」と、ボールを投げた。
それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除と投降命令を受けた。
その瞬間「なぁんだ」と思ったという。・・・・・
 投降ということは、それは死を覚悟したもの。・・・ところが、フィリッピン軍のレーダー基地に着くと、
捧げ銃の敬礼で迎えられた。捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。
さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを拒否しました。
そして翌日、マラカニアン宮殿で会見したマルコス大統領がこう話したのです。
「我われは、それぞれの目的で戦った。しかし戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、
あなたの過去の行為すべてを赦します」 もう疑う余地はありません。
昭和49年3月11日のその瞬間に私の身柄と生命は保証され、「私の戦争」は終わりました。
帰国のためにマニラ空港を出発する私に、フィリッピン空軍の軍楽隊が日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」
を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から解放されたのだと、心から生きる喜びを噛みしめました。
 ーー
 以上が概略だが、この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。
これほどの最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の三十数年があればこそである。 
こういう体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ないと思い知らされる。
彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。
そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が心に残るのは如何いうことなのだろうか?
「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、
「嫌なことも多くあったが、良いことも多くあったな?!」と、言葉を言い換えるだけで全く違ってくる。
私は、後者を口癖にしているが、悲観と楽観の差だろう。
喜怒哀楽を、それぞれに「わが人生で一番嬉しかった瞬間」「わが人生で一番怒りを感じた瞬間」
「わが人生で一番哀しかった瞬間」「わが人生で一番楽しかった瞬間」を、思い尽きるまで書き出した時に
その人の人生が浮き出ることになる。 怒り、哀しみ、喜び、楽しみ、どれもこれも、あまりに多い。
 やはり人生をタップリと生きてきたということか。

・・・・・・・・・
2571, ドル覇権の崩壊 ー4
2008年04月18日(金)
                  ー読書日記
 2001年の9月11日のテロは、ことアメリカのドル政策、石油にとって理想的な事件であった。
 そのため、当初はアメリカの国家としての陰謀か、意識的に見逃した事件ではないかと疑われた。
 アラブ民族、イスラム諸国にとって有利の事件だったのだろうか?と考えると、疑問は増す。
 価値のない紙切れは、ドルだけではない、円もしかりである。
 私は、少し落ちついた40歳を過ぎた頃から、意識的にお金を使うことにしていた。
 といって、子供二人を大学に入れて毎年、1000万は使うこと!である。
 貯めたところで、それが通帳の数字以外の何ものでもないことを父親の死に様から、学んだ。
 この程度は使ったうちではないが、普段の生活は節約をしていたから、年2?3回の海外旅行など、
 割り切って使うべきことができた。この本、読めば読むほど心が寒々としてくる。
   ーー
第三章 かくしてドル覇権は崩壊していく
  P-155
今や処刑されたサダム・フセインは、2000年11月にイラクの石油輸出をユーロ建てにすることを要求した。
彼の公然たるアメリカへの挑戦とその傲慢さは、ドルへの直接の脅威であった。彼がもっていた
イラクの軍事力は既に相当に疲弊して欠乏しており、アメリカにとってはたいした脅威ではなかった。
当時のポール・オニール財務長官(任期2001?2002)の発言で後にわかったことは、
「2001年の1月のブッシュ新政権の初回の閣僚会議の主要な議題は、
 どの様にしてサダム.フセインを国際社会から追放するか」であった。
サダムフセインが米国に脅威を与えた直接の証拠は何も無かった。
大量破壊兵器、すなわち・核兵器や毒ガス兵器の開発計画の施設は遂に発見されなかった。
ブッシュ政権での、比較的温厚で、善良な閣僚であったオニールには、このことが驚きであった。
9・11事件後にブッシュ政権は、中東地域に計画通りアメリカ軍を進駐させる計画を即座に実行開始した。
そのための自己正当化の理論として、「テロリストたちからの攻撃から、アメリカ本土を防衛するために
先制攻撃(プリエンプティブ.アタック)はどうしても必要なことである」とアメリヵ国民を説得して
戦争への支持を呼びかけた。アメリカ国民はこれを承認して、積極的にブッシュ政権を支持した。
政権への支持率は80%を超えた。国民と言うものは、指導者たちが煽動すると、このように易々と戦争に
動員されてゆくものである。人類の歴史は、このように愛国心と民族主義という考え方を鼓舞(インスパイア)
する。いとも容易炊きつけられて、無謀な対外戦争への道を歩まされる。その数年後には、必ず大きな失望と
幻滅が襲い掛かってくるというのに。戟争と言うものは、古来、だいたい3年から4年で、それを支える
国民の熱狂と支持が消えうせるものなのである。剥き出しの報復感情と、メディアを使って操られた国民が
幻滅し、国民に自覚を促すのには、それなりの時間がかかるのである。
アメリカの軍事行動を故意に正当化するために、どうやってイラクの独裁者サダム・フセインを、
9.11事件と結びつけるかという、事実の捏造にブッシュ政権が遭進したことは今では良く知られている。
9.11事件とイラク政府との関連性の証拠は全く見つからなかったし、更には大量破壊兵器の開発の証拠も
全く見つからなかった。それにもかかわらず、歪曲や猛烈な勢いの偽りの政府答弁と陳述によって、
世論や議会の支持が作り出され、サダム・フセイン政権の体制転覆(レジーム・チェンジ)が正当化された。
サダム.フセインが「イラクの自国の原油を、ドル建てではなく、ユーロ建てで販売し、ヨーロッパ諸国との
資金を決済する」という決断をして、実際にこれを実行に移した。このことで、基軸通貨(キー.カレンシー)
であり、世界銀行が公認する準備通貨(リザーブ・マネー)としてのドルの完全性を攻撃した。
サダム・フセインは、オイル・メジャーを支配するロックフェラー家の逆鱗にふれたのである。
だから、彼を国際社会から追放し、更には、ヒトラーや東条英機の閣僚たちと同じように縛り首にして、
世界中に「アメリカ帝国への反抗者はこのような目に遭うそ」という見せしめの像にされた。
  ーー
  続刊が出たので、早速買って帰りの新幹線の中で読み始めたが、
 「自分のいったとおりだろう!」という自慢と、同時に更に過激な内容になっていた。
  それは来週に書くつもりだが、5?10年はアメリカ発の大恐慌に世界は混乱する!
    娑婆の混乱もおつなものか?

・・・・・・・・・
2007年04月18日(水)
2206, 反時代的毒虫 ?3
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
「反時代的毒虫」ー中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの浪費」ーより

浪費癖で借金してでもブランド品を買いまくりを売りにしている
「ショッピングの女王」こと、あの中村うさぎ、との対談である。
彼女は自らを「自分を売る職業・・・それが風俗や水商売なら、私の仕事だって同じことだ。
私には、『自分を切り売りしている』という意識が常にある。」
「そんなふうに自分を切り売りしている人々は、必ずそのことに復讐される。魂が壊れていくのだ。」と語っている
本を書くため身を削り、シリアスなキャラが売りで、まさに「覚悟の文学」である。
最初の結婚は、大失敗に終わり、2度目の結婚相手の現在の夫はゲイ。
「毎日一緒のベッドで寝ているが、互いの裸を見たことがない」という。
彼女の両親はゲイの夫に大きなショックを受ける。一人のホストにいれあげて、
出版社には前借りの借金を繰り返し、時には税金未納で銀行口座を差し押さえられながらも、
1本100万円のヘネシーをオーダーするまで「命がけの浪費」をする。
    (字数の関係でカット2,008年4月18日)
              バイ! UvU/?
・・・・・・・・
2006年04月18日(火)
1841, 理解する技術ー情報の本質がわかる?2
     +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ  ー 読書日記             
□第3章ー文章から情報を読み取る基本テクニック
  (字数の関係でカット2,008年04月18日)
               ー つづく  ヾ(。・ω・)ノバイ!
・・・・・・・
2005年04月18日
(月) 1476, 24歳の日記
  ここで22歳・23歳の日記に続いて「24歳に日記」が始まる。
  数回だが。

あまり書きたくないのが本音であるが、自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない足跡である。
途中から、日記をカード式に切り替えたが、そのカード式の日記帳は全て捨てた。
今から考えてみたら残しておけばよかった。残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、大まかにしか書いてない。
まず、生活信条が書いてあった。 真面目に書いたものである。
それが若さであろう。 35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。
それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。直視したくないので、数回で終えるが。
中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れて
しまった感じといわれたが、当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。 それと中原中也の心も。
それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。
人は愛情の中で生かされていることを実感する。全ての人に感謝をしなくては。特に両親に対して。

昨夜、独身時代の自分の夢をみた。
 ーーー
1970年3月
ー私の生活信条

誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること

愛情を基本とすること
  ー常に相手の意思・立場を理解をして、それを持って自己の満足とする
毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、自分の善に従うこと
善悪を明確にしておくこと
    ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める善悪の基準は他人に対して、いかに
     自分と同様に満足せしめるかにおく打算においても、同じ扱いをする動機において不純はさけることとする 
     (最後に拠るべきは純粋な動機のみである)
人間関係ー常に相手側と同じ立場におく
     ただし、能力レベルが同等に対してであるが
不言実行(無言実行)ー
     有言不実行の矛盾に陥らないこと 経験を振り返ると無言実行が一番実効があった
     言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること
自己投資をすること
     人生とは、投資である。 自分に対して、そして創造行為もである
     与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること
克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す
    そのために己に打ち勝つこと
 ーー
 1970年3月21日

現在、自分を見直すために会社を辞めた。そして、現在は長岡の自宅にいる。
会社には丁度1年在社したことになるが、いざ辞めてみて解ったいたことだが、動揺があまりにも大きい。 
今も夢の中にいるようだ。辞表を出して、2?3週間大きな揺れがあった。
色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。
これからは決心をしてしまったからには、1年ジックリ勉強のやりなおしである。
コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。
マーケッテングのほうも面白そうだ。義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。
この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか考えてみなくてはならない。
それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。そのために
如何するかを考えるべきである。日記を考えると、即自と対自の会話である。
また自分自身である時間。 反省と焦りが交差するところである。

・・・・・・・・・・
2004年04月18日(日)
1111, 「今時の若いものは!」

エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。
数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して「今時の若いものは!」と、批判的にいっている言葉が気になった。 
年寄り臭い嫌な響きがあった。若い人にも個々それぞれある。この言葉は自分の価値観が
若い人の変化を受け入れられない心理から出ている。「それにしても、今の若いものは!」という言葉が出てきそうだが。
一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の旅行先としてのターゲットになっているという。
今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。ボラティアの女性だけが救いであったはずが、
??を吸いにいく丁度よい名目?で、NPOを利用してだけ?
という疑惑も浮かびでてきた。18歳の坊やも、共産党一家のパフォーマンスでしかなかったのか。
といって、彼らには彼らの正義があったはずである。
インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから困ったものだ?
しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。

・・・
演題:「近頃の若者」 養老猛

この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。
その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、
養老 孟司先生に御了解を得て、このホームページに掲載しています。

「近頃の若者」という題をいただきましたが、私ももう相当な年になったのでこの題が
ちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。
「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。
ですから紀元前の頃から年寄りは若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。
自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、小学校からずっと学校におりまして
卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。
ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。
戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で世の中が相当変わりました。
その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。私が小学校に入った時というのは
戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。ちょうど東京で空襲が始まった頃です。
その頃病院に入院したことがありましたが、ご存知のように病院の食事というのはひどいものですが、
そのひどいのが戦争中でしたから一層ひどいものでした。その時代、親は食べていくことで精一杯。
子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って魚を捕ったり、空き地で虫取りをしたりの生活でしたので、
学校は大変ありがたいところでした。私がまず最初に「近頃の若者」と違いを感じたのは、団塊の世代でした。
 (字数の関係でカット2,009年04月18日)
・・・・・・・・・
2003年04月18日(金)
744, まずは一日一図から ?2 

これを実行して10日が経つ。 三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。
始めたら面白いのだ。一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。
ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、
・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。
・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。
漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。
「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を中央に描いて、
左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、気楽に考えられるのだ。
 読書法で10?100倍の速度が可能という本が多く出版されている。
私の場合、その方法を身につけて10倍以上の読書力になった。それもこの1^2年である。
しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。 以前から天才のノート法とかいう本を読んで、
色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい。
 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増えた。
そうすると、「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことになるが、
集中力がそれだけ増えた事は間違いない。これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、
今になってやっと気づいたに過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているのだろう!

・・・・・・・
2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん

姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?
大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為、保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話
彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ
 この内容から私なりの彼女の心理分析をすると
・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁
一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これからお風呂に入って
身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。
   面白い人でもあった。


2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2

2009年04月17日(金)

新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌の影響がストレートになる。
初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 二時間以内の出張は日帰りである。
インターネットや携帯電話などで情報をやりとりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。
最近は宿泊ネット販売が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は当たり前。 
当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから、堪ったものではない。

そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、電気製品、デジタル家電、書籍、健康食品、ユニクロは、ネット購入。 
情報は、大型店の店頭で見て、実際に買うのはネットである。 2〜3割はまちがいなく廉いからである。
リーマン・ブラザーズから始った経済危機から、世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。
情報化によるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。 
最低価格が実現できないところは、即、退場をさせられてしまう。(客室は、在庫が限定されているから、まだよいが)
ということは、大部分の企業は淘汰されることになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。
日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。 アメリカのように資源や軍事力や知的蓄積がないのである。

この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を揺るがすほどの大事件である。
4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのはが中産階級である。
その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようとしているというのだから、ただ事ではないのである。
1990年前後にソ連と、東欧諸国の共産社会体制が消滅。 
そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義のアルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、
2千数百人の生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。
そして今度は百年、数百年に一度といわれる金融恐慌である。
これは簡単に解決できるような事態ではなく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。
  まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。それも全ての人が直撃する惨事を・・

・・・・・・・・・
2570, 些細なものほど、光を放つ!と、振り返ると解る
2008年04月17日(木)

日常のチョッとした瞬間、60年にわたる過去の些細な記憶がフラッシュのように出る。
これが還暦を前後して特に多くなってきた。人生は些細なことほど大きな意味が含まれているようである。
コマーシャルではないが、「人生は、その人の選択で出来上がっている」と実感する。
一日、数万のことがフラッシュのように脳に発生するというが。 様々の経験から、自分の心の芯にとって、
いやな後味になることはしないようにしてきた。それでも、次から次へとフラッシュが発生する。
自分の過去を冷静にみれる年月が経ったためだ。多くの人を虐殺した政治家の内面は如何なるものだったのか。
死者が纏わりついているのだろう。彼のそれは、些細なものではないからだ。
  次の文章が‘些細なものほど、光を放つ’ことを理路整然と表現している。
 ーー
「哲学の教科書」中島義道著
  *些細なものほど、光を放つ
                  P-232
哲学者の目とは、人生の「外側」から、すなわちあたかも死者、あるいは他の天体からの飛来者のように、
人間たちの営みを見る目です。こうした目で見続けますと、そこに面白い変化が生じてきます。
人生の大事と思われているものは取るるに足らぬように見え、逆に取るに足らぬと思われていること
が輝いて見えてくる。「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく 些細なものこそ光を放ってくる。
フランクルは強制収容所という「向う側」にいる人間の心持ちを次のように語っております。
彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に想いを馳せて、それに耽っているのであった。
しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事やささやかかな
事象のまわりを彼の考えはめぐっているのであった。……市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、
電話が鳴る、受話器を持ち上げる、部屋の電灯のスイッチを入れるー囚人がその思い出の中で
いわば撫で回して慈しむものは、こんな一見笑うべきささやかなことであった。
そして、その悩ましい思い出に感動して 彼らは涙を流すこともあったのである。
強制収容所に入っていない私たちが、今この状況を腹の底から実感するのは難しいでしょうが、
例えば奈良時代の官吏の一日を文字通り再現してくれれば、どうでもよいことがわれわれには
本当におもしろいことでしょう。もし私が一時間だけ千二百五十年前の奈良の都に戻してくれるなら、
東大寺や興福寺には行かずに、人がごった返す市場に行くでしょう。内裏の「閣議」は見物せず、
一般の家庭の夕餉を見物するでしょう。・・(中略)女房が派手で困るとか、給料が上がらないとか、
子供がぐれて困っているとか、毎日の生活がしみじみと面白みを帯びてきます。
ーー
学生時代の日記を、ここで公開したが、私にとって、その面白みは当時の日常の風景が
具体的に書いてあったことである。実際に読み返してみると、当時のことが昨日のように思い出される。
何で、その後、思ったままのことを具体的に書いてなかったか後悔する。
誰かに見られたら嫌だというのが、それなのだろうが。些細なことの中に光が宿っているのである。
それは、「今日、今、ここ」しかないから。ここに永遠が存在しているから。

・・・・・・・・・・
2007年04月17日(火)
2205, 反時代的毒虫 ー2
  才八∋ウ_〆(∀`●)
             ー読書日記ー
「反時代的毒虫」の中の ー白洲正子との対談『人の悲しみと言葉の命』ーから

車谷が『四十八瀧心中未遂』で直木賞をとったあとの「文学界」で白洲正子との対談である。
白洲をして、恐ろしい、こわい、と言わしめるのだから、驚きである!
 ーー
白洲 「私、十何年も前に見っけたんだからね」
車谷 「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました。
 『新潮』に発表した『吃りの父が歌った軍歌』を先生が読んで、手紙を下さった。」
白洲 「いや、恥ずかしい。そんなもの、持っていらっしゃらなくてよいのに。」
車谷 「私が板前ををやめてセゾンに勤めていたころです。消印を見ると昭和62年12月です。」・・(中略)
車谷 「20年間、文章を書いてきてファンレターなるものをいただいたのは、
    一度だけです。それが白洲先生からだから、びっくり仰天です。」
白洲 「冗談じゃないわよ。なにしろあなたの文章じゃ、誰も手紙なんか出せないわよ。私は思い切ってだしたけど」
車谷 「お手紙の中で、『車谷さんの文章は生きている』と書いてありました。
   『生きている』というところに傍線を引いて、何回も読みました。
   のちに先生にお目にかかったとき、『おそろしい』と言っていただいたことを覚えています。『こわい』とかね。
白洲 「ほんとうにこわい。今だってこわい。」・・・・(中略)
車谷 「私が25歳のときに小説を読むきっかけは、永井龍男の『青梅雨』という短編を読んだ時でした。
   ぼくは名文だなと思った、よけいな言葉が一つもなくて。それで、一生に一度でよいからこういう名文を書きたいと
   おもったのが、ぼくが小説を書く動機だったので、文章がダメな人は、文学者としてダメだと思うんですよね。」、
白洲 「あたりまえじゃないの」。 ・・・・
車谷 「若いときから西行に憧れて出家したいと思ってたんです。とにかく一生の間に一冊作品集を出して、
   それで出家しようと。47歳のとき「しお壷の匙」という作品集が出まして、これでもう出家しようとしたら、
   高橋順子というのがあらわれて、結婚するはめになって。」
     ・・・・(中略)
白洲 「あなた、お辞儀ばっかりしているようなときがあるわね」・・・(中略)
車谷 「白洲先生は鬼になって書いていらっしゃる」
白洲 「私は般若です」
    
ーーー
解)遜った車谷の態度が気になるが、白洲の前ではこんなものか。
文学の世界では、白洲正子のブランドは絶大なのだろうが。
最後の車谷が白洲に対して、鬼になって書いてる!に対して、私は般若です!というところがよい。
般若の面は差別に対する、究極の怒りと嫉妬の表情というが。 それと知恵もあるが・・・
また、次の部分も良い。
車谷「20年間、文章を書いてきてファンレターなるものをいただいたのは、
 一度だけです。それが白洲先生からだから、びっくり仰天です。」
白洲「冗談じゃないわよ。なにしろあなたの文章じゃ、誰も手紙なんか出せないわよ。私は思い切ってだしたけど」 
  白洲をして、そこまで言わしめるのだから、車谷の「しお壷の匙」を読むことにした。 ホンジャ、バアアイ
                        ♪♪((((*`・´))ノ
・・・・・・・・
2006年04月17日(月)
1840, ジャンケン
    オハ (´・ω・`)(ω・`)!(´・ω・`)! ヨ? 

「ジャンケン」について書いてある資料は殆んどない。
HPを調べても勝ち方の極意が書いてあるだけだ。その中で、それぞれのだす確率があった。
580回のうち、グウが190 、チョキが203、パアが 187 回とあった。
確率からみたらグウを出すのがよいことになるが、ほぼ同じである。もっと偏りがあると思っていたが。
           Pa(・ω・ ) σ(д・`★)グウ Y(・c_,・●)チョキ
 図書館で何気なく立ち読みした「大切なことは60字でかける」
 ー高橋昭男著の中にジャンケンについて書いてあった。
それによると、
・ジャンケンは、江戸時代に中国から長崎に伝来 大阪を経由して江戸に伝えられた。
・江戸時代のジャンケンには色いろな方式があり、子供の遊びではなく、お座敷遊びの一種であった。
・中国では、日本と同じ方式で行っている。世界の40ヶ国で盛んに行われている。
 ーマレーシア、パキスタン、サウジアラビア、イギリス、 フランス、ドイツ、 デンマーク、エジプト、
 アメリカ、チリなど・・ アメリカのジャンケンは日本のかけ声を英訳したもの。

この本を読むまでは、日本特有の遊びと思っていた。お座敷遊びで、野球拳とかがある。
子供の頃は何かあるとジャンケンで決めていた。そういえば、ジャンケンで勝ってハワイに行ったことがあった。
(実家の会社にいたとき、社員旅行で兄とどちらか社員旅行で
     ハワイに責任者として行くかで)まあ、よき時代であった。      
                    ゚+.(*・ω・)ノ*. バイ!      
ーーーーーーーー
2005年04月17日(日)
1475, 汚れつちまつた悲しみに?2

「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、「倒れてしまった悲しみに」 
という詩を書いてみた。
 昔の何度かの挫折を思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分

ー倒れてしまった悲しみにー

倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは

・・・・・・・・・・
2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?3
  第二章 愛のレッスン
 
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただ一つの真実である。
永続をするただひとつのものである。愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、
力の美しい部分、自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。
・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。それはあらゆる障害をとりのぞくことである。
自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。
神に会うことができたら、神は「おのれに愛をあたえたか、人に愛を
あたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に
付いていく。神はわれわれに、愛し、愛される無限の機会をあたえてくれる。
・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。
経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。 子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、
いい成績をとれば、オバアチャンにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、「愛してもらえる」ことを学んできた。
愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、にせものの愛であったことに気がつかなかった。
いちいち他人から是認を必要とするような愛を本当の愛とよべるだろうか?自分自身への慈しみの心を持つことが、
本当の愛の第一歩である。あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。
それをすることがうれしくて、たましいが歌をうたっているのだ。
そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている
行為である。たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きを
してなにか「有益な」ことをするのではなく、ただのんびりと寝ていることかもしれない。
・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。「何人かの女性を愛そうとしました。
相手を幸福にしようと努力をしました。ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、意外な質問だったらしいのです。
「もし愛が、相手の女性を幸福にするものでなかったとしたら?
そんなこととは無関係に、ただ傍にいるだけが愛だとしたら?
相手を幸福にするという思い込みすてて、ただ傍にいることが、
長い目でみたら、相手を幸福にすることになると考えてみたら?」
人生には浮き沈みがある。愛する人がかかえる問題をすべて解決してあげることはできないが、
そばにいることなら、できなくはない。長い目でみればいちばんの愛のしるしではないだろうか。 

・・・・・
2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』?2
             読書日記
ー抜粋ー6

父は話をつづけた。「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。
ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、ランプの中に押し込められた精霊を見つけたように、
私たちもみんな自分の中にランプの精を見つけることが出来る。
天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」
「ランプの精が見つかると、精がおまえらにこう聞く。
『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、
 二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに与えること、
 三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』
「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。
問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままにしていることだ。
才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。
ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ効果を発揮するんだ」
  (以下、字数の関係でカット2,008年4月17日)

・・・・・・・
2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪

一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。
たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。
外国人の犯罪らしい。ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。
発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。
休業の張り紙は出せないらしい。外国人がトラックで全て持ち出すという。
10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。
犯罪もグローバル化になってきた。平気で殺すから恐ろしい。
同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。8000円が少し高いが 。


2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1

2009年04月16日(木)

去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。
その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、多く読んできた。
楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消えて、
「100年に一度の経済危機」という言葉が定着したきた。
1930年代の世界恐慌より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40パーセントダウン。
輸出産業を中心としたメーカー関連で、40〜50パーセントダウン、それ以外が20〜40パーセントのダウン。
2001年の9・11事件の時は、三年かかって30パーセントにダウンしていったが、今回は2〜3ヶ月で、
総じて30〜40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、駄目な会社は早々処理するように
というお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、お達しが出ているという。
大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上げ減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。
国家として3月末の大量倒産を避けることが出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて
大きな事変が続くと言われている。 実際に数字を見ていると凍りつく思いである。
当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが、問題は、これからの経済社会の情勢である。
この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。
韓国・台湾・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンというから、
大打撃になっている。かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。
この7〜8年、何とか輸出立国というモデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは崩壊してしまった。
 どうなるのだろうか? 

・・・
2569, 閑話小題 
2008年04月16日(水)

 *ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。
そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。
ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)しているのでは?
市内の何処を見ても統一は不自然だという。
こんなことをしているから消費者に嫌われるのを知らないのだ。
誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
  ーー
 *呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
新潟のキャッチが古町も駅前も完全に姿を消したという。
呼び込みは店の前というよりドアの内外の辺りにいて、積極的に声をかけなくなった。
外でタバコをすっている振りをして、そこにいることを知らしめるだけで、
自分からは声はかけないという。
先々週、長岡の殿町でキャッチに付きまとわれてトラブルになったが、その後はどうなったのか。
風俗の店はキャッチが禁止されれば、商売が成り立たない?。 
ところで先週末の古町はキャッチもいない代わりに、一般の客もいない状態で閑散としていたとか。
少し猥雑の雰囲気を客は求めているのか?。
  ーー
 *ロシアのバレー事情の激変
先日、NHKのハイビジョン特集「シベリア鉄道2008」の中でロシアのバレー学校の事情を部分的だが、
紹介していた。この番組、20年以上も前の番組と同じコースを映しながら、その変化を紹介する内容。
なかなか見ごたえがあった。ソ連の時代はバレーダンサーは優遇され、全国から殺到していたが、
現在は素質のある生徒が集まらない。学校のほうが全国にスカウトにまわっている始末。
やっと、育て上げても海外の条件の良いところに行ってしまうケースが多い。
ダンサーの給料が激減、若者の希望は実業者とか、銀行マンに移ってしまった。17年で価値観が変化したという。

・・・・・・・・・
2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
                 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、
進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。
彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。
慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では誰も前の席に座りたがらない
沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
 ーベトナム交通戦争ー 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、
衝突する際どさの中を運転技術でコントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。
ベトナムのオートバイは2000年で650万台、2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に
10パーセントをベトナムが占める。自動車とオートバイの比率は、9対1で圧倒的にオートバイが多い。
そのため交通事故は2004年で年間17,500件以上、死者数も14,000人を超えている。
1990年に死者は2300人だというから、14年間で6倍になってしまった。
オートバイの数と丁度正比例していることになる。日本で1970年に交通事故死者数が16,765人をピークになった当時、
ベトナム戦争での年間戦死者数より交通事故死者数が多いところから「交通戦争」と呼ばれた時代があった。 
現在のベトナムは、その「交通戦争」の様相になっている。
かつてハノイには市電とトローリーバスが走っていたのだが、交通の妨げと廃止され、
それに変わり自転車からバイクへなってしまった。一家に一台はあるどころか、家族一人に一台になりつつある。
無免許、飲酒運転当たり前、事故死は日本の人口の三分の二にかかわらず倍。
ということは人口比からみたら三倍になる。もちろん、ヘルメットをする人は皆無。
2~3割は無免許で、免許も賄賂を渡せば簡単に取れるという。
しかし、あの戦場?の迫力も、あの国のエネルギーとしてみれば、穏やかな国民の発散に思えてくる。
20年近く前の中国の北京で見た、通勤時の自転車の群れも迫力があった。
    ホンジャキオツケテ(o ・д・)ツ バイ! 

・・・・・・・・
2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ?1
  おはよ?!(*^ワ^*)i
                ?読書日記              
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから?
           「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
著者からの内容紹介
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには? 
「分かりやすい技術」の著者が、効果的な情報収集・整理術を伝授!
携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには?
一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには?
本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
▼情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」
 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」
 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。
▼日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える
 テクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。
  ーー                且_(・_・ ) まあ、どうぞ!
以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーセントは把握できるはずであるが?
5年間にかけて随想日記を書き続けた結果把握したノウハウがそのまま書いてあったようだ。
最近は「検索」で、読む前に本の構造を調べるようになった。読む前から、骨組みを知っているのでエネルギーは数分の一。
骨組みを知った上に、仮説を立てて、その誤差を測ると手っ取り早い!情報洪水に溺れないためのコツである。
情報発信者の手抜きを私たち情報受信者が補い、「わかりやすく理解する」ための情報受信術をマスターすることだ。     
具体的には、人間が文章を読んで理解するまでのメカニズムと、脳の仕組みを理解して、それを利用することである。

ー章単位に印象的なところを抜粋してみたー
□第1章ーアウトプットしながら情報収集する
  P30ー私たちの日常活動は、多くの場合、アウトプットを前提にしている。
  手っ取り早く情報受信をするためのテクニックの基本は、他人に教えることを前提にすることだ。
  情報受信と情報発信は、ニワトリとタマゴの関係である。  
・アウトプット=他人に教えることを前提に勉強する
・ビジネスマンはプレゼンを意識する
・情報を発信することを念頭に置きながら、情報を受信しなければならない
□第2章ー分かりにくい文章から意味を読み取るには
 P47ー私たちは、入力されてきた情報が自分の持っている過去の情報と
  関連づけられたときに、情報の意味が明確になり、「理解できた」と感じる。 
  理解できた情報は、関連ある棚に格納されて、長期間、記憶される。
  脳内関所の役割は5つ
1.情報の大きさをチェックする
2.脳内辞書の棚から必要な辞書を選ぶ
3.情報構造を分析する
4.論理性をチェックする
5.脳内辞書に格納して意味を確定する
脳内関所は、サイズの大きな情報の取り扱いは苦手。例えば、電話番号以上の桁数を覚える行為。
次に、脳内関所をクリアした情報と、脳内辞書の棚にある情報とに関連性がないか検索。
新車情報という情報が入ってきたら、車の運転の仕方の棚を検索。
そして、入ってきた情報の構造を分析。因果関係、主従関係。また他の脳内辞書の棚との構造的関係をチェック。
ただし、腑に落ちない情報は格納されない。何故と根拠がセットになると格納されやすくなる
 P49ー本文を読む前に、各章のタイトルに一通り目を通して全体像を把握しておくことは、脳の特徴に適合しており、
  効率的な情報収集を可能にしてくれる。また、文章の内容が理解しにくいときには、段落ごとに自分なりに
  要約してみると、情報サイズが小さくなって、脳内に入りやすくなる。       ーつづく
                 バイ!
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2005年04月16日(土)
1474, 汚れつちまつた悲しみに     中原中也

汚れつちまつた悲しみに  今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは  たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに  いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに  なすところなく日は暮れる

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河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-

この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、
深い癒しになるだろう。年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。
深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」
と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。
昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに
「倒れ(挫折)てしまった」が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。
その傷は本人しか治せない。「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。

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2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。
その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ印象深い文章を書き出してみる。
私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?
その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの極限を味わう為である。
その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。 学ぶのだ、学ぶしかないのだ、
それなら今の自分が自分で納得できる!」という、こころの大転換があった。
その時から、視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。分厚いレンズー現実が目の前から消えたようだった。
この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。
過去を考えてみると全てがレッスンであることが理解できる。人生は学校なのだ。
現象は神があたえた教科書の練習問題。何故、その問いに答え続けなくてはならないのか?
それが生きるということだから!
ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1の内容である。 
 938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記  2003/10/29
  (字数の関係でカット2008年04月15日) 

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2003年04月16日(水)
742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』?1               
               ー 読書日記

『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。
何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう!
何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。
お金は、ある意味で生きていく交通手形である。お金に対する考え方は人生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
  ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。
「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。
人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを犯すことで進歩をする。
いつも正しくあらねばならないと思っている人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは一ところを回っているだけだ」
  ー抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間に変わりのないことは私も知っている。
問題はそういうことではない。問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているかどうかだ。
エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、
より多くのお金を持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは何か、私に言わせればそれは『自由」であった。
  ー抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」
「たいていの人は、お金を稼いだあとそれをどうするかについて、貧乏になるプラン、
やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームをやるんだよ」
  ー抜粋ー4
「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れになることはある・・」
「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。・・・古い考えにこりかたまった老人だ。
 まだほんの50歳だというのに。問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、
 それに気がつかなかったことだ。」
  ー抜粋ー5
本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を与えることである。
「借金を返しなさい」「預金をしなさい」「請求書の払いをきちっとしなさい」
「クレジットカードを切って捨てなさい」「お金は借りてはいけません」
・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。
・中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。
・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて
 くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を 見つけるよう促すことで、
 より細かく区別する力を伸ばしてくれた。つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。
                     ー 続くー
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2002年04月16日(火)
378,不況

昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。
1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、現在はその半分の売り上げに激減。 
家内が言うに、今の社長は「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。
今の倒産の多くに見られるパターンだ。先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。
全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。昨日の新聞に載っていた、
ある雑誌のアンケートで、サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。
大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。私の感じていた、「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」
と同じ数字だ。新潟県はあと一割増か。自社は一応17パーセントに入ると思うが?社員はそう思ってないかもしれない。
どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。
・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。
・会社資産の売却。
今のところ当社は一つもないが。しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。

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